フォーラム記事

夏P(ナッピー)
2021年2月01日
In デジモン創作サロン
・ 第9話:出会う宿敵  とにかく、グラウモンは消えた。これで話は振り出しに戻ったことになる。 「何か無性に苛々させる奴だったな……」  あの手の奴はどうにも苦手だ。他人を明らかに見下したような瞳が、この上なく苛立たせてくれると思う。  奴に聞かされた内容を簡単に整理してみる。ここは人間界、それだけは間違い無いようだ。しかし今この場所には、人間は一人として存在しないという。奴が言うところの【反転】とやらの効力によって。  当然、全くわからない。第一、その効果が果たしてどんなものか、如何なる意図を伴って行われるというのか。それらが不明である現時点では、これ以上のことを推測するのは無駄だと思われる。だが奴は言った。この世界の全てが入れ替えられた以上は、世界の崩壊は免れるのだと。  ならば、崩壊の危機に見舞われているという奴らが住む異世界とは果たして何なのか、また新たな疑問が生まれる。 「……とりあえず確かめてみるか」  そう、まずは自分の目で確認すること。そうでなければ、何もかも信じられない。  迷うこと無く八雲は走り出す。自宅までは1キロも無い。走れば五分と掛からないだろう。だが駅前の商店街にも閑静な住宅街にも人っ子一人見当たらない。一軒家を見る限りでは殆どの家に明かりが灯っているというのに、道端に人間の姿は見えない。いや、そもそも午後九時を過ぎた頃から鳴き始める梟の声さえ響いてこない。路地裏に立つ木々が風に揺れる音だけが無機質な音を奏でていた。  程無くして自宅に到着する。彼の自宅は住宅街の端っこにある小さなマンション。他の家と同じように殆どの部屋に電気が点いているが、果たして――。 「義雄さん、浩子さん!」  三階に辿り着くが、鍵を開ける時間すらもどかしい。一気に駆け込み、開口一番そう叫ぶ。  だが如何に義父母の名前を叫ぼうとも返事が返ってくることは無かった。今日は野菜炒めだったのか、キッチンではフライパンの上に散乱した野菜が小気味良い音を立てている。妙に食欲が湧いてくる光景だが、今は呑気に飯を食っている場合ではないだろう。火を消し、ガスの元栓を締めておく。  居間のソファの上には広げられたままの朝刊が見える。それが何よりも今の状況を説明してくれた。 「マジかよ……!」  消えている。全てが全て、元のままで消えている。  殆どへたり込みたい気分で周囲を見回す。ベランダから覗くことができる隣の部屋にも、テレビが点いていながらも人間の姿がまるで無い。この様子では、他の部屋も同じだろう。人間が生活している住居をそのままに、グラウモンが言っていた【反転】は彼らの存在を消滅させてしまった。窓の外には相変わらず巨大な鳥が飛行しているし、また竜のような獣のような咆哮が夜空に響いている。外は文字通り異形の者達の縄張りだ。冷静に考えてみれば、昨日の夜にダスクモンが現れたのは、この兆候だったのではないだろうか。  何も考えられず、ただ夜風に当たりたくてマンションを後にして、近くの川縁へと出た。  見下ろす川は殆ど下水道だ。この近辺から出る汚水や下水の全てが流し込まれるこの川は、夜の闇の中でも蛍光色に輝いている。小学生の頃は朱実を含めた友人達と共に毎日のようにザリガニ釣りに来たものだが、現在の状況ではザリガニも入れ替えられてしまったのだろうなとぼんやりと思う。良く見れば川にも奇妙な魚の影が見える。  考えてみれば、人間が全て消えた町というのは、この上なく不気味で危険な場所だ。  八雲は自宅のガスの元栓を直しておいたが、もしグラウモンの言う通り人間界に残ったのが自分一人だとしたら、他の家は放置されているということだ。流石の彼とて、ガスの元栓を締めるためだけに他人の家に潜入する気は無い。しかし、問題はガスだけではない。水道を出しっ放しの家があれば洪水になることも有り得るし、ストーブやヒーターを点けっ放しというのもよろしくない。  こうして考えると、人間の世界とは危険なものだらけだ。少しの放置で大事故が起きる可能性だってあるのだから。  しかしグラウモンは言っていた。この【反転】は世界を正すために行われるのだと。そもそも、何故世界を正す必要があるのかは知らないが、奴が嘘を吐いていないということだけは感じ取れた。ならば従うしかないだろう。奴が何を考え、奴の言うクラウドという存在が何者なのか、そんなことは知らない。多少の危険を孕むだけで世界を正せるのならば、自分には何も言うべきことは無いはずだ。  だが八雲はどこか納得できなかった。自分に言うべきことは何も無いなんてこと、やはり嘘なのだ。  何がおかしいとか、何が違うとか、そんなことわからない。ただ、八雲は嫌だった。誰もいない世界、何も無い町、そしてそんな場所に一人だけ残された自分。辛いし悲しいし、何よりも寂しい。だから【反転】なんて止めたい。けれど、それで世界が正されるのならば自分の欲望など捨て去らねばなるまい。自分一人の欲求のために世界を危機に追い遣るなど、あってはならぬこと。ならば自分のことは捨てるべきかもしれない。だが、それでも――。 「……どうすりゃいいんだか」  堂々巡りになる論理展開。この思考の果ては、今はまだ見えなかった。  空を見上げれば結構な数の星々が煌めいている。  とりあえず車道に沿って森を出た結果、意外と労せずして市街地へ辿り着くことができたことは僥倖であろう。木々に囲まれた空間というのはとにかく視界が悪いし、結局のところ都会っ子である自分にとっては少々落ち着かない場所でもある。確かクラスメイトに森林浴が趣味の女子がいた気がするが、そんな彼女に言わせれば空気がおいしいとか心が休まるとか、そんな言葉が返ってくるのだろう。  何はともあれ、今はどうでもいいことである。人っ子一人いない街中を歩いていくだけだ。 「……十闘士?」  そんな傍から見れば異様とも言えなくもない状況の中、皆本環菜は隣の獣人から発せられた言葉に目を丸くしていた。 「そうだよ、十闘士……あのベルグモンって奴は、その中の一体なんだ」 「それって……どんな奴らなの?」  聞き返しつつも周囲の警戒は怠らない。物音一つ聞き漏らすまいとして、東西南北陸海空三界四方に自意識を拡散させていくイメージ。  環菜は今、ブラックガルゴモンと共に夜の街を進んでいる。何やら【反転】とか呼ばれる事態の影響を受けて、現在この世界に人間はまず存在しないのだという。代わりに溢れ出したのが、この黒い獣人に代表される異形の生物達。正直に言えば、彼らのような生物が犇めき合っているという今の世界で生き残る自信は環菜には無かった。  だからこそ、このブラックガルゴモンが先程自分に力を貸すのだとと申し出てくれたことは意外だった。そもそも今の状況下において人間界に残されている人間は異物であり、存在すること自体が奇妙なのだと彼は語った。故に消去することが必然なのだとも語ってくれた。だがブラックガルゴモンを含め彼らにとって人間は同時に憧れの存在でもあるとのことだった。 「凄く昔に……僕達の世界を救ってくれたっていう連中さ、伝説のヒーローだよ」 「……そう。人間と同じくらい?」  そう、人間は幾度と無く彼らの世界を救ってくれたのだという。  長きに渡る彼らの世界の歴史の中で多くの魔王と呼ばれる悪しき存在が姿を現し、世界を闇で包み込まんとした際、その英雄となるべき人間は必ずどこからか降臨し、自らのパートナーと共に闇を打ち滅ぼして彼らに光を取り戻してくれた。どんな状況でも諦めず、折れること無く彼らでは誰も起こすことのできぬ奇跡を、人間は必ず起こしてみせたのだ。  だから人間という存在自体が彼らにとっては憧れだった。危機に際して現れ、ただ見返りも求めずに世界を救って去っていくだけの存在。 「そうだねぇ、僕としては今こうして環菜といるだけで嬉しいんだけど」 「……!」  思わず綻びそうになってしまった顔を引き締める。ゆっくりと深呼吸。  そう、ブラックガルゴモンはいい奴だ。まだ数時間の付き合いだがそれは確信を持って言える。自分のことを憧れていた人間という生物学上の分類では無く、ただ皆本環菜という個体として見てくれる。その事実は半年前まで三上亮と付き合っていた頃のことを思い出させて、環菜としても少なからず嬉しくなってくる。けれど、だからこそ彼の言葉に糠喜びしている場合ではない。  この世界では油断など許されない。そんなことをすれば、死ぬだけだ。 「……後ろ」 「了解!」  環菜にとってもブラックガルゴモンにとっても、それだけの指示で十分だった。漆黒の獣人は素早く反転すると、掲げた右腕の銃口から一条の火花を散らす。それだけで背後から迫ろうとしていた大きな芋虫のような生物は小さな悲鳴を上げるだけで無様に倒れ伏す。毒でも吐こうとしていたのか、僅かに悪臭が漂っている気がする。早く離れた方が得策だろうか。  この世界ではこれが全てだ。殺さなければ死ぬ、先に倒さなければ倒される。この数時間だけで自分はブラックガルゴモンと共に、こうして屍の山を積み上げてきたのだから。 「ふぅ……でも環菜は凄いねぇ、さっきから僕より先に敵に気付いてる」 「何故かしらね。良くわからないけど……わかるのよ」  自分でも妙な物言いだと思うが、実際その通りだった。  アニメや漫画のように敵の気配やら殺気やらを読むなんてことが、平凡な女子高生である自分にできるはずも無い。故に今の自分が感じているのは単純な違和感でしかないのだと思う。それにブラックガルゴモンはどうやら気付いていないようだから、これは人間ならではの能力ということになるのだろうか。  とはいえ、大したことではない。敵が近付いてくると、ただ先程も感じた胸が締め付けられるような不快感が沸き起こる。それだけのことだった。 「あはは、環菜と契約できて良かったよ、本当にね。……ほら、こんな状況になったじゃん? だから環菜と会うまでは心の休まる暇も無かったんだから」 「それは……お役に立てて光栄だわ」  できるだけ回りくどい言葉を選ぶ。いや、自分は元よりその手の言い回しを好む人間だっただろうか。  そもそも契約とやらに関しても、ブラックガルゴモンが詳しくなかったこともあってか、環菜もまだ良く知らないでいる。とにかく彼が自分に協力を申し出てくれた途端、環菜の左腕にブラウスの上から強固なガントレットが装着され、その後は何故か先程よりも体の調子が楽になったような気もするが、それ以上のことは何もわからない。 「うん、頼むよぉ? 君がいると僕は安心できるから」 「……!」  その無垢な瞳を見ていられず、咄嗟に目を逸らす。結局のところ、ブラックガルゴモンとて自分とは相容れない生物でしかないのだ。知らず知らずの内に彼に心を許してしまいそうになる自分の心に、必死にそう言い聞かせながら。  自分達は協力者、また彼の言葉を借りるとしたなら契約者。それ以上の関係には決してなり得ないのだから。 「……それより、十闘士って奴に関して詳しく聞かせて?」 「ああ、そうだったね」 「十闘士ってことは十人いるのよね? ……どれもあの、ベルグモンみたいな奴らなの?」  咄嗟に話題を変えようとしてしまう自分が情けない、彼と真っ直ぐ向き合おうとしない自分のことが情けない。そんな風に考えてしまう自分の心に蓋をする。そう、皆本環菜はロボットになると決めた。下手な感情を抱けば死ぬ、余分な感傷はいざという時の妨げになる。感情を封じれば怖くない、感傷が無ければ恐怖も狼狽も覚えない。そして何よりも、今更カマトトぶって怖がったり慌てたりできるはずもない。  だって、そうだろう? 既に自分はブラックガルゴモンと共に数多のモンスターを倒してきている。そうして何体もの敵を退けられたことに一度でも達成感にも似た喜びを感じてしまった以上、もう今更元に戻ることなどできない。  自分の前に立ち塞がる敵はブラックガルゴモンと共に、一切の躊躇などせずに払い除ける。今の自分にできるのはそれだけだ。 「そうだね、人と獣の二つの姿を持つって聞くよ。あのベルグモンは獣型ってことになるね」 「人型(ヒューマン)と獣型(ビースト)……」 「うん。どいつも結構な強さを持ってるらしいね、中でも炎と光の闘士は――」  ブラックガルゴモンの言葉に相槌こそ打っているが、実際のところ彼の話す内容は殆ど耳に入ってこない。  環菜はただ全身に意識を集中させて周囲から敵が迫ってきていないか、何か敵の隠れるような場所は付近に存在しないか、そのことだけを考えている。言うなれば常に臨戦態勢、いつ敵が襲い掛かってきても対処できるように呼吸も乱さないように心掛け、更には背後にも対処すべく歩を進めながらも踵に力を込めておく。 「だから遭遇したら速攻で逃げた方が頭いいかもね。普通にやり合って勝てる相手じゃないだろうねぇ」 「……そう」 「でも……それも難しいかもしれない。人間相手でも容赦しないって聞くしね、あいつは」 「あいつ……?」 「そう。十闘士の中でも一番強いって言われてる奴……炎の闘士、アグニモンは」  それが本人でも気付いていない、皆本環菜の孕む矛盾。  この世界に対する漠然とした死の恐怖。それを意識しないように努めれば努めるほど、その恐怖は己を蝕んでいくということに、環菜はまだ気付いていない。彼女自身はもしかしたら自分は恐れてはいない、恐れてはいけないと思っているのかもしれないが、今の彼女の異様なまでの周囲への警戒こそが、今の状況に恐怖していることの証左に他ならない。  ブラックガルゴモンにしても同様だ。この獣人に心を許してはならない、頼ってはいけないと思っているにも関わらず、実際は彼の力が無ければ環菜は数刻とて生きてはいられまい。  それらの矛盾に環菜は気付かない。今はまだ、気付いていない。  どれくらいそうしていただろう。不意に冷たい声が響いた。 「……意外だな。まだ人間が残っているとは」 「誰だ!?」  妙に耳に引っ掛かる冷たい男性の声。思わず八雲が振り返った先には、視界の端に気配も無く立つ青年の姿がある。  身に纏うのは珍妙なローブ。まるでマントのように夜風に翻る様が印象的だ。頭髪は流麗でありながら不愉快にも感じられる白銀。その腰に差している巨大な杖状の物体は、ひょっとしたら大太刀と呼ばれるものだろうか。しかし外見の雰囲気からして、そいつを侍とは思えない。そもそも、21世紀のこのご時世に侍がいてたまるかというのだ。  それに、その青年の声には聞き覚えがあった。あれは確か、ギガスモンにアグニモンとか呼ばれていた――? 「お前、人間じゃ……ないな」 「……ほう? それがわかるということは――」  そこで言葉を切ると、静かに口の端を上げる謎の男。 「――お前がグラウモンと会ったという小僧か。……なるほど、それなら確かに頷けないことも無いというものだな?」 「グラウモン? てことは、お前はクラウドとかいう……?」  八雲の疑問に男は癪に障る微笑で返した。無論、それは肯定の意に他ならない。  皮肉そうな笑みを浮かべた男は、音も無く歩み寄ってくる。奴の両腕に、極めて奇妙な形を持つガントレットが装着されているのが見えた。鈍く輝くその手甲は、恐らく強固な金属で形成されているのだろうと容易に予測できる。側面に刻まれた〝火〟の文字が妙に気になるが、それには果たして如何なる意味があるのだろうか?  その男はにこやかな――八雲には胡散臭いものにしか見えない――笑みを形作り、こちらへ歩み寄ってくる。 「いや、こいつは失礼をした。名前を聞かせてもらえるか?」 「……わ、渡会八雲……」 「八雲……ああ、渡会八雲か。……ふふ、どうやら本当に俺の望みは叶ったらしい――」  渡会八雲。噛み締めるようにその名を反芻する男の姿は、まるで八雲という名前に何らかの聞き覚えがあるかのような雰囲気がある。そうして静かに顔を上げた瞬間、男は楽しそうに、本当に楽しそうに唇を歪めた。  何故か八雲には、奴の目に揺るぎ無い殺気が灯ったように見えた。 「――――――!?」  ゾクッと来た。直感に任せて咄嗟に飛び退く。  刹那、一瞬前まで八雲が立っていた場所を剣風が薙いだ。所謂居合い斬りという奴だろうか。半端ながらも心得のある八雲だからこそわかるのだが、今奴が振るった剣のスピードは最早達人の域だと直感できる。まさに音速のスピードで迫った鉄の刃は、確実にこちらの首を飛ばすべくして一閃されたのだから。  そもそも、奴の腰に差された太刀は通常の日本刀より遥かに大きく、そして重さも半端でないと判断できる。騎兵を馬ごと叩き斬ることを目的とするような、つまり斬馬刀という奴だ。そんなものを軽々と振るえる奴の筋力もまた、並大抵のものではない。少なくとも、今の八雲には同様にあれを扱える自信はない。  そして何よりも鼻先を掠めた剣筋に八雲は驚愕する。だが同時に「やっぱりな」と冷めたように納得している自分もいる。こんな状況に追い込まれることは当然だと理解している自分もいる。  そう、最初からわかっていたのだ。目の前の男はこちらを殺しに来ているのだと。 「いきなりかよ……!」 「……なかなかの読みだ。尤も、そうでなければ面白くないが」  静かに紡がれる男の声には一切の迷いが無い。さも避けることが当然と言った表情。  そう、男は自分を殺すことに対して何の感情も抱いていない。悲しみも怒りも楽しみも、少なくとも八雲が知り得る限りの感情表現では、今の男の心情を表すことなどできまい。だが奴が身に纏っている空気は暗殺者そのものだ。僅かでも隙を晒せば、油断無く躊躇い無く八雲の首を落としに来るだろう。外見は確かに人間だというのに、今の奴から向けられる殺気は、明らかにアルボルモンやグロットモンの比ではない。  戦わなければ死ぬ、奴を倒さなければ死ぬ。奴との戦いに勝利しなければ、渡会八雲にこの先は無い。そのことを直感で理解する。ギガスモンと相対した時などとは比べ物にならない、本物の死の予感に心が打ち震える。  だから思わず舌打ちしていた。つくづく今日は災難な日であるとばかりに。 「やっぱり敵かよ……くそ」 「渡会八雲。お前は先程、俺が人間ではないのかと聞いたな? ……結論から言えば、それは間違いだ。俺は飽く迄も人間で在り続けるし、元より奴らの仲間入りをすることなど考えたことすら無い。尤も、正確に言うなれば、俺はかつて人間だった者にすぎんのだが……そんなことは死に行くお前には関係の無いことだ」  奴の言葉など殆ど耳に入らない。聞く価値もない。  眼前に斬馬刀を構えた殺し屋がいる。それだけで十分だ。その事実を受け入れられずとも、胸にしこりが溜まり、理由のわからない衝動が八雲の体を切り苛む。奴と対峙した瞬間から、自分の体がどこかおかしくなっている。自分の心の中に棲む、鳥のような獣のような生き物が叫んでいる。奴を殺せと、殺される前に殺さねば後悔するのはお前なのだと告げている。  それなのに、体の芯が痺れていて思考が上手く纏まらない。余計なことは考えるな、目の前の敵にだけ集中しろ。でなければ死ぬ、でなければ壊される。 「だが奴と契約した以上、その務めは全うせねばなるまい。……悪く思うなよ、渡会八雲」  静かに斬馬刀が振り上げられる。それは確かな、死の宣告。 「ふざけんなっ!」 「むっ!?」  それを前にして、精神と肉体が同時にスパークした。振り下ろされる大剣を軽々と回避し、男の脇腹に一撃を見舞う。  その動きだけで理解する。奴は確かに腕が立つようだが、それは飽く迄も剣道の、つまるところ竹刀の領域の上だ。如何に実戦で鍛え上げられていようとも、その流麗な剣舞は明らかに汚れを知らぬ。血に濡れたことの無い、誰かの命を奪ったことの無い者の振るう児戯にも等しい剣技だ。ならば条件は同じ。攻撃を避けることに関してだけは、八雲は誰より上を行く自信がある。故に剣の一閃など容易に回避して反撃をお見舞いするだけだ。幼い頃から長内朱実という名の死地を散々潜り抜けてきた自分が、その程度の剣に膝を屈するはずが無い――!  だが奴は僅かなりとも怯む様子すら見せず、平然とした表情を浮かべている。 「……流石と言うべきか。その技の切れ、躊躇い無く剣の間合いに踏み込んでくる蛮勇……平時であれば、全てが賞賛に値するだろうな」 「き、効いて……ない?」 「驚くのも無理はあるまい。だが断言してやろう。……今のお前では、単なる人間以上にはなり得ない今のお前では、残念だが俺に勝つことなど夢のまた夢だ」  笑う。勝利を確信した目、先程のグラウモンと同じ目で奴は笑う。 「……気付いていないだろうがな、所詮この世界においてお前は異物にすぎん。筋力も視力も聴力も、全て今のお前は本来の力の半分も出すことはできまい。それが分不相応に世界と関わった愚か者の……そう、それがお前の限界だ」  そう言い捨て、奴は納めた斬馬刀を鞘ごと放り投げる。  小次郎敗れたり。思わずそう叫びたくなるところだが、状況はむしろ逆だった。奴の両腕の手甲が静かに赤い輝きを放ち始めていたのだ。それは文字通り、烈火と呼ぶに相応しい閃光。そう、奴の手甲に刻まれた〝炎〟の刻印は、奴が司る属性を示していたのだと、今更ながらに八雲は理解する。 「あの世で後悔するがいい。不用意に世界の理に首を突っ込んでしまった己が愚かさを」 「なっ、何を――?」 「……スピリットエボリューション」  輝きが増し、奴の体そのものを飲み込んでいく。  溢れ出した烈火の輝きの中で混濁する0と1の配列。急速に書き換えられていくそれらは、まるでプログラムのようにも見えた。故に奴が身に纏うのは烈火のデータ。異世界に存在する全ての炎の事象を司り、己が身に転移する。それこそが奴の両腕に装着されたクロンデジゾイド製の手甲、D-CASが持つ力だった。  つまり奴の属性は炎。全てを焼き、新しきものを生み出す創造の力。 「炎の闘士、アグニモン!」  瞬間、八雲の眼前に現れたのは業火の化身。  その頭部に見えるのは、肩まで流れるように伸ばされた黄金の頭髪と揺るぎ無い意志の灯る双眸。全身を覆う鉄壁の鎧は所々に真紅と黄金のラインを走らせ、ある種の神々しさすらも漂わせている。だが奴の全身から放たれるオーラに圧倒されながらも、八雲の目に余分な感情が宿ることは無い。その顔付きは嵐の前の静けさを漂わせている。憎しみは全く覚えない。  八雲はただ、奴を倒すべき敵として認識しただけだ。 「悔いろ。俺とて鬼ではないからな、それぐらいの時間はやろう」 「……悪いが、後悔する気なんてないけどな」  人間と十闘士。本来なら戦闘にすらならぬ組み合わせ。  それこそが最初の戦い。この世界の最期の煌めきを彩る、最初の戦いだ。 ・
