top of page

フォーラム記事

へりこにあん
2023年3月26日
In デジモン創作サロン
「柳さんッ!」 雑木林の奥から溢れてくる硫黄臭、何かあったと察するには十分なそれにバイクのアクセルを一段深く入れる。 しかし、それは突然目の前に現れた夏音がバイクを手で抑えられたことで止められ、猗鈴は地面に投げ出された 「ごめんね、猗鈴。でも、これ以上近づいたらガスで死んじゃうから」 その声に、猗鈴は少なからず動揺した。 青みがかった骨の意匠、自分達のベルトに似たベルト、骨の兜から流れる髪の色、そしてヒールでいると自分よりほんの少し高い背丈。 姉だ。姫芝の言っていた組織の幹部として活動している美園夏音。 一瞬だけ、猗鈴は真珠のことを忘れた。 何を口に出せばいいか、どうすればいいのかも忘れて固まって、立ち上がることはおろか呼吸さえもできなかった。 しかしそれも一瞬。 猗鈴と夏音の間にセイバーハックモンメモリが割り込んできたことで猗鈴の呼吸は再開し、真珠のことを思い出して足にも力が入る。 「柳さんに……何をした?」 胸元からベルトのバックルを取り出し、猗鈴はそう聞いた。 「久しぶりの再会の、第一声がそれ?」 夏音はそうため息を吐いた。 「……再会じゃないし、話す気がないなら構ってる暇もない」 『サンフラウモン』 「させない」 猗鈴が左手にメモリを取ると、夏音は一息に距離を詰めてその手を取った。 「この姿じゃお姉ちゃんだってわからなかった?」それって結構ショックよ?」 夏音は逆の手を自分の顔を覆う仮面に手をかけると、眼の部分に開いた穴に手をかけてそれを割って顔を見せた。 「もう顔も忘れちゃった?」 その微笑み方は、猗鈴の記憶にある夏音そのもので、それに一瞬、揺らぎそうになった。 だけどこの硫黄臭の先にいる筈の真珠とその子供の事を思うと、目の前の甘い現実に呑まれずに済んだ。 「……顔は、覚えている。でも、私には姉さんに見えない」 メモリを持つのと逆の手をポケットに入れ、筒状のアイテムを取り出すと、抑えられた手に持ったメモリを迎えに行った。 『サンフラウモン』 筒ががちゃんと変形し、辺りに光が溢れる。 それに思わず夏音が手を離す。 猗鈴は目を瞑ったままその手からサンフラウモンメモリと筒を手放し、セイバーハックモンメモリがいるだろう方に手を伸ばす。 「姉さん、力を貸してッ!」 セイバーハックモンメモリは、その言葉に、夏音に飛びかかろうとしていた足を止める。 「ただ守ろうとしないで! 一緒に戦って、姉さん!」 そして、さらにかけられた言葉に向けて跳んだ。 『トロピアモン』 セイバーハックモンメモリが猗鈴の手の中に変形しておさまる。 逆の手でバックルを腰に回して穴に挿そうと構える。 「姫芝、いくよ」 『暴走しないでしょうね?』 繋がった心から、杉菜の疑心が伝わってくる。 「そうなったら、姫芝がまた止めてくれるでしょ?」 『……しょうがないですが、相棒の頼みですからね!』 杉菜の言葉に、少し猗鈴は口角が上がる。 『ザッソーモン』 両のスロットにメモリが入ったのを確認し、猗鈴はそれを押し込んだ。 『トロピアモン』『ザッソーモン』 猗鈴の姿が変わっていく。 「……まぁ、まだ私は相棒だと思ってないけど」 「余裕ッ、ですね」 そう口にはしたものの、杉菜も猗鈴が気を張っているのは伝わっていた。心がベルトで繋がっている。 猗鈴が内心で動揺し、同時に何かを確信して、悲しみと怒りに胸が張り裂けそうなのも、それを無理やり押さえ込むほどに真珠とその子供を助けたいことも、伝わっていた。 「私は、強いから」 その言葉に、トロピアモンメモリの力が肉体を満たし全身のエネルギーが溢れんばかりに膨らんで暴走しようとするのを感じていた。 改めて繋がったことで猗鈴と杉菜は何故このメモリが暴走するのか理解した。 このメモリは、あの日、セイバーハックモンの力のみならず、盛実が細工をする前に戦ったスカルバルキモンメモリの力も入っている。複数のメモリを同時に一つのスロットに差し込んでいる様なもので、中でウッドモンが制御してるから問題なく見えたメモリだったのだ。 あの時は、吸血鬼王の洗脳から猗鈴を守る事に力を向けすぎて、今はさらに増した力をウッドモンが制御し切れてなくて、暴走した。 猗鈴は、一線を引いて自分を守ってきた。悲しい時、辛い時、苦しい時、強い自分でいようとして。 でも、激情もトロピアモンの力も、抑えようと猗鈴が思えば思うほど、猗鈴の中で高まり溢れ出しそうになる。 「私達は、でしょう。この姿の時は、その気持ちも何もかも、二人で一人」 杉菜の言葉に、猗鈴の気持ちが落ち着いていく。 今にも溢れんばかりだったエネルギーが落ち着いて、しかしそれは無くなった訳ではなく、体を心地よく満たす。 「……ねぇ猗鈴、あなたには何が見えてるの?」 夏音はそう質問すると、ゆっくりと近づいてくる。 「私が見えているの? 答えて」 夏音はそう言いながら手を前に伸ばす。ただそれだけで、肌に焼け付く様な重圧を感じる。巨大な肉食獣に睨まれている様なそんな重さ。 「……柳さんを助けることを邪魔しないなら、私達はあなたに用はない」 それに対してディコットは構える。すると、不意に硫黄臭が強くなった。 ふと足元を見れば黒い雲が地を這い、草木をどろりと溶かして足を絡め取ろうとする。 「これは……メフィスモンのデスクラウド」 よく見る間もなく、ひゅるるという音と共に赤熱した拳大の石が降り注ぐ。 夏音はそれに大して反応をせず、ディコットに向けて歩を進める。体から発する冷気の壁が雲を押し留め、岩は翼や尾で片手間に弾く。 真っ赤な目はただディコットだけを見つめていた。 対するディコットは、最初に飛んできたいくつかを避けると、自分の周りに向けて手から花粉を吹く。 岩が花粉に差し掛かると、連鎖的に爆発して岩も雲も弾き飛ばした。 「……ウッドモン。あなたそこにいるのね? 猗鈴に全部話したの?」 今にも額同士がぶつかりそうな距離で、夏音はそう口にした。 トロピアモンメモリは答えない。猗鈴や杉菜もその答えを少し待ったが、答えないとわかって拳を握る。 「……私は何も聞いてない。でも、今やるべきことはわかってる」 「いいえ、猗鈴は何もわかってない。ちゃんと見て、私は夏音よ。戦う理由もない、そうでしょう? ウッドモンを渡して」 「渡さないし、今やるべきことは柳さん達を助けること」 猗鈴の言葉に、夏音は口角をあげ、やっぱりわかってないと首を横に振った。 「真珠の妊娠してるを間に受けたの? 全ての命を否定するデジモンに、メフィスモンに適合する女よ? 利己的で排他的で命を憎む、そういう女よ?」 夏音はそう言って、真顔に戻る。 「あの女は妊娠してない。想像妊娠させられてたからって被害者ぶるには加害が過ぎる、依然変わらず最低の女よ。そんな女がお姉ちゃんより大事なの?」 猗鈴は一瞬言葉に詰まった。真珠を助けなきゃと強く思った理由は妊婦だからだ。母親になる人だから、子供には罪がなく、子供には母親が必要だから。 そう思っていたのは確かで、その瞬間猗鈴の中の優先順位は揺らいだ。 「妊娠してようがなかろうが、助けられるなら助けるでいいんですよ」 だからこそ、代わりに答えたのは杉菜だった。そう答えて、右の拳を顔に向ける。 それを夏音はあっさり手で止め、邪魔と呟いた。 「……姉妹の会話をしているの。入ってこないで」 「いや、邪魔してるのは姫芝じゃない」 猗鈴がディコットの左拳を振り上げ。そして振り下ろす。 止めに入った手ごと胸に突き刺さり、夏音は骨が折れて胸がひしゃげて陥没させながら、後ろに数歩のけぞった。 「姫芝の言う通り。それに、妊娠したと思っている時の柳さんは、私には変わろうとしている風に見えた。最低だとしても、まだやり直せる」 そう猗鈴は口にして、黒い雲と強い硫黄臭の奥を見た。 「柳さん! もう大丈夫です! メモリを使うのをやめてください!!」 ぼこっと夏音のひしゃげた胸がありえない方向に曲がって見えた手首が一息に元に戻り、口から黒い血をぼたぼた垂らしながら顔を上げ、ぐりと目を剥いた。 「……殴れちゃうんだ。猗鈴ちゃんはお姉ちゃんのこと、肋骨が陥没して肺がズタボロになる勢いで流れちゃうんだ」 悲しいわぁと言いながら、夏音はふらりと立ち上がりがふっと口から血を噴いた。 「帰る。帰るわ、猗鈴ちゃん。お姉ちゃんは、私は帰る。猗鈴が悪い、私はお姉ちゃんでいようとしてるのに、それを否定するんだもの……後悔してね。深く、深く」 そう言うと、夏音は黒い雲の中に飛び込んだ。 外装が溶け、雲に触れた肉も溶ける。でもそれが骨も見せない勢いですぐに塞がっていく。そうして、あっという間にディコットから見えなくなったかと思うと、雲の中から真珠の悲鳴がこだました。 「猗鈴、ローダーレオモンメモリを使って風を……!」 「いや、まだトロピアメモリの力に慣れきってない……もしさらにメモリを足して変身自体が解除されたら……毒で昏倒する」 「……なら、アレしかないですね」 「無理やり行こう」 ディコットの左手から進行方向に向けて花粉が飛び、爆発する。爆発によって雲は一瞬弾け、その後生じた真空に雲が吸い込まれていく。 猗鈴はディコットの左右前方で花粉を爆発させ、少しでも正面の雲を左右に分けながらディコットは悲鳴の聞こえた方向に、雲の濃い方へと走っていく。 散らしきれない雲に多少なり装甲はとけるがかまってはいられない。 そうして来た雲の中心には、空を見上げる真珠がいた。メフィスモンでありながら、その肉体は瘡蓋の様に岩石に覆われ、血が滲む代わりに溶岩がだらだらと流れて地面を焼く。 あらゆるものを溶かす黒雲と、数多の生物を殺傷する火山ガスをただ立っているだけで撒き散らすその姿は、ある種の災厄だった。 「柳さん」 猗鈴の声に真珠は振り向く。そこでやっと猗鈴と杉菜は真珠の脇腹がひどく抉られていることに気がついた。 「……夏音がね、ひどいの。お腹を抉ってってたの。ほら、子供なんていないって、改めて突きつけながらお腹に穴あけてった」 真珠は目と口から血を流しながら、ディコットを、その中にいるだろう猗鈴を見た。 「ねぇ猗鈴、私の子供になって」 そう言いながら真珠は赤熱する腕を差し出す。 「……私は、柳さんの子供にはなれない」 「なれるよ、なれる。自分を信じて? 私あの日感じたもの、あなたが三歳とか五歳とかの子供に見えた。だからなれるはず」 口の端に血の泡をつけながら、彼女は笑う。 しかし、猗鈴はその手を取れなかった。理屈も何もないその言葉にどうすればいいのかわからなかった。 「独りで生きろって言うんだ? なんで夏音もメフィスモンもあなたも裏切るの? 私、あなた達に……何か悪いことした?」 顔も胸も、ディコットが辿り着くまでのほんの少しの間にぼろぼろになったその姿はあまりにも痛々しい。 それでいて、その動きも声も、まるで壊れた人形の様で、眼だけが狂気に輝いていた。 「なん、で、裏切るの? なんで? ねぇ、知らないと思うけど、私ね、夏音のこと友達と思ってたの。本当にね?」 ぼとり、ぼとりと、溶岩が地面に垂れ血は煙を上げて蒸発する。 「付き合いだと、周りを騙す為だって言いながら毎年交換してたプレゼント、アレもちゃんと選んでた。なのになんで私に猗鈴を差し向けたの夏音。夏音ェッ!」 火山弾が噴き出し、口から血と共に黒い雲が漏れる。 「柳さん、あの姉さんは……」 猗鈴が近づこうとするも、濃い黒雲が歩み寄りを拒絶する。 「死ね」 一言、低く重い呟きがあった。 そして、真珠の口から呪詛が溢れる。メフィスモンの技、生き物を殺す呪文。 ぷつぷつとディコットの右半身のスーツの表面が裂けていく。 「……姫芝は私と違ってワクチンを使ってないから」 「本当に危ないのはそこじゃないでしょう、猗鈴。聞いただけで死ぬ様な呪い……負担がある筈」 そんなことは言われなくても猗鈴にもわかっていた。今のディコットは強い。半減した死の呪いならば耐えることはできる。 けれど、真珠の身が持たない。デジモンになってなければ死んでる様な傷で、二つのメモリを同時使用、放っておけばいずれ衰弱死。それに加えてもう一つ、噴出し続けているガスが危ない。 「無理やり倒して変身解除させても、この場に残ったガスが……」 せめて体力があったなら、ガスで死ぬ前にディコットの運動能力で無理やり運び出すという手もあっただろう。しかし、極度に衰弱して仕舞えば移動にさえ耐えられないかもしれない。 「ローダーレオモンメモリの竜巻でガスを巻き上げ、ガスがまた満ちる前に倒す。それしかない」 「……それしかないなら、やるしかないですね」 猗鈴と杉菜がそう喋っていると、ディコットに取り付けられた通信機がピリリと電子音を鳴らした。 『公竜さんに連絡ついたからちょっと耐えて! エレファモンメモリの風で吹き飛ばせる!!』 盛実からの連絡に応えようとしたディコットに向けて雲の裏から火山弾が飛んでくる。 ディコットが避けると、それは数本の木を勢いよく貫通して地面に突き刺さる。 「雲を通る際に表面が溶かされ、鏃みたいな形になって飛んできている……まともに当たるとこの姿でも危ないかも」 猗鈴はそう口にし、飛ばされてきた散弾の様な火山弾を避ける。避けた先にも当然デスクラウドは満ちている。避ける先を誤ればそれも致命傷になりかねない。 「斎藤博士! ちょっとってどれくらいですか!!」 杉菜は呪いの苦痛に耐えながらそう聞く。 『十分いくかいかないかって感じ……私も現場に向かっている!!』 「それじゃあおそらく間に合わない……」 『ローダーレオモン』 メモリを取り出しボタンを押す。 そして、それを挿そうとする手を後ろから伸びてきた冷たい手が止めた。 「えっ?」 青い骨の指がメモリを掴んでおり、ディコットがそれに気づいて振り向くと、ローダーレオモンメモリは既に指の間で押し砕かれていた。 「これで、助ける手段はないわね」 ディコットは反撃にすぐうつれなかった。夏音の身体は黒雲に溶かされて、それこそ真珠に負けず劣らずの重体、でも、その身体には力が満ちていたし、先程のパンチへの反応も頭をよぎった。 あの時、ディコット確実に不意をついた。それに対して夏音の手は受け止められなかったものの間に合っていた。 今度は避けるか反撃に動き、おそらくまともにダメージを負うのはディコットのみ。 真珠もそうだったな違いない。スカルバルキモンの不死性はダメージの交換を相手のみのデメリットに変える。 「……私が死なずにここにいるのが固まるほどおかしい? スカルバルキモンも呪いにまつわるデジモン、骨だけで動き回るアンデッド。死の呪いもちょっと痛いけれど、死ねるほどじゃないわね」 じゃあまたねと夏音はあえて霧の濃い方へと消えていく。 『落ち着いて二人とも、万が一にも助けられない様にさらに煽って挑発してる』 「大丈夫、わかってます。小林さんが来た時にここにいないと彼女は救えない」 杉菜は呼吸を整えながらそう言った。 猗鈴が使う左半身は満足に動くが、杉菜の右半身はひどい風邪を引いた時の様な鈍い痛みと全身の皮がむけて肉に小石が刺さった様な痛みがあり、それは時間が経つ程強くなっていた。 呪いの性質をディコット達は見誤っていた。常に一定の効果をもたらすものと考えていたが、聞き続ければ蓄積し、いつかは必ず命を奪う。あらゆる命を否定するデジモンに相応しい、死の呪い。 公竜が来るまで耐えられるのか、耐えられたとして真珠を倒せるのか。どうしてもそんな考えが頭に過ぎる。 ディコットは大きく避けるのをやめ、半身になって当たる範囲を狭くして火山弾を待ち受ける。 自分に当たる軌道のものだけを手や足の甲で逸らす。 弱ってもなお、今までのディコットの動きじゃない動きができる。 しかし、今真珠を救うためにできることはただそこに立っている他に何もない。 ゲホッ…… 死の呪いに混じって真珠の咳き込む声がする。 焦りがディコットの心を蝕んでいく。 『あと五分耐えて!』 盛実のその言葉を聞いても猗鈴の脳裏に浮かんだのは、まだ半分しか経ってないという焦りのみ。 「……メモリは舌で舐めても使える。ローダーレオモンのメモリを拾って使おう、猗鈴」 『それは駄目! 生身とベルトからと二重にやるのは普通に重なる以上に安定しなくなる! 最悪姫芝の精神が猗鈴さんの肉体からも姫芝の肉体からも放り出されて戻れなくなるかも!!」 それでもと杉菜はディコットの右腕を伸ばし、猗鈴は左手でそれを止める。 不意に、日が陰りだした。 「……え?」 そして、木がみしみしと音を立てる程の強い突風が一瞬吹く。 その風を受けた瞬間、杉菜はただ一度だけ瓦礫越しに感じたその存在を思い出し身体が固まった。 それが伝わって猗鈴も困惑し、ディコットの動きは止まった。 不意に、音を立ててセイバーハックモンメモリのレバーが三度続けて勝手に押し込まれる。 『トロピアモン』『ザッソーモン』 「ありがとう姉さん……やるべきこと見失ってた」 姿が顕になった真珠へとディコットが走り出す。 「……何が娘のようにだ」 真珠はその場に膝をつき、呪文の詠唱さえ止めていた。 真珠の前でディコットは右側の足を伸ばし捻りながら強く踏み込み、バネのようにした。 「誰か私を愛してよぉ……」 脚が真っ直ぐに伸ばすことでディコットの身体はコマのように回りながら勢いよく飛び出し、青緑色に輝く左脚での回転蹴りが真珠に向けられる。 メフィスモンの角もまとった溶岩の鎧も溶かし貫きついに足が突き刺さる。 つま先から爆発的に根が広がって、包み込み、爆発する。 そうして変身も解け宙に放り出された真珠を、ディコットは柔らかく抱き止めた。 『方向はこっちで指示する。雑木林の外で救急車を待たせてる、いいね?』 「……待ってください。搬送先はどこですか? 警察病院は……」 『アルケニモンがいた病院。鳥羽さんが警察病院がダメになった時のために色々準備してた! あそこならメモリ使用者に対して治療ができる!』 その後、真珠は病院に運び込まれ、一命を取り留めた。ただし、その意識は一週間経っても戻ることはなかった。 「奴等はこっちに向かったはず……」 一体のフェレスモンがさっきまでディコットの戦っていた雑木林の方へと歩いてくる。 「……遅かったわね。フェレスモン」 その人影は、真っ黒なレインコートの下から血の固まった真っ黒な指先をひらひらと動かした。 「な、ぜあなたがここに……?」 「私が、家出した子を心配して後を尾けるのがそんなにおかしい?」 地面にボロボロと血の塊を落としながら蠱惑的な声でそう尋ねる。 「……いえ、滅相もございません」 フェレスモンはそう声を振るわせながら口にした。 「そう……正直に答えろ。お前はどうしようとしていた?」 「い、一旦石化させあなた様の元に持ってこようとと……」 「嘘ではない、か。まぁ、組織に引き渡すか私に引き渡すか迷っていた。というのが真相か……」 吸血鬼王はレインコートの奥からフェレスモンの目を覗き込んだ。 「お前自身を含む全てのフェレスモンのメモリを集め、自殺しろ」 「な……裏切りはもう致しません、ですから何卒……」 「……そう」 フェレスモンの首にプツリと爪を刺し、引き抜くとずるりと煮凝りのように血の塊とその中に浮かんでメモリが出てくる。 「あっ」 フェレスモンの身体がぐらりと倒れ、人間の姿へと戻る。 「なら、勝手に記憶を見るからいいわ。私、これでも人間のこと大好きなのよ?」 血とメモリを口の中に放り込み、その後吐き出したメモリは色が消え、程なくして煙をあげ発火する。 あとがき  今回は、まぁなんというか……とりあえず、次回お楽しみに!  次回はウッドモンヒアリング回……かしらね?
ドレンチェリーを残さないでep25 content media
4
3
38
へりこにあん
2023年2月21日
In デジモン創作サロン
警察署の崩壊、ソルフラワーで起きたテロ。この二つは全く別の背景と別の結果だったが、それらは並べて、ヒーロー待望論として語られた。 「『陽都の陰で戦っているヒーロー達を知っているか!?』って記事……これ、美園さん達だよね」 便五の見せた記事には、ソルフラワーで『ヒーロー』が現れたとする記事が載っていた。 「ゾネ・リヒターになった燈さんのことは載ってませんね」 猗鈴はそう言って盛実を見た。 「えっと、そっちは小林さんと話して、公安の方で情報操作してもらった。モント・リヒターは私の能力で出してたから消えてくとこ見てる人結構いて……噂の『ヒーロー』がその姿を模して戦っていた。ということにしてる。防犯カメラに小林さんの変身後が映ってたから、そっちが本体。ということにしたんだって」 普段ならこんなヒーローなんて囃し立てられていれば真っ先に喜びそうなものだが、盛実はタブレットに腕を突っ込みながら投げ槍気味にそう答えた。 「仮面をつけてることや、昨日はバイクに乗ってたことから、陽都の仮面ライ◯ーとか、ソルフラワーの仮面◯イダーって呼ぶ人も一定数いるみたいだね」 「まぁ、商標の関係とか、めんどくさいラ◯ダーおたくの、フルフェイスでもねぇ薄汚い面して仮◯ライダー名乗るな! みたいななぜか名乗ったことになって陽都の外でトンチンカンな炎上をしてるから、その通称は変わりそうだけど……探しものの邪魔すぎる……!」 「斎藤さんは何を探してるの?」 「私は見てないんだけど、盛実さんを助けてくれた女性が行方不明らしくて……」 盛実が探しているのは、組織の幹部ミラーカで、公竜の妹、軽井未来だったが、それを盛実はぼかして伝えた。 ソルフラワーの文字をなんで入れるかなと呟きながら盛実は腕をぐるぐるしていた。 「そういえば、姫芝さんは?」 「警察がこの状態だし、警察病院から永花ちゃん移動させるつもりらしくてお父さんの説得に行ってる」 「マスターも?」 「マスターは別、今日は地元」 「里帰り? 冠婚葬祭か何かですか?」 「……今日は喫茶ユーノーの名前の元になった、失踪した友達の誕生日でね。毎年その日だけは地元に帰って、十年前に渡せなかった誕プレ持って、どこかにいないか探してるんだよ」 いたら話が楽なんだけどなぁと盛実は呟く。 「そうなんですね……」 盛実はそう言ったあと、戦わずに済ませられたらもっといいよねと呟いた。 警察署で起きたその爆発を見て、柳真珠はやはり自分の選択は間違っていたのだと悟った。 今となっては復讐なんてどうでもいい。自分と子供の安全より大切なものはどこにもない。 組織に投降はあり得ない、美園夏音は信用できないし、それを容認する本庄善輝も敵だ。 そうなると選択肢は一つしかない。美園猗鈴がいる探偵事務所は警察と繋がっていたはずだが、今は機能してないことも真珠は知っている。 「……どこに行くつもり?」 通路を歩く真珠の前に、真っ黒い手をバンと壁に叩きつけながら、吸血鬼王が現れた、 壁にピシリとヒビが入り、黒い手はひび割れて血がポタポタと流れて落ちる。 「今は、お肌がこんなだからついていってあげられないわよ?」 吸血鬼王のヒトの姿、その手は再生を繰り返しているのだろう、少し動くとどす黒い血の固まったかさぶたが落ち、血が流れては見る間に塞がっていく。血で汚れるのが煩わしいのか服も着ていない。 顔だけが綺麗な肌を保ち、その血のように赤い目が真珠をじっと見つめる。 「……大丈夫です。散歩ぐらいしないとお腹の子にも悪影響だし」 真珠は目を逸らした。味方してくれている側とわかっていても、その目を見るのは恐ろしかった。 「そう。でも、メフィスモンメモリはピンチになっても使ってはダメよ?」 「……なんで、ですか」 「あなた、肉体が人じゃなくなりつつあるわよ。メモリに身体が馴染みすぎている」 「どういうこと……?」 「これは推測も混じるけれど……メフィスモンの仕込みね。あの種は『あまねく全ての生き物を否定する』性質があるから、馴染ませる為に、メフィスモンのデータを刻み込むか何かしたんでしょう」 赤い目が、すーっとつま先から頭まで真珠を見る、吸血鬼王には、真珠には見えていない魔術が行使された痕跡が見えていた。 「デジモンに性別は基本ない……子供を妊娠したまま変異が起き続ければ、子宮が機能を止めることもあるかもしれない」 だからこれをあげると、吸血鬼王は近くにあったごてっとした機械の腕輪を手に取った。 「組織の研究部を裏切ってきたという男が持ってたの。これを使うことで変身部分を腕だけに限定、メモリの毒も抑えられるそうよ。あなたはデジモン自体に適性がある、適当なメモリで使いなさい」 真珠が受け取ると、血文字はぽうと光って消えていく。 「……気をつけてね。私はあなたのこと、娘の様に思っているから」 吸血鬼王の手がゆっくりと真珠の髪に伸び、一度するりとすく。掛けられた柔らかい声も、その手も、優しい態度も全てが真珠にはおぞましかった。処刑前日に何が食べたいと聞くような類に思えた。 「ありがとうございます」 心にもない礼を言い、真珠はその建物を出た。 まずは警察病院に行って母子のカルテを手に入れる。幾ら猗鈴が子供に好意的でも拘束されることは予想がつく。 警察病院はてんやわんやの状態だった。 警察署内の留置所にいた者達にも死者も怪我人も多く出ていて、警察官の数も足りていない。 丸一日が経っても、まだ慌ただしいのも当たり前だった。 真珠は担当医を見つけると、一目につかないところでその肩を叩いた。 「ああ、柳さん。どうされました? 今忙しくて、できれば後に……」 「吸血鬼王からの命令です。私のカルテを渡しなさい」 真珠の言葉に、担当医ははいと一言答えるとすぐにカルテを持ってきた。 カルテを受け取り、真珠はすぐに踵を返す。そしてそのまま帰ろうとしていると、不意にある人物が目についた。 「まだこんなとこにいたんだ」 佐奈は真珠の言葉に好きでいるんじゃないよと呟いた。 「……ほら、これを見てごらんよ」 佐奈が出したのはヴォルクドラモンのメモリ、組織から奪ったものの適合率が高い人間が佐奈と真珠のみな上、元々それぞれ持ってたメモリより適合率が低かった為使わなかったメモリだ。 「留置所や警察病院にいたメモリ犯罪者達に、我らが吸血鬼の王様はメモリを配布してもう一度戦いたいだろ私の為に戦えと言っている」 「……それで、そうするの?」 「まぁ一応はね。マタドゥルモンは実体化もできないほど弱ってしまった。もし裏切ったとして、吸血鬼王がいる限り安全な場所はない」 佐奈はそう言った。さらりと言ったが、その雰囲気は以前に比べて穏やかでそれはそれとしていつでも裏切れると言ってる様にも見えた。 「なんか、雰囲気変わった?」 「君に言われたくはないけれど……どうやら、君の仇なのかお気に入りなのかわからない彼女に負けた時に、吸血鬼王の毒が出ていったらしい。頭もスッキリしていていい気分なんだ」 「ふーん……」 「君ももし彼女のところに逃げるならやってもらったほうがいいかもしれないね」 佐奈の言葉に真珠ははぁと返した。 「……はぁ? なんで洗脳されてもないのに蹴られなきゃいけないのよ。あれ、痛いのよ? 知ってるでしょ?」 「詳しくは言わないけどさ、君が思うより吸血鬼王は悪辣だよ。そばにいて、目も見ていて、全く洗脳されてないなんてあるのかな?」 真珠は言葉に詰まった。そう言われた時に自分だけは台上と言える根拠はなかった。 「……私は、大丈夫よ」 「そうかい? じゃあ気をつけて。この病院には既に吸血鬼王の条件を飲んだやつも多くいるみたいだから」 佐奈はそう言って、踵を返した。 わざわざ声をかけにきたのかと真珠は思いながら、病院をまっすぐ出て行こうとする。 すると、ふと小さな女の子と、その前にしゃがんで喋りかける男が目についた。 男を真珠は知っている。フェレスモンが宿主としていた男であり、真珠と夏音の通う大学の教授だ。 真珠の記憶では入院が必要な程の怪我はなく、警察病院は研究で関連を持つ病院でもない。 教授は一言二言何かを喋ると、少女にメモリを渡した。 「……何を、やってるの」 なぜわざわざ声をかけにいったのか、真珠自身にもわからないが気がついたらそうしていた。 「おやおや、これは柳嬢、久しぶりですね」 その笑い方や声で真珠にはそれが教授ではなくフェレスモンなのがわかった。 「……どういう理屈であんたここにいるのよ」 「どういう理屈も何も、メモリのバックアップを用意してただけです。準備は大切でしょ?」 「人格入りメモリのバックアップって……」 自分の魂を切り分けておくに等しい行為を、折り畳み傘を常に持ってるぐらいのテンションで言うフェレスモンを、真珠は気持ち悪いと思った。 堕天使とはそういうことなのだと感じる。他人も顧みないし自分も顧みない。歪んだ欲望が形を取り生きている。 「えぇ、まだ私含めて三人いますよ。元はメフィスモンを出し抜くためのものでしたが……ちょうどいいのでこちらにつこうかと。メフィスモンはいないんでしょう……?」 フェレスモンはそう言ってにぃと微笑んだ。 「……すぐ取り返すわよ」 「それは残念、私はなぜかいつもタイミングに恵まれませんで、あなたの様に上等で整備された『器』が欲しいものです」 「話しかけといてなんだけど、消えて、永遠に」 真珠はそう言いながら首を切るジェスチャーをした。 「おやおやこれは嫌われたものですねぇ、でも、我々の陣営はあなたの望みを叶える為の陣営な訳ですからね。メフィスモンを取り返したいならすぐにでも取り返して差し上げましょう」 その言葉に、真珠はえと一瞬固まった。 「方法は簡単、この子を人質にします。この子を彼女の相棒になったらしい裏切り者の姫芝杉菜がいたく気にかけている様ですからね、交換に応じるでしょう」 「この子を……?」 真珠は何故逃げ出さないのかとその子供を、永花を見て、その口と足が石化していることに気づいた。 「手順も練ってあります。まずはこの子を石にし、川に沈めます。石化していれば死にません、これで遠くに居ても私達は生殺与奪権を握れる」 「……あいつら、ワクチン持ってるでしょ」 「遠巻きに見張りぐらいつけますよ」 「あとは堂々と受け取りに行けばいいのです。よかったですね! これでメフィスモンと再開できますよ!」 メフィスモンとの再会に惹かれるところがないわけではなかった。以前猗鈴はメフィスモンに会わせたいといってくれていたが、普通に考えたら猗鈴はよくても他が止めるだろう。 組織に入ってからもその前からも真珠は自分のために散々他人を傷つけてきたし、病院の人間達のことも今考えてもどうでもいいと真珠は思っている。 でも、なぜだか、身じろぎ一つしない目の前の少女を見ているとフェレスモンの言っていることが胸糞悪く感じた。まだ産まれてもない自分の子供に重ねたのか、何もわからなかったがなぜかその提案に素直に頷けなかった。 「メフィスモン、姫芝がその子とどう関係してるのか直接話が聞きたいんだけど、ちょっと石化解いてくれる?」 「逃げられますよ?」 「手を強く握ってれば十分逃さずいられるでしょ」 そう言いながら、真珠は永花の手を優しく握った。 「……いいでしょう。ではどうぞゆるりとお話しください」 「じゃあ、場所を変えましょう。喉も乾いたし」 「では私も……」 「加齢臭がうつるから来ないで」 チッとあからさまに舌打ちをした後、フェレスモンはではここで待ってますとにっこり笑顔を作った。 真珠は永花の手を引くと、売店と出入り口のある一階へとまっすぐ進む。 「……さっきもそうだけど、なんで大人しくしてるの?」 「杉菜お姉ちゃんと似た感じがするし……」 「あんな化け物と一緒にしないでくれる? 私は水かかっても分裂しないし自爆特攻なんてしない。大切なのは自分とこの子だけ」 真珠がそう言って自分のお腹を撫でると、永花はふふと微笑んだ。 「産まれたら私にも教えてね。お祝いしに行くから」 「……その前に川に沈められるとは思わないの?」 「沈めないよ。沈める人の手の握り方じゃないもの」 永花の言葉に、真珠は急に手に込める力を強くした。それが照れ隠しなのは明らかだった。 「そうだ、さっき渡されてたメモリ、なに?」 「わからないけど、使わせようとしてたみたい」 単に人質にするならいらないだろうにと思いながら真珠がそれを見ると、フェレスモンの文字が浮かんでいた。 中身がフェレスモンの永花を人質にし、救出させて中から工作をする。そういう計画だったのだと真珠にはすぐに察しがついた。 「預かっとくわ」 真珠はそれを奪ってポケットに入れた。猗鈴のところに出頭する時に手土産ぐらいの価値はあるだろう。 自動販売機の前まで行って真珠は立ち止まった。 「何飲む?」 真珠はココアが紙コップに注がれて行くのを見ながら永花にそう聞いた。 「ブラックコーヒー」 「……あんなのよく飲むね。私は無理」 「私も苦いのちょっと苦手だけど……杉菜お姉ちゃんはブラックで飲むらしいから」 「ふーん……」 真珠はそれを聞いて、砂糖とミルクのボタンを勝手に押した。 「あ」 「ブラックは雑草女に淹れてもらって。裏口から出る」 真珠は、ちらりと後ろを見た。 フェレスモンは三人いると言っていた。ならば、他の顔が割れてない二人のどっちかが自分を見ているかもしれないと思ったのだ。 「人気がない病院の裏なら、見つかってもまだ言い訳できるし」 「見つかったらどうするの?」 「お前だけ置いて帰る」 永花を連れて裏口の扉を開けると、そこには地面に倒れた看護師と、メモリを手にした男がいた。 「……なんだ、お前ら」 『フレアリザモン』 「私に手を出すのは吸血鬼王を敵に回すことだけど、いいの?」 真珠の言葉に、男はにぃと下卑た笑みを浮かべた。 「あ、あぁ〜……! これだから理屈で考える賢い女は好きなんだ。俺はもう自分のことなんてどうでもよくてただ楽しいことがしたいだけなんだよなぁああ!!」 こんなのまで見境なくメモリ渡すなよと真珠は思いながら、メフィスモンのメモリに手を伸ばし、そして、固まった。 吸血鬼王が言ってた通りなら、これを使うことで自分は助かっても子供が死ぬかもしれない。 「いい……諦めてない感じが最高にいい……! まずは火か? 火だなぁ……服を焼いて、それから抱きつくだなぁ!!」 フレアリザモンの口が膨らみ、吐瀉物のように炎が吐きかけられる。それに対して真珠も永花も即座には何もできず、ただ固まるのみだった。 しかし、炎は降りかかることなく、ひらりと振るわれた大きなピンクの袖に受け流されて散る。 「あぁ、思わず助けてしまった。久しぶりに吸血したからか、気が昂っていけないな」 「マタドゥルモン……なんで?」 「……さっきその子供からメモリを受け取ってただろう?それをくれないか?」 「は?」 「戦ってやるからカロリーをよこせと言っているんだ」 「……じゃあ、代わりにヴォルクドラモンのメモリちょうだい。今はメフィスモン使いたくないの」 「いいぞ、佐奈は使えなくはないからと吸わせてくれんからな」 そう言ってマタドゥルモンは一瞬佐奈の姿になると、ポケットからメモリを取り出して真珠に投げた。 真珠はそれを受け取って、フェレスモンのメモリを投げ返す。それを受け取ったマタドゥルモンはそれを佐奈の姿のまま口に含んだ。 「うむ、やはりlevel5のメモリは腹に溜まる」 そう言ってマタドゥルモンが吐き捨てたメモリからは文字が消えていた。 「俺を無視するなぁ!」 そう言ってフレアリザモンがマタドゥルモンに抱きつく。すると、マタドゥルモンは人の姿のまま首筋に噛み付いた。 そうして三秒も立たないうちにフレアリザモンは膝を折り、人間の姿に戻って落ちたメモリからは、やはり文字が消えていた。 「……お兄さんは、本当にそれが欲しくて助けたの?」 永花の言葉に、マタドゥルモンはにぃと微笑んだ。 「まぁ違うが……喜ぶような理由でもない。嫌いな吸血鬼王(ヤツ)への嫌がらせだ」 「嫌がらせって……死ぬわよ」 「他人のことを言える立場かお前が。全部顔に出してる女が何を言う、馬鹿でも一目でわかる顔をしているぞ」 それを聞いて、何かが引っかかったが真珠にはわからなかった。 じゃあと真珠が病院から去ろうとすると、不意に裏口がもう一度ガチャリと開けられた。 「フェレスモン……ッ」 「まぁ、そうだろうとは思ってましたが……構図が面倒になる。あなたがいなくなって目的も定まらなくなる吸血鬼王につくべきか組織に戻るべきか……」 教授の肌が赤くそまり、骨を鳴らしながら翼を生やして悪魔の姿に、フェレスモンのものに変わっていく。 「ひとまず、組織に戻るのにちょうどいい手土産ではありそうだ。足手まといもいる」 吸血鬼王への嫌がらせならばこれを止める理由はないでしょうと、フェレスモンはマタドゥルモンに微笑みかけた。 「愚かな考えだ。人を殴りたくて仕方なかった思春期の佐奈から産まれたのが私だ。女子供を守って戦う? 大いに結構な理由じゃあないか! クソみたいな洗脳で戦わされるよりよっぽどいい!!」 姿を変えながら、マタドゥルモンは獣の笑みを浮かべる。 「そうですか」 フェレスモンの持った三又矛の先端から光が放たれ、マタドゥルモンはそれを袖で防ぐ。 袖の端から石化していくマタドゥルモンを見て、フェレスモンは笑みを浮かべる。 「さて、あとほんの数秒で石に変わるわけですが、あなたに何ができるのでしょうね?」 マタドゥルモンは既に石になりつつある腕を掲げ、フェレスモンに殴りかかりにいくが、それをフェレスモンはふわりと飛んで避ける。 「まぁそんなところでしょう」 そう言って、マタドゥルモンの全身が石化したのを確認してふわりとその横に降り、ピンとデコピンをしてマタドゥルモンを地面に転がした。 「さて……あなた達ですが。石にして運ぶのとどっちが楽ですかねぇ……」 「あっ! 猗鈴お姉ちゃん!」 永花が急にあらぬ方を指さしてそう叫ぶ。その言葉にフェレスモンが視線を向け、何もないのを見てもう一度視線を戻すと、二人分の走り去る後ろ姿が目についた。 「……子供騙しですね」 「いや、それがそうでもない」 フェレスモンの背中から胸にかけて、ずぷりとマタドゥルモンの長大な刃が貫く。 「なぜ……!?」 口から血を吐きながらフェレスモンが振り返ると、石化していたマタドゥルモンの頭部からにょきりとマタドゥルモンの上半身が生えており、ずるりとそのまま足まで抜け出た。 「馬鹿な、そんなことメモリでは不可能な筈……」 「生憎だが私達はその一つ前の世代だ。寄生してる側も実体は持てる」 「……おまけに、こういうこともね」 石になっていたマタドゥルモンの姿が、人間のそれへと変化しながら石化が解けていく。 「肉体を構成し直せばある程度の傷や呪いはどうとでもなる」 「それはいいことを聞きました……では、既に身体にマタドゥルモンがいない状態での石化はどうです!?」 フェレスモンは三又矛の先端を少し動かして、佐奈の顔に光を当てる。 「う、うわぁぁぁ!? 顔が、顔がぁッ!?」 それを受けた佐奈は思わず顔を手で押さえてうずくまり、そして、マタドゥルモンのものになった顔をパッと上げた。 「マタドゥルモンに!」 「なぜ……ッ!? ぐはッ!?」 疑問の声を上げるフェレスモンの首にマタドゥルモンが噛みつき、口を離すとその身体はただの人のものになってその場に転がった。 「飲み会でやるとウケる、僕の鉄板ネタだよ。さて、あと二体だ、あの二人を追うなら今度はこっちが追いかける番になるな」 「ご自慢の石化が効かないのだから、正面から堂々と殺しに来たらどうだ? なに、真に強ければ私達を倒してから追いかけても間に合うだろうて」 三又矛を片手に、二体のフェレスモンが物陰から現れる。 「こう舐められては……なぁ?」 ビキッと額に血管を浮ばせながら、フェレスモン達は矛を構える。 「いや、面倒そうだよマタドゥルモン」 「笑わせるな、笑みが抑えられてないぞ」 マタドゥルモンと佐奈は笑みを浮かべ、それぞれに向かっていった。 「……殺しに来てくれるっていうから待ってたのに、一向に来ないから来ちゃった」 病院の裏口を抜け、猗鈴に迎えを頼む連絡も入れ、人目につかない雑木林を通っていた真珠と永花の前に、暗い青紫色のドレスを着た夏音がふらりと現れた。 「なんで……」 「そのメフィスモンのメモリ、中にGPS入ってるの。ヴォルクドラモンも持ってるのは……心変わり?」 真珠は何も言わず、永花の手を離してヴォルクドラモンのメモリに手をかけた。 「メフィスモンのこと嫌いになったわけじゃないわ……ちょっと使い分けが必要なだけ」 『ヴォルクドラモン』 真珠がメモリを身体に挿そうとすると、夏音は一息に距離を詰め、ぐいと真珠の手を掴んで阻止した。 「なんッ……人間のまま詰められる距離じゃなかったでしょ!」 「普通はね」 夏音は指の力で真珠の手からメモリを引き剥がすと、そのまま握力で破壊して、ぱらりとその場に転がした。 「……あ、その腕輪、ミラーカと一緒に作ったやつ。真珠の手に渡ってたんだ。使い心地はどう?」 「使う前にメモリを取り上げられたから使ってないわ!」 真珠はそう言いながら夏音に頭突きをした。 それに対して夏音はふふふと笑った。 「一緒に大学にいた頃を思い出すね。楽しかった。結局メフィスモンがろくな男じゃないってのは、あの時から言ってた通りだったみたいだけど」 ぎりぎりと腕を極めようとする夏音に、真珠は涙目になりながら何度も何度も夏音の足を踏みつける。 「うるさいッ! そういうあんたも男に殺された癖にッ!! 私をどうしたいのよ!!」 「殺したい、かな」 そう言って、夏音は真珠を地面に引き倒すと真珠がカルテを持っていた手を踏みつけた。 手からカルテが離れ、ひらりと風にさらわれていく。それをちらりとは見たものの特に何もせず、夏音はさらに腕輪を壊れるまで踏みつける。 「メフィスモンのブラックサバスは呪文を通じて死の概念を相手に押し付け、押し付けられた相手の身体が死に向かって自壊していく技でしょ? 吸血鬼王みたいな本当の不死じゃない私だと死ぬ可能性があるわけ」 さて、と夏音は懐からベルトのバックルのようなものを取り出した。 それを腰に取り付けると、じゃららと鎖の様な音がしてベルトは自動で巻き付く。 「真似して作ってみたの。なかなか様になってるでしょう?」 そう言って、夏音はスカルバルキモンのメモリを取り出す。 「……待って、待って夏音、死にたくない。お腹に子供がいるの。せめて、せめて出産するまで待って……」 真珠はお願いと、頭を地面に擦り付ける。 それを、夏音は静かに見て、首を軽く傾げた。 「妊娠なんて……してないでしょ? メフィスモンは生命を否定するデジモン。妊娠なんて、させる訳がない」 「……え?」 夏音は、真珠の表情を見て本当に信じているのと少し驚いた様に呟いた。 「ちがっ……私は、病院にも通って……そこのカルテにちゃんとその証拠がある筈……」 真珠の言葉に、夏音はちらりと封筒を見た後、永花を見た。 「持ってきてくれる?」 そう言われて永花は封筒を拾いにいき、戻る前にとちらりと中身を確かめる。 「……お願い、早く持ってきて」 真珠の搾り出すような声を聞いて、永花は、一瞬考えてその場から封筒を持ったまま走って逃げ去った。 どうしてと真珠は呟きかけて、呟く前にその意味に気づき、目から涙が溢れた。 永花が賢く冷静なのをこのわずかな間に真珠は理解していた。 仮に逃げるとしても今じゃない。夏音の視線が向いている時は危険過ぎる。それも理解できる筈だった。 その上で今逃げた理由も、わかってしまった。 「……真珠がもっと頭悪ければ、気付かずにいられたのにね。封筒の中身が白紙だったことに」 真珠の目からは涙が溢れて止まらなかった。強く噛みすぎた口の端からは血が細く流れ出し、それでも力の抜き方がわからなくなっていた。 吸血鬼王だけの催眠ではない。 妊娠したと知ったのは、まだメフィスモンがいる時だ。まだ生きている夏音に、常にメモリ挿しっぱなしは身体に負担があると言われた直後。 メフィスモンが、自分の活動時間を確保する為に仕組んだ嘘。魔術によって引き起こされた想像妊娠。人間は一人でもそう思い込めるのだから、吸血鬼王の魔眼がなくても催眠しやすかったのだろう。 「あ、あぁ! う、ぅわぁあああぁ!」 論理は簡単に組み上がる。感情だけを置いて、真珠の頭は何が起きたかを推測する。 吸血鬼王はメフィスモンの洗脳が解けるのを、何故か阻止した。 いや、柳真珠の復讐の動機がなくなったら、復讐をアシストするゲームが御破算になるから、医師を洗脳し私がカルテや結果を、白紙でも本来の結果が違ったとしても、都合良い認識をするように洗脳を重ねた。 真珠の心の中は荒れ狂う嵐のように、煮えたぎった溶岩のように制御不能になっていく。 地面を転がり、頭を地面に打ちつけ、嗚咽し、獣のように泣き叫ぶ。 『スカルバルキモン』 「……きっと死にたい気分よね。大丈夫、一瞬で終わらせるから」 夏音がバックルにメモリを挿すと、ベルトから銀色の金属の根が夏音の身体を這っていき、その根からじわと夏音の身体を変化させる。 そして、その身体が人型に圧縮したスカルバルキモンとでもいうべきそれになると、そのまま夏音は足を上げ、真珠の頭蓋を踏み砕こうとした。 それに対して、藪の中からギャァと叫び声がする。 夏音が不思議に思って足を止めると、藪から飛び出したセイバーハックモンメモリが夏音の脚に噛み付いた。 それを見て怒りと喪失感に染まり切った真珠の頭に浮かんだのは、猗鈴からかけられた生命への祝福ではなく、あのメフィスモンと最後にいた夜の屈辱だった。 「……私以外、みんな死ね」 土の中に落ちたヴォルクドラモンのメモリ、その本体のカード、頭を打ち付けるふりをして拾っていたそれを、真珠は口に入れた。 『メフィスモン』 同時に、ポケットからメフィスモンのメモリも取り出すと、服を捲りへその少し下に向けて突き刺した。 「猗鈴お姉ちゃん!」 雑木林を抜けた先で、永花はバイクに乗って待機する猗鈴を見つけた。 真珠は病院を出た段階で連絡を受けていた猗鈴は、指定された合流ポイントとまでバイクで来ていたのだ。 「永花さん……柳さんは?」 「お姉さんは、森の中で、ドレスの人に襲われて……ナツネ? さんとかいう人に……」 「……まっすぐ走ってきた?」 「まっすぐ走ってきた」 永花から話を聞くと、猗鈴は後から来る予定になっている便五に自分の代わりに回収して喫茶ユーノーに向かうようにとメッセージを送った。 「もうすぐ便五君が来る、私は柳さんを助けに行く」 猗鈴はバイクにもう一度跨ると、雑木林に向けて走り出した。
ドレンチェリーを残さないでep24 content media
1
7
78
へりこにあん
2023年1月31日
In デジモン創作サロン
ディコットの乗ったバイクが車と車の間を縫い、時に伸ばした腕を利用して車の上を飛び越えながら走っていく。 「猗鈴! 本当にこれしか方法なかったんですか?」 「なかった」 ディコットの口からそれぞれの声が出る。 「私はその小林という男も斎藤博士もどの程度戦えるか知らないんですが、信じていいんですね?」 焦る杉菜の声に対し、猗鈴の声はいつもの様にともすればいつも以上に淡々としていた。 「大丈夫、あの場にはもう一人味方がいる。最初は信じられなかったけど」 「もう一人? まさか……」 「行けばわかる、はず」 アクセルをさらに一段深く回す。建物越しに見えるソルフラワーへ向けてバイクはさらにスピードを上げた。 また別の道路で、全身を銃器で固めたケンタウロスの様なデジモン、アサルトモンとバイクに変形した公竜が競り合っていた。 アサルトモンは上半身をよじり腕のマシンガンを公竜に合わせようとするが、公竜はその背後を取って照準を合わせにくくすると共に背後から銃口を向けて攻撃を仕掛ける。 しかしアサルトモン側も黙って撃たれる訳ではない。右に左にと進行方向にしか撃てない公竜の攻撃をかわし、且つ隙あらばマシンガンを乱射する。 高速で競りながらアサルトモンと公竜はその身を削り合う。 しかし、それに先に嫌気がさしたのはアサルトモンだった。急にスピードを上げて公竜の加速を促すと、続けて跳躍した。 公竜に追い抜かせれば背後からなら自分が狙える。その目論見を察知して公竜も跳躍し、バイクの姿から人の姿へと姿を変える。 『エレファモン』 『アトラーバリスタモン』 人型のそれになった公竜は背中に生やしたタービンで姿勢を制御すると、巨腕をもってアサルトモンの腕を鷲掴みにすると、道路から脇の山中へと投げた。 人気のない山中は鬱蒼と木が茂っていてアサルトモンが自由に走り回るにもマシンガンを撃つにも窮屈な状況だった。 「……くそっ、警察を抑える為に人質取ったのに警察が居合わせてくれたら台無しなんだよ」 アサルトモンは木々の合間を歩き慎重に公竜との間合いを測りながらそう吐き捨てる。 「悪党の企みは台無しになってくれないと困ります」 「……本当にそうか? 俺達の目的は、きっと警察にとっても役に立つぞ?」 それはどういうことだと公竜が問いかけると、アサルトモンはガスマスクの下でにやりと笑った。 「勘違いしないで欲しいがぁ、おれたちゃカタギの皆さんに迷惑かけるつもりはないのよ」 一体だけ一回り大きな、ライフルを持ち迷彩に身を包んだトカゲ、コマンドラモンが、ライフルを床に置いてそう集めた人達に話しかけた。 「十年前のこの街を思い出して欲しい。あの頃はまだ、こんなじゃなくて平和だったろ?」 一回り大きなコマンドラモンはそう穏やかに話し出した。 「暴対法で弱体化したとはいえ、陽都ではまだ力もあって、俺達が半グレやなんかの街の無法者達をシメてた。だからまぁ、呆れ返るほど平和だった。麻薬(ヤク)もそんなに、拳銃(チャカ)より強い武器も出回ってなかった。マッポにも顔がきいてなぁ、兄貴達は警察のお偉いさんとの飲みの帰りにゃお土産だって寿司とか買ってきてくれたもんだ」 その言葉に、何人もの人が眉をひそめたのをそのコマンドラモンは気が付かない様だった。 「メモリなんて麻薬でありながら拳銃より危険なブツを捌く奴らが現れてこの街は変わっちまった。俺達も舐められねぇ様に戦ったがオヤジがやられて、その上の奴らはこの街は金にならねぇって手を引いた。ワカもさぁ、逃げてぇやつらが街の外でやっていける様にしなきゃってんで悔し涙流しながら街から出ていっちまった」 そのコマンドラモンは悲しいなぁと情感たっぷりに呟く。 「兄貴とオレは残ったやつらまとめて、メモリ組織に媚売ってメモリかき集めながらずーっとやつらを潰すチャンスを狙ってた。そして、今日に至る」 つまり、どういうことなんだと誰かがつぶやいた。 「……馬鹿がいるみてぇだが、まぁいいか。俺達はメモリ組織の頭の一つを取りに来たのよ。通り名はミラーカ、本名は不明、メモリを作ってる女だ」 この街に出回ってるメモリの大半はそいつの元で作られてると、男は続けた。 「本当はよ? 関係ねぇカタギの皆さんのことは俺達だって解放してぇが……顔がわからねぇ。メモリってのは姿形もなんも簡単に変えるからな。女の姿でいたからって女とも限らねぇ」 「そ、その女は本当にこの中にいるのか?」 「意見してんじゃねぇよ!!」 一人の男性がそう聞くと、周りで見ていたコマンドラモンの一体がライフルを振りかぶって男の肩を強く叩きつけた。 「おいおい、そう乱暴にするんじゃねぇよ。カタギに手を出さない硬派な組だぜおれたちは」 一回り大きなコマンドラモンは悪かったなぁとその男性に微笑んだが、トカゲの笑みは威嚇にしか見えなかった。 「女がいるのは信頼できる情報だ。そいつはヒーローショーの日は必ず組織の仕事を休む。別れた夫子供でも探してるんじゃねぇかって俺は思ってるんだがぁ……出てきてくれねぇかなぁっ!! ミラーカさんよぉッ!!」 穏やかな話口から突然そのコマンドラモンは言葉を荒らげた。 当然それに名乗りを上げるものはなく、そのコマンドラモンははぁとため息を吐いた。 「……兄貴が戻ってくるまで見張りながら待機だ」 そのコマンドラモンはそう言ってくるりと人質達に背を向けた。 盛実は、冷や汗をだらだらかきながら人質達の中でぎゅうっと自分の胸元を掴んでいた。 盛実は猗鈴の判断が間違ってないことはわかっている。 盛実のエカキモンの能力は想像を現実にできる。一瞬ならば大魔王さえ再現できるそれを用いればディコットが来るまで自分を囲むlevel3が何体いても人質を守り切ることぐらいはわけないこと。 しかしそれは紙の上でならの話。 斎藤・ベットー・盛実と名乗る女、結木蘭(ゆいき らん)は一人で恐怖と戦えないことを猗鈴は知らない。 そもそもエカキモンのメモリは想像さえすればなんでもできる。サングルゥモンやウッドモンのメモリがなくとも、メモリだけを破壊して使用者を殺さないことだってエカキモンメモリを使えば不可能ではない。 でも、それを蘭ができないのは、本人に戦闘力がないからではない。それさえもエカキモンはなんとでもできる。変身ベルトだって本当は盛実自身がつけることができる。 しないのは怖いから。自分自身が戦える様になんてとてもできないし、剣を向けられれば恐怖に足がすくみエカキモンの能力の要である想像力も散り散りになる。 盛実が少し視線を上げると、ライフルの銃口が目に入る。 『探偵国見天青の頼れる相棒、斎藤・ベットー・盛実博士』という仮面が剥がれ、結木蘭という弱い人間が出てきてしまう。 せめて白衣というアイコンを着ていれば、せめて猗鈴という結木蘭を『斎藤』として見る相手がいれば話は違った。でも、いない。 手が震え呼吸が荒くなる。ちかちかとフラッシュバックする記憶は、忘却の箱に押し込んだ、以前に撃たれた時の記憶。 焼ける様な痛みと鼓動ごとに末端から力が入らなくなっていき、自分に呼びかけてくる声も遠くなっていく。自分の肉体から生暖かい命が流れ出し死へと墜ちていく感覚。 天青に渡したメモリ銃がおもちゃのような外見であるのも、趣味とは別に、自分を撃った様な形を無意識に避けていた面は否めない。 思い出した恐怖に、ただ目を瞑って、叫び出しそうな自分を抑える他には蘭には何もできない。 「……大丈夫ですか」 蘭にそう声をかけたのは、猗鈴を一緒に運んだ厚着の女性だった。 「だ、だ……だいじょ……ウプッ」 その顔を見て厚着の女性は自分のウエストバッグから大きめのレジ袋を取り出すと、顔の前に持ってきて背中をさすった。 「あ、あ、そんなことされたら本当に吐い、うッ……えぅッ」 極度の恐怖に蘭が嘔吐すると、コマンドラモンの内一体が銃を突きつけながら近づいてきた。 「おい! 何をしている!!」 「あ、え、この人具合悪いみたいで、吐いちゃって……」 「えぶッ……うぇろッ、ろろろろろろろ……」 蘭は自分の目の前に銃口が迫ったことで恐怖の第二波が来てもう一度吐いた。 「汚ねぇなぁ……アニキ! こいつゲロ吐いてます、トイレ行かせていいですか!」 「あー……そうだな。他、そこの気絶してるやつとか明らかに体調悪いやつと、あと五歳以下のガキ、トイレ近くに授乳室あったろ。ここで騒がれるよりもあっちに詰め込んで二人で見張りしろ。トイレもガキは三人まで大人は一人ずつ見張り付きでなら行かせていい」 「体調悪いやつはともかく、子供は親と離すと騒ぐんじゃ……」 「だからあっちに詰め込むんだよ。兄貴が戻ってきたらミラーカ探す為に色々するからどうせ騒ぐ。こっちで騒がれたらうるさいし邪魔くさくて仕方ねぇ」 なるほどとそのコマンドラモンが言って、蘭に銃を突きつける。 「とりあえずそのゲロ袋両手で持ったままこっち来い!トイレ行かせてやるから」 「うぇろッ、すみま、すみまうぉろろろ……」 トイレで胃液も出なくなるまで吐き、ゲロ袋もゴミ箱に捨てて顔と手を洗った蘭は、赤ん坊を抱えさせられた厚着の女性と意識のない猗鈴、そして数人の子供に加えてなぜか燈もいる授乳室に押し込められた。 「あ、燈さんまでなんで……」 部屋に入ってすぐ床にへたり込みながら蘭はそう燈に尋ねた。 「ゾネ・リヒターがいた方がまだ子供達も落ち着くだろうって……」 燈は両手でそれぞれ別の子供の手を握り、膝の上に小さな子を乗せながらそう返す。 「おばちゃん大丈夫ー?」 「大丈夫ッ、だよぉ〜?」 自分を心配してくる子供に、蘭はそう青ざめた顔で無理に笑顔を作る。子供はその不気味さにひっと息を呑んで後退りした。 「……斉藤さん、ちょっと耳貸してください」 燈に呼ばれて、盛実はなんとか耳を燈の元へと持っていく。 「斉藤さん達の探偵事務所って、『メモリ犯罪者達を狩る悪魔』の事務所、ですよね?」 「ちち、ち、違いますけどぉ?」 「私、爆弾魔の正体を知りたくて個人的に色々探したんです。その後に現れる様になった悪魔のことも、もしかしてあの時の悪魔その人なんじゃないかと思って……目撃地点との関係性とか、店舗が五年前の事件直後にできてることも、悪魔は警察に犯罪者を引き渡してる様ですが、警察関係者が頻繁に出入りしてることも確認してます」 「あ、うぅ……でも、私はちょっと……」 「武器があるなら貸して下さい。