「……ん、ドアが開いたな」
「ちょうどいいね、ヒポグリフォモン。お湯も今沸いたところだし」
男は、白い鳥頭に四足歩行、鳥だか獣だかわからない奇妙奇天烈な生き物にそう返した。
「あとジュースも。果汁100%のやつ」
「世莉くんか。この漂流街(ドリフトタウン)に来て半年にも関わらず、彼女が依頼人連れて来るのは週一ペースだからすごいね」
ヒポグリフォモンの言葉に、いいねと頷きながら男はジュースをお盆の上に用意した。
「喜ぶなよ。世莉だけで来てるんじゃないんだぞ」
人の目を気にしろとヒポグリフォモンは言う。
「いや、楽しみだね」
コンコンと扉をノックする音がした。それに、男はどうぞと返した。
扉が開き、まずはそばかすとわかめみたいな髪に三白眼の少しボロいブレザーを着た少女がはいってきた。
そして、その少女に庇われる様に、目深に帽子を被った、しかし僅かに見える部分だけでも美人と確信させるには十分な女性が入ってきた。
「青薔薇探偵事務所にようこそ。僕は所長の国見天青、さて、まずは名前と好きな飲み物からお聞きしましょう」
男こと、国見天青は自分の首元に結ばれた青薔薇の描かれた黒いネクタイをキュッと締め直し、女性に椅子をすすめた。
「では、コーヒーをもらっていいですか?」
「私はジュースで」
「そう言うと思って、実は先に用意してあったんです」
国見はそう言いながらキッチンに入ると、あっという間にお盆にジュースとコーヒーを乗せて出てきた。
「え、なんでわかったんですか……?」
「それは探偵の企業秘密ですよ」
そう言って、国見はパチンとウィンクをした。
「……国見さんは、元から自分の分のコーヒー淹れてたんですよ。そこにちょうど私達が来て、私がジュース飲むの知ってたからそっちだけ用意してた。なので、そこにあるのは元々自分が飲むつもりで淹れてたコーヒーなんです」
世莉はそうちょっと呆れた顔で言った。
「世莉くん、そういう種明かしは野暮だと思うんだけど」
国見はそう言いながら肩をすくめた。
「カルマーさん、この人は親の代から探偵してるそうですし、頼れる人ですけれど……なにかと嘘吐く人なので注意してください」
国見と世莉のやり取りに、女性はじゃあなんでわざわざここに連れてきたんだろうという顔をした。
「いつも通り、世莉くんは依頼人に寄り添う姿勢だね。顔見知りの僕より依頼人側に立つのはちょっと嫉妬を覚えるよ」
わざとらしくそう言う国見に、世莉は呆れた顔をした。
「もう少し慕って欲しいなら、私の依頼もちゃんと解決してください」
「あと、俺もお前と依頼人で選べって言われたら、依頼人選ぶぞ。もうちょいちゃんとしろ」
ヒポグリフォモンも追い打ちすると、それは流石にどうだろうと国見は眉をひそめた。
「まぁ、とりあえずコーヒーはまだ口つけてなかったので安心してお飲みください。僕は……自分のを淹れてきますね」
そうして国見は、流石にそこまでひどいことはしてないと思うんだけどなぁと呟きながらキッチンに向かった。
「で、あんたの名前は?」
ヒポグリフォモンが聞くと、女性は答える。
「キャサリン・カルマーです。私は……人間界から迷い込んだ【漂流者】なんです。それで、私と一緒に迷い込んだ筈の女性を探して欲しいんです」
「カルマーさん。つまり、あなたの依頼は人探しですね」
コーヒーを持ってすぐに戻ってきた国見に、一瞬黒木はおや? さっきは本当に予想してコーヒーを淹れていたのかなと思ったが、大き目のマグカップは縁が濡れ、中身は半分しか入ってなかった。
国見としては、話題が変わる前に戻ってきて、これの濡れたところにすかさず口をつけて飲んだふりをし、さっきのはちゃんと推理して淹れたんだ。自分の分は別にあると主張するつもりだったのだが、残念ながら既に本題に入ってしまっていた。
「はい、そうです。彼女の無事が確認できればそれでいいので……」
「なるほどなるほど、二、三質問してもいいですか?」
国見の言葉に、キャサリンはどうぞと頷いた。
「その女性とこちらに来てから会ったことは?」
「いえ、こちらに来て目が覚めた時には一人だったので……もしかしたらもうこの街にいないかも」
「あなたがこちらに来たのは何年前ですか?」
「六年前です」
「なるほどそうですか……探し始めたのは最近?」
「え? まぁそうですが……」
「元の世界のご職業は?」
「普通の事務職員ですが……」