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夏P(ナッピー)
2020年11月02日
In デジモン創作サロン
第一章『注文の少ない料理店』(前) 海神の場合  ある昼下がりのこと。 「……どうしてお客様が来ないのですか」 「いや僕に聞かれても」 「もう昼を過ぎて久しいですよ! どうなっているんです!」  喚き立てる森羅先輩は、今にも背負っているその身の丈ほどもある大剣を振り回しかねないので、僕としては少々冷や汗ものです。 「やはり立地条件が悪いのでは……こんな切り立った崖にある料亭に来ますかね、お客さんが」 「前を見れば森、振り返れば海! どちらも同時に景色を楽しめる最高のスポットではないですか!」 「それ何度も聞きました。確かに景色は素晴らしいかもしれませんが、立地が悪すぎると言っているんですよ森羅先輩。見てくださいよ、海も森も素晴らしい以上に怖いですよ。僕ら究極体や完全体はともかく、それ以下の皆さんは辿り着くまでに死にますよね……」  背後の崖下、時折嵐で荒れ狂う海は少し前までメガシードラモンの縄張りだったし、前方の薄暗い森は獰猛な獣型デジモン達の巣窟。  オリンポスと呼び称される僕らは感覚が麻痺していますが、言うなればここは所謂天然の要塞という奴らしいです。開業に際してこの場所を選んだのは他ならぬ森羅先輩なわけですが、城や要塞を築くのならともかく、少なくとも小洒落た料理店を出すのに相応しい場所だとは僕にはとても思えません。火曜○スペンスで最後の犯人との対決で使われそうですからね、この崖。 「青海君、営業をお願いします」 「それは無駄ですよ。もうここら一帯は人っ子一人、いやデジっ子一体いませんよ」 「何故ですか? 常連のハンギョモンさんは? 確かエビドラモン氏もいましたよね?」 「つい先日、揃ってこの店の悪口を言っていたので、僕が残らず駆逐しておきました」 「お、お客様アアアアアアアアア!?」  困ったことに、森羅先輩が食材を獲ってくる森側はともかく、僕の領域である海側には少なくともまともな知性を持ったモンスターはいないのです。  彼女の言う通り、海側にも何体かの常連客はいました。ですが三日ほど前、少し離れた浅瀬に揃って顔を並べてこの店の悪口を言っているのを見たので、思わず槍を投げ付けたら驚いて逃げていってしまいました。流石は我が槍、キングスバイトと言ったところですか。 「情けない連中です、威嚇を本気と受け取ってもう戻ってこないんですから」 「それ完璧に青海君の所為ですよね!? 常連の皆様になんてことをしてくれたのですかアアアアアアアアア!!」 「この店の悪口を言っていたのです、どうして僕が許せましょう」 「うっ……青海君は本当に真っ直ぐですよね……」 「いえ、お褒め頂くほどのことでは」 「褒めていませんからね」  言いつつ、ジト目――森羅先輩の顔は仮面に覆われているけどそんな気がする――で見られるも僕は無視しました。  こんなことをしている場合じゃないんだけどなぁ。  そう考えると嘆息してしまうのも無理はないんです。同じ高みに立つ者として、また先に究極体に到達した先輩として、森羅先輩のことは確かに尊敬していますが、少なくともこの世界、この時代に僕らが料理店を経営することに何の意味があるのか、その辺のところが僕にはわかりませんでした。  僕もまだまだ、未熟なんでしょうか。 ▲ ▲ ▲  同じオリンポス十二神といっても、僕は森羅先輩を初めとする諸先輩方から見て末席に当たります。  この大海を統べるべく、青海と名付けられたこの姿に進化を果たしたのはつい一年前。僕にとってはまさに夢にまで見た姿と力を得たわけですが、以降まともにその槍を振るう機会には巡り会っていません。今の太平の時代に究極体相当のモンスターが多くないのもあるでしょうが、少なくとも料理店の小間使いでは自らを満足させ得る強敵との対峙など夢のまた夢。先刻の常連客への狼藉は、そうして溜まった鬱憤から来ているのかもしれませんね。  そんな風に僕は、暇を持て余す自分を正当化してみたりします。  さて、ところで僕らオリンポス十二神は伝承によれば、彼の聖騎士団や七大魔王にさえ匹敵する戦力を有していると聞きます。とはいえ、当代に顕界しているオリンポスは末席の僕を含めても六体、仮想敵と見なした聖騎士や魔王が今も尚盤石の布陣で在るのなら、些か不安が残る頭数と言えましょう。  先代の六体はかつて激しい戦いの末に命と引き替えに邪悪なる者を封じたとのことです。中でも先代最強と謳われたユピテルモンの力には、恐らく当代のオリンポスで僕の最も尊敬する陽炎先輩でも及ばないだろうと言われています。  だからこそ、今は腕を磨くべきだと思うのです。未熟極まりない僕が筆頭であることは言うまでもありませんが、当代の強さが先代に及ばぬのであれば、個々の質を上げ、戦力の拡充を図らなければ、世界を中立に保つなどという僕らの使命を果たせるはずもない。来たるべき最後の危機(デジタルハザード)に備え、何者にも負けぬ力を有しておかなければ。  そこで問題となるのが森羅先輩です。僕の直近の先輩に当たる彼女は、必然的に僕の指南役となってくれたのですが、平和主義者というか博愛主義者というか、僕らと同じく戦いを生業とする者として生を受け、その中でも頂点に近いとされる神人の姿を得ながら、戦いを好みません。それでいて、いざ戦うとなれば僕を片手で捻るぐらいに強いから始末が悪い。  女性型らしい奔放さは陽炎先輩と並び、僕の尊敬する先輩である幻影(ミラージュ)先輩に近しいものがあると愚考していますが、同時に月光の如き禍々しさと冷酷さを内に秘める彼女と違い、森羅先輩は本当に単なる我が侭な女性といった印象でした。  いつだったか、確か以前一度だけ、森羅先輩に問い質したことがありました。 『先輩はオリンポスとしての自覚が無いのではないですか?』  若輩者からの愚弄にも等しいその言葉に、彼女は薄く破顔して。 『……かもしれませんね』  自嘲するようにそう言いました。  どこか遠くを見つめる森羅先輩の横顔を見て、僕は自分の質問を恥じたものです。きっとこの世界の誰にも各々の生き方があり、それは決して僕などが立ち入っていいものではなかったのでしょう。少なくとも一対一で戦って彼女に勝てない今の僕では、彼女に対する言など持てようはずがありません。  それに。 『でも、私にはこれが合っているんですよ。ここは料理店です、いらしたお客様を笑顔に出来る場所です。……誰かの笑顔を見られるって、素敵なことだと思いませんか?』  先輩の作る料理は、とても美味なんですよね。 ▲ ▲ ▲  その日は珍しく人間とそのパートナーが店にやってきました。僕の営業の成果でしょうか? 「いらっしゃいませー」  実はその日まで、僕は人間というものを見たことがありませんでした。  勿論、話としては知っています。僕らと絆で結ばれ、更なる高みへと導く異世界より来たる生命体。この世界が闇に覆われる度、叫びと嘆きに応えてその姿を現して闇と戦ったと言われる、数多の伝説に名を残す救世主。  でも初めて見た人間の少女は、何ということはない、ただ小さく弱い生物にしか見えませんでした。 「その子が、あなたのパートナーですか?」  注文を受けながら聞くと、少女は弾けるような笑顔で「うん!」と答えます。 「大変なことばかりだったけど、今まで二人で乗り越えてきたんだよねー!」  その膝に座る幼年期に、彼女の言う“大変なこと”を乗り越えるだけの力があるとは正直思えませんでしたので、僕は話半分に「それは凄いですね」と返したのだけど、どうもそれは少女には見抜かれていたらしく、すぐに膨れっ面で「信じてないでしょ!」と言われてしまいました。  お客様の笑顔を消してはならない、森羅先輩の教えです。またミスしてしまいました。 「こうなったら私とこの子の力、見せてあげるんだからぁ!」 「ほう、力……」  興味が湧きました。森羅先輩は厨房で料理の提供には今しばらく時間が掛かりそうです。伝説に謳われる人間の力、この身で味わっておくのも悪くないでしょう。 「興味深いですね。僕は何もしません、全力の一撃でお願いします」  断っておきますが、僕はマゾではありません。……多分。 ▲ ▲ ▲  切り立った崖の上、料理店を背後に僕は彼女達と対峙します。  宣言通り、僕は手を出すつもりはありません。少女は「馬鹿にしてぇ!」と苛立ちを隠せない様子ですが、元より戦うつもりはありませんでした。その“大変なことばかり”を乗り越えてきたという彼女達の力が、世界の誰もが憧れる人間の力が、果たして如何ほどのものなのか見極めてみたかったというのが本音です。  だから求めるのはただ一撃、人間と共に在るパートナーの攻撃が僕にどこまで通じるか。 「後悔しても遅いよ! 全力で行くんだからね!」  ビシッと力強く僕を指差す少女の姿が眩しいです。……しかし彼女のパートナー、知らない間に先程と姿が変わっているような……? 「ゴマモン! 進化だよ!」  瞬間、彼女のパートナーが光を放ち、その肉体を変質させていきます。  なるほど、少女の掲げた聖なるデジヴァイスによる任意の進化。それは確かに僕らには不可能な奇跡、不可逆にして不可避の変態である進化を任意で制御できるとすれば、その奇跡は伝説として崇められるのも無理は無いでしょう。気付けば姿が変わっていたのも、幼年期から成長期に進化を果たしたということなのでしょうか。  ただ、そうして進化を果たしたとしても所詮は成熟期、未熟とはいえ究極体である僕と相対するには些か力不足でしょうが。 「ゴマモン、ワープ進化――ヴァイクモン!」 「ワープ進化……!?」  果たして姿を変えて君臨した白銀の獣人は、僕がこの姿に到達するより前、氷山地帯でやり合った部族の長と同じ姿をしていました。  ヴァイクモン。クロンデジゾイド並の硬度を持つと言われた体毛と全てを破壊すると言われた破砕球ミョルニルを有し、ズドモンやイッカクモンで構成された軍団を率いて極寒の地を収める究極体。僕にとっては懐かしい顔でもあります。  しかし、それ以上に。 「素晴らしい……!」  僕は感嘆していたのです。  勿論、ワープ進化なる現象のことは知っています。しかし成長期から究極体へ一気に三段階もの進化が行われるのを見るのは初めてでした。こんな普通では起こり得ない奇跡を実現してみせるのが、人間という存在の持つ力なのでしょうか。 「アークティックブリザード!」  見惚れすぎて不意打ちで頬に破砕球をまともに受けました。非常に痛かったです。 ▲ ▲ ▲  僕が彼女達、というより人間と出会うのはそれきりになりました。  しかしそれ以降、何故かお客様の数は鰻登りです。どうも彼女達は乱暴に森林地帯を切り開きながらこの店まで辿り着いたらしく、天然のダンジョンめいていた森側に安全なルートが開拓され、そこを通ってお客様が来店するようになったようです。乱暴なことをするものだと思わず苦笑してしまいます。  とはいえ、これには森羅先輩も大喜びです。 「人間様々ですね! この調子ならもっと来て欲しいぐらいですよ!」  それに頷きながら、僕は多忙な日々を過ごしています。  彼女達の姿には不覚にも憧れました。破砕球を叩き付けられた頬は未だに少しだけ痛みますが。  聞くところによれば、選ばれし子供とも呼ばれるらしい彼女達は邪悪な者を倒す為に旅をしているそうですが、あの奇跡があれば如何なる困難にも立ち向かっていけるのではないかと感じました。後世、救世主と語り継がれる存在とはあのような人間のことを言うのだなと、そんなことを思ったりもしています。  とはいえ、一瞬見惚れただけで、僕は彼女達がどうなろうと別に何も関係ありません。 「なあ、知ってっか? 最近、選ばれし子供が負けたって話」 「聞いた聞いた。パートナー諸共死んだって聞いたぜ」  そんなお客様から聞こえてきた話も、別に何も関係ありません。
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夏P(ナッピー)
2020年5月31日
In デジモン創作サロン
第7話:起きる異変 「ハリケーンボンバー!」  竜巻と化したギガスモンが突撃してくる。  奴の速度、パワー、その全てが文字通り一撃必殺の威力。  否、そもそも彼奴らの技は人間に向けて放たれることなど想定されてはいない。それ故に、まともに喰らったなら、下手をすれば即死、運が良くても骨折ぐらいの大怪我は避けられない。そんなこと、八雲と朱実には眼前に迫ってくる竜巻を見ただけでも理解できる。人間では奴には勝てない、それは火を見るより明らかな事実だと確信を持って言えるだろう。  それでも一歩も退く気は無かった。それが摂理だろうと、自分達は負けたくないのだから。 「ヌンチャクを返しな、八雲!」 「くっ……悪い、任せた!」  咄嗟に八雲は右方、朱実は左方に飛び退いて事無きを得る。  暴風は一瞬にして動きを止め、その中からギガスモンの巨体が現れる。奴は自慢の攻撃を回避されたことに苦々しげに舌打ちこそしていたが、その顔に浮かぶ絶対の自信の色は微塵も揺るがない。その表情はお前らでは俺には勝てないと雄弁に語っているようで、八雲と朱実の闘争本能をこの上なく揺り動かしてくれる。  それに気付かないのはギガスモンだけだ。奴は自らの勝利を全く疑っていない。 「よくかわしたな。だが、これならどうだ!? アースクエイク!」 「八雲、あれが来る! 右だよ!」  闇夜に跳躍するギガスモンを前に響く、思春期の少女そのものといった甲高い朱実の声。  促されるままに八雲は再び右に飛ぶ。振り下ろされる丸太のような腕が大地を穿ち、周囲が凄まじい地震が起きる。体感震度は震度4強、マグニチュード5.6ほど。しかし常人なら直立不動の態勢を保つことさえ難しい地揺れを前にしても、なお長内朱実は腕を組んだまま不動である。  即座に拾い上げ、彼女がギガスモンの顔面に投げ付けたのは石礫。それが一瞬だけ目晦ましの効果を齎す。 「くっ、目潰しだと? 小癪な真似を──」 「小癪も御酌もあるかっ! 勝つための戦術と呼んで欲しいねっ!」  真実、彼女は目潰しなどという姑息な手段を使ったことを後悔していなかった。  振るわれたヌンチャクが流麗な弧を描き、ギガスモンの脇腹に入る。それらは全て八雲が飛び退き、態勢を立て直す間に行われた出来事。ギガスモンが本気で攻撃を放ち、朱実はそれに敢然と挑み、目潰しなどという彼女らしからぬ戦法を用いながらもクリーンヒットを決めた。いや、彼女らしからぬという表現は誤りかもしれない。何故なら、朱実は単に拳を打ち合わせるのが好きだというだけ、そして真っ向勝負というものが好きなだけで、いざという時の彼女は戦闘の手段など選ばない。勝利を得るためには卑劣な手段とて厭わぬ人間が長内朱実という少女なのだ。  やっぱり勝てないかな、アイツには。その光景を前にすれば、流石の八雲も渋々そう思うしかない。元々自分が強くなりたいと願うようになったのは、偏に自分以上の強さを持っていた彼女がいたからだ。それを鑑みればこそ、自分もまだまだ強くならなければならないと思う。  そういう意味で、やはり長内朱実は渡会八雲にとってのヒーローなのだ。 「チッ、何て硬さよ、アンタの体ぁ!」  だが勝利の余韻にも似た八雲の思いは、朱実の舌打ちによって掻き消される。  咄嗟にヌンチャクを手元に戻した彼女に、唸り声を上げたギガスモンの容赦無い連打が打ち込まれる。瀑布のように打ち込まれる乱打の応酬を朱実は辛くも紙一重で回避し、また振るったヌンチャクで受け流していくが、標的を失った土の闘士の拳は大地を、空き地の壁を、土管を次々と粉々にしていく。その荒々しい姿はギガスモン、つまりギリシア神話にて大地の女神から生まれた巨人族、ギガンテスの名を持つ怪物に相応しい。  あんな拳を一撃でも受けたら、容易く体が粉砕されてしまう。当然のことではあるが朱実とて肉体は普通の女の子、あの攻撃に耐え切れるわけが無い。 「くっ……!」  それに柄にも無く焦った。不覚にもそんな光景を想像してしまったから。  そういえば靖史は──というと、空き地の隅っこで丸くなって震えている。確かに情けない姿だが、それを笑うことはできまい。多分、ギガスモンを前にした一般人なら誰でもああなるだろう。面と向かってギガスモンに相対することができる朱実や八雲の方が異常なのだから。 「朱実、下がれ!」  連打に見舞われる朱実を見兼ね、鋭く放たれる八雲の飛び蹴り。  ゴスッという確かな手応え。ギガスモンの右の肩口に決まったはずだが、相手は僅かによろめいただけでダメージを受けた様子は殆ど無い。むしろ、軽く右腕を振るっただけで攻撃したはずの八雲の方が木の葉のように吹き飛ばされてしまう。 60キロ強の八雲の体が吹っ飛ばされる。  