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悪夢でも見た後だろうか、俺は目が覚めてしまった。夢にしてはやけに内容がはっきりしている。少なくとも、いつもと同じ燈台で、同じ少女を世話する夢だった。夢に出てきた彼女は、レナータと瓜二つな容姿で、声も同じだった。同一人物という線もあり得るが、どういう関係なのかは分からない。一つ言えるのは、彼女のことを俺は愛しているという事実だけ。あのボロボロのみすぼらしい姿をした賢人は、まだほんの少しだけ若かった頃の俺だったのだから。恐らくは親から毒の花の名前を付けられた哀れなあの少女には死んで欲しくない。そして、今ここにはアマリリスとレナータを同一視している愚かな自分がいる。
「アマリリス、か……」
ベッドから起き上がり、布団から飛び出すと少し肌寒い。カーテンが閉じられた窓の外は雨で、然程激しくないとはいえ、硝子には水滴がポタポタと落ちてきている。落ち具合からして落書きなど出来そうもなく、かといって今窓を開けてしまったら雨がこっちにやってくる。空は暗いまま、黒い目覚まし時計は四時を指していた。部屋の中にあるモノは必要最低限しかなく、二人がギリギリ寝られるサイズのシックな木製のベッドと、シンプルだが木製の趣きあるデザインの書棚。中には手芸や料理の本、バイクの雑誌などが詰まっている。詩集などもあるが、埃を被ったまま上の段に追いやったままだ。元々難しい内容の本は好まない上に、理解が追いつかないのだ。レナータなら分かるかもしれないが、取るのが面倒な位置にあるので、手に取る気さえ起きない。結局、俺が手に取るのは中段から下段の本や雑誌だけになる。壁には長方形で枠のない鏡が、ベッドの左隣には充電コードが繋がれた小さなチェストがある。入り口付近にはジャケットを掛ける為のハンガーが、書棚の隣には大きな横長の黒い箪笥があるものの、やはり入っているモノは少ない。何から何まであの少女とは大違いだった。コレで十二畳という広さなのだから恐れ入る。もう少し狭くてもいい気はするが。二つの書棚の内一つには鍵穴があり、そこからは隠し部屋に入ることが出来る。その中には数体の人形と、部屋を埋め尽くさんばかりの布地やリボン、ボタンといった服飾の材料以外に、ミシンや裁縫箱といったものがあった。作業台らしき机には、白熱電球の少し古いデザインの電気スタンドと、作りかけの布地、それと巻尺(メジャー)や針山、飾りボタンや色とりどりの手縫い糸といった、一見俺とは関係ないモノが置いてある。入口付近には少女の体型をした裸のマネキンが置かれている一方、天井からは裸電球がぶら下がり、壁際には蜘蛛の巣がある。窓はなく、うっかり劇薬でも使おうものなら大惨事になるだろう。キルト製で紫色の水玉模様をした針山に刺さっている縫い針には黒い糸が通され、その隣には赤紫の柄をした裁ち鋏や、ピンクと水色のチャコペン、繻子織の白いテープ状のリボン、金メッキのチェーン、透けた黒いフリルといったものがある。散らかった机の真ん中には洋裁の教本が陣取り、その中には美しいドレスの写真が載っていた。
膝丈であることを除けば、写真の中のマネキンが着ているドレスは夜空のような紺色で、それなりの数のフリルで彩られている。これでもまだシンプルな部類に入るらしいが、袖を華やかに飾るフリルの重なり具合は、どう見ても英国貴族の女達が着飾る時のソレだった。或いは童話の中のお姫様。ドレスの裾にもフリルが付いている一方で、リボンが付いている箇所は、パフスリーブを絞っているであろう袖の一部以外どこにもない。なんならフリルそのものは種類こそ違えど腰にも胸元にも付いている。ドレスそのもののサイズは人間で云うところのSサイズで、ウエストは割と細い。場合によってはコルセットをつけなければいけないくらいに細いが、少食で子供のような身体つきの彼女なら、貴族のお嬢様を思わせるこのドレスを難なく着こなすことが出来るだろう。床にある箱の中には、ドレスに似合う靴やアクセサリー、ヴェールといった小物が入っている。つまり、アマリリスとレナータが同一人物であるという推測が当たった場合、俺は現でも少女を人形にしようとしていることになる。あれだけ病的で退廃的な美しさの持ち主なら仕方のないことだ、と己に言い聞かせながら、俺は作業台から巻尺を手に取ると、作業部屋を後にした。
