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フォーラム記事
羽化石
2023年5月22日
In デジモン創作サロン
第2話 (https://www.digimonsalon.com/top/dezimonchuang-zuo-saron/dezimontoraianguruuo-di-2-hua-shao-nian-hasonomamayi-shi-jie-he)
あなたは私のこと覚えてる?
だよね、別れからたった数か月しか経ってないもんね。でも私にとっては千代(ちよ)の別れと同義。いや、1000年じゃあ足りないくらいよ。そもそも、数値で表すこと自体が間違ってる。
私、幼稚園の頃にあなたに言ったよね。「好きです」って。あの頃は遊びだったかもしれないけど今の私は本気だから。
中学生の恋は恋愛の内に入らない? そんな大人ぶった上から目線の意見なんて知らない。感情の善し悪しを、正誤を、度合いを、どうして他人が測れるっていうの? 私のこの想いを誰かに評価なんて、絶対させるもんか。
私は本気だ。例え、私を転校させた両親を裏切り、誰かが勝手に作った社会の枠組を壊し、世界そのものを破滅させる魔王になったとしても――
「ねえねえ」
私はあなたを手に入れ、あなたに私を手に入れさせる。もう、「結ばれる」なんて次元じゃないの。
「ねえってばあ」
……さっきから窓をコツコツ叩く音と……部屋の中に直接響く声が、聞こえてくる。
「……驚かないんだね」
窓、それも2階の外側にいたのは、黒い猫――それともネズミ――のような生き物だった。
「…………今は驚く元気もないの」
こう言った私を、その「生き物」は心配そうに見つめてきた。
確かに私は憔悴しきっていた。必要がない時はずっと、部屋着で、自分の部屋に籠って、こうして思案にふけって、暗い気持ちになって、いたんだから。肉体的にも精神的にも健康だとは言えない。
私は何となく窓を開けた。別に開けなくても会話できていたし、そもそも私からその「生き物」に用がある訳ではなかったけど、何となく。
すると、その「生き物」は私の頭に手を伸ばし、撫で始めた。なぐさめてくれているのかな……少し、なぐさめられた。
「ありがと。ところで、何の用?」
用が無いのに、こんな不思議な生き物が私のところに来る筈がない。
「えっとね」
黒いつやつやな毛並みの「生き物」は、少しもじもじしてから「何か」を私に差し出した。
「あのね、一緒に来てほしいの!」
……は?
「あなたとわたしはパートナーだから、いっしょに来て!」
……何を言われてるのかさっぱり分からない。
さっきまで夢と現実のはざまに意識が飛んでいた私は、急に冷静になってしまった。
「ちょっと、何がどういうことなワケ? ちゃんと説明し……、あ」
私は無意識のうちに、差し出されたモノ――小さなゲーム機のようなモノ――に触れてしまった。次の瞬間、私の身体は今まで感じた事もないような強い光に包まれていた。
──────
「あづい……」
私の心の中を覗いている皆様、ご機嫌よう。夏ですね。
正確には夏の終わり、秋の始まりです。日本から残暑というシステムが無くなってほしいのでございます。
「死にたい……」
今のはそのままの意味ではなく、『死にたくはないが、ここ最近の嫌な出来事を無かった事にしたい』くらいの意味です。
最近あった嫌な事というのは『制服に味噌汁ぶっかけ事件』の事です。おかげで、衣替えには早すぎるのに冬服で登下校せざるを得なくなりました。クリーニングに出しちゃったんですねこれが。
で、なんで姉も妹も連れずに1人で歩いてるかっていうと、委員会って奴のせいです。ああ、忌まわしき人数制限と抽選よ。おかげで三姉妹が生き別れになってしまった。
「うおお……死ぬ……。死ねえい……」
今のもそういう意味ではなく、『死ななくてもいいけどもっと私に優しい世界になってほしい』くらいの意味です。
私のせいで誰かが死ぬなんて、本当に耐えられないのです。あってはいけないのです。
せめて私の預かり知らぬ所で嘘です何でもありませんごめんなさい死なないでください。
もうすぐ愛するクーラーが待つ我が家です。この暑さとは明日までおさらばだ!
なんと、その時です。
「そこの君! 少し話を聞いてくれまいか」
……怪しい声です! 怪しい声きました!
哀しい哉、聴覚のある生物の性として、私はその声を無視できませんでした。
ところがどっこい。向いた先には私が予想していたような明らかに怪しい人物はおろか、そもそも人影がありません。あったのはよそのお家の塀だけです。
幻聴だったかと少し残念な気持ちになり、立ち去ろうとしたその時です。
「ここだここ! 塀と塀の隙間!」
まさかの塀でビンゴでした。
その声は、実際にほんの僅かな隙間から聞こえてきます。私は顔目がけて何かが飛んでくる可能性を考え、せめて目だけでも守ろうと眼鏡をなんかこう、うまくやりながらそろーりと覗き込みました。
「そこまで警戒されるとは思わなかったぞ」
私に話し掛けてきたのは、横長の少し昔のあのゲーム機が、小さくなって突起が増えて色がどぎつくなった感じの機械です。
しかもイケボで話しかけてきます。どうやら男性のようです。
「あの、何か御用でしょうか……」
御用が無い筈ないんですけど、まあ、とりあえずはこう聞きますよね。
「そう。その通りだ。君! ちょっと不思議な世界で大冒険してみたりとか、世界を救ってみたりとかしたくはないか?」
最近のた●ごっちはハイテクだなあ。
「いえ、別に……」
「本当に?」
「本当に行きたくないかと言われると、嘘になります」
何故私はたま●っちと会話しているんだろうか。
本当に異世界に行けちゃったりしたら、それはそれで万々歳なんですけどね!!
……いや、よくはない。超次元な展開に浮かれてたけど、まだ誰にも何の連絡もしてないし許可ももらっていない。
「よし! では行こう今すぐ行こう!」
「はい?」
全国の親御さん、ここに今時、幼稚園児でもわかるような「知らない人についていかない」という約束を守れなかった馬鹿がいます。
こうして私、風峰優香は冒険の旅にれっつらゴーしてしまった訳であります。
──────
本日は晴天なり。気温は相変わらず30℃弱。
妹1号は委員会で居残り。2号は……不明だけど、ワルに会ってもワルがあの子に合わせられる訳ないから大丈夫よね。
「うわあああああああ」
私がクーラーの効いた涼しい部屋で麦茶を嗜む一方、パパは暑い庭で悲鳴を上げている。
「もう嫌やこんなん!」
パパがいくら嫌だと思っても、仕事なので辞めない限りは止められない。残念だけれど。
パパは技術者兼研究者……らしい。「らしい」というのは私達もよく知らないから。設計図をどこかの企業に売ったり、技術協力者として開発に参加してたりするとかなんとか。
正直、庭で1人で組み立てられるよく分からない機械がどう役に立っているのかは分からない。発明家的なそんなアレ的なそういうあれこれかもしれないわ。
そんなパパが絶対に手を出さないのが自動車関連。日本で栄えているのは自動車工業なんだから、素直になってもいいと思うのだけれど、パパは頑なに依頼を断り続けている。トラウマのせいなのか。罪滅ぼしのためなのか。
後者だとしたら、パパは大きな思い違いが元になった、的外れな方向性の努力をしていることになるわ。
だって、ママがいなくなったのは私のせいなんだもの。
……湿っぽい話ばかりしてたら、暑さと湿気で蒸し焼きになってしまうわ。
「ギャー! 取れたー!」
パパは不器用な方なのに、気が付けば形になってるものを作るから不思議よね。
さて、優香が帰ってくる前に『週刊世界のサワダ』の付録を組み立ててしまいましょう。『週刊世界のサワダ』とは、世界が誇るサワダ社製家具の組み立て式ミニチュアが毎号ついてくる世界一の雑誌よ。
……あら、何かしらコレ。パパの試作品かしら。ついにゲーム機も作り始めたのね。うっかりタダでもらえたりしないかしら。ポチっとな。
「おい、テメエ。俺の声が聞こえ……は?」
は? はこっちのセリフよ。気が付けば私は、不思議な光の中に飲み込まれていた。
──────
「……冷香? 冷香!! ……お前までいなくなってもうたら……。無事に帰ってきいや……」
──────
瞬きをしたら私は、私の部屋ではない別のどこかにいた。
一言で言えば、森の中。ビリジアンの絵の具よりも深い緑の木々と、そこに混じるオレンジや赤の草。紫色のツタ。はっきり言って、毒々しかった。
そして、私の目の前にそびえ立つのは……大きな古いお城。ヨーロッパの王族が住んでいそうな、洋風のお城だ。
「ここ、どこ?」
「ここはね、ダークエリア!」
足元から声がする。さっき会ったばかりの不思議な生き物だ。
「……ダークエリアって、どこ?」
「ダークエリアはね、デジタルワールドにあるの!」
彼女は私の知らない単語だけで説明してくれる。逆にすごい技術だ。
「だからそのデジタルワールドとかって何って聞いて……誰!?」
私達以外にも、近くに人がいる? 気配の正体は案外、すぐ近くにいた。それも四人……人?
まず、二人の女の子。一人は暑いのに黒いセーラー服のメガネの子。もう一人は紫のロングストレートヘアで、水玉模様の服の子。向こうも私に気付いたらしく、黒い子に会釈されたので私も返した。
問題なのは残りの二人。「人」の後に「?」がつくのは、それが人に似てはいるけど明らかに人間じゃないから。
片方は形は殆ど人。でも身長は紫の子の二倍以上あって、肌も青い。腕なんかは黙ってても地面に着きそうだ。マスクや髪で顔を隠してるし目つきもかなり悪いけど、多分イケメン。
で、更なる問題はもう片方。とにかく尖ってる。髪っていうか後頭部? も尖ってるし、目? も石みたいになってて尖ってるし、口もくちばし……的な感じで尖ってるし、顔の横から謎の突起が出てる。ついでに言えば、爪も尖ってる。おまけに服装もやたらハデ。
どちらも、私の隣にいる黒い子とは真逆と言ってもいいくらい……アレ!? なんで私のところに来たのは可愛い生き物なの!?
「よくぞ我が呼び掛けに応えた! 反逆者(レジスタンス)達よ!」
何? 突然、どこからか――多分、城から――しわがれた声が聞こえてきた。
「さあ! 我が城へ!」
まばたきをすると、私達は城の外ではなく、中にいた。歩いてないどころか、足を一切動かしてすらいないのに。
「え、嘘? なんで?」
しかもいつの間にか、豪華なテーブルの前に座らされている。一瞬の間なのに、これじゃあまるで魔法みたいじゃん。
……いや、まるで、じゃなくて、本当に魔法なのかもしれない。魔法としか思えない。
そしてテーブルを挟んで向こう側にいるのは、邪悪なお面をつけて邪悪な杖を持った、いかにも邪悪なおじいさん。
……え、マジ、本気でその格好してるの? ってくらい邪悪な格好のおじいさんが、私達を見ている。
「選ばれし子供達よ。さっきも言ったがよく……」
「いや、誰ですか?」
声の調子、そして「明らかに悪そうなおじいさん」という見た目から、さっきの声の人だっていうのは分かる。
でも、あなたの呼びかけに応えた覚えとか無いです。
「デジモンの話を最後まで聴かんとは、なんと無礼な小娘じゃ……」
おじいさんが言うことも尤もだけど、マジで誰なのか分かんないんだもん、あんた。
「まず儂の話を聴け! 儂の事とかこの世界の事とか説明してやるから!」
おじいさんは、咳ばらいをして気を取り直してから威厳たっぷりに語り出す。
「我が名はバルバモン。『強欲』の罪を司りし七大魔王が一人じゃ」
……うん。早速イミ分かんない。
「ふうん……。帰る」
「待て待て待て待て! まだ名前しか言っとらんじゃろうが!」
ドアに向かって歩き出していた私は、バルバモンとかいうおじいさんに引き留められた。
だって、魔王だのなんだの意味分かんない爺さんに話しかけられたら逃げるでしょ、普通。
「帰るも何も、自力じゃ帰れんじゃろ!」
そうだ。ここはこの猫っぽい生き物曰く、『でじたるわーるど』の『だーくえりあ』だった。
私はしょうがないので、もう一度席に着いてあげた。
「ここはデジタルワールド。お前たちが使うインターネット、その裏側にある異世界じゃ」
…………異世界!? 異世界って、つまり地球とは違う世界?
「見て分かると思うが、儂らは人間ではない」
それは分かる。こんな人間がいてたまるか。
「儂らは『デジタルモンスター』、縮めて『デジモン』じゃ」
バルバモンじいさんの長~い話を要約すると、こういうことらしい。
この世界は『デジタルワールド』といって、文字通りデジタルな世界。
ここには『デジタルモンスター』略してデジモンという、やはりデジタルな生き物が住んでる。
ここ『ダークエリア』は地獄と魔界を足して2で割ってない感じの所らしい。なるほど、どーりで魔王みたいなのがいるワケだ。
「『みたいなの』じゃない! 本物の正真正銘の実在してる魔王じゃ!」
私たち人間とデジモンは、それぞれに1人ずつ『パートナー』がいる。で、私たちを呼んだのがそのパートナー……
「待って!? おかしくない!? この組み合わせとか私だけ人型ですらなかったりとか色々おかしくない!?」
私以外の女の子二人はなんかこう……怪人みたいなデジモンがパートナーで、私はきゃわいいマスコットみたいなデジモン。
なんかアンバランスじゃない?
「うるせえ! 俺だってこんな小娘がパートナーだって信じたくねえよ!」
なんか、覆面の人に怒られたんですけど。めんどくさいから無視して続けよう。
今、デジタルワールドでは『三大天使・ロイヤルナイツ連合軍』っていうあからさまに正義アピールしてる集団と、バルバじいちゃんがいる七大魔王(今は四人しかいないらしい)が、それぞれ光と闇のデジモンを率いて戦争をしている。
「千年前の話じゃ……。儂は、どこにでもいる普通のカラテンモンじゃった……」
ここからおじいさんの身の上話が始まる。
「儂はある日、この姿に進化したんじゃ。進化した「だけ」じゃった!」
そう。おじいさんは進化した「だけ」。バルバおじいちゃんは進化しただけだった。
何故なら、次の瞬間何をした訳でもないのに封印されてしまったからだ。
「理不尽じゃろ? 奴らは、三大天使は、「七大魔王だから」とそれまでの儂を見ず、種族だけを見て儂を封じた!」
バルバおじいちゃんの手が怒りで震えている。深刻な話の筈なんだけど、デジモン達はもう聞き飽きてるらしい。全然聴いてないもん。
確かに何回も同じ話してそう。
「儂は復讐を誓った……種族至上主義の差別主義者どもに! 奴らは自分達の長でさえ、姿が変われば討伐対象じゃ。モン種差別じゃモン種差別」
モン種……ああ、こっちでは人種の代わりにモン種って言うのね。
「今は休戦協定を結んでおるが、奴らの事じゃ。虎視眈々と儂らの隙を狙っているに違いない。そこでじゃ!」
カツーン!
いきなりバルバじいちゃんが、杖で床を鳴らした。
「優れたデジモンと、その力を存分に引き出せる人間に、助っ人になってもらおうと考えた! そしてその選ばれし者とは……」
ビシィ!
おじいさんは杖を勢いよくこちらに向けた。
「そう! お前達なのじゃああああああ!」
「おー」
何故か歓声が上がり、拍手が起こった。
いいのか眼鏡とロングヘア!? いいのか!?
「む、その顔は『どうして私たちじゃなきゃいけないワケ!?』という顔じゃな」
分かっててやってたんかい。
「そう。ダークエリアはそもそも強者揃いの場所。何故、その中からこやつらが選ばれたのか。それは、パートナーたるお主らに…………他の人間には無い、特殊な能力があるからじゃ」
「特殊能力?」
私に、特別な力が?
生きていてそんなもの全く感じた事がないけど、本当に? まあデジモンみたいな変な生き物に出会った事も全く無かった訳で、信じられなくもないけど……。
「この世界の中心と言っても過言ではないホストコンピュータ、『イグドラシル』。その権限によって、デジモンに一味違った恩恵を与えられるものが存在する……それがお前達じゃあああああ!」
「おー!」
また歓声が上がった。ノリがいいなこの人たち。
「お前達は圧政に対抗し、革命を起こすレジスタンス! という訳じゃ!」
へー。ふーん。…………帰ろ。
「待て待て待て待て待て待て!! ここまで聴いておいて帰るってどういう事じゃ!?」
気付かれたか。調子に乗ってる今なら気付かれないと思ったのに。
「いや、勝手にやってくださいって感じ。他に2人もいるし。っていうか、私のパートナーだけその、猫? だし」
張本人、いや、張本モン? は私が言う事が分かっているのかいないのか、可愛らしく顔をかしげている。
話を聞いてあげるのと、実際に引き受けてあげるのは別の話。レジスタンス? なんだか危なさそう。やる訳ないじゃん。
「なんじゃ、最近の娘っ子はやっぱりイケメンのパートナーがいいのか」
イケメン……イケメン?
「私を見て疑問符を浮かべたな? セニョリータ」
うわ、何このトンガリ頭キモ。
「このブラックテイルモンはなんと! 強力なデジモンに進化する可能性を秘めている! 無限大の未来が広がっているんじゃ!」
「知らんわ!」
私はつい怒鳴ってしまった。だって本当に知ったこっちゃないんだもん。
っていうか、この子ブラックテイルモンっていう名前だったんだ。
「確かに私達は何の説明も無く連れて来られたわ」
「話聞かなかったのはテメエだろうが!!」
紫のロングヘア、何やってんの?
「私はちゃんと許可を得たぞ。なあ?」
「……」
メガネはなんで冷や汗流してるの!?
「そもそもだ、別に人間なんざいなくても俺だけで十分だろうが」
「ほら! ターバンの人もそう言ってる!」
頑張れ私とターバンの人!
「お主、パートナーがいる事によって、どれほどの力が得られるのか知らんのか? この世の全ての知識を手にしているのに? 無知じゃの~宝の持ち腐れじゃの~」
「て、テメエ……!!」
ターバンの人、もう論破されたの!? 早くない!?
「大体お主らなんじゃ!? なんなの!? 儂の話聴いて可哀想と思ったりしないの!?」
「思ったけどそれとこれとは別!」
同情ついでに関係無い争いに巻き込まれてたまるか。
「そんな危険なマネできるワケないでしょーが! 私こう見えても普通の中学生なんだからね! 戦えって言われても、無理に決まってるじゃん」
どう見間違えたら私が普通じゃない人間に見えるか分からないけど、一応普通アピールはしておく。
「大丈夫! 君達の側にはほら、デジモンがいる!」
「全然興味惹かれないからそのキャッチコピー!」
なんてノリが無駄に良くてムカつくじいさんなんだ。
「じゃあそっちはどうするつもり!?」
私は女の子たちに助けを求めた。いきなりパスが飛んできてビビッているのか、黒いメガネの子がビクッと肩を震わせた。
「あ、あ、えっと、その、私じゃなきゃだめならっていうか、他にいないなら大丈夫っていうか、その」
あ、この子イエスマンなんだ。
「もし私じゃなきゃ駄目なら大丈夫です………」
いいのか? 本当にそれでいいの!?
「私は反対よ。私だけならともかく優香を危険な目に合わせる訳にはいかないわ。それにパパの目の前で移動しちゃったし」
その通り! ってあれ? ところどころに不穏な言葉が……。
「家の事なら心配せんでも良いぞ! お主らの周辺の人間には、お主らが留学して、ホームステイをしているという記憶を植え付けておいた」
「なんで過去形なの!?」
え、なに、もう私留学してる事になってるの?
逃げ道がどんどん無くなっていく。帰りたい帰れない。
「それに、お主ら人間が直接戦う訳ではない。戦うのはこの手練れの戦士たちじゃ! だから安心!!」
ターバンの人、これ以上無いってくらい嫌そうな顔してるんだけど、いいのか!?
「あら、それなら安心ね」
どこが安心なの!? 結局一緒に行動するんでしょ、この得体の知れない世界で!
「おなごばかりでは不安じゃろうて、ちゃんと男の人間も呼んだぞ! その、手違いで合流にもうちょい時間がかかるけど……」
ばーかばーか。
「もう帰る! 何が何でも帰る!」
なんかもう、子供みたいだけど、こうなりゃ意地だ。なんとかして帰ってやる。実際子どもだから責任無いし。
「……そうじゃ。あの憎きセラフィモンの奴が、儂と同じように人間の子供を召喚したらしい」
ジジイがまた何か言ってる。私の気を引くつもりなんだろうけど、そうはいくか。
「儂らに対抗する気なのじゃろう。その子供というのが、ルナモンを連れた生意気な小娘」
生意気な小娘って、随分アバウトだな。
「コロナモンを連れた西洋人と東洋人の混血児」
つまりハーフってことね。
「そして、奇妙な事にコテモンとテイルモンの2体をパートナーとしておる……」
だからデジモンの名前出されても知らないって。
「赤いさっかあゆにふぉおむの小僧じゃ」
赤いサッカーユニフォーム?
「ねえ! その男の子の名前は!?」
私が突然、興味を持ちだした事に驚いてる人もいるみたいだけど、そこに構っていられない。
赤いサッカーユニフォームなんて、全国にどれだけあるのか分かってんのかって話だけど、それでも。
私は、確かめずにはいられない。
「えー、最初の小娘が鈍器みたいな名前で、次がマチだかマキコだか、小僧がえー……武者なんとかといったかな?」
赤いユニフォームに「武者」が付く名前。おまけにマチって名前のハーフの子が側にいる。間違いない。タツキだ!
なんて偶然だろう。こんな奇跡、私みたいな普通の子に訪れていいものなのだろうか。
「ねえ」
私はテーブルに乗り上げた。行儀が悪いとか気にしない。行儀なんてどうでもよくなる事実が、目の前にあるんだから。
「もし私が協力してあげたら、その子に会える?」
「奴らの目的は儂らを滅する事。いずれは雌雄を決する日が来るじゃろうな」
私は自分の胸が高鳴り、ときめくのを感じた。
「……分かった。協力してあげる」
黒い猫みたいなデジモンの表情が、見て分かるくらいに明るくなった。
危険など知るものか。私は、タツキに、会いたい。
「ありがとー!!」
その生き物はぴょーんと私の胸に飛びついてきた。良いことするのとお礼を言われるのは気持ちいいなあ。
「おいちょっと待て! なんだその心変わりは!」
ターバンの人がなんか言ってるけど気にしない。私レジスタンスだもん。
「よろしくね! えーっと……」
そっか。自己紹介がまだだったのか。
「私は摩莉。摩耶乃摩莉(まやの まり)。よろしく、ブラックテイルモ……長い!」
長い! 噛む! 一々これで呼ぶのはキツい。
「ねえ、それって種族名なんでしょ? 名前っていうかあだ名つけていい?」
さっき、バルバおじいさまは「カラテンモンだった」って言ってた。つまり、進化してしまえば種族名が変わってしまうのだ。そう考えると一貫した個人の名前を付けておくのも悪くないかもしれない。
「わたしだけの名前? うん! いいよ! おねがい!」
お願いされてしまっては名付け親になるしかない。しかし、すぐには思いつかない。
デジモンは人間と対等の生き物だ。ペットの名前を付ける以上に大切なことだから、慎重にいかなきゃ。という気持ちがあるせいで余計に思いつかない。
「……何か、ない?」
私はまたもや女の子2人組にパスしてしまった。さっきといい、本当にごめん。
「優香、パス!」
紫の子によるキラーパス。
「えっ、……『フレイヤ』なんてどうですか? 北欧神話に出て来る、愛や美、戦いの女神です」
愛の女神……いいじゃん。私に、じゃなくてこの子にぴったりだ。
ところで、なんですぐに女神様の名前が出てくるの?
「じゃあ、フレイヤで」
「フレイヤ……フレイヤ! かわいい! ありがとう!」
喜んでもらえたようで、なによりだ。
「おい、本当にあれでいいのか? モロ被りだろ……」
「私も気になるが、本物のヴァルキリモンに会う事はないだろうから何とかなるだろう。多分」
後ろで男たちが何か言ってるけど気にしない。私とフレイヤの輝かしい冒険の前にはそんなこと些細なこと。
「私達も自己紹介が必要よね」
紫髪の子が進み出る。
「私は風峰冷香(かざみね れいか)。この子は三つ子の妹の」
「か、風峰優香(かざみね ゆうか)です……」
紫のクールな方が冷香で、黒くて優柔不断……もとい優しそうな方が優香ね。覚えた覚えた。
ここに来る前から2人は知り合いだったんだろうとは思っていたけど、そうか。姉妹だったのか。……ん? ”三”つ子?
「可愛い三女は、残念ながら来ていないわ。残念ながら」
どうして一人だけ来ていないんだろう。
バルバモンの言う『特別な力』の有無に関係しているのかも……で、後ろでポーズを決めている変な顔の生き物は結局何なの?
「私はマタドゥルモン。アンデッド型のウィルス種で世代は完全体。そこな優香嬢のパートナーだ」
マタドゥル……マタドールってコト? その服、闘牛士のアレだったの!? 言われてみればそう見える。で、そこのイケメンな覆面さんが消去法でいくと……。
「バアルモンだ」
「どうも、私のパートナーらしいわ」
「…………」
ちょっと、険悪になるの早くない!? バアルモン明らかに機嫌悪くない!?
そして優香とマタドゥルモンの方は距離詰めるの早くな……違った。マタドゥルモンが一方的にくっついてるだけだった。
「わーい! みんな、よろしくね!」
フレイヤは場の空気を読めるほど育ってないみたい。
とってもはしゃいで、心の底から嬉しそう。……大丈夫なのかコレ!?
そう言えば、この恐ろしく統率がとれてないチームが「大丈夫」と言われている理由について、まだ聞いていないのを思い出した。
「ところで、私たちの『特別な力』って何?」
「それは……秘密じゃ」
舐めてんのかこのジジイ。
私はタツキにはとても聞かせられない感想を抱いた。
いやそれ、私達みたいな普通の女の子が戦いに参加するにあたって一番知りたい情報じゃない? 知らせるべきじゃない?
「それは! 自分の目で確かめてみよう!」
「ねえ!? デジモンの皆はなんでこんないい加減なおじいさんのトコに来たワケ!?」
おかしい。このおじいさんおかしい。そして話に乗っちゃった私たちもみんなおかしい。
「俺だって不本意だって言ってんだろうが! 俺はロイヤルナイツの奴らが憎くて仕方ねえだけだ!」
なるほど。バアルモンはロイヤルナイツと何か因縁があって、これをチャンスだと思って利用しているのか。……どうでもいいけど、バアルモン何かにつけて不本意だって言ってるな。
「私は常々、ダークエリア外にいる強者達と闘いたいと考えていた。そこへバルバモン殿がたまたま素晴らしい計画をお考えになられていたため乗った、という訳だ」
どうもこの男、見た目や態度によらず、戦闘狂というやつらしい。漫画の中でしか見たこと無かったけど、まさか実在するとは思わなかった。
「わたしはね、えっとね……パートナーに、会ってみたかったの。それでね、一緒にいたかったの!」
ここで、私は不覚にもキュンときてしまった。犬派の私も胸を打たれる可愛さだ。分かるよ、その「会いたい」って気持ち。死ぬほど分かる。
不安要素がいくらあろうと、このメンバーで戦うことは決まってしまった。何か追加メンバーもいるらしいけど、聞いてもどうせ「自分の目で確かめてみよう!」とか言われるし。
もう、後戻りはできない。……する筈がない。だって、あれほど追い求めていた存在が、目と鼻の先にあるんだから。
「それでは諸君! にっくきセラフィモンやロイヤルナイツの根城を目指し、奴らに怒りの鉄槌を食らわせるのじゃあああああああ!!」
こうして、私達とデジモン達の物語は幕を開けのだった――
待って、「目指し」って自分達で行かなきゃいけないの?