そのまま地面を転がるかと思いきや、吹っ飛ばされた先では柔らかな衝撃が彼を襲う。同時に八雲の腰と胸の辺りに回された手。ジーンズジャンパーに袖を通されたその腕は、明らかに長内朱実のものだ。つまり、彼女は同年齢の男子の体を軽々と受け止めたのである。  吹っ飛ばされた八雲を抱き止めた体勢で、朱実は皮肉そうな笑顔を浮かべた。 「……随分と早いお帰りね、八雲」 「あ、朱実お前、俺を受け止めやがったのか……?」  その細い腕のどこにそんな馬鹿力が!?  だが朱実が八雲の疑問に答えるより早く、再び竜巻と化したギガスモンが突っ込んでくる。先程も見せたハリケーンボンバー、ギガスモンの得意技だ。それを前にして朱実は投げ飛ばすかのように八雲の体から離れると、その竜巻に対して身を捩らせながらもヌンチャクを投げ付ける。しかし到底ダメージを与えるには到るわけも無く、幾度の激突で磨耗していたヌンチャクは竜巻に容易く弾かれ、その身に激しい亀裂を走らせながら八雲の傍に落ちた。 「八雲!」 「……えっ?」  耳に届いた鋭い叫びに思わず目を丸くした。だが自分を見据える朱実の鋭い目付きを前にしただけで全てが理解に及んだ。 「ああ。……わかった!」  咄嗟にヌンチャクを拾い上げつつも、未だに留まるところを知らないギガスモンのハリケーンボンバーに真正面から相対した。  明確な武器を手にした八雲の方を脅威と断定したのか、奴は信じられないほどのスピードで素早く方向転換を掛け、再度突撃してきた。その回転速度は先程より大きく上がっており、その迫力と来たら、文字通り暴風と化している。だがそんなもの、既に八雲には恐れるに値しないものだった。その理由など、言うまでも無いだろう。つまるところ、八雲は朱実が目で語った言葉を信じただけ。既に朱実は奴の技の弱点、言い換えれば狙い所を完全に把握しているというのだから。  故に顔色を変えることも無い。そうして暴風が自分の体を引き裂かんと迫った瞬間。 「今だ、朱実!」  横っ飛びで暴風を回避しながら、手にしていたヌンチャクを朱実へと投げ渡す。 「OK!」  またも攻撃を避けられたギガスモンは竜巻の中で小さく舌打ちするも、三度方向転換を行って攻撃を再開しようとする。これでは切りが無いだろう。八雲と朱実は攻撃を回避し続け、ギガスモンは自らを暴風と成して幾度と無く攻撃を敢行する。だが一撃でも当てれば自分の勝ちが確定する。その事実がギガスモンの自信の裏付けとなっている。  尤も、その自信は間も無く打ち砕かれることになるのだが。 「パワーは段違い……けど!」  ヌンチャクを受け取りつつ、朱実は不敵に笑う。そう、既に彼女は勝機を見出していたのだから。 「悲しいけど、脳天は隙だらけなのよね!」  そんな言葉と共に高々と放り投げられたヌンチャクが、迫るハリケーンの中へと飲み込まれる。こう何度も同じ攻撃を繰り返されれば、恐らく誰でも気付くはずだ。故に気付かなかったのはギガスモン自身だけだったろう。  確かにハリケーンボンバーは凄まじい速度を誇る。八雲や朱実でなければ一撃目で回避もできずに体を粉砕されていただろう。そして彼ら二人であろうとも、そのスピードを前にすれば回避以上のことはできなかった。けれど、そのスピードが僅かに落ちる瞬間があったのだ。 「アンタのは自信じゃない……慢心ってことよ」 「……自分の技の弱点ぐらい知っとけよな」  そう、言うまでも無いだろう。スピードが落ちる瞬間、それは方向転換するタイミングに他ならぬ。  それさえ理解できれば造作も無いことだ。八雲を囮にして方向転換を誘発させ、そこに敵の攻撃エネルギー自体を利用した攻撃を叩き込む。それを行うことに関して、八雲のすぐ隣にいる朱実の横顔にはまるで迷いが無い。自分が為したことに心の底から自信を持っており、また自分自身の勝利を確信しているような、そんな顔。先程からの彼女は戦士としては凛々しいものだったけれど、それは長内朱実という少女のものではない。故に朱実を朱実たらしめているのは、今のような自信満々な表情だ。迷いも無く躊躇いも無く恐怖も無い、一切のマイナスな感情をかなぐり捨てた、そんな表情。  竜巻の中でヌンチャクが粉々に破壊される音が響き、それに続いて聞こえてくるのは。 「ぐっ、ぐわああああああああああ!」  耳障りにも程があるギガスモンの悲鳴だった。  晴れていく竜巻を見やった八雲や朱実の視界には、大きく息を乱しながら現れた巨人の姿が映る。全身に先程は見られなかった無数の醜い擦り傷が走っており、その姿は表現が難しいほどに痛々しいものだ。殆ど死人のような足取りで一歩か二歩前に進んだかと思えば、ギガスモンの巨体が地響きを立ててその場に崩れ落ちた。  当然、八雲は顔を顰めるしかない。自分達の攻撃によるダメージとはいえ、自分や朱実の蹴りでも全く揺るがなかったギガスモンが物の見事に倒れ伏した以上、その攻撃は半端では無かっただろうと予測できるから。 「が、ガキども……い、一体何をしやがった……!?」 「……ははん、折角だから説明してあげよっか?」  見る者の全てを恋に落としそうな──と本人は思っているらしい──可愛らしい笑顔で、朱実は這い蹲ったギガスモンに語り掛ける。  ハリケーン、つまり竜巻には固有の性質がある。つまり外部から触れてくるものに対しては絶対的な障壁となる反面、内部に位置するものに対しては一切の攻撃が行えないということである。故に大地を砕くほどの竜巻であろうとも竜巻の内部に潜むギガスモンはダメージを全く負わない。それから示される答えは一つだけ。竜巻を突き崩すには内部からの一撃を、つまりギガスモン本体に強力無比な直接攻撃を行わなければならないというわけだ。  怒涛の攻防の中でヌンチャクに亀裂が入ったのは想定外だったけれども、朱実はそれすらも戦闘に利用したのだ。  最早ヌンチャクとしては用を成さないながらも、それは極めて強固な鉄の塊。一度目の攻撃で、奴の起こす竜巻には頭上という決定的な抜け穴があることを、朱実は既に看破していた。竜巻の中に投げ込まれたヌンチャクは、高速回転するギガスモンには何のダメージを与えることもできず、一撃で破砕されるだろう。  しかし、それこそが朱実の狙いだったのである。砕け散ったヌンチャクは即座に鋭利な無数の破片へと変貌を遂げ、竜巻に取り込まれる。そして、それらの破片が竜巻の内部にいるギガスモン自身を串刺しにするというわけだ。全てが全て、長内朱実の卓越した戦闘スキルに拠るものだった。  流石と言うべきか、戦闘に関する判断力と直感に関して、朱実のそれは八雲を遥かに凌駕している。 「そんな手を……俺のハリケーンボンバーを完璧に見切ったってのか!」 「馬鹿だね、アンタは。……どんなに強力な技だって、この短時間で何度も見せられれば、アホでも対抗策の一つや二つは思い付くっての」  軽く言う朱実ではあるが、その対抗策を思い付くまで回避し続けることこそが最も難しいことであるという事実には気付いていまい。 「……まあ、こんなことは初歩の初歩だろうけど」 「朱実お前、相変わらず戦いに関しては冴えてんのな……」  小学生の頃は80点以上取ったことが無い癖に、なんてツッコミは迂闊にしない方が身の為だろう。命が危ない。  無論、ギガスモンとて鉄片如きで屈するほど軟ではない。全身を串刺しにされたとはいえ、その傷口はどれも非常に浅いものだ。全身を泥で塗れさせながらも、流石は土の闘士と言うべきか、その瞳は未だに衰えることを知らぬ闘志を宿しているように見えた。  立ち上がると憤怒に満ちた表情で八雲と朱実を睨み付けてくるギガスモン。まるで親の仇とでも言わんがばかりの表情である。 「よっ、よくも俺をここまで虚仮にしてくれたなぁ……!」 「……チッ。少しタフすぎよ、アンタ」  小さく舌打ちを返す。流石の朱実にも、最早有効な攻撃手段は無い。 『……人間の子供如きを相手に、存外に苦戦していると見えるな、ギガスモン』  瞬間、ナイフで首筋を撫でるような声が響いた。  だが周囲に殺気は無く、何者かが現れた気配も無い。ただ淡々と事実だけを告げるような無機質な声。立ち上がったギガスモンが僅かながらも硬直した様子からして、恐らく奴の知り合いと見えるが、それ以上のことはわからない。故に八雲も朱実も様子を見るしかなかった。 「……新手か?」 「多分違うね。アタシの勘が正しければ──」  その声の主は、この場所にはいないのだろう。実際のところ、それは正解だった。 「そっ、その気障で無償に癇に障る言葉遣い……テメエ、アグニモンだな!?」 『……そうだ。久しいな、土の闘士よ』 「根無し草のテメエが何で人間界に干渉する?」 『………………』  声の主は答えない。  だが朱実や八雲の耳に届くその声色から判断すれば、恐らく声の主は20代の男性である。ギガスモンがアグニモンと呼んでいることから判断して、恐らくギガスモンやアルボルモン、そして件のダスクモンと同じような存在なのだろう。そういえば、奴らは一概に自らのことを『~の闘士』と名乗っていたと記憶しているが、あれは果たして何を意味するのだろうか。  尚もギガスモンに響く冷たい声。 『我が身が可愛いのであれば退け。お前が如何に猛ろうとも、全ては徒労に終わるのだから』 「なっ、どういうことだ!?」 『わからないのか。……間も無く【反転】が発動するのだぞ?』  【反転】。その言葉を聞いた瞬間、ギガスモンの顔が凍り付く。  アグニモンとやらの声が聞こえ始めてからも必死に気丈を保っていた巨人の表情は、今度こそハッキリとした恐怖に打ち震えていた。土色の顔は情けないながらも青白く染まり、奴に血が通っているのかは知らないが文字通り血の気が失せたような表情を見せている。それは如何なる言葉よりもアグニモンとやらの恐ろしさを体感させる、そんな声だった。  既に八雲や朱実の姿は奴の視界には存在しなかった。ただ一心不乱に裂けた大地の中へと飛び込み、モグラのように姿を消した。 「どうしたんだ、アイツ」 「……わからないね。何か【反転】がどうとか話していたみたいだけど……」  何気なく振り返った先では、アルボルモンとか呼ばれていた木偶の坊も消えている。ギガスモンが連れ帰ったのか、それとも自分自身で逃げたのかは定かでない。だが何はともあれ、自分達は生き延びたらしい。そのことに流石の朱実もホッとしたのか、大きく胸を撫で下ろす仕草が印象的だ。  しかし、ある部位はそこそこ女らしくなったのではなかろうか。そんなことを言ったら絶対に殺されると思うわけだが。 「まあ、何はともあれ助かったみたいだな、俺達」 「……ふむ。多少解せん箇所もあるけど、特に気にする必要はあるまいよ」 「お前な、その古臭い口調はどうにかならんのか?」  突っ込んでも無駄だということはわかっている。こんなこと、昔からだ。  そろそろ説明する頃合いかと思って靖史の方を見るが、そこで気付いた。空き地の隅っこでへたり込んで茫然としている様子の彼の体が、背後の土塀が見えるぐらいに透けているのである。彼の存在そのものが希薄になっていくような感覚。去っていく間際に、奴らが靖史に何かをしたというのなら理解できる。しかしそれをさせぬよう、八雲は細心の注意を払っていたつもりだ。故にグロットモンもアルボルモンも靖史に手出しできたはずが無い。  だからこそ理解できる。これは連中の仕業ではないのだと。 「や、靖史?」 「あれま、何が起きてるん?」 「……朱実、お前も」  平然とした声を上げているが、そんな朱実の体も半透明化している。 「おおっ!? アタシも!?」  透明人間になっていくかのようだ。状況がよく掴めぬ内に、空き地の隅っこで相変わらず座り込んでしまっている靖史の体、また八雲の隣に憮然とした表情で立っている朱実の体も、一瞬にして霧散する。まるでデータの塵芥と化していくような、そんな感じだった。  だから理解できることは一つだけ。その場には八雲しか残されていない。 「嘘……だろ?」  たった今、自分の前から消滅したのだ。朱実も靖史も、そして世界の全てが。  埼玉県二宮市から少し離れた東京都新宿区。ここは高田馬場駅周辺。 「こら間抜け暁、ウチを置いてく気!?」 「文句を言うなら、まずテキパキと動いてくれないかな。……僕は暇じゃないんだ」  半ば耳障りな声で騒ぎ立てるコギャル風の少女と、心底呆れた様子の眼鏡を掛けた青年。  パッと見た限りでは年齢は同じくらいのようだが、どこか親密さには欠けているようで、少なくともカップルには見えなかった。それもそのはず、これ見よがしにため息を吐いたり、また騒ぎ立てる少女のことを鼻で笑ったりと、青年の態度には露骨に少女を小馬鹿にしたような様子が見え隠れしている。明らかに彼女を自分より下に見ていると、そんな雰囲気がある。  暁と呼ばれた青年は後ろで叫び散らす少女を鬱陶しげに一瞥し、また夜空へ目を戻す。 「おや……?」  その瞬間、暁は違和感を覚えた。  目の錯覚だろうか。突如として視界がグニャリと歪んだ気がする。無論、それは錯覚などではない。次第に歪んでいく暁の視界の中、往来する人々の姿が次々と消えていく。うんざりしたような表情を浮かべて改札口で切符を買っているOLも、酔い潰れたのか真っ赤な顔でホームへ向かう足取りの覚束無いサラリーマンも、文字通り全ての人々が消滅しているのだ。  だから数秒後、その場に残されたのは暁ただ一人、のはずだったのだが。 「ちょ、何これ!? 何がどうなってんのぉ!?」 「!?」  隣から響いてきた声に思わず振り返ってしまっていた。  そこにはショートカットを揺らしながらも、先程と同じように素っ頓狂な声で騒ぎ立てる少女の姿がある。そのことに流石の暁とて驚きを隠せない。この奇妙な異変の中で彼女は如何なる理由か、消滅すること無くこの場に留まったということなのか。自分のことを棚に上げつつも、それは腑に落ちないと思う暁である。  そう、往来の人々が消滅して自分、館林暁(たてばやし あかつき)が残される。これは即ち今し方消滅した者達は全て凡人であり、逆に残された自分こそが特別な人間であるという、暁自身が普段から抱いている自身への優越性を確信に変える事態であったのだが。 「ちょっと間抜け暁、これどういうこと!?」 「……こっちが聞きたいね。そもそも、何故君まで残されているのさ……?」  それなのに誰よりも凡人であろう隣の少女、谷河内葉月(やごうち はづき)まで残されているのが何よりも気に食わない点であろう。 「かぁーっ! 男の癖に頼りにならないわねぇ、アンタは!」 「むっ……」 「あれま、怒った?」 「今の言葉は聞き捨てならないね。……誰が頼りにならないって?」 「アンタだっての! きゃははははっ! よ~し、決めた! 一緒に調べるわよ!」 「相変わらず勝手なことを言うね、君は。……わかってたことだけど」  無人となった街中へ駆け出す葉月の後ろ姿を見やり、ため息を吐く暁。 「どうしたのよ、早く来なさいってば~!」 「一緒に行動しなきゃならない必然はあるのかい? それぞれ単独行動って考えは──」 「却下! きゃははははっ!」 「本気……なんだよね、君の場合は」  ウザい。敢えて俗物的な物言いをすれば、今の自分はそんな気分なのだと思う。  自尊心が強い。館林暁の性格を一言で表せばそうなるだろう。彼は自らを誰よりも優秀で価値のある人間だと信じて疑わなかったし、実際に勉学においてもスポーツにおいても常にトップを走り続けてきた彼である、そんな思いを抱くのも致し方無かったとも言えよう。だからこそ、彼が全人類の中で最も見下している谷河内葉月と共に行動をしていること自体が奇妙なことなのだ。  その理由は偏に腐れ縁という言葉に集約するのだが、こんな奇天烈な事態に陥っても行動を共にしなければならないとは、既に縁というより呪いの類ではないだろうか。 「やれやれだね。……おや?」  再びため息が漏れる館林暁であるが、その時自分の視界の隅で小さな生物が走っていることに気付いた。  身長は50センチも無いだろうから人間であるはずが無い。そいつは暁の視界の隅、ちょうど路地裏の方向へと駆けていく。薄紫の切れ込みが入った大きな両耳を揺らしながら走り去る姿は、まるで魔法を掛けられて動き出したぬいぐるみのようだった。 「あれは……?」 「大変でクル、世界が変わっちゃったでクル。とてとてとてとて……」 「は……?」  気の所為だろうか。不意に聞いたことの無い声が聞こえたような気がするのだが。  目を擦って見直してみるも、やはり視界には路地裏に駆けていく奇妙な生物の姿しか見当たらない。つまりその異様なまでに可愛い子ぶった声は、まさか奴から発せられていたというのだろうか。しかし奴は人間ではないし、まさか宇宙人やオカルトの類とも思えなかった。故に奴が人語を解す存在と判断することはあまりにも非科学的であまりにも非論理的だ。端的に言ってしまうなら、自分の空耳だと片付けてしまった方が得策だろう。  だが暁が心中でそんな結論を出すのと時を同じくして、隣の少女が騒ぎ出す。 「きゃははははっ! 間抜け暁も聞いたでしょ!? 何か変な生き物がいて、しかも何か喋ってたわよぉ!?」 「ちょ……落ち着くんだ、谷河内君。今のは──」  そんな暁の言葉を最後まで聞こうともしない。葉月は自慢の快速で謎の生物が消えていったと思われる路地裏へと駆け出してしまう。 「追うわよ暁! きゃははははっ!」 「……最後まで聞くべきだよね、人の話は」  思わず嘆息した。本当に今日は厄日だと思う館林暁である。  また同時刻、遠く離れた静岡県静岡市。 「ちょ……二階堂君、どこへ行くんですか!?」 「トイレです。……僕にはお構いなく授業を続けてください」  駅前にある学習塾の教室の一角。理知的な風貌を持つ少年は講師が放つ制止の声も聞かずに教室を出て行く。それを見やり講師は大きくため息を吐き、同じ教室にいた子供達もひそひそと囁き合い始める。当然のことだろうが、その対象は今教室を後にした少年である。  つまるところ、彼はこの塾において腫れ物扱いであった。  無論、そんなことは少年自身もわかっている。友達も相談相手もいない自分ではあるが、それに関して寂しいとか辛いとか思ったことは無い。低俗な連中との馴れ合いなどは彼が最も嫌いとするところであったし、そんな馴れ合いや傷の舐め合いに頼らなければいられないことこそが低俗な人間であることの証左であろうと彼は思っている。だから自分はこんな低レベルな連中などと関わること無く、一刻も早く良い大学、良い会社へと進み、そこで自身に見合った人間と付き合わなければならないと思う。少なくとも今ここにいる連中は、自分と対等に付き合える人間ではない。  それがおかしくもあり、また同時に虚しくもあった。 「……ふん」  鼻で笑うような音を漏らしつつもトイレで用を済ませ、教室に戻る。またあの低俗な学友達のところへ戻らなければならないというのは非常に億劫で気を滅入らせてくれると思う。それでも両親や近所の方々の間では良い子で通っている自分だからこそ、そうした優秀な生徒でいることは己が責務であろう。半ば厄介者扱いされている学習塾にわざわざ通ってやっている理由は、結局のところその程度のことでしかないのだ。  そもそも自分は塾など来なくても勉学の面で隙は無い。勉学だけでなく、スポーツにおいても学年で自分以上の逸材は存在しないだろうと確信している。だからこの少年、二階堂昴流(にかいどう すばる)は自画自賛することに何の気後れも覚えない。それに見合うだけの努力を自分はしてきたし、これからも一切怠るつもりは無いからだ。  けれど、だからこそ彼はこうまで冷めた人間として今ここに在る。  友達というのは決して馴れ合うためだけに存在するのではないということを、昴流はまだ知らない。自身がなまじ優秀すぎたが故に他者と関わることを嫌い、己を殻に閉じ込めてしまった。