「お酒はよく飲んでました?」
「あまり好きじゃなくて……基本的に飲まないですし、来た時も飲んでなかったです」
来た時の状況ならともかく、探し始めた時は関係あるのかなとキャサリンは不可解そうな顔で国見を見た。
「なるほど、では依頼をお受けする前に一つ確認しておきましょう。無事を確認したら、絶対に危害を加えたり殺したりなどしないと」
国見の言葉に、その場にいた全員が目を丸くした。
「何言ってんだ天青」
「彼女の依頼はおそらく友人の無事を確かめたい。というものではないんだよヒポグリフォモン。六年目の今年になってやっと探しているが……この漂流街では大体どんな条件なら一緒に人が来ることになるかは知っているね?」
「……あの、私はよく知らないんですけれど」
世莉は漂流街の多くの人がこの世界に来る時のように、偶発的なゲートで来たわけではなかった。
「じゃあ、世莉くんのために説明しよう。条件は簡単だ、単純に繋がっていることだよ。手をしっかり繋いでいたり、抱き合っていたり、稀なケースではあるが、遊園地の遊具のシートごと複数人がというケースもある。そして、その場合は大抵同じ場所に飛ぶ。挨拶程度の短いハグや握手は確率としては低いね」
「手を繋いだり抱き合うのは恋人や親しい友人、家族で普通は女性なんて言い方はしねぇか……」
ヒポグリフォモンはそう呟いた。
「そう、しかも親しい間柄ならば、六年目になる前から探している筈だ。では、どんな間柄ならば探すこともなく、しかし一緒に迷い込み、且つ目を覚ました時にはいなかったということは、誰かが引き離したか……その女性は意図的に彼女から離れたことになる。僕が想像できる理由は取っ組み合いの喧嘩とかそういう状況だね」
「でも、さっき遊園地のシートごと来たとかいう話もあったじゃないですか。あとは床屋とかも考えられますし……」
世莉がそうフォローを入れるが、国見は首を横に振った。
「この街の人間界からゲートが繋がるポイントは大体知られていて、ある程度大規模なものや大きなものが迷い込めば話題になる。乗り物系に相席はそれで除外できる。床屋とか相手が人に触れる職業だったならば、それも先に口にしただろう。彼女自身は事務職で接客業でもないしね」
そう言って微笑む国見に、キャサリンは押し黙ってまゆを少し吊り上げた。
「今になって探し始めたのはきっと、その姿を街中で見かけたからだろう。この街で、保護者もない人間はのたれ死んでいてもおかしくないし、もしかしたら、先に刃物を刺すなどして致命傷に近い傷を与えていた為に、そもそも死んでいると思ったのかもしれない。でも、生きているとわかってその居場所を突き止めようとした」
「……その通りです。私は彼女の腹を刺しました」
ふうと一つ息を吐くとキャサリンは観念した様に話し出し、世莉はなんでそんなことをと寄り添う様に座りながら促した。
「でも、今はもうそんな気はないんです。私とその子はあるクズ男と付き合ってたんですが、浮気してると知らなくて、彼の部屋でバッティングして……私は熱々の、生姜焼き作ってたフライパンで殴られ、咄嗟に私は包丁で刺しましたそしてそのままお互いに顔面を殴り合い……」
「……壮絶な喧嘩ですね」
これがその時の火傷、こっちがフライパン、これが生姜焼きです。形がよくわかるでしょ。と、太ももについた火傷痕を見せて解説した。
それを見せられて国見は内心困惑していたが、世莉は大変でしたねと共感して辛そうな顔をしていた。
「だけど、アイツが悪いんです。あの浮気野郎が。私が作り置きした料理を自分で作ったと偽って彼女に食べさせてたり、私と彼女の二人共とまともに付き合う気なんてなくて……なので、殺意はそっちに向いてます」
殺意自体抱かないで欲しいとヒポグリフォモンと国見は思ったが、世莉が偉いよくその結論に至れたねという雰囲気だったので黙った。
「では何故、彼女を探しているんですか? 自衛のためですか?」
「いえ、彼女を見かけた時、彼女はデジモンといたんですが、ひどく虚な目をしていて……私が刺したあたりのお腹に、何かが埋め込まれて異様な様子だったんです」
アレは一体……とキャサリンはつぶやいた。
「……おそらく、リンクドラッグですね」
「リンクドラッグって、なんですか国見さん」
「世莉くんが知らないのも無理はない。リンクドラッグは非常に危険、それゆえに一度は廃れた技術なんだよ」
