フォーラム記事

羽化石
2022年5月20日
In デジモン創作サロン
 王の城で知り合った識者曰く、私はどうやら世間で言う所の「バグ持ち」であったらしい。  そこでようやっと私は修羅道の如き半生は訳あってのものであると知り、このどうしようもなく変え難き性分と余生を過ごさねばならぬと思い知るのであった。  私の生まれはダークエリアである。 前世で罪を負った魂がそこに生まれ堕ちるのか、或いはそこで生まれてしまったが故に悪の運命を神より与えられるのか。デジタルワールド有史以前より未だ答えの出ない問いであるが、一度息づいてしまったからには最早どうでもよかろう。  幼年期の時分はどのように生きていたのか定かではない。生まれたばかりの赤子だった頃の記憶など誰が覚えていようか。 闇の研究所で造られた改造デジモンであるとか別にそういう特別な出生という事はなく、きちんとデジタマから自然に生まれたデジモンである事は確からしい。少しばかり年上であったファスコモンがそう言っていた。当のファスコモンはこの話をしている途中でデビドラモンに啄まれ連れ去られてしまったが。 ああ、惜しい事をした。突然の出来事に呆けている暇があったのなら、デビドラモンに爪の一つでも立ててやればよかったのだ。 そうすれば獲物を取られまいとするデビドラモンの奴と一戦交えられただろうに。 ◆◆◆  当時、成長期としての私はドラクモンであった。  ドラクモンの例に漏れず悪戯好きで、他の成長期達と徒党を組み、目に入るデジモン全てにちょっかいをかけて回っていた。  だが、私の「悪戯好き」としての感覚は、他のドラクモンやウィルス種の成長期達と大いにずれていたようだ。  その日のターゲットはケルベロモンだった。ゲートの守護等の役職持ちではなく、一般の成熟期が進化した「野良」である。戦えば圧倒的に格上の相手だ。  我々は寝ているケルベロモンに忍び寄り、尾を、手足を、三つの頭を、ぼろ布から作ったリボンで丁寧に丁寧に飾り付けてやった。 随分と愛らしい姿になったところで、むず痒さを感じたのかケルベロモンは目覚めた。体に群がる我々の存在に気付くや否や、奴は口から炎を吐きながら我々を追い立てた。  必死の形相で怒り狂うも頭のリボンのせいで間抜けにしか見えないケルベロモンを、我々はけらけらと嘲笑った。  私と仲間の行動が一致していたのはここまでだ。  大体の被害者は我々をとっとと追い払うか叱りつけるかのどちらかなのだが、ケルベロモンは虫の居所が悪かったらしい。奴が我々に怒り心頭で地獄の業火を吐き出そうとしているのを見て、私はこう考えた。 「両手の邪眼で操ってやれば、勝てるんじゃないか?」 「その前にドラクモンの丸焼きにされちゃ敵わない。腹の下に潜り込んで噛みついてやれ」  ケルベロモンと戦うための立ち回り方だ。だが、我が渾身のアイディアは実行されずに終わってしまった。行動に移ろうとした瞬間、私の体は何者かの手により宙へ浮かんでいた。  犯人は仲間のピコデビモンとツカイモンだった。彼らは私の体重を必死に支えつつ急いで飛んで逃げ、そして先に逃げていた残りの仲間と合流する。  隠れ家へ逃げ延びた後に、彼らが口々に「何やってんだ」「早く逃げろよ」と私を責めたてるので、逆に私は「どうして邪魔をするんだ」と口を尖らせて抗議した。私としては多少の軽口を交えた口喧嘩のつもりであったのだが、しかし、彼らは困ったように顔を見合わせるだけで何も言おうとはしなかった。  私は余計に腹を立て、「お前らだって、デジモンじゃないか。俺たちデジモンはいつだって戦うチャンスを狙ってて、今がそのチャンスだったのに。どうして逃げるんだ」と言ってやった。  デジタルモンスターは闘争本能を持って生まれ出ずる。誰に教わるまでもなく、己が胸に燻る猛りでそれを知る。同じデジモンであるならば、分かってくれると当時は本気で思っていた。  ピコデビモンがようやく口を開いて言った言葉は、「でも、それで本当に死んだらそれまでになっちゃうじゃないか」だった。  幼く、浅慮であった私は、仲間の目的は「悪戯で迷惑を掛ける事自体を楽しむ」というもので、その後に生じる争いや闘争欲求とは無関係だと思い至らなかったのだ。  私が己の性質を認識するに至った出来事はもう一つある。  ドラクモンは特別吸血が必要な種族だが、そうでなくともデジモンには食事が必要だ。年下の世話をするような殊勝なデジモンなんぞ殆どいないダークエリアにおいて、食べ盛りの成長期は何を食べるか? そう、格下のデジモンを狩って食べるのだ。  悪戯仲間は狩り仲間でもあり、別の群れからはぐれた同格以下のデジモンをめざとく見つけては集団で襲い、分け合っていた。  その日に見つけたのは幼年期デジモン……肉を齧った覚えがあるからボタモンかキーモンか何かだったのだろう。種族までは覚えていない。  幼年期と言えどもデジモンはデジモン、これが中々すばしっこい。こちらも相応に骨を折らねば捕まえられぬ。という訳で我々はそいつを必死に追いかけていた。  今となっては「お前の楽しいは白々しく聞こえる」と心無い言葉を言われてしまう私だが、この時は本当に楽しかったのだ。獲物は自身の命が掛かっているから必死に逃げる。我々もまた、命が掛かっている。命懸けで走るのは悪戯と同じくらい楽しい。仲間達としては「腹が減ってそれどころではなかった」らしいが。  そう、この時の私が楽しさを感じていた理由は、上で紹介したような「悪戯の先に待つ楽しみ」と同種のものが待っていると期待していたためだ。幼さ故の短慮であると今なら認められようが、子どもというのは何にでも楽しさを期待してしまうものだ。  たまたま私の邪眼が効いて、大人しくなった獲物を鷲掴みにして捕えた。  そいつが何の手ごたえも無く我が手に収まった瞬間、我が胸の内に膨らんだ期待が萎びていくのを感じた。狩りの功労者として真っ先に食べる栄誉を手にした喜びは、この失望感を拭うに能わなかった。  おかしい! なんだこの飢餓感は! 今、こうして血を啜り肉を食んでいる真っ最中だというのに、少しも満足できない!  足りない足りない足りない、こんなものを殺して食ったところで、俺は満足できない! 「お前、一人で食いすぎだぞ!」と叩かれて我に返った。  冷静になった頭で己が欲求の正体について考え、思い至った。弱い者を追い詰めるのは私の趣味ではない。私の心身の全てが、より強き敵との命の削り合いを望んでいると。  格上に闘いを挑む手段として悪戯は不適当と学習した私は、直接勝負を申し出る事にした。半数のデジモンはこれも悪戯と思い、まともに取り合ってはくれなかった。  残りの半数は渋々我が要求に従った。しかし成長期の私が敵う筈もなく。勝負にさえならず死にかけた私を、仲間が命からがら引き摺って帰るのが常であった。  死にかけのぼんやりとした頭で感じていたのは悔恨だった。  俺がもう少し強いデジモンだったなら、成長期の弱い自分でさえなければ、今の敵と満足に戦えた筈なのに。強さが欲しい。もっと強くなりたい。そして強い相手と死合いたい、と。  当時の私は、今よりかは殊勝な少年であったので、決して仲間を顧みなかった訳ではない。ただ、それらは私が歩みを止める理由にはならなかっただけの話だ。  いかなウィルス種成長期と言えど、他人の悪戯に巻き込まれるのは耐え難いらしい。最初は私を必死で助けてくれた仲間も最後には呆れ果てていた。   嫌われ距離を置かれてしまったようだから、折角なので彼らを扇動し、戦闘を伴う争いを起こせないか実験を試みた。  しかし、当時の私は今ほど口が達者ではなく、また、彼らは我が本性を嫌ほど思い知っていたがために上手くいかなかった。  互いに興味を失った私と元・仲間達は、誰から言い出すでもなく自然と袂を別っていた。以来、私は完全体へ進化するまで数十年に渡り単独で行動していた。  弱さは罪である。我が肉体は弱く、弱く、ひたすら弱く。成熟期へと進化し力を得るまで、苦痛な格下狩りを続け捕食せねばならぬ。  同じ成長期の好敵手を終ぞ得られなかった事は不幸である。  成長期は私にとっての暗黒期であった。 ◆◆◆  やがて私は成熟期のサングルゥモンに進化した。一人称を「私」へ改めたのはこの頃だったか?  この姿に進化し、新たに備わった力の詳細が電脳核に流し込まれた瞬間の高揚をよく覚えている。  強靭になった四足で千里を駆け、体を無数の塵に分解し、歓喜のままに生まれ育った地域を飛び出した。より強き相手と出会うために。  成熟期ともなれば世代や種族で私を侮る者はいなかった。勝負をしたいと申し込めば、額面通りの力試しと受け取られて戦闘を行う事ができた。相手は同格の成熟期から手強い完全体、時には究極体や稀にいる成長期にして他を超越する猛者まで幅広く。  駆け出してすぐに出会ったデビモンに、夢中で勝負を挑んだ時の事をよく覚えている。私が飛び上がり刃を飛ばしたのを彼は躱して、鉤爪のついた腕をどこまでも伸ばした。私はそれを躱したと思い込んだが私の頬は切り裂かれ、元は表皮だったデータと鮮血が我が跳躍の軌跡を示した。私は躱そうとしてつけた勢いのまま彼の首元まで跳躍し、しかし彼は私が噛みついて来る事など予想済みで——あの時、私とデビモンは、刹那の瞬間に那由他の命の駆け引きをしていたのだ。血が、闘志が、熱が、緊張感が、私の中を駆け巡り電子核を激しく回転させ、焼き切れそうなまでの喜びをもたらした。 成長期の私が待ち望んでいた、夢のような世界であった。  時にはサングルゥモンの「吸血された相手は絶命する」という特徴を恐れる者もいたが、そうした輩には「吸血だけはしない」と主張し無理矢理勝負の約束を取り付けた。  経験やロードの回数を積むに連れ私の強さも上がっていったように思うが、その度に格上に挑んだので勝率は五分と五分だ。  しかし勝負を挑む際、多くの対戦者から「命が惜しくはないのか」と問われるのが不思議でならなかった。血沸き肉躍る闘いを前に惜しむ命など、デジモンが持ち合わせている訳がないだろう。当時の私はそう考えていたからだ。  まあ、こういう事を言う奴は大抵私を倒す気満々であるから、言われて困る事は無かったが。  逆に嫌いなのが戦う前から命乞いをして闘いを避けようとする輩だ。先述した吸血を厭う連中とは訳が違い、なんとしてでも闘いを避けようとするので困ったものだ。 私の目的は戦う事であり命を奪う事ではないのだが、同じ成熟期にこういう事をされると流石に頭蓋を噛み砕いてやりたくなる。噛み砕いてやった。  行動範囲が広がった私は町に顔を出すようになった。  ダークエリアに町なんかある訳ないだろと宣う無礼者もいるが、表のデジタルワールドの連中が知らないだけで、そこの統治者によっては向こう側に劣らない生活水準の町が出来ていたりもするのだ。ヴァンデモンなんかが統治しているとブランド物の血が店に並んでいたりするぞ。君が吸血種なら行ってみるといい。  初めてまともな料理を食べさせてもらったり、更なる強者の居場所を尋ね回ったりしている内に、私は今のような立派な社交性を身につけていったという訳である。  そこで知り合った連中に指摘されて初めて気が付いたのだが、どうも私は生への執着が薄すぎるらしい。  やはり飽くなき闘争心はどのデジモンも持ち合わせているものだったのだ。しかし、普通は生存欲求も持ち合わせているが故に、死に近い無謀な戦闘は弱いデジモンであればあるほど避ける。だが私は死を恐れないので、人並みに生へ執着するデジモンと温度差が生じているという話だった。  正直なところ、私は「戦うために命を維持しているのだから、命惜しさに闘いを避ける連中は本末転倒だろう」とも考えたが、ここにいない連中の話をされても彼らは困るだろうから何も言わなかった。 まあ、以上の我が業にまつわる考察は全部憶測で事実とは異なっていた訳だがな。  命知らずの戦闘狂は私以外にもダークエリアにごまんといて、そうした連中はコロシアムに足繁く通っているとも教わった。私は辻斬りのような真似を続けつつ、コロシアムにも通い詰めた。この習慣は城仕えになった今でもずっと続けている。  