◇
光ヶ丘駅前のカラオケ店。思い切りバンと机を叩く音と共に鮎川飛鳥の叫びが木霊する。
「おかしい! 絶対におかしい!」
狭い室内に響き渡る怒声に他の三人は露骨に顔を顰めたようだ。
「あのね飛鳥、そんな大声出さなくても聞こえるっての」
「うっさいわね! これが落ち着いていられるかってのよ!」
元々が不機嫌そうな顔を更に歪めて文句を垂れるのは伊吹美々(いぶき みみ)。
「え? 他の女の声が聞こえたって? やだぁ、そんなことあるわけ無いじゃん。どうせ動物園から逃げ出したメスのゴリラか何かでしょ? それよりさ~、今度の日曜日なんだけど」
「そこぉ! 傷心の美少女の前でいけしゃあしゃあと彼氏に電話するな! って、誰がメスゴリラだゴルァ!」
三年近く続いているらしい彼氏と楽しげに電話をしているのが一ノ瀬仁子(いちのせ じんこ)。
「チィ……さっきから三連発でかみなりが外れる……理不尽」
「そこも高校二年生になって今更ゲームに現を抜かしてんじゃないわよ! それもポ○モンかよ! そういえば今年やっと2出るらしいわね!」
昨今ではアニメも大人気放送中の国民的人気ゲームに興じているのが坂上成実(さかがみ なるみ)。
三人が三人とも、小学校時代から高校生になった今まで続く飛鳥の親友である。だが性格自体はまさに三者三様、自分のことを棚に上げつつ凄まじく癖の強い連中だと飛鳥は勝手に思っていた。自分以外の女子に彼女達とは付き合えないし、逆に彼女達以外には自分の親友は務まらない、それは疑い様の無い事実だ。
とはいえ、相談する相手を失敗したかもしれない。ここに来て流石の飛鳥もそう思い始めていたのは内緒である。
「……で、ウチらって今日どうして集まってるんだっけ」
いつの間にか彼氏との電話を終えたのか、仁子が不思議そうな顔をして呟くとゲームボーイから顔を上げて成実が答える。
「……飛鳥のフラれ記念パーティだったはず」
「違う!」
「フラれ続けて50人記念パーティ?」
「それも違う! ていうか、そんな桜木花道みたいなことになってたまるか!」
常に寡黙な坂上成実は、こうしてボケなのか本気なのかわからない言動をすることが多々ある。基本的に無表情を崩さない彼女だが、実際には単に口下手で己の感情を表現することに慣れていないだけではないかと飛鳥は読んでいる。
とはいえ、実際のところ一度も彼氏ができていないことは紛れも無い現実だった。付け加えて言うなら、自分からアタックした相手も含めて悉く粉砕されている。つい先日もまた野球部の三番打者を務める坊主頭を相手に玉砕してきたばかりだ。今回の集まりはその反省会と称して飛鳥が親友達を募ったわけである。
中学時代には引く手数多だった(多分)自分がまさかこんなことになるとは、極めて屈辱的なことだが当の飛鳥自身が一番ショックを受けている。
おかしい。何かがおかしい。自分でも良くわからないが、知らぬ間に自分には魅力が無くなっていたのだろうか。
「いや、17年彼氏がいないアンタにそろそろ彼氏ができそうなアタシが言うのも変なんだけどさ」
「説明的に煽るのやめなさいよ。構わん、続けろ」
「何様だよ。……最近の飛鳥はちょっとガツガツしすぎじゃないの?」
「うっ」
飛鳥を含めた四人の中で最も真面目な美々に言われると、流石の飛鳥としても反論のし様が無い。
伊吹美々は決してガリ勉というわけではないが、何事も丁寧にこなすタイプで教師の信頼も厚い。長身を活かしてバスケ部に所属している彼女は、まさしくグループの中で唯一の常識人だった。
「何か知らないけど焦ってる気がするんだよ、最近のアンタは」
「べ、別に焦ってなんか……」
「そもそもさ飛鳥、ちょっと前まではアンタ彼氏なんて要らないとかハッキリ言ってなかったっけ?」
美々の言う通りだ。そもそも自分は男と付き合う気など無かったはずだった。
「それは……その、心境の変化よ」
「フッフッフ、それに関しては極秘情報がありますぜ旦那」
言いよどむ飛鳥の隣から身を乗り出し、口の端を上げた楽しげな表情で仁子が言う。
稀代の男好きとして中学生の頃から有名だった一ノ瀬仁子。同時に中学から高校まで一貫して新聞部に所属している彼女は、時折こうして極秘情報と称して眉唾物の情報を持ってくることが多々あった。将来はお茶の間の奥様方を喜ばせるワイドショーの記者になりたいそうだ。
しかし秘密主義者なのか、自らに関しては殆どを秘密で通している。だから飛鳥達は長い付き合いにも関わらず、未だに彼女の自宅すら知らないでいる。
というか、誰が旦那だ。
「ご、極秘情報?」
思わず聞き返す飛鳥。何か嫌な予感がした。
「被告人、鮎川飛鳥が男漁りに熱心になり始めたのは今年の初めから」
「男漁り言うな」
「失礼、男探しとする」
「同じじゃないのよ」
「いや、まあぶっちゃけた話なんだけどさ」
そこで一旦言葉を切り、仁子はにんまりと笑って飛鳥を見返した。
「飛鳥が去年のイヴ、光ヶ丘公園で男と乳繰り合ってたって話があるんだよね♪」
「ハァ――――――!!」
思わず口に含んでいた液体を噴き出してしまった。
「……汚い」
成実が顔を顰めるが、それよりも飛鳥は衝撃を隠せない。
「な、何故バレた……!?」
「そのまま一緒に男の家にまで行くとは貧相な胸の割にやることは大胆ですなぁ」
「貧相な胸とか言うな、アンタほどじゃないかもしれないけど私だって結構――って、そんなことより何で知ってるのよアンタ……!」
「フッフッフ、この一ノ瀬仁子の情報力を舐めてもらっちゃ困るね! 今じゃアンタのスリーサイズから交友関係、趣味で買った同人誌のタイトルや足の爪の長さまでバッチリ把握してるってわけよ!」
勝ち誇ったようにどこかで聞いたような台詞を吐く仁子。
本当にどこかで聞いたような台詞だが、今の気が動転している飛鳥には思い出せない。
「……不潔」
「ち、違うわよ成実! 何もしてない! 本当に何もしてないんだってば!」
「ふ~ん、ならイヴに男と会ってたことは認めるんだね、アンタ」
気の所為か、先程より自分を見る美々の目が冷たい。元々年頃の女の子としては少々目付きの悪い彼女だが、今では半ば殺気すら帯びているように感じられる。正直言って真っ直ぐ見返すのが怖いレベルである。
まさに四面楚歌、正確には三面楚歌か。どうしてこうなった。
「でもウチには解せないね。……そんなイヴに会う男がいながら他の男を探すってのは何故なのさ?」
「……浮気者」
「違うっての、人聞きの悪い!」
「え~、コホン。……説明しましょう。なぜなにジンタン始まるよ~」
場を遮るように仁子が咳払いする。――オイ、その眼鏡はどこから持ってきた。
「え? まだわからない? ウサギアスカは相変わらず馬鹿だなぁ」
「誰がウサギだコラ」
「仕方ないなぁ、今回はジンお姉さんがちょっと説明してあげようか」
先程からキャラが全く一定していない気がするが、そこにツッコミを入れるのは野暮だろうか。隣を見てみれば、成実はまた我関せずといった表情で○ケモンの世界に舞い戻っている。本当に自分の世界を生きている奴だと羨ましくなる。
「要するに、飛鳥はそのイヴに出会った男の子のことが忘れられないから、それを吹っ切るために他の男を探してるんだよね?」
「な、何を根拠に」
「それで誤魔化せてると微塵でも思えてるなら大した女だよ、飛鳥は」
ぐうの音も出ない。そう、言われてみれば確かにその通りなのかもしれなかった。
悔しいけれど、鮎川飛鳥が最も苦手なことは隠し事である。母親や桂木霧江にも幾度と無く言われたことだ。自慢にもならないことだが、嘘を一度として吐き通せたことなどない。
「……くっ、私のクールで可憐なイメージも最早ここまでか……!」
「自分で言うなよ」
うなだれる飛鳥に、美々がシレッと呟くのだった。
あれから追及の手を全く緩めようともしない親友達の魔の手から命からがら逃げ出してきたわけだが、まさに精も根も燃え尽きた。