「一体どう危険なんですかッ!」
「落ち着いてください。それそのもので彼女が死ぬことはありません。リンクドラッグは、人間とデジモンを繋ぐことで、感情の昂りに応じて同調する感情と驚異的なエネルギーを発揮させるものです。彼女と共にいるデジモンが楽しくなるには彼女も楽しくさせないといけない」
国見は落ち着いたトーンでそう答えた。
「……なら、安心ですね」
「いや、そうとも言えない。このリンクドラッグは双方向なんです。例えばら彼女が何かを楽しいと思ったとする。すると、その楽しさがデジモンに伝わった後、それをうけてそのデジモン自身が感じた楽しさは彼女に戻ってくる。それを受けて……と、ありとあらゆる感情が極端に大きくなりがちなんです」
「……それは、日常で困りますね」
「それもそうですが、より懸念すべきは脳や身体への負担でしょうね。本来はあり得ないレベルの感情を処理させられ続ければ脳に日常的に負担がかかります。次第に体調が悪化し、体調が悪化すれば気分も悪くなる。その悪い気分がまた増幅され……という負のループです」
そして、と国見は続けた。
「その悪感情達もまたエネルギーになる為、単なる八つ当たりや憂さ晴らしが恐ろしい規模の事件になる」
国見はやはり淡々とそう口にした。
「……となると、ヤベェな」
「そう、やばいので数年前に『役所』によって禁止されました。ここ数年それ系の事件はまぁまぁ頻繁に起きている……『役所』に助けを求めるべきですね。うちじゃない」
国見はそう言うと、もう一杯コーヒーを飲んだらお帰りくださいと言った。
「国見さんがやらないなら私が勝手にやります」
「……世莉くん。君は電脳核を移植された稀有な人間だよ。完全体相応の力と副作用の優れた五感がある。自然な完全体なんて千体に一体もいないのだから、君ほどの力があれば大体のことは切り抜けられるだろうね」
こくりと世莉は頷き、ヒポグリフォモンもそうだそうだと同意した。
「でも、ヒューマンドラッグは駄目だよ。人間とデジモンの組み合わせはデジモンに本来あり得ない力を出させるからね。千体に一体の完全体が、ヒューマンドラッグがあれば十体に一体まで増えてしまう。その時点で君の安全は保証されなくなるよ」
国見はそう言って目を閉じた。
「そして、デジコアだけで五体満足の完全体並の力を出せる君の力も遠いけど近しい、しっぺ返しを受けるのも当然の力という意味では同じ。ヒューマンドラッグの周りを嗅ぎ回れば必ず何かと遭遇するが、切り抜けられたとして果たしてその時君は無事でいられるのか……」
国見の言葉に、世莉は何も迷わなかった。
「私が危険な目に遭うだけで済むなら、何もないのと同じです」
「……世莉君、黒木世莉君。そういうとこだぞ。きっとそういうところがよくなかったんだぞ。それできっといなくなっちゃったんだぞ」
「今、私の親友の話は関係ないじゃないですか。というか、親友探しの依頼も済んでないんですから、天青さんはもう少し本腰入れてください」
世莉の言葉を国見は右から左へと流した。
「君は人の心に寄り添ってたらし込むが、君自身を大事にしない……今や、僕が探偵業をやってる理由の一つに、君が目の届かないところで暴走しないか不安だからが入ってくる」
「まぁ……どうせ言っても聞かないんだし、投げ出すのもどうかと思うぞ、天青」
「えっと……とりあえず、依頼は受けてくれるって事でいいんですよね?」
キャサリンの言葉に、天青は曖昧な顔をした。
「まぁ事情はわかりました。でも、聞いた限りだとあなたがそこまでする理由もなさそうですし、僕達が下手を打てばカルマーさんまで機嫌が及びますよ」
「同じクズに騙され、おそらくお互いに消えない傷を背負った、彼女は私のソウルメイトなんです」
キャサリンは濁った目で微笑みながら、太ももに大きくついた火傷の跡を撫でた。
それを見て、ヒポグリフォモンはひぇっと息を呑んだ。
「……時々思うけど、人間ってやばいよな」
「彼女を人間代表にするのは僕としては遺憾だね」
「国見さんを代表にするのも私はどうかと思いますけど」
ヒポグリフォモンの言葉に国見が、国見の言葉に世莉が反応する。
「まぁ、そういうことなら事情はわかりました。その女性について知ってること、どこで見かけたとか外見の情報とか、教えてください」
そうして一通り聞き終えてキャサリンを帰すと、国見は椅子に座ってパズルを解き始めた。