コロシアムには戦うために戦う連中が集っているので外れが無くて最高だった。多額のファイトマネーが出るので金のために戦う連中もいたが、真面目に戦ってくれさえすれば動機なぞどうでもいい。寧ろ、ただ力試しに来た連中よりも必死に戦ってくれてありがたい。  などと考えていたら、いくつかのコロシアムを出入り禁止になった。理由は「異常な出場回数から関係者との不健全な癒着を疑われた」、「戦意を喪失した相手へ戦闘続行を強制する行為がいくらなんでも多すぎる」、「コロシアム運営とは無関係の来場者同士のトラブル」、「苦情」等である。ああ、ご無体な!  仕方が無いのでそういうのを気にしない闇の闘技場を探したり、ファイトマネーを元手に強者を集めて個人大会を開いたりなどしていた。個人大会の方は何故かすぐに人気が無くなってしまったが……。おかげで金が余っている。  後にあのくそったれ我が王との出会いを控えていると考えると、この頃が一番幸せな時代だったやもしれぬ。  しかし、勝負にならないほどに実力が離れた猛者は、未だこの世に溢れ返っている。私は更なる強さを得、彼らと戦う事を胸に誓ったのだった。 ◆◆◆  やがて私も完全体……今の姿へと進化を果たす事になる。  懐かしき二足歩行へ戻り、吸血衝動の中に今までには無かった指向性が芽生える。即ち、強者の血液のみを欲するようになったのだ。  いよいよ食欲さえも我が闘争欲求と癒着を果たし、追従した。  マタドゥルモンに進化したデジモンは、強者の血を啜る幽鬼へと成り果て、彷徨い歩くと言うが、私の場合は因果が逆だ。  修羅の如き闘争欲求は我が肉体に変容を及ぼし、データベースに登録された数多の完全体の中で最も我が性質に近しい存在のマタドゥルモンへ至らしめたのだ。  思えば、私の進化の道筋は初めからこの姿へ至るための過程であったのやもしれぬ。  戦える強者の格も格段に上がった。名のある強者とも戦える程の力を手にした私は文字通りに舞った。我が人生初めての喜びの舞だ。もし進化した先がマタドゥルモンではなかったとしても、私はこの時、舞っていただろう。  機動力が落ちたのだけは痛かったが、闇雲に歩き回るまでもなく名門へ殴り込みを掛けても追い払われなくなったため(こういう組織は門番や警備員がまず強いので生半可な強さではお目当てに辿り着けない事もある)問題は無い。  相変わらず吸血目的と思われ嫌がられる事もあったが、血は要らないと言えば逆に不審に思われるようになった。それもそうだ。多くのマタドゥルモンは、あくまで食性が先に来て強者との闘いを望むようになったのだから。そういう時は黙って蝶絶喇叭蹴するに限る。喧嘩を押し売りできればこちらのものだ。  姿が変わったので出禁になっていたコロシアムへの出入りも再開した。何故かすぐにバレてしまったが。  同族とばったり出会う回数もサングルゥモンだった頃より格段に増えた。何故なら食うものが基本同じだからだ。俺より強い奴に会いに行くと大抵は同じく強い奴を探してる奴にぶち当たるのだ。 (ここだけの話、マタドゥルモンは腹が減ると近くの同族と取り敢えず蹴り合って、そこそこ強さを確認してから互いに血を吸い合っていたりと割と適当に吸血しているぞ。連中は食い物にプライドがあるから言わないだけだ。本当だぞ。ソースは私だ)  同族との出会いで済めば良かったのだが、この出会いは余計な縁にも繋がってしまった。 「ご機嫌よう、素敵な夜ですね」  我がモン生史上最低最悪の出会いは、この一言から始まった。  これが運命の出会いであるというのなら、私は今すぐ首を捩じ切って死んでもいい。本気でそう思っている。  本当に良い夜ではあったので、名月を見れば私は何度もこの出会いを思い出すのだろう。最低だ。  私が知り合ったマタドゥルモンの中に、主と私を会わせたいという個体が何体かいたので空返事をしてしまったが最後、その貴人は満月の夜に向こうから姿を現した。  青白い月光の下で、同じくらい青白い顔が品のある微笑を浮かべており、傍らには多くの我が同族が傅いている。この光景が突然に目の前に現れたのである。  上品で優雅な出会いの次に何が起こったか。そのデジモンはいきなり大笑いし始めたのだ。他でもない私の顔を見て!  分かるか? 人の顔を見て大爆笑だ。失礼な奴はごまんと見てきたが、ここまでナチュラルボーン失礼な手合いはこいつが……このお方が初めてだ。私を見下す意図も何も無く、「ただなんか面白かったから」ケラケラ笑っているのだ。理由をつけて馬鹿にしてくれた方が余程マシだ。下半身に付属している獣の双頭も涎を垂らして嗤っていたので100%の本心だったに違いない。  初めて見る種族ではあるが、決して知らない種族ではなかった。 「はは、ふふふ、ふ……。もう既にご存じでしょうけれど、自己紹介を……。初めまして、グランドラクモンと申します」  何がもうご存じでしょうだ。何が初めましてだ。成長期より吸血種として生きてきた私が、貴様という種族を知らぬ筈が無かろう。  しかもその個体は伝説に謳われる真祖その人、ダークエリア創世記から生き続けるグレート・オールド・ワン、即ち全ての吸血種の王だ。  コレが? 「これはこれはご機嫌麗しゅう! 我らが吸血鬼の王、グランドラクモン様」  いくら嫌いな相手でも貴人は貴人である。礼節を欠かしてはなるまいて。と、怒りを抑え丁寧に返事をしたつもりではあるのだが、 「尊き貴方様へお会いする日を夢見て幾星霜、まさか出会い頭に人の顔を見て爆笑なさるようなお方とは思いもよりませんでした」  しかしそれでもやはり、丁寧に応対するのが癪だったのであえなく猫被りは破綻した。  私の上位種、生まれついて定められた我が頭上に立つ存在が、出会って5秒で嫌になるような存在だったとは知らぬままに死にたかったぞ。 「申し訳ございません。貴方がマタドゥルモンとして、面白い成り立ちをしていたもので」  私に眉というものがあれば(私にとっては未知の部位故、憶測だが)、それをしかめていたのだろうな。  どうも王として本質を見抜く目は備わっているようだ。備わっているからなんだという話ではあるが。出会ったばかりのこいつに我が本性を見透かされてしまうのは非常に腹立たしい。 「人間の世界には、“吸血鬼は招かれないとその家に入る事ができない”という伝承があると聞きます。この私も、貴方が招いてくれたおかげでようやくお会いできました」 「別にお招きしてはおりませぬが」  どうせ呼ばなくとも来ていた癖に。  それはもう殺したくなるほど苛つく態度であるが、王を見ると虫唾が走る理由はそう単純なものではない。  王は不死身だ。生きてはいるものの死にもせず、ただそこに停滞して在り続ける、最早生命と呼ぶのも憚られる悍ましき何かだ。 全ての生命には死という終わりが存在する。デジモンはデジタマになるから死なないなどとする言説もあるが、個体としての終わりはいずれ訪れる。だが、王は個体として永遠に生き続ける。  王は存在そのものが死という終わり、そして終わりを待つ者どもへの冒涜であり、王がそこに存在するだけで定命の者は己が存在を否定されたような感覚を覚える。  王のせいで生じる不快感の正体はそれだ。それでなくとも性格そのものが不快ではあるが……。  この悍ましさが転じて過剰に崇拝する吸血種も多いというから不思議なものだ。 (同じく不死の吸血種であるが故にこの呪縛から逃れて不死の王として振る舞うヴァンデモンもいるらしいが私には関係の無い事だ)  私も私で無礼に次ぐ無礼を重ねているのに周りの部下が何も言わないのは不思議だが、咎められないならば容赦無く言わせてもらおう。 「部下達が何も言わないのが不思議で仕方がない、と思っていますね」  一々私の心を読んだかのような発言をするな。 「大丈夫、私も部下たちもこういうやりとりは慣れっこなんですよ。私を慕ってくれている部下と、私の寝首を掻くチャンスを狙っている部下。私の城にはそれぞれ同じ数ずついますから」  めちゃめちゃ嫌われているではないか。どこが大丈夫なのかと思った。が、違う。私が抱くべきはそのような陳腐な感想ではないのだ。  私は不快感に惑わされて危うく本質を見失うところであった。この王は、謀反を狙う部下を複数抱えていても問題ないような「強者」なのだ。  私の戦闘への執着を見抜いた王は、やはり私の考えをも見抜いていた。王は多くの天使へしてきたように、私へ甘い誘惑の言葉を投げかけた。       「貴方も私と、“闘いたい”のでしょう?」  流石の部下たちにもどよめきが走った。無礼者と思われているのか、身の程知らずと罵られているのか。  王は聖母が如き柔和な微笑みを浮かべ、私が戦意を肯定して挑みかかって来るのを待っていた。  私は迷わず「その通りでございます」と答えた。  我が生は誇りある闘争のためにこそ在り。過去未来現在全ての我が生涯において最高の相手と、手合わせせずにいられるものか!  結果は王の圧勝である。  巨体からは想像も出来ぬような目にも留まらぬ速さで右手に捕らわれたかと思うと、全身を握りつぶされ、比喩でなく本当に雑巾のように全身をねじり絞られたのだ。 お得意の魅了や氷の魔術を使うまでもなかった。私がアンデッドでなければ10回は死んでいた。実は1回死んでいたと言われても驚かん。 完全体に進化して尚、私と頂点には埋めがたき実力差が存在している。  この時に芽生えた感情は歓喜と憎悪。  歓喜とは、まだ私には挑むべき強者がいるとこの身で実感できた喜び。  憎悪とは、私が世界一嫌いな相手に歓喜させられ募らせた恨みだ。 「我が城へおいでなさい。マタドゥルモン種にとって最も快適な環境と、私に挑戦し続ける権利を差し上げましょう」  こうして私は、吸血王の城に招かれた。古き魔術で他の空間より隔絶された古城だ。この城には、多くの吸血種や堕天使が務めており、来たばかりの頃は「隠居している癖にこんなに部下がいたのか」と驚いたほどだ。  大臣もいなければ議会も無いこの城(なんせ、誰一人として政治に興味が無いのだ)で、私に与えられた役職は「警備員」であった。別名を「来る訳ない敵から警護の要らない王を守る素敵なポジション」だ。   警備員に限らず、この城での仕事はあってないようなものだった。王の世話は信者となった連中が勝手にやるし、彼らも世話が終われば好き勝手過ごしている。リーダー気質の個体がまとめ役を担っているおかげで辛うじて集団が保たれていた。  衣食住が保証されている代わりに給料も出ない。生活を支える家政婦へは流石に例外として金を払っているようだ。 「一つ疑問があります我が王。王の城にいるドラクモン達は何者なのです? 王の部下ではないように見えるどころか、保育されているだけのようですが」 「ええ。彼らは元はダークエリアで拾ってきた子達で、私達みんなで世話をしていますよ。彼らは私に比べるとあまりに脆くて小さくて、しかし彼らは一切その自覚が無いまま無邪気に転げ回り今にも壊れてしまいそうで、その有り様があまりに儚く愛らしくて胸が苦しくなったので思わず連れて帰ってきてしまいました」 「流石は我が王。ご趣味がおキモくておられる」 「貴方を一目見た時から同じ事を思っていましたよ」 「オエエエエエエエエエ」  王様本人は全く好ましくないが、王城での暮らしは非常に快適であった。食うも寝るも困らんどころか必要以上に豪華なものが用意される。勿論対戦相手も困らない。  どういう訳かは知らないが、王はダークエリアと表のデジタルワールドを繋ぐゲートを自由気ままに開く事ができた。全く、管理者のアヌビモン泣かせだ。  王はその力を正しく悪用して他人に迷惑を掛けるのを趣味としており、その際に我々部下を連れ立って行く事も多々あった。 魔王軍との交戦を前に苛立っている天使軍のど真ん中に出現し、慌てふためく天使どもと交戦したのは非常に楽しかった。  王へ向けられるべき怒りの矛先が我々に向けられるのだけは困ったものだが。  勿論、魔王軍にもナイツの部下どもにも満遍なくちょっかいを出して遊んでいたぞ。   ◆◆◆  王の城に住まうのは部下やペットに限った話でもなく、「互いの種族に興味を持った」とかで客人として招き入れられた学者のワイズモンなんかもいる。  