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羽化石
2023年5月14日
In デジモン創作サロン
第1話 < >第3話 「コテモン進化……ムシャモン!」 眼球を突き刺し、頭蓋をも突き抜けていった閃光が消えると、そこには小さな剣士の姿は無かった。 「進化だと!? まさか、あの餓鬼が……!」 狼狽える黒竜の視線の先、剣士がいた筈の場所にいたのは、戦国時代の武者――の、"ような姿をした何か" だった。 服装はあちこちが擦り切れてはいるものの、戦国時代の日本の鎧と言っても差し支えはない物だ。だが、それを身に纏う存在はかつての日本で戦っていた武士ではなく、異形と呼ぶべき存在だった。身長は成人男性の平均を遥かに超えており、タツキが隣に並んだとしたら、腰にまでしか届かないだろう。こちらに背を向けているので顔は見えないが、裸足に包帯を巻き付けただけの左足からは、赤く鋭い鉤爪が伸びている。 「ど、どういう事なんだ?あの小さいのが消えて、あのでかいのが出てきて……うわぁ!!」 混乱しているタツキの胸に、白い塊が飛び込んできた。 「やったね! 成功だよ! 進化したんだよ!」 塊の正体はテイルモンだった。彼女は喜びを抑えきれない様子で、思わずタツキに飛びついてしまったようだ。 「し、進化!? どういう事だ!? もしかして、防具着てたのが、あの鎧武者みたいな奴になったって事?」 テイルモンの言葉の意味も、何故喜んでいるのかも分からないまま、タツキは尋ねた。 「そうだよ! コテモンから、ムシャモンに進化したんだよ!」 結局、“進化”という言葉の意味は分からない返答だ。 仕方がないので自分達で考察する。テイルモンが言う"進化"とは、生物学で使われる進化とは違い、どちらかと言うと"変身"という言葉に近いとタツキとマチは解釈した。 「そう言えば、さっきあいつらの会話の中に進化って出てきたような……」 タツキが再び武者の姿をした異形の者に目をやると、それは刀の切っ先を黒い竜の眼前に向けていた。 「これで俺もお前も成熟期。五分五分だな。……なんだよ、進化しただけでビビってんのか?」 「黙れ!」 竜が黒い尾を振り抜く。しかし、尾は空を切り、虚しく地面に叩きつけられた。 「上か!」 ムシャモンと名乗った鎧武者の化物は、ひらりと宙を舞って攻撃を躱していたのだ。 「デビドラモンほど狂暴なデジモンはいないってのは、嘘らしいな」 「さっきまでボロクソにやられてた奴の言葉か!」 デビドラモンはムシャモンの挑発に乗ってしまい、激怒する。 「クリムゾンネイル!」 その名の通りの真っ赤な爪が、ムシャモンに襲い掛かる。グシャアと硬いものが折れる嫌な音と共に、大きな土煙が舞った。 「ああ……!」 タツキはその土煙の中で起きているであろう惨劇を想像してしまい、思わず目を閉じた。 「何!?」 デビドラモンの声に反応して目を開けると、晴れていく土煙の中に惨殺死体ではなく、ぐしゃぐしゃにひしゃげたジャングルジムがあった。その瞬間、 「ギャアアアアアアアアア!!!!」 デビドラモンが悲鳴を上げた。慌ててジャングルジムから黒い竜へと視線をずらすと、デビドラモンが持つ4つの瞳の内の1つに、深く切り傷が入っている。傷口を押さえる指の隙間からは、血の代わりに光の粒子のような物が流れ出ていた。 「なんだお前。血を見るような経験はして来なかったのか。さては、偉そうな口叩けるほど長く生きてないな?」 「き、貴様! 貴様ーー!! 何故、お前を切り刻んだ筈……!」 痛みと悔しさに震えるデビドラモンに対し、ムシャモンは、無愛想な表情のまま溜め息をついた。 「お前さあ、『避ける』とか『躱す』とかの概念知ってるか? 鉄と生身の身体の感触の違い分かるか?」 ムシャモンの更なる挑発に、先程まで圧倒的に優勢だったデビドラモンが堪えられる筈もなかった。冷静さを完全に失った黒い竜は、牙を剥いて飛びかかっていく。 「食べられちゃう!」 マチの悲痛な叫びとは逆に、ムシャモンは涼しい顔のまま、刀を振り抜いた。 「切り捨て御免」 デビドラモンが突進する力と、ムシャモン本人が込めた力の相乗効果によって、その太刀筋は喉から尾の先まで綺麗な直線を描いた。つまり、デビドラモンは縦に真っ二つにされたのだ。黒い肉塊と化したそれは、呆気なく地面に落ちた。傷口から溢れる粒子の量が増えたかと思うと、身体全体が霧散して空に消えていく。 「悪いな。俺は餓鬼に何か教えるのにゃ向いてない……やめやめ。死んだ敵に謝るのも俺らしくない。何一つとして俺らしくない」 ムシャモンは血を拭うように刀を一振りし、鞘に収めた。 「……これって、助かったって事か?」 「倒したって、事は、助かったって事だと思う……」 タツキとマチが顔を見合わせている間に、ムシャモンは元の小さな剣士の姿に戻っていた。 そこにテイルモンと太陽の様な生き物が駆け寄っていく。 「やったやった! 勝った勝った!」 「助けてくれてありがとうございます!」 「おう」 跳び跳ねて喜ぶ2匹とは対照的に、コテモンというらしい彼は素っ気ない返事を返した。そこにタツキとマチも加わる。 「き、君達は一体……」 「俺達は…… 」 コテモンが口を開いた瞬間、タツキの、いや、タツキ"達"の足下に幾何学的な紋様が出現した。それが光を放つと、タツキ達の身体もデビドラモンと同じように光の粒子と化していく。 「えっ!? 俺も、え、ええ!?」 ────── 気が付くと、タツキ達は公園とは全く別の場所に立っていた。そこには大理石の柱が立ち並び、壁や天井には巨大なステンドグラスがはめ込まれ、更に奥には祭壇のような物まである。 とある宗教の教会と、また別の神話に登場する神殿が織り混ぜられたようにタツキは感じた。 「ようこそ。デジタルワールドへ」 聞き覚えの無い声に突然呼び掛けられ、タツキとマチは思わず身構えた。 声のした方向には、白銀の鎧を身に付け、背からは10枚の黄金の翼を生やした人物が立っている。人、というよりも“天使”と呼称するのが相応しいだろうか。 「な、何者!?」 また一人と現れた人ならざる者に、タツキとマチは警戒する。自分達を襲おうとしたデビドラモンの件もあり、その声には恐怖の色も混ざっていた。 「待って待って!」 どこに隠れていたのか、テイルモンが現れ、タツキと人ならざる者の間に割って入った。 「この人! この人が私たちをあっちに連れていってくれたの!」 なるほど。彼……もしくは彼女がテイルモン達を自分達の町へと導いたのか。なるほど。 「……って納得出来るか!!」 危うく納得しかけたタツキが叫んだ。 「そもそもデジタルワールドって何だよ!」 いつの間にか自分達の側に立っていた、制服姿の少女がタツキの考えを代弁してくれた。全くだ。デジタルワールドって何なんだ。 「そしてそういう貴女はどなた!?」 「ええ!? 覚えてない!? あんなに衝撃的な現れ方したのに!?」 いや誰なんだこの女子高生は。一体どこの誰でどこから現れた女子高生なんだ。 タツキが驚いて問い掛けると、彼女は逆に質問を返してきた。それを受けてタツキとマチは自らの記憶を辿ろうとする。 「ああ!! 突然俺達の後ろから走ってきて、独りでに転んだ人!」 思い出した。デビドラモンの恐怖で頭からすっぽり抜けていたが、テイルモンを追いかけている真っ最中に彼女を見かけた。 信じられない速さで走る女子高生だ。 「ザッツライ!! 何もない所で転んだ訳じゃないけどね!」 彼女は指をパチンと鳴らしながら言う。 「ボクのせいでもないからね! あれは事故だからね!」 謎の天使でもなければ女子高生のものでもない、またまた第三者の声がする。 「もしかして~、その子も~……?」 マチが女子高生と、声の正体に向かって問いかけた。 突然自己主張を始めたそれは、白い兎のような外見をしていた。大きな耳が目を引く。雰囲気はやはり、不思議な存在たちのものに近かった。 「どうもそうらしい。と、その前に自己紹介」 女子高生は突如として、自身を親指で指さした。その勢いたるや、「ビシィ!」と効果音が鳴ったように錯覚してしまう程である。 そして声を張り上げる。舞台上の役者のように。 「私の名前は斑目愛一好(まだらめ メイス)! 華のJK1年生! 愛は一つ! 好きだ! で愛一好だよよろしくぅ!!」 突然のハイテンションな自己紹介。やはり女子高生だった彼女は、満足げな笑みを浮かべている。 謎の“やり遂げた”雰囲気に飲まれて、タツキとマチは思わず拍手をしてしまう。それにしたって凄い名前だなあとタツキは思った。 「そんでボクは跳兎! ジャンプラビットって書いてはねうさぎだよ! 種族はルナモンだよよろしくぅ!!」 愛一好に続くようにして、白い生き物も自己紹介をした。愛一好の自己紹介に酷似していたが、もしかすると愛一好の真似をしているのかもしれないとタツキは感じた。 「デジタルワールドとは、文字通りデータで出来た世界であり、我々デジモンが住む世界だ。君達の住むリアルワールド……所謂人間界とは表裏一体の存在。1つの世界で何かが起これば、もう1つの世界に必ず影響が出る。君達の世界に張り巡らされた電子の蜘蛛の巣は――」 「え!? 今このタイミングで!?」 互いに自己紹介する流れになるものだと誰もが思っていた所に、甲冑を身につけた天使が堂々と乱入する。それも全く別の話題で。相手が得体の知れぬ存在であっても、タツキは止めずにはいられなかった。 確かに「デジタルワールドは何か」と質問しておきながら、それを放置していたのはこちらなのだが、それでも流石に、である。 「――デジタルワールドと言っても過言ではない。逆に、デジタルワールドは人間のインターネット上の活動そのものでもある」 「え、このまま続けるんですか」 これが彼らの、『デジタルワールド』の住人の常識なのかもしれないが、日本の常識に慣れている自分達からするととても会話を続けられるような雰囲気ではない。タツキはデビドラモンと対峙した時とはまた別の不安を感じた。 「……しまった。迂闊だった。……自己紹介がまだだったな。私は三大天使が一人、セラフィモン」 「え、結局自己紹介するんですか」 「しかもこの人、大切な事言い忘れるタイプらしいぞ」 タツキと愛一好がセラフィモンなる存在に早くも不信感を抱いていると、タツキの足をコテモンがつついてきた。 「あいつ……じゃなくてあの人一応お偉いさんだから、あんまりツッコミ入れねえ方がいいぞ」 (皆にばっちり聴こえてるよ……) この場にいる誰も気付いていないが、囁いたつもりのコテモンを見て、小さな太陽の姿をした生き物が震えていた。 「突然話に割り込んできたわたしが悪かったので、『デジタルワールドは何なのかを具体的に』『この不思議な生き物達は何なのか』『私達が置かれている状況について』をか・ん・け・つ・に教えてください!」 愛一好のはっきりした物言いを受け、やっとの事でセラフィモンから次のような説明を聞けた。 デジタルワールドはその名の通りデジタルな世界で、所謂人間界である現実世界(リアルワールド)に存在するインターネットと繋がりがある。 突然タツキ達の前に現れたのはデジタルワールドの住人、『デジタルモンスター』。通称デジモン。デジモンは一体につき、一人の人間と組になっており、特殊な機器『デジヴァイス』を使えば人間からデジモンに力を与えられる。 「ここまで~、結構要約したけどね~」 「しーっ! しーっ!」 デジモン達には闘争本能があり、そのために戦争が起こる事もある。『七大魔王』と呼ばれるデジモン達との戦いもその一つだ。 「1000年前、我々三大天使は悪逆の限りを尽くさんとする七大魔王を封じた。その際に七大魔王の中でも最強とされている『ルーチェモンフォールダウンモード』を倒したため、万が一魔王が復活しても最盛期ほどの勢いは無い。そう考えていた」 「デジタルなのに1000年の歴史があるってどゆこと?」 「静かに!」 だがその予想は、希望は、最悪の形で裏切られた。七……否、六大魔王は何者かの手によって復活してしまったのだ。更に三大天使達の長である今代の『ルーチェモン』が堕天、則ち《フォールダウン》させられ、七大魔王は1000年前の姿を取り戻した。 「これを『イグドラシル』は良しとしなかった。イグドラシルは『ロイヤルナイツ』に『三大天使と協力し、七大魔王を完全に滅せよ』と命じた」 『イグドラシル』や『ロイヤルナイツ』が何なのかはタツキ達には分からなかったが、また話の腰を折っておかしな方向に進まぬよう、最後にまとめて質問する事にした。 「この戦いは敵味方双方に多くの犠牲者を生んだ。七大魔王のベルフェモンとリリスモンを倒し、ベルゼブモンを生死不明の状態に追いやった代わりに、こちらは同僚のケルビモンとオファニモン、ロイヤルナイツのデュナスモン、アルフォースブイドラモン、デュークモン、エグザモンが犠牲になった」 こちらの方が犠牲が大きいのは重要な問題だ。だがこれだけではなかった。 「ダークエリアの奥深くに居を構える吸血鬼の王、グランドラクモンが、我々正義の軍と魔王率いる悪の軍双方に宣戦布告した。奴の目的は全くもって不明だが、これによって状況は更に混乱した。全く、忌々しい」 そこで終わればまだ良かった。しかし、イグドラシルはこれに対処しようと恐ろしい計画を始めた。それが『Project X』。デジモンそのものを消し去る強力なウィルスを散布することによって戦争を終着させる計画だ。当然ロイヤルナイツもセラフィモンも反対し、事無きを得たが、 またもや別の問題が発生した。此度のイグドラシルの行動に失望した高位の天使の一人が、反旗を翻したのだ。 「その天使はバグラモンと名乗り、どこから集めたのかも分からぬ兵隊を率いてイグドラシルを攻め始めた。プライドが許さないのか魔王軍には協力せず、寧ろ攻撃を加えているようだが。混乱に混乱を極めた戦場に、ビッグデスターズと呼ばれる正体不明の軍団が……」 「待ってストップ! 流石に登場人物多すぎて分からなくなってきた! なんか良い感じに漫画で説明してもらえないっすか?」 聴いている側の思考回路がショート寸前になった所で愛一好の止めが入った。少々上から目線の要求も添えて。 「つまりこういう事?」 愛一好はスマートフォンのメモ帳を使って、以下の文章を提示した。 ①1000年前 ルーチェモン討伐&魔王封印。 ②魔王復活&(今の)ルーチェモン堕天。 ③魔王VSロイヤルナイツ&三大天使の戦い。 死亡者 味方:ケルビモン、オファニモン、デュナスモン、アルフォースブイドラモン、デュークモン、エグザモン 敵:ベルゼブモン(?)、ベルフェモン、リリスモン ④グランドラクモン参戦。目的不明。 ⑤イグドラシルがデジモンを消し去る『Project X』を立案。ナイツとセラフィモンの反対により棄却。 ⑥反イグドラシルを掲げてバグラモンが反乱。 ⑦ビッグデスターズ参戦。目的不明。 「自分で書いといてアレだけど、文章の80%くらい意味分かんねーや」 辛うじて分かるのは、「デジモンは名前の後ろに“モン”が付くらしい」ことくらいだ。 「兎にも角にも、この四つ巴の戦争は未だに続いている」 セラフィモンはそう締めくくった。 話を聞き終わった少年少女はうんうんと頷いて、セラフィモンの話を反芻している。 「そうか、まだ……は? まだ続いている?」 その事実は、平和な国に産まれた少年少女とっては受け入れがたいものだった。 今、自分達は不可抗力で戦争が起こっている場所に連れて来られていたのだ。 「家に帰してください! 今すぐ元の世界に戻してください!」 「聞いてねーぞ!? わたしゃそんなこと1ミリも聞いてねーぞ!?」 「帰りたい……」 当然、子供達は三者三様の拒否反応を示す。恐慌のあまり我を失わないだけ、まだ大人しいとさえ言える。 「続いているとは言え、どの軍も疲労状態だ。今は休戦協定が結ばれている」 「な、なんだ。それなら安心か……」 タツキはほっと胸を撫で下ろした。 「それでも狡猾な奴等の事だ。いつ破られても不思議ではない」 「やっぱり家に帰してくれ!!!」 何故この天使は次から次へと大事な事を後から言うのだろう。 タツキはテイルモンを追いかけた事を心の底から後悔した。 「そこで、君達人間の子供たちに協力を仰ぐことにした」 「嫌だ!……一応聞くけどなんで?」 流石に訳も聞かずに拒否するのはまずいだろうと、タツキ達は念のため理由を訊ねた。 尤も、どんな返答であっても拒否するつもりだが。 「まずはデジモンの成長、『進化』のシステムと、人間のパートナーの関係について語る必要がある」 「また説明か……」 セラフィモンは語った。 デジモンは一部の種を除いては幼年期Ⅰ、幼年期Ⅱ、成長期、成熟期、完全体、究極体の順で進化する。 進化の要因は単純な時間経過、戦闘の経験値の積み重ね、そして――パートナーとの絆が深まる事。 「パートナーとの、絆?」 「正確には、パートナーと感情がリンクすることによって、デジモンの身体を構成するデータの増幅し、進化が起こる」 セラフィモンはまっすぐにタツキ達を見つめ、こう言った。 「我々には時間も人手も足りない。即戦力が必要だ。そのためには、君達人間の協力が不可欠だ。ここにいるデジモン達と友に力を高め合い……」 「お断りします」 タツキは当初の予定通り、きっぱりと断った。 パートナーパートナーと言われても、はっきり言って赤の他人のために戦禍に飛び込みたくはない。 デビドラモンやムシャモンの例を見るに、デジモンは超常的な力を持っている。そんなものが戦争している最中に一般人の子どもが割り込んで、何が出来ると言うのか。 「おういいぞ。帰れ帰れ。俺は人間の力とか要らねえから」 コテモンが、虫や動物を追い払うように手――というよりは袖を振る。 「ありがとう! お前、良い奴だな!」 「おう、達者で暮らせよ」 そう言ってタツキは神殿の出口――はどこか分からないので取り敢えず反対方向へ歩き出した。 「実は他でもない、君達を選んだのには理由がある」 「え、話もしかして聞こえてないんですか??」 もう何度目か分からないセラフィモンの強引な乱入によって、タツキの歩みは阻まれた。 自力で帰る手段を持たないタツキは、結局はこうなったであろう。 「人間の中には、デジモンに更なる力を与える事が出来る者が存在する。彼らはほんの一握りの存在、言わば『選ばれし者』だ」 「選ばれし、者?」 「私は通常の人間では力不足だと判断し、特殊能力を持つ人間を選出した。それが……」 「……俺達、ですか?」 子供たちはお互いに顔を見合わせた。自分達が、選ばれた人間? 「そんな気はしていたけど、まさか私が本当に選ばれし者だったとは……!」 愛一好は己の中に眠っていた力に驚き、武者震いをしている。タツキはそんな愛一好に冷ややかな視線を送った。 「何言ってるんだこの人。それでも、俺達が戦うなんて、出来ません!」 「確かに君達にも戦いに参加してもらう。だが実際に戦闘行為を行うのは、そこにいるデジモン達だ。それに、君達は人間界においても、デジモン同士の戦いに巻き込まれる事例を知っている筈だ」 タツキとマチは自分の足元にいるデジモン達を見て、そして思い浮かべる。 自分達が彼らと出会った時、同時に襲ってきた生命の危機。黒い竜の姿のデジモンに殺されるのではないかという恐怖を。 「あのデビドラモンは、戦争によって生まれた次元の歪みから人間界へ侵入した所謂はぐれデジモンだ。戦争が終わらない限り、悪意あるデジモンによるリアルワールドの蹂躙は終らないだろう」 「つまり、俺達が協力しなかったら、こっちにも被害が及ぶって事か!?」 自分達が戦争を終結させない限り、人間の世界でのデジモンの被害も無くならない。ここで帰ったところで、味方のデジモンという後ろ盾を失った自分達は、今度こそ殺されるかもしれない。 どう足掻いても戦禍に身を投じなければならない事実を知り、三人は絶望したかに思われた……が、しかし。 「んじゃあ私やります」 愛一好はあっさりと承諾した。 「え!? なんで……」 「そりゃ愛一好さんだって死にたかないやい。でもさ、私達がやんなきゃ世界中が世紀末状態になるんだべ? それならせめて、人間界の被害だけでも抑えた方が良いじゃん。それに……」 愛一好は自身のすらりと伸びた足をぺしぺしと叩きながら言う。 「多分、雑魚なら"私でも"勝てるんじゃないかなぁ……って」 「はぁ……?」 私でも、勝てる? この人は何を言っているんだ? タツキは少なくとも愛一好よりは理性的であろう幼馴染みへ、「ちゃんと断ってくれるだろう」という期待を込めた眼差しを向けた。 「私も戦います!」 「マチ!?」 いつの間にか『覚醒』していたマチは、タツキの期待を大きく裏切った。 「だって、私、自分が戦えば皆を守れるって分かってるのに、怖いからって逃げるなんて出来ない!」 マチの言葉は捻りの無い、真っ直ぐな言葉だった。だからこそ彼女の決意が真っ直ぐに届く。 「マチ……。そうだった、覚醒マチは熱血タイプだった」 「ねえ、彼女、二重人格?」 愛一好がこっそりとタツキの肩をつつきながら訊く。 「二重人格というか、寝てるか起きてるかというか、そんな感じです」 「なるほど分からん」 残るはタツキ一人となり、その場にいる全員がタツキの決断を待っていた。ある者はイエスという言葉を、ある者はノーという返事をタツキに望んでいる。 「だから人間の力とかいらねえよ。さっさと帰れ……ギャア!?」 コテモンのほんの僅かな隙を突いて、テイルモンの爪が言葉通りに面の隙間から中身を引っ掻いた。この猫のような生き物は見掛けによらず、強烈な一撃を放てるらしい。 「俺は……」 愛一好やマチの言う通り、自分達が戦わなければ多くの人間やデジモンが命を落とすだろう。 それでも、命を自ら危険に晒したいとは思わない。自分の命だって大切だ。 (……待てよ、俺、さっきもこんな感じの事考えてたよな?) そうだった。俺はあの時、一人で戦うコテモンを見て"理不尽なんかに負けるのは、もう嫌だ"って思ったんだ。俺にそっくりな"あいつ"を一人で戦わせちゃ駄目だって、思ったんだ。 どうしてついさっきの事なのに忘れてたんだろう。俺は、あの時、逃げたくても逃げられなかった。確かに怖くて足が動かなかったのもあるけど、一番は“こいつ”を見てしまったからじゃないか! "こいつ"を知ってしまったからにはもう逃げられないって、知ってるじゃないか……! 今も一人で戦おうと皆を逃がそうとするこいつに、ほんの少し憧れてほんの少し助けたいって、思ったじゃないか……! 「俺も、戦います」 「はあ!?」 タツキは主張を一転させ、他の二人と同様に戦いに参加する決意を表明する。 あまりの転身ぶりに、コテモンが驚愕した。 「何でだよ!? 餓鬼は家に帰れよ!?」 「愛一好さんやマチが言ってた事も勿論あるけど、それ以前にお前を一人で戦わせたくないからだよ!」 只でさえ丸いコテモンの目が、より丸くなったように見えた。 「は? 俺を一人には出来ないから? それこそなんでだ――」 「その返事を聞けて良かった。では、『デジヴァイス』についての説明に移ろう」 「は? ここで割り込むか普通?」 コテモンの言葉はセラフィモンに遮られたきり、続く事はなかった。 「デジヴァイスって、この機械の事ですか?」 「おい、お前まで俺を無視すんな」 タツキはテイルモンから渡された機械をセラフィモンに見せた。 名前の響きからして、恐らくデジモンに関係のある物だろうと考えたからだ。 「そう。それこそがデジモンと人とを繋ぐ装置、デジヴァイスだ。このタイプのデジヴァイスには、人間の感情データとデジモンの体を構成するデータの接続、デジタルワールドとリアルワールド間の移動の二つの機能がある。武者小路タツキ、君が先程コテモンを進化させる事が出来たのは、デジヴァイスが君とコテモンを繋げ、君の感情によってコテモンそのものを構成するデータ量を増幅させたからだ」 タツキはいくら力を込めてもうんともすんとも言わなかったデジヴァイスが、自分の感情が昂った途端作動した事を思い出す。 「俺がそいつを進化させられたって事は、俺のパートナーって……」 「そう。御察しの通り、君のパートナーはこのコテモン……と、テイルモンだ」 テイルモンは満面の笑みで、コテモンの諦めたような表情でタツキを見る。 「あなたが、わたしのパートナー! わたしとあなたは、パートナー! やったあ! よろしくね!」 テイルモンは軽快にぴょんとタツキの胸元へ向かって跳び跳ねた。 「お、おう! よろしく……ってあれ? パートナーって一人につき一体じゃ?」 タツキは先ほどセラフィモンから教えられたばかりの知識との差異に疑問を覚える。 「その通りだ。パートナーは"通常は"一人一体。だが武者小路タツキ、君にはパートナーが二体いる。それこそが君に与えられた特殊能力だ」 パートナーが二体……タツキは自身の能力を反芻する。パートナーが二体…… 「それって、凄いんですか?」 確かにこれは通常とは違う。だが、だからと言って言うほど特殊ではない。言ってしまえば地味であった。 セラフィモンとテイルモンを除いた面々の間に、妙に気まずい微妙な空気が流れ出す。 「パートナーが二人という事は、その分戦力が増え、戦略の幅も広がるという事だ。決して無駄な能力ではない、寧ろ有用な力だ」 セラフィモンにそう諭され、タツキは一先ずは納得した。否、納得する事にした。 「二人組どころかチーム行動なのかよ……」 「やったあ! 仲間が沢山!」 タツキ以上に露骨に落ち込むコテモンと、 大喜びするテイルモンのコントラストが嫌に印象的だった。 「マチルダ・ヴェンゼンハイデン、君のパートナーは彼だ」 セラフィモンに紹介されておずおずと前に進み出たのは、あの時テイルモンの後ろで守られていた、小さな太陽のようなデジモンだった。 「さ、サンモンです……! よろしくお願いします……」 彼は大人しい性格らしく、少し恥ずかしそうでもあった。橙色の頬が、ほんの少し朱に染まっているのが分かる。 「あなたが~、私の~パートナ~♪ よろしくね~、マチって呼んでね~」 「……あれ?」 再びのほほんとした喋り方に戻ったマチに、サンモンは困惑しているらしい。 マチがセラフィモンからデジヴァイスを受け取った瞬間、サンモンの体は見覚えのある光を放ち始めた。 「え? これって、もしかして進化……?」 光が収束すると、サンモンの姿は小さなマスコットじみたものから、ライオンの子供のようなものに変化していた。 「コロナモンに進化したようだな。幼年期は、パートナーとの絆が産まれた時点で進化する事があるらしい」 セラフィモンが上から覗き込みながら言う。 サンモン改めコロナモンは、変化した己の体をこわごわと動かしてみている。 「そして、君の能力はパートナーの回復だ」 「この子が怪我をしても~、治してあげられるって事ですか~?」 「そうだ。だが回復には君自身の体力を使う。それに傷を癒せるという事は、無理をさせやすいという事だ。くれぐれも気を付けてくれ」 マチとセラフィモンのやり取りを見ながら、タツキは自分の力はやはり地味なのではないかと思い直した。 パートナー二人て。回復やパワーアップと違ってパートナー自身には何の利益もないじゃんかよ。と。 「質問でーす! 私はデジヴァイス持ってないのにこの子進化したんですけど、それってどういう事ですかー?」 愛一好が急に手を挙げ、セラフィモンに問い掛ける。 「ふむ……君は、何かしらの電子機器を持ち歩いてはいないか?」 「……これっすか?」 愛一好は通学用の鞄の中から、スマートフォンを取り出した。 「おそらくそれが、擬似的なデジヴァイスとして機能したのだろう。折角だ。そのスマートフォンの中に、デジヴァイスとしての機能を使えるアプリをインストールしておこう」 セラフィモンが手をかざすと、スマートフォンのホーム画面に愛一好が見たことの無いアプリが追加された。 「えっ!? どうなってんの!? 天使パワーすげえ!」 愛一好はスマホをブンブン振るが、当然種も仕掛けも無い。 デジタルモンスターというだけあって、スマホのような電子機器への干渉はお手の物らしい。 「斑目愛一好、君の能力はパートナーの身体能力を1.5倍に出来る」 「すげえ! 1.5倍!……二倍になったりとかぁ、しないっすかねえ……?」 「しない。それが君の力の全てだ。力の内容は、生まれた瞬間にイグドラシルによって定められている」 「くそっ! おねだりすれば増えるなんて事は無かったか……!」 目論見が外れた愛一好は狼狽えた。このやり取りの間、愛一好に抱き抱えられていた跳兎はというと、 「ドンマイ」 とまるで他人事のように愛一好を慰めていた。 「ところで~、跳兎ちゃんって~、愛一好さん命名ですよね~?」 「うん。そうだよ。だって、デジモンって同じ種族が沢山いるらしいじゃん? 種族名そのまま呼んだら、自分ちの犬をヨークシャーテリアって呼んでるみたいじゃん? だから名前あった方がいいかなと」 例えはさておき、愛一好の考えはマチにとって納得のいくものだった。世界において重要なデジモンであるセラフィモンでさえ代替わりを繰り返し、時には三大天使ではない別個体のセラフィモンがいる事もあるらしい。 何処にでもいるような成長期であるパートナー達には、個体識別のためにも名前があった方が良いだろう。それに、名前があった方が愛着がわく。という理由で、パートナーの命名大会が始まった。 「サンもコロナもお日さまに関係あるから~、陽! 太陽の陽!」 「陽……!」 陽は、コロナモンでもサンモンでもない、自分だけの名前を復唱する。喜びを噛み締めているかのようだった。 「こいつらはどうするかな」 タツキは新しい友の名を考えている。まずは、テイルモンから…… 「クラリネ! うちで飼ってた猫ちゃんの名前!」 タツキの思考を遮ってマチが叫んだ。 「クラリネ! かわいい! ありがとう!」 タツキは出来れば自分で名付けてやりたかったが、クラリネ本人が喜んでいるようなので良しとした。 「あー、俺はいい」 コテモンの態度は相変わらずだった。彼はそっぽを向いて、輪に入らないという意思表示をする。 「じゃあお前は、村正な」 「はあ!?」 コテモンの意思は、あっさりと無視されてしまった。 「正宗の方が良かったか?」 「そういう問題じゃねえよ!」 「だってお前、セラフィモンみたいな究極体ならともかく、成長期はこれからどんどん進化して姿も種族名も変わるんだから、呼び方が一貫してた方が良いだろ?」 「一番喜んでる奴成熟期だし、俺は本当は成長期じゃねえし……ああもう分かった! もうそれでいい!」 村正と名付けられたコテモンは、ブツブツと何かを呟いた後、遂に折れた。最後の一押しをしたのはタツキではなく、彼自身の境遇のようだったが。 ────── 「タツキ、君に渡しておくべき物と、教えておくべき事がある」 セラフィモンが、神妙な雰囲気でタツキに語りかけてきた。 「はいはい、大事な事は後回し後回し。もう慣れましたはい」 後ろで何か言っている愛一好を軽くいなし、タツキは返事をする。 「はい、何ですか?」 「うむ、これはそこのクラリネに関する事なのだが……」 猫が顔を洗う仕草をしていたクラリネは、自分の名前が話題に上ると不思議そうに首をかしげた。 「彼女の進化に関するデータには異常がある。これまでも進化のスピードに異常があったようだが、気になって検査を行った所……彼女は、完全体になれないようだ」 「完全体に、なれない……?」 タツキ達の間に静かな衝撃が走る。デジモンが強くなるためには、進化は避けて通れない。だが、彼女にはそれが出来ないというのだ。 「成熟期から完全体になる事が出来ないだけで、究極体になれない事はないようだ。だが、究極体になるには相応の時間が掛かる。そこで、『デジメンタル』の出番だ」 セラフィモンの声に合わせ、卵のような形の物体がどこからともなく現れ、タツキの目の前に飛んできた。 「デジメンタルはデジタルワールドに伝わる秘宝。これはその中の一つ、『光のデジメンタル』だ」 デジメンタル。その名が出た瞬間、村正が「ぶふぉっ!?」っと吹き出した。 「デジメンタル……これがあれば、しばらくは進化出来なくてもなんとかなるって事ですか?」 タツキの問いに答えるようにセラフィモンは頷く。 「そうだ。デジメンタルは一部のデジモンを『アーマー進化』させる事が出来る。クラリネは現時点では最も強いが、彼女でも倒せない敵が現れた時、またはテイルモンの姿では出来ない事がある時、それを使うといい」 これがあえば、クラリネも力不足になる事が無く戦える。一同は安心感に包まれた。 村正は思うところがあるようで、「“バグ持ち”一匹のためにデジメンタル持ち出すって、どんな力の入れようだよ」などと一人で呟いているが。 そしてセラフィモンは、選ばれし子供達とそのパートナーに向き直る。その姿は鎧の印象と合間って神聖かつ険しく、天使と呼ぶに相応しいものだった。 「少年少女よ、もう一度訊く。……この世界を、人間とデジモンの二つの世界を、救ってはくれないだろうか」 タツキ達の答えはもう決まっていた。 「本当に世界を救えるかは分からないです。でも……後悔しないように戦ってみせます!」 そう答えた彼らの胸の中では、これから始まる冒険の物語への期待と、戦いに身を投じる事への恐怖がせめぎ合う。 彼らの運命はまだどう転ぶかは誰にも分からない。だが、彼らは確かに自分の意思で、自らの運命を決定付ける最初の一歩を踏み出したのだった―― ────── 「まあ! 新しいお客様ですわ! これからはもっと忙しくなりますわ。ねえ、ダリア?」 少女は花の名前を持つ友人に向かって呼びかけた。 上質なドレスを身に纏い、金糸のような髪を揺らす少女。少女の友人は、小さな体で少女の周りを飛びながら一周し、少女の肩に腰かけた。 「でもまだまだ弱そうよ? 一瞬で狩れちゃいそう」 「獲物じゃなくてお客様って言ってるでしょ! お手紙配りの話ですわ!」 「ああ! そっちね!」 少女の友人は笑顔で「ぽん」と手を打った。少女は「やれやれ」と首を振って、更なる“友人たち”に呼びかける。 「近い内にご挨拶へと参りますわよ! ダリア、クリスタル、ジェスト、杜若、あすなろ、それから……」 「なあ姫様? あんまり連れてかれるとこっちも困るんだ。もうちょい人数減らしちゃくれねえか?」 「じゃあ、ダリアとクリスタルとジェストの三人で行くわよ」 友人、というより叔父に近い存在に興を削がれてしまい、少女は不貞腐れる。 「ふふん。まあご挨拶に連れてく人数なんか些細な決めごとですわ。問題は私達の底力を見せつけられるかどうか。そう! 世界最高級の超豪華な“お手紙配りパワー”をね! おーっほっほっほっほ!」 少女は友人達を――妖精に擬態した悪魔達をバックに、高らかな笑い声を響かせた。 「……うちの姫様はなんで郵便配達に躍起になってんだ?」
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羽化石
2023年5月05日
In デジモン創作サロン
老堕天使は悟った。今日が運命の日であると。
英雄譚を妄信する熾天使。
万物皆己が富と錯覚した強欲の罪。
狂った科学者の成れの果て。
怒り隆起する水晶山脈。
吸血鬼王。
混沌より出で虚無に還る怨念。
■■に擬態した■■を連れた黄金樹。
ヒトを求め、或いはヒトに求められたデジモン達はみな、今日という日を境に再び動き出す。
霊木としての機能が存在しない、枯れ木の腕を見つめる。もはや己の肉体は、この枯れ木よりも萎びた老体となってしまった。
人の子らを守る力は欠片も残っていない……否、僅かな欠片が残っている。
せめて、理不尽にも“選ばれてしまった”子ども達が、せめて、その後の運命は自分で選び取れるよう、祈る。
絆を結んだパートナーに報いるために。
現代日本とは僅かに異なる歴史を歩んだ世界。
人類を守護するプログラム「デジタルモンスター」が秘密裏に生み出され、そして忘れ去られた世界。
その世界の片隅で、誰にも知られないまま堕天使は覚悟を決めた。
───────────────
『てめえ、本当はこんなもんじゃねえだろ』
大会の日程が全て終わり、防具を脱ぎ袴も着替えてもう帰ろうかというところで、あいつは話しかけてきた。
元々無駄に威圧感がある奴だが、わざわざ竹刀を担ぎ身長差の暴力でこちらに圧を掛けてくる。かなり怒っていたのだろう。
『何? 俺は誰かさんに負けて傷心中なの。忙しいの』
『お前、俺に負けたくらいで落ち込むようなタマじゃねえだろ』
まあ、そうだけど。俺はこいつ相手に勝ったり負けたりを繰り返して早10年。落ち込んでる暇があったらこいつをブチのめす事だけ考える。
俺が落ち込んでいた理由は、こいつとは別の部分にあった。
『てめえの剣には迷いがあった』
『なんだよそれ。なんか剣の師匠っぽい事言いやがって』
迷いなんかある筈無い。俺は俺の意志で剣道とサッカー、両方を選び取っている。
どちらも本気で取り組んでいる。だから、文句を言われる筋合いは無い。無い筈だ。
『“心ここにあらず”だっつってんだよ。何なら練習量も足りてなかったぞ』
『……』
もうすぐサッカーの方も大会が近い。練習量もいつもより増やしていた。それは事実だ。
だが、それを理由に剣道の方を疎かにしたつもりは――
『サッカー部の方で何かあったのか』
『ねえよ。あってもこっちでは引きずらねえし』
『じゃあ、あの今日の試合はなんだったんだ。明らかに動きが鈍ってたぞ』
ただでさえ鋭い目付きでぎろりと睨まれた。
『何度も言わせんじゃねえ。やりてえ事がいくつもあるんだったら全部やったらいい。好きなもんに全力になってこそ男ってもんだ。だが、中途半端は許さねえ。優先順位さえ決められねえ軟派野郎は特にな』
俺は今の一言でカッとなって、言い返そうとした。
『軟派野郎だぁ!?』
『てめえと何年やり合ってると思ってんだ、様子がおかしい事くらい見りゃ分かる! なんだ、俺は本気出さなくても勝てる相手だったってか? それとも別に負けてもいいとでも思ったのか? ナメんじゃねえぞ武者小路ィ! 本当に剣道も好きで続けてんだったらこれ以上無えってくらい本気でかかって来やがれってんだ!』
俺が何かを言えば、こいつは倍の勢いで言い返して来る。気圧されそうでも、試合には負けても、この言い争いに負ける訳にはいかない。
『中途半端にやってるつもりなんか! ある訳……』
俺は剣道もサッカーも中途半端にやってるつもりなんかないって、そう断言したかった。
『ある訳、ない、だろ……』
けれど、俺の口は何故か、その先に続く言葉をはっきりと発してはくれなかった。
俺が言い淀んだのを見て、あいつは一瞬だけ悲しみとも怒りとも取れない顔をして、すぐに俺をキッと睨んだ。
『一生迷ってろ!』
そう言ってあいつは、俺とは反対方向にずかずかと歩いて行った。
よく見たらあいつは、手にコンビニの袋を持っていた。中にはいつもの棒アイス――真ん中で割って二つに分けられるソーダ味のアレ――が入っている。
あいつはいつも通りに俺と分け合うつもりで、俺が帰る前に急いで買ってきてくれたのだろう。
責められた不快感より、罪悪感が心に重く残っている。 ──────────────── 第1話 未知との遭遇 赤い一団と青い一団が競り合いながら、グラウンドの上を逃げ回るボールを追い掛けていく。
よく鍛えられた足が交錯し、スパイクが砂埃を上げる。試合は膠着状態だったが、赤いユニフォームの少年の一人がボールの主導権を奪って駆け出したことにより、一変した。
「内田ー! 行けー!」
「マークしろ!」
内田と呼ばれた彼を筆頭にした集団が出来、ゴールに向かって前進していく。内田少年は懸命に走るが、相手は簡単に行かせてくれそうもない。守備に徹していた二人の青いユニフォームの少年が、彼の行く手を阻む。窮地を脱する方法を探すため、ボールをキープしながら首を回したその時だった。
「内田ー! パス!」
内田少年は、自分を囲む相手選手のその向こうから、自分に呼び掛けてくる声を聞く。内田少年は殆ど反射的に、その声の主に向かってパスを出す。
これらの動作が流れるように素早く行われたため、ディフェンダーは反応出来ずにみすみすボールを渡してしまった。
ボールを受け取った少年は、即座に敵のゴールに向かってシュートを撃つ。それはキーパーの手をすり抜け、ゴールネットに突き刺さった。赤いユニフォームのチームが一点を手に入れたのである。沸き上がる歓声と悲鳴、試合終了のホイッスルが同時にグラウンドに響き渡った。
「ありがとうございました!」
全力を尽くして戦った選手達は、互いに握手を交わし合う。それが終わると、ベンチで熱い声援と的確な指示を与えてくれた監督の元へと帰っていった。
「みんな、よくやった! 特に内田と武者小路、二年生を相手に頑張ったな」
二人の少年は、内田のお陰ですよ。いや、でも決めたのは武者小路だし、とお互いに謙遜し合う。
「これは練習試合だが、それでも試合は試合、確実にお前たちの糧になっている! この調子で練習を続ければ、全県、いや、全国、いや、全世界を相手に戦えるぞ!」
監督は情熱的な人物らしく、土まみれでありながらも輝かしい少年達を、前向きな言葉で鼓舞している。
「では、ここで解散!」
監督の合図と別れの挨拶の後、選手達は各々の帰路に着いた。
「武者小路はこの後どうすんだ?」
「俺は……」
武者小路少年が口を開こうとした途端、目を開けられない程の強風が彼と内田少年の間を吹き抜けていった。
「?」
しかし、内田少年は武者小路少年の様子を不思議そうに見ている。
「いや、今の風でちょっと目が……」
「今、風なんて吹いたか?」
二人の少年の意見が食い違う。武者小路少年は確かに強い風に吹かれたと感じたのだが、内田少年は何も感じてはいなかった。
「気のせいかな……」
武者小路少年は、自分の感覚がおかしかったという事にしておいた。この僅かな違いが、やがて自身が辿る運命が「普通の人生」というものとはかけ離れたものである事を示す予兆であったとは知らずに。
「つまり~、タツキくんの周りには~、闘気で風が~吹いていた~」
危なっかしいふらふらとした足取りで歩く少女が、左右に揺れながらのんびりとした口調で友人と会話をしている。彼女の目は眠そうに細められ、否、殆ど閉じた状態だ。
「いや、そういう変な自慢みたいな事を言いたかったんじゃなくて、不思議だってだけの話なんだけど」
少女に向かって呆れ顔で返事を返したのは、あの試合でシュートを決めた武者小路少年であった。
「なあ、マチの帰り道ってこっちで良いんだっけ?」
マチと呼ばれた少女は数歩進んで立ち止まり、体ごと首を傾げる。
「あれ~?」
「大丈夫かよ……」
タツキはそれを聞いて、がっくりと肩を落とす。
「そう言うタツキくんは~部活はどうしたの~?」
「さっきも言ったと思うけど、今日は休み。明日から新人戦に向かって猛特訓だってさ」
タツキはそう答え、どうやら帰り道は合っているらしいマチと再び歩き出した。
どうにも気分が晴れない。先日の試合で華々しい活躍をしたというのにである。隣にいる起きているのに眠っている少女のせいではない。父親との確執のせいだった。
「タツキくんは~、もし剣道部があったなら~、入っていたの~?」
タツキの胸の内を知ってか知らずか、マチがうっすらと目を開けながら問い掛ける。彼女がこうやって目を開けるのは、決まって真面目な話をしたがっている時だ。
「別に」
タツキはそうとだけ言った。マチは外国人の父親譲りの色素の薄い瞳でタツキを見つめると、再び瞼を閉じ、やはり父親譲りのブロンドの髪を揺らして歩き出した。
タツキの父親は剣道道場の師範である。門下生は僅かだが、タツキの祖父から受け継いだ道場であるため、簡単に看板を下ろす気はないらしい。
タツキは当然の如く幼少期から練習をさせられているため、それなりの腕前はある。
そんな彼に、サッカーとの出会いが訪れた。小学三、四年生の体育の授業で初めてサッカーの試合をした。今まで剣道ばかりやってきたタツキにとって、十一人の仲間と共にボールを追いかけるのは、とても新鮮だったのである。
そこから彼の父との確執が始まった。
「……別に、俺が何やったって良いだろ」
タツキがサッカーをするようになってから、明らかに父親の雰囲気が変わった。口出しをしてくる訳ではない。ただ、どことなく嫌そうにしている。
中学校に入学し、サッカー部に入部すると言った時、一度だけ反対された。結局は母の後押しにより入部出来たものの、その日から父との溝がより深くなったように思える。
事実、練習試合で活躍したその日には、母はタツキを大袈裟なくらいに褒め、「タツキの好きな物を作って上げる」と上機嫌で言ったが、父は「おう。良かったな」の一言しか言わなかった。
タツキは剣道を止めた訳ではない。サッカー部の練習の合間を縫って、こちらも練習を続けている。父に何を言われるか分からないからか、本気で剣道が好きだからか、単なる惰性で続けているのか、タツキ本人にも分からなかったが兎に角続けていた。
地区の大会に出て、隣の市の道場の跡取り息子に負けて準優勝で終わってしまった事がある。
タツキは「サッカーなんてやっているからだ」と叱責されるのだろうと覚悟した。しかし、父はタツキが剣道を続けている事に気を良くしていたのか、「よく頑張った。」と褒めた。二つの試合結果に対する態度はあまり違わないように思えるだろうが、十三年間彼の息子をやっているタツキは、あからさまな態度の違いを感じ取ったのだった。
「夕焼けが綺麗だね~」
マチが徐に言う。タツキは何を呑気にと思ったが、つい釣られて空を見てしまう。空は確かに夕焼け空だ。写真家や記者が絶賛するような綺麗な空ではなかったが、確かに綺麗な空ではあった。
「もう、秋なんだな」
ついこの間まで夏の空だった筈が、広く高い空へと姿を変えていた。そんな空に比べて、自分の悩みはなんてちっぽけなものだろう。ベタな考え方だが、今のタツキの助けになっている事は間違いない。晴れ晴れとした空のお陰で、自分の心も晴れ晴れとしてくる。この清々しい気分のまま家に戻りたい、そう思った時だった。
「ちょっとごめんね!」
タツキとマチの足下を、小さな動物の気配が謝りながらすり抜けていく。
「なんだろうあの動物。猫の仲間かな?」
「可愛いね~」
猫にしては長い耳を持った白い動物が、金色の輪に通した尻尾を揺らして走っていく。
「不思議な動物だ……な?」
確かに不思議な動物である。人語の意味を理解して話すことが出来るのだから。
タツキ達がこの事実に気付いたのと同時に小動物も同じ事に気が付いたらしく、タツキ達の数メートル先で「しまった」と言いたげな顔をしている。本物の猫もこのような表情をするかは知らないが、大変人間臭い表情だ。
そして小動物は、大急ぎでタツキ達の前から逃げ出した。
「あ! 逃げるぞ!」
「待て待て~」
自らの好奇心に抗う事が出来なかった少年少女は、この動物の正体を知るべく、我先にと駆け出した。
「今、あの猫、喋った……?」
少年少女と小動物のやり取りを見ていた人物が、持っていたスマートフォンを落としそうになりながら茫然と立ち尽くしている。
「え、マジで? マジすか? ……捕まえたら、何か貰えたりする? 懸賞金出る?」
その人物は思考を巡らせる。そうしている間にも彼らとの距離はどんどん遠ざかっていく。
「……あ、やばい」
その人物は手遅れになる前にと短いスカートを跳ね上げて走り出す。
但し、それは常人とは比べ物にならない程の速さだった。
「おーい! 待ってくれよー!」
「あなたの敵じゃないから~」
どう見ても敵であると感じたのか、動物は振り向きもせずに逃げ続ける。タツキは足の速さには自信があったが、人間の足ではやはり、動物には追い付けない。
その時だ。タツキは斜め後ろを走っているマチの様子が豹変してしまったのを感じた。
「待って~……。待てー!!」
マチの目はカッと見開かれ、表情はキリッと引き締まる。足の速さもタツキが怯む程上昇しつつある。
「マチが、『覚醒』した……」
いつも起きているのか寝ているのか分からないマチだが、時々こうして眠りから目覚めたかのように普段の倍の力を発揮する。まさに眠れる獅子である。
彼女の身に起こるこの現象を、『目が覚める』という意味と、漫画やゲームで多用される『能力が目覚める』という意味を込めて、人は『覚醒』と呼んでいる。
今この時にマチが覚醒状態になったのは、タツキにとって幸運な事だった。獅子は兎を追い掛けるのにも全力を尽くす。今のマチに躊躇いというものは存在しなかった。
どうもこの動物はこの辺りの地理に疎いようで、大きな通りを選んで走っていく。どうも目的地があるようだが、残念ながらどこは分からない。
大きな肉屋の角を曲がり、学校で噂が流れている老婆の家の前を横切り、二人の家からは遠ざかり、それでも動物は逃げていく。
「観念しなさい!」
覚醒したマチは性格もきびきびしたものへと変化する。それを敵意を剥き出しにしたのだと勘違いした動物は、泣きそうになりながら走るのだった。
そんな動物に追い討ちを掛けるように、いや、タツキとマチさえも身の危険を感じさせるような、もう一人の気配が近付いてくる。二人と一匹がそこで初めて振り向こうとすると、地元の高校の制服を着た少女がタツキとマチを追い越していくのを見てしまった。
(何者……!?)
