フォーラム記事

夏P(ナッピー)
2022年9月24日
In デジモン創作サロン
◇  こんな言い伝えがある。  あの赤い花の向こう側に行ってはいけないよ。  あそこは生と死の境界線なんだ。  生きている者が踏み越えてはいけない。  死んだ者に連れて行かれてしまうからね。  誰が最初に言い出したのかもわからない迷信だ。  物心付いた時、僕は今にも崩れそうな廃墟の中にいた。  周囲を見回すと瓦礫の山。どこかの地下室で生まれ落ちたらしい僕は、数日をかけてその廃屋から這い出した。幼心と紫紺の巨躯、相反するそれら二つを持ってこの世に生を受けた僕だったが、やがて辿り着いた空の下、初めて見る太陽の光はあまりにも眩しくて溶けてしまいそうだった。 「あ……?」  ふと太陽を遮るように飛ぶ何かと目が合う。  一体のデジモンだった。脳内に最初から導入(インストール)されている知識を総動員してみたが、その鳥のような飛行機のようなデジモンが何者かは判然としなかった。恐らくは成長期だろう黄色い小柄な姿は言葉すら理解しない様子でこちらに目を向けて佇んでいたが、どういうわけか成熟期級の肉体で生まれた僕からすれば如何にも弱っちい奴にしか思えず、僕としてはすぐにその存在を忘れることにした。  グウと腹が鳴る。何せ生まれて数日、一切の食事を摂っていない。  改めて周囲を見回した。僕自身が這い出してきた廃ビルだけでなく、辺り一帯はボロボロに朽ち果てた建物が並ぶビル街だった。だが人っ子一人もといデジモン一匹いる様子はなく、周囲の建物の至る箇所に蔦や蔓が絡み付いておりビル街は半ばジャングルの様相を呈している。しかし数年やら数十年やらではこうはなるまい、まるで数百年か数千年は放置されたかのように文明の痕跡が自然に侵食されているようだった。  ここがデジタルワールドである以上、恐らくはメタルエンパイア。かつて最強の機械竜が支配したとされる都市部も兵どもが夢の跡、統治者を失えば容易く崩壊するということだろうか。 「ふむ」  空腹で腹を摩りながらビル街を歩く。チラホラと廃墟の影から顔を出す成長期デジモン達の視線を感じる。  数分でビル街は開けたが、そこは一面の花畑だった。見たことのない真っ赤な花が視界を埋め尽くすように咲いている。細長い緑の茎から反り返った艶やかな赤が辺り一面を染め上げる様は幻想的で、今し方歩いてきたビル街が別世界に思えるほど。どうやらビル街を東西南北から囲うように現生しているらしく、僕は暫し首をみっともなく左右に動かしてその景色を鑑賞してしまったのだ。  どれぐらいそうしていたか。ふと視界の端、ちょうどビル街と花畑の境界に何匹かのデジモンの群れが見えた。 「ドーベルモンだ」  一目でそうわかる。ビル街の窪みに溜まった雨を求めてやってきたのだろうか。  僕の行動は素早かった。ビルの影に体を隠しながらゆっくりと距離を詰める。標的は四匹いるが狙いは一匹で構わない、適正距離まで詰め寄ると両足を蹴って大地から飛ぶ。彼らはギョッとして即座に逃げようとするが、一匹が僅かに逡巡した隙を見逃さずそれに狙いを定めて。  プチッと乾いた音が鳴る。僕の全体重をかけたのしかかりは、細身の猟犬を容易く押し潰した。  即座にデータの奔流と化していくドーベルモンの肉体を、ただ貪るように全身で食い散らす。その行為で空腹が満たされると同時に僕の下半身に変化が起き、やがて今倒したデジモンのそれへと変わる。今までの屈強ながら鈍重な両足とは相反する、俊敏さを兼ね備えた猟犬の足に。  赤々と鮮やかな血が僕の足元に広がっていくが、それは背後の花畑の美しさにはまるで見合わなかった。 【単発作品企画】ヒガンハナ【彼岸開き】  街外れ、一面に咲き誇る赤い花を眺めている。  この街で生を受けてから僕もまた弱肉強食の理の中に組み込まれている。成長期のデジモンからは恐れられ、成熟期のデジモンとは互いの命を狙って鎬を削る、そんな日々が続いていた。互いに食うか食われるか、単純なこの世界の道理だ。  そしてドーベルモンだけではない。僕は倒してきた多くのデジモン達の能力を手に入れていた。個人的なお気に入りは先日狩ったオーガモンの力だ。スカルグレイモンを倒した戦利品と噂される骨棍棒は非常に扱いやすく、僕の生活における狩りの道具としては大層重宝させてもらっている。  そしてそんな日々の中、時折街外れのここまで来て花畑を眺めることがある。  この花畑はどこまで続いているのだろう。僕が生きる廃墟街の外は全てこの赤い花に囲まれており、必然僕はこれより外を知らなかった。半径数キロの狭い世界、そこが僕の生きる世界の全てだった。  見ていると吸い込まれそうな一面の赤、朱、紅。  他のデジモンを仕留めた時に飛び散る鮮やかな血を思わせるそれを前に、何故だか自分がその先へ誘われているような気分になってくる。こっちへおいで、この先にも世界は続いているよと。  自然、足を踏み出していた。クシャリと右足が赤い華の一本を踏み付けにする。 「やめといた方がいいわよ」  嘲るような声に振り向く。僕が生まれて初めて聞く、自分以外の言語だった。 「その向こうには何もないわ。世界はこの街が全部なのよ」  それは蔓と花を携えた植物の全身を隈無くデジモン化させたような存在で、僕の知る限りこの街の中で唯一の完全体だった。言葉を発するのを初めて見たとはいえ、同じ植物型デジモンを何匹か従えて悠々と暮らす彼女の姿を、僕は何度か物陰から見る機会があった。  完全体、つまり恥ずかしながら僕が唯一真っ向から狩る自信がない相手だったので、よく覚えている。 「ブロッサモン……」 「どーも。先日は可愛いベジーモン達を殺してくれてありがとう」  言葉には怒りも憎しみもない。ただ淡々とブロッサモンは人の言葉を紡ぐ。 「繰り返すけど、その花畑の向こう側は目指すだけ無駄よ。行ったところで何もない、ずっと同じ景色が広がっているだけよ」 「見てきたような言葉だ」  身構えつつそう返すと、肩を竦めて「見てきたわよ」と呟く彼女。 「だから言える。この花畑の向こうには何もない……世界はもう、この街だけなの」  花畑を背に笑う彼女は、まるでこの景色の主のように見えた。  培養カプセルか何かだろうか。 『あなたはきっと、最強のデジモンに──』  その中にいる僕は、そんな声を聞いていた気がする。  眠り続ける僕を見つめてそう呟いたのは、10代半ばの人間の少女だった。今となっては顔も声も忘れてしまったけれど、彼女が遺したその言葉と彼女の黒い髪と白い服のコントラストだけは今でも覚えている。  きっと彼女は選ばれし子供か何かで、僕は彼女のパートナーなんだとそう思う。  選ばれし子供、知識だけで知り得ているが奇妙な響きだ。世界の救い手となるべき人間の子供、数多の英雄譚として世界各所に伝えられる異世界からの来訪者。デジタルワールドは僕らデジタルモンスターのものであるはずなのに、折に触れて彼らを必要としてきた。人間を下等だとか取るに足らぬ存在だとか軽く見るデジモンは枚挙に暇が無いが、その実人間の介入無しでは平和や安寧どころか存続も危うい不完全な世界が、僕らの生きる場所だった。  そんな人間のパートナーだと思えば、誇らしく思うのも当然だったのだけれど。 『─────モン──────』  彼女が次に呟くのは僕の名前であるはずなのに。  きっとその声音は優しげな色だったはずなのに。  その言葉を思い出すことが、僕にはできないでいる。自分が何者(なにモン)なのかも理解することができないまま、世界に放り出されてこうして生きている。皆がそうするように強い者が弱い者を食い散らす、ただ当たり前の理の中で生きている。  記憶の中にいた黒い少女は果たしてどこにいるのだろう。  いつか僕は彼女と巡り会うことができるだろうか。  忘れてしまった僕の名前を、彼女は教えてくれるのだろうか。  そう、だから僕の悲願は。  名を。  彼女の名を、僕の名を、知ることだった。  いつしか僕は時折、この街外れでブロッサモンと会うようになっていた。  街中で会うことはしなかった。別に彼女の仲間であるベジーモン達、定期的に獲物として何体か獲物として仕留めた彼らのことを思い憚ったわけでもない。ただ僕か彼女、どちらかが花畑の前にいるともう一人がやってくる、そして暫し談笑して別れるだけというだけの関係。それでも数ヶ月の時を経れば日課となり、また退屈な日々に参っていた僕にとって数少ない楽しみとなる。 「ベジーモン達は知らないけど、私を喰うには百年早いわね」  一度だけ挑んだこともある。  きっと勝てないと知っていたし、敗れたとして彼女が僕を殺さないだろうことも理解していた。  だから結局のところ戯れでしかなかった。不意打ちで背後から躍りかかるも、二秒で蔓に絡め取られて地面に組み伏せられた無様な僕の姿に、珍しくブロッサモンは声を上げて微笑んだのだ。  聞けば彼女も元々は選ばれし子供のパートナーだったらしい。幾度かの転生を経て当時の記憶は随分と曖昧なものになっていたようだが、うろ覚えでも構わないから聞かせて欲しいと強請ったのは僕の方だ。  ブロッサモンの語る冒険譚は僕を夢中にさせた。無限に広がる世界、魔王との対峙、そして愛すべきパートナーとの永遠の別れ。  そんな夢のような出来事を僕もいつか体験できる日が来るのだろうか。  彼女もまたパートナーと巡り合える日を心待ちにしているのだろうか。 「僕にも多分だけど、パートナーがいるんだ」  だから耐え切れず自慢気にそう言ってしまったのだけれど。 「……そう」  ブロッサモンは遠い目をしてそれ以上を語らなかった。  ある日、事件が起きる。街に住んでいたデジモン、ティラノモンの群れの一体が行方を暗ましたのだ。  元々僕にとっては狩りの対象でしかなく、それが一体消えたところでどうということもない。そもそも街の住人達は互いを食料としか思っていないのが現状なのだが、唯一の完全体であり即ちエリア内で最強の存在であるブロッサモンが仲間のベジーモンから彼は街の外の花畑を歩いていったという情報を得たことで事態は動き始める。  いつもの花畑で僕は彼女と顔を合わせる。ブロッサモンはただ真っ直ぐ、花畑の向こうを見据えていた。 「……アンタは何を知ってるんだ?」 「何が言いたいの」 「アンタには確信があるんだろう、ティラノモンがここに戻ってくると」  それにブロッサモンは答えなかった。あの時と同じ遠い目だった。  地響きが聞こえてくる。花畑を踏み荒らし、それが戻ってきたのだと理解する。徐々に鮮明となる輪郭こそ確かにティラノモンのそれだったが、果たして僕の視界に現れたのは清爽さすら感じさせる真紅の竜、何体かと死闘を繰り広げた宿敵の姿ではなかった。  片腕を歪な形に変化させた黒き竜。僕が隣の彼女に続いて人生で二番目に見た完全体。 「メタルティラノモン……やっぱり」  得心したといったブロッサモンの声音を僕は見逃さない。  血走った竜の目からは、曲がりなりにもこの小さな世界の中で皆が遵守してきた弱肉強食の理、即ち喰わぬのであれば弱き者に手を出さない世界の不文律を守る気など微塵も感じられなかった。  咄嗟に飛び退いた僕と彼女の間に、メタルティラノモンの腕から放たれたミサイルが飛来する。  ゴウと空気を裂く音と共に着弾したそれが、花畑と廃墟とを火柱で艶やかに染め上げる。 「スパイラルフラワー!」  ブロッサモンが両側の蔦から鋭利な葉を飛ばす。だが強固な竜の装甲を貫くには至らず、メタルティラノモンが逆側の腕を払うだけで軽く凌がれてしまう。僅かな傷こそ刻まれたが殆どダメージにはならない様子だった。  僕も後ろから目を見張る。完全体の攻撃をも防ぐあの装甲に興味を引かれた。 「くっ……!」  突進してくる機械竜の巨体をブロッサモンが手足に蔓を絡めて受け止める。エネルギー系の攻撃も物理的な攻撃もメタルティラノモンには効果が薄いらしい。そして先日、僕を容易く絡め取って叩き付けた蔓もメタルティラノモンの巨体を持ち上げるほどのパワーは出せないと見える。  ギリギリと蔓を引き合う様は綱引きのよう。 「……ッ!」  ブロッサモンが一瞬、僕の方を見た。  彼女の意図は理解する。けれど別段急ぐでもない。ただのんびりと歩いて取っ組み合う二匹、メタルティラノモンの背後に回ると無防備に晒された機械竜の背中に、思い切り僕は自らの尻尾の先のアンカーを叩き込んだ。薄い背面装甲から電子骨格をも貫通し、その奥にある電脳核へと抉りこむように。  衝撃でメタルティラノモンの顎が仰け反る。とはいえ即死だ。仰け反った時点でメタルティラノモンは死んでいる。  急速に粒子化していく機械竜の肉体。それを自らに取り込みながら、メタルティラノモンの体が消えたことで僕の正面には肩で息をするブロッサモンの顔が見えてくる。アイコンタクトが上手く行って良かったとでも言いたげな苦しげな笑顔。それはこのエリアで最強のデジモンが見せた明確な隙だった。  だから僕は。 「ハァハァ……流石ね、ありが──」  そんな彼女の無防備な眉間に。  メタルティラノモンの装甲を纏った己の拳を。  完全体に対抗できる手段として見込んだ拳を。  一切の躊躇い無く叩き込んだ。 「ガアッ……!」  花そのものであるブロッサモンの眉間から血液データが舞い散る。  真っ赤な花畑を背景に、鮮やかな血の華を咲かせる姿を前に僕は。  それをなんて美しい光景なんだろうと思うのだ。  ブロッサモンは動かない。急所である眉間を穿たれた彼女もまた即死だった。  目を見開いたまま仰向けで果てているブロッサモンの肉体をロードするのに、不覚にも僕は一瞬だけ躊躇した。何を迷うことがある、最初からこの時の為に全てを根回ししてきたのではなかったか。 「見事ザンスね」  そんな軽妙な声が聞こえた。  頭上を見上げる。そこにはいつぞや見た、鳥のような飛行機のようなデジモンが滞空していた。 「誰だ?」 「失礼、アッシは名乗るほどのモンじゃございやせん。まあ旦那とは一月ほど前に会っているはずザンスが……」 「喋れたのか。取るに足らぬデジモンだと思って見逃したのだけど」  取るに足らないと言われて彼は苦笑したようだった。 「ブロッサモンの姉御も間が悪かったザンスね。まさかこんな姦計を使ってくる輩がエリア内にいたなんて」 「姦計とは言ってくれるじゃないか」  そう返すとニヤリと笑う彼。  冷たい目だった。それまで軽薄としか思えなかった小型デジモンが今、このエリア内で出会ってきた誰よりも酷薄な瞳で僕のことを見下ろしている。先の正気を失ったメタルティラノモンとてここまで冷たい目ではなかった。  次に彼が言う言葉を、僕は否定しない。別段見抜かれたとて驚くことでもない。  考えてみれば簡単な話だ。ブロッサモンは、あの花畑の向こうまで行ったことがあると言っていた。そんな彼女が人語を解さないベジーモン達を仲間としてこれたのはきっと、彼女もかつてはベジーモンだったからに他ならない。そしてこのエリアには彼女以外の完全体は存在せず、皆が成熟期までに死んでいく。つまりあの花畑の先にはデジモンの進化に関わる何かがあり、ブロッサモンはそれを知りながら黙秘してエリア内で最強の存在として君臨していた。  許されることではない。少なくとも僕は絶対に許せないからだ。 「だってあのティラノモンが街の外に出たの、旦那の差し金ザンスよね?」  つまりは、そういうことである。  アッシの名はスパロウモン。世界を流離うブン屋とでも言っておきやしょう。 「でも……いいんザンスか? ブロッサモン殺しちまったら、この花畑の向こう側の情報が得られないんじゃ?」 「構わないさ。僕には手がある」 「クロスアップ……ザンスか」 「……知っていたのかい?」  言い当ててやると旦那は驚いたようザンス。  一介の成長期でしかないアッシが、他の誰にもない自分の能力を言い当てたのだから当然かもしれやせん。しかしアッシは知っている。彼には生まれた時からそういう力があった。倒したデジモンのデータを取り込み、己の肉体に顕現させる特殊能力。どうやら旦那は今まで倒してきたデジモン、例えばドーベルモンの俊足とオーガモンの腕と棍棒、メタルティラノモンの装甲を自由に使用することができるらしい。そして彼が手にするのはデジモン達の力だけではなく、その使い方や経験、更にはそれまで経験してきた全てをも含めていたと言うのだから驚きザンス。  それは倒したデジモンそのものを纏う行為だ。故にこの力を彼は電脳聖衣(デジ・クロス)と呼んでいたらしいが。 「アッシもこう見えて、デジ・クロスに関しては一家言ありやしてね」 「そうかい」  別にどうとも思った様子はない。旦那は相変わらずアッシを無力な成長期と見ている。  メタルティラノモンのクロスアップを解く旦那。同時に彼はゆっくりと粒子化していくブロッサモンのデータを全身で貪り喰った。  彼女は旦那に初めて完全体というものを、正面からでは勝てぬ壁を教えてくれた恩人のはず。けれど旦那はデジモン、彼女もデジモン、恩返しなど微塵も考えることはない。それでもせめて姑息な謀略によって討ち取られた彼女の力と記憶と経験を、旦那は己のこの先の人生の為に貰っていくのだろう。  それは優しさではなく、況してや偽善ですらない。ただ己を納得させるだけの甘さ。  誰を想っているわけでもない。故人を悼む気持ちなど微塵もない。  義理堅さなんてこの世界では何の役にも立たない。  それでも。  旦那、いや、我が弟、アレスタードラモンにはきっと、そんなところがあるのだ。  ブロッサモン。  彼女には確かにパートナーがいた。 『私(わたくし)と貴方とで世界を救ってみせますわー!』  そんなことを堂々と言う金髪のお嬢様だった。  選ばれし子供という奴だった。実際、大した勇気を持つ少女だった。  フローラモンを成熟期に進化させた。彼女は喜んだ。  ザッソーモンを完全体に進化させた。彼女は笑った。  ブロッサモンを究極体に進化させた。彼女は泣いた。  最後の戦いだったから、彼女の涙の理由をヒュドラモンは聞けなかった。  戦いが終わり語らう間もなく少女は去り。  パートナーから答えを得ぬままヒュドラモンは一人残された。  どうしてと問い続けても彼女は二度と帰ってこない。  それでも待つと決めたから、何度も転生を繰り返した。  そうして気付けば人間界に来ていて。  そのはずなのに人間は誰一人として存在しなくて。  帰る世界も失ったことを知った彼女は。  それでも諦め切れずに辺り一面に広がる彼岸花の川を渡り。  この世界を覆い尽くした元凶と。  人間界をこんな風に変えた、それと出会った。  世界は続いている。  ここがアッシ達の世界ではなくても、今アッシ達がここにいる以上、世界は在る。  この街は全て人間の文明の残滓。だがそこで霊長の覇者として君臨してきた人間達はもうこの星のどこにも存在していない。度重なる戦争によって滅びたのか、はたまた荒廃する星を見捨てて別の惑星に移住でもしたのか。それはデジタルモンスターであるアッシ達には知るところではない。  単純な世界だ。人間が消えた人間界でアッシ達デジタルモンスターは原初の世界に戻ったかのように争い合い、互いを喰らい合っている。強さこそが全てを支配するシンプルな理の中で生き残った幾つかの狭いエリア内でのみ、弱肉強食の摂理の下にデジタルモンスターは今も生きている。  彼岸花は境界線だ。あの世とこの世、人間界とデジタルワールド、春と夏もしくは秋と冬の境界線。奴はデジタルワールドから這い出ると共に、その能力で主の存在しない人間界を瞬く間に浸食し、自分の住みやすい世界へと変えてしまった。  奴に浸食されたエリアの象徴こそが、あの彼岸花だった。  我が弟も今見たはずだ。かつてブロッサモン、当時ザッソーモンだった彼女が花畑を進んだ果てに出会った強大な存在と。  目が焼けるような赤だけに彩られた世界を進む彼女が、どれほど歩いたかもわからなくなり始めた頃、それは現れた。空を覆い尽くすような奇怪かつ巨大な人型、異様に長い手足と幾何学的な文様を刻まれた仮面で覆われた顔面を持つ邪悪なる存在。時間と空間を自在に操ることで彼女を在りし日の姿、ブロッサモンへと進化させたのもそれだった。そして無論、今日謀略により外に出されたティラノモンをメタルティラノモンを進化させたのも同様だ。  この彼岸花の咲く領域が彼奴そのもの。世界の九割以上は彼奴に支配され、生き残ったデジモン達は細々と狭いエリア内で生きていくしかない。だから彼岸花の浸食を防ぐべく、エリア内で最も強いデジモンを決めるかのように争い続けている。  故にジェネラル。各エリアで最も強いデジモンをいつしかそう呼ぶようになる。  長らくこの街のジェネラルであったブロッサモンは今ここに倒された。ジェネラルを失ったこのエリアはまた乱れるだろう。少なくとも我が弟はジェネラルとしてこのエリアに留まる器ではない。  必ずこの彼岸花、世界を浸食する真紅の花の先にいる彼奴を目指すことになる。  倒すべき敵。人間界を変貌させた元凶。  悠久の時の中で此岸(こちら)と彼岸(あちら)を繋ぐ者、故にその名を。  クオーツモン。  彼岸花にギリギリ浸食されていない獣道を往く。  ブロッサモンから継承した知識と記憶があまりに衝撃的だったのだろう。暫し放心していたアレスタードラモンだったが、やがて何も言わずに歩き出す。我が弟は迷いなく彼岸花の先へと足を踏み出した。  旅立っていく弟の背中を眺めながら、アッシは思うのだ。  かつてデジクロスと呼ばれる技術を確立させようとした人間の科学者がいた。彼女はデジモンのジョグレス進化なる機能に着目し、進化以外で他のデジモンを取り込んで強化する術を研究していたのである。それはいずれ人間にデジモンの力を後天的に備え付ける研究の前段階であったのかもしれないが、科学者の手によってデジクロスを前提として数多のデジモンが人工的に作り出された。  スカルナイトモン。デッドリーアックスモン。  メイルバードラモン。デッカードラモン。サイバードラモン。  シャウトモン。バリスタモン。ドルルモン。スターモン。  そして、スパロウモン。  科学者もやがて没し彼女の研究も散逸したが、彼女の生み出したデジモン達は今もどこかで生きている。アッシ自身が生きているのだから、他の兄弟達も無事だとそう信じている。  そんな科学者が死の直前まで開発を続け、彼女がいなくなった後もコンピューターが彼女の意思を継いで動き続けた果てに生まれたのがアレスタードラモン、まさしく今目の前を歩いている紫紺の竜だ。アッシ達の母親の理想を数百年の果てに体現したデジクロスの更に先、クロスアップと呼ばれる力を身に付けた科学者の研究の完成形であった。  だから弟、彼は間違いなくアッシらの最後の弟。  名乗り出るつもりはない。  けれど、遠い未来で最後の弟に巡り会えた偶然に感謝している。  彼がクオーツモンに作り替えられた世界でどう生きていくのかはわからない。それでも贔屓目だろう、弟ならきっと立派に生きていくだろうと信じている。そしていずれは散逸した自分達の兄弟とも巡り会えるだろう確信がスパロウモンにはある。  故に笑顔。旅立っていく弟の背中を、アッシは笑って見送れるのだ。  西暦4022年9月23日。  これは人間のいない人間界で生きる、人間に作られたデジタルモンスターのお話である。 ◇ ・アレスタードラモン 本作の主人公。デジクロス、転じてクロスアップと呼ばれた能力を身に着けた謎の竜型デジモン。慇懃無礼ながら上昇志向が強く、敵対者をロードすることを厭わない猛々しさを有する。人類が消えた後の世界で目覚め、弱肉強食の理に組み込まれていくが、実はある科学者に生み出された人工のデジモンである。 (9/25追記) 自分も知らない自らの名前を追い求める者=悲願は名 (ダジャレかい) ・ブロッサモン 元・選ばれし子供のパートナー。廃墟エリアで唯一の完全体のため、当エリアでジェネラルと目されていた。個人的に好きなデジモンで、短編・連載問わずちょくちょく出番を与えているが、アニメで言うところのレオモンやマンモン並に登場する=死である。当然のことながら彼岸ということで最初に思い付いた奴。いやまあ彼岸=彼岸花=デジモンサヴァイブの最初に咲き誇ってた奴という安直な連想ではありますが。 (9/25追記) 何度も転生して黄泉から戻ってくる彼岸花 (最初に思い付いた、というか彼岸っぽいので最初に浮かんだのコイツだった) ・スパロウモン 自称ブン屋。口調はトンガリと伝三さん。アレスタードラモンと同じ科学者に作られた彼の“兄”である。クロスハートから誰か出したいと思った時、アレスタードラモンとのクロスアップがある彼をチョイスするも話の都合でクロスアップしなかった奴。 (9/25追記) ちっこい鳥の癖して弟のことを鼻高々に語る飛雁鼻 (ダジャレかい) 全部ダジャレである。 【後書き】  まずは企画を立案くださったへりこにあんさんに感謝を。  というわけで、割と突貫ながら書かせて頂きました。思い付いてから48時間で書き上げたので割と頑張ったのではないでしょうか。ちなみに思い付いた経緯は仕事中、ふとよく考えたらデジモンサヴァイブで最初に彼岸花咲いてたの「何故この花が!?」となってから何も語られてなくねと思い立ったからです。いや何だったんだよアレ……ということから自分なりに解釈して書いてみた次第です。  他の方の作品も是非読ませて頂きます。 ◇
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夏P(ナッピー)
2022年9月10日
In デジモン創作サロン
←前の話       FASE.1       次の話→ ◇  今にして思えば、何かしらの予感があったのだと思う。 『……アンタは』  9月のことである。  母校である青葉中学の裏山で、快斗は久しい男と再会を果たしていた。  鬱蒼と茂る木々が少しだけ開けた広場。そこの大岩に腰掛けていたのは、他でもなく月影銀河であった。 『前田君じゃないか。久し振りだね』  昔と変わらない顔で微笑む男は、その実もう死に体であった。  まるで全身が灰化するかのように朧気で、その実体が全く感じ取れない。今にも溶けてしまいそうな蜃気楼のよう。だがそんな消えかけた体で敢えてこの場所に現れたということには、むしろ確固たる意志を感じさせないでもなかった。 『アンタもあのジジイの実験に……』 『話が早くて助かるよ』  説明の手間が省けた。そう言いたげに銀河の顔から笑みが失せる。  彼の手に握られた加速神器が輝くと共にユラリと背後の空間が歪み、そこに現れたのはサーベルレオモン。始まりの日に快斗達の目の前に現れた因縁の獅子だった。 『……何しに来た』  足元で身構えるポンデを制してそう問う。 『懺悔だよ』 『あん?』 『きっと最後の懺悔の言葉を、僕は誰かに聞いて欲しかったんだ』  イラッと来る。この男もだ。この男も自分に何かを託そうとしてくる。  もううんざりだった。九条兵衛とダークドラモンもそうだった。大した人間ではない前田快斗に、何故誰も彼も重い物を託そうとしてくるのか。自分はただ気楽に適当に能天気に生きていたいだけ、ただ楽しいことだけを選んで過ごしたいだけなのに。 『……それに、きっとこれは君を後押しする力になるはずだ』  それなのに見透かしてくる。この中学時代の恩師は、全てお見通しと言いたげな顔で言うのだ。  目の前の男が不意に投げて寄越し、自分の手に収まったそれと同じものを、快斗は既に持っている。懐から取り出した加速神器・暗黒はもしかしたら義父になり得たかもしれない男から一年半ばかりの猶予と共に託された形見だった。 『……頼むぞ』  そう言い残した男の背中が今も目に焼き付いて忘れることができない。どうして出会ったばかりの自分に託したのか、どうして実の娘に最後の言葉をかけてやらなかったのか。その二つの疑問の答えを見つけられないからこそ、前田快斗は託されたものの重さに耐えられない。そしてだからと言って、全てを投げ出して逃げ出すほど無責任にもなれない。  当事者だという自覚がある。そして自分が逃げても彼女は一人でも挑むだろうという確信もある。 『僕はね、逃げ出したんだよ』  だから懺悔の言葉など聞きたくない。 『友人も恋人も全て、自分が死ぬとわかった時点でその命に価値を見出せなくなった』  だって自分は軽薄で不真面目な前田快斗なのだ。そんな沢山の人間の思いを背負えるほど強くない。 『それでも彼らの計画を邪魔しようと立ち回った。そうだね……潰そうとしたわけじゃない、飽く迄も邪魔をしようとしただけだ。僕の命はいずれ尽きることはわかっていたから、せめて自分達の命を弄んだ彼らに一矢報いようと……なんてのは違う。ただの言い訳だ。結局のところ僕は、それすらもどうでもよかったんだ。利用されたなら復讐するのが当然、そんな理屈の上でしか動けなかった』  誠に身勝手でこちらからすれば興味もないことを喋る恩師は、どこか普段より幼く見えた。  彼の輪郭がポウと煌いてその全身が粒子状に蕩けていく。まるでアニメで見たデジタルモンスターみたいだと思った。 『だから殺した、殺せたんだ……時雨を、愛していたはずの女性(ひと)を』  それはまるで、自分か彼女が辿る結末のようで。 『別にアンタは、誰も思っていなかったわけじゃない』  故に自分の言葉もまた思いやりなどではない。  それを理解しながらも言わずにはいられなかった。それはきっと、自分達の末路が彼とは違うものであって欲しいという身勝手な願いによるものでしかない。結局のところ、あらゆることにおいて自分と彼女達の為にしか前田快斗は動けないし思えない。 『……アンタはただ、怒ってただけだ』  月影銀河が目を丸くした。既に彼の手足は散華している。 『自分が、友達が、彼女サンが、その全てが利用されたと知って、アンタは怒ってただけだ。でも誰かの為に怒れるってことは誰かを思えてるってことだ。誰かのことを考えられてるってことだ。……別に恥じることじゃねーよ』 『君は……僕と同じだと思っていたけれど』  笑う。既に下半身も消え失せ、胸から上しか存在しない姿でただ笑う。 『大人だね、君は』  そう言った。ただ意思の力のみで今日まで存在を保ってきた月影銀河は、今ここに死んだ。  背後に立つサーベルレオモンの姿も消えている。加速神器を使用した者の死は数パターンあるらしいが、その中にあって人もデジモンも同時に消滅する彼らの死は初めてのケースであった。彼らは何かを為せたのだろうか。最後に言葉を交わす相手が自分で良かったのだろうか。  その答えは出ない。だからせめて、僅かばかりの尊敬の念を込めて呟いた。 『……俺達はまだまだ子供だよ』  またも託されてしまった。逃げるなと、最後まで立ち向かえと告げられたようだった。  ポンデと目が合う。この間ずっと口を噤んでいた彼だが、目が合うとしっかりと頷いた。思えば最初から答えは出ていたのだと思う。それに見て見ぬフリをし続けただけ。前田快斗が逃げたところで鮎川飛鳥が挑むことに変わりがないとすれば、それは九条兵衛が最後に遺した言葉を違えることになる。自分達は託された言葉と思いに報いる為にも、最後まで己自身を張り続けなければならない。  快斗は加速神器・正義と暗黒をグッと握り締めた。  加速神器・正義。  玉川白夜が最初に試作したデジヴァイスであり、とっくに肉体の限界を超えていた月影銀河がただ己の意思の力のみで生を保ち続けた正義の証。それが今、彼の育て上げたサーベルレオモンのデータと共に前田快斗の手の内にあり、ポンデを究極体の姿に進化させるまでの力を発揮した。  月影銀河は自分達は同じだと言っていた。  必ず役に立つと言って前田快斗とポンデに加速神器を託したのだ。  視界を怒りと憎しみで燃え上がらせた今、その言葉と行為の意味を改めて理解する。自分達が利用されていたと、命を贄にされたと気付いた時から月影銀河の生もまた、恐らくこんな憤怒の中にあったのだ。親友も恋人も奪われたはずの彼は、それでも内なる憎悪を表に出すことは無く、ただ己の憤怒で己を焼くことでしか正気を保てなかった。その憎悪と憤怒を吐き出せたらすぐ楽になれたろうに、半端に“大人”であった心がそれを許さなかったのだ。  なるほど、やはり自分は彼と一点だけ異なる。彼は大人だったが、自分は子供なのだ。 「殺す……か。大きく出たな、小僧……!」  その憎悪と憤怒をぶつけるべき男が不敵に笑う。彼はどこまでも自分が勝者だと疑わない。  タイラントカブテリモンが襲い来る。まるで竜のように長大な体を撓らせて迫った蟲王がその右拳を繰り出してくる。その動きがバンチョーレオモンと視界すら同期した快斗にはあまりにも遅く見え、僅かに体を流すと空を切った拳が大地に叩き付けられた。果たして今狙われたのが、そして今の回避行動を取ったのが自分なのかポンデなのか、それすら快斗には定かではない。 「貴様もやはり俗物だ、小僧。九条兵衛から聞かなかったか。極東の小さな島国でしかない我が国は明治以降急速な発展を遂げてきた。先の大戦で敗戦国となるも高度成長の時代を経て、世界有数の富を持つ国として繁栄を続けている。だがこの先はどうだ。国土という面では決して豊かとは言えない我が国にはいずれ限界が来る。他国を侵略することなど最早許されぬこの時代、なればこそ宇宙開発が未だ現実を帯びぬ中では異世界の開拓は必須事項と言えよう。偶然にもベルフェモンを捕らえたことで我が国は異世界開発の分野においてトップに躍り出ている。そこから得た技術で更にデジタルモンスターの力を自在に使役することができるようになれば──」 「うるせーよ」 「……何?」  次の瞬間、ズンと重い衝撃が来た。 「がっ……!?」  バンチョーレオモンの拳がタイラントカブテリモンの中心を捉えていた。  そこは蟲王の本物の顔が存在する箇所。擬態用のダミーの頭部と両腕で隠していたタイラントカブテリモンの唯一の急所。シャインオブビーを使用する時にのみ意思を発していたそこに、バンチョーレオモンのフラッシュバンチョーパンチが叩き込まれていた。 「き、貴……様ッ」  玉川白夜の顔面が醜く歪む。まるでタイラントカブテリモンのダメージと連動するかのように、その頬が抉れ捩じれていく。  有り得ない。如何に加速神器でDNAのパスが繋がっているとはいえ、デジタルモンスターの負った傷が人間にフィードバックすることなど今まで一度として確認されていない。そもそも白夜の加速神器・正義は他の七つと異なり、命を落とすことの無いようそうしたデジタルモンスター側からの干渉を防ぐ機能を乗せておいたはずなのに。  齢60の老人の体が無様に転がる。ただ一撃で人の身(テイマー)にすらここまでのダメージを逆流させるなど有り得ないのに。 「こ、こんなことが……あるはずが」  よろよろと上半身だけを起こす。口の中に血の味が充満している。 「今のは飛鳥を泣かせた分」 「待っ……」  二発目の拳が腹部に突き刺さり、タイラントカブテリモンはよろめき、白夜の体は腹からくの字に折れて吹き飛んだ。 「ぐぅっ……!」 「これは傷付けられた煌羅の分」  淡々と語りつつ、前田快斗は倒れ伏した白夜に一歩、また一歩と近付いていく。 「ま、待て……取引を」  折れた歯と喉から溢れそうな胃液とでくぐもった声になりつつも、白夜は何とかその言葉を口にする。 「私がいなければデジタルモンスターの研究はままならん! 私さえいればいずれ人間が奴らを完全に支配する時が来るのだ! お前達にもその恩恵は必ずある! だから──」 「悪いが俺はお義父様の崇高な理想にもアンタの大した天才ぶりにも興味はねー」  それを前田快斗は、バンチョーレオモンは一切の躊躇なく斬り捨てる。 「俺は俺の家族を傷付ける奴を許さねーと決めた」  たとえ己の命が燃え尽きようと彼らがここに来たのは。 「だからジジイ。俺はテメーを殺すんだ」  ただそれだけの簡単な理由だった。 『本日ハ晴天ナリ。』 ―――――Final 「本日ハ晴天ナリ(後)」 「煌羅! 聞こえてるんでしょ、煌羅!」  思い切り叫ぶ。ちょうどエグザモンの首の下、殆ど視界を竜帝の体で埋め尽くされながら飛鳥は“娘”と相対した。  傷付いたイサハヤも隣にはおらず、ただ頼れるのは自分の体と心のみ。それでも一年半前のあの日、彼女を拒絶してしまった自分だからこそ二度と逃げないと決めていた。取り巻きのウイングドラモンやグラウンドラモンは快斗とポンデが訪れる際に倒したのか既に姿が見えなかったが、もし今ここに自分一人だろうと最初から煌羅と会って思いをぶつけると決めていた。  大きく息を吐いて頭上を見上げる。竜帝の下顎だけが見えた。 「……聞いて、煌羅」  きっと届くと信じている。人間だろうとデジモンだろうと関係ない、彼女が鮎川飛鳥と前田快斗の“娘”であるならば。 「私、多分お父様のことが嫌いだった」  誰にも言えなかった、快斗にも言ったことのない言葉。  小学生の頃、どうして自分の家には父親がいないのだろうと考えたことがあった。母も仕事で家を空けがちだったが、近い時期に桂木霧江と出会ったこともあり寂しさを感じたことはなかった。だから父親に関してもいないという事実そのものに疑問を感じただけであり、それ以上の感情が介在する余地はない。母も近所付き合いでは離婚で通しているらしく、飛鳥自身もその扱いで特に不便を感じたこともない。  それでも父と初めて対面した時、父が政治家と知った時の彼の背中だけは覚えている。どこまでも不器用な男の、どこまでも頼もしい生き様を語る背中だけは。 「立派なお父様に対して、私はどこまでも平凡だなって思わせられるから」  いつかその背中の向こうへ行けるだろうか。そう思って生きてきた。  けれど父は逝ってしまった。まるで少年のような夢想を叶える為に戦い、その果てに裏切られて失意の中で、それでも最後には己の命を懸けて自分達を守るべくその身を散らした。誰よりも生きてこの国の為に働き続けるべきだった男が、二人の高校生の為にその命を捨てたのだ。  その理由が何故なのか。この一年半、ずっと考えてきたが、言うまでもないことだった。 「でも……私はもう逃げない、平凡な私だけどやらなきゃいけないことが、きっとある」  理屈じゃない。そうしてしまうのだ。大事だから、大切だから。  そしてあの直前、煌羅も同じように自分達を庇うようにベルフェモンの前に出た。自分達より遥かに小さな背中なのにそこに気負いはなく、けれど自らの死すら厭わない覚悟と共に怠惰の魔王と対峙したのだ。  その事実がくすぐったく、同時に悔しくて堪らない。 「私や快斗を何度も守ってくれて、ありがとう」  自分が彼女に大切に思われているとわかるから。 「私の所為で何度も傷付けて、ごめんなさい」  彼女のことすら守れず守られている自分に気付くから。 「だから帰りましょ。もう一度、私達と一緒に──」  ドゴンと、そんな漫画めいた爆音が背後から響く。  ちょうど快斗とポンデが白夜のデジモンと戦っているはずの方向だった。先程の明らかに様子のおかしい快斗の姿を思い出す。剣幕に押されてしまったが、何か取り返しの付かないことになる予感があった。 「快斗の馬鹿……!」  それでも逡巡がある。最後まで煌羅と向き合わなくていいのか、ここで彼女に背を向けていいのか。  そんな迷いも数秒の後には振り切った。自分が優先すべきことは一つだけ。今この場にアイツが来てくれたことはとても嬉しい。アイツに助けられた、アイツが助けに来てくれた事実がみっともないぐらい鮎川飛鳥の心を昂らせている。実際、アイツに助けられなければ間違いなく自分は今頃死んでいたのだからそれは当然のことだ。  だとしても言える。アイツはきっと間違えている。 「煌羅」  反転した。佇むばかりの娘に背を向けて静かに言う。 「待ってて。……お父さんを、連れてくるから」  こんな時にも泣きそうになる弱い自分が、飛鳥はとても嫌だった。 「ハァ……ハァ」  仰向けに倒れたタイラントカブテリモンの、玉川白夜の胸倉を掴み上げる。  蟲王の両肩を粉砕して虫の息に追い込んで尚、ポンデと快斗の視界は憎悪のまま晴れない。最早敵の命は自らの手中にあるというのに、その燃えるような視界が澄み渡ることはない。今にも頭頂部から真っ二つに割れそうに痛む頭蓋と脳髄が殺せと告げてくるのを気力だけで抑え込んだ。  気付けば追い詰めているはずの自分達が、カタカタと上下の歯を鳴らしていた。 「ハ……ハハハ」 「何がおかしいんだ」 「結局は月影と同じだ。貴様もまた建前の正義感や義侠心に酔い、独善で立っているに過ぎない……」  血まみれの顔を醜悪に歪めて老人が嗤う。  この期に及んでまだそんなことを言う男の姿は滑稽だった。そんなことは初めからわかっている。言葉など全て飾りで今の前田快斗には最早この男を殺したい以外の感情がない。他のあらゆる感情は加速神器・正義を使用した際に全て塗り潰されて消えている。己の意思のみで存在し続けた月影銀河とサーベルレオモンとは違う。ただ完全なる復讐と殺意のみに満ちた自分達の命は、この男を倒したとてすぐに燃え尽きるだろう。  それでも、多分それでいいのだ。煌羅のことは、きっと彼女が救ってくれるはずだから。 「……それが遺言かよ、冴えない台詞だったな」  拳を握る。今まで誰にも喧嘩で勝ったことのなかった自分が、その拳で人の命を奪うという事実が何故かおかしかった。  一瞬だけ、背後で倒れているイサハヤを見た。異世界から来たポンデの親友である彼は、ここに来るまで随分と無理をしたらしくダメージは大きいようだが命に別状はないと思う。荒い呼吸を整えながらこちらに顔を向けている彼と目が合う。ハッと何かを悟ったような表情は、驚くほど一年半前の自分にそっくりで。  ああ、そうか。自分も九条兵衛と同じ、託す側になっていたのか。 「死ね……!」  ならば彼に飛鳥と煌羅を託し、自分はこの男を始末して果てるのみ。 「……快斗、やめて」  それなのに、現れた女がそれを許さない。 「……なんで戻ってきた」  顔を上げない。上げられない。彼女の姿を視界に収めることすらできない。 「アンタのことが心配だったから」 「そっか、嬉しいこと言ってくれんな」  おどけた台詞が空虚に響いた。女の方も鼻で笑うことはない。  僅かに眼球だけを動かして彼女の足のスニーカーだけを視界に入れた。鮎川飛鳥は快斗とポンデの間に立ち、どちらともに呼びかけるように言葉を紡いでいる。それはまるで、快斗とポンデが既に互いの存在を一つのものとしていることを理解しているかのように。 「アンタがこのジイさんを殺したところで煌羅は元に戻らない」 「詭弁だな。このジジイが生きている限り、たとえ今日助けられてもまた煌羅を狙うだろうぜ」 「その時は私とイサハヤが……何度だって助けるわ」  虚勢である。震えた飛鳥の声がそれを滑稽なぐらい如実に示していた。 「お前には無理だ」 「は? お前?」  声音が変わる。  胸倉を掴まれた。それが快斗(じぶん)の胸倉なのかポンデなのかすらわからない。 「アンタ、鏡で自分の顔でも見たら……!?」  視界が上がり強引に彼女と目が合う。  泣き腫らした瞳がある。  自分が泣かせた。  泣かせたくないからここに来たはずなのに。  自分が、泣かせた。 「そんな顔であの子に『お帰り』って言えるわけ……?」  慟哭。口の端を震わせた女の声が、男の心をただ抉る。 「そんな血まみれの手であの子を、煌羅を抱き締められるの……ッ!?」  振り上げた手が、ただ命を奪う為に振るった拳が、血まみれの獅子のそれと重なる。幾度となくタイラントカブテリモンに打ち付けた拳が、血で濡れているのは当然だろう。それでも彼女の言葉を受けた今、その光景がどこか邪悪なものに見えていて。  今ここで尽き果てて当然の命だと思っていた。飛鳥と煌羅を守れるならそれも本望だと思っていた。そして加速神器の力でポンデの心を消し飛ばした自分には当然の罰だと思っていた。誰もが無事に戦いを終えなければ嫌だという最初の思いを、気付けば子供染みた夢想として斬り捨てていた。そして誰かが犠牲にならなければいけないのなら、誰かが手を汚さなければならないとしたら、それは当然前田快斗の役目だったはずだ。  それなのに、だというのに。 「アンタと私と煌羅で、一緒に帰れなきゃ、私はやだ……!!」  どこまでも弱くて泣き虫な彼女は、その夢想をどこまでも持ち続けていた。  月影銀河とは違う子供だと自称しながら、どこかで万事を上手く行かせるなんてことは無理だと諦めていた。どこかで折り合いを付けて切り捨てなければならないこともあると諦観してきた。だからせめてその世の理の贄が必要だとしたら、それには迷わず自分を差し出そうとしてきた。そんな自分の視界が晴れる。惚れた女の言葉一つで、殺意と憤怒に満ちた心がこんなにもクリアになる。  果たして霧の向こうすら見渡せる。ああ本日ハ晴天ナリ、20世紀最後の日は澄み渡るような青空だった。 「茶番はうんざりだ」  横から聞こえてきた声。同時に快斗と飛鳥を突き飛ばし、玉川白夜がよろよろと体を転がした。 「アンタ……」 「青臭い家族ごっこなど見るに堪えん。そして小娘、お前はどこまでも愚かだったな」  荒れたままの呼吸で懐から四つの加速神器を取り出す。 「元よりお前達の前で再起動させるはずだった竜帝。少々予定は狂ったが、いつまでも貴様達の茶番を見せられるよりはマシか……」  翳すと同時に光が飛ぶ。あの日煌羅を貫いたのと同じ光が、快斗達の背後で佇んでいる竜帝の額へと飛んでいく。 「これで竜帝は目覚め、貴様達の頑張りは無駄に終わる。フハハハハハ……」 「ちっ……!」  嘲る声に快斗の反応は素早かった。一切の脇目も振らずにポンデと共にエグザモンの方へと駆け出した。 「……ちょ、待って……」  完全に置いて行かれた飛鳥だが、そこで初めてドッと額から汗が噴き出した。  元より凶行に走る快斗を止め、エグザモンの下へ連れていく為にここまで走って戻ってきた身である。結果的に快斗を竜帝の下まで連れていくことには成功したようだが、まだ彼の暴走を止められているとは言い難い。そもそも玉川白夜の言葉を借りるなら、加速神器を使用した時点で人間としての死は確定しているはずなのだ。  追わなければ。そして何とかしなくては。 「イサハヤ……!」  背後で伏しているパートナーを振り返る。バンチョーレオモンとタイラントカブテリモンの戦いのすぐ傍で倒れていた彼だが、どうやら戦いに巻き込まれることはなかったらしい。むしろこれは快斗が巻き込まないよう腐心してくれたと思った方がいいかもしれない。  ヤタガラモンの紫紺の瞳と視線が交錯する。きっと彼は、自分の考えを理解するだろう。 「……飛鳥、それだけはダメだ」 「時間がないの。わかって」 「君こそわかっているのか、それを使えば人間は確実に……」  飛鳥が懐から取り出したそれを前にしてイサハヤの声が上擦る。  加速神器・自然。小金井将美の夫が遺した黄色い神器。彼が育てた究極体のデータを内蔵したそれを、飛鳥はこの一年半ずっと持ち続けた。手放すことができなかった。何故なら確信があったからだ。自分達はいつか必ず、この力に頼らなければ潜り抜けられない困難に直面する時が来ると。 「そこのジイさんが言ってたでしょ。死ぬ原因はデジモンが人間を食うからだって」 「それは……」 「人間は私、デジモンはアンタ。……アンタが私を食うわけがない」  そう心の底から信じられる。曲がりなりにも二年以上付き合ってきたのだから。  なればこそ、飛鳥が許せないのは快斗だった。彼は今この場で死ぬ気なのだ。加速神器を使用することで自分が死ぬと信じて疑わない、パートナーであるはずのポンデに自分の身を食わせる覚悟を持ってここにいる。  何が死ぬ気だ、何が覚悟だ。そんなもの、最初から持つ必要はない。 (煌羅がいなくて、私がいなくて、それでもずっと隣にいたポンデのことも、アンタは信じられないの……?)  そう言ってあげたい。そう言って胸を叩いてやりたい。  煌羅にはアンタが必要なように。  ポンデにもアンタが必要なのに。 「正気か飛鳥お嬢様、ここに来て今更加速神器に手を出すだと?」  嘲る白夜の声が聞こえる。別に気にしない、この男は最初から無関係だった。 「デジモンの素晴らしさを理解せぬ身でつまらぬ意地を張って命を捨てるとは、筋金入りの愚鈍者だ。そんな小娘とその連れ合い如きに数年来の計画を潰されるとは、私も不運の極みよな──」  ズンと、倒れたままの男の脇腹に蹴りを入れた。  無関係とは言ったが、その言葉の一つ一つがこちらを苛立たせることに代わりは無い。 「ぐおっ……」 「アンタには一生わからないし、わかって欲しくもないわ」  二年間ただ隣にいたイサハヤ。  究極体に到達できぬ身でムゲンドラモンにもタイラントカブテリモンにもエグザモンにも立ち向かってくれた比翼の友。そんな者が自分を殺すなどとどうして思える? たとえ他の如何なる人間とデジモンの関係がそうだったとしても、自分とイサハヤ、そして快斗とポンデだけは違うと言い切れる。 『私は君のパートナーだ』  あの日、そう言ってくれた彼を信じなくて、一体誰を信じろという──!? 「起動<アクセル>!!」  加速神器が押し付けられた掌から自分の生命力を吸われることを実感する。  それが放出されると共に目の前で白き翼が広がる。太陽の如き巨大な光輪を背負った純白の巨鳥は、先のポンデと同様にその瞳から意思を失いながらも、鮎川飛鳥のパートナーとしてただ変わらずにそこに在る。  聖鳥ヴァロドゥルモン。加速神器によって覚醒したイサハヤの究極体。 「イサハ……ヤ」  進化と同時に直列に繋がれた彼から自分へ叩き付けられる、あまりに膨大な情報量に脳髄を焼かれそうになる。自分は確かに彼の前に立っているはずなのに、同時に自分を見ている彼の視界が自分の視界と重なって見える。これと同じ精神で平然と立っていた前田快斗のことが余計に許せなくなりそうだった。  この霧の中だけで決着を付ける。もう戦闘力を失った玉川白夜とタイラントカブテリモンに用はない。無論、まだ邪魔をしてくるというのなら一切の容赦をしないが、そうでないのならこれ以上関わっている暇もない。快斗に手を汚させたくなかっただけで、彼がこの先どうなろうと知ったことではない。  見据えるのは静かに覚醒し始めた竜帝の姿のみ。  エグザモンを、煌羅を救う。  快斗もポンデも死なせない。  勿論自分だって生きて帰る。  結局のところ、全て家族の問題である。  ゆっくりと動き出したエグザモンの足下まで走る。  霧の中から出すわけにはいかない。だが自分達で奴を止められるのか。流れ込んでくるポンデの視界はノイズに満ちている。彼我の戦力差は圧倒的で、その上自分達には時間が無いらしいと来ている。自分達の為に泣いてくれる女がいて、自分達の戦いはその女の為だという認識こそが肉体を動かす。きっと前田快斗もポンデもだからこそ戦える。 「フラッシュバンチョーパンチ!」  先手必勝、跳躍したバンチョーレオモンが竜帝の顎に一撃を浴びせる。だがタイラントカブテリモンを一撃で怯ませたそれは、体格の差もあって一切の効果を齎さない。  まさに一年半前の光ヶ丘の再現のようだった。九条兵衛とダークドラモン、彼らが命を燃やし尽くして覚醒したばかりのエグザモンに挑んだ時と目の前の状況が重なる。あの時の彼らもこんな風に自分達が人間に挑む羽虫になったかのような気分だったのだろうか。 「お義父様……」  隣に目をやる。エグザモンの額に突き刺さっていたはずのダークドラモン、加速神器の力で竜帝が覚醒したことにより振り落とされたのか、その石化した遺体がそこに転がっていた。  消滅はしない。ただ槍を竜帝の額に突き刺した一年半前と変わらぬ体勢で物言わぬ石像と化している。何故消えないか、そこに在るのは絶対の意思だからだ。己の身命を賭して竜帝を封じる、自分達の手で大切な何かを守る。その意思のみでダークドラモンは肉体を朽ちさせることなく未だ存在する。それはまさしく肉体の限界を超えながらも、意思の力で生存し続けた月影銀河とサーベルレオモンと同じだった。 「……っ!」  ドクンと心臓が跳ねる。懐に忍ばせたもう一つの加速神器、九条兵衛が残した暗黒が脈動を始めている。  ポンデが幾度打ち付けたところでエグザモンの肉体には一切のダメージが入らない。やがて自分達も限界を迎えて力尽きる。そうなれば一年半前と同じだ。そして自分とポンデにあの九条兵衛のように絶対の意思で竜帝を封じられるだけの自信はない。  死を乗り越える力。己の限界に打ち勝つ力。ただ大切なものを守らんとする意思の力。それらは全て辛酸を舐め続けた大人こそが持ち得る力だからだ。今の快斗とポンデはその域に届くにはまだ若すぎた。 『……頼むぞ』  そう言った男の背中を思い出す。愛娘をどこの馬の骨とも知れぬ男に託して死ぬ無念が、今の快斗にはわかる。  だからせめて。  この国を愛し続けた男の、ただ娘を守る為に命を散らした男の、心を散らし肉体を石化させた上で尚この一年半に渡り保ち続けた絶対の意思を、今少しだけ貰っていく。 「お義父様……力を借りるぜ」  加速神器・暗黒を翳す。石化したダークドラモンの体が輝き始める。 「突風<ブラスト>!!」  瞬間、世界が暗転した。  五感が失われる。前方に伸ばした両手に握る正義と暗黒、二つの加速神器の感覚さえ曖昧だった。ただ体内で轟々と嵐が吹き荒れているかのようで、それがやがて自分を内から食い尽くしていく確信がある。思い出されるのは今の自分と同じ言葉を発した後、肉体を粒子化させてダークドラモンと一つに溶け合った九条兵衛の姿。きっと前田快斗もまた同じようにポンデかそれともダークドラモンの肉体に吸収される。  そのはずだった。 「……なんで……」  声が漏れる。五感が急速に戻っていく。  惚れた女に、守るべきはずの女に、後ろから抱き締められていたから。  目の前にイサハヤが、彼女のパートナーだろう黄金の鳥が舞い降りていたから。 「アンタは、本当に……わかってない」  耳元で囁かれる弱々しい声。  溶けるように、溶け合うように、快斗の胸に添えられた飛鳥の手から彼女の温かさが、生命力が流れ込んでくる。快斗一人であったなら容易に存在を食われていただろう肉体の浸食は、彼女と二人でなら耐えることができた。鮎川飛鳥に負担を半分肩代わりしてもらうことで、前田快斗は死ぬことなく生きている。  だがそれはつまり、彼女もまた自分と同じように加速神器を使ったということ。  神器の力でイサハヤを究極体に進化させたということ。 「なんで、お前……」 「お前じゃ、ない」 「いや、だから……なんで」  自分が命懸けで煌羅を救い出すから、彼女にはその煌羅を見守って欲しかったのに。  自分が死ぬとしても、彼女にだけはこの先も生きていて欲しかったのに。 「今更、それ」  まるで平時のように呆れた声が飛鳥から漏れた。  本当に、この男は。 「いい? 多分一生に一度しか言わないから耳かっぽじって聞きなさいよ?」  その言葉で初めて快斗がこちらを向く。キョトンとした顔は、今日初めて見る本当の彼の顔のようだった。  だから深呼吸した。憎悪と憤怒で視界を燃やしていた快斗とは違う、飛鳥の心と体が燃えるように熱かったのは加速神器の副作用でも怒りや殺意などでもない。自分の頬が真っ赤になっているのがわかる。単なる緊張と気恥ずかしさでしかないのだ。如何なる理屈があったところで自分が死ぬなんて考えない、どんな道理に阻まれようとこの先の未来がないなんて信じない。  自分達は三人と一匹と一羽で笑って帰るんだと、そう決めている。 「煌羅には」  快斗と飛鳥の前、獅子と竜人の肉体がゆっくりと融合していく。 「ポンデには」  加速神器、正義と暗黒。相反する二つの属性を溶け合わせたそれは。 「イサハヤには」  獅子の長刀と竜人の大砲を併せ持つ混沌の具現として顕現するその存在の名は。 「私には、アンタの代わりなんていないんだ──!!」  カオスモン。  目を見開いた時、視界にはそれがいた。  自らの同僚であり最後の名を冠する聖騎士にそれは酷似していた。だが英雄と謳われる聖騎士に比してそれは遥かに邪悪で禍々しき存在だった。まるで世界から存在すること自体を拒まれているかのように、全身には常にノイズが走り今にも肉体が砕け散って消えてしまいそうな不安定さでそこにいる。 (敵……?)  それの背後に立っている人間が目に入る。荒い呼吸と燃えるような目をした少年と、何度も泣き腫らした顔の少女。  見覚えがあるはずなのに思い出せない。少女の方は先程、自分のすぐ下で懺悔の言葉を発していた女である。父親が苦手だったとか嫌いだったとかそんな話、自分には関係ないし理解もできなかった。だって自分はロイヤルナイツのエグザモンなのだ、デジタルモンスターに父も母もいるわけがない。  そこまで考えてズキリと頭が痛んだ。父と母、お父さんとお母さん、何かを──忘れている気がした。 「ダークプロミネンス!」  聖騎士に酷似した混沌の戦士がその腕から暗黒闘気の弾丸を放ってくる。  躱すまでもないそれを、腕の槍を振るって弾く。ロイヤルナイツの中でも最大の体躯を誇る自分がそうするだけで、人間など容易く吹き飛ばしそうな突風が起き、少年と少女の体が大きくよろめく。それが何かマズいことのような気がして、エグザモンは慌てて槍の一閃を止めた。何故そうしてしまったのかは自分でもわからない。 (どうして……?)  混沌の戦士が左腕の長刀を掲げる。その腕に象られた獅子の顔を、見たことがある気がした。 (どうして……?)  大きな白い鳥が二人を庇うように舞い降りる。その鳥にも見覚えがあった。 (どうして……ですか)  エグザモンの視線が二人の携える小型デヴァイスへと行く。  知っていた。人間の心を糧にデジタルモンスターの力を高めるデジヴァイスの中でも、それは飛び切りの欠陥品であった。人間の心を、生命力を際限なく吸い取り大いなる力へと変換してデジモンに注ぐ、その代償にデジモンは人格データを損じて吸引した人間の心に上書きされる。かつてマトリクスエボリューションと呼ばれた人とデジモンの完全なる融合という奇跡、それを再現せんとした果ての失敗作だったはずだ。  そんな使えば死ぬ代物を、事もあろうにどうして彼らが持っていて。 (どうしてお二人が、それを持っているんですか……ッ!)  そしてその反動で死んだ人間を知る彼らが、どうして躊躇い無くあの二体を進化させているのか。  見れば混沌の聖騎士と同様、二人の男女の全身にもパリパリとノイズが走っている。この電子濃霧(デジタルフィールド)の中にあってさえ存在を許されていないような有様、まるで次の瞬間にでも消えてしまいそうな不安定な存在が今の彼らだった。彼らが何故ここまでするのか、その答えは明白だった。 (私を助ける為に……!)  それがわかるから、アノニマスは言葉が紡げない。だとしても違う、そんなことは望んでいない。 「覇王両断剣!」  その長刀を脇腹に打ち付けられる。混沌の者の攻撃はエグザモンの肉体にも十分に通用し得る。  続け様に放たれた複数の光弾が巨大な翼に直撃し、竜帝の体は大きくよろめいて胸から地面に墜落した。デジタルフィールドの中で在る以上、瓦礫も何も飛ばないはずだが、生身の人間としてこの場に立つ二人を庇うように巨鳥が黄金の障壁を張っている。 (痛い……痛い……痛い……っ!)  痛むのは体ではない。ギシギシと軋むのは他ならぬアノニマスとしての心。  あの二人を守ろうとしたのは、彼らに命を散らして欲しかったからじゃない。  ベルフェモンに挑んだのは、彼らにこんなことをして欲しかったからじゃない。  使命と戦いの中でのみ生きてきた自分に、どこか穏やかな平和を教えてくれたのは彼らだった。誰かに思われることがこんなに温かく心を満たしてくれるということを教えてくれたのは彼らだった。だからそんな彼らこそ、どこまでも平和で平穏に生き続けて欲しかったのに。  そして願わくば無事に帰れた時。  頑張ったねって褒めて欲しかったのに。流石は俺の娘だって頭を撫でて欲しかったのに。 (もし私が助かっても、快斗さん達に何かがあったら)  それは奇しくも。 (私は皆で一緒に帰れなきゃ、嫌なんです……!)  彼女の“母”と同じだった。 「煌羅……?」  竜帝の動きが鈍ったと感じた。四つの加速神器で操られているはずのエグザモンに、明確な自我が戻ったように見えた。  カオスモンの力ならこのままエグザモンを押し切って倒すことも可能かもしれない。だがそれでは煌羅を救うことはできない。元より自分達は竜帝を倒す為ではなく、ただ娘を取り戻す為にここまで来たのだ。  一年半前に煌羅が玉川白夜と語っていた言葉を思い出す。彼女は異世界の守護者の生まれ変わりか何かで、元々あのベルフェモンに滅ぼされた上で人とデジモンに分離したという。そしてそのベルフェモンが人間界で捕らえられたことで、その力を分析して四つの加速神器は生み出されたと聞いた。  正義、暗黒、自然、そして究極。それら四つが揃えば、もしかしたら。 「イサハヤ」  正面で金色のオーラを纏い自分達を守護しているヴァロドゥルモンに声をかける。  彼は頷くこともなくただ嘴の辺りから光に乗せてそれを飛鳥の手元まで飛ばしてきた。究極体への進化に伴い加速神器・自然で繋がったことで、自分の与り知らぬ場所でイサハヤが手にしたそれの存在を飛鳥は知った。手の内に収まった赤いそれは、イサハヤが半年前にスレイプモン、他ならぬエグザモンの同胞から託された加速神器・究極だった。  かつて母代わりだった女が持っていたのと同じそれを、飛鳥はグッと握り締める。 「ねえ快斗」  隣に並び立ちながら言う。 「私、お父様にずっとしてもらいたかったことがあるんだ」 「……どデカい別荘でも買ってもらうとかか?」 「それいいわね。買ってもらっとけば良かった。じゃなくて」  ちょっとだけ笑った。こんな状況なのに普段の自分達に戻れた気がした。 「だから煌羅には、それをしてあげたい」  別段大したことではない。ずっと願い続けたというわけでもない。  けれど父が死んだ時、漠然とああ一度もしてもらったことがなかったなと思ったのだ。普通の親子なら一度ぐらいはあるだろうそれを鮎川飛鳥は一度も経験したことがなかった。自覚したのが最近だから今更それをどうこう言うつもりはなかったが、せめて自分の子供にはそうしてあげたいと思うのは自然の帰結だった。 「してあげりゃいい。それは母さんの役目だろ」 「アンタもするのよ」  そうピシャリと言ってやると快斗は目を丸くした。本当にコイツはわかってない。 「アンタだけじゃない、ポンデもイサハヤも、皆で」  快斗の隣で加速神器を前方へ突き出した。自然と究極、二つの神器が光を放つ。 「……私達、家族なんだから」  目の前のヴァロドゥルモンが、そして究極に記録されたスレイプモンのデータが奔流となってカオスモンに降り注ぐ。制御し切れないエネルギーが漏れ出し、それによって形成される竜帝を覆わんばかりの巨大な腕を得た混沌は、更なる究極の混沌として君臨する。  死ぬわけがない。きっと元通りの自分達に戻れる。そう信じている。  それでも一抹の不安はある。二人がかりとはいえ四つの神器に同時に力を注ぎ込んだ人間などいない。今にも肉体に限界が来て桂木霧江のように吐血して果てるか、父や車田香のように精神か肉体が消え失せるかもしれない。それら全ては覚悟の上、自分達はこの先ずっとその不安と戦っていかなければならないし、それだけの覚悟を持って今この場所にいる。そしてポンデとイサハヤが自分達の命を食うはずがないと知っていても、そこに恐怖が一切ないかと聞かれれば嘘だ。  それでもきっと、自分達なら乗り越えられる。 「ハニー」 「ハニー……言うな」  だって一緒に背負っていくのだ。これまでも、そしてこれからも。 「長生きしろよな」  どこまでも届く腕。  何もかもを掴む腕。 「……快斗もね」  それを以ってただ竜帝を抱き締める。  孤独に戦い続けた少女を労わるように、慈しむように。 「お疲れ様、煌羅」    21世紀である。  この日、人の世は新たなる世紀に突入した。世界中の人々が熱気に包まれ、新しい時代の到来を祝福した。戦争と核の脅威に苛まれてきた時代は終わりを告げ、今度こそ誰もが平和な世界が続くことを夢見て。  熱狂する人々は枚挙に暇が無い。その全てを語り尽くすなど不可能だ。 「お二人とも早く来てくださいー!」 「げ、元気ね煌羅……」 「一年半も寝てたんですから当然です! むしろお二人はなんでそんなに疲れてるんですか!?」 「それを言うかよ煌羅……グー」 「うわ俺の背中で寝るなポンデ! 重い!」 「ふむ。ではこの寝坊助は飛べる私が運んでいくとしようか」 「いやアンタは動かずぬいぐるみやってなさいよイサハヤ」 「お、おのれ……」 「やっぱ紅白を最後まで見たのはミスったよなー」 「そうね。カウントダウンLIVEも色々回してたし……」 「もー! わかってるんですか! 今日は百年に一度のイベントですよ!」 「楽しそうだな、煌羅」 「当然です!」 「それはどうして?」 「だって初めてですよ、家族(みんな)で初日の出なんて!」  それでも。  新しい世紀の初日の出を見るべく真っ暗な道を行く人々の中に。  そんな家族と一匹と一羽の姿があったことは。  明記すべき価値のあることだと思う。  天気予報によれば、本日ハ晴天ナリ。  霧の晴れた東京。きっと雲一つ無い青空が、視界いっぱいに広がることだろう。 ◇ 【後書き】  というわけで、本作はこれにて完結となります。夏P(ナッピー)です。  最後までお付き合い頂いた皆様に感謝を、あと何より投稿場所を提供いただいたデジモン創作サロンにも何にも勝る感謝を。2010年頃にプロローグと1話2話だけ雑に書いてずっと放置していた作品ですが、ふと先々月に「プロローグの年代来ちゃったじゃん!」と気付かされてそこからは一気に書き上げさせてもらいました。やはり自分には締め切りとノルマ持たせた方が執筆スムーズに行くな……。  そんなわけで、飛鳥と快斗と煌羅の物語はひとまずの完結です。何か忘れてねーかとなったあなたはきっと正しい。  それでは、また機会があれば別作品にて。また他の方の作品に感想書かせて頂きたく思います。 ←前の話       FASE.1       次の話→