そいつが「身体検査を受けろ」と言うので「面倒だ」と断ったところ、「君はあちこち変なところに行くから変なウィルスを持ち込んでいたら困る」と明け透けに言われた。酷い言われようである。  渋々検査を受けた結果、冒頭に繋がったという訳だ。  私は死生観云々以前に、デジモンとして成り立つための基本的なプログラム組成の段階でバグが発生していたらしい。  デジモンは戦闘を目的として創られた種族であり、戦闘を望んで行わせるために闘争本能がプログラムされている。それでも生物としての性質も与えられた以上は、時として生命活動に付随する欲求により闘争本能は抑制されてしまう。  だが私の破綻したプログラムには、生存の妨げとなる闘争本能を抑制するアルゴリズムは存在していない。 曰く、状況に応じて物事の優先順位を判断する機構にバグが生じており、状況の如何に関わらず「戦闘」が絶対的な最優先事項として固定された状態らしい。  通常は人格データに備わった思考ルーチンが状況を判断し決断する仕組みとなっている。しかし結論が固定されているが故に因果は逆転し、結論に至るまでの思考経路と、思考を生み出すベースとなる人格を再現する必要があった。 結果として我が人格は戦闘至上主義者として生まれつき設定されており、感情や嗜好もそれに合わせて調整され、戦闘を優先する判断に矛盾は無いものとしている。例としては闘争本能や欲求を示す数値が、他の感情を凌駕する勢いで過剰に出力されているのだそうだ。逆にその他の欲は控えめにしか出力されない。  即ち食欲、睡眠欲、良心、羞恥心、その他あらゆる生存本能——我が闘争本能はそれらの前提となるものとして全てに優先される。  自己保存より戦闘行為を優先する破滅的人格の個体、それが私だ。  ただの戦闘狂ならごまんといようが、私はそもそもの本能の組み立てからして他と隔絶された存在であったという訳だ。  真に私を理解できるのは私以外におらず、いたとしても全てを見抜く目を持った我が王のみだろう。  それがどうしたというのだ。  我が生命は果て無き闘争の追求のためにこそあり、甘美なる戦を前に全ては些事である。  何も変わらない。  我が渇望の出所が分かったところで何だというのだ。他者の理解も初めから求めておらぬ。  問題なのは、私自身が如何にして耐えがたき欲求を満たしてくれる強者たちと、どう相見えるかどうかだ。  そうワイズモンに伝えたが「別に私は必要だからやった検査の結果を伝えただけで、君の悩みをどうこうする気は一切ない。治せるものでもないし」と言われた。ごもっともだ。  という訳で私は今までと何ら変わりなく、王様の脛をかじりながら(比喩と物理両方でだ)、コロシアム荒らしを続ける生活を続けた。 ◆◆◆  こうして幼い頃より住処以外が変わらない生活を続けてきた訳だが、齢も二百を超えてしばらくすると流石に将来が不安になってきた。  仮にだ。仮にもし、私が王をも遥かに超える力を手に入れてデジタルワールド随一の強者となり、全ての者に圧勝できるようになったとしよう。  その時私はどうする? 実際はそこまで辿り着く前に戦死するだろうが、一度考え出すと止まらなくなってしまった。  逆に私が戦えなくなった場合はどうする? 潔い死を選択しようにも、死に体のまま永遠に生きながらえる呪いを掛けられたら?(あの王の下にいれば実際にあってもおかしくないのが嫌だ)  私にとって闘いを超える悦楽の存在は理論上有り得ないのだが、別の楽しみを見つけておくのも悪くはない。  そう考えた私は城内の堕天使に片っ端から声を掛けた。堕天使の連中はこういう事に詳しいからな。  すると面白い話が聞けた。七大魔王が一人、リリスモンが統治する地域の一角に「色町」なる区画があるのだそうだ。  事細かに伝えたいところだが、以前成長期デジモンの保護者たちよりクレームが入ったため抽象的に伝えよう。色町というのは、体に丸みを帯びたデジモン達とたのしくあそぶ場所だ。おっと、マメモン族の事ではないぞと言いたいところだが、私が知らないだけでマメモン族のセニョリータもいるのかもしれん。  リリスモンは人間が定めた七つの罪のうち「色欲」を司る魔王だ。しかし、色欲とは生殖行為にまつわる欲、即ちデジモンが一生感じない筈の欲だ。或いはその感覚を知ってしまったが故にリリスモンへと墜ちたのかもしれぬ。  では、リリスモンは他のデジモンを色欲に溺れさせるためにどうしたか?  デジモンの体に、人間と同じ部位と感覚を再現させようとしたのだ。  そのために科学者を重用したため、リリスモン領は学術都市の一面も持っているのはまた別の話だ。  とにかく、デジモンには不要な快楽に夢中になった連中に、私も仲間入りを果たそうとした訳だ。  堕天使の癖にやたら肌が艶々としたレディーデビモンに導かれ、「店」に入った際のレビューをしようかとも思ったが、この話を城のドラクモンにしたら家政婦のレディーデビモンども(「店」にいたのとは別人だ)に生き埋めにされたからよしておこう。  詳しく書けば成長期デジモンの保護者から苦情が来るため書きたくても書けないが、結論から言うと非常に楽しかった。  本来デジモンには存在しない感覚だったのが良かったのだろうか。闘い以外への興味が極端に薄い私だが、未知の快楽は私にとって強い刺激となった。成程、七つの大罪に数えられるだけの事はある中毒性だ。私より弱い相手とも楽しめるという所も良い。  すっかり色町のお嬢様方を気に入った私は、かねてより欲しかった持ち家を色町の近くに建ててしまった。春には桜が舞う、景勝地としても素晴らしい場所だ。 (ところが先の大戦でリリスモンは死んでしまった。以降はルーチェモン領となり、毎月のようにルーチェモンの分厚い写真集が配達されて来るようになった。捨てればバレてキレられるし非常に迷惑だ。女性型デジモンに会いたくてここに家を建てたのに、何が悲しくて野郎のキメ顔写真を見せられねばならんのだ)    ドラクモンの教育に悪いと怒られるので詳しくは言わないが、私はあの一連の行為から闘いに近しいものを感じた。というより、あれも一種の闘いと私は思わなくもない。教育に悪いとクレームが来るのでぼやかした言い方になってしまうのが残念だ。  あれはあれで良いものだ。良いものではある、が……  ああ、駄目だ駄目だ駄目だ! 良いものではあるが闘いに替わるほどのものではない!浴びる熱も痛みも快楽さえも我が愛しき闘争には遠く及ばぬ! やはり代替物では我が髄にまで夥しく巣くう飢えを満たせなどしないのだ!  下手に近しい代替物を試したのが仇になった。私にとって闘いとは、替えの利かぬ必需品であると深く自覚してしまった!  私と相手を繋ぐのは愛などではなく、ミスリルの毛皮よりも鋭く尖った戦意でなければならない!  私が流すべきは無為に流れる汗ではなく、血管を焼き尽くすほどに煮えたぎった血潮でなければならな  私の得物は“こんなもの”ではなく、我が研鑽と尊敬する好敵手達の血によって数百年間磨かれた爪(レイピア)であるべきなのだ! この爪を以て私は、外皮ごと相手のデジコアを刺し貫く感覚に酔いしれたい!  闘いの立ち回り、身のこなしのテクニックで相手を悦ばせたい!  生ぬるく甘ったるい慰め合いの繭より這い出て、鑢(やすり)のように荒く厳しい重圧の下で死にもの狂いで嬲りあう!  互いの一手が相手の生死の淵に届いた瞬間に私の悦びは絶頂を迎える!    失意のままに私は色町を去り、しかしその後しばらく対戦相手に恵まれなかった私は、三日後には縋るように色町を訪れていた。 ◆◆◆  こうして今も私は、我が闘志に応えてくれる強者と、更なる強者と戦う術を探し求めて城を抜け出し彷徨い歩いている。  今いるのは魔王バルバモンの統治下にある町だ。バルバモンが治める町は決まって物価が高い故にあまり近寄りたくないのだが、今日は気まぐれに普段は行かない場所に行きたい気分だったのだ。  どうにも広場の方が騒がしい。 『ダークエリアへ堕とされた諸君! お前達は天使型デジモンからの、蔑むような視線を覚えているか! 洞窟のような狭き暗がりに押し込められた屈辱を覚えているか! ダークエリアで生まれた諸君! お前達は青い空と照り付ける陽を知っているか! 平等と正義を謳う者どもが、お前達から奪い独占しているそれを知っているか!……暗闇の方が過ごしやすい種も多いじゃろうがあくまで比喩じゃよ?』  どうやら街頭演説の真っ最中らしい。……おお、誰かと思えばなんと本物のバルバモンではないか。コスパの魔王様直々のプロパガンダとは珍しい。 「人が増えてきたのう。なんと出血大サービスで無料の演説じゃ! 心して聴くんじゃぞ。聞こえん奴は見るか感じるかするように。本当なら金取るんじゃからな」  私は物珍しさに広場の中の方まで入っていった。バルバモンは朝礼台から我々聴衆をぐるりと見まわし、演説を再開する。 「儂ら闇に住まう者とアンポンタン天使どもの争いは未だ集結しておらん。長引く戦争で両世界を繋ぐゲートが限界を迎え、アヌビモンが管理を放棄する事態にまでなったにも関わらずじゃ。いい加減この下らん諍いに終止符を打つべく、儂は一計を案じたのじゃ」  バルバモン翁には興奮すると杖の先を地面に打ち付ける癖があるらしい。演説に混じってカツカツと聞こえて耳障りだ。 「その名も、“選ばれし子ども計画”!」  計画の名が明かされた瞬間、ミーハーな聴衆どもがざわついた。 「デジモンの成り立ちと、人間の関係は知っておるな? かつて人間は、民の一人ひとりを守るコンピュータープログラムとしてのデジモンを生み出し、更にはデジモンが住まう仮想世界デジタルワールドを生み出した。ごく少数の研究者による極秘プロジェクトであったデジモンは今や人間の歴史から消え去ってしもうたが、主人たる人間の感情に呼応し、変化する機能はデジモンの中に今も残っておる」  人間と聞いてざわつく声に不安の声が混ざり始める。  それもそうだ。人間とデジモンが関係を断って久しい今、デジモンにとっての人間は「デジモンより弱い別世界の生物」でしかないのだ。それを今更利用しようなどと、全くふざけた話だ。 「デジモンと主人の人間を繋げるパス、その名も“パートナー関係”を結ぶ装置さえあれば、儂らデジモンは再び人間より力を得られるようになる。しかも人間の中には、デジモンに特殊な恩恵を与える力をイグドラシルより与えられし者がいるという。正に、選ばれし者じゃ。更にその中から未熟で操りやすく、感受性も強いとされる子ども達を選び出し、対応するデジモンと同調させれば!」  未だ不安の声は収まらない。  バルバモンが敢えて言及を避けているが、多くが知っている事実がある。  それは、パートナーの人間が死ねばデジモンも共に死ぬという事。元々個人の命を守るプログラムであるが故に、主人が死ねば不要となるためだ。  人間を戦争の道具にするという事は、自らの電脳核を体外に引き摺り出す行為と変わらない。おっと、四聖獣の話はするな。  如何な魔王渾身の案とは言え、死の危険を前に不確かな計画へ協力する阿呆などいるものか。 「……そやつは通常のデジモンとは比にならぬ力を得るじゃろう」  世界中の何よりも力と戦場を愛している、私のような阿呆を除けば。 「さあ、天使に恨みがある者共、力試しがしたい者は我が城へ集え! 志願兵の募集をたった今から再開じゃ! そして同時に、“選ばれし子ども計画”参加者の選考を行う! 志願兵の中に選ばれし子どもをパートナーに持つデジモンがいると分かれば、そやつを計画の参加者へ加え入れる。魔王連合軍が金に物を言わせて調べれば、パートナーがどんな人間か簡単に分かるんじゃ」  志願兵の募集と聞いて、聴衆は再び色めき立つ。  訳の分からん作戦には協力できずとも、魔王と共に天使型デジモンへ一泡吹かせたいと思う者は多いのだろう。 「まあ、選ばれし子ども計画の方はオーディションの記念受験と思って、気軽に志願するといい。もし志願してくれるんじゃったら、そうじゃのぅ〜」  バルバモンは顎髭を触りながら考える仕草をして、不意に観衆側へ杖の先を向ける。  観衆達はまるで打ち合わせていたかのように綺麗に、杖が指す方向から逃げていく。 「今すぐにでも戦いたがっているそこのマタドゥルモン、お主のような奴がいいのう」  人の海が裂けて私だけが一滴の滴のように残っている。  私は歓喜のままにバルバモンの前へ飛び出し跪いた。 「ご機嫌麗しゅうございます、バルバモン殿! 私は流れの武闘家にてございます。どこにも属さず、風に任せて流れ行く木っ端のような私めをお目にかけていただけるとは、なんたる僥倖! 一般兵であろうと“選ばれし子ども”のパートナーであろうと、必ずやバルバモン様のお役に立ってみせましょうぞ!」