「……調査しないんですか?」
世莉は呆れたような非難するような目を国見に向けた。
「事情はわかったと言ったけども、依頼を受けるとは一言も僕は言ってないよ。『役所』への報告は世莉くんが行ってくるといいんじゃないかな」
どうせ言っても聞かないのにと、ヒポグリフォモンは呆れた様な顔をした。
「さっきはああ言ったけどさ、世莉くん。君はどこを調べればいいのかもよくわかってないよね」
つまり調べようがない、と天青は笑った。
「目撃された辺りじゃないんですか?」
「……いいんじゃないかな」
「ってことは違うんですね」
「……まぁ、そこはカルマーさんが日常的に過ごしている場所だからね。目撃したのが一度きりということは、そこにいたのは偶然であって生活圏じゃないかな。二度現れるとは限らないよ」
行く価値自体は僕にとってはあるけどね、世莉くんが危険から遠ざかるからと国見は続けた。
「……だったら、どこ調べればいいんですか」
「それを僕は教えない。中毒者達が集まってる様な場所、よく出入りする場所、取引がされてるらしい場所とか、漂流街の裏について君が知らないのを知っているもの。僕は漂流街産まれ漂流街育ちの純漂流街人だが、君はまだこの街に来て半年だからね」
諦めた方がいいよーと国見は完成したパズルの青薔薇を世莉の頭の上に置き、二杯目のコーヒーを淹れにキッチンにむかった。
「……じゃあ、エレットラさんに聞きます」
世莉がその名前を出すと、国見は足を止めてとても綺麗な笑みを浮かべた。
「それはズルじゃないかな。エレットラを巻き込むのはズルだよ。彼女に依頼受けるフリして受けませんでしたなんて言ったら幻滅されてしまうよ」
「『役所』の人に通報するだけなので、至極真っ当ですよ。その過程で国見さんが私の前で働いた幾つかの詐欺の話をしてもそれも問題ない、ですよね?」
世莉はその三白眼でじろっと国見の目を下から睨み上げた。
「……金品は騙し取ってないから詐欺ではないよ、世莉くん」
口では否定しつつ、国見は仕方ないと折れた。
街の空に走ったレールの上を走るトレイルモンに乗って、三人は『役所』に向かっていた。
「……ヒューマンドラッグの歴史はこの街と同じ、およそ三千年ほど前に起因する」
「この街の歴史もそういえば私よく知らないです」
「ならそこからかな。その発端は、およそ三千と二百年前の戦いに遡る」
国見はそう話し始めた。
「その頃、ルーチェモンという極めて強大かつ至高の叡智も持ったデジモンは人間界にいて、数多の王を従え神を名乗って君臨していた。人間界では海の民とか呼ばれているやつだね」
そう言いながら国見は右手の指を一本立てた。
「それに対し十闘士と呼ばれる十体のデジモン達は、敵対する人間の国々に声をかけ、力を合わせてルーチェモンを人間界からダークエリアへと封印。その時、デジタルワールドのある座標を経由してダークエリアに繋げた超大規模ゲートを用いた」
立てていた指を国見は反対側の五本の指で押し潰すようにして隠すと、不意に手の中からパズルのピースをボロボロとこぼした。
「それに巻き込まれた人間が何千人といて、彼等はルーチェモンが封印されたダークエリアまで行かずにデジタルワールドに漂流した」
「……それが漂流街の発祥、ですか?」
「そう、ルーチェモン派も反ルーチェモン派もごちゃごちゃだった……あの辺り、ゴミの山があるのを知っているよね?」
国見はそう言って、自分達が来た方向の街の外れに積まれた巨大なゴミ山を指差した。
「行ったことはないけどあるのは知ってます」
そのゴミ山は漂流街の中の高所であれば、大体どこからでも見える程大きく本当の山の様で、麓には崩れたのを防ぐ為の柵まで設置されていた。
「あのゴミの山がある場所が人間達の落ちた場所でね。今も人間界で偶発的にゲートが開けば、基本的にあそこかダークエリアのルーチェモンの居城に繋がると言われているんだよ。君はあのゴミ山に開いたゲートから来たわけじゃないから、行ったことはないのかな?」
「そうですね。ないです。あの山は全部人間界かはのゴミ……?」
「それはそうでもないよ。三千年前はそうだったけど、人間界から迷い込んでくるものも、要らないものは放置される。すると、そこに自分の要らないものを捨てる奴も出てくるのさ」
国見はそう言ってやだねと笑った。