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夏P(ナッピー)
2022年9月05日
In デジモン創作サロン
←前の話       FASE.1       次の話→ ◇  目撃者がいないことを確認した後、光ヶ丘の自宅マンションから飛び出した。  イサハヤをぬいぐるみ扱いして電車に乗るより余程いい。彼と出会って以降、こうした形で空を往くのはまだ二回目だが、きっと自分達が一緒にいる限り今後何度も似たような機会は訪れるだろう。  その時は必ず、皆で一緒にいたい。そう思う。 「……っ!」  風圧と僅かな逡巡で思わず右手で目尻を拭った。  家から持ち出してきたゴーグルはスキー用のもので、用途が違うような気がしたがそこに構う余裕はない。実際、目元の風を防ぐ分には問題ないようだった。  眼下に見える都内はどこもかしこも大盛況らしい。百年に一度のイベントとなればそれも当然か。飛鳥も友人達からカウントダウンイベントに誘われたが、今回ばかりは固持した。成美と美々は不思議そうな顔をしていた一方、仁子はなんとなく事情を察したように快諾してくれた。  逃げられない日だった。けれど逃げるつもりは毛頭ない。  目指すはお台場、その先の東京湾の霧の中で眠る竜帝。恐らくは既にそこにいるであろう玉川白夜が立ち塞がることも予測できるが、正直言って飛鳥は全くの無策である。この半年考えに考え抜いたつもりだが、何らアイデアは浮かばなかった。  だから持つのは己とイサハヤの身一つ。  人間とデジモン、ただ心と体だけを武器としてお台場を目指す。  今日は西暦2000年12月31日。  20世紀最後の日。  一人の男が命を懸けて封じた竜帝が、再び目覚める日。 『本日ハ晴天ナリ。』 ―――――FASE.9 「本日ハ晴天ナリ(前)」  富士樹海にどこからともなく霧を纏う巨大な怪物が現れた。  政府がその化け物を捕らえ、何かに利用しようとしている。  一昨年に短期間ながら、そんな噂が流れた時期があった。黎明期のインターネット界隈にありがちな都市伝説でしかないと思っていた。だが掲示板での交流を経て、やがてメールのやり取りをするような関係となった仲間と共に協力して調査を進めていく仲で、漠然とだがある可能性が見えてきていた。  この二年間、突発的な霧は関東地方、特に東京を中心に幾度も確認されている。何人かの仲間が足を踏み入れてみたものの何も確認できなかったというが、昨年にはとうとう新宿の中心部にすら発生したという。  自然発生では有り得ない。どう考えても人為的な何かが絡んでいるのは明らかだ。  とはいえ、その時点までは単なる興味本位だった。だからそれを本格的に調査してみようと思った契機はと言えば、それは静岡の片田舎である自分の地元でその霧が発生したからに他ならない。 『よう、久し振りだな』  そしてそこから出てきたのは、自分の幼馴染とその“娘”だったのだ。  本人達は誤魔化せていると思ったらしいが、彼ら二人が連れていた子猫はどう見ても一般的に知られる猫とは違っていた。そしてその子猫と同時期に地元に現れた“娘”もまた、恐らくは普通の人間ではないのだろう。  面白いと思った。まさか事態に絡んでいるのがあの前田快斗とは。  そこからの行動は迅速だった。元々互いの親同士の交流が深い相手である、特に前田家の両親は地元でも稀代の脳天気と謳われた夫婦であり、当人もお喋りと来ている。故に快斗の行動を聞き出すことなど容易だった。息子が年端も行かない少女を突然連れてきたことさえ大して気にしていないのだから別の意味で驚かされた。  やがて見えた繋がりは、快斗が一昨年のクリスマスに出会ったという少女だった。名前を鮎川飛鳥。東京の光ヶ丘に住む凡庸な女子高生だが、同時に彼女は快斗と“娘”を共有しているらしい。どうにかして彼女とコンタクトを取りたい。そう思っていた時、仲間内の一人から情報が届いた。  1998年7月、光ヶ丘で巨大な怪物が暴れていると。  東京に“娘”と出かけたらしい前田快斗。恐らく会う相手は光ヶ丘に住んでいる鮎川飛鳥だろう。そしてそこに現れたという魔獣。全てが一本の線に繋がっていくようだった。どうしたわけかニュースには出なかったが、そのことが逆に事の重大さを教えていた。数日後に静岡へ戻ってきた快斗の隣に、あの“娘”がいなかったことも裏付けだ。  消沈した様子の快斗からこれ以上の情報は取れないと思った。そもそも自分達はもう高校入学以降疎遠なのだ。  だから次にターゲットとして定めたのは鮎川飛鳥だった。元より高校卒業後は東京で一人暮らしをするつもりである。だから模試で文句なしのA判定を突き付けて、両親に一年早く独居の許可を得た上で彼女の通う平凡な高校へと編入した。  風変わりな奴と見られただろうが関係ない。目的は鮎川飛鳥だけだったからだ。 『ごめんなさい』  事をスムーズに運ぼうと交際を申し込んだ時、即座にそう断られた。  思った以上に鮎川飛鳥の前田快斗への思いが強かったらしいことに驚かされたが、その時の彼女は東京湾に長らく発生し続けている霧の方を見ていた。そして彼女自身気付いていないらしかったが、鮎川飛鳥が身に付けていた黄色い装置がその時淡い輝きを放っていた。  それは静岡に戻ってきた時、前田快斗が握っていた黒いそれと同じものだったはずだ。  舞台は光ヶ丘からお台場へと移ったらしい。そして恐らくは今年中、今世紀中に全ての決着が付くはずだ。 「……来たかい」  そして今、お台場にいる自分の視線の先を大きな鳥が飛んでいく。  誰も気付かないだろうが、あれには恐らく鮎川飛鳥が乗っている。霧の向こう側、ただの人間では何ら関知できぬ場所にいる“娘”を救う為に。今の何の力も持たない自分では関われない領域に飛んでいく彼女を見やり、不知火士朗は思案する。  さて、どうしたものか。  東京湾に発生した濃霧は今も変わらず、ただドーム状にそこにある。 「突っ込むぞ」  足下から聞こえるイサハヤの声に答えない。  一年前からそうすると決めていた。玉川白夜の手で眠る竜帝エグザモンが目覚める前に、自分達の手で何とかしなければ。しかし何を? どうやって? その答えを今なお鮎川飛鳥は持ち合わせていない。そもそも自分達だけではエグザモンどころか白夜のタイラントカブテリモンにも敵わないというのに。  それでも動かずにはいられない。飛鳥も、そしてイサハヤも。 「つっ……!」  ゴーグルを装着しながらも突入時に思わず目を閉じた。両頬に吹き付ける水分に顔を顰めながらも程なくして鎌首を擡げたままの竜帝の姿が見えてくる。その光景を前にして別世界のようだと飛鳥は思う。霧の中に飛び込んだ途端、自分が異世界に召喚されたような気分になってくる。  デジタルフィールド。この霧はそう呼ばれているとイサハヤに聞いた。  実際のところ、別世界という認識もそう間違っていない。他の人間の誰もが侵入したところで、何もない空間を目にするだけで竜帝の姿を認識することはできない。資格が要るのだ。デジタルモンスターと共に突入するか、デジヴァイスを所持しているかのどちらかの資格が。故に今この国でエグザモンと相対できるのは、行方を晦ました残り二つの加速神器の持ち主を除けば前田快斗と鮎川飛鳥のみ。  そしてアイツは来ない。だから挑めるのは自分一人だけだった。 「飛鳥、来たぞ!」  イサハヤの声が飛ぶ。エグザモンの周囲から無数の黒い軍勢が出現する。  それは緑と青、二色に彩られた数多の竜だった。  緑の方は幾度か見たコアドラモンのジンライ、翼を持ちながら飛行能力はないはずだが霧の底は海面のはずなのに、デジタルフィールドの中ではその限りではないのかまるで大地のように両足を踏み締めて駆けてくる。  一方で青い軍勢はジンライと似た特徴を持ちながらも飛行能力を持つらしい。雲霞の如く押し寄せる様は悪魔の配下のようだ。 「煌羅……」  それらは全て、エグザモンが召喚する兵士である。  明確な拒絶の意思がそこにはある。それが煌羅の意思でなくとも自分を拒むかのような挙動は少なからず飛鳥の心を折らんとする。自分達が彼女を救おうとするのは飽く迄も自分達のエゴでしかなく、彼女はそれを望んでいないかのような── 「迷うな!」  けれどそんな逡巡は頼もしいパートナーの一声で打ち消される。  そうだ、迷っている暇なんてない。自分は彼女を助けると決めた、それがエゴだろうと自分がそうしたいからだ。そこに相手の気持ちが介在する余地はない。自分がこうしたいからこうする、ただそれだけを考えて今ここに来た。  手を掲げた。ジンライと同じ姿をした者達に向けて。 「甕布都神!」  ヤタガラモンの前足から放たれるエネルギー波が地と空、上下より接近してくる竜を薙ぎ払う。瞬時に0と1の塊となって砕け散る彼らの姿を一瞥して更に八咫烏は竜帝に接近する。あれがジンライと同じ種族であれば成熟期である。どれだけ数が多かろうと完全体のイサハヤなら十分に対抗できるはずだ。  しかし問題は竜帝に取り付いたとして如何なる手段で煌羅を解放するか、であったが。 「……ハッ……!?」 「エクスプロードソニックランス!」  どれほどのコアドラモンを倒した頃だろうか。突如として飛来した巨大な影からイサハヤが身を捩って逃れ、飛鳥は危うく振り落とされそうになる。  すぐに体勢を立て直すイサハヤの背で、飛鳥は現れた新たな敵の視界を認める。気付けば地と空のコアドラモンは随分と数を減らしていた。だが自分達が倒したことで減ったのではない。エグザモンが召喚する個体が明確に減少しているのだ。数にして先程の三分の一以下といったところ。そしてその代わりに先と同様に地と空をそれぞれ統べるのは、完全体へと進化を果たした青と緑の竜。 「どうやら量より質を取ってきたと見える」 「……大丈夫なの?」 「大丈夫じゃなかったらどうする?」 「何とかして」 「……フ、上等!」  やることは変わらない。どちらにせよ今の自分にできることは何が立ち塞がろうと全てを振り払ってエグザモンに辿り着くことだ。  それに。  確信があるのだ。イサハヤはこんな奴らには負けない。向こうの世界に住む彼らもイサハヤと同じように喜び、怒り、悲しみ、そして笑って生きているはずなのだ。だから今こうして如何なる戦力差だろうと戦える、意思無きマシーンのように動く奴らに自分達が負けるはずがない。  甕布都神で上から迫るウイングドラモンを撃ち落とし。  羽黒で地のグラウンドラモンの視界を奪った上で爪の一撃を浴びせる。 「煌羅……!」  届かせる。もう少しで手が届く。  ただそれだけの思いを胸に、鮎川飛鳥とイサハヤは目の前の敵をひたすら薙ぎ払う。直撃させれば同じ完全体も十分に倒せる甕布都神で少しずつでも敵の数を減らしていく。 「がっ……!」  だがその時、突然真下からの衝撃が来てイサハヤが呻く。  不意打ちに近いそれによってヤタガラモンの背中から跳ねた飛鳥は、咄嗟にパートナーの背にしがみ付くも力を失ったイサハヤの体はゆっくりと落下していく。  あと少しなのに。あと少しでエグザモンまで手が届くのに。 「……アンタは……」  霧の底は果たして足で踏み締めることができた。  うつ伏せに叩き付けられたイサハヤの背から投げ出され、地面を転がった飛鳥は全身をビリビリと駆け抜ける痛みに顔を顰めながらも現れた敵の姿に目をやった。そこに音もなく佇むそれは、ウイングドラモンでもグラウンドラモンでもない。況してやジンライの如何なる進化形態にも属さない。  深き森を統べると呼ばれた昆虫族の王、故にその名を。 「タイラント……カブテリモン」  確か煌羅がそう言っていた。どう見てもカブトムシには見えなかったが。 「まさか一人で来るとはな。それは勇気ではなく蛮勇と呼ぶべきか」  エグザモンの前に立つ一人の男。それこそが最後に立ちはだかるべき敵であった。 「玉川なんたら……」 「白夜だ」  心外だとでも言うかのように鼻を鳴らす玉川白夜。 「完全体の身の上で我々を止めに来たのか」 「は? 我々?」  イラッと来た。 「……アンタと煌羅を勝手に括らないでよ」 「括るさ。私とエグザモンは言わばパートナー、運命共同体だからな」  挑発のつもりがあるのかないのか。  絶対的な優位に立つ男の顔は涼しげで、自らの敗北を疑いもしない。けれど実際、それは覆し様のない事実だ。ヤタガラモンではタイラントカブテリモンを倒すことはできない。  技を使う気すらないのか、その拳のみでタイラントカブテリモンがイサハヤを嬲る。飛行能力さえ奪えばその身は攻撃力も耐久力も特筆すべきものはない。究極体で完全体を甚振ることに、シャインオブビーもビーサイクロンも必要ない。 「あの小僧にも見捨てられたか。いや小僧の方が逃げたのか。この場にいるのは惨めな小娘ただ一人……つまり今日今ここが、間違いなくお前の死に場所ということ。まさかあの九条兵衛の娘がこの体たらくとは、天国でお父上も嘆いているだろうよ」 「うっさい……うっさいうっさいうっさい!」  自分を思ってくれた彼を、命を懸けて計画を阻んだ父を嘲る。  何も知らない癖に。  何も知らない癖に。  何も知らない癖に。  タイラントカブテリモンが既に虫の息のイサハヤを放り投げる。  全身の電子骨格(ワイヤーフレーム)を砕かれた肉体はもう飛ぶどころかまともに立ち上がることすら不可能。無様に仰向けに倒れてコポコポと嘴の間から奇妙な色の血を滴らせるイサハヤの姿はあまりにも惨めで、飛鳥に自分達の見通しが如何に甘かったかを悟らせるには十分だった。 「愚か」  だから敢えて最後まで嘲ろう。 「所詮お前はデジタルモンスターの価値を知らぬ小娘だったのだ」  そもそも一年半前に殺しておくべきだった。 「くだらぬ意地と正義感のみでモンスターを使役するなど凡小にも程がある。私ならそいつを上手く使ってやれたぞ小娘。娘を救うなどという綺麗事に付き合わせず、その飛行能力を己が役に立てられた。そうだ小娘、デジタルモンスターの力を私利私欲の為に使う方がまだ建設的なのだ。反吐が出るような戯れ言に付き合わせて敗死する、そんな愚行は見るに耐えん」  偉大なる力。デジタルモンスターを玉川白夜はそう捉えていた。  この世界に生きる如何なる生物をも凌駕する能力と生命力。それらを理解した上で自在に使役できることができれば、それは恐らく人類史において最大の発見となるだろう。人類の道具として、兵器として。  そしてだからこそ、その価値を理解しない小娘を憎悪する。 「ち、違う……イサハヤは、イサハヤは私の……!」  言葉が続かない。パートナーと言ってくれた。最後まで付き合うと言ってくれた。  それでも結果はこれだ。自分を信じてくれた彼を傷付けることが目的だったのか。自分は最後まで身の程知らずに彼を死に至らしめることしかできなかったのではないか。 「子供に付き合う義理はない。小娘、お前は先に逝け」  目の前に佇むタイラントカブテリモンの全身に熱が迸る。イサハヤには決して使わなかったシャインオブビー。あんなものを受ければ自分の体など骨も遺さず一瞬で溶解する。 「あっ……」  自分はここで死ぬのか? 何も果たせず、何も守れずに?  不思議と恐怖はない。だが心残りは数え切れないほどある。誘いを断ってしまった友人達や先に逝った桂木霧江や小金井将美の顔が浮かぶ。生まれてからずっと、自分の出自に劣等感を持ち続けた鮎川飛鳥の生は、最後まで何ら為せずに終わるのか。自分の思いも戦いも何も残さず消え失せる運命なのか。  違う。終わりたくなんてない。  だって見ていないのだ。全てアイツに任せてしまったから、全てアイツ頼りだったから、自分は一度としてあの子がどんな暮らしをしていたのかを知らない。あの子が暮らしの中でどんな風に笑って泣いて怒るのか、それを間近で見ていない。見られていない。  夢を見るのだ。あの子がアイツの左手と自分の右手を握って寂れた商店街を歩いて行く。その両側をポンデとイサハヤが並んで歩く、そんな今まで一度もなかった、けれどいつかは訪れて欲しい、そんな夢を。 「いや……煌羅……! 煌羅ぁ……っ!」  だから死にたくない。それでも動けない。ただ無力さに苛まれて。 「消えろ、小娘」  タイラントカブテリモンから灼熱の奔流が放たれた。  夢を見ていた。  この世界で温かな思いに囲まれて生きている時、いつだって自分の中には諦観があった。自分は純粋な人間ではないと、いつかそれを知られて拒絶される日が来るのではないかと。  荒廃した世界に未練はない。人と関わるのをやめたあの世界は荒れ果て、いずれ遠くない未来に滅亡の時を迎えるだろう。元々人間の影響がなければ存在し得なかった世界なのだ。それが人為的なものでなければ世界は自然の成り行きに任せるべきである以上、そこに聖騎士として介在する余地はない。  だから考えるのは自分を含めたあの世界で生まれ育った皆のことだ。  皆がこの世界に移住できるわけではない。人間は制御できない怪物としてのデジタルモンスターを恐れるだろう。またはその強大な力を利用しようとするだろう。今の自分が陥っている状況がまさにそれだった。かと言って世界と諸共に滅びていいかと聞かれれば、それもまた断じて否である。  世界とは人だからだ。人が生きる場所が即ち世界だと思うからだ。  あのデジヴァイスを四つ埋め込まれた時から、己の中に一つの意思が生まれ始めている。滅び行く世界の皆を救う為、罪無き命の生きる場所を築き上げる為、この人間の生きる世界を壊せと。この世界をデジタルモンスターの生きる世界にせよと。  お前はロイヤルナイツだろう? お前は皆を救うべく在る者だろう? (違う……! 違う……っ!)  心ではそう思っていても抗えない。人かデジモンかと問われれば迷わず後者を取るようにエグザモンは作られている。  今のこの世界にも自分の大切なものはあるはずなのに。  人間にだって温かさを与えてくれる者はいるはずなのに。 「煌羅……っ! 煌羅ぁ……っ!」  聞こえる。自分を呼ぶ声が。  そのどこか苛つく女の声が誰のものか、よく思い出せなかった。  見た。海風の中ではためく黒い装束を。  見た。どこか遠い日の父に似た背中を。 「えっ……!?」  生きている。飛鳥自身も、後ろで倒れているイサハヤも。タイラントカブテリモンが放つシャインオブビーは間違いなく諸共に自分達を消し飛ばして然るべきだったはずなのに。 「貴様……!」  苛立ちの混ざった玉川白夜の声は、突如現れた乱入者に向けて。  見間違えるはずがない。飛鳥を庇うように立っているのは、前田快斗以外に有り得ない。その隣に並び立つのはローダーレオモンではなく、見たことのない黒い装束を纏った獅子であったが。 「快斗……! それに、ポンデなの……!?」  快斗もポンデも答えない。振り返ることすらしない。  違和感がある。その背中は間違いなく今ここに一緒に来て欲しかったアイツのものであるはずなのに、それでも求めていたアイツの姿とはどこか違っていた。  飛鳥の知る前田快斗は、もっと軽薄で陽気でお気楽な男だったはずなのに。 「グオオオオオオ!!」  吼える。その咆哮は快斗とポンデ双方から。 「え、快斗……?」  明らかに人ではない獣の叫び声。それは飛鳥の知る快斗ともポンデとも違う。それぞれが二本の足で大地を踏み締めると、獅子の全身から炎の如きエネルギーが吹き荒れる。実際の熱エネルギーとして放たれたそれが飛鳥の視界を灼熱に染め上げる。立っていられずヨロヨロと情けなく跪く形となった。  この光景をどこかで見たことがあった気がした。  この光景をもう二度と見たくなかった気がした。 「……行けよ」 「えっ……」 「先に行ってろよ、煌羅のとこに」  聞こえてきた声は以前と変わらない彼と変わらなかったが、それでも。 「ちょ、ちょっと待って快斗、アンタなんか変……」 「行けっつってんだ!!」 「……っ……!」  響く怒声にビクッと震えた。  間違いなく普段の彼とは何かが違うのに、それを聞くことさえさせてくれない。  その背中が告げている。これ以上詮索するなと。 「俺もコイツを片付けたら行く。……早く行け、煌羅のところに」 「う、うん」  ふらつく体を引き起こして彼に背を向けてエグザモンの方へ走る。  最後まで彼は、飛鳥に目を向けることすらなかった。  数秒だけ瞑目して目を開くと、目の前の男が嗤っていた。 「いい覚悟だ。やはり貴様はあの小娘よりはデジタルモンスターを正しく理解していると見える」 「……理解って何だよ」  全身が燃え上がるように熱い。  いや実際に燃えているのだ。前田快斗は今、内部から溶解を始めている。  ある程度の覚悟をしてこの場に来たつもりだった。だが今の自分の中の灼熱は思い描いていたより遥かに強烈だ。視界は己の炎に焼かれて赤銅色に染め上がり、今自分が見ているのが自分の瞳に映っているものなのか隣に立つポンデのそれなのかすら判別できない。 「人工体ではなく実際に出会ったモンスターに対しても加速神器は作用するのだな」  見抜かれている。右手に握った青き神器をグッと握り締めた。 「月影のものを貴様が持っている経緯は敢えて聞かんが、あの子猫の意思はもうそこな究極体にはあるまい。つまりお前にとって今、そのデジタルモンスターは完全な手足も同然、言い換えればお前はデジモンを支配したということ」 「最初から……その目的の為にこれを作ったんだな」 「無論だ。魔王を見ればわかるだろう、世界をも滅ぼせる強大な力だぞ。あれを我が物としたくない人間がどこにいると言う?」  視界が明滅する。立っているだけで眼球が爆発しそうだ。  なるほど、男の言う通りもうポンデは喋らない。明確な意思を示すこともない。そして今の快斗には自分がポンデと、バンチョーレオモンと一体化したような感覚さえある。意識を集中させればその手足を己のものであるかのように使うことができるだろう。  これが加速神器・正義の力。あの男もずっと、こんな感覚の中で生きてきたのか。 「いいデータが取れた。貴様の神器を回収して──」 「そりゃ無理だぜ」 「……何?」 「アンタは大きな勘違いをしている」  フゥと大きく息を吸った。  元より前田快斗の心と視界が燃えているのは神器の作用などではない。 (きっと今の俺は……醜い顔をしているんだろうな)  それをアイツには、飛鳥には見せられない。  手に握る加速神器を自分に託した男の姿が脳裏に過る。目の前の男に利用された月影銀河は恐らく自分と友人達の命が尽きると気付いた時からこの怒りの中で生きていた。視界に映る全てを焼き尽くして余りある憤怒、それを己が心力のみで制御してサーベルレオモンを使役し、光ヶ丘に現れたグランドラクモンとも戦った末に大切な人の尊厳だけは守り抜いた。  だが前田快斗は違う。この怒りを制御する必要はない。 「貴様、何を言っている」  何故なら目の前に玉川白夜が、その怒りをぶつけるべき相手がいるのだ。 「一つ。人間とデジモンの命を散々弄びやがったこと」  見据えるのは目の前の男と使役される深き森の王の姿のみ。 「一つ。俺の娘を晒し者にしやがったこと」  怒りと同時に歓喜が湧き上がる。それが自分のものなのかポンデの感情なのかも曖昧で。 「一つ。俺の女を泣かせたこと」  一瞬の瞑目の後に目を開いた。  躊躇う必要はない。ただバンチョーレオモン(おのれ)の力を振るうだけ。 「ジジイ。……テメーは殺す」  ただ、それだけ。 ◇ ・前田 快斗(まえだ かいと) 主人公その2。17歳(2000年12月31日時点)。 静岡県のある名士のドラ息子。明るくノリ良く馴れ馴れしい軽薄な男だが、1998年のクリスマスに飛鳥及び煌羅と出会ったことで運命が動き出す。口の軽さは天下一品ながら実際には軽口を叩きつつ冷静に物事を判断する気質を持っており、飛鳥とは正反対である。当初は飛鳥をハニーと呼んでいたがいつしか呼ばなくなっていた。 パートナーはバンチョーレオモン“ポンデ”。 ・鮎川 飛鳥(あゆかわ あすか) 主人公その1。18歳(2000年12月31日時点)。 都内の平凡な女子高生。次期総理大臣とも言われた政治家・九条兵衛の隠し子。ナンパしてきた快斗と共に煌羅と出会い、疑似的な家族となることでデジタルモンスターを巡る戦いに巻き込まれていく。凡庸な自分に劣等感を抱えており、内面の空虚さを真っ直ぐさや直向きさで塗り固めている辺り、後の彼女自身の息子にそっくりな気質。 パートナーはヤタガラモン“イサハヤ”。 【後書き】  サヴァイブの公式HPに追加情報来て歓喜している夏P(ナッピー)です。  というわけで最終決戦です。もうちょいサクッと纏めたかったという無念がありますが、ここまで登場させられていなかったコアドラモン青側のルートを出せただけで割と満足。一方でタイラントカブテリモンは改めて描こうとすると、チートぞろいのアクセルデジモンの中では能力と設定が些か地味だ……ラスボスの使役するデジモンなのでこっそり色々盛れば良かったと少し後悔しています。  次回がひとまずの最終話、最後までお付き合いくださいませ。 ←前の話       FASE.1       次の話→
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夏P(ナッピー)
2022年8月30日
In デジモン創作サロン
←前の話       FASE.1       次の話→ ◇ 「……言い忘れてたんだけど、私さ」  冬空のお台場で隣の男に呟く。 「多分大学の推薦、貰えると思うんだ」 「そっか」  知らなかった。そう言いたげに空を振り仰いで一言。 「おめでとう」 「……ありがと」  交わす言葉はそれだけ。  普段の自分達──それがとても遠く感じる──ならきっともっと互いにふざけた掛け合いをするはずなのにそれがない。まだ半年程度しか経っていないが、死に物狂いで苦手な数学を頑張ったのも遠い昔のことのようだった。  ポンデとイサハヤの姿はない。あの光ヶ丘での戦いは世間ではどうしたわけか報じられることはなく、デジタルモンスターの存在も世間には知られていないらしかったが念の為だ。死人が確認されなかったのも幸いしたのだろう。団地からの火の不始末による大火災、そんな扱いで事態は収束しつつあった。とはいえ、そこで死んだ人間も行方不明となった人間も知っている二人からすれば、それらの報道は鼻で笑ってしまうぐらい白々しいものとしか思えなかった。 「アンタは?」 「うん?」 「アンタは高校卒業した後、どうするの?」  確か同学年だったと思うが、そこを聞いたことはなかった。 「決めてねーな。まだ一年以上あるしな」 「それはそうだけどね。でも一年って意外とあっという間よ?」 「そうだな」  会話が弾まない。去年から電話でも実際に会ってもずっとそうだった。  煌羅がいない。それだけでこんなにも自分達は空虚になる。考えてみれば当たり前のことだったが、それを認めてしまうとあの子がいなくなったことを否応にも突き付けられているようで互いに口に出せなかった。  いつか今までみたいに、そう思い続けてきたのに。 「……なあ」  かつてない前田快斗の真剣な顔。  この半年間、一度も晴れたことのない霧に包まれた東京湾が見える。きっとあの向こうに煌羅が眠っている。犠牲にしてきた人達の命に報いる為にも、あの玉川白夜の思い通りにさせない為にも、そして何より彼女を取り戻したいと願う自分の為にも、いつかあの霧の先へ行かなければならない。  そしてそれはきっと、目の前の男も同じだと思っていたのに。 「もう……無理だと思うぜ」  なのに彼は、そんなことを言ったのだ。  西暦2000年1月1日。  そんな会話から、彼らの20世紀最後の年は始まった。 『本日ハ晴天ナリ。』 ―――――FASE.8 「メロス」  惨めに涙を流して呟く飛鳥を視界の端に捉えながら。 『煌羅……』  快斗は空を覆い尽くす“娘”の姿を見上げた。 『この力があれば世界をこの手に収めたも同然だ!』  世迷い言を謳い上げる老人の言葉など耳に入らない。  知らない。そんなことは知らない。  ただ自分は、彼女達と面白おかしく過ごせればそれで良かったのに。 『さあ始まりだエグザモン。手始めに足下にいる蝿を、哀れな家族ごっこに興じてきた小僧どもを薙ぎ払ってやれ!』  動く。竜帝の首がゆっくりとこちらに向く。  炎の中に照り映えるエメラルドの瞳に意思はない。自分達より遙かに真面目で賢く理性的だった娘の輝きはない。きっと次の瞬間には口から放たれる炎か何かで自分達は骨も残さず消し飛ばされるだろう。目の前に在るのは視界を埋める巨大な竜、加速神器の力で玉川白夜に支配された強大な力そのものだった。  勝てない。そもそも煌羅と戦うことなんてできるわけがないのだ。 『……かつて、そうやって娘から目を背けた男を、私は知っている』  影が差す。誰かが跪いた自分の前に、竜帝から自分を庇うように立っている。 『日々の仕事とかつて掲げた夢、それらに忙殺されたと言うのは簡単だ。そしてそれが必ず娘の為にもなると信じてきた。だがそれは逃げでしかなかった……本当の意味で男は、娘と向き合ったことなど一度もなかったのだから』 『どこかで聞いたような話だな、お義父様』 『……貴様にお義父様と呼ばれる筋合いはない』  立つ。斯様な舞台にいるべき男ではないのに。  既にタイラントカブテリモンに全身を焼かれて死に体のはずなのに。  それどころかダークドラモンにDNAを与え続けたその肉体はとうに限界だろうに。 『だが──』  それでも九条兵衛は立つ。娘と、恐らくは娘が懇意にしている若僧を庇うかのように。  何故公にできなかったのかと思う。自分のどこかに引け目があったのだ。それでも娘を、生まれたばかりの飛鳥を見た日のことだけは今も覚えている。初めて全てにおいて優先すべきものを見つけた気がした。彼女が生きる世界を、新世紀のこの国を必ず豊かにしてみせると誓った。自らの命に代えても、娘を守ろうと心に決めたのだ。  ダークドラモンも立つ。意思はない。エグザモンと同じだ。加速神器で育てられた彼には元より心などない。 『ほう……最後まで抗いますか、叔父上』  それでも立ち上がるのをやめなかったのは、ダークドラモンの心である九条兵衛が決して屈しなかったからだ。  エグザモンの標的が変わる。いや変える必要などない。あまりにも巨大な竜帝なら敢えてターゲットを変更する必要もなくその場にいる全員を薙ぎ払える。だからそれは僅かな逡巡に他ならない、二組の男女と成長期、彼らのついでで倒せるほど九条兵衛とダークドラモンは甘くないと認識したからだ。 『──………ぞ』  声を聞き、快斗は顔を上げた。  僅かに振り返った男の最後の目は娘ではなく。  他でもない前田快斗に向けられていたから。 『突風<ブラスト>!!』  右の掌に押し当てられ、加速神器・暗黒が光を放つ。  輝いているのは神器だけではない、そして神器が吸うのは生命力だけではない。男の存在そのものすら吸引して輝きを放つ神器を通じて、九条兵衛の心と体がダークドラモンへ注がれていく。焼け焦げた全身が見る見る内に治癒していき、死にかけた体にも力が戻る。 『お父様……!? なんで……!』  父は最後まで娘を見なかった。きっとそれが男の矜持だったのだ。 『まさか……九条兵衛ともあろう御方が、小僧と小娘の為に命を投げ打つとは』  僅かながらも玉川白夜もまた初めての困惑を見せる。 『グオオオオオオオ!!』  初めての咆哮を上げるダークドラモン。  それはまるで。  心を得た歓喜の叫びのように、人の世に生まれ落ちた赤ん坊のように。  春が来て高校三年生になった。 「およ、同じクラスは飛鳥だけかぁ~」 「いや仁子、去年から変わんないでしょ選択科目的に」  始業式の教室で陽気にピョコピョコ走ってきた友人に飛鳥は顔を顰める。  いよいよ受験生である。正直言って、まだ進路など全く定まっていない飛鳥だが、どうも春休みが終わって顔を合わせたクラスメイト達の顔は知らない間に随分と引き締まっているように見え、改めて自分達もその学年になったのだと実感するのだが、その一方で目の前の友人は全く変わらない。  前の席に勝手に座るとそのまま飛鳥の机に肘を乗せてくる。 「今年も宜しくだねー」 「……そうね」  悩みなどなさそうな彼女の姿を見るとホッとする。 「仁子は新しい彼氏とどうなのよ、最近」  だから自然、そんなことを聞いてしまっていた。 「普通にラブラブだけど……珍しいね、飛鳥がそんなこと聞くの」 「そうかしら」  不思議そうに首を傾げる仁子から窓の外へ目を向けた。曇り空の下、朝練を終えて戻ってくる運動部の姿が見える。 「う~ん、ウチが言うのはズルいのかもしれないけど」  仁子はその飛鳥の視線を追うように校庭に目をやりつつ。 「何がズルいのよ」 「カイちゃんとさ、何かあった?」 「……え?」  そんな言葉だけで飛鳥の呼吸を止めていた。  思わず擦った右の手の甲がじんわりと痛んだ。もう三ヶ月が経つが、あの時の痛みは未だに飛鳥の中で消えることはない。初めて人を自分から殴ったし、それ以来一度も口を利いていない。きっと自分達はこのまま終わるのだろうとぼんやり思い続けていた。 「前田のカイちゃん。……何かあった?」  そしてそんな飛鳥の心を見透かしたように、親友の一人は顔を覗き込んでくるのだ。 「ど、どうしてアイツの名前まで知ってるのアンタ……!」 「あれ? ……言ってなかったかな」  毎日を楽しそうに生きているニコニコとした満面の笑みで仁子は続ける。 「あの女好き、実はウチの従兄弟なの」 「……は?」 「ついでに言っとくと。……快ちゃんと飛鳥が泊まった家、あの馬鹿は多分バアちゃんの家とか言ったと思うけど、実はウチの家なんだよね」 「……はぁ?」 「つまりですよ、つまり。飛鳥は最初から私の掌の中で踊らされていたのだぁ~!」 「ハァ――――――!!」  教室中に自分の絶叫が木霊して思わず口を押さえた。 「じゃ、じゃあアイツが煌羅を預けてきたのって」 「ウチだよ……その節はごめんね。私がちゃんと煌羅ちゃんのこと見てれば」 「……仁子の所為じゃない」  詰りたい気持ちがないと言ったら嘘になる。それでも誰かを悪いと言えば終わる問題でもない。それに何よりも飛鳥にとって、それはまだ終わった問題ではない。  煌羅のことを、諦められない。  あの子は絶対私が助けるんだって、そう思っている自分がいる。  だからきっと自分よりも遙かに冷静に事態を見た上で、諦めようと提案してきたアイツの言葉が受け入れられなかった。だってアイツは自分よりもっと馬鹿だと思っていたからだ。愚直なまでに真っ直ぐで無鉄砲で向こう見ずで、どんな犠牲を払ってでも煌羅を助けるって言うと信じていたからだ。  その彼がどこか冷静に、冷徹にさえ思える声でもうやめようと言ったのが嫌だった。  言わせてしまうぐらい弱かった自分のことが嫌だった。  自分がアイツに当てにされていないと気付いてしまったのが嫌だった。  だから思わず殴ってしまった。それでもアイツは表情を変えず、結局残ったのは自分の中の後悔だけ。 「カイちゃんはさ」  だって彼は、これ以上関われば飛鳥すら危ないとそう言ったのだ。 「馬鹿で女好きで軽薄だけど、いい奴だよ?」 「……知ってるわ」  わかっている。悔しいぐらいにわかっている。  自分達が煌羅を助ける為の行動を起こすにしても、実際に戦うのはイサハヤとポンデだ。彼らに体を張ってもらってこそ自分達はここまで来れた。その上で勝ち目のない戦いに挑むことは、自分達の我が儘で彼らの命を危険に晒すことに他ならない。  端から見れば多分、自分よりアイツの方が正しいのだ。 「それにアイツ……」 「え?」 「私よりずっと、ずーっと……大人だったんだなって」  だから快斗が躊躇ったのも当然だろう。煌羅とポンデ、どっちが大切かなんて優先順位を付けられないからこそ、彼は己の意思でポンデを死地に向かわせることができない。ポンデとイサハヤの、更には他ならぬ飛鳥のことも大事に思えばこそ、彼は見るに堪えない表情で煌羅を諦めようと言ったのだ。  ああ、大人だ。軽挙妄動そのもののはずの前田快斗は、自分などよりずっと大人だった。  鮎川飛鳥だけがそれを認められない子供だ。叶わぬ意地を張り続けている。  それでも、それでもだ。鮎川飛鳥はきっと彼にだけは、高嶺煌羅という“娘”を共有した前田快斗にだけは、そんな子供のままの背中を押してもらいたかったのだ。そうしてもらいたかった父はもうこの世にはいないから、だからせめて彼にだけは青臭さを捨てられない自分自身を認めて欲しかったのだ。  あの子を傷付けた自分だからこそ、もう迷うことはしたくない。  たとえ誰に空虚だ夢想だと嗤われても、最後まで走り続けると決めた。 「よーし転校生紹介するぞー」 「不知火士朗です。宜しくお願いします」  ホームルームが始まっているが耳にも入ってこない。 「席は……鮎川の隣なー」 「よろしく」 「……ん」  この時期に転校生とは珍しいが、特に気にしなかった。顔を上げないまま会釈だけする。  考えるのはいつだって、東京湾に佇んでいるだろう彼女のこと。アイツが諦めるなら仕方ない、それを責めることなんてできない。だから自分とイサハヤだけで何とかする。あの時に味わったエグザモンの力を思い出すと、自分達だけであの聖騎士をどうにかする具体的な方策はまるで浮かばないが、それでも何とかするのだ。  だって自分はどうしても、あの子のことを諦められないから。  だって自分はもう少しだけ、あの子の母親をやっていたいから。 「煌羅……」  期限である12月31日まで、残り八ヶ月。 『ダークロアー!』  まるで舞踏のように宙を舞うダークドラモンが、全身から黒き暗黒の闘気弾を放つ。  それはエグザモンの体に当たると小さな爆発こそ起こすが、目立ったダメージを与えられているとは言い難い。何しろ体格の差を考えれば、人と大して大きさの変わらぬダークドラモンはエグザモンから見れば人間と同様に小蠅も同然だった。蝿に集られたところで鬱陶しさを覚えこそすれ、倒される道理はない。  だから気付けば白夜は落ち着きを取り戻している。 『滑稽とは思わんかね御令嬢。かつてこの国のトップとも謳われたあの男が、デジタルモンスター如きに文字通り心を売り渡し、ただの羽虫と成り果てている』 『お、お父様の悪口は……』 『言ったらどうだというのかね。君達のモンスターにもう余力はない』  男の横に浮遊するタイラントカブテリモン。成長期のポンデとイサハヤにはどうすることもできない。  あまりにも無力であった。目の前で娘がいいように操られているというのに、その両親を自負した二人は今この場で明確な弱者であり、満足に己の身を守ることすらできないのだ。 『……連れの小僧も、それを理解しているようだぞ』  その言葉に飛鳥が振り返る。すぐ隣で立っている快斗は、まるで呆けたように空を見上げている。 『アンタ……!?』  その手に握られるのは父が遺した加速神器。既に消灯したそれを手に放心状態で見上げる前田快斗の視界には、エグザモンを相手にただ奮闘するダークドラモンの姿だけがある。 『なんで……だよ』 『え?』  ふと快斗の口から漏れた言葉を飛鳥は聞き逃してしまう。  瞬間、まるで虫を払うように振るわれたエグザモンの腕がダークドラモンの小さな体を吹き飛ばす。数百倍の体格差を以って拳の一撃を叩き込まれたダークドラモンは、廃墟と化した幾つもの団地をぶち抜いてようやく止まった。 『終わりのようだな。僅かばかりの時間稼ぎ、それが政治家、九条兵衛が燃やし尽くした命の価値だったというわけか』  侮蔑の言葉を許せないと思うのに何もできない自分が恨めしい。  ダークドラモンがすぐに残骸の中から飛び立ち、エグザモンの正面に再び滞空する様が見えたが、治癒したばかりの全身はまたもひび割れており、今一度同じ攻撃を受ければ恐らく肉体ごと四散するだろうことは想像に難くない。 『グオオオオオオオ!!』  だからこれが最後の攻撃。飛鳥の目にはそう見えた。  刹那である。咆哮しながら自らの腕に備えた槍に全エネルギーを集中させんとするダークドラモンが一瞬だけ、こちらに目を向けた。飛鳥にはその意味がわからなかった。そして今この場では敵である玉川白夜にすらその視線を理解できない。  だから意図がわかるのは一人だけだ。 『……見んなよ』  目を逸らしたくとも逸らせない。呻くように呟くしかできない前田快斗だけだった。  逃げ続けたと言っていた。本当の意味で一度も向き合ったことがなかったと言っていた。そしてエグザモンを前にして立ち竦む快斗もまた、自分と同じように娘を正面から見れない情けない男だと言っていた。  違うと否定できなかった。そう言い切れる自信がなかった。  だって自分は単なる田舎の高校生なのだ。アンタのように大層な大人じゃない、アンタの娘のように大層な大人を親に持つわけでもない。自分はただ、アンタの娘と煌羅とポンデとイサハヤと皆で面白おかしく暮らせればいいだけだったのに、気付いたらこんな生きるか死ぬかの戦いの中にいる。  それは逃げなのか。それは煌羅を本当の意味で見ていなかったということなのか。 『ギガスティックランス!』  鬨と共に竜帝の額に突撃するダークドラモン。  その姿を見上げながらも、快斗は。 『……頼むぞ』  最後に聞こえた、他ならぬ自分に向けられた、九条兵衛の遺言だけを思い返していた。 『……何をだよ……っ!』    故郷とは違う濁った夜空は、幾百の夜を越そうと慣れない。 「……星は、見えないな」  光が丘公園の中でイサハヤは呟いた。  既に自分達が人間界に迷い込んでから一年半が経過していた。ちょうど三ヶ月前より快斗やポンデと会う機会は激減し、専ら会話の相手は二日に一度のペースで公園を訪れる飛鳥のみだ。自分達の力不足が彼らから“娘”を奪い、互いに疎遠にさせてしまったという後悔だけがある。  飛鳥をパートナーと言った自分の至らなさが、今彼女を追い込んでいる。 「だが、このままでは……」  勝てない。このままではエグザモンどころかタイラントカブテリモンすら倒せない。  ポンデも自分も快斗や飛鳥と共に戦う中で完全体まで到達した。だが次々と現れる究極体の力を前に幾度となく自分達の力不足を痛感させられている。あの日ベルフェモンを前に動くことができれば、あの時タイラントカブテリモンを倒せるだけの力があれば、今こんなことにはなっていなかったはずなのだ。  究極体への進化。それは誰しもが到達し得る高みではない。  それでも今、自分に必要なのはそれしかないと理解していた。 「……力が欲しいのか」 「誰だ!?」  飛鳥ではない声に振り向く。夜の鬱蒼とした木々の中、それは立っていた。 「お前は──」  赤銅に彩られた聖鎧を纏う四つ足の聖騎士。  スレイプモン。イサハヤも伝聞でしか知らない、最強と謳われたロイヤルナイツの一員。 「何故、人間界に……」 「若き子よ。……力が欲しいのか」  事を構える気はない。聖騎士は両手を広げて誘う。  この世界で今まで数多の究極体と向き合ってきたが、この聖騎士は違うとイサハヤは直感した。あの加速神器で育てられた者達と違い、スレイプモンは明確な意思を以って今この場に立っているのだから。 「……欲しい。私達に力があれば、あの時飛鳥達にあんな思いをさせることはなかった」  迷いはない。それはこの半年間ずっと考えていたことだから。 「ならば」  聖騎士が笑う。その答えに満足した。そう言いたげな笑みだった。 「これを持って行け」  聖鎧から光が放たれ、それがイサハヤの手元まで浮遊してくる。思わずそれに伸ばしたイサハヤの手に収まったのは、清爽な紅に彩られた加速神器だった。 「これは……」 「我にはもう必要のないもの故な」  スレイプモンは夜空を見上げる。相変わらず星一つない濁った空。  まるで今どこかで同じ空を見上げている誰かのことを思い出すかのように。 「何故ロイヤルナイツが、これを持っているんだ……?」 「我らも元は、人と在ったということ。人と共に生まれたということ」  そして幾度かの転生を果たした後にスレイプモンは、クダモンは人のDNAを与えられてこの姿に辿り着いた。人との関わり無しでは存続し得ない世界がいずれ滅びるだろうと知り、敢えて人間の研究に利用されることでロイヤルナイツとしての姿を取り戻した自分は最低の外道だろう。その為に純粋な男一人の生命を吸い尽くしたのだ。いつか冥府に落とされるだろう覚悟もある。  それでも敢えて今ここで若き者に託すのだ。迷い続けた“彼女”にも救いが必要なはずだから。 「エグザモンも、そう在るべきだと我は思う」 「何……?」 「だから救ってやってくれ。我らの友を……お前達の娘を」  竜帝の額に、ダークドラモンの槍が突き刺さっている。 『何を……!?』  白夜の戸惑いの声。  エグザモンが動かない。竜帝にとって蚊に刺されるにも等しいだろうその一撃でダメージを受けるなど有り得ないにも関わらず、光ヶ丘の上空で竜帝が制止していた。  加速神器による制御も受け付けず、力を失った聖騎士がゆっくりと落ちてくる。夜空を覆わんばかりのその巨体は、やがて轟音と共に光ヶ丘の地に沈んだ。周囲の瓦礫が噴き上がり思わず目を塞いだ快斗と飛鳥の視界を覆った。 『っ……!』  慌てて二人はポンデとイサハヤをそれぞれ抱き上げて距離を取る。  砂煙が晴れた時、竜帝はその動きを完全に止めていた。死んだわけではない。両の瞳は開かれたまま、ただ肉体の時間そのものを制止させられたかのように硬直している。  エグザモンの額に自らの肉体を槍として突き刺さったダークドラモンは、最早この世の者ではなかった。自らの命を燃やし尽くした彼の竜人は、まるで石化したかのように灰褐色に染まってそこに在る。九条兵衛の心を受け継いだ究極体は、今ここで役目を終えたかのようにその命を散らしたのだ。 『なるほど……流石は叔父上、ただでは死なんというわけだ』  得心した白夜がクククと乾いた笑いを漏らす。  石化した竜人の右腕に備わった槍からダークマター、進化の過程でダークドラモンが持つ高濃度のウイルス成分が竜帝に打ち込まれている。データ種のエグザモンを完全に停止させ得るそれは、確かにダークドラモンが己の全生命力を懸けなければ成し得ない所業だっただろう。 『一年……いや、一年半といったところか』  瞬時に玉川白夜はそう試算する。言わば竜帝は冬眠状態、覚醒にはそれだけの時間が要ると見た。皆が恐怖の大王を恐れる1999年7月にエグザモンで世界を滅ぼしてこそ意味はあったのだが仕方あるまい。  九条兵衛は繋いだのである。娘とすら向き合えなかった男が、その命を次の誰かに未来を託す為に使ったのだ。 『煌羅は……どうなったの!?』  そんな男の実の娘がファルコモンを胸に抱いて駆けてくる。  実に愚かな娘だと思う。父が掲げた崇高な理想を否定し、白夜の計画も否定し、果てには“娘”すら否定したというのに、まだ事態に絡もうとしてくる。その青臭さは曲がりなりにも偉大であった九条兵衛とは似ても似つかない凡庸そのもの。感情任せに行動する未熟なガキでしかない。  鮎川飛鳥はあの異世界の価値を知らない。自分が抱くパートナーの価値すら知らない。 『……お前の父上はご立派だったな』  兵衛が散った以上、最早取り繕う必要もない。叔父であり恩人でもある男の娘と、玉川白夜は“敵”として対峙する。 『九条兵衛はその命を賭してエグザモンを封じた。およそ一年強で覚醒する僅かばかりの封印だが、それでも今この場でお前を……お前達を守る為にダークドラモンと一体化し、自らの命を犠牲としたのだ』 『お父……様』  へたり込む娘。何度も見せられた、この娘の弱さにも芯のなさにも反吐が出る。 『だが今、お前達に私が倒せるか? 守られたお前達の命に価値はあるのか?』  絶対的な差を突き付ける。エグザモンが封じられたところでタイラントカブテリモンを倒す術は彼らにはない。  だから無様に足掻いてみせろと挑発する。あの九条兵衛が守った命に価値などないのだと証明する為に彼らの命を奪う、それで今宵は完結だ。デジタルモンスターを知る者は全て死に絶え、自分とタイラントカブテリモン、そしてエグザモンだけが残る。いずれエグザモンが覚醒した時に今度こそ世界の全てを── 『……何だ、その目は』  娘ではない。その後ろに立つ男だ。  間違いなく恐怖ではない。だがぼんやりと休眠状態の竜帝に向けられた瞳に如何なる感情が乗っているのか白夜には理解できなかった。レオルモンを片腕に抱えたあまりにも無力で場違いな身の程知らずの田舎者の小僧、それが九条兵衛の遺した加速神器を手に呆けた顔でエグザモンの姿を見据えていた。  畏怖だろう、そう取った。この小僧は強大な力を前に敬服すらしているのだ。 『なるほど、気が変わった』  面白いと思った。少なくとも隣の無知な娘よりはデジタルモンスターの価値を正しく理解していると、そう思えた。  両手を掲げると竜帝の体が光り輝き、やがて白夜の手元に収まった。アノニマスとコアドラモン、それぞれの肉体を分割して封印した四つの加速神器の姿を成す。正義と暗黒、自然と究極、四つの属性は元よりエグザモンを完全に使役する為に在った。 『煌羅……!』 『お前達の娘はこの中だ。……いずれにせよ、一年半は目を覚まさん。お前の父上のおかげで少々計画に狂いが生じた。しばらくは海……そうだな、東京湾にでも眠らせておこう』  敢えて言い置く。愚かな娘はそう言えば必ず引けなくなると知っている。 『今世紀最後の年だ。大晦日、今世紀最後の日に私は竜帝を復活させる』  だから。小僧を見た。彼は未だにエグザモンの存在した空間に目を向けていた。 『お前達も来るといい。そして見届けるのだ……自分達の娘によって世界が滅びる様、その始まりの時をな』  東京湾に濃霧が発生していると聞いたのは、去年の秋頃からだった。  船の航行に問題があるというニュースは聞いていない。だから飛鳥はすぐにそれがあの男の言う通り、エグザモンが眠らされているのだと直感した。霧江とムゲンドラモンが現れた時も周囲が霧に覆われたことを思えば、あの竜帝の存在を隠すとなれば相当の濃霧(デジタルフィールド)が必要になることは間違いない。  いても立ってもいられず、イサハヤと共に飛び出した。  ヤタガラモンの背に乗って空を行き、あっという間にお台場を超えて東京湾上空まで到着する。ニュースの通り、肉眼でハッキリ認識できるほどの濃霧が発生しているのがわかる。そのまま霧の中へと突っ込むと、そこには時が止まったかのように制止している巨大な聖騎士の姿があった。  エグザモン。そして額に突き刺さったままのダークドラモン。  どうすることもできなかった。今のイサハヤの力ではダークドラモンを引き抜くことなどできないし、それにより封印が解けてしまったらエグザモンを止めることは不可能だ。それでも何か手はないかと考え、飛鳥は静岡に戻って以来連絡を取っていなかった快斗に電話をかけた。  そこからだった。自分と彼の間に何か温度差があると感じ始めたのは。 「……はぁ」  ダメだ。これ以上考えるとまた頭の中で彼の悪口を言うだけで時間が潰れる。  2000年7月。ちょうど一年前に自分達は煌羅を守れなかった。その彼女は今も濃霧の向こうで動くことなく静かに佇んでいる。それを自分はお台場から見つめることしかできないのだ。  それでも。  鮎川飛鳥は自分とイサハヤだけで何とかすると決めた。だからもう頼れない男の悪口を言っている暇などない。  父が行方不明になったことは少しの間だけワイドショーでも話題になった。けれどそれだけですぐに風化し、母も特に触れてこなかった。桂木霧江も小金井将美も死んだ今、最も親しい大人といえば母なのだが、飛鳥の方も母に相談することはしなかった。 「しかしあの霧、マジで凄いよねー」 「ホントだわ、いつ晴れるんだか」 「でも特に何もないって聞いたけど」  成美、仁子、美々。友人達とジョイポリスに行った帰り道である。  マクドナルドでそれぞれポテトを摘まんでいたが、海に近いお台場ということもあって飛鳥の心は上の空であった。 「そういえばさ、不知火君って絶対飛鳥のこと好きだよねー」 「は?」  転校生の話題が出て飛鳥は思わず顔を上げた。 「あ、それわかるわ。なんかやたらアンタのこと気にしてるっていうかさ」 「そうなの?」  不知火士朗。一学期の頭に編入してきた転校生だった。穏やかな見た目と理知的な性格を持つ男で、隣の席になったこともあって飛鳥は休み時間なども含めてよく話すが、別にそれだけである。それ以上の印象はなかった。 「女子の間ではすっかり話題なんだけど飛鳥は鈍いからなー」 「そうなんだ……じゃあ試しに付き合ってみようかな」  適当にそう答えておく。心にもないことを言ったが、正面に座る仁子が少しだけ顔を曇らせたのを見て飛鳥は自分の言葉を恥じた。 「それは光栄だね」  突然、後ろから涼やかな声が聞こえてヒャッと変な声が出た。 「うおっ! 噂をすれば不知火君じゃん!」  美々の声で振り返ると、そこにはシニカルな笑みを浮かべた長身の男の声。 「失礼。学友の声が聞こえたと思ってね」 「え、なんで? ここお台場だよ?」 「こう見えて僕は海を見るのが好きなんだよ」  爽やかに笑う。改めて見てもいい男だと思う。 「我々は邪魔なようなので」 「消えるとしようかね諸君!」 「あ、ちょっと飛鳥……」  そそくさと荷物を纏めて消える三人。何かを言いたそうだった仁子も美々に引きずられていった。 「彼女らは随分と愉快な人達だね」 「……そうね」  それには同意する。黒々とした不知火士朗の目を見ていられず顔を逸らしながら。 「少し歩かないかな、鮎川さん」  断る理由はなかったが、何か後ろ髪を引かれるものがあった。  多分それは仁子が最後に見せた不安そうな顔の所為だ。カイちゃんはいい奴だよってハッキリ言ってくれた仁子の所為だ。別に相手は単なる同級生だというのに、ああも心配そうな顔を見せられたら罪悪感を覚えてしまう。  それを振り切った。アイツと私はもう、会うことはないんだって。 「いいわ。歩きましょ、私も海沿い歩くの好きなんだ」  海浜公園を二人で並んで歩く。潮風が吹き付けて肌がヒリヒリした。 「さっき聞いてしまったのだけれど」 「うん?」 「鮎川さんは好きな男子とかいないのかい?」  