フォーラム記事

ユキサーン
2021年11月07日
In デジモン創作サロン
 十月三十一日――ハロウィン当日。  社会人――それも、食品を取り扱う企業に勤める者――にとって、ハロウィンとは子供に菓子を求められる日であると同時に、クリスマスやバレンタインと並んである種の戦争が勃発する時期である。  即ち、他の売り場よりも多くの顧客を呼び込めるかどうか、そうして結果としてどれだけ儲けられるかどうかの売買戦争。  売り手側は顧客が商品を買いたくなるようにするため、様々な手段を講じるものだ。  ビラ配りを始めとし、割引クーポンの配布に期間限定商品の販売などなど――その他の平時の商品管理なども並行して行いながら。  そういうわけで、スーパーやらマートやらの販売業の従業員たる人物が、ハロウィンで実際に子供達と触れ合う機会はほとんど無い、はずだった。  が、今年――しがない従業員の一人にして独身男性こと餡郷忍《あんごうしのぶ》が任された業務は、これまで経験してきたことの無いものだった。  即ち、 「俺が、着ぐるみの広告係……ですか?」 「そうそう。ハロウィンなんだ、ピッタリな業務だろう?」 「いや、確かにそうだとは思うんですけど……」    やけに軽快な語り口で説明をしているのは、彼の上司にあたる人物だった。  彼が告げた今回の業務は、言葉の通り――着ぐるみを着ながら子供達に菓子を渡し、売り場の広告宣伝にあたる事。  上司の指示である以上は逆らえないが、それはそれとして疑問の残る要素があり、 「えっと、本当に町中を歩き回って大丈夫なんですか? その、着ぐるみ装備で?」 「大丈夫大丈夫。今日はハロウィンだよ? 仮装している人はたくさんいる。中には気ぐるみを着ている人もいると思うし、雰囲気に溶け込む意味でもなんら問題は無いさ」 「いやそれも確かに気になりますけど、大丈夫なんですか? 着ぐるみって、前とか見えないし動きづらいしで滅茶苦茶不便なイメージあるんですけど。普通に制服を飾るのとかは……」 「今時そんな手抜きじゃ子供の客さえ引けないよ? ちゃんと前が見えるものにはしてるし、動くことについてもまぁ慣れていくはずだよ。ちゃんとボーナスもツケておくし、どうかな?」  余程のブラックな案件でも無い限り、ボーナスという単語には弱いのが社会人という人種である。  そもそもが上司からの指示であるということもあり、立場的にも逆らうことが難しい話だったりするわけで、忍は「まぁいいか」と内心で呟きつつ了承することにしていた。  そして、同じ事を任されることになった別の従業員共々、それなりに大きな着ぐるみを託されることになって。  従業員用に並べられたロッカーの前にて、手渡された着ぐるみを従業員用の制服の上から纏っていく。  今回の業務は他にも5名ほどの従業員が任されることになっているらしく、皆もそれぞれ異なる――恐竜やら動物やらを模したキャラ物の着ぐるみを身に纏っていた。 「あ、キャラとかは特に意識せずに喋ったりしてもいいから。喋れないと宣伝も出来ないわけだからね」 「それはそれで逆に意識しちゃうんですけど……?」  忍が着ているのは、クリーム色の毛並みをしており、ぽっちゃりとした太めの体系とすごく長い耳が特徴的な、なんというか白熊と兎を混ぜたような印象を抱くキャラの着ぐるみだった。  目元の部分は毛皮で少し隠れるような造形になっていて、視界の確保が為されているのかどうか外見だと怪しいところだった。  どういう意図の飾りか、アクセサリーとして耳の根元と両肩の辺りに黒いベルトが巻き付けられてもいる。  カッコいい路線? 可愛い路線? などと思いながら着ぐるみを纏った忍は、他の従業員達と共にハロウィンの街中――その内の、自らの持ち場――へとぎこちない足取りで入り込んでいく。    時刻は午後6時半頃。  夕食を終えた子供達が、わいわいがやがやと保護者同伴で夕焼けに染まった空の下を歩き回る時刻だ。  田舎ではどうなっているのか知らないが、都市には人だかりが多く、それ故に着ぐるみを纏った身では予想通りとても動きづらいものだった。  幸いなのは、上司の言った通り不思議と視界は確保出来ていることぐらいか。  やけに踵からつま先までが伸びた足の運びに四苦八苦しながら歩いていると、着ぐるみに気を惹かれたのか小学生と思わしき少年(魔法使いのような帽子を被っている)が一人、忍に対してハロウィン定番の挨拶を口にした。 「トリック・オア・トリート!!」 「とりっくおあとりーとー!!」 「うん、どうぞ。はい、どうぞ」  一人が口にすると、それに示し合わされるようにして他の子供達も同じ文言を口にしていた。  忍は着ぐるみの右腕にぶら下げるようにしていた白い袋、その中にあったお菓子を一つずつ、定番の挨拶を行った少年に手渡す。  菓子は店のチラシ(割引クーポン付き)によって花束でも形作るように包まれており、同じものがバスケットの中にはたくさん入っている。  遊園地の着ぐるみ従業員が持つものが基本的に風船であることを考えると、これもこれで中々にハードな部類だと言える。  これが些か肌寒さを感じる秋空の下ではなく、日光の降り注ぐ夏空の下でのことであったら尚更だ。  幸いにも、制服越しに着ているにも関わらず、蒸し暑さのようなものを感じることはなかったが。   (ある程度回って、菓子を全部渡しきったらひとまず戻っていいって話だったっけ……)  やること自体は単純であるため、おのずと暇になる時間もそれなりにある。  今時、定番の挨拶を口にする子供も、そこまで多いわけでは無く。  時間的にも暗くなる頃、親に外出そのものを止められている子供だって少なくはない。  近頃の日本は治安が良いとは言い切れないため、その判断は概ね間違ってもいないことを、忍は知っていた。  作業以外のことに思考を回すことが出来るだけの余裕があり、だからこそ彼は気ぐるみの視界で拾いきれる範囲だけでも街中の様子を窺い知ることが出来ていて。  故に、彼がそれに気づくことが出来たのは当然のことだと言えた。  夕焼けが衰え、夜の闇が都市を覆わんとした頃のことだ。  わいわいがやがやとした人並みの中、一際目立つ一団の姿が忍の視界に見えた。  恐らくは目立ちたがりの類だろう、多少はハロウィンの仮装でも意識したのか、バイクの左右に顔の形に見えるようくり貫いたカボチャに灯りを仕込んだもの――いわゆるジャック・オー・ランタンと思わしき何かをいくつもぶら下げ、バイクそのものにも悪霊染みた絵柄の塗装が為された、俗に言うところの痛車と呼ばれる類のバイクに乗っている集団だった。  全員共通して骸骨を燃したようなヘルメットを被っており、意図してエンジンの音を大きく鳴らしまくっていることから考えても、暴走族の類であろうことは容易に想像がついた。  毎年、高確率でこの手の馬鹿は現れる。  暇なのか存在感をアピールしたいのか、主な目的が何かは知らないが、うるさくてうるさくて仕方がない。  やけに鼓膜に響くその音に不快感を覚えながらも、無視することも出来ずにバイクの群れの行き先を目で追っていると、そこで思わず息を飲んだ。  見れば、大人達から貰ったのであろう菓子の包みを落としてしまったのか、車道の端の辺りに一人の少年が入り込んでしまっていた。  騒音、あるいは人込みの所為か、母と思わしき女性は子供の危険な足取りに気付くのに遅れてしまっている。  気付き、手に持った荷物も捨てて子供を抱きかかえて車道から引き離そうと動いた時には、バイクの群れと子供の距離はかなり縮まってしまっており、母の抱きかかえる手が間に合ったとしても、母ごと跳ね飛ばされかねない。  暴走バイクは各々密集しており、その速度から考えても子供や母親を器用に避けたり出来るとは思えず、何より各々が取り付けているジャック・オー・ランタンの灯りの影響で視界そのものが満足に取れているのかも定かではない。 「!!」    そこまでの事を、不思議にも瞬間的に知覚して。  まずい、と他人事であるにも関わらず危機感を覚えて。  直後、忍の体は思わず動いていた。    ぴょん、と。  軽い調子で、さながら跳ぶかのようにその体が僅かに浮くと、凄まじい速度で車道に踏み込んでしまった子供と母親、その間に割って入る。  半ば無我夢中で、忍は着ぐるみの大きな腕で子供と母親の体を抱き、そのまま再度跳躍した。  一瞬で街路樹を飛び越えるほど高さに至り、僅かな浮遊感の後にどしりと着地をする。  自重と落下速度に伴う衝撃が着ぐるみ越しの忍の足のみに伝わるが、それによって骨が折れたりなどすることはなく、本当に何事も無かった様子で忍は子供に対して自然とこう聞いていた。 「大丈夫?」 「う、うん。大丈夫!!」  流石に自分の身を襲わんとした危機については気付いていたのか、あるいは着ぐるみを纏った忍の顔が急に視界に現れたためか、明らかに緊張した様子で少年は問いに返事を返していた。  母親も同じような反応を見せていたが、子供の無事を確認すると現実を確認するように抱き締め、忍に対して感謝の言葉を述べていた。  そうした反応をその目で確認して、子供と母親が無事で済んだことを知覚してから、 (……あれ?)  遅れて、疑問を覚えた。  今、自分は何で子供と母親を助ける事が出来たんだろう、と。  同時に、その行動を成し遂げられた、成し遂げようとした事実そのものを、心の何処かで当然のことだとも思った。  二つの相反する感想が頭の中を巡っていて、されど疑問に答えを出せずにいると、母親の腕の中から出た少年(狼の被り物をしている)がこんな事を聞いてきた。 「ありがとうございます、えぇと……なんて名前なんですか?」  名前、というのが着ぐるみのキャラクターの名前の事を指していることは察しがついていた。  だが、彼は上司の男から着ぐるみのキャラクターの名前を何も知らされてはいなかった。  本名で名乗るのは色々な意味で駄目だと思える――と、そこまで考えて、彼はふとこう思った。    あれ。  僕の名前、なんだっけ? (あん……ご……えぇと、あんごらしのぶ……だったっけ。いや、なんか違う気がする……えぇと……) 「――ごめん。それは言えないんだ」  記憶がどこかあやふやになっている気がして、結局彼はそうとしか答えられなかった。  返事を聞いた少年は、着ぐるみを纏った彼に対してこう返してくる。 「うーん……じゃあ、もふもふさん!! たすけてくれてありがとう!! えぇと……そうだ、お礼に僕のお菓子を……」 「気持ちだけ受け取っておくよ。それは、後で君達が楽しむべきものだからね」  我ながら、やけに格好つけた台詞が出たなと内心で呟いてから、着ぐるみの彼は少年と母親の元から離れていく。  経緯から考えても仕方のない事だが、少年達を助ける過程で道にいくつかハロウィン用の菓子包みを落としてしまっていて、彼はまずそれを拾うことを優先する必要があったのだ。  一つ二つと取っていき、見える範囲の菓子を回収し終えて。  彼はふと、少年の言葉を反芻していた。 (もふもふさん、か)    どこかふわふわした思考のまま、彼はこんな風に想った。 (……確かに、僕の毛皮はかなり厚いしね。そういう風に呼ばれるのが普通、なのかな)  いつの間にか、視界はとても開けて見えるようになっていた。  足運びに困ることはなくなり、太った体型に反して体はとても軽いように感じられている。  夜風が心地良い。  不快なものがあるとすれば、先の一団が反省もせずに鳴らしていると思わしきバイクのエンジン音が、未だにその耳を刺していることぐらい。   (……まぁ、ああいうのは関わるだけ無駄だし。また同じ事になったら話は別だけど……)  不快に思いながら、されど特に関心を持つことはなく。 (……それにしても良かった、僕の手が間に合って。人間の体は脆いからなぁ……)  彼は多くの宣伝用菓子包みが入った袋を軽々と右肩に担ぎ上げながら、ハロウィンの街中を再び歩いていく。  同日夜中、迷惑極まりない目立ちたがりのチンピラを病院送りにする不思議な生き物の姿が多くの人間の目に入ったりして。  それ以外にも色々な、異なる姿の不思議な生き物の姿が確認されて。  それ等は結果として、ある種の見世物のように扱われ、ハロウィンを盛り上げる一因となったりしたという。  そうして、街の人だかりが薄まってきた頃。  もふもふさん、と呼ばれた彼はとある建物の上で休んでいた。  見れば、その右肩に担がれていた袋の中から菓子包みはなくなっており、それは即ち彼の業務がひとまず終わったことを意味していた。   「ふわぁ……」 (……流石に、眠くなってきたなぁ……)  仕事は終わった。  であれば、 (……戻らないと、いけないんだったな……)  大きな手で目元を擦り、光の消えつつある街中を覗き見る。  数多に人の住まう場所、通う場所が見えていた。  まどろむ意識の中、ぼんやりと思考をして、そうして彼は戻るべき場所を思い出す。  自然と、それが当然の事であるように、一切の疑問を覚えることなく。 「……行こ……」    そうして、彼は跳んでいった。  頭から伸びる長い耳、それをプロペラのような形に高速で回転させながら。  此処ではない、何処かへと向かって。  
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ユキサーン
2021年10月23日
In デジモン創作サロン
 いつからか、テレビで見るような怪物なんて、現実にも珍しいものではなくなった。  基本的にほぼ毎日、世界上に怪物と呼べる存在は観測され、それは基本的に現れたその日の内に街の中を好き放題暴れまわり、そうして最後には霧のようにその姿を消すばかりだ。  結果として、幾度となく現れる怪物に対抗するため、自衛隊や警察といった民衆を守るための組織、それの扱う『手段』もまた強く頼れるものになっていった。  そして、ある頃から――怪物の存在は、一部の民衆の間である種の娯楽となっていた。  少なくとも、対岸の火事としてテレビやパソコンの画面越しに見る分には、怪物が街中を暴れまわる様は、特撮のそれとは比較にもならない迫力を有した退屈とは無縁の世界を見ることが出来る機会に他ならない。  なまじ、自衛隊などの組織の努力によって人死にが滅多に起こっていない事実もまた、そうした風潮を加速させてしまっているのかもしれなかった。  しかし、そうした『慣れ』が根付いている一方で、誰も知らない事が一つある。  そもそも怪物は何処からやって来ているのか。  何処で、どのようにして生まれ、何のために街で暴れまわっているのか。  怪物達は多種多用な姿でもって現れているが、基本的にそれ等が街中以外で確認された事は無い。  街の中で現れるという事は、街の中に原因があるはずだ。  しかしそれはいったい何なのか。  真相は、誰もが考えているより近くに存在しているのかもしれなかった。  例えばそれは、街中にひっそり建てられた小道具屋やトレーニングジム、あるいはスイーツ店だったり。  そして、とある会社のいち会社員の手の中にあるものだったり。 「……はぁ……」  時は深夜帯。  この日、その会社員――|藍川徳《あいかわのぼる》は疲れきった目で夜空を眺めていた。  彼の勤めている会社は、世間で言うところのブラック企業だった。  |無給《サービス》残業は当たり前、給料は法で定められた最低ラインの限界ギリギリ、何より業務を遂行した社員を労おうともせず疲れを吐露する言葉に対しては「根性が足りん」の一言。  率直に言って、最初からこんな会社だと知っていたら、彼は入社しようなんて考えなかった。  だが、現実に彼はこの会社の会社員として勤める事を選んでしまい、だからこうして疲れた顔をする羽目になっている。  退職する、という選択肢が頭の中にありこそすれど、なかなか決断に踏み切ることも出来ないまま時間と疲ればかりが蓄積して。  今日もまた、上司の指示によって一人残業する羽目になってしまっていた。  もう外には暗闇しか見えず、間違い無く終電だって過ぎている。  今日はもう、会社内にあるソファでも借りて寝付く以外に無いだろう。  だが、まだ上司に押し付けられた作業は残っている。  本音を言えば放り投げてしまいたいが、そうしたら上司からどんな嫌味を叩きつけられるか解ったものではない。  そう思うと、眠ってしまうのも怖くなった。  叩きつけられる言葉が耳を貸す意味も気にする必要の無いものだと解っていても、怖くなった。  あるいは、そんな臆病を見透かされたからこそ、彼は社内でスケープゴート扱いされていたのかもしれない。  でもって。  現在、彼は会社の屋上で夜空を眺めていた。  まだ押し付けられた業務は完遂出来ていないが、デスクワークを続けている内に眠気が強くなってきて、夜風に当たらないとすぐにでも眠ってしまいそうだったため、此処に来たのだ。  その右手は会社のすぐ近くにあった自販機で事前に購入しておいた、エナジードリンクの缶を掴んでいる。  ラベルは澄み切った青色で、大きな文字で『D』と書かれたものだった。   (…………)    彼の耳を、羽音が叩く。  闇に紛れてろくに見えないが、こんな深夜でも空を舞う鳥はいるらしい。   (……いいなぁ……)  咄嗟に、そう思った。  地べたで社会に縛られた自分と比べ、鳥たちは籠の中に入れられない限りどこまでも自由だ。  あんな風に飛んでいけたら、誰の手にも捕らえられることの無い場所で自由に生きることが出来たのなら――と、そう思わずにはいられなかった。  だが、現実が変わることは無い。  自分は人間として生まれたのだから、人間の社会の中で限られた自由を謳歌するしか無い、と。  そう思うしかなかった。  嫌に憂鬱な気分になった気分を吹き飛ばそうとするように、彼はおもむろに右手に持ったエナジードリンク缶の蓋を開ける。  炭酸飲料特有のシュワシュワ音が鳴り止まぬ内に、いやむしろその音ごと飲み込もうとするように、彼はエナジードリンクを自らの喉に注ぎ込む。  口の中をバチバチと静電気に当たったような刺激が伝わっていき、体を蝕む疲れを忘れさせようとする。    それだけのはずだった。  それが普通のエナジードリンクであれば、それだけで済む話だった。  だが、現実にそうはならなかった。 「――――」  缶の中身を空にした途端、意識が急激にまどろむ。  眠気を吹き飛ばすために飲み込んだ物のはずが、逆に眠気を呼び覚ましている――最初は飲んだ当人たる藍川自身、最初はそう思った。  だが、そんな思考も何処かふわふわとした感覚と共に曖昧になり、彼はふらふらと後方によろめきながら――ビルの屋上で仰向けに倒れた。  その体からバチバチと電気のような何かが漏れ出たかと思えば、彼の輪郭がノイズのような何かに覆われると共に歪み出していく。    彼は自分自身の変化に気付かない。  その頭の中を埋め尽くすのはただただ爽快感、気持ち良さだけだ。  全身が無数の泡にでもなったように軽く感じられる。  実際に彼の体は人の形を取っただけの無数のノイズと化し、他の誰の目も無い屋上で、どんどんその規模を増していく。  そうしてやがて、人間だった無数のノイズは肥大化しながら、やがて一つの形へと整えられていく。  まず最初に形を成したのは胴体だった。  見えるのは発達した胸筋と、それを覆う漆黒の炎帯びし羽毛。  二つ目に形を成したのは、両腕とも呼ぶべき部位。  身の丈ほどはあろう規模の、胴体と同じく漆黒の炎翼。  三つ目に形を成したのは、下半身だった。  鱗に覆われた強靭な鉤爪に、尻尾のような一本の尾羽。  最後に形を成したのは、頭部だった。  先端に牙を有した歪な嘴、角のように長く伸びた飾り羽。    漆黒に燃える、牙持つ巨鳥――そうとしか呼べない姿に、人間一人が成り果てた。  そんな現象の引き金を、誰もが困った時には手を伸ばすものが引いた事実を、いったい誰が信じられるだろうか。  あるいは、信じられないからこそ、こんな現象がいつまでもいつまでも起き続けているのかもしれなかった。  巨鳥の目が開く。  その色は黄色く、瞳孔は縦に細い獣のそれになっていた。  仰向けに倒れた姿勢からどうにか起き上がり、巨鳥は引き寄せられるように夜空に煌めく月を見る。     ――綺麗だ。  一歩一歩進み、あっという間に屋上の端の柵を右の鍵爪が掴む。  もう片方の鍵爪もまた柵を鷲掴みにし、殆ど直立の姿勢になった巨鳥は両翼を広げ、  ――風が気持ちいい。  一息に飛翔した。  その体が夜の闇へと溶け込むと、やがて見えなくなる。  彼の姿を見る事が出来たのは、月と彼の同類のみ。  後日、行方不明者として一人の人間の名前が加えられることになったが、その事件と屋上に捨て置かれたエナジードリンクの缶が紐付けられることは無かった。
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ユキサーン
2021年10月21日
In デジモン創作サロン
 秋という季節は、夏のように特別暑いわけでもなければ、冬のように身を凍えさせる寒さがあるわけでも無い、春と並んで一年の中で人間の過ごしやすい季節として位置づけられている。  故にこそか、いつからか秋という季節には様々な言葉がくっ付けられるようになっていた。  曰く、芸術の秋だとか。  曰く、読書の秋だとか。  曰く、睡眠の秋だとか。  もはや秋という季節そのものが行いの言い訳になっている気がしないでもないが、そうしたくっ付け言葉の中で最も有名どころなものと言えば、 「食欲の秋だよな!!」 「スポーツの秋であるべきじゃねぇの? お前の場合」 「少なくとも今はやだよ」  都内某所にて。  何処かの高校のものであろう学生服を着た少年二人が言葉を交わしていた。  食欲の秋と口に出したのは明らかに太り気味な腹の出方をした少年の名は飯田健《いいだつよし》といい、スポーツの秋と口に出したのはどちらかと言えば平均的な体型をした少年の名を天史琢哉《あましたくや》という。  彼等はこの日、既に高校での授業を終え、下校の道中にあって。  共に帰宅部の身の上、彼等には帰り道に寄り道をする程度の時間があり、そして特別な理由もなく帰り道を共にする程度の仲があった。  主に飯田の方が歩く最中に何処に寄り道しようかと提案し、天史の方がそれに付き合う形になっている。  とはいえ、この日の提案は少し変わっていた。  飯田は下校中に天史の姿を見るや否や、いきなりこう切り出してきたのだ。  そういえば俺たち秋らしいこと何もしてないよな、秋と言えば色々あると思うけどやっぱり一番に語るべきは「食欲の秋だよな!!」と。 「で、何だ? いきなり食欲の秋って。色々唐突だし秋だから特別ってわけでも無いだろ。お前の場合」 「えー、でも実際そうじゃんかよー。秋っつったらハロウィンといい何といい美味いものが滅茶苦茶量産される時期じゃん。実際そういう風習にかこつけてセールやってる店だって多いじゃん!! やっぱりさぁ、俺たちって学生だからさぁ、たまにはしっかり美味いもん食って英気を養うべきだと思うわけよ!!」 「で、それに俺が付き合わせようとしてる理由は?」 「一秒で本音を吐かせに掛かるのやめない?」 「俺と絡んでる絡んでない関係なく色々食ってるだろ、お前の場合」  天史がそう返すと、飯田はズボンの右ポケットの中のスマートフォンを取り出し、一つの画面を天史に見せつけながらこう答えた。 「最近さ、近くに新しいスイーツ店が出来たんだよ。既にネットの方でも大々的に宣伝されてる」 「……それで?」 「どういう意図かは知らんけど、友達連れで来店するとスイーツが割安で食えるセールがあるみたいなんだよ。高く食うよりは安く食いたいしさ、お前だって得をするわけだしどうよ?」 「得をするも何もこれ俺の分は俺が払うわけだよな?」 「当たり前じゃないかね琢哉クン。タダより高いモンは無いんだぜ?」    と、どうやら今回の飯田は天史のことを割引クーポン扱いにするつもりだったらしい。  率直に言ってその事実に関しては良い気分にはならないが、それはそれとして割安で美味しいものを食べられるという話は天史としても悪い話ではなかった。  学生の小遣い換算で「安い」と言えるかどうかまでは知らないが、余程の値段でもない限りは付き合ってやるか――などと思いながらひとまず承諾すると、飯田についていく形で天史は歩いていく。  十分ほど歩いて辿り着いたのは横長に広い、スイーツ店というよりはバイキング店のそれを想わせる構造の、紅茶のカップのような外観の建物だった。  飯田のスマートフォンで見せてもらった画像と、傍の景色も含めて一致している。  どうやらこの場所が目的のスイーツ店らしかった。 (ここが……) 「よーっし、着いた着いた。さぁ食うぞぉ!!」 「わざわざ声に出す事かよ。恥ずかしくないのか?」 「こんな事で恥ずかしがってたら人生やってられねぇよ!!」  名前を「ハッピーハウス」と呼ぶらしいその店の入り口、そこに見えるドアを開いて中へと入る。  白を基本色とした外側の見た目とは裏腹に、内装は何処か上品さを想わせる紅色の壁に彩られていた。  外観が紅茶のカップなら、内装は紅茶そのもの――といったところだろうか。  どうやら一つのドアを開いた先はまだ玄関だったらしく、奥の方に見えたもう一つのドアを開いて進んでいくと、その先には甘い匂いと共にスイーツ店らしい景色が広がっていた。  カウンターを兼ねたショーケースの中に収められた種類豊富な菓子の数々に、それを挟む形で佇む縦長の帽子を被った複数の店員の姿。  その内、何故か顔にピエロのようなメイクをした男性の店員は、二人の姿を見るとどこか喜んだ口調でこう言ってくる。 「イラッシャイマセー♪」 (あ、外人なのかこの人)  僅かに驚きながらも、いまどき外国人が日本の店で勤めていることなど珍しくも無いと思い、特に疑問を覚えることなく、天史は飯田と共にショーケースの前に並んだ客の列の一つ、その最後尾に立つ。  複数人で来ると割引してもらえるセールがあるという話は本当らしく、複数の列を作りながら立つ客の多くは、親子か学友同士といった組み合わせが多かった。  複数人での来店である事を示すために足元には二つの丸で描かれたマークが記されており、その結果としてそうした客には横に並ぶ形で立たれてしまっており、お陰で後方からショーケース内の菓子が順番待ちの最中には見えづらくなってしまっていた。  であればこそ販売物の書かれた一覧の一つでも欲しくなるところだが、どうやら先に来た別の客に渡しているもので全てらしく、店員が二人の方へ一覧を渡すことは無かった。  その事実にちょっとだけ「むっ」としながらも待ち続け、やがて二人の立ち位置は最前列になった。  ようやく菓子の注文が出来る状態になり、さてどれにしようかと悩んでいると、ピエロ顔の店員がこんな事を口にした。 「悩んでいる様子デスが、お二人は初の来店でございマスか?」 「え? あぁはい。そうですけど」 「でしたラ、恐らくお気に入りの品とかは特に定まってない様子デショウ。ひとまずはパラダイスコースで味わう事をお勧めしマス」 「……パラダイスコース?」  突如として出て来た胡散臭さマックスのワードに、思わずといった調子で目を白黒させる天史。  広告サイトで確認しなかったのか、どうやら飯田も知らない話らしい――疑問を覚える二人に向けて、ピエロ顔の店員はとてもわかりやすく説明した。 「要すルにスイーツバイキングデス。固定の料金を払っテ、お客様の満足のイクまでスイーツを堪能シテもラうプラン。この店の商品の中で『お気に入り』を作ってモラウための措置デモありマス。二人での来店ヲしてくださッテマスので、通常ノ料金プランから割引になッテ、更に初ノ来店ト言う事で……コチラの料金となってマス」  そう言ってピエロ顔の店員は、何時の間に持っていたのか「パラダイスコース」と呼ぶそれの料金などが記載された紙を挟んだクリップボードをカウンターの上に置き、二人に見せ付ける。  見る限り、明らかに格安だった――いっそ、やり過ぎだと思えてしまうレベルで。  だが、意図は明確であり、何かしらの契約書を書かされるわけでも無い以上、選んだところで何の損害を受けることも無いだろうと天史は思った。  料金の方も、学生の身には魅力的過ぎた。  故に、彼は飯田と共に回答した。 「じゃあ、それで」 「畏まりまシタ。デハ、料金を支払い次第私がご案内サセテいたダキマース」  言って、番を代わるためにかピエロ顔の店員はカウンターに備えられた小型のマイクを介して別の店員と言葉を交わすと、カウンターから離れて天史と飯田の二人の近くにまで歩み寄ってきた。  ついてキテくだサーイ、と背中を向けて歩き出したピエロ顔についていく形で、二人は列を作った客達のいる方とは全く別の方に向かって歩いていく。  そうして辿りついた場所にあった少し大きめの扉をピエロ顔の店員が扉を開くと、そのまま何も言わずに先へと進んで行ってしまったので二人は流れ流れについていこうとした。  その時だった。 「――ん?」 「?」    ほんの少し。  些細、と言える程度の事ではあるが、二人は共に同じ刺激を受けていた。  まるで静電気でも弾けたような痛み。  金属性のドアノブに触れたわけでもなく、ただこの場に足を踏み入れた瞬間に感じたもの。  二人は共に、僅かに疑問を覚えた。  だが、どんどん先へと進んでしまうピエロ顔の店員の背中を見て、不要に待たせてはいけないと二人は急いで後へと続いた。  新たに足を踏み入れた空間は、先ほどまでいた場所とは異なり滑らかな生クリームを想起させる白色に染まっていて、徹底して清潔な空気感を演出している。  見れば、二人の他にもこのコースを選んだ客がいるらしく、既に複数並べられた横長のテーブルの左右に各々立っているようだった。  バイキングと宣伝するだけあってか、テーブルの上に置かれているスイーツの量はいっそ過剰に見えるほどに多く、おやつだのティータイムだの言っていられるレベルを軽く超えている気がした。  というか、 「……全体的にデカくないか……?」 「大食いを想定してるからじゃねぇの……?」  量もさることながら、作り置きされたスイーツの一つ一つの大きさもまた過剰なものだった。  シュークリームやソフトクリーム、マリトッツォにクレープなど、スイーツ店を出て近頃ならコンビニでも見かけるようなラインナップの数々。  それ等と分類的には同じものと思わしき、この場に存在する全てが、普通のバイキングで見るような一口サイズのものなど比較にもならない大きさで存在している。  大食い選手権をしている、と言われても疑問を覚えるレベルだった。  いっそ、お菓子の家を作っているとでも言った方が納得出来る話である。 「お客サマ、ココガ『パラダイスコース』の専用部屋となッテおりマース。小皿にフォーク、スプーンなどはアチラの方にございマスので、それでは至福の時間をご堪能くださいマセ」  自分の傍にまで近付いてきた天史と飯田の二人に向けてそう言うと、ピエロ顔の店員は案内を終えたとでも言わんばかりに踵を返し、元来た道へと戻って行こうとする。  その背中に向けて、天史は念押しの問いを投げ掛けた。 「ええと、バイキングって事は時間制限とかあるんですよね? 今からどのぐらいなんですか?」 「いえ? 時間制限ナドはございまセン。あえて言うなら、お客サマが『満足』を得るマデ、が時間制限となってマス」  返答を聞けたのは、それっきりだった。  本当の本当に、一度たりとも振り返ることはなく、ピエロ顔の店員は二人の視界からいなくなる。  あまりにもあっさりとした、それでいて普通の店の対応とは異なる奇怪な印象を含んだ返答に、天史は僅かに疑問を覚えながら、 「……とりあえず、食っていいって事だよな……?」 「だと思うが。料金は払って、そんでもってバイキングって話だ。あんな事まで言った以上、ゴーサインは出てるはずだ」 「…………」  正直なところ、疑問はあった。  だが、いくら考えてみても明確な答えなんて浮かばなかったし、深く考え込むほど馬鹿らしい気もしてきた。  この店に来る事に付き合った、そもそもの理由を思い返してみれば、尚の事。 「……まぁ、いいか。満足するまでって話だったな。腹いっぱいになるまで食うのは流石にアレだが、時間制限が無いんなら気ままに堪能させてもらうか」 「要するに食いたいだけ食えるってことだよな。だったらむしろ腹いっぱいになるまで食った方が得じゃね?」 「お前それで夕飯とか入るの?」 「デザートは別腹だから」 「女子かよ」  言いあいながら、二人はそれぞれ別の方向に向かって歩き出す。  天史自身、遠目から見て知ってこそいたが、テーブルごとに用意された様々な種類のスイーツは見た目も美しく、近寄るだけで甘い甘い匂いが殺到してくるのを実感していた。  嫌でも食欲を刺激される。  店売りのスイーツ程度なら何度か口にしたことはあるが、目の前のそれから伝わる匂いや雰囲気は職人の手作りかもしれないと錯覚しそうなものだった。  小皿と呼ぶには少々大きめな皿とティーカップ、そしてフォークを取って、スプーン二つを合体させたかのような形のトングでテーブルの上のスイーツを確保しに掛かる。  最初に取ったのは、幾つかのシュークリームと苺のショートケーキだった。  お供として用意されていたべリーティーをティーカップに注いでから、テーブルから少し離れた位置に見えていた、食卓用と思わしき円形のテーブルの傍にある椅子に腰掛ける。   (変に緊張するな……)  別に、大きさ以外は特に豪勢に見えるものでは無いはずなのに、匂いが鼻についたその瞬間から天史は自分の胸の鼓動が嫌に早くなっている事を感じていた。  思いの他、こういうものを食べられることを楽しみにしていたのだろうか? と自分で自分に疑問を持ちながら、彼はひとまずシュークリームの一つに手を伸ばす。  その大きさ故に、手で掴むというより手に乗せるといった方が近い形になりながらも、口を大きく開いてかぶり付く。  途端に、 「!?」  中に詰まっていたクリームが口の中を満たし、味覚の奔流が天史の脳を揺さぶった。  形容出来ない感覚があった。  甘い、なんて言葉で説明出来るものではなかった。  幸福感というものに器があるのなら、今の一口だけで大部分を満たされてしまっているだろうとさえ思った。  とにかく美味しい、美味しすぎる。  もっと食べたい――そう、自然と思った時には、気付けば手と口が租借のために更に動いていた。  一口するごとに、シューの皮とクリームが舌と喉を過ぎる度に、爽快感を覚える。  そうして一つを食べ終えた時には、この場に来る前の顔が嘘のように惚けてしまっていた。   (――すごい)  胸の中を満たすのは、ただただ幸福感のみ。  どうあれスイーツの類である以上、そしてここまでの味を演出している以上、少なくはない砂糖などの甘味の素となる食材が使われているはずなのに、胸焼けの気配はしなかった。  大きさの割りに、胃袋に重みも感じない。  今のレベルのスイーツを、満足のいくまで食べられる――そう思うと、自然と笑みがこぼれた。  シュークリームを食べ終えて、一旦ベリーティーを飲んで舌を満たしていた美味を流し落とそうとしたが、舌休めのためい用意されたであろうこのベリーティーもまた絶品と呼べるものだった。  幸福感が途切れない。  いっそ思考さえもとろけてしまっているかのような錯覚を覚えたまま、今回皿に乗せた物の中でも主役と呼べるショートケーキの端をフォークで切り取っていく。  スポンジケーキの生地を潰す際の感覚といい、市販のものとは明らかに異なっていた。  切り取った部分をフォークで貫通させて口元にまで寄せ、そして頬張る。 「……おいしい……」  当然のように、美味しかった。  それ以外の感想が、頭の中に浮かんでこなかった。  疲れという疲れが、抜け落ちる感覚があった。  それはまるで、全身をマッサージか何かで揉み解されているかのようで。  ベッドにでも横たわったら、そのまま熟睡してしまいそうな。   「…………」    皿に乗せていたものを全て食べ終えて。  暫し、空白の時間があった。  スイーツの味を堪能するためにか余計な言葉を漏らすことをしていないのか、他の客や同伴者の飯田からの声が聞こえることは無かった。  それ故に、天史の脳髄を駆け巡るのはただただ思考だった。  正直に言って、二種類のスイーツを口にしたその瞬間に、天史は『満足』というものを得た気がしていた。  こんなものを食べられたのだから、もう十分贅沢は出来ただろうと。  ピエロ顔の店員が言うには、この『パラダイスコース』とやらは客が『満足』を得るまでが実質的な時間制限との事らしい。  であれば、もうこの場を去ってしまっても何ら問題は無いのだろう。    だが、そこまで考えて。  ふと、途切れない幸福感――それを感じさせる味の残滓が舌の上に残っていて。  それが、今まさに薄れようとしていることに気がついた。  当然と言えば当然の事だった。  どんな食べ物であれ、いつかはガムと同じように味が薄れていくもの。  いつまでもいつまでも舌の上に残っている、なんてことは無いのだ。  唾液と共に喉を通り、胃袋の中で消え失せるのが当たり前。  しかし、 「…………」  その事実を受けて、天史の思考を飢えが襲った。  胸中を満たしていた幸福感は瞬時にして造反する感覚に変じる。  まだ、足りない。  この感覚を味わいたい。  まったく、満足なんてしていない。    そうして沸き立った衝動――あるいは禁断症状とでも呼ぶべきもの――は彼の手足を動かし、新たなスイーツへと奔走させる。  クッキーにモンブラン、マリトッツォにプリン、その他にも色々。  食べる度に幸福感に満たされ、されど少しの時間が経って幸福感は抜け落ち飢餓感へと変貌、そうしてまたスイーツを求める――その繰り返し。  不思議なことに、どれだけ大量にスイーツを食べ続けても、彼は満腹にはならなかった。  まるで胃袋に入った途端に重みの無い空気となってしまったかのように、彼の胃袋にスイーツの残骸が残留することは全く無い。  しかし、現に彼がスイーツを貪るごとに感じている味や質量は確かなものであり、そこから得るものは確かにあるはずだった。  では、いったい彼が食べたスイーツは何処へと消えてしまったのか。  胃袋の中に無いのであれば、この場に用意されたスイーツは食べた者の何を満たしているというのか。  答えは単純だった。 「――――」  食べた者、そのものだった。  見れば、天史琢哉の体には明らかな異常が生じている。  その皮膚が少しずつ異なる色彩に彩られ、体全体に至っては壊れたテレビの画面のように、まるでノイズが掛かったようにブレだしている。  スイーツを食べて、取り込んでいくごとに――その体の質感も輪郭も、何もかもがおかしくなっていく。  人間の体が、人間ではない何かと混ざりあい、何か別のモノへと変貌していく。  やがて、人の形を辛うじて保っているだけの白くべたつく何かと化した天史琢哉は、スイーツの並べられた横長のテーブルの傍から離れなくなっていた。  いや、彼だけではない――共に来ていた飯田健も、この場に来ていた他の客達も、皆等しく彼と同じ異常の最中にありながら、スイーツの群れから離れようとしない。  幸福感が抜け落ちることを、一瞬でも許容出来ないとでも言うように。  自分の中の何かを満たさんとするためにスイーツを貪るその様は、もはやある種の獣のようだった。  その思考が、変貌の最中にある自分自身の体に向けられる事は無かった。  その目が、スイーツ以外をマトモに見ようとする事はもはや無かった。 「       」     そうして、やがて。  天史琢哉を含め『人間』だった全ての客達が、糸を断たれた人形のように、美味の楽園の床に体を倒した。  全員共に、もはや人の姿をしてはいなかった。  ある者はキウイのような表皮の翼を持たない鳥のような生き物に、ある者はピンク色の果実に鳥の翼と足を生やしたような生き物に。  飯田健は首元からバナナのような果物を生やした緑色の恐竜のような生き物に。 「―― 、 ――」  そして天史琢哉の変貌っぷりは、そうした『動物』の姿をした者達とはまた異なっていた。  まず第一に、短いながらも人間と同じように両の手足が備わっていた――尤も、その色はほんのり赤みを含んだ白色だったが。  第二に、彼は『動物』の姿をした者達とは異なり衣類を身に纏っていた――尤も、元々来ていた学生服のそれではなく、何処か執事染みた礼装のそれだったが。  そして極め付けとなる第三に、その腰元からは尻尾か何かでも表現しているかのようにホイップクリームが小さくくっ付いていて、何よりその頭部は丸ごとショートケーキのそれになっていた。  見れば、ショートケーキの断面や下部には、それぞれ瞼と口が存在している。  ショートケーキのマスコットキャラ――とでも呼ぶべき生き物が、天史琢哉の成り果てた姿だった。  そうして。  誰も彼もが一言も発せず、倒れ付したまま数分が過ぎた頃。  スイーツの楽園の中に、彼等とは異なる誰かが足を踏み入れていた。    かつん、こつん、と。  どこか上品さを感じさせる靴音と共にその場に現れたのは、ケーキそのものを形としたようなドレスを身に纏い、淡い桃色の王冠を被った貴婦人と。  紫色の装束と金色の装飾品を身につけ、悪魔のような翼を背より生やした悪魔染みた格好の女性だった。  彼女達の内、ケーキのドレスを身に纏った貴婦人の方が、スイーツを貪りつくした果てに『人間』ではなくなった者たちの有様を見て、くすりと笑っていた。  ただし、それは嘲弄の笑みではなく。 「あらあらまあまあ。とても幸せそうですわ」 「まぁ、私特性の魔法薬で幸せしか感じられなくなってるでしょうからね。ああいう顔をしているのが当然と言えば当然よ」  悪魔の女性が貴婦人の言葉に答えを付け足すように言葉を紡ぐ。  貴婦人の女性とは異なる意味の、笑みを浮かべた様子で、 「……それにしても、面白いぐらいに上手くいくものね。デジモンのデータを食物に混ぜて、それを人間に過剰に摂取させる。そうする事によって『人間としての』データが希釈化され、食物に混ぜたデジモンのデータが全体の比率を満たし染め上げる。……スピリットを用いない、意図的な人間のデジモン化。もっと効率化出来れば、更に多くの力持つペットを生み出すことが出来ることでしょう」 「ふふふ。それでは、唯一ショートモンになったあの方は一旦こちらで面倒を見るとして、その他のお客様方の事はよろしくお願いしますわ――リリスモン様」 「ええ。見る限り、パラサウモンになったあの子は特に可愛がり甲斐がありそうだし、楽しみだわ。他の子達も可愛いし、私の城で優しく愛でてあげる」  そうして少しの時間が経った後。  大量のスイーツが平らげられた跡には、誰一人として姿は見えなくなっていた。  残されたのは、次の客を待つ手付かずのスイーツの群れとそれを乗せている数々のテーブルのみ。  食欲の秋、美味を生み出す屋根の下で、二人の学生の運命は一変した。  彼等の行く末を知る者は、少なくともこの世界には誰もいなかった。  ◆ ◆ ◆ ◆ 「おーいショートモン!! せっかくの秋なんだしケーキ作ってくれよ!!」 「お前の場合、春だろうが夏だろうが冬だろうが構わず頼みに来るだろうが。    モン」
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ユキサーン
2021年10月06日
In デジモン創作サロン
 学生、というものは基本的に無邪気なものだ。  大人になってから思えば恥ずかしいとさえ思える事を平気で口に出来るし、その言葉を聞いた誰かが傷ついているなんて事は気付きもしなければ考えもしない――当人にその気が無かったとしても、だ。  そうして精神的に傷付いた人間の方が精神的な成熟は早いと誰かが言っていた気がするが、そんなことで感謝をしろというのはあまりにも恩着せがましく、率直に言って発言者のことをぶん殴りたいとさえ思えている。  少なくとも、下校中なボサボサ髪の高校生こと空乃伝路《そらのでんじ》にとって、学校というものはそんなものだった。 「…………」  少しずつ残暑も衰えを見せてきた秋の中盤。  何かしらの広告が多くの液晶画面に映し出されている都会の街道を歩く彼の脳裏を過ぎるのは、一週間後の行事の話。   (……体育祭、か……)  それは何処の高校でも執り行われる、一つの行事。  提示された競技を何かしらの形で組み分けされた高校の生徒一同で行い、優劣を決めるというもの。  学校側の建前としては運動を楽しむだとか生徒同士の仲を育むだとか何とか色々あるかもしれないが、生徒側の視点から言わせればそれはある種の戦争でしか無かった。  勝った方が優れていて、負けた方が劣っている、そんな単純な事実。  なまじ運の要素など組み分けの内容以外には何も無く、全てが運動神経によって決まるものである以上、負けた側の敗因――いわゆる戦犯というものはとても解りやすく見極められる。  その勝ち負けで一生を左右するわけでも無いのに、運動神経がいくら優れていようが勉学の面が優れていると証明されるわけでも無いのに、それでも多くの学生が勝ち負けに躍起になる理由はただ一つ。  自分が他者より劣っていると認めたくない――そんな、いっそのこと『子供』染みた|自尊心《プライド》が未だに根付いているからだ。  そして、そういった『子供』は負けた時にその理由や責任を他者に押し付けたがる。  実のところ、空乃はそういったしわ寄せを受け続けてきたタイプの人間だった。 (……なんで高校にもこういうのがあるんだか……)  率直に言って、彼は憂鬱だった。  特別将来を左右するような事柄でも無いのに、その失敗を自分の所為にされては憂さ晴らしの玩具にされる。  抵抗出来るほどの腕っ節の強さも無く、同級生が助けてくれるなんて都合の良い話も無く。  教師に相談してみてもマトモな助け舟は貰えない始末で、他人をアテにする気など起きなくなって。  かと言って親に相談するのも恥ずかしいし、こんな事で憂鬱になっている自分自身をまずどうにかしたいというのが実情だった。  とはいえ、そう簡単に解決出来る問題であればそもそも憂鬱になどなりはしない。  だからこそ憂鬱なのであって、彼の目からやる気と言えるものは見事に死に果てていた。 (あーあ、さっさとやらかして退学にでもならないかなアイツ……)  どうしようも無いことを考えながら歩く空乃。  どうしようも無い連中に一人でも絡まれるのを嫌った結果、空乃はどの部活動に入ることも無く、中学から今日に至るまで帰宅部だった。  だから部活動に通う生徒よりも当然下校する時間は早く、空はまだ夕方というよりは昼のものだった。  企業に勤めている会社員は未だ勤務中な時間帯であり、それ故にか都会にしては人出入りはそこまで混み合ってなく、だからこそ帰宅することそれ自体が滞ることは今のところ無い。  こんな憂鬱な時はゲームセンターに通うか、さっさと帰宅してまだクリアしていないゲームをする――というのが彼の日常だった。  が、この日はある種の特別だった。  明確な課題があって、それを出来ることなら解決したいと思う程度には悩んでいた。  だから、だろうか。  その日、普段であれば特別見向きもしないであろう場所に、彼の視線は向いていた。 「ん?」  それは、数多く立ち並ぶ建造物の隙間に佇むような形で存在する、ビジネスビルの半分程度の大きさはあろう建造物だった。  室内の様子は窓にスモークを張られているのか外から見えないが、その建造物がどういった場所として造られているのか、それだけは建造物の入り口に設置された看板によって理解が出来ていた。  看板に描かれた文字、それ自体が答えを伝えていたからである。   「トレーニングジム?」  看板にはそのように書かれていた。  本当に、何の捻りもなく――本当に『トレーニングジム』とだけ、その看板には書かれていた。  普通なら、この手の客を求める施設には何かしらカッコつけた名前の一つでもついていそうなものだが、何の変哲も無いその名付けはいっそ奇妙だった。  客を求めてのものというより、何処かの企業が使用するための副次施設なのかもしれない――と、考えられる程度には。  周りに駐車場らしい空間も見当たらず、入り口もまた正面の一つだけである事も、あるいは空乃の予想を裏付けしていた。  一周回って奇妙なその『トレーニングジム』に対し、空乃は軽めの疑問と興味を抱く。  というのも、 (……まぁ、そういう方法もある、のか?)  先にも述べた通り。  現在、空乃伝路は憂鬱だった。  つまらない人間のために心身共に疲弊してしまっている、自分自身の弱さによって。  学校はアテにならず、身内の誰かに頼ることは恥の成分から出来ず、だからこそ自分の努力でもって解決したいと彼は思っていた。  そんな時に提示された、一つの――解りやす過ぎる方法。  即ち、ジム通いによる体作り。  部活動のように面倒事に巻き込まれるリスクも(絶対とは言い切れなくとも)少なく、必要になれば大人の手で丁寧に指導もしてもらえる環境。  普通に考えて無償で通える場所では無いだろうが、ゲームセンターで使い込むよりはずっと見合うだけの価値があるように思えた。  今、この時の空乃にとっては。 (行ってみるか)  深く考えたりはせず、とりあえずの感覚で彼は『トレーニングジム』の扉を開き入っていく。  途端に、 「?」  何か、電気の弾けるような音が聞こえた気がして。  僅かに疑問を覚えたが、答えらしい答えは何も出ず、やがて気にせず彼は受付と思わしき場所へと足を運んでいた。  受付には店員――もといスタッフと思わしき引き締まった体格の男性が立っていて、彼は空乃が口を開くより先に言葉を発していた。 「いらっしゃいませ。ジムのご利用ですか?」 「あ、はい。ええと、初めてにはなりますが。お金はどのぐらい掛かりますか?」 「初のご利用ですか。であれば、今回は無料でのご提供になりますね。コースは色々ありますが、どれをご利用なされます? いずれも今回は無料です」 「無料……ですかぁ」    空乃は一時沈黙する。  スタッフが手で指した方――カウンターの上に貼り付けられたラミネート加工済みの用紙――に書かれたコースは色々あり、その内のどれかを無料で体験出来るという事実に、悩んでいるのだ。  せっかく無料で使えるのなら、出来る限り本来の料金が高いものを選んでみた方が得か、と。  どうせ帰宅部らしく時間は余っているのだから、多少時間が掛かるものであってもやって良かったと思えるコースにしてみるべきだろう――そんな風に考えながら用紙に目を通していた空乃は、やがてこんな事を口にした。 「あの、どれが一番効果が出るとか、ありますか?」 「効果が出る、とは?」 「その、体力が上がるとか。運動神経の改善というか。とにかく体が強くなるものです」 「……なるほど。体を強くしたいのですね?」 「? はい、そうです……?」  一瞬。  スタッフの口元が笑みの形に歪んだように見えて疑問を浮かべる空乃だったが、気のせい、でなくとも特に深い意味は無いだろうと思い、先を促す言葉を紡いだ。  すると、スタッフの男は用紙に書かれた項目の一つを指差して、 「それではこちらの『身体強化コース』を提案します。スタッフのガイドに従ってもらいながら、体を強化していくコースとなっておりますが、如何でしょうか」 「じゃあ、それで」 「それでは……」  とりあえず、の感覚で勧められたコースを選択する旨を口にすると、スタッフの男はカウンターの引き出しから何かを取り出していた。  それは一目見る限り、少し小ぶりのスマートウォッチのように見えた。 「これは今回のコースを利用するにあたって、装着していただくものになっております」 「腕時計……ですか?」 「腕時計でもありますが、万歩計や心拍測定器としての役割も担っている機材となっております。