明らかに人間界のものでない草原をよく見れば人間界のものでないバギーが一人の人間を乗せて走っていた。
草原が明らかに人間界のものでないのはところどころに突き刺さった標識やそこに見えるデータの乱れ、風に乗るクズデータからわかる。
バギーが人間界のものでないのは、その動力が人間界ではまず使わないだろうものだからだ。これだけのサイズになると大概は燃料にガソリンを使う、もしくは電気なんかを使う、まかり間違っても精々が蒸気だろう。しかし、それはどう見てもゼンマイ式だった。
実は、デジタルワールドに人間が進出した今となっては、人間界でゼンマイ式の人間が乗って走れるそれなりの性能のバギーを作る事自体は不可能ではない。
しかし、それはコストがかかり過ぎてとても流通したものではない。一台作ったらその一台はおそらく大切に大切にしまい込まれるだろう。制作にもかなりの日数を要する筈だ。
だが、このバギーはそうではない。デジタルワールドの鉱物を使いデジタルワールドに住むデジモンがデジタルワールドでないとできない製法で作ったそれは大量生産こそ無理だがそれなりの値段で販売されている。セールスポイントは燃料が要らないこと、弱点は走る前にネジを巻く必要がある事。本来は小柄だが力のあるデジモン向けの商品である。
それでもその人間は旅をする目的だったので、燃料が要らないという事がことさら魅力的だった。デジタルワールドの文明のレベルの差は人間界の比ではない。人間が足元にも及ばない超技術の街から一番近い街は狩猟生活を送っているなんて事もざらにある。むしろ技術が高過ぎてガソリンなんて使ってない電気なんて使ってないなんて感じの事もあり得なくはない。
デジタルワールドを旅するその人間は、かなりしっかりとした人間界のものとしては上質な部類の黒いコートと、襟首がよれた無地の長袖シャツと手袋、ジーンズ、そしてスニーカーを履いていた。髪は焦げ茶でさらりと滑らか、それを無造作に一つ結びにしていた。
荷物は水、食糧などを除いて考えれば多いとも少ないとも言わないだろう妥当な量だった。強いて言う点があるとすれば他の荷物をまとめた鞄に比べて一つだけ質が良くしっかりしたものがあるぐらいで、それもそうおかしなことではなかった。
その街は城壁に囲まれた街だった。下手な猛獣よりも恐ろしい存在が天災にも近いデジモンが闊歩するデジタルワールドでは極々一般的なスタイルだ。一対一では勝てなくとも城壁という有利な状況で複数で対応すればということはあり得る。
城壁の周りを走り、門を見つけるとその人間はおやと首を傾げた。以前寄った場所でその街はデジモンが主な住人であると聞いていたが、門の横、入国手続きをする為に置かれてるだろう小屋の中には人間がいて、近くには旅人の車やバイクなんかはない。
人間が徒歩で旅するなんて事はデジタルワールドではまずもってあり得ない為に不思議に思ったのだ。
でもまぁいいかとその人間はすぐ近くにバギーを止めた。すると中から人にも似たタイプのデジモンが出てきて待つ様にとジェスチャーをした。
待っている間にその人間は前に寄った町で聞いたこの街に付いての話を思い返していた。
調べ物には最適な街である。理路整然と造られた区画と実験的な建築がなされた区画とがあるという事、後は個体名がない街でもある、だったか。住所と種族名で大体呼ばれるが、さらに細かくする時には大中小や、個体毎の特徴も付け足すと。
特に多い名前としては、何色の花園の種族名という形だという話。
そうなると内側は花で溢れかえっているのだろうか、花を使った装飾的な建築が至る所にあるのだろうか、それはそれは見応えがありそうだ。
その人間が空想に耽っていると前の人間の手続きも終わったらしく、リュックを担いで一体の膝ぐらいの高さのデジモンと一緒に出て来た。
人間の一人旅は危険だが、もしデジモンが一緒にいるならばそれだけでかなり安全になる。あくまで比較的の話ではあるが。
しかし、その人間はやはり不思議だと思った。つい十年前まで人間とデジモンは戦争をしていた。というよりは人間が資源を求めて侵略しデジモン側の最高戦力に呆気なく撃退された。
ただ、最高戦力が出てくる必要があったとも言える。極々短期間で荒らし回り、人間界から持ち込んだ鋼材だなんだで街を作った。だから一般的に人間はとてもデジモンに嫌われている。
それこそデジモンとの友情の証親愛の証の様なものを持っていなければ、人間だというだけで排斥されることもある。