「話を戻そう。この地に降り立った人間達は、あの場所では過ごせないので近くに見えた城のある街を目指した。それが【役所】の辺りだよ」
天青が指差したのは進行方向にそびえ立つ、石垣や煉瓦、コンクリートが混ざり合う、様々な年代の建物をつぎはぎしたような建物だった。
「じゃあ、元々はあの城が街の中心だったんですか?」
「そう、三千年前、人々がここに来た時点でオニスモンという古代デジモンによって滅ぼされていた街跡で、そこを中心に街を作った。その後、人間界のものを欲したのか、それとも帰りたかったのか、向こうのゴミ山の周りにも人が住むようになり、間を繋ぐ道ができ、その周りに町ができ、細長い街ができた」
適当に話を聞きながら、くぁとヒポグリフォモンは大きなあくびをして目を瞑った。
「【役所】って、警察とか市役所みたいな、自治体のいろんな機能を備えたとこですけれど……そういう歴史があって街の端にあるんですね」
「そうだね。かつてはあそこに王がいたんだよ。絶望する民を導き生活を安定させた王がね……今はもう、そういうのはいらない時代だけれど」
リンクドラッグの話まではできなかったねとあー仕方ない仕方ないと国見がわざとらしく言うと、トレイルモンの車内に【役所】到着を伝える放送が鳴り出した。
「いいですよ、結局エレットラさんの前で話してもらいますし……」
「【役所】なら、僕より把握してるんじゃないかな。ルーチェモンに説教というやつだ」
「初めて聞いたことわざですけど、漂流街ではよく使うんですか?」
「そうだね、意味はなんとなく伝わった?」
「嘘だぞ、世莉。この街にルーチェモンに好意的なことわざなんて基本ないからな」
ヒポグリフォモンにそう言われても、国見は悪びれもせずにそうだねウソだよと笑った。
「鋼の闘士に説教って言葉ならある。この街の人は本人達は神とか名乗りもしなかったのに宗教にするぐらい十闘士が好きだからね」
駅から直通の通路を抜けて、役所の玄関から三人は入っていく。
「げ……エレットラさん、エレットラ・アラベッラ・ガヴァロッティさん。顔だけが取り柄の嘘吐きアメンボ野郎が来ました。相手したくないので正面受付まで可及的速やかにお越しください」
受付に座っていた大きなアリのようなデジモンは、国見の姿を見るなりそう内線で呼び出しをした。
「……国見さん、めっちゃ警戒されてませんか?」
「みんな僕のことを誤解してるようで悲しいね」
「表現はともかく妥当な評価だぞ。日頃の行いを見直せ」
三人がそんなことを言っていると、奥から女性が早足でつかつかと歩いてきた。
「天青!」
銀髪に緑色の目をしたその女性は、そう叫ぶと、凄い勢いで天青に向けて両手を広げて走ってきた。
「エレットラ!」
その女性を迎える様に天青は手を広げたが、広げた腕をするりと抜けられたかと思うと、世莉を天青から庇う様な位置に立ち、国見の腕をねじりあげ、背中から膝を入れて地面に無理やり押し付けた。
「……エ、レットラ、これは一体……」
「この前、結婚詐欺したでしょ」
「アレは、そもそも付き合ってもないのに向こうが盛り上がっただけッでぇ……お金とか取ってないというか向こうが無理やり送りつけてきたというかがっ……痛いからちょっと緩めてよエレットラ」
「ここ半年は探偵とか、また若干怪しいけど、更生したのかなぁなんて思ってたんだけど」
そう言いながらエレットラはさらに腕を強く捻り上げた。
「世莉ももなんかアレだったら天青のことはまぁまぁ強めに止めてね」
小口径の拳銃までは可。とエレットラは治安を維持する側とは思えない言葉を口にした。
「た、探偵業はちゃんとやってる、やってるよエレットラ」
「……まぁ、詐欺でないのは自称被害者の主張聞いてればわかってはいたけど。無理やり送り付けられたは違うでしょ。結婚するとは言ってないけど、曖昧にして貢がれるがままにしていたってことはわかってるんだからね」
「いや、だって探偵業はあまりお金にならないし……あ、そういえば香水変えたね、爽やかで君に似合う素敵な香りだと思う」
「……せいっ」
軽薄な言葉を連ねる国見に、エレットラは何も言わずに力を再度入れ直した。
「きょ、今日は……リンクドラッグについて話があって来たんだ……」
「……真面目にやってる。は嘘じゃないのね」
あと、ちゃんともらったものは全部返しなさいよと言いながら、エレットラは国見を解放して歩き出した。
「ふぅ……世莉くん、こっちらしい」
