
アオとクレラが辿り着いた町は小ぢんまりしていた。集落、あるいは村と言い換えてもいいだろう。規模は小さいし、周囲を囲うのは木の杭、地面も特に舗装はされていない様だった。
とにかくまずは泊まるところを見つけたいなとアオは周りのデジモン達に声をかける。
「人間がいるのか、となるとこっちでは宿はないね人間は◾︎◾︎◾︎◾︎だからさ」
アオが聞いたデジモンは大体皆同じように侮蔑的な言葉を交えてそういう意味の事を言った。他のデジモン達にも聞いてみたが、大体みんなそんな態度を取る。クレラが知らない単語でよかったなんて思いながらアオは聞いて回る。
どうも小ぶりなデジモンばかりだったのでアオの首に疲れがたまってきたが、ふと、一体のデジモンが向こうならあるかもしれないとアオ達が入ってきた側とは反対側を示した。
ありがとうと言って村の反対側に向かう。
途中、木で地面に線が引かれていて、そこを超えると途端にデジモンと人間が入り混じり、もう一度地面に引かれた木の線を超えると今度はデジモンがいなくなった。
「ねぇ」
アオがそう声をかけると声をかけた人間は途端に逃げ、それに気づいてその場にいたほとんどの人間が建物の中に入ってしまった。
そんな中で残った人間の一人、片足が義足の老人が震える若者に支えられながらアオ達の方に近づいてきた。
「どうやら旅の人の様だね」
「はい、私達はそうです」
怯えられた事もあって、クレラがそう答えると、老人は会話を英語に切り替えた。
『この町ではね、デジモンと人間が別れて住んどるのだよお嬢ちゃん。あの木の線の内側だけが共有スペースさ。こっちにはお嬢ちゃんの居場所はあるがそっちの◾︎◾︎◾︎◾︎の居場所はないんだ』
侮蔑的な表現を含む言葉に、クレラは怒りたくなるのを必死に抑えた。
『教えて頂きありがとうございますおじいさん。しかし、汚い言葉を使うのはやめた方がいいと思います。主はいつでも私達を見ておられます』
「アオさん、行きましょう。ここには、ないようです。私達の泊まるところは」
その背中を見て老人はクレラに聞こえるよう、また侮蔑的な表現を使った。その言葉の調子で侮蔑してるとわかったアオが少し首を向けて睨むと、老人は俺を殺す気かと叫んだが、アオは無視する事にした。当然、殺す理由なんて特になかった。
そうして真ん中の方でアオが聞くと、そこにいた人は大変でしたねと苦笑した。
「小さい村ですから宿はありませんが、一つ空き家ならばあります。埃とか積もってるかもしれませんが、そこならお貸しする事ができます」
「ありがとうございます。私は、嬉しいです、雨風がしのげるそれだけでも。幾らになりますか?お代は」
「空き家はこの村で持て余しているものなので、簡単に蜘蛛の巣でも取って、下手に汚さずに使って頂ければそれで充分です」
「それは、とても嬉しいです。きっと、あなたは得られるでしょう。主のご加護を」
その人と一緒に店に立っていたデジモンの案内で空き家に行くと、確かに土埃が積もってはいたが、クレラは寝袋だし、アオはそもそも岩山でも気にしないそう大きな問題はなかった。
さぁ、始めましょうとクレラが空き家の中に放置されていた木の枝をまとめた竹箒のようなものを取って床を掃きだすと、アオはクレラ一度家の外に出して、息を吹きかけて一気に土埃を追い出した。
部屋の中にまだ幾らか舞う土埃が落ち着くまでアオの頭に乗って家の外側にある蜘蛛の巣を払っていると、蜂の巣を見つけた。
さっきのデジモンにそれを伝えると、危ないのでできれば取って欲しいと言われたので、アオが巣ごと口の中に入れて、少し口の中で空気を震わせると、中の蜂達は絶命した様だった。
「さて、これどうしよう?」
アオが聞くと、クレラは何故そんな決まりきったことを聞くのだろうと首を傾げた。
「何かあるんですか?食べる他の活用する方法が」
「いや、僕がいたところ大体蜂食べなかったから……単に処理の仕方がわからなかったんだけど、食べ方を知ってるの?」
アオが言うと、はい、とクレラは元気よく返事をした。
「神父様はそれを作ってくれました。その時、誰かが見つけた、蜂の巣を」
でも掃除の後にしますと言って、クレラは途中になっていた掃除を再開した。
それを終えるとクレラは念の為にとアオに乗るときに使う手袋をつけ、ゴーグルをかけ、顔の周りに着替えのシャツを巻いてから蜂の巣を割り出した。
