フォーラム記事

黄身餡
2022年10月23日
In デジモン創作サロン
<< 前の話  次の話 >> 『そうか──八人目の名前はヒカリというのか』  初めは恐怖しかなかった。  みんなを苦しめる邪悪なデジモンだったから。  でも。  でも、あなたは……。  ヴァンデモンとの様々な思い出が胸中を去来し、一向に止む事のない涙。  心の奥底から突き上げてくる慟哭。  ぼやける視界。  理性を凌駕する感情。  熱を帯びた身体。  足元に落ちたままの遺品。  光の紋章の少女の嘆きが頂点に達したその時──奇跡が起きた。  泣き叫ぶヒカリの全身から突然、まばゆい光があふれ出た。  仲間達が驚いて目を見張る中、それに呼応するかのようにポケットに入れていたD-3が彼女の元を離れ、ゆっくりと浮遊し始める。  ピンク色のD-3はヒカリの胸元付近で停止し、彼女から発せられた聖なる輝きを全て吸収するとその液晶画面に光の紋章が浮かび上がった。  次の瞬間、液晶画面から一筋の光が放たれ、けたたましい鳴き声と共に無数の蝙蝠が光の中から出現した。 「!?」  遥か頭上を飛び交う蝙蝠の群れにヒカリは驚いて顔を上げる。  いや、彼女だけではない。  この場にいた全員が愕然とせざるを得なかった。  室内の天井近くを縦横無尽に飛び回っていた蝙蝠達は、ヒカリが座りこんでいる目の前の床に次々と集まり漆黒の細長い塊を形成したかと思うと、見る見るうちにアンデッドの王の姿へと変化していった。  ヒカリはD-3が床に落下したのにも気づかず、眼前で仰向けに横たわっている彼を呆然と見続ける。  少しして手套をはめた指先がピクッと動き、ヴァンデモンが低い呻き声を漏らしつつ目を覚ました。 「……ヒカリ?」  彼は想い人の姿を視界にとらえるやいなや、仮面の奥の双眸を大きく見開いて激しく動揺する。  一方ヒカリは口を閉ざしたまま微動だにせず凝視していたが、ヴァンデモンが身を起こそうとした矢先。  彼女は突然素早く立ち上がると彼の上に馬乗りになった。 「っ!?」  想像を絶する展開に誰もが度肝を抜かれる中、ヒカリはうろたえるヴァンデモンを全く気にかける事なく、その首元にある蝙蝠の形をした黄金色の装身具を両手で引っつかんで強引に持ち上げた。そして至近距離まで顔を引き寄せ、鋭い眼光で睨みつけるように見下ろし。 「嘘をついてまで隠し事をして、しまいには勝手にいなくなって、ほんっと腹が立つ!」  ヒカリは、為されるがまま真っ直ぐに見つめてくる蒼い瞳に、蓄積した感情を矢継ぎ早にぶちまける。 「あなたはいつも相手の事ばかり考えて──自分がつらいとか苦しいとか、どうして言わないのっ? 独りで痛みを抱えこまないでよっっ!!」  鬼気迫る表情で胸ぐらを何度も揺さぶりながら声を荒らげる少女に、人間の姿を模した怪物は言葉をつまらせる。  ヒカリは言いたい事を言い終えて気が抜けたのか、そのまま倒れるようにヴァンデモンに抱きつくと首筋に頬を寄せて泣きじゃくった。  新旧の選ばれし子供達とそのパートナーデジモンは、彼女達の様子をただひたすら眺めていた。ふと光子郎が何かを思い出したかのように手元のノートパソコンに視線を落として、ひそかに安堵の息を漏らす。  するとヴァンデモンがヒカリにのし掛かられた状態でゆっくりと上体を起こし、息を凝らして見続ける無粋な輩をぎろりと睥睨する。そして、見世物ではないぞ、と言わんばかりの形相で、この場から立ち去れと顎で指図した。  どうしてよいか判断がつかず戸惑う彼らにテイルモンが、 「私が見ているから安心して」  と告げ、別の部屋に移動するよううながす。  太一達は一抹の不安を覚えつつも、テイルモンがいればとりあえず大丈夫だろうと思い直し、ぞろぞろと室内から出て行った。  数多の視線からまぬがれヴァンデモンは深いため息をついた後、膝の上にずり落ちてもなおしがみついたまま延々と泣き続けるヒカリの背中に手を添え優しくさすりながら、聞こえるか聞こえないかくらいの声で、 「あいつめ、図(はか )ったな……」  と、呟いた。  彼には分かっていた。  “彼女”もまた──パートナーの幸せを強く願っていたという事を。  ヴァンデモンはしばらくの間、胸元に顔をうずめてしゃくりあげる少女の背中を撫でさすり続けた。しんと静まり返った中、布越しに伝わる心地良い感触にヒカリの心は安らぎ、だんだん落ち着きを取り戻していく。  すると頃合いを見計らったかのように手が離され、思わず彼を見上げた瞬間。  突然ヴァンデモンの体が覆いかぶさってきたかと思うと、強く、激しくかき抱かれた。  以前、東京湾に面した高層ビルの屋上で抱きしめられた時とは全く異なる情熱的な抱擁に、並々ならぬものを感じていると。 「ヒカリ……すまなかった」  相手を想うがゆえに傷つけてしまった苦しみを滲ませた声に、ヒカリは胸がしめつけられるような思いに駆られた。 「……うん、知ってる。もう……知ってるから」  彼女は目に涙をためて答えるとつかんでいた手を背中に回して、ぎゅっと抱きしめ返す。  真に心を許し合い揺るぎない絆で結ばれた関係に、テイルモンは現実世界でまだ幼かったヒカリとようやく逢えた時の事を思い出しながら、穏やかな眼差しで彼女とかつての主の姿を遠くから見守っていた。  それより少し前。  子供達とそれぞれのパートナーデジモンはピアノ室からさほど離れていない広めの部屋に入ると、室内の一番奥に太一とアグモン、並びに光子郎とテントモンが皆と向かい合う形でたたずむ。他のメンバーが困惑した様子で彼らを眺めていたちょうどその時、大輔が堰を切ったように口を開いた。 「もう何がなんだかさっぱり分かんねぇ。いきなりヒカリちゃんの体が光り出したと思ったら、あいつが生き返って──しかもヒカリちゃん、なんであんな奴にっ……」  突如として出現した新たな恋のライバルに先を越されてしょげ返る大輔にブイモンがなんとも言えない表情で、「ドンマイ、大輔」と励ましとも慰めともつかない言葉をかける。彼らのコミカルなやり取りに一瞬にして場の空気が和んだのを機に、光子郎は話を切り出した。 「まず初めに、ヴァンデモンの復活により異世界の崩壊が止まった事をお知らせします……とは言っても、正直それどころではありませんが」  そう述べると大きく息をつき、仲間達の反応を見ながら続けざまに語る。 「何故このような事になったのかはいったん置いておくとして、問題はヴァンデモンです。D-3を介して蘇ったという事実を踏まえると、彼はヒカリさんのパートナーデジモン──もしくはそれに近い存在に生まれ変わった可能性が高いと考えられます」 「はぁ? 奴がヒカリのパートナーデジモンだって!?」  素っ頓狂な声をあげる太一に続いて丈が、 「第一、ヒカリちゃんにはテイルモンがいるじゃないか」  と、言い聞かせるような口調で指摘する。 「確かにパートナーデジモンは選ばれし子供一人につき一匹とされていますが、ウォレス君のようなケースがある以上、必ずしもそうとは限らないのではないでしょうか。現にテイルモンは非常に落ち着いていました。おそらく彼を、ヒカリさんを守る同朋として認めているのでしょう」  その理にかなった推測は彼らに衝撃をもたらした。騒然とする中、急に空が「ちょっといいかしら」と声をかけ、この場にいる全員の視線が彼女に向けられる。 「実はヒカリちゃんがあんなに取り乱したのは、ヴァンデモンが書き残した手紙を読んでからなの……きっと二人の間に、計り知れない何かがあったんだと思う」 「しかもヒカリちゃんが知らないのをいい事にピアノで別れを告げるなんて、ほんとキザなんだからっ!」  伏し目がちに話す空とは対照的にまなじりを吊り上げて憤慨するミミに、賢はハッとした表情で、 「そうか……あの時ショパンの『別れの曲』を弾いていたのは、そういう事だったのか……」  と呟きつつ、かつて自分を闇におとしいれた相手に割り切れない思いを抱く。  容認。興味。不安。忌避。敵意。  当然ながらヴァンデモンに対する子供達の感情は様々であった。  そうしてしばらくの間、沈黙が続いた。  収まりがつかない微妙な雰囲気に耐えられなくなったのか、いきなり京がいつもより明るいノリで身振り手振りを交えて喋り始める。 「とにかくこれで一件落着って事でっ! それにね私、ヒカリちゃんもあんな顔するんだって思ったら、なんか嬉しくなっちゃった」 「……言っとくけどなぁ、京。ヒカリちゃんはお前と違ってマジでかわいいから何しても許されんだよ」 「は? 別にあんたみたいなデリカシーのない奴に、かわいいって思われなくてもいいですー。むしろ思われたくないですぅー」  太一は、しょうもない口喧嘩をし始める京と大輔を目にしながら、妹があれほど心の内を露わにする事は今までなかったな、と思い返した。 ──いつも周りに遠慮して自分をあまり出さなかったヒカリを、あいつが突き動かしたんだ……。  するとヴァンデモンがヒカリとテイルモンを伴って現れた。一部の子供達は瞬時に険しい顔つきになり身構える。  しかし彼は表情一つ変えず、堂々とした態度で全員の姿を一通り眺めた後、 「紆余曲折の末、私は光の紋章の力によって新たな命を得た。急な話で納得しかねるだろうが、これからはお前達の仲間だ」  と、高らかに宣言した。  前もって予測していたとはいえ、ヴァンデモンから直接告げられ動揺する彼らにヒカリが、「信じられないかもしれないけど、彼はもう敵じゃないの」となだめるように言い添える。 「ヒカリやテイルモンのみならず、お前達にも多大な迷惑をかけた。よって今から宴席を設けようと思うのだが──」  ヴァンデモンが最後まで言い終えないうちに、デジモン達の口から「食い物!?」、「ヒャッホー!」といった歓声があがる。  だが、喜びはしゃぐ彼らの一方で伊織がわなわなと体を震わせながら、 「一体どういうつもりですかっ!」  と、怒りを爆発させた。 「そんな取ってつけたような手段でぼく達を懐柔しようとしても無駄です。あんなにひどい事をしておいて、すんなり受け入れられるとでも思っているんですかっ?」  最年少の子供は無言のまま鋭い眼差しを向けてくるヴァンデモンにひるむ事なく毅然と立ち向かう。一気に険悪なムードになる中、ヴァンデモンは全く悪びれる様子もなく、 「お前が私をどう評価しようが一向に構わん。私は自らの美学に基づいて行動するだけだ。しかしながら、お前の言い分も一理ある……人間関係の構築とは実に難しいものだな」  と述べ、ふぅむ、と考えこむように唸った後、思いもよらない事を口にする。 「私としてはいずれお前と個別に話をしたい。僅か三年ほどの付き合いではあったが、及川悠紀夫の人となりや生き様を真っ先に伝えるべき相手はお前だからな──火田伊織」 「っ!? どうしてぼくの名前をっ!?」  ヴァンデモンは驚愕する伊織にフッと笑うと、ごく自然な感じで他に異論はないか皆に確認をとった。暴虐の限りを尽くした邪悪なデジモンとは到底思えぬ言動に、子供達は狐につままれたような顔をする。 「さて、話を本題に戻すとしよう。形式は着席ビュッフェで飲食物に関してはこちらで用意する。その間、お前達には会場の設営を頼みたい」  そして、必要な物があればこいつに言え、と体から一匹の蝙蝠を出現させた。 「……ねぇ、賢ちゃん。『ちゃくせきぶっふぇ』って何?」  小声でひそひそと尋ねてくるワームモンに、賢は穏やかに微笑みながら、 「料理が並べられたメインテーブルを自由に移動して、食べる分だけそれぞれの皿に取り分けてから自分の席で食事をするスタイルだよ」  と、分かりやすく説明した。するとワームモンは、「さっきの曲名といい、賢ちゃんはなんでも知ってるんだねっ」と目をキラキラと輝かせる。 「じゃあ会場のレイアウトはパーティー経験の豊富なあたしに任せてっ! 正直言ってこの城、すっっごく陰気臭いのよね。だから目いっぱい飾りつけして華やかにしなくちゃ!」 「それに灯りもたくさんあった方がいいわね」 「ミミお姉様っ、空さんっ、私にも手伝わせて下さいっ! 選ばれし匠達の技で不気味な城をビフォーアフターしちゃいましょー!」 「…………」  その天真爛漫ぶりを遺憾なく発揮する彼女達に、ヴァンデモン並びに少年達は言葉を失った。 「……まあ良い。では、一流のスタッフを確保する為デジタルワールドに向かうとするか……」  その言葉にヒカリはすかさず、 「それってデジタマモン達の事? だったら私も一緒に──」  と言いかけるが、厳しい眼差しに遮られてしまい。 「お前には、先にやらなければならない事があるのではないか?」  ヴァンデモンは冷徹な口調で諭すように述べた後、視線をヒカリから奥の方にいる太一へと移す。太一は即座に彼の意図を汲み取ると、落ち着いた足取りで仲間達の間を通り抜け妹に歩み寄った。そして真正面から向き合い、真摯に語りかける。 「……ヒカリ。ヴァンデモンとの間に何があったのか、初めから順を追って説明してくれ」 「お兄ちゃん……そうよね、ごめんなさい」  自分の浅はかさにしゅんとするヒカリを静観していたヴァンデモンだったが、ふと何かを閃いたような素振りをしたかと思うと、怪しげな笑みを浮かべながらとんでもない事を提案してきた。 「ならばヒカリの代わりとして──本宮大輔とブイモン、それに一乗寺賢とワームモンにも付き合ってもらうとしよう」 「えっ!?」  いきなり名指しされビクッと体を震わせる賢に、「賢ちゃんはボクが守るっ!」とワームモンが気負い立つ。  しかし一方の大輔は物怖じするどころか率先してヴァンデモンに近づき、 「もしかしてそのデジタマモンって、湖の側でレストランを開いてる奴の事か?」  と、まるでクラスメートに話しかけるように接し始めた。 「……知っているのか?」 「ああ。ドルなんて持ってなかったから危うく働かされるところだったぜ」 「デジタルワールドでは日本円は通用しないからな」  極めて普通に会話する彼らに賢のみならず他の子供達も驚き呆れていると、視線を感じた大輔が不思議そうな顔をして振り返る。 「ん? なんだよお前ら。オレ、なんか変な事言ったか?」 「いや、そういうわけじゃないんだけど……」  すると大輔は自信に満ちた眼差しで、 「心配すんな、賢。こいつは以前のような悪い奴なんかじゃない。それにオレ達に声をかけたのも、皆に信用してもらいたいっていうこいつなりの考えなんだと思う」  と、懸念を抱く賢に私見を述べてから再びヴァンデモンの方に向き直り、「もし少しでも妙な動きをしたら、ジョグレス進化して叩きのめせって事だろ?」と悪戯っぽく笑う。 「……どうりでお前には敵わんわけだ……あの時、八人目ではなくお前を探し出して始末すべきだったのかもしれんな……」  そうこぼすと、ヴァンデモンは複雑な思いで目の前のたぐい稀な素質──物事の本質を見極める力──を持つ少年を見つめる。そして選ばれし子供達とそのパートナーデジモンを改めて見渡した後、 「ではこれより宴の準備に取りかかる。その間、各々(おのおの)の為すべき事を為せ」  と、おごそかな声で告げた。  こうして──新たな仲間となったアンデッドの王による“饗宴”が始まった。 「こらブイモン、アルマジモン。その場で食べずに自分の席に運べと何度言ったら分かるのだ。アグモンもテーブルの上から降り──そこっ、走り回るな!」  一部のデジモン達のマナーもへったくれもない行儀の悪さにヴァンデモンは、全くこれだから成長期は……、としかめ面をしていると、ふと背後から誰かが近づいて来る気配がした。 「ハハッ、なんかヴァンデモンって保父さんみたいだね」  ヴァンデモンは突如として放たれた、一見親しみをこめているようでうっすらとした毒気を含んだ、タケルの一言にピクリと反応する。  それに対してタケルはにこやかな笑みをたたえたまま、今度はこちらにしか聞こえないほどの小声で、 「ヒカリちゃんの部屋らしき一室に、不自然すぎるくらい大きなベッドがあって枕が二つ並んでたんだけど……アレって一体どういう事かな?」  と口元を引き攣らせながら、凄まじい殺気をほとばしらせた。  あれは快適な睡眠を守り通すための処置であり、枕に関しては、彼女の好みに合わせて自由に使ってもらえるよう硬さや大きさの異なる物を置いていただけなのだが、邪推も甚だしい。  そのうえ何故だか無性に腹が立つ。  しかし、直感的にタケルの心の内を把握した途端、沸々とした怒りに似た感情は余裕へと変わり。 「フン。他人の房事を詮索するとは低俗にも程がある」 「っ!!」  ヴァンデモンが勝ち誇った顔で反撃に出ると、瞬時にタケルの笑顔が崩れる。  当然ながら、ヒカリとの間にやましい事など一切無い──そもそもデジモン自体、性別が無いので生殖機能および性的欲求は備わっていない──が、彼女にひとかたならぬ想いを抱いているのであれば話は別だと、少しばかり盛ってみた。  両者は無言で睨み合ったまま激しい火花を散らせる。 「タケル~、あっつあつのパエリアが出てきたよ~。早くしないと無くなっちゃうよ~」  パタモンが見守る中、ヒカリを巡る戦いが水面下で繰り広げられていた……。  ちょうど同じ頃。 「ねーねーあんた達。向こうに行ってた間、ヴァンデモンと何話したのっ?」  不意に大輔達の隣のテーブルから京が身を乗り出して尋ねてくる。だが大輔は平らな白い皿にこんもり盛られた料理を口いっぱいに放りこんでおり、真向いの席に座っていた賢がその姿を見かねて静かに箸を置いた。 「……主にラーメンに関して、かな」 「ふぇ?」  想像の斜め上をいく返答に、京は思わず変な声を出してしまう。 「最初は好みの味から始まって、彼は塩、本宮は味噌、そしてぼくは醤油で、その時点から統一性に欠けるというか……」  賢は困惑気味の表情で話をしつつ、内心、優勢だった戦況を『ラーメン屋』という強烈すぎる一言で一気にひっくり返されたのがよほど悔しかったに違いないと、少しだけ不憫に思った。 「でもよ、あれはすごかったよなぁ~。あいつが懐から札束を取り出した途端、デジタマモンの奴いきなりコロッと態度を変えやがってよぉ。ったく、時代劇じゃあるまいし」 「そ、そうだったんですか……」 「楽しそうっ。やっぱり私もついて行きたかったな」 「っつーか、なんでデジモンが大金持ってんのよっ!?」  彼らは実に平和でほのぼのとした時間を過ごしているのであった。  それからしばらくして、ホールスタッフのベジーモンがダンボール箱を抱えて現れると、あらかじめ置いてあった小型の冷凍ショーケースに箱の中身を次々と陳列していった。 「あっ、アイスクリームだ! 丈の分も取ってきてやるよ」  よほど冷たい物が食べたかったのか、ゴマモンは丈の制止を振り切ってショーケースの方に向かうが、寸前でヴァンデモンに行く手を阻まれてしまい。 「なんだよっ。オイラ、這っては来たけど走ってなんかないぞっ!」  だがヴァンデモンは立ち塞がったまま、心配して見に来た丈とゴマモンを見下ろし、 「悪いが先客がいるのでな」  と、口にした。 「先客ぅ?」  ゴマモンが訝しげな声で聞き返すが、ヴァンデモンは相手にせず品物を入れ終えたショーケースまで移動する。そしてきびきびとした動作でケースの中からいくつか取り出すと、用意しておいたトレーに乗せて目的の場所へと運んで行った。 「ん? どうしたんだ? タケル」 「……ここ最近忙しくて、お兄ちゃんとゆっくり話してないなって思って」  両手に飲み物を持ってやって来た弟に、席で寛いでいたヤマトは柔らかな笑みを向ける。 「ちょうど今、ガブモンと昔の話をしてたところなんだ。デジタマモンのレストランでこき使われて大変だったところにお前と太一が来てくれて……それに丈や空にも助けられて……あれから四年も経つんだな」 「うん……あの頃の僕は小さすぎて、とにかく皆に迷惑かけないようにって必死だったよ」  そう言いながらタケルは兄達の向かいの席に座り、隣に座ったパタモンにストロー付きのグラスを手渡す。 「でもタケルはすごく背が伸びたよね。久しぶりに会った時、オレびっくりしたもん」 「もちろんボクはすぐに、タケルだ、って分かったよ」  彼らが和気あいあいと語らっていると、メインテーブルの方から暗黒系デジモンが悠然とした足取りで迫ってきた。ヤマトはその予期せぬ訪問者に気づくやいなや、ざわっとした感覚に襲われる。 「……なんの用だ」  ヤマトの低く唸るような声に一瞬にして場の空気が凍りつき、他の子供やデジモン達は一斉に口を閉ざして彼らに注目した。先程から気になってヴァンデモンの動きを目で追っていた丈は、これはただじゃ済まないぞ、と内心ハラハラする。  一方、ヴァンデモンは敵愾心を露わにするヤマトとタケルを涼しい顔で見つめた後、手にしていたトレーをテーブルの上にそっと置いた。 「?」  そこにはプラスチック製の容器に入ったソフトクリームの形をしたアイスクリームが六つ置かれていた。  その意図がつかめず驚きを隠しきれないヤマト達に、彼は淡々とした口調で話し始める。 「これはお前達の分、そして後の二つは──まだ見ぬパンプモンとゴツモンの分だ」 「っ!?」 「……どういう、意味だ?」 「先日、デジタルワールド以外の世界で命を落とした者達が始まりの町に戻れるよう手を回しておいた。おそらく生前の記憶は失われているだろうがな……」  ヴァンデモンの発言を受けて丈は思わず、 「じゃあ昨夜、渋谷で偶然出会ったのは……」  と、口にした。  いや。  渋谷のみならず、お台場を含めた東京湾周辺、東京タワー、光が丘。  ヒカリはテイルモンから指輪の事を知らされた時点で薄々感づいてはいたが、これらの地は全てデジモンに関係していたのだ。  すると遠巻きに見つめていた賢がヴァンデモンに向かってためらいがちに尋ねる。 「……もしかしてアルケニモンやマミーモン、それに──」 「ブラックウォーグレイモンもですかっ!?」  賢が続きを言う前に、伊織がらしくもなく衝動的に横から口を挟む。そんな彼らに対してヴァンデモンは落ち着き払った様子で、 「奴らは厳密にはデジモンではない故、保証はしかねるが最善を尽くした」  と、答えた。  その言葉に嬉しそうに顔を見合わせる賢達の一方で、ヤマトの心は千々に乱れていた。 「なんで今更っ……罪滅ぼしのつもりかよ?」  ヤマトはひどく動揺しながらもヴァンデモンに食ってかかるが、彼は深い海を彷彿させるような眼差しで、こう述べた。 「『立つ鳥跡を濁さず』、いや、今となっては『自分で蒔いた種は自分で刈り取る』の方が妥当か……半永久的にさまよい続ける苦しみを、嫌というほど味わっているからな」 「…………」  先程、太一達と共にヒカリから事の次第を聞いていたヤマトは、それ以上何も言えずうつむいて黙りこんでしまう。  室内が水を打ったように静まる中、ヴァンデモンは息をつくとちょうど良い機会だとばかりに、 「ついでに先代の選ばれし子供達に言いたい事がある」  と、唐突に話を振ってきた。  一体何事かと驚く太一達を見ながら彼は続けざまに語る。 「この前、ヒカリにかつての居城を案内しようとデジタルワールドに赴いたのだが──随分と派手にやってくれたな?」  全壊に至らしめるとはいい度胸だ、となじる声に先代の子供とパートナーデジモン達はギョッとする。  その傍らでヒカリはふと、そういえば瓦礫の山の前でしばらくの間呆然と立ち尽くしていたなと、当時の事を思い出す。おそらく相当ショックを受けていたのだろう……。 「こっ、光子郎はんっ。やっぱりワテが天井壊したせいでっしゃろか?」  光子郎が、テーブルの陰から冷や汗をかきつつ小声で話しかけてくるテントモンに、「シッ!」と人差し指を口の前に立てたその時。 「何よっ! あんただって東京の街を壊しまくったじゃない!」 ──ミミさん、ナイスアシストッ!   いまだに彼女の言動に振り回される事の多い光子郎だが、この時ばかりはミミを絶賛した。 「別に責任を取れと言っているわけではない。ただ──趣味で集めていた日本酒コレクションを別の場所に移しておけば良かったと思っただけだ」 「…………」  栓を開けるのを楽しみにしていたのだが……、と残念そうに呟くヴァンデモンに、 ──お前は“日本酒”ってキャラじゃないだろっ!!   と、その場にいた全員が心の中でツッコミを入れる。 「ねぇ、アグモン。あの時ヌメモンがナニモンに飲ませてたお酒って……」 「やっぱりコレクションの一部だったのかな?」  変装してヴァンデモンの城に潜入した際の出来事を思い返しながら、ひそひそ話をするパルモンとアグモンに、「そこ、何か言ったか?」と容赦ない声が飛んできた。 「う、ううん。なんでもない」 「お気の毒だったわねって話してただけよ」  するとヴァンデモンは、そうか、と勝手に納得し、パーティーを続行するよううながす。そして誰とはなしに喋り始めると、会場内は再び賑やかさを取り戻していった。  楽しげに過ごす彼らの様子を離れた場所からひとしきり眺めていたヴァンデモンだったが、不意に誰かの視線を感じた。  よく知った気配に目を向けると出入口付近にテイルモンがたたずんでいた。  彼女は凛とした空色の瞳でヴァンデモンを見続けた後、誘うような足取りで廊下に向かって歩き出し、彼もまた人知れずその場から姿を消した。  何故、あの地に迷いこんでしまったのだろう?   仲間達からはぐれたのも、運命だったのか?   お前は私の目をいたく嫌っていた。  でも、今ならはっきりと分かる。  お前が私の中に、何を見ていたのかを……。  テイルモンが城の側防塔の屋上に到着すると、後ろからヴァンデモンが規則正しい靴音を響かせながら近づいて来た。 「……行くのか」 「ヒカリにはすでに話してある」  彼女は前を向いたままそう告げた後、手のひらの上の指輪をじっと見つめ、死してもなお先行きを案じてくれた唯一無二の友に想いをつのらせる。そして気持ちを切り替え、自らを奮い立たせるように彼と向き合い。 「私が留守の間、ヒカリを頼む」 「誰に言っている?」  当然全力を挙げて守り抜くに決まっているであろう、と仏頂面を更に渋めるヴァンデモンを、テイルモンは万感の思いで眺めていた。  長年彼の下に仕え、対立し、そして光の紋章の少女のパートナーとして共に生きる事になるとは──なんと奇妙で深い因縁なのだろう。 「ヴァンデモン──」  黙ってこちらを見るアンデッドの王にテイルモンは、 「──いや、なんでもない」  と答えつつ、微かに眼差しを和らげた。 「早く行け。奴が待っている」  彼は動揺を悟られまいと、しれっとした態度で空中にデジタルワールドに続くゲートを開く。  テイルモンは塔の上部にもうけられた背の低い壁面まで進むとその上に乗り、ヴァンデモンの姿を一瞥してから勢いよくゲートに飛びこんだ。  こうして彼女は、ウィザーモンを再生させるための旅に出た。  ゲートが閉じられてもなお、ヴァンデモンがその場にたたずんでいると。 「行っちゃったね……」  後方より歩いてくるヒカリに彼は微動だにせず、「ああ」と答える。不意に風が吹き、漆黒のマントがはためいた。ヒカリは頬にかかる髪を手で押さえながら、だんだん距離を縮めていく。 「ねぇ、ヴァンデモン」 「ん?」  彼女の呼びかけにヴァンデモンはおもむろに振り返り、悠然と構える。 「実は一つだけ、気になっている事があるの」  だが彼は、突然ヒカリから視線を外し、厳(いか)めしい表情で彼女の背後を凝視した。そのただならぬ様相にヒカリもつられて後ろを見ると、十メートルほど離れた所に太一とアグモンがいた。 「…………」  太一はその場にアグモンを残したまま、一人でこちらに向かってくる。ヴァンデモンは、口を引き結び一歩一歩踏みしめるように進む少年を見据えながら、 「ヒカリ。お前はアグモンの元に向かえ」  と、低い声で命じた。  しかしヒカリは状況が飲みこめず、彼らの顔を交互に見るばかりであった。まごつく彼女に、ヴァンデモンは仕方のない娘だと思いつつ、「良いな?」と念を押す。  ヒカリは従うより他はないと判断し、不本意ながらもゆっくりと歩き出した。  途中、正面から近づいてくる太一の様子を恐る恐るうかがうが、彼はこちらを一切見ようとはしなかった。  不穏な空気に胸騒ぎを感じながらようやくアグモンの元にたどり着くと、ヒカリはすがるように兄のパートナーを見つめ。 「一体どういう事なの?」 「……ゴメン。ボクにも分からない。ただ太一は、『きっちりケジメをつけないとダメだ』って」  アグモンの言葉を耳にした瞬間、ヒカリはすれ違いざまに垣間見た兄の目を思い出した。  それは単なる怒りではなく、確固たる決意を秘めた眼差しだった。  そうしているうちに太一はヴァンデモンに接近し、両者はついに対峙した。  太一は依然として険しい形相で、かつて妹を手にかけようとした怪物を睨み続ける。 「八神太一……お前が何故来たのか、おおよそ見当はついている」 「そうか。なら話は早いぜ」  それからしばらくの間、彼らは言葉を交わす事なく向き合っていた。  一触即発の中、緊張が走る。  すると突然太一がヴァンデモンの眼前まで迫り、利き足を後ろに引いたかと思うと、立て続けに手加減なしで鳩尾(みぞおち)を二発殴った。  ヴァンデモンは呻き声をあげると同時に、上腹部を押さえながら後方によろめく。 「!? ヴァンデモンッ!!」  あまりにも衝撃的な光景にヒカリは考えるより先に彼の元へと駆け寄っていた。そして今にも泣きそうな顔で、体勢を立て直したヴァンデモンを見上げる。  一方、太一は両の拳頭を代わる代わるさすりつつ、 「これは親父とお袋の分だ。俺の分は……ま、いっか」  と、最後の方はあっけらかんとした口調で話す。  いつもの兄に戻ったとヒカリがホッとしたのもつかの間、太一はまたもや厳しい目つきになり。 「いいか? 後で家(うち)に来て、両親の前で謝罪してもらうからな」 「……分かっている」  若干ためらいがちに答えるヴァンデモンに彼は、「今度妹を泣かせたら承知しないぞっ!」と言い捨てると、アグモンを引き連れてその場から立ち去った。  側防塔が再び静寂に包まれる中、ヒカリはヴァンデモンと共に太一達の姿が見えなくなるまで見送った。二人きりになった途端、緊張が解けたのか肩の力が抜ける。すると頭上からフッと笑う声が聞こえてきた。 「お前にはいささか刺激が強すぎたようだな」 「ふざけないで。私は本当に心配したんだからっ」  眉を吊り上げる少女にヴァンデモンは、そう怒るなとなだめてから態度を改める。 「人間の腕力などたかが知れている。だが、あの拳はとてつもなく重かった……子供というものは、僅か数年の間に著しく成長するのだな」  彼は感慨深げに大人へと変わりつつある少年が去った方角を見ながら、ふと何かを思い出した様子で、 「そういえば先程、『気になっている事がある』と言っていたが」  と、尋ねてきた。  その言葉にヒカリは、「あっ」と声をあげ、中断してしまった話の続きを口にし始める。 「以前、私にデジヴァイスを預けた時に話してた“形なきもの”って、なんだったの?」  神妙な面持ちで問いかけるヒカリに、ヴァンデモンは一瞬目を見開く。そして顎に手を添えしばらく考えこむような素振りをみせた後、不敵な笑みを浮かべ。 「ではヒントをやろう」 「…………」 「それはお前や私は勿論の事、誰しもが持つものだ」  まるでなぞなぞのような難問を投げかけられ、ヒカリは大いに頭を悩ませるが、真剣に取り組んでいるうちに不意に直感が働き、やっとの事で“答え”を導き出した。  その“答え”をヴァンデモンに伝えると、彼は満足そうに目を細めて正解だとうなずく。 「“心”は届けるものであって、得られるものではないと分かっていながら、それでも──ほんの一瞬だけでも欲しいと願ってしまった……」  そう告げると彼は厚い雲に覆われた空を仰いだ。  一見、空を眺めているように見えるが、仮面の奥の双眸はここではないどこか遠い場所を見ているようだった。  やがてヴァンデモンは視線を戻し、ヒカリの真正面に移動した。  そして、温かな眼差しで微笑みながら、うやうやしく左手を差し出す。  すると遥か彼方にある雲の切れ間から幾筋もの光が差しこんだ。  ヒカリはにっこりと笑って腕を伸ばすと、人間のようで人間とは異なる手のひらにその小さな手を重ねた。  ─ 完結 ─ << 前の話  次の話 >>  ページの一番上に飛ぶ #デジアド02 【あとがき】 (※別サイトに移動します)
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黄身餡