その人間はシャツの中に入れていたネックレスを引き出す。青みを帯びた爪のようなものと白い毛でできたそれは一見なんでもなさそうだが、グリフォモンというデジモンの爪と毛でできたものだった。グリフォモンは到底人間が個々で倒せるデジモンではない天災の類に近い域のデジモンであり、詰まるところそれはグリフォモンから贈られた親愛の証だった。
ネックレスのおかげもあって早く手続きを終えたその人間は入ってすぐに首を傾げた。どこにも花が見当たらない、街路樹はあるがそれ程でもなく、とても実験的な区画とは思えない落ち着いた街並み。
はて、と首を傾げているとまた来たぞとどこかから声が聞こえた。
おや、と一つの建物を見上げると窓から身を乗り出すようにしてその人を指すデジモンが一人二人三人とどんどんと増えていき、代表したかの様に一人の、鬣に青いリボンをつけたデジモンが出てきてバギーの前に立った。
「旅人さん!今日泊まる宿は決まってるかい?決まってないね!?この区画では街を作る研究をしているんだ、どこの施設でも少しアンケートに協力してくれるだけで使用料はいらない。さぁ好きな施設をどうぞ」
上から覗くデジモン達はそれぞれの建物の設計者か何かなのだろう。その人間は欲に忠実に豪華な部屋を選ぶか、変わり種の金属加工工房のついた本来サイボーグや機械のタイプのデジモン向けに作られたらしい部屋にするか迷った後、工房のついた部屋にした。
「旅の人は金属加工をされるんですか?」
「一応は彫金師をやってまして、旅しながら土地の宝石だったり金属だったりを買って、加工して別のとこで売って旅してるんです」
「へぇ、それはまた運がいい、工房をタダで使わせてくれるというところはなかなかないでしょう?」
「それはもうまずないです」
「しかしここには土地の豊富な鉱石も豊富な宝石もないとこですから、あまり、期待はされない方がいいでしょうね」
「前のとこの工房だと加工できなかったものとかもあるのでありがたく使わせてもらいます。ところで一つ聞きたい事があるのですが」
はいはいなんでしょうとそのデジモンが促すとその人間は一瞬何と言ったものか迷ってる様な顔をして、口を開いた。
「アオ、という名前のディアトリモンを知りませんか?」
「ディアトリモンっていうのはどういう種で?」
「アオミドリ色の甲殻を持っていて、オレンジと黄緑と赤色の羽毛を生やし、鋭い爪を持った鳥のデジモンです」
「……いや、知らないですね。この街に、少なくともこっちの門から入ったならば全員把握してるつもりですが記憶にない。もし来たらあなたが探してたと伝えましょう、お名前はありますか?」
「ミドリです。もしアオが来たらミドリが探してると伝えて下さい。できれば一人旅だったという事も一緒に、その方が心配して向こうからも会いに来てくれそうなので」
悪いお方だとそのデジモンは笑い、会ったら必ず伝えましょうとその場でメモを取って見せ、ミドリを工房のついた部屋まで先導した。ついでにバギーのメンテナンスもそういうのを記録したい研究者がいると請け負ってその住所を置いていった。
ミドリが何気なくその住所を見ると、青の花園から西三番目の通り、青縁の看板と書いてあった。なるほど、ここに行けばきっと今度こそ花園が見れるのだろう。ミドリは荷物だけ置いてバギーを走らせた。
道に建てられた案内板を見ると青の花園はミドリの借りた部屋からそう遠くなく、西三番目の通りも歩いても十分圏内だった。
まぁ見ればわかるだろうと走るも、行けども行けども青い花など見えて来ない。あれおかしいぞと道の端にバギーを止めて、たまたまミドリを興味深そうに見ていた小さな妖精のデジモンに声をかけた。
その妖精のデジモンは金色の髪に青い目、透き通った翅の可愛らしい少女の体を持った妖精で、髪を白いリボンで纏め、白いポンチョを着ていた。
「すみません、この場所に行きたいんですが道がよく分からなくて……教えて頂けませんか?」
「いいわよ?」
妖精は手元の紙を覗き込み、一つ頷いた。
「この街の、花園についての説明は受けた?」
「花畑じゃないんですか?」
「そう、やっぱりね。この街の人達は、旅人が分からなくて戸惑って本当の事聞いて驚くのが大好きだから。花園っていうのは図書館の事よ。先達が一つ一つ植えた種が育てた花が集まったまさに図書館というものは知識の花の園であるってね、いつだかこの街を造ったデジモンが言ったそうよ」
ミドリが、花畑を探している限り見つからない訳だと納得すると、その妖精は笑ってすぐ背後の白い屋根の他に比べて一際大きな建物を指差した。