そう表現するのが正しいぐらいにグッタリした様子で、飛鳥は光ヶ丘公園のベンチに腰掛けていた。とはいえ、年頃の少女にしてはあまりにも醜くだらけた姿である。百年の恋も冷めるとはこのことか。
このベンチに座る時は、毎回そんなものである。
「イサハヤぁ……」
覇気の無い声で背後の林に声を飛ばす。ガサガサと葉が擦れ合う音と共に小型の生物が近付いてくるのがわかる。
「……随分と疲れているな。何かあったのか?」
「大したことじゃないわ。……それより聞きたいことがあるんだけど」
「珍しいな、飛鳥の方から質問とは。久し振りな気がするが」
ファルコモンのイサハヤ。あのクリスマス・イヴの日に出会った秘密の共有者。
母親が基本的に寝ているか家にいないかのどちらかである飛鳥だったが、流石に彼を家に置いておく気にはなれず、今現在イサハヤは光ヶ丘公園の中で半ば放し飼いとでも言うべき状態である。
とはいえ、飛鳥とて流石に鬼ではない。こうして二日に一度は顔を合わせに来るし、互いに互いの話し相手にもなっている。最近は飛鳥から愚痴を言うために来ることの方が多くなってきた気がするけれど、それは恐らく気の所為だろう。きっと気の所為ということにしておこう。
「アンタは……その、会いたい?」
「それはレオルモン……いや、ポンデのことか」
即座に飛鳥の言いたいことを察してくれる辺り、流石は半年の付き合いだと言える。互いに建前の無い本音でしか話したことが無いだけに、全てを語らずともこちらの考えは十二分に理解してくれているらしい。あの親友達でもこうは行かないと思うと、その辺りがこそばゆい。
携帯電話を何気なくカパッと開いた。そこに表示されるのは、今年の初頭にはしつこいぐらいに電話を掛けてきた軽薄男の電話番号。
「飛鳥はどうなのだ?」
「……質問に質問で答えないでよ」
どうも気になってしまうのは、自分とあの男で高嶺煌羅という名前を与えた幼い少女のことだ。怪物と生身で戦う戦闘能力は頼もしさと同時に危うさも覚えたが、彼女は今どうしているだろうか。
そう、だから気に掛かっているのは決してあの男のことではない――はずだ。
もう三ヶ月近くあの軽薄男からの連絡は無い。それが寂しいなんてことは断じて無いはずだけれど、それでも彼は自分と同じ高嶺煌羅という存在を共有している存在であることを思うと何か釈然としない思いだけがある。イサハヤのことも含め、彼と出会ったあの日のことを必死に吹っ切ろうとして彼氏を探していた自分が馬鹿みたいだ。
「そうだな……会いたくないと言えば嘘になる。とはいえ、私もポンデも今互いに会う必要性は感じていまい」
「それは何故?」
「ポンデには奴がいるし、私には……飛鳥がいる」
人気の殆ど無い公園の中、気付けばイサハヤは飛鳥の正面に立ってハッキリと飛鳥の顔を見返していた。奇妙な梟の姿をしている癖に、キリッとした目だけは妙に紳士的で未だに慣れない。
「……そーいう台詞、できれば男に言われたいんだけどな……」
「私では不満か?」
「そーいうわけじゃないわよ、別に」
少しだけ頬が紅潮しているのがわかったから、飛鳥はそう言いながら顔を逸らす。
コイツと来たら、恥も外聞も無いぐらいに臭い台詞を平気で言うのだから困り者だ。その辺りは性格こそ真逆だが、全てが軽薄だったあの男に瓜二つかもしれない。つまるところ、それは飛鳥にとって最も苦手なタイプだということになるのだが。
だから次に彼が言う台詞も自分にとって嫌な内容だということはわかっていた。
「今の私は君のパートナーだ」
「パートナー……ね」
嬉しい台詞ではある。ただ、同時に逃げられないなとも思う。
「人間の機微というものは恥ずかしながらわかりかねる。だが……いや、だからこそ飛鳥が会いたいと言うのなら私はそれに従おう。……君が何度も奴に電話を掛けようとしていたことは知っている」
「……私って、そんなにわかりやすいかなぁ」
それは恋愛とかそんなものでは決してないはずだ。
それでも半年近くが経った今、鮎川飛鳥はあの馬鹿と何故だか無性に顔を合わせたくなっている。顔を合わせ、そして煌羅を交えて馬鹿な話をしたくなっている。それは紛れも無い事実だから、そのことまで否定するつもりは無い。今の悶々とした思いを吹っ切るにはそれしか無いのかもしれないということも、流石に飛鳥にも理解できている。
携帯電話をパタンと閉じる。こちらから電話は掛けられない。そんなことをしたら、負けたみたいで嫌な気分になる。
「あ~、そういえば忘れてたんだけど」
だから独り言のように言う。それで誤魔化せていると微塵でも思えるなら大した奴だと、そんなことを半刻前に言われた覚えがあるが気の所為だろう。
「……明日は創立記念日で学校が休みなんだったわ」
「君の学校には一年に十回以上創立記念日があるのか?」
「私の気分次第よ。さて、何をしようかしらね~」
棒読み気味に呟きながら携帯電話で路線図を調べ始める飛鳥を見て。
「飛鳥、君は本当に」
呆れた声音。イサハヤは僅かに嘆息する。
「何よ」
「……素直ではないな」
「……うっさい」
『本日ハ晴天ナリ。』
―――――FASE.3 「We are」
最初からわかっていたことだが。
「ば、馬鹿なァーッ!?」
自分達に全く対抗する手立てが無いという事実を思い知らされるのは、如何に絶望的であるかを理解する。
機械竜の腕の一振りで弾き飛ばされたポンデは先程の小猫から大型のライオンへと姿を変えている。成熟期のライアモン、この半年に渡る修行の中で快斗とポンデが身に着けた新しい力のはずだった。
だが流石に相手が究極体ともなれば攻撃が全く通じないのも道理か。飛び掛かったポンデの牙はまるで通じず、機械竜のパンチ一発で弾き返された。
「お早いお帰りで……」
「ヤバいぜ快斗! アイツ強すぎる!」
見ればわかる。その言葉をグッと飲み込む。それを口にしたら最後、自分達に何ら逆転の見込みが無いということを実感してしまいそうだから。
尤も、それを口にしないことで事態が好転するというわけでもない。それぐらい目の前に立つムゲンドラモンの力は圧倒的だった。玩具としてのデジタルモンスターを知る快斗だけに当然、成熟期と究極体の間に存在する圧倒的な差というものを理解していた。正確に言えば、理解しているつもりだった。
しかし今この場で目にする力の差は圧倒的というより、絶望的だった。
「立てるか、ポンデ?」
「なんとかな……だけど」
それをポンデも感じているのか。だから似合わない弱気な台詞を吐こうとしている。
その言葉を快斗は手で制した。ポンデの言いたいことは誰よりもわかっているつもりだ。自分達はこの半年で修行して成熟期へと進化する力を手に入れた。ポンデが進化したライアモンは快斗の知らない成熟期だったが、その力は十二分に煌羅の緑の竜と肩を並べて戦えるだけの強さは有しているはずだった。
それでも究極体には遠く及ぶまい。あの日現れたサーベルレオモンにも、そして今目の前で立ちはだかるムゲンドラモンにも。
「無駄な抵抗はしなさんな。アタシだって鬼じゃない、無益な殺生はしたくない性分でね」
機械竜の肩の上で女が笑う。見下すように、蔑むように。
「快斗さん、やっぱり私も……」
「ダメだ!!」
煌羅の小さな肩がビクッと震える。快斗から怒鳴り付けられるのは初めてだったから。
しかし快斗からしてみれば当然だった。自分とポンデは半年間修練を続けてきた。それはあのサーベルレオモンに太刀打ちできる力を手に入れたいという理由もあったが、もう一つ何よりも大事な目的があった。
前田快斗はこの小さな少女を、戦うことが当たり前な少女を戦わせたくなかったのだ。
「煌羅は隠れてろ! ここは俺と快斗でなんとか……うわっ!」
ライアモンが振り上げられたムゲンドラモンの腕にしがみ付くも、蝿でも払うかのように振り払われてしまう。
歯噛みする。自分達と敵の間にはここまで圧倒的な差があるのか!?