この『機材』が計測した数値を参照して今回のコースにおける『目標』が設定されますので、後はスタッフの協力のもと頑張ってください」 「あ、はい、解りました」  空乃は手渡された『機材』を右の手首に取り付けると、受付に立っている人物とは別のスタッフの男の案内を受ける形で、流れ流れに歩を進めていく。  道中にロッカーがあったので、スタッフの指示に従う形で学校帰りの荷物を収納する。 「……そういえば、学生服のままなんですけど俺、着替えなくても大丈夫なんです?」 「大丈夫ですよ。着替えたいのなら用意をしますが」 「あ、いや、大丈夫です」  案内された先の部屋にはダンベルやランニングマシーンといったものをはじめ、トレーニングに用いられるものであろう多くの道具が設置されており、どれもこれもテレビ番組でスポーツ選手が鍛錬を積むのに使っているような、素人目から見て高性能そうなものばかりだった。  ただ一つ、奇妙なものがあるとしたら、 「トレーニングをする場所なのに、パソコンが置いてあるんですね」 「ええ。まぁ、色々な事に使えますから」  色々な事、というのが具体的にどういうものなのかについて、深くは聞かなかった。  今後何度も通うと決まったわけでも無いのだし、特別気にする必要は無い――そう思ったために。  そうして、空乃のトレーニングは始まった。    ◆ ◆ ◆ ◆  最初のトレーニングには、バーベルを用いることになった。  黒い色の台のようなものに背中を預けながら、設置されていた大きなバーベルを両腕の力だけで持ち上げる――そんな、テレビ番組で何度も見たような構図で、空乃は早速息を荒げていた。   「――お、重っ……!?」 「重くないと持ち上げる意味がありませんからね」 「こんなの、ずっと持ち上げてなんていられないんですけどっ」 「最初はそんなものですよ」 「ていうか、これちゃんと鍛えられてるんです? ちっとも持ち上がらないんですけど」 「大丈夫ですよ。未成年なら尚の事、頑張れば頑張った分だけ、体とは強くなるものなんです」  ぜぇぜぇはぁはぁ、と。  途中途中弱音を漏らしながら、バーベルを持ち上げようと腕に力を込め続ける。  しかし、腕力が足りないからかバーベルが持ち上がる事は一向になく、ただただ体力だけが費やされる時間が何分か続くだけだった。  やがてスタッフの方から少しの休憩時間を挟むよう促され、空乃は近くの椅子に腰掛ける。  初っ端から感じる疲弊に、自分の体がどれだけ弱いものなのかを改めて実感していると、スタッフの男はその手に持っていたラベルのついていないハンドサイズのペットボトルを「はい」と空乃に手渡してくる。   「ありがとうございます」 「それを飲むのも含めてのコースですからね。思いきり飲んでしまってください」 「?」  思わぬ言葉に疑問を覚え、手渡されたペットボトルを空乃は改めて確認した。  見れば、内部の飲料水の色は何処かケミカル染みた黄緑色だった。  明らかにスポーツドリンクの類には見えなかったが、 (野菜ジュースかエナジードリンクの類かな)  思い返してみれば、黄緑というのは特別珍しい色でもなかったので、言われた通りにごくりとペットボトルの中身を飲んでみる空乃。  味はスポーツドリンクやエナジードリンクというよりは、レモン味の炭酸水といった感じだった。  かなり強めの炭酸が含まれていたようで、口から喉までを激しい刺激が駆け巡ったが、その感覚がどこか心地良く、気付けば空乃は一気にペットボトルの中身を飲み干してしまっていた。  つい少し前の疲弊が嘘のようにスッキリとした気分を覚えていると、空乃に対してスタッフの男はこう問いを出してきた。 「続けられますか?」 「あ、はい。大丈夫です」  そう返して、空乃は椅子に座っていた状態から立ち上がる。  再起してからも、鍛錬のために作成された機材を扱い体を痛めつける時間は続いた。  ランニングマシーン、ダンベル、チェストプレスマシン、アブドミナルマシン、ショルダープレスマシン、レッグプレスマシン――などなど。  結果から言って、見える範囲にある機材は流れ流れに全て試すことになった。  一つ一つ使う度に息が上がり、その度に休憩を挟んで、立ち上がってはスタッフの指示に従う形で新しい機材に挑みに向かい。  その繰り返しをしている内に、気付けば室内にある機材の全てを体験し終えたらしかった。  らしかったと他人事なのは、他ならぬ空乃自身も実感が湧いて無いからだ。  現実的に、このような短時間で体が強くなるわけも無いと解ってはいるつもりだったが、頑張りが空回りしている気がしてなんとも言えない気分に空乃はなっていた。  そんな時、スタッフの男はこんな風に切り出してきた。 「では、一周したところでもう一度ハードル上げに挑戦してみましょうか」 「え、えぇ……上げられる気しないんですけど……」 「どのぐらい上げられるのか、それを確かめるだけでも鍛錬にはなります。それに、あなたの体はここに来る前より鍛えられてますよ。その腕の機材が示す『目標』を達成し続けてますから」 「…………」  信じ難い、というのが空乃の率直な感想だった。  確かに、息が上がりながらもスマートウォッチにも似た『機材』が表示する『目標』は達成出来ている。  スタッフの男に中断を呼び掛けられたのも、決まって『目標』が達成された時だった。  単に実感が無いだけで、納得が出来ていないというだけで、ノルマ自体は確かに達成していたのだ。   (……やれるだけやってみるか)  とりあえず、の感覚で再びバーベルを用いる『機材』のある位置へ足を運ぶ空乃。  先にやった時と同じように椅子のような台の上に寝そべった姿勢のまま、腕の力だけでバーベルを持ち上げようとする。 「っ、くぅっ……!!」  腕に圧し掛かる重みが変わることは無かった。  バーベルの重量を変更したわけでも無いのだから、当然と言えば当然だ。  だが、何の変化も無いわけでは無かった。 (――あ、あれ?)  ほんの少し。  僅か数センチの話ではあるが、確かにバーベルは腕の力によって持ち上がっていた。  持ち上がっていた、と気付いた時には更に数センチ上がっており、その腕力が増加している事実を確かに示していた。    とはいえ、完全にバーベルを上げきり、腕を伸ばしきるには及ばず。  ほんの数センチ上がっていたバーベルは、数秒のち元の高さへと戻っていた。  腕力を行使していた空乃自身の体力の方こそが、先に切れたのである。  ぜぇぜぇはぁはぁと息を荒げる空乃。  そんな彼の様子を見て、スタッフの男はさも当然のようにこう言ってくる。 「それが鍛錬の成果ですよ。実感出来ましたか?」 「…………」  確かに、と納得せざるも得なかった。  率直に言って、一回目の時は僅か数ミリさえ上がった気がしなかったのに、今回は数センチを数秒でも上げようとすることが出来ていた。  些細な変化だとは思う。  ちっぽけな成果だとも思う。  だけど、自分が強くなれているという実感に、空乃は言いようの無い爽快さを覚えていた。  達成したところで大した変化も無いだろうと思っていた『目標』が、それを達成して実際に強くなれているという事実が、実感を増させる。  室内にある機材、それを用いた体験を一周しただけでもここまで出来たのだ。  もう一周、いや更に続けていったら何処まで強くなれる?  スタッフの男が、再び問う。 「続けられますか?」 「続けます」  まだ、時間も体力も残っている――可能な限り続けてみよう、と思った。  ひとまずの休憩の折に、再び黄緑色の飲料水を頂き飲み干すと、彼は鍛錬を再開させる。  一度体験を済ませたからか、二週目の『目標』を達成する過程で感じる疲れは一週目ほどもなく、いっそ順調とも言えるペースで鍛錬は進行していった。  そうして、三度目のバーベル上げチャレンジ。  一度深呼吸をして、二度繰り返した姿勢になって、鉄の棒を両手で握りしめ、腕に力を込める。 「――っ――」 (強く、なれてる……)  成果は明白だった。  数センチは十数センチに、更に数十センチに――少しずつ、確かに増えていた。  腕は未だに伸びきらず曲がったままだが、上げ続けようと力を加え続けられる時間もまた、上げられる高さと同じく増えている。  心なしか、主に腕の筋肉の量が増えてきた気がした。    強くなれている。  その事実、その実感がじんわりと空乃の脳髄を駆け巡る。  嬉しい、と思った。  同時に、もっと更にと強さへの欲求が増し出てきた。    三週、四週と加速度的に『目標』を達成しながら、彼の体は強くなっていく。  いつしか、何度も反復して鍛錬を続けたことで、体から吹き出ていた汗が衣類の外にまで漏れ出そうになっていた。  それを知ってか知らずか、スタッフの男は空乃に対してこう提案した。 「そろそろ上着も汗でびしょびしょの頃でしょう。脱いだ方が楽になりますよ」  出会ったばかりの相手に、上半身だけとはいえ裸を見せるというのは、多少なり恥ずかしさを覚えるものだろう。  だが、空乃は迷わず学生服たるカッターシャツとその下の肌着を休憩に用いる椅子の上に脱ぎ捨てていた。  そうして曝け出された体は、元の痩せ気味なだけのそれとは明確に様変わりしていた。  主に上半身の筋肉は部活動で鍛えている学生のそれと見比べても発達しており、贅肉と呼べるものはどの部位からも消えてなくなっている。  経過した時間などから考えても、現実的にはありえない成長の度合いだった。  見れば、その髪の毛もまるで静電気にでもやられたかのように逆立っていて、胸元から四方に向けて薄っすらと黄緑色の線が浮かび上がっている。  明らかに異常な成長、だがスタッフの男は疑問の表情を浮かべることもなく、変化している当人である空乃の視線や意識がそちらへ向くことは無かった。  自分が強くなれている、その事実から引き出される歓び、それを何よりも優先するように思考が変化し始めている。  まだ体力も時間もあるから、という理由は、何週目からかもっと強くなれる気がするから、という理由に変わってしまっていた。  時間の経過はおろか、自身の体力にさえ意識を向けなくなった頃には、鍛錬用の『機材』を扱って何周したのか、それすら頭に浮かばなくなった。    鍛錬を積み、スマートウォッチの形をした『機材』の提示する『目標』を達成する度に、その体はどんどん大きく成熟し、そして変わっていく。  体の色は、少しずつ小麦のそれに近しい肌色からレモンのような黄色へと変色していった。  上半身の筋肉は更にその規模を増し、鍛錬用の『機材』を掴む両手は指が五本から三本に減ってその太さと爪の長さを増し、いつの間にかメリケンを備えた指抜け手袋まで備えるようになっていて。  鍛錬を行うより以前の体からサイズが大きく増す事になった弊害か、履いていたズボンがギチギチと悲鳴を上げるようになり、スタッフの男が何を言うまでもなく、窮屈さでも覚えたのか他ならぬ空乃自身が下着の端を掴むと、異常と言えるまで発達した腕力に任せて引き千切ってしまう。  ズボンのみならず、その下にあったパンツまでも含めて、恥など微塵も感じていない素振りであっさり――ビリビリ、と。  そうしてさらけ出された下半身もまた、既に人間のそれとは異なる様相を見せていた。  人間の男であれば基本的に誰でも備わっているはずの『証』は見当たらず、腰から足先に至るまでが上半身と同じく発達した筋肉によって構成され、腰元から短くはない尻尾まで生えていて。  両の手と同じく両足もまたその指の本数を三本に減らしてしまっていて、その関節の形もまた獣のそれと同じ逆のものに成り果てていた。   「ハァッ、ハァッ」  正真正銘の全裸となった空乃の体に、人間の面影はもはや殆ど無かった。  野太くなった、どこか獰猛さを感じさせる声を漏らす口元もまた爬虫類のそれのように裂けていて。  呼吸の度にさらけ出される歯は尖り、歯というよりはいっそ牙と呼んだ方が正しく思える形状へと変化している。  いつ覚えたのかも知らない衝動のままに鍛錬を続け、第三者の手で設定された『目標』を達成し続けて、そうして変わり果てながら――彼がその変化に疑問を覚えることは終ぞなかった。  その思考は既に、自らの力を高めたいという衝動に染め上げられており。  元々の目的も理由も忘れ、得られる歓びに従順となってしまったその空乃伝路は、 「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」    咆哮と共にその頭部から落雷を想わせる電流を奔らせて――怪物に成り果てた。  電流が収まった後、人間だった怪物の頭部には稲妻を想わせる形状の角と、手袋と同じ色の甲殻が見えるようになっていて。  角と尻尾を生やし、三本の指から鋭い爪を生やしたそれは、鱗が無いという一点を除けば竜のようだった。  竜の怪物は、まるで糸の切れた人形のように力なく、仰向けの姿勢で鍛錬の場の床に倒れこむ。  意識は既になく、されど涎まみれの舌まで出したその表情は歓喜に染め上げられており、少なくともこの竜が元は男子高校生であったなど誰も信じられそうに無かった。  少なくとも、こう成り果てる行く末を見届けていたスタッフの男とその関係者以外は。 「よく頑張ったね」  そう言って、空乃に付き添っていたスタッフの男は力を使い果たした元人間の竜の傍から離れると、ふとして室内に設備されていたパソコンの電源を入れる。  施設の関係者だけが知るパスワードを入力し、画面に映し出された一つのアイコンをマウスでクリックすると、パソコンの画面が突如として光を放ちだした。  スタッフの男はその光が当たらない位置にまで歩くと、筋骨隆々な竜の怪物へと視線を向け、最後にこんな言葉を残した。 「頑張った君には、もっと相応しい居場所がある」  直後のことだった。  パソコンの画面から発せられた輝きの中に、奇怪な色彩の穴が生じ、竜の怪物の体はそれに向かって頭から吸い込まれていく――0と1の、デジタルな粒子と化して分解されながら。  そうして呻き声の一つもなく、竜の怪物は室内から跡形もなく消え去った。  後に残ったのは鍛錬用に用いられる『機材』と、竜の怪物を飲み込んだパソコンと、この場で鍛錬を行っていたのであろう誰かが着ていた衣類の、その残骸のみ。  何かを締めくくるように、スタッフの男はお辞儀をしながら、静かに笑みを浮かべてこう言った。   「――ご利用、ありがとうございました――」
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ユキサーン
2021年6月02日
In デジモン創作サロン
 それは残業明けの、真夜中の帰り道での事だった。 ドラッグストアで買った適当な栄養ドリンクやら何やらが入ったビニール袋をぶら下げながら歩いていると、目の前の影に大量の目玉が浮かび上がった。  最初は、仕事の疲れで幻覚でも見たかと思った。  だが幻覚では無いようで、直後に影は俺に襲い掛かってきた。  まるで津波か何かのようになって覆い被さろうとするそれに対し、俺は思わず両腕で顔を覆って無意味にも自衛の構えを取ろうとしてしまったが、気付けば大量の目玉を浮かべた影はどこにも見当たらなくなり、体のあちこちを確認してみても何かしらおかしな点は見当たらなかった。  あまりにも現実離れした出来事に、今度こそ幻覚か何かだったのではないかと思った直後、俺の意識は酩酊にも似た感覚と共に眠りに落ちた。  目が覚めて、気付けば俺はうつ伏せに倒れこんだ状態になっていた。起き上がり腕時計を見てみれば時刻はとっくに深夜に差し掛かっている。明日も仕事だというのに、これでは睡眠時間もロクに取れはしないだろう。  路上で寝ていたなら誰かしら気付いて起こすはずだが、気付かれなかったのか?  とにかく家に帰ろう。  何やら視点が普段より僅かに低くなっている気がするが、そんなことはどうでもいい。嫌に疲れて腹も減って気がおかしくなりそうだ。  街灯の明かりさえ鬱陶しく思えてしまう。  あんなよくわからないモノが見えてしまう辺り、今の俺は物を正しく見ることが出来てないのかもしれない。  帰り道の途中、何人かの見知らぬ男達とすれ違った。  どうやら深夜になるまで飲み会でもした類らしく、顔は赤く火照って足はふらふらとおぼつかない様子だった。  とてもとても幸せそうな顔を浮かべながら、酔っ払い共は俺にその肩をぶつけてきた。  悪意は無かっただろう、だが少なからず苛立ちを覚えた。  酔っ払いの頭には伝わらないだろうが、少なからずの苛立ちを乗せて俺はぶつかった酔っ払い共の内の一人の背中を睨みつけた。  そして、こう思った。  寝てろ。  ついでに悪夢でも見ろ、と。  ――視線を外した直後、背後でどさりと誰かの倒れるような音を耳にしたが、俺は気にすることなく自宅を目指して歩を進めていった。  いろいろあったが漸く家に着いた。  単身赴任の身であるため家族が住まっているわけではないが、それでも一日のやるべき事を終えた事を示す居場所。  鍵を閉め、靴を乱雑に脱ぎ捨て、服を脱ぎ、風呂場に入る。  いちいち風呂を沸かせるのも面倒だ。さっさとシャワーを浴びてさっぱりしよう。  そんな風に思っていた時だった。  ふと、風呂場に設備された長方形の鏡に映し出された自分の姿が目に入った。  自分の裸の姿なんて、風呂場に行けば毎日見るようなもので、いちいち気にするものでも無いはずだった。  だが、たった今鏡に映った自分の姿には、明らかに異様な変化があった。  まず目の色が明らかに違った。  帰り道の中で見た、覚えのある色彩だった。  そして体の色も、所々が真っ黒に染まっている。  見れば、黒く染まった部位からは変化した目と全く同じモノが浮かび上がっていて、ぞぞぞぞぞぞ、と得体の知れない震えを発していた。  そして俺自身も、未知の恐怖に震えていた。  思わず悲鳴を上げた俺は、体の各所に見える黒い何かに得てシャワーを浴びせかけていた。  汚れでも落とすように、石鹸を擦り付けながら、がむしゃらに。  だが、無意味だった。  少しずつ、まるで俺の恐怖に呼応するように、黒い何かは俺の体に広がっていく。  足掻く間もなく、俺の体は半分近くが黒く染まり、不気味な目玉がギョロギョロと蠢く異質なものになっていった。  何をどうすればいいのかが解らない。  原因が、帰り道で襲い掛かってきた不気味な影にあることぐらいは察しがついているが、察しがついたところで何かが変わるわけではない。  とりあえず風呂場から出ようと足を運んだ所、抵抗の結果として泡まみれになった床を滑る形で転んでしまった。  右肩を強打してしまい、痛みに悶えながらも立ち上がろうとした時、俺は自らの体に起きた変化を『実感』することになった。  体の、まだ肌色の部分は堅いものにぶつけた感覚がある一方で。  黒く染まり、目玉が蠢く部分だけは――ぶつけた、というよりは『張り付いた』という風な感覚があったのだ。  いや、数秒経って改めて思えば、触覚自体がそもそも曖昧だ。  なんというか、自分の体の重み? と言えるものが感じられない。  体に力がうまく入らない。  現在進行形で体を黒く染めている影の所為か、膝から先がまるで瞬間接着剤でも塗りたくられたかのように、風呂場のタイル床に引っ付いて離れられなくなり、必然的に俺は膝立ちのような格好になる。  もがくような姿勢で、必死になってドアノブを動かし、這いずる形で風呂場を出る。シャワーを浴びた体は当然濡れていて、移動の度に木製の床を濡らしてしまうが、そんな事を考えていられる余裕も無かった。真っ黒に染まった足は変わらず床にくっついたままで、走ることはおろか歩くことさえ出来ない。  そうしてやがて、電話の置いてあるリビングにまで到達した頃、遂に足だけではなく手の方まで黒く染まり、床に引っ付いてマトモに動かせなくなる。 いや、手どころの話ではない。気付けば腕も腹も、床に張り付いてしまっていて、俺の姿勢は正しく倒れ伏した格好のまま固定されてしまった。  自分の体を見渡すことも出来ない状態だが、なんとなく解る。もう俺の全身は余すところなく黒く染まっていて、不気味な目玉をあちこちから浮かび上がらせてしまっている。ゴキブリホイホイに掛かったゴキブリどころの話ではない。これでは本当に化け物だ。  ふと、うつ伏せになっている状態なはずなのに天井が見えた。  いや、天井だけではない。  見たい、確認したいと思った直後、その方向に実際に目を向けているかのように景色が視界に映し出される。  黒く染まった体に浮かび上がった瞳は模様でも何でもなく、俺自身の目となるものだったらしい。  らしい、と他人事のように思えてしまっている辺り、どうやら俺は思いの外落ち着きだしてしまっているらしい。いや、違うか。もう既に、心のどこかで俺は諦めてしまっていたんだ。現状を打開しようとすることを。自らの身に起きている変化に抗おうとすることを。  どうせどうにもならないのなら、なるがままに従ってみよう。人生なんて元々、思い通りにいかないのが常なんだから。  そんな風に思っていると、黒く染まった全身にいよいよ決定的な変化が起き始めた。  少しずつ、体の形が人間のそれから明確に歪み始めたのだ。  禍々しい『影』に染め上げられた体が、床に向かって溶け出すように、あるいはまるで風船が萎むかのように、その質量を失い始めた。特別引き締まっていたわけでもないが、大人相応の大きさを有していたはずの体が、ゆっくりと時間をかけてペラペラなものに成り果てていく。その事実が実感として解る。  これまでの変化がそうであったように、痛みは特に無かった。うつ伏せの姿勢であった以上、顔や腹などが床に張り付いているはずにも関わらず、肌寒さはおろか息苦しさのようなものも感じない。むしろ、この状態こそが『正常』であるのだと、妙な直感さえ覚えていた。  いよいよもって体だけではなく思考の方までおかしくなってきているようだが、最早それを気にするような焦りも俺の中には浮かんでこなかった。既に俺の体に『人間らしい』と言える感覚などは無く、心性の変化にまで伴ってか、床に張り付いていた人の形をした黒いナニカ――俺は、その形を失った。  ヒトの形を失い、廊下の床や左右の壁にまでぶちまけられたペンキのように広がった俺の体は、一言で言えば度を越えて自由なものだった。ヒトの形を失ったというよりは、そもそもヒトの形を取る必要性が今の体には存在していない、とでも言うべきか。  頭や手足といった、人間としては当たり前に存在する体――それに伴う感覚は、とっくの昔に混ざり合っていた。  そもそも体の全てが『視点』となるのだから、人間で言うところの脳が収められている位置なんてわかったものではない。文字通りペラペラの怪物に成り果てた体を、オレはいっそ堪能していた。  恐怖や不安を覚え続けた過去が信じられないほどの、愉悦の感情。  人間という枠組み、そこに入っていた事で付きまとっていた不自由、その全てから開放された気分だった。 『視点』から見える景色、そこに見える『オレ』の数多の目は、気付けば震えを止めていた。  ペラペラの怪物となった自分の体を堪能している内に、いつしかオレの心には一つの欲望が宿った。  それは、あるいは恐怖に縛られたままの心では思い浮かべもしなかった結論。  人間である、という事を完全に諦めたオレが、逆に心の底から願うようになった思想。  ――どうせ怪物になるのなら。  ――もっと怪物らしい姿に成ろう。  怪物に二本の足なんていらない。一本の尾さえあればいい。怪物に貧相な五本指の手なんていらない。敵となりえる存在を引き裂く鉤爪さえあればいい。怪物に小さなものしか入れられない口も柔らかいものしか砕けない歯もいらない――そうした思想に伴って、オレの体はオレが望むままの進化を始めた。  床や壁に広がっていたペンキのようになっていた『オレ』の体が、一箇所に集っていく。ペラペラだった体が、少しずつ質量を得ていく。『両手』にはそれぞれ三本の鋭利な爪が、『両脚』は歪んだ一本の細い尾に、そして『口』は端が裂けたものとなり、『顔』は爬虫類のように尖ったものになる。  気付けば、ペラペラの体で廊下や壁に張り付いていた『オレ』は、リビングで体を起こしていた。  『始点』は『顔』へと移り、首を曲げて『オレ』は自分の体を見渡してみた。  全身が『瞳』が張り巡らされた、黒き竜。  これこそが今の『オレ』という怪物の存在を示す唯一のもの。  ああ、最高の気分だ。  ふと、人間だった頃に自分が稼いだ金で買ったモノのことを思い出して、玄関の方へと視線を移した。  思えば、さっさと風呂に入りたい一心で購入物については適当にその場に置いておいたのだったか。  よくよく考えれば腹も空いた。何か食べないと気が狂いそうだ。  ――そうして気付いた時には、『オレ』はかつての『俺』が購入したもの全てを『口』で租借し、腹の中に入れていた。  味はあまり感じられなかったが、代わりに体の中でとても暖かな熱が感じられた。  快感があった。もっとこの感覚を味わいたいと思った。  冷蔵庫のドアを開けて、中に保存していたものをとにかく『口』の中に放り込む。それでも足りず、食器棚の皿も食べた。一度味見をしてみれば、後はもう止まらなかった。灯りも付けていない部屋の中、『オレ』はとにかくとにかく部屋の中にあるものを全て平らげていき――そうして、いつしか眠りについた。  眠りから覚めると、体表に存在する全ての『瞳』もまた開かれた。日光が鬱陶しい。どうやら朝になるまで眠っていたようだ。  さて、怪物に成り果てたことについてはいいが、これからどうするか。怪物らしく人間を喰らうも良し、街の中で暴れまわるも良し。オレはもう人間ではないのだから、人間の世界のルールになど気を配る必要も無い。選択肢は数多に存在し、そのいずれも怪物となった自分の相応しいと思えるものばかりだ。  そんな風に考え、思考を巡らせていた時だった。 日光とは異なる光源の存在を、オレの『瞳』が視認していた。『視点』となっている顔をその光源の方へと向けてみれば、いつの間にか仕事でも使うノートパソコンの電源がついていて、その画面は普段見ない景色を表記していた。  それを見て、オレはなんとなく直感した。  ああ、なるほど。そこがオレの向かうべき、帰るべき場所なのか、と。これはオレという存在を迎え入れる世界への『入り口』なんだ、と。  体を動かし、少しずつ、異彩を放つノートパソコンの画面に向かって近付いていく。  近付く度に、オレの心の中には喜びの感情が生じていた。帰りたかった場所に帰れるのだと、そんな思考が生じていた。  そうして、オレは迷わずノートパソコンの画面に自らの『顔』を近づけて、そして、  オレの存在は数多の0と1の粒子となって解け、ノートパソコンの画面の中に、その先にあるこれからの居場所に向かって一切の抵抗なく、さながら濁流のようになって流れ込んでいった。  ――そうして、かつて誰かが住んでいたと思わしき部屋に残ったのは、何かに食い散らかされたと思わしき残骸と静寂のみ。  暫くの間、ノートパソコンの画面には真っ黒な目玉だらけの怪物の姿がドットで大きく描かれていたが、それもまた時間の経過と共に小さくなっていき、やがて消え去って。  この場所に住んでいたはずの誰かは、現実のそれとは異なる世界にその全てを溶かして、誰の記憶にも残らなかった。
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ユキサーン
2021年5月04日
In デジモン創作サロン
 前の話へ  少し、デジモンの『設定』というものについて考察を入れてみよう。  数多く存在するデジモンの種族の大半は、現実世界で認知されているものが元となっている。  獣型のデジモンならば犬や猫などの動物、ドラゴンや悪魔などの架空の生物ならば文献に絵など――その名残は種族の名前や姿に残されているため、知識さえあれば一目見ただけでも元となった情報は理解出来るのだ。  元となった情報が大袈裟なものであるほど、そのデジモンの能力は強いものになる。  投げても自動で持ち主の手に戻ってくる槍だとか唾液だけで川が築かれる狼だとか、そんな現実では有り得ないであろう情報ばかりが記述されている『神話』などの文献が元となったデジモンならば、その危険度は核兵器とは比べ物にならないだろう。  七大魔王という名を冠する七種のデジモン達は、まさしくその『文献が元となったデジモン』の類である。  彼等の力の象徴と言える情報は『七つの大罪』と呼ばれ、『七つの死に至る罪』という意味を含んだ宗教上の用語なのだが、正確には『罪』そのものではなく人間を罪に導く可能性が高いとされる感情や欲望の事を指しているらしい。  七種の感情と欲望はそれぞれ「憤怒」「強欲」「暴食」「嫉妬」「色欲」「傲慢」「怠惰」と分けられ、後々になってからそれぞれに対応する『悪魔』や、外見から関連付けるためか『動物』の情報もまた設定されている。  縁芽苦郎に宿る『ベルフェモン』というデジモンの元となった悪魔は『ベルフェゴール』という名を持ち、同時に熊や牛と関連付けされていることから、情報を反映させた結果として殆ど獣に近い姿になったのだろう。  そして、鳴風羽鷺の口から告げられた『リヴァイアモン』というデジモンは、ベルフェモンと同じく七大魔王の一角を担う存在。  ベルフェモンが『怠惰』に対応している一方で、リヴァイアモンが対応している罪源は『嫉妬』。  対応する悪魔の名は『レヴィアタン』と呼ばれ、海中に住む巨大な怪物として旧約聖書にて登場したのが発祥とされている。  伝統的には巨大な魚かクジラやワニなどの水陸両生の爬虫類で描かれており、デジモンとして創作されたリヴァイアモンの外見もまたワニのそれと殆ど相違が無く、あまりにもその体が巨大である事から旧約聖書の情報が元になったのだと思われる。  だが、あくまでそれはレヴィアタンの一つの側面に過ぎず、悪魔としてのレヴィアタンは水を司り人に憑依する事が出来る大嘘吐きの怪物として描かれているらしい。  司弩蒼矢の脳に宿っているその魔王は嘘吐きの悪魔なのか、それとも冷酷無情で凶暴な怪物なのか。  そもそもリヴァイアモンが対応しているとされる『嫉妬』とは何なのか。  あまりにも巨大過ぎる体を持ち、泳ぐだけで波を逆巻かせるほどの力を持ちながら、どんな事情でもって暗い感情を抱くのだろうか。  さて。  ここまで『リヴァイアモン』というデジモンについて語ってきたが、正直なところ私にも詳しい事は分からない。  何しろ、ホビーミックスの一環で設定された情報自体が本当かどうか定かじゃないから。  現実世界において聖書の中で設定されたものと、デジタルワールドに実在している『本物』が本当に同じものなのか。  正しい事かもしれないし、正しくないのかもしれない。  誰かさんがデータ化させた『図鑑』の情報は、あくまで第三者の視点で見聞きしただけの感想に過ぎない。  魔物を率いる魔王も、人間から見れば悪者だが魔物から見れば優れた君主と見られるように、一つの視点だけで判断した情報で個の全てが語り尽くせるわけが無い。  何が正しいのか。  何が間違っているのか。  正しいと思っている事が間違っているのか。  間違っていると思っている事が正しいのか。  リヴァイアモンという名の怪物は、確かに居るのかもしれない。  そいつを宿している司弩蒼矢の脳も、その内侵されて文字通りの『怪物』になってしまうかもしれない。  さてと。  ここがターニングポイントなわけだが、運命は誰に味方するのか。  可能性の芽にしろ何にしろ、まだ劇の幕は開いたばかりだ。    ◆ ◆ ◆ ◆  リヴァイアモン。  その名前を、牙絡雑賀は知っていた。  その能力についても、危険性についても、知っているつもりだった。  だからでこそ、その名前を告げられた瞬間、嫌でも目の前が真っ暗になってしまった。 (……何でだよ……)  心の何処かで、考えていた事ではあった。  縁芽苦郎のように『七大魔王』に類されるデジモンを宿す電脳力者の一例が存在する以上、可能性の話として他の七大魔王デジモンを宿している電脳力者だって存在するかもしれない、と。  敵として対面してしまう可能性だって、十分に考えられてはいた。  だけど、 (……何で、よりにもよってアイツなんだよ……!? 何で、アイツの中に宿っているデジモンがよりにもよって『七大魔王』の一体なんだよ!? 何で、こんなピンポイントで最悪な答えに辿り着いてしまうんだよ……ッ!!)  疑問に答えは出ない。  そもそも、未明の事なのだ。  雑賀自身、自分自身の脳に宿るデジモンの種族は今でこそ解っているが、そもそも何故その種族が宿る事になったのか、その『原因』は全くと言っていいレベルで解っていない。  もしかしたら、自分の知らない内に第三者から『植え付けられた』のかもしれないし。  あるいは、ARDS拡散脳力場を放っている電脳力者と似たような理屈で姿が視えない状態のデジモンそのものが、幽霊か何かのように取り憑いてきたのかもしれない。  椅子取りゲームだと縁芽苦郎は例えていたが、ゲームに使われる椅子は普通の人間。  ただ一方的に居座られ、座られた椅子の価値も、座る側に依存させられる。  そしてそれは、他の電脳力者にも言える事。  司弩蒼矢もまた、自身に宿る『七大魔王』の存在を知らない。  知っていて、その圧倒的な『力』を実際に行使されれば、そもそも牙絡雑賀は今生きていないのだから。  憤りの感情が表に出ていたらしく、雑賀の反応を見た鳴風羽鷺は言葉を紡ぎだす。 「その反応を見るに、知っているみたいですね。『リヴァイアモン』というデジモンについて」 「……だったらどうした」 「知っているのなら話が早いって事ですよ。あなたの事については苦郎さんからも聞いてますが、まだ成熟期までの力しか使えないらしいじゃないですか。率直に言って、今回の件はあなたには荷が重い。後の事は苦郎さんに任せて、手を引いたほうが良いかと思いますよ~」 「…………」  言っている事は、間違っていないだろう。  事に究極体レベルの中でも最強クラスのデジモンの『力』が関わっている以上、それを求めて行動を起こす者の強さも、応じたものである可能性が高い。  強制的に従わせるという形であれば、最低でも完全体クラスのデジモンの『力』を有した電脳力者か、それすら越える究極体クラスのデジモンの『力』を持った電脳力者が。  確かに、実際の話として同じ『七大魔王』デジモンを宿す苦郎の力ならば、それ等を相手にしても無事に目的を達成出来るとは思える。  だが、その成功は決してハッピーエンドには繋がらない。   「……本当に、殺すしか方法が無いのか。本当に、それ以外の方法は無いって苦郎の奴は言ったのか」 「殺す以外の方法は、無いとも言い切れないですよ」  羽鷺は、特に考える素振りも見せずに即答した。   「でも、後の事を考えてるとそれが最善になるからそうする。無視出来ない可能性があるから、それを摘んでおきたい。要するに、そういうことなんじゃないですか? 苦郎さんぐらいの実力者なら、実際の問題として『グリード』とやらの一員に攫われた司弩蒼矢の身柄を確保する事は出来るかもしれません。ですが、確保したからと言ってそこで危険な可能性が潰えるわけじゃない。だから、とりあえず殺して確実な『安心』を得る。そういう事だと思いますよー」  助ける事が出来るかもしれないのに、とりあえずの判断で見捨てる。  縁芽苦郎本人が本当にそのような判断で行動しているのかはまだ解らないが、それでも雑賀は少なからず憤りを感じていた。  反論の材料を探そうとして、そしてそこで気付いた。  この場で見知らぬ相手に対して言葉を発していても、恐らく意味は無い。  そもそも、こうしている間にも縁芽苦郎は行動を開始しているかもしれないのだ。  この男に苦郎を説得してもらう――なんて事を試している時間も無いし、そもそもこの鳴風羽鷺が本当に縁芽苦郎の仲間なのかさえ解っていない以上、信用するには難しいものがある。 「……苦郎の奴は、もう居所を掴んでいるのか?」 「そこまでは知りません。知っていたとしても、基本的に非戦闘要員の僕に教えるとは思えませんしー」 「その二本の刀は飾りかよ」 「基本は護身用ですー」  大した情報は持っていないらしい。  だとすれば、これ以上の会話は必要無いだろう。  ここからどう動くかは、自分自身の直感を信じて決める以外に無い。  ◆ ◆ ◆ ◆    司弩蒼矢は、力無く地面に伏していた。  より正確に言うならば、起き上がろうとする意思自体が潰されていた。  まるで、頭の上から錘でも乗せられているかのような、胃袋の中に鉛でも詰められているような、その感覚。  視界は地面の灰色に染まっているが、心という物が目に見えるのであれば自分の心はどんな色に染まっているのか、蒼矢には到底想像も出来ない事だった。 「…………」  状況に対して思う事は色々ある。  どうして、こんな事になってしまったのか。  どうして、裏切りという事実にここまで苦痛を感じるのか。  どうして、自分の中に得体の知れない化け物が根付いてしまったのか、とか。  つい少し前までなら、この状況も罰の一環なのだと納得出来ていたつもりだった。  罪の無い人間に怪物として牙を剥いた以上、もう人間と同じ扱いはされないであろう事も。  結局、救われたいと思う気持ちが残っていたのだろうか。  そんな資格、自分にはもう無いであろうに。 「さて、と」  視界の外から男の声が聞こえる。  まるで待ちくたびれていたかのような、この状況をいっそ楽しんでいるかのような調子の声だった。 「そんなわけだ。お前が善意をもって接してくれていたと思ってた女の子は、俺達の協力者だった。これ以上の説明は必要無いよな?」  「…………」  何か言い返そうと思えば、言い返せるはずだった。  だが、蒼矢は何も言わなかった。  善意を必死に信じようとしたところで、ただ苦しみが増すだけだと判断した。  だが、 「まぁ、好意を持たれて良い気分になる気持ちは解らんでも無い。何せ、こんなに可愛い女の子なんだしな。望んで俺達の組織に入るってんなら、また『同じ』関係を築くことも出来ない事も無いぜ?」  その言葉を聞いて、蒼矢の瞳に明確な意思が宿った。  それが怒りと呼ばれる感情なのだと、彼は理解していただろうか。  彼は顔を上げて、男に言葉を返す。 「……さっきから馬鹿にしてるのか。何でお前の言う『組織』に望んで入らないといけないんだ」 「ん? 別に望まないなら望まないなりに強制的に入らせるわけだが。良いのか? 洗脳よろしく頭の中を弄くられても」 「…………」    到底馴染みの無い単語が飛んで来た。  これが『力』を得る前の頃であれば冗談か何かだと聞き流す事も出来たかもしれないが、実際問題として出来ない事では無いと認識してしまっている以上、全く笑えない。  男が言っている事は、要するにこういうことなのだろう。  望んで力を貸して楽になるか、望まず力を貸して苦しむか。  どちらにしてもロクな末路が想像出来ない。  何とか抵抗出来ないものかと思案するが、 「……抵抗はしないほうがいいですよ。抗った所で、いつか心の方が折れる。あなたは優しいですから、家族を人質に取られるだけで何も出来なくなるのは解りきってます」  女の子の囁くような声が聞こえた。  裏切り者のクセに、やけに優しげな声だと思った。  だが、この状況においてその妙な気遣いは、神経を焙る以外の効果を持たない。  蒼矢もまた、この状況になって我慢する事はやめた。  だから、 「……ああああああああああああああああああああっ!!」  叫びと共に、蒼矢の体を中心に青白い光の繭が現れる。  背中を押さえ付けていた別の誰かを吹き飛ばし、守ろうと思っていたはずの少女の目の前で彼の『力』が起動する。  繭の中で彼の身体が人としての輪郭を残しながらも変じていく。  身体の色は総じて小麦色から青緑色に、その質感は人肌から鱗のそれに。  下半身は丸ごと魚と蛇の面影を同時に想起させるような、先端に赤色の葉っぱに似た鰭を伴った細長い尾に。  左手の指と指の間には水を効率よく掻くための膜が張られ、首の下から尾の先端にかけては蛇腹が生じ。  顔の部分は人間の骨格のまま、さながら兜か仮面のように黄色の外殻に覆われ。  極め付けに、義手として確かに存在していたはずの右手は、一日前の時のそれと同じ異質の象徴――鋭利な牙を有し、人の頭ぐらいなら丸呑み出来そうなほどに大きく裂けた口を伴った瞳の無い『蛇』と化す。 (……結局……こうなってしまうのか……)  そうして、司弩蒼矢は怪物と化す。  この姿になる事を望んでいたわけではないのに、自然とこうなった。  自分自身が『力』を制御出来ていないからなのか、あるいはこの姿が怪物に相応しい姿だからなのか。  蒼矢の姿を見た縞模様の服の男は笑みを浮かべ、口笛を吹いた。 「へぇ、まさしく化け物って所か。人間らしい部位なんて殆ど無い。こりゃあ『組織』が欲するわけだ……」 「……何とでも言え……自分が怪物だという事ぐらい、もう解ってる……!!」  本来は水の中を泳ぐために使われる尾びれで直立し、右腕から変じた『蛇』を男に向ける。  その気になれば牙や氷の矢でもって赤い色を広げさせる事が出来るであろう凶器を向けられても、縞模様服の男は動じない。  ただ一方的に、言葉を投げかける。 「大人しく従ってくれるんならそれで済むんだが、抵抗するんなら仕方無い……痛い目見てもらうぜ?」  直後の出来事だった。  男の身体が、瞬く間に灰色と黒色を混ぜ込んだような色の光の繭に包まれる。 (……これ、は……)    これまで蒼矢は、自分以外の誰かが『力』を使って変化していく様を見た事が無かった。  プールで戦った牙絡雑賀と名乗っていた男は、自我を取り戻した時点で既に『変化』した後で、覚えている限りではそれ以外の『力』を使った人間の姿を見た事が無い。  それが『デジモン』と呼ばれる存在の力である事を知らない蒼矢には、目の前で生じている繭が『進化』を遂げるためのエネルギーの塊である事はわからない。  だが、それでも直感した。 (……僕より、強い『力』なのか……!?)  繭の中から、蒼矢とは異なる『力』を伴った怪物が現れる。  それは、上半身が裸になっている事を除けば大半が人間の面影を残した姿だった。  下半身が丸ごと海蛇の尾と化している蒼矢とは違い、男の下半身には元々穿いていた灰色のズボンから靴にかけて多少デザインが変わってこそいれど存在しているし、頭部にはしっかりと青い頭髪が生えている。  異質の象徴と言える物は、上半身に集中していた。  アクセサリーの一環としては明らかに付け過ぎだと言わんばかりに巻き付けられた鎖に、顔面を覆う形に取り付けられた鉄の仮面――極め付けに、全身から噴き出る青色の炎。  繭から解き放たれたその瞬間に、自分が居る空間の気温が上がってきた気がする。  それも、夏の蒸し暑さなど比類にもならないレベルで。 「……さァて、成熟期クラスの『力』で完全体クラスの力にどれだけ耐えれるやら」  本能的な危険信号が頭の中で反芻する。  可能性を思考する段階から、既に負ける未来図しか見えてこない。  逃げた方が利口だと理解しても、足から変化したこの尾びれで逃げ切れる気がしない。  そして、その考えは間違っていなかった。    ズグギィッッッ!! と。  右腕の『蛇』から氷の矢を咄嗟に放とうとする間も無く、怪物と化した蒼矢の体が、冗談抜きに香港映画のように吹き飛ばされ壁に激突する。  ただ、拳を使った振り上げる形の一撃。  それが蒼矢を襲った攻撃の内容だった。 「が……はっ!?」  重力に引かれて地面に落ちようとした所で、次の動きがあった。  蒼矢を殴り飛ばした炎の魔人が、自身の身体に巻き付けられた鎖を投げ放つ。  その鎖がまるで意思を持っているかのような挙動で蒼矢の体に巻き付くと、魔人は投げ放った鎖を改めて握り直す。  直後に、それは振るわれた。  最早抵抗するだけの余裕も無いまま、蒼矢の体は鎖に縛られたまま地面に向かって叩き付けられる。  頭部を丸ごと覆う兜のような甲殻が無ければ、即死してもおかしくない勢いだった。 「……ぐ……が……」 「おいおい、勢い余って殺しちまったりしないよな? 思いっきり頭蓋に入ったぞ」 「この程度で死ぬようなら、そもそも『組織』が必要としねェだろ。それに、流れで覚醒してくれるンなら都合が良いし」  揺らぐ意識の中で黄色い声が微かに聞こえる。  実の所、蒼矢はもうこの時点で戦おうとする意思を失っていた。 「そもそもの問題として水中戦、あるいは水上戦で真価を発揮するデジモンの『力』で、陸地が本場の相手に立ち向かえるわけが無いだろ。足も無いその姿が本当に正しい形なのかは知らねェが、コイツは正しくまな板の上の鯉って奴だ」  勝ち目が無いだけでは無く、そもそもこの魔人が『組織』に属しているのであれば、場合によっては増援がやってくる可能性さえある。  ただでさえ目の前の一人にすら太刀打ち出来ないのに、これ以上新たな『敵』が増えてはどうしようも無い。  いずれ、どこかで、折れる。  そうとしか考えられなくなってしまいそうになる。 「…………っ」  それでも戦おうとしているのは、はたして自分の意思によるものなのか、それとも怪物の意思によるものなのか。  蒼矢には解らない。  自分の中に宿っている怪物が何を考えているのかも、どう戦えばいいのかも。  いっそ、自分を忘れて本能に任せて暴れてしまった方がいいのか。   (……嫌だ。それだけは、それだけは絶対に……!!)  もしここで『折れて』しまえば、自分の力が何か別の目的に使われる。  それも、恐らくは悪意を伴う内容だろう。 (……この力が、危険なものである事はわかってるんだ。こんな奴等の好きにさせたら、駄目なんだ……!!) 「ギブアップはしねェのか。出来ればさっさと諦めてほしいんだが、なァ!!」  倒れ伏したままの蒼矢が、サッカーボールでも扱うように腹を蹴られる。  鈍い痛みが体を奔り、胃の中から何かを吐き出してしまうような声が漏れる。  可哀想になぁ、と魔人の仲間である男は黄色い声を出しながらそれを傍観していて。  この現状を生み出した少女は、無の表情のままそれを眺めていた。  だから、その状況に変化をもたらしたのは、彼等にとってのイレギュラーだった。 「……アンタ達、何をしてんの」  視線が、痛めつけられている司弩蒼矢から別の方へと移される。  痛めつけられていた蒼矢もまた、倒れ伏したまま声のした方へと目を向ける。  建物の入り口らしき場所に立っていたその人物の姿は、いっそ場違いとも言えたかもしれない。  そこに居たのは、どこにでもいそうな制服姿の女の子。  怪物が二体存在するこの空間に、恐れ知らずにも踏み込んできた、学生。  その介入に、面倒事が増えたと言わんばかりに魔人もその仲間も目を細めた。  一方で裏切りの少女は、本当に驚いたように目を丸くしていた。   「……なんでまたこんな場面で一般枠が来ちまうかねェ。これはアレか? 目撃者は野放しで帰すなっていう流れ……」 「その人から離れなさいよ」  その女の子は、魔人の言葉を遮る形で言葉を発していた。  状況も経緯も解らないはずなのに、それでもある怪物を庇おうとする言葉を。  思わず、魔人は呆気に取られたように笑い出した。 「……人? 人って言ったのか、この気持ち悪い化け物を。オイオイ良かったなァ、そんな姿でもまだ人だって認識してくれる奴が居てくれて!! 流石にこの反応はオレも予想してなかったわ!!」 「別におかしい事じゃないでしょ。つい少し前に鳥みたいな人にも出会ったし」  一歩、また一歩踏み込んでいく。  怪物の姿を認識出来ている時点で、魔人もその仲間もこの少女が『同類』である事は理解している。  だが、仮にデジモンの『力』を使って戦えるのであれば、さっさと『肉体の変換』を実行しているはずだ。  それ故に、彼等はすぐに気が付いた。  この少女は、また自分の『力』を使える段階には至っていない、と。  その事実は少女自身も理解しているはずだ。   「あんた達が何者かは知らない。その人が何でそんな目に遭わされてるのかも知らない」 「なら、どうして関わろうとする? 身の程ってのを理解してないタイプか」  少女の言葉に、魔人の仲間が問いで返す。  対する少女の答えは単純なものだった。 「身の程知らずだろうが何だろうが、ここで見捨てたら後悔しそうだったから」 「なら、今から後悔する事になるな」 「やってみろ」  言葉と同時に、少女――縁芽好夢が駆け出し始める。
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ユキサーン
2021年4月25日
In デジモン創作サロン