「ちなみにここが白い花園。青い花園もほとんど同じデザインで屋根が青いからわかると思うわ。さらに言うとね、白い花園に住むデジモンは白、青い花園なら青の小物を身につけてる事が多いから周囲の服装も見ると見つけやすいわよ」
じゃあねと忙しそうに去っていった妖精に礼を言ってミドリは来た道を引き返した。
翌朝、ミドリは日の出前に起きた。それに意味はない、大体の動物的な暮らしを主とするデジモンが動く時間帯、明け方と夕暮れには起きている。そうしないと襲われる危険もあるから、ただ習慣になってるだけだ。
起きてしまったものは仕方がないと、ミドリは部屋に備え付けの冷蔵庫を開けた。そこに入っている食品は全て無料、昨日届けられたものだったが、その全てにアンケートが付いていた。
適当なレトルト食品を幾つか手に取り、説明を読む。一つはデンシレンジとかいうミドリに馴染みのない機械を使うもので一つはお湯に放り込めばいいというミドリにもわかりやすいもの、当然後者を選んで、袋のままレトルトのパスタをパッケージに添えられたフォークで食べた。
「美味しいし、これこの街出る時に幾つか買っていこうかな、携帯食飽きるし……」
誰に言うでもなく口に出して、冷蔵庫の飲み物も適当に美味しそうなパッケージのものを手に取って、裏の表示に人間飲用可能と書いてあるのを確認してから飲む。幾つか見てると、一個飲用機械油があったので、それは間違えないように奥に押し込む。
ベッドや冷蔵庫、その他部屋の至る所に添えられたアンケートに答えてないものは適当に答えて、街に出た。
この街にミドリが来たのは調べもののためだったから、とりあえず近場の青い屋根の図書館に行く。
中に入ると外見に比べてごちゃごちゃした場所だった。天井から本棚が吊るされていたり壁から生えていたり、移動している棚なんかもあって、とてもじゃないが人間ではまともに探せたものではない。
少し呆然と見ているとミドリの隣を通り抜けた人間界で言うところの猿の様な小柄なデジモンがトントンと本棚を駆け上がり移動する本棚に乗り、壁から突き出た本棚に跳んだかと思ったら天井から吊るされた本棚に移り、そこからさらに跳んでとあっという間に見えなくなった。
あれは無理だとミドリが一人頷いていると肩をチョンチョンとつつかれた。
「どうしました?」
振り返ると妖精がいた。
「あ、昨日はどうも」
「……もしかして昨日別のティンカーモンに会ってませんか?白か赤か、緑の服を着た」
昨日聞いた服の話を思い出してミドリはその妖精に謝る。しかし、見れば見るほどその妖精は昨日の妖精とそっくりだった。違うのは主に服装で、髪は青く大きく丸い帽子の中に隠し、青いポンチョを着ているだけ。ミドリにはどれだけよく見ても同じ顔にしか見えなかった。
「私達、他の種と比較しても個体毎の外見がとても似てるんです。それで、どうしました?私、ここにある本の管理をしている青い花園のティンカーモンです。間違いなくお役に立てると思います」
「ちょっと不明瞭な説明でも探せます?」
「聞いてみないことにはなんとも言えないですが、この街の図書館の中でお役に立てるものがあるならばきっとお役に立てると思いますよ」
「こう……スキンシップを取りたい相手がいるんですけど、ちょっと毛が金属みたいになってて普通に触ると怪我しちゃうので怪我はせず、でも限りなく素手に近く触れないかなと」
「お相手の種族とかわかります?」
「ディアトリモンって種族です」
「なるほど……確かに人間の皮膚ですときっと簡単に切れてしまうでしょうね。少し、待って下さいね」
青い花園のティンカーモンが近くの壁のなんでもないところをポンと叩くと空中にホログラムがパッと浮かび上がった。それをさらにトントンとリズミカルに青い花園のティンカーモンが叩くと幾つかの本棚がどこからか滑ってきたり浮き上がってきたり壁から突き出してきたりした。
そこからすでに決めてあった様にすっすっすっと本を四、五冊取り出すと本棚はそれぞれまたどこかに戻って行く。どこかで誰か頭ぐらいぶつけてそうだ。
その本一つ一つに青い花畑のティンカーモンはなんらかの処理をしながら話し出した。
「この数冊がきっと青の花園で参考になる本だと思います。読んでる中でわからないことがあったり、より詳しく……そうですね、特に生産的な方向、工業や農業といった方向に近い方向で知りたい、具体的な発想や何か浮かんだ、という時はまた来て下さい。異種族交流という面では赤の花園や白の花園が、種の生態や特性に関しては緑の花園の方がよく揃ってるのでそちらも参考にして下さい」