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羽化石
2021年11月03日
In デジモン創作サロン
※この小説は、QL氏主催の魔王型デジモンを題材とした小説アンソロジー『皇魔業臨書』への寄稿作品です。筆者は傲慢の魔王ことルーチェモンを担当いたしました 「救世主さま! お目覚めになられたのですね!」  敏郎少年がまどろみから目覚めた時、彼は彼の知らない場所に横たわっていた。  彼の下に敷かれていた煎餅布団は見当たらず、代わりに柔らかな葉と白や黄色の小さな小さな花で構成された草原があった。草原といっても大した広さはなく、畳六畳分あるか無いかといった具合であった。  ではここは屋外なのかと言えばそうではなく、小さな草花は大理石の床の上から生えていた。周囲にはギリシャの神殿を思わせる柱が連なっている。  続いて敏郎は自分が人の頭くらいの大きさの、大きな卵を抱えている事に気づく。卵は山吹色の下地の上に、より濃い橙色でコミカルな渦巻き模様が描かれていて、要するに明らかに自然物とは思えない代物だ。  ここでやっと敏郎の意識が完全に覚醒した。寝ている間に見知らぬ場所へ放り出されたと気づいた敏郎は、軽い恐慌状態に陥った。  そんな敏郎を落ち着かせたのは、これまた彼の知らない声だった。  男のそれにしては高く、女のそれにしては低い声。穏やかでありながら威厳を孕み、無邪気な声色の筈が仙人のように達観した、二面性を孕んだ声だ。  不思議な声は確かに敏郎を落ち着かせたが、声の主の容貌は敏郎を再び驚嘆させるに値するものだった。  端的に言えば、それは人ではなかった。背中に何枚もの――敏郎は敢えて数えなかったが、実際は頭に生えているものも合わせて十四枚あるらしい――翼を生やした人間がどこにいるというのだ。  敏郎にはそれが何者なのか皆目見当もつかないが、どこまでも清らかな漆黒の蝙蝠の翼と、何色も寄せ付けない純白の鳥の翼のおかげで敏郎にもそれが「堕天使」と呼ばれる種族である事は辛うじて理解できた。 「ご安心ください! あなたからのご質問には全て私がお答えします!」  満面の笑みだ。営業スマイルではとても再現できないような、本気で何かを喜んでいる時に浮かべる笑みだ。しかも目が、あちこちからライトでも当ててるんじゃないかと疑ってしまうほど輝いている。悪意の欠片も見られないが、それが逆に不安だ。  敏郎は全くもって安心できなかったが、とりあえずは「ここはどこか」と尋ねてみることにした。すると堕天使は「ここは『デジタルワールド』と呼ばれる世界、敏郎さまにとっては所謂異世界ですね!」と答えた。  真っ先に「なんでこいつ俺の名前を知ってるんだ」と思ったが、本命の問いと比べたら大した事ではない。続いて「なぜ自分は異世界なんかに呼ばれたのか」と尋ねた。堕天使の発言の真偽を先に尋ねようかとも思ったが、彼の翼が明らかに生物の体の一部としての動きを見せていたので、「これは嘘だ」と認める事を諦めた。 「それはですね! なんと、あなたが『救世主』に選ばれたからなのです! 私が選びました!」  金髪の美丈夫は瑠璃の瞳をこれでもかと見開き、輝かせながら言う。堕天使の割には随分と明るい奴だと敏郎は思った。好青年である事は確かだが、フレッシュ感が振り切れ過ぎているというか、胡散臭さが無いのが逆に胡散臭いというか、兎に角、敏郎が今まで会ったことのない人物であった。  そっかそっかー。俺は救世主かー。って納得できるかーい。なんで俺やねーん。 「それはですね、あなたが十二歳という若さでありながら賢く、活発で、更にもっと幼い頃に失われるはずの好奇心を持ち合わせ――」  以下、敏郎への賛美の言葉が延々と続くため割愛。  敏郎は褒められるのは嫌いではないし、寧ろ好きな方ではあるが、この度「見知らぬ人間から一方的に長々と褒められたら怖い」という新たな知見を得た。 「ああっ、そんな不安そうに見つめないでください! 庇護欲をそそらないでください。これ以上あなたを守りたくなったら私、あなたを壊したくなってしまいます!」  突然、堕天使が叫んだ。  彼は目尻を下げ、涙を浮かべて震えながら訴えてくる。がっしりした両腕で自分自身を押さえつけている様子は、敏郎に確信を抱かせた。  あ、こいつやっぱりヤバい奴だな! 「ああ! 違うのです」  何が違うというのだ俺は何も言ってないぞ。 「私、守るべきものや愛するものに、破壊衝動を抱いてしまう生き物なのです。そういう風にできているのです」  はて、「できている」とは? 「犬は喜ぶと尾を振るでしょう? 猫はリラックスすると喉を鳴らすでしょう? カエルのメスはより大きな声のオスに惹かれるでしょう?」  最後のは初めて知った。 「そういうなのです。私にはどうする事もできないのです」  そうだったのか。それは悪い事をした。  正直、恐怖は払拭できなかったが、それが悪意によるものではないと分かり胸を撫でおろす。 「ああ! 申し遅れました。私、ルーチェモンと申す者です。ここら一帯の領主……とでも申しておきましょうか」  この後、ルーチェモンの説明はこう続く。  この世界、『デジタルワールド』は『デジタルモンスター』と呼ばれる生物が住む異世界で、ルーチェモンもその一種なのだそうだ。そしてこの世界には、時々未曽有の危機が訪れるのだという。危機を脱するには人間の子どもの助力が不可欠で、今回選ばれたのが敏郎なのだという。  ここまでは(これが実際に起こった出来事だという点を除けば)アニメや漫画にありがちな冒険譚のあらましにそっくりだったので、敏郎もすんなり受け入れることができた。  という事は、今自分が抱えているこの卵は、自分の相棒であるデジタルモンスターが生まれてくる卵という事か。 「その通りです救世主さま! 流石は我らが救世主さま、なんて聡明なお方!」  アニメにありがちな話を自分の状況に当てはめただけなのだが、ルーチェモンがベタ褒めしてくれるので言うに言い出せなかった。  次は卵の孵し方を訊ねてみる。 「その子は特に温めてあげる必要はありません。その代わり、たくさん撫でてあげてください。この子はあなたからの愛情をもらって孵るのです」  愛情か。出会ったばかりで愛情はまだ抱けてないけれど、いつかは生まれてきた君と仲良くなれたらいいな。 敏郎は願いをこめて卵を撫でた。少し、ざらざらしていた。 「さて、次は城内をご案内いたしますね!」             ●  敏郎はどうやら、ルーチェモンの居城、その中の一部屋に招かれていたらしい。中庭でもないのに床に直接植物が植えられているなんて、不思議な部屋だったなあと敏郎は思う。 「あそこは元々、召喚の儀式のための部屋なんです。お呼びした救世主さまを怖がらせてはいけないと思って、自然が沢山のお部屋に作り変えたのです!」  う、うん? うーん。人間とデジモンの感性は少しずれているのかもしれない。  わざわざ自分のためにやってくれたのか? とルーチェモンに尋ねる。すると、彼は大きく頷きながらこう言った。 「ええ! ……と言いたいところですが、あのお部屋は先代の、そのまた先代の更に先々代の救世主さまの頃からご用意してあるお部屋なのです」  そう言えば、自分以外にも人間がこの世界に来ていたと取れる発言をしていたような気がする。ついでに、自分の前に何人ほど着ていたのかも聞いてみる。 「えー、あなたが十四代目ですから、十三人でございますね!」  多いような、少ないような。などと考えているうちに、ルーチェモンの足がとある部屋の前で止まる。 「ささ、こちらが救世主さまのお部屋です!」  相変わらずのオーバーリアクションで通された部屋には、そんじょそこらのホテルとは比べ物にならないほどふかふかのベッド、広い学習机、そしてファンタジーな世界観にはそぐわないテレビ。生活に必要な家具は一通り揃っていた。  ナチュラルに部屋が用意されているが、つまり元の世界に返す気は無いという事か。  とは思うものの、言ったところで帰れる保証も無さそうだと敏郎は黙ってルーチェモンに従う事を決めた。 万が一笑顔の裏に隠された悪意があったとしても、敏郎にはどうしようもない。  自分はピンチに陥ると逆に冷静になるタイプだったのか。敏郎はまたも新たな知見を得た。  その後、敏郎はルーチェモンと共に城内を見て回った。それなりに広い城で施設も充実しており、特に敏郎の興味を引いたのは図書室だった。その図書室が誇っているのはその蔵書の数。国立図書館もびっくりの充実度だ。  尤も、字の本にあまり興味の無い敏郎は「これだけあれば、マンガもあるかもしれない」と期待しているだけなのだが。 ●  敏郎はルーチェモンに連れられ、城下町を訪れる。その腕の中に、いずれ生まれる相棒を抱えながら。 「ルーチェモンさまだ!」 「ルーチェモンさま、ご機嫌麗しゅうございます!」 「坊や、ルーチェモンさまにご挨拶なさい」  恐竜、ロボット、人面樹とバラエティ豊かな住民たちが、ルーチェモンの姿が見えたと同時にどっと歓声を上げた。  町は活気に溢れ、住民たちは皆、笑顔を浮かべている。どうやらルーチェモンは優れた統治者らしく、それは住民が彼を歓迎している様子からもはっきりと感じ取れた。  町には円形の広場があり、ルーチェモンはそこに住民を集めた。彼は演説用の台から高らかに声を上げた。 「皆さま! 本日は私から、皆さまに良いお知らせがございます!」  ルーチェモンは敏郎に、台を登ってくるよう合図する。そして言われるがままに台の上に立った敏郎の肩に手を添え、叫ぶ。 「遂に! 救世主さまが我らの世界においでくださったのです!」  広場は一瞬静まり返り、徐々に「あれが?」「救世主?」「人間ってああいう形してたんだ」と小さな話し声が聞こえ始めた。そして―― 「救世主さまばんざーい!」 ――ルーチェモンが姿を見せた時のそれとは比べ物にならないほどの歓声が町中を包んだ。 「救世主! 救世主!」  敏郎は困惑と照れを隠せなかったが、それでも期待に応えようと手を振った。すると「救世主」コールはまた一段と強くなり、敏郎は気圧されてしまった。故に、彼は腕に抱えた卵が震え始めていた事に気付かなかった。  自分の胸元から眩い光が放たれた時、初めて敏郎は卵に変化が起こったと気づく。卵の殻は光と共に消え、代わりにぼたもちのように丸く、真っ黒な生き物が腕の中に収まっていた。 「ボタモンだ……」 「救世主さまがお生まれになった……」  それを見た町人たちが再びざわつき始めた。そして今度は新しい生命、ボタモンの誕生を祝う声が町中から上がった。 「おめでとうございます!」 「今日は宴だ!」 「酒だ酒! お二人の救世主さまにはミルクかジュースをお持ちしろ!」 「おめでとうございますぅー‼」  一番最後の「おめでとう」は、町人に負けないくらいの声の大きさでルーチェモンが言い放った「おめでとう」である。感動のあまり涙さえ流していた。表情は例の笑顔のままだが。  敏郎は困惑しきりだが、これから自分の大切な友達になる赤ん坊を祝福したい気持ちもある。「おめでとう」を、敏郎もそっと呟いた。           ●  ある日、敏郎はボタモンと二人で城下町を訪れていた。 「よっ、敏郎! 元気か?」  昼間から酒を飲んでいるウッドモンが、親し気に声を掛けてきた。  敏郎とボタモンが「救世主」と呼ばれたのは結局一瞬だけで、宴が終わればすっかり名前で呼び合う仲になっていた。ルーチェモンだけが律義に「救世主」と呼んでいる。 