随分とストレートな物言いである。もう少し優柔不断な男だと思ったのだが。 「……別に」 「そうかい」  それだけだ。一気に来るかと身構えていたので少し拍子抜けした。  そういえば。アイツと会う時はいつもポンデやイサハヤ、そして煌羅がいたから二人きりで会ったことは殆ど無かったんだなと思う。というより、唯一二人で来たのが半年前のこのお台場だった。それきり、アイツとは一度も会っていないし、電話で話してもいない。  何と呼べばいいかわからない自分達の関係は、そうやって終わったのだ。 「東京の海はまた違った風が吹くものだね」 「そういえば不知火君、編入前は……」 「静岡だよ、生まれも育ちも」 「静岡……」  チクリとした。偶然だろうが、忘れようとした自分を責められた気がした。  海の方を見る。視界の端に映る霧はまるで来る者を拒むようにただそこに存在する。先程友人達が言っていたように、そこは常人の目には何もない。理屈はわからないが、デジタルモンスターを知る者のみがその中に君臨するあれを認識できる。つまり今この時において、あそこで眠る煌羅の存在を知っているのは玉川白夜と前田快斗、そして鮎川飛鳥だけ。  決意は変わらない。私がやるのだ、他でもない私達が煌羅を助けるのだ。 「鮎川さんはあの霧に心当たりがあるのかな」 「ど、どうして?」 「授業中も眺めているだろう、あれはこっちの方角だ」  不知火士朗は自分のことをチラチラ見ている。そう聞いたがそれは本当だったのかもしれないと思った。  そして飛鳥自身に自覚はない。確かに授業中に窓の外を眺めてはいるが、それは単にぼんやりと視線を向けているだけだったし、窓の外がお台場の方角だったというのも言われて初めて気付いたぐらいだ。  それでもなんとなく微笑んだ。 「……素敵ね」  そう思えたからだ。無意識に煌羅のことを考えている自分がいると理解できる。今度こそ間違えない、今度こそ傷付けないと決意を新たにできる。  士朗は思わぬ答えに目を丸くしていたが、やがて彼も破顔した。 「いい笑顔だ。鮎川さんは、とても可愛らしい」  誠実な表情はきっとアイツにはないもので。 「初めて君の隣の席になった時から気になっていたんだけどね」  理知的で穏やかな性格はアイツと違ってとても大人だと感じさせるし。 「僕と付き合ってもらえないかな」  きっと話していれば互いに笑顔で過ごせるのかもしれない。 「ごめんなさい」  それでも。  一瞬でも迷うことはなかった。 「理由、聞いてもいいかな」 「好きな男子(だんし)はいないけど、大切な男子(ヤツ)はいるんだ……私」  わざわざ答える必要など無いのに、それでも言わなければならないと思った。不知火士朗に対してではない。きっと自分自身に言い聞かせるように、その言葉は鮎川飛鳥に鮎川飛鳥が言わなければならない言葉だったのだと思う。  霧を見る。来たる年末、必ずあの子を助けると誓いながら。 「もうアイツは忘れてるかもしれないけど、私は絶対アイツと……あの子ともう一度、三人で一緒に──」  空に手を伸ばす。  あの時とは違う。  晴れ渡る快晴の空は今の自分の心のよう。 「……ふふ」  何故か士朗の笑い声が聞こえた。  彼の視線が飛鳥のデニムに括り付けられたキーチェーン、加速神器・自然に向けられていることに、その時の飛鳥は気付かなかった。  煌羅(アイツ)を守ってみせると誓った。  飛鳥(アイツ)を笑わせてやると言った。 (何が……だよ……!)  それなのに、今夜の自分はどこまでも己の無力さを噛み締めるばかりだった。  自分はアニメの主人公のようにはなれなかった。彼らは自らの心の成長と共にパートナーを進化させ、強敵にも敢然と立ち向かっていくというのに、自分はポンデが完全体に進化を果たしたところで何も為せず、ただ煌羅が敵の手に落ちるのを見ていることしかできなかったのだ。 『なんか消防車が来る! 早く離れましょ!』  気力を取り戻した彼女に手を引かれて瓦礫の街を行く。  ふらふらと飛鳥に先導されるがままの自分が情けなくて堪らないのにどうすることもできないでいる。ポンデとイサハヤも何とか歩けるぐらいには回復して自分達のすぐ後ろをついてくる。  今この場で情けないのは、自分だけだった。 『……頼むぞ』  そう言った男の背中が忘れられない。  我が国のトップとでも呼ぶべき男が、鮎川飛鳥の父だったはずの男が、死を賭して最後の戦いに赴く時に言葉をかけたのが愛するべき実の娘ではなく、何故どこの馬の骨とも知れぬ自分だったのか。  確かに快斗は言った。飛鳥を笑わせてやると。  でもそんなものは売り言葉に買い言葉でしかない。誰かの人生を背負えるほど今の自分は大した奴ではないし、その責任を取れるはずもない。  それなのにあの男は、九条兵衛(ちち)は、他でもない前田快斗に頼むと言ったのだ。  娘のこと。利用されたデジモン達のこと。そしてこの国の行き先のこと。  己の命を僅かばかりの時間稼ぎに燃やし尽くし、前田快斗に全てを託したのだ。 (なんで、俺なんだよ……!)  そんなもの、背負えない。誰よりも軽薄に生きてきた自分が背負える重さじゃない。  煌羅のことも共にこの半年間過ごしたのは一緒にいて楽しいからという理由でしかなく、責任というものからは無意識の内に逃げてきた。それなのに気付いたら大事に巻き込まれ、引くに引けなくなった果てに背負い切れないものを託された。  逃げ出したい。何もかもを捨てて、忘れて、以前のように不真面目に生きていたい。 『煌羅……必ず助けに行くから……ッ!』  なのに前を行く彼女が呻くように漏らした単語が、逃がしてくれない。  高嶺の花だと、煌めく修羅だと、二人で案を出し合って与えた名前。ああ彼女は本当に高嶺の花だったのだ。自分達の手に届く存在ではなかったのだと改めて思うのに、最初から関わるべきではなかったと思ってしまうのに。  それでも。  ベルフェモンを前に一人立ち向かった煌羅が。  加速神器の光に貫かれて叩き付けられた煌羅が。  ただ悪党の思惑に利用させられて竜帝と化した煌羅が。  曲がりなりにも父として一年弱過ごしてきた煌羅が。  前田快斗は忘れられない。 『うっ……!』  段差によろめいて派手に転倒した。 『ちょ、アンタ……!』  口の中に血の味がする。視界が歪むのは無力さからなのか痛みからなのかわからない。  煌羅を助けたい。そう思う気持ちはきっと飛鳥にも負けていないはずなのに、その気力を奮い立てることがどうしてもできない。この数刻の中で味わった数多の無力感は、地元の狭いコミュニティの中で培ってきた自分の万能感を粉々に打ち砕いた。女の前で無様に泣いている自分が、どこか遠く感じられた。  飛鳥が殆ど抱き締めるような形で引き起こしてくれる。 『しっかりなさいよ! 私達が煌羅を助けるんでしょ、快斗!!』  みっともなく泣く男を、彼女は笑わない。  抱き締めながら赤子をあやすように背中を叩いてくれる彼女は、涙の跡こそ残るもののもう泣いていなかった。先程までの恐怖と後悔に震える姿は既になく、ただ出会った時の彼女のままで鮎川飛鳥は快斗の目の前にいる。他でもない初めて自分の名前を呼んでくれた女が今腕の中にいる。  だがそんな彼女も死ぬ。煌羅を追い続ければ間違いなく死ぬ。  それを知りながらエグザモンに立ち向かうべきなのか。  兵衛に託された者として煌羅を諦めてでも止めるべきなのか。  その答えが、快斗にはわからなかった。  海を眺めていた。  故郷の海に風情など感じない。だって生まれた時から17年見てきたのだ。 「ポンデか」  埠頭のテトラポッドから顔を出した子猫に目をやる。  見る限り他には数人の釣り人しかいない。喋る子猫程度、誰も気にしないだろう。 「……快斗は、どうしたいんだ?」 「わかんねー」  正直に答えた。今年の初めに張られた頬が今も痛む。  きっと痛んでいるのは心の方だ。必ず笑顔にすると約束した彼女を、事もあろうに自分が泣かせてしまった。あの義父に託されたはずの鮎川飛鳥を、もう止めることはできないと快斗自身が理解してしまったから。 「俺は快斗に従うよ」 「それってズルくねーか?」  埠頭に胡座を掻いて座る。ポンデはそんな快斗の足の上に乗ってニシシと笑った。 「俺は快斗のパートナーだからな」 「デジヴァイスもないのにか?」 「道具が無い代わりに俺達、もう一年半も一緒にいるだろ?」  なるほど、ものは言い様であった。  確かに共に過ごしてきた時間は何にも代え難い。それはポンデだけでなく煌羅も、そして今も東京で頑張っているはずの彼女だってそうなのだ。 「俺個人としては、また煌羅と一緒に遊びたいよ」 「……最初からそう言えってんだ」 「ごめん。……俺がもっと強ければ良かったんだけど」 「別にお前の所為じゃねーよ」 「………………」 「………………」  黙ってしばらく海を眺めている。  さざ波の音だけが耳に届く。 「俺さ」  ポツリと。 「どんなに適当に生きていても、いつか気付いたら俺は立派な大人になっていて、今の俺のダメだったところは全部取っ払われるもんだと思ってたんだよ」  誰に言うでもなく、自分の弱さを呟いていた。 「煌羅のことも、アイツのことも、きっと立派になった俺が何とかしてくれるってな」  ポンデは何も言わない。自分の膝の上で黙って聞いている。 「でも……もう逃げられないんだな」  タイムリミットは今年の大晦日。自分達を嘲り笑ったあの男が、自らの約束を違えるとは思えない。恐らく玉川白夜は今年の12月31日にエグザモンを再起動させ、無力さに苛まれる快斗と飛鳥の前で世界の蹂躙を開始するのだろう。  もう四ヶ月しかない。その間に立派な人間になれるとは、とても思えなかった。 「……快斗は」 「ん?」 「どんな大人になりたいんだ?」  答えられない。明確なビジョンなんてない。  でも可能ならそこに飛鳥がいて欲しいと思っている。煌羅がいて欲しいと思っている。ポンデやイサハヤだって当然いるのだ。そんな今までと変わらない暮らしの中、皆で楽しく生きられればどんなに良かったか。 「……出てるじゃんか、答え」 「うっせ」  視線を下にやれば、ポンデはこちらを見上げて笑っていた。  当然だ。答えなんて最初から出ていた。ブレーキランプを何回点けるでもない、ヘルメットを何回鳴らすでもない、それは多分どこにでもいる未熟な若僧のありふれた未来予想図だ。  そしてだからこそ、心のどこかにいる理知的な自分が邪魔をする。 「俺は」  絞り出す。飛鳥にもイサハヤにも言えない。  パートナーと言ってくれたポンデだからこそ、それは言える。 「全員で帰れなきゃ嫌だ。……お前も、イサハヤも……飛鳥(あすか)も」 「快斗……」 「そして煌羅も。全員でまた一緒に笑い合えなきゃ、嫌なんだ……!」  それは無理だろう。誰も失わずにあのエグザモンを止められるとは思えなかった。それぐらいあの竜帝は強大すぎた。  だから動けない。結局は振り出しに戻るのだ。  自分達に力があれば、つい数ヶ月前に最終回を迎えたデジモンアドベンチャーの彼らのように未来を掴むだけの可能性があれば、皆で煌羅を救い出して帰る未来を見ることもできたはずなのに。  残り時間は少ない。前田快斗はどうすればいい。  教えてくれ。  誰か、教えてくれ。 ◇ ・玉川 白夜(たまがわ びゃくや) 大学教授にしてデジタルモンスターの研究者。60代。 叔父である政治家・九条兵衛の依頼で異世界デジタルワールドの研究を始めた科学者。だが次第に全く理の異なる世界に魅せられ、兵衛の計画を狂わせていった。魔王ベルフェモンの覚醒、デジヴァイスである加速神器の開発は全て彼の功績であるが、それらは全て恐怖の大王としてのエグザモンを我が物とする為の策略であった。 自らも加速神器・正義を用いてタイラントカブテリモンを使役する。本作の一番悪い奴。 ・加速神器(アクセラレーター) その2 玉川白夜によって開発された神器。所謂デジヴァイスであり、見た目はそのまんまデジモンアクセル。 正義・暗黒・自然・究極の四属性が存在し、それぞれが二つずつ試作された。人間のDNAを吸引することで内蔵されたデジタルモンスターを育てることができるが、生命力をとことん吸いテイマーを死に至らしめる欠陥がある。というより白夜は敢えて残したので欠陥と言うより仕様と呼ぶべきか。 起動<アクセル>の音声でデジタルモンスターを出現させる。また突風<ブラスト>の音声認識でデジタルモンスターにテイマーの生命力を与えて限界以上の力を引き出させることが可能。ただしこの機能を使用するとテイマーは必ず死ぬ。 八つそれぞれの現況は以下の通り。 正義①:月影銀河・サーベルレオモンが所持(銀河の生死は不明) 正義②:玉川白夜・タイラントカブテリモンが所持。エグザモン使役に使用される 暗黒①:龍崎時雨がグランドラクモンに変貌した後、回収されエグザモン使役に使用される 暗黒②:九条兵衛がダークドラモンに命を注いで果てた際、前田快斗に託された 自然①:車田香がスピノモンに命を吸われて死亡。妻である小金井将美を介して鮎川飛鳥の手に渡る 自然②:小金井将美と共にベルフェモンに食われた後、回収されエグザモン使役に使用される 究極①:武藤竜馬が持っていたがスレイプモンからイサハヤに渡される(竜馬の生死は不明) 究極②:桂木霧江・ムゲンドラモンの死と共に回収されエグザモン使役に使用される 【後書き】  なんとか5日に1度投稿を継続できております夏P(ナッピー)です。  元々1クールアニメを想定して話を組んでいるので12話構想だったのですが、10話に纏めたい(前後にエピローグ付くので実質11話ですが)ということで今回は本来であれば7話+8話だったのを一つの話に圧縮しております。本来ならここにスピノモンの話があったのです。最終決戦前のワンクッションといったところでしょうか。  というわけで、本編は残り2話。飛鳥と快斗、イサハヤとポンデの物語にもうしばらくお付き合いくださいませ。 ←前の話       FASE.1       次の話→
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夏P(ナッピー)
2022年8月25日
In デジモン創作サロン
←前の話       FASE.1       次の話→ ◇  覚醒した怠惰の魔王が一歩、また一歩と進んでいく先に一人の小娘と一体の地竜が立つ。  今となっては他の全ては最早些事、恐らく魔王の目には既にその一人と一体の姿しか映っていまい。かつて死闘を繰り広げた仇敵、二度と相見えることはなかったはずの存在を前にして魔王は少なからず興奮しているようだった。  怠惰の魔王、ベルフェモン。異世界に七体存在すると呼ばれた魔王の内の一体。  二年前、どうした理屈か人間界に現れたそれは程無くして休眠状態に入った。だから人の手でそれを捕らえることができあのは偶然と言っていい。しかし数年前から異世界の存在を認知し、水面下で探っていた各国がそれによって一斉に動き出す中、我が国は異世界の高位なる存在を捕獲したことで一躍トップに躍り出た。玉川白夜が九条兵衛からこの光ヶ丘地下にある研究所とそこで眠る魔王を託され、研究を始めたのもそんな頃の話だ。休眠中の魔王の意識に接続し、異世界へ人間界が踏み入る為の手段と方法とを探る、兵衛に指示された白夜の当面の目的はそれである。  世紀末に現れた魔王、即ち恐怖の大王<アンゴル・モア>とコンタクトを取り、異世界への扉を開く。異世界開拓の最先端に日本が立ち、国土の拡大を図る。  そんな子供染みた夢想こそが計画の全てだった。鼻で笑ってしまう。政界のトップが斯様な空想の産物に私財を投げ打ってまで賭けているのだ。それを成したところでその時には老齢の彼はもうこの世にはいないだろうに、自分のいない世界で何が起ころうが彼には何のメリットも無いだろうに。 「むっ……!」  そんな思案に耽っていた自分に躍りかかる影がある。  ダークドラモン。叔父である九条兵衛が育て上げた加速神器・暗黒の究極体が片腕の槍を振りかざして飛び掛かる。 「……無作法な」  それを受け止めたのは自ら育てたタイラントカブテリモン。  叔父と甥、そして出資者と研究者。両者はこの瞬間まで完全に上下の関係にあるはずだった。 「白夜」  燃えるような九条兵衛の憤怒の目で見据えられ、玉川白夜は肩を竦めた。  死を目前にしようと威圧感のある男だ。しかし段差の上に立つ自分とその下で跪く彼の立ち位置こそが、今の状況と互いの立場を如実に物語っている。この偉大な叔父の厳格さと高貴さに、白夜はある程度の好感を持っている。政治家など見せられぬ過去や所業の一つや二つは当然持っているものだが、その中にあって九条兵衛は限りなく高潔な人であった。それこそ妻も持たず子供が隠し子一人という点ぐらいしか、この男に弱点は見えなかった。 「突然殺しにかかってくるとは……叔父上も人が悪い」 「聞かせろ。……あの娘が異世界へ行く為の鍵を握るのではなかったのか」  しかし簡単な話だ。弱点が無ければ作ればいいだけのこと。  異世界への接続と開拓、その分野において我が国をトップに立たせる。そんな高潔さ故の幼子のように真っ直ぐな男の夢を利用することなど白夜には容易かった。予算は好きなだけ引き出せたし、そもそも兵衛は飽く迄も政治家であってその分野における専門家ではない。この国のトップとも呼ばれた男が自分の言葉を全て信じてその通りに行動していく様は、むしろその計画の歪さを知っている──歪にしたのは白夜自身だが──白夜にとって滑稽で仕方がなかった。  少しずつ塗り替えてやった。その清廉な計画を、本当に少しずつ。 「その言葉に嘘はありませんよ」 「……では」  どうせ間もなく死に絶える身だ。冥途の土産に教えてやるのも甥の務めだろう。 「私は叔父上より託された怠惰の魔王……休眠中の魔王の意識にアクセスすることで、その脳波から二つの単語を解読した」  一つはアノニマス。  そしてもう一つはコガネイ・マサミ。  後者を解読できた時、謎の歓喜があった。コガネイ・マサミ、即ち小金井将美、その名前を白夜は知っていた。ちょうど結婚式に招待されていた時期だから間違えるはずがない。自分のゼミの卒業生である車田香の妻となった女だ。彼女の名前が何を意味するのかはわからないし直接の面識も無かったが、何らかの形で手の届く場所に置いておく必要性があると感じた。だから当時専業主婦になっていた彼女に、夫の香を通じて九条兵衛の秘書の職を提案した。不器用ながらも穏やかで純朴な人柄からも兵衛や先輩の桂木霧江に気に入られ、重用されていったのは想定外だったが。  そんな女を魔王の供物として差し出したのは、結果だけなら大正解だったと言えよう。 「研究を重ねる内に私は一つの結論を見出した。……叔父上の手にある加速神器もその過程の産物ですがね」  ベルフェモンは二年前の1997年夏、暴走状態で人間界に現れるも、即座に沈静化して休眠状態に入ったと聞く。それを他の科学者達は力を使い果たしたのだと考えているようだったが、白夜には一つの仮説があった。我々人類が地球以外の空間では生きられぬのと同様、彼ら異世界の生命体はこの世界ではまともな生命活動を行えないのではないかと。休眠状態へ陥った魔王──研究者の一部はスリープモードと呼んでいた──は人間で言うところの宇宙服を着込んだ状態なのではないかと。  では彼らを本来の姿でこの世界に顕現させる為に必要なものは何か。 「魔王を含めた異世界の生命体。彼らを現世に留めるのに必要なのは人間との繋がり……」  簡単な話だった。人間と物理的、もしくは精神的な繋がりを持たせることで彼らは人間界に完全なる形で存在できるようになった。  最初の実験体としたのは車田香の同級生である月影銀河だった。なかなか目敏い男である故に今ではこちらの企みを見抜き、小賢しい妨害をしてくる彼だったが、白夜が最初に作成した加速神器・正義を与えた時点ではなかなか有益なデータを示してくれた。彼の育て上げたサーベルレオモンによって、白夜は自らの仮説が正しかったことを確信した。  加速神器。魔王の意識化から解析、作成した異世界に伝わる神器の模倣品。  異世界には人類が迷い込むことが少なからずあったらしく、彼らと現住生物を結ぶ神器として伝わるそれを白夜は同様の機能を持たせて人の世に生み出した。だが現代科学では解消できない欠点が二つあった。人間のDNAを定期的に吸わせなければ彼らは育たず消滅し、また彼らを現世に留める為にDNAを吸わせ続ければいずれ人間の方が死に至ることである。  だが構わなかった。むしろその欠点は気付いた上で敢えて放置したと言っていい。  皮肉にも自分の教え子達を含む周囲の者達は優秀だった。それに関しては先程限界を迎えて死亡した桂木霧江とムゲンドラモン、そして今目の前にいる九条兵衛とダークドラモンにしても同様だ。ちょうど今頃、次々に死んでいくだろう教え子達など自分の見る目は正しかったと白夜は喜びに打ち震えている。  月影銀河の正義、サーベルレオモン。  車田香の自然、スピノモン。  龍崎時雨の暗黒、グランドラクモン。  そして武藤竜馬の究極、スレイプモン。  スピノモンは死に、グランドラクモンもやがて討たれるだろう。残るはサーベルレオモンとスレイプモン、それらの加速神器も回収しなければなるまいが。 「……アノニマス、それはあの娘自身のことだった」 「何?」  魔王の発したもう一つ、その単語の意味だけはどうしても解読できなかった。  昨年のクリスマス、異世界より現れた娘がいるという報告は聞いていた。異世界から人語を解する人間が現れたというのであれば話は早い。その娘を拉致して魔王と対面させて情報を収集すべしと白夜は考え、その報告を受けた兵衛は霧江を娘の回収に静岡へと派遣した。そこに居合わせたのが兵衛の一人娘であり、件の娘とどうやら親密な関係を築いているらしい鮎川飛鳥であった。  恐るべき僥倖であった。まるで望むもの全てが手の内に飛び込んでくるかのようだ。 『御令嬢にこの場を明かし、ご理解を得るべきでは?』  今日という日、兵衛にそう提案したのも白夜だった。そうなれば兵衛と霧江は必ず好機と見て件の娘を回収せんとするだろう。そうなれば件の娘がこの場を訪れる可能性は高い。  尤も、小金井将美まで現れたのは流石に想定外だったが、そんな彼女をも利用するのは残った加速神器・自然を用いれば容易かった。 「最初からあの娘をこの場に連れてくるのが私の目的……」  場違いな少年と少女を見下ろす。あの娘と低俗な“家族ごっこ”に興じていた二人を。 「そしてこれ以上の研究は不要だ、この研究所ももう必要ない」  そう、あの娘そのものがアノニマス。怠惰の魔王が小金井将美と共に求め続けたもの。 「あの娘は人間ではない。……かつて魔王と戦い果てた、ある聖騎士の残骸だよ」 『本日ハ晴天ナリ。』 ―――――FASE.7 「Night Hawk」  高嶺煌羅、かつての名前をアノニマス。その存在が生まれたのは人間界の時間感覚で言えば今から六年前のことだった。  遙か昔より語り継がれる伝説では人間界と繋がっていたとされる異世界も、既にその繋がりを閉じ、ただ荒廃に身を任せるだけになっていた。かつて隆盛を迎えた都市も荒れ果て、科学も文化も一向に発展せずに皆が今この時のみを思考して細々と生きる、そんな滅び行く世界の中で名もなき少女は生を受けた。  少女が人間であるはずはなかったが、その見てくれは確かに人間だった。だがその出生にはある存在が絡んでいる。  ベルフェモン。この世界を荒廃に追い遣ったとされる要因、かつて突如として目覚めると本能のままに暴れ回り、一月と経たず世界の六割強を破壊したと言われる怠惰の魔王。伝承で数多語られる魔王の中でも最強に等しい存在だった。  世界の守護者と謳われる騎士団の生き残りが魔王に立ち向かったが、瞬く間に全員が討ち取られた。ある者は塵一つ残さず消し飛ばされ、またある者は即座に転生を決意するもそれを果たせずに卵ごと食われた。かつて魔王に対抗できる唯一の力と言われた騎士団は、ここに壊滅したのだった。  そんな騎士団の中で唯一転生に成功したのが、彼女だった。騎士団の主たる神が如何なる考えでその手段を講じたのか、少女自身は知らない。聖騎士の生まれ変わりとしてこの世に生を受けたにも関わらず、過去の記憶が曖昧な理由もわからなかった。だから明らかだったのは生まれた時点で少女が一人ではなかったこと、逆に言えば少女だけでは何の力もなかったこと。物心付いた時より常に自分の隣に佇む緑の竜を見て漠然とこれが自分の力なのだとアノニマスは理解した。  そう、ロイヤルナイツ最後の一人たる竜帝エグザモン。  怠惰の魔王に敗れて散った彼の聖騎士は、正しき“心”を持つ少女“アノニマス”と竜族の皇帝としての“力”を宿すコアドラモン“ジンライ”に、その存在を一人と一体に分割したことで転生を果たしたのだ。それはまるで超古代に幾度となく世界を邪悪な者から救ったと言われる英雄、選ばれし子供とそのパートナーのように。  そして人の身になったとて使命は変わらない。アノニマスとジンライは前世と同じように世界の守護のため活動を続けた。最終目標は無論、怠惰の魔王ベルフェモンの討伐であることは言うまでもない。 『アンタが聖騎士団の生き残りかい?』  ある時、一人の女に出会った。外見だけなら妙齢の人間の女だ。  それでもカオスドラモン──間違いなくそうなのだが、どこか違って見える──を伴って現れたその女はどう考えても人間ではなかった。果たしてその女こそ古代に選ばれし子供と戦って敗れ、世界のどこかに隠遁したとされる色欲の魔王リリスモンであり、アノニマスは激戦の末にその女を倒した。  何故七大魔王の一人が人間の形を取っていたのかは知らない。興味はない。  だが色欲の魔王は自分達に敢えて討たれたように思えた。永遠にも近い魔王としての生は拷問でしかなかったと言っているようだった。それでもアノニマスにとって強敵だったことに疑い様はなく、アノニマスもはその戦いで消耗し、ジンライに至っては成熟期の姿まで力を失ってしまった。  それでもアノニマスは怠惰の魔王を追う。  やがて怠惰の魔王が色欲の魔王と同様に人間の女の姿形を取っていること、そして彼女が人間界に姿を消したとの情報を得る。ある伝手で得た怠惰の魔王の人相は、果たしてかつて世界を滅ぼし得る暴虐を働いたとは思えないほど、穏やかで優しそうな顔付きの年若い女性だった。アノニマスはその時まで世界が再び人間界に繋がっていたことも知らなかった。 (怠惰の魔王もまた人間……これは一体……?)  その疑問を捻じ伏せて自らも人間界に行く手段を探る中、あのサーベルレオモンとそれに襲われている二体の成長期を見つけ、助けようと割り込んだ際に突如開いた人間界へ繋がるゲートに巻き込まれ、そして。 『さっき俺とハニーで決めたからな。今からお前の名前は高嶺煌羅だ! どうだ、気に入ったろ!?』 『ハニー言うな』  アノニマスは、高嶺煌羅となったのだ。 「ジンライーーーーッ!」  吼える。魔王を前に人の身である自分の斧など意味を為さない。  今の自分は聖騎士ではなく単なる人間の少女でしかない。だから戦う上での力はどこまで行ってもジンライに頼るしかない。ジンライ自身に意思はなく、ただ煌羅の意思に従い動く人形のようなもの。だから傷付くことに罪の意識などなく、むしろ彼が傷付く度に高嶺煌羅の肉体もまた削れていく。  それがどうしようもなく恐ろしい。自分ではない誰かの戦いで自分の体が傷付くことが。  尤も、そんなことは最初からわかっている。それでも魔王に挑むと決めた以上、高嶺煌羅はジンライと共にぶつかり合わなければならないと決まっている。元々自分とジンライは二体で一つである以上、ジンライが対峙するのであればアノニマスたる自分自身も引くわけにはいかないのだ。  だがグランドラクモンを足止めするので精一杯だった今のジンライに、ベルフェモンを打ち倒す力があるのか。  答えは否だ。言うまでもない。 「煌羅……ッ!」  後ろから“母”と呼ぶべき女の呻きが聞こえた。  迷いが生じる。果たして今の自分に、彼らを守れるだけの強さが出せるのか。自分自身が敗れるのではなくジンライの力不足で彼らを守れないとなれば、煌羅の心が納得できない。如何にジンライが自分の力とはいえ、その不甲斐なさを詰りたくなる。 (私とジンライを、何故分けたんですか……主よ……ッ!)  ずっとその答えを求め続けた。分かたれた心と力が一つになることはなく、自分は聖騎士としての姿を取り戻せないでいる。そして高嶺煌羅とジンライは前田快斗とポンデ、鮎川飛鳥とイサハヤのような関係ではない。ジンライが進化しようがしまいが自分にはこれしかないのだ、彼の力を当てにして戦う以外に道はないのだ。  踏み潰そうと迫る足をグラウンドラモンの副腕で受ける。押し返すほどの力はなく、単純な力も体重もあちらの方が上である以上、ギリギリと押し込まれる。まるで怪獣映画の主役怪獣にやられ役の戦車で立ち向かっているような気分になる。まさに今の自分達は勝てないとわかっていても愚直に戦い続けるやられ役のようだ。  周囲が揺れる。二体の巨獣が激突するには広さはあっても強度の面で持たない。 「もっと……もっと力を出して……ジンライ!」  その叫びにジンライが応えることなど有り得ない。  だって彼は自分の心に従うただの人形。言うなれば物言わぬマリオネットと同じ。それがポンデやイサハヤのような奇跡を生むことなんてない。  欠陥品である。心しか持たない自分も、力しか持たないジンライも。 「……あなたは、どうなんです……ッ!」  自分達を踏み潰そうと足に力を込めるベルフェモンを見上げる。膨れ上がった胸筋で魔王の顔は窺い知れないが、それでも燃えるような真紅の瞳がこちらに向けられているだろうことはわかった。 「グオオオオオオ!!」  彼奴もまた猛っている。その咆哮はかつて滅ぼした騎士団の生き残り、二度と出会うことのない宿敵と巡り会えた歓喜の鬨か。  七大魔王、その正体は一体何なのか。その謎に手が届きかけている気がした。かつて煌羅自身が倒した色欲の魔王は人としての姿を持ち、パートナーとしてカオスドラモンを引き連れていた。そして人間界で同じ顔をした女がムゲンドラモンと共に現れ、更に怠惰の魔王と同じ顔の女が怠惰の魔王自身に食われることで覚醒の引き金となった。  自分と同じ顔の女を食った魔王は、果たして。 「……押される……ッ!」  凄まじい力を前に、こちらが地面に押し込まれていく。  体躯でも純粋なパワーでも劣る以上、当然の帰結だった。ベルフェモンは技の一つも使う様子がない。ただ本能のまま暴れているに過ぎないのに、咆哮一つでジンライの皮が抉れ、それが煌羅自身の肉体も削っていく。この状態があと数分も続けば、ジンライの前に自分が立っているだけの肉塊になる確信がある。  研究所も限界だった。天井から無数の瓦礫が落下し、轟音を立ててこの場が崩れていく。 「快斗さん……ッ!」  ここは光ヶ丘の地下深くだ。ジンライと共に在る自分はともかく、最早立ち上がれないポンデやイサハヤでは生き埋めになろうとしている二人を守れまい。  咄嗟に振り返った煌羅の耳に。 「頑張れ!」  そんな声がした。 「なあ」  崩れ始める研究所の中、魔王に挑む煌羅を呆然と見つめるしかできなかった快斗。 「何よ」 「あれ、俺達の娘なんだぜ」  そんな彼がポツリと呟くから。 「……そうね」  躊躇いなく飛鳥もそう返した。少なからず気恥ずかしさがあったのは確かだ。  互いにそれ以上の言葉はない。斜め後ろから彼の側頭部を眺めていても、前田快斗がこういう時にどんな顔をしているのかはわかってしまう。そう考えると僅か一年弱ながら自分達は意外と濃い付き合いをしてきたのかもしれないと、鮎川飛鳥はそんな風に自嘲した。  だから言うのだ。緊張と恐怖を押し殺すように。 「そんな顔、しないでよ」 「……ん?」  快斗が振り返る。無理に軽薄な表情に戻そうとしても、引き攣った口の端は隠せない。 「きっと私が……ううん、アンタが止めても、煌羅は止まらなかったわ」 「それは……」  つい数分前、離れていく煌羅の体の温もりを覚えている。  魔王を前に震えて動けなかった自分達を守ろうと進み出た小さな背中。何故だか飛鳥にはそれに触れる機会はもう二度と訪れないような予感があった。きっと煌羅は間違いなく死ぬと、戻ってこないとわかっているのに止められなかった理由、それは恐らく。 「だったらせめて……応援、してあげなきゃ」  その言葉を上手く言えたかわからない。上下の歯が無様にカタカタと音を鳴らすのがわかる。  情けないぐらいに未だに自分の全身は恐怖に支配されている。目の前の男にはどこまでも不真面目な顔をしていて欲しいはずなのに、そんな彼がハッとしたような表情を浮かべたことからもそれがわかる。そのことが悔しくて悔しくて、それでも鮎川飛鳥は強がりをやめられない。 「あの子、私達の……娘、なんでしょ。だったら言ってあげなきゃ」  男の前で泣くのなんて最高に格好が悪いとわかってはいるけれど。 「頑張れ……って」  もうその先は、視界が滲んで言葉にならなかった。  頑張れと、そう聞こえた。  崩落する天井の向こう側で顔を押さえて跪く“母”と真っ直ぐこちらを見る“父”の姿が見えた。自分達は大丈夫だとその顔が告げている。大丈夫なはずがないのに、それだけできと彼らは大丈夫だと思ってしまうのは、一年足らずでも家族として共に在ったからか。 (女狐とは……別に一緒に暮らしてませんけど)  でもそんな彼女が今、自分の為に涙してくれているという事実が妙なこそばゆさを煌羅の全身に齎す。  死に体だった肉体に力が戻る。グラウンドラモンの副腕にも力が入り、ベルフェモンの右足を押し返した。魔王の体が僅かによろけ、培養カプセルに向けて後退する。逆転の好機はここしかないと悟る。 「ギガクラック!」  腹部を思い切り叩き付けて起こした地割れが、ベルフェモンの片足を挟み込む。  魔王の動きは封じたがジンライのダメージも大きくすぐには動けない。畳みかけるなら今だというのに。 「グオオオオオオ……!」  だがその時、ベルフェモンの自由な両腕に炎が迸った。  煌羅の全身が総毛立つ。かつて聖騎士だった頃の、自分とジンライが一つだった頃の記憶が脳裏を過る。ギフトオブダークネス、自分が死に同じ騎士団の仲間が転生も許されず存在そのものを消滅させられた怠惰の魔王の必殺技。 (成長……している……!?)  技という技を使用してこなかった魔王が初めて見せる挙動。  受けられるはずがない。あの技には防御という概念が通用しないし、何よりもジンライはまだ完全体なのだ。聖騎士でも幾度か喰らえば容易に消滅するそれを受ければ間違いなく死ぬ、そしてジンライが死ねば力を失った自分自身もきっと──! 「自分の力を信じろ、煌羅ーッ!!」  この一年弱、誰よりも共に在った父のそんな言葉が届いた。  瓦礫に呑まれる父と母の最後の言葉。彼らは自分達が逃げること以上に娘である煌羅にその言葉を遺すことを選んだのだ。  力? 自分の力とは何だ?  何もかもが止まって見える。生まれた時から自分は一人だと思っていた。快斗や飛鳥と出会うまで誰かと共に生きることなど考えたことはなかった。だから孤高の戦士として生きることに躊躇いは無かったし、別段アノニマスは共に生きる誰かなど、家族など欲しいと思ったことはなかった。  それでも快斗や飛鳥と過ごす内、そして彼らと生きるポンデやイサハヤを見る度に、少しずつ心境が変化していた。いつだったか、ポンデに遊び相手が欲しいならジンライと遊べばいいと言われたことがある。煌羅はこう返した。ジンライは戦う為の力だと、パートナーなどではないと。  何故か目が合った気がした。一度も言葉を交わしたことの無いジンライと、常に自分と共に在ったはずの高嶺煌羅の“力”と。 「……私、聖騎士の力(あなた)を信じていませんでしたか……?」  意思のない瞳。いやそう思っていたのは自分だけだ。それが僅かに瞬いた気がした。 「あなたは、聖騎士の心(わたし)のパートナーでいてくれたんですか……?」  答えはない。代わりに咆哮が轟く。  それが歓喜の声だと、世界中の誰でもなく、高嶺煌羅だけが知っている。  人間とデジモンの関わりに触れ、どこかで憧れていたかつてのアノニマスだけが知っている。  崩落する無数の無機物を取り込み、変貌していくジンライの肉体。もっと強く、そしてもっと大きく、ベルフェモンに対抗すべく今の己に足りない体躯と力だけを求め、有機的な自らの肉体に無秩序にそれらを飲み込み、緑の表皮を鈍色に染め上げていく。心をパートナーに預けた彼だからこそ、己の意思と感情が失われることに迷いはない。  故にその名を破壊竜ブレイクドラモン。 「ジンライ……ッ!」  怠惰の魔王を必ず倒すと誓った煌羅の、長らく共に在り続けたパートナーの思いに応えるかの如く。  それは崩落する研究所の中で顕現する。  鳴り続けていた地響きが止まる。 「……終わりだ」  まるで宴の締めを告げるように、獅子の爪が薙ぎ倒された魔獣の喉元に押し当てられている。  光ヶ丘の街中で数十分に渡り繰り広げられた死闘によりサーベルレオモンもグランドラクモンも既に死に体だった。サーベルレオモンの足は既に突き付けられた一本以外はまるで動かず、グランドラクモンも紫紺の体躯の各所より青い血を溢れさせている。互いに互いを食い千切り合う肉弾戦は、周囲を業火に包み込みながらも終局の時を迎えつつあった。 「………………」  少し力を込めれば魔獣の息の根は止まる。それはわかっている。そして今この機を逃すことはできない。  グランドラクモンは究極体でありながら生まれたての赤子だ。自らの力の使い方も世界における立場も理解していない。数ヶ月前に遊びで対峙した際に使っていたクリスタルレボリューションもアイオブザゴーゴンも使わず、ただ下半身にある大口と四本の脚のみで攻めてきた。故に被害は光ヶ丘の中心部のみで済んでいるが、やがて技の使い方を覚えれば、更なる被害を振り撒くことになるだろう。逃げ惑う人々が発していた恐怖の大王という表現は言い得て妙だった。この力が存分に振るわれれば容易に世界を、人類を滅ぼし得る。  だから今すぐにでもトドメを刺すべきなのに躊躇うのは。 「?」  不思議そうに首を傾げる魔獣の仕草が。 「ギン……」  驚くほど自分の知っている女に。 「……ガ?」  瓜二つだったから。 『アタシの暗黒<エビル>、どうだった?』  いつだったか、そう呟いて首を傾げながら微笑む彼女は、美しかった。  愛していたと思う。間違いなく世界中の誰よりも。  けれど救えなかった。自分は救おうともしなかった。  嫌だったからだ。自分だけが死んで彼女が生き残るなんてことが許せなかったからだ。それを傲慢だと諭してくれた友人を持てたことは幸せだったけれど、それでも月影銀河は自分自身で自らの業と向き合わなければならない。あの女をこうしたのはお前だと、突き付けられなければならない。 「しぐ……れ」  女の名前を呼ぶ。  あの美しかった顔も、しなやかな手足も、豊満な肉体も、もう世界のどこにもない。  あるのはアンゴル・モアとまで呼ばれ、恐れられる魔獣の姿だけ。  こうなるだろうとわかっていて放置した。あの加速神器がヤバい代物だと気付きながら彼女にはそれを言わなかった。だから月影銀河には誰を糾弾する資格もない。ただ自分一人で死ぬのが嫌だと駄々を捏ねている疫病神だと評した親友の言葉は寸分の狂いも無いと改めて実感させられる。  ならば迷うな、躊躇うな。愛する女にこれ以上の破壊をさせていいのか。愛する女をこれ以上醜い姿で晒し者にするのか。 「ごめん、ね」  ほんの少しだけ足に力を込めた。それだけでプチンと、魔獣の頸動脈が切れる音がした。 「……ナンデ?」  脱力したグランドラクモンの肉体が地に伏す。それをサーベルレオモンは一際大きな建物に寄り掛からせた。  コポコポと魔獣の首筋と口の端から禍々しい色の血液が滴る。何度かデートと称して一緒に買い物に訪れた思い出のデパートがそれに穢されていく。それでも目を背けることはできなかった。不思議そうに首を傾げたままの彼女はきっと、最後の瞬間まで自分が何故死ぬのか、何故愛した男に殺されるのか、そもそも自分の体に何が起きたのかすら理解できないのだから。  ああ、これが自分の罪か。これが傲慢の結末か。 「ごめん……ね……ッ」  もう一度だけ呟く。噛み締めるように、そしてもう二度と振り返らないように。  サーベルレオモンに、そして月影銀河に感傷に耽る時間すら与えないとばかりに足元が揺れ始めた。どうやら件の地下研究所で何かが起き始めたらしい。サーベルレオモンの勘が告げている。間もなくグランドラクモンの比ではない者が地上に現れると。自分には愛する女を弔う時間すら与えられないようだ。  グランドラクモンの骸がゆっくりと消滅していく。それを振り返らない。  幸いにも魔獣が技も使わず力任せに暴れたことで周辺住民の避難は既に完了しており、人的被害はほぼ出ていないように思う。周囲の燃え盛る業火は問題だったが、肝心のサーベルレオモンにそれらを消火する能力はない。今この場にいたところで徒に住民を恐怖させるだけだろう。  それに。武藤竜馬と同様、龍崎時雨や車田香のように加速神器に呑まれていない以上、自分にもまだやるべきことがあるのだ。 「……ごめんね」  だから謝罪の言葉だけを紡ぐ。女々しく未練がましく、せめて消えていく愛する女に手向けを。  サーベルレオモンは、月影銀河は、愛する女と一緒に死んでやることさえできなかった。 「お二人とも大丈夫ですか?」  久方ぶりの外の空気だが、既に空は漆黒に染まっている。  上から響く煌羅の涼やかな声に現実感がなく、快斗も飛鳥も目を丸くして自分達を崩落する地下から救い出した存在を見上げた。 「これは……」 「ブレイクドラモン。ジンライの究極体です」  ブラキオサウルスとかアパトサウルスとか、そんな雷竜を思わせる巨体だが全身が機械化されており今までのジンライとは全く印象が異なる。その一方で全身の各所に配されたドリルやシャベルは重厚な建機を思わせ、これらを用いて自分達を救った上で地中を掘り進んで地上まで出てきたのだと理解した。 「ば、バケモンだぜコイツは」 「確かに圧倒されるな……」  機竜の体の反対側からそんな聞き覚えのある声がした。快斗と飛鳥がそちらに回り込むと。 「おーっ! ポンデ! お前生きてたのかぁ!」 「……イサハヤも」 「勝手に殺すな! いや死ぬとこだったんだけどさ!」 「ジンライに救われたのだ」  成長期の姿に戻った二体は、ダメージこそ大きいが命に別状はないらしい。 「ここ、どこだ……?」  どうやら光ヶ丘のデパート周辺に出たようだ。だが自分達は今出てきたばかりだというのに周囲は怪獣が暴れたかのように建物は崩れ、道路には無数の陥没が起きている。周りを囲むように燃え盛る業火が一種のバリケードを形作っているのか、この周辺には人っ子一人いないようだった。  まるでゴーストタウン。少なくとも飛鳥はこんな光ヶ丘を見たことがなかった。 「何が起きたのかしら」 「さーな、でも早く逃げた方がいいかもな」  遠くからサイレンの音が聞こえてくる。恐らく消防車だろう。 「はい。……でも」  地響きが鳴る。よろめいた飛鳥は思わず隣の快斗の腕を握ってしまった。 「……アイツは、逃がしてくれそうにありません」  目の前で西武デパートが派手に倒壊し、その地下から這い出して来る巨体。  一目でブレイクドラモンが掘り進んできた穴を追ってきたのだとわかる。燃えるような深紅の瞳は決してこちらを、仇敵たる煌羅を逃がそうとはしない。緑色に輝く爪を一閃させて周辺の建物の残骸を薙ぎ払うと、死の海と化した光ヶ丘に怠惰の魔王ベルフェモンは二本の足で大地を踏み締めて咆哮する。 「グオオオオオ!!」 「皆さん……下がっていてください」  対峙する煌羅に、不思議と気負いは無かった。 「コイツは私が……私とジンライが倒しますから」  いい顔だ。ブレイクドラモンの頭に乗る“娘”の横顔に快斗もそう思った。  自分は最初から一人ではなかった。そう気付けた時点で高嶺煌羅にはもう躊躇も逡巡も無い。人間としては両親のいない、デジモンとしては何の力もない中途半端な存在だった自分だが、隣にはいつもジンライがいたのだ。それを思えば寂しさなど感じる必要もないし、そのことを気付かせてくれた皆には感謝してもし足りない。きっと多分、この世界に来て良かったとかつてのアノニマスは思っている。この世界に来て快斗と、飛鳥と、皆と出会うことで高嶺煌羅は新しい幸せを貰えて、またとっくに持っていた幸せに気付かせてもらえたのだ。  恐怖などあるはずがない。今の自分達が負けようはずがない。 「ジンライ! 行きましょう!」  パートナーの頭上で吼える。表情は見えずとも自分達の心と力が一つだとわかる。  閃く魔王の爪を左右のショベルアームで弾く。記憶の限りでは聖騎士さえ一撃で仕留め得る攻撃だというのに微塵も恐怖を感じない。まるで手に取るように見える爪の軌跡を淡々と弾き、薙ぎ払いつつ徐々に魔王との距離を詰めていく。  止められない。今の自分達はきっと、誰にも止められない。 「……あれ、俺の娘なんだぜ?」  だから快斗はそう笑い。 「私達の、でしょ?」  飛鳥もそう笑った。きっと二人が顔を見合わせて笑ったのはその時が初めてだ。  無論、実際に向き合っている煌羅の心には余裕も油断もない。この場で押し切らなければ負けるとわかっていた。ベルフェモンは覚醒直後で力が十分に出せていないに過ぎない。故に今ここで仕留めなければ、かつて異世界の六割を消し飛ばした時のように人の世に必ず災禍を齎す。自分にとって大切な人達がいるこの世界でそんなことはさせない、させられない。  一歩、また一歩と接近する。 「グオオオオオ!!」  魔王の咆哮に僅かな迷いが見える。  その姿が煌羅には人相だけは知っている銀髪の女と、先程その魔王に食われた黒髪の女に重なる。 「インフィニティ……」  迷うな。躊躇うな。奴の正体など知る必要はない。魔王は今この場で倒さなければ。 「……ボーリング!!」  全身全霊のドリルの一撃を以って、怠惰の魔王ベルフェモンの胸元を穿つ──!  九条兵衛は自嘲する。政治家であったはずの自分がモグラの気分を味わうとは。 「待て、白夜!」  先のブレイクドラモンが掘り開けた地中のトンネルをタイラントカブテリモンに乗って進む玉川白夜を、兵衛はダークドラモンの背に乗る形で追跡していた。  あの娘が起こした進化を兵衛も見た。飛鳥や若僧が完全体への進化を齎したのと同様、あの娘もまた神器の力を借りることなくデジタルモンスターを究極体に至らしめた。それは彼の世界が未知数だとか研究不足だとかそういったことではなく、ただ若く未来のある者達が成し遂げた奇跡のように兵衛には思えた。 「……ぐっ」  喉が痛む。白夜が言っていた加速神器を使った代償という奴だろうか。  人はいずれ死ぬ。幼い頃より戦時下で命を落とす者達を見続けてきたからこそ、自らが死ぬこと自体は恐ろしくない。だが自分が死んだ後のこの国と一人娘のことを考えればこそ不安になる。自分以外の誰かにそれらを守れるとはとても思えない。九条兵衛は生きねばならない。最後の瞬間までこの国と鮎川飛鳥の為に。 「どうやら叔父上殿も最期の時が近いようだ」 「……白夜」  間もなく地上。トンネルの出口に夜空が見える場所で、タイラントカブテリモンの肩に乗る白夜が待ち受けていた。 「あの娘が異世界の聖騎士とやらだとしよう。だがそれに何の意味がある? 貴様の目的は何だ、白夜!」 「私の目的……確かに叔父上殿には知る権利があるか」  乾いた声で呟き、白夜はトンネルの外を見上げた。  空に火花がパッと散り、轟音が響く。先に地上へ出たベルフェモンとブレイクドラモンの戦闘は既に再開されているらしい。 「ベルフェモンは恐らくあの娘に敗れるでしょう。私の計画通り……ね」 「な……に? 貴様、魔王は異世界への扉を開く為の重要なキーだと……」 「その通り。ですがそれは計画が異世界の扉を開くことだった場合の話」  ニヤリと微笑む白夜。その酷薄な瞳は周り全てを道具としか思っていない男のそれだった。  そして次の瞬間、兵衛はハッとさせられる。白夜がまるでこちらに見せ付けるように手に構えた二つの神器。一つは今まさにタイラントカブテリモンを使役している正義<ジャスティス>だったが、もう一つの赤い神器は今彼が持っているはずのないものだった。そもそも彼が持っていた二つの神器の内の一つ、黄色の神器・自然<ネイチャー>は小金井将美と共にベルフェモンの腹の中のはずだから。  得心が行く。赤の加速神器・究極<アルティメット>を持つのは二人、武藤竜馬ともう一人は。 「貴様、それは霧江の……!?」 「ご明察。そして残る暗黒と自然を手にすれば……」  兵衛の手元の暗黒に白夜の視線が向く。 「全ては私の計画通りというわけですよ叔父上殿。シャインオブビー!」  完全に虚を突かれた兵衛とダークドラモンに、タイラントカブテリモンが全身から放った熱波が飛来する──!  荒れ果てた光ヶ丘に魔王の亡骸だけが横たわる。  インフィニティ―ボーリング。ブレイクドラモンのドリルで寸分の狂いなく急所を穿たれたベルフェモンは、完全に機能を停止していた。ジンライと繋がっている煌羅には確かな手応えがあり、如何に魔王とてもう立ち上がれるとは思えない。しかし駆け寄ってくる快斗や飛鳥の「見事だな、我が娘よ……」「凄いわ、煌羅!」などという賞賛の声を受けながらも煌羅の胸には何か違和感があった。 (呆気無さすぎます……)  これが本当にロイヤルナイツを壊滅させた怠惰の魔王なのか? 確かに自分とジンライは強くなった。かつて人の身を取った色欲の魔王を倒した時以上の力を得たと実感している。それでも如何に覚醒を果たしたばかりとはいえ、異世界に語り継がれるベルフェモンの強さはもっともっととんでもなかったはずなのだ。  煌羅が地下に潜る前にぶつかり合っていたはずのサーベルレオモンとグランドラクモンの姿も既に見えない。互いに相打ちになったのか、それとも。 「……何か、おかしいです……」  そう言いつつ後ろの快斗や飛鳥を振り返る。  仰向けに倒れ伏す魔王の体が消滅していく。音に聞こえた怠惰の魔王、かつて異世界を恐怖のどん底に陥れたベルフェモンは、ロイヤルナイツ最後の一人の生まれ変わりである高嶺煌羅によって討ち取られた。それだけが今この場における真実だ。  だが魔王が消えた廃墟の上、キラリと輝く何かが残されていることに煌羅は気付く。 「あれは……」 「……お前はやはり油断できぬ娘らしい」  それを拾い上げる一人の影。玉川白夜だった。 「あなたですか、全てを仕組んだのは」  駆け寄ってくる快斗と飛鳥を手で制し、煌羅は真っ向からその男と向き合った。  男の手に握られているのは黄色の加速神器だ。小金井将美と共にベルフェモンに食われたはずのそれは、魔王が死した今もどうしたわけか全くの無傷で残されて玉川白夜の手の内にある。更に男が白衣の内側から取り出したのは青と赤の加速神器、男自身のものと桂木霧江の遺品だった。 「しかし本当にあの魔王を倒すとはな。想定内とはいえ驚かされたぞ」 「……あの女性を食わせたのは、最初からそのデジヴァイスにベルフェモンのデータを記録する為ですね。でも記録したところで回収できなければ意味がない、だから敢えて私をこの場に誘い出して魔王を倒させた」  後ろで飛鳥が口に手を添えて目を見開く。 「その通りだ。後ろのご両親より賢いのではないか?」 「……不出来な親かもしれませんが、あなたに馬鹿にされる謂れはありません」  男の隣にタイラントカブテリモンの姿はない。どこからか奇襲を狙っているのか。 「そう警戒せずとも奴ならいずれ現れる。しかしこの際だ、アノニマスとしてのお前の意見を聞きたいものだが」 「アノニマス……?」  快斗が首を傾げる。出会った夜に一度だけ告げた名である。 「元々そのデジヴァイスは休眠中のベルフェモンのデータから作られたものですね。無限に眠り続けるだけの存在を元にしているからこそ、永遠に来ない覚醒の為に人の命を無制限に吸い上げ、逆にデジモンからはまるで睡眠中のように意思そのものを奪う。そしてあなたはその欠陥を恐らくは敢えて残した」 「ほう……何故そう思う?」 「目を見ればわかります。……あなたのそれは、同じ人を見る目ではない」  桂木霧江のムゲンドラモンを見た時点で気付けなかったことは失態だったが無理もない。ムゲンドラモン種は元より意思を持たないデジモンであったからだ。だがあの夜続けて乱入したサーベルレオモン、そして今夜のグランドラクモンを前にして確信した。彼らには己の意思が恐らくない。つい数刻前まで煌羅がジンライをそう思っていたように、ただ人間の力として在るだけの心なき怪物でしかなかった。  それを仕組んだのがこの男だ。恐らくベルフェモンをこうも容易く倒せたのも。 「……言ってくれるな、人間ですらない小娘がこの私に説法とは。ロイヤルナイツの末裔でありながら、私の助力がなければ怠惰の魔王を倒すことすら叶わなかった分際で!」 「やっぱり、あなたが……」  即座に確信できる程度にはあのベルフェモンは弱すぎた。  煌羅の推測でしかないが、小金井将美と共に怠惰の魔王に食われたあの加速神器には何らかのワクチン種のモンスターが仕込まれていたのだ。恐らくは魔王に対抗し得るワクチン種の究極体、それがウイルス種であるベルフェモンの体内で反発を起こし、魔王の力を弱めていたに違いない。  許せない、そう思う。魔王を利用したばかりか潔く全力で戦った上で散ることすらさせなかったことが。 「ねえ煌羅……」 「えっ?」  なのに、そんな正義感は。 「人間じゃないって、どういうこと……?」  後ろから呟いた“母”の表情だけで全て消え失せる。  散々自分に女狐と邪険にされてきたのに、高嶺煌羅にだけは明るく朗らかな色を決して崩さなかった彼女の顔が、どこか怯えたような、拒絶するような色を纏っていたことが、今までの何よりも高嶺煌羅の心を打ちのめす。 「ねえ、煌羅ぁ……っ!」 「……っ! 話は後です、今はこの男を──」  泣きそうな“母”の声を振り払う。隣の“父”の顔を見られなかったのは、きっと自分の弱さだろう。  別に隠しているつもりはなかった。ただ、この一年足らずの生活で快斗も飛鳥も出会った日の夜以外は全く聞いてこなかったから、自然と理解してくれているものだと勝手にそう思っていた。そもそもサーベルレオモンに生身で立ち向かう出会いを果たし、今またベルフェモンに果敢に挑んだ自分を普通の少女だと認識している方がおかしいのだと思う。  それでも言わなかった、言えなかったのは煌羅なのだ。  だから結局は隠していたのと同じだ。きっとあのアニメと同じく異世界で冒険する普通の少女だと思って欲しかったのだ。かつて滅びた騎士団の末裔で、そもそも生まれからして人間とは全く違う生命体だと思われたくなかったのだ。  少女は自分を良くしてくれる父と母に嫌われたくなかった、それだけの話。 「ふむ。確かにまだ不完全とはいえベルフェモンを倒したロイヤルナイツの末裔だ。今この場で戦えば確かに負けるのは私だろうな」  白夜は笑う。老獪といった単語が形を成したかのような余裕ある笑み。 「だが……」  飛来するタイラントカブテリモン。その手から落とされた何かが白夜の手に収まる。  この場にいる白夜以外の誰もが知る由もない。黒光りするそれは、グランドラクモンへと変貌した龍崎時雨が遺した加速神器・暗黒。魔獣が蹂躙する光ヶ丘団地の中に無傷で残されていた最後の一つだった。 「……少し遅かったな」  正義。  自然。  究極。  そして暗黒。  魔王のデータから作り上げられた四属性が揃った時、それらが淡い輝きを放ち始める。  私は何を言った? 何を言ってしまった?  隣の快斗がこちらの肩に手を置いて無言で首を振ったのを見るまでもない。見て見ぬフリをし続けてきたはずなのに、出会った日からそんなことはわかっていたはずなのに、恐怖と当惑でグチャグチャになった鮎川飛鳥の頭は、自分の言葉が彼女をこうまで傷付けるだろうことが予測できなかった。  自分の惨めに震えた言葉を聞いた瞬間の煌羅の顔を見れば一目瞭然だった。 「あ、煌羅……」  目の前に立っている白衣の男は、殆ど話したことはないが確か父の従兄弟だか甥だったかの研究者だ。まるで飛鳥は話についていけないながらも、どうも彼が本当の黒幕だったらしいことだけはわかる。  それでもそんなことはどうでもいい。彼の持つ四つの加速神器が光を放ち始めていることなどどうでもいい。  今すぐにでも自分は、煌羅に謝らなければ。謝って抱き締めてあげなければ。 「……少し遅かったな」  遅かった? 遅くなんてない。これから自分達はずっと一緒に──  無意識に反発した次の瞬間、鮎川飛鳥が見たのは。 「えっ……」  加速神器から放たれた一筋の閃光が、高嶺煌羅の小柄な体を貫く光景だった。  一瞬の出来事過ぎて反応できない。隣の快斗すら目を見張るだけで言葉を発しない。煌羅を貫いた閃光はそのまま自分達の間を通過して、その背後で立ち竦むブレイクドラモンの体をも貫通していて。  吹き飛んだ煌羅の体は、ちょうどブレイクドラモンの胸元へ叩き付けられた。 「あ、が……!」  それはまるで腹部に杭を打ち付けられて磔にされたよう。  少女らしくない嗚咽を漏らす煌羅の口から、コフッと小さな血の塊が地に落ちた。 「きら……ら」  即死でないのが不思議なほど。SFアニメで見るレーザー兵器というのは、きっとこういうものなんだろうとどこか他人事のように考える自分がいた。  恐らく時間にして数秒間、飛鳥も快斗も全く動けなかった。もうどうしようもないことが傍目にもわかる。串刺しにされた娘を救う手立てなど、単なる高校生の自分達にあるはずがない。  だから二人を我に返らせたのは更なる乱入者の声だった。 「飛鳥! その娘を殺せ! 今すぐに!」 「お、お父様……?」  ダークドラモンと共に降り立った父、九条兵衛の言葉だ。 「早く……それしか手は……!」  だが全身を焼かれたように黒く焦げたスーツの父は、それ以上の言葉を紡げない。 「生きていましたか叔父上殿。だが少し遅かったと言ったはず」 「白夜、貴様の思い通りにさせるわけには……!」 「タイラントカブテリモン、邪魔者を消せ」  同じく全身の鎧に亀裂を走らせ、その合間から黒煙を上げるダークドラモンの前にタイラントカブテリモンが立ち塞がる。 「くっ……」 「聞かせろお義父様! どういうことだ!?」 「貴様にお義父様と呼ばれる謂れは──」 「ンなことどうでもいいだろうが! 言え!」  快斗が父の胸倉を掴み上げて怒鳴っている。父にこんな態度を取れる人間は世界のどこにもいなかったのに。 「……白夜の目的はその娘を殺すことではない。恐らく加速神器の力でその娘を……」 「その通り」  四つの加速神器を構えた玉川白夜が一歩ずつ歩いてくる。 「元より私の目的はその娘だと言ったはずだ叔父上殿。ベルフェモンではない、他のあらゆる有象無象の怪物どもでもない。かつて異世界に名を馳せたロイヤルナイツの転生体、私の狙いは初めからその娘だけだった」  動けない。徐々にジンライとそこに磔にされた煌羅に近付いていく壮年の男を、まるで王の闊歩を見守る兵のように快斗も飛鳥も素通りさせるしかない。 「では私を止めてみるかな御令嬢。叔父上の言う通り、今この場で娘を殺せば私の目的は破綻する。既に虫の息である故に成長期程度の攻撃でも十分トドメとなろう。そのパートナーに命じてみるがいい、私の娘を殺せと」 「ふざけんな……!」  できるわけがない。自分達にそれができないことを知っていて煽っている。 「では黙って見ているがいい。君達の今夜の奮闘は見事だった……桂木霧江を退け、そこの九条兵衛ともやり合った。実に有用なデータを提供してくれたよ。だが家族ごっこはそろそろ終わりにしようじゃないか」  家族ごっこ? 自分と快斗と煌羅の過ごした日々が?  無様なぐらい涙で視界が滲む。この場において鮎川飛鳥は何もかもが弱かった。心も体もまるで思い通りにならない。あまりにも無力だった。目の前の男に駆け寄って張り倒すことも、心を鬼にしてイサハヤに介錯を命じることもできない。  ただ一言やめてと叫ぶことすら、自分にはできないのだ。 「その逡巡は正しい。君達も直に大人になるのだ、人でない化け物などと関わっていたことなど平凡に生きていく上での遺恨でしかない。斧やら竜やらを平然と繰り出す娘との生活など人の世にあるべきではない」  まるで先の恐怖心を見透かされるかのようだった。  煌羅を人ではない身だとこの男は言っていた。ムゲンドラモンに力を注いだ果てに死した桂木霧江、母だった人の姿を思い出す。煌羅もまたあのムゲンドラモンと同じ存在だったとしたならば、彼女と関わり続けた自分や快斗は果たしてどうなるのか。  そんなはずないのに。  そんなわけがないのに。  それでも飛鳥は、否定の言葉さえ紡げない。 「俺達の娘を、化け物扱いするんじゃねえー!」  快斗の声が聞こえる。立ち向かおうとしてすぐにタイラントカブテリモンの起こした風圧に吹き飛ばされて隣で引っくり返っている。それでもすぐに立ち上がって走り出し、やがてまた吹き飛ばされて戻ってくる、同じことの繰り返し。 「くっそー! やめろー!」 「煌羅を好きにはさせん!」  気付けばポンデやイサハヤも加わっている。けれど成長期の姿では結果は快斗と同じだ。  ただ愚直に突進して弾き返される彼ら。それを無様だなんて笑えない。だって自分の方が余程無様。鮎川飛鳥は涙で視界を歪めるばかりで立ち向かうことすらできやしない。煌羅を可愛がっていたつもりで全く向き合っていなかった自分に気付いたから。彼女が人間でないと聞かされただけでこんなにも動揺している自分に気付いたから。  それなのに、どうして。 「あ……が……」  腹を貫かれて今にも息絶えそうなのに、どうして。 「逃げ……て」  どうしてあの子は、私のことを思えるんだろう。 「無力な者達が無様に足掻くのも酔狂ではあるが飽きたな。……始めるか」  白夜が磔にされた煌羅に向き直る。四つの加速神器を構えた。  朱に染まった煌羅の口元が動く。両の瞼が微かに開いて虚ろだった瞳が、瑠璃色の瞳が見えた。  それは真っ直ぐに、この場で最も無様な飛鳥(はは)だけを捉えていて。 「お母……さ──」  煌羅とジンライを串刺しにするかの如く叩き込まれる加速神器。  その瞬間。  全てが決壊した。 「煌羅ああああああああああああああああああっ!!」  竜が、いた。 「フハハハ……フハハハハハハ……!」  空を覆い尽くす紅き翼。獣そのものの瞳はそれでも彼女と同じ瑠璃色で。  ブレイクドラモンより遙かに巨大、ベルフェモンより遙かに醜悪。 「やはりそれがお前の本当の姿だ! 素晴らしい、素晴らしいぞアノニマス!」  男が嗤っている。少女だったそれを嘲るように、竜と化したそれを讃えるように。 「愚民達が言っていたな。先のグランドラクモンを恐怖の大王<アンゴル・モア>だと! だが違う、ベルフェモンでもない! 私が求めたのは最初からこの力! この力こそが世界を滅ぼし得る恐怖の力<アンゴル・モア>だ!」  君臨する竜と猛り狂う男、まるでそれ以外の世界の全てが消え失せたよう。  光ヶ丘の空はその存在に支配され、自分達人間はただ滅ぼされるだけの存在だと告げられているような錯覚を抱く。事実、彼の竜の力なら数時間で容易く世界の全てを破壊せしめるだろう。  まさに恐怖の大王<アンゴル・モア>、そう呼ぶに相応しい威容だった。 「感謝するぞ叔父上殿、そして小僧ども! 竜帝エグザモン! 私はこの力で世界の全てを支配する!」  それでも男の言葉など殆ど耳に入らない。  飛鳥の頭にあるのはただ、意思なき瞳で自分達を見下ろしている“娘”だけだった。  見ないで。  そんな目で見ないで。  あなたを傷付けた私を見ないで。  ごめんなさい。  ごめんなさい。  謝るから。何度でも謝るから。  だから一度だけ、もう一度だけ。  呼んで欲しい。  お母さんって。  煌羅。私も呼ぶから。  煌羅。私が付けた、あなたの名前を。  煌羅。何度も、何度でも。  煌羅。だから、もう一度だけ────── ◇ ・ベルフェモン スリープモード/レイジモード  光ヶ丘の地下で研究されていた魔王。1997年に突如として人間界に現れて暴れ回るも、すぐに休眠状態に入ったことで人類の手に落ちた。日本において加速神器をはじめとする異世界の研究が飛躍的に進んだのは、主にこの魔王を手中に収めていたからに他ならない。どういう理屈か、小金井将美という女性を求めており、1999年7月に彼女を捕食したことで突如として覚醒、光ヶ丘でジンライと激闘を繰り広げた。  かつて異世界でロイヤルナイツと呼ばれる騎士団と戦い、その半数を死に至らしめた模様。  デジモン誕生の年である1997年に出現し、デジモンアドベンチャー放送年である1999年に覚醒するというデジモン愛に溢れた魔王。 【後書き】  いよいよ本作も佳境となります。夏P(ナッピー)です。  割と前回と今回の話を書く為にお盆休みを光ヶ丘の散策に費やしましたが、流石に四半世紀前の光ヶ丘を上手く再現するのは難しかったです。ぶっちゃけ無印デジモンアドベンチャーの映画を何度も見返した方が良かったまである。あの映画を見返すと最後にグレイモンとパロットモンが激突した大通りを歩きたくなりますよね。  というわけで、作者の書く話では珍しくロイヤルナイツが最強の存在として出現致しました。  残り3話!(多分) 是非最後までお付き合いください! ◇ ←前の話       FASE.1       次の話→