どさどさどさとミドリの手の上に本が置かれて、きっと参考になりますよと言い残して青い花園のティンカーモンは去って行く。
ミドリはすごいなと感心しながら本を抱えて部屋に戻った。そしてそれらをちゃんとみて最初軽く首を傾げた。鍛治神ウルカヌスモンの民間伝承とかその解説考察の本とか、旅行記とかぱっと見てあまり参考になりそうには思えなかった。
まぁしかし読んでみようかと開いてみると、本はパラパラパラと勝手にめくれてあるページを開いて止まった。ミドリが二度三度と開いてみても変わらずそのページを開いた。
せっかくなのでミドリがそのページを読んでみると本が選ばれた意図がわかった。
民族伝承には棘の生えたデジモンが他のデジモンと触れ合える様にと鎧を作って着せる話があり、旅行記にも触る事が難しい種族とのスキンシップの一例と言える様なものが載っていた。
例えばサラマンダモンの皮を使うとか、触る側の体を改造するだとか、色々と見ていたがなかなかミドリにはハードルが高いものばかりだ。サラマンダモンに関しては生きる為でも食べる為でもないが殺しをする事になるし、体の改造も人間の体の弱さを考えると手術自体が危険、難しいかなと思いながらミドリが見ていると、伝承の考察をした本の中にあった記述に目が惹かれた。
そこに書いてあったのは要約すれば、ウルカヌスモンが棘の生えたデジモンの為に作った鎧はクロンデジゾイドで作られたと見られるという事と、そして、クロンデジゾイドには寄生先と感覚を共有し、金属でありながら体の一部として動かせるかもしれない性質があるのではという事。
それはその本の趣旨が民間伝承の考察にある事を思えばおまけの内容であったが、クロスモンというデジモンの継ぎ目がないのに動く翼やロイヤルナイツなど多くのデジモンの持つ鋭敏な感覚などを例に挙げ体そのものと言えるのではないかという一文。それはミドリにとっては眩しく見えた。
自身の体をそれに耐えられる様にできると見れば改造に近いが、そのリスクは低い。また、ミドリの道徳観に照らし合わせても問題もない。クロンデジゾイドは鉱物である、あまりに名高く希少な鉱物であるが、あくまで鉱物、入手も比較的容易で、少なくともデジモンの皮を剥いで加工するよりはミドリに馴染みのある材料でもある。
すごいすごいとミドリは何度も呟きながらページをめくっていた。
翌日、ミドリはまた青い花園にいた。
そして青い花園のティンカーモンもまたやって来て、クロンデジゾイドの加工に関してと産地、流通に関しての本をどさどさっと数冊置いてまた去っていく。
それをまた部屋に戻ってミドリが読んでいると、ふとメモを切らした事に気付いた。買いに行くとなんだか見慣れない様なものもいろいろあったが一番シンプルで安いのを買って、その時にまた渡されたアンケートも記入して部屋に戻ろうとしていると、ふと、赤い三角帽を被って赤いポンチョを着たティンカーモンに背中をつつかれた。
「こんにちは、旅の方。私は赤い花園のティンカーモン、青いのが会ったっていう旅の方はあなたの方だよね?」
「はい、図書館で色々と本を見繕ってもらったりして」
「うんうん、青いのがとても熱心な旅の方だって褒めてたよ。なかなかいないからね、一度顔出してもひどいと本返しもしなかったりするもんだから……この街の住民でもね?だから実は至る所に返却ボックスがあるんだ。まぁ持って来てくれた方が楽でいいけど。じゃあ、精神、哲学、心といったそうした事に関して知りたいって時には赤の花園においでね。私達はそれぞれの担当の花園の花についてなら内容も全部把握してるから」
早口に言ってピューと去って行くその背中を見送って、ミドリはまた同じ顔だと呟いた。
翌日、ミドリは地図を探し、ついでにバギーの修理のところにも顔を出していたら、今度は緑のバンダナを巻いたティンカーモンに出くわした。
「あぁ、やっと会えた。私だけ会えないなんてずるいものね、二人とも楽しそうだったし。私は緑の花園のティンカーモン、門番のディノヒューモンに同じ名前だと聞いたのよ。生物、地形、大気に海にデジモンまで、ディアトリモンの事に関してももちろんね?そうした生物や環境の類の知識が知りたい時には緑の花園にいらして?あなたに合った素敵なお花を選ぶから」
緑の花園のティンカーモンも見送ると、やっぱり同じ顔だとミドリは呟いた。
翌日、一度本を返して、旅を続ける為にお金をどの宝石に替えようかとか、手持ちのものをどうしようかと考えながらそうしたものを見ていると、人間に声をかけられた。
「やぁ、君、俺達の後に街に入った人だよね。よかったらどうかな、そこで話でもしない?……奢るからさ」