言うなれば、彼こそが真の意味での引きこもりなのかもしれない。友達と共に笑い合えることも、共に高め合っていけることも、彼は知らないのだから。 「ん?」  教室の扉に手を掛けた瞬間、妙な違和感を覚えた。扉を一枚隔てた向こう側が妙に静かなのである。適度にユーモアの利いた小話を織り交ぜて授業を行う――昴流が退室したのは、偏にこれを聞くのが嫌だったからだ――講師のソプラノ声も、そんな講師の話にドッと笑う低レベルな他の生徒達の声も全く聞こえてこない。常にこんなに静かだったなら自分も退室することは無かったのだろうと昴流が思ってしまうぐらい、教室は静寂に包まれている。  抜き打ちの小テストでもやっているのだろうか。そんなことを考えつつ扉を開く。 「これは……?」  そしてそのまま、扉を開いた態勢で硬直した。 「……どういうことだ?」  明晰な頭脳で一瞬にして十の可能性を提示してみせる昴流だったが、教室を見渡す度にその可能性が否定されていくのが自分でもわかった。それも当然だったのかもしれない。教室には荒らされた形跡も無ければ何か騒ぎがあった様子も全く無い。あの退屈な授業を行っていた先程と全く変わらない。ただ誰もいないことを除けば。  理解できないことが目の前で起きたことがわかる。だから彼が浮かべた表情は、言うまでも無い。 「面白いかもね……」  数秒前の違和感が確信に変わる。誰もいない教室の中で、昴流は思わず笑っていた。 「えっ……?」  皆本環菜にとって、それは僅かな違和感でしかなかった。胸の中心に何か小さな物体が触れているような、そんな些細な感触でしかないはずだった。けれど一度知覚してしまった途端、その違和感はまるで波紋のように留まるところを知らずに放射状に広がっていく。それを押さえ込むことなど人間にできるはずもない。  それは人の身である以上、決して抗えぬ絶対的な力。言うなれば世界それ自体が彼女を塗り替えようとしているのだから。 「痛っ……!?」  足元がふらつき、頭がシェイクされているように揺れ、更には心臓を鷲掴みにされているかのよう。その何者かが少しでも力を強めれば、皆本環菜の体は中心からスイカのように破裂して、アスファルトに真っ赤な花を咲かせることになるだろう。  それに本能的な恐怖を覚えた。そんなことは嫌だと、自然と思えた。そのことに最も驚かされたのは環菜自身である。アニメや漫画のヒロインが叫ぶ「助けて!」とか、その手の台詞は自分とは最も縁の無い事象だと信じて疑わなかった。けれど今、皆本環菜は明確に助けを求めていた。誰でもいい、この際誰でもいいから、今の状況から自分を救い出して欲しかった。  そんな思いが通じたのか、自分を苛んでいた痛みは唐突に消える。――いや、環菜の体そのものが消滅を始めていた。 「う、嘘……!?」  まるで焼け落ちるかのように虚空へ伸ばした両腕が消えて無くなる。続けてスカートから伸びる足、手入れが行き届いていると周囲から称賛される長髪。その感覚は残っているというのに、視界にはもう存在しないという矛盾。手足の感覚は確かに存在するのだが、もう何かを掴むことは無い。もう何かを踏み締めることは無い。  それは先程の激痛よりも、遥かに明確な恐怖だった。  視認できない蛆虫に全身を食い尽くされているかのようだ。足も腕も腹も胸も肩も首も、その浸食は留まるところを知らずに続けられ、数秒後には既に彼女は頭以外が消滅してしまっていた。  そして当然、その頭部すらも食い尽くされていく。全てが全て、消えてしまう。 「誰か──!」  誰を呼んだのだろう。誰に向けたのだろう。  頭に浮かんだのは家族でも友人でもなければ、当然元カレでもなかった。それが果たして誰だったのかを理解するより前に、皆本環菜の体はこの場所から完全に霧散する。今この場で起きた事実はそれだけだ。誰に聞いたところで、数秒前までこの場所に一人の少女が立っていたことを信じる者などいないだろう。尤も、それを聞ける者もまた存在しないのだ。  今この瞬間、人間界の全ての生物が消滅したのだから。  環菜の消滅と共にハラリとアスファルトに落ちたハンカチ。それだけが彼女がここにいたことを物語っていた。  その大異変の中心に位置する場所、埼玉県二宮市の上空にて。  眼下に広がるのは明々とした輝きを放つ町並み。あの魔王が引き金を引いた災厄によって一斉に世界から消滅していく人々の姿を遥か上空にて見下ろしながら、その全てを引き起こした元凶である少女は楽しそうな笑みを浮かべていた。  この世界から消えていく人々の中には先程自分を見上げていた黒髪の少女、皆本環菜の姿が見える。この【反転】の対象となり、悲鳴を上げることもできずに無様に消滅していく彼女の姿を見下ろしながら、少女の笑みは一層濃くなる。 「ふふっ……バイバイ♪」  そう告げてやった。もう会うことも無いだろうし、その姿を見ることすら嫌だったから。  その姿は明らかに人間でありながら、何の道具を使うことも無く空に浮かんでいるという矛盾を孕むこの少女こそが、数刻前に皆本環菜が気付いた流れ星の正体である。別段ハッキリ見えたわけではなかったが、環菜のイメージは正しかった。その少女は翼など持っていないというのに、音も無く地上数百メートルの場所に滞空している。  闇夜に煌めく妖しき銀髪。あまりにも長い頭髪が彼女の細い肢体に絡み付き、まるで髪自体が彼女の衣服を成しているような疑似感覚に囚われる。その瞳に宿す穏やかな輝きは頭髪と同じ白銀。一見して明らかに非人間的な様相を呈している彼女ではあったが、同時にその存在は決して人間以外の何者でも有り得なかった。  夜風に吹かれて少女の長髪が揺れる。その状況や場所とは不釣り合いな、純白の巫女服がそこからは覗いている。 「また……会えたね?」  その言葉は誰に対して紡がれたものなのかは、言うまでも無いことだった。彼女の姿をこの人間界で唯一視認した皆本環菜に対してではなく、今この場にはいない彼女にとっての大切な者達に対してでもなく、この世界に生きる全ての生物達に対してでもない。無論、彼女の隣に並んで滞空している黄金色の狗神に対してでもない。  そう、彼女の言葉は世界自体、この人間界と呼ばれる世界そのものに対して紡がれたものだった。 「何か言いたそうね、アヌビモン」 「では一つだけお尋ねしましょう。貴方の望みは彼らを苦しめる、貴方の行為は彼らを傷付ける。そのことに……後悔はありませんか?」 「……!」  その瞬間だけ少女は僅かに怯んだように見えた。  そう、彼女はこれから起きる出来事の大半を知り得ている。これから世界に何が起ころうとしているのかを知っている。また彼女にとって大切な存在がこの後、如何に苦しむのか、如何に痛め付けられるのかを知っている。そこに如何なる悲しみや憎しみが生まれるのかを、知っている。  それでも、そこで彼女が悲しげな様子を見せることこそが偽善だろう。彼女はこうなることを望んだ、そして傲慢の魔王が彼女の望み通りにこの事態を引き起こした。それだけが絶対の真実なのだから。  だから全てを振り払い、再び無表情に戻った少女は静かに告げる。 「ええ、無いわ。……さあ、楽しいゲームを始めよう?」  その言葉と共に少女の姿は、一瞬にして掻き消える。  西暦2008年10月24日午後8時24分。  そうして世界は塗り替えられた。  今この瞬間より、歪みに満ちた世界を巡る最後の物語が幕を開ける。
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夏P(ナッピー)
2020年4月29日
In デジモン創作サロン
第5話:負ける気がしない  互いに息を切らすことも無く夜の街を駆けていく八雲と朱実。  既に駅前の灯りは酷く遠い。この時間帯では人気の殆ど無い住宅街だから、背後から殺気が迫ってくるのが面白いぐらいに読み取れる。自分達は幾度と無く抜け道を使って撒こうとしているはずなのだが、それでも人間を遥かに超える身体能力を持つ奴らとの差は一向に伸びない。あのまま不自由な場所でまともにやり合っていたら、確かにやられていたかもしれないと思う。  何かが始まろうとしている、そんな気がする。  二人が再会して以降、奇妙なことばかりだ。昨日のダスクモンと名乗る黒い騎士といい、つくづく厄介なことに首を突っ込んでしまったと思う八雲である。 「ん? 八雲、何で笑ってんの?」  隣を走る朱実の言葉に驚かされた。こんな奇妙な状況の真っ只中にいるというのに、無意識の内に自分は笑っていたらしい。  しかし考えるまでも無いことだろう。渡会八雲はこの状況を楽しんでいた。昨日あの巨大な鳥が変身した黒い騎士から逃げ延びたという妙な理由だけで、今日は更に奇怪な二体の化け物から言い掛かりを付けられて追われている。そんな珍妙極まりない状況だけれど、隣に彼女がいることが何よりも自分を楽しくさせてくれると思う。  言うまでも無いことだった。  長内朱実、彼女が隣にいる限り渡会八雲はどんな状況下でも楽しめてしまう気がする。 「さあな。……ちょっとペース上げるぞ、付いて来れるか?」 「ハッ! 誰に向かって言ってんのかねぇ、アンタは!」  ピッチを軽く上げても、朱実は苦も見せず追従してくる。女だてらに短距離走なら八雲以上の快足を誇った彼女だから、それぐらいは当然なのだろう。クラスメイトの三上亮には勝てないにしても、持久力にはそれなりに自信がある八雲だが、短距離で今の朱実に勝つ自信は、正直言って無かった。  そのまま大通りに出る。目的地はここから数百メートルといったところか。 「おっ、渡会じゃねえか!」  そんな時、唐突に声を掛けられ、八雲は思わず立ち止まってしまう。朱実もそれに合わせるようにして動きを止める。 「国見……!?」 「先生を付けろ、先生を」 「あ、ああ。国見……先生」  大通りの一角、ビルとビルの間に挟まれた場所に位置する小さな店から出てきたのは、八雲の担任である国見比呂だった。体育祭の翌日ということもあって今日は休みのはずだがスーツを着込んでいるということは、彼は学校へ行ってきたということなのだろうか。もしそうだとしたら、やはり教師という奴も楽ではないと思う。  それにしても、今国見が出てきた店は所謂その手のパソコンソフトを大量に扱っているような、そういう店だ。彼が小脇に抱えている大きなピンクの袋が妙に生々しい。思わず何本買ったのかと聞きたくなってしまう。 「……こんなところで何やってんだ?」  店の看板を見やりながら八雲が問う。そういえば、自分達の担任は生まれてこの方彼女がいないとかいう噂があったような気がする。 「俺のことは気にすんなって。……お前、今日は稲葉に誘われなかったのか?」 「……いや、断ったんだよ」  後ろの朱実の姿には気付いていないらしいが、それなら好都合だ。 「そっちこそどうしたんだよ。……アンタ、一緒に飲み会に行くんじゃなかったのか?」 「おうよ、確かにそのつもりだったさ。だから学校でちょいと雑務を終えたら店に向かうつもりだったんだがな──」  そう言ってニヤリと笑いつつ国見は続ける。 「──今日は安売りだったからな、こっちを優先した」  背後の店先に立つ『本日は50%オフの大特価!』という幟を親指で示す国見。そこには教師の癖に堂々とエロゲームを買い漁ることに対して恥も外聞も微塵も無い。もしかして、ここはガツンと言ってやるべき状況だろうかと何気なく思った八雲である。  尤も、こんな微塵も威厳の無い教師だからこそ、自分を含めクラスの生徒から慕われているのだろうと思うのだが。 「あはは、面白いね八雲、アンタの先生!」 「ぬおっ!?」  八雲の背後から突如として響いた少女の声に大袈裟なまでに仰天する国見。言うまでも無いことだが、それは長内朱実から出た声である。 「わ、渡会! この子は!?」 「……あ~、コイツは俺の……」 「今カノの長内ですぅ♪」 「違う。……そのネタ何度使う気だ」  冷静にツッコミを入れておく。とりあえずだが、その可愛い子ぶった言葉遣いだけはやめてくれと言ってやりたい。似合っていない上に何よりも気持ち悪いから。元から見た目や性格の割に可愛い声を出す朱実だけに、その手の口調をさられると本当に反応に困るのだ。  ちなみに国見は予想通り、盛大な勘違いをしてくれているようで。 「今カノだと……! 渡会、テメエ女に興味の無さそうな面して、ちゃっかり彼女を……!」 「違うっての! 何を勘違いしてんだ、アンタ!」 「そうだよ、国見先生とやら。……男の嫉妬は見苦しいと思うな、アタシは」  火に油ならぬ、言い争いに朱実である。 「朱実お前もう黙れ。……じゃあな国見!」  それ以上の言葉を喋らせまいと、強引に朱実の手を引いて走り出す八雲。  自分達が今まで何故走っていたのかをすっかり忘れていた。これ以上話していても墓穴を掘り続けるだけだし、何よりも今はグロットモンやらアルボルモンやらから逃げている途中だったのだ。こんなところで油を売っている場合ではなかった。 「きゃあっ、八雲ったら大胆っ♪」  耳元で妙に甘い声が響いてくるが無視する。だから、そういう可愛い子ぶった口調はやめろというのだ。何故かムラムラしてくるから。 「あっ、渡会! まだ話は終わって──!」 「もう終わったっての、また来週な!」 「テメエ! 彼女の作り方教えろぉ~!」  後方から国見の情けなさすぎる叫びが聞こえてくるが、それに空いている方の手を挙げることで答えて八雲は朱実を引いてその場を走り去る。彼女の作り方なんて、むしろこっちが聞きたいぐらいだとは口が裂けても言えない。それなら前にクラスでも彼女がいるという噂があった三上亮辺りに聞いた方が遥かに効率的だと思う八雲であった。  目的地は園田靖史の自宅、そこまで一気に駆け抜ける。  その数分後の出来事である。園田靖史は目の前の状況に困惑していた。 「え~と……」  この状況は、どう判断したら良いのでしょう?  中学三年間における最高の親友が、今まで色恋沙汰とは無縁だと信じてきた人間が、女の子の見た目には結構うるさいと自負している自分でさえ思わず目を見張ってしまいそうな可愛い女の子と共に自分の家にやってくるとは。しかも、かなり長い距離を走ってきたのか、人並み外れた体力を持つ彼が僅かに息を乱している。  そう、これはまるで──。 「……八雲、お前駆け落ちでもしたのか?」 「駆け落ちか……なるほど、言い得て妙とはまさにこのこと。そう言われればそうなるのかもしれんね……」 「お前は黙ってろ」 「酷い」  そんな夫婦漫才を繰り広げる二人だからこそ、靖史の声もつい苛立ちを帯びる。 「イチャイチャすんな」 「うっ」  何故か思わず言葉に詰まる八雲。何かあったのだろうか? 「冗談よ、駆け落ちなんてするわけないっしょ」  それに対して女の子の方は冷静である。彼女が顔を振る度に長いにも程があるポニーテールが軽やかに揺れる。  そこで靖史は改めて親友が連れ込んできた少女を見やる。上はトレーナーとジーンズジャンパー、下はジャンパーと同色のデニム。年頃の女の子のものにしては随分とラフな格好だ。彼女はその顔立ちこそ流麗そのものだが、胡坐を組みながら靖史が出してやった煎餅をバリバリと小気味良く齧っている様子は、むしろ少女特有の愛らしさを拒絶したようなワイルドさがある。なんとなく、あの佐々木綺音を更に暴力的にしたら彼女になるだろうと思えるような、そんな非凡な雰囲気を持つ女の子だ。  傍から見ると八雲とはお似合いに見えないこともないが、一概に美少女と形容するのは憚られるような少女が彼女だった。 「とりあえず初めまして……になるのかな? 姓は長内、名は朱実……まあ話すと長くなるから、一応八雲の友人ってことにしといて」 「あ、ああ。俺は園田靖史、よろしく……」  躊躇無く差し出された右手を、おずおずと握り返す。  どこか乱暴で投げ遣りな言葉遣いとは裏腹に、握った掌は細くて柔らかい、年頃の少女のものだった。だが不思議と恥ずかしさは覚えない。まだ出会って数分しか経っていないが、それでも靖史は既に彼女にはどこか男性めいたものがあると感じていた。そうでなければ、基本的に女の子が苦手な自分がここまで自然に対応できるはずも無い。それは要するに、目の前の少女を女扱いしていないということでもあったが。  他に話すことも無いため、やがて自然と沈黙が場を支配する。 「ほら八雲、事情を説明してやんなって」 「わかってるよ。……簡単に言えば……だ」  煎餅を齧りつつも朱実が少なくない真剣さを含んだ顔で促すので、思い切って八雲は事情を話すことにした。昔からの付き合いの朱実と遊んでいたこと、彼女と共に奇妙な生物と遭遇したこと、そして何よりも奴らから逃げるために靖史を頼らざるを得なくなったということ。それにしても、実際に経験した自分で話していても、あまりに突拍子が無さすぎて夢物語ではないかと思えてくる出来事だ。  尤も、八雲が事情を話している間、隣の朱実はいつの間にか呑気に口笛を吹きつつテレビゲームに興じていたのだが。 「……というわけだ」  話し終えた後、八雲は覗き込むように靖史と目線を合わせる。  中学生の頃に出会ってから、タイプこそ違いながらも靖史とは不思議と気が合った。親友と呼ぶのに一片の迷いもないし、朱実を除けば誰よりも信頼している。彼の剽軽なところをふざけた奴だと取る人間も多いが、それだけの人間ではないことも八雲は知っている。  現在は一人暮らしの彼だが、元々良家のお坊ちゃんだと聞くから、多分実家の躾が良かったのだろうと思う。尤も、実際には躾だけというではないだろうし、彼が単なるお人好しにすぎないだけなのだが、とにかく園田靖史にはそんな美点があるのだ。八雲が彼の家を選んだのは、そんな理由からだった。  だが今回ばかりは、如何に掻い摘んだ内容を話したところで靖史の顔は全く要領を得ないものだった。 「……つまりだ」  齧っていた煎餅を皿に戻し、靖史は八雲に向き直った。 「お前らは変な怪物に追われて、とりあえず逃げ込む場所が欲しかったと。そんでもって、親御さん達には迷惑を掛けたくないから、一人暮らしの俺の家に転がり込んできたって、そう言いたいわけだな?」 「ああ、そうだ。やっぱりお前ならわかってくれた──」 「……いや、悪いけど全っ然わかんねぇ……」 「は?」  返された言葉に目を見開く八雲を見て、靖史は「おいおい、マジかよ」と呆れ顔だ。 「女の子とデートしてる時点で羨ましすぎるんだよ、お前は!」 「……女の子?」  八雲と朱実は顔を見合わせた。どこに女の子がいるんだ? 「お前だけはそんな奴じゃないと思っていたぜ、八雲よぉ! それなのに裏切ったなぁ! こんな可愛い女の子とデートしやがって!」  一気に捲くし立てた。こういう物言いに八雲が弱いということを靖史は良く知っている。 「ええい! そもそも、無関係な俺が何でお前らの愛の逃避行に付き合わされなきゃならねえんだ!」  苛立ちの込められた言葉を聞き、ゲームに熱中していた朱実が「聞き捨てならんね」とばかりに振り返る。 「……八雲の言葉を僅かでも信じてくれるんなら、アンタはアタシ達に従って欲しいね。こちらが完全に巻き込んだ形になっちゃったことは遺憾なんだけど、本当に申し訳無く思ってる。だけど実際問題、今こうして巻き込んでしまった以上、アンタの安全の確保がアタシ達の責務でもあるからね。……それと、アタシが可愛いのは当然だから、今更取り立てて言う必要も無いっしょ」 「可愛い女の子? 見当たらないな」 「アンタは黙ってな」 「酷い」  さっきの仕返しをされた。 「……でっ、でも、さっきは──」  途端にしどろもどろになって八雲の方を見る靖史。  