「お前も呑むか?」  未成年飲酒の誘いを断り、足早に住宅地へ向かう。目的地はサンフラウモンの家。彼女が家庭菜園で作った野菜を敏郎とボタモンにも食べてほしいと言うので、今から取りに行こうという訳なのだ。  この町はあらゆる建築様式の建物が入り混じっている。地中海の伝統的な建物のように、真っ白な家がサンフラウモンの家だ。 「あら~、敏郎ちゃんボタモンちゃん! もう来たの! あら~、足が速いのね~元気なのね~」  サンフラウモンは田舎のおばあちゃんのように敏郎を褒めちぎりながら、カゴ一杯の野菜を持ってきてくれた。サクラ鳥大根に挑戦ニンジン、ヘビーイチゴにエトセトラエトセトラ……。家庭菜園でもこれほど多くの野菜を育てられるのか、と、敏郎は感心した。ちなみに、敏郎がデジタルワールド特有の野菜の名称を知っているのは、ルーチェモンから「デジタルワールドの救世主さまにはデジタルワールドの知識が必要不可欠ですよね!」とみっちり仕込まれたからだ。  サンフラウモンの後から、十体ほどの幼年期たちがぽてぽてとついてくる。実は彼女の職業は保育士で、自宅を保育所代わりに幼年期たちを育てているのだ。  最初はサンフラウモンが自ら城に出向こうとしていたのだが、子どもたちの世話で忙しかろうと敏郎が自分で取りに行く事を決めて今に至る。           ●  野菜を抱えて城へ戻ると、ルーチェモンの書斎が大量の手紙に埋め尽くされていた。扉を開いた瞬間、手紙が雪崩のように崩れ落ちて敏郎とボタモンは危うく生き埋めになるところだった。それにも関わらず、部屋の中は手紙がぎゅうぎゅうに詰まったままだ。 「救世主さま! お帰りなさいませ!」  手紙が喋った。違う。手紙の中に埋もれたルーチェモンが喋った。 「こちらはですね、住民の皆様から頂いたお手紙なのです!」  敏郎は「そんなに⁉」と驚いたが、ルーチェモンは王なので、住民からの意見はいくらでも集まってくるのかもしれない。 「はい! こちらが救世主さまの分です!」  どちらだ。と思いながらもルーチェモンが差し出した手紙の束(推定)を受け取った。他の束と混ざらないよう、慎重に手紙を開く。 『きゅうせいしゅさま、がんばってください』 『ボタモンくん、またあそぼうね』 『全然知らねえ世界で不安がってる敏郎! 文通しようぜ! 文通が何なのかわかんねえけど! ムーチョモンが「敏郎と仲良くなりたいなら文通してみれば?」って言ってたんだ。おめえともっと仲良くなるために、まずは手紙で文通についておめえに聞いてみるぜ~!』  それは、敏郎とボタモンに向けられた友愛と応援のメッセージだった。  まだ救世主としての自覚が無かった敏郎だが、それでも、住人からの手紙は彼の心を確かに打った。  敏郎が受け取った分は全体のほんの一部。残りの手紙は全てルーチェモンに宛てられたものだ。  現地民はこの怪しい好青年を本当はどう思っているのか。気になった敏郎は、ルーチェモンには悪いと思いながらも、書斎からはみ出た手紙を一枚選んで封を切る。 『私はエルト村のルナモンです。我々の村とエルドラディモンを救ってくださった王様に、どうしてもお礼がしたくて手紙を書きました。私たち村民は、暴れ狂い村を荒らすエルドラディモンを祟り神として扱ってきました。いずれはエルドラディモンを討伐しなければいけないとも思っていました。しかし、王様はエルドラディモンが暴れていた原因は病とそれに伴う痛みだと突き止め、エルドラディモンを治療し、私たちとエルドラディモンの両方を救ってくださいました。しかも、荒れた村を復興するために援助もしてくれました。こんな田舎の村も救ってくださるなんて、あなたは良い王様です。あなたが王様の世界に生まれることができて、本当に嬉しいです』  この他にも封を切ってみたが、その殆ど全てに、ルーチェモンの行いに対する感謝の言葉が書かれている。  そして敏郎は気づく。ルーチェモンは優れた統治者であり、彼が治めるこの世界は素晴らしい世界なのだと。あの笑顔にも歓声にも、偽りのものは何一つ無いのだと。  この時、敏郎の心に一つの願いが生まれた。救世主として呼ばれたからには、この素晴らしい世界を守り抜きたいと。彼が使命感と呼ばれる感情を抱いた瞬間である。 「遂にお目覚めになられたのですね!」  まるで心を読んだかのように、突然ルーチェモンが手紙に埋もれたまま声を上げた。 「その意気です救世主さま! 私も精一杯サポートさせていただきます! まずは人の手紙を勝手に読まないところから始めましょう!」  何でもお見通しだから優れた統治者になれたのかもしれない。敏郎は反省しながらも訝しんだ。           ●  敏郎とボタモンは、町の闘技場に来ていた。デジモンの戦い方というものを学ぶためだ。  ルーチェモン曰く「この世界のデジモンは半分が戦い好き、四分の一は戦いが嫌い、残りが戦いに興味は無いが得意ではあるデジモンで構成されている」らしい。 敏郎は半信半疑で建物の扉を開けたが、中から吹き出す熱気、それと同時に目に入った光景は、敏郎の認識を改めるに足るものであった。 デジモンたちが戦っている。町で普通に歩いているような、どこにでもデジモン達が、あちらこちらで火花を散らしている。 更に、それを別のデジモンが観客として、ドリンクやスナックを食しながら観戦している。この国ではデジモン同士のバトルが、娯楽として扱われていた。 敏郎が観客席の隙間をおっかなびっくり歩いていると、上から聞き覚えのある声が降ってきた。 「なんだ敏郎じゃねえか! お前も呑みに来たのか? それとも賭けに来たのか?」  声を掛けてきたのは、いつもお馴染み酒飲みのウッドモン。敏郎とボタモンはウッドモンの隣に座る。 「おい、子どもを賭けに誘うなよ」 「細けえ事言うなよスティングモン。まあ、いいじゃねえか。おっ、始まるぜ。見てな。今、あのマタドゥルモンがメタルグレイモンをぶっ倒して俺が1000bit手に入れるから」 「たった1000しか賭けてないのかよ」 「うるせえ! いいか、敏郎? デジモンってのは必ずしもデカい奴が勝つ訳じゃねえ」  円形のバトルフィールドの中で向かい合う二体のデジモン。メタルグレイモンは機械化されたドラゴンといった具合の容姿で、その印象に見合った大きな体躯だ。一方、マタドゥルモンというデジモンは(大まかな形は)人間に似ていて、とてもメタルグレイモンに勝てるとは思えなかった。  しかし、ゴングが鳴った瞬間、マタドゥルモンが目にもとまらぬ早業で、メタルグレイモンの顎に蹴りつけた。  メタルグレイモンは何もできないまま、ふらふらと地面に倒れ伏す。 「見たか敏郎? あれがデジモンの戦いだ。どんなデジモンにも、どんな相手とでも戦えるくらい強い力が備わってんだ」  敏郎は改めてマタドゥルモンを見た。彼の腹をよく見るとしなやかな筋肉がついており、きっと手足の筋肉もそれなりに発達しているのだろう。 「敏郎もボタモンも、鍛えりゃグレイモンやマタドゥルモンになれるかもな!」  敏郎はふるふると首を横に振る。敏郎はウッドモンに「自分は人間だから進化はしない」と伝えた。 「マジか。デジモンと人間って、見た目から何まで全っ然似てねえんだな」 「そうか? 俺は真っ先にルーチェモンさまに似てると思ったぞ。顔と手足の形がそっくりだ」  そう言えばルーチェモンも闘技場に来るのかと聞いてみると、今度はウッドモンとスティングモンが真っ青になって首を横に振った。 「ルーチェモンさまと戦ったりなんかしたら、この町の連中が全滅しちまうよ!」  さっきのウッドモンのセリフとは何だったのか。敏郎はやれやれと肩をすくめた。           ●  ある日、図書館を物色していた敏郎は、『ロイヤルナイツ』と呼ばれる集団に関する書籍を発見した。  ロイヤルナイツというのは、デジタルワールドを守護する役割を与えられた騎士の集団らしい。ヒロイックな鎧に身を包んだナイツは、敏郎少年を熱中させるほどの魅力を秘めている。正確には、敏郎はまだまだ格好いい騎士に熱中になる年頃である。  ロイヤルナイツに関する蔵書は、それだけで広い部屋の半分を埋めてしまうほどの量があり、敏郎をその質量で以て圧倒する。もう半分は『七大魔王』と呼ばれる悪のデジモンを題材にした本が埋めていたのだが、敏郎はそちらには興味を引かれなかった。  敏郎はロイヤルナイツに関する本の中でも短く、物語形式の本を何冊か選び、それを持って城下町に飛び出した。 「あら~! 敏郎ちゃんいらっしゃい!」 「としろーだ~!」 「としろー、ほんもってるー」  サンフラウモンの家に着くと、たちまち幼年期デジモンたちが敏郎を取り囲んだ。中にはツノモン――ボタモンが進化した姿だ――もいて、大勢の友達と一緒に読み聞かせを催促してくる。  敏郎は絵本を開き、読み聞かせを始めた。 これは、デジタルワールドを守ってくれる、とーっても強い騎士さまのお話。           ●  愛していたんじゃ、なかったのか。  否。これは愚問である。奴は全てを愛しているのだ。愛しているから壊すのだ。初めから分かっていた事だ。  今、自分たちがいる場所、城の最上階の空中庭園からは城下町が一望できる。暗黒の空の下には今も大勢のデジモンたちが生きている。 町の人々は苦しみながら死ぬのだろうか。眠るように穏やかに消えるのだろうか。どちらだって同じだ。  今自分たちが考えるべき事は、彼を倒して世界を救う事のみ。これが終わったら帰れるとか、邪念は捨てろ。救う事だけを考えるんだ。  敏郎と相棒の決意は固まった。グレイドモンは剣を抜き、傲慢の魔王へと黄金の切っ先を向ける。彼の翼が僅かに動いたのを合図に、戦いの火蓋は切って落とされた。 「私の世界に『七大魔王』という概念があった頃、彼らは各々が背負った罪科に従い、デジタルワールドを幾度となく破滅の危機に追い込みました」  ロイヤルナイツ――今は失われた概念である――さえも凌駕する剣技を以て魔王に肉薄する。確かに魔王の胸に届きかけたその剣は、小型の暗黒球によって軌道をずらされ羽の数枚を散らすに留まった。 「彼らの破壊に愛などなく、私にはそれが我慢なりませんでした」  グレイドモンは一度距離を取り、再び突進する。それをルーチェモンは避けようともしない。 二振りの剣は十字の軌跡を描く。グレイドモン必殺の一撃である。しかし、それはルーチェモンの眼前に張られた薄い膜を破る事さえ敵わない。圧倒的な力の差が、グレイドモンと敏郎に真の危機感を抱かせる。 「ですから、私は七大魔王という枠組みを無くしたのです。だって、必要ないでしょう?」 ルーチェモンは両手と翼を広げ、ふわりと浮かび上がる。それぞれの手には光と闇、相反する性質の魔力が込められていた。 「『この世界の愛を全て自分の物に』という強欲な願い! 『他の魔王が我が世界を破壊するとは腹立たしい』という怒り! 破壊を独占する魔王と愛を独占するロイヤルナイツへの嫉妬! こうして手に入れた世界を何度味わい尽くしても止まぬ暴食! そして何よりこの愛欲! 七つの大罪その全てが私の中にある! 世界の均衡を憂う必要は何一つありません!」 嗚呼、その姿は正しく傲慢の魔王。 「ロイヤルナイツも必要ありません。全ては私が守るのです。三大天使も不必要です。そもそも彼らの力の源はなのですから。イグドラシルとかいう管理システムも滅しました」  金糸の如き煌めきの髪の毛も、どこまでも清らかな漆黒の蝙蝠の翼も、何色も寄せ付けない純白の鳥の翼も、そして曇りの無い瑠璃の瞳も、その全てが、敏郎とグレイドモンに「悪はこちらだ」と錯覚させる。だが、そんなものに惑わされようとも成し遂げる意思だけは譲れない。 「後は私一人を残すのみ。さあ、救世主さま。傲慢の魔王を打ち滅ぼし、世界をお救いくださいませ!」  自分じゃ努力もせず、十二歳の子どもに自分の欲の処理を押し付けるってか。それがお前の「怠惰」だな。グレイドモンはぼそりと呟いた。           ●  ルーチェモンは傲慢極まる愛に基づいた救済願望と破壊願望を持ち合わせていなければならない。  歴代のルーチェモンの中には「死こそが救済である」と折り合いをつける者もいた。