まさかこの辺りにマチを凌駕するスピードを持つ人物がいるとは思っていなかったタツキは、目を丸くした。
茶髪に染めたミディアムヘア、筋肉のついた足、そして血走った目。僅かな一瞬でタツキが捉えた女子高生の特徴だ。
「捕 ま え た」
あっという間に彼女は動物に肉薄し、手を伸ばす。動物が諸々を諦めたその時だった。
「ほぎゃぁお!!」
突然、女子高生に相応しいかは定かではない悲鳴と共に、彼女はやはり女子高生らしいとは言えない姿勢で後ろに倒れた。
「何で!?」
驚いたタツキとマチが立ち止まっている間に、動物はチャンスとばかりに歩みを進める。タツキとマチには残念ながら、見知らぬ人を介抱する余裕は今は無かったため、少し心配そうに立ち止まってから再び走り出した。
「いてーなコンチキショー! べらんめえ!」
女子高生はすぐに目を覚ました。当然未確認生物は何処かへ行った後。彼女はおかんむりである。
「誰だ私の脳天に直撃してきたのはー!?」
「それはこっちの台詞だよー! 何でボクの落下地点にいるんだよー!!」
彼女は怒号にまさか返事が返って来ると思わず、慌てて声の主を探す。
「……へ? ナニコレ……?」
彼女は恐らく声の主であろう人物を見つけた。それは人物と言うよりは、雫の様な生き物と呼ぶべきかも怪しい何かだった。透き通った身体を揺らして怒るそれを見て、彼女はただただ呆けている事しか出来なかった。
二人と一匹の追い掛けっこはまだ続いていた。小動物も息切れを起こしているようだが、それは二人も同じだ。
「なあ、この先って何かあったっけ?」
「確か……遊具の老朽化で立ち入り禁止になった公園……」
得体の知れないものが身を隠すための拠点にするとしたら、恐らくここだろう。案の定、小動物はこの公園に行くためのルートを選択した。
「よし、バレないように公園に入るぞ……」
塗装が剥げたゾウの滑り台、錆び付いた鉄棒やジャングルジム、秋風に寂しげに揺れるブランコ、誰にも遊んでもらえなくなった遊具達が、そこに待っている筈だった。
「グルルルルルルァ……」
犬のものではない、猛獣のような唸り声が二人の鼓膜を鳴らす。
「おい、何だよあれ……ドラゴン……?」
そこに待ち受けていたのは、先程の可愛らしい生き物などではなく、漆黒の身体と悪魔の様な翼を持つ竜だった。明らかにこの地球上の生物ではない。
驚くべき事に、タツキとマチが見たのはこの黒い竜だけではなかった。
「クソッ、やっぱり成熟期相手はキツいか……」
聞こえる筈がない人の声、悔しそうなその声の主は、こちらもまた人間ではなかった。
タツキにとって重要な物 、即ち剣道の防具を身に付け、竹刀を手にしているその生き物は、2本の角と爬虫類の様な尻尾を有していた。
「一体あいつら、何なんだ?」
「もしかして、戦っているのかしら」
黒竜と対峙している小柄な生き物の後ろには、タツキ達から逃げようとしていた白い動物、更にその後ろには小さな太陽の様な形をした生き物がいる。
ドラゴン以上に実在が信じ難い生物だ。
「おい、猫。そこ動くんじゃねえぞ」
「でも……」
「うるせえ!!」
剣士は猫の様な生き物を戦いから遠ざけようとしているようだ。語気は強いものの、黒い竜に立ち向かおうとする小さな身体は、少々頼りない。
「成長期の分際で、成熟期に勝てる気でいるのか? 傲慢な奴だ」
黒い竜は意外にもはっきりとした発音で喋り出す。タツキ達が知らない単語が使われているが、挑発しているのだと分かった。剣士は挑発に乗るつもりがないのか、何も言わずにいる。
「そこのテイルモンに任せたらどうなんだ?」
テイルモンというのはこの猫の様な生き物の事を指しているのだろうか。黒竜に挑発され続けているが、それでも剣士は沈黙を貫いている。
「どうした? そんなに殺して欲しいのか? ……おい、何をブツブツ言っている?」
距離が離れている上に、剣士の口元が見えないためにタツキ達には分からなかったが、剣士は黙っているのではなく、何かを呟いていたらしい。
「ブツブツ……俺は強い、こいつは強くない。ブツブツ……」
「ああ?」
「ブツブツ……俺はこいつを殺せる、殺す。……ブツブツ……」
呟く声はどんどん大きくなる。自己暗示を掛けているのだろうか、随分と強気な内容だ。
「ブツブツ……ぅるあああああ!!!」
突如剣士は飛び上がり、竹刀を振りかざした。
「ファイヤーメーン!!」
剣士の掛け声と共に、なんと竹刀が炎を纏う。剣士は黒竜の脳天に向かって竹刀を叩きつけようとする。だがしかし、黒竜は炎に怯む事なく剣士の身体全体を鷲掴みにしてそのまま地面に叩きつけた。
「うぐっ……!」
剣士は呻き声を上げる。ダメージが大きかったためか身体が震えているが、それでも立ち上がって再び向かっていく。
人間ではない剣士が、白い猫と小さな太陽を庇いながら、黒く大きな竜へと勝ち目の無い戦いを挑んでいる。この光景に対する二人の第一印象は、「これは本当に現実なのだろうか」だった。ゲームや漫画の様な出来事が、自分の住む町で、それも眼前で繰り広げられている。あまりに非現実的な現実に、脳の処理が追い付かない。脳が勝手に回転を止めようとしている。理解する事を諦めたがっている。
しかし、この場を支配している竜の殺気、剣士の覇気、白猫の不安、小さな太陽の悲壮感が、これは現実であると訴え掛けている。二人は嫌でも「これは現実だ」と認識させられていた。
「折角テイルモンが戻って来たのになぁ。勿体無え事しやがるなあ!!」
「がふぅ!!」
黒竜が腕を振り払い、剣士を再び地面に叩きつける。これが何度も繰り返されている。剣士が一矢報いるチャンスなど皆無で、黒竜に弄ばれる一方だ。
「だからー、竹刀の使い方が悪いんだって! 大技狙いすぎだって! 後、面じゃねーよそこ!」
「あのー、……タツキくん?」
タツキは知らず知らずの内に熱くなっていた。本当はこの場から逃げ出すべきなのだろう。
しかし、タツキの中の何かが、そうさせてくれないどころか応援までさせている。何故自分はこんなに剣士に感情移入しているのか、自分でも分からなかった。
「やっぱり、成熟期相手は無謀なんだ……あの、加勢した方が良いんじゃ……」
「ダメー! それはダメ!」
太陽の様な形の生き物が白猫に提案するが、それは却下された。
「多分、そんなことしたら怒られちゃう……」
状況が良くなる事はなく、このままではあの二体も危ういかもしれない。
「ただなぶるのも飽きてきたな。ちょっとしたゲームでもするか……。おい! そこの人間!」
自分達の存在を知られていたという事実の判明と同時に訪れた恐怖が、二人の身体を硬直させた。
「えー!? まだいたのー!?」
テイルモンというらしい白い生き物がこちらを見て驚いている。完全に撒けたと思っていたらしい。
「貴様らに逃げる時間をやろう。但し、このチビが死ぬまでだ。こいつが生きている間に逃げ切れたら貴様らの勝ち。逃げ切れなかったら俺の勝ちだ」
そう言うが早いか、黒い竜は攻撃を再開した。こちらには拒否権は無いようだ。
「ぐあ……っ!」
「おら、踏ん張らねえとあの餓鬼共が死ぬぞ」
終わりの見えない暴力の連続。今すぐにでも逃げ出したい。いや、逃げるべきだ。だが、身体がちっとも動かない。まさに蛇に睨まれた蛙だ。
「まさか人間まで巻き込んでしまうなんて……もう駄目だ……」
太陽の様な生き物が、震える声で言った。手があったら頭を抱えているに違いない。被害を大きくする等の形で彼らに迷惑を掛ける訳にはいかない。やはり逃げるべきだろう。
(でも、俺が今ここで逃げて良いのか? あいつを囮にして? いや、それ以外にも、逃げちゃいけない理由がある気がする……)
タツキの中にある不明瞭な何か。先程芽生えた感情が、余計に彼にここから逃げることを躊躇わせる。
「俺だって、『進化』さえ出来れば……がッ!」
「そう都合良く進化出来るものか」
黒い竜が剣士の言葉を否定する。
(どうしてこれが夢じゃないんだろう。俺の日常ってもっと、普通な感じじゃなかった?)
『友達とサッカーしたいだけなら、いくらでもやればいい。だが、流石に部活に入るのは認められん!』
(……いや、あんまり戻りたい日常でもないな。よってたかって、“俺達”は否定される)
剣士がいたぶられ続ける現実と、つい重ねてしまうもう一つの現実。ああ、何故こうも現実というものは上手くいかないのだろうか!
死にたくない。でもここから逃げたくない。目を覚まして現実に帰りたい。でも非日常にいる方が楽かもしれない。思考の迷路に嵌まったタツキはパニックを起こしていた。
「タツキくん! タツキくん!」
マチの呼び声も耳に入らない。何故? 何故? どうしてこんな目に遭わなくてはならなかった?ここから逃げ出せない理由とは何なのだ?
「ねえねえ」
何故? そもそも彼らは何者なのだ? 何故彼らと関わってしまった? 過去の自分を殴りたい。勿論今の自分もだが。何故? 何故自分は答えの無い「何故」に拘わる? そんな場合か?
「ねえってば!!!」
タツキの目を覚まさせたのはマチではなく、足下でタツキの弁慶の泣き所を叩きながら叫ぶ声だった。
「痛ーー!!!」
タツキは痛みのあまり飛び上がる。
「ねえ! このままだとピンチなの! って言うかもうピンチなの! あの子、私に手助けされるの嫌だって、でもこのままじゃ勝てそうになくて……」
「痛えよー! 痛いよー!」
「タツキくんのストライカーの足になんて事を……」
痛みに耐えながら叫ぶタツキを無視し、話し続けるのはあのテイルモンだった。
「それでね、手伝ってほしいの! もしかしたらあなたがそうなのかもしれないから!」
「はあ?」
やっと痛みが治まったタツキに、何やら小さい機械のような物が手渡された。
「何だこれ?」
「ゲーム機かしら?」
マチがタツキの手元を覗き込む。大きさはタツキの手に収まる程で、画面には何も映し出されてはいない。
「手伝うって、こんなのでどうすれば良いんだ?」
「えーっと、こう、ドーンって!!」
何を言っているのかさっぱり分からない。この小さな機械で、小さな自分達がどうすれば良いと言うのか。
「ごめんなさい! あの、何と言いますか、それに“感情”を込めてみてほしいんです」
小さな太陽の様な生き物が割って入ってくる。どうも彼は見た目に反してテイルモンよりはしっかりしているらしい。
「上手くいけば、この状況を変えられるかもしれません! 詳しい事は今は説明出来ませんが、何とかお願いします!」
太陽の様な生き物は頭、と言うより身体全体を下げて懇願する。
「ええー?」
タツキはマチに状況の説明を求めるが、彼女も首を横に振った。最早タツキに状況を理解する術は残されていない。
「こうか?」
タツキは機械に気を込めてみる。彼は気の使い手ではないのであくまでもイメージだ。しかし、機械は何の反応も示さない。
「駄目なの!? じゃあこうか!」
何となくイメージの仕方を変えてみるが、やはり何も起こらない。
「どうしろって言うんだ……」
テイルモンと太陽の様な生き物が、やはり駄目なのかと顔を見合わせる。それを見てタツキは焦った。こうしている間にも、剣士の体力が、命が削られていくというのに、自分は何も出来ないだろうか。
剣士が「籠手」と名の付く技を使いながら竜の胴を狙っている。それもやはり難無く防がれてしまった。
(何であいつ、あんないかにも剣道やりますみたいな格好して、滅茶苦茶な事やってるんだ? …………!)
タツキはある事に気付いた。
(もしかしてあいつ、剣道みたいな技を使うのは不本意なのか?)
長い袖に血が滲んでいる。竹刀の持ち手も紅く染まりつつある。そんな剣士を冷ややかな目で見る竜が、何処か見覚えのある気がする。
「畜生……畜生ォォォー!!」
剣士が最後の力を振り絞って竜に飛び掛かるも、悲しいかな竜には届かない。地面に打ち付けられ、そのままピクリとも動かなくなってしまった。
「やっと死んだか。そろそろ……ん? 餓鬼共、まだ逃げてなかったのか」
竜はやっとこちらに気付いたらしい。よっぽど剣士を痛め付けるのが楽しかったのだろうか。
「やっぱり、違ったんだ……」
太陽の様な生き物が泣きながら呟いた。違ったとは何の事だろうか。
それも束の間、疑問は一瞬でタツキの中から消え去り、彼の意識は巨大な竜の目の前まで引きずり出された。
「よほど死にたいようだな。望み通り、息の根を止めてやろう」
後ろからマチの悲鳴が聞こえる。自分は大きいものに対してなんて無力なんだろう。脳裏には黒竜の他に、自分にとっての大きな存在も浮かんでくる。
(ああ、俺はそこに倒れているあいつと自分を重ねていたのか)
タツキは剣士と自分を、竜と父を重ねていた事に気付く。父と化物を一緒にしたいと思っている訳ではないが、どこか重なる部分があるような気がする。
(あいつは勝ち目が無くても自分のプライドのために戦ってたのに、俺は……)
馴れない武器と防具を持たされ、それでも戦った彼と、父との衝突を避け続けて自分の好きなことをやってきた自分。大きな存在に屈したくない彼と自分。
憧れと親近感と怒りと焦燥感と恐怖と無力を嘆く心が、あらゆる感情が、タツキの心から外側へと流れ出す。
「畜生ぉぉぉぉぉ!!!」
タツキは、感情という感情を外側へと押し出すように、叫ぶ。その刹那、
「な、何だ!?」
「眩しい……!」
「グァァ……!」
タツキの目を、その後ろにいるマチや謎の生き物達の目を、黒竜の四つの眼球を、全てを貫く閃光が、タツキの掌から、そして倒れている剣士から放たれた。
「コテモン進化……ムシャモン!」
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羽化石
2022年12月12日
In デジモン創作サロン
あまりに浅はかであった。
少女は人間の身でありながら、単身敵のアジトへ乗り込んだ。結果は火を見るより明らかだった。
昆虫型デジモンが守護する白亜の城。侵入に成功したはいいものの、僅かな段差を見落とし、つまずいて、声を上げながらすっ転んでいたところを捕えられた。
十体ほどのスティングモンと統率個体のジュエルビーモンに取り囲まれて、少女は為す術を失った。
「“飛んで火にいる夏の虫”……って、虫から言われちまった気分はどうだ?」
ジュエルビーモンはせせら笑う。スティングモンには「スパイキングフィニッシュ」に用いる棘を突き付けさせ、自分自身も槍の穂先を少女の眼前でちらつかせる。
少女は小さな口から、べえと舌を出した。
「今のあんまり面白くないよ」
「うるせえ、俺だって笑わせたくて言ったんじゃねえやい」
ジュエルビーモンの手が“うっかり”動いて、少女の頭髪を掠めた。橙色の毛髪が数本、宙を舞う。
それでも少女の栗色の瞳は揺れない。
少女は捕えられた時も「きょとん」としていたし、武器を突き付けられた時も怯える様子を見せなかった。事の重大さを理解していないのか、或いは、肝が据わっているのか。
「無駄に度胸だけはある、ように見えるが……どうせ、一人に見せかけといて近くにパートナーデジモンが潜んでるんだろ」
「ぎくっ」
余裕の表情を見せていた少女があからさまに動揺した。どうやら、腹芸の類は苦手なタイプらしい。
「もう少し隠す努力をしろよお前。……おら、出て来いよ。てめえのパートナーがどうなっちまっても知らねえぞ」
ジュエルビーモンは、どこかに隠れているであろう少女のパートナーデジモンを煽った。
あまりに浅はかであった。
戦士であるならば、パートナーデジモンの属性を、人間の見た目の属性で決めつけるべきではなかったのだ。
吹けばたんぽぽの綿毛のように飛びそうな少女であったとしてもだ。
そのパートナーデジモンが小さな犬猫でもなく、美しく咲き誇る花の妖精でもなく、姫を守る騎士でさえなく。
暴力の化身であることを想定しておくべきだったのだ。
スティングモンの一体が、地響きのような音を捉えた。
それが生き物の唸り声であったとスティングモンが知覚するためには、突如壁を打ち破って侵入した巨大構造物を目視し、深緑の外骨格ごとワイヤーフレームがひしゃげて砕け、体液代わりのデータ粒子をまき散らしながら遥か後方へ吹き飛び、地面に着くことなく消滅するまでの時間はあまりに短すぎた。
かつて仲間だった光る粉を全身に浴びたスティングモン達は、一斉に恐怖の眼差しを構造物へ向けた。
構造物の正体は、生き物の右腕だった。故に、スティングモン達はより恐怖した。その生き物の手は、スティングモン程度のサイズであれば鷲掴みできるほど巨大であったのだ。
腕は指先までシルバーのガントレットに包まれていた。ロイヤルナイツを初めとする騎士型デジモンのようなスマートな印象は無い。丸太のように太い腕は、寧ろ獣や竜の荒々しさを連想させる。
ただでさえ頑健な腕を、更に宝石が設えられた手工で覆っている。宝石の数は手の甲に三つ、腕の表裏にそれぞれ七つずつ。
成熟期の手練れ一体を葬る程の衝撃でありながら、宝石にも鎧にも傷一つ無い。その腕が振るった暴力には似つかわしくない、高級な輝きを湛えている。
「ぁんっだオラァ!」
ジュエルビーモンだけは恐怖に臆する事は無かった。否、寧ろ電脳核に眠る闘争本能を果敢に発起させて未知の脅威に立ち向かわんとする。
半透明の翅を震わせ、血を吸って真っ赤な穂先を掲げて臨戦態勢に入る。
ぱきり。みしり。壁を軋ませながら、巨大な手が自ら空けた穴の淵に手を掛けた。
チョコレートを割るように容易くひび割れていく壁、その一部がぽろりと落ちた。
そこから覗いているのは、真っ赤な目だ。
暗がりの向こうから真っ赤な目がこちらを睨みつけている。
ジュエルビーモンが虫の知らせとも呼ぶべき予感を覚えて飛び退いた刹那、壁の全面を破壊しながら怪物が全容を現した。
「グオオオオオオオオァア!!」
水晶の山が動いている、とでも言えばいいのだろうか。それが怪物の第一印象だった。
ジュエルビーモンは、怪物自身の肉体から生えた自然のままの宝石、形を整え磨き上げた宝石で編んだ鎧が室内の照明を浴びてきらきら輝いているのを見た。
怪物の足がドシンと音を立てて城内へ踏み入れる。怪物は二足歩行をしていた。完全な直立二足歩行ではなく、若干の前傾姿勢で、時々腕や爬虫類のそれに似た尾を歩行の補助に使っていた。
そもそもの体形が山のように大きく、太く、寸胴な上半身に対して、下半身は比較的細く短いというものなので、腕や尾の支えが要るのだろう。
(あくまで上半身と比較して、であるため、足は膝まででジュエルビーモンの全身を超えるサイズと太さがある)
怪物は比較的人間に近い顔つきのように見えるが、肌は色も質感も冷たい岩肌のよう。
二つの瞳は爛々と赤く、本来白目にあたる部分は真っ黒だ。暗がりから赤い目が覗いているように見えたのはそのせいだ。
怪物の素肌が見えるのは顔だけ。頭から背中、肩にかけては、棘状でうっすら青色掛かった半透明の水晶が隙間なく生えていて、それ以外の部分は鎧で完全に武装している。
鎧は六角形にカッティングされた宝石を編んで作られていた。反射光が目に痛い。先ほど寸胴と称した胴体に添うように装着されていて、やはり宝石まみれの腰ベルトで固定されている。
おまけに立派なマントまで身に着けている。マントの裾は尾が邪魔をして地面から浮いていて、それを気にして尾の先まで目で追うと、なんと尾の先にまでカッティングされた宝石が付属していた。
鎧の全身が姿を現そうとも、高級な宝石と銀で身を包もうとも、やはりそこにいたのは金剛石の豪傑。鬼が如き益荒男。貴人に非ず。騎士にも非ず。
肉食獣が如き牙を剥き出しにして、雷鳴のような咆哮を上げるデジモンを、「怪物」以外になんと形容しようか。
「ブラストモンか……!」
ジュエルビーモンは、文献の中でしかまず見られない、希少種の名を口にする。
山奥に稀に出現しては、嵐のような暴れっぷりで周囲一帯に被害を出す災害じみた存在。それがブラストモンであると認識していた。それが今、パートナーの恩恵を得た状態で自身の目の前にいる。
「ザッツライだよぉ」
ブラストモンが少女に向かって手を差し伸べる。少女が巨大な掌へ飛び乗ると、ブラストモンは彼女を自身の肩まで連れて行き、乗せた。
少女を巻き込む心配の無くなったブラストモンは、再び行動を開始した。巨大な尾で薙げば、逃げ遅れた不運なスティングモンはたちまち弾け飛ぶ。鎧も皮膚も一切の攻撃が通らず、迎撃したスティングモンの腕が砕ける始末。
その様子を見下ろす少女の中には同情心などなく、あどけない表情でパートナーが暴力を振るう様を見守っている。
雑兵をあらかた片付け終わると、二人の興味はジュエルビーモン一点に絞られた。
「あなたの鎧、きらきらだねぇ。……気をつけてね。ブーちゃんは宝石っ“ぽいもの”には目がないから」
ブラストモンの理性の乏しい瞳が爛々と光っている。あれは捕食者の目だ。百舌鳥が地を這う虫を垂涎しながら狙う時の目だ。ジュエルビーモンの玉虫色の鎧を宝石と誤認して狙っているのだ。
まさか完全体になっても捕食の恐怖に怯える羽目になるとはな。ジュエルビーモンに久方ぶりの悪寒が走る。
だが、それでもだ。姫様をお守りするためにも、ここで退くなどできるものか。
隆起する結晶山脈を前に、ジュエルビーモンは決死の覚悟を決めた。 ――私は、ブラストモンがパートナーの女の子を肩に乗せる仕草と、二人で全てを破壊し尽くす様にロマンを感じる。
フェザフォッシーニ26世(羽化石帝国歴1120年~)
サロンをご覧の皆さま。いかがお過ごしでしょうか。マタドゥルモンと同じくらいブラストモンが好きなオタクこと羽化石です。
本作品は素敵な素敵な企画『推しの外見描写がしたい!』(外部サイトへ飛びます)への参加作品として新たに書き下ろしたものです。題材はもちろんみんな大好きブラストモン。ブラストモン最高と言いなさい。
もうブラストモンの外見描写を書くためだけの作品なので、それ以外の描写は最小限という大変潔い作品になってしまいました。もう「ブラストモン様最強! ブラストモン様最強!」としか考えないで書きました。それが伝わるように書けていれば嬉しいです。
ジュエルビーモンの外見描写は他で沢山書いているので、ジュエルビーモン愛好家の方は良かったら探してみてね。
(描写が簡素なのにはもう一つ理由があります。羽化石はブラストモンを書く時には「平行世界の同一人物」と理由をつけて毎回同じ女の子をパートナーにするので、女の子の描写をはっきりさせると羽化石作品を読み慣れている方には登場デジモンが即バレしてしまうからです。姿の描写だけを読んで「あっ、こいつだ!」と思っていただきたかったので……)
外見描写以外のこだわりについては、大体フェザフォッシーニ26世とかいう変な人間が残した格言にある通りです。岩肌のように冷たそうな肌にもロマンを感じます。
作品自体の説明が終わってしまったので、このお話を読む上で知らなくてもいいけど知ってると楽しいお話をします。
本作は拙作『砕壊ゴグマゴグ』の前々前日譚……くらいの時系列にあたるお話です。ここで色々あって『砕壊ゴグマゴグ』に繋がる訳ですね。
更に更にネタバラしをしてしまうと、ブラストモンのパートナーの女の子、『砕壊ゴグマゴグ』のゴグマモンの記憶にあった「あの子」の名前は「風峰風香」ちゃんといいます。
羽化石作品に時々(完全な同一人物ではありませんが)出てくるので、別の所で見かけたら「あっ、こいつかあ」と思ってください。
(ジュエルビーモンの方は、羽化石作品によく出てくる将軍とは別個体ですが、奴も同じ組織のトップにいます)
次回作はマタドゥルモンが変なことする作品の予定です。いつものアレですね。
Q.ブラストモン様、ちょくちょく直立出来てない?
A.前傾姿勢って書いた方がゴジラみたいでかっこいいからいいんだよ
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羽化石
2022年7月17日
In デジモン創作サロン
『馬鹿と重力と金と忍者と石は使いよう』(前半)(後半)に登場したキャラクターの紹介と本編に書ききれなかった設定の説明置き場です 高地睦月 13歳の中学1年生。1月生まれなので早生まれ。 天才を自称するおバカな少年。 今作で「めちゃくちゃおバカな代わりに、興味がある事柄に限れば技術力と記憶力がめちゃくちゃ高い」事が判明した。 グラビモンを体内に住まわせる度量の持ち主である事も判明した。 ここだけの話、難しい事を考えるのが苦手だったり突飛な自己解釈を入れちゃったりするので上手くいかないだけで、(睦月にとって)複雑な思考を介在する余地が無ければ一人でもわりと何とかなる。 百ます計算やらせると速いし、九九を覚えたのはクラスで一番早かったりする。ここら辺の成功体験が彼を自称天才たらしめていると考えられる。 グラビモン みんな大好き(主語デカ)ビッグデスターズの土神将軍。 本作は何年も昔から執筆している世界観の元に作成されているため、世代は究極体。 頭は良いんだけど不遜で短気。 睦月の体内に間借りしている事、そしてかなり分かりやすいツンデレである事が判明した。気に入らない相手は「貴様」呼びで身内は「お前」呼びなのがポイント。 冒頭と最後の方の描写で何となくお分かりいただけたかもしれないが、実は軽い自爆でデスルーラする方法を割と気軽に使っているので、デビタマモン達の前で自爆した事も本人的には大した事ではない。 八武森ノ神子羅々 花の中学2年生、14歳のお嬢様ですわ! ザ・テンプレお嬢様ですわ。 ミドルネームがあるのも金持ちだからですわ。本作、実は戦後の財閥解体が行われていなかったり、そのせいで世界中に八武一族が蔓延っていたりと読者の皆さまがお住まいの三次元宇宙とは異なる世界ですの。 パートナーは今回出てきませんでしたが、ちゃんと自身のパートナーがいますのよ。木精将軍ザミエールモンこと針槐ではなく。 ついでにここでお母様と針槐の紹介もしますわね。 八武覇珠妃 羅々のお母様ですわ。某企画のとうもろこしみたいな頭の御仁とは違い、金持ちお嬢様成分を娘に明け渡して、すっかり穏やかになりましたの。 針槐 羅々のお母様のパートナーデジモン。木精将軍ザミエールモンですわ。 針槐は個体名ですわ。個体名があるのにはちゃんと理由がありますの。八武の人間以外に個体名で呼ばれるとキレるから注意ですわ。 パートナーの娘である羅々を溺愛していますわ。他のビッグデスターズ達は睦月の事を「友達(グラビモン)の年の離れた小さい弟」くらいに認識してますが、こいつだけ「姪っ子の友達」と思ってますわ。 斬 斬先輩。25歳大卒の雇われ忍者。クールだけどわりと金にうるさい。 忍者の仕事が無い時はコンビニやスーパーでバイトをしている。主夫スキルも高い。 凄腕忍者過ぎて、こいつが味方にいたら何でも解決しちゃうじゃん!とお思いかもしれないが、本作では味方でも本編の主人公の味方ではないのでモーマンタイ。彼が主役の作品もあるのでいつか投稿したいですね。 ちなみに本名は設定すると喋りたくなってしまうため、敢えて考えてないです。 グロリア 斬のパートナーデジモン。派手な姿は忍者のパートナーに相応しくないように思えるかもしれないが、斬が隠密行動できるよう陽動する役割なのでこれでいいのだ。 斬に恋愛的な意味でぞっこん。斬も満更でもないと思っているぞ。この辺の話は別のお作品で追々…… 風峰風香 13歳の中学1年生。こちらは11月生まれ。 基本的にはぽへっとした女の子だが、苛烈な一面も持ち合わせている。羅々一味の““““暴力””””を担当している。 実は三つ子の末っ子。二人の姉がいて、その二人もパートナーデジモンと出会っている。その辺については「デジモントライアングルウォー」を読んでね!(宣伝) ブラストモン 風香のパートナー。暴力に人格と愛を与えると彼が生まれる。 自分の事を風香の家族だと思っているので風香の姉の事は「姉(あね)さん」と呼ぶし、姉(あね)さんのパートナーデジモンの事は「お義兄さん」と呼ぶ。ただし、風香がお義兄さん達を認めていないので未だにお義兄さんとは呼べていない。
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羽化石
2022年7月17日
In デジモン創作サロン
※本作は『馬鹿と重力と〜』の後編です。勿論前編から読むことを推奨しておりますが、こちらから読んでも無問題です。 ※後編の前半が急、後半がシンですが別所に投稿する際の分け方ですので特に深い意味はございません。 グラビモンは工場の玄関口に立ち、カードキー認証装置に触手を伸ばす。それと同時に、手の中の睦月を天井近くのダクト口に滑り込ませた。
すると瞬く間に警報装置が起動し、現れたデジモン達がグラビモンを取り囲んだ。警備デジモンの構成は十数体のデビモンと1体のマタドゥルモン。当然だが闇の属性のデジモン達だ。
「なんだ、また吸血武闘家デジモンか」
「動くな、手を上げなさい! 貴方の動向はずっと監視していました、それとまたとは何ですかまたとは!」
恐らくリーダー格と思われるマタドゥルモンが、グラビモンに向かってありきたりな警告を突き付ける。
「一緒にいた子どもはパートナーですか。ならば、彼の安全と引き換えに投降を——何だァ!?」
マタドゥルモンは視界の隅で、デビモンのうち1体が入り口のドアに向かって吸い込まれるように飛んで行き、ドアごと工場内に突撃するのを見てしまった。
それを見ていた者も見ていなかった者も、激しく割れるガラスの音を聞きつけ、注意が一斉にそちらへ向かう。
「吹き飛ばされた……?」
飛ばされた個体とは別のデビモンが、仲間の惨状を見てぽつりと呟いた。
工場の玄関口では、ガラス片まみれのデビモンが壊れたドアを下敷きにして倒れ伏している。
「私が吹き飛ばしたのではない。奴が“落ちて行った”んだ。私は奴に掛かる重力が地面ではなくドアに向かって働くように変化させただけだ」
囁くような疑問の声にもグラビモンは律儀に答えた。警備員達の視線が再び一斉にグラビモンへ注がれる。
無意味ににょろにょろと蠢く触手が、いやに存在感を発揮していた。
「今はもう向きを戻してやったぞ。向きはな」
ドアと大激突したデビモンは、未だに立ち上がれずにいた。一見打撲によるダメージのせいに見えるが、そうではない。倍に増えた自重に筋力が追いついていないのだ。
「デビモンは伸びる腕といい魔眼といい、成熟期の割に面倒だ」
グラビモンが独り言ちたその瞬間、デビモン達は自身の両腕と翼「だけ」が圧倒的な重圧に襲われたのを感じ取った。
「いだいいだい! ちぎっ、ちぎれる!」
「た、立てぬ……」
「ううううう腕、腕、折れっ」
ある者は翼に引っ張られる皮膚の痛みに喘ぎ、またある者は上体を無理矢理反らされ腰と背骨が歪み、ある者は『デスクロウ』で腕を伸ばそうとしたのが仇となり、更に増えた腕の重さに肩が耐えられずに脱臼した。
マタドゥルモンもグラビモンの魔手から逃れる事は出来ず、袖の中に忍ばせた無数のレイピアを放棄せざるを得なかった。
「貴方は一体何者ですか……」
マタドゥルモンは使う得物を己が肉体のみに絞る。
彼は表情の無い瞳でグラビモンを睨みつけ、その正体を問う。
「なんだ、私を知らないのか貴様! ふむ、我らの資料が魔王軍に出回る前の離反者か。だとすれば長きに渡る研究もそろそろ煮詰まり、人体実験する段階に入った……といった所か」
グラビモンはたった今手に入った情報と既存の情報を組み合わせ、彼なりの推理をして一人で勝手に納得した。
マタドゥルモンには答え合わせをする義理は無く、無言で足技『蝶絶喇叭蹴』をグラビモンに叩き込もうとする。
「貴様ら雑兵に興味は無い」
これだけマタドゥルモン達が感じる重力を滅茶苦茶にしておきながら、グラビモンが彼らに掛けた言葉はこれだった。
「私は、魔王復活などと大それた野望を持った大馬鹿者に用がある」
マタドゥルモンの蹴りがグラビモンに届き切る前に、8本の触手が蜘蛛の巣のようにマタドゥルモンを絡め取る。
「最近、体が鈍っているからボウリングでもするか。お前ボールな」
何を言っているんだこいつ。マタドゥルモンがそう思った瞬間、彼の視界を白い布のようなものが覆った。
グラビモンの巨大な両手で、マタドゥルモンとデビモン達が一箇所にかき集められていく。それから何をするかと思えば、なんとグラビモンは彼らを握り飯でも握るかのように、手の中で一纏めにしてしまった。
「うーむ。完全な球体には程遠いが、潰さずにくっつけただけならこんなものか」
「こんな、強者と戦うためだけに生きている私によくもこんな辱めを! まともに戦わせてももらえないのなら、殺してくれた方が余程マシです!」
「それは無理な相談だ。殺さずに後悔させろと言われて来ているんでな。貴様らはどうせ、殺されても後悔まではしないだろう? 私が本気を出せばもっと惨たらしく死ぬ羽目になるんだ、この程度で済んで有り難いと思え」
こだわりと妥協の兼ね合いの末、十数体のデビモンと1体のマタドゥルモンで構成されたガタガタのボールがここに完成した。
彼らは先のデビドラモンのように潰れた肉団子にされた訳ではなく、生きて形状を保ったままぎゅうぎゅうに密着させられている。故に原型こそ留めているが、強者を求める吸血武闘家としての尊厳は見る影も無かった。
形成にも重力操作を利用しているのだろうか。出鱈目な方向に重力が掛かり、平衡感覚に異変が生じて目眩を起こしたデビモン達が「気持ち悪い」と訴えている。
「そらっ」
殘念ながら、グラビモンは彼らの訴えに耳を貸すほど殊勝なデジモンではない。完成直後のお手製のボールを工場の壁めがけて容赦無く転がした。重力操作による進行方向へのブースト付きで。
ボールは見事に壁に命中、ただでさえ壊れている扉の周りの壁も粉砕し、グラビモンが通れるだけの穴を開けた。
「ストライクだな」
自分用の入り口が開けてグラビモンはご満悦だ。
1体だけ建物の中に取り残されていたデビモンが、見るも無惨な仲間の姿を何事かと凝視している。
「さて、行くか」
一球投げて満足したのだろう。グラビモンはボウリングへの熱もすっかり冷めて冷静に呟いた。
ボールのままの警備デジモン達を無慈悲に置き去りにして、グラビモンは工場の奥へ奥へと進んで行った。
「グラビモンって一人だとああいう風に遊ぶんだねぇ」
「俺たちに思いっきり見えてたけどいいのかなァ」
◆◆◆
50歳前後の人間の男性——この工場の本来の工場長は、カプセル型のマシンの中で涙を流していた。
幼い頃に大好きな祖母を亡くした時。
大好きな給食が出る日に風邪で休んでしまった時。
初恋が実らなかった時。
一人息子の熱が下がらず妻と懸命に看病した日々。
不況のために工場の存続が危ぶまれた日々。
大小様々な悲しみの記憶が、より肥大化した悪夢となって工場長を蝕んでいる。
睦月は狭く暗いダクトの中を匍匐前進で進んでいく。時々パソコンの画面を確認しながら進むため、その度に画面の光が睦月の顔をぼんやりと照らしていた。
作戦開始前にグラビモンから睦月に告げられた言葉はこれだ。
『私がデジモンどもを引き付けている間、貴様は人質を救助しろ。私が行っても余計な不安を煽るだけだからな』
グラビモンの睦月に対する散々な評価を思えば、睦月に単独行動をさせるのは危険に思えるかもしれない。
それでも土神将軍は睦月に重力操作を施し、身軽にさせてまで重要な役目を託した。
睦月本人がその意味を分かっているのか、常人の我々からは計り知れない。
「この辺かな?」
睦月はある部屋の真上で停止した。その部屋は斬が用意した地図上では、人質の居場所を示す印がついている。
「ここまでノー戦闘で来れるなんて。自分の天才具合が怖いね!」
睦月は自分の功績に感嘆し、うんうんと一人で頷いている。
実際は、現役忍者の的確なルート設定とグラビモンの陽動作戦の賜物である。グラビモンがここにいれば「いいから黙って先を急げ!」と怒っているところだが、残念ながらここにいるのは睦月一人だ。
「よーし、天才的救出劇の始まりだ!」
睦月はそう言って、ダクトの出口である換気扇に手を掛けた。しかし外れない。押しても引いても無駄だった。
「あれー? おかしいな。グラビモンに軽くしてもらってたから?」
根本的な原因は睦月の筋力不足以外の何物でもないのだが、グラビモンの重力操作が影響した可能性も否めない。
「えいえい! このやろ!」
睦月は天才らしく、暴力に訴える事にした。姿勢を変えて何回も踵落としを食らわせた末に、全身の体重をかけたタックルを食らわせる。すると、遂に強敵換気扇は音を上げた。
「やったあ外れた!」
がしゃりと音を立てて枠から外れ、下の部屋に落下していく換気扇。ただし、落下したのは換気扇だけではなかった。
換気扇が外れた今、勢いがついた睦月の体を支えてくれるものは何もない。タックルした勢いのまま、睦月も一緒になって落下する。
「いててて。土神だけにドシーンっていっちゃった! ……天才のボケには天才のツッコミがないと締まらないなあ」