私が戦います」 「……えっ?」 「……このままだと、ヒーローショーに来た子供達を奴らは一人ずつ殺すことでミラーカを炙り出そうとするでしょう? だから、戦える力を見せて、私がミラーカを演じて人質が解放される様にします」 「いや、その……死ん、じゃいます、よ?」 「……武器自体はあるんですね?」 ある。盛実にはエカキモンメモリがある。イメージを込めてものを作るのだって、隔離されてる今ならできる。 しかし、銃が見えなくなって多少マシになったとはいえ脳裏には恐怖が染み付いている。 「……あの、やめた方がいいと……変に刺激すると余計に犠牲が出るかも」 少し声が大きくなってたらしい、厚着の女性は指を立てて声を小さくする様促しながら、そう言った。 そして、ふと、どこかでどんと地に響く様な音がした。 見張りのコマンドラモンが扉を開けてちらりと子供達の様子を確認してきて、その際に開けた隙間から外の会話が飛び込んできた。 「爆発した……!?」「別働隊とか兄貴から聞いてるか?」「いや、聞いてねぇ、アレどこだ?」「警察署の辺りだ」「『協力者』の差金か?」 ざわざわと騒いでいたものの、その後に銃声が一発なってガラスが割れる音がすると、みんな静まり返り、見張りのコマンドラモンも扉を閉めた。 「……警察は、期待できなさそうですね」 燈はそう言うと、ゾネ・リヒターの変身アイテムを震える手でぎゅっと握った。 「あ……のさ、怖いんでしょ? だったら、待ちましょうよ、誰かを。さっき一番強そうなやつを外に追い出した人とか、きっとやっつけて戻ってきてくれますよ」 厚着の女性はそう燈を諭そうとしたが、燈は首を縦に振らなかった。 「……それまで、何もせずに待ってていいんですか?」 燈は、真っ直ぐに蘭の目を見た。 「犠牲になろうなんてしてません、ただ、ここで何もしなかった時、私はソルフラワーのヒーローでいられない」 「あの、私もゾネ・リヒターは好きですけど、でも、フィクションだよ? 実際にはそうできなくて当たり前なんですよ……?」 落ち着きましょうと厚着の女性は諭したが、燈はただ震える手をおさえながら蘭を見続ける。 「実際に起きた、犯人の捕まってないテロを題材にした時から、私は覚悟していたつもりです。戦う覚悟を」 燈に二人は圧倒された。その手はもう震えていない、恐怖を目の前で乗り越えた。 それを見て、最初に折れたのは厚着の女性だった。 「……『交渉』なら、できるかもしれないです」 「え?」 「私、その……ミラーカがヒーローショーの日にここに通う理由を、知ってます」 そう言って、厚着の女性は鞄から月のような金色のメモリを取り出した。 書かれた名前はネオヴァンデモン。それが本物の組織製メモリで、組織外で金に塗られたものでないことも、つい最近ブリッツグレイモンのメモリを確認していた蘭には一目でわかった。 「そ、そのメモリ……マジの、じゃん」 「……五年前に、かばんを取り違えられたんです。そのあとすぐ取り違えに気づいて、サービスカウンターに持ってって、私のかばんも届けられていたので交換したんですけれど、そのあとかばんの中からこれが出てきて」 厚着の女性はそう話した。ただのUSBメモリだと思っていて、同じかばんの人に会えたら返そうと思ってたと、そう続けた。 「それが、デジメモリ……」 「彼等の目的が、女幹部のミラーカを探して殺すこと、ならば……その、これを差し出せば、子供と男性達は解放されるかもしれませんし、そう、さっきのブレス……ヒーローみたいな人が戻ってくるまでの時間稼ぎにも……」 私にできるのは、ここまでですと厚着の女性は言った。 蘭は追い詰められた。唯一戦う力がある、本領を発揮できれば全員守ることだってできるはずでもある。 自分が駄々をこねているだけのような錯覚が蘭の心をぐちゃぐちゃにする。 「……あ、うっぷ」 吐きそうになるのを蘭は押さえつけ、懐から出したメモ帳に震える手で文字を書いていく。 『私はメモリを使っている。絵や模型、フィクションでもリアルでも、想像した設定を現実にできる』 けこっけこっと吐き気が登ってきて、口を抑える指の隙間から、胃液混じりの唾液がポタポタと垂れる。 「大丈夫ですか、斎藤さん」 こくこくと蘭は応えたが、誰が見ても大丈夫ではなかった。戦う自分を想像するのは、撃たれる自分を想像するのも同じだった。 「……そのメモリは、他人に渡せるんですか?」 ぶんぶんと蘭は首を横に振り、燈の手の中の変身アイテムを指差した。 「わ、だじなら……ほんと、にっ……けおッ……へん、し……」 厚着の女性が差し出した袋に、蘭は胃液を吐き続けた。 「ゾネ・リヒター。そこのおばちゃん、大丈夫?」 子供にそう聞かれて、燈は大丈夫だよと無理に笑顔を作り、蘭は顔を袋で隠しながら震える手でサムズアップする。 猗鈴が来るまで時間が稼げればいい。そうしたら、なんとかなる、ディコットはエカキモンの能力に依存する部分はかなり少ない。メンタル不調でもなんとかなる。 床に跪く蘭の背を摩りながら、燈と厚着の女性は設定からできることを考えていく。 「えと、ゾネ・リヒターはシールド張れる設定ありますよね」 「……あぁ、テレビ版で一般人守る為に出して、大体敵の攻撃でゾネ・リヒターがガンガン叩きつけられるやつですね」 「アレが複数出せるなら……」 「設定上は一つしか……そこら辺の融通って利くんですか?」 それに対して蘭は首を横に振った。その制作物に込められた想像を元にエカキモンの能力は発揮される。 一人で作れば一人の認識を変えれば事足りるが、ゾネ・リヒターの変身アイテムは周囲にいる人々に認知されているし、その設定はある程度公開されている。その想像に相乗りする形で能力を使う以上、設定を変えることはできない。 「……やはり、先に男性と子供達を逃して人質を一箇所にまとめる必要がありますね」 燈の言葉に、厚着の女性はぎゅっと胸元でメモリを握る。 しかし、じゃあと燈は厚着の女性に向けて手を差し出した。 「私がメモリを持ちます」 その言葉に、厚着の女性は自分より年下の燈にそれを持たせることに葛藤したが、最後にはそれを渡した。 「い、いや、まだもう少し様子みて……本当に危なくなるまでは……」 厚着の女性は自分で渡したのにも関わらずそう言って燈の裾を掴む。 すると、扉の向こうから怒号が聞こえてきた。 「いつまで待たせんだよ、ミラーカァっ!!」 その言葉の後、銃声が一つ響いた。 「兄貴も戻ってこねぇ、連絡さえねぇ……俺ァバカなんだよ!! こうなったら、ガキを一人ずつ殺してくしかないみたいだなぁ!? あと三分だ!!三分間だけ待ってやる!!」 その怒号に、燈は立ち上がった。 「警察にとっても悪い話じゃねぇだろよぉ!」 アサルトモンのガトリング砲が火を噴く。それに対してバイクの姿の公竜は、メモリのボタンを押しながらアサルトモンの周りをぐるぐると旋回していた。 『ミミックモン』『ヒンダーマイアズマ』 タイヤの回転を上げながら走る公竜のマフラーから白い霧が出てアサルトモンのことを包んでいく。 「組織とお前達は戦ってるはずだ! だったら、わかるだろう! 話がわかるのはどっちだ!? 俺達だろう!?」 アサルトモンはエンジン音を頼りに周囲に乱射をしながらそう叫ぶ。 そうしていると、ふとアサルトモンの動きが鈍くなる。 『タンクモン』『ハイパーキャノン』 全てを覆い隠す白い霧の中で人型に変わった公竜の胸に、砲が出現してエネルギーを溜め始める。 「さ、せるかぁ!!」 そして、霧を吹き飛ばしながら迫ってくる砲弾に、アサルトモンはなんとか体の向きを変えると、全身の機銃やマシンガンから弾丸をがむしゃらに撃つ。 当たるはずだった砲弾はアサルトモンの四足の胴を掠めてスプーンでえぐったような傷を作るも、致命傷には至らない。 「び、びらせやがってぇ……! 俺を殺ったらどうなるかわかってンのか!? あんなテロ紛いのことする舎弟が俺にはまだまだいる!」 公竜は、近づくしかないかと呟くと、ダイヤルをまた回した。 『マッハモン』『フルスロットルエッジ』 もう一度バイクになった公竜は、霧の中に身を隠しながら、ぐるぐると大きく旋回しつつ速度を上げていく。 「おい、やめろ!! 俺を、俺を殺ったらお前の家族を俺の舎弟が殺しに行くぞ!! 必ず見つけてお前の前に死体を晒すぞ!! それでいいのか!?」 公竜は構わず速度を上げると、不意に向きを変えてアサルトモンへまっすぐ突っ込む。 「できるならいくらでもやってくれ」 アサルトモンにぶつかる直前で跳び上がりながら公竜は人型に戻り、刃のついた拳を大きく振りかぶる。 「やめろぉおお!!」 公竜の拳が振り下ろされ、アサルトモンの身体を貫通する。 「もう、いないんだ」 恵理座の死に顔が、灰になって消えていき一握りしか残らなかったその惨状がどうしても脳裏に浮かぶ。 そして、公竜が着地して振り返ると、周囲の霧ごと吹き飛ばしながらアサルトモンは爆発し、男は地面に投げ出される。 メモリを回収して、公竜は遠くに見えるソルフラワーを確認してもう一度マッハモンの姿になる。 「戻るのには……二十分はかかるか」 そう呟いて、公竜はソルフラワーに向けて走り出した、 ディコットがソルフラワーの直下に辿り着くと、そこにはトループモンの大群がいた。 「猗鈴、ソルフラワーの一階には受付がある。もしまだそこに人がいたら……!」 「いや、下は警察が突入しやすいから、多分いないはず……だけど」 ディコットはバイクにローダーレオモンのメモリを挿し込み、ボタンを押した。 『ローダーレオモン』『ボーリングストーム』 「じゃあ、上に連絡も取らせずに片付けて、即座に上に行くでどうですか?」 「それしかないね」 バイクから発せられた竜巻は、近くのトループモンを掃除機のように吸い込みながら巻き上げ、そして宙に放り出されたトループモンは地面に叩きつけられて消えていく。 そのまま外にいるトループモンを半分ほど倒したところで、突然竜巻がふっと消えた。 消えた地点を二人が見ると、金色の門のようなものが宙に浮いていた。 「あれは……?」 そのすぐ下には複数の白い翼を持った天使が立っていた。 「天使型のデジモンのメモリはあまり組織にはないはずじゃ……」 「ないですよ、私も売ったことないです」 猗鈴の言葉を杉菜は肯定する。 「天使の正体は下見に来たテロリストだった、夢がないね」 金色の門が閉じたのを見て、ディコットはすぐに方向を変えられないバイクを降りた。 「……邪魔しないでくださいよ。僕はただ、憧れの人に戻ってきて欲しいだけなんです」 その天使は疲れ果てた様な声でそう言った。 「ミラーカ様が今日ヤクザどもを生贄にまた現れるはずなんです。空気読めてないですよ?」 天使の右腕からしゅんと光の剣が現れる。 「生憎……空気を読むのは苦手なんです」 猗鈴はそう言いながら、不意打ち気味に手のひらからビームを出したが、天使はそれを剣で受け止めた。 「美園家ってみんなそうなんですか? ミラーカ様たぶらかすし、もう一度会うのも邪魔をする……話したくもない」 天使が手を振って合図をすると、どこに隠れていたのか、さらにぞろぞろとトループモンが現れた。 「……これは、時間がかかる」 猗鈴はそう呟いた。 「このメモリが、ミラーカがこのソルフラワーに来た理由」 一体のコマンドラモンに銃を突きつけられながらも、燈はそう言い切った。 「……なるほど、確かにメモリだ。これをいつ、どうやって手に入れたか詳しく教えてくれよ。ヒーローさんよ」 一回り大きなそのコマンドラモンはそう言って燈をじろりとにらみつけた。 「レストランに客が忘れて行ったのを、いつかメモリ犯罪者に襲われた時の護身用として持っていたの。ミラーカが毎回ヒーローショーのある日に来るのは、きっと、ソルフラワーのどこで落としたか分からなかったから。ヒーローショーの日だけ来るスタッフが拾ったかもしれないと探してたんです」 燈は堂々とでたらめを言い、メモリを見せつける。 それを聞いて、その一回り大きなコマンドラモンは、軽く頭をポリとかいた。 「俺ぁ、バカだからわかんねぇんだけどよぉ……なんで一般人がそれをデジメモリと判断できるんだ?」 さらに、ポリ、ポリと頭をかきながらそのコマンドラモンは燈に近づいていく。 「で、なんでそれを警察に届けなかった?」 ぽりぽりぽりぽりとそのコマンドラモンは頭をかき続ける。 「俺ァよ、馬鹿だから最初はミラーカもヒーローショーが好きだとか、お前が娘や妹の可能性から考えた。いっぱい見たぜ、お前の出てるテレビもインタビューも、レストランでの働きぶりも……」 そして、じっとりとした目で燈を見つめながら、メモリを奪う。 「ヒーローがネコババはねぇだろ」 おい、とそのコマンドラモンは二体のコマンドラモンを呼んだ。 「あとの女二人だ。呼んでこい」 部屋から連れてこられ、そのコマンドラモンの前へと連れて行かれる。一歩歩くごとに目は霞み頭はぐるぐると揺られ、足はもつれる。 「……そこでいい、二人とも立たせろ」 ディコットが、公竜が早く来ないかと、蘭は壁にもたれかかりながら祈る。 燈は、変身アイテムに手をかけ、バレないように予備動作を始めた。 「……こっちだな」 そのコマンドラモンは、そう呟きながら銃口を厚着の女性の頭に定めると即座に撃った。それはほんの数秒の動作で、見映えする様に作られた変身ポーズよりよほど早く、厚着の女性は一言残すこともできずに崩れ落ちる。 べしゃりとした水音が、ぐちと何かをつぶす音が、治療も無駄だと伝えていた。 人質達の誰かが叫び出した途端、展望フロア内はパニックになる。 燈とそのコマンドラモンだけが唇を噛み締めながら動いていた。 そのコマンドラモンは人質達を見ながら天に向けて銃を撃ち、そのタイミングは奇しくも燈の変身と重なった。眩い光が辺りを包み、展望フロアに固められた人質達の周りに光のバリアが現れる。 「おいッ! その女殺せッ!!何かしてんのはその女だッ!!」 そのコマンドラモンは、ゾネ・リヒターへの変身を果たした燈が走って殴ってくるのを避けられないと悟って、そう叫ぶ。 燈は急に止まれない。コマンドラモン達も急なことに固まったが、それでも燈よりかは早く、膝から血溜まりに崩れ落ち隣の亡骸を見て叫ぶ蘭へと銃を向け、引き金を引いた。 ガンッとかギンッとかいった音がして、パニックだった蘭を現実に引き戻した。 「……セイバーハックモンメモリ?」 蘭の呟きにそのメモリは答える術を持たない。代わりとばかりに一体のコアドラモンのアゴを強く尻尾で打ち、気絶させる。 「なん、でここに……」 違う違う違うと蘭は考える。今やるべきはその考察じゃない。 隣で人が撃たれても、燈は変身した。結界を張った。まだ授乳スペースには子供達が残ってる。 「わ、たしがやらなきゃ……」 盛実は、その亡骸のポケットから覗くキャラのキーホルダーを、パンフレットを見ながら、血で地面に絵を描く。 頭はまだよく回ってない、驚きが一時的に恐怖をかき消しただけ、守られてるから銃への恐怖が薄れただけ。直視すればまたパニクる、その前に。 人々の想像をエカキモンは現実にする。目の前で一人、ヒーローが現れて自分達を護り出したなら、もう一人ヒーローが現れれば当然そちらにもそれを期待する。 この街のご当地ヒーローは白と黒の二人で一対。さっき知った月光のヒーロー、モント・リヒター。 現れた黒いヒーローは、蘭の首根っこを掴むと授乳スペースの目の前まで放り投げた。 ぐぇと蘭がうめいて起き上がる頃には、紫色の光が授乳スペースを覆っていた。 戦いを直視するのはまだ怖い。まだ怖いから、蘭は授乳スペースの中にするりと逃げ込んだ。 「……み、みんな! 今ね! ちょっとうるさいかもだけど、ゾネ・リヒターがお外で戦ってるの! だからお願い、みんなでゾネ・リヒターを応援してあげて!!」 蘭はそう、精一杯の顔で涙をこぼしそうになりながらそう言った。 「……がんばれ、ゾネ・リヒター」 子供達の一人がそう言った。 「いいね、その調子。がんばれ、ゾネ・リヒター!」 蘭はそれを復唱した。 すると、何人かの子供がまた声をあげ、それを蘭はまた復唱した。声は外に届いたのか、外の子供達も大人達まで声をあげて応援を始める。 「ありがとうみんな!」 燈はそう応えながら戦う。スタントの殺陣の様には動けなくとも、不格好でも明るく返事をするその声に、人質達の恐怖は希望に上書きされていく。 想像が増していくごとにより強く、蘭の想像を含めない分体力を消耗するし、本来単体で出せるスペックよりも低いものの、level5にも劣らない力を発揮する。 拳を振るえば、寸止めでもコマンドラモンは面白い様に吹き飛んで気絶したし、銃弾を受けても痛みと共に謎の閃光が迸るだけ、血も出ないし煤がつく程度。 それは特撮ヒーローの世界から出てきたそのものの姿。コマンドラモン達の額が割れて出血することもなく、都合よく吹き飛んで爆発はするが、メモリが落ちるだけで無傷。 「……みんな、そのまま応援し続ければ、きっとゾネ・リヒターが勝つからね!」 蘭はそう言ったあと、扉の外に出てその場で崩れ落ちた。 無理をした、頭の中ぐちゃぐちゃで吐き気もひどくてほのまま地面に寝ていたいと思ったが、演じられる相手がいたからなんとかなった。 コマンドラモン達では手も足も出ないその威力に、最初に殴り飛ばされたコマンドラモンは気絶したフリをして人の姿に戻ると、手の中のメモリのボタンを探した。 「……一か八か、やるしかねぇか」 『ネオヴァンデモン』 メモリの起動音は、男にとって都合よく声援でかき消える。 ただ、蘭だけはまともに銃で戦っているコマンドラモンを見ていられなかったからそれを見ていた。 「それはダメだって……」 セイバーハックモンメモリは? と見るもいつの間にかその姿はなく、すぐに出せるイラストもないし、もう声を張り上げる気力もない。 男はそのメモリを腕に挿した。 そして、一瞬でしわしわのミイラの様になった。 「……は?」 蘭の見ている前で、ネオヴァンデモンメモリは紫色の禍々しい光を伴って飛び、厚着の女性の亡骸まで辿り着くと、そのマスクをずらして口の中へと自身を突き刺した。 ビクンと亡骸が震え、周囲に散っていた肉片が集まり、一つのかたまりになると、中からぽろぽろと混じった異物を出した後、明らかに体積が膨らみ、人のものでない色に変わって厚着の女性の身体の各所に張り付いてその姿を、別のものへと変えていこうとする。 ふと厚着の女性は身体を起き上がらせ、目を開くと、自分の手を少し見た後、ネオヴァンデモンの肉体に変わろうとする自身の肉体を押さえつけた。 厚着の女性は、蘭の視線に気づくと、そろそろと這って近よって、蘭のすぐそばに寄ってきて、泣きそうな顔で笑った。 「あんなになるほど怖がってたのに、戦えるなんて、すごいなぁ……」 「え、と今のは……?」 「……ごめんなさい、私が、ミラーカです。本名は、軽井未来(カルイ ミライ)って言います。ごめんなさい。本当、お二人ともすごいです、私、それに比べて私は……」 ぼこぼこと未来の身体が波を打ち、目がすっと赤みを増していこうとする。それを未来は自分の目を押さえつけて鎮めようとする。 「そのッ……ありがとう、ございます。結木さん……いや、斎藤さん? の方がいいです? とにかく、公竜兄さんのこと、よろしくお願いします」 「なんっ……え、兄さ? それどういう……ってか」 未来は蘭に背を向け、非常階段を降りていく。 足取りは重いが、一瞬メモリの力が通ったことで未来はまだやるべきことがあるのに気づいていた。 トループモンの大群とディコット、そして天使。 「天崎!」 未来はそう、天使に向けて鋭く呼びかけた。 「……ミラーカ様? トループモン達! 出し惜しみしなくていい!」 天使はその声に反応して即座に非常階段に降り立ち、跪いた。 「ミラーカ様、お顔は初めて拝見しますがそのお声、存在感……」 「天崎」 未来はもう一度冷たくその天使の名前を呼んだ。 「はいっ」 「私は、君を信用して、私が決まって休むその日にどこにいるかを教えた。そうだったな?」 淡々としたその声は、別に威圧している風でもなかったが、天崎に死を覚悟させるには充分だった。 「は、はい」 「……まぁ、いい。今日は騒がしすぎる。よもや私に帰りを歩かせなどはしないだろうと信じているのだが……」 「もちろんです! 失礼します!」 天崎はそう言って未来の身体を抱え上げると、そのまま空へと飛んでいった。
ドレンチェリーを残さないでep 23 content media
2
5
46
へりこにあん
2023年1月24日
In デジモン創作サロン
「今日は転校生を紹介します。銀水くん、入ってきてー」 冬休み明けてから転校生って珍しいとか、美人? イケメン? 巨乳メカクレ地味女がいいな、キモいぞお前、とか、クラス内は担任教師が休みなことには触れずにざわざわとにわかに騒がしくなる。 「(女子じゃないといいな)」 満はそう切実に願っていた。夏にも転校生はいて、満が女子に避けられているのを見て、いじめかと正義感の強い彼女は仲良くしようとしてくれたのだが、あり得ない頻度で起きる呪いに彼女は爆速で離れていった。 この一年で満も女子に避けられるのには慣れたが、それはそれ、嫌われて避けられる過程を見るのは辛い。 「銀水朱砂(ギンスイ シュシャ)です。親の都合で始業式には出られませんでしたが、これからよろしくお願いします」 入ってきた女子は、まだ制服がないのか黒のセーラー服で、長い銀髪は陽光を反射して光り栗色の瞳はどこか物憂げに見えた。 美人だ、エロ満から守れ。いや、エロ満に近づけろ。貧乳で瞳が綺麗で垢抜けてる子はタイプじゃない、チェンジもっと地味になれ。お前キモい上に最低か? 男子って脳味噌下半身にあるの? 下半身にあります。このクラスの男子終わってるから期待しないでね。などと、実際に登場すると尚一層騒がしくなった。 「銀水くんの席は……廊下側の角に用意してある。清水先生の置き土産だ、大事にしてくれ」 片桐の言葉の裏には、江口は窓側の席だからという意図があるのは明らかだった。 「(目標と席が離れちゃったな)」 と朱砂は考えていた。朱砂はリリスモンよりの刺客である、満に対して色仕掛けをすることが彼女の仕事である。 「置き土産って、清水先生を勝手に殺さないでくださーい。というかなんで休みなんですか」 生徒の一人がそう言うと、片桐はため息を一つ吐いた。 「……いつもの遅刻だ。道に迷ってるお婆さんを目的地まで連れて行ったら自分がどこにいるかわからなくなったらしい。多分午後には来るだろう」 キヨセンまた迷子か、GPSつけろって、あの人地図読めないから意味ないんだよGPS、社会科教師やってていいのか? キヨセン地図は読めてるけど自分を代入できないだけだから授業はできる。などと教室はにわかにザワザワし出した。 「まぁ、清川先生のことは置いておこう。それより銀水くんに聞きたいこととかある人はいるかな」 「あ、じゃあ……好きなタイプはどんな人ですか?」 「好きなタイプ……(早速チャンスね。ここで江口満を匂わせるような発言をして意識させる)」 朱砂はちらと満を見て、特徴を考える。 「……窓際の前から三番目ぐらいに座ってそうな感じの人」 その発言を受けてクラス中の視線が満に集まり、満は自然に居心地の悪さを感じて少し居住いを正した。 「あ、泣きぼくろとか好きかも」 追加の発言を受けてさらに視線は満の目元に集中する。そして、男子勢の視線は次いで朝顔に向けられた。 このクラスの顔がいい女子は趣味が終わってるって忘れてたな、だから巨乳で髪がぐしゃぐしゃで串なんて通したことなさそうなのがいいんだ、お前は最低だ、だが否定できない。とまた男子達がザワザワし始める。 「はいはい、静粛に、他に質問がある人はー……休み時間にでも囲んで質問攻めにして困らせるといい。私は一限目の準備が途中だったことを思い出したのでホームルームはここまで。はい、日直号令!」 片桐はそう言うと、号令が終わるや否や白衣をひるがえしながら走って教室を出て行った。 教壇のあたりに残された朱砂は、とりあえず自分の席に移動しながら、ちょっと朝顔を観察する。 朝顔は満の方を見て、知り合いかとでも尋ねる様に口をぱくぱくさせていた。 「(……結構仲良さそう、呪いの効果は彼女までは及んでないのは本当みたい。友愛って感じかな?)」 そう考えながら朱砂は歩いていき、自分のために用意された席に座る。 「(まぁ、その関係性も私がメチャクチャにするんだけどね)」 朱砂がほくそ笑んでいると、あっという間に女子に囲まれた。 「江口くんには近づくのはやめた方がいいよ」 「黒木さんって彼女もいるし、色んな意味でやめた方がいいよ」 「黒木さんがこの前江口くんがラッキースケベしてるの見て手の中のシャーペン砕いたの見た」 「片桐先生なんて、授業の中で江口くんに教科書を読ませたらなんやかんやで視聴覚室のスクリーンに自分のパンツを映す羽目になったしね、ズボン履いてたのに」 そんな言葉が朱砂にかけられているのを遠くに聞きながら、満は少し考えていた。 「(銀水さん、多分リリスモンの刺客だよな)」 好きなタイプをきかれて席の位置で答えるのはおかしい。 視線の動きも満と朝顔にばかり向けられていた。 さらにタイミングも少しおかしい。普通この季節に引っ越しとなれば始業式に合わせる。 最後は言いがかりのようだが、昨日現れたリリスモンの刺客であるウェンディモンは空間を操る能力があり、しかし、バステモンとエンジェウーモンを相手取るには明らかに能力不足だったから、別の役目があったのではと満は考えていた。 そして何よりも、満がリリスモンの刺客であると確信した理由は、朱砂が呪われているのがわかったからである。 基本、特殊な手順を踏まないと知覚できないデジモンを見る為、満は特殊な数珠をつけている。その効果で満はデジタルワールド由来の呪いも知覚できた。 「(とりあえず、デジモンの姿もないし様子見かな。リリスモンは自覚ない刺客も送ってくるし……)」 去年は、正義感が暴走する呪いをかけられた生徒が呪いの著しい被害に遭い、満が朝顔以外の女子から遠巻きにされる決定打になった。 満が冷静にそう考えている一方で、朝顔はその目をどんよりと濁らせていた。 「満くんのこと実質名指し……まぁそれは満くんが可愛いから仕方ないとして……」 「朝顔さんや朝顔さんや、ぶつぶついってるの怖いぞ?」 手の中でシャーペンをみしみし言わせている朝顔の頬をつんつんとつついて一人の女子が声をかけた。 寝癖のある茶髪に、よくずれる眼鏡をかけたちょっと小太りのその女子は、そう言って朝顔の机に肘をついた。 「……彩ちゃん、銀水さんのことどう思う?」 朝顔は彼女にそう小声で返した。 「美人さんよね。髪は銀髪でサラサラだし、指は白魚のよう、目は赤みがかったオレンジで……アルビノってやつなのかな? 足も細いしすらっと長いし、なんにしても美人さんだわね」 彩ちゃんと呼ばれたその女子、小島彩歌(コジマ アヤカ)は朝顔の耳元で朱砂を褒めちぎった。 「……だよ、ね」 「でも、まぁ満くんは大丈夫でしょ。朝顔のこと好きだし」 「そうかなぁ……一回も好きだって言われたことないし……ああいうタイプが好みかもしれないじゃない?」 「じゃあ、聞けばいいのではなくって?」 不安そうに言う朝顔に、彩歌はそうおどけつつ呆れたように返した。 「それは……不安というかなんというか」 「まだ両片思いのつもりなの? いつになったらラブラブになるの? わしゃあの、友達の惚気聞くのが三度の飯より好きなのじゃよ、早く惚気がききたいのぉ」 それは、と朝顔は言い淀む。彩歌はデジモンと関わりがない。当然、リリスモンの封印のことは秘密にしていた。 「満くんとの関係はちょっと、大いなる存在に決められたそれなところが、多分満くん的には先にあるから……そう振舞ってくれているだけなんじゃないかって気がして……」 「あー、許嫁みたいなやつなんだっけ。(大いなる存在?)」 「そうなんだよね……(大いなる存在?)」 「まぁ、そこは普通に正妻の格ってやつを見せつけてやればいいんじゃない? とりあえずお昼は一緒に食べるとか、手を繋いで帰るとか」 「そ、そんなの恥ずかしいって……」 「なにかとラッキースケベする江口くんに普通に話しかける時点で、朝顔の評価は江口くんが好きか、ラッキースケベに遭いたい露出癖のあるむっつりドスケベかの二択なのじゃよ」 現在およそクラスの(男子の)四割が朝顔のことをむっつりドスケベ(であって欲しい)と回答しています(彩歌調べ)と、架空のフリップを見せつけるような動きをした。 「私、そんな風に思われてるの……?」 「まぁ、普通の女子は江口くんのそばに寄らないし、『なんか朝顔にはラッキースケベが起こらない』よりも『自分が見てないところでラッキースケベした上でそばにいる』と捉えちゃうのは自然やね」 「うぅ……(エンジェウーモンが呪いを中和してるらしいのは私と満くんしか知らないから仕方ないけど……)」 朝顔はそう思いながら机に突っ伏した。そしてその顔を満の方に傾けた。 それに気づいた満は、ちょっと微笑んで小さく手を振る。それが嬉しくて朝顔も手を振りかえした。 ふと、二人の視線の間にセーラー服が割り込んでくる。このクラスにセーラー服は一人しかいない。 「満くん、彼女っているの?」 朱砂は満の席に陣取ってその顔を覗き込み、そう尋ねた。 「……好きな人はいる」 その問いに、少し考えて満はそう答えた。 「好きな人、どこが好きなの?」 さらにそう聞きながら、その細い指を朱砂は髪に伸ばした。 「髪が綺麗なの?」 朱砂はすーっと持ち上げた清流の様に透き通った髪を手ですいた。 「あなたとおそろいの泣きぼくろはある?」 そして聴きながら、おもむろに吐息が触れそうなほどに顔を近づける。その瞳の側には泣きぼくろがあった。 「くちびるは、柔らかそう?」 化粧なんてしてない素っ気ない薄いピンク色をした朱砂のくちびるはそれでもツヤがあった。 「……黒髪が綺麗な人だよ。泣きぼくろはないけれど」 満はまっすぐそう返した。健全な男子高校生であるから、目の前の朱砂を全く意識しないわけはなかった。 しかし、ここは教室で同じ部屋の中には朝顔がいるし、朱砂がリリスモンの刺客とわかっているのが致命的だった。 「……ふーん。ねぇ、お昼一緒に食べない?」 朱砂はめげずにそう顔を近づけたまま聞く。 「食事は絶対女子とはしないんだ。服とか汚しがちだし、食べ物ももったいないからね」 特にクリームやマヨネーズ、牛乳なんかの白いものは何故か女子の顔によくかかる。 「……そっかぁ」 朱砂はそう言って、スカートのポケットに手を入れた。 「そう、そして満は毎日俺と猥談をすると決まっているのだ」 「えっと君は……」 「最上定(モガミ サダメ)、ぽっちゃり好きだ。下ネタばかり話すから周りからはサイテイと呼ばれている」 その少年はくいと眼鏡を上げながらそう言った。 「……定、それでいいのか君の自己紹介」 構わないと定は言い切った。 「よろしく、サイテイ。じゃあお昼私が江口くんと食べてもいい?」 「それは最悪、俺の昼げも爆散するのでよくないが、僕も鬼ではないので食べ終わったら連絡する」 「ん、ありがとうサイテイ」 そう言って朱砂は満の机から離れる。 「気にするな、礼をしたいならその分太れ、焼肉と女は脂が全てだ」 「……定、君は最低だな」 「別にいいだろう。見たまえ、あの銀水さんを見る黒木さんの顔を。うちの猫が父さんを威嚇する時あんな顔をする。次に彼女がこちらにかける言葉はきっと……『お昼一緒に食べない?』だ」 「いやいやまさか……」 満がそう言っていると、朝顔はおもむろに立ち上がり満へと近づいてくる。 「……ねぇ満くん」 「なに? 黒木さん」 「……えと、お昼一緒に食べない?」 満が思わず定の方を見ると、定はいないものとして扱えと言わんばかりに顔を本で隠していた。 「(銀水さんの目的を探る意味では黒木さんいない方がいい気がするけれど……)」 満は悩む。封印のことを考えるならば答えは否一択、バステモンというもいるから一対一の様で二対一だし二人共倒れの何かを散布されたりする可能性もあるから二手に分かれておきたい。 けれども、満の中の思春期の部分がそれを邪魔する。 「(黒木さんとお昼一緒は嬉しいし楽しいだろう、間違いなく)」 満の心は揺れる。ここで自分の楽しみに走るのは色欲的にも思える。しかし、この状態の黒木さんを放置するのは愛を育む上で良くないのではと脳内で何かが囁く。 バステモンは恋愛の機微とかわかるわけもない、バステモン経由で理由を説明してもどこまで伝わるか、疑心を抱かれるのではないか。 多分、実際はエンジェウーモンが間に入るからそうはならないだろうとわかっているのに、心が理屈を選びたがらない。 「……いや、呪いが発動すると困るから」 朝顔に対しては呪いは効かない、わかってて満はそう言った。リリスモンのことは言えないし、こう言えば今は言えない理由があるとわかってくれるはずだと。 しかし、朝顔はそうは受け取れなかった。 「(満くん、銀水さんと一緒にいたいから断ったの? だってそうでもなかったらそんな嘘つく理由もないだろうし)」 銀水がリリスモンの刺客である。それを朝顔はわかってなかった、前提として朝顔は満のことが好きであり、満は満自身のことがあまり好きでない。 『突然現れた美人転校生が満に一目惚れして積極的にアプローチする』は、朝顔にとっては満ならあり得ると思わせる行為だった。 チャイムが鳴り、皆それぞれの席へと戻っていく。 それから昼休みまで、満は徹底して朝顔から距離を取った。それは朱砂の出方を伺う為だったが、思いがけず朱砂からのアプローチはなく、朝顔の不信感を募らせるだけだった。 「つまりな、よく食べよく太るはそれだけ栄養を吸収できる優れた生き物ということであり、恥じることではない。そしてその柔らかな脂に俺は触れたい、顔を埋めたい。わかるか満、脂とは夢なのだよ」 本来は立ち入り禁止の屋上で、一足先に昼食を食べ終えた定の言葉に赤べこのように一定のリズムで頷きながら、満は考える。 「(最近までのリリスモンの刺客は基本的に殺しに来ていた。でも銀水さんはその類だとすると、刺客とわかりやすすぎる気がする。人間であることを利用して近くに送り込むなら、もっと目立たない様にするだろうけど、髪を染めたりカラコンをしたりすることもないし、むしろ視線を引こうとしてる。囮目的で本命が別にいるかもしれない、あとで朝顔さんに他に転校生がいないか先生に聞いてもらおう)」 「おい満、話を聞いているのか?」 「……ごめん、聞いてなかった」 「全くお前というやつは、重さは強さだという話だろうが」 「格闘技とかの話?」 「もちろん脂だ。男子憧れのシチュエーション、ラッキースケベで女子のお尻が顔の上に、の際は重い方が当然顔へ密着するから素晴らしいという話だ」 「……アレは、首痛めるよ?」 首を痛めるとはいうが、満も実際に数日引きずる様な怪我を負ったことはない。 リリスモンの呪いは『色欲を煽る呪い』、怪我をしていたらそれどころではないからか、後頭部を床で強打しそうな場面では自然と鞄が間に滑り込んだり、なぜかうまいこと腰から順に綺麗に床について着地の衝撃が軽減されたりする。先日理科室の床に一緒に倒れ込んだ片桐も特に怪我はなかった。 なお、そのせいで実はわざとなのではと一部で疑われてもいる。 「痛めるべきだ、治るまでの間、自分のせいだからとちょっと控えめになる女子からしか取れない栄養も存在する。俺はその弱みにつけ込んでおなかを揉ませてほしい」 「それはただの強要だよ」 「……今日のお前は精彩を欠くな。普段なら強要罪は何年以下の懲役だよぐらい言ってくるだろうに、やはり黒木さんとの昼を断ったのが気になっているのか? 気にするぐらいならば断らなければよかったのに」 「それは……」 気にしてないと言えば嘘になる。もったいないことをしたとは思うし、きっとまた誘ってはくれないだろうとも思う。 「まぁ、それはそれとして僕は銀水にお前を売るが……連絡先を聞いてなかったな」 満の手元の弁当が空になったのを見て、定はスマホを取り出したが、そのまま困ったと呟いた。 「その必要はないわ」 ふと頭上からした声に満と定が貯水槽の方を見ると、朱砂がシュークリームを片手に貯水槽の上に立っていた。 「……パンツ見えてる?」 朱砂はスカートを抑える素振りも見せずにそう言った。 「見えているぞ、パステルピンクのパンツ、見せパン的だな。だが脚が細すぎる、針金の様だ。もっと肉感が欲しい」 「ガン見してレビューするな」 満は自身も視線を地面へと逸らしながら、覗き込む定の頭を掴んで地面に向けた。 「何を言うんだ満。銀水はわざわざ見せに来ている、見なければ失礼だ」 「そのまま頭下げててもいいよ。こっちで勝手にやるから」 ふふふと朱砂は笑う、それに満は一瞬どうするか迷った。そして、数秒経っても何も起きないのでとりあえずちょっと顔を上げると、朱砂は片手にシュークリームを持ったまま降りる為の梯子の前でおろおろしていた。 「……先にシュークリーム食べればいいんじゃないかな」 「うん、そうする」 そう言って朱砂はシュークリームに大口を開けて齧り付き、クリームが溢れてその手を汚した。 「(何考えてるのかわからない、むしろ何も考えてないのか?)」 満はポケットの中のスマホの電源ボタンを数度カチカチと押してバステモンに警戒を促す。 朱砂が手についたクリームをぺろと舐めて梯子を降りてくると、そのまま普通に満の横に座った。 「……じゃあ、猥談でもしよ」 「……なんで?」 満は困惑する。 「ナンセンスだ満、猥談に理由は要らない。色欲に男女の境はないし、斜に構えていてもいいこともない」 「(色欲……暗殺の為の布石ではなく純粋な色仕掛けで封印強化の邪魔をするつもりなのか?)」 だとしてこんな雑なと満は困惑する。 「(ふふふ、男は女からの接触に弱い、わざとらしくてもエッチなら都合いい様にしか考えられないということを私は知ってる)」 朱砂はその困惑を見て心中で勝ち誇っていた。 『おい満、入り口の方を見ろ!』 スマホの中からのバステモンの声に、満と朱砂はハッとして屋上の入り口を見た。 まず見えたのは扉の隙間を掴む白い手、そしてその隙間の奥には影より深い黒い瞳と触手の様に揺れるおさげが覗いていた。 「黒木さん、よかったらこっち来てよ」 満は、朱砂との間に距離を空けて朝顔が座れるスペースを作った。 すると、朝顔のおさげが一瞬ビクッと揺れた後、冷静に努めようとしてるのか妙な真顔ですすすっと歩いて来て、すっと満の横に座った。 「(特に仕掛ける隙をうかがってるとかじゃないなら、朝顔さんと分かれて仕掛けるのを待つ理由もない。思えば、さっきお昼食べようって言って来た時から朝顔さんはわかってたんだろうな)」 満はそう反省していたが、朝顔は何もわかっていなかった。 「(どういう? なにが……? 隣空けてくれたの嬉しいけど、銀水さんとなんかあったの? そもそもなんでさっきは断ったのに、私が来るまでに一体何が……探りたい、でもそれ以上に満くんの近くにいて欲しくない)」 朱砂もやはり何もわかっていなかった。 「(これは、照れ隠しかな。知ってる女子の方がまだドキドキしないみたいな、感じ……黒木朝顔をどうにか帰らせられたら……)」 しかし、満が朝顔に任せた方がいいと判断し、朝顔と朱砂はそれぞれ目の前の女に消えて欲しいと願った。 「……満、僕は教室に戻る。猥談はもっと自由でなきゃいけない、嫁同伴の猥談は流石にダメだ」 そう言って定はあっという間に去っていった。 定の嫁発言に深い意味はない、やや古めのオタク価値観と仲が良ければ夫婦とか言い出す中学生メンタルの延長からきてる発言である。なので満はもちろん朝顔さえスルーした。 「……黒木さん、江口くんのお嫁さんなの? じゃあ……一緒に寝た?」 そう聞かれて、朝顔はぼっと顔を真っ赤にし、満も流石に動揺した。 そして、一瞬固まった後朝顔がこくりと頷いたことで、満はさらに動揺した。 「(嘘だってわかってるけれども……いや、でも高校生で付き合ってたら普通なのかな、どうなんだろう。嘘として妥当なライン、なのかな……)」 満は結局肯定も否定もできず顔を赤くし、それを朱砂は肯定と受け取った。 「……そうなんだ。じゃあ、とりあえずいいや……体調悪いから早退するってせんせーに伝えて」 朱砂はそう言って立ち上がり、そのまま屋上から出ていった。 「……せっかく準備したんだけどなぁ、学校全員人質作戦」 朱砂はそう呟くと、屋上へ通じる階段の踊り場に置かれたロッカーを開けた。 「マッ!」 すると、紫色の派手な水玉の毒キノコのデジモンが出て来て朱砂に黒い軍帽とマントを渡す。 「ありがと、爆弾は仕掛けて来た?」 「シュッ!!」 「いい子だね、マッシュモン」 軍帽とマントをつけマッシュモンを抱えると、朱砂はスマホを操作する。 「じゃあ、とりあえずやるだけやっておこうかな。リリスモン様の使いとしての挨拶はまだしてないし」 少しして、学校の至る所でボンボンと破裂音が鳴り響いた。 「えと……満くん。今のはね、その……でも私は満くんならいいかなって」 破裂音は、もじもじと朝顔がそんなことを言ったのとほぼ同時だった。 「……バステモン、今の音は!?」 満がそう言う頃には既にバステモンは満のスマホから飛び出て、壁を伝って下の階の様子を見に行っていた。 「(……今の黒木さんは危なかった。つい抱きしめたくなるところだった。色欲は駄目、色欲は駄目……)」 満は心の中でそう自分に言い聞かせる。 「(せっかく、銀水さんがいなくなって、ちょっと近づける雰囲気もあったのに……)」 朝顔は物足りないという顔で、階下の壁に張り付いたバステモンを見る満の背中を見ていた。 「(いっそ、抱きついてもいいんじゃないかな……)」 『まずいぞ、至る所で生徒も教師もなんか……なんかやばい!』 「バステモン、もっと具体的に」 『色々なんだ! とりあえず見に行ってくれ!』 そう言ってバステモンに先導されながら屋上から降りていく。 すると、廊下に出たところで片桐と出くわした。 「江口、黒木、無事か!?」 「先生、今の音は……」 「よくわからんが、何か粉の様なものが舞っていて、吸った生徒がおかしくなってる様だ。私は廊下の窓を全部開けていくから、お前達はそのまま校庭まで避難しろ!」 理科準備室から持って来た、と使い捨てマスクの入った箱を投げ渡そうとした片桐に、突然一人の女子生徒が飛びついた。 「おっぱいせんせーッ! あはは! あははは!」 「ええぃ、飛びつくな豊田!」 白衣であまり見えないくびれに女子生徒が抱きついて、顔を胸に押し付ける。 「あは、うふふ、、せんせー今日もおっぱいでかーい!」 「普段さ、きゃは、ひひ、何食べたらこんなおっぱい大きくなるのー!?」 さらに一人二人と女子生徒が現れて、異様なテンションで笑いながら片桐に抱きついたり柔らかそうな胸を強引に鷲掴みにする。 「昨日は生姜焼きと豚汁だが、今は先生忙しいから本田も川崎も……ぬわぁ!?」 「あはは、やっぱでかーい!」「意外と腰も細ーい! きゃはっ!」「うふふ、ふふ! ははははっ!」「ぎゃはっ! ぎゃはは!」 女子生徒達に囲まれてもみくちゃにされる片桐に、江口達は何もできなかった。 「に、逃げなさい二人とも! 早く!! あ、こらブラジャーを外すな、取るな、投げるぬぁー!」 ブラジャーが宙を舞う自体にまでなっていたが、集まっている生徒達の周りに粉が舞っているのも見えたので、ぐっと堪えて下の階に降りる。 一つ階を降りると、定が倒れている女子生徒に覆いかぶさっていた。 「定!?」 「満、ちょうどいい手伝ってくれ、廊下で何人か痙攣して倒れている。とりあえず気道をかく、かっ、かかっ……く……」 女子生徒の顎を持って動かしていた定の身体が不意に痙攣し始め、そのまま廊下にゴロンと倒れる。 「くっ、くっ、くるッ、くるッ、なっ」 定はそう痙攣しながら満にそう言った。 「……エンジェウーモン、これは治せるやつかな?」 『治せなくはないけど、犯人のデジモンがわからない。一人ずつやってたらどれだけかかるかわからないにゃあ……』 「でもそんなの特定しようが……」 朝顔がそう言うも、満は静かに聞いた情報を反芻していた、 「……バステモン、花粉とか胞子を爆発でばら撒くデジモンに心当たりってある?」 『そうだな、マッシュモンってデジモンがいた筈だ。色々な症状を起こす胞子を撒き散らすキノコ型爆弾を投げるデジモン。詳しくは知らないが』 そう言ってバステモンはちらりとエンジェウーモンを見た。 『でも、マッシュモンが爆弾を設置して広範囲に同時に胞子を散布するなんて、聞いたことがないにゃあ』 「それは多分、マッシュモンじゃなくて人間が手伝ってるから……屋上に戻ろう」 満がそう考えたのは、犯人は朱砂だと確信してるから。 屋上から先にいなくなった理由を素直に考えると、自分だけは騒動に巻き込まれない為、またその時安全圏にいて関与を疑われない為。 胞子の安全圏は、胞子が散る風通しのいい屋外。加えて、片桐や定が無事だったことから人気のない理科準備室や使われてない教室。 でも、朱砂は二人を巻き込まないタイミングで爆発させている。 このことから、目的は脅し。事態に気づいた後の動向を確認して再度接触するには、避難してくるだろう安全圏の校庭と屋上を同時に確認できる場所、つまり屋上か、学校自体を見下ろせる近隣の建物。 一番怪しいのは移動に時間を使わず、さっき不自然に朱砂がいた屋上の貯水槽周りだった。 「……そこにいるんだろ」 屋上に辿り着いた満はそう貯水槽に向けて話しかけた。 満の言葉に、黒いマントを風に揺蕩わせ、朱砂はマッシュモンを抱えて貯水槽の裏から現れると、ゆっくりと座った。 「いるよ、はじめまして、江口満くん」 「(……さっき普通に話してたのに初対面の体? それとも銀水さんの姿はなんかのデジモンの能力で変わった姿で本来は違う?)」 満は困惑して台詞が出なかった。変装したつもりだとしたら、帽子を被った程度で顔を出す理由がわからなかったし、なにより一番の特徴の銀髪と赤い目がそのままだった。 「……あなたは、誰!?」 しかし、それでわからなくなっている朝顔もいた。ちなみにエンジェウーモンは朝顔は満以外の人間の顔認識能力が八割落ちると認識している。 「私は、マーキュリ」 朱砂はそう名乗った。 「(また水銀を表す言葉。銀水朱砂……銀水は前後変えただけだし朱砂も水銀の意味だし、わざと結びつけさせようと? 黒木さんはそれを察して、誰? と……)」 「何が目的なの……っ!」 「……挨拶」 挨拶、と聞いて朝顔は今朝の銀水のいきなりのアプローチを思い出した。 「(まさか、この人も満くんを……?)」 「これからよろしくねっていうのと、今後もし、あなた達が姿を隠す様なことをしたら……っていうのと」 あと、と言いながら朱砂は立ちあがろうとする。 「バステモン!」 満の合図にバステモンは、あっという間に距離を詰め朱砂をその場に引き倒した。 朱砂の抱えていたマッシュモンはその拍子に放り出され、エンジェウーモンは地面にべちゃと放り出されたマッシュモンに向けて弓を引いていつでも撃てる体勢を取った。 「……痛い。顔に砂利の跡残っちゃう」 朱砂はコンクリートの感触を肌で感じながらそう呟く。 『それぐらい、お前がやったこと考えれば可愛いもんだろ』 バステモンに押さえられ、朱砂は抵抗するも全く動かなかった。 「(変に誘惑とかされずに捕まえられてよかった)」 そんなことを考えながら、マッシュモンを捕まえようと歩いて近づいていく。 「……ママが言ってた、女の顔に傷つけるやつはぶっ殺していいって」 朱砂のマントかボコボコと揺れる。 『バステモン、危ない!』 そして、エンジェウーモンの注意とほぼ同時、マントの中からコウモリの様な生き物の群れが噴き出すと、バステモンにまとわりついて発火した。 『ぐおっ!?』 バステモンが思わず手を離し、エンジェウーモンもマッシュモンに向けていた矢を周りの炎を霧散させる為に放つ。 その瞬間、マッシュモンの方に向けることができる攻撃はなくなり、捕まえようとする朝顔は無防備だった。 それに気づいた満は朝顔に向けて走った。 「え?」 呆ける朝顔を、満は勢いのままに押し倒した。 直後、その背中を突如飛来した悪魔の赤い爪が引き裂き、マッシュモンもさらっていった。 「……頭、打ってない? くろっ、き」 満は言葉の途中で顔に脂汗を噴き出させて気絶し、朝顔の身体の上にその体は落下する。 「満くん?」 満を抱き抱える朝顔の手に温かい液体が触れる。 『見るな、朝顔!』 エンジェウーモンが叫び、満のことを持ち上げると自分の身体で朝顔から隠す様にして起き、傷口に向けて手のひらから光を発する。 「……こっちは、挨拶だって言ったのに」 バステモンの拘束から解かれた朱砂は立ち上がって自分の顔をマントでぐしぐしと拭う。その傍に、すっとマッシュモンを抱えた銀髪と赤い瞳の女の悪魔が立つ。 『最初から私もいた方がいいって言った通りじゃない……』 「……レディーデビモンいなくてもなんとかなったし」 『……なってないわよ』 「なったもん」 朱砂は悪魔をレディーデビモンと呼び、ぷうと頬を膨らませて子供の様にすねた。 『さて、バステモンには対空の攻撃はなかった筈だけど……投石でもすれば届くかしら。石を用意するには……屋上のコンクリを砕く? ああそうそう、当て損ねたものが誰かの頭に落ちて殺しでもしないといいわね? レディーデビモンの言葉に、バステモンは朝顔と満を守る様に立ちながら、エンジェウーモンをちらりと見る。 エンジェウーモンは首を横に振った。治療を続けないと危ない、戦闘に回れる余裕はない。 「……だから、なに?」 朝顔はそう呟いて、左手をレディーデビモンに向けて伸ばす。そして、何かをつまむ様に持った右手を手首につけた。 ぽうと右手に光が灯り、光が一度脈打つと朝顔の全身を光が走る。数度光が全身を駆け巡った後、着ていた服は光に溶け始め、溶けた分だけエンジェウーモンと同じ服がその身体を覆っていく。それが終わると翼のないエンジェウーモンの様な姿になった。 左腕を包む長手袋から生えた翼が弓の様になったのを見て、朝顔は右手を引いた。 右手の光は矢の形をなして、つまむ様に持った手を離すとその勢いに周囲にすさまじい風を起こしながらレディーデビモンに向けて飛んでいきそのボロボロのマントを掠めて逸れた。 『(まだ、翼一枚出てないのに十分完全体を殺せる威力をしてる。)マーキュリ、帰りましょ』 「……今のはレディーデビモンが悪いよ。意地悪言い過ぎ、風でお腹冷えるかと思った」 『わかったわかった、帰るわよ』 レディーデビモンはそう言ってマーキュリも抱えると、ありったけのコウモリを目眩しに放った。 それに対しても朝顔は弓を構えたままだったが、レディーデビモン達の姿が見当たらなくなり、コウモリも空で適当に炎と消えるとやっと構えを解いた。 構えを解くと朝顔の服も元に戻っていく。 そして、戻るや否や朝顔は満の元へ駆け寄った。 「ごめん、ごめんね満くん! 私が余計なこと考えてなかったら……」 「大丈、ぶ……黒木さんは、そう、み、みんなを助けに……」 満は目の焦点も合わないままそううわごとの様に呟いた。 「その点はもう大丈夫だ。私がなんとかした」 不意にかけられた言葉に、朝顔が顔を向けると片桐が立っていた。 「片桐先生が……?」 「先生、もみくちゃにされながら胞子ってわかったから、学校中の胞子だけ温度を上げてタンパク質を変性させ無毒化した。じき収まる」 「どうやって……?」 「火の魔術は得意なんだ」 そう言いながら片桐は胸元のペンダントをプチと取り、手の中で弄ぶと1.5メートル強の長さの杖に変わった。 「……まぁ『ヒト』として生きてる以上、深く関わるつもりはないが、今回みたいな問題には教師として対応する義理がある。わかった時点で相談すること。わかるな?」 そう言いながら杖をまたペンダントに戻すと、片桐は満の背中を覗き込んだ。 「……保健室行くか?」 「大丈夫、です……ちょっと貧血気味ですけどもう大丈夫……」 満はふらふらと立ち上がって震える手でピースを作ってみせた。 「いやそれよりその背中がな……? パンク過ぎる」 「先生! 満くんと私は早退します!」 そう言いながら朝顔は破れに破れた満の背中を隠す様に抱きついた。 「……早退は他の痙攣してた子達も何人かしてるからいいとして、流石にそれは無理があるだろ。白衣貸してやるから、羽織って帰りなさい」 白衣を脱ごうとした片桐は、その場で白衣の裾を踏むと、満と朝顔に向かって体勢を崩した。 「すまん……足が引っかかって」 そう言う片桐の胸の下には満と朝顔の顔があり、さらに下に咄嗟に二人を受け止めようと割り込んだバステモンの胸があった。 その状況に朝顔はわなわなと震えると、バステモンの胸を一度ペシと叩いた。 弾力ある胸はその勢いにはね、バステモンは困惑し、満は何かフォローしようと思ったがくらくらと頭が揺れる感覚に負け、朝顔に向けて倒れ込む。片桐はこめかみをおさえて本当にすまんと呟いた。
槿花一朝で終われない 2話、蠱惑的銀髪の乙女、とかく敵に覚悟求め。 content media
2
3
34
へりこにあん
2023年1月10日
In デジモン創作サロン