 前話へ  声だけが聞こえていた。  聞き覚えなんて無いはずなのに、それは何処か身近にさえ感じられる声だった。  それが幻聴に過ぎない『夢』なのか、過去に体験したかもしれない『現実』なのかさえ判断出来ないまま、ただそれは響いていく。  それは、息も絶え絶えしい唸り声と、溜め息混じりな呆れた声の、言い争い。  ――はぁ……ぜぇ…………っ!!  ――……ったく、だから言っただろうが。いくら俺達みたいなのが嫌いだからって、相対する相手との『差』ぐらいは認識しとけ。そんな風に振る舞い続けるんなら命がいくらあっても足りねぇぞ。  ――……うる、せぇ……っ!! 正義だの悪だの、そんな大義名分を掲げた奴の手で死んだ奴を、俺は何匹も見てきた……『アイツ』だって、本当だったら幸せに生きる権利ぐらいあったはずなんだ!! なのに……ッ!!  ――お前の言う『アイツ』が誰の事を指してるのかは知らんが……お前、天使とかに忌み嫌われる奴を同じように嫌ってる『種族』なんじゃないのか? そいつがどうなろうと、知った事じゃないってのが本音じゃねぇのか。  ――……ハッ、そんなモンは先に生まれた連中が勝手に付け加えたレッテルに過ぎねぇだろう。そんなモンに合わせる義理も理由もねぇ……。  ――が、お前は現に『後悔』してんだろ。お前が本当に憎んでるのは『加害者』の方じゃねぇ。他でもない自分自身だろうに……。  ――……お前に何が分かるってんだ。こんな世界で生きていく以上、どんな手段を用いてでも生き残ろうとするのはおかしいのか? 騙されるぐらいなら騙して、何でも利用出来るものなら利用して……そうでもしないと生き残れない弱者にどうしろと?  ――出たよ、負け犬特有の言い訳。自分の境遇に悲観して行いを正当化すんなよ。そもそも世の中における『弱者』ってのは、本当に能力だけで判定出来るモンだと思ってんのか? 言うとアレだが、今のお前より『強い』奴なら結構居ると思うぞ。  ――……っ……赤の他人の分際で知った風な口を利きやがって。ああ解ってるよ。自分の弱さぐらい自覚してる!! いくら進化しても、根っこの部分で俺は何も変われてない……だから失ったって事も、何もかも!! だが、だったらお前には解るってのか。こんな俺に、この負け犬に、必要な物が何なのか!! それを理解した上で偉そうに語ってんのか!?  ――知るかよ、俺はお前じゃねぇんだ。自分の答えぐらい自分で見つけてみろ。他者の力を借りるのも勝手だが、何も信じられないのなら自分自身で探すしかねぇのが必然だろうに。いくら永く生きてるっつっても、そこまで俺は万能じゃない。  その言葉に込められた意図も、その声を発している者が何者なのかも解らないまま。  音だけが全てを表した夢は、呆気なく崩れ落ちる。  ◆ ◆ ◆ ◆  視界が明滅していた。  意識が朦朧とし、前後の記憶が把握出来なくなっていた。 「……ぅ……」  目を開けても視界の明度が不安定で、牙絡雑賀は呻き声を上げる事しか出来なくなっていた。  最初、彼に理解が出来たのは、自分が何か薄い布のような物に被せられた状態で横になっている事と、何より自分自身の体が鉛のように動かない――と言うより、金縛りにでも遭ったかのようにピクリとも動かす事が出来ない、そんなどうしようも無い事実。  そもそも自分は何処に居て、何が原因でこうなったのか。  そこまで雑賀は考えた時、あまり心地良さは感じられない清掃感を醸し出す消毒用のアルコールの匂いが鼻についた。  いつの間にか纏っている衣服に関しても普段着ている寝間着とも違う感触で、強い違和感を感じられた。  背中を預けている物からも少し硬い感触があり、それが自宅にあるベッドではなく、学校の保健室に置かれている物とほぼ同じパイプ構造のベッドである事を推測する事は鼻につく匂いからも推測する事は出来た。  何より決定な物として、自分の口元には酸素供給用の機材が。  ……どうやら、病院に搬送されたらしい。  現在時刻は分からないが、日の光が差し込んでいない所を見るに夜中なようだ。  病院に勤めているはずの医者や看護婦の姿は首を頑張って動かしても見当たらず、室内には牙絡雑賀が独りだけ。 「…………」  冷静に記憶のレールを辿ってみるも、現在の状況に至るまでの経緯が思い浮かばない。  都内のウォーターパークにて『シードラモン』の力を行使していた司弩蒼矢との戦闘した後、フレースヴェルグと名乗る男と遭遇した後からの記憶を思い返そうとすると、何故かノイズ染みた物が頭の中を通り過ぎる。  半ば強引にでも記憶を掘り起こそうと思考を練ってみた。  確か、何か凄まじい風に吹き飛ばされたような―― 「…………ッ!!?」  そこまで考えた所で、脳裏に過ぎる激痛の記憶と共に先の出来事が鮮明になっていく。  そうだ、自分は確かフレースヴェルグという紅炎勇輝を連れ去りデジタルワールドに送ったらしい『組織』のメンバーらしく男と相対し、会話の中で思わず怒り、その感情のままに首を取ろうとして逆に返り撃ちに遭ったんだ……と、自分がやった事も自分の身に起こったことも勝手にフラッシュバックされ、事実を受け入れざるも得なくなる。  その中でも一番驚いたのは、フレースヴェルグが行使した圧倒的な力、ではなく。  相手が誰にしろ、『ただの』とは付かない相手だったのしろ、同じ『人間』を自分の手で殺めようとしていたという言い訳のしようも無い事実だった。 (……な、ん……)  理解が出来なかった。  自分が何をしようとしていたのかは理解出来ても、どうして『そこまで』やろうとしたのかが解らなかった。  確かに、フレースヴェルグは悪党で、打倒するべき相手であるのは明白だった。  だが、何も殺害しようとまでは思わなかった。  そもそもフレースヴェルグは本当に退こうとしていたし、自分から攻撃する必要性など無かったはずだった。  まるで、自分の意識が『別の何か』に切り替わったような……あるいは混ざり合ったかのような、これまで感じた事も無い異質な感覚だった。 (……司弩蒼矢が理性抜きで動いていたのと、同じ……なのか?)  冷静になって異常さに気付けたものだが、実際のところ雑賀の意志はあの場面で殺害の方針へと向かっていた。  それに違和感も覚えなかったし、実際にそれを実行しようともした。  もしもあの時、本当にフレースヴェルグを殺せていたら……自分は、どうなっていたのだろう。  考えたくは無いが、フレースヴェルグの言った通り、雑賀は二度と『元の居場所』に戻れなくなっていたのかもしれない。  姿だけならまだしも、心の方まで怪物に成り果ててしまったら――もう、普通の人間と一緒には生きられない。 (……勇輝、お前は大丈夫なのか……)  ふと思い返されるのは、自身がこうして事件に立ち向かう動機となってしまった友人の姿。  先の『タウン・オブ・ドリーム』で対話した女の言葉が本当ならば、紅炎勇輝はデジタルワールドで『ギルモン』と呼ばれる種族のデジモンに成っている事になる。  その種族の『設定』は、ホビーミックスされた物でなら雑賀も知っている。  だからでこそ、不安になった。  司弩蒼矢のように理性を保てず怪物と成り果ててしまう可能性もあれば、自分のようにいつか誰かを殺してしまう可能性すらも否定が出来ない。  比較しても、凶暴性の面では紅炎勇輝の成っているデジモンの方が圧倒的に上なのだ。  もしも司弩蒼矢のようにデジモンの『特徴』を色濃く引き出してしまえば、どうなるか。  何より、もしも紅炎勇輝が『こちら側』の世界に戻って来れたとしても、その心の方が既に人間のそれと異なる物になっていたら。  彼は、本当に『元の居場所』に戻る事は出来るのか? (……ちくしょう。踏んだり蹴ったりだ)  手にした力の危険性を認識して、雑賀は思わず毒づいた。 (……だが、使いこなせないといけねえ。フレースヴェルグとかいう奴の言う通り、勇輝を助けるにしても事件を解決するにしてもこの『力』は必要なんだ。どんなに危険だろうと、戦いに赴くと決めた時点で覚悟なら決まってる……決めてねえといけないんだ)  雑賀は自分の右手を動かそうとしてみたが、やはり金縛りに遭ったかのようにピクリとも動けない。  そもそも、どうしてこうも体が動かせないのだろうか? という当たり前の疑問を今更ながら思い出すが、当然ながらその答えは推測の域を出ない。  ここが病院であるのは間違いないのだが、だとすれば全身麻酔でも投与されているのだろか。  全身大出血レベルの大怪我を負っていたのであれば、安易に麻酔を使うと危険性も増すのだが……そもそも感覚が無いのでどの部分が怪我をしているのか、それさえも解らない。 「……ったく、何なんだ本当に……」  幸いにも首周りは動かせるので声も出せたのだが、話相手になれるような者はいない――はずだった。 「まぁ、下手にあの鳥野郎に突っかかったお前も悪くはあるんだがな」  声がした。  夢の中の声ではなく、明らかに現実の、空気の振動から来る声が。  より正確に言えば、雑賀が横になっているベッドの、すぐ傍から。 「…………!?」  それがただの声なら、病院に勤めている医者が雑賀の視界の外に居たと考える事は出来たかもしれない。  驚く必要など無く、ただ平常通りの反応をすればいいだけのはずだった。  それでも、雑賀が驚かざるも得なかった理由は。  それが、ここ最近聞き覚えのある人物の声とそっくりであったからだった。 (……んな、馬鹿な事が……)  信じられないように思いながらも、顔だけを声のした方へと向けると。  そこに居たのは、 「……苦郎……!?」 「……まぁ、初対面じゃねぇし解っちまうか」  縁芽苦郎。  まだ蒼矢と相対さえしていなかった時に自宅へとやってきた女の子――縁芽好夢の義理の兄であり、牙絡雑賀と同じ学校に通っていて、恐らく誰よりも事件という『面倒事』に首を突っ込もうとはしないと、雑賀自身考えていた青年の名だった。  その容姿は白のカッターシャツに黒のズボン――ただ、それだけのシンプルな物。  だが、その容姿から来る印象は、以前見た怠け癖の激しいものとは明らかに違う、全く『別人』にさえ見える物。  その変化の大きさに戸惑いながらも、率直に雑賀は疑問を口にする。 「何でお前が此処に……? っていうか、こんな夜更けに何してんだ!?」 「おいおい。フレースヴェルグの野郎に吹き飛ばされて気絶し、更には大怪我まで負ったお前に救急車を呼んだのは俺だぞ……あと、俺が夜型な生活を営んでる事を知らなかったのか?」  当然のように返された言葉にも疑問しか浮かばなかった。  何故、縁芽苦郎は『組織』の一員らしいフレースヴェルグの名も、それと相対した雑賀が大怪我を負った事も、全て『知っている』のだ?  夜型の生活を営んでいるなど、そのような発言以上の異常性が含まれているのは明らかだった。  だから、様々な疑問を問う前に雑賀はこう切り出した。 「……お前はどこまで『知っている』んだ?」 「多分、お前よりはずっとな。だから、お前の疑問にはある程度答えを出せる」  恐らくは、お見舞いに来た人物のために置かれているのであろう小さなパイプ椅子に、苦郎は腰掛けて。 「……それじゃ、大体お前の疑問は予測が付くから話すとするか。お前やフレースヴェルグ、そして俺も含めた異能の持ち主……『電脳力者《デューマン》』について」  ◆ ◆ ◆ ◆  現在時刻、午前二時四十三分。  もうとっくに『深夜』と呼べる時間へ突入した夜の街は静まり返り、人の気配も殆どしなくなっている。  そんな夜の中、半裸にカットジーンズで黄色い瞳の男――フレースヴェルグは、とあるマンションの一室にて文字通り羽を休めていた。  数時間――最低でも五時間近く前に『ガルルモン』の力を宿した牙絡雑賀を吹き飛ばしたその男は、何故か気だるい感じの声で言う。 「……あ~、キツかった。流石に夜勤も込みだと、このフレースヴェルグさんでも普通に疲れるんだっての……」  彼の視線は、同じ一室に居る別の人物へと向けられている。  上半身から下半身までを覆い隠せるほどの大きな青色のコートを着た、彼にとっては馴染みが薄くも無い人物。  フレースヴェルグと同じく『組織』に属する一人であり、彼とはまた別のデジモンの力を宿している者。 「……まったく、何故勝手に牙絡雑賀と接触した? またいつもの衝動か?」 「いいじゃんかよ。俺が接触した所で何か問題起こるわけでもなし、それ以前に俺よりも先に『あの女』が接触して情報提供してる。今更俺の姿を見られたにしても問題はねぇだろ」 「……見られただけならまだいい。が、下手踏んで牙絡雑賀や司弩蒼矢を殺してしまったらどうするつもりだった? まさか『この程度で死ぬんならどの道必要無い』なんて言うつもりでは無いだろうな」 「まぁそういう本音もあるんだが、どっち道死なないようにはしたぞ。風力も手加減出来てたし、飛ばした方向には転落防止用のフェンスが取り付けられたビルだってあった。まぁ、見事にそれには引っ掛からなかったわけだが」 「『ただの人間』なら死んでもおかしくない高度と言っていいと思うがな。人間の頭蓋骨は数メートル程度の高度から落下しても砕けてしまう。いくらデジモンの力を宿していようが、脳をやられてしまえばどうしようも無いぞ」 「だからそこも考慮してたって。それに、アンタの言っている危険性は『頭から地面に落ちた場合』の話だ。腹か背中の方から落ちた場合は入らない」 「どっちにしても致命傷の可能性はあっただろうが。胸か背中の骨でも折れれば大惨事だぞ」  溜め息混じりな声で話す青コートの男は、台所のガスコンロに火を付けて何らかの料理を作っていた。  時刻から考えると何とも生活のリズムが噛み合っていないようにしか思えないが、わざわざ青コートの男がこのような時間に料理を作っているのには理由がある。  フレースヴェルグが「腹減ったからメシを食わせろ~!!」と煩いのだ。  そんなわけで、台所からは食欲を増し増しにさせる匂いが湧き出ている。 「まぁ、どっちにしろ大丈夫だって。救急車が二人のガキを搬送した所を確認してる。だから過ぎた事をいちいち愚痴みたいに言ってくんなよ~」 「………………」 「……あり? どしたんだアンタ。おい、ちょっと……ッ!?」  結果論を語るフレースヴェルグに向けて、青コートの男は片手――正確にはコートの袖口を向けた。  フレースヴェルグが言い訳を述べる前に、物理法則を無視してコートの袖口から蛇のように包帯が巻き付いて行く。  数秒ほどで、室内には怪我をしているわけでも無いのに、全身包帯巻きでミイラみたいな姿になった元半裸の男が完成する。  巻き付けた包帯に力を込め、フレースヴェルグの首を締め付けながら青コートの男が低い声を出す。 「……お前が楽しむのは勝手だが、その一方で俺の苦労を水増しさせるな。何度お前の所為で予定が狂いそうになったと思ってる? 『組織』の計画が頓挫したらどうしてくれるんだ」 「ぐ、ぐぇ……っ、首絞まる、首絞まるって……!!」 「締まっても構わん。というかお前は『組織』の方針から見ても、明らかに目立ち過ぎるし被害を与えすぎる。そもそも喧騒と争いを起こすのはお前ではなく『ラタトスク』の役割だろうが。本当に、どうして『組織』でお前のようなお調子者が監視役を担っている……?」 「ぐ、ぬぐぐっ……そ、それは俺が獲物を死角から見据える事が出来て、あまり目立たない動きも出来るから……だったような……」 「お前の元ネタは目立たない以前に『巨人』だろうが。そして『オニスモン』の体格も本来はかなりの物だ」  そんなこんなでちょっと頭痛がした風に頭を押さえる青コートの男だったが、どうやら料理が完成したらしい。  湯気が立ち上る鍋から食材と出汁を器に注いでいくと、リビングに設置されている木製のテーブルの上に置き、フレースヴェルグの拘束も解除した。  くんくん、と反射的に匂いを嗅ぐフレースヴェルグは、率直に疑問を発した。 「……何作ったんだ?」 「鍋物」 「何でこのクソ熱い夏場に鍋物!? 氷でも入れて冷鍋にでもした方が絶対いいだろ!!」 「……逆に聞くが、どうして俺がお前のためにそんな気遣いをしなければならない? こんな時間に作ってやっただけでもありがたく思え」 「はぁ……まぁ熱い物を食うと逆に涼しさを強く感じられる、とか聞くしいいけどよ……ん? ちょっと待てこれってダシに使ってるのもしかしなくともトリ肉じゃ」 「安くて量も確保出来るからな」 「もしかして俺のことそういう風に見てた? 串で刺す予定なの???」 「釜茹でも悪くない」  ◆ ◆ ◆ ◆ 「……デューマン?」  告げられたキーワードに怪訝そうな声を漏らす雑賀に対し、縁芽苦郎は言葉を紡いでいく。 「お前を含めた『異能の持ち主』の呼び方は色々ある。超能力者とか魔法使いとか、この辺りは一般的な例だな。お前やフレースヴェルグとかの場合、電脳世界……もしくは電子世界とでも言うべきか? そこに存在する生命体であるデジモンの力を行使するだろ? 一番使われている名前は、そこから文字った物だな」 「……それは?」 「候補としては色々あったらしいが、最終的には電脳の力を宿す者と書いて電脳力者と呼ばれるようになった。語呂の良さもそうだが、一番単純で理解しやすかったんだろうな。デジモンの『デ』と人間の英語読みである『ヒューマン』を混ぜ込んだ、本当に単純なネーミングだ」  電脳力者《デューマン》。  それが牙絡雑賀や司弩蒼矢、そしてフレースヴェルグ等の『異能を宿した人間』の通称らしい。 「……それで、俺や蒼矢が使っていた『あの能力』は何なんだ? 俺は直球で『情報変換《データシフト》』って呼んでたけど……実際のところ、本当に司弩蒼矢が言っていた通り『自分自身を含めた身の回りの物質の情報を書き換える』能力なのか?」 「実際にはそこまで万能じゃないけどな。宿してるデジモンの属性や個性とか、そもそも『変換した後』の物質の情報を取り込んでいないと上手く作動はしない。俺は戦闘を見ていたわけじゃないから詳しく知らんが、司弩蒼矢って奴が宿してたデジモンの種族は知ってるか?」 「シードラモン」 「それなら多分、少なからず海……という『環境』の『原型情報《マターデータ》』が内包されたんだろうさ。アニメでも描写されてただろ? デジタルワールドの陸上生物は『水の中では呼吸が出来ない』と認識しちまってるから濡れるし溺れちまう。だが、一方で『水の中では呼吸が出来ない』と知性や本当で認識することが出来ない機械とかは濡れも壊れもしなかっただろ」 「……一定の『環境』に順応出来るように、エラ呼吸の器官とかとは別に『水』のデータが組み込まれているから? だから、構造上『同じもの』であるシードラモンとかは水で『溺れる』事が無いし、水を使った攻撃を使う事が出来たって事か」 「他のデジモンにも同じ事は言えるな。十闘士がそれぞれ宿す属性……『炎』『光』『風』『氷』『雷』『水』『土』『鋼』『水』『木』……そして『闇』。口から炎を出すとか、掌に光を纏わせるだとか、そういう事が出来る理由もそこにあるんだろうさ。そしてその過程には、多分デジモンが生息している『環境』の『原型情報《マターデータ》』が関わってる」 「シードラモンは基本『海』に生息するデジモン。だから『海水』のデータをある程度宿していて、それを介する事で『別の水』を『海水』に変換する能力を司弩蒼矢は使えたのか」 「まぁ、シードラモンって種族の特徴から考えても、本能の部分で『そうする事が出来る』って理解してたんだろうさ。電脳力者が何を何に変換出来るかなんて、結局は発想と確信による物が大きいし」  まるで、というか確実に既に知っている情報として言葉を述べる苦郎の姿は、雑賀にとって何処か遠いようにも見えた。  デジモンに関する知識も、多分に持っているようだ。 「……にしても、大丈夫なのか? こんなに普通に話してたら、誰かに聞こえちまうんじゃ……というか明らかにお前不法侵入じゃねぇか。何処から入って来た?」 「同じ理屈が数時間前のお前にも当てはまりそうなモンなんだが。まぁ、そこは大丈夫だ。『ただの人間』には覚醒した『電脳力者《デューマン》』の姿を捉える事は出来ないし」 「……どういう事だ?」  思えば、前々から勃発している事件の実行者は一度たりとも姿を目撃されたことが無かったらしい。  だが、現に牙絡雑賀はウォーターパークでの戦闘の後、フレースヴェルグと名乗る『組織』の一員を目撃している。  同じ『電脳力者《デューマン》』に覚醒したから目撃出来たのかと雑賀は思ったが、そもそも縁芽苦郎は毎日家族に姿を見られているはずなのだ。  そこには、間違い無く『別の理由』が存在する。  そして、縁芽苦郎はその予想を一切裏切らなかった。  暗い室内の中、雑賀どころか殆どの人間が知らないと思われる真実が更に告げられる。 「じゃ、お前の言う『|情報変換《データシフト》』の疑問は後回しにして、次の話題に転換すっか……『デジタルフィールド』についてだ」  デジタルフィールド。  その単語についてもまた、雑賀も『アニメ』で登場した設定としての理解があった。 「……確か、それアレだろ。現実世界にデジモンが実体化する際に生じる、個体によっては小規模な、濃霧の形をして生じる力場の事だろ? 外部からは内部の状況を観測する事は殆ど出来なくて、その位置はデジモンだけが感知出来るっていう……一方で、人間は『デジヴァイス』を介さないと肉眼でしか捉える事が出来ないんだっけか? 全く視えないってわけじゃなかったよな」 「ああ。俗な方向ではそうなってるな」  苦郎は当然のようにそう返してから、 「それと似ているようで、ちょいと違うモンだ。連中が使っている名称だと『ARDS拡散能力場』。それがある限り『ただの人間』には電脳力者たちの活動を感知出来ず、視界内に『本当は』存在していたとしても頭の方が情報として処理、認識出来ない。仮に監視カメラを使ったとしても、そこに残っている映像に『怪しい人物』の姿は観測出来ない。別に古いテレビがザーザー鳴っているわけでもないのに、な」 「……それが、例の『消失』事件で明確な『犯人』の姿が観測されなかった理由……? そんな、犯罪者にとっては都合の良過ぎる情報隠蔽が可能なフィールドなんて……」 「おかしな話だろ? その中じゃ、仮に警察官が大勢でバリケードを張っていたとしても、そいつ等が『ただの人間』なら『犯人』は顔パスも何も無しに素通り出来るって寸法だ。ハッキリ言って、電脳力者絡みの事件じゃ警察なんてアテには出来んよ」 「………………マジかよ」  言わんとしている事が、何となく理解出来た。  死者の魂が向かう場所とされる天国に地獄や、似たように天使や神様が住まうとされている天界と、悪魔や魔王が住まうとされている『魔界』や『冥界』……そういった、名前だけは一般に浸透しているほどに知られていても『実在している光景』を見た事がある人間――正確に言えば、生きている人間はいない。  そして、それと同じように。  人間の目は赤外線や紫外線を見る事が出来ないし、耳で高周波や低周波を聞き取る事も出来ない。  現実ではその強弱を専用の機械で測定し、天気予報という形で情報が世に広まってこそいるが、実際にそれを感知しているのは鉄と電子器具の詰め込まれた機械。  宇宙へ飛び立つロケットで雲をブチ抜いても、天空に国が見えるわけでは無いように、仮に『異世界はある』と過程してみれば、人類がそれを見た事が無い理由が『高度』には無いことが解るのだ。  つまり。 「……人間が、五感を介して感じ取ることが出来ない領域。科学的に言えば赤外線を浴びた物質は熱を持つし、重力下のあらゆる物体は浮き上がるための力も足場も無ければ何処までも落ちる。それと同じで、人間の目や耳では感じ取れない『力』が何らかの膜を張った事で形成される特異なフィールドって事か……」 「ああ」  あの時、雑賀は足しいかに何らかの『違和感』を感じ取っていた。  どうして自分が気付けたのかという疑問に対しては、先のタウン・オブ・ドリームで遭遇した『組織』の女から聞いた『特別性』とやらが絡んでいると思って処理していたが、どうやら実際に『そういう』時条があったようだ。  そして、そこまで考えれば、雑賀が感じ取った『違和感』の正体も明白になる。  そう。 「……あの時感じた違和感そのものが、あのウォーターパークに発生していたデジタルフィールドだったわけか。だから、目や耳を使ったわけでも無いのに頭の方で感じ取れて、正確な位置さえも察知出来たんだな……」 「電能力者が『力』を行使した歳、本人の意志に関係無く発生されるわけだからな。俺は感知出来なかったが、お前には感知出来た。多分この辺りは宿ってるデジモンの能力が関係してるんだろうが、俺が感知出来たのはフレースヴェルグの野郎がお前をブッ飛ばした辺りだったな。要するに、奴が『オニスモン』の力を使った時。当然だがあそこでの出来事は『ただの人間』には誰にも知られなかったから、戦闘で発生した破壊痕の原因も突き止められないだろうな」 「……そうか……」  ふざけた話だ、と雑賀は頭を押さえ付けたくなったが、金縛りの掛かった体は動く事もままならなかった。  今でこそ誘拐事件で収まってこそ居るが、電脳力者は、法の番人たる警察の目の前ですら『何でも』出来るという事だ。  人格によっては実行するであろう盗みも、冤罪の人為発生も、殺人さえも、笑顔のままに横行される。  ……そんな事が毎日起きるような世界になってしまえば、もうおしまいだと言っていい。  突然起きた出来事に混乱し、誰も彼も信用出来なくなる絵図が容易に想像出来てしまう。  その不安を予想しきった上で、苦郎は言葉を紡いだ。 「まぁ、お前が危惧してる事は想像付くから先に言っておくが……『そうなる』事を望まない電脳力者だって居るのも事実だ。具体的に言えば、連中――あのフレースヴェルグって奴も入ってる組織に対抗するための枠組みって所か」 「……? アイツ等に対抗してる、別の電能力者がそんなにいるってのか?」 「中学二年生っぽく言わせてもらうなら、光あらば闇あり、闇あらば光ありって所かね。あるいは、犯罪者に対する警備員か。ともかく、あの鳥野郎が属している組織に比べれば小規模だが、何も対抗してる勢力がいないわけじゃねぇって事だ」  それを聞いた雑賀は、ほんの少しだけ安堵出来た。  少なくとも、これから先たった一人で立ち向かわなければならないわけでは無いことが解ったからだ。 「……ちなみに、俺も俺なりの理由でその枠組みに入ってる。わざわざこんな時間に顔出しした理由の一つには、お前にもそれを伝えた上で選択してもらおうと思った事もあるのさ」  雑賀自身、縁芽苦郎の人格を詳しく理解しているわけでは無いが、少なくとも悪人で無い事だけは信じている。 「……言いたい事は理解出来た」  だが、抱く疑問はまだ残されている。  それを払拭しない限り、安易に信じることは出来ない。 「だけど、お前が俺の事情を知っている一方で、俺はお前の事を知らない。知り合いレベルの付き合いがあるとしても、お前の言葉が本当だったとしても、簡単に首を縦に振る事は出来ない」 「……そうか」 「お前はさっき、俺やフレースヴェルグ……そしてお前自身の事を電能力者だと言った。俺が『ガルルモン』を宿しているように、フレースヴェルグが『オニスモン』を宿しているように、お前も脳に何かデジモンを宿してるんだろ」 「ああ」 「お前の目的はあえて聞かない。少なくとも、奴等と敵対関係にあるって事だけは信じられるしな。だから、お前が俺の事を知っているように、俺にもお前に関する事を教えてくれ……同じ枠組みに入るんなら、お互いの情報を認知し合っていても問題は無いはずだろ?」 「……そうだな」  恐らく、その問いに関しても苦郎は予想出来ていたのだろう。  自分だけが相手の事を知っていて、その相手は自分の事を何も知らず。  そのような関係では、協力者としての信頼など得られるわけが無いからだ。  溜め息を吐くような調子で肯定すると、やがて面倒くさそうに、本当に溜め息を吐いた。 「……先に『警告』しておくが、俺の事は間違っても好夢には言うなよ。それさえ守ってくれれば、他はどうでもいい。俺に関する情報なんて、どうせ奴等の一部には既に知られている事だしな」  その言葉だけで、縁芽苦郎の『理由』は語らずとも理解するには十分だった。  故に、雑賀もその『警告』には異論も疑問も無かった。 「解った」  その返事を、確かに聞くと同時に。  苦郎は雑賀の前の前で、その姿を当たり前な調子で変質させていく。  何の予備動作も無く、何の無駄も無いその変容っぷりは、雑賀がこれまで想っていた苦郎のイメージを覆すほどで、まるで――いや確実に自分や縁芽好夢が『知らない場所』で戦い続けてきた証拠のようにも見えた。  まず、制服の端から見える皮膚は全身にかけて濃い目の茶色を帯びていき、その体表の変化を基軸に頭部からは山羊のように歪曲した二本の角が。  続けて、鋭い爪を生やした両腕の筋肉が発達するのに合わせて白い制服が粒子に分解され、両脚もまた間接が増えて獣のような形に変わると、履いていた黒いズボンや靴もまた必要だと判断された部分だけを残し腰巻きのような残骸へと成り果てる。  その瞳に赤色を宿し、二の腕や腰元には黒色の鎖が巻き付き、終いには背から紫色の膜を張らせた六枚の翼が生えて、彼の変貌は終了した。 「……おいおい……」  その外見は悪魔と呼ぶに相応しい、欲望を醸し出す罪の象徴とさえ言えるもの。  その種が司る力は凄まじく、時としては圧倒的な暴力へと変換されるもの。  それを見た雑賀は思わずといった調子で、こう言った。 「……そりゃあ、ある意味においてはお前にピッタリと言えなくも無いかもだが……いくら何でも、そんな大物を抱えてやがるとか予想外だぞ」 「望んで宿したわけでも無いし、盛大な椅子取りゲームの結果としか言えんのだがな」  その口調もまた、その種に相応しい物へと変質しているように思えた。  雰囲気も口調も何もかもが異なる彼に向けて、雑賀はその種の名を紡いだ。 「七大魔王、怠惰の『ベルフェモン』……。こういう場合は頼もしいと言うべきか、それとも恐ろしいと言うべきなのか分からないな……」 「恐れられる覚えこそあれど、頼もしく思われる覚えは無い。……ひとまず、これで確認は済んだな?」  そう言った苦朗の体から再び粒子が生じると、その体は『ベルフェモン』と呼ばれるデジモンに類似したそれから元の姿――制服を纏った青年の姿へとあっさり戻していた。  どうやら言うところの『情報変換』を解除したらしい。 「え、制服とかズボンとか、そういうのも戻るのか? 司弩蒼矢の時もそうだったが」 「身に纏っている衣類とかは、肉体を変化させる過程で邪魔だと判断された場合、あんな感じでデータの粒子に変換して『肉体の一部』として吸収されるのさ。よく、女の変身ヒーロー物とかでも衣類が丸ごと変わった後、変身を解除した時にはあっさり『元の形』に戻ってただろ? それと似た理屈だ」 「……ちょっと待て。『肉体の一部』として吸収されるって事は、つまるところ変身の後の姿で外傷とか受けた場合……」 「まぁ、確実に欠損するわな。お前みたいに『獣型』のデジモンの力を行使する場合、骨や肉とか皮膚の次に『身に纏っている物』が変換の対象になる。俺みたいな悪魔……いや『魔王型』に関しては、種によって変わるんだが……三体ぐらいは衣類とかを一部『巻き込んで』変換する事になるだろうな。現に、俺は腕とか脚とかの部分的な変化が大きいから、あんな感じで制服もズボンも粒子変換されてただろ」 「うわ、マジでか!? あの時の戦いの最後の辺りで、俺思いっきり氷の矢とか食らってたわけなんだけど!!」  どうやら、原型となるデジモンの種族――そしてその骨格によって、身に纏う衣類にも影響は出るらしい。  変身ヒーローの定番――と言えば簡単に思えるが、実際に『それ』が起きる事はまずありえないと言っていい。  粒子だろうが量子だろうが、物体を粒状に変換して、また必要な時に『元の形』に修繕されることなど、実際はSFよりもファンタジー色の方が濃いぐらいだ。  それならまだ、衣類の上からアーマーやら何やらを新たに纏っている方が、現実味があるレベルだろう。 「……つくづく不思議なもんだ。物理法則って何なの? アテに出来ないのは警察だけじゃないって事かよ」 「まずは『何が起きてもおかしくない』って前提を受け入れてもらわないとな。現実世界だからイレギュラーっぷりが引き立ってるってだけで、デジタルワールドではそんなにおかしい事でも無いかもしれねぇし」  雑賀には当然知る由も無い事だが、実際に彼の友である紅炎勇輝は『感情』を力に変換する事で危機を脱している。  その仲間となったデジモンも、同じく。  物理法則を越えた力を敵味方の両方が行使出来るという事は、これまでの常識をある程度捨て去る必要があるのだろう。  既に体験しているからか、雑賀は『それ』に対して拒絶する事も無かったが。 「……ところで、結局あのフレースヴェルグ……あと、勇輝を『ギルモン』としてデジタルワールド送りにした奴の属する『組織』ってのは何なんだ? 『タウン・オブ・ドリーム』で俺に情報提供したあの女曰く、勇輝の存在が重要になってるらしいが……」  根本的に、敵となる『組織』の思惑は不透明だ。  自分よりもこの手の問題に対面してきたであろう苦郎なら、何かを知っているかもと雑賀は期待したが、 「それについては俺も解らん。成った種族が『ギルモン』である事を考えると『デジタルハザード』の刻印が何か絡んでるのは確実だろうが、それで具体的に何をしようとしているのかまでは解らない。単純に世界崩壊とかを考えてるわけじゃないっぽいしな……」  どうやら、その『組織』の目的は苦郎も把握してはいないらしい。  だが、返事を返した直後に彼は言葉を紡いだ。 「ただ、その組織の名前はハッキリしてる。以前相対した時、割りとあっさり口を開いたからな」 「……俺と会話した時には『組織』としか言ってこなかったんだが」 「知らん。犯行前に予告状を送る怪盗でもあるまいし、その時には必要性を感じなかったからじゃないか?」  そう言われると、どうにも反論出来そうにも無かったので黙り込む雑賀。  それに構う事も無く、苦郎は既に知っていた情報として告げる。 「奴等の属する『組織』の名前はな――――」  決定的な、それでいて不透明なその名を。 「――――『シナリオライター』。そう言うそうだ」  ◆ ◆ ◆ ◆  同じ頃、同じような状況と同じような部屋の中にて。  とある青年の、深層にまで沈み込んでいた意識が回復し、その瞳が暗闇に開いていた。  司弩蒼矢。  つい数刻前までバケモノと化し、とある狼男と死闘を繰り広げていた隻腕隻脚の青年だった。 「……ぅ……」  その意識は朦朧としていて、実を言えばその原因たる人物も同じような状況だった事を彼は知らない。  状況を確認する前に消毒用のアルコールの匂いが鼻に付いたので、彼は自らが置かれた状況を瞬時に理解出来た。  そして、自身が未だに隻腕と隻脚であるままこの場に居るという事が、どういう事を意味しているのかも。 (……僕は負けた、のか……)  単なる競技でのそれとは、全く違う意味合いを持った二文字の言葉。  それが、彼の頭に深く深く突き刺さっていた。 「………………」  あれだけの有利条件が重なった場で、敗北に繋がる要素など考えられなかったのに。  他でもない、自分自身の『これから』が掛かっていたのに、負けた。  顔も見た事さえ無いであろう相手に、掲げていた理由も、闘う意思さえも否定された。  何より、こうして生かされたまま病院に送られた。 「……くそっ……」  悔しい、という感情が沸き立つ前に、根本的な部分で彼は苦悩していた。  あの行動が『正しい』行いでは無い事ぐらいは明らかだった……が、それなら自分にどういう手段が残されていたのか?  何事を行うのにも必要な腕も、地を蹴り歩を進めるための二本の脚も、それぞれ一つ失って。  自分の個性を引き立たせる事で、その存在を認めさせるのも出来なくなって。  病院で療養生活を送り続けていても、心中に不満は募り続けて。  心の何処かでは、家族と会うことさえ恐れてしまっていたというのに。  自分に、何が出来た?  分からない。 「……牙絡、雑賀……」  自身を打ち負かした相手の名を呟くが、そこにはもう敵意も殺意も無かった。  まるで、意思も何もかもが霧散してしまったかのような声だった。  そんな状態だったからなのか、あるいは行動の起点となっていた理由さえも解らなくなっていたからなのか、今の彼には『力』を行使する事は出来もしなかった。  そして、行使しようとも思えなかった。  彼の意識は、再び深海のように深き無想へと沈んでいく。  ◆ ◆ ◆ ◆  対話が終わり、病室から出て行った縁芽苦郎は自宅に戻っていた。  彼は半ば無断で病室に入っていた立場のだが、彼が居た痕跡は現実に残されてはいないだろう。  牙絡雑賀との会話を開始する以前に、既に彼は電脳力者としての『力』を行使して情報を遮断していたのだから。  尤も、閉じている扉や窓を開けたままにしたり、電気を付けたりすると『記録に残る物』はあるので、彼が侵入……そして脱出に使ったルートは自動ドアが存在するロビーでは無く、洗濯物を干したりドクターヘリを利用するのに使われているのであろう屋上だった。  落下防止用に人の背丈と同程度の柵が設置されていたが、彼はそれをよじ登る事も無く、その体を雑賀の目の前で見せた『ベルフェモン』を原型とした物へと変異させると、六枚の翼を羽ばたかせて病院の敷地内から飛び立ったのだ。  そうして、肉体を変異させたままマンションにある自宅の玄関前へと着地し、閉じられている扉に鍵をピッキングでもするかのように慎重に差し込み、彼自身が小規模に展開している力場の効力によって音も無く室内に入っていく。  あくまでも『ただの人間』の範疇に入る親は目撃する以前に眠っており、当然この時間帯になると縁芽好夢も同じく寝床に着いていた。  自室に戻った彼は、状況を確認し終えると肉体を変異させている『力』を解除する。 「――がふっ……」  途端に、彼は自身の左胸の部分を左手で押さえ付け、口から出さざるも得なかった物を右手の中に吐き出した。  その色は、紅かった。  だが、それを見ても彼は何の動揺も見せず、その吐き出した物をティッシュで即座に拭き取ると、何ら変わらない調子で寝床の上に横になった。  つまる所、そんな生活を彼はずっと前から続けていた。  それが、彼にとっては『当たり前』の日常となっていただけだった。    ◆ ◆ ◆ ◆
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ユキサーン
2021年4月05日
In デジモン創作サロン
 前の章へ  その空間には、人の気配が存在しない。  辺りに存在するのは紛れもなく都会に数多く存在するコンクリートの壁であり、外側から内部を覗き見る事も出来うる窓も存在し、人間の能力に見合った数多くの機材だって数え切れないほど有るにも関わらず、その空間には人間と呼べる存在がただの一つも存在しておらず、建物として全く機能していないように『普通の人間には』見える。  そんな、現実の世界でも電子の世界でも無い場所に、来訪者が存在していた。  上半身から下半身までを覆い隠すほどの蒼いコートを着た、紛れも無い人間の男性が。  男性は室内に存在する一つの『一般的な』デスクトップパソコンの前に立ち、何も言わないまま電源を起動させると、そのまま液晶画面の傍にある端末へ手で触れる。  それだけで、本来人間が電子上の情報に介入するために必要とする、キーボードもマウスも何も使っていないにも関わらず、液晶画面には男性が必要とする情報が自動で浮き出てきた。  それは、本来厳重に管理されていて然るべきはずの個人情報。  名前や年齢、経歴など様々な情報が記されているそれは、過言でも無く個人の強みや弱みを握りかねない代物だ。  躊躇も無く情報を閲覧する男性は、ある一名の『人間』の情報を視界に入れると、表情を変えずに反応する。 「……ふむ」  記述された個人情報の中には、証明写真を元とした『顔』も存在している。  男性が見ている物には、肌の色はいかにも『一般的な』日本人のそれをしていて、黒色の髪を持ち、推測されるに歳は10代後半の男の子の顔が写されている。  証明写真を撮る際の服装は基本的に正装である事が多く、身だしなみや顔立ちも大抵が『嫌なイメージを持たれないために』ある程度整えられているため、写真一枚で個人の特徴を読み取る事は難しい。  そればっかりは、実際に会うぐらいしか確認する方法は無いのだ。  七月の十二日の夕方――――紅炎勇輝と呼ばれる『人間』を捕まえた時と同じように。   (……現実世界では、紅炎勇輝が行方不明になった事が流石に報道されている頃か。まぁ、現実世界の技術で『我々』の犯行を調べ上げる事は難しいだろうから、気にする必要も無いのだが……)  悩むような表情を見せる男性だが、実際に悩んでいるのか、そもそも何に悩んでいるのかまでは誰も分からない。  そんな『彼』の手には、一つの白い携帯電話があった。  彼はその小さな液晶画面を立ち上げると、電話番号も入れないまま音声を発信及び受信するためのスピーカーに向けて――より厳密には、自身の話相手に向けて声を出した。 「どうせ機関の情報か何かから知っているのだろうが、この数週間の間に、お前からのオーダーである『作業』を俺の方は必要な数だけやり終えた。そろそろ大題的に『組織』が活動を開始する時期に入ったと見て良いのか?」 『わざわざ問う必要も無いと思うのだがな。既に「種植え」は済んだのだから』  聞こえたのは、異常なまでに透き通った邪な物を感じられない声だった。  ドキュメント番組で表情をモザイクで隠した状態の人物の出す音声よりも、人間の声とは明らかにかけ離れた声。  喜怒哀楽の全てを内包しているその言葉を聞いた男性は、軽くため息を吐いて言う。 「……まったく、やる事を大きさを考えれば理解も出来るが、随分な回り道を通っているものだな」 『「紅炎勇輝」が手順に必要な要素である事ぐらいは君も理解しているはずだが?』 「分かっている」  声の主に向けて皮肉染みた声を漏らす男性は、一切の迷いも見えない表情のまま言葉を紡ぐ。 「役割は果たす。私自身の目的を果たすためにも、な」  携帯電話の電源を切り、男性は窓の外へと視線を向ける。  時は、七月十三日の午前九時を切った所だった。  ◆ ◆ ◆ ◆  友達の行方が消失した。  先日、互いに顔を見合わせ、遊びあった友達――紅炎勇輝が事件に巻き込まれた事を知ったのは、本日の朝にニュースを確認した時だった。  現在、白色のカッターシャツを黒色のズボンに入れ込み、革のベルトで固定させた一般的な学生の衣装をした少年――牙絡雑賀(がらくさいが)は、自分の通っている学校で科学の授業を受けている最中であるのだが、どうしてもモチベーションが上がらずにいた。 (……どうして、よりにもよってお前が巻き込まれるんだよ……)  先日別れた後に何かがあったのか、推測しても何かが思い浮かぶわけでもない。  実際に事件の現場に立ち会った事があるわけでも無く、外部から与えられた情報を元にしているだけな所為だ。  テレビや新聞に自分自身が本当に納得を得られる情報は無いし、仮に納得が出来たとしても、それは友達が消えた事を『受け入れる』事になってしまう。  それだけは、絶対にしたくない。  してしまったら、彼は『友達を失った』という事実を本当の意味で飲み込むしか無くなってしまうから。 (大体、最近のこの事件は何なんだよ。こんな事が現実に存在してるんだったら、既に何か解決のための行動が行われて『手がかり』の一つぐらい掴めてるはずだ。犯人の意図は分からねぇけど、こんなの拉致と変わり無い。何十人かの子供とかを人質にでも取って、政府に交渉しようとでもしてんのか……?)  それが今のところ、『消失』した人達が生存している事を前提とした現実味のある回答だとは思う。  現実に『行方不明』が題となる事件での生存者は少なくて、大抵は見知らぬ場所まで連れられた後に『最悪な末路』を辿る事ばかりだとしても、今回の事件までそうだとは思いたくない。  現実を飲み込むのは、実際に事件に巻き込まれた『被害者』の姿を確認した後でも遅くない。  だけど。 (……警察『だけ』で、本当にこの事件は解決出来んのか?)  根本的な問題として、ただの一般人が何をしても事件を解決する事は出来ないだろう。  だけど、身内という『関係者』であるにも関わらず、助けになるような情報に何一つ心当たりが無い事が、どうしてももどかしい。  推理小説などで地の文にひっそりと隠されている『ヒント』も、何らかの形で描かれたダイイングメッセージのような『痕跡』さえも見つからないのがこの数ヶ月の間に続いている事件の特徴である事は分かっていても、何かが欲しい。  警察が事実を隠蔽している可能性は低いだろう。  何か『手がかり』さえ発見出来ているのなら、それだけでも市民が浮かべる不安を少しは払拭出来る。  その効果を分かっていながら隠しているのならば、既に警察という機関が機能を発揮していないとも言える。  市民の安全を守る事に重点を置いているはずの機関が、むざむざ捜査に手を抜いているとは思えない――思いたくない。  結局、この事件を引き起こした人物は何を目的に様々な人の行方を『消失』させているのだろうか。  殺戮から繋がり生まれる快楽のためか、もしくは拉致をした後に遠い場所まで居を移しての人身売買か。  不思議と、雑賀にはそれ等すべてが間違っている気がした。 「…………はぁ」  思考を繰り返している間に、マシンガントークのように教科の内容を口にしていた教師による授業が終わり、次の授業が始まるまでの休み時間を迎えていた。  適当に一礼してから教室を出る。  目的の教室まで歩を進めている途中、横合いから声を掛けられた。 「お~い雑賀。随分と沈んでるみたいだが大丈夫か~?」 「……なんだ、お前か」  雑賀に話しかけてきた眠そうな目の人物の名は縁芽苦郎(ゆかりめくろう)。  雑賀や勇輝と同じく高校三年生で、友達――と呼べるような存在では無い知り合い程度の関係を持つ男だ。 「朝礼の時に先生からも言ってたし、お前だってもう知ってるだろ。勇輝のやつが事件に巻き込まれて行方不明になった事」 「あん? なんだ、そんな事で気落ちしてたのか。てっきり小遣い大量に吐き出したのに期待していた物が手に入らなかったとか、そういうもんだと思ってたのに」 「喧嘩売ってんの?」 「俺の性格は知ってるだろ。他人がどうなろうが、いちいち気にするほど慈愛に満ちちゃいないよ俺は」 「……だとするなら、俺に話しかけたのは何が理由だ? 用件も無く話し掛けて来るような奴じゃないだろお前は」 「あ~、それはアレだ。単純に言いたい事があるだけだ」  苦郎は本当に退屈そうに欠伸を漏らしながら言う。 「別に強制はしねぇけど、そんな風に同じ場所で暗い雰囲気を撒き散らしてるとこっちの気分に害が出んの。少しは割り切ろうと努力しろ」 「……それがあっさり出来るのなら、ただの薄情者だな」 「学校にまで来て、割り切れずにうじうじしてるだけの奴もどうかと思うが」  何も知らない癖に、知った風な口を利く。  この苦郎という男と出会ってから、今まで一度も他者の出来事に対して大した反応を示した所を見た事が無い。  今回のように生き死にに関わるほどのものであっても、対岸の火事やテレビの中のニュース程度の認識しか持とうとしない。  表情からも声質からも、切迫とした色を感じない。  ついでに、嫌味染みた悪意も。 (……それでいて天才なんだからタチが悪いんだよなぁ)  ハッキリと言って、雑賀はこの男の事が苦手だった。  こちらから何を言っても言葉を受け取っているのかどうかすら分からず、一方で自分の意見は堂々と言ってくる辺りが気に食わない。  一応憎めない部分もあるので、嫌いと言う程では無いのだが……やはり苦手だ。  そんな思考を雑賀がかべている事を知ってか知らずか(高確率で後者)、苦郎は歩きながら言葉を紡いだ。 「あ、そうそう。もう一つ言いたい事があったんだった」 「お前ともあろう奴が珍しいな。何なんだ?」 「そんなに『事件』が気になるんなら、自分の目と足で調べるこったな。他者から与えられる情報よりは信憑性のある物が得られるだろうし」  好き放題言って、苦郎は歩き去ってしまった。  雑賀は思わず呟く。 「……安楽椅子探偵か何かかよアイツは」  学校に来る時以外はほとんど外に出かけたりしていないのにあんな言葉が出るのだから、やはり苦手な男である。  しかし、言葉には頷けた。  無知な状態から脱却するためにも、学校が終わったら何かしてみようと雑賀は心に誓った。  尤も、具体的な案は何も無いのだが。  ◆ ◆ ◆ ◆  その青年は、病院の一室で窓を眺めていた。  寝床から掛け布団までも真っ白いベッドの上で横になり、その目で外だけを眺めていた。 「………………」  憂鬱そうにしている青年は、溜め息すら吐いていなかった。  そんな事をしても意味が無いという事を、きちんと理解しているからだった。 「………………」  病院での生活も、何日経ったのかさえどうでも良い。  時折、両親や友達が見舞いに来てくれる事はあっても、心境に変化は無かった。 「………………」  青年は片手で布団の端を掴み、そのまま立ち上がろうとしてみた。  だけど、一本の腕と一本の足のみでは、バランスを取る事も出来そうに無い。  無駄な行為だと分かっていても、納得なんて出来るわけが無かった。  奇跡的に命は助かっても、その先に自分の見ていた『夢』が見えなくなった。  大らかに膨張させた表現などでも無く、青年は本当に『それ』を体験しているのだ。  生きている心地なんてしていないし、このまま退院したとしても出来る事なんて高が知れていた。  だから。  自分のすぐ傍に『誰か』が近付いている事に気がついていても、驚いたような反応の一つさえ無かった。 「……ほぇ~、こりゃあ想像してたより思いっきり絶望してんなあ」  知った風な口を利かれても、青年の知った事では無かった。  ただ、事情を知っているのなら話相手ぐらいにはなるか、程度の認識を青年は持っていたらしく、首さえ動かさないまま後ろの『誰か』に声を掛けた。 「…………誰なんだ?」 「誰でもいいだろ。俺が来なくても、別の誰かが代わりに行くだろうし」 「?」  どうやら、見舞い目的に来たわけでは無いらしい。  その声質自体は三十台前半の大人のような雰囲気を感じるが、大前提として聞き覚えの無い声だった。 「なぁ。突然だが、お前の望みを叶える方法があるって言ったらどうする?」 「……望み?」 「お前が一番願ってるだろう事だよ。なぁに、方法はシンプルだ」  その『誰か』は、わざととでも言わんばかりに悪意をチラ付かせながら、青年に向けて自分の告げたい事を告げた。  言葉通り、望みを叶えるのにとてもとてもシンプルな方法を。 「なぁ、お前は『人間』をやめてみる気はあるか?」    ◆ ◆ ◆ ◆  第三時間目の授業科目は体育。  そして、夏場の学校の名物と言えば水泳である。  男子女子、それぞれがプールサイドにて学生指定の水着を着用しており、現在進行形で準備体操の真っ最中。  当然その中には、別に水泳が好きなわけでも何でもない男子高校生こと雑賀の姿もある。 (……水泳とはよく言うけど、ぶっちゃけこれって水遊びみたいなもんだよなぁ)  学校で行われている水泳の授業をやっても泳ぎが上手くならないという話はよく聞くが、その原因はそもそも『泳げるようになるため』に練習するためでは無く、どちらかと言えば『水の中での運動』を意識しているからだという。  その上で『泳ぎ』そのものを上手くしたい、もしくは選手を目指したいと思っている人物が、主に水泳の部活動に参加するらしい。  プール特有のハイターを混ぜた水のようなニオイに慣れない雑賀だが、とりあえず教師の指示に従って泳ぐ。  手のひらで水を搔き分け進んだ先には、当然ながら反対側の壁がある。  基本的に生徒はプールの端から端まで足を床に付けずに泳ぎ切り、それを何回か繰り返すのだ。 (しんどいなぁ……そりゃあ、夏だからこういうのがあるってのは分かりきってるんだが……)  ゴーグルのお陰で目に水は入らないが、泳ぐ途中で呼吸した際にうっかり水を飲んでしまう時だってあり、おまけに例の『消失』事件もあって、正直言って気分は良くなかった。  正直、夏場の水泳というシチュエーションには飽きている。  とっとと終わらせて調べ物に移行したいと思っているが、最低限の学業をすっぽかすわけにもいかなかった。  途中、誰かと話す事も無いまま授業は終わり、それぞれは更衣室にて衣服を制服に戻す。  『消失』事件の影響で、学習活動は一時間目から四時間目――午前中が終わると共に終わり、そのままそれぞれの教室にて終礼の時間となる。  足りない分の学習量は、その分だけ量が増し増しとなった宿題によって補う事になっていて、一部の学生からすれば嬉しかったりも迷惑だったりもする話だった。  尤も、理由が理由なのでそういった感情を表に出す人間は少ないのだが、雑賀にとっては好都合だった。  学業を終え、彼は彼なりに事件の手がかりを追い始める。  ◆ ◆ ◆ ◆    自宅に帰って昼食を食べてから約三十分後、現在進行形で情報収集を開始する雑賀。  結局の所、彼は自分の足で調べるよりも先に、他者の遺した情報を参考にする事しか思いつかなかった。 (……つーか、そもそも『犯人』の特定が出来ないんじゃあなぁ。現場には足跡が『被害者の物しか』残されていないらしいし、調べる事がそもそも出来ない。大体の話、どういう手段で『誰からも見つからずに』人間一人を連れ浚えるんだ……?)  完全犯罪の手口は基本的に『手がかりを何も残させない』事にある、と雑賀は思っている。  隠すとか、判別をつかなくさせるとか、そんなレベルでは無く『本当に』どうやっても見つけられない状態を作り出し、自身の『罪』に繋がるものを隠滅する。  例えば、一人の人間を殺した犯人の場合、凶器に自分の指紋を付けないために手袋を装備するのもそうだが、凶器そのものを地中に埋めたり数多の残骸に変貌させたりゴミとして処理したりする。  一方で、殺し終えた死体はどうするか。  こちらの場合、方法は様々だが大前提として死体を『見つけられない場所に』隠すためには、警察や周辺の住民の目から逃れた状態で移動しなくてはならないわけで、警察でも捜せない道が必要になる。  目の届かない場所にさえ来れば、後は重りを乗せて海底に沈めるなりなんなり出来る(と思う)。  だが、この市街地には裏道と呼べるほどの路地はほとんど存在しない。  仮に存在したとしても、そこはむしろ怪しさから警備の目が行き届いている場所だ。  架空の物語のようにマンホールの下を通過しているとしても、どの道地上に出ないといけなくなり、出た所を見つかれば容疑者としての疑いは避けられなくなるので同じ事。  まず『人の目に付く場所』はこの事件に結びつかない、と雑賀は思う。  逃走に使っている『足』が何なのかも重要だが、そんなものは確定的に『車』の一択である。 (……と、なるとだ)  その『車』のどこに人間を隠しているのだろうか。  積み荷として運ぼうものなら、途中で警察が『捜査の一環』と口実を作るだけで発見出来る。  眠っている『同乗者』として扱ったとしても、指名などを調べ上げれば直ぐに気付かれる。  今時、特別待遇で検査を見逃してもらえるような人物なんていないだろう。  