睦月は全身を強かに打ち付けてしまったが、この通り軽口を叩ける程度には軽症で済んだ。
「よし、今度こそ天才的救出劇を始めるぞ!」
そう言って睦月は部屋の探索を開始した。
とは言え、室内の全容は至って分かりやすい。カプセルのような形状の機械が部屋中に規則正しく並べられていて、天井から吊り下げられたコンセントと繋がっている。それ以外の余計なものは一切存在しない。たったこれだけで言い表せるのがこの部屋だ。
そしてカプセルの中身というのが、人質にされた人間だ。カプセルの蓋はプラスチックに似た透明の素材で作られていて、中で人質が深い眠りにつかされているのが確認できる。
眠っているのはおよそ30数名、殆どが壮年の成人男性だ。この町工場が乗っ取られた際に働いていた従業員が、そっくりそのまま捕らえられているのだろう。
「……ほんとにおじさん達しかいないの?」
睦月の言う通り、何かがおかしい。
空調配管の中ならいざ知らず。人質を収容しているこの部屋には、見張りや別室で監視しているデジモンもいて然るべきだ。
それにも関わらず、睦月という侵入者を誰一人として止めに現れない。
「変なの。天才のボクに恐れをなしたから?」
流石の睦月もこの状況を訝しんでいた。しかし、いつまでも怪しんではいられない。
睦月は次の行動に打って出た。
「まずは偉いおじさんからお助けしよっと」
睦月は再びパソコンの画面を開く。
斬が用意したデータの中には、人質に関するデータもしっかりと含まれていた。氏名、役職、ご丁寧に顔写真まで添付されている。情報の出所が明らかに社外秘の資料なのはご愛敬。
画面上の顔とカプセルの中の顔を一人一人見比べ、人質が全員いるのを確認しつつ、初めに救出すべき人物を探していく。
「うん! このおじさんっぽいね!」
睦月は目的の人物を無事に捜し当てた。睦月が覗き込んでもその人物――工場長の男性は、顔を苦しそうに歪めるだけで目を覚ます気配を見せない。
「うーん、コンセントはガチガチのキツキツで引っ張っても取れない。びくともしないや!」
念のため物理的手段でカプセルを開けないか試してみたが、カプセル自体は蹴っても叩いてもびくともしない。電源コードを引っ張ってもみたが、不慮の事故が起こらないよう電源周りはしっかりと守られていた。
「しょうがない。天才らしくパスワードで開けますか!」
カプセル外部には空調調節用の機材と、操作用のタッチパネルが備え付けられている。睦月がパネルに手を伸ばすと、操作者の気配を感じ取ったパネルは独りでに起動した。
「えーと、なになに? カプセルのフタを開けるモードはこうこうこうして? パスワード入力画面がふむふむそれで? パスワードがこれこれこうで?」
斬が残した操作マニュアルを参照しつつ、カプセルの操作を進めていく。多少は迷う瞬間があっても良さそうなものだが、睦月は一切手を休めることなく、解錠パスワードの入力まで済ませてしまう。
プシュー、と中の気体が漏れる音がして、カプセルの蓋が開いていく。
「おはよう工場長のおじさん!」
目覚めを妨げるものは無くなり、徐々に覚醒しつつある工場長に向かって呑気に挨拶をする睦月。
睦月の無駄に明るく高い声は、工場長の目を一気に目覚めさせた。
「ううん、お、おはよう。……いや待て化け物共はどうなった!?」
工場長は最初の内は寝ぼけていたが、眠る直前の状況——謎の化け物に捕らえられてしまった事を思い出し、急に狼狽し始める。
周りを見渡し、部下達が未だカプセルに囚われているのを確認すると、やはり夢ではなかったのだと心因性のめまいさえ起こした。
「デジモン、じゃなくて化け物の事は心配しなくて大丈夫だよ! 天才少年であるボクが助けに来たからね!」
そんな工場長を案じてか、あるいはいつもの自己顕示発言なのか、睦月は悲壮感の一切含まれていない言葉で工場長を鼓舞する。
だからもう安心さ! 目の前の少年によるスーパーヒーロー然とした台詞に、工場長は思わず目を見開いた。
チェックシャツに眼鏡のいかにもインドア志向に見える少年が、自分たちの救世主とはにわかに信じがたい。化け物とグルと言われた方がまだ分かる。
そもそもこんな所に子供がいる事自体が信じられないが、化け物の存在の方が余程有り得ないため置いておく。
「き、君は一体」
「ボク? ボクは忍者だよ! 天才のね!」
睦月は何の臆面も無く真っ赤な嘘をついた。
嘘であるのは工場長から見ても明らかだったが、この少年が魔物の蔓延る工場に無傷で侵入し、自分達を救助しに来たという事実は、少年が忍者だった事にでもしないと説明がつかなかった。
「に、忍者が助けに来たなら納得か。いや納得していいのかな? とにかくありがとう」
「どういたしまして!」
工場長を任されるだけあり、元々人当たりの良い性格なのだろう。信じている・いないに関わらず素直に礼を言ったところから工場長の人柄が伺える。
睦月の方は、このやり取りの最中も開いたカプセルの蓋をパカパカ動かして遊んでいたが。
「あの、何してるのかな?」
「うん! このフタ、持って帰りたいなって思って見てた!」
「あっ、持って帰るんだ。何に使うんだい?」
「工作! ボクも近未来感溢れるベッドで寝たいなって思って!」
「そうなの……」
あっ。構造を分析して何かに利用しようとかじゃなくて、ただ気になってただけなんだ。今この時の状況で意味がある行動ではないんだ。しかもこれ自分が悪夢見せられてたカプセルなんだけど、羨ましいんだ。
いやこいつ絶対忍者じゃないだろ。少なくとも天才な訳はないだろう。
工場長の中で、化け物に襲われる不安以上に、この子どもが余計な事をして窮地に陥る不安の方が大きくなりつつあった。
「おじさん、ボクがフタ取ったらそのまま帰っちゃわないか心配してるんだね!」
睦月は蓋とカプセル本体を繋いでいるネジを見つけて、それを凝視しながら言った。
工場長は図星を突かれ、なんだか申し訳ない気持ちになった。悪いのは不安にさせた睦月であるにも関わらず。
「大丈夫! 他のおじさん達も助けるからさ!」
そう言って睦月は、隣のカプセルの制御パネルに手を伸ばした。画面を起動させたところで再び睦月の手がぴたっと止まる。
「ねえおじさん! 工具持ってない?」
「工具はあるけど蓋は後でにしよう? ね?」
「うん!」
ちっとも分からないし今にも何かやらかしそうで怖いけど、こうして素直に話を聞いてくれるのが救いか。と工場長は前向きに考えた。さっきまで見ていた悪夢の内容に比べれば、この子の相手をしている方が随分とマシだ。
「こっちのおじさんのパスワードは何かなー?」
おじさんの、ではなくおじさんが入っているカプセルの、だ。どうやらカプセルのパスワードは一つ一つに異なるものが設定されているようで、斬はそれについてもしっかりと調べていた。
睦月はそれを見てパスワードを入れているだけなので、睦月は天才忍者の技量を用いていると書けばあながち間違いではない。
頼れる者が睦月しかいない状況で、少しでも彼に貢献しようという意識が働いたのだろうか。「ここで俺が頑張らないと命が無い」と予感がしたのか、能天気にパソコンをいじっている睦月に代わり工場長が周囲を警戒している。
「……なあ少年、なんか床が揺れてないかい?」
「えー? ちょっと分かんな……うわぁ!」
工場長が感じた微細な揺れは、やがて巨大な揺れとなって建物全体に襲いかかる。
自然現象としての地震ではなく、例えるならば工場のどこかで爆発が起こったかのような、突発的で巨大な衝撃が発生したかのような揺れだ。
「大丈夫か君!」
「ボクは平気だよ!おじさんは大丈……あ、壁が大丈夫じゃない!」
「うわああああ俺の工場がああああ! ……あ」
工場長は睦月の指さす先を見て息を飲んだ。
初めは、壁に入った大きな亀裂を見てショックを受けた。
次に、その亀裂の向こうで無数の目が爛々と光っているのを見て息を飲んだ。
「あいつだ、工場を乗っ取った、あの化け物だ!」
徐々に亀裂は大きくなり、やがて壁が崩れて向こう側にいた存在が全容を現す。
「人間の見る悪夢は我々の計画において重要なファクターなんだ。悪いが、逃がした人間は君もろとも再び収容させてもらうよ」
いかにも知的な雰囲気を纏って現れたデジモンは、有り体に言えば鶏卵をモチーフに考案されたモンスターと呼べる姿をしていた。
こう書けば可愛げのある存在に思えるが、実際にそこにいるのはおぞましい怪物である。
真っ黒な殻を破って飛び出している恐竜のような手足はまだマシな部位。最も恐るべきは、瞳が無数に埋め込まれている巨大な大顎だ。
卵の中で育った悪魔が、孵化を待たずに殻を食い破って出てきてこの世に生まれ出てしまったかのような、存在自体が悪夢のようなデジモンが目の前にいる。
「黒タマゴが喋った!」
「デジモンを見かけで判断するのは良くないぞ。私はデビタマモン。こう見えて高等プログラム言語の扱いを得意としている」
「温泉で売ってるやつ!」
「人間界の温泉は地獄の釜とでも繋がっているのかね?」
パートナーを一反木綿呼ばわりする高地睦月だ。デビタマモンのビジュアルも当然愚弄の対象範囲内だ。
「あれを温泉黒玉子呼ばわりかあ。やるなあ君」
工場長は睦月の不遜な態度に思わず感心してしまう。デビタマモンに良いようにされていた身として、内心「もっと言え」とさえ思っている。
工場長の緊張が解かれたと思いきや、再び建物が揺れた。ヒビが入った壁を、何者かが蹴破って現れたのが原因だ。
現れたのは熊の毛皮で顔を覆い、青いスーツを着用している人型のデジモン、アスタモンと呼ばれる種だ。
「デビタマモン様。周辺の捜索を行いましたが、奴の姿はありませんでした。やはり自爆したようです」
アスタモンはどうやらデビタマモンの部下らしい。デビタマモンの側に侍り、この場所へ辿り着くまでの子細を報告する。
「ねえねえ! 奴って誰?」
睦月は報告の中身を耳ざとく聞きつけ、疑問を投げかけた。
アスタモンは会話を聞かれ、嫌そうに顔をしかめているが、デビタマモンはそうでもないらしい。
「彼にとっても大事な事なのだから、伝えなければ」
アスタモンを諫め、デビタマモンは睦月に真実を告げる。
彼にとって、最大最悪の残酷な真実を。
「君のパートナーデジモンだが……残念ながら、自爆したよ。文字通りの意味でね」
流石の睦月も驚愕のあまり顔から笑みが消えた。
しかし、絶望まではしていない。寧ろ信じてすらいないようで、すぐに普段通りの挑発的なまでに軽いノリに戻り、デビタマモンの言葉を否定する。
「うっそだあ! だってグラビモンは自爆で星壊せるって自称してたのに? 星壊せるんだよ星?」
「それが本当だとしたら、尚更君や人質を守るために気を揉んだのだろう。その結果、彼は決死の攻撃でありながら手加減をしてしまい、こうして私達は生きている」
◆◆◆
グラビモンは目についたデジモン全てを重力操作で程良く戦闘不能にしながら、堂々と廊下を歩いていた。
警備員の巡回ルートを通りすがってみたり、研究室に顔を出してみたりなど、敢えて挑発的なルート選択と進行を繰り返す。そうして工場内のデジモンを次々呼び寄せては切って捨てていく。
向こうとしても、これが陽動作戦である事は火を見るより明らかであったが、誰も現れなければ貴重な機材を破壊しにかかるので捨て置く訳にもいかない。
こうして、グラビモンの被害者は警備員・研究員問わずみるみる内に膨れ上っていった。
「もう管制室は目の前か。研究員上がりの連中ばかりで、最初のマタドゥルモン以上に骨のある戦闘員はいなかったな」
工場の中心部である管制室はもう目と鼻の先。グラビモンは、人間サイズのドアノブに巨大な手で触れようとする。
その時だ。突如として銃の弾丸が飛来し、ドアノブを弾き飛ばした。
「……いや、まだいたようだな」
グラビモンは弾丸が飛んできた方向を睨んだ。
視線の先では獣面人身の魔人型デジモン、アスタモンが愛銃「オーロサルモン」を構えてグラビモンを狙っている。
「流石にここを通してしまえば用心棒失格なんでね。悪いが、死ぬか投降するか選んでもらうぜ」
「貴様がどう評価されようと私の知った事ではない」
グラビモンは脅されても顔色一つ変えなかった。アスタモンの言葉を無視し、ドアと天井の間の隙間に指を差し入れる。薄っぺらの指に力を込めると、鉄の扉がミシミシと音を立てて潰れ始めた。ドアが平らな鉄の塊になるのも時間の問題だ。
「一人でここまで来ただけあって、流石に余裕だな。世代は究極体か?」
「貴様がそう思うんならそうなんだろうな」
「参ったな……。“究極体をも凌ぐ”って触れ込みで生きてるけど、あんたみたいな得体の知れない奴が相手じゃ、万が一って事もあるしなァ」
「万が一? 随分と自身を過大評価しているな。貴様が勝つ可能性の方が万が一にも無いだろう」
格下とは言え、邪魔者は先に排除した方が楽と考えたのだろうか。
アスタモンを放置していたグラビモンだが、一変して交戦の姿勢に入る。8本の触手の先端が一斉にアスタモンの方を向いた。
しかし、ここでアスタモンを始末して終わり、とはならなかった。
「アスタモンの言う通りだ。だから、究極体が相手の場合は私も共に戦う事にしている」
突如として現れた第三者の気配。
グラビモンは警戒心を高めて、触手の半分を声のする方向へ向ける。
「はっ、親玉直々のご登場か。元・ベルフェモン軍所属第三等研究員、デビタマモンよ」
現れたのは悪魔のようで卵のようでもあるデジタルモンスター、デビタマモン。
睦月の前に現れた個体は、こうしてグラビモンの前にも姿を現していた。
「人やデジモンに悪夢を見せて発生した負の感情をエネルギーに変換し、素体となるデジモンに注ぎ込んで故ベルフェモンの魂の器とする。全く、二流研究者の分際で大それた計画を立てたものだ。忠誠心もそこまでいけば宗教の域だな。だが、宗教指導者の死と再生の逸話による信仰の強化は、人間どもが二千年も昔から繰り返し行っている。目新しさは皆無だな」
それは斬が収集した情報の中で最も重要なもの。
デビタマモン達が軍規を破り、人間を手に掛ける凶行に至った目的と、実際に彼らが用いた手段だ。
斬は工場内のデジモン達の会話からこの事実を見出し、グラビモン達に伝えていた。
「なるほど。我々の計画はもう知られてしまっていたか。君という個体はおろか種族自体が初対面だが、その言い回しといい、知力に秀でた種族のようだ」
「デジタルワールドでも最高水準の知能と自負している」
タイプ:種族不明の土神将軍は、無事な指で自分の頭をトントンとつつきながら笑った。
「逆に貴様らは物知らずだな。どうせ、私がここに来るよりずっと前に侵入者がいた事にも気付いとらんだろう」
「なるほど、進入がスムーズだったのは別に諜報員がいたからか。それは気がつかなかった。だが、君のパートナーたる少年がここに進入しているのは知っている」
グラビモンは短く「ほう」とだけ言った。
「デビタマモン様、こいつ全く動揺していません」
「作戦がバレるのもまた、想定内という事か」
「あいつ、正面から堂々と鍵開けてたからな。まあ、バレているだろうなとは思ったぞ」
グラビモンはあっけらかんとして言った。この開き直る時の堂々たる態度だけは睦月とどっこいである。
「だが、所詮はその気になれば生かすも殺すも自由な人間。私という危険分子への対処を優先するために、奴の捕獲にまでは手を回せなかったのだろう? 愚かだな。パートナーの人間を殺せばデジモンも死ぬ。常識ではないか」
「確かに君の言う通りだが、人間は貴重な研究材料であっても敵ではない。不必要な殺生は望むところではないよ。君はどうせ、魔王軍の誰かの手先なのだろうからどの道、我々の敵だ。君を殺せば済むのであれば、それに越した事はない」
デビタマモンはあくまでも睦月を傷つけるつもりはないと主張するが、グラビモンはそれを鼻で笑った。
「そんなもの欺瞞だ。“不必要な”とわざわざ頭につけたせいで、必要に駆られれば殺すつもりなのがバレバレだぞ? 大体な、人間は睡眠の質さえ生死に直結する程に脆い生物だ。薬か何かで睡眠を永続させ、精神に有害な悪夢を延々と見せるのが貴重な研究材料の扱い方か? 万が一本心からそう思っているならば、人間の耐久性の無さを舐めているとしか言いようがない。たった一人見逃したところで、結局いつかは人殺しの汚名を被るぞ」
グラビモンは早口かつ嘲笑混じりの口調でまくし立てた。本体の感情が昂ぶるのに合わせて触手もぐねぐね動く。
「私としてはだね、パートナーの人間を利用するなどという、突飛で危険な思想の持ち主が現存していた事の方がおかしくて仕方がないよ。デジタルワールド創世記からタイムスリップでもしてきたのかね? 人間の脆さを軽視しているのは君の方だ。真に人間の弱さを理解しているならば、よりによって正真正銘の心臓(パートナー)を戦場に引きずり出すのは正気の沙汰ではないとも理解できる筈だ! 相手が私でなければ、今頃少年は殺され君も消滅している」
デビタマモンも負けじと毅然とした態度でグラビモンを煽る。
「正気の沙汰だと? 策略は狂気にまみれていてこそ面白いのだ! 今は魔王も天使も『選ばれし子ども計画』、即ちパートナーを利用した兵力増強を有難がっている時代だぞ? 貴様ら相当流行遅れと見える」
「君の言う事が本当であれば、魔王様方は余程切羽詰まっているのだろう。ベルフェモン様がお戻りになられ、魔王軍が力を取り戻せばそのような不確実な方法を取らずに済む」
「その魔王に軍規違反で迷惑を掛けまくっている馬鹿はどこのどいつだ?」
「ところで、さっきから舌戦で時間稼ぎをしているのは、少年が人質を逃がすまでの時間稼ぎのためかな?」
「だったらどうした。分かっているなら、そこのアスタモンを向かわせたらどうだ」
「気軽に言ってくれるね。重圧を背負わせる力を使って、この場から逃さない気だろう?」
「当たり前だ。どうせ貴様らは私が死なん限り、睦月には手も足も出せないんだ。人質が逃げ終わるのを待っていないで、とっとと投降した方が時間を無駄にせずに済むぞ?」
「おや。私達は少年を殺さないとは言ったが、手を“出せない”とは言ってない」
止まる事の無いように思えたグラビモンの口が、半開きのままで固まった。ほんの僅かな間だけの静寂が訪れた。
「工場にいたのは成人男性ばかりで、実験用のサンプルとしては偏っている。ここらで子供を使って実験をしたいんだ。……私には、工場全体を通る通風管を通じて、この場で君を相手にしながら少年を捕らえる手段がある。聡明な君なら、この言葉の意味が分かるだろう?」
「『ブラックデスクラウド』を管の中に吐き出すつもりか」
ブラックデスクラウドとは、端的に言えばデビタマモンが用いる毒ガスだ。視界と精神を蝕み、肉体を分解する文字通りの必殺技だ。
「なんだ貴様ら、結局のところ睦月を人質にして私から逃げおおせるつもりか! 下らん。軍師としてもデジモンとしても非常につまらん相手だな貴様ら」
「それで、取引には応じてくれるのかな?」
グラビモンは再び口を閉じた。顎に手を当て、一考する。
「ブラックデスクラウドはいくら威力を弱めたとしても洒落にならん。あいつは並の人間よりひ弱だからな。自称不殺主義者にうっかり加減を間違えられた日には、奴が一番最初の死者になってしまう」
グラビモンの触手がしゅるしゅると短くなっていく。縦横無尽に伸びていた触手は完全に肩へ収納された。
「依頼主からは貴様らを殺すなと言われている以上、私にはブラックデスクラウドを完全に防ぐ手段は無い。せいぜい気体の比重を変化させて分布を偏らせるのが関の山だ。……とっとと蹴りをつけなかった私の判断ミスだ。ここは引いてやろうじゃないか」
なんと、驚くべき事に軍師は投了を宣言した。プライドが天より高いグラビモンが、負けを認めたのだ。
未だに警戒しているアスタモンを後目にとっとと踵を返して立ち去ろうとする。
「奴を回収しに行かなければ。ああ面倒くさい事この上ない」
ぼやきつつも律儀に睦月を迎えに行こうとするグラビモン。だが——
「随分と彼を大事にしているようだ。自分の命を守るためかな? それとも、彼自身のことが——」
デビタマモンの何の気もないこの一言が、このたった一言だけが、グラビモンの逆鱗に触れてしまった。
「黙れ下等な知性体が!」
グラビモンは激昂した。日常会話の中でも度々怒る彼ではあるが、此度の怒りはその比ではない。
アスタモンはグラビモンの気迫だけで全身の毛が逆立つのを感じた。
「この私が、いつ貴様に我が感情を推量する許可を出した!」
怒りに任せて何の捻りもない重圧をデビタマモンとアスタモンの二体に食らわせる。
一度は飲み込んだ約束を反故にしてしまう。
重圧にアスタモンが苦しみ、グラビモンが激情を露わにする一方で、デビタマモンはあくまで冷静を保って会話を続ける。
「唯一無二の片割れと行動を共にしたのであれば、情の一つも生まれるだろうと思って言っただけなのだが……もしかして君は、見下されたと思ったのかな? 人間如きに絆された情けないデジモンだと。とんでもない。異なる種族間で生まれた友情だなんて、ロマンチックじゃないか」
「貴様、まさか私の言葉を理解できていないのか? 私は私の感情を勝手に推し量るなと言ったんだ。貴様の下らん予想、否! 理想なんぞ否定も肯定もしていないし、する価値も無い! 予測でしかないものを事実であるものと思い込むのは愚か者のする事だ」
次から次へと重なる失言はグラビモンの神経を逆撫でし、その罰としてデビタマモンが背負う重力を更に強めた。
留まる事なく増していくデビタマモンの重さに耐えきれず、床に大きなヒビが入った。
「君は優れた知能の持ち主だが、激情家でもあるようだ。私は君からすれば愚か者かもしれないが、感情に振り回されてしまった君も間違いなく愚かだよ」
じわり、じわりとデビタマモンの殻から黒い霧が漏れ出てくる。怒りに震えるグラビモンは、それに気付くのが僅かに遅れてしまった。
慌てて回避行動を取るも、判断が遅くなった分だけほんの僅かに霧と肉体が触れ合った。
「ちぃっ。ここまでか」
精神をも蝕む黒い霧が、グラビモンの白い体をじわじわと黒く浸食していく。さながら、布を墨に浸したように。
致命的な接触を経て、グラビモンは却って冷静さを取り戻した。自分の体が崩壊し始めたのを、まるで他人事のように眺めている。
「君はいずれ、肉体が腐り果てて死ぬだろう。或いは、およそ知的生物が感じられるありとあらゆる悪感情の重みに耐えられなくなり死に絶える」
デビタマモンは残酷な死の訪れを告げた。
しかし、グラビモンはそれさえも一笑に付す。
「死など、私にとっては大した重みにもならん」
狂気の軍師はデビタマモンの霧に蝕まれながらも堂々と啖呵を切った。
「私が嫌いなものは二つだ。まず一つは貴様らのような馬鹿共の存在そのもの。そして二つ目は、我が脳髄の内に秘めたる崇高な知性の活動に邪魔が入る事だ! 感情も我が頭脳の働きによって生み出されたものだ。精神を蝕む霧だと? 貴様ごときが私の感情に触れられると思うな、下らん輩に下らん感情をねじ込まれるくらいなら死んだ方がマシだ!」
どんな演説よりも堂々と。
彼は残された時間で死に抗うのではなく、死よりも忌むべきものがあると仇敵に宣言する事を選んだ。
「睦月(バカ)を起点に発生した感情なんぞ、触れられたくないものの筆頭だ! 貴様が触れていいものではない! こいつだけは我がデジコアに秘めて墓まで持っていく!」
一瞬、グラビモンの周辺が真っ暗になる。次の瞬間に閃光と暴風を伴う衝撃波が発生、周囲の物体という物体を巻き込んだ爆発が起こった。
グラビモンを中心に光を飲み込むほどの重力が発生し、それによって生じたエネルギーを炸裂させたのだ。
風が止む頃には、傷ついた2体のデジモンだけが残されていた。
「まさか、自爆したのか? それこそ高度な知性の持ち主がするような真似ではないだろうに」
デビタマモンは驚愕を隠せないまま、よろよろと立ち上がる。爆発で傷つきながらも身軽になった己の身が、グラビモンの死を実感させた。
「……行くぞアスタモン。あの少年を捕えるんだ」
◆◆◆
「グラビモン……。そんな恋する乙女みたいなセリフ言えたんだ……」
「そこ?」
「デビタマモン様、そいつ多分話が通じない類の生き物です」
デビタマモンやグラビモンと違い、知的な会話を重んじている訳ではないアスタモンは早々に睦月を見限った。
睦月が予想とは違う部分で謎の感傷を覚えてしまったので、デビタマモンは無理矢理望む方向へ会話を進ませる。
「恐らく君の活路を開くため、ただでは死なずに少しでも我々にダメージを与えようとしたんだろう。だが、私は防御に優れたデジタマモン族。爆発程度では死にはしない」
殻から飛び出た本体はそこそこに傷を負っているが、殻自体はヒビすら入っていない事から、デビタマモンの主張する防御力の高さは事実だと伺える。
それは裏を返せば、グラビモンの自爆は目的を果たせなかったとする発言も事実であるという事だ。
「でもさ、グラビモンは結局ボクのために死んだなんて一言も言ってないじゃん」
「そうか……。この年頃の人間はというか君は、言葉の裏を読むにはまだ感性が幼すぎたようだ」
デビタマモンは複数ある目を伏せ、グラビモンを哀れんだ。
「パートナーデジモンが死んでも人間は死なない。所詮はデジモンからの一方通行な献身か」
パートナーと共に戦うという選択肢を選んでしまった事。そのパートナーは信頼に報いてくれる存在ではなかった事。
ありとあらゆる事実を哀れむ事で、丁寧に丁寧にグラビモンという存在を否定していく。
この時のデビタマモンは、憐憫の皮を被った邪悪そのものであった。
「しかも壁に穴を開けてくれたおかげで、こうして君の元へとすぐに駆けつけられ」
「天才のボクはもうわかったから、もう言わなくていいよ!」
デビタマモンの言葉を遮るようにして睦月が叫んだ。
悪気なく他人の話の腰を折る睦月だが、能動的に話すのを止めさせようとするのは滅多にない事だ。
「ズバリ言い当ててみせよう! キミは、グラビモンが裏目ったって言いたいんだよね!」
睦月は無遠慮に、否、敢えてそう印象付けるために、デビタマモンを人差し指でびしりと指さした。
口角は上がっているもののどこか不機嫌そうで、怒りを隠し切れていない。
「やっと分かってくれたか。パートナーが馬鹿にされたらちゃんと怒れる子で良かった良かった。いや、別に良くはない」
「ボク別に怒ってないよ! 予測でしかないものを事実であるものと思い込むのは愚か者のする事だよ!」
グラビモンの台詞を引用して叫ぶ睦月を無視し、デビタマモンはアスタモンに何かを合図する。
それを受けてアスタモンは睦月に向かってマシンガンを構えた。
「おい! この子は撃つな! 撃つなら俺を撃て!」
「おじさん危ないよ!」
「人間は撃たないさ」
睦月と工場長が互いを守ろうとわたわたしている間に、魔弾は容赦無く放たれる。
アスタモンの言う通り、彼は睦月も工場長も撃たなかった。魔弾は睦月に向かって飛来し、睦月が反射的に盾のようにして掲げたノートパソコンを貫通して床に突き刺さった。
「うわあ! せっかく羅々ちゃんにもらったパソコンなのにー!」
睦月はパソコンの遺骸を抱えて悲痛な叫びを上げる。
画面の中心に穴を空けられたパソコンは、二度と動くことはなかった。
斬もグラビモンもバックアップを取っていない筈がないため、データの閲覧は後から出来ようが、少なくとも今ここにいる間は斬から受け取った情報を見返すことはできない。
「その睡眠装置は全て異なるパスワードで制御しているし、人間の力では破壊出来ないよう設計してある。パソコンもパートナーデジモンも失った君は、一体どうやって30種を超えるパスワードをそれぞれ入力し、人質を全員救い出すのかな?」
悪魔の数多の瞳の全てが弧を描いた。
デビタマモンと、アスタモン。二体の強力なデジモンが、丸腰の睦月ににじり寄る。
ただ走って逃げるには室内に連なるカプセルが邪魔な上に、そもそも睦月は足が遅い。
「なあ少年、もしかしてピンチかい?」
工場長は年長者として平静を装いながら、しかし恐怖を隠しきれない声音で睦月に尋ねる。
「うん、ピンチかもね!」
工場長がこれほど怯えているというのに、睦月はけらけら笑って答えた。
工場長はいよいよ睦月の正気を疑った。絶望でタガが外れて見ていた夢がフラッシュバックし、震えが止まらない。
「でも大丈夫! ボクは天才だから、この程度の窮地は窮地じゃないのさ!」
眩いばかりの笑顔とサムズアップ。
後に工場長は、この時の睦月の顔が一番印象に残っていると語った。
「てりゃー!」
遂に睦月はアクションを起こす。比較的ダメージが通りやすそうなアスタモンに向かって壊れたパソコンをぶん投げた。
「はいはい、無駄な抵抗」
アスタモンはパソコンを難なくはたき落とす。しかし、その後睦月が放った単純な一言が、危機的状況を変える一手となった。
「あ、それグラビモンが作ったデジモンに有害なウィルス入ってるから触ると危ないよ!」
「は?」
とんでもない発言を聞いてしまったアスタモンの手が止まる。それと同時に、デビタマモンがとっさの判断力で呪文を紡ぎ、水属性の魔術――近いものではウィッチモンの『アクエリプレッシャー』がある――でウィルスごとパソコンを押し流そうとする。
本来「破壊」のために用いられる呪法は威力過剰であり、高圧水流は激流の川となってカプセルの間を走り、穴だらけの壁に向かって流れ行く。
「解毒を……って何も起こってないじゃないか!」
デビタマモンはアスタモンに手をかざして「異変が起こっていないという異変」に気がついた。悪性のウィルスの存在は少なくとも目視では確認できない。
その隙を見逃す天才少年ではない。
「うっそぴょーん!」
睦月は身長とほぼ同じ大きさの何かを振りかぶり、デビタマモンに向かってそれを振り下ろした。
その「何か」はドーム状となっていて、デビタマモンに覆い被さるようにして叩きつけられる。
更に睦月は、デビタマモンが「何か」の中で驚いている内に彼の上へよじ登り、すぐ近くで垂れ下がっている電源ケーブルへ手を伸ばした。
一体どこからこんなものが出てきたのかと、デビタマモン達は目を凝らしたが、その正体はすぐに判明した。
(これは……カプセルの蓋か!? いつの間に解体していたんだ!)
デビタマモンが思った通り。睦月が用意したそれの正体は、元々工場長が眠っていたカプセルの蓋だ。
それは人間の力では破壊出来ない代物かもしれない。だが、然るべき手段で解体出来ないとは言っていない。
「マタドゥルモンの奴、人質から道具没収するの忘れてやがったな」
アスタモンはここにいない同僚に向かって毒づいた。
蓋が外されたカプセルの付近には睦月が使ったと思しき工具が転がっていて、更には工場長のポケットタイプの工具袋の蓋が空いているのが見える。
睦月は工場長から工具を借り、蓋が開いて内部が露呈したカプセルのネジを外して蓋だけ分捕ったのだ。
「ぐぎぎぎぎ……」
睦月は電源ケーブルを伝って、必死の形相で天井までよじ登る。
登った先には何があるか? 睦月がこの部屋に侵入する際に通った換気口だ。床からであれば睦月の体力では到底登りきれない高さだが、デビタマモンを踏み台にして高さを稼いでギリギリの、本当にギリギリの所で換気口に到達した。
「コンセント抜けたらどうすんだガキ! ……いってぇ!」
妙にズレた観点から怒るアスタモンが、睦月を妨害せんと足を掴みにかかる。
しかし、換気口によじ登ろうとしてばたつく足がアスタモンの手にクリーンヒット。アスタモンが思わず手を引っ込めた隙に睦月は何とか登り切り、天井裏に姿を消した。
「あー、古典的な手に引っ掛かっちまった……」
アスタモンは天井に空いた穴を悔しそうに見つめていた。それから壁の側まで歩いて行き、失態を演じた苛立ちをぶつけるように足技『マーヴェリック』で壁を蹴り飛ばす。
ただでさえ度重なるダメージでボロボロの壁はこの攻撃で完全に瓦解し、隣の部屋とこの部屋を隔てる物は無くなった。
「あー、次はいかがいたしましょう。……デビタマモン様? まさか、マジでやる気なんです?」
デビタマモンの様子を見たアスタモンは、思わず引きつった半笑いを浮かべてしまった。
デビタマモンは換気口に向かって大口を開いており、喉の奥からはじわりじわりと腐食性の黒い霧が漏れ出始めていた。グラビモンに脅しとして言った「ブラックデスクラウドを通気管に流し込む」を今まさに実行しようとしている。
「いや、やめよう。いくら加減をするとは言っても館内全体に あくまで脅しの文句に留めておかなければ……」
怒りでぎょろりと目を剥いていたデビタマモンだが、アスタモンに声を掛けられて正気に戻る。黒い霧もすぐに霧散した。
「彼は文字通り袋の鼠だ。行き先も初めから決まっているようなもの」
被せられたカプセルを払い除けながらデビタマモンが言う。アスタモンに、そして自分に言い聞かせるように、少なくとも表面上は落ち着き払っている。
「管制室だ。管制室へ急ごう。仮に他へ逃げていたとしても、我々があそこに居さえすればどうとでも出来る」
デビタマモンはアスタモンを連れ、再び管制室へと向かう。
「俺は一体、どうなるんだ……?」
一人取り残された工場長は茫然と立ち尽くすしか出来なかった。
◆◆◆
バタンと大きな音を立てて管制室の戸が開かれる。音の大きさからは、デビタマモンの隠しきれない苛立ちが滲み出ていた。
「……やはりここにいたか」
頭が悪そうなツンツン頭に憎たらしいニヤニヤ顔のグラビモンのパートナーは、管制室のメイン端末の前に座り込んでいた。
「やあ、遅かったね! 黒タマゴくん達がこの部屋に来るまで5分もかかりました」
袋の鼠の分際で、緑の瞳を持つ少年はデビタマモン達を待っていたかのように振る舞っている。しかも暗に「遅かったね」とさえ言っている。
アスタモンは「もうこいつ撃ってしまおうか」と思い、オーロサルモンを構えたが、未だ人間の不殺に拘るデビタマモンはそれを踏みとどまらせた。
「さて、管制室にわざわざ来たという事は、ここで何かしようと企んでいたからだろう。次は、どんな手段で我々を欺き、何を仕出かすつもりだったのかな?」
今度は同じ手は使わせないし、通用もしない。
そう告げてデビタマモンは睦月にずいと顔を寄せた。デビタマモンの黄色の瞳は一つ残らず憎悪と苛立ちに濁っており、冷静さの殻など今にも砕け散って邪悪が漏れ出て来るだろうと予感させる。
常人であれば裸足で逃げ出す恐ろしさも睦月には通用しなかった。通用するような人種であれば、これから苦しめられずに済んだかもな。と、デビタマモンの半歩後ろでアスタモンは思う。
「あっ。それね、とっくの昔にもう終わったよ! 5分もボクをほっとくからだよ、もー」
睦月は呆れたようにため息をついた。
パートナーと負けず劣らずの上から目線はデビタマモン達を余計に苛立たせる。
「ほら、見てよ!」
睦月は逃避行動をもはや行う素振りを見せず、代わりにメイン端末のキーボードに触れた。
ブツン、と音がしてメイン端末のモニターに映像が映し出される。それは各部屋の監視カメラの映像だった。
睦月が端末の操作方法を知っている事自体、驚くべき事ではあったが、カメラに映っていたのは「そんなもの些細な事だ」と思わせるほどの衝撃的な内容だった。
「ひっ、人質が、人質が何故!?」
怒りに震えるデビタマモンの瞳孔が、一瞬にして驚愕のために震え始めた。
アスタモンは驚きを通り越して呆れるあまり、最早銃を持つ手に力が入らない。
『よかった、夢だった、全部夢だった……』
『化け物はいないんですよね、大丈夫なんですよね工場長!』
『大丈夫だ。自称天才の男の子が何とかしてくれるよ』
工場長以外の人質は、デビタマモン達が部屋にいた5分前までは確実にカプセルに閉じ込められていた筈だった。
しかし、今はどうだ。全てのカプセルは開け放たれ、人質は助け合いながら身を起こして励まし合っている。
悪夢の供給が立たれた事を示すアラームが鳴り響く。赤色光が点滅する中で、デビタマモンはやっとの事で陳腐な質問を捻り出す。
「一体お前は、何をしたんだ!」
「何って……。カプセルの遠隔操作モードを起動して、パスワードを入れただけだが? なんちて」
睦月は如何にも漫画のキャラクターが喋りそうな説明台詞を真顔で言ってのけ、言い終えるといつも通りギザギザの歯を見せて笑った。
「だが、君達が調べたであろうパスワードはパソコンが壊れ……しまったアナログのメモを忍ばせていたのか。これみよがしのパソコンは罠だったという訳か」
「あ、その手があったか! 天才のボクが思いつかない手段を思いつくなんて、さては君も天才だね!」
デビタマモンは閉口した。この状況で「メモなんて無い」と嘯くメリットは無いためメモを持ってないのは真実なのだろう。メモが一切無い状態でパスワードを入力したという事は、パスワードの全てを間違いなく暗記していたという事になる。
30個を超える、ランダムな文字列のパスワードを?
最低15文字の半角全角英数字入り乱れているものを?