本人には決して言わないが、口調の微妙な古風さと性格の超銀河的な破綻さを除けば、確かに長内朱実という少女は八雲の人生の中でも五本指に入る美少女なのだ。それ故に、普段はおどけた印象の強い彼女に真剣な眼差しを投げ掛けられれば、誰でも今の靖史のようになるだろう。実際、子供の頃から散々慣れ親しんできた八雲さえ、昨日の戦闘の後に不意に向けられた彼女の笑顔には思わず目を見張ったほどなのだから。  そんな雰囲気を和ますため、朱実が真剣な一方で八雲は苦笑する。やはり朱実は、そして靖史も頼りになる奴だと思ったこともある。 「……悪いな。そういうわけだから、今回は付き合ってくれ、靖史」 「何か未だにピンと来ないけど、行けばいいんだろ、行けば……」  だから靖史は力無く首を落として、そう答えるしかなかった。  その一方、こちらは相変わらず駅前の飲み屋にて。 「へえ……前に噂になってた三上君の彼女って、環菜ちゃんだったの?」  話の内容が内容だけに妙に爛々と輝いている稲葉瑞希の瞳に対し、皆本環菜(みなもと かんな)は冷静そのものである。 「ええ、去年の六月……だったかしら? たまたま近所で道に迷ってる三上君のお母さんを助けたの、それが成り初め」 「はは、そういやそうだったなー!」  ちょうど向かいの席に座る三上亮は、豪快な笑い声と共にスクリュードライバーを口にしている。陸上部のエースでホープなのにそんなに沢山飲んでいていいのかと思う環菜であるが、わざわざ自分が口にするほどのことでもあるまい。しかし同時に半年ぐらい前の自分だったら恐らく諫めていたのだろうなと思いもするわけで。  自然消滅という言葉が一番合うのだろうか。それぐらい自然な形で、いつの間にか自分達は半年前から顔を合わせなくなった。それだけのことだ。 「環菜には何度か弁当も作ってもらったしな、あの時は学校に行くのが物凄く恥ずかしかったんだぜ!」 「てことは、三上君が妙に可愛い弁当箱を持ってきた時って、まさか!?」 「そうね、私のお弁当箱よ。半分は愛情……もう半分は嫌がらせ?」 「はっ、相変わらずズケズケ言いやがる! それでこそだぜ!」  酒が入っているから当然なのかもしれないが、瑞希にしろ亮にしろテンションが高すぎるのではないだろうか。素面の自分には少々付いていけない空気を感じる。ただ、こうした状況でもないと元カレと顔を合わせるのは気まずい部分が無いことも無いので、これはこれで良かったのかもしれない。  それにしても、自分がいつの間にか違う学校のクラス会に連れ込まれていることの意味がわからない。これは要するにトイレで偶然顔を合わせた稲葉瑞希に引っ張ってこられたからなのだが、他の連中も他校の女子が混じっていることを全く気にしないのはどうなのだと思う環菜である。尤も、そのおかげで居心地が悪くは無かった。 「あの……そもそも何で私、こっちに連れ込まれてるの?」 「はっはっは、小さいこと気にすんなっての、環菜。久々に会ったんだ、今日は友達として飲もうじゃねえか」  そうして亮はグラスを置きつつ、こちらの全身を舐めるように見渡して。 「最近は一段と可愛くなりやがったな……フッ、流石は俺の──」 「それやめて。……そもそもそこに繋がりが全く見えないんだけど」 「その可愛さ、万死に値する! ふはははは!」 「ああ、盛大に酔ってるのね、三上君……」  帰宅してから掃除やら洗濯やらが待っているので、環菜は酒には全く手を出していない。未成年だからどうだと良い子ぶるわけでもないが、そのことを考えて目の前のハイテンションな男を見ると少し気分が滅入ってくる。  けれど、同時に陸上部としての前向きで逞しく、誰よりも熱い心を持つ三上亮の姿を知るだけに、そんなベロンベロンの彼を前にして、思わず微笑んでしまった。そういう関係だったこともあり、両親を除けば彼の様々な顔を最も知っている人間は世界で自分なのだという事実には少なからず優越感を覚えないでもなかった。 「……昔の話、にしていいのかしら」  そう思う。申し訳ないが、もう彼のことは他人事でしかない。  それだけのことだった。一年前には確かに彼に対して存在した恋愛感情が今では全く感じられない。酔っ払っているとはいえ、友人として飲もうと前置きしてくれた彼には感謝だ。少なくない罪悪感があったはずだが、その言葉で自分としても良くも悪くも踏ん切りが付いたのだと思う。 「環菜ちゃん、いい顔してるね」 「……そう?」  覗き込む瑞希の言葉にも自覚はなかった。スッキリしたというのは事実だが。 「やっぱり高校生にもなると、皆彼氏とか彼女とか作るもんなのね。……でもまさか渡会君まで作るなんて流石の私にも予想外だったわよ」 「だから! 渡会のはきっと誰かの見間違いだって!」 「……ふふ、信じたくないのは私もわかるけどね、綺音ちゃん。これは真実なのよ……?」 「べ、別に私には関係無いって言ったでしょうが」  奥に座る背の高そうな女の子が瑞希の言葉を受けて妙に赤くなっている。その隣に座る小柄な女の子は酒の席だというのに妙に落ち込んでいる様子だった。  ただ、その会話の中で環菜には気になる名前が一つだけ出てきた。……渡会君? 「ねえ稲葉さん、渡会君って……?」 「ん? ああ、環菜ちゃんは知らないんだったよね、さっき話題に出てた男の子のこと」  振り返った瑞希の頬もそれなりに赤く染まってきている。女の子が相手だが、息がかなり酒臭くなっているということは言ってあげた方がいいのだろうか。 「ああ、女の子とデートしてたっていう……?」 「うん、渡会八雲君。……あ、ここには来てないんだけどね」 「渡会……八雲」  半ば噛み締めるようにして、環菜はもう一度だけその名前を反芻する。 「八雲……」  知っている名前だ。そして同時に、思い浮かべると不愉快になる名前だ。  やっと理解に及んだ。自分達のクラス会であの問題児、長内朱実が駅前で男と並んで歩いていたという目撃情報を聞いてから、環菜にはその相手の男に心当たりがあるような気がしていたのだ。心当たりがあるというよりも、あの長内朱実が一緒に歩くような男は一人しかいないという確信があった。女子高の上に誰よりも没交流な長内朱実が出会う可能性のある男といえば、それはきっとアイツしかいないのだから。 「そうそう。ちょっと変わった男の子でね、誰の泣く顔も見たくないとか大真面目に語っちゃうような──」  瑞希の言葉もどこか遠い。環菜が思い出すのは五年前、小学生の頃の記憶。  脳裏を過ぎる思い出。それは断じて自分にとって良いものではなく、むしろ不愉快になるような記憶ばかりだったけれど、それでもどこまでも楽しそうに生きる男の子と女の子の姿は、悔しいが自然と眩しく思えてならなかった。 「そっか。あの子、アイツと……」  環菜の中で全てが繋がったような気がした。  同時刻、荒れ果てた小さな広場にて。  そこが果たしてどこに存在するのかはわからない。そう、そこは決して人間界には存在し得ないだろう異質な空気を漂わせていた。  闇が這い出したように薄暗いその広場の中心に、一体の異形が座り込んでいる。体は青空を思わせる蒼と白に彩られ、頭部には立派な角が二本見えている竜だ。何故かような外見を持つ者が俗に犬と勘違いされ得るのか、その逞しい外見からは理解しかねる。それほどまでに蒼き竜は清爽な雰囲気を漂わせていた。  竜の名はブイドラモン。名前の通り、腹部には大きなVの一文字が刻まれている。 「………………」  吹き荒れる風を受けても、ブイドラモンは黙したまま動かない。  彼の視線の先にあるのは、一体の巨大な石像。日輪の輝きを身に纏い、烈火の龍と閃光の獣を各々の腕に宿したその存在は、かつて彼らの世界を守った救世主と呼ばれる存在であった。既にその存在はある種の講談と化しているが、それでも下々の者達にまで深く浸透した戦いの記録は、俗に『十闘士伝説』として延々と語り継がれてきた。伝説というだけあり、十闘士とはこの世界に生きる者達にとってはヒーローの代名詞でもあった。  また、周囲には石像を取り囲むように十本の円柱が立っている。長らく風雨に晒された影響からか劣化が激しく、まさに遺跡の如き様相を呈していた。  その円柱には各々に世界を司る十種類の属性が刻まれている。だが十本の内で炎、土、水、闇、木、鋼の六本は眩いばかりの輝きを見せているものの、風と雷、そして氷の三本は薙ぎ倒されたかのように、根元から無残にも圧し折られている。  また、残る最後の一本、光の属性を宿す円柱は──。 「……アイツらが動き出したみたいだ。でもジャンヌ、悔しいけど僕は君がいないと何もできない……!」  そのブイドラモンの呟きには、懇願にも似た色があった。  場所は戻って、再び八雲達。  相変わらず項垂れている靖史を引っ張って八雲と朱実が訪れたのは、近所にある空き地だった。恐らく80メートル四方はあろうこの場所なら、如何なる化け物染みた生物が相手でも周囲に被害が及ぶことはあるまい。周囲は好景気時代の影響か、買い手の付かない空き家が多く、騒音の被害を気にせねばならないようなマンションやアパートも無い。それでこそ、八雲も朱実も思う存分力を奮うことができるというものだ。  今まで強引に引っ張ってきた靖史の体を、そこでようやく解放してやる。 「あのな、お前らどういうつもりだ!? 何で追われてるってのにこんな目立つ場所に来てんだよ!」 「理由は後で教える。だから悪いんだが、今はとりあえずその土管の後ろにでも隠れていてくれ。……朱実、来た!」 「……心得てるよ」  言われるまでも無い。そう言いたげな横顔を見せる朱実は、既に臨戦態勢に入っている。  二人が感じ取ったのは、住宅街の屋根を飛び回って接近してくる者達の放つ殺気。如何なる理由があろうとも自分達の命を奪わんとする恐ろしいほどの意志を、そこからは感じ取ることができる。だが当然のことながら、八雲も朱実も何もわからぬままに黙って殺されるつもりは無い。そもそも、どれだけ強い殺気を放ったところで、あの程度の連中に負けるつもりさえ、今の二人には無かった。  やがて目の前に降り立ったのは先程と同じ二体。ブリキ人形のような木偶の坊と、でかっ鼻のゴブリンの二体だ。 「……やっぱり来たか」 「そう来なくちゃね」  朱実が口の端を僅かに上げて、本当に楽しそうに笑う。  どう見ても人間には見えないし、また遊園地の着ぐるみのようにも見えない。だからこそ、背後に積み重ねられた土管の影に隠れている靖史が「な、何だよアイツら!?」と疑問の声を上げるのも無理は無いと思えた。しかし、今の状況では敢えて説明する必要性は感じられないし、説明している暇も無い。巻き込んでしまったことは確かに悪いと思うが、とりあえず従ってもらうしか無かったのだ。  ハンマーを背中に担ぎながら、でかっ鼻の方が意気込んで叫ぶ。 「手間を掛けさせやがって! 今度は逃がさねえぞ、クソガキども!」 「逃げるが勝ちと言う。でもお前達は負けだなぁ」 「逃げたつもりは無いよ。……アタシに背中を見せさせたことは賞賛に値する。故にアタシ達のホームに誘い込んでやっただけのこと」  そう、朱実の言う通り、ここは八雲と朱実にとってホームグラウンドなのだ。  小学五年生になる頃から急激に身長が伸びた二人は、時折中学生や高校生にすら絡まれるようになった。仮にも女である朱実は率先して暴力を振るわれるようなことは無いのだが、彼女の性格が性格だ。相手を挑発した挙句、最終的に喧嘩になってしまうのが常だった。そして、どちらかといえば彼女を諌める立場にいた八雲でさえ、結果的に乱闘に参加してしまうのであった。尤も、朱実は八雲が参戦してくることを理解した上で、喧嘩を吹っ掛けている嫌いもあったわけだが。  そして、この空き地で戦えば二人に敵はいなかった。それは、相手が如何なる化け物であろうと例外ではない。 「……八雲、覚悟は決めたね?」 「この状況じゃ決めるしかないだろ。……右側のでかっ鼻は朱実、お前に任せた。左側の木偶の坊は俺がやるから」  そう返しながら、八雲は両手に手袋を嵌める。  長らく愛用していた手袋だったが、中学入学からの四年間を通して一度として嵌めたことは無かった。朱実の方がどうだったかは知らないが、八雲が単独で喧嘩を吹っ掛けられることは無かったのだ。それが朱実と再会した途端、二夜連続でこれだ。  誰の所為だと自問したところで、さも当然のように自分の隣を見る。 「やっぱりお前は、俺にとっての疫病神だな」 「褒め言葉……かな?」 「そうなるのな。……不思議と悪い気分じゃないし」  彼女と話していると心地良い。こうであることが極めて自然だと理解できる。  冷静に考えれば人間が生涯に関わるであろう不思議体験の大半をこの二日間だけで経験してしまっている気もするが、そこに朱実がいたからこそ自分は全く取り乱すこともしないでいられたのだろうと八雲は思う。  彼女といる限り、渡会八雲は如何なる状況下でも決して負けないし逃げないし崩れないと確信できる。 「もうどうにでもしてくれ……」  そんな二人の後ろで、靖史は息も絶え絶えに、そう呟くしかなかった。
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夏P(ナッピー)
2020年4月12日
In デジモン創作サロン
第3話:懐かしい顔  自分は彼女と出会えて嬉しかったのだろうか。  自分は彼女との再会を望んでいたのだろうか。  言うまでも無い、答えは是だ。  思わず綻んでしまう自分の表情が、それを何よりもハッキリと伝えてくれる。 「ふっ……」  思わず漏れた笑みと共に、手袋を身に付けた。久し振りである。酷く懐かしかった。  当時、まだ赤ん坊だった八雲には思い出すことすらできない自動車事故で残されたらしい、父親の唯一の遺品。所々に黒い染みが残されたそれは、不思議と如何なる時でも手放すことはしなかった。彼女と別れて以来、一度として填めたことは無かったのに。  自然と心が猛っている。自分らしくないのか、それともこれが本来の自分なのか。こんな状況だというのに、それすら理解できないでいる自分がおかしかった。 「……なあ朱実、アイツは何なんだ?」 「アタシは知らないよ? 別に興味も無かったしね」 「何か知らずに戦ってたのかよ、お前は……」  相変わらずの破天荒ぶりに、八雲は大きくため息を吐く。 「倒す相手のこと知ったところで何になるよ? やり辛いだけじゃん」 「それは……そうだけどな」  そう答えられると、ぐうの音も出ない。倒せるつもりでいることに安心もするわけだが。  別に口下手ではないつもりだが、彼女を相手にすると昔から弱い。これは要するに、自分と彼女は同じタイプの人間で、それでいて彼女の方が僅かに格上だということなのだろうか。そう考えると、少し悔しいものがある。自分は彼女に負けるつもりは無い。そもそも、負けないために今まで修練してきたのだから。  断じて惚れた弱みとかそういうことではない。うん、そういうことにしておく。 「何か得物は?」 「ナッシング」  朱実が両の人差し指で×を作る。文字通りの徒手空拳。怪物に相対するにはあまりに無力。  けれど怯まない、躊躇わない。彼女が隣にいれば自分達がやられることなど有り得ない、そういう確信がある。自分達はいつだってそうしてきた、正しいと思ったことを成してきた。  それはきっと朱実も同じだ。こちらを見てニッと笑う彼女の八重歯が眩しかった。 「それじゃ八雲……アンタの力、久々に見せてもらうとしよっかな?」 「……言ってろ!」  小さく吐き捨てながらも、二人が飛び出したタイミングは殆ど同時。  閃光の如きスピードで疾走する二人は、一切の言葉を交わさずしてコンビネーションを取っていた。八雲は怪物の右方から、朱実は左方から回り込む形だ。二人の攻撃の照準は奴の翼に完全に絞られており、そのこと以外の思考は既に掻き消えている。  如何なる手段を以ってしても、人間は空を飛べない。故に今相対しているような巨大な鳥との戦闘を行う際は、まず飛行能力を奪うために至近距離から頭部か翼を攻撃するのが定石だ。  無論、そんな定石は朱実と八雲にだけ通じるものであり、普通なら一般人が巨鳥と戦うことなど、まず有り得ない。だが当時小学生だった長内朱実は、それすら想定した訓練を自らに課し、何故か巻き込まれる形で八雲も同様の修練を行う羽目になった。朱実曰く「この戦闘方法を極めればプテラノドンも倒せるだろう」ということだったが、八雲には当然のように得るものは無かった。  しかし、不思議と体は覚えているもので、殆ど無意識の内に八雲の体は『対プテラノドン用フォーメーションB』を取っているのだ。 「一気に行くよ、八雲!」 「了解だ、朱実!」  これは良くないと思う。ノリが小学生の頃に逆戻りしてしまっている。  そんな思いを抱きながらも、八雲は沸き立つ心を押さえ付けることができずにいた。そう、自分は今の置かれた状況を心底楽しんでいたのだ。本来ならば如何なる人間に対しても恐怖の対象となり得る怪物の存在も、今の八雲にとっては己が血を滾らせる要因の一つに過ぎない。そして何よりも今、自分の隣には長内朱実の姿があるのだ。自分が唯一背中を任せられると認めた最高の相棒。そんな少女と共に戦えるのであれば、熱くならないはずが無い──!  鏡写しのように巨鳥に接近した二人は、両の脇腹に向けて鋭い廻し蹴りを一発。  だが手応えはまるで無い。むしろ、強固な鉱石を蹴り飛ばしたような違和感だけが足には走る。 「チッ! 朱実、お前よくこんな固い奴のこと平然と蹴ってたな!」 「心頭滅却すれば火もまた涼しよ、八雲!」 「人間如キガァ……ッ!」 「喋った!?」 「むっ! まずい八雲、一旦離れな!」 「何ぃ!?」  咄嗟に怪物の傍から飛び退き、大きく転がって距離を取る。  その次の瞬間、一瞬前まで八雲がいた場所を怪物が翼を一振りすることで巻き起こした突風が襲った。石版を容易く傷付けるその突風の威力は、最早カマイタチと呼んでも過言ではないほどに強烈なものだ。もしも朱実の声に反応していなければ、今頃はズタズタに引き裂かれていたかもしれない。 「……文字通りの怪物だな、おい」 「あははっ! 軽口叩いている暇があんの?」  間髪入れず、巨鳥の口が僅かに動いたように見えた。 「……ゾーンデリーター」 「今度は何だ!?」  静かに浮遊した巨鳥は、大きく円を描くように二人の周囲を飛び回る。  奴が通過した軌跡に漆黒の線が描かれ、それが次第に円の形を成していく。そして、その円が完成した瞬間、八雲と朱実は円の中に閉じ込められる格好になった。それがどういうことなのか、巨鳥の放った〝技〟の概要を知らぬ二人には理解し得ぬものだったが、とにかくまずい状況にいることだけは理解できた。 「まずいな……朱実、出るぞ!」 「皆まで言うな!」  地上に描かれた円が突如として盛り上がり、一条のブラックホールを形成して襲い掛かってくる。その漆黒の半球体に触れたものは、小石や木の枝なども含めて全てが一瞬にして消滅する。そう、これこそが彼の黒い巨鳥の、闇の闘士たるベルグモンの必殺技、全ての有を消し去り無と帰すゾーンデリーターなのである。 「あ、アンビリバボー」 「能天気な台詞はやめろ……」  首筋を嫌な汗が滴る。軽口を叩くだけの余裕こそあれ、判断が遅れていたら自分達も消し飛んでいたかと思えばゾッとする。  咄嗟に半球体から脱出しなければ、八雲と朱実も同じ運命を辿っていたはずだ。 「化け物……だね、うん」  朱実の正直な感想は驚くほど八雲の心を端的に代弁してくれる。珍しくシリアスな彼女の横顔に見惚れる余裕を、この状況は与えてくれないらしい。  甘く見ていたかもしれない。普通の鳥ではないことぐらい、最初からわかっていた。それでも、ここまでの化け物だとは考えてもいなかった。奴の闇が覆い尽くした部分には何も残っておらず、文字通り完全なる消滅。