ミドリのあからさまに嫌そうな顔にその人間とその隣にいた小さなデジモンは苦笑する。
「あぁ、ごめんなさい。人間にあまりいい印象がなくて……反射みたいなものなので。話ぐらいなら。奢っては頂かなくて結構です」
ミドリ達が近くの喫茶店に入ると、中は存外ガヤガヤとしていた。
ところどころ聞こえてくるのはそれだとコストに合わないとか、コストよりも開発に意義がだとか、機材の準備ができてないとか、研究資金を寄越せとか、アンケートが悪いせいで資金が降りないんだ自業自得だとかそんな世知辛い話である。
ミドリは紅茶を一杯頼んで、角砂糖をゴロゴロと入れ、その人間と一緒にいるデジモンは軽い食べ物も一緒に頼んだ。
「それで、なんのお話でしょう?」
「ティンカーモンになかなか会えなくてね、どう会えばいいのか聞いたら君がとても好かれてると聞いたものだから」
「私は特に探したりしてないから、なんとも」
そう言って甘い紅茶を啜り、底に溜まった砂糖をスプーンで掬って食べる。
「それは残念、それにしても彼女達はすごいよね、聞いた話だとここの図書館の本の全ての内容を把握してるとか」
「それはすごいですね」
まぁそういう事もありそうだとミドリはまた紅茶の中に砂糖を落とした。
「君は後どれくらい滞在するつもり?」
「手持ちのものの加工が終わるまで」
「手持ちのものって?」
「宝石類。裸のままより大概は高く売れるから」
ミドリがほとんど赤い紅茶味の砂糖となったものをコップの中から掬って食べながら答える。
そうして一切広がらない会話を十数分続け、その人間達の側の皿が空になった頃合でミドリは席を立ち、自分の分の会計をして部屋に戻った。
部屋の前には山の様な試供品の類が置かれており、どこからか彫金師だと広まったのか工具だとかも色々ある。こんなに試供品とかばらまくからお金がなくなるのではと思いつつミドリはアンケートには甘めに書く事を決め、はぁとため息を吐いた。
ミドリは人間が嫌いだ。自分が人間である事すら腹立たしい程に人間が嫌いだ。しかしその感情もまた人間的だと思っているからその感情も嫌いだ。
無心になりたくて、ミドリは手持ちの宝石を取り付ける台座だとかリングだとかを作り始めようかとも思ったが、うまくできる気もしないので、メモにひたすらアイディアとかを書き殴った。加工の際に宝石を割ったりすれば価値が落ちて困るが、メモなら多少無駄にしても困らない。
その日の夜はそうして明けていった。
朝方までやっていた為、翌日は珍しくミドリは昼に起きた。冷蔵庫の中を見ると、ミドリがつくり方がわかる様なものはもうなくなっていた。仕方ないから外に食べに行く事にした。
そうして適当な喫茶店に入ると、目の前に白いリボンの妖精、白い花園のティンカーモンが座った。
「相席いい?」
「もちろん」
「ありがとう、青とか赤とか緑から聞いたけど、頑張ってるみたいね。かなり、なんで頑張ってるのかは聞いてもいい?」
「いいですよ。でもどこから言ったものか……うん、とりあえず私はアオっていうディアトリモンを探してるんです」
白い花園のティンカーモンはそのディアトリモンがスキンシップ取りたいってディアトリモンなのねと相槌を打った。
「そうです。アオは私の家族で、一緒に育って来たけれども、アオがファルコモンから進化した時に私が抱き着いて血塗れになったんです。傷自体は全部浅かったんですけども、それを気にしてアオが出てっちゃって」
「それで旅して捜しながら、触れる方法も探してるの?」
「そういう事です」
優しいんですよ、なんて笑うミドリの袖と手袋の間に白い花園のティンカーモンは目を走らせた。手首の辺りに細い傷痕が何本もある。
それがミドリが言った浅い傷であるならば、それが体の前面に広い範囲にできたならば、それはかなりの出血を伴っただろう事は想像に難くはなかった。
「そういえば名前聞いてなかったわね?私は……まぁわかると思うけど白い花園のティンカーモン。あなたは?」
「私はミドリです」
「ねぇミドリ、もしかしたら他にも解決策になるかもしれないのが幾つか思いついたから明日、白い花園に来てくれない?白い花園は他に比べると広く浅くだけどもその分いろんなジャンルの本があるわ。きっと役に立つ本があるわ。他の仕事の合間にまとめておくから」
白い花園のティンカーモンの提案にミドリは是非と喜んで、明日の約束を確認して別れる。
夕食と朝食を買って部屋に戻り、前日に引き続き工芸に精を出したが、約束があるので早めに切り上げて寝た。