開けて見ると確かに幾らか生きた蜂もいたが、弱っていたのでクレラが一匹ずつ潰した。
どうやって調理するのだろうとアオが見ていると、一通り終わったところで水汲み場を聞きに行く事にし、行って戻ってくると何人かが興味深そうに解体された蜂の巣を見ていた。
クレラは、神父様に教えてもらったんですと、時々名前をど忘れしてたり、思い出しながら、あまり手際よくとは行かずに蜂の巣の中で食べられるところと食べられないところを分けたり、幼虫や成虫を取り出したりする。そして取り出した成虫を蜂の蜜が溜まったところと一緒に水と塩で煮つめていった。
そうして完成したものを食べて、うーんとクレラは首を傾げた。何かが足りなかったのか、手順を間違えたのか、それとも蜂の種類の問題か、甘辛い、佃煮か甘露煮の様なものを作ろうとしたのだが、どうもうまくいかなかった。
ただ、それでも蜂の巣を取るだけで食べる事をしてなかったその村では一応の価値はあったらしく、捨てるだけよりはいいかと喜ばれた。
それがきっかけで少しずつクレラとアオが受け入れられる流れができると、ある会話の傾向にアオとクレラは気づいた。
「あの排他的なやつらはやはりいけない」
「人間差別するやつらがいなくなればいいのに、あぁいうデジモンは同じデジモンと思いたくないね」
「デジモン差別するやつらが消えたらもう少し平和になるかもな」
デジモンだけ、人間だけで生活するもの達に対しての見下した様な発言に、少しずつ嫌な気分になっていく。
なるほど、こういう場所なのかとアオはここにクレラを置いてくことは考えない方がいいなと諦めたが、クレラは聖書を持ち出してきた。
「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」
その言葉があまりに滑らかでアオは少し驚いた。
「私は、教えてもらいました、神父様に、その意味を」
何だ何だとざわつき出す。
「何故、その人は、打つのでしょう、頬を。わかりません、しかし、人が、差し出したら、左の頬を、驚きと共に困ります。これらは、仕返しです」
クレラの言葉に、そこにいた人達は少しばかり首を傾げる。
「その項目は、語っています、下着を盗られたならば上着をもあげなさい。一ミリオン行けと強制するものとニミリオン歩きなさい」
それが聖書の文言だとわかった人間の一人がその言葉を遮る。
「お嬢ちゃん、お説教はありがたいんだけどね、もう少しまとめて、わかりやすく言ってくれないかな」
それは説教されるのが気に食わなかったその人間が子供ならまとめるのに時間がかかるだろうと黙らせる為に言った事だったが、クレラの口が閉じられる事はなかった。
「あなた達は、同じです、あのデジモン達とあの人達と。しています。同じ悪い事を、あなた達が言う」
その言葉は簡潔で、たとえ語順が崩れていようとどうしようもなく聞いていた者達に突き刺さった。
「あなた達は、蔑んでいます。そして、言っています、それが悪い事だと」
クレラが繰り返した言葉はわかりやすかった。わかりやすいだけでなく身に覚えもあった。ただ、それを認めたくない者もいた。
でもそれはアオが睨んだ事で止んだ。その場にいたのはどう見たってアオより弱いデジモン達だけだった。アオとしてはそこに敵意も何もなかった、手を出して来そうだからその時には庇える様見ておこうという程度だった。
「善をもって悪に勝ちなさい」
その言葉に対して綺麗事だと誰かが吐き捨てた。アオの存在がなかったらすでにクレラは止められていただろうし、下手をすれば暴力を振るわれていただろう。
「私達は、してはいけません、悪を、悪に対しても。神父様が言っていました。時もあります、報復していい。でも、してはいけません、悪を。そこで、右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい。言われるのです」
右の頬を打つ様な時はどんな状況だろうか。相手をやり込める時だろうか、黙らせる時だろうか、多くの場合それは、相手にとって嫌な事としてする訳だ。それを受けた時に自らもう片方の頬を差し出す。