デジタルワールドに君臨する七大魔王デジモンが一体、色欲のリリスモン。 かつて天使達と争い封印されたかの魔王の封印は、六百六十六年に一度の最も弱まる周期を迎えようとしていた。 リリスモンの部下達は封印の破壊を目論み暗躍を始め、対する天使デジモン達は封印を強化することでその時期を乗り切ろうと考えた。 そして、人間界にて一組の少年少女を選び出し、護衛兼補助としてそれぞれに一体ずつデジモンを派遣した。二人が『愛を育むことで封印は強化され、リリスモン復活は阻止される。 光と闇の愛と色欲の物語が幕を開けた。 と、いうのがおよそ一年前の話。 ここに、江口満(エグチ ミツル)という高校一年生の少年がいる。選ばれた少年少女の片割れであり、あだ名はエロ、エロ満ちる、性欲満などである。なお、あだ名は全てこの一年内で定着した。 「今日も女子からの視線が痛い……」 彼が歩くとのんびりと歩いていた周囲の女子は学校に向けて早足で歩き始め、周囲の男子は逆に近づいていく。これを彼の通う色夜区高校ではエロシフトと呼ばれている。 「おはよう、満くん」 そのエロシフトをかいくぐって話しかける顔の両側におさげを垂らした黒髪の少女が一人。 「黒木さん」 黒木朝顔(クロキ アサガオ)同じ色夜区高校の一年生の少女、そして選ばれたもう一人だ。彼女が来ると男子生徒達は少し離れこそすれ何かを期待して遠巻きに見守る。これも日常の光景である。 「今日も、なんていうか大変だね」 朝顔はそう言って、満と袖が触れ合うぐらい近くまで寄っていく。 「まぁ、『呪い』があるから仕方ないよ」 そう言って満はあははと笑い、半歩朝顔から距離を取った。 満はリリスモンから、『呪い』をかけられている。満と女子が絡むことで満の色欲を煽るようなこと、いわゆるラッキースケベが起きる。 もはや、女子からすればわざとじゃない体の痴漢、朝顔以外の女子は当然遠巻きになる。 『まぁいいじゃないか。リリスモンの封印は来年三月に強化の儀式が行える。その後は卒業して地元から離れた高校に行ける。今は一月、あと一年とちょっとの辛抱じゃないか、そうだろう?』 満のスマホから、ぬるりと赤髪のベリーダンサー風の猫と人間が混じったような女性が出てきて、ばしばしと満の肩を抱く。 高校生の満より少し背が高いくらいのその女性が満の肩を抱くと、布面積の少なすぎる胸元が満の背中や肩に押し付けられる。 「……そうだね、バステモン」 その光景は満と朝顔以外には見えていない。満は冷や汗をかき朝顔はふっと目から光が消えて感情を押し殺しているのは明らかだった。 「(あんなに男らしかったのに……)」 満は背中に嫌でも感じる柔らかさにその温さにそう思わずにはいられなかった。一年前のバステモンはレオモンという名前で筋骨隆々の獅子頭、デジモンに性別はないが男性に見える頼れる兄貴分だった。 戦いの中でそのレオモンが姿を変えて強くなり、名前も変わった姿が今のバステモン。強くなった代わりに何故か女性型に変わってしまった。 『まだ顔が浮かないぞぉ? しゃんとしろ! しゃんと!』 バステモンはガハハと笑いながら満の肩を抱いてる方の手でバンバンと叩き、その度に満の肩と背中には柔らかいものが押しつけられる。 『朝顔も浮かない顔だけど、だいじょうぶかにゃあ?』 朝顔のスマホからするりと出てきたのは、八枚の翼を持った女性型の天使。その服装はほぼ例外なく身体のラインが出ていて、加えて太ももや胸元は大きく開いていた。 「エンジェウーモンも、大丈夫だからスマホ戻って? ね?」 エンジェウーモンと呼ばれたその天使は本当?と首を傾げながら朝顔の首に手を回し、頭の上に胸を乗せて朝顔の顔を上から覗き込んだ。 「(あの頃とやってることそう変わんないのに……)」 一年前のエンジェウーモンは、テイルモンという猫のようなデジモンだった。頭の上に乗ってきてもずっしり重い脂肪の塊が二つ乗ることはなかったし、どことなく甘い香りもしなかった。 今は頭の上にずっしりと二つの塊を感じるし、満の視線が一瞬自分の頭の上に向かったのも朝顔には見えた。 「「((このままじゃ、いけない。自分が何とかしなくちゃ))」」 二人はそれぞれそう決意する。 「「ちょっとトイレに……」」 校門をくぐり校舎に入った満と朝顔は、二人同時にそう言ってそれぞれトイレに駆け込む。 「なぁバステモン、黒木さんがいる時はちょっと、あんまり引っ付かない様にできないかな……?」 満は男子トイレの個室でバステモンにそう話しかける。 『そうは言われても護衛だからなぁ、近くにいないわけにはいかない』 いつ襲われるかわからんからなと、バステモンは渋い顔をする。 「いや、そうじゃなくて。俺と黒木さんがこう……あ、愛を育む必要があるわけで、さ」 『愛を育むのに、俺がいると邪魔? になるのか?』 デジモンに性別はない、バステモンが女性型に見えてもそれは変わらずで、恋愛の機微に関してバステモンは極めてにぶかった。 「えぇと、スマホの中にはいていいんだけど、俺肩組んで来たりとかそういうのを……その、胸がぐいぐい当たってくると、朝顔さんから見てあまりよくないかもしれない……サイズ気にしてたりすると、特に……」 後半は少し小声になりながらも満がそう言うと、バステモンはよくわからない様で目をぱちぱちさせる。 『なる、ほど? まぁ前に飛び出てる分レオモンの時より邪魔くさいは邪魔くさいか。 ぶるんぶるん揺れるし……そういうこと? だな?』 そう言いながら、バステモンは自分の胸を下から持ち上げたり掴んだりして確かに邪魔だなと頷くと、まかせろと力強く言ってスマホの中に戻っていった。 「(そうだけど、そうじゃない)」 満はそう思ったが、兄貴分のおっぱいの雑な扱いが気になると正面から言うのは高校生には無理な話だった。 そして一方の朝顔は、女子トイレでエンジェウーモンに向けて話しかけていた。 「エンジェウーモン、頭の上に乗るのやめてって言ったよね?」 『そうだっけぇ? 忘れちゃってたにゃあ』 エンジェウーモンは朝顔の頭の上でぷかぷかだらりと寝転びながらそう返す。 「エンジェウーモン」 ふざけてるんじゃないのと朝顔はすごむが、エンジェウーモンは大して意に介さない。 『んー……朝顔はいつもそばにはいるけど、手を握るより近づいたことあったかにゃ?』 「……それは今関係ないでしょ」 『わかんないんだけどぉ、色欲の呪いがあるんだからあたしがやめてもにゃあ……それで朝顔を見てくれる様になるのかにゃ?』 まぁあたしは人間じゃないからわかんないけどぉと言いながら、エンジェウーモンはスマホに戻る。 「それは、確かにそうだけど……それはそれとしてやめてよ」 真っ暗な画面に向けて朝顔はそう一人呟いた。 エンジェウーモンは何も答えなかった。 満も朝顔もいまいち手応えがないまま、二人はホームルーム前の予鈴を合図に教室に戻った。 色夜区高校の廊下を見れるビルの屋上に、二つの影があった。 「リリスモン様を縛る封印は『愛』によって強化される。だからあの二人の仲を裂くの。それが私達の使命」 その一つ、うっすらと青みがかった銀髪のセーラー服を着た少女は傍らの明らかに人間でない巨躯にそう話しかける。 「……はっ! 幾ら封印の強化ができようが、奴等はただの無力な人間なんだろう?」 焦げ茶色の毛皮のそのデジモンは、そう少女の言葉を鼻で笑った。 「ウェンディモン、あなたの仕事は私達を送り届けるまでで……」 少女は少しむっとなりながらそう言う。しかしウェンディモンは意に介さない。 「つまり、もう俺が何しようがお前に止められるいわれもないってわけだ」 「待っ……」 「護衛さえかいくぐればどうとでもなるさ、お前の分まで仕事してきてやるよ!」 そう言って、ウェンディモンは虚空に爪を立てて暗い穴をあけると、少女の制止を振り切りその中に向かって飛び込む。 「そう簡単なら回りくどいことしないってなんでわかんないかな……」 『まぁ、いいんじゃないかしら? 私達の敵がどんな存在か見せてもらおうじゃない』 少女の持つスマホからそう声がした。 「……このビルの屋上の鍵、電子錠じゃないから私一人じゃ開けられない」 『あ……迎えに行くわ』 「うん、お願い。風寒いから上着も持ってきて」 少女はくしゅんとくしゃみを一つした。 「江口と黒木、ちょいと手伝ってくれるかぁ?」 二人の副担任の女教師がそう言って二人を理科準備室に招いた。 「手伝いってのはまぁ半分嘘だ。結論から言うとな、お前ら、トイレで電話してたろ。正直あたしも時代錯誤な校則だとは思うが、生徒からチクられたら注意せざるを得ない。没収まではせんがマナーモードにしてカバンに入れとけ」 「片桐先生、校則破った自分達が悪いのでいいんですけど、なんで二人一緒に?」 他の生徒にも知らせることではないのではと満が言うと、片桐と呼ばれた教師は頭をポリポリとかいた。 「……教師がこういう扱いするのはよくないとわかってるんだが、江口一人呼び出すのはちょっと不安でなぁ……」 満は片桐の言葉に何も言えなかった。 「まぁ……そんなわけだから放課後までしまっときな。次の授業、実験の時にも出してたら人前で注意することになる。そりゃ私としてもめんどいし、お前達もよくなかろ」 二人してはいと返事をし、少し不安はあったもののスマホをカバンにしまって授業の準備をすると、また理科室へと向かった。 そして、それを遠巻きにウェンディモンは見ていた。 満の呪いがあるから、二人は周りから離れて廊下を歩いていて、近寄ってくるものもいない。 「(チャンスだ)」 バステモンもエンジェウーモンもいない、実質的に二人っきり。エンジェウーモンに煽られたからというのもあれど、意識させるには今しかないと思った。 「満くん、その……今度……」 そう言いながら、朝顔は満の方に手を伸ばすと逃げられない様に袖を掴んだ。 しかし、教室に着くまでのほんの数分しかなく、何を言うべきかも特に考えていなかった。次に繋がるような何か。腕に抱きついたり抱きしめたり頬にキスは流石に朝顔も抵抗がある。少なくとも人が来ないところでじゃないといけない。 「今度……?」 顔をほんのり赤くした朝顔に、満は何か恥ずかしいことを言おうとしていることを察知する。 もしや呪いが発動したのだろうか。ブラのホックが外れたか、スカートのゴムが切れたか、袖を掴んでいることから逃げられては困ることだけはわかる。 「……うちに、遊びに来ない? 今週末、誰もいないから」 声に出してから、朝顔は異性として意識してもらうにしてもこれはよくなかったのではと気づいて顔が赤くなる。 満は、その予想外の誘いの真意を探る為に何か言うべきか、それとも気にしてない風で頷くべきか迷って一瞬固まった。 そして、その隙を遠巻きに見ていたウェンディモンは見逃さなかった。 背後から二人の近くに素早く忍び寄ったウェンディモンが手をかざすと、二人の周囲の空間が、ぐにゃりと歪み歪みから青黒い泥の様なものが現れて二人を囲む。 「黒木さん!」 泥が満と朝顔の両方に別々に襲いかかるのを見て、満は朝顔を庇う様に飛び込んだ。 「分断するつもりだったんだが……まぁいいか」 泥は球を作る様に二人を覆っていき、二人は狭い中に折り重なる様に閉じ込められていく。 「黒木さん、ごめん……」 そう満が喋りながら少し身体を動かそうとすると、顔が何か柔らかいものにあたった。 バステモンのそれに比べれば明らかに小さいが柔らかく、温かく、そして、ドクンドクンと心音が聞こえてくる。満はその正体に気づいて石のように固まった。 「満くんは、悪くないよ」 そう言いながら、朝顔は自分の顔が熱く鼓動が早くなるのを感じていた。 狭い空間に二人でこのままだと程なく酸欠になってしまう。本当は落ち着かなきゃいけない。 でも、朝顔の顔の前には満の頭があり、自分の家のものと違うシャンプーの匂いがしていたし、満といろんなところで密着しているのは涙が出るほど恥ずかしくもあったが、嬉しかった。 「……とりあえず、空間が閉じる前にバステモンに緊急コールは送ったから大丈夫だとは思うんだけど」 「うん、私もエンジェウーモンに送った」 冷静にそう話しながらも、二人の頭の中はもはや日常となっている襲撃された時に出す合図ではなく、意図せず密着してしまったことでいっぱいだった。 「(封印に必要なのは、『愛』であって『色欲』じゃない。意識しすぎちゃだめだ。黒木さんがドキドキしてるのは襲われたからで、さっきの誰もいない家に誘ったのはきっとバステモンとかエンジェウーモンを出して作戦会議しても大丈夫の意味で、俺のことを好きだからドキドキしてたり誰もいない家に誘ったりしてるんじゃないんだ)」 満が、冷や汗をかき震えながら自分に言い聞かせているとふとその頭に朝顔は手を回した。 「えと、何も見えない中で変に動いたら危ないと思うし……もっと密着したらどうかなって……」 朝顔は、自分の鼓動を満に聴かせたかった。 エンジェウーモンが言ったことはその通り、周りにおっぱいがいっぱいだからってそれを排除したって別に自分を見てくれる保証はない。 でも、朝顔には告白できるほどの勇気もない。しかし、偶然の力を利用して胸の鼓動を聞いてもらえば、満になら胸に頭を押し当てられてもいいと思ってることもわかってもらえば、自分の気持ちが伝わって、意識してもらえるかもしれない。 「(お願い、伝わって……!)」 だから、朝顔は満の頭を柔らかく抱きしめて胸に押し付けた。 自分のそれより細く、柔らかい指が満の顔に触れる。そこから感じる匂いはどこか落ち着く香りで、薄暗い空間の中で鼓動と合わせてやけに鮮明に感じられた。 「でも、黒木さん……」 なんとか満が顔を上げると、朝顔の顔はすぐそばにあった。 恥ずかしさに赤くなった顔も潤んだ瞳も、うっすら桃色の唇も愛らしくて満は思わず生唾を飲み込む。そして、朝顔はそっと目を瞑った。 「こ、この空間は、この俺が! 決まった手順で開かないと開かない! 俺を倒せばこいつらはここで死ぬんだぞ!?」 ウェンディモンは自身に迫るバステモンとエンジェウーモンに対してそう声を荒らげ、手に持ったビー玉サイズの青黒い珠を見せつけた。 「それはいいことを聞いた。つまりお前をうっかり殺しても空間ごと消滅はせんわけだ」 バステモンはそう言って一歩強く踏み込み、あっという間に距離を詰めた。 「くっ……くそがぁ!」 ウェンディモンは手に持った珠をあらぬ方向に投げ、逃走しようと走り出す。 それに対してエンジェウーモンが手から光の矢を放って珠に当てると、弾かれた珠はあっさりとその手に収まった。 「これなら私が開けるから、やっていいよバステモン」 エンジェウーモンが珠の表面を指でなぞると、珠が光を放って二人を包み込んだ時のサイズまで拡大する。 「わかった」 バステモンがそう返しながら腕を振るい、エンジェウーモンは珠に向けて手から光を発する。 光に溶かされて珠に穴が開く。 不意に差し込んだ光に満は固まり、今にも唇と唇が触れそうな距離にいる二人を見て、エンジェウーモンもまた固まった。 いつまでもそれ以上近づかない顔に朝顔は目を開くと、エンジェウーモンと目が合った。 「(あと一分)」 朝顔が指を一本立てると、エンジェウーモンはこくりと頷いて開けた穴を手で覆う。 「……い、いや! 助けてくれて、いいから!」 満の声に、バステモンがどうしたどうしたと駆け寄ってきて、珠の穴に爪をかけてビスケットの様にさくさくと割って満をずるりと引っ張り出した。 「よし! 生きてるな!」 競りに出されたマグロの様に満を地面に転がして、バステモンはそう二かっと笑った。 「あっ、授業!」 「さっき注意されたばっかなのにここで遅れたらまた……」 二人で教科書と筆箱を拾い集めて理科室に向けて走る。もう休み時間も終わり掛けだからか、廊下にはほとんど人もいない。 理科室に急いで入ろうと満が扉に向けて手を伸ばすと直前でがらりと扉が開いて片桐が出てきた。 満はとっさにぶつからない様に止まるが、後ろから走ってきた朝顔にぶつかられてそのまま片桐に向けて倒れこむ。 「ぐぇーっ!?」 朝顔はすっとさっきまでの興奮や手ごたえが冷めていくのを感じた。 満の顔は片桐の胸に思いっきりうずめられ思いっきり押し倒しているかのようになっていた。 「(私、あんなに勇気出したのに……)」 朝顔の手の中で筆箱がゆがんだ。
槿花一朝では終われない 第一話 おっぱいいっぱいいっぱいいっぱい content media
1
5
64
へりこにあん
2023年1月02日
In デジモン創作サロン
本企画は、昨年4/22で惜しまれつつもサービス終了したデジモンリアライズ……をイメージした単発作品企画です。とはいえデジモンリアライズを知らなくても参加できる企画です。 リアライズは、エリスモンと主人公達の冒険はまだまだ続く方式で終わり、次のデジモン作品を楽しんでね!と終わり際に私達にメッセージを発していたので、リアライズを惜しみこそすれ囚われてはいけないのです。 というのが前置き。 本企画は、『デジモンリアライズが初出のキャラクター』をメインキャラに含む作品を投稿期間(2023.4.16〜4.29)内に投稿するものです。 参加方法 以下の三つを満たして作品を投稿してください。 1. 2023年4月16日から4月29日の間に投稿する。 2. タイトルの前後に【単発作品企画】【RRA】といった一文をつけるなど、企画参加作品であることを明示する。 3. 『デジモンリアライズが初出のキャラクター』をメインキャラに含む、単発作品(小説・漫画・イラスト)を投稿する。 ※『デジモンリアライズが初出のキャラクター』の例 ・エリスモン、フィルモン、スティフィルモン、ラセンモン、ラセンモン激昂モード、ヘヴィーレオモン、ミタマモン、ラブリーエンジェモン、ガイオウモン厳刀ノ型、といった完全新規デジモン ・アルファモンBP、マグナモンBP、ラセンモンANIVA、ジエスモンANIVA、といった特殊なカラーのデジモン ・スパイラルといったデジモンリアライズで新しく産まれた概念 ・新城ミチ、柊拓巳、小日向真由、玉田慧斗、また「デジモンリアライズのストーリーに出てきたアグモン」、「デジモンリアライズのストーリーに出てきたティラノモン」といったリアライズのストーリーに出てきたキャラそのもの 作品の内容はデジモンリアライズの世界観以外でも、デジモンリアライズの世界観でもどちらでも構いません。ちなみに私の推しは新海沙羅さんです。 ぜひみなさん奮ってご参加ください。新海沙羅さんをよろしくお願いします。
【単発作品企画】  Remember Re:Arise【RRA】 content media
2
0
73
へりこにあん
2022年12月30日
In デジモン創作サロン
「そう警戒しないで、ただちょっとあなたの考えを知りたいのよ」 その女は黒い髪を弄りながら、人間の姿に戻り苦しそうに頭を押さえる王果の顔を覗き込んだ。 「私ね、娘を探してるのよ。もう大人であなたと同じくらいなのだけどね? あなたのことはついさっき警察の人から聞いたんだけど、ちょうどいいなぁと思ったの」 王果は震える指でピースサインを作ると、吸血鬼王の目に向けて突き出す。 「ちょうどいいって、なにが……」 ペシと軽く手を払われただけで、ふらふらになりながら王果はそう吸血鬼王に聞き返す。 頭の中では目の前の女と同じ声の囁きと、殺人を打ち明けた時、喜んでくれると思った杉菜の顔が歪んだ瞬間が繰り返される。 決定的に王果と杉菜は違っていた。 王果にとって杉菜以外は【ヒト】という動物ではあっても自分と同族の【人】じゃなかった。シロツメクサを摘んで冠を作るのと同じ感覚で王果は人を殺して世を騒がす連続殺人鬼バンシーの存在を作り上げた。 その過程なんて大して覚えてさえない。 「あなたのこと、世の中の人は人でなしって言うんでしょう? 私の娘は半分デジモン、そしてあなたも……直接会ってわかったわ。隔世遺伝って言うの? 何世代も前に、救世主気取りのデジモンが血筋を残してたのね。どっちも半分人でなしなんだからちょうどいいでしょう?」 その言葉を聞いて、王果は吸血鬼王に向けて嘔吐した。 杉菜の表情について考えないとわからない自分が王果は嫌だった。 嫌だったならば、普通はまず怒るか恐怖する。ヒトはそういう動物だと王果は思っていた。 まずは防御反応、自分を守る反応、つまり王果という嫌悪の対象を拒絶する。でも杉菜はそうじゃなくて、初めて見るその顔が王果の傷になった。 「……耐性があるやつってこれだから嫌だわ。身体の拒絶反応が出る前に堕ちればこんな汚くならないのに」 足についた吐瀉物を、吸血鬼王はすぐ後ろにいた階級の高そうな男のズボンに擦り付けて拭う。 有象無象は動かせても杉菜の心を動かさない自分に、その日、王果は初めて無力感を覚えた。 それは暗闇に放り出された様な、急に足場が失われた様な、世界の終わりに近しい感覚。 「警察にいるのも、娘を探すため?」 王果は焦点の合わない目をぐるぐる動かし、冷や汗をだらだら流しながらそう問う。相変わらず頭の中では声が響き、王果に堕ちろと促してくる。 「いや、警察に来たのは息子に会う為よ。ここ最近あまり警察署にいないみたい」 それにしても、と吸血鬼王は首を傾げた。自分の眼は聞いている筈、抗体によって機能不全にされた様子もない、なのになぜ目の前の女を操りきれないのかがわからない。 すると、王果はふらりと吸血鬼王に向けて倒れもたれかかった。 効いてなかったわけではないと吸血鬼王がほくそ笑む。 「あ、そうそう、他にも手伝って欲しいことがあるのよ。美園とかいう姉妹を、ある子に殺させてあげるって話なんだけど……」 王果の唇が美園と小さく復唱する。そして、不意に起き上がって吸血鬼王に抱き着き背中で手を組む。 身体は金色の輝きを伴ってまたデジモンのそれへと変わり、同時に全身が発火する。 「私の眼を見てなんで動ける……?」 吸血鬼王のその言葉に、王果は笑みを浮かべる。 「心を動かした気になってる人でなしにはわからないわ。人の本当の強さは」 まとった炎はさらに強く、床が溶けだし吸血鬼王の服は焼けその下の皮膚さえ爛れ黒く炭化さえしていく。 ボロボロと指が崩れていくのを見て、吸血鬼王はチッと舌打ちをすると両腕を掲げた。 ぐちぐちと音を立て、炭化した皮膚を下からぼろぼろと崩しながら生えた巨腕は人間のものではなく、赤黒く艶のある毛に覆われていた。 「いい加減にしろ」 低く苛立ちを感じさせる声と共に、王果の腹に吸血鬼王の拳が突き刺さる。 思わず王果の腕が緩む、その隙に吸血鬼王は王果の頭を殴りつけて引き剥がす。 「……人間の身体はデリケートなの、そんなのまともに喰らったら再生できなくなっちゃうわ」 自身の炎で床を溶かしながら王果は落下。吸血鬼王は蝙蝠の様な翼を背中から生やし、その後を追って穴を降りていく。 その途中、何人かの警察官を見つけると、視線を合わせて自分の方に近寄らせ触れて、やじり状の水晶の塊にすると自身の周りに浮かせた。 「あなたは、要らない」 吸血鬼王の言葉と共に、穴の中に向けて水晶が降り注ぎ、一拍おいて爆発が起きる。 街に警察署の半壊と死者行方不明者百名弱を知らせるニュースが駆け巡る。ほんの数時間前の出来事だった。 これはさらにその数時間前へと遡る。 「この街ってさ、なんかこう……『なんとか都』とか、『なんとか街』みたいな名前とかない? こう、ヒーローが活躍する舞台ってやっぱなんかね、こう……あるじゃん?」 「……陽都って呼び方がありますよ。特産品にもちょくちょく名前使われてます」 杉菜がそう言うと、猗鈴はそういえばとスマホに陽都メロンと書かれたシールの貼られたメロンや陽都大福と値札に書かれたオレンジ色の大福を映し出した。 「中川くんのとこのメロンとか、便五くんちの商品にもあったっけ」 それを見て、盛実はキラキラと目を輝かせ若干気持ち悪い笑みを浮かべた。 「いいのあるじゃーん!! なんで誰も教えてくれなかったのー!?」 「普通に生活してたら目につくからじゃないですか?」 杉菜はそう言いながら盛実の前にコーヒーを、猗鈴の前にクラッシュタイプのコーヒーゼリーにバニラアイスをのせたサンデーを出した。 「基本部屋にこもってるし、コンビニぐらいしかいかないからね、博士」 天青はそう言いながらパソコンを開いてメールをチェックする。 「それはアイテム作らなきゃだし、私やられたらベルトとか機能停止するからでサブスクしか見てないからでは……あ、タワー! タワーとかある!?」 できれば切り落とされそうな風車付きの、と言う盛実に猗鈴は窓の側によると、ちょいちょいと盛実を呼び、空に向けて花が開く様に太陽光パネルを掲げた鉄骨造りのタワーを見せた。 「わー!! 太陽光パネル部分落とす怪人が劇場版で出てくるやつー!!」 「そんなことになったらこの街の人達は悲しむでしょうね。ソルフラワーはこの街の希望の象徴らしいですから」 杉菜は不謹慎ですよとそう盛実を嗜めた。 「……そうなの?」 不謹慎と言われ、流石にちょっと盛実も反省した様な顔をした。 「元はただの古いテレビ塔で、撤去するのもお金かかるからって感じの観光施設なんですけれど。五年前の大規模テロ、街の至るところで死傷者が出て電気も止まって、天気も悪くて昼なのに暗くて……」 杉菜はそうすこししんみりとした感じで話す。 「あの時、ソルフラワーの電飾がこの街の唯一の明かりだったんです。そのテロからの復興の第一歩として、正式名が県立なんとかかんとかテレビ電波塔とかだったのを、公募の結果ソルフラワーになったんです」 未だにテレビ塔とか電波塔って呼び方も根強いようですけどね、と杉菜は言った。 へぇと盛実と一緒に天青と猗鈴も相槌を打つ。 「美園さんも知らなかったんだ?」 「いつの間にか名前変わってるなぐらいに思ってました」 猗鈴はそう言ってサンデーを一口食べた。 「美園さんも大概興味ないね、この街」 「ソルフラワーの周りの公園で毎年やってるソルフラワースイーツ祭りさえ知ってれば十分です」 「十分かなぁ」 そんなやりとりをしていると、ふと天青が立ち上がり、ノートパソコンを皆の中心に置いた。 「ちょうどいい依頼が来たかもしれない。ソルフラワーの天使探し、だって」 「……ソルフラワーにて、最近天使の目撃情報が多発しています。その正体を突き止めて欲しいです。と」 「……普通探偵に頼むことですかね? まずは従業員通路の鍵とか調べて、特に何もなければ放置でいいでしょうに」 「でも、全く関係ないところから天使って同じワードが出てくるかな」 杉菜の言葉に猗鈴がそう返すと、美園さん知らないのと便五が口を挟んだ。 「五年前のテロの時、ソルフラワーの上空に一瞬だけ光が差した時間があって、その時に天使だとか悪魔だとかがいたって都市伝説があるんだよ」 どっちも一定数いるのと、テロの犯人が捕まってないことから、天使と悪魔が戦ってたのがテロの正体って噂もある。と便五が続けると、盛実は苦笑いをしていた。 「なおさら謎ですね。都市伝説を元にしたイタズラとか、鳥の見間違いの方がありそうじゃないですか?」 「まぁ、行ってみればわかるでしょ。散歩ついでに博士も行ってみたら? 監視カメラとかの解析必要だろうし」 ご当地ヒーローショーとかもやってて、今日もやるらしいよと天青は盛実に促した。 「え? 世莉さんそれ真実(マジ)!?」 盛実は地下に猛然と引っ込むと、普段の白衣とつなぎからあっという間にお洒落と無縁の野暮ったい格好に着替えて戻ってきた。 「喫茶店の体裁的に姫芝と私は残るから、二人で行ってきて」 天青に言われて、猗鈴はわかりましたと簡素に答えると、バイクの後ろに盛実を乗せてソルフラワーに向かった。 「イタズラじゃないとわかったのは、私もその影を見たからなんです」 来間恵美と名乗った依頼人はそう話し始めた。 「私はこのソルフラワーの広報部に所属していて、天使と悪魔の都市伝説はもちろん知ってます」 なるほどと猗鈴は周囲をちらちら見る。ヒーローショーの前だからと会場の設営を確認している恵美の視線の先にあるのぼりやポスターには、天使と悪魔をモチーフとしたらしい二人のご当地ヒーローの姿が描かれている。 猗鈴もそういえばテレビCMを見た覚えがある。あまり興味がないからスルーしていた。 「超神ネイ◯ーや琉神マ◯ヤーがブームを作ったご当地ヒーロー……行政や地域社会との結びつきの強さや個人がやってる故のメッセージ性を持つヒーローも少なくなくて……例えば、児童虐待を受けたライダーファンが児童虐待防止を訴えて始めた例も……」 盛実がほんのり猗鈴の側に身体を傾けて顔を近づけながらボソボソとそう呟く。 「盛実さん、詳しいですね」 「え、いや……そんなに詳しくはなくて、受動喫煙程度の知識なんだけど……ここのも知らなかったし」 「そののぼりに描かれた二人のヒーローの内、白い天使の女性が陽光勇士ゾネ・リヒター、主人公です」 来間がそう話し始め、猗鈴は脱線し出したなと思ったが、来間の目の輝きを見ていると止められなかった。 「女性のヒーローが主人公……大きなお友達が好きそう」 「五年前に現れた天使は、噂だと女性だったらしくてモチーフなんです。彼女はその天使から受け継いだ力を持ち、この荒んだ街に少しでも笑顔を増やそうと、普段はソルフラワーのレストランで働くウェイトレスですが、怪人が現れると颯爽と駆けつけるのです!」 早口で来間はそう続ける。 「で、こっちの黒い方は悪魔の方がモチーフの月光勇士モント・リヒター。昼はソルフラワーの清掃員ですが、夜な夜な怪人を狩って回るダークヒーロー……」 楽しそうに話す依頼人に止めるタイミングを見失った猗鈴は、夜な夜な怪人を狩って回る悪魔って天青さんっぽいなと少し思った。 「ちなみにモチーフの一つはテロの後に現れるようになったというメモリ犯罪者達を狩る悪魔。ですね」 これ、天青さんのことではと猗鈴が盛実に耳打ちすると、天使の方も多分そう、と盛実は返した。 「二人はお互いの正体を知らず、奇しくも同じ建物の中で働きながら、それぞれにこの陽都の平和を守ろうとしてるのです……」 「いつお互いの正体を知るのかハラハラするやつだ……」 「で、依頼に話を戻したいんですけれど……」 流石に止めないと話が進まないと猗鈴は口を挟んだ 「あ、そうでしたね。つい……天使の話です。私が見たのは、空に浮く翼の生えた人影……正体を確かめようと見たんですけど逆光でよく見えなかった上、あっという間に消えてしまいました」 「どこで見たんですか?」 そう聞かれて、来間はヒーローショーの舞台の背後を指差した。 「この第一展望フロアの窓の外……です。作業員通路はありますが、通路は鍵がかかってますし、そのあと確認しても鍵はかかったままでした」 天使のデジモン、流通してるメモリの中には実はあまり天使のデジモンはないことを盛実は知っていた。 理由は簡単で、天使と魔王は相互監視状態にある。お互い不用意に手を出すことは避けており、そのメモリはあったとして少数の筈だった。 「あと……実はですね。お客様やスタッフ達を不安にさせたくないので、表向きは探偵ということを隠して欲しいんです。例えば、webライターで、取材の為に来てるとかそんな感じで……」 「わかりました」 猗鈴がそう答えると、ではちょっとその体裁の為にうちの主役に会ってもらってと言って、来間は一人の女性を連れてきた。 「彼女がゾネ・リヒターの変身前、陽明(ミナミ アカリ)役の南燈(ミナミ アカリ)です」 「南です。よろしくお願いします」 彼女は所詮はローカルヒーローというべきか、際立って可愛かったり美人というほどではなかったが、素朴さと真っ直ぐで力を感じる目がとてもヒロインらしい顔立ちだった。 「美園です。こちらは斉藤です」 「さ、斉藤です……」 「モント・リヒター役の山田は今日休みで申し訳ないのですが……」 「いえいえ、忙しい中南さんだけでもお時間取って頂きありがとうございます。早速ですが、南さんはほぼ本名のままやられている様ですが、理由はあるんですか?」 「それは、ゾネ・リヒターを悪意に負けない善意の象徴にしたかったからです」 「五年前のテロに由来するということですか?」 「はい、警察みたいに捜査とか、噂の天使みたいに直接戦えない中で、私達にできることはって来間さんが考えてくれたんです。実際に被害に遭った人間がそのテロを子供向けのエンタメとして消費してやるんです」 「最初は不謹慎って声もあったんですけれど、今は地域にも受け入れられてきたと思ってます」 「……武器を取らない戦いの形、みたいな」 「はい! そんな感じです!」 「モデルにはそのテロの際に見られたという天使と悪魔の姿があるという話ですが、信じていますか?」 「んー……正直信じてないですね。いたとすれば、メモリ犯罪者でしょうし」 南の反応は、知らないと言っているも同然で猗鈴は無駄になりそうだなと無難にインタビューをつづけた。 インタビューを終えた後、猗鈴達はまず展望フロアを見て回り、確かに通路の鍵などが壊されてないことを確認すると、客に聞き込みを行った。 「……結構目撃されてますね、天使の影や悪魔の影」 「先に天使と悪魔の噂があるし、鳥の見間違いとかの線もありそうだけど……」 一度情報をまとめようと、二人がレストランの席に座ると、不意に二人の座るテーブルの前で人が止まった。 「僕も混ぜてくれますか?」 顔を上げた猗鈴と盛実の目に入ってきたのは公竜だった。 「小林さん、なんでここに?」 「……ここにでるという悪魔の噂が目当てです」 公竜はそう言うと、同席してもと猗鈴と盛実に伺いを立てた。 それに、盛実は少し口をもにょもにょとさせたが、猗鈴はどうぞとあっさり許可した。 「それで、悪魔の噂をなぜ追ってるんですか?」 「……鳥羽は最期にメモリを探してと言い残しました。鳥羽は、自分が死んだら出てくる仕掛けになってるメモリを探せというほど馬鹿じゃない。故に鳥羽が私の知らないところで何かしてなかったか探ってます」 これが鳥羽の部屋から出てきました。と公竜はソルフラワーの展望台の入場チケットを見せた。 「悪魔の噂で一番多いのはコウモリの様な羽根の目撃談……ソルフラワーのどこかに鳥羽はメモリを隠したのかもしれない」 「……あまり期待できないかもしれませんよ。こっちの証言で、外にいたという証言がいくつかあります。鳥羽さんがチケット買って来てたなら、目撃されてる悪魔とか天使は多分鳥羽さんじゃない」 猗鈴の言葉に公竜はそうですかと一つ呟いた。 「では、僕はもう少し調べたら引き上げます」 「え……」 盛実は思わずそう呟いた。 「あ、えと……メモリ犯罪者かもしれないのに放置でいいのかなぁと……」 「よくはないです。しかし、今のこの街の警察に僕が関わると碌なことが起きない」 公竜の眉間のしわがより深くなった。 「この街の警察上層部を吸血鬼王が洗脳して、僕と引き合わせようとしている様です。おそらくは手駒の補充の為……」 猗鈴の脳裏には、佐奈という男とマタドゥルモンの姿が浮かんでいた。level5相当が二体、出回ってるメモリはほとんどlevel4以下であることを考えると大きな戦力だ。 「それで、鳥羽さんの遺言を……」 「鳥羽が僕に隠してたことでどうしてもあの場で伝えなければいけないことがあるとすれば、それは吸血鬼王を倒せる手段の可能性が高い……」 「あの、なぜそれを鳥羽さんは隠すと……?」 「僕が暴走すると思ってでしょう。確実な代物ではおそらくない、仲間を集めたり他の勝ち筋も用意した上で運用したかった。実際、鳥羽が諌めてくれても戦いを挑んでしまった」 公竜の眉根には一生取れない様な濃いシワが刻まれていた。 「……では、これで」 「も、もう少しだけ、調べていきませんか?」 去ろうとする公竜に、盛実はそう目を泳がせながら聞いた。 「えと……そう、私の脚のこととか、ありますし」 盛実はそう言って過去に公安に撃たれた脚をさすった。 「……まぁ、一回りぐらいは見ていくつもりでしたし、構いません」 公竜は不可解そうな顔をしながらそう言った。 『ピンポーンパンポーン、もうすぐ、陽光勇士ゾネ・リヒターヒーローショーが始まります。ご観覧のお客様は展望台の特設ステージまでお越しください。パンポンピンポン』 「あ、行かなきゃ」 「なぜですか?」 「だってヒーローショーだか「ご当地ヒーローの取材をしてる記者という体で調査してるので」 「そ、そうそう……それです」 公竜は少し怪訝な顔をしたものの、恵理座のことを少し思い出してふっと表情を和らげた。 展望台の特設ステージ前はまだ始まってないのにそこそこ盛況で、子供達が前に陣取り、親達や他の大人がその背後で見守る。 親子が楽しそうにしているのを見ると、猗鈴もふと頬が緩んだ。 そんな中、不意に公竜が神妙な顔をして猗鈴と盛実の肩を叩いた。 「……あそこに怪しい人物が」 そう言われて猗鈴と盛実が見た先にいたのは、辛うじて女性な気がする程度に肌を執拗に隠したモノクロチェックのニット帽を被った人物だった。 「子連れにも見えませんがかなり高価なカメラを持っているのも、少なくとも不審者かと……」 公竜が真剣な顔でそう言うと、盛実は自分のことかの様に悲痛に声を搾り出す。 「違っ……ただ、まともな社会人のフリができない特撮オタクだっているんです……!」 「あつちの数名固まってる辺りにいるのがオタクてはないんですか? なぜ彼女はあの場所に?」 確かに、公竜の言うように観客の中にはわかりやすくグッズを持った一目で判別できる男達が数名固まっていた。 「えと、撮りたい構図があるとかもあるかもしれないけど、多分……普通に人見知り。一定数女性オタクに声かけてくる出会い厨オタクはいるけど、肌を出さない格好はおそらくそういうのが寄り付かない様にって意図があるやつ、私服センスないだけかもしれないけど……」 「そうですか」 公竜が頷く横で、猗鈴は他人のこと言えたセンスかなと思ったが口には出さなかった。 「他にも女性オタクはいるはずだけど、以前より市民権を得てるとはいえまだ社会人世代の偏見は強いし職場バレとか怖いし、擬態している筈……」 あそこの待ち合わせ風の人はよく見ると耳のイヤリングが黒い石と月、携帯のストラップも黒い三日月だからモント・リヒター推しの筈で、と盛実は別に彼女だけがオタクではないとそう必死に公竜に主張する。 その話を聞きながら、公竜は恵理座もそういう好きなキャラに関するアイテムを持っていたのだろうかと少し思った。 そうしてしばらくすると、ショーが始まる時刻になりショーのお姉さん的なTシャツに着替えた来間がステージの横に置かれたマイクの前に立った。 始まる空気に子供達も期待の視線を向け出して、周囲の注目が一点に集約されていく。 『アサルトモン』 メモリ音声が響いたかと思うと、群衆の中にいた一人の男の姿がぐにゃと形を変え始め、まずマシンガンへと変わった片手をステージに向けた。 ダダダと短い中に何十と繰り返された銃撃音、さらに重なったガラスの割れる音に、一瞬で人々は静まり返った。 そして、全身を銃火器で武装したケンタウロスの様な姿になったその男はステージ上にゆっくりと上がった。 「美園さん、斎藤博士、あとはお願いします」 『マッハモン』 その男に向けてバイクへと変形した公竜が飛びかかり、そのままソルフラワーの外へと飛び出した。 「え、待っていつ変身してた?」 「銃撃音にメモリ音を隠してた、みたいですね。ところで盛実さん、このベルトって私メインで変身できますか?」 盛実の言葉に、猗鈴はそう返して懐からベルトを取り出して見せた。 「え? いや、ソフト面いじらないとできないからここじゃあちょっと……」 「……わかりました。盛実さん。ディコットがこっちに来るまで私の身体よろしくお願いします」 『サンフラウモン』 猗鈴はベルトをつけると、サンフラウモンメモリを差し込み、そして程なく意識を失ってふらりとその場に倒れ込んだ。 「え? え? えぇ!? みんな反応早すぎない!? てか人間って重い!! 所長よく一話でパトカーまで運べたな!!」 盛実は倒れた猗鈴の頭の下に自分の太ももを入れるのが精一杯で早々に運ぶことを諦めた。 「だ、だ、だだっ大丈夫ですか?」 「あ、う……」 公達が不審者と間違えた厚木の女性がおずおずとやってきて猗鈴の足を持ち上げた。 そして、安全そうな隅に運びながら改めて周囲を見る。パニックになり、とりあえずステージから距離をとりエレベーター前に固まる人達と、それを取り囲む様に布陣する男達がいた。 そして、男達はその手に持ったメモリのボタンをぞろぞろと押した。 『コマンドラモン』『コマンドラ『コマンドラモン』『コマ『コマンドラ『コマンドラモ『コマンドラモン』『コマンドラモン』『コマンドラモン』『コマンドラモン』 元の男達の体格からすればむしろ小さくなって、一メートルより少し大きいぐらいの迷彩柄のとかげへと姿を変える。それを脅威と人々が認識できたのは、人に比べて巨大な爪や瞳ではなく、その装備したライフル銃のせいだった。 「全員エレベーターから離れてゆっくりとこちらに来い」 人々に向けてその中でも一人だけやや大きめの体格のトカゲがそう命令をした。
ドレンチェリーを残さないで ep22 content media
1
3
46
へりこにあん
2022年12月09日
In デジモン創作サロン
デジモン創作サロンこの作品を見てくれ大賞2022 本企画は、「2022年中に投稿された作品から、『他人に薦めたい作品』とその作品についてのコメントを募り、紹介する。という企画です。 対象作品は2022年1/1〜12/31の間に投稿された作品全て、連載作品の場合は期間内に更新があれば対象になります。 連載小説部門、短編小説部門、イラスト部門と三つに分け、各々で三つずつ作品を挙げてもらえます。漫画作品はイラスト部門に含みます。 回答の募集期間は本日から12/31まで、発表は1/1、年末年始はゆるりと既にある作品を楽しむのはどうでしょうか? 大賞と銘打ってますが、実際に何人から名前が挙げられたか、は載せないつもりです。誰かから薦めたいと思われた時点でその作品は大賞です。自薦も可、自作自演での大賞受賞を推奨しています。 本企画は無記名で行える様、こちらのGoogleフォーム【https://forms.gle/vg4pyX5ziBscepRW8】で回答を集計します。リンクをタップして回答下さい。 この機会に普段はひっそりとアカウントも作らず読んでいる方(いるかはわかりませんが)も、なんとなく直接感想書きに行くのが恥ずかしい方も、今年の創作サロンを彩った作品達をおすすめし合いましょう。 【12/28追記】小説作品の特定の挿絵、表紙絵もイラストの方であげていただけます。連載作品の表紙絵や挿絵の場合、作品名のところに具体的に何話のものかということも併せて回答ください。
6
2
364
へりこにあん
2022年11月17日
In デジモン創作サロン
「メモリを使い、七尾さんを襲った犯人であり、才谷選手に特訓をしていたカミサマと呼ばれるデジモンは、娘の重美さんであると……」 猗鈴から聞いた結論を、天青はそう繰り返した。 「いや、でもですよ。自分の父親ですよ? 幾らなんでも見間違えて襲ったりするでしょうかね?」 「カミサマが重美さんなのは、姫芝も最初にカミサマに会った時からわかってると思ってた」 そうこともなげに言う猗鈴に姫芝はえっと一歩引いた。 「最初からって……」 「『そうか、探偵か』、ディコットで乱入した時にそう言ってたし、依頼のことを知ってたのは私達を除けば七尾さんと重美さんだけ。ディコットと乱入者を結びつけられるのは、基本的にはその二人しかいない」 「……あっ」 「その時点では、依頼主の七尾さんがカミサマな可能性も考えていた。でも、凍傷を自分でつけるのは難しいし、才谷選手があまりに庇うことで重美さんだとわかった」 「え? 才谷選手の反応で自演の可能性が消えるの? なんで?」 「七尾さん自身がカミサマなら、庇う理由がないです。七尾さんが探偵を使って追ってるんですよ?」 七尾さん自身がカミサマなのに探偵を雇ったならば、そこには意図がある。理由を知らなくとも、庇うことが逆に邪魔にもなるかもとは考えられる。 「あー……うん」 「いや、おかしくないですか。猗鈴の理屈だと、才谷選手はそもそもカミサマの正体を知ってないといけなくなりますよ」 「デジモンは全身凶器同然で、その相手も知らずに特訓なんて普通からできるわけがないから……で、合ってる?」 天青が猗鈴の代わりに答えると、猗鈴は深く頷いた。 「はい」 「……でも、彼女がプロボクサーのスタイルを変更させる程の特訓ができるんですか? 腕に障害だってあるんですよ?」 「その前は優秀なボクサーだったんだよ、姫芝。トレーナーさんが彼女の怪我の話をした際、七尾さんが見た方向には中学生の女子ボクシング大会のトロフィーがあった」 そして、と猗鈴はスマホの画面に映った中学生の重美と、女子中学生大会全国準優勝の文字を見せた。 「ボクシングのことはわからないけど、才谷さんのことを支えてきてよく知る上に、素養も知識もある、そこにデジモンの身体能力が加われば、特訓相手になれておかしくない、それに発言を踏まえると七尾さんか重美さんだけ。七尾さんが被害に遭ってることを考えると有力なのは重美さん。これだけでも重美さんを疑うには十分ではある。この後はどうする?」 猗鈴はそうあっさりと断言した。 「重美さんがもうメモリを使う気がなくなってるなら、あの時に提案したちゃんとお別れをしておしまいというのは、七尾さんを納得させる為のもの。それを終えたところでメモリを回収して終わりじゃダメなんですか?」 「それができるならね」 メモリの依存性は強い。重美はデメリットを知ったぐらいでメモリを手放せるのか、という話。 「……でも、私は信じたいです」 「なら、戦闘の準備はしつつ、説得から。そういう順番にすればいい」 天青の言葉に対し、猗鈴も杉菜も頷いた。 「そういうわけだからカミサマ、これで最後にしよう……」 その日、カミサマと向き合った才谷の言葉は、どこか棒読み感があった。猗鈴と杉菜はは神社境内の茂みに隠れてテレビ通話で七尾にその様子を中継していた。 「わかった……」 青い盾のデジモンはそう頷きかけて、ふと、猗鈴の方を向くと何か思い付いたらしく、変身を解いた。 メモリを使っていたのは猗鈴の推理通り重美で、そして今、正体を明らかにしたのも、猗鈴の推測の方が現実に合ってたことを意味した。 「重美!? 何をして……」 「ヒロちゃん、ヒロちゃんはカミサマの私のこと、必要だよね……?」 重美はそう言うと、才谷の手を取って猗鈴達の方にずんずんと歩いてきて、カメラのレンズに顔を近づけた。 「お父さん、ヒロちゃんの為にはメモリが必要なの。ヒロちゃんの相手できる人がうちのジムにいる? いないでしょ?だから私、私しかいない」 そう言って、杉菜の手からスマホを取り上げる重美の肩を才谷が掴んだ。 「やめろ、重美! 昨日はもうやめようって……」 「ヒロちゃんのせいでしょッ!!」 そう言って、重美は才谷の手を振り解き、怒りのままにスマホを投げつけた。 「ヒロちゃんがさぁ! 私の夢を奪ったのに責任も取らないのが悪いんでしょッ!!」 その言葉に、才谷の表情はサッと曇った。 重美は曲がりきらない肘を見せつけた。高校時代に才谷を庇って、障害の残った肘。 「……ヒロちゃんを取って、ボクシングを喪った。なのに、ヒロちゃんさ、前にチャンピオンへ挑戦するって時期とかさ、ファンの子とデートしてたでしょ」 その言葉に、才谷は、でも付き合ってもないしと呟いた。 「私はさ、元選手だとしても男じゃない。肘曲がらないからスパーリングパートナーもできない。栄養とかさそういうの調べて料理とかしててもさ、この肘のせいで手際が悪くなってる部分も感じて……でも、治らないんだよね」 杉菜にはその不明瞭な物言いで、何でメモリを手放さないかがわかった。 「……私よりヒロちゃんのトレーナーに向いてる人で、やりたい人がいっぱいいる。私よりヒロちゃんの体調管理に向いてる人もいっぱいいる」 それがなければ生きていけない程依存してるし、 「ヒロちゃんの女って立場にもおさまれないなら、私はただの重荷じゃん」 副作用で死ぬことも緩慢な自殺として許容してしまっている。 『ティアルドモン』 片目から涙を流しながら、重美は肘にメモリを挿した。 重美の体が変化していく。両腕に盾と爪、裏腹な二つをつけ、頭と胴体と二つの顔があるデジモンに。 その姿に驚く理由もないのに才谷は声が出なくなっていた。 「……姫芝」 「わかってますけど、ひとつだけ聞きたいことがあります」 そう杉菜は言うと、重美に向けて歩き出しながら口を開いた。 「重美さん、あなたは七尾さんだとわかって襲ったんですよね?」 その言葉に、猗鈴はちらりと杉菜の顔を見た。その顔は悲しげな確信に満ちていた。 「……そう、わかってた。そうしたら、私がジムを乗っ取れるもの」 「そして、ジムを畳むつもりだった」 杉菜はわかっていたようにそう引き取り、重美はそれを否定しなかった。 「……わけわからねぇ、なんで重美がオヤジさんを……」 才谷の言葉に、重美は首を傾げた。 「そうでもしなきゃヒロちゃんが私達親娘から解放されないじゃない……? でも、でもできなかったッ!!」 そう声を上げて重美は爪を地面に向けて振り下ろした。 「時代遅れの元チャンピオンの、古臭くてまともなスパーリングパートナーもいないところに所属してちゃ、ヒロちゃんがダメになる! まして、日常的に怪人が暴れて人が死ぬ街にあるんだよ!? ヒロちゃんのお父さんお母さんだってそうだし! 夜のランニングがここより怖い街が他にある!?」 地面に深い爪跡を残しながら、重美は声を荒げ続ける。 「……だから、お父さんもヒロちゃんに依存する私も置いて行って欲しいの」 重美、才谷は思わず名前を呟いた。 「でも」 すると、重美はその両手を才谷に向けて伸ばした。 「ヒロちゃんと一緒にいたいの」 重美はゆっくりと才谷を両の手で包み込もうとする。 「ヒロちゃんがチャンピオンになる時に一番そばにいるのは私であって欲しいし、私のことを思って欲しい、チャンピオンになれなくてもダメになっても、それこそ私の曲がらない肘なんて比じゃない、物を掴むことも難しいぐらいになっても私のそばにいて欲しい」 その動きに、才谷はまた何も言えなくなって、重美と名前を呟くしかできなかった。 「私の夢とか未来とかあげたんだから、ヒロちゃんも私に未来をちょうだい?」 いいよねと、狂気を孕んだ目で重美は才谷に迫る。 『ザッソーモン』 「猗鈴、行きますよ」 『サンフラウモン』 「待ちすぎ」 杉菜がベルトを腰に巻いてメモリを挿し込むと、猗鈴もそれに続く。 「「変身」」 猗鈴の肉体はその場でくしゃりと植木にもたれかかる様に倒れ、杉菜の肉体はディコットへと変わった。 それを横目で見て、重美は才谷に伸ばしていた手を引くと、苛立ったように爪を構えた。 「……探偵さん達、依頼料は払うからもうほっといてよ。邪魔しないで、私は人を殺してるわけでもなんでもない! ただ、ヒロちゃんを好きで仕方ないだけなの!!」 「「お断りします」」 ディコットの口から猗鈴と杉菜二人の声で同じ言葉が紡がれる。 二人の様子をベルトを通じて喫茶ユーノーでモニターしてた盛実は思わずペロッと舌を出した。 「初回変身時のメモリ出力は初回想定より低い値に収まってたけど……今は不安定だけど、最高で最終目標ラインに近い出力が出てる」 その言葉に、天青は助勢に行く為に取り出した銃をことりと机の上に置いた。そして、エンジェウーモンメモリをなんとなく掴み、つぶやいた。 「敵を倒したいじゃなく、目の前の人を助けたいと思ったから二人の心が合ったのかな」 今のセリフ、この後ディコットにカメラ戻って挿入歌か主題歌流れるやつじゃない? という盛実にかもねとだけ返して天青はショックを受けてるだろう七尾のフォローに向かう為、喫茶ユーノーを後にした。 先に動いたのは重美だった。怒りに任せて無造作に爪を振り上げて殴りかかる。 それに対して、ディコットは身体を半回転させながら爪の攻撃をかわすと、拳を胴体に叩き込んだ。 「カ、ウンターしてくるなんて……ふざけたことを……」 そう呟いて、重美はファイティングポーズを取った。 両手の盾は触れれば凍りつく、爪は体格差もあってディコットの胸を貫くには十分な長さもある。格闘において体格差は簡単には覆らないのも重美は知っていた。 「やめろ重美! 人を傷つける為にやってきたんじゃねぇだろ!」 才谷の言葉に、一瞬ピクと反応するも、重美は構えを解かない。 「猗鈴」 「わかってる」 ディコットは臆さず前に踏み出した。そして、思いっきり拳を振り上げた。 あまりにもわかりやすくすきだらけの大振り、重美はカウンターを誘ってると判断して様子見の為に盾を前に出した。 拳が盾に止められ、凍りつく刹那に、その拳から眩い光が漏れた。 「この前のビーム……ッ」 受け止めたその場所からさらに押し込まれるその威力に、重美はぎぎと歯ぎしりをする。 以前は放たれていたビームは、炎のような淡い発光体となってディコットの両手を覆っていて、当然凍りついてもいなかった。 「あなたの気持ちはわかるなんて言えない、でも、それじゃいけないのはそこにいる才谷選手の顔を見ればわかる」 猗鈴はそう呟き、一度手にまとった光を消した。 「重美、俺は負目があるからオヤジさんのジムにいるんじゃない。父さん母さん、オヤジさんにお前との楽しい思い出があるからいるんだ」 才谷は。そうぐっと拳を握りながら話す。 「この街なら、いろんなところに楽しい思い出がある。大好きなお前やオヤジさんが応援してくれるからボクシングも楽しいんだ……言いたいことがあるなら最初から言えよ!!」 その叫びに、重美は涙を流しながら悲鳴のような雄叫びのような歓喜のような言葉にならない叫び声を上げた。 そして、その激情を向ける為にディコットを見て、駆け出した。 「だけどぉ! わたしはぁッ!!」 その叫びを聴きながら、ディコットはメモリのボタンを押した。 『スクイーズバイン』『サンフラウビーム』 ディコットの左脚が伸びてバネ状になり、その場で急激に跳び上がる。 振り下ろした爪をすかされ空を見上げた重美の首に、空から指が伸びて巻き付いた。 「ぐっ!?」 落下に加えて指の戻る勢いで加速しながら、ディコットは眩い光をまとった右脚を高々と掲げる。 せめて受け止めようと向けられた両腕の盾を粉砕しながら踵は深々と突き刺さり、突き刺さった場所から蔦が伸びて重美を覆っていく。 「……取り返しがつかないことになる前に、話し合う方がいいですよ」 杉菜の言葉が終わると、ティアルドモンの身体は光と共に爆発。そのあとには重美と壊れたティアルドモンのメモリだけが残った。 すぐに才谷が重美に駆け寄り、意識がないのを確認すると抱え上げた。 それから盛実が連絡して才谷はタクシーで重美を警察病院に、猗鈴と杉菜はあえてディコットの姿のまま神社に残った。 「……いるんでしょう、王果」 杉菜の言葉に、社殿の裏からひょっこりと大きなキャリーバッグを持った王果が顔を出す。 「見てたよ、つーちゃん達の新しい姿。なんて呼べばいい?」 「ディコット」 ディコット、なるほどねと口にした後、王果はキャリーバッグを開いて中に雑に詰められたデジメモリのメモリーカードの山を見せた。 「つーちゃんが組織を抜けたのは、私を倒そうとする組織の人達から聞いてたから知ってたけど、その姿じゃ進化はできないの?」 杉菜がメモリを進化させた、ということも謳歌は組織の人間から聞き出したらしかった。 「……まだ、できない」 「そっか、まだなんだ。なら、少なくとも今はディコットはやめた方がいいよ。それじゃまだ私に勝てない」 そう言って、王果は赤いメモリをボタンを押さずに胸元に突き刺す。 『シャ』『シャウ』『シャウトモ『シャウト』 手を離したのにも関わらずメモリのボタンはカチカチと勝手に動き、そう電子音声が鳴り始める。 「オメガシャウトモンの私に勝てないんじゃ、幹部には勝てないよ」 そう呟くと、メモリの色が赤から金に変わっていく。 『オメガシャウトモン』 特徴的なV字形の頭を持ち、全身をなめらかな金色の金属で覆ったシャープな竜人へと王果の身体が変貌していく。 「王果、何がしたいんですか? あの時みたいにおそろいだよって言いにきたんですか?」 杉菜は、そう問いかけた。 「何がしたいか? 何がは知ってるでしょ、つーちゃん。応援したいんだよつーちゃんを。私が負けたら自首する、私が勝ったら……とりあえず貸しにしとくね」 ノコギリのような歯列を剥き出しにしながら、無邪気に王果は微笑んだ。 「姫芝……」 「大丈夫、猗鈴。大丈夫です」 杉菜は、ディコットの変身を解いた。 「そう、それでいいよ。見せてよ、今できる最強の姫芝杉菜を、なりたいものに今度こそなろうとしてるつーちゃんを……!」 そう言われても、杉菜はディコットドライバーではないベルトに手をかけることもなく、ディコットドライバーさえ懐にしまってしまった。 「どういうつもり?」 「……王果を説得するなら、これが最強の私。私は、王果を止めたいんであって戦いたいんじゃない。私は、王果が誰かを傷つけずに生きていく道を探りたいんであって、何もできないように縛り付けたいわけでもない」 そう言って王果に近づいていく杉菜を、猗鈴は止めるべきか一瞬迷ったが、止めないことにした。 「話し合おう、王果」 ついに王果の元に辿り着いた杉菜は、そう言って王果の金属で覆われた冷たい手を取った。 「……私が思うより、ちゃんとヒーローしてたんだね。つーちゃん」 王果はそう言うと人間の姿に戻り、キャリーバッグを閉じた。 「私はつーちゃんがつーちゃんのやりたいことをやれてれば、その間は刑務所ででも大人しくしてるよ」 まぁ死刑確実だから、ずっとは見てられないけどねと王果は笑った。 「王果、付き添いは要りますか?」 「いや、いいよ。一人でいく、一人で行きたいな。つーちゃんはもう猗鈴ちゃんに取られちゃったし……」 「取ったつもりはないですが」 「でも、ちょっと前までは私がつーちゃんの一番だったのに、今は何人もいる助けたい人の一人でしょ?」 「……王果はずっと特別ですよ」 「私にとってはもっとつーちゃんは特別だけどね」 王果はそう言ってその場を去ろうとして、そうそうと振り返って、一本の金色のメモリを杉菜に投げ渡した。 「織田とかいう組織の幹部、殺しといたよ。病み上がりのリハビリ中みたいだったから、多分大して影響ないけど」 金のメモリにはブリッツグレイモンの文字があった。 「それと、私にシャウトモンメモリを渡した女にも気をつけて」 「組織の人間ですか?」 「関係はあるんじゃないかな、でも素性は知らない。血の匂いがしたし、私なんかにメモリ渡して組織潰させようとする辺り何考えてるかわからないよ」 猗鈴と杉菜の頭に浮かんだのは、吸血鬼王の姿だった。 じゃあね、と王果は当たり前のようにすたすたと歩いてさっていき、杉菜はそれを追わなかった。 「……本当に自首すると思う?」 「しますよ、王果なら」 杉菜は猗鈴の疑問をあっさりと切り捨てた。 久しぶりに手にかけられた冷たさを感じ、王果は警察署を歩きながらふふと笑った。 「何がおかしい?」 「……留置所でも取調室でもない部屋に向かってるのがまずおかしい」 自分と繋がった女性警官に王果はそう答えた。 「それに、小林公竜警視だか警部だかは来ないの? 私が暴れ出したら誰が止めるのか……」 「もちろん私達が止める」 そう言ってその警察官はデジメモリを見せた。 「……そういう感じね。自首するのやめていい?」 王果は心底つまらなそうな顔をして、足を止めた。 「手錠かけられた身でなにを……」 王果は口をモゴモゴさせたかと思うと、舌の上に乗せたデジメモリを女性警官に見せた。 肉体が変形する過程の不安定な状態を利用して手錠から抜け出し、変身するとすぐに警官の手に持ったメモリを奪い、すねを蹴り砕く。 「ぎゃッ!?」 悲鳴を上げて思わずうずくまったその頭に王果はデコピンをして脳を揺らす。 そして、素早く踵を返してもと来た道を戻ろうとし、ふと悪寒を覚えて振り向いた。 役員用の会議室の扉が開き、何人かの警察官と一緒に出てきた明らかに警察官じゃない女、その女に背を向けたくないと謳歌は感じた。 背を向けてはいけない、隙を見せてはいけない、そして何よりも先に頭に浮かんだのは、杉菜の顔だった。 「……自首しにきたんじゃなかったの?」 女の、吸血鬼王の言葉に王果は答えない。 『ジークグレイモン』 王果が手を開いて構えると、どこからともなく電子音声と共に金色のメモリが飛んできて手に収まる。 そしてそれを即座に胸へと挿した。 「考えが変わった、つーちゃんに何かする前に殺す」 オメガシャウトモンの姿の上に同じ金色の重武装が重なっていく。 「……でもね、あなたは既に私の目を見て、私の声を聞いた」 その言葉の後、襲ってきたものに王果は思わずその場に膝をついた。