翌日、ミドリが白い花園に行こうと部屋を出ると、一瞬何かが気になり、一度部屋に戻って金目のものとか色々入った小さな肩掛けカバンを持って改めて部屋を出た。
白い花園に着くとすぐに白い花園のティンカーモンは姿を現した。
「こっちが傷を負ってもすぐに治せるようにする方向、こっちは別の種にディアトリモンを変える方向、こっちがミドリ自身を人間の強度でなくする方法の中から青の方で扱ってるジャンルを除いたの数冊。より詳しく知りたい場合はどの花園かもメモ挟んで置いたから」
どさっどさっどさっととても一度で運べなさそうな量を出して来て、ミドリは目を丸くする。
「とても一度に運べないし数日じゃ読めないですよ……」
「……それもそうね。少し張り切りすぎたかも、でもここから厳選するとなるともうちょっと待ってもらう必要があるわね」
白い花園のティンカーモンがんーと頭を悩ませ始めると、ふと、二人に声をかけてくる人間とその横に腰ぐらいの高さのデジモンがいた。
「やぁ」
その姿にミドリは思わず眉根を寄せてしまう。が、なんとかそれを伸ばしてどうかしたんですかと返した。
「運ぶのに手が足りないなら手伝うよ。僕達二人が手伝えばなんとかなるだろう?」
そう言って、その人が乱暴に本を持ち上げようとする。
「あ、ちょっともう少し丁寧に……」
そう言いながらその人に近寄った白い花園のティンカーモンが突然床に押し付けられた。
押し付けたのは人一人ぐらいなら飲み込めそうな大きな顎の赤い四足歩行の狼で、その狼が現れた代わりに人間の腰ぐらいの大きさだったデジモンの姿が消えた。
「うん、君を探しておいてよかったなぁ」
そんな事を言いながらごそごそと虫カゴみたいな金属製の籠を取り出すと、その人は白い花畑のティンカーモンをその中に入れようとする。
そうなってやっとミドリはハッとして、ちょっとと制止の声を上げようとしたが、その人が腰から拳銃を取り出したので結局声は上げられなかった。
「大丈夫、君に危害は加えないよ。僕はこのティンカーモンを探して連れて来いって言われただけだからね。君にも他にも危害を加える理由はないんだ」
「……まぁ、俺としてはもうすこーしばかり暴力的なやり方の方が好きなんだが、足手まといもあるしな」
「非力な人間だからこそ疑われないのに、君こそ変身しないとわかりやすい犯罪者の顔してるんだから困るよね」
その人間と赤い狼が喧嘩してるような感じを出しながら、白い花園のティンカーモンを籠に入れて鍵を閉めた。ミドリを案じたのか抵抗もしないで入っていった。
その姿はミドリに罪悪感を覚えさせた。大概のデジモンは小さかろうと何かしらの自衛手段がある。幼年期のデジモンですら酸の泡という人間の目に入れば最悪数日間まともに目が見えなくなるぐらいのものは持っている。
弱い体の小さなデジモンほど毒なりなんなり、むしろ襲われた状況でこそ使われるような何かがある。それが自分のせいで、自分の弱さのせいでと思うとミドリは胸が潰れそうだった。
「あの、ティンカーモンを連れて行くとあなた達はどうなるんですか?お金でももらえるんですか?」
「……んーと、それは身代金を払うから返してくれというやつ?」
その人がそう答えたからミドリは宝箱の様な意匠の凝らされた厚みのある箱に入った宝石類を見せた。いざという時の非常資金に持ち歩く類なので、大ぶりで、リングや何かへの加工はされていない、どこでもそれなりの値段で買い取ってくれる様な状態の宝石が数個、厚いクッションに包まれて入っていた。
「あー、いいね。少なくないお金になりそうだ。まぁ、だけどもそれは君の命と交換にしようか」
爽やかな笑いが醜悪な言葉で彩られ、ミドリはだから嫌いなんだと吐き出しそうになったが、堪えた。
「じゃあなんか変なことしない様に地面に置いてもらおうか」
そして向こうが指示した様に箱を閉じて地面に置いた。
その人が赤い狼に取りに行けよと顎で示すと、赤い狼は舌打ちをしつつその箱のところまで行き、前足を伸ばす。
赤い狼が確かに箱の真上に前足を持ってきた事を、その箱の上の方に頭もある事を確認して、ミドリは咄嗟にしゃがみ、リモコンのスイッチを押した。
すると箱の蓋が爆発して、鉄の破片が上方に飛び散って赤い狼の頭と前足を蜂の巣にした。
それの一つは当然上の方に吊るされていたりした本棚にも迫ったが、本棚の周りにバリアでも張られたかの様に弾かれ、上から落ちてきた鉄の破片が何個か地面に倒れて今にも息絶えようとしている赤い狼に刺さった。
それに唖然としながら怒りを込めて拳銃の引き金を引こうとその人はしたが、檻の隙間から伸ばされた手がその手を引っ掻いていた。