それは相手に対し確かに困惑を与え、やり込めるやり方と言える。暴力を用いず、傷つけず、確かに報復でありながら、そこでもう一度頬をたたくか、それとも止めるのか、つまり悪い事を止めるのかそれともさらなる悪を行うのかという選択の機会を与えているとも言える。
キリストは原罪から人を救った。先日のクレラがやった簡易的な埋葬の際の油を塗る行為も罪の赦しを与えるもの、神に請い願うものだ。
「……ご高説痛みいるよ。ただ、明日にはこの街を出て行って欲しいね」
クレラにかけられたのはそんな言葉だった。後ろめたい顔をする者こそいたが、皆が去っていき、中には地面に唾を吐いていく様な者もいた。
クレラはそれを悲しげな顔で見送り、ぽつりと何かを呟いた。
それにアオが少し顔を動かすとクレラはアオの方を見て泣きそうな顔をした。
「私は、したのでしょうか、いけない事を」
その言葉に、アオは首を縦に振った。
「多分それは見たくないものだったんだよ。自分の汚いところを見なきゃいけないし、多分ここはそういう場所になってしまってるんだ」
そういう場所とはとクレラが聞くと、アオは少し言葉を考えた。
「自分は素晴らしいと信じたい誰かの集まり、みたいな感じかな。幾らかの人間はデジモンやデジモンと仲良くする人間を蔑んで自分は違う素晴らしいと安心する。幾らかのデジモンはその逆、で、共存してるデジモンは、またって感じ。そうやって人間界に帰れない不安とか、僕みたいなそれなりのデジモン相手に歯が立たない事とかを忘れようとしてるのかもしれない」
劣等感とそれを誤魔化す優越感。自分の下に誰かを置く事でしか自己肯定できなくなった者達の吹き溜まり。
そこではそれに触れてはいけないのだ。この街のルールを秩序を正しく否定する等は以ての外、受け入れられる訳もない。
「だけど、間違ってはないんだと思うよ」
アオは、キリスト教の終末思想を知っていた。それはグリフォモンとミドリの父親が話しているのを聞いていたからであり、また、クレラも同じ事を言っていたからだ。
この世の最後には神が天国行きか地獄行きかを決める。であるならば、善良な行動を取るのは、悪い事をするよりもずっと先の利益について考えているというだけとも言える。
すごく極端な事を言えばそれは単なるリスク管理である。
だから、それは、決してそこにいるデジモン達や人間達にとって遠すぎて無理がある全くもって成せない様な気高い行いとは違う。
ただ、終末思想や輪廻転生の思想を持ってないものにとっては気高い行いに思えて遠い行いに思えるだけなのだ。
アオはそれを指摘しない。上手い言葉も見つからなければ、クレラにはおそらく最後の審判について考えた事がないという事がわからないだろうと思うからだ。
『……せめて彼等のこの行いを、罪となさらないで下さい』
クレラの祈った内容は、アオにはよくわからなかった。ただ相手の為に祈ったのはわかった。
翌朝、町を出て一時間か二時間かして、少し高い丘に着いた時、アオは自分達の方へ向かうジャガモンの大移動を見つけた。
ジャガモンは完全体ながら珍しく群れる。完全体の中では弱いと言われるがもし正面からぶつかればアオも当然潰されてしまうぐらいには強力で、ジャガモンの大移動は人間界の自然現象で言うならばバッファローの移動かイナゴの大群か、はたまたハリケーン等と並ぶ脅威だった。
「……この方向は、ぶつかるねこのままだとまっすぐ村にも突っ込む」
「戻りましょう!」
だから横に逃げないととアオは言おうとしたのだが、クレラの言葉に迷いはなかった。
いくらジャガモンが完全体といってもアオの種はその足の速さに特徴がある種でありジャガモンよりも速い。村まで戻って伝えてから逃げる事はできないわけではなかった。
「……わかった。だけど避難の手伝いとかする程の余裕はないと思うからそれは諦めてね」
はい、とクレラが返事したのを確認してアオは村まで戻った。そこの門のところにいたのは人間だった。
「これからジャガモンの群れが走ってくるよ。木の柵なんかじゃ防げない。村を捨てて逃げて」
アオの言葉をその人間は笑い飛ばした。
「聞いたぜ?昨日トラブル起こしたって、そうやって村から追い出して金目のものでも巻き上げようって魂胆だろ」
アオはクレラの方をちらっと見たが、クレラは首を横に振った。
「デジモンがいた筈です、飛ぶ事ができる」