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夏P(ナッピー)
2022年8月20日
In デジモン創作サロン
←前の話       FASE.1       次の話→ ◇ 「ハアッ……ハアッ……ハアッ……」  光ヶ丘の団地の中、龍崎時雨は息を荒げながら道を急いでいた。  動悸が収まらない。まるで心臓からマグマの奔流が溢れ出したかのように体の中から熱が発しているように感じる。全身から噴き出る汗を拭ったところで、お気に入りのタイトなスカートのポケットに入っているそれに気付いた。 「なんでアタシ、こんなの……持って……」  加速神器・暗黒<エビル>。携帯電話すら持ち出すのを忘れたというのに、何故これだけ持って出ようと思ったのか。  体の調子がおかしいと気付いたのは今朝だった。単なる寝不足かと日曜日の特権で二度寝を決め込んだのだが、どうにも寝付けなかった。気付いた時には熱病に冒されたかのように全身が熱くなっていた。季節外れのインフルエンザかとも思ったが、27年の人生の中で一度たりとも風邪すら引いたことのない時雨である。寝ていれば治ると軽く考えて、寝付くまでの話し相手として知人達に電話をかけたのだが誰にも繋がらない。  恋人にして今冬に結婚を控えている銀河も。  同じ団地で新婚生活を営んでいる香と将美も。  最近仕事で忙しいらしく顔を合わせていない竜馬も。 「どうしちゃったのよ、アタシ……!」  へたり込みたい気分でマンションの壁に背を預けた。  救急車を呼ぶべきかと思ったが、気の所為だった時の気恥ずかしさが勝り、無理を推して歩いて行ける距離の香と将美の部屋まで来たが、どうも二人して外出中らしく何度チャイムを押しても反応はなかった。相変わらずラブラブらしいが、自分も冬には恋人とそうなるのだと思うと別段文句を言う気にもなれない。  歩くことすら辛くなってきた。自分の部屋まで戻れるだろうか。 「あれ……?」  おかしい。帰らなければならない。そう思っているはずなのに、時雨の足はどんどん自宅から遠ざかっている。  ふらつく足取りと上気した肌で街を歩く薄着の女はどうしたって目立つもので、奇異の視線を向けられることに気付いた時雨は、隠れるようにその足を路地裏へと向けた。息苦しさと熱さとで胸が張り裂けそうな感覚に襲われ、薄暗い路地裏で雑居ビルの壁に両手を付けて胃の中のものを吐き出した。 「ハア……ハア……えっ……!?」  吐瀉物の中に真っ赤なものが混じっている。平時であれば目を逸らしたくなるそれをマジマジと見つめ、やがて自分の血だと気付いた途端に全身を怖気が走った。  自分は死ぬのか? こんな突然、何が起きたのかもわからずに? 「もしもーし? おねーさん?」 「……?」  不意に猫撫で声が響いた。大方ナンパだろう、混乱しつつも冷えた頭でそう判断しつつ顔をそちらへ向けた。  実際その通りで、金髪や茶髪の如何にもな四人の男がニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら時雨のことを見ていた。20歳前後といった彼らの視線が、自分の全身を舐めるように這い回っていることが否応にも理解できる。体調不良でさえなければ、この手の輩をあしらうのは赤子の手を捻るより楽な作業なのだが。 「悪いけど……今日は、そういう気分じゃないの。他を当たってくれる……?」 「ちょっと自意識過剰だなぁ、おねーさんは」 「えっ……?」  首を傾げる時雨に男達は続ける。 「俺達が欲しいのは、そーれ」  男の一人に指で示されたのは、気付かない内に握っていた加速神器・暗黒だった。 「……これ?」 「そうそう、ちょっと訳ありでねー」  何故だろうか。これを渡すことでナンパがあしらえるなら安いものだが、不思議と彼らに渡してしまうのはまずい気がした。銀河や香とこれを使って互いのモンスターを戦わせた夜のことが思い出され、自然と時雨は神器を持った腕を引っ込めてしまう。あの時の充足感は何にも代え難いものがあったはずなのに、今どうしてこうなっているのか。  それを男達はどう取ったのか。 「まあタダでとは言わないよ」 「自意識過剰なおねーさんとは少し遊んであげてもいいんだよ」  勝手なことを言いながら空いている方の手を引かれる。  手首を軽く掴まれただけで全身がビリッと来て倒れそうになるのを辛うじて堪えた。 「触ん……ないでよ」 「おー、すっげー熱いじゃん……なんだ、やっぱりおねーさんも期待して──」  にやつきながら男の一人が時雨のチューブトップから露出した肩に手を伸ばした瞬間。 「えっ?」  バサリと響く乾いた音。その場にいる時雨以外の誰もが目を丸くする。  棒状の物体がコンクリートを転がる。その先には半端に開かれた五本の指が付いており、それはつまり。 「あっ……ああっ……!」  肘から先を失った男の狂乱の声。他の三人も言葉を失っている。 「お、俺の、俺の腕……っ!」 「アタシに……触んないで……よ」  熱に浮かされたように呟く時雨の腕が、血に塗れた獣のそれへと変わっていた。 「ば、化け物……!」  我先に逃げようとする男達。だがそれは敵わない。  女の両の脇腹を同時に突き破って現れた第二、第三の口が次々と男達に食らい付き、その肉体を余さず咀嚼する。聞くに堪えない嗚咽の後にそれらを完全に消化し切った脇腹の二つの口は、そこから流し込んだエネルギーで女の下半身を魔獣へと変異させる。  男をからかうことを何よりの楽しみとしてきた妖艶な美女、龍崎時雨の面影は最早そこにない。徐々に肉体を膨れ上がらせ、四本の足で大地を踏み締めたそれは、黒き双翼を携えた鮮血の魔獣。  壊れたテープレコーダーのように言葉を紡ぐそれは、もう若い女の声ではなかった。 「……触ンナイデ……触ンナイデ触ンナイデ触ンナイデ……ッ!」  究極体グランドラクモン。  覚醒した吸血鬼の王の足下で、画面の消灯した加速神器・暗黒が人知れず残されていた。 「へぇー、じゃあ煌羅ちゃんはカイちゃんのことも飛鳥のことも大好きなんだねー」 「な、何を聞いてたんですか!? 女狐のことなんて好きじゃありません!」  大泉の駅前のカフェでお茶しながら仁子は煌羅の鼻頭をうりうりと指でつつく。 「カイちゃんのことは?」 「……好きですよ」 「まあ年頃の娘はお母さんよりお父さんの方が好きって言うしなー」 「は、母親だなんて認めてませんからっ」 「まあまあ、とりあえずアイスコーヒーでも飲んでみ」 「ありがとうございます! うわ苦いっ!」  ケホケホ咽せる彼女の姿が面白く、一日中この少女のことをからかって過ごしている。  快斗が娘を預かってくれないかと連絡してきた時は驚いたものだが、実際に会ってみれば高嶺煌羅はなかなかよくできた子であると一ノ瀬仁子は思った。12歳だと言い張る割にその半分程度にしか見えないのはともかく、しっかり分別も弁えているし何よりも礼儀正しい。お調子者な快斗や落ち着きのない飛鳥と比べれてもむしろ大人なのではと思わされる。 「もう少しでパパとママ帰ってきまちゅからねー、大人しく待ってましょうねー」 「……ジンコさんって変な人ですね」 「うおう大分下の子に馬鹿呼ばわりされたっ!」 「いえ、なんか快斗さんに似てるなって」 「もっと失礼じゃねーかっ! ……うん?」  夕闇の中、サイレンの音が幾つも聞こえてきた。何か街が騒がしいような気もする。  ノストラダムスの大予言だなんて信じていないが、それを面白おかしく語り散らす人間はいるもので、今日も駅前ではそれ関係の演説をしている輩を何人か見た。それらは漏れなく警察に解散させられていたので今回もその手合いだろう。そう考えた仁子だったが、何やら周囲から「光ヶ丘に化け物」「公園から火が出て」「怪獣映画みたい」だの意味不明な声が聞こえてくるので眉を潜めた。 「……なんか物騒だね。早いけど家で待とうか煌羅ちゃ……」  そして視線を正面に戻して、仁子は目を疑った。 「えぇー!?」  向かいの席に座っていた高嶺煌羅の姿が、消え失せていた。  光ヶ丘の街中から突如現れた巨大な魔獣。  黒き双翼を備えた紫紺の体躯と醜悪な第二、第三の口を有する四本足の下半身。その上に立つ上半身は胸を抱くように両腕を交差させており、不可思議な気高さすら感じさせる容貌も相俟って神話の中でのみ謳われる冥府の住人であるかのようだった。それがつい数刻前までは美しい女であったことなど知る由も無く、まるで空を覆わんばかりのその異形を前に、やがて逃げ惑う誰しもが呟くのだ。  恐怖の大王<アンゴル・モア>が現れた──と。 『本日ハ晴天ナリ。』 ―――――FASE.6 「Imaginary Brigade」  グランドラクモンが暴れ始めるのを、近くのビルから玉川白夜は時代遅れの双眼鏡で眺めていた。 「龍崎よ、お前も失敗だったか……」  だが何ら成果を残せず加速神器に命を吸われた車田香よりはマシなデータが取れそうだ。そうした意味であの美しい女が醜い魔獣と化したことにも些かの価値は見出せる。  しかしスピノモンとグランドラクモン、どちらも失うには些か惜しい究極体である。目下暴走中のグランドラクモンはこちらで片付けるとして、問題はスピノモンの方だ。香が所持していた加速神器・自然は彼の妻に持ち去られてしまった。そしてその女は今、九条兵衛と桂木霧江が並ぶ戦いの渦中にいるという。  白夜は60歳を超えた老体、元より戦いは本職ではないので神器回収の為とはいえ、その場に乱入するには些かの危険が伴う。  まずは残る二人の教え子、月影銀河の正義と武藤竜馬の究極の回収を優先すべきか。 「あの二人とてそう長くはないはずだがな……」  笑うでも嘆くでもない。ただ淡々と、玉川白夜は死に行く教え子を思う。  正義、暗黒、自然、そして究極。四つの属性をそれぞれ宿す加速神器を、玉川白夜は二つずつの計八個作成した。それらが欠陥として使用者の生命力を削り取り、何らかの致命的な不具合を起こすことは想定の範囲内だ。むしろ意図的にその欠陥を残したと言ってもいい。異世界に伝わる神器を完全に再現するのは現代の科学では不可能であり、将来も見据えれば欠陥すら含めたデータ取りは必須だった。  故に白夜はまず四属性をそれぞれ、優秀だった教え子四人に託した。人体実験である。  スピノモンを育てた車田香は生命力を吸われて衰弱死した。  グランドラクモンを育てた龍崎時雨は肉体を内から食われて魔獣化した。  では残る二人、サーベルレオモンを育てた月影銀河とスレイプモンを育てた武藤竜馬、彼らは果たして如何なる死を迎えることになるのか。 「そして九条先生……恐らくあなた方も長くない」  九条兵衛の暗黒と桂木霧江の究極、あれらもいずれは回収しなければなるまい。  彼らの尊い犠牲により科学は進展する。近い将来、あの異世界に自由に人間が行き来できる日も来るかもしれない。それを思えば安い犠牲である。犠牲を恐れて発展しない科学など何の価値もないのだから。  そして残り二つ。白夜の手元に残る正義と自然は、果たして如何に活用すべきだろうか。 「……む?」  双眼鏡の先、何を考えているのかグランドラクモンに向かっていく人影を見た。  その影の主は、6歳ぐらいの少女のように見えた。  山間部の木々を薙ぎ倒し、サーベルレオモンとスレイプモンの死闘は続く。  ネイルクラッシャーが聖騎士の前足の鎧を砕き、同時にオーディンズブレスが獅子の後ろ足を凍り付かせる。ほぼ同時に相手の機動力を奪った二体は、互いの得物が届く距離で再び対峙してジリジリと必殺の機会を伺う。飛び道具が意味を成さない状況、ここからは血湧き肉躍る殺し合いだ。 「竜馬。……君は、間違っている」  同時に遠く離れた森で向き合う二人の男が、互いの足に反動(フィードバック)を受けて跪く。 「……聞こう」 「恩義に報いると君は言った。だが君の恩人とやらは本当にその価値がある男か?」  片足を千切られるような痛みに、その顔を苦渋に歪めながら月影銀河は友に問う。 「九条先生の……悪口は……」 「違うんだ、竜馬」  睨み返す武藤竜馬を手で制して続ける。 「僕が言っているのは、玉川白夜のことだ」 「教授……だと?」  サーベルレオモンが前足を叩き付け、スレイプモンの、竜馬の上半身が仰け反る。 「ぐっ……!」 「九条兵衛の計画のことは僕も調べた。なるほど確かに高潔だ、世間では真っ黒だの裏との繋がりだの言われているが、あの政治家先生の本質は少年のように真っ直ぐらしい。確かに竜馬、君が恩義を感じるに値する男だとは思う」  続け様に弓を番えようとする右腕に牙を突き立てる。足を止めての肉弾戦であるならば、聖騎士スレイプモンより古代獣であるサーベルレオモンに分があるのか。 「だが一方で玉川白夜、僕らの教授はどうかな」 「どういう……意味だ」 「如何に清涼なる水流も、一滴の淀みで容易に汚れるということさ」  学生の時分より、銀河は玉川白夜という男を信用していなかった。  厳格な男であるし、生真面目な男であった。教えを請うにこれ以上優秀な男もそういないだろう、それは事実だ。だがそれ以上に自分以外の人間を自分と同格の価値があると捉えていないような、そんな雰囲気が彼にはあった。常に誰かを見下しているかのような玉川白夜の冷たい瞳が、月影銀河は当時から苦手だった。 「黙れ!」  スレイプモンが聖盾ニフルヘイムを叩き付ける。その一撃でサーベルレオモンの脇腹が抉られ、獅子と同期する銀河もまたガハッと血を吐いた。 「淀みと言うならそれはお前だ月影! お前だけではない! 龍崎も! 車田も!」  誰よりも冷静だったはずの同級生が叫ぶ。 「お前達はいつもそうだ……! 未熟で浅はかで愚かで、その癖あろうことか偉大な先人のことを侮辱する! 彼らの為すことを、為したことを感情論で否定する! この国の平和が今在るのは誰のおかげだ! その恩恵に預かって生きてきたのは誰だというのだ! 批判をするだけなら容易い、邪魔をするだけなら誰にでもできる! 何も為せないお前が、正義ですらない八つ当たりしかできない若僧(おまえ)が、九条先生と玉川教授を語るな……!」  盲従である。恩義と尊敬はその実、武藤竜馬の視界を確かに狭めていた。  叫びと共に放たれる聖騎士の打撃が、確実に獅子の肉体を抉っていく。身体能力と攻撃力そのものはサーベルレオモンに分があったとしても、生身の体を晒す古代獅子と頑強な鎧で身を固めた聖騎士とでは耐久力が違いすぎる。接近戦で殴り合えば先に力尽きるのがどちらであるかは明白だった。 「……君は、純粋だね」  理解して欲しいとは思わない。それでもきっと届くと信じている。 「君がそんな男だとは、知らなかったな……!」  だって自分達は友人だ。同じゼミで四年間の苦楽を共にした学友なのだから。 「表面的な友情など……俺には興味がない」 「……それには同意だよ」  既に両者とも満身創痍だ。数メートルの距離を保って立つ二人の男は、互いに千切れそうな肩を押さえながら荒れた呼吸を必死に整えようとする。 「それでも僕は、あの教授の邪魔をし続けるよ……」 「……何故、そこまで」 「僕だけじゃない。時雨も、香も……そして君の命も、懸かっているからね」 「な……に」  目を見開く竜馬。きっとそれが彼の見せた今日初めての隙だった。  故にそのタイミングしかない。サーベルレオモンが凍り付いた足に構わず飛ぶ。凍結から無理矢理引き剥がした足の裏が抉れ、後ろ足が奇妙な方向に捻じ曲がる。その蛮行に刹那の反応が遅れたスレイプモンが弓を番えた時には、獅子は機能を失った一本を除いた三本の足で走り去るところだった。 「月影、貴様……!」  咄嗟に振り返った竜馬が唇を噛みつつ視線を戻した時、月影銀河は既に仰向けに倒れ伏していた。  サーベルレオモンが犠牲にしたのと同様、銀河の片足も捻れている。恐らくは再起不能、まともに歩くことは二度とできないだろう。何よりもあの獅子を使役し続けた男の肉体は、そもそもそう長く持つまい。 「逃げるが……勝ちってね……」 「……俺が今この場でお前の息を止めれば、サーベルレオモンも消えるはずだがな」 「それは、考えてなかったな」  嘘だ。竜馬はそう思う。息も絶え絶えの癖に真っ直ぐな月影銀河の目が告げている。  この男は竜馬が今ここで自分にトドメを刺すなど微塵も考えていない。そして最初からスレイプモンを倒す気もなかったらしい。考えていたのは如何にしてこちらを出し抜くか、ただそれだけのことだった。  呆れた男だ。そして食えない男だ。思えば学生の頃からそうだった。 「教授は誰よりもお前を買っていたな」 「光栄だね。……おかげで今、酷い目に遭っているんだけどね」 「違いない」  何故か竜馬は笑った。場違いに笑い合った。  だからだろう。空を見上げて、くだらないことを言いたくなった。 「九条先生の目的は、奴らの生きる異世界をこちらの世界と繋ぐことだ」 「……いいのかい」 「ここにいる生きた人間は俺だけだ、くさったしたいが一体いるがな」  雑魚モンスター扱いは辛いな。銀河はカサカサの喉で再び笑った。 「先生の理念は崇高だ。我が国の国土は狭い。山間部を除けば居住可能面積は更に狭まる。これ以上の発展には、国土の拡充が必要だと考えたのだ。だが先の大戦以降、国際社会では他国の侵略と植民地支配は事実上不可能となっている。そこで目を付けたのが、玉川教授の提案した異世界との接続だった。人の絡まない領域への進出、それこそが九条先生の理念の根幹となっていった」 「ファンタジーだね、なかなかに」 「俺も初めて聞いた時はそう思った。だが教授の作った加速神器、これは部分的にあちらの世界をこちらに繋ぐことで怪物を召喚させている……そしてスレイプモンを育て上げた時、俺もまた得心した」  彼らの住む異世界は必ず存在するのだと。 「それからは知っての通りだ。俺は九条先生の為に行動してきた、そしてこれからもだ」 「………………」 「だが月影、お前は教授には別の目的があると言ったな」  ゆっくりと頷いた。全身が痛む今、それが竜馬に認識できたか銀河には不安だった。 「記憶しておいてやる。だがお前がまだ妨害を続けるというのなら、俺は容赦をしない」  それだけだ。そう言い置いて武藤竜馬は踵を返す。 「トドメは刺さないのかい……?」 「言っただろう。ここにはリビングデッドが一体いるだけだと」 「ちょっとだけランクアップしたね……」  よろよろと体を起こす。片足はもう死んだようだが、それ以外はなんとか動かせた。 「……ありがとう、竜馬」  そう告げる。それ以上の言葉はない。  だから竜馬の方にも余計な言葉は要らない。彼は数秒だけ立ち止まり、東京へと続く空を見上げて何を思ったのか、僅かに顔をこちらへ向けて。 「また会おうな……親友。龍崎と車田と……玉川ゼミの皆で」  学友への最後の離別の言葉を口にするのだ。  少女は群衆の波に逆らって走る。  空が朱に輝いているのは夕闇の所為だけではないと理解した。 「大変です……!」  幾度となく噴き上がる火の手はまるで火山のようだ。ここに来るまでに消防車と救急車を何台も見かけた。元より両親──母の方は母と認めていないが──と出会って以降、殆どの時間を静岡で過ごした身の彼女は東京の地理という奴に明るくはなかったが、この先にあるのが光ヶ丘と呼ばれる場所だということだけは理解できた。  光ヶ丘。今日、彼と彼女が向かった場所のはずだ。 「快斗さん……!」  駆ける。6歳児とは思えない速度でただ駆ける。  警察の封鎖もまだ完璧ではないらしく近付くのは容易だった。何せ逃げ惑う人々とは逆に走ればいいのだ。今日一日面倒を見てくれた一ノ瀬仁子には悪いことをしたが、巨大な怪物が現れたと聞いてただ待っていることはとてもできなかった。  この世界を訪れてから一年弱。対峙したのはサーベルレオモンとムゲンドラモンの二体。どちらも全力を出せない今の自分とジンライでは倒せぬ難敵であった。だが何か違うという直感があった。聡い彼女には、いずれ彼ら以上のとてつもない敵が現れるだろうという確信があったのだ。  果たしてその確信は的中する。高層マンション以外には大したビルもないので次第に見えてくる件の場所に君臨するそれの姿を、高嶺煌羅はその目でしかと見た。  知っている。その禍々しい魔獣の名を、煌羅は知っている。 「グラン……ドラクモン……!?」  しかし煌羅でも名前以上の情報を殆ど持っていないダークエリアの管理者。音に聞こえた七大魔王以上とも謳われる闇の魔獣の姿がそこに在る。  有り得ない、そう思う。彼の魔獣はその化け物染みた容貌に反して策謀を己が本分とする知性体であるはずだ。その在り方は力こそ是とされる世界において異質であり、数多の天使型を甘言で堕落せしめて世界を裏から引っ繰り返すとされた存在なのだ。それ故に奴が何ら益のない人間界に現れることなど考えられなかった。  違和感はもう一つ。サーベルレオモンとムゲンドラモン、どちらも究極体クラスの存在がこの世界に現れた時、存在の隠蔽の為に必ず発生していたデジタルフィールドが今はない。地響きと共に光ヶ丘を火の海へと変える怪物の姿を、誰もが目にしてしまっている。  しかし止めざるを得ない。自分はその為にこの世界に在るのだから。 「ジンラ──」  だが公園の入口まで辿り着いたところで煌羅は手を止める。  避難する人々が奇異の目でこちらを見ていた。年端も行かぬ少女が両親も伴わないまま、逃げる素振りも見せずむしろ怪物の方へと向かおうとしているのだ。奇異の目、また心配の目で見てくるのも当然の話だった。親と逸れた可哀想な迷子とすら思って声をかけようとする大人達の姿も見えた。  ここでジンライは出せない。彼らを巻き込むことはできない。 「快斗さん、どこですか……!?」  咄嗟に彼らの視線から逃げるように再び走り出す。  携帯電話というものを煌羅は持たされていなかった。だから快斗や飛鳥を探すには、ただ足で走り回ることしかできない。光ヶ丘団地からデパート地帯へと進んできた魔獣を視界に捉えながら近隣で彼らの痕跡を探す煌羅。しかし慣れない土地、見知らぬ場所、更には逃げ惑う人々でごった返す現状でそう簡単に見つかるものではない。  気付いた時にはグランドラクモンは公園エリアまで侵攻してきていた。 「……私、どうしたら……!」  避難はまるで完了していない。一切の技を使用せず、ただ全てを薙ぎ倒して闊歩してくるだけの魔獣を前に、人間はあまりにも無力だった。  数多の人々が踏み潰されようとしている。つい先程まで平和だったはずの彼らの生活圏が為す術無く蹂躙されようとしている。デジモンの存在は隠匿しなければならない、何よりも人々に先程のような奇異の目で見ることは耐えられない。ここでジンライを出せば、怪物を使役する女だと知られれば、二度と快斗と過ごしてきた面白おかしくも平和な日々に自分は戻れなくなるかもしれない。  だから迷いがある。躊躇いがある。後ろ髪を引かれる思いがある。  誰の所為だ、誰の所為だ、誰の所為だ──! 『子供が遠慮するもんじゃありません-!』  いつか聞いた、そんな声が頭に響いた。 「……誰が! ……遠慮なんて……っ!」  反発心が噴き上がる。頭の中で撃鉄を引き起こす。  気に入らない女の気に入らない声が、気に入らないことに何より高嶺煌羅を奮起させた。  魔獣の足が迫る。その足に今にも踏み潰されようとしている幼子の姿が見えた。恐らく煌羅より年少の童女だろう、母と逸れたらしく大声で泣き喚いている。その姿がかつて今この場所で倒れ、二人の男女に拾われた時の自分と重なって見えた。それだけで何かに救われたような気分になった、名も無き少女(アノニマス)の姿とダブって見えた。  今度は自分の番だと、そう思えた。そうできるだけの力が、自分にはあるはずだから。 「ジンライーーーーッ!!」  咆哮する。迷いも躊躇も打ち捨てて、ただ正面に迫る魔獣に立ち向かわんと吼える。  形成される電脳骨格(ワイヤーフレーム)は以前より遙かな巨大。張り替えられる深緑の翼は大型の副腕へと変貌し、振り下ろされるグランドラクモンの前足を受け止める。かつてのジンライより地上戦へ特化した竜が、逃げ遅れた少女を守るべくそこに立つ。  完全体グラウンドラモン。ジンライの進化した姿、元に戻りつつある姿。 「……気に入りませんけど」  曲がりなりにも自分を奮い立ててくれた彼女のことを思い浮かべる。 「あなたの街は、私が守ってみせますから……!」  高嶺煌羅の刃は、新たな力を得てグランドラクモンと対峙する。  桂木霧江が玉川白夜という男に加速神器を与えられたのは、ちょうど昨年のクリスマスだったと記憶している。  兵衛の甥で大学教授だと聞いたものの、あまりに胡散臭そうな男に嫌悪感を隠さなかった霧江だったが、人間のDNAを吸って育つ生命体を育成してみないかと言われた時、何年か前に大流行したたまごっちみたいなものだと思えば、それはそれで何か面白そうだと思ったのも否定はできない。  自分自身のDNAを与えてモンスターを育てるのは、どこか子育てにも近くて楽しかった。 『教授サン、この子ら、普通にご飯食べさせたり戦わせたりでは強くなんないわけ?』  ある日、完全体まで到達した辺りで玉川白夜にそう聞いてみたことがある。 『ポケモンのようにか?』 『……えー、教授もポケモンとかやるんだ。いやそうなんだけどさ』  白夜は少しだけ考え込んで答える。 『考えられんな。この世界で生きる以上、彼奴らは人のDNAを吸わねば育たんはずだ』  そんなもんかとその時はそれで納得した。 (どういうこと……だい……?)  だが今、霧江の胸に去来するのは疑問だった。 「イサハヤ、進化した-!? なんか飛んでる-!?」 「フフフ、格好良いだろう?」 「カッコいいけど足が三本あるわー!?」 「サッカー日本代表のマスコットだぞ」 「うるせえ! ドーハの悲劇思い出させんな!」  場違いに騒ぎ立てる一人と一羽の声がどこか遠かった。  目の前の鮎川飛鳥のパートナーが成熟期から完全体への進化を果たした。だが彼女は自分と違ってパートナーにDNAを与えた様子はない。そもそも彼女は加速神器を持っていない。実は九条兵衛が愛娘に気を回して霧江の知り得ないルートで託していたのかと疑ったこともあった。だが三ヶ月前の戦いの時、敢えて見せびらかした加速神器・究極を飛鳥は知らない様子だったのだ。  自分と彼女達は違う? それともあの教授サンが嘘を吐いていた? 「だ、だけどまだ完全体じゃないか! ムゲンドラモンの敵じゃな──」  言葉が続かなかった。  カハッと乾いた音は自分の喉元から。 「……は?」  思わず口に添えた手が朱に染まっている。  意味がわからない。攻撃されたわけではない。そもそも最早あの飛鳥が生身のこちらを狙ってくることなど有り得ないとわかっていた。それなのに迫り上がってくる吐き気と全身に走る鈍痛の原因は一体どこから──。 「……なんだい、こりゃ……」 「えっ……霧江……さん?」  一瞬にして立っていることすらできなくなり、弛緩する桂木霧江の体が倒れ伏す。  目を丸くする飛鳥の姿が見える。彼女の後ろで立っている小金井将美が、口元を両手で押さえながら「カヲル君と同じ……?」だの言っているようだったが、そのカヲルというのが誰なのか霧江にはわからなかった。  急速に力を失っていく体。不思議なぐらいあっさりと、自分は死ぬのだと理解した。 「霧江さん!? ちょ、どうしたの霧江さん!?」 「飛鳥、待て!」  パートナーであるヤタガラモンの制止も聞かずに飛鳥が走ってくる。全く以ってその鳥の言う通りだと霧江は思う。戦いの最中なのだ、敵の策や罠だと思って然るべきである。もし自分がこの場でムゲンドラモンに攻撃を指示したらどうするというのだ。相変わらずあまりの甘さに反吐が出そうになる。  それでも、そうだとしてもだ。 「霧江さん! どうしたの!? しっかりして、霧江さん!?」  今まで殺し合っていたはずの自分を本気で案じ、抱き上げて呼びかける鮎川飛鳥の甘さと優しさが、桂木霧江にはこの世の何よりも好ましく、また愛おしく思えるのも確かだった。その真っ直ぐさだけはきっと、否定されてはいけないものだと思った。  この子に何を教えてあげられただろう。  この子に何を遺してあげられただろう。  戦いの中で何度も彼女の命を奪いかねない指示をしてきた自分は、多分そんなことを考える資格すらない。それでも同時にどこかで楽観的に思うのだ。きっと彼女は許してくれるだろうと。きっと彼女は、こんな身勝手な自分のことさえ変わらずに“母”と慕ってくれるだろうと。 「飛鳥……ちゃ……」  歪んでいく視界の中、霧江は血塗れの手を“娘”の頬に伸ばす。  だがそれは届かない。  ごふっと。  今一度、その口から朱の色を吐き出して。 「霧江……さん……?」  その手に携えた加速神器・究極が地に落ちる。  力を失った女の手が血の海に沈む。  桂木霧江は。  鮎川飛鳥の“母”は、死んだ。  ローダーレオモン。それがポンデの進化した姿だった。 「ポンデが、完全体に……!」 「……貴様、神器も無しにどうやって……!?」  九条兵衛の戸惑いの声が響くがどうでも良かった。  ポンデが今ここで進化したのには何か理由があり、同時にそうなるだけの必然があったというだけのこと。理屈など後から付ければいい、そこに意味があったのかなど偉い人が偉い頭で考えればいいことだ。 「ここからが本番だぜぇオトウサマ!」 「デジモンまでもがその名で呼ぶな!」  ポンデの言葉に激昂した兵衛の怒りを受け、ダークドラモンが突撃してくる。  なるほど、先程までの生身のライアモンにとって彼奴の全身は凶器のようだった。携えた大槍に留まらず彼奴の蹴りも拳も全てが致命傷となる。しかし今は違う、全身機械の完全体ローダーレオモンにとってはパンチもキックも大した脅威とはならない。故に意識するのは突き出される右腕のギガスティックランスただ一点。  ダークドラモンは思考が指示者と一体化しているが故に、その行動が予測しやすい。 「ボーリンストーム!」  高速回転させた鬣で正面からポンデはダークドラモンの槍を受け止める。  ギャリギャリと耳を劈く音と共に交錯した箇所から火花が散る。  あちらは究極体でこちらは完全体。  言うまでも無くパワーの差は明白だったが、だからこそ付け入る隙がある。それは決して理屈ではないのだ。自分達なら勝てる、自分達ならやれるという確信こそが満身創痍の彼らの肉体を突き動かす、常識的には勝てるはずのない相手をも打倒し得る──!  そして九条兵衛もまた、そこで初めて対峙する相手を小僧一人ではなく。 「貴様ら……!」  そう呼んだ。相対する敵を小僧一人とデジモン一匹だと見定めたのだ。  ギガスティックランスが弾け、ダークドラモンの体勢が僅かに崩れる。ダメージはない、ただよろめいただけに過ぎない一瞬。対してローダーレオモンの方は既に限界だった。回転の止まった鬣は各所に亀裂が走り、再度の防御体勢は最早不可能と見える。究極体の一撃を完全体の身で受けるにはそれだけの代償が要る。  そして、それだけの価値がある。 「ポンデ! 決めろーっ!」  全てはこの一瞬の為だ。正面から立ち向かったところで防がれるだけだと知っていた。  そして何より快斗とポンデのプライドが許さない。自分達を散々甚振ってくれた相手には全身全霊の攻撃を打ち破った上でそれ以上を返さなければ自分達の方が納得できない。故にダークドラモンの突撃を敢えて誘ったし、それを逃げずに正面から受けることを選んだ。  意地だ。誰に理解できなくてもいい、これは自分達の意地だった。 「ローダーモーニングスター!」  必殺技の直後で硬直したダークドラモンの脇腹に、ポンデのハンマーが炸裂する──!  ジンライが激しく尻尾のハンマーを打ち付けた。  だが状況はまるで好転しない。グラウンドラモンのメガトンハマークラッシュは、僅かに魔獣の上体を揺らした以上の意味を成さない。 「ジンライ……!」  確かに地竜のパワーは、グランドラクモンの闊歩を押し留めることを可能とした。  だがそれも一瞬だけだ。奇しくも煌羅の父が同時刻にそう直感していたように、完全体と究極体との間には覆せない壁がある。そして今、煌羅が必要としているのはその差を覆せるだけの純粋な力であった。  ジリジリと追い込まれるジンライの巨体。前足を副腕で受け止めたとて、彼の魔獣は残る後ろ足でコンクリートを踏み締めて邪魔者を撥ね除けようとする。段階(レベル)どころか体躯の差すら歴然、あらゆる意味で向こうが上回っている以上、このまま力比べをしたところで押し切られるだけ。  もう光ヶ丘公園内に人気は無い。先の少女も大人が駆け付けて回収していった。 「どうしたら、どうしたら奴を倒せるんですか……!」  だから残るは奴を倒すだけなのに、その手立てがまるで見つからない。  薙ぎ倒された木々が轟々と燃え上がり、立ち竦む煌羅の頬をチリチリと照らす。この世界を訪れて以降、次々と現れる究極体を相手に高嶺煌羅は一度として勝機を見出すことができていない。ずっと得物として用いてきた斧は、もう何の役に立つのかもわからない。  全ては自分が力不足だからに他ならない。本当は自分こそがポンデもイサハヤも、そして前田快斗も鮎川飛鳥も守らなければならないのに。 「もっと……もっと私に力を! ジンライーーーーッ!!」  叫ぶ。喉が枯れんばかりに叫ぶ。 「……それはもう少し先まで取っておくんだ」  そんな穏やかな声が聞こえた。聞こえたような気がした。 「えっ……?」  煌羅の視界に影が差す。顔を上げると、そこには。 「サーベル……レオモン……!?」  かつて襲われ、また救われた宿敵の姿がある。  だが違う。目の前のグランドラクモンから煌羅を、ジンライを守るかのように現れたその獅子の体躯は以前より遙かに大きく、グランドラクモンと伍するように見える。それでいて如何なる戦いを経てきたのか、脇腹は醜く抉れており、後ろ足の片方は千切れかけて殆ど機能しているようには見えなかった。 「何故……?」  獅子は一瞬だけ煌羅の方を振り返ったが、それ以上の言葉は無い。  それでも煌羅には、今のは確かにサーベルレオモンの言葉だったように思えた。穏やかで優しい声、そこには明確に煌羅を守るという意思があった。 「グオオオオオオ!!」  獅子が吼える。この世界に来て初めて、煌羅はデジモンの咆哮を聞く。  ポンデやイサハヤが行うような人間に近い鬨ではなく、それは純粋な獣としての唸り声。野生のライオンそのものと言わんばかりのそれが周囲の大気をビリビリと震わせて、煌羅は思わず右手で顔を覆った。グランドラクモンはこの場で必ず仕留める、そうした意思の表れに感じられた。  逆にグランドラクモンはその上半身の首を傾げさせた。乱入者が何故この場に現れたのかわからない、そんな反応。 「ネイル……クラッシャー!」  獅子が前足を魔獣に叩き付ける。その叫びもまた、煌羅が初めて聞くものだった。 (違う……あの時のサーベルレオモンとは、何かが違う……!)  グランドラクモンに反撃の意思はない。自分の脇腹を打った獅子の前足を第二の口で咥え込むが、咀嚼しようとする気はないように見えた。二体の巨大な獣が絡み合うようにして、至近距離で沈黙する。そういえばあの魔獣は今まで歩き回るだけで、ただの一度として技という技を使う様子がない。  そこで煌羅は一つの仮説を立てる。使わないのではなく、使えないのではないか? 「サーベルレオモン! 多分そいつは必殺技を使えな──」 「……行くんだ」  遮るようにその言葉が脳裏に届いた。  またも響く穏やかな声。こちらに向けられている獅子の瞳に気付く。だから煌羅が聞いたそれはサーベルレオモンの声であるはずだったが、何かが違う気がした。それでも不思議と逆らえない強制力のようなものが存在する声だったように思う。  うつ伏せで呻いているジンライの体が消滅する。煌羅の心は決まったから。 「ここは、任せました」  そう呟く。彼に助けられるのは何せ二度目なのだ。 「……ご武運を!」  駆け出す。グランドラクモンだけに構っている場合ではない。  煌羅の直感が告げている。早く快斗と飛鳥を探してこの場を離れなければ。  きっとこれから、もっと大変なことが起こる。  大した一撃だった。ダークドラモンの脇腹の装甲が砕けている。  だがそれだけである。一撃に全てを懸けたローダーレオモンは最早動けない。それに対してこちらはそれ以上の損傷はなく戦闘行動に何ら支障はない。究極体と完全体が真っ向から打ち合えばそうなるのも必然だった。  勝敗は決した。それでも兵衛は、ダークドラモンにトドメの指示は出せなかった。 「……小僧、名は」  そう問うた。賞賛などできない。何せ愛娘を奪おうという男だ。 「前田、快斗」 「娘はやらん。……が、覚えておいてやる」  それがギリギリの譲歩だ。本来なら顔を見ることすら許せない相手だというのに。 「お父……様」  そんな兵衛の背中に響く愛娘の声。  数年ぶりに直に顔を合わせるというのに、随分と格好の悪いところを見せてしまったな。そんなバツの悪さで振り返った兵衛の視界に映る娘は。  どういうわけか鮮血で頬を濡らし。  最早動かなくなった桂木霧江の骸を抱き。  ただ血の海の中で、跪いていた。 「あ、飛鳥……!?」 「私じゃない……わ、私、知らない……いきなり……霧江さんが……し、死んで……」  カタカタと震える娘の顔。まるで自分が殺してしまったとでも言いたげに痙攣する彼女の頬は青白く、まるで生気を感じられなかった。  見れば桂木霧江が使役していたはずのムゲンドラモンも消え失せている。自分と相対していた小僧と同様、飛鳥の連れていたデジモンもまた完全体に進化したらしく、彼女の後ろで佇んでいる黒い烏がそれだろう。しかし恐らくは完全体、霧江の使役するムゲンドラモンを倒せるとは思えない。何しろ完全体では究極体を打倒し得ないことは、ちょうど今ローダーレオモンとダークドラモンが証明している。  それなのに何故? 何が起きた? 数多浮かぶ疑問符が兵衛の肉体を硬直させる。 「オイ! 気をしっかり持て!」  その声でハッとする。いつの間にか動いていた小僧とローダーレオモンが、呆然とする飛鳥に駆け寄ると共に霧江の骸から引き剥がした。自分達が血塗れになるのも厭わず、迷わず動いたその様に兵衛は今この場で最も冷静だったのはこの若僧達だったのかもしれんと他人事のように思った。  瘧のように震える飛鳥の体を若僧が抱き竦めていることに、何の怒りも感じなかった。 「私は……知らない……」  己の口から出たのは奇しくも飛鳥と同じで、また大人として最も無責任な言葉だった。  有り得ない。霧江の骸を挟むように若僧(こども)達と向き合いながらも、兵衛の視界に彼らの姿はまるで映っていなかった。つい数刻前まで生きていた桂木霧江との数多くの記憶が思い起こされ、それが次々とシャボン玉のように消えていく。こんなはずではない、こんなことは有り得ない。 「アンタ、最初からこのお姉様を利用して……」 「違う! 私は元より人間の命を無碍に扱うことなど──」 「いやっ!」  全ては言い訳だ。若僧の胸元に縋り付く娘を見ればそれは明白だった。 「違う、飛鳥……違うのだ、私は……こんなはずでは……!」  九条兵衛には一つの夢があった。この国の子供達へ、未来ある若者へ託したい夢が。  先の大戦が終わった後、復興を始めた日本は気付けば世界有数の経済大国となっていた。だが高度成長の時代は終わり、やがて途上国と呼ばれた周辺各国も我が国に追い付いてくることだろう。そして仕事柄、海外へ赴くことの多い兵衛は、今もまだ欧米で我が国が極東のちっぽけな島国と蔑まれている現実を身に染みて実感している。悔しいが全て事実だった。維新から一世紀半、ここまで成長できたこと自体が奇跡と言っていい。やがて世界の中でも我が国は突出した存在でなくなるのは明白だった。  そこに甥の玉川白夜が行っていた研究が繋がる。かつて米ソが競り合っていた宇宙開発のように、21世紀を目の前に我が国は新たなステージへ進むのだ。我が国の国土は決して広くなく、山間部の広さを思えば居住可能面積など僅かなものだ。その解決策として挙げられたのが、まだ人類の一切の手が入っていない異世界の開拓だった。  夢見がちな老人の馬鹿げた施策だった。だが兵衛は甥の研究に可能な限りの出資を行い、その甲斐あって白夜は異世界の知的生命体をこちらの世界へ顕現させる技術を完成させた。それらを試験的に我が国で育成し、行く行くは異世界とのコンタクトを取る。彼らの絶対的な力があれば防衛費の削減にも繋がる。そうした計画だった。  その為の恐怖の大王<アンゴル・モア>。今この場で眠る魔王もまたその一環なのだ。  全ては幼き頃よりの願いの為だ。我が国に生まれたことを若者達が誇れるよう、我が国は世界のトップを常に走り続ける国でありたいと。 「……ああ。そういえば斯様な計画でしたな、叔父上殿」  小馬鹿にしたような声が響き、その場の全員がバッと振り向く。  部屋の最奥、先程まで桂木霧江が立っていた巨大カプセルの前に一人の男が立っている。年齢は60歳前後、すっかり白髪の増えた頭と白縁の眼鏡は身に纏う白衣も相俟って、人々の想像する研究者そのものといった姿。 「白夜……!」  玉川白夜である。本来であれば大学の研究室から出てこない男が、この場にいた。 「どうやら桂木君も失敗らしい。……いや私も見る目がない。既に八分の三が大した成果を残せず終いとは」 「失敗だと……?」 「その通りですよ叔父上殿。元より加速神器は人間の命を吸うことで彼らをこの世界に留める欠陥装置。使用した者は多少の前後差さえあれ、等しくある時期を限度として死に絶えるようになっている」  笑う。兵衛の知る甥は本来こんな顔で笑うような男ではない。 「1999年7月に……ね」 「な……に?」  邪悪そのものの微笑を以って、玉川白夜は死刑宣告を行う。 「今は失敗作の一人がこの上で暴れている。そして九条先生、あなたもそう長くないはずですよ。今にもその身は死せるやも……」 「貴様……がっ!」  突如迫り上がってきた嘔吐感に跪き激しく咽せる兵衛。 「お義父様!?」 「き、貴様にそう呼ばれる謂れは……ない……」  だが吐血は無い。単なるプラシーボ効果、不可思議な魔力のある甥の言葉を前に肉体に違和感を覚えてしまっただけのことだった。それを前にして、白夜は残念といった風に空を仰いだ。 「そうタイミング良くはいかないか。さて、残るはこの二つをどうするか……だが」 「あっ……そ、それは……っ!?」  嘲笑うように掲げられた白夜の右の手に握られていたものを前に息を呑んだのは、今までただ呆然と成り行きを見守るしかなかった小金井将美だった。  黄色の加速神器。それはつまり。 「車田将美さん……だったかな? 旦那さんのことはすまなかったね。彼はこれに命を吸われてしまった……いや、正確に言えば香君はこの中で生きているんだ。研究が進めばいずれ彼を甦らせることが可能やもしれんぞ……?」 「ほ、本当ですか……!?」 「本当だとも。それまでこれは君に預けておこう……君もそれがいいだろう?」  挑発するように加速神器を手元でゆらゆら揺らす白夜。  まるで夢遊病の如き虚ろな目で将美が白夜の方へ歩き始める。元より夫が死んだばかりで不安定だった彼女の精神は、白夜の誘いを前に完全に決壊していた。ただ夫が吸い込まれたという加速神器へとふらふら歩いて行く彼女の姿は、どう見ても異常な光景であろう。  そして違和感に気付いたのは、快斗の腕の中で放心していた飛鳥だった。 「黄色の……加速神器……?」  その目に輝きが戻る。即座にあらん限りに叫ぶ。 「ダメだよ将美さん! それ、私が持ってるもの!」  飛鳥の言葉を理解したのは快斗、そしてポンデとイサハヤだけだった。  彼らの判断は早く、ローダーレオモンとヤタガラモンがふらふら歩いて行く小金井将美を止めようと飛びかかる。 「ぐっ!」 「がっ!」  二体が白夜の目の前、何もない空間に突然吹き飛ばされた。 「……黙っていてもらえるかな御令嬢。この娘にはこれが必要なのだよ」 「何だ……!?」  快斗が目を凝らすとその空間が歪む。  何か巨大な存在がいる、それは快斗にも理解できるのだが、その正体が掴めない。そしてそんな空間の歪みの向こうで、将美が白夜から黄色い加速神器を受け取っていた。 「カヲル君……カヲル君、えへへ……良かった、良かったよぉ……!」  愛する夫が生きている、死んだはずの夫がこの中にいる。そう信じた女が加速神器を胸元に握り締めて童女のようにはにかんで笑う。二度と離さないと言いたげにギュッと握られたそれから、ぼんやりと紫紺の光が漏れ始めていることにすら小金井将美は気付かない。その女の視界には、妄想の夫の姿以外もう何も映っていなかった。 「将美……さん」  飛鳥が絶句する。何にも縋れるものがなく、ただ快斗の服の裾を握る手に力を込めた。  どうしようもなかった。きっと先刻出会った時点で既に彼女は壊れていた。小金井将美を救うことは、もうこの世に存在しない彼女の夫以外には最初から誰にもできなかったのだ。  そして白夜以外、その場の誰も気付かない。 「……始まりだ」  白夜の背後に聳える巨大な培養カプセルで眠り続ける存在が、ゆっくりと目を開きつつあった。  エレベーターで地下に辿り着く。もう役に立つとは思えないが、念の為に斧を手に持って暗闇を進む。 「怪しさ満点過ぎますね……」  周囲を油断なく確認して進んだ通路の先は一枚の扉だった。  怪しい人影は今のところない。むしろ何もなさ過ぎて逆に不安になる。大分地下に潜ったからか、地上の戦いの震動はすっかり収まっている。それとも既に戦いは終わったのか。  どちらにせよ煌羅は進むしかない。6歳児には少し高いドアノブをジャンプして引く。 (ここに……快斗さん達がいる)  何故だかそんな確信がある。  扉を開くと、そこは巨大な研究室のようだった。幾多の培養カプセルが並べられ、その中には煌羅には見知ったデジモン達が入れられている。いつの時代も人間達はデジモンを利用して悪巧みを働くと聞くが、どうやらこの時代でも同じらしい。特に憤りも無く淡々と思考して先を急ぐ。  声が聞こえる。誰かが声高々に演説でもしているようだ。培養カプセルに阻まれて歩みが遅くなるが、こうした時に子供の体はやはり不便だ。  声の主はまだ遠いが、物陰から顔を半分だけ出して様子を伺う。  開けた広場の中、血の海に沈んだ死体が見えた。それが快斗や飛鳥だったらと思うと一瞬だけ顔から血の気が引いたが違うらしく安心した。しかし目を凝らしてよく見ると、それはそれで煌羅には見知った顔だった。 (色欲の魔王? し、死んでるんですか……!?)  あちらの世界でリリスモンと呼ばれた女だ。三ヶ月ほど前に静岡で対峙した顔でもある。  見間違えるはずのない顔だが、煌羅のことを彼女は覚えていないようだった。それが釈然としなかったのだが、もしかしたら人違いだったのだろうか。世界に三人はそっくりさんがいると快斗から教わったし、そもそも煌羅の知る色欲の魔王は今転がっている死体の彼女と違って銀髪だった。  身を乗り出す。聞こえてくる声も何か記憶にあるようだった。 「この声……」  部屋の最奥、まるで玉座のように段差が築かれた高台で男が語っている。  そこによろよろと力無く近付いていく細身の女性の姿が見える。後ろ姿だけでは判別が付かないが、恐らく飛鳥ではないと思う。その飛鳥はといえば、快斗と隣り合って何かを叫んでいるようだった。  どちらも無事だったらしい、それに安心したと同時に。 (……なんか距離、近くありません?)  そんな考えが脳裏を過った。焼き餅じゃありません、断じて。  やがて飛鳥の叫びを受けて、体を機械化したライオンと三本足の烏が飛び出した。きっと完全体に進化したポンデとイサハヤなんだろうと思うが、その二体が男に飛びかかろうとした寸前、いきなり弾き返された。  状況が読めない。もう少し近付いてみるしかない。 「……黙っていてもらえるかな御令嬢。この娘にはこれが必要なのだよ」 「何だ……!?」  快斗の声だ。一瞬だけ空間が歪んだ理由を、きっと彼は理解できていない。 (……あの男の、デジヴァイスだ……!)  だが煌羅にはわかる。あの白髪の男性が左手で握った青いデジヴァイス──以前、色欲の魔王にそっくりなあの女は加速神器とか言っていた──から召喚された何者かが、無造作にポンデとイサハヤを薙ぎ払ったのだ。正体は判然としないが究極体クラスの存在であることは間違いない。  更に近付く。後ろ姿だった女が黄色いデジヴァイスを受け取り、こちらを向いて満足げにへたり込んでいる。 「……えっ!?」  その女の顔を見て煌羅は目を見張る。既に後方に位置する、色欲の魔王と瓜二つの女の死体を振り返る。  何故ならデジヴァイスを胸に抱き、恍惚とした表情で微笑む女もまた、煌羅の見知った顔だったからだ。むしろ人間界に逃げ込んだ彼女を追って自分はこの世界を訪れたと言っても過言ではない。大切な同胞を数多殺戮し、姿を消したとされるあの魔王を倒す為に自分という存在は在ったのだ。  だが違和感がある。あの女もまた黒髪だ。色欲の魔王モドキと同じく銀色の髪ではない。 (有り得るのでしょうか……? 魔王に瓜二つの女性が二人も同時にいるなんて……)  考えつつ、もう少し注視すべく目を凝らして。 「──────ッ!」  今度こそ煌羅の全身が総毛立つ。  煌羅の視線の先にあるのはただ一つ。どこか狂ったように微笑み続ける黒髪の女の後ろに聳えるあまりにも巨大な培養カプセルだった。そこで培養液に満たされて眠り続ける存在を煌羅が忘れるはずがない。忘れられるはずがない。それはかつて異世界を、煌羅の世界を滅亡寸前まで追い込んだ魔王。一度目覚めれば全てを消し飛ばすと言われた終焉の使者。覚醒前に煌羅が倒さなければならない自分にとって最大の仇敵。  怠惰の魔王。  それが、それ自身に瓜二つの黒髪の女を眼前に、その瞼を開き始めていた。 「快斗さん! 今すぐそこから離れてッ!!」  聞き慣れた声の聞き慣れない必死さに、小金井将美の壊れた様を見つめることしかできなかった快斗と飛鳥は我に返される。  振り返った先、汗だくで走ってくる“娘”の姿。 「き、煌羅!?」 「あなた、なんで──」  そんな自分達の反応すら苛立つと言いたげに快斗と飛鳥の手を引き煌羅が叫ぶ。 「あの女の人をベルフェモンの傍にいさせてはダメです!」 「ベルフェ……何だって?」 「早く! そうしないと大変なことに……!」 「……聡いな。それが件の娘か」  玉川白夜が動く。先程と同じように空間が歪み、ポンデ達を弾いたそれが正体を現した。  それを快斗は一見して、如何なる生物であるか認識できなかった。アンバランスなまでに巨大な両腕と醜悪な牙を覗かせる顎は竜そのものだったが、一方で上半身と下半身に備わるそれぞれ三対の羽根は昆虫のそれを思わせる。それでいて紫紺の体躯と撓る尾は蛇のようでもある。  ダークドラモン以上に無機質な生命体が、自分達の前に立ち塞がっていた。 「だが黙って見ておれ。……面白いことになるぞ?」 「……タイラントカブテリモン」  動けない。まるで蛇に睨まれた蛙の気分だ。  快斗も飛鳥も煌羅が乱入する前と同じように成り行きを見守るしかない。唯一、煌羅だけが構うものかと動こうとしたが、飛鳥が咄嗟に後ろから彼女の両腕を羽交い締めにして止める。 「は、離してください……!」 「ダメ……! 大人しくしてて……!」  ジタバタ暴れる煌羅の前で、カプセルの中の魔王の目が、口が開いていく。 「ふふ、カヲル君ったらぁ……」  カプセルに背を向けている将美は気付かない。彼女はもう幻想の中にしか生きていない。 「将美さん……!」  救えない。そうわかっているのに飛鳥は言ってしまう。手を伸ばそうとしてしまう。  瞬間。  パリンと強化ガラスが飴玉のように割れる音が響き、カプセルの中から伸びた魔王の舌が小金井将美の体をその手の加速神器ごと絡め取る。 「えっ」  不思議そうな将美の声。  やがて洪水のように溢れ出す培養液。そこへ川を逆流するかの如く巻き取られた舌が戻っていく。魔王の口へと、どこか愛玩動物のようにすら思える外観とは裏腹に無数の鋭利な牙が生え揃う口内へと。  無論、絡め取られた小金井将美の体ごと。 「もうやだカヲル君皆さんの前でいきなりこんなちょっいや嘘やめてダメ壊れちゃ千切れ潰れ砕けあっなんだ私もうとっくに壊れてアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」  快斗と飛鳥が咄嗟に二人同時に煌羅の目と耳を塞げたのは、きっと奇跡だったのだと思う。 「……すまん」 「な、何がよぉ……!」  全く意味がわからない。謝りたいのはこっちだし、謝るならちゃんと私の目と耳も塞いで欲しかった。思考が纏まらないだけではない、涙で視界もグチャグチャだ。今聞いた咀嚼音を鮎川飛鳥はきっと永遠に忘れられない。もう既に恐怖で歯をカタカタ鳴らしながら、全部夢だったらいいなと思ってしまっている。 「喜ぶがいい、お前達がいるのは破滅のショーの特等席だ」  玉川白夜の歌い上げるような声と共に、姿を変えたそれが屈強な二本の足で這い出てくる。  そこにはもう先程までの愛らしさなど微塵もない。鋭い牙が並ぶ口元を女の血で濡らしたそれは、どういう理屈か知らないが小金井将美を食したことで覚醒したその魔王は、ムゲンドラモンを超す体躯と禍々しさを以って、最初の獲物として自分達を選んだようだ。  ただ燦々と輝く深紅の瞳は、まさしく悪魔の王であった。 「ゴアアアアアアアアアアアア!!」  魔王が吼える。その衝撃波は快斗と飛鳥に煌羅の目と耳を塞ぎ続けることさえ許さない。  その咆哮だけで体が消し飛んでしまいそうな錯覚。実際、それで吹き飛ばされたポンデとイサハヤは成長期に戻ってしまっている。勝ち目など有り得ないし、そもそも立ち向かうという意思さえ起こさせない。それだけの存在が今目の前に立つ魔王だった。 「や、やだぁ……っ!」  立っていられない。衝撃波とか関係なく、ただ恐怖だけで快斗も飛鳥も膝が竦んでいる。  情けないぐらいの涙声が口から漏れる。ああそうか、自分達もここで小金井将美と同じようにアレに食われて死ぬんだと、漠然と理解できてしまった。  なのに。 「えっ……?」 「煌羅……?」 「……ふぅ」  その隣で表情を変えぬ少女がいる。  高嶺煌羅は、自分達の“娘”はその小さい体で高校生の自分達が立っていられない風圧の中を悠然と歩いて行く。気負いは無い、恐怖も無い。ただそうすることが当たり前であるかのように魔王と対峙するかのような姿勢を取る。 「快斗さん、色々とお世話になりました」  振り向いて笑う。普段通りの礼儀正しさで。 「……何だよ、それ」 「この半年、色々なことがありましたけど」 「煌羅、あなた何を……」 「女狐のことも、まあ……嫌いじゃなかったです」  頬を人差し指で掻いた。ほんのり紅いそこを隠そうとせずに。 「女狐はやめてよぉ……じゃなくて、そうじゃなくて……そうじゃなくてぇ!」 「最初からこれが私の役目だったんです」  煌羅の横、空間が歪んでジンライが現れる。  コアドラモンではない。背中に副腕を備え、四本の足で大地を踏み締めるその姿は、快斗にも飛鳥にも見たことの無い姿だった。 「これ以上二人を巻き込むわけにはいきません。……でもベルフェモンは、怠惰の魔王だけは私がここで絶対倒しますから」  声が出ない。快斗も飛鳥も水面で息継ぎをするように口をパクパクさせている。  歩いていく煌羅を止めることができない。それでも絶対に勝てないとわかる。ジンライが進化したとはいえ完全体、先程九条兵衛がローダーレオモンを前にそう判断した通り、究極体と完全体には絶対的な差があるのだ。況してや、目の前に立っているのは究極体の中でも頂点に立つと言われた魔王だというのに。  なのに、それなのに。 「……だから」  どうして彼女は。 「もし私が無事に戻ってきたら」  絶対死ぬとわかっていて。 「よくやったって、褒めてくれますか?」  自分が勝てないとわかっていて。 「お父さんとお母さんって、呼んでもいいですか──?」  役立たずの両親(おれたち/わたしたち)の為に戦えるんだろう。  フゥともう一度嘆息した。  心残りはない。元よりこれが自分の役目だった。生まれた時から怠惰の魔王を仕留める為に生きてきたのが名も無き者(アノニマス)としての自分だった。それ以外のあらゆることは目的の前の寄り道に過ぎない。だからそれらはアノニマスにとって感傷である。記憶も思い出も全て余計な荷物だった。  それを今、魔王との対峙で捨て去ろう。 『お前は俺の娘だ。……ずっと、娘だ』  それでも。 『この子は、私が守るんだから!』  捨てたくないものが、捨てられないものが。 『さっき俺とハニーで決めたからな。今からお前の名前は高嶺煌羅だ! どうだ、気に入ったろ!?』 『ハニー言うな』  この胸には、確かにある。  顔を上げると魔王と目が合った。唸り声を止めて少しだけ首を傾げたように見える魔王は果たしてこちらのことを覚えているのだろうか。覚えていようがいまいが、こちらに魔王に関する記憶はない。アノニマスとジンライとで6年ずつ、合わせて12年の人生しか生きていない自分だ、全ては知識として知り得ているというだけで前世から引き継いだ記憶など何一つない。  恐怖心が無いなんて嘘だ。この身はどこまでも人間であり、精神構造も人のそれと変わらない。 「久し振りですね……ベルフェモン」  それでも己を奮い立たせる為に言う。 「私のこと、覚えてますか?」  叶わぬ願望だとしても、自分の命を燃やし尽くして少しでも近付けるならいいと。 「私はかつてあなたに倒されたロイヤルナイツ最後の一人! 倒された数多の同胞達の、故郷を滅ぼされたデジモン達の、そして今ここであなたの悪行の巻き添えになろうとしている人達の為に!」  自分を娘だと言ってくれた彼を守る為に。  自分を守ると言ってくれた彼女を救う為に。 「高嶺煌羅は、あなたを倒すんです!!」  たとえ勝ち目がないとわかっていても、高嶺煌羅は魔王に挑むのだ──! ◇ ・ヤタガラモン“イサハヤ”&ローダーレオモン“ポンデ”  敵が究極体ばかりの作品で今まで成熟期で頑張ってきた二人がやっと到達した完全体。だが1999年時点ではデジヴァイス(加速神器)の助け無しで人間界においてデジモンが完全体以上に進化することは有り得ないとされているが……?  インフレが速すぎて、作中時間5分で通用しなくなる悲劇の主役達。サヴァイブにローダーレオモンも出たら完璧でしたねえ!! 【後書き】  そんなわけで第6話となります。大分終盤が見えて参りました。デジモンといえば光ヶ丘だろおおおおおということで、本作の決戦の舞台は光ヶ丘となります。サイバースルゥースで新宿やお台場は舞台になったのに光ヶ丘が絡まなかったのに少々悔しい思いを致しました。団地以外に高いビルがそんな多くない街なので怪獣映画風の絵面にはし辛いですが、だからこそ子供達の間近で怪獣バトルができたのかなーと最近デジモンアドベンチャーの映画(最初の)を参考に見返して思ったりしました。  残り4話! なんとか5日に1話ペースで終わらせたいですね! ◇ ←前の話       FASE.1       次の話→