それは一瞬引くのを止めさせたが、それでもそんなので止めてやるかと引き金を引こうとして、引けなかった。その手は瞬く間に麻痺し、数秒という早さでそれは全身に回る。
さっきは使えなかったティンカーモンという種の持つ麻痺毒だった。
ティンカーモンの入った檻が転がると、他の白い花園にいたデジモン達がぞろぞろと集まってきてすぐにその人は縛り上げられ、赤い狼もトドメが刺された。
「あっ、待って!」
檻も怪力のデジモンの手で破壊されようとしたが、それはミドリが止めた。
「その檻作りが良さそうだからできるだけ傷をつけずに……あ、ちょっと不謹慎ですね」
「……ううん。私を助けてくれたんだもの、少し遅くなるぐらい構わないから鍵とか探してもらっていい?」
白い花畑のティンカーモンがそう言ったことで檻は壊されず、ミドリの手に渡る。
それをジロジロと良く見てからミドリは爆発した宝箱を開けて中の宝石の無事を確認した。蓋の膨らみに仕込まれた火薬の衝撃で歪んだ蓋も石の下に厚く敷かれたクッションのおかげか傷つけてはいなかった。
「しかし、思い切った武器ね。というかなんでそんな手の込んだものを……」
「デジモンから逃げる時用はお世話になったグリフォモンの声を録音したものがまた別にあるんですけど、これ、人間だと大体引っかかるって話で……使ったのは今日が初めてでした」
直して使えないかなとか言いながら見てる姿に白い花園のティンカーモンはぷっと吹き出した。
それから、白い花園のティンカーモンはまた仕事に戻った。周りのデジモン達がそれを望んだからというところもある。
その前にとミドリは一冊本を増やしてもらった。本を運ぶのは三往復してなんとかやり終えた。
本は、一見多く見えたがミドリの話に参考になる場所は青の花園で借りてきたものよりも一冊あたり短く、考え方の幅は広がりそうだけどという感じで、本人が言ってた通りの広く浅くの内容だった。中には何冊か内容が被っているのも含まれていて、一日どころか半日で充分だった。
次の日、ミドリはまだ本を読んでいた。タイトルは、四つの花園でそこにはここの街の図書館の三百年近い歴史とそこに絶えずに常に四人居続けているティンカーモンの司書達の話も一緒に載っていた。
そこに載っていた過去の司書のティンカーモンの写真も、ミドリにはみんな同じ顔に見えた。
さらに翌日、修理も終わったバギーを使って借りた本を返しに行くと、白い花園のティンカーモンがわざわざ出迎えてくれた。
「どうだった?参考になった?」
ミドリが返却ボックスに入れた本が自動で運ばれて行くのを眺めていると、ふとそんな事を聞いてきた。その声に不安さは見えない、参考になったと確信していた。
「とても、特にデジメンタルとかスピリットとか、アオがディアトリモンじゃなくなればいいって発想はなかったから参考になりました」
「そう、それはよかったわ。ところで、これからも旅を続けるのよね?」
「もちろん」
「……もしよかったら、私をここから連れ出してくれない?」
「……連れてくだけなら。バギーの座席に余裕もあるから大丈夫ですよ」
「ありがとう、出発する予定の日を教えて、その日までに準備をしておくから。あ、今度からは私がお世話になる側なんだから敬語はやめてよね」
ミドリは少し考えると、三日後と答えた。
三日後、バギーにはミドリと荷物と一緒に白いポンチョを着たティンカーモンがいた。
そこはもう街の外で、街を出て数時間走ると、ミドリはおもむろに白い花園のティンカーモンに話しかけた。
「ねぇ、なんで街を出ようと思ったの?」
「またあんなのに襲われるのが嫌だったから。あれも、初めてじゃないし……いるのよね、私達が本の中身を全部把握してると思い込んで狙うやつ」
「違うの?」
「かなり違う。内容は把握してるわよ?例えば、小説ならあらすじとかその時のキャラの感情とか関係性までね。でもそれは本の中身の全部じゃあない。そのニッコリンゴは赤くて美味しそうという内容は把握しててもそれを、それは日光を浴びてつやつやとした赤を周囲に見せつけていた。齧り付く前から口の中に唾液が溢れ、それの名の様に口角が期待に上がってくるのだ。みたいな文で読むのと同じだと思う?」
なるほどとミドリは頷いた。少しリンゴが食べたくなっていた。
「技術書なんかもそうね、例えばこの計算でそれは求められるということは知っててもその計算でなぜいいのかなんてことはわからない。知識が頭の中に入ってる訳じゃなく、本の内容が入ってるだけなの。それでもいい事柄もあるんだろうけどね」
