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フォーラム記事
桃ノ井モトキ
2020年8月13日
In デジモン創作サロン
←PREV NEXT→ 【Part 1/3】 * 【20XX.07.22 18:50(BST)】 「おめでとうトシ、歴史に残る大発明じゃないか!」 「ありがとう。でもね、この偉業は仲間達の協力無しには成し得なかった。勿論、君達パトロンの存在無しにもね」 「ハハハ、いいってことよ! ところで、お前さんのスピーチはもうすぐだったな? 格好良くキメてくれよ」 ――何が大発明だ。何が偉業だ。 スーツ姿で談笑する父親とその友人数名を尻目に、早勢健悟(はやせけんご)は木製のベンチに腰掛け、タブレット端末の画面を突いていた。 この日、健悟の機嫌はすこぶる悪かった。家で一日中数独(ナンバープレイス)を解いて過ごす予定を潰されたことも、やたら高級そうな式典用スーツを無理やり着せられたことも、人のごった返すパーティー会場に連れて来られたこともそうだが、何より自分が〈トシ〉こと早勢俊彦(-としひこ)の一人息子としてこの場に連れ込まれたことが健悟にとっては不服だった。 俊彦が一研究部門の主任として属する《SPICA(スピカ)》/先進通信技術開発者協会――シティ・オブ・ロンドンに位置するその本拠地の庭園で、件のパーティーは催された。俊彦率いる研究チームが4年の歳月を費やして開発した次世代型デジタル通信技術、その完成を祝ってSPICA主催の式典が開かれ、全てのスタッフとその親族、そして主だった出資者がこれに招かれたのである。 そう、親族。健悟がこの場所にいる唯一つの、健悟に言わせればこじつけにも等しい理由。 「――おい、健悟」 名前を呼ばれるタイミングは大方予想通り。手元の視界に落とされた影は、知人との談話を終えた俊彦のものだった。渋々仰ぎ見たその表情は、先程見た笑顔からは予想もつかない程に冷たい、それこそ家畜でも見るかのようなものだった。 そんな表情を肉親に向けられるとは――と、驚き呆れずにはいられない健悟であった。 「パーティー会場だぞ。そんな物弄ってないで、他の人達と話でもしてきたらどうだ? ほら、向こうのテーブルにハーバート・イーストン氏もいらしてるんだ。彼は量子力学の権威で――」 話の中身には微塵も興味が湧かないが、要するに「社交場に相応しい振る舞いをしろ」とこの男は諭したいのだろう。健悟は頭上の能面を睨みつけ、あらかじめ腹に溜めていた言葉を吐いた。 「行きたくもないパーティーに放り込まれたって時に、貴方は知り合いでもない人と楽しくおしゃべりができるのか? 僕にはとてもできそうにないんだけどね」 「……大人には必要な技能だ」 健悟が口答えをすると、俊彦は決まって健悟を遠回しに「子供」呼ばわりする。それ自体はいつものことで、健悟自身も慣れたつもりでいたが、今でもそれに対して言い返さずにはいられない「子供」な自分がいるという事実が一層健悟の機嫌を損ねた。 「『大人』? 作法の教示とでも言わんばかりに子供に嫌がらせをするのが大人の模範、って訳か。たまに父親らしいことをしたかったんだろうけど、ブランクが長過ぎたね」 「お前な……私は以前から仲間に『家族を紹介してくれ』と頼まれていただけだ。そうでもなければ、お前のような愚息を公衆の面前に出したりするものか」 「ああ、紹介できる身内が僕しかいないからか。惜しいことをしたね、こうなると知ってたら母さんが出て行くのを止めようとしただろうに」 母さん、という語を健悟が口にした途端、俊彦の表情が明らかに引き攣った。 健悟の記憶する限り、俊彦との口喧嘩はこれまでに十数回あり、その全てにおいて俊彦がお決まりの能面顏を崩したことは一度たりとも無かった。また、2人の口論で「家族」の話題が出たことも、9年前に家を出た母親の話を健悟が口にしたことも、やはり今日まで無かったのである。 健悟が5歳の頃、両親は別れてしまった。その理由は誰も――母親は勿論、今も目の前にいる父親でさえ――語ってはくれなかったが、幼少期の健悟は「父が仕事に明け暮れ家庭を顧みなかったせいだろう」と感じていた。だが、そんな幼い直感を暗に否定したのは、健悟の親権が俊彦に渡ったという事実だった。 恐らく初めて見るであろう俊彦の動揺した顔に、健悟はまず戸惑いを覚えた。こいつのような冷血漢でも動揺するのか、そもそも彼は何に動揺したのか、と。 「……くれぐれも、私に恥をかかせるような真似はするなよ」 数秒の沈黙を経て、俊彦が口を開いた。気が付くと俊彦の顔は元の仏頂面に戻っていたので、やはり先程の光景は見間違いだったのかと健悟は疑ったが、俊彦がさっさと踵を返して去ってしまったため、それ以上考えようとは思わなかった。 健悟は再び膝元に視線を落とし、タブレットに指を滑らせた。庭園隅のベンチで黙々と数独の続きを解いていても、早勢俊彦に「恥をかかせる」ことになるかはともかく、周りに迷惑をかけることは無いのだから。 ep.00 -無題のドキュメント- * 【20XX.07.22 19:04(BST)】 SPICAが開発した新技術というのは、超高速の有線ネットワークシステムと、それに対応した高性能サーバー設備のことである。量子力学の最新の研究により、小規模な設備で大容量の記憶領域と高精度のデータ通信を確保する新しい理論を確立したSPICAは、その理論を基に業務用ネットワークを構築するための量子コンピュータとモデム及び専用ケーブルを開発した。英国各地のIT企業に依頼し試験運用を行ったところ、ネットワークの通信効率が飛躍的に向上し、関係者からは極めて高い評価を得たという。移動通信システムがネットワークシステムの主流となっている今日、改めて有線通信の利点とポテンシャルを技術者達に再認識させるものとしても話題になっているのだとか。 現段階では業務用設備としてのリリースが予定されているのみだが、将来的には民間のプロバイダ向けに強化された製品を提供する他、数年後に試験運用を控える次世代移動通信システムの基幹ネットワークに応用することで、この技術をデジタル通信の新たなスタンダードとして世に広めていくという目標が打ち立てられている。 SPICAのオフィスを背に設営された組み立て式ステージで、早勢俊彦は以上のようなことをスピーチの序文として語った。健悟はそれを庭園のベンチから遠巻きに眺めていた。 家を出る直前、俊彦から例の「新技術」を紹介する関係者用のパンフレットを受け取った事を思い出し、健悟は斜めがけのショルダーバッグに手を突っ込んだ。上質なレザーで仕立てられた新品のそれもだが、今日の健悟が身に付けているものは全て俊彦が今日のために態々用意したものだった。 健悟は、鞄の中で折れ曲がっていたパンフレットの一つを取り出して広げた。その中には、先程俊彦が語った通りの概説の他、それに対応する新製品の詳細な仕組みと、「新技術」の要諦となった理論の大筋が記されていた。曰く、俊彦率いる研究チームが発見した、デジタルデータを保存・伝送する作用を持つ特殊なエネルギー体、これを専用の装置によって制御することでデータの記録媒体や伝送経路を構築する、というものらしい。システムの核となるものが金属や磁性体、光線等既知の媒体でないという点から、電子工学以外の学問の観点からも注目を集めている……らしいのだが、 「……エセ科学じゃないのか、これ」 健悟にはこの理屈が理解できなかった。否、そもそも大筋とはいえ「科学」の理論としての体を成していないようにすら思われた。データ通信の媒体として新たなエネルギーが用いられる、という話にはまだ納得がゆくが、それがデータの記録媒体にも転用できるというのだから驚く。 そもそもデジタルデータとは、本質的には形を持たない電気的な信号から成る「情報」であり、それを保存するためにはハードディスクやフラッシュメモリーといった「物質」の容れ物が必要となる。そして保存したデータを参照・転送するためには、容れ物に入ったデータを専用の装置によって電気信号に変換しなければならない。パンフレットで説明されている理屈が正しければ、例のエネルギー体は、使い方によってはこれらの常識を無視した情報通信をも可能にすることになる。 「――――人類の英知によって誕生し、さらなる英知を人類に共有せしめたネットワーク技術は、新たなステージへ進みつつある。我々の目標は、人間の思考活動をリアルタイムに共有可能なインフラ環境の実現だ。人の意識と情報の流れ、これらのギャップが限りなくゼロに近付くことで初めて、ITは人間に寄り添う技術となる。低速のネットワークに縛られたままの人間の交感を、停滞した人類の進化を、我々が解放してみせよう!」 健悟が首を傾げている間に、俊彦のスピーチは締めに入っていた。 「我々が解放してみせよう」とは、これまた大袈裟な表現を選んだものだと健悟は思った。大統領の演説もかくやという勝ち気の発言に、ステージを見上げる来賓達は一斉に拍手を送っている。 ……馬鹿馬鹿しい。 誇らしげな顔で壇上に立つ俊彦と、熱に浮かされたように騒ぎ立てる人々。その光景が、喧騒が、不快な刺激となって健悟の意識を掻き乱す。 彼の輩と同じ空気を吸っていること自体が嫌になったので、健悟はベンチから勢いよく立ち上がり早足でその場を離れた。手に持ったままのパンフレットはその場に投げ捨て――ようと思ったが、ストレスに埋もれかけた良識の一端が辛うじてそれを食い止めた。 SPICAの所有する正方形の広大な敷地――通称《SPICAスクエア》――、その南の一辺に位置するメインゲートを抜けると、そこは高層オフィスビルの建ち並ぶシティ・オブ・ロンドンの大通りに面している。時刻は午後5時過ぎ、人や車の通行量は実に都会的といえるものだったが、先のパーティー会場と比べればまだ大人しく見える。 これ以上市街地に留まる理由は無い。そう思い、健悟は向かって右手、自宅のある方へ歩き始めた。スクエアと自宅の間は直線距離で約7キロと、歩いて帰るにはやや遠いため、少し離れた場所で路線バスに乗る必要がある。会場から抜け出したことが俊彦にバレるのは時間の問題であり、会場に引き返そうが家に帰ろうが説教を食らうことに変わりは無いので、健悟は真っ直ぐ帰宅することを選んだ。俊彦からの連絡を「うっかり取りこぼす」ために、スマートフォンとタブレットのデータ通信をオフにすることも忘れない。 仕事帰りのサラリーマン達に紛れ込むように、健悟は夕方の街道をのんびりと歩く。その道すがら、健悟は自分の母親に関する記憶をそれとなく辿っていた。 * 【20XX.07.22 19:10(BST)】 物心ついた時からイギリスで暮らし、現在は日本人学校の中学2年生として生活している健悟だが、生まれは日本である。日本の大手IT企業に勤めていた俊彦がSPICAの創設メンバーとして招聘されたことを機に、早勢夫妻は1歳の健悟を連れてイギリスへ移住し、ロンドンの南部サザークに一軒家を建てた。 母――早勢瑠夏(-るか)という人物にまつわる記憶は、健悟の中には断片的かつ朧げにしか残っていない。健悟に向ける笑顔がいつも優しかったこと。健悟の顔が自分によく似ている、と何度か言っていたこと。風景画を描くことが好きで、それを真似て健悟が描いた絵を褒めてくれたこと。今では母の顔や声、描いていた絵の中身さえもはっきりとは思い出せないが、母と過ごした5年間が健悟にとって暖かく幸せなものであったことは確かだった。 だからこそ、健悟には分からなかった。瑠夏は何故健悟達の元を去ったのか。俊彦と瑠夏の間に何が起きて今に至るのか。何故健悟は、俊彦の元に取り残されたのか。 一つだけ確かなのは、健悟の笑顔があの日を境に失われた、ということのみである。 不意に、健悟を運んでいた人の流れが止まった。回顧に夢中になっている間に、1つ目の交差点に突き当たっていたらしい。横断歩道の向こうには路線バスの停留所を示す看板が見えたので、健悟は信号が青になるのを待つことにした。 無意識の内に、健悟は母親に紐付く情報を記憶の底で漁っていた。最も気掛かりだったのは、瑠夏が家を出て行ったことを知らされた時のこと。よく考えてみると、健悟自身は瑠夏が早勢家を去る瞬間を直接見たと断言できない。俊彦がいつも通り仕事へ、そして瑠夏が「ちょっと買い物」と言って外へ出た9年前のある日、両親は家に帰って来なかった。そしてその翌朝、俊彦は独りで帰宅し、出迎えた健悟に向かって――普段より厳しめの仏頂面で――、開口一番に言い放ったのである。 ――瑠夏は……母さんは家を出て行った。これからは、私とお前の2人で暮らしていくことになる。 幼い健悟は何も言えなかった。言いたいことは山程あったが、何を言ったところで瑠夏が戻って来ることは無いのだと子供ながらに勘付いていたのだ。 それからのことについては、酷く記憶が曖昧だった。母親がいなくなった、という事実を受け入れられず、気が動転していたためだろうと健悟は内省する。健悟の憶えている限りでは、件の出来事から数日後、新築の一軒家を手放し、マンションの一室に引っ越して――。 そこまで思い出した瞬間、健悟の胸の内に妙な違和感が湧き起こった。何か、不自然だ。この記憶には、理に適わない事実が、筋の通らない言葉が含まれている。 例の思い出の舞台――幼い健悟と両親が暮らした、2階建ての一軒家。健悟が日本人学校に入学する都合で、俊彦は自身と健悟の荷物及び家族共用の家財道具を全て家から運び出し、住まいをロンドン西部パディントンの高層マンションに移した。この家は別の人に譲る、と、家の処分について問うた健悟に俊彦は答えていたが、転居に際して俊彦は瑠夏の部屋と私物に指一本触れていなかったのである。 俊彦の言うように、家屋と共に家財道具を譲渡する行為はさほど珍しくない。しかし、一般的に譲渡の対象となるのはタンスや寝具等の大型家具である。そのため、家に放置された瑠夏の化粧品や書籍類、置物等が譲渡されるとは考えられない。それ以前に、瑠夏が買い物のための手荷物として持ち出したのは財布やトートバッグ程度のもので、それ以外にこれといった貴重品を持ち出した様子は無かった。つまりあの家には、普通なら家出に必要となるであろう物品までも置き去りにされていたことになる。 何故今まで気が付かなかったのか。健悟は己の思慮の浅さを呪うと共に、その事実が意味するところについて思考を巡らせた。俊彦の不自然な言い訳と、瑠夏が残した多過ぎる品々。これらを総合して考えると、家を売却するという説明は嘘で、瑠夏は少なくとも真っ当な家出などしておらず、サザークの旧宅や瑠夏の私物が何らかの形で残っていることもあり得る。瑠夏が家を出たその日、瑠夏当人だけでなく俊彦さえも帰宅せず、翌朝に俊彦が如何なる経緯によってか「瑠夏が家出をした」という情報を持って帰って来た点も事の不審さに拍車をかける。 2人の間に何が――瑠夏の身に何があった? 健悟の胸中で、違和感はみるみる内に疑念に変わって行く。健悟はいつしか、その疑念を解消する段取りを脳内で組み立て始めていた。まずはサザークにあったかつての家の現状を確かめ、その後で俊彦に過去の真相を問い質す。SPICAスクエアから旧宅まではロンドン橋を経由して比較的容易に移動できるが、日没の近いこの時間から遠出をするのは得策ではないので、ひとまずマンションに戻って行動計画を立てるべきだろう。 その意思が固まるのとほぼ同時に、横断歩道の信号が青く灯った。健悟はバスの停留所へ向かって早足で歩き始めた。 それにしても、と、フルスピードで回り続けていた思考にブレーキをかけるように健悟は独りごちた。失踪した人物の行方を探す時、対象の人相が分かる写真や似顔絵が必要となるが、今の健悟はそのいずれも用意できそうにないのが現状だ。瑠夏の写真なら俊彦が持っていてもおかしくはないが、あの男には期待できないし、したくもない。他に残された手立てといえば、朧げな記憶を頼りに人相覚を拵えるか、「これによく似た顔」と言って健悟自身の顔を見せて回る位のものである。勿論、これを含めたあらゆる問題を解決するために、今まさに旧宅へ向かう計画を立てている訳だが。 すぐに見つかる筈はない。そうと知っていても、健悟は己の周りに視線を巡らせずにはいられなかった。左右ですれ違う人、前後に並んで進む人の中にもそれらしい顔は見当たらない。それ以前に健悟は瑠夏の顔をよく覚えていないのだが、例え記憶が褪せていたとしても一目見ればすぐに気付ける、という自信はあった。横断歩道の半ばに差し掛かる頃、健悟は左を振り向き、車道の向こう側の歩道を行き交う人々を見やる。 「……あれ?」 見やる、だけのつもりだった。 あんなものが見えなければ、ただの一暼で済んだのだが。 