「終わりだね」
女が終焉を告げる。少しだけ声に苛立ちが乗っているようだった。
「まあそれなりには楽しませてもらったけど、アタシもさっさと帰りたいんだ」
ムゲンドラモンの片腕のクローが鋭角化する。それを地面に全身を投げ出して倒れ伏すポンデに向けて。
「くっ、ポンデ……!」
「ダメーーーーッ!」
その時の行動は快斗より煌羅の方が早かった。瞬時に快斗の後ろから飛び出した小さな体は、相変わらずそれに不釣り合いな斧を振り上げて戦いの場に駆け込んだ。目を見張るスピードに霧江も反応が間に合わない。
振り下ろされたムゲンドラモンのメガハンドは止まらず、それを受け止めようとした煌羅とすぐ後ろのポンデを諸共に跳ね飛ばした。
「ぐっ……!」
悲鳴すら許されず煌羅の小さな体がポンデと共にもんどり打ってコンクリートを転がる。
「煌羅ーーーーッ!」
快斗は壁に激突して止まった煌羅とポンデに、駆け寄ることしかできない。
情けなさで全身が捻じ切れそうだった。せめて彼女を戦わせたくなかったのに、傷付けたくなかったのに、自分はそんなことすらできない。人間である自分には何もできない、あのアニメで見た選ばれし子供のような奇跡さえ起こすことはできない。
「……その子を殺す気はなかったんだけど」
女の呟きすらどこか遠い。既に敵の姿は快斗にとって眼中に無かった。
「だ、大丈夫……です」
それでも煌羅は生きていた。両足をガクガクと震わせながらゆっくりと立ち上がる。
「き、煌羅……!」
「快斗さん達は……私が守ります……から」
どういう原理か全身に特に傷は無い。けれど以前と同じだ。顔は発熱で真っ赤に染まり、二本の足で立っていることすら苦しそうな姿はとても大丈夫には見えない。既に斧は消滅して戦う手段はないにも関わらず、煌羅は歯を食い縛って右手を前方に翳した。
「じ、ジンライ……!」
それはこの半年間、一度として姿を見せなかった煌羅のパートナーの名。
煌羅の目の前に一瞬だけ、緑の竜の姿が実体化する。だがそれもすぐに消え失せた。彼の竜のパートナーである煌羅が意識を失い、その場に倒れ伏したからである。
「煌羅!?」
「……死んでないだろうね。そしたら全てが台無しだ。それにしてもこの子とそのパートナー、アタシやこの坊やとは何か違う……アタシのことを魔王だの言ってたのと関係があるのかね……?」
思案しつつも今は目的を果たすべきか。霧江はムゲンドラモンに指示を出す。メガハンドを捕獲用に展開させてゆっくりと伸ばしていくムゲンドラモン。
だが一瞬だけ風が吹いた。
「……むっ」
霧江が目を離したのもまた一瞬である。だがその隙に捕獲するはずだった幼女の姿が消えていた。
どういうことかと逡巡する霧江の背中に。
「ねえ、一つ聞きたいんだけど……いや、一つじゃ済まないわね」
響いたのは戸惑いと怒りを内包した色。それは霧江が多分、雇い主以外に最も聞かされている、というか本人は決して認めないが雇い主が目に入れても痛くないほどに溺愛している娘の声だった。
そういえば今日はアフターファイブで会う約束をしていたっけ?
「……返答次第じゃ、許さないんだから」
その言葉は二本足で大地を駆ける凶鳥の背中から。
高嶺煌羅の体を抱き上げた、鮎川飛鳥の姿がそこにある。
飛鳥は一つ、大きく深呼吸した。
腕の中の煌羅の体は燃えるように熱い。きっと半年前のあの時のように無茶をしたのだろうと思う。しかしそれ以外の状況が読めなかった。色々と理屈を付けて静岡くんだりまで来てみたが、当の二人は巨大な機械の化け物に襲われているし、それを操っているのが見知った顔だったり。ただ、結果的に読めないまま乱入してみたのが功を奏したらしい。
成熟期に進化したイサハヤ、ディアトリモンの背中から降り、もう一度深呼吸。
「ハニー!?」
「ハニー言うな。……で、アンタは一体何やってんのよ」
顔を合わせるのは半年ぶりだが、この馬鹿は相変わらずらしい。それに何故か安心してしまい、自然と飛鳥の返しも柔らかな口調となった。
「……め、女狐……!」
「め、女狐?」
腕の中、息も絶え絶えの状況で目を少しだけ開けつつ呟いたた煌羅の言葉には少しショックを受ける。何というか、初めて顔を合わせた去年のクリスマス・イヴから彼女は自分のことを妙に毛嫌いしているように思えてならなかった。その理由は良くわからないが、飛鳥には少なくとも恨まれたり憎まれたりするようなことをした記憶は無い。
何はともあれ、今はこの状況を斬り抜けることが先決だろう。
「もう一度聞くけど、どういうことか説明して欲しいんだけどな……霧江さん」
だから自分にとっての相談相手であり、誰よりも信頼していたはずの女性を見返す。
ムゲンドラモンの右肩に立つその女の姿は極自然で、普段と何ら雰囲気を変える様子は無いように見える。それは紛れも無く、普段は明るく見えながらも実はその内に冷徹さを隠し持つ桂木霧江の姿であり、その在り方は決して飛鳥の彼女に対する印象を覆すものではないが、ただ一つだけ違うことがある。
その目が語っているのだ。お前は場違いだと。
「まさか飛鳥ちゃんが絡んでくるたぁ思ってもみなかったけど……ああ、なるほどね。その冴えない坊やが飛鳥ちゃんの新しい彼氏ってわけかい?」
「違う」
「あ、やっぱそう見え――ぐほっ!?」
「断じて違う」
ニヤニヤと駆け寄ってきた男にはとりあえず裏拳を入れて黙らせておく。腕の中の煌羅が「暴力反対です……」とか喚いている気がするが、これも無視する。
「……煌羅を狙うのは何故?」
「九条先生の考えさね。あの人の計画にはその小娘がどうしても必要なのさ」
「お父様の……?」
お父様。思わず呟いたその単語に吐き気を覚えた。一年に数度しか顔を合わせず、ただ小遣いをくれるだけの男を何と呼べばわからずそんな三人称になってしまった。
「だから飛鳥ちゃん、デジモンと出会っていたことには驚いたけど、アンタはこの件に関わらない方がいい。……お父さんを心配させるのは良くないね」
ニヤリと笑う霧江の顔が悪鬼のように見え、飛鳥は思わず全身に寒気が走った気がした。
なるほど、今まで彼女のことを高校の同級生達より気心の知れた仲だと思っていた自分は大した道化だったということらしい。鮎川飛鳥はこんな桂木霧江の姿を見たことは一度も無いし、何よりも彼女からこんな冷たい目で見返された記憶は無い。誠に勝手なことながら裏切られたような気分にさえなったりする。
だから歯軋りする。戸惑いより迷いより躊躇いより、まず苛立ちが先に来た。
「……ムカつく」
思春期はとうに過ぎた。それでも父親とも母親とも共に過ごした記憶が殆ど無いような飛鳥だけに、反抗期なるものを実感したことはない。何かに付けて両親の文句を言う同級生の姿を軽蔑していたことさえある。
それでも今この瞬間、鮎川飛鳥という個体は目の前の桂木霧江(ははおや)に反抗したくて仕方が無くなっている。
目の前に立つ機械竜ごと、この女をブチのめしたいと願っている。
「残念だけど……そいつは無理だね」