ドレンチェリーを残さないで ep21 content media
1
3
29
へりこにあん
2022年11月11日
In デジモン創作サロン
#1推し かつてエベレストを登るには大量の酸素を必要とし、ボンベの重さは25kgにもなった。それでさえかなり改善されたもの、1950年代になるまでは酸素ボンベの完成度が低くてエベレスト登頂自体人には不可能だった。 本当はこんな事考えて頭使わない方がいいのだろうなと思いながら、彼女は雪積もる山を登っていた。目の前の彼女とロープで繋がれた男はそのペースを緩めない。 脚はとうに疲労でぱんぱん、酸素マスクに差し込んだ圧縮酸素データのカートリッジもそろそろ替え時。気を抜くと膝をついて立ち上がらなくなりそうだった。 そもそもここまで辿り着く為に現地に来てから三ヶ月、準備期間も一年はかかっている。 そうして、この男はなんの成果も得られない遠征を成そうと言うのだ。 彼女は、外務省電脳界局第三域部の牙留流々(はる るる)は、目の前の八田唐(はった とう)博士を強く恨んだ。 「……クロさん、牙留さん、少し止まります!」 不意に八田が足を止め、通信機越しに声が聞こえた。 「どうしました、はぁ、八田博士……」 少し休める、と思いながら牙留はそう返し、先頭を歩いていた白い毛玉から手足が生えた様なデジモン、モジャモン(個体名クロ 同種の中では耳の先端を覆う毛の色がより黒いらしい)も引き返してきた。 「雪割りキノコです! この高山植物も生えない環境に生えている雪割りキノコ……何を栄養にしているか、わかりますね?」 ゴーグルやマスクで表情は見えない、届いてる声さえ機械越し、しかし喜色満面の笑みを浮かべていることは想像に難くなかった。 「……糞ですか?」 「かもしれません! ヴァロドゥルモンの糞が下にあるかもしれないと思うとわくわくしますね。飛ぶ鳥類は飛ぶ為に常に身体を軽くしたい為、食べたものが消化管を通る時間は非常に短い傾向があります。食事する場所と同じ場所かすぐそばでするので、これがヴァロドゥルモンの糞ならば、やはりすぐ近くにヴァロドゥルモンの食事場所があるということです!」 なんでうんこにそんなにとか、理解できないと思わず口にしかけて、牙留はその言葉を飲み込んだ。 八田という男は、ほとんど文献だけの存在であるヴァロドゥルモンというデジモンを追っている。デジモン自体が私達の世界の常識から考えると胡乱なのに、さらに眉唾ものなどとなれば公的な支援などもほぼ出ない。本来ならばそれで正解とさえ牙留は思う。 実際八田はその状況で研究の為に暴走し、デジタルワールドの一部のデジモン達の反発を招き国際問題になりかけた。それでも八田は止まる気がなさそうで、犯罪者として投獄するべきという意見さえあったそうだ。 だが、それから事情が変わった。ヴァロドゥルモンというデジモンの目撃証言、デジタルワールド側の特使であるアルフォースブイドラモン(個体名同)が何気なく話したというのだ。 強力とされるデジモンは数多くいるが、組織のしがらみなどを抱えたデジモンが多い。しかし、ヴァロドゥルモンはそうしたしがらみを持たない為、もし味方にできれば他国に先立つ力、核兵器の次の抑止力になり得る上、個人の意思と身体的特徴に他所は文句をつけづらい。 戦争だからなおさらだ。筋肉ムキムキの人を見かけた時に、その筋肉で人を殺すつもりだろうと非難する人はイカれてる。その規模が大きくなったとして人権団体なんかをうまく味方につければ非難するのは差別とし、差別に屈さないと主張できる。 と、いうのがヴァロドゥルモンに期待する人達の考え。 そして八田の元に牙留が派遣された。でも派遣されたのが牙留一人なのは、期待薄だから。流石に外務省が馬鹿だけで回っていないことに安心しつつ、牙留はそれでも派遣するボケがいることに辟易としていた。 八田はその姿を写真に収めることさえできていない。 成層圏を飛ぶ六枚の翼を持った首の長い光り輝く巨鳥。人間界との戦争が始まった二日後に人間界の各国のトップの首を落としたアルフォースブイドラモンが自分達に並ぶと言う存在のスケール。人間界の環境に慣れていると脳が理解を拒む存在だ。 「貴重なサンプルです。キノコの横に高度計と定規を置いて、写真をパシャリ、少し離れたところからも取りましょう。雪割キノコはこの周囲にはあまり生えません。入ってくるとすればそれ自体デジモンが持ち込んだということになります」 糞の前で八田は興奮して早口に喋りながら写真を撮る。 「そうですか、それにしても森林限界より高いこんなところにキノコが生えるんですね……」 この位置で高さはおよそ8000m、エベレストで登山家の排泄物を分解する生物がおらず残っていることが問題になっていることを考えると、異常に思えてならなかった。 やはりこの世界は異常だ、気持ちが悪い。デジタルワールドとは一線を引くべきなのだと牙留は思いを新たにした。 「DWの神秘ですね。専門家ではないので私は生えている、ということしか知りませんが……どこか離れた場所で胞子を体につけたか体内に取り込んだヴァロドゥルモンの糞によってここに持ち込まれたということもなきにしもあらずです!」 「……古代から生きてるというヴァロドゥルモンがキノコの胞子を身体につけて常にこの近くでうんこしてるなら、もっと雪割りキノコだらけなのでは?」 牙留の言葉に、八田は、あと小さく声を上げた後、そのあとぶつぶつと、ヴァロドゥルモンの食性が近年で変わった可能性もあるし、個体数が少ない為、持ち込まれこそしても栄養となる糞が絶えてその都度絶えているという可能性もまだ、ギリギリある、希望はまだ潰えてない……などと小さく呟き続けた。 「……さて、話を戻しますが、この山でこの高度で生えている理由は、おそらく『聖なる泉』にあります」 牙留も記録ではそれを知っていた。水脈があるわけでもなく、日常的に氷点下にあるのに飲用可の液体の水が湧き出る泉。日本での水質調査では土地の影響はそれなりにあるものの、何の変哲もない湧水とのことだった。 「『聖なる泉』が先かヴァロドゥルモンが先かはわかりませんが、古代デジタルワールドの住民達はその周囲に祭壇を作りお供えをし、天空の守護者としてヴァロドゥルモンを崇めたと言います。つまり、少なくとも水飲み場……お供えを食べていたのがそもそもこの辺りで食事もとっていたならば、この辺りにヴァロドゥルモンの食事の真実があるという訳です!」 そこに張り込みをしてヴァロドゥルモンを待つ。また、糞やその痕跡を探すというのが今回のフィールドワークの目的だ。 「それにしてもよくついてきてくれましたね。以前の担当の人は何かあったら連絡してくださいぐらいの感じで、山登りまではついてこなかったのですが」 八田の言葉に、牙留はハハッと乾いた笑いをあげた。 「……それで、『聖なる泉』に来たデジモンとトラブル起こしたのは八田さんですよね」 「それはあのパブリモンとかいうデジモンが聖なる泉に毒を入れてヴァロドゥルモンの姿を捉えようなんて事を考えていたからです」 デジモンにもメディアはいる。そのパブリモンがまさにその一体だったから世論に食い込み個人の問題ではなく国際問題にまでなりかけたのだ。 さぁ、もう一踏ん張りですと言って、糞のサンプルを採り終えた八田はまた歩き出した。 牙留は大分うんざりしていたが、それでも少し休んだ効果はあって、また歩き出せた。 ベースキャンプは『聖なる泉』と高さはほぼ同じだが、500mは離れたところに、主に氷のブロックで造られ、イヌイットのイグルーのようなものだった。 「そういえば、どうして『泉』の近くにキャンプしない? 遠いぞ?」 クロは使っていない内に開けられた穴を空気中の水分を凍結させてふさぎながら、そう八田に尋ねた。 「ヴァロドゥルモンは極めて強いデジモンであると伝わっていますが、目撃例も少ない……神経質なのではと考えています。その体躯からすれば500mでも近すぎるぐらいですが……私達の観測できる距離なんかを考えると、これ以上は難しいのです」 「ふむむ、わからんがわかった。歩きでくるのは趣味か? この辺りまで乗せてくれるデジモン、少ないけどいる。俺より高いけど、準備減らせてもっと安い」 「歩いて来ないと途中でサンプルを採取しにくいですし、結局『聖なる泉』の周りは自分達で歩く必要もありますからね、準備自体は一緒ですよ」 牙留は一緒じゃないと言いたかったがそれを押し殺した。圧縮酸素メモリを人間界仕様の酸素ボンベにできれば輸送の手間や金を考えてもモジャモンを二人雇える金になる。ブリンプモン(飛行船の様なデジモン。自身で整備できる上、製造コストの回収分もない為専門のエンジニアを雇う必要がなく同等の乗り物を用意するより遥かに安く済む)を行き帰りと補給に雇えれば他の装備もかなり抑えられる。助手を一人追加で渡航させてお釣りも出るぐらいの差がある。 そも、問題を過去に起こしてなければ担当は自分でないし自分の代わりに助手連れて行けたろうし、経費の計算まで自分がサポートする必要なんてなかったはずなのだ。 恨み言を言いたかったが、この閉鎖空間は数ヶ月続く、余計な波風は立ててはいけないのだ。 それから一ヶ月、吹雪が続いた。ベースキャンプ周辺の調査さえままならず、『聖なる泉』にデジモンが一体来たかさえわからない。 八田は採取済みのサンプルを調べ、その画像を人間界の助手に送ってできる調査をさせていたが、世界を隔てる上に吹雪の中、連絡も取れたり取れなかったり。 牙留は、報告書に吹雪で何も進展もなかったという事を種々様々に書くのがどんどん億劫になっていった。 モジャモンも暇を持て余していて、牙留は聞かされ飽きたヴァロドゥルモンの話を八田からずっと聞いていた。 「イヌワシ、人間界にいる鳥なのですが。イヌワシの行動範囲は70〜200㎢と言われています。それがイヌワシが生きていくのに必要な縄張りの広さと仮定した場合の、他にも色々乱暴な比較ですが、イヌワシの翼開長は175〜200㎝ですから、30mと言われるヴァロドゥルモンとは15倍、体積比は3325倍まで考えられます。665.000㎢、直径920kmの円までヴァロドゥルモンの縄張りと考えることができます」 日本列島を縦断するとおよそ3.000km、真っ直ぐに見れば2.000kmだったかと牙留は思い出し、想像上の地図に聞いた範囲を当てはめる。中国地方から沖縄本島ぐらいまではすっぽり入る。 「そんなに広いといくらでかいっても移動もめんどそうだけどなぁ」 クロはそう呟いた。 「いい疑問です。ヴァロドゥルモンは大きく発光もする目立つデジモン、エネルギー消費もかなり大きいはずで、ただいるだけでも食事をかなりの頻度で行わなければいけない。広大な範囲を移動するならなおさら。しかし、目撃例の少なさはそうでない事を物語っている……むしろこれを最大の根拠にヴァロドゥルモンの存在は幻のとされ、否定されてきました」 八田はそう興奮して話し続ける。八田の研究はアルフォースブイドラモンの発言があるまで学会でもほとんど相手にされて来なかった。 「そこで成層圏、40,000mの高さにいるという情報が意味を持ち出すのです。この高さならば雲はなく、安定して風が流れます。50m/s地上だと非常に強い台風に匹敵するその風に乗って滑空してるとすればどうでしょう。時速に直すと、180km/s、先ほど仮定した縄張りの範囲を5時間で横断できる計算です。 「でも、そんな高いとこもっと寒い。ヴァロドゥルモンダイジョブか?」 クロの言葉に、八田はにかっとわらう。 「それも高さが解決します。逆にここまで高くなると、気温は上がるのです。ここは年の平均気温はマイナス30℃程ですが、成層圏までいくと0℃のところもあります」 加えて、と八田はさらに続けた。 「ヴァロドゥルモンはパージシャインと呼ばれる光を常に伴っているという話。私はこれが水が瞬間的に沸騰してしまう環境下での防護服の役割を果たしていると見ています」 アンデッドデジモンの研究者四垂女史によると、ヴァンデモンというデジモンは手から赤い鞭状の光を出して、それで殴打することが可能、つまり、デジモンは質量を持つ光とでもいうべき現象を起こせるということなのですと八田は補足した。 「それを踏まえても食事の回数が少ないのではという指摘、ありましたよね?」 牙留はそうぼそりと呟いた。 「……その通りです。常に光を発しているのがネックで、ハチドリの様に代謝を落としていると考えても、落とせる代謝に限界があるのです。尻尾があるようなので恒温動物と変温動物の中間のような存在として考えても同じこと……ただ、デジモン自体が摂取カロリーから見て不可思議な現象もよく起こります。エネルギーの取り出し方を考察する為にはやはり……糞が必要ですね」 八田は回収した糞のサンプルを取り出したが、その仕切りのついたケースにはいくつものバツ印がついていた。 「……ダメだったんですか?」 「はい、登山道ですし『聖なる泉』に向かう道でもありますからね。鳥とはほど遠いデジモンの糞はもちろん、人の糞と見られるものもありました。鳥っぽいのもありましたが……」 「違ったんですね?」 「まだDNA鑑定はしていませんが……おそらくディアトリモンですね。3,000m付近に棲むファルコモンというデジモンから進化するデジモンです。ちなみにディアトリモンのものに関してはペリットも見つかりました」 片手に糞、片手に未消化の毛の塊を吐き出したものを持ちながら八田はそう言う。 そういえばいたなと牙留はめぼしいコーディネーターのリストを思い出す。気性が荒い種の為長期には向かないが、200km/hの速さで走れる上頑強な為、通信途絶状態に陥っても半日内に麓に連絡がつけられる利点は少し悩んだ。 でも結局コーディネーターを二体つけられる金銭的余裕はなかったので諦めた。世界間の移動は地球の裏側に行くより時間はかからないが金はかかる。 「そういえば、ヴァロドゥルモンって何食べるんですか?」 牙留は、一応八田の論文には全て目を通している。しかし、今のところヴァロドゥルモンの食性に触れたものは八田の論文にはなかった。 「……わからないんです。糞を採取する理由の一つはその確認のためです」 「デジタルワールドに来て最初に博物館で像やら絵画やら見たじゃないですか。形態的な特徴から推測はできるのでは?」 牙留の言葉に、八田はむむむと頭を抱えてしまった。 「……確かに、可能です。でも、それは私達の見た絵画の信頼性の問題もあります」 そして、そう絞り出すように言った。 「40,000mの高所で見かけた、はアルフォースブイドラモンの証言。鵜呑みにはできませんが、古代から残る史料で天空の守護者とされていることや、中途半端な高さだと気温が低くなり過ぎることを踏まえると一定の説得力があります。でも、古くの絵画や像はどこまで信じていいかわからないのですよ」 「尻尾の存在とかもそう言ったら信じていいかわからなくなりませんか?」 「……確かに、確かにそうなのですが、口元の形状とかの細部よりも尻尾状かどうかという大きなシルエットの方がまだ信じるに足る情報と言えなくも……」 「おれ、よくわかんない。もし、信じたらどうなる?」 「有力なのは肉です。大抵のヴァロドゥルモンを描いた絵には牙が描写されています。また、地上に降りる機会が少ないだろうことと、必要とされるはずのエネルギー量を考えるとカロリーが高い肉が最有力です。あ、ちなみに生えている方じゃなく、デジモン血肉という意味での肉です」 人間界ではまずないことだが、このデジタルワールドには骨つきの肉が植物のように生える。デジモンと戦って食べるよりも普通に考えれば楽なはずだ。 「歯がない場合は?」 「……花の蜜や、ココナッツの果肉、アボカドのような高脂肪の果実なんかですかね。しかし、寒い地域ではあまりそうした植物はなく、可能性は低いかなと。先に述べた肉さえあまり自生していません。とにかくカロリーが高いもの、消化が容易なものが有力です。飛ぶのに体が重くなっては困りますからね」 まぁでも、と八田は諦めたように笑う。 「実際に見てみるまでは何もわかりません」 それを言ったらおしまいだろうと牙留は思ったが、やっぱり口には出さなかった。 「デジモンは物理学者泣かせです、説得力ある仮説も、どうなっているかを観察したデータの前にはただ頭を垂れる他ありません。だから、私達は実際のそれを求めているのです!」 八田の言葉にクロはよくわからないという顔をした。 「……よく知らないのに、そんなに知りたいのか? 人間はみんなそうか?」 「みんなそうだったらこの山は研究者のテントだらけになってるでしょうね」 牙留はそう代わりに返した。 「じゃあ、お前達はなんでだ?」 「私は仕事ですが……」 そういえば、牙留は何故ヴァロドゥルモンの研究をしているのかを聞いたことがなかった。論文には一応お題目があるが、そんなのは一般的な価値の話、八田個人の理由を牙留は知らない。 八田は、少々困ったような顔をした。そして、他の誰にも言ってないのですが、と前置きして話し始めた。 「私は過去に一度、ヴァロドゥルモンを見かけたことがあります」 「……それは、どういう?」 「知っての通り、世界間の接触が起きてすぐ、不安定でゲートが自然に乱発生した時期があったでしょう?」 有名な話だ。人間界全体で十万とも二十万とも言われる人が行方不明となり、帰ってきたのはおよそ500人、うち生存者は50人にも満たない。 被害者の身元は可能な限り秘匿され、無理に暴いて人々を先導した人物が内乱罪で無期禁錮刑になるほどに、その時点の世界の秩序を揺るがした。 「私は一日だけデジタルワールドに来ていたのです。その姿が監視カメラに映ってなかったら、幻覚だったと私自身信じそうな体験でした」 「その時、見たのか?」 「……私が見たのは、閉じかけのゲートを強引に開く七色の光、そして、ゲートに飛び込んだ際に身体がぐりんと回転しまして、虹を背負う巨鳥が空に見えたんです。一瞬だったので本当にそうだったかは……」 八田は大した理由でなくお恥ずかしいと顔を手で覆った。 それに対して、普段の牙留なら、恥ずかしくはないけどイカれてると思っただろうし、今も半分ぐらいはそう思っていた。しかし、同時にふと別の気持ちも浮かんできた。 本物でなきゃダメなんだろうか。 散々付き合わされてきた牙留は相応に、ヴァロドゥルモンの絵や像を見ている。中には確かに美術館で鑑賞するようなほうと息を呑む美しさを持つ作品もあった。 ならば、本物はどうなのだろうと。代替品で充分美しいし、仏像に感謝するように感謝するでいいのに、 そんな風に思った翌日、天気は嘘のように良くなり、八田とクロは初めて『聖なる泉』に行くことになった。 牙留は見張り(デジモン相手に守れるわけもないが)のために残った。 回復した通信にやっと進むようになった事務仕事をこなし、一息吐こうとテントの外に出た。 そして、初めて外の異常に気がついた。雪の上はただでさえ明るいが、それを押しても明るく、テントの中では気づかなかったが背後に太陽があるかのような暖かさがあった。 ゆっくりと振り返ろうとすると、何かの羽ばたく音と共に光が空へと上がっていった。 空を見上げると、そこには牙留の想像した存在がいた。 ただ、その翼は石造のそれより力強く。纏う光は絵画より鮮やかで、あっという間に昇っていく様は牙留にある種の爽快感を覚えさせた。 思わず口元が緩んでいた。目は釘付けになり、頭はただ目の前の情報をそのまま捉えるだけで精一杯。 天より高く、もはや高すぎて見えなくなるまで、牙留はヴァロドゥルモンをみ続けた。そして、見えなくなると思わずその場に立ち尽くし目を瞑った。 「ガルさぁあああああん!!!」 八田の絶叫を聞いて、意識が現実に戻ってくる。 そうだ、と牙留はあることを思い出してテントの裏側を確認すると、ふっと笑った。 「い、今あなたの後ろにッ!! テントのッ!」 ぜーぜーひゅーひゅー叫びすぎて荒い呼吸をしながらも興奮している八田に、牙留はうるさいうるさいと耳を塞ぎ、それよりとテントの裏を指差した。 「鳥は身体を軽くする為にあまり溜め込まないんでしたよね?」 まさか、と八田はそこにあったものを見て、一瞬言葉を失った後、また叫んだ。 「やったあぁ! うんこだぁぁ!!」 小学生みたいな喜び方をする八田に、牙留は前ほど辟易としなかった。少しだけ、この研究者を支える立場であることが誇らしく思えた。
『まる』より知覚、山岳にて content media
2
4
48
へりこにあん
2022年10月30日
In デジモン創作サロン
「副会長、実は私、……を持って……食べるかい?」 「……甘い……ところが苦手で」 生徒会室の薄い扉越しに、思い人の中村の声を聞いて、横田勇気(ヨコタ ファイト)は思わず手に持ったお弁当とパウンドケーキを落としそうになった。 中村の誕生日から、勇気は生徒会で集まる機会があれば毎回のようにお菓子を作っていき女子力アピールをしていたのだが、今それが全てひっくり返った。 普通に食べていたから甘いものが苦手なんて勇気は考えもしなかった。しかし、勇気が中村を好きになったのはその優しさ故で、その優しさや面倒見の良さを思えば後輩が持ってきたからと無理して食べていたということは十分考えられた。 勇気は目頭が熱くなるのを感じた。素知らぬフリして一緒に昼食をというのは勇気にはもうできなかった。 踵を返すと、勇気は廊下を早足で戻っていく。 その音に、ふらっと生徒会長の黒木は廊下に顔を出した。 「横田くん……だな。何か用事があったのか? 副会長、聞いてるかい?」 黒木は丸い鏡のストラップがついたスマホを手に取ると、連絡が来てないか確認した。 「特に聞いてませんけれど」 「ふむ……まぁ別に役員みんなが昼を生徒会室で取るわけでもないしな。ところで……やっぱりゼリービーンズはいらないか?」 「はい……甘いものは好きですけれど、ゼリービーンズはにちゃっとした食感が苦手で……」 中村はそう少し申しわけなさそうに答えた。 「ふーむ、横田くんが最近よくお菓子を持ってきてくれるからお返しの意を込めて持ってきたのに、これじゃ私一人しか食べる人がいないな……」 他の子達お昼生徒会室来ないしな、と独り言を呟きながら黒木は鮮やかな黄緑色のゼリービーンズを一つ口に放り込んだ。 「いぇーい生徒会長見てるー? お宅の庶務ちゃんとこれから二人でジャスコに買い物に行きまーす」 放課後、勇気は家庭科部部長を名乗る黒髪ツインテに瓶底眼鏡の女子に急に肩を組まれ生徒会長にテレビ通話をかけさせられていた。 『横田が何の罪を犯した。そんな拷問を受ける謂れはないはずだ』 画面に映った黒木は額に青筋を立てながら落ち着いた口調ながら怒りをおさえられない調子でそう口にした。 「ふぅー! 愛してるぜハニー!」 『要求はなんだ、なんでもする。横田は私の大切な後はーー』 ブツッ 生徒会長の物騒なセリフを遮って家庭科部部長は通話を切った。 「……よっしゃ、じゃあ許可を取ったところで買い物行こう!」 なんでこうなったのだろうと勇気は思い出す。 まず、あの昼休み、意気消沈した勇気は真っ赤な頭の幼馴染の前田米(ヨネ)を訪ねて家庭科室に向かった。 すると、米はいつもそうしているようにそこで鍋からラーメンをすすっていた。ガジラと勇気には紹介したガジモンという中型犬くらいの獣もそばにいた。 勇気は持ってたパウンドケーキをやけ食いしながら米に経緯を話していた。 そして、話は聞かせてもらったと側転しながら家庭科部部長が家庭科室に入ってくると、バランスを崩してどしーんと勢いよく倒れた。 その音を聞き、家庭科教師にして家庭科部顧問の小牧がやってきた。 小牧は状況を把握すると、インスタントラーメンの袋を確保し、米とラーメンを生徒指導室に連れていった。ガジモンは小牧が入ってくる前にしれっと隠れて無事だった。 急展開に追いつかず困惑する勇気に、家庭科部部長は安心しろと肩を叩いた。 「前田の代わりに私が君の恋愛をサポートしよう! 放課後家庭科室に来てくれたまえ、恋愛の『答え』ってやつをみせてあげよう!」 というわけで、無視するのも悪いし、中村とのことに関しては本当に藁にもすがる気持ちだった勇気は放課後に一応家庭科室に来てしまった。 その結果がこのザマである。 「あ、あの……なんで買い物に?」 恋愛相談は、と困惑する勇気に対して家庭科部部長はもちろんわかってるさとサムズアップした。 「買い物の目的はだね、ラヴレター用の便箋を買いに行くことなのさ!」 ここでバーンという効果音と続け、家庭科部部長は肩を組んだまま歩き出した。 「え? えっ!? ラヴレターってなんで……?」 「そりゃあ、告白のためよ。捨て告白……って言うとアレだけどもさ、付き合う為にはまず恋愛対象って意識させねぇとなぁ〜、一回でうまくいったら丸儲けだぜぇ〜!!」 ガハハハと笑い声を上げる家庭科部部長の奇妙さについて考える余裕は今の勇気にはない。 告白は一大事である。生徒会というつながりはあれ、今までのような純粋な先輩後輩の関係は絶対に壊れてしまう。 告白の後そっけない関係になってしまったらと思うと、名前の様な勇気はとても出ない。 「でも、君アレでしょう。面と向かってはかなりドキドキするでしょう、だから文章にする訳ですよ。同時に向こうの手元に物が残るからなかったことにもしにくいしさ」 メリットとして語られるそれは勇気の恐れを加速させる。 「……あの、告白以外ってないんですか?」 「ないね!」 「えぇ……」 「だって君さ、その彼と学年も違うわけで生徒会しか接点ないんでしょ? 部活に比べたらそこまで頻繁な活動もないし、甘いものが苦手かもしれないって情報も掴めないぐらいなわけですよ」 そう言われてしまうと勇気は全く否定できなかった。 「相手のこと知るには接点増やすのが一番早い。そして、接点増やすには関係性を増やすのが一番早い。でも、幼馴染とか同じクラスとかに生まれ変われやしないべ?」 ずんずん家庭科部部長は勇気の手を引き歩きながら喋る。 「告白することで、向こうから見た君に『自分を好きな女子』という属性がつく。これはかなり強い関係性、他の人には見せない顔を見せてくれると期待できる!」 確かにちょっと赤面する中村とか見てみたいかもしれないと勇気が顔を上げると、不意にスカイフィッシュが目の前を通り過ぎていった。 「……あ、あの、ちょっと急ぎましょう。雨降るかも」 「え? そう? 今日の降水確率2%ぞ?」 スカイフィッシュを見かけたら雨が降る、勇気は経験則でそれを知っていたがそう口には出せなかった。 勇気は他人が見えないものを見て生きてきた。夏になれば実家近くではくねくねを毎日のように見るし、スカイフィッシュは野良猫並に遭遇する。 でも、言えば周りがどう見るか知っているから、勇気は言わない。 「……あ、雨の匂いがしたんです」 「あー、あるよねそういうの。正直私にゃまだその匂いはわからんのだが……」 買い物行く気になったならよし! と家庭科部部長は笑った。 ちょっと急ぐかぁと家庭科部部長は少し早足になり、勇気もそれに追いつくべく足を早める。 でも、ほんの少しだけ足がすくんだ。中村との関係が深まるのもまた勇気は少し怖い。 勇気の感じている世界は他人から見れば妄想でしかなく、なにより勇気だけが感じるそれらは全てが無害でもない。 関係が深まって、自分のことをもっと知ってほしい理解して欲しいと思った時、それは避けては通れない。 やっぱり告白するべきではないのでは、勇気は一瞬そう思った。 ペラペラぺちゃくちゃがはははと一人で愉快に騒ぐ家庭科部部長に適当な返事を返しながら、勇気の頭の中は告白のことでいっぱいになる。 だからか、ショッピングモールの一階を歩いていた勇気は、ふと奇妙なものを見つけた。 身長数メートルはある、大きな赤黒いハットと暗緑色のワンピースを着た女性のような何か。よくよく見れば黒い手袋に覆われた指は関節などないかのように唸り、足も靴の辺りで一つになっているようだった。 その女性に、その圧に、勇気は思わず即座に目を逸らしてしまった。 勇気に気づいて、その女の様なものがぐにゃりぐにゃりと咲いていく。 ハットは花に、手は歯に、足元も花を逆さにしたかの様に変貌して、目も鼻もない緑暗色の顔面がぱっくりと裂けて鋭い歯列が覗く。 そして甘い臭いがその化け物から周囲に広がった。 甘い匂い、でもそれは心地よいそれではなく、果実を潰して腐敗させたような甘さが、勇気の鼻から入ってざわりと脳を舐めていった。 「……あ、あの、ちょっと屋上行きませんか?」 勇気はなるべく息をしない様にそう言ってその化け物に背を向けた。 「ここの屋上駐車じゃよ?」 「いいんです……それで」 家庭科部部長の言葉も無碍にし、人の多いエレベーターやエスカレーターを避けて、階段へと早足で歩き出した。 幸いにもそれはそう足が早くない、ただ、それが悪い方向にこの場では作用した。 「なにか、変な臭いしない?」 誰かがそんなことを呟いた。 自分以外にもそれの影響を認識している事実に、思わず勇気の足が止まる。 すると、その背を家庭科部部長がどんと押した。 「……止まっちゃダメよ? 大丈夫、それを本当に捉えているのは君だけ」 勇気の見てる前で、鼻を押さえた女性にむけて化け物が舌をまっすぐ伸ばしたものの、それは女性の身体をすり抜けた。 「ここで止まって観測し続けると、それが存在するという認識が周囲に波及しちゃう」 家庭科部部長は勇気を小脇に抱えると、そのまま階段に向けて走り出した。 「えと……なんで、部長さんはそんなことを……」 家庭科部部長はストラップのついた小さな丸い鏡を取り出して背後から追ってくるその怪物を確認した。 「私達ヒトはそれを普通には認識できないけど、鏡という『正しい姿と異なる姿を見せる物』を通じれば輪郭ぐらいは見えるし……」 そう言いながら軽やかに屋上駐車場まで辿り着くと、家庭科部部長は鏡を後ろから追ってくる化け物に向けた。 すると、鏡からぬるりと白魚の様な美しい指が出た。 勇気が見ている前で、手が出て腕が出て、肩、頭とあっという間に小さな鏡を通り抜けて勇気と同じ制服の女子生徒が現れた。 「横田くん、怪我はないかい?」 生徒会長の黒木山吹は、そう言うと、懐から小さな小箱を取り出して開けた。 一瞬、勇気には箱の中から明らかに箱より大きな緑色の塊が見えた気がしたが、山吹が右手を下から持ち上げる様に前に掲げるとそれは弾けて光となって卵状に山吹を包む。 「イミテイト・スピリットエボリューション」 山吹の言葉に漠然と包んでいた光が山吹の身体にピッタリとまとわりついてその姿を変質させていく。 緑色のどこか道化を思わせる鎧を着たその人型の何かは、人型ではあるけれど明らかに人ではなかった。顔のあるべき場所には口紅の塗られた鏡だけがあり、胴と両腕の鏡も不気味だった。 「うーん、いつ見てもダサいよね」 「……ルードリー・タルパナ」 家庭科部部長の言葉を無視して山吹はそう呟き、山吹は鏡の中から金と赤のどう使うのかもわからない武器らしきものを取り出した。 その先端を化け物へと向けると、ちらりと山吹は勇気を見た。 「横田君、見ない方がいい。気分のいいものではないからね」 勇気はそう言われて、なんとなく何が起きるかをわかっても化け物をみた。 「タス……ケ、テ……」 化け物は、笑みを浮かべながらそう言葉を口にした。 「タスケ、テ……シ、ニタク……ナイ……」 そう言いながら、降伏する様に頭を垂れて両の手をその化け物は広げた。 それを見て、その声を聞いて、山吹はその武器の引き金を引いた。息つく暇なく絶え間なく化け物に向けて撃ち出された焔の弾丸はその化け物をあっという間に蜂の巣にし、残った身体をもあっという間に業火で焼いた。 「いやぁ! 生徒会長様は本当にかっこいいですなぁ!」 「やめろ、うざい、白蓮うざい」 人の姿に戻った山吹を、家庭科部部長はうりうりと肘でつついてからかい、山吹は白蓮と名前で呼んで雑に扱う。 「会長と部長さんって……」 「「双子」」 私、黒木白蓮と家庭科部部長は自分の胸を親指で指した。 「……さて、では横田君。買い物なら私と行こう。壺とか買わされてないね?」 「えぇ、まぁ……来たばっかなので」 「おいおいおいいくらなんでも横暴じゃない? 恋愛相談に乗るのが罪かい? 彼女の恋心は儚い、丁寧なフォロー山吹にできるのかい!?」 突然そう身体を揺らしながら韻(ライム)を白蓮は刻み出す。 「……突然ラップするなはしたない、しかもヤクザな言いがかり。フォローできるか? やり遂げるさこの私、部外者は手を出すな、私は横田の先輩。生徒会長黒木山吹」 お前はお呼びじゃないと断言して、山吹は自分の首を親指で掻き切るジェスチャーをした。 「で、まぁ真面目な話なんだけど、この事態の説明抜きに解散! お買い物! は流石にどうなのって……」 白蓮の言葉に山吹は聞きたいと聞く様に勇気を見た。 「私は別に説明とかなくても……ああいうのに襲われるのちょこちょこありますし」 「……ちょこちょこあるの? 前田関連?」 「なんでま……えださんの話が?」 「……よっしゃ、ここは私が奢るからフードコート行こうぜ!」 「横田君、奢ったんだからと何か要求されるかもしれないからやめといた方がいい。ほら、ゼリービーンズをあげよう」 「ありがとうございます」 「……横田君も食感が苦手とかあったら無理に食べなくていいからね。副会長はこの食感が苦手らしい」 「え? 中村さんって甘いの苦手なんじゃ……」 「いや? 去年は自分でもお菓子持ってきてたしそんなことはないと思うぞ」 勇気は口にゼリービーンズを放り込むと、甘さが口の中に広がった。 「で、どうしたんですかその後」 鍋からラーメンを啜りながら、米はそう白蓮に聞いた。 「横田女史は一応便箋は買ってたよ。告白したかどうかは神のみぞ知るって感じ……いや、便箋(かみ)のみぞ知るって感じかな……」 「へぇー」 「ところで、横田女史のあの特異な能力なんだが……」 「ゆうちゃんは普通の女子高生ですよ。恋に恋するふっつーの」 米はそう言ってスープを飲み干すと腹をぽんと叩いた。それを見て、ガジモンははしたないわぁと呟いた。
3
5
54
へりこにあん
2022年10月24日
In デジモン創作サロン
という感じで、ユキさんにデジモン化企画をそそのかしたへりこにあんです。ベーシックなデジモン化イラストで勝負という感じ。話の流れはなんとなく見て補完して頂ければ……むしろその方が面白いと思うので。 ではでは、素敵な企画に感謝を。ありがとうございました。
【単発作品企画】Trick more than Treet【ハロウィン】 content media
2
2
35
へりこにあん
2022年10月09日
In デジモン創作サロン
手が血に濡れていた。地面には昨日まで笑い合っていたデジモン達が転がっていて、その目は恐怖と苦痛を私に訴えかける。 「……なんて、おぞましい、やはり天使型デジモン達は皆同じなのだ……」「あのルーチェモンと同じ……」「私達をずっと騙していたんだ……」 倒れたデジモン達の恨み節が聞こえる。か細い声で息絶え絶えに、殺されると思いながらも彼等は私に憎しみを投げかける。 耳を手で塞ぐと、ねちゃと返り血の水音がした。 その場から逃げ出したくて、でも逃げる場所も私には思いつかなかった。この小国で育ち、この小国を愛していた。一度も国から出たことなどない、ただ熱心にビーストヒューマン隔てなく平和に幸せに生きられる様にと努めてきた。 「ルーチェモン様……どうしてこうなったのです……」 ふと、視界の端に幼年期のデジモン達と、それを守る様にか率いる様にか立つコテモンの姿が映り込んだ。 彼等は弱く、もう戦いは終わったとはいえ、瓦礫やガラス片は彼等を傷付けるにはは十分だ。 誰かが保護しなければと私が歩き出すと、彼等は怯えた顔をして逃げていく。 つい昨日、一緒に野菜の苗を植えて楽しみだねって笑い合ったのに。今の私は彼等にとって恐怖なのだ。 地面に置いたままの剣を取りに引き返す。戦闘が始まる前に投げ捨てた剣は誰も切ってないのに血に汚れていた。 刃に映る自分の顔は仮面に隠れてもひどく歪んでいるのがわかった。 街から立ち去る時、戦いから離れた場所にあったのにぐちゃぐちゃにされた野菜の苗が目に入って、私は泣いた。  悪夢にうなされて起きた俺は、森の寝床を飛んで出ると、そのまま川に向かってじっとりとした嫌な汗を流す。アレはもう五年は前、【ルーチェモンの乱心】の直後の話だ。 ルーチェモンはヒューマンとビーストの戦争を収め、デジタルワールド全域を平和に導き、千年以上大きな戦をなくした理想的統治者だった。 でも、ルーチェモンは五百年経ち世代が交代してもなくならない戦争に苦しみ、心を病み、そしてデジモンという種を見限った。 デジモンは殺し合うことなくして生きられない種なのだと。そして、世界ごとデジモンを作り直す為にリソース集めを始めた。 でも、そこに本来デジモンの虐殺やロードは含まれていなかった。でも、デジモンを争わない様に作り直すことを殺されると考えた一部のデジモンがルーチェモンに反旗を翻した。 それが鎮圧されると、その残党はルーチェモンに意見したら皆殺しにされたと、天使型デジモン達はいずれ背中から刺してくるぞと世界中に触れ回った。 当時の俺は、今もそうだが天使型のダルクモン。こう言うとなんだが国で一番目立つ天使型だった。ヒューマンとビーストが争わない様にと厳格に監視する他の仲間達が多かったが、私は率先して民と一緒に清貧の生活を訴え作物の作り方を教えるなどしていた。 そして、あの日、私は他の天使達同様に急に襲われた。まず自分から剣を捨てて話し合おうと提案して、止まらなくて、自衛のために拳を握って、気がついたら皆が倒れていた。自分の才能は拳にあった。 川に身を沈めて金色の羽を広げ、隅々まで汚れを落とす。 ルーチェモンがデジモンを見限ったことは私にとっても裏切りだった。でも、そうでないデジモン達からは俺は敵でしかない。 「お前が、森に住み着いたというダルクモンか」 川から上がると、脱いで置いた服を四足の獣の身体から竜人の上半身が生え、赤い弓を携えたデジモンが踏みつけていた。 「そうだ……そうですわ。私に何か用でしょうか、街に出ていく気はありませんわ。もう疲れましたの」 「我が名はサジタリモン」 「……ご丁寧にどうも、白亜の城の国出身のダルクモンですわ」 「お前にlevel4としては破格の懸賞金が掛けられているのを知ってるか? 千体に一体しかいない完全体をも上回る力を持ち、拳で一国をルーチェモンに捧げた血の聖女。他のダルクモンと混同するべからず、と」 知っている。何度も来て、何度も追い返した。 脚を全部潰すと街まで送らなければいけないが片脚だけなら自力で帰ってもらえるということもその時知った。 「……私はルーチェモンに国を捧げてなどいませんわ」 「だが、お前は国を落として真っ直ぐにルーチェモンの元に向かったと聞いている」 「真意を問いに行ったのです。望む答えは得られず、命からがら落ち延びて、ルーチェモンが全デジモンをロードするその日まで静かに余生を送ることに決めたのです」 「その力、確かめさせてもらう」 サジタリモンはそう言って弓に矢をつがえ、放った。 放たれた矢は俺の手のひらをほんの少し摩擦で温めただけ。掴んだ矢をぽいと投げて川魚を突き刺す。 「あのお魚はお土産に差し上げます」 そう言ってから、ダルクモンは中指を突き立てた。 「さっさと帰れ。ここに残ったらアレがお前の未来だ」 そのダルクモンの言葉に、サジタリモンは怯えるどころか目を輝かせた。 「素晴らしい……あなたこそルーチェモンを討てるデジモンだ。私を部下に、そして共に悪逆と戦ってはくれませんか」 サジタリモンはそう言うと、その場で膝をついた。 「討てたらとっくに討ってます。きっと彼の方はlevel5まで上がりきったあと、もう一周level1から進化してlevel3まで上がってるのですわ。私とはレベルが違うのですわ」 「……もしかして、十闘士のことをご存じないのですか?」 サジタリモンの言葉に、俺は少しだけ興味を引かれた。俺を倒しに来たデジモンの一体が、いずれ天使は十闘士が皆殺しにしてくれると言っていたのを覚えていた。 「十闘士、聞いたことあります。凄腕のlevel5のデジモン達だとか。でも、一度ルーチェモンに敗走したのではなかったかしら」 「それが、彼等はlevel6に進化し、この前の戦でルーチェモンを逆に退かせたと。その後、各地でlevel6に進化するデジモン達が現れ始めているという話です。あなたもきっとその器……level5を倒すだけの力を持ちながらlevel4なのはきっとlevel6に進化する素質を持つ為の歪みなのです」 だとしたら、と俺は考えてしまった。 諦めていたつもりだったのに脳裏に浮かんだのはあの子達。俺、いや私が、ルーチェモンを倒したら皆もまた私と一緒に笑ってくれるだろうか。 でも、それはないのだ。ない。ルーチェモンは最強だ。十闘士がいくら新しいlevelに足を踏み入れようと、それを超越しているのがルーチェモンだ。 「……面白い空想でしたわ。お帰りください」 「ですが、そうすればきっとあなたの名誉も……」 サジタリモンの角を掴んで地面に引きずり倒す。 「俺は帰れと言った……もう、二度と私は誰かと関わったりしない。ルーチェモンと同じ、俺は天使型だ」 私がそう言っても、サジタリモンは帰らなかった。 いつか説得できると思っているのか、俺のそばに住み着いて時折調味料なんかを街で買って渡してくる様になった。 「俺より強いやつだって幾らでもいるだろうに……」 「いませんよ。level6への道を開いたデジモン達は皆level5の中でも一際目立つ強さを元々持っていたデジモン達。しかし、level4の時点でlevel5数体を含む数千のデジモンを倒せるデジモンは多分いません。それこそルーチェモンかその三弟子になるでしょう」 ルーチェモンの三弟子、三体の通常のlevel5とは一線を画す天使型デジモン。今は十闘士と共に打倒ルーチェモンを掲げているという。 私なんかのそばにいたって肝心な時に守りきれないのは目に見えている。俺は拳の届く範囲のものを壊すしかできないのだ。 「先生、ぼーっとして考え事ですか?」 「えぇ、特に何もありませんわ……じゃなかった。特になにもねぇよ。うっとおしいのがどうしたらいなくなるかと考えてた」 「虫ですか? 煙でも炊きますか? 先生」 「……お前だよ。お前。あと先生予備もやめてくれ、色々思い出す」 「子供達に色々教えていましたもんね」 一瞬不思議に思ったが、召喚首になってるならば情報なんかもきっと売られていることだろうと、私は気にも留めなかった。 そんな感じで、幾ら追い払っても来て、いくらやめさせようとしても先生と呼んでくるサジタリモンは、気がつけば俺の生活の一部になっていた。 「先生は何故俺とか言うようになったのですか? 敵意薄い相手とかだと私とか丁寧な口調は今も漏れますけど」 「漏れてない。私はずっと俺と言ってる。お前の耳がイカれてる」 「今も私って言ってましたよ。でなんでですか先生」 「……ナメられるから。戦いたくない、戦うのが嫌だ、誰も傷つけたくない、それを表に出していると実力差もわからない弱いデジモンが突っかかってくる」 拳で誰かを殴るのは斧で薪を割るのは違う。痛みなんてなくとも胸が痛むのだ。 「すごんでも痛めつけても粘着するやつがいるのは困る。怖がられていないとこの拳は自衛の為に誰かを傷つけることになる」 帰れと何度目になるかわからない言葉を投げかけると、その日はそれまでと少し違った反応が返ってきた。 「……先生、私の帰り道に同行してくれませんか?」 「一人で帰れないのですか?」 「……はい。実を言うと、先生に会う一月前までlevel3で、まともに戦ったことなんてないんです。一人旅は無理です」 「どうりで弓がへなちょこだと思っていました。死なれても目覚めが悪いですし、へなちょこがお家に帰れるまでは送ってあげましょう」 送ると言ったものの、私はその道中のほとんどをサジタリモンの背中の上で過ごした。戦いはへなちょこだったが速く走り且つそれを長時間維持することにサジタリモンは長けていた。 時には背中で私が眠っていても夜通し走り続けていたらしかった。 どうしてそんなに急ぐのかとも思ったが、いつ私の気が変わって殺されるかもと怯えているのだろうと思った。 しかし、急いでいた理由がそうではなかったことはある朝、何度目かになるサジタリモンの背中で起きた時に知った。 そこにあったのは白亜の城だった。私の故郷のシンボルであるそれを見間違えることなど私に限ってあり得なかった。 「……どういうことですサジタリモン。故郷までなどと、私を騙したのですか?」 「いや、違います……違う、違うんだ先生。私は、僕は確かにこの街の出身なんだ」 サジタリモンの姿が一瞬光に包まれて、何か黄色い卵状のものが転がり、光の中からコテモンが現れた。 「……どういうことですの。なにもわかりませんわ」 「本当は、本当はちゃんと説得して連れて行きたかった。先生と一緒にルーチェモン側のデジモン達と戦って、みんなを説得できる材料も準備して、そうやって……」 私は思わず、その場に膝をついてコテモンの顔を覗き込んだ。 「……先生は怒ってるわけじゃありませんわ。落ち着いて」 私がそう言っても、コテモンはなにか堰が壊れた様に言いたいことが溢れ出してどれもうまく形にならないようだった。 ともすればとちらりと転がった卵状のものを見る。あの卵が何かサジタリモンとしての落ち着きや自信を与えていたのかもしれなかった。 「でも、国に盗賊の一団が向かってきているって言うから、それで、急いで騙し討ちみたいな形になって……」 私がみんなを倒したからだと思った。 あの日、私はみんなの脚を奪った。戦い慣れてなかったから、加減なんてわからなくてきっと後遺症が残ったデジモンばかりだったはずだ。元いた天使の兵隊達は住民達に倒されている。 「新しく派遣された天使の兵達は……?」 「えと、その……ルーチェモンが十闘士相手に敗走したからって、みんなが前に追い出しちゃっていて……」 「……それで、国のピンチに恐怖を押して私に会いに来たのね。とても勇敢で優しい子ですわね、あなたは」 私がコテモンの頭を撫でると、コテモンは違うと首を横に振った。 「違う、違う! 僕は関係なく先生を探しに出ていてッ! それでッ! 話を聞いたのはその後で……!」 「いいのですわ。もう私は先生と呼ばれるべきデジモンではありません」 私が先生をやりたくとも、俺が一番得意なのは、素手で何かを壊すこと。せめてそれをかつての教え子達を守る為に振るえるというのは僥倖だろう。 「ここにいる俺は、恐怖。天使の形をした暴力だ」 街の方へ迫る砂煙が遠くに見えた。俺はコテモンを置いてその場から飛び立ち、砂煙を上げる中規模の集団の進路に立ち塞がると、剣を抜いた。 昔から剣は苦手だ。ダルクモンという種の冴えある剣技は俺にはない。持った剣を構えると、俺はそれを集団の先頭を走るデジモンに向けて投げつけた。 そのデジモンは、自分の肩に突き刺さった剣を受けて一度地面に倒れた。 そして、それを合図に集団は足を止めた。 「……オ、マエ。オマエは何者だ?」 恐竜と虫の合いの子のようなlevel5らしいそのデジモンを見ても、俺はなにも怖くなかった。 うっすらと漂う血の匂いが、俺の姿を見てか集団から上げられる下卑た笑いが、こいつらは壊していいと俺に思わせてくれる。 「雑魚に知らせる名前はねぇ」 「お頭になんて口聞きやがる小柄な天使風情が!」 古木を重ねたようなデジモンから黒い霧のようなものが出て俺の身体にまとわりつく。服に穴を開け、肌に噛み付く極小の虫。 「裸に剥いてやれー!」「勘違い天使をわからせろー!」「おい全然見えねぇぞ!」「声を聞かせろよ苦悶の声をよぉ!」 気持ち悪い悍ましい声がかけられる。肌に虫が噛み付く感覚もひどく不快だ。 こんなものはコテモン達には見せられない。まだあの子達は幼い。私は彼等を守らなければいけない。俺はこいつらを滅ぼさないといけない。 すーと細く息を吸い、吐きながら地面を思い切り踏みつけつつ背中の翼をピンと張る。 身体にまとわりついていた虫は俺の全身を走る衝撃に潰れて地面に落ち、踏み締めた地面にはボコと穴が開く。 尚も古木のデジモンから俺の体積の数倍の虫が放たれまとわりついてくるが、一歩進むごとに俺の周りを覆う霧がごっそりと削れて地面のシミになっていく。 彼等が残したのは服に開けた小さな穴ぐらいで、皮膚からは血の一滴も出なかった。 「お前、どういうこッ」 俺はその古木のデジモンの脚を掌底で殴る。脚は内側から弾け飛び、そのデジモンは苦悶の声をあげる。それを聞きながら、俺は残る三本の足も奪っていった。 そうして他のデジモン達を見ると、ほとんどのデジモンが怯え、無視して街に行こうなんて言ってるデジモンまでいる始末だった。 私に注意を集めて、戦うことを選ばせるようにしなくてはいけない。 「……なにをびびってるんですの? テメェらは喧嘩ふっかけられたら虫差し向けてお肌の汚れを取ってあげたらはいさようならの、親切グループなんですの?」 それに何体かのデジモンがいらだったのが見てとれた。 「一発でもまともに入れられたら……優しく抱いていい子いい子して差し上げますわ」 俺はそう言って、何も面白くないのに笑みを作った。 先陣を切ったカマキリの姿のlevel4を手刀で叩き落とす。ゴキブリのlevel4は、直接当たらずゴミを降らせてきたが、軽く殴って散らした後、降ってきた中から良さげなものを見繕って拳で弾いて弾にすれば、他の何体かのデジモン達と共に手脚を砕かれ這いつくばることになった。 何体か倒したら巻き込まないように少し場所を変え、広い草原に次々と負傷者の山が出来上がっていく。 何体かで一斉にかかってきても、同時のようでタイミングには隙間があり、その隙間は俺が拳や蹴りを叩き込むには十分すぎて単体で相手するのと大した差はなかった。 「……お頭、こいつヤベェよ!!」 「チッ……これじゃ街に着く頃には半分になっちまうナ。足手まといのこいつらを連れて引くのも手、かもナ……」 「まぁ待ちなさい。そういう時の為に私がここにいるのでしょう」 そう言いながら、スッとひらひらと風に靡くピンクとの袖を振る奇妙な頭と細すぎる腰のデジモンが、盗賊頭の前に進み出た。 「……マタドゥルモンの先生、お願いできますか」 「任せてちょうだい。ダンスは得意なのよ」 マタドゥルモンと呼ばれたデジモンはそう言いながら軽やかな足取りで俺の前に出てきた。 「最近ストーカーに追われているもので、仮の姿にて失礼するわね。お嬢さん」 「……それは、丁寧にどうも」 一目見て、そのデジモンには敵わないと悟った。まるでそこにデジモンの形をした穴があるような、全貌が見えているのに見えてない感覚があった。 「できれば、あなたにはおかえり願いたいですわ」 「あら、つれない子」 そう言いながらマタドゥルモンは俺の脚を狙って刃のついた脚を伸ばす。 「ルーチェモンの落胤に出会える機会なんてそうはないんだもの、少しぐらい付き合ってくれていいじゃない?」 後ろに一歩引いたら一歩詰められる。前に出て拳を振るえばひらりと避けられる。付かず離れずひらりひらり、こちらは袖にさえ触れられず、向こうはいつでも殺せそうにさえ見える。 おそらくは、こちらに合わせて力をセーブしている。 「ルーチェモンの落胤って……」 「隙アリ」 俺がそう喋る為に動きが緩んだ隙をついて、マタドゥルモンの五指が俺の脇腹を狙って伸びる。 慌てて左手で脇腹を庇うも、刃は手のひらを貫通し、剣先が脇腹をつつとかすめてプツリと血が出る。 「ルーチェモンの落胤ってぇっ!」 左手でマタドゥルモンの爪を握り込み、無理やり捻ってマタドゥルモンの身体をぐるりと回して天地をひっくり返らせる。 「なんのことですッ!」 俺の腰の高さで、ハッと驚きとも笑いとも取れる声を上げたマタドゥルモンの顔に、渾身の拳を叩き込むと鏃のような頭がぐしゃりと先端から半分ほど潰れた。 でも、マタドゥルモンは即座に立ち上がると、見る間にその顔は形を取り戻していく。 「私がそう呼んでるだけなんだけどね。時々ルーチェモンの味がする血を持つ天使デジモンがいるのよ。経緯や理由は知らないけれど、大体は拒絶反応を起こしていて虚弱になるか、あなたのように何かで種族以上の力を発揮するわ」 俺は話を聞きながら左手を振り回してマタドゥルモンの体勢を崩し、膝を砕き二の腕を折り曲げ、蹴りで腹の半分を吹き飛ばす。 またペースを握らせたら勝ち目がなくなる。ルーチェモンの味を知るというこのマタドゥルモンの本気は出させたら戦い以前の問題になってしまう確信があった。 「あなたはいい作用が出てるだけマシだけど、進化不全に性格と種族と才能の不一致もルーチェモンのデータのせいかしらね」 マタドゥルモンの顔はどこが目かさえ定かでないのに、心の奥まで覗き込まれているような感覚に、思わず俺は手を止めてしまった。 次の瞬間、マタドゥルモンは微笑むと自分の腕を噛みちぎって壊れた人形のような身体を跳ねさせて距離を取った。 「うふふ、本当に不死者を殺したいならまずは手足より電脳核を砕くのよ? それでも再生するなら、電脳核に遺物をねじ込んで再生しきれないようにするの」 あっという間に、踏み潰された虫のようだったマタドゥルモンは五体満足な姿へと戻ってしまった。 「殴りたくないからなるべく効率的に、殺したくないから急所は外して動きを止めたくて、でも、他の誰かに戦わせたくないから話しかけたり挑発したりする……とても素直ね、あなた」 おぞましいおぞましいおぞましい、足先から翼の先まで全身がこのマタドゥルモンを嫌悪していた。 「戦いが嫌いで仕方ないのに、勇ましいダルクモンに進化してしまったあなた」 マタドゥルモンの身体がぼこぼこと光を帯びながら泡立ち変化をしていく。 「剣技に優れるダルクモンの筈なの才能が拳闘に限られるあなた」 天をつくように登っていた金髪はさらさらと流れ、サジタリモンを思わせるような体型へと変わっていく。 「あなたの“ハジメテ“が私になったら最高だと思うのよね」 「やめ……私を、見ないでッ」 俺のメッキが剥げていく。戦う為に決めた覚悟が剥がれていく。拳や足の感覚がなくなっていく。 一瞬逃げようと振り返って、国のシンボルの城が目に入った。 現実逃避のように城での思い出が頭を過ぎる。 元は戦争の為の城、ビーストには攻めにくくヒューマンは攻めやすい構造のその城を、ルーチェモンは皆の集まる場所として改装した。 城内の図書館に何度も子供達を連れて行った。野菜の育て方の本もみんなで借りに行った。みんなで野菜の苗を植え、楽しみにしていた。 あの日のコテモンの顔を思い出すと、今日のコテモンの顔も思い出された。 「私は戦わなきゃ……いけねぇんですわ」 息を吸い、構えを取り直し、地面をガンと踏み締める。 「あの子達を守らなきゃ、今度こそ俺が守らなきゃいけねぇん……ですわッ!」 地面を蹴り、翼を広げ、もはやマタドゥルモンとは言えない巨体のそのデジモンの胸に辿り着くと、上半身のバネを使って飛び上がった勢いを前方への勢いに変換して思いっきり叩き込んだ。 「素晴らッ……げぼぁ」 表面から入って胸の内の電脳核と肺とを破壊するその衝撃に、賞賛の言葉を述べようとしていた吸血鬼の王も思わずその言葉に詰まり、胸の内から溢れた血を吐き出した。 鮮血の雨が俺の体を濡らす。あの日の様に、しかしあの日とは違って自分の意思で。 「ふ、ふひゅっ……普通のデジモンなら身体の内側から破裂していたでしょうね」 仮面の内側から覗くその眼を、私は今度こそ正面から睨みつけた。 「殺されたがりの変態吸血鬼なんて、あの子達の教育に悪すぎて見せられねぇんですわ!」 俺は吸血鬼の王の胸に剣を突き立て、拳で蹴りでそれを電脳核へと捻り込む。 吸血鬼の王は一撃受ける度に喜びの声を上げ、殺してくれと言わんばかりに両手を広げてそれを受け止める。 胸の奥に剣を突き刺したら、首の高さまで飛び上がり、首を千切れるまで殴り続け、千切れたところで断面に頭に被っていた布を噛ませる。 そうして俺が距離を取ると、首の傷はじわじわと塞がったが、神経までは繋がっていないのか首から下が動くことはなく、口だけは楽しそうにパクパク動いていたが声が出ることもなかった。 「あとは、残りのデジモン達を……」 私が周囲を見渡すと、もう盗賊達は辿り着いたようで小さく悲鳴が届いた。 コテモンが私を待っている。コテモンは私が国を救うと信じている。 俺は気づかなかった。 俺が飛び立った後、首に挟んだ布と胸に突き刺した剣を当然の様に引き抜いて吸血鬼の王が立ち上がっていたことも。 「あなたのハジメテ、言った通りもらったわ。私の目をあなたは見た、私の声をあなたは聞いた」 街中で略奪しているデジモン達の頭を砕き、胸を貫き、蹴りで半身を吹き飛ばす。 それでも盗賊達は散ってしまっていてなかなか見つからなくなる。 血が目に飛び散ったのか、視界が真っ赤に染まっていく。 「……あの子の期待に応えなきゃ」 飛んで探して、降りて殴ってが億劫で、そう望んでいたら不意に体がメキメキと音を立てて変わり始めた。 それも気にも留めなかった。 身体が紫色の巨鳥になり、口から白い光線を吐き出す様になっても、それで国が守れる。盗賊達を殺せる。コテモンの、最後の生徒の期待に応えられる。 「オレは、先生だかラ……」 光線に晒された盗賊デジモンは蒸発して消え、地面にはポッカリ穴が残る。 もういないだろうか、真っ赤な視界ではよくわからなくなってくる。 よくわからない、よくわからないと見ていると、不意に二体の強そうなデジモンが現れた。赤色と白色、四足と二足。 「……グランドラクモンを追っていたが、やつがいたはずの盗賊団が壊滅しているのはどういうことだ」 「この国にはlevel5超の強さの天使がいるという話だった。やつがその天使を“歪め”たのだろう」 「なるほど、今は見境がまだついてる様だが、それも時間の問題だな……」 「グランドラクモンに用意してきた封印を使わねばならないか」 「そうだな、かの吸血鬼王にきけばルーチェモンにもと確信が持てたが……このデジモンも俺達以上のエネルギー量を持つデジモンだ。このデジモンで通用しなければ当然ルーチェモンにも通じまい」 彼等が何を言っているのか、もう、わからなかった。 それからの戦闘のことはよく覚えていない。赤い方を狙っていたら白い方に首を無理に曲げられて城が半分消えて、図書館のあった辺りが火に包まれたのまでは覚えている。 その瞬間、何かが切れて、次に気がついた時にはボロボロの身体で国もボロボロで、辛うじて無事な区域にコテモンがいた。 もう終わったよ。盗賊達からは守ったよ。安心してと、それを言いに、私は地面に降り立った。 直後、翼を白いデジモンの二刀が貫いて地面に縫い付けられた。 コテモンが走ってくる。 「先生は、先生は違うよ!! 先生は盗賊じゃない!! 先生は街を守ってくれた、僕の、僕の先生なんだ……!!」 コテモンの声が聞こえる。コテモンの声に微笑む。 でも、そうして我に帰ってわかったのは、この姿は歪み果てているということだけ。この姿になれば暴力の衝動が溢れ出る。この姿になれば理性が意味を成さなくなる。 もしかすると、吸血鬼の王なりに私へのプレゼントなのかもしれない。暴力に躊躇しなくていい、暴力を振るっても心が痛まない。そういうデジモンになれたらと全く思わなかったわけじゃない。 もう図書館の本を持つこともできない。誰に何を教え導くことができるというのか。 「……コテ、モン。ありがとう」 白いデジモンと赤いデジモンが何かしらの呪文を朗読しているのが聞こえた。時間はない。 「ちゃんと、学んで……次の子達に伝えるのです。あなたが、あなたの教え子達が過ちを一つずつ直していけば、いつかきっと……野菜の苗を誰も荒らさない世界に……」 私は、その直後封印された。 十闘士の二体によれば、私にかけられた封印は姿を封印するもので、level3から level6までの全ての姿を封印された私は、永遠にデジタマのまま。予測では一年もすればデジタマのまま餓死するという。 それを聞いて、コテモンはデジタマとその封印の解き方を十闘士から盗んで廃墟と化した城で生活を始めたらしい。 なぜわかるかといえば、彼は毎日日課の様に何が起きたかを話してくれたのだ。 「先生、今日はね……」 そうやって、毎日話し続けた。 十闘士の計算は間違っていて、私は一向に死ななかった。しかし、封印の解き方の暗号を解読する前にコテモンは寿命を迎えた。 私は彼の手を握ってあげることもできなかったが、彼の死を嘆く者が何人も何十人もいたのが後だけでもわかって、その中に彼を先生と呼ぶ誰かがいたのは、私にとっても救いだった。 私の封印が解けるのはそれから三千二百年は後のことだった。