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夏P(ナッピー)
2022年8月15日
In デジモン創作サロン
←前の話       FASE.1       次の話→ ◇  訪れるのはクリスマス以来だろうか。  相変わらずのボロ屋だが妙な安心感がある。練馬区と保谷市のちょうど境界線にあるそこは前田快斗にとって母方の実家であり、東京を訪れた時の拠点でもあった。 「ようジンコ、久し振りだな~」 「来たね……カイちゃん」  ニヤリと笑って同い年の従姉妹、一ノ瀬仁子が姿を見せる。  祖父母や両親と共にこの家で暮らす彼女とは、子供の頃から互いに悪友と呼んで差し支えない関係を築いている。明るくノリ良く馴れ馴れしい者同士、男女の分け隔てなく妙に気が合ったということも大きかったように思う。  仁子に促されて居間へと向かうと、季節外れの掘り炬燵が目に留まる。ここでポンデ達と初めて話したわけだが、それがもう半年以上前だと思うと懐かしさを覚える。こうやって人は大人になるのだなと自分らしくない感慨に耽る快斗であった。 「バアさん達は?」 「新宿に買い物だってさ」  相変わらず活動的な親族だと笑いながら、仁子の持ってきた麦茶をグイッと飲み干した。  7月なので木造建築を吹き抜ける風は、心地良さより蒸し暑さの方を運んでくる。 「……で、そちらが件の娘っち?」 「たまごっちみたいな言い方すんな。……ほら煌羅」  そこで初めて、初めて会う仁子を警戒して「ううっ」と唸りながら、自分の背中にくっついていた煌羅を引き剥がす。出会った時からやたら人見知りする子である。  それにしては快斗や飛鳥に対してはそんな素振りを見せなかったのは何故だろうか。 「俺の従姉妹のジンコな。男を取っ替え引っ替え弄ぶ悪魔だ」 「は、初めまして。……悪魔……?」 「ちょっとカイちゃん! 失礼な紹介やめてくれるー!? 別に弄んでるわけじゃなくて、私は単純に若い内は存分に色々な経験をしたいなってだけでねー!」  中学生の頃から会う度に彼氏が変わっていた女がよく言う。最近は流石に大人しくなったのか、今の彼氏とは長く続いているようだが。 「俺の従姉妹だから煌羅にとっては……おばさんか?」 「ぬおおおおお私10代の内におばさんかああああああああああ」  その場に跪いて頭を抱えつつ体を反らして絶叫する仁子。  正直、それにドン引きしている煌羅だったが、同時にこうも思うのだ。 (この人、快斗さんに似てる……)  同じ祖父母を持つ従兄弟同士なので然もありなんである。  そうでなくても親族の中で前田快斗と一ノ瀬仁子は似た者同士で通っていた。何年も前に彼らの曾祖父が亡くなった際、葬式の翌日に二人して大騒ぎを起こして大層叱られたような愚か者達だった。 「でも流石の私も驚いたよね-! 去年のクリスマス、カイちゃんがナンパしたのが飛鳥だったなんてさー!」 「……え? 女狐ともお知り合いなんですか?」 「いや女狐って……あの子、狐って言うより虎じゃない?」  本人がいない場所でいけしゃあしゃあと言う仁子である。 「女虎じゃ語呂が悪いじゃないですか……」 「いやそこ拘るの? 煌羅ちゃんは真面目だなぁ」 「ま、真面目なのはいいことですよ!?」  そんな煌羅の頭をガシガシ撫でながら、仁子は快斗の方に向き直る。 「ま、その飛鳥はまだ私とカイちゃんが従姉妹だって気付いてないみたいだけどねー」 「そのハニーのことなんだが」 「……うっわ、マジでハニー呼びしてんの? それ流石に引くんだけど」 「ジンコはハニーの親御さんのこと知ってっか?」 「そこスルーすんのかよ。えっとね、お母さんとは一度だけ会ったことあるけど、やたら若そうで派手な感じの人だったかなー。それとお父さんはいないって聞いた記憶がある」 「なるほど」  父親のことは誰にも話していないようだ。それも当然か、もし快斗が彼女の立場だったとしても、自分から話したくなる内容だとは思えない。そして同時に友人にも愚痴らず、ただ自分で抱え込んでいた鮎川飛鳥の義理堅さに快斗は少なからず好感と憧憬を抱く。仁子の方からちょくちょく敢えてヒントを振っていたにも関わらず、それでも仁子と快斗との関係に気付かなかったのは単に鈍いと言えるかもしれないが。 (流石は……俺のハニーだけある)  そう思うと自然、怒り顔で「ハニー言うな」と返してくる飛鳥が浮かぶようだった。 「じゃ、俺は出かけるから煌羅はジンコといい子にしてるんだぞー!」 「ええっ! 本当に置いてくんですか!?」 「いいじゃん煌羅ちゃん、今日はおばちゃんとおままごとして遊びましょ-!」 「離してください-! あと子供扱いしないでくださいー!!」  しかし今日、これから会う彼女のことを考えるとどこか息が詰まりそうになる。  それは多分、父親のことを語る時だけ苦しそうになる鮎川飛鳥の声を知っているからだ。 『本日ハ晴天ナリ。』 ―――――FASE.5 「Deep Forest」 「ちょ、待てよ!」 「キムタクみたいなこと言わないでよ」  八ヶ月前に初めて出会った場所を二人で歩く。  鮎川飛鳥と前田快斗の姿は、イサハヤとポンデを伴って光ヶ丘の公園に在った。約束の七時まではまだ数刻ある。それまでデートと洒落込もうと提案した快斗の言葉を無視しつつ、結局二人でファミレスで駄弁っていたら夕方になっていた。  先を行く飛鳥から少しだけ速度を落としたイサハヤが快斗に並ぶ。 「許して欲しい。飛鳥も緊張しているのだ」 「……みたいだな」 「実を言うと快斗も緊張してるぞ! オトウサマに会うんだからな!」 「コラそこぉ! 誤解されるような言い方するんじゃねえわよ!」  振り向いてビシッと指を突き付ける飛鳥だが、対する快斗の表情は固い。  決してイサハヤやポンデの言うような方向性の緊張ではない。そしてそれは快斗の方とて同じだった。ファミレスで数時間雑談に花を咲かせた飛鳥と快斗だったが、それはどこか現実からの逃避のようだった。  そして実際のところそれは正しいのだろう。絶望的なぐらい現状の打開策は見つからなかったし、その事実に彼ら自身気付いていながらも、残り二時間で自ら敵の懐に飛び込んでいかなければならない。引くこともできた事態に自らで関わることを決めた以上、困難から逃げ続け、先延ばしにしてきたツケは、自分達で支払わなければならない。  それが如何に重大かを認識しているのは、飛鳥よりむしろ快斗の方だった。 「……せめてお前らが完全体になれればな」 「完全体? 何よそれ」 「私達には段階(レベル)があってな。あのムゲンドラモンは我々の頂点たる究極体であるのに対して、私とポンデはまだ成熟期までしかなれないのだ。究極体までにはまだ完全体という段階を挟む必要がある」  快斗の言葉にイサハヤが補足する。そういえば霧江さんがそんなこと言ってたなーと呟く飛鳥である。 「何とかなるって! 究極体だって無敵じゃないからな!」  普段なら無条件で同意するポンデの言葉に今日は頷けない。  煌羅を渡さない為に刻限を設けた。飛鳥も快斗もそれぞれイサハヤとポンデの協力込みでどうにかしてムゲンドラモンに対抗する術を今日まで磨いてきたつもりだ。だがその結果がこの様である。自分達が殺されることはないにしても、心境としては勝機が見えぬまま死地に赴くに等しい。 「敵があのムゲンドラモンだけとは限らないのだからな……」  イサハヤが嫌なことを言う。ムゲンドラモン単体にも勝てなかった自分達だ。しかもあのサーベルレオモンの乱入がなければ死んでいた、それだけの相手に成熟期二体の戦力しかないこちらでどうやって挑むべきか。  イサハヤと同じように速度を落とし、飛鳥が快斗と並んだ。 「アンタ、なんか今日暗いわね」  隣の男の顔を覗き込んでそう言う。 「……そうか?」  不思議そうに言う快斗。飛鳥はその胸倉を掴んで怒鳴りたい衝動を辛うじて堪えた。  アンタがそんな調子でどうするのよと言ってやりたい。ここで失敗すれば煌羅は父に連れて行かれるのを止める術はなくなるのに、今日のこの男はどうも心ここにあらずといった調子で先のファミレスから調子が狂う。  もっと馬鹿なこと言って私を怒らせてよ。  いつもみたくハニーって言って私に「ハニー言うな」って言わせてよ。 「いい。……今日のアンタ、元気無いんだ」  だから快斗の返事を待たず、飛鳥は視線を正面へと戻した。  それらは多分、全て鮎川飛鳥の身勝手な言い分だ。刻限を設けたのも今日この場で逆転の手札を用意できなかったのも自分なのに、気付かない内に煌羅のことに関しては、情けないぐらい自分は前田快斗に依存していたらしかった。笑えるぐらい自分は、脳天気にしか見えない彼の言葉に救われていたらしかった。 「二人とも感じ悪いぞー」 「言うなポンデ。この状況下なら誰でも……む?」 「お?」  イサハヤとポンデが何かに気付く。  それは公園の外れのベンチに力なく腰掛けている女性の姿だった。 「あっ……」  一瞬イサハヤ達を隠すべきか逡巡した飛鳥だったが、すぐに言葉を失った。 「将美さん……!?」  父の秘書の一人、小金井将美だった。 「あ、飛鳥さん……!」 「ど、どうしたんですか!? こんなところで……!」  父の計画に彼女は関わっていないはずだった。少なくとも飛鳥はそう見ていた。  それでも一瞬だけ、霧江と同じような刺客として彼女が現れたのかという考えが脳裏を過ったが、それも即座に消え失せた。  将美の姿があまりに普段と違っていたからだ。年下の飛鳥から見ても可愛らしかった表情から生気は消え失せ、皺だらけになったスーツで手足を投げ出すようにベンチに身を預けている。まるで眠れていないのかのように目の下には隈ができ、半開きになった口はカタカタと震えている。 「……知り合いか?」  快斗が不安そうに言う。  ハニーとも言ってこないし、可愛らしい女性を見ても騒がない、まるで彼らしくない姿がこれまた飛鳥を苛立たせた。 「ええ。父の秘書をやってる人……でも、どうして」  虚ろな目をした将美は、二人の隣に立つポンデとイサハヤにも気付かない。 「カヲル君が……」 「え?」 「夫が、死にました……」  そしてイサハヤが逆に気付いた。  女が投げ出した右手に、かつて桂木霧江が持っていたものと同じ、黄色の加速神器が握られていることに。  数年ぶりに顔を合わせた端正な顔立ちの男を前に、月影銀河は少なからず顔を綻ばせた。 「やあ竜馬。……久し振りじゃないか」  親友の香や恋人の時雨とはまた違ったスタンスながら、その男もまた自分にとって大切な友人と言っていい。武藤竜馬、同じ玉川ゼミの仲間にして時雨と故郷を同じくする、学生の頃から冷徹とさえ取れるほど落ち着いた性格の男。  しかし彼は青葉町、それも銀河の隠れ家でもある裏山に現れるはずのない男だった。 「……用件はわかっているのだろう?」  にべもない。どういう用だい、そう聞く前からこれである。 「久々の再会だ。積もる話も……ないみたいだね」 「悪いが男同士で昔話に花を咲かせる趣味は俺には無いのでな」 「君も変わらないな……」  学生時代からそうだった。何事にも情動と感情任せな車田香とは対照的に、まるで相手が次に取る一挙一動を予測した上で会話を組み立てるような男が彼である。香はそんな竜馬のことが嫌いだったようだが、銀河としてはこの上なく好ましく思えたものだ。何せその在り方は自分もまた目指すものだったから。  そして今、その友人にして憧れでもある彼が明確に敵として立ち塞がっている。 「でも聞かせて欲しいな。君が何故あの政治家先生に尽くすのか」 「……恩義に報いる以外の理由が必要か」  感情の乗らない声。竜馬の構える加速神器・究極が淡い輝きを放っている。 「月影。お前こそ玉川先生の邪魔をするのは何故だ?」  自分達は大学時代の恩師から四種類の加速神器を与えられた同志。  それは全て九条兵衛の、また玉川白夜の目的を達成せんが為。彼らの見据える先に見えるものが何であろうと恩人である兵衛、恩師である白夜それぞれに報いるのは、竜馬にとって当然のことだった。なればこそ、武藤竜馬からすれば力を与えられながら事態を引っ掻き回そうとする月影銀河の方が理解できない。 「気に入らないからだよ」  故に銀河も本音で相対せざるを得ない。  親友にも恋人にもひた隠しにしてきた月影銀河の本心で。 「政治家先生にしても玉川の教授にしても、尊敬と感謝の念こそあれ、彼らに文字通り命を預ける理由は僕にはない。……死にたくないんだよ、僕は」 「………………」  竜馬の眉が初めてピクリと歪んだ。痛いところを突かれた、そう捉えていいのだろうか。 「死にたくなかった、そう言い換えた方が正しいのかな。何せ間もなく死ぬ身だ……僕も、そして君も……ね」 「……気付いていたのか」 「最初からね」  正確にはサーベルレオモンへの進化を果たした時からだ。  切っ掛けは些細なことだ。仕事中に突然眠っていたり、数秒間の記憶が飛んでいたりと、そんな誰にでも有り得そうな出来事。けれどそれらが続けば決して気の所為ではなくなってくる。健康診断には現れない領域だが、確実に自身の生命力──些かこの表現はファンタジーが過ぎるが──が弱まっていくことは実感できた。  そしてそれが起きるのは決まって、加速神器に己のDNAを充填させた後だった。 「なるほど、単なる好奇心から教授の実験に付き合った僕が悪いと言うならそれは真実だ。自らが人体実験のサンプルに使われたと気付かなかった僕が愚かだった。だが君が言うように恩義に報いるのが正しいと言うのなら、むしろ僕らの命を糧に果たされる教授の目的とは何なのだろうか。それを知らずして死ぬことはできない。……僕はただ、自分が惨めな実験体として死ぬことを許せないだけさ」 「……フ」  誰にも語ったことのない月影銀河の本心。  一人の男としても、一介の中学教師としても隠してきた男の言葉を受け、武藤竜馬は。 「フハハハハハハハハハ……!!」  嗤う。ただ嗤う。  大学の同期にして親友と呼んでもいい間柄。そんな男の死を目前にした心よりの叫びを、同じように死に瀕しているはずの男はただ一笑に伏すのだ。 「月影、お前も焼きが回ったな……龍崎や小金井よりマシな男だと思っていたのだがな!」 「……君が時雨や香を語らないでくれるかな」  許さない理由など無数にある。所詮、先に語った理由はその一つでしかない。  だから付け加えるなら、彼らが自分だけでなく自分の恋人や親友を巻き込んだことも決して許すことはできない。犠牲が自分一人だけならばまだ許すこともできよう、しかし自分が誰よりも愛している女と、まだ結婚したばかりの妻を遺し悲しませることになる親友を巻き込んだことは、絶対に── 「ならば何故言わなかった?」 「……!」 「言えなかったのではない。言わなかったのだろう、お前は」  それでも、ただ一言で武藤竜馬は月影銀河の矛盾を暴く。 「どういう……意味かな」 「綺麗事を言うな月影。確かに利用されたと憤るお前の怒りは正当な理由になる。その憤怒を理由に真っ向から九条先生と相対していたなら俺もお前への見方を改めたろう。だがお前の行為は正義ではなく妨害でしかない。言うなれば電灯に群がる羽虫にも等しい」  今度は銀河の眉が揺れる番だった。握る加速神器・正義が鈍色の輝きを放ち始める。 「そうだな、気付かぬフリをしているだけのようだから言ってやろう。それがお前達と学友であった俺の務めだ」  同様に掲げられる竜馬の加速神器・究極。  銀河の正義と竜馬の究極、相対する加速神器の輝きはまさに正反対であった。 「お前は死にたくなかったのではない。一人で死にたくなかっただけだ」  呼吸が止まる。全身がその言葉を聞いてはいけないと告げている。 「ただ一人で惨めに死ぬのが嫌で己の恋人、己の親友が同様の実験に巻き込まれると知りながら止めることもしなかったのだろう? お前の行いが真に正義であるのなら、玉川教授を殺してでも止めたはずだ。それをしなかった時点でお前の行為は正義などではない……ただ惨めに一人で死にたくないという自らの欲望の為に、周囲の人間を巻き込んだ疫病神ということだ」  真実である。お前が正義と信じる怒りはただの八つ当たりだと竜馬は言う。  正面に掲げたはずの加速神器がカタカタと震え出したのが何よりの証左だった。 「言って……くれるね」  結局のところ、月影銀河は孤独で死にたくなかっただけなのだ。  表面上は平静を取り繕っていた。だがその実、自分が死に行く身だと気付いた時点で男の心は怒りに満ちていた。故に自分達が結ばれる日は永遠に来ないと知りながらプロポーズした愛する女も、自分と互角に戦うのが何よりも楽しいと言っていた親友たる男も、月影銀河にとっては黄泉への道連れに過ぎない。何故自分だけが死ななければならないのだ、何故自分が死んだ後も世界は続いていくのかという怒りは、やがて大切に思っている者達へと向けられた、それだけの話。  そんな一人の男の罪と思い上がりは、一人の同級生によって暴かれる。 「死ぬなら一人で死ぬがいい。己の我が儘に周りを巻き込んだ時点で、お前は一人で全てを背負い込む覚悟も、己を犠牲として誰かを救う信念も持たぬ下劣な男でしかない……そんな男に、九条先生の邪魔をさせるわけにはいかない」 「君も長くないはずだ。……君は、死ぬのが怖くないのか?」  そう問うた。彼にも愛する女がいたはずだ。そうでありながら、何故こうまで一人の男に尽くせるのか。 「俺は……生きてみせる」  竜馬の加速神器・究極が真紅の光を放つ。 「起動<アクセル>!!」  放たれる輝きが向かうのは目の前の月影銀河ではなく。 「お前に……九条先生の邪魔はさせない、月影銀河……!」  空へ。  ただ空へ。  獅子は疾走していた。  何を目的としているのかは知らない。それを考える機能すら彼にはない。 「………………」  元より彼、サーベルレオモンはそういった生命体であった。  月影銀河のDNAを与えられて究極体まで進化を果たした育った彼にとって、銀河の意思こそが絶対であり全てだった。銀河の思考そのものが原動力であり、それ以外に彼には一切の行動指針がない。それが加速神器によって召喚されたモンスターにとって絶対の理。  故に彼は今、自分達を召喚せしめた者達を妨害せよという銀河の意思にのみ従い、ただひたすらに駆けている。  山間部を駆ける獅子の肉体は、夕焼けに照り映える黄金。静岡より一時間弱、僅かな乱れも見せない健脚は弾丸の如し。山道を物ともせずに疾走する獅子は、労せずして目的の地、東京へ到着するはずだった。 「……!」  だが気付く。自分と並走する何者かがいることに。  時速100キロを優に超える自分に伍する速度。紅き閃光のはずだったそれが、徐々に巨大な獣へと姿を変えていく。雲の間から射す日光を反射して淡く琥珀色に輝くそれは、全身に纏われたレッドデジゾイドの鎧。風を切るように大地を疾走する六本の足と番えた閃光の聖弩(ムスペルヘイム)は、サーベルレオモン自身の記憶に確かに存在する聖騎士のもの。  ビリビリと悪寒が走る。そんな機能など無いはずなのに、己が目的以上に彼奴と対峙せよと全身が告げている。 「………………!!」  その迷いを読んだかのように聖騎士が弓を番える。  ビフロスト。万物を消滅させると言われた灼熱の弓矢が山肌へと薙ぎ払うように放たれ、サーベルレオモンの進行方向に炎の壁を築く。  奴も逃がす気はない。そう見て取れた。  同時に得心する。月影銀河のDNAを受けた自身と同様、奴もまた人間のDNAによって顕現した存在であると。 「……!」  銀河の下より走り出して一時間、サーベルレオモンは初めてその足を止めた。 「………………」  振り返った先、六本の足で立ちはだかる究極の聖騎士と対峙する。  互いに言葉は無いが望むところだった。あのスピノモンやグランドラクモンと対峙した時以上の歓喜が肉体の内から上がる。彼奴となら存分に空虚なこの身を焦がす戦いができると感じる。彼奴がこちらの行く手を阻むというのならば遠慮は必要無い、その喉元を食い千切ってでも自分は先に進んでみせよう。  目的地は飽く迄も光ヶ丘。  こちらを阻むのならば、たとえ相手がロイヤルナイツだろうと引く気はないのだから。  将美の夫であり、ゲーム会社で働いている車田香は今朝までは普段と変わらず元気だったらしい。しかし昼過ぎに突然意識を失って倒れた時には既に呼吸をしていなかったという。すぐに救急車で運ばれたが助からなかった。持病もなく突然死の要因も不明、そんな彼の手に握られていたのが、この黄色いデバイスだったとのことだ。  喋ることすら覚束無い将美──飛鳥はここで初めて彼女の本名が車田正美だと知った──から時間をかけてなんとか聞き出せたのはそれだけだった。 「カヲル君、最近ずっとこれで何かしてたんです。だからきっとこれに関係が……!」  縋るように言う将美に顔を見合わせる快斗と飛鳥。桂木霧江が持っていた加速神器と同型だが色が異なり、彼女のものは真紅だったがこちらは黄色だ。それに加えて、そもそも二人はこれがどんな機能を持つデバイスなのかも知らないので回答に窮する。  ひとまず将美から受け取ったそれを確認する。上部にある画面は消えており、幾つかあるボタンを押しても反応は無い。 「か、怪物……!?」 「あ」  全て吐き出して落ち着いたことで視界が明瞭になったのか、イサハヤとポンデに将美が気付いて顔を青ざめさせる。 「俺らが怪物!? 失礼だな-!」 「将美さん……あの、驚かせてごめんなさいですけど、この子達は」 「カヲル君も、持ってました」 「え?」 「似たような感じの子を……飼ってたんです」  飛鳥と快斗はもう一度顔を見合わせる。  突然死したという小金井将美の夫。彼は桂木霧江と同じ加速神器を所持しており、将美の言い分からして成長期程度のモンスターを飼育していたという。そしてその車田香という男の妻は、九条兵衛の目的の為に暗躍している桂木霧江と同じ兵衛の秘書である小金井将美。果たしてこれは偶然なのか、それとも彼らとの間には何らかの繋がりがあるのか。 「……どうする?」 「放ってはおけねーよな……」  快斗の言葉に頷く。飛鳥もこんな状態の将美を放置することはできない。 「将美さん。……私、これから父に会うんです」 「えっ……?」 「この子達のことも含めて、父は……何か知っていると思うんです」  だから。  一緒に行って確認しませんか。  そう聞くと、将美は痙攣する顎を僅かに上下へ動かした。  九条兵衛は柄にもなく緊張していた。 「……何故だ……何故……」  約束の時間まで一時間を切っている。  一月ほど前に秘書の霧江から話を聞いた時は耳を疑った。飛鳥が自分から兵衛に会いたいと言ってきていると、それも同い年の男を連れてくるつもりだと。そこで殆ど冷静さを失って霧江に相手の男のことを調べさせてしまった時点で、九条兵衛は相当に頭に来ていたと言っていい。  相手の男は平凡な少年だった。静岡の名士の一人息子というだけで、家柄も成績も飛鳥にまるで釣り合わない粗野な庶民に過ぎない。 「認めん……断じて認めん……!」  ブツブツと呟く様は政治家のそれではなく、一人の父親のものでしかない。  そして霧江の報告によれば愚かにもその男は飛鳥と同じくデジモンと出会い、更には許し難いことに飛鳥との家族ごっこに興じて件の娘を守ろうとしているらしい。  それならば話が早かった。徹底的に叩き潰して件の娘を回収した後、その男には死より恐ろしい恐怖を味わわせて二度と娘に近付かせなくする。仮にも未成年を相手に政治家として後ろめたい手を使うほど兵衛は愚かではなかったが、同時に別の手段ならそれに近いことを厭わない程度には愚か者だった。 「ダークドラモン」  傍らに控える竜人を振り返る。  計画以上の目的ができた。まず彼らが連れているという二体のデジモンを始末して件の娘を奪う。そして残った愚かな庶民の小僧には、我が娘に手を出したことを死ぬまで後悔させてやる。既に武藤竜馬に命じて余計な邪魔は入らないよう手配済みの以上、彼らに勝ち目など万に一つも有り得ない。  結局のところ、単なる親馬鹿である。  霧江から指示された待ち合わせの場所は、公園の木々を抜けた先にある。 「エレベーター?」  そこだけ場違いに舗装され、中心にガラス張りのエレベーターが存在した。  悪の秘密基地に潜入するかのようだ。実際、飛鳥と快斗の感覚としてはそれに近い。 「こんな場所……私、知らない……」  よろよろと付いてくる将美の声。周囲を警戒しつつボタンを押してドアを開いた。 「快斗よ」 「うん?」  ふとイサハヤにズボンの裾を引っ張られた。そもそもイサハヤが快斗に話しかけることは珍しいのだが、今日はやたら多い気がする。 「気を付けろ」 「……何がだ?」 「何かにだ」  釈然としない物言いだ。快斗が聞き直そうとすると、ポンデもまた一言。 「ビンビン来るぞ快斗。……ここ、なんかヤバいぜ」 「だけど、ここまで来て進まないわけにはいかねーだろ」 「……そうだな」  何にしても今は進むしかない。ふらつく将美の手を引いて飛鳥がエレベーターに乗り込んだのを確認し、快斗とポンデとイサハヤは誰にも見られていないか見回しつつ続いた。  行き先のボタンは地上と地下の二つだけだった。わかりやすくて助かるが、如何にもなエレベーターも含め、何らかの悪事が行われている場所にしてはどうにも不用心で、公園の利用客が知らず知らずの内に迷い込みそうにも思うが、何らかの手段で人払いを行っているのだろうか。 「将美さん、大丈夫ですか?」 「……はい」  強い人だ。降下していくエレベーターの中で飛鳥はそう思う。  自分が今の彼女の立場だったらどうだろうか。愛する人が理由もわからず突然死んだ時、平静でいられるだろうか。きっと答えは否で全てを呪い、叫び散らしたくなるはずだ。  仁子や美々、成美達が死んだらどうだろう。当然、私は悲しむだろう。  では煌羅が死んだらどうだろう。やっぱり私は悲しむし、守れなかった自分を許せない。  ならイサハヤが死んだらどうだろう。私にもっとできることがあったと悔やむはずだ。  滅多に顔を合わせない母にしてもそうだ。有り得ないだろうが父だって多分同じだ。  そして── 「何だ?」  彼と目が合う。そこはおどけて欲しかったのに、ハニーって言って欲しかったのに。 「……何でもない」  歯車が食い違ったまま来ている。煌羅がいないとこうも噛み合わない。  だから言ってしまう。自分達の関係を思えば、その言葉はきっと彼の方から言ってもらって然るべきなのに。 「あの……さ。もし今回無事に帰れたら」 「ああ」 「煌羅とポンデとイサハヤと……」  アンタと私で。そこまで言っておきながら、その言葉がどうしても言えなかった。冷静になれば、夫を失ったばかりの女性が傍にいる状態で言えるはずがない。  快斗も聞き返してこない。神妙な顔でエレベーターが止まるのを待っている。元々そんなつもりで父との約束を設定したわけではなかったのに、小金井将美の夫の死という情報が絡んだ時点で、生死に関わる戦いに挑む気分になっている。これ以上先に進めば自分達は二度と元の生活に戻れないという直感がある。  ガタンと大きな揺れ。後ろの将美がビクッとするが、どうやら地下に到着したらしい。 「行こうぜ」  その言葉は快斗が言ったのか、それともポンデの声だったか。  いつの間にか喉がカラカラに渇いている。鮎川飛鳥は本来、父に会うだけでも心臓が破裂しそうに緊張するのだ。そこにムゲンドラモンといった自分達では敵わない怪物が存在し、更には身近な人間の死すら関わってきている。  今や煌羅を守る為とした一月前の決意すら曖昧だ。  偉大な父、ムゲンドラモン、誰かの死。それら全てから今すぐ逃げ出したくなる。 「飛鳥」  それでも、それでもだ。 「安心しろ。私が付いてる」  背中を押される。かつて自分をパートナーと言ってくれたイサハヤに。 「……ありがと」  だから踏み出した。後ろから将美がついてくるのを確認しつつ薄暗い地下の通路を進む。イサハヤとて恐怖がないわけではないはずだが、それでも傍にいてくれるだけで何と心強いことか。  先を行く快斗とポンデの背中を見つめる。 (コイツ達二人も……もしかして一緒なのかな?)  勝てない相手が待ち受ける場所へ行くのだ。彼らだって同じように恐怖しているはずだ。  その感覚が不思議と安心を生む。快斗との間に言い表せない食い違いがあったとしても、自分にはイサハヤがいて、快斗にはポンデがいる。互いに励まし合える存在がいるだけで、力及ばずとも如何なる困難にも立ち向かっていける気がした。  程なくして扉に突き当たる。凝った装飾を施されたそれは厳かさすら感じさせた。 「扉だ……いよいよって感じだな」 「ああ、魔王の玉座って雰囲気だぜ……」  言いつつ快斗とポンデがゆっくりと扉を開く。 「うおっ!」  扉が開くと共に視界が一気に広がった。先程の通路とは打って変わり、その部屋は高校の体育館より遙かに広いと思えた。それでいて赤黒いライトに数多照らされる開けた空間はどこか幻想的で、物々しい柱が立ち並ぶ様と合わせて神殿のようでもあった。  将美ですらその異様な光景に目を見張っている。 「光ヶ丘の地下に、こんな場所が……?」 「スクープだぜ、カメラ持ってくれば良かったな」 「ホントね……」  イサハヤとポンデに周囲を警戒させつつ部屋の奥へと進む。  よく見れば飛鳥が柱だと思っていたそれらは、何らかの培養液に満たされた巨大なカプセルだったらしい。その中ではそれぞれ形態の異なる見たことのない生き物が浮かんでおり、そこでようやくこの場所は何らかの研究室だったのだと得心が行く。 「デジタル、モンスター」 「……何それ?」  快斗の呟きに思わず聞き返してしまう。どこかで聞いたような単語だった。 「前にも言った通り、我々のことだ。デジモンと略してもいい」  イサハヤが後を引き継いだ。前にも言った通りと付け足されたのでちょっと反省した。 「そういえばアンタ、最初のサーベルなんたらの時も知ってる風だったけど……」 「ああ。サーベルレオモンもムゲンドラモンも俺の知ってる奴だった。だからまさかなとは思ってたんだが、これは……やっぱり」  唇を噛み締めてカプセルを見上げる快斗。  そんな苦しそうな彼の横顔を、飛鳥はなんとなく見たくないなと思った。 「ヘラクルカブテリモン、メタルエテモン……」 「マリンエンジェモン、メタルシードラモン、プクモン……」  イサハヤとポンデが淡々と呟く。飛鳥にはそれがカプセルの中で眠る生物の名前だということしか理解できない。 「ここは……デジモンの、生産工場だ」 「ご名答だよ、坊や達」  涼やかな声にハッとした。  部屋の一番奥、他のものより一際巨大な十数メートルはあろうカプセル。その中で瞑目し眠り続ける生物は、快斗もポンデもイサハヤも見たことのないモンスターだった。まるでぬいぐるみのような愛らしい寝姿ながら、漆黒の体色と鋭い角と牙は決して愛玩動物のそれとは思えない。  そしてその前に立つ、機械竜を傍らに控えさせた女は、言うまでもなく。 「霧江……さん」 「よくぞここまで辿り着いたね。だけどこれを見られたからには生かして返せない……あ、これアタシが言いたかっただけね」  歌い上げるように言う。ムゲンドラモンを伴った桂木霧江は、今この場所において絶対の強者である。 「ところで将美ちゃん」 「か、桂木先輩……!?」 「なんで将美ちゃんがいるのさ。アンタは今この場に無関係なはずだけど」  ジロリと睨む。将美は尊敬する先輩の本性を前に蛇に睨まれた蛙のように動けない。 「悪い子だね飛鳥ちゃん。あの子ではなく将美ちゃんを身代わりってわけかい?」 「……ンなわけないでしょ」  飛鳥がそんなことをしないと知っていて言うのだ、この母代わりだったはずの女は。 「飛鳥」 「ええ、任せた」  言葉は不要。そう言わんばかりに前に出たイサハヤが成熟期の姿に変わる。 「俺も行くぜ!」 「……頼むぜ、ポンデ」  同時にポンデもまた成熟期に進化を果たす。  ディアトリモンが羽ばたき、ライアモンが吼える。二体の成熟期の闘志は裂帛の如し。 「それで全力かい?」  それでも霧江が嗤う。折角一月待ってやったのに拍子抜けだとその顔が告げている。 「知ってる? 霧江さん」  だから飛鳥も嗤った。痩せ我慢で強がりだとしても嗤わなければならなかった。 「勝負ってのはね、下駄を履くまでわからないのよ」 「……言うね、小娘が」  幽鬼の如く微笑んだ霧江が加速神器を構える。後ろの将美がハッとするのがわかった。 「手加減はしようじゃないのさ。この場所を壊したら九条先生に叱られるからねえ」 「……いい歳した大人が怒られるのが怖いの?」 「ハッ……それでもアンタ達をブチ殺すには十分だよ!」  落胆と苛立ちが同時に込められた声と共に、ムゲンドラモンの砲塔が輝く。 「∞キャノン!!」 「散れ!」  快斗が叫ぶ。ライアモンが瞬時に横に飛び、壁を蹴って前方へ跳躍する。  元より成熟期の身でムゲンドラモン相手に勝ち目などあるはずがない。なればこそ、最初から狙うべきは指示者(コマンダー)である桂木霧江のみだった。究極体に敵わずとも成熟期の力は人間相手には命を奪って余りある。指示者を人質に取れば、少なくともムゲンドラモンの動きを封じることができるはずだった。  だがそんな一手を力業で破れるからこそ、究極体は究極体なのである。 「フッ……」  伸張したメガハンドが一瞬速く、ポンデの突進から霧江を守り、その身を弾き返す。  読んでいたわけではない。事実、霧江も獅子が自らの喉元へ飛びかからんと躊躇わず突撃してきたのには少々面食らった。少なくとも高校生のガキが迷わず人間を襲わせる指示を出すとは思わなかったからだ。それでも成熟期程度の策なら気付いた後で反応し、打ち破れるだけの強さと速さが究極体にはある。 「……ちっ」  舌打ちする。奇しくも飛鳥の方も快斗と同じ手段を取るつもりだったからだ。 「いい手だったよ、ちょっとアタシも肝が冷えたわ」  本心からの言葉だ。そして同時にこれで次の手はないだろうと嘲る言葉でもある。 「でも二度は通じない。どうする飛鳥ちゃん? 彼氏を見捨てて自分だけ逃げるかい?」 「ンなわけないでしょ……!」  どちらも違う。彼氏でもないし、逃げるわけもない。イサハヤはまだノーダメージだ。 「よしポンデ、一旦こっちに戻って……うわっ!?」  その時、横倒しになったポンデに駆け寄ろうとした快斗のすぐ傍の地面が爆発した。 「な、何?」  爆発で吹っ飛ばされた快斗がポンデと一緒に逆側の壁へと転がっていく。  そして爆発の煙が晴れた時、そこに立っていたのは一体の青い竜人だった。飛鳥の位置からは背中しか確認できないが、ムゲンドラモンより遙かに小柄ながら今し方地面に叩き付けたのだろう巨大な槍を携えた姿はイサハヤや快斗が言うところの進化の到達点、究極体であることは間違いないと思える。 「ダークドラモン……!?」  イサハヤの呻き声でその竜人の名を理解する。 「おっと、九条先生は逃がしてくれる気はないみたいだね……」 「お父様……?」  目を凝らして見る。そのダークドラモンとやらの隣に一人の男が立っていた。カッチリとした背広で固めた、とても70代には見えない若々しい姿はテレビでも飽きるほど目にした、そして飛鳥が実子として忘れるはずもない父の背中だった。一度も構ってくれなかった父、一度も一緒に暮らしてくれなかった父、そんなかつて追い続けたはずの男の背中が、そこにある。  その父の背中が告げている。この男は自分が今ここで仕留めると。 「ダメ……!」 「そうだね、飛鳥ちゃんがそう言えば先生は止まってくれるかもしれないねえ……」  振り返る。ムゲンドラモンを従えた霧江が、顎に手を添えながら笑っている。 「でもできるかい? そうしてる間にその小鳥ちゃんは死ぬ。そうなればアンタの彼氏は先生とアタシに嬲り殺しだ。そもそも飛鳥ちゃん、アンタ面と向かってお父様と碌に口も利けないんじゃなかった?」 「それ……は」  状況全てを人質に取られたかのよう。  事実、一対一で向き合えばイサハヤは数分と持たず殺されるだろう。そうなれば飛鳥だけでなく後ろで事態を飲み込めず硬直している将美もどうなるかわからない。そもそも自分達は何故ここに来たのだったか。言うまでもない、どういう理由か父やその周囲に狙われているらしいあの子を、高嶺煌羅を守る為ではなかったか。  自問する。では何故、鮎川飛鳥は高嶺煌羅を守りたいのか。  何故か母さんと呼ばれたからか? 否。  彼女の戦いが美しかったからか? 否。  彼女を戦わせたくはないからか? 否。  煌羅という名前を与えたからか? 否。  彼女の笑顔が可愛かったからか? 否。  否、否、否、否、否。全て否だ。 『子供扱いしないでくださいー!』  脳裏に響く彼女の声。でも全部だ。思い付く限り全部が理由なんだ。  出会ってから今日まで、顔を合わせたのは数回だけれど、それら全てが鮎川飛鳥の彼女を守りたいという理由になる。だから反対に理由なんて要らないとすら言えるかもしれない。異世界から迷い出た少女と、高嶺煌羅と出会ってしまった以上、鮎川飛鳥は彼女と関わる道以外、選ぶことができなかった。  そこまで考えた途端、急に頭が冷えてきた。両の手で思い切り両頬を叩く。 「っ……!」  視界がクリアになり、どこか楽しさすら覚えてくる。先程までの息苦しさが嘘のようだ。 「おや、怖くて狂ったのかい?」 「まさか」  イサハヤを見る。彼もこちらを見返して頷いた。  なるほど、こと戦いの場において最初から意識すべきは彼だけだった。快斗との言い表せないモヤモヤな感情に惑わされるのも、父に対する緊張で言葉が出なくなるのももう沢山。奇しくも父の乱入で快斗と分断されたことでそのことに気付いてしまった。どうにもこうにも、先程まで今日の鮎川飛鳥は鮎川飛鳥に成り切れていなかったらしい。 「ああ。……そもそも私は、難しいことを考えるのは性に合わないんだった」  数学も派手に赤点だったし。 「どういうことだい?」 「考えてみれば簡単な話だってこと」  息を吐く。霧江が目を丸くしてこちらの次の言葉を待っているのが妙におかしかった。 「霧江さんを速攻でブッ倒して、その後あの馬鹿と一緒にお父様を説得して、煌羅のことも含めて認めてもらう、それだけの話だってことよ」 「飛鳥。私は人間の機微には疎いが、今の君は物凄く恥ずかしいことを言ったように思う」 「……あっ、ちょっ……今の無しね」  呆れたようなイサハヤの言葉に我に返る。  そして同時に気負っていた先程までの自分のことが阿呆らしく思えてきた。 「できると思うのかい?」 「できるわよ」  そう笑顔で返した。絶対的な壁に見えていたムゲンドラモンが、今では薄っぺらい障子にしか思えない。  だって彼らの間には言葉がないのだ。自分をパートナーと呼んでくれた時の妙なこそばゆさとか、気負っていた時に軽く背中を押してもらった時の頼もしさとか、そういった感覚は飛鳥にあって霧江には決してない。これは自分達と彼らとの間に存在する絶対の差であり、飛鳥とイサハヤの持つ確かな強みだった。  成熟期が究極体に敵わないとか関係ない。そもそも自分はそんな常識(セオリー)は知らないから。 「霧江さんは知らないと思うけど」 「え?」 「女の子ってね、母親が見てないところで強くなるものなのよ?」  だから負けない。自分達が負ける未来なんて微塵も見えない。 「……アンタの、そういうとこ」  心地良い。自分の一挙手一投足が彼女を、母のように慕った人を苛立たせることが。 「アタシは昔から、大ッ嫌いだったよ!!」  それでも。  身勝手な考えだけど、それでも。  彼女の“娘”だった者として。  その言葉は聞きたくなかったなぁと思うのだ。  嬲られている。その気になれば一刺しで命を奪えるだろうに、ただ嬲られている。 「貴様は何だ」  鼓膜を突く声を前に、ただ萎縮するしかない。  九条兵衛、かつて次期総理大臣とも呼ばれた男。ブラウン管の上でしか見たことのない、この国の頂点に位置する男が明確な敵意を持ってこちらを睨み付けている。一介の高校生でしかない前田快斗には返せる言葉などあるはずがない。そもそも政治に興味など微塵も無いので顔しか知らないということも内緒だった。 「貴様は何だと聞いている」  最早動けなくなったポンデの体を、ダークドラモンが執拗に蹴り付けている。  快斗の方も動けない。敵意がこちらに向いた途端、竜人の槍もまたこちらに煌めくと理解しているから。  ダークドラモン。兵衛の向こう側でイサハヤがそう呼ぶのが聞こえた。それ以上あちらを気にする余裕などないが、それもまた快斗の知らないデジモンだった。サーベルレオモンとムゲンドラモン以外、そもそもポンデとイサハヤも含めて実際に出会うのは知らないデジモンばかりだったから当たり前とも言える。  だが今この場で培養されているデジモンは、快斗もよく知るデジモン達だった。  なればここは何なのだろう。ゲームやアニメの中の存在でしかないデジモンが現実に存在したとして、それを培養しているこの場所は如何なる目的の下に作られたのか。そして目の前に立つ政治屋はこの場所において何なのか。 「飛鳥とはどこで出会った」 「……は?」 「飛鳥とはどこで出会ったかと聞いている」  指を上に向けた。自然、兵衛の視線も頭上へ行く。そこには轟々と鳴るパイプの走る天井があるだけで。 「ふざけているのか……!」 「こ、公園! 公園でナンパしました!」 「……貴様」  バッドコミュニケーション。何故かそんな単語が浮かんだ。 「デートは今までに何回だ」 「二回……い、いや三回かな?」 「初めてのお泊まりは」  いや待て、何か流れがおかしい。 「ちょっとタンマですお義父様、一体何を」 「貴様にお義父様と呼ばれる筋合いはない!」  一喝された。野党も黙る怒声である。  ヒイッと最高に三下染みた声が自分の口から出て快斗は驚かされる。虎を前にした獲物のように縮こまるしかない。九条兵衛とダークドラモン、あらゆる意味で自分達では敵わない相手だと理解した。隙を見て出し抜こうにも、ポンデがダークドラモンに足蹴にされている以上、それを見捨てて飛鳥の援護に回ることなどできるわけがない。  どうする。どこかに活路はないのか。 「えー、九条……先生? 一つだけお聞きしたいことが」 「何だ」 「あの子、いや高嶺煌羅ってんですけど、あの子をどうなさるおつもりで?」 「貴様には関係ない話だ」 「ですよねー」  文字通り胡麻を擂るポーズで聞いてみたがとりつく島もない。 「貴様こそ飛鳥をどうするつもりだ」 「そ、そりゃ将来的には」 「黙れ」 「申し訳ございませんでした!」  素直にその場に跪く。人間ってこうも簡単に這い蹲れるのだと身を以って知った。  自分達の認識が如何に甘かったかを理解する。実の娘である飛鳥と一緒なら如何に偉大な父親だろうと説得できる、もしくは戦えると思っていたが、しかしこれでは戦うどころではない。人間としてもパートナーのデジモンとしても、全てにおいて下に見られている。いや下なのは実際のところ事実なのだが、最早その辺をプーンと飛ぶ虫けら程度にしか思われていない節がある。  単なる親馬鹿と言ったら殺される気がするので言えないが、やはり単なる親馬鹿である。 「貴様などに娘はやらん。同じ空気を吸うのも汚らわしい……」 「そ、そこまでっすか……?」 「無能はそこで見ていろ。まず貴様と飛鳥のデジモンを始末し、その後でゆっくり折檻してくれる」  ダークドラモンの槍が最早動けないポンデに向く。どう足掻いても助けられない。生身の人間ではどうすることもできない。  それを前にして、快斗は。 「………………」  プチン、と。 「……は?」  自分の中で、何かが切れる音がした。 「む?」  兵衛も感じ取る。目の前の低俗な男の空気が変化したことを。 「なぁおっさん。……アンタよぉ」  視界が狭まる。快斗の目には最早、九条兵衛の姿しか見えていない。  そういえば、許せないことが一つあった。  故郷でムゲンドラモンを暴れさせたこと。  自分の前で煌羅を奪い去ろうとしたこと。  自分を守ろうとした煌羅を傷付けたこと。  飛鳥にあんな苦しそうな顔をさせたこと。  そして今。  まるで何でもないことのように、ポンデの命を奪うと語ったこと。  デジモンの命を奪うことは、人間への説教より軽いと言ったこと。 「アンタ、コイツらの命を何だと思ってやがる……!」  ああ、一つじゃない。  全部だ。前田快斗はきっと、この男の全てが許せない。 「貴様……」 「アンタには一生わからねーだろうが」  歩く。ただ静かに歩を進める。 「ポンデも、イサハヤも」  一歩。 「笑うし、怒るし」  また一歩。 「悲しいことがあれば泣くんだよ」  仁王立ちを崩さない兵衛にゆっくりと近付き。 「それがわからねーアンタに」 「ぬっ」 「デジモンの命をどうこうする資格はねーんだ!!」  殴り飛ばせれば良かったのだが。 「がっ……!」  果たして殴り飛ばされたのは快斗の方だった。 「テメエ……世界に遺すべき至宝たる俺の……か、顔を……!」 「わ、若僧が……ほざくな……!」  だがカウンターを一度返しただけの兵衛が肩で息をしている。  鼻の中が派手に出血している気がするが、畳みかけるなら今しかないと悟った。前田快斗は元より学業の成績も運動神経も人並み以下である。殴り合いで勝ったことなど一度たりとも無いし、当然武術など嗜んだこともなければそもそも興味もない。  だから自分が勝てるとしたら、それは口八丁以外に有り得ない。 「ならアンタは見たことあんのかよ……そいつが笑った顔をよ」 「だ、ダークドラモンは単なる召喚物だ……生物ですらない」  押されている。政治家が17歳の小僧を前に動揺している。 「それが下に見てるってんだ。俺のことを気に入らないなら好きにしろ。だが俺はポンデの、デジモンのことを軽く見てるアンタは許せねーし認めねーんだ!!」 「貴様に何がわかる!」  九条兵衛の頭にこの時あったのは、ダークドラモンではなく実の娘のことだった。  今になって思えば、自分は父であるにも関わらず血を分けた娘である飛鳥の笑った顔を見たことがなかったのだ。良かれと思ってしてきたことは、全て飛鳥を傷付け、苦しめ、ただ萎縮させてきた。果たして父としての自分の行為が、彼女を喜ばせたことなど一度としてなかったのではないか──?  否、断じて否。飛鳥だけではない、全ての未来ある若者達の為に、自分は。 「わからねーよ。そもそもわかりたくもねー」  若者達? 若者達とは誰だ? 今ここで反抗してくる生意気な小僧も含まれるのか? 「だけど一つ、いや二つだけ確かなことがあんだよな」 「な……に?」  気付けば倒したはずのライアモンが立ち上がり、小僧の隣に立っている。  幾度となくダークドラモンによって蹴り付けられ、殴り付けられ、既に満身創痍だったはずなのに、小僧と同じ生意気な光を宿したその瞳は、一切の淀み無くこちらへと向けられている。彼らは年端も行かぬ成熟期(こぞう)の分際で、酸いも甘いも噛み分けた究極体(おとな)に相対しているというのに。  理解不能。全く以って、理解不能。 「「俺達は、アンタをブチのめす」」  高らかなる宣言に気負いは無い。迷いも無い。 「そして」  若僧の指が兵衛へ突き付けられる。 「アンタじゃ役不足だ」  それは誤用だ。そう言い返すより速く。 「鮎川飛鳥(アイツ)は、俺がずっと笑わせてやんよ──!」  若僧が吠えた。  獅子が輝いた。  その眩しさを前にして、兵衛はどうして。  この生意気な若僧がその青臭い意思で何を為すのか、見届けたいと思ったのか。  歯痒い。  ずっと眩しかった。ずっと羨ましかった。 「なんで……アンタは、いつもこう……!」  妹のように思っていた。いや、娘とすら思っていたかもしれない。  初めて出会った時、彼女は幼稚園児だったと思う。滅多に泣かない子だと聞いていたが、実際には泣き方を知らないだけで鮎川飛鳥はいつも寂しそうに空を眺めていた。父と会えず母親も殆ど帰らない家庭で孤独だった彼女の面倒を、いつしか桂木霧江が見るようになったのは自然なことだったのかもしれない。  色々なことを教えた。逆に色々なことを教わった。  くるくる変わる彼女の表情は可愛らしく、ずっとこんな風に付き合って行けたらいいなと思ったのも嘘ではない。鮎川飛鳥が霧江との関わりで大人になったように、気付けば結婚もせず仕事漬けで40歳を間近に控えた桂木霧江にとっても、飛鳥との触れ合いが仄かな安らぎになっていたことは事実なのだ。 『女はね、年齢を聞かれない限り永遠に17歳なのさ』  遠い昔、そう教えたことがあった。 『……えー? そしたら私、むしろ年上になっちゃうよ?』  彼女はそんな風に答えたはずだ。その時の飛鳥の困ったような顔を、今でも覚えている。  そんな彼女が、気付けば17歳になった鮎川飛鳥が自分の前に立ち塞がる。まだまだ未熟な利かん坊だと思っていた小娘は、いつしか自分に煮え湯を飲ませる程度には厄介な存在となっていた。 「どうしてだい、飛鳥ちゃん……!」  間断なく放たれる∞キャノンが地面を抉る。  だが当たらない。如何に周囲の培養カプセルを巻き込まぬよう力を抑えているとはいえ、究極体の攻撃がこうまで成熟期に回避されることなど有り得ない。ディアトリモンは寸分の狂い無く華麗なステップを踏み、その後ろに立つ飛鳥もパートナーが全て回避し切ることを疑わずその顔から笑みを消すことはない。  嫌いな顔だった。小馬鹿にされているようで見たくない顔だった。 「どこまでもどこまでも、どうしてアンタはアタシをコケにする──!」 「……コケになんてしてないよ」  笑う。本当に楽しそうに、鮎川飛鳥はただ笑う。 「だったら、そのにやついた顔をやめろってんのさ……!」 「だって楽しいし」 「……は?」  思わぬ返しに呼吸が止まる。楽しい? この状況をわかっているのか目の前の小娘は?  ディアトリモンが足を止めて後方の飛鳥に目配せする。全く仕方ないな君は、そう言っているように見えた。そんなアイコンタクトは自分とムゲンドラモンには決してできないことだった。 「本気の霧江さんと戦って。……そして勝つんだ、私は……私達は」 「フフッ、まあ苦労を背負い込むのは私なのだがな」 「感謝してるのよイサハヤ。あなたがいなければ、霧江さんには勝てないんだから」  そうして微笑み合う一人と一羽。  小娘が勝った気でいる。霧江にはそれが何よりも許せなくて。 「アンタはァーッ!!」  その怒りに従ってムゲンドラモンが砲塔を跳ね上げる。  小細工は要らない。狙いはディアトリモンではなく、後方に立つ鮎川飛鳥と小金井将美、その二人。全身全霊の∞キャノンでその薄ら笑いを消し飛ばす。将美、今この場には無関係のはずの女がヒッとその身を強張らせたが知ったことか。  エネルギーの奔流が二人の女を襲う。  その瞬間。 「……あー」  霧江は薄く笑う声を聞いた。嘲りではない、どこか悲しげな色を纏った声。  刹那の後には消し飛ぶだろう∞キャノンの奔流が行き着く先で鮎川飛鳥が、霧江の“娘”である彼女が笑っていた。どこか切なげに瞳を曇らせて、ただ霧江がその手段を取ることはわかっていた、けれど自分はその手段を取って欲しくなかった、そう言いたげな寂しそうな笑顔で。  それは多分、霧江が初めて出会った時の彼女と同じ顔だったから。 「待っ──」  叫んでいた。桂木霧江の持つ最後の良心がそう叫ばせていた。  しかしもう遅い。∞キャノンは女二人ごと後方を破壊し尽くす、そのはずだった。 「光の……翼……!?」  大きく広げられた翼が飛鳥達の寸前で、その奔流を受け止めていた。  そんなはずはない。成熟期のディアトリモンにそんな力はない。事実、かつて対峙した際に彼は∞キャノンの一発で為す術なく戦闘不能になったではないか。そもそも陸生に特化したディアトリモンの羽は退化して広げることすらできないはずなのだ。  だが目の前で起きたことこそが真実。巨大な羽は、間違いなく鮎川飛鳥のパートナーのものだった。 「イサハヤ……ナイス」 「いや大分痛いぞ私。……さあ行こう飛鳥、反撃開始だ!」  力強く叫ぶ巨鳥の姿が黄金に輝く。  飛鳥は自分の最後の策まで読み切り、苦し紛れの攻撃すら防ぎ切った。成熟期でしかないパートナーがそれを受け止めてくれると信じて疑わなかった。完全なる敗北感と不可思議な充足感が同時に去来する。それでも桂木霧江は、迷わずに悔しさや苛立ちより感嘆と賞賛を選んだ。  だって彼女は、私の“娘”だから。  だって子は、親を超えていくものだから。 「ライアモン──」  獅子と巨鳥の輝きが交錯する。 「ディアトリモン──」  場を覆い尽くす光は、まるで色褪せた世界そのものを照らすように。 「「超進化!!」」  ただ輝く。 ◇ ・車田 香(くるまだ かおる) 享年27歳。大学教授・玉川白夜のゼミの卒業生。妻は車田(旧姓・小金井)将美で新婚。 明るく直情径行な熱血漢で月影銀河・龍崎時雨とは特に仲が良かった。。現在はゲームクリエイターをやっていたが、1999年7月に謎の突然死を遂げる。可愛い嫁さん持ちながら突然死んだ馬鹿野郎。彼の突然死から全てが動き始める。  玉川教授から授けられた加速神器・自然<ネイチャー>でスピノモンを育て上げていたが、そのことを知っているのは銀河と時雨のみである。  彼の遺した加速神器は将美を通じて5話現在、飛鳥の手元に渡っている。 【後書き】  実は僕、人が理不尽に死んでいくことに憤る展開大好きでした。どうも、夏P(ナッピー)です。  今回で本編はピッタリ折り返し地点を迎えました。元々1クールアニメ意識して12話~15話程度で構成しておりましたが、富野の御大の如き風呂敷広げの悪癖で各人の印象が薄くなるかなと思ったので敢えてコンパクトに纏めております。おかげでスピノモンはまともな戦闘シーン無いまま退場という理不尽な事態になりましたが然もありなん。  それではまた、5日後にお会いしましょう……。 ◇ ←前の話       FASE.1       次の話→
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夏P(ナッピー)
2022年8月10日
In デジモン創作サロン