2022年10月23日
In デジモン創作サロン
<< 前の話  次の話 >>  ウィザーモン。  彼女の口から告げられた思いもよらない名前に、ヒカリは驚きを隠せなかった。  一方、テイルモンは指輪に視線を落としたまま複雑な心境を露わにして話を続ける。 「そして最期にこう言ったわ。『奴の魂をデジタルワールドに帰しておいた。散らばったデータの欠片を集めるといい。お前なら必ず──』と……」 「…………」  ヴァンデモンと共に東京都内を巡ったあの夜。  ヒカリは最初に訪れたお台場のビルがテレビ局だったのだと今になって気づく。  それでは、彼が現実世界に赴いた本当の目的は──。 「……ヒカリちゃん」  不意に名を呼ばれ顔を上げると、扉の側に空とピヨモンがたたずんでいた。ピヨモンはソファーに座ってティータイムを満喫しているパルモンとミミを目にするやいなや、 「ちょっと! みんな真剣に取り組んでるのに、何のんびり寛いでるのよっ!」  と、とげとげしい口調で文句をつけた。  しかしこの程度でひるむパルモンではない。 「あらピヨモン。これ、とっても美味しいわよ。あなたも一緒にどう?」  そう述べてパルモンはパウンドケーキを高々と掲げてみせる。ピヨモンはごくりと喉を鳴らして沈黙した後、「アタシも食べる~!」と態度を一変させ、お菓子に向かって突進して行った。 「戦いを終えたばかりだからしょうがないけど、デジモンってほんと食べ物につられすぎ……」  空は半ば呆れ顔でケーキに夢中になるパートナーを眺めるが、背筋を正すとヒカリ達の方へ歩を進める。そして何やら思いつめた様子で、 「京ちゃん達がヴァンデモンの棺の枕の下から見つけたの」  と告げながら、手にしていた物を差し出して見せた。  それはあの夜、東京タワーの土産物店で購入したブロンズ製のキーホルダーだった。 「これがヒカリちゃんの探し物なのかどうか分からないけど、念のため渡しておこうと思って……」 「…………」  ヒカリは受け取った形見の品をじっと見つめたまま、その意味を考えていると。  突然、キーホルダーに残された記憶の断片が頭の中に流れこんできた。  そこはセピア色の世界だった。  ピアノ室の天井まで届きそうなアーチ型の窓辺でヴァンデモンが夜空を見上げている。  その様子を少し離れた場所から“ヒカリ”が悲痛な面持ちで見据えており。 『本当にこれでいいの?』  少女の問いかけに彼はゆっくりと振り返り、無言で肯定の意を示す。しかし“ヒカリ”はやるせない思いを抑えきれず続けざまに喋る。 『だってあなた、あの子の事が──』  するとヴァンデモンは、それ以上口にするなと目配せをして話を遮ると、規則正しい靴音を響かせながらグランドピアノの方に向かって来た。そしてトムソン椅子を視界にとらえたまま、ようやく重い口を開く。 『言葉にして伝える事だけが全てではない。たとえ嫌悪の情であろうとも、何かの拍子に私の事を思い出してくれれば……それで良い』  そう述べて彼は手のひらの上の東京タワーをかたどったキーホルダーを見つめ、一瞬だけ寂しげな笑みを浮かべるが、想いを断ち切るようにギュッと握りしめて感情を押し殺す。  ……だが、その手は微かに震えていた。  次の瞬間、背後でバサバサッと何かが落ちたのと同時にヒカリは現実へと引き戻される。  一体何事かと振り向いて足元を見ると、床に色あせ朽ちかけた楽譜が散乱していた。  どうやらひとりでに落下したようだがあまりにも不自然すぎる。  これらの楽譜の持ち主に思いを馳せたその時。  ヒカリはふと、視線に似た何かを感じた。  昨年末の命運をかけた一戦の後に、例のデジヴァイスを拾った時のようなこの感じは。  改めてテイルモンと空の姿を確認するが、当然ながら彼女達から発せられたものではない。 「ヒカリッ!」  急に驚いて一点を凝視するテイルモンにうながされ、その視線の先を追うと。  つい先程まで楽譜が置かれていたグランドピアノの譜面台に一通の封筒があった。流麗な文字で『八神ヒカリへ』と記されている。  ヒカリは引き寄せられるように封筒を手に取り裏返すと、綴じ口に赤い封蝋が施されていた。蝙蝠をモチーフにした模様の印璽(いんじ)が押された封蝋をテイルモンに砕いてもらった後、中に入っていた手紙を取り出す。  そして彼女達が見守る中、ヒカリは綺麗に折りたたまれた真っ白な便箋を開いた。  お前がこの手紙に目を通しているという事は、私は私の為すべき事をし終えているのだろう。本来ならばこのようなものをしたためるのは私の美学にそぐわぬのだが、彼女に強要されては致し方あるまい。  あれはお前と行動を共にするようになって、ひと月半ばかり経った頃であった。  お前が寝静まった後、妙な胸騒ぎを覚え中庭に出るとそこに“ヒカリ”がいた。  私は当初、夢でも見ているのかと思った。彼女の記憶の中の私は成熟期で止まっており、今の姿を知るよしもない故に。  私は彼女に詫びた。彼女は全て許してくれた。  そして姿が見えず声も聞こえずとも、ずっと私の傍に居てくれていた事を知った。彼女曰く、私達がこうして巡り会えたのもお前が持つ不思議な力の影響らしい。  だが同時に私は愕然とした。  あのデジヴァイスが彼女の魂をも半永久的に縛りつけているという事実に。  かつて私達を繋いでいた唯一の証が、あろうことかおぞましい呪いと化していたとは。  しかし私の力ではアレは壊せない。故に何とも癪に障るが、選ばれし子供達の中で私のマインドイリュージョンを唯一撥ね除けたあの稀有な少年に全てを託す事にした。  それはさておき本題に戻ろう。  本当は分かっていた。  所詮、仮初めの関係など遅かれ早かれ、いつか破綻してしまうものなのだと。  だがそれでも、ほんの短い間ではあったがお前と共に過ごした時間は、私にとってかけがえのない生涯忘れ得ぬ一時だった。並びに、もう二度と戻れない遥か遠い昔、パートナーデジモンとして冒険をしていた日々を思い出させてくれた。  もし万が一、デジタルワールドの何処かで私を見かける事があるかもしれないが、それは別個体のヴァンデモンであって私ではない。  ヒカリ。  お前は自分が思っている以上に芯の強い娘だ。備わった感受性の高さは美点ではあるが、必要以上に他者に気を使い感情を溜め込む癖は自身の繊細な心を更に追い詰めるだけで、私はあまり感心できない。お前がどう思ったかは知らないが、思いのまま意見を述べ行動する様を見本としてそれとなく示したつもりだ。  全てを照らす光を彷彿させる芯の強さに加えて、お前には常に温かくその成長を見守る両親や兄、そして親身になってくれる素晴らしい仲間達がいる。  彼らと、テイルモンと共に進め。  まだ見ぬ先へ。  やがて大人の女性となり、年を重ねようとも──  そして手紙は、こう締めくくられていた。 『──私はただただひたすらに、お前の幸せを願う』  読み終えた途端、手紙はその役目を終えたかのようにボロボロと崩れ落ち、灰となって封筒もろとも消えた。  書き記されていた真実と心からの激励に、今しがた手紙を持っていた手が小刻みに震え出した。 『これをお前に預ける』  あの時。  デジヴァイスを託してきた時点で、すでにヴァンデモンは覚悟を決めていたのだ。  そして“器”の件は、ヒカリに嫌われるために仕組んだ作り話だった。  なんとも荒っぽい手段ではあったが、それはあえて悪者に徹する事によってヒカリの心に余計な負担をかけまいとする彼なりの優しさだった。 『厚情など無用だ。私はパートナーとして当然の事を為したまで』  この言葉が彼の全てを物語っていた。  ヴァンデモンはヒカリに対して一切見返りを求めなかった。  それは自分本位の感情や欲を超越した、海よりも深い愛だった。  だが、彼はもういない。  大切な宝物のようにしまいこんでいたキーホルダーを遺して。  ヒカリと共に過ごした時間の象徴を、遺して。  気がつくと、ソファーに座っていたはずのミミが傍らにいた。彼女の視線をとらえるやいなや、ミミはいつになく深刻な顔でこちらをじっと見つめたまま、思いがけない事を口にし始める。 「あのね、ヒカリちゃん。今思い出したんだけど──さっきヴァンデモンが弾いてた曲、日本では『別れの曲』って呼ばれてるの」 「!? 別れの、曲……別れの……」  不意にヒカリの脳裏に、ヴァンデモンと絵本や児童文学の感想を論じ合った際に触れた愛読書『星の王子さま』の中で、特に印象に残っている王子さまとキツネの別れ際の一節が浮かび上がった。 《 「じゃ、さよなら」と、王子さまはいいました。   「さよなら」と、キツネがいいました。   「さっきの秘密をいおうかね。   なに、なんでもないことだよ。   心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。   かんじんなことは、目に見えないんだよ」 》  (引用:サン=テグジュペリ『星の王子さま』/内藤濯 訳 /岩波書店[岩波文庫]) 『さらばだ──八神ヒカリ』  涙が、止めどなくあふれてきた。  次第に胸がつまるような感覚に襲われ、自然と嗚咽が漏れる。  感覚を失った手のひらから、キーホルダーが金属音を立てて床に落ちた。  ヒカリはなんの変哲もない昔ながらの土産物を目にした途端、怒涛のごとく押し寄せてくる深い悲しみにこらえきれなくなりその場に泣き崩れる。  尋常ならざる叫声に別室を探索していた仲間達も慌てて駆けつけるが、ヒカリは身も世もなく号泣し続けた。 << 前の話  次の話 >>  ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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黄身餡
2022年10月23日
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<< 前の話  次の話 >>  デジヴァイスと共にヴァンデモンが消滅した後、荒涼とした大地は再び静寂を取り戻した。  ヒカリと京以外の選ばれし子供と進化を解いたパートナーデジモン達は、大輔を取り囲むようにして集まっている。太一はなんとも後味の悪そうな表情を浮かべつつ、輪の中心にいる後輩に聞きただした。 「じゃあお前は、ヴァンデモンに頼まれてあんな行動に出たのか……」 「そうすればヒカリちゃんは助かる、って言われて……それにあいつ、すげぇ必死な感じがしたんだ。悪い奴のはずなんだけど、なんて言えばいいのかな──この言葉は信じてもいいな、って」  論理的思考とはほど遠い大輔の返答に、咄嗟に賢がフォローを入れる。 「ぼく達も最初は半信半疑だったのですが、本宮の熱意にほだされて承諾し決行しました。まさかこんな事になるとは思ってもみなかったけど──」 「……本当に、これで終わったのかな?」  タケルの一言に全員が息をのむ中、彼は続けざまに意見を述べる。 「僕はこれも奴の策略の内なんじゃないかって気がしてならないんだ。四年前と昨年末と二度戦って、あいつの恐ろしさは嫌というほど身にしみているからね」  昔を思い出しうつむくタケルに光子郎が、その心配はありません、と言いながら一歩前に進み出た。 「先程まで切断されていたネットワークが復旧しているので、ヴァンデモンは間違いなく消滅しています」  光子郎はそう断言し、ほっと胸を撫で下ろす仲間達の様子を見届けてから一呼吸おいて、 「ここからは僕の推測なのですが、彼がヒカリさんを攫い僕達をこの世界に呼び寄せたのは、自らを破滅させるためだった……そう考えると先程の戦いぶりや、ヒカリさんが所持していたデジヴァイスを破壊するよう大輔くんに伝えた行為も腑に落ちるんです」  と、述べた。 「ちょっと待てよ光子郎。あいつがそんなタマかよ?」 「……僕も最初は太一さんと同じように考えました。ですが、戦っている最中に京くんが口にしていたように、彼がその気になれば究極体デジモンを無限に出現させる事も可能だった──にもかかわらず、そうしなかった」 「じゃあヴァンデモンは、僕達の戦力に拮抗するよう意図的に調整してたって事かい?」  丈の問いかけに光子郎はわずかにうなずいた後、 「僕が感じていた違和感の正体はまさにそれでした。もし、僕達を殲滅するのが目的であれば、あのような戦法をとる必要は全くありませんから」  と答え、複雑な表情をしてみせる。 「……あのね、あたしの気のせいかもしれないけど、さっきのデジモン達って四年前に東京で戦ったのと同じじゃない?」  ミミのふとした発言に先代の選ばれし子供及びパートナーデジモン達が、ハッとする。 「マンモン、デスメラモン、ファントモン……確かに言われてみればその通りだ」  納得する太一の後方で、先程からヤマトが全身をわなわなと震わせていた。隣にいるガブモンが、「ヤマト……」と気遣わしげに声をかける。 「“自らを破滅させるため”だって? なんだよそれ……ふざけんなっ!!」  突如、激昂するヤマトにその場にいた全員が驚愕し彼に注目する。一見クールだが、胸の内に熱い心を秘めているヤマトの事をよく知らない大輔、賢、京、伊織と彼らのパートナーデジモンに至っては、そのあまりのギャップに茫然とせざるを得なかった。 「自滅したけりゃ、勝手に自滅しろってんだ! ヒカリちゃんや俺達まで巻き込みやがって……本当、いいご身分だぜ!」 「ヒカリちゃんも無事だったんだし、もういいじゃない」  ヤマトは、見かねてなだめに入った空を一瞥した後、 「俺が言いたいのは、こんな回りくどい真似をするなって事だ!」  と、激しく憤る。  すると空に代わって太一が歩み寄り、彼に自制をうながした。 「落ち着けよヤマト」 「落ち着いていられるかっ! 誰も犠牲にならずに済んだから良かったものの……」  拳をきつく握りしめたまま視線を逸らして感情を吐露するヤマトに、彼の魂の片割れ的存在ともいえるガブモンがぽつりと口を開く。 「ヤマトは……パンプモンとゴツモンの事が引っかかっているんだ。ヤマトにとってヴァンデモンは、どうあっても許せない相手だから……」  自分の気持ちを的確に代弁してくれるパートナーにヤマトは黙りこくり、周囲に重苦しい空気が漂う。  ヒカリは座りこんだまま京に背中を支えてもらっている状態で、その一部始終を傍観していた。  確かにヴァンデモンの心ない裏切りに大きなショックを受けたが、どうも釈然としない……。  もしその推測が正しいとするならば、“彼女”に“器”を与えて共に生きようとしていた彼が何故自らの意思で消滅したのか?   本当に矛盾以外の何物でもない。  そもそも『かつてのパートナーを蘇らせる』という目的を果たすのであれば、わざわざ兄達を待つ必要はなかったはずだ。  だが彼は待っていた。『待ちくたびれた』と口にしていた。  でもどうして?   それは──待たなければならなかった理由があったから。  ……ヴァンデモンは何か重大な事を隠している。  芽生えた疑問が確信へと変わり、ヒカリはゆっくりと立ち上がる。 「ヒカリちゃん……」  心配そうに声をかけてくる京にヒカリは振り返り、 「京さん……心配かけてごめんね。もう、大丈夫だから」  と、気丈に微笑んでみせた。  その様子に京は安心した笑顔になったかと思うと、急に何かを思い出したように「あっ!」と声をあげる。 「そうそう! これを太一さんから預かっていたの。ヒカリちゃんにとって大切な物だから渡しておくね」  彼女からピンク色のD-3を手渡され、パートナーとの絆の証をじっと眺めているうちに、ヒカリはかけがえのないパートナーの事を思い浮かべる。  すると背後から誰かが近づいて来る気配がした。その懐かしくも慣れ親しんだ感じは、他ならぬテイルモンだった。ヒカリは彼女を裏切ってしまったという罪悪感から身をこわばらせたが、きちんと謝るべきだと思い直し、意を決して振り向く。 「……ヒカリ」  自分の名を呼ぶテイルモンの瞳は凛としており、澄んだ空の色そのものだった。今の自分にはあまりにも眩しく感じられる。ヒカリは後ろめたい気持ちを抱きながらもパートナーを見つめ返し、思いの丈(たけ)を伝える事にした。 「テイルモン……本当にごめんなさい。私、あの時──」  彼女の言葉を遮るようにテイルモンがおもむろに首を左右に振る。 「悪いのはこの私だ。私がもっと、しっかりしていれば……」 「ううん。テイルモンは私を見捨てずに来てくれた」 「当然だ! 私はヒカリのパートナーなのだから!」  微塵の迷いもない真っ直ぐな眼差しに、ヒカリの心はひどく揺さぶられた。  彼女は何故こんなにも寛容で優しいのだろう。  初めて会った時から大人びていたが、過酷な環境で生きてきた事を踏まえてもテイルモンは本当に強い。  彼女こそが全ての闇を照らす光なのだ。  ……自分も、パートナーとして相応しい人間にならなければ。  気がつくとヒカリはテイルモンに駆け寄り、飛びこんできた小柄な体を思いきり抱きしめていた。その硬そうに見えて柔らかな毛並みに頬を当てると、ほのかな温かさと共に陽の匂いがした。  京達が温かな眼差しで見守る中、ヒカリとテイルモンはより深い心の結びつきを感じながら、しばらくの間そのまま抱き合っていた。  そしてテイルモンを優しく下ろし互いに微笑んだのもつかの間、突然テイルモンの表情が曇り、ヒカリは即座にただならぬものを察知する。何か言いたげな様子に、「どうしたの?」と問うと彼女は、 「実はさっき──」  と口にするやいなや、突然目を大きく見開きヒカリの背後を凝視した。一体何事かと思いながら振り返ると、不思議そうな顔でこちらの様子をうかがう京とホークモンから五メートルほど離れた後方に、なんとあの“少女”がたたずんでいた。 「っ!?」  “彼女”は黙ったまま無表情でヒカリとテイルモンを見つめていたが、ほどなくしてある方角を指でさし示すと、こちらに向かって穏やかに微笑んでみせた。  それは清々しさや切なさといった、いくつもの感情が綯いまぜになったなんとも名状しがたい笑顔だった。  そして礼儀正しく一礼し終えた直後、輪郭が白く輝き出し“ヒカリ”の姿は徐々に足元から光の粒子となって消えていった。 「…………」  無言で互いの顔を見合わせるヒカリとテイルモンに、京が、「ねぇねぇ、二人ともどうしちゃったの?」と問いかけたその時。  突然、大地が激しく揺れ動いた。 「地震だ! 皆、伏せろっ!」  太一の咄嗟の判断に、子供達はそれぞれのパートナーデジモンと身を寄せ合ってしゃがみこむ。ややあって揺れが収まると誰とはなしに恐る恐る立ち上がり、辺りを見回し始めた。 「全員無事か?」  真っ先に仲間達の安否を確認する太一の近くで、光子郎が今しがた上空から戻って来たばかりのテントモンから報告を受ける。それによると地割れなどは発生しておらず、災害に巻き込まれる可能性はなさそうだった。  しかし安心したのもつかの間で、手にしていたノートパソコンから新着メール受信の通知音が鳴った。そのあまりに絶妙すぎるタイミングに嫌な予感を覚えつつ、光子郎は急いでメールソフトを開く。 「……大変だ」 「どないしはりました? 光子郎はん」  光子郎はわき目も振らずパソコンの画面を見つめたまま、ゲンナイさんからです、と前置きをしてから顔を上げ、緊迫した様子で状況を説明し始める。 「皆さんっ。ヴァンデモンを倒した事により異世界の崩壊が始まりました。一刻も早くここから出ましょう」  今ゲートを開きます、とノートパソコンを操作しようとする光子郎に、 「待って!」  と、急にヒカリが大声で制止した。  仲間達の視線が一斉に向けられるのを感じながらヒカリはまず、「皆、助けに来てくれて本当にありがとう」と述べて深々と頭を下げて謝意を示した後、胸に秘めた確固たる思いを打ち明ける。 「……でも、このままじゃ終われないの。どうしても調べなきゃならない事があるから私、行かなくちゃ……」 「何言ってるんだヒカリッ! これ以上ここにいるのは危険なんだぞ!」  太一は即座に妹に詰め寄り猛反対するが、ヒカリの隣にいたテイルモンが彼女をかばうように踏み出し、 「じゃあ私とヒカリだけで確かめに行くから、皆は先に戻っててちょうだい」  と、きっぱり言い放った。その揺るぎない決意を宿した双眸に太一達は困惑する。  するとタケルがヒカリに近づき、彼女とテイルモンを見つめた後、集まっている面々を見回しながら落ち着き払った口調で話を切り出した。 「ここまで来たらとことん付き合おうよ。それに、皆もこんな終わり方じゃ納得できないよね?」 「タケルくんの意見に私も賛成っ。第一あんな残虐で悪知恵にたけた奴が自滅するなんて、おかしすぎるもん」  同調する京に、ある者はうなずき、またある者はうつむいて目を逸らす。  少しの間、太一は口をつぐんだまま深く考えこんでいたが、やがて意を決した顔つきになると光子郎の方に向き直った。 「……光子郎。残り時間はあとどれくらいか分かるか?」  光子郎は、そう来ると思っていましたと言わんばかりの眼差しで、「実は今ゲンナイさんに詳細を調べてもらっている最中ですが、しばらくは大丈夫との事です」と即答する。 「皆……頼む。もう少しだけ、俺達兄妹に力を貸してくれないか」  仲間達に向かって頭を下げる太一の隣でアグモンも、 「ボクからもお願い」  とパートナーに倣ってお辞儀をし、続いてヒカリとテイルモンも頭を下げる。 「……頭上げろよ。俺達、仲間だろ?」 「ヤマトの言う通り、僕らはずっと苦楽を共にしてきたんだ。ほら、昔皆で言い合ったじゃないか。『一人は皆のために、皆は一人のために』ってね」 「丈先輩っ、カッコいい~」 「もうっ、ミミちゃんったら……」  思わず笑みをこぼす空を眺めながら、光子郎が口を開く。 「僕もタケルくんや京くんと同意見です。ただ僕は純粋に『知りたい』という気持ちが大きいのですが──で、君達はどうですか?」  彼はそう問いかけると大輔、賢、伊織を順に見る。 「太一先輩のたっての頼みを断る理由なんてねぇし、それに、いつだってオレはヒカリちゃんの味方だ」 「ぼくも、ヒカリさんとテイルモンの意志を尊重したい」  しかし最年少の子供だけは押し黙ったまま下を向いていた。足元にいるアルマジモンが見かねて、「伊織ぃ」と不安げに呼びかける。  伊織はパートナーと視線を交わした後ゆっくりと顔を上げると、ひどく真剣な眼差しで、 「……ぼくは正直、及川さん達の心を弄んで苦しめたヴァンデモンが嫌いです。ですが、うやむやのまま解決した事にするのはもっと嫌です!」  と、断言した。 「んじゃ、決まりだな」  明るい口調で場を和ませる大輔に、太一は妹の肩に手を置き口角を上げうなずいてみせる。 「ありがとう。皆……」 「行きましょう、ヒカリ」 「ええ!」  ヒカリはテイルモンをネフェルティモンにアーマー進化させると、その背に乗って仲間達と共に飛び立った。  かつての選ばれし子供がさし示した方角にある、闇の城を目指して──。  かくして城に到着したヒカリ達は、手分けして各部屋を捜索する事にした。  光子郎は集合場所を大広間と定め、ゲンナイより送られたソフトウェアを元に制限時間を計算して、崩壊に巻き込まれる前に脱出出来るよう大音量で警報を鳴らすと皆に伝える。  彼らのうち京、伊織、空の三組は亡き城主の寝室を調べていた。 「見て見てっ、伊織! 部屋のど真ん中にヨーロッパ風の棺桶があるよっ。なんか悪の根城っていうよりお化け屋敷って感じよね」 「……京さん。これは“棺桶”ではなく“棺”(ひつぎ )です」 「んもぉ、どっちだっていいじゃない。でもサイズ的にヴァンデモンはここで寝てたのかしら? 狭くて寝返りも打てないうえ蓋なんかして息苦しそう……」  感情表現が豊かな京とは対照的に伊織は冷静に室内を見渡す。だが他にこれといった物はなく、中心に安置された荘厳たる漆黒の棺が圧倒的な存在感を示していた。  一方、京は棺を注視したまま、 「中を確かめてみない?」  と、わくわくした様子で持ちかけてきた。 「勝手に人の物に触れるのはよくありません」 「“人”じゃなくて“デジモン”でしょ? ま、どっちにしても持ち主はもういないんだし」 「ですが、やはり気が引けます……」 「別にどうって事ないじゃない。ほらっ、テレビゲームだとこういう所にレアなアイテムが隠されてたりするんだから。ねっ?」 「……はあ」  そんな二人のやり取りを扉の付近から空とピヨモンが微笑ましげに眺めていた。 「……今の選ばれし子供って、ほんと怖いもの知らずね」  太一も相当危なっかしい面があったけど、と昔を懐かしむ空にピヨモンがパートナーを見上げながら甘えるような口調で語りかける。 「ねぇ空、覚えてる? アタシが初めてガルダモンに進化した時の事……」 「……うん。もちろん覚えているよ。ピヨモンのおかげでお母さんの愛情に気づけたんだもの」 「そのきっかけが、ヴァンデモンだったわ」  そう言ってピヨモンは視線を空から棺に移す。空もつられて棺を目にすると、不意に彼が自分達の前に初めて姿を現した時の記憶が鮮明に蘇った。 「じゃあ、考えようによっては彼が愛情の紋章を輝かせた恩人って事になるのかしら? あ、“恩デジモン”って言わないと京ちゃんに叱られちゃうわね」  おどけてみせる空にピヨモンも、「もう空ったらー」と一緒になって笑うと、奥から伊織の非難する声が聞こえてきた。 「やっぱり何もないじゃないですか」  徒労に終わるというのはまさにこの事です、と小言を言う伊織に対し京は、 「甘いわね伊織。空っぽと見せかけてぇ……こっちに隠してあったりするのよっ」  と、ためらう事なく紅いビロード生地の枕の下に手を突っこむ。すると途端に目を輝かせ、 「ビンゴッ! やっぱ私の勘って冴えてるぅ~」  と、自画自賛し始めた。 「やりましたねっ、京さん!」  ホークモンが褒めたたえる中、京は得意顔で枕から手を引き抜く。それから伊織の目の前に握った手を差し出すと少しばかりもったいぶってから、「じゃじゃ~ん」というかけ声と共に手のひらをパッと開き、これ見よがしに披露した。  だが。 「……へ? 何よこれー!」 「どうしてこんな物がここに……」  その頃、ヒカリとテイルモン、そしてミミとパルモンはピアノのある部屋にいた。  ヒカリは無言のまま、黒いグランドピアノの前に置かれたベンチタイプの椅子を一心に見つめる。  彼はつい先程までここに座ってピアノを弾いていた。  おもむろにグランドピアノに近づき椅子にそっと手を当てると、本革独特のひんやりとした感触が伝わってくる。  つい先程までヴァンデモンは確かに──存在していたのだ。  “彼女”は一体、自分に何を伝えようとしたのだろう……。  そんなヒカリの後ろ姿を眺めているうちにミミは思わずあくびが出てしまう。戦いが終わり疲れがどっと出たのに加えて、彼女が住むニューヨークの現地時間は土曜日の夜なので無理もない。 「ねぇ、ミミ。テーブルの上にお菓子があるわっ」  パルモンが、応接セットのローテーブルに置かれているチョコレートパウンドケーキとスノーボールクッキーを目ざとく見つけると、その大きな瞳をいっそうキラキラと輝かせて一目散に駆け寄った。ミミはやれやれといった感じでゆっくりとパルモンの後に続く。  そうしてバロック様式の応接セットまで移動すると、すでにパルモンは三人掛けのソファーに座りながら均等にカットされたパウンドケーキを両手に持って食べ始めており。 「こんなに美味しいケーキ、食べた事ないっ。ヒカリってお料理が上手なのね!」 「……あら? ティーセットまで置いてある。待っててパルモン。今、お茶を淹れるから」  ミミはコードレス電気ケトルのスイッチを入れた後、綺麗に並べられたアンティークのティーカップや高級紅茶ブランドの缶を眺めつつ、ヴァンデモンって案外趣味いいのね、と呟く。  このような状況にもかかわらずお茶会を催すミミとパルモンに、テイルモンが、 「全くあの子達ったら、相変わらずのマイペースぶりね」  と、呆れ果てたような笑みを浮かべた。  ヒカリもつられて微笑むが、ふと、テイルモンが神妙な面持ちで言いかけていた事を思い出す。 「そういえばテイルモン、さっき何か話そうとしてたよね」  その言葉に彼女は、私も今それを言おうと思っていた、と前置きをしてから本題を切り出してきた。 「実はヴァンデモンが死ぬ間際、私にこれを託してきたの」  テイルモンはそう述べると、黄色い手袋をはめた手のひらをヒカリに向けて差し出す。  そこに乗っていた物はシンプルなデザインのシルバーリングだった。 「これは──ウィザーモンが身に着けていた指輪よ」   << 前の話  次の話 >>  ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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2022年10月17日
In デジモン創作サロン