「なっ」
そんな飛鳥の苛立ちを見透かしたかのように霧江が笑う。
それに虚を突かれた瞬間、ムゲンドラモンの背中から眩い閃光が迸ったかと思えば飛鳥のすぐ背後に立っていたイサハヤが吹き飛んだ。咄嗟に両側の羽で防御の体勢を取ったのだろうが、そんな行動など全く以って意味を成さなかった。
∞キャノン。ムゲンドラモンの持つ最大の必殺技。
「イサハヤ!?」
「……ま、こういうことさね」
もう一度笑う霧江。恐らく彼女は自分の態度が飛鳥を苛立たせることを理解し、その上で同じように笑みを浮かべ続けている。
「流石は九条先生の娘さんと言うべきかね。加速神器(アクセラレーター)の力も借りず、デジモンを成熟期まで進化させられるなんて」
「加速神器……?」
「おっと、口が滑ったね」
言いつつ霧江が手元でクルクルと弄んでいるデバイスに飛鳥は気付いた。
女性とはいえ大人の掌にすっぽりと収まる程度の小さなものだ。電子画面と幾つかのボタンがあることはわかった。特に側面に設置されたボタンはまるで引き金(トリガー)を思わせる形状をしており、長方形のそれをどこか拳銃のように見せていた。
何故か違和感を覚えた。まるで霧江は飛鳥に敢えてそれを見せたような気がしたからだ。
「だけど悪いね。今の飛鳥ちゃんじゃアタシは倒せない。如何に体を張ったところで所詮は成熟期、それに対してムゲンドラモンは究極体。単純なレベルでは二つも違う。飛鳥ちゃんとそのデジモンがどれだけ頑張ったところで、圧倒的な力の前には無意味なのさ……少なくともアタシは、勝ち目のない無謀な戦いに挑めと教えた覚えはないね」
諭すような色は、彼女が紛れもなく飛鳥にとって母親代わりであった証左。
勝てない、ましてや逃げ道もない。そう確信する。イサハヤだけならこの場から離脱することは可能だろう。しかし相手が桂木霧江である以上、鮎川飛鳥の逃げる場所など知られ尽くしている。霧江はこちらを攻撃する気はなくとも煌羅を逃がす気はない。だから今この場で彼女を退けなければ、煌羅はあちらの手に渡ってしまう。
いっそ大人しく煌羅を渡してしまって場を納めるべきか。一瞬だけそう考えてしまった自分に吐き気がした。
「っ……!」
九条兵衛(ちち)が煌羅をどうするつもりなのかは知らない。
けれど、この半年間アイツの家で煌羅は平和に暮らしていたはずなのだ。身元も出自もまるでわからない彼女だけれど、きっとアイツと一緒なら人並みに笑って、怒って、泣いて、楽しく過ごせていただろうと思う。
それを思えばこそ、今自分の腕の中で熱に浮かされて眠っている彼女を引き渡すことなど断じてできるはずがない。
「この子は……渡さない」
「へえ?」
「霧江さんが相手でも引かないよ。この子は、私が守るんだから!」
そう告げた。母と呼んでいい相手への初めての反抗の言葉を。
「そうかい。残念だよ飛鳥ちゃん……アタシはアンタのこと、嫌いじゃなかったんだけどね」
霧江の腕が上がる。彼女は容赦なくトドメを刺しに来る。
イサハヤは動けない。アイツとポンデも同じだ。だからゆっくりと砲塔にエネルギーを充填させていくムゲンドラモンを止められる者は今この場にいない。自分達にもっと力があればと悔やんでも奇跡など起こらない。自分達はそんな大した人間ではないし、ましてや選ばれた存在でもない。
だからせめて、煌羅を庇うよう機械竜から背を向けて──。
「………………」
「……は?」
間の抜けた声。それがすぐ傍にいる快斗の声と気付いて飛鳥はゆっくりと目を開けた。
「……え?」
きっとそんな自分の声も間が抜けているだろう。
生きている。一瞬の後には消し飛ばされていると思った自分達は、先程と何ら状況は変わらないものの生きている。腕の中には相変わらず燃えるように熱い煌羅の体があるし、両側には傷付いたイサハヤとポンデの姿が見えた。
「ちっ……!」
焦燥が混じった霧江の声に振り向く。
そこには体当たりを受け、よろめくムゲンドラモンの姿。
誰に? その答えは簡単だった。
「お前……は」
「……あの時の」
呻くようなポンデとイサハヤの声。それを受けて自分達を庇うように立つ乱入者は僅かにこちらを振り返ったようだった。
「サーベルレオモン……!?」
快斗が呟くのと同時に、その場からサーベルレオモンの姿が消えていた。
「がっ!?」
それと同時に聞こえるのは地響きと桂木霧江の呻き。
ポンデやイサハヤが消えたと認識するよりも早くサーベルレオモンは大地を蹴り、そのままムゲンドラモンに再度の体当たりを仕掛け、それだけで巨大な機械竜を強引に薙ぎ倒してみせたのだ。何という瞬発力、そして何というパワーなのか。
ポンデもイサハヤも実感する。半年前のあの時、奴は力の一割すらも出していなかったのだと。
「アンタ、何者だい……?」
ムゲンドラモンに体勢を立て直させつつ霧江が問う。
だが獅子は答えない。近辺に指示を出す人間の姿はないように思える。つまり野生のモンスターということか。しかしそれにしては明確な目的、目の前の鮎川飛鳥達を守ることを考えてこの場に現れたように思える。
事実、サーベルレオモンはムゲンドラモンと飛鳥達の間に、まるで彼女達を庇うかのように立っているのだから。
「……撃ちな!」
ならば全力で相対する。だが霧江の指示で放たれた∞キャノンは、サーベルレオモンが全身から放った無数の針で相殺される。
インフィニティーアロー。ミスリルにも匹敵する硬度の体毛を全身から放ってあらゆるものを貫くとされたサーベルレオモンの得意技。獅子の後方で飛鳥や快斗が目を見張っている様が滑稽にも思えた。実際、既に戦いは彼らの想定していたものより遙かに高次元のものへと移行しているのだ。
故に霧江も判断する。決して倒せない相手ではないが、このサーベルレオモンは一蹴できる相手ではないと。
「ちっ……この霧江ちゃんがこうまで手こずらされるなんてねえ……!」
嘯く。周囲には人払いの霧を張っているが、展開時間に限度はある。
土地勘がない以上、いつ野次馬が集まるかもわからない故に霧江はここが頃合いと見た。デジタルモンスターの存在は可能な限り隠匿せよというのが霧江の雇い主である九条兵衛、また協力者である玉川白夜の考えだ。故にまだその時ではない。今ここは無理をするステージではないのだ。
そんな霧江の様子を見て取った飛鳥は一言だけ。
「逃げるの?」
「言うね」
紡がれた飛鳥の言葉にニシシと笑う。
飛鳥が霧江を母代わりだと思っていたように、霧江もまた飛鳥を娘に近いものとして見ていた。だからこその笑いだ。自分が撤退の選択肢を取ろうとしたのを瞬時に見抜いたのは、昔馴染みとして賞賛に値する。だがムゲンドラモンには結局のところ全く及ばず、乱入者によって命拾いしただけの立場だというのに、この子と来たら些か負けず嫌いが過ぎるというもの。幼い頃から変わらない鮎川飛鳥の気質は、どこか微笑ましかった。
九条兵衛の計画に実の娘であるこの子が立ち塞がるなら楽しそうだ。そう思った。
「そうだね、今日のところは引き上げてあげるさ」