自動車以外の移動手段として代表的な乗り物と言えば……。 (……電車は確かに大量の人込みに紛れる事が出来るし、一度に多くの距離を稼ぐ事が出来る。だけど、当然そこにも警備は存在する。調べる物を『人間大の荷物を運べる』物にだけ限定すれば他の客の迷惑にもならないし……第一、防犯カメラだってある。同じ理由で飛行機もアウトだ。だが、ああいうの以外に多くの人間の中に紛れる事が出来る『車』なんて……バスはバス停という『固定された目的地』に警備を設置するだけで見つかるし……)  そうして考えている内に、雑賀はふと思った。  そもそも、人込みの中に紛れる必要があるのか、と。  ナンバープレートを換えた盗難車という手段だってあるが、もっと身近に『固定された目的地』以外の場所に移動する手段があったではないか、と。 (……まさか、タクシーか……?)  有り得ない話でも無い。  実際、タクシーはバスや電車のように『固定された目的地』に止まるのではなく、お客様の口頭指示などによって『どこまで』走って『どこで』止まるのかを決定出来る。  その上、運転手は基本的に客の荷物を見ようともしないし、後ろの座席に乗っている時点で見る事も難しい。  何より、タクシーの中に警察が同乗している、なんて話は聞いた事も無い。  大きなトランクか何かにでも『人間』を積める事が出来れば、あるいは警察の目を誤魔化したまま移動出来るかもしれない。  だとすれば、調べるべきなのは――。 (……逃走ルート)  あまり難しく考えるのでは無く、むしろそうしている事で視野から外れているその盲点。 (それさえ分かれば、犯人が何処に逃走して居を構えているのかの思考が開けてくる。少なくとも、今の何も知らずにウジウジ悩むしか出来ない状態からは抜け出せる。このまま無力なままで居てたまるかってんだ)  せめて、一矢だけでも報いる。  この蟠りを残したまま人生を送る事になるのは勘弁だし、どの道このまま何もしないままでは自分自身の安全さえ保障は出来ない。  ……実際には、調べようとする動きを匂わせたり見せたりするだけでも危険を被る可能性は高い。  だが、それを理解した上で、彼は手持ちのスマートフォンを無線でインターネットに接続する。  使用する情報源は、何分間単位で情報が更新される掲示板。  時折目にしたり写真に写したりしたものを即興で書き込めるそのサイトならば、憶測だろうが何だろうが『手がかり』を掴むのに事欠くことも無い。  やはり『消失』事件に対する関心からかレス数は多く、ネットネームを使って話題を展開している住人の会話を見ていると、やはり推理を述べる人物はそれなりに居るようだった。  だけど。 「……イマイチ、ピンと来る奴は無いなぁ……」  率直に言って、信憑性を感じられる物はほとんど無かった。  各地域から情報が集められているとは言っても、その殆どが『何故か納得の得られぬ物』としか受け取れない。  車以外にも、下水道の中に何らかの空間を秘密裏に作ってそこに隠れているとか、路地から入れる秘密の通路を通って入ったビルの中イコール裏稼業を軸としている企業の所為だとか、何かのトラックの荷物に紛れて移動しているだとか、何と言うか現実味のあるような無いような推理が立ち上がっていたのだが、その全てが『別の地域』の出来事で、そもそもそんな事は不可能である。  下水道で穴でも空けようと工事機具なんて使ったら生じる音であっさりバレるし、路地から入れる秘密の通路なんて実用性を考えても難しく、トラックの荷物なんて身を隠す事の出来る物は滅多に無い。  何より、その全てが『実際に目で見て』調べた物じゃないという事実が信憑性を低下させている。  当然の事ではあるし、雑賀自身も大きな期待を抱いていたわけでは無いのだが、やはり望む『手がかり』は遠い。 (苦郎の言ってたのはこういう事か。確かに、他者の情報から信憑性は引き出せない。こりゃあ本当に自分の足で調べに動くしか無いか……)  かと言っても、何処から探索を開始するのかさえ決まっていない状態なので、思考を広げるぐらいしか出来る事が無い。  自転車で行動出来る範囲には限度があるし、行動出来得る範囲を全て調べるには時間が掛かりすぎる。  明確なタイムリミットなんて分かるわけも無いのだが、早急に【手がかり】を掴むのなら事件が起きてからそう時間が経っていない方が良いに決まっている。  だからでこそ、どう動くべきかを考えなくてはならない。  事件の現場であった公園は既に警察が調べに入っているために探せない。  だとすれば、まずはその周辺の道順を辿ってみるべきだろうか……と、考えていた時だった。 「……ん?」  少し遠めの位置から、非常事態を意味するサイレンの音が響いて来た。  音の発生源は確定的に道路の方からで、音の感じ方からするとパトカーでは無く救急車の物らしい。  それ自体は然程珍しいとも思えない物なのだが、雑賀が疑問を浮かべたのはそこでは無い。  救急車の向かったと思われる方角には、自分にとっても関連のある建物が存在している場所があったからだ。  その場所の名を、疑問形で呟く。 「……水ノ龍高校……?」  それは、雑賀の通っている高校とは違う場所に存在する、一般的に何の問題点も耳にしない『普通の』高校だった。  自分が通っているわけでは無いため詳しい事は分からないが、救急車が出動しているという事は、学校に通う生徒か教師の身に何かがあったという意味だろう。  それも、下手をすると命に関わるレベルで。  現在の時刻は午後の二時四分――まだ日も十分過ぎるほどに登っていて、何者かが身を隠して犯行に及ぶには明るすぎる時間だ。  自分が捕まる事を前提に『何か』をした、という可能性も無くは無いのだが。 「……まさか」  これも『消失』事件と関係のある事なのだろうか。  そう半信半疑で思いつつ、危機感を抱きながらも、雑賀は自転車の進行方向をサイレンの響く救急車の停車地点に向けた。    ◆ ◆ ◆ ◆  その人物――と言っていいのか分からない存在は、高い所がそれなりに好きだった。  色々な場所を高い所から眺められるという状況だけでも、奇妙な高揚感を得られたからだ。  彼は遠く離れた位置に視えている状況に対して、率直に言葉を漏らす。 「……ん、割と行動早いな。あのガキ」  あまり期待をしていなかったスポーツの試合の展開に思わぬ面白さを見い出した時のような、気軽な声調。  その瞳には獰猛な黄の色が宿っており、その視線から感じ取れるものは好奇心か悪意ぐらいしか無い。  衣服は下半身のカットジーンズぐらいしか外部からは見当たらず、都会で見る容姿としては明らかに場違いな雰囲気を醸し出している。  適当に高所から眺めていると、ジーンズのポケットに入っていた携帯電話が振動した。  彼はそれに気付くと、右手で携帯電話を取り出して画面を立ち上げ、通話用のボタンを押す。 「どうした、経過報告か何かか? ちゃんと監視してるぜ~?」 『……お前の場合、気が付くと居場所が分からなくなるからこうして確認する必要があるんだろうが。まぁ、ちゃんと監視が出来ている事には関心して……』 「ギャグのつもりか? いやぁ、割とクール系なアンタもそんな事言うのなぁ」 『今度対面したら縛り込みでアームロックするがよろしいなよろしいね』 「マジでスイマセンでした、ハイ」  彼は通話相手の言葉に危機感を覚えたのか、トラウマを思い出したような顔と声のまま謝罪したが、通話相手は無視して言葉を紡ぐ。 『で、そちらはどうなっている?』 「……あ~、病院のガキの伸びっぷりは思いのほか早い。才能の問題なのか何なのかは知らんけど、悪くはないんじゃねぇの? ていうか、アンタの方はどうなんだ」 『つい先ほど発見したが……どうなるかはまだ分からん。何せ、力を持った後の人間が行動に出るまでには、何らかの目的か計画が必要とされるからな。むしろ、そちらの動きが早いのは、既に「やりたい事」が決まっていたからだろう』 「あのガキは右腕と右足がキレーに無くなって数日は経ってたらしいしなぁ。『やりたい事』は大体想像つくがよ、一応はこれでいいのか? 正直俺の方は計画練るとかそういう分野じゃないからよ」 『構わない。「彼」がちゃんと目覚めてもらえればな』 「『彼』……あぁ、あのガキの事か」  九階建ての高層ビルの屋上から一点を見下ろしている彼は、視線をそれまで向けていた位置から少しズラす。  自転車を漕いで移動している、一人の青年の姿が視えていた。  面倒くさそうに、彼は言葉を紡ぐ。 「つーか、しゃらくせぇな。事が起きて、それに探りを入れさせる形で巻き込ませる。そんな事しなくても、とっとと『仕掛けて』みればスムーズに進行出来るだろうに、どうしてこうも回りくどい方針にすんだ? 俺かアンタにも出来ない事では無いだろうに」 『私達が安易に介入した結果、何らかのイレギュラーが発生する可能性だってあるだろう。そもそも「彼」だけでは無いのだぞ? 計画に必要とされるピースは』 「つまり、あっちがあっちで『勝手に』成長してくれるのに期待して、俺達は変わらず促す事に集中しろって事か」 『そういう事だ。多少の「誘導」は奴がやってくれるだろう』  聞いていながら、彼は気の抜けたように背筋を伸ばす。  校長先生の話などが駄目なタイプなのか、もしくは睡魔でも襲ってきているのか、同時に欠伸も出てきた。 「……っだ~、退屈だわホントに」  携帯電話越しに聞こえる声に、通話相手は呆れた風に言葉を漏らす。  それは、明らかに、人間が話すような内容とは違うもので。 『お前の場合、下手すれば天災を呼び出してしまうだろう。むしろ今は何もするな』 「あ~? 天災とかご大層な表現するのはいいが、俺のはまだマシだろ。大体、このご時勢に火力自慢なんて何にもならねぇよ」 『こちら側の世界でも「あちらの世界」でも、十分天災クラスだろう。子供……ではあるかもしれないが我慢しろ』 「へいへい」  そして、彼は通話の最後をこんな言葉で締めくくった。 「ま、しばらくは高い所から傍観するとしようかね。脇役がどんな風に力を使うのか、興味が無いわけでもないし」  ◆ ◆ ◆ ◆  結論から言って。  雑賀は救急車が向かった先の高校の敷地内へ入る事が出来ず、外部から被害者の状態を調べられずにいた。 (……そういやそうなんだった。普段は意識してなかったけど、基本的に学校ってのは『関係者以外立ち入り禁止』なんだよな。こりゃあどうすりゃいいかねぇ……)  水ノ龍高校では無く、別のとある高校の生徒である雑賀は立場上この学校の敷地内には許可無く踏み込めない。  本当ならば何らかの事件が起きたのであろう場所を警察よりも先に調べ、何か『手がかり』に繋がりそうな情報を得たかったものだが、思いっきり出鼻を挫かれてしまった。  生徒が被害に受けた直後で仕方の無い事ではあるのだが、校門の外側から手を振って教師を誘導しようとしても、マトモに相手をしてもらえなかった。  この分だと、病院の方でも意識不明となっているらしい被害者の生徒の件で忙しくなっているだろうから、救急車を追っても今は情報を入手出来ないだろう。  そんなわけで、再び手詰まり状態となってしまった。  結局、今頼りに出来そうなのは自分自身で得た情報でしか無さそうなのだが……。 (ネットの情報は現状だと信憑性が低い。地域別の『つぶやき』は事件解決に繋がる情報が薄いだろうし……やっぱり、ここに来る前に決めた方針で行くか……?)  そんな風に、気持ちを切り替えて自転車をこぎ出そうとした時。  唐突に、ポーチバッグの中に仕舞っていたスマートフォンがメールの着信音を鳴らした。 「あん?」  思わず、疑問を含んだ声を漏らす雑賀。  彼はスマートフォンを持っているが、メールのアドレスを登録している相手は家族の物ぐらいしか無い。  この時間帯に家族からメールが来た覚えは無く、家族以外からメールを貰う事なんてまず無い。  そのはずなのに、受信したメールは明らかに家族からの物では無かった。  内容に、目を通す。 『FROM・お前の味方以外  TO・牙絡雑賀  SUB・ヒント  本文/お友達の行方を知りたいんなら午後二時半以内に「タウン・オブ・ドリーム」一階のカフェに来い。来なかったら帰る』  ………………………………………………………………………………………………。 「は?」  またもや疑心に満ちた声を漏らす雑賀。  全く未明の相手からのメールという時点でもそうだが、何より本文の内容が明らかにおかしすぎる。  雑賀の本名を知った上で『お友達』なんて、それも『行方』とまで記述するのであれば、それは間違い無く紅炎勇輝の事に他ならない。  そして、本当に知っているのだとすれば、その行方を知れる者は連れ去った張本人かその関係者ぐらいであるはずだ  その、人物が。  何故、こんなメールを送ってくる? (……誘導してんのか?)  率直に考えても、罠の可能性はあまりにも濃厚だ。  だって、あまりにもイレギュラーが過ぎる。  犯罪者でありながら、身を隠さずにこんなメールを送ってくるなど、人情を利用した誘導策としか考えられない。 (……ただの迷惑メールか?)  仮にそうだったとするなら、かなり手の込んだイタズラだろうと雑賀は思う。  だが、互いに顔すら知らない関係でありながら、イタズラのために一個人の情報を入手しようとする者が居るとは思えない。  このメールの発信者が『消失』事件に関する情報を握っている人物である確立は、低くないだろう。  そして、その裏には確実に危険は待っている。 「………………」  現在時刻、二時十二分。  メールの贈り主が記述している事が本当なら、あと十八分で『手がかり』への道が閉ざされる。  行けば少しだけでも『手がかり』は手に入るかもしれないが、身の危険も当然伴う。  その二つの進路を頭に浮かべ、メールの送り主の危険性を感じつつ。  彼は、言う。 「……舐めやがって。行くに決まってるだろうが……ッ!!」  怒りを声に込め、犯罪者の笑みを脳裏にイメージしつつ、彼は自転車を目的の方角へと向けた。  もしもイタズラだったらスパムメール扱いで通報してやる、と同時に決めながら。
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ユキサーン
2021年4月03日
In デジモン創作サロン
 前話へ  時は少し遡る。  自身の所属する組織『ギルド』のリーダーであるデジモン――レオモンの命令を受け、個体名で『レッサー』と名乗るミケモンは水棲生物型のデジモンと共に多くの水源が目に映る山――『滝登りの山』へと、やって来ていた。 「……こっちも特に異常は無しっと」  周囲の木々や生息しているデジモンの様子を見てミケモンはそう呟き、通り縋った際に木に成っている所を見つけた黄色い果実を齧りながら、獣道を坦々と歩く。  歩いている最中に見られる風景は木々や草花といった自然界の産物のみで、特に異常を感じさせるような物体は見えない。  野生のデジモン達も、特にいがみ合ったりなどの問題を起こさずに平和を満喫しているように見える。  ここ最近は『凶暴化』だとか『崩壊』だとか、物騒な情報をよく耳にするが、とてもその情報が本当とは思えないほどに自然で平和な風景だとミケモンは思っていた。 「……ん?」  少なくとも、前方の遠い地点から平和とは程遠い印象がある荒々しさを感じさせる吠え声を聞き取り、それによって生じた音の発生源を察知するまでは、特に疑問を抱く事も無くそう思えた。  ミケモンのような、ネコ科の動物に似た一部の獣型デジモンの耳の形状は頭の上から立つ形のものであり、両方の耳を前方に向ける事で高い指向性を発揮する事が出来る。  ただ歩いているだけでも周囲の音声情報を細かく取り入れる事が出来るため、ミケモンは自分の居る位置から遠い位置に居る標的との距離と方向を知る事が出来た。  声の性質から判別して、何らかの竜型のデジモン。  更に足音から判別して、重量級のデジモン。 「……?」  そして、よく聞くとその荒々しい声を漏らしているデジモンの近くからは、三体ほどのデジモンの危機感の篭った声も聞こえる。  最近会った事のある、自分自身が期待している三人組の声のように聞こえた。 「……マジかよ」  思わずぼやくと、ミケモンは|齧《かじ》っていた果実を咥えたまま、前足を地に着けて疾走する。  耳で得た情報を元にして素早く移動を続けていると、ミケモンの目は遠方にて3対1の戦闘を繰り広げているのデジモン達の姿を視界に捉えた。  三体ほどのデジモンの正体は昨日『ギルド』の本部へ訪問して来た、ベアモン・エレキモン、初対面の何故か個体名を所持していたギルモンで、荒々しい声を漏らしていたデジモンの正体は、鎧竜型デジモンのモノクロモン。 (……げっ!?)  来た時には、既にその3対1の戦闘が終結しそうになっている時だった。  ベアモンは左足に、ギルモンは背中に大きな火傷を負っており、唯一目立つほどの怪我が見えないエレキモンも、少し前に転倒でもしてしまったのか、直ぐに体勢を立て直せるような状態では無かった。  そして今、襲撃者(と思われる)モノクロモンは、自身の角を前に突き出した状態で襲い掛かろうとしている。  それからギルモンとエレキモンの二体を守ろうと、ベアモンが盾になるように立ち塞がる。 (この距離じゃ間に合わねぇ……!!)  目に見えていても、ミケモンが走って間に合う距離では無かった。  モノクロモンの角がベアモンの体を貫く未来図が、容易に想像される。 「!!」  しかしその時、ベアモンの体から蒼い色の光が溢れた。  突進して来たモノクロモンを弾き飛ばしたその光は、デジモンなら誰もが知っている現象の合図。 (進化……か?)  言っている間に光の繭は内部から切り裂かれ、中からベアモンよりも大きな獣型のデジモン――グリズモンが現れる。  モノクロモンはグリズモンに対して強力な火炎弾を放つが、グリズモンはそれを爪の一閃で切り裂き左右に分け、そのままモノクロモンに対して上段から鉄槌のような打撃を決め、モノクロモンの顔面を地に叩き付ける。  モノクロモンは角を突き立て必死の抵抗を心見たが、グリズモンはそれを軽くいなすとそこから更に連続で打撃を加え、シメに正拳突きを叩き込んだ。 (……あの格闘のキレ具合といい、身を挺してでも仲間を守ろうとする姿勢といい、やっぱり俺の知るあのベアモンか)  グリズモンに殴り飛ばされたモノクロモンは更に気性を荒々しくさせ、再度グリズモンに向かって角を突き立てながら突進する。 (……にしても、あのモノクロモン……『狂暴化』してやがるな。何が原因なんだか……)  辺りの地を鳴らしながら突進してくるモノクロモンの角を、グリズモンは両前足で掴む事によって受け止めるが、勢いと重量を殺しきる事が出来ていないのか徐々に後ろへと下がっている。  だが、 (……勝ったな)  グリズモンは四肢に力を命一杯注ぎ込み、重量級デジモンであるモノクロモンの巨躯を投げ上げた。  空中で前足と後ろ足をバタバタと動かすモノクロモンの姿は、最早何の抵抗も出来ない事を示しているようでもあって、グリズモンは浮いて落下して来るモノクロモンにトドメを刺すために構えている。  そして、決着は着いた。  グリズモンの右前足による一撃がモノクロモンの顎へと炸裂し、轟音と共にモノクロモンの巨躯が吹き飛ばさせ、仰向けの状態となって倒れる。  その喉からは、先程まで聞こえていた荒々しい竜の声など聞こえてはいなかった。 (最後まで諦めない意思……『感情』の力が、欠けたパズルのピースを埋め合わせるように、『進化』が発動するのに足りない『経験』を補う。あの小僧に、まさかここまでのポテンシャルがあったとはなぁ)  命の危機にでも瀕する逆境に出くわさない限り、電脳核を急速回転させて『進化』を発動させるほどの『感情』のエネルギーは生まれない。  だが、だからと言って、何の『経験』も積まずにただ『感情』だけを昂らせただけでは進化は発動しない。  本当の意味で進化を望み、|切磋琢磨《せっさたくま》した者達にだけ、その奇跡は訪れる。 (オイラの目に狂いは無かった。アイツ等は、鍛えれば十二分に面白い奴等になりそうだ)  そんな思考と共に口に咥えていた果実を一口齧るミケモンだったが、目の前でグリズモンの体が光に包まれるのを見て、齧っていた果実を再び咥えながら疾走していた。  そして、現在に至る。 「……まぁ、こんな感じだ」 「ふ~ん……なるほど。レオモンさんの命令で来たんだ」  ミケモンからこの場に現れた経緯を聞いて、ベアモンは納得したようにそう言葉を返した。 「まぁ、この辺りは『ギルド』の情報でも安全と聞いてたんだがな。まさかこんな所で、暴走してるモノクロモンを目にするとは思わなんだ」 「僕も、何でなのか分からないんだけど……何で、モノクロモンが暴走して突然襲って来たんだろう」 「さぁな。少なくとも、お前等が悪いわけじゃないって事は確かだろ」 「さぁなって……まぁ、いつかは分かるかもしれないからいいけどさ。『ギルド』の情報網では分かってないの?」 「まだ、完全にはな」  ミケモンはそう言ってから、聞き耳を川の方へと立てる。  透明な水が心地良い音と共に流れる川の方では、先ほどの戦闘で背中に大きな火傷を負ったギルモン――ユウキが、エレキモンの手によって火傷の応急処置を行わされていた。 「痛っ!! 水かけぐらいもうちょっと優しく出来ないのかよ!?」 「つべこべ言うな。これ意外に治療法が無いんだし、その程度の火傷で済んだだけ良かったと思え」 「俺の種族は炎の属性に耐性を持ってるっぽいからな……っていうか、せっかく助けてやったんだから、もうちょっと愛想良く接せないのか?」 「……まぁ、確かに助けてくれた事には感謝してやるさ」 「おいおい、何だよそのツンの要素しか無い台詞。対して可愛げも無いお前がやってもちっとも価値無いし、普通に誠意ある言葉でほら、言ってみろよ」 「………………」 「何無言になって……痛ってぇ!? 何だよデレの一つも無しで常時ヤンかよせっかく体張ったのにィャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」  何やら水の弾けるような音と共に馬鹿の悲鳴と電撃の音が聞こえたが、ベアモンとミケモンは気にしないし目も向けない。  二体の赤いデジモンの喧嘩を余所に、彼等は話を続ける。 「完全にって事は、何か分かっている事はあったりするの?」 「ここ最近の異変が、何らかの『ウィルス』によって引き起こされている物って事ぐらいだ。黒幕が居るのか、自然発生した産物なのか、そこまではまだ明確になってねぇ」 「そうなんだ……あんなのが自然発生してたら、町とかにも被害があると思うんだけど」 「だから、高い確立で黒幕が居ると俺達も見ている。だが、可能性は複数用意しておくに越した事は無いだろ」  確かに、とベアモンは素直に思えた。  この数日、自分の事を『人間』だと名乗る不思議なデジモンを釣り上げたり、お腹が空いたという理由で外出した先で命を奪われかけたり、そこで一度も戦闘を経験していないはずのデジモンが『進化』を発動させたり、そして今日、また命を失いかけた実経験を持つベアモンにとって、こういったトラブルに対する心構えは常に用意しておくべきだという事は嫌と言うほどに理解している。  そうでなければ、様々な状況に応じて仲間を守る事など出来はしない。  野生の世界では、泣いて叫ぶ者を命賭けで助けてくれるような都合の良い勇者など常に存在はしないのだから、失いたく無い者が居るのなら、その場に居る『誰か』が勇者として戦うしか無いのだ。  ベアモンはそう思った所で、ミケモンに対してこう言った。 「ところでミケモン。僕等はこの後、食料調達を再開するわけなんだけど、そっちはどうするの?」 「どうするっつってもなぁ。オイラはお前等の戦闘する音を聞いて来たってだけで、やってた事はただのパトロールだぞ? 丁寧に来た道を戻るのも面倒だし、このまま『メモリアルステラ』のある場所を確かめに行くさ」  メモリアルステラ。  デジタルワールドの各地形や環境といったデータの流れを、永続的に記録する一種の巨大な保存庫の事で、覗き込むことが出切ればこの世界の情報を全て握る事が出来ると言われている石版のような形状の物体の事で、それに何らかの異変が起きれば環境そのものにも影響が及ぶ可能性も秘めているらしい。  ここ最近の異変に関係があるとするなら、確かに調べるのは得策だろう。  もっとも、環境そのものに変化は見受けられないし、そんな変化があれば『ギルド』の情報網が既に情報を掴んでいるはずなので、何らかの情報が得られるとも思えない。  だが。 「ねぇミケモン。もし良かったら、僕等もミケモンに着いて行っていい?」 「? 別にオイラは構わないが、何か理由でもあんのか?」 「ユウキに『メモリアルステラ』の事を見せてあげたいんだ。彼、色々と知識不足だから」 「……今のご時勢でアレの存在を知らないとかあるのか……?」  ミケモンは当然と言わんばかりの反応を見せたが、発案者であるベアモンは普段通りの口調を崩さないままこう言った。 「彼、実は『記憶喪失』なんだ。自分の名前以外の事を覚えてなくて、デジタルワールドの常識にも乏しいんだ。だから、この機会に見せておきたくてね」 「……あぁ、前にあのギルモンが言ってた『複雑な事情』って、そういう事か」  ベアモンの発言(大嘘)で合点がいったのか、気の抜けた声と共にミケモンはそう返す。 「大方、記憶が無くて行き場も無いから、お前の家に居候でもさせてもらったんだろ。それなら、まぁ納得がいく。オイラとしてもお前等が近くに居るってだけで守りやすいし、構わないぜ」 「ホント? 何から何まで、ありがとうね」  どうやら、理由に納得する事が出来たらしい。  ベアモンが言った事は当然その場で作った嘘に過ぎないが、事実ユウキには『デジタルワールドでの記憶』がほぼ無いに等しいため、半分は嘘では無い。  ミケモンの『見回り』に同行する事が決まり、ベアモンは何だか静かになった川の方を向く。  視線の先では話題にも上がっていたギルモンのユウキが、何故か川の上でうつ伏せのような体勢になっていた。  よく見ると、何らかの電撃を受けてガクガクと痺れているのが分かる。  わざわざ原因を調べるために考える必要も無かったので、ベアモンは素早い動きでユウキを川から引き戻し、言う。 「ちょっとおおおおおおお!? エレキモン、お前何してくれてんの!?」 「ちょっとムカっと来たから」 「いや何冷静に、清々しいほどの笑顔でそんな事言ってんの!? ほら見てよ、ユウキの口から白い泡が漏れてるんだけど!! てかお前、さっきユウキに助けられたのに何でこんな事してるんだよ!?」 「……誰だったかなぁ。こんな言葉を言っていたデジモンが居たんだ」 「何? ってかそんなのどうでもいいから、水を吐き出させるのを手伝ってよ!?」 「……あぁ、思い出した……昨日の友は今日の敵」 「逆だからね!? あと別に昨日も今日も敵じゃなかったからね!?」 「少なくとも俺はそいつの事を完全に信頼してるわけじゃないから、あと友達って認めてるわけでも無いから、つい」 「つい!? 昨日あんな出来事があったのに、エレキモンとユウキの信頼関係はそんなに脆かったのか~!!」  そんな二人の言葉の応酬を傍から見ているミケモンは、呟くようにこんな事を言っていた。 「……やっぱ、こいつ等面白いな」  ひと時の休息を終え、三匹の成長期デジモンと一匹の成熟期デジモンは再び山を登り始めていた。  歩く獣道の傾斜もほんの僅かだが角度が広くなっているような気がして、ふと横目に見える川の水が流れる速度や音も、山を登るにつれて増しているように見える。  剥き出しの岩肌の上や緑の雑木林などに生息している、野生のデジモンの数は山の麓や中腹と比べてもそれなりに増えていて、土地の関係からか果実の成っている木の本数が多い事が理由なようだった。  無論、そもそもの目的が『食料の調達』にあったギルモンのユウキ、ベアモン、エレキモンの三人は、進行中に見つけた木に成っていた果実を取って食べながら歩いている。  それぞれが大自然の産物を吟味している中、ユウキは一人、黙々と思考を廻らせている。  それを見て不思議に思ったのか、ベアモンが声を掛ける。 「ユウキ、何考えてるの?」 「……ん。いや、進化の事を考えてた」 「進化の事?」 「ああ。さっきの闘いで、お前は進化をしていたよな。お前等の情報曰く、俺も昨日は進化を発動させていたらしいが、俺はその時の実感が無い。お前には自我があったけど、俺は進化した時に理性が無かったらしいからな……違いが分からん」 「あ~……なるほど。僕もその辺りは分からないんだけどね」  そこまで返事を返すと、先頭を歩いていたミケモンが唐突に話に割り込んで来た。 「進化の際に自意識が失われるってのは、そこまで珍しいもんでも無いぞ」 「? そうなの?」  ミケモンは、何やら人生の先輩的なポジション的な立ち回りが出来る事を内心で嬉しがっているのか、それとも単に『ギルド』の留守番で退屈だったからなのか、何処か調子の良い素振りを見せながら喋る。 「どんなデジモンにも、潜在的に色んな性質が電脳核に宿ってる。癇に障る奴が居たら叩き潰したいと思う感情とか、その逆であまり戦いを好まずに出来る限り大人しくしていようとする感情とか、尊敬する誰かに仕えようとする感情とかな。だが、そういった感情が単純化され過ぎていて、ほとんど思考もせずに感情を表に出すタイプも存在する。脅威を感じた相手に対して反射的に威嚇したりする事とか、縄張りを侵されただけで理由とか考えず即座に排除しようとする事とかは、その極形だ」  まるでよく吠える犬とあまり吠えない犬の違いみたいだな、なんて事を思って、他人事を聞いているような顔をしているユウキに対してミケモンは指を刺しながら。 「お前さんの種族はそういった『本能』の面が濃いんだよ。多分『感情』のエネルギーで進化したんだと思うが、念を押す意味でも言っておこう」  ミケモンは一泊置いて。 「『感情』のエネルギーによって発動する進化は、発動したデジモン自身に強い感情を抱きながらも平静を保とうとするだけの『意思』が無いと制御出来ず、その時に昂った『感情』に呑まれる可能性がある。お前さんが進化をした時に自我を失っていたのは、お前さんが進化を発動させた時に有ったのが感情『だけ』で、それを制御しようとする自分の『意志』を持ってなかったからさ」 「……感情『だけ』?」  ユウキが『う~ん……』と疑問に対して何らかの答えを出そうと言葉を作っていると、今度は彼の進化を間近で見ていたエレキモンが口を出してくる。 「要するに……あれか。あんまり考えずに突っ走った結果がアレって事か」 「一応『感情』を生み出す過程で何らかの『目的』と、それを果たすために必要な『方法』が頭の中にあったんじゃないか? そのギルモン――ユウキって奴が進化した時の状況をオイラは知らんけど」 「……言われてみれば」  当時、フライモンとの闘いの際にユウキは進化を発動させて、成長期のギルモンから成熟期のグラウモンに成っていたが、その時のグラウモンには理性が感じられなかった。  だが実際、理性が無いにも関わらず、グラウモンはフライモンを撃退した後にベアモンとエレキモンを背に乗せるという行動を起こし、更に間違う事も無く町に向かって走り出していた。  最終的に町へ到達する目前でエネルギー切れを起こしたが、その行動には何らかの理性が宿っていたとしか思えない。  理性の無い竜に明確な目的を与えたのは何か、考えると意外と簡単な事が分かっていく。  当時、ベアモンを助ける方法を求めていたユウキに対してエレキモンはこう言っていた。 『町に行けば、解毒方法ぐらい簡単に見つかる』 『だから今は急いで戻る事だけを考えろ!!』  この言葉で、進化が発動する前のユウキ――ギルモンの電脳核に、目的を達成するための『方法』が入力されたのだとして、その後にユウキを『進化』に至らせる要因となった『感情』は何か。  つい最近の事でありながらおぼろげな記憶をなんとか掘り返し、ユウキは呟く。 「……『悲しみ』と『悔しさ』だ。多分、あの時に俺が抱いていた感情を表現するんなら、それが適切だと思う」 「どっちも処理の難しい感情だな……ウィルス種であるお前の電脳核は、そういった『負』の感情に同調しやすい性質を持ってる。ハッキリ言って危険だぞ。聞いた感じだとお前さんが進化した時の目的は『仲間を助ける』って所だったんだろうが……」  念を押すように、刃物なんて比では無い危険な兵器の使い方を教えるように、ミケモンは言う。 「その『目的』が別の何か――例えば『敵の殲滅』とかになって、お前さんが『感情』を制御出来なかった場合、お前さんを止めに掛かった仲間すら『邪魔』と認識して傷を付けかねない。それどころか、殺しちまう可能性だって高いな」 「な……」 「言っておくが冗談じゃねぇぞ。過去にもそういった理由で、敵味方構わず皆殺しにしたデジモンが居るって情報はそう少なくない。ウィルス種のデジモンだと得にな」  思わず絶句した。  ユウキ自身、自分の成っている種族の危険性ぐらいは他の三人よりも理解しているつもりだった。  一歩間違えれば、自分は核弾頭一発分に相当する破壊を何回も撒き散らす化け物に変貌してしまう可能性についても、別に考えてなかったわけでも無い。  だがそもそも、予想の土台自体がフィクション上での情報に過ぎなかったわけで、心の何処かで『そこまでの事にはならないかもしれない』と楽観視してしまっていた。  まだ、この世界の法則がどういう物なのかを理解しているわけでも無いのに。  デジモンに成っている今、ミケモンから伝えられた事実は人間だった頃と変わらない『現実』で感じた物と同じ物として受け入れられ、そこから伝わる責任感や恐怖心は紛れも無く本心だ。  まるで、見知らぬ誰かに重々しい火器を渡され、その引き金に指を掛けさせられているような錯覚すら覚える。  銃口を向ける相手を間違え、引き金に込める力が一線を越えた瞬間、取り返しの付かない事態に成りかねないのだ。  ユウキが自分自身で想像していた以上の恐怖心を抱いている一方で、ミケモンの言葉に何となく不安を覚えたベアモンが、思考に浮かんだ言葉をそのまま述べた。 「さっき僕も進化したけど、自我はちゃんとあったよ? 暴走なんてしてなかったし」 「そりゃあ、お前が抱いていた感情はそいつと明らかに違う物だっただろうし、そもそもお前みたいなワクチン種のデジモンは『負』の感情よりも『正』の感情に同調しやすいからな。余程の事が無い限りは危険な事にもなり難いし、あとは単純に精神面での違いだろう」  聞いて、またもやベアモンとの実力の差を実感し、溜め息を吐きながらユウキは言う。 「精神面……かぁ。俺って、そっちの面でもお前に負けてるのな」 「ふっふ~ん。君と違って、僕はそれなりに鍛えられているからね!!」  誰かに勝っている部分がある事がよっぽど嬉しいのか、『えっへん!!』とでも言うように上機嫌で威張るベアモン。  そんな彼を放っておいて、エレキモンはミケモンにこんな事を言った。 「随分と『感情』の『進化』について詳しいが、その知識はアンタ自身の経験からか?」 「いや? 当然、オイラ自身も『進化』の事に関してハッキリとまでは分かってない。今言ってた事も、所詮はヒマな時とかに読んだ書物とかからの引用が殆どだ」 「その書物は信用出来るものなのか?」 「歴史書とか図鑑とかそういう物は大抵、ダストパケットみたいにデータ屑が集まり自然発生した物じゃなくて、過去に生きたデジモンが自分の記憶を未来まで知恵を残すために書き記されたもんだ。結構信憑性のある内容だし、俺は信じてる」 「ふ~ん……俺はそういう文献とかに興味が無いからなぁ。目にする事のある本なんて、ベアモンの家か長老の家にある面白い物語が書かれた本ぐらいだ。面白いのか? そういうの見てて」 「興味が沸いたりして面白いぞ? 暇潰しとかに厚めの本はもってこいだしな」 「……アンタ、留守番中に居眠りだけじゃなくて読書までしてんのか?」 「もう殆ど読み終わったから、最近は寝てる事が多いけどな」    そんなこんなで雑談を交わしながらも、一行はこの『滝登りの山』の頂上までやって来た。  周辺の地形は斜面から平地に近くなり、周りの樹木が謎の材質で形成された石版のような物体を外部から覆い隠すように生えていて、その石版の周りには明らかに自然の産物とは言えない材質の台座が存在していた。  明らかに他の空間から浮いているような印象しか受けない、それでいて神秘的な雰囲気すら思わせるこの物体こそ、この世界の環境の情報が束ねられし保存庫――『メモリアルステラ』である。  今、この場に来たメンバーの中で唯一この物体の事を知らないデジモンであるギルモン――ユウキに対して、ベアモンは質問する。 「アレが『メモリアルステラ』なんだけど……本当に見覚えは無い?」 「無いっていうか、初見だからな。遺跡とかにありそうな石版としか思えないが……」  本人からすれば当然の反応をしたに過ぎないのだが、その一方でユウキの事情を(本当の意味では)知らないミケモンは、本当に驚いたかのようにこう言っていた。 「お前さん、本当に知らないんだな……こりゃあ重症だわ。常識が足りてない」 「?」 「あ~気にしなくていいから。そんな事より、始めて見るんだしもっと近づいてみてみない?」 「あ、あぁ」  ベアモンに手を引っ張られる形で、ユウキは『メモリアルステラ』の近くまで近づいていく。 「……おぉ」 (……本当に初めて物を見る目だ)  近くに寄ると遠くから見ている時点では神秘的に思えた物体が、不思議と近未来的な雰囲気を帯びた電子機器のようにも見える。  ユウキは思わず関心の言葉を漏らし、そんな彼の横顔を見てベアモンが内心で呟いている。  その少し後ろではエレキモンが二人の様子を眺め、ミケモンは『メモリアルステラ』の方へと視線を送っていた。 「まぁ、やっぱり見た感じ『メモリアルステラ』に異常は見られないな……平常稼動しているみたいだし、ここ最近の異変にアレは関連性が無いって事かねぇ……」 「となると、やっぱり何者かの仕業って事になるのか?」 「そう考えるのが妥当だろ。自然的な問題なら『メモリアルステラ』に異常が起きててもおかしくないし、まず何者かによる意図的な原因があるに違いねぇ。あのモノクロモンが異常なまでに興奮してるって時点で、そう考えるのが普通だろ」 「……チッ、本当に最近は災難続きだな……」  だが、一日の中で流石にこれ以上の災難は起こらないだろう、とエレキモンは思う。  というか、自分は一日に二回以上の災難に遭遇するぐらいに運の無いデジモンでは無いのだと、エレキモンは切実に思いたかった。
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ユキサーン
2021年4月02日
In デジモン創作サロン
 前話へ  フライモンから受けた傷と毒をパルモンの家である程度治療してから、三十分ほどの時間が過ぎた。  右足の感覚が未だに麻痺している所為で、歩行が難しい様子のベアモンの手を掴んで支えながら、ユウキはエレキモンと街道を歩いている。  向かおうとしている場所はベアモンの家では無く、これから働く予定である『ギルド』と言う組織の拠点である建物。  その理由はベアモンから口である程度の説明は受けたものの、どういう組織なのかを見学しておいた方が良いとエレキモンが判断したからだ。  移動の途中で、最初にベアモンが口を開く。 「それにしても、ユウキが僕等と一緒に『ギルド』に入ってくれると言ってくれて良かったよ。僕とエレキモンだけじゃ、まだ二人だから試験を受けられないし……」 「そういや今更聞くのもアレだけど、何で俺を誘ってくれたんだ? 実力を持った三人じゃないと駄目って言ってたが、それはあのパルモンも当てはまるんじゃないのか?」 「パルモンは『ギルド』の仕事に興味が無いらしいからな。俺等と一緒に『ギルド』に入るはずだった奴が、前まではこの町に居たんだが……な」 「?」  返答の途中で難しげな表情を見せたエレキモンと、それに連動するかのように暗い非常を薄っすらと見せたベアモンに対してユウキは疑問を覚えたが、事情を知らない自分が踏み入るような事では無いという事だけは理解した。  そして、重そうな空気を変えるためにユウキは話題を切り替える事にした。 「ところでベアモン、お前大丈夫か?」 「右肩の事? それなら明日まで安静にしていれば治ると思うけど」 「違う違う。右足の痺れとかもそうだけど、飯の事だ」 「……あ」  そういえば、とベアモンは思い出すように口をポカンと開けた。  恐らく自分が考えている事が当たっているのだろうと確信付け、ユウキは言う。 「お前の家にはもう食料が無いんだろ? 保存してたと思う魚はお前の朝食で消費して、それでも足りなかったからなのか、または新しく保存出来る食料を探しに森に行ったのかもしれないけど……結局フライモンに襲われて、食べ物にありつく事が出来なかったじゃん」 「………………」 「ついでに言えば、俺は朝から何も食べてない。まだ昼間だから時間はあるが、だからと言ってまたあの森の方に調達しに行くわけにもいかないし、本当にどうするんだ?」  言葉を聞いたベアモンの表情が、口を開けたまま固まる。  おそらく、どう返答しようか頭の中で思考しているのだろうが、それは要するに『忘れていた』という事をわざわざバラしているも当然なリアクションだった。  そんなワケで、この状況で頼れる唯一の頭脳要員をユウキは頼る事にした。 「……エレキモン、どうすればいい?」 「何でお前らの食事情に俺が手を貸してやらないといけないんだ。大体お前らは一食の量が多すぎなんだよ。少しは節約を意識しろ」 「そんなに食べてるつもりは無いんだけど。昨日はあんまり釣れなかった上に、ユウキの分にも食料を割り振ったから少し足りなくなったわけで……」 「そういうワケだ。自分の食料ぐらい自分で確保しろ。『働かざる者食うべからず』って言葉があるんだし、そこの馬鹿を見習って頑張れ」 「まぁ、確かにそこのクソ野郎の言う通りだと思う。あっ、食料調達するなら僕の分もよろしくね。昨日五匹も分けてあげたんだから、お返しには少し色を付けてよね」 「少し前の仲間発言から一転して俺に味方が居なくなったんだが。大体ベアモン、お前のあの施しは無償じゃ無かったのかよ!?」 「そんな事を宣言した覚えは無いし、僕はそこまで優しいわけじゃないから食べ物を我慢出来るほど聡明でも無いよ。命を救ってくれたのは本当に感謝してるけど、それとこれは話が別だからそこの所よろしく」 「……おぅ……」  この状況で唯一頼れる頭脳要員からは見捨てられ、更に少し前の時間で自分の味方をしていたはずのベアモンからケガをしている者としての特権を利用した断れない要求を投げ付けられたユウキは、一気に表情をげんなりとさせながら言葉を出していた。  気持ちの落ち込みに連動してなのか、頭部に見える羽のような部位が垂れてもいる。  そんな様子を見て、エレキモンは前足でユウキの左肩をポン、と叩く。  慰めの言葉を掛けてくれるのか、と僅かながら期待したユウキだったが、 「いつか良い事あるって」  そんな都合の良い言葉を掛けてくれるわけが無く、途端に別の意味で崩れ落ちそうになった。    ◆ ◆ ◆ ◆   木造や石造の住宅が多く建ち並ぶ中にぽつりと存在する、一風変わった一軒屋。  天井までの幅がおよそ7メートルはあるだろう広い空間の中に、カウンターや掲示板といった日曜的な物とは異なる家具が設置されており、普通の住宅とはそもそもの目的が違う印象を受けるその建物は、主に『ギルド』と呼ばれる組織が活動の拠点としている場所だ。  『ギルド』の主な活動内容は、第三者からの依頼を受け、それを遂行する事である。  今日も依頼はそれなりの量が有り、掲示板には特殊な記号の文字が書かれた紙が複数貼られている。  だが、それを受けようとするデジモン……否、受けられるデジモンは居ない。  理由があるとすれば、それは人員不足の四文字に尽きる。  この発芽の町に住むデジモンの数は『町』と言うには少ない150匹ほどで、のんびり平和に過ごしているデジモンも居れば、自らの手で作物を育てて食料もしくは物々交換の材料として扱うデジモンだって居る。  だが、それらの仕事とギルドには決定的に違う所がある。  町の外に、野生のデジモン達の縄張りを通って、この発芽の町とは違う別の『町』に向かわなければならない事だ。  それには当然危険が伴うため、ほとんどのデジモンは好奇心よりも先に恐怖心を抱く事が多い。  仮に好奇心によって『ギルド』に入ろうと考えるデジモンが居たとしても、『外』の世界で活動出来るほどの実力が無くては門前払いとなる。  そして、この町には実力者のデジモンが少ない。  不足している人員を少しでも補うために、この町の『ギルド』では構成員だけでは無く組織のリーダーすら依頼を受けて活動している事が多く、大抵の場合は建物の中にリーダーを担っているはずのデジモンの姿が無い。  それらの事情もあって、組織の中で留守番の役を任されている者が建物の中でずっと待機しているのだが、依頼をするデジモンが来るまでの間は特にやる事も無く待っているわけで。 「はぁ……ヒマだ。リーダー早く帰ってこねぇかな。ヒマなんだよ、退屈なんだよ、やる事がねぇんだよ。チクショー……」  無造作にカウンターの上に寝転がっている三毛猫のような外見をしたデジモンは、退屈げに独り言を延々と吐き続けていた。  現在、この建物の中には彼以外の姿は無い。  留守番を任されている彼以外のメンバーが、この日も依頼を受注して活動を開始している所だからだ。 「そりゃあ最近は物騒な噂っつ~か、実際に野生のデジモンは荒れてっしなぁ。外に出ても力の無い奴は死ぬ確立の方が高ぇし、リーダーの判断も間違っちゃあいねぇと思うけどよ……雑用係ぐらいはスカウトした方がいいんじゃねぇかなぁ?」  一人で言ってて空しくなるが、持ち場を離れるわけにもいかない。  誰かが尋ねてくる可能性がある以上は、退屈だろうが待っていなければならない。 「……ったく、何かヒマを潰せる物を今度作ってみたほうがいいのかねぇ」  ふと彼は建物の入り口から見える町の風景に顔を向ける。  町に住んでいるデジモンが雑談をしてたり、道を真っ直ぐに歩いているのが見える。  彼は思う。 (ほのぼのしてて平和だねえ。よく『大昔は戦争があった』だとか『世界が滅亡しかけた』とか、そういう出来事が過去にあったと言われてっけど、こういうのを見てると実際はどうなのか疑いたくなるモンだ)  デジタルワールドには様々な言い伝えがあるが、その目で見て確かめない限り真実なのか偽りなのかを理解する事は出来ない。  大袈裟に解釈された作り話の可能性もあれば、実際に起きた事実の可能性だってある。 (……ま、昔がどうあれ……今は平和なんだ。深く考える必要はねぇな)  彼は内心で呟いてから眠そうに欠伸を出すと、一度頭を掻いてから起き上がる。 (……にしても暇だな。いっその事サボって、魚釣りにでも出かけるか?)  そんな、知られれば絶対に怒られるであろう事を考えている時だった。 「……ん」  入り口の向こう側から、三匹の成長期と思われるデジモンの姿が見えたのだ。  ◆ ◆ ◆ ◆  ユウキはエレキモンに連れられて、とある建物の入り口前に到着した。 「これが『ギルド』の拠点なのか……思ってたのとちょっと違うな」 「何を想像していたのかは知らねぇけど、その通りだ。でかい建物だろ?」 「……まぁ、確かに『ここに来てから見た』建物の中では、かなり大きい方だな」  そこは人間界で見てきたゲームやアニメに出てくる『集会所』を思わせる様々な内装があり、入り口には何処かで見た事があるような、雫の中に二重の丸が書かれた紋章のような物が彫られた看板が飾られていて、やはり木造で作られていた建物だった。  エレキモンやベアモンにとってはこの大きさでも『でかい建物』の判定に含まれるらしいが、人間界に存在するビルやマンションを知っているユウキからすれば、この程度の大きさの建物はそこまで大きな物に感じられなかった。 (この二人に『都市』の風景を見せたら、どんな顔をするんだろうな)  先導して中に入ったエレキモンに続く形で、ベアモンの補助をしながらユウキは建物の中に入る。  最初に目に入ったのは三毛猫のような外見をした獣型と思われるデジモンの姿だった。 「いらっしゃい。依頼は現在受けられる奴が居ないが、まぁゆっくりしていけ」  そのデジモンはカウンターの上に体を横に倒した状態で、ユウキを含めた三人に対して言葉を放っている。  体勢や口調などから、人間の世界ではよく見る40台ほどの年齢の男性を思い浮かべるユウキだったが、ベアモンからすれば特に気にする事が無いらしく。 「ミケモン久しぶり~」 「おう久しぶり……その右腕大丈夫か?」 「ちょっと色々あってね。治療したおかげで大丈夫だから気にしないで」  ベアモンとエレキモンの知り合いの一人と思われるデジモン――ミケモンはベアモンの右肩に巻かれた包帯を見て一瞬目を細めたが、無事を確認すると『そっか。完治するまでは無理すんなよ』とだけ言っていた。 「アンタは相変わらず暇してるんだなぁ。朝とかは結構忙しいんだと思うけど」 「特に重要な物があるってワケじゃないと思うが、留守番係は必要だろ? チビ共にこういう役回りの奴の苦労は分からんだろうさ。あと少しで依頼に向かった連中が2チームぐらいは帰ってくると思うけどな」    どうやらこのミケモンは、この『ギルド』で留守番係をしているデジモンらしい。 (『あのデジモン』に似てると思ったらミケモンだったか。記憶が正しければ頭が良くて、もの静かで大人しいデジモンだったような気がするけど……見ただけじゃとてもそうは見えないな。あんな体勢でさっきから寝転がってるし……) 「おいそこの赤色。初対面の相手に対して挨拶も無しか? 別に構わないけど」  ユウキが内心で呟いていると、ミケモンは指差ししながら声を掛けて来る。  言われてまだ一言も喋っていない事に気付いたユウキは、とりあえず怪しまれないように挨拶と自己紹介を行う事にした。 「俺の種族名はギルモン。色々と複雑な事情があって、今はそこのベアモンの家に居候させてもらってる」 「ふ~ん。その『複雑な事情』ってのが気になるけど、聞くだけ無駄だろうしいいか」  そう言ってミケモンは体を起き上がらせて、グローブのような物がついている右手で頭を掻きながら自己紹介をする。 「オイラの種族名はミケモン。個体名はレッサーだ。得意分野は情報収集と睡眠。よろしくな」 (得意分野が前者はともかく睡眠って……何?)  互いに自己紹介を終えると、次に口を開いたのはミケモンだった。 「で。お前等は何でここに来たんだ? 依頼をしに来たようには見えんけど」  その質問に対して、エレキモンは回りくどい言い方もせずに返答する。 「いや、ようやく『チーム』に最低限必要な頭の数が揃ったからな。そこのギルモンにこの建物の見学と、ベアモンのケガが治ったら俺等で試験を受けたいんだけど、良いか?」 「……なるほどな。分かった、リーダーには伝えておく」  ミケモンはそう言うとベアモン、エレキモン、ユウキことギルモンの三体をそれぞれ見て、 「それにしても、中々面白いチームになりそうだな。こりゃあ楽しみだ」  その後、ユウキはギルドの内装に一通り目を通してから、同行者二人と一緒に建物の外に出た。  見学と言う目的が達成できた以上、いつまでもあの建物の中に居る必要は無いからだ。  建物を出たユウキが次に成すべき事は、自分自身とベアモンに対する食料の確保。  そして、その前にベアモンを家に送る事だ。 (……問題は山積みだな)  そう内心で呟くユウキ自身、不思議とそこまで嫌な気持ちにはならなかった。  空が夜の闇に包まれるまで、まだ時間は残っている。  ◆ ◆ ◆ ◆    『ギルド』の見学を負え、怪我をしているベアモンを彼自身の家まで送ってから、およそ一時間と半が過ぎた。  元人間のデジモンことギルモンのユウキは、あまり体を激しく動かす事が出来ない(と思われる)ベアモンと、何よりこの日の朝から何も口にしていない自分自身の食料を調達するために、先日自分が発見された海岸へエレキモンと共にやって来ていた。  人間の世界と違い、何所かに時計が置いているわけでも無いので、現在の詳しい時刻は分からない。  だが太陽が徐々に落ちはじめている所を見るに、夕方になるまでの時間はそこまで残っていないようだ。  エレキモンから釣りのやり方をある程度聞いた後、早速ベアモンから許可を得て貸して貰った釣り竿を使い、魚が当たるのを長々とユウキは待っていた……のだが。  岩肌の上に立ち、ルアーの付いた糸を海の中へ投下してから、早十分。 「………………」  魚が一向に喰い付いて来ない。  彼自身、人間だった頃は近くに海が無い地域に住んでいたため、そもそも『釣りをする』と言う行為そのものが初体験ではある。  スーパーやコンビニでお金を使い、購入する事でしか食料を入手した事の無い人間が、いざ食料を自分で入手しようとすると、こうも旨くいかないものなのだろうか……と、元人間のデジモンは思う。  冷静に考えれば十分しか経っていないが、夜になるまでに食料を確保して町に戻りたいユウキにとっては、一分すら惜しい時間と感じられてしまう。  ふと砂浜の方に居るエレキモンの方に顔を向けると、何やら前足を使って砂を除けているのが見えた。  その行動の意図を理解しようとはしないまま、ユウキは小さくため息を吐く。 (……食料を確保するだけで、こんなに手間をかける事になるなんてな……)  思えば。  ユウキは、これまで自分で直接食料を確保した事が無かった。  現在社会では基本的に、食料はスーパーマーケットやコンビニなどで『お金を使えば簡単に手に入る』と認識をしている人間が多い。  それ等の人間は漁師として海に出ているわけでも、農業を行って汗水を垂らしているわけでも無いからだ。  ユウキもその一人であり、このような状況に遭遇しなければ考えもしなかったかもしれない。  そもそも食料を『直接』確保する側の存在が無ければ、例え硬貨を持っていても食料を『間接的』に確保している側は食にありつけない可能性があるという事を。 (……こういう時になって、漁師さんとかに感謝する事になるとは思わなかったな)  この世界で生きていくためには力だけで無く、生き抜くための知識も当然必要だ。  人間で言う『社会』で生きるための能力は、デジモン達の生きる『野生』では殆ど役に立たない。  それ等の事項を再度確認しようとするが、具体的にどうするのかはまだ決まらないし分からない。 (……まるで受験勉強みたいだな。違う所は、落選イコール死亡って事だが)  自分の目的を叶えるために必要な能力は、たった一人で手に入れるには、あまりに多すぎる。 (……けど)  今は一人では無い。  自分よりも強いデジモンが二人、味方になってくれている。  不安は拭い切れないが、それでも希望は見え始めている。 (大丈夫だろ。きっと……)  そんな事を考えていると、両手で掴んでいる釣り竿が、ようやくしなり始めた。 「……おっ、帰って来たかぁ?」  所属している組織の拠点である建物の中で寝転がっていたミケモンは、外部から聞こえる音に耳を傾けながらそう呟いた。  わざわざ体を起こして確認しに向かうまでも無いまま、建物の入り口から三体のデジモンが入って来た。 「……帰還した」    一体は緑色の体毛に子ザルのような外見をしており、背中に自分の体ほどはあるであろう大きなYの字のパチンコを背負った獣型デジモン――コエモン。 「ういーっす」  一体は鋭く長い爪を生やした前足を持ち、尻尾に三つのベルトを締めており、外見はウサギに似ているようで似ていない、二足歩行が出来る哺乳類型デジモン――ガジモン。 「ただいまもどりました~!!」  一体は二本の触覚を頭から生やした黄緑色の幼虫のような姿をしている幼虫型デジモン――ワームモンだ。  彼等の姿を見たミケモンは、最初に一言。 「チーム『フリーウォーク』……近隣の町までご苦労さん」 「マジで疲れたわ。というか、別に目的地までの距離に文句はねぇんだが……」 「……近隣とは言え、行きと帰りに数時間は掛かる。その上、道中に野生のデジモンにも襲われるのだから疲れないはずが無い」 「だけど無事に依頼は達成してきました~」 「ま、お前等の顔を見ていりゃ分かるさ。報酬も貰ってるのが列記とした証拠になってるし」  そう言うミケモンの視線は、コエモンが右手に持っている布の袋に向けられている。  彼等のチームが依頼を無事完遂した事を確認したミケモンは、続けて言う。 「今日は時間も押してきてるし、お前等は先に引き上げていいぞ」  言われて最初に反応したのは、彼等の中ではリーダー格と思われるガジモン。 「アンタはどうするんだ? やっぱり留守番か?」 「やっぱりなんて言うな。他にも帰ってくるチームが居るんだし、何よりリーダーが帰って来ないと留守番を辞められない。勝手にサボったら説教食らいそうだしな」  もっともそうな理由を述べると、今度はコエモンが冷静な声で言う。 「……いつも退屈そうに寝ている事は、説教されないのか……?」 「別に寝ていたりしねぇよ。ただ横になって、適当にボケ~っとしてるだけだ」  それを聞いたワームモンは、あからさまに怪訝な視線を向けながら聞く。 「それって要するに寝ているんじゃ……」 「だから寝てねぇって言ってんだろ。そんなに言うならお前等が留守番係やれよ。俺だって外に出て開放感に浸りてぇんだけど、リーダーの指示なんだから逆らうワケにもいかねぇんだ。そりゃあ時折意識が遠のいて色んなものを見るけどよ」 「……それを普通は『寝ている』と言うのではないか?」  コエモンの言葉を聞いたミケモンは一瞬固まったように無言になり、そこからすぐに言葉を返そうとしたが、 「……ね、寝てねぇよ!!」  結局、三匹に揃って苦笑いされるミケモンだった。