<< 前の話  次の話 >> ※注意事項※  この話は、ifルートのエンディングで『もしヒカリが真実を知る事なく現実世界に帰ってしまったら』。バッドエンド。「どうあがいても絶望」な内容なので後味が悪いです。  灰塵は風に吹かれて散らばり、ヴァンデモンはデジヴァイスと共に跡形もなく消え失せた。  終わった。  全ては、終わったのだ。  その長いようで短い因縁の鎖は完全に断ち切られた。  ヒカリの心の柔らかい部分に鮮烈な傷痕を残して。  静寂を取り戻した荒野で、子供達が大輔を取り囲むようにして何やら話し合っている。  ヒカリはその様子をぼんやりと眺めながらおもむろに立ち上がった。ヒカリちゃん、と不安げに声をかける京に、 「……大丈夫」  と、振り返る事なく今にも消え入りそうな声で答える。  これは、悪い夢だったのだ。  結局ヴァンデモンにとって“彼女”が全てであり、自分は危うく殺されるところだった。それよりも時間をかけて育んだ親愛の情を無下にされ、手ひどく裏切られた事が一番辛かった。  もう──何も考えたくない。 「お兄ちゃんっ!」  ヒカリはそう叫ぶと、一斉に視線を向けてくる仲間達の横をすり抜け、太一に抱きついた。 「ヒカリ!」  太一は「怖かったろう。でも、もう安心だぞ」と言い添えて、妹の背中に優しく腕を回す。  こうして抱きしめてもらうのはいつ以来だろうか。  久々の兄の温もりはとても心地よく感じられた。ヒカリは太一にすがりながら、声をあげて泣きじゃくった。 「家(うち)に帰ろう。父さんと母さんも心配してる」 「……うん」  栗色の瞳から大粒の涙をこぼしつつ兄の胸元に顔をうずめる少女を、子供達は温かな目で見守る。少ししてから光子郎が、 「ヴァンデモンを倒した事によりネットワークが復旧したので、一刻も早くここから出ましょう」  と告げると、手早くノートパソコンを操作して脱出するためのゲートを開いた。 「さあ皆、行くぞ」  太一の一声に選ばれし子供とそのパートナーデジモン達が同意を示す中、テイルモンは何か言いたげな顔をしていたが、兄から離れまいと袖をつかむヒカリの有り様に押し黙ったままうつむいてしまい。  そうしてヒカリは太一に付き添われ、デジタルワールドへと続くゲートをくぐる。  しかし一方で、彼らの様子を遠くからまじろぎもせず見つめる一つの人影があった。その人影が両の拳をきつく握りしめ、ギリギリと歯を噛みながら鬼のような形相でヒカリを睨みつけているのを、当の本人は知る由(よし)もなかった。  かくしてヒカリは現実世界に帰還し、再び平穏な日常を取り戻した。  兄と共に自宅に戻るやいなや、両親も涙を流してその無事を心から喜んでくれた。  だが安堵したのもほんのつかの間で、次第にえも言われぬ喪失感がじわじわと広がっていった。  あれから数日が経った今も、心ここに有らずの状態が続き、学校の授業にも身が入らず休み時間にクラスメートと話していても完全にうわの空だった。  やがて下校時間になり、ヒカリはぼーっとしながら一人で通学路を歩いているとアスファルト舗装の段差につまづいて転倒してしまう。 「痛っ!」  身体が前に傾いた瞬間、咄嗟に地面に両手をついたので頭を打たずに済んだが、膝を擦りむいてしまいマスタード色のタイツに血が滲んできた。ヒカリはうずくまったまま、ズキズキと激しく痛む傷口がどの程度の怪我なのかと考えつつ顔をしかめる。 「…………」  きっとヴァンデモンが側にいたら、すぐに手を差し伸べてくれるのに。  注意力が散漫になっているからそうなるのだ、と辛辣な言葉を投げかけつつも仮面の奥の蒼い目を細めて──。  寝ても覚めても彼の事が頭から離れずにいる。  あんなにむごい仕打ちを受けたのに、どうして……。  傷ついた膝頭を手のひらで包むようにして押さえながら物思いに耽っていると、不意に頭上からピアノの旋律が聞こえてきた。ヒカリは思わずビクッとして顔を上げる。  音の出どころは長い塀の向こう側にある幼稚園の園舎だった。おもむろに立ち上がってよく見ると近くの窓が換気のため少しだけ開いており、ほどなくして先生のピアノの伴奏に合わせて園児達の歌声が響いてきた。  “先生”の“ピアノ”に合わせて。 『ヒカリ──お前の夢は何だ?』 『大輔くんほど大きな夢じゃないけど、私は将来、幼稚園の先生になりたい』 『何もベートーヴェンやショパンを暗譜しろと言っているわけではない。基本さえ出来ていれば応用も利く』  ……自分は、何も分かっていなかった。  ヴァンデモンの真意を。  その奥深い、胸の内を。  彼の言動の裏側に隠されていたものを心の目で見るべきだった。  ヴァンデモンにもう一度会って話をしたかったが、時すでに遅く。 「あ……ああっ……」  ヒカリは取り返しのつかない過ちに気づき、激しく動揺する。  ちょうどその時、前方の車道を挟んだ向こう側の歩道を一人で歩いている太一の姿が目に映った。 「お兄ちゃん……おにいちゃんっ……」  ヒカリは痛む足を半ば引きずるようにして横断歩道を渡り、藁にもすがる思いで太一の元へと向かおうとするが。 「お兄ちゃん!」  突然背後から聞き慣れない女の子の声がした。その呼びかけに兄は満面の笑みを浮かべ、 「ヒカリ!」  と、嬉しそうに答える。 ──え?   すると一人の少女がヒカリの横を通り過ぎ、太一に駆け寄って柔らかに微笑んでみせた。一昔前に流行ったようなデザインの水色のワンピースに身を包み、編みこんだ黒髪の先に白いレースのリボンを結んだその少女は──。 「ちょうど良かった。一緒に帰ろうか」 「うん!」  ごく自然に会話を弾ませる二人を目の当たりにし、ヒカリはその場に凍りついた。 ──違うっ! “それ”は私じゃないっ!!   そう思った途端、全身がわなわなと震え出し、自宅の方角に向かって歩き始める兄達を引き止めようと咄嗟に声を張りあげる。 「待ってお兄ちゃんっ! ヒカリは私よっ!!」  その声に太一はあからさまに怪訝な表情をしながら振り返り、こちらをじっと見つめた後、隣にいる“妹”に視線を戻して困惑気味に問う。 「ヒカリ……お前の友達か?」 「ううん、あんな子知らない」  彼女の返答に太一はもう一度だけヒカリを一瞥すると、これ以上関わりたくないと言わんばかりの態度で「行こうぜ」とうながしてから再び歩き出した。  ……こんな事があっていいはずがない。  あるまじき状況にヒカリは息がつまるような感覚に襲われる。  行かないでっ、と心の中で叫びつつ手を伸ばした瞬間。 「ヒカリちゃーん!」  後ろから走って来たタケルと大輔が、たたずむヒカリに全く見向きもせず追い越していく。 「二人ともそんなに急いでどうしたの?」  肩で息をする彼らを心配そうに眺める“ヒカリ”にタケルは、 「昨日、新作のボードゲームを買ったから、このあと僕の家に集まって皆で遊ぶんだけどヒカリちゃんも一緒にどう?」  と、にこやかな笑顔で誘った。 「確か今日はピアノのレッスン休みだったよな。ヒカリ、たまには息抜きも必要だぞ」  決めかねている様子の“妹”に太一は、行ってこいよ、と肩をぽんと叩く。 「そうね。発表会までまだ時間があるし、今日は思いきって羽を伸ばそうかな」 「やっぱそうこなくっちゃ!」  そうして四人は和気あいあいとした様子でその場から立ち去って行った。去り際に“ヒカリ”がチラッと振り向き、ざまあみろと罵るような嘲笑を投げかけてくる。  その顔は小学生の子供ではなく──嫉妬の情念をたぎらせた女そのものだった。  ヒカリはしばらくの間、呆然と立ち尽くしていたが我に返った途端、次第に得体の知れないモノに自分の居場所を、いや、存在自体を剥奪された恐怖に打ちひしがれる。 「……嫌……こんなの、嫌ぁっ!」  あまりにも理不尽すぎる現状に、頭を左右に振って否定してもなんら変わる事はなく。 「うぅっ、どうして……助けて……誰か、助けてぇ……っ」  優しく差し出されたあの、人間のようで人間とは異なる大きな手がたいそう恋しく感じられた。  だが彼はもういない。  真実を秘めたまま、ヴァンデモンは灰塵となって消えてしまった。  ヒカリが虚ろな目で何気なく周囲を見渡すと視界の端に白い猫の姿をとらえる。歩道脇を足早に移動するそれは、猫ではなく大切なパートナーだった。 「!? テイルモンッ!」  気がつくと考えるよりも先に声が出ていた。ヒカリは一縷の望みを抱きつつ、息を凝らして彼女の様子を見守る。  するとテイルモンはピクッと反応して立ち止まった後、数秒ほど身体をこわばらせた。それからひどく驚いた顔でこちらを凝視してきたかと思いきや、その眼差しは訝しげなものへと変わり。今まで一度も向けられた事のない形相に、ヒカリは思わずたじろいでしまう。 「娘。どうして私がデジモンだと知っている。まさかお前も、選ばれし子供なのか?」 「ている……もん?」  その無慈悲な振る舞いは、ヒカリの心にとどめの一撃を与えるのに十分すぎるほどだった。  これで最後の希望も粉々に打ち砕かれてしまった。兄達のみならず、自分にとって魂の片割れ的存在ともいえるテイルモンまでもが“彼女”を八神ヒカリだと認識しているという事実を突きつけられ、ヒカリの精神は崩壊寸前まで追いつめられる。  いっそ狂ってしまった方が、楽になるのかもしれない。  ヒカリは奈落の底に突き落とされたような絶望感に苛まれながら、正気と狂気の狭間で苦しみあえいだ。  ……だがこれは、真の絶望の序章に過ぎなかった。  テイルモンは虚脱状態におちいるヒカリを一切かえりみず、彼女の後方に目を向けて、こう言い放つ。 「──そうか。お前がこの子のパートナーか」  その直後、背後から異様な気配がした。  ポタッ、ポタッと、水の滴る音をさせながら、それはじわじわとにじり寄って来る。 “ 深い深い海の底に、たくさんの人魚たちが暮らす楽園がありました── ”  早鐘を打つ心臓の音が耳の奥で鳴り響く中、息が荒くなり、口の中がカラカラに渇く。  やがて視界に霧が立ち込め、波の音と共に膝下まで黒い海水につかり。 『あれは思考を停止した者の末路だ。良いか、ヒカリ──お前はあのような愚かな女にはなるな』  ヒカリは全身を打ち震わせながら、恐る恐る振り返るとそこには──。  ─ メデタシメデタシ ─ << 前の話  次の話 >>   ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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黄身餡
2022年10月11日
In デジモン創作サロン
<< 前の話  次の話 >> 「ヒカリッ!!」 「ヒカリちゃん!」  エンジェモンがヒカリを抱きかかえながら地面に降り立つと、つい今しがたやっとの思いでこの場所にたどり着いたばかりの太一とタケル、そして京が大急ぎで駆けつけて来た。  だがヒカリは目を閉じたままピクリとも動かない。  最悪の事態を想像し緊張感に包まれる彼らにエンジェモンは、 「心配ない。気を失っているだけだ」  と告げ、安堵のため息を漏らす太一にその身を預けた。それからタケルにD-3を返却し互いにうなずき合った後、テイルモン達に加勢するため急遽その場から離れる。  ほどなくして他の子供達も次々と到着すると、それぞれのパートナーデジモンはヴァンデモンの元へと向かう。 「太一先輩っ!」  大輔達は八神兄妹を取り囲むように集まり、抱えられている少女を心配そうに見つめるが、「ヒカリは無事だ」と表情を緩める太一に一安心する。しかし光子郎だけはひどく思いつめた様子でノートパソコンの画面を凝視しており。 「光子郎くん、どうしたの?」  たまたま隣にいたミミが話しかけるが、パソコンに夢中で全く気づかない。  一つの事に集中すると周りが見えなくなる癖は相変わらずだなと呆れつつ、ミミは、 「ねぇ……光子郎くんってば!」  と、先程よりも大きな声で呼びかけた。  すると光子郎はようやく我に返り、不機嫌そうなミミを一瞥してから周囲を見渡し、「皆さんっ!」と切迫した口調で声をかける。一体何事かと驚く子供達の視線を浴びながら光子郎は立て続けに述べた。 「ヒカリさんを取り戻した今、急ぎここから脱出しましょう!」  テイルモンが連続して打ち込まれるブラッディーストリームを巧みに躱す中、上空からホルスモンが間隙を縫うように両翼から衝撃波──マッハインパルス──をヴァンデモンに向けて放った。しかし命中する寸前で跳ね返されてしまい、ホルスモンは直撃を避けようとしたところ、バランスを崩して墜落してしまう。 「ホルスモン!」 「それよりも自分の心配をしたらどうだ、テイルモン」  息つく間もなくヴァンデモンは電撃の鞭を振るいながら無数の蝙蝠を出現させる。鋭い牙を剝いた漆黒の群れがテイルモン目がけて一斉に襲いかかったその時。 「ヘブンズナックル」  黄金色に輝く衝撃波が蝙蝠達を跡形もなく消し去り、空から舞い降りた純白の衣を纏いし天使が彼女の横に並び立つ。 「助かった、エンジェモン」 「二体だけで奴に挑むなんて無茶をするな」  その直後、地響きと共にグレイモン達も駆けつけ総勢十二体の成熟期デジモンがヴァンデモンと対峙する。 「覚悟しろ! 今度こそ完全に消滅させてやるっ!」 「賢ちゃんを苦しめた罪、死をもって償え!」  昨年末の決戦で真の黒幕を仕留め損ない憤るエクスブイモンとスティングモンに、ヴァンデモンはフンと鼻で笑い。 「フッフッフ。お前達は余程、互いの信頼や美しい友情とやらが好きなようだな……」  一触即発の状況の中、アンデッドの王は勢揃いしたパートナーデジモン達を目の前にしても余裕の笑みを崩さず、指をパチンと鳴らす。すると上空にファントモンとバケモンの大群が突如出現した。 「どういう事だよ? 光子郎」  まさにこれからが正念場だという時に脱出するよう勧める参謀役の少年に、太一は率直な疑問を投げかける。それは彼のみならず、子供達全員が同じ考えを抱いていた。  光子郎は輪の中心にいる太一の横に足早に移動すると深刻な面持ちで説明し始めた。 「たった今ゲンナイさんから届いたメールによると、この異世界はヴァンデモンの心象世界──つまり“心の中に思い描いた世界”で、以前及川達がデジタルワールドへ行こうとして迷い込んだ、想いを具現化する力がある世界と同種のものだそうです。しかし厄介な事に力を行使出来るのは彼のみで、先程襲ってきたデジモン達もおそらく彼の想いが具現化されたものと思われます」 「それって完全体だけじゃなく究極体も無限に出せちゃうって事ですよねっ!? そんなの絶対ムリムリー!! 」 「……ここにいる限り、俺達は完全に不利というわけか」  パニック状態におちいる京とは対照的に、ヤマトは冷静に事態を受け止める。 「取り急ぎデジタルワールドに向かうゲートを開きます」  そうは言ったものの、片手でしかキーボードを打てない事に気づき焦る光子郎に、状況を察した賢が彼の向かい側に歩み寄ってノートパソコンに手を添えた。光子郎は驚きと嬉しさが入り混じった表情で一言礼を述べると、両手でキーボードをカタカタと打ち始める。たとえ相手が年下であろうとも常に礼儀正しく接してくる彼に好感を抱きながら賢が微笑んだ途端、おびただしい数の闇の気配を感じゾクリと肌が粟立つ。 「皆っ、あれを見て!」  それと同時にタケルが突然厚い雲に覆われた空に向かって指をさした。子供達は一斉にその方角に注目すると、空一面に現れたファントモンとバケモンの群れが今まさにパートナーデジモン達に攻撃を仕掛けるところであった。  襲い来る軍勢に対し、聖なる力を持つエンジェモンとホルスモンに乗ったテイルモンが完全体であるファントモンに狙いを定め、他のメンバーは彼らを援護しつつ迎え撃つ。  けれどもいくら倒しても敵の数は一向に減らず膠着状態が続いた。一方ヴァンデモンは高みの見物と言わんばかりに、パートナーデジモン達の戦いぶりを静観している。 「皆さんお待たせしましたっ!」  子供達が固唾をのんで見守る中、光子郎が勢いよくパソコンのエンターキーを叩くと目と鼻の先にデジタルワールドへと続くゲートが出現した。待ちわびた一筋の光明に歓声が沸き起こる。 「よしっ! 皆は先に行っててくれ。俺は残ってグレイモン達を誘導する。ヤマト、すまないがヒカリを頼む」 「ああ、任せておけ」  しかし次の瞬間、バツンという大きな音と共に突然目の前のゲートが閉まった。 「えっ? なんで閉じちゃったのっ!?」  愕然とする彼らの胸中を代弁するかのようにミミが慌てふためく。  すると遥か後方から、 「……誰一人として逃がさん」  と、地獄の使者を思わせる恐ろしい声が響き渡り、こちらの攻撃をかいくぐった数体のバケモンが子供達に襲いかかって来た。だが、彼らの危機を察したトゲモンとアンキロモンが各々の必殺技であるチクチクバンバンとテイルハンマーで左右から挟撃し、事なきを得る。  同時にグレイモンがヴァンデモンの死角に回りこみ巨大な火炎弾──メガフレイム──を吐き出した。しかし彼は瞬時に振り向くと片腕をかざし、迫り来る火球をいともたやすく消し去る。 「雑魚がいくら束になろうと私の敵ではない」  窮地におちいる中、打開策を見いだそうと冷静さを保ちつつパソコンを操作していた光子郎の顔が瞬く間に青ざめていき。 「なんてことだ……」  間髪入れずに、「どうしたっ?」と焦燥感を露わにする太一に光子郎は一瞬返答をためらうが、事実は事実として伝えるべきだと腹をくくった。 「……全てのネットワークが遮断されました。ゲートを開く事はおろか、外部とのやり取りも不可能です」 「ではゲンナイさんや世界中の選ばれし子供達とも連絡が取れないという事ですか!?」  伊織のほぼ確認ともとれる質問に光子郎は、ヴァンデモンは二手三手先を読んでいる、と眉をひそめてうなだれる。  子供達にのしかかる過酷な現状。  重苦しい雰囲気が漂う状況下で、ふと空がぽそりと呟いた。 「閉じ込められるだなんて、四年前にお台場で戦った時と全くおんなじ……」  彼女の何気ない一言に、丈がつられるように口を開く。 「言われてみれば、確かにその通りだね。あの時はタケルくんと一緒に日の出桟橋からイッカクモンに乗って皆の所に向かったっけ」 「……そういえば丈さん、海に投げ出された僕を助けてくれたよね」 「そのあとテレビ局の前で光子郎や空と合流したんだよな。親父までいたのは正直驚いたけど」 「あの時、ヤマトさんとタケルくんのお父さんにはずいぶん助けられました」  芋づる式に掘り起こされる思い出話に張りつめていた空気が少しばかり緩む。それを機に、大輔が一歩前に進み出た。 「つまり、あいつを倒せばここから出られるって事だろ?」 「本宮……」 「オレ達は不利な戦いをそのつど乗り越えてきたんだ。オレは最後まで絶対にあきらめないっ!」  拳を握りしめ闘志をみなぎらせる大輔に触発され、太一も奮い立つ。 「……そうだな。俺達だけで戦うしかない。いや、俺達がケリをつけるんだ!」  子供達を取りまとめるリーダーの決断に全員が賛同する中、急に京が太一に近づき、 「あのっ……ヒカリちゃんを預からせてもらってもいいですか?」  と、強い意思を宿した瞳で申し出た。  自分の感じた心のままに行動する妹のジョグレスパートナーに太一は相好を崩すと、快く彼女にヒカリとピンク色のD-3を託した。しかし京一人では体を支えきれず、タケルが率先して手助けする。  その後、気を引きしめ直した光子郎が再び参謀としての役割を務め始めた。 「完全体であるヴァンデモンと互角に戦うにはジョグレス進化が必要不可欠です」 「頼んだぞっ! 大輔、賢、タケル、伊織!」  太一の激励に大輔は意気込んで賢の方へ向き直り、目と目で会話した後、 「エクスブイモン、スティングモン! ジョグレス進化だっ!」  と、パートナーデジモン達に進化をうながす。 「エクスブイモン!」 「スティングモン!」 「ジョグレス進化────パイルドラモン!!」  パイルドラモンの勇姿にタケルと伊織は互いにこくりとうなずき。 「伊織くん、僕らも」 「はいっ、タケルさん!」  シンクロした二人の心がアンキロモンとエンジェモンに更なる力を与える。 「アンキロモン!」 「エンジェモン!」 「ジョグレス進化────シャッコウモン!!」  燦然(さんぜん)と輝く二体の完全体デジモンにヴァンデモンは、 「ようやくお出まし頂けたか……」  と揶揄して指を鳴らすと、新たにマンモンとデスメラモンを一体ずつ出現させた。  更なる脅威に光子郎は、「まずは二手に分かれて各個撃破した方が効率的です」と提案し、太一が即座にグループ分けを行う。そうしてパイルドラモンとシャッコウモンをリーダーとしたパートナーデジモン達は連携してそれぞれの標的に攻勢を仕掛けた。空と大地に数多のデジモンが入り乱れ、熾烈な戦いが繰り広げられる。 「さて──そろそろ頃合いだな」  ヴァンデモンはそう述べつつ、必死に戦う白く小柄なデジモンの姿をとらえ口角を上げた。その突き刺さるような鋭い視線に気づき、テイルモンはキッと睨み返す。  ぶつかり合う澄んだ空色の瞳と深海を彷彿させる双眸。  闇を纏いし支配者はマントをひるがえし手のひらを上にした状態で腕を伸ばすと、人差し指を内側に曲げて挑発する。 「来い、テイルモン。昔のようにたっぷりと可愛がってやる」  ヒカリが目を覚ますと、心配そうに覗きこむ京の顔が瞳に映った。 「ヒカリちゃんっ!」 「……京、さん」 「大丈夫……もう、大丈夫だから」  優しく微笑む彼女の背後にどんよりとした空が見える。ヒカリは無言のまま目を上下左右に動かして辺りを眺め回すと、京に膝枕をしてもらっている事に気づく。 「……皆は?」 「今、戦ってる最中だよ」 「…………」  京は、どことなく虚ろな目でゆっくりと上体を起こそうとするヒカリの背中に手を添える。そしてぼんやりと戦況を眺める彼女を見守りつつ、ヒカリが何かしらのショックを受けているだけで闇に引きずり込まれているわけではないと確信しながらも、このような精神状態ではジョグレスは無理だとあきらめ、今はヒカリの介抱に専念しようと心に決めた。 「よくもヒカリの心を弄んだな! あの子は決して弱い子じゃないけど、敏感で傷つきやすい子なんだっ!」  テイルモンは激昂し続けざまに拳を振るうが、敏捷な身のこなしでことごとく躱されてしまう。絶妙な間合いをとるだけで一向に攻めてこないヴァンデモンに苛立ちを覚えた矢先。 「だがそれを知りながら尻尾を巻いて逃げた挙句、デジタルワールドで呆けていたのは誰だったかな?」 「っ!?」  ヴァンデモンはテイルモンがほんの一瞬だけ身を硬直させたのを見逃さず、疾風のごとく接近すると足払いをかけ、転倒した彼女の尻尾の先端をつかんで持ち上げた。 「肝に銘じておけ……パートナーを失ってからでは遅すぎるという事を」 「……クッ!」  空いている方の手で魔力の球を作り出すヴァンデモンに対し、テイルモンは咄嗟に体を回転させて彼の腕に尻尾を巻きつけた。その結果ホーリーリングが腕に触れ、ヴァンデモンがひるんだ隙に渾身の一撃を顔面に打ちこむ。  彼はなんとか踏みとどまろうとしたがこらえきれずに吹き飛び、テイルモンは更に追い打ちをかけようと果敢に攻めた。  ちょうどその頃、パイルドラモンの戦いぶりを懸命に目で追っていた大輔の身に異変が起こった。 「……ん? んんっ? なんだなんだっ!?」  突然誰もいない所に向かって喋り出す少年に賢は、 「本宮?」  と、恐る恐る呼びかける。  しかし彼には賢の声が全く聞こえていないようで、延々と独り言を言い続けており。 「大輔さんは一体どうしてしまったのでしょうか?」 「まるで誰かと会話しているように見えるけど……」  近くにいた伊織とタケルも怪訝な表情をする。  なんとも異様な光景に賢達がその場に立ち尽くしていると、やがて大輔は「ああ、分かった」と述べ、一呼吸置いてから神妙な面持ちで彼らを見据えた。 「賢、タケル、伊織──ちょっと試したい事があるんだ」  光子郎は刻々と進む戦況を注視しながらひどく浮かない顔をしていた。  先程からどうもおかしい。  時間の経過と共に、頭の片隅で次第に膨らんでいく漠然とした違和感。  その正体が分からず悶々とした状態で、彼はすがるように隣にいる一年上のリーダーに話しかける。 「太一さん……妙だと思いませんか?」 「妙って、どこがだ?」 「……いえ。もうしばらく様子を見た方がいいかもしれません」  光子郎は、自分でも説明しがたい感情の答えを他人に求めるのは理屈に合わないと考え直し、再び戦場の全景に目を向けた。  一方、大輔達四人は円陣を組んで何やら話しこんでいた。 「正直、鵜呑みにしていいものかどうか……」  大輔の提案を渋るタケルに伊織が、 「しかしこのままだとシャッコウモン達は力を使い果たしてしまいます」  と、切り返す。  彼らはひとしきり意見を交わし、やがて結論に至ると大輔が全速力でヒカリと京の側に駆け寄る。そしてきょとんとするヒカリに向かって手を合わせ、 「ゴメンッ、ヒカリちゃん!」  と謝るやいなや、いきなりしゃがんで彼女のズボンのポケットに手を突っこんだ。予想だにしない行動にヒカリは思わず「キャッ」と悲鳴をあげる。 「ちょっと大輔っ! あんたヒカリちゃんになんて事すんのよっっ!!」  目を吊り上げる京を無視して大輔は目的の品を強奪すると、急いで賢達の元へと戻り手中の物を見せて確認し合った。  その一部始終を少し離れた場所から太一達が驚いた様子で眺めていたところ、突然タケルが交戦中のパートナーデジモン達に向かって緊迫した声を張りあげる。 「皆っ! 今からパイルドラモンとシャッコウモンに合わせて攻撃してくれ!」  すると大輔が右手に古びたデジヴァイスを掲げ、 「パイルドラモン、シャッコウモン! コイツをブッ壊すんだ!!」  と力いっぱい叫んだかと思うと、鉛色の空に向かって勢いよく放り上げた。  先代の選ばれし子供達の物とも形状が違うそれは、まるで意思があるかのように天高く昇っていく。  それは、あっという間の出来事だった。 「デスペラードブラスター!」 「アラミタマ!」  二体のデジモンがデジヴァイスに狙いを定めてエネルギー波と光線を発射し、他のパートナーデジモン達も彼らに追随して必殺技を放つ。  ヴァンデモンはテイルモンと白熱した接戦を繰り広げていたが、上空を仰ぐと後方に飛び退き、 「テイルモン」  と、感慨深げにその名を呼びつつ彼女に向けて何かを投げ飛ばした。  そして二言三言口にした直後。  デジヴァイスはまばゆい光に包まれ、跡形もなく消滅した。  次の瞬間、ヴァンデモンの身体を形成するデジコアが活動を停止し、体の表面──テクスチャ──に無数の細かい亀裂が生じる。それに伴い周囲にいた数多の敵も、空気に溶けこむように消えていく。 「!?」  テイルモンが驚愕する中、テクスチャが剝がれ、骨格の役割を果たしているワイヤーフレームが露わになったかと思いきやそれも崩れ落ち、やがて灰塵となって飛散した。 「…………」  ヒカリは京に支えられながら、彼のあっけない最期をただただ茫然と見届けた。   << 前の話  次の話 >>  ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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黄身餡
2022年10月03日
In デジモン創作サロン
<< 前の話  次の話 >>  ヒカリは一瞬、ヴァンデモンが何を言っているのか理解出来なかった。正確に述べると、精神的ショックが大きすぎて気持ちがついていかない状態におちいっていた。  必要不可欠な存在だと告げておきながら何故命を奪おうとするのか。矛盾した発言に頭が混乱する。 「パートナーごっこは終わりだ……まさか、私との間に絆が生じているとでも思っていたのか?」  見る見るうちにヴァンデモンの顔つきが冷酷かつ残忍なものへと変わり、全身に暗黒の力をみなぎらせ始めた。周囲に広がっていく禍々しい波動に、ざわりとした悪寒に似た感覚がヒカリの背筋を駆け抜ける。  向けられる研ぎ澄まされた殺意。  非情な現実に彼女の中で今まで信じてきたものがガラガラと音を立てて崩れていく。 「悪く思うな。全ては“私達”の計画の為だ」  ……“私達”。  そういえばさっきも皆の前で同じ事を口にしていたと思い返しながら、ヒカリは両手を胸元に当てると本性を露わにした目の前の怪物を睨み上げ、 「ちゃんと分かるように説明して!」  と、恐怖に押し潰されそうになるのを懸命にこらえつつ問いつめた。  するとヴァンデモンは鼻先でせせら笑い、愚かな娘とばかりに蔑視する。 「ならば冥土の土産に教えてやろう」  それより少し前。  タケルがエンジェモンに手渡したD-3の反応を頼りに、子供達は各自デジモンに乗って荒涼とした大地を移動していた。 「!? 反応が止まった!」  鉛色の空を飛行するカブテリモンの両手に抱えられていた太一がデジヴァイスを凝視しながら思わず叫ぶ。  次の瞬間、遥か前方で閃光が走ったのと同時に激しい衝突音が聞こえてきた。 「エンジェモン達が戦い始めたんだ」 「やはりそう来ましたか……」  カブテリモンのもう一対の手の中にいるタケルに呼応するかのように、頭部の上に座っていた光子郎が眉をひそめる。それからすぐ横を飛ぶスティングモンとバードラモン、エクスブイモンの方に顔を向けて、 「皆さんっ、敵襲に備えて下さい!」  と、彼にしては珍しく大声を張りあげた。 「やっぱり、そうすんなりとはいかないってわけね」  スティングモンの右腕に座りつつ意気込む京に対し、もう片方の腕に体を預けていた賢が間近に迫る闇の気配を感じ取り慄然とする。 「……来る」  すると突然、上空からデビドラモンとスナイモンが計六体出現した。光子郎は即座に分が悪いと判断を下す。 「一度地上に降りて大輔くん達と合流しましょう。その間バードラモンとエクスブイモンは敵を引きつけておいて下さい」 「分かった」 「よしっ。行くぞバードラモン」  ちょうど同じ頃、地上では凄まじい咆哮と共にダークティラノモン、レアモン、タスクモンが大輔達の前に立ちはだかった。 「オレ達を足止めしようたって、そうはいかねぇぞ!」  先頭にいたグレイモンが姿勢を低くするやいなや、乗っていた大輔とウパモンを抱えた伊織が素早く降りる。そして伊織がパートナーに進化をうながそうとしたその時、ガルルモンから降りて来たヤマトが慌てて止めに入った。 「ここは俺達に任せろ」 「でも、先日の戦いでチンロンモンから分けてもらった力を使い切ってしまったのでは……」  ゴマモンがイッカクモンに進化しグレイモン達と共に敵に立ち向かう様子を目にしながら心配する伊織に、丈が歩み寄り穏やかな口調で話しかける。 「僕らだけじゃ頼りないかい?」 「いいえ。そういうわけではありませんが……」  そこにミミと空も加わって真面目一辺倒な彼の説得にあたった。 「大丈夫っ! 完全体に進化出来なくてもトゲモンはスッゴく強いんだからっ!」 「伊織くん。少し様子を見て危険だと判断したら手を貸してちょうだい、ね?」 「お前達はヴァンデモンとの一戦に備えて出来る限り力を温存しておいた方がいい」  自分が最年少ゆえに気を遣われているのではないかと思いうつむく伊織に、大輔がぽんと肩を叩き、 「伊織、そう気負るなって。先輩達はオレ達よりもずっと場数を踏んでんだ。それに年上とか年下とか関係なく、こういうふうに助け合うのが仲間なんじゃないかってオレは思う」  と、頼りがいのある笑顔を向ける。  伊織は、常に前向きな大輔に感化され表情を和らげると、力強くうなずいた。 「ヒカリ。お前達“選ばれし子供”とは一体何なのか分かるか?」  突然、無関係に思える質問をされヒカリはうろたえるが、 「……パートナーデジモンと共に、デジタルワールドの平和をおびやかす敵と戦う存在?」  と、恐る恐る問い返す。 「正確にはデジタルワールドに生じた不具合の修正を義務付けられた人間を指す。そもそも“デジタルワールドの安定を望む者”とはお前達の世界でいうセキュリティシステムに相当する。“奴”は八年前、現実世界に迷い込んだデジモンと接触した幼い兄妹のうちの妹、つまりお前が持つ特別な資質と共通した資質を持つ者から先代の選ばれし子供達を選出した。世間とやらでは『光が丘爆弾テロ事件』と呼ばれているらしいが」 「…………」  その意図するところはなんなのであろうか。  しかしヴァンデモンはヒカリの胸中など全く意に介さず話を進める。 「そして選ばれし子供達のそれぞれの心が示す、最も素晴らしい個性を元に作られた『勇気』や『友情』といった紋章──その中でも『光』は精神的特質に属さない特殊な紋章の一つで“進化”や“美”、並びに“命を生みだす物”を指し示している」  故に暗黒の海に潜む下衆共もお前をつけ狙い続けるというわけだ、と言い添えて、ヴァンデモンは意地の悪い笑みを浮かべた。 「どうしてあなたがそんな事を知っているの?」  子孫を増やす事しか頭にない怪異達のおぞましい肢体が脳裏を掠め、身の毛がよだつ思いに苛まれながらヒカリは胸元の両手を握りしめ自らを奮い立たせる。 「お前の血液から“奴”のデータの一部を入手しハッキングを試みた。残念ながら機密情報に辿り着く前に弾かれてしまったがな」 「あ……!」  ヒカリは瞬時に異世界へといざなわれた夜の事を思い出した。あの時からすでに彼の《《計画》》は動き出していたというのか。底知れぬ気味の悪さに全身から血の気が引いていく。  ふと遠くの方から何かが激しくぶつかり合う音が聞こえてきた。おそらく兄達がヴァンデモンが放ったであろう刺客と一戦を交えているのだろう。 「ヒカリ……私が何故、時間と労力をかけてまでお前を手懐けたと思っている」  彼は冷ややかな声でそう述べると数歩歩み寄った。下等生物を見下すような眼差しが容赦なく降り注がれる。 「悲願を成し遂げるにはどうしてもお前の信頼を、“命を生みだす力”を得る必要があったからだ──そう、“彼女”の為に」 「っ!?」  “彼女”。  その言葉にヒカリの心臓がドクンと大きく脈打つ。 「手間を惜しまず一定以上の信頼関係を築き、デジヴァイスを与え、内部に収納された“魂のデータ”が“器”に馴染むよう“器”の精神と深く繋がった今、お前にもう用は無い」 「それって……」 「そうだ。お前の体を“器”にして、かつてのパートナーである“ヒカリ”を蘇らせる」  ついに明かされた真の目的に栗色の瞳は最大限に見開かれ。ヒカリは衝動的にズボンのポケットに入れていたデジヴァイスを投げ捨てようとするが「今更手放そうとしても、もう遅い」と遮られる。 「あとはお前の魂を消し去るのみ。覚悟は良いな? ヒカリ……」 「…………」  嘘だと思いたかった。  だが、彼が嘘や冗談を軽々しく口にするような性格ではないのはよく知っていた。  今までの気遣いや優しさは全てこちらを欺くためのものであり、“形なきもの”という謎めいた言葉はかつてのパートナーの事を指していたのだ。  少なからず抱いていた親愛の情を踏みにじられた上、用済みになったらゴミ同然に処分される。 「あなたって、ほんと……最低」  怒りと悲しみで声が震えているのが自分でも分かる。  それに対しヴァンデモンは、よりいっそう邪悪に口元を歪め、こう言い返した。 「私にとっては最高の褒め言葉だ」  心ない返答に胸が引き裂かれるような衝撃が走る。心の片隅では彼の事をまだ信じたいという気持ちがあったが、それすらも粉々に打ち砕かれていく。  ヒカリの注意力が散漫になっている隙を狙ってアンデッドの王がやや足早に近づいてきた。少女は身の危険を察し、一歩、また一歩と後ずさる。 「光と闇は決して相容れぬ関係だ。だがパートナーを失ってもなお、死ぬ事も叶わず気が遠くなるような時間を生き永らえている私の気持ちがお前に解るか?」 「…………」 「無限に続く夢のあとの世界は、私にとっては悪夢でしかなかった!」  積年の苦しみが込められた嘆きに、ヒカリはただただ圧倒された。 「だが、それももうすぐ終わる……お前の肉体が朽ちれば、また新たに光の紋章を受け継いだ子供の体に乗り移れば良い。そうして“ヒカリ”は私と共に生き続ける──永遠にな」  愛ゆえの狂気。  “彼女”への一途な想いが彼を突き動かしているのに相違ないが、それは異常なまでに歪んでおり。  暗黒進化したパートナーデジモンの成れの果てにヒカリはぞっとする。  はたしてあの選ばれし子供もそれを望んでいるのだろうか。  一方ヴァンデモンは、その長い腕を伸ばしヒカリの首をつかむとおもむろに持ち上げた。抵抗する間もなく体が吊り上げられ、呼吸が出来ず苦しさのあまり足をばたつかせるが、空しく宙をかくだけだった。 「う……あっ……」 「安心しろ。体は傷つけん……お前が一人で寂しくないよう、大切な仲間達も後から地獄に送ってやる」  手套をはめた大きな手に首を絞めつけられ、徐々に意識が遠のいていく。  この手は、ほんの少し前まで優しく差し出されていたというのに。  走馬灯のように駆け巡る、彼と共に過ごした日々。  ……結局、自分は“彼女”の身代わりですらなかったのだ。 「さらばだ──八神ヒカリ」  残酷な一言がヒカリの心に刃のごとく突き刺さる。  そしてヴァンデモンは非力な人間の少女をぞんざいに放り投げた後、宙に浮いた体目がけて血の色をした電撃の鞭──ブラッディーストリーム──を放った。  だがその時。  六枚の純白の翼を羽ばたかせた天使がヒカリをしっかりと抱きとめると、そのまま勢いよく舞い上がり危機を回避した。  ヴァンデモンは忌々しげに舌打ちし、すかさずもう片方の手からも鞭を繰り出してエンジェモンごと貫こうとする。  しかし上空からホルスモンが急降下したかと思いきや、その背中から白い影が飛び降り、赤い凶器を拳で弾き飛ばす。目の前に現れたかつての部下でもある聖なるデジモンにヴァンデモンは目を細め。 「フン。今更のこのこやって来てパートナー気取りか? テイルモン」 「ヴァンデモン……私は絶対にお前を許さない!」  八神ヒカリのパートナーデジモンは怒りに満ちた眼差しで宿命の敵を睨みつけた。 << 前の話  次の話 >>  ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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黄身餡