再びムゲンドラモンの肩に乗り、霧江は“娘”を見下ろした。
「お母さんには伝えといてあげるよ。飛鳥ちゃん、今夜は帰らないだろ?」
「もう私、高校生よ……それにあの人はそんなこと気にしないでしょ」
違いない。けれど所詮は売り言葉に買い言葉、挑発的なこちらの言葉を否定しない飛鳥の姿が面白かった。
「また次の機会だね坊や達。それに飛鳥ちゃん、今夜のことはとやかく言わないけど明日は創立記念日じゃないからキチンと高校に行くんだよ?」
それを最後の言葉として、桂木霧江とムゲンドラモンの姿は霧の奥へと消え失せた。
「ふぅ……」
ドッと汗が出る。とりあえずの危機は脱したということか。
残る問題は何故か助太刀に入ってくれたサーベルレオモンをどうするかだが。
「……いない?」
目を離したのはムゲンドラモンが消える一瞬だけである。その間にサーベルレオモンもまたこの場から姿を消していた。その目的も正体も助太刀の理由もわからないままに。
「アイツ……何だったんだろ」
「ハニー」
「ハニー言うな。……アンタは大丈夫?」
隣に歩いてきた快斗に顔を向けずに問う。
「ああ。ウチはハニーの布団ぐらいならすぐに用意でき」
「ンなこと聞いてねーわよ」
なんとなく予想できたので言葉を遮ってやる。
快斗は不思議そうにキョトンとした顔をしているが、やがて成長期に戻ったポンデが駆け寄ってくるとそれを抱き上げて「お疲れ」などと言っていた。そういえばイサハヤはといえば、彼もまた成長期に戻ってどうしたものかと思案している様子だ。大方、あのサーベルレオモンのことを考えているのだろう。
「あのお姉様、ハニーの知り合いだったんだな」
「ハニー言うな。そうね……昔からの知り合いよ」
母親代わりみたいなものだとは少々気恥ずかしくて言えなかった。
飛鳥の腕の中の煌羅を覗き込んで「代わるぞ?」と言われたが首を振って断った。煌羅のことにおいては決してコイツを信用していないわけではないが、なんとなく眠ったままの幼子を自分の手元から離すのは嫌な気がしたからだ。
「なんで煌羅を狙ってたんだ?」
「私が聞きたいわよ……アンタも知らないわけ?」
「計画に必要な存在とか言ってたよな!」
これは快斗の肩に飛び移ったポンデの言葉。
「確かに九条兵衛の計画と言ってたかしらね」
「九条って言ったら、あの政治家の九条兵衛だよな?」
「……そうね」
それが自分の父親だと告白するべきか飛鳥は逡巡する。そもそも霧江と自分との会話は彼に聞こえていただろうか。聞こえていたとしてもコイツはそんなこと特に気にしないかもしれないけど、まだそれを知って欲しい時ではない気がする。
まだ?
そう思った自分に飛鳥自身驚いてしまう。自分達はどこまで行くのだろう。自分達の関係に名前を付けるとしたら何なのだろう。鮎川飛鳥は前田快斗や高嶺煌羅といつまで付き合っていくことになるのだろう。それら次々に浮かんでくる疑問に今この場で答えを出すことは、何故だか少し怖い気がした。
そう思っていると、腕の中の煌羅が目を覚ましたようだ。
「お、下ろしてください……!」
「煌羅……もう大丈夫なの?」
「もう大丈夫です、女狐の世話になる気はありませんっ」
「だからその女狐って何よ……?」
気遣いつつ地面に下ろすと、煌羅は歯を揃えてイーッの顔を取る。
「女狐は女狐ですよ! そもそも何しに来たんですか!」
「何しにって……そりゃね」
「俺に会いに来たんだよな……ぐはっ!」
もう一回裏拳。別段本気ではなく、仰け反った快斗もにやついた顔を崩さない。
「熱は……」
煌羅の額に手をやる。煌羅は一瞬だけビクッと震えたが拒む仕草はない。
確かに本人の言う通り、たった数分の間に熱はすっかり引いているようだ。先程までは熱病に冒されたかのように熱かった体も平熱を取り戻している。半年前、彼女と初めて出会った時も同様だったはずだが、大した回復力だと思う。これは幼子だからこそなのだろうか。
俯く煌羅の顔を覗き込み、次に後ろの快斗を振り返る。
「アンタにじゃなくて、会いたかったのは……アンタ達に、よ」
敢えて達を強調して言ってやる。
確かに会いたかったというのは事実だ。だけどそれは快斗じゃない。わざわざ思い付きで東京から新幹線で静岡までやってきた理由の大半は煌羅であり、またイサハヤをポンデと会わせてあげたかったというのもある。
それでも。それでもだ。
「ねえアンタ。……ちょっと疲れたし、ご飯でも食べさせてくれない?」
秘密の共有者である快斗と顔を合わせて安心したのもまた否定はできない。
だから快斗の言うことも完全に間違っていないのが、それはそれでムカつくのである。
JR静岡駅、東海道新幹線のホームにて。
「……お疲れ」
そう告げて加速神器を胸ポケットから取り出す。
役目を終えて戻ってきたらしい自らの僕? パートナー? どういった表現が正しいのかわからないが、一年来の連れの姿を画面に確認して、男は常日頃から浮かべている柔和な笑みを一層濃いものとした。
ホームに滑り込んだ新幹線に足を踏み入れると、予約した窓際の席に座る。
静岡の夜の街並みも大分美しくなったと思う。20年ほど前、自分が子供だった頃は今よりずっと田舎だった記憶があるのに、この平成の世においては地方都市すら急速に発展の兆しを見せていた。
「君の世界にはあるのかな、ネオンの街並みは」
一人ごちる。デバイスの中にいる彼にその言葉が届くのかは知らない。興味もない。
彼は既に大概のカラクリを見抜いていた。一介の教師に過ぎぬ若輩者の自分など及びも付かぬこの国の中枢で進められている計画と、恐らくそれが迎えるだろう顛末すら予想できていた。そして自分と同じ加速神器を与えられた者達が、その計画においてどのような役割を持たされているのかも。
もう止まらない、止められない。
残り時間は恐らく三ヶ月。
自分達にはどうすることもできないのなら。
精々、掻き回してみせるさ。
目的のたんぽぽ食堂は青葉町の住宅街を抜けた先にある。
商店街から徒歩十分、なかなか離れた場所にある店だから利用者は少ないと思いきや、店長を務める山神修一の人柄もあって毎日のように常連客によるドンチャン騒ぎが行われていることで有名である。かく言う快斗もまた、幼い頃より父親に何度も連れられて来た覚えがある。
しかしここ数年は一人で来ることが多かったので、誰かと共に来ることは久し振りだ。更に言えば、自分が連れられて来るのではなく反対に誰かを連れてきたことは初めてかもしれない。
煌羅と飛鳥を促して暖簾を潜ると店内の熱気が一気に吹き付けられて思わず顔を顰める。
「げっ! 前田の坊(ボン)が彼女を!?」
それと同時に裏返ったような女の声が響いた。その方向へ目を向けてみると、そこには色気の欠片も無い厚手のトレーナーの上からエプロンを羽織った20代の女性の姿。
「ようミコット、悪いが俺は一足お先に独身生活とおさらばさせてもらうぜ」
「何度も言うけど私は尊(みこと)だからね。……え? でも何で? どうして?」