向かう先は、未だすやすやと眠っているであろう少女の部屋。冷たく薄暗い廊下を歩いていくと、一枚のドアの前にたどり着いた。真鍮の楕円形のドアプレートにはアルファベットで『レナータ』と彫られている。二、三部屋先にあるとはいえ、本音を言うなら自室の外に出たい訳ではなかった。ノックもせずにドアを開けると、案の定そこには天蓋付きのベッドやソファー、更には床にもぬいぐるみが散らかっていた。レナータ自身は桜色のマカロンのぬいぐるみを抱いて眠っている。クッションとしても使えそうなソレは、触るともちもちとして肌触りがいい上にデザインも可愛らしい。飾り気のない白い枕にはクロが乗っていて、この水色の少女は枕を必要としていないようだった。強いて言えば、青い海月のぬいぐるみが枕の役目を果たしている。相変わらず枕元には変わり種だが可愛らしいぬいぐるみが沢山並べられている。パステルピンクのフタバスズキリュウに、何かとぞんざいに扱われている水色のモササウルス、大きくて白いせいで一瞬餅と間違えそうになるメンダコに、最近入った獺なんかも混ざっている。比較的小さめの、マリンブルーの企鵝と青い鯨は仲良く寄り添うようにして置かれていた。白い布団をめくってみると、いつもと変わらない格好で眠っている少女がいる。リボン付きのナイトキャップに、星が散りばめられたフリルのネグリジェ。太腿には濃い水色のリボンを結んでいるその姿は、良家の令嬢のように見えた。少なくとも、口を開けば少年のような口調で話す少女には見えない。髪は長く、腰か、下手をすれば膝までかかりそうなものだが、本人が言うには邪魔で早く切りたいらしい。だが、長い方がアレンジ出来る髪型のバリエーションは増えるし、何より流れる絹糸のように美しいということもあり、俺はとても気に入っている。
寝返りを打とうとしてもぞもぞと動く少女に巻尺を巻き付けてやる。目盛を見ると結構細いことが分かるが、危惧するような数値という訳でもない。小さな胸を見る限りはスタイルも良く、もう少し背が高ければランウェイの上を歩けたかもしれない。完成したドレスを着せたら最早本物の人形にしか見えなくなるだろう。俺は急いで作業部屋に戻り、紺色のモスリン生地に鋏を入れていく。ドレス用の型紙に沿って切るものの、構造が少し複雑なせいか、袖の部分は二、三センチ長くなってしまった。スカートはふんわり仕上げ、ペチコートを一枚しか穿かなかったとしても不自然にはならないようにする。これはスカートに態と裏地を作らない理由付けにもなっている。めくれた時に見えるフリルやレースがあまりにもお洒落で可愛いから。俺自身、人形のような彼女の美しさに囚われているのかもしれない。
裁つことは辛うじて上手く出来たが、目の前には大きな試練が待ち構えていた。少なくとも、今の段階では胴体ではなく、袖を二つ作るのだが、目の前にある古い足踏みミシンの針には糸が通されていないのだ。下糸は出ているのだが、上糸に当たる糸は何故か通されていない。針の穴はこれでもかという程細く、俺の大き過ぎる手では通すことさえままならない。藍色のミシン糸をどうにか通そうとすれば、今度は糸の先がほつれてしまう。何度も糸切り鋏でほつれた糸の先を切り、漸く俺はミシンの針に糸を通すことが出来たのだった。自分でも分かる。どう考えても自分にとって不釣り合いなことをしている。それだけレナータの美貌は凄まじいのだ。護りたい、と思わせるだけならまだしも、魔王である俺をも虜にし、ここまでさせる少女など滅多にいるものではない。
それからも俺は昼間に作業部屋へ赴き、ドレス作りに励んだ。ある時はミシンの針をうっかり自分の指に刺してしまったり、またある時は糸切り鋏と裁ち鋏を間違えてしまったり。作業に充てられる時間は二、三時間が精々で、進みはかなり遅かった。
ここまで縫い上げるのにもう三日はかかっている。最初はミシンでペダルを踏みながら。細い糸が上質な紺色の布地の上を駆け抜けていき、夜空に規則正しく線を描いていく。目立たない色だけで縫っているつもりだが、そうでもないのだろうか。少しだけ目立っている部分があるのだ。違和感を僅かに覚えつつ、俺は縫製を続けた。裁縫など俺とは本来なら無縁なものだったからか、指のあちこちから血が出てきて、その度に絆創膏の数が増える。今日は二箇所。これ位で済むならマシな方だ。
比較的細長い筒状のパーツは袖になる。自分の手でドレスの生地より透き通った黒いフリルを縫いつけてやる。フリルそのものはリボンと同じくテープ状のロールから必要な分を取り出して使う方式で、俺は袖に使う分だけを裁ち鋏で切った。糸切り鋏で切ると裁ち鋏程綺麗には仕上がらず、寧ろギザギザになってしまう。一回で切れるということもあり、コイツは割と重宝している。