門番は引かないのを察して銃でも取り出してやろうとしたが、アオは容易く木でできた柵を飛び越え、人間達だけの部分を超えて人間もデジモンもいる場所まで行くと同じ事を言った。
すると、ほとんどは信じなかったが、一体、昨日後ろめたそうにしていたデジモンが飛んで、その姿を見つけた事を報告した。
そして町の中はパニックになった。
逃げるものもいたが、多かったのは、食べ物や水を取りに行くものだ。そんな余裕なんてないとクレラが叫んでもとてもうまくいかない。
「アオさん、お願いします、行ってください、門のところに」
クレラの言葉にアオはもう十分だろうと思ったし、今度は何をするつもりだろうとも思ったが、大人しく従う事にした。幸い、アオにはまだ余裕があった。
先程の門のところに行くと、すでにパニックになっていた。
「アオさん、お願いします、油を!」
暴動を起こしている人間達の取り合っている油をアオが脅して取ると、クレラはそれを門の周りに撒き出した。
「……燃やすの?」
「はい、きっと、みんな、逃げます。それに、ジャガモン達が、気づくかも」
でも大きな火になるまでにどれだけかかるかとアオは言おうとしたが、その言葉を止めた。アオ達の方に一体のデジモンと一人の人が油の入った容器を持ってやってきた。
一体はさっき飛んで本当のことを言っていると伝えてくれたデジモンだった。
「油を……持ってったって聞いて」
少し気まずそうな顔で人間の方がそう言って、油をアオの足元に置いた。
「えと、火をつけるなら、自分がやります。飛べるから、高いとこから油もかけられるし、電気出せます」
そのデジモンがそう言って、手に持っている油を持って門の上まで行く。
「私は……確かどこかに戦車に使ってた燃料の残りがあったと思うので探してきます」
そうして作業していたのは多分数十分か、一時間かほどだったが、炎は煌々と燃え上がった。
手伝うデジモンの数は増えたがそれ以上に皆が逃げ、地響きが伝わって来た。
アオがジャガモンが来るはずの方角を見ると、もうその姿ははっきりと見えるようになっていたが、明らかに正面を向いていなかった。直角に曲がったりはしていなかったが、斜めに斜めに曲がって行って、そうしてついに町の横を通り過ぎて行った。
それを確認してアオは燃えている門と隣り合った柵を崩し、脆くなった門を咆哮で破壊した。
それを聞いてか、火が消えたのを見てか戻って来た町のデジモンや人間はすぐに手のひらを返した。馬鹿にしていた門番も侮蔑的な言葉を使った人達もが笑い喜び手を取り合っている。
皆の喜びの言葉がとりあえず部屋の中で騒ぎが収まるのを待っているクレラのところにまで届いて来る。建物の入り口はアオが塞いで押し留めている。
クレラは覚えている。神父様は畑仕事の時にハンカチを持つのを忘れて忘れてドアノブを濡らしてしまっていたし、ピッドモンは翼を畳むのを忘れてよく入り口に引っかかっていた。
人間もデジモンも、変わろうとしてすぐに変われるわけではない。小さな事でさえ気をつけていてもつい繰り返してしまうものだ。
ここで喜び合いデジモン人間なく喜んでいるもの達も、明日にはまた三つに分かれて暮らし出し、侮蔑的な言葉を投げかける。
だけど、きっとそうじゃない誰かもいる。そうじゃない様に心掛けて行って実際に変われる誰かもいる。
「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせる」
クレラはそう呟いた。クレラはその言葉を特に胸に留めていた。悪にも善にも神は等しく救いの手を差し伸べている。ただ、悪はその手を取らない行為だ。だから私達は善を為すべきだと。
アオは、クレラに長居はさせなかった。少しクレラが休んだところで、お礼の物なども受け取らずに町を出た。アオはお礼の物を受け取ろうとしたのだが、クレラが受け取らず、むしろ自分達が使ったものについて不安そうに口にした。
その時そこにいた者達はそれを、必要だったから仕方がない、気にしないでくれと口にして二人を見送った。
アオもクレラもその言葉を受け止めてそこから離れた。
まだ煙は空に細く昇っていて、街の姿は見えなくなっても尚二人にまとわりついているかの様に思えた。
アオはそれを見る事なく、クレラは小さく祈りの言葉を呟きながら、そこから離れていく。そしてもう戻ることはなかった。