2
1
17
へりこにあん
2022年9月26日
In デジモン創作サロン
「そこで何してるの……?」 その言葉に、声をかけられた赤いボサボサ髪の少女は口に含んでいたラーメンをごくりとほぼ噛まずに飲み込んだ。 家庭科室の机の上にはぬいぐるみと言い張るにはポップでなく、野良猫と言い張るにも微妙が過ぎる、中型犬ぐらいの大きな耳と長い爪の生き物がいた。 ガジモン、ふらりと痩せこけた姿で彼女の前に現れてなんとなく居ついた生き物である。 「家庭科室で鍋からインスタントラーメン食べてるってどういうこと……!? しかも野良猫……? 野良犬……?」 扉を開けたところにいたのは、今時絶滅危惧種だろう黒髪三つ編み眼鏡の少女だった。 「強いて言うなら飼い犬かにゃあ」 ガジモンがそう言うと、真面目な彼女には赤髪の彼女が言ったように聞こえたらしい。犬が喋ったことへの反応はなかった。 「飼い犬連れてきてラーメン食べさせてるの!? 塩分!! しかも机の上って汚れるじゃない!!」 「大丈夫大丈夫、ガジ……ガジラは自分で手足拭けるもんなぁ?」 「まぁ拭けるわねぇ」 赤髪の少女にガジモンはそう答えると、さっきまで麺を掴むのに使っていた爪を少女の手から受け取った布巾で拭いた。 「えっ!? わっ! かしこーい、かわいー、えらーい! 撫でていい?」 黒髪の少女はそう言って、ガジモンの側で思わ口角を上げ、手をパチパチとさせた。 「いいけど、委員長そんな安易なキャラで大丈夫? 今時真面目三つ編み眼鏡委員長が実はぶさかわ好きとかギャップかも怪しいよ」 「……なに? キャラってなんの話? ゲームとかは私よくわかんないよ?」 黒髪の少女はそう言うと、少し遅れてあ、と呟くと急にまた最初に話しかけてきた時のような責めるようなトーンで話し出した。 「ガジラちゃんがいくら可愛くても連れてくるのも、家庭科室でインスタントラーメン食べるのも食べなことは変わらないからね! あと、もう中学と違って委員長でもないし!」 ガジラちゃんって言ってる時点で説得力ないなぁと思いながら、赤髪の少女は鍋に残った麺を啜り一気にごくごくとスープを飲み干した。 「じゃあ、前みたいにゆうちゃんでいい? うちと横田家関わり多いから横田さん呼びなんてやってられないよ」 私も昔みたいにまいちゃん呼びでいいからと告げると、黒髪の少女は最初の出だしに困って口をもにょもにょさせた。 「……せめてユウキさんって呼んで。私は前田さんって呼ぶから」 「はーい、横田勇気(ふぁいと)さん」 赤髪の少女はそう聞いて黒髪の少女をそう呼んだ。 「私の名前ふぁいとって読むなら私も米(ヨネ)さんって呼ぶからね!」 黒髪の少女、横田勇気は赤髪の少女の言葉にそう語気を荒らげた。 「んー、了解。ふぁいとさん」 「前田ヨネー!!」 「はいはい、こちらヨネでございます。なき曽祖母の誇らしい名前故、恥じる理由もございません」 絶叫する勇気に、赤髪の少女、前田米は開き直って演技めいた口調でそう答えた。 「で、別クラスの委員長でもないゆうちゃんはなんで家庭科室にいるの?」 「……生徒会の庶務やってるんだけど、家庭科部が文化祭での部の出し物についての書類出してなくて、お昼でもいることあるって聞いてたから来たんだけど」 他にはいないし、いたらインスタントラーメンなんて作らせてないかと勇気はため息を吐いた。 それに対して、米は家庭科室の棚を開けるとファイルに入った書類を取り出した。 「はい、これうちの部のやつ。生徒会から人来たら渡しといてとは言われてたんだよね」 「……家庭科部なの?」 「じゃなきゃ、鍵貸してもらえないでしょ」 それもそうかと勇気はプリントを受け取り、家庭科室から出て行った。 背中を見送って、米は途中から黙っていたガジモンを見た。それに対して、ガジモンも米を見た。 「あの子大丈夫? 結局インスタント麺のこととかうやむやにされてたのわかってなかったみたいだし」 「……本人はしっかりしようとしてるけど、電波入ってる天然なんだよねぇ、昔から」 昔から、とガジモンは鍋を洗い出した米にそう聞き返した。 「イマジナリーフレンドってやつ? 喋る鳥がいたとか、ちょこちょこ変なのがいるって言い張ってフラフラしてた。それで、親達はすごい嫌がってた。他の子達がサンタもいないって気づいた頃にゆうちゃんは私達に見えないものを見ていたから。五年前ついに我慢の限界が来て……」 米はがしがしと鍋に強くスポンジを押し付けた。 「……まぁいいや、めんどいし」 「でもそれ、自分達みたいなのかもしれないよにゃあ」 「ガジモン以外にも……まぁ、いるかそりゃ。今更だけど、なんか漫画みたいに世界の危機が云々とか持ち込まないよね? 魔法少女とかも私にゃちょっとキツ過ぎるし」 心底嫌そうに米は言った。 「そういうのはないけど、みんながみんな自分みたいに話がわかるとは思わないほうがいいわねぇ」 「じゃあ、ゆうちゃんは今までたまたま話がわかるのを引き続けた訳?」 「まぁ……大体は向こうの世界でやってけなくてこっち逃げて来たんだろうからにゃあ、話がわからないにしても逃げてくとかもあるかな」 ガジモンの言葉に、ならまぁ放置してていいかと米は洗い終えた鍋を布巾で拭いた。 そうしている内に、昼休み終了の予鈴が鳴りガジモンを置いて米は教室に戻って行った。 「マイちゃんと話したの久しぶりだったなぁ」 放課後、生徒会室で一人勇気は嬉しそうに呟いた。 「横田くん、なんだかご機嫌だね」 「あ、中村副会長。家庭科部から文化祭の出し物の最終稿の書類受け取ってきました」 勇気からプリントを受け取った柔和な笑みを浮かべた中村という青年は、一つ頷いてプリントに目を通した。 「ありがとう……かぼちゃケーキの販売か、なかなかいいね。美味しそうだ」 「では、今日はちょっと早めに帰りたいんでこれで失礼します」 「ああ、会長には僕から言っておくよ。ちなみに理由は? いや、デートとかなら聞くのは野暮かな?」 中村の言葉に勇気の顔色はすんと落ち着いたものになってしまった。 「……そんなんじゃないですよ。相手もいないですし」 「そうなの? 横田くん可愛いのに」 そんなこととボソボソ呟く勇気の顔はほんのり赤くなり、口角も少し上がってしまう。 そのまま逃げるように生徒会室を出た勇気は嬉しいような悲しいような複雑な気分で学生寮へと戻った。 勇気は中村が好きだった。お世辞にも人が多いとは言えない過疎化の進んだ地元から出てきた彼女に対して、中村は優しくしてくれた。 用事というのも他でもない、翌日が中村の誕生日だったから、何かお菓子でも作れないかと思ったのだ。 「……喜んでくれるといいんだけど、無理かな」 都市部で土地が取れなかったのか、学生寮は学校から十分ほど歩くところにある。スーパーに寄るには少し寄り道が必要な為、勇気は細い横道に入っていった。 自分は彼から見た時、あくまで後輩でしかないのだろう。デートかもしれないと思ったとしても、特に気にならない程度なのだ。 ふと、何か妙な感じがして勇気は足を止めた。 子供の頃に何度も感じたことがある、自分にしか見えないナニカが近くにいる感覚。 いつもは通り過ぎる小さな社、そこにそのナニカはいて、御供物をむさぼっていた。 巨大なサザエのような殻を持ち土色の身体を滑らせたナニカ。そのナニカはぎゅるりと首を勇気に向けるとにたりと笑った。 「お前。俺が、見えてるな?」 「み、見えてない」 巨大な手の生えたカタツムリの化け物の様なナニカに、勇気は思わずそう返した。 「阿呆め、そう口にできるのは見えてるもののみよ」 凸凹とした口元を喚起に歪ませながら、そのナニカは巨大な手で勇気を掴んだ。 「お前を食らうて俺はこの世界での実体を得るのだ」 黄色い目をぎょろりと見せつけたそのナニカに、勇気はひっと息を呑んだ。 「前田さん前田さん、プリントは出したのかな? 教卓にないんだけど」 がっちりした体に可愛らしいピンクのエプロンをつけた男子生徒はそう米の前に抹茶のパウンドケーキを一本の半分置いた。 「それよりケーキ幾らか持って帰っていいですか? プリントはガジモンがラーメンこぼして捨てました。」 「マジかガジモン、こんにゃろめー!」 少し黄色いかぼちゃの香りのするパウンドケーキの半分を米の前に置いた女子生徒がそう言ってガジモンの頬を両側から手で挟む。 「やべべぶべぶひょう、ひゃんほはひはかは……」 「じゃあ前田が嘘吐いた罰ってことで!」 「ひふびん……」 部長と呼ばれた女子生徒はガジモンをもみくちゃにする。 「で、まぁケーキ持ち帰りたいんだって? 調子悪いの?」 チョコのパウンドケーキを米の前に出しながらまた別の少しおっとりした雰囲気のある女子が聞く。 「いつもなら部の余ってるの全部一人で食べるわよね」 だから今日もパウンドケーキ三本とか焼いてる訳だしとその女子は言った。 「んー……まぁ、ちょっと幼馴染が生徒会入ってたので、賄賂送ろうかと」 米はそう言いながら、パウンドケーキをキッチンペーパーで包んで、男子の先輩が差し出した大きなタッパーに詰めていく。 「送れ送れぇ! 部費アップしてもらえ!!」 ガジモンをぬいぐるみのように抱えながら、部長はガハハと笑った。 「生徒会にそんな権限ないでしょ……」 「そりゃ残念、でもまぁ、前田にこれ以上食わせすぎると相撲取りみたいになるだろうからちょうどいいな!」 「へーい、ご厚意感謝しまーす」 そう言って、前田は部長からガジモンを取り上げて 、ろくに教科書の入ってないスカスカのエナメルバッグにつっこんだ。 そして、家庭科部の部員達に見送られて生徒会室へと向かった。 「横田くんならもう帰ったよ。なにか用があるとかで」 「あれ、そうですか……」 「そうですね。そういえば、さっき伝えたいことがあって電話したんですけど出なくて……寮の部屋知ってるなら、電話をかけ直すようにと伝えてくれませんか?」 「……わ、かりましたぁ。失礼しまぁす」 あっという間に生徒会室を後にして、米は少し胸騒ぎを覚えた。 「ガァジィモーン」 「……部屋知らないから臭いで探せって話?」 「いや、それ以前の話。ゆうちゃんのお母さんはゆうちゃんが電波入ってたから過干渉気味でさ……連絡つかないとヤバヤバになるんだよね……」 米はそう呟き足早に玄関へと向かう。 「……どれくらいヤバヤバに?」 「うーん……一度、私がゆうちゃんを家に泊めてと呼ばれた時は、キッチンの床にコップの破片やら皿の破片やらが散乱していて、ゆうちゃんの脚が切れてたぐらい……?」 「それはぁ……ヤバヤバだにゃあ……」 ガジモンはそう言って、勇気の匂いを思い出して空にむかって鼻を鳴らす。 手を上げたい訳じゃないから、お母さんも自分の手元から離して、でも連絡取れない時のために寮母さんとか別の連絡先がある寮のあるとこにと続けかけて、そこで米は一度止めた。 「とにかく……ゆうちゃんと連絡が取れないはまぁまぁ異常事態。めんどいけど、何かあった方がもっとめんどい……」 「しかたないわねぇ……じゃあちょっと頑張ったげましょ」 カバンからごろんと落ちたガジモンの身体が光り出し、白と黒の毛皮を持つ大きな猫型の獣へと姿を変える。 「なにそれ」 「進化ってやつ。デジモンにはよくあること。今はランナモン」 「ダーウィンに怒られそうなネーミングしてんね」 米はその言葉にそう呟いた。 「まぁその前に先生に怒られるかな」 「確かに。まだ人いる時間だし、廊下だし……」 ランナモンが廊下にいる光景はどう見ても異常、そして咎められるのは当然すぐそばにいる米だろうことは想像に難くない。 「実体半分消しとくから、他の人には自分は見えないから大丈夫大丈夫」 「なにが?」 それであたしの姿は消えないのではと呟く米を口に咥え、進ランナモンは廊下を走り、窓から外へと跳び出した。そしてグラウンドも数歩で渡ると、そのまま近くの建物の屋根へと跳んでいく。 「明日には空飛ぶ赤髪デブって都市伝説ができちゃうなぁ……めんど……」 自身を咥えた屋根の上を駆けている事実から米は物理的に目を背ける為に目を瞑った。 「見つけた!」 「おや、案外お早いお着きッ……」 急に止まったせいで米の身体は揺られ、喋ろうとしたことと相まって牙からするっぽんと抜けて空を舞う。 ゆうちゃんがどうか以前に私の方が先に死ぬなあとふんわり思った。 「めんご!」 屋根から電柱へ、電柱から地面へと跳ねてランナモンは米の落ちる先に飛び込んだ。 「ぐべっ」 ランナモンの背骨がまぁまぁの勢いで肉に食い込み、米は醜い悲鳴を上げた後、べちゃっと地面に転がり落ちた。 「泥汚れとかめんどいのよねぇ……」 そういいながら米が顔を上げると、神社の賽銭箱の前に意識のない勇気が横たわっていた。 「ゆうちゃん? そこで何やっぐぇ!?」 四つん這いのまま勇気に向かって米が進もうとするのを、ランナモンが服を咥えて止めた。 「ガッ! ジッ! モン!」 「見えてないだろうけど、いるんだよそこ」 ランナモンがそう言うと、米の進んでただろう辺りの地面にめこと巨大な五指で押した様な跡ができた。 その正体たるカタツムリの化け物を見ているのはランナモンのみだった。 「おぃ!! なぜ俺はこいつを食えない!! 教えろそこの四つ足野郎!!」 カタツムリの化け物が勇気に噛みつこうとするもその顎はするりと勇気をすり抜け、傷ひとつつけられない。 その怒号も米の耳には届かない。米にはそれを見れる程の素養がない。 「モリシェルモン……幻見せて意識奪ったんだろうけど、見えてないのはいないと同じ、誰も見てないお前は誰にも触れられないのよ」 ランナモンの言葉に、米は流石に奇妙と首を傾げた。 「なに、何と話してんの?」 「マイは自分を見て、自分がならなんとかできると信じて自分のことを見て」 「意味がわからんけどわかった」 うんうんと米は頷いた。 「つまりなんもしなくていいと」 その言葉にランナモンは思わずモリシェルモンから目を離して米を見た。 「……違うよ? 今の地面どーんとか怖かったじゃん? ちょっと揺れたしさ。でも、なんとかできるはずだってこう……気を強く持って強がって欲しいっていうかさ……」 「だからいつも通りでいいんじゃんめんどいなぁ……ガジモンができるって言ったら疑わないって」 「……まだできるって言ってないんだけど、自分」 「じゃあできないの?」 米がそう言うと、いやとランナモンは首を横に振ってモリシェルモンに向き直った。 「マイが見てくれるなら、できる」 「じゃあ、できんじゃん」 めんどいから何度も言わせないでよねと米はため息を吐いた。 「うだうだうるさいぞお前ら! そもそも何故お前は当たり前のように人間に見えている! この世界に生きる資格が俺にはないと言うのか!!」 モリシェルモンの怒号が響く。聞こえてない米でさえ、空気の振動だけはその肌で感じる程の凄まじい怒号が。 「波長の合うパートナー見つけない限りは自分達デジモンはあくまでこの世界じゃ異物なのよ」 ランナモンの身体が光に包まれ変わっていく。 毛皮は黒く、二足歩行になった肉体は筋骨隆々、袈裟がけにしたチャンピオンベルト、背中にはロケットエンジンをつけて拳は鋼。黒鉄の人狼がそこに現れる。 「……顔が整い過ぎてる。もう少し不細工な方がガジモンっぽい。五点減点」 「百点満点? ちなみに今の名前はブラックマッハガオガモンね」 「十点満点。名前の修飾も多過ぎるのでさらに三点減点」 流石にひどいと米の言葉に人狼は頭を抱えた。 「だからうだうだうるさい!! よくわかんねぇけど俺を無視するんじゃねぇ!!」 そう言って猛然と襲いかかるモリシェルモンを、ブラックマッハガオガモンは左手一本で頭を押さえて止める。 「仕方ないでしょかまってちゃんめ。マイ達の日常にとって君は異物、本題から外れたぁ……」 ブラックマッハガオガモンはそう言って拳を握り、モリシェルモンの身体の下から天へ向かって振り上げる。 「蛇足!」 モリシェルモンの身体が浮き上がる。殻が割れて宙を舞い、さらに舞い上がる。 「パートナー見つけてマスコット枠で出直しな」 どぉんと神社の裏手の小さな雑木林にモリシェルモンが落下する。 「……もうゆうちゃん助けていい?」 「いいよ! あとワンパンした自分を褒めてよマイ!」 「えらいえらいガジモンはえらいのでゆうちゃんも運んで」 米は勇気が普通に息をしていて怪我もなさそうなのを確認すると、ブラックマッハガオガモンに適当にそう返した。 「いいけど見た目的には浮いてる感じになるよ」 「…… まぁ既にフライングデブになってるし、自分で運ぶのはめんどいからさ。私の部屋の窓開けとくしそこまで連れてきて」 「んーまぁいいか……」 ブラックマッハガオガモンは神社から珍しく走って去っていく米の後ろ姿を見て、にやりと笑った。 「ターボババアの噂知ってる? 返り血で真っ赤なターボババアが屋根の上を跳び回ってるんだってさ」 部長からそう言われて、米は一瞬嫌な顔をしたがすぐに否定するのもめんどいなと机に突っ伏した。 「……知りませんでしたぁ。ガジモン知ってた?」 「知らないにゃあ。ほら、自分ワンちゃんだからさ」 顔の前で手を合わせて尖った歯を見せないようにするガジモンに、今日もかわいいなぁお前はと部長はこねくり回した。 「そういえば、生徒会の幼馴染の子にあげたケーキの感想どうだった?」 今日もピンクのエプロンをつけた男子生徒がそう米に聞く。 「あー……喜んでくれましたけど、結局あの日食べなかったんですよね」 「あれれ、どうして?」 「好きな先輩にお菓子作るってんで、余分を処理してたらケーキまで手が回らなくて」 勇気はモリシェルモンのことは特に引きずらなかった。恋する乙女は強いのだ。 「あらあら、そういう話なんだったら私達にレシピとか聞いてくれればよかったのに……」 「あたしも昨日初めて知ったし、恥ずかしいから他の人に言わないでーって」 「それは仕方ないわねぇ……」 「ですねー、うまくいったらまた付き合わされそうなんで、おすすめのレシピ本とかサイトとか教えてください。本当、ゆうちゃんはめんどくさい」 そう呟いた米の口元は言葉と裏腹に笑っていた。
【彼岸開き】日常と異常の彼岸に【単発作品企画】 content media
2
15
109
へりこにあん
2022年9月24日
In デジモン創作サロン
大人は青春を隅々まで色鮮やかなものかの様に言うけれど、きっとそう言う人はさぞ楽しい青春をすごしたのだろう。 一方の私は図書室で、なんの本を借りるでもなく読むでもなくかれこれ二時間は持ち込みの参考書とノートに向き合って受験勉強に励む灰色の青春を送っている。 最早私自身、これが何の為の勉強なのかはもうよくわからない。 父は大学に絶対に行くべきと言う。きっとそれはそうなのだろう、でも、行きたいかといえば私にはよくわからない。 行った方がいいらしいから行きたいのかもしれない。父の気持ちを裏切りたくもない。そんな程度で私は受験勉強をしている。 そういうことを漏らすと、大学にも行けない人がいると言ってくるお優しい人もいるが、では大学っていうのは同情なんかで行くべきなのだろうかと思ってしまう。 そんなだから入りたい大学ややりたいことも特に思い当たらない。物心ついた頃には景気は沈んでいて、さらに沈んでいくばかりだから、あんまり大きなやりたいことは実現するイメージもできない。 イメージする成功例は、動画とかで見る、好きでもないけど安定した職を持ちながら趣味も楽しんでいる様な人達で、好きなことを職にとかして生きていけるイメージも湧かない。 とはいえ、私自身で考えると大した趣味もない。無料のネットテレビを惰性で見るのがせいぜいで、それも大して好きでもないからやりたくない受験勉強なんて惰性でする暇がある。 未来に希望もなくモノトーンの青春を送っていく。大人達の言うように学生時代が一番楽しいと言うならば、これからの未来は無限の苦痛だろう。 恵まれてないと嘆ける程馬鹿じゃないけど、恵まれてると思える程阿呆でもない。 何もできない危機感を抱きながら、膨大な選択肢から絞り込む方法もわからなくてなにもせずに燻って、今は受験勉強を言い訳にしている。 私には、私のやりたいことも私のこれからも何もわからない。 何をやってもうまくいくイメージがない。間違えたらもうやり直せない気がする。そんなことを思っていて受験勉強だってまともに進む訳もない。ついでに言うと最近は細かい物も何かとなくしがちだ。 私は何をどうすればいいのだろう。夢を語ったり先を見据えるクラスメイトが 二時間睨めっこしたノートに書かれた文字は片手ですっぽり覆い隠せる程度しかない。 「そろそろ図書室閉めるから、出てもらっていいですかー」 カウンターに座った図書委員の男子がそう声をかけてくる。その隣に座った女子とふと目が合うと、その子は何故か微笑んだ。 私は、なんだかその瞬間、さらに空虚な気持ちになって、はぁと一つため息を吐いて荷物を片付け始めた。 その直後、何か目眩に襲われた様な感覚に陥った。 ふと、足元を見ると窓から差し込む夕陽に照らし出される位置に影ができていた。 一瞬よくわからなかったものの、反対方向にも自分の影があることに気づいて、影だと思っていたものが影でないのに気がついた。 その黒いものは、赤い目をぱちぱちぱちぱちと何個も何個も瞬きさせると、ぐにゃりと歪んで嗤った。 「「あ、はは、は、ははは、はは、は」」 奇妙に途切れた、私の声と重なった悍ましい声でそれは笑う。いや、私の口も影が動くと一緒に動いているのだ。 私の様子に気づいてか、女子の図書委員が寄ってくる。 助けても、近寄っちゃいけないも、私の口からは出てこない。黙って筆箱の中に手を入れると、カッターナイフを掴んだ。 「「これでいいか」」 「え?」 思わず私は目をつむった。自分の手が振り上げられ、彼女の顔の高さに振り下ろされたのも、なにかに突き刺さった様な何かに受け止められた様な、しっかりと加えた力に反発する力を感じた。 静寂の中、そーっと目を開ける。 すると、彼女は耳の辺りまで裂けた口に並べた肉食獣の様な歯でカッターナイフを受け止めていた。 がり、ばりっ、ぼりがぎっ、とすごい音を立てながらカッターナイフを噛み砕き、彼女は取り出したティッシュの上に吐き出した。 「ごめんね、小城くん。カッターは買って返すから」 ふと、足元を見ると影じゃない影がすっぽりと入るように赤黒い魔法陣の様なものが描かれ、中心からドロドロと床が溶けて何か黒い沼の様なものに変わっていく。 何が起きているのかもわからず、なにか自分の口から罵詈雑言も飛び出ていた気がするが、影ごと足から沼に沈んでいく。 「一緒に地獄に落ちてね」 足先が沼を突き抜けた感覚があった。そして、そのまま身体も沈んでいき、私は、ついにその沼の下に広がったどこかへと身体を投げ出された。 落下している、と認識すると私はあまりの恐怖に気絶した。 目が覚めると、そこは明るい暗闇だった。 空は闇、ただどこまでも抜ける様な感じではなく、低く重い黒雲に満たされた様な圧迫感があり、時折、稲妻が走るかの様に光の線が幾何学模様を描いたり、謎のキューブ状の物体が浮いていたりする。 地面はアスファルトの様な黒っぽい灰色をした土の地面。見る限り植物の様なものはなく、なだらかな丘なんかは見えるが起伏はあまり大きくない。 寂しくて息苦しくて、その丘の先を想像するだけでも足元が崩れそうな心地になった。 「気がついた?」 その声に立ち上がって振り返ると、図書委員の女子がそこに立っていて、そばには赤い光で縁取られた透明なピラミッドの中にさっきの影じゃない影が閉じ込められていた。 「君は、図書委員の……」 「黒木バニラ、二年生。小城くんとクラス一緒になったことはないから知らないよね」 彼女は長い茶髪を少し揺らしながら、茶色よりも赤に近い目で私を見つめた。 「私の名前はなんで……」 私の質問に彼女は少し面食らっている風だった。私もまずはこの光景なんかについてやさっきの裂けた口について聞くべきとは思わないでもないのだが、現実離れしすぎていてなんと中触れたくなかった。 「それは僕が図書委員だからだよ。それなりに利用してる人の顔と名前は大体覚えるよ」 なるほどと頷いて、私はどうすればいいのかわからなくなった。じゃあこれでと帰れそうな場所ではない。 「巻き込んでごめんね、小城くん。アイズモンは陰に潜むデジモンだから……宿主が死ぬって状況に追い込まないと離れないんだよね……」 ピラミッドの中では目玉や鋭い歯列を浮かばせた影じゃない影が、液体の様な身体で拘束から逃れようと暴れていた。 「黒木さんはそういうのをいつも退治してこんなところに……地獄だっけ? に運んでいるの?」 「まぁ、そうといえばそうかな。いつもは捕まえて、このピラミッドに入れて、あの魔法陣にポイってする形。基本的には私も生まれてからこっちに来たことないよ」 「あ、そうなんだ……」 「でも、小城くん巻き込んじゃったからね。帰れるとこまで送らなきゃ」 「あ、帰る方法はわかってるんだ」 「生まれてからは来てないけど、生まれる前には来てるからね」 彼女の言葉に首を傾げていると、黒木さんはパッと私の手を取って、ピラミッドを持ってさくさくと歩き始めた。 私にはどっちを向いても同じに見えるけれど、彼女にとっては違うらしい。 「そういえばね、さっきは地獄って言ったけど、多分小城くんの思う地獄とは結構違うよ」 なだらかな丘を歩いていくと、突然、百メートル程行ったところに突然建物が現れる。遠くから見ていた時には建物どころか何もなかったはずなのに。 「じゃあここはどういうとこなの?」 その建物の前まで辿り着くと、私の鼻は知っている臭いをキャッチしたし、出ている看板にもひどく見覚えがあった。 「ダークエリアって私達は呼んでいる。罪人が輪廻転生する異世界。そして、この建物はエビカツが美味しいハンバーガーチェーン店」  鮮やかな赤いエル字と黄色い円の看板が、彩度の低い景色の中だと一際輝いて見える。 「ロッテリアだ……」 私は思わず呟いた。 「ダークエリアではロッテリアが主流なの」 そう言って、黒木さんは当たり前の様にロッテリアの中に入っていった。確かに、異世界なのかもしれない。 「いらっしゃいませー」 そこにいた店員は、人もいたが、明らかに人でない存在も働いていた。 私達は、エビバーガーとシェーキを買って自然に席についた。 窓の外は闇のまま、教科書が入ったエナメルバッグの様に影じゃない影が入った三角錐を脇に置いて、彼女はいちごミルク風のシェーキをずずっとすすった。 私はバニラシェーキを一口吸い、それが知ってる味なことに安堵しつつ、この光景の異様さとそれになんだか既に慣れつつあることを考えていた。 「人の姿で徒歩だと、元の世界に帰してくれる人……人? のとこまで何日か必要なので、ここからはちょっと私が犬みたいになって乗せてくんだけど、気にしないでね」 「……ごめん、気になるとこが多くてよくわからないよ。まず、なんで人かどうかで一回詰まったの……?」 「その相手が、アヌビモンっていうデジモンだから。アヌビスってわかる? ジャッカルの頭のエジプトの冥府の神。そんな感じの」 「そもそもデジモンもよくわからないし……」 「あぁ、それはね。まぁ化け物のジャンルだと思っとけばいいと思う」 妖怪とかUMAみたいなもの? と私がいうと、彼女はそうそうと笑った。 「あと、犬みたいになるってのは……」 「それはもう実際見た方が早いから、とりあえず冷めないうちにバーガー食べよ」 彼女は口を大きく開けてエビバーガーにかぶりつく。なんとなくそれがなんとも美味しそうで、私もエビバーガーに思いっきりかぶりついた。 口元についた衣を彼女はぺろりと舌で拭う。 そんな光景を見ていると、なんだかいろいろなことがよくわからなくなってくる。 当たり前の放課後の様な距離感だが、店の窓の外は異様な闇、目の前の同級生も普通に見えて普通でない。 「小城くんは付き合ってる人とかいるの?」 「いないよ」 質問の意味もよく理解しないまま、私はそう答えた。 まぁおそらく、話の種がなさすぎて大概の人に通じる話題である恋愛の話をしたいのか。 「ふーん、じゃあ、人前で話しかけても嫉妬する彼女はいないってことだ」 「友達いないの?」 言ってから、この返し方は最低だなと思った。 「友達は……まぁ多くはないかな。僕は、デジモン出たらそっち行かなきゃだからドタキャンしちゃうし、かといってそもそも誘いにも乗らないのもね」 家庭環境に問題があるだとか、パパ活してるだとか噂が立ったり立たなかったり、嫌だねと黒木さんは笑った。 「事情を知る人もそんなにいないんですか?」 「基本言っちゃダメだし、知られても知らぬ存ぜぬしなきゃだからね。小城くんは特別。寄生するデジモンの被害者ってことで経過観察必要だし」 デジモンってみんな寄生するわけではないんだと思った。 「でも、知らないふりで誤魔化し切れるの?」 「今は素人もCG作れるし作れる人達に依頼するのも楽だからね。動画とかあってもフェイクとしか見られないからね」 「確かにそんなものかも」 私は食べ終えたエビバーガーの包みを折りたたみながらそう言った。 「……ところで、ヨモツヘグイって知ってる?」 「知らないけど」 「黄泉の食べ物を食べると黄泉の住人になって黄泉に囚われるやつ」 「え」 手元のシェーキはもう八割ないし、エビバーガーに至っては影も形もない。 そして、彼女は私のシェーキに手を伸ばすと、自分のシェーキと入れ替えた。 「同じようにさ、僕のものを食べたら心が僕に囚われたりしないかなって思うんだよね」 そう言って、私のことをじっと見つめる。距離の詰め方がえぐくないだろうか。 本当にこれを飲めと言う意味なのか、それとも飲んだらキモいとか言われるトラップの類なのか。 私が悩んでいると、彼女は冗談だよぉと言いながらまた私のシェーキと彼女のシェーキを戻した。 なんと返せばいいのかわからなくて、戻ってきたシェーキを取って、一口吸った。ストローから手を離すと、からんとストローは右側に倒れた。 「……ちょっと、トイレ行ってくるね」 シェーキを一口吸ったら余計に対応がわからなくなった。思いつくまま別にトイレに行きたいわけでもないのにトイレに立つ。 そうして少し手を洗って気分を落ち着かせて戻る。遠くから見るとつまらなそうだった彼女は、私が戻ってきたのに気づくとへにゃと顔を緩めた。 わからない、友達とかもあまりいたことないから、距離感が本当に全くさっぱりわからない。 私は先に着くと、左側に倒れていたストローをつまんで一口シェーキをすすった。 「じゃあ、飲み終わったらそろそろ行こ」 彼女はそう言うと、シェーキを一気にすすった。私もそれに習ってシェーキを一息に飲み干した。 表に出ると、黒木さんはあんまり見ないだなと少し恥ずかしそうに言って、私に影じゃない影の入った四角錐を渡した。 みしみしみしと音を立てながら、黒木さんの姿が変わっていく。 口は裂ける様に横に広がり、腰が曲がっていく、すらっと細かった指も太く変わって爪と共に肥大化していき、さらには第二関節の辺りから裂けてさらに爪が現れて鎌のような形状になっていく。 私は、みないでと言われたけど目が離せなかった。 皮膚の色も黒く変わって、何か硬質なプラスチックの様な質感になっていく。両手も地面についてとうとう四足になる頃には、黒木さんの面影はほとんどなく、両肩に一つずつ顔をつけて、全身をアーマーの様なものに覆われた熊より大きな黒い犬がいた。 「ケルベロスっぽい……」 「当たり。この姿の僕はケルベロモンって名前なんだ」 聞こえてくる声は、身体が大きくなった分響く様な雰囲気と低さこそあるものの、黒木さんの面影が見えて少し安心した。 「可愛くないのが嫌なところだけど」 「……尻尾とか可愛いよ。トカゲみたいで」 フォローのつもりで言ったけれど、言ってからトカゲって女子的にはどうなんだろうと思った。 すると、尻尾がぶんぶんと振られた。 「そんな可愛くないと思うけど、ありがとう」 表情はよくわからないけど、尻尾の揺れ方は犬が興奮している時のそれにしか見えない。 ならいいのかなと思っていると、彼女は私の前でぐっと体勢を低くした。 「乗れる?」 そう言われて、私はその背中を触ってみる。アーマーの様なものは結構硬くて滑りやすそうだが、若干ザラつきもあってこれなら一度乗ってしまえば大丈夫そうな気もする。 とりあえずと図書室から履きっぱなしだった上履きを脱いで、四角錐と一緒に抱えて背中に乗る。これも結構な背徳感というかこれでいいのかなという感じ。 「しっかり掴まっててね」 そう言われて、私はとりあえずと彼女の背中に手をついて掴めそうなところを探す。 しかし、掴めそうなところはなく、結局少しでも体勢を低くして荷物をお腹と背中の間に入れながら、少しでもしがみつく様にするしかなかった。 歩いていた時とは比べ物にならない、それこそ落ちたら命に関わるのではと思うような速度で彼女は走る。 落ちないようにとしがみついていると、ふと、自分の手に伝わってくる熱に気づいた。 硬質な何かで覆われているようだから強く意識しなかったけれど、今私がしがみついているのは黒木さんなのだ。同学年の図書委員の女の子。一度意識すると途端に気になってくる。今、自分は女子の背中にしがみついているのだ。 気恥ずかしくて、むず痒くて、でもそれを悟られたくもなくて、さっきまでの黒木さんとの色々が頭の中をぐるぐる回る。 やたら近い距離とか、意識してるのではと思わせる言動とか、図書室を利用している人なんて他にもいるだろうに名前まで覚えていたりとか。 あれと疑問が頭に浮かんできた。私は、図書室で勉強はしても本を借りたことがあっただろうか。 本を借りない生徒の名前を図書委員が知るタイミングとは一体いつあるのか。ふと気になった。 少し視線を落とすと、四角錐の表面に、影が自分の身体で文字を書いていた。 『お前は騙されている』 私が目を見開くと、文字が変わる。 『このままだとお前は人間界には帰れない』 どういう意味だろうと見ていると、また文字は変わっていく。 『ここにお前がいるのは』 『お前を寄生先に選ばされたからだ』 「それは……どういう……」 私は思わずそう呟いた。 『声を出すな』 一瞬、黒木さんの耳がこっちを向いた気がした。 『しかも、俺も罪人だが』 『こいつも罪人だ』 私はもう文字から目を離せなくなっていた。 『罪人は輪廻を経てダークエリアに転生する』 『ダークエリアでの一生でも罪を償いきれなかった罪人は』 『その次の人生でも罪を償うことを強要される』 『前世の能力を持たされて猟犬となる』 影じゃない影の言葉を聞いて、私はそれでも信じきれなくてなんとか口パクで意思を伝えようとする。 でもそうだとして、君に寄生させたこととの関係は? 『この猟犬は鼻が利くから、ただ寄生しても追ってくる』 『色々な人間の影を渡って移動してもすぐやってくる』 『仕事の内容的に一人二人の犠牲は許される筈だから』 『この女が、絶対殺せない人間に寄生する必要があった』 それがなぜ私ということになるのか。 『最近物がなくなったりしただろ』 『誰かに尾けられてると感じなかったか』 『俺は見た』 『俺が気づいたのは一月前、確信するまでもう一月使った』 いや、まさかそれはないだろうと思いつつ、さっきまでの黒木さんの距離の近さや、ヨモツヘグイの話を思い出した。 『こんな世界で、ただの人間は一人で生きていけるのか?』 私は今まで見てきた、突然現れたロッテリアの他にはただ暗黒が広がり草一本見かけなかった光景を思うと、それに頷くことはできなかった。 疑似的な監禁なんじゃないか、なんて考えが頭に浮かぶ。でもわからない。 『俺はお前の味方じゃねぇ』 『でも、人間界に行きたいって点は同じだ』 『俺の入ってるこれを開いてくれ』 私は、思わずそれに手をかけようとしたが、落ちそうになって自分がいかに不安定な状況にいるか思い出した。未来を思ういつもの暗い気持ちがより一層の強さを持って心の中を牛耳り出す。 頭は正直追いつかない。 影じゃない影に寄生されて、ダークエリアに送られた。黒木さんは距離が近くて動揺させられた。その黒木さんは一生かけても償えなかった程の罪を背負っている罪人かもしれなくて、今の状況は全部彼女の手のひらの上かもしれない。 「黒木さん! 休憩しよう!」 私がそう言うと、黒木さんはゆっくり減速して止まった。 『よし、今の内に蓋開けろ』 影じゃない影はそう言ったけれど、私は開けなかった。 今わかっているのは、どちらも信用しきれないということだけ。 「黒木さんは……私のことが好きなの?」 質問の内容はこれでよかっただろうかと思いながらも、私はそう尋ねた。 『お前、何聞いてんだよ、それでどうするんだよ』 影じゃない影がびちゃびちゃと文字を作ってそう主張するが、私は見なかったことにした。 すると、みしみしメキメキと音を立てて彼女はまた人の姿に戻った。 「そうだよ。僕は小城民人くん、君が好き」 「名前も……調べたの?」 「うん、でも自分から近づく気はなかったよ。危害を加えるとか、そういうのもする気はなかったし」 そいつがいなければと言わんばかりに黒木さんは影じゃない影を睨みつけた。 「私と、どこに接点があったのか、わからないんだけど……」 「図書委員なのも本当だからだよ。民人くんが図書室に来て、僕の鼻には十分匂いが届いてくる。それで……好きになった」 それは思ってもいない経緯だった。一目惚れならぬ一嗅ぎ惚れとでも言うべきだろうか、聞いたことがないきっかけだった。 「……気持ち悪いって思うでしょ。僕もそう思うもの。気持ち悪いし、意味不明だし、その上にストーカー。嫌いになられて当然だと思う」 でも、と黒木さんは口に出すと手を前に出した。 「そいつを信じたらダメ……私のことどこまで聞かされたか知らないけど、逃げる為に私を逆に監視する為に、常に誰かを人質にしてたやつだよ」 「そうだね」 私は黒木さんの言葉に頷いた。 「だから、黒木さんの口から黒木さんのことを聞きたい。なんでもっと普通にどうにかできなかったのかとか、私以外の人に寄生してた時は手が出せなくて私に寄生した途端手を出した理由とか」 影じゃない影が信じたんじゃなかったのかよと抗議してるようなのが視界の端に映ったけれど、私は無視した。 「私はまだ黒木さんのこと何もわからない。わからないのは怖いよ」 私の言葉に、黒木さんはかたんと首を横に倒した。それがどういう感情の発露なのかわからなくて、彼女自身よくわかってなさそうに見えた。 「……わからないのって怖いよね。僕もそう、僕も僕の気持ちがわからなくて怖いの」 彼女はそう言いながら、ずんずん近寄って私の両腕をグッと掴んだ。 私が思わず影じゃない影の入った四角錐を落とすと、黒木さんはそのまま顔を私の胸元に押し付けた。 「好きな匂いがするの。すごく好きな匂い。穏やかな気持ちになれて、落ち着いて、嫌なこととか頭の中に浮かんでこなくなる」 ずーずーと激しく音を立てて黒木さんは私の匂いを嗅ぐ、そして、ふと、顔を上げた。据わったような目がこちらを真っ直ぐに見ている。 「で、それは本当に僕の気持ちなのかな? 僕の人生は前世に、前世の前世に振り回され続けてる。デジモン関係で呼び出されるし、人なら気にしない程度の匂いを勝手にキャッチする鼻だってそう」 そう言って、またずーずーと私の匂いを嗅ぐ。 「前世の感覚ありきの気持ちは、本当に僕の気持ちなの?」 匂いを嗅ぎながら黒木さんは喉を絞められたような声で言う。 「僕は誰? 普通の女子高生? 地獄の番犬? それとも前前世の強姦殺人犯? 前世の記憶だって断片しか覚えてないのに、君を思うと自制できない僕がいる。ストーキングするし、今だってそう、アイズモンが寄生した時も、狙ってないのは本当だけどこれで僕も君にとって特別になれるかもと思わなかったわけじゃない」 そこまで言うと、黒木さんは私の腕から手を離して一歩退がった。 「怖いの、でも好き。近づいちゃいけないってわかってる、だけど近づいちゃった。アイズモンが口実作ったからって我慢できなくなって、前前世みたいにはなりたくないのに、僕は僕がわからない」 私は、彼女の言葉を聞いて彼女の悩みは私の悩みと根本は大して変わらないんだと気づいた。 私が進路や自分らしさに悩むのと同じように彼女は悩んでいる。 もちろん、それで悩みが解決するわけじゃないし、彼女と私の前提も大きく違う。でも少し、安心した。 私は、彼女の手を取って、自分の手を重ねた。 言葉は出てこない。一緒に頑張ろうもなにか違うし、悩んでるのに大丈夫とも無責任に言えない。それも含めて君なんだなんてわかったようなことを言えるほど私はものを知らない。 「……私は、黒木さんのこと嫌いじゃないよ」 これでいいのだろうか。答えになってるだろうか。 わからない、何もわからないけれど、彼女の表情は少し和らいで、私に向けて彼女は一歩前に出た。 そして、ぐあっと口を開けると首筋に甘噛みしてきた。 私はそれがどういう意味かわからなくて固まり、彼女は噛みついたまま鼻息を荒くした。ちらりと彼女の目を見ると、彼女は私の目を熱っぽく見たあと、少し目を細めて笑った。 「嫌いじゃないってことは、そういうこと、だよね?」 そういうことじゃないとは思ったけど、ストーキングまでされて嫌いじゃないって言ったらそういうことになるのかもしれない。 『よくわかんないけどいい感じになったの俺のおかげなら俺のこと解放してくれ』 影じゃない影がそう文字を見せてくる。私はそれに気づいてない黒木さんにその文字を見せた。 「……いや、あんた逃したら僕がただ民人くん連れてきただけになっちゃうし。まぁ、人殺しとかしてなければ殺されたりはしないから」 早く二人きりになる為にもさっさと行こうと、黒木さんはまたケルベロモンに姿を変えた。 二度目ともなるとすんなり背中には乗れた。 どうしてもさっきの甘噛みも脳裏によぎってどこかドキドキする私を乗せて、黒木さんは走っていく。 前を見てもやはり先は見えない。少しでも立ち上がれば転げ落ちそうな不安定さも変わらない。 だけど、なんだか今はそれが少し楽しいとも思えた。
【彼岸開き】華は彼岸に。【単発作品企画】 content media
3
9
70
へりこにあん
2022年9月20日
In デジモン創作サロン
「……ん、ドアが開いたな」 「ちょうどいいね、ヒポグリフォモン。お湯も今沸いたところだし」 男は、白い鳥頭に四足歩行、鳥だか獣だかわからない奇妙奇天烈な生き物にそう返した。 「あとジュースも。果汁100%のやつ」 「世莉くんか。この漂流街(ドリフトタウン)に来て半年にも関わらず、彼女が依頼人連れて来るのは週一ペースだからすごいね」 ヒポグリフォモンの言葉に、いいねと頷きながら男はジュースをお盆の上に用意した。 「喜ぶなよ。世莉だけで来てるんじゃないんだぞ」 人の目を気にしろとヒポグリフォモンは言う。 「いや、楽しみだね」 コンコンと扉をノックする音がした。それに、男はどうぞと返した。 扉が開き、まずはそばかすとわかめみたいな髪に三白眼の少しボロいブレザーを着た少女がはいってきた。 そして、その少女に庇われる様に、目深に帽子を被った、しかし僅かに見える部分だけでも美人と確信させるには十分な女性が入ってきた。 「青薔薇探偵事務所にようこそ。僕は所長の国見天青、さて、まずは名前と好きな飲み物からお聞きしましょう」 男こと、国見天青は自分の首元に結ばれた青薔薇の描かれた黒いネクタイをキュッと締め直し、女性に椅子をすすめた。 「では、コーヒーをもらっていいですか?」 「私はジュースで」 「そう言うと思って、実は先に用意してあったんです」 国見はそう言いながらキッチンに入ると、あっという間にお盆にジュースとコーヒーを乗せて出てきた。 「え、なんでわかったんですか……?」 「それは探偵の企業秘密ですよ」 そう言って、国見はパチンとウィンクをした。 「……国見さんは、元から自分の分のコーヒー淹れてたんですよ。そこにちょうど私達が来て、私がジュース飲むの知ってたからそっちだけ用意してた。なので、そこにあるのは元々自分が飲むつもりで淹れてたコーヒーなんです」 世莉はそうちょっと呆れた顔で言った。 「世莉くん、そういう種明かしは野暮だと思うんだけど」 国見はそう言いながら肩をすくめた。 「カルマーさん、この人は親の代から探偵してるそうですし、頼れる人ですけれど……なにかと嘘吐く人なので注意してください」 国見と世莉のやり取りに、女性はじゃあなんでわざわざここに連れてきたんだろうという顔をした。 「いつも通り、世莉くんは依頼人に寄り添う姿勢だね。顔見知りの僕より依頼人側に立つのはちょっと嫉妬を覚えるよ」 わざとらしくそう言う国見に、世莉は呆れた顔をした。 「もう少し慕って欲しいなら、私の依頼もちゃんと解決してください」 「あと、俺もお前と依頼人で選べって言われたら、依頼人選ぶぞ。もうちょいちゃんとしろ」 ヒポグリフォモンも追い打ちすると、それは流石にどうだろうと国見は眉をひそめた。 「まぁ、とりあえずコーヒーはまだ口つけてなかったので安心してお飲みください。僕は……自分のを淹れてきますね」 そうして国見は、流石にそこまでひどいことはしてないと思うんだけどなぁと呟きながらキッチンに向かった。 「で、あんたの名前は?」 ヒポグリフォモンが聞くと、女性は答える。 「キャサリン・カルマーです。私は……人間界から迷い込んだ【漂流者】なんです。それで、私と一緒に迷い込んだ筈の女性を探して欲しいんです」 「カルマーさん。つまり、あなたの依頼は人探しですね」 コーヒーを持ってすぐに戻ってきた国見に、一瞬黒木はおや? さっきは本当に予想してコーヒーを淹れていたのかなと思ったが、大き目のマグカップは縁が濡れ、中身は半分しか入ってなかった。 国見としては、話題が変わる前に戻ってきて、これの濡れたところにすかさず口をつけて飲んだふりをし、さっきのはちゃんと推理して淹れたんだ。自分の分は別にあると主張するつもりだったのだが、残念ながら既に本題に入ってしまっていた。 「はい、そうです。彼女の無事が確認できればそれでいいので……」 「なるほどなるほど、二、三質問してもいいですか?」 国見の言葉に、キャサリンはどうぞと頷いた。 「その女性とこちらに来てから会ったことは?」 「いえ、こちらに来て目が覚めた時には一人だったので……もしかしたらもうこの街にいないかも」 「あなたがこちらに来たのは何年前ですか?」 「六年前です」 「なるほどそうですか……探し始めたのは最近?」 「え? まぁそうですが……」 「元の世界のご職業は?」 「普通の事務職員ですが……」 「お酒はよく飲んでました?」 「あまり好きじゃなくて……基本的に飲まないですし、来た時も飲んでなかったです」 来た時の状況ならともかく、探し始めた時は関係あるのかなとキャサリンは不可解そうな顔で国見を見た。 「なるほど、では依頼をお受けする前に一つ確認しておきましょう。無事を確認したら、絶対に危害を加えたり殺したりなどしないと」 国見の言葉に、その場にいた全員が目を丸くした。 「何言ってんだ天青」 「彼女の依頼はおそらく友人の無事を確かめたい。というものではないんだよヒポグリフォモン。六年目の今年になってやっと探しているが……この漂流街では大体どんな条件なら一緒に人が来ることになるかは知っているね?」 「……あの、私はよく知らないんですけれど」 世莉は漂流街の多くの人がこの世界に来る時のように、偶発的なゲートで来たわけではなかった。 「じゃあ、世莉くんのために説明しよう。条件は簡単だ、単純に繋がっていることだよ。手をしっかり繋いでいたり、抱き合っていたり、稀なケースではあるが、遊園地の遊具のシートごと複数人がというケースもある。そして、その場合は大抵同じ場所に飛ぶ。挨拶程度の短いハグや握手は確率としては低いね」 「手を繋いだり抱き合うのは恋人や親しい友人、家族で普通は女性なんて言い方はしねぇか……」 ヒポグリフォモンはそう呟いた。 「そう、しかも親しい間柄ならば、六年目になる前から探している筈だ。では、どんな間柄ならば探すこともなく、しかし一緒に迷い込み、且つ目を覚ました時にはいなかったということは、誰かが引き離したか……その女性は意図的に彼女から離れたことになる。僕が想像できる理由は取っ組み合いの喧嘩とかそういう状況だね」 「でも、さっき遊園地のシートごと来たとかいう話もあったじゃないですか。あとは床屋とかも考えられますし……」 世莉がそうフォローを入れるが、国見は首を横に振った。 「この街の人間界からゲートが繋がるポイントは大体知られていて、ある程度大規模なものや大きなものが迷い込めば話題になる。乗り物系に相席はそれで除外できる。床屋とか相手が人に触れる職業だったならば、それも先に口にしただろう。彼女自身は事務職で接客業でもないしね」 そう言って微笑む国見に、キャサリンは押し黙ってまゆを少し吊り上げた。 「今になって探し始めたのはきっと、その姿を街中で見かけたからだろう。この街で、保護者もない人間はのたれ死んでいてもおかしくないし、もしかしたら、先に刃物を刺すなどして致命傷に近い傷を与えていた為に、そもそも死んでいると思ったのかもしれない。でも、生きているとわかってその居場所を突き止めようとした」 「……その通りです。私は彼女の腹を刺しました」 ふうと一つ息を吐くとキャサリンは観念した様に話し出し、世莉はなんでそんなことをと寄り添う様に座りながら促した。 「でも、今はもうそんな気はないんです。私とその子はあるクズ男と付き合ってたんですが、浮気してると知らなくて、彼の部屋でバッティングして……私は熱々の、生姜焼き作ってたフライパンで殴られ、咄嗟に私は包丁で刺しましたそしてそのままお互いに顔面を殴り合い……」 「……壮絶な喧嘩ですね」 これがその時の火傷、こっちがフライパン、これが生姜焼きです。形がよくわかるでしょ。と、太ももについた火傷痕を見せて解説した。 それを見せられて国見は内心困惑していたが、世莉は大変でしたねと共感して辛そうな顔をしていた。 「だけど、アイツが悪いんです。あの浮気野郎が。私が作り置きした料理を自分で作ったと偽って彼女に食べさせてたり、私と彼女の二人共とまともに付き合う気なんてなくて……なので、殺意はそっちに向いてます」 殺意自体抱かないで欲しいとヒポグリフォモンと国見は思ったが、世莉が偉いよくその結論に至れたねという雰囲気だったので黙った。 「では何故、彼女を探しているんですか? 自衛のためですか?」 「いえ、彼女を見かけた時、彼女はデジモンといたんですが、ひどく虚な目をしていて……私が刺したあたりのお腹に、何かが埋め込まれて異様な様子だったんです」 アレは一体……とキャサリンはつぶやいた。 「……おそらく、リンクドラッグですね」 「リンクドラッグって、なんですか国見さん」 「世莉くんが知らないのも無理はない。リンクドラッグは非常に危険、それゆえに一度は廃れた技術なんだよ」 「一体どう危険なんですかッ!」 「落ち着いてください。それそのもので彼女が死ぬことはありません。リンクドラッグは、人間とデジモンを繋ぐことで、感情の昂りに応じて同調する感情と驚異的なエネルギーを発揮させるものです。彼女と共にいるデジモンが楽しくなるには彼女も楽しくさせないといけない」 国見は落ち着いたトーンでそう答えた。 「……なら、安心ですね」 「いや、そうとも言えない。このリンクドラッグは双方向なんです。例えばら彼女が何かを楽しいと思ったとする。すると、その楽しさがデジモンに伝わった後、それをうけてそのデジモン自身が感じた楽しさは彼女に戻ってくる。