何もなかった様にスタスタと歩き出す二人に、世莉は一瞬ついていけなくて受付を見たが、受付のアリデジモンは国見に向かって四つある手全ての中指を立てていた。
「あの二人は関節技と親愛のハグを同じジャンルだと思ってる節があってキモいよな」
「公衆の面前でプレイしないで欲しいですね。半年見てるけど慣れない……」
「十年見たって慣れないから安心しろ」
世莉とヒポグリフォモンは呆れながら二人について行く。
そうして二人と一体が通されたのはこじんまりとしているがしっかりした作りの部屋だった。
「リンクドラッグについてはうちでも調査を進めているけど、その、探偵とやらやってる関係で行き当たったの?」
「……そういえばなんですけど、国見さんって父親の頃から探偵なんじゃないんですか? そう聞いてたんですけど……」
「うん、父は花屋を営んでいたよ。今は別の人がやってるけど」
国見は悪びれもせずにそう言った。
「一年前まではモテ指南みたいなうさんくさいセミナーしてたわね。受講料や教材費に加えて、女性に送るプレゼントとして元は父親の店だった花屋の花を買うようにしむけ、自分は客が花を買う度に店からのキックバックでさらにがっぽりという仕組みの」
本当こいつそういうところがよくないのとエレットラは言った。
「半年前、初めて漂流街に来た時に私が訪れた事務所は……」
「廃屋だったんだよ。買い取って何か新しいことをやろうかと思っていたらたまたま世莉くんが来た。それで、前の看板の探偵事務所っていうのを信じてたから、じゃあ探偵をやってみようかなと」
そんな経緯だったわけで探偵でさえなかったという国見に、世莉は嫌そうな顔をした。
「……まぁ、今はちゃんと探偵やるつもりだし……それより、依頼人は知り合いがヒューマンドラッグにされているらしくてね。僕は手を出したくない、『役所』で何とかしてくれないかな」
「……なんとかしないとどうなるの? 天青が真面目に働くんでしょ?」
それなら私としてはむしろ安心するんだけどというエレットラに、国見は世莉を親指で指した。
「世莉くんがまた死にかけるかな。この街に来て半年、月一ペースで彼女は完全体が死ぬ規模の厄介ごとに巻き込まれるからね」
「……いい子なんだけど、もう少し慎重になって欲しいわよね」
「まぁ、慎重に深追いしてより厄介なとこでピンチになるだけだろうな」
三人がうんうんと頷くのを見て、世莉は少し苦い顔をした。
「多分、そんなことはない……はず」
しかし、強く否定もできなかった。
「さて、『役所』はなんとかできそうなのかな?」
「そうね。正直に言うと、リンクドラッグの出所はあまりわかってないわ。流通ルートはある程度ならわかってる。既存の麻薬と同じルートが使われてるのは間違いない」
けれど、そのルートが解明してればとうにどうにかできてるわと締め括った。
「それはちょっと情けなくないか?」
ヒポグリフォモンの言葉に、エレットラはでも仕方ないのとため息を吐いた。
「戦闘力が増大するリンクドラッグ使用者を取り押さえるにはそれ以上の力がいる。『役所』にはlevel6、つまりは究極体がいるけれど……たった二人じゃ手が足りない。level5だってこの街全体で三桁行かない数なんだから、こっちの主力はlevel4、数で囲んでどうにかはできるけど、毎回の様に入院するデジモンや死者が出て、捜査にデジモンが回れない、デジモンの能力込みで組まれていた捜査は機能不全に陥って、元々見つかってなかったのにどうにもできない」
「……リンクドラッグの出所は十闘士教だよ、エレットラ」
国見ははぁとため息を吐いた。
「十闘士って、さっき言ってたルーチェモンと戦ったっていう……」
「そう、その十闘士だよ。この街で最も多くの信者を持つ宗教でもある、というのが意味するところはエレットラにはわかるね」
「……[役所】内に薬物の捜査が進まないようにしてるやつがいるのね」
「でも、なら国見さんはどこからわかったんですか?」
「いくつかあるけど、リンクドラッグとは何かって話と、今エレットラから聞いた【役所】が情報をつかめてないというとこの二点かな」
「リンクドラッグは何か特別な由来があるんですか?」
「十闘士はルーチェモンというその時点のデジタルワールドに存在し得る最強の存在を倒す為、異世界に方法を求めた。そして見つけたのが人間、その活用法として考案されたのがリンクドラッグの起源なのさ」