ゆったりと一本に束ねた栗色の長髪。白いセーターにカーキのデニムズボン。そして、ポケットのひとつに草花の刺繍があしらわれた淡いピンクのエプロン。その女性の姿は、絶えず流れる人の波にも、夕日が落とすビルの影にも埋もれることなく健悟の目に焼き付いた。 そんな、まさか。健悟の狼狽は、声にならない声として口から漏れる。彼の目に留まった人物の姿は、記憶の澱に沈んでいたいくつもの記憶を一瞬の内に呼び覚ました。 あの姿はまるで、健悟が最後に目にした母親――あの日、幼い健悟が玄関先で見送った早勢瑠夏の姿そのもの。 「母さん!」 弾かれるように駆け出す健悟。呼びかける言葉は当然、親子の母国語である日本語だ。もしこの声に反応してくれたならば、彼女は間違いなく自分の母親である、という確信が健悟にはあった。 走りながら再び呼びかけようとした時、左、次いで右からのけたたましいクラクションが健悟の両耳をつんざいた。気が付くと健悟は、交差点の真ん中に飛び出していたのだ。通行を妨げられた車の運転手達が窓を開けて怒号を浴びせて来るが、今は関係無い。 通行人の訝るような視線を一身に受けながら、健悟は走って車道を渡り終え、見失いかけた瑠夏を目で追った。再び捉えた瑠夏は、先程で健悟が進んでいたのとは逆方向、つまりSPICAスクエアの方へ向かって静かに歩いていた。 「待ってよ母さん、僕だよ! 早勢健悟! あなたの息子だ!」 息が弾むのを必死に抑えながら、健悟は声を絞り出し、瑠夏の背中を追いかけた。しかし、その懐かしい後ろ姿は近付かないばかりか遠ざかっているようにすら感じられる。 健悟は、自分が追っている目の前の母親が幻なのではないかと疑った。が、それでも構わないという想いが脚を動かし続けた。思い出の中ですら会えなくなるのではとさえ思われた大切な家族に、もう一度会えるのならば――。 やがて息が切れ、脚の節々が悲鳴を上げ始めた頃、健悟はいつの間にかSPICAスクエアの前に戻って来ていた。健悟が立ち止まると、瑠夏もその脚を止め、ゆっくりと振り向いた。健悟に向けられたその顔は、確かに健悟と似ていて、記憶通りの優しい微笑みを浮かべていた。 「本当に……本当に母さんなんだね。まだイギリスにいたなんて……もしかして、僕達に会いに来てくれたの? また一緒に暮らせる、とか……?」 口からこぼれてくる言葉は、どれも「本物の」母親に向けたものだった。目の前に確かにいる瑠夏を、会いたいと願って止まなかった実の母を、最初から夢幻の類と決め付けたくはなかったからだ。 人通りの途絶えた夕暮れの街道で、瑠夏は何も言わず、どこか苦しげな、困ったような笑顔を作った。そして、おもむろに右腕を横に伸ばし、ある一方向を指差した。 瑠夏の細い指先が示すのは――車道の向こう、SPICAスクエア。 「……うん、あそこに父さ……あの人もいるよ。あの人、仕事仲間に家族を紹介したいんだって。行ってあげたら、きっと喜ぶよ」 そう語りかける健悟に対し、瑠夏は力無く頭(かぶり)を振り、ほんの一瞬――この日対面してから初めて――口を開きかけた。 「ど、どうしたの……? 何か困っていることが」 あるなら何でも言って。そう続けようとした健悟の言葉を、突然の爆発音が掻き消した。続け様に地面から縦揺れの衝撃が走り、健悟はその場に尻餅をついた。 あまりに唐突な出来事に、健悟は目を白黒させた。揺れがすぐに収まったことから、地震ではなく爆発事故の類と思われた。爆発音の源はどこだったか、と健悟が辺りを見回すと、あろうことかSPICAの社屋から火と煙が上っていた。 何があったかは分からないが、これが異常事態であることに違いは無い。健悟は瑠夏を安全な場所に避難させようと彼女に向き直り、 「……えっ!?」 再び動揺した。瑠夏の姿が見えなくなっていたのである。前後左右を振り向いても、街灯の陰を覗き込んでも、両目を擦っても、彼女はどこにもいない。 瑠夏を探すべきか。否、やはりあの瑠夏はただの幻だったのかも知れない……健悟の頭の中に、まとまりの無い思考があれこれ去来する。 しばしの葛藤を経て、健悟の頭はいくらか冷えたようだった。足を向ける先はSPICAスクエア。母親の行方も気になるが、彼女が指し示した場所で何かが起こり、「私は行けない」と言わんばかりに首を振られたとあれば、自分だけでもそこに行くべきなのだろう。健悟はそう感じ、まだ疲れの残る足で踏み出した。 * 【20XX.07.22 19:14(BST)】 早勢俊彦がスピーチを終えて10分と経たない内に、突如としてその爆発は起こった。 凄まじい衝撃が地面を揺さぶり、パーティー会場の電気設備が全て停止した。俄かにどよめき出す来賓達に、SPICAのスタッフと警備員達は肉声で呼びかける。 「皆さん、落ち着いて建物から離れてください! 只今職員が状況を調査しています!」 ステージの裏にいた俊彦は、左耳に装着した小型インカムで部下に状況を尋ねようとした。が、誰とも通信が繋がる気配は無く、代わりに顔馴染みの部下が彼の元へ駆け寄って来た。 「何が起きてる?」 「まだ大した情報は入ってませんがね。今分かっているのは3点……爆発が起こったのは中央管理棟(コントロールセンター)上階であること。スクエアを中心としたかなりの広範囲で電波障害が起きていること。そして、UK各地でネットワークが輻輳状態にあること」 その話を聞き、俊彦はすぐに思い当たった。俊彦のチームが開発した例の「新技術」、その研究過程で得られた未公表のデータに現在のような事象が含まれていたのだ。 「実体化現象(リアライゼーション)、か」 「間違いありません」 そんな馬鹿な。そう口走りたい気持ちを抑え、俊彦は部下にメモを1枚手渡した。今日の式典で何らかのトラブルが起きた時に備え、前日にしたためてポケットに入れておいたものだ。 「ここに書いてある要人36名を、会場四隅のテントからシェルターへご案内しろ。対象者全員の収容が確認でき次第、対処を始める」 頷き、部下は庭園に向かって走り出した。俊彦はすれ違う職員数名を手招きし、SPICAの部署の一つ、理論や技術の実証実験を担う《研究棟(ラボラトリー)》、その自動ドアをくぐった。研究棟の自家発電設備が生きていることが確認でき、図らずも健悟は多少の安心感を覚えていた。 SPICAの新製品に組み込まれている新エネルギー、正式名称《デジタルウェイブ》。これが発見された経緯は、実のところ詳細には公表されていなかった。 事の発端はおよそ10年前。コンピュータやスマートフォン等によって形成されるインターネット上で、正体不明のコンピュータウィルスが急激に増殖し始めたことがきっかけである。インターネット上を徘徊し、あらゆるOSやデバイスでデータの書き換えやシステムの破壊等を行うそれらは、最初は複数人のプログラマが個々に制作したマルウェアと考えられていた。しかし研究が進むにつれ、それらがある共通の構造と能力を備えた同種のプログラムであることが判明した。 「実験機材のシステムログが出ました。デジモン・プログラム検体03の観察用デバイスからローカルネットへのアクセス……内側から、セキュリティを無力化されてます!」 SPICA研究棟地下2階、俊彦率いる研究チーム専用のコンピュータで、研究棟職員達が慌ただしくキーボードを叩いていた。 「検体03……実験用ネットワークで飼育していた個体か。あれには専用のセキュリティが施されていた筈だが」 「それが、前回の実験で投与したデータの影響で、レベルⅢからレベルⅣに進化したらしいんです! 属性も変化しているので、セキュリティが上手く働かなくなったのではないかと……」 俊彦の問いに対する職員の答えは、俊彦にとって予想外の内容だった。続けて、別の職員が俊彦に向かって叫ぶ。 「ローカルネットで、検体03とは別の異常パケット群のループが記録されています! データ総量から見て、こちらもレベルⅣ相当です!」 「まさか、2体同時にリアライズしたというのか……!」 正体不明のコンピュータウィルス群は、《デジタルモンスター》と名付けられた。《デジモン》ないし《デジモン・プログラム》とも呼ばれるそれらは、通常のマルウェアには滅多に見受けられない特徴を持っていた。 1つ目は、学習能力を備えた「自律型人工知能」。彼らが従来のコンピュータウィルスと決定的に異なる点は、感染先での行動を一定のルーチンに依らず個々またはその時々の判断で決定する点である。 2つ目は、感染先のコンピュータ上であらゆるデータを取り込み、自身の機能を拡張し変化させる、「進化」とでも呼ぶべき能力。デジモン・プログラムの間には、データ量やハッキング能力の高さによって等級を付けることができ、現在までに6段階の等級付けがなされている。等級の低いデジモンは、コンピュータ上のデータを「喰う」ことで自身のデータ量を増大させ、より高い等級のプログラムに変異することができるのだ。同じコーディングを有する同格のデジモンでも、吸収するデータの種類によっては全く異なる性質に変化することから、個体レベルの変質ではあるものの、そのパターンの分岐と多様性になぞらえて「進化(evolution)」という語を当てるに至った。 そして3つ目は、様々な機械・OSに感染できる「適応能力」。本来、コンピュータウィルスとはプログラムの一種であり、プログラムであるが故に動作できる環境――端末やOSの形式、特定のアプリケーションの有無など――がそれぞれ異なるというのが常識である。ところがデジモン・プログラムは、インターネットを介して別のデバイスへ移動する際、それまで留まっていた環境と全く異なるデバイスに感染することがあり、しかもその機能と学習データを維持したまま活動を再開できてしまうのだ。 このように多くの謎を秘めた《デジタルモンスター》は、SPICAの挑む大きな課題の一つとなった。その研究の過程で判明した驚くべき事実が、SPICAの新たな功績と、今現在起きている非常事態に直結しているのであった。 「監視カメラ復旧しました! 中央管理棟屋上の映像、出ます!」 一人の職員の声に弾かれるように、その場の全員が部屋の壁に埋め込まれた大型モニターに目を向けた。SPICAの施設の中で全高が最も高く、業務用サーバーシステムの大部分が集約されている円筒状の建物《SPICA中央管理棟》の屋上がそこに映し出された途端、室内はぴしりと静まり返った。 屋根と壁が崩れ落ちた最上階で、2つの巨大な影が動いている。片や、土の雪達磨に手足が生えたような物体。片や、1本角を戴くシマウマ様の生物。 彼らは動物ではない。また、被造物でもない。彼らこそ、俊彦達がその行方を追っていた者達――。 「……現れたか、電脳の怪物(デジタルモンスター)共……!」 デジモンの「驚くべき事実」のひとつ……それは、彼らがネットワークから現実世界に向けて電気的に干渉し、質量のある肉体を得て実体化する力がある、ということである。 《デジタルモンスター》という名は、元々ハッカー達の間で使われていたものだった。その由来には諸説あるが、俊彦が支持しているのは、そのプログラム群がネットの世界において直接的かつ強力な「攻撃」の力を有するため、とする説である。しかし、最初にプログラムとしてのデジモンを発見したハッカー達も、彼らが現実世界に「怪物」の如く出現するなどとは夢にも思わなかったろう。 「モンスター2体の駆除が最優先だ。ディスリアライゼーションの実行準備を」 「待ってください! あのシステムが人体に与える悪影響については主任もご存知でしょう!? 緊急事態とはいえ、あれを屋外で使うなんてどうかしてます!」 「だからこそ、要人の保護については手回し済みだ。標的が敷地(スクエア)を出てしまえば、被害は一層大きくなる……家族や友人を避難させるなら今の内だぞ」 部下とのやり取りを簡便に済ませ、俊彦はコンピュータルームを出ようとドアノブに手を掛けた。 「主任、どちらへ!?」 「……保護対象に入っていなかった、飛び入りの要人がいたんだ。彼を連れて来たら、すぐに作戦を開始する」
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桃ノ井モトキ
2020年6月20日
In デジモン創作サロン
ep.00 -無題のドキュメント- NEW! ep.01「少年は夢と共に」 ep.02「君の役割」 ep.03「本能の発露」 ep.04「ZERO-FIELDS」 NEW! ep.05「共鳴、心の隙間に」Coming soon... ep.06「天頂の蒼」 ep.07「*NO DATA*」 ep.08「Burst Your Light」 ep.09「非合理の価値」 ep.10「*NO DATA*」 ep.11「内なる怪物」 ep.12「REal-eyes」-INDEX- ep.12-A「Daybreak for You」 ep.12-B「Reflect Me」 ep.12-C「Piece of FATE」 ep.12「REal-eyes」-POSTSCRIPT- ep.13「回帰と新天地」 ep.14「覚醒する正義」 ep.15「From Outside」 ep.16「絶対の輝き」 ep.17「檻を叩く者」 ep.18「*NO DATA*」 ep.19「*NO DATA*」 ep.20「*NO DATA*」 ep.21「*NO DATA*」 ep.22「*NO DATA*」 ep.23(FINAL)「*NO DATA*」 【イントロダクション】 冒険に憧れる中学1年生〈坂本翼(さかもと-たすく)〉は、夏休みを前日に控えた7月の放課後、傷付き倒れた小さな竜〈ベビドモン〉を拾う。何故か人間の言葉を話すベビドモンは、己が《デジタルモンスター》=「デジモン」と呼ばれる生物であること、そして己が他のデジモンに命を狙われていること以外の記憶を失っていた。 翼の困惑を他所に、ベビドモンは本能に従って己を狙う敵の元へ飛び去ってしまう。後を追った翼が辿り着いたのは中学校のグラウンドで、そこにはベビドモンを追って来た狼様のデジモン〈サングルゥモン〉の姿があった。2体のデジモンはたちまち争い始めるが、ベビドモンは力量差で圧倒され倒れてしまう。瀕死の重傷を負いながら、それでも尚「命の恩人である翼の日常を守るため」と言って戦い続けようとするベビドモン。その姿を見て翼は―――― 5人の少年少女と5体のパートナーデジモンによる、異世界《デジタルワールド》の冒険記。 誰もが現実を越えた光景に戸惑いながら、しかし現実に抗う力を求め進んで行く。全ては、銘々の抱える想いのために。 「今動けるのはオレしかいない、 ドラコモンの相棒はオレしかいない!」 「守った『つもり』じゃ意味ねーんだよ。 ダチの敵は、全部この手でぶっ潰す」 「だから――今は何も! お兄ちゃんに、近付くなッ!!」 「あなた、『夢』に 夢見過ぎなんじゃないの?」 「人間もデジモンと同じ、 共食いの怪物って訳か……」 「俺達はただ見極めるだけさ。 未来を選ぶに相応しい存在をな」 「ゼロ・フィールズはアタシの居場所、 アタシの大事な家族なんだ」 「……『運命』は、この世界においては 関数の一つに過ぎない」 それは、動き始めた少年達の夢。 或いは、覆り始めた現実の一端。 旅路の涯に、彼らは人間とデジモンを繋ぐ運命の意味を知る。
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桃ノ井モトキ
2020年5月10日
In デジモン創作サロン