「そりゃ俺の人徳に決まって――痛っ!?」
唐突に悲鳴を上げる快斗。敢えて説明するなら、それは後ろから煌羅と飛鳥に同時に腰を抓られたことに起因する。
「快斗さん、私はお腹が空いてるんですよ?」
「誤解を招くような紹介の仕方をするな馬鹿……!」
最近の不衛生な生活が祟って無駄な贅肉が付いてきた腰の肉がギリギリと軋む。
「お、落ち着け煌羅、ハニー……おいミコット、三人空いてるか?」
「私は尊だっていうのに」
頬を膨らませながらもボックス席に案内してくれる山神尊はなかなか良くできた女だと快斗は思う。今まで一度として彼氏ができたことが無い点が本人と両親の悩みの種だが、少々女らしさには欠けながらも明るく見る者を和ませる彼女の存在はこの食堂には欠かせない。東京や名古屋に出て行った男達も帰省した際に彼女の顔を見ると本当の意味で戻ってきた気分になるとも言われており、まさしく看板娘であった。
そんな彼女も子供の頃は大層な悪戯好きだったらしく、現時点で誰にも話していないが快斗の悪戯の技術は彼女から教わった部分が多い。
「しかし半年だか一年だかご無沙汰だったんだが、ここは全然変わんねーな」
「そうね。……坊がこんなに長く来なかったことなんて今までないんじゃない?」
そんな風に微笑みかけてくれる彼女は、ある意味で快斗には姉のような存在である。
カウンターの上に置かれたテレビは大勝を収めた巨人軍の姿を映し出している。この店の親父は大の巨人ファンで、横浜や名古屋で試合がある時には店を放り出して応援に行くとまでいうのだから驚きだ。
「先に紹介しとくぜ。こっちは俺のハニーの」
「ハニー言うな。……鮎川飛鳥です。彼とは友達……知り合い……顔見知り……ああ、そこで出会っただけです」
「そのランク下げに意味はあるんですかねハニーさん」
「ハニー言うな」
「女狐に先を越されたのは屈辱ですが、高嶺煌羅です」
「女狐もやめて」
ボックス席に着きつつそれぞれが自己紹介すると、煌羅の方を見て尊は笑みを浮かべて。
「ああ、煌羅ちゃんって最近町で噂になってる坊の娘さん?」
「……そうみたいです」
俯きながら顔を逸らす煌羅。照れているらしい。
「流石はミコット、情報が速いな」
初対面の相手に固まってしまった煌羅が可愛すぎて、思わず快斗は後ろから彼女の頭をワシワシと掴んでしまう。
「か、快斗さん……」
「それじゃ仕方ないな、折角だし今日は坊へのお祝いも兼ねて私がご馳走しちゃおう!」
「随分と気前がいいじゃんかミコット。彼氏でもできたのか?」
「うるせえ! 知ってて言うな!」
そう言いながらも尊は周囲を見回し、パンパンと手を叩いた。
「は~い! 傾注傾注! 前田の坊が彼女と娘さんを連れてきましたぁ!」
「んなっ!?」
飛鳥が呻くような奇妙な悲鳴を漏らす。
振り返ったのは、ボロボロのブラウン管に映し出されるプロ野球を酒の肴に思い思いに騒いでいるおっさん達。まだ平日だというのに放っておけば朝まで平気でドンチャン騒ぎを続けるような連中だ。
あっという間に彼らの席は人集りになった。
「坊とはどこで?」
「と、東京……です」
「付き合ってどのくらい?」
「つ、付き合ってるわけじゃ……」
「坊との結婚はいつ?」
「け、けっこ……!?」
「罵ってください!」
「このブタ野郎! ちょっと待った、今の質問じゃなくない!?」
そんな凄まじい質問攻めに飛鳥が解放された時には30分近い時が経っていた。
向かいの席、未だに散らない中年達に囲まれて、別段それを苦ともせずに談笑している快斗を見ながら、飛鳥はぼんやりと考える。
(……育った世界が違うなぁ……)
きっと彼はこの温かい町で笑顔に囲まれて育ったのだろう。それってなんだか羨ましい。
果たして自分はどうなのだろう? 母親はともかく霧江の世話になり、友人だって多分少なくない。だけど霧江は煌羅を狙う敵だった。友人達も自分の出自を知ったら変わらず友人でいてくれるか自信がない。それを思うと鮎川飛鳥を形作っている土台は酷く不安定で頼りないものに思えてしまう。イサハヤは自分をパートナーと言ってくれたけど、快斗と違って飛鳥には確固たる自分というものを認識できていない。
悶々としていると、すぐ隣で同じように中年達から解放されたらしい煌羅と目が合った。
「煌羅?」
「……女狐というのは否定しませんが」
「そこは否定してよ」
「うるさいです。……二つだけ、言わせてください」
俯いて顔を真っ赤にしながら煌羅は一度言葉を切る。
「二つ?」
「煌羅という名前をくれたこと、あと先程助けて頂いたこと」
「えっ……」
「感謝してます。ありがとうございました」
何だろう、全てのモヤモヤが晴れた気がした。
自分が悩んでいることを見抜かれたようだった。飛鳥自身が母代わりである霧江の心中を読み切ったように、煌羅もまた飛鳥の心を感じ取ったのだろうか。それはとても幸せで得難いことのように思える。
「き、煌羅ぁ……」
「何ですか、いきなり気持ち悪い猫撫で声出して。女狐は女狐なんですからね」
「いい! 女狐でいい! 膝来て膝! 一緒に食べましょ!」
「嫌ですよ、幼稚園児じゃあるまいし」
「子供が遠慮なんてするもんじゃありませんー!」
「子供じゃありませんー!」
人間って奴は、とっても単純である。
「ポンデよ」
「なんだよイサハヤ」
「我々も空腹だということを飛鳥達は忘れているように思える」
「そ、そんなことはないだろ……なんか不安になってきた」
「お前はこの半年、どんなものを食して来たのだ?」
「んー、普通に快斗が持ってきた飯かな-。イサハヤは?」
「飛鳥からフライドチキンやハンバーガーを貰っていた」
「それ共食いじゃねーのか」
「私はデジモンだぞ」
「いやそれ言ったら俺もそうだけどさ。でも俺は結構普通に快斗達と一緒に飯屋入ってたりしてたぜ」
「この街はデジモン禁制ではないのか」
「そんな禁制ないだろ……この店はペット禁止だから俺らは外で待たされてるんだけどな」
「我々はペットではない! デジモンだぞ!」
「いやそれ言ったら俺もそうだけどさ。……オイこの会話さっきしたぞ」
「時にポンデよ」
「なんだよイサハヤ。……オイこの会話もさっきしたぞ」
「先刻のサーベルレオモン、どう思う」
「初めからこれ話そうぜ。……アイツ、俺達とは違うと思うな」
「お前もそう思うか。根拠は?」
「あのムゲンドラモンと同じだろ。自分の意思がない……というか、指示を出している人間の意思がそのままアイツの意思になっている、そんな感じだ。しかも結構な距離から使役されているみたいだった。クリスマスの時もそうだったけど、アイツが本当にサーベルレオモンとしての意思があるんなら、俺達をこうして見逃す理由がない」
「私も同意見だ。……ここからは飛鳥達には内緒だが」
「ああ、多分俺も同じことを考えてると思うぜ。多分お前の次の質問は」
「ポンデよ、お前は何故その結論に至った?」
「ビンゴだ。さっき確信したけど、快斗達には言えねーよな」
「言ってみろ」