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ユキサーン
2021年4月01日
In デジモン創作サロン
 前話へ  月が太陽に置き換わり、自然の摂理のままにデジタルワールドの時は朝へと転じる。  夜明けの光がベアモンの家の中を穏やかに照らし、それによってユウキは目を覚ます。 「……朝か」  外の明るさを確認すると気だるそうに体を起こし、両手を上げて背伸びすると共に大きなあくびが出る。  それらはユウキにとって、普段通りの動作で普段通りの日常の始まりを意味するものだった。  ほんの、昨日までは。 「……夢じゃない、か……」  夢ならば、今自分を取り囲んでいる状況にも納得する事が出来ただろう。  だが、これは夢ではなく現実。  ふと自分の後ろを見れば、自分に寝床を与えてくれたデジモンである、青み掛かった黒色の熊のような外見をした獣型デジモンのベアモンが、平和そうに鼻先からちょうちんを出しながら眠っているのが見える。  思わず、深いため息が出た。 (至近距離に怪しい奴が居るってのに、バカっぽい奴だな……)  ユウキはそう内心で呟くが、そんな事は幸せそうに笑顔まで浮かべて寝ているベアモンには関係無い。  ふと、自分とベアモン以外この場に居ない事を思い出すと、ユウキは自分の体をじっくりと確認する。  指はニンゲンのように肌色の五本指ではなく、三本の白く鋭い爪の生えたもの。不思議な事に、指のように細かく自分の意志で動かせる。  試しに握り拳を作ろうと意識してやってみると、まるで百円で遊べるUFOキャッチャーのアームに少し似た形になった。  殴打に使えるかどうかは実際にやってみなければ分からないが。  足は前に三本、後ろに一本の爪が生えていて、尻尾に関してはまだ慣れていないが多少は動かす事が出来るようだ。 (……とりあえずは、何とかなるもんだな)  人間としての記憶による補助もあって、身体の動かし方は本能的に分かった。  問題点があるとするなら、まだデジモンとしての『攻撃手段』が格闘ぐらいしか使えない事だ。 (にしても、何でこうなったんだ? 昨日は色々ありすぎて考える余裕が無かったけど……)  自分が何故デジモンと言う、人間からすれば架空上の存在に成ったのか。  それに関しては現状だと調べようが無く、持っている知識から作り出される想像ぐらいしか手がかりと呼べそうなものは無かった。  もしユウキの記憶にある『アニメ』と同じ理屈ならば、この世界に来た理由は『選ばれたから』で説明はつくだろう。  だがその『アニメ』の中には必ず、ある『アイテム』が存在していた。 (……デジヴァイス)  架空の設定上では、デジタルワールドに選ばれし者の証。  闇を浄化する、聖なる力を秘める――という『設定』の情報端末。  それが今自分の手元に無い以上、自分が『選ばれて』来たわけで無い事は明確だった。 (そもそも、俺は公園であの青コートの奴に気絶させられたんだったよな。それが何で、異世界に転移なんて結果を招いてるんだ?)  分からない、未知の部分が多すぎる。  手がかりになりそうなのは、やはり最後に出会った人物ぐらいだが、青いコートを着ていたという事と肌が恐ろしいほどに冷たかった事ぐらいしか覚えていない。 (……訳が分かんない)  自分は何故ここに居るのだろうか。  この世界で何をすればいいのだろうか。  両方の前足で頭を抑えながら自問自答するが、やはり納得のいく答えは得られない。 「……クソッたれが」  ユウキはベアモンを起こさないように静かに、それでもキリキリと奥歯を噛み締めながら、苛立ちに満ちた声で呟く。  その言葉に、自己満足以外の意味は含まれていない。  続けて呟いた言葉が、彼の現状を物語っていた。 「やれる事が無い……」  一方、エレキモンは赤色と青色が混ざった体毛を早朝の風に靡かせ、朝の眠気を残した呆け顔をしたまま、ベアモンの家に向かって哺乳類型デジモンの特徴とも呼べる四足を進めていた。 「ふぁ~、ねみ~……」  まだ起きたばかりだからか、やはりまだ眠いようだ。 (……ったく、昨日面倒そうな奴を拾っちまったせいで面倒な事になったなぁ。村に来る事を提案したのは俺だけどよ……)  内心で自分の行いに後悔しつつも、四足を止める事無く考える。 (確か、アイツの種族名はギルモンっつ~言ってたな……んで、個体名はコーエンユウキねぇ……)  種族としての名前だけでなく、個体としての名前も持っていて。  自身の事をニンゲンと言い、何処かデジモンとしての違和感を感じる怪しいデジモン。  村に来るように提案したのは単に助けるためだけでは無く、その危険性を実際に確かめるため。 (個体名を持つって事は、どっかの組織に所属してたって事なのかね……)  デジタルワールドにおいて、個体名――言うところの『コードネーム』とは、組織や友達など信頼関係を持つ相手との間で一個体としての自身の存在を示す物である。  自分自身の種族としての名前は、デジモンならば誰もが生まれた時から知っている。  だが自分の姿を見て、それを信じられないような反応を見せる相手を見たのは、エレキモンにとって初めての光景でもあった。 (……アイツ、マジでニンゲンなのか……?)  先日ベアモンの言っていた通りならば、彼は本来デジモンではなく人間だったと言う事にもなる。  だがエレキモンの知る限り、人間がデジモンに成るなどと言う話は、伝説や神話などの御伽噺が書かれた文書でも見た事が無い。 (デジモンに『進化』する話が載った文書なら知ってるが、デジモンに『変わる』なんて出来事は文書ですら出て無いぞ……?)  進化と変化。  頭の文字以外は一致している似た言葉ではあるが、その意味はまったく異なる物だ。 (ベアモンは割とマジに、アイツの事をニンゲンだと信じちまってるが……判断材料が少なすぎる)  疑問の原因となっている者が悩んでいるのと同じように、デジモンとしての常識を持つ彼も悩みに悩んでいた。  だがその疑問を解決する事が出来るわけも無く、やはり答えは出ない。 (……とにかく、この事は町長にも聞いてみるか)  内心でそう呟きながら、エレキモンは四足をベアモンの家に進めるのだった。  ユウキはベアモンが起きるまでの間、ベアモンの家の中にある物を興味本位で見てまわる事で暇を潰していた。  結局の所、一匹で考えていても何も解決しない事を悟ったのだろう。 (場所が場所なだけあって、自然の物から作られた物しか無いな……)  周りにあるのは木で作られた物ばかりで、家の中というのにまるで外に居るような錯覚すら覚える。  扉が無いのは単に素材不足なのか、それとも別の意図があるのか、はたまた面倒くさいだけなのか、元は人間だったユウキには分からない。  そしてその家に住んでいるベアモンの心境も、全く理解する事が出来ない。 「……ハァ」  思わずユウキは、この世界に来てから何回目になっただろうか覚える気も無いため息を吐いていた。  そんな時、まるで救いの手を差し伸べるようなタイミングで家の入り口から一匹のデジモンが顔を見せる。  それはエレキモンだった。 「う~っす、どっかのバカと違ってお前は早起きだな」 「心配事とか色々多すぎて、安眠出来なかったんだよ。正直あと一時間は寝ていたい気分だ」 「ふ~ん……ま、そういう気分になってるところ悪いけど、ちょいと俺と一緒に来てほしいんだが」 「……何でだ?」  エレキモンの発言に対して、ユウキは率直な疑問を投げかける。 「お前がいつまで住むつもりなのかは知らないが、町に住む以上は町の長に顔を見せとかないとダメだろ」 「……要するに、顔合わせか」  デジタルワールドでの足がかりとなる物が現状では無いため、しばらくはこの町にお世話になる。  だが勝手に住まう事は流石に拙いのだろう。ユウキは面倒くさそうに思いながらも納得し、エレキモンの言う町の長の家へと向かう事にしたようだ。 「ところで、このベアモンはどうするんだ? まだ寝てるけど」 「あ~そっか、コイツは寝てるんだったな……まぁいいだろ」 「いいのか?」 「いいんだ。コイツを起こすだけでも時間が掛かるし」  いまだに眠りの世界でお花畑な夢でも見ているのだろうベアモンをよそに、ユウキはエレキモンと共に家の入り口と出口を兼ねた穴から外に出て行く。 「で、町の長の家ってのは何処に?」 「いちいち教えるよりは実際に行って見た方が早いと思うぜ。何より、滅茶苦茶分かりやすい目印があるからな」 「?」  ベアモンの家から出て、早数分後。  二匹は発芽の町で最も大きな木造の家の前に来ていた。  誰でもここが町長の家だという事が解るようにするためなのか、入り口の左側には大きく『ちょうちょうのいえ』と書かれた看板が設置されている。  ひらがな表記なのは、まだ子供のデジモンにも解るようにするためなのか、それともこの町の町長の知能レベルがそういうレベルからなのか、ユウキには分からない。  と言うか元は人間だったのだから、デジモン達の常識にツッこみを入れるだけ無駄だろう。  内心で不安になりながら、エレキモンと共に町長の家らしき建物の中へ入り口から入る。  中はベアモンの家と比較するとかなり広く、机や本棚といった人間界にも存在する木造の生活用品が揃いに揃っている、住む事に不足している要素が見当たらない家のようだ。  二匹の視線の先には、大きな樹木に腕を生やし顔を付け足したような姿のデジモンが居た。 「町長」  エレキモンは早速、数歩前に出てそのデジモンに声を掛けた。  この発芽の町の町長と思われるデジモンはその声に反応すると、その手に持った木の杖を使って器用に体の向きを二匹の方へと向ける。  後ろ姿だけでは分からなかったが、黄色い瞳の目を持った不気味な人面がそのデジモンには存在していた。 「……っ」  ユウキにはそのデジモンの姿に覚えがあった。 (……ジュレイモン!?)  町の長と言うだけあって強いデジモンである事はユウキにも予想出来ていたが、実際そうだったらしい。  彼はベアモンやエレキモンといった『成長期』のデジモンより二段も上の位に位置する『完全体』のデジモンだ。  その姿をユウキは『アニメ』ぐらいでしか見た事は無いが、実際に目にしてみると存在感が明らかに違っていた。  体の大きさもあるが何より、自分とは生きた時間のケタが違う事を、目にしただけで理解出来るほどの風格を放っていたからである。  もっとも、外見からして老人くさいのだから当然なのかもしれないが。  ユウキは思わず息を呑むが、ジュレイモンはエレキモンの姿を見ると共に老人のような口を開いた。 「お主は……あぁ、ガレキモンじゃな」 「エレキモンです。ホントに居そうなのでその間違いはやめてください」 「……おぉ、そうじゃったな」  外見通りにお年なそのジュレイモンが言い放った天然染みた発言に対して、エレキモンは電撃の如き早さで指摘を入れる。  遅れて間違いに気付いたジュレイモンだったが、エレキモンは流れでコント染みた会話になってしまう前に自分の方から口を開く。 「今回はちょいと野暮用で来たんです。主に、俺の隣に居るコイツの事で」 「……む?」  エレキモンはそう言うと共に振り向き、自分の斜め後ろで緊張した目をしていたユウキを前足で指差す。  植物型デジモンは疑問の声を上げつつ、視線をエレキモンからギルモンのユウキへと向けた。 「そこのギルモンの事かの?」 「はい。個体名があるらしくて、コーエン・ユウキって言うらしいです」 「ふむ……それで?」 「ちょいと事情があって、コイツをベアモンの家で住まわせてほしいんです」 「……何故じゃ?」  スラスラと並べられたエレキモンの言葉に、植物型デジモンは町長として当たり前の疑問を返す。 「コイツは昨日、俺達が海で釣りをしてた時に、溺死しかけの状態で偶然見つけたデジモンなんです。何とか救助したんですが、コイツは行く宛も帰る宛も無いらしく……一応怪しい奴では無いんで、ひとまずこの町で住まわせてやりたいんです」 「ふむ……それで、何故ベアモンの家を指定したのじゃ?」 「コイツを助ける事を真っ先に決めたのが、ベアモンだからですよ。アイツ自身もコイツを自分の家に迎え入れる事に異論は無いはずですし……」  エレキモンの証言を聞いたジュレイモンは、一度目を閉じて思考をするような仕草を見せると、返答が決まったように目を開き言葉を発する。 「……深くは聞かないでおこうかの。良かろう、そのギルモンがこの町で暮らす事を許可する」 「あざっす」 「……ふぅ」  ひとまず住む場所が確保出来たユウキは、安心したように胸を撫で下ろし、緊張感を吐き出すように深くため息を吐いた。  尤も、まだ問題は山積みなのだが。 「……町長さん」 「……む? 何じゃ?」  それ故に、ユウキは勇気を出してジュレイモンに声を掛ける。  少しでも手がかりを得るために。 「『人間』について何かご存知無いですか?」  一方、ユウキとエレキモンが町長と話をつけていた頃、新たに一匹を迎え入れる事となる予定の家の持ち主はと言うと。 「いない……?」  自分と一緒に眠っていたはずのデジモンが、家の中から消えている事に対して疑問形で呟いていた。  眠そうにたれ下がった目蓋のまま、理由を予想するために思考を働かせる。 (……もしかして、エレキモンが連れていったのかな。僕も起こしてくれたら付いて行ったのに)  眠っている間に物事は進んでいた事に気付いたベアモンは、不服そうにほっぺたを膨らませながら内心で呟く。  当の本人達が町長の家に向かった事をベアモンは野性の勘で予想出来ていたのだが、だからといって自分が今向かった所で後の祭りだろう。  ならば今の自分に出来る事とは何か。  それを考えようとしていた、その時だった。 「……おなかすいた……」  まるで思考を断ち切るように、ベアモンの腹から空腹を意味する効果音が鳴る。  それと共にベアモンの視線は、昨日帰ってから部屋の隅に置いて放置していたバケツの方へと向けられる。 「…………」  食欲のままにバケツの中を覗き込むと、眠そうにたれ下がっていた目蓋が一気に開かれた。  思わず無言になったベアモンは、右手を自身の額に押し付けてから一言。 「……お~……」  釣っておいた魚が昨日の帰り道で、自分の分だけではなく赤色の大飯喰らいの分まで消費したおかげで、もうバケツの中から先日釣った魚の八割が消費されてしまっていたのだ。  また海に向かい、釣りをすれば魚を手に入れる事は然程難しい事では無い。  だが、その海岸は発芽の町から一時間近くの時間を必要とする距離があり、現在ハングリーなお腹をしているベアモンには、そこまで向かおうと思える気力は存在していなかった。  ベアモンはひとまず、バケツの中に僅かに残っていた雑魚を一匹、また一匹つまみ取り、少しでも空になった腹を満たす事に専念する。  しかし、雑魚ではたった数匹食べた所で腹八分目にすら届くはずもなく、バケツの中に残っていた魚を全部食べたベアモンは自分のお腹に左手のひらを当てていた。 「……う~ん」  困ったように声を出しながら、この事態をどうやって解決するかを考える。  また空腹の脱力感が襲ってくる前に。 「……よし、昨日は海に行ったんだし、今日はそうしよう」  やがて、ベアモンは方針を決めたように頷くと右手の爪を一本だけ地面に突き立て、何かを画くようになぞり始めた。  気分をラクにするためにか、鼻歌まで漏らしながら。  やがて土をなぞり終えると、ベアモンは普段通りにベルトを両腕と肩に巻き、五文字のアルファベットが書かれた愛用の帽子を後ろ向きに被り、一度体慣らしをした後に家を出た。 「……美味しいのがあればいいな~」  願望を呟きながら、腹ペコ子熊は食料を確保するために町の外へと出るのだった。 「人間について、じゃと?」 「はい。何かご存知無いでしょうか?」  ジュレイモンはユウキの問いに対して、当然の反応を見せていた。  しかし、何か事情があるのだろうと察したジュレイモンは、特に考える事もなく即座に言葉を返す。 「存じているも何も、それはおとぎ話で活躍する伝説の勇者の種族の事じゃろう? それがどうしたのじゃ?」  ジュレイモンの返答を聞いたユウキは、特に素振りを見せずに内心で思考を練ると、自分の最も聞きたかった質問をぶつける。 「……それじゃあ、その人間がデジモンに成った話とか、記録とかは無いんですか?」  またもや意外な問いが来た事に大して、素直に疑問ばかりが脳裏に浮かぶジュレイモンだったが、返す言葉を選ぶとそれを淡々と告げ始める。 「……ふむ、面白い事を言うのう。じゃがワシは長生きした中でも、人間がデジモンに成ったという記録が記された書物を見た事も無ければ実際にそういう事があったと言う話も聞いた事が無い。『進化』した話ともなれば話は変わるがの。仮にそのような事が出来る存在がおるとしても、それは神様ぐらいじゃろう」 「神様……?」 「そもそも、人間と言う生物自体が多くの謎に包まれておるのだから、ワシには理解しかねるのじゃよ。実際に会えるのならば、生きている内に一目見てみたいものじゃな」 「……そうですか」 「ワシから言える事はこれだけじゃ。ワシの家には色々なおとぎ話の書物が置いてあるから、気が向いたら読んでみるとよいじゃろう」  そこまで言った所で、ユウキとジュレイモンの会話は終わった。  エレキモンも家に来た時には町長であるジュレイモンに質問をしようと思っていたが、先に問いを出したユウキが自分の聞く予定だった事を大体聞いてしまっため、わざわざ自分も話題を出そうとは思えなかった。  兎も角、この家に来た当初の目的は全て終えたため、二匹はもうこの家に居る必要も無い。 「それじゃあ町長、今回はありがとうございました」 「うむ。また何時でも来るといい」  エレキモンは一度ジュレイモンに声を掛けた後に、ユウキは礼儀正しくおじぎをした後に、町長の家から外へと出た。  望みどおりの回答も得られず、自分が人間からデジモンに成ってしまった原因を知る手がかりは大して掴めなかったが、ユウキの表情はそこまで暗くなってはいなかった。  早々に手がかりが掴める事など無いと、薄々気付いていたからだ。 (……まぁ、生きている限り何か手がかりは掴めるだろ……生きている限りは)  内心でそう呟いたユウキだが、やはり多少は残念なようで深いため息を吐く。  そんなユウキに、同行者であるエレキモンは声を掛ける。 「なぁ、とりあえずベアモンの家に戻らないか? そろそろアイツも起きてるだろうし」 「……だな。用も済んだし、戻ろう」  そう返事を返し、ユウキはエレキモンと共にベアモンの家へと戻っていった。  そして、それから約五分が経ち。 「……なんだこりゃ」  ベアモンの家に戻ったユウキとエレキモンが目撃したのは、土の床に画かれた複数の記号だった。  細長い四角の上に大きめの三角を乗せただけの物が複数書かれた、その単純な印の意味は、元人間のユウキにすら理解出来るほどに簡単で、何より自分の向かった先の事を示しているのならば、それ以外に思いつく場所は存在しなかった。 「「……森?」」  此処は、発芽の町から十分ほどで到着する小さな森の中。  前後左右に茶色の木々が多く並び、風が吹くと心地よい音が耳にささやき、緑色の落ち葉が低空を舞う。  ベアモンは一匹、視界に映る緑色のグラフィックを楽しみ、鼻歌を交えながら歩を進めていた。  獣型のデジモンである自分に最も適した環境に居るからか、とてもご機嫌な様子だ。 「ん~……やっぱり森の中はいいなぁ。気分が落ち着くし、果実は美味しいし」  彼の掌の上には、森の中で拾ったのであろう赤色に熟された林檎が、一部欠けた状態で存在していた。  視界を左右に泳がせて、食料となる果実を探しながら、彼は林檎を一口かじる。  瞬間、林檎特有の甘酸っぱさが舌を通して味覚へ伝わり、それによる発生する満足感に表情を柔らかくしながらも「むしゃむしゃ」と食べ進める。 (早起きしてたらよかったなぁ。そしたら、ユウキやエレキモンも一緒に来れたかもしれないのに)  つくづく自分の睡眠時間の長さに心の中でため息を吐くベアモンだが、睡眠という生理現象に対する解決策など、あるとすれば早寝早起きか、この世界には存在するかも分からない目覚まし時計というアイテムを使うぐらいしか存在しないだろう。  寝なければいいじゃん、などという回答は当然ながらノーサンキューである。  そのような事をしてみれば、きっと今は純粋な青少年の心を持っているベアモンが、昼型から夜型に変わってグレてしまうかもしれない。  もしくは「寝ない子だぁれだ」と何処からか不気味な声が聞こえて、そのまま幽霊の世界に招待されてしまうかもしれない。  前者はともかくして後者はとても考えられないが、何しろ物理法則も常識もひったくれも無いのがこの世界なのだから、もしかするともしかするのかもしれない。  まぁ、それはどうでもいい事なのだが。  ベアモンは自分の手に持つ林檎を芯ごと噛み砕いて飲み込み終えると、ふぅ、と一息を入れる。 (そういやあの二人、もう僕の家に残しといた『アレ』を見てくれたのかな?)  心の中でひっそりとベアモンは呟くが、彼自身は既に町長との会話を終えたユウキとエレキモンが、家の中に残された暗号を目撃している事を知らなかったりする。 (まぁ、ユウキっていうギルモンにはエレキモンが一緒に居るんだろうし、危険な所には行ってないでしょ)  自分で出した問いに、自分なりのプラス思考で答えを出して解決させると、ベアモンは一度周囲を見渡し始めた。  周りには樹木が並んでいるが、その殆どには食料となる果実が成っていない。  空は普段通りに蒼く果てしなくて、白い綿のような雲が気ままなほどにゆったり流れている。  平和だなぁ、とベアモンは内心で呟いていた。  きっと自分が今まで見てきた青色の先には未知の景色が存在しているんだろうなぁ、と夢を描きながら。 (……そういえば、ニンゲンの世界ってどんな世界なんだろうなぁ……)  ベアモンは思う。  先日出会ったギルモンが本当に人間だったのなら、デジタルワールドとは別の、人間が住んでいる世界は実在するのだろうと。  想像のままに風景や状況を妄想するだけでも、彼の好奇心は強く刺激される。 (帰ったら、あのユウキって子に色々聞いてみよっと)  彼はゴム風船のように想像を膨らませながら、緑と茶の色が広がる森の中を進んでいった。  次話へ
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ユキサーン
2021年4月01日
In デジモン創作サロン
  ・前話へ  デジタルワールド。  数多の情報のデータが集まって形成されたその世界には、人工知能を持つデータの生物であるデジタルモンスター……略称『デジモン』が生息しており、様々な種が生まれ持った個性を活かして生きている。  そのデジタルワールドの大陸上に存在する村の一つ――発芽の町。  丘のある草原の上に建てられたこの村には、木造にしろ石造にしろ扉の無い建物が多く建っており、丘の最上部から湧き水が溝を沿うような形で流れ、滝と川が形成されている。  村には動物や植物など、様々な物を模した姿をしたデジモンが多く住まっており、互いに協力し合いながら暮らしている。  そんな発芽の町の真昼間。 「……ハァ」  片方の手に釣竿を、もう片方の手にバケツを持ち、赤と青の毛並みに九本の尻尾を持った哺乳類型のデジモン――エレキモンが、木造の建物の中に入った途端にため息をついていた。 「ぐぅぅぅぅ~……」  彼の目の前には、黒に近いグレー色の毛皮を持つ小熊のような姿をした獣型のデジモン――ベアモンが、気持ち良さそうに寝息を立てていた。  彼からすれば見慣れた光景なのか、エレキモンは頭の痛さを装うように額に右の前足を当ててもう一度ため息を吐くと、ベアモンを起こしにかかった。 「おい!! 起きろ寝ぼすけ!!」  最初にエレキモンは、ベアモンの体を揺すって直接意識を覚醒させようとする。 「ぐぅぅう~ん、あとごふぅ~ん……」  しかし大して効果は無いようで、ベアモンは器用に寝言でエレキモンに返答しながら眠りの世界にしがみ付いていた。 「ったく……おい!! とっとと起きろ!! 約束を忘れて何昼寝してんだ!!」 「ぐぅぅ……う~ん」  その様子を見たエレキモンは揺する力を更に強めると、ベアモンは寝ぼけて意識が完全に覚醒していないままで立ち上がった。 「やっと起きたか。いつもながら苦労させられる……ぜ!?」  しかし、エレキモンの予想はベアモンが睡眠欲に負けて前のめりに倒れこむと言う形で、文字通り押し倒された。  偶然にも、ベアモンの正面にエレキモンが居たためにエレキモンはベアモンに押し倒される。 「あたたかぁ~い……」 「こら!! お前には自前のがあるだろうが!!」 「ふにゃぁ~……気持ちいい~」    ブチッ、と。  その瞬間、エレキモンは自分の頭の中で何かが切れる音を聞いた。  それが何の音かはエレキモン自身理解出来ていたが、抑えるつもりは毛頭無かったらしい。  よく見ると額に青筋が出来上がっており、体からバチバチと火花が生じているのがその証拠。 「いい加減に……しろやあァァァ!!」 「ふぎゃぁぁぁあああ!?」  次の瞬間には、エレキモンの体からゼロ距離で放たれた放電がベアモンに炸裂し、朝のモーニングコールよろしくベアモンは自業自得の悲鳴を上げていたのであった。  流石に電撃を受けた事もあって意識は完全に覚醒し、ベアモンは目を覚ました……のだが、体の方は痺れてガクガクと震えている。  毛皮の大部分から焦げ臭い黒い煙が出ているのは、きっと彼自身が全くの手加減をせずに放電したからだろう。  やがて体が痺れながらも動かせるようになると、うつ伏せに倒れていた自分の体を起こす。  それと共にエレキモンも脱出する事が出来た。 「……あ、エレキモンおはよ~」 「おはよ~……じゃねぇよ!? もう昼だ!!」 「ほぇ? そうなの……?」 「……ハァ」  そして、電撃を受けながらもようやく眠りの世界から脱出したベアモンの第一声はと言うと……何とも緊張感の欠片も見えない朝の挨拶だった。  電撃を受けても能天気に時間軸のズレた朝の挨拶が出来る辺り、元気ではあるようだが起こしたエレキモン自身は何処か疲れたような表情をしている。  これがツッコミ役の宿命とでも言うのだろうか、とエレキモンは内心で思いながらもベアモンに状況を説明する。 「いいから起きろボケが!! 今日は昼に釣りに行く約束をしてただろ!!」 「………………」 「……まさか、忘れていたのか?」 「……あっ」  約束と言う言葉を聞いたベアモンの表情が、徐々に焦燥感を帯びていく。 「……昨日、次の日に釣りをしに海辺へ行く約束をしていただろ。なのに今日、待ち合わせの場所で予定の時間になってもお前は来なかった。だからまさかと思ってお前の家に来たら……このザマかよ」 「あ~……」 「……何か言う事は?」 「……てへっ」  カチッ、と。  ベアモンの可愛い子ぶった返答を聞いたエレキモンの脳裏で、今度は何かのスイッチが入る音が聞こえた。  堪忍袋の尾が切れているわけでは無いらしいが、何故か物凄く気持ちの良い笑顔を浮かべている。  その表情を見たベアモンが本能的に危険を察知するも、既に手遅れだった。  エレキモンは次の瞬間、全身からパチパチ音を立てながらベアモンに、とてもとても優しい声で言い放った。 「四十秒で用意しな。ただでさえこっちは待ち惚け食らってるんだからな!! これ以上遅らせたら問答無用で放電ブチかます!!」 「エレキモンの鬼ー!! 悪魔ー!!」 「のんきに昼寝して、一日前の約束を忘れるお前に言われたかねぇぇぇッ!!」  ベアモンは木造の帽子掛けにかけておいた自分の帽子――アルファベットで『BEARS』と文字が書かれた青色の帽子を逆向きに被り、同じく青色の革で作られたベルトを左肩から右側の腰に、そして手を痛めないための防具として両手にはそれぞれ六つほど巻いていく。  急いでいるせいか、かなりきつめに巻いている所もあれば緩く巻いている所も見える。  そして、部屋の隅に置いてある釣竿を右手に、その隣に置いてあるバケツを左手に持つと共にベアモンはエレキモンと共に用の済んだ家を後に、村の入り口付近へと向かって走って行く。  二匹が立ち去った後に木造の部屋に残されたのは、空洞の中のような静寂と木造の建物特有の木の匂いだけだった。  村を出て一時間ほどの場所に存在する浜辺。  そこでは強い日光が蒼海や岩肌を照らし、美しい自然の風景を二匹の目前に現していた。  硬い甲殻に覆われた蟹のような姿をしたデジモンや、ピンク色の硬い二枚貝のような姿をしたデジモンなど、この付近には水の世界に生きる野性のデジモン達が多く生息している。 「この辺りの砂浜ってガニモンとかシャコモンとか、成長期のデジモンが多いから危険な場所じゃないんだよね」 「だな。シードラモンとかが滅多に現れない場所だから、成長期の俺達からすれば絶好の釣りポイントだ」  潮の流れる音を耳にしつつ、二匹は持ってきたルアー付きの釣竿を振り降ろす。  鋭い放物線を描きながら、糸の通ったルアーは海の中に投下された。  得物が食い付くのを気長に待つのみとなった彼等は、暫しの談笑に勤しむ。 「それにしても、お前も中々粋なまねをするよな。普段は川釣りなのに、突然海釣りだなんて」 「最近は森の方でも嫌な噂が流れているでしょ? 野良のデジモンが狂暴化して、暴れているとか……」 「まぁ確かに物騒だな。でもそれだけじゃないんだろ?」 「バレた? 実は単に魚が調達したかっただけだったりするんだよね~」 「こいつ。まぁそういう事なら、別に何の不満も無いけどな」  あはは、と二匹はニヤけ顔を見せながら笑う。  エレキモンは自分の手に持っている竿を地味に微動させながら一度思考すると、気が変わったかのように話題を変える。 「ところでよ、お前は決めたのか?」 「決めたって何が?」 「これからの事だよ」 「?」  エレキモンの問いを聞いたベアモンの頭上に、小さな疑問符が浮かんだ。 「聞いた話によると『アイツ』は『あの事件』以来、力を付けるための武者修行の旅に出たらしいじゃんか。お前はどうすんだ?」 「……エレキモンも、返答に困る質問をしてくるね~」 「気になってたからな」  エレキモンは思った事をそのまま口に出して返答した後、ベアモンの答えを待った。 「……僕は、正直言って……『ギルド』に入ろうと思ってる」 「……そうか」  ベアモンの返答を聞いたエレキモンは納得したように軽く頷くと、そのまま言葉を紡ぐ。 「お前、外の世界をもっと見てみたいって言っていたもんな。実は俺も『ギルド』に入ろうと思ってる」 「え? そうだったの?」 「お前とは別件でな」 「ふ~ん……お、ひっかかった」  会話の途中、ベアモンの竿にピクピクと反応が現れ、魚が喰い付いた事に気がついたベアモンは竿を持つ手に力を加える。 「どっ……せぇ~い!!」  後ろに走りながら一気に竿を振り上げると、突発的な噴水に似た小さな水しぶきと共に魚が海の中から釣り上げられた。 「デジジャコかぁ……まぁ、当たったから良しとするかな」  掛かった魚を見て魚の種類を判別すると、ルアーの針から魚を外し、持ってきていたバケツの中に放り込む。  ベアモンの反応からして、目当ての魚と言うわけでは無いのは目に見えて明らかだ。 「まぁそんな事もあるさ。そういや狙いは?」 「デジサケ」 「やっぱりな~……お、こっちもか」  ベアモンの狙っている魚の名称を聞いたエレキモンが予想通りと内心で呟くと、自分の方の竿にも掛かった事に気がついた。 「ぐぎぎ……ぐっしゃ~い!!」  ベアモンとは違い、釣り竿を口に咥えて釣り上げるという変わった釣り方を披露したエレキモンは、釣り上げた魚を一目見ると直ぐにバケツへ投入した。 「ちぇっ、こっちもデジジャコかよ……」 「あはは、そっちもそっちだね」 「うるせ~やい」  自分をからかうベアモンの発言に少々イラっと来ながらも、エレキモンは再度釣り竿を海へと投下する。  釣り上げた魚の大きさや美味しさなどを話の草に、釣り上げてはまた釣り上げて、時々釣りのポイントを変えながら、二匹は徐々にバケツの中へと魚を増やしていった。  それから二時間後。  二匹は場所を海水に濡れた岩肌のある地帯へと移っていた。  同じサイクルを何度も繰り返していく内に、気がつくと二匹の持ってきたバケツの中は両方ともいっぱいになっていた。  海水の入れられたバケツの中では魚達が窮屈そうに泳いでおり、後々の事を考えるとベアモンとエレキモンの口元に自然とよだれがはみ出る。 「そろそろ帰らないか? もう大体釣れたんだし」 「いや。まだ僕はメインの魚を釣れていないから、もうちょっとやってみるよ」  ベアモンはそう言い自分の好物が当たる事を願いながら、もう何回投下したか細かく覚えていない釣り竿のルアーを海へ投下する。 「雑魚ばっかりだもんなぁ。それでも数が多いから、飯には困らないわけだが」 「むぅ~……だけど、たったの一匹すら当たらないのはちょっとなぁ……」 「お前、引き運無いな」 「うるさいなぁ。見ててよ、君がびっくりするぐらいの大物を釣り上げてやるからさ!!」  少なくとも十匹以上は釣ったのにも関わらず、狙いの魚が当たらない事実をちゃっかり毒刺すエレキモンとその毒に対して同じ毒で対抗するベアモン。 (ま、どうせ当たらないと思うけどな。ましてや大物なんて、そう簡単に……)  ベアモンの粋がった台詞に対して、エレキモンがそう内心で呟いた時だった。 「うおおおお!! 何だか凄い引きだあああああ!!」 「……ってはやっ!! マジかよ、竿の方が先に折れたりしないよな!?」  まるで誰かが仕組んだとすら思える見事なタイミングで、ベアモンの釣り竿が大きくしなり始めたのだ。  引っかかった魚の引きが強いのか、それとも単に重いからか、腕力に自信があるベアモンでもかなり厳しそうだ。 「仕方ねぇ!! 逃がすよりはマシだから、俺が手伝ってやる!!」  そんなベアモンに、エレキモンは文字通り手を差し伸べた。  後ろからベアモンの体を引っ張り支え、大物と思われる魚を逃がさないために強力する。  ベアモンも、それに呼応するように腕の力を強めた。 「どっ……こんじょぉぉぉ~!!」  そして、気合の入った叫びと共に釣り竿を大きく振り上げた。  ――バシャァ!!  ――ガァン!!  雑魚を釣り上げた時とは比較にならない水しぶきが上がり、釣り上げられた獲物は派手にベアモンとエレキモンの背後にある岩の方へと叩きつけられた。  よっぽど大きく、そして重かったのか、反動でベアモンは岩肌に背中から倒れる。  その際に後ろに居たエレキモンは、まるでドミノ倒しのように巻き込まれ、ベアモンと同じ姿勢で倒れた。 「痛てててて……エレキモン大丈夫?」 「俺も大丈夫だ。強いて言うなら、お前ちょっと重いぞ」 「ひどっ」  ベアモンは立ち上がり、エレキモンはそれに順ずる形で立ち上がる。  二匹は互いに安否を確認した後、後ろの方へ向けられている釣りの糸を辿ってその先に掛かっていると思われる魚を確認しようとする。 「……え? これって……」 「どう見ても魚じゃないよな……ってか、コイツって……」  釣り針が刺さっていたのは魚の口では無く、赤色の恐竜を思わせる姿をした―― 「「……デジモン!?」」  ――デジモンの鼻の穴だった。  返しの針が深々と刺さっているその有様は見るからに痛々しいが、二匹からすれば疑問に思う事が多すぎて、思考が追いついていなかった。 「……死んではいないよな……?」  エレキモンは恐ろしいものを見てしまったように腰引け気味ながらも、明らかに死んでいるように見えるデジモンの体の中央の部分を右の前足で触る。  余程長い間海水に浸っていたのか、赤い体色に見合わず体温はかなり冷たかった。 「……消滅してないって事は、まだ死んではいないって事だが……この様子だと、かなり危険な状態だな……」 「………………」  エレキモンの告げた予測に、ベアモンは目の前で倒れているデジモンを可哀想と思った。  だが同時に、疑問も浮かんだ。  体の形を見るに、水棲型のデジモンでは無い。  だが、自分が生きていた『森』の地域では見覚えも無いデジモンでもある。  どちらかと言えば火山や荒地など、恐竜型のデジモンが生息する地域に適したデジモンにしか見えない。  そんなデジモンが海の中から見つかるなど、どう考えても異常なのだ。 「……助けよう!!」 「え?」  単に同情心からか、それとも正義感からの行動か。  ベアモンは自身の両手をデジモンの胸の部分に当て、力いっぱい押す。  すると、恐竜デジモンの口から海水が噴き出された。 「おい、そいつが何者なのかも分かんないのに助けるのか? もしも悪い奴だったらどうする?」 「仮にそうだとしても……見捨ててられないでしょ!! お願い、エレキモンも手伝って!!」  自分の力だけでは助けられない。  そう内心で理解したベアモンは、この場で手を借りられる唯一のデジモンであるエレキモンに、手伝いを要求した。  エレキモンは一度「う~ん……」と深く俯きながら考えたが、やがて腹をくくったように声を上げた。 「……だ~!! 仕方ねぇな、やると決めたからには……絶対に助けるぞ!!」  夢を見ていた。  周りで見知らぬ人物が不気味な笑みを浮かべ、自身の何かを作り変えられていく光景。  自身の『外側』と『内側』の感覚がよく分からなくなるような、ただただ気持ち悪い錯覚。  そんな夢の内容を、彼は悪夢としか思えなかった。疲れた時によく見る悪夢だと、そう信じるしか無かった。  何処で何をされ、何が起きたのかまるで分からない。  まるで霧が掛かったかのように、全く思い出せなかった。  何より今、自分が何処に居るのかすら分からなかった。  周りの景色は視界が塞がっているのか真っ暗で、とにかく冷たい物に覆われているような感覚があった。  寒い。  冷たい。  熱を感じられない。  一体いつまで、この場所に居続けなければならないのだろうか。  夢なら早く覚めてほしい。夏の風物詩など今は求めていない。  それとも、 (俺は……死んだのか……?)  彼――紅炎勇輝は何も見えない、何も聞こえず感じられないそんな空間の中で、再び意識を深い闇の中へと落としていった……。  場所を岩肌地帯から最初の砂浜地帯へと移動し、赤い恐竜型のデジモンを砂浜の上に乗せた二匹は、恐竜デジモンを助けるために行動していた。  ベアモンは恐竜デジモンの口を強引に開かせた後、力のある限り両手でデジモンの胴部を押し、海水を吐き出させる。  しかし、恐竜デジモンの意識は戻らない。  その様子を見たベアモンとエレキモンは、次の行動へと移行する。 「海水は全部吐き出させたな。次は……」 「体を温めたほうがいいんじゃないかな。ここは浜辺なんだし、砂を使って砂風呂みたいな物を作られないかな?」  ベアモンは右手を帽子越しに頭に当てながら知恵を働かせ、エレキモンに提案した。  しかし、その案を聞いたエレキモンは一瞬呆気に取られた顔をした後、その案に対して難点を突きつける。 「お前にしては悪くない発想だが、問題の砂をどうやって集める? 両手で掬い上げてるだけじゃ、全然効率的じゃないぞ」  砂と言う物は基本的にサラサラしており、手で取ろうとすると量がどうしてもこぼれて、少なくなってしまう。  両手で掬い上げた程度の砂を振りかけているだけでは、何分掛かるか知ったものではない。  ならばどうすれば良いか。 「ここは、体温より先に意識を覚醒させた方がいい。体温なら後で対処出来るしな」 「……それならさ、エレキモンの電撃の応用で意識を覚醒させたり出来ないかな? 電気ショックとかで」  意識を覚醒させるのに効果的な手段の一つが『刺激を与える』事だ。  昼間の出来事でベアモンは電撃によって一気に意識が覚醒し、眠気の一切も吹き飛んでいる。  だが、この案にも問題があった。 「お前を起こした時とは状況が違う。コイツは明らかにヤバイ状態だぞ、下手したら余計に死ぬ可能性が高くなるから、それは最終手段だ」 「それもそうかぁ……う~ん」 「酷いやり方だけど、こういう時には痛みを与えてやればいい。体にダメージを負わせる事無くやるなら、刺激を与える事も一つの方法だしな」 「痛みを与えるって……何だか、このデジモンが可哀想になってきたんだけど」  ベアモンは恐竜デジモンに同情の念を送りながらも、それ以外の案が思いつかずに、結局恐竜デジモンの頭部にある羽のような形をした耳を掴むと。 「……ごめん!!」  恐らくそのデジモンにとっての特徴と言える羽のような部位を、謝罪の言葉を呟きながらぎゅっと摘んだ。  しかし、反応は特に見えない。 「その羽っぽいのは大して影響が無いんだな……次にいくか」  次にエレキモンはそう言うと、自身の爪を恐竜デジモンの足の裏にチクっと浅く突き刺した。  すると、僅かに震えた素振りを見せた。 「反応したな……意外とあっさり助けられそうだ」  エレキモンはそんなベアモンの方を向いてから、自身の体に電気を蓄積させ始める。 「え? さっきエレキモン、電気は最終手段だって言ってたような……」 「アレはコイツが本当に瀕死の状態だったらの話だ。こんぐらいで無意識に反応するんなら、電気を使っても問題無い」 「そうなんだ……」 「ち~とビリっとするけど、勘弁してくれよ。荒療治だが列記とした治療法の一つなんだからな!!」  そして恐竜デジモンに聞こえもしていないであろう台詞を吐きながら、恐竜デジモンの腹部に見える刻印を目印に、ダメージではなくショックを与えるための電気を放った。 「……んぅっ……?」  恐竜デジモンは全身に感じた刺激に呻き声にも似た声を上げ、まぶたを開くと共に視界へ降り注いだ日光の眩しさに開けた目を少し細めながら、意識を覚醒させた。 「あ、起きた!!」 「ふぅ、やれやれだぜ……お前さん大丈夫か? 手荒に起こして悪かったな」  その様子を見た二匹のデジモンは、無事に救助が出来た事にふぅと息を吐きながら胸を撫で下ろす。  しかし、何やら助けられた恐竜デジモンの方は二匹の姿が視界に入るや否や目をこすり始めた。  まるで、目の前の状況を疑うかのように。 「………………」  まず、恐竜型デジモンは無言で二匹を凝視する。 「……何をそんな驚いた顔してんだ? 驚かそうとした覚えはねぇぞ」 「君、大丈夫……?」  流石に理由も無く、未確認生命体を見るような視線をされてはたまらないのか、エレキモンは恐竜デジモンに対して自分から問いを出した。  一方のベアモンは、自分達に向けられている視線に対する疑問の答えを得ようとしていたが、結局思いつく事は無かった。 「…………で」 『で?』  返って来たのはたった一文字の、意味を為さない言葉だった。  そして。 「で、でででででデジモンッ!?」  次の瞬間、赤い恐竜デジモンは口を大きく開け、腹の奥底から響き渡るような叫び声を漏らしていた。 「……え?」 「……は?」  その返答は流石に予想外だったのか、エレキモンとベアモンはほぼ同時に頭に疑問符を浮かべながら、一文字の言葉を無意識の内に吐いていた。  だが、そんな彼らの疑問を解決する前に驚愕その物の表情で、恐竜デジモンは二匹に対してと言うよりはこの状況に対しての疑問を、そのまま口に出している。 「ななな、何でデジモンが!? 俺はデジタルワールドにトリップでもしちまったってのか!?」 (とりっぷ……?)  返答もせずに理解の出来ない独白を続ける恐竜デジモンにエレキモンは内心で『何だコイツ』と呟き、内心で疑問を浮かべているベアモンを余所に、試極当然のように怪しい物を見るような目をしながら答えを返す。 「……よくわかんね~けど、デジタルワールドに決まってんだろ? お前もデジモンなんだから」 「……えっ?」    エレキモンの何気も無く告げた言葉に、恐竜デジモンはまたもや意味を成さない一文字を口にする。  一瞬だけ、思考が停止したように固まった後……今度は独白では無く、返事としての言葉を返す。   「……何言ってんだ、俺は人間だぞ……?」 「……お前さん、何を言ってんだ? どう見てもその姿はニンゲンじゃないだろ」  互いに訳が分からなかった。  エレキモンは、何故このデジモンが自分自身の事を人間――デジタルワールドで架空の物語として語られている存在であるはずの、人間だと言っているのかに対して。  恐竜デジモンは、ただ単純にエレキモンの言葉に対して、だ。 (……いや、まさか、そんな訳が無いだろ……)  恐竜デジモンの思考に一つの不安が過ぎると、突然周りを見渡し、視界に入った青く広がる海の方へ向かって足早に駆け始めた。 「エレキモン、あのデジモン一体何なんだろ?」 「さぁな。一つだけ言える事は、明らかに頭がおかしい奴だって事ぐらいだ」 「ニンゲンって、おとぎ話とかに出てくるアレの事だよね?」 「だと思うが……絵本とかに出てくるニンゲンは、少なくともあんな姿じゃないだろ」 「…………」  ベアモンはエレキモンに対して素直に疑問を口にするが、エレキモンは恐竜デジモンを怪訝な想いで見ながら、ただ答えの無い言葉で応える以外に何も出来なかった。  そして、海面を鏡代わりに自身の姿を視界に捉えた恐竜デジモンは、 「嘘……だろ……!?」  目に映った現実を信じられないように、ただ疑問形の言葉を吐き出していた。  鋭利で長い爪が生えた前足が、爬虫類のような獰猛な顔立ちが、腰元から生えて動揺と共に揺れる尻尾が、全身の紅色が。  そして、腹部に見える危険の象徴とすら呼べる印が。  今の自分の姿を物語っていたからだ。思わず彼は、その怪物の名を口に出す。 「俺……ギルモンになってる……!?」  焦燥を表すかのように、波の音が強くギルモンの耳を叩いていた。  次話へ
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ユキサーン
2021年3月31日
In デジモン創作サロン