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今日まで他人の機微など気にせず生きてきた少年――坂本翼(さかもとたすく)の眼にも、パートナーデジモン達の顔から漂う申し訳無さげな感情はありありと見て取れた。 こればかりは仕方が無い、と翼は思った。先の戦いで判明した《進化補助プログラム》のギミックとは、要するに「テイマーの生命エネルギーをデジモンに分け与えることで進化体の定着を補助する」というものなのだが、パートナー達はプログラムの補助なしではその身体を数秒も維持できない――言い換えれば、パートナー達が進化し戦い続ける限りテイマーの生命力が消費され続けるのである。テイマーを守るための力と引き換えにテイマーの命そのものが危険に晒される事実は、無論翼らを困らせはするが、それ以上にパートナー達にとって不本意極まりない筈であった。 せめて、ドラコモン達を元気付ける方法でもあればいいのだが。 今はどんな言葉を並べても、全部上辺だけになってしまうような気がした。 ep.04「ZERO-FIELDS」 * ひなたがある程度まで復調し、問題なく対話を行えるのが確認されると、健悟はすぐに次の行動を提案した。その内容は、山賊の頭に脅しをかけた魔王派集団の滞在地点を把握し、それを無視して先へ進むというものだった。テイマー、デジモン共々ガードロモン達との戦闘で体力を消耗した今の状態では、戦闘は言わずもがな、本来なら移動の敢行すら適切とはいえない。とはいえ、遮るものの少ない荒野でいつまでも養生している訳には行かない上、タイムリミットも不明な《魔王》リヴァイアモンの覚醒を悠長に待つ余裕もやはり翼らには無い。そのため、体力を温存しつつ着実に目的地へ近付く策として、少なくとも今日1日敵勢力との接触を避けつつ北へ向かう計画が立案されたのだ。 この提案が可決される頃には、翼や誠、レミ、健悟の「消耗」――即ち生命エネルギー供給による疲労と体調不良――は殆ど回復していたが、ひなたの消耗はそれらに輪をかけて重篤で、意識が戻ってもまともに歩けない有様であった。そのため道中は誠がひなたを背負い、他の面々は誠のペースに合わせて歩みを進めた。その道中、子供達もデジモン達もまともに口を開かなかったことは言うまでも無い。 「……どうなってるんだ……?」 ただ1人、LEAFのボタンを忙しなく操作しながら歩く健悟だけは、微妙に事情が異なるようであったが。 「健悟、歩きLEAFは危ないよ」 「歩きスマホみたいな言い方だね……翼君、君のLEAFを貸してくれる?」 頼まれるままLEAFを手渡すと、健悟はそのボタンを数回押し、すぐにそれを突き返した。一体何の用事で、と問う間も無く、健悟は鞄からタブレットを取り出してこれまた忙しなく操作し始めた。 「ありがとう。これで君のLEAFのログを受信できる筈……ん、できた。こっちもあんまり変わらないな」 「もしかして……LEAFの機能の検証、ってやつ?」 「そう、それも急ぎの。他の皆も、よければLEAFを貸して欲しいんだけど」 そう言って仲間達から代わる代わるLEAFを受け取りつつ、健悟は「重要な話がある」と前置きして3つの事柄を説明した。 1つ、「デジモンの進化には6つの段階がある」こと。デジモンはタマゴから小さく非力な姿で生まれ、《進化》を重ねることで成長する。生まれた直後を第一~第二段階「幼年期Ⅰ~Ⅱ」として、今のパートナー達やゴブリモン達は第三段階「成長期」、オーガモンやガードロモンは第四段階「成熟期」、そして大陸北端で翼らを待ち受ける《魔王》リヴァイアモンは最大レベルまで進化していると見られる。《魔王》を討つためには、5体のパートナー全員が進化を極め、最高位の力を手に入れるのが最低条件なのだという。 2つ、「デジモンの進化とは本来恒久的な変化である」こと。デジモンは食事やバトルを通して自身のデータ量を増大させ、そのデータをリソースとして自らを強化・拡張=《進化》していく。通常、一度進化をすれば前の段階に退行=《退化》することは無いが、進化直後で身体機能が不安定な場合や、致命傷レベルの深刻なダメージを受けた場合などに限り、デジモンの体は自己防衛のために退化を起こすことがあるらしい。ベアモンが口述した「妙なウィルス」は、正にこの現象を引き起こすものなのだ。 そして3つ、「現時点で、進化補助プログラムを安全に運用するのは難しい」こと。パートナー達はテイマーから絶えず生命エネルギーを供給されなければ進化体を維持できない。そのため長時間、或いは高負荷の戦闘を行えばテイマーの生命にも危険が及ぶが、LEAFの設定画面から時間当たりのエネルギー供給量を調整することは可能であり、健悟はこの方法でエネルギー供給量を既定値の7割に減らすよう子供達に指示した。これによりテイマー側の負担は多少軽減されるが、必然的にパートナー達のコンディションが低下するリスクがあった。 という具合に、判明した情報は決して少なくはなかったが、それらはいずれも子供達の抱える様々な課題を浮き彫りにするだけのものだった。その課題の解決策を見出すためにも、子供達は丁度今そうしている様に、ただひたすらDWを彷徨い続けるしか無いのが現状だった。 「で、結局健悟は何を気にしてたの?」 つい先刻、健悟が何かを訝しむように呟いたのを翼は忘れていない。健悟は思い出したようにタブレットをつつきながらそれに応じる。 「《進化補助プログラム》のログを見てたんだ。自分のデータだけだと、エネルギー消費量に時間の影響や個人差があるのか分からなくて……」 「あ、だからオレ達のLEAFを」 「そう。特にひなた君の消耗の度合いが気になってたから、この際全員分を比較しようと思ったんだ。そしたら……」 百聞は一見に如かず、とでも言いたげに、健悟は翼にタブレットを手渡した。画面には5つの折れ線グラフが並び、それぞれの横軸下に翼らテイマーの名前が英字で記されている。 「これがひなた君のグラフ。戦闘中、ずっと上限一杯のエネルギーを消費してる。これじゃ倒れてもおかしくない……僕や星上君はその半分以下で済んでるけど、体調には多少影響が出ていたね。そして翼君とレミ君は、戦闘中盤で一時的に消費量が増した程度で、平均値はかなり低かったんだ」 「え、私?」 その指摘を受け、翼とレミは画面上のグラフを注視した。確かに、原点から急角度の上昇を見せたグラフは、ある時点から大きな増減もせず一定の値を保ち、グラフ右端――これが戦闘終了時点か――で再びゼロに戻っている。レミのグラフも殆ど同一の形状に見える。 「それってアレだろ? デジモンがめっちゃ頑張ったり、強い技を出したりすると、オレらにも負担がかかる、みたいな?」 いつの間にか、誠も翼の手元を覗き込んでいた。近付いた彼の顔には汗が滲み、よく聞くと息が僅かに弾んでいる。妹をおぶっての長時間のトレッキングは、運動部員にとっても決して楽ではないようだった。 「確かに攻撃のタイミングで増減が見られるけど、ノイズ程度の差だね」 「じゃあパートナー達の燃費が悪いんだな!」 「燃費って、車じゃないんだから……まあ、個体差って意味なら分かるけど。ただ、これは僕らが思ってるほど単純な問題ではない気もする……」 健悟は言葉尻を濁すと、翼の手からタブレットを取り上げひとりの作業に戻ってしまった。 彼の言わんとすることは、翼にも何となく察しがつく。ただパートナー達のエネルギータンクになるだけなら、オファニモンが翼らに「テイマーとデジモンの強い絆」などを求める道理は無い。今の子供達とデジモン達の関係は、どこかぎくしゃくした、あるべき形に収まらない不完全さを持っているように、翼には思えてならなかった。 「ごめん、なさい……ワタシが、ちゃんとしてなかったから……」 「いーんだよ謝んなくて! おい健悟、お前がじめじめした話するせいでひなたがヘコんでるじゃねえか!」 「……僕は必要な情報を共有しただけ。日本語が分からないなら妹さんに教わるといいよ」 「ぁあ!? 誰が日本語分かんねえっつったよ!? 会った時から思ってたけどな、その人をバカにしたみてーな態度がクソムカつくんだよ!!」 ――人間がこんな調子だから、なのか。翼は自分のこめかみがギシギシと痛み出すのを感じた。 「誠。健悟は大事な説明してくれてんだから、じめじめとか言わないの。それと健悟、ごめんね……こいつの性格は多分どうにもならない……」 「おい翼、今オレ本気でしょげたんだけど……」 「お兄ちゃん、元気出して……後でいっしょに、敬語のお勉強しようね」 「私も手伝ったげる! 語彙には自信あるから」 「いらねえよそんな気遣い……」 こうして中身の無い会話をする内に、誠達の諍い(正確には誠が一方的に癇癪を起こしただけ)はどうにか収まった。若者のコミュニティに見られるこの柔軟性は、出会って間も無い子供達の互助には役立つらしかった。 ただ、子供とデジモンの間ではどうだろうか――当て所無く視線を漂わせるドラコモン達を、翼は横目で一瞥した。《進化補助プログラム》を巡るこの一件で、パートナー達が負い目を感じる必要は無い。そう何度も言い聞かせてはいるものの、彼らの表情が晴れる兆しは見えない。伝えるべきことは伝えた、後は時間に解決を委ねるしかない。そういうことだろうか。 「……タスク。あれ、何だと思う?」 正味1時間ぶりに、ドラコモンが声を発した。「あれ」と言って彼が視線を注ぐのは、翼らの針路を左前方に逸れた場所、地面に半ば埋もれたマンホール様の物体である。ただRWのマンホールと異なるのは、遠目に見ても径がやけに大きい点、そして真ん中にハンドルが付いている点である。 「何かの入り口、かな? 地下に繋がってるのかも」 「やっぱそー見えるか。あれが魔王派の連中の拠点ってヤツかも知れねーぞ」 その「入り口」は、距離・方角共に盗賊のゴブリモンから聞き出した情報と概ね一致する。ここ2日間に渡って翼らを苦しめた元凶があそこにいるのだと思うと、誠に倣って自らの拳で礼をしたい衝動に駆られた。 「皆分かってるとは思うけど、今は寄り道をしている余裕は無いよ。敵に気付かれない内にここを離脱する、それだけを考えて」 思考を読まれたのか、健悟に釘を刺されてしまった。先刻の会議で決定した事柄に今更異議を唱えるつもりは無いが、一抹のもどかしさは拭えない。魔王討伐を成した暁にはお礼参りにここを訪れようと、翼はマンホール周りの景観を目に焼き付けた。 水気を失いひび割れた大地の真ん中にマンホールが1つ、というだけでも十分特徴的なロケーションだが、よく見るとそれを遠巻きに囲むように4つの赤黒い突起物が地面からひょっこりと頭を出している。その色味と形状はさながら鉄骨を思わせるが、どれも建物の骨組みとするにはあまりに短く、飛び出た頭は全て同じ方向・高さに切断、というよりせん断されたような形をしている。そしてその一帯には、何かを粉々に砕いたような細かい瓦礫がまばらに散っていた。 「あの場所、もしかして最近まで建物があった、とか……?」 ここまでの所見を総括すると、そう結論付けるのが自然であるように翼には思えた。しかしそうなると、何故入口が無防備なまま晒されているのか、修復する者はいなかったのか等々、不自然な点がいくつも浮かび上がる。 流石に気になるでしょ、と子供達の顔を見ると、皆一様に立ち止まり、「これ以上の詮索はするな」と言いたげな冷たい眼差しを返した。パートナー達も概ね同じ反応だったが、ヒョコモンだけはマンホールを見つめて何か考え込んでいる風情である。 「ケンゴ殿。ヒョっとするとあの拠点、今はもぬけの殻やも知れませぬ。情報収集にもってこいではゴザらぬか?」 「……まさか立ち寄ろうとか言うんじゃないだろうね……?」 「さよう。尤も、かような謎は解くに値しないと仰るならば、これ以上申すことはゴザらぬが……」 健悟の冷静な面構えが一瞬揺らいだ。謎を謎のまま放置できない性格が、過去の自分の決定を翻さんとしているらしい。 「ルナモン。君の聴覚で地中の音は聞き取れる?」 「えっ、はい……風が通り抜ける音と、誰かの話し声が少々……ここから聞こえるのはそれぐらいです」 「ありがとう。……ちょっとだけあの近辺を調べて来る。皆は先に行ってて」 健悟の探究心が警戒心に勝った。 「なあちょっと待って? 健悟、キミさっき寄り道をしてる余裕は無いって言ったよね? オレには釘刺しておいて自分は調べに行くんだ? どんな合理的判断が働いたのかな? そこんとこ謎過ぎて気になっちゃうなあ?」 「いや、申し訳無い……有益な情報をなるべく多く集めたいんだ。まずは侵入できるかどうか様子を見て、少しでも不安を感じたらすぐ引き返す。仮にこれが罠でも、君達が距離をとっていれば全滅は防げると思うよ」 「そういう問題じゃないんだけど……」 翼はあまり納得していないが、健悟の眼に宿る熱があまりに強かったため、「気を付けて」の一言を以って送り出す他無かった。 ヒョコモンを連れて駆け足でマンホールへ向かう健悟を横目に、子供達は予定通りの針路へ再び歩き出した。先程に比べて移動速度が落ちているのは、誰もが健悟達の様子を気にしているからに相違無かった。 早くもマンホールへ到着した健悟達は、背中合わせで周辺を見回した後、建物の痕跡と思しき鉄骨付近を物色していた。特に目立った何かが見つかる様子も無く、そのままマンホール内へ侵入する――かと思いきや、健悟は突然その場に屈み込んだ。地面に散乱する瓦礫が気になったらしい。健悟は掌よりやや大きめの建材の欠片を1つ拾い、数秒じっと見つめると、それを持ったまま翼らの方に駆け戻ってきた。 「あーれれ、どしたの健悟? もしかして寂しくなっちゃった?」 息を切らして翼らに追い付いた健悟は、仲間達全員と目を合わせ――しかし軽口を叩く誠からは器用に視線を逸らしつつ――、極めてシリアスな声音でこう言った。 「全員で、あの場所を調べよう。あそこには…………多分、僕達以外の人間がいる」 翼は耳を疑った。きっと己の目も、遅れてやって来たヒョコモンや、足を止めた他の仲間達と同じく丸くなっているだろうと思った。 「人間って……どうしてそう思ったの?」 翼が疑問をそのまま口にすると、健悟は先程拾っていた瓦礫の一片を翼らに見せた。漆喰めいた白い破片の表面に、黒い手書きの文字で“WELCOME!”と記されている。線の形状から察するにマーカーペンの筆跡である。 「デジモンの世界には独自の文字言語があって、僕達人間の文字は殆ど使われていない。意味の通る英語を書けるのは、人間か、或いは人間の文明に詳しい誰かだ。加えて、壊れた建物の残骸にこんな文言を書き残したってことは、『人語が読める存在』を、あの場所に誘導する意図があるってことだ」 人語が読める存在、の部分を、健悟は心持ちゆっくりと強調して発音してみせた。そんな者は翼ら人間以外にいないと、健悟自身が説明したばかりである。 例の欠片を鞄にしまう健悟に、レミが「一応聞いておくけど」と前置きして問いかけた。 「これ、どう考えても罠じゃない?」 「そう考えていいだろうね。ただ、もしあそこにいるのが人間だとしたら、接触すること自体に意味がある。DWの現状に関わる、ひょっとしたらオファニモンすら知り得ない重要な情報を掴める筈だ」 「だから皆でガード固めて侵入しよう、って訳ね」 頷く健悟を見て、レミは一応納得の表情を示した。 翼が思うに、健悟の言い分は正しい。翼らとは異なるアプローチでDWに来た人間とは、言い換えればオファニモンの関知していない未知の存在ということだ。それが敵であれ味方であれ、世界の情勢を深く知る手掛かりにはなる。しかし、“WELCOME!”などと緊張感に欠ける、というより挑発的な文言を書き残す辺り、友好的な者達とは断言できない。健悟が主張したい事柄は、大方そんなところだろう。これには一理ありと得心したのか、仲間達も神妙な顔で頷いている。 ただ――翼にはどうしても理解しかねる点が一つ。 危機管理には人一倍強いこだわりを見せていた健悟が、何故この状況で突然敵の罠へ飛び込もうなどと進言したのか。地下で翼らを待ち受ける存在が人間である、という確証も今のところ無いというのにだ。単なる好奇心を理由に他者を危険に巻き込める程、彼が身勝手な性格であるとは考え難い。 これは、何か裏がある。翼の直感が俄に騒ぎ始めた。 ――例えば、健悟がさっさと鞄に隠してしまった欠片の裏面なんかを見れば、この疑問は解消されるだろうか。そんな詮無い思い付きを意識の隅に押しのけつつ、翼は仲間達の背中を押すように確と声を発した。 「行って確かめよう。オレ達にとって大事な何かがあるなら、確かめなきゃ損だよ」 「……いいのかタスク。今のオレ達じゃ、何かあった時にオメーらを守れるか……」 「大丈夫だよ! 健悟が対策を考えてくれたんだし、後は改めて実戦あるのみでしょ? オレ達が力を合わせれば、きっと何だってできるさ」 「……それ、オレが昨日言ったセリフじゃねーか」 ドラコモンの口元が綻んだ。それを皮切りに、他のパートナー達の表情にも、少しずつ張りが戻り始めたようだった。 そう、今は多少無茶なことでもやっておいた方がいい。翼らにとって本当に損なのは、モノや情報にありつけないことではなく、パートナー達が自責の念に囚われ万全の力を出せないことだからだ。今度の試みを機に、パートナー達がまた気兼ねなく戦えるようになれば、戦果としては上々と言える。 とはいえ、本当に翼らとドラコモン達の力で「何だってできる」のか、そこだけは不安が残る。今できることといえば、あらゆる事態を想定して予め知恵を捻り出す程度だ。何かあっても、状況に応じて何とかするしか無い。少々無責任な理屈ではあるが。 「全員承諾してくれるんだね。それなら早速全員で…………いや、ひなた君は残った方が……?」 「わ、ワタシも行きます! もう自分で歩けますから!」 「ヒナタ、無理はするなよ! さっきはヒナタに負担をかけてしまったから、今度はオイラがヒナタを支えるぞ!」 「うん、ありがとねっ」 全員、腹は決まったらしい。 一足先に踵を返した健悟に並ぶように、翼らもマンホールへ向けて歩き出した。珍しくデジモン達が足音を立て堂々と歩いているのは、今しがた湧き上がった闘志の表れだろうか。