それを受けて……と、ありとあらゆる感情が極端に大きくなりがちなんです」 「……それは、日常で困りますね」 「それもそうですが、より懸念すべきは脳や身体への負担でしょうね。本来はあり得ないレベルの感情を処理させられ続ければ脳に日常的に負担がかかります。次第に体調が悪化し、体調が悪化すれば気分も悪くなる。その悪い気分がまた増幅され……という負のループです」 そして、と国見は続けた。 「その悪感情達もまたエネルギーになる為、単なる八つ当たりや憂さ晴らしが恐ろしい規模の事件になる」 国見はやはり淡々とそう口にした。 「……となると、ヤベェな」 「そう、やばいので数年前に『役所』によって禁止されました。ここ数年それ系の事件はまぁまぁ頻繁に起きている……『役所』に助けを求めるべきですね。うちじゃない」 国見はそう言うと、もう一杯コーヒーを飲んだらお帰りくださいと言った。 「国見さんがやらないなら私が勝手にやります」 「……世莉くん。君は電脳核を移植された稀有な人間だよ。完全体相応の力と副作用の優れた五感がある。自然な完全体なんて千体に一体もいないのだから、君ほどの力があれば大体のことは切り抜けられるだろうね」 こくりと世莉は頷き、ヒポグリフォモンもそうだそうだと同意した。 「でも、ヒューマンドラッグは駄目だよ。人間とデジモンの組み合わせはデジモンに本来あり得ない力を出させるからね。千体に一体の完全体が、ヒューマンドラッグがあれば十体に一体まで増えてしまう。その時点で君の安全は保証されなくなるよ」 国見はそう言って目を閉じた。 「そして、デジコアだけで五体満足の完全体並の力を出せる君の力も遠いけど近しい、しっぺ返しを受けるのも当然の力という意味では同じ。ヒューマンドラッグの周りを嗅ぎ回れば必ず何かと遭遇するが、切り抜けられたとして果たしてその時君は無事でいられるのか……」 国見の言葉に、世莉は何も迷わなかった。 「私が危険な目に遭うだけで済むなら、何もないのと同じです」 「……世莉君、黒木世莉君。そういうとこだぞ。きっとそういうところがよくなかったんだぞ。それできっといなくなっちゃったんだぞ」 「今、私の親友の話は関係ないじゃないですか。というか、親友探しの依頼も済んでないんですから、天青さんはもう少し本腰入れてください」 世莉の言葉を国見は右から左へと流した。 「君は人の心に寄り添ってたらし込むが、君自身を大事にしない……今や、僕が探偵業をやってる理由の一つに、君が目の届かないところで暴走しないか不安だからが入ってくる」 「まぁ……どうせ言っても聞かないんだし、投げ出すのもどうかと思うぞ、天青」 「えっと……とりあえず、依頼は受けてくれるって事でいいんですよね?」 キャサリンの言葉に、天青は曖昧な顔をした。 「まぁ事情はわかりました。でも、聞いた限りだとあなたがそこまでする理由もなさそうですし、僕達が下手を打てばカルマーさんまで機嫌が及びますよ」 「同じクズに騙され、おそらくお互いに消えない傷を背負った、彼女は私のソウルメイトなんです」 キャサリンは濁った目で微笑みながら、太ももに大きくついた火傷の跡を撫でた。 それを見て、ヒポグリフォモンはひぇっと息を呑んだ。 「……時々思うけど、人間ってやばいよな」 「彼女を人間代表にするのは僕としては遺憾だね」 「国見さんを代表にするのも私はどうかと思いますけど」 ヒポグリフォモンの言葉に国見が、国見の言葉に世莉が反応する。 「まぁ、そういうことなら事情はわかりました。その女性について知ってること、どこで見かけたとか外見の情報とか、教えてください」 そうして一通り聞き終えてキャサリンを帰すと、国見は椅子に座ってパズルを解き始めた。 「……調査しないんですか?」 世莉は呆れたような非難するような目を国見に向けた。 「事情はわかったと言ったけども、依頼を受けるとは一言も僕は言ってないよ。『役所』への報告は世莉くんが行ってくるといいんじゃないかな」 どうせ言っても聞かないのにと、ヒポグリフォモンは呆れた様な顔をした。 「さっきはああ言ったけどさ、世莉くん。君はどこを調べればいいのかもよくわかってないよね」 つまり調べようがない、と天青は笑った。 「目撃された辺りじゃないんですか?」 「……いいんじゃないかな」 「ってことは違うんですね」 「……まぁ、そこはカルマーさんが日常的に過ごしている場所だからね。目撃したのが一度きりということは、そこにいたのは偶然であって生活圏じゃないかな。二度現れるとは限らないよ」 行く価値自体は僕にとってはあるけどね、世莉くんが危険から遠ざかるからと国見は続けた。 「……だったら、どこ調べればいいんですか」 「それを僕は教えない。中毒者達が集まってる様な場所、よく出入りする場所、取引がされてるらしい場所とか、漂流街の裏について君が知らないのを知っているもの。僕は漂流街産まれ漂流街育ちの純漂流街人だが、君はまだこの街に来て半年だからね」 諦めた方がいいよーと国見は完成したパズルの青薔薇を世莉の頭の上に置き、二杯目のコーヒーを淹れにキッチンにむかった。 「……じゃあ、エレットラさんに聞きます」 世莉がその名前を出すと、国見は足を止めてとても綺麗な笑みを浮かべた。 「それはズルじゃないかな。エレットラを巻き込むのはズルだよ。彼女に依頼受けるフリして受けませんでしたなんて言ったら幻滅されてしまうよ」 「『役所』の人に通報するだけなので、至極真っ当ですよ。その過程で国見さんが私の前で働いた幾つかの詐欺の話をしてもそれも問題ない、ですよね?」 世莉はその三白眼でじろっと国見の目を下から睨み上げた。 「……金品は騙し取ってないから詐欺ではないよ、世莉くん」 口では否定しつつ、国見は仕方ないと折れた。 街の空に走ったレールの上を走るトレイルモンに乗って、三人は『役所』に向かっていた。 「……ヒューマンドラッグの歴史はこの街と同じ、およそ三千年ほど前に起因する」 「この街の歴史もそういえば私よく知らないです」 「ならそこからかな。その発端は、およそ三千と二百年前の戦いに遡る」 国見はそう話し始めた。 「その頃、ルーチェモンという極めて強大かつ至高の叡智も持ったデジモンは人間界にいて、数多の王を従え神を名乗って君臨していた。人間界では海の民とか呼ばれているやつだね」 そう言いながら国見は右手の指を一本立てた。 「それに対し十闘士と呼ばれる十体のデジモン達は、敵対する人間の国々に声をかけ、力を合わせてルーチェモンを人間界からダークエリアへと封印。その時、デジタルワールドのある座標を経由してダークエリアに繋げた超大規模ゲートを用いた」 立てていた指を国見は反対側の五本の指で押し潰すようにして隠すと、不意に手の中からパズルのピースをボロボロとこぼした。 「それに巻き込まれた人間が何千人といて、彼等はルーチェモンが封印されたダークエリアまで行かずにデジタルワールドに漂流した」 「……それが漂流街の発祥、ですか?」 「そう、ルーチェモン派も反ルーチェモン派もごちゃごちゃだった……あの辺り、ゴミの山があるのを知っているよね?」 国見はそう言って、自分達が来た方向の街の外れに積まれた巨大なゴミ山を指差した。 「行ったことはないけどあるのは知ってます」 そのゴミ山は漂流街の中の高所であれば、大体どこからでも見える程大きく本当の山の様で、麓には崩れたのを防ぐ為の柵まで設置されていた。 「あのゴミの山がある場所が人間達の落ちた場所でね。今も人間界で偶発的にゲートが開けば、基本的にあそこかダークエリアのルーチェモンの居城に繋がると言われているんだよ。君はあのゴミ山に開いたゲートから来たわけじゃないから、行ったことはないのかな?」 「そうですね。ないです。あの山は全部人間界かはのゴミ……?」 「それはそうでもないよ。三千年前はそうだったけど、人間界から迷い込んでくるものも、要らないものは放置される。すると、そこに自分の要らないものを捨てる奴も出てくるのさ」 国見はそう言ってやだねと笑った。 「話を戻そう。この地に降り立った人間達は、あの場所では過ごせないので近くに見えた城のある街を目指した。それが【役所】の辺りだよ」 天青が指差したのは進行方向にそびえ立つ、石垣や煉瓦、コンクリートが混ざり合う、様々な年代の建物をつぎはぎしたような建物だった。 「じゃあ、元々はあの城が街の中心だったんですか?」 「そう、三千年前、人々がここに来た時点でオニスモンという古代デジモンによって滅ぼされていた街跡で、そこを中心に街を作った。その後、人間界のものを欲したのか、それとも帰りたかったのか、向こうのゴミ山の周りにも人が住むようになり、間を繋ぐ道ができ、その周りに町ができ、細長い街ができた」 適当に話を聞きながら、くぁとヒポグリフォモンは大きなあくびをして目を瞑った。 「【役所】って、警察とか市役所みたいな、自治体のいろんな機能を備えたとこですけれど……そういう歴史があって街の端にあるんですね」 「そうだね。かつてはあそこに王がいたんだよ。絶望する民を導き生活を安定させた王がね……今はもう、そういうのはいらない時代だけれど」 リンクドラッグの話まではできなかったねとあー仕方ない仕方ないと国見がわざとらしく言うと、トレイルモンの車内に【役所】到着を伝える放送が鳴り出した。 「いいですよ、結局エレットラさんの前で話してもらいますし……」 「【役所】なら、僕より把握してるんじゃないかな。ルーチェモンに説教というやつだ」 「初めて聞いたことわざですけど、漂流街ではよく使うんですか?」 「そうだね、意味はなんとなく伝わった?」 「嘘だぞ、世莉。この街にルーチェモンに好意的なことわざなんて基本ないからな」 ヒポグリフォモンにそう言われても、国見は悪びれもせずにそうだねウソだよと笑った。 「鋼の闘士に説教って言葉ならある。この街の人は本人達は神とか名乗りもしなかったのに宗教にするぐらい十闘士が好きだからね」 駅から直通の通路を抜けて、役所の玄関から三人は入っていく。 「げ……エレットラさん、エレットラ・アラベッラ・ガヴァロッティさん。顔だけが取り柄の嘘吐きアメンボ野郎が来ました。相手したくないので正面受付まで可及的速やかにお越しください」 受付に座っていた大きなアリのようなデジモンは、国見の姿を見るなりそう内線で呼び出しをした。 「……国見さん、めっちゃ警戒されてませんか?」 「みんな僕のことを誤解してるようで悲しいね」 「表現はともかく妥当な評価だぞ。日頃の行いを見直せ」 三人がそんなことを言っていると、奥から女性が早足でつかつかと歩いてきた。 「天青!」 銀髪に緑色の目をしたその女性は、そう叫ぶと、凄い勢いで天青に向けて両手を広げて走ってきた。 「エレットラ!」 その女性を迎える様に天青は手を広げたが、広げた腕をするりと抜けられたかと思うと、世莉を天青から庇う様な位置に立ち、国見の腕をねじりあげ、背中から膝を入れて地面に無理やり押し付けた。 「……エ、レットラ、これは一体……」 「この前、結婚詐欺したでしょ」 「アレは、そもそも付き合ってもないのに向こうが盛り上がっただけッでぇ……お金とか取ってないというか向こうが無理やり送りつけてきたというかがっ……痛いからちょっと緩めてよエレットラ」 「ここ半年は探偵とか、また若干怪しいけど、更生したのかなぁなんて思ってたんだけど」 そう言いながらエレットラはさらに腕を強く捻り上げた。 「世莉ももなんかアレだったら天青のことはまぁまぁ強めに止めてね」 小口径の拳銃までは可。とエレットラは治安を維持する側とは思えない言葉を口にした。 「た、探偵業はちゃんとやってる、やってるよエレットラ」 「……まぁ、詐欺でないのは自称被害者の主張聞いてればわかってはいたけど。無理やり送り付けられたは違うでしょ。結婚するとは言ってないけど、曖昧にして貢がれるがままにしていたってことはわかってるんだからね」 「いや、だって探偵業はあまりお金にならないし……あ、そういえば香水変えたね、爽やかで君に似合う素敵な香りだと思う」 「……せいっ」 軽薄な言葉を連ねる国見に、エレットラは何も言わずに力を再度入れ直した。 「きょ、今日は……リンクドラッグについて話があって来たんだ……」 「……真面目にやってる。は嘘じゃないのね」 あと、ちゃんともらったものは全部返しなさいよと言いながら、エレットラは国見を解放して歩き出した。 「ふぅ……世莉くん、こっちらしい」 何もなかった様にスタスタと歩き出す二人に、世莉は一瞬ついていけなくて受付を見たが、受付のアリデジモンは国見に向かって四つある手全ての中指を立てていた。 「あの二人は関節技と親愛のハグを同じジャンルだと思ってる節があってキモいよな」 「公衆の面前でプレイしないで欲しいですね。半年見てるけど慣れない……」 「十年見たって慣れないから安心しろ」 世莉とヒポグリフォモンは呆れながら二人について行く。 そうして二人と一体が通されたのはこじんまりとしているがしっかりした作りの部屋だった。 「リンクドラッグについてはうちでも調査を進めているけど、その、探偵とやらやってる関係で行き当たったの?」 「……そういえばなんですけど、国見さんって父親の頃から探偵なんじゃないんですか? そう聞いてたんですけど……」 「うん、父は花屋を営んでいたよ。今は別の人がやってるけど」 国見は悪びれもせずにそう言った。 「一年前まではモテ指南みたいなうさんくさいセミナーしてたわね。受講料や教材費に加えて、女性に送るプレゼントとして元は父親の店だった花屋の花を買うようにしむけ、自分は客が花を買う度に店からのキックバックでさらにがっぽりという仕組みの」 本当こいつそういうところがよくないのとエレットラは言った。 「半年前、初めて漂流街に来た時に私が訪れた事務所は……」 「廃屋だったんだよ。買い取って何か新しいことをやろうかと思っていたらたまたま世莉くんが来た。それで、前の看板の探偵事務所っていうのを信じてたから、じゃあ探偵をやってみようかなと」 そんな経緯だったわけで探偵でさえなかったという国見に、世莉は嫌そうな顔をした。 「……まぁ、今はちゃんと探偵やるつもりだし……それより、依頼人は知り合いがヒューマンドラッグにされているらしくてね。僕は手を出したくない、『役所』で何とかしてくれないかな」 「……なんとかしないとどうなるの? 天青が真面目に働くんでしょ?」 それなら私としてはむしろ安心するんだけどというエレットラに、国見は世莉を親指で指した。 「世莉くんがまた死にかけるかな。この街に来て半年、月一ペースで彼女は完全体が死ぬ規模の厄介ごとに巻き込まれるからね」 「……いい子なんだけど、もう少し慎重になって欲しいわよね」 「まぁ、慎重に深追いしてより厄介なとこでピンチになるだけだろうな」 三人がうんうんと頷くのを見て、世莉は少し苦い顔をした。 「多分、そんなことはない……はず」 しかし、強く否定もできなかった。 「さて、『役所』はなんとかできそうなのかな?」 「そうね。正直に言うと、リンクドラッグの出所はあまりわかってないわ。流通ルートはある程度ならわかってる。既存の麻薬と同じルートが使われてるのは間違いない」 けれど、そのルートが解明してればとうにどうにかできてるわと締め括った。 「それはちょっと情けなくないか?」 ヒポグリフォモンの言葉に、エレットラはでも仕方ないのとため息を吐いた。 「戦闘力が増大するリンクドラッグ使用者を取り押さえるにはそれ以上の力がいる。『役所』にはlevel6、つまりは究極体がいるけれど……たった二人じゃ手が足りない。level5だってこの街全体で三桁行かない数なんだから、こっちの主力はlevel4、数で囲んでどうにかはできるけど、毎回の様に入院するデジモンや死者が出て、捜査にデジモンが回れない、デジモンの能力込みで組まれていた捜査は機能不全に陥って、元々見つかってなかったのにどうにもできない」 「……リンクドラッグの出所は十闘士教だよ、エレットラ」 国見ははぁとため息を吐いた。 「十闘士って、さっき言ってたルーチェモンと戦ったっていう……」 「そう、その十闘士だよ。この街で最も多くの信者を持つ宗教でもある、というのが意味するところはエレットラにはわかるね」 「……[役所】内に薬物の捜査が進まないようにしてるやつがいるのね」 「でも、なら国見さんはどこからわかったんですか?」 「いくつかあるけど、リンクドラッグとは何かって話と、今エレットラから聞いた【役所】が情報をつかめてないというとこの二点かな」 「リンクドラッグは何か特別な由来があるんですか?」 「十闘士はルーチェモンというその時点のデジタルワールドに存在し得る最強の存在を倒す為、異世界に方法を求めた。そして見つけたのが人間、その活用法として考案されたのがリンクドラッグの起源なのさ」  国見はさらりとそう言った。 「一度歴史から製法が消えたものが出てきた時点で古代に精通した存在が絡んでいることは確かで、【役所】が情報を掴みあぐねるだけの理由がある……」 この街の考古学者に確認とってもいいよと国見は言う。 「つまり英雄様は中毒者だった訳だ」 話を聞いて、少し嬉しそうにヒポグリフォモンは十闘士を小馬鹿にした。 「それは定かじゃない。体内に埋め込まなくても使える仕組みでね。体内に埋め込むのは嫌がる人間が勝手に捨てたりできない様にする為の手法。中毒と暴走が確実に起こり得る状態は現代の使用方法に問題がある。頻度が高ければ十闘士も中毒ではあったかもしれないけどね」 「天青、幾らなんでもリンクドラッグに詳しすぎない?」 「……これは全く関係ない昔話なので勘弁して欲しいんだけどね、僕は子供の頃、この街で十闘士とルーチェモンについて研究していた考古学者のとこで物を調達するバイトをしていたんだよ。面白い話を沢山と、正規の金額の二倍近い代金、あと人間に詳しくなかったので、一日五食分の食事代ももらっていたことがある」 呆れた様な顔をしながら、エレットラは国見の額にデコピンをした。デコピンをされた国見は悪びれもせずに笑っていた。 「経緯はわかったわ。でも、十闘士教を安易に敵に回すのはまずいわよ。この街に十闘士教の信者は二人に一人はいる。『役所』内にだっていっぱいいる。せめて十の支部の内どこが関わってるか突き止めないと手が出せない……」 エレットラはそう言って親指の爪を軽く噛んだ。 「十の支部、ですか?」 「闇、炎、水、氷、木、風、雷、鋼、土、光と、十闘士は十の属性を持っていた。それに準えて、十闘士教は統括本部と十の支部で構成されている。お互いに対抗する関係の全部の支部が関わってるとも考え難い、どこかの支部、おそらく一つか二つかな」 国見は指を一本二本ぴょこぴょこと立てた。 「それって、すぐわかることなんですか?」 「まぁ、シンプルに金払いがいいところを探すのが早いだろう。運用の仕方が仕方だからさ。リンクドラッグは一度売れば同時に継続的に薬物も売れる……けど、あとは任せていいよね、エレットラ」 「諦めろ天青。戦うところがあったら全部俺に任せていい。というか戦わせろ、運動不足だ」 ヒポグリフォモンが楽しそうにしているのを見て、天青は嫌そうな顔をした。 「僕としては、依頼人の探している相手さえ見つかって助かればいいという考えなんだけどね?」 「まぁそうはいかないわね。人材不足って話はしたでしょ? 内部の妨害もと考えると……外部の協力者は必要なの。わかるでしょ?」 観念しろと言わんばかりにエレットラは笑った。 「……国見さん、諦めて下さい。私は少なくとも依頼を達成するまで関わり続けます」 「あと、私は弱いわよ。世莉みたいにデジモンの身体も移植してない、純人間でやらせてもらってる。パッと秘密裏に動かせるのも思い当たるのはほんの数人。ギリ戦えそうなので足が速いのだけが取り柄のlevel4もどきぐらい。あとは銃器と根性しか武器がないわ」 国見はうーんと嫌な顔をした。 「すみませーん。エレットラさん、受付に変な人間とデジモンが来ていて……会話にならなそうな雰囲気が……」 コンコンと扉を叩いて顔をのぞかせたのは、ほうきの先端の様な形の青い被り物を被ったヒーロー的な服装のデジモンだった。 「リンクモン、人間絡みだとすぐ私に頼るのはよくない癖よ。少ないけど人間の職員もちゃんといるんだから」 エレットラは自分の倍近くあるそのデジモンにそう苦言を呈した。 「いや、だってクレーマーって察してくれみたいなこと言うけど人間の表情読むのってむずいですし……ていうか違うんですよ! 今日のはなんかやばいんですって……来客が他ならともかく国見ならよくないですか……? 用なくても来るやつですし……」 「はっはっは、自慢の光速でお茶ぐらい出してくれてもいいんだよ?」 国見は穏やかにリンクモンに苦言を呈した。 「そうですね。あとで黒木さんの分だけは持ってきますね」 俺もかよと呟くヒポグリフォモンは無視された。 「いえお構いなく、それよりそういう人とかいるならここに通してもらったらどうですか?受付の前にいたらよくないかもですし」 「なら、とりあえず通してもらうわ。話が通じないがどの程度かわからないけど、level5のヒポグリフォモンいるところに襲ってくる馬鹿はいないでしょう」 立ち上がり、そう言うエレットラの声に、扉が開いて現れたのは。狼の様なデジモンとやけに顔が紅潮して息が荒いキャサリンだった。 「おや、カルマーさん。家に帰られた筈では?」 「……ア、国見さぁん! アハハ、アハハハハハ!」 キャサリンはそう言って突然笑い出した。それを見て、世莉は思わずなんでと呟いた。 「な、なんで!? なんだろう、アハ、アハハハハ、楽しいわぁあアあァあアハハハハ、ウヒヒ、いひ、ひゃひゃひゃひゃひゃ!!」 異様な笑い声を上げるキャサリンの隣で、銀の毛皮に青い縞の入った狼が、にまぁと堪えきれないという様子で笑みを浮かべ、涎を垂らし引き笑いをしながら、身体を光らせ姿を変えていく。 「……リンクドラッグだ」 天青がそう呟くと、エレットラはある床板の端をダンと踏んだ。 跳ね上げられた床板の下から飛び出てきた、切り詰められたライフルを掴み、そのまま安全装置を外しながら二足歩行に変わりつつある狼の胸に突きつける。 「リンクドラッグにはね、普通の痛みは通じないのよ」 そう言って、引き金を引いた。 「だから無理やり落とすの。死なない程度に喉か胸を殴打とかね」 衝撃に狼の息は詰まり、笑いが止まる。それと同時にキャサリンも胸を押さえてその場に膝をつき、笑いが止まった。 キャサリンの笑いが止まると、狼の身体から光が消え持ち上げられていた上半身も地に伏せる。 狼は息絶え絶えに天青に噛みつこうとするも、ヒポグリフォモンがポンと軽く額に前足を乗せると、急に脚から力が抜けた様にその場に倒れ伏せた。 それに再度立ちあがろうとすると、全身を黒い光沢のある布で包んだ堕天使に押さえつけられた。それはレディーデビモンというデジモンと化した世莉。 襲われた天青は、とうにヒポグリフォモンにソファーの上に転がされていた。 キャサリンがさまざまな刺激に耐え切れずに気絶すると、そこには呼吸の荒いlevel 4の狼だけが残された。 「……せっかく、いい、気分だったのにぃッ!!」 「そう? ごめんなさいね」 狼が暴れようとすると、エレットラはその銃を頭に突きつけて引き金を引いた。 「あとは頭ね。非殺傷のゴム弾で撃つぐらいがlevel4のデジモンにはちょうどいいわ」 そうして狼が気絶すると、世莉はレディーデビモンの姿のままキャサリンに駆け寄った。 「世莉くん、彼女に傷口はあるかい?」 「いや、血の匂いとかはしないですし、見る限りないです。でも、少し胃液? すっぱい匂いがします」 「じゃあ、リンクドラッグは無理やり飲み込ませたんだな。そして、アッパー系の薬物を投与してここに送り込んだ……早過ぎるな。まともに動いてないぞ、僕達」 「とりあえず吐き出させればいいのね。人も集まってきたし、【役所】の病院に搬送してもらうわ」 「お茶をお持ちしまし……何事で?」 お茶やジュースをお盆に乗せて入ってきたリンクモンに、エレットラはちょうどよかったと笑いかけた。 「リンクモン、このレベルは話が通じないで済ませていいやつじゃないわ。人間の方はおそらくリンクドラッグを飲まされている。病院に話をつけて搬送、その間ガルルモンは地下牢のリンクドラッグ使用者用牢で拘束」 「でも、もういっぱいだった筈……」 「今朝人間側のそれを摘出した個体がいたから一つは空いてるでしょ。最悪相部屋でもいいわ。あの牢の素材じゃないとリンクが切れない。意識を戻した途端に牢の中で進化されたらどうなるかわかるでしょ?」 「……ちょっと、見てきます」 お盆をその場に置くと、リンクモンはフッとその場から消えた。そして、あっという間に戻ってきた。 「見てきました。空きがないので同じlevel4のとこに放り込んどきます」 「そうね、離脱症状が安定してるやつのとこね。くれぐれも拘束を忘れずに」 「え、光速? 突然褒めないでくださいよ」 「頭がご機嫌なのはいいけれど、ちゃんと拘束してなくてガルルモンが暴れて相部屋の囚人やガルルモン自身が死んだりしたらあなたの責任になるわよ」 エレットラの言葉に、リンクモンは少しシュンとしながら、ガルルモンを引きずって出ていった。 それから数分して入ってきた救急隊にキャサリンが病院へと運ばれていくのを世莉はなんとも苦々しげな顔で見ていた。 「世莉くん、どうする? 依頼人がああなった以上もう、いいんじゃないかな? というかやめとこうよ、やはり関わり合うべきじゃないのさ」 「いや、カルマーさんは私達を頼ってくれたんです。なのに、このざまです。時間自体を私達が解決しなきゃ……」 「……でも、僕の予想が正しければこれは警告だよ」 国見はコーヒーを飲みながら、少し声を低くしてそう言った。 「警告?」 「おそらく、元々はカルマーさんを狙っていたんだね。理由は……まぁ、人間界でのそれかな。カルマーさんはよくても相手はそうでもなかったということさ。そして、彼女から依頼のことを聞いて、僕達に深入りさせない様にと、警告の意味で今の狼を使った」 そうじゃないと動きが早すぎると国見は言った。 「だから、調査はしないと?」 「そう、大人しくしてるのが一番安全なんだよ。そもそも多分この事件の裏にいる連中は人やデジモン死ぬのをなんとも思ってない。そして、探し人は僕達が思ってるより中核に近いのだろうね」 「でも、世莉はやるでしょ?」 エレットラの言葉に世莉は頷いた。 「そうですね。お節介は求められなくてもするものですから」 世莉は考えもせずそう答え、国見は頭をカリカリとかいた。 「……即答しないでほしかったな」 「俺達しかできねーんだから、理由なんて要らない、だろ?」 「本当は戦いたいだけだろヒポグリフォモンは」 まぁそうかもなヒポグリフォモンは笑みを作った。 「そして私は仕事するだけ。協力者はいつでも募集中、天青は協力してくれないの?」 「……するよ、協力する。世莉くんが来てからこういうボランティアをさせられる機会が増えた気がするよ」 「嫌なら今すぐ留置所に入る? 美味しくないご飯が三食と毎日の取り調べをプレゼントしてあげるわ」 「エレットラの家に留置され、毎日ベッドで取り調べを受けるなら大歓迎なんだけどね」 国見はそう言って肩をすくめた後、世莉の汚物を見るような目を見て気まずい顔をした。 「……国見さん。セクハラですよそれ」 「世莉は世莉の国ではまだ成人してねぇんだしさぁ……」 「正直今のはキモい。モテ指南セミナーは悪質商法の類と思ってたけど……今からでも効果のないセミナーで金を巻き上げた詐欺事件として捜査するべきかしら」 国見はエレットラのその言葉を聞くと、フッと笑った後、ソファに座り込み少しうつむいた。 「十闘士はその力を次世代に託すべく一体が二個ずつ、スピリットと呼ばれる器を造った。魂というには内包されるのは限られたものになるけれど、それでも歴史的価値や十闘士の力含め多大な価値がそれにはある」 「どこの十闘士教の支部もそれを持っているんですか?」 「いや。持っている支部は少ない。二つ揃っているとなると、ここ木の支部ぐらいじゃないかな」 十闘士はこの街に来たことがないからねと国見は資料を手元の空中に資料を映し出しながら続けた。 「あ、そういえばこのデジモンなんかで見たことあります。アルボルモンでしたっけ?」 資料の中にあった写真を指差しながら、世莉はそう言った。 「そう、木の闘士アルボルモン。木の支部では通常の組織体系の上にスピリット使用者の枠を設けていて、スピリット使用者は現人神っていうのかな、神様として信者達の前では振る舞うんだ」 「この街に十闘士来たことないのに十闘士をちゃんと演じられるんですか?」 「だから歴代でキャラがバラバラになるんだよね。ここ五年のアルボルモンは十闘士教以外の人々にも寛容で社会奉仕的な活動を多くする方針らしいよ」 大事なのは、この先の情報だと国見は続ける。 「古代の闘技場を改修して建てられたこの支部は、現在十闘士教で最大の建物であり、リンクドラッグが出回り始めた時期から闘技場周りにただ公園のように大した整備もせず腐らせていた土地に十の離れを建て始めた。資金源は匿名からの寄付としている……というのがエレットラの調べてくれた情報だ」 ビルの屋上から離れて見えるその建物を指差した。 「露骨に怪しいですね」 円形の巨大な闘技場の周りに円を描くように十個の離れがあり、さらにその周りはその闘技場が何個か入りそうな広さの雑木林が広がっていた。一応、一部は広場の様になっていたが、他はほとんど手付かずの森の様だった。 「露骨に怪しいけど、他の支部の構成員達は自分達の名誉に関わるから何か知ってても可能な限り公にしたがらない。木の支部の構成員以外も直接でなく隠す方なら加担するんだよ」 「まぁ、やることは変わらない。僕とヒポグリフォモン、世莉くんは潜入してヒューマンドラッグの証拠を見つける」 『私は三人を【役所】からサポートするわ。十個の離れに関しては【役所】に設計図が提出されてる。勝手に変えるにしてもベースはこの設計図通り、この設計図と異なる部分があればそこが怪しいわ』 イヤホン越しのエレットラの声を聴きながら、世莉は念入りに音量を調整する。 「しかし、エレットラ一人なのは不安だ。君は僕と同じ大して戦う術を持たないし、襲われる可能性もある」 『なら、世莉をこっちにくれてもいいのだけど』 エレットラの言葉に、天青はそれは駄目だと言い切った。 「世莉くんはこの中で最も狙われる理由がある。依頼人を連れてきたという点でもそうだし、それ以外でもね」 「なんで?」 「一部の人間にとって世莉くんは特別な意味を持つのさ」 国見はそう言った。世莉は言おうか少し迷っていたが、口にはしなかった。 『説明になってないんだけど』 「説明する気がないからね。この街に来て僕が最初に教えたのは、世莉くんにとっては当たり前のそれを口にしないということだ」 「まぁ、俺の横より安全なとこはないから安心しな」 「あとは、ヒポグリフォモンは相手を油断させたい訳だが、いかにも不健康そうでボロボロの制服を来た世莉くんは都合がいい」 「国見さんってエレットラさん以外には結構最低ですよね」 「……いや、世莉くんのことはこれで結構尊重してるつもりなんだよ? 僕は君のことを妹の様に思い、世莉くんの前ではエレットラの前ほどではないけど嘘をつかない様にしている」 「父の代から探偵って言ってたのに花屋だったのは?」 「……お花屋さんと探偵の二足の草鞋を履いていたんだよ」 国見はそう言ってにこっと笑ったが、世莉は笑わなかった。 『それで、準備はできてるのよね?』 エレットラがそう確認する。 「できてるよ」 国見は黒のスーツと手袋、そして青薔薇のネクタイをキュッと整えると、ヒポグリフォモンの首についていた翼の生えた卵が先端についた杖を手に持った。 「大丈夫です」 世莉は首元から下げたロケットの中に入ったものを一撫でして服の中にしまう。 「まかせろ」 ヒポグリフォモンは、ヒポグリフォモンの姿ではなかった。金色の四枚の翼を持ち、背中に二本の剣を携えて、赤い布を顔の周りに巻いた女性型天使の姿になっていた。 『侵入方法を確認するわよ。表門には守衛、建物全体は地下に至るまで球状の魔術的なセンサーが張られていて侵入は検知される。建物内はわからないけど、名目上は施錠された建物以外は信者の立ち入りは自由、信者に共通で持たせる様なものもないから、おそらく何もない筈』 エレットラがそう前提条件を述べる。 「了解、僕達はダルクモンに乗って揃って空から入る。そして、僕だけ離れの屋上に飛び移る」 国見はそう言うと、ちらと世莉と天使の方を見た。 「俺と世莉はそのまま地面に降りて、建物の扉をノックするか警備からの接触を待つ」 「ダルクモンと一緒にうまくとぼけて警備を引きつけつつ、あわよくば見学者として中に入るですよね」 「状況によっちゃ戦っていいんだろ?」 世莉の言葉のあと、ダルクモンと呼ばれた天使はそう聞いた。 『ちょっとトラブル起こして足止めする程度ならね。でも、退化して戦力も落ちてるだろうしできれば避けて……』 「まぁそこは俺は大丈夫。いつでも戻れるし、色々あって強さもそう変わらない」 『でも、どんな備えがされてるかわからないわ。くれぐれも気をつけて』 じゃあ行こう、と天青は目立ちにくい様ダルクモンの背中に捕まり、世莉はダルクモンに横抱きにされる形を取った。 二重円の外側、異常に行われた改築の最初に建てられた離れへと向けてビルから飛んで降りていく。 屋根が近づくと屋根の上へと跳び移り、その天青の姿を確認すると、ダルクモンは世莉を抱えたまま建物の周りをうろうろと飛び回った後、扉の前に降り立った。 「ノックするか?」 「……いや、どうだろう」 すると、ほどなくして警備員らしい人間とデジモンが数体、ダルクモンと世莉の元へと集まってきた。 「警報を鳴らしたのはお前か!」 「……警報? 私はただ空がすいていたもので、そちらから訪問したのですが、どうかしました?」 ダルクモンはそうとぼけた口調で口にし、事情がいまいち飲み込めてない風の顔を作った。 その粗暴さを全く匂わせない音声を聞いて、通信機で聞いていたエレットラは思わず吹き出し、世莉は驚きに目を丸くしてしまったが、警備員達には世莉のそれは怒られたことに対しての驚きと見えたのか、奇妙と捉えた様子はなかった。 代わりに、警備員ははーと気が抜けた様にため息をついた。 「……そうなんだよな。俺達は三日に一回はあんたみたいなやつに会う。空を囲ったり高い塀がないから出入り自由だと思ったってやつだろ」 違いますの? とダルクモンは小首を傾げて目をパチパチさせた。 「私達、この街に来るのも初めてで……色々なデジモンや人からお話を聞きましたら、十闘士教は人とデジモンが手を取り合うサポートをしているとか。それで、お話を聞けたらと思ってきたのですわ」 「やっぱりな……」 ダルクモンの言葉に、人間の警備員は一応出していた警棒もしまい、明らかに警戒を解いた。 「いや、お前は違うだろう。お前は並のデジモンではない。このグリズモンにはわかる……お前の身のこなしは単なるlevel4のそれではない、武闘家のそれだ……」 その警備員の前にずいと出てきてそう言い出したのは青い熊の様なデジモンだった。 「おい、グリズモン」 「はて、なんのことでしょう……」 人間の警備員の静止も振り切り、ダルクモンの言葉を無視してグリズモンは歩み寄ると、ダルクモンの襟巻きを掴んだ。 「乱暴はやめてください」 そして、背負い投げをしようとしていたもののできず、傍目から見ると滑稽なパントマイムの様になってしまう。 『馬鹿、ヒポグリフォモン、そこは投げられとくとこだ』 「投げられたの昔過ぎて投げられ方がわからねぇ……」 思わず国見はそう通信機越しに囁いたが、ダルクモンはちょっと困った様にそう呟いた後、ニコッと微笑みながら自分の襟巻きを力一杯掴むグリズモンの手を指を一本ずつ持ってゆっくりと確実に引き剥がした。 エレットラはカメラ越しのそれに、一瞬撤退させるか迷ったがもう少し様子を見ることにした。 『……世莉、危なくなったら一人でも撤退するのよ。そしたらダルクモンも流石に一緒に来る筈だから』 了解と小さく返しながら、世莉はダルクモンの空いてた手を掴んで自分から手を出しにくくした。 「おいおい、グリズモン何やってんだ……普通に見学者だろ、普通に本館へ……」 「いや、違う……びくともしないんだ。まるで大樹、この場に根を張った五百年ものの大樹の様に、全く動くイメージがわかないんだ……ッ!」 グリズモンは元々青い顔をさらに青くしながらそう言った。 「確かに、多少の心得はありますわ……でも、それもこの子を他の人間がいる街へ連れ出す為の力、怪しい者ではありませんわ」 ダルクモンはそう言って、少し悲しそうな顔を作り目にうっすらと涙まで浮かべた。その迫真の演技に世莉は少しホッとしたが、このまま絡まれたらイライラしてきそうだなと思って少し不安になった。 「ほら、グリズモン……謝れよ」 「いーや、謝る必要はねぇよ。そいつは只者(パンピー)じゃねぇな。俺にはわかる」 そう言いながら出てきたのは、申し訳程度に警棒を持ったライオン頭の獣人のデジモンだった。 「おい、グラップレオモンまで……」 「……さっきも聞いたセリフですわ。漂流街って、聞いてたよりも頭の悪い方しかいらっしゃらないのでしょうか……」 口調こそ猫を被ったままだが、若干ヘイトを集めようとする意識の見える発言に、世莉はダルクモンの手を引いて小さく囁く。 「落ち着いて、level5相手じゃ小競り合いじゃすまない……」 「大丈夫、どっちも一捻りできる」 ダルクモンの返答に、世莉はそろそろ退くべきかもと考えていたし、聞いていたエレットラもまた、退くべきではと考えていた。 「こっちに来いよ。お前みたいな修羅(バトルジャンキー)にお似合いの違法闘技場(パーティ)をここじゃやってんだ」 グラップレオモンから出たのは、世莉達の想像していたのとは違う提案だった。 「おい、グラップレオモンッ、それは極秘の……」 「いいじゃねーか。こんなところに修羅(バトルジャンキー)が来る理由なんざ、地下でやってる違法闘技場(パーティ)以外にねぇ。大方、その噂を聞いて来たんだろうよ」 グラップレオモンはゲラゲラと笑う。 「エレットラさん、違法闘技場の件は……?」 『こっちのデータにはない。多分これも揉み消されてるわね。でも、そっちから証拠が抑えられれば踏み込めるわ。そこからヒューマンドラッグ周りを崩していくこともできる筈。乗って』 ダルクモンは聖女の様に微笑むと、ゆっくり胸の前で指を合わせ、かと思ったらその場全体に響き渡るほどにごきごきと勢いよく指を鳴らした。 「そこに、私を満足させられる闘士がいる、と? 信じられませんわ……子猫がじゃれあってるだけのお遊戯会ではないでしょうね?」 ダルクモンの言葉に、グリズモンは子猫って俺のことかよと歯噛みするのが世莉には見えた。幾ら乗るとはいえ挑発し過ぎではとダルクモンの手をぐっと世莉は一度引いた。 「へへっ、いい啖呵切るじゃねぇか。そこにいるのはお前と同じ修羅(戦闘狂(バトルジャンキー))ばっかだからよ。俺のシフト終わるまで無事でいられたら戦ってやるよ」 「あらあら、子猫ちゃんが背伸びしてる。なでなでしてあげましょうか?」 「……ダルクモン、煽りすぎ」 案内される前に戦いになるからやめてと言外に世莉が伝えるも、ダルクモンには全く伝わってないようで、世莉がぐいぐいと手を引く度にそれに合わせて体こそ動かすも、止まる気はない様だった。 「そうでしたわ。自省しないといけませんね、子猫ちゃんは本気で言ってるんですもんね。まじめに受け取ってあげなくては」 ダルクモンはにっこりとそう微笑んだ。 「てんめぇ……」 「おちつけグラップレオモン」「お前に言われたくねぇグリズモン」「でもここじゃ人目に触れるだろうが」「そうだ落ち着けって!」 苛立ち、殴りかかろうとするグラップレオモンを、グリズモンや他のデジモン達が抑える。 取りおさえる側に回れない人間の警備員は、仕方ないとダルクモンと世莉を建物の中へと案内する為に鍵を開けた。 建物の中は世莉とダルクモンの二人が見る限りは普通の倉庫だった。 「この地下だ」 その人間は、そう言って荷物の下の床に隠された階段を見せた。 「ちょっとこういう隠し階段ってわくわくしますね。世莉」 「……なんかあいつ、最初の雰囲気と違くないか」 「えと、戦闘を前に興奮してるんで……近づくとボコボコにされるかも……」 世莉はそうフォローしたが、世莉も正直ダルクモンがどういうテンションなのかよくわかっていなかった。 地下への階段をダルクモン達が降りていくと、そこにはだだっ広い空間が広がっていた。その内の数カ所には円形に金網が張り巡らされており、二体のデジモンが殴り合ってるのを見ながら、手にチケットを持った客の人間やデジモンがその金網の周りに群がって賭けをしていた。 「面白くないですね……迫力もなく強さもなく……幼年期の子供達のじゃれ合いの方が見てて楽しそうですわ」 「ダルクモン、わかってる?」 目的は違うでしょと世莉が諌めると、ダルクモンはわかってると呟いた。 「おい、お前の行き先はこっちだ。こっちでエントリーしてもらう」 「……面倒ですけれど、仕方ないですわね」 世莉とダルクモンが手続きを始めると、国見は屋根から降りて建物の中に入った。 倉庫の大きさを目測で調べ、いくつかの箱を開けた後、ある壁に寄ると、こんこんとその壁を手で叩き出した。 『どう? 天青』 「外観や設計図から考えると天井が低すぎるし、綺麗にボードが張られているのが違和感があるね。倉庫の場合はこのボードをなくして換気扇やダクトを丸見えにしコストカットするとこも少なくない……置いてある荷物が厳密な温度管理や湿度管理が必要なら外気の影響を避ける為とも考えられるが……そうでもなさそうだ」 木馬の姿をした木の闘士をモチーフにした陶器人形が入った箱を開け、空調が換気しか稼働してないのを確認しながら天青は呟いた。 『倉庫の作りにも詳しいんですね』 「昔、建築事務所で雑務のバイトをしていてね」 『仕事で忙しい彼等に出会いを紹介して仲介料を受け取ってたのよね。それで、破局したカップルに訴えられたのが【役所】に勤めて初日の私が受け持った初めての案件だったわ』 「懐かしいね。あの日も君は綺麗だった、その青い瞳に僕は吸い込まれそうな気がしたよ……あった」 国見は壁の一部をボコっと外すと、その奥に隠されたボタンを押した。すると、天井から縄梯子が降りてきた。 「喜んでくれエレットラ。証拠とのご対面だよ」 国見が縄梯子をするすると登っていくと、そこには先ほど見たのとはまた別の木箱が山と積まれていた。 縄梯子を片づけた国見が、それを一つ開けると。白い粉が大量に入っていた。 『天青、渡した試薬にその粉を入れて』 「お察しの通り、これは例のヒューマンドラッグと一緒に使ってたアッパー系の薬物だね。この通信映像だけでも踏み込む根拠にはなるはず。けれど……」 指示を聞く頃にはもう既に動いていた天青は色の変わった試薬をカメラに映した。 『どうしたんですか、国見さん』 「僕達が調べているのはまだほんの一部に過ぎない、にしては簡単に見つかり過ぎだね」 国見はすっきり腑に落ちないと言った。 『そうね、この支部にはまだ何かある。闘技場も薬物も普通に考えればお金の為……でも、それにしては溜め込むでも散財するでもない。そうして建てた建物は一応の偽装はしてるとはいえ警備もザルだし、警備員がふらっと新しい客を入れたりもできてしまう。怪しまれても構わない……ボロが出て咎められる前に何かを行うという意志を感じるわ』 エレットラもそれに同意する。 「単なる金儲け、ではないだろうね。デジタルワールドの各所で何が価値を持つかはてんでバラバラ……バレてしまってこの街から逃げ出すことになれば意味はなくなる。この漂流街で何かを起こすための資金になっている筈だ」 『でも、そんなのすぐに調べてわかるんですか……?』 「でも今回のチャンスは逃せないよ。空のセンサーを誤魔化す手口も、二度は使えない。木の支部では十闘士を象徴する十の離れを建造し終わっていることから、おそらく設備面において、その何かの最終局面に既に彼等は入っているに違いない」 そう言って、国見は少し考えながら目をつむった。 「……建物本体は人の出入りが激しい筈だが、最初から計画されているなら改築部分には核となるものはおそらくない。中央の地下が怪しいかな」 『国見さん、それはないと思います』 国見の言葉を、世莉は小声で否定した。 「どういうことだい世莉くん」 『さっき私達が闘技場入ったとこ見てましたか?』 「いや、見つかると困るから音声だけで聞いてた」 なるほどと国見の言葉に世莉は納得したらしかった。 『この闘技場、かなり広いです。私達が入ったとこはあくまで入り口で、闘技場自体はおそらくこの支部全体の地下に広がってるかと』 「……その闘技場みたいな場所のリングとかは固定してあるのかい? それとも動く?」 『どうでしょう……』 『よし、俺聞いてくるわ』 ダルクモンがそう呟き、立ち上がる音がマイク越しに天青の耳に届く。 「おい、怪しまれるなよ」 『あの、一つ伺いたいのですが、あの金網とかを撤去して、巨大なデジモンと戦ったりするようなことはしてないのでしょうか?』 『……いや、してないよ。でも、【役所】が入って来た時にでっかい多目的ホールとして説明できるように、金網は撤去できる造りになってる。あんたが人気の闘士になれば、そういうのも企画できるかもな』 『まぁそれはいいですわね。小粒の雑魚ばかりで、期待外れかなと思っていたのですが……そういうことなら私もやる気が出ますわ』 『……やっぱ、あんたイカれてるな』 音声を聞いて、国見はなるほどと頷いた。 「世莉くん、もしかしてその闘技場の床には何か模様なんか描かれていないかい? あと、リングになってる辺りにも、例えば何か丸く囲われていたりとか……何かの儀式場という線はないだろうか」 国見の言葉を受けて、世莉は床をじっくりと見る。確かに円形に模様はある。それは崩された文字の羅列の様でもあり、どこかそれに世莉は見覚えがあった。 そして、それを見ている内に世莉がふと何かに気づいた。 『国見さん、私、これ知ってるかもしれません……』 「なんだい、世莉くん」 『これは、ゲートです。人間界とデジタルワールドを繋ぐゲートの術式です』 「……ふむ、疑うわけじゃないが、そう思った根拠を聞かせてくれ」 『天青さんは知ってる様に私は、自分達でゲートを開いて仲間達とこっちの世界に来ました』 『私は聞いてないんだけど……一部の人間にとって特別な意味を持つってそういう?』 自分でゲートが開ければ、この街の漂流者や人間に興味があるデジモンなどにとっては確かに特別な意味がある。 『そういうことです。私はゲートの開き方を知っています。でも、その時使った方法はデメリットも大きくて……帰る手段として別のゲートの開き方も調べていたんです。この術式には欠陥もあって、使ったことはないです』 「わかった。だとすると、ゲートのサイズが気になるな……この建物は全体だとかなり広い。外周を歩いて回るのはちょっとなかなかしたくないぐらいの広さだ……そのサイズのゲートが開いたら、世莉くん。君の経験則でいい、どうなると思う?」 国見の質問に、少しだけ世莉は言い淀んだ。 『……ゲートには、周囲のものを引っ張る力が働きます。繋がってる先の世界へ送り届ける為に、繋がっている部分の空間に力の流れを作るんです』 「つまり」 『おそらく、この地下空間の上に立つ建物や地面、周囲の人間やデジモン達が呑み込まれて、人間界に降り注ぎます』 世莉の言葉に、エレットラとダルクモンは息を呑んだ。 「降り注ぐ、というのはさっき君が言った欠陥の話かな」 『そうです。デジタルワールドと人間界とで座標が対応する場所にゲートが開くんですが……土の中とかに出ないように、出口は座標が上にズレるんです。その高さはlevel5クラスのデジモンなら怪我もしないでしょうが、人間やlevelの低いデジモンには致命的な高さになります。おそらく、生き残ることは難しいでしょう』 「瓦礫諸共となれば、なおさらか……」 『そうですね。ゲートの中は力の流れが渦を巻きます。洗濯機に一緒に入れられる様なものなのでゲートから出る以前に……』 『なんでそんなひどいことを』 エレットラの漏らした呟きには悲しみがこもっていた 「いや、おそらくひどいことと思ってないんだよ。これを用意したやつは何も知らない、ゲートの吸引力も座標のズレも。知っていれば、地下という場所は選ばないからね。余計なものを吸い込まない様に堂々と屋外に設置しただろう」 『どうする天青、俺ならこの姿でも戦いながら地面ボコボコに破壊するぐらいはできるが』 「いや、魔法陣というものは然るべき素材で描き直せば作動してしまうものだ」 世莉くんはどう思うと国見は振った。 『壊すべきは、起動から安定するまで無理やり流れを作るためのエネルギー源です。一度安定したゲートはある程度の期間自然に流れが生じて押し広げられ続けます。でも、最初に開き、それを安定させするには莫大なエネルギーがいる……私が人が数人通れるゲートを開いた時、level6相当の力を退化するまで消耗しました。規模が大きくなればなおさら……』 『その規模の力を一体二体ではなく爆発的に消費するならば、一朝一夕じゃためられないわ。なんらかの方法で貯蔵してる筈』 「……そのエネルギーは、どこで発動させる?魔法陣の上かい、側とかでも作動するのかい?」 『私の時は、真上でした』 「なるほど、ではこっちの場合は……隠したい事情を考えると真下かな」 国見はそう言って地面の方を見た。 『さらに地下ってことか、天青』 「そういうことだ。僕には大体の事情が読めた。ここが木の闘士の支部であることを考えれば、犯人は自ずとわかる。この犯人は、おそらく悪意なんてものはない、本人は至って真っ当な目的の為に真っ当な手段でことを進めたつもりかもしれない」 『どういうこと……? 天青』 「すまないエレットラ。これから僕は、犯人を説得しに行くよ。溜め込んでいるエネルギーと【役所】の武力と激突したら、どうなるかわからないからね」 国見はそう言うと、手に持った薬物を戻して屋根裏から慎重に降りて行く。 『危険よ。目的がわかったんだし、こっちだってやり方を変えるぐらいはできるわ』 『天青、俺はどうする?』 「とにかく好きに暴れてくれ。観客達がその場に釘付けになれば、迂闊にゲートは開けない」 国見の言葉に、ダルクモンは笑みを作った。 「おい、あんたの番が来たぞ」 「……わかりました」 ダルクモンはそう言いながら立ち上がると、金網で囲われた中に既に待っているグラップレオモンの方へと歩き出した。 「さっきぶりだな」 グラップレオモンは、構えを取るとじりじりとダルクモンに近づく。 「シフトは代わってもらったのですか?」 ダルクモンは動かず、構えさえ作らない。 「そういうことだ。殴り合い(デート)する為にな」 「あらあら……」 不意に、大股でダルクモンはグラップレオモンへと距離を詰め出した。 一瞬唖然としたが、グラップレオモンはすぐ立て直して牽制のジャブを放つが、ダルクモンはそれをパシっと手で受け止めた。 「雑魚とデートする暇はないんですわ」 ミシッとグラップレオモンの拳が悲鳴を上げ始める。 「う、うおおッ! 旋風タービン蹴り!!」 「出始めが遅すぎます。レディファーストの権化かしら」 グラップレオモンが振り上げようとした脚を、ダルクモンはひざを踏みつけて止める。そして、グラップレオモンの気がついた時には天地が入れ替わり、そのままふっと意識を手放した。 ダルクモンのハイキックがこめかみに入り、グラップレオモンは地面に倒れ伏していたのだ。 周りがどよめき、歓声が上がる。何人もの客が紙束になった賭け券を投げ捨てた。 グラップレオモンが運ばれていっても、新しい選手が入場しようとしても、ダルクモンはリングの真ん中から動かなかった。 「……おい、どけよ。お前の闘いはもう」 「あんな蹴りの一発で満足するほど安くねぇんですわよ」 「そんなこと言ってもよ、俺達の番なわけだから、な?」 「ここの客はコスパがいいんですね。可愛らしいおままごとで満足するなんて、私には到底できませんわ」 ダルクモンの言葉に、客達がざわつき始める。 「おい、いい加減に……」 「退かせられるなら退かせてみやがれ、ですわ」 そのデジモンが拳を振り上げて、振り下ろすのに合わせてダルクモンの軽く振るったカウンターが顎を打つ。 その対戦相手も、口から火を吹いてダルクモンを攻撃するが、火の中から手を伸ばすとそのまま喉を掴んで意識が落ちるまで締め上げた。 「身体を温めて動かしやすくしてくれるなんて、暖房器具としてはいいかもしれないですわ」 そう言うと、ダルクモンはその意識を失ったデジモンを金網に投げつけた。 「ねぇ、こんなのを見て満足してるてめぇらに教えて欲しいのですけれど、戦闘種族(デジモン)の誇りは何ゴミに出して引き取ってもらったんですの?」 「なんだとてめぇ!」「袋にしてやろうか!!」「金網に守られてるからっていきがってんじゃねぇぞ!!」「俺がテメェをぶち殺して生ゴミにしてやるぁ!」 ダルクモンの煽りに、金網に何体かのデジモンが張り付いてそう声を上げる。 「やってみせてくれます? 少しでも誇りがあるのなら!」 ダルクモンは剣に手をかけると、三度振るってまた鞘にしまった。すると、ダルクモンを囲っていた金網が切られて崩れ落ちた。 『僕は暴動を起こせとは言ってないが? 世莉くんもなんで止めないの』 カンカンカンと通信機越しに階段を降りる音をさせながら、国見はそう苦言を呈した。 「殺さない程度にボコってここに放置しときゃあ、ゲートだかなんだかしらねぇが開けないだろ」 「……いや、さっき観客の中に探してる人らしい人がいた気がして……ゲートも大事ですけれどまずはそっちが目的ですし」 ダルクモンは怒りに滾った観衆の元へと飛び込んでいき、世莉も既にその荒波の中にいる。 通信機越しに国見はあの二人組ませたの間違いだったかなと思った。 同格の筈の成熟期が、格上の筈の完全体が、ダルクモンに殴られ蹴られ、まともに掴むことさえできずにあっという間に死屍累々の山を築く。 「やめろお前らッ! そいつには束でかかってもてめぇらじゃ敵うわけがねぇ!!」 「おぉ……シュラウドモンだ」「この街に四体しかいないlevel6の一体」「level5を一蹴するとはいえ……いけるぞ!」 観客達がにわかにざわめく。 「俺にはわかるぜ、お前の戦いへの執念」 「どこかで聞いたようなマイクパフォーマンスはやめてくださる? その拳以外に俺とわかり合う方法なんててめぇは持ってねぇでしょう?」 「然り! 俺も雑魚に合わせ過ぎてた様だ!!」 シュラウドモンの拳とダルクモンの拳が正面からぶつかり合い、空気は揺れ、近くで見ようとしていたあるデジモンはその圧に気絶する。 そして、その力の打ち合いが収まると、シュラウドモンはぐらりと揺れた身体を支える為に一歩後退し、ダルクモンは両足が宙に浮いたものの、空中で姿勢を立て直して、その場に着地した。 「まぁまぁなのが出てきやがりましたわね」 「ふふふ、お前ももっとやれるだろう。剣を使うんじゃないのか?」 「あなたも、使っていいですわよ、リンクドラッグ」 ダルクモンは拳を打ち合わせた時に、シュラウドモンの体内に異物、リンクドラッグの受信機がある事を悟った。 「お前が楽しませてくれりゃ俺の相棒もノッてきて効果が出てくる筈だ。だから、もっと力を見せてくれ!」 「なるほど……」 そう言うとダルクモンは剣を捨て、スーッと深く息を吸い込み、ピタと構えを取って微動だにしない。 「あくまで拳闘、ということか」 「種族と嗜好と才能が合わないことは幾らでもあるでしょう? あと、豆知識だけど、剣を二本持つ剣士は性格が悪いんです。色が白くて赤い竜と仲間ってなると子供に見せられませんわ」 ダルクモンとシュラウドモンはもう一度歩み寄ると、拳と拳をぶつけ合う。拳の間で圧縮された空気が逃げ場を求めて爆発した。 そして、その爆心地で二体の修羅は笑みを浮かべていた。 「パワーではシュラウドモンが上……なのかな?」 シュラウドモンの戦法はシンプル。とにかく強くて速くて重いけど出だしに溜めがある普通のパンチと、出だしが早いジャブ、それに蹴り頭突き。体格差が威力に直結する打撃をとにかく打ち込む。シンプルに無駄のない動きで基本の攻撃を打ち込み続ける。 