←前の話       FASE.1       次の話→ ◇  並んでソファに座っていると、ふと隣の彼女がコトッとこちらの肩に頭を乗せてきた。 「あたしの暗黒<エビル>、どうだった?」  楽しげな笑顔は大学時代に出会った頃と変わらない。  気付けばテレビで流していた映画は終わりを告げ、黒い背景に白地が浮かぶ淡泊なスタッフロールが始まっている。それは在り来たりなラブロマンス、愛し合う男女が様々な苦難を乗り越えて結ばれるまでの王道そのものの物語は、その主役二人にとってはまさしく人生の絶頂といった瞬間で幕を閉じる。  自分達の人生もそうであったらいいのに、そう思う。 「大したものだったよ……驚いた、時雨」  蠱惑的なようでいて、その実キョトンとした顔は童女のよう。大学卒業して以来、銀河が地元の静岡で教鞭を執っている関係上、直接顔を合わせるのは数ヶ月に一度といった頻度でしかないが、それでも彼女を見る度に魅せられる自分がいる。  だから自分が龍崎時雨を愛しているのは確かな事実、なのだが。 「最近、体調はどうかな」 「……別に普通よ?」  何故そんなことを聞かれるのかわからないといった表情。そんな彼女の下顎に軽く手を添えて。 「それならいいんだ。聞いてみただけだよ」  どちらからともなく軽く口付けた。  互いの匂いはもう慣れたもので、そこに何かを感じ入ることはない。  だから。 「時雨」 「なぁに?」 「僕と、結婚してください」  そんな心にもないことを、月影銀河は口にした。 「今頃、アイツらは宜しくやってるんだろなァ」  マンションのベランダでタバコを吹かしながらニシシと笑った。 「下世話な想像しないでよカヲル君……」 「下世話なこたァねェだろ」  部屋の中で洗濯物を畳みながら顔を顰める妻に振り返る。  香の妻である将美は龍崎時雨の高校時代の後輩だから、彼女及びその恋人のことをよく知っている。だからこそ生々しい想像はあまりしたくないらしく、デリカシーのない香の言葉には苦言を呈さざるを得ない。 「でもカヲル君、楽しそうだね」 「そうか?」 「うん、最近ちょっと元気なさそうだなって」 「……そうか?」  自覚はなかった。自分は普通に寝て起きて働いてまた寝ていただけのつもりだったが。 「起きる時間、なんか遅くなってたから疲れてたんじゃない?」 「んー、自分ではわかんねェや」  後頭部をボリボリと掻きつつ、スーツのポケットから加速神器を取り出した。  妻の言う通り、久々の親友との語らいが楽しかったのは事実だ。ただ普通に飲み屋で酒を飲みつつ駄弁るだけではなく、互いの育てた人知を超える怪物同士を戦わせるという新たな娯楽まで得た。ゲーム会社に勤めている香だが、悔しいことに自分が提供してきた如何なるエンターテイメントも及ばない楽しさが、あそこにはあった。  自然<ネイチャー>、またの名をスピノモン。自分の育てたコイツと銀河のサーベルレオモン、時雨のグランドラクモンは殆ど互角だった。  なればこそだ。 「お前ももっと強くなんなきゃなァ……」  そう独りごち、加速神器を掌に押し当てて引き金を引く。  加速神器を媒介として人間のDNAを吸うことでモンスターは育つ。一月前後で究極の姿にまで到達できたのは偏にこの機能のおかげに他ならない。  そういえば、もう一人自分達と同じ加速神器を与えられた奴がいたような。 「うおっと!」  考え事をしながら部屋に戻ろうとすると、ベランダの縁に足を引っかけて転びかけた。 「やっぱり疲れてるんだ。……気を付けてよ?」 「わりィわりィ」  心配そうにこちらを見つめてくる妻に手を上げつつ、ここは素直に従って早めに床に就くべきかなと思う。  ただ、一つだけ聞いておくことにした。 「なあ将美」 「何かな?」 「最近、職場で武藤に会ったか?」 「武藤先輩?」  龍崎時雨と同様、武藤竜馬も将美にとって同郷である故に、妻は彼を武藤先輩と呼ぶ。 「んー、最近は見かけてないかなぁ。……どうして?」 「……いや」  気になっただけだ。  究極<アルティメット>の加速神器を与えられたアイツは、果たして如何なるモンスターを育て上げたのだろうかと。 『本日ハ晴天ナリ。』 ―――――FASE.4 「Digimon Rangers」  既に日付が変わるか変わらないかといった頃。 『ハニー』 「ハニー言うな」  耳元の調子付いた声にそう返しつつ、視線を開いたテキストに戻した。  これはヤバいと全身が告げている。九時間後には中間考査だというのに、テキストの内容が全く頭に入ってこない。数学の授業中は窓際の席から空の雲を数えて過ごしていたツケがここで来たわけだが、高校二年生になってからそもそもカリキュラム自体が格段に難しくなったように思う。  骨の髄から自分は文系なのだと思う飛鳥であった。 「そういやアンタ、中間は?」 『もう終わったぞ』 「田舎は早いのかしら……で?」 『で?』 「……で?」 『やはりプププランドはオレ様のもの……』 「うるせぇ!!」  あの静岡遠征から一月、折に触れて前田快斗とは再び電話で連絡を取り合うようになっていた。  コイツと来たら話す内容の八割がくだらないのだが、煌羅の声も時々聞かせてくれるので無碍にできない。また本人には絶対に内緒だが、同性の友人達との間で交わすやり取りとはまた違った彼との軽妙な会話が心地良くないわけでもなかった。 「いや、アンタの方は成績どうなのかなって」 『フッ……』 「何が可笑しい!!」 『だってよ、ハニーが俺の成績を気にしてる事実はなんか可笑しくねーか?』 「ハニー言うな。……言われてみたらそれもそうね……」  取り留めもない話。どちらともなく電話をして数時間駄弁る、そんな関係。 『あのお姉様とはあれ以来会ったか?』 「ううん。仕事には出てるみたいだけど……」  あちらから連絡はない。当然だが飛鳥の方から電話をする義理もない。  一度だけ、ある理由から九条兵衛(ちち)の事務所に電話した際に取り次いでもらった時に出た受付の人間に聞いた限り、別にそれまでと何ら変わりなく職場にはいるようだ。その時はあちらから『代わりましょうか?』と言われたが流石に断った。曲がりなりにも一切の容赦なく∞キャノンで消し飛ばされるところだった身である、どこかで真意を問い質す必要はあるかもしれないが、それには相応の心の準備が要るのだ。  代わりというわけでもないが、最近はまた別の年上の女性と会っているわけだし。 「煌羅は?」 『もう寝た。ポンデ抱いて寝てるぞ』 「……今度写真送ってよ」 『断る』 「何ぃ!?」 『見に来ればいいじゃねーか。飛行機使うわけでもねーんだし』 「それはそうだけど。……それにしても寝るの早いのね、アンタんち」 『田舎の夜は早いからな、八時半にはグースカピーだぜ』 「アンタ相変わらず言葉のセンスが古いわね……だあああああ!」 『ゴリラでも出たのか?』 「誰がメスゴリラやねん。明日数学なのに全然わかんねえのよ」  テキストを額に乗せながら唸る飛鳥。  証明って何? 三角関数って何? まるで理解できない。 『ふーん、都会の高校生ってのも大変なんだな』 「そこは都会も田舎も変わんないでしょ」 『そんなもんか。ンで、ハニーは次いつ来んの?』 「ハニー言うな。中間で赤点全回避できたら行けるかもね」  少なくとも数学は無理なような気がしてならないが。 『なかなか目標が高いな』 「うっさい、アンタには言われたくな……は? 目標が高い? 低いじゃなくて?」 『知ってっか? 赤点が三つ以下ならインターハイには出られるんだぞ赤木よ』 「誰がゴリラよ、そのネタわかる人何人いるのよ青田よ」 『俺一人だ』 「うるせえ!!」  そんな風にして延々と続くくだらない会話の応酬。  そして、よがあけた。  鮎川飛鳥が中間で無事死んだのは、言うまでもない。  当たり前だが、学校というものを高嶺煌羅は知らなかった。  月曜日から金曜日までの日中を快斗は学校で過ごす。12歳である煌羅──6歳にしか見えないと言われるが失礼過ぎる──も本来なら学校に通わなくてはいけない年齢らしい。とはいえ、元よりデジタルワールドから迷い出て、戸籍もなく身寄りもいない身ではそんなことができるわけもなく。 「ポンデ! 来ました!」  今日もお昼前に煌羅は裏山の森までやってきた。 「我の眠りを妨げる者は誰だぁ~」 「私です! 遊びましょう!」  すぐ傍の木がガサガサと揺れ、そこから成長期のポンデが降りてきた。前田家の飼い猫として扱われているポンデだが、快斗のいない日中はやることもなく、かと言って野良猫の集会に混じれるはずもないので裏山でゴロゴロしている。  同じように日中暇を持て余している煌羅もまた、最近はポンデに会いに来るようになっていた。 「煌羅は友達いないんだなぁ」 「喧しいです。私は大人なので、子供の遊びには付き合えないだけです」  何度か快斗に近所の公園へ連れて行ってもらったが、どうにも地元の子供達とは合わなかった煌羅である。 「アイツと遊べばいいじゃないか」 「アイツとは?」  不思議そうに首を傾げた煌羅は、ポンデの探るような視線に気付かない。 「煌羅のパートナーのアイツだよ」 「ジンライですか?」 「そうそう、そいつだそいつ!」  ポンデは騒ぎ立てるものの、煌羅のキョトンとした表情は変わらなかった。 「……別にパートナーなどではありませんが……」 「つまり……どういうことだってばよ?」 「ジンライはパートナーではなく、ただ私の戦う力です」  別にどうでもいいことのように彼女は言う。 「遊ぶなんてできるわけがないでしょう。あれは戦いの時しか出てきません」  淡々と返す彼女の横顔に、一切の気遣いや感傷は見受けられない。高嶺煌羅は事実、自らの使役するコアドラモンのジンライに対して何の感情も抱いていなかった。むしろ彼の竜を生きている物として認識しているのかすら曖昧で、まるで自分が戦いの際に振るう斧と変わらない存在だとでも言いたげである。  決して冷酷なわけではない。ポンデや快斗の知る彼女は感情表現豊かで、実に人間的であると言っていい。 「……そっか、ならいいんだ」 「そうですよ。今日のポンデはおかしなことを聞きますね」  別段おかしなことではない。けれどそれを指摘ことはポンデにはできない。  ジンライは文字通りの意味で彼女の一部なのだ。自分の内蔵や細胞の一つ一つに感傷を向ける者などいない。彼女達の在り方はそうした見方に近い。そしてそれはきっと、生まれた時からそうなのだろうとポンデは思った。  それが正しいのか歪んでいるのか判断する立場にポンデはいない。それは多分、快斗(ちち)や飛鳥(はは)の役目なのだ。 「いやいや、確かに俺らしくないこと聞いたなぁ~! よっしゃ、遊ぼうぜ!」  ただ、ポンデが思い出すのはあのサーベルレオモンやムゲンドラモンの姿だ。 「かくれんぼから始めましょう!」 「煌羅は子供だなぁ~!」 「子供じゃありません~!」  桂木霧江と名乗る女と、未だ姿を見せぬサーベルレオモンの主。  イサハヤと意見を交わした通り、自分達の推測通りなら。  高嶺煌羅の在り方は、一月前に対峙した彼らと瓜二つであるはずだった。 「えっと、飛鳥さんは何を食べられます?」  メニューで口元を隠しながら遠慮がちに聞いてくる女性は、如何にもな可愛らしい女子をそのまま大人にしたといった風貌で、今まで同じ場所で会っていた桂木霧江とは何もかもが正反対と言える雰囲気の人だった。 「こういう時、霧江さんならどうしてました?」 「ど、どうでした……っけ」  なんとなく距離感が掴めず、飛鳥の方も曖昧な口調になる。  例によってサイゼの向かいの席に座る彼女は九条兵衛の第二秘書で、本人曰く「霧江さんがお忙しいので代わりに」とのことで最近何度か顔を合わせている。霧江よりむしろ年齢は近い分、飛鳥と感性や話は合うはずなのだが、彼女の生来持つらしいフワフワした雰囲気に呑まれて未だにどう対応していいかわからずにいる。  捻くれ者の自分はこんな大人にはなれないんだろうなという諦観と、この天然気味な人に政治家の秘書なんて務まるのかという疑問が綯い交ぜになり、飛鳥は自然この小金井将美に対する態度を曖昧なものとしていた。  憧れと親近感に満ちていた桂木霧江に対するものとは、それは真逆の感情と言える。 「霧江さんは最近どんな感じですか?」 「忙しそうですよ。九条先生と一緒にあちこちを飛び回って」 「へえ……どんなことしてるんだろ」  探るような口調になってしまったが、将美は気付かないらしい。 「格好いいですよねぇ霧江さん……私にとっても憧れの人なんですよ?」  その言葉には純粋な尊敬の念があり、そこに裏はない、と思う。  数ヶ月前の飛鳥もまた同じだったはずだ。桂木霧江のことを純粋に尊敬し、母親のように慕っていた。正直に言えば今もその気持ちに嘘はないのだが、それ以上にあのムゲンドラモンと共に煌羅を狙ってきた事実がある。しかもそれは九条兵衛、飛鳥にとって父にあたる男が指示していたという。  自分がイサハヤと出会ったこととも関係はあるのか? そもそも自分やあの馬鹿の前に二度も現れたサーベルレオモンはどういう存在なのか?  それらの疑問の答えはきっと、父が持っているはずだと信じて飛鳥は小金井将美と会っている。こちらから父の真意を探るような手立ては、流石に一介の女子高生が持っているわけもなかったが。 「そういえば将美さん、ご結婚されてるんですね」 「め、目敏いですね……」  左手の薬指を見て指摘すると、将美はほんのりと頬を赤くした。 「旦那様は職場の方なんですか? いえ、差し支えなければでいいんですけど」 「……大学の、先輩です」  消え入りそうな声で返された。その様は恋する少女のようで少し眩しい。  そういうものだよなぁと飛鳥は思う。やっぱり結婚とか夫婦ってそういうものだ。飛鳥はまだよくわからないけれど、思い出すのも気恥ずかしくなるような甘酸っぱい思い出が沢山あって、その中にきっと自分にはこの人なんだって強く思う決定的な出来事があって、その上でそうなるものだ。  間違っても夜の公園で一緒にライオンに追い回されたことは、それに当てはまらない。 「あ、飛鳥さんの方こそどうなんですか?」 「うっ」  思考を読まれたかのようだったが、将美にはそんなつもりはないのだろう。 「わ、私はまあ……ボチボチですかねー」 「そうなんですか? まだまだお若いですもんね、これからですよ!」  ファイトです。そう言いたげにグッと拳を握る将美は、なんだか自分より精神年齢が低いのではと思わされる。そしてこの件に関してそれ以上の追求はない。この人はいい人だってそれだけで思う飛鳥は単純かもしれない。  驚くほど裏表のない女性だ。霧江が母なら将美は姉と呼べるような親しみやすい雰囲気がある。そして多分、自分と霧江との間にあったいざこざを彼女は知らないと見える。必然、父の目的とやらにも彼女は関与していない。まだ僅か一月ばかりの付き合いだが、飛鳥は小金井将美のことをそう判断していた。  そんな女性と今後も付き合っていくことに厭はない。それだけは確かだ。 「あっ」  不意に将美が表情を固くした。スーツに忍ばせた携帯電話が鳴っているらしい。  軽く頭を下げて立ち上がった彼女が、店の外へ歩きつつ電話に応じる。今までのポヤポヤした雰囲気とはまるで違う業務用の声で「はい、今は飛鳥さんと」と言っているのが聞こえたかと思えば、相手の言葉に一瞬だけ戸惑ったような表情を浮かべつつもすぐ「承知致しました」と首肯してこちらへ戻ってくる。  頬杖を付きながらそれを眺めていた飛鳥だったが、将美が差し出した携帯電話に目を丸くした。 「えっ……?」  将美の顔と携帯電話を見比べる。  仕事モードに入った小金井将美の顔は、今までのどんな表情より美しく見えた気がした。 「お父様、九条先生からです」  緊張しているのを悟られぬよう咳払いしつつ、耳に電話をあて直す。 『……はい』  聞こえた娘の声は小さく、身を固くして縮こまっている飛鳥の姿が見えるようだった。 「元気か?」  どう切り出したものかわからず、無機質な言い方になってしまった。自身の緊張にばかり意識を割いており、電話の先の娘の方が緊張しているのだという事実が頭から飛んでいた。即座にもう少し柔らかな言葉があったのではないかと己の言葉の選択を恥じてしまう。家族というものをついぞ持たなかった自分にとって、娘への対応は国会の答弁より難しい。  およそ一年ぶりの九条兵衛の娘との会話は、そんな柄でもない後悔から始まった。 『元気です。お、お父様の方は……』 「ありがとう。私は変わりない」  その言葉は本心である。形式的だろうと娘に体調を問われて嬉しくない父などいない。 「高校ではどうかね?」 『それなりには……』  言いよどむ声。高校では成績こそ芳しくないものの、活発な生徒だと聞いている。  故にそんな明朗快活であるはずの彼女を今この場で必要以上に萎縮させているのは、他でもない父親である自分なのだという事実が少々堪えた。 「息災であるなら何よりだ。母を大事にして精進してくれ」 『は、はい』  正直、娘の声を聞けただけで満足した面はある。立場上、大っぴらに顔を合わせられないことだけが残念だったが、それでも自分の血を分けた存在がこの世界に、また政治家としての自分が築き上げたこの国にいるという事実で九条兵衛には十分なのだ。だから鮎川飛鳥は九条兵衛にとって、目に入れても痛くない愛娘であると言えた。  しかし本題はここから。そんな娘には言いたくないことだが父として、また政治家として言わねばならないことがある。 『………………』  飛鳥の息遣いが聞こえる。彼女の方も言うべきか迷っていることがあるようだ。  大体の予想は付く。何せこちらが言わねばならないこともまさしくそれだからだ。 「すまない飛鳥、ここからが本題だ。……桂木君と一悶着あったそうだな」 『っ……!』  息を呑む音。見透かされたと言いたげなそれは、彼女の母である女にそっくりだった。 「お前が出会ったという緑の竜を連れた娘、あの娘には関わるな」 『……それって、どういう』 「それはお前の知ることではない。桂木君がお前にも手荒な真似をしたのはすまなかった。その件に関しては私の不手際である故に、彼女には厳しく言い含めておく。だが飛鳥、それでもお前は大人しく娘を差し出すべきだったのだ」  それ以上を飛鳥には話せない。未来ある子供に話すことではない。  明らかに返す言葉を失って消沈する娘の呼吸が耳に届く。だが飛鳥が何を言おうと応じることはできない。あの娘は自分達にとって必要な存在、たとえそのことで愛娘から恨まれることになろうとも、あの異世界より現れた少女は九条兵衛にとって悲願の鍵なのだ。  利用することに躊躇はない。あの娘は元より人間ではないのだから。 『お父様はどうして、あの子を』 「いずれあの町には再度桂木君を向かわせることになるだろう。だから飛鳥、お前はもうこの件からは手を引け。わかったな」 『お父様、待っ──』  娘の言葉を遮り、また彼女の答えを待たずして電話を切った。  聞くことはできない。娘に疎まれる以上に自分の良心が耐えられない。 「何故……飛鳥が関わってしまったのだろうな」  暫し瞑目した後、閑静なオフィスに意識を戻す。立ち上がって視界に広がる新宿副都心を見渡した。  異世界より迷い出たあの娘を期日までに確保するだけの容易い仕事のはずだった。その為に秘書であり己の片腕でもある桂木霧江に命じ、最強の機械竜と共に静岡まで出向かせた。だがそこに自らの愛娘が居合わせたことで全てが狂い始めた。  飛鳥ともう一人の男──飛鳥の彼氏ではないかと霧江が言っていたが、そんな馬鹿な話があるはずがなかろう──があの娘を守ろうとした事実は、あの娘を悲願達成の道具としてしか見ていなかった兵衛の心に迷いを生じさせている。あの娘を狙うことは即ち、愛娘の心を踏み躙ることを意味するからだ。  ではどうする? 諦めるのか? 自分が長年に渡り夢見てきた悲願を? 「有り得ない……」  そう呟く。これは飛鳥だけでなく、この国の未来を生きる者達全ての為にやるのだ。今更止められるはずもない。  それでも躊躇いがある。娘が悲しむことはしたくない、それは父として当然の思いだ。  だから。 「武藤君」  電話をもう一人の腹心たる武藤竜馬へ繋ぐ。  兵衛の甥である玉川白夜の教え子の一人にして、桂木霧江と同じように加速神器・究極<アルティメット>と名付けられた今回の計画の要となるべき八つの内の一つを持つ男。 「君に頼みたいことがある」  短く指示を伝える。息子のように信頼しているあの男なら上手くやってくれるだろう。  ふぅと嘆息して再び椅子にその身を落とした。気付けば掌に汗が滲んでおり、柄にもなく10代の娘一人を相手に緊張していたらしい自分に驚かされる。かつて政界を思うがままに動かしてきたとされた自分が随分と小さくなったものだと自嘲しつつ、応接用のソファの隣に立つ影へ目をやった。 「笑うだろう。如何に己を大きく見せたところで、所詮は娘一人に悪戦苦闘だ……」  数分前には誰もいなかった場所。そこに立つ影は兵衛の言葉に肩を竦めたようだった。 「何故このような器の小さい男が今こうしているのだろうな」  影は答えない。元よりそれにそのような機能はない。人の世の常識さえ逸脱した異形たるその影は、兵衛の言葉に反応する以外の行動は持たされていない。  それは言うなれば鏡。  兵衛の言葉を微細に読み取り、その心情すら思い憚って動く人形(マリオネット)。故に九条兵衛の心をあるがまま形にしたのがその影の正体。餓狼の如き牙と竜の如き爪を鈍色に輝かせるその竜人は、細身でありながら屈強な肉体を蒼き鎧で固めており、更に右腕に携えた全てを貫く一本の巨大な槍は九条兵衛自身の信念の象徴であると言えた。 「だがもうすぐだ。最後の一働きはお前にしてもらうぞ……ダークドラモン」  そんな彼のデスクにもまた、暗黒<エビル>の加速神器が存在した。 「え、エンジェモンーっ!」  祖父母の存在もあってか、前田家の夕食はかなり早い。  一方で祖父母も両親もすぐに自室に戻ってしまうため、だだっ広い居間にはすぐに快斗と煌羅の姿しかなくなる。そうするとそれまで大人しい飼い猫のふりをして狸寝入りしていたポンデも、やっと自分の時間が来たとばかりに起き上がって煌羅の膝の上に乗ってくる。 「もう先週のだぞ、それ……」 「いい話は何度見ても飽きないものですよ! ……うう、パタモン……」  録画したアニメをソファで見返しながら煌羅が目尻をティッシュで拭った。 「むしろ快斗さんは何故泣かないんですか」 「俺は散々リアルタイムで泣いた」  食器棚に皿をしまいながら答える。祖父母も両親も一人息子は放任主義だが、その代償に洗濯や皿洗いだけは全てさせるというのが前田家の家訓であった。 「あ、快斗さん電話ですよ! ……げっ、女狐……」  ソファの肘掛けで震えた携帯電話を覗き込んで煌羅が露骨に顔を顰める。 「なに、ハニー!?」  普段なら電話が来るのは煌羅が寝るぐらいの時間なのに、今日は随分と早い。快斗は手をサッと洗ってリビングに戻ってくる。 『ハニー言うな』 「いやまだ言ってねーけどな」 『なんか言われてる気がしたのよ』  開口一番それだったので快斗もフッと笑ってしまう。  ただ、電話の向こうの彼女の声は少し緊張しているように思えた。 「しかしハニー、今日は早いな。まさか俺の声が聞きたくて」 『ハニー言うな。……煌羅は?』 「ポンデと一緒にアニメ見てるな」 『そっか』  飛鳥は安心したようだ。煌羅が小声で「誤解を招くようなこと言わないでくださいっ」と目の前でプリプリしているが、軽く頭を擦ってソファに戻ってろとジェスチャーで示した。 『アンタさ』 「おう」 『来月って暇?』 「ハニーの為ならいつでも空けるぞ」 『ハニー言うな。暇ってことでいいのね』  なんとなく奇妙であった。いつもなら勢い良く捲し立ててくる彼女が、まるで何かを伺うような物言いをしてくる。煌羅に聞かれたくない内容なのは確からしいが、それでもどこか彼女らしくない、そう感じた。  必然、快斗の方のトーンも低くなる。 「……何かあったか?」 『え?』 「なんかハニーらしくねーなって」 『……別に何でもないわよ』  何でもないはずがない声で彼女は言う。 『あとハニー言うな』  慌ててそう付け足す彼女の声に乗っているのは動揺? それとも緊張だろうか? 『………………』  飛鳥の息遣いが耳に届く。  何らかの言葉を躊躇している、そう感じる。だからふざけるタイミングではないことはわかるが、こうした空気が快斗は昔から苦手だった。息が詰まって死にそうになるのだ。故に前田快斗が日頃からあらゆる相手に茶化しから入るのは、シリアスな雰囲気から逃げる為の処世術でしかない。 『わ、私の』 「私の?」 『私の父に会って欲しいの!』 「………………」  大声で叫ばれて耳がキーンとする。はて、自分は今何を言われたのか。 「……もう一度」 『わ、私の父親に会って欲しいのよ』 「ワンモア」 『私のお父様に会って──って、いい加減にしろッ!!』 「悪い、実は一回目で聞こえてた」 『でしょうね。何度も言わせるんじゃないわよ』  一生で一度言われるか否かの台詞だから何度か反芻しておきたかった。そんなことを言ったら多分彼女は怒るだろうなとどこか客観的に思う快斗である。 「でもなハニー、俺は政治屋さんと話せるような立派な人間じゃねーんだけど」 『知ってる。……何だ、アンタやっぱり気付いてたんだ』 「まあな」 『あ、それとハニー言うな』  彼女、鮎川飛鳥の父親は衆議院議員の九条兵衛である。  それは二月ほど前の桂木霧江という女との戦いの際、快斗は彼女達の会話を聞いた時点で気付いていた。むしろそれで気付かれていないと思っていたらしい飛鳥の方が、些か鈍いとさえ思う。別段、彼女自身に告げる必要性も感じなかったので言及しなかったが、いよいよそちらが本格的に絡んできたというわけか。 「了解したハニー。久々に東京でデートと洒落込むか」 『ポンデは必ず連れてきなさい。煌羅は……アンタに任せるわ』 「……わかった」 『来れる日が決まったら教えて。それじゃね』  まるで業務連絡の如き淡泊さで電話が切られる。ところでデートという単語を完全にシカトされたような。  釈然としないものを感じつつ、右耳から離した携帯電話を握って天井を見据えていると、いつの間にか録画のアニメを見終えたらしい煌羅が、ポンデを頭の上に乗せてトテテテと廊下を走ってくるのが見えた。 「女狐、何の用でした?」  興味津々といった風に目を輝かせる少女の姿を見返す。  飛鳥は言っていた。ポンデは連れてこい、だが煌羅は任せると。それは要するにポンデの力が必要となる、つまり戦いになる可能性が大いにある一方で、煌羅はできる限り連れてくるなということだ。実際、煌羅はあの女に狙われていたのだからそれを警戒する彼女の言葉も尤もであるが。 「煌羅がどうしてるか気になったんだってよ」 「ふ、ふんっ! 女狐に心配される謂れはありませんっ!」  頬を膨らませてプイとそっぽを向く煌羅。  自分達には逃げていることが沢山あると快斗は思う。飛鳥の方もきっと、気付いていて見ないふりをしているだけだ。けれどそれでいいという考えもどこかにあった。よく笑いよく怒る煌羅にはいつまでもそんな彼女でいて欲しいと願うのは、決して間違いではないと思うからだ。煌羅が煌羅として在り続けられる為なら、前田快斗は如何なる粉骨砕身も厭わない覚悟がある。  だからこそ、敢えて言うのだ。どこかで向き合わなければならないと知っているから。 「ハニーと今度デートするんだけどな」 「……は?」  ギラリと鋭くなる娘の瞳。その鷹でも射貫きそうな視線を軽く受け流しながら続ける。 「煌羅も来たいか? 東京」  彼女が何と返すかは既にわかっている。何故なら自分は、彼女の父だからだ。 「来れる日が決まったら教えて。それじゃね」  一気に要件だけ伝え、相手の言葉を待たずに飛鳥は電話を切った。  もしやこれは逃げなのではないかと思う。不思議とアイツなら間違いなくこちらの意思を汲んでくれるだろうという確信があると同時に、もしそうでなかったらという恐怖心がどこかにある。それが自然、飛鳥の前田快斗に対する応対を一方的なものとしていた。  そしてこれは奇しくも先日、自分が父にされたのと同じ行為だった。 (お父様が私から逃げ? ……まさかね)  そんなはずがない。父は平凡な女子高生の自分と違い天下の議員様なのだ。  そう自嘲し、飛鳥は携帯電話を懐に戻しつつ視線を正面に戻した。 「……ま、そういうことだから」  冷たく言い放ってやると、向かいの席に座る女はクククと楽しげに笑う。 「了解だよ飛鳥ちゃん。いや面白いものを見せてもらったわ」 「見世物じゃないんだけどね」 「九条先生も娘の懇ろの相手と来たら意地でも時間作ってくださるだろうさ」  いつものファミレスで桂木霧江と向き合うのはいつ以来だろうか。 「懇ろ言うな」 「前は否定してた割には随分とラブラブじゃないのさ。おっと、これは死語か」 「別にいいんじゃない? 断じてラブラブなんてもんじゃないけど」  呼び出したのは飛鳥の方からである。  父が言っていた。いずれ再び霧江をあの町へと送り込み、煌羅を回収する必要があると。二月前に思い知らされた通り、彼女のムゲンドラモンにイサハヤもポンデも敵わない以上、煌羅の生活──そして言いたくないがアイツの生活も──を守る為には、この方法しか飛鳥には思い付かなかった。  名付けて飛んで火に入る夏の虫作戦である。 「お父様とのアポ、宜しく頼むわね」 「任されたよ」  軽い雑談をしつつ、会計を済ませてファミレスを出た。一度互いに殺しかけ殺されかけた関係である以上、そこには以前のような気安さはなく、どこか腹の内を探り合うような余所余所しさがあった。  それが少しだけ飛鳥には心苦しかった。 「あ、そうそう飛鳥ちゃん」  そんな別れ際、さっさと去ろうとする飛鳥の背中に霧江が言うのだ。 「一月でアンタ達のデジモンがムゲンドラモンに勝てるようになるとは思えないけどね」  ハッと振り返った時には、既に霧江はヒラヒラと手を振って去って行くところだった。  その通りだった。流石に母代わりだけあって自分の考えなどお見通しというわけだ。  イサハヤやポンデとムゲンドラモンとの間には二段階もの差がある、霧江はあの時確かにそう言っていた。事実、今のまま如何に奮闘したところでイサハヤがあの機械竜に勝てると思えるほど飛鳥も愚かではない。そもそもイサハヤが成熟期に進化する力を得た契機も知らない飛鳥には、その差を埋める手段が到底思い付かないでいた。  だから実質、これは時間稼ぎでしかない。そんなことは自分も重々承知している。 「あと一月……」  夏が近付き、蒸し暑くなり始めた夜空を見上げ、鮎川飛鳥は呟く。  来月は1999年7月。  恐怖の大王<アンゴル・モア>が降誕し、人類が滅びる月。 ・九条 兵衛(くじょう ひょうえ) 70代後半。国会議員にして鮎川飛鳥の父。 20世紀末の日本である目的のため、デジタルモンスターを暗躍させている。かつては次期総理大臣とまで呼ばれた大物で、今でも政界への影響は計り知れないが、名前の通り厳格な性格ながら一人娘(愛人の娘)である飛鳥に対しては甘さがある。 モデルは本作を書き始めた辺りで総理やってたローゼン太郎。 ・ダークドラモン 九条兵衛の持つ加速神器・暗黒<エビル>から召喚される竜人。 ◇ 【後書き】  デジモンサヴァイブ熱が高まる昨今、皆さまいかがお過ごしでしょうか。ヤタガラモン有能だなチキショー!  そんなわけで夏P(ナッピー)ですが、なんとか現時点では宣言通り五日に一度投稿を守れているので、来月中には完結できそう! 何度か申し上げていますが、本作は書こうと思ったのが2008年前後なので、干支一周以上握った自分への宿題、まずは完結させることが大事!  それではまた五日後にお会いしましょう。 ◇ ←前の話       FASE.1       次の話→
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夏P(ナッピー)
2022年8月05日
In デジモン創作サロン
←前の話       FASE.1       次の話→ ◇  光ヶ丘駅前のカラオケ店。思い切りバンと机を叩く音と共に鮎川飛鳥の叫びが木霊する。 「おかしい! 絶対におかしい!」  狭い室内に響き渡る怒声に他の三人は露骨に顔を顰めたようだ。 「あのね飛鳥、そんな大声出さなくても聞こえるっての」 「うっさいわね! これが落ち着いていられるかってのよ!」  元々が不機嫌そうな顔を更に歪めて文句を垂れるのは伊吹美々(いぶき みみ)。 「え? 他の女の声が聞こえたって? やだぁ、そんなことあるわけ無いじゃん。どうせ動物園から逃げ出したメスのゴリラか何かでしょ? それよりさ~、今度の日曜日なんだけど」 「そこぉ! 傷心の美少女の前でいけしゃあしゃあと彼氏に電話するな! って、誰がメスゴリラだゴルァ!」  三年近く続いているらしい彼氏と楽しげに電話をしているのが一ノ瀬仁子(いちのせ じんこ)。 「チィ……さっきから三連発でかみなりが外れる……理不尽」 「そこも高校二年生になって今更ゲームに現を抜かしてんじゃないわよ! それもポ○モンかよ! そういえば今年やっと2出るらしいわね!」  昨今ではアニメも大人気放送中の国民的人気ゲームに興じているのが坂上成実(さかがみ なるみ)。  三人が三人とも、小学校時代から高校生になった今まで続く飛鳥の親友である。だが性格自体はまさに三者三様、自分のことを棚に上げつつ凄まじく癖の強い連中だと飛鳥は勝手に思っていた。自分以外の女子に彼女達とは付き合えないし、逆に彼女達以外には自分の親友は務まらない、それは疑い様の無い事実だ。  とはいえ、相談する相手を失敗したかもしれない。ここに来て流石の飛鳥もそう思い始めていたのは内緒である。 「……で、ウチらって今日どうして集まってるんだっけ」  いつの間にか彼氏との電話を終えたのか、仁子が不思議そうな顔をして呟くとゲームボーイから顔を上げて成実が答える。 「……飛鳥のフラれ記念パーティだったはず」 「違う!」 「フラれ続けて50人記念パーティ?」 「それも違う! ていうか、そんな桜木花道みたいなことになってたまるか!」  常に寡黙な坂上成実は、こうしてボケなのか本気なのかわからない言動をすることが多々ある。基本的に無表情を崩さない彼女だが、実際には単に口下手で己の感情を表現することに慣れていないだけではないかと飛鳥は読んでいる。  とはいえ、実際のところ一度も彼氏ができていないことは紛れも無い現実だった。付け加えて言うなら、自分からアタックした相手も含めて悉く粉砕されている。つい先日もまた野球部の三番打者を務める坊主頭を相手に玉砕してきたばかりだ。今回の集まりはその反省会と称して飛鳥が親友達を募ったわけである。  中学時代には引く手数多だった(多分)自分がまさかこんなことになるとは、極めて屈辱的なことだが当の飛鳥自身が一番ショックを受けている。  おかしい。何かがおかしい。自分でも良くわからないが、知らぬ間に自分には魅力が無くなっていたのだろうか。 「いや、17年彼氏がいないアンタにそろそろ彼氏ができそうなアタシが言うのも変なんだけどさ」 「説明的に煽るのやめなさいよ。構わん、続けろ」 「何様だよ。……最近の飛鳥はちょっとガツガツしすぎじゃないの?」 「うっ」  飛鳥を含めた四人の中で最も真面目な美々に言われると、流石の飛鳥としても反論のし様が無い。  伊吹美々は決してガリ勉というわけではないが、何事も丁寧にこなすタイプで教師の信頼も厚い。長身を活かしてバスケ部に所属している彼女は、まさしくグループの中で唯一の常識人だった。 「何か知らないけど焦ってる気がするんだよ、最近のアンタは」 「べ、別に焦ってなんか……」 「そもそもさ飛鳥、ちょっと前まではアンタ彼氏なんて要らないとかハッキリ言ってなかったっけ?」  美々の言う通りだ。そもそも自分は男と付き合う気など無かったはずだった。 「それは……その、心境の変化よ」 「フッフッフ、それに関しては極秘情報がありますぜ旦那」  言いよどむ飛鳥の隣から身を乗り出し、口の端を上げた楽しげな表情で仁子が言う。  稀代の男好きとして中学生の頃から有名だった一ノ瀬仁子。同時に中学から高校まで一貫して新聞部に所属している彼女は、時折こうして極秘情報と称して眉唾物の情報を持ってくることが多々あった。将来はお茶の間の奥様方を喜ばせるワイドショーの記者になりたいそうだ。  しかし秘密主義者なのか、自らに関しては殆どを秘密で通している。だから飛鳥達は長い付き合いにも関わらず、未だに彼女の自宅すら知らないでいる。  というか、誰が旦那だ。 「ご、極秘情報?」  思わず聞き返す飛鳥。何か嫌な予感がした。 「被告人、鮎川飛鳥が男漁りに熱心になり始めたのは今年の初めから」 「男漁り言うな」 「失礼、男探しとする」 「同じじゃないのよ」 「いや、まあぶっちゃけた話なんだけどさ」  そこで一旦言葉を切り、仁子はにんまりと笑って飛鳥を見返した。 「飛鳥が去年のイヴ、光ヶ丘公園で男と乳繰り合ってたって話があるんだよね♪」 「ハァ――――――!!」  思わず口に含んでいた液体を噴き出してしまった。 「……汚い」  成実が顔を顰めるが、それよりも飛鳥は衝撃を隠せない。 「な、何故バレた……!?」 「そのまま一緒に男の家にまで行くとは貧相な胸の割にやることは大胆ですなぁ」 「貧相な胸とか言うな、アンタほどじゃないかもしれないけど私だって結構――って、そんなことより何で知ってるのよアンタ……!」 「フッフッフ、この一ノ瀬仁子の情報力を舐めてもらっちゃ困るね! 今じゃアンタのスリーサイズから交友関係、趣味で買った同人誌のタイトルや足の爪の長さまでバッチリ把握してるってわけよ!」  勝ち誇ったようにどこかで聞いたような台詞を吐く仁子。  本当にどこかで聞いたような台詞だが、今の気が動転している飛鳥には思い出せない。 「……不潔」 「ち、違うわよ成実! 何もしてない! 本当に何もしてないんだってば!」 「ふ~ん、ならイヴに男と会ってたことは認めるんだね、アンタ」  気の所為か、先程より自分を見る美々の目が冷たい。元々年頃の女の子としては少々目付きの悪い彼女だが、今では半ば殺気すら帯びているように感じられる。正直言って真っ直ぐ見返すのが怖いレベルである。  まさに四面楚歌、正確には三面楚歌か。どうしてこうなった。 「でもウチには解せないね。……そんなイヴに会う男がいながら他の男を探すってのは何故なのさ?」 「……浮気者」 「違うっての、人聞きの悪い!」 「え~、コホン。……説明しましょう。なぜなにジンタン始まるよ~」  場を遮るように仁子が咳払いする。――オイ、その眼鏡はどこから持ってきた。 「え? まだわからない? ウサギアスカは相変わらず馬鹿だなぁ」 「誰がウサギだコラ」 「仕方ないなぁ、今回はジンお姉さんがちょっと説明してあげようか」  先程からキャラが全く一定していない気がするが、そこにツッコミを入れるのは野暮だろうか。隣を見てみれば、成実はまた我関せずといった表情で○ケモンの世界に舞い戻っている。本当に自分の世界を生きている奴だと羨ましくなる。 「要するに、飛鳥はそのイヴに出会った男の子のことが忘れられないから、それを吹っ切るために他の男を探してるんだよね?」 「な、何を根拠に」 「それで誤魔化せてると微塵でも思えてるなら大した女だよ、飛鳥は」  ぐうの音も出ない。そう、言われてみれば確かにその通りなのかもしれなかった。  悔しいけれど、鮎川飛鳥が最も苦手なことは隠し事である。母親や桂木霧江にも幾度と無く言われたことだ。自慢にもならないことだが、嘘を一度として吐き通せたことなどない。 「……くっ、私のクールで可憐なイメージも最早ここまでか……!」 「自分で言うなよ」  うなだれる飛鳥に、美々がシレッと呟くのだった。  あれから追及の手を全く緩めようともしない親友達の魔の手から命からがら逃げ出してきたわけだが、まさに精も根も燃え尽きた。  そう表現するのが正しいぐらいにグッタリした様子で、飛鳥は光ヶ丘公園のベンチに腰掛けていた。とはいえ、年頃の少女にしてはあまりにも醜くだらけた姿である。百年の恋も冷めるとはこのことか。  このベンチに座る時は、毎回そんなものである。 「イサハヤぁ……」  覇気の無い声で背後の林に声を飛ばす。ガサガサと葉が擦れ合う音と共に小型の生物が近付いてくるのがわかる。 「……随分と疲れているな。何かあったのか?」 「大したことじゃないわ。……それより聞きたいことがあるんだけど」 「珍しいな、飛鳥の方から質問とは。久し振りな気がするが」  ファルコモンのイサハヤ。あのクリスマス・イヴの日に出会った秘密の共有者。  母親が基本的に寝ているか家にいないかのどちらかである飛鳥だったが、流石に彼を家に置いておく気にはなれず、今現在イサハヤは光ヶ丘公園の中で半ば放し飼いとでも言うべき状態である。  とはいえ、飛鳥とて流石に鬼ではない。こうして二日に一度は顔を合わせに来るし、互いに互いの話し相手にもなっている。最近は飛鳥から愚痴を言うために来ることの方が多くなってきた気がするけれど、それは恐らく気の所為だろう。きっと気の所為ということにしておこう。 「アンタは……その、会いたい?」 「それはレオルモン……いや、ポンデのことか」  即座に飛鳥の言いたいことを察してくれる辺り、流石は半年の付き合いだと言える。互いに建前の無い本音でしか話したことが無いだけに、全てを語らずともこちらの考えは十二分に理解してくれているらしい。あの親友達でもこうは行かないと思うと、その辺りがこそばゆい。  携帯電話を何気なくカパッと開いた。そこに表示されるのは、今年の初頭にはしつこいぐらいに電話を掛けてきた軽薄男の電話番号。 「飛鳥はどうなのだ?」 「……質問に質問で答えないでよ」  どうも気になってしまうのは、自分とあの男で高嶺煌羅という名前を与えた幼い少女のことだ。怪物と生身で戦う戦闘能力は頼もしさと同時に危うさも覚えたが、彼女は今どうしているだろうか。  そう、だから気に掛かっているのは決してあの男のことではない――はずだ。  もう三ヶ月近くあの軽薄男からの連絡は無い。それが寂しいなんてことは断じて無いはずだけれど、それでも彼は自分と同じ高嶺煌羅という存在を共有している存在であることを思うと何か釈然としない思いだけがある。イサハヤのことも含め、彼と出会ったあの日のことを必死に吹っ切ろうとして彼氏を探していた自分が馬鹿みたいだ。 「そうだな……会いたくないと言えば嘘になる。とはいえ、私もポンデも今互いに会う必要性は感じていまい」 「それは何故?」 「ポンデには奴がいるし、私には……飛鳥がいる」  人気の殆ど無い公園の中、気付けばイサハヤは飛鳥の正面に立ってハッキリと飛鳥の顔を見返していた。奇妙な梟の姿をしている癖に、キリッとした目だけは妙に紳士的で未だに慣れない。 「……そーいう台詞、できれば男に言われたいんだけどな……」 「私では不満か?」 「そーいうわけじゃないわよ、別に」  少しだけ頬が紅潮しているのがわかったから、飛鳥はそう言いながら顔を逸らす。  コイツと来たら、恥も外聞も無いぐらいに臭い台詞を平気で言うのだから困り者だ。その辺りは性格こそ真逆だが、全てが軽薄だったあの男に瓜二つかもしれない。つまるところ、それは飛鳥にとって最も苦手なタイプだということになるのだが。  だから次に彼が言う台詞も自分にとって嫌な内容だということはわかっていた。 「今の私は君のパートナーだ」 「パートナー……ね」  嬉しい台詞ではある。ただ、同時に逃げられないなとも思う。 「人間の機微というものは恥ずかしながらわかりかねる。だが……いや、だからこそ飛鳥が会いたいと言うのなら私はそれに従おう。……君が何度も奴に電話を掛けようとしていたことは知っている」 「……私って、そんなにわかりやすいかなぁ」  それは恋愛とかそんなものでは決してないはずだ。  それでも半年近くが経った今、鮎川飛鳥はあの馬鹿と何故だか無性に顔を合わせたくなっている。顔を合わせ、そして煌羅を交えて馬鹿な話をしたくなっている。それは紛れも無い事実だから、そのことまで否定するつもりは無い。今の悶々とした思いを吹っ切るにはそれしか無いのかもしれないということも、流石に飛鳥にも理解できている。  携帯電話をパタンと閉じる。こちらから電話は掛けられない。そんなことをしたら、負けたみたいで嫌な気分になる。 「あ~、そういえば忘れてたんだけど」  だから独り言のように言う。それで誤魔化せていると微塵でも思えるなら大した奴だと、そんなことを半刻前に言われた覚えがあるが気の所為だろう。 「……明日は創立記念日で学校が休みなんだったわ」 「君の学校には一年に十回以上創立記念日があるのか?」 「私の気分次第よ。さて、何をしようかしらね~」  棒読み気味に呟きながら携帯電話で路線図を調べ始める飛鳥を見て。 「飛鳥、君は本当に」  呆れた声音。イサハヤは僅かに嘆息する。 「何よ」 「……素直ではないな」 「……うっさい」 『本日ハ晴天ナリ。』 ―――――FASE.3 「We are」  最初からわかっていたことだが。 「ば、馬鹿なァーッ!?」  自分達に全く対抗する手立てが無いという事実を思い知らされるのは、如何に絶望的であるかを理解する。  機械竜の腕の一振りで弾き飛ばされたポンデは先程の小猫から大型のライオンへと姿を変えている。成熟期のライアモン、この半年に渡る修行の中で快斗とポンデが身に着けた新しい力のはずだった。  だが流石に相手が究極体ともなれば攻撃が全く通じないのも道理か。飛び掛かったポンデの牙はまるで通じず、機械竜のパンチ一発で弾き返された。 「お早いお帰りで……」 「ヤバいぜ快斗! アイツ強すぎる!」  見ればわかる。その言葉をグッと飲み込む。それを口にしたら最後、自分達に何ら逆転の見込みが無いということを実感してしまいそうだから。  尤も、それを口にしないことで事態が好転するというわけでもない。それぐらい目の前に立つムゲンドラモンの力は圧倒的だった。玩具としてのデジタルモンスターを知る快斗だけに当然、成熟期と究極体の間に存在する圧倒的な差というものを理解していた。正確に言えば、理解しているつもりだった。  しかし今この場で目にする力の差は圧倒的というより、絶望的だった。 「立てるか、ポンデ?」 「なんとかな……だけど」  それをポンデも感じているのか。だから似合わない弱気な台詞を吐こうとしている。  その言葉を快斗は手で制した。ポンデの言いたいことは誰よりもわかっているつもりだ。自分達はこの半年で修行して成熟期へと進化する力を手に入れた。ポンデが進化したライアモンは快斗の知らない成熟期だったが、その力は十二分に煌羅の緑の竜と肩を並べて戦えるだけの強さは有しているはずだった。  それでも究極体には遠く及ぶまい。あの日現れたサーベルレオモンにも、そして今目の前で立ちはだかるムゲンドラモンにも。 「無駄な抵抗はしなさんな。アタシだって鬼じゃない、無益な殺生はしたくない性分でね」  機械竜の肩の上で女が笑う。見下すように、蔑むように。 「快斗さん、やっぱり私も……」 「ダメだ!!」  煌羅の小さな肩がビクッと震える。快斗から怒鳴り付けられるのは初めてだったから。  しかし快斗からしてみれば当然だった。自分とポンデは半年間修練を続けてきた。それはあのサーベルレオモンに太刀打ちできる力を手に入れたいという理由もあったが、もう一つ何よりも大事な目的があった。  前田快斗はこの小さな少女を、戦うことが当たり前な少女を戦わせたくなかったのだ。 「煌羅は隠れてろ! ここは俺と快斗でなんとか……うわっ!」  ライアモンが振り上げられたムゲンドラモンの腕にしがみ付くも、蝿でも払うかのように振り払われてしまう。  歯噛みする。自分達と敵の間にはここまで圧倒的な差があるのか!? 「終わりだね」  女が終焉を告げる。少しだけ声に苛立ちが乗っているようだった。 「まあそれなりには楽しませてもらったけど、アタシもさっさと帰りたいんだ」  ムゲンドラモンの片腕のクローが鋭角化する。それを地面に全身を投げ出して倒れ伏すポンデに向けて。 「くっ、ポンデ……!」 「ダメーーーーッ!」  その時の行動は快斗より煌羅の方が早かった。瞬時に快斗の後ろから飛び出した小さな体は、相変わらずそれに不釣り合いな斧を振り上げて戦いの場に駆け込んだ。目を見張るスピードに霧江も反応が間に合わない。  振り下ろされたムゲンドラモンのメガハンドは止まらず、それを受け止めようとした煌羅とすぐ後ろのポンデを諸共に跳ね飛ばした。 「ぐっ……!」  悲鳴すら許されず煌羅の小さな体がポンデと共にもんどり打ってコンクリートを転がる。 「煌羅ーーーーッ!」  快斗は壁に激突して止まった煌羅とポンデに、駆け寄ることしかできない。  情けなさで全身が捻じ切れそうだった。せめて彼女を戦わせたくなかったのに、傷付けたくなかったのに、自分はそんなことすらできない。人間である自分には何もできない、あのアニメで見た選ばれし子供のような奇跡さえ起こすことはできない。 「……その子を殺す気はなかったんだけど」  女の呟きすらどこか遠い。既に敵の姿は快斗にとって眼中に無かった。 「だ、大丈夫……です」  それでも煌羅は生きていた。両足をガクガクと震わせながらゆっくりと立ち上がる。 「き、煌羅……!」 「快斗さん達は……私が守ります……から」  どういう原理か全身に特に傷は無い。けれど以前と同じだ。顔は発熱で真っ赤に染まり、二本の足で立っていることすら苦しそうな姿はとても大丈夫には見えない。既に斧は消滅して戦う手段はないにも関わらず、煌羅は歯を食い縛って右手を前方に翳した。 「じ、ジンライ……!」  それはこの半年間、一度として姿を見せなかった煌羅のパートナーの名。  煌羅の目の前に一瞬だけ、緑の竜の姿が実体化する。だがそれもすぐに消え失せた。彼の竜のパートナーである煌羅が意識を失い、その場に倒れ伏したからである。 「煌羅!?」 「……死んでないだろうね。そしたら全てが台無しだ。それにしてもこの子とそのパートナー、アタシやこの坊やとは何か違う……アタシのことを魔王だの言ってたのと関係があるのかね……?」  思案しつつも今は目的を果たすべきか。霧江はムゲンドラモンに指示を出す。メガハンドを捕獲用に展開させてゆっくりと伸ばしていくムゲンドラモン。  だが一瞬だけ風が吹いた。 「……むっ」  霧江が目を離したのもまた一瞬である。だがその隙に捕獲するはずだった幼女の姿が消えていた。  どういうことかと逡巡する霧江の背中に。 「ねえ、一つ聞きたいんだけど……いや、一つじゃ済まないわね」  響いたのは戸惑いと怒りを内包した色。それは霧江が多分、雇い主以外に最も聞かされている、というか本人は決して認めないが雇い主が目に入れても痛くないほどに溺愛している娘の声だった。  そういえば今日はアフターファイブで会う約束をしていたっけ? 「……返答次第じゃ、許さないんだから」  その言葉は二本足で大地を駆ける凶鳥の背中から。  高嶺煌羅の体を抱き上げた、鮎川飛鳥の姿がそこにある。  飛鳥は一つ、大きく深呼吸した。  腕の中の煌羅の体は燃えるように熱い。きっと半年前のあの時のように無茶をしたのだろうと思う。しかしそれ以外の状況が読めなかった。色々と理屈を付けて静岡くんだりまで来てみたが、当の二人は巨大な機械の化け物に襲われているし、それを操っているのが見知った顔だったり。ただ、結果的に読めないまま乱入してみたのが功を奏したらしい。  成熟期に進化したイサハヤ、ディアトリモンの背中から降り、もう一度深呼吸。 「ハニー!?」 「ハニー言うな。……で、アンタは一体何やってんのよ」  顔を合わせるのは半年ぶりだが、この馬鹿は相変わらずらしい。それに何故か安心してしまい、自然と飛鳥の返しも柔らかな口調となった。 「……め、女狐……!」 「め、女狐?」  腕の中、息も絶え絶えの状況で目を少しだけ開けつつ呟いたた煌羅の言葉には少しショックを受ける。何というか、初めて顔を合わせた去年のクリスマス・イヴから彼女は自分のことを妙に毛嫌いしているように思えてならなかった。その理由は良くわからないが、飛鳥には少なくとも恨まれたり憎まれたりするようなことをした記憶は無い。  何はともあれ、今はこの状況を斬り抜けることが先決だろう。 「もう一度聞くけど、どういうことか説明して欲しいんだけどな……霧江さん」  だから自分にとっての相談相手であり、誰よりも信頼していたはずの女性を見返す。  ムゲンドラモンの右肩に立つその女の姿は極自然で、普段と何ら雰囲気を変える様子は無いように見える。それは紛れも無く、普段は明るく見えながらも実はその内に冷徹さを隠し持つ桂木霧江の姿であり、その在り方は決して飛鳥の彼女に対する印象を覆すものではないが、ただ一つだけ違うことがある。  その目が語っているのだ。お前は場違いだと。 「まさか飛鳥ちゃんが絡んでくるたぁ思ってもみなかったけど……ああ、なるほどね。その冴えない坊やが飛鳥ちゃんの新しい彼氏ってわけかい?」 「違う」 「あ、やっぱそう見え――ぐほっ!?」 「断じて違う」  ニヤニヤと駆け寄ってきた男にはとりあえず裏拳を入れて黙らせておく。腕の中の煌羅が「暴力反対です……」とか喚いている気がするが、これも無視する。 「……煌羅を狙うのは何故?」 「九条先生の考えさね。あの人の計画にはその小娘がどうしても必要なのさ」 「お父様の……?」  お父様。思わず呟いたその単語に吐き気を覚えた。一年に数度しか顔を合わせず、ただ小遣いをくれるだけの男を何と呼べばわからずそんな三人称になってしまった。 「だから飛鳥ちゃん、デジモンと出会っていたことには驚いたけど、アンタはこの件に関わらない方がいい。……お父さんを心配させるのは良くないね」  ニヤリと笑う霧江の顔が悪鬼のように見え、飛鳥は思わず全身に寒気が走った気がした。  なるほど、今まで彼女のことを高校の同級生達より気心の知れた仲だと思っていた自分は大した道化だったということらしい。鮎川飛鳥はこんな桂木霧江の姿を見たことは一度も無いし、何よりも彼女からこんな冷たい目で見返された記憶は無い。誠に勝手なことながら裏切られたような気分にさえなったりする。  だから歯軋りする。戸惑いより迷いより躊躇いより、まず苛立ちが先に来た。 「……ムカつく」  思春期はとうに過ぎた。それでも父親とも母親とも共に過ごした記憶が殆ど無いような飛鳥だけに、反抗期なるものを実感したことはない。何かに付けて両親の文句を言う同級生の姿を軽蔑していたことさえある。  それでも今この瞬間、鮎川飛鳥という個体は目の前の桂木霧江(ははおや)に反抗したくて仕方が無くなっている。  目の前に立つ機械竜ごと、この女をブチのめしたいと願っている。 「残念だけど……そいつは無理だね」 「なっ」  そんな飛鳥の苛立ちを見透かしたかのように霧江が笑う。  それに虚を突かれた瞬間、ムゲンドラモンの背中から眩い閃光が迸ったかと思えば飛鳥のすぐ背後に立っていたイサハヤが吹き飛んだ。咄嗟に両側の羽で防御の体勢を取ったのだろうが、そんな行動など全く以って意味を成さなかった。  ∞キャノン。ムゲンドラモンの持つ最大の必殺技。 「イサハヤ!?」 「……ま、こういうことさね」  もう一度笑う霧江。恐らく彼女は自分の態度が飛鳥を苛立たせることを理解し、その上で同じように笑みを浮かべ続けている。 「流石は九条先生の娘さんと言うべきかね。加速神器(アクセラレーター)の力も借りず、デジモンを成熟期まで進化させられるなんて」 「加速神器……?」 「おっと、口が滑ったね」  言いつつ霧江が手元でクルクルと弄んでいるデバイスに飛鳥は気付いた。  女性とはいえ大人の掌にすっぽりと収まる程度の小さなものだ。電子画面と幾つかのボタンがあることはわかった。特に側面に設置されたボタンはまるで引き金(トリガー)を思わせる形状をしており、長方形のそれをどこか拳銃のように見せていた。  何故か違和感を覚えた。まるで霧江は飛鳥に敢えてそれを見せたような気がしたからだ。 「だけど悪いね。今の飛鳥ちゃんじゃアタシは倒せない。如何に体を張ったところで所詮は成熟期、それに対してムゲンドラモンは究極体。単純なレベルでは二つも違う。飛鳥ちゃんとそのデジモンがどれだけ頑張ったところで、圧倒的な力の前には無意味なのさ……少なくともアタシは、勝ち目のない無謀な戦いに挑めと教えた覚えはないね」  諭すような色は、彼女が紛れもなく飛鳥にとって母親代わりであった証左。  勝てない、ましてや逃げ道もない。そう確信する。イサハヤだけならこの場から離脱することは可能だろう。しかし相手が桂木霧江である以上、鮎川飛鳥の逃げる場所など知られ尽くしている。霧江はこちらを攻撃する気はなくとも煌羅を逃がす気はない。だから今この場で彼女を退けなければ、煌羅はあちらの手に渡ってしまう。  いっそ大人しく煌羅を渡してしまって場を納めるべきか。一瞬だけそう考えてしまった自分に吐き気がした。 「っ……!」  九条兵衛(ちち)が煌羅をどうするつもりなのかは知らない。  けれど、この半年間アイツの家で煌羅は平和に暮らしていたはずなのだ。身元も出自もまるでわからない彼女だけれど、きっとアイツと一緒なら人並みに笑って、怒って、泣いて、楽しく過ごせていただろうと思う。  それを思えばこそ、今自分の腕の中で熱に浮かされて眠っている彼女を引き渡すことなど断じてできるはずがない。 「この子は……渡さない」 「へえ?」 「霧江さんが相手でも引かないよ。この子は、私が守るんだから!」  そう告げた。母と呼んでいい相手への初めての反抗の言葉を。 「そうかい。残念だよ飛鳥ちゃん……アタシはアンタのこと、嫌いじゃなかったんだけどね」  霧江の腕が上がる。彼女は容赦なくトドメを刺しに来る。  イサハヤは動けない。アイツとポンデも同じだ。だからゆっくりと砲塔にエネルギーを充填させていくムゲンドラモンを止められる者は今この場にいない。自分達にもっと力があればと悔やんでも奇跡など起こらない。自分達はそんな大した人間ではないし、ましてや選ばれた存在でもない。  だからせめて、煌羅を庇うよう機械竜から背を向けて──。 「………………」 「……は?」  間の抜けた声。それがすぐ傍にいる快斗の声と気付いて飛鳥はゆっくりと目を開けた。 「……え?」  きっとそんな自分の声も間が抜けているだろう。  生きている。一瞬の後には消し飛ばされていると思った自分達は、先程と何ら状況は変わらないものの生きている。腕の中には相変わらず燃えるように熱い煌羅の体があるし、両側には傷付いたイサハヤとポンデの姿が見えた。 「ちっ……!」  焦燥が混じった霧江の声に振り向く。  そこには体当たりを受け、よろめくムゲンドラモンの姿。  誰に? その答えは簡単だった。 「お前……は」 「……あの時の」  呻くようなポンデとイサハヤの声。それを受けて自分達を庇うように立つ乱入者は僅かにこちらを振り返ったようだった。 「サーベルレオモン……!?」  快斗が呟くのと同時に、その場からサーベルレオモンの姿が消えていた。 「がっ!?」  それと同時に聞こえるのは地響きと桂木霧江の呻き。  ポンデやイサハヤが消えたと認識するよりも早くサーベルレオモンは大地を蹴り、そのままムゲンドラモンに再度の体当たりを仕掛け、それだけで巨大な機械竜を強引に薙ぎ倒してみせたのだ。何という瞬発力、そして何というパワーなのか。  ポンデもイサハヤも実感する。半年前のあの時、奴は力の一割すらも出していなかったのだと。 「アンタ、何者だい……?」  ムゲンドラモンに体勢を立て直させつつ霧江が問う。  だが獅子は答えない。近辺に指示を出す人間の姿はないように思える。つまり野生のモンスターということか。しかしそれにしては明確な目的、目の前の鮎川飛鳥達を守ることを考えてこの場に現れたように思える。  事実、サーベルレオモンはムゲンドラモンと飛鳥達の間に、まるで彼女達を庇うかのように立っているのだから。 「……撃ちな!」  ならば全力で相対する。だが霧江の指示で放たれた∞キャノンは、サーベルレオモンが全身から放った無数の針で相殺される。  インフィニティーアロー。ミスリルにも匹敵する硬度の体毛を全身から放ってあらゆるものを貫くとされたサーベルレオモンの得意技。獅子の後方で飛鳥や快斗が目を見張っている様が滑稽にも思えた。実際、既に戦いは彼らの想定していたものより遙かに高次元のものへと移行しているのだ。  故に霧江も判断する。決して倒せない相手ではないが、このサーベルレオモンは一蹴できる相手ではないと。 「ちっ……この霧江ちゃんがこうまで手こずらされるなんてねえ……!」  嘯く。周囲には人払いの霧を張っているが、展開時間に限度はある。  土地勘がない以上、いつ野次馬が集まるかもわからない故に霧江はここが頃合いと見た。デジタルモンスターの存在は可能な限り隠匿せよというのが霧江の雇い主である九条兵衛、また協力者である玉川白夜の考えだ。故にまだその時ではない。今ここは無理をするステージではないのだ。  そんな霧江の様子を見て取った飛鳥は一言だけ。 「逃げるの?」 「言うね」  紡がれた飛鳥の言葉にニシシと笑う。  飛鳥が霧江を母代わりだと思っていたように、霧江もまた飛鳥を娘に近いものとして見ていた。