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桃ノ井モトキ
2020年4月16日
In デジモン創作サロン
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交代にはまだ早いと思うけど」 思いつくまま翼が問いかけると、健悟はショルダーバッグからタブレット端末を取り出しつつ答えた。 「眠れなかったから」 「もしかして、オレが騒いじゃったから……?」 「それはない、心配しないで。……時差ボケ、みたいなものなんだ。RWからこっちに来た時点で、昼夜が大分ズレてたんだ」 「え、そうだっけ? オレはそんなに気にならなかったけど」 健悟の指摘を受けるまで、翼はRWとDWの間に「時間」の差があるなどとは露も考えなかった。DWはRWと隔てられた空間である、という点は何となく理解していたが、翼がDWへ足を踏み入れた時点で日の傾き具合はRWのそれとほぼ同じだったため、時間はDWとRWで連続しているものと思い込んで気にも留めずにいたのだ。 「翼君や他の子達は、きっと日本から来てるんだね。僕はイギリスから来たんだけど、イギリスは日が暮れてたのに、WWW大陸は朝だったんだ」 「そうだったんだ……じゃあDWの中にも時差があったりするのかな。でもこんな変な世界だし、地表全体で昼夜が同時に変わったりするかも……そもそもDWが地球と同じ形状かどうかも分かんないし……」 独りごち、翼が空と地平線とを交互に見比べていると、ふふっ、と健悟が小さく笑った。 「やっぱり、君も疑問に思うんだね」 「え……そりゃまあ、ね。分からないことを分からないままにするのは、あんまり好きじゃないから」 「君みたいな人になら、個人的な調査の手伝いを引き受けてもらえるのかな。何も疑問に思わない人には、謎が解けないもどかしさを理解してもらえないからね」 「――――そう、だよね! すごく分かる!」 ぼやくように健悟がこぼした言葉は、翼がRWでの生活に抱いていた不満をずばりと言い当てていた。翼は、中学転入後間も無い誠に世界地図を見せながら大陸移動説の不思議について語った時、「そんなん知らなくても生きて行けるし」と一蹴された過去を思い出した。 「知りたいことがあるなら、オレも手伝うよ! 何でも言って!」 「ありがとう。近い内に《LEAF》の機能をいくつか検証したいから、その時は改めてお願いするよ」 ほんのり微笑む健悟を見て、翼は、彼とは思ったよりも良好な人間関係を築けるのでは、という期待を抱いた。 しかし同時に、何となくではあるが、翼には己と健悟の決定的な違いを肌で感じた。2人の違いとは、銘々を研究に駆り立てる「原動力」――翼が純粋な好奇心で動いているのに対し、健悟は何かしらの目的或いは義務感に従って動いている、という点――である。翼らテイマーには「大陸北端へ辿り着きリヴァイアモンを討つ」というゴールが示されてはいるが、健悟にとっては恐らくそのゴールさえも手段の一つに過ぎないのだ。彼はオファニモンから世界を救う使命について聞かされた直後でありながら、「事態の本筋が分かる」という理由だけで、仲間の一人も募らず、真っ先に北へと向かい始めた。そこにはリヴァイアモン討伐よりも重要な、しかし翼ら赤の他人には知る由も無い事情があるに相違無い。 「さて、坂本君。そろそろ交代しようか」 「えっ? まだいいよ、そんなに時間経ってないし」 「僕はしばらく眠気が来そうにないから、ね。……ヒョコモン」 「はっ、ここに」 呼びかけに応え、ヒョコモンがどこからか健悟の傍に現れた。ヒョコモンが今まで起きていたのか寝ていたのかは定かでないが、いずれにせよ見張りを交代する準備はとうに整っていたと見える。 「じゃあ、お言葉に甘えて。おやすみ、健悟」 「うん、おやすみ」 翼はそっと健悟から離れた。この後の見張り番は健悟・ヒョコモン組とレミ・ルナモン組、夜明けまでの残り時間で彼らが肝を冷やすトラブルに遭わぬよう祈るばかりである。 焚き火の熱がほどよく届く範囲に、落ち葉を敷き詰めただけの即席の布団が2つ。翼はその内の1つにそっと横たわった。これは翼が父・龍三から教わった野宿テクニックであり、寝心地の向上や体温の維持といった効果がある。オーガモン一味と接触した地点からこの場所にかけては枯れた草木が多数存在し、全員分の寝床を拵えられる環境が整っていたため翼はこれを仲間達に提案した。この提案は仲間達全員に歓迎・採用されたため、DWにおいて翼の知識が役立った最初の例といえた。 とはいえ、この程度で自身の有用性が示されたなどとは翼は考えていない。明日はもっとマシな働きをしようと決意を固め、翼はそっと目を閉じた。眠気は翼が思うより速く翼の五感をフェードアウトさせ、ドラコモンが隣の布団に寝転がった音を最後に記憶さえも途切れさせた。 ep.03「本能の発露」 * 覚醒の一歩手前でゆらゆらと微睡む意識の中、翼は焚き火の薪が弱々しく弾ける音を聞いた。それを合図に翼の全身の神経が一斉に目覚めると、白み始めた晴れ空が視界一杯に広がり、ひんやりとした風が煙の臭いを乗せて翼の顔を撫ぜるのを感じた。 寝覚めは快適であったものの、翼は己の置かれた状況を想起するのに数十秒の時間を要した。先日までの出来事をようやく思い出した時、翼はリフレインした諸々の衝撃に背中を叩かれ飛び起きた。 「おはよ、翼君。早起きだねー」 「おはようございます、タスクさん」 消えかかった焚き火の傍らに、黒髪ストレートの少女木島レミと、彼女のパートナーであるルナモンがリラックスした様子で座っている。翼の記憶する限り、彼女らは見張り番の最後の一組、夜更けから早朝までを担当することになっていた。言い換えれば彼女らは子供達の中で一番の早起きを求められる組でもあった。 「ああ、おはよう……2人も結構早起きだったみたいだけど、眠くないの?」 「私は平気、家では毎日5時起きだったから」 「わたくし、夜の方が得意ですので」 翼の問いに答える2人の顔は、確かに眠気の負担をあまり感じさせなかった。そういえば昨日見張りの順番を協議した際にも、彼女らは一番最後を志願していた気がする。 「……あの、さ。翼君……昨日のこと、やっぱり怒ってる?」 これ以上話す用事も無いと思っていたところに、レミがやけに申し訳無さそうな顔で問いかけた。 「昨日の…………? え、オレ何か怒ったっけ?」 「ほら、昨日翼君が転んだ時。誠君と一緒になって笑っちゃったけど、あれよく考えたらサイテーだったなって……ほんとゴメン!」 「あー、あの話? 別に気にしてないよ」 「私が気にしてたの! あの後、どこか痛めてないかって確認しようとしたら急に戦いになっちゃって、謝るタイミングも逃しちゃったから」 「大袈裟だよ、怪我だってしてないし……レミは優しいんだね。ドラコモンの肩も気遣ってくれたし」 「優しい、のかな。私、そんなにいい性格してないよ。でも、目の前で苦しんでる人は絶対に見捨てない。そう決めてるんだ」 「……そっか。心に決めた生き方があるって、なんかかっこいいな」 苦笑いとも照れ笑いともつかない曖昧な笑みを見せ、視線を逸らすレミ。 会話と呼ぶには十分な言葉を交わせた(と思われる)ので、話が途切れたこと自体に気まずさは感じなかった。それよりも翼が気にしたのは、レミが昨日からルナモンと会話らしい会話をしていない上目を合わせる素振りも見せない点だった。思い返すと、レミは自身がDWに呼び出されたことに納得していない様子で、ルナモンに対して心を開こうという意思も全く見せなかった。にも関わらず、ルナモンはレミを守るために命懸けで戦い、今でさえ明後日の方向を眺めるレミをやや遠巻きに見つめ続けている。間違っても口には出せないが、LEAFに導かれた5組の中で最もパートナーシップに不安が残るのはこの2人であるように翼には思えた。 「どーしたよ、朝から辛気くせぇ顔しやがって」 翼の右隣からそんな言葉を投げかけたのは、同じく目覚めたばかりのドラコモンであった。翼がDWに降り立ってから1日と経っていないが、翼は己の顔が口よりも饒舌であることをドラコモンとのやり取りから知り少しばかり驚いていた。 「いや……オレとドラコモンって案外いいコンビなのかもな、って」 「ンな顔で言うことじゃねぇぞ、それ……まあほら、朝日浴びて目ェ覚まそうぜ」 ドラコモンはそう言ってひょいと立ち上がり、一つ大きく伸びをした。翼も徐ろに立ち上がり、促された通り朝日の昇る方へ顔を向けた。 地平線の際に浮かぶ目映い光が、夜空の色を残す千切れ雲を緋色に燃え上がらせている。RWのそれと変わらない清らかさと力強さで輝くそれは、少し寝ぼけたままだった翼の脳を隅々まで冴え渡らせ、痩せた大地と気怠そうに体を起こす仲間達の顔を照らし出した。 朝日に導かれるまま目を覚ました子供達は、2、3とりとめも無い言葉を交わした後、程無くして昨日の道の続きを歩み始めた。付近に川や泉といった水場が見当たらなかったため顔を洗うことは叶わなかったが、道中に細々と生え残った木々からいくつかの果物――バナナの形だが柑橘類に似た表皮の謎めいた果物3個と、にっこり笑顔の模様が表面に浮かぶリンゴが2個――が採れたため、一行はそれを切り分けて食べることで小腹を満たし喉を潤すことができた。とはいえ、子供達は皆空腹からかやや俯きがちで口数も少ない。 「そーいえばさ、ルナモンって確か頭から水出せたじゃん。あれ飲めたらスゲー便利じゃね?」 前日よりも活力に乏しい声で誠がそう言った。これについては翼も考えなかった訳ではないが、攻撃の手段として用いられる《ティアーシュート》が飲み水に利用できるほど安全かと問われるととてもそうは思えない。 「あれ、当たると痛いですし、飲むとお腹壊しますよ」 「マジ!? スゲー危険じゃん」 「そうでなければ、攻撃には使えません」 ルナモンの返答はごくシンプルなものだった。いや飲んだことあるんかい、飲むとお腹壊すって純水か何かかいと問い質したい気持ちはあったが、無用な詮索であるような気がしたので翼は敢えて口を開きはしなかった。 「マコト。何度も言うようだけど、この草も結構おいしいんだよ」 「いや、でもそれその辺に生えてた草じゃん? なんかヤだわ……」 ベアモンが緑色の小さな草葉を口に放り込みつつ、同じ色形のものを誠に差し出している。そんな様子を見て翼が思い至ったのは、食物とそうでないものとを見分けられるのはその環境に住み慣れた者のみであるということだった。先の謎の果物のように翼ら人間の知らない物体が数多転がるこのDWでは、一見食せそうにない食材や、一見食せそうな毒物などに出会うこともあるだろう。人間の知識や先入観があてにならないとなれば、デジモン達に判断を委ねるより賢いやり方は無い。 それ頂戴、と翼が言うと、ベアモンは快く草を手渡してくれた。見た目は一見RWにもあるパセリで、匂いや手触りにも不審な点は無い。パセリといえば、ステーキやハンバーグといった肉料理の付け合わせでよく見る苦い野菜。そう思いながら口に放り込むと、口一杯にハンバーグの旨味が広がった。ちょっと待て、何故お前から肉の味がする。 「……誠、これハンバーグの味するよ」 「マジで!? くれ!」 翼が押し付けると、誠はそれをかっさらって迷わず食べた。触れ込みに何の疑問も抱かないのか、と翼は呆れたが、当の誠が美味そうに草を食べているので良しとした。 「うおお、スゲージューシー! ひなたも食ってみ?」 「ワタシはいいよ……ハンバーグ味の草、って、なんかお口が変になりそう」 だよね、と翼は口の中で呟く。そもそも、そんなバグのような植物を慌てて腹に入れずとも、もう少し先へ行けば他の食物にありつけるかも知れないのだから。 翼が目線を少し上げると、仲間達もそれにつられて顔を上げた。彼らの行く手に現れたのは、でたらめな増築を繰り返し膨れ上がったツリーハウス、とでも呼ぶべき不恰好な建物。それが盗賊達のアジトであることは、パートナー達がにわかに足音を潜め始めたことですぐ察しが付いた。
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桃ノ井モトキ
2019年10月30日
In デジモン創作サロン
←PREV NEXT→ 【Part 1/3】 * 意識を取り戻した少年――坂本翼(さかもとたすく)の感覚が最初に捉えたものは、暗闇。光や音、熱さえも感じさせないベタ塗りの暗黒の中では、翼自身と、手を握り合った《相棒》ドラコモン以外の何者の存在も知覚できない。ドラコモンが右手の先にいることさえも、手指に伝わる温もり以外に証左とできるものは無い。 ただただ暗いその空間で、翼とドラコモンはふわふわと浮いているようであった。足場どころか重力の感覚も無いのだ。それが分かった時点で、翼は己のいる場所が普通の空間でないことを即座に悟った。 どこへ動かされるでもなく、ただ浮かぶばかりの2人の体は、しかし不意に不可視の何かに引っ張られ急速に移動し始めた。その「何か」の力は、丁度翼ら地球の生物には馴染み深い、重力に近い感触だった。 引き寄せられる先には、星のように暗闇を穿つ光の点が一つ。近付くにつれ、微かな熱と風が件の光――否、よく見るとそれはどこかへ通ずる「穴」であった――から流れ、翼の全身を刺激する。ゴーグルのスモークグラス越しにも、迫り来る光は鮮烈に翼の視界を塗り潰した。 ep.02「君の役割」 「見えるかタスク、これがオレ達の世界だ!」 ドラコモンが叫ぶのとほぼ同時に、翼の視覚が明順応で正常な像を取り戻した。とはいえ、翼は己の眼に映る風景が「正常」なものか否か、確証が持てなかったが――。 青く凪いだ大海原と、それに面する広大な陸地。人工物が一切見当たらない地上には、手付かずと思しき森林や丘陵の他、頂から火を噴く高山など、地球の大陸でもお目にかかれるか怪しい壮大な天然物の数々が悠然と拡がっている。 「この景色、憶えてるぜ……《WWW(ウェブ)大陸》だ! オレが最後に魔王傘下の連中と闘り合った場所だぜ!」 「あ、DW(デジタルワールド)にも地名ってあるんだ……」 大陸、と呼ばれた眼下の大地を、翼はまじまじと観察した。陸地の面積が限りなく広いことは、その全体像が地平線で見切れていることからも伺い知れる。しかし細かい地形や植生は地上に降りてみないことには、 「ちょっと待って」 「お、どーしたタスク」 遅まきながら、翼は気付いた。髪と服が絶えず風にはためき、強い加速感を纏いながら大陸を広角的に望んでいる自身の状態に。 「これ、もしかして……落ちてる……?」 「んー……ああ、ホントだ。RW(リアルワールド)で空に上がったと思ったら、今度はDWで落ちてる、と。ハハ、面白ぇな!」 「いや笑い事じゃないから!! このまま落ちたら絶対死ぬって!!」 落下傘無しのスカイダイビング。冒険がしたい、とは言ったが、生き延びようの無いチャレンジを冒険と呼ぶバカがいるか。 「確かにこのままじゃ地面にゴッツンだな……タスク、人間の知恵でどうにかなんねーか?」 「ええ!? どうだろう、服で帆を作って落下地点を海に……はちょっと難しいな……ていうか、ドラコモンの背中に羽あるじゃん! それで飛べばいいんだ!」 「あ、これ? あるけど、空を飛ぶような力はねーぞ。小さいし」 「なんだ、飾りか……」 「おい、オメー今なんつった!? 飾りな訳ねーだろ、未来のノビシロって言いやがれ! 上手く《進化》すりゃいつか空だって――」 「今その未来が懸かってんだよッ!!」 このまま何の対処もできなければ、翼の冒険は1歩目にして――着地姿勢によっては地に足を着けることも無く――終わってしまう。が、今の翼はこの窮地を脱する方法を持ち合わせていない。持っているものといえば、目元を覆うゴーグルと、左手に握ったままの《LEAF》ぐらいである。 「……LEAFの力で、どうにかできないかな」 「なんか、できそーな気がするな。そいつがオレ達をDWに連れてきたんだ、多少の世話は焼いてくれるかもな」 翼は手の中の小さなデバイスを見つめた。翼の机の引き出しにいつの間にか入っていたそれは、ドラコモン曰く「人間の持ってる力を引き出すアイテム」らしいのだが、現時点ではDWへの通り道を開く機能以外に詳しい特性が判明していない。翼らを救う力があるかも知れないし、無いかも知れない。 「LEAF、このままじゃ地面にぶつかって死んじゃうよ! オレ達を助けて!」 