2022年9月26日
In デジモン創作サロン
<< 前の話  次の話 >>  かつては子供だった全ての──大人達へ。 ── convivium ──  ※コンヴィヴィウム。ラテン語で「饗宴」を意味する。  ヴァンデモンがグランドピアノを奏でている。  抒情的で美しいがそこはかとなく切ない旋律に、ヒカリは三人掛けのソファーに座りながら耳を傾けていた。  最近、彼は毎日欠かさずこの曲を弾く。  ヒカリは何故か妙な胸騒ぎを覚え、一度だけ曲名を尋ねたがヴァンデモンはフッと笑うだけで答えてはくれなかった。  現実世界から戻ってきて以降、胸中に渦巻く漠然とした不安。  先行きが不透明な状況の中、この奇妙な関係が終焉に向かっている事をヒカリはまだ知らない。  ほどなくして遠くの方から懸命に駆けて来る大勢の乱れた足音が聞こえてきた。  一体何事かと思っているうちに足音は次第に近づき、ヒカリは背後にある荘厳な扉に顔を向ける。次の瞬間、勢いよく扉が開かれたのと同時に、城の主は演奏を中断した。 「ヒカリッ!」 「お兄ちゃん!?」  突如、室内になだれこんだ新旧の選ばれし子供とそのパートナーデジモン達の姿に、驚きのあまり思わずソファーから立ち上がり茫然自失となるヒカリに対し、ヴァンデモンは殊の外冷静だった。まるで始めから全て分かっていたかのように。  一方、太一は悠長にピアノなんか弾きやがってと思いつつ、昨夜の電話で丈から聞いていた通り、妹が奴隷のような酷な仕打ちを受けている様子もなく、やつれた感じもないのを視認しひそかに胸を撫で下ろした。 「随分と遅かったではないか……正直待ちくたびれたぞ」  闇を纏いし長身の怪物は、黒い本革が張られたベンチタイプの椅子に腰かけたまま子供達を睥睨し。 「ヴァンデモン! ヒカリちゃんを攫ってどうするつもりだ!」  拳をきつく握りしめ怒りを露わにするタケルを尻目にヴァンデモンは椅子からスッと立ち上がった。全身から発せられる凄みのある気迫に子供達は反射的に身構える。だが彼は全く意に介さず、マントの衣擦れの音を立てながら威厳に満ちた足取りでヒカリの傍らまで移動すると、彼らの眼前に毅然と立ち塞がった。 「どうしようとお前達には関係ない。既にこの娘は私の虜だ」 「ふざけるなっ!」 「本人が望んだ事だ。現にお前達が来ても、助けを求める素振りすら見せなかったではないか」  そうであろうヒカリ、と問われた途端、彼女は足元に目を落とし激しく動揺した。  確かに逃れようと思えば兄達の所へ駆け寄る事も出来たはずだ。なのに何故、自分はそうしなかったのだろう。 「……ヒカリ、ちゃん?」 「……う、違うのっ。私は……っ」  疑念と当惑を包含した数多の視線に、責められているような錯覚におちいり青ざめていくヒカリにヴァンデモンは満足げな笑みを浮かべる。 「どちらにせよ、もう遅い──これ以上“私達”の邪魔をするな」  そう言い放つと彼は素早く腕を伸ばし、立ちすくむヒカリの肩をつかんで強引に引き寄せた。その粗暴な所作に彼女の口から短い悲鳴があがる。 「ヒカリ!!」  まだあどけない少女の痛々しい声を耳にするやいなや太一は咄嗟に妹の名を叫ぶ。それを合図に選ばれし子供達およびパートナーデジモンは臨戦態勢に入った。 「……場所を移そう」  城を壊されては堪(たま)ったものではないのでな、と呟くとヴァンデモンは身動きが取れずにいるヒカリを横向きに抱きかかえ、ふわりと宙に浮く。その直後、背面にあるアーチ型の窓が開かれ、足下にいる子供達に向けて冷笑をこぼしてから厚い雲に覆われた鉛色の空へと飛び去った。 「待てっ! ヴァンデモン!!」  たった一人の大切な妹を拉致され殺気立つ太一に、隣にいたヤマトが、 「とにかく追うぞ」  と、頭を冷やすよううながす。  ああ、とうなずく太一の近くでタケルが即座にパートナーに指示を出した。 「パタモン、追跡してくれ!」 「分かった!」 「ホークモンもお願いっ」 「お任せ下さい、京さん!」  パタモンとホークモンはそれぞれエンジェモンとホルスモンに進化する。タケルはすかさず自分のD-3を発信器の代わりとしてエンジェモンに手渡すと、六枚の白い翼を持つ天使型デジモンはパートナーとの証ともいえるD-3を大事そうに握りしめ、ホルスモンと共にヴァンデモンの後を追った。 「皆さん。いったん城の外に出ましょう。飛行型に進化可能なデジモンは太一さんとタケルくん、京くんを優先して運んで下さい」  子供達の中で参謀役を担う光子郎の的確な判断にその場にいる全員が同意を示すと、一斉に引き返し始めた。 「それにしてもなんであいつが生きてるのよ! この間の戦いで完全に消滅したんじゃなかったのっ!?」  マイケルに誘われてホームパーティーに参加する予定だったのに~、と、ミミが城内の暗い廊下を走りながらぼやく。 「確かにそう思ったんだけど……」  言葉を濁す空に、すぐ横で二人の会話を耳にしていた光子郎が助け舟を出した。 「生存している理由は不明ですが、ヒカリさんを利用して何か企んでいるのは間違いありません。用意周到な彼の事です。おそらく向かう先には罠が仕掛けられているでしょう」 「ふ~ん……前々から思ってたけど光子郎くんって、あたしと他の女の子に対する扱いが全然違うよね~?」 「っ!? 突然何を言い出すんですか、ミミさんっ!」 「あたしには遠慮がないっていうかすごく適当な感じがするの。パルモンもそう思わない?」 「光子郎、ホントはミミの事好きなんでしょ?」 「ですからそれは……っ」  年相応の少年さながら顔を真っ赤にしてうろたえる光子郎にテントモンが一言。 「……光子郎はん、完全に押されてはりますわ」  気の置けない間柄だからこそからかうミミとパルモンに、空とピヨモンは顔を見合わせクスッと微笑む。  一方、両手でゴマモンを抱えながら彼女達の前方を駆ける丈は後悔の念に苛まれていた。 「ああ、あの時無理にでもヒカリちゃんを連れて帰ればよかった」  過ぎた事を嘆く丈に、「悔んだって時間は戻らないんだからこれからの事を考えようぜ」とゴマモンが元気づけた。ヤマトはその様子を横目に見ながら半ば呆れ混じりの表情を浮かべる。 「ところで丈。お前、留守電のメッセージくらいこまめにチェックしとけよな」 「実は太一にも同じ事を言われたんだけど、受験日が近いものだからついおろそかになって……」  丈の返事にヤマトはやれやれといった感じで深いため息をついた後、 「全くお前らしいな……とりあえず落ち着いたら、俺の家に飯食いに来いよ」  と、親しい相手にだけ見せる笑顔を向けた。 「丈ばっかりズルいズルいー!」 「……オレも、ヤマトのご飯食べたい」  明朗かつ茶目っ気たっぷりのゴマモンに恥ずかしがり屋だが情に厚いガブモンといった二匹の対照的な反応に、丈は思わず目を細め。 「そうだね。君達も一緒だと、より楽しい一時になりそうだ」 「でも、まずはヒカリちゃんを助け出さなきゃな」  そう口にしつつ、ヤマトは先頭を走る太一の背中に視線を移した。  ヒカリはヴァンデモンに抱えられた状態で、どんよりとした雲が低く垂れこめた空を移動していた。  向かい風を受けながらこっそりと彼の様子を観察してみるが全くの無表情で、一体何を考えているのか見当もつかない。するとこちらの視線に気づいたのか、ヴァンデモンは不可解な笑みを向けてくる。その謎めいた眼差しは彼女の心をいっそうざわめかせた。  やがて彼は荒野の一角に降り立つと、先程とは裏腹に、膝を曲げてヒカリを一度座らせてから優しく下ろす。  両足が地面につき一時的に自由の身になると彼女はすぐさま数歩後ずさり、 「どうして……どうして戦おうとするの? もう『危害は加えない』って言ったじゃないっ!」  と、戸惑いながらもヴァンデモンを非難した。  それに対し、此度の騒動の元凶であるアンデッドの王は深沈厚重な態度を崩す事なく眼前の少女を見下ろす。 「確かに今となっては二つの世界の統一などどうでも良い。だがいずれこうなる事は、お前も分かっていた筈だ」  淡々とした口調ではあるが、じわじわと追いつめられるような感覚にヒカリは二の句が告げず押し黙ってしまい。  確かに兄達が助けに来てくれる事を期待していなかったわけではない。胸の内で何度も淡い願いを抱いた時期もあった。  だが、その一方でヴァンデモンに魅せられている自分がいた。かつてのように恐怖で支配などせず、暗黒系デジモンでありながら下手な人間よりも人間的情緒を備え持ち、パートナーとして大切に扱ってくれる彼に次第に惹き込まれていった。  故に自分のせいで彼らが傷つけ合うのは、ヒカリにとっては耐え難い苦しみだった。  その上、いまだ記憶に新しい暗黒の海より訪れし招かれざる者達──深きものども──に対するヴァンデモンの鬼神のごとき戦いぶりは、まさに凄惨以外の何物でもなく。  もしあの時と同じような一切容赦ない攻撃が兄達に向けられたら……。  そう思うとヒカリの全身に震えが走る。  不意に一陣の風が吹き抜け、土埃が舞った。ヒカリは反射的に腕で目元を覆う。  風が止み腕を下ろすと不毛の大地の中、彼は微動だにせずたたずんでおり。  だがその姿を視界にとらえた瞬間、何故か彼が彼ではない別の、戦慄を感じざるを得ない何かのように思えた。両者の間に形容しがたい不穏な空気が漂い始める。 「ヒカリ」  妙に落ち着き払った深みのある声に、少女はごくりと固唾をのむ。 「何があろうとお前は誰にも渡さん。私にとって必要不可欠な存在故にな……」  ヴァンデモンは仮面の奥の双眸に確固たる信念を込め明言するが、その蒼く海よりも深い瞳には得体の知れない光が宿っていた。  元の生活に戻りたい自分と、彼の側にいてあげたい自分。  相反する感情に心をかき乱されるヒカリの様子を、不死の怪物は堪能するかのようにじっくりと眺めていた。  それからほどなくして、ヴァンデモンの口から放たれた俄かには信じがたい宣告は、彼女を取り巻く世界を一瞬にして根底から覆す事となる。 「だがお前には──ここで消えてもらう」 << 前の話  次の話 >>   ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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黄身餡
2022年9月17日
In デジモン創作サロン
<< 前の話  次の話 >> ※説明事項※  前半は『子供達が想像する囚われのヒカリ』、後半は『実際のヒカリとヴァンデモン』となっております。  現実世界ともデジタルワールドとも異なる世界に闇の眷族が跋扈(ばっこ)する城がそびえ立つ。その地下深くにある牢獄の一角に一人の少女が監禁されていた。独特のカビ臭さが漂う中、壁に取りつけられた蝋燭の揺らめく炎が辺りをほのかに照らしている。  ヒカリは鉄格子から少し離れた場所で、臀部を石の床に着けたまま膝を立てて揃えた両脚を両手で抱えるようにして座りこんでいた。  闇の世界に囚われてからどれくらい時間が経ったのだろう。  全てから隔絶された無音の空間が彼女の気迫をゆっくりと削いでいく。  すると奥にある螺旋階段の方から、かつん、かつんと規則正しい足音が響いてきた。その忌まわしい音を耳にした途端、少女はハッと顔を上げ一瞬おびえるが、すぐさま立ち上がり格子の向こう側を睨みつける。  足音の主は入口付近で看守をしている、頭からすっぽりと白い布を被っている幽霊のような姿をしたデジモンと二言三言言葉を交わした後、昂然とした足取りでヒカリの前に姿を現した。全身の神経がびりびりと痺れるような威圧感が彼女を攻め苛む。 「フッフッフ、相変わらず向こう気の強い娘だ」 「…………」  ヴァンデモンは恐怖を押し殺して身構える非力な少女の姿を眺めながら、さも楽しげにせせら笑う。 「お前は選ばれし子供達をおびき出す為の囮に過ぎないが、昔の誼(よしみ)で一番最後にその息の根を止めてやろう。大切な仲間が次々に殺される様を特等席で見ているが良い」  一方ヒカリは両の拳を強く握りしめ、 「絶対にあなたの思い通りになんてならないわ!」  と、毅然たる態度で言い放った。  だがわずかながら震えを帯びた声に気づかぬヴァンデモンではない。彼女の精いっぱいの強がりをいともたやすく見抜き、仮面の奥の鋭い双眸に愉悦の色を滲ませる。  恐怖におびえながらも抗う姿は、却って彼の加虐心を煽る結果となっている事に当の本人は全く気づいておらず。 「そう言っていられるのも今のうちだ。目の前で繰り広げられる惨劇に、恐怖と絶望に打ちひしがれる様を楽しみにしているぞ」  ヴァンデモンは気丈に振る舞うヒカリの顔を食い入るように見つめた後、高笑いしながらその場から立ち去って行った。  やがて足音がしなくなり牢獄が再び静まり返ると、ヒカリは糸の切れた操り人形のように膝の力が抜け床にへたりこんだ。ひんやりとした石の触感が彼女の体温を奪っていく。 ──怖い。いつまで耐えられるか、私が私でいられるか分からない……皆、早く助けてっ……。  牢獄の奥に広がる漆黒の闇に身も心も侵蝕されていくような感覚に、ヒカリは体を小刻みに震わせながら両手で顔を覆いきつく目を閉じた。  居城のとある一室。  ヴァンデモンは顎に手を添えつつ、真剣な眼差しで幅の広いテーブルに置かれた巨大なジオラマを一心に眺めていた。  そのジオラマは山並みや盆地の草木に到るまでリアルに作り込まれており、所々に赤と青の凸型の駒が配置され、駒の真横には漢字で人名が書かれた旗が立てられている。ゆうに三十本はあるであろう旗の中でヒカリがかろうじて知っているのは『徳川家康』という名前くらいだ。 「これは何?」 「関ヶ原布陣図だ」 「セキガハラフジンズ?」  ヒカリの問いかけに、ヴァンデモンは目をカッと見開き、 「何だとっ!? 『関ヶ原の戦い』を知らんとは、それでも日本国民か!」  と、彼にしては珍しく声を荒らげて叱咤した。  とはいえ正直な話、日本国民とまで言われる筋合いはないのだが勢いにのまれたヒカリは身の縮む思いに苛まれてしまい、「まだ学校で習ってない……」と、か細い声で弁解せざるを得なくなり。  ヴァンデモンはその様子に冷静さを取り戻すと咳ばらいをし、それなら仕方あるまいと自らの失言を取り繕った。 「今からおよそ四百年前の西暦1600年、現在の岐阜県不破郡関ケ原町において豊臣家臣・石田三成が安芸の戦国大名・毛利輝元を総大将とした西軍と、後に江戸幕府を開いた徳川家康率いる東軍が天下分け目の戦いを繰り広げた有名な合戦だ。いずれ歴史のテストに出るぞ」 「そ、そうなんだ……」  しかしヴァンデモンの耳にはヒカリの返事などろくに入っていない模様で、再び右手を顎に当てて、ふぅむ、と低く唸るような声をあげた後、 「先駆けて鶴翼の陣を敷いたにも関わらず西軍の敗因は三成の人望の無さか、徳川方の根回しによるものか。やはり小早川の裏切りによる松尾山からの襲撃は痛いな。寝返りを予測していた大谷はさぞ無念であったに違いあるまい。それにしても島津の退き口(のきぐち)『捨て奸(すてがまり)』はまさに武士(もののふ)の気骨といえよう。義弘ら薩摩隼人の結束力と戦法はデジモンではまずあり得んからな」  と、数百年前の人々をあたかも昔からの知り合いのような口ぶりで熱く語る。 ──なんか特撮ヒーローに夢中になってる小さな男の子みたい。  彼の意外な一面に、ヒカリは若干引きながらも一方では関心を抱いていた。例えるならば秘密の宝箱から思いもよらぬ物が出てきた時のワクワク感といったところか。専門用語が多すぎて、正直何を言っているのかよく分からないが。  ヴァンデモンはしばらくの間ジオラマを凝視し続け、おもむろに東軍総大将の駒を手に取ると目線の高さまで持ち上げる。 「『動かざること山の如く、知り難きこと陰(かげ)の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し』、か……」  だが次の瞬間、静まり返った室内に突如お腹が鳴る音が響き渡った。  ヴァンデモンが無言で目だけ動かしてヒカリの方を見遣ると、彼女は両手で腹部を押さえたまま顔を真っ赤にしてうつむいており。 「…………」  そして彼は立て続けに美しい彫刻が施されたゴシック型のホールクロックに視線を向ける。 「ムッ、もうこんな時間か……今から食事の準備に取り掛かるのも何だしな。よし、デジタマモンのレストランに行くぞ」  本当は昼食をとるには少々早い時間帯なのだが、ヒカリに恥をかかせまいとするヴァンデモンの気遣いに彼女の表情がパッと明るくなる。 「賛成っ! 私、この間ヴァンデモンが食べてたのと同じのがいい」 「エッグベネディクトか。言えば分けてやったのに……そうだな、外食の際は料理をシェアするのも悪くない」 「その方がいろいろな種類の物を食べられていいわね」 「何にせよ食育は大事だからな」  そう述べるとヴァンデモンは手にしていた青い凸型の駒をジオラマに戻し、デジタルワールドへ向かうためのゲートを開く。 「今日はゆっくりとランチタイムといこう。食後は森のオープンテラスカフェで寛ぐとするか」 「うんっ。あそこは小鳥達の声や小川のせせらぎが心地良くて私も好き」  ヒカリは軽快な足取りで彼に寄り添い、ヴァンデモンもまた、いつも通り彼女をエスコートする。そうして一人と一体は仲睦まじい様子でゲートの向こう側へと姿を消した。 << 前の話  次の話 >>   ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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黄身餡
2022年9月12日
In デジモン創作サロン
<< 前の話  次の話 >>  ──1月△日 金曜日 ──  ヒカリがヴァンデモンに攫われたと判明してから一夜明け、八神家はいくぶんか落ち着きを取り戻した。  この日、太一は内心居ても立っても居られない状態のままいつも通り学校へ行き、放課後その足で石田家に向かう。本来であれば作戦会議は光子郎宅で行われるのだが、本人が不在のため、「それなら俺の家でどうだ? 夜遅くにならないと親父も帰って来ないし」とヤマトが快く場所を提供してくれたのだった。 「よし。これで全員だな」  今、この場にいるメンバーは太一、ヤマト、武之内空、大輔、タケル、伊織の六名だ。太刀川ミミはアメリカにいるため不参加、丈に至ってはどういった理由なのかは不明だが連絡がつかず不参加。そして光子郎、京、一乗寺賢は現在デジタルワールドでゲンナイと共にゲートの開設および異世界の解析を行っている。 「それにしても丈の奴、なんで繋がらないんだ? 家に電話しても誰も出ないし」 「後で俺からも連絡しておく。いくら受験が近いとはいえこの一大事に何してんだ、あいつは……」  選ばれし子供達の中で最年長でもある丈に対して不満を漏らす二人に、最も年少の子供がなんの前置きもなしに、 「丈さんはそんな不誠実な人ではありませんっ!」  と、血相を変えて非難した。  伊織の真剣かつひたむきな眼差しにこの場にいる全員が呆気にとられる中、ヤマトは思わずおよび腰になり。 「お、おう……」 「もう二人共っ、丈先輩だっていろいろと事情があるのよ」  微妙な空気が漂うのを見かねた空がフォローを入れ、ヤマトと太一をたしなめる。もしこの場に京がいたら、「伊織は丈さんの事が大好きだもんね~」と盛大に茶化すに違いない。  すると大輔が周囲の面々を見ながら、場を仕切り直そうと話題を振る。 「やっぱヴァンデモンは、オレ達に復讐するつもりなんすかね?」 「あいつは本当に何するか分からない奴だからな」 「でもどうしてヒカリちゃんなのかしら?」 「……もしかすると、ヒカリちゃんが持つ不思議な力が目的なのかもしれない。彼女は選ばれし子供達の中でも特別な力を持っているから……」  タケルの推測に太一が、そういえば思い当たる節があるといった様子で、 「昔、巨大な都市の地下でムゲンドラモンと戦った時、ヒカリの体が急に光ってアグモンがワープ進化したんだ」  と四年前の出来事を語り、立て続けに空が口を開く。 「実体を持たない“デジタルワールドの安定を望む者”の言葉を、私達に伝えてくれた事もあったわ」  そうして色々と話をしているうちに、以前ヤマトとタケルが父親に買わせたパソコンに光子郎から連絡が入った。 「皆さんっ、ついにゲートを開く事に成功しました!」  その興奮気味に語られた一報に子供達から歓声があがる。  モニター画面に映る光子郎の後ろから京がずいと顔を出し、 「これも私達の努力の賜物ねっ」  と得意げに話すが、更なる強者(つわもの)が存在した。 「やっぱり賢ちゃんはすごいよっ! 賢ちゃんがいないとなんにも出来なかったんだから」 「それは買い被り過ぎだよ、ワームモン……」 「賢ちゃんっ、賢ちゃ~ん!」  一時も離れまいと引っ付くパートナーに困り顔で対処する賢を目にしながら、 ──ワームモン、その溺愛ぶりは相当ヤバいぞ……。  と子供達全員、心の中でツッコミを入れる。 「よし! じゃあ決戦はニューヨークの時差を考慮して明後日の日曜日、朝9時にここに集合って事でいいか? ヤマト」 「ああ。どうせ親父もいないしな」 「では僕達は引き続き異世界のデータ解析を続けます」  そう述べた光子郎が接続を切る直前、遠くから「皆さん、お茶が入りましたよー」と、ホークモンの和やかな声が聞こえてきた。 「なんだよ、賢だけじゃなくて京も連れてんのか」 「ぼく達もそうすれば良かったでしょうか?」 「うーん、でも賑やかすぎて作戦会議にならないかも──って、パタモンッ!?」  子供達がギョッとするタケルの視線の先に目を向けると、なんとベランダのガラス戸にオレンジ色の物体がベッタリと張り付いているではないか。 「タケリュ~、開けてぇ~」  そのなんとも庇護欲をくすぐられる声にタケルはすぐさまガラス戸を開け、寒空の中を懸命に飛んで来たパートナーをギュッと抱きしめた。 「こんなに冷たくなって……家で待ってるように言ったじゃないか」 「だって、なんか心配になったから迎えに来たんだ」  エッヘンと胸を張るパタモンにタケルは安堵の息をつく。このあどけないパートナーデジモンの行為はヒカリの件で落ちこむタケルを気遣っての事なのだろう。 「全く、心配性なところは誰に似たんだか……」  弟達の微笑ましい様子にヤマトはフッと笑みをこぼした後、太一に向かって「そろそろ解散するか?」と問う。 「…………」  しかし太一は即答出来ずにいた。状況的にお開きにしてもなんの差し支えもないのだが、正直なところ、一人になるのが怖かった。一人になると妹の安否ばかりを考えてしまい、沈痛な思いに押し潰されそうになっていた。  そんな太一を見つめながら、タケルは側にいた空に目配せをしてうなずき合う。 「お兄ちゃん。パタモンも来た事だし部屋の片付けでもしようか? しばらく来ないうちにずいぶんと散らかってるみたいだし」 「そうね。せっかくだから私達も手伝いましょうよ、ね? 太一」  二人の会話からヤマトもその意図を察し、 「そうだな。もう一人くらい男手が欲しいから付き合えよ」  と、半ば強引に誘う。  少しでも気がまぎれるようにと、直接口には出さずとも伝わって来る仲間達の温かい心遣いに、太一の胸に熱いものが込み上げてきた。太一はうつむいていた顔を上げて二ッと笑い、 「んじゃ、隠してるエロ本でも探すとするか」  と、おどけてみせた。 「あの……、『えろほん』ってなんですか?」 「あー、伊織くんはピュアなままでいて欲しいから知らなくていいよ。間違ってもお母さんに聞いちゃダメだからね?」 「……はあ」 「ちょっと太一っ! 小学生の前でなんて事言うのっ!!」 「いやぁ、ついノリで……」 「言っとくけど、そんな物なんて無いからなっ!」 「姉ちゃんが聞いたらなんかすげー喜びそうだな……」  皆が口々に喋る中、太一は大輔と伊織に向き合い態度を改めると言い聞かせるように告げる。 「親御さんも心配するだろうから、お前達は先に帰れ」 「はい」 「すみません、太一先輩。ブイモンも腹すかして待ってるだろうしお先に失礼します」 「じゃあ明後日な。頼んだぞ」 「任せて下さいっ!」  そうして二人が家路についた後、彼らは大々的に部屋の片付けをし始めた。  その日の夜遅くにヤマトとタケルの父親である裕明が帰宅すると、間違えて隣の家に上がりこんでしまったのではないかと思うほど綺麗に整頓されている室内の変貌ぶりに驚愕し、すでに就寝していたヤマトを叩き起こしたとか起こさなかったとか。  ──1月×日 土曜日 ──  今日は学校が休みなので、午前中、新たに選ばれた子供達だけでタケル宅に集まった。前日の作戦会議には参加していなかったパートナーデジモン達も一緒で、子供達がそれぞれ持ち寄ったお菓子に群がっている。 「明日はいよいよ決戦なんだから、食い過ぎて腹壊すなよ? ブイモン」 「分かってるって!」 「このチューチューゼリーというものは意外と美味しいですね」 「そうだぎゃ~。伊織のおじいさんが箱買いしてくれとるで助かっとるがや」 「タケル~。ボク、アイス食べたい」 「はいはい。今、冷凍室から出してあげるからね」  先代の子供達がいない分、あまりにも自由気まますぎる有り様に、 「……なんかピクニックみたいだな」  と、ソファーに座りつつ冷静に眺めていた賢がこっそりと呟く。 「ま、いつもこんな感じだしいいんじゃない? それに、ここぞって時に全力を出せるようメリハリをつけるのって大事だと思うし」 「そういう、ものなのかな?」  遠慮がちに答えながら賢はヒカリの事を考える。彼は、自分と同じく闇を恐れ暗黒の海にいざなわれた過去を持つ彼女に強い親近感を抱いていた。 「奴はヒカリさんを、第二のデジモンカイザーに仕立て上げるつもりなのだろうか……」  唐突に放たれた賢の一言にその場が水を打ったように静まり返り。 「そんな事、あるはずがないっ!」 「そうよ! ヒカリちゃんは大丈夫っ。なんてったって闇だって照らせちゃう光なんだから!」  タケルと京が猛反発する中、大輔は心の中でデジモンカイザーと化したヒカリをつい想像してしまった。 ──やっぱり、女王様系になっちゃうのかな? ちょっと見てみたいかも……。  いやいや。そんな事を考えてる場合じゃねぇぞ、とすぐさま考え直し、ダイニングテーブルの上に置いていた炭酸飲料水が入った500mlサイズのペットボトルを手に取ると、がぶ飲みして一息ついてから賢に話しかける。 「そーいやぁ賢は四年前のお台場事件の事、覚えてるか?」 「いや。怪獣が出たとかそんな話しか記憶にないな。それらがデジモンだと知ったのはだいぶ後になってからだ」 「あの時、ヴァンデモンに捕まった大勢の子供達がビッグサイトに集められて、そん中にオレと姉ちゃんもいたんだけどよ。いつ殺されるかってすげぇ怖かったんだ」  大輔にとって姉のジュンとは普段から口喧嘩の絶えない仲だが、そういえばあの時必死になってまだ小さかったオレをかばってくれたな、とふと思い出す。 「そうだったんだ……知らなかった」 「あれ? 一乗寺君には四年前の事を話してなかったっけ?」  無言でうなずく賢に、ダイニングチェアに姿勢正しく座っている伊織が両手でペットボトル入りのほうじ茶を持ったまま口を開く。 「ぼくは、ちょうどロンドンからの帰りの飛行機に乗っていました」 「確かガルダモンに助けられたって、以前空さんと話してたもんね。私はその頃お台場には住んでなかったから難を逃れたけど」 「そもそも四年前に奴が現実世界にやって来たのは、八人目の選ばれし子供──つまりヒカリちゃんを亡き者にしようと企んでいたからなんだ」  ヴァンデモンとヒカリの因縁めいた関係に一同が黙りこくる中、 「でもなんで今更、って感じよね」  と指先でつまんだスティック状のチョコレート菓子を軽く左右に振りながら、京が疑問を投げかけた。 「あいつが何考えてんのかはよく分かんねーけど、オレ達なら絶対にヒカリちゃんを救えるさ」 「ああ。今度こそ決着をつける」 「その意気だよ、賢ちゃんっ」  一度闇に堕とされた賢自身にとっても、ヴァンデモンは因縁の相手であった。  否、それは彼だけではなかった。 「及川さん達やブラックウォーグレイモンだけでなく、ヒカリさんまで苦しめるなんて断じて許せません!」 「そうだね。なんとしてでも僕達が助け出さなきゃ」 「それに、いざって時には世界中の選ばれし子供達にも協力してもらえるよう手配してあるって、泉先輩も言ってたし大丈夫!」  士気が高まる子供達にそれぞれのパートナーデジモンも呼応する。 「大輔、オレ達が力を合わせればなんだって出来るさ!」 「そうだな。頼りにしてるぞ、ブイモン」  そしてこの日の十九時頃、事情を全く知らない丈が渋谷の街で偶然ヒカリと人間に擬態したヴァンデモンに出会う事となる。  かくして──決戦の時は、明日に迫っていた。 << 前の話  次の話 >>  ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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黄身餡
2022年9月05日
In デジモン創作サロン