だが当代の魔王はそれを思考停止と見なした。  破壊願望を満たせば救済願望は満たされない。だが破壊願望を抱かない愛など愛ではない。  故に彼は「救世主」を用意した。「ルーチェモンが選んだ」という肩書を持ったそれに、破壊者たる自身から世界を救わせようとした。ルーチェモン自身は破壊者に徹しつつ、救世主に自己投影する事でメサイア・コンプレックスを満たそうとした。  護界騎士を排し、七大魔王を滅し、破壊も救済も全て自己完結させた。  愛故の傲慢さがこの世界の理であった。           ●  一体俺はどうなっている。そうか。『デッド・オア・アライブ』が直撃したのか。とりあえず、生きてはいるようだ。  グレイドモンは破壊し尽された我が身を顧みず、身を挺して守った敏郎を振り返る。  余波も衝撃も消しきれず、敏郎も満身創痍であった。  だが、二人ともまだ息はある。立ち上がる「意思」がある。  ルーチェモンには傷一つない。相変わらず爽やかすぎて胡散臭い眼差しをこちらに向けている。ああ、俺たちに期待している目だ。  そこまで言うなら見せてやろうじゃないか。俺たち救世主の力を。  敏郎とグレイドモンは傷ついた体に鞭打って、互いの拳を突き合わせた。   ●  かつてこの世界には、ロイヤルナイツと呼ばれる聖騎士団が存在した。  その中で特に皆の尊敬を集めていた者。十二の騎士の殿を務める者。  二つの高潔な魂から、あまねくいのちの祈りを受けて生まれた戦士。 ● 魔王を討伐し、世界に平和をもたらす事は敏郎とグレイドモンの悲願である。全世界のデジモンたちの悲願である。そして何より、他でもないルーチェモン自身がそれを何より望んでいる。 ならば彼の騎士がそれに応えぬ道理は無い。 敏郎とグレイドモンの体が溶け合い、一つとなりて降誕するは白き鎧の聖騎士、オメガモン。 「……久しいですね。オメガモン」  ルーチェモンが呟いた。祈りの光を浴びて輝く聖騎士は、彼にとって数千年ぶりの、の輝きを放っている。 「嗚呼、救世主さま! 私が待っていたのは正しくこの輝き! あなたは紛う事なき救世主! 私の目に狂いはありませんでした!」  いくら聖騎士の体を得たと言えど、その素体は両者共にほぼ限界だった。オメガモンの姿も長くは維持できないだろう。  決めるなら、一瞬で。そのための力を両手に籠める。 「会いとうございました……あなたさまに会いとうございました……。さあ! その何者も折る事のできない剣で! 私を貫いてください! 世界を侵す魔王の業に終止符を打つのです!」  言葉とは裏腹にルーチェモンは防御の手を緩めない。何重にも張った魔法盾がオメガモンの行く手を阻む。  だが、それがどうした。  我こそが希望背負いしロイヤルナイツ。傲慢の魔王何するものぞ。  グレイソードの前に敵無し。左手で一薙ぎしただけで、クロンデジゾイド並に強固な壁は薄く軽くスライスされる。グレイドモンでは傷一つ付けられなかったルーチェモンの胸に、一筋の紅い線が走った。 「至近距離での戦闘は私の得手ですとも!」  デッド・オア・アライブと双璧を成す脅威。楽園をも破壊する悪魔の乱舞。  まずは拳を一撃、オメガモンに叩きこもうとしたルーチェモンはある事に気付く。体が動かない。まるで凍ってしまったかのように。  そしてやってくる、熱と錯覚するほどの寒さ。  痛点を刺激して病まない冷気の発生源は、今まさにルーチェモンに突き付けられているオメガモンの右手。  発射されるよりも前から人知を超えた冷気を放っていた弾丸が、ルーチェモンの胸を貫いた。  ルーチェモンはぽかん、と口を開け、胸の開いた穴とオメガモンの顔を見比べる。彼が「何が起きたか理解できない」と感じているのを、オメガモンは初めて目にした。そんな顔をするのは今まで自分の役目だったのに、と、感慨深ささえ感じていた。 「……救世主さまにお会いできた事、私が生きてきた中で一番、嬉しゅうございました!」  ルーチェモンはたったそれだけの言葉を言い終わると、いつもの笑顔のまま、すうと静かに消滅した。  どうだ。一矢報いてやったぞ。これで少しは満たされただろ。じゃ、後は任せたぜ。次の『救世主』さま。  オメガモンは力尽き、地面に崩れ落ちるように倒れる。オメガモンの肉体を維持するためのエネルギーも尽き、二人は再び敏郎とグレイドモン、二つの個に分離した。  視界が霞んでいく。息をするのも辛い。だが、満足だ。  敏郎は消えゆく意識の中で、偉大なる紫紺の竜が飛び立つ様を見た。  自分自身を、胎児を抱くように抱えた竜が、巨躯と贖罪の炎で世界を塗り潰すのを見た。           ●  生まれたての世界に朝日が差す。           ● 「救世主さま! お目覚めになられたのですね!」  苺がまどろみから目覚めた時、彼女は彼女の知らない場所に横たわっていた。  彼女が慣れ親しんだふかふかのベッドは見当たらず、代わりに柔らかな葉と白や黄色の小さな小さな花で構成された草原があった。草原といっても大した広さはなく、畳六畳分あるか無いかといった具合であった。  ではここは屋外なのかと言えばそうではなく、小さな草花は大理石の床の上から生えていた。周囲にはギリシャの神殿を思わせる柱が連なっている。  続いて苺は自分が人の頭くらいの大きさの、大きな卵を抱えている事に気づく。卵は桃色の下地の上に、赤色でラブリーなハートマークが描かれていて、要するに明らかに自然物とは思えない代物だ。  十五巡目の世界が、始まった。                    (終)
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羽化石
2020年10月18日
In デジモン創作サロン
 「それ」は深い暗闇の中で目覚めた。見ていた夢は霞と消えて、手の中にあった筈の温もりの在処は、終ぞ分かりはしなかった。 ————————  「それ」が目を覚ました時、「それ」は相も変わらず光も届かぬ洞窟の奥底にいた。  地鳴りのような唸り声を上げて「それ」は動き出す。「それ」の動きに合わせてぽろぽろと零れ落ちたそれは、「それ」の身体の一部だった、小さな小さな小石だ。  「それ」は、岩石と宝石からなる肉体を持つ、デジタルモンスターである。自他共にそう理解していた。  デジモンたるもの、「それ」にも幼年期や成長期だった時代があったのだろうが、「それ」には幼き時分の記憶は残っていなかった。  「それ」の最古の記憶は、今朝のように真っ暗な洞窟で目覚める場面から始まっている。その時間より以前に何を見ていたのか、「ある一点」を除けば何も思い出せなかった。  雨にも打たれず風にも削られさえしなければ、悠久の時の中にただ在り続けるのが岩というものである。  きっと自分は、記憶が磨耗するほどの永い時を過ごしたデジモンなのだろう。と、「それ」は「それ」から逃げ惑う、小さなドラコモン達の姿を見て理解していた。  かつての自分は足元でうろちょろしているゴツモンのように、矮小な岩のデジモンだったに違いない。などと呑気に考え事をしながら、混迷極まる群とすれ違っていく。  やがて視界の端にちらりと光が見えるようになる。  ヒカリゴケやツキヨタケのぼんやりとした光ではない、もっと強くてはっきりとした輝き——太陽の光だ。  これこそが「それ」の目的。「それ」は光をもたらす場所、すなわち洞窟の出口から飛び出し、太陽の光をこれでもかと浴びた。  体中の透き通った宝石を通して日光を取り込み「それ」は生きている。  洞窟に住むデジモン達と岩石を取り合う必要も無ければ、彼らを捕食する必要もない。  それでも「それ」は、洞窟とその周辺に住むデジモン達に恐れられていた。暴力を振るった覚えなどないのだが、「それ」は「長命故に強大な力を蓄えていると思われているのだろう」と納得していたので、気に病みはしなかった。  「それ」は太陽が好きだ。太陽は暖かいし、太陽の光は美味しい。だが、それだけじゃない。  暗闇の記憶の中で唯一光り輝く記憶、誰かの笑顔の記憶を思い出させてくれるから好きなのだ。  今となっては笑顔の持ち主が誰なのか、「それ」に確かめる術は無い。「彼女」がデジモンかどうかすら、定かではない。  何も覚えていやしないというのに、太陽よりも眩しい笑顔が愛しくて仕方がなかった。どうして愛しいのかも分からないのに。彼女の事は顔以外、何一つとして知らないのに。  この胸に溢れる感情だけは失ってはならないと、「それ」は心の底から信じていた。  会いたい。会いたい。会いたい。  だから、会いに行った。  いつだって良かったのだ。「彼女」の記憶が磨耗する前ならば、いつ出発したって良かったのだ。それがたまたま今日だっただけの話だ。  洞窟の出口からたった三歩先までしか知らない「それ」は、愛しさの正体を探して駆け出した。 ———————— 「……見つけた」  いつでも良かったのだ。彼ほどの執念があれば、「それ」がいつ住処を発っても「それ」を見つけられただろうから。  朝露きらめく新緑の森から荒野めがけて、玉虫色の槍が行く。 ————————  きらきら、きらきら、光っている。  「それ」はそのような光り方をする物体を知らなかった。  精錬された金属は勿論、金属光沢に似た輝きを持つ甲中の翅など、荒野にある洞窟の中にいた「それ」には知る由も無かった。  緑色にぴかぴか光る鎧は、いくつもいくつも色を持っているその石は、なんていう宝石なんだい?  「それ」は訊ねてみたかったが、「それ」はあまり賢くないので言葉をよく知らなかった。  言葉選びに手間取る「それ」の代わりに、ぴかぴか光る鎧の持ち主の方が言葉を発した。 「こちらジュエルビーモン! 報告します、例の巨人の破片を発見! 場所はポイントA-18、ゴグマモン種の形態へと変化しています! 討伐許可を要請します!」  「それ」はここで初めて、「ゴグマモン」という分類にカテゴライズされていた事を知った。 「貴様の討伐許可が下りました。さあ、今度こそ一片の欠片も残さず破壊します」  煌めく鎧のジュエルビーモンは、一切の混じりけのない殺意を以て、緋色の穂先の狙いを定めた。  ゴグマモンの理解は未だに追いつかない。元々頭の回転は早い方ではないが、それを抜きにしたって意味が分からないにもほどがある。  自分は「彼女」を探しに行きたかっただけなのに、どうして見ず知らずのデジモンから因縁をふっかけられないといけないのだ。  とりあえず「戦う意志は無い」と示すべく、ゴグマモンは両手を上げて手のひらを見せた。 「おや。では、我々に投降しますか?」  不戦の意志は伝わったものの、どうも曲解されてしまったらしい。ゴグマモンは首を横に振った。 「ではなんです? あれだけの事をしでかしておきながら、この私に見逃せと言うのですか?」  ジュエルビーモンは敬語こそ崩していないが、その言葉には一朝一夕ではとても生み出せないような深い憎しみが込められていた。初対面のゴグマモンでさえ分かってしまうほどに。 「おれ、なに、した」  身に覚えの無い憎悪に晒されたゴグマモンは、数少ない語彙を集めて訊ねる。  意味のある言葉を発したのは、前はいつだったか思い出せないほど久々だった。 「やはり貴様も覚えていないか……!」  ジュエルビーモンがゴグマモンを軽蔑するように睨みつける。  ゴグマモンは恐れられるのには慣れていたが、非難されるのには慣れていなかったので嫌な気分になった。 「まあ、それが当然の事なのですがね」  急にジュエルビーモンの口角がつり上がる。浮かべているのはただの笑みではなく、嘲笑だ。 「貴様は文字通りの欠片、怪物の残滓でしかなく、本体の記憶など持ち合わせている筈がない」  ゴグマモンのあまりよくない頭では、ジュエルビーモンの話を理解できなかった。  自分と、自分以外の誰かの話をしている事だけは辛うじて分かった。 「欠片の一部からデジモンが再生してしまうほどの生命力は、流石はパートナー持ちといったところですが……貴様は違う。貴様は所詮、奴の残りカスでしかなく、我々の敵ではありません。しかし、元々奴の一部だった以上は塵も残さず排除します。