直下に遠く広がっていた地平は、気が付くと手が届きそうな低さまで迫っていた。思い付くままLEAFに呼びかけると、LEAFは翼の声に応えるかのように軽やかな電子音を鳴らし、ディスプレイの中央に英字列を映し出した。 [Physical Emulation : "LIGHTNET" ...Ready.] 直後、フイイイイイン……と奇妙な音を立て、翼らを待ち受ける草地より少し高いところに黄色い光の網が浮かび上がった。その光の網は、翼とドラコモンの体をふんわりと受け止めると、ジジ、とノイズめいた音を発して瞬く間に消えてしまった。 軽く尻餅を突いただけで、翼らの予期せぬスカイダイビングはあっさり終了した。 「……助かった、のかな」 「らしいな。……にしてもLEAFってすげえな、まるで魔法だ」 ドラコモンは目を輝かせてLEAFを見つめるが、翼にはどうにもぴんと来ない。LEAFの能力が「すごい」のか、或いは現実にはあり得ない現象ばかり起こるこの世界が「すごい」のか。 翼はゴーグルを首元に下ろし、ゆっくり腰を上げた。鼻から喉を通り抜けていく空気は、仄かに草と潮の香りがする。手でズボンを叩くと、細かな土の塊がぱらぱらと落ちる。仰ぎ見た青空には、低くうねる風音と千切れ雲が蕩々と流れている。 デジタル、というより、「ありのままの自然」。翼の五感が捉えたDWは、仮想、電子、作為などといったイメージとはほど遠い、現実的かつ自然な世界だった。RWでいう「生命の楽園」とは、こういう環境を指すのではないかとさえ思われた。 しかし同時に、翼はえもいわれぬ違和感も覚えていた。翼とドラコモン以外に、生き物の気配がまるで無いのだ。これほどまでに快適な環境であれば、動物――DWの住民たるデジモンがその辺を闊歩していてもおかしくない筈なのに。 「オメーも気付いたか。ここら一帯、デジモンの気配がまるで無ぇんだ」 「活火山の麓だから、元々少なかったとか?」 「いや、結構いたみたいだぞ。デジモンの足跡とか巣穴があちこちにあるからな。けどそれ以上に争いの痕跡が目立つ。ここに住んでた連中、皆どっかに追いやられたか……殺されてるかのどっちかだ」 ドラコモンの言葉を受け、翼は改めて周辺を観察した。周辺の草地が所々凹んでいたり、逆にふんわり盛り上がっていたりするのが、デジモン達の生活の跡であることが伺えた。そして同時に、黒焦げの樹木や、上半分が粉砕された土のかまくらなど、何らかの破壊活動があったことを証明する物も確かに見受けられる。 「誰が、こんなことを」 「決まってんだろ、《魔王》の手下共だ」 「《魔王》本人、じゃなくて?」 「ああ。伝説の魔王デジモンが復活したってんで、『悪しき種の時代』とか言って大陸中のチンピラが調子に乗ってあちこちで暴れ始めやがったんだ。それでこのザマって訳よ」 「そうだったんだ……でもさ、ドラコモンを追って来たアイツは、チンピラって感じじゃなかったよね」 「あの犬公は多分、魔王に直接仕えてる連中の下っ端だな。奴らは例のチンピラと違って何か目的があって動いてたらしいが、詳しいことは結局分からず終いだった」 ドラコモンの説明で、翼は世界を取り巻く情勢の大筋を察することができた。《魔王》の覚醒により悪質なデジモンがDW各地で暴れ始め、その裏側で《魔王》の手下が何かを企てている。そして世界の混乱を収めるには、《魔王》とそれに関わる全ての勢力を制圧しなければならない、と。 「……オレ達が、止めなきゃいけないんだね」 「そーいうこった! オレとお前が、この世界の英雄になるんだ!」 分かってはいたが、ストレートに言われると殊の外恥ずかしい。ドラコモンの言う通り、これから翼らが挑むのは「世界を救う冒険」――悪を挫き、正義を示す戦い、ということになるのだ。 「なんか不安になってきた……本当にオレ達だけでできるのかな」 「そんな弱気になるなって! 言ったハズだぜ、オレとお前が組めば怖いモン無しだってな! まあでも、確かに協力者の1体や2体は欲しいような――」 温度差が際立つ2人の会話を、LEAFからの電子音が不意に遮った。ピポペポピポパポ、と単調なメロディを繰り返し奏でるそれの画面には、黒地に薄緑のグリッドラインが細やかに引かれ、中央には赤い矢印が1つ、上端に寄り集まった4つの白い光点、左下には縮尺と思しき線と数値が映し出されている。その構成はどこか見覚えのある、レーダー探知機か何かの画面を思わせるものだった。 「タスク、これ何が映ってんだ?」 「近くに何かがある、ってことだと思う。詳しいことは分かんないけど、LEAFがわざわざ教えてくれるってことは、多分大事な何かだよ」 「なるほどな……で、どーするよ。見に行くか?」 「オレは見に行きたいな。最初の目的地にするには丁度良い気がする」 「同感だ」 頷き合い、翼らはLEAFが指し示す「何か」の方へ歩き始めた。その第一歩は、期待に踊る心の軽やかさと、圧しかかる緊張の重みに包まれ、地面を踏んでいる感じがまるでしなかった。 LEAFを片手に見知らぬ地を歩む内、翼はLEAFの画面が示すものの意味を理解することができた。画面中央に固定された矢印は翼らの向いている方向を指しており、グリッドラインと光点は翼らの動きに合わせて向きと距離がリアルタイムで変化している。どこか見覚えがあると感じたのは、それが和恵の車に装備されたカーナビのインターフェースに少し似ていたからであった。 LEAFのナビに導かれるまま踏み締める草地は、歩みを進めるにつれ緩やかな上り坂に変わっていくようだった。さらにしばらく歩くと、翼らの行く先に小高い丘陵が見え始めた。その天辺には何かの生物と思しきシルエットが8つ見え、中には人間らしい背格好のものもあった。 「やっぱり何かいやがった。この気配……デジモン、と、人間か?」 呟くドラコモンを尻目に、ドラコモン翼はLEAFの画面と丘の上とを交互に見た。表示された光点は全部で4つ、進行方向に待ち受ける影には半分足りない。どうなってんだ、と翼が首を捻るのと同時に、LEAFのナビゲーション画面は音も無くブラックアウトしてしまった。道案内はこれで十分、とでも言いたいのか。 「……行ってみよう。何かあったらドラコモンに任せる」 「分かった。警戒はしとくけど、背後と足元には気ぃ付けてくれよ」 瞳を尖らせて前に歩み出るドラコモン。その背中をゆっくりと追いつつ、翼はふと考えた。丘の上に待つ者達は、LEAFがわざわざその位置を知らせるほどに翼らにとって重要な存在、敵か味方のどちらかである筈だった。敵ならばドラコモンが叩きのめして尋問するのだろうが、もし味方だった場合、翼は彼らとどう接するべきなのか、と。 翼にはこれもまたピンと来なかった。DWを渡るには協力者がいないと心細い、という旨の発言をした覚えはあるが、果たして自分は本心から「仲間」を求めているのだろうか。翼がRWで目にして来た人間達は世渡り上手な代わりに川も渡れなさそうな者ばかりで、そんなお荷物と旅路を共にしろと言われたら翼は迷わず拒否できる自信がある。尤も、翼と同様にデジモンの相棒となった人間が待ち受けているとすれば、ひょっとしたら、境遇だけでなく性格、思想の部分でも分かり合える人間に出会えたりするのかも知れないが。 「……動いた! 来るぞタスク!」 ドラコモンの警告に、翼は我に返って身構えた。丘の天辺から、人間らしき者と、それより背の低い小熊めいた形のモノとがせかせかと駆け下りてくる。 翼は徐々に近付いて来る2つの存在を睨みつけ――あれ、と思わず声を漏らした。人間らしき者の姿に、翼には見覚えがあった。寝癖か癖っ毛か定かでないぼさぼさの茶髪、身体活動量と発熱量の多さを主張するタンクトップと短パン、そしてその頭上で大袈裟に振り回される元気な右手。 「翼――――っ! 翼じゃねーか! お前も来てたんだな!」 見紛う筈も無い。数時間前に通学路で見送った同級生、〈星上誠(ほしがみまこと)〉その人である。誠は翼の目の前で立ち止まると、翼の肩を両手でがしっと掴み、おお本物だ、と呟いた。どんな判断基準なのだろう。 「誠、なんでお前がここに……!?」 「んー、まあオレも細かいことはわかんないんだけどさ。ところでそれ、お前のパートナー?」 「おいガキ、『それ』呼ばわりは失礼だろ! まずオメーが先に名乗りやがれってんだ!」 「あん? 何いきなりキレてんだよ!」 当然ではあるが、ドラコモンと誠は面識が無い。それゆえドラコモンが誠に対し警戒心を露わにするのも無理からぬ話であった。この不躾な少年をドラコモンの前に放置すると血祭りに上げられそうな予感がしたので、翼が慌てて間に入ろうとすると、先回りして割り込む者がいた。 「ごめんね、マコトって誰に対してもこうなんだ。もうちょっと礼儀正しくなってくれると、ボクとしても助かるんだけど」 それは誠の傍らにいた黒い小熊――十中八九デジモンの一種――であった。紺色の野球帽を被り、胴体と両拳に紺色の革ベルトを巻きつけたそのデジモンは、聞く者の警戒心をたちまち解いてしまえそうな爽やかな男児風の声を発した。 「ボクは〈ベアモン〉、このマコトの相棒だ。君達も《LEAF》に導かれて来たんだね?」 「え、うん。オレは坂本翼。こっちは相棒の……」 翼が振り向くと、ドラコモンは黙したままベアモンを凝視していた。 「ドラコモン、だね。君と同じ種族のデジモンに知り合いがいるんだ」 「えっとね、ドラコモン……誠はオレの知り合いなんだ。根はいいヤツだから、怖がらなくていいよ」 「怖がってねーよ! つーか、そっちのクマ公の方がよっぽど信用ならねぇ! LEAFのことも知ってるし、なんかミョーに落ち着いてるし!」 理不尽ともいえる怒りをぶちまけるドラコモンに対し、ベアモンは困った笑みを浮かべながら応えた。 「正直、ボクも色々と混乱してるんだ。LEAFについてもあまり多くは知らないし。向こうに集まってるデジモン達も、多分似たようなものだよ」 「そーゆーこと! いきなりケンカ腰になんないでさ、まずは皆に挨拶だ!」 誠らの言葉を聞き終えても、全ての疑問が解決されることはなかった。しかし、翼には唯一分かることがある。 期せずして出会った誠が敵でないとすれば、つまり彼は味方。即ち翼の旅のお供ということ。 ――え、こんなバカが仲間? 「絶っっっっ対に嫌だ――――!!」 「なんでだよ! 人見知り全開かお前!」 * 翼の柄にもない錯乱状態は、誠に手を引かれ丘の天辺に辿り着いた時点であっけなく収まってしまった。翼を待ち受けていた者達――面識の無い人間の子供3人と、その銘々の傍らに立つ小柄なデジモン3体――を一目見たことで、翼の理性が好奇心を連れて舞い戻ったのである。彼らが翼らの同類であることはすぐに察しが付いた。 「皆、紹介するぜ! オレのダチだ!」 友達(ダチ)……だったろうか、という疑問は頭の片隅に置き、翼は誠の言う「皆」に向けて自己紹介を試みた。顔色を伺いがてら一人一人と目を合わせるよう努めたが、返される視線がどれもあからさまに訝るようなものであったために、翼は当て所無く視線を泳がせざるを得なくなってしまった。 「えっと……坂本翼です。誠の同級生で……こっちはパートナーのドラコモン。……よろしく」 「暗いぞ翼ー、もっと笑顔笑顔!」 脇から茶々を入れる誠を、翼は横目で睨め付ける。お前じゃあるまいし、初対面の人間にそこまで馴れ馴れしくできるか、と。 さて何かレスポンスはあるだろうか。翼は改めてその初対面の子供達に向き直った。するとその中の一人、幼い顔立ちの少女が前に歩み出た。 「あのっ、ワタシは〈星上ひなた〉ですっ! 小学5年生です! その……いつもお兄ちゃんがお世話になってます」 フリルブラウスにショートパンツといった風貌で、誠に似た茶髪をツインテールにした彼女は、両手を足の前で組みながら、おどおどした表情で上目遣いに翼の顔を見ている。 「お兄ちゃん……って、もしかして誠?」 「ああ、言ってなかったっけ?」 初耳の情報に目をぱちくりさせつつ、翼は律儀な少女に会釈した。コイツにまともに付き合うと確かに世話が焼けます、などとは口に出せず。 「オイラは〈コロナモン〉、ヒナタのパートナーだ! よろしくゥ!!」 続けてよく通る大音声で名乗ったのは、炎を思わせる朱色の体毛に身を包んだ二足歩行のライオン様のモンスターだった。額の飾りと尻尾の先に炎らしき光が揺らめいているが、まさか本物のプラズマではあるまいな、と翼は首を傾げた。 「私は〈木島レミ(きじま-)〉。中学1年生よ」 生真面目そうな、透き通る声で名乗るもう1人の少女。ストレートに流した黒い髪と、菫色の袖付きワンピースが描くコントラストは、翼の目に印象深く映った。 「お初にお目にかかります。わたくし、レミのパートナー〈ルナモン〉と申します。どうぞ、よしなに」 鈴を鳴らすような声で挨拶をし、たおやかに腰を折ったのは、これまた二足歩行らしい兎然としたモンスター。大きな耳らしき器官を2対、そして額から細い触角を生やしており、そのシルエットはデジモン達の中でも際立って異質に感じられた。 女子2名とそのパートナー達の自己紹介を聞き終え、翼は残る1人と1体――少し背の高いクールビズ風の出で立ちの少年と、髷を結ったヒヨコ形のモンスター――を一瞥した。 「おい健悟、お前も自己紹介!」 誠が促すと、少年はあからさまに顔をしかめた。崩れかかった七三分けの黒髪、その下から覗く黒い瞳は、底無しの気苦労を湛えて暗く淀んでいる、ように見えた。 「……〈早勢健悟(はやせけんご)〉」 健悟、というらしいその少年は、たった一言声を発すると、すぐに背を向けて手近な岩に腰掛けてしまった。 「これは失礼、タスク殿! 我が主君がとんだご無礼を……拙者は〈ヒョコモン〉、ケンゴ殿に仕えるパートナーデジモンにゴザる! 以後お見知り置きを」 甲高い男児風の声で、ヒヨコが古めかしい日本語を話した。それだけでも十分インパクトはあるが、何よりヒョコモンの姿態――背中に刀を、そして腰には半分に割れた卵の殻状の装具を身に付けた奇妙なシルエット――が目を引く。デジモンというのは何でもアリか、と驚き呆れざるを得ない翼であった。 「……てな感じで、皆仲良くやろーぜ! なっ!」 至って軽い調子で締め括ろうとする誠に、翼はすかさず言葉を返した。 「いや、なんでだよ」 「えっ?」 「オレ達、まだ仲間って決まった訳じゃないだろ」 「確かにな。ついでに言っとくと、オレぁまだここにいる連中を一人も信用しちゃいねーからな」 ドラコモンが見せる警戒心とは多少異なるが、翼も件の少年少女を無条件に信用することはできなかった。そもそも翼が他人との接触を好まないから、という理由もあるが、一番の理由は「ここに集められた理由が分からないから」だ。烏合の衆かも知れないし、翼の知らない所で示し合わせて結成された集団かも知れない。いずれにせよ、DWという未知の領域を渡る上で、誠を含む自分以外の人間と行動を共にするメリットがあるとは考え難かった。 「いや、そーかも知んないけど……こんな世界だからさ、皆で力を合わせなきゃ生きて行けねーじゃん? 学校でも教わったろ、集団行動は大事だって」 「ここは学校じゃないんだから、わざわざ群れて小回りを利かなくさせる理由は無いって。それに、デジモン達はともかく、人間はサバイバルで足手まといになりそうだし」 「足手まとっ……お前、そーゆー性格してっから友達いねーんだぞ……?」 「うるさいな、お前はお友達と一緒に動いてればいいだろ」 翼はこの手の問答が嫌いだった。自他の命が懸かった局面においてさえ、人々は人情や世間体やらを大事にするからだ。大人は口を揃えて協調・共生の尊さを説き、子供はそれを疑いもしないが、翼に言わせれば何の目的意識も無しに群れて偉いことなどありはしない。人の群れから離れて生きることへの本能的な恐怖を、聞こえの良い理屈で正当化しようとしているに過ぎないのだ。 ――オレにはドラコモンさえいればいい。寂しさを埋めたいなら、オレでなくてもいいだろ。翼は誠達から目を逸らし、溜息を一つ吐いた。 「それについては、僕も同感だよ」 唐突に口を挟んだのは、先ほど名前だけを告げてさっさと背を向けてしまった少年、早勢健悟だった。落ち着き払ったその口調は、他の子供達とは一線を画した知性を感じさせる。 「僕達は別に仲良しごっこのためにここへ来た訳じゃない。各々勝手に動いたって、目的の達成に何ら支障は無いんじゃないかな」 「お前まで何言ってんだ! さてはお前も友達いねーな!?」 「少なくとも、君みたいに頭の足らない知り合いはいないよ」 「ンだと、もっぺん言ってみろコラ!」 現実世界では人に好かれやすい彼が、なぜここでは嫌われるばかりなのか。翼のそんな疑問を他所に、誠は取っ組み合いでも始めようかという勢いで健悟に詰め寄った。