  ――ピピピピッ!! ピピピピッ!! 「……ぅん、ん~……」  目覚まし時計のアラームが響く、色々な物を散らかしている部屋の中。  一人の青年が、室内に立ち込める蒸し暑さに呻き声を発しながら意識を覚醒させる。  視界にモザイクが掛かってよく見えないまま、機械音声を発している目覚まし時計の上部のボタンを押す。  音が止み気だるそうに体を起こすと、口から大きなあくびが出た。 「朝、か……」  もっと寝ておきたいと言う睡眠欲を押さえ込み、青年はベッドから這うように出て茶色いタンスを開く。  中には黒や緑といった様々な色のシャツやズボンが混ざった形で収納されており、青年はそこから適当に選んだ黄緑色のTシャツと紺色のジーンズを取り出すと、無作法に足で箪笥を閉めた。  足元に散らかっているカードやプリントを踏ん付けてしまわないように注意をしながら、寝る際に来ていた青と黒の縞模様が特徴のパシャマを脱ぎ捨て、取り出した二つの衣服に体を通す。  衣服を外出可能な物に着替えた青年は、確認のために時計の針に目を向ける。  時計にある二つの針はそれぞれ、六時の方向を指しており、青年は自宅から出発する時間までまだ余裕がある事を理解すると、自室のドアを開けてリビングに存在する台所へと足を運んだ。 (お母さんはまだ寝てるか……)  青年はリビングの直ぐ隣の部屋でまだ寝ている母を尻目に、冷蔵庫の中にある鳥の唐揚げと書かれた冷凍食品の袋を開け、食器入れから取り出した一枚の皿に三個ほど乗せて電子レンジで加熱し始める。 (ただ待っているのは時間が勿体無いし、ニュースでも見るかな……)  内心で青年はそう呟くと、リビングに設置されているテレビの電源を付け、リモコンを操作してニュース番組にチャンネルを合わせる。  テレビにはアナウンス用のマイクを持った男性が映されており、その背後には大きなマンションが建てられているのが見えている。画面の右側にはテロップの表示で『原因不明の行方不明事件、再び犠牲者が』と書かれている。 『こちらのマンションでは―――に住んでいる十六歳の――――君が突然行方不明になってしまい、両親の――――さんと――――さんが、我が子の無事を切に願っています。これらの行方不明事件。発生原因も何も分からないままこれまでに何十人もの人達が犠牲になっており、解決の目処が立たない状態に陥っています』  青年はニュースの内容に顔を顰める。  数週間より発生している、子供や大人を問わず突如原因不明なまま行方不明になる事件。  人為的な証拠も一切残っておらず、何が原因なのかも分かっていないらしい。 (本当に怖いな……何も分からないってのが、一番怖い) 『警視庁はこれらの事件を『消失』事件と呼称。事件の解決に乗り出すために、行方不明になった被害者の身元や人間関係などを調べ――』  ニュースの内容に耳を傾けている中、電子レンジからチーンと音が鳴り、青年は加熱が済んだであろう鳥の唐揚げの乗った皿を電子レンジから取り出し、リビングに設置されているテーブルの上に乗せる。  食器棚から茶碗を取り出し、炊飯器からしゃもじで白飯を確保。茶碗に放り込み、唐揚げを乗せた皿と同じようにテーブルの上に乗せる。  その後、青年は唐揚げをおかずに米を頬張り始めた。テレビに映されたニュースに目を向けながら。  ――不思議と、この日の唐揚げは普段より塩辛く感じた。  無情に輝く太陽の日差しが大地を熱し、通りすがる人物の片手には小さめの団扇が見られる夏の街。  ふと上を向くと、綿菓子のような形の入道雲が悠々と泳ぎ、青く美しい空を形成しているのが見える。  建物の中には機械によって作られた冷たい空気が流れ、外の暑さが嘘のように涼しく心地よい空間が形成されている。  月日は七月の十二日。時は十一時。  この日、青年――|紅焔勇輝《こうえんゆうき》は友達とある店で集まる約束をしていた。  自転車を漕ぎ、風を感じながら坂道を突き進む。  そのすぐ隣では車が通っており、エンジンの音が街中に響き渡っている。  家を出て|十五分《じゅうごふん》程度の距離に、目的の場所であるゲームショップはあった。  休日だからかまだ午前にも関わらず、かなりの人だかりがある。  勇輝はそれらにぶつかってしまわないように避けながら、視線の先に見える友達の方へと向かった。  友達の背後にはアーケードゲーム用のマシンが見え、画面にはデモムービーが流れっぱなしになっている。 「お、来たな勇輝」 「あまり待たせるのは悪いと思ってな」  互いに顔を会わせると、ポーチバッグから数枚のカードを取り出す。  カードの端にはバーコードのような物があり、カードには何かのモンスターと思われるイラストと強さの基準となるステータスがテキストに書かれている。 「んじゃ、早速対戦するとするか」 「おっけぃ。こっちの準備は万端だ」  ポーチバッグから財布を取り出し百円玉を一つ投入すると、マシンの下部にあるカード取り出し口に一枚のカードが出てくる。取り出し口に手を突っ込み、取り出して内容を確認した勇輝はそれをジーンズのポケットの中に入れた。  そして、ゲームのプレイヤーが操作出来るように画面が移り変わる。  一人で遊ぶモードに二人で遊ぶモードなど、よくあるアーケードゲームに用意された選択肢から二人で遊ぶモードを選択するボタンを押すと、もう一つ百円玉を投入するようにモニターから指示が出る。  最初の百円玉は勇輝が入れているため、二つ目の百円玉は友達が投入した。最初に百円玉を入れた時と同じようにカードを取り出し、勇輝は左側に、友達は右側の方へ立つ。  その間に再び画面が移り変わり、カードをスキャンするように画面から指示が出る。 「お前が使うのは……あ、やっぱりそれなのな」 「当たり前だろ。これが俺の好きな奴なんだから」  勇輝が親指と人差し指で摘んだカードを機械の中央に空いている空間に通すと、カードのデータがスキャンされ、画面に映された誰も居ない草原のようなフィールドに、一匹の生き物が現れる。  その姿は上半身が機械化している深紅色のドラゴンだった。 「メガログラウモンねぇ……相変わらず、その中途半端に機械化したデザインはどうにかならなかったのか」 「うっさいわ。俺は好みなデザインだからいいんだよ」  友達の呟きに唾を返しながら、勇輝は続けて三枚のカードを連続で赤外線を通して読み取らせる。  すると、メガログラウモンの姿が画面の中で光り輝く演出と共に変化していき、やがて姿は明らかに竜とは違う、背中に深紅のマントを羽織り、胸部に刻印が刻まれている白銀の鎧を身に纏った騎士へと変貌する。  その右手には一本の槍を、左手には紋章の描かれた大盾を装備していた。 「オプションは≪それでもへっちゃら!≫に≪生き残るために≫と……≪デジソウルチャージ≫か。思いっきり単騎でやる気満々だな。てか、やっぱり早速進化させるのな」 「まぁな。完全体だとやっぱり厳しいし……てか、そういう雑賀はいつも究極体を即スキャンしてるじゃねーか」 「対戦ゲームはパワーの数値が全てだ。さぁて、そっちがそいつならこっちはコイツでやらせてもらうぜ」  互いにツッコミを入れながら、今度は友達――雑賀がカードをスキャンさせる。  画面上に出現したのは、顔に両目と額の部分に穴が開いた仮面を被り、黒いジャケットのような服を着ており、腰の部分に爬虫類を想わせる尻尾を伸ばした両手に拳銃を携えた……バイクの似合いそうな魔王。  そのデジモンの名を、自身が登場させた騎士の名と同じぐらいに勇輝はよく知っていた。 「お前明らかに狙ってるだろ……デュークモン対ベルゼブモンとか」  騎士の名はデュークモン。  魔王の名はベルゼブモン。  それぞれ、あるアニメに登場し競演した実績を残している人気のキャラクター達である。 「狙ってるも何も、俺のフェイバリットはコイツなんだから仕方無いだろ。偶然だ偶然」 「……てか、ベルゼブモンってパワーキャラでは無かったような」  勇輝の指摘を無視しながら、雑賀は勇輝と同じように三つのカードを用意し、それを機械に読み込ませる。  店内に響く宣伝ムービーの音声に気を取られる事は無い。  何故なら、二人がやっているゲームの音声もそれなりに音量が高く、それが原因で周りの音に耳を傾ける事が難しいからだ。  それでも互いに会話が出来ているのは、意識を向けているか向けていないかの問題だが。 「そういやさ、お前……例のニュース見たか?」  カードの読み込みを終えた雑賀は突然、勇輝に話題を持ちかけた。  例のニュースと言う語句を聞いた勇輝は、画面内で対戦が開始される中で雑賀の話に耳を傾ける。 「見た。全然解決の目処が立ってないらしいが」 「世界中で行方不明になってるのってのが不気味だよなぁ……」  口で話題を交わしながら、手でボタンを押して技を選択する。 「ここ最近はあまり自然災害とか起きてなかったし、人がやってる事なんだろうけど……まるで神隠しだよな。お前の言う通り不気味だ」 「拉致誘拐とも考えにくいしなぁ……おっと、先手は貰ったぜ」 「早急に解決してほしいもんだ。願わくば被害者の無事を祈る……おのれェスピードの差で取られたか! だが聖盾イージスの防御力は伊達じゃぬぇ!!」  話題に内容が真剣な物であるのにゲームの話題もちゃっかり忘れていない辺り何と言うか、この二人は色んな意味で駄目なのかもしれない。  だが脳裏に過ぎった不安を忘れる、一種の逃避のための手段とも言えるのだろう。二人は確かに楽しんでいた。  お互いの押すボタンが見えないように二人は両手で自分が押すボタンを隠しながら選択する。 「ははははは! ダブルインパクトだと思ったか? 残念ダークネスクロウでしたァ!!」 「畜生め、今度はこっちのターンだ。さぁグラムとイージスのどちらの必殺技を食らいたい? 暴食の魔王名乗ってるんだから、ガードせずに食らいやがれェェェ!!」 「だが断る。お前がそこで露骨にセーバーショットを使ってくる事はお見通しなんだよ!!」 「なん……だとッ……!?」  どんどん口調が崩壊しているのだが、本人達は全く気にしない。  これらの気分の高まりがあってこその娯楽なのだから。  幸いにも二人の青年の台詞は周りの雑音に掻き消され、他人には聞こえない。  途中、勇輝が「悪魔に魂を売った者の銃弾など俺のデュークモンには当たらない!」と多少格好つけて言った直後に、雑賀のベルゼブモンの銃弾が見事に炸裂するなど、第三者から見れば内心でほくそ笑むようなトークを交わす。 「それならお返しのファイナル・エリシオン……と見せかけてのロイヤルセーバーを喰らえや!!」 「ぬぉぉおお!?」  口では喋って両手はボタンを押す事にしか使われていないが、実際に戦っているのが画面内で作られた電子のポリゴンで作られたキャラクター達。  先ほどから、槍から輝くエネルギーを放出したりなど派手な|演出《バトル》を繰り広げている。  やがて片方のキャラが倒れ、勝敗が決すると勝者が決定した。 「ぐぬぬ、スピードの差はやっぱり厳しいか……」 「銃は剣より強し! ん~やっぱ名言だなこれは」  結果のみを言えば、勇輝が出したキャラであるデュークモンが敗北し、雑賀の出したベルゼブモンが勝利を収めた。  敗者の勇輝は悔しそうな声を上げるが、その表情はすぐに清々しい物へと変わる。 「やっぱお前は強いよなぁ……次は絶対に勝つし」 「あー、それは分かったが勇輝。とりあえず後ろに次のが来てるんだから席を譲ろうぜ」 「へ? ……あっ」  雑賀の指摘でようやく自分の後ろで番を待っている少年の存在に気付き、勇輝は少し済まなそうな表情を見せながら席を譲った。  雑賀も同じく席を立ち、少年のプレイを後ろから傍観する事にしたようだ。 「お、エアドラモンとはまたマニアな奴を使うねぇ」 「まぁ、使うのは人の好み次第だし良いんじゃないか?」  平和。  それは一般的には安寧した状態の事を指す仏教用語だが、まさに今のような状態の事を指すのかもしれない。  不安を紛らわすために茶化しているだけに過ぎないが、少なくとも彼等はこの小さな平和を、現在だけでも満喫したかった。  それが例え、ただの平和ボケだと理解していても……しがみ付きたかったのだろう。  その、当たり前の平和に。
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ユキサーン
2021年1月01日
In デジモン創作サロン
 何事も無いままガードロモンやジャンクモン達による資源の回収が行われ、いつしか太陽が沈み始めた頃の事だった。  ぶおんぶおん、という機械の排気音染みた音が、遥か遠方より響きだしたのだ。  明らかに自然のそれでは起こりようの無い、それでいて確実に資源回収の現場に向かって近付いてくるそれを、小隊長であるメタルマメモンは敵が接近してくる前兆と受け取ったらしく、故にこそ無線を介して0号を含めた部隊員達に対して速やかな警鐘が鳴らされていた。 『――敵襲だ。排気音から察するにサイボーグ型、もしくはマシーン型のデジモンと推測される。各自、戦闘態勢に移行しろ――』  その警鐘が全員に行き届いた頃には、いっそ獣の鳴らす咆哮のそれを想起させるほどに大きく、そして近くにその排気音が迫り来ていて。  各々別の位置にて待機していた0号の操るメカノリモンやコマンドラモンは既に戦闘態勢を整え終えており、音源に向けてその視線を向けている一方、護衛対象であるデジモン達の内、元々資源の収拾などを主な機能とする種族であるジャンクモン達は車輪を回転させて一目散に逃げ出し、元々の主な役割が資源回収ではなく拠点などの防衛にこそあるガードロモン達はその場から立ち去る事なく、護衛のために出向いている一行と同じく戦闘態勢に移行していた。  事前の情報伝達も相まって形成された、大よそ無駄の無い布陣。  それを真っ向より切り裂かんとするが如き勢いで駆けてくる、彼等の敵の姿が各々の視界に入る。  その姿は、誰かが操縦し地を駆けるために作られた、バイクという乗り物に似ていて。  宿す彩りは赤に銀に黒に灰に取り取りで、二輪の体躯は機械と血肉の両方でもって形作られていた。  全身各部に鋭利な鉄の刃と銃口を宿したその種族の名はマッハモン――『メタルエンパイア』の管理する情報機関に曰く、近頃フォルダ大陸の平原地帯などで目撃されるようになった、サイボーグ型の成熟期デジモン。    その、恐ろしさを覚える速度で襲い掛かる二輪の暴走マシーンの群れに対し、ガードロモン達は両腕部より追尾機能を有した特殊弾頭――『デストラクショングレネード』を発射する。  不法侵入者を決して逃がさず破壊する――ことを求められ設計された武装。  一体一体から放たれたそれは、真正面から二輪を回し迫り来るマッハモン達に直撃し、炎と爆煙を撒き散らす。  だが、撒き散らされた炎と煙を引き裂くようにして、マッハモン達は構わず突撃してくる。  余程頑丈なのか、多少体に焦げ痕こそ見えるが、大してダメージを受けていない様子で。  ガードロモン達が止むを得ず両腕を構えた直後、当然の衝突があった。  ガジャッッッ!! と。  ガードロモンの前面装甲を、マッハモンの前輪に備えられた獣の爪の如き三本の刃が突き立てられる。  弾頭を想わせる恐るべき速度を伴って突き立てられた三本の刃は、分厚く堅牢なガードロモン達の装甲を紙のように破り、その奥にある動力の要に届くか届かないかといった所で止まっていた。  理由は単純。  ガードロモン達が、その両手でマッハモンの前輪の刃を掴み持ち上げ、それ以上の進行を抑えに掛かっていたからだ。  獣の爪によって腹を抉られているに等しいガードロモンの状態は、苦痛に声を上げて然るべきものなのかもしれないが、彼等はあくまでも血肉を有さぬ機械の種族――生き物の有する五感の概念は無いに等しく、体を抉られることで苦痛を覚えることも無ければ、動力源さえ無事であれば死を迎えることも無い存在だ。  故にこそ、彼等は痛みに判断を誤ることは無い。  マッハモンが咆哮を上げながら後輪を回し、前輪脇に備えられた銃口から銃弾を乱射する度にガードロモンの装甲各所が歪むが、ガードロモン達は決してマッハモン達の刃から手を離さない。  そして、直後に。  ドッ!! と太鼓でも打つかのような音が鳴ったかと思えば、マッハモンの頭部を覆う黒い装甲に握り拳大の弾丸が直撃し、瞬く間に穿っていた。  音源は、0号と同じくガードロモン達の護衛に就いている――現在は迷彩色の皮膚が有する機能でもって体色を景色と同化させている――二体のコマンドラモンの手にて携えられた、『メタルエンパイア』の技術によって作成されし狙撃銃――M82ランサー。  その一撃は鋼鉄を撃ち砕き、成長期のデジモンの攻撃と侮る事を許さない。  姿を大々的に曝け出している者が襲撃者の狙いを絞らせ、潜伏中のコマンドラモンが襲撃者の急所を狙撃する――それが有事の際の手筈になっていたのだ。  明らかに生体の部位を有するサイボーグ型のデジモンである以上、急所は基本的に頭部や胴部となる。  過程はどうあれ、動きが止まったのであれば撃ち抜く事は容易いもの。  狙撃手の存在に気付こうが、半ば透明になった姿の彼等を狙って攻撃を仕掛ける事は困難だ。  ガードロモン達がその身を損壊させながらも差し押さえた個体を、それぞれコマンドラモン達が急所に向けての『M82ランサー』の一撃でもって仕留めていく。  一方。  それぞれ姿形も何もかもが異なるデジモン達が各々の役割を果たす中、ガードロモン達と同じく姿を晒している関係から標的とされてしまったらしい0号――の操縦するメカノリモンはと言えば、身を盾として囮役を担っているガードロモン達とは異なり、いっそマッハモン達から逃れるように動き回っていた。  マッハモン達が大地を駆ける速度は尋常ではなく、それは少なくともメカノリモンを操縦する0号が見切れるようなものでは無かった。  反復横跳びにも似た挙動を促す0号の操縦の手は、殆ど反射的に動いていた。  少しでも攻撃を優先しようとすれば、メカノリモンに取り返しのつかない損壊を受けさせてしまうかもしれないと、危機感を覚えてしまったが故に。 「……っ……!!」  しかし、抱いた危機感は僅かな間を経て焦燥へと転じる。  メカノリモンへの損害を避けることを優先しようとすれば、ガードロモン達への損害が増す。  囮役を担ってくれている彼等は、同時に護衛対象でもある。  彼等の損害も減らすためには、必然的に危険な選択を妥協しなければならない。  メカノリモンや自分が壊されてしまうかもしれなくとも、ガードロモンやジャンクモン達の安全を確保するために、襲撃者たるマッハモン達の排除を優先しなければ、それは与えられた役割に背くことに他ならなくなる。  任務上、どちらの損壊を妥協するべきかは明白だった。  迷う暇など、戦場は与えてくれない。  やるべき事をやれ、優先すべき事柄を忘れるな――そう自身に言い聞かせる。  理解の出来ない、体の内側を何かが這い回るような気持ちの悪い感覚に困惑を覚えながら首を振り、その視線をマッハモン達へと向ける。  可能な限り個々の位置を確認してから、最も近い位置で排気音を鳴らし駆け回っている個体へと機体を振り向かせると、ちょうどその個体が真っ直ぐ迫り来るところだった。  操縦桿の上部に備えられたボタンを親指でもって押し、メカノリモンの胴部より奇妙な色彩を宿す光線『トゥインクルビーム』を発射させる。  突然の攻撃に反応出来なかったためか、あるいは自身の防御力を高く見積もっているのか、そもそも攻撃を回避しようという知能を宿してはいないのか、一息に襲い掛からんとしたマッハモンに『トゥインクルビーム』は命中した。  すると、突如としてマッハモンの排気音が止まり、車輪の回る速度も目に見えて遅くなっていく。  メカノリモンの胴部から放たれる『トゥインクルビーム』には命中した対象の体の自由を奪う効果が備わっており、それを真正面から受けてしまったマッハモンは自身の意思でもって体――即ち車輪を含む機構を機能させられなくなってしまったのだ。  あくまでも一時的な話ではあるが、スイッチを切ったに等しい状態になったことは事実。  慣性に従う形で何処か緩やかに直進してくるマッハモンを、その先端にある爪のような鉄の刃を、メカノリモンの三つ指の左手が掴み取る。  ほんの少しだけ後退りつつも大事無く受け止めきると、刃を掴んだ左手を動かし、マッハモンの体を目の前で横倒しの状態にする。  続けて、即座にその右手を削岩機のそれを思わせる勢いで回転させ、マッハモンの頭部へと叩き込む。  その一撃はいっそ突き砕くというより掘り穿つとでも言うべき破壊を齎し、マッハモンの頭部にあたる部位の原型を速やかに失わさせていた。  頭部を損壊させたマッハモンは一切動かなくなり、次の瞬間にその体は粒子となって散らばってしまう。  そして、散らばった粒子はメカノリモンの体に吸い込まれるように集っていき、やがて見えなくなった。 「…………」  それがデジモンの『死』を意味する現象であり、同時に『死』と共に伴う必然的な行為である事を、0号は知識として知っていた。  生命活動を維持出来なくなったデジモンは、その存在を維持出来なくなり数多のデータ塊となって散り果てるらしく。  こういった、結果として生じたデータの粒子を吸収――即ち、ロードする事によってデジモンは個としての力を高めていくらしい。  らしい、と他人行儀であるのは、実際に『死』を目撃することが初めてだったから。  やらなければならない事をやったという事は、理解している。  他に選択肢など無かったということも。  だが、その実感は同時に、自分やメカノリモンが何らかの要因で『死』を迎えてしまった場合、こうなるのだという事実を理解させるものでもあった。  この世界がそういうものであるからなのか、あるいはそういう存在であるからなのか。  何者であれ、死んでしまえば何も残らない。  最初から何も無かったとでも言うようにして世界に、あるいは誰かの一部として溶け込んで、誰にも見つけられなくなる。  身を挺して囮を担っているガードロモン達も、彼等の働きを最大源に活かし狙撃を慣行しているコマンドラモン達も、そして自分が操縦しているメカノリモンも。  そこまで考えてから、考えたくない、と半ば拒絶するように思考を中断した。  どうして思考を拒絶したくなったのか、その衝動の理由も解らぬまま、メカノリモンの操縦を続行する。  鋼鳴る戦いの状況は、概ね優勢と言って良いものになりつつあった。  ガードロモン達の献身も相まって、襲撃者であるマッハモン達は一体一体確実に撃破され、個体数を減らしていたからだ。  マッハモン達の襲撃を一身に受けているガードロモン達の損傷も決して軽いものではないように見えるが、事実としてどの個体も活動が可能な状態は維持しており、彼等は自らに襲い掛かっていたマッハモンの消滅を確認すると、また別のマッハモンに向けて攻撃を放っている。  一機の攻撃だけでは事足りなかった二輪の怪物も、二機以上からなる過剰な攻撃を、装甲に覆われていない部位も含めて受け続けた結果、損害の許容量を超えたのか爆煙と共にデータの塵となって散り消える。  襲撃者一体に対して攻撃に回ることの出来るデジモンの頭数が増えれば、それだけ撃破の確実性も増すのが必然。  0号もまた、メカノリモンを操縦してそんな彼等の援護を行い続けた。  一度傾いた戦局は変わりようもなく、交戦開始から二分も経った頃には既にその場よりマッハモンという種族の姿は消えていた。  周囲の景色から敵の姿が見えなくなったのを見て、囮となっていたガードロモン達の数が一機も減っていないのを確認して、0号は思わず安堵の息を漏らしていた。   (……よかった……)  完璧な形ではないかもしれないけど、やらなければならない事を――任務を果たすことが出来たのだと、そう感じられたから。  自分とメカノリモンがこの場にいたことに意味があったように、束の間だけでも思うことが出来たから。  そして何より――もう大丈夫なのだと自分自身に言い聞かせたかったから。 (……これで、あんしん……)  だから。  いっそ願い請うように、気を抜いてしまっていた。  敵の見えない景色の、その向こう側から聞こえる音の正体を知ろうともせずに。  直後に、結果がやってきた。  ドゴァッ!! という音と共に、視界に広がるジャンクの山が吹き飛ぶという形で。  上方に向かって大小異なる塊を成して散らばるそれは、雪崩にも等しい猛威として『メタルエンパイア』のデジモン達に向かって落ちてくる。 「――ッ!?」  ハッチ越しにも聞こえる凄まじい爆音に、嫌でも意識が覚めさせられた。  半ば反射的にメカノリモンを操縦――体を後方へと振り向かせ、背部のバーニアより火を噴かせることによって、機体がジャンクの山に呑まれぬよう退避していく。  同じ現場に居合わせているガードロモン達やコマンドラモン達のことを気に掛ける余地など無かった。  自分自身――というより、メカノリモンが押し潰されないようにするだけで精一杯だった。  ドドドドド!! と地を慣らしながら落下するジャンクの塊は、規模によっては凶器たりえるモノだったのだから。  吹き飛んだジャンクが全て地面に落ち、音が止んで、そうして数秒経ってから――0号はメカノリモンを再度振り向かせ、ジャンクの山が積み上がっていた景色を改めて見た。  そこには、夕日を背にして立つデジモンの姿があった。  下半身に車輪を、両腕に重機を備えた、緑色の肉体と燃え上がる炎が如き頭髪を有する継ぎ接ぎの怪物。  事前に蓄えられた知識と照らし合わせてみても、一致するシルエットが存在しない未知の種族。  恐らくは、襲撃者であるマッハモン達を率いていたリーダーと思わしき存在。 「――あの、デジモンは……?」  思わず疑問を漏らす0号だが、答えが返ってくることは無かった。  文字の羅列でもって操縦者の支援を行うはずのメカノリモンも、0号と同じく眼前の種族に関する情報を持っていないのか、文字の羅列でもってその詳細を述べることはしなかった。  代わりに、何よりも直視すべし事実を告げた。 『後退を推奨します』 「メカノリモン?」 『あの種族は初めて見ますが、体格から見て恐らくは完全体。先ほどのマッハモンとは比べるまでも無く高い性能を有しているはずです。私の性能では、単機での撃破は不可能。即刻退避し、部隊との合流を』  危機感を訴えかける文字の羅列の表示速度は、先の会話のそれよりも早いものだった。  急いでそう告げなければ、そして判断してもらわなければ、間に合わないとでも言うように。  個々のデジモンの進化段階は見た目で判断出来ないところもあるが、一定以上の体躯を有する個体は最低でも成熟期以上の世代に位置する種族であると大まかに判断出来る――と、自身の作成者たるナノモンも語っていた覚えがあった。  そうした話から考えても、メカノリモンの判断は間違いでは無いのだろうと0号も思う。  だが、ふとして周りの状況を見渡して――無視出来ないものを見つけた。  即刻退避すべきである事を察して尚、放置出来ないものを。  それは、メカノリモンを駆る0号と同じく大量のジャンクの山より逃れ、呑まれずに済んだらしい(鈍重な見た目とは裏腹に移動も素早い)ガードロモン達。  彼等はどうやら、全員共に眼前の継ぎ接ぎの怪物と交戦するつもりらしく、マッハモン達と相対した時から変わらずの戦闘態勢で身構えていた。  というか、今まさに両腕部より『デストラクショングレネード』を放つところだった。  発射された数多の榴弾は、いっそ吸い込まれるように継ぎ接ぎの怪物に向かっていき、そして起爆した。  炎が舞い、爆煙が継ぎ接ぎの怪物の姿を包み隠す。  ガードロモン達の一斉攻撃には、少なくともマッハモン一機を撃破するには過剰さえ呼べるだけの火力が内包されていた。  しかし、風と共に爆煙が過ぎ去って、そうして改めて曝け出された継ぎ接ぎの怪物の体躯には、損傷らしい損傷はおろか、火傷一つさえ見受けられなかった。  事実として、自身の受けた攻撃の威力が危機感を覚えるに及ばぬレベルのものであるのか、継ぎ接ぎの怪物は即座に動き出そうとはせず、標的としているらしい『メタルエンパイア』のデジモン達の位置を確認するように、その視線を右往左往させている。  恐らく確認が終わった時、継ぎ接ぎの怪物は標的と定めた者達に向かって襲い掛かることだろう。  そして、ガードロモン達はそんな継ぎ接ぎの怪物を前に撤退しようとはしないだろうし、何より継ぎ接ぎの怪物がガードロモン達のことを逃がそうとはしないだろうと0号は思った。  故に、0号はメカノリモンに対してこう問いを出した。 「……かれらは? ここでこうたいしたら、みんな……それに、かれらをごえいすることがこんかいのにんむで……」 『お待ちください。確かに任務の上ではそうですが、だからと言ってここで居座っても諸共に全滅させられる可能性の方が高いです。犠牲を少なくする意味でも、ここは後退するべきです』 「でも、やらないといけないこともやらずに、みんなこわされるとわかって、なにもしないでにげるなんて……」 『それは、そうですが――』  0号の言葉に、メカノリモンは回答を詰まらせた。  彼としても、この場でガードロモン達を見捨てる選択をすることが正しいことであると断言は出来ないのだろう。  そもそもの話として、0号が命じられた任務は資源回収部隊であるガードロモンやジャンクモン達の護衛であり、立場からして彼等の生存を最優先としなければならないのだから。  事実から言って、0号の判断もメカノリモンの判断も、その全てが間違っているわけでは無い。  ただ、完全な正解を選び取るには足りないものがあったというだけで。  そうして、彼等は決断を遅らせてしまった。  怪物と戦うか、怪物から逃げるか、そのどちらも選べぬままに。  生死に関わる分岐点とさえ呼べる数秒を、0号とメカノリモンは迷う事にしか使えなかった。  故に、それからの成り行きは必然であったとさえ言えた。  継ぎ接ぎの怪物の泳いでいた視線が、ふと0号の駆るメカノリモンを捉える。  ほんの三秒ほど、まるで品定めでもするように、その目が少しだけ細くなった。  機械に覆われた口元より、悦の混じった声が漏れた。 「――へぇ、なんか珍しいのがいるな」  その言葉に、その視線に。  0号は思わず、ぶるりと背筋を震わせた。  何がそうさせたのかは、解らない。  理解出来たのは、自分が継ぎ接ぎの怪物の言葉と視線に恐れを抱いたことぐらい。  そして、恐怖そのものの理由を知る間などあるわけも無かった。  まず最初に、いっそ爆発とさえ言えるほどの排気音があった。  音を認識したその時には既に継ぎ接ぎの怪物が圧倒的な加速を伴って動き始めており、その下半身にある車輪は大地を焦がすほどの回転を宿していた。  その進路の先にあるのは、先ほど『デストラクショングレネード』を放っていたガードロモン達。  一度0号とメカノリモンに興味を示すような反応を見せていながらも、結局は先んじて襲い掛かっていたマッハモン達と同じように、継ぎ接ぎの怪物の狙いもまたガードロモンなのか。  あるいは、単に自分に対して攻撃を行った者を優先して排除しようとしているのか。  どちらにせよ、無視するわけにはいかなかった。  即座に操縦を行い、メカノリモンの体を継ぎ接ぎの怪物とガードロモンの間へと向け、胴部のリニアレンズより『トゥインクルレーザー』を発射させる。  その性能上、命中さえすれば少しは動きの自由を奪うことが出来たかもしれないその一射は、しかし恐るべき速度で駆けていた継ぎ接ぎの怪物のすぐ後ろを通過するだけで、掠めることすらなかった。  そして、標的とされたガードロモン達の一部は背部のバーニアを稼動させ、それが当然のことであると言わんばかりに継ぎ接ぎの怪物に向かって突撃していった。 「――っ!!」  止められなければどうなるか、予想する事は容易かった。  それが果たされないようにと最善の手を打ったつもりだった。  だが、現実に望む結果が訪れることは無かった。  継ぎ接ぎの怪物が、重機を携えたその巨大な右腕を振り上げる。  メカノリモンに駆る0号の視線の先で、当然と言えば当然の結果が生じる。 「マキシマムデモリッシャー」  継ぎ接ぎの怪物がそう呟き、標的と定めたガードロモンの一体に重機を振り下ろす。  直後に、ガゴギャゴギャガガガガガッッッ!!!!! と。  重機と装甲の擦れ合う耳障り極まった音が辺りに響き渡り、継ぎ接ぎの怪物と相対したガードロモンの機械の体が瞬く間に頭から潰され刻まれていく。  鮮血の代わりに火花と機械油を盛大に撒き散らし、そうして一機のガードロモンは文字通り粉砕された。  その存在を構成していた装甲の破片や内部機構といったモノが宙を舞い、その全てはすぐさまデータの粒子となって継ぎ接ぎの怪物の体に吸い込まれていく。  ロード。  生命を維持出来なくなり、その存在をデータの粒子として還元されたデジモンを糧とする行為。  先の戦闘において、マッハモンの『死』を通じて0号はそれを既に目の当たりにしていた。  それが、デジモンという存在が生きる上で当たり前に有り得るものである事も、理解はしているつもりだった。  だが、同じ現象であるはずなのに、感じるものは何もかもが異なっていた。  任務上護らなければならない存在が、自分の身の危険も顧みずに立ち向かっていった存在が、呆気なく破壊され継ぎ接ぎの怪物の存在を構築する一部と成り果てたその事実に、0号は自分の中の何かに痛みを発する感覚を覚えていた。  襲撃者であるマッハモン達が『死』を迎えた時よりも、それは鋭く苦しみを覚えるものだった。  そして、そうした感傷に浸る事が許される時間などあるわけも無く。    ――同じような光景が、二度三度と繰り返されてしまう。
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ユキサーン
2020年11月28日
In デジモン創作サロン
 黒ずんだ灰色の壁が四方八方を占める、照明に照らされた広間の中。  がしゃんがしゃん、という金属のぶつかり合う音が、幾度となく響き渡っていた。  音の発生源は、手足に三本の指を有し胴部に単眼を宿す二体の機械人形。  構造の全てを無機物によって形作られ、生き物であれば頭部にあたる部位に青く丸い形をした天蓋を備えた、その名をメカノリモンと呼ばれる彼等は現在互いに向かい合い、戦いを繰り広げていた。  片方が胴体に備え付けられた赤色のリニアレンズより橙色に輝く光線を放つと、もう片方が素早く真横に跳ねるようにして回避をし、着地と当時に背部に備え付けられたバーニアから火を噴かせる。  素早く間合いを詰めに掛かる最中、突き出された機械人形の右手が突如高速で回転し始め、さながら掘削機の如き摩擦力を得る。  コークスクリューパンチ、あるいはジャイロブレイクと呼ばれるその攻撃手段でもって相対者の装甲を抉り潰さんとする機械人形に対し、光線を放った方の機械人形は相対者の左手側の方へと体を向かせ、照らし合わせるように背部のバーニアから火を噴かせる。  結果として二体の機械人形は互いにすれ違う形になり、突き出された拳もまた空を切るのみとなった。  推力の源たる火を背部のバーニアから消しながら、双方は同時に振り返る。  次はどう動くべきかと、計算でも練るように静かに身構えるその挙措は、機械というよりは生き物のそれに近い。  感情の見えない眼で互いを捉え、次なる攻撃のための動作に移ろうとする。  その直前の事だった。 「そこまで」  光線を放ち必殺の一撃を捌きもしていた機械人形の方より、何処か老いを感じさせる声が走り、接近戦を仕掛けていた方の機械人形はその声に従う形で攻撃のための構えを解く。  直後、声の出所たる機械人形の頭部にあるハッチが、僅かな間を置いて開いた。  そう、機械人形はあくまでも機械人形。  自発的に動く機能を持たず、その天蓋の下に納まる程度の体躯を有する操縦者の手で、直に操作をしてもらう必要のある存在だった。  そして、機械人形の片割れのハッチの中から姿を現したのは、四本の脚と二本の腕にカプセルのような形の頭部を有する――その名をナノモンと呼ぶ生きたカラクリ。  彼は一度ギザギザの歯を覗かせる口から息を吐くと、制止したもう一方の機械人形の方へと言葉を放つ。   「演習は終了だ。戻るぞ」  そう告げてから、ナノモンはその両手でもって機械人形を操作し、重々しい足音と共に移動をさせる。  そして、灰色広がる壁の一箇所に備え付けられていた赤色のボタンを押す。  すると、ボタンのすぐ左側に存在する広間の壁の一部が重々しい駆動音と共に手前に向かって開き、閉じられていた空間の出口となる。  壁が十分に開き駆動が終わったことを確認してから、ナノモンは再度機械人形を操作して出口を潜り抜ける。  もう片方の機械人形もまた操縦者の意思の下、彼に追従する形で動き出す。  閉じた広間の先にあったのは、所々に培養液と思わしき薄緑色の液体の詰まったガラス製の円柱と様々な形をした機械が数多に見える、工場あるいは研究室とでも呼ぶべき部屋だった。  その内の設備の一つらしい巨大なコンピューターの液晶画面には、彼等がつい先ほどまで戦闘――もとい演習を行っていた広間が映されている。  コンピューターの目の前にまで移動をすると、ナノモンは機械人形の操縦席から液晶画面の手前にある金属の椅子の上に跳び降り、キーボードを叩く。  即座に、過去の出来事として画面上に映し出される二体の機械人形の姿を見ながら、ナノモンは背後から成り行きを見ている機械人形――その操縦者に対してこう告げた。   「降りるにしても降りないにしても、まずハッチぐらいは開けたらどうだ? 熱いのなら、せめてそうした方が良いだろう」  簡素な指摘を受けて、受けた当人がそれに素直に従う形で、もう一方の機械人形のハッチが開く。  そうして、もう一人の操縦者が姿を現す。 「…………」  機械人形のハッチの下から曝け出されたもう一人の操縦者の姿は、機械人形ともナノモンとも、そもそも彼等のような機械のそれとは全く異なる印象を受けるものだった。  何処か白みを帯びた小麦色の柔らかそうな肌に、頭部から生えている銀色の頭髪。  すらりと伸びた四肢の先には複雑にして精密な動きを可能とする五本の指先。  外界を視認する目、呼吸を行い言葉を介する口、周囲の臭気を感知する鼻、細やかな音を聞き取る耳、それ等をのっぺりとした顔の上に貼り付けたかのような顔。  あるいは、灰と白の色で彩られたスーツで首から下の全てを覆うその存在の名を、見聞を有する者が見ればヒトガタ、もしくはニンゲンとでも呼ぶのかもしれない。  その姿をいちいち確認しようとはしないまま、ナノモンは液晶画面に映された映像を見ながら、その感想を述べる。 「わしの目から見ても、操縦の技術は確かに上がっている。少なくとも、操縦を始めた当初に比べればな。少なくとも、ガードロモン一機の方がマシだと呼べるようなレベルではなくなっている」 「…………」 「あれだけ動けるのであれば、ひとまずメカノリモンの操縦者としては戦線に加えても問題無いだろう。ひとまず、確認作業にうるさい『上』にはそう報告しておくが……」 「…………」  大よそ好意的な評価の言葉をナノモンが口にしている一方、評価の対象である操縦者の表情は喜怒哀楽のどれにも当てはまらない無のそれで、口は横一文字に閉じられ一切の言葉も介そうとはしなかった。  その様子に何を思ったのか、ナノモンは一度言葉を区切って問いを出す。 「……何か思うところがあるのであれば、口に出して良いぞ?」 「……とくに、なにも……」  が、返ってきた言葉は本当に何の疑問も思惑も抱いていないような、情の色を感じないものだった。  極めて簡素な返事に対し、ナノモンは「そうか」と一言相槌を打ってから、 「ひとまず、演習の直後で疲れているだろう? 休息を取って来い。学習については、また後で良い」 「…………」  ナノモンの指示を聞いて、僅かな間を置いて操縦者は機械人形を操縦し改めて移動していく。  研究室に備え付けられた自動扉を通り、その姿が見えなくなった頃になって、ナノモンは浅くため息を漏らした。   (……わしは何を聞いているんだか……)  彼は知っていた。  あの操縦者が何者で、どういった存在なのか。 (アレは結局、作り物だ。原型のそれとは厳密には違う)  だから、理解してもいた。  あの反応が正しいものであり、むしろあの反応でなければ異常であるとも。  何故なら、 (……こんな事、アレを作り、面倒を見続けていたわしが一番理解していて然るべきだろうに……)    電子によって形作られた知的生命体、デジモンが多種多様に生息している世界――デジタルワールドに数多存在する大陸の一つ、フォルダ大陸。  その北東にあたる――大陸の五分の一ほどを占める荒野の上に、鋼鉄で形作られた建造物が点々と存在している――土地には、主にマシーン型やサイボーグ型に該当される種族のデジモン達が生息している。  工場や研究所などの建造物が一箇所に密集させる形で存在し、まるで要塞か何かのように周りを大きな壁で取り囲んだ、鉛と灰の色に染め上がった曇天のような景色の広がる環境は、廃棄物の存在から考えても、動物的な生態を有する種にとっては息苦しさを覚えてしまうものだろう。  その環境が人為的に形作られたものなのか、あるいは自然より生まれ出でたものなのかは、そこに生きている機械達も知らない事で、そしてどうでもいいことだった。  機械的な体構造と生態を有する機械仕掛けのデジモン達は、緑溢れる自然の中で生きるデジモン達とはまた異なる、孤立した生活圏を築いている。  鋼鉄に彩られ、不動のままに他の寄せ付けず君臨する鈍色の箱庭。  その環境を、そこに住まうデジモン達の事を、あるいはその両方をいつかの誰かが鋼の帝国――メタルエンパイアと呼んだ。  その言葉はいつからか理解の及ばぬ恐怖の名として、あるいは一つの枠組みの名として、フォルダ大陸に広まっていた。  ただでさえ閉鎖的な環境である彼等の世界は、外部からその様子を覗き込むことさえ難しく、それ故に不明な点も多い。  ただ一つだけ明らかな事は、メタルエンパイアと一括りに呼称されるデジモン達は、その勢力の拡大を望んでいるという事だ。  拠点とでも呼ぶべき場所を、事実として大陸中に複数作成している辺りからも、それは明らかだ。  各々の地域にはそれぞれ、独自の生活圏を営むデジモン達が存在するが、彼等は先住民の存在程度で行動の方針を変えたりはしない。  結果として妨げとなるものは、武力でもって取り除く。  武力で処理出来ない問題が発生すれば、処理出来るレベルの武力を用意してから再起する。  いっそ侵略とでも呼ぶべきその強行は、あるいはデジタルモンスターという存在が生まれ持つ闘争本能によって導かれたものか。  あるいは、彼等自身が現在の居場所である鋼鉄の要塞に不満や不足の一つでも覚えているためか。  何にしても、彼等の方針は『武力で解決する』の一辺倒であり、故にこそ研究所や工場の中では更なる武力を確保するための試みが、主に『開発者』の立場にあるデジモン達の意向の下に常々行われている。  例えば、新たなる武装や動力源の設計と開発や、サイボーグ型のデジモンとしての改造を施す事を前提とした『素体』となる個体の量産など。  そして、そういった試みの一環としてか、武力の構築を行い続けていた『開発者』達の間では、一つ奇妙な『研究』が行われもしていた。  小麦色の肌に二本の手と足を有する、デジモンとはまた異なる構造を有する生命体――ニンゲンと呼ばれる存在の、人工的な開発。  このデジタルワールドにおいて、ニンゲンという存在は不思議な逸話を残している。  曰く、単純な戦闘能力は成長期のデジモンにも劣る一方で、共に行動するデジモンに対して絶大な力を与え、生まれてそう長くはない成長期のデジモンですら、時には進化の最果てたる究極体にまで至らせる存在であるとか。  つまる所、メタルエンパイアの『開発者』がニンゲンという存在について目をつけたのは、共に行動するデジモンを進化させる能力だった。  どのようなメカニズムでもってデジモンに力を与え、進化させているのか――それを解明することが出来れば、あるいは更に効率的に戦力の増強が出来るかもしれない、と。  偶然にも姿形を確認する機会を得て、機械を用いて遠方より分析を行う形で、その姿形の情報についてはメタルエンパイアのデジモン達にも伝わっていた。  マシーン型やサイボーグ型のデジモンを数多に開発してきた事実からも解るように、彼等は何かを作る事に関して秀でた科学技術を有している。  故にこそ、同じような姿をしたモノを作りだすことは出来た。  だが、結果として作り出されたモノは、当然と言えば当然だが形が似ているだけで、何の能力も備わってはいなかった。  時間を掛けて、主に成長期のマシーン型デジモンやサイボーグ型デジモンと接触、行動を共にさせたりしてみても、何の変化も齎されなかった事実が、その何よりの証明となっていて。  より多くの時間と労力を要するぐらいなら、もっと単純に資源と技術を用いた手法でもって戦力を増強させた方が効率的だと、メタルエンパイアの群を管理する者は判断していた。  であれば次に考えるべきことは、事実上不要のものとなった人型のものを、どう扱うべきかという点。  新型もしくは既存のサイボーグ型デジモンとして改造を施すための素体にするだの、分解して別のものを開発するための資源に還元するだの、様々な意見が流れた。  そうして最終的に選び抜かれたのが、最早必要とされなくなったとあるマシーン型デジモンの操縦者とするという案だった。    メカノリモン。  まだメタルエンパイアという括りが存在しない程度には過去の時代に製造された、いわゆる旧式のマシーン型デジモンの一体。  性能でこそ他の成熟期のマシーン型、そしてサイボーグ型のデジモンにも引けを取らない一方で、小さな体躯を有する誰かの手で操縦をしてもらわなければ指先一つさえ動かすことが出来ない、あくまでも非力なデジモンに力を与える武器の一種でしかないモノ。  独力、そして(設定された)自己の判断でもって活動出来る個体が9割近くを占めるメタルエンパイアの軍勢にとって、戦力としてはその存在は殆ど不要のものとなっていた。  事実として、サンプルとして数機ほどは残されたものの、それ以外の個体は他の用途のために分解、資源に還元され果てている。  適切な操縦者というものが見つからなかった事も理由の一つとしてあったが、残された個体もまた、基本的には倉庫の中で埃を被るだけで、戦線に加えられることは無かった。  そんな存在を、活かすための要素とする。  活かせるように、既に操縦の技術を有する個体の手で育成をする。  人型である以上は手先の器用さについては見込みがあり、即ち技術を得るだけの素養は存在する――というのが育成の担当者であり当のニンゲンもどきの開発者であるナノモンの弁だった。  そして実際、その見込みは間違ってはいなかった。  操縦させた最初の頃でこそぎこちない動作を見せていたが、学習の時間を設けたことも相まって日に日に操縦の技術は向上し、事実としてニンゲンもどきの操縦したメカノリモンの動きは、先達者であるナノモンの操縦したメカノリモンの動きにも少しずつついていけるようになっていた。  しかし、一方で。  どれだけの学を積み重ねても、どれだけの技術を会得しても、本来求められていたはずの『デジモンを進化させる力』が開花することは無く。  指示や命令の形で受け取った言葉に応じる程度の、必要最低限のもの以外に自発的な行動を起こすことも無く。  生き物と言うよりは機械のそれに近い生態のそれは、メタルエンパイアという括りの内に数多く在る雑兵の一つ、それ以上の存在にはなり得ない――というのが現実だった。  作った側としては、その事実に納得してはいた。  そもそもの話として、ニンゲンという存在にデジモンを進化させる力があるなど、話に聞いた時点で半信半疑だったし。  仮にそれが真実であったとしても、姿形を真似た程度のモノが同じ力を持つとは考えづらかった。  所詮は物は試しの感覚で開発してみただけの、作り直そうと思えばいつでも作りなおせる程度の、試作物に過ぎない。  どれだけ期待をしても、その身には現実的な力しか宿りはしない。  むしろ、期待すればするだけ無駄にがっかりするだけだ。  そこまで解っていながら期待することを止められないのは、それが自分で開発したモノであり、なまじそれなりに付き合ってきたことで沸き立つようになってしまった愛着故か。   戦いのために利用することを前提にして作り出しておきながら、戦いの場に向かわせようとする事に迷いを抱いていることを、ナノモンは自覚していた。    メタルエンパイアという勢力は、基本的に効率至上主義だ。  外敵を殲滅するための機能を有する者は戦闘を行う事を至上とし、そのような戦力を増強させるための物を作るための機能を有する者は何かを開発する事を至上とし、そうした開発に必要な資源を効率よく収拾するための機能を有する者は資源を収拾する事を至上とする。  種としての能力や機能に適した効率的な役割を与える事が当たり前で、能力に適さない非効率な役割を与える事は基本的に有り得ない。  故にこそ、ニンゲンもどきの成長の事実をメタルエンパイア全体の方針を決める上層部が知った場合、ニンゲンもどきがどのような扱いを受けるのかは明白だ。  外敵と戦うための力を有していて、それ以外の能力を特に有さないニンゲンもどきは、メカノリモンと共に戦場へ駆り出される。  少なくとも、戦うこと以外に『向いている』と判断されるようなものが確認されない以上は、それ以外に道は存在しない。  手先の器用さから、あるいは機械関係の修繕などを手伝うエンジニアの一員とする事も不可能では無いかもしれないが、それよりも先にメカノリモンの操縦者として秀でた能力を示してしまった以上、メカノリモンの操縦者という役割が最適だとしてその在り方を義務付けられることだろう。  その半ば強制的な方針を、ニンゲンもどきがどう受け取るかどうかは解らない。  変化の見えない表情からは喜怒哀楽を読み取れず、かといって「何か思うことは無いか」と確認を取ってみても、何の情も感じ取れない声で「特に何も」と返すのみ。  本当に自分の境遇に対して何も思うことが無いのであれば、それに越した事は無いのかもしれないが、ナノモンはどうしてもその事実に対して喜んだり満足することは出来なかった。  自分で開発しておいて、自分でそうなるように育てておいて、まったくもってひどい我が侭だと彼自身自覚はしているが――彼は、ニンゲンもどきに期待をしていたのだ。  誰かから促されたものではなく、自分自身の考えと行動でもって示されるような、予定調和の外にある成長の形を、もしかしたら為してくれるかもしれないと。  そして同時に、そんな風に考えてしまう自分では、作り物としての愛着を抱くことは出来ても、心からの愛情を注ぐことは出来ないだろうと思い至った。  彼は、自分自身を知っている。  そもそもの話として、他ならぬ自分自身こそが愛情とは無縁の身の上で、愛情というものを具体的には理解していないのだと。  むしろ、基本的に他の存在に対して特別な情を寄せたりしないからこそ、遠くにいる見知らぬ誰かの滅びを前提とした『兵器』を開発するという役割を、悠々とこなす事が出来ているのだと。  今の立場自体、メタルエンパイアという勢力のために励もうとして得たものでは無かった。  強そうだから、カッコ良さそうだから、面白そうだから――そんな、趣味のそれに近い感覚でもって設計図を形取り、そして開発する。  その結果として遠い地で誰かが死に果てようが、作ったものより弱いことが悪いと、死にたくなければ死なないために力をつけるなり何なりしろと、気軽に吐き捨てる。  そうした繰り返しでもって実際に数多くの戦力を形作り、結果として一勢力に必要とされるだけの開発者となっただけの存在なのだ。  決して愛情と呼ばれるものと縁ある存在ではないし、故にこそこれからもきっとそれを必要とはしない。    そもそも、決まった事はもうどうしようも無い。  一度戦場に送り出されてしまえば、開発する側でしか無い彼が乗り手とその乗り物にしてやれる事は、基本的に何もなくなる。  戦闘の影響で何らかの損壊があったとしても、機械やサイボーグの整備や修理については駆り出された戦場に最も近い拠点に勤めている別の者の担当となり、大まかな経過や顛末の情報は電文の形で伝えられるだけに留まるだろうから。  乗り手と乗り物が無事でいるためには、乗り手と乗り物が戦いに勝ち続ける以外に無い。  そして、戦いに勝ち続けられるための焦点となるのは、乗り手たるニンゲンもどきの技術もそうだが、何よりも乗り物たるメカノリモンの性能次第だとナノモンは思っている。  メカノリモンというデジモンの、操縦者の存在を前提とした性能については、ナノモン自身もまた操縦者となった経験がある関係で知り得ている。  武装と装甲の面では拠点防衛用のマシーン型デジモンであるガードロモンにも引けを取らない一方で、考え無しに武装を酷使していくと容易く動力源がオーバーヒートしてしまうという、戦闘を視野に入れるとどうにも不便さが目立ってしまう性能。  乗り手の支援を行うための機能も多少備わってはいるが、それも基本的に戦闘の優劣に影響を与えるようなものでは無い。  同世代――成熟期にあたるデジモンとの戦いならまだしも、上位にあたる完全体のデジモンとの戦いなど、とても出来たものではない。  無論、戦線には同じメタルエンパイアに属する者が存在するため、メカノリモンが完全体のデジモンと相対しなければならない状況になる可能性はそう高いものでもないが、全く有り得ないとも断言は出来ない。  もしも間が悪く、完全体以上のデジモンと相対する羽目になってしまえば――そして、後退の一つも出来ないような状況になってしまえば、乗り手と乗り物は間違い無く共に骸と化すことだろう。  そこまで考えて。  自らの管理する研究室の中、小さな液晶画面を凝視しながら、ナノモンは独り言を零す。  何かを諦めるように、ため息を漏らすような調子で。   「……全ては時の運、だな」  