以上が貴様と戦う理由です。他に質問は? …………?」  ジュエルビーモンは怪訝な表情を浮かべた。 「貴様、何故泣いているのです?」  ゴグマモンはぼろぼろと涙を流していた。乾き切った筈の身体から、涙が湧き水のようにこんこんと溢れて流れ落ちていた。  ここまでわざと、はっきりと言われてしまえばゴグマモンにも理解できる。ゴグマモンには「本体」と呼べる大元のデジモンが存在していたのだ。  ゴグマモンが毎朝体を起こす度に、僅かに欠けて落ちる小石。ゴグマモンとは正にそういう存在だった。  暗闇で目覚めるより前の記憶などある筈がなかった。その頃の自分に自我など無く、別の知らないデジモンの体内に収まっていたのだから。  太陽のようなあの子の記憶はきっと自分の記憶ではなく、本体がうっかり落とした一葉のぼやけた写真のようなもの。ただの残りカス。自分はそれを拾い上げただけ。  あの子の笑顔も、あの子を大切に思うこの気持ちも、自分ではない誰かのもので、自分はずっと思い違い、思い上がっていたのだ。  それに気付いてしまったゴグマモンの涙はもう止まらなかった。 「あ゛……、あの子、は、」  止まらなくても、確かめなければいけない事があった。 「あの子……? まさか、奴のパートナーの事を言ってるんじゃないでしょうね」  ますます表情が険しくなったジュエルビーモンに向かって、こくりと頷いてみせる。 「何故それを貴様が気にするのかはどうでもいいとして、今奴がどうなってるかなんてこちらが知りたいですよ。今、血眼になって探している所なんですから。さあ、他に質問は? 無いなら——殺します」  ジュエルビーモンは目にも留まらぬ速さでゴグマモンに肉薄、槍より鋭い殺意をゴグマモンに突き立てる。 「あ、あの子、あの子、」  ジュエルビーモンにとって、ゴグマモンの本体だったデジモンは敵らしい。そのデジモンから受け継いだものは殆ど無いゴグマモンさえ許せないような相手らしい。 「あの子、に、」  ゴグマモンはデジモンでありながら戦った事がない。道を塞いでいた邪魔なデジモンを突き飛ばすついでに戦闘不能にさせた事は何度かあったが、このように向かい合って戦闘を行った経験など皆無だ。 「に、に、さ……」  だが、もしもそれを理由にジュエルビーモンをここから通してしまったら。  今、自分を貫いた殺意はあの子を突き刺すのだろう。 「さ わ る な !」  ゴグマモンの棍棒のような腕が、ジュエルビーモンを殴り飛ばした。  もんどり打って地面に転がり落ちるジュエルビーモン。よく磨かれていた碧の鎧は砂で汚れ、ヒビまで入っている。  しかし、ジュエルビーモンを震わせる怒りの源泉はそんなものではない。 「本体のみならず、残滓までもが我が“女王”の覇道を阻むとは……。そんな事は許されない! 我らが女王の名の下に、その叛意、砕いて差し上げよう!」  鎧のヒビが広がるのも構わず、背中の翅を広げて宙を舞う。 ————————  ゴグマモンは苦戦していた。理由は単純、ジュエルビーモンは飛べるから。当たれば致命傷の拳も、届かなければ意味が無い。  一方、ジュエルビーモンの方も苦戦はしていたものの、ゴグマモンほど焦りはしていなかった。  ジュエルビーモン種は格闘の名手である。戦い慣れておらず、腕を振り回すだけのゴグマモンの攻撃を見切る事など容易い。ただし、ゴグマモンにダメージを与えるには岩の継ぎ目や唯一の生身の肉体である眼球を狙う必要があるため、決定打を与えるのに苦慮しているというのが現状だ。 「戦い方は本体の面影こそありますが、あそこまで洗練されてはいませんね」  ゴグマモンの拳とジュエルビーモンの槍が一瞬だけ触れ合った。細い槍に負荷がかからぬように、ジュエルビーモンは槍に込める力を弱めて向きを変え、ゴグマモンの有り余る腕力を受け流す。  「女王、て、だれだ」  互いに喋る余裕がある内に、ゴグマモンは疑問を解消しておくことにした。 「女王は貴様らネイチャースピリッツのデジモンを始め、デジタルワールドの生きとし生ける者全てを統べる女王だ! デジモンを従える者、“テイマー”を名乗る資格を持つ唯一のお方、その力は、その力は、あのような小娘が持っていていいものでは決してない!」  突如として激昂するジュエルビーモン。しかし、その怒りはゴグマモンが付け入る隙を与えてしまった。  怒りに任せた槍の連続突きは単調な動きにしかならず、ゴグマモンにも必死になればなんとか躱す事ができた。  その後、ゴグマモンはジュエルビーモンの腕を掴むのに成功し、彼が槍を突く勢いを利用して肩の関節を逆に捻り上げた。 「ぎぃやあああああ!!」  ジュエルビーモンの肩から鳴った嫌な音は、彼自身の悲鳴によってかき消される。  負傷した肩を無事な方の腕で押さえている内に、ゴグマモンは勝負を仕掛けた。両手のクリスタルを祈るように二つ揃えて真上から振りかぶる。 「貴様が、貴様がこうやって大将の肩をヤっちまったから進軍が遅れたんじゃねえかああああああああ!」  しかし、次に隙を与えてしまったのはゴグマモンの方だった。  両腕を攻撃に使えば防御はがら空き。ジュエルビーモンはゴグマモンの懐、それも真正面に潜り込む事に成功する。  再び突き出された槍の穂先は、物の見事に胸元の岩の継ぎ目に侵入。ゴグマモンは痛みに悶えた。 「かつて、我らが将軍はあの悪魔を粉々に砕いたのですよ! 決して砕けぬ金剛石と呼ばれた奴を砕いた我らが、貴様ごときに苦戦するものかあ!」  一度は崩れたジュエルビーモンの口調だが、ゴグマモンへ一撃を加えて精神的な余裕を取り戻したのか今は元に戻っている。  デジコアへの直撃こそ免れたものの、胸の刺し傷は無視できるものではない。確実にゴグマモンの体力は削られていった。 ———————— 「早く、早く跪け! もはや立つのもやっとなら、その力は女王への敬意を示すためだけに使い切れ!」  立つのもやっとなのはジュエルビーモンも同じだった。彼は長引く戦闘の中でダメージを受けすぎた。  元々のフィジカルの差でゴグマモンより早く砕けそうな体を、忠誠心のみで支えている。 「あの美しい花畑も、希少な宝石も、あの空だって、貴様だって! 全部全部全部彼女の物だったんだ! それなのに、それなのに貴様等はいつもどうして!」  気がつけば、ジュエルビーモンも泣いていた。  その泣き方がさっきまでの自分にあまりにもそっくりで、ゴグマモンはいたたまれない気持ちになった。  もしも勝ちを譲ってやる気が無いのなら、ここで介錯してやった方が彼は楽になれるのではないか。ゴグマモンに憐憫の心が芽生えた。 「きっ、貴様、何をする気だ!」  ゴグマモンはがばりと口を開いた。  途端に上昇する熱量。常に彼らの頭上に煌々と君臨していた太陽の光がゴグマモンの宝石に侵入し、乱反射し、増幅され、集積され、ゴグマモンの口腔内に充填されつつある。 「まさかその技は巨人の……! やっ、やめろ、やめてくれ……!」  ジュエルビーモンの脳裏に、かつて自分が所属していた基地が仲間ごと蒸発し壊滅した記憶が蘇る。  彼の体は本能のままに待避行動を取る。しかし、もう遅い。  小さく「キュイン……」と鳴ったと思えば、豪雷の如くに放たれる『カース・リフレクション』。  木が折れ、岩が割れる爆音の中、ジュエルビーモンの体は音も無く燃え尽きた。 ———————— 「分かった。全部持ってけばいいんだね」  蒼く、美しい蝶の翅を持ったデジモンを前にして、ゴグマモンはこくりと頷いた。 「おれ、しぬから、きおく、だけ」 「大丈夫。分かってる。分かってるよ」  フーディエモンと名乗ったそのデジモンは、臆する事なくゴグマモンに優しく触れてくれた。痛みで顔をしかめていたゴグマモンの表情が和らいでいく。 「そ、れ、」  ゴグマモンはフーディエモンの背後にあるものを指さした。  いくつも連なった青いカプセルの中に、白く、ぼんやりとしたもやが浮かんでいる。 「そっか。あれが誰の記憶か分かっちゃったんだね。でも、ごめんね。この記憶を担当したのは前の担当者だから、私には見せる権限も見る権限も無いの……」  フーディエモンは申し訳なさそうに目を伏せると、自身の足元に控えているデジモンに向き直る。 「分かった? モルフォモン。記憶は厳重に扱わなければいけないもの。だから、例えどんなに親しい間柄だろうと閲覧するのもさせるのも、記憶の元の持ち主と預かった担当者しかできないんだよ。今私がこの人から預かる記憶も、モルフォモンは勝手に見たりあげたりしちゃ駄目なの。あ、勿論お届け先の人だったら話は別だよ」 「あい! わかったでしゅ!」  モルフォモンと呼ばれたデジモンが、元気に手を挙げて返事をした。  マシュマロのような体で背負っている、フーディエモンに似た翅が揺れていた。 「それからジュエルビーモンの事も、許さなくていいから理解はしてあげてほしい……。あいつらの女王様、テイマーの女の子。二年くらい前……あなたはもう産まれたかな。その頃に病気で死んじゃったんだ。もうちょっと頑張れば六界全部攻略して、天下統一できそうって所で……」  ゴグマモンはジュエルビーモンの涙を思い出していた。  いかにもテイマーがいるような口振りで、自分と同じ顔で泣いていた意味がやっと分かった気がした。 「じゃあ私たち、もう行くね」 「おたっしゃででしゅ〜」  フーディエモンとモルフォモンは、数多の記憶カプセルと共にふわりと浮かび上がる。  どんどん空に昇っていく彼女たちを、ゴグマモンは手を振って見送った。  蒼い翅が青空に溶けて見えなくなるまで見送った。  彼女たちが完全に見えなくなったので腕を下ろすと、その腕は肩ごと地面にぼとりと落ちた。 ———————— 「モルフォモン! 今、一番後ろの記憶がぶつかりそうだったよ! ちゃんと見てて!」 「ぎええ先輩なんでそこまで見えてるんでしゅかぁ……? 成長期一人じゃ見切れないでしゅよこんな量」 「私も昔先輩に同じ事言った。先輩には訓練すればできるって言われた。実際できたから、モルフォモンにも同じ事を言うね」 「す、スパルタでしゅ!」  文句は言いつつも仕事はこなそうとするモルフォモン。  フーディエモンが先導する記憶カプセル同士がぶつからないように、また、離れすぎないように必死で整えていく。 「すいましぇん、しょのテイマーの女の子って本当にリアルワールドに帰ってないんでしゅかぁ?」 「だって帰った記録が無いんだもん。確実に帰ったって証拠が見つかるまではこっちを探すしかないよ」  モルフォモンは途方に暮れた。それはそれとして怒られたくないので記憶の列は整える。 「待ってて、ゴグマゴグの軌跡。巨人が見た夢。確かにあった愛の証たち。あなたたち103“人”のカケラ、一人残さずあの子に届けるから」 後書き ぼくはアニメ『カイバ』が好きです。 ぼくはアニメ『ケムリクサ』が好きです。 ぼくはアニメ『ツバサ・クロニクル』並びに原作漫画の『ツバサ』が好きです。 ぼくは『空の境界』の『矛盾螺旋』が好きです。 つまりはそういう事です。  ペンデュラムZ発売記念の恋愛小説企画、ネイチャースピリッツ担当は羽化石でした。ブラストモンの進化前としてのポテンシャルを秘めたゴグマモンを主役に据えて書かせていただきました。  いかがでしたでしょうか? お楽しみいただけたのでしたら幸いです。  今回はゴグマモンという存在に話の焦点を合わせるため、叶うなら彼に感情移入していただくため、敢えて世界観の説明を省きました。  一つだけネタばらししてしまうと、ゴグマモンの元となったデジモンはブラストモンです。元々欠片から再生する能力があるデジモンですが、あまりに細かく砕けてしまったのでもはや元の彼としての再生は不可能だったんですね。  ジュエルビーモンくん関連の設定も一応あるのですが、語るときは野暮になってしまわないようにワンクッションを置いてからお話しますね。  ちなみにタイトルの「砕壊」はそのまま「さいかい」と読みます。 p.s.フーディエモンとモルフォモンの関係性はエリカとワームモンを意識した訳ではなく、気がつけばああなっていました。 