今度こそ仲裁が必要か、と翼が腹を括ったその時、ラジオのノイズめいた音が耳を撫でた。その音は他の少年少女、そしてそのパートナー達にも聞こえたらしく、一同は訝しみ周囲を見回した。 『……皆さん、言い争いをしている場合ではありません』 それまで意味を成していなかったノイズが、不意に大人の女性の声に変わった。かと思えば、今度は翼を除く全員の視線が翼の方に集まった。わあ冷ややかな目、と翼はたじろいだが、ドラコモンが指で示した方向を見てようやく理解が追い付く。翼の後方、頭より上の方に何かがあるらしいのだ。 振り返った先にあったのは、巨大なスクリーン様の映像が宙に浮かぶSFめいた光景。半透明の四角い平面として何もない空中に現れたそれは、白一色の背景に、緑色の鎧で全身と目元を包み金色の羽を背中に頂く女性を映し出していた。その姿は、さながら《天使》だ。 『人間の皆さん、DWへようこそ。私は〈オファニモン〉、貴方がたをこの世界へ誘った者たちの代表としておきましょう』 オファニモン、と名乗った天使の言葉を聞き、翼を含む子供達全員の顔が引き締まった。人間の子供とデジモンがこうして一所に集められた理由を聞き出すいい機会なのだから、当然だろう。 『我々に残された時間は多くはありません。ここでは重要な点を、端的にお伝えしておきます』 空中のスクリーンが、大洋に浮かぶ陸地と思しき画像に切り替わった。翼はその一端の輪郭に見覚えがある。翼とドラコモンが空から見、今正に踏み締めているこの土地だ。 『今、このDWは〈リヴァイアモン〉という邪悪なデジモンの脅威に晒されています。DWの深淵《ダークエリア》に封印されていた彼は、何者かの手によって解放され、このWWW大陸の最北端を占領してしまったのです。彼はまだ眠りから目覚めたばかりで、本来の力の半分も取り戻してはいませんが、もし完全に復活してしまえばこの世界――いえ、恐らくRWにまで良からぬ影響が及ぶことでしょう。DWとRW、2つの世界を救える唯一の希望として、貴方がた人間の《デジモンテイマー》を、私共がここに集めたのです』 ドラコモンから聞いたそれと同様の説明の最後に、聞き慣れない名詞が付け加えられた。翼がスクリーンに向かって問いかけようとすると、一足先に健悟が言葉を発した。 「テイマー、って、調教師とか飼い主って意味だよね。僕達はヒョコモンを……デジモンを使役する者としてここにいる、って解釈でいいのかな」 その声はスクリーンの向こうに届いたらしく、再び切り替わった画面の中でオファニモンが頷いた。 『その通りです。全てのデジモンは生まれながらにして戦う力を持っていますが、それらはあくまでこの世界の基本原理の一部に過ぎません。世界の秩序を取り戻すためには、DWの摂理の埒外に位置する力、即ち人間の存在が欠かせないのです』 「……なあ翼、今のってどーゆー意味?」 誠が翼の肩を指で突き、小声で尋ねた。誠のような体育会系の人間には――というか、年端も行かない少年少女にとって等しく難解な話であることは間違いない。 「DWの内側だけじゃどうにもならないから、オレ達みたいな外の世界の住民を呼んだ……ってことじゃないかな。多分」 翼も己の理解度に自信が無いため、胸を張って説明することは叶わなかった。現代文50点の実力を、翼は初めて呪わしく思った。 「冗談じゃないわよ!」 重く厳格な空気を、少女の叫び声が切り裂いた。声を上げたのは、翼や誠と同い年らしい女子、木島レミであった。 「勝手に変な世界に呼び出して、モンスターと一緒に世界を救えだなんて、無茶言わないで! 私はこんなことに同意した覚えは無いし、元の世界でやらなきゃいけないことがあるのに!」 痛切な訴えを聞き、翼はこんなシリアスな状況にも関わらず己の好奇心が疼くのを感じていた。ここに集まった子供達は全員翼と同様にデジモンと出会い、世界を救う使命を受け入れているものと思い込んでいたからだ。 「はわわ、申し訳ありません! わたくしの手際が悪かったせいで、ろくに事情を説明できないままお連れしてしまいまして……!」 早口で誤り始めたのはルナモンで、レミ、翼ら、スクリーンの順に繰り返し頭を下げている。翼から見るとその謙虚さはやや極端に感じられるが、これを見習ってドラコモンにも多少の慎ましさを覚えて欲しいとも思う。 『かように性急なやり方になってしまったのは、私共の責任です。しかしながら、貴方がたをテイマーたらしめたのは他の誰でもない貴方がた自身……その点だけは理解して頂きたいのです』 ――オレ達、「自身」? 翼が抱いたものと全く同じ戸惑いが子供達全員の胸に生じたようで、銘々の目と口がもの言いたげに小さく動くのが分かった。 『皆さんの手元にある《LEAF》、それらはあるいくつかの基準に沿ってテイマーの資質を持つ人間を見出します。その中で最も重要な基準は――「心の底からパートナーを求めていること」、です』 翼が手元のLEAFを見ると、誠達も全員ポケットから同じ形状のデバイスを取り出した。抱える事情は様々でも、LEAFに導かれてDWに降り立ったという点は共通していると見える。 『世界を救う鍵となるのは、テイマーとデジモンの強い絆です。それらはこのDWにとって必要であると同時に、貴方がた自身にとっても必要となることでしょう』 「……だったら、私には無理だよ。誰かと仲良くするって、得意じゃないから」 『貴方は……レミ、といいましたね。貴方のLEAFは既にルナモンとデータリンクしている……それは貴方の心がルナモンを受け入れていることと同義なのです。それに、ここに集まった全ての人間とデジモン、誰が欠けても世界は救えません。それが――――――の示した――なので――――』 不意に、スクリーンの映像と音声が途切れ始めた。 『――り時間がありません。大陸の北を目指すのです。それから――追手――気を付けてくだ――』 ブツン、と電気的な破裂音を立て、スクリーンは完全に消滅してしまった。 誰もが困惑を隠せずにいる中、健悟は傍らの岩の陰から革のショルダーバッグを取り出し、呟いた。 「北へ行けば、事態の本筋が分かる。ヒョコモン、行くよ」 「御意!」 ヒョコモンを連れて歩き始める健悟の迷いの無い背中に、翼は己の心がほんの少し動かされるのを感じた。彼の言動は、近寄り難い雰囲気と計り知れない暗さを含んではいるが、それ以上に確固たる意思を顕している。龍三やドラコモンとはまた違った勇敢さが、翼の興味を惹き付けて離さないのだ。 「待って、オレも一緒に行く!」 翼が呼び止めると、健悟は立ち止まって振り向いた。 「……坂本君、だっけ。さっきまで集団行動は不都合、みたいなこと言ってなかったっけ」 「翼でいいよ。オレ、馴れ合うのは好きじゃないけど、健悟みたいに賢い仲間だったら絶対に欲しいんだ。お互い抱えてるものは色々あるだろうけど、それならなるべく長生きしたいでしょ? オレのサバイバル知識があれば――」 何としても彼を仲間に。その一心でひたすら喋っていると、健悟は舌打ちを一つした。 「馴れ馴れしいんだよ、お前」 一言吐き捨て、健悟は元の方向へ向き直ると早足でその場を離れてしまった。 おかしい、アプローチは間違っていなかった筈。翼が立ち尽くしていると、背後から翼のTシャツの裾を引っ張る者がいた。 「……翼さん、あれはちょっとよくないと思います」 それは誠の妹、ひなたであった。当惑3割、作り笑い7割といったその表情は、やんわりと何かを伝えようとしている風だった。 「普通の人は、さっきみたいにいきなり馴れ馴れしくされたら怒っちゃいます。それに、自分のことばっかり話して、相手の話を聞いてあげないと、お願いなんて聞いてもらえませんよ」 「え、そうなの?」 周囲に目を向けると、レミとルナモンが寸分違わぬタイミングで首を縦に振っていた。他のデジモン達と誠は、何を言っているのかさっぱり、といった風情で口を半開きにしていた。 「別にそこまで気にしなくてよくね? オレはいつもの調子で友達作れるし」 「お兄ちゃんはもっと気を遣わなきゃダメなの!」 煩わしそうに顔を顰める誠と、頬を膨らませて咎めるひなた。そんな微笑ましいワンシーンに心を和ませながら、翼は健悟との会話とひなたの言葉を思い返した。翼自身、友達を作るための会話の例を誠のそれしか見たことが無いため、それを意識してセッションを持ち掛けただけなのだが、どうやら悪い例を実践する形になってしまったようだ。 「タスク、人間ってのはいつもこんなややこしいことを気にしなきゃなんねーのか?」 「まあ、ね……相手に信用してもらおうと思ったら、まずは言葉で相手の心を開かなきゃいけない、ってとこかな」 「ふーん。なんか分かりづれーな、人間って」 ドラコモンのシンプルな感想に対し翼は、そうだね、と答えるしかなかった。 「とにかく、オレも北に進もうと思う。見た感じ、他の方角に進んでもできることは少なそうだし……」 翼が他の面々に向けて宣言すると、レミがそれに食い付いた。 「ちょっと待って。あの早勢って人もそうだけど、あなたはこの土地の方角を把握してるの?」 「うん。さっきスクリーンにこの大陸の全体図が映ったでしょ。陸地は縦長で、その端にさっき見えた火山と似た山があった。ここから海岸にかけて目立つものは見当たらなかったから、多分オレ達が集められたのは危険な場所から一番離れた場所。つまりここから海岸線を辿って行けば、少なくとも大陸の北端には近付けるってこと」 「あ、そういうことか……翼君、頭良いのね」 「えっ――いやいや、大したことないって」 照れ笑いで一応誤魔化せはした(と思う)ものの、翼はこの一瞬で未だかつて無いほどに動揺していた。――今、褒められた。同い年の女子に。というか、今まで他人に地理の解説をして褒められる機会などあったろうか。 「そうそう、地歴で翼に勝てるヤツはいねーんだぜ! オレも何度か宿題手伝ってもらったから分かる!」 誠が翼の肩に腕を回し、誇らしげに言った。「何度か」ではなく「毎回」の間違いだろ、という指摘はここではぐっと飲み込んでおく。 「それだけじゃねえ、タスクは度胸も一丁前だ! 自分より図体のデカいデジモンに生身で立ち向かって、顔面ぶん殴って怯ませちまったんだ!」 便乗し、ドラコモンが翼の背中をバシバシと叩いた。せめて「鈍器で」と付け加えてもらいたかった。 「んー、と……よく分かんないけど、ここに来るまでに色々あったみたいね。もしよければ、話を聞かせてもらえるかしら」 ――興味を、示された!? 現実世界では万が一にも起こり得なかった事象に翼が狼狽えていると、すかさず誠が合いの手を入れた。 「とりあえず、歩きながら話そうぜ! ……あ、ところで翼」 「何さ」 「さっき健悟と話してた時、結構いい笑顔してたぞ。初対面相手なのにスゲーじゃん」 「……お前と同レベル、ってことか……」 「いや、まだオレには及ばねーな!」 「褒めてないからな……?」
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桃ノ井モトキ
2019年10月29日
In デジモン創作サロン
←PREV NEXT→ 【Part 1/2】 * 少年――坂本翼(さかもとたすく)は夢を見ていた。 それは過去の記憶――翼がまだ5歳の頃、父親と2人でアウトドア用品店に行った時の光景。その日、父にせがんで登山用のゴーグルを買って貰ったのを翼はよく覚えている。 小児の顔にはやや大きめのそのゴーグルを着け、父の肩の上から見回した帰り道の街並みは、翼にはまるで知らない世界の景色に見えた。 幼い好奇心を高ぶらせる翼に、父は優しい声で語りかけた。その言葉は、5歳児にとっては難解なものだったが、どこか不思議な響きを伴って翼の耳にはっきりと残っている。 ――厳しい世界を生き抜くために必要なものは、道具や知識だけじゃないんだ。同じ夢を見て、同じ苦境を共に乗り越える―― 「起立!」 日直の号令で、翼の意識は現実へ引き戻された。 机に突っ伏していた上体を慌てて起こし、他の生徒達に少し遅れて立ち上がる。黒板の上の壁掛け時計は12時を指していた。そういえば、今日の授業は午前中で終わるんだった――と、翼が記憶を取り戻すのとほぼ同時に、教室天井のスピーカーが耳慣れたチャイム音を奏でた。 坂本翼、13歳。 中学生になって初めての、夏休みの始まりだった。 ep.01「少年は夢と共に」 * 【20XX.07.23 12:06(JST)】 昇降口を出ると、真昼の太陽が鬱陶しいまでの熱気と僅かな痛みを翼の肌にぶつける。雲一つ無い晴れ空の下、外へ出る者に平等に日光は降り注いでいるはずだが、翼同様学校を後にする生徒達は夏休みの始まりに浮かれてかそれを気にも留めないようだった。元気そうだな、と独りごち、翼は半袖ワイシャツの襟ボタンを外した。 「おい、翼!」 すぐ背後から翼を呼ぶ、これまた元気そうな声は、この学校では唯一翼の友人と呼べる少年の声だった。 振り向くと、眉間目掛けて手刀が振り下ろされた。翼はくいと体を捻り、紙一重でそれを躱す。 「……うん、さすがの動体視力。昨日のよりは避けにくいと思ったんだけど、翼にゃ簡単過ぎたか」 「サッカーボールのアレか。次やったら許さねえぞ、マジで怪我するかと思ったよ」 声と手刀の主――星上誠(ほしがみまこと)は、翼の同級生である。去る3月の中頃に隣の市から引っ越して来たという彼は、中学校に入って一月と経たない内にクラスのムードメーカーとなった、明るさと友好の化身のような人物だ。 「でもお前の目はホンモノだって! いつだかの体育でドッジボールやった時だって、誰も翼にボールを当てられなかったしな! 球技とか格闘技とか始めたら、エースだって狙えるぜ!」 「大袈裟だよ。そもそもオレ、スポーツ嫌いだし」 答えつつ翼が歩みを進めると、誠もその隣を歩く。帰宅部の翼と空手部の誠が帰路を共にすることは滅多に無いが、今日のように下校のタイミングが合うと、どちらから言い出すでもなく並んで歩くのが定番となっていた。 「ンだよ、もったいねーの……ところで翼、お前さっきのHRで寝てたろ。珍しいな、お前が居眠りなんて」 「先生の話が退屈だったから、つい。ってか、なんで知ってんだよ」 「いやー、偶然目に入っちゃったんだわ」 「3つ真後ろの席が偶然目に入るか……?」 誠の言う通り、翼が授業中に居眠りをすることは殆ど無い――否、恐らくこれが生まれて初めてであった。早寝早起きをモットーとする翼だが、昨晩は眠るに眠れない状況であったがために睡眠不足のまま登校するに至ったのだ。 「……何かあったか」 急に真顔になる誠。普段翼に素っ気なくあしらわれても笑顔を絶やさない彼がそんな顔をするぐらいなので、恐らく自分は余程暗い表情をしているのだろう、と翼は思った。 「……父さんのことでちょっと、ね」 昨晩翼が眠れなかった理由――そして恐らくは、翼が幼き日の思い出を夢に見た理由――、それは翼がこの世で最も尊敬する人物、翼の父親にまつわることだった。 翼の父、坂本龍三(-りゅうぞう)は「冒険家」である。 1、2ヶ月程の期間で海外諸国を飛び回り、その記録の数々でもって金を稼ぐ。それが龍三の稼業である、と幼い翼に語ったのは龍三自身だった。エッセイを数冊と、世界各地の絶景を収めた写真集を1冊出しており、それらは全部翼の自室の本棚にしまってある。 翼は、父の社会的地位や世間体等に興味は無かった。沢山の土産物と土産話を持ち帰り、翼に世界の広さを教えてくれる父を、翼はただ尊敬していた。東亜に流れる大河の景観、西洋の荒野で出会った人々、南国の島で採れた珍しい木の実、北極で白熊と格闘した経験……等々、日本で普通に生活している限り決して出会うことのない事物の話を、父は楽しそうに語ってくれた。また、それを聞くことで翼も楽しくなった。 父との思い出はそれだけではない。龍三はたまに家に帰って来ると、翼をちょっとした「冒険」に連れ出してくれた。龍三の土産話同様その中身は日によって様々で、近所の散歩から本格的なキャンプまで、2人はシチュエーション毎に目標を設定して屋外を歩き回った。龍三は翼を「冒険」に連れ出す度、地理や天文、サバイバル等の知識を実用的な技能と併せて翼に教えた。それは幼い翼にとって一番の娯楽であり、純粋な知的好奇心を満たし得る教養でもあった。 そんな父に憧れて、翼は「冒険家」を志していた。 しかし、ある時から龍三は殆ど家に帰らなくなった。半年程家を空けることも珍しくなくなり、久し振りに帰って来たかと思えば荷物を整理してさっさと出掛けてしまう……そんな生活が続き、龍三が家族と触れ合う時間はめっきり減ってしまった。それでも龍三は、毎月22日には国際電話で翼と母に連絡を――時差を考慮して、翼が家にいる夕方から夜にかけて――とってくれたが、今月はまだそれが無い。