もっと話したい様なティンカーモンに、ミドリは少し考えてまた質問をする事にした。
「ティンカーモンの寿命ってどれくらい?」
「八十年ぐらいかな。人間とそう変わらないわ」
また少し考えて、ミドリはまた質問する。
「……街は、離れて大丈夫だったの?」
「大丈夫よ」
「……それは、また代わりのティンカーモンが作られるから?」
「……ううん。作られない、もう絶対に作られることはない。そのクローンを作る機械も記憶を移す機械ももう壊された」
「だから、三人で四人いるフリをしてたの?」
「そこもわかってたの?どうやって気づいたか教えてもらってもいい?」
「本の中のティンカーモンの顔がどう見てもみんな同じだったのと、赤い花園のと緑の花園のの言葉かな」
「そんな確信持てそうな事を……?あ、そういうこと?私にカマかけたんだ?」
ミドリは頷いた。
「うん。じゃあ少しだけ昔話をしようかな。あの街ができた時の話」
白い花園のティンカーモンがそう言って話し始めた。
「昔、三人のデジモンがいました。一人は本屋の看板娘のティンカーモン、一人は研究者のデジモンで、一人はそのデジモンの親友でした。
二人は研究者のデジモンの研究を全力で応援していましたが、なかなかスポンサーも付かず、場所もありませんでした。実験したい事は幾らでもあるのに実験できず、また専門書なんかも高くてなかなか買えないのです。ティンカーモンはこっそり読ませたりしていましたが、それも商品として仕入れる事をしていた分だけ、逆に言えばティンカーモンも研究書を集めるお金がないのです。
そこで親友のデジモンは考えました。貸してくれる人がいないならば自分達で作ろうと。幸いそのデジモンは商才がありました。本屋を改装し、継ぎ足し継ぎ足しを続けて実験室のついた図書館にまで大きくする事に成功。さらに、さらにさらにと発展させてついに研究者の為の図書館と実験場と居住区の街を作る事に成功したのです。
ただ、そこで一つの問題が起きました。その研究者のデジモンと、親友のデジモンは長命な種でしたがティンカーモンはたかだか八十年、今にも寿命で死んでしまいそうになってしまいました。
これは困りました。全ての本はティンカーモンが集めたもので、全ての内容をティンカーモンが把握していました。ティンカーモンがいなくなると図書館はパニックになります。そして、二人は悲しみのあまり研究や商売どころでなくなってしまうかもしれません。
そこで研究者は悲しみに狂いかけた頭で一つの理論を完成させ、その装置を作りました。記憶をコピーし、新しい肉体に移す、実質的な不老不死の装置です。
しかし、それは失敗しました。知識は写せどその時の感情は写せず、ティンカーモンが死ぬまでに生まれたコピーはティンカーモンの知識を持ったティンカーモンという同じ種の同じ肉体の別のデジモンだったのです。
とうとう研究者と親友は狂いました。いえ、それで良かったのでしょう。彼らは新しく生まれたティンカーモンを司書として、図書館の一部として組み込みました。四つの図書館にそれぞれ一体のティンカーモン、新しい本が来る度にデータは更新され続け、一体が死ねばまた新しい個体が生み出されて司書になります。こうして、今の街ができたのです。
しかし、三百年経つと状況はまた変わりました。これはおかしいと一体のティンカーモンが気づいたのです。そのティンカーモンはデータのバックアップを取り、肉体を作る機械諸共破壊しました。
ただ、それで話は終わりませんでした。二人はティンカーモンをとにかく失いたくなかったのです。機械が破壊されようもののならば破壊したデジモンは苦しんで死ぬように罠を仕掛けていました。
皮肉な事です。守りたかった筈のティンカーモンと同じ顔を殺してしまったのですから。また、それを知ってあるティンカーモンは思います。自分はここでずっと司書をし続けるのだろうかと。そして決めます、気を許せるようなあ旅人が来たら、少し試してついていく事にしようと」
後は知っての通りと言ったティンカーモンに、ミドリはなるほどと頷いて、もう一つだけ聞いてもいいかと聞きました。
明らかに人間界のものでない草原をよく見れば人間界のものでないバギーが一人の人間を乗せて走っていた。
「私はあなたを、なんて呼べばいい?」
するとティンカーモンは、ポンチョの白を見せつけて答えた。
「私が、白い花園のティンカーモン。だから、適当にもじったりして呼んで」
さらに少しして、草原を走るバギーから青い帽子が捨てられて、風に飛ばされていった。