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ユキサーン
2020年9月14日
In デジモン創作サロン
 空は夕暮れ。  部活動に参加でもしていない限り、大抵の学生が家に帰る頃。  今をときめいているわけでも無い中学生三年生、東雲瑠日は苛立った表情のまま下り道を歩いていた。 「……あぁクソったれ……」  胸中の感情を曝け出すように言葉が漏れる。  彼は、夏という季節が大嫌いだった。  地球温暖化だとか何とか、生まれる前から積み重なっているらしい環境問題の所為か気温は毎年35℃を軽く超え、猛暑に次ぐ猛暑の日々。  それに加えて、学校の授業では別に好きでも無ければ苦手な部類にあたる水泳の授業が、一週間の内にニ回も入っている始末。  学生の中には、日々続く猛暑も相まって殆ど裸に近い状態で涼む事が出来る水泳を楽しんでいる者もいるようだが、瑠日にとって水泳は強制的に恥をかかされる罰ゲーム以外の何者でも無い。  何故なら、彼は幼い頃よりカナヅチなのだから。  ビート板でも使わない限りはマトモに浮く事だって出来ないし、自力でクロールはおろか背泳ぎなんてやろうとした日には鼻にも口にも塩素混じりなプールの水が入り込んで来て溺れかけてしまう。  無論、プライドを捨てれば出来ない事を認める事は簡単だ。  体育教師にお願いでもして、水泳の授業だけは辞退させてもらうとか、ビート板を貸してもらうとか、安全のための妥協案が存在することも解っている。  だが、泳げない事を認めて逃げ出してしまえば、泳ぐ事が出来る同級生達から総勢で笑いものにされるだろう事も、彼は同時に理解していた。  逃げて恥をかくか、逃げずに恥をかくか、意地っ張りな彼には無理だと解っていても後者の道しか選ぶことは出来なかった。  休日に市内のプールに行って練習を行ったりしているものの、未だに上達する兆しは無い。 (そもそも、陸に立って生きるのが人間の当たり前だろ。カエルみたいに平泳ぎ出来るのがそんなにエラいのかよ。なんだってこんな事で馬鹿にされなきゃなんねぇんだよ。勉強の方でなら負けないってのにアイツ等ときたら……)  この日も、頑張って泳いでみせようと足掻いてみたが、駄目だった。  溺れかけたところを優しい体育教師に助けてもらって、その時点で半ば強制的に授業からは抜ける形になってしまった。  次の授業が行われる教室に向かうまでの通路で後方より耳にした生徒のボソボソ声が、彼の脳裏に今でもこびり付いている。 『――ホント、犬みたいだよな、アイツ』  屈辱以外の何でもない言葉だった。  似たような言葉はこれまで何度も聞いた事があったし、反論しようにも必死にプールの中でもがく自分の姿は殆ど犬畜生のそれと変わらなかったのは事実だったし、破れかぶれに暴力で黙らせようとしてもそれはそれで負けた気になるしで、特に表立って反応することはしなかったが。  それでも、聞いてて善い気分のする言葉では無い。  体育教師は泳げなかった自分に対して慰めるように気にするなと言ってくれるが、率直に言って瑠日からすればその言葉さえ自分の惨めさを思い知らされるものでしか無かった。  泳げるようになりたいと思い、小学生の頃より七夕には短冊の願い事にもそう書いたりしていたが、いくら努力してもその願いが現実のものになったことはない。  もういい加減、泳げないことを認めて諦めるべきか。  八月が終わるまであと一週間ほどあるが、残るたった二回の水泳は辞退してしまおうか。  出来ないことを頑張ろうとして惨めになってしまうのなら、出来ることをより一層頑張って胸を張ったほうがいくらか気持ちは楽になるのではないだろうか。  そんな風に、思いを馳せながら歩を進めていた所為だろうか。  ぽすっ、と。  自宅へ向かう回り角の向こう側から歩いてきたのであろう誰かの肩と、正面からぶつかった。  その小さな衝撃に、反射的に後ろへ一歩下がってから、瑠日は相手の姿を見る。  半袖の白いカッターシャツに黒色のズボンを穿き、黒革の鞄らしきものを右手に持った、いかにもサラリーマンやってます的な見た目をした長身の男だった。 「――あ、すいません」  特に走ったりしていたわけではないので特に痛みと言えるものがあったわけではないが、自分の不注意でぶつかってしまったことに負い目でも感じたのか、瑠日はとりあえずの感覚で一礼して謝ってから、男のすぐ横を通り抜けようとする。 「――ふむ、待ってくれ」  が、そこで男の方から呼び止められた。  因縁でもつけられてしまったか、と内心で溜息を漏らす瑠日は意図して無視をしてその場を立ち去ろうとするが、 「君、何か困り事があるようだね?」  その、明らかに確信を持った物言いに、足が止まる。  特に表情を隠す努力などはしていなかったとはいえ、初対面の相手からあっさりと自分の内面に踏み込まれてしまった事実に、少なからず苛立ちを覚えた。  お節介焼きの類か? と疑問を抱きながら、彼は男の方へと振り返ってこう返答した。 「だったら何なんです?」  瑠日の言葉に対して、男は「ふむ」と無表情のまま相槌を打ってから、 「もしかしたら相談に乗れるかもしれない。もし良ければ、話してみてくれないか?」  なんか何処か胡散臭いな、というのが瑠日が男に抱いた二つ目の印象だった。  が、一方で男が聞きたがっている困り事について瑠日は隠そうとも思わなかった。  何故か? 事が物理的な問題である以上、内情を語ったところで何が出来るわけでも無いからだ。  一度男から目線を離し、辺りに男以外の人間の姿が見えないことを確認してから、瑠日は男に関して完結に述べた。  この時期の学校は毎度のように体育の授業で水泳を取り扱っていて、カナヅチの自分には罰ゲーム以外の何者でも無く、事実として今日もクラスの同級生からの屈辱的な言葉を耳にした事を。  出来ない事を頑張って結局恥をかくぐらいなら、いっそ諦めてしまったほうが良いんじゃないかと思い始めていることを。  そうした苛立ち混じりの言葉を吐き出し終えて、どうせ綺麗事か何かでも吐いてくるんだろうと推測しながら、瑠日は目を僅かに細めて男の言葉を待った。  五秒ほどの間を空けて、男はこう切り出した。 「……ふむ。そういう話なら、力になれることがあるな」 「……まさか、泳ぎのコツでも教えるつもりです? そういうのは『出来るヤツ』だから理解出来る事であって、俺みたいな『出来ないヤツ』が聞いて実践したところで才能の無さを思い知るだけですって」 「努力を要する事は間違い無いけど、少なくともコツとかそういう話では無いな。要するに、泳げるようになれば良い、ということだろう? 何、それならば簡単な話だ。渡したいものがあるので、ちょっと付いてきてくれたまえ」  そう言うと、男は瑠日が向かおうとしていた道とは異なる方に向かって歩き出す。  一応付き合うだけ付き合ってみるか――と、疑問を抱きつつも瑠日は男の背を追うことを選んだ。  もし本当に泳げるようになるためのものがあるのなら、という思いも少なからずあったのかもしれない。  およそ十分ほどの時間をかけて、男の足取りに付いていく形で町の中を歩き、やがて彼は一つの小振りな建物の前に辿り着く。  迷い無く辿り着いた店の中に入っていく男から一度視線を逸らし、瑠日は建物の扉の前のすぐ上を仰ぎ見る。  恐らくは建物の名前であろうアルファベットの羅列が指し示す言葉は、 (……エデンズ・ドア?)  エデンズ・ドア――直訳するに、楽園の扉。  天国だの地獄だの、そういった壮大なものを名前に取り入れている店はそう珍しくも無いが、楽園という言葉が使われた店についてはあまり見ないし聞いた覚えも無い。  窓ガラス越しに覗き見える内装から察するに、少なくともサロンなどの類ではなく、ホームセンターのように生活用品の類を取り扱っているお店のように見えるが……? (……まぁ、とりあえず裏路地とかそういうんじゃないみたいだし、別に気にすることでも無いか)  数秒だけ、疑問に立ち止まってから。  案内してくれた男を待たせるのも悪いと思い、頭の中の疑問を切り捨てて店の中へと入っていく瑠日。  外側から覗き見た時点である程度の見知る事が出来ていたが、内装はそれなりに整っている。  衣装から見てサラリーマンかと思いきや、どうやら店のセールスマン――もしくは店長――の類だったらしい案内人の男は、店に入って左手側にある(恐らくはレジカウンターであろう)台を間に挟む形で瑠日の事を待っていたらしく、瑠日が店の中に入るとこんな言葉を漏らしていた。 「そういうわけで、ようこそ。お客様を楽園へとお届けする店、エデンズ・ドアに」 「……まさかですけど、毎回客にそんな台詞吐いてるわけじゃないですよね」 「え、何か問題があるのかな? 我ながら良い掴みが出来る台詞だと思っていたんだが」  瑠日の反応が予想外だったのか、真面目な声でそう答える制服の男。  胡散臭い雰囲気が鼻についていたが、実は単純に馬鹿なのだろうか? そう思うと、自分に投げ掛けてきた言葉も一応は全て善意によるものだったのかもしれないと瑠日は思った。  とはいえ、男に追従する形でこの店にやってきた理由を忘れてはならない。  ここがどんな店であるかは知らないが、男は確かに言ったのだ――泳げるようになりたいと思う瑠日に対して、渡したいものがあると。  色々気になる事はあるが、まずはそこを切り出さないと話が始まらない。  「で、俺に渡したいものがあるって話でしたけど、それって? なんか見渡す限り入浴剤やらお香やらが置いてますけど、まさかああいうもので泳げるようになるなんて話じゃないですよね」 「いや、そういう話だが」 「……は?」  さも当然のように返されてしまった。  やっぱり単純に馬鹿なんじゃなかろうか? と憐れみの視線を向ける瑠日に構わず、男は後方に見える棚から何やら海の景色が表面に描かれた四角い紙の小箱を取り出すと、話を先に進めてしまう。   「君に渡したいと言ったのは、この入浴剤だよ。浸かった人間を海へと誘う、この時期イチオシのうちの商品の一つ。品名で『深き蒼の導き手《ディープ・セイヴァー》』と呼んでるものだ」 「もう全体的に胡散臭いし馬鹿馬鹿しいし帰って良いですか」 「何故!? そんなに変な名前してるかい!? というか最近の若い子は全体的にドライだね!?」 「夏ですから。こんなクソ暑いんで乾燥してる人が殆どなんじゃないですかね」 「まぁまぁ待って。待ちたまえよ若き少年。効力は確かなんだ。実際これを使った人間は、もれなく泳げるようになっている。現代を生きる若い子の悩みを解決するためだ、タダであげるからちょっと待ちたまえよ!!」 「……はあ……」  何処か必死な男の訴えに、瑠日は溜息を漏らす。  何だかんだ期待外れにがっくりと肩を落とし、踵を返して立ち去ろうとまでしていた彼は、仕方なくといった調子で男の方へと振り返るとこんな問いを出した。 「……本当にこんなもんで泳げるようになるんですか? 正直信じられないです。変な薬物とか入ってませんよね?」 「そういう事を怪しむのなら、入る前に何か入れてみて、それで確かめてみれば良いよ。少なくともこれは、強酸のプールを作って人間の体を溶かし尽くすとかそういう物騒な代物じゃない。この店の名前が指し示すように、楽園への扉を開けるものさ」 「…………」  さも当然のように、それも悪意無き言葉で訴えられ続けている内に、それを疑う自分自身の胸には何処か罪悪感が宿り始めていた。  実際に泳げるようになるかどうかはさておいて、善意でもって自分の助けになろうとしてくれて、そのための役に立つと(少なくとも渡そうとしている男自身は)信じているのであろう代物を無料で与えてくれるというのに、これ以上疑って善意を無碍にしてしまうのは申し訳が無い、と。  故に、観念するように瑠日は男に対してこう答えた。 「じゃあ、お言葉に甘えて」 「うん、毎度あり。君が楽園に辿り着けることを信じているよ」 「……ちょっと大袈裟過ぎません?」 「いや、適切な言葉だと思っているのだけど?」  物は試しだ。  そう内心で付け加えて、瑠日は男から入浴剤の入った紙の箱を受け取るのだった。    そうした事があって、夜中。  無事にマンションの四階にある自宅へと帰る事が出来て、夕食まで食べ終えた瑠日は、何処の家にもあるような一人の人間の頭から足先までを入れるのが精一杯といった大きさのユニットバスの前に立っていた。  既に自分以外の家族は全員入り終えており、風呂に入る必要があるのは瑠日のみとなっている。  実のところ、風呂には入ろうと思えば家族の誰よりも先に入ることが出来るだけの余地があったのだが、今回ばかりは事情が事情だったため順番を先送りにしたのだ。  見知らぬ店で、見知らぬ男から善意でもって無料で譲渡してくれた入浴剤。  それはあくまでも自分に対して与えられたものであって、別の誰かに対して与えられたものではない。  であればこそ、未知の入浴剤を用いた風呂を堪能するのは自分だけでなければならない――あの男が実際にそう語ったわけでは無いのだが、瑠日は何となくそう感じていた。   (……さて、実際どんな感じになるのやら……)  これから風呂に入る以上当然だが、現在の瑠日は一糸纏わぬ姿となっている。  その右手には紙の箱の中に入っていた蒼色の固形物――即ち、男曰く『深き蒼の導き手《ディープ・セイヴァー》』なる名前らしい入浴剤が掴まれていた。  既に風呂場の追い炊きは済み、十代前半の男の体を首下まで満たすだけのお湯も残っている。  準備は終わった。  であれば、後は楽しむのみ。  お湯の中に右手で掴んでいた入浴剤を放り込み、まずは湯の変化を見た。  水らしい透明な色の泉は見る見る内に海を想わせる蒼色に染まっていき、湯気からは爽やかな香りが沸き立ってくる。  ある程度の時間をかけて、湯の中に微かに見える固形物がその姿を消していく。  無事、湯の中に溶けきったようだ。  念のため風呂桶を湯船の上に乗せてみるが、特に何らかの変化が起きるわけでも無く、右手を少しずつ湯船の中に突っ込んでみても痛みなどが伝わってくる事は無い。  目の前に存在するのが、ただただ蒼く気持ちの良い湯気を吐き出すだけの、何の変哲も無い風呂である事を、理解する。   (……まぁ、最低でもストレス解消にはなるわな。間違いなく……)  風呂桶を湯船から風呂場の床の上に戻して。  少なからず、入浴剤をくれた制服の男に感謝しながら。  彼は湯船に足先を突っ込ませ、そのままゆっくりとした挙動で肩までを体を浸からせていく。  直後に、彼の全身に爽やかな刺激が生じた。  まるで氷で冷やしたサイダーを喉に流し込んだ時のような、電気のそれにも似ていながら確かな快感を覚える刺激だ。  とても気持ちが良いものだと、素直にそう思った。   (良いもの貰ったなぁ)  気分が乗ったのか頭までを湯船に沈みこませ、体育座りのような姿勢から一変、顔だけを出して足を限界まで伸ばし、さながら寝床にでも着くような姿勢になって爽快感を堪能する瑠日。  夏の日差しが与えてくる暑さは今でも嫌いなままだが、一方でこのような風呂の暑さに関しては不快感を覚えることが無い。  温度だけで言えば風呂の方が基本的に上回るのに、不思議なものである――そんな思考をふとして抱ける程度には、精神的にも余裕が生まれつつあった。  体の奥の奥にまで浸透していく刺激の波が、彼の心身を解きほぐす。  気を抜くとそのまま眠ってしまいそうなほどに、彼の表情は安息に満ちたものだった。  ふと、眠りから覚めるようにして風呂の内部に備え付けられた四つほどのスイッチが設けられた機械の液晶画面――に表記されている電子時計の時刻――を見てみれば、湯船に浸かり始めてから30分以上も経っていた事に気付き、彼は少し驚いたような表情を浮かべた。  まだ髪や体を洗ったりもしていないのに、随分と浸かりきりになってしまったな、と自分自身の事ながら呆れ返ってしまう瑠日。 (そろそろ洗うか)  そんな風に思い、  寝そべった状態のままユニットバスの淵に手を伸ばそうとした、  その時だった。     ふと、ジジジジジ!! という、ノイズ染みた音が耳を打った。  耳は頭と同じく湯船に浸かっていて、聞こえるにしてもくぐもった音しか聞こえないはずなのに。  ぼんやりとした思考の中に小さな疑問が生じる。  入浴剤の中に含まれているのであろう炭酸ガスか何かの影響だろうか、と彼はぼんやりとした思考のまま答えを導き出そうとした。  が、直後に――彼は、その視線をユニットバスの縁に伸ばした自分の右腕を見て、目を見開いた。  その視界に飛び込んで来た情報は、僅か一瞬の内に瑠日がそれまで抱いていた幸福感や満足感を打ち消し、まるで夢から覚めるようにぼんやりとした思考を覚醒させた。   (――な……っ!?)  耳障りな雑音が耳の奥で反響し続ける中、彼の視界に飛び込んできたもの。  それは、まるで電波障害の起きたテレビ番組の画面のように、その輪郭を歪ませた自らの右腕だった。  性質の悪い幻覚か何かかと思い、何度もまばたきをしてみるが、視界に飛び込んでくる情報は全く変わらない。  思わず、視線を動かして湯船に浸かった自分の下半身の方を確認してみれば、そちらの方も右腕と同じくその輪郭を電波環境の悪い放送画面のように歪ませられた状態にあった。  この分だと、全身がノイズ染みた状態となって輪郭を歪ませられた状態に陥っているのだろう。  痛みの感覚は、無かった。  その事実が、あまりにも不気味に思えた。  あまりの安息に、あまりの充実に、意識を蕩けさせている内――その、いつの間に、このような事になってしまったというのか。  あまりに現実離れした、いっそ異変と言っても良いような状況に、彼の思考は混乱していく。  だが、異変はそこで終わりではなかった。  むしろ、ここからが本番だったのだろう。    全身がノイズまみれになった瑠日が、どう考えても異変の原因である風呂から抜け出すため、足を曲げて立ち上がろうとした直後の事だった。  寝そべった姿勢になっていた彼の顔までが、唐突に彼の意思に反して湯船の中に深く沈みこんだ。   (が……ばっ!? うごぁっ……!?)  予想だにしなかった出来事を前に、事前に息を吸い込んでおく事など出来ず、鼻と口の中に蒼い湯が入り込んでいく。  気付けば、ユニットバスの『底』から尻越しに伝わっていた硬質な触覚が消えている。  まるで、根本的に『底』と呼べるものが無くなってしまってしまったかのように。  この家はマンションの四階にあり、仮に真下に落下したとしても行き先は三階にある別の誰かの家の中となる――なんて当たり前の発想など、現実離れした現象の前では浮かべることさえ出来ない。  まるで栓を抜いたプールの中のように、ある一つの『穴』に向かって湯船が流れて行っているのだ――無論、その中に浸かっていた東雲瑠日の体を『流れ』に巻き込みながら。  今となってはしがみ付くという表現の方が正しい、ユニットバスの縁を今も尚掴む右手から、少しずつ力が抜けていく。  力を入れようと命令を送る頭――というか脳の方が、酸素の急激な不足によってその機能を閉ざされつつあるからだ。 (な……ん、で……っ)  浮かび上がる思考は、何故こんな事になってしまったのかという事に対する疑問ばかり。  しかし、やがてそういった思考も長くは続かない。  やがて眠りに着くように、蒼き湯に溺れた彼の意識は暗く閉じていく。  ユニットバスの縁にしがみ付いていた右手から力が抜け、彼の体がユニットバスの『底』とは違う、別のもっと深い何かに向かって沈み込んでいく。  そうして、やがて。  渦を巻いた蒼き湯は、何処かに向かって流れて行き、そして消えた。  後に残ったのは、栓を抜いていないにも関わらず湯船も無く、それでいて湿り気を残した不自然なユニットバス。  東雲瑠日の姿など、何処にも見当たらなかった。  ◆ ◆ ◆ ◆ 水色に輝く、空のような色の海の中を、一糸纏わぬ全身がノイズまみれになっている少年――東雲瑠日は漂っていた。  既にその意識は閉じられており、一糸纏わぬ四肢を力無く下げているその姿は溺死者のそれと相違無い。  事実、現実的に考えれば、彼はとっくに死んでいると言っても過言では無い状態にある。  口から肺へと酸素が供給されなくなった事で、全身に血を巡らせる役割を担う心臓はその役割を果たせず、他の臓器と同じくして脳に血が巡ることは無くなり、思考は止まっているのだから。  その五体は、今でこそ傷一つ無い健康そのものといった姿のままでいられているが、やがて少しずつ腐敗し醜悪な変貌を遂げることだろう。  そう、こうなるまでの成り行きが、本当の本当に人間が知る当たり前の現実に乗っ取ったものであったのならば。  ドグン、と。  唐突に、ノイズまみれの少年の体の内で何かが脈を打った。 (――――――)  脳も心臓も停止しているはずだった。  少年の体から酸素と呼べるものはとっくに消失していて、少年の意識を繋ぎ留め、体を動かすためのものは何も無いはずだった。  にも関わらず、少年の体は医療的な直流通電――通称でカウンターショックと呼ぶそれでも受けたかのように、胴部を中心に断続的に鼓動している。  脈打たせ、鼓動させるものが、少年の内に確かに存在していた。  それは血液でも臓器でも無く、生き物であれば必ずと言って良いレベルで体の中に存在する、生体電気と呼ばれるもの。  一説においては魂と呼ばれるものの正体だとされるそれは、意識を失った少年の体の中を不規則に巡り続けている。  臓器の一切が機能しなくなった、最早死体と大差無い体に対して、何かを求めるように。  体の中を巡り続けるそれが訴えているのは、少年自身が抱いていた現在に至るまで尚抱き続けていた願いそのものだった。  水の中で泳げるようになりたい。  もう、惨めに格好悪く溺れたりしたくない。  出来ない事を、出来るようになるまで、諦めたくない。   そんな、他人からすれば大した事の無いような願いが、少年の体の内で生き続けていた。  少年の体に生じていたノイズもまた、少年の脈動と共にその規模を増していく。  何処か痩せ細った印象のある少年の体の輪郭が、見る見る内に歪んでいく。  そして、ある時。  見えない何かに促される形で、少年の体は急激に変化を始めた。  溺れ、閉じる事も出来ぬまま開きっ放しになっていたその口と鼻を介して、少年の体の中に何かが取り込まれていく。  取り込んでいるものは当然、少年を取り巻く環境――即ち、空色に輝きし海そのもの。 「――――」  少年の体には元々大量の水が入り込んでおり、輝く海水を受け入れるだけの容量は残されていないはずだった。  だが、事実から言って、少年の体からは海水が漏れ出たりする事は無かった。  むしろ、より多くの海水を受け入れるためにか、その体がどんどん風船のように膨張していく。  その腹が、四肢が、首が、頭部が――そうした少年を形作っていたものが全て、まるで骨肉を失ったかのように、その境界線を失っていく。  確かに人間の体はその半分以上を水によって構成されているが、現実の話としてただ水を飲んだだけでこのように際限無く膨張したりはしない。  現状に至るまでの出来事からして現実離れの連続だったが、あるいはその結果として既に少年自身の体も人間が識る『当たり前』から乖離し始めていたのかもしれない。  いつの間にか、開きっ放しの口からは女性と愛を以って触れ合う唇も食物を租借し堪能する歯も舌も見えなくなり、口はただただ海水を取り込むためだけの窓口でしかなくなっている。  もはや少年の体は、二本の足で大地に立ち二本の腕で数多の事を行いその口で意味ある言語を介する知的生命体のそれではなく、ただひたすらに膨張し続けながら輝く海水を取り込み受け入れるだけのモノと化していた。  どんどん、人間としてありふれていたものが体表より失われていく。  内側より際限無く膨張していく肉体に呑み込まれるような形で、目や耳といった周りの世界を観測するための部位は外側から観測出来なくなる。  海水を取り込む窓口は『口』だけあれば良いのか、鼻もまた目や耳と同じくその形を失い、二つあった小さな穴も押し潰されるようにして閉じられた。  体内より不要となったものを排出するために存在する、生き物であれば誰もが有していたであろう器官もまた呑まれ、その痕跡さえ見えなくなる。  頭に生えていた日本人固有の黒髪や、小麦色の皮膚に張り巡らされていた体毛は、膨張していく肉体を彩る模様でしかなくなっていた。  毛以外のほぼ全てを染め上げていた小麦のような肌の色もまた、その体積を圧倒的に上回る量の海水を受け入れ続けていく内に、その色彩を現在進行形で取り込んでいる海水と似た蒼色と水色の縞模様に染め上げられていく。  ある種の限界に達したのか、あるいはもう十分だと体を動かす『何か』は判断したのか、開きっ放しだった海水の窓口たる『口』は静かに閉じられ、体の内側と外側は完全に断絶される。  そして、人間としての全てを放棄するに等しい変化の極めつけとして、風船のように肥大化しながらも心臓のように脈動していた肌から弾力が失われ、その動きを完全に止める。  そうして少年は、とても大きく丸い一塊の、蒼と水色の縞模様に彩られた物体と成り果てた。  見るからに中身が詰まってそうなそれは、見方を変えればある種の卵のように想えたかもしれない。  だが、目に見えない海の流れに逆らうことも無く、言葉の一つも介さず不動のまま漂うだけのそれは、意思持つ生き物ではなく物言わぬ物体にしか見えない。  仮に生き物であったとしても、それは間違い無く人間と呼べるモノでは無くなっている。  やがて。  一時間か、一日か、一週間か、あるいは一年か――何にしても短くはない時間が過ぎた頃。  何処までも青く蒼く碧い景色の広がる世界の中を漂う、東雲瑠日と呼ばれていた少年の成り果てし縞模様の卵が、小刻みに振動し始めた。  直後に、ピシリという音が海中であるにも関わらず強く響く。  見る見る内に、空の蒼の色を宿した丸い物体の表面に、止め処なく亀裂が生じて。  次の瞬間、縞模様の卵はその内側から加えられた力に押し出されるようにして砕け散った。  周囲に散らばった殻は、その役目を終えたと言わんばかりに、音も無く泡のようになって消えていく。  そして、 「――――」  縞模様の卵の内側から現れたのは、青緑色の鱗を全身に宿し、首下から尾までに白い蛇腹を生じさせた、巨大な蛇のような姿をした怪物だった。  長く伸びた体に四肢と呼べるものは何処にも存在せず、特徴と呼べるものにしても泳ぎを制御するための胸びれと、赤色を宿した葉っぱのような尾びれ、そして頭部を護る黄色い兜のような形の甲殻ぐらい。  兜のような殻の隙間から覗き見えるその目も、辺りの景色と似てか透き通った水色になっていて、瞳は捕食者のそれのように縦に割れている。  卵の中にて生じたためか渦巻きのような体勢になっていた大蛇は、開放感に浸るようにその体を伸ばすと、直後にその身を上下にくねらせ始める。  すると、見る見る内にその体は前方へと進み出す。  明らかに水中という環境に対して順応出来ており、産声を上げて間も無いにも関わらず、体の動かし方を理解しているかのような自然な素振りだった。  動作の根幹にあるものは、知性かあるいは本能か。  怪物の姿とその動作に、東雲瑠日と呼ばれていた少年の面影など何処にも見当たらないが、心なしか大蛇の怪物の表情は何処か安らかだった。  大蛇はゆっくりと、それでいて確実に、海の中を泳ぎ進んでいく。  元居た位置から見て、周囲の景色と判別が付かなくなるほどに、遠く深い蒼の世界へと。  かくして、泳げない事実に劣等感を抱いていた少年は、泳ぐ事が出来るために必要なものを手に入れ、劣等感や苦痛とは無縁の世界にその全てを溶かしていくのだった。  めでたしめでたし。  
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ユキサーン
2019年11月05日
In デジモン創作サロン
Part2へ。 寒い。  目が覚めた時、青年が最初に感じた感覚はそれだった。  明滅する意識の中、両手は後ろに回され手首を何かで縛り付けられていて、いつの間にか上着を脱がされているという事実に気付く。  体は、いつの間にか人間のそれに戻っていた。  立ち上がり、動こうとすると、首に圧迫を感じ、苦しくなる。  両手だけではなく、首もまた何かに縛られているらしい。  視界が霞む中、状況を確認しようと眼を凝らして見るが、見えたものは木製の扉と白い壁ぐらいで、正面の方向には今の青年に場所を特定出来るようなものは無く。  何かの臭いが充満していて、あまり心地良くは無いと思った。  ここは何処だ。  そう思い、今度は周りを見回してみるが、見つかったものは何かに使われていたのであろう白い色のボールが入った鉄の籠や、山のような形に積み上げられた木製の器具などぐらいで、最低限理解出来たのはこの場所が『倉庫』であるという事実ぐらいだった。  相変わらずといった調子で頭の中で雑音が響き、脳が何かの記憶を呼び起こそうとしたが、やはり明確なものとして思い出す事は出来ない。 「…………」  どうやら、この『倉庫』の中には現在青年以外に誰もいないらしい。  薄暗く、狭く、寒く、臭く。  とにかく孤独で、とにかく不快で、とにかく辛さを感じさせてくる空間に一人、閉じ込められている。  どうやら、自分は捕まってしまったらしい――と不思議なほど冷静に状況を認識する。  頭の中に、黒いサングラスをかけた金属質の猿人間の姿が呼び起こされる。    思えば、あの男は自分を捕らえて何をするつもりなのだろうか。  実の所、青年はあくまでも『人間』であろうとした自分に対してサングラスの男が何をするつもりのか、まったく予想出来ずにいた。  ただ、捕まれば何か好ましくない事を強制されると思い、危機感を覚えた。  未明で不明のそれから逃れようとして、失敗した。  だから今、自分はこの『倉庫』に閉じ込められている。  解っているのは、それだけだった。  頭の中に、この状況を生み出した張本人の言葉が呼び起こされる。  ――いいや放ってはおけないな。人間を超えた存在として義務を果たそうともせず、意味も無く人間の暮らしに戻ろうと足掻いてるだけだなんて。   (……くそっ)  心の中を抉ってくるような言葉だった。  今までの自分の生き方を否定するような言葉だった。  あんな言葉に一言も反論出来なかった自分に腹が立ってくる。   「……くそっ……!!」  認めるしか無かった。  あのサングラスの男は、自分よりも遥かに強い。  戦う前から、青年には勝ち目があると思うことすら出来なかった。  怪物としての自分を受け入れている者と、怪物としての自分を拒み続ける者――その強弱を、ハッキリと示されてしまった。  つい先日に鬼人と出会うまで、ずっと一人で生き延びてきた自分の努力が否定される気分だった。    実際問題、青年自身あの男に言われるまでも無く疑問を抱いた事はあった。  人間であり続けようと、人間として足掻いていこうと、怪物としての自分を否定し続ける今の生き方に果たして意味はあるのだろうか、と。  その疑問が浮かぶ度に、きっとそれは大切な物を守っているのだと、失ってはいけないものを失わないようにしているのだと、何か意味がある行為なのだと自分自身に信じ込ませてきた。  その柱を、折られた。  人間としての自分は無意味なものだと、否定された。  それが、どうしようも無く悔しかった。  だけど、どれだけ憤ってみても、今の状況を打破する力には繋がらない。  後ろに回された両手は何かに縛られていて、何より首を輪の形の縄か何かに縛られているおかげで身動きは取れない。  怪物の姿に変わる事が出来れば話は早いのかもしれないが、その行為自体がサングラスの男の言葉を肯定してしまうようで、変わる事そのものに対して心が受け入れられなくなっている。    そうこうしている内に、腹が減った。  何かを食べたいという衝動が胸の内に生まれる。  思えば、気を失ったままどれだけの時間が経ったのだろう。  倉庫内には正面の扉や上の方に窓が付いているようだが、そこから差し込む光の量は乏しく、今が昼間なのか夕方なのかあるいは夜中なのか――確かな認識が得られない。  いつまでこの状態が続くのだろうか。  一緒に来ていた鬼人は無事なのだろうか。  不安が不安を呼び、焦燥に駈られていると、突然正面の扉から異音が聞こえた。  扉が開き、向こう側から誰かが倉庫内に入って来る。  片方は図書室で顔を見た覚えのある男だったが、もう片方は全く見覚えが無い幼き女の子だった。  男は青年の姿を見るや女の子の手を引き、まるで物を捨てるような調子で青年の前に放り出す。  そして、素っ気無く言った。 「食事だ」 「……ッ!!?」  ゾッとする意味を含んだ言葉だった。  驚愕に言葉に詰まり、反論を口にする前に男は扉を閉めてしまう。  ガチャリ、と鍵が閉まる音が遅れて聞こえる。  後には少女と青年だけが残され、その場には冷たき静寂が訪れる。   「…………」  青年は、しばらくの間喋る事を忘れてしまっていた。  それほどまでに、扉を開けた男の行動と言葉は青年の心に衝撃を与えていた。  食にありつける何処かへ案内するのでもなく、何らかの食料を置いていくのでもなく、ただ一人の女の子――恐らく『怪物』としての側面を持たない普通の人間――を『倉庫』の中に置き去りにした『だけ』である以上、男が告げた言葉――恐らくはあのサングラスの男の命令――の意味は明白だ。  ――そのエサを、食べろ。  ――お前は人間ではなく怪物なのだから、それで腹は満たせるだろう?  ……どこまでの化け物になれば、こんな事を思いつくのだろうかと青年はただ思う。  この場に食料は無く、そもそも手が後ろで縛られている時点で、傍に食料があったとしても食料を手に取って食べるという当たり前の工程をなぞる事は出来ない。   精々可能な事があるとすれば、首に伝わる圧迫に耐えて床に落ちた何かを舐め取れるかどうかといった所だ。    ――そう、人間の姿のままであれば。  怪物の姿になれば、首や後ろに回された手を縛るものを引き千切る事が出来るだろう。  怪物の力を使えば、目の前で閉ざされた扉をその力で破り脱出を試みる事も出来るだろう。  怪物の体であれば、人間の姿では到底食べられない食物も噛み砕き飲み込む事が出来るだろう。    ……それがサングラスの男の狙いなのだろう、と青年は推理した。  これは、生き物が当たり前に持つ欲求を利用したチキンレースのようなものだと。  空腹になれば、誰だって食べ物を求めるだろう。  到底食べられない物、食べれば体を壊す物であっても、口に入れて胃袋を満たそうとするだろう。  人間としての記憶を失い、怪物だらけの世界で一人目覚めてから――他ならぬ青年がそうして生きてきたのだから。  もしも、空腹を意思で我慢し切れなくなり、怪物の姿に成ってしまったら――その時、正気を保ち続けていられる自信が無い。  仮に、そうして目の前に見える少女の五体を食欲と狂気によって食い散らかしてしまったら――きっと、もう『人間』であろうと足掻き続けていた青年の心は二度と修復出来なくなってしまうほどに壊れてしまう。  後には口元を赤い血で染め、人間の心を限り無く失い、救いようの無い狂気に浸った怪物だけが残るのだろう。  生きるためだと言い訳をしたとしても、この一線だけは決定的だ。  あのサングラスの男は、青年に怪物としての『自覚』を持たせるため――たったそれ一つだけのために、一人の少女を生け贄に捧げたのだ。   (……どうすれば……)  怒りよりも先に、恐れが心に染み入る。  いっそ餓死してしまえるのなら、そうしてしまいたい。  怪物ならまだしも、明らかに普通の人間にしか見えない女の子を食らう事など、死んでも許容出来ない。  目の前の、食料として捨てられた少女が力なく起き上がる。  本当に怪物として食べさせる事を前提としているためか、下着以外に着ているものは見当たらなかった。  過去に誰か――恐らくはサングラスの男本人かその仲間――に虐待されていたのか、体には点々と青痣が浮かんでいる。  拘束された青年を見るその瞳に、光は無かった。  どんな言葉を掛けてやればいいのか、そもそも少女がこの場に放り捨てられた原因とも呼べる自分にそんな資格があるのか――青年は迷った。  互いに発する言葉も無いまま、ただただ時間が経過する。  食に飢え、満たされない感覚に心を灼いて、どれだけ時計の針は進んだか。  やがて、自らの中に芽生えつつある衝動から逃れるように、青年は少女に口を開いた。 「……ごめん……」 「…………」  少女は口を開かない。  だから、青年の言葉だけが続く。 「……俺の所為で、こんな事になって。君は何も悪くないのに、こんな狭い場所で化け物と一緒にされるなんて」  言葉を吐き出す度に、目から雫が零れた。  そんな資格は無いと解っていても、止められなかった。 「……俺は、きっといつか我慢出来ずに君の事を食べてしまう。そうならないためには、もう俺が死ぬしか方法は無いと思う。だけど、俺にはもう自分で自分の舌を噛み切れるだけの力も残ってない。度胸も無い。そもそも噛み切ったとしても生き続けてしまうかもしれない。だから……」  もう、心が折れかけていた。  だから、こんな事を口走ってしまった。 「……俺を、君が殺すしか無い。俺が君を食い殺す前に。どんな方法を使ってもいい。身勝手な願いだってのは解っている。だけど、それでもお願いだ。俺に、俺に……人殺しをさせないでくれ」  我ながら、最低な願い事だと思った。  加害者でありながら、被害者に自分の願いを押し付けている事が。  小さく幼い女の子に、殺しの業を背負わせようとしている自分自身の身勝手さが。  自分の言葉を、少女がどれだけ理解出来たのか青年には解らない。  届かなかったとしても、仕方が無いとさえ思える。  だが、濁った瞳で青年の顔を見つける幼き少女は、青年に向かってこう言った。 「……やだ」  否定の言葉を。  仕方が無い事だと思いながらも、青年は疑問の声を漏らした。   「……何で?」 「……だって、お兄ちゃん悲しそう」 「……ああ」 「……そんなお兄ちゃんを、傷つけたくない」 「……でも、そうしないと君が死ぬ」 「……それでも、やだ」  少女の言葉は、殆ど駄々を捏ねるような声だった。  きっと、この少女は青年がどんなに自分を殺すよう訴えても同じ言葉で断り続けるだろう、と思った。  お兄ちゃん、という呼び方が胸の内に覚えの無い暖かさを抱かせるようで、とても厳しい言葉で強制させようなどとは考えられなかった。  だが、それでも、少女の命を守るためにはこうするしか無い――そう思い、青年は心を鬼にして卑怯な言葉を吐き出してしまう。 「……君には、お父さんやお母さん……家族がいるんじゃないのか。君が死んだら、きっと悲しむぞ」  知らない顔の誰かの笑顔を、人質にした。  自分がその温もりの温度を覚えていない事をいい事に。  会ったばかりでも、この少女が優しい性格をしている事は理解出来た。  だがそれでも、こう訴えかければ、たった今顔を知った誰かの生より、ずっと前から顔を知る育ての親の笑顔を優先するはずだ。  そう思っての言葉だった。  そして、少女の返事はこうだった。 「……いないの」 「……え」 「……お母さんもお父さんも、いないの。何処にいるのか、わからないの」  青年は絶句した。  その回答を、全く想像していなかった。  今のこの世界が弱肉強食の理論に支配されている事を、知りながら。  こんな場所に、奴隷以下の扱いを受けて放り出された少女の境遇を、察する事が出来なかった。 「……お兄ちゃんじゃないお兄ちゃんも、いないの。みんな、わたしのことを置いて何処かへ行っちゃったの」  少女の言葉は涙声だった。  きっと、少女の中ではもう会えないものだと認識されているのだろう。  最初は希望を持っていたのかもしれないが、そんな心もきっと何処かで折れてしまった。  本当は何処かで生き延びているかもしれなくとも、かもしれないとしか言えない曖昧な可能性を信じられなくなった。 「もう、やだよ」  故に。  直後の言葉に、名前も知らない少女の願いが詰まっているように思えた。 「……もう、痛くなるようなのは、やだよ……」    それは、所々に青痣が出来るほどに痛め付けられた体の事か。  それとも、家族と離れ離れになってしまい孤独に苛まれた心の事か。  あるいは、その両方か。 (……くっ……)  ここに来て、青年は少女の命だけではなく心までも救いたいと思ってしまった。  そう思ってしまうほどの言葉を、胸の奥に叩き付けられてしまった。  だが、この状況を打開するには難しい問題が確かに存在する。  第一に、まず青年が自由に動けるようにならねばならない事。  第二に、逃げ切る前に脱出がバレてしまった場合、最悪あのサングラスの男と戦う事になってしまう事。  第三に 仮に脱出が成功したとして、その後少女と共に何処へ逃げれば確かな『安心』を得られるのか、全くと言ってもいいレベルで解らない事。  第一の問題からして、青年が怪物化した際に自らの衝動を抑え切れるかどうかという賭けの話が混じっている。  第二の問題にしても、目の前の扉の向こうにサングラスの男の仲間が見張り役として立っていた場合、不穏な動きはすぐにでも感付かれてしまう。  そして第三の問題――これが一番の問題とも言えた。  この『縄張り』における普通の人間の扱いがどんなものであるか詳しくは知らないが、案内をしてくれた女性の言い分からしても目の前の少女の非道な待遇からしても、怪物の脅威からは『安全』であっても人としての自由や尊厳は守られていない事は想像に難くない。  であれば、人の集いに戻っただけでは意味が無い。  何処か遠く、最低でも『縄張り』の外にまでは行かなければならない。  だが、その場合も危険は付きまとう。    サングラスの男の『縄張り』の外では、道中確実に野生の怪物の襲撃に遇う。  危険に晒されるのが青年一人ならまだしも、無力な少女一人を庇いながら戦えるのかどうか、自信が無い。  食料だって、自分だけではなく少女の分も必要になる。  鬼人ほど大食らいではないだろうが、何より少女は普通の人間――青年ほど体が頑丈ではなく、下手に大きく消費期限切れを起こした食料を食べたりしたら体調を崩してしまうだろう。  今でさえ衰弱しているように見える状態で、それは致命的と言っていい。  これまで集めてきた食料を入れたリュックサックは間違い無く接収されているだろうし、何処に持って行かれたのかも解らない状態でのうのうと探索していては確実に脱走に失敗する。  それでは本末転倒だ。    もっと善良な性格の『同類』が管理している『縄張り』に辿り着ければそれが最善かもしれないが、そんなものが都合良く見つかる可能性を青年には信じられない。  この『縄張り』に辿り着くまでが、そもそも長く険しい旅だった。  それと同じ工程を、今度は誰かを守りながら歩む――途方も無い話だ。  仮に新たな『縄張り』に辿り着いたとして、此処のように普通の人間が虐げられるような場所ではないという保障は無い。  希望が見えない。  いっそ屈服して願い媚びてしまった方が確実かもしれないが、あのサングラスの男が青年の嘆願によって大人しく少女の死が前提となった方針を取り下げてくれるような心性を持ち合わせているとは思えない。  それ以外にも頭の中で必死に少女の体も心も死なずに済む方法を模索してみたが、やはり確実性のある答えは想像すら出来なかった。  そうして、無駄な時間だけが刻々と過ぎていく。  ふと、同行していた鬼人の事が頭を過ぎった。  青年はこうして捕らえられたが、それはサングラスの男の意思に反する人間としての思想を持っていたからだった。  だが、鬼人は確か自信が怪物と化した事について青年とは異なり幸運だったと口にしていたはずだ。  サングラスの男ほど苛烈ではなかったが、怪物の体に特に不快感を抱いているようには見えなかった。  青年が気を失った後、どのように扱われたのか――そして、扱いに対して鬼人自身はどう立ち回ったのか……気懸かりではあった。  どうにか無事でいてほしい――そう思う程度には、情が寄っていた。  正直な所、あの鬼人の思想はよくわからない。  聞いた言動の大半は適当で、深く物事を考えてるようにはとても見えなかった。  その態度に腹が立った覚えもある。  だが今となっては、あの能天気さが逆に羨ましかった。  怪物としての力を忌避したりせず、さながらただの武器か道具として受け入れているように見えた、あの在り方が。   (……何で、あいつは怪物の力を受け入れられたんだろうな……)  浮かんだ疑問にも答えは出ない。  そもそも、答えが出たとして今の状況がどうにかなるものとは思えない。  救いなど無い。助けなど来ない。そんな希望など存在しない。  これ以上思考したとしても、最早蛇足以外の何物にもならない。  それが現実だった。  心をすり減らしながら、いつしかそう達観しようとしていた。  つもりだった。  なのに。  ゴシャァアアアアッ!! と。  突如、目の前の扉が外側からの力に圧される形で折れて倒れてきた。  その音に、青年と少女が同時に扉のあった方を向く。  暗がりで姿を視認しづらいが、その輪郭を青年は覚えていた。  鬼人だ。 「よーっす、助けに来たぞー」 「……お前、何で……?」  相変わらずの適当な調子の言葉に、思わずといった調子で疑問の声が漏れた。  だって、今の青年を助けるという事は、あのサングラスの男の意向に明確に逆らうという事だ。  青年と同じく、険しい道なりを歩き続け、ようやく辿り着いた人間と『同類』の集う『縄張り』から、自ら離反するという事だ。  目に見えた危険を冒してまで、鬼人には青年を助けなければならない理由など無いはずなのに……。  鬼人はこう答えた。 「何でって、俺はお前に一度助けられてるんだぞ? 結果的にだが。食料だって分けてもらったし、貸し借りの話になればどう考えても俺の方がお前に借りを作っちまってる。むしろ、ここまで助けに来るのが遅れちまって悪かったってぐらいだ」 「……たった、それだけの理由でか……?」 「ついでに、あいつ等の事が気に入らなかった。あんなのと一緒になんていられねぇよ……」  声色が、初めて苛立ちの篭ったものに変わっていた。  今この時に至るまでの間に、何かがあったのかもしれない。  鬼人は青年の後ろに回り、両手を縛る何か――縄のようなものを解きながら、   「そんな事より、さっさと行くぞ。ちょいと派手に音を出しちまったからな。その内連中は俺達を捕まえに来るはずだ」 「……逃げて、何処に行くんだ? 行く宛があるのか?」 「無い」 「なっ」  キッパリと言われて、元々『逃走後』に希望を想像出来ていなかった青年でさえ思わず声を詰まらせる。  しかも、鬼人は直後にこう告げた。 「そもそも、逃げ切れないと思うしな。監視の目だってあるし、見逃してでもくれない限りは。単純に走って逃げるだけじゃいつか追い着かれる。お前も俺も、速さに特別長けているわけじゃねぇし……その女の子を抱えながらってなると、尚更な」 「おい待て。逃げられる見込みが無いのなら何で助けた!? これじゃ、ただ状況が悪化しただけじゃ……!!」  これでは今この場で助けられたとしても、すぐに捕まってしまう。  それでは全くと言っていいほどに意味が無い。  ただ鬼人の立場を悪くするだけだ。  しかし、直後に鬼人は呆れたような調子でこう言った。 「だから、逃げずに勝つ方針にすればいいだけの話だろうが」 「……おい、まさか」  嫌な予感がした。  そして、予想通りの答えがやってくる。 「戦って勝つ。誰より優先してあのグラサン猿男をぶちのめす。それ以外に活路は無いって、お前も解ってたんじゃないか?」 「…………」  それは、青年自身考えもしていなかった解決方法だった。  この状況に至るまでの過程から、不可能だと決め付け思考すらしなかった話。  その解に対して、青年は苛立ちを込めてこう返した。 「……それが出来るのなら、そもそもここで捕らわれていない」 「かもな」 「勝てる気がしなかった。俺があいつの怪物としての姿を見た時、その時点で俺には打ち勝てると信じる事すら出来なかったんだ。きっと、奴はまったく本気なんて出していない。手加減した状態でさえ、歯が立たないんだぞ。そんな相手にどうすれば勝てるっていうんだ」 「知らん」  無責任な言葉に、青年の頭に血が昇りそうになる。  だが、鬼人は更に言葉を紡いだ。   「そもそも、お前は勝ち目があると思ったから戦うのか? 俺が骨の竜と戦っていたあの時も、勝ち目があると思ったから首を突っ込んで来たのか?」 「……それは」 「逃げるって選択だってあっただろ。実際逃げてたら『ミサイル』で狙われてお陀仏って可能性もあったが、そうとも知らずにお前は自分から言っていたぞ。死なれたら困るから勝手に助力させてもらうってな。……なぁ、そもそも何で死なれたら困ると思ったんだ? 俺が持ってる情報とやらは命と等価値だったのか?」 「…………」  その問いに、青年は答えられなかった。  思えば、あの時の自分の行動は自分自身不思議に思った所もある。  単純な利益だけでは説明出来ない、何かの衝動に従う形で行動していたような気がする。  その答えを、鬼人はあっさりと口にする。   「多分だが、お前は単純にアレじゃないのか? 危険な目に遭ってる奴を見かけたら、身の危険を承知の上でも助ける事を優先するタイプ。お前、度を越えたお人好しタイプなんだろうよ」 「……俺が、そんなやつに見えたのか」 「そう見えた。っつーか、結局骨の竜と戦う流れに乗っかって、途中で俺がヤツに捕まった時だってトドメを刺す事より助ける事を優先してたじゃねぇか。自覚が無いのならもう病気のレベルだとしか思えねぇ」 「…………」  さも当然のように語られて、青年はふと反論する事さえ忘れていた。  その間に鬼人は青年の首元を縛る『何か』を解き、拘束状態から開放する。  そして、改めて質問を放ってきた。 「一つだけ答えろ。お前はその子を助けたいのか。それとも見捨てるのか」 「…………」 「可能か不可能かは聞かねぇ。ただお前がどうしたいのかをハッキリ言ってみろ」  シンプルな問いだった。  とてもシンプルな問いだった。  こんな事は深く考える必要も無いと言わんばかりの調子で放たれた言葉は、だからこそ柔らかいオブラートなどには包まれておらず、剥き出しの鋭さでもって青年の心に突き刺さった。  青年は、少しの間黙っていた。  救助を感付かれ追っ手を差し向けられるまでの時間が迫る中、鬼人は返答をただ待った。  そして、やがて青年はこう返した。 「その子を助けたい。どんな手を使ってでもだ」 「いい返事だ」  その回答に満足したのか、鬼人はあからさまに笑みの表情を浮かべた。  青年自身、もう状況がこう動いてしまっては流れに乗るしか無い――そう諦める思考も確かにあった。  だが、助けたいと思う心情は紛れも無く本物だ。  そのためなら、忌避する怪物の力を使ってでも戦う事を選択する。  サングラスの男は自分に宿った怪物の力を支配のために使い、それ自体を当然の義務だとさえ言っていたが、元々勝手に押し付けられたも当然の力――自分に宿った力の使い方は、自分で勝手に決める。  今までは、あくまでも生き延びるための手段として扱ってきた。  だが、少なくとも今この状況においては一人の少女を助けるためにこの力を使うと、そう決めた。  最低限少女の体が冷えぬよう、雑に捨て置かれている自らの(元々破損はしていた)制服で少女の体を包むと、青年は鬼人に向けてこう告げる。   「……今から『変わる』が、もし狂ってしまったらお前が止めてくれ」 「任せろ。壊れたテレビみたいに殴り付けてすぐ戻してやる」  青年の体が、鬼人と少女の前で変わっていく。  夜の闇を纏うような暗い色の獅子の獣人が、人の殻を脱ぎ捨てて現れる。  幸いにも、自我は繋ぎ止めることが出来たらしい――獅子の獣人と化した青年は、鬼人に向けて問う。 「で、流石に何の策も無いってわけじゃないだろうな」 「策って言い張れるようなものでも無いけどな」