「ムゲンドラモンもサーベルレオモンも、多分同じだからだよ。煌羅の……ジンライと」
「えー、ハニー泊まってかねーの?」
「ハニー言うな。当たり前でしょ、明日は平日よ」
終電までまだまだ時間はあるが、田舎の夜は早いもの。
「今日も平日だが……」
「うっさい、どうせまた来るわよ」
「あー、なるほどなぁ次に来る時はいよいよ嫁にがはっ!」
馬鹿者には綺麗なボディブローを決めて改札へと歩を進める。
振り返るとポンデを胸に抱いてモジモジと顔を上げては逸らす煌羅の姿。
「お休み、煌羅」
「……お休みなさい」
言いつつも煌羅はプイと顔を逸らした。頬が少しだけ赤いのが見えた。
それ以上は要らないと思う。少なくとも今日来た目的は十二分に果たせたから。
「行こ、イサハヤ」
「そうだな。ではポンデ、また次の機会に」
「おう! 次会う時はもっと強くなってるぜ!」
「お互いにな」
ヒラヒラと手を振って鮎川飛鳥とイサハヤは、駅のホームへと消えていった。
「あーあ、久しぶりに夫婦水入らずで夜を過ごせると思ったんだがなー」
「誰が夫婦ですか。早く帰ってくれて清々したぐらいです」
「あれえ? その割には煌羅、随分と寂しそうに見えるけどな」
「ぽ、ポンデ!」
「寂しい時は寂しいって言った方がぐえー! 死ぬ! やめろ首を絞めるな!」
「黙るまでこうです、許しませんからね」
そんな二人と一匹の駅からの帰り道。
自宅までは数分といったところだが先程のような襲撃があるとも限らない。自然、快斗達は遠回りしてでも人通りの多い道を歩いて行くことになる。すると数刻前に立ち寄ったばかりのたんぽぽ食堂が見えてきた。相変わらず中年達がドンチャン騒ぎをしているらしく、ボロい家屋が左右に揺れているかのようだ。
店の前、掃除を任されたのか箒を掃いている一人の男の姿。
「おや……?」
「よう、さっきはいなかったな」
「……厨房を任されていたものでね」
外面通りの涼しげな声。
「ど、どなたですか……?」
煌羅が不安そうな目でこちらを見てくる。
「昔からのダチだよ」
気に食わない相手でこそあるが、その表現で間違いはないと思う。
「君が噂の娘さんか。僕は不知火、今後よろしく頼むよ」
快斗より頭半分ほど長身の男は不知火士朗(しらぬい しろう)。快斗と同じ高校に通うクラスメイトにして、この店のアルバイトでもあった。
「それにしても前田、情報伝達は正確にしたまえ。昔からのダチというのは正しくない」
「相変わらず細けー奴だな……」
その後、士朗とは数分ほど雑談をして別れた。
幼馴染と呼べる関係ではあると思う。それに快斗からすれば昔のダチというのも正確だ。かつては親友と呼べる仲で今もクラスメイトでこそあるものの、すっかり彼との付き合いは薄くなってしまった。同学年でもぶっちぎりで優秀な彼と、勉学など何ら気にしたことのない自分とでは疎遠になるのも当然かもしれないが。
しかし久々に話した彼は、昔と変わらず怜悧ながらも穏やかな奴だった。気に食わない奴になったというのは自分の勝手な思い込みで、彼は昔と変わらないのかもしれない。
「今度久々にどっかに誘ってみっかな……」
そう思った快斗だったが、帰路で煌羅が不安げにこちらを見ていることに気付く。
「煌羅? いや急に会わせたのは悪かったよ、でもアイツも別に悪い奴じゃ……」
「違います」
きっぱりと言う。違う? 何が?
「あの人、見てました」
「……何を?」
「私のこと……ポンデのこと」
ムゲンドラモンと対峙した時すら平静だった煌羅の声が、今はハッキリと震えていた。
「あの人、なんか怖いです」
その時の快斗にはそれがどういうことかわからなかった。
新幹線で東京に出てきてしまえば、新宿までは殆ど時間は掛からなかった。
東京まで来たのは本当に久し振りだが、相変わらずの人混みにはどうも慣れない。通勤ラッシュという奴はもっと凄まじいのだろうと考えると眩暈がする。こんな中で仕事をしている親友達は、それだけで凄い奴らなのかもしれないと改めて思う銀河である。
「よォ銀河、お前が来るなんて珍しいじゃねェの」
「……久し振りだね、香」
駅を出てしばらく歩いた先、新宿御苑で月影銀河は親友の車田香と数年ぶりに顔を合わせる。
銀河と香とは高校から大学までを共に通った仲で、今も昔も一番の親友である。何しろ昨年の香の結婚式の際、友人代表としてスピーチをしたのは銀河なのだ。社会人になってからは殆ど顔を合わせなくなったが、時折電話やメールでの連絡は取り合っているし、今も銀河が家族や恋人よりも優先して会いに来るのは彼である。
「将美ちゃんは元気かい?」
「元気も元気、久々に会ってくか?」
「……流石の僕でも、二人の愛の巣にお邪魔する気にはならないな」
「ハッハッハ! 愛の巣とか言うなよ馬鹿、照れるぜ」
「ちなみに皮肉だから」
「相変わらず言ってくれんな! ……って、皮肉だとゥ!?」
そんな風に軽口を叩き合いながら二人で薄暗い中を歩いていく。そこで唐突に香が足を止めてニヤリと笑った。
「そうそう銀河、すっかり忘れてたがお前も教授の野郎から貰ってるんだよな」
「……ああ」
その顔を見ただけで何を言いたいのかわかってしまうのが親友の辛いところだ。
車田香が今から如何に馬鹿なことを言い出すか、月影銀河には面白いぐらいにわかる。それは本来の意味での常識的な社会人なら一笑に伏して止めるべき行為だろう。そのはずなのに、銀河は香がそれを言い出すのを待っていた気がする。香とその愚かな行為をすることに対してワクワクとドキドキが止まらない。
なるほど、香が待ち合わせに真夜中を、しかもこの場所を選んだのはそういうことか。
「ちょうど人通りも殆どねェしな……いっちょ本気でやってみようぜ」
「……怪我しても知らないよ?」
そういう時の香を止める術は無いだろうし、自分も止める理由は無い。おおよそ数メートルの距離を取ってデバイスを構える。銀河のものは青、香のそれは橙という違いこそあれ、互いに携えるものは鏡写しのように同型であった。
加速神器(アクセラレーター)。二人の大学時代の恩師である玉川白夜の開発した、電脳生命体を保存・育成・使役する為の特殊デバイス。
「起動<アクセル>」
その呟きと共に銀河の後方の空間が歪曲し、そこから巨大な獅子が姿を現す。
サーベルレオモン。約一年前に恩師である玉川白夜から受け取った成長期を銀河が育て上げた究極体。平時には銀河自身と良く似た飄々とした態度ながら、一度戦闘に入れば知的生命体としての冷徹さと古代生物ならではの残虐さを共に見せる、正真正銘の怪物だった。
だがそれを前にして香はニヤリと笑うのみだ。
「お~お~、なかなかの化け物じゃねェか。……これなら楽しめそうだぜ!」
これなら対等、面白い戦いになる。そんな思いを言外に匂わせた楽しげな笑み。
「来やがれ! 起動<アクセル>!!」
香の叫びと同時に地響きを立てて、その怪物が銀河の眼前に降り立った。
「……おいおい」
目の前に現れた、サーベルレオモンすら超える巨体に銀河は思わず呻く。