龍三はきっと電話をかけてくれる、そう信じて翼は昨晩、電話機の前で夜が更けるまで待ち続けていたのであった。 「そっか、それで寝不足……ていうか、翼の親父さんってそんなすげー仕事してたのか」 「うん、父さんはすごい人だよ。近所の人達はあんまりいい顔しないけど……」 「なんでだろーな、すげーカッコいいのに」 普段は独りで下る坂道を、今日の翼は誠と並んで歩いている。 普通の人々――例えば翼らの前後を談笑しながら歩く生徒達――であればその辛気臭さに鼻をつまむような翼の身の上話を、誠は嫌な顔一つせず聴いていた。それが翼にとってはいささか不思議に感じられた。 「そんで、親父さんのその……冒険家? の仕事が忙しくなった理由とか、聞いてねーの?」 「訊く度にはぐらかされてたんだよな……だから、あんまり問い詰めない方がいいのかな、って」 「えぇ~? そういうのって一度ガツンと質問した方がいいって! ただ言いたくないだけか、本当に言い辛いことなのかも、今のままじゃ分かんねーだろ?」 それはそうだけど、と、翼が言葉を濁していると、2人は交差点に辿り着いた。向かって左側の歩行者用信号が青に変わったばかりの様子である。 「とにかくさ、大事なことは言葉にして相手に伝えなきゃどーにもなんないぜ! 翼と親父さんは仲良しみたいだから、話せば分かると思う! ……じゃ、オレこっちだから。またな!」 そうまくし立てると、誠は全速力で横断歩道を駆け抜けて行った。落ち着きの無い奴、と思いながら、翼は誠と反対の方向に歩みを進めた。 * 【20XX.07.23 12:40(JST)】 父との思い出を辿って行く中で、翼の脳裏にある記憶が蘇っていた。それは微睡の中に見た幼き日の光景――龍三が翼に語った言葉だった。 ――厳しい世界を生き抜くために必要なものは、道具や知識だけじゃないんだ。同じ夢を見て、同じ苦境を共に乗り越える相棒がいるといい。翼、冒険に挑む誰かの力になってやれ。 これはきっと「友達を作れ」という意味だろう。初め、翼はそう解釈した。だから小学校に入ってからは、積極的に周囲の人間と関わるつもりだった。面白いものに溢れたこの世界、きっとそこに暮らす人々も興味深い何かを持っているに違いない――そんな期待を抱きながら。 ところが、翼を待っていたのは、「あまり面白くない」現実だった。 学校で出会った子供達に、夢や理想といったものは無かった。探究心と呼べるものもやはり無い。日々の会話のネタといえば、流行りのテレビ番組や芸能人のこと等。その面倒を見る教師ですら、さほどためになる講釈をしてはくれない。――端的に言えば、龍三の言う「冒険に挑む」人間など、一人として見つからなかったのである。 それが理解できたのは小学3年生の頃で、翼は友達作りをすっかり諦めてしまった。単にクラスメイトと仲良くなるだけなら、流行りものの知識を集めるだけでそれなりに上手く行ったのかも知れないが、生憎翼の知識欲はそういったものに対して全く作用しなかった。翼の周囲の子供達も、翼を好奇の目でこそ見れ積極的に関心を示すことは無かったため、互いに興味が無いのなら無理に接触を図らなくてもよいと翼は思っていた。翼には、冒険への憧れと、父親の存在さえあればそれでよかったのだ。 何の因果か、龍三が家を空けがちになり始めたのは、翼が周囲の人間に対する興味を完全に失った頃だった。心の拠り所、とまではいかないものの、翼の人生にとって極めて重要な存在であった龍三が、手の届かない場所へ行ってしまう――そんな不安と喪失感によって、自分の生活から徐々に彩りが失われて行くのを翼は感じていた。 坂本翼が「孤独」という概念を身を以て理解したのは、こういった体験によってであった。 学童達の多くが通学に用いるバス通りを避け、翼は人通りの少ない遠回りな道を通学路にしている。広葉樹の並木で日差しを遮られているその道は、翼のお気に入りの場所だった。街の喧騒から遠ざかり、時折通り過ぎる車の音、辺りにほんのり漂う雑木の香り、頭上に切り取られる空の模様等に感覚を集中させている間のみ、自分が自分でいられる気がするからだ。 しかし、今日ばかりは訳が違った。誠に己の身の上を語るに当たり、己の過去と現在、そして己の在り方を見つめ直すことになり、翼は少なからず動揺していたのである。自分が今日まで目を逸らし続けて来た独りぼっちの坂本翼と向き合う試みは、苦しみとも悲しみともとれない暗い感情を翼の胸にわだかまらせた。 自宅に着くと、家の前には明らかに身内のものでない軽自動車が停められていた。来客だろうか、と思いつつ表口のドアノブを引くとドアはすんなり開き、玄関にはこれまた身内のものでない男物の革靴が一足行儀よく並んでいた。 靴を脱ぎ、リビングの戸を開けると、翼の疑問はすぐに晴れた。 「やあ翼、お邪魔してるよ」 30分前にも教室で顔を合わせたばかりの若い男性――クラス担任の中村(なかむら)が、客間で茶を飲んでいた。テーブルの向かい側には、翼の母である和恵(かずえ)も座っている。 そういえば、今日は家庭訪問があるんだった……と、翼は数日前の記憶を回顧する。中学校の前期終業から数日間、翼ら第1学年のクラス担任達が各生徒の家を訪れ、保護者との面談を行うのである。中村の受け持つ1年C組、その最初の割り当てが翼の家であることは、中村が保護者向けに配ったプリントに確かに書いてあった。 「お帰り、翼。丁度あなたの成績について話してたんだけど、現代文のテスト50点だったらしいじゃない」 先程までは接客用の笑顔だった和恵の顔が、急に不機嫌な色に変わった。うるさいな、と翼は口の中で毒づく。地理のテストは95点だったのだからいいじゃないか、と。 「まあまあ……先程申し上げた通り、他の教科、特に地歴なんかでは好成績を修めてますし、まだ伸びしろはありますよ……それより翼、こっちで一緒にお話ししよう。将来の進路のこととか、色々聞きたいな」 中村は笑顔で語りかけて来るが、翼には母や教師と膝を交えて話すことなどそう多くはない。 「……オレ、将来は冒険家になります。父さんみたいな立派な人になって、世界中を旅するんです」 そう言って翼は、リビングの戸を閉め、2階の自室に引っ込んだ。 自室で制服から私服に着替えた翼は、すぐに玄関へ向かった。といっても、行きたい場所がある訳ではない。気の向くまま外を散歩し、気が向いたら家に帰る。そんな、目的地の無い「小冒険」が、近頃の翼の暇潰しになっていた。 シューズの靴紐を結び、玄関のドアを押し開けた時、翼の耳に、和恵と中村の会話が断片的に聞こえて来た。 「翼君、学校ではあまり人と話さないから分かりませんでしたけど、将来の夢というか、意志がはっきりしていていいですね」 「いえいえ、夢だなんて言えるほど大層なものでは……あの子、うちの旦那の仕事に憧れてるみたいなんですけど、旦那は本当は――」 バタン。 話し声が扉に遮られると同時に、セミ達の鳴き声が翼を包んだ。 知らぬ間に止めていた息を細く吐き、翼は歩き始めた。例によって行く先は決めない。翼はただ、どこか遠くへ行きたいと思った。 * 【20XX.07.23 13:35(JST)】 「相棒」、とは何だろう。 隣の区まで徒歩でやって来た翼は、広い公園の隅のベンチに腰掛けて考え込んでいた。 父の言葉に則って考えると、同じ夢、同じ苦境を共有する存在をそう呼ぶらしい。となると、世間一般に「友達」と呼ばれる関係がこれに当てはまらないことは翼にも想像がつく。 友達をまともに作れていない――誠とは友達と呼べる程濃い付き合いをしていない――自分に、相棒と呼べる存在と出会うことができるのか。或いは、自分が誰かにとっての相棒になれるのか。 俯いて思索に耽っていると、うっすらと耳鳴りが聞こえ始めた。自分は疲れているのだろうか、と思い、翼は帰路につくべくベンチを立った。 ――タスケテ―― 耳鳴りに混じって、誰かの消え入りそうな声が聞こえた。一体誰が、と翼は辺りを見回すが、平日の昼下がりということもあってか周りには誰もいない。 ――ボクヲ、タスケテ―― また、同じ声。不思議とその声色は印象に残らず、言葉が聞こえた、という感覚だけが記憶に残る。 どうやら翼は、何者かに呼ばれているらしい。しかし声の主の姿は見えない。どうしたものだろう、と首を傾げていると、公園の外に並ぶ街灯が1つ、昼間の往来に光を灯すのが見えた。 ――ハヤク、コッチニ―― 3度目の呼びかけと同時に、点灯した街灯の隣で1本、そのまた隣で1本と、伝播するように街灯が次々に光り始めた。光が伝わって行くその方向を見ると、翼は僅かに耳鳴りが大きくなるのを感じた。 翼は、街灯の光が示す方向へ駆け出した。 翼が街へ飛び出すと、街灯や看板の電灯が道を示すように光った。その方向へ進むにつれ、翼の耳鳴りはますます強くなる。 しばらく走っていると、翼はどこかの住宅街の外れ、雑木林と舗装路を色褪せた緑の金網1枚で隔てた通りに来ていた。街灯の「道案内」はそこで止まってしまったが、金網の向こうに広がる林、その奥に何者かがいることを、翼は尚も強まる耳鳴りで感じていた。 有刺鉄線の途切れた部分から、翼はフェンスを乗り越えて薄暗い林へ入って行く。湿った落ち葉を踏む音も、虫や鳥の鳴き声も、耳鳴りに掻き消されて遠く聞こえた。 さらに奥へ進むと、翼の聴覚を遮っていた煩わしい耳鳴りは不意にぴたりと止んだ。 そして、翼は「それ」を見付けた。 「それ」は、例えるならば東洋の伝説に登場する《竜》――の、幼体。先が二股に分かれた2本の角、1対のヒレ状の部位を持ち、全身に緑色の鱗を纏った、翼の両腕で抱えられそうな大きさのタツノオトシゴ風の生物が、全身に傷を負い、仰向けになって腐葉土の上に横たわっていた。 何だ、コイツ。翼の困惑は、自然と声になって口からこぼれていた。 真っ先に思い浮かんだのは、UMA――所謂未確認生物、実在するか否かも定かでないクリーチャー。それと遭遇してしまったのでは、と思ったのである。龍三も、かつてヒマラヤの奥地で「雪男」を目撃したと語っており、翼は今でもそれを信じている。そんな都市伝説めいた存在に、家の近くで遭遇するというのはいささか妙な話かも知れないが、これ以外に目の前の生物を適切に名状できる語を翼は知らない。 地面に力無く肢体を投げ出す「それ」に、翼は恐る恐る近寄った。肺呼吸でもしているのか、蛇腹状の腹部が律動的に上下している。しかしその動きは小刻みで浅く、息も絶え絶え、という表現が相応しい有様であった。普通の動物であれば、このまま放っておけば死んでしまうだろう。 助けなくては。翼の手は、何の躊躇いも無しに目の間の「それ」を抱え上げていた。このまま「それ」に死なれてしまっては気分が悪いから、という理由もあるが、何より翼は「助けて」という声に導かれてここまで来たのだから。 翼は「それ」を両腕にしっかりと抱いたまま、来た道を駆け足で引き返して行った。 * 【20XX.07.23 14:00(JST)】 何故、自分だけが「それ」の存在に気が付いたのか。何故「それ」は大怪我を負っていたのか。そもそも、人語によって自分を呼び寄せたのは本当に「それ」なのか――。 普通ならすぐに思い至って然るべきいくつもの疑問が翼の心中に生じたのは、翼が例の生物を抱えて自宅の前に辿り着いてからであった。ぜえぜえと息を弾ませながら辺りの様子を伺うと、既に中村の車は姿を消し、昼の住宅街にはセミの声が響くばかりである。 緑色の小さな竜を両腕に抱えたまま、翼は右手指で玄関のドアノブをそっと引いてみた。無用心にも鍵はかかっていない。翼はそのまま右爪先でドアを開けて玄関に上がり込み、なるべく音を立てないように2階の自室に入った。そしてベッドの上に折り畳まれたタオルケットにそっと竜を横たえる。 そうしてまた忍び足で下階へ降りると、翼はTシャツの裾で顔の汗を拭い、何事も無かったかのようにリビングのドアを開けた。冷房の効いた部屋の中、和恵は一人で茶を飲みながら、テレビのニュース番組を観ている。 「……ただいま」 「あら、お帰り。随分早かったわね」 和恵の反応は尤もであった。通常翼の「小冒険」は2時間程続くが、今日はそれを1時間程度で切り上げて帰宅したのだ。 「ちょっと、お腹空いちゃったから」 「そっか、今日は給食無かったんだもんね。レトルトカレーでも食べる?」 「うん。ありがと」 ごく自然な会話をしている間、翼は2階に匿った竜をどうするかということについて思考を巡らせていた。まずは傷口の消毒、次いで応急処置。食欲があれば何か食べさせ、後は静かな場所で休ませておく――素人考えで思い付くのはこの程度である。第一、人間や動物を対象とした治療法がUMAに通用する確証も無いため、ここから先は賭けに等しい一発勝負だ。 和恵が台所で食器の用意をしている間、翼はリビング隅の戸棚から木製の救急箱を取り出し、食卓の下に置いた。それからしばらくして、和恵がカレーライスの入った皿とスプーンを運んで来たので、 「オレ、2階で食べるね」 一言断り、カレー皿と、先程用意した救急箱をさりげなく手に取り、いそいそと2階へ向かった。 自室に戻ると、小さな竜は変わらず布団の上に寝転がっていた。まだ息はあるが、この状態がいつまで続くかは分からない。翼は心を決め、しゃがんだ姿勢でゆっくりと竜に近付いた。 竜の身体のあちこちに開く大小の傷は、深く抉れて紅い断面を露わにしているものの出血は見られない。大がかりな止血をする必要が無いと分かり安堵する翼だったが、それでも未知の生物に手を触れる勇気はまだ出ない。 どうしたものか、と竜を見つめながら考えていると、閉じられていた竜の両目がぱちりと開いた。アメジストにも似た2つの大きな瞳をぐりぐりと動かし、竜は辺りを慌ただしく見回した後、翼の顔面に視線を固定した。 ――そういえば昔、父さんが言っていた気がする。動物にガンを飛ばされた時、睨み返すと大抵喧嘩になる、と。 翼は咄嗟に目を逸らし、カレー皿を竜の前に差し出した。これは本来怪我をした竜の体力を回復させるために持ち込んだものであったが、これで竜の機嫌をとれないか試そうと思ったのである。これが竜の口に合わなければ、代わりに食われるのは自分だろうか……そんな恐怖が、翼の額に大粒の冷や汗を滲ませた。 「えっと……これ、食べます……?」 竜は徐ろに上体を起こし、うっすらと湯気を上らせるカレーライスに顔を近付けた。そして数回鼻をひくひくさせ、カレールーの部分を細長い舌先で少し舐めると――皿に勢いよく顔を突っ込んだ。 「うわあ!?」 出会ってから初めて見る大きなアクションに、翼は思わず飛び退ってしまう。そんな翼には目もくれず、竜は一心不乱といった様子でカレーライスを貪っていた。時折ルーの飛沫と米粒がフローリングや自分の顔に降りかかるのを、翼は呆然と眺める他無かった。 皿の中身を綺麗に平らげると、竜はその首をゆっくりと翼に向けた。――まだ足りないの!? 次はオレ!? という嫌な予感に突き動かされ、翼は部屋のドアに駆け寄った。 ひとまず竜を部屋に閉じ込め、その隙に和恵をどこかへ避難させねば。焦る頭の片隅でそんな行動計画を練りつつ、翼はドアを背に竜の様子を伺った。すると、翼の意識はさらなる驚きに打ちのめされた。竜の体が、ヘリウム風船の如くふわふわと浮いているではないか。 竜は音も無く宙を滑り、一瞬で翼の鼻先へ肉薄した。 ――あ、終わった。 咄嗟に悲鳴を上げることも叶わず立ち尽くす、静寂の数秒間。竜の口元が開き、鋭い牙が露わになる様が、翼の目にはやけにスローに映った。 「オレを助けたのは、オメーか?」 ――誰かの、声。 小さな竜は、相変わらず翼の目の前に浮いている。翼の頭が齧られる気配は無かった。 「……おい、聞いてるか?」 また、同じ声。性格の荒い男児、とでも形容できそうなその声は、確かに翼の聴覚が捉えたものであった。しかし、その声の主はどこにいるのか。それだけが翼には…… いや、いる。人語を喋ってもおかしくなさそうな存在が、丁度目の前に。 「……え、君、喋れるの……?」 「おう、何かおかしいか」 にべもない調子で放たれた言葉に合わせて、竜の口元が確かに動いている。 ――何から何までおかしいよ! そう喚きたいのをぐっと堪え、翼は改めて眼前の「それ」を凝視した。宙に浮かび、人語を話す、緑色の小さな竜を。 坂本翼、13歳。 夏休み最初の思い出は、不思議要素3点盛りの生物との遭遇であった。 * 【20XX.07.23 14:32(JST)】 翼は普段、人と話すということを滅多にしない。その理由はただ一つ、「話しても面白くないから」である。同じ時間をかけてにらめっこをするなら、その辺の人間よりも本の方が100倍ためになる――という持論が翼の中で固まったのは、小学4年生の頃だったと記憶する。 