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羽化石
2019年11月03日
In デジモン創作サロン
※七大魔王をテーマにした小説アンソロジー『魔王狂典』への寄稿作品です。参加者それぞれに担当魔王が設定されていますが、羽化石は『憤怒』の魔王担当でした。 それは怒りである。純然たる憤怒である。  それは憤怒の化身である。或いは憤怒の権化である。  それはある日憤怒に魅入られた。或いはそれが憤怒を魅了した。  それは憤怒を呼び熾す。或いは憤怒を呼び覚まされる。  それは憤怒を以て罰する。或いは憤怒を抱きし者を罰する。  それは憤怒を憎みし者に裁かれる運命にある。  それは憤怒の罪を司る存在である。      *  眠りから目を覚まし、腕、それから掌を順に確認する。赤黒く、硬く、短い毛に覆われた腕はまだそこにあった。鋭い爪を備えた手も、未だそこにあり続けていた。  自分が『憤怒を司る七大魔王』などではない、何か別の存在へと変化しているのではないか、という希望は落胆に変わる。落胆は怒りに変わる。  彼は忌まわしき感情を発散すべく、ベッドの脇に手を伸ばす。部下が「水分補給用に」と置いていったコップが手に触れると、迷わずそれを握りしめた。ガラスのコップはいとも簡単に割れ、何の役にも立たないがらくたへと変わり果てた。  彼の怒りは晴れた。穏やかになった彼の視界にガラスの破片が飛び込んだ。腹立ちを抑えられなかった事実を認識した彼の中に再び怒りが沸き上がった。彼が憤怒の念を抱いた事実は彼に憤怒の念を抱かせた。  彼が怒りに囚われたためにこの姿に進化したのか。あるいはこの姿に進化したがために怒りに囚われたのか。もはや誰にも分からない事であり、些細な事でしかなかった。  いつか自分もこの粉々になったコップのように変わり果ててしまえるのではないか。期待さえしなければ怒らずに済むものを。彼は怒りを呼ぶ怒りに狂う日々を何百、何千、何万回と今までも、そしてこれからも繰り返すのだろう。 * 「嗚呼、どうか、憤怒の魔王よ、どうか、私と、私と」  吸血鬼が彼の足下で喚く。 「貴方様の爪と私めの爪が交わる、その刹那を感じてから死にたいのです。貴方様の圧が、熱が、私の爪を伝って私の神経を焼き焦がすのを味わってからこの命を“王”にお返ししようとここまで這って来たのです」  およそ生物らしくない瞳からは、その吸血鬼の表情は読めない。しかし、息も絶え絶えなそれが今にデータの海に還るであろう事は彼の目にも明らかだった。 踊り子のデータを基にした優美な佇まいは今では見る影もない。足を引きずり、元は袖だった薄汚い布を垂らした幽鬼。それは憤怒の魔王の目に酷く醜く映った。 「貴方様の血を啜るなど、そんな無礼な真似は致しませぬ。命も惜しくありませぬ。貴方様の手で殺されるというのならば、本望です。ですから、どうか、私と……」  いつまでも五月蝿い蝿に嫌気が差した。 「あ」  黄色く尖った頭をつまみ、左右に捻ると細い首は簡単に捻じ切れた。  何度振り払っても顔の側で飛ぼうとした、この蝿が悪いのだ。怒りの原因を排除した彼は、自らの怒気が静まるのを感じながら深呼吸をする。代わりに彼を襲ったのは「また怒りを抑えられなかった」事実に対する怒りだった。 * 「可哀想に。彼もまた、闘うために生まれてきたと豪語するマタドゥルモンだったというのに。それなのにこんな、幼子に目を付けられた蜻蛉のような死を迎えただなんて」  彼の感情を逆撫でして止まない声がする。  いつからそこにいたのか、幽鬼の「王」が顔を出す。「それ」は消えゆく幽鬼の亡骸を愛おしげに撫でていた。  均整の取れた顔と絹のように美しい髪は、疑似餌である。半身と同化した双頭の獣を唸らせ不敵に笑う「それ」は、『全ての生を冒涜する』者である。 「彼はとても良い部下でした。この子は最後まで私の事を主と言ってくれました。とてもとても、良い子でした。せめて最後に良い夢を見てほしかったのですが……」  幽鬼の最後の一片が宙に還るのを見届けると、「それ」の仮面に隠れた顔は深い悲しみを湛えた。 「それ」は死に損なった幽鬼よりも遥かに醜いものである、と憤怒の魔王は感じ取った。怒りを煽る存在が再び現れた事に苛立ち、歯噛みする。 「おや、そんなに怒って。如何いたしましたか?」  全て分かっている癖に。やはりこの、生き物とも呼べないものに怒りを抱かない日は何度生まれ変わっても来そうにない。  この「吸血鬼の王」は自らの死を否定した、全ての生への冒涜者である。故に、生ある者は「それ」を本能的に嫌悪する。七大魔王と呼ばれる存在も例外ではない。これに限っては、憤怒の魔王が背負いし業は関係が無い。 「私の城でお茶でもいかがですか? 良いハーブが手に入ったのです。ハーブティーの香を楽しめば、きっと貴方も落ち着きますよ。“憤怒の魔王”様」  幽鬼にしたよりも丁寧に首を捻じ切った。そして念入りに千切れた頭蓋を破壊した。 「ハーブティーはお嫌いでしたか?」  切断面から吹き出す血と潰れた頭を見た筈だった。筈だったのだ。  夢か現か幻か。吸血王の頭蓋は何事も無かったかのように首の上で澄ましていた。  軽薄な笑みを浮かべた口が空虚な言葉を紡ぐその前に。憤怒の魔王は怒りの源泉から離れる事を選んだ。  その顔は苦しみと苛立ちに満ちている。 *  腹の虫が治まらないので自室に籠った。天使による討伐軍はそれを許さなかった。  多すぎる血の気を疎んで失血死を夢に見た。魔王の体はそれを許さなかった。  呪いを受け入れようとした。心がそれを許さなかった。 *  それの進軍はやはり怒りを伴う。怒りは破壊を伴う。破壊は悲しみを伴う。悲しみは憎しみを伴う。憎しみは怒りを伴う。  黒く煤けた亡骸に憐れみを抱けたのはいつの頃であったか。罪悪感を怒りに変えずにいられたのはいつまでであったか。物言わぬ政敵と、事切れた市民の中に応えはある。  それは怒りに震える亡者となって、憤怒の魔王が奈落の底に堕ちてくるのを今か今かと待っているのだ。  魔王と呼ばれる前の、まだ罪を背負ってなどいなかった頃の記憶を呼び戻そうと試みた。それに縋ろうと試みた。幾度も幾度も。  しかし、思い出す事は叶わない。  否。有り得ないと分かり切ってさえいる偽りの感情を伴って再び姿を見せるのだ。  確かに憐憫の情を抱いた。確かに罪悪感を抱いた。  魔王の業か、或いは罰か。  想起される感情の全てが怒りに置き換わってしまうのだ。  魔王としてのプログラムとやらは、記憶を捏造してまで個体と罪を結び付けたがるのだ。  美しい過去に救いを求めるほどに、蛇のように蔦のように怒りに絡み取られていく。そして地獄に引き摺り込まれていく。  それはさながら汚し、殺してしまった思い出からの復讐のように。  問いの答えは今しがた焼き殺したデジモンと同じ場所で、憤怒の魔王を睨み続けている。 * 「本当は、そんな事をしたくないんでしょう? 私は分かってるから」  その名を聞いた者を震え上がらせるような、そんな存在もかつては優しい言葉を掛けられていたのだ。  確か彼女はミヒラモンだったか。ウイルス種でないどころか、神聖なる獣に仕える十二神将(デーヴァ)でありながらかつての知り合いである魔王を気に掛けていた。彼女の過去に纏わる記憶は容量を圧迫するデータとして消去されてしまったが、それでも彼女は彼にとっての癒しである事は分かっていた。  しかし彼女は姿を消してしまった。さて、理由は何だったか。  他の魔王に殺されたか。  暗黒の力を疎んだチンロンモンに引き離されたか。  彼女が先に寿命を迎えたか。  ああ思い出した。彼女の発言に烈火のごとく激怒した自分が葬ってしまったのだ。  些事でしかない彼女の発言にさえも怒れるのが憤怒の魔王の性だった。  全て思い出した。この記憶を忘れようと努めた事も。この記憶だけは忘れまいと厳重に保護(ロック)していた事も。 「否! 俺は憤怒の魔王! 怒りとは俺そのものだ! 怒りを否定する事は俺自身の否定に他ならない。貴様にだけはその言葉、吐かれたくはなかったぞ!」 *  果たして、彼は「否定したかったもの」が何か、覚えていただろうか?  マタドゥルモンはその本能故に戦いに生きていた。  グランドラクモンは不死の肉体を持つ故に生への執着を捨てた。  ミヒラモンはその高潔な精神を買われて十二神将となった。  では彼は何だったのか?  彼が憎むべきは魔王になる運命か? 魔王になる道を選んだ彼自身か? 無理矢理に怒りを抱かせた本能(プログラム)か? 本能に刷り込まれるまでの怒りを溜め込んだ自分自身か? 「自分は怒り」と嘯く口か? 「怒りは自分」と認めた弱さか? 正しいのはどれだ? そもそも正しい選択肢とは存在するものなのか?  果たして彼は彼という存在を正しく認識できていたのだろうか?  いつしか彼は、何に苦しんでいるかも分からないまま願う事と怒る事を繰り返す装置(システム)となっていた。 * 「無駄だよ。君のその姿は怒りを力として受け入れた証なんだ。今更手放そうったって、そうはいかないよ」  その傲りを悔いた事は? 「無いよ。ある筈がない」  嘘だ。 「本当さ。だって、僕が誇りを持てない世界で他に誰が輝けると言うんだい? 僕が謙虚になったなら、誰も彼もが卑屈になってしまうさ」  抱えた罪に苛まれる魔王に思いを馳せた事は? 「知らないよそんなの。七大魔王は『ある一つの罪を背負っている』、たったそれだけの事を唯一の共通点とした種としての分類に過ぎない。本当は君と話してやる義理なんてないのさ。『誰よりも大きな罪を犯した』魔王。『生きとし生ける者の罪を代わりに被った』魔王。そして『司る罪を裁く』魔王。君がどれなのか知らないし興味も無いけれど、いずれにせよ七大魔王は罪の化身だ。それが抱えた罪は切っても切り離せないし、僕は切り離そうとする奴の気が知れないよ」  話にならん。 「それはこっちの台詞だ。この話はこれで終わりにしよう。君が怒る度に庭が少しずつ焦げていくんだ。もううんざりだよ」  美しい金の毛先を弄ぶこの存在は、なるほど確かに天使だったのだろう。  何故この世界は天使の黒く染まった翼を白いままに留めておかなかったのだ。  何故自分をただのデジモンに留めておいてくれなかったのだ。 *  かくして道は開けた。祈りは通じ、憤怒の魔王は消え去った。  それは罪という殻を脱ぎ捨て、魂の段階(ステージ)は上昇し、新たな境地へと至った。それを満たすのは憤怒ではない。喜びである。もはや力を振るう事に躊躇いは無い。地獄の業火を呼び熾す度に溢れて止まらなかった感情から解き放たれ、蝕まれる事も無くなったのだから。   もはや七大魔王の枠には収まらぬ。それはデーモンにあってデーモンに非ず。理想郷(アルカディア)の彼方より降臨せし新時代の覇王なり。これより世界は新たな魔王、否、魔神によって永遠の安寧を授かるだろう。 さあ非道を成せ! 秩序を乱せ! 超究極の頂より叫べ! 旧い悪しき世界に許しを請う必要は無い! 嗚呼、何にも縛られず力を振るうのはこんなにも心地良い事なのか! 旧き世界の住民よ、刮目せよ。これが世界の終焉である! *  それは粛然たる安堵である。 *  それは怒りである。純然たる憤怒である。  友愛は炎に消えた。歓喜は焔に呑まれた。涙は炙られ涸れ果てた。そこにあるのは純然たる怒りである。  神の名の下に行われた悪逆を許してはならない。憎悪を止めてはならない。怒りの火を絶やしてはならない。 「我らが故郷を滅ぼした “憤怒の魔王”に復讐を!」  それは怒りである。純然たる憤怒である。
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羽化石
2019年11月02日
In デジモン創作サロン
お祝いの代わりに拙作「デジモントライアングルウォー」の第一話をイメージして(数年前に)描いたイラストを載せます。
サロン公開おめでとうございます content media
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羽化石
その他