国見はさらりとそう言った。
「一度歴史から製法が消えたものが出てきた時点で古代に精通した存在が絡んでいることは確かで、【役所】が情報を掴みあぐねるだけの理由がある……」
この街の考古学者に確認とってもいいよと国見は言う。
「つまり英雄様は中毒者だった訳だ」
話を聞いて、少し嬉しそうにヒポグリフォモンは十闘士を小馬鹿にした。
「それは定かじゃない。体内に埋め込まなくても使える仕組みでね。体内に埋め込むのは嫌がる人間が勝手に捨てたりできない様にする為の手法。中毒と暴走が確実に起こり得る状態は現代の使用方法に問題がある。頻度が高ければ十闘士も中毒ではあったかもしれないけどね」
「天青、幾らなんでもリンクドラッグに詳しすぎない?」
「……これは全く関係ない昔話なので勘弁して欲しいんだけどね、僕は子供の頃、この街で十闘士とルーチェモンについて研究していた考古学者のとこで物を調達するバイトをしていたんだよ。面白い話を沢山と、正規の金額の二倍近い代金、あと人間に詳しくなかったので、一日五食分の食事代ももらっていたことがある」
呆れた様な顔をしながら、エレットラは国見の額にデコピンをした。デコピンをされた国見は悪びれもせずに笑っていた。
「経緯はわかったわ。でも、十闘士教を安易に敵に回すのはまずいわよ。この街に十闘士教の信者は二人に一人はいる。『役所』内にだっていっぱいいる。せめて十の支部の内どこが関わってるか突き止めないと手が出せない……」
エレットラはそう言って親指の爪を軽く噛んだ。
「十の支部、ですか?」
「闇、炎、水、氷、木、風、雷、鋼、土、光と、十闘士は十の属性を持っていた。それに準えて、十闘士教は統括本部と十の支部で構成されている。お互いに対抗する関係の全部の支部が関わってるとも考え難い、どこかの支部、おそらく一つか二つかな」
国見は指を一本二本ぴょこぴょこと立てた。
「それって、すぐわかることなんですか?」
「まぁ、シンプルに金払いがいいところを探すのが早いだろう。運用の仕方が仕方だからさ。リンクドラッグは一度売れば同時に継続的に薬物も売れる……けど、あとは任せていいよね、エレットラ」
「諦めろ天青。戦うところがあったら全部俺に任せていい。というか戦わせろ、運動不足だ」
ヒポグリフォモンが楽しそうにしているのを見て、天青は嫌そうな顔をした。
「僕としては、依頼人の探している相手さえ見つかって助かればいいという考えなんだけどね?」
「まぁそうはいかないわね。人材不足って話はしたでしょ? 内部の妨害もと考えると……外部の協力者は必要なの。わかるでしょ?」
観念しろと言わんばかりにエレットラは笑った。
「……国見さん、諦めて下さい。私は少なくとも依頼を達成するまで関わり続けます」
「あと、私は弱いわよ。世莉みたいにデジモンの身体も移植してない、純人間でやらせてもらってる。パッと秘密裏に動かせるのも思い当たるのはほんの数人。ギリ戦えそうなので足が速いのだけが取り柄のlevel4もどきぐらい。あとは銃器と根性しか武器がないわ」
国見はうーんと嫌な顔をした。
「すみませーん。エレットラさん、受付に変な人間とデジモンが来ていて……会話にならなそうな雰囲気が……」
コンコンと扉を叩いて顔をのぞかせたのは、ほうきの先端の様な形の青い被り物を被ったヒーロー的な服装のデジモンだった。
「リンクモン、人間絡みだとすぐ私に頼るのはよくない癖よ。少ないけど人間の職員もちゃんといるんだから」
エレットラは自分の倍近くあるそのデジモンにそう苦言を呈した。
「いや、だってクレーマーって察してくれみたいなこと言うけど人間の表情読むのってむずいですし……ていうか違うんですよ! 今日のはなんかやばいんですって……来客が他ならともかく国見ならよくないですか……? 用なくても来るやつですし……」
「はっはっは、自慢の光速でお茶ぐらい出してくれてもいいんだよ?」
国見は穏やかにリンクモンに苦言を呈した。
「そうですね。あとで黒木さんの分だけは持ってきますね」
俺もかよと呟くヒポグリフォモンは無視された。
「いえお構いなく、それよりそういう人とかいるならここに通してもらったらどうですか?受付の前にいたらよくないかもですし」
「なら、とりあえず通してもらうわ。話が通じないがどの程度かわからないけど、level5のヒポグリフォモンいるところに襲ってくる馬鹿はいないでしょう」