身に纏うのはサーベルレオモンと同様の古代の遺伝子。だが肉食生物としての凶悪さは恐らくこちらに勝るとも劣るまい。太古の弱肉強食を掟とする世界にて密林の覇者として長らく君臨したであろうその威容、その背に備えた数多の刃と強靭な牙と爪を以って獲物の命を刈り取る獰猛なる王者。
「すげェだろ! スピノモンってんだぜ、コイツ!」
化け物。サーベルレオモンを育て上げた銀河がそう思ってしまう怪物がそこにいた。
「香、一つだけ聞かせて欲しいんだけど」
「あん?」
「君は確か教授に成長期を託されて一ヶ月そこそこだったと思うんだが」
「俺は凝り性なんだよ」
「それで片付けていいのかな……?」
周囲を霧が覆い始める。不可侵領域デジタルフィールド、二体以上のデジタルモンスターが相対するとその隠匿のため自動的にこうした現象を起こすように仕込まれている。これにより今この二体の戦闘空間は完全に外界から隔離された。どちらかが死ぬことになろうとも絶対に干渉を受けることは無い。
ある例外を除けば、だが。
「香、やっぱり君は大した奴だよ」
「下手に褒めたところで名作ゲームしか出ねェぞ?」
「上等だ。次はマリオ64を超えるゲームを頼む」
冗談を言い合いながら互いに間合いを計る。
種族は判断できないが、サーベルレオモンが本能を剥き出しにして相対している以上、目の前の香が呼び出したデジモンは間違い無く究極体だろう。しかし香達が成長期デジモンを恩師の白夜から渡されたのは四月の初めだったはず。つまり一ヶ月程度で究極体まで育て上げたということになる。
有り得ない。結論だけを言えばそうなる。
確かに理屈だけで言えば、プログラムとしてのデジモンを究極体まで成長させるための所要時間は最短で一週間も掛からないだろう。だがそれは飽く迄もプログラムとしての話であり、白夜のプログラムで実体化したデジモンが相手となれば話は別だ。
これは銀河の推論であり同時に極論だが、本来デジモンがこの世界に存在し得ない生物である以上、実体化した時点でデジモンは人間との繋がりを持たねば生きられない生き物と化すのだろう。
なればこそ、逆にデジモンと繋がった人間はどうなるのかと言えば。
「行くぜ!」
思考はそこまで。打ちかかってくるスピノモンにサーベルレオモンが相対する。
巨体と巨体がぶつかり合う肉弾戦。それは肉食獣同士の殺し合いでしかなく、技量も戦術もあったものではない。爪と牙でただ敵の急所のみを狙う凄惨な戦いは、その実この世界においても常に行われている弱肉強食の理を再現していた。
「やるじゃねェか」
「……香の方こそね」
指示など必要無い。元より加速神器から召喚されたデジタルモンスターは、そういう風にできている。
召喚した者との精神リンクでのみ動き、モンスター自身の意思は存在しない。確かにサーベルレオモンもスピノモンも生命活動は行っているし、加速神器の中では食事もするし睡眠も取る。そうすることで成長し、進化してきた。だが今こうして加速神器から解き放たれ、起動<アクセル>した時点で彼らは完全に召喚士の肉体の延長線上の存在となる。
故に獅子と竜の戦いは、銀河と香が直接殴り合っているのと何ら変わりない。
「……たまんねェな。ああ、たまんねェ」
香は実に楽しそうだ。それを正面から見据えながら、銀河は。
「違いない」
心にもないその言葉を口にする。
きっと香は気付いていない。そして自分の方にもそれを気付かせるつもりはない。きっと半年ほど前、正義<ジャスティス>がサーベルレオモンに進化した時点で月影銀河は壊れているのだ。心のどこかで親友が同じように壊れてくれていることに安堵している。
故にたまらないというのなら。
「確かに」
人間と共に泣き、笑い、喜ぶことのできていたあのレオルモンとファルコモンの方がたまらない。
「たまらない」
彼らの方がよっぽど銀河には羨ましかったし、自分もまたサーベルレオモンとそう在りたかった。
人知を超えた怪物を使役したかったわけではない。凡人には持ち得ない異質な力を手に入れたかったわけでもない。もしもデジモンと出会うのなら、彼らのように互いを思い合えるパートナーとして出会いたかったと、そう思うだけのことだった。
そんな時だった。激突する巨獣の間に突如として巨大な光弾が炸裂する。
「何ィ!?」
「この技は……!」
獅子と竜が同時に振り返る。そこに立つのは一体の魔獣。
同じだと直感する。究極体が発生させたデジタルフィールドは同様の存在でなければ侵入することは叶わない。一般人を排除するのと同様に並大抵のデジモンであればそこに近付くことすらままならないはずだから。
故にそれが例外。究極体の闖入者を前に、デジタルフィールドは無力であった。
「ねえ二人とも、こんな真夜中に男同士だけで楽しんでるなんてズルくない?」
晴れていく霧の中、蕩けるような甘い女性の声が響く。10mは超すだろう巨大な魔獣を控えさせるその正体は言うまでも無く、銀河と香の良く知る女だ。
「うふふ、流石の時雨ちゃんでも嫉妬しちゃうわ」
「時雨……」
「げっ」
久々に出会う恋人を前に顔を綻ばせる銀河と、苦手な女の登場に顔を顰める香は対照的。
「何ヶ月ぶりかしら。私とも遊びましょうよ……ねえ銀河?」
彼女の声を前に全身が痺れるように痛む。これは歓喜か? それとも憤怒か?
「香だけじゃないんだね。君も本当に……大した女だよ、時雨」
加速神器・暗黒<エビル>を手にした、龍崎時雨の従える魔獣の名はグランドラクモン。
笑うしかない。
自分の親友も恋人も、本当に大した奴らなのだ。
・ライアモン“ポンデ”
成熟期に進化したポンデの姿。ムゲンドラモンに跳ね飛ばされてやられた。
・ディアトリモン“イサハヤ”
成熟期に進化したイサハヤの姿。スピードだけはなかなかのものだったがやはりやられた。ナッパ戦におけるクリリンみたいなもん。ミノル君のディアトリモンはあんな有能なのに貴様は!
・コアドラモン“ジンライ”
煌羅のパートナー。緑の方。
煌羅が戦闘態勢に入ると自動的に彼女の隣に出現する。常日頃どうしているのか、どういう存在なのかも不明で、ただ無言で現れて煌羅と共に敵を狩る。逆に煌羅が意識を失うとその実態を保つことができない。言葉を介さずとも意思疎通ができる関係上、煌羅は快斗達と出会うまで人間とデジモンのパートナー関係というものを理解できていなかった。
◇
【後書き】
5日に1話投稿する計画でしたが、31日を挟んでしまったので1日ズラさせて頂きました。なぜならその方がカッコいいから!
というわけで第3話となります。この辺りでお気付きかもしれませんが、本作はデジモンアクセルリスペクトとなります。逆にアクセルに収録されていないはずなのに登場しているデジモンには何か理由があるかもしれません。ライアモンのデザイン超カッコ良くて好きなのですが、オリデジ以降の小説で活躍してるのみたことないかな……活躍させるぞ! もう負けたけど!
それではまた5日後にお会いしましょう……。
◇