それはそれとして、翼が今まで遠ざけて来た大衆の中になら、UMAとの会話の作法を知る者がいただろうか。或いは、結局今朝になっても電話をかけてくれなかった父親なら――。 部屋のあちこちを、興味深そうに見て飛び回る小さな竜。翼はドアの前にへたり込み、半ば放心状態でその様を見つめていた。 翼が敵でないことは、竜には案外すんなりと理解してもらえた。しかし、それ以上何を話せばいいのか、現実離れした事象の数々に掻き回された翼の脳味噌では考えがまとまらない。 翼はこの時初めて、自分が所謂「口下手」なのでは、という点に思い至った。人間とも碌に話せない者が、どうしてUMAと仲良く会話できようか、と。 「……なあ、オメー」 「はひっ!?」 思いがけず竜の方から会話を振られ、翼は素っ頓狂な声を上げてしまった。竜は訝しげな顔を――顔の構造は人間とは骨格レベルで異なる筈なのに、目元の動きがやけに人間的であった――しつつも、流暢に言葉を続けた。 「オメー、なんか弱そーなナリしてるけど、何て種族のデジモンなんだ? この辺に住んでるのか?」 「え? でじ……もん?」 流石未確認生物というべきか、口に出す名詞も謎めいている。 「いや、オレはただの人間だけど……君はその、デジモン? ってやつなの?」 「そ、オレは〈ベビドモン〉ってんだ。改めて、助けてくれたことには礼を言っとくぜ」 「ああ、どういたしまして……オレはただ、呼ばれて行っただけなんだけどね」 「呼ばれた? 誰に?」 はて、と翼は首を傾げた。そういえば、先程翼を呼んだ声と〈ベビドモン〉の物言いは、一人称からして異なっていた。翼に助けを求めた存在は、ベビドモンとは別の何かだったのだろうか、と翼は考える。 「まあ、別にいいや。それにしても、ニンゲンか……うん、記憶にねえ」 「えっと、オレからも質問なんだけど……君はどこから来たの? どうしてあの場所に倒れてたの?」 翼の問いかけに、ベビドモンはしばし空中で動きを止めて考え込む様子を見せる。そして一言、簡潔に答えた。 「悪い、なーんも覚えてない」 「……『覚えてない』?」 「あぁ。オレがどこで何をしていて、どうしてここに来ちまったのか、その他諸々の記憶がほとんどすっぽ抜けてんだ。今オレが覚えてるのは……そうだな、オレがベビドモンっつー種族のデジモンの一個体で、誰かに追いかけられて命からがら逃げて来た、ってことぐらいだ」 「記憶喪失」――ベビドモンの現状を端的に言い表すと、こうなる。 ベビドモンの失った記憶はどのようなものだったのか。そこも気になるが、翼の興味は主にベビドモンの中に残っている記憶の方に向けられていた。彼の発言から推察されるのは、彼が「種族」という概念を理解・記憶していること、そして彼の命が何者かに狙われていたこと。ベビドモンが人間並みの知能を持ち、人類とほぼ同水準の文明で生活していたとでも考えなければ、記憶喪失の状態で自身にまつわる基本的な情報をこうも詳細に語れることの説明がつかない。 「えっと……さっきから気になってたんだけど……デジモン、って何?」 「オメー、デジモンを知らねーのか。そんなら教えてやるよ……オレは《デジタルモンスター》、略してデジモンっつーイキモノの中の1体だ。細かいことは忘れちまったけど、オメーらニンゲンと違うってことだけは確かだな」 デジタルモンスター。生まれて初めて聞くその固有名詞を、翼は頭の中で反芻した。デジタルと聞くと、PCやスマートフォンに使われている技術のそれを連想する。人間の生み出した電子工学の技術と謎の生物、この二者にどのような関係があるのか翼には見当が付かなかったが、翼が街灯の点灯という電気的な現象に導かれてベビドモンと出会ったことから、デジタルモンスターが何か電気的な性質・能力を有していることは予想できた。 「さて、と。腹も膨れたし、オレはそろそろ行くぜ」 ベビドモンの一言が束の間の沈黙を破る。翼が仰ぎ見ると、ベビドモンは部屋の窓にふわふわと近付き、その鼻先をゴツンとぶつけた。 「いてっ……なんだ、こっから出られるんじゃねえのか……」 「いやいやちょっと待って! 怪我は大丈夫なの!? ていうか、記憶が無いのに外に出てどうするのさ!?」 言いつつ、ベビドモンに近付き――そこで翼は目を瞠る。ベビドモンの体表に生々しく刻まれていたいくつもの傷、それが一つ残らず塞がっていたのである。 「メシ食って休んでりゃ、多少の傷はすぐ治るさ。それにな、記憶はねーけど、次にやることはもう決まってんだよ」 「やること、って?」 「外から同類の気配がする。オレを追っかけてたヤローが近くにいるかも知んねーからよ、そいつのツラ拝んでくる」 「え、それが当たりだったら次こそ死んじゃうんじゃ……」 「うるせーな! そいつを見ればちょっとくらい記憶が戻るかもって話だよ! いいからオレをこっから出せ!」 凄まじい剣幕で威嚇されてしまったので、翼は渋々施錠してあった窓を開けた。ベビドモンは一転して明るい表情になると、 「助けてくれてありがとな、ニンゲン! もしまた生きて会えたら、そん時ゃ改めて礼をさせてくれよな!」 そんなことを言い、勢いよく窓から飛び出して行った。身体的な消耗を一切感じさせないその飛行を見れば、ベビドモンがこれ以上の手助けを必要としていないことは翼にも分かる。 住宅街を横切って遠方へ消えて行く竜の後ろ姿を見送っていると、翼はあることに気が付いた。 ――そういえばオレ、自分の名前を言ってなかったな。 会話の基本を思い出させてくれた存在が、よりによって人外のクリーチャーであったことに、翼は若干の情けなさを覚えた。 * 【20XX.07.23 14:59(JST)】 床や寝具に飛び散ったカレールーをティッシュで拭いながら、翼はベビドモンの行方を案じた。 「同類の気配がする」、というのは、ベビドモンのような不思議生物、もとい《デジタルモンスター》が近くにいるということらしい。ベビドモンはそれに直接会うべく外に飛び出した訳だが、問題はまさにそこにある。先のように派手に空を飛び回れば、街行く人の注目が集まって本当のUMA騒ぎになってしまう。また、ベビドモンの向かった先に仇がい場合、再び喧嘩を売って勝てる望みが薄いことは明らかであった。 後を追うべきか。翼は開け放してあった窓から身を乗り出しベビドモンが飛び去った方向を見つめた。空を飛べる彼が地上の障害物を気にする必要は無い筈なので、恐らく目的地までのルートは一直線。南向きの窓から右前方、方角としてはほぼ南西――何の因果か、翼の通う虹ヶ沢中がある方向ではないか。 「……行ってみるか」 呟くと、翼は丸めたティッシュをプラスチック製のゴミ箱に投げ入れ、皿とスプーンを持ち1階のリビングへ駆け込んだ。 「あら、どーしたの翼。そんなに慌てて」 翼が急いで部屋に入ること自体が珍しいからだろう、台所にいた和恵はティーカップを洗う手を止めて翼の顔を覗き見た。 「ちょっと用事ができたんだ。今から学校行ってくる」 「学校? 何か忘れ物、とか?」 「うん、そんなとこ。ところでお母さん……」 「ん、何?」 「カレーのおかわり、貰っていいかな……」 和恵に怪訝な顔をされながら新しい皿でカレーを食し、玄関先で和恵にやたら心配そうな顔で見送られてから、翼は改めて脳内で行動計画を整理した。 まずは自宅から中学校までの最短ルート、即ち人通りの多い通学路を歩き、地上と上空を注意深く見て回る。そして念のため中学校にも立ち入る。そこまでの範囲でベビドモン又はデジタルモンスターらしき何かが見つかったら接触を図り、見つからなければ探索ルートを延長する――というのが、翼の計画であった。 わざわざデジモンに近付く意義について、翼はあまり深く考えていなかった。彼らが人目に付いて騒ぎを起こさないよう忠告し、その後のアクションはその場で決める。翼にできることはせいぜいそれくらいのものである。 いざ通学路へ出、中学校までの道をきょろきょろ首を振りながら歩いてみると、結論からしてそれらしいものは見当たらなかった。自宅付近の路地で野良猫に鉢合わせて威嚇された程度のものである。――まあ、UMAがそんなに簡単に見付かったら都市伝説にもなりはしないか。そう自分に言い聞かせ、翼は休憩がてら足を止めていた場所に目を向けた。 市立虹ヶ沢中学校。翼らの学び舎だ。夏季の大会に向けて練習をしている吹奏楽部や野球部等を除き、生徒の多くが下校した様子だった。 中学校に私服で踏み入るのはこれが初めてで、翼は誰かに咎められはしないかと警戒していた。しかし、屋外を歩く者は無く、校庭の方から若者達のどよめきがうっすらと聞こえるばかりである。野球部の生徒達だろうか、と翼は思ったが、練習中の声にしては覇気に欠け、あからさまな困惑すら含んでいる。 何かあったのか。普段であれば他人の動向など気にする用事も持たない翼だったが、今ばかりは諸々の心配に駆られてどうにも注意を引かれてしまう。諸々に心配、というのは、言わずもがなベビドモンにまつわることだ。どうせ校庭は真っ先に見に行くつもりだった、と、翼は駆け足で校庭に向かった。 一面にクリーム色の光を照り返す砂地で、キャップにユニフォームというお決まりの出で立ちの野球部員ら――に加え、教員らしきスーツ姿の男女数名が、校門側に背を向け、寄り集まって校庭の内側を見つめている。見立て通り、どよめきの源はここに相違なかった。翼は野次馬の背中の向こうをそっと覗き込んだ。 うっすらと陽炎を昇らせるグラウンドに、これといって不審なモノは見当たらない。その代わり、空中に青白いスパーク様の光がいくつも明滅し、蛍の群れを思わせる不思議な光景を作り出していた。 稲光にも似たその光の色合いは、まさに感電でもするかの如き速さで翼の記憶を刺激した。それは奇妙な電気的現象を引き起こす存在、 「ようニンゲン、また会ったな。こんなとこで何してんだ」 そう、丁度こんな感じの喋り方をする―― 「うあぁビックリした! 何してんのこんなとこで!?」 「質問してんのはこっちだっての……」 心当たりの筆頭ことベビドモンが、いつの間にか翼の傍にぷかぷか浮いていた。勝手に後を追った手前、こちらから声をかけることはあっても向こうから声をかけられることは無いと思っていたので、翼はすっかり調子を崩されてしまった。 「えっと、オレはベビドモンのことが気になって追いかけて来たんだけど……キミはここで何をしてたの?」 問いを返すと、ベビドモンは校庭に目線を移しながら答える。 「さっきも言ったろ、『同類の気配がする』って。それを追っかけて来たらよ、どうもアタリっぽいのがいたから様子を見てたんだ」 宙を漂う謎の燐光を、ベビドモンは好奇の目で――やはり目元の動きは人間臭く、人外である彼の心境が面白い程簡単に読み取れてしまう――眺めている。件の光を指して「アタリっぽい」と評しているならば、それが敵の姿、或いは敵の存在を知らせる現象なのだろう。 しかし、この状況が今後どのように変化していくというのか。翼が野次馬に混じって現場を見守っていると、不意に空中の光の粒子が急激にその量を増した。 「ベビドモン、どうなってんのあれ……?」 「おいおいおい……コイツ、思った以上の大物だ。しかも殺意ムキダシと来てる。ニンゲン、この状況はちとマズいぞ」 「マズい、って、どうマズいの?」 「そーだなぁ……早いとこ逃げないと、ここにいるニンゲンが半分くらい巻き添え食うって感じ」 「そんな……ッ!?」 驚きのあまり飛び出た翼の大音声で、野次馬はようやく翼の存在に気付いた。振り向く彼らの目からベビドモンを隠すべく、翼は咄嗟にベビドモンの体を引っ掴んで後手に隠した。 「君、ウチの生徒? ダメだよ、夏休みだからって私服で学校に入っちゃ……」 一人の男性教師が大方予想通りの小言を口にするが、今はそんなことを気にしている場合ではない。翼は腹の底まで息を吸い、半ばヤケクソ気味に声を張り上げた。 「全員ここから早く逃げて! このままじゃ死人が出る!」 これだけ緊張感たっぷりの声で警告すれば、皆この場を離れてくれるだろう。そう期待していたが、野次馬達は翼を冷ややかな目で見るだけだった。束の間の沈黙に、大袈裟だよ、何言ってんだコイツ、という感想まで滲み出しているような雰囲気だ。 「オメーのお仲間、命知らずだな。死ぬかも知れないってわざわざ警告してやってんのに、誰も逃げようとしねえ。ニンゲンって実は見た目の割に強いのか?」 「……そんな訳ないよ……」 恐らくは純粋な疑問から来ているであろうベビドモンの問いが、今ばかりは皮肉めいて聞こえてしまう。人ならざるモノの視点から見れば、この光景は異様に思えるのだろう。 「……この人達にとっては、これが普通なんだ。命のやり取りとか、人が大勢死ぬような状況なんかとは無縁の世界で生きてるから。きっと、自分や仲間が痛い目を見るまで、分かんないんだ……」 どんな危険が近付いても、自分だけは大丈夫だと信じたい。そういう心理が誰にでもあると翼に教えたのは、龍三であった。職業柄危険な場所を選んで渡り歩く彼は、人間の抱く「恐怖」の感情が冒険には最も重要だと考えていたらしい。輝かしい冒険の思い出話には必ず身の危険を感じたエピソードを付け加え、その度に「臆病な内は意外と死なない」という旨の言葉を残す。そんな様が、坂本龍三という人物の死生観を印象付けていた。 臆病な内は死なない。ということは、裏を返せば。 「……臆病でないヤツから、死ぬ」 「利口だな。分かってんならとっとと逃げやがれ、敵がもうすぐ出て来るぞ」 翼の手をするりと抜け出し、ベビドモンが翼の鼻面の前に躍り出た。翼を一瞥したその眼の中では、一杯に開いた黒色の瞳孔が極限の緊張を漲らせていた。丁度、先程翼を威嚇した野良猫のタペタムのように。 敵が「出て来る」、とはどういうことだろう。そう訝しみつつ校庭を眺めていると、その光景は急速に変容し始めた。先刻まで当て所無く宙を漂うばかりだった光の粒が、みるみる内にその数を増し、空中のある一点に集まって光の球を形作った。そしてその球は、程無くして乾いた破裂音と眩いスパークを周囲一帯に放った。翼と野次馬の男女は、咄嗟に顔を両手で覆った。 強烈な光に晒された翼の目が視界を取り戻した時、翼はベビドモンの言葉の意味を理解した。 謎の光が姿を消した代わりに、校庭には狼然としたシルエットの何かが佇んでいる。それがただの狼でないことは、紫色の体毛で覆われた目測3、4メートル程の体、両肩と両目を覆う蝙蝠の羽めいた部位、そして足先に生えた巨大な爪――否、むしろ「刃」にも見える――を見れば翼にも察しがつく。あれがベビドモンの言う「敵」……ここに居合わせた人間をも殺しかねない脅威なのだ。 「先生何あれ、オオカミ?」 「いや、分かんないけど……とにかく君達は離れて!」 「やだ、110番繋がらない……」 生徒らと教師らの気の抜けたやり取りを他所に、ベビドモンはゆっくりと彼らの目の前に出て見せた。そこで野次馬はようやくベビドモンの存在に気付き一層どよめきを大きくしたが、ベビドモンはそれに構わず、突如現れた狼もどきに向かって言葉を投げかけた。 「よう、誰だオメー」 気さくなようでどこか張り詰めたトーンの問いに、狼もどきはくいと首を持ち上げ、 「私は〈サングルゥモン〉、リヴァイアモン様に楯突いた貴様を処分すべくここへ来た。一度手合わせをしているはずだが、まさか憶えていないと……?」 男性風のハスキーな声で応じた。人外2体が人語で会話をしているこの状況に、野次馬はいよいよパニックを起こしかけている様子だった。かくいう翼は、ああこいつも喋るんだ、と一応驚いてはいるが、それよりもここにいる人々の安全の方が余程気掛かりだった。 「実はオレさ、記憶ソーシツ? ってヤツみたいで、オメーと会ったことも含めて昔のことは何も思い出せねーんだわ。……だからさ、記憶が戻るまでの間だけでいいから、見逃しちゃくんねーかな、なんて……」 「……あれだけ丁寧に甚振ってやった後でそんな口が利ける辺り、記憶が無いというのは本当らしいな」 「そーそー、だから――」 「だがそれとこれとは話が別だ。貴様をレジスタンスの主力たらしめた力、その因子が貴様の中に残っている以上、貴様は完全に削除せねばならん」 「はあぁ!? 話通じねーのかこの犬公が!」 サングルゥモン、と名乗ったデジタルモンスターは、低い唸り声を漏らしながら左前足を前に進めた。翼にはモンスターらの会話が意味するところは何一つ読み取れなかったが、ベビドモンの命乞いが聞き入れられなかった点でその先の流れはなんとなく予想できた。
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桃ノ井モトキ
その他
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