立ち上がり、そう言うエレットラの声に、扉が開いて現れたのは。狼の様なデジモンとやけに顔が紅潮して息が荒いキャサリンだった。
「おや、カルマーさん。家に帰られた筈では?」
「……ア、国見さぁん! アハハ、アハハハハハ!」
キャサリンはそう言って突然笑い出した。それを見て、世莉は思わずなんでと呟いた。
「な、なんで!? なんだろう、アハ、アハハハハ、楽しいわぁあアあァあアハハハハ、ウヒヒ、いひ、ひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
異様な笑い声を上げるキャサリンの隣で、銀の毛皮に青い縞の入った狼が、にまぁと堪えきれないという様子で笑みを浮かべ、涎を垂らし引き笑いをしながら、身体を光らせ姿を変えていく。
「……リンクドラッグだ」
天青がそう呟くと、エレットラはある床板の端をダンと踏んだ。
跳ね上げられた床板の下から飛び出てきた、切り詰められたライフルを掴み、そのまま安全装置を外しながら二足歩行に変わりつつある狼の胸に突きつける。
「リンクドラッグにはね、普通の痛みは通じないのよ」
そう言って、引き金を引いた。
「だから無理やり落とすの。死なない程度に喉か胸を殴打とかね」
衝撃に狼の息は詰まり、笑いが止まる。それと同時にキャサリンも胸を押さえてその場に膝をつき、笑いが止まった。
キャサリンの笑いが止まると、狼の身体から光が消え持ち上げられていた上半身も地に伏せる。
狼は息絶え絶えに天青に噛みつこうとするも、ヒポグリフォモンがポンと軽く額に前足を乗せると、急に脚から力が抜けた様にその場に倒れ伏せた。
それに再度立ちあがろうとすると、全身を黒い光沢のある布で包んだ堕天使に押さえつけられた。それはレディーデビモンというデジモンと化した世莉。
襲われた天青は、とうにヒポグリフォモンにソファーの上に転がされていた。
キャサリンがさまざまな刺激に耐え切れずに気絶すると、そこには呼吸の荒いlevel 4の狼だけが残された。
「……せっかく、いい、気分だったのにぃッ!!」
「そう? ごめんなさいね」
狼が暴れようとすると、エレットラはその銃を頭に突きつけて引き金を引いた。
「あとは頭ね。非殺傷のゴム弾で撃つぐらいがlevel4のデジモンにはちょうどいいわ」
そうして狼が気絶すると、世莉はレディーデビモンの姿のままキャサリンに駆け寄った。
「世莉くん、彼女に傷口はあるかい?」
「いや、血の匂いとかはしないですし、見る限りないです。でも、少し胃液? すっぱい匂いがします」
「じゃあ、リンクドラッグは無理やり飲み込ませたんだな。そして、アッパー系の薬物を投与してここに送り込んだ……早過ぎるな。まともに動いてないぞ、僕達」
「とりあえず吐き出させればいいのね。人も集まってきたし、【役所】の病院に搬送してもらうわ」
「お茶をお持ちしまし……何事で?」
お茶やジュースをお盆に乗せて入ってきたリンクモンに、エレットラはちょうどよかったと笑いかけた。
「リンクモン、このレベルは話が通じないで済ませていいやつじゃないわ。人間の方はおそらくリンクドラッグを飲まされている。病院に話をつけて搬送、その間ガルルモンは地下牢のリンクドラッグ使用者用牢で拘束」
「でも、もういっぱいだった筈……」
「今朝人間側のそれを摘出した個体がいたから一つは空いてるでしょ。最悪相部屋でもいいわ。あの牢の素材じゃないとリンクが切れない。意識を戻した途端に牢の中で進化されたらどうなるかわかるでしょ?」
「……ちょっと、見てきます」
お盆をその場に置くと、リンクモンはフッとその場から消えた。そして、あっという間に戻ってきた。
「見てきました。空きがないので同じlevel4のとこに放り込んどきます」
「そうね、離脱症状が安定してるやつのとこね。くれぐれも拘束を忘れずに」
「え、光速? 突然褒めないでくださいよ」
「頭がご機嫌なのはいいけれど、ちゃんと拘束してなくてガルルモンが暴れて相部屋の囚人やガルルモン自身が死んだりしたらあなたの責任になるわよ」
エレットラの言葉に、リンクモンは少しシュンとしながら、ガルルモンを引きずって出ていった。
それから数分して入ってきた救急隊にキャサリンが病院へと運ばれていくのを世莉はなんとも苦々しげな顔で見ていた。