<< 前の話  次の話 >>  ── 1月〇日 木曜日 ── 「どうしたんだよ? 早くしないと学校に遅れるぞ、ヒカリ──」  八神太一はドアを開け、カーテンが閉じられたままの薄暗い部屋を見渡すがそこに妹の姿はなかった。 「……ヒカリ?」  目を疑うような光景に太一は部屋に足を踏み入れると、ヒカリのみならず一緒にいるはずのテイルモンもいない。少しばかりためらった後、掛け布団をめくりベッドシーツに触れるとひんやりとしていた。 「!?」  ただならぬ状況に太一は即座に玄関へと走る。  だが妹の靴は普段通り綺麗に揃えられて置かれており。 「一体……どうなってるんだ!?」  リビングの方から、「太一~、どうしたの?」と呼びかける母親の声が聞こえてくる。 ──もしかしてヒカリ達はデジタルワールドに行ったのか? でもなんで俺に相談もせずに……。  太一はそう思いながら再びヒカリの部屋に戻り、ひとまずカーテンを開けると机の上にピンク色のD-3が置かれているのに気づく。 ──いや、違うっ!   次の瞬間、運動着のポケットに入れていたデジヴァイスが鳴り響いた。すぐさま手に取り液晶画面を見ると、それはアグモンからのSOS信号だった。 「っ!」  太一はもう片方の手でD-3をつかみ、自分の部屋に移動して急ぎパソコンの電源を入れる。そしてモニター画面にそれをかざすが何も起きず。やはり持ち主以外ではデジタルゲートは開かないようだ。 「もうっ、二人とも遅刻するわよ──って、あら? こんな所で何してるの? 太一」  パソコンに向かって妙なポーズを取っている息子の姿を覗きこみながら、裕子は不思議そうな顔をする。 「いや、あの……これはっ……」 「変な子ね。それはともかくあの子達、夜更かしでもしたのかしら?」  そう言いつつ娘の部屋に向かおうとする母親を太一は慌てて止める。ヒカリがいない以上、どうしようもないと腹をくくり現状を伝える事にした。 「母さん、まだはっきりとは分からないんだけど、実は──」  すると裕子の顔色が一気に青ざめ、錯乱した状態でヒカリの部屋へ駆けつけると崩れ落ちるようにその場に膝をついた。太一は咄嗟に母親の体を支える。 「ヒカリッ、ヒカリ──ッ!!」  大切な娘が忽然と姿を消したのだから至極当然の反応といえよう。  これはもう朝練はおろか学校どころではない。 「大丈夫だよ母さん。ヒカリの側にはテイルモンがいるんだ。とにかくデジタルワールドに行ってみるからさ」  太一は不安に苛まれ取り乱す裕子を懸命になだめ続けた。  その日の午後、太一は授業が終わる頃を見計らい中学校に行った。そして学校に到着すると脇目も振らずに一年生の教室へと向かう。ちょうどホームルームが終わり後ろのドアが開いた途端、彼は出て来る生徒達を押し分けるように教室内に飛びこみ、教科書を鞄に入れていた泉光子郎の姿を視界にとらえると大声で呼びかけた。 「太一さん! そんなに慌ててどうしたんですか?」 「光子郎っ、力を貸してくれっ!!」  尋常ではない太一の様子に光子郎は瞬時に異変を察知する。 「……デジタルワールド、ですね」  太一は無言でうなずきつつ、この一つ下の後輩がひどく頼もしく感じられた。そういえば俺っていつも光子郎に頼ってばかりだな、とつくづく思う。 「ああ。詳しい事は歩きながら話す」  それから太一と光子郎はお台場小学校のパソコンルームを訪れた。今日は部活動の日なのか、室内にはパソコン部の部長で選ばれし子供の一人でもある井ノ上京がいた。 「泉先輩! あれっ? 太一さんも一緒だなんて珍しいですねっ」  京は椅子から立ち上がり、二人を見ながら屈託のない笑みを浮かべる。 「京くん。急で申し訳ないのですが、デジタルゲートを開いてくれませんか?」 「へっ?」 「頼むっ、早くしてくれっ!」 「べ、別にいいですけど──」  いきなり太一に急き立てられ戸惑う京だったが、ちょうどその時パソコンルームのドアが開き、本宮大輔、高石タケル、そして火田伊織が入って来た。 「太一先輩~!」  大輔は太一の姿を目にするやいなや、すぐさま駆け寄りあふれんばかりの笑顔で歓迎する。サッカー部の先輩でもある彼を余程慕っているようだ。 「あの……今、タケルさんから聞いたんですけど、ヒカリさんの具合はどうですか?」 「嘘ぉ!? ヒカリちゃん風邪ひいたのっ? 昨日は元気そうだったのにー」 「そうそう。後で家にプリント届けようって話してたとこだったんだよな、タケル」  わいわいと賑やかな三人とは別に、沈黙を続けていたタケルが口を開く。 「……何か、あったんだね?」  太一達との付き合いが長い分、タケルは彼らの様子からただならぬ雰囲気を感じ取っていた。彼の一言に太一と光子郎は互いに顔を見合わせる。 「皆さん、深刻な事態が起きました」  光子郎がそう述べた途端、新たに選ばれた子供達は思わず息をのんだ。昨年末の最終決戦からまだそれほど日数が経っていないにもかかわらず生じた異変に、重苦しい空気が漂う。  続けて太一が一歩前に出て、 「実はヒカリの事なんだけど……人に聞かれたらマズいんで詳細は向こうで話す」  と、廊下の方に目をやりながら告げる。  大輔達が騒然とする中、急に京が申し訳なさそうな顔で太一と光子郎に向かって両手を合わせた。 「すみません先輩っ。ホントは私も一緒に行きたいんですけど、さっき藤山先生に後から顔を出すって言われちゃって……あの先生、めったに来ないくせに今日に限って来るなんて!」 「まあまあ、京くん。僕達がデジタルワールドに出入りするのを誰かに見られないよう用心するに越したことはありませんから」  光子郎に言いくるめられると京は、後から私にもちゃんと教えて下さいねっ、と念を押しつつ側に置いていたランドセルからD-3を取り出した。そして目の前のパソコンにかざすとモニターにゲートが開く。 「行こう」  太一の掛け声と共に、五人の選ばれし子供達はデジタルワールドへと向かった。  そこは太一や光子郎、タケルにとって見覚えのある懐かしい風景だった。  ファイル島。  彼らが初めてデジタルワールドに足を踏み入れた際にたどり着いた、思い出の場所。  太一はここでようやくヒカリとテイルモンが行方不明になった旨を大輔達に伝える。そして同時にアグモンから救援を求められた事も。 「そんな……ヒカリちゃんがっ……」  新たに選ばれた子供達の中で最も激しく動揺したのはタケルだった。ヒカリとは四年前の冒険から苦楽を共にし、気心の知れた仲なので当然といえば当然だろう。 「太一ぃ~」  不意に遠くから自分の名を呼ぶパートナーの声に、太一は弾かれたように声がする方向に目を向ける。 「アグモンッ!」 「良かった、太一ぃ」  嬉しさを全身で表現しながら飛びこんでくるアグモンを笑顔で抱きしめてから太一は立ちどころに険しい表情になり、 「一体、何があったんだ?」  と、問う。 「とにかくこっちに来て」  アグモンに案内され、太一達は鬱蒼と茂った森の奥へと進んだ。十分ほど歩き続けてやがて少し開けた場所に着くと、そこには力なく木の根元にもたれかかるテイルモンの姿があった。 「光子郎はん!」 「テントモン!」  彼女を介抱していたテントモンがこちらに気づき光子郎の元へ駆け寄る。一方、テイルモンはうつむいたまま呆然としており、まさに心ここに有らずといった体(てい)であった。しかも先程からひっきりなしに、 「……ヒカリ、ヒカリ……どうして……」  と、うわ言のように呟いており。  この異様な光景を目にした子供達全員に戦慄が走る。 「ワテらが見つけてから、ずっとこないな調子なんですわ」  驚きを隠し切れない光子郎の横でテントモンが困惑気味に語った。 「おいっ、テイルモン! ヒカリは……ヒカリはどうしちまったんだっ!?」 「ヒカリ……」  焦燥感をつのらせた太一の声にテイルモンはおもむろに顔を上げると、空色の瞳を揺るがせながら一言。 「ヒカリが──闇にのまれた」 「なんだって!?」  だが、その言葉の続きに彼らはこの上ない衝撃を受ける。 「ヴァンデモンだ。あの感じはまぎれもなく、奴のものだった……」 「っ!!?」 「どうしてあいつなんだよっ! だってあの時、インペリアルドラモンのギガデスを食らって完全に消滅したじゃねーかっ!!」  即座に反論する大輔に続いて伊織が同意を示す。 「ぼくもハッキリと見ました! あの状態から生き延びるなんて絶対にありえません!」  それからしばらく重い沈黙が続いた後、太一がテイルモンに近づくとその場にしゃがみこみ、先程とは一転して落ち着いた口調で話しかける。 「テイルモン、一体何があったのか詳しく教えてくれ」  ヒカリが奴に攫われたってだけじゃないんだろ、と付け加える太一をテイルモンは少しばかり凝視し、深く息をついてから伏し目がちに語り始めた。 「昨夜、私は得体の知れない力にいざなわれたヒカリを追って、デジタルワールドとは異なる世界へとたどり着いた。そこには闇の城がそびえ立ち、ヒカリの気配を頼りに潜入したまでは良かったが──寸前で人間の少女が立ちはだかった。ちょうどヒカリと同じくらいの年頃の子だった。その子は私に言った。『私達の邪魔をしないで』と。そしてヒカリは闇に囚われ、すぐに助けに向かおうとしたけど厚い壁に行く手を阻まれてしまった……でもあの時、どうしてヒカリは……ッ!」 「人間の少女?」  テイルモンの口から出た不可解な言葉に太一は疑問を呈する。 「……もしかすると奴は、私達と“同じ”なのかもしれない……」 「“同じ”って、まさか──」  光子郎が彼女が言わんとしている事を一早く推察し目を見開く。すると、うな垂れるテイルモンにアグモンが、 「そんな事より早くヒカリちゃんを助け出さなきゃ。テイルモンはヒカリちゃんのパートナーなんだから、しっかりしなきゃダメだ」  と、活を入れた。  再び彼らの間に沈黙が訪れる。  しかし、それを破ったのはヒカリと同様に聖なるデジモンをパートナーに持つ少年だった。 「……奴がなんであろうと、邪悪なデジモンに違いないんだ!」  タケルが拳を握りしめ、怒りを露わにして声を張りあげる。常日頃、温厚かつ人当たりの良い彼を駆り立てるのは闇に対する激しい憎しみの情だった。 「ただでさえヒカリちゃんは闇の力に引き込まれやすいから、今すぐにでも助けに行かないと取り返しのつかない事になる!」 「タケルさん、落ち着いて下さいっ」 「お前、一体どうやって行くつもりなんだよ? しかもパタモンもいない状態で……」  伊織と大輔が気が気でないタケルを必死に取り押さえる中、光子郎はあえて冷静な口調で、 「タケルくんの気持ちは分かりますが、まずはその場所に行く方法を探すのが先決かと思います」  と諭(さと)し、太一の方を見る。 「それに相手はあのヴァンデモンだ。万全の体制じゃないとヒカリを助けるどころか皆やられちまう」 「クッ……」  やり場のないもどかしさにタケルは苦しげに顔を歪める。 「僕はこれからゲンナイさんの所に行って、その異世界へのゲートについて調べてみます。テイルモンも手伝って下さい」 「……分かったわ」 「ほんならワテが案内しますさかい」 「じゃあ、ボクはガブモン達に知らせに行ってくる」 「頼んだぞ、アグモン」  こうして光子郎とテイルモン、テントモン、並びにアグモンがこの場から去った。 「向こうに戻り次第、すぐに京さんにも知らせましょう」 「ああ。オレは賢に連絡しとく」 「…………」  太一はふさぎこむタケルの肩にさりげなく手を乗せ、 「ヒカリはきっと大丈夫だ。なんてったって光の紋章の持ち主なんだ。ヴァンデモンだってそう易々と手を出せやしないさ」  と、半分自分に言い聞かせるように励ます。 「……うん、そうだね」  帰ったら早速お兄ちゃんに電話するよ、と答えながらタケルは肩に置かれた手が微かに震えているのを見逃さなかった。  その後、現実世界に戻った太一が帰宅すると父親──八神進──が待ち構えていた。  どうやら留守の間に母が連絡を取り、体裁の良い理由を繕(つくろ)って会社を早退したらしい。 「太一……ヒカリは、無事なのか?」  容易ならざる事態に進は探るような目で息子を見つめる。裕子は夫に寄り添ったまま、その様子を固唾を飲んで見守っており。 「父さん、母さん。落ち着いて聞いて欲しい──」  太一は両親に事の次第をかいつまんで説明した。  二人にはすでに四年前のお台場の一件や昨年末の騒動に関する仔細を話しているので、ヴァンデモンの名を出そうものなら卒倒しかねない。 ──それにしても、ヴァンデモンは一体なんのためにヒカリを……。  心臓を鷲づかみにされたような緊迫感が八神家を恐怖のどん底におとしいれる。 << 前の話  次の話 >>  ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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黄身餡
2022年8月29日
In デジモン創作サロン
<< 前の話  次の話 >>  <66日目>  ヴァンデモンからデジヴァイスをわたされ、一週間が過ぎた。  あれからかれは、何事もなかったかのように接してくる。  それに、部屋にこもる時間が前より長くなった気がする。  かれの事を知ろうとすればするほど、なぞが深まるばかり。  こいきりの中を歩いているみたい。  「形なきもの」とは、一体どういう意味なんだろう?   どうしてわたしにあんな事をしたんだろう?   最近、夢にお兄ちゃんも出てこなくなった。  元の生活にもどりたい自分と、かれの側にいてあげたい自分。  どっちが本当のわたしなのか分からない。  やみにのみこまれるって、こういう事なのかな。  ヒカリは手にしていたシャープペンシルを机の上に置き、日記帳に記した文章を眺めながら大きく息をついた。  日記帳といっても外観は勉強用に用意してもらった大学ノートで、一見しただけではそれだと分からない。ヴァンデモンは人の物を盗み見るような浅ましい真似はしないが、念には念を入れなんの変哲もないノートに日々の出来事等を書き連ねている。  不意に自室の扉がノックされ、ヒカリは慌ててノートを引き出しの中にしまう。  平静を装いながら返事をするとほどなくしてドアが開き、ヴァンデモンが姿を現すやいなや開口一番、今から出かけるぞ、と言ってきた。 「もうすぐ夜になるけど、どこへ行くの?」  ヒカリは素朴な疑問をぶつけつつ、椅子から立ち上がり彼の方へと体を向ける。  時々ヴァンデモンは気晴らしという名目で、デジタルワールドの絶景スポットやデジタマモンが経営するレストラン等に連れて行ってくれる。きっと今回もそうなのだろうと思っていたら、こちらの心の内を見透かすように鼻でフンと笑われ。  しかし彼はすぐさま態度を改めると厳然とした口ぶりで、こう明言した。 「今宵は特別だ」  いつものようにヴァンデモンが作り出したゲートを彼と共にくぐる。  だが、その先に現れた光景はデジタルワールドではなく、近代的なビルを連想させる薄暗い廊下だった。日はとうに暮れ、等間隔で連続して設置された蛍光灯のほのかな明かりが無機的な様相をかもし出している。 「お前はここで待っていろ」  そう述べてヴァンデモンは悠々たる足取りで長い廊下の奥へと姿を消した。  誰もいない閑散とした空間にいきなり放置され、いささか心細さを感じながらヒカリはふと窓ガラスに目を向けると、外の景色が視界に飛びこんできた。  すぐ間近に七色に光り輝く巨大な観覧車が見える。  見覚えのあるそれに引き寄せられるように窓辺に近づいたその時、窓ガラスに映った自分の姿にヒカリは驚愕した。  薄いピンク色のワンピースに朱色のマフラー。そして頭にはお気に入りの白いベレー帽。 「っ!」  弾かれたように全身を確認すると、紛れもなく外出着を身に纏っており。  間違いない。  あれはパレットタウン大観覧車──そしてここは、現実世界の“東京お台場”だ。  ヒカリは激しい動揺を露わにし、その場に立ち尽くす。  すると規則正しい靴音を響かせながらヴァンデモンが戻って来た。 「どういう……つもり?」  不穏と戸惑いが綯いまぜになった眼差しを向けるヒカリに対し、ヴァンデモンは意味ありげに目を細め。 「二度も同じ事を言わせるな。『今宵は特別な日』だ。存分に──楽しめ」 「地岡ー、進み具合はどうだー?」 「あっ、石田さん! なんか急にパソコンの調子がおかしくなったんですよ。単に故障かと思ったんですけど、他の電子機器も軒並みクラッシュしてて……」  幽霊は出るわ二度にわたって怪獣は出るわ、もう勘弁してくれよぉ、とおびえる地岡を尻目に石田裕明は窓の外に目を向けるが、オベリスクのような形状をした黒い塔や霧は出現していない。 「時間が経てば復旧するだろ。それまで少し休憩でもとっとけ」  裕明はやれやれとため息をつきつつ、自動販売機で缶コーヒーを買おうと廊下に出た途端、遠くからバタバタと慌ただしい複数の足音が聞こえてきた。 「ん?」  何事かと思いその方向を見ると、数名の守衛が血相を変え駆けて来るではないか。 「おい、何かあったのか?」  裕明はその中にいた顔見知りの守衛を呼び止める。すると彼は裕明と向かい合う形で停止し、 「見学時間はとうに過ぎているのに、関係者以外立ち入り出来ないエリアに女の子がいるようなんです」  と、張りつめた表情で答えた。 「女の子?」 「ええ、十歳前後の。監視カメラのモニターに映った瞬間、電波障害で映像が途切れたんですけど確認のため現場に向かう途中でして」  守衛はそう述べて軽く一礼すると、足早に去って行った。 「ちょうどタケルくらいの年頃か……」  偶然が重なる事もあるものだ、と思いながら裕明は自動販売機へと向かった。  再びゲートをくぐり訪れた先は、どこかの街の路地裏だった。どうやら雰囲気的にお台場周辺ではないようだ。  ヴァンデモンはまたもや、「おとなしくしていろ」と釘を刺すと建ち並ぶビルとビルの間の狭い路地へと入っていく。一体何をしようとしているのか全くもって不明だ。元々、言動そのものが理解の範疇を超えていると言ってしまえばそれまでなのだが。  ヒカリはややしばらく周囲の景色をぼんやりと眺めながら待っていたが好奇心には勝てず、少しだけならと、より大きな通りに向かって歩き始めた。  そうして時折人とすれ違いつつ五分ほど歩くと、やがて途方もない大きさの交差点に出た。道路を行き交う大勢の人の波に思わず圧倒される。 「ここは……」  テレビで何度も見た事がある。  国内最大の規模といわれるスクランブル交差点。  辺りを見回すと、まばゆい色とりどりのネオンと共にそびえ立つビル群の中に“JR渋谷駅”の文字をとらえ。駅前周辺には大型屋外ビジョンが幾つも設置されており、それぞれ異なった映像が流れている。  その内の一つでちょうどニュース番組が始まった。お辞儀をするアナウンサーの映像と共に、画面斜め下に今現在の日時が表示される。  ── 1月×日 土曜日 19:00 ── 「!!」  現実世界で最後に眠りについたのは水曜の夜。  ヴァンデモンの元で二ヵ月以上過ごしていた間、こちらでは三日しか経っていないという事になる。  不意にヒカリの脳裏に四年前の冒険が思い起こされた。  そして、あの異世界と現実世界は、アポカリモンを倒す前のデジタルワールドと同じように、時間の流れる速さが違う事にようやく気づく。 「……あれ? ヒカリちゃんじゃないか!」  懸命に考えを巡らせていたところ突然声をかけられ、ヒカリは思わず体をビクッとさせた。  だが聞き覚えのある懐かしい声に、こわばっていた表情は笑顔へと変わり。 「丈さんっ!」 「こんな所で会うなんて思いもしなかったからビックリしたよ」  彼──先代の選ばれし子供の一人である城戸丈──に会うのは昨年末の最終決戦以来だろうか。確か慶早高校の受験が間近に迫っていると耳にしていたが。それはそうと、元気そうで何よりだ。 「太一と一緒じゃあないのかい?」 「う……ううん。丈さんこそどうしてここに?」  ヒカリの質問に丈は頬を掻きながら、 「僕は塾の帰りなんだけど、参考書を買いに本屋に向かう途中なんだ。やっぱり万全な態勢で受験にのぞみたいからね」  と答えた後、続けざまに喋る。 「それにしても、なんでこんな時間に一人でいるんだい?」 「そ、それは──」 「何をしている」  突如として降りかかる苛立ちをつのらせた声に、ヒカリは顔色を失った。  これは状況的に非常にマズい。  丈もまた、あんぐりと口を開けたまま棒立ちになっている。  だが、二人の前に姿を現したのは一人の白人男性──正確には人間に扮したヴァンデモン──だった。  普段は後ろに撫でつけている髪を下ろし、紅い仮面の代わりにブラウン系のスクエア型の眼鏡をかけ、足元は同系色のレザーシューズ、そしてチャコールグレーの細身のボトムスに黒いタートルネック、その上に濃紺のチェスターコートを襟を立てて羽織り、更に首元にはクリムゾンレッドのストールを巻いている。 「来い、ヒカリ」  ヴァンデモンはたたずむ両者に痺れを切らし、ヒカリの腕をつかむと強引に歩を進めた。 「あっ──また今度っ!」  いまだに固まっている丈に対して、ヒカリは空いている方の手をひらひらと振りつつその場から立ち去る。  一人取り残された丈はしばらくの間、放心状態におちいっていたが、ハッと我に返り。 「なんなんだっ? あの見るからに怪しい外国人は……まっ、まさか──援助交際っっ!?」  しかし即座に頭を左右に振り、いやいやヒカリちゃんに限ってそれはない、と慌てて否定する。 「とにかく太一に連絡しなくちゃ!」  ヒカリはヴァンデモンに手を引かれたまま夜の渋谷センター街を歩く。雑踏の中、道行く人々を縫うように進み、やがて人通りのまばらな裏通りに入るとようやく解放された。 「少し目を離した隙に……全く、危なっかしい娘だ」  その様子からして、彼はどうやら丈の事をナンパか勧誘目的で近づいてきたのだと勘違いしているらしい。もし気づいたら気づいたで大変な事になるが。  それはさておき、まさか人間に擬態するとは。しかも髪型が違うとこうも印象が変わるものなのか。  ヒカリは改めてヴァンデモンの姿をじっくりと観察しながら、及川悠紀夫の遺伝子情報を元に作られたアルケニモンやマミーモンも、自在に人間の姿に変身出来た事を思い出す。 「ん? どうした?」 「急に見た目が変わると、なんだか変な感じがする」 「あの姿を人目に晒せば嫌でも目立つ上、警察に職務質問などされては面倒だからな」  するとヒカリは急に口元に手を当て、ややうつむき加減になったかと思いきや全身をプルプルと震わせ始めた。  本当は笑ってはいけない状況なのかもしれない。  しかし、とうとうこらえきれなくなりプッと吹き出した後、堰を切ったように大声で笑う。 「何がおかしい!」 「フフッ、ごめんなさい。真顔でそんな事言うからつい想像しちゃって……」 「…………」  ヴァンデモンは指先で目尻をぬぐうヒカリを見ながら、ひどくばつが悪そうな顔をしてみせる。 「まあ良い。そろそろディナーといこうか。ヒカリ、何が食べたい?」  それから十数分後。  二人は、とある回転寿司店の前にいた。 「このお店はね、すごく美味しいって評判なの」 「私はカウンターのみの店でも良かったのだが……」 「どうしてもここのお寿司が食べたいのっ」  ヒカリにしては珍しく自分の意見を言い張ると、周囲の人だかりを押し分けるように店内に入ろうとした。ヴァンデモンも仕方がないといった体(てい)で付き従う。  店の自動ドアが開くと同時に、いらっしゃいませーっ、と威勢の良い掛け声が響き渡る。すぐさま若い女性従業員が近づいて来て、こちらを見るなり一言。 「申し訳ございませんが、当店はただいま九十分待ちとなっております」 「何っ!? 一時間半もかっ」  彼らは知らなかった。  超有名な人気店は最低でも一時間以上待たされるのが当たり前だという事を。ましてや土曜の夜の渋谷である。  むぅ、と唸るヴァンデモンに、「しょうがないから別のお店にしようよ」と袖を引っ張るが、少しして急に従業員がにこやかな笑顔になり、 「大変失礼しました。二名様でご予約のヤガミ様、お席の方へご案内致しますのでこちらへどうぞ」  と、いきなり態度を一変させた。 「……今なんかしたでしょ?」 「待たずに入れて良かったではないか」 「いや、絶っ対なんかした!」 「…………」  ヴァンデモンは素知らぬ顔をしたまま案内された座席の椅子を引こうとするが、さすがにここでは恥ずかしいと慌てて阻止する。 「もしかして、回転寿司は初めて?」  席に座り帽子とマフラーを外しながらヒカリが尋ねると彼は無言で肯定の意を示す。すると彼女はテーブルに置かれていたおしぼりで手を拭いた後、手際よく二人分のお茶を用意し、簡単な説明をしつつヴァンデモンの前に湯呑みや小皿等を並べた。 「この箱は何だ?」  ヴァンデモンは物珍しげに目の前にある容器の蓋を開け、ガリか、と勝手に一人で納得する。その様子にヒカリは不思議そうな顔で、 「ふぅん。ガリは知ってるんだ」  と話しながら、コンベアに乗って回ってきたマグロの皿を手に取った。そして久々の寿司を前に「いただきます」と手を合わせてから箸を持ち、小皿に入れておいた醤油をつけて一口で食べる。 「美味しい~!」 「それは良かった」  無邪気な笑みを浮かべるヒカリにヴァンデモンは目を細める。それからほどなくして手を拭きお茶で口を潤した後、流れる寿司皿の中から白身が乗った皿を取り。  和食や中華料理等を作って食べる事もあるので、箸を上手に使うのは前々から知ってはいたが、こうして寿司を口にする姿を目にするのは初めてだった。  皿の上の寿司を崩れないように優しく横に倒してからシャリと並行になるように箸でつかみ、醤油をネタの先に少しだけつけ、ネタを下にした状態で口の中に入れる。  先程カウンターのみの店云々と言っていた事も踏まえると、どうやら相当食べ慣れているようだ。だが時折寿司に交じって唐揚げやケーキが回ってくるのを奇異の目で見つめる様はなんとも微笑ましい。  ヒカリは三皿ほど食べ終えた後、しめ鯖を口にしているヴァンデモンに、 「そういえばデジタルワールドにお寿司なんてあったかしら?」  と、尋ねる。  すると彼は少し考えこむような素振りをみせた後、こちらに顔を向けると思いもよらない話をし始めた。 「寿司は及川の好物でな。奴は行きつけの店に足繁く通い、ビップルームであいつらにも惜しみなく振る舞っていたものだ。普段は質素倹約な暮らしぶりだったが、ここぞという時に金を使っていた。あれはなかなか真似出来るものではないぞ。そういえばあの女は魚卵好きで、相棒の器から度々強奪していたな」  及川達の意外な一面にヒカリは驚きを隠せなかった。立場上、敵対する形と相なったが、彼らもまた普通の人々と同じように日々の生活を営んでいたのだ。 「そう、だったの……」 「手にかけておきながらこう言うのも何だが、奴らを知る者達の記憶に残れば僅かでも供養になると思ってな」 「…………」  気持ちが沈みこむヒカリにヴァンデモンは、 「お前が忘れぬ限り、死んでいった者達はお前の中で生き続ける」  と、静かに諭(さと)す。そして小さな声で、多感であるが故の苦しみか、と呟いた。  正義と悪。光と闇。  それらは一見真逆のようで、切り離す事の出来ない関係なのかもしれない。  活気にあふれる店内で、二人は時々ぽつりぽつりと会話をしながら寿司を口にする。  やがて食事を終えるとヒカリは席を立ち化粧室に向かった。鏡を見ながら身だしなみを整え、仕上げに先程立ち寄ったドラッグストアで買ってもらった薬用リップスティックを塗る。  そうして席に戻ると彼の姿はなく、従業員が食べ終えた皿等を片付けていた。ヒカリは咄嗟に周囲を見渡し、出入口付近で順番待ちをしている人混みの中にたたずんでいるのを見つけると安堵のため息を漏らす。そして人にぶつからないよう気を配りつつ早歩きで彼の側に近づいた途端、 「会計は済ませた」  と、淡々と告げられ共に店を後にした。 「あ~、お腹いっぱい!」  食欲が満たされヒカリは上機嫌に振る舞う。そんな彼女の様子を見守りながらヴァンデモンは渋谷駅方面へと歩を進めた。 「では、次のスポットに向かうとしよう」 「えっ? ご飯を食べたら帰るんじゃないの?」 「何を言う。夜はこれからではないか」  そう述べて不敵に笑うヴァンデモンの前方に東急百貨店東横店がそびえていた。  彼はヒカリを連れて東京メトロ銀座線へと向かうと券売機で二人分の切符を購入する。慣れた手つきで、しかも高級そうな黒革の長財布から現金を取り出し投入している。デジタルワールドでの通貨はドルなのに、何故日本円を所持しているのか尋ねたところ、 「三年滞在していればそれなりに知見も広がる」  と、返され。  普段であれば移動手段はゲートを開くか飛行するか馬車の三択だが、どうやら人間形態の時は使える力に制限があるらしい。  それから二人は東京メトロに乗車して青山一丁目駅まで行き、そこから都営地下鉄大江戸線に乗り換え赤羽橋駅で降りる。駅から歩き五分ほどで到着した場所は、日本一の高さ[※2003年当時]を誇る総合電波塔“東京タワー”だった。 「うわー、こんな時間に間近で見るの初めて」  ヒカリは夜の街にひときわ光り輝く巨大な塔を見上げ、思わず感嘆の声をあげる。 「展望台からの景色は、なお一層壮観だぞ」  誇らしげな顔でヒカリを眺めた後、ヴァンデモンは彼女をタワー入口へと誘う。しかし時間帯が時間帯ゆえに周りはカップルだらけだ。 「……本当に、入るの?」 「折角ここまで来たのだ。楽しまずにどうする」  半ば押し切られる形で、ヒカリは彼と共に東京タワーの大展望台及び特別展望台を観光した。美しい東京の夜景を海抜250メートルから360度見渡せる大パノラマに魅了されつつ辺りを眺めまわすと、やはり自分達は明らかに浮いており。しかしながらヴァンデモンは全く気にも留めず、至極ご満悦の様相だった。ほんのわずかな間だけ姿を消したのが少々気になったが。  その後、階下にある土産物店を見て回り、東京タワーが描かれたパッケージの菓子や雑貨等を目にしながら会話を弾ませた。 「ふむ。何とも趣(おもむき)があり実に良い」  ヴァンデモンは店先にぶら下がっている商品を手に取り、しげしげと眺める。  それは東京タワーをかたどった、深みのあるブロンズ製のキーホルダーだった。  まさに昔ながらの定番といった土産物で、とにかく渋い。渋いの一言に尽きる。  ……多分、年配者か外国人観光客しか食いつかない代物だ。 「よし、これにしよう」 「!?」  ヴァンデモンは意気揚々とキーホルダーを二個つかみ、足早にレジへと向かう。それから支払いを済ませ戻って来るやいなや、土産物が入った紙製の小分け袋の一方をヒカリに差し出した。 「記念にとっておけ」 「え? あ、うん……ありがと」  正直あまり嬉しくないが、些細な事で彼の機嫌を損ねるのもどうかと思い、ヒカリは口元を引き攣らせつつなんとか笑顔で受け取る。  どうせならもっとかわいいデザインの物が良かったと思いながら、手にした小袋をすぐさまポケットにねじこんだ。そもそも鍵を持っていないのでキーホルダーをもらっても使い道がない。それは彼も同じはずなのだが。  東京タワーを後にし再び赤羽橋駅へと向かう途中、ヒカリは車道側の歩道をこちらの歩調に合わせて進む彼を見上げる。 「ねぇ、無理してない?」 「何故そう思う?」 「……なんとなく」 「気のせいだ。子供が大人を気遣うものではない」 「私、子供じゃないわっ!」  普段から“一人の女性”として扱ってるくせに。  現に今だって、通行人や自転車からさりげなく守ってくれてるじゃない。  本当はそう言いたかったが、あえて喉元で押しとどめた。  口に出してしまえば、この奇妙かつアンバランスな関係が壊れてしまいそうで。  そのようなヒカリの心境など露知らず、ヴァンデモンはおかしげにフッと笑う。 「成長期とは長いように思えて、一生のうちでごく僅かな時間だ。せいぜい今を謳歌するのだな」  そう述べると彼は白い帽子の上から頭のてっぺんを軽くぽんぽんと撫でた。 「…………」  なんかこれってデートみたいだ、と思いながらヒカリは恥じらう顔を隠すようにうつむき、頬にかかる栗色の髪を指で払った。  それから二人は先程と同様に都営地下鉄大江戸線に乗った。  乗車してから、もうかれこれ三十分近く経過している。  途中の駅で停車した際、席が一人分空くとヴァンデモンはそこにヒカリを座らせ、自分は吊革につかまったまま立ち続ける。  時刻はすでに二十二時を回っているが、いつもとは違う状況に眠気すら感じない。  ヒカリは何気なく顔を上げ彼の様子を窺うと、興味ありげに車内広告の内容を目で追っていた。しかしこちらの視線に気づいたらしく、何事かと見下ろしてくる。 「疲れたか?」  首を軽く横に振るヒカリにヴァンデモンは「あと少しで着く」と告げ再び上を向いた。  赤羽橋駅で電車の行き先名を見た時、どこに向かうのか薄々感づいてはいたが、終点の一つ前の駅を通り過ぎた時点でそれは確実となる。  そうこうしているうちに車内アナウンスが終点の駅名を告げ、間もなく電車は“光が丘”に到着した。  