「たった30個くらいだよ? 天才のボクの頭脳なら朝飯、いや、前の日の晩飯前さ!」
とても人間の少年が、それもこの馬鹿丸出しのガキの所業にはとても思えないが、百歩譲って暗記が出来たとしよう。
5分間よりも短い時間で、端末の操作方法を把握し――いや、この調子だと操作方法も事前に暗記していた可能性もある。「間違い無くカプセルの遠隔操作モードを起動して、それぞれのカプセルに対応するパスワードを思い出して入力する」。
文字に起こせば単純な事に思えても、焦りがミスを誘発しかねない状況下で年端も行かぬ人間の子どもが実行したとなればやはり非現実的だ。
紙のメモの存在を失念していた自分達のミスであった方がまだ納得できる。
(まあ別に、人質は捕らえ直せば済む話だからな)
リカバリーはこれからいくらでも可能。こちらが有利であるのは依然として変わらず。
デビタマモンは開き直る事で自らの心の平穏を保とうとした。
「流石は知識人のパートナーだけの事はある」
そして、相手を褒める事で自身の余裕と立場が上である事を確認し、再び冷静さを取り戻そうとした。
『当然だ。この程度も出来ない奴をこの私が使う訳がないだろ、たわけが』
この程度、だと? 知力の高いデジモンが実行したならばいざ知らず、人間の子どもにやらせておいて「この程度」とは謙遜が過ぎる。過度な謙遜はただの煽りだ。
一瞬の内に怒りで体中が沸騰する。だが、この返事は本来返ってくる筈の無いものだと気がついた瞬間にデビタマモンの心中は忽ち冷え込み背筋が凍りついた。
『大体貴様ら、さっきから言わせておけばだな! 私の行動の意味を頓珍漢な考察ばかりしおってからに。私が睦月を気遣うだと? 馬鹿を言え! 私が私の策以外のもののために体を張る事なんぞあり得んわ!』
こんな声でこんな事を喋る生き物は彼しかいない。だが、彼はついさっき、自分達の目の前で自爆した筈なのだ。
死んでいる筈と信じ込もうとしていても、思わず目で探してしまう。
「余所見してたら危ないよ!」
睦月の声が、デビタマモン達の注目を再び睦月自身に向かわせる。
睦月の忠告は正しかった。網膜が睦月の姿を捉えたかどうかの瀬戸際で、睦月の背後より見覚えのある紐状の物体がぎゅるんと飛来する。
「うぐっ!」
アスタモンから呻き声が上がる。アスタモンの首にはケーブルに似た真っ赤な触手がぐるぐると巻き付いていた。
真っ先にアスタモンを助けるべきと分かっていても、デビタマモンの目は触手がどこに繋がっているか、目で追ってしまう。
なんと触手は、睦月の背中から直接生えていた。
『貴様らも闇の眷属なら、殺しても死なない連中なんざいくらでも知っているだろう。私がそれと疑いもしなかった貴様らの落ち度だ』
触手は触手とは思えないほど強い力でアスタモンを持ち上げ、床に向かってアスタモンを投げ捨てた。
アスタモンは気道が開放され咳き込んでいるが、もはやデビタマモンはアスタモンに構っていられない。アスタモンもまた、デビタマモンに構われている暇など無い。
二人は信じられないものを見ていた。
睦月の小さな背中から、計8本の触手がずるずると生えている。続いて広い肩が、揺らめく頭髪が、目を覆った顔が、白い細い胴体が、薄っぺらいが巨大な手が、最後に、長い足が。
虫が蛹から羽化するように。或いは、寄生虫が宿主から這い出るように。
「いひひ、びっくりした? びっくりしたでしょ!」
それらと違うのは、抜け殻に相当する睦月が平然と聴衆の反応を伺っている点だ。
「でもボク言ったよ! グラビモンがボクのために“死んだ”なんて一言も言ってないって!」
「私も“予測でしかないものを事実であるものと思い込むのは愚か者のする事だ”と言ったぞ? 馬鹿め」
再び二人揃った土神将軍とそのパートナーは、示し合わせていたかのように息の合ったタイミングで、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「…………一体、どんな手品を」
常識外れの出来事を続け様に見せられ、もはやデビタマモンに冷静に行動する余地は残されていない。
一刻も早く疑問を解消して、楽になりたがっていた。
「気になるか。睦月、見せてやれ」
「じゃっじゃじゃーん!」
グラビモンに命じられて睦月は着ている服をがばりとたくし上げる。
デビタマモン達は再び目を疑った。睦月の胸のちょうど心臓がある辺りで、どくん、どくんと何かが拍動している。なんと、睦月の瞳と同じ緑色の球体が、睦月の胸の肉に埋もれているではないか。
神経、あるいは血管のようなものが睦月の皮膚の下を這っているのも確認でき、球体は文字通り根付いているのが分かる。
「な、なんだそれは……」
「さあね! なんだろうね?」
睦月は自分の胸がともすればグロテスクにも思える状態であるにも関わらず、いたずらっぽく笑ってみせた。
睦月が服を元通りに着ると、胸の秘密は外から伺えなくなり普通の少年にしか見えなくなった。しかし、一度あれを見てしまえば睦月をただの人間として見るのは難しい。睦月本人に対する警戒心も急激に高まっていく。
「手の内を明かすのは下策だが、勝手に考察されるのはもっと癪だから特別に答え合わせをしてやろう」
グラビモンは突然、自分自身の指を食いちぎった。ほんの指先とは言え、人差し指の先がしっかりと欠けている。
「端的に言えば、私は再生能力が非常に高いので電脳核さえ残っていればまず死なない」
言うが早いか、指先はみるみる内に再生していく。言い終わる頃には、どこからちぎれたのかも分からないほど綺麗に元通りになった。
アンデッドかよ。これを見たアスタモンはぼそりと呟く。
「残念ながらアンデッドではない。それでだ、うっかり毒を食らったため欠片も残さず自爆し肉体を放棄した私はデジコアを中心に再生を始め、今やっと再生を終えて出てきた、という訳だ」
このデジモンの話を真実とするならば、本来デジモンの体内にある筈のデジコアの在り処とは、どこで肉体の再生が行われていたのか。
デビタマモンの頭脳は、たった今見せられた光景とグラビモンの供述からそれらを容易く導き出した。自ら見出した真実にデビタマモンは困惑を隠せない。
「再生力だけならまだしも、デジコアが体外にあるどころか、他人に埋め込むなんて例は聞いた事が無いぞ」
「四聖獣だってデジコアは体外にあるだろう」
「例外中の例外を出すな!」
四聖獣のような特別なデジモンと肩を並べられるような特性の持ち主を、今日まで知らなかったとは。
曲がりなりにも研究者のデビタマモンは悔しさのあまり歯噛みする。
「おっと、悔しがるのはまだ早い」
グラビモンはデビタマモンの心中を一切慮る事なく自分の話を続けた。
「デジコアの場所は貴様らの予想通りの場所にあるし、肉体が消失した時点で私の意識は完全にコアへ移った。……だから貴様らのくっっっっだらない話も全て聞こえていたぞ! 誰が裏目に出ただ、馬鹿たれ! あまりに自分に都合良く考えすぎで逆に驚いたわ!」
「ボクとしても、ホントはグラビモンが自爆したのも最初から気付いてたよ。騙してごめんね!」
おかしくて仕方ないとばかりに嘲笑混じりの語りを続けるグラビモンの横で、睦月も軽薄にケラケラと笑う。謝る気は少しも感じられない。
デビタマモンは睦月に「グラビモンは死んだ」と告げてもめぼしい反応を得られなかった事を思い出してますます悔しくなった。このガキは、パートナーが自分の体内で生きているのを知っていて自分の話に乗ったのだ。
「おっと。これだけは勘違いしてほしくないが、私が今の今まで手出し出来なかったのは本当だぞ。私が自爆してからというもの、貴様らを翻弄していたのは睦月一人だ」
睦月一人だ、を強調するように、グラビモンは指で睦月を指さした。睦月も両手でピースサインを作ってアピールする。
「このクソガキは天才を自称しているが、その実、学校のお勉強の類は全っ然出来ない馬鹿だ。人の話は聞かん、興味が無ければ覚えようともせん、仮にやる気を出しても性格がもう馬鹿なのでやる事為す事全部馬鹿だ! 馬鹿の癖に自分は天才と思って行動するから始末に負えん! 前世は馬鹿の星の馬鹿チャンピオンか、馬と鹿のハーフのどちらかなのだろうよ」
話の流れでパートナーを人格レベルで否定し出す状況は中々に異様であった。
当の睦月はへらへら笑って一切堪えていないが。
「だがな、こいつは知性(ソフト)のお粗末さに反して『自身が興味を持てる事に限れば』優れた記憶力と技術力を発揮する。一人の知的生命体としては最底辺のクソバカで宝の持ち腐れの極みだが、類稀なる知能を備えた私(ソフト)ならばこいつ(ハード)本来の性能を発揮できる!」
「人質を華麗に救い出すボクを想像したら超カッコよかったので、頑張って色々覚えて来ました!」
睦月とグラビモンの発言は微妙に噛み合っていないが、そんな事は関係無い。
デビタマモンに向かって如何にこちらが上手であったかアピールする事こそが重要なのだから。
「流石に自爆は予定外だったが、私がおらずとも睦月が一人で貴様らを攻略するのは初めから想定の内だ。そうとも知らず、睦月ごときに良い様に踊らされている貴様らの姿は見ものだったぞ! フハハハハハハ!!」
もはや我慢の限界とばかりにグラビモンと睦月は呵々大笑する。怒りのあまり言葉を失って久しいデビタマモンとは対照的な二人。
モニターの光に照らされた二人と、二人の影がかかるデビタマモンの構図は二者の立場の違いを嫌というほど的確に表している。
「どうだった? ボクの作戦と、それを可能にした演技力!」
「はっ! 私がデジモンにとって有害なウィルスとやらを開発していてもおかしくない程の天才だったおかげで幼稚な嘘が通用したんだろうが!」
睦月は目をキラキラさせて評価を求めるが、グラビモンは睦月を見向きもせずに一蹴した。
しかし言葉には続きがあるようだ。睦月にそっぽを向いたままでぼそりと呟く。
「だが、私の肉体が再生するまでの間、一人で持ち堪えた事自体は褒めてやる」
グラビモンにしては珍しい、素直な称賛の言葉だった。
グラビモンとしてはいつものように、「グラビモンが睦月を褒めた事実を茶化す睦月」の構図になる事を期待していたのだが、当の睦月はというと。
「うん! ボクは天才のキミの天才的パートナーだからね!」
両手を空に掲げて満面の笑みでVサイン。睦月もまた、素直に称賛の言葉を受け取った。
「……フン」
あまりに照れくさい台詞であったが、睦月の台詞で照れたなどと口にするのは己のプライドが許さず、かと言って自分から褒めた以上は睦月の言葉も否定できず。
土神将軍は沈黙してこの場を凌ぐ事を選んだ。
「色々ごちゃごちゃ言ってるけど、つまり結局のところは坊主を殺さないとアンタも死なないんだろ?」
優越に浸る二人と侮辱に苛立つ一人の間で、アスタモンは一人戦意と殺意を取り戻していた。
主人たるデビタマモンがこれでも人間を殺したくないと思っているかは知らないが、今こいつを殺らねば死ぬのは主人と自分。人間のガキなど一人殺したところで替えが効く。
用心棒の仕事は主人の命を守る事。死んでも譲れぬものがあるなら、初めから用心棒など呼ぶなという話だ。
「デビタマモン様が下手打ったらベルフェモン様復活が遠のくんです。意地でも逃げ延びてもらいますよ。……『ヘルファイア!!』」
ただの乱射ではなく、れっきとした「技」として、アスタモンの魔銃が火を吹いた。
敵をどこまでも追尾する、意志持つ弾丸が睦月に迫る。
「おい、本音が漏れてたぞ。貴様も貴様でお喋りが好きだな。相手に時間を与えた方が負けだと睦月が教えたばかりだろ」
どこからどう見てもグラビモンの方が長く喋っていたが、そこを棚に上げてこそ挑発だ。
グラビモンの触手の先が怪しく光る。アスタモンは重力が操作されたと直感したが、それでも弾は飛び続けると信じていた。
仮に弾を重くさせられようと逆に軽くさせられようと、重力の向きを変えられようと、最悪アスタモンとオーロサルモンが重圧でぺちゃんこにされても弾だけは睦月を狙い続ける。そういう因果に従って飛ぶ弾だ。
弾丸はアスタモンの期待通りに睦月を狙い続けていた。だが、それでも尚アスタモンを驚愕させる出来事が起こった。否、豊富な戦闘経験を持っているからこそおかしな事が起こっていると気が付いた。
(弾丸は確実にガキを狙っている。だが……明らかに弾速が遅くなっている!)
止まって見えるほど遅くなっているとか、目に見えて大きな変化が起こっている訳ではない。だが、何百何千と射撃を繰り返してきたアスタモンは確かな変化が起こっていると断言できる。
「私は単純な腕っぷしは強い方ではないが……この程度なら私にも止められるな」
グラビモンは何時になく早口で言いながら、弾丸を巨大な手で素早く受け止めた。その瞬間にぐしゃりと弾丸を握り潰し、粉々の鉛に作り変えた。
ここまでのやり取りは人間である睦月にとっては一瞬の出来事だ。
高位のデジタルモンスター同士だからこそ可能な、高速の攻防である。
「もう隠す手の内も無いのでな。睦月(デジコア)への手出しは全力で妨害させてもらう」
手についた弾丸の破片を払い落としながら、グラビモンは不敵に笑う。
それを見たアスタモンは深く深くため息をついた。オーロサルモンを地面に置き、両手を上げて掌を相手に向ける。降参の合図だ。
「降参降参。時間操作? か何かまで出来るんじゃ、勝ち目なんてねえよ」
アスタモンはベルフェモン復活計画を進めてくれる主人を守るため、得体の知れない侵入者との交戦を繰り返した。だが、謎のデジモンにも変なガキにもコケにされ続けて勝ちの目は見えず、挙げ句主人のデビタマモンも口だけが達者で全然役に立ってくれない。
ベルフェモン復活を目論んでいそうな科学者は他にもいるだろうし、デビタマモンを守り通して共倒れするよりとっとと降参して軍に戻った方がベルフェモン様のためにもなるんじゃないかな、とまで思い始めた。
要は、疲れてしまったのだ。さっき用心棒としての心構えを語った気がするけど、やる気が無い奴を守ってたまるかってんだ。後は頼んだぜマタドゥルモン。お前もお前で今何やってんだか知らねえけど。
「逆にもう、あんたの手品が楽しみになってきたわ。これからは隣で解説を聴く役に回るぜ、先生」
「む。貴様、良い判断だな。見所があるぞ。貴様への罰は程々にするよう頼んでおいてやろう」
投降どころかこちら側に寝返ったとも取れる発言まで飛び出した。華麗なる転身ぶりだ。
グラビモンはグラビモンで急に上機嫌になり、先程までは下等な知性と馬鹿にしていたアスタモンの評価を上方修正した。
普段のグラビモンならば、そろそろ「裏切る奴はまた裏切る」などと言いながら上げて落としてぺちゃんこにしているところなのだが、いつまで経っても上機嫌のままの彼を見て睦月は訝しむ。
「グラビモンって自分の話聞いてくれる人が好きすぎて時々変になるよね」
「お前が一切人の話を聴かないから、その反動だな」
元凶は睦月だった。
「さて、アスタモンは自身の実力が私の知性には遠く及ばない無力な存在であると思い知り、大人しく私に跪いたが……」
「そこまでは言ってないんですけど」
「貴様も見習ったらどうだ? さっきから鬼の形相で私を睨んでいるデビタマモンよ」
デビタマモンは負け惜しみを呟いていた訳でも、ショックでうわ言を繰り返していた訳でもなかった。
グラビモンの注意がアスタモンに引かれている間も、アスタモンが完封され、更には裏切られたのを見ても尚、憎悪の火は失われなどしなかった。
「愚かな貴様を哀れんで特別に塩を送るが、『ウィッチェルニー』の高級プログラム言語のような四大元素に関わる魔法は止めたほうが吉だぞ。これらの元になる自然は地球上において全て重力下――即ち、我が支配下にあるものだ。私には通用しない」
グラビモンはデビタマモンにずいと顔を近付けた。不意のブラックデスクラウドにしてやられたにも関わらずこの余裕、「お前の講じた策など全て潰してくれる」という意志の表れなのだろう。
「魔法だけに限らんぞ。貴様の周辺に物質が存在している限り、それら全てが我が策の手札となる。その程度は軽ーく出来てしまうものだから、人間界で重力を操る時はいつも気を使っているんだぞ? 範囲を極力狭い範囲に限定したりな」
「ええー? ほんとかなあ?」
茶々を入れられたグラビモンは触手を一本だけ睦月に伸ばして、彼を小突いた。
グラビモンの半分自慢の脅しになど、デビタマモンは決して屈しない。理論武装で負ける筋合いは無いと、グラビモンの言い分を粛々と否定する。
「強力な能力なのは確かだが、地球への影響を考慮すればおいそれと全力は振るえない筈だ。“何でもあり”なデジモンの存在を前提として創られたデジタルワールドとは違い、リアルワールドには世界の恒常性を保証する存在(ホメオスタシス)はいないんだ」
「はっ。貴様など全力どころか半力、いや微力でも余裕で倒せるわ!」
売り言葉に買い言葉。グラビモンは更に強い言葉を選んで吠える。
そして、犬歯を剥き出しにして肉食動物の威嚇にも似た残忍な笑みを浮かべ、大袈裟に両手を広げて勝利宣言を叩きつけた。
「それどころか私は、半力どころか微々たる力で貴様の目的をおじゃんにする手を既に打ってある! そろそろ効果が表れる頃だ。指を咥えて見ているがいい」
「言葉通りに黙って見ていると――」
根拠も無いのに勝ち誇るグラビモンに向かって反撃しようとしたデビタマモンだが、その時、戦闘種族としての勘が危険を予知して動きを鈍らせる。
次の瞬間にはカツン! と、硬いもの同士がぶつかり合う音がデビタマモンのすぐ側で聞こえた。恐る恐る足元を見ると、見覚えのあるナイフが足すれすれで床に刺さっている。
「大人しく手品を見せてもらいましょうよ、デビタマモン様」
「アスタモン、貴様……」
アスタモンは笑っていた。先程までの献身的な姿とはまるで別人のようで、元主人に威嚇のナイフ投げさえ行うアスタモンはグラビモン同様デビタマモンの憎悪の対象となる。
「そんなに沢山の目で睨まれると怖いからやめてくださいよ。俺は、ベルフェモン様復活を目指す同志に自分を大切にしてほしいだけですよ」
「言い方を工夫すれば裏切りを正当化していいと思――」
ERROR! ERROR! ERROR!
アスタモンにかかずらっている間に異変は起きた。
ただでさえ人質の逃亡を知らせるサイレンが鳴り響いている中で、メイン端末のコンピュータ自体もが悲鳴を上げている。
ERROR! ERROR! ERROR! ERROR!
悲鳴は収まらないばかりか数が増え、新たなエラーが生まれる感覚もどんどん短くなっていく。
「いつの間にハッキングか何かしてたのか?」
とアスタモンが疑問を口にする。しかし、グラビモンからははっきりとした返事はまだ返ってこない。
「ハッキングなぞ、するまでもない。……しないぞハッキングは! しないったらしないぞハリネズミ小僧!」
別に睦月は何も言っていないのだが、グラビモンは先んじたつもりになって一人で怒っている。睦月としては「なんのこっちゃ」である。
ゴホン、と咳払いをして一度クールダウンを挟み、それからつらつらと手品の種について語り出した。
「さて、リアルワールドには相対性理論というものがある」
「アインシュタイン!」
「睦月の癖に正解だな……。まあいい」
エラーの表示は止まらない。寧ろ時間を追うごとにエラーの種類や回数が増えている。
「馬鹿にも分かるように平たく掻い摘んで言えば、重力が強いとその分周りの空間も歪んで時間も遅くなるというのを示した理論だ」
「なるほど! さっき俺が撃った弾は重くさせられただけじゃなくて、流れる時間まで遅くされてたのか」
「ははーん。お前想像以上に飲み込みが早いな? ちなみに、あの時は私の周辺の重力も操作して逆に速く動けるようにも仕向けていた。生み出せる変化は日常生活では誤差レベルのほんの微々たる差であるが……撃つか撃たれるかの瀬戸際では十分だっただろう?」
グラビモンの説明を聞いて、先程自分の身に起こった現象に合点がいったアスタモンはぽんと手を打った。
物分かりの良い生徒を相手に授業の易しさを再調整すべきか迷いながら、グラビモンは続けた。
「重力というのは場所が違えば大きさが異なってくるものだ。だから、高度な計算の際には重力差による時間差等も考慮しなければならない場合もある。有名な例を挙げるとすれば、GPSというやつだな。まあそれは置いといてだ」
グラビモンはエラー画面のまま固まって久しいメイン端末に触れた。熱を帯びた金属の機体は人間が触れると火傷してしまいそうだ。長話に飽き始めた睦月に手を添えてさり気なく機械から遠ざかるよう促す。
「こいつはデジタルワールドの理論をリアルワールドで適用させるために、あらゆる数値の計算と挙動の調整を繰り返しているんだろう? しかも、デジタルワールドからの干渉を妨害する装置までこれで動かしているらしいじゃないか。異なる空間に関与するとなれば、とびきり精密な計測と計算が必要になるだろう。……さて、聡明を気取る貴様なら、この言葉の意味が分かるだろう? さあ、私が何をしたか言ってみろ!」
グラビモンがデビタマモンに迫る。
敢えて答えを言わせる事で、如何に自分は致命的な一手を打たれたのか、或いは、失敗を犯してしまったのか認識させる。
デビタマモンがグラビモンを相手に用いた手口の意趣返しだ。
「計器の周辺だけ重力を変化させて、機械の計算を狂わせたか」
「正解だ! それも細かく、ひっきりなしにな」
グラビモンは触手をぐねぐねと動かして「ひっきり無し」を表すジェスチャーをした。
これが意趣返しであると理解できているデビタマモンは、悔しさで顔を歪ませながら声を絞り出す。悔しさのあまり握り締めた拳の皮膚を爪が破る。機械を駄目にされた事よりも遥か屈辱的な行為であると感じてさえいた。
屈辱に戦慄くデビタマモンを見たグラビモンの心は、他者より優れた自分を実感した時に生まれる喜びで満ち足りた。
「重力にしろ時間にしろ、計器がデタラメな数値を寄越してきたとなればまともに計算できる訳が無かろうなあ。機械は再度計算と出力を繰り返すも正しい値が得られないのだから修正出来る筈も無く、まともに動く機能もエラー修正にリソースを割かれてしまい――最終的にはこの通り、ポンコツと化した訳だ」
機械はいよいよ煙を上げ始め、システムだけなく機体そのものも限界を迎えようとしている。
もはやこの場ですぐに修復する事は不可能だ。
「電子の世界で生きるデジタルモンスターは計算の狂いから逃れられない! 貴様の一夜城は我が策の前に崩れ落ちた、私の心情を考察した報いだ! さあ無様に負けを認め頭を垂れるがいい!」
魔王軍の裏切り者に引導を渡す者として、悪の軍団の軍師として、今度こそ勝利宣言を突きつける。デビタマモンの心を徹底的に折るために、「ルーチェモンに頼まれたから」ではなく「自分に楯突いた事」を後悔させる。
デビタマモンは一度俯く。再び顔を上げた時には物理法則に敗北した科学者ではなく、最後まで足掻こうとするデジタルモンスターとしてのデビタマモンがそこにいた。
「――君が如何に重力操作で私を打ちのめすか考えていたのと同じように、私も重力の影響から逃れる手段はないかずっと考えていたよ。蟒サ繧碁橿縺ョ譛磯≡縺ョ螟ェ髯ス……」
古代高等プログラム言語を解する者しか理解出来ない呪文の詠唱が始まった。
薄暗い部屋が一層暗くなり、デビタマモンの足元を中心に円形の魔法陣が展開される。魔法陣は室内の端から端まで届き、円の縁からは「闇で構成された手」としか言い表し様のない暗黒エネルギーの塊が出現する。
「なるほど概念としての闇属性できたか! 呪的な概念であれば重力は関係無いだろうからなあ!」
グラビモンは歯を剥き出しにして笑う。重力操作対策を打たれた事は、寧ろ彼にとっては喜ばしい事。それほど彼は手応えのある敵に飢えていた。
ただし、実際に攻略できるかは別の話だ。
「うわっ。なんだこの魔法初めて見たわ」
アスタモンは確かにそこにあるのに実体の無い闇の手を見て、衝撃を受けた。
アスタモンとデビタマモンがどれほど長く付き合っているのかは不明だが、少なくともデビタマモンか普段使う魔法とは一線を画す魔法のようだ。
手が伸びる。暗黒の闇に塗れた手が伸びる。触れたものを呪う手が伸びて伸びて、魔法陣の中心にある恨みの原因に伸びて伸びて伸びて届きかけて――
バキッ。メキャ、メキ、ゴキッ。
物理的な破壊の音が鳴り響く。
闇の手がグラビモンを浸食するより早く、デビタマモンが自らも毒霧を噴霧するより早く、グラビモン本人が知覚するよりも早く、土神将軍の両掌がデビタマモンを押し潰した。
術者が気を失ったため闇の手も魔法陣も消え、呪文を唱える前の状態に戻る。
「流石デビタマモン様、ここまで勢い良く潰されても原型残るんだな」
グラビモンの手の中を覗き込んだアスタモンが呟いた。
デジモンは死ねば光の粒子となって消えるが、デビタマモンは消えていないので生きてはいる。アスタモンは(元)主人の頑健さに改めて感心した。
「あの、先生? なんでそんな顔してるんだ?」
続いてグラビモンの顔を見たアスタモンが怪訝そうに訊ねる。
グラビモンは自分の手の中で痙攣するデビタマモンを驚きの表情で見つめていた。まるでこの状況が、グラビモンの本意ではないかのように――
「……ごめんグラビモン」
離れた場所にいる睦月が何故か申し訳無さそうに謝罪したので、アスタモンは思わずそちらを向た。
睦月を象徴する軽く楽観的なノリは鳴りを潜めて、怒られて泣きそうな子どものように縮こまっている。
「ピンチだと思って、つい……やっちゃった」
普段の睦月ならまず見せない態度と表情で、僅か数十分の付き合いしかないアスタモンも思わず驚くほどにしおらしい。
睦月の両手はこれまた何故か組まれていて、彼は恐る恐る手を解いた。
「……もう一瞬遅ければ、私も同じ判断を下していただろうというのが腹立つな」
グラビモンも睦月と同じタイミングでデビタマモンを圧縮していた手を解く。デビタマモンはボトリと力無く床に落ちた。
彼は怒りとも違う何とも言えない苦々しげな表情を浮かべている。
「どういう事だ? それじゃあまるで、坊やが先生の体を動かしたみたいじゃないか」
二人の発言を聞いてますます疑問が深まっていくアスタモン。
彼の問いに答えるように、グラビモンは自分の頭を指差して言った。
「私“達”の脳は優秀過ぎてな、時々こういう間違いが起こる」
◆◆◆
「さて、こいつをどう料理してくれようか」
「タマゴにはやっぱり塩だよね!」
「マヨネーズも捨てがたいっすよね」
「睦月はともかくお前は何なんだアスタモン」
しっかり気絶しているデビタマモンを囲んで三人は好き勝手喋っていた。デビタマモン本人が聞いていたらブラックデスクラウド発動待った無しだ。
「縛って外の連中に引き渡すか――」
「デビタマモン様ーーー!!」
グラビモンの思考を何者かの声が邪魔をする。
何事かと思っていると、踊り子のように派手な衣装の吸血鬼が部屋に転がり込んだ。
「デビタマモン様! どうかお目覚めください!」
「そういやいたなこんな奴。無意識の間にこいつの重力操作も解いてたか」
現れたのはマタドゥルモンだった。そう、最初の方でグラビモンにボウリングの球にされた彼だ。
マタドゥルモンは袖でデビタマモンの頬を叩いて気付けを試みる。舞うようなビンタはそれはそれは優雅かつ無駄が無く、おかげでデビタマモンはハッと目を覚ました。
「マタドゥルモン、来てくれたのか」
「逃げましょうデビタマモン様。貴方さえ生きていれば、研究はどこでも出来ます」
「悔しいが……君の言う通りだ」
マタドゥルモンはデビタマモンを助け起こす。次に、グラビモンと睦月はいないものとして、同僚(とまだマタドゥルモンは思っている)アスタモンにも語りかけた。
「アスタモン、お前も……」
「俺は殿を務める。お前は早くデビタマモン様を連れて逃げるんだ」
マタドゥルモンは分かったと言って、何か言いたそうなデビタマモンを連れて部屋を後にする。
息をするように嘘をついたアスタモンを自称天才達は信じられないものを見るような目で見ていた。
「追いますか」
「追いますかじゃないわお前なんなんだほんと。それはそれとして、追う必要は無い。元より『逃げた先でもまた絶望』をコンセプトに作戦を練っていた、ここは敢えて逃がそう」
「コンセプト、なんか余裕たっぷりな響きっすね」
今頃、デビタマモンとマタドゥルモンは他の仲間と合流しながら出口に向かって逃げている頃だろう。
「ハッ。せいぜい怯え、逃げ惑うがいい」
グラビモンも睦月も、去る者は追わず。ただただ非情に彼らを見送るだけだった。
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羽化石
2022年6月26日
In デジモン創作サロン
※本作は前作「馬鹿と重力は使いよう」ほか複数の作品と世界観を共有していますが、本作単品でお楽しみいただけます。 ※クロスウォーズデジモンの世代が公式で決定する前に設定が作られた作品のため、現行の公式設定と異なる描写が含まれています。 ※分量が多いため序・破と区切っていますが、全て一つのお話です。完成次第「急」を投稿予定です。 ◆◆◆ まずは、この世界についての説明が必要だろう。
かつてリアルワールドに住まう極一部の人間が、電脳世界を基盤として新世界『デジタルワールド』を作り出した。
しかし、DW歴では遥か昔に、RW歴でも何十年も前に、2つの世界の交流は絶たれた。
だが、完全に繋がりが失われた訳でもない。この世界におけるデジモンの存在意義、すなわち人とその守護者たるデジモンのパートナー関係は今もなお機能している。偶然の賜で人とデジモンが出会った例もある。
そして三大天使・ロイヤルナイツ連合軍と魔王軍の争いにより揺らいだ2つの世界は……再び繋がりを取り戻した。
「手頃な獲物の臭いがする……」
魔の眷属に名を連ねるデジモン、デビドラモンは人間界のとある街に身を潜めていた。
デビドラモンだけではない。多くの魔の存在が、アヌビモンの出奔に伴い緩んだゲートを飛び出し跳梁跋扈している。
軍規を逸脱し人間界で武勲を上げようとするデジモン。
混乱に乗じて人間界の侵略を企むデジモン。
何も分からずただただ迷い込んだデジモン。
そんなデジモンが徐々に現れつつあるのがこの世界だ。
「あれっ! あれあれあれっ!?」
デビドラモンの悪魔の耳が、素っ頓狂なボーイソプラノの叫び声を捉えた。
「もしかしてドラゴンじゃない? あれ!」
デビドラモンの四つの瞳が、人間の少年の姿を捉えた。
年は小学生から中学生にかけてか。ツンツンと尖ったヘアスタイルで、チェック柄のシャツを身に着けた少年。四角い縁の眼鏡の下から、ツリ目がちだが無邪気な輝きを湛えた緑の瞳でデビドラモンを見つめている。
「人間界ほど素晴らしい狩り場は無い……。警戒心も無ければ強くもない、ほどよい大きさの肉がこうして向こうから来てくれる」
多くの人間達が知らない間に、じわりじわりとデジモンの脅威は日常を蝕みつつある。このデビドラモンが、人間を食料としているように。
現代日本はおろか、この地球全土どこを見ても有り得ない存在を前にしても少年は一切怯えていなかった。
作り物と勘違いしているのか、好奇心の方が勝っているのか、或いは――とんでもない愚か者か。平和ボケした若者はずいずいとデビドラモンに近づいていく。
「もしかしてお腹すいてる? ごはんタイム?」
「その通りだ坊や。では、君を食べてしまおうか」
デビドラモンは冗談めかした優しげな声で語りかけた。すると、少年はにかっと笑う。
「食べるの? いいよー。おっけおっけー」
「愚かな……」
警戒心の育ちきっていない少年は、本当に冗談とでも思ったのか、軽々しくデビドラモンに返事をしてしまった。
了承を得たのだから、食い殺しても文句を言われる筋合いはない。
デビドラモンは少年の眼前でぐわっと大口を開いた。竜らしく生え揃った牙で少年を噛み砕き飲み込もうと画策する。
デジモンが日常を蝕みつつあるのならば、デジモンから日常を守ろうと奔走する者も同時に現れるのは道理だろう。
「なッ、なんだ、これは……ッ!?」
突如として発生した激しい重圧によって、デビドラモンの体はアスファルトの地面に叩きつけられた。
重いもので上から抑えつけられているような感覚を覚えるも、体の上には何も乗っていない。デビドラモンは急激に増加した自身の重みによって自由を奪われたのだ。
「貴様、何者……」
辛うじて動かせる魔眼で少年を睨む。
デビドラモンに睨まれていると気がついた少年は、歯を見せてニヤリと笑った。
本来人間にはある筈のない部位――電子機器のケーブルに似た計8本の触手を、背中から生やしてくねらせながら。
「キミ、さっきからボク“たち”の会話に混ざろうとしてたみたいだけど……ごめんね、もしかしてキミに話しかけてたって勘違いさせちゃった?」
デビドラモンの魔眼も少年には効かない。触手は意思があるかのようにうねうねと蠢き、本来の持ち主ごと少年の背中からずるりと抜け出した。
「貴様は、もしや」
小柄な少年の中に潜んでいたのは、シルエット「だけ」なら人に近いと言えない事もないが、明らかに異形と呼べる存在であった。
陽炎のように揺らめく黒髪、ヒトに似たかんばせに対し、およそ真っ当な生物には思えない巨大な紙状の腕と手。少年の背から生えていた触手は両肩から4本ずつ生えている。
上半身だけで少年の身長を軽く超している上に、しかも下半身は相変わらず少年の背中に埋もれていた。人型の怪物にしてはかなりの巨体の持ち主である。
「土神将軍、グラビモン……!」
それがデビドラモンの前に現れたデジモンの特徴。それがデビドラモンにかかる重力を操作し、彼を苦しめているデジモンの名だ。
「ほう。貴様のような田舎者も私の名を知っていたとは、ビッグデスターズの名声が世界に轟く日も近いな。それはそれとして貴様、私の脳のために糧となれ」
グラビモンの巨大な両手が、デビドラモンの全身を丸ごと包み込む。次の瞬間、今までとは比べ物にならない重圧がデビドラモンの体を押し潰した。
ワイヤーフレームがひしゃげ、体内の空気は全て抜け、もはや元が何だったのか分からない球体の肉の塊になるまで押し潰されていくデビドラモン。最終的にはグラビモンの一口サイズになるまで圧縮された。
グラビモンはそれを一切噛まずにごくりと飲み込む。
「お腹いっぱ〜い。 ごちそうさまぁ!」
グラビモンの代わりに少年が元気いっぱいに挨拶をした。満足そうに腹までさすっている。
一方、捕食した張本人のグラビモンは食後に満足する素振りを一切見せず、挙げ句「捕食(ロード)は潰して丸呑みが一番効率が良い」と淡白なコメントを残した。
「食後のデザートいっとく?」
「要らん。頭脳を一切使わん仕事だったからな。糖分は必要無い」
「なーんだ。折角パフェ食べる口実できたと思ったのに」
「お前、普段運動しない癖に何かにつけて甘いものばかり食って、その内太るぞ」
「まだ太ってないからセーフ! いざとなったらグラビモン栄養持ってってよ」
「その考えがもうデブの思考なんだバカ!」
他愛もない会話を繰り広げる、性格も種族も正反対の両者。
少年の名は高地 睦月(たかち・むつき)。1月生まれの中学1年生。得意科目は体育以外の実技科目で苦手科目はそれ以外。口癖は「ボクは天才だからね!」
デジモンの名は先述の通りグラビモン。同種の別個体ではなく、ビッグデスターズの土神将軍その人。口癖は「私は天才だからな」。
自ら天才を名乗る彼らこそが、人間界の平穏を守る使命を担ったり担わなかったりする影の功労者。
唯一無二の回路をデジヴァイスによって繋げられた二人――即ち、パートナー関係を結んだ人と人間だ。
「お腹いっぱいって、食べたのはグラビモンで貴方じゃないでしょうに」
常軌を逸する二人に向かい、しゃなり、しゃなりと人影が歩み寄る。高貴なブーツの足音へ向かって睦月は「あっ、来た来たヤッホー!」とにこやかに笑いかけた。
片や一般人の少年。片や悪名高い土神将軍。どちらも自主的に人助けをするほど殊勝な志は持ち合わせていない。
であるからして、二人に人間世界を守護するよう依頼した人物が存在する。
高級な布で設えられた白いドレスに身を包み、色素の薄い金の長髪を靡かせる、如何にも“お嬢様”然とした彼女こそが――
「その活動が世界経済を左右するほどの大財閥、八武財閥当主の愛娘であり次期当主でもある文武両道天下無敵の才色兼備なお嬢様、八武森ノ神子羅々が様子を見に来て差し上げましたわ〜!!」
やたけ・もりのみこ・らら。
今時珍しいミドルネーム付きで名乗った彼女こそが、恐れ多くも土神将軍とそのパートナーへデビドラモンを始末するよう依頼した人物その人である。
「全く。この程度の事、私を呼ぶまでもなく忍者連中に任せておけば良かっただろう」
「斬(ざん)とグロリアは今、別の任務中だから来れないわよ。そんな訳でヒマそうな貴方たちに来てもらったワケなのよ! おほほほほ」
「天才軍師たる私が暇な瞬間など、まず無いが?」
絶滅危惧種である忍者の雇用は貴族のステータス。雇った忍者に対するその気安さから、この少女の地位の高さが伺える。
地位が高いので、グラビモンからの苦情は一切気にしていない。
「来れなかった者の話は置いといて。ここは八武財閥傘下の企業と、そこで働く人々が集まってできたニュータウン。すなわち、八武が支配する地であるも同然! しっかり守っていただいた事、感謝いたしますわ! お〜っほっほっほ!」
「こいつ、一々高笑いしないと喋れないのか?」
「わーっはっはっは!!」
「釣られ笑いか単なる便乗か知らんが、お前まで一緒になって笑うな睦月! 私の頭までおかしくなったらどうする!」
お嬢様特有の高笑いと睦月の笑い声に両耳をつんざかれ、グラビモンは頭を抱えた。
「こき使った事は、“針槐”に免じて許してほしいですわ。貴方と彼の仲でしょう?」
反省しているのかいないのか。あっけらかんとした態度で許しを求める羅々。
いつもこの調子であしらわれているグラビモンだが、今日という今日は毅然と反論する。
「貴様らいつもそう言うがな、ザミエールモンはあくまで貴様の母親のパートナーであって、貴様は“能力”さえ無ければ実質無関係の人間だろうが!」
「あ〜らあらあら、じゃあ貴方その言葉、針槐の前でも言えますの〜? 言えるんなら撤回してあげなくもないですことよ〜? おーっほっほっほっほ!」
「ぐっ、奴の親バカ……いや親ではないがとにかく癇癪に巻き込まれるのは御免だ……!」
この通り、羅々とグラビモンには近いようで遠く、しかし間に入る木精将軍ザミエールモン――個体名は「針槐(ハリエンジュ)」らしい――の意向により、決して無碍にはできない縁があった。
グラビモンがぐぬぬと反論しあぐねている隙に、羅々は睦月へ向き直る。
「で、さっきの続きなのだけれど。痛みのフィードバックがあるのは知ってたけど、お腹のすき具合まで分かるのは初耳だわ」
「うん! 最近分かるようになったんだ! お腹空いてるなとか眠そうだなとか、そういうのも何となく分かるよ!」
褒められたと解釈したのか、睦月は自慢気に胸を張って言った。
「じゃあ、逆にグラビモンも睦月さんのそういうの分かるんですの?」
「行動の95%が余計な事のこいつから一々感覚のフィードバックがあったら身が保たん! 有事を除いて回路は切ってある」
悔しがるのをやめたグラビモンがしれっと会話に混ざる。
グラビモンの発言は、裏を返せば感覚を切ろうと思えば切れるのに睦月に返ってくる分は放置しているという事でもあり、それを聞いた羅々はじっとりとした視線を送ってやった。
「って事は、ボクの行動の残り5%はグラビモンにとって大事なことって事!?」
「くそっ、こいつ隙を突くどころか無理矢理隙を作り上げてくる。そのポジティブ思考はどこから生まれてきているんだ一体?」
言葉尻を全て自分にとって都合の良い形に捉える睦月にグラビモンは辟易していた。
グラビモンは辟易していても、これこそが彼らの日常。人とデジモンが織りなす模様の一つだ。
「むっ、馬鹿な事を話している間に時間か」
「今日会議だっけ?」
睦月の背中からずるりと白く長い足が抜け、グラビモンの全身が姿を現した。
「今日は誰が来るかな?」
「向こうの時間で昼だからネオヴァンデモンの奴は来れないとして、スプラッシュモンとザミエールモンの奴と、今日は流石にドルビックモンの奴も来るんじゃないのか?」
グラビモンの後ろで空中に亀裂が入る。リアルワールドとデジタルワールドを繋ぐ空間の裂け目を開いたのだ。
「いつも思うんだけど、昼に来られないメンバーがいるなら夜にすればいいんじゃないですこと?」
「馬鹿言え。たまにだったらまだ良いが、夜に会議しに行くのはダルいだろうが」
とても自称天才軍師とは思えない、サボり魔の学生のような言い分である。
羅々からの更なる反論が飛ぶ前に、グラビモンは裂け目に向かってゆらりと宙を泳ぐ。
「話は終わりだ。私はもう行くからな」
「いってらっしゃ~い」
「いってらっしゃいまし〜」
グラビモンの巨体が時空の裂け目に吸い込まれていく。グラビモンの姿が完全に見えなくなると同時に、裂け目も閉じてその痕跡を残さず消えた。
「行っちゃったね」
「行きましたわね」
睦月と羅々が二人仲良くグラビモンを見送って、僅か2分後である。
「あれ、戻ってきたよ?」
「戻ってきましたわね」
再び時空の裂け目が現れ、そこから非常に憤慨した様子のグラビモンが這い出てきた。
「なっ、なっ……何故逆に私だけが会議に出てしまったんだあああああ!! 何故今日に限って律儀に顔を出そうとしたんだ私!」
「あ、もしかして新記録じゃない!?」
「そうですわね。一人しか来なかったのは私が知る中では初めてですわ」
何故私だけが、とは? 新記録とは? そもそも全員揃わない会議とは? 冷静に考えたら「誰が来るかな」って、来る奴と来ない奴がいるのが当たり前って事?