その空間だけを丸ごと切り取られたかのようだった。こんなことができる生物など知らない、存在するはずが無い。  そう。完全なまでに、奴は化け物だった。  渡会八雲と別れた後、三上亮と佐々木綺音は遅れてやってきた稲葉瑞希と合流することにした。容姿だけで無く人徳もある瑞希は友人も多く、驚くべきことに十人弱の男女混合のグループを伴って姿を見せた。  そんな彼女を前にして綺音が「敵わないなぁ」と呟いているのが妙に亮には印象的である。 「これはこれは……三上の親分、お勤めご苦労さんでごんす」  瑞希がふざけて手を差し出してきたので、亮もニヤリと微笑んで。 「いえいえ、どう致しまして。……こちらが稲葉一家のご一同さんでござるか?」 「如何にもでごんす。どいつもこいつも三度の飯より喧嘩が好きな連中ばかり……明日の出入りに備えて血気に逸っているでごんす」 「それは頼もしい……くっくっく、それで例の物は……?」 「……無論、ここに」 「稲葉さん、あんたも悪でござるなぁ……くっくっく」  そんな悪趣味な会話に、隣に立つ綺音は少しだけ顔を顰めて。 「アンタ達、何がしたいの?」 「ふふん、積極的にコミュニケーションを取ることは重要なのよ、綺音ちゃん」 「取り方がおかしいでしょうが……」  思わずツッコミを入れてしまう綺音であるが、瑞希にはそんな言葉など全く届いていない様子である。 「それで? その様子だと大体誘えたみたいだけど?」 「任せときなさいって!」  偉そうに胸を張る瑞希ではあるが、実際にその通りだったので綺音としても何も言い返すことはできない。  文武両道とはいえ共に中の上の域を出ていないし、学年中から美少女として名高い癖に実際の性格はガサツで粗暴な面が強い。稲葉瑞希とはそんな少女であるのだが、それでも彼女の周りに多くの人が集まってくるのは、偏に彼女の人柄が為せる技なのだろうと綺音は勝手に思っている。彼女には人を引き付ける不思議な魅力、要するにオーラがあるのだ。 「でもね……えっと、野尻君に荒木君、それと園田君と渡会君は誘えなかったのよね」 「園田に渡会……」  何故だろうと自分でも思う。綺音はその二人の名前が妙に気になってしまうのだ。  園田靖史。一年半前の入学式の日、いきなり告白してきた男子生徒。初めての経験だったからか、それとも不意打ちだったからか、恐らくはそのどちらでもあるのだが、それに思わず顔を赤くしてしまったことは佐々木綺音、一生の不覚であろう。その所為で園田靖史の姿を見る度にあの時のことが思い出されて心苦しくなる。奴の顔面を蹴り飛ばさなければ収まらないほどに。  渡会八雲。そんな園田靖史の友人として常に隣にいる男子生徒。彼のどこか世の中を冷めた目で見ているような態度が、綺音には無性に癪に障る。本人にそんなつもりは毛頭無いのかもしれないが、何故かそんな感じがする。そんな奴に何故クラスメイトの瀬戸口楓が好意を抱いているのか、綺音には全くわからない。中学生の頃に助けられたということだったが、自分だったら奴に助けられたところで惚れることなど断じて無いと言える。  そんな風に二人の同級生の顔を思い浮かべ、自身の中に思考を埋没させていた綺音は、瑞希が自分の顔を楽しげに覗き込んでいることに気付かなかった。 「綺音ちゃん、何考えてるのかな~?」 「ひあっ!? な、何も考えてないわよっ!」 「やっぱり綺音ちゃん、園田君と渡会君がいなくて寂しいんだ……?」 「ち、違うってばっ!」  顔が真っ赤になるのが自分でもわかる。否定すれば否定するほど墓穴を掘っていく感じ。  瑞希が連れてきた連中もそんな自分を眺めて凄まじく嫌な笑顔を向けてくる。そう、何か物凄く勘違いされていそうな生温かい笑顔。しかもその中には他の連中と打って変わって寂しげな表情をこちらに向けた瀬戸口楓の姿まである。 「か、楓ぇ……?」 「やっぱり佐々木さん、渡会さんのこと……」 「ちょーっ!?」  そもそも自分達は何故この場所に集まったのか。今日中の飲み会は無理なので明日に延期するということから、その店を決めるために集まったのではなかったのか。それなのに自分が何故からかわなければならない?  そんなことを考えていると肩に手が置かれた。思わず振り返ると、同じような笑顔を見せる三上亮の姿が。不覚にもカッコいいと思ってしまった。  そういえばこの男、バレンタインで貰ったチョコの数が学年一だとか。 「頑張れよ、佐々木。俺は応援するぜ」 「アンタも勘違いよ! ……あら?」  その瞬間、綺音は気付いた。ちょうど亮の肩越しに見える西部の小山で今何かが煌めいたことに。  綺音自身は訪れたことは無いのだが、あそこには小さな神社があると聞く。今煌めいたのはちょうどその辺りだ。木々に覆われた山肌を何か大きな物体が高速で移動しているといった雰囲気。猪や狐でもいるのだろうかと思ったが、同時に恐らく感覚的ながらもその物体はそれらより遥かに巨大だとも思えた。 「……ま、いっか」  気に留めるほどのことでも無いだろう。それきり、綺音はそちらの方角へ目を向けることはしなかった。  ゾーンデリーター。そう聞こえた技の影響は今も尚残り、大気をチリチリと焦がしている。  地上でしばらく微動だにしなかった巨鳥は、突如としてその禍々しい口を開いて呟いた。 「人間風情ニシテハヨクヤル……仕方ナイ、俺モ本気ヲ出スコトニシヨウ」 「また喋った……」 「本気……だと?」  喋ることは知っていたが、その言葉は怪物が初めて発した明確な日本語だった。 「ベルグモン、スライド進化──ダスクモン!」 「うおっ、眩しっ!?」  一瞬だけ光に包まれたかと思えば、既にそこに巨鳥の姿は無い。  代わりに二人の前に超然と立ち尽くしていたのは、漆黒の鎧に身を固めた謎の騎士。その姿を目の当たりにしただけで八雲は体温が一度下がったような錯覚すら感じる。胸部と両の肩口には巨大な目玉を思わせる文様が描かれており、それが目の前の存在が放つ異質さを一層高めているようだ。  そう、それは明らかに人の形を成している。だが、同時に明らかに人ではなかった。 「人になった……!?」 「人間如きに我が愛剣を用いるまでもない。……来い」  八雲の声に肩を竦め、手招きするような態度。  先程とは打って変わった流暢な日本語を以って、黒き騎士は二人を挑発する。そのどこまでも男性的な外見に反し、異形の者が発する声音は意外にも涼やかな雰囲気を宿しており、むしろ女性的とすら感じられた。それも随分と若い女性の声にも思える。年齢にして20代か、もしかしたらそれ以下の──? 「変身した……か。なるほど、それがアンタの真の姿ってわけね」 「おいおい。朱実、これは流石にまずいんじゃないのか?」  なんとなくとしか言えない。ただ、八雲からしても今目の前で奴が変化した人型は、それまで戦ってきた巨鳥以上の脅威であると直感した。同じ人間の形を取っている存在であるからこそ、対峙するだけで自分達とは遥かに違う高みに立つ者なのだと理解できてしまう。  とはいえ、八雲はそんな自分に朱実が返す言葉もわかっていた。 「関係無いね。相手に戦意がある以上、アタシらはそれを叩き潰すだけよ。……違う?」  そう返されると、八雲も「そうだよな」と返さざるを得ない。  苦笑するが呆れ以上にそう来なくてはという思いが強い。そうだからこそ、八雲は昔から長内朱実という少女を最高の相棒だと思えてきたわけだ。互いに互いの気持ちがわかるというのとは少し違う。ならばどうなのかと言えば、それを表現するのも難しい。それを承知で敢えて端的に表現しようとするなら、要するに自分達は家族なのだ。同じ釜の飯を食い、同じ街で日が暮れるまで遊び、同じ孤児院へと帰って寝る、そんな関係。それ故に思考回路も似通っているらしく、自然と同じ方向を向いてしまう。  故にタッグを組めば無敵。故に直接対決では決着が付かぬ。  だが小学校時代、如何なる敵をも蹴散らしてきた二人でさえ、目の前の敵は違うと実感できる。身に纏う無機質な雰囲気は冷徹な暗殺者そのものだ。まだ実力を見てもいないというのに、奴が本気を出せば自分達など一瞬で肉塊に変えられてしまうだろうことが容易に想像できた。  とはいえ、それでも八雲と朱実に退却の意志は無かった。彼らの辞書に「戦略的な意味を成さない撤退」という言葉は無い。そもそも、隠れる場所も殆ど無い境内では、逃げるなど文字通りの愚行だ。  そんな二人を前に黒き騎士は僅かに目を細め、小さく呟いた。 「……退かぬか。人間にしては、なかなかの心意気だ」 「そんなことより……アンタ、名前は?」  それでも、そんな気負いなど全く感じさせぬ表情で、朱実は黒き騎士に問うた。躊躇せず敵とのコミュニケーションを図ろうという行為は蛮勇であり、同時に愚考とも感じられ、八雲は自分にはできない行為だと思わされる。  それに黒き騎士は僅かに目を細めた様子だ。そんな姿もまた、どこか女性的に感じられる。 「……良い目だ。俺は伝説の十闘士の一人……闇のダスクモン」  そうして奴は名乗りを上げる。流麗かつ鮮明な声音は謳い上げるかのようで。 「やみのだすくもん?」  だから多分、奴の用いる『俺』という一人称に違和感を覚えたのは八雲だけではなく、朱実も同じだと思う。それぐらい、奴の声は女性的に感じられた。 「十闘士って……何よ、それは」 「話しても無駄だとは思うが……貴様ら人間には知る由も無く、到達する術も無い世界、その創世記に起こった大いなる災厄を沈めた存在がいる。その魂を受け継いだ十闘士と呼ばれる十人の戦士達……俺はその内の一人だ」  奴の言う通りだった。そんな説明をされたところで、八雲と朱実にはさっぱりわからないことであることに変わりは無い。 「尤も、こんな説明など不要だろう。貴様らは今ここで──むっ?」  その瞬間、ダスクモンは何かに気付いたように天を振り仰いだ。 「な、何だよ?」 「……残念だが時間切れのようだ。命拾いしたな、人間ども」 「逃げんの?」  内心ではホッとしている癖に、朱実は飽く迄も相手を挑発する。 「……精々そう思っておくがいい。手袋の小僧、そして長髪の女。……また会う日を楽しみにしている」  そこまで呟くと、ダスクモンと名乗る黒い騎士は神社の背後の雑木林に伸びる夕闇に溶け込むようにして、その姿を消した。  嘆息を漏らした。それも全くの同時にだ。 「はぁ……」 「……ふぅ」  そんな自分達がおかしくて、顔を合わせてすぐに逸らした。  あの闇の騎士が完全に姿を消した後、やれやれとばかりに額を伝う汗を拭う朱実だが、その表情は自然と晴れない。  当然だ。ダスクモンと名乗る闇の戦士。こちらの命を取ることなど容易かったろうに、奴は時間切れだと理由を付けて自分達を見逃してくれた。それが朱実には恥辱と感じたのだろう。奴の正体などに、彼女は微塵も興味を示さない。自分よりも強い奴がいて、今回は情けを掛けられた。苛立たしさの理由など、それだけで十分だ。  だが、一方の八雲には奴の正体の方が気になっていた。 「……何者だ、アイツ」  どう見ても普通の人間ではなかった。奴は明らかに人間を超えた存在だった。  戦闘力とか身に纏う威圧感とか、そういった類のものだけではなく、何か奴の存在そのものが人間を超越している、そんな雰囲気を感じ取ることができた。人型へと変化した奴と対峙した時、八雲には生まれて初めて心の底から敵わないという確信があった。あの漆黒の騎士に対して、情けなくも半ば本能的な恐怖を覚えていたのである。 「世の中にはまだまだとんでもない奴がいるもんだな……」 「それ、アンタが言う?」  そんな八雲の言葉に、朱実がらしくない呆れたような表情を見せた。  らしくない。その認識がそもそもズレている。よく考えれば二人が顔を合わせたのは八雲が里親に引き取られ、朱実が従姉と暮らすようになって以来、時間にしてほぼ五年ぶりなのだ。そのはずなのに妙なタイミングで再会を果たしたからか、今までそのことに二人とも気付かなかった。 「ふん、とにかく久し振りだね、仙川八雲」 「……今更かよ。ていうか、人をフルネームで呼ぶのはやめろ。調子が狂う」  八雲が軽やかに返すと、朱実はニカッと笑う。 「いいじゃないの、いいじゃないの。……その格好を見るに、アンタも今日は体育祭だったように見えるけど?」 「お前二宮女子だっけ? そっちも今日体育祭だったのか?」 「そゆこと。で、どうなのさ? アンタは活躍できた?」 「ま、まあな……」  珍しく──これもおかしな表現だが──グイグイ来る朱実に調子を狂わされる。  しかし、言われてみれば自分の格好は異常だ。暑苦しいブレザーを上から羽織りながらも、その下には土埃で薄汚れた体育着が見え隠れしている。言うまでも無く、ズボンもジャージのままなのである。わざわざワイシャツに着直るのも面倒だったので、着替えてこなかったというわけだ。  そこで初めて、八雲はまともに朱実の顔を見た。 「まあ、また会えてアタシは嬉しいよ……八雲?」 「!!」  にこやかに笑うその顔が、とんでもなく可愛く見えたのは多分気の迷いだ。  そうだ。この女が自分にとって恋愛対象になるなんてことは有り得ない。そもそも、そんな感情は小学校に上がった時に全て捨て去ったはずだ。目の前の女は美少女という毛皮を纏った猛獣だ。人間扱いすること自体、どこか間違っているような気さえするのに。  色々と失礼なことを思考するが、どれも確信には至らなかった。
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夏P(ナッピー)
2020年3月15日
In デジモン創作サロン
第1話:渡会 八雲  蝉の声が響き渡る。  間も無く日が沈むという頃、厳しい残暑の中にあって涼やかな神社の境内で、その音色は異様なまでに騒がしさを演出する。 『八雲君、それに……朱実ちゃん』  声を掛けられて振り向いた俺達の視界には、どこか儚げに見える彼女の姿。隣に立つ俺の幼馴染とは正反対の育ちの良さを感じさせる仕草で、俺達が降り始めた階段の上から優しく微笑んでいる。  何故だろう、そこでふと俺は違和感を覚えた。  彼女は笑っている。そう、夕日を後ろから浴びて微笑む彼女は、まるで彼女自身の名前を表すかのように琥珀色に輝いているはずなのに、その彼女の姿が何故か俺にはどうしようもなく儚げで、どうしようもなく物悲しい存在に思えた。今にも壊れてしまいそうな、脆くて実体の無い曖昧な幻のようだった。  俺の隣に立つ女も同じ思いだったのか、不思議そうに首を傾げている。 『どうかした?』 『……ううん、気にしないで』  けれど彼女は首を振る。まるで俺達を拒むように。 『でもね』  彼女の目が俺を捉える。縋るような瞳だった。 『私も八雲君や朱実ちゃんに……けて欲しかったよ?』 『……えっ?』 『だから、さよなら、ね?』  それだけだった。彼女はその言葉だけを告げると、俺達にそれ以上の言葉を続けさせること無く、純白のワンピ─スの裾を摘んで恭しく頭を下げ、階段の向こう側に消えていく。俺達はそんな彼女の姿を呆然と見送ることしかできなかった。この時に彼女の後ろ姿に声を掛けることができていたのなら、もしかしたら運命が変わっていたのかもしれないのに。もしかしたら彼女を忘れることなどなかったかもしれないのに。  けれど、当時小学生でしかなかった俺達に、そんな運命などといった漠然とした概念がわかるわけも無く。 『帰ろっか、八雲』 『……ああ、そうだな……』  蝉の声が響き渡る。どこか空虚に、鳴り響く。  2003年9月某日。この日が、俺達が彼女の姿を見た最後の日だった──。  さて、空を見上げてみよう。  頭上には天まで届こうかとばかりに聳え立つ高層ビル、その窓ガラスに日光が反射して淡い美しさを漂わせている。そこまでは我々が知り得る世界と変わらない。僅かに異なるのは、そのビル街の間隙を縫って飛行していく車のようなヘリコプターのような奇妙な乗り物が見えることだけだ。  形状は近いけれど、車のようなタイヤは無い。空を飛んでいるというのに、ヘリコプターのようなプロペラも無い。排気ガスを出さず、殆ど騒音も無く、ただ静かにビル街を飛行していく幾つもの乗り物。それは明らかに過去の人間が夢見た乗り物に他ならない。どんな原理か、殆ど音も無く空を飛行できる、夢の車。  後ろを振り返ると、どこからともなく現れる大きな球体。当然、その中には幾らかの人間が乗っており、彼らは所謂〝時空旅行〟をして戻ってきたのだ。つまり、どう見ても大きなガチャポンカプセルにしか見えないそれは、その時代の人間から見ればタイムマシンと呼ばれる空想の産物が具現化した物体なのである。 だからきっと、そこは未来の世界。  その世界が西暦何年の世界なのか、はたまた本当に人間が夢見た世界なのか、そんなことはどうでもいいことだった。それ故に我々が気にすべきことは一つだけ。そこには我々と変わらない姿の霊長類の王が、相変わらず偉そうに生きている。結局、いつの時代も変わらないのは、その事実だけなのだ。  人間はいつだって尊大で、我が物顔で、全く変わらずに我が世の春を謳歌していた──。  そこでパタンと脳内の本を閉じる。  当然のことながら、そんなものは遠い未来の夢物語でしかない。空飛ぶ車とかタイムマシンとか、そんなものは今の時代には到底存在し得ない幻の道具にすぎず、いつまでも幻想を抱いているのも癪だ。とはいえ、子供心に時空を超えたり、生身では到達できぬ場所を制したりする乗り物が、想像上の中にでも存在するのだということには憧れたし、その憧れが今では完全に消え失せたというわけでもない。高度に知能を発達させたイルカが攻めてくるなんてことは、流石に無いと思うけれど。  今日で三日間はお別れとなる学校の体育館で、少年はそんなことを考えていた。ダラダラと続く校長の訓話に対する、現実逃避の手段と呼んでも差し支えは無い。  西暦2008年10月23日。首都圏、埼玉県二宮市立相葉高校の体育館だ。 「これにて、平成20年度相葉高校体育祭、閉会式を終了致します。一同、礼!」  禿げ頭の教頭の声が耳に響き渡り、八雲は手を口元にやって欠伸を一つ。  自分の属する白組は、結果的に四位中三位だった。すぐ傍の女子達が「悔しいね」とか話し合っている様が視界の端に映り、少しだけ申し訳無い気持ちにならないこともない。尤も、クラスメイトの女子がどうあれそれは建前でしかなく、単に自分は負けず嫌いなだけだとも思う。特に互いに毛嫌いし合っている、隣のクラスの坂本悠馬(さかもと ゆうま)の属する赤組に負けたという事実は無性に悔しく、また腹立たしく感じられる。  やがて吹奏楽部の「威風堂々」が流れ出し、八雲達は立ち上がった。 「生徒は先生の指示に従って、教室に戻ってください」  意外にも盛り上がった体育祭も、ようやく終了だ。  先月の学園祭と並ぶ高校の二大イベントの一つ。ようやく肩の荷が下りたような気分になって、渡会八雲(わたらい やくも)は大きく背伸びをした。特に打ち込んでいるスポ─ツも無く、ただ流動的に高校生活を送っている平凡な高校生。漠然とした夢こそ持っているものの、まだ明確なプランがあるわけではなく、将来の進む道やなりたい職業が見えているわけでもない。そして悲しいことに一緒に過ごして楽しいと思える可愛い彼女がいるわけでもない。そもそも進学校に在籍しながら受験するのかどうかさえ決めていない、そんな至って普通の高校生であった。  それにしても、そんな自分も既に高校二年生。来年には受験生として忙しくなる以上、実質的にまともに参加できる最後の体育祭となるわけだ。そう考えると少しだけ寂しさを覚えないでもなかった。 「ねえ渡会君」  体育館を出た廊下で、隣の女子が「お疲れ様だね」と声を掛けてきた。 