ここは昨年末の最終決戦当日、暗黒の種の複製を移植された子供達を追って訪れた地であり、彼女にとって思い出深い場所でもあった。  しかし光が丘は特にこれといった観光地ではない。以前、何かの拍子に幼い頃の話をした事があったが、それを覚えてくれていたのだろうか。  駅から歩いておおよそ十分。二人はとある公園に足を踏み入れた。  月明かりの下、電灯に照らされた年季の入った遊具や砂場を眺めながらヒカリが一人でたたずんでいると、ヴァンデモンが両手に飲み物を持って戻って来る。 「ありがとう」 「少々冷えてきたからな」  確かに東京タワーにいた時よりも肌寒く感じられるが、受け取ったカップの温かみが指先にじんわりと伝わってくる。プラスチック製の蓋の飲み口部分から漂うココアの匂いにヒカリの表情が自然と和らいだ。しかしその甘い香りとは別に、数種類のスパイスが混ざったような不思議な匂いが鼻を掠め。 「それは何?」 「ああ、グリューワインだ。飲むと体の芯から温まる」  ふ~ん、と言いながらヒカリは火傷しないようココアを少しだけ口に含んだ。ココア特有の風味が疲れた身体に染み渡り、ほっと一息つく。 「それにしても本当に懐かしい。よくここでお兄ちゃんと遊んでた──」  ヒカリは昔の記憶と同じままの園内を眺めつつ、格別な思いで語り始めた。 「──私ね、この光が丘で初めて“デジモン”に出会ったの。ほんとは、以前からずっとデジモン達が見えてたんだけど『他の人には見えないんだ』って知った時、とてもショックだった。私は普通じゃないのかなって……でも、今は違う。いつか本当に人とデジモンが共に生きていける世界になったらいいなって、心から思ってる」  理想の未来に瞳を輝かせるヒカリをヴァンデモンは無言のまま見つめていた。そして数歩歩み寄り、 「お前達の物語はこの地より始まった。物事は一見分散しているようで、全て──繋がっている」  と、意味深長な言葉を述べる。  建ち並ぶ団地群の明かりを目にしながら、ヒカリはかつて暮らしていた家のパソコンから突如謎の卵──デジタマ──が出現したのを昨日の事のように思い出した。  その後、ヒカリ達は東京湾を一望できる高層ビルの屋上にいた。  ヴァンデモンはすでに元の姿に戻っており、先程からずっと、煌々と輝く眠らない街を屋上の縁から眺め続けている。  絶えず波打つ水面に映る幻想的な光。  時折、夜風に乗って聞こえてくる都会の喧騒と船の汽笛。  なんとなく声をかけてはいけないような気がして、ヒカリは漆黒のマントをはためかせる彼の背中をただひたすら見入っていた。  そうしてしばらく経った後、彼は悠然と振り返るとこちらを凝視し。 「……帰りたいか?」 「っ!!」  ヒカリにとってそれは、およそ二ヵ月もの間、ずっと胸の奥底に秘めていた願望だった。  反射的に身をすくませる少女に、ヴァンデモンは冷淡な眼差しを浴びせながら迫り来る。 「それは、絶対にならん」  予想通りの一言に落胆に似た感情を抱くが、その言葉には続きがあった。 「──ヒカリに去られては、私が困る」  正面から真摯な態度で想いを告げる人間じみた怪物にヒカリは思わず目を見張る。 「ほんの少しで良い。今だけお前の時間を……私にくれないか」  何故か、仮面の奥の蒼い瞳が揺らいでいるように思えた。  容認する事も拒絶する事もなく微動だにしないヒカリに、ヴァンデモンはすぐ目の前まで近づくと、ひざまずいて目線を同じ高さに合わせる。  そしておもむろに広げた両腕をヒカリの背中に回し、その身体を包みこむように強く抱きしめた。  それは常しえのようで刹那の抱擁だった。  密着する体の感触とほのかな温もり。  不思議と安らぎを感じる匂い。  耳元に届く切なげな吐息。  そして、自分とは異なる鼓動。  アンデッド型デジモンでも心臓は動いているんだな、とヒカリはぼんやりとした意識の中で思った。  一方、ヴァンデモンはヒカリを抱きしめたまま閉じていた瞼をゆっくりと開けると、ひそかにほくそ笑んだ。  あたかも、これから起こる嵐の前触れのように。  これより数時間前。  丈はようやく見つけた公衆電話の受話器を持ち上げ、慌てて取り出したテレホンカードを挿入した後、手帳のアドレス欄を見ながらボタンを押す。 「あ、太一。僕だけど──」 「丈ぉーっ! 何度も電話してんのになんで出ないんだよっ!!」  ディーターミナルにメールしても返事来ないし、とものすごい剣幕の太一に、丈は圧倒されつつも落ち着いて答える。 「悪かったよ。受験勉強で忙しくて充電しとくの忘れててさ。それに最近、家(うち)には僕以外誰もいないんだ。父さんは病院で寝泊まりしてるし、母さんもシュウ兄さんが不慮の事故で急遽入院したもんだから、木曜の朝から京都に行ってて……」 「そんな事より、ヒカリが大変なんだっ!!」 「……え? 実は今渋谷にいるんだけど、さっきヒカリちゃんと偶然会って驚いたよ」 「はぁ? 渋谷って……何言ってんだよ!? 丈っ」 「ホントだって! 怪しい外国人と一緒だったけど何かあったのかい?」 「外国人?」 「ああ。なんか怖ーい感じの青い目をした金髪の男の人でさ。でも、前にどこかで会ったような気がするんだよなぁ。どこだったっけなー? うーん……」 「…………」  様々な思いが絡み合う中、物語は──加速する。 << 前の話  次の話 >>  ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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黄身餡
2022年8月22日
In デジモン創作サロン
<< 前の話  次の話 >>  居城の一室からたどたどしいメロディーが聴こえてくる。  グランドピアノの前にしつらえられたトムソン椅子[背もたれ付きのピアノ用椅子]に座るヒカリが、楽譜を食い入るように見ながら必死に鍵盤を押す。 「また肩に力が入っているぞ。まあ、今日はこの位にしておこう」  隣に置かれたベンチタイプの椅子に腰を下ろしていたヴァンデモンがマントの衣擦れの音と共にすっくと立ち上がると、譜面台のバイエル[初心者向けの教則本]を手荒く閉じた。  露骨に難色を示すヒカリに、 「レッスンは一日三十分と決めている。練習をしたければ後から勝手にしろ」  と、冷たく突き放す。  そもそも、暇を持て余すよりは幾分か良い、とピアノの稽古に励むよう強要してきたのはヴァンデモンの方だった。特に断る理由もなかったので承諾したのはよいものの、放課後の音楽室やピアノを習っている友達の家で『きらきら星』や『猫踏んじゃった』を弾く程度のヒカリにとって、彼の指導はすこぶる厳しかった。  ヒカリは渋々ピアノから離れると、言いつけ通り直立した状態で両肩に指先を添え、肘で大きく円を描くようにゆっくりと肩を回す。 「何もベートーヴェンやショパンを暗譜しろと言っているわけではない。基本さえ出来ていれば応用も利く」  ヴァンデモンはそう言いつつ、ピアノ室に新たに設置したバロック様式の応接セットのサイドテーブルまで移動し、ティーメジャーを手にすると、予め温めておいた陶磁器のティーポットにセカンドフラッシュ[夏に摘まれた最高品質の紅茶]のダージリン二杯分の茶葉を入れた。続いてコードレス電気ケトルを持ち上げ、沸騰直前のお湯を勢いよくポットに注ぐ。  ストレッチをし終えたヒカリが三人掛けのソファーに腰を下ろしたのと同時に、彼はテーブルの上にある繊細な装飾が施された三分タイプの砂時計を逆さにして置き。 「昨日はどの本を読んだ?」  ピアノの他にもう一つヴァンデモンが課したものは、毎日一冊、絵本や児童文学を読む事だった。大抵レッスン直後のティータイムに感想を論じ合う事が多い。  幼い頃から本に慣れ親しんでいるので読書に関してはとりわけ苦に思わなかった。しかしながら、何故彼がこれらの事柄を強いるのか、ヒカリはその意図をつかみかねていた。以前一度だけ尋ねた事があるが、つべこべ言わずに黙って従え、と一蹴されてしまい。 「『人魚姫』」 「それで、お前はどう思った」  ヴァンデモンは砂時計の砂が全て落ちきったのを視認するとティーポットを手に取り、ポットと同様に温かいアンティークのティーカップに、ティーストレーナーで茶葉をこしながら注ぎ始めた。 「……結局、王子様に想いを伝えられないまま泡になってかわいそう。風の精になっていずれ魂を得られたとしても、人魚姫は何一つ悪い事なんてしてないのに──」  ヒカリの感想にヴァンデモンはピタッと動きを止めるやいなや、あからさまに不機嫌になり、 「ん? お前は何を言っている?」  と、腹立たしげな声で抗言する。  立ち込める不穏な空気にヒカリは口を閉ざし、彼が最後の一滴まで注ぎ終えるのを黙って見つめた。ヴァンデモンは険しい表情のまま、優雅な身のこなしでローテーブルにソーサーに乗せたカップを二客置くと、テーブルを挟んだ向かい側のシングルソファーに悠々と座る。 「あの娘の何処が可哀相だというのだ。あれは悲劇でも純愛でもなく、成るべくして成った結末だ」  想像を絶する言い分に唖然とするヒカリをよそに、ヴァンデモンは私見をまくし立てた。 「よく考えてみろ。声と引き換えに人間の足を手に入れ、王子と宮殿で暮らせるようになったまでは良い。だがその後、奴は何をした? 周囲に流されるまま何もせず現状に甘んじていただけではないか。声を失い話せぬのなら、別の手段で真実を伝える方法はあった筈だ。幾ら足に激痛が走るとはいえ歩行は可能で、この物語の時代設定は不明だが、出版された十九世紀のデンマークでは識字率が低かったにせよ文字がなかったわけではない。それに、一日や二日で王子に隣国の姫との縁談が持ち上がり、命の恩人と信じて疑わない修道女の正体が彼女だと判明し、妃として迎え入れられるか? 以上の事から娘にはそれなりの時間があったと考えるのが妥当といえよう」  長々と熱弁を振るった後、彼は自分を落ち着かせるようにソーサーを手にして胸元まで運び、右手でティーカップの取っ手をつまむと、姿勢を正したまま持ち上げたカップを傾けて淹れたての紅茶を一口含んで喉を潤す。それからカップを乗せたソーサーをローテーブルに戻し、 「あれは思考を停止した者の末路だ。良いか、ヒカリ──お前はあのような愚かな女にはなるな」  と、静かに諭(さと)すと冷めないうちに飲むよう勧めた。  そこでようやくヒカリは我に返り、ティーポットと同じデザインのシュガーポットの蓋を開ける。目の前に置かれたティーカップにグラニュー糖を二杯入れてからミルクジャグを手に取り、ほんのり温かい牛乳を少量注いだ。そしてカップの奥に置かれたティースプーンでゆっくりと二周ほど混ぜ、スプーンを元の場所に戻した後、左側にある持ち手を右手で時計回りに回し、彼と同じ作法で甘めのミルクティーを味わう。  これは、知っておいて損はない、というヴァンデモンの教えだった。  ヒカリがマナーを覚えていく度、彼はマカロンやケーキを焼いて彼女をねぎらった。現に今もテーブルに手製のクッキーが置かれている。黒い平皿に敷かれた純白のレースペーパーの上に綺麗に並べられた、プレーン生地とココア生地を使ったチェック柄のクッキーはもはや売り物と変わらない完成度で。どうやら興味を持ったものに関しては徹底的に突きつめる性質(たち)らしい。 「ところで、今まで読んだ事のある本の中で一番好きな物語は何だ?」 「『星の王子さま』。よく分からないところがたくさんあって何度も読み返しているけど不思議と惹かれるの」 「あの童話は本来、大人に向けて書かれた物だからな。焦らず体得するまで読み倒すと良い」 「……うん」  余程疲れたのか、ヒカリは左手でクッキーをつまむと半分ほど齧った。口に入れた瞬間、サクサクとした食感と共にほのかな甘みとカカオの香ばしさが広がる。  美味しそうに焼き菓子を食べる彼女の様子を眺めつつ、ヴァンデモンは再び紅茶を口にした。  人間の少女と、異質のデジモンの間に流れる穏やかな時間。  やがてヒカリがミルクティーを飲み終えるのを見届けた後、ヴァンデモンは最後の一口を喫し、空になったティーカップをソーサーごと音を立てずにテーブルに置く。そして居住まいを正し、 「折り入って話がある」  と、なんの前触れもなく切り出してきた。  こちらをじっと見つめながら膝の上で指を組む仕草にただならぬ気配を感じ、ヒカリもまた神妙な面持ちとなる。  ヴァンデモンはおもむろに席を立つと、規則正しい靴音を響かせながらグランドピアノまで歩み寄り、譜面台に置かれている色あせた楽譜を手に取った。 「これらは“ヒカリ”の遺品だ。彼女はこの曲を特に好んで弾いていた」  そう述べてヒカリが座るソファーまで移動して数種類あるうちの一つを提示する。  楽譜の表紙には『Chopin Nocturne in E-Flat Major,Op.9,No.2』と記されていたが、ヒカリには全く分からなかった。 「彼女もピアノを習っていたの?」  この異世界にいざなわれた夜、彼が奏でていた『月光』を耳にした際に頭の中に流れこんできた情景の中で、あの少女はピアノを演奏していた。 「幼少の頃から習わされていたと聞いている。私がピアノを弾くようになったのも、彼女の影響が大きい。初めは音符の意味さえ分からず、デジタルワールド内をくまなく探し歩いて見つけた教本で学びながら覚えたものだ」  感慨深げなため息と共にヴァンデモンはボロボロになった楽譜を愛おしげに見入る。 「冒険の最中、“ヒカリ”は事あるごとに現実世界について話してくれた。いつか一緒に行こうと夢を語り合い、次第に私は人間の世界に憧憬の念を抱くようになった。だがまさか、あのような形で赴く事になるとはな……」  四年前の熱い夏。  数多のデジモンを従え、現実世界へと侵攻した──長く短い一時。 「光の紋章とタグを手に入れた際、その持ち主は一体どのような子供なのかと思ったものだ。それが、かつてのパートナーと同じ名を冠するお前だったとは何の因果か」  ヴァンデモンは皮肉めいた口調で、あれほど八人目に固執したのも自らを脅かすであろう聖なる力に恐れをなしていたのだろうな、と自嘲し、遺品を譜面台に戻す。  ヒカリが彼女の姿を実際に目にしたのは、あの時すれ違った一度きりだった。  あの少女はどういった意図で、自分を彼の元へと導いたのだろう。 「ねぇヴァンデモン……“ヒカリ”ちゃんは、どんな子だったの?」  ヒカリの問いにヴァンデモンはやや目を見開き、意外そうな顔をしてみせる。そしてピアノを見下ろしながら、「そうだな。この際だから話しておこう」と前置きしたうえで語り始めた。 「見た目は淑やかだが、明朗で歯に衣(きぬ)着せずものを言う性格ゆえ周りは勿論の事、当時の私も相当手を焼いたものだ。だが家族についてはあまり口にしたがらなかった。恐らく込み入った事情を抱えていたのだろう。正直きつい娘だったが根は優しくてな。前に『お前とは似ても似つかぬ』と言ったが、己を犠牲にしてまで他人を優先させる点に関してはよく似ている」  ヴァンデモンは、ここではないどこか遠い所を見ているような様相で思い出に耽る。  敵対していた頃からは想像もつかないほどの慈愛に満ちた眼差しに、突如ヒカリは得体の知れない感情に襲われた。  この胸に渦巻く思いは一体何なのだろう。  彼の口から彼女の事を耳にしても別になんとも思わなかったのに何故──これほどまでに心がざわめくのだろう。 「さて、長くなってしまったが話を本題に戻そう」  ヴァンデモンはゆっくりとした足取りでこちらに戻って来ると、側に来るよううながした。ヒカリは言われるがままソファーから移動し至近距離で差し向かう。  すると彼は彼女の足元に膝をつき身をかがめた後、おごそかに左手を差し出した。 「これをお前に預ける」  その手のひらの上に乗せられていたのは、あの──デジヴァイスだった。 「でも、あなたにとって大切な物のはず……」  予想だにしない展開の中、口ではそう言いつつもヒカリの心の奥底には後ろ暗い気持ちがわだかまっていた。  ピアノのレッスンといい前々から怪訝に思っていたが、やはり彼にとって自分は“彼女”の身代わりにすぎないのだろうか。  当惑するヒカリに、ヴァンデモンはなんとも形容しがたい情感をたたえたひたむきな眼差しを向けると、優しく彼女の手を取りデジヴァイスを置いた。そしてその上から人間のようで人間とは異なる大きな手を重ね。 「お前が“八神ヒカリ”だからこそ──私は全てを委(ゆだ)ねたい」  そのすがるような蒼い双眸を拒む事は出来なかった。  ヴァンデモンは触れていた手を離したかと思いきや、不意にその指先がヒカリの口元へと伸び。  次の瞬間、手套をはめた指の腹で唇をぬぐわれた。  色を帯びた鮮烈な感触に、ドクンと高鳴る胸の鼓動。  金髪碧眼の怪物は、少女の薄桃色の下唇に付着していた焼き菓子の欠片を自らの口に含み、先程とは一転して艶めいた不敵な笑みを浮かべる。 「……ヒカリ」  情感の余韻を残す低い音色が自分の名を呼び。 「形なきものを掴もうとする際、お前ならどうする?」  ヒカリはその謎めいた問いかけに戸惑いつつ、射るように見つめてくるヴァンデモンから目を逸らせずにいた。 「L'essentiel est invisible pour les yeux」 「えっ?」  予想通りの反応にヴァンデモンはフッと笑い、 「戯言だ。忘れろ」  と述べると、洗練された所作で起立した。  そして、デジヴァイスを手にしたままその場に立ち尽くすヒカリをかえりみず、漆黒のマントをなびかせながらグランドピアノへと向かう。続いて双方の椅子をずらし、専用の椅子に腰かけると鍵盤の上に手を添えピアノを弾き始めた。  室内に響き渡る、細やかな装飾音を隙間なく並べた煌びやかで甘美な旋律。  その曲は、以前どこかで聞いた事のあるクラシック音楽をアレンジしたものだった。 << 前の話  次の話 >>  ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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黄身餡
2022年8月15日
In デジモン創作サロン
<< 前の話  次の話 >> 「これが平面、そして立面の設計図だ。先程説明した通り、各自それぞれの持ち場につき果たすべき役割をこなせ」  ある日の正午前、城の中庭で巨大なボードを背にしたヴァンデモンを取り囲むように、ジュレイモン、ブロッサモン、ミミのパートナーとは別個体のトゲモン、サンフラウモン、ウッドモン、ベジーモン、フローラモン、ララモンといった面々が待機している。 「仕上がり具合によっては礼は弾むぞ」  昂然たる口ぶりでヴァンデモンが硬貨がぎっしりと詰まったドル袋を掲げると、大きな歓声が沸き起こった。  ヒカリはその様子を少し離れた所から傍観していた。  一体何を思ったのか彼は突然、中庭を整備すると言いだし、植物型デジモン達を雇って手つかずで荒れ放題だった庭を改造し始めた。その結果、普段は静まり返った城内が連日活気に満ちあふれる。思いもよらない展開に、賑やかな環境で育ち和気あいあいとした雰囲気を好むヒカリは楽しそうに微笑む。  そうして彼らが一斉に散り散りになったのを見届けた後、彼女はヴァンデモンの元へと歩み寄った。 「あなたってこだわりが強そうだから、てっきり自分だけでやると思ってた」 「この広さだと私だけでは手に負えん。『弓矢の道は武士が知る』というではないか」  その諺の意味が分からず首をかしげるヒカリに対し、 「要するに、その道の専門家に任せるのが一番だという事だ」  と、簡潔に解説する。 「完成が今から楽しみね」 「次の新月に間に合えば良いのだが……」 「どうして?」  ヒカリの問いにヴァンデモンは作業に取り組むガーデナー達を遠目に眺めながら、その時になれば分かる、と述べて口角を上げた。  それから半月以上経過した新月の夜。  石畳でつまづかぬようにとヴァンデモンにエスコートされ中庭に出ると、日中とは異なる景色が視界に飛びこんできた。  昼間は赤、ピンク、白、薄紫、黄色と咲き競う花々が、あたかもイルミネーションのような淡い虹色の光を放っている。植栽工事が終わりすでに幾日か経っているが、城内から毎晩見下ろしていた中庭はなんの変哲もない風景だった。月のない夜にだけ起こる不思議な現象にヒカリは感嘆の吐息を漏らす。  このような美しい光景を目にするのは、彼に抱きかかえられて月夜の空を間近で体感した時以来だろうか。  満天の星の下、ヴァンデモンは手を取りながら彼女の歩調に合わせ、色とりどりの宝石を散りばめたような庭の中心に向かってゆっくりと進む。  怪異達の魔の手から救われて以降、彼を観察して分かった事がある。  ヴァンデモンは怜悧かつ洞察力に富み、洗練された所作で教養もあり、その上人間界の文化に造詣が深く、人に近い形体も相まって下手な人間よりも人間じみている。“デジモン”という括りで見れば明らかに異質な存在といえよう。  加えて彼は常に、独特の価値観──本人いわく“美学”との事──に基づいて行動している。「お前は違うのか?」と納得がいかない様子だったが、大事な物を枕の下にしまう性癖を知った時はちょっとどころかかなり引いた。しかも時々真顔で冗談らしき発言をするので、どう反応してよいものか正直手に負えない。  ただ一つ確かな事は、自分をパートナーとして丁重に扱ってくれるという事だ。  やがて中庭の中心部に到達し、繋がれていた手が離れた途端、ヒカリは現実へと引き戻される。  それからヴァンデモンは数歩前に進み、立ち止まったかと思いきや指をパチンと鳴らした。すると無数の虹色の光が、間隔を置いてランダムに点滅し始める。空に輝く星と地を彩る幻想的な光に、ヒカリはまるで宇宙の中心にいるような錯覚を覚えた。 「先日、城外のあまりに殺伐とした景観を目(ま)の当たりにし、せめてここだけは心安らぐ空間にしたいと思った」  煌めく中庭に涼やかな夜風が吹き抜け、漂ってくる花の香り。  振り返る事なく静かに語る彼の背中はどこか切なく儚げに見えて。 「予(かね)てより考えていた。何故一度もお前達に勝てなかったのかと」  そう述べて、ヴァンデモンは地上の星々から天空を横切る光の帯へと視線を移す。 「夢を否定し、命を駒として扱い、数多の骸の上に立つ王など敗北は必然であった──」  ヒカリの脳裏に四年前の戦いと、つい先日相まみえた最終決戦の記憶が鮮明に蘇る。 「──かつては私にも夢があった。無限大ともいえる夢がな。だが延々と続く孤独の中、終わりなき夢のあとの世界に耐えられるほど、私は強くなかった……」  懺悔とも後悔とも異なる慚愧の念。  今となっては詮無き事だ、と抑揚のない声で呟く彼の深い心の内に、ヒカリはどういった言葉をかけたらよいか分からなかった。  一方、ヴァンデモンは困り果てる彼女を察し、ゆっくりと振り向くとさりげなく別の話題を振った。 「ヒカリ──お前の夢は何だ?」 「私の、夢?」 「そうだ。本宮大輔が世界一美味なラーメン屋を目指すように」  ヒカリはヴァンデモンが大輔の名を口にした事に驚きを隠せなかった。おそらく彼にだけマインドイリュージョンが効かなかったのが、余程こたえたのだろう。 「大輔くんほど大きな夢じゃないけど、私は将来、幼稚園の先生になりたい」  ヒカリの夢に彼は目を細め、 「お前に教わる子供達は、さぞ幸せに違いあるまい」  と、微かに表情を和らげる。 「…………」  ヒカリは尋ねていいかどうか迷いに迷ったが、両手に胸を当て勇気を振り絞って訊く事にした。 「あなたの夢は──失われたままなの?」  その投げかけにヴァンデモンは虚を突かれたように目を見開く。そしてうつむき加減でしばらく考えこんだ後、 「“夢”ではなく“望み”ならあるが、それは言えん」  と、毅然と言い放った。 「人には聞いておいて自分は話さないなんてズルいわ!」  非難の声をあげるヒカリに彼は、仕方がないといった体(てい)で大きく息を吐き姿勢を正す。 「ではヒントをやろう」 「?」 「何故、星が輝くのか分かるか?」  突然、学校の授業のような質問をされ、ヒカリは戸惑いながらも正解を口にする。それに対しヴァンデモンは、何だつまらん奴だな、と拗ねた口調で悪態をついた後、話を続けた。 「お前の言う通り恒星は自ら光を発しているが、大気中に舞う埃等の細かい粒子が太陽光を散乱させ空を明るくする為、日中は全く見えなくなる。故に夜空のもとでこそ星は輝き、闇が深ければ深いほど──より強い光を放つ」  つまりそういう事だ、と真っ直ぐな眼差しでヒカリを見つめながら告げ。  その難解極まる発言に、彼女は当然ながら鳩が豆鉄砲を食ったような顔になり。 「一体何が言いたいのか、私にはさっっぱり分からない」  困惑というより呆れ果てるヒカリを尻目にヴァンデモンは、そう易々と知られてなるものか、と心の中で呟いた。  ヒカリがこの異世界が彼の心象風景だと知ったのは、もう少し後になってからの事だった。 << 前の話  次の話 >>  ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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黄身餡
2022年8月08日
In デジモン創作サロン
<< 前の話  次の話 >>  柔らかな木漏れ日が降り注ぐ森の小径(こみち)を、一人の少女が軽やかに進む。深緑の中、清々しい樹木の匂いを胸いっぱいに吸いこみながら、聞こえてくる鳥達のさえずりやすぐ横を流れる小川のせせらぎに身も心も癒される。  その右隣を金髪碧眼の男性を模した人型デジモンが、少女のペースに合わせるように、ゆっくりとした足取りで並んで歩いていた。蝙蝠をモチーフにした紅い仮面に、中世ヨーロッパの軍服に似たデザインの紺色の大礼服に身を包み、裏地が赤色の漆黒のマントを纏っている。 「デジタルワールドにこんな素敵な森があるなんて知らなかったわ」  心地よい空気に安らいだ表情をしてみせるヒカリにヴァンデモンは、 「気に入って貰えて何よりだ」  と述べ、わずかに口元を緩める。  不意にそよ風が吹き、枝葉の擦れ合う音と共に木々の間から差し込む陽の光が揺らめいた。ヒカリが自然が織りなす神秘的な光景に見とれていると、いつの間にかヴァンデモンが側から離れ、近くに自生していた笹の葉に似た形の細長い葉を一枚摘んで戻って来る。そして葉の両端を折り曲げ、折った部分を三等分になるよう手際良く切れ目を入れていく。そんな彼の様子を不思議そうに眺めているうちに、やがてそれは舟の形を成した。 「そこの川に浮かべてみろ」  ヒカリは手渡されたかわいらしい緑色の舟に目を輝かせた後、小川のほとりに歩み寄ってしゃがみこむと慎重な手つきで水面に浮かべる。すると小さな舟は緩やかな流れに乗ってゆっくりと川を下っていった。  遠くに流れていく様を目で追っていると、ヴァンデモンが意外だと言わんばかりの口ぶりで、 「私の代の子供達は小川を見つけるとよくこうして遊んでいたものだが、今の選ばれし子供は笹舟流しを知らんのか?」  と、尋ねてきた。 「うん。お台場周辺は人工的に築かれた島だから」 「……そうか」  ヴァンデモンは軽く息をつき、再び上流に向かって歩き始めた。ヒカリも慌ててその後を追う。  そうしてしばらく森の中を進むと、遥か前方のやや開けた場所に一軒の平屋らしき建物が見えてきた。ダークブラウンの三角屋根に白い壁といった、周囲の自然景観と調和した色彩のしゃれた外観に近づいていくにつれて、パンの焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。  小一時間ほど前、突然「今日はカフェでランチだ」と告げられ、一体どんな所に連れていかれるのか内心恐々としていたが全くの杞憂だったようだ。  ヒカリは期待に胸を膨らませつつ、やや早歩きで店の入口に向かおうとしたその時。  ふと妙な気配を感じ、急に立ち止まったかと思うと辺りをキョロキョロと見回し始める。 「どうした?」  ただならぬ様子にヴァンデモンは不審に思い声をかけるが、彼女の耳には届いていないらしく、ヒカリは何かに引き寄せられるかのように建物の通路脇にある小さな側溝に近寄る。するといきなり「あっ!」と声を上げ、すぐさまその場にしゃがむと両手でぐっしょりと濡れた物を拾い上げた。  ヴァンデモンが足早に近寄ると、少女の手の中に雀よりも一回りほど小さな一羽の鳥がすっぽりと収まっていた。全身が青い羽毛に覆われている。 「ふとしたはずみで側溝に落ちてしまったようだな」 「……このままじゃ死んじゃう」  必死に左右の目を動かして警戒するものの、体が冷え切っているせいかピクリともしない小鳥に心を痛めるヒカリにヴァンデモンは、 「少し待っていろ」  と述べ、彼女の護衛として蝙蝠を数匹出現させた後、どこかへと飛び立った。  蝙蝠達は当初、ヒカリの周りを飛び交っていたが、小鳥がおびえている事に気づき近くの木の枝に逆さまにぶら下がって警護にあたる。そんな中、ヒカリはこれ以上体温が奪われないよう手のひらで懸命に温め続けた。  それから十分ほど経った頃、ヴァンデモンが戻って来た。両手に幅が三十センチメートル位の蓋付きの水槽を抱えている。更にその中にはチャックが付いた小さめのアルミ袋が入っており。 「森の向こう側にある町まで行ってきたのだが、思ったより時間がかかってしまった」  彼はそう言いながら蝙蝠達を体に取り込み、何ゆえ水槽なのかと目を丸くするヒカリを気にも留めず、カフェの入口へと向かう。  ヒカリはヴァンデモンに続いて、緑色のガーデンパラソルの下で数組の客が食事をしながら会話を弾ませているテラス席を横目に見ながら店内に足を踏み入れると、開放感がありながらも上品かつ落ち着いた雰囲気に思わず目を見張る。居心地も良さそうでいかにも女性受けしそうな内装だ。 「あら、ヴァンデモンさん! いらっしゃい」  焼きたてのクロワッサンを乗せたベーカリートレーを手にした可憐な妖精型デジモンが、愛嬌のある笑顔でヴァンデモンに話しかけてきた。その淡いピンク色を基調とした外見はリリモンを彷彿させる。 「ライラモン。すまないが少しばかりそこの出窓のスペースを借りるぞ」 「ええどうぞ」  彼女の許可を得るやいなや、ヴァンデモンは空いている客席のテーブルに水槽を置くと蓋を開け中にあったアルミ袋を取り出し、端の方に鳥を入れるようヒカリに指示する。ヒカリは言われるがまま手にしていた小鳥を水槽に優しく置いた。その間、彼は袋を開け横たわる鳥を確認してからその中身を逆側の隅に少量撒く。よく見るとそれは小鳥用の餌だった。  続いてガラス製の蓋をわずかにずらして被せた後、そっと水槽を持ち上げ出窓の直射日光が当たる位置に据えた。更に、 < 私物につき、触れた者は殺す。 ──ヴァンデモン── >  とデジモン文字で書かれた貼り紙をする。  なんと書かれているのかヒカリには全く分からなかったが、彼の意図をようやく理解した。 「このまま放っておけば、じきに回復する。それまでゆっくりと食事を楽しむ事にしよう」  ヴァンデモンはヒカリの方に向き直り、店内かそれともテラス席がいいか尋ねる。それに対して彼女は即座に「天気もいいし緑に囲まれながら食事がしたい」と答え、一緒に店の外に出ようとした矢先。 「……おや? ヴァンデモンではないか」  出し抜けに背後から呼びかけられ彼らはピタリと足を止める。  先程のライラモンとは異なる、艶やかでありながらも気品に満ちた声にヒカリは驚いて振り返ると、真紅の薔薇をモチーフにした衣装を身に纏った美しい大人の女性の姿をしたデジモンがたたずんでいた。 「久しぶりだな、ロゼモン」  ヴァンデモンは彼女の正面に立つと右足を引き、右手を体に添えて左手を横方向へ水平に差し出してお辞儀をする。ヒカリは彼が他者に対して敬意を払う姿を初めて目にし、内心驚愕した。 「そなたも息災のようで何よりじゃ」  ロゼモンも貴婦人さながらの洗練された所作で会釈をした後、姿勢を正す。 「紹介しよう。パートナーのヒカリだ」 「初めまして、八神ヒカリです」  かしこまって深々と頭を下げる少女にロゼモンは微笑み、 「妾(わらわ)はロゼモンと申す。今後ともよしなに」  と、述べると背筋を伸ばしたまま片足を斜め後ろの内側に引き、もう片足の膝を曲げて優雅に挨拶した。