ドレスの袖にはフリルを縫い付けるだけではなく、膨らませたパフスリーブにはサテンのリボンをベルトのように縫い付けるという作業が残っている。見えるところには飾りボタンをキツく。完成した暁には彼女がもっと美しくなるだろうことを想像し、俺は急いでソイツに取り掛かった。
作業を始めてから二時間程経ち、休憩をしようと自室に戻った時のこと。カーテンの隙間から橙色の陽光が差し込んできた。窓を見るとからっと晴れていて、雲が一つも見えない。
「もうそんな時間だったのか」
俗に言うところの『おやつの時間』に差し掛かったのだ。
少女達は俺がおらずとも、紅茶と茶菓子を美味しそうに食べながら談笑していた。白いチビはクッキーをテーブルの上にある籠の中から一つ取ると、両手でソレを掴み、口の中へ放り込む。そのまま咀嚼すると、とても美味しそうに目を輝かせた。ソイツがあまりにも美味しかったのだろうか、彼女は同じところから、今度はチョコレートのクッキーを取り出して、噛み砕く。先程とは違い、ソレは全体が焦茶色をしている。砂糖がどれくらい入っているかも分からずに、彼女は再び咀嚼を始めた。
相変わらず水色髪の少女は、紅茶の中に砂糖を大量に入れている。山盛り二杯、三杯と続け、それらの塊を混ぜてから漸く口にした。傍らには食べかけのクッキーがあり、よく見るとそのクッキーには、まるで宝石の鉱脈のようにドライフルーツが散りばめられている。分かる範囲でもパパイヤやベリーなどが入っていて、甘さの他にまろやかな酸味も味わえる。三分の一しか食べていないようだが、飽きてしまったのだろうか。
「ん……」
飲み終えたらまたちびちびと食べる作業を再開しているので、どうやら思い違いだったようだ。普段、彼女はぼんやりしていて口数も少ないが、たまに笑顔を見せる時がある。今もそうだ。甘いものが好きな彼女にとってここは天国なのだろう。その笑顔は決して俺には向けられない。寂しくも嬉しい事実がそこにある。
陽がすっかり落ち、こゆきとブランは部屋でテレビを見ていた。映し出されているのはお笑い番組だろうか、テレビの中には申し訳程度の小部屋のセットが用意され、セットの中にある机には一つだけ電話機(プッシュホン)が置かれている。男の人が二人座って、それぞれ違うところから電話が掛かってきた、という内容のコントのようだった。電話を持っていない一人は、懐から黒い携帯電話を出して電話を受けている。その内容はすれ違いつつもどこか噛み合っていて、ブランもこゆきもゲラゲラと笑い転げていた。時計を見ると、もう少しで晩ご飯の時間だが、ルナはいない。ブランは彼を探しに部屋の外に出ようとしたが、同時にこゆきも立ち上がり、
「私も行く。ルナ、様子がこの頃変だからな」
彼女も部屋から出て、二人でルナの部屋に向かった。菫色のワンピースについている黒いフリルと紫のリボンをはためかせながら、それでいて足速に。
ドアをノックしても返事がない。ならばとドアを開けると彼の姿はなかった。飾り気のない部屋の奥には、二つの本棚があり、左の本棚には鍵穴がある。耳を当てると中で小さな物音がした。隠し部屋があるのだろうか。よく見ると本棚には隙間がある。そこを動かせば部屋の中に入れるだろうか。しかし、右から引いてもびくともしない。こゆきはそんなブランを見るなり、
「こう、じゃないのか?」
そう言って左から本棚を押すと、温かな灯の点いた部屋が現れた。
「お前ら、なんで此処に……」
ルナは驚き焦った様子でこちらを見ている。
「ルナ、ご飯でクル」
「だから呼びに来たのだ……。あー、成程な」
部屋の様子を見るなり、こゆきがニヤリと笑う。
「絶対に言うなよ⁈レナータには特に‼︎」
「貴様の頼みだ、聞き入れない訳がないだろう。しかし、腕っぷしが強そうな貴様が手芸とはなあ……」
少女は笑いをこらえている。ルナは頬を赤らめていて恥ずかしそうにしている。その様子を見たブランは思わず笑ってしまった。
「笑わないでくれよぉ……」
顔を押さえながらルナはそう呟いた。窓の外には小さな星が瞬いている。もうすぐ晩ご飯だ。
これだけ別の曲イメージにしても良かったかも、と今更ながら思ったオイラッス
レナータちゃんを可愛がるあまり、ルナがどんどん原作からかけ離れたキャラになるッス……
中の人的には間違ったことしてないッスけど
かなり苦戦してるッスけど、縫ってる本人からしたら、人形の服を作ってるだけだったり
次で序章はファイナルッス
ではでは