沢山の疑問が浮かんで止まない読者諸兄のために説明しよう。
泣く子も黙るビッグデスターズ。種族こそ違えど不思議と気の合うデジモン達が、各々の野心と軍隊を持ち寄って活動する新進気鋭(※千年の歴史を持つ他組織と比較して)の組織だが、ある問題を抱えていた。それは、「毎回いずれかのメンバーが会議を私事都合により欠席してしまうため、フルメンバーでの会議が開かれた試しがない」という大問題だ。
以下、今回の会議をすっぽかした将軍達の言い分である。
『応! 夜までに三大天使配下の駐留基地を攻略する予定であったが予想以上に手強く攻略に手間取っている故、会議には出られん! 許せ!』
『きょうも かんおけ でられなかた ごめ(※ミミズが這ったような字で書かれたメモが、棺桶の隙間からはみ出ているのが発見された)』
『悪いな。急に覇珠妃(ハヅキ)の出張が入っちまってよ、俺達もついてくから会議にゃ行けねーわ。羅々に免じて許してくれよな』
『今日会議だなと分かってたんだが、その、水底でぼーっと水面を見てたらその、夜になってて……。すまなかった……(※後日グラビモンに直接謝りに来た本人の弁)』
『今日からまた航海に出るからよ、会議までに戻れなかったらごめんな!(※一週間ほど前に書かれたであろう置き書きが、アジトから発見された)』
「こんな事なら私も会議をサボればよかった……!」
「貴方までサボったら最早そこにあるのは会議ではなく“無”ですわよね?」
「貴様、ザミエールモンが留守にしている事を知っていたな!? 何故それを言わない!」
グラビモンはザミエールモンのパートナーの肉親である羅々に詰め寄った。
母親の出張を羅々が知らない筈ないだろうに、それを一切伝えず睦月と並んでアホ面で私を見送ったのは何事だ、と。
「覇珠妃お母様が出張でおフランスに行く事も、針槐“たち”が護衛としてついて行く事も、なんならビッグデスターズの会議がある事も、もっちろん知っていましたわ。でも……」
もわんもわん、もわもわ。羅々は脳裏に緑衣の狩人の姿を、おフランスに旅立つ前のザミエールモンの言葉を思い浮かべる。
『グラビモンの奴には内緒にしといてくれよ。あいつ、この前の会議を眠いとか抜かしてすっぽかしやがったからな。その仕返しだ。って事で頼んだぜお姫様』
「というのが針槐の希望でしたので……私はそれに従ったまでよ」
「ぐぎっ、ぐぎ、ぐぎぎぎぎぎ」
全ては身から出た錆ですわよ! と突きつけられて今度こそグラビモンは何も言えなくなる。
ちなみにこの間、睦月は特にフォローを入れるでもなく、二人の会話を聞いてけらけら笑っていた。
「では会議に出なくて良くなったついでに、次の任務のお話をしましょうか」
「はあ!? まだあるのか! というか私は会議に出たが?」
グラビモンは嫌悪感を露わにする。グラビモンの本日分の我慢はもう限界だった。羅々の話はもう聞きたくないとばかりに踵を返し、閉めたばかりの異空間ゲートを再び開く。
「お待ちなさい! これは非常に真面目な任務、天才のあなた方にこそ頼みたいのよ!」
「天才!?」
天才。その言葉を聞いて睦月は目を輝かせた。天才を自認する彼にとって、「君が天才だからこそ頼む」は最強の殺し文句だ。
グラビモン自身は拒絶したにも関わらずパートナーがまんまと釣られてしまったので、これはまずいと空間移動を思い留まる。
「こら! こいつの自己肯定感をみだりに刺激するな!」
そして、「天才」として扱われる事に喜びを覚えるのはグラビモンも同じ。
表面上は未だ怒っているように見せかけているが、本心では満更でもないようだった。自覚があるのか無いのか、話だけでも聞いていこうとする姿勢を見せている。
「天才に頼みたいのは本当の事ですのよ? だってこれは……七大魔王が一人、“傲慢”のルーチェモン直々の依頼なんですもの」
ルーチェモン。その名が出た瞬間に場の空気が一変する。グラビモンは勿論、睦月でさえも真剣な面持ちを浮かべて羅々の顔を見ている。
「あのルーチェモンが、何を求めていると言うんだ?」
ルーチェモンと言えば、デジタルワールド全土でも一二を争うビッグネーム。七大魔王の中でも最強と呼ばれる存在だ。
そんなデジモンの依頼とくれば、きっとただ事ではないのだろう。好奇心の塊の二人は興味を持たずにはいられなかった。
「詳しい事は後で“風香”さんから直接聞いて頂戴な。ルーチェモンに会って話したのは風香さんとブラストモンだから」
羅々はそこまで言うと、懐中時計型のデジヴァイスを取り出した。蓋をくるりと回して時間を確認し、再び懐へ仕舞う。
「そろそろヴァイオリンのお稽古の時間ですわね。私から引き留めておいてアレですけど、もうお開きにしましょうか。今日はご迷惑をおかけしてしまってごめんあそばせ! 依頼が終わった後にお会いしましょう、お〜っほっほっほ!!」
「こいつ、高笑いしないと謝る事も立ち去る事も出来ないのか?」
羅々は姿が見えなくなるまで、そして見えなくなってもなお聞こえてくるほどの声量で高笑いしながら去っていった。
ここが八武財閥の息がかかった地域でなければ不審者扱いされていただろう。
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羽化石
2022年6月01日
In デジモン創作サロン
※2016年作 深夜零時になった。デジタル時計の文字盤は真四角の「0」を4つ並べ立て、「明日」だったものが「今日」になった事を機械的に示す。狭い室内に所狭しと並べられたディスプレイは、まるで映写機のように2つの影を壁に映し出す。影は活動開始だと言わんばかりに蠢き、静かな映画館のようだった部屋は、彼らの仕事場へと変化していった。
「いいか? 絶対に、絶対に手筈通りにやれ……絶対に!」
片方の影は大まかな形こそ人のそれだが、肩から伸びる8本の触手、紙のように薄い上、胴体とくらべるとアンバランスな大きさの手足、決まった形を持たないかのように蠢く頭髪など、身体を構成するパーツは人外のそれであった。彼はその巨大な手を用い、もう1つの影に何やら指図をしているようだ。
「オーケーオーケー、ちゃあ~んとお望み通りにやってみせるよ! ひっひっひ」
もう1つの影は、人間の少年のような……否、「ような」ではなく、影の主は本当に人間だ。その少年は、乾いた土のような色の髪を逆立て、眉と口角を不敵に釣り上げている。光を反射する眼鏡とチェック柄のシャツが、彼をまるで「この手の仕事」のプロであるように見せていた。こう話している間にも、その手はキーボードの上をせわしなく、迷いなく動き、見ていると仕事ぶりに対する期待が高まってくる。
「ふん。期待はしないでおくからな。だが絶対にしくじるな」
人外の男は言うが早いか、夜の闇に溶けていった。だがこの情景は彼らの素性を知る者であれば全く違ったものに見えてくる。彼は闇の中ではなく画面が映し出す世界の奥の奥へ、消えたのではなく潜り込んでいったのだ。
「流石は捻くれた人間の子供の溜まり場だ! 安っぽく、それでいてドロドロした感情が、そこらじゅうにデータの泥となって渦巻いている!」
彼が浮かべている笑みは、幼い心の持ち主を嘲っているようにも、この現状を興味深く感じているようにも見える。恐らく両方だろう。彼の体は重力を感じさせない動きで、道筋が分かっている迷路を奥へ奥へと進んでいった。
「だいぶ進みやすくなってるだろ? ボクって天才!!」
「いいから黙ってやれ」
少年に対して語り掛ける口調は、独り言に比べて随分辛辣だ。だが少年は気にしていないのか、ニヤニヤと笑いながら自分の作業を進めていく。男の巨体が消えた後の部屋は、その代わりに大量のキーボードで埋め尽くされていた。少年は殆ど手元を見ずに、それらのキーボードを用途に合わせて使い分けている。
空中を滑るように進んでいた男は、早くも最奥部の一歩手前まで来たようだ。男はほんの少しだけ立ち止まると、再び目的地へと進んでいった。そして、彼は入口に扉が無い部屋に辿り着き、体を滑り込ませるより先に触手を伸ばす。だがその時だった。バチバチッッという耳をつんざくような音と共に、焼けるような痛みがケーブルに似た触手を通じて男を襲った。見ると、何も無かった筈の入口には、橙色で半透明の壁が立ち塞がっていた。不規則に直線が並んだ模様の壁は、外部からの物理的な介入を拒んでいる。
「ぐっ……! 嫌な意味で予想が的中だな!」
男は空間に穴を開けたかと思うと、それを通って少年がいる部屋に姿を現した。少年は1本の触手でぐるぐる巻きにされ、男の眼前まで一気に持ち上げられた。男は仮面の奥にある目で少年を睨み、怒鳴りつける。
「絶対に手筈通りにやれと言っただろ!! 今度は何をした!?」
「くっくっく……やぁ~っと気付いたか……そう! 実はなんと! このボクがこっそりスペシャルコマンドを……」
「何がスペシャルコマンドだ! 適当な事やってるだけの癖に!!」
男は少年を拘束したまま、1組のディスプレイとキーボードと向かい合う。彼は大きく薄っぺらい手で器用にキーを押しながらも、ぶつくさと文句を言い続けていた。その口元は苛立ちで歪み、使っていない触手もどこか不機嫌そうにうねっていた。
「お前はいつもこうだ! やれと言われた事は出来るのに、余計な事までやらかしてくれる……」
「おっ! 今の前半部分! 珍しくグラビモンに褒められたラッキー!」
「黙れバカ睦月!!!」
デジタルモンスター、略してデジモン。現実世界(リアルワールド)に生息するどの生き物とも違う、電脳世界(デジタルワールド)の住人。全く別の存在でありながら、ヒトと表裏一体の存在。そんな彼らだが、近年デジタルワールドで起こった戦争の影響により、本来インターネットを通じてしか交わらなかった2つの世界が交わるようになったため、リアルワールドに姿を見せるようになった。
人間の中でデジモンを知る者は少ない。デジモンが人間の居住区に現れ、本能のままに行動しようものならば、たちまち大混乱が生じる事は想像に難くない。
70億人を超える地球の人類には対となるデジモン、即ちパートナーが存在する。人はデジモンに力を与え、デジモンは人を警護する、一種の共生関係にある。運よくパートナーと巡り合えた者、もしくは利害が一致する存在と出会えた者は、デジモンが起こす様々な事件を解決、隠蔽する事によって自らの利益に還元していた。
ここにいる睦月とグラビモンも、この世界に少数ながらも存在する「パートナーと出会えた」者達の中の1組だ。
「元より強固な防御プログラムになっているぅ……? 何をどうしたらこうなるんだ!」
本来はコンピュータの向こう側で活動するデジモンがキーボードをカタカタといじっている姿は、なんともおかしな光景だった。だがこの状況を作り出した張本人は、そんな事にも自分が宙吊りになっている事にも意を介さず、ケタケタと笑い続けていた。
「どうグラちゃん! 捗ってるぅ!?」
「お前のせいで捗ってない。全く、情報操作は何よりも鮮度が大切だというのに……そして私はグランドチャンピオンシップではない! どこぞのデカブツのような呼び方は止めろ」
彼らが夜な夜な行っているのは、「デジモンが現れた」という記憶を含む情報の操作だ。掲示板の書き込みを削除し、光の信号で記憶を消去するためのプログラムを忍ばせるなど、少々倫理や法律の観点で問題がある方法を取ってはいるが、彼らのおかげで混乱は殆ど生じていない。今夜はとある中学校の校庭で、デジモン同士の抗争があったらしい。夜中の話とは言え、校庭という目立つ場所で行われたそれの目撃談は、その地域の掲示板や中学の学校裏サイトへ続々と寄せられている。そこで、彼らの出番だ。
「何故だ、何故あそこまで高い技術を持っているというのに肝心のおつむはどうして……」
グラビモンは一般的には一流の軍師とされているデジモンだ。ここにいる彼も、種族の名に恥じない頭脳と残虐性、そして好奇心を持ち合わせていた。先ほど彼が道中で見せた姿が彼の本来の性格であり、彼が他者に見せたい姿だ。
「また褒められた! 今日のグラビモンはレアだ! URだ! 星5!!」
パートナーである睦月は、言ってしまえば馬鹿であった。馬鹿と言っても色々なタイプが存在するが、彼はお調子者で自信過剰、更には自分を天才だと思い込んでいるために自分がやっている事は大変素晴らしい事だと勘違いしているという面倒な人種だった。馬鹿というよりは実力が伴わないナルシストのようにも見えるが、この性格が原因で授業を全く聞かないか間違った解釈のまま突っ走るため、結局は馬鹿の部類に入るのであった。とにかく彼は、性格に難があった。パートナーがああなので、グラビモンは調子をいつも狂わされ、気が付けば柄にも無く怒鳴ってしまうのだ。精神的苦痛がピークに達したグラビモンは、遂に喋るのを止めてしまった。
グラビモンの手が止まった。どうやら睦月のスペシャルコマンド、又の名を「心赴くままにキーボードを打っただけ」のせいで出来た余計な仕事を終えたらしい。
「やったねミッションクリア!」
「……振り出しに戻っただけだ」
「そう言えば、明日っていうか今日ってビッグデスターズの会議?」
「疲れたから行かない。どうせ行ったってザミエールモンとスプラッシュモンしか来ない」
もはや怒る気力さえ奪われたグラビモンの返事は静かだった。その時だ。グラビモンは画面の向こうの何かに反応し、一気に警戒態勢に入る。
「おやおやぁ? お客様のお出ましかな?」
グラビモンの口角が再び吊り上がる。声色には歓喜の声が混ざっていた。
そもそも人間が作ったサイトへの侵入に、デジモンの手助けなど必要ない。外部からのハッキングで事足りてしまう。事実、睦月は並行して多くのサイトに侵入、情報操作を行っていた。では、グラビモンは一体何のために自ら行動していたかというと……
「来た!」
グラビモンは待っていましたと言わんばかりに空間に開けた穴へと飛び込んだ。行き先はデジタルワールドにおいて最も学校裏サイトの影響を受ける座標、彼が先ほどファイヤーウォールに行く手を阻まれた場所だ。
デジタルワールドとリアルワールドは表裏一体、リアルワールドで大きな出来事があれば、インターネットを通じてデジタルワールドでも何かが起こる。その変化に引き寄せられたり利用しようと考えたり等して、こうした場所にデジモンが集まる。今回は「中学校という場所」で、「事件が起こったという情報」が、学校裏サイトという「事件現場と密接な関わりがある上に多くの人間の感情が籠められている」場所の影響を受け、デジタルワールドでも変化が起ころうとしていた。
「……んん~? 何だ、またクラモンか。やはり大物をおびき寄せるにはもっと大規模な事件でないと……校舎が倒壊するとか、500人の全校生徒が一斉に行方不明になるとか、関係者が皆発狂するとか、いっそ田舎の学校で終わらずに、事件が次へ次へと連鎖……」
何やらミステリー小説じみた危険な思想が聞こえてくるが、彼は少なくとも人間界でテロリズム的行為をするつもりはないようなので安心してほしい。
ここに現れたクラモンというデジモンは、デジモンが起こす事件を解決しようとする者ならば一度は耳にするデジモンだ。インターネットに蔓延る人間の暗部から生まれたデジモンで、1匹1匹は対して強くないものの爆発的に増殖し、ネット上で悪さをする。種族不明のデジモンで、そういった意味ではグラビモンと同類であるとも言える。
「ふ~む、今日は兵を置いてきてしまったからなぁ。大規模な作戦は今後に取っておくか……睦月! いつもの『アレ』だ!」
「オォ~~~ッッッッッケーーーーーイ!! ボクの天才的頭脳に任せといて!!」
身体の自由を取り戻していた睦月は、再び指をわきわきと動かし喜々としてキーボードを打ち始めた。
「#$%&’(△1001○□?>’$&’%!!!!」
1匹のクラモンが言葉とは言い難い声を発すると、その場にいたクラモン達が一斉に集まり始めた。クラモンの最も厄介な点は、増殖した上で合体し、あっという間に究極体にまで進化してしまう所だ。放っておけば取り返しのつかない事になってしまう。だが、グラビモンは動かない。それどころか別の作業に没頭してしまっている。
「10……31…………63………………」
クラモンは瞬く間に部屋を埋め尽くし、クラモンからツメモンへ、ツメモンからケラモンへと進化していく。だがグラビモンは全く動じていない。やがてケラモンがクリサリモンに進化し、残るクラモン達はより多くの「自分たち」を「自分」へと送るために、分裂の速度を上げた、筈だった。
「‘*?(’&$%&%(%’”……!!!????」
クラモンの分裂が、どうしたことか突然ストップしてしまった。正確には完全にストップした訳ではなく、1,2匹ずつ、ぽつぽつと湧き出していた。つまり、分裂速度が著しく落ちてしまったのだ。驚いたクラモンとクリサリモンは、軽いパニック状態に陥ってしまう。
「1565550……1565551……どうした? 気にせず進化を続けろ?」
この空間において、グラビモンだけが平常心を保っている。彼は相変わらず何かを数え続けていた。クラモンに異変が起こるまでは8本の触手も使っていたのだが、今は手だけで何かをカウントしている。
「『どうして分裂が出来ないのか』? ちゃんと出来ているだろう? …………人の話を理解できる知能があるか分からないが、一応説明だけはしておこう。アレにお前たちの増殖を抑えるプログラムを打ちこませた。それだけだ」
グラビモンは「アレ」と言いながら上を指さした。「アレ」というのは勿論、外からパソコンを操作している睦月の事だが、クリサリモンが知る由もない。
「今使わせている『リアルワールドからインターネットを通じてデジタルワールドに干渉する』技術は私が編み出したもので、奴は少しも理解していないがな。睦月の物分かりがもう少し良ければ……あそこまで『宝の持ち腐れ』を体現している例は初めてだ! 全く、機械にやらせた方がよっぽど効率がいい」
一方的に話しているだけのグラビモンは、クリサリモンにとって恰好の的だ。今なら倒せると言わんばかりに刃のついた触手を伸ばす。刃はグラビモンに肉薄、だが、本当に後少しという所でグラビモン自身の触手に絡め取られてしまった。まだ成熟期のクリサリモンにとって、グラビモンは格上のデジモン。しかもクリサリモンは言わば「繭」の状態で、自力では移動できない。グラビモンが少し力を入れれば簡単に引きずられてしまうだろう。クリサリモンが慌てて振り払うと、絡み合っていた触手はあっさりとほどけた。
「早まるな。今飛び掛かっても勝ち目は万に一つも無い。私の見立てでは、後500体ほどで進化出来るぞ? 大人しく待ってみては如何かな?」
グラビモンが自分達の感覚でしか分からない筈の事を言い当てたのに驚愕したのか、感情というものを感じさせなかったクリサリモンの瞳が、ほんの少しだけ揺らいだ。この得体の知れないデジモンの指示に従うのが得策だと判断したのか、クリサリモンは本物の繭のようにピタリと動かなくなった。
クリサリモンが微動だにせず分裂・合体に専念するようになってから1時間45分ほど経った。グラビモンは欠伸を噛み殺しもしなくなり、睦月に至っては真夜中だろうとお構いなしにスナック菓子に手を付けていた。
「そろそろか」
グラビモンが呟くのと同時に、クリサリモンの硬い外皮がひび割れ始めた。より硬く、よりスマートな形状の殻。細く長く、それでいて重厚な金属音を立てて動く手足。増殖した自身を取り込み強化する事に成功したクリサリモンは、無事にインフェルモンへと羽化――進化したのだ。
「クラモンを見つける度に進化に必要な頭数を数えて統計処理をしてきたが、そろそろどこかの学会に持ち込んでもいいくらいになってきたな。他人に教える気は無いがな。ああ、誤解を生む前に言っておくが、これは作戦ではなく私の趣味だ」
再び、いや、進化前より遥かに高い機動力を手に入れたインフェルモンは、蜘蛛のように壁を伝ってグラビモンに襲い掛かる。ガシャガシャガシャンと耳障りな音を立てて急接近すると、口内にある銃口から高密度のエネルギー弾を発射した。一人で喋っていただけのグラビモンは、流石に直撃は不味いだろうと右方向に旋回する。的を外れた弾は壁に着弾し、壁は高熱と爆風で粉々になってしまった。弾は貫通して1,2枚先の壁も破壊したらしく、煙が晴れると本来繋がっていない筈の通路が繋がってしまっているのが見えた。
「ディアボロモンになるまで待っていたいのだがなぁ、ここは狭いし何より眠くて頭が普段の90%しか働かない」
グラビモンは無残に散らばった壁の破片や『ヘルズグレネード』の威力には興味が無く、わざとらしく欠伸を繰り返している。さり気無く自分の能力を自慢するというおまけつきだ。インフェルモンはお前の話こそ興味が持てないぞと言いたげに再びヘルズグレネードを発射した。グラビモンはそれも頭髪や触手を揺らめかせながら躱す。空中を泳ぐように浮かぶ姿は、彼のビジュアルも相まって幽霊、見るものによってはリーフィーシードラゴンのような鰭の長い魚に見えるだろう。
「ワカメ被ってる一反木綿が飛んでる!!」
「黙れ馬鹿! クラモン増殖の完全な妨害、破壊された箇所の修復、地形データの改竄! やれ!」
「アイアイサー!!」
睦月はナイトクラブでハイになっているDJのように、ノリノリでエンターキーを押す。すると、少しずつ続いていた筈のクラモンの増殖はぴったりと止まってしまった。インフェルモンは強化の手段を失ってしまったが、完全体に到達できただけでも御の字だと判断したのか構わず攻撃を続けた。インフェルモンの跳躍力は思わず睦月が目を見張るほどで、狭い室内の中ではグラビモンの「飛べる」という利点を打ち消してしまっていた。インフェルモンはミサイルのように、グラビモンへの突撃を試みる。
「ヘイ!」
キーボードがより激しくカタカタと鳴き、その直後に地面の一部が円柱状にせり上がってインフェルモンの突撃を食い止めた。空中で動きを止められたインフェルモンは落下していくが、宙返りをして綺麗に着地した。インフェルモンの殻の硬さは中々のもので、勢いよくぶつかっても殆どダメージを受けていない。
「猫みたい!」
「お前の頭の悪そうな比喩を聞いてると、私まで馬鹿になりそうだ……毎回思うが、中身は慣性の法則でぐちゃぐちゃにならないのか? 中に何らかの緩衝材が入っているのか、それとも……」
「慣性! ボクは慣性大好きだよ! 慣性って言えば天才らしさがアップするからね!」
「理科のテストで20点を取っておいて何を言ってるんだこいつは?」
彼らに地形そのものを変える手段があると分かった後も、インフェルモンは突進を続けた。インフェルモンが跳躍する度に床からも壁からも円柱が伸び、徐々にスペースを奪っていく。いくら細いとは言え巨体であるグラビモンの逃げ場は失われ、インフェルモンは良い足場が出来たとばかりに縦横無尽に動く。
「あっれ~~~!!!??? ハメられちゃった!? 土神将軍策に溺れちゃった!!??」
「う~~~む、そうかもしれないなぁ~~~?」
言葉とは裏腹に、2人の顔と声には喜びの色が混ざっていた。そこへインフェルモンのヘルズグレネードが飛んできて、グラビモンの右肩を掠める。布状の腕からは出血は無く、代わりに布の切れ端のように腕の一部だった物が散っていく。
「ぐぅっ!」
右腕を押さえ、苦悶の声を上げたのはグラビモンではなく睦月だった。だがそれも一瞬で、彼の顔にはすぐに悪役のそれのような笑みが戻ってくる。
「いい加減眠いからカタをつけるぞ」
「OK! ボス!! あ、将軍の方がよかった?」
睦月は床に置いていたデジヴァイスを手に取った。彼のデジヴァイスは円形で、蓋をスライドさせると液晶画面やボタンが現れる仕組みになっている。彼は左手でデジヴァイスを、右手でキーボードを操作する。
「△△○□#’&*‘@××!」
今度のヘルズグレネードは、グラビモンを真正面に捉えた。グラビモンが避けようにも、そこかしこに柱があるため避けきれないだろう。だがグラビモンは涼しい顔のままだった。後数メートルで着弾という所で、8本の触手が一斉に持ち上がった。
「オクタグラビティ」
触手の金属部分が怪しい色に光った。その時だ。既に発射され、間に遮蔽物も無いためもう変化しない筈の弾道が、突然捻じ曲げられた。弾は地面へと引き寄せられていき、着弾。そこにあった柱はへし折れ、床にはクレーターが出来ている。
「%&△!?」
インフェルモンは再びエネルギー弾を発射した。だが、今度は発射された時点で弾は勢いを失い、自らの重さに耐えられなくなったかのように地面に落ちた。何度も何度も力を込めて発射するが、弾を敵まで届けるほどの速度を得るには至らない。足場を跳び回り、位置や角度を変えようと試みるも、結果は常に同じだった。気が付けば、落ちていくエネルギー弾に当たって崩壊した柱も増え、空間が広くなっていた。
「お前のヘルズグレネードに掛かる重力をいじった。今のお前の力では、弾を私まで飛ばす事は不可能だ。所で……そんなに『高い所』にいて大丈夫か?」
グラビモンが床を指さす。高威力の、しかも元より重くなったエネルギー弾を浴び続けた床は、削られに削られ深い穴が出来ていた。その分あまり高くなかった天井が高くなり、今インフェルモンがいる足場から落ちただけでもかなりのダメージを喰らうだろう。
「ああ、落ちなきゃ平気だと思っているかもしれないが、その脆弱な足場がいつまで支えてくれるかな?」
グラビモンの触手が光る。すると、インフェルモンは自身の身体が徐々に重くなっていくのを感じた。このままでは動くこともままならなくなるだろう。やがてインフェルモンは自分の身体を支えられなくなり、ガシャンと音をたてて腹を地面――正確には円柱の上だが――に着けてしまった。
「そもそも、その足場はあまり丈夫に作っていないんだ。いつかは重さに耐えられなくなる。ああ、いつかというのは……今だ」
「今だ」という言葉に合わせ、突然インフェルモンに大きな圧力が掛かった。いきなり重くなったインフェルモンに耐えられなくなった柱は崩壊、勢いを殺してくれる障害物が無い所へとインフェルモンは落ちていく。高さと重さが相まってその落下速度は凄まじく、浴びる風だけでも人間であれば無事では済まないほどだ。このままでは墜落し、外皮は粉々に、内臓はそこらにぶちまけられてしまうだろう。インフェルモンは機械的であまり柔軟ではない思考を持つが、それでも死への恐怖は生物の本能として持っている。必死に足掻くが、どこにでも張り付いて移動できる手足は空を切るばかりで意味を成さなかった。
イヤダ!シニタクナイシニタクナイシニタクナイシニタクナイ…………?
落下していた筈の身体は、白くて柔らかい布のようなものに受け止められていた。いつの間にか重さも元に戻っており、インフェルモンは自分の命は一先ずは救われたのだと理解した。
「そう言えば、まだ取りたいデータが沢山あったのをすっかり忘れていたよ。このまま殺すのは忍びない。お前は実験材料として、私が飼うことにしよう。た~っぷり長生きさせてやろうなぁ」
インフェルモンを救ったのは、グラビモンその人だった。彼は菩薩のように穏やかな笑みを浮かべ、インフェルモンを受け止めた大きくて白い手でインフェルモン全体を包み込んでいく。インフェルモンは命の保証だけはされた事に安堵し、静かに眠るように目をつぶった。
「…………ハイグラビティープレッシャー」
グシャア!!バリバリバリッ!パラパラ……ゆりかごの中の赤子のように眠っていたそれは、今やただの金属片と化してしまっていた。
「思ったよりも強度が低かったな。他の個体だとあと数十秒は長生き出来ていたが……緩衝材は今回も無し。やはり何らかの形で慣性の法則が働かないようにしているのか……」
デジコアごと押し潰されたインフェルモンに、グラビモンの好奇心を駆り立てるようなものは残っておらず、デジコアごと押しつぶされた亡骸はあっさりと掌から払われてしまった。その様子は、虫を捕まえた子供が力加減を誤ってそれを潰してしまい、それきり興味を無くしてしまう様子に似ていた。グラビモンは自分が捨てた殻を一瞥すらせず、空間に穴を開けてパートナーの自室へと戻っていった。
「お帰りグラちゃん! ハイタッチイエーーーーイ!」
グラビモンは手ではなく触手を差し出した。それでも睦月はお構いなしに手と触手を打ち合わせる。
「今回は駄目だったな。折角用意した円柱をこちらは何一つ活用出来なかった。あれでは本当に策士が策に溺れただけみたいじゃあないか! やはり眠いと判断力が落ちて良くない」
任務自体は成功したにも関わらず悔しがっている辺りがグラビモンらしいといったところだろうか。
「ねえ! エネルギー弾に重さって元々あるの?」
「リアルワールドの常識で考えるな! デジタルワールドにはリアルワールドと同じ物理法則は無いと思え!」
「何か慣性がどうとか言ってたけど分かったもう聞かない!!」
「それよりも、復元作業だ復元作業」
「ダイジョーブ、もうバッチリさ! 完璧に元の姿だよ!」
この無駄話の間に、睦月は作業を終わらせていたらしい。インフェルモンと同じくらい無残な姿になっていた部屋は、元の静けさを取り戻していた。穴は塞がれ、柱は引っ込み、空間を分ける壁は無くなり、地面を覆い隠す床も無くなり、草は生い茂り、花は咲き乱れ、風は花の匂いを運び、川はさらさらと流れ、鳥デジモンが声高らかに歌う、そこに文明が出来る前の、静かな姿へと…………
「はあーーーーーーーーーーーーーーー!!!!????」
グラビモンは急いで睦月を拘束し、キーボードを叩き割りそうな勢いで打ち始める。
「何をどうしたらこうなる!? 何をどうしたらこんなに大規模に地形が変化する!?」
「これは流石にボク自身も予想出来なかった……ボクは……ボクには、ボクさえも知らない才能が眠っていたというのか……!」
「ああそうだな。お前は天才だ。偉大なる発見者だ。デジノーベル賞はお前の物だ。どうやってこれをやったか覚えてさえいればな」
グラビモンの声は完全に死んでいた。グラビモンの眠らない夜は明け、そのまま眠れない朝へと突入してしまったのであった……。
ここはデジタルワールドの何処かにある秘密の会議場。ここでは恐るべき組織による秘密の会議が行われていた。今は身体の殆どが水で出来た男の姿をしたデジモンが、肘を立て、口元で手を組み……否、目を両手で覆いながら仲間達の到来を待ちわびていた。
「よう、スプラッシュモン」
緑の三角帽を目深に被り、背中に巨大な矢を背負っている狩人然としたデジモンが、自動ドアから暗い会議室へと入ってくる。親し気に声を掛けられた水のデジモンは、ゆっくりと顔を上げた。
「……ザミエールモンか」
「おい待て、今日は俺とお前しかいないのか!?」
スプラッシュモンと呼ばれたデジモンは、無言で頷いた。
「ドルビックモンは?」
「領地拡大のための戦いが長引いてるらしい」
「またかよ。ネオヴァンデモンは昼間だから来ないとして、オレーグモンは?」
「そろそろ会議だというのを忘れてうっかり航海に出たらしい」
「あいつのうっかりはマジでうっかりなんだよなあ……」
「グラビモンについては私は何も聞いていないが、お前は何か聞いていないか?」
「『睡眠欲が知識欲に勝ってるくらい眠いから行かない。どうせ行ってもお前とスプラッシュモンしかいないだろ』……だと。予言的中だな」
「流石軍師様といったところだな。私もそのくらい頭が良ければ部下が増えるかなあ……」
ザミエールモンとスプラッシュモンは、お互いに深い深いため息をついた。
「今回は誰も無断欠席しなかっただけマシだな」
「ああ、そうだな。(一番無断欠席の回数が多いのはザミエールモン、お前なんだがな)」
ザミエールモンはスプラッシュモンの一つ置いた隣の席に腰を下ろした。場の雰囲気は会議室というより、完全に真夜中のバーのそれになっていた。因みに、今の時刻は先ほど会話に出てきた通り、昼だ。
「逆に、お前はよく来れたな」
「今日は上手くチビどもを撒けたんだ。ったく、狩りなら狩りって言うってーの! 『もしかして狩り? 狩り?』じゃねーよ! 狩りに行きたいのはこっちだ!!」
ザミエールモンは、そこにある事になっているコップを打ち付ける。
「相変わらずアットホームな職場だな……いいよな温かみのある組織……。私はな、今日はな、シャコモンに引き留めてもらえたんだ……『スプラッシュモンいっちゃやだー』って……シャコモンは可愛い奴だよ。私の事を愛してくれる……」
「相変わらずお前んトコは保育園なのか?」
「ああ。漂流してくる幼年期・成長期はどんどん増えるのに、求人広告を見て来る奴は全然いないんだ。やっぱり基地を深海にしたのはまずかったかなあ……アクセス最悪だもんなあ……オレーグモンやネプトゥーンモンの方が人望あるしなあ……でも、陸の水辺って大体強いデジモンが押さえてるし何より目立つんだよなあ……」
スプラッシュモンの顔からはみるみるうちに生気が失われていく。
「元気出せよ色男……こいつは俺の奢りだ……」
ザミエールモンは、どこからか小瓶を取り出し、カウンターという事になっている机の上に置いた。中には黄金色に輝く糖度が高そうな蜜が詰まっている。
「デジアカシアのデジハニーだ。上手いぞ」
「いつも悪いな……お前も飲め」
「飲めってお前、そいつ酒じゃなくて水じゃねえかわっはっは」
「只の水じゃない。ドリッピン入りだわっはっは」
「なんだそれ劇物じゃねえかわっはっはっは」
「それを言うならデジハニーだって劇物みたいな物だろわっはっはっは」
「それもそうだなわっはっはっは」
「わっはっはっは」
「わっはっはっは」
「わーはっはっは……」
疲れ切った2人の男の乾いた笑い声は、暗い会議室にいつまでもいつまでも……とは流石にいかないが、それなりに長い時間響き渡っていた。
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羽化石
2022年6月01日
In デジモン創作サロン
暗黒の世界。全てが黒に覆われた世界は終わりの世界。疲れ果てた魂が終わりを迎える世界。聖なる御霊が堕とされ、邪なる意識が芽吹く世界。
最後の審判。
輪廻を巡り巡って再び巡る。善き魂の旅はまた続き、悪しき魂の放浪は終焉を迎える。
冥府の管理者は魂の判官。
彼の許し無くして冥府への道は開かれない。
彼の赦し無くして魂の平穏は訪れない。
理は壊れた。聖なる御霊は彼岸に吼えた。邪なる意識は此岸に啼いた。
現世と常世を包む膜は破けた。
今や魂は、3つの世界を管理者の意思を無視して渡るようになった。
管理者は嘆く。孔が塞がらぬ。世界が揺らぐ。諍いが終らぬ。
「なんと嘆かわしい事か。アメミットの裁きを拒むばかりか、天秤に電子核を乗せる事さえ拒む魂が増えてゆく。天も地も我が忠告を省みぬ。なんと嘆かわしい事か」
ジャッカルの神――アヌビモン――は頭を抱えた。
天界と冥府、それぞれの住民同士の戦争が続いた結果、冥府――ダークエリア――と現世――デジタルワールド―― を隔てる壁に亀裂が生じてしまった。以前はアヌビモンの判断によって開かれていた次元を繋ぐ穴、それが独りでに開くようになっただけでなく、違法通行の横行や戦争の激化の原因にもなった。
空間レベルの問題は当然リアルワールドにも影響が及び、リアライズとデジタライズが素人にもノーリスクで可能になる始末。
アヌビモンはこれらの対応と魔王軍からのクレーム対応に追われ、疲弊し切っていた。
やがて冥府の管理者は決意する。
「私は……ラップの道を行く」
「はぁ?」
アヌビモンの部下であり、ダークエリアの門番でもあるケルベロモンが間抜けな声を上げた。
アヌビモンがあまりにも威厳たっぷりに言うので、ケルベロモンは本当にアヌビモンの発言かを疑った。しかし、その声を数千年間聴き続けたケルベロモンは確信せざるを得ない。今の頓珍漢な発言は、アヌビモンのものであると。
「最早秩序も自浄作用も喪われた。最後の審判も名ばかりの儀式と化してしまった。なればこそ、死者の導き手たる私が採るべき道は唯一つ……。我がエジプティアンリリックとソウルに刻まれたビートオブヘルを解放する。そのためには生者の国、昼のデジタルワールドへ行かねばならぬ」
ケルベロモンは両肩の2つのアーマーと顔を見合わせた。三頭三様の困り顔は彼の深い困惑を表している。
「あの、裁判長殿は何をおっしゃるので?」
今代のアヌビモンは勿論の事、歴代のアヌビモンが田舎の中学生の妄言染みた言葉を遺して出奔したという話は聞いた事が無い。アヌビモンの部下は殆どが彼と共に悠久の時を過ごして来たが、アヌビモンのこのような姿は誰の記憶の中にも無い。きっと先代アヌビモンの部下の記憶にもない。
「嗚呼、聖地の主人よ。貴方様はお疲れなのです。如何なる善行も悪行も貴方様を揺るがす事は無かった。此度の争いはそんな貴方様の崇高なる意思でさえ疲弊させる程に長く、厳しく、醜い」
「私はこの数千年、霊魂を安らぎの国へと導く事を第一に勤めてきた。だが、その胸の内にはラップ魂――ソウル――を秘め続けてきた」
「お聞きやがりください」
ケルベロモンが敬語混じりの悪態を吐くが、アヌビモンは意に介していない。というよりもケルベロモンの発言全てに聞く耳を持たない。
「思うに、最後の審判のためのシステムが消えつつあるのは、救いは死した魂ではなく生きる魂のためにこそあるべきとされたからだろう。なれば、死者の導き手たる私は生者のための導き手となろう。その手段こそがラップなのだ」
縦に長い手と3本の指で、ターンテーブルを回す真似をするジャッカルの神。それはラッパーじゃなくてDJの仕事では? ケルベロモンは進言したい気持ちを必死に堪えた。
「時に、人間は休暇の多い仕事場を『ホワイト企業』と呼ぶ。私もホワイト企業に倣い、汝らに休暇を与えよう」
「社員を路頭に迷わせる企業はブラックです」
「いざ行かん。ヒップホップの聖地へと……」
「お待ちください! 心の底からお待ちやがりください! では、死後の裁判は一体誰が……アヌビモン殿を除けばそれが出来る者がおりませぬ!」
「ダークエリアに住まう吸血鬼の王、グランドラクモンに任せると良い。彼の王は我らのように悠久の時を生きてきたと聞く。その叡智に頼」
「その王様、刹那主義者の快楽主義者と聞きますが」
気まずい沈黙が流れる。
アヌビモンは犬のそれのような顎に手を当て、ほんの数秒だけ考えてからこう言った。
「なれば、土神将軍を名乗るグラビモンに任せると良い。名うての軍師であり、神獣型の部下も多いと聞く。開ききった時空の扉の対策も」
「その将軍も快楽主義者で自己愛が強いと聞きます」
更に気まずい空気が場を淀ませた。ケルベロモンの三つ首は「だからね、もうやめましょ?」と声無き声で主に語りかける。
「私がラップに傾倒するのも快楽のため。その快楽を他者に伝搬せしめんとする我が魂は快楽主義者と何が違うのか」
「そんな説得力欲しくなかった」
ケルベロモンが嘆き、目を閉じた瞬間を主は見逃さない。黄金の翼を広げて地の底から天に向かうための羽ばたきを始める。
「プルートモンは冥界の神としての性質を持つという。冥界の神の後任として同じ冥界の神ほど相応しい者はいまい。彼の神に任せると良い。ヴァルキリモン達によろしく頼む。さらば」
「あ! あ、ああー……」
アヌビモンはダークエリアの外、リアルワールドにおけるヨーロッパのような町へとやって来た。
市場の中をスキップしながら行く冥界の神。彼は仕事でしか来られない『こちら側』の世界を堪能していた。
「買い物は終わった。いよいよHIP-HOPの本場へ向かう時が来た」
彼は町の中心部、円形の広場へと足を踏み入れた。買い物袋の中には、灰皿、シルクハット、ギターケースなどの何かしらの「入れ物」が詰まっている。買い物袋はピラミッドパワーの応用で作られているので無理が利くようだ。
町の中心の円い広場のその中心、大きなナラの木の根本に腰掛けて『袋』の中身を地面に並べる。ストリートライブスタイルだ。冥界の主人は形から入るタイプらしい。コインを集めることは彼の目的ではないのだが、形から入るからには必要なのだろう。きっと。
アヌビモンは獣の指を器用に鳴らし、ビートを刻み始める。
「Yo, Yo, Yo, Yo, 今から伝えるエジプト魂、言うなりゃ砂漠の砂嵐ィ」
何事かと通行人が集まってくる。誰も彼もがヒップホップに興味を……持っていそうにない。
「冥界の掟は単純明快、悪漢送別気分は爽快」
アヌビモンという大変珍しい種族が、リズムに合わせて駄洒落を披露している。観客にはそう見えた。というより、観客のその指摘の方が正しかった。
「あのアヌビモン、斬新な瞑想の仕方してんなあ」
「あのお経、前後の文が繋がってないぞ?」
ある者には瞑想をしているように、またある者にはお経を上げているように見える彼のエジプティアンラップ。
未だ誰の心にも響いていないのか、ギターケースも帽子も灰皿も空のままだ。
聡明な読者の皆様はお気づきだろうが、ヒップホップはラップだけでは成り立たない。そしてとっくにお気づきだろうが、このアヌビモンのラップは大して上手くない。更に更にお気づきだろうが、ここはヒップホップの本場でもなんでもない。ダークエリアの出口と近かっただけである。
よって、冥界の裁判官は「何だかよく分からないリズムに合わせて何だかよく分からない駄洒落を聞かせて金を取ろうとしている怪しいデジモン」扱いされる運命にあった。
「この世の終わりは総じて終末」
当たり前だ。
「俺の休みも総じて週末」
実際には彼に休みなどない。
「裁判、餡パン、審判、初犯、はん……同伴」
リズムもセンスもへったくれも無い。しかも噛んだ。これでは彼のソウルは伝わらない。お情けで投げられた5bit硬貨――この町の記念硬貨だ――が悲しく光る。
「悪いことすりゃお前は悪漢! 洗え心の水道管!」
最早ヒップホップどころかラップですら無くなりかけたシャウトが終わった時、辺りは薄暗くなっていた。そして、彼に与えられたものは――
パチパチパチパチ。
大勢からの惜しみ無い拍手だった。
「あんたの魂――ソウル――、しかと受け止めたぜ」
猿そのもののスーツに目元が完全に隠れたサングラス。彼の種族はそう、紛れもないエテモンだ。缶バッジ付きのニット帽、「ETE」という文字を象った金メッキの首飾り、ステージ上で歌を披露するエテモン――恐らく彼自身――の絵がプリントされた白地のTシャツ。彼は確かにエテモンではあるが、それと同時にヒップホッパーでもあった。……多分。
彼とアヌビモンを取り囲む者もまた、エテモンだった。
彼らはTシャツや帽子で着飾っているという共通項を持ってはいるが、各々が異なる機材を手に提げ、背負っていた。その機械はマイク、照明、スピーカーと芸能活動に関するものばなりだ。
「俺の名は、――ETE――」
えて。彼はそう名乗った。首飾りは彼の名を象ったもののようだ。
「あんたと同じ、ヒップホップを愛するデジモンさ」
ETEは両手の親指を立てて人差し指を前に出す仕草、所謂「ゲッツ」のポーズでアヌビモンを指差した。
「まさか、本当にETEなのか……? 死者でさえその名を聞けばラップを刻み目覚めるという、伝説のヒップホッパーの……?」
全てのヒップホッパーの頂点に立つETEが、自分をヒップホッパーだと認めた? アヌビモンは驚愕と歓喜に震えた。冥界の神が心を揺るがす事はあってはならないと、封じ続けた感覚だ。
「伝説ぅ? ハッハー、俺は随分と有名になっちまったらしい。とにかく俺がクラブ『SARUMAMIRE』のオーナー兼MCのETEその人だ。そしてこいつが……」
ETEは彼の後ろに控えていたエテモンの内の一体、ラジカセを抱えていた個体を指差した。
「俺は音響担当、その名もエテモンだ」
「わっちは音響担当その2、エテモンでありんす」
「ワイは照明担当のエテモンや」
「ワタクシはSARUMAMIREの経営部顧問、エテモンと申します」
中略
「エテモンだ」
「エテモンですわ」
「エテモンだぜ」
「エテモンなり」
「エテモンだよ」
「そして俺が……エテモンだ」
総勢20人を軽く超えるエテモン達の自己紹介を、アヌビモンは律儀に聞き終えた。
「俺はあんたが刻んだラップから、あんたがラップに捧げたラブから、ハートブレイクショットを受けちまったんだ。あんたのラブはそう、ユノモンとユピテルモンが千年間じっくりしっくりドッキリ育み続けてきたラブ、そんな感じのラブ……!」
ETEのサングラスが光を反射した。それはアヌビモンにはETEの落とした涙の煌めきのように思えた。
「単刀直入に言うぜ。あんた、俺達とヒップホップやらねえか?」
「この私が……ETEと……?」
ここはクラブ『SARUMAMIRE』。伝説のヒップホッパー・ETEが開設したナイトクラブ。ここにはETEのファンからETEを視察にやってきたライバルまで、デジタルワールド中からありとあらゆるデジモン達がETEを一目見るために集結する。今日もまた、彼らとETEの情熱的な夜が始まるのだ。
「フロアは満員、スタッフ増員、今夜も始まるぜETEとてめえらのラップバトル!HEY、カメラズームイン!……と、いつもなら乱入者とラップバトルに洒落込むところだが、今から始まるのはバトルじゃねえ。……伝説だ」
会場中の照明が一斉に消えた。会場は徐々に静まり返る。観客は皆固唾を飲む。
「さあ始まるぜ。Legend・of ・『ANUBIS』!」
ETEは絶叫。ライトは点灯。セットは好調、客は熱狂。
極彩色のライトに照らされて姿を現すニューフェイス。
光るバングル、ギラつくバックル、サングラスに宿るクールその名はANUBIS!