だからこその笑いだ。自分が撤退の選択肢を取ろうとしたのを瞬時に見抜いたのは、昔馴染みとして賞賛に値する。だがムゲンドラモンには結局のところ全く及ばず、乱入者によって命拾いしただけの立場だというのに、この子と来たら些か負けず嫌いが過ぎるというもの。幼い頃から変わらない鮎川飛鳥の気質は、どこか微笑ましかった。  九条兵衛の計画に実の娘であるこの子が立ち塞がるなら楽しそうだ。そう思った。 「そうだね、今日のところは引き上げてあげるさ」  再びムゲンドラモンの肩に乗り、霧江は“娘”を見下ろした。 「お母さんには伝えといてあげるよ。飛鳥ちゃん、今夜は帰らないだろ?」 「もう私、高校生よ……それにあの人はそんなこと気にしないでしょ」  違いない。けれど所詮は売り言葉に買い言葉、挑発的なこちらの言葉を否定しない飛鳥の姿が面白かった。 「また次の機会だね坊や達。それに飛鳥ちゃん、今夜のことはとやかく言わないけど明日は創立記念日じゃないからキチンと高校に行くんだよ?」  それを最後の言葉として、桂木霧江とムゲンドラモンの姿は霧の奥へと消え失せた。 「ふぅ……」  ドッと汗が出る。とりあえずの危機は脱したということか。  残る問題は何故か助太刀に入ってくれたサーベルレオモンをどうするかだが。 「……いない?」  目を離したのはムゲンドラモンが消える一瞬だけである。その間にサーベルレオモンもまたこの場から姿を消していた。その目的も正体も助太刀の理由もわからないままに。 「アイツ……何だったんだろ」 「ハニー」 「ハニー言うな。……アンタは大丈夫?」  隣に歩いてきた快斗に顔を向けずに問う。 「ああ。ウチはハニーの布団ぐらいならすぐに用意でき」 「ンなこと聞いてねーわよ」  なんとなく予想できたので言葉を遮ってやる。  快斗は不思議そうにキョトンとした顔をしているが、やがて成長期に戻ったポンデが駆け寄ってくるとそれを抱き上げて「お疲れ」などと言っていた。そういえばイサハヤはといえば、彼もまた成長期に戻ってどうしたものかと思案している様子だ。大方、あのサーベルレオモンのことを考えているのだろう。 「あのお姉様、ハニーの知り合いだったんだな」 「ハニー言うな。そうね……昔からの知り合いよ」  母親代わりみたいなものだとは少々気恥ずかしくて言えなかった。  飛鳥の腕の中の煌羅を覗き込んで「代わるぞ?」と言われたが首を振って断った。煌羅のことにおいては決してコイツを信用していないわけではないが、なんとなく眠ったままの幼子を自分の手元から離すのは嫌な気がしたからだ。 「なんで煌羅を狙ってたんだ?」 「私が聞きたいわよ……アンタも知らないわけ?」 「計画に必要な存在とか言ってたよな!」  これは快斗の肩に飛び移ったポンデの言葉。 「確かに九条兵衛の計画と言ってたかしらね」 「九条って言ったら、あの政治家の九条兵衛だよな?」 「……そうね」  それが自分の父親だと告白するべきか飛鳥は逡巡する。そもそも霧江と自分との会話は彼に聞こえていただろうか。聞こえていたとしてもコイツはそんなこと特に気にしないかもしれないけど、まだそれを知って欲しい時ではない気がする。  まだ?  そう思った自分に飛鳥自身驚いてしまう。自分達はどこまで行くのだろう。自分達の関係に名前を付けるとしたら何なのだろう。鮎川飛鳥は前田快斗や高嶺煌羅といつまで付き合っていくことになるのだろう。それら次々に浮かんでくる疑問に今この場で答えを出すことは、何故だか少し怖い気がした。  そう思っていると、腕の中の煌羅が目を覚ましたようだ。 「お、下ろしてください……!」 「煌羅……もう大丈夫なの?」 「もう大丈夫です、女狐の世話になる気はありませんっ」 「だからその女狐って何よ……?」  気遣いつつ地面に下ろすと、煌羅は歯を揃えてイーッの顔を取る。 「女狐は女狐ですよ! そもそも何しに来たんですか!」 「何しにって……そりゃね」 「俺に会いに来たんだよな……ぐはっ!」  もう一回裏拳。別段本気ではなく、仰け反った快斗もにやついた顔を崩さない。 「熱は……」  煌羅の額に手をやる。煌羅は一瞬だけビクッと震えたが拒む仕草はない。  確かに本人の言う通り、たった数分の間に熱はすっかり引いているようだ。先程までは熱病に冒されたかのように熱かった体も平熱を取り戻している。半年前、彼女と初めて出会った時も同様だったはずだが、大した回復力だと思う。これは幼子だからこそなのだろうか。  俯く煌羅の顔を覗き込み、次に後ろの快斗を振り返る。 「アンタにじゃなくて、会いたかったのは……アンタ達に、よ」  敢えて達を強調して言ってやる。   確かに会いたかったというのは事実だ。だけどそれは快斗じゃない。わざわざ思い付きで東京から新幹線で静岡までやってきた理由の大半は煌羅であり、またイサハヤをポンデと会わせてあげたかったというのもある。  それでも。それでもだ。 「ねえアンタ。……ちょっと疲れたし、ご飯でも食べさせてくれない?」  秘密の共有者である快斗と顔を合わせて安心したのもまた否定はできない。  だから快斗の言うことも完全に間違っていないのが、それはそれでムカつくのである。  JR静岡駅、東海道新幹線のホームにて。 「……お疲れ」  そう告げて加速神器を胸ポケットから取り出す。  役目を終えて戻ってきたらしい自らの僕? パートナー? どういった表現が正しいのかわからないが、一年来の連れの姿を画面に確認して、男は常日頃から浮かべている柔和な笑みを一層濃いものとした。  ホームに滑り込んだ新幹線に足を踏み入れると、予約した窓際の席に座る。  静岡の夜の街並みも大分美しくなったと思う。20年ほど前、自分が子供だった頃は今よりずっと田舎だった記憶があるのに、この平成の世においては地方都市すら急速に発展の兆しを見せていた。 「君の世界にはあるのかな、ネオンの街並みは」  一人ごちる。デバイスの中にいる彼にその言葉が届くのかは知らない。興味もない。  彼は既に大概のカラクリを見抜いていた。一介の教師に過ぎぬ若輩者の自分など及びも付かぬこの国の中枢で進められている計画と、恐らくそれが迎えるだろう顛末すら予想できていた。そして自分と同じ加速神器を与えられた者達が、その計画においてどのような役割を持たされているのかも。  もう止まらない、止められない。  残り時間は恐らく三ヶ月。  自分達にはどうすることもできないのなら。  精々、掻き回してみせるさ。  目的のたんぽぽ食堂は青葉町の住宅街を抜けた先にある。  商店街から徒歩十分、なかなか離れた場所にある店だから利用者は少ないと思いきや、店長を務める山神修一の人柄もあって毎日のように常連客によるドンチャン騒ぎが行われていることで有名である。かく言う快斗もまた、幼い頃より父親に何度も連れられて来た覚えがある。  しかしここ数年は一人で来ることが多かったので、誰かと共に来ることは久し振りだ。更に言えば、自分が連れられて来るのではなく反対に誰かを連れてきたことは初めてかもしれない。  煌羅と飛鳥を促して暖簾を潜ると店内の熱気が一気に吹き付けられて思わず顔を顰める。 「げっ! 前田の坊(ボン)が彼女を!?」  それと同時に裏返ったような女の声が響いた。その方向へ目を向けてみると、そこには色気の欠片も無い厚手のトレーナーの上からエプロンを羽織った20代の女性の姿。 「ようミコット、悪いが俺は一足お先に独身生活とおさらばさせてもらうぜ」 「何度も言うけど私は尊(みこと)だからね。……え? でも何で? どうして?」 「そりゃ俺の人徳に決まって――痛っ!?」  唐突に悲鳴を上げる快斗。敢えて説明するなら、それは後ろから煌羅と飛鳥に同時に腰を抓られたことに起因する。 「快斗さん、私はお腹が空いてるんですよ?」 「誤解を招くような紹介の仕方をするな馬鹿……!」  最近の不衛生な生活が祟って無駄な贅肉が付いてきた腰の肉がギリギリと軋む。 「お、落ち着け煌羅、ハニー……おいミコット、三人空いてるか?」 「私は尊だっていうのに」  頬を膨らませながらもボックス席に案内してくれる山神尊はなかなか良くできた女だと快斗は思う。今まで一度として彼氏ができたことが無い点が本人と両親の悩みの種だが、少々女らしさには欠けながらも明るく見る者を和ませる彼女の存在はこの食堂には欠かせない。東京や名古屋に出て行った男達も帰省した際に彼女の顔を見ると本当の意味で戻ってきた気分になるとも言われており、まさしく看板娘であった。  そんな彼女も子供の頃は大層な悪戯好きだったらしく、現時点で誰にも話していないが快斗の悪戯の技術は彼女から教わった部分が多い。 「しかし半年だか一年だかご無沙汰だったんだが、ここは全然変わんねーな」 「そうね。……坊がこんなに長く来なかったことなんて今までないんじゃない?」  そんな風に微笑みかけてくれる彼女は、ある意味で快斗には姉のような存在である。  カウンターの上に置かれたテレビは大勝を収めた巨人軍の姿を映し出している。この店の親父は大の巨人ファンで、横浜や名古屋で試合がある時には店を放り出して応援に行くとまでいうのだから驚きだ。 「先に紹介しとくぜ。こっちは俺のハニーの」 「ハニー言うな。……鮎川飛鳥です。彼とは友達……知り合い……顔見知り……ああ、そこで出会っただけです」 「そのランク下げに意味はあるんですかねハニーさん」 「ハニー言うな」 「女狐に先を越されたのは屈辱ですが、高嶺煌羅です」 「女狐もやめて」  ボックス席に着きつつそれぞれが自己紹介すると、煌羅の方を見て尊は笑みを浮かべて。 「ああ、煌羅ちゃんって最近町で噂になってる坊の娘さん?」 「……そうみたいです」  俯きながら顔を逸らす煌羅。照れているらしい。 「流石はミコット、情報が速いな」  初対面の相手に固まってしまった煌羅が可愛すぎて、思わず快斗は後ろから彼女の頭をワシワシと掴んでしまう。 「か、快斗さん……」 「それじゃ仕方ないな、折角だし今日は坊へのお祝いも兼ねて私がご馳走しちゃおう!」 「随分と気前がいいじゃんかミコット。彼氏でもできたのか?」 「うるせえ! 知ってて言うな!」  そう言いながらも尊は周囲を見回し、パンパンと手を叩いた。 「は~い! 傾注傾注! 前田の坊が彼女と娘さんを連れてきましたぁ!」 「んなっ!?」  飛鳥が呻くような奇妙な悲鳴を漏らす。  振り返ったのは、ボロボロのブラウン管に映し出されるプロ野球を酒の肴に思い思いに騒いでいるおっさん達。まだ平日だというのに放っておけば朝まで平気でドンチャン騒ぎを続けるような連中だ。  あっという間に彼らの席は人集りになった。 「坊とはどこで?」 「と、東京……です」 「付き合ってどのくらい?」 「つ、付き合ってるわけじゃ……」 「坊との結婚はいつ?」 「け、けっこ……!?」 「罵ってください!」 「このブタ野郎! ちょっと待った、今の質問じゃなくない!?」  そんな凄まじい質問攻めに飛鳥が解放された時には30分近い時が経っていた。  向かいの席、未だに散らない中年達に囲まれて、別段それを苦ともせずに談笑している快斗を見ながら、飛鳥はぼんやりと考える。 (……育った世界が違うなぁ……)  きっと彼はこの温かい町で笑顔に囲まれて育ったのだろう。それってなんだか羨ましい。  果たして自分はどうなのだろう? 母親はともかく霧江の世話になり、友人だって多分少なくない。だけど霧江は煌羅を狙う敵だった。友人達も自分の出自を知ったら変わらず友人でいてくれるか自信がない。それを思うと鮎川飛鳥を形作っている土台は酷く不安定で頼りないものに思えてしまう。イサハヤは自分をパートナーと言ってくれたけど、快斗と違って飛鳥には確固たる自分というものを認識できていない。  悶々としていると、すぐ隣で同じように中年達から解放されたらしい煌羅と目が合った。 「煌羅?」 「……女狐というのは否定しませんが」 「そこは否定してよ」 「うるさいです。……二つだけ、言わせてください」  俯いて顔を真っ赤にしながら煌羅は一度言葉を切る。 「二つ?」 「煌羅という名前をくれたこと、あと先程助けて頂いたこと」 「えっ……」 「感謝してます。ありがとうございました」  何だろう、全てのモヤモヤが晴れた気がした。  自分が悩んでいることを見抜かれたようだった。飛鳥自身が母代わりである霧江の心中を読み切ったように、煌羅もまた飛鳥の心を感じ取ったのだろうか。それはとても幸せで得難いことのように思える。 「き、煌羅ぁ……」 「何ですか、いきなり気持ち悪い猫撫で声出して。女狐は女狐なんですからね」 「いい! 女狐でいい! 膝来て膝! 一緒に食べましょ!」 「嫌ですよ、幼稚園児じゃあるまいし」 「子供が遠慮なんてするもんじゃありませんー!」 「子供じゃありませんー!」  人間って奴は、とっても単純である。 「ポンデよ」 「なんだよイサハヤ」 「我々も空腹だということを飛鳥達は忘れているように思える」 「そ、そんなことはないだろ……なんか不安になってきた」 「お前はこの半年、どんなものを食して来たのだ?」 「んー、普通に快斗が持ってきた飯かな-。イサハヤは?」 「飛鳥からフライドチキンやハンバーガーを貰っていた」 「それ共食いじゃねーのか」 「私はデジモンだぞ」 「いやそれ言ったら俺もそうだけどさ。でも俺は結構普通に快斗達と一緒に飯屋入ってたりしてたぜ」 「この街はデジモン禁制ではないのか」 「そんな禁制ないだろ……この店はペット禁止だから俺らは外で待たされてるんだけどな」 「我々はペットではない! デジモンだぞ!」 「いやそれ言ったら俺もそうだけどさ。……オイこの会話さっきしたぞ」 「時にポンデよ」 「なんだよイサハヤ。……オイこの会話もさっきしたぞ」 「先刻のサーベルレオモン、どう思う」 「初めからこれ話そうぜ。……アイツ、俺達とは違うと思うな」 「お前もそう思うか。根拠は?」 「あのムゲンドラモンと同じだろ。自分の意思がない……というか、指示を出している人間の意思がそのままアイツの意思になっている、そんな感じだ。しかも結構な距離から使役されているみたいだった。クリスマスの時もそうだったけど、アイツが本当にサーベルレオモンとしての意思があるんなら、俺達をこうして見逃す理由がない」 「私も同意見だ。……ここからは飛鳥達には内緒だが」 「ああ、多分俺も同じことを考えてると思うぜ。多分お前の次の質問は」 「ポンデよ、お前は何故その結論に至った?」 「ビンゴだ。さっき確信したけど、快斗達には言えねーよな」 「言ってみろ」 「ムゲンドラモンもサーベルレオモンも、多分同じだからだよ。煌羅の……ジンライと」 「えー、ハニー泊まってかねーの?」 「ハニー言うな。当たり前でしょ、明日は平日よ」  終電までまだまだ時間はあるが、田舎の夜は早いもの。 「今日も平日だが……」 「うっさい、どうせまた来るわよ」 「あー、なるほどなぁ次に来る時はいよいよ嫁にがはっ!」  馬鹿者には綺麗なボディブローを決めて改札へと歩を進める。  振り返るとポンデを胸に抱いてモジモジと顔を上げては逸らす煌羅の姿。 「お休み、煌羅」 「……お休みなさい」  言いつつも煌羅はプイと顔を逸らした。頬が少しだけ赤いのが見えた。  それ以上は要らないと思う。少なくとも今日来た目的は十二分に果たせたから。 「行こ、イサハヤ」 「そうだな。ではポンデ、また次の機会に」 「おう! 次会う時はもっと強くなってるぜ!」 「お互いにな」  ヒラヒラと手を振って鮎川飛鳥とイサハヤは、駅のホームへと消えていった。 「あーあ、久しぶりに夫婦水入らずで夜を過ごせると思ったんだがなー」 「誰が夫婦ですか。早く帰ってくれて清々したぐらいです」 「あれえ? その割には煌羅、随分と寂しそうに見えるけどな」 「ぽ、ポンデ!」 「寂しい時は寂しいって言った方がぐえー! 死ぬ! やめろ首を絞めるな!」 「黙るまでこうです、許しませんからね」  そんな二人と一匹の駅からの帰り道。  自宅までは数分といったところだが先程のような襲撃があるとも限らない。自然、快斗達は遠回りしてでも人通りの多い道を歩いて行くことになる。すると数刻前に立ち寄ったばかりのたんぽぽ食堂が見えてきた。相変わらず中年達がドンチャン騒ぎをしているらしく、ボロい家屋が左右に揺れているかのようだ。  店の前、掃除を任されたのか箒を掃いている一人の男の姿。 「おや……?」 「よう、さっきはいなかったな」 「……厨房を任されていたものでね」  外面通りの涼しげな声。 「ど、どなたですか……?」  煌羅が不安そうな目でこちらを見てくる。 「昔からのダチだよ」  気に食わない相手でこそあるが、その表現で間違いはないと思う。 「君が噂の娘さんか。僕は不知火、今後よろしく頼むよ」  快斗より頭半分ほど長身の男は不知火士朗(しらぬい しろう)。快斗と同じ高校に通うクラスメイトにして、この店のアルバイトでもあった。 「それにしても前田、情報伝達は正確にしたまえ。昔からのダチというのは正しくない」 「相変わらず細けー奴だな……」  その後、士朗とは数分ほど雑談をして別れた。  幼馴染と呼べる関係ではあると思う。それに快斗からすれば昔のダチというのも正確だ。かつては親友と呼べる仲で今もクラスメイトでこそあるものの、すっかり彼との付き合いは薄くなってしまった。同学年でもぶっちぎりで優秀な彼と、勉学など何ら気にしたことのない自分とでは疎遠になるのも当然かもしれないが。  しかし久々に話した彼は、昔と変わらず怜悧ながらも穏やかな奴だった。気に食わない奴になったというのは自分の勝手な思い込みで、彼は昔と変わらないのかもしれない。 「今度久々にどっかに誘ってみっかな……」  そう思った快斗だったが、帰路で煌羅が不安げにこちらを見ていることに気付く。 「煌羅? いや急に会わせたのは悪かったよ、でもアイツも別に悪い奴じゃ……」 「違います」  きっぱりと言う。違う? 何が? 「あの人、見てました」 「……何を?」 「私のこと……ポンデのこと」  ムゲンドラモンと対峙した時すら平静だった煌羅の声が、今はハッキリと震えていた。 「あの人、なんか怖いです」  その時の快斗にはそれがどういうことかわからなかった。  新幹線で東京に出てきてしまえば、新宿までは殆ど時間は掛からなかった。  東京まで来たのは本当に久し振りだが、相変わらずの人混みにはどうも慣れない。通勤ラッシュという奴はもっと凄まじいのだろうと考えると眩暈がする。こんな中で仕事をしている親友達は、それだけで凄い奴らなのかもしれないと改めて思う銀河である。 「よォ銀河、お前が来るなんて珍しいじゃねェの」 「……久し振りだね、香」  駅を出てしばらく歩いた先、新宿御苑で月影銀河は親友の車田香と数年ぶりに顔を合わせる。  銀河と香とは高校から大学までを共に通った仲で、今も昔も一番の親友である。何しろ昨年の香の結婚式の際、友人代表としてスピーチをしたのは銀河なのだ。社会人になってからは殆ど顔を合わせなくなったが、時折電話やメールでの連絡は取り合っているし、今も銀河が家族や恋人よりも優先して会いに来るのは彼である。 「将美ちゃんは元気かい?」 「元気も元気、久々に会ってくか?」 「……流石の僕でも、二人の愛の巣にお邪魔する気にはならないな」 「ハッハッハ! 愛の巣とか言うなよ馬鹿、照れるぜ」 「ちなみに皮肉だから」 「相変わらず言ってくれんな! ……って、皮肉だとゥ!?」  そんな風に軽口を叩き合いながら二人で薄暗い中を歩いていく。そこで唐突に香が足を止めてニヤリと笑った。 「そうそう銀河、すっかり忘れてたがお前も教授の野郎から貰ってるんだよな」 「……ああ」  その顔を見ただけで何を言いたいのかわかってしまうのが親友の辛いところだ。  車田香が今から如何に馬鹿なことを言い出すか、月影銀河には面白いぐらいにわかる。それは本来の意味での常識的な社会人なら一笑に伏して止めるべき行為だろう。そのはずなのに、銀河は香がそれを言い出すのを待っていた気がする。香とその愚かな行為をすることに対してワクワクとドキドキが止まらない。  なるほど、香が待ち合わせに真夜中を、しかもこの場所を選んだのはそういうことか。 「ちょうど人通りも殆どねェしな……いっちょ本気でやってみようぜ」 「……怪我しても知らないよ?」  そういう時の香を止める術は無いだろうし、自分も止める理由は無い。おおよそ数メートルの距離を取ってデバイスを構える。銀河のものは青、香のそれは橙という違いこそあれ、互いに携えるものは鏡写しのように同型であった。  加速神器(アクセラレーター)。二人の大学時代の恩師である玉川白夜の開発した、電脳生命体を保存・育成・使役する為の特殊デバイス。 「起動<アクセル>」  その呟きと共に銀河の後方の空間が歪曲し、そこから巨大な獅子が姿を現す。  サーベルレオモン。約一年前に恩師である玉川白夜から受け取った成長期を銀河が育て上げた究極体。平時には銀河自身と良く似た飄々とした態度ながら、一度戦闘に入れば知的生命体としての冷徹さと古代生物ならではの残虐さを共に見せる、正真正銘の怪物だった。  だがそれを前にして香はニヤリと笑うのみだ。 「お~お~、なかなかの化け物じゃねェか。……これなら楽しめそうだぜ!」  これなら対等、面白い戦いになる。そんな思いを言外に匂わせた楽しげな笑み。 「来やがれ! 起動<アクセル>!!」  香の叫びと同時に地響きを立てて、その怪物が銀河の眼前に降り立った。 「……おいおい」  目の前に現れた、サーベルレオモンすら超える巨体に銀河は思わず呻く。  身に纏うのはサーベルレオモンと同様の古代の遺伝子。だが肉食生物としての凶悪さは恐らくこちらに勝るとも劣るまい。太古の弱肉強食を掟とする世界にて密林の覇者として長らく君臨したであろうその威容、その背に備えた数多の刃と強靭な牙と爪を以って獲物の命を刈り取る獰猛なる王者。 「すげェだろ! スピノモンってんだぜ、コイツ!」  化け物。サーベルレオモンを育て上げた銀河がそう思ってしまう怪物がそこにいた。 「香、一つだけ聞かせて欲しいんだけど」 「あん?」 「君は確か教授に成長期を託されて一ヶ月そこそこだったと思うんだが」 「俺は凝り性なんだよ」 「それで片付けていいのかな……?」  周囲を霧が覆い始める。不可侵領域デジタルフィールド、二体以上のデジタルモンスターが相対するとその隠匿のため自動的にこうした現象を起こすように仕込まれている。これにより今この二体の戦闘空間は完全に外界から隔離された。どちらかが死ぬことになろうとも絶対に干渉を受けることは無い。  ある例外を除けば、だが。 「香、やっぱり君は大した奴だよ」 「下手に褒めたところで名作ゲームしか出ねェぞ?」 「上等だ。次はマリオ64を超えるゲームを頼む」  冗談を言い合いながら互いに間合いを計る。  種族は判断できないが、サーベルレオモンが本能を剥き出しにして相対している以上、目の前の香が呼び出したデジモンは間違い無く究極体だろう。しかし香達が成長期デジモンを恩師の白夜から渡されたのは四月の初めだったはず。つまり一ヶ月程度で究極体まで育て上げたということになる。  有り得ない。結論だけを言えばそうなる。  確かに理屈だけで言えば、プログラムとしてのデジモンを究極体まで成長させるための所要時間は最短で一週間も掛からないだろう。だがそれは飽く迄もプログラムとしての話であり、白夜のプログラムで実体化したデジモンが相手となれば話は別だ。  これは銀河の推論であり同時に極論だが、本来デジモンがこの世界に存在し得ない生物である以上、実体化した時点でデジモンは人間との繋がりを持たねば生きられない生き物と化すのだろう。  なればこそ、逆にデジモンと繋がった人間はどうなるのかと言えば。 「行くぜ!」  思考はそこまで。打ちかかってくるスピノモンにサーベルレオモンが相対する。  巨体と巨体がぶつかり合う肉弾戦。それは肉食獣同士の殺し合いでしかなく、技量も戦術もあったものではない。爪と牙でただ敵の急所のみを狙う凄惨な戦いは、その実この世界においても常に行われている弱肉強食の理を再現していた。 「やるじゃねェか」 「……香の方こそね」  指示など必要無い。元より加速神器から召喚されたデジタルモンスターは、そういう風にできている。  召喚した者との精神リンクでのみ動き、モンスター自身の意思は存在しない。確かにサーベルレオモンもスピノモンも生命活動は行っているし、加速神器の中では食事もするし睡眠も取る。そうすることで成長し、進化してきた。だが今こうして加速神器から解き放たれ、起動<アクセル>した時点で彼らは完全に召喚士の肉体の延長線上の存在となる。  故に獅子と竜の戦いは、銀河と香が直接殴り合っているのと何ら変わりない。 「……たまんねェな。ああ、たまんねェ」  香は実に楽しそうだ。それを正面から見据えながら、銀河は。 「違いない」  心にもないその言葉を口にする。  きっと香は気付いていない。そして自分の方にもそれを気付かせるつもりはない。きっと半年ほど前、正義<ジャスティス>がサーベルレオモンに進化した時点で月影銀河は壊れているのだ。心のどこかで親友が同じように壊れてくれていることに安堵している。  故にたまらないというのなら。 「確かに」  人間と共に泣き、笑い、喜ぶことのできていたあのレオルモンとファルコモンの方がたまらない。 「たまらない」  彼らの方がよっぽど銀河には羨ましかったし、自分もまたサーベルレオモンとそう在りたかった。  人知を超えた怪物を使役したかったわけではない。凡人には持ち得ない異質な力を手に入れたかったわけでもない。もしもデジモンと出会うのなら、彼らのように互いを思い合えるパートナーとして出会いたかったと、そう思うだけのことだった。  そんな時だった。激突する巨獣の間に突如として巨大な光弾が炸裂する。 「何ィ!?」 「この技は……!」  獅子と竜が同時に振り返る。そこに立つのは一体の魔獣。  同じだと直感する。究極体が発生させたデジタルフィールドは同様の存在でなければ侵入することは叶わない。一般人を排除するのと同様に並大抵のデジモンであればそこに近付くことすらままならないはずだから。  故にそれが例外。究極体の闖入者を前に、デジタルフィールドは無力であった。 「ねえ二人とも、こんな真夜中に男同士だけで楽しんでるなんてズルくない?」  晴れていく霧の中、蕩けるような甘い女性の声が響く。10mは超すだろう巨大な魔獣を控えさせるその正体は言うまでも無く、銀河と香の良く知る女だ。 「うふふ、流石の時雨ちゃんでも嫉妬しちゃうわ」 「時雨……」 「げっ」  久々に出会う恋人を前に顔を綻ばせる銀河と、苦手な女の登場に顔を顰める香は対照的。 「何ヶ月ぶりかしら。私とも遊びましょうよ……ねえ銀河?」  彼女の声を前に全身が痺れるように痛む。これは歓喜か? それとも憤怒か? 「香だけじゃないんだね。君も本当に……大した女だよ、時雨」  加速神器・暗黒<エビル>を手にした、龍崎時雨の従える魔獣の名はグランドラクモン。  笑うしかない。  自分の親友も恋人も、本当に大した奴らなのだ。 ・ライアモン“ポンデ” 成熟期に進化したポンデの姿。ムゲンドラモンに跳ね飛ばされてやられた。 ・ディアトリモン“イサハヤ” 成熟期に進化したイサハヤの姿。スピードだけはなかなかのものだったがやはりやられた。ナッパ戦におけるクリリンみたいなもん。ミノル君のディアトリモンはあんな有能なのに貴様は! ・コアドラモン“ジンライ” 煌羅のパートナー。緑の方。 煌羅が戦闘態勢に入ると自動的に彼女の隣に出現する。常日頃どうしているのか、どういう存在なのかも不明で、ただ無言で現れて煌羅と共に敵を狩る。逆に煌羅が意識を失うとその実態を保つことができない。言葉を介さずとも意思疎通ができる関係上、煌羅は快斗達と出会うまで人間とデジモンのパートナー関係というものを理解できていなかった。 ◇ 【後書き】  5日に1話投稿する計画でしたが、31日を挟んでしまったので1日ズラさせて頂きました。なぜならその方がカッコいいから!  というわけで第3話となります。この辺りでお気付きかもしれませんが、本作はデジモンアクセルリスペクトとなります。逆にアクセルに収録されていないはずなのに登場しているデジモンには何か理由があるかもしれません。ライアモンのデザイン超カッコ良くて好きなのですが、オリデジ以降の小説で活躍してるのみたことないかな……活躍させるぞ! もう負けたけど!  それではまた5日後にお会いしましょう……。 ◇ ←前の話       FASE.1       次の話→
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夏P(ナッピー)
2022年7月30日
In デジモン創作サロン
←前の話       FASE.1       次の話→ ◇  階段を五分ほど降りた先にある薄暗い部屋。 「はぁ……本当、埃っぽくて嫌になっちゃうわね。珠のお肌が荒れちゃうわ」  そんなことを言う龍崎時雨(りゅうざき しぐれ)の姿がそこにはある。  今年で26歳になる彼女は、ちょうど女として最も脂が乗った時期。特徴的な長い髪を揺らしながらその部屋を目指して歩いている。学生時代に二年間、その流れで母校に就職してから四年間、地下でグォングォンと不気味な唸り声を上げている多くの機械は未だに用途や正体が良くわからない。そんな機械達の影響か、まだ春になったばかりだというのに地下は恐ろしいぐらいに暑苦しく、額に浮かぶ汗を拭いながら先を急ぐ時雨だった。  ここは偏差値だけを見ればそれなりに高い都内の某有名大学、その旧校舎の地下である。数年前に卒業した時雨はそのままこの大学で職員として働いているのだが、かつてはゼミ生として週に何度か通っていたことが信じられないぐらいに、この場所には相変わらず慣れない。少なくともゼミの教授、つまり時雨にとって過去の恩師に呼び出さなければもう二度と来たくないと思えるような、そんな場所であることは間違いない。  キャンパスの中では心霊スポットとして知られた場所だから無理も無かろう。日の光が一切届かないこの部屋は、校舎が木造ということもあり年がら年中ジメジメしている印象がある。 「教授~! 来たわよ~!」 「龍崎か。……入れ」  ノックもせずに呼び掛けると相変わらず無愛想な恩師、玉川白夜の声が聞こえる。だから時雨は何ら躊躇わずに扉を開いて部屋の中へ体を滑り込ませた。 「よう時雨。随分と遅かったじゃねェの」 「……何よ香、アンタもいたわけ?」  時雨が部屋に入ると同時に、一人の男が声を掛けてくる。  顔立ちは整っているが、年甲斐も無く逆立てた前髪や着崩したスーツなど時雨と同じ年代だということを考えると幾分かガキっぽい印象が拭えないこの男の名前は車田香(くるまだ かおる)。大学を卒業した今ではゲーム会社で働いているのだが、如何に電子情報系のゼミに所属していたとはいえ、外見に違わず中身もガキ大将の如く喧しく単純で、何よりも学力の面においても稀代の馬鹿として有名だった彼にゲームのプログラマーなど務まるのかというのが同期メンバーの専らの見識である。  だが同期の中で最初に結婚したのもまた彼だ。しかも相手は時雨の妹分というのだから恐れ入る。 「ま、久し振り。……最近会ってないけど、将美は元気?」 「元気も元気さ、毎日『カヲル君~♪』って甘えてきて参るぜ。はっは!」 「……あっそ」  聞いた自分が馬鹿だった。26歳独身女に惚気話をするとは、こいつは相変わらずいい度胸だ。田舎の両親からは一週間に一度は早く結婚しろだの見合いを手配してやろうかだの余計な世話を焼かれる時雨だったが、別に自分とて当てが無いわけでは無いのだ。自分が束縛を嫌う天下の自由人である龍崎時雨だからこそ、大学に入ってからだから八年近くの付き合いがある彼とも未だにゴールインできていない、それだけのことでしかない。  尤も、それは彼の方が煮え切らないからという理由もあるのかもしれない、時雨がそんなことを考えていると。 「小金井は良くやっている。九条代表も褒めていた」  いつの間に部屋に入ってきたのか、懐かしく無愛想な顔がそこにある。 「げっ! 武藤竜馬!?」  思わず奇声を上げたのは香だった。時雨や香と同じく彼もまた同じ玉川ゼミの卒業、しかし年齢の割に随分と落ち着いたところのある竜馬を性格的に真逆な香は敬遠していた。とはいえ、竜馬の方もまた精神的に幼稚な香のことを露骨に子供扱いしていたような節があるから、結局のところどっちもどっちである。最近では大物政治家の秘書だかガードマンだか、そんな良くわからない仕事をしているようだが、詳しいことを時雨は知らない。というより、同期の集まりで顔を合わせても本人がそれ以上を語らないのだから仕方ない。 「久し振りだな、龍崎。それと……それと」 「車田だっての! 三年も同じゼミにいた奴を忘れんなよ!」 「……すまん。一瞬小学生がいるのかと思ってな、頭が混乱したのだ」 「テメエーっ!?」  竜馬が挑発し、香が突っ掛かる。こんな光景は日常茶飯事だった。  だからこそ、久し振りに同期で集まると大学時代に戻った気分になる。それが微笑ましい。別に今の仕事や生活に文句があるというわけではないし、あの頃に戻りたいなどと少女染みた思いを抱いているわけでもないのだけれど、龍崎時雨はやはり大学生だった頃が一番楽しかったのだろうなと思う。  そんなことを考えている時雨のことをチラリと横目で見つつ。 「それにしても時雨よォ……俺の記憶が確かならテメエ、今年で26歳になるんだよな」 「言わないで。……女は実年齢を聞かれなければ永遠に17歳なのよ」 「男漁りに夢中な女子大生じゃねェんだからさ、もうちっと羞恥心ってのを持てよ、羞恥心ってのをよ」  時雨の言葉を無視しつつ香はそう呟いた。思わず目を丸くする時雨。 「……どういうことよ?」 「その……アレだよ、胸元放り出してるじゃねェか」  目を逸らした香の頬は少し赤く見えた。それで時雨は合点が行くと共に思わずニヤリとしてしまった。  どうやら彼は露出が多すぎると言いたいらしい。今の時雨の服装は何を隠そう、胸元の大きく開いたチューブトップと太腿を極限まで見せることに拘ったミニスカートだけなのだから無理も無い。少しでも屈んだら下着が見えてしまいそうな状態だ。仕事中のスーツ姿でも十二分にスタイルの良さが窺い知れる時雨であるから、今のような薄着が見る者に如何なる印象を与えるかは確定的に明らかである。  とはいえ、当の時雨は大して気にした様子も見せず。 「あらあら、唯一の既婚者だっていうのに随分と初心なこと言うのね、車田君は♪」 「や、やめろォ! くっつくな! 当たる、当たってるゥ!」 「あててんのよ」  ギャーギャー騒ぎ立てる香に構わずヘッドロックを掛ける時雨。そんな二人の様子を横目で見つつ竜馬が一つ咳払いをするのが時雨には聞こえた。 「何よ、竜馬」 「俺が言うことでは無いかもしれないが」  そこでもう一度咳払い。柄にも無く次の言葉を言うことを躊躇うような、そんな仕草。 「……とりあえず龍崎、お前は自分の体が男の下半身に対してどれほどの攻撃力を持っているかを知るべきだろう」  それだけを告げ、顔を逸らした。今度ばかりは本当に目を丸くする時雨だったが、香と違って顔色をまるで変えない辺り武藤竜馬という男は大した鉄面皮だと思うのであった。この男にここまで言わせた自分はどうやら少しやりすぎたのかもしれない。  反省はしないが反芻はしよう。実際、彼氏がこの場にいたらこんなことはできないわけだし。 「……三人とも揃ったようだな」  それまで騒ぎ立てる香と時雨を無視して我関せずとばかりにパソコンに向かっていた教授、玉川白夜はその顔を上げた。ちょうど時雨達が卒業する頃に壮年期に入った彼だが、その頃はまだ黒い部分が残っていた髪も今では殆ど真っ白になってしまっている。その割にギラギラした眼光やそこから来る威圧感などはそのままで、時雨は少しだけ顔を引き締めた。後方で未だに睨み合っていた香と竜馬も思わず姿勢を正し、直立不動の態勢を取ったらしい。 「お前達を呼び出したのは他でも無い。……今回、お前達に頼みたいことがあるのだ」 「は? 俺達に?」  香は目を丸くして時雨を見た。当然だが時雨も心当たりなど無いので首を横に振るしか無い。だが隣の武藤竜馬は別だった。 「……全力を尽くします」 「そうか、武藤……君は既に九条先生から聞いているのだったな」 「九条!? 九条って、あの将美が雇ってもらってる偉い政治家さんかよ!?」 「え、マジ!? 竜馬アンタ、そんな凄い人と関係があるっていうの!?」  今度騒ぎ立てるのは香と時雨の番だった。だが白夜はそんな二人を手で制して言う。 「順を追って話す。……時にお前達、自分が書いた卒業論文のテーマは覚えているか?」 「忘れた」 「あっちゃー……ごめん教授、アタシも覚えてない……」  即答だった。一秒と間を置かずに答えた香に、白夜の眉が少しだけ吊り上がったように見えたが気の所為だろう。 「だろうな。何しろ龍崎に車田。お前達は我がゼミでも随一の問題児だったからな」 「たはは、それほどでも無いぞ。……褒めるなよ教授、照れるぜ」 「一応言っとくけどね香、今のアタシ達って別に褒められてないわよ。むしろ馬鹿にされてるの」 「なにィ、そうなのか!? 教授テメエーっ!」  感情に任せて白夜に飛び掛からんとした香の首根っこを掴んで時雨は引き戻す。 「やめなさい」 「ぐっ……は、離せ時雨! 俺は教授を許せねェーっ! ……って、また胸が当たってるんですけど……!?」 「あててんのよ」 「やめろォ!」  暴れている香を気にも留めず、白夜は語り始めた。 「まあ忘れたと言うなら仕方ない。実は九条先生……そうだな、お前達が言うところの政治家の九条兵衛だ。かつて次期総理大臣とも呼ばれた男で私にとっては叔父でもあるのだが、そんな彼が今現在極秘裏に進めている一つの計画がある」  デジタルワールド、それは電脳空間に存在すると言われながらも、この情報化社会が急速な発展を始めて十余年、名だたる研究者がその世界の存在を知るも辿り着くことは叶わず、実在すら疑われてきた小世界。その起源は一人の天才ハッカーが現実世界を裏から牛耳るべくネットワークに構築した疑似空間とも、多くのSF作品で語られているような所謂異次元世界とも言われている。そこには同様のプログラムで形成された未知なる生物が存在するという。故に研究者は便宜的にこれらの生物にデジタルモンスターという名称を与えた。  デジタルモンスター、縮めてデジモン。電脳世界に生きる彼らは電子機器から古代生物まで地球上に存在するありとあらゆる物質を模しているとされ、環境や己の特性に適応して強く逞しくなっていく。一体の生物が周囲の条件やそれ自身の内部の発達に従って次第に姿を変えていく様は、宛ら地球の歴史のようだった。  長らく詳細が掴めなかったその世界とそこに生きる生物達。だが1998年、つまり昨年に偶然にも玉川白夜は彼らの世界との繋がりを持つことになる。そして一つの事実を発見した。 「どういう原理かはわからぬ。……だがデジタルモンスターは人間と関わることで強く、また特徴的な形へと変質を遂げるのだ。それも人間の性格や精神といった酷く曖昧な概念に影響されてな。ダーウィンの唱えた本来の意味では無いが、我々は彼らのそれを便宜的に進化と名付けた」  そして一年ほど前、白夜は数体のデジモンのデータを入手することに成功した。  デジモンは人間と共に在ることで成長する。現時点では仮説でしかないそれを実証するため、白夜はその数体のデジモンを実験台とすることを決意した。言うまでも無い、そのサンプリングとして選ばれたのが武藤竜馬に車田香、そして龍崎時雨の三人ということらしい。 「……夢みたいな話だけど」  話を最後まで聞き終えた後の数十秒の沈黙。それを破ったのは時雨だった。 「何故アタシ達なの?」  それは聞く必要も無いことだった。無言で自分を見返す恩師の目がそう語っていた。二年強の付き合いしか無いが彼が何を言いたいのかは自然とわかってしまう。それが少しだけ悔しくもあるが、同時に少しだけ心地良くもある。そして恩師の方もまた、この話を自分達が受けるか否かはわかっているのだろう。  竜馬や香も同様らしい。だから三人は顔を見合わせ、白夜が差し出した小型のデバイスを一枚ずつ手に取る。それぞれの中にデジモンのデータが一体ずつ、それとその実体化プログラムが入っているということだ。  香の握るデバイスにはNatureの文字。  竜馬のものにはUltimateと記されている。  そして時雨が手にしたのはEvilの文字が刻まれたデバイスだった。 「……よくわからないことになったわね」 「ああ、だが興味深い」 「面白そうじゃねェか! 俺ってばワクワクしてきたぜ!」  なるほど、発見された異世界に暮らす生物の成長のサンプリング。仕事柄、基本的に暇な時雨に断る理由は無い。その大物政治家とやらが絡んでいるとなれば竜馬も同様だろうし、そしてゲームのプログラマーである香に至っては是が非でも知りたい世界である。恐らくそれを見越して白夜は自分達をその実験台として選出したのだろう。  けれど何か引っ掛かるものを感じないでも無い。だから部屋を出る直前、扉の前で振り返りつつ時雨は笑顔で問い掛ける。 「そういえば教授、最後に聞きたいんだけど」 「……む?」 「アタシ達っていつも四人グループだったじゃない。……どうしてアイツは呼ばなかったわけ?」  もう一人の同期生にして最近は会ってないとはいえ自分の恋人。その存在を匂わせて時雨は恩師の顔色を窺う。 「言い忘れていたな。……奴には一年ほど前に実験体を託してある」  それに対して白夜は顔色も変えずにそれだけを告げる。 「あれま、流石は教授といったところかしら。その辺は抜かり無いのね。……で?」  思わず聞き返した時雨を真っ直ぐに見返しつつ、玉川白夜は何ら表情を変えることは無かった。こういう時に時雨は思うのだ。まだ20代そこそこの若造でしかない自分や香には、間も無く還暦に達する時を生きてきた恩師を出し抜くことなど不可能だと。しかし同時にそんな彼をいつか必ず超えたいとも思う。そうした意味で、玉川白夜は間違い無く自分達の恩師なのだと。  そんな教え子の心中を知ってか知らずか、白夜は僅かに瞑目して静かに告げる。 「奴に託した実験体……それは」  重々しい口調で告げられるのは時雨の恋人に与えられたモンスターの名。 「ジャスティス。……サーベルレオモンだ」 『本日ハ晴天ナリ。』 ――――FASE.2 「under the sun」  静岡県青葉町。県庁所在地の静岡市から電車で一時間の場所に位置する小さな海辺の町である。  町の中心部を走る私鉄により東西に分けられたこの町は、それなりに発展した東の神原側と田園風景が広がる長閑な西の青葉側で全くと言っていいほど雰囲気が違う。町内には高校も東西に一つずつ存在しているが、東側にある神原高校が県内でもかなりの進学実績を誇るとされている一方で、西側の青葉高校は取り立てて活気があるわけでも進学実績が良いわけでもスポーツが盛んなわけでもなく、本当に普通の若者が通う平凡な高校でしかない。青葉高校が神原高校に勝っている点と言えば、それこそ青葉側に住む人間は大抵がここの卒業生であるため地域との密着性が非常に高く、近隣住民に愛されているということぐらいだろう。 「う~む……今日は月曜、とりあえずジャンプでも立ち読みして帰っかなぁ」  さて、ここで商店街の通りを青葉高校指定のワイシャツ姿で歩く少年に話を移そう。  姓を前田、名を快斗。青葉駅を囲う形で賑わう商店街の片隅に老朽化した木造家屋を構える前田家は代々町内会の会長を排出する一族として名高いが、彼は現在の町内会会長であり幼少の頃から稀代の傾奇者として知られた前田範斗の長男にして、自ら青葉の暴風を自称する更なる馬鹿だった。  度を過ぎた悪戯で割った窓ガラスの数は天井知らず。しかし子供の頃から町のあらゆる抜け道に精通した彼を捕まえることのできた者は今まで一人としていない。何かと厄介な問題事を引き起こす天性の才能を持ち、とにかく周囲を振り回すことに関しては右に出る者のいない、そんな男。  だが不思議と彼を嫌う者はいない。町に出ると気付かぬ内に人が集まってくる、魅力とは呼べないまでもそんな不思議な雰囲気を持つ少年が彼だった。 「おっ、前田家の坊ちゃんじゃないか。今日はどうしたい?」 「わりーが少し立ち読みさせてくれ、君島のおっちゃん」 「オイオイ、いきなりだな。……相変わらず坊ちゃんは本屋を何だと思ってんだよ」  文句を言いつつも君島書店の親父に快斗を咎める様子は無い。  本屋に限らず、この商店街では誰もがこんな感じだ。同じ町の人間なら知らぬ顔は無いなどということは幻想だと都会の人間は良く言うが、その過去に消え去った幻想が未だに残っているのがこの青葉商店街だった。  元号が平成となって早十年近く、この町にはまだ昭和の空気が色濃く残っている。 「ところで坊ちゃん、最近学校はどうだい」 「ん~、ボチボチだな。特別面白くはねーけど、つまらなくもねーよ」 「そいつぁ良かった。ウチの娘にも見習って欲しいぐらいだ」  いつの間にか君島の親父も、店口に置かれたベンチに座って煙草を蒸かし始めている。仕事はどうしたとツッコむ気は快斗に無い。別に互いに興味が無いというわけではなく、ここで暮らす人々は良くも悪くも大らかということだ。  君島の親父は学生時代の父の後輩ということもあってか、快斗とは物心付いた時からの気心の知れた仲である。あまり青葉町から外に出たことが無く、親戚もそう多くない快斗にとっては叔父に近い存在だ。互いに馬鹿なので顔を合わせても話が一向に進まない父親よりも話し相手としては重宝しているかもしれない。  大きく欠伸をする君島の親父。そういう仕草は娘、つまり自分のクラスメイトに良く似ていると思う快斗である。 「……君島は高校がつまらねーって言ってんのか?」 「実はそうなんだよ。最近は娘ともまともに話せてないけどな、どうもそんな感じだ」 「思春期の女って難しいからな……」  半年ほど前の出来事を思い出して快斗はため息を吐く。この本屋の娘である君島麻美(きみしま あさみ)は色々と気難しい性格なので快斗が自分から話し掛けることの無い珍しい女の一人だった。正確には一度口説いてみたら問答無用でビンタされたのがトラウマになっていると言った方が正しいのだが、そんなことは口が裂けても言えない。  ユーモアの通じない女だ。自分のことを棚に上げて、君島の娘にはそんな勝手な印象を持っている快斗だった。 「そういや坊ちゃんには彼女とかいないよな」 「それは世の中の不条理を端的に示す事例の一つだ」  頬に手を添えてどうしたものかと首を傾げる快斗。  別に同級生に彼女ができたからと言って焦るような彼ではない。とはいえ、世界中の女を誰よりも深く愛している自分が女の方から愛されないという現実が、今の快斗にはまだ理解できないでいる。どうやら世界の女は自分の魅力を理解できないでいるらしいなどと考えるのが前田快斗の前田快斗たる所以だった。  そんな時である。雑誌を捲る快斗の指がピタリと止まる。 「快斗さん! 快斗さん! どこですか~!?」  大通りの向こう側から甲高い少女の声が響いたからだ。当然だが自分のことを探しているのだろう。 「……やべーな。どーやら厄介な奴が来ちまったようだ」 「ははは、流石の坊ちゃんも相変わらず娘さんには尻に敷かれてるようだな」 「らしいな。……邪魔したな親父、スピードカイトはクールに去るぜ」  そんな言葉と共に片手を上げて快斗は君島書店を去ることにする。それを受けて君島の親父もまた軽く手を上げて返したものの、相変わらず店に戻る気は微塵も無いらしく煙草を蒸かし続けている。それで良くもまあ生活が成り立っているものだと感心するが、同時にこの能天気さがいいんだよなとも思う快斗だ。  逃げるつもりは無い。君島の親父の前で彼女と会いたくなかっただけのことである。 「やっと見つけましたよ快斗さん!」 「……あのなぁ煌羅、町中で大声は出すなって何度言ったら」 「約束を破る快斗さんが悪いんですよ!」  そうして商店街の中心で快斗はその少女と向き合うことになる。 「あん? 約束?」 「ちょ……忘れたんですか? 今日は買い物に付き合ってくれる約束です!」  季節外れの暑そうな上着を羽織った両手をバタバタさせながらそんなことを喚き散らす煌羅。失礼だとはわかっているが、その仕草はどう見ても幼稚園児が駄々を捏ねているようにしか見えず、快斗も思わず苦笑してしまう。もしやこの娘、自分を子供扱いするなと言いつつ誰よりも子供なのかもしれぬ。  本人は自分を12歳と語っていたが信じられない。多く見積もっても8歳程度だろう。 「わりーな煌羅、俺は今から緊急の用事だ」 「なっ……!?」  口を開けた間抜け面で愕然とする煌羅。感情に合わせてピョコンと跳ねるツインテールがあざとい、実にあざとい。 「ど、どこですか……っ! 私との約束より大事な用事ですかっ!?」 「男には誰に止められようと行かなきゃならねー時があるのだ」 「誤魔化す気満々ですね!? 真面目に答えてください、快斗さん!」  あー、うぜー。やれやれと耳を穿りたくなる快斗だったが、往来する人々がニヤニヤと見守っている中では彼女を無下に扱うこともできまい。  ギャーギャー騒ぐ煌羅を前に大きく嘆息しながら、この喧しさは誰に似たのだろうかと思う快斗である。自分達と出会うまで人間と話したことは一度も無いと言ってはいたが、そう言う割には無駄に常識的なのが困り者だ。年長者に対してだろうと悪いことは悪いとハッキリ言うこの胆力。生真面目な学級委員長を思い出させる彼女の気質が好ましく思えることは否定できないが、快斗にとっては同時に極めて厄介な天敵でもあった。  彼女の名前は高嶺煌羅(たかみね きらら)。前田家の居候であり、また快斗の“娘”である。 『信じてもらえないかもしれませんが……実は私、別の世界から来たんです』 『ハァ――――――!!』  今から約半年前のクリスマス、そんな妄言を吐く彼女と快斗は出会った。  当然、初対面の相手のそんな妄言を信じられるはずも無い。故に快斗としても目を丸くして聞き返すしか無かったわけだが、それでも彼女は自分が異世界人だと称して譲らない。偶然同伴していたもう一人の連れの進言もあり、とりあえず快斗は彼女の話したいように話させてみたのだが。 『つまり……どういうこと?』  何が何だかわからないとはまさにこのことか。  彼女が言うには、どうも彼女は別の世界で開発された人工の兵器だったのだが、どういうわけか今こうしてこの世界に来てしまったらしい。自分を作った存在とは何者なのかと問い質してみたが、自分は一度も人間界を訪れたことは無いと言い張って詳細は全くわからない。そもそも目の前にいる童女は快斗にとって普通の人間にしか見えず、あの時に現れた獅子を退けた戦闘力以外はどこにでもいる女の子としか思えなかった。  故にわかったのは彼女が普通の人間ではないということ、そして彼女がデジモンと何らかの関係があること、その二つだけだ。  デジタルモンスター、縮めてデジモン。今から二年ほど前にたまごっちの後を追う形で発売された携帯型育成ゲームのことだ。あの時の連れは知らなかったようだが、発売後すぐに飛び付いた快斗は知っている。確か最近アニメが始まったような気もするというか、同級生には内緒だが日曜の朝九時から快斗は欠かさず見ている。  彼女がジンライと呼んでいた緑の竜に関しては詳しく聞けなかった。というより、煌羅の方が頑なに話そうとしなかったのだ。今になって考えればあの時にもっと追及しておくべきだったかとも思うわけだが、その時の自分達はどうやら気が動転していてそれどころではなかったらしい。  それから半年が経った今、煌羅は前田家の娘として静岡県青葉町にいる。 「だから、どこに行くかぐらいは教えてくださいよ! 減るものじゃないでしょう!」 「だー! うっせーな、俺に構うな!」 「なっ……快斗さん、いつからそんな我が侭になったんですか!?」  だが文句を言いつつも、自分を素直に父として慕ってくれている彼女の姿が微笑ましいことは否定できない快斗だった。  それが照れ臭いからこそ、こちらとしても半ば突き放すような口調になってしまうことを快斗は自覚している。そんな自分はまだまだガキなのだろう。地球上のあらゆる女性に真正面から感情をぶつけられる自信がある快斗だが、自分の娘である彼女だけはどうにも苦手だ。意識しないようにしているのに、照れやら気恥ずかしさやらで自然と頬が熱くなってしまう。他の女を相手にしている時には無かった感触だ。  そう、悔しいことに世界中のどんな女よりも自分の娘は可愛く見えるらしい。 「そもそもだな煌羅、俺を父親と思うなら快斗さん呼びはやめろ」 「……快斗さんは快斗さんですよ?」  キョトンとした顔で首を傾げる煌羅。あー! 可愛いなー、もう! 「違う、俺はファザーだ。ダディだ、親父なのだ」 「おやじ……?」  何故かその単語を噛み締める煌羅。そして一瞬だけ躊躇いながらも口を開いた。 「親父ィ……どこへ行くんだ?」 「お、お前と一緒に避難する準備だぁ」 「一人用のポッドでか……?」 「ヒィーッ!? 南の銀河を破壊し尽くした伝説の超サイヤ人みたいな顔ォーッ!」 「……うん、やっぱり快斗さんは快斗さんです」  良くわからないが勝手に納得する煌羅。幼い割にこういうところは一回り近く年齢が上の快斗でも推し量れないところがある。かつては自分以上の女好きだったという父が以前言っていたことだが、女という奴は男からしてみると本当にわからない生き物だと思う。中学や高校では数学だの英語だのよりも女の心の機微とか口説き方を教えてくれよと切に願う快斗であった。  尤も、そんなことを教えられたところで自分が今と変わらないこともまた快斗は知っている。 「時に煌羅女史よ。ほれほれ、近う寄れ近う寄れ」 「……何ですか、その胡散臭い喋り方は」 「細かいことは気にするな。今日は親父もお袋も町内会の旅行でいないわけだ」 「そうですよ、だから買い物に行こうと私はさっきから――」 「……だから夕飯はピザでも取るかな……」 「な!?」  まるで雷にでも打たれたかのように愕然と立ち尽くす煌羅。 「ケチな快斗さんがピザを取ってくれるだなんて……今日は槍でも降るかもしれません」 「愚か者、俺はいつだって優しいのだ。だからモテモテなのだ。今日もまたラブレターを何通も――」 「……あの女狐には捨てられた癖に」 「うっ」  ボソッと呟いた煌羅の言葉に息を詰まらせる快斗。 「こ、こら煌羅! 仮にも自分の母親を女狐呼ばわりとは何事だ!」 「母親だなんて認めてませんっ! ちなみに今から言うのは飽く迄も私の推測ですが、恐らく快斗さんも旦那さんだって認められてませんけどね。……飽く迄も私の推測ですけど」 「何故二回言った」 「大事なことなので二回言いました。正確に言えば、あの女狐は多分もう快斗さんのことなんて忘却の彼方です」 「そんなわけが無かろう。俺の娘だけあって博識なお前も、流石に男女の機微に関してはまだまだ知識が足りねーようだな」 「むしろ快斗さんの方がお詳しいとは思えませんが……」  容赦の無い物言いをする煌羅は、恐らく彼女を母親として捉えることに強い抵抗があるようだ。  やれやれと頭を掻く快斗だったが、言われてみればあの鮎川飛鳥という少女とは本当にあれっきりなのは事実だ。携帯電話の番号の交換だけはした(というよりも快斗が強引に聞き出した)のだが、頻繁に連絡を取り合っていたのは最初の一ヶ月ぐらいで、それ以降はあちらから電話が来ることは当然のように無いし、快斗としても彼女にわざわざ連絡を取る必要性は感じていない。  さて、どうしたものか。今度のゴールデンウィークに煌羅を連れて東京へ行こうかなどと密かに計画している快斗だった。 「そもそも俺は別に捨てられてねーぞ。お前の母さんは単純に恥ずかしがり屋なだけだ。今頃はケータイの画面に出した俺の番号を見つめながら、電話を掛けようかどうか悶々としてるに違いねーのだ」 「フッ」 「ちょ……笑ったな! 煌羅お前、今父親のことを鼻で笑ったな!」 「ご、ごめんなさい。……その光景を想像したらつい笑いが」  誰に似たのか、そうした悪戯っぽい笑みを前にするとやはり煌羅は可愛いなどと思ってしまう自分は、どうやら相当の親馬鹿らしいと思う快斗なのだった。  車田香は北区の赤羽付近に建つ高層マンションの一室に住んでいる。  時刻は正午過ぎ。学生時代の恩師や同期と顔を合わせてから二日後、この間は会社の仕事が忙しかったので全く家に戻れなかった。元々が隙を見て平然とサボりに走るような不真面目な男である。なればこそ、一日半も会社に缶詰めにされていた今となってはその精神の疲労度は生半可ではない。 「ふわ~、疲れたぜェ……!」  こんな状況では渡されたデバイスを確認する気にもならない。  ベッドにドサリと倒れ込むと、数秒と経たずにその精神は夢の世界へと旅立っていく。スーツで寝るなとかシャワーは最低でも浴びろとか、結婚したばかりの嫁に口を酸っぱくして言われたようなことさえ今は思い出せない。  そのはずだった。そのはずだったのだが。 「カヲル君、カヲル君ってばぁ!」 「うおぅ!?」  唐突に耳元に響く叫び声に心と体が同時に跳ねた。 「……おう、マサミか」  瞬きを三度ほどして見てみれば、そこにはベッドの横で正座をしながら頬を膨らませて自分を見つめる女性の姿だけがある。昔は漆黒だった髪は最近になって若干赤みが入っており、中途半端な長さながら十分に美しい。黒々とした瞳は大きく、10代の少女が持つようなあどけなさすら見る者に感じさせる。香に言わせれば、全世界を見ても彼女以上に可愛らしい女性はいないだろうと断言できる、そんな存在。  それが車田将美、昨年の夏に結婚した香の妻である。 「もう……昨日スーツで寝ないでねって言ったばっかりだよ?」 「悪い悪い、ちっとばかし疲れてたんだよ。……今戻ったのか?」 「10分ぐらい前かな。今日は仕事もお休みだから」  舌足らずな喋り方の彼女が政治家の秘書をやっているという事実には香も驚かされる。しかもその政治家は何年か前に次期総理大臣とまで謳われ、如何に新聞を読まない香でも名前ぐらいは聞いたことのある男だというのだから恐ろしい。  何というか、しがないサラリーマンをやっている自分が情けなくなる。 「疲れてるのはわかるけど、スーツの皺を取るのも大変なんだからね?」 「わぁーってるって」 「でも最近のカヲル君、ちょっと忙しそうだね」 「まァな。ちょっと厄介な仕事ができたもんで……悪いな、最近あんまり帰れなくて」  大欠伸と共にベッドから立ち上がる香を、正座したまま見上げる将美。 「それはいいよ……でも体だけは気を付けてね?」 「マサミ!」 「な、何……かな?」 「惚れ直した! 結婚してくれ!」 「もうしてるよ……?」  照れたように頬を掻く将美はあまりにも可愛すぎて思わず抱き締めたくなる。だが今の自分は少々汗臭い。そんなことを考えると彼女に悪いかもしれないという思いが先行して思い留まる。自分は誰よりも本能に忠実な人間だと思うが、その辺りは流石に礼節や常識を弁えているのが車田香という男だった。  そんな時だった。体を起こした香のポケットから小さなデバイスが地面に落ちる。そういえば教授から受け取って以降、ポケットに入れたままだったのを忘れていた。 「あれ? これって……」 「……折角だ。コイツもちょっと試してみっか」 「もしかして厄介な仕事って」 「ああ、コイツのことだ。ちょっと玉川の教授からな……」  二日前の出来事を思い返しながら、香は将美に語り始める。  できるだけ口外しないようにと白夜から言われているが、別に自分の妻にまで隠すことはあるまい。何より将美は時雨と竜馬の高校時代の後輩なのだ。なればこそ、十分に身内と呼べる彼女に話さないでおく方が余計な心配を掛けてしまう。香はそう考えた。  そうして五分ほどで全てを話し終えた後、将美は少しだけ思案するようにして。 「……危なくない?」 「さて、どうなんだろうな。