「これからクラスの皆で打ち上げに行くんだけど、渡会君は来る?」 「打ち上げ?」 「そうそう、お疲れ様会って奴だよ!」  ニカッと笑う彼女の顔が眩しくて目を逸らした。照れたわけではない、断じて。 「……いや、悪いけど俺は遠慮しとくよ」 「そっか、まあ仕方ないかな。渡会君にだって用事とかあるもんね」  一瞬だけ不満そうな色を見せるも、彼女はすぐに表情を笑顔に戻した。ノリの悪さには自信のある自分にもこの対応、前々から知っていたが稲葉っていい奴だ。  クラスの中でも一番──いや、むしろ学年でも一番だろうか──の美少女として名高い稲葉瑞希(いなば みずき)。そんな少女からのお誘いを、八雲はやんわりと断る。  そう、彼女は確かに可愛い。気立ても良いし正義感も強く、何事にも真っ直ぐで、何かと自分のように他者との交流が薄い男子の世話を焼いてくれることもある。薄茶色のショートカットは透き通るように綺麗だし、スタイルも良いと見える。八雲だって彼女のことは好ましい存在だと思っているけれど、だからこそ自分とは釣り合わない少女だと思う。いや、正確に表現するなら、この学校にいる女子は全員自分とは釣り合わないだろう。  ともすれば、少々尊大になってしまう自分の思考。そんな自分の汚さを振り払うように、八雲は話題を変えてみた。 「でもさ、稲葉。そんなに堂々と飲み会行くなんて言って、国見の先公に怒られないのか?」 「大丈夫だって。国見先生は『俺も連れてけ』だなんて嬉しそうに言ってたよ」 「……うわ。黙認どころか自分まで参加する気かよ」  何て教師だアイツ。高校生の飲酒を平気で容認しやがった。  正直、まだ八雲は酒を美味いと思ったことはない。それでも、一口飲んだだけで自分が大人になったような心持ちにはなれると思う。だから、本能的に酒が大人の飲み物だということは理解しているつもりだ。とはいえ、そんなことを言っている彼も何度か友人と飲みに行ったことはあるのだが。 「そこが国見先生のいいところじゃない?」 「……いや、そこは問題点って言った方が正しいような……」  半ば呆れたように呟く八雲。あの担任教師は高校生より人生を楽しんでいる節すらある。  それでも、瑞希は「気にしない気にしない」と笑って、大して問題に捉えていない様子である。そういう顔を見ていると、流石にクラスNo.1の美少女の二つ名は伊達ではないなと思う。彼女の笑顔は不思議と見ている者を元気にさせるエネルギ─に満ち溢れているように感じる。こんな彼女が、実は合気道の有段者だというのだから、人間というのは外見では計れぬものだ。 「でも渡会君が来ないんなら面白くないかなぁ」 「……そ、そうなのか?」  いきなり気落ちした様子を見せる瑞希に、八雲は少しだけ怯んだ。素でドキッとしてしまったと言い換えてもいい。断じて照れたわけではない。  まさか学年でも屈指の人気を誇る彼女が、自分に気があるというわけではあるまい。 「だってね、楓ちゃんとか佐々木さんも呼んでるのよ?」 「なに……?」  瑞希が出した二人の同級生の名に、八雲は思わず周囲を振り仰いだ。  瀬戸口楓(せとぐち かえで)と佐々木綺音(ささき あやね)、二人とも隣のクラスの女子だ。ゾロゾロと異様な人口密度で教室へ向けて歩く生徒達の中、ちょこちょこと自分の後ろを歩いている小柄な女の子の姿を八雲は認めて声を掛けた。 「お疲れ」 「わ、渡会さん?」  多分、自分から声を掛けられる女子は彼女だけだと思う。当の彼女はビックリした様子で少しだけ声が裏返っていた。 「稲葉から聞いたんだけど、瀬戸口もウチのクラスの打ち上げ来るんだってな」 「えっ? わ、私ですか?」  150センチあるかないかの小柄な彼女は、八雲の中学時代からの同級生である。基本的に女子と自分から関わることのしない八雲にとっては、数少ない気兼ね無く話せる女子生徒と言える。気が弱く大人しいため、中学時代に酷いイジメに遭っていたのだが、それを助けたのが八雲だった。  楓は少しだけ頬を染めて首肯してみせた。頭に付けたカチュ─シャが彼女には良く似合っていると八雲は思う。 「わ、渡会さんは来られないんですか?」 「……あ~、悪い。今日はちょい両親と食事に行く約束があってな……」 「そう……ですか」 「ごめんな。また一緒にラ─メンでも食いに行こうぜ、靖史と一緒に」 「は、はい。是非お願いします」  明らかに彼女の顔が輝くのがわかった。そういう表情は、八雲には少し眩しい。瑞希のことは置いておくにしても、自分は女の子が苦手なのだろうなと思うのは、大抵こんな時だ。小学生の頃からだが、どうにも女の子と話す時は赤面するのを抑えることに必死になってしまい、普段の調子が出にくいと思う。  そんな八雲と楓の会話を聞いて瑞希は何を思ったのか、妙な口調で呟いている。 「あ~、見てられない……甘酸っぱくて見てられないってばよぉ!」 「……稲葉、お前は今何か物凄い勘違いをしてるからな……って、痛っ!?」  その言葉の途中で、八雲はいきなり後頭部を小突かれて前のめりに倒れそうになる。 「この馬鹿渡会! 楓に色目使ってんじゃないわよ!?」 「……いきなり痛いだろうが」  後ろに立っていたのは八雲より長身の女子生徒、先程名前も出てきた佐々木綺音である。乱雑に縛り上げた長い髪を揺らして八雲を睨んでいる彼女は、入学して以来妙に八雲を毛嫌いしている節があった。尤も、八雲としても彼女は自分が苦手としている男子生徒と仲が良いこともあって、少々近付きたくない存在であることは同様なのだが。  腰に手を添えて仁王立ちする綺音は、長身なこともあって、結構な迫力があると思う。というか、自分より身長が高い彼女は実際に迫力がある。その上、体操着の所為で肩やら胸やら腰やらのメリハリが目立つので、八雲は思わず彼女から目を逸らしたくなる。 「まあまあ渡会君、綺音ちゃんの暴力は愛情の裏返しだってば」 「んなっ! な、何を勝手なこと言っちゃってくれてるのかな、瑞希は!」 「……愛情は感じないけどな、少なくとも俺の方は」 「渡会っ! アンタも本気にするんじゃねえわよっ!」 「佐々木さん、渡会さんのこと好きだったんですか? 私はてっきり坂本さ──」 「だぁぁぁぁ! 楓ぇ、余計なことは喋るんじゃねえわよっ!?」  ギャーギャーと騒がしい綺音。確かに苦手だということは苦手だけれど、彼女は性格的にも自分にとって話しやすい人間ではあった。それは恐らく彼女が自分の幼馴染に似ているからだろう。少々乱暴で何事にも乱雑ではあるけれど、明朗快活で裏表の無かった彼女と、佐々木綺音は確かに似ていると思えた。  無論、だからといって好意を抱くかと言われれば、それはまた別問題なのだが。 「あれま? 八雲、そんなところで何やって──」 「決まっているじゃないか、園田。渡会は女性陣と友好を深めていたのさ」  そんなことを話していると、後方から八雲の友人にしてクラスメイトである園田靖史(そのだ やすし)が同じく友人の藤平陽平(ふじひら ようへい)が並んで追い付いてきた。なお、平凡な生徒である靖史はともかくとして、陽平は剣道の関東大会で上位に食い込むほどの実力の持ち主で、クラス内ではミスター武蔵というニックネ─ムで呼ばれている。最近始まったばかりのアニメに似たような名前の仮面の男がいたが、それは偶然だろう。  そんな靖史の姿を見た途端、綺音の目の色が明らかに変わった。そして靖史もまた、綺音の姿を確認して硬直する。 「……あら園田、偶然ね。少し運命感じちゃうわ、私」 「あっ、綺音……ちゃん? な、何でこんなところに……」 「綺音ちゃん言うな」  僅かに数歩だけ後退する靖史。けれど、逃がさないとばかりに綺音が同じく一歩踏み込む。  今から一年半前の入学式の日、靖史は「今日から生まれ変わるため」という理解し難い理由から初対面の綺音に告白した。彼女もそういったことに免疫が無かったのか、綺音の方も顔を真っ赤にしたことから上手く行くと思われたが、靖史がうっかり誰でも良かったという旨をバラしてしまったために全てが無に帰した。  それ以来である。綺音は靖史に対しては八雲に対する以上の嫌悪感を見せる。出会い頭に膝蹴りを叩き込むことなど日常茶飯事である。 「ひ、ひいっ! 八雲に藤原、助け……!」 「くたばれ園田ぁぁぁぁーーーーっ!」  惚れ惚れするような動きであった。しなやかな体躯を翻して、綺音の飛び廻し蹴りが靖史の顔面に叩き込まれる。 「げふっ、理不尽っ!」  吹き飛んだ靖史は後頭部からリノリウムの床に叩き付けられ、やがて昏倒して動かなくなった。 「お~い、靖史~、大丈夫か~?」 「園田なら大丈夫だろう、渡会。彼は殺しても死なない人間だからね」 「あのな藤原、お前今何気に酷いこと言ってるからな。それに佐々木、少しはお前も手加減しろよな……」 「ふんっ!」  不機嫌そうに顔を逸らす綺音は、女の子の純情を弄んだ靖史が悪いとでも言いたげな態度。すぐ隣で瑞希や楓が苦笑している。  だから思わず、靖史には悪いと思いながらも八雲もまた破顔してしまっていた。隣の陽平も同じ様子である。高校生活には色々と問題もあるわけだけれど、こうして誰かと笑い合えるということが何よりも楽しいと思えることは事実なのである。こういう時、自分達は各々の悩みや不満も忘れて同じ感情を共有することができる。これが学校という空間の持つ美点なのだろうと思う。  だからこんな毎日がずっと続けばいいと、八雲は思っていた。  時刻は午後4時。ここは少し離れた私鉄の駅のホーム。  朝の通勤ラッシュほどではないが、会社帰りのサラリ─マン達で俄かに混み始めるこの場所で、柱に凭れ掛かる一人の少女の姿がある。相葉高校から二駅離れた場所にある名門校、二宮女子高校の制服を着たその少女は、音楽でも聴いているのか、右肩に引っ掛けた学生鞄から白いコードを伸ばし、それが彼女の耳のイヤホンへと繋がっている。  とはいえ、少女は決して音楽に没頭している様子ではなかった。 全体的に気だるそうなのだ。スラッとした肢体と長いポニーテール、その端麗と呼んでも差し支えない容姿にも関わらず、鋭い視線を油断無く周囲に向けているその少女は、年相応の瑞々しさや柔らかさといった女子高生特有の雰囲気を一切拒絶しているような、そんな刺々しい雰囲気があった。  時折その色素の薄い瞳に宿す冷たい輝きは、むしろ見る者を射抜くような鋭さに満ちている。気だるそうな雰囲気と鋭利な視線という矛盾した概念を同時に孕む少女の姿は、少なからず可憐な女子高生といった様相ではなかった。 「そこの柱は汚いですよ?」 「……ありがとうございまぁす」  見兼ねた駅員が注意を促してきたので、少女は小さく頭を下げる。  だが彼女の表情は全く変わらない。明らかに感謝している人間の顔ではなかった。駅員の方もこれ以上言っても無駄だと判断したのか、大きくため息を吐いて立ち去っていく。そんな駅員の後ろ姿を見送る少女の瞳には、自然と憎しみのような色が宿っていた。  事態が起きたのは、そんな時だ。 「んっ……?」  突如として、駅の上空を巨大な飛行物体が通過したのである。  壁に貼られた広告が舞い、頭上の電光掲示板がガタガタと揺れる。まるで身を切るような突風がその空間を襲った。 「うっ! な、何が起きたんよ……?」  舞い上がるスカ─トを押さえることもなく、少女はその飛行物体を見上げた。  だが一瞬遅く、既に目標の物体は空の果てへと消えていくところだった。それ故に飛行物体の姿がハッキリと見えたわけではない。ただ、何か大きな鳥のような雰囲気を持つ物体だということだけは認識できた。それも、普通の鳥ではない。体長は10メートルを優に超え、自然界には存在しないほどに禍々しい雰囲気を持っていたように思える。一瞬の光景を即座に記憶できる少女の動体視力は、それだけでも凄まじいものだと言えよう。  周囲の人々がざわつき始めるのと同様に、少女もまた僅かだけ脅えたような表情を見せる。だが彼女が周囲の人々と決定的に異なったのは、即座に行動を開始したことであろう。その腰まで伸びた恐ろしく長い髪を風に揺らし、少女は僅かに顔を上げる。 「ふふ、何か……面白そうじゃん?」  その顔に浮かぶのは、初めて浮かべたこの年代の少女相応の純粋すぎる笑み。  そう、彼女は今あの飛行物体に対して明確な興味を覚えていた。そのことに大層な理由など要らない。少女はただ、あの存在を面白いと思った、それだけのこと。そして、彼女の考える面白さとは、奴が自身の〝力〟を奮い得る相手であるか否かということにすぎない。それ故に叩き潰す。そうでなければ飽き足らぬ。戦うことこそ、彼女の存在意義なのだから。  徐にイヤホンを耳から外すと、彼女は改札口に向けて走り出した。  数時間後、学校を後にした八雲は、靖史と共に家路に着いていた。  靖史は中学の入学以来、三年間連続で同じクラスになったこともあり、八雲とは大の親友と言える関係である。根本的に八雲とは正反対の性格の持ち主である彼だが、不思議と馬がらは汚いと思います合うらしく、特に喧嘩することも無く付き合ってきた。ただし、成績は八雲より数段低く、クラス内でも三馬鹿の一人として認識されている。  とはいえ、成績のことを然程気にしない八雲は、彼とは普通に付き合えていたのだが。  八雲や靖史が現在通っている高校は、彼らの最寄り駅から私鉄に乗って鈍行で何個目かの駅にある。所要時間、約二十分。十分に近いと言える距離である。そんなわけで最寄りの駅へと戻ってきた二人だったが、夕暮れの駅前は異様に混雑しており、殆ど押し蔵饅頭だった。  自分達と同じ制服がちらほら見えるのは、流石に体育祭の帰りだからといったところだろうか。相葉高校といえば県内有数の進学校でもあるので、近隣住民からはそれなりに一目置かれている節もある。尤も、実際に在籍している生徒にはそんな実感など無いだろうが。 大勢の人々に揉まれる中で、靖史が腫れた頬を摩りつつ呟く。 「……ったく、綺音ちゃんの暴力には困ったよ」 「それには同感だな、俺も」  普段から一緒にいる相手が不良だからだろうか、綺音は妙に暴力的なところがある。それも学年の女子の中ではトップの体格を誇る彼女なだけに、その威力も半端でないから困るのだ。 「でも元はといえば、お前が軽々しく告白なんかするから悪いんだけどな」 「うっ……そ、それは確かに悪かったさ……綺音ちゃん以外にしときゃ良かったんだけどよ」 「それを人は反省していないって言うと思うんだが……ん?」  ふと何かに気付き、八雲は目を留めた。  ホ─ムの人混みの向こうを一人の少女が駆け抜けていく様が見える。腰までありそうなポニーテールを微風に靡かせたその少女は八雲や靖史とは違うものの、制服を着ていることから恐らく中学生か高校生だろう。顔はハッキリと見えなかったので正確なところはわからないが、身長は先程の綺音と比べれば大分小さく、恐らく160センチ前後に見えた。 「アイツ……!?」  だが、そんなことは関係無かった。彼女の姿を見た瞬間、八雲は全身に電撃が走ったような気がしたのだから。 「……悪い靖史、ちょっと俺行くわ」 「え?」 「ちょっ……すみません! 通してください!」 「おっ、おい! 八雲、いきなりどうしたんだよ?」  突然大声で叫び、人混みを掻き分けて走り始めた自分の様子に靖史が後ろから疑問の声を投げ掛けてくるが、八雲はそれ以上の言葉を返さない。既に彼の頭には先程の女の子の姿しか見えていなかった。革靴が軋むのにも構わず、夕暮れの雑踏の中を八雲は駆け抜けていく。とはいえ、下校・退勤時間に当たることもあり、なかなか前に進むことができない。  しかし八雲は「すいません!」を何度も繰り返しながら、必死に少女の後ろ姿を追う。見る人が見れば、恐らく今の八雲は表現するのが憚られるほどに必死な形相をしていたのかもしれない。あの少女が自分にとって何であるのか、そんなことは考えもしなかった。  楽しそうな横顔、風に揺れるポニーテール。彼女の全てが八雲を突き動かしていた。  だが駅の外まで走ったところで、八雲は少女の姿を見失ってしまう。そこでようやく、彼は自分が異様な行動をしていたことに気付く。駅で見かけた少女を目の色変えて追いかけるなど、そんなことは愚の骨頂だ。そもそも、当の彼女を捕まえて自分は何をしようとしていたのだろうか。  ……初めて? 心に浮かんだ単語に八雲は疑問符を浮かべる。  たった今、自分を突き動かした衝動の正体は八雲自身にさえわからない。ただ、彼女を追わなければならないような気がしたとしか言い様が無い。それは半ば本能的な、また内在的なものであったからだ。言い換えれば、それは脅迫の観念と言ってもいい。 「何やってんだ、俺……?」  駅前の雑踏の中で、八雲は呻くように呟くだけだった。  とはいえ、その感情こそが始まりだ。  この時から平凡な生活が終わる。そのことをまだ、八雲は知らない。  同じ頃、都心部の大スクリーンでは緊急のニュースが報じられていた。 『ただ今入りましたニュースです。17時30分現在、首都圏上空に巨大な飛行物体が出現したとの報が入りました。この飛行物体は全長数10メートル以上の鳥だという情報も入っており、ただ今政府が詳細を調査中です。繰り返します、17時30分現在──』  変化はゆっくりと、だが確実に起き始めていた。
『With the HERO』第1話・第2話 content media
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夏P(ナッピー)
2020年3月08日
In デジモン創作サロン