「なんだあれ? まさか、アヌビモンか?」
「まさか、ETEのスカウト?」
ピラミッドを思わせる四角錐すなわちピラミッドパワーをターンさせる。観客は一気に引き込まれる。
ANUBISのエジプティアンソウルは絶頂、ダークエリアの幹部は不調、今夜もグルービングなステップでヒップホップを愛するハートがムーヴする。
「つー訳でダークエリアから好き勝手に出入り出来るようになったんだと」
「何それバカじゃないの?」
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羽化石
2022年5月20日
In デジモン創作サロン
王の城で知り合った識者曰く、私はどうやら世間で言う所の「バグ持ち」であったらしい。
そこでようやっと私は修羅道の如き半生は訳あってのものであると知り、このどうしようもなく変え難き性分と余生を過ごさねばならぬと思い知るのであった。
私の生まれはダークエリアである。
前世で罪を負った魂がそこに生まれ堕ちるのか、或いはそこで生まれてしまったが故に悪の運命を神より与えられるのか。デジタルワールド有史以前より未だ答えの出ない問いであるが、一度息づいてしまったからには最早どうでもよかろう。
幼年期の時分はどのように生きていたのか定かではない。生まれたばかりの赤子だった頃の記憶など誰が覚えていようか。
闇の研究所で造られた改造デジモンであるとか別にそういう特別な出生という事はなく、きちんとデジタマから自然に生まれたデジモンである事は確からしい。少しばかり年上であったファスコモンがそう言っていた。当のファスコモンはこの話をしている途中でデビドラモンに啄まれ連れ去られてしまったが。
ああ、惜しい事をした。突然の出来事に呆けている暇があったのなら、デビドラモンに爪の一つでも立ててやればよかったのだ。
そうすれば獲物を取られまいとするデビドラモンの奴と一戦交えられただろうに。
◆◆◆
当時、成長期としての私はドラクモンであった。
ドラクモンの例に漏れず悪戯好きで、他の成長期達と徒党を組み、目に入るデジモン全てにちょっかいをかけて回っていた。
だが、私の「悪戯好き」としての感覚は、他のドラクモンやウィルス種の成長期達と大いにずれていたようだ。
その日のターゲットはケルベロモンだった。ゲートの守護等の役職持ちではなく、一般の成熟期が進化した「野良」である。戦えば圧倒的に格上の相手だ。
我々は寝ているケルベロモンに忍び寄り、尾を、手足を、三つの頭を、ぼろ布から作ったリボンで丁寧に丁寧に飾り付けてやった。
随分と愛らしい姿になったところで、むず痒さを感じたのかケルベロモンは目覚めた。体に群がる我々の存在に気付くや否や、奴は口から炎を吐きながら我々を追い立てた。
必死の形相で怒り狂うも頭のリボンのせいで間抜けにしか見えないケルベロモンを、我々はけらけらと嘲笑った。
私と仲間の行動が一致していたのはここまでだ。
大体の被害者は我々をとっとと追い払うか叱りつけるかのどちらかなのだが、ケルベロモンは虫の居所が悪かったらしい。奴が我々に怒り心頭で地獄の業火を吐き出そうとしているのを見て、私はこう考えた。
「両手の邪眼で操ってやれば、勝てるんじゃないか?」
「その前にドラクモンの丸焼きにされちゃ敵わない。腹の下に潜り込んで噛みついてやれ」
ケルベロモンと戦うための立ち回り方だ。だが、我が渾身のアイディアは実行されずに終わってしまった。行動に移ろうとした瞬間、私の体は何者かの手により宙へ浮かんでいた。
犯人は仲間のピコデビモンとツカイモンだった。彼らは私の体重を必死に支えつつ急いで飛んで逃げ、そして先に逃げていた残りの仲間と合流する。
隠れ家へ逃げ延びた後に、彼らが口々に「何やってんだ」「早く逃げろよ」と私を責めたてるので、逆に私は「どうして邪魔をするんだ」と口を尖らせて抗議した。私としては多少の軽口を交えた口喧嘩のつもりであったのだが、しかし、彼らは困ったように顔を見合わせるだけで何も言おうとはしなかった。
私は余計に腹を立て、「お前らだって、デジモンじゃないか。俺たちデジモンはいつだって戦うチャンスを狙ってて、今がそのチャンスだったのに。どうして逃げるんだ」と言ってやった。
デジタルモンスターは闘争本能を持って生まれ出ずる。誰に教わるまでもなく、己が胸に燻る猛りでそれを知る。同じデジモンであるならば、分かってくれると当時は本気で思っていた。
ピコデビモンがようやく口を開いて言った言葉は、「でも、それで本当に死んだらそれまでになっちゃうじゃないか」だった。
幼く、浅慮であった私は、仲間の目的は「悪戯で迷惑を掛ける事自体を楽しむ」というもので、その後に生じる争いや闘争欲求とは無関係だと思い至らなかったのだ。
私が己の性質を認識するに至った出来事はもう一つある。
ドラクモンは特別吸血が必要な種族だが、そうでなくともデジモンには食事が必要だ。年下の世話をするような殊勝なデジモンなんぞ殆どいないダークエリアにおいて、食べ盛りの成長期は何を食べるか? そう、格下のデジモンを狩って食べるのだ。
悪戯仲間は狩り仲間でもあり、別の群れからはぐれた同格以下のデジモンをめざとく見つけては集団で襲い、分け合っていた。
その日に見つけたのは幼年期デジモン……肉を齧った覚えがあるからボタモンかキーモンか何かだったのだろう。種族までは覚えていない。
幼年期と言えどもデジモンはデジモン、これが中々すばしっこい。こちらも相応に骨を折らねば捕まえられぬ。という訳で我々はそいつを必死に追いかけていた。
今となっては「お前の楽しいは白々しく聞こえる」と心無い言葉を言われてしまう私だが、この時は本当に楽しかったのだ。獲物は自身の命が掛かっているから必死に逃げる。我々もまた、命が掛かっている。命懸けで走るのは悪戯と同じくらい楽しい。仲間達としては「腹が減ってそれどころではなかった」らしいが。
そう、この時の私が楽しさを感じていた理由は、上で紹介したような「悪戯の先に待つ楽しみ」と同種のものが待っていると期待していたためだ。幼さ故の短慮であると今なら認められようが、子どもというのは何にでも楽しさを期待してしまうものだ。
たまたま私の邪眼が効いて、大人しくなった獲物を鷲掴みにして捕えた。
そいつが何の手ごたえも無く我が手に収まった瞬間、我が胸の内に膨らんだ期待が萎びていくのを感じた。狩りの功労者として真っ先に食べる栄誉を手にした喜びは、この失望感を拭うに能わなかった。
おかしい! なんだこの飢餓感は! 今、こうして血を啜り肉を食んでいる真っ最中だというのに、少しも満足できない!
足りない足りない足りない、こんなものを殺して食ったところで、俺は満足できない!
「お前、一人で食いすぎだぞ!」と叩かれて我に返った。
冷静になった頭で己が欲求の正体について考え、思い至った。弱い者を追い詰めるのは私の趣味ではない。私の心身の全てが、より強き敵との命の削り合いを望んでいると。
格上に闘いを挑む手段として悪戯は不適当と学習した私は、直接勝負を申し出る事にした。半数のデジモンはこれも悪戯と思い、まともに取り合ってはくれなかった。
残りの半数は渋々我が要求に従った。しかし成長期の私が敵う筈もなく。勝負にさえならず死にかけた私を、仲間が命からがら引き摺って帰るのが常であった。
死にかけのぼんやりとした頭で感じていたのは悔恨だった。
俺がもう少し強いデジモンだったなら、成長期の弱い自分でさえなければ、今の敵と満足に戦えた筈なのに。強さが欲しい。もっと強くなりたい。そして強い相手と死合いたい、と。
当時の私は、今よりかは殊勝な少年であったので、決して仲間を顧みなかった訳ではない。ただ、それらは私が歩みを止める理由にはならなかっただけの話だ。
いかなウィルス種成長期と言えど、他人の悪戯に巻き込まれるのは耐え難いらしい。最初は私を必死で助けてくれた仲間も最後には呆れ果てていた。
嫌われ距離を置かれてしまったようだから、折角なので彼らを扇動し、戦闘を伴う争いを起こせないか実験を試みた。
しかし、当時の私は今ほど口が達者ではなく、また、彼らは我が本性を嫌ほど思い知っていたがために上手くいかなかった。
互いに興味を失った私と元・仲間達は、誰から言い出すでもなく自然と袂を別っていた。以来、私は完全体へ進化するまで数十年に渡り単独で行動していた。
弱さは罪である。我が肉体は弱く、弱く、ひたすら弱く。成熟期へと進化し力を得るまで、苦痛な格下狩りを続け捕食せねばならぬ。
同じ成長期の好敵手を終ぞ得られなかった事は不幸である。
成長期は私にとっての暗黒期であった。
◆◆◆
やがて私は成熟期のサングルゥモンに進化した。一人称を「私」へ改めたのはこの頃だったか?
この姿に進化し、新たに備わった力の詳細が電脳核に流し込まれた瞬間の高揚をよく覚えている。
強靭になった四足で千里を駆け、体を無数の塵に分解し、歓喜のままに生まれ育った地域を飛び出した。より強き相手と出会うために。
成熟期ともなれば世代や種族で私を侮る者はいなかった。勝負をしたいと申し込めば、額面通りの力試しと受け取られて戦闘を行う事ができた。相手は同格の成熟期から手強い完全体、時には究極体や稀にいる成長期にして他を超越する猛者まで幅広く。
駆け出してすぐに出会ったデビモンに、夢中で勝負を挑んだ時の事をよく覚えている。私が飛び上がり刃を飛ばしたのを彼は躱して、鉤爪のついた腕をどこまでも伸ばした。私はそれを躱したと思い込んだが私の頬は切り裂かれ、元は表皮だったデータと鮮血が我が跳躍の軌跡を示した。私は躱そうとしてつけた勢いのまま彼の首元まで跳躍し、しかし彼は私が噛みついて来る事など予想済みで——あの時、私とデビモンは、刹那の瞬間に那由他の命の駆け引きをしていたのだ。血が、闘志が、熱が、緊張感が、私の中を駆け巡り電子核を激しく回転させ、焼き切れそうなまでの喜びをもたらした。
成長期の私が待ち望んでいた、夢のような世界であった。
時にはサングルゥモンの「吸血された相手は絶命する」という特徴を恐れる者もいたが、そうした輩には「吸血だけはしない」と主張し無理矢理勝負の約束を取り付けた。
経験やロードの回数を積むに連れ私の強さも上がっていったように思うが、その度に格上に挑んだので勝率は五分と五分だ。
しかし勝負を挑む際、多くの対戦者から「命が惜しくはないのか」と問われるのが不思議でならなかった。血沸き肉躍る闘いを前に惜しむ命など、デジモンが持ち合わせている訳がないだろう。当時の私はそう考えていたからだ。
まあ、こういう事を言う奴は大抵私を倒す気満々であるから、言われて困る事は無かったが。
逆に嫌いなのが戦う前から命乞いをして闘いを避けようとする輩だ。先述した吸血を厭う連中とは訳が違い、なんとしてでも闘いを避けようとするので困ったものだ。
私の目的は戦う事であり命を奪う事ではないのだが、同じ成熟期にこういう事をされると流石に頭蓋を噛み砕いてやりたくなる。噛み砕いてやった。
行動範囲が広がった私は町に顔を出すようになった。
ダークエリアに町なんかある訳ないだろと宣う無礼者もいるが、表のデジタルワールドの連中が知らないだけで、そこの統治者によっては向こう側に劣らない生活水準の町が出来ていたりもするのだ。ヴァンデモンなんかが統治しているとブランド物の血が店に並んでいたりするぞ。君が吸血種なら行ってみるといい。
初めてまともな料理を食べさせてもらったり、更なる強者の居場所を尋ね回ったりしている内に、私は今のような立派な社交性を身につけていったという訳である。
そこで知り合った連中に指摘されて初めて気が付いたのだが、どうも私は生への執着が薄すぎるらしい。
やはり飽くなき闘争心はどのデジモンも持ち合わせているものだったのだ。しかし、普通は生存欲求も持ち合わせているが故に、死に近い無謀な戦闘は弱いデジモンであればあるほど避ける。だが私は死を恐れないので、人並みに生へ執着するデジモンと温度差が生じているという話だった。
正直なところ、私は「戦うために命を維持しているのだから、命惜しさに闘いを避ける連中は本末転倒だろう」とも考えたが、ここにいない連中の話をされても彼らは困るだろうから何も言わなかった。
まあ、以上の我が業にまつわる考察は全部憶測で事実とは異なっていた訳だがな。
命知らずの戦闘狂は私以外にもダークエリアにごまんといて、そうした連中はコロシアムに足繁く通っているとも教わった。私は辻斬りのような真似を続けつつ、コロシアムにも通い詰めた。この習慣は城仕えになった今でもずっと続けている。
コロシアムには戦うために戦う連中が集っているので外れが無くて最高だった。多額のファイトマネーが出るので金のために戦う連中もいたが、真面目に戦ってくれさえすれば動機なぞどうでもいい。寧ろ、ただ力試しに来た連中よりも必死に戦ってくれてありがたい。
などと考えていたら、いくつかのコロシアムを出入り禁止になった。理由は「異常な出場回数から関係者との不健全な癒着を疑われた」、「戦意を喪失した相手へ戦闘続行を強制する行為がいくらなんでも多すぎる」、「コロシアム運営とは無関係の来場者同士のトラブル」、「苦情」等である。ああ、ご無体な!
仕方が無いのでそういうのを気にしない闇の闘技場を探したり、ファイトマネーを元手に強者を集めて個人大会を開いたりなどしていた。個人大会の方は何故かすぐに人気が無くなってしまったが……。おかげで金が余っている。
後にあのくそったれ我が王との出会いを控えていると考えると、この頃が一番幸せな時代だったやもしれぬ。
しかし、勝負にならないほどに実力が離れた猛者は、未だこの世に溢れ返っている。私は更なる強さを得、彼らと戦う事を胸に誓ったのだった。
◆◆◆
やがて私も完全体……今の姿へと進化を果たす事になる。
懐かしき二足歩行へ戻り、吸血衝動の中に今までには無かった指向性が芽生える。即ち、強者の血液のみを欲するようになったのだ。
いよいよ食欲さえも我が闘争欲求と癒着を果たし、追従した。
マタドゥルモンに進化したデジモンは、強者の血を啜る幽鬼へと成り果て、彷徨い歩くと言うが、私の場合は因果が逆だ。
修羅の如き闘争欲求は我が肉体に変容を及ぼし、データベースに登録された数多の完全体の中で最も我が性質に近しい存在のマタドゥルモンへ至らしめたのだ。
思えば、私の進化の道筋は初めからこの姿へ至るための過程であったのやもしれぬ。
戦える強者の格も格段に上がった。名のある強者とも戦える程の力を手にした私は文字通りに舞った。我が人生初めての喜びの舞だ。もし進化した先がマタドゥルモンではなかったとしても、私はこの時、舞っていただろう。
機動力が落ちたのだけは痛かったが、闇雲に歩き回るまでもなく名門へ殴り込みを掛けても追い払われなくなったため(こういう組織は門番や警備員がまず強いので生半可な強さではお目当てに辿り着けない事もある)問題は無い。
相変わらず吸血目的と思われ嫌がられる事もあったが、血は要らないと言えば逆に不審に思われるようになった。それもそうだ。多くのマタドゥルモンは、あくまで食性が先に来て強者との闘いを望むようになったのだから。そういう時は黙って蝶絶喇叭蹴するに限る。喧嘩を押し売りできればこちらのものだ。
姿が変わったので出禁になっていたコロシアムへの出入りも再開した。何故かすぐにバレてしまったが。
同族とばったり出会う回数もサングルゥモンだった頃より格段に増えた。何故なら食うものが基本同じだからだ。俺より強い奴に会いに行くと大抵は同じく強い奴を探してる奴にぶち当たるのだ。
(ここだけの話、マタドゥルモンは腹が減ると近くの同族と取り敢えず蹴り合って、そこそこ強さを確認してから互いに血を吸い合っていたりと割と適当に吸血しているぞ。連中は食い物にプライドがあるから言わないだけだ。本当だぞ。ソースは私だ)
同族との出会いで済めば良かったのだが、この出会いは余計な縁にも繋がってしまった。
「ご機嫌よう、素敵な夜ですね」
我がモン生史上最低最悪の出会いは、この一言から始まった。
これが運命の出会いであるというのなら、私は今すぐ首を捩じ切って死んでもいい。本気でそう思っている。
本当に良い夜ではあったので、名月を見れば私は何度もこの出会いを思い出すのだろう。最低だ。
私が知り合ったマタドゥルモンの中に、主と私を会わせたいという個体が何体かいたので空返事をしてしまったが最後、その貴人は満月の夜に向こうから姿を現した。
青白い月光の下で、同じくらい青白い顔が品のある微笑を浮かべており、傍らには多くの我が同族が傅いている。この光景が突然に目の前に現れたのである。
上品で優雅な出会いの次に何が起こったか。そのデジモンはいきなり大笑いし始めたのだ。他でもない私の顔を見て!
分かるか? 人の顔を見て大爆笑だ。失礼な奴はごまんと見てきたが、ここまでナチュラルボーン失礼な手合いはこいつが……このお方が初めてだ。私を見下す意図も何も無く、「ただなんか面白かったから」ケラケラ笑っているのだ。理由をつけて馬鹿にしてくれた方が余程マシだ。下半身に付属している獣の双頭も涎を垂らして嗤っていたので100%の本心だったに違いない。
初めて見る種族ではあるが、決して知らない種族ではなかった。
「はは、ふふふ、ふ……。もう既にご存じでしょうけれど、自己紹介を……。初めまして、グランドラクモンと申します」
何がもうご存じでしょうだ。何が初めましてだ。成長期より吸血種として生きてきた私が、貴様という種族を知らぬ筈が無かろう。
しかもその個体は伝説に謳われる真祖その人、ダークエリア創世記から生き続けるグレート・オールド・ワン、即ち全ての吸血種の王だ。
コレが?
「これはこれはご機嫌麗しゅう! 我らが吸血鬼の王、グランドラクモン様」
いくら嫌いな相手でも貴人は貴人である。礼節を欠かしてはなるまいて。と、怒りを抑え丁寧に返事をしたつもりではあるのだが、
「尊き貴方様へお会いする日を夢見て幾星霜、まさか出会い頭に人の顔を見て爆笑なさるようなお方とは思いもよりませんでした」
しかしそれでもやはり、丁寧に応対するのが癪だったのであえなく猫被りは破綻した。
私の上位種、生まれついて定められた我が頭上に立つ存在が、出会って5秒で嫌になるような存在だったとは知らぬままに死にたかったぞ。
「申し訳ございません。貴方がマタドゥルモンとして、面白い成り立ちをしていたもので」
私に眉というものがあれば(私にとっては未知の部位故、憶測だが)、それをしかめていたのだろうな。
どうも王として本質を見抜く目は備わっているようだ。備わっているからなんだという話ではあるが。出会ったばかりのこいつに我が本性を見透かされてしまうのは非常に腹立たしい。
「人間の世界には、“吸血鬼は招かれないとその家に入る事ができない”という伝承があると聞きます。この私も、貴方が招いてくれたおかげでようやくお会いできました」
「別にお招きしてはおりませぬが」
どうせ呼ばなくとも来ていた癖に。
それはもう殺したくなるほど苛つく態度であるが、王を見ると虫唾が走る理由はそう単純なものではない。
王は不死身だ。生きてはいるものの死にもせず、ただそこに停滞して在り続ける、最早生命と呼ぶのも憚られる悍ましき何かだ。
全ての生命には死という終わりが存在する。デジモンはデジタマになるから死なないなどとする言説もあるが、個体としての終わりはいずれ訪れる。だが、王は個体として永遠に生き続ける。
王は存在そのものが死という終わり、そして終わりを待つ者どもへの冒涜であり、王がそこに存在するだけで定命の者は己が存在を否定されたような感覚を覚える。
王のせいで生じる不快感の正体はそれだ。それでなくとも性格そのものが不快ではあるが……。
この悍ましさが転じて過剰に崇拝する吸血種も多いというから不思議なものだ。
(同じく不死の吸血種であるが故にこの呪縛から逃れて不死の王として振る舞うヴァンデモンもいるらしいが私には関係の無い事だ)
私も私で無礼に次ぐ無礼を重ねているのに周りの部下が何も言わないのは不思議だが、咎められないならば容赦無く言わせてもらおう。
「部下達が何も言わないのが不思議で仕方がない、と思っていますね」
一々私の心を読んだかのような発言をするな。
「大丈夫、私も部下たちもこういうやりとりは慣れっこなんですよ。私を慕ってくれている部下と、私の寝首を掻くチャンスを狙っている部下。私の城にはそれぞれ同じ数ずついますから」
めちゃめちゃ嫌われているではないか。どこが大丈夫なのかと思った。が、違う。私が抱くべきはそのような陳腐な感想ではないのだ。
私は不快感に惑わされて危うく本質を見失うところであった。この王は、謀反を狙う部下を複数抱えていても問題ないような「強者」なのだ。
私の戦闘への執着を見抜いた王は、やはり私の考えをも見抜いていた。王は多くの天使へしてきたように、私へ甘い誘惑の言葉を投げかけた。
「貴方も私と、“闘いたい”のでしょう?」
流石の部下たちにもどよめきが走った。無礼者と思われているのか、身の程知らずと罵られているのか。
王は聖母が如き柔和な微笑みを浮かべ、私が戦意を肯定して挑みかかって来るのを待っていた。
私は迷わず「その通りでございます」と答えた。
我が生は誇りある闘争のためにこそ在り。過去未来現在全ての我が生涯において最高の相手と、手合わせせずにいられるものか!
結果は王の圧勝である。
巨体からは想像も出来ぬような目にも留まらぬ速さで右手に捕らわれたかと思うと、全身を握りつぶされ、比喩でなく本当に雑巾のように全身をねじり絞られたのだ。
お得意の魅了や氷の魔術を使うまでもなかった。私がアンデッドでなければ10回は死んでいた。実は1回死んでいたと言われても驚かん。
完全体に進化して尚、私と頂点には埋めがたき実力差が存在している。
この時に芽生えた感情は歓喜と憎悪。
歓喜とは、まだ私には挑むべき強者がいるとこの身で実感できた喜び。
憎悪とは、私が世界一嫌いな相手に歓喜させられ募らせた恨みだ。
「我が城へおいでなさい。マタドゥルモン種にとって最も快適な環境と、私に挑戦し続ける権利を差し上げましょう」
こうして私は、吸血王の城に招かれた。古き魔術で他の空間より隔絶された古城だ。この城には、多くの吸血種や堕天使が務めており、来たばかりの頃は「隠居している癖にこんなに部下がいたのか」と驚いたほどだ。
大臣もいなければ議会も無いこの城(なんせ、誰一人として政治に興味が無いのだ)で、私に与えられた役職は「警備員」であった。別名を「来る訳ない敵から警護の要らない王を守る素敵なポジション」だ。
警備員に限らず、この城での仕事はあってないようなものだった。王の世話は信者となった連中が勝手にやるし、彼らも世話が終われば好き勝手過ごしている。リーダー気質の個体がまとめ役を担っているおかげで辛うじて集団が保たれていた。
衣食住が保証されている代わりに給料も出ない。生活を支える家政婦へは流石に例外として金を払っているようだ。
「一つ疑問があります我が王。王の城にいるドラクモン達は何者なのです? 王の部下ではないように見えるどころか、保育されているだけのようですが」
「ええ。彼らは元はダークエリアで拾ってきた子達で、私達みんなで世話をしていますよ。彼らは私に比べるとあまりに脆くて小さくて、しかし彼らは一切その自覚が無いまま無邪気に転げ回り今にも壊れてしまいそうで、その有り様があまりに儚く愛らしくて胸が苦しくなったので思わず連れて帰ってきてしまいました」
「流石は我が王。ご趣味がおキモくておられる」
「貴方を一目見た時から同じ事を思っていましたよ」
「オエエエエエエエエエ」
王様本人は全く好ましくないが、王城での暮らしは非常に快適であった。食うも寝るも困らんどころか必要以上に豪華なものが用意される。勿論対戦相手も困らない。
どういう訳かは知らないが、王はダークエリアと表のデジタルワールドを繋ぐゲートを自由気ままに開く事ができた。全く、管理者のアヌビモン泣かせだ。
王はその力を正しく悪用して他人に迷惑を掛けるのを趣味としており、その際に我々部下を連れ立って行く事も多々あった。
魔王軍との交戦を前に苛立っている天使軍のど真ん中に出現し、慌てふためく天使どもと交戦したのは非常に楽しかった。
王へ向けられるべき怒りの矛先が我々に向けられるのだけは困ったものだが。
勿論、魔王軍にもナイツの部下どもにも満遍なくちょっかいを出して遊んでいたぞ。
◆◆◆
王の城に住まうのは部下やペットに限った話でもなく、「互いの種族に興味を持った」とかで客人として招き入れられた学者のワイズモンなんかもいる。
そいつが「身体検査を受けろ」と言うので「面倒だ」と断ったところ、「君はあちこち変なところに行くから変なウィルスを持ち込んでいたら困る」と明け透けに言われた。酷い言われようである。
渋々検査を受けた結果、冒頭に繋がったという訳だ。
私は死生観云々以前に、デジモンとして成り立つための基本的なプログラム組成の段階でバグが発生していたらしい。
デジモンは戦闘を目的として創られた種族であり、戦闘を望んで行わせるために闘争本能がプログラムされている。それでも生物としての性質も与えられた以上は、時として生命活動に付随する欲求により闘争本能は抑制されてしまう。
だが私の破綻したプログラムには、生存の妨げとなる闘争本能を抑制するアルゴリズムは存在していない。
曰く、状況に応じて物事の優先順位を判断する機構にバグが生じており、状況の如何に関わらず「戦闘」が絶対的な最優先事項として固定された状態らしい。
通常は人格データに備わった思考ルーチンが状況を判断し決断する仕組みとなっている。しかし結論が固定されているが故に因果は逆転し、結論に至るまでの思考経路と、思考を生み出すベースとなる人格を再現する必要があった。
結果として我が人格は戦闘至上主義者として生まれつき設定されており、感情や嗜好もそれに合わせて調整され、戦闘を優先する判断に矛盾は無いものとしている。例としては闘争本能や欲求を示す数値が、他の感情を凌駕する勢いで過剰に出力されているのだそうだ。逆にその他の欲は控えめにしか出力されない。
即ち食欲、睡眠欲、良心、羞恥心、その他あらゆる生存本能——我が闘争本能はそれらの前提となるものとして全てに優先される。
自己保存より戦闘行為を優先する破滅的人格の個体、それが私だ。
ただの戦闘狂ならごまんといようが、私はそもそもの本能の組み立てからして他と隔絶された存在であったという訳だ。
真に私を理解できるのは私以外におらず、いたとしても全てを見抜く目を持った我が王のみだろう。
それがどうしたというのだ。
我が生命は果て無き闘争の追求のためにこそあり、甘美なる戦を前に全ては些事である。
何も変わらない。
我が渇望の出所が分かったところで何だというのだ。他者の理解も初めから求めておらぬ。
問題なのは、私自身が如何にして耐えがたき欲求を満たしてくれる強者たちと、どう相見えるかどうかだ。
そうワイズモンに伝えたが「別に私は必要だからやった検査の結果を伝えただけで、君の悩みをどうこうする気は一切ない。治せるものでもないし」と言われた。ごもっともだ。
という訳で私は今までと何ら変わりなく、王様の脛をかじりながら(比喩と物理両方でだ)、コロシアム荒らしを続ける生活を続けた。
◆◆◆
こうして幼い頃より住処以外が変わらない生活を続けてきた訳だが、齢も二百を超えてしばらくすると流石に将来が不安になってきた。
仮にだ。仮にもし、私が王をも遥かに超える力を手に入れてデジタルワールド随一の強者となり、全ての者に圧勝できるようになったとしよう。
その時私はどうする? 実際はそこまで辿り着く前に戦死するだろうが、一度考え出すと止まらなくなってしまった。
逆に私が戦えなくなった場合はどうする? 潔い死を選択しようにも、死に体のまま永遠に生きながらえる呪いを掛けられたら?(あの王の下にいれば実際にあってもおかしくないのが嫌だ)
私にとって闘いを超える悦楽の存在は理論上有り得ないのだが、別の楽しみを見つけておくのも悪くはない。
そう考えた私は城内の堕天使に片っ端から声を掛けた。堕天使の連中はこういう事に詳しいからな。
すると面白い話が聞けた。七大魔王が一人、リリスモンが統治する地域の一角に「色町」なる区画があるのだそうだ。
事細かに伝えたいところだが、以前成長期デジモンの保護者たちよりクレームが入ったため抽象的に伝えよう。色町というのは、体に丸みを帯びたデジモン達とたのしくあそぶ場所だ。おっと、マメモン族の事ではないぞと言いたいところだが、私が知らないだけでマメモン族のセニョリータもいるのかもしれん。
リリスモンは人間が定めた七つの罪のうち「色欲」を司る魔王だ。しかし、色欲とは生殖行為にまつわる欲、即ちデジモンが一生感じない筈の欲だ。或いはその感覚を知ってしまったが故にリリスモンへと墜ちたのかもしれぬ。
では、リリスモンは他のデジモンを色欲に溺れさせるためにどうしたか?