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ユキサーン
2019年11月03日
In デジモン創作サロン
 Part1へ。  暗闇の時間が過ぎ、日陰の時間が訪れた。  骨の竜との戦闘によって生じた疲れを出来る限り癒すため、木造のアスレチックの中で鬼人と共に一夜を横になって過ごした青年は、既に獅子の獣人の姿から人間の姿に戻っている。  晴れているとは言い難い曇り空の下、青年は急かされるような足並みで歩き続けていた。  先日の鬼人との会話の過程で、リュックサックの中に溜め込んでいた食料を予想以上に消費した。  思えば鬼人が(戦利品の骨棍棒を除いて)手持ち無沙汰であったという事実から察するべきだった事なのだが、鬼人には自身の食料の持ち合わせは少しも無かったのだ。  決してこれまで何も食べていなかったわけではないとの事で、途中途中青年と同じく売店の売れ残りなどを頼りに腹を満たしていたらしいが、青年とは異なりリュックサックのような多くの物を入れるための道具が都合よく手に入らなかったらしく、基本的に手に入れた食料は満腹になるまで腹に詰め込んでいたらしい。  そうして移動と共に時は経ち、腹も空いてきて食料を探している内に骨の竜と鉢合わせになってしまい、闘うことになったと鬼人は夜中に語っていた。  そんなわけで、青年は動き出して早々に自分自身が食べる食料を確保するために売店が近場に無いか探しだす羽目に。  でもって、同行者が一人。 「いやー悪いな。パン食だと思ったより腹が満たせなくてよ」 「……助けられた恩もあるからある程度は許容したわけだが、それにしたって食べ過ぎだと思うんだ俺は」 「だからその点については謝ってるだろ。悪かったって」  青年の真横には、件の鬼人が着いて来ていた。  どうやら鬼人も青年と同じく避難した人間の居所を知りたいらしく、ひとまず青年と行動を共にする事にしたらしい。  実際問題、骨の竜を撃破した時のように互いに助け合う事が出来れば怪物と遭遇した際の生存確率は飛躍的に高まるため、青年としても同行者が加わることに不満は無かったのだが、単純に食料の消費がこれまでの二倍――あるいはそれ以上になるという点は無視出来るわけもなく。  さっさと食料を補給して、安心を得たいというのが青年の本音だったりした。  歩を進めていると、ふと頭に浮かんだ疑問を青年は鬼人に対して口にする。 「というか、人間の姿には戻らないのか? 怪物の姿が見えない今、その姿でいる意味は無いと思うが」 「逆に聞きたいんだが、何でわざわざ人間の姿に戻ってるんだお前? 脆い人間の体より強い怪物の体でいた方が安全だし、戻る意味も特に感じられないんだが」 「使い続けた結果どんな『副作用』があるのかも解らないだろ。納得出来る理由が無い限り、俺はあの姿になりたいとは思わない」 「ふーん、まぁ強要はしねぇけどよ。随分面倒臭そうな進み方をしてんのな」  適当な調子の鬼人の返事に、青年は内心で「大きなお世話だ」と呟いた。  青年自身、わざわざ遠回りな進み方をしているという事に対して自覚はあった。  自身の現状の目的を鑑みても、獅子の獣人の姿で進んだ方が早く進めるという事ぐらい、鬼人に指摘されるまでもなく解っている。  それでも、恐れも無く平然と怪物としての側面を受け入れている鬼人の素振りには疑問しか浮かばない。  この鬼人だって、元は人間であったはずなのに――と。 「……はぁ」  思わず、怪物の力を得てからもう何度吐いたかも覚えていないため息が漏れた。  決して他人事とは言えない問題だが、それで不満を溜め込んでいる自分自身がどうしようもなく馬鹿らしく思えたのだ。  自分でも気付かぬ内に、心が病んできてしまったらしい。  自覚していた当たり前の事を指摘されただけで、不機嫌になってしまう程度には。  食料探しは難航した。  発見して入った売店の中を見繕ってみても冷凍食品に惣菜や生肉などは全くと言っていいほどに見当たらず、海産物に至っては店自体が冷蔵の機能を失っているためか既に腐臭の源と化してしまっていて、腹を満たすために確定で食中毒に苦しむ羽目になりかねないものばかりだった。  とても焼いて食べられるようになる類とは思えない。  店内に食べ物のかすや残骸といった『食後』を意味するものが散乱していなかった事から見るに、食材の不足っぷりは怪物によって無秩序に食い荒らされたのではなく、鬼人と同じく人並みの知性と理性を持った複数の『誰か』が持ち去ったのであろう事は想像出来た。  歯を磨く事すら難しい現状では虫歯が怖くもなるが、幸いにも余っていたチョコレートなどの菓子類やサイダーなどの炭酸飲料が入ったペットボトルもリュックサックの中に確保しておく。  元々、スーパーやコンビニの備蓄は『誰か』が既に確保しているとしか思えない不足っぷりであった事を青年自身も理解はしている。  とはいえ、食料が手に入らず困るのは他ならぬ自分達になるわけで、罪悪感を感じつつも怪物の影響によって壊されてはいなかった無人の住宅の扉を壊して侵入し、キッチンにある冷蔵庫や棚の中身を確認したりもした。  恐らくは避難を急いだために持っていく事が出来なかったと思わしき備蓄を確保し、青年はようやくリュックサックの中にしばらくは安心出来るだけの食料を詰め込み終える。  その一方、鬼人は主のいない家の内装を眺めながらこんな事を言っていた。 「住む奴がいないと寂しいもんだな。いい家なのに」 「壊されてないだけマシ、だと思いたい所ではあるな」  そこにはきっと、誰かの思い出があったのだろうとは思う。  だが、それは結局『誰か』とは他人の関係である青年や鬼人には決して共有出来ない情報なのだ。  そして本来、招かれざる客が勝手に上がり込んで良い場所ではない。  主のいない家を後にし、青年と鬼人は元々進んでいた方角に向かって歩みを再開する。 (……それにしても……)  道中、青年はふと空を見上げた。  今日は雲に遮られて見えないが、空にはまるで傷跡のようにも見える裂け目が生じている。  それは日が経つにつれてどんどん幅を広げているようで、青年にはその裂け目がまるで口を開くかのように――この世界を飲み込もうとしている怪物のようにも思えた。  あの裂け目の向こう側には、何があるのだろう。  脳裏に刻まれた知識として、人間が死後向かうとされる天国や地獄という魂の行き場の名が浮かぶ。  だが、人間ではなくなった者達に天国や地獄に続く扉は開かれるのか。  返り討ちにしてきた怪物達が、死後に光の粒子となって何処かへと消える光景が頭の中で反芻される。  あの光は、何処へ向かったのだろうか。  天国か、地獄か、あるいはそのどちらでもない何処かか。  仮に、空の裂け目の向こう側に世界があるとすれば、そこが怪物達の世界――いつか還るべき場所なのか。 「…………」  雲に遮られて見えないはずなのに、自分の意識が裂け目の中に吸い込まれていくような錯覚がして、青年はそれまでの思考を断ち切るように視線を下ろした。  多々続く睡眠不足の影響か、頭が痛む。  一度立ち止まり、リュックサックの中から黒色のラベルが貼られたペットボトルを手に取る。  鬼人からも喉が渇いたと訴えられたので、自身が手に取ったものとは異なり薄い赤色のラベルが貼られたペットボトルを手渡しておく。  蓋を回して開き、中身である黒色の炭酸飲料を口に含む。  大して甘くは無かったが、それでもある程度嫌な気持ちを和らげる程度の効果はあった。  一方で、鬼人は不満そうに口を尖らせ、 「……あのよぉ。梅味のサイダーって正直どう思うよ?」 「飲んだ覚えも無いから知らん。吐かずに飲めるならいいだろ」 「……あー、ヤバい、口直ししたい。ちょっと何か甘いの寄越してくんね?」 「我慢しろ。その調子で食べ始めたら食料枯渇コースに一直線だろうが」  鬼人の不満そうな声を聞き流しながら、青年は炭酸飲料のボトルを片手に歩く。  適当な話題を交えながらも、彼等は確実に何処かへと進んでいた。  曇り空は晴れず、変わらない空模様の所為でどれほどの時間歩き続けていたのかは解らないが、それでも見える景色は多少変わっていく。  とはいえ、疲れは感じて来た。  いつまで歩き続ければ、人に会う事が出来るのか――と青年は少し憂鬱になる。  そんな時だった。 「……おい、アレは何だ……?」  鬼人が、疑問の声を上げながら右手の人差し指で何かを指していた。  鬼人の指した方向を目で追うと、青年も鬼人が疑問の声を漏らしたものを目撃した。  それは、 「……煙……?」  自分で言っておきながら、それでも疑問符が浮かんだ。  これまでの歩みの過程で、同じものを見る機会は何度かあった。  大体は怪物が吐き出す火炎が生み出す二次被害によるもので、つい先日も骨の竜が放った『ミサイル』によって爆発と共に黒煙が空へと昇っていくのを見たばかりだった。  だが、眼前に見える煙はそういった前例とは毛色の異なるもののようだった。  色は黒ではなく白色で、漂う臭気から不快さは感じられず、むしろ食欲を湧きたてるような香ばしさの方が感じられる。  煙自体の規模も前例に比べれば小規模で、危機感を煽るようなものではない。  青年は期待を込めて、こう結論を出した。 (……人がいる!!) 「あ、おい!! どうしたそんな慌てて!!」  鬼人の声など耳に入らなかった。  息を切らしかけるほどに速く、青年は煙の立っている場所に向かって走る。  胸の内が高鳴った。  ようやく言葉も介せぬ怪物ではない『誰か』に、会う事が出来るという期待によるものだった。  そして、青年の視界に望んでいたものが見えた。  見知らぬ顔の人間達が集まっていたのだ。  視界を凝らして見てみれば、煙の発生源と思わしき焚き火があって、その傍には生の肉や野菜が串に刺される形で放置されている。  同じようなものが、他にも複数存在していた。  どうやら、食事を作っている最中だったらしい――青年はとりあえず声をかけてみる事にした。 「あの……」  最初に、その声に気付いた一人――藍色の服を着た大人びた女性――が振り向いた。  その表情には疑問の色があった。 「あなたは……?」  問い掛けられて、今更ながら青年はハッとなって気付いた。  記憶喪失である所為で自分の名前が解らない以上、問い掛けられてもどう自分の素性を明かせばよいのかが解らないのだ。  青年が言葉に迷っている内に、次々と辺りにいた人々から疑惑の声が聞こえてくる。  大人の声だった。 「何だあの子……」 「あんな子、一緒に来てたか?」 「……生存者?」  外観の変貌も相まってか、自分の顔を知っている人物はいないように見えた。  着ているものが制服であることは辛うじて伝わるかもしれないが、それはそれとして『学生である』という情報以外に人物を推理する材料が無いのだろう。  そして、青年から見てほぼ真後ろの方向から聞き覚えのある声が響く。  振り返ってみれば、鬼人の姿が見えた。 「おおーい!! 俺を置いてくなってー!!」  まずい、と青年は素直にそう思った。  青年がこの場に踏み寄り声をかけた時点で、子持ちと思わしき女性を始めとした老若男女の視線は青年の立っている方へと向けられていて、結果として彼等全員がタイミングの悪いことに鬼人の姿を見てしまった。  思えば、青年自身は怪物の姿を見慣れていて、自分自身も怪物の力を使う事が出来ることも相まって失念していたことだが、普通の人間達からすると知性や理性を伴った怪物の存在はどう映っているのだろうか。  いくら鬼人の体が肩から上を除けば殆ど人間に近い姿をしているからといって、その異形をすんなりと受け入れてくれるのだろうか。  恐らくは怪物達の脅威から逃げてきたのであろう、ただの人間達が。 (……どうする……)  再度集まった人間達の方を見れば、やはり全員が少なからず驚きの表情を浮かべていた。  ただでさえ青年自身の素性も認知されていない状態で、この突然の遭遇――問題が重複してしまっている。  どんな言葉で説得すればいいのかと、思考を練ろうとする青年だったが、その前に目の前の女性が慎重な様子で言葉を発してきた。 「……あなた達、人間なの?」 「えっ……」 「お願い。素直に答えて」  予想外の問いかけだった。  あなた達、と前置きしている時点で、鬼人だけではなく青年もまた怪物としての側面を持っている事を理解した上での質問である事は察しがついたのだが、それがどんな意図を含んだ問いであるのかまでは解らなかった。  少なくとも、外観の話をしているのではないと思った。  きっとこれは、内面の話なのだろうと。 「んー? いや、今は見て解る通り人間じゃないと思うんだが」 「ちょっとお前黙ってろ」  やけに当たりがキツくないか!? という鬼人の嘆く声は放っておき、青年は女性に対してこう答えた。 「人間でありたい、とは思ってます」 「……そう」  その返事を、どう受け取ったのだろうか。  少なくとも、眼差しから感じた疑いの念は薄れた気がした。  女性は安堵したかのようにため息を漏らすと、やがてこんな言葉を漏らした。 「……だったら、良かった。二人とも、よく生きてここまで来たわね」 「あの、ここは……」 「外から来たのなら解ると思うけど、この辺りには野生の怪物が近寄って来ないから、見ての通り安全地帯なのよ。備蓄が続く限り、食べる事だけはそこまで困らない」  安全地帯。  その言葉に安堵しつつも、一方で青年は疑問を覚えた。  怪物の脅威の知りながら、この場が安全地帯だと断言出来る理由が解らないのだ。  余程強力な『武器』でも持っているのか――とまず最初に予想してみたが、とても想像の及ばない話だった。  であれば、 (……案外、答えは単純なのか? さっきの反応から考えても……) 「もしかして、俺達と同じような奴がここにはいるんですか?」  そう問いを飛ばすと、女性は何故か苦い表情を浮かべ、 「……ええ、あなた達と同じような奴がいるわ。それも複数」 「複数……!?」  大抵の怪物達が近寄ろうともしない『縄張り』を作れている時点で、その可能性も十分考えられはしたのだが、それでも自分や鬼人のような存在は怪物と化した者達の中でも少数派であると思っていたため、驚きを隠せなかった。  それも、複数と語った以上は恐らく一人や二人という話ではない。  両手の指では数え切れないほどの『同類』が、この辺りに集っているという事だ。  一人一人の戦闘能力がどれほどのものかは知らないが、少なくとも誰か一人は野生の怪物に『この辺りに近寄ってはいけない』と本能的に察知させるほどの力を有していると考えられる――単純に、獅子の獣人と化した自分や鬼人よりも強いのかもしれない。  しかし、 (なら、どうしてこの人はこんな苦い表情をしているんだ……?)  素直に疑問を覚えた。  確かに、安全地帯だとはいえ此処はきっと彼等が元々居た住まいではない。  いつになったら元の住まいに帰れるのか、いつになったら今の暮らしから開放されるのか――と、不満を覚えるような要素をいくつか予想する事は出来たのだが、果たして理由はそれだけなのだろうか。  ともあれ、 「とりあえず、出来ればその『同類』達と会ってみたいんですが……」  一度会ってみる必要があると思った。  きっと、そう遠くない場所にいるのだろうと思った。  だが、 「あまりお勧めは出来ないわよ」  一言だった。  故に、青年もすぐさま聞き返す。 「どういうことですか?」 「あなた達が優しい性格をしている事は何となくわかるのよ。だから、逆に受け入れられない。怪物相手に生き残れるぐらい強いのなら、むしろ『外』の方がいいかもしれない。まだ彼等に存在を知られていない内に、此処ではない何処かに向かった方がいいわ」 「…………」  女性の声色には嫌味などなく、本当に親切心から青年や鬼人に向けてそう告げていた。  この辺りに『縄張り』を作っている『同類』と、会わない方がいいと。  だが、青年にも青年で引けない理由がある。  どれほどの悪条件が目の前の女性に苦い顔をさせているのかは知らないが、それでもここから更に別の安全地帯――及び多くの人が集う場所を期待して再度旅路に出るなんて事は勘弁したいものだった。  意を決して、青年は女性にこう返す。 「それでも、お願いしたいです。これからどう動くにしても、その『同類』と会って最低限話をしておかないと、ここまで歩き続けてきた意味が無くなってしまう」 「そうだぜ。アンタが何でそんな顔でそんな事を言うのか、詳しい事情までは当然知らねえが……それでも、顔合わせすら無しってのはな。行く宛も特別あるわけじゃねぇし……どうにもなぁ」 「…………」  女性は沈黙した。  表情に混じる苦味が増す。  このまま口を開かなかった場合は、自力でこの『縄張り』を作っている『同類』を探してみよう――と青年は考えていたのだが、やがて女性はため息を吐いてこう言った。 「……わかったわ。着いて来て」 「ありがとうございます」  素直に礼を言い、件の『同類』の居場所へ案内しようと歩きだす女性に青年と鬼人はついて行く。  途中、青年や鬼人の事を怪訝な眼差しで見る大人達の視線に気付いたが、青年は視線を感じた方へと自らの視線を向けてしまわないように意識する事にした。  素性も明らかになってない相手に対する反応としては当然のものだと思ったし、怪物達の存在を恐れている以上、自分や鬼人に対しては疑心だけではなく多少なり恐怖も感じている――そんな表情を浮かべられている事実を直に認識したくはなかったのだ。  実際はそう考えている時点で、自らが自らの事を住民と同じ人間ではなく怪物として認めつつある事を、自覚してはいないのかもしれないが。  逃れ人の集いから離れ、荒れた住宅街の中を女性の案内に従い歩いていると、やがて正面の方向にあるものが見えてきた。  手前には黒く塗装された鉄の門が見え、その向こう側にあるのは――色は白く、全体像からしても横に長く、玄関と思わしき場所の上方には何か紋章のような形の石造りの飾り物が見える――マンションやアパートとは異なる、住まいのように見えて人が暮らす『家』とは根本的に構造が違うと思える建造物。 (……あれは……) 「……っ……!?」  ――ジジ!! ジザザジジザジザザザザジ!!  その外観を視界に入れた途端、何故か頭の奥で形容し難き雑音が響き、青年は思わず右手で即頭部を押さえていた。  頭が――脳が痛みを発しているのが解る。  何かを思い出そうとして、頭の中で一つの景色が浮かび上がろうとしているようだったが、結局それは明確な記憶として成る前に忘却の海に沈み込んだ。  パッタリと、雑音が止まる。 「おいどうした、大丈夫か?」 「……いや、大丈夫だ。気にしなくていい」  何となく解ったのは、視界に移り込んだこの風景が、自分の失った『大切なもの』の記憶に直結している『何か』を表しているという事だけだ。  この場所か、この場所に似た『何か』を、自分は『大切なもの』として覚えている。  その事実に疑問を覚えずにはいられなかったが、今は優先するべき事柄がある――そう思い、青年はその思考を一旦切り捨てることにした。  よく見ると、門の手前には門番のつもりなのか二体の人外がその姿を晒し出している。  案内のため先導して歩いていた女性が足を止め、青年と鬼人の方へと振り返り口を開く。 「あの『小学校』があなた達の会いたがっているやつの居場所よ。基本的に許可も無く中に入ってはならないって奴等のルールで決められてるから、あたしの案内はここまで。悪いけど、敷地内で何があってもあたし達には何も出来ないから……気をつけてね」  言葉の通り、女性は『同類』の居場所らしい小学校の校門が見える場所まで案内すると、歩いていた道順をそのまま戻る形で青年達と別れた。  改めて、青年は眼前に聳え立つ『小学校』を見据える。  この建物の中に自分の『同類』がいて、それは案内をしてくれた女性曰く、(少なくとも)青年には受け入れられない相手だという。  一度だけ深呼吸をすると、横合いから突然鬼人がどうでもいいことを問い掛けてきた。 「……しっかし、やけに礼儀正しかったなお前。もしかしてああいう人がタイプだったり?」 「年上相手には敬語ぐらい普通は使うだろ。あと、タイプって何だタイプって」 「好みの問題に決まってんだろ。ほら、お前も人間だったのなら好きな女の子とかいたのかなーって」 「……お前の理屈が正しかったら、本当に好きな人がいたとしてもそれは真っ先に思い出せなくなってるだろ。そういうお前はどうなんだ?」 「胸がデカくて髪の毛も長いお姉さんが外観的には好みだな。気の強い性格だったら最高。赤のバニーガール姿になってくれたらもっと最高」 「覚えている時点で『そういう』のと実際に会った事は無いという事か。なるほどなるほど」 「いいやきっと思い出せないだけで人間だった頃はそんな素敵お姉さんと会ってラブコメしてた事実があることを俺は信じている……っ!!」 「結末は失恋だと予想しておくか」  これから危険かもしれない場所に向かうというのに、鬼人は警戒も恐れもしていない様子だった。  少なくとも、自分の『同類』に関係する案件とは別の方向に疑問を抱き、これから危険が伴うかもしれない場所に向かうという時になって雑談を挟む程度の余裕はあるらしい。  つくづく、自分とは対照的なやつだ――そう青年は思った。  自分にはとても、このタイミングで別の事に意識を向ける事など出来ない、と。  鬼人と共に校門前まで近寄ると、門番らしき二体の人外が当然の如く声を掛けてきた。 「……誰だ? 見覚えが無いやつだが」 「お前達も俺達の仲間入り志望か?」  片方は人の輪郭を保ちながらも全身が肉と骨ではなく岩石に置き換わっている石の巨人の姿をしていて、もう片方は片腕が何かを打ち出すための砲台と化している白い獣毛に覆われた――脳に刻まれた知識は『ゴリラ』と訴えている――獣人の姿をしていた。  ――この二体は、先日戦った骨の竜よりも格下の相手だ。  直感でそう思い、この二体は『縄張り』を仕切っている者ではないのだと青年は判断した。  恐らく、目的の『同類』は眼前に見える校舎の何処かにいるのだろう。  二体の言葉に対して返答する前に、青年は自身の姿を人間のそれから獅子の獣人へと意識して切り替える。  抱く緊張が良い方向に作用してくれたのか、そう時間も掛けること無く変化は終了した。  視点が少し高くなるが気にせず、獅子の獣人と化した青年は口を開く。 「ついさっき此処に辿り着いた者だ。仲間になるかどうかは、アンタ達の事を知ってから決める」 「……へぇ」 「どうやら門番のようだが、とりあえず通してくれないか。俺達はこの辺りの『縄張り』を仕切っている奴と会って話がしたいんだ」 「随分と威勢がいいな。いいぜ、ボスのところに案内してやる」  正直に答えると、ゴリラの獣人が校舎に向かって歩き始めた。  頼みもしていないのに、素直に案内の役まで担ってくれるらしい。  住民達のような普通の人間ではなく、自分達と同じ『同類』ならば特に断る理由も無かったのか、あるいは青年がゴリラの獣人や石の巨人の事を格下だと直感したように、ゴリラの獣人や石の巨人もまた獅子の獣人の姿を見た途端に青年の事を格上だと直感したのかもしれない。  立ち塞がったとしても、痛い目を見るだけだと。  石の巨人は案内をゴリラの獣人に任せるつもりなのか、特に動こうとはせずその場で門番としての役を継続するようだ。  獅子の獣人と鬼人が、ゴリラの獣人の後を追う形で校舎の中へと入る。  元々は多くの子供達が通い学びの場所としていた場所の空気には、埃が混ざっているような気がした。  上履きを履いて歩くべきなのであろう廊下の上を人外の土足で歩き、案内に従い進んでいくと、ゴリラの獣人はやがて『図書室』と黒く描かれた板が上に見える扉の前で立ち止まった。  コンコン、と(体格から考えると非常に奇妙な形で)丁寧にノックをしてから、中にいる人物に向けて声をかける。 「ボス、何か俺達の『同類』が来やがりましたぜ。会って話をしたいとも言ってやがります」  その敬語を聞いただけでも、上下の関係は明確なものだと思えた。  扉の奥にいるのは、敬語で話しかけなければならない事情を含む相手だと。  そして、扉越しに返事を受け取ったらしいゴリラの獣人が、何も言わずに扉から横に退く。  その右手は青年と鬼人に対して、暗に『さっさと入れ』と告げているようだった。  青年と鬼人はその意に従い、扉を開けて『図書室』の中へ足を踏み入れる。  そして中に入った途端、多々置かれたテーブルの傍にある椅子に腰掛け、何か雑誌らしきものを読んでいる人間達の姿が目に入った。  その内の一人――恐らくは『同類』達の集いを仕切っている、黒いサングラスをかけた人物が、青年と鬼人の姿を見るやこんな言葉を放って来る。  喜々として表情で、迎え入れるように。 「ようこそ、俺の『王国』予定地に。ここまでの旅路お疲れ様だ。ま、適当な椅子に腰掛けてくれ?」
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ユキサーン
2019年11月02日
In デジモン創作サロン
 暖かさの衰えた秋の空の下。  街の中を、ねずみ色のリュックサックを背負った一人の青年が歩いていた。  服装は上が白色で半袖のカッターシャツで、下が黒色の薄い記事のズボン――と、何処かの学校の制服かと思わしき衣類を見に纏っているようだが、その各部はまるで獣に引き裂かれたかのように不自然な破れ方をしていて、辛うじて靴だけが目立った損傷の無い形を維持しているようだった。  よく見ると、制服の白の所々には赤の色も存在している。  服装だけでも十分悪目立ちする有様だが、当人の面構えもまたそんな衣類の有様を現すが如く酷いものだった。  黒い髪の毛も所々が跳ね返る形で乱れており、耳の下から顎の付近までに生えている髭にしても、まるで何日も剃られず放置されていたとしか思えない長さで。  その瞳は、赤く染まっていた。  目の下には隈が出来ており、満足に眠る事が出来ていない状態を暗に示している。  総じて言って、一般的な認識における身嗜みどころか健康管理すらロクに行えてない事が見受けられる姿だった。  しかし、彼の姿を目にして驚く者はいない。  街の中――それも多くのビルが立ち並ぶ都会だというのにも関わらず、彼の周囲には人の姿も声も見受けられない。  それも当然の事だった。  そもそも、彼が現在歩いている街は最早街と呼べる状態では無いのだから。  建物の窓は度合いに差こそあれど少なからず割れていて、折れ倒れた電柱の傍には切れた電線が放置されていて、かつて誰かが運転していたと思わしき車も上から潰れていたり横転したりしていて、単なる粗大ゴミと化していた。  青年の視界に入る景色だけでもこの有様だった。  まるで、災害の後を想わせる光景。 「……チッ」  唐突に青年が舌打ちをする。  視線が前方右側の方向にある廃墟と化した建物の上方へと移る。  元は何らかの企業のものだったのであろうその屋上から、  ――ヴゥルルルルル!!  本能剥き出しの唸るような声と共に『それ』は飛び降りてきた。  その姿を一言で説明するならば、真っ黒い体の恐竜という表現が正しいだろう。  巨大で屈強なその体躯は、異常に発達した両腕も合わさって既に現実離れしている。  尤も、恐竜という時点で既に現代の世界からはかけ離れた存在なのだが、その姿を赤い瞳で捉える青年は恐れも驚きもしなかった。  その表情に浮かぶのは、ただただ不快感。  アスファルトの大地に亀裂を生じさせつつも着地した黒い恐竜は、本能的に獲物として認識した青年の方へとその発達した右の腕を振り下ろそうとした。  青年は気だるそうに後方へと飛び退きそれを回避すると、直後に自ら恐竜の懐に向かって走り出す。  ――その瞬間、駆け出すその脚を起点に彼の体は変わりだした。  色は青白く変色し、脚の形は獣のような逆関節のそれに変じ、足先から生える爪も明らかに伸びて毒々しい紫色へと変わる。  変化の過程で穿いていた靴は破ける事も無く何処かへと消失し、ズボンも制服のそれとは異なる材質の、髑髏の装飾品が取り付けられたベルトを締めた別物へと変化する。  そして、尾てい骨にあたる部分から、変化した脚と同じ色の尻尾が生え現れる。  ――下半身の変化に続き、上半身もまた変わっていく。  白のカッターシャツが風に溶けるかのように消え去り、露出した肌はそこまでの変化で見せた色と遜色無いものになっていた。  両腕には装飾と言うよりは拘束具に近い鉄の輪がいくつも取り付けられ、指先の爪は足先のそれと同じく紫色に変色して鋭い形に伸び、両手の甲には小さな鉄板が体の一部のようにくっ付き。  胸元や両肩からは白い骨のようなものが皮膚の上から出現し、皮膚の色やベルトに付けられた髑髏の装飾品も相まって生物とは思えない異質な雰囲気を醸し出す。  黒い髪の毛が異常な速度で一斉に伸び出し、背中を覆うほどの規模でもって鬣たてがみの形を成す。  閉じた口元が前方へと突き出しマズルの形に変化し、耳の位置が猫のように即頭部へと移動して、最後に瞳に宿る赤く怪しげな光が輝きを増して。  恐竜の懐に潜り込んだ頃には、全ての変化が終了していた。  ――変わった姿は、まるで獅子だった。  獅子の獣人――そうとも呼べる人外の姿へと変貌した青年は、躊躇いも無く恐竜の白い腹に手刀の形で右手の爪を突き立てる。  それだけで十分だった。  獅子の指先は爪の鋭さでもって恐竜の腹部を易々と破り、生じる激痛によって恐竜の口から絶叫が響く。  その声に人外の青年は不快そうに赤い目を細めつつも、突き立てた爪でそのまま引っ掻くような動作でもって腹を貫通した腕を引き抜くと、命の源たる鮮血が吹き出て来る。  それだけに留まらず、鮮度の落ちた肉が腐っていく光景を早送りにしたかのような調子で、黒い恐竜の体が貫かれた腹部を起点に腐臭を放ち始めた。  突き立てた獅子の爪には、その色が示すが如き猛毒が仕込まれていたのだ。  その猛威は肉を腐らせ、そして食らう。  ――ヴルルオオ、オオォ……ッ!!  苦痛に満ちた、恐竜の鳴き声。  自身の肉体が腐っていく感覚というものには、どれほどの苦しみが伴うものなのだろうか。  その声は、何かを訴えているようにも聞こえた。  だが、腐食の毒に体を侵された時点で、仮に青年が心変わりしたとしても恐竜の末路は確定している。  もう、助からない。  故に、青年に出来る事も一つしか無かった。  跳躍し、自身の上方に見えていた恐竜の喉笛を右手の爪で貫つらぬき裂さく。  新たな鮮血が漏れ、耳障りに思えた鳴き声が途切れて。  抵抗する力をも失った恐竜の体は、次の瞬間に内側から破裂するように粉々の粒となって消え去った。  吹き出た鮮血以外に、その死を示す跡は残らない。 「……侘びはしないからな。先に仕掛けたのはそっちだ……」  体に降り掛かった鉄錆の臭いのする液体が、人間のそれから変化した獣の鼻を突く。  自分がが殺した存在の爪痕あかしが、強制的に記憶として脳髄に刻み込まれる。  獅子の顔に喜びは無く、その胸の内にはただただ虚無感だけが残された。 「……疲れた……」  うんざりしたようにため息を吐くと、吐息と共に力も抜けていくような感覚があった。  もうその姿でいる必要は無いと判断したのか、獅子の獣人と化していた青年の体は瞬く間に制服姿の人間の姿に戻るが、浴びていた鮮血が制服の白に赤を染み込ませてしまっていた。  その事実に、青年は二度目のため息を吐いてしまう。 (……ああくそ、こんな事に使いたくは無いんだけどな……)  それが何者のものであれ、血の臭いがこびり付いた状態というのはあまり好ましくない。  先ほどの恐竜のような存在を、無用に招きこんでしまう可能性もある。  青年は一度背負っていたリュックサックを下ろすと、野外である事にも構わず着ていた白いカッターシャツを脱ぎ、下ろしたリュックサックの中から2リットル程の水が入る大きさのペットボトルを取り出し、キャップを外して中に入っている飲み水を血液の付着した部分にかけ、濡らし始めた。  無駄に多く使ってしまわぬよう、慎重にペットボトルの傾きを調節する。  狙い目の部分を濡らした後、すぐさまカッターシャツの布地を折って擦る。  付着した量が量だったためか、薄い赤が痕として消せずに残ってしまってはいたのだが、それでも血液の臭いをある程度軽減させる事には成功したらしい。  ついでに、といった感覚で飲み水を少し口を含み、青年は喉を潤しておいた。 「……ふぅ……」  ……このような事は、別にこれが初めてではなかった。  人外の生物に殺されそうになり、自らもまた怪物と化して返り討ちにしたことは。  だから、恐竜を殺した際に胸に生じた感覚や鉄錆の臭いにも、慣れていた。  どんな事情があったにせよ、人の足では逃げ切れない歩幅を有して襲い掛かってくる以上は、自らの身の安全を守るために殺す以外の手段は無かった――と、そう考えておけば多少なり気の滅入りを抑える事が出来た。  たとえ、自分が殺した相手が元は自分と同じ人間であったとしても、仕方のない事だったと。  納得出来ずとも、するしかなかった。  濡らしたカッターシャツを着た後、警戒するように周囲に視線を泳がせて安全を確認すると、下ろした荷を改めて背負い青年は歩みを再開する。  当然と言えば当然なのだが濡らしたシャツは冷く、少しだけ不快にはなった。  ◆ ◆ ◆ ◆  ある日、世界は変わってしまった。  どうして変わってしまったのか、その原因は不明なままに。  まず最初に、空が裂けたらしい。  まるで画用紙を破いたかのような空の先に、迷彩色の景色が見えていたと。  その次に、世界中の人間の一部が人間ではなくなったらしい。  ある者は獣のように、ある者は竜のように、またある者は機械のように――数々の人間が人外としか呼べない存在へと変貌していった。  まるで風に乗った流行り病ウィルスのようなその災厄は、世界を瞬く間に染め上げた。   それが人知を超えた災厄だったのか、あるいは見知らぬ誰かによる人災だったのか――真相を知る者は、少なくとも常識と法に守られた表舞台にはいなかった。  どちらにせよ、世界に起きた変化について確かな事はいくつかあった。  変化によって現れた人外の存在たちは、全て現実のものである事。  変化の有無に関わらず、世界の大半の人間は一方的に巻き込まれた側である事。  そうして変化した結果得た力を、好んで利用する者がいるという事。  獅子の獣人に変身する青年も、そうした変化の病に蝕まれた一人だった。  様々な人間がどの文献にも記載されていない人外の存在へと変身したように、彼という存在もまたその日に変えられたのだ。  尤も、青年自身は自らが『変わった』その瞬間を憶えてはいないだろう。  どのようにして変えられたのか、その過程も事情も理解はしていない。  だから当然、自分が人間ではないナニカに変わってしまうようになった事を知った時――混乱したし動揺もした。  だが、何よりも彼の心を揺さぶったのは。  変化の瞬間以外にも、憶えていない事が。  思い出せなくなった事があった事だった。  大切な誰かの顔を思い出そうとして、失敗した。  肉親に与えられた自分の名前を思い出そうとして、失敗した。  確かに暖かく在ったはずの家族との営みの場を思い出そうとして、失敗した。  記憶喪失、という事実を彼は記憶の中の知識から認識した。  必死になって記憶を辿ろうとしても、浮かぶ景色には必ず穴があって。   憶えている事よりも、憶えていない事の方が大切なものであったような気がして。  許せない、と思った。  思い出したい、と願った。  その瞬間から、それが彼の歩む目的となった。  行き先の解らない歩みは、いっそ旅か冒険と言っても過言では無かった。  往く途中、腹が空く度に頼りにしたのは、大抵廃棄されて冷房の機能さえ停止した主のいない売店の売り物だった。  金銭を払って手に入れているわけではなく、無許可である時点で盗賊としか言えない行いである事は知覚していたが、そうでもしなければ飢え死にしてしまう事が明白だった以上、他に術は無かった。  日が経って消費期限を切らしていた惣菜も構わず食べたし、そういった整った料理が無かった時には腐っていた肉を売り物としてあった着火機などを使い炙って食べた。  あるいは、獅子の獣人の姿に変身していれば生肉であろうと生野菜であろうと問題無く食べられたかもしれないが、彼には何故かその案を選び取る事が出来なかった。  どうしても、出来なかった。  ◆ ◆ ◆ ◆  世界が変わり、空が裂けるような事があっても、昼夜の概念に変わりは無い。  歩き続けている内に日の明るさは消え、暗さや冷たさと共に夜が訪れた。  近場に見つけた芝生の広がる公園に立ち寄り、青年はベンチの上に腰掛ける。 「……はぁ」  徒歩で歩き続ける程度では、大した距離を進む事は出来なかった。  置き去りにされた自転車でも使う事が出来れば話は変わったかもしれないのだが、鍵が掛かったままで使えない状態であったり、何らかの理由で壊れたものであったり、発見出来たものは大抵使おうと思って使える状態では無かった。  最初は青年自身、自分の住んでいた家の場所と形を思い出す事が出来ていれば、そこにあるかもしれない自分の自転車を使う事も視野に入れていたのだが、考えてみれば崩れた建物の瓦礫や硝子の破片などが散乱している道が珍しくない街の中で、所詮は本能丸出しの怪物と遭遇した拍子に壊されてしまう可能性が高いものを頼りにし続けられるかどうかは怪しく思えた。 (……ポケットの中に自転車の鍵が入っていた時点で、俺が自転車を持っていたって事は確実なんだがな……)  どうせ使いようが無いのなら、持ち主であると思わしき自分の名前でも書いてあれば良かったのに――と、内心でどうしようも無いことを毒づく青年。  そんな都合の良いものが用意されているほど甘い話になるなど、歩き始めた最初から思っていなかった。  そもそも、彼には目的地と言える場所も無いのだ。  記憶を取り戻す事を目的とする以上、最も優先するべき事柄は家族との再会となるのだが、家族を含めて今いる街に住んでいた人達が何処へ向かったのか――という問いに対する答えを出せない現状、どの方角に歩みを進めていけば良いのか、青年自身見当も付かない。  最悪、青年が進んでいる方角と住人達の行き先が真逆の方向であるという可能性すらあるのだ。  道標が無い以上、全てが運任せだった。  家族と会える可能性も、再会に繋がる情報を得られる可能性も、明日もまた生き延びられるかどうかの可能性も。 (……最悪過ぎるな。今更思い返すまでもない事実だが)  怪物の蔓延る街の中では、夜中もまた安全ではない。  むしろ、夜中にこそ動きを活発化させる怪物だって存在するのだ。  灯の壊れた街中はとても暗く、とても物を見れる状態ではなくなっている。  そのような暗闇の下であっても他者の姿を一方的に認識出来る怪物の存在を、この時間帯からは警戒しなければならない。  懐中電灯も無い以上、人間の姿のままではこの夜を無事に過ごし続ける事は難しい。  青年は腰掛けていたベンチから立ち上がり、一度深呼吸をして、心を落ち着かせるよう意識を働かせる。  視界に両方の手のひらを入れ、自身のもう一つの姿である獅子の獣人の形をイメージする。  口の中には鋭い牙を、爪には毒を宿す紫の色を、足には地を駆ける獣の力を。  一つ一つ、変わった後の姿と感覚を思い出すように、自身の身体として現実に定着させる。  人間の身体が人外たる獅子の獣人に変わる『変身』の過程はとてもゆっくりで、全ての変化が終わった時には、黒い恐竜と遭遇した時と比べ何十倍もの時間が経過していた。 (……やっぱり時間が掛かってるな……戦いになる時と比べて……)  青年だった獅子の獣人が赤い瞳を細める。  意識して変わろうとしても、変化の速度に違いが生じている事はこれまでの経験で理解していた。  怪物と遭遇するなどの危機的状況であれば、そこまで強く意識したつもりが無くとも半ば自動的に変わってくれるのだが、一方でそれ以外の危機感の薄い状況では余程強く意識しなければ身体が変わってくれる事は無かった。  これでも能力に目覚めて以来、素早く『変身』出来るようになった方である。  その事実を、自分がこの変身能力を制御出来るようになってきたとプラスに考えるべきか、あるいは怪物化の病が知らず知らず進行していっているのだとマイナスに受け止めるべきなのか。  どちらかと言えばプラスに考えたい所だった。  マイナスに考えた所で、この能力が生き抜く上で必要なものとなっている事実は覆しようがなかったから。 (……さて、と……)  獅子の獣人の膂力であれば、街の中を人間の時以上に素早く移動する事が出来る。  だが、先に述べた通り、夜中は夜中で日の光が有った時とは異なる危険が潜んでおり、迂闊に動こうとすればするほど襲撃される可能性は増す。  よって彼は、この公園で一睡を決め込む事にした。  視界を泳がせ、公園の中に造られたツリーハウスのような木造のアスレチックを発見すると、静かにその中へと入っていく。  外部からの視界を遮れる位置に寄り、背負っていた荷を下ろし、仰向けに倒れ込んで眠ろうとしてみる。  当然ながら身を包むものは無く、木の床は寝床としては硬く。  身体を薄く覆う獣毛によって寒さについてはある程度防げるのだが、それとは別問題で眠りから覚めた時には節々を痛めそうな心地の悪さがあった。 (……ここで寝とかないと、後が辛くなる……)  瞼を閉じ、意識を放棄しようと試みる。  疲れは明確にあるはずなのに、思いの他眠気は薄かった。  眠ろうと思えば思うほど、むしろ意識が覚めてしまう。  獣の聴覚が吹く夜風の音も聴き取ってしまい、尚の事眠りにくい。  ……本末転倒と言えなくも無いのだが、周りの音を鋭敏に感じ取れなければ、寝首を掻く不意討ちに対応出来ない可能性もあるため、彼はこうして獅子の獣人の姿のまま寝ざるも得ないのだ。 「……ああくそ」  眠ろうと試みて、三十分。  寝心地の悪さも相まって苛立ちは募り、それが尚の事彼の睡魔を遠ざけていた。  無意味だと理解していても、苦言が漏れる。  疲れを癒すために眠ろうとしているのに、眠るために疲れているような気さえしてくる。  それでも眠ろうとする。  眠らなければならない、と頭の中で反芻しながら。  そうして、時間だけが過ぎて。  ようやく意識が閉じてきて、寝息を立てようとした時だった。  ドゴァ……ッッッ!! と。  その耳に、風の音とは異なる凄まじく大きな音が入り込んで来た。 「…………」  一瞬で意識が覚めてしまった。  仰向けに寝転がっていた状態からすぐさま起き上がり、彼は状況を把握しようとアスレチックを構築する木の横壁の上にある隙間から街の景色を覗き見た。  夜中の景色には月の光しか灯りとなるものが無く、今いる位置からでは目を凝らしてみても異変の全容は解らないが、それでも獣の聴覚はある音を聴き取っていた。  彼が推測するにそれは、 (……爆発音。怪物同士が縄張り争いでもしているのか……?)  いくら街の中には怪物が蔓延っているとはいえ、何の理由も無く起きる類の音とは思えない。  怪訝な眼差しで街の方を睨んでいると、再び大きな音が耳の奥を突く。  音源は、かつては多くの人間が住んでいたのであろう九階建てのマンション――その向こう側。  何か怪物絡みの何かが起きている――と確信を得るには十分過ぎる情報だった。  選択肢は三つ。  危険の度合いを確認するために異変の起きている場所へと向かうか、見て見ぬフリをして音源とは真逆の方へ向かって走り去るか、あるいはこの場所に潜伏したまま嵐が去るのを待つか。  少しだけ考えて、彼は選択する。 (……様子を見に向かった方が良さそうだな)  間違い無く、多少の危険は付き纏うだろうが。  何となく、それに見合うだけの発見があるような気がした。  故に、彼は下ろした荷をそのままに、木造のアスレチックの中から出て、向かう。  獅子の膂力を発揮し、人間のそれを凌駕する速度でもってアスファルトの大地を駆け抜ける。  そうして異変の渦中近付くにつれて、獣の嗅覚が新たな情報を獲得していく。 (……煙の臭い。何かが焼けている臭い。そして……この臭いは)  臭いは、どんどん強くなる。  音は一定の間を経て、断続的に響いた。  嫌な予感はしたが、引き返そうとは思わなかった。 (……怪物の臭いだ)  彼は改めて確信を得るように、感じ取った臭いに答えを付けて。  直後、答え合わせが為される。  街灯とは異なる灯りでもって、暗闇の黒がある程度拭われた景色によって。  暗闇に穴を開けるように眼前に広がっていたものは、臭いから推測していた通り――炎。  燃え上がった炎の周囲に、砕け散った駐車場の地面が瓦礫となって散乱しているのが見える。  炎や月明かり越しに見える景色には、それと同じ原因によるものであるのだろう――何者かによる破壊の痕跡が点々と存在していた。  そして、それ等から少し離れた位置に、明確に人間とは異なる輪郭シルエットの巨駆が立っているのが視える。  偶然にも背後から見たその外観は、これまで見た事のある怪物とも異なる異形だった。  形だけで言えば、それは頭から一本の角を生やした竜のような姿。  だがその体表に肉は無く、剥き出しとなった骨自体が身体を成している有様だった。  青年の脳に、知識として記憶されていた恐竜の化石という単語が過ぎる。  視界に入った怪物の姿は最早、骨の竜――あるいは竜の屍と呼ぶ他に無いもので。  その脊椎にあたる部位には、何処か生々しい造形の――生き物のそれのような眼が付いた謎の物体が今まさに肉付けられていた。  それがただ蠢くだけの肉の塊なのか、あるいは点々と存在する破壊痕を作りだした原因なのか、判断する間も無く。  骨の竜の頭部が動き、その瞳にあたる部分に生じていた緑色の光が、ふと獅子の獣人を捉えた。  思っていた以上に近付き過ぎたためか、気付かれてしまったらしい。  骨の竜の口が、開く。  ――ギィュルルルォォォオオ!!  顎の筋肉など微塵も残っていないはずにも関わらず、その怪物は感高い奇声を上げていた。  これまで見て来た多くの怪物と同じく、人並みの知性や理性は感じられない。  しかし一方で、その強さの格がこれまで遭遇した怪物達とは違う――と、青年は思った。  直後、骨の竜は青年に向かって振り返り、殺意しか感じられない速度でもって爪を振るった。  咄嗟に後ろに跳び、避けていなければ怪我では済まなかったかもしれない。  剥き出しの骨がどれほどの硬度を誇っているかなど、青年の知識では想像も及ばないが、そう思えるほどの危機感を抱いたのは事実。  肉を持たない骨の身体に、猛毒の爪が通用するとも思えない。 (……最悪だ。いつもながら最悪すぎる……)  ここは全力で逃げるべきだ――と、青年が素直に思案しようとした、  その時だった。 「余所見してんじゃ――」  突然に、誰かの声が聞こえた。  声は上方――骨の竜の頭上から聞こえた。  そして、 「――ねぇ!!」  ゴッッッ……!! と。  骨を強く打つ、鈍い音が夜中に響く。  青年はその赤い瞳で、声と音の主の姿を仰ぎ見た。  その姿を、見た事は無いはずだった。  にも関わらず、何処か見覚えがあるような気がした。 (……こいつは……)  殆ど人の形をした身体を染める主な色は、緑だった。  その頭から長く伸びた髪の色は、薄く青み掛かった白だった。  口元から曲がった牙がはみ出ているのが見え、両耳は長く尖っている。  両肩や即頭部からは、人外の証とも呼べる鉄の色の角らしき突起が生えていて、その外観は青年の脳裏に『鬼』という単語を呼び起こさせる。  その人外は、骨の竜の頭蓋に拳を振り下ろしていた。  音は響いたが、骨の竜に痛みを感じているような素振りは無い。  骨の竜が首を上に動かし、頭に乗った鬼人を振り落とそうとするが、その前に鬼人は獅子の獣人から見て左側の位置に自ら飛び降りた。 「頭を殴ったってのにマジで何ともねぇのか。頑丈なヤツだ」  鬼人は踵を返し、その視線を骨の竜へと向け直し呟いている。  攻撃が通用していない事実を認識していながら、まだ戦おうとしているようにも見える。  そんな姿を見て、思わず青年は困惑交じりの声色でこう言った。  「逃げないのか? 下手をすると死ぬぞ!!」 「あん? ってか誰だお前。話は出来るようだが……っと!!」  言葉を交える暇も無く、骨の竜が追撃を仕掛けに三本指の右手を振り下ろして来た。  幸いにも骨の竜の一撃を鬼人は避ける事が出来たようだが、その事実に安堵する間も無く続けて青年に向けて今度は左腕が振るわれる。  初撃で攻撃の速度を理解していたつもりだったが、それでも回避は間一髪の事となっていた。  動作と共に、言葉が紡がれる。 「お前と同じく人間『だった』同類!! 名前は忘れたから答えられない!!」 「ああそうかい!! 悪いがヤツは俺の獲物だから余計な事はすんなよ!!」 「馬鹿か!? 拳一つでどうにかなる相手でもないだろう!!」 「どうにかするんだよ!! 出来なきゃ死ぬだけだ!! ビビってんならさっさと逃げろ!!」  どうにも撤退の二文字は思考に無いらしい。  青年からすると、鬼人のことを見捨ててしまっても特に損する事柄は無い。  助けなければならない理由も特に無く、助力する事自体を鬼人自身から拒まれている。  だが不思議な事に、それでも放ってはおけないと思った。  だから、 「こっちとしても死なれると困る。勝手に助力させてもらうぞ!!」 「はぁ!? お前馬鹿、俺一人で十分だってー!!」  いちいち鬼人の訴えは聞かなかった。  獅子の獣人は意を決し、骨の竜へと立ち向かう。  ◆ ◆ ◆ ◆
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