後ろで束ねた絹のような金の髪がしなやかに揺れ、そのあまりの美しさにヒカリは思わず見惚れてしまう。 「ここで会ったのも何かの縁だ。不躾ではあるが、もし都合が良ければ共にランチでもどうだ?」  無理にとは言わないが、と言い添えるヴァンデモンと期待に目を輝かせるヒカリの顔を順に眺めながらロゼモンは柔らかな微笑を浮かべ、 「では、お言葉に甘える事にしようかのう」  と、快く受け入れた。  雰囲気から察するにどうやらそれなりに親しい間柄のようだ。  それにしてもヴァンデモンはいつどこで彼女と知り合ったのだろう。  以前の冷酷かつ高慢な彼からは到底想像もつかない情緒的関係にヒカリは改めて関心を寄せた。  そうこう考えているうちにヴァンデモンが彼女達をテラス席までエスコートし上座に向かうと、ごく自然な感じで背もたれのあるダークブラウンの椅子を引いてロゼモンを座らせてからヒカリの席の椅子を引き、彼女が座ったを確認した後、カフェの出入り口に近い椅子に左側から着席する。続いてメニューブックをロゼモンに手渡し、彼女がヒカリと共に献立表を目にする様子を静かに見守った。  少ししてライラモンが水が入ったグラスをトレーに乗せて運んで来た。 「ご注文はお決まりでしょうか?」 「ほう。そなたが注文を取りに来るとは珍しいのう、ライラモン」  ロゼモンの一言にライラモンはやや興奮気味に、 「だって、こんな森の奥に選ばれし子供が来てくれたんですもの」  と、砕けた言葉づかいでヒカリを見ながら満面の笑みを浮かべる。 「あなた達の事は中華街のデジタマモンから聞いていて、一目会いたいと思っていたのよ。彼にも話をしたらすごく会いたがってたけど、シャイだから多分遠目に眺めるだけね」 「……あの、“彼”って誰ですか?」  遠慮がちに尋ねるヒカリにロゼモンが、 「スティングモンの事じゃ。全く、初対面の者にも分かるように説明せぬか」  と、ため息をつきつつ呆れた口ぶりでたしなめた。  ライラモンの話によると、このカフェは彼女とスティングモン──賢のパートナーとは別個体──が共同で経営しており、争いを好まないデジモン達の憩いの場になっているとの事だった。  ひとしきり話を終えた後、ようやく注文の段階に入ったのはよいものの、品数が多くてどれにしようか迷っている様子のヒカリにロゼモンがおすすめのメニューを紹介する。 「ここのパンケーキは絶品じゃぞ」 「パンケーキ?」  聞き慣れない言葉にヒカリは首をかしげるが、すかさずヴァンデモンが、 「甘さが抑えられた薄めのホットケーキと思えば良い。日本ではこちらの名で定着しているからな」  と、フォローを入れる。 「じゃあ、それでお願いします」 「私も同じ物を貰おう」 「ではパンケーキを三名分焼いておくれ」 「あらロゼモン。うちの料理はどれも絶品よ?」  ライラモンは茶目っ気たっぷりにこぼした後、飲み物等のオーダーを取ると店内に戻って行った。  爽やかなそよ風が吹き渡る中、草花の女王と賞賛される妖精型デジモンは置かれたグラスを手にし、少しだけ口に含んで喉を潤す。 「あやつとは旧知の間柄でのう。時折依頼を受けて手製のローズジャムを卸しておる」  ちょうどその帰りにそなた達と行き合うたわけじゃ、と付け加えるロゼモンに、ヒカリもつられるように水を飲むと、ほんのりレモンの味がした。 「ロゼモンとは、お前達に敗れた後に図書館で知り合った。数多のデジモンの中でも彼女は気品と教養を兼ね備えた稀有な存在だ」 「これ、褒めちぎっても何も出ぬぞ」 「実はこの店も彼女から教えてもらった」  ロゼモンは品の良い笑みをヴァンデモンに向けると、彼もまた表情を和らげ見つめ返す。そこはかとない色気が漂う大人の雰囲気にヒカリはつい視線を逸らしてしまい。  それから彼らは積もる話を交わし、現実世界の音楽、美術、文学といった談義に花を咲かせた。目の前で他のデジモンと普通に接しているヴァンデモンの姿はヒカリにとってひどく新鮮に映った。心の中で、テイルモンやアグモン達ともこんなふうに仲良くしてくれたらいいのに、とひそかに思う。  しばらくして注文した料理が運ばれてきた。大きめの白い丸皿の上に薄いパンケーキが六枚重なっており、ブルーベリーやラズベリー、カットした苺といったフルーツが添えられている。  感嘆の声をあげるヒカリに、ロゼモンはテーブルの中央に置かれた小ぶりのガラスボウルを差し出す。中には紫がかった赤いジャムが入っていた。 「これって、もしかして──」 「さあ、召し上がれ」  彼女に勧められ、ヒカリは受け取ったボウルに備え付けられていたスプーンでジャムをすくうとパンケーキの皿の端に乗せ、器をテーブルに戻してから側にあったティースプーンで口に運ぶ。次の瞬間、薔薇の香りと上品な甘さが口いっぱいに広がり、幸せな気持ちに包まれた。 「美味しいっ!」  ヒカリの反応を満更でもない様子で見守るロゼモンに、ヴァンデモンが「彼女のローズジャムはこの上ない逸品だからな」とガラスボウルに触れる。  そうして穏やかな時間が流れていった。  ヒカリは焼きたての香ばしいパンケーキを食べながら、仲睦まじげに話す彼らをじっくりと観察した。ヴァンデモンも心なしかいつもより物腰が柔らかく感じられ、傍目から見るとお似合いのカップルだ。自分が邪魔者のような気さえする。  食事を終え、ヴァンデモンがさりげなく追加の注文があるかどうか確認をとった後、気づかれぬようにテーブルの下に差し込まれていた伝票ホルダーを手に取り、 「鳥の様子を見て来る」  と言って、席を立つ。  ロゼモンと二人きりになり、会話の糸口が見つからず気まずい思いに苛まれるヒカリに彼女は居住まいを正すと、 「ヒカリや」  と、優しくいたわるような声で語りかけてきた。 「デジタルワールドを救ってくれた事、妾からも礼を言わせてもらうぞ。あやつの手前、口にするのは憚られたゆえに──あの者が関与していた事実を知る者は、極僅かではあるが……」  ヒカリは、ふうっと息をつくロゼモンを真っ直ぐに見つめ、こう答えた。 「たくさんの人やデジモン達の支えがなければ、どうなっていたか分かりません。それに私、今のヴァンデモンが本来の彼なんじゃないかって気がするんです」  そして勢い余って、貴女ともとても仲がいいし……、と呟いてしまい、どうしてこんな事を言ってしまったのだろうと思いながら恥ずかしげにうつむいてしまう。  するとロゼモンは口元を手で隠して、ホホホッと上品に笑い、 「妾は単なる茶飲み仲間ゆえ案ずるでない。その上あやつには既に意中の相手がおるようじゃからのう……」  と意味ありげな口調で告げた後、続けざまに話す。 「……これ以上、口を滑らせるわけにはいかぬ。妾はこの辺でお暇(いとま)するとしよう」  ヴァンデモンによしなに伝えておけ、と言い添えると、ロゼモンはスッと立ち上がり軽く会釈してから優雅な足取りで森の奥に向かって歩きだした。  ヒカリも慌てて起立し、緑色のマントをはためかせながら去りゆくロゼモンに向かって、 「あなたとお会い出来て嬉しかったです」  と述べて、丁寧にお辞儀をする。  少ししてゆっくりと顔を上げると、甘く華やかな薔薇の香りと共に風に舞う真紅の花弁が視界に飛びこんできた。その華麗な演出にヒカリは、内面の美しさが彼女の外面をも引き立たせている事に今更ながら気づく。  それからいくらもしないうちにヴァンデモンが戻って来ると、手にしていた水槽の中で小鳥が元気よく動き回っていた。ヒカリはこみ上げてくる嬉しさに思わず顔をほころばせる。 「ん? ロゼモンはどうした?」  ヴァンデモンに言伝(ことづて)を伝えると彼は、そうか、と小さくうなずき、一瞬だけ何か考えるような素振りをみせたがすぐさま気を取り直す。 「餌、全部食べたね」 「よほど空腹だったのだろう。だがここまで回復すれば、もう大丈夫だ」 「うん」  あふれんばかりの笑顔の少女にヴァンデモンは仮面の奥の目を細め、「さて、こいつを放すとしよう」とカフェの外れまで移動し始めた。ヒカリは光沢のある鮮やかな青い羽をばたつかせて右往左往する小鳥を眺めながらヴァンデモンと並んで歩く。そして森の入り口から少し入った所で足を止めると、彼は持っていた水槽をそっと地面に置いた。 「ヒカリ。自由にしてやれ」  ヴァンデモンにうながされ、ヒカリが静かに蓋を持ち上げ水槽の外側に立てかけると、青い鳥は躊躇する事なく晴れ渡った空へと飛び立った。その瑠璃色の美しい姿にふさわしいさえずりを響かせながら。  降り注ぐ木漏れ日の中、木々の葉を風が優しく揺らす。  ヒカリは片手をかざして眩しそうに空を仰ぎ見るアンデッドの王を見据えつつ、彼との距離が少しだけ縮んだような気がした。 「ありがとう、ヴァンデモン」  彼女の一言にヴァンデモンは驚いたような顔で見つめ返した後、しばし沈黙してから木の根元に歩み寄り。 「礼を言われる筋合いはない。お前が見つけなければ、私は何も出来なかった……あの鳥を救ったのはお前だ、ヒカリ」  そう告げた彼の表情がたいそう優しげに見えるのは、木漏れ日が織りなす光と影のコントラストのせいなのだろうか。  すると店の方角から一匹の蝙蝠が飛んで来た。その小ぶりな後ろ足で、広げた翼とほぼ同じ大きさの紙袋の持ち手をつかんでいる。額に“A”の文字が刻まれた蝙蝠はヒカリの目の前まで移動し、そのまま空中で停止飛行すると、運んできたベージュの手提げ袋を引き渡すような素振りをしてみせた。 「……私に?」  無言のまま目で肯定の意を示すヴァンデモンにヒカリは両手のひらを差し出し、紙袋を受け取ってから内側をそっと覗く。  中には、薔薇の絵が描かれたシールが貼られたアンティーク調のデザインの、小容量サイズのジャム瓶が入っていた。 << 前の話  次の話 >>  ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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黄身餡
2022年8月02日
In デジモン創作サロン
<< 前の話  次の話 >> ※注意事項※  この話にはR-15描写、やや過激な表現(貞操の危機)と微グロが含まれております。  寝具を巡る騒動から一週間ほど経ったある日の事。  ヒカリ達の生活もようやく落ち着き、一日のだいたいの流れも把握出来るようになっていた。  ヴァンデモンは四六時中共にいるわけではなく、長時間書斎にこもって読書に耽ったり、気が向いたらピアノを弾いたりと、ある意味マイペースな暮らしぶりだった。  一方、ヒカリは一人になる時間が増えるにつれ、家族やテイルモン達の事が気がかりで仕方なかった。あれからもう十日以上過ぎている。急にいなくなってしまった自分をたいそう心配しているに違いない。  ……本当は帰りたい。いつも通りの平穏な日常に戻りたい。  それがヒカリの本音だった。  だがヴァンデモンは決して許しはしないだろう。  そもそも攫われたわけではなく、自らの意思で彼の領域に足を踏み入れてしまったのだから。  あの時、何故テイルモンの制止を振り切ってしまったのか自分でもいまだによく分かっておらず、結果、彼女を裏切る形となりヒカリは常に罪の意識に苛まれていた。  せめて家族に無事を伝えられればと、ここ数日の間、ヴァンデモンに気づかれぬよう城内をエリアごとに探索するが、特にこれといった手がかりはなく。当然、初めに閉じこめられていた棺が安置されている部屋にも足を運んでみたが、どういう訳か棺は跡形もなく消えており。  このままでは埒が明かない。  ヒカリは思い切って城の外も調べてみようと決心した。もし彼に問いただされたら、暇だったから散策してみた、と適当に理由をつければいいと思惑を巡らせながら。  城を出ると荒涼とした大地が広がっていた。所々に枯れた木々が点在している。  この世界にも昼夜は存在するものの、日中は常に厚い雲に覆われ、時折雨が降るどんよりとした空模様だった。  もうかれこれ一時間は歩いただろうか。  延々と続く殺風景な景色にヒカリは得体の知れない失望感を抱き始める。  やはりどうあってもここから逃げられないのか。  ……逃げる。  そう思い至った途端、彼女の中である憶測が生じた。  そもそもあの城には自分と彼しかおらず、監視体制を敷いている様子も見受けられない。しかも城外へと続く出入口付近も一対の竜のような石像が置かれているだけで、落とし格子や跳ね橋に遮られる事なくすんなりと出られた。  つまりそれは──。  ヒカリはふと足元に転がっていた、ひしゃげたジュースの空き缶に目が留まる。 『なんだって!? お台場全体が隔離されてる?』 『ああ、きっとヴァンデモンの奴らが……』 『間違いない。八人目を捕まえるためにお台場ごと封鎖したんだ』 『子供も、大人も見境なしに……』 『クソーッ!』  にわかに四年前の記憶が呼び起こされ、ヒカリは思わず立ちすくんだ。  ヴァンデモンは、恐怖や力で支配しようとする素振りは一切見せないが、自分が逃げたと知ったらどんな報復手段に出て来るか分かったものではない。  足元から全身にかけてじわじわと麻痺していくような感覚が彼女を襲う。  やはり戻ろう。  そう結論づけて引き返そうとした矢先。  なんと驚くべき事に、突然目の前にゲートが開いた。 「!」  ひょっとすると、テイルモンや兄達が助けに来てくれたのかもしれない。  期待と希望を胸に藁にもすがる思いでヒカリはゲートに向かって駆け寄る。  しかしそこから出現したのは、希望とは真逆の招かれざる者達であった。 「選バレシ乙女」 「ヨウヤク見ツケタ……」  決して忘れる事の出来ない、その澱みのごときおぞましい姿を目にするやいなや、ヒカリの口から短い悲鳴があがる。  あれは確か半年ほど前。  ダゴモンの声に呼ばれ、抗えぬまま暗黒の海に引きずり込まれた際に遭遇した、深淵より訪れし怪異達。 『時ヲ待ツ』  そう言い残し、暗い海の底へと帰って行った彼らが再びヒカリの前に姿を見せたという事は。 「時ハ来タ。ツイニ選バレシ乙女ガ、咲イタ」  その不吉な言葉に秘められた意味合いに気づいた途端、ざわりと身の毛がよだつ。現に無数の突出した不気味な目がねっとりと下腹部を見つめ。 「サア、麗シキ花嫁。我ラト共ニ深キ所ヘ……」 「古キ神モ首ヲ長クシテ待ッテオラレル」 「いっ……嫌ァ!!」  どうあっても生理的に受け入れられず拒絶するが、彼らはベチャッ、ベチャッと気色の悪い音を立てながらこちらに近づいて来る。少なくとも十体はいるであろう化物の群れに迫られ、ヒカリは一歩、また一歩と後ずさった。心臓がバクバクと音を立て、震える唇で、助けて、と叫びたくても喉元で詰まり声にならない。  その時であった。  上空にひときわ黒い雲が立ち込め、激しい稲光と共にヴァンデモンが現れた。  彼はヒカリと深きものどもの間に立ち塞がり、彼女を背にかばう形で対峙する。 「遠路はるばる御苦労な事だが、お引き取り願おう」  張りのある高圧的な声が周囲に響き渡る。 「邪魔ヲスルカ……新シイ神ニ成リ損ナッタ者ヨ」 「フン、下らん世迷言を」 「イズレニセヨ選バレシ乙女ハ、我ラトノ間ニ子ヲ生(ナ)ス定メ……」 「我が領域に侵入した挙句、同意なき者を無理やり花嫁にしようとするなど言語道断。斯様な狼藉、この私が許さん──」  その芝居がかった言い回しとは裏腹に、額に青筋を立て、普段の紳士然とした彼とは到底思えないほどの凄まじい形相をしていた。鋭く尖った牙をむき出し完全に目が据わっている。  次の瞬間、激しい衝撃音と共に怪異達の背後にあったゲートが強制的に閉まり。 「──因(よ)って、全員漏れ無く死ね」  その言葉を合図に戦いの火蓋は切られた。  ヴァンデモンは背後にたたずむヒカリを守りながら、襲い来る彼らに赤い電撃の鞭を振るう。 「ナイトレイド」  すると蝙蝠の群れが深きものども目がけて一斉に攻めこんだ。両腕を振り回して撲殺せんとする彼らの隙をつき、すかさずデッドスクリームを放つと、石化した個体に容赦なく鞭を浴びせ粉々に打ち砕く。  恨みがましい声をあげながら後退する怪異達にヴァンデモンは、 「ヒカリには指一本触れさせん。同じ過ちを繰り返すわけにはいかないのでな」  と、感情を昂らせ。  幾度となく死闘を繰り広げた相手が今、自分を守るためにその身を挺して戦っている。  決してありえない光景にヒカリは何ともいえない不思議な気持ちを抱いた。と同時に、ヴァンデモンの凄絶な戦いぶりにただただ圧倒されるばかりであった。  時間の経過と共に屍の数がなし崩し的に増えていく。  深きものどもの血飛沫と肉片が飛び散る中、戦況は有利に思えた。  しかし。 「忌々シイ“デジタルモンスター”メ……」  彼らの中でも格上と思わしき者達の腕が突如、ズチュッと不快な音を立てながら裂け、体内に収納されていた銃を取り出す。そしてそのグロテスクな容貌とは不釣り合いな武器を手にしたかと思うと、ヴァンデモン目がけて発砲した。 「私にそのような攻撃など──」  ヴァンデモンは手をかざして銃弾を消し去ろうとするが、無情にも弾丸は全て彼の体に命中し。 「!? グハッ……これは……ッ!」  目を疑うような現状にヴァンデモンは一瞬うろたえる。しかしそれだけでは終わらず、銃創から突如ノイズが走り体全体へと広がっていった。ヴァンデモンは膝を折り、苦しげに胸元を押さえながら鋭い眼差しで彼らを睨みつける。 「コレデ、オ前ハ完全ニ消去サレル」 「……まさか、プログラム感染か……」 「今更気ヅイテモ、モウ遅イ」  一匹の怪異が更に銃を連射し、ノイズに侵蝕されたヴァンデモンに追い打ちをかける。 「グアアアァァ────ッ!!」 「ヴァンデモンッ!!!」  ヒカリの呼びかけも空しく、断末魔の叫びと共に彼の体はデータに分解され、塵と化して四散した。 「あ、ああぁっ……」  唯一の拠り所であったヴァンデモンを失い、ヒカリはその場に力なく座りこむ。 「邪魔者ハ滅シタ」 「あっ……ヒッ!」 「迎エガ来ルマデノ間、ココデ我ラト交ワリ子ヲ生ソウ」  その鬼畜極まりない一言にあどけない少女の瞳は最大限に見開かれ。 「……いっ、いや、嫌っ! 来ないでっ!!」  だが前回のようにテイルモンやタケル達が助けに来てくれる可能性はほぼゼロに等しく、頼みの綱であった彼も消されてしまった。 「怖イノハ初メノ内ダケダ。直グニ善ガリ狂ウヨウニナル」  先程ヴァンデモンにとどめを刺した化物が、グチャッ、グチャッと仲間の死骸を踏みつけながらにじり寄って来た。  不意に彼らに体をつかまれた時の感触を思い出し、ヒカリは歯がカチカチ鳴るほど震えあがる。  これから執り行われる生き地獄から逃れようにも足がすくんで立ち上がる事すら出来ない。  恐怖と絶望と嫌悪の情が彼女の心を容赦なくえぐる。  悪臭を帯びた澱んだ腕が伸ばされた次の瞬間。  どこからともなく発せられた斬撃により、深きものの肘から下の部分がゴトリと地に落ちた。 「ヒカリに触れるな、と言った筈だ」  その声を耳にした途端、少女は歓喜の声をあげる。 「何ッ!?」  一方、怪異達は動揺を隠し切れず一斉に声がした方角を注視すると、上空に無数の蝙蝠が飛び交っていた。蝙蝠の群れは次第に一塊になり、やがて黒い球体へと変化する。 「ヴァンデモン、X-進化────ヴァンデモンX抗体」  彼を覆い隠していた外殻が内側から破壊され、空中にたたずむその姿は。  肩にかかる長い髪に漆黒の燕尾服を身に纏った、新たな形態だった。 「一体何処で“Xプログラム”を入手したのか知らんが、相手が悪かったな」  そう述べると蝙蝠の翼を連想させるマントがバサッと開き、取り付けられた複数の爪が赤く光る。するとヒカリの周りにバリアが生じ、体が宙に浮いた。  X-進化したヴァンデモンは、格好の餌食を奪われ慌てふためく深きものどもに対し、汚物を見るような表情を向けると勢いよく片腕を降り下ろした。 「!!」  にわかに地面から突き出た茨が鉄条網のように彼らの足に絡みつき、無数の棘が肉に食い込み水分を奪う。そうして肥大した茨は、より上へ上へと伸びて深い海の底から訪れし者達を大地に縫いつける。 「それほど添い遂げたいのなら、地獄の骸でも抱いて果てるが良い」  冷酷な声色で死刑宣告ともいえる審判を下した後、両腕を掲げると、ゆうに十メートルは超えるであろう巨大な岩石が彼の頭上に出現した。  続いて、動きを封じられ逃げる事すら叶わず叫声をあげる深きものどもを一瞥し、 「くたばれ」  と罵声を浴びせ、なんの躊躇もなく巨岩を投げ捨てた。  ヒカリはその恐ろしい光景から目が離せなかった。地響きと共に骨肉がグシャリと潰れる不快な音に反射的に両手で耳を塞ぐ。  ヴァンデモンは元の姿に戻るとヒカリを伴い、静寂を取り戻した大地に降り立つ。すると先程斬り落とした化物の腕が、腕だけになってもなお懸命に這ってヒカリの元に向かおうとしていた。なんとしてでも子孫を増やそうとする執念に身を硬直させる少女を尻目に、ヴァンデモンがおもむろに歩み寄り、肉塊を足でグリグリと踏みにじる。 「死に損ないが……」  そう吐き捨て、すでに原型をとどめていないソレが完全に停止するまで執拗に攻めた。しばらくして動かなくなったのを確認した後、深いため息をつく。 「さて、ヒカリ──」  ヴァンデモンはヒカリの方に向き直ると、まじろぎもせず彼女を見つめ。 ──次は、お前の番だ。  仮面の奥の鋭い双眸がそう言っている気がした。  しかし彼の口から発せられた一言は、ヒカリの予想とは大きくかけ離れたものだった。 「──怪我はないか?」 「!?」  ヴァンデモンはヒカリに近づき心配そうに見下ろしてくる。そして無事を察するなり、ならば良い、と安堵してわずかに口元を緩ませた。  てっきり、咎められるとばかり思っていたのに。 「どうして?」 「ん?」 「どうして……怒らないの?」  ヒカリの問いにヴァンデモンは少し間を置いてから、こう答えた。 「否応なしに不埒な輩に襲われるのが、お前にとっては“怒られる事”なのか?」 「っ!!」 「ただ城の外は不安定で、稀に次元の狭間から予期せぬものが闖入してくる恐れがある。私の力が不十分と言えばそれまでだが、二度と奴らが足を踏み入れぬよう暗黒の海からのゲートは悉(ことごと)く遮断せねばなるまい」  その言葉にヒカリは、彼に対して疑ってかかるような見方をしていた事に気づき、自分を恥じた。  彼は心から──ヒカリの身を案じてくれていたのだ。  自分の事しか考えられなかった自身とは違い、彼は。  おそらく全てを見通した上で、彼は。  ヴァンデモンは一体──どのような胸中だったのだろう。 「……なさい、ごめんなさいっ」 「何故謝る」 「だって、だって……っ」  気がつくと瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちていた。涙で視界がぼやけて、彼が今どんな表情をしているのかすら分からない。 「淑女たるもの、公の場で泣きじゃくるのは恥ずべき行為だ」  そう述べるヴァンデモンの口調は厳しかったが、差し出された紺色のハンカチからえも言われぬ温かみが感じられた。綺麗にアイロンのかかったそれで下瞼を押さえると、微かに彼の匂いがした。  ヒカリが鼻をすすりながら頬を伝う涙を拭いていた矢先、遠くから馬車の音が聞こえてきた。 「帰るぞ」  やがてデビドラモンが引く荘厳な箱馬車が目の前に停まり、ヴァンデモンはヒカリをエスコートして先に乗せ、後から自分も乗りこむ。それから向かい側の座席に優雅に腰を下ろし、少々疲れた、と呟いたきり口をつぐんだ。  城に着くまでの間、両者は一言も喋らなかった。  ヒカリはガタガタと揺れる馬車の窓から外の景色をぼんやりと眺めつつ、時折ヴァンデモンの様子を窺い見ると、腕を組み目をつむった状態で深呼吸しながらしきりに足を組み替えており。彼らしかぬ振る舞いにヒカリは首をかしげるが、微妙な雰囲気だったので訊くのは憚られた。  それからしばらくして城門前に到着した後、ヴァンデモンは再びヒカリの手を取り、降りる際に足を踏み外さないよう付き添う。しかしどういうわけか極力彼女を見ようとしない。  明らかに不自然な態度に不安を感じたヒカリが問いただそうとした途端、 「寝室で休息をとる。お前も少し休むといい」  と、突き放すように告げると彼は足早に去って行った。  寝室に戻るやいなやヴァンデモンは壁に背中をもたれさせ、そのままずるずると床に崩れた。  どうやらX-進化は思った以上にデジコアに負担をかけるようだ。  消耗した身体をいち早く回復させるには……。  否。  一瞬脳裏を掠めた目論見に、ヴァンデモンは頭(かぶり)を振る。  それは、今の状況ではもっての外というべき行為だ。  ただでさえ彼女は心に深い傷を負っている。  あのおぞましい下衆共の同類と見なされるのは、私の矜持が許さない。  ……だが、欲しい。  狂おしいほど欲しくてたまらない。  煩悶を振り切り、とにかく眠ってしまおうと、おぼつかない足取りで棺に向かい体を横たえたその時。突然扉が遠慮がちにノックされ、慌てて上半身を起こした。 「……どうした」  神妙な面持ちで室内に入って来たヒカリに対しヴァンデモンが問うと、体を寝かせるよううながされおとなしく彼女の指示に従う。するとヒカリは棺の横に膝立ちをし、彼の左手に触れるとゆっくりと持ち上げ、その小さな両手で優しく包みこんだ。 「!?」  ヴァンデモンが動揺を隠せずにいる中、ヒカリは静かに目を閉じて一呼吸置いてからおもむろに開き。 「こうしていると安心するって、前に言ってたから……」 「…………」  彼女の言葉にヴァンデモンは息をのんだ。だがそれもつかの間で、 「厚情など無用だ。私はパートナーとして当然の事を為したまで」  と、素っ気なく語る。 「ううん。私がしたくてしているの」 「……物好きな娘だ」  そう言いながら彼は無意識にヒカリの首元へと視線を向ける。  次の瞬間、背筋にゾクリと震えが走った。  そのツートンカラーのタートルネックから垣間見える白い喉に。  みずみずしい皮膚から透けて見える血管に。  ヴァンデモンは紅い誘惑から逃れようときつく目を閉じる。  そのような彼の葛藤など露知らず、ヒカリは自分の温もりがその手に伝わっていくのを感じていた。  もちろん現実世界に帰りたい気持ちに変わりはないが、一方で、この“ヴァンデモン”というデジモンの事をもっとよく知りたいと思い始めていた。  それからほどなくして彼は深い眠りについた。  ヒカリは以前一度だけ目にした素顔を見たい衝動に駆られたが、起こしてはいけないと考え直し、しばらくの間、彼の寝姿をただひたすら見守っていた。  気がつくと、ヒカリは自室のベッドに普段着のまま寝かされていた。どうやら知らぬ間に運ばれたらしい。ベッドから起き上がり、彼はどうしているのだろうと思いながら部屋を出ると、廊下の奥から食べ物のいい匂いが漂ってきた。  その美味しそうな匂いに鼻腔をくすぐられた途端、ヒカリは猛烈な空腹感に襲われる。  そういえばあれからどのくらい時間が経ったのだろう。  だが、ふと湧いた疑問は大きく鳴いた腹の虫に遮られ。やはりいかなる理性も本能には勝てないものなのだろうか。  ヒカリは匂いをたどって厨房に向かうと、コンロで小鍋を火にかけているヴァンデモンの後ろ姿が視界に飛びこんできた。 「ようやく起きたか」  彼は振り返る事なくヒカリに話しかける。 「下拵えは済ませてあるので直ぐ出来る。お前は食堂で待っていろ」 「私も手伝う」  そう言いながらヒカリは手を洗い、サービスワゴンにテーブルナプキンやグラス等を置く。 「ところで何を作っているの?」  ヴァンデモンは、フライパンで炒めた具材にケチャップを和え加熱したものにご飯を投入しつつ、彼女を横目に見ると、 「オムライスだ」  と、きっぱり言い切った。 「えっ!?」  つい先日までサンドイッチを作るのも一苦労だったのに、短期間でここまで料理スキルが上昇するとは。そうした感情が露骨に顔に出ていたのかヴァンデモンは、料理とは意外と奥が深いものだな、と独り言のように語る。  その後、レモン型に成形したケチャップライスにとろとろの半熟オムレツを手際よく乗せ、その上に温めておいたデミグラスソースをかける。 「では冷めないうちに運ぶとしよう」  ヴァンデモンは料理を乗せたキャスター付きのワゴンを押し、ヒカリがその隣を歩く。  そして食堂まで移動すると、六人掛けのダイニングテーブルに完成したばかりのオムライスと作り置きしていたコールスロー、コンソメスープを協力して並べる。食事の準備を終え、彼は上席の椅子を引きヒカリを座らせてから、向かい合わせに着席し。  出来たてほやほやのオムライスを前にヒカリは、 「いただきます」  と、嬉しそうに手を合わせる。  ヴァンデモンは不可解な面持ちでヒカリを直視するが、無言のまま彼女に倣って合掌した。 << 前の話  次の話 >>   ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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黄身餡
2022年7月26日
In デジモン創作サロン