デジモンの体に、人間と同じ部位と感覚を再現させようとしたのだ。
そのために科学者を重用したため、リリスモン領は学術都市の一面も持っているのはまた別の話だ。
とにかく、デジモンには不要な快楽に夢中になった連中に、私も仲間入りを果たそうとした訳だ。
堕天使の癖にやたら肌が艶々としたレディーデビモンに導かれ、「店」に入った際のレビューをしようかとも思ったが、この話を城のドラクモンにしたら家政婦のレディーデビモンども(「店」にいたのとは別人だ)に生き埋めにされたからよしておこう。
詳しく書けば成長期デジモンの保護者から苦情が来るため書きたくても書けないが、結論から言うと非常に楽しかった。
本来デジモンには存在しない感覚だったのが良かったのだろうか。闘い以外への興味が極端に薄い私だが、未知の快楽は私にとって強い刺激となった。成程、七つの大罪に数えられるだけの事はある中毒性だ。私より弱い相手とも楽しめるという所も良い。
すっかり色町のお嬢様方を気に入った私は、かねてより欲しかった持ち家を色町の近くに建ててしまった。春には桜が舞う、景勝地としても素晴らしい場所だ。
(ところが先の大戦でリリスモンは死んでしまった。以降はルーチェモン領となり、毎月のようにルーチェモンの分厚い写真集が配達されて来るようになった。捨てればバレてキレられるし非常に迷惑だ。女性型デジモンに会いたくてここに家を建てたのに、何が悲しくて野郎のキメ顔写真を見せられねばならんのだ)
ドラクモンの教育に悪いと怒られるので詳しくは言わないが、私はあの一連の行為から闘いに近しいものを感じた。というより、あれも一種の闘いと私は思わなくもない。教育に悪いとクレームが来るのでぼやかした言い方になってしまうのが残念だ。
あれはあれで良いものだ。良いものではある、が……
ああ、駄目だ駄目だ駄目だ! 良いものではあるが闘いに替わるほどのものではない!浴びる熱も痛みも快楽さえも我が愛しき闘争には遠く及ばぬ! やはり代替物では我が髄にまで夥しく巣くう飢えを満たせなどしないのだ!
下手に近しい代替物を試したのが仇になった。私にとって闘いとは、替えの利かぬ必需品であると深く自覚してしまった!
私と相手を繋ぐのは愛などではなく、ミスリルの毛皮よりも鋭く尖った戦意でなければならない!
私が流すべきは無為に流れる汗ではなく、血管を焼き尽くすほどに煮えたぎった血潮でなければならな
私の得物は“こんなもの”ではなく、我が研鑽と尊敬する好敵手達の血によって数百年間磨かれた爪(レイピア)であるべきなのだ! この爪を以て私は、外皮ごと相手のデジコアを刺し貫く感覚に酔いしれたい!
闘いの立ち回り、身のこなしのテクニックで相手を悦ばせたい!
生ぬるく甘ったるい慰め合いの繭より這い出て、鑢(やすり)のように荒く厳しい重圧の下で死にもの狂いで嬲りあう!
互いの一手が相手の生死の淵に届いた瞬間に私の悦びは絶頂を迎える!
失意のままに私は色町を去り、しかしその後しばらく対戦相手に恵まれなかった私は、三日後には縋るように色町を訪れていた。
◆◆◆
こうして今も私は、我が闘志に応えてくれる強者と、更なる強者と戦う術を探し求めて城を抜け出し彷徨い歩いている。
今いるのは魔王バルバモンの統治下にある町だ。バルバモンが治める町は決まって物価が高い故にあまり近寄りたくないのだが、今日は気まぐれに普段は行かない場所に行きたい気分だったのだ。
どうにも広場の方が騒がしい。
『ダークエリアへ堕とされた諸君! お前達は天使型デジモンからの、蔑むような視線を覚えているか! 洞窟のような狭き暗がりに押し込められた屈辱を覚えているか! ダークエリアで生まれた諸君! お前達は青い空と照り付ける陽を知っているか! 平等と正義を謳う者どもが、お前達から奪い独占しているそれを知っているか!……暗闇の方が過ごしやすい種も多いじゃろうがあくまで比喩じゃよ?』
どうやら街頭演説の真っ最中らしい。……おお、誰かと思えばなんと本物のバルバモンではないか。コスパの魔王様直々のプロパガンダとは珍しい。
「人が増えてきたのう。なんと出血大サービスで無料の演説じゃ! 心して聴くんじゃぞ。聞こえん奴は見るか感じるかするように。本当なら金取るんじゃからな」
私は物珍しさに広場の中の方まで入っていった。バルバモンは朝礼台から我々聴衆をぐるりと見まわし、演説を再開する。
「儂ら闇に住まう者とアンポンタン天使どもの争いは未だ集結しておらん。長引く戦争で両世界を繋ぐゲートが限界を迎え、アヌビモンが管理を放棄する事態にまでなったにも関わらずじゃ。いい加減この下らん諍いに終止符を打つべく、儂は一計を案じたのじゃ」
バルバモン翁には興奮すると杖の先を地面に打ち付ける癖があるらしい。演説に混じってカツカツと聞こえて耳障りだ。
「その名も、“選ばれし子ども計画”!」
計画の名が明かされた瞬間、ミーハーな聴衆どもがざわついた。
「デジモンの成り立ちと、人間の関係は知っておるな? かつて人間は、民の一人ひとりを守るコンピュータープログラムとしてのデジモンを生み出し、更にはデジモンが住まう仮想世界デジタルワールドを生み出した。ごく少数の研究者による極秘プロジェクトであったデジモンは今や人間の歴史から消え去ってしもうたが、主人たる人間の感情に呼応し、変化する機能はデジモンの中に今も残っておる」
人間と聞いてざわつく声に不安の声が混ざり始める。
それもそうだ。人間とデジモンが関係を断って久しい今、デジモンにとっての人間は「デジモンより弱い別世界の生物」でしかないのだ。それを今更利用しようなどと、全くふざけた話だ。
「デジモンと主人の人間を繋げるパス、その名も“パートナー関係”を結ぶ装置さえあれば、儂らデジモンは再び人間より力を得られるようになる。しかも人間の中には、デジモンに特殊な恩恵を与える力をイグドラシルより与えられし者がいるという。正に、選ばれし者じゃ。更にその中から未熟で操りやすく、感受性も強いとされる子ども達を選び出し、対応するデジモンと同調させれば!」
未だ不安の声は収まらない。
バルバモンが敢えて言及を避けているが、多くが知っている事実がある。
それは、パートナーの人間が死ねばデジモンも共に死ぬという事。元々個人の命を守るプログラムであるが故に、主人が死ねば不要となるためだ。
人間を戦争の道具にするという事は、自らの電脳核を体外に引き摺り出す行為と変わらない。おっと、四聖獣の話はするな。
如何な魔王渾身の案とは言え、死の危険を前に不確かな計画へ協力する阿呆などいるものか。
「……そやつは通常のデジモンとは比にならぬ力を得るじゃろう」
世界中の何よりも力と戦場を愛している、私のような阿呆を除けば。
「さあ、天使に恨みがある者共、力試しがしたい者は我が城へ集え! 志願兵の募集をたった今から再開じゃ! そして同時に、“選ばれし子ども計画”参加者の選考を行う! 志願兵の中に選ばれし子どもをパートナーに持つデジモンがいると分かれば、そやつを計画の参加者へ加え入れる。魔王連合軍が金に物を言わせて調べれば、パートナーがどんな人間か簡単に分かるんじゃ」
志願兵の募集と聞いて、聴衆は再び色めき立つ。
訳の分からん作戦には協力できずとも、魔王と共に天使型デジモンへ一泡吹かせたいと思う者は多いのだろう。
「まあ、選ばれし子ども計画の方はオーディションの記念受験と思って、気軽に志願するといい。もし志願してくれるんじゃったら、そうじゃのぅ〜」
バルバモンは顎髭を触りながら考える仕草をして、不意に観衆側へ杖の先を向ける。
観衆達はまるで打ち合わせていたかのように綺麗に、杖が指す方向から逃げていく。
「今すぐにでも戦いたがっているそこのマタドゥルモン、お主のような奴がいいのう」
人の海が裂けて私だけが一滴の滴のように残っている。
私は歓喜のままにバルバモンの前へ飛び出し跪いた。
「ご機嫌麗しゅうございます、バルバモン殿! 私は流れの武闘家にてございます。どこにも属さず、風に任せて流れ行く木っ端のような私めをお目にかけていただけるとは、なんたる僥倖! 一般兵であろうと“選ばれし子ども”のパートナーであろうと、必ずやバルバモン様のお役に立ってみせましょうぞ!」
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羽化石
2021年11月03日
In デジモン創作サロン
※この小説は、QL氏主催の魔王型デジモンを題材とした小説アンソロジー『皇魔業臨書』への寄稿作品です。筆者は傲慢の魔王ことルーチェモンを担当いたしました
「救世主さま! お目覚めになられたのですね!」
敏郎少年がまどろみから目覚めた時、彼は彼の知らない場所に横たわっていた。
彼の下に敷かれていた煎餅布団は見当たらず、代わりに柔らかな葉と白や黄色の小さな小さな花で構成された草原があった。草原といっても大した広さはなく、畳六畳分あるか無いかといった具合であった。
ではここは屋外なのかと言えばそうではなく、小さな草花は大理石の床の上から生えていた。周囲にはギリシャの神殿を思わせる柱が連なっている。
続いて敏郎は自分が人の頭くらいの大きさの、大きな卵を抱えている事に気づく。卵は山吹色の下地の上に、より濃い橙色でコミカルな渦巻き模様が描かれていて、要するに明らかに自然物とは思えない代物だ。
ここでやっと敏郎の意識が完全に覚醒した。寝ている間に見知らぬ場所へ放り出されたと気づいた敏郎は、軽い恐慌状態に陥った。
そんな敏郎を落ち着かせたのは、これまた彼の知らない声だった。
男のそれにしては高く、女のそれにしては低い声。穏やかでありながら威厳を孕み、無邪気な声色の筈が仙人のように達観した、二面性を孕んだ声だ。
不思議な声は確かに敏郎を落ち着かせたが、声の主の容貌は敏郎を再び驚嘆させるに値するものだった。
端的に言えば、それは人ではなかった。背中に何枚もの――敏郎は敢えて数えなかったが、実際は頭に生えているものも合わせて十四枚あるらしい――翼を生やした人間がどこにいるというのだ。
敏郎にはそれが何者なのか皆目見当もつかないが、どこまでも清らかな漆黒の蝙蝠の翼と、何色も寄せ付けない純白の鳥の翼のおかげで敏郎にもそれが「堕天使」と呼ばれる種族である事は辛うじて理解できた。
「ご安心ください! あなたからのご質問には全て私がお答えします!」
満面の笑みだ。営業スマイルではとても再現できないような、本気で何かを喜んでいる時に浮かべる笑みだ。しかも目が、あちこちからライトでも当ててるんじゃないかと疑ってしまうほど輝いている。悪意の欠片も見られないが、それが逆に不安だ。
敏郎は全くもって安心できなかったが、とりあえずは「ここはどこか」と尋ねてみることにした。すると堕天使は「ここは『デジタルワールド』と呼ばれる世界、敏郎さまにとっては所謂異世界ですね!」と答えた。
真っ先に「なんでこいつ俺の名前を知ってるんだ」と思ったが、本命の問いと比べたら大した事ではない。続いて「なぜ自分は異世界なんかに呼ばれたのか」と尋ねた。堕天使の発言の真偽を先に尋ねようかとも思ったが、彼の翼が明らかに生物の体の一部としての動きを見せていたので、「これは嘘だ」と認める事を諦めた。
「それはですね! なんと、あなたが『救世主』に選ばれたからなのです! 私が選びました!」
金髪の美丈夫は瑠璃の瞳をこれでもかと見開き、輝かせながら言う。堕天使の割には随分と明るい奴だと敏郎は思った。好青年である事は確かだが、フレッシュ感が振り切れ過ぎているというか、胡散臭さが無いのが逆に胡散臭いというか、兎に角、敏郎が今まで会ったことのない人物であった。
そっかそっかー。俺は救世主かー。って納得できるかーい。なんで俺やねーん。
「それはですね、あなたが十二歳という若さでありながら賢く、活発で、更にもっと幼い頃に失われるはずの好奇心を持ち合わせ――」
以下、敏郎への賛美の言葉が延々と続くため割愛。
敏郎は褒められるのは嫌いではないし、寧ろ好きな方ではあるが、この度「見知らぬ人間から一方的に長々と褒められたら怖い」という新たな知見を得た。
「ああっ、そんな不安そうに見つめないでください! 庇護欲をそそらないでください。これ以上あなたを守りたくなったら私、あなたを壊したくなってしまいます!」
突然、堕天使が叫んだ。
彼は目尻を下げ、涙を浮かべて震えながら訴えてくる。がっしりした両腕で自分自身を押さえつけている様子は、敏郎に確信を抱かせた。
あ、こいつやっぱりヤバい奴だな!
「ああ! 違うのです」
何が違うというのだ俺は何も言ってないぞ。
「私、守るべきものや愛するものに、破壊衝動を抱いてしまう生き物なのです。そういう風にできているのです」
はて、「できている」とは?
「犬は喜ぶと尾を振るでしょう? 猫はリラックスすると喉を鳴らすでしょう? カエルのメスはより大きな声のオスに惹かれるでしょう?」
最後のは初めて知った。
「そういうなのです。私にはどうする事もできないのです」
そうだったのか。それは悪い事をした。
正直、恐怖は払拭できなかったが、それが悪意によるものではないと分かり胸を撫でおろす。
「ああ! 申し遅れました。私、ルーチェモンと申す者です。ここら一帯の領主……とでも申しておきましょうか」
この後、ルーチェモンの説明はこう続く。
この世界、『デジタルワールド』は『デジタルモンスター』と呼ばれる生物が住む異世界で、ルーチェモンもその一種なのだそうだ。そしてこの世界には、時々未曽有の危機が訪れるのだという。危機を脱するには人間の子どもの助力が不可欠で、今回選ばれたのが敏郎なのだという。
ここまでは(これが実際に起こった出来事だという点を除けば)アニメや漫画にありがちな冒険譚のあらましにそっくりだったので、敏郎もすんなり受け入れることができた。
という事は、今自分が抱えているこの卵は、自分の相棒であるデジタルモンスターが生まれてくる卵という事か。
「その通りです救世主さま! 流石は我らが救世主さま、なんて聡明なお方!」
アニメにありがちな話を自分の状況に当てはめただけなのだが、ルーチェモンがベタ褒めしてくれるので言うに言い出せなかった。
次は卵の孵し方を訊ねてみる。
「その子は特に温めてあげる必要はありません。その代わり、たくさん撫でてあげてください。この子はあなたからの愛情をもらって孵るのです」
愛情か。出会ったばかりで愛情はまだ抱けてないけれど、いつかは生まれてきた君と仲良くなれたらいいな。
敏郎は願いをこめて卵を撫でた。少し、ざらざらしていた。
「さて、次は城内をご案内いたしますね!」
●
敏郎はどうやら、ルーチェモンの居城、その中の一部屋に招かれていたらしい。中庭でもないのに床に直接植物が植えられているなんて、不思議な部屋だったなあと敏郎は思う。
「あそこは元々、召喚の儀式のための部屋なんです。お呼びした救世主さまを怖がらせてはいけないと思って、自然が沢山のお部屋に作り変えたのです!」
う、うん? うーん。人間とデジモンの感性は少しずれているのかもしれない。
わざわざ自分のためにやってくれたのか? とルーチェモンに尋ねる。すると、彼は大きく頷きながらこう言った。
「ええ! ……と言いたいところですが、あのお部屋は先代の、そのまた先代の更に先々代の救世主さまの頃からご用意してあるお部屋なのです」
そう言えば、自分以外にも人間がこの世界に来ていたと取れる発言をしていたような気がする。ついでに、自分の前に何人ほど着ていたのかも聞いてみる。
「えー、あなたが十四代目ですから、十三人でございますね!」
多いような、少ないような。などと考えているうちに、ルーチェモンの足がとある部屋の前で止まる。
「ささ、こちらが救世主さまのお部屋です!」
相変わらずのオーバーリアクションで通された部屋には、そんじょそこらのホテルとは比べ物にならないほどふかふかのベッド、広い学習机、そしてファンタジーな世界観にはそぐわないテレビ。生活に必要な家具は一通り揃っていた。
ナチュラルに部屋が用意されているが、つまり元の世界に返す気は無いという事か。
とは思うものの、言ったところで帰れる保証も無さそうだと敏郎は黙ってルーチェモンに従う事を決めた。
万が一笑顔の裏に隠された悪意があったとしても、敏郎にはどうしようもない。
自分はピンチに陥ると逆に冷静になるタイプだったのか。敏郎はまたも新たな知見を得た。
その後、敏郎はルーチェモンと共に城内を見て回った。それなりに広い城で施設も充実しており、特に敏郎の興味を引いたのは図書室だった。その図書室が誇っているのはその蔵書の数。国立図書館もびっくりの充実度だ。
尤も、字の本にあまり興味の無い敏郎は「これだけあれば、マンガもあるかもしれない」と期待しているだけなのだが。
●
敏郎はルーチェモンに連れられ、城下町を訪れる。その腕の中に、いずれ生まれる相棒を抱えながら。
「ルーチェモンさまだ!」
「ルーチェモンさま、ご機嫌麗しゅうございます!」
「坊や、ルーチェモンさまにご挨拶なさい」
恐竜、ロボット、人面樹とバラエティ豊かな住民たちが、ルーチェモンの姿が見えたと同時にどっと歓声を上げた。
町は活気に溢れ、住民たちは皆、笑顔を浮かべている。どうやらルーチェモンは優れた統治者らしく、それは住民が彼を歓迎している様子からもはっきりと感じ取れた。
町には円形の広場があり、ルーチェモンはそこに住民を集めた。彼は演説用の台から高らかに声を上げた。
「皆さま! 本日は私から、皆さまに良いお知らせがございます!」
ルーチェモンは敏郎に、台を登ってくるよう合図する。そして言われるがままに台の上に立った敏郎の肩に手を添え、叫ぶ。
「遂に! 救世主さまが我らの世界においでくださったのです!」
広場は一瞬静まり返り、徐々に「あれが?」「救世主?」「人間ってああいう形してたんだ」と小さな話し声が聞こえ始めた。そして――
「救世主さまばんざーい!」
――ルーチェモンが姿を見せた時のそれとは比べ物にならないほどの歓声が町中を包んだ。
「救世主! 救世主!」
敏郎は困惑と照れを隠せなかったが、それでも期待に応えようと手を振った。すると「救世主」コールはまた一段と強くなり、敏郎は気圧されてしまった。故に、彼は腕に抱えた卵が震え始めていた事に気付かなかった。
自分の胸元から眩い光が放たれた時、初めて敏郎は卵に変化が起こったと気づく。卵の殻は光と共に消え、代わりにぼたもちのように丸く、真っ黒な生き物が腕の中に収まっていた。
「ボタモンだ……」
「救世主さまがお生まれになった……」
それを見た町人たちが再びざわつき始めた。そして今度は新しい生命、ボタモンの誕生を祝う声が町中から上がった。
「おめでとうございます!」
「今日は宴だ!」
「酒だ酒! お二人の救世主さまにはミルクかジュースをお持ちしろ!」
「おめでとうございますぅー‼」
一番最後の「おめでとう」は、町人に負けないくらいの声の大きさでルーチェモンが言い放った「おめでとう」である。感動のあまり涙さえ流していた。表情は例の笑顔のままだが。
敏郎は困惑しきりだが、これから自分の大切な友達になる赤ん坊を祝福したい気持ちもある。「おめでとう」を、敏郎もそっと呟いた。
●
ある日、敏郎はボタモンと二人で城下町を訪れていた。
「よっ、敏郎! 元気か?」
昼間から酒を飲んでいるウッドモンが、親し気に声を掛けてきた。
敏郎とボタモンが「救世主」と呼ばれたのは結局一瞬だけで、宴が終わればすっかり名前で呼び合う仲になっていた。ルーチェモンだけが律義に「救世主」と呼んでいる。
「お前も呑むか?」
未成年飲酒の誘いを断り、足早に住宅地へ向かう。目的地はサンフラウモンの家。彼女が家庭菜園で作った野菜を敏郎とボタモンにも食べてほしいと言うので、今から取りに行こうという訳なのだ。
この町はあらゆる建築様式の建物が入り混じっている。地中海の伝統的な建物のように、真っ白な家がサンフラウモンの家だ。
「あら~、敏郎ちゃんボタモンちゃん! もう来たの! あら~、足が速いのね~元気なのね~」
サンフラウモンは田舎のおばあちゃんのように敏郎を褒めちぎりながら、カゴ一杯の野菜を持ってきてくれた。サクラ鳥大根に挑戦ニンジン、ヘビーイチゴにエトセトラエトセトラ……。家庭菜園でもこれほど多くの野菜を育てられるのか、と、敏郎は感心した。ちなみに、敏郎がデジタルワールド特有の野菜の名称を知っているのは、ルーチェモンから「デジタルワールドの救世主さまにはデジタルワールドの知識が必要不可欠ですよね!」とみっちり仕込まれたからだ。
サンフラウモンの後から、十体ほどの幼年期たちがぽてぽてとついてくる。実は彼女の職業は保育士で、自宅を保育所代わりに幼年期たちを育てているのだ。
最初はサンフラウモンが自ら城に出向こうとしていたのだが、子どもたちの世話で忙しかろうと敏郎が自分で取りに行く事を決めて今に至る。
●
野菜を抱えて城へ戻ると、ルーチェモンの書斎が大量の手紙に埋め尽くされていた。扉を開いた瞬間、手紙が雪崩のように崩れ落ちて敏郎とボタモンは危うく生き埋めになるところだった。それにも関わらず、部屋の中は手紙がぎゅうぎゅうに詰まったままだ。
「救世主さま! お帰りなさいませ!」
手紙が喋った。違う。手紙の中に埋もれたルーチェモンが喋った。
「こちらはですね、住民の皆様から頂いたお手紙なのです!」
敏郎は「そんなに⁉」と驚いたが、ルーチェモンは王なので、住民からの意見はいくらでも集まってくるのかもしれない。
「はい! こちらが救世主さまの分です!」
どちらだ。と思いながらもルーチェモンが差し出した手紙の束(推定)を受け取った。他の束と混ざらないよう、慎重に手紙を開く。
『きゅうせいしゅさま、がんばってください』
『ボタモンくん、またあそぼうね』
『全然知らねえ世界で不安がってる敏郎! 文通しようぜ! 文通が何なのかわかんねえけど! ムーチョモンが「敏郎と仲良くなりたいなら文通してみれば?」って言ってたんだ。おめえともっと仲良くなるために、まずは手紙で文通についておめえに聞いてみるぜ~!』
それは、敏郎とボタモンに向けられた友愛と応援のメッセージだった。
まだ救世主としての自覚が無かった敏郎だが、それでも、住人からの手紙は彼の心を確かに打った。
敏郎が受け取った分は全体のほんの一部。残りの手紙は全てルーチェモンに宛てられたものだ。
現地民はこの怪しい好青年を本当はどう思っているのか。気になった敏郎は、ルーチェモンには悪いと思いながらも、書斎からはみ出た手紙を一枚選んで封を切る。
『私はエルト村のルナモンです。我々の村とエルドラディモンを救ってくださった王様に、どうしてもお礼がしたくて手紙を書きました。私たち村民は、暴れ狂い村を荒らすエルドラディモンを祟り神として扱ってきました。いずれはエルドラディモンを討伐しなければいけないとも思っていました。しかし、王様はエルドラディモンが暴れていた原因は病とそれに伴う痛みだと突き止め、エルドラディモンを治療し、私たちとエルドラディモンの両方を救ってくださいました。しかも、荒れた村を復興するために援助もしてくれました。こんな田舎の村も救ってくださるなんて、あなたは良い王様です。あなたが王様の世界に生まれることができて、本当に嬉しいです』
この他にも封を切ってみたが、その殆ど全てに、ルーチェモンの行いに対する感謝の言葉が書かれている。
そして敏郎は気づく。ルーチェモンは優れた統治者であり、彼が治めるこの世界は素晴らしい世界なのだと。あの笑顔にも歓声にも、偽りのものは何一つ無いのだと。
この時、敏郎の心に一つの願いが生まれた。救世主として呼ばれたからには、この素晴らしい世界を守り抜きたいと。彼が使命感と呼ばれる感情を抱いた瞬間である。
「遂にお目覚めになられたのですね!」
まるで心を読んだかのように、突然ルーチェモンが手紙に埋もれたまま声を上げた。
「その意気です救世主さま! 私も精一杯サポートさせていただきます! まずは人の手紙を勝手に読まないところから始めましょう!」
何でもお見通しだから優れた統治者になれたのかもしれない。敏郎は反省しながらも訝しんだ。
●
敏郎とボタモンは、町の闘技場に来ていた。デジモンの戦い方というものを学ぶためだ。
ルーチェモン曰く「この世界のデジモンは半分が戦い好き、四分の一は戦いが嫌い、残りが戦いに興味は無いが得意ではあるデジモンで構成されている」らしい。
敏郎は半信半疑で建物の扉を開けたが、中から吹き出す熱気、それと同時に目に入った光景は、敏郎の認識を改めるに足るものであった。
デジモンたちが戦っている。町で普通に歩いているような、どこにでもデジモン達が、あちらこちらで火花を散らしている。
更に、それを別のデジモンが観客として、ドリンクやスナックを食しながら観戦している。この国ではデジモン同士のバトルが、娯楽として扱われていた。
敏郎が観客席の隙間をおっかなびっくり歩いていると、上から聞き覚えのある声が降ってきた。
「なんだ敏郎じゃねえか! お前も呑みに来たのか? それとも賭けに来たのか?」
声を掛けてきたのは、いつもお馴染み酒飲みのウッドモン。敏郎とボタモンはウッドモンの隣に座る。
「おい、子どもを賭けに誘うなよ」
「細けえ事言うなよスティングモン。まあ、いいじゃねえか。おっ、始まるぜ。見てな。今、あのマタドゥルモンがメタルグレイモンをぶっ倒して俺が1000bit手に入れるから」
「たった1000しか賭けてないのかよ」
「うるせえ! いいか、敏郎? デジモンってのは必ずしもデカい奴が勝つ訳じゃねえ」
円形のバトルフィールドの中で向かい合う二体のデジモン。メタルグレイモンは機械化されたドラゴンといった具合の容姿で、その印象に見合った大きな体躯だ。一方、マタドゥルモンというデジモンは(大まかな形は)人間に似ていて、とてもメタルグレイモンに勝てるとは思えなかった。
しかし、ゴングが鳴った瞬間、マタドゥルモンが目にもとまらぬ早業で、メタルグレイモンの顎に蹴りつけた。
メタルグレイモンは何もできないまま、ふらふらと地面に倒れ伏す。
「見たか敏郎? あれがデジモンの戦いだ。どんなデジモンにも、どんな相手とでも戦えるくらい強い力が備わってんだ」
敏郎は改めてマタドゥルモンを見た。彼の腹をよく見るとしなやかな筋肉がついており、きっと手足の筋肉もそれなりに発達しているのだろう。
「敏郎もボタモンも、鍛えりゃグレイモンやマタドゥルモンになれるかもな!」
敏郎はふるふると首を横に振る。敏郎はウッドモンに「自分は人間だから進化はしない」と伝えた。
「マジか。デジモンと人間って、見た目から何まで全っ然似てねえんだな」
「そうか? 俺は真っ先にルーチェモンさまに似てると思ったぞ。顔と手足の形がそっくりだ」
そう言えばルーチェモンも闘技場に来るのかと聞いてみると、今度はウッドモンとスティングモンが真っ青になって首を横に振った。
「ルーチェモンさまと戦ったりなんかしたら、この町の連中が全滅しちまうよ!」
さっきのウッドモンのセリフとは何だったのか。敏郎はやれやれと肩をすくめた。
●
ある日、図書館を物色していた敏郎は、『ロイヤルナイツ』と呼ばれる集団に関する書籍を発見した。
ロイヤルナイツというのは、デジタルワールドを守護する役割を与えられた騎士の集団らしい。ヒロイックな鎧に身を包んだナイツは、敏郎少年を熱中させるほどの魅力を秘めている。正確には、敏郎はまだまだ格好いい騎士に熱中になる年頃である。
ロイヤルナイツに関する蔵書は、それだけで広い部屋の半分を埋めてしまうほどの量があり、敏郎をその質量で以て圧倒する。もう半分は『七大魔王』と呼ばれる悪のデジモンを題材にした本が埋めていたのだが、敏郎はそちらには興味を引かれなかった。
敏郎はロイヤルナイツに関する本の中でも短く、物語形式の本を何冊か選び、それを持って城下町に飛び出した。
「あら~! 敏郎ちゃんいらっしゃい!」
「としろーだ~!」
「としろー、ほんもってるー」
サンフラウモンの家に着くと、たちまち幼年期デジモンたちが敏郎を取り囲んだ。中にはツノモン――ボタモンが進化した姿だ――もいて、大勢の友達と一緒に読み聞かせを催促してくる。
敏郎は絵本を開き、読み聞かせを始めた。
これは、デジタルワールドを守ってくれる、とーっても強い騎士さまのお話。
●
愛していたんじゃ、なかったのか。
否。これは愚問である。奴は全てを愛しているのだ。愛しているから壊すのだ。初めから分かっていた事だ。
今、自分たちがいる場所、城の最上階の空中庭園からは城下町が一望できる。暗黒の空の下には今も大勢のデジモンたちが生きている。
町の人々は苦しみながら死ぬのだろうか。眠るように穏やかに消えるのだろうか。どちらだって同じだ。
今自分たちが考えるべき事は、彼を倒して世界を救う事のみ。これが終わったら帰れるとか、邪念は捨てろ。救う事だけを考えるんだ。
敏郎と相棒の決意は固まった。グレイドモンは剣を抜き、傲慢の魔王へと黄金の切っ先を向ける。彼の翼が僅かに動いたのを合図に、戦いの火蓋は切って落とされた。
「私の世界に『七大魔王』という概念があった頃、彼らは各々が背負った罪科に従い、デジタルワールドを幾度となく破滅の危機に追い込みました」
ロイヤルナイツ――今は失われた概念である――さえも凌駕する剣技を以て魔王に肉薄する。確かに魔王の胸に届きかけたその剣は、小型の暗黒球によって軌道をずらされ羽の数枚を散らすに留まった。
「彼らの破壊に愛などなく、私にはそれが我慢なりませんでした」
グレイドモンは一度距離を取り、再び突進する。それをルーチェモンは避けようともしない。
二振りの剣は十字の軌跡を描く。グレイドモン必殺の一撃である。しかし、それはルーチェモンの眼前に張られた薄い膜を破る事さえ敵わない。圧倒的な力の差が、グレイドモンと敏郎に真の危機感を抱かせる。
「ですから、私は七大魔王という枠組みを無くしたのです。だって、必要ないでしょう?」
ルーチェモンは両手と翼を広げ、ふわりと浮かび上がる。それぞれの手には光と闇、相反する性質の魔力が込められていた。
「『この世界の愛を全て自分の物に』という強欲な願い! 『他の魔王が我が世界を破壊するとは腹立たしい』という怒り! 破壊を独占する魔王と愛を独占するロイヤルナイツへの嫉妬! こうして手に入れた世界を何度味わい尽くしても止まぬ暴食! そして何よりこの愛欲! 七つの大罪その全てが私の中にある! 世界の均衡を憂う必要は何一つありません!」
嗚呼、その姿は正しく傲慢の魔王。
「ロイヤルナイツも必要ありません。全ては私が守るのです。三大天使も不必要です。そもそも彼らの力の源はなのですから。イグドラシルとかいう管理システムも滅しました」
金糸の如き煌めきの髪の毛も、どこまでも清らかな漆黒の蝙蝠の翼も、何色も寄せ付けない純白の鳥の翼も、そして曇りの無い瑠璃の瞳も、その全てが、敏郎とグレイドモンに「悪はこちらだ」と錯覚させる。だが、そんなものに惑わされようとも成し遂げる意思だけは譲れない。
「後は私一人を残すのみ。さあ、救世主さま。傲慢の魔王を打ち滅ぼし、世界をお救いくださいませ!」
自分じゃ努力もせず、十二歳の子どもに自分の欲の処理を押し付けるってか。それがお前の「怠惰」だな。グレイドモンはぼそりと呟いた。
●
ルーチェモンは傲慢極まる愛に基づいた救済願望と破壊願望を持ち合わせていなければならない。
歴代のルーチェモンの中には「死こそが救済である」と折り合いをつける者もいた。だが当代の魔王はそれを思考停止と見なした。
破壊願望を満たせば救済願望は満たされない。だが破壊願望を抱かない愛など愛ではない。
故に彼は「救世主」を用意した。「ルーチェモンが選んだ」という肩書を持ったそれに、破壊者たる自身から世界を救わせようとした。ルーチェモン自身は破壊者に徹しつつ、救世主に自己投影する事でメサイア・コンプレックスを満たそうとした。
護界騎士を排し、七大魔王を滅し、破壊も救済も全て自己完結させた。
愛故の傲慢さがこの世界の理であった。
●
一体俺はどうなっている。そうか。『デッド・オア・アライブ』が直撃したのか。とりあえず、生きてはいるようだ。
グレイドモンは破壊し尽された我が身を顧みず、身を挺して守った敏郎を振り返る。
余波も衝撃も消しきれず、敏郎も満身創痍であった。
だが、二人ともまだ息はある。立ち上がる「意思」がある。
ルーチェモンには傷一つない。相変わらず爽やかすぎて胡散臭い眼差しをこちらに向けている。ああ、俺たちに期待している目だ。
そこまで言うなら見せてやろうじゃないか。俺たち救世主の力を。
敏郎とグレイドモンは傷ついた体に鞭打って、互いの拳を突き合わせた。
●
かつてこの世界には、ロイヤルナイツと呼ばれる聖騎士団が存在した。
その中で特に皆の尊敬を集めていた者。十二の騎士の殿を務める者。
二つの高潔な魂から、あまねくいのちの祈りを受けて生まれた戦士。
●
魔王を討伐し、世界に平和をもたらす事は敏郎とグレイドモンの悲願である。全世界のデジモンたちの悲願である。そして何より、他でもないルーチェモン自身がそれを何より望んでいる。
ならば彼の騎士がそれに応えぬ道理は無い。
敏郎とグレイドモンの体が溶け合い、一つとなりて降誕するは白き鎧の聖騎士、オメガモン。
「……久しいですね。オメガモン」
ルーチェモンが呟いた。祈りの光を浴びて輝く聖騎士は、彼にとって数千年ぶりの、の輝きを放っている。
「嗚呼、救世主さま! 私が待っていたのは正しくこの輝き! あなたは紛う事なき救世主! 私の目に狂いはありませんでした!」
いくら聖騎士の体を得たと言えど、その素体は両者共にほぼ限界だった。オメガモンの姿も長くは維持できないだろう。
決めるなら、一瞬で。そのための力を両手に籠める。
「会いとうございました……あなたさまに会いとうございました……。さあ! その何者も折る事のできない剣で! 私を貫いてください! 世界を侵す魔王の業に終止符を打つのです!」
言葉とは裏腹にルーチェモンは防御の手を緩めない。何重にも張った魔法盾がオメガモンの行く手を阻む。
だが、それがどうした。
我こそが希望背負いしロイヤルナイツ。傲慢の魔王何するものぞ。
グレイソードの前に敵無し。左手で一薙ぎしただけで、クロンデジゾイド並に強固な壁は薄く軽くスライスされる。グレイドモンでは傷一つ付けられなかったルーチェモンの胸に、一筋の紅い線が走った。
「至近距離での戦闘は私の得手ですとも!」
デッド・オア・アライブと双璧を成す脅威。楽園をも破壊する悪魔の乱舞。
まずは拳を一撃、オメガモンに叩きこもうとしたルーチェモンはある事に気付く。体が動かない。まるで凍ってしまったかのように。
そしてやってくる、熱と錯覚するほどの寒さ。
痛点を刺激して病まない冷気の発生源は、今まさにルーチェモンに突き付けられているオメガモンの右手。
発射されるよりも前から人知を超えた冷気を放っていた弾丸が、ルーチェモンの胸を貫いた。
ルーチェモンはぽかん、と口を開け、胸の開いた穴とオメガモンの顔を見比べる。彼が「何が起きたか理解できない」と感じているのを、オメガモンは初めて目にした。そんな顔をするのは今まで自分の役目だったのに、と、感慨深ささえ感じていた。
「……救世主さまにお会いできた事、私が生きてきた中で一番、嬉しゅうございました!」
ルーチェモンはたったそれだけの言葉を言い終わると、いつもの笑顔のまま、すうと静かに消滅した。
どうだ。一矢報いてやったぞ。これで少しは満たされただろ。じゃ、後は任せたぜ。次の『救世主』さま。
オメガモンは力尽き、地面に崩れ落ちるように倒れる。オメガモンの肉体を維持するためのエネルギーも尽き、二人は再び敏郎とグレイドモン、二つの個に分離した。
視界が霞んでいく。息をするのも辛い。だが、満足だ。
敏郎は消えゆく意識の中で、偉大なる紫紺の竜が飛び立つ様を見た。
自分自身を、胎児を抱くように抱えた竜が、巨躯と贖罪の炎で世界を塗り潰すのを見た。
●
生まれたての世界に朝日が差す。
●
「救世主さま! お目覚めになられたのですね!」
苺がまどろみから目覚めた時、彼女は彼女の知らない場所に横たわっていた。
彼女が慣れ親しんだふかふかのベッドは見当たらず、代わりに柔らかな葉と白や黄色の小さな小さな花で構成された草原があった。草原といっても大した広さはなく、畳六畳分あるか無いかといった具合であった。
ではここは屋外なのかと言えばそうではなく、小さな草花は大理石の床の上から生えていた。周囲にはギリシャの神殿を思わせる柱が連なっている。
続いて苺は自分が人の頭くらいの大きさの、大きな卵を抱えている事に気づく。卵は桃色の下地の上に、赤色でラブリーなハートマークが描かれていて、要するに明らかに自然物とは思えない代物だ。
十五巡目の世界が、始まった。
(終)
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羽化石
2020年10月18日
In デジモン創作サロン
「それ」は深い暗闇の中で目覚めた。見ていた夢は霞と消えて、手の中にあった筈の温もりの在処は、終ぞ分かりはしなかった。 ———————— 「それ」が目を覚ました時、「それ」は相も変わらず光も届かぬ洞窟の奥底にいた。 地鳴りのような唸り声を上げて「それ」は動き出す。「それ」の動きに合わせてぽろぽろと零れ落ちたそれは、「それ」の身体の一部だった、小さな小さな小石だ。 「それ」は、岩石と宝石からなる肉