それに対してのダルクモンも打撃を基本としていたが、シュラウドモンの攻撃は最初のぶつかり合いの様にその身体を浮かすことはなく、まともに当たりさえしない。 「ふふっ……わはははッ! よい、よいぞ!! 力が増しても一撃も当たらないのがこんなに楽しいとは!!」 シュラウドモンの言葉にダルクモンは言葉を返さず、代わりに顎に脚に腕に拳を叩き込む。だけどシュラウドモンは倒れない。 「どうも旗色が良くねぇですわ……」 殴れば手応えはある。しかし、すぐ直っている、すぐ攻撃をしてくる。新しい隙が簡単には生まれない。 「大きな隙が一つあれば……」 そうダルクモンは呟きながら、殴れば殴るほど笑みを深めるその鬼を見た。 「何がどうなっている! シュラウドモンは神の護衛だぞ!! 予定外の試合に軽々に出すんじゃない!!」 ある部屋の中で、十闘士教の伝統的な服らしい奇怪な服を着た男がそう叫んでいた。 「し、しかし……シュラウドモンがそうと決めたら誰も止められるものなどおりません」 その男の側近らしい同じような服を着た目の下にクマのある女性の言葉に、男は小さく普通なら人前で言えない様な悪態をついた。 「まぁ、そう声を荒らげるな。私を害せるものなどどこにもいはしない。この木の闘士に護衛は不要」 そういいながら男に話しかけたデジモンは、木で作られた人形の様な独特の姿をしていた。 「……おぉ、アルボルモン様。しかし、御身の依代は今はただの機械に過ぎませぬ。シュラウドモンの戦いの余波で破壊されたりすれば、また作り直すのに時間がかかります」 「我々は正しい道をゆく。それで時間がかかるならば、それはそういう運命なのだ」 アルボルモンはだから気に病むな落ち着けと言った。 「正しい道、とおっしゃられるのですね。あなたは」 国見は、物陰からスッとその身を見せると、タンと杖を地面についた。 「君は……何かな。ここは関係者以外立ち入り禁止だが」 アルボルモンの問いかけに、国見はスッと会釈をした後懐から青い薔薇を取り出してアルボルモンに向けて投げた。 「僕の名前は国見天青、この街に咲く一輪の青い薔薇です」 『天青、その表現、私は気持ち悪いと思うわ。何言ってるかもわからない』 気障なその振る舞いに、反応したのはアルボルモン達ではなく通信機越しに話を聞いていたエレットラだった。 「エレットラ……少しの間スルーしてくれないかな」 天青は出鼻をくじかれて少し嫌な顔をした。 「エレットラだと? 【役所】から派遣されて来たのか……!?」 「権力の犬になったつもりはないさ。青薔薇っていうのは嘘の花なんだ、自然には存在せず不可能なんて花言葉があったのに、最近になって人間界で開発されたのが青薔薇。僕も、この場の真実が知らず知らず解決され、何もなかったという嘘をこの街の真実にしたい」 『気取った言い方はノルマでもあるんですか?』 エレットラが黙ると、今度は世莉がそう言った。 「……嘘にする必要などありませんよ。我々の行いは正しい。あなたもきっと話を聞けばわかってくれる筈です」 「語り合うなら二人でじっくりとですね。三千年前の闘士たるあなたと、この……僕と」 国見はそう言ってアルボルモンをじっと見た。他にアルボルモンの周りにいる幾人かの信者達は目に入ってないかの様だった。 「何を言ってるのか君はわかっているのかね! こんなところまで入り込んで、自分の要求がすんなり通ると!?」 先程文句を口にしていた男がそう口にすると、その脇に立っていた大柄な男がずいと前に出た。 「俺は全身の筋肉にミノタルモンのデータを移植している。人間だからなんとかなると思わない方がいいぜ」 そう言って、男は警棒を振り上げ、そしてそのまま膝から崩れ落ちた。 「……顎や脳は人のまま。顎を殴って脳を揺らすだけでいいというわけだ、簡単だね」 国見はダルクモンから借りた杖で、倒れた男の頬を突いて気絶してることを確かめると、先端の飾りについた血を男の服に擦り付けて拭いた。 「この街の西の外れにサンゾモンが対デジモン護身術を教えている教室があったんだが、そこで家事手伝いをしてたことがあるんだ。人サイズの成熟期までなら、銃がなくとも身を守ることぐらいはできるつもりだよ」 一応銃も持っていると、国見は胸ポケットのふくらみに手を入れて見せた。 「……わかりました。二人きりで話をしましょう。あなたも通信を切って下さい」 「アルボルモン様!?」 「配慮感謝する、木の闘士」 そう言うと、国見は耳にはめたイヤホンを外して杖で叩き割った。 「皆、席を外して欲しい。私は大丈夫だ、むしろ皆が傷つく方が心苦しい」 アルボルモンに促され、男達は倒れた男を回収して国見を睨みながらその場から去っていく。 「さて、これで君は私の話を聞いてくれるだろうか。国見天青くん」 「確かに聞き届けましょう。僕としても、全て勘違いであなたの正義に誤ちがないならばそれに勝ることはない。ただ、薬物と闘技場だけ取っても、考えが変わるとは思えない」 「……私はね、精算をしたいんだ。この世界に私達十闘士が連れてきてしまった人間を元の世界に返したいんだ」 その言葉に、国見は少し目を伏せた。 「その為に、薬物や闘技場でお金を稼いだ?」 「そうだ。儀式には、陣の上で一定量の血を流す必要があった。陣を引いたり、建物を維持したり、いざ実行する時のリソースを用意する為にも金が必要だった。しかし、その方法にも私はそれなりの注意を払ったつもりだ」 「注意、薬物や賭博闘技場のどこに?」 「現代では確かにどちらも抵抗があるかもしれないが、古代ではそう珍しいことではなかった。扱い方を誤らなければ薬物は危険ではないし、闘技場ではファイトマネーも出しているし治療ができる準備も整えている。それでも、しようのない愚か者がいるだけだ」 「……なるほど、犠牲は自分の責ではなくその愚か者達の責だと」 国見はそう呟いたが、皮肉めいた言葉の割に顔は寧ろ同意してる様だった。 「私にも責はあるが、目的は極めて大事。人間達を皆、人間界へと早急に返すにはこの方法が最も効率的だった。三千年という長きに渡って故郷に返せなかったのは我々十闘士の心残りだった。少しでも早く元の世界へ、そう思えばこそだった」 アルボルモンの目は澄んでいて、そこに裏がある様には見えなかった。 「やはり、あなたも僕と同じ嘘吐きの様だ」 しかし、国見は確信に満ちた顔でそう口にする。 「嘘吐き……だと?」 「十闘士はとうに死んでいる。あなたは当人ではない」 「君はスピリットを知らないのかい? 私は二つのスピリットを通じてこの世界に蘇ったのだ。私こそが木の闘士、かつてエンシェントトロイアモンだったアルボルモンだ」 アルボルモンの言葉に国見は首を横に振る。 「スピリットは十闘士の力の結晶、まぁそれに付随する記憶もあるのかもしれませんが……あなたが古代の木の闘士そのものであるならば、スピリットの使用者はどこにいるんですか?」 「使用者……? 私は、木の闘士以外の誰でもない」 「スピリットは肉体と分たれたからこそ魂(スピリット)と呼ばれている筈。誰にも使われていないはあり得ないんです」 あなたは誰だと、国見はもう一度問いかける。 「……君に、十闘士の私達の何がわかるのかね。私達は、ルーチェモンを封印する為に敵も味方も巻き込みゲートを開くしかなかった! その事を気に病んでいて何がおかしい! 使用者などというのは私の中にはいない!!」 アルボルモンはそう答えた。 「この街に十闘士は一度も来たことがない。それは調べれば誰でもわかる。彼等は強さの割に短過ぎる生涯のほとんどをルーチェモンとの戦いやルーチェモン封印後の世界の安定の為に費やした。味方だったのになぜ来なかったか、それはこの街を作った時、十闘士の味方の人間なんていなかったからだ」 「君はこの街では誰もが知る様なことも知らない様だ。この街は、光の民と十闘士の民、合わせて数千人が共に……」 「それは後世の創作。十闘士教が権力を得た時代、他の人達に比べて何故自分達が偉いかの権威づけとして言い出した事だ」 国見は自分も世莉に話したその説を否定した。 「実際には犠牲にしたのは全て異民族の光の民、ルーチェモンを崇める国の人間達。ルーチェモンを崇める祭りの最中に奇襲して都のほとんどをゲートに落とした。生き残ったのは数千だが、死んだのはもっと多い。ゲートは今使おうとしている術式の様に空に開き、生き残った数千人は先に落ちた数万の死体と瓦礫のクッションのお陰で生き延びた」 今も三千年前の地層には夥しい死骸がゴミ山の下に埋まっている。と続けながら国見は一歩アルボルモンの前に歩み出る。 「そんなわけが……なら何故ルーチェモンではなく十闘士を讃える宗教がこの街に根付く!」 「十闘士が勝ったからだ。光の民の王はこの街まで民を導き、生活を安定させ、ルーチェモンを助けに行こうとしたが、十闘士に怯えた民に裏切られた。それ故に十闘士教はルーチェモンの信奉者の存在を許さない教義となった。かつての王が戻って来て、権力を奪われるのを恐れたんだ」 「では、では実際そうだという証拠がどこにある!」 「僕が持っている。正確には僕の一族が三千年恨みと共に伝え続けてきた」 国見はそう言って、もう一歩歩み出るとカンと杖で床を叩いた。 「十闘士に滅ぼされた国の王、この地で民に裏切られた王、その一族はルーチェモンの復活と一族の復興を夢見てこの街でひっそりと恨みと教えを繋ぎ続け、今ここにいる」 もう一度自己紹介しようと国見は言って、またカンカンと杖で床を叩いた。 「僕の名前は国見天青。この街をこの国を見続けてきた本来のこの国の王の末裔。雲一つない青い天(そら)、光たるルーチェモンの威光と恵みが遮られる事なく民に降り注ぐ時代を、三千年の暗雲を晴らすことを望まれし者」 「そんなことがあるはずは……大体君はこの国の主要な人種とさえ異なるじゃないか!」 アルボルモンはそう言って国見の顔を指差した。 「裏切り者の血が混じるのを良しとせず、可能な限り漂流者と交わり、それも無理なら近親婚で済ませてきた狂った風習の末路が、元の人種からさえかけ離れた末裔の姿だ。存分に嘲笑ってくれ」 嘲笑ってくれと言われてもアルボルモンが嘲笑えるわけもなかった。国見は本気でそう言っているし、それは真実だとアルボルモン自身がわかっていた。 「僕も君の立場ならあり得ないというだろう。でも、そうでないのはもうわかっているはず。そんな荒唐無稽の嘘は意味がない。信じられる筈がない嘘を吐く理由は、大きく分けて二つ、それでしか説明できないか、それが嘘ではないか」 単純にアルボルモンの存在の歪さに言及したいのなら、考古学者を名乗るのが早い。 「君の記憶を細かく考古学的資料と付き合わせてもいいが、その時間は惜しいだろう?」」 さて、僕のそれが真実であるならば同時にと国見は杖でアルボルモンを指した。 「ではもう少し踏み込もう。スピリットを使った姿であるアルボルモンの姿を持っていることから、君は人かデジモンか使用者であるのは確か。でも、それだけでは突然リンクドラッグやゲートについて掘り起こしてこれるのに疑問が残る」 また一歩国見が前に出る。 「スピリットの適性が高い人間、ならばスピリットから記憶を継承するのもない話じゃない。でも、本来それなら周りはあなたが十闘士そのものでないとわかる筈。スピリットを二つ持っていることは知られているから、あなたは彼等からスピリットを渡されたのだろうしね。でも、そういう扱いをされないということは、周りがあなたに十闘士であることを望んでいるということ」 そこでこれだと国見は麻薬の入った袋を取り出して床に投げ出した。 「あなたは、自分が十闘士だと思い込む様にされたのではないか。例えば薬物漬けにされるなどして」 「そんな……ことは……」 国見はアルボルモンの横をスッと通り抜けると、立派な椅子の脇に置かれたパイプの中から粉を取り出して試薬につけてみせた。 すると、試薬は真っ青になった。国見はそれをよく見えるよう明かりの下に置いた。 「私は、僕は……俺は……」 「……さっき言った様に、十闘士が返したいと望むのはやや不自然。でも、あなたはそれを強く望み、ここまでのことをした。だとすれば、あなたの動機は人間を元の世界に返したいとは少々異なるのかもしれない」 「なら……僕は、我は何をしたいんだ?」 「帰りたいんだ、元の世界に。あなたは本来この街にたまたま来ただけの漂流者。木のスピリットに適性を持ち、リンクドラッグやゲートの作り方の記憶という、必要なものを引き出せてしまったただの人間」 「いや、違う……私は、俺は! ただ……みんなのためを、思って……願って……十闘士らしく、十闘士だから……」 アルボルモンの姿が歪み、部分的に解け、中から人間の腕がちらりと覗く。そこにおびただしい注射の痕を見つけて、国見はわかっていても思わず眉をひそめた。 「……リンクドラッグが出回り出したのは最近だ。でも、併用されてた薬物なんかはもっと前から出回っていた。【役所】が手を出せないほど根深く……人間が薬漬けで生きている年数はそう長くはない、被害者は君だけじゃない筈だ。アルボルモンが今のキャラクターになったのは五年前、君より前のアルボルモンがこの計画を始め、君はそれを受け継いだ立場にある」 「私が人間? 十闘士の私が、弱く脆い人間? 人間は、庇護されるべき弱者で……私は、私は、十闘士。木の闘士……」 アルボルモンの口にする言葉は、国見に話しかけているのかどうかさえわからないものだった。 「歴代の使用者達も何かはスピリットに残していたのかもしれない。ほんの少しだけ残った正気、その片隅で思い続けた故郷への想いを……あなたはそれも継いでしまった。一千年の哀しみを」 「違う……おかしい……十闘士は、我々はそんなことを考えない? 確かに、彼の言うことは一理あり、でも……僕は神だ。木の闘士、皆を導く神、エンシェントトロイアモン……」 「十闘士は神を自称したことはない。王権さえ与える、人の上に立つ神であったのはルーチェモンだ」 国見の言葉に、プツンと糸が切れた人形のようにアルボルモンは膝をついた。それは、最後の一押しだった。 「お前は……光の王族の末裔だ。だからか? 虚言で私を惑わせ崇高な計画を狂わせようというのか?」 急に戻った声色に、国見は残念だと呟く。 「……僕は、光の民の王の末裔だけど、三千年前とは何もかも違う。ルーチェモンは人を導く意思を失い、恨みを向けるべき十闘士もかつての民も死んだ。何も知らない子孫の彼等に恨みしか知らない僕が復讐しても何も残らない」 国見の言葉を、アルボルモンは最早聞いてさえいなかった。 「そうか! お前は、直接十闘士に復讐できるこの機会が喉から手が出るほど欲しかったのだろう! そして、実行に移した!! 私も君の三千年を哀れもう!! 少々予定に足りないが、君も故郷へと送り返してあげよう!」 アルボルモンの姿の中にどれだけの歪が詰め込まれているのか、国見には想像できてもわからなかった。 ゆらりと祭壇に赴いてアルボルモンは手をついた。すると、地面が揺れ、祭壇が開き、さらに地面の中からケーブルが伸びてきてアルボルモンに突き刺さって地面へと引き摺り込んでいく。 そうして床は崩壊を始める。国見が咄嗟に階段まで戻ると床は完全に崩壊を始めた。 「ここは、広大な地下空間のほんの上澄みに過ぎないぞ、光の王の末裔よ! 魔王ルーチェモンの降誕を望むものよ! 我が真の姿を見よ!!」 そうして地下から現れたのは全身に砲門を持つ巨大な木馬だった。伝説に聞く木の闘士、エンシェントトロイアモン。 「私はゲートを開く!! お前も私も人間はみんなみんなみんなこんな世界にいるべきではないんだ!! 人の身ではデジタルワールドは過酷が過ぎる!! デジモンはそのつもりがなくとも容易く人の肉を裂く爪を持ち、人の弱さを解さない!! そんな中でまともな人は生き残れず異常者だけしか生きていけない!!」 アルボルモンはそう言い、国見は自分の髪を撫でる風を感じて天井を見上げると。小さな穴がそこにあって空気を吸い込み始めていた。 国見は潮時かとポケットから替えのイヤホンを取り出し、つけっぱなしだったマイクの電源をオンにした。 「ダルクモン、世莉くん、エレットラ!! 説得に失敗した。ゲートが開くぞ人々を避難させてくれ!!」 「今手が離せない!!」 ダルクモンは、そう言いながらシュラウドモンの拳を捌いて床を殴らせ、膝を顎に入れる。しかし、口の端から血を流しながらシュラウドモンは悦びに笑うだけだった。 「闘技場の客達は今警備のデジモン達が避難させているんですけど、賭け試合の選手の究極体が戦うのをやめようとしない」 世莉はそう言いながら、レディーデビモンの腕で倒れている客達を抱え上げた。 『それはまずいな……ゲートに飲み込まれるぞ君達』 「というか、ここに関係ないデジモンがいればゲート開かないと思ったのにどうなってんだよ」 『思っていたよりもアルボルモンがこの街を憎んでいたみたいだね。金儲けの手段にリンクドラッグや地下闘技場を選んだのも、もしかするとゲートの開き方さえも、この街への復讐の意味を含んでいた。ただ元の世界に帰りたいだけじゃなかったんだ』 国見の言葉に、世莉は首から下げたロケットをぎゅっと握った。 「私がゲートを……」 「なにしてるのぉ」 身体をレディーデビモンのそれへと変えようとする世莉の肩を、誰かが叩いた。 「このままじゃ危ないんで……」 振り返ったところにいたのは、カルマーの言っていた人相の女性。なかなかに攻めた服装で、黒いレザーのジャケットとパンツとの間はざっくりと分かれて腹に大きな縫い跡が見えていた。 「パートナーの手出しは厳禁よ。やるなら、パートナー同士でしましょ? 探偵さん」 女が拳を振り上げ、世莉の腹を殴る。明らかに人間のそれではないパワーに世莉は口まで胃液が登ってくるのを感じた。 「……どうやら、私も動けなさそうです。天青さん」 世莉は膝をつきそうになりながらそう呟き、その女を見た。 「やはり、あの警告もあなたが……」 「警告? もしかして、あの人にドラッグを呑ませたり打ったこと? それなら警告じゃなくて、お裾分けよ?」 「お裾分け……?」 「幸せのお裾分け。同じカスを愛した仲だもの、親友みたいなものでしょ? だから、彼女にも幸せになってほしくて」 あなたもいる? と、女はさも当たり前の様に太い注射器とそれにセットされた細長い機械を差し出した。 それを世莉は受け取ると地面に叩きつけた。 「……人の好意を無駄にするなって教わらなかった?」 女の肌の色がみるみるうちにシュラウドモンと同じ紫色に染まっていく。 「……お節介は無下にされると思って焼くのがいいですよ。自分自身の為に」 世莉の背中から黒くぼろ布の様な翼が生え、左腕にまとわりつく様に鎖が生じる。 「シュラウドモンのデータを移植して、私と彼は一心同体になったの。そう簡単には負けないわよ」 世莉を殴った拳から血を滴らせながら女は血走った目でそう笑った。 「ダルクモン。そっちってすぐどうにかなりそう?」 女との間合いを測りながら世莉はそう言った。 「……すぐには無理だな」 ダルクモンはシュラウドモンの乱打を受け流してこそいたが、少しずつ後退させられていた。 「こっちもやばい。多分、この人私が普通に反撃したら死ぬ」 「……どういうことですの?」 和ませようとしたのか、そんな風に言うダルクモンに、世莉は少し口元がもにょっとしたが無視した。 「……シュラウドモンがそっちで無事ってことは私みたいに電脳核を移植してるわけじゃない……彼女がシュラウドモンみたいに動こうとしたら、きっと移植してない骨とかがメチャクチャになる」 世莉は女の不慣れな拳や蹴りをなるべく受け止めながらそう答える。 「そうなる前に痛みとかで止まらない?」 ダルクモンの言葉に世莉は首を横に振る。 「多分、既に薬物をつかってる。痛みとか麻痺してるかも」 世莉がパンチを思わず普通に受け止めると、女の肘が変な方向に曲がった。しかし、彼女はそれを見て笑いながらむしろヌンチャクの様に振る舞ってくる。 あまりに痛々しく、まともな感性では正視できない光景だった。 「……シュラウドモン相手に何秒稼げる? 動き止められる?」 「一発攻撃を受けて返すだけならいける」 「それでいこう。世莉が止める、俺が仕留める」 「わかった」 世莉は、その女の足に鎖を絡ませると、後ろに回り込みながら引っ張って、顔から転ばせた。 そして、女が立ち上がる前にシュラウドモンのところへ全速力で飛んでいくと、ダルクモンの背後から顔に向けてレディーデビモンの足で飛び蹴りを仕掛けた。 「どけ、雑魚に興味はない!」 シュラウドモンが世莉に向けたパンチはダルクモンに放っていたそれと比べればあまりに稚拙な苛立ち任せの一撃ではあったが、それはlevel5までなら十分殺せる一撃。 しかし、それは世莉の足先に触れると急に力を失い、世莉の蹴りは勢いのままその腕を弾き、シュラウドモンの右肩に着地する。 「プ、ワゾン」 何かを堪えながら、世莉がそう呟くとシュラウドモンの右肩を思わずうめいてしまう程の衝撃が襲い、世莉の脚の皮膚が弾け、骨も折れて歪に曲がり果てる。 プワゾンはレディーデビモンの扱うカウンター技。相手のエネルギーを受け止めて自身のエネルギーを上乗せして返す。 世莉の脚は一時的にでさえシュラウドモンのパンチのエネルギーを保持することに耐えられなかったが、それでも充分だった。 受け止められるはずがないのに受け止めた状況と、想像だにしてない一撃に、シュラウドモンの身体はほんの数秒、完全に硬直した。 その隙に、ダルクモンが息を吐きながら一歩踏み込む。床を砕いて足が沈み、その歩みと共に放たれた掌底が腹に突き刺さる。 瞬間、シュラウドモンは体内をミキサーにかけられたような感覚と共に手加減されていた事実を悟った。殺すだけならいつでもできたのだ。次いでダルクモンが逆の腕をシュラウドモンの腹に突き刺すと、体内から破壊されたリンクドラッグのが幾らかの血と共に噴き出した。 そして、次の瞬間にはもうダルクモンはダルクモンの姿ではなかった。 ヒポグリフォモンの痛烈な後ろ蹴りが倒れかけのシュラウドモンの顔面に突き刺さる。鼻がめりこみ、角は折れ、シュラウドモンは何を考えることもできず脳を揺らされ沈黙する。 「人のなんとやらを邪魔するやつは馬に蹴られてなんとやらだ」 人間界の言葉だろとヒポグリフォモンは言う。 「それ邪魔するの恋路だけど……」 「マジか、間違えたな……」 そう言いながらヒポグリフォモンが世莉を見ると、折れた脚を投げ出し、長い腕は気絶した女がまた顔から落ちそうになるのを受け止めながら地面に倒れていた。 『ヒポグリフォモン、世莉くん、そっちの片がついたならこっちに来てくれ。おそらく、二人の力が必要だ』 「行くけど、世莉の脚とか死んでるし、こいつらの救助とかどうにかしねぇと……」 『リンクモン達が現着したって報告があったわ。すぐ向かわせる』 エレットラの言葉を聞き終えると、ヒポグリフォモンと世莉の前にリンクモンが閃光のように現れた。 「皆さんの希望の星、リンクモンが来ましたよ……って世莉さん!?」 「私はいいからこの人を……」 「一緒に運ぶこともできますよ?」 「世莉は俺が連れてくから大丈夫。さっさと行け行け、お前じゃシュラウドモンは運べないだろ」 ヒポグリフォモンに言われてリンクモンはえっほえっほとその場を去っていく。 それを見届けて、世莉に背中に掴ませると、ヒポグリフォモンは空中で器用に体勢を整え、地面に後ろ蹴りをして既に入っていたヒビに沿って大きく割るとその裂け目に世莉の服を咥えて飛び込んだ。 そして、割れ目を抜けた先で待っていた天青は、二人に天井に既に人が通れそうなサイズで開いているゲートを指差した。 「アレなら、私が閉じられる……」 『世莉、何をするつもりなの!?」 「……私がマスティモンというlevel6に進化して、能力でゲートを閉じます」 そう世莉は言って、ロケットを外した。 「……いや、世莉くん。君が閉じるゲートはここじゃないんじゃないかな?」 「どういうことです?」 国見の言葉に世莉は聞き返す。 「君は人間界へ行き、このゲートの出口を閉じた方がいいんじゃないかな。ここのゲートを閉じようとすれば、君は下に見えるエンシェントトロイアモンもどきと力勝負をすることになる。それでは勝てるわけがない」 事前の準備があるアルボルモンと、消耗した世莉ではどちらが有利というのは考えるまでもなかった。 「しかし、ゲートの先、人間界でならば、向こうは長大なマジックハンド越しに君と力比べをする様な形になる……と思う。もちろん、こちらで穴を開け続けるエネルギーも消費した上での戦いになるしね」 それなら勝ち目があるはずだと国見は言った。 「そんなことしなくても、俺があの魔法陣全部ぶっ壊せばいいんじゃねぇのか」 「それなら床を砕いて降りて来た時に既に止まっている筈さ。あのエンシェントトロイアモンもどきは伝承のそれと違い身体の各部に模様が刻まれている。床の魔法陣は計画初期の名残かなにかで、本命はおそらくあのエンシェントトロイアモンの身体自身」 『……でも、天青。それって世莉と別れるってことよ? そもそも、世莉は元々持っていた方法は身体に負担がかかるからやめたのよね。大丈夫なの?』 「まぁ、死んでもおかしくないですね」 世莉は焦るでも強がるでもなく微笑んだ。 「……それも僕が人間界に行くべきだという理由だね。この街では治療といえば天使型なんかによる回復だが、聖なるものアレルギーの世莉君には逆に毒。まともな治療ができる病院がこの街にはない」 だから人間界にいくしかないと国見は言う。そう聞けば、ヒポグリフォモンもエレットラも黙るしかなかった。 この街において病院とは国見の言うようなものがほとんど、他にある病院もこの街で信じられて来た民間療法を集めたもので、先に述べられたデジモンによる回復ありきの体制から発展したものだった。 「あとね、世莉くん。今の内に一つ謝っておきたいんだ。実は君からの依頼はね、ちゃんと果たしてはいたんだよ。だけれど……少し思うところがあって報告していなかった」 「……急になんですか。別に、悪い知らせだからって気を遣わなくてもよかったのに」 いや、悪い知らせではなかったんだけどねと国見は言う。 「僕もゲートの話題について行ける理由もそこにある。世莉君がこの世界ではぐれた親友探し、それが世莉君から依頼だった訳だけど……彼女は既に一人で人間界へ帰っている」 「本当ですか? でも、なんで今……」 「君は、僕が渋ったとしても使うだろう。君を無駄死にさせたくない僕は、せめて生存率が上がる様に少ない消費で目的を達せられる様にと人間界へ行くことを提案するしかない。すると、君とは絶対にお別れになる。生き残っても生き残れなくても……もちろん生きていて欲しいが、ともかくお別れだ!」 国見は淡々と述べていたのに、急に語気を荒くした。 「その時、こっちに親友を残すとなれば君の後ろ髪が引かれるのは明白で……君に少しでもすっきりと向こうに帰ってほしいと思った。それは、おかしいかな?」 国見の顔は、珍しく悲しげだった。わざとらしくなく、しかし、ひどく悲しげだった。 「……ちなみに、思うところというのは?」 「何度か言わなかったかな。僕は君を妹の様に思っていると」 「で、調査結果を伝えてなかったと。妹離れしようぜお兄ちゃん」 「うるさいヒポグリフォモン。ここは……そう、世莉くんから私も兄のように慕っていたという告白が来る感動的なシーンだぞ」 ヒポグリフォモンが茶化したそれに、国見はいつものように少しおちゃらけて答えたが、それに表情は追いついていなかった。 「……血を流し過ぎてるので、早く話を終わらせましょう。それともお兄ちゃんとでも呼ばないと満足できませんか?」 世莉はそう言って、ロケットから小さな白いカードチップを取り出した。 「僕の話は終わったよ。逆に心配させるようなことを言った気もするが安心してくれ、離別には慣れてる」 それはそれとしてお兄ちゃんとは呼んで欲しいと国見は言う。 世莉はそれを聞いて、ははて愛想笑いをすると当然そうは呼ばず舌の上にチップを乗せた。 そして口を閉じると、世莉の右半身がぼんやりと白く光り始めた。次いで、左半身がぼんやり光り始め、少しずつ身体がデジモンのものへと置換されだす。 怪我していた筈の両手をついて立ち上がり、右側白五枚に左側黒五枚の翼を広げ、白と黒、天使と堕天使の力を持つデジモンへと姿を変えた世莉は飛んだ。 『世莉……そこにいれなくてごめんなさい、ちゃんとお別れしたかったんだけど』 エレットラはカメラ越しにひどく惜しむような顔をしていた。 「俺がそっち行ったらよろしくな」 ヒポグリフォモンは一方カラッとした調子でそう言った。 「先にこっちなんとかしないとですよ。私が人間界のゲートを閉じてもこっちのゲートはすぐには閉じないでしょうし」 世莉はそう言いながらゆっくりとゲートに向かっていく。 「大丈夫さ世莉くん。それは僕達がなんとかする、こんな街だがこの街に住む者として……まぁ責任もあるからね」 遠く辿れば光の民の被害者だからとは国見は言わなかった。 『そうね、私は【役所】の人間だし』 「俺は責任とかないけどな。まぁ付き合ってやるよ」 三者三様の答えに、世莉はフッと笑った。 「皆といるのは私も楽しかったです。カルマーさんには私のことはうまく誤魔化しておいてください」 世莉はその言葉を最後にゲートの奥へと消えていき、通信も途絶した。 「……さて、世莉が向こう着く前に少しでも状況良くしないとな」 『バルブモンも導入したし避難はもう少し……今最後の一人をリンクモンが確保したそうよ。天青、ゲートの閉じ方に関してはなんか考えあるのよね』 国見は、エレットラの問いかけにすぐには答えなかった。 『天青、聞いてる?』 「……あぁ、そうだね。ゲートは本来正常な状態では存在し得ないもの。ゲートが開き切る前にエネルギー源であるエンシェントトロイアモンを倒し、世莉くんが人間界の側を閉じれば、自然と消える筈だ」 「つまり、アレをするんだな」 「そうだね。エレットラには悪いんだけど、これから企業秘密の色々があるから通信はまた切らせてもらう」 『天青? それ本気? 状況わかってる?』 国見の言葉にエレットラがそう言ったのも無理はなかった。状況は切迫していて、世莉にかけている負担もある。国見の言葉はひどく身勝手に聞こえた。 『天青!』 国見はエレットラの声を聞きながら通信を切った。 「じゃあ、封印を解こうか。オニスモン」 「……正直、言ってもよかったと思うけどな。関係性を見出さないってことはないだろ、絶対」 国見はナイフを取り出して手の甲をちょっと切ると、その血を指先につけ、ダルクモンからヒポグリフォモンに戻った際に杖から首輪の飾りへと変わった卵の表面にさらさらと文字を綴っていく。 「この街においてオニスモンの知名度はそこまで高くないよ。十闘士伝説のメインはルーチェモンとの戦いで、オニスモンはその合間、十闘士が究極体になったことで呼応して究極体になった各地の邪悪なデジモンの一体、ルーチェモン封印の実験台としたデジモンの一体でしかないんだからね」 エレットラもなんかしらの方法で究極体になったとしか思わない筈さと天青は言った。 「俺は奴等の添え物じゃないぞ。俺にとっては奴等が添え物、唐突に出て来てパッと封印してきやがっただけだからな」 ヒポグリフォモンはそう不満を口にした。 「一般論だよ、あくまでさ。それに……そう思うならここで払拭すればいい。十闘士も超え現代に蘇った伝説としてね」 「……それは違うだろ。封印のせいで長生きしちまったけど、もう俺達の時代じゃねぇ。俺もスピリットも三千年前からだらだら残り過ぎたんだ」 「そうだね。負の遺産は何年かかっても処分するべきだよ」 天青が最後の一文字を書き終えると、金と黒の卵はその境で勢いよく開き、中から光が溢れてヒポグリフォモンを包み込む。 どんどん大きくなっていくその背中に天青がよじ登る頃にはもうそのサイズは二人が立っていた階段に収まり切らなくなってきた。 「天井壊してもいいな!?」 「あぁ、そうしてくれないと僕が圧死する」!」 光に覆われたまま、ヒポグリフォモンだったデジモン、オニスモンは、ピンク色の嘴を開くと眩い白色の光線を天井に向けて放った。それは、天井をプリンの様にえぐり、首の動きに合わせて丸く切り取った。 「おい、ゲートが……」 天井がなくなった空間にオニスモンが紫、水色、桃色と鮮やかな三色の翼を広げて飛び立とうとすると、開きかけのゲートも何故か空高く移動していく。 「ゲートの座標が安定してない証拠だよ。よく見れば先程より拡大する速度も遅くなっている。きっと世莉くんが今向こうで頑張っているんだ」 「こんな地下じゃ飛ぶにはちょっとせめぇ。なんにしても都合がいいな!」 飛び立つとさらにさらに身体が大きく膨らんでいく。ビルほどもあるエンシェントトロイアモンと並び、ともすればそれ以上に思える程に。 どこかトカゲの様な幅広の尾を舵のように切りながら、オニスモンは空高く飛び上がる。 そして、それを見て、エンシェントトロイアモンも動いた。 脚の裏から炎を噴き出し、地下空間から地上へと飛び上がると、薬物まみれの離れを踏み潰し全身の砲口を空へと向けた。 「私の、私の望みの邪魔をするぬぅァッ! 私は、人間をあるべきところへ還すのだぁッ!!」 砲弾やビームが雨霰とオニスモンに投げかけられたがそれを見てオニスモンは口角を吊り上げそのまま口を笑う様に大きく開いた。 白い光線が拡散して放たれ、粗方の弾を粉砕し、消滅させ、破砕し、そしてそのままエンシェントトロイアモンに向かう最中で光る幕のようなものに弾かれた。 「今、当たってたよな?」 「バリアか何かだね。そういうのができるデジモンがいるって話は聞いた事がある」 「なら、直だな」 そう言うと、弾幕を光線で迎え撃ちながらオニスモンはエンシェントトロイアモンに向けて急降下する。一旦砲撃を止めたエンシェントトロイアモンがバリアを張ると、オニスモンはそのバリアの上から足で掴みかかり、バリアを無理やり突き破って頭を捻じ込んだ。 国見はバリアに触れたら死にそうなので頭から背中の方へ必死に走って避難する。 「このまま光線撃てば何かしら不具合起こすだろ!」 オニスモンの口が白く光るのとほぼ同時、エンシェントトロイアモンはバリアを解き、身体の方向の一つが格納されたかと思うと代わりにアームを伸ばす。そして、アームの先端についたパイルバンカーで杭をオニスモンの膝に突き立てた。 「がっ……」 嘴を離したオニスモンの頭に、エンシェントトロイアモンはすかさず胸の一際大きな砲口を向ける。 それに対し、オニスモンは口を咄嗟にエンシェントトロイアモンの足に向けながら白い光線を吐き出し、その脚を切断した。 足を一本失って傾きながらも巨大な砲口から出たこれまた巨大な金属塊は胸に斜めに当たって肩の方までオニスモンの体表を深くなぞっていく。直撃とは言い難いものの、シンプルな速度と重量の暴力は、オニスモンに深いダメージを与えた。 「ぼはッ」 肺から吐き出される空気、強制的に振るわされる身体、鈍く重い痛み、バランスなどもはやまともに取れるはずもない。 まともに取れるはずもないので、オニスモンは倒れる前提でめちゃくちゃなことをした。尾を振った反動で身体を制御し、まだ残っていた離れの一つを足がかりに、足一本失った状況から立ち直ろうとするエンシェントトロイアモンの首めがけて翼爪を突き立てながらのラリアット。 両者共に倒れ、オニスモンは口から地面を赤黒く染め上げるほど血を吐き、エンシェントトロイアモンは首に張られた板が剥がれてコードに繋がれたアルボルモンの姿が覗いて見えた。 「オニスモン、状態は」 なんとか振り落とされずに済んだものの、目眩と両腕に痺れを感じながら国見がそう聞いた。 「呼吸しただけで痛ぇし、あんま無茶な飛び方するとやべえ感じがする。この身体、パワーはあるけど見た目より軽いからな……」 そのくせ進化前程身軽じゃないから困るとオニスモンは呟いた。 「踏ん張れよオニスモン。世莉君がゲートを閉じれば、【役所】の二体の究極体が加勢にくれば、とにかく堪えていれば勝てるはずなんだ」 オニスモンはそりゃいいねと笑い、口の中に溜まった血を吐くと、国見を嘴でつまんで地面に下ろした。 「オニスモン……?」 「流石に天青乗せたままは無理だわ、なんとか生き延びてくれ」 次に動いたのはエンシェントトロイアモンの側からだった。腹の下から炎を噴き出して身体を起き上がらせると、そのままバリアを張りながらオニスモンに突撃する。 「本体出されて守りに走ってんじゃねぇ!」 オニスモンはそう叫びながら今までで一番強く太く光線を吐き出す。 その威力に、エンシェントトロイアモンを覆うシールドは徐々に光線を受けている面に集中し、突進の勢いも衰え、バリアを介して顔を突き合わせるような形になった。 「おぉ、うぉお! 光の、光の王の末裔が! なぜ、なぜ私の、ぼくの邪魔をする、なぜ、なぜ帰りたがらない!!」 声の届く距離になり、アルボルモンはそうオニスモンの頭上にもういない国見に問いかけた。 アルボルモンはゲートを開く制御による負荷か、それとも戦闘の余波か、涙の様に黒い液体を流していた。 「訳がわからないッ! こんな蛮行が当たり前に通る腐りきった街をッ! 腐っているとわかりながら何故守りたいと望む! 滅んだっていいじゃないか、ぼくも、私達も、少しでもこの世界をよくしようとした!! でもうまくいかなかった! 俺が薬物の生産を止めても死んだら再生産して繰り返した!! ヤク漬けにした担当者を放逐しても殺しても物を処分しても繰り返されるし、そんなことをしておきながら奴等は私達によりよい世の中を、平和な世の中を求める!!逆にどんな蛮行をしても奴等は十闘士の言うことならと疑問も持たない!!」 アルボルモンがそう言ってるうちにもその外装にはヒビが入り、黒い涙がとくとくと溢れる。その精神は今どんな状態なのかも誰にもわからない。正気に戻っていてそれでも恨みが大きいのか。スピリットに蓄積された恨みに呑まれたままなのか。 「こんな街はあっちゃいけない!! 滅びるべきだ!!」 「……でも、あなたも耐えてきた。ことここに至っても、その砲撃で直接街を破壊はしない。それはわかっているからではないのですか?」 オニスモンはそうアルボルモンにだけ聞こえる声量で逆に問いかけた。 「どれだけ街が腐っていても、どれだけ悪が無くならなくとも、失われるべきでない無垢な子供達や悪辣な手段を使わずこの街をよくしようとする人々もいる。貴方達がそうだったように」 戦いたくないならやめていい。オニスモンはそう続ける。 「……貴様の様な力と良識のある味方が欲しかった。イカれてる自覚もない狂信者や、何も知らず何を知らせるのも心苦しい無垢な信者達でなく、味方がいればきっとここに私達はいなかった。ぼくもいなかった。何故いなかった! 何故!! 何故、僕の前に貴方がいてくれなかった!!」 アルボルモンのあまりに悲痛な叫びに、オニスモンはぐっと無い奥歯を噛み締めた。 「……君の光速がこんなに有難いとは思ってなかったよ」 地面に落ろされた国見は、揺れに身動き一つ取れずにいたところをリンクモンに拾われていた。 「そうでしょうそうでしょう。とはいえ、ご存知の通り私の光速は物を持ってると出せませんので……」 頑張りますと言いながら、リンクモンは脚をしゃかしゃかさせながらlevel4としてはまぁまぁの速度で空を駆ける。 「……その足に意味はあるのかい?」 「ありませんが、気持ち速くなります!」 リンクモンはそう言いながらなおも足をしゃかしゃかさせた。 離れながらオニスモンを国見が見上げると、一瞬目が合った。そして、その直後、エンシェントトロイアモンのアームが動き出し、カウンターのようにオニスモンは地面を深く深く足で踏み締め、翼爪をエンシェントトロイアモンの胴に突き立てた。 爪先からエンシェントトロイアモンの胴体に波及した衝撃によって、外装がボロボロと剥がれて落ちていく。しかし、魔法陣の描かれた部分は特に頑丈なのか落ちずに残った。 エンシェントトロイアモンは殴られながらもアームをオニスモンの胸に当てると、アームの先端が爆発して人間大の金属片オニスモンの身体の前面に突き刺さる。 お互いに膝をつき、次の瞬間には無理やり立ち上がる。格闘に向かない身体で大技を決めたオニスモンはまた口から血を吐き全身も薄汚れている。エンシェントトロイアモンはといえば、外装はもちろん突き出た砲も幾つもひしゃげてこちらも満身創痍。 空を覆うゲートはまだ拡大を続けているが、安定した円形ではなくアメーバの様な形になり、それもひとところに留まらず動き回る始末だった。 それを見ている住民達は、多くが何も理解できなかった。 木の支部は地域のほとんどの住民達にとっては決して賭博闘技場でも薬物倉庫でもなかった。 木々が溢れる巨大な公園の様な場所に、かつては闘技場だった施設があり、記念日などには十闘士教主催のお祭りなどの会場にもなる地域に親しまれる場所だった。 アルボルモンは十闘士を自称する宗教的な象徴であったが、そのキャラクターや社会貢献は多くの住民に尊敬され、愛されていた。 だから、ガラの悪い人間やデジモンが溢れ出てくるだけでも住民達にとってはショックだった。さらにコロッセオからビームが噴き出して大穴が開き、かと思ったら、空にまた違った意味で大穴がせりだしてきて、互いに数十メートルある巨大怪鳥と巨大木馬が地面から出てきて戦う。 白い光線や巨大な弾丸ミサイル、支部を構成していた建物の破片に大地は抉れて土が降り注ぎ、その余波は広大な木の支部の敷地内でも収まりきらず、ほんの二時間前まで漂流街の一等地を彩っていたビルは、土や石の礫に彩られて崩れたチョコチップクッキーの様にになっていた。 明日から職場を家を失った人間達は【役所】の職員に保護されながら呆然とそれを見守るか、【役所】の職員に掴みかかるか泣きじゃくるか大抵そのどれかだった。 年にほんの二人か一人しかこの街に新しい人間は来ない。しかもその七割が五年内に行方不明か死亡する。漂流街に人間界の人間は皆無だ。 国見はその事実を確認し、アルボルモンを哀れんだ。帰りたいが核にあったのだとしても、人間をあるべき場所にというのも本心の様に彼には思えていたから。 「あ、そうだ詐欺師の国見さん。通信機の電源入れろとエレットラさんが怒ってました」 もうここなら大丈夫でしょうと、リンクモンは国見を下ろしてそう言った。 「……わかった」 では、とリンクモンは次の瞬間には消え失せていた。国見は嫌な予感がしつつも、通信機の電源を入れる。 『天青、無事ね?』 「……あぁ、振り回されて全身の筋肉が笑っている他は無事だよ」 『そう、それはよかった。あとで殴りにいくからそれまでに回復しておいて』 エレットラの言葉は、冷たくとげが含まれていた。 「しかし、ゲートを閉じないと……」 『ゲートはあの首にいるアルボルモンが制御しているのよね?』 「そうだね、でもオニスモンの攻撃はバリアが厄介で通っているけど機能を失わせるにいたってない」 『それだけ確認できればいいわ。通信切られる側の気持ちになりなさい』 そう言うと、エレットラは国見との通信を切った。 ちょうどそのタイミングで、不意に空のゲートに異変が起きた。不定形だった形が安定した円を描く様になり、そのサイズが急に拡大し出した。 『天青、世莉に何かあったんじゃねぇのかこれ!』 オニスモンが言う間にもゲートは少しずつ地面に降り始め、それに伴って周囲のビルの剥がれかけの外壁や植木なんかが吸い込まれ始める。 「……いや、逆だ。世莉くんはおそらく仕事を果たした。人間界のゲートを完全に閉じたことで、閉じかけの人間界と他のゲートが開きやすい地点に流れていたエネルギーの流れが一本になり、安定し出したんだ」 『他ってどこだよ!』 「この街からこの街の外れにゲートが開くことはないだろうから……ダークエリア、ルーチェモンが封印されていた土地だ」 『マジか……』 オニスモンは頭上を見上げてそう呟く。オニスモンは容易に脱せられるが、ゲートの吸い込む力は強く、既に空を飛ぶのに羽ばたいて身体を持ち上げる必要がなくなりつつあった。 そのゲートを見て、エンシェントトロイアモンはバリアを張ると、オニスモンを無視してゲートへとまっすぐ飛んでいく。 『天青、どうする?こいつがこのまま吸い込まれたら……ゲートを止める術がなくなるんじゃねぇのか!?』 「そうなったら、エンシェントトロイアモンがダークエリアに辿り着くまでゲートは開きっぱなし、どんな被害が起こるかわからない!! 止めてくれオニスモン!!」 オニスモンはゲートとエンシェントトロイアモンの間に割り込むと、まずはビームをエンシェントトロイアモンの方に向けて吐いた。 しかし、その反動で自分まで吸い込まれそうになると気づいて、身体を反転させてビームをゲートに向けて吐き、その勢いと羽ばたきの力で背中からエンシェントトロイアモンに身体を押し付けて止める。 『長くはもたねぇぞこれ! このままだと俺までゲートに入っちまう!!』 「でも、僕達にはもう取れる手が……」 二人が狼狽していると、不意にエレットラの通信機がまた繋がった。 『大丈夫よ、そのまま維持してて、貴方を攻撃するためにバリアが解かれたら、終わらせる』 そして、そう言うとまた途切れた。 天青は困惑していたが、オニスモンはその言葉に状況を維持することに力を注ぐ。 すると、エレットラが言ったように、エンシェントトロイアモンはバリアを解いて、アームを出した。 そして、その瞬間にエンシェントトロイアモンの首元にいたアルボルモンの胸を地上から放たれたビームが貫いた。 制御を失ったアームは出されたままで固まり、腹から噴き出していた炎も緩やかに勢いを弱め、オニスモンの押し込みの勢いのままにエンシェントトロイアモンの身体は落下していく。 「……狙撃?」 天青がそう呟いて、ビームの軌跡を視線で辿ると地上に人間二人分程の銃身の固定砲台の様なものがあり、そこに見覚えのある髪色の人間が座っているのが見えた。 そして、不意にエレットラとの通信が戻った。 『ちゃんとアルボルモンの電脳核を撃てたみたいね』 「今のは……君がやったの? エレットラ」 『私は隠す気もないから通信切らなくてもよかったのだけどね。私は銃火器で戦える程度ってちゃんと言ってたし』 通信機の向こうでエレットラはそう皮肉めいた感じでそう言ったあと、リンクモンに耳打ちされると通信の映像を切った。 国見が遠くに見えるその姿を見ると、エレットラはわかる様に大きく手を振っていた。 「……わかった。僕もその内に全部話すよ」 国見はそう言って微笑み、エレットラに手を振りかえした。 空のゲートもエネルギーの供給が絶たれ始めたのか、地面へと降下しながら今度は収縮を始め、十分もすればなくなるのは目に見えていた。 倒れたエンシェントトロイアモンの側に降り立ったオニスモンは、その首元から転がり落ちてきた二つのスピリットを見つけた。 「もう終わらせていいですよね」 そう呟きながらオニスモンは口を開く。すると、スピリットが一瞬光った様にオニスモンには見えた。 小さく放たれた白光が通り過ぎたあと、二つの人形は影も形もなく、地面には深深く暗く煙を上げる穴だけが残った。 がら、と瓦礫の動く音がしてオニスモンが見ると、白いローブに身を包んだ男がいた。全身に注射痕が見えるその男は、国見と大して変わらない年齢に見えたが枝の様に細くて肉はなく、表情はどこか虚だった。 男は周囲を見渡し、一瞬オニスモンと目があったが、閉じかけのゲートを見つけるとそちらに向けて急いで歩きだし、そして足をもつれさせて倒れた。 手足は痙攣し、呼吸も絶え絶え、スピリットの負荷と薬物の影響でもう治療しても助からないところまで来ているのは目に見えていた。 「……行きたいんですか? ゲートに」 オニスモンが聞くと、男は震える足で立ちあがろうとしながら、こくこくと頷いた。 「人間界には行けませんよ?」 男はやはり頷いたあと、か細い声を振り絞るように話し出した。 「……こ、こじゃないならどこでもいい……こん、なまち、で死に……たくない」 「わかりました。私が連れて行きますわ」 オニスモンはくちばしで男をすくいあげると、大分小さくなったゲートの上に連れて行った。 「あ、りがとう……」 最後の力を振り絞って身を乗り出したその男は、微笑み、頭からゲートに消えて行った。その男を飲み込んで程なく、ゲートは消えた。 オニスモンはゲートが消えるまで、天を見上げて立ち尽くしていた。 「世莉くんがいないと探偵というのは暇なものだね。ああした悩みを持つ人達はどうやって探すのか……不思議だよ」 「……お前が探偵続けるって言ったのが俺は一番不思議だよ。てっきりまた詐欺紛いの商売でも始めるかと思った」 お前基本的にこの街の奴ら嫌いだろと言うヒポグリフォモンの首には、また卵型の封印がついていた。十闘士の封印は簡単に解けるものではないが、簡単に付け直すことはできる仕組みになっていたのだ。 「お金に困ったらそれもいいけどね、今すぐにやめたらなんかエレットラから世莉くんの名前出されそうな気がするんだよね」 それに、と国見は窓際に置いた植木鉢に水をかけながら続ける。 「世莉くんが父のやっていた花屋にこれを注文していたらしい……せめてこれが枯れるまではね、頑張ってみようじゃないか」 と言いながら、国見はパセリの植えられたその植木鉢を持ち上げるとヒポグリフォモンの前に置く。 「……と、思ったんだけどね。どうも怪しいので問い詰めたところ、世莉くんからという体裁で送って欲しいと頼んだ天使型のデジモンがいると言うんだよね。何故よりによってパセリなのかも聞きたいと思うんだ、ヒポグリフォモン。いや、ダルクモン」 「んー……知りませんわね。私ではないですわ。世莉がいなくなって寂しそうだから、世莉の名前の由来であるセリに近い植物を選んだとかではありませんわ」 ヒポグリフォモンは目を合わせようとしてくる国見から目を逸らしながらそう答えた。 「他になかったのかいセリの仲間……」 「にんじんの方が……?」 「食べられるものを選ばない道もあるよ、ヒポグリフォモン」 「楽しそうにしてるところ悪いんですけど、依頼人ですよ」 部屋に突如現れたリンクモンは内側から扉をコンコンとノックしてそう二人に声をかけてくる。 「リンクモン……勝手に人の家に入ってくるのはどうかと思うぞ」 「ちゃんと表から入りましたもん。エレットラさんからのお使いじゃなかったら来ませんし」 ヒポグリフォモンの言葉にリンクモンは全く悪びれもせずにそう答えた。 「つまり、依頼人はエレットラなのかな?」 「いーえ、【役所】が動くにはちょっと証拠が足りない相談が持ち込まれたんですよ。詳しい話は本人から聞いてください。まだ【役所】にいるのでちょっと時間かかりますけど」 そう言って、リンクモンは来た時と同じ様に不意に消えた。 「……一時間ぐらいかな」 「そうだな。とりあえずお茶菓子でも買ってくるか?」 「あまり年寄りくさいもの買ってくるなよ、ヒポグリフォモン」 「しかたねぇだろ、三千年封印されてた立派な年寄りだぞ。ちゃんとなんかいい感じの買ってくるから人間界生まれのお菓子とか」 ヒポグリフォモンはそう言って窓から出ていった。 「他所の地域から入って来たものなら多分新しいだろうって感覚が古いんだって……」 十年前に流行ったものでも三千年生きてれば誤差か、と呟いて、国見はキッチンに向かい、冷蔵庫を開けると果汁100%のジュースが目に入った。あの日から誰も飲まないジュース。 「……古くなる前に飲み切らないとな」 そう呟きつつ、国見は冷蔵庫の扉を閉めた。
2
11
123
へりこにあん
2022年9月14日
In デジモン創作サロン