序章:太陽の無い世界で  さて。  くだらない英雄譚を一つしよう。  全てが溶け合う旨い闇が広がる世界、それが当時の魔王が知る世界だった。 『エンシェントスピリット、エボリューション!』  そこに射し込むのは、希望という名の光。  眩い輝きを放ちながら、この世界の最初にして最後の希望となった戦士達の体が一体化していく。後にダークエリアと呼ばれる暗黒空間に初めて射し込んだ輝きは、確かに生まれたばかりの世界を照らす道標に他ならない。  魅せられた。対峙する魔王もまた、その輝きに魅せられていた。  やがて出現したのは、金色のラインを全身に走らせ、朱に彩られた強固な鎧を身に纏う異形の者。火炎の龍と閃光の狼を両腕に宿し、戦士達全ての魂を力へと変えるその存在は、世界の支配と破滅を目論むとされる傲慢の魔王、ルーチェモンの前で英雄としての産声を上げた。  英雄の名は太陽の神人、スサノオモン。  その瞬間、世界には確かに光が舞い降りた。 「貴様は──」 「伝説の十闘士の魂を受け継ぎ、貴様を倒すために生まれた……スサノオモン!」 「スサノオモンだと? ……面白い」 「何が面白いものか……!」  軽く上唇を舐めるルーチェモンに、スサノオモンは怒りの炎を燃やす。   スサノオモン──正確に言うなら彼を形作る十人の英雄達──は、彼の魔王の手によって荒廃した世界を嫌というほど目の当たりにしてきた。仲間を失い泣き叫ぶ幼年期デジモン達、魔王の影響で凶暴化した大型のデジモンによって滅ぼされた多くの町々、そして自分達を信じて送り出してくれた〝仲間〟と呼ぶべきデジモン達。それら全てが、彼らに命じる。ルーチェモンを倒せと。そして、このデジタルワールドに真の平和を取り戻せと。  目の前の魔王を倒さねば、この怒りは決して消えない。そしてまた、この世界に真の平和が訪れることも無いのだ。 「貴様の存在は……全てのデジモンを不幸にする!」 「……貴様が我を倒したところで、結果は同じだと思うが? 貴様が我に成り代わるというのなら、それも良し。だが貴様にそれほどの器は感じられん。……世界を平和に運営するためには、優れたシステムと、それを実行する絶対者が必要なのだ。そして、その責を負うに最も相応しい者は我しかいない。……何故なら、我は最初からそうなるべくして生まれた存在なのだからな」 「勝手なことを言う……!」 「我の言葉は真実だ。全て……な」  謳い上げるように語るそれは、ルーチェモンの本心であった。  光輝と闇、相反する二つの力を己が体に内包する魔王、ルーチェモン。彼の目的はデジタルワールドの平和的運営であり、それ以上でも以下でもない。そして、彼は自分以外にその支配という名の運営を行うに相応しい存在はいないと信じて疑わなかったし、だからこそ今の戦乱を引き起こした。それも全て、ルーチェモンなりの〝愛〟に基づいた行動だったわけである。  そう、ルーチェモンはデジタルワールドを愛しているのだ。誰よりも、遥かに──。  だが同時にルーチェモンは気付いていた。本来なら自分と相見えることすら叶わぬはずの下々の存在に、いつの間にか自分の本音を語っていたことに。己が本心をここまで饒舌に語ったことなど、思い返せば自らと同等の存在である七大魔王相手にもしたことはなかったというのに。  その感覚が魔王に齎したのは甘美であり、また愉悦であった。  目の前に現れた自らを英雄と嘯く未知数の存在を、己にとって脅威であると無意識の内に感じ始めている自分に気付いたからだ。こんな感覚は、少なくとも今まで感じたことは無かった。同志として生まれた七大魔王達との関わりの中でさえ、これほどの込み上げるような楽しさは無かったはずだ。  だからこそ、魔王は戦いを望む。英雄を名乗る者の力を試してみたくなる。 「……我が間違っているというのなら、我を倒して、それを証明してみせよ」 「言われなくとも!」  一瞬にして間合いを詰めたスサノオモンが放つ右拳。  咄嗟に身を捩らせたルーチェモンであったが、完全に回避するには至らず、右背部の天使の翼を僅かながらも持って行かれる。だが白い羽根が舞い散る様に陶酔する暇も与えず、二撃目が来る。今度は強靭な右の足を振るっての蹴撃。右腕で受け止めようとするも、蹴りの勢いが凄まじいためそれは叶わず、弾かれるようにして大きく後退する。単純な体術だけなら、スサノオモンの攻撃力はルーチェモンのそれを遥かに上回っていると見た。 なるほど、一撃でも受ければ生半可では済まされまい。  汗のひりつく感覚は悦楽。だが負けてやるつもりも到底無い。 「……なかなかやるな。だが……パラダイスロスト!」 「ぐうっ……!」  かつて如何なる戦士をも退けた、ルーチェモンが誇る最強の連撃だ。目にも留まらぬスピードで繰り出される拳が、スサノオモンの胸部を幾度と無く打ち付ける。だが一発一発が軽い。スサノオモンに明確なダメージを与えられていないのは明白だった。  連撃で決定打を与えるには至らず、僅かながらも体勢を崩したルーチェモン。その隙を、スサノオモンは見逃さない。 「お前を倒し、俺達がこの世界を救う!」  瞬時にスサノオモンの腕に出現したのは巨大な究極蛇神器。  ZERO-ARMS(ゼロアームズ):オロチ。かつて人間達が開発したといわれるデータの屑が、デジタルワールドにて具現化した神器。その様は巨大な神剣か、それとも大砲か。禍々しさすら覚えるその威容は、世界の破壊と再生を司る者が持つ武器として相応しい威圧感を誇っていた。 「天羽々斬!」  神器から発せられた輝きが、眩い光の剣となってルーチェモンを襲う。受ければ自らにも致命傷を与え得ると瞬時に判断し、間一髪で回避する。  標的を見失った神々しい光の斬撃が空間を切り裂き、底の見えないほどに仄暗い大地が真っ二つに割れる。全てを超越する圧倒的な破壊力にルーチェモンは魅せられる。光と闇の力を一つにし得る自分を倒さんとする強き意志、そして目の前で見せ付けた破滅的な戦闘力。その二つを併せ持つ眼前の存在が宿す力は自分とも同等か、もしかしたらそれ以上かもしれない。長らく侮蔑の対象でしかなかった存在が我と同じ場所まで来たということか、と敵ながらルーチェモンは対峙する英雄を称賛していた。  無論、敵は攻撃の手を緩めようとはしない。 「これで終わりだ! 八雷神!」  間髪入れずにスサノオモンが左腕を掲げると、闇に包まれていた空に雷が迸り、黒雲の中から八匹の巨大な竜が出現した。猛々しい雄叫びを上げながら、雷を全身に纏った光の竜の群れは一直線にルーチェモンへと襲い来る。凄まじいスピードだ。流石に回避困難と見たルーチェモンは、両腕からエネルギー弾を放ってそれを迎撃する。  その時だった。この世界の歴史を左右する決定的な刹那が訪れた。  乱れ撃たれるエネルギー弾の内の一発が狙いを外れ、ぼんやりと彼らの戦いを見上げていた幼年期デジモンへと飛来した。  見覚えのないデジモンだった。少なくともルーチェモンの配下ではなく、かといって目の前の太陽の闘士の仲間とも思えない。故に彼がダークエリアに迷い込んだのか、それとも元よりこの場所に生まれ落ちたのか、そのどちらかはわからないが、魔王と英雄の戦いに巻き込まれて死ぬのなら構うまい。傲慢の魔王に相応しい思考を以って、ルーチェモンは彼の者が砕け散るだろう様を見据えていた。  だがスサノオモンの行動は、魔王の予想の上を行く。 「危ない!」 「……なに?」  思わず飛び出したスサノオモンの行動に、魔王の口から発せられたのは純粋な疑問の色。  魔王が呆然と見つめる先で、太陽の闘士はその幼いデジモンを庇うように身を投げ出し、そのエネルギー弾の直撃を受ける。自身が認めた敵の全く予想外の行動に戸惑うルーチェモンの目の前で起こる大爆発。圧倒的な爆煙が周囲を覆った。 「──────」  物心つかぬ幼子のように、魔王の心は疑問で満たされていた。  理解できなかったのだ。伝説の英雄の魂を結集させた太陽の闘士の力は、十二分に自分を倒して余りある。己の全力を出して戦う歓喜、絶対的な力を持つ己が敗れ得るという恐怖、初めて味わう二つの感覚に身を委ねたルーチェモンは、気付けば彼になら敗れることも致し方ないとさえ思い始めていたのに。自らと同じ高みに辿り着いた人の子が、もし自らを打倒できたなら、その後に如何なる世界を築き上げるのか、楽しみでさえあったのに。  そんな傲慢の魔王が初めて認めた英雄は、取るに足らぬ幼年期を守る為に、勝利の機会を逸したのだ。 「愚か……な」  小さく絞り出した魔王の声は震えていた。その理由は魔王にもわからなかった。  噴煙が晴れた時、そこには激しく損傷したスサノオモンの姿がある。幼年期デジモンを庇うように彼の上に覆い被さった太陽の闘士は、無様に亀裂の入った鎧と砕け散ったオロチの残骸──見たことの無い剣だった──こそ残されていたが、既に死に体と言えた。少なくとも先程の魔王と伍する戦闘力は最早期待できまい。 「……己の身を投げ出して弱者を救うか。それもいい。だが──」  やはり貴様は、神にはなれない。  刹那、ルーチェモンの心中に宿った感情は落胆であった。少なくとも魔王自身はそう結論付けた。大義の為に少数を見捨てることのできる心の強さ。それを持つ存在でなければ、この世界を治めることなどできはしない。膨大な世界のシステムの頂点に立つ存在から見れば、地上に這い付くばって生きているデジモン達など、蚤以下に見えても致し方無いのだ。  所詮、奴と自分は違う。人の子が世界の頂点に立つ魔王と同じ場所に至ることなど有り得ない。改めて突き付けられたその事実が、ルーチェモンの胸に僅かに寂しささえ宿らせる。 「スサノオモンよ。やはり貴様にこの世界を治める権は無い。……デッドオアアライブ!」  掲げられた堕天使の掌底から眩い光のエネルギー、そして続け様に禍々しい闇のエネルギーが放たれ、傷付いたスサノオモンの体を覆い尽くした。やがて、一体化した光と闇の力がその内部に想像を絶する超重力を発生させ、その場に存在するもの全てを粉々に叩き潰していく。  そのエネルギー体の中から響いてくるのは、英雄になれなかった者の悲鳴のみ。 「ぐ、ぐあああああああーっ!」 「我を一瞬でも驚嘆せしめたことは賞賛に値する。……さらばだ」  ルーチェモンの言葉と共に、デッドオアアライブ内の超重力が一層強力なものとなる。  光と闇を融合させ得る魔王であるからこそ放つことのできるその技は、内部へと取り込んだ敵を決して逃さず、確実に押し潰す。如何なる強さも、この技の前には意味を成さない。そして、それは傷付いたスサノオモンとて例外ではなかった。  光と闇の融合体の中で、スサノオモンの体が四散する。先程まで傲慢の魔王を敗北寸前にまで追い詰めていたとは思えないほどの、極めてあっさりとした最期だった。元よりこの世界には存在していなかったはずの十闘士とは一体何者であったかなど、最早ルーチェモンには関係の無いことだ。  太陽の闘士は敗れ、データの塵と化した。ただそれだけが事実なのだから。 「──────」  聞き取れないほどの小さな声がして、ルーチェモンはそちらに目を向ける。  見れば戦いの決め手となった不躾なギャラリーは、大きな目を丸くして消え失せた英雄がいた場所に向けて何事かを叫んでいた。傲慢の魔王ですら見たことの無かったその幼年期デジモンもまた、間違い無くデッドオアアライブに巻き込んだはずだが、彼が生きているということは太陽の闘士は最後の力を振り絞って超重力の外へと投げ出したということなのだろうか。 「……大した甘さよ、そこまで行けば本物よな」  精一杯の侮蔑を込めたつもりだったが、自らの声に自然と称賛の色が混じったことに魔王は気付く。  愚かしいにも程がある。魔王を倒さなければこの世界に真の平和は訪れない、太陽の闘士はそう言った。そして彼は、彼らは十分にそれを実現できるだけの力を手に入れた。そうであるにも関わらず、取るに足らぬ幼年期を見捨てられず、彼を守る為に勝利を捨てた様は、ルーチェモンから見れば愚者以外の何者でもなかった。 それなのに、そのはずなのに。 「スサノオモン……!」  その名を噛み締める。忘れぬように、胸に刻み付けるように。  美しいと感じたのだ。素晴らしいと感じたのだ。たとえ見る者に愚かだと嘲笑されたとしても、決して魔王にはできぬその在り方は、紛れもなく英雄そのものであると。 「……さらばだ」  せめてもの手向けの言葉。  最後に残された彼らの“魂”が静かに粒子化していく様を、ルーチェモンは静かに見つめていた。  そして、世界は闇で満たされた。  くだらぬ英雄譚だったろう?  見るに堪えぬ愚かしさだったろう?  魔王を倒した十闘士(えいゆう)などいない。  邪悪なる者と戦い続ける聖騎士集団など存在しない。  そこに在るのは世界だけ。  ただ、愚か者達(デジタルモンスター)が生きる世界があるだけだ。
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夏P(ナッピー)
2020年2月29日
In デジモン創作サロン
 強くなりたかった。  憧れの男の子と女の子みたいに、カッコ良く生きてみたかった。 困っている誰かを助けられる力があって、そんな誰かに手を貸すことを厭わない。先生に怒られるとか、自分達も痛い目を見るかもとか、そんな理由で二人の正義感を止めることはできなくて、彼らはそうしたいからそうしているんだと思えば、そんな二人の生き方が私にはとても眩しく見えて。  誰に教えられたわけでもなく、自然とそう在る彼らに、私はずっと憧れてたんだ。  男の子は私の大好きな人。ちょっと口下手だけど優しくて、私のことなんかもいつも気に掛けてくれる。女の子にからかわれて涙ぐみそうになる私を困った顔で慰めてくれる彼のことが好き。誰にも泣いて欲しくないんだって、不器用に頑張り続けるあなたが好き。  女の子は私の理想の人。勉強とか成績とかそんなことどうでもいいんだって、ただ自分が楽しいと思う日々を送り、正しいと思える生き方を貫けるのはカッコいいと思う。ちょっと口が悪くて乱暴なところもあって、私は時々泣かされそうになるけど、根っこの部分で男の子と同じように優しいことは知っている。彼女みたいな生き方をできたらどんないいかって思う。曲がったことが大嫌いな彼女は、まるで子供の頃に見た正義の味方みたいで。  二人とも間違いなく私の大切な人で、私にとって憧れの人。だから私も彼らみたいに頑張って生きてみようって思ったんだ。  でもできなくて、私にはとても無理な生き方で。 『いい子ちゃんぶるなよなー! 泣き虫の癖に-!』  たった一人できた親友を助けることもできず、そんな親友にさえ最後には裏切られて。 『……さよなら、香坂さん』  何も信じられなくなって、他の誰の手を取ることもできなくて。 『ダメだ! 君はそんなところにいちゃいけない!』  最後に聞こえたその言葉を振り払って、私は一人、闇の中に沈んでいく。 「んっ……」  目を開くと漆黒の闇の中。  自分の手足すらハッキリ見えない闇の中に在って、そもそも私は目を開いているのかさえ確かじゃない。 「……目が覚めましたか?」  なのに、何故だろう。  私を抱き上げるその姿だけは、ぼうっとその輪郭を浮かび上がらせるように明確に認識することができた。 「アヌビ……モン」  旨い闇の中、私はその穏やかな声音の主を呼ぶ。  初めて出会ったはずなのに、自然とその名前が口から漏れた。遠い昔に一度だけ出会った友人──勿論私に全く覚えはないのだけれど──と久し振りに再会して名前を思い出した、そんな感じだった。  名を呼ばれた狗神は、薄く微笑んだようだった。出会えて良かった、その微笑はそう言っているように私には思えた。 「痛っ……」  ズキリと側頭部に鋭い痛みが走る。そういえば私、なんでこんなところに?  何も思い出せなかった。自分が誰なのか、どんな人間だったかは思い出せるのに、今ここに至るまでの経緯が全く思い出せない。私はいつも通り小学校に行って、六限目の授業を終えて帰ってきて、それから神社の前で  君と──  ……  君? 誰だっけ、それ。  そんな自分が信じられなかった。一気に体温が数度下がった感じ。 「──────!」  嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!  忘れるわけない、思い出せないわけがない、初めて会った時から大切だった人、あの時から大好きだった男の子のことを。私を気遣ってくれるはにかんだ笑顔、  ちゃんと一緒に卑怯なことは許せないと毅然と立ち向かう瞳、そして誰に笑われようと真っ直ぐ夢に向かって走り続ける姿。全部が全部大切で、そんな世界で一番頑張っている不器用なあなたが、私は大好きだったのに。  だった? 過去形……? なんで……? 「どうかしましたか?」  アヌビモンは微笑んだまま。そんなはずないのに、その貼り付いたような微笑は邪悪めいたものに見えて。 「思い出せないの……!」  それでも自分の手足すら覚束無い闇の中、唯一ハッキリと認識できるアヌビモンに私は縋り付くように。 「大好きだったのに! 大切だったのに! 私、彼のことが思い出せないの! 何度も優しくしてくれた! 泣いてる私を慰めてくれた! 誰が笑ったって、何を言ったって、私にとってヒーローだった彼のこと、思い出せないの……!」  力無く狗神の胸を叩く私。それでも記憶の欠落は止まらない。  だって彼のことだけじゃない。周囲の闇に食われていくかのように、全てが私の頭の中から消えていく。彼と一緒にいた  ちゃんのことも、初めて自分から頑張って友達になった  ちゃんのことも、思い出したくもないけれどイジメっ子達も含めて12年程度の人生の中で出会ってきた子達の顔、それどころか優しいお父さんとお母さんのことさえも。自分が歩んできた人生の中に間違いなくその人達はいたはずなのに、まるでアルバムに纏めた写真の顔の部分だけをマジックで塗り潰されたかのように、私の記憶から彼らが誰だったのか、どんな存在だったのかが抜け落ちていく。  怖かった。自分が闇に溶けてなくなっていく感覚。  そんな私に、アヌビモンは一言だけ。 「琥珀」  目を細めてそう言った。戸惑い、思わず顔を上げた私にアヌビモンはもう一言。 「怖がらなくていいのですよ、琥珀」  それはまるで母が娘を窘めるような声音。だから私は、自分が名前を呼ばれているのだと気付くまでに数秒の時間を要した。  香坂琥珀(こうさか こはく)、美しく育って欲しいと願いを込めてお母さん──顔は今ちょっと思い出せないけれど──が夕焼けの空の色から取って付けてくれた名前。私自身が忘れていたことにさえ気付かなかった大切な名前。 「アヌビモン、どうして……」 「ふふ、内緒です」  私の長い髪を愛おしそうに撫でながら笑うアヌビモン。  その手付きは少しだらしない私の世話をいつも焼いてくれるお母さんを思い出させて、不思議な心地良さと安心感がある。まるで何年も前からこうして世話をしてもらっているような感覚に私は自然と身を委ねてしまった。  ジャラリという乾いた音がして、自分の胸元を見やると、綺麗な水晶の付いたネックレスが私の首から掛けられていた。 「これは……?」 「幸運のお守りです。……これは、琥珀が持っているべきものだ」  一切の悪意は無いように見えた。その水晶と私、交互に見つめる彼女の瞳は、とても優しそうな光を湛えているように思えたから。  だから小さく頷きを返した。それにアヌビモンもまた満足そうに頷いた。  そうしてしばらくの沈黙の時。アヌビモンの腕の中、抱えられるようにして闇の中を私は揺蕩う。この闇の世界では自分達以外に何もなく、方向感覚すら覚束無い。時間の流れすら明確に認識はできなくて、お守りを受け取ったのが数秒前なのか、それとも既に数時間が経っているのか、私には想像が付かなかった。 「……五年だけ」 「え?」 「五年だけ、待てますか?」  不意にポツリと、アヌビモンが呟いた。  腕の中から見上げた彼女の横顔は、文字通り虚無の闇を見据えていて、私を見返してはくれなかった。これまで慈愛の塊としか思えなかった彼女のその表情は、私に見せた初めての後ろめたさに近いもので、なんとなく私は一抹の寂しさを覚えた。 「2008年のクリスマス、ちょうど琥珀が17歳になる頃ですね」  ああ、今は2003年なんだと漠然と思った。そんなことも忘れている私がおかしかった。不思議と先程までの喪失感や不安感はなく、ただ淡々と自分の記憶の欠落を受け入れている私がそこにはいた。  狗神の胸元に頭を預ける。五年か……長いなぁ。そう思いつつも、この時間の感覚さえ定かじゃない闇の中なら五年なんてあっという間かもしれない。そんな風に楽観的に考えている私がいた。 「琥珀が大好きな彼とも、その頃にはきっと会えます」 「ホント!?」 「私は嘘はつきません……少なくともあなたには」  その言葉はアヌビモン自身、そう在れと自らに言い聞かせているように私には思えた。 「辛いこと、悲しいこと、琥珀を泣かせる全てはそれで終わりです」 「……どこかで聞いたような台詞だね」  そう、だってそれは他でもない  君の夢だったから。  彼の名前は忘れても、彼の夢だけは絶対忘れない。  誰も泣かない、誰も傷付かない世界が欲しいって言い続けていた彼。誰よりも強い  ちゃんと一緒なら、ううん、誰よりもカッコいい  君なら一人でだってその夢を成し遂げるって信じてる。誰が笑ったって、何を言ったって、世界中で私だけはあなたを信じてる。  私は泣かないから、頑張るから、あなたの名前だって絶対に思い出してみせるから。  だから助けてね。  いつか私をここから連れ出して。  約束だよ?  私のずっと大好きな  君。 THIS IS ONLY THE BEGINNING...
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