<< 前の話  次の話 >>  ヒカリがヴァンデモンと共に行動するようになって数日が過ぎた。  そもそも四年前、現実世界に侵攻してまで自分を抹殺しようとした相手という事もあり、最初は何を考えているのかさっぱり分からず不安でたまらなかったが、ヴァンデモンは常にパートナーデジモンとして接してくれた。  とは言ってもテイルモンやアグモン達のように無邪気かつ友好的ではなく、とっつきにくいタイプではあるが。  その上、このような関係と相成ってから昨日の今日なので、表面上は大丈夫だと思っていても心の奥底では彼に対する恐怖心をぬぐいきれずにいた。中でも一番怖かったのは、なんの前置きもなくいきなり指を噛まれた時だ。その傷痕は瘡蓋(かさぶた)となって今でもくっきりと残っている。  それはさておき、なんでもそつなくこなすであろうと思っていたヴァンデモンが意外にも自活能力が低いという事実が判明した。彼いわく、身の回りの事は全て部下に任せきりだったらしい。  そのため、一人と一体の共同作業は食材探しから始まった。今いる異世界からデジタルワールドへと向かい、手に入れた品々を居城の厨房で調理した。料理はヒカリが担当しヴァンデモンはサポート役に回る。しかしながら普段は母親の手伝いをする程度なので手の込んだ物は作れなかったが、協力して作った料理はまずまずの味だった。  完成したポトフ風のスープを口にしながら彼は、レシピ本の必要性や自らの食生活などを織りまぜつつ、さりげなくヒカリの好み──食べ物や趣味等──を尋ねてきた。  ヴァンデモンは一見、必要以上に会話をする気がない印象を与えるが殊の外喋る。  だがその相手がヒカリだからという事に当の本人は全く気づいていない。 「ヒカリ。遅くなったが専用の個室を用意した」  家具一式を揃えるのに思いのほか手間取ってしまってな、と自室としてあてがわれた部屋に案内されたまでは良かったが、奥にあったベッドを目にした途端、ヒカリは言葉を失った。  それは幅が二メートル近くある大型の寝具で、しかも透き通った白いレースのカーテンが垂れ下がった天蓋まで付いている。更によく見ると枕が二つ置いてあり。  どう考えても一人用ではないソレに固まるヒカリに対し、ヴァンデモンは顎に手を当てしたり顔でうなずく。  夜が更けていく中、これから一体何が始まろうというのか……。  ヒカリがとんでもない事を思い描きおびえているとヴァンデモンは、 「では私は寝室に戻るとしよう」  と、踵を返して部屋から出て行った。 「…………」  一人きりになった後、ヒカリはその場にへたりこみ、つい変な妄想をしたせいで熱くなった頬を両手で押さえる。そんな事などありえない、彼はデジモンなのだと自分に言い聞かせながら。  そうして改めてベッド周辺を見渡すと、サイドテーブルの上にオレンジ色のパジャマ──無地で前開き衿付きのユニセックスなデザイン──が置かれていたので、さっそく着替える。  実はヒカリは昨夜まで応接間のソファーで寝ていた。その様子を見て彼なりに思うところがあったのだろう。プライベートな空間を提供してくれたのはありがたかったが、ベッドがあまりにも大きすぎて気持ちが落ち着かず眠るどころではない。  今からでもシングルサイズに替えてもらえないだろうか。  そう思い立ち、ヒカリはパジャマ姿のまま彼の元へ向かう事にした。  ヴァンデモンの寝室はここから少し離れた場所にあった。  彼は就寝の際、映画などに登場する吸血鬼さながら棺の中で体を横たえる。デジタルワールドを旅して様々な種類のデジモン達と遭遇してきたが、ずいぶん変わった習性だとヒカリは思う。  重厚な木製の扉をノックをしても反応は無かったが、どうしても話がしたかったので無作法だと思いつつも静かに扉を開け、恐る恐る室内に足を踏み入れた。だがすでに棺の蓋は閉じられており、やっぱり明日にするべきかまごついていると重厚感のある音と共に蓋が開き、どうした、とヴァンデモンがけだるそうに上半身を起こす。  ヒカリは慎重に言葉を選びながらおずおずと要望を伝えたが彼は、 「今宵はそれで我慢しろ」  と、にべもなく告げる。 「……じゃあ、ソファーで寝るからいい」  今にも消え入りそうな声に、ヴァンデモンは落胆ともいえる深いため息をつき棺から出た。そして、つかつかと早歩きで扉の側にたたずむヒカリの前まで移動すると覆いかぶさるように迫る。 「ならば寝返りを打とうとして何度も派手な音を立てて転落していたのはどなただったかな? 然るが故に敢えてキングサイズのベッドを用意したのだが、どうやらお気に召さなかったようだ」  辛辣な皮肉まじりの返答を受け、ヒカリは呆然としつつもようやくヴァンデモンの意図を理解した。加えて、彼の眠りを妨げていた事も。彼女はなんとも気まずそうに視線を逸らす。 「…………」  すると前のめり気味だったヴァンデモンが姿勢を正し、行くぞ、と告げると漆黒のマントをひらめかして寝室を後にした。ヒカリは訳が分からないまま彼に続く。  そうして向かった先はなんと彼女の部屋だった。  ヴァンデモンは中に入るなり、あろうことかマントを脱ぎ部屋の隅にあるポールハンガーにかけると、迷う事なくベッドにその身を滑りこませた。 ──ええぇーっ!!!  「いつまで突っ立っているつもりだ、早く入れ」  上半身を起こしたまま腰の辺りまで掛け布団がかかった状態で睨んでくる姿は、もはや危険以外の何ものでもなく。  先程のいけない想像が現実となり、ヒカリの頭の中はパニック状態になった。 「お前が一人では眠れないと言うから、わざわざ付き合ってやっているのが分からないのか?」  それでもなお、顔を真っ赤にして硬直しているヒカリにヴァンデモンは意地の悪い笑みを浮かべ、こう言い放つ。 「……何やら期待しているようだが、望み通り事に及んでも私は一向に構わんが」 「期待なんかしてないっ!」  手の平を押し出し左右に振りながら即答する姿に、大人の余裕を感じさせる笑い声があがる。  相手にその気はないと分かっても、ヒカリは警戒しながらじわじわと逆側の端に歩み寄り、ためらいがちにベッドに入った。そして落ちるか落ちないかギリギリの所から訝しげな顔でヴァンデモンを監視していると、彼はおもむろに紅い仮面を外しヘッドボードに立てかけた。 「!?」  初めて見るその素顔にヒカリは唖然とした。  予想していた以上に端整な顔立ちで、仮面を着用している時よりも若く見える。顔色さえ良ければ人間そのものだ。  ヒカリの視線に気づいたのかヴァンデモンは、 「外しておかないと横向きになった際に枕に刺さるのでな」  と、なんの気なしに説明し枕に頭を乗せた。  ヒカリも彼に倣って仰向けに横たわった後、照明が消される。  しかしながら一定の距離を保ってはいるものの、暗がりの中で寝床を共にしているという実状に余計に目が冴えてしまい、就寝出来るような精神状態ではなかった。  そうしてしばらくの間、沈黙が続いた。向こうから寝返りを打つ振動がマットレスを通じて伝わってくる。 「眠れないのか?」  気遣わしげに問いかけてくる声に顔を横に向けると、闇に目が慣れたのかこちらを見つめるヴァンデモンと視線が合い。仮面を外している分、より表情が豊かで普段は分かりづらい感情の機微も把握しやすかった。  黙ってうなずくヒカリにヴァンデモンは掛け布団の中で腕をごそごそと動かすと、ヒカリの手に自らの手を重ね、控えめに繋ぐ。  突然の事に、ヒカリの体はビクッと跳ねる。 「悲しい時や不安な時、“彼女”はこうして手を繋いでくれた。すると不思議と心が解れていったのを今でも覚えている」  ヴァンデモンは往時を懐かしむように表情を和らげ、瞼を閉じると大きく息をついた。そしてゆっくりと目を開き、深い海を思わせる蒼い双眸がヒカリをとらえ。 「信頼関係とは難儀なものだな。築くまでは相当の時間を要するが、壊すのは一瞬で事足りる」 「…………」  再び、静寂が訪れる。  ヒカリは目線を正面に戻しぼんやりと天蓋を眺めていた。それから少しの間考えを巡らせた後、意を決して口を開く。 「ヴァンデモン、私ね──」  そう話しながら横向きになると、ヴァンデモンはすでに寝入っていた。おそらく睡眠不足がたたっているのだろう。  それにしても彼の寝顔はなんともあどけなく、自分よりもずっと年上なのに不覚にもかわいらしいと思ってしまった。気づかれないようこっそりと近づいてみると眉毛はもちろんの事、意外と長い睫毛も髪と同じ金色で、ヒカリはここぞとばかりにつぶさに観察する。  そうこうしているうちに、規則正しい呼吸音とほのかに温かい手のひらの感触が次第に心地よさを伴い、ヒカリもまた深い眠りの世界へといざなわれていった。  翌朝ヒカリが目を覚ますと、超至近距離から寝そべったまま片肘をつき手で頭を支えた体勢で、こちらを凝視するヴァンデモンの姿があった。  互いの視線がぶつかってからほんの数秒ほど後。 「ひぁっ!? 嫌ァ──ッ! 変態ッッ!!」  胸元をかばうように両腕をクロスさせながら後方に飛び退くヒカリに対しヴァンデモンは、 「自分から接近しておいて変態とは何だ」  と、冷静沈着に応対する。 「…………」  確かによくよく考えてみると彼の言う通りであった。ただならぬ状況の最中、ヒカリは死にたくなるほど恥ずかしくて穴があったら入りたい心境に駆られる。  そんなヒカリの様子を愛でつつ、ヴァンデモンは含み笑いを漏らすと痛烈な巻き返しに出た。 「間近で目にしたお前の寝顔はなかなかの見物だったぞ。だが、だらしなく口を開けたまま涎を垂らすのは如何なものか……」 「!!」  容赦ない口撃にヒカリは羞恥と怒りが綯いまぜになり、側にあったふわふわの枕を引っつかむと、腹いせにヴァンデモンの体をバシバシと叩き始めた。  そもそも思わせぶりな態度で誤解を招く言動をとり人を振り回す事自体、腹が立つ。 「ひどい! ひどいっ!! あなたってほんと……最っ低!!!」 「ヒカリ──何をす、ブッ!!」  勢い余って投げつけた枕が見事ヴァンデモンの顔面中央にクリーンヒットした。  はたして、ヒカリのベッドがシングルサイズに変更されたかどうかは──定かではない。 << 前の話  次の話 >>   ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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黄身餡
2022年7月20日
In デジモン創作サロン
<< 前の話  次の話 >>  「常しえと刹那の旋律」の分岐ルートEDで『もしヒカリがあの時振り返っていたら』のその後の話。一話目ラストに「完」、今回は「終」とありますがこれらは意図的に入れてます。 「ヒカリッ! 振り返っちゃダメだ!!」  だが、ヒカリは少女から目を離す事が出来なかった。  その後ろ姿を網膜にとらえた刹那。耳元で重い扉が勢いよく閉まる音がしたと同時に、辺りが暗黒の霧に覆われた。 「あぁっ!」  深い奈落の底に沈んでいくような感覚にヒカリの口から絶望の声があがる。  ほどなくして、けたたましい蝙蝠の鳴き声が聞こえ頭上を飛び交い始めた。ヒカリは咄嗟に両手で頭部をかばう。 「奴の言う通りにしていれば良かったものを……」  突如降りかかる不穏な声音に恐る恐る視線を向けると、全身をマントで覆った“アンデッドの王”の異名を持つ者が部屋の中心にたたずんでいた。蝙蝠の群れが彼の下へ舞い戻り闇に溶ける。 「何故去らずに“こちら側”に踏み込んだ?」 「だって、あの子がっ!」 「……何を言っている?」  ヒカリの背筋を冷たい汗がつーっと伝い。  今になって分かった。自分を呼び寄せたのは彼ではなかったという事に。 「それにしてもアレも随分と哀れなものだな。長年待ち焦がれたパートナーに打ち捨てられるとは」 「違うわ、捨ててなんかないっ。テイルモンは私のパートナーよ!」  ヒカリはテイルモンと合流しようと慌てて後ろを見るが、あったはずの扉はなく厚い石の壁が立ちはだかっていた。顔面蒼白のヒカリにヴァンデモンが追い打ちをかける。 「お前が選んだのだ、ヒカリ」  ヒカリは急に思い出したかのように必死に服をまさぐりD-3を探そうとするが徒労に終わり。 「嫌っ、いやぁ……」  小さな子供のように頭(かぶり)を振り錯乱する様子をヴァンデモンはただ黙って眺めていた。ヒカリはテイルモンや兄にすがりたい気持ちに駆り立てられるが、もはや後の祭りだった。深入りしなければよかったと今更ながら後悔する。  しばらくしてヒカリが多少落ち着きを取り戻した頃、彼は再びその心を揺さぶった。 「ヒカリ、あの時の向こう気の強さは何処へいった?」 「っ! 私の名前を気安く呼ばないで!!」  激昂して声を荒らげるヒカリにヴァンデモンは、それで良い、と口角を上げる。そしてマントをひるがえし、 「さて、こうなったからには知ってもらうしかあるまい」  と、全ての元凶ともいえるデジヴァイスを差し出した。 「…………」 「そうだ。これだけが、私と彼女を繋ぐ唯一の証──」  ヴァンデモンの言葉と共に、内部に収められた過去の記録が映画のスクリーンのようにヒカリの意識に映し出される。  これはいつの頃なのだろうか。  数世代前の選ばれし子供達と成熟期に進化したパートナーデジモンが邪悪なデジモン達と熾烈な戦いを繰り広げている。その中には“ヒカリ”の姿もあった。彼女もまたパートナーと力を合わせ敵の猛攻をしのいでいる。  しかし向こうはあまりにも数が多くまさに多勢に無勢であった。戦況は刻々と進み次第に子供達が押されていく中、決して起きてはならない悲劇が起きた。  様々なエネルギー弾が飛び交う最中、こちらの攻撃をかいくぐった敵が一人の子供に襲いかかる。 『危ないっ!』  次の瞬間、子供をかばおうとして突き飛ばした“ヒカリ”の体を敵の一撃が容赦なく貫いた。 『!!』  その有り様にパートナーデジモンの両目は最大限に見開かれ。 『ヒカリッ、ヒカリ──ッ!!!』  すぐさま少女に駆け寄り体を揺するが、彼女はすでに事切れていた。うなだれた後、絶叫をあげるパートナーデジモン。  その時。  突如“ヒカリ”のデジヴァイスが異様な光を放ち、紋章が入ったタグがないにもかかわらず“彼”を完全体へと進化させた。そうして、禍々しい瘴気を放ちながら宙に浮かんだそれは。 『お前達……データの塵一つさえ、残さん』  仮面の奥の双眸をぎらつかせながら血の涙を流すヴァンデモンに更なる異変が起こる。デジヴァイスがガタガタと振動し始め、表面にヒビ割れが生じた途端、彼の体は巨大な魔獣へと変貌を遂げた。  辺り一面に凄まじい咆哮がこの世の終わりのごとく響き渡るのを皮切りに一方的な蹂躙が幕を開けた。  ややあってデジタルワールドの一角が静寂に包まれた頃。  破壊と殺戮により荒廃した大地をふらついた足取りで進む一つの影があった。時折吹きすさぶ砂埃が憔悴しきったヴァンデモンの行く手を阻むが、一心不乱に彼女の元へと向かう。 『ヒカリ……』  二度と目覚める事のないその身体。  ヴァンデモンがそっと亡骸を抱き上げると少女の腕がだらりと下がった。  ふと、手に握られていたデジヴァイスに気づき触れようとした瞬間、腕から流れ落ちるモノに視線が釘づけとなる。 『っ!? うぅ……ぐっ』  艶めかしい紅と蠱惑的な甘い匂い。  体内のデジコアが脈打ち疼くような感覚にヴァンデモンはうろたえた。  だが本能には抗えず。  彼は“ヒカリ”の手首を鷲づかみにし、舌を這わせて血を啜る。  それが彼にとって初めて口にする人間の味だった。 「“デジタルワールドの安定を望む者”も、さぞや困ったであろうな」  含みのある笑みを浮かべるヴァンデモンとは対照的にヒカリは全身をわなわなと震わせていた。 「こんなの……こんなのひどすぎるっ!!」 「だが、これが全てだ」  ヴァンデモンは冷然と述べると深いため息を漏らし、その横顔にほんの一瞬だけやるせなさを漂わせる。しかし気を取り直すかのように故意に話を逸らした。 「今だから言うが、お前達がパートナーデジモンと共に挑んでくる姿がどれほど滑稽に映った事か。それにパートナーといえば、アレが私の下に迷い込んで来た時は腸(はらわた)が煮えくり返る思いに駆られたものだ」  ヒカリは彼が最初からテイルモンがパートナーデジモンだと見抜いていた上で、長年に渡り部下として手元に置き続けたという事実にぞっとした。そうした彼女の心中を察しヴァンデモンは、まあそれも過ぎた事だがな、と言い添える。 「どうしてそんな話をするの?」  ヒカリは彼の意図するところを薄々感づいてはいた。しかしこの邪悪でもなければ善良ともいえない異形の存在は自分の理解の範疇を超えているとも思った。  するとヴァンデモンがゆっくりと近づいて来た。  ヒカリももう、逃げようとはしない。 「ならば、問う」  手が届くほどの至近距離でまじろぎもせずこちらを見つめるヴァンデモンの双眸は、同じ青でも深い海の色を連想させた。 「選ばれし子供とそのパートナーデジモンの関係とは一体何なのであろうな。お前達の世界でいう親兄弟の情か。それとも親友、恋人または夫婦と呼ばれる間柄に相当するものか……」 「……私には分からない」 「より多くの時間を共に過ごして語り合い、互いの類似点や違いを受け容れ尊重する──だが、それでも相手の心を完全に理解するのは難しい」 「…………」 「ヒカリ」  ヴァンデモンがヒカリの足元にひざまずくとその左腕をうやうやしく手に取り。初めて触れる彼の手は手套をはめていてもなお冷たく感じられた。 「私はお前に全てを捧げ、あらゆるものから守る剣となり盾となろう」  そう告げるとヴァンデモンはアームウォーマー越しの肌が露出した手の甲に、一瞬触れるだけの口づけを落とす。  そして名残惜しげに唇を離し上目遣いでこちらを見つめるが、再び視線を戻し薬指の付け根に唇を這わせる。  次の瞬間、鋭い痛みが走った。  突然の事にヒカリは手を振り払う事すら出来ずわずかに身じろぐ。じわりとアームウォーマーが血で染まり、指先に向かって滴る鮮やかな赤い雫を生温かい舌が搦め取る。  指を吸われる感触と鼓膜を犯す恍惚とした吐息。  やがてヴァンデモンは手をたずさえたまま立ち上がり、ヒカリの背面にもう片方の腕を回しそのまま引き寄せ横向きにして抱きかかえると、開かれたアーチ型の窓から無数の蝙蝠を引き連れ月夜の空へと飛び立った。  つけっぱなしのテレビからアナウンサーの声が流れる中、キッチンでまな板の上の食材を刻む包丁の音がする。 「おはよう、母さん」 「あら太一。サッカー部の朝練、中止じゃなかったの?」 「ああ、予定よりも早くグラウンドの整備が終わってさ」  太一はパジャマ姿のまま冷蔵庫を開け、中から取り出したミネラルウォーターをコップに移して一気に飲み干した。一方の裕子は、お父さんを送り出したから一休みしようと思ってたのに、と愚痴をこぼしつつ息子の食事を用意し始める。  普段と何も変わらない八神家の日常。  しばらくして裕子が出来たての朝食をテーブルに運び、椅子に座っていた太一が待ってましたとばかりにガツガツと口に放りこんだ。そんな息子の様子を微笑ましく眺めながら裕子はふと壁にかかった時計に目を向ける。 「いつもならもうとっくに起きてくる時間なのにどうしたのかしら? ねぇ太一、ヒカリを起こしてきてくれない?」 「確かにまだ寝てるなんて珍しいな。具合でも悪いのか?」  じゃあちょっと見てくる、と太一は席を立ちヒカリの部屋へと向かった。 「ヒカリー、朝だぞー」  ドアをノックしつつ妹に呼びかけるが反応はなく。太一は変だなと思いながら「開けるぞー」と前置きをしてドアノブを回す。 「どうしたんだよ? 早くしないと学校に遅れるぞ、ヒカリ──」 ─ 終 ─ << 前の話  次の話 >>   ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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黄身餡
2022年7月20日
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<< 前の話  次の話 >> 『あなたが、みんなを苦しめるから!』  テレビ局の球体展望台での対峙から四年。  その長いようで短い因縁の鎖は断ち切られたと思っていた。  ……そう、思っていたのに。  平和を取り戻したデジタルワールドに世界中の選ばれし子供達の歓声が響き渡る。 「…………」  パートナーデジモン達と喜びを分かち合う彼らの様子をヒカリはぼんやりと眺めていた。吹き抜ける穏やかな風に栗色の髪がなびく。少し離れた所で大輔や京達が飛び上がってはしゃいでおり、思わず笑みがこぼれた。自分にとってかけがえのない大切な仲間達が無事で本当に良かったと。  ふと、視線に似た何かを感じ無意識に足元を見ると、地面に白っぽいデジヴァイスがぽつんと落ちていた。  一体、誰のだろう?   D-3とも三年前の冒険で入手した物とも形状が異なるそれに、ヒカリは惹きこまれるようにかがんで腕を伸ばす。手にしたデジヴァイスは使い古したような斑(むら)があり、表面の液晶部分にヒビが入っていた。  子供達のうちの誰かが、うっかり落としてしまったのだろうか。 「どうしたの? ヒカリちゃん」  心配そうに呼びかけてくるタケルの声にヒカリはデジヴァイスをギュッと握りしめ、 「ううん、なんでもない」  と、遠慮がちに答える。 「そんな所にいないでこっちへおいでよ。皆待ってるよ」 「うん」  タケルの笑顔につられるようにヒカリも微笑むと、一緒に大輔達の元へと向かった。彼の後に続きながら、拾ったデジヴァイスをこっそりとズボンのポケットにしまう。  ヒカリはこの事を誰にも言えずにいた。パートナーであるテイルモンにさえも。  何故、周りに相談出来ないのだろう。  この後ろめたい気持ちはなんなのだろう。  皆それぞれ前を向いて進んでいるのに、自分だけが取り残されているような感覚は。  なんとなく秘密にしなければいけない──そんな気がした。  それから年が明け、しばらく経った満月の日の真夜中。  ヒカリは目を覚ますと自室のベッドではなく暗闇の中に横たわっていた。全てから隔絶された漆黒の闇にぞわりと肌が粟立つ。 「なんなの……これ」  とにかく得体の知れない空間から一刻も早く逃れようと慌てて起き上がろうとするが。 「痛っ!」  次の瞬間、頭を思いっきり打ちつけてしまいヒカリは再び仰向けに倒れこんだ。じんじんと痛む前頭部を右手で押さえつつ、もう一度周囲に目を凝らすと闇の中にわずかな隙間を見つける。そして慎重に手を伸ばしていくと指先に壁らしき感触が伝わってきた。  どうやら自分は箱状の物に閉じこめられているらしい。  なんとかならないものかと両腕を上げて天井部分を力任せに押してみるがビクともせず、続けて押してダメならと横にスライドさせた。  するといともたやすく天井が開き、ガタンという大きな音と共に蓋が落下した。意外と簡単に開いたと思いながらヒカリは立ち上がり、段差をまたいで箱の中から脱出する。  しかしよく見ると、それは箱ではなかった。  黒を基調とした重厚感のある西洋風の棺で、今しがた自分がいた内部の表面には深紅のビロードが貼られている。もし仲間と一緒だったら、ずいぶん悪趣味な事をするものね、と軽口をたたいたかもしれない。  それはともかく、ここは一体どこなのかと辺りを見渡す。  石造りの壁や床。四隅に置かれたほのかなあかりを灯す燭台。少しばかり暗さに慣れた目にも見えないほどの高い天井。そして古めかしい木製の扉が一つと、さながら中世ヨーロッパの城の一室のようだった。閉じこめられていた棺はちょうど部屋の中央に安置されている。  ふと、なんの気なしに身なりを確認するとパジャマ姿ではなく、サーモンピンクのミドルブーツに黄色のショートパンツ、袖のないツートンカラーのタートルネック、そして両腕にはビビットピンクのアームウォーマーを着用しており。 「…………」  これは夢──なのだろうか。  いや、夢にしては妙に現実味を帯びている。かつて暗黒の海を治めるダゴモンに呼ばれた時と同じような奇妙な世界に迷いこんでしまったのか。  ヒカリが思考を巡らせていると突如、遠くの方からピアノの音色が聞こえてきた。予想だにしない出来事に思わず身体をビクッとすくませてしまう。  だがその幻想的な旋律に聞き覚えがあった。  ……以前、学校の音楽の授業で耳にした事がある。確か『月光』というタイトルだっただろうか。  しかしその調べは静謐で重々しく、どこか物悲しい。  奏でられる旋律に誘われるようにヒカリは自分の背丈をゆうに超える扉を開け、ゆっくりと歩きだした。窓のない長く暗い廊下にかつん、かつんと靴音が反響し、歩を進めるたびに冷気が足元に纏わりつく。ここには生命の息吹は一切なく、段々と近づいてくる旋律だけが唯一の存在だった。  やがて目の前に今まで見た中で最も荘厳な扉が現れた。旋律はこの向こうから聴こえてくる。  ヒカリはわずかにためらった後、大きく息を吸って覚悟を決めると扉に両手を当てて力いっぱい押した。ギィィィと軋む音を上げながら扉は開かれ、ひときわ広い部屋が視界に飛びこんできた。  正面奥には天井まで届きそうなアーチ型の大きな窓があり、うっすらと月明かりが差しこんでいる。  そして月の光を受け鈍い光を放つ黒いグランドピアノとそれを奏でる人影。  決して忘れる事の出来ないそのシルエットにヒカリは硬直せざるを得ず。  だが、“彼”は背筋を伸ばしたまま全く気にも留めずピアノを弾き続ける。その流れるような旋律が滞る事はなく。  本当に、彼なのだろうか。  信じがたい状況に指先が冷たくなっていくのを感じながら、ヒカリは気配を殺して恐る恐る近づき、四メートルほど手前で足を止め食い入るように見つめる。  そこにいたのはやはり、金髪碧眼の成人男性の姿を模した怪物──ヴァンデモン──だった。 『娘、お前は何故自分から名乗り出たのだ?』  不意に脳裏に甦る声がもつれた糸のごとくヒカリの心をかき乱す。次々と思い出される鮮明な記憶に耐えきれなくなり視線を逸らすと、譜面台に置かれた閉じられたままの楽譜に目が行った。それは完全に色あせ、ボロボロになるほど使いこまれており。  古びた楽譜に気を取られているうちに演奏は終わり、ヴァンデモンが鍵盤から指を離すと黒い本革が張られたベンチタイプの椅子に腰を下ろしたまま初めてこちらに顔を向ける。  交わる視線。  仮面の奥の眼差しにヒカリは反射的に息をのむ。しかし不思議と思っていたよりも怖くはなかった。  その眼光は相変わらずあらゆる者を射すくめるほど鋭いが、剣呑というより静寂だった。二つの世界を統べる王として君臨しようとした高慢さや粗暴さは微塵も感じられず。 「返して貰おうか」 「えっ?」  ヴァンデモンの張りのある威厳に満ちた声が放たれたと同時に、ポケットに入っていたデジヴァイスがヒカリの元を離れ、ゆっくりと浮遊しながらその手中に収められる。  彼は、しばし追懐に耽るかのように聖なるデバイスを眺めた後、鍵盤横の拍子木の上に静かに置いた。 「……ヒカリ」 「!」  突然名を呼ばれヒカリは驚いた。彼にとって“選ばれし子供達”は己の野望を妨げる障害の一つにすぎず、個々の名前になど興味はないと思っていたからだ。そんな彼女の心情をよそにヴァンデモンは話を続ける。 「かつてお前が八人目の子供として立ちはだかった時、私は内心動揺せざるを得なかった」  四年前のあの夏の日。  テレビ局内での邂逅を思い返すように目を細めて一息ついた後、彼の口から語られた言葉は。 「在りし日の私のパートナーもまた──その名を“ヒカリ”といった。お前とは似ても似つかぬが、な」  目を見開いて呆然と立ち尽くすヒカリを尻目にヴァンデモンは再びピアノを弾きだした。  先程とは一転して、やや明るめの優しく可憐なメロディーが室内に響き渡る。  人間とは異なる大きく細長い指で軽やかに鍵盤をたたく姿に見とれているうちに、ヒカリの頭の中に見知らぬ情景が流れこんできた。  陽の光が降り注ぐ青空の下、色とりどりの花々が咲き乱れる草原にぽつんとガゼボ[西洋風の東屋]が建っている。その中に不自然に置かれたグランドピアノを奏でる一人の少女。足元には一匹の幼年期デジモンが少女を見守るように寄り添っている。  見た目は自分とさほど変わらない年頃だろうか。少女は楽譜を目で追いながら懸命に指を動かしている。編みこんだ黒髪の先に白いレースのリボンを結び、一昔前に流行ったようなデザインの水色のワンピースを身に着けていて、いかにも育ちが良さそうな雰囲気だ。  一方、パートナーとおぼしきデジモンは目を閉じて少女の温かな旋律に聞き入っており。  姿こそ違えどそれが誰なのかヒカリは直感的に悟った。  次第に“二人”の旋律が重なり、彼の旋律へと引き戻されていく。  つかの間の時は過ぎ。  ほどなくしてヴァンデモンは二つ目の楽章を弾き終え、鍵盤上にかざしていた手をわずかに跳ね上げたかと思いきや、怒涛のテンポで嵐を彷彿とさせる激しい旋律を奏で始めた。  あまりの衝撃にヒカリは言葉を失った。  一気に階段を駆け上がっていくような指さばきから生じる強弱と緩急が切迫感を醸し出し、そのほとばしる激情が鼓膜を通じて心に押し寄せてくる。  憤り、悲しみ、そして深い深い──寂寥(せきりょう)の念。  これが友情や信頼を忌み嫌う者の奏でる旋律なのだろうか。  いや、それらを知っているからこそ。  その先にあるものを『知っている』からこそ。  あのヒビ割れたデジヴァイスは、何を意味しているのだろう。  しかしヴァンデモンの心の奥深い部分は閉ざされたまま。  情感あふれる旋律に胸が締めつけられ、やがて自分という境目がなくなって融けていくような感覚へと変わり、ヒカリはえも言われぬ恐怖に襲われた。 ──お兄ちゃん……テイルモン  ハッと我に返るとすでに演奏は終了し、椅子から立ち上がったヴァンデモンが靴音を響かせながらゆっくりとこちらに向かって来た。 「っ!!」  マントの衣擦れの音と共にすぐ側まで迫る長身に後ずさろうとしても、まるで金縛りにあったかのように体が動かない。  不意に、つい先日の記憶──三年もの間、及川悠紀夫の精神に潜伏しその心身を蝕んだあげく、目の前で部下であったアルケニモンとマミーモンを嬲り殺しにしたという事実──が胸裏を掠めた。  張りつめた空気の中、規則正しい靴音と自分の荒い息遣いがやけに大きく聞こえてくる。  一方ヴァンデモンは、一メートルほど手前で足を止め無言のままヒカリを見下ろす。圧倒的な威圧感に彼女の心臓は早鐘を打ち。 「一度ならず三度までも完膚なきまでに打ちのめされても尚、性懲りもなく危害を加えるとでも思ったか?」  心の内を読まれ眉をひそめてうつむきがちになるヒカリに対し、漆黒の艶を纏った怪物が自嘲気味に笑う。 「最早、お前を殺したところで何の意味もない」  そうだった。  彼はもう、あの時の彼ではなかった。  先程のピアノの旋律からヒカリには確信めいたものがあった。 「あなたは、どうして……」  意を決したにも関わらず歯切れの悪い物言いにヴァンデモンは億劫そうに息をつき、 「案じるな。私は私の為すべき事をするまでと考えていたが、仮に現実世界とデジタルワールドを統一し支配したところでその先に何がある? 一度頂点まで上り詰めれば、後は落ちるだけだというのに」  と、悠然と言い放った。 「それにお前達の世界は美しさと醜さに溢れている。その猥雑さが実に良い」 「…………」  相手の言い分を完全には理解出来なかったが、聞きたい事はたくさんあった。  あの時、インペリアルドラモンのギガデスを食らい完全に消滅したはずなのに、何故存在しているのか。  どうして自分をここに呼び寄せたのか。  そしてあの“ヒカリ”という名の少女との間に一体何があったのか。 「娘」  ヴァンデモンがこちらの意図を汲んだかのように高圧的な声色で呼びかける。 「お前は『好奇心は猫をも殺す』という言葉を知らんのか?」  そう述べた後自らの額に手を当て、少し喋りすぎたようだ、と呟き、 「もう用は済んだ。早々に去れ」  と、冷酷な口調で突き放した。そして踵を返して窓辺に近づきヒカリから背を向けた状態で天に浮かぶ月を見上げる。 「ヴァンデモン……」  長い間、常しえとも思える沈黙が続いた。  これ以上の詮索は無用とばかりに微動だにしない背中に、ヒカリはただその場に立ち尽くすしかなかった。  だがこうしていても仕方がない。  ヒカリは後ろ髪を引かれる思いを抱えながらも気を取り直し、この場から離れる事にした。  そして開いたままの扉を抜けて薄暗い廊下に足を踏み入れたその時。  正面から一人の少女が歩いてきた。  水色のワンピース姿で長めの黒い髪を編みこんでいる。  すれ違いざまに髪先に結ばれた白いリボンがふわりとなびき。 「ヒカリッ! 振り返っちゃダメだ!!」  自分の最も大切なパートナーから発せられた悲鳴に近い叫び声にヒカリは反射的に動きを止める。そして間を置かずに声がした方角に顔を向けると暗闇からぼんやりと白い輪郭が現れ、ハツカネズミというより猫に似た愛らしい姿がこちらに駆け寄って来た。 「テイルモンッ!」 「ヒカリ!」  心配げな表情から一転して嬉しそうに目を輝かせるテイルモンを視界にとらえた瞬間、ヒカリはようやく人心地がつき、飛びこんでくるパートナーを思いきり抱きしめる。陽の匂いがする硬そうに見えて柔らかな毛並みに触れると、とても温かく感じられた。 「来てくれたんだね、テイルモン」 「良かった……ヒカリ……」  そうして互いの存在を確かめあった後、ヒカリはその小さな体を優しく下ろして向かい合う。 「どうして私がここにいるって分かったの?」 「ヒカリの周辺に妙な気配を感じたからそれをたどって来たの。本当に……本当に無事で良かった」 「……うん」  ヒカリは今の出来事を話すべきかどうか迷ったが、彼女はそれを遮るように、 「世の中には深入りしてはいけない事もあるんだ」  と、伏し目がちに意味深長な言葉を述べる。  ややあってテイルモンは顔を上げ、一刻も早くこの場所から出るようヒカリをうながした。  城を出るとそこは枯れた木々が点在する荒涼とした大地だった。月は厚い雲に覆われ暗灰色の世界をいっそう際立たせている。  ヒカリには隣を歩くテイルモンの白い体が闇を照らす光に見えた。  自分もいつか漆黒の闇に決して塗り潰される事のないまばゆさに──彼女のように、なれるだろうか。  そうこう考えているうちにテイルモンが急に立ち止まりヒカリの名を呼んだ。ヒカリはかけがえのないパートナーを穏やかな眼差しで見つめる。  真っ直ぐにこちらを見つめ返す凛とした瞳。テイルモンの瞳は同じ青でも澄んだ空の色そのものだった。 「長い間、私は待っていた。来る日も来る日もずっと待って、待って、待ち続けた。それからいろいろな事があったけれど、ようやくヒカリに逢えた。だからこれから先も──私はヒカリと共に歩み続けたい」 「私もよ、テイルモン」  はたして、あの選ばれし子供とパートナーデジモンは再会を遂げただろうか?   ……いや。  それは本人達にしか分からない。  ふと空を見上げると音もなく雪が降ってきた。闇の城には似つかわしくない白い、白い、純白の欠片。  ヒカリはそっと左腕を差し伸べ、舞い降りたひとひらの雪に触れる。  それは彼女の温もりに融け、冷たい雫となって指先へと伝った。  ─ 完 ─ << 前の話  次の話 >>  ページの一番上に飛ぶ #デジアド02
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