指の隙間からこぼれた灰を血の匂いが乗った風が連れ去っていったたった半日前の記憶は鮮明で、これからも色褪せてはくれないだろう。 公竜はビルの屋上から街を眺めながら、髪を撫でる不快な風を感じていた。 その血のせいか公竜は夜になってもあまり眠くなるということがない。それでも無理に夜に寝て、昼間活動して、人として生きる。 公竜はそうしてきた。恵理座と出会う前から変わらずそうしていた。 最初はまだ彼女は高校生だった。公竜も大学生ぐらいの年齢で、彼女は公安に用意されたアパートの一室に引きこもっていた。 彼女は公安の策略で傷つけられているから当たり前なのだが、公安所属というだけで公竜は警戒された。公竜も事情は知っていても吸血鬼のデジモンを脳に寄生させていたやつなんてろくなやつじゃないと思っていた。 最初は哀れに見えた。部屋に引きこもって泣いていたり、吹っ切れたように明るく振る舞おうとして笑いながらも涙がこぼれるのを抑えられなかったり、味噌汁を作ったらその匂いで泣いたりもした。よく泣いて嘆いて引きこもった。頻繁に食べたものを吐きもした。今思えば、あれはストレスもあっただろうがそれだけ内臓のダメージが残っていたからだろう。 時に延々と八つ当たりしたかと思えば、夜になると眠るまでそばにいて欲しいとないたりもしていた。そんな時、公竜はどうせ寝なくても疲れないと夜通しそばにいた。 知れば知るほど、変に思えたところもなにも、普通の少女が異常事態に巻き込まれた故なのだと思うようになっていった。 お互いに吸血鬼だからかある程度体質も茶化してきたり、笑って明るく雑にしつこく絡んでくる彼女に、普通とか当たり前とか、母が放り投げていった家族というものはこんな感じなのだろうかと思う時があった。 普通の人より冷たい手に、公竜は確かな温もりを見出していた。 毎日のように寝る前に公竜に電話をかけ来てていた、不安だからとそう言って。不安じゃなくても、そう言えば、公竜は電話を簡単には切らなかった。 公竜はスマホを手に取って、そこに表示された番号を見た。もうかけても出る人もいない。仕事以外ではほとんどかけたことがなかった。 「母を倒すまで、君の死んだ今日は終わらないのかも知れないな……」 公竜はその言葉に続けて鳥羽でも恵理座でもない女性の名前を呟いた。 ふざけた返事がないのを寂しく思いながら、赤紫色のメモリを持って公竜はビルの屋上を後にした。 「小林さん、最近見ませんね」 鳥羽が死んでから一週間が経っていた。 「大西さんが言うところによると、グランドラクモンの催眠が催眠だから、小林さんはグランドラクモンの声を聞いたかもしれなくて目を見たかもしれない警察の人達と距離を置いてるんだってさ」 眠ってるのかもわからないぐらい働きっぱなしらしいよと盛実は続けた。 「鳥羽さんのこともありますしね……」 「……グランドラクモンの脅威は組織以上に切迫している。でも、今のところその能力に対する対抗策は二つしかない」 「二つあるんですか?」 「一つは小林さん。血縁故か催眠が効かないみたい。二つ目は……猗鈴さん」 「鳥羽さんが注入してくれたX抗体ってやつですね」 「そう、X抗体はグランドラクモンの能力に対して抑制する様に働くことが確かめられた」 「X抗体はXプログラムというウィルス兵器みたいなものに対しての後退なんだけど、グランドラクモンの大概のデジモンが抗えない目や耳から入る催眠を元に作られたようなんだよね」 「……関係ないかもなんですが、なんグランドラクモン由来なのにでXなんですか?」 「それはわかんない。猗鈴さんの検査とかと並行して調べてたから、鳥羽さんの言ったことの裏付け取るので精一杯だった」 ゆるして、と眠そうな目をこすりながら盛実は言った。 「不安要素としては姫芝さん……X抗体の効果が絶対的とは言えないし、猗鈴さんみたいに元々の耐性があるタイプでもなさそうだから、猗鈴さんの肉体主体の変身も用意する予定」 「でもこの前は、私の肉体は何か手が入ってるかもって……」 「そこは、リスクの大きさを比べての判断、グランドラクモンの能力は受けたら終わりだから。 「それに、猗鈴さんへの仕込みは検査でとりあえずわかった範囲では、害はなさそうだしね」 「というと……」 盛実がちらりと天青を見ると、天青は黄色いメモリを取り出して差し出した。 「これはサンフラウモンメモリ、猗鈴さんの脳に寄生していたデジモンのメモリ」 「……やっぱり」 「猗鈴、やっぱりって……」 杉菜の言葉に猗鈴は頷いた。 「姫芝から私の脳内にいたトロピアモン……ウッドモンが姉さんの姿をしていたと聞いた時から疑っていた。ウッドモンメモリの中身は姉さん由来のデータを持っている、姉さんが自分に寄生させていたデジモンなのかもと」 「……それと、猗鈴さんは私に重なるレディーデビモンが見えていたから?」 「そうです。デジモンを寄生させたりメモリを直挿しした副作用って話でしたよね。私が知らない内にメモリを挿されてたんじゃなければ、私に寄生しているデジモンがいることになります」 「とはいえ、このサンフラウモンメモリの中身のサンフラウモンは意識とかないんだよね」 「……そうなんですか。姉さんのことも聞けないってことですね」 「うん、だからこのサンフラウモンは……元から道具として用意されていたのかも。例えば、いつか猗鈴さん用のメモリにするつもりだったのかもしれないね」 誰が、というのは猗鈴にとっては考えるまでもない。夏音だ。 でも、どうしてはわからない。ウッドモンメモリは中身入りで、サンフラウモンは自我さえ持たせなかったのも謎、サンフラウモンはメモリにしなかったのにウッドモンはメモリの形で渡したのも謎。 夏音の心まではわからない。 「……そのメモリは私が使っていいんですよね?」 「そう、それは猗鈴さんのメモリ。その中にいるサンフラウモンは猗鈴さんの心や記憶を糧に育った猗鈴さんの影、猗鈴さんにきっと応えてくれる」 天青はサンフラウモンメモリを猗鈴の手の上に置く、猗鈴はそれを一目見て握り込んだ。 「さて、そんなわけで、二人の変身の準備はひとまず整ったってことになるね」 本当は二人それぞれに使えるメモリ三本ずつ用意したかったけどと少し不満そうにも呟きながら、盛実はそう言ってにやりと笑った。 「でも、成熟期のメモリでグランドラクモンには勝てないですよね」 杉菜の言葉に、その為にもと、盛実は病院で心を通じ合わせる際に使ったベルトをカウンターに置いた。 「二人が戦えば、そのデータが私のとこに入ってくる。それをもとにして、私は基本形態のlサンフラウモン×ザッソーモンをlevel6×level6まで強化するエボリューションメモリカッコカリの開発をする。完成すれば生半可なlevel6なら正面から倒せて、完全復活してるわけじゃないグランドラクモンにも通じる見込みは出てくる! はず! 多分!」 わかりましたと杉菜はベルトに手を伸ばした。 「あ、ちなみになんだけど……その、変身の名前ね? ディコット……ってどうかな? ベルトはディコットドライバー……」 盛実はそうちょっと不安そうなしかし軽くにやつきながら口にした。盛実は自分で何かに名前をつける時、他人の受ける印象が気になるタイプだった。 「……不安なら元ネタの名前使えばいいんじゃないですか?」 そして猗鈴にはその気持ちがわからなかった。 猗鈴の言葉に、盛実は髪を振り乱しながら勢いよく首を横に振った後、気持ち悪いとうつむいた。 「……全く同じ名前にするとか畏れ多さと実態の違いからから拒否反応で死んじゃう……あと、仮◯ライダーのところもダ◯ルでは街の人達が自然に名付けた部分って扱いだから、ディコットも枕詞はなしでディコットが正式名称ね……」 こだわりあるなら問答無用で押し付ければいいのにと猗鈴は思ったが、杉菜が腕をくいと引っ張って首を横に振っていたので口にするのはやめた。 「……まぁ、とりあえずこのじっとしてるわけにも行かないですかね」 杉菜がそう呟くと、ふと天青がドアのほうを見て、ドアベルが鳴った。 「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」 杉菜がそう言うと、ドアのところに杖をついて立っていた老人は一度口を開きかけた後、杉菜に近づいてメモ帳を取り出し、上着の中を探った。 「ペンがご入用ですか?」 杉菜がそう言ってボールペンを差し出すと、老人はぺこりと頭を下げてそれを受け取り、メモ帳にざかざかと文字を書いた。 『喉を痛めていて喋れません。探偵の方に依頼があってきました』 「国見さん、依頼だそうです」 「じゃあカウンターの方に」 老人は杖を置いて椅子に座ると、ごつごつとした手を首に巻かれた包帯に持っていった。 包帯の下には、何か真一文字に火傷の痕の様なものがあった。 「それは……」 杉菜がなんなのかと聞こうとすると、猗鈴はそれを手を掴んで止めた。 「まだ全体じゃないですよね」 老人はこくりと頷くと着ていたワイシャツのボタンを外して首から右肩にかけて同じような火傷の線がもう二本あるのを見せた。全体を見ればそれは獣の爪痕の様だった。 『弟子を怪物の魔の手から救ってください』 服を戻すと、老人はメモにそう書いた後、頭を下げた。 「おねがいします」 次いで発せられた声は、ひどくしゃがれていて喉へのダメージの深刻さを物語っていた。 「才谷浩(サイタニ ヒロシ)32才プロボクサー。この街にある七尾ボクシングジムの看板ボクサー、二十代前半の頃に攻撃的なボクシングでチャンピオンへの挑戦権を獲得するも、前日に交通事故に遭い負傷。負傷後は鳴かず飛ばず……しかし、去年から相手の攻撃を誘いカウンターを決める戦法でメキメキと調子を上げ、次の試合に勝てば前回は試合さえできなかったチャンピオンへの挑戦権を獲得すると……」 すごい人みたいですねとオープンテラスの喫茶店でフルーツタルトを食べつつ猗鈴が雑誌の記事を読み上げると、杉菜も結構な有名人ですよとコーヒーを飲みながら答えた。 「今回の依頼者の七尾さんも現役時代にはかなり有名でいくつもタイトルを取ったボクサーでした。その愛弟子として期待をかけられるも試合自体に出られなかった為、ひどい中傷が彼に向けられたのを覚えています」 「それで、そんな彼の周囲に化け物の影があると……」 「七尾さんの話ではそうなりますね」 七尾の推測ではこうだった。 『過去の事故があった時の試合相手には黒い噂があって、当時のチャンピオンは裏で八百長やなんやらしていたというんです。今度の試合相手はその男と同じジムの男……当時の当て逃げがやつの差金だったならと思うんです』 「七尾さんは、才谷選手が夜のジョギングから戻るのが近頃少し遅い気がしていた上に、その日はさらに遅かったもので心配になってコースを遡る形で探しに行ったところ、突然背後から肩や首を掴まれて火傷を負ったという話でした。才谷さんを襲うつもりで待ち伏せてたんでしょうか」 杉菜の言葉に猗鈴はどうだろうと首を傾げた。 「それだと腑に落ちないとこが多い気がする。ジョギングしてるボクサーと杖ついた老人じゃ移動する速さも違うし来る方向も真逆だったはず……」 「そうですね。それに、メモリを使う犯罪かってとこも気になりますね……ザッソーモンメモリだって組織の分類では最安値ですが、新車が何台か買える値段です。中古車でも買った方がよほど安い」 「でも抱きつき魔とかに売ってたよね、姫芝」 「……あれは、あの男が病的な常習犯だったからです。頻繁に繰り返すつもりのやつは素性がバレにくくなる効果を重要視しますからね。何やってでも金を集めてきます」 でも、今回はそんな頻繁に繰り返すものでもないはずと杉菜は言った。 「阿久津選手……才谷選手が戦えなかった現チャンピオンが八百長をしてたとして、それだけでチャンピオンに居続けるのは無理でしょう。プロボクサーの試合は年に数回、年一使うか使わないかでしょうね……」 「まぁ、メモリの入手経路からは無理があると思う。組織の拠点をグランドラクモン達が潰して、全部のメモリを回収できてるとは思えない」 猗鈴の言葉にそれもそうですねと杉菜は頷いた。 「確かに、メモリは適合者に引かれる性質があります。適性さえ高ければ偶然拾ったとしてもおかしくないですね……」 「あ、これからランニング行くみたい、こっち見て会釈した」 猗鈴はジムからランニングに行く才谷を見送る七尾を見て、タルトの残りを一息に口に押し込んだ。 「私は逆側から不審者がいないか確認しながら向かうんでしたね。ランニングは午後六時頃からおよそ一時間」 杉菜もコーヒーを飲み干すと伝票を持って立ち上がる。 「尾行は私がするんだよね。本人に言っていいなら早いのに」 そう言って、猗鈴はキャップを被ると表に留めておいた自転車に跨り、才谷の後を追う。 七尾は依頼の際、才谷にバレないようにと条件をつけた。依頼を知るのは七尾と、ジム運営の手伝いをしている七尾の娘のみ。それも才谷が気にして調子を崩さない為だった。 尾行を始めても猗鈴が見る中では、才谷の周りに特に何か不審な人が近づく様な事はなく、穏やかにコースの半分まで進んでいった。 ふと、街頭の六時二十分を指す時計を見て猗鈴は少し違和感を覚えた。 なぜと猗鈴が思っていると、ふと才谷は曲がる予定にない角を曲がった。 「姫芝、才谷選手がコース外れた。こっちの尾行がバレたかも、今どこにいる?」 『七尾さんにつけてもらったGPS見る限りそう遠くないですね。私がカバーに行くので猗鈴は先回りを』 「了解」 杉菜の乗ったバイクはあっという間に来ると、猗鈴の前で脇道に入っていく。それを見送って、猗鈴は予定のコースを走っていく。 一方の杉菜は、GPSの反応を追っているとふとそれが止まって動かなくなったのに気づいた。 「神社……」 バイクを止めて階段を登っていく。 恋みくじとか恋愛成就と書かれたのぼりは日に焼けて汚く、敷地こそそれなりに広いものの、お土産売り場も無人だった。 そんな境内の真ん中に、才谷とそのデジモンはいた。 青い金属製の肢体、胴体は狼の頭を模した様な形で、両腕には盾と盾の下から伸びる鋭い爪が三本、頭まで金属に覆われているが仮面の後ろから銀髪が伸びてもいる。  才谷とその青い盾のデジモンは正面から対峙していたかと思うと、不意にどちらもファイティングポーズを取った。 「……猗鈴ッ!」 物陰で杉菜が腰にベルトを巻くと、離れたところで自転車に跨っていた猗鈴の腰にもベルトが現れる。 「わかった」 猗鈴はすぐ自転車を止めて近くのベンチに腰掛けた。 『ザッソーモン』 杉菜が左手で右のスロットにザッソーモンメモリを挿し込み、 『サンフラウモン』 猗鈴は右手で左のスロットにサンフラウモンメモリを挿し込む。 「「変身」」 二人がは声を合わせてそう口にし、杉菜がベルトのスロットを上から押し下げる。 ベンチに座った猗鈴の意識が途切れて項垂れ、途切れた意識は杉菜の元で覚醒し、杉菜の肉体は二色の光を放ちながらその背を伸ばす。 そうして二人は一人のディコットに姿を変えた。 「距離があるから、牽制する」 『サンフラウモン』『サンフラウビーム』 そう口にし、左手でサンフラウモンのメモリを押し込むと、手のひらをその青い機械のデジモンの方に向ける。 手のひらから放射された光線に青い盾のデジモンは顔を撃たれてのけぞり数歩後退する。 「才谷選手、下がってください」 「ぐっぎ……そうか、探偵か……ッ!」 そう呟くと、そのデジモンは身を翻して去ろうとする。 「そう簡単に逃すわけには……いかないんですよ!」 杉菜の声と共にディコットが右手の指が鞭のように伸びて盾のデジモンに叩きつけられる。 「痛ッ!?」 しかし、そう悲鳴を上げたのはディコットの側だった。盾のデジモンが盾で指を受け止めると、ディコットの指は凍りついて固まってしまった。 「七尾さんの火傷……」 「アレは凍傷だったってことですね……っ?」 そう口にしながら伸ばしていた指を戻して確認し、もう一度目を向けた時には盾のデジモンはもういなかった。 「……なんなんだあんた」 才谷の言葉に、ディコットは変身を解く。 「七尾さんに雇われたものです。あなたの周囲に怪しいものがあると」 「……あー、いやっ……誤解なんだ! カミサマは俺を傷つけようとしてたんじゃないんだ!」 才谷は頭をがりがりとかいてそう杉菜に訴えた。 「ではどういう?」 「カミサマは俺に特訓つけてくれてたんだよ!」 その言葉に杉菜は面食らうと同時に、何故七尾が攻撃されたのかがわかった気がした。 ジムの中に作られた応接室の中には、トロフィーや賞状などが飾られていた。ジムの主である七尾の現役時代に得ただろうプロとしてのものから、男女のジュニア大会のものまで様々で、ジムの歴史を物語っていた。 「ヒロちゃんが積極的な攻める闘い方からカウンター狙いに切り替えたのもそのカミサマの影響で、ランニングの途中でいつもこっそり会っていたと」 七尾の娘、重美(シゲミ)は父親の代わりにそう少し呆れたような調子で確認した。 七尾に雇われていることもバラした以上、お互い状況を把握し合う方がいいと杉菜は判断し、天青に許可を取って一度話し合うことにしたのだ。 「……そうだ。二人とも黙っててすまない」 「黙っててすまないじゃあねぇッ! ……ぐっ」 七尾はそう机をガンと殴りつけて立ち上がり怒鳴ったが、すぐに喉を押さえて座り込んだ。その際に、喉に巻いたスカーフがひらりと落ちた。 「お父さん……まだ治ってないんだから……」 「オヤジの喉……それどうしたんだ……? 喉風邪って話じゃあ……」 才谷は七尾の喉についた凍傷を見て、狼狽してそう言った。 「おめぇの言うカミサマとやらに、ぐぅ……」 「そんなわけねぇよ……! だってカミサマは……」 「……確かに、悪意はなかったかもしれないですね」 今にも喧嘩に発展しそうな空気に、杉菜はそう口出しをした。 「七尾さんが阿久津選手の関係者から狙われてると思っていたのと同じように、カミサマも警戒してたなら、暗がりで棒を持った人物が才谷選手を待ち伏せてるように見えたのかも……」 「それだ! そうに違いない! 悪いやつじゃないんだよカミサマは! 実際そのおかげで調子もいいし……オヤジのしてる心配だって、カミサマがそばにいてくれるならむしろ安心だろ!?」 才谷はそう必死になってカミサマを庇う。その様子を見て、七尾と重美は眉を顰める。 「才谷選手、カミサマとの付き合いはやめた方がいいですよ」 猗鈴はそう、興奮気味の才谷に冷や水を浴びせるように冷たく言った。 「いや、でも悪いやつじゃないし……別に怪物になるのって犯罪じゃないだろ?」 「デジメモリの不当所持は、逮捕される案件ですよ」 「え……」 「世に知られたらスキャンダルになってしまう、場合によっては試合が中止になることもあり得るのでは?」 猗鈴はそう少し強く言った。 それを見て、杉菜はちょっとと猗鈴の袖を引いた。 「……才谷さんにとってその特訓の時間が大切なのは理解しますが、それを置いても、デジメモリは危険なんです。使用者は精神を蝕まれていき、元がいい人だったとしてもおかしくなってしまう」 「そ、んな……」 才谷は軽く頭を抱えた後、七尾の方をちらりと見た。 七尾は首を横に振った。それがこれ以上関わってはいけないの意味であることは明らかだった。 それに才谷は反論したそうだったが、何も言えずに口をつぐみ、立ち上がってどこかへ行ってしまった。 「……ちょっと、私ヒロちゃんのこと見てきます」 重美の言葉に七尾はこくりと頷き、部屋から出ていくのを見送ると項垂れた。 「おやっさん、浩も重ちゃん、なんかアレな顔で出ていきましたけど……あ、取り込み中ですか?」 入ってきた男に対して、大丈夫だと七尾は首を横に振った。 「……少し尋ねたいことがあるんですが、いいですか?」 猗鈴がそう七尾に聞くと、七尾は首を縦に振った。それを見て、猗鈴は探偵であることと依頼内容を不審者の調査と伝えてから質問を始めた。 「才谷選手はいつ頃からこのジムに?」 「ジムに所属したのは中学の時だよ。十年ぐらい前かな、でも七尾さんとご両親が仲良しでね、子供の頃からしょっちゅう入り浸ってた」 「……悪い交友関係とかは、ありましたか?」 「あー……オヤジさん、話していいですか? 高校の時のこと」 構わないと七尾は頷いた。 「五年前、この街で大規模テロがあったよね、あの時に両親亡くなって、オヤジさんが身柄を引き受けたんだけど、ちょっとの間、荒れてたんだよね。あの頃はあまり良くない連中と連んでたみたいでさ……」 杉菜は、メモリの所有者は現在の校友でなく過去の交友の可能性もあるかと頷いた。 デジメモリの販売ルートには裏社会が絡むことはままある。集団で買ってもらえればその数だけ利益も出る、加えて、後ろ暗いことを生業にしている人間は自分に不都合な情報を流さないだろうという負の信頼がある。 「その付き合いはどれぐらい続きました?」 「一ヶ月ぐらいかな……だから、多分そこの付き合いはそう深くないよ。今は繋がってないみたいだし……」 「短いですね。なにかあったんですか?」 「重ちゃん……重美ちゃんがね、連んでた不良グループのところにもう関わらないでって言いに行って、色々あったらしくて肘をやっちゃったんだ……」 可動域がまともに動く方の半分ぐらいになっちゃってと男は言った。七尾は、話してる男から目を逸らすように部屋に飾られたトロフィーの一つを見た。 「……でもそれで、浩もこのままじゃいけないって思ったみたいでさ。真面目にボクシングやるようになって、鬱憤全部晴らすみたいに超攻撃的なスタイルでガンガン上り詰めてった」 「それまでは攻撃的なスタイルじゃなかったんですか?」 「あぁ、オヤジさんがそういうタイプじゃなかったからね。オヤジさんの必殺のカウンターに憧れて俺なんかもやり始めた口でさ、当時はこのジムにいる奴らはみんなオヤジさんのスタイルを真似てたよ」 「今も皆さんそうなんですか?」 「いや、下の世代は浩の攻撃的なスタイルに憧れるやつが多いし、上の世代は俺みたいにコーチになるか引退したか……現役でってやつはいないかな」 「そうなんですね」 「こんなとこでいいかな?」 そう言う男に、猗鈴は、はいありがとうございましたと頭を下げた。 「じゃあ、また明日来ますね。行こう、姫芝」 猗鈴はそう七尾にも頭を下げるとスッと部屋を出ていった。 「……いや、ちょっと、え? あ、また明日よろしくお願いします!」 それを見て、杉菜は一瞬面食らったものの、七尾とその男に頭を下げ、すぐにその後を追った。 「喫茶ユーノーに戻ろう、姫芝」 「いや、まだメモリの使用者もわかってないでしょうに聞き込みを切り上げていいんですか? せめて他のカウンター戦法を教えられるトレーナー達にだけでも……」 早足で歩く猗鈴に対し、杉菜はそう言って服を掴んで引き止めようと手を伸ばした。すると、猗鈴は急に足を止め、伸ばした指は背中に当たってぐきりと曲がらない方向に力を加えられて痛んだ。 「……何やってるの姫芝」 「急に、猗鈴が、止まるから……」 そっちじゃなくてと猗鈴は澄ました表情のまま言う。 「あのメモリの所有者は七尾重美、七尾さんの娘さんしかいないでしょ」 だから、盛実さんにメモリの内容伝えてデジモン特定してもらわなきゃと、わかって当然という口振りで猗鈴は言った。
ドレンチェリーを残さないで ep20 content media
1
5
45
へりこにあん
2022年8月07日
In デジモン創作サロン
自分に向けられた爪、大きく振りかぶられ振り下ろされるそれを、杉菜はちょっと大きめに避け、さらにマントの翼を使って大きく一歩、背後に跳んだ。 「らしくない、攻撃ですね」 杉菜は猗鈴と殴り合ってきたから、本気の猗鈴ならそんな無駄だらけの軌道で攻撃しないことは知っている。 距離を詰める前から振りかぶって攻撃するなんて、子供のようなことをいつもの猗鈴ならばしない。 猗鈴が姫芝をぎろりとにらめば、その背後には蒼炎をまとったマタドゥルモンが忍び寄る。 音一つ立てずに鎖を振るい、猗鈴の首にかけて背中側に引きながら、逆の袖からは刃を伸ばして待ち受ける。 それに対して猗鈴は首だけマタドゥルモンに向けるも抵抗しなかった。背中に刃が少し触れ、ほんの少し切るも傷口から溢れた液体が見る間にマタドゥルモンの刃をボロボロにし、猗鈴の背中にさえ歯が立たない。 倒れかかった身体に合わせて斜めに足を引き、振り向く力に合わせて猗鈴は低い体勢から爪を突き立てようとする。 「爪切りの時間だ、レディ」 マタドゥルモンの袖の奥から新しい刃が伸びて猗鈴の五爪の内側に正確に刺さる。 猗鈴が突き立てようとする動きに合わせてマタドゥルモンも突き出しながら手を捻ると、猗鈴の五爪は根本から剥がれる。 「私は、炎にも負けない」 爪が剥がれてもそのまま猗鈴はマタドゥルモンの顔へと手を伸ばす。爪の剥がれた指先から血の代わりにどくどくと溢れる液体が、マタドゥルモンの身を包む炎に近づく度蒸発してマタドゥルモンの顔を溶かす酸の雲になり、呼吸すれば喉も焼く。 「があぁぁ!」 『ウッドモン』『ブランチドレイン』 猗鈴の手が動いてないにも関わらず、メモリのボタンが押され、音声が鳴り響く。痛みに悶えながら慌ててガードするマタドゥルモンの手の上から猗鈴の前蹴りが入って枝がその身体を包んでいく。 「……こ、こんなつまらない決着があってたまるか!」 青い炎と数多の刃が枝の檻を内側から破壊して、マタドゥルモンが姿を現す。 ただ、その一瞬でもマタドゥルモンからエネルギーを猗鈴は吸ったらしく、腕につけていた添え木をボロボロと外して腕の調子を確かめだした上、剥がした筈の爪も短くはあったが再生していた。 「私は、強い……」 一瞬びくんと猗鈴の身体が震えると、コートの下から植物の蔦にも見える尻尾が伸びた。 「やっぱり、あるとすればウッドモンメモリでしょうね……組織のデータベースにも存在しない、幹部の夏音の秘蔵のメモリ……」 吸い取ったデータはウッドモンメモリに還元しないよう改造したと盛実が言っていたことも杉菜は思い出していたが、明らかに現状はそれに矛盾する。 吸った端から自分のものにしそうな様子だ。でも、今までに吸った分は使えてないのだろうなとも杉菜は思った。もしそうならば、ウッドモンメモリの中にはスカルバルキモンの力がある。使用者が体質的に合わなかった為弱体化していたものの、本来は幹部のメモリ、死なない肉体に異常反射神経の組み合わせは自傷しかねない爆発や毒爪と相性が良い。 『そのメモリもそうですが、彼女は過去にグランドラクモンの目を見てますからね、その線も捨てられませんよ』 「とりあえず、ベルトに触れれば変身の解除を狙えるんですけれどッ!」 杉菜は自分に向けて伸ばされた鎖を鞭のように伸ばした蔦で打ち落とす。 三つ巴の状況で猗鈴の変身を解除したらどうなるかなんてことは杉菜にも鳥羽にも簡単に想像がつく。 ならば先にマタドゥルモンを倒す他ない。しかし、猗鈴にエネルギーを吸わせるのはもちろんよくない。 杉菜は袖の内側から蔦を伸ばすと、それを拳に巻きつけた。 マタドゥルモンは鎖をじゃらじゃらと鳴らしながら慎重に猗鈴と杉菜との距離を測る。 その二人を、猗鈴はじっと見る。そして、最初に動いたのは猗鈴だった。 猗鈴がマタドゥルモンに向けて歩き出す。それを見て、杉菜は地面に転がり刃の溶かされた剣に向けて蔦を伸ばした。 「これ、使えますね?」 『確かに素手じゃ戦えませんね』 杉菜がそれを手に取ると、恵理座の声と共に、ベルトからにゅるりと出てきた細長い触手の様なものが剣の持ち手の筒に伸びて、接続する。 『ザッソーモン』『プラス』『ヴァンデモンX』『スピア』 濃緑の柄がするりと長く伸び、その先端にピンクに光る爪がつく。 そうしている間にもマタドゥルモンと猗鈴は既に戦っている。 『ウッドモン』『ブランチドレイン』 猗鈴の蹴りがマタドゥルモンの腹を直撃する。脚の爪から出た液がその皮膚を溶かして血も流させ、さらにその傷口を広げるように枝は刺さる。 マタドゥルモンは猗鈴の身体の内、緑色のコートで覆われていない部分、腕に噛み付いてその血をすする。 それを見て、猗鈴はたんとかるくジャンプして、噛まれている方の肘で地面を殴りつけるようにする。 マタドゥルモンの顎は地面と腕に挟まれて強く打たれ、加えて身体の方もその低さまで追いつきたいのに全身を覆う枝が、燃えるとはいえ邪魔をして、その負荷が首に集中する。 「ぶぇッ!」 あまりにもブサイクな音を漏らしながらマタドゥルモンの顎が猗鈴の腕から引き離された。 『ウッドモン』『ブランチドレイン』 猗鈴はマタドゥルモンの細い首を踏みつけようと脚を上げる。 『ヴァンパイアセオリー』 杉菜は二体の間に割り込むと、マントでふみつけを受け止めて、枝が伸びる前にひらりとかわす。すると、マントの下にいた筈のマタドゥルモンの代わりに現れたコウモリの群れが猗鈴の胸元目掛けて飛んでいき、その花粉に触れて爆発する。 自身の花粉の爆発でのけぞる猗鈴に時間差で何発も何発もコウモリは飛んでいき、花粉を爆発させる。 「さぁ、今の内にやりますよ」 「……なるほど、ただ助けてくれたというわけではないか」 腹部の血は止まっていたものの、ただでさえ細い腰には痛々しい傷跡が残り、首も曲がったまま伸びない。 それでもマタドゥルモンは獣を思わせる前傾姿勢で、袖の隙間から剣と鎖を伸ばす。 「今の私が助けたいのはあったの暴走している甘党です」 杉菜は槍で真っ直ぐにマタドゥルモンの胸を狙って踏み込む。 マタドゥルモンはそれを避け、次いで来る打ち払いを爪を地面に立てて這う様な姿勢で前に走りながらさらに避ける。そして、蹴られない様にと杉菜の脚に鎖を伸ばして両脚を結ばせた。 さらに杉菜を引き倒すと、思わず杉菜は槍を手放した。 「少しでも君から回復させてもらおう!」 マタドゥルモンが牙を剥き出しにし、馬乗りになって杉菜の首に狙いを定める。 それに対して、杉菜は顎が開かない様に腕から伸ばした触手で顔を縛る。 それを取ろうとマタドゥルモンがもがいていると、不意に飛んできた槍に背中を刺された。 『ヴァンデモンX』『ブラッディドレイン』 呆気に取られたマタドゥルモンの腕を杉菜の手が抑え、マントの爪がその脇腹に突き刺さっていく。 ピンクの爪が光り、マタドゥルモンからエネルギーを吸い上げていく。炎の勢いが弱くなり、鎖が形を失う。そして、爆発した。 爆発の後には、マタドゥルモンではなくより小さな黒い仮面に目玉模様のデジモンの姿と、身体から飛び出たデスメラモンのメモリが一瞬あったが、すぐにデジモンの姿は佐奈の人間の姿に変わり、メモリは爆ぜて砕け散った。 「……さぁ、一騎討ちですね」 杉菜がそう口にすると、地面にべしゃりと打ち捨てられた最後のコウモリが毒に溶かされて原型を失った。 地面に転がった槍に翼がちょんと生えて杉菜の手に飛んで戻る。 猗鈴は爪をだらりと垂らしながら杉菜を睨む。マタドゥルモンからデータを吸ったからか、いつの間にか尻尾は二本に、葉の形をした二対の翼まで生えていた。 「……距離を保たないと戦えないけど、距離を保ったままじゃベルトの解除はできない。あのベルトは盛実さんの能力で動いてるそうなので彼女に連絡取れれば、なんとか」 『んー……一応、できますよ』 マントから一体、コウモリが現れて病院の窓へと飛んでいく。 『ベルトの機能維持と、コウモリの遠隔操作で一杯一杯になるので、こっちの任意でヴァンデモンXの技は出せなくなりますけど……いいですね?』 あと、声出せないから結構時間もかかりますと恵理座は言った。 「……ゆっくりやってください。やせ我慢は得意なんです」 杉菜はそう言って槍を構え、猗鈴をじっと見たあとふと笑みをこぼした。 「そういえば、猗鈴との初対面の時にも同じことを言いましたね」 猗鈴はそれに何かを返さない。 「私は、強い子……」 うわ言を呟き、そして尾で地面を一度叩いて杉菜に向けて爪を振り上げて走る。 振り下ろされる手をしなやかな槍で絡め取って弾く。 猗鈴はそれに対して懐に潜り込もうと動くが、杉菜は踏み出してきた脚に触手を絡み付かせて、思いっきり引っ張り上げて猗鈴を転ばせる。 『ザッソーモン』『スクイーズバインド』 杉菜の左手の五指が伸びて転んだ猗鈴の両手両足と尻尾を縛る。 指一本の力である以上、猗鈴も全く動けないなんてことはない。杉菜の力を超える力で無理やりに身体を動かして立ち上がり、触手に毒液をかけようと、手を脚を縛る触手の上へと持っていく。 「させるわけがないでしょう!」 杉菜は手をぐるりと捻り、わざと複数の触手を絡めた。 猗鈴の腕も脚もその動きに合わせて引っ張られる向きが変わって、バランスを崩す。 押したり、引いたり、時に触手を伸ばして急に緩めたり、急に縮めて引っ張ったり、猗鈴の動きに合わせて杉菜も必死に触手を操る。 不意に、猗鈴の動きが少し落ち着いたかと思うと、背中の翼で羽ばたきを始めた。足で一瞬強く地面を蹴り、翼の羽ばたきで持って猗鈴は空を飛び出した。 杉菜もマントで空を飛んで対抗しようとするも地力が違う。 空に上がる猗鈴を杉菜は止められず、飛び上がった猗鈴は杉菜の上からポタポタと毒液を垂らし、花粉を撒き散らす。 触手が毒に焼かれ爆発に千切られていく。 「ぐぎ、ぎぃッ……」 それでも杉菜は触手を離さず、もう一度とザッソーモンメモリのボタンを押す。 『ザッソーモン』『スクイーズバインド』 今度は両手。両手両足と今度はさらに翼も。当然同じ様に降り注ぐ毒液に焼かれ爆発に千切られるが、全て千切られる前にと両手の触手を絡ませて一本の太い綱にして猗鈴を地面に叩きつける。 「変にうまくやろうとしてうまくいかない。私ってそういうやつでした、ね……」 杉菜は一度触手を納めると、槍をムチのようにしならせて猗鈴の腕に巻きつけ、逆の端を自分の腕に巻きつけた。 そして、そのまま杉菜は前に出た。猗鈴も前に出る。 猗鈴が前蹴りを繰り出してくるのを、杉菜は正面から膝で受け止める。そして、代わりに猗鈴の頭に触手を巻き付けると、引っ張って自分の額をぶつける。 「我慢比べだけは私も大概負けたことないんですよ」 猗鈴がならばと頭を振りかぶると、杉菜はがら空きの腹に前蹴りを入れた。 「我慢比べするとは言ってないです」 そして、うずくまるような姿勢に猗鈴がなると、お互いの腕を繋ぐ槍を下方向に引っ張り、猗鈴の額に向けて膝を突き出した。 それを猗鈴は手を間に挟んでダメージを和らげると、そのまま杉菜の膝を掴んで毒の爪を突き立てる。 じゅくじゅくと音を立ててスーツがえぐれていく。 膝に走る激痛に、奥歯を噛み締めながら杉菜はベルトに向けて蔦を伸ばす。 すると、猗鈴はパッと杉菜の膝から手を離すと、杉菜の顎を殴りつけた。 視界が揺れ、平衡感覚が崩れる。それを見て猗鈴は繋がった腕をぐいと引き、今度は胸を真っ直ぐに殴りつけた。 「ぶぁッ……」 呼吸が止まり、身体が硬直する。そして、次の拳も当然杉菜は避けられない。 だから杉菜は槍の拘束を解いた。もう一度胸を殴られると共に、その勢いで後ろに退いて距離を取る。 「ッふぅ……まだまだ、私はやれますよぉッ!」 杉菜はもう一度槍を握り直して前に出ようとしたが、その時、ふとエンジン音と共に誰かが叫んだ。 「そのまま退がって、姫芝!!」 杉菜はその声に、背後の街灯に蔦を伸ばして前に出ようとする自分の体をピタッと止め、反動に任せて後ろに跳んだ。 すると、明らかに一般車両じゃない装甲車が猗鈴を横から凄い勢いで撥ね、焦げるような臭いをさせながらドリフトして止まった。 その装甲車が開くと、新しいベルトを手にした盛実と、ゲームのコントローラーの様なリモコンを持った天青が現れた。 「……助かりました。でも、なんで直接来たんですか?」 遠くからベルトの機能を失わせればいいのにと杉菜が言うと、盛実はそうはいかないと首を横に振った。 「グランドラクモンの洗脳だけならそれでとりあえず無力化できるけど……ウッドモンメモリの影響がわからない。最悪、猗鈴さんの精神とかに影響が出るかも」 「博士、急いで。多分この装甲車だけじゃ長くは抑えていられない」 「えーと、というわけで……このベルトの精神感応通話を使って猗鈴さんの精神に繋がって、グランドラクモンメモリの影響とウッドモンメモリの影響を明らかにしつつ、あわよくば正気に戻します! 姫芝銃使える!?」 そう言って盛実は何かごつい天青のものとも形の違う銃にがちゃんと何かの機械をセットした。 「使えませんが!?」 「なら私がやりましょう」 杉菜の変身が解け、ベルトからずるりと恵理座が現れる。 「猗鈴さんにそのベルトの子機〜ひっつき虫ver〜を撃ち込めば、あとは姫芝がこっちのベルトを着けるだけ! それで猗鈴さんに直接呼びかけられる!」 そう言って盛実はベルトを杉菜に渡した。 「わかりました」 恵理座はそう言うと、装甲車を下から持ち上げてひっくり返そうとしている猗鈴に向けて引き金を引いた。 それは猗鈴の背中に当たる。 「でも、これじゃあ猗鈴の足止めをする人がいませんよ」 杉菜の言葉に、でも姫芝用に再調整してるしどうしようと焦り出したものの、恵理座がポンと肩を叩いた。 「そこは私が手を打っておきました。盛実さんに連絡後、公竜さんにも連絡しておいたので」 そう言ってる間に、マッハマンメモリを使用した姿の公竜が到着して、猗鈴に向けて銃撃を行う。 「鳥羽、今どうなっている?」 バイク型から人型へと公竜は変化しながらそう問うた。 「美園猗鈴が錯乱状態の暴走中、状況の打破を試みる為、美園猗鈴を抑える戦力が必要です。主な武器は爪の毒液と爆発する花粉です」 「わかった。まかせておけ」 『エレファモン』『アトラーバリスタモン』 公竜の背中に巨大なタービンが現れ、左腕も巨大なものに換装される。 「……あと、その装甲車については後で確認しなくてはいけないので、最悪裁判所に行く気持ちの準備をしておいてください」 そう言って公竜は猗鈴の元へと向かっていく。げぇと盛実が悲鳴をあげる。 向かってくる公竜に、猗鈴はまずは様子見と言わんばかりに毒液を飛ばす。それに対して公竜は、背中のタービンを回す。すると、毒液は公竜に辿り着く前に風の勢いに負けて地面に落ちる。 「他に遠距離攻撃の手段はない、そうだな鳥羽」 『はい。格闘が得意な様なので中距離を保つのが得策です』 「わかった」 猗鈴が近づこうと走り込んでくるのに対して公竜は巨大な左腕を伸ばして殴りつける。猗鈴はそれを爪を立てながら受け止めようとするも、クロンデジゾイドで造られた装甲はそう溶けず、無理に爪を立てようとした分うまく受け止められず押し込まれる。 公竜は再度腕を振うと、今の内にと杉菜達を見た。 「とりあえず、私はこいつを着ければいいんですね」 「そう! 本来は親機に対して子機の猗鈴さん側から精神が移るところを逆にしてあるから、倒れないよう先にっ……」 「わかりました」 杉菜がそう言ってベルトをつけると、ふっと意識を失って身体が倒れる。代わりにそこに滑り込んだ鳥羽はそれを受け止めた。 「猗鈴!」 杉菜は何もない白い空間に向かってそう叫んだ。それに声は返ってこない。 どちらに行けばいいかもわからないで杉菜が辺りを見回していると、ふと懐から×モンのカードが勝手に飛び出て宙に浮いた。 「なにを……」 カードは急に巨大化し、そしてある程度の大きさになると扉のように真ん中から割れて開く。そうして現れたのは杉菜も見慣れたザッソーモンの姿だった。 ザッソーモンは無言で蔦を伸ばすと逆の蔦を杉菜の手に巻き付けた。 「……あっちって事ですね」 杉菜はザッソーモンの蔦を掴み、一緒に歩いていく。 少し進むと、杉菜は、何もない白い空間に自分達の影が落ちるようになったことに気づいた。それで空を見ると太陽が現れており、視線を前に向けると、太陽に背を向ける向日葵が生えていた。 最初は一本、進むにしたがってその数は増えていき、いずれ目の前が見えなくなるほどになった。 そうして向日葵をかきわけていくと、ふと、暑くなってきたことに気づいた。 行き先にある向日葵が黒煙を上げて燃えている。 「走りますよ」 杉菜がそう言うと、ザッソーモンは杉菜の手を握っていた蔦を離し、目の前の向日葵を蔦で薙ぎ倒して先導し始めた。 杉菜もそれを走って追いかける。そうして辿り着いた燃える向日葵の真ん中に、夏音がいた。テディベアを三つ抱えた子供の姿の猗鈴の手を引く、大人の姿の夏音。 ふと水音に気づいて足元を見ると、血が流れているのも見えた。流れる血が触れた向日葵が発火する。 「この血がグランドラクモンの影響……とすると」 この夏音は猗鈴をグランドラクモンの影響から逃そうとしてるのだろうかと、ほんの少し杉菜が考えていると、夏音の目が黄色く変わり、毒々しい水色の爪を伸ばすと杉菜に向けて振るい出した。 爪が振るわれる度、猗鈴の身体も引っ張られて振り回される。 杉菜がザッソーモンの方をチラリと見ると、ザッソーモンはアヤタラモンメモリで変身した時の鉈に変わると、杉菜の手に収まった。 夏音の振るう爪と数度打ち合って、杉菜は鉈を放り投げて猗鈴の手を引く夏音の手を狙う。 猗鈴を巻き込まないようにと夏音が手を離して回避すると、杉菜はそこに飛び込んだ子供の猗鈴を抱え上げた。 「猗鈴は、私がッ……!」 夏音の爪から飛ばされた毒液が杉菜のスーツを溶かして背中を焼く。 それでも杉菜は構わず走り出した。 「ザッソーモン、これでいいんですよね!?」 鉈の姿から戻ったザッソーモンは、その蔦を伸ばすと夏音の足に引っ掛けた。 「イ、け」 ザッソーモンはそう呟いた。 「私の、猗鈴……ッ! 私の妹をッ連れて、引き離さないで……! お願い、猗鈴だけは……! 猗鈴! 猗鈴! 猗鈴ッ!!」 夏音の慟哭だけが響く。それを聞きながら、杉菜はちらりと猗鈴を見ると、少し悲しそうな顔で夏音を見ていた。 「お姉ちゃんじゃないお姉ちゃん……可哀想……」 猗鈴の呟きを聞きながら、ひまわり畑を駆け抜ける。そうして白い領域まで戻ると、不意に杉菜は感覚が現実に戻っていくのがわかった。 杉菜が目を覚ますと、変身の解けた猗鈴がその場で崩れ落ちるところだった。 「よし、ウッドモンメモリを回収……」 盛実が近寄ろうとすると、勝手にベルトからセイバーハックモンメモリが飛び出して、ドラゴンのような自立形態に変形するとどこかへ跳んで逃げてしまった。 「あ……やっちゃった気がする」 盛実はそう言ってベルトに残ったウッドモンメモリを取り出してタブレットに繋ぐと、すごい気まずそうな顔を杉菜達に向けた。 「ウッドモンメモリ……中身だけセイバーハックモンメモリに移って逃げたみたい……」 「ウッドモンメモリは中身入りのメモリだったの?」 「多分……まさかメモリが自律移動できるようにしてたのがこんな風になるなんて……」 その方がファングっぽいからって付けた機能でこんなことになるとはと、盛実は悔しそうに言う。 「とはいえこれで一件落着、ですかね……」 杉菜はそう言ってベルトを外す。しかし、いいやと割り込んできたのは鳥羽だった。 「猗鈴さんはグランドラクモンの眼の影響を抜けたとは思えません」 「……一応、心の中でそれらしい血溜まりは張り切って来ましたけれど」 「逃げたってことはまだ彼女の中に残ってるってことです。奇しくも今回は……メモリの暴走によって猗鈴さんの意識が奪われたみたいですけれど、再発した時どうなるかわかりません」 ので、と言うと、恵理座は自分の爪を伸ばしたかと思うと自身の胸に突き刺し、その後小さな光の球を取り出した。 「……このX抗体を投与します」 「X抗体……なんでそんなものをあなたが……」 天青は恵理座に対してそう呟き、公竜の方を咎める様に見た。 「公竜さんはX抗体のことは何も知りませんよ。かつてデジタルワールドにて大量死を巻き起こしたXプログラムの抗体であることはもちろんのこと、このXがグランドラクモンのことを指し、Xプログラムがその能力を解析して造られたことも知りません」 恵理座は胸から取り出した光の球をくるりと手の中で回したが、その顔は軽い口調と裏腹に消耗して見えた。 「……説明してくれ、鳥羽」 「がっつかないでくださいよ、公竜さん。私以外にモテなくなりますよ?」 それはそれでアリかも、なんて言いながら恵理座は疲れた様子で猗鈴の側に行くと、光の球の半分をむしって自分の身体に戻すと、残りを猗鈴の胸に押し付けた。 すると、光の球は溶ける様にして猗鈴の身体に消えていく。 「ふー……やっぱり説明は後でいいですか。X抗体いじったせいで私の中のデジモン部分が荒れたみたいで……」 荒い息で、よろっと立ち上がった恵理座に、公竜は仕方ないとため息を吐き、天青もひとまず納得した様に頷くと猗鈴の元まで行き、その体を抱え上げる。 「えーと、Xプログラムは私もわからないんだけど、とりあえず猗鈴さんも姫芝もメディカルチェックするから装甲車の方来て、一応簡易設備はあるから」 盛実に言われて、天青と杉菜は装甲車の方へと歩いていく。 そして、それを見て公竜も変身を解いて恵理座の方へ向かいう。 「ちゃんと後で説明してもらうからな。長くなるぞ」 公竜がそう言うと、恵理座は青い顔でにまぁと笑った。 「うふふのふ、公竜さんの部屋で一晩を明かせるなら大歓迎です」 「……検査入院の項目を増やしてもらう。話すのは明日、病院のベッドでだ」 全くと公竜は恵理座を支えるためにと手を出す。 その手を、恵理座の手は掴めなかった。代わりに、恵理座の胸から突き出た血だらけの手が代わりに取った。 「久しぶりね公竜。私の顔、覚えてるかしら」 公竜はその血だらけの手を、恵理座の背後に立つその持ち主を知っていた。 実際に見た記憶は遠く子供の頃、しかし、その頃に撮られた家族写真は今もずっと持っている。 顔を見るだけで憎しみが溢れる。自分の体質を人生を決定づけた存在。この世に自分を産み落とした存在。 「グランドラクモン……!」 「昔はママって呼んでくれたのに……あの時おいていなくならなきゃよかったわ」 公竜は握った手を離すと、拳を強く握り締める。 そんな公竜に対し、恵理座は胸を貫かれたままその手に自分の震える手を重ねた。 「戦いになったら、彼女達が加勢に来てしまいます。準備なしに目を見たら、声を聞いたら、公竜さん以外はアウトなんです……」 「そう心配しなくても大丈夫。私は基本的には真珠さんのサポートに徹すると決めているから」 そう言って、その女は恵理座の胸から手を引き抜きながら、何かを取り出して、捨てた。べちゃりと音がしたかと思うと、恵理座の身体は崩れ落ちる。 「でもX抗体は流石に目障りだから、ね」 勘弁してねとその女は状況に合ってない茶目っ気のある笑みを浮かべた。 『ミミックモン』 公竜は無言で変身すると、さらにメモリを挿し、腕を振りかぶった。 『アトラーバリスタモン』 変身した右腕がさらに一回り大きな鋼鉄の腕へと変わる。それを確認して公竜はもう一度メモリを押し込む。 『アトラーバリスタモン』『プラズマクラック』 電子音声が流れ、青い電気が公竜の腕を包む。 公竜が振り下ろした拳をその女はひょいと避ける。 「まぁ公竜に会えただけでわざわざ警察病院に来た甲斐があったわね。今度はゆっくりお茶でもしましょ。家族三人で、ね」 去っていこうとするその女を、公竜は追いかけよう走り出す。 びちゃ、と水音がした。 ハッとなって地面に倒れた恵理座とその周りに広がる血溜まりを見て、それを振り切る様にまたその女の逃げた方を見るも、もうその女はそこにはいなかった。 「公竜さん、追ったらダメです……公竜さん、まだ、そこにいますか……?」 恵理座は虚な目でそう呟く。公竜は変身を解いてそっと血溜まりに膝をつくと恵理座の身体を抱え上げた。 「……鳥羽、お前は吸血鬼のデジコアと心臓の両方があるはずだ。片方があれば死なないし、再生もする。黒木世莉の資料にはそう書いてあった。これも……グランドラクモンを騙す為、だよな」 公竜は、そう言いながら恵理座の胸に空いた穴を見る。 「ふふ、公竜さん知らなかったんですか……? 私はなれなかったんです……心臓以外の内臓も撃たれた時にダメになって、使える内臓は少なくて……子供も産めて一回って話で、やっぱり公安ってクソだなって……」 なんの話でしたっけと恵理座は公竜はの顔がある方とは別の方向に笑いかけた。 「僕はこっちだ」 恵理座の顔を自分の方に向ける。 「きみ、たっ…さん……わた…の、メモリを見つ……」 そう言って、恵理座の身体も血も不意に色を失い、サラサラと崩れて灰になった。 そして風が吹くと、灰はあっという間に散っていき、後にはスーツを抱えた公竜だけが残された。 公竜は、それをぎゅっと握り締めながら、鳥羽恵理座ではない彼女の名前を呟いた。 すると、ころんと服の中から一本の赤紫色のメモリが落ちた。そこに書かれていたメモリの名前は、ヴァンデモンXだった。
ドレンチェリーを残さないでep19 content media
1
3
32
へりこにあん
2022年7月12日
In デジモン創作サロン
「理由はわかりますけれど……警察病院で人間ドック受けてるのなんか奇妙な気分です」 「ふふふ、そうでしょうそうでしょう」 「……なんで鳥羽さんも?」 「ここ数ヶ月二週に一度の定期検診をサボってたのが公竜さんにバレました」 だって輸血パックだけ貰えば大体なんとかなるんだもーんと恵理座は笑った。 「……そういえば、小林さんのベルトは誰が作ってるんですか? 協力者の素性は鳥羽さんしか知らないって小林さんが言ってました」 「それは、ナイショです。その人はその人でなかなかヘビーめなアレなので、お二人に会わせる機会はない方がいいかなーと私としては思ってます」 「そんな面倒な人なんですか?」 「雰囲気としては、そちらの斎藤さん系ですけど……推しはなんか丸が三つ並んでるやつらしいですよ。世代らしいんですけど、人間になりたい怪物に情緒がぐちゃぐちゃにされたとかなんとか」 斉藤さんより少し年上なんですけどねと恵理座は言った。 「……年齢的には私と同じくらい?」 「え、姫芝って年齢幾つ……?」 「28ですが、今年で29ですね」 「……私と10歳差、うちの店で最年長……?」 そういいながら、猗鈴は自分の胸の辺りに手を持っていくと、スライドさせて杉菜の頭の上とを行ったり来たりさせた。 「ちなみに彼女は公竜さんと同じ三十路です。ところで三十路って響きちょっとセクシーですよね、公竜さんもセクシーだと思いませんか?」 恵理座はそう言った。 「……ベルトの持ち主の話を広げたくないんですね」 「あと、普通に恋バナって楽しくありません? 公竜さんは私の吸血衝動がアレすぎると優しいので噛ませてくれたりするんですけど、吸血鬼嫌い過ぎて一瞬すごい味わい深い顔するんですよ」 恵理座はどうせ話す時間はいっぱいありますとそう言った。 「恋バナというより惚気じゃないですか」 「公竜さんが吸血鬼の私を相手にすることはないので惚気ではないです」 気にしてませんよという明るい口調と作った笑顔が痛々しく、空気が一瞬で悪くなる。 「……猗鈴は、何かあります? 夏祭りの彼とか」 「彼はいい人なので私は絶対付き合ったりしないです」 恋バナに向いてなさすぎるなこの面子と姫芝は自分のことも鑑みて思った。 「……恋バナ、やめませんか?」 杉菜の提案に、猗鈴も恵理座も確かにという顔を一瞬した。しかし、猗鈴がふと何かに気づいた様に発言した。 「でも私、姫芝の恋バナは聞きたい」 「私も聞きたいですねー、姫芝さんの恋バナ」 「……あなた達、ハイエナみたいな性質してますね」 二人の言葉に杉菜はじとっと嫌そうな顔をしたが、猗鈴は無表情のまま見つめ返した。 「……正直、最近は恋愛とかしてないですよ」 「なら過去の話でいいから」 「王果オチの恋愛なら何個かありますけど、まともなのはあんまないですね」 「王果オチってなんです?」 「思想犯を騙った愉快犯、ただ人の心を動かしたかったと動機を語った希代のサイコ殺人犯、風切王果に近づきたくて私に近づいていたパターン」 「ろくな恋愛してないんですね」 恵理座が可哀想な顔をするのが、杉菜にはどうにも解せなかった。 「あなたが言います?」 「まぁ、公竜さんがイケメンなのも優しいのも首筋美味しいのも本当ですからね。偽物の恋愛とは比べるまでもありません」 「目くそに笑われた鼻くそってこんな気分なんですね。はじめて知りましたよ」 杉菜ははわざとらしく笑ったが、恵理座はけろっとしていた。 「応える気はないですけれど、米山君に普通に好かれて真っ当にデートに誘われた私の話が一番まともだったりします?」 「謎カードゲームの大会に連れていかれるデートが真っ当かは一考の余地がありますが」 杉菜はまぁ今も私はデッキ持ち歩いてるんだけどと思いつつ、自分のことは棚上げしてそう言った。 「あと、それは私達知ってますからね……告白シーンの話とかないんですか?」 猗鈴はなるほどと、便五による告白シーンを詳細に説明し、そして最後にフリましたけど。で締めくくった。 「……もう恋バナやめませんか? おしまいです」 「具体的なエピソードじゃなくて好みの人物像とか話す感じならまだ……」 再度の提案に猗鈴がそう言って、恵理座もうんうんと頷くのを見て、杉菜はマジかと思ったが、ではどうぞと投げやりに返した。 「私としてはやはり頼り甲斐のある年上派ですね。あとはイケメンで、肌白くて、首筋が噛みやすい人がいいです」 「小林さんの話になったらそれは具体的過ぎるんですよ」 「……でも、頼り甲斐がある相手は素敵じゃないですか?」 まぁ言わんとすることはと頷くものの、杉菜にはあまりその良さはわかっていなかった。 「想像してみてください、誰しも時には寝込む時とかあると思うんですよ」 「まぁ、体調不良は誰でもありますからね」 「そうですそうです。世界を呪って呪詛を吐いたり自傷したり涙が訳わからないままボロボロこぼれたりして、とりあえず落ち着かなきゃ眠れば治るはずだってベッドにこもって、でも眠れないまま一日が過ぎたりしますよね」 「……あまりしませんけど続けてください」 「そういう時に、何も聞かずに温かいご飯作ってくれて、せめて何か食べろと言ってくれて、私が辛い気持ちを八つ当たり気味にぶつけても大丈夫だって慰めて頭撫でてくれたりする人、よくないですか?」 「……猗鈴はどう思う?」 「そうですね。前提がちょっと特殊過ぎて話が入って来ないです。あと、小林さんの顔がチラチラ浮かびます」 そうですかと首を傾げる恵理座に、杉菜はまぁでもまだわからなくはないかと思った。 弱ってる時に支えて欲しいというのは誰でもあるし、それが好きな人ならなおさらいいというのもわからなくはない。前提が少し引く内容だったが、杉菜もメモリ依存者の限界生活なんかは見たことがあるので一応想像できなくはない。 「姫芝はどっちかと言えば、頼って欲しい派?」 猗鈴に言われて、杉菜はどうだろうと首を傾げた。 王果のせいもあって初恋らしい初恋も杉菜は覚えていない。王果オチの男達は男らしさみたいなのを見せようとしている節はあったが、別にそれが特別いいと思ったこともなかった。 「まぁ、どっちかと言えばそうですかね。猗鈴は?」 「頼れる頼れないより、お菓子作ってくれる人とかいいですね。作れなくとも買って来て欲しい」 それは恋愛感情の話なのかと杉菜は思ったが、恵理座は耳をぴくっと動かすと、おもむろに立ち上がって病室の扉を開いた。 「こんな風にですか?」 「え? なに?」 扉の先には便五が立っていた。 「……なんでここに?」 「喫茶店行ったら入院したって聞いて……」 「ありがとう。検査入院だから大丈夫、じゃあもらうね」 便五の持っていた包みを受け取ると、猗鈴は扉を閉めようとした。 「いや、いくらなんでも帰すの早いでしょう」 恵理座が閉めようとした扉を開いて、便五を部屋の中に引き入れる。 「検査してない時間暇なので、恋バナをしてたんですよ。わかりますね? そういうことです」 「え、どういうことですか?」 困惑する便五と中に引き入れようとする恵理座に、猗鈴はあまり表情を動かさず、しかし口は出した。 「この前私は彼のことフッてるのに、その彼の前で恋バナするの残酷じゃないですか?」 「その事実を改めて突きつける猗鈴も残酷な気がしますが」 それはそれと猗鈴は杉菜に言った。 「でも、僕は諦めるつもりないから」 「とりあえず、和菓子はありがとう。じゃあ帰って」 便五を病室から締め出した猗鈴の顔を見て、杉菜はチラッと恵理座の方を見た。恵理座はよくわかってない様で首を傾げていた。 「恋バナしないで普通にお見舞いしてもらえばよかったんですよ」 「姫芝はともかく鳥羽さんなんかこういう時ことあるごとにいじりそうだから」 「いじりますけど、それはそれとして普通にかわいそうじゃないですか?」 「……じゃあ、出口まで送ってくる」 猗鈴はそう言って、病室から出ていく。 それを見て、恵理座はにまぁと笑い、少し迷った後入り口の扉を再度開こうとする。 「トイレですか?」 「いえ、どこかで二人でなんかしてないかなぁと」 「恋愛脳にも程がありますよ」 と杉菜は言ったが、それでも恵理座は扉を開けた。そして、その直後、即座に扉を閉めた。 「……どうしたんです?」 一瞬でひどく青ざめた恵理座に、杉菜が問いかけると恵理座はまずはベルトをと促した。 「この病院にグランドラクモンがいます。今の私達じゃ勝てません」 「……そんな馬鹿なことが」 「あります。私の鼻は知ってる臭いならまず間違えません、公竜さんに近い吸血鬼の臭い。猗鈴さんが倒れた現場に残ってた女性の臭い……」 「いや、でもですよ?警察病院なんてグランドラクモンからしたら敵側の拠点の一つみたいなものじゃないですか、何か騒ぎを起こすでもなくいるなんてあるんですか?」 「ありますよ、というかきっとグランドラクモンは私達のことを敵と認識してないんです。吸血鬼王の目と声に耐えられる人間なんてまずあり得ない、声をかけて視線を向ければどこだってフリーパスになるのがグランドラクモンなんですから」 「それにしたって何故……」 「わかりません。気まぐれかもしれないし、私達でもわかる理由かもしれないし、理解できない理由かもしれない」 「とりあえず、猗鈴をどうにかしないと」 「いえ、逆に猗鈴さんは無事、かも。グランドラクモンは人間の身体から出てこないので臭い薄いですから……本当に今廊下を通った筈。病院の入り口にいれば、きっと……」 そう恵理座がつぶやくと、部屋の扉がガラリと開きピンクの袖を揺らしながらマタドゥルモンが部屋に入ってきた。 「やぁやぁお初にお目にかかる。とても強い吸血鬼の香りがしたもので、ついお邪魔してしまったが……面白い組み合わせだ」 とりあえず、と前置きしてマタドゥルモンは姫芝の首にその刃物の足を突き立てようとする。それを、マントと化した恵理座の肉体が受け止めた。 「変身して!早く!」 「駄目です、今の私のベルトは変身できない!」 「しょうがないですねぇ!」 恵理座の肉体がパッと黒い影の様なものになったかと思うと、杉菜のベルトにまとわりついてその形を変えた。 『これでできる筈です!』 そう言われて、杉菜はベルトにザッソーモンのメモリを挿してレバーを押した。 『ザッソーモン』『クロスアップ』『ヴァンデモンX』 「素晴らしい……」 「……美園、猗鈴」 「柳さん」 便五を入り口まで帰した猗鈴は、産婦人科のベンチに座る真珠と出会っていた。 「捕まえるつもりなら、やめた方がいいわ。すぐそこにグランドラクモンがいる」 「とりあえず、病院通えるぐらい回復しててホッとしました」 「無表情で言われても感慨ねーのよ。というか会話って理解してる?」 「お子さん何週目なんですか?」 隣に座るなと真珠だったが、むやみに立ち上がったりもしない。 「まだお腹目立ってませんよね」 「……そうね、服脱いでも私でもわからないもの。ちゃんと育ってくれているのかどうか、戦いのせいで何か悪い影響とか起きてないのかどうかとか、考えることはいっぱいあるけど……」 真珠は自分のお腹を撫でながら、不安そうなでもどこか幸せを噛み締めているような顔をした。 「そういえば、妊娠おめでとうございますって言ってなかったですね」 「……人がセンチになってる時にそういうとこ嫌いだわ。お前達姉妹の悪いとこよそれ」 柳がそう苦言を呈すると、猗鈴は袋から酒饅頭を一つだけ取り出して食べ始めると、残りを袋ごと真珠に渡した。 「とりあえずお祝いです。ここの和菓子屋さんのお菓子美味しいので、特に酒饅頭が」 「ありがとう……」 そう言いながら真珠は袋の中を見て、せっかくだしと目で酒饅頭を探した。 「酒饅頭、それだけじゃない……?」 「そうでした? でも、これは私のなので」 笑みを浮かべる猗鈴に、真珠ははぁーと怒りを殺しながら深くため息を吐いた。 「というか、とりあえずグランドラクモンが来る前にあっち行きなさいよ。戦いになって病院変えたりしたくないし」 「……確かに、少し喋り過ぎたみたいですね」 猗鈴はそう言って酒饅頭の残りを口に押し込み、立ち上がりながら振り返る、それに次いで真珠も振り返ると、そこには佐奈が立っていた。 「あまり良くないと思うんだ、柳さん。君は彼女を殺したいとあの方にお願いした筈なのに、どうしてそう仲良さそうなのかな」 「……今は戦って勝てるコンディションじゃないからなんとか手を引かせようとしてたのよ」 「じゃあ、僕が来た今は形勢逆転、君自身が止めをさせる様にお膳立てしてあげようか?」 「あんたこそ、黙って戦ったりしていいの? あいつは自分の目で観戦したいんじゃないかしら?」 佐奈は大丈夫さと言いながらメモリを取り出す。 「すぐ近くにはいるんだからね」 「……ここ、病院ですよ」 「そうだね、君が戦い難そうでこっちとしては都合が……」 猗鈴は佐奈が返事を仕切る前に動いた。椅子を踏み台にジャンプして佐奈の手を蹴り持っていたデスメラモンのメモリを弾き飛ばす