ぶっちゃけ俺も良くわかっちゃいねェんだけど……面白そうだってことは否定できねェぜ」  こういう時に歯を見せてニカッと笑う香を止められないことを将美は良く知っている。だから額に手を添えながら呆れたように嘆息して苦笑を返すしかないのだが、それでも不思議と悪い気はしない。  車田香の見せる様々な表情の中で、それこそが小金井将美の最も好きな顔だから。 「カヲル君、楽しそう。……でもカヲル君の持ってるそれ、私もどっかで見たような……?」  ただ一つ、それだけが気に掛かっていた。  そろそろ空が夕闇に包まれようとする時間。木が鬱蒼と生い茂る青葉高校の裏山には梟の鳴き声が響き始める。 「おいおいポンデ、大分いい感じになってきたんじゃねーの!?」 「おうよ! 最初からわかっちゃいたことだけど、やっぱ俺達って無敵だな!」 「ハハハ、間違いねーな!」  そう言って笑い合う一人と一匹の姿がそこにはある。前田快斗とレオルモンのポンデであった。街中での問答から数時間、煌羅を上手く撒いた快斗は裏山で待たせていたポンデと合流した。煌羅を含め家族には内緒にしていることだったが、去年のクリスマスに彼女と出会ってからの半年というもの、快斗は折を見てはこうして裏庭に住まわせている相棒のポンデと定期的に顔を合わせていた。  その理由は言うまでも無いことである。 「それにしても快斗よぉ、俺様が強くなれたことには感謝してるけど、お前も本当に面倒な性格してると思うぜ」 「……そうか?」 「おう。実戦は何よりの訓練って言うしな、煌羅の連れてる何たらモン……アレと戦わせてもらった方が成果は早く上がると思うんだけどな、俺は」 「それは……」  口から出かかった快斗の言葉を遮るようにしてポンデが続ける。 「でも快斗、お前は煌羅に見られたくないんだろ? 男のプライドがどーとか言ってさ」 「……流石は相棒、わかってんじゃねーか」  痛いところをポンデに指摘されて苦笑を返す。全く以って彼の言う通りだ。 「男は努力だの修行だの苦労だの、そんな格好悪い姿を他の誰かに見られちゃなんねー生き物なんだよ」  両親はともかく、煌羅にだけは知られるわけにはいかない。  必ず強くならなくてはならない、快斗にそう思わせたのは半年前のクリスマス・イヴの出来事が未だに胸に焼き付いているからに他ならない。あの時以来デジモンが自分達の目の前に現れたことは無いが、ポンデがこの場にいる以上いずれ必ず何らかのモンスターが現れる日が来る。そしてその時が来れば煌羅はあの時と同じように戦うのだろう。その時に少しでも彼女の手助けになれれば――いや、勝手だとわかっているが、煌羅が危険を冒さずとも良いように自分が代わりに戦えればどれだけ良いか。  少なくともあの時のようにただ後ろで見ているだけの立場は御免だ。 「男だ女だはわかんねーけど、快斗の言いたいことは俺もわかるぜ」 「お、わかるか?」 「自分だけ戦えずに後ろで見てるだけってのは辛いもんな。特にあのライオン野郎相手には逃げたくないぜ俺は」  お前も十分ライオン野郎だろうが――というツッコミはさておき。  どうやらポンデはあのサーベルレオモンに対してライバル心を抱いているらしい。だが考えてみれば奴は究極体、今のままではとても勝てる相手ではないだろう。快斗としてもそこまで楽観的ではない。確かに半年前よりも強くなったとは言っても、もし今この場で奴が現れた場合は煌羅を自分達で守り切ることなど到底できないだろう。  ポンデが先程言ったことも尤もだ。独力での修行には限界があるし、実戦は何よりの訓練になるというのは確かに真実だ。 「どうしたもんかね……ま、とりあえず今日のところは帰るか」 「おう! 今日はピザだったな! ……む? 誰か来るみたいだぜ快斗」  考えていても仕方が無い。ひとまず今日は帰路に着こうとした時、不意に前方の林から足音が聞こえてくる。 「おや? 誰かと思えば、懐かしい顔が見えるね」 「げ! 月影の先公!」 「そこは先生と言って欲しいな」  そうして木々の影から姿を現したのは整った顔立ちを持つ20代後半の男性だった。  月影銀河(つきかげ ぎんが)、青葉中学の日本史教師にして剣道部の顧問を務める男だ。快斗にとっては卒業前に担任だった恩師にあたる男でもあるのだが、強引に入部させられた剣道部で大層しごかれたこともあり、快斗は少々この男を敬遠していた。  別に厳しい性格というわけでもないし、熱血教師というわけでもない。しかし彼の言葉の節々には何故か逆らう気力を萎えさせる力があった。 「君が卒業してから早くも一年が経つわけだね……どうだい、最近の調子は。相変わらず町を騒がせているらしいけど、風の噂じゃ東京で女の子を拾ってきたそうじゃないか」 「……さーな」  快斗にしては珍しくつっけんどんな口調になる。何と言うか、この男に対しては自然と敵対心を覚えてしまうのが快斗だ。別に以前から目を付けていた女の子が彼にラブレターを送ろうとしている様を目撃してしまったとか、教師も含めた競技大会で運動にだけは絶大な自信のあった自分がボロボロに打ち負かされて女子の人気を独り占めにされたとか、そんな理由は断じて無い。あるわけが決して無いのだ。  それなのに月影銀河の方は何かと世話を焼いてくるのだから堪らない。 「そもそもアンタこそ何してんだよ。今日は平日だぜ?」 「……君も知ってると思ったけど」  露骨にため息を吐いてみせる銀河。馬鹿にしている顔ではない。  だが剣道部の顧問と部員として初めて出会った時から変わらないのだが、こちらの全てを見透かされているかのような顔はどうも苦手だ。態度や口調こそ柔和だが、彼の飄々とした物腰にイライラさせられることが多々あるのは疑い様の無い事実だった。単純明快に言って、合わない人間とは彼のような男を言うのだろうと思う。 「今日は月曜、剣道部は休みの日だよ。……僕にとっては鍛錬の日でもあるけれど」  どうやら剣道部が休みの日にはこの裏山で修行していると言いたいらしい。  言われてみれば月影銀河はジャージ姿に竹刀と奇妙この上ない格好だ。しかし他の曜日には欠かさず剣道部の練習があるにも関わらず、たまの休みにも自らの修練を積んでいるとは剣道部顧問の鏡だ。 「ご苦労なこって。んじゃ、俺は行くぜ」 「そうかい。……って、ちょっと待った前田君」 「あん?」  この男と同じ空間にいると落ち着かない。そんな理由から立ち去ろうとした快斗だったが背後から唐突に呼び止められる。 「何か用かよ?」 「さっきから気になってたんだけど」  そこで銀河は少しだけ迷ったようだ。こちらを見る目が僅かに揺れているのがわかる。 「なんだよ、言いたいことがあるんだったら」 「その小猫……君の飼い猫かい?」  痛いところを突かれた。シレッと快斗に付き従おうとしたポンデの体が僅かにビクッと揺れたのが見えた気がする。  さて、何と答えたものか。確かに飼い猫と言うのが一番現状に見合っているし、今この場で誤魔化すには最適な答えだと思うが、何故だかポンデを飼い猫と表するのには抵抗があった。誠に勝手な理由だが、事情を知らない男とはいえポンデを他人に飼い猫呼ばわりされたことにムカついたと言い換えてもいい。  だから自分でも驚くぐらい、自然と次の言葉が出た。 「飼い猫じゃねーよ」 「ほう?」 「コイツの名前はポンデ、俺の……相棒だ」  そうして快斗は誰よりも苦手な男の目をハッキリと見返して、言える範囲内で真実だけを告げるのだった。  前田快斗が去っていった後、月影銀河は腕組みをしてその場に立っていた。  剣道の修練に来たと言いつつ、今の彼は竹刀には見向きもしない。端整な顔を崩さず、ただ思案するかのように瞑目する銀河。吹き抜ける風が熱気を運び、程無くして夏が到来するだろうことを予感させる。  形の良い顎を伝って汗が滴り落ちる。  ──面白くなってきたじゃないか、ギンガ。  背後の林から自らを呼ぶ声がする。正確に言えばそれは声ではなく、ただ銀河の脳内に直接響く囀りのようなもの。  彼は柄にもなく歓喜しているようだった。まさか半年も前に取り逃がした二匹の成長期の片割れと、こんなところで再会する羽目になるとは。人間界のことは良く知らない彼だったが、これが人間達の言うところの運命って奴なんだと改めて実感しているらしい。 「……なるほど、やっぱりそうなのかい」  声が響いてくる方向へは目もくれず聞き返す。銀河もまた、少しだけ楽しげに自分の口の端が上がるのがわかる。  大学時代の恩師に“彼”を与えられたのは、今から一年近く前のことだっただろうか。異世界に生きる未知なる生物と恩師は言っていたが、付き合ってみると“彼”は意外にも人間味のある性格で似た者同士の銀河とも馬が合った。ただ、僅かながらも暴力的な気質を持つことだけが珠に瑕であり、昨年のクリスマス・イヴには光ヶ丘の街中で大立ち回りを演じてしまったと本人(?)は笑っていた。  その時に“彼”と出会ったのが、あの小猫ということだろう。 「楽しそうだね。……いいことだ」  だから“彼”の楽しそうな声を聞くと銀河も自然とニヤリとしてしまう。  そのクリスマス・イヴ以来顔を合わせていない自分の恋人から、つい数日前に“彼”と同じような存在を恩師から託されたと連絡があった。どうやら恩師は銀河の同期生全員に同様の生物を託したということらしい。その意図は正直わからないが、一年前の自分がそうであったように、他の仲間達にも“彼ら”と関わることは何か有益なものを齎してくれるだろうことは想像に難くない。  そこに投げ込まれた先程の前田快斗と小猫の存在は、水面に落ちた小石のようだ。そこから広がる波紋は何を意味するのか。 「面白いことが起きそうだ。……久々に時雨に会っておくべきかな」  何かが始まろうとしている。それに対して不安よりもワクワク感が勝るのが、月影銀河という男だった。 「自覚はありますか? そんなんだからモテないんですよ快斗さんは!」 「悪気は無かったんだ! 許してくれ!」 「そんなこと言ったって許しません! ポンデも同罪です!」 「ギャー! ごめん煌羅、許してくれ!」  既に日が落ちた商店街の中で、腕を組んで仁王立ちする少女に対して派手な土下座をする情けない者が一人と一匹。  言うまでも無くそれは前田快斗とポンデであった。性格上の一致と言うべきか、本質的に似た者同士の一人と一匹は二足歩行と四足歩行という生物学上の差異も無視して土下座をする様すら瓜二つである。その光景がツボに入ったのか、憤怒の形相だった煌羅が一瞬だけ苦虫を噛み潰した表情になったのがわかる。どうやら笑いを堪えたようだ。  とはいえ、買い物に行く約束とピザを取る約束のどちらも破ったのだからこうなるのも必定か。 「悪気が無いのは当然です。もし悪気があるとか寝言を言い出したら、今すぐにでもレオモンとオーガモンの間に投げ込んでやるところです」 「おっ、先週のアニメだな? 流石は我が娘、欠かさずテレビはチェックして――」 「黙りなさい」 「ひいっ」  ギロリと睨まれて言葉を失う快斗。社会問題となったドメスティックバイオレンスとは恐らくこういうことを言うのだろう。 「あ~、ところで煌羅君」 「……そろそろ死ぬ決心ができましたか」 「いやいや死なねーよ! そこまで悪いことをしたんですか俺!?」 「しました。今日の快斗さんは軽く人を死に追い遣るレベルです」  取り付く島も無いとはこのことか。これはお菓子やアイスクリームで釣っても無駄だなと快斗は考え直す。 「え、偉そうなことを言いやがって……貴様らサ○ヤ人は罪も無い者を殺さなかったとでも言うのか?」 「だから滅びた……誤魔化さないでください」  どうやら話を逸らすことさえさせてもらえないらしい。  しかしプンプンと頬を膨らませる煌羅もそれはそれで可愛いなと思ってしまう自分は、恐らく大した親馬鹿なのかもしれない。それでも可愛いものは可愛いとしか言い様が無いのだから仕方なかろう。自分は少なくともそうした事柄に関してだけは嘘を吐きたくないという信念がある。  そんな表情が顔に出たのか、煌羅が少しだけ不思議そうな表情を見せる。 「……快斗さん?」 「いや」  少しだけ照れ臭くなった。珍しく赤面しているのが自分でもわかった。 「あー、改めて言うのもアレだけどさ、煌羅」 「何ですか」 「お前は俺の娘だ。……ずっと娘だ」 「頭でも打ちましたか」 「打ってねーよ! だぁー! たまには俺にも格好を付けさせろ!」  色々と台無しである。隣のポンデが爆笑していたが、煌羅に睨まれて「ひいっ」と情けない声を上げていた。まるで鏡を見ているかのようだ。  流石に夜ともなれば商店街の人通りも随分と少なくなる。静岡の市街まで出ないと一般的に言うオフィスも無い青葉町では所謂サラリーマンも殆どおらず大半が自営業を営んでいることもあり、街頭の少なさも相俟って人気の少ない夜の町は一種の不気味さを漂わせている。  そんな中にあって前田家は商店街の外れにある築五十年を超えるボロ家。普通に肝試しに使えそうな幽霊屋敷だった。 「さて快斗さん、今日の晩御飯は何ですか?」 「ピザ屋じゃ駄目なのか」 「私はお腹が空きました。ピザが来るまで待てるはずもありません」  厄介なことを言う辺り流石は我が娘、なかなかに強かだと言えよう。  時刻は午後7時50分。今から駅前のスーパーまで出るのも面倒だし、この調子では他の定食屋でも煌羅を満足させる速さでメニューが出てくる店は無い。そうなると、とまで考えて快斗の額に少しだけ脂汗が浮かんだ。  あそこに行くしかないか。顔を合わせたくない男がいるが、まあ仕方ない。 「行くぞ煌羅、ポンデ。……そーいや、お前らはまだ連れてったことが無かったからな」 「どこですか?」 「たんぽぽ食堂。飯はまあ悪くはねーんだが、気に食わねー奴がバイトしてっから、正直あんま行きたくはねーんだけど」  あの店の店主を代々務める山神家は前田家と昔から付き合いがあるということで、快斗が行けば通常時でも目玉が飛び出そうな安さの価格を更に安くしてくれる。そういう意味で以前は君島の本屋と同じくらい世話になっていたのだが、ここ二年はご無沙汰だった。それは前田快斗にとって宿命のライバルが唐突にあの食堂でアルバイトを始めたからに他ならない。  とはいえ、背に腹は代えられまい。今の自分は煌羅を満足させるためには如何なる屈辱にも耐える決意がある。 「住宅街を抜けたらすぐだからな。ほら、さっさと歩く!」 「わかりました、楽しみです」 「快斗よぉ、俺も腹が減ってきたぞ~!」  ポンデが勝手なことを言っているが敢えて無視した。  住宅街と言っても今は人が住んでいる家は疎らで、空き家になったまま放置されている家屋が多い。小学校時代の快斗はその気に食わない男と共に良くこの周辺を探検したものである。割れたままになっているガラス窓はその七割が快斗の手による犯行だということは内緒だ。  それにしても、一方通行でもないのに通りは異様なほどに狭い。車が来ると抜かせるにも一苦労だ。 「時に快斗さん、結局さっきは何をしてたんですか?」 「それは言えん。秘密は男の財産だからな……by青山剛晶」 「……まあいいですけど。むっ」  二人と一匹が住宅街を歩いている途中、唐突に煌羅が視線を上げた。 「煌羅?」 「快斗さん、それにポンデ。……下がってください」  その顔は今から半年前、奇しくも今と同じ台詞を呟いた時の顔。  情けないことに快斗はそれが何を意味するかに気付けなかった。だから能天気なことに同じようにして視線を上げた。そうして快斗は自分達の正面、ちょうど乗用車がギリギリ一台通れそうな幅の道路が異物で塞がれていることに気付いた。  黒く大きな金属の塊。それが何であるかを理解するのに数秒の時を要する。 「まさか……こんな奴が人間界に来るなんて」  呻くような煌羅の声。闇夜の中で一瞬だけ射し込んだ月光が、ただの大きな金属の塊だと思っていた存在の全貌を照らし出す。  フルメタルサイボーグ。そう表現するのが最も相応しいだろうその威容は、紛れも無く数ヶ月前に前田快斗がプレイしたゲームに登場する怪物だった。数多のサイボーグ型から得られたデータを基に開発された究極の怪物。それが目の前に立つ怪物の正体だ。 「ムゲンドラモン……!」  機械竜が月夜に吼える。耳を劈くような咆哮が響き、それが鳴り止むと共に。 「見つけたよ。……アンタだね」 「誰!?」  涼やかな声と共にムゲンドラモンの前に一体の影が降り立つ。煌羅の叫んだ疑問の声を聞くまでも無く、快斗にはその影が女だと気付いていた。どんな状況であろうと目の前に現れた存在が女であることを前田快斗が見間違うはずも無い。  ニヤリと笑う女。年齢は恐らく30代半ばから後半といったところか。 「まさか……まさか……!」  煌羅はその顔に見覚えがあるのか、僅かに全身を震わせている。 「色欲の魔王……何故……? どうしてっ……!?」 「おや、アタシのことを知っている顔だね。でも色欲の魔王? なんだい、そりゃ」  だが齟齬がある。女は目を丸くして煌羅のことを見返した。 「綺麗なお姉さんにこんなことを聞きたくねーが……アンタ、誰だ?」  だから快斗が問う。こちらは娘を晩飯に連れて行く途中なんだ、邪魔をするなと言外に匂わせながら。 「……へえ?」  もう一度目を丸くする女。その仕草は微妙に月影銀河に似ていて、快斗は何故だか腹が立った。 「面白そうな坊やだね」 「なに?」 「姓は桂木、名は霧江。……そしてこっちはムゲンドラモン。アンタ達に恨みは無いけれど、その存在はあの人の計画にとって邪魔になるみたいだからねぇ? だから選びな。アタシらに従うか、それとも今ここで倒されるか」  悪の女幹部のようなことを言う女だと思う。尤も、そんな女も快斗は嫌いではない。  煌羅やポンデと出会った時からわかっていて目を逸らしていた。しかし自分はどうやら本当に知らぬ間に物の見事なまでのファンタジー世界に紛れ込んでいたらしい。あの人、計画の邪魔になる、自分達に従うか今ここで死ぬか。まさかそんなフィクションのような語群に自分が関わることになるとは。  とはいえ、わかっていて目を逸らしていただけのことだから快斗の答えも当然最初から決まっている。未だにワナワナと震えている煌羅を庇うように前に出る。恐らく今鏡を見れば自分は笑っているだろう。同じように前に出た隣のポンデを見てみれば同じような笑顔だった。 「任せな」  ポンデはそれだけを言う。相手は究極体のムゲンドラモン、如何に半年間の修行があるとはいえ無謀というか身の程知らずというか。――とはいえ、それは自分も同じか。 「どうしたい? まさか今この場で楯突こうなんて思うぐらい馬鹿じゃないだろ?」  挑発的な女の言葉。それをハッキリと見返して言う。 「どっちも……お断りだ」  桂木霧江とムゲンドラモン。正直、彼女らに勝てる気など微塵も無かったのだけど。 ・玉川ゼミの皆さん 都内の某大学、玉川ゼミの卒業生。全員26歳~27歳程度。 歴代のゼミ生の中でも問題児軍団とも呼ばれるが、故に教授の玉川白夜(たまがわ びゃくや)から見出されてデジタルモンスターを託されることになる。 名前の由来は玉川白夜、桂木霧江含めて全員将棋の駒+天候もしくは天体。 1.月影 銀河(つきかげ ぎんが)  涼やかな男。快斗の中学時代の恩師。正義<サーベルレオモン>。 2.龍崎 時雨(りゅうざき しぐれ)  えっちなお姉さん。↑の恋人。暗黒<???>。 3.車田 香(くるまだ かおる)  熱血馬鹿野郎。唯一の既婚者で嫁からカヲル君と呼ばれるがnot石田彰。自然<???>。 4.車田 将美(くるまだ まさみ)  ↑の嫁。ゼミ生ではないが時雨の後輩でのんびりした天然気味の女性。九条兵衛の秘書も務める。 5.武藤 竜馬(むとう りょうま)  クールな一匹狼。九条兵衛の部下。究極<???>。 ◇ 【後書き】  本作は2008年頃考案なので、実は執筆当時ケータイ機としてはデジモンツインの次にデジモンアクセルが最新作だったりしたのです。そのため、当時のデジウェブHPでペンデュラムXと並んで情報が充実していたアクセルのページと結構睨めっこしたものですが、そのページがなんと消えてることに数日前に気付きました。ぐおー! どうすりゃいいんだ!  そんなわけで10話ほどで終わる本作、いきなり究極体の嵐となります。先に行くぜ次のフロンティア! ジャスティスゲノムにサーベルレオモンいないのは内緒だ!  それではまた五日後に宜しくお願い致します。 ◇ ←前の話       FASE.1       次の話→
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夏P(ナッピー)
2022年7月20日
In デジモン創作サロン
←前の話       FASE.1       次の話→ ◇  絶対者。そんな単語が浮かぶ。  無傷だった。クロスで注意を引き付け、そこに生じた隙をニトロで突く。ニトロのエクストリーム・ジハードは間違い無く真正面から直撃したはずなのに、爆煙から現れた敵──奴もまた、クロスと同じ金色の鳥である──は全くの無傷だった。  この女には勝てないのか? かつてロイヤルナイツのアルファモンも倒した自分達が? 「畜生……!」  歯噛みする。自分の母親と名乗るこの女が、前田拓斗の煌羅(はは)を泣かせたこの女がここまでの力を持っていることが許せない。そんなことは絶対に認めたくない。  クロスもニトロもダメージは全く受けていない。だから行ける、まだ自分達は戦える。 「相棒」  自分の足元から聞こえる“相棒”の声すらどこか遠い。  三年ぶりに再会を果たした彼に相棒と呼ばれるのはこそばゆい。そのはずなのに、今の拓斗にはそれを感慨深く思う余裕すらない。  2019年8月10日。前田拓斗(まえだ たくと)はデジタルワールドを旅した。  人間界での一日が一年となる世界での旅路を経て。  沢山の出会いがあった。  沢山の別れがあった。  それに苦しみ、嘆き、立ち向かったと思う。  選ばれし子供と嘯くいけ好かない男と何度も衝突した。  世界から見捨てられた突然変異型(ミュータント)と向き合った。  歴史を巻き戻さんとする“破滅(ルイン)”の名を持つ聖騎士に打ち勝った。  その果てに自分は何を得たのだろう。  始まりの町を守ると言った、初恋の女性の面影を残す少女との出会いと別れか。  世界の至宝と呼ばれた十一のデジメンタルか。  言うまでも無い。  答えは、否だ。  かつてと変わらず相棒達の力は頼もしい。三年前の旅で自分が得た最大の幸福はと言えば、彼らとの出会いに他ならない。  そう、自分達ならどこまでも行けると確信してきた。自分達に不可能は無い、乗り越えられない壁は無いと。 「……強いぞ」  だが届かない。クロスの呻きはその実、拓斗の言葉でもあった。  見たこともない黄金の巨鳥にはこちらの攻撃の一切が届かない。あらゆる技が封じられ、その細い体に一切の手傷を負わせることすら叶わない。クロスもニトロもかつてと同じ、はたまたそれ以上の力を出してくれているというのに──! 「拓斗……っ!」  縋るような声が胸を突く。巨鳥の背で跪く女の声だ。  自分は世界から見放されたのだとでも言いたげな絶望感に満ちたその表情。あまりにも瓜二つすぎて寒気がした。それは三年前にクロスやニトロと初めて出会った時のことだ。憎しみに囚われたクロスが黒き炎鳥へ変貌したことで彼に裏切られたと感じた際、恐らく自分は今の彼女と同じ顔をしていた。誰かに自分を認めて欲しくて、ただ自分が存在する意味が欲しくて、頑なにその誰かを求め続けた、そんな顔。  だから実感する。母親なのだろう。この女は間違い無く自分の母親なのだろう。 「何で……だったら、何でなんだよ……!」  それでも、だからこそ許せないと思う。  どうして煌羅(かのじょ)を自分の母親などと偽らせたのか。どうして素直に母親として自分の傍にいてくれなかったのか。どうして自分から、そして家族から逃げ出した女が今のうのうと自分の前に現れたのか。  拓斗にとっての煌羅(はは)は、今まで母だと思っていた女性はごめんなさいと泣いていた。ちゃんと母親をやれなくてごめんなさい、嘘を吐き通せなくてごめんなさい、今まで騙してきてごめんなさい。そんな姿は見たくなかったのに、どんな理由だろうと家族が泣く姿なんて見たくなかったのに。  金色の波動を纏う巨鳥。なるほど、対峙すれば自分達は面白いぐらいに似ていた。 「クロス」  促す。迷いを振り切るように、断ち切るように。 「……いいのか?」  らしくないクロスの躊躇い。  けれど余計な言葉は不要だ。程無くしてクロスは、三年来の相棒はこちらの意図を十分に汲み取ってくれた。流石に笑顔を零す余裕などないが、今この場で彼は変わらず“相棒”だった。出会った時は聞かん坊だったもので、むしろ昔だったらお前の方がこちらの静止も聞かず突っ込んでいただろうにと思うと場違いにもおかしな気分になる。  いいのだ。覚悟は決まっている。 「お前の……母ちゃんなんだろ?」  これはニトロの言葉。多分誰よりも優しいもう一人の相棒なら言うだろうその言葉を、拓斗は聞きたくはなかった。  許せないと思うからだ。  自分はどんなことがあったとしても彼女を。  煌羅(はは)を泣かせる者を許すことはできない。  それに。 「俺の……母さんは」  クロスが身構える。放たれるのはクロスモン最大の必殺技。 「俺の母さんは、一人だけだ――!!」  カイザーフェニックス。  躊躇も逡巡も全てを振り切るように、黄金の鳥が空を翔けた。  『本日ハ晴天ナリ。』 ―――――EPIROGUE.1 「For the Future」(前)  2022年7月20日。人間界のとある場所で二体の巨鳥が激突する。  これは前世紀末から始まる、或る家族の盛大でくだらない親子喧嘩のお話。 ・前田 拓斗(まえだ たくと) 作者処女作の主人公。静岡県某町の名士、前田家の坊(ボン)。 2005年7月20日生まれ。つまり今日で17歳。 三年前にDWを旅したが選ばれし子供ではなく「使命も無い奴」「空っぽ」とコケにされ続けた可哀想な男の子。特に選ばれし子供の一人、アグモンとそのパートナーとは犬猿の仲で宿敵。 また出会う女性が悉く彼氏持ち、ショタコン、人妻、生後数ヶ月、電脳生命体と地獄の遍歴を持つ。 何百回でも言うし言われるが、母親似である。 名前の由来は超星艦隊セイザーXの主人公、安藤拓人から。つまりたっくん。 イメージソングはD-51/BRAND NEW WORLD。 ・エレキモン“クロス” たっくんの相棒その1。究極体はクロスモン。 片目を十字傷(クロス)で覆う隻眼のデジモン。フロンティア前期EDのオマージュ。 たっくんを人間と呼んでいたが、最後の戦いで一度だけ拓斗と呼んだ。しかし恥ずかしくなって以降は相棒と呼ぶ。相棒の方が恥ずかしくねーか? 要するにアバレンジャーのトップゲイラーである。 ・ブイモン“ニトロ” たっくんの相棒その2。最強形態はマグナモン。 明るくノリ良く馴れ馴れしい。名前がFIRE!!オマージュのため「発火点はもうすぐだぜ!」が口癖だが実は一回しか言ってない。 デジメンタルを集めていたたっくんに同行し、そのまま借りパクした。そのため当該世界のDWにはデジメンタルが存在せず、ロイヤルナイツもマグナモンだけ永劫空席である。ならテメーが聖騎士として働け! ◇ 【後書き】  皆様、お久しぶりでございます。初めての方は初めまして。夏P(ナッピー)と申します。  なんか途中の他の作品があった気がしますが、時系列と年表を設定している関係上、2022年7月20日(つまり今日)から始まるこの作品を避けて通ることはできなかったので改めて開始となります。作者の処女作の主人公が冒頭で語り部を務めていますが、実はそんな関係無いのは内緒。  いきなりエピローグですが次回からが本題、10話前後なのでなんとか8月中には終わらせたい所存であります。  何卒、宜しくお願い致します。 ◇ ←前の話       FASE.1       次の話→
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夏P(ナッピー)
2021年2月01日
In デジモン創作サロン
・ 第9話:出会う宿敵  とにかく、グラウモンは消えた。これで話は振り出しに戻ったことになる。 「何か無性に苛々させる奴だったな……」  あの手の奴はどうにも苦手だ。他人を明らかに見下したような瞳が、この上なく苛立たせてくれると思う。  奴に聞かされた内容を簡単に整理してみる。ここは人間界、それだけは間違い無いようだ。しかし今この場所には、人間は一人として存在しないという。奴が言うところの【反転】とやらの効力によって。  当然、全くわからない。第一、その効果が果たしてどんなものか、如何なる意図を伴って行われるというのか。それらが不明である現時点では、これ以上のことを推測するのは無駄だと思われる。だが奴は言った。この世界の全てが入れ替えられた以上は、世界の崩壊は免れるのだと。  ならば、崩壊の危機に見舞われているという奴らが住む異世界とは果たして何なのか、また新たな疑問が生まれる。 「……とりあえず確かめてみるか」  そう、まずは自分の目で確認すること。そうでなければ、何もかも信じられない。  迷うこと無く八雲は走り出す。自宅までは1キロも無い。走れば五分と掛からないだろう。だが駅前の商店街にも閑静な住宅街にも人っ子一人見当たらない。一軒家を見る限りでは殆どの家に明かりが灯っているというのに、道端に人間の姿は見えない。いや、そもそも午後九時を過ぎた頃から鳴き始める梟の声さえ響いてこない。路地裏に立つ木々が風に揺れる音だけが無機質な音を奏でていた。  程無くして自宅に到着する。彼の自宅は住宅街の端っこにある小さなマンション。他の家と同じように殆どの部屋に電気が点いているが、果たして――。 「義雄さん、浩子さん!」  三階に辿り着くが、鍵を開ける時間すらもどかしい。一気に駆け込み、開口一番そう叫ぶ。  だが如何に義父母の名前を叫ぼうとも返事が返ってくることは無かった。今日は野菜炒めだったのか、キッチンではフライパンの上に散乱した野菜が小気味良い音を立てている。妙に食欲が湧いてくる光景だが、今は呑気に飯を食っている場合ではないだろう。火を消し、ガスの元栓を締めておく。  居間のソファの上には広げられたままの朝刊が見える。それが何よりも今の状況を説明してくれた。 「マジかよ……!」  消えている。全てが全て、元のままで消えている。  殆どへたり込みたい気分で周囲を見回す。ベランダから覗くことができる隣の部屋にも、テレビが点いていながらも人間の姿がまるで無い。この様子では、他の部屋も同じだろう。人間が生活している住居をそのままに、グラウモンが言っていた【反転】は彼らの存在を消滅させてしまった。窓の外には相変わらず巨大な鳥が飛行しているし、また竜のような獣のような咆哮が夜空に響いている。外は文字通り異形の者達の縄張りだ。冷静に考えてみれば、昨日の夜にダスクモンが現れたのは、この兆候だったのではないだろうか。  何も考えられず、ただ夜風に当たりたくてマンションを後にして、近くの川縁へと出た。  見下ろす川は殆ど下水道だ。この近辺から出る汚水や下水の全てが流し込まれるこの川は、夜の闇の中でも蛍光色に輝いている。小学生の頃は朱実を含めた友人達と共に毎日のようにザリガニ釣りに来たものだが、現在の状況ではザリガニも入れ替えられてしまったのだろうなとぼんやりと思う。良く見れば川にも奇妙な魚の影が見える。  考えてみれば、人間が全て消えた町というのは、この上なく不気味で危険な場所だ。  八雲は自宅のガスの元栓を直しておいたが、もしグラウモンの言う通り人間界に残ったのが自分一人だとしたら、他の家は放置されているということだ。流石の彼とて、ガスの元栓を締めるためだけに他人の家に潜入する気は無い。しかし、問題はガスだけではない。水道を出しっ放しの家があれば洪水になることも有り得るし、ストーブやヒーターを点けっ放しというのもよろしくない。  こうして考えると、人間の世界とは危険なものだらけだ。少しの放置で大事故が起きる可能性だってあるのだから。  しかしグラウモンは言っていた。この【反転】は世界を正すために行われるのだと。そもそも、何故世界を正す必要があるのかは知らないが、奴が嘘を吐いていないということだけは感じ取れた。ならば従うしかないだろう。奴が何を考え、奴の言うクラウドという存在が何者なのか、そんなことは知らない。多少の危険を孕むだけで世界を正せるのならば、自分には何も言うべきことは無いはずだ。  だが八雲はどこか納得できなかった。自分に言うべきことは何も無いなんてこと、やはり嘘なのだ。  何がおかしいとか、何が違うとか、そんなことわからない。ただ、八雲は嫌だった。誰もいない世界、何も無い町、そしてそんな場所に一人だけ残された自分。辛いし悲しいし、何よりも寂しい。だから【反転】なんて止めたい。けれど、それで世界が正されるのならば自分の欲望など捨て去らねばなるまい。自分一人の欲求のために世界を危機に追い遣るなど、あってはならぬこと。ならば自分のことは捨てるべきかもしれない。だが、それでも――。 「……どうすりゃいいんだか」  堂々巡りになる論理展開。この思考の果ては、今はまだ見えなかった。  空を見上げれば結構な数の星々が煌めいている。  とりあえず車道に沿って森を出た結果、意外と労せずして市街地へ辿り着くことができたことは僥倖であろう。木々に囲まれた空間というのはとにかく視界が悪いし、結局のところ都会っ子である自分にとっては少々落ち着かない場所でもある。確かクラスメイトに森林浴が趣味の女子がいた気がするが、そんな彼女に言わせれば空気がおいしいとか心が休まるとか、そんな言葉が返ってくるのだろう。  何はともあれ、今はどうでもいいことである。人っ子一人いない街中を歩いていくだけだ。 「……十闘士?」  そんな傍から見れば異様とも言えなくもない状況の中、皆本環菜は隣の獣人から発せられた言葉に目を丸くしていた。 「そうだよ、十闘士……あのベルグモンって奴は、その中の一体なんだ」 「それって……どんな奴らなの?」  聞き返しつつも周囲の警戒は怠らない。物音一つ聞き漏らすまいとして、東西南北陸海空三界四方に自意識を拡散させていくイメージ。  環菜は今、ブラックガルゴモンと共に夜の街を進んでいる。何やら【反転】とか呼ばれる事態の影響を受けて、現在この世界に人間はまず存在しないのだという。代わりに溢れ出したのが、この黒い獣人に代表される異形の生物達。正直に言えば、彼らのような生物が犇めき合っているという今の世界で生き残る自信は環菜には無かった。  だからこそ、このブラックガルゴモンが先程自分に力を貸すのだとと申し出てくれたことは意外だった。そもそも今の状況下において人間界に残されている人間は異物であり、存在すること自体が奇妙なのだと彼は語った。故に消去することが必然なのだとも語ってくれた。だがブラックガルゴモンを含め彼らにとって人間は同時に憧れの存在でもあるとのことだった。 「凄く昔に……僕達の世界を救ってくれたっていう連中さ、伝説のヒーローだよ」 「……そう。人間と同じくらい?」  そう、人間は幾度と無く彼らの世界を救ってくれたのだという。  長きに渡る彼らの世界の歴史の中で多くの魔王と呼ばれる悪しき存在が姿を現し、世界を闇で包み込まんとした際、その英雄となるべき人間は必ずどこからか降臨し、自らのパートナーと共に闇を打ち滅ぼして彼らに光を取り戻してくれた。どんな状況でも諦めず、折れること無く彼らでは誰も起こすことのできぬ奇跡を、人間は必ず起こしてみせたのだ。  だから人間という存在自体が彼らにとっては憧れだった。危機に際して現れ、ただ見返りも求めずに世界を救って去っていくだけの存在。 「そうだねぇ、僕としては今こうして環菜といるだけで嬉しいんだけど」 「……!」  思わず綻びそうになってしまった顔を引き締める。ゆっくりと深呼吸。  そう、ブラックガルゴモンはいい奴だ。まだ数時間の付き合いだがそれは確信を持って言える。自分のことを憧れていた人間という生物学上の分類では無く、ただ皆本環菜という個体として見てくれる。その事実は半年前まで三上亮と付き合っていた頃のことを思い出させて、環菜としても少なからず嬉しくなってくる。けれど、だからこそ彼の言葉に糠喜びしている場合ではない。  この世界では油断など許されない。そんなことをすれば、死ぬだけだ。 「……後ろ」 「了解!」  環菜にとってもブラックガルゴモンにとっても、それだけの指示で十分だった。漆黒の獣人は素早く反転すると、掲げた右腕の銃口から一条の火花を散らす。それだけで背後から迫ろうとしていた大きな芋虫のような生物は小さな悲鳴を上げるだけで無様に倒れ伏す。毒でも吐こうとしていたのか、僅かに悪臭が漂っている気がする。早く離れた方が得策だろうか。  この世界ではこれが全てだ。殺さなければ死ぬ、先に倒さなければ倒される。この数時間だけで自分はブラックガルゴモンと共に、こうして屍の山を積み上げてきたのだから。 「ふぅ……でも環菜は凄いねぇ、さっきから僕より先に敵に気付いてる」 「何故かしらね。良くわからないけど……わかるのよ」  自分でも妙な物言いだと思うが、実際その通りだった。  アニメや漫画のように敵の気配やら殺気やらを読むなんてことが、平凡な女子高生である自分にできるはずも無い。故に今の自分が感じているのは単純な違和感でしかないのだと思う。それにブラックガルゴモンはどうやら気付いていないようだから、これは人間ならではの能力ということになるのだろうか。  とはいえ、大したことではない。敵が近付いてくると、ただ先程も感じた胸が締め付けられるような不快感が沸き起こる。それだけのことだった。 「あはは、環菜と契約できて良かったよ、本当にね。……ほら、こんな状況になったじゃん? だから環菜と会うまでは心の休まる暇も無かったんだから」 「それは……お役に立てて光栄だわ」  できるだけ回りくどい言葉を選ぶ。いや、自分は元よりその手の言い回しを好む人間だっただろうか。  そもそも契約とやらに関しても、ブラックガルゴモンが詳しくなかったこともあってか、環菜もまだ良く知らないでいる。とにかく彼が自分に協力を申し出てくれた途端、環菜の左腕にブラウスの上から強固なガントレットが装着され、その後は何故か先程よりも体の調子が楽になったような気もするが、それ以上のことは何もわからない。 「うん、頼むよぉ? 君がいると僕は安心できるから」 「……!」  その無垢な瞳を見ていられず、咄嗟に目を逸らす。結局のところ、ブラックガルゴモンとて自分とは相容れない生物でしかないのだ。知らず知らずの内に彼に心を許してしまいそうになる自分の心に、必死にそう言い聞かせながら。  自分達は協力者、また彼の言葉を借りるとしたなら契約者。それ以上の関係には決してなり得ないのだから。 「……それより、十闘士って奴に関して詳しく聞かせて?」 「ああ、そうだったね」 「十闘士ってことは十人いるのよね? ……どれもあの、ベルグモンみたいな奴らなの?」  咄嗟に話題を変えようとしてしまう自分が情けない、彼と真っ直ぐ向き合おうとしない自分のことが情けない。そんな風に考えてしまう自分の心に蓋をする。そう、皆本環菜はロボットになると決めた。下手な感情を抱けば死ぬ、余分な感傷はいざという時の妨げになる。感情を封じれば怖くない、感傷が無ければ恐怖も狼狽も覚えない。そして何よりも、今更カマトトぶって怖がったり慌てたりできるはずもない。  だって、そうだろう? 既に自分はブラックガルゴモンと共に数多のモンスターを倒してきている。そうして何体もの敵を退けられたことに一度でも達成感にも似た喜びを感じてしまった以上、もう今更元に戻ることなどできない。  自分の前に立ち塞がる敵はブラックガルゴモンと共に、一切の躊躇などせずに払い除ける。今の自分にできるのはそれだけだ。 「そうだね、人と獣の二つの姿を持つって聞くよ。あのベルグモンは獣型ってことになるね」 「人型(ヒューマン)と獣型(ビースト)……」 「うん。どいつも結構な強さを持ってるらしいね、中でも炎と光の闘士は――」  ブラックガルゴモンの言葉に相槌こそ打っているが、実際のところ彼の話す内容は殆ど耳に入ってこない。  環菜はただ全身に意識を集中させて周囲から敵が迫ってきていないか、何か敵の隠れるような場所は付近に存在しないか、そのことだけを考えている。言うなれば常に臨戦態勢、いつ敵が襲い掛かってきても対処できるように呼吸も乱さないように心掛け、更には背後にも対処すべく歩を進めながらも踵に力を込めておく。 「だから遭遇したら速攻で逃げた方が頭いいかもね。普通にやり合って勝てる相手じゃないだろうねぇ」 「……そう」 「でも……それも難しいかもしれない。人間相手でも容赦しないって聞くしね、あいつは」 「あいつ……?」 「そう。十闘士の中でも一番強いって言われてる奴……炎の闘士、アグニモンは」  それが本人でも気付いていない、皆本環菜の孕む矛盾。  この世界に対する漠然とした死の恐怖。それを意識しないように努めれば努めるほど、その恐怖は己を蝕んでいくということに、環菜はまだ気付いていない。彼女自身はもしかしたら自分は恐れてはいない、恐れてはいけないと思っているのかもしれないが、今の彼女の異様なまでの周囲への警戒こそが、今の状況に恐怖していることの証左に他ならない。  ブラックガルゴモンにしても同様だ。この獣人に心を許してはならない、頼ってはいけないと思っているにも関わらず、実際は彼の力が無ければ環菜は数刻とて生きてはいられまい。  それらの矛盾に環菜は気付かない。今はまだ、気付いていない。  どれくらいそうしていただろう。不意に冷たい声が響いた。 「……意外だな。まだ人間が残っているとは」 「誰だ!?」  妙に耳に引っ掛かる冷たい男性の声。思わず八雲が振り返った先には、視界の端に気配も無く立つ青年の姿がある。  身に纏うのは珍妙なローブ。まるでマントのように夜風に翻る様が印象的だ。頭髪は流麗でありながら不愉快にも感じられる白銀。その腰に差している巨大な杖状の物体は、ひょっとしたら大太刀と呼ばれるものだろうか。しかし外見の雰囲気からして、そいつを侍とは思えない。そもそも、21世紀のこのご時世に侍がいてたまるかというのだ。  それに、その青年の声には聞き覚えがあった。あれは確か、ギガスモンにアグニモンとか呼ばれていた――? 「お前、人間じゃ……ないな」 「……ほう? それがわかるということは――」  そこで言葉を切ると、静かに口の端を上げる謎の男。 「――お前がグラウモンと会ったという小僧か。……なるほど、それなら確かに頷けないことも無いというものだな?」 「グラウモン? てことは、お前はクラウドとかいう……?」  八雲の疑問に男は癪に障る微笑で返した。無論、それは肯定の意に他ならない。  皮肉そうな笑みを浮かべた男は、音も無く歩み寄ってくる。奴の両腕に、極めて奇妙な形を持つガントレットが装着されているのが見えた。鈍く輝くその手甲は、恐らく強固な金属で形成されているのだろうと容易に予測できる。側面に刻まれた〝火〟の文字が妙に気になるが、それには果たして如何なる意味があるのだろうか?  その男はにこやかな――八雲には胡散臭いものにしか見えない――笑みを形作り、こちらへ歩み寄ってくる。 「いや、こいつは失礼をした。名前を聞かせてもらえるか?」 「……わ、渡会八雲……」 「八雲……ああ、渡会八雲か。……ふふ、どうやら本当に俺の望みは叶ったらしい――」  渡会八雲。噛み締めるようにその名を反芻する男の姿は、まるで八雲という名前に何らかの聞き覚えがあるかのような雰囲気がある。そうして静かに顔を上げた瞬間、男は楽しそうに、本当に楽しそうに唇を歪めた。  何故か八雲には、奴の目に揺るぎ無い殺気が灯ったように見えた。 「――――――!?」  ゾクッと来た。直感に任せて咄嗟に飛び退く。  刹那、一瞬前まで八雲が立っていた場所を剣風が薙いだ。所謂居合い斬りという奴だろうか。半端ながらも心得のある八雲だからこそわかるのだが、今奴が振るった剣のスピードは最早達人の域だと直感できる。まさに音速のスピードで迫った鉄の刃は、確実にこちらの首を飛ばすべくして一閃されたのだから。  そもそも、奴の腰に差された太刀は通常の日本刀より遥かに大きく、そして重さも半端でないと判断できる。騎兵を馬ごと叩き斬ることを目的とするような、つまり斬馬刀という奴だ。そんなものを軽々と振るえる奴の筋力もまた、並大抵のものではない。少なくとも、今の八雲には同様にあれを扱える自信はない。  そして何よりも鼻先を掠めた剣筋に八雲は驚愕する。だが同時に「やっぱりな」と冷めたように納得している自分もいる。こんな状況に追い込まれることは当然だと理解している自分もいる。  そう、最初からわかっていたのだ。目の前の男はこちらを殺しに来ているのだと。 「いきなりかよ……!」 「……なかなかの読みだ。尤も、そうでなければ面白くないが」  静かに紡がれる男の声には一切の迷いが無い。さも避けることが当然と言った表情。  そう、男は自分を殺すことに対して何の感情も抱いていない。悲しみも怒りも楽しみも、少なくとも八雲が知り得る限りの感情表現では、今の男の心情を表すことなどできまい。だが奴が身に纏っている空気は暗殺者そのものだ。僅かでも隙を晒せば、油断無く躊躇い無く八雲の首を落としに来るだろう。外見は確かに人間だというのに、今の奴から向けられる殺気は、明らかにアルボルモンやグロットモンの比ではない。  戦わなければ死ぬ、奴を倒さなければ死ぬ。奴との戦いに勝利しなければ、渡会八雲にこの先は無い。そのことを直感で理解する。ギガスモンと相対した時などとは比べ物にならない、本物の死の予感に心が打ち震える。  だから思わず舌打ちしていた。つくづく今日は災難な日であるとばかりに。 「やっぱり敵かよ……くそ」 「渡会八雲。お前は先程、俺が人間ではないのかと聞いたな? ……結論から言えば、それは間違いだ。俺は飽く迄も人間で在り続けるし、元より奴らの仲間入りをすることなど考えたことすら無い。尤も、正確に言うなれば、俺はかつて人間だった者にすぎんのだが……そんなことは死に行くお前には関係の無いことだ」  奴の言葉など殆ど耳に入らない。聞く価値もない。  眼前に斬馬刀を構えた殺し屋がいる。それだけで十分だ。その事実を受け入れられずとも、胸にしこりが溜まり、理由のわからない衝動が八雲の体を切り苛む。奴と対峙した瞬間から、自分の体がどこかおかしくなっている。自分の心の中に棲む、鳥のような獣のような生き物が叫んでいる。奴を殺せと、殺される前に殺さねば後悔するのはお前なのだと告げている。  それなのに、体の芯が痺れていて思考が上手く纏まらない。余計なことは考えるな、目の前の敵にだけ集中しろ。でなければ死ぬ、でなければ壊される。 「だが奴と契約した以上、その務めは全うせねばなるまい。……悪く思うなよ、渡会八雲」  静かに斬馬刀が振り上げられる。それは確かな、死の宣告。 「ふざけんなっ!」 「むっ!?」  それを前にして、精神と肉体が同時にスパークした。振り下ろされる大剣を軽々と回避し、男の脇腹に一撃を見舞う。  その動きだけで理解する。奴は確かに腕が立つようだが、それは飽く迄も剣道の、つまるところ竹刀の領域の上だ。如何に実戦で鍛え上げられていようとも、その流麗な剣舞は明らかに汚れを知らぬ。血に濡れたことの無い、誰かの命を奪ったことの無い者の振るう児戯にも等しい剣技だ。ならば条件は同じ。攻撃を避けることに関してだけは、八雲は誰より上を行く自信がある。故に剣の一閃など容易に回避して反撃をお見舞いするだけだ。幼い頃から長内朱実という名の死地を散々潜り抜けてきた自分が、その程度の剣に膝を屈するはずが無い――!  だが奴は僅かなりとも怯む様子すら見せず、平然とした表情を浮かべている。 「……流石と言うべきか。その技の切れ、躊躇い無く剣の間合いに踏み込んでくる蛮勇……平時であれば、全てが賞賛に値するだろうな」 「き、効いて……ない?」 「驚くのも無理はあるまい。だが断言してやろう。……今のお前では、単なる人間以上にはなり得ない今のお前では、残念だが俺に勝つことなど夢のまた夢だ」  笑う。勝利を確信した目、先程のグラウモンと同じ目で奴は笑う。 「……気付いていないだろうがな、所詮この世界においてお前は異物にすぎん。筋力も視力も聴力も、全て今のお前は本来の力の半分も出すことはできまい。それが分不相応に世界と関わった愚か者の……そう、それがお前の限界だ」  そう言い捨て、奴は納めた斬馬刀を鞘ごと放り投げる。  小次郎敗れたり。思わずそう叫びたくなるところだが、状況はむしろ逆だった。奴の両腕の手甲が静かに赤い輝きを放ち始めていたのだ。それは文字通り、烈火と呼ぶに相応しい閃光。そう、奴の手甲に刻まれた〝炎〟の刻印は、奴が司る属性を示していたのだと、今更ながらに八雲は理解する。 「あの世で後悔するがいい。不用意に世界の理に首を突っ込んでしまった己が愚かさを」 「なっ、何を――?」 「……スピリットエボリューション」  輝きが増し、奴の体そのものを飲み込んでいく。  溢れ出した烈火の輝きの中で混濁する0と1の配列。急速に書き換えられていくそれらは、まるでプログラムのようにも見えた。故に奴が身に纏うのは烈火のデータ。異世界に存在する全ての炎の事象を司り、己が身に転移する。それこそが奴の両腕に装着されたクロンデジゾイド製の手甲、D-CASが持つ力だった。  つまり奴の属性は炎。全てを焼き、新しきものを生み出す創造の力。 「炎の闘士、アグニモン!」  瞬間、八雲の眼前に現れたのは業火の化身。  その頭部に見えるのは、肩まで流れるように伸ばされた黄金の頭髪と揺るぎ無い意志の灯る双眸。全身を覆う鉄壁の鎧は所々に真紅と黄金のラインを走らせ、ある種の神々しさすらも漂わせている。だが奴の全身から放たれるオーラに圧倒されながらも、八雲の目に余分な感情が宿ることは無い。その顔付きは嵐の前の静けさを漂わせている。憎しみは全く覚えない。  八雲はただ、奴を倒すべき敵として認識しただけだ。 「悔いろ。俺とて鬼ではないからな、それぐらいの時間はやろう」 「……悪いが、後悔する気なんてないけどな」  人間と十闘士。本来なら戦闘にすらならぬ組み合わせ。  それこそが最初の戦い。この世界の最期の煌めきを彩る、最初の戦いだ。 ・
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夏P(ナッピー)
2020年11月02日
In デジモン創作サロン
第一章『注文の少ない料理店』(前) 海神の場合  ある昼下がりのこと。 「……どうしてお客様が来ないのですか」 「いや僕に聞かれても」 「もう昼を過ぎて久しいですよ! どうなっているんです!」  喚き立てる森羅先輩は、今にも背負っているその身の丈ほどもある大剣を振り回しかねないので、僕としては少々冷や汗ものです。 「やはり立地条件が悪いのでは……こんな切り立った崖にある料亭に来ますかね、お客さんが」 「前を見れば森、振り返れば海! どちらも同時に景色を楽しめる最高のスポットではないですか!」 「それ何度も聞きました。確かに景色は素晴らしいかもしれませんが、立地が悪すぎると言っているんですよ森羅先輩。見てくださいよ、海も森も素晴らしい以上に怖いですよ。僕ら究極体や完全体はともかく、それ以下の皆さんは辿り着くまでに死にますよね……」  背後の崖下、時折嵐で荒れ狂う海は少し前までメガシードラモンの縄張りだったし、前方の薄暗い森は獰猛な獣型デジモン達の巣窟。  オリンポスと呼び称される僕らは感覚が麻痺していますが、言うなればここは所謂天然の要塞という奴らしいです。開業に際してこの場所を選んだのは他ならぬ森羅先輩なわけですが、城や要塞を築くのならともかく、少なくとも小洒落た料理店を出すのに相応しい場所だとは僕にはとても思えません。火曜○スペンスで最後の犯人との対決で使われそうですからね、この崖。 「青海君、営業をお願いします」 「それは無駄ですよ。もうここら一帯は人っ子一人、いやデジっ子一体いませんよ」 「何故ですか? 常連のハンギョモンさんは? 確かエビドラモン氏もいましたよね?」 「つい先日、揃ってこの店の悪口を言っていたので、僕が残らず駆逐しておきました」 「お、お客様アアアアアアアアア!?」  困ったことに、森羅先輩が食材を獲ってくる森側はともかく、僕の領域である海側には少なくともまともな知性を持ったモンスターはいないのです。  彼女の言う通り、海側にも何体かの常連客はいました。ですが三日ほど前、少し離れた浅瀬に揃って顔を並べてこの店の悪口を言っているのを見たので、思わず槍を投げ付けたら驚いて逃げていってしまいました。流石は我が槍、キングスバイトと言ったところですか。 「情けない連中です、威嚇を本気と受け取ってもう戻ってこないんですから」 「それ完璧に青海君の所為ですよね!? 常連の皆様になんてことをしてくれたのですかアアアアアアアアア!!」 「この店の悪口を言っていたのです、どうして僕が許せましょう」 「うっ……青海君は本当に真っ直ぐですよね……」 「いえ、お褒め頂くほどのことでは」 「褒めていませんからね」  言いつつ、ジト目――森羅先輩の顔は仮面に覆われているけどそんな気がする――で見られるも僕は無視しました。  こんなことをしている場合じゃないんだけどなぁ。  そう考えると嘆息してしまうのも無理はないんです。同じ高みに立つ者として、また先に究極体に到達した先輩として、森羅先輩のことは確かに尊敬していますが、少なくともこの世界、この時代に僕らが料理店を経営することに何の意味があるのか、その辺のところが僕にはわかりませんでした。  僕もまだまだ、未熟なんでしょうか。 ▲ ▲ ▲  同じオリンポス十二神といっても、僕は森羅先輩を初めとする諸先輩方から見て末席に当たります。  この大海を統べるべく、青海と名付けられたこの姿に進化を果たしたのはつい一年前。僕にとってはまさに夢にまで見た姿と力を得たわけですが、以降まともにその槍を振るう機会には巡り会っていません。今の太平の時代に究極体相当のモンスターが多くないのもあるでしょうが、少なくとも料理店の小間使いでは自らを満足させ得る強敵との対峙など夢のまた夢。先刻の常連客への狼藉は、そうして溜まった鬱憤から来ているのかもしれませんね。  そんな風に僕は、暇を持て余す自分を正当化してみたりします。  さて、ところで僕らオリンポス十二神は伝承によれば、彼の聖騎士団や七大魔王にさえ匹敵する戦力を有していると聞きます。とはいえ、当代に顕界しているオリンポスは末席の僕を含めても六体、仮想敵と見なした聖騎士や魔王が今も尚盤石の布陣で在るのなら、些か不安が残る頭数と言えましょう。  先代の六体はかつて激しい戦いの末に命と引き替えに邪悪なる者を封じたとのことです。中でも先代最強と謳われたユピテルモンの力には、恐らく当代のオリンポスで僕の最も尊敬する陽炎先輩でも及ばないだろうと言われています。  だからこそ、今は腕を磨くべきだと思うのです。未熟極まりない僕が筆頭であることは言うまでもありませんが、当代の強さが先代に及ばぬのであれば、個々の質を上げ、戦力の拡充を図らなければ、世界を中立に保つなどという僕らの使命を果たせるはずもない。来たるべき最後の危機(デジタルハザード)に備え、何者にも負けぬ力を有しておかなければ。  そこで問題となるのが森羅先輩です。僕の直近の先輩に当たる彼女は、必然的に僕の指南役となってくれたのですが、平和主義者というか博愛主義者というか、僕らと同じく戦いを生業とする者として生を受け、その中でも頂点に近いとされる神人の姿を得ながら、戦いを好みません。それでいて、いざ戦うとなれば僕を片手で捻るぐらいに強いから始末が悪い。  女性型らしい奔放さは陽炎先輩と並び、僕の尊敬する先輩である幻影(ミラージュ)先輩に近しいものがあると愚考していますが、同時に月光の如き禍々しさと冷酷さを内に秘める彼女と違い、森羅先輩は本当に単なる我が侭な女性といった印象でした。  いつだったか、確か以前一度だけ、森羅先輩に問い質したことがありました。 『先輩はオリンポスとしての自覚が無いのではないですか?』  若輩者からの愚弄にも等しいその言葉に、彼女は薄く破顔して。 『……かもしれませんね』  自嘲するようにそう言いました。  どこか遠くを見つめる森羅先輩の横顔を見て、僕は自分の質問を恥じたものです。きっとこの世界の誰にも各々の生き方があり、それは決して僕などが立ち入っていいものではなかったのでしょう。少なくとも一対一で戦って彼女に勝てない今の僕では、彼女に対する言など持てようはずがありません。  それに。 『でも、私にはこれが合っているんですよ。ここは料理店です、いらしたお客様を笑顔に出来る場所です。……誰かの笑顔を見られるって、素敵なことだと思いませんか?』  先輩の作る料理は、とても美味なんですよね。 ▲ ▲ ▲  その日は珍しく人間とそのパートナーが店にやってきました。僕の営業の成果でしょうか? 「いらっしゃいませー」  実はその日まで、僕は人間というものを見たことがありませんでした。  勿論、話としては知っています。僕らと絆で結ばれ、更なる高みへと導く異世界より来たる生命体。この世界が闇に覆われる度、叫びと嘆きに応えてその姿を現して闇と戦ったと言われる、数多の伝説に名を残す救世主。  でも初めて見た人間の少女は、何ということはない、ただ小さく弱い生物にしか見えませんでした。 「その子が、あなたのパートナーですか?」  注文を受けながら聞くと、少女は弾けるような笑顔で「うん!」と答えます。 「大変なことばかりだったけど、今まで二人で乗り越えてきたんだよねー!」  その膝に座る幼年期に、彼女の言う“大変なこと”を乗り越えるだけの力があるとは正直思えませんでしたので、僕は話半分に「それは凄いですね」と返したのだけど、どうもそれは少女には見抜かれていたらしく、すぐに膨れっ面で「信じてないでしょ!」と言われてしまいました。  お客様の笑顔を消してはならない、森羅先輩の教えです。またミスしてしまいました。 「こうなったら私とこの子の力、見せてあげるんだからぁ!」 「ほう、力……」  興味が湧きました。森羅先輩は厨房で料理の提供には今しばらく時間が掛かりそうです。伝説に謳われる人間の力、この身で味わっておくのも悪くないでしょう。 「興味深いですね。僕は何もしません、全力の一撃でお願いします」  断っておきますが、僕はマゾではありません。……多分。 ▲ ▲ ▲  切り立った崖の上、料理店を背後に僕は彼女達と対峙します。  宣言通り、僕は手を出すつもりはありません。少女は「馬鹿にしてぇ!」と苛立ちを隠せない様子ですが、元より戦うつもりはありませんでした。その“大変なことばかり”を乗り越えてきたという彼女達の力が、世界の誰もが憧れる人間の力が、果たして如何ほどのものなのか見極めてみたかったというのが本音です。  だから求めるのはただ一撃、人間と共に在るパートナーの攻撃が僕にどこまで通じるか。 「後悔しても遅いよ! 全力で行くんだからね!」  ビシッと力強く僕を指差す少女の姿が眩しいです。……しかし彼女のパートナー、知らない間に先程と姿が変わっているような……? 「ゴマモン! 進化だよ!」  瞬間、彼女のパートナーが光を放ち、その肉体を変質させていきます。  なるほど、少女の掲げた聖なるデジヴァイスによる任意の進化。それは確かに僕らには不可能な奇跡、不可逆にして不可避の変態である進化を任意で制御できるとすれば、その奇跡は伝説として崇められるのも無理は無いでしょう。気付けば姿が変わっていたのも、幼年期から成長期に進化を果たしたということなのでしょうか。  ただ、そうして進化を果たしたとしても所詮は成熟期、未熟とはいえ究極体である僕と相対するには些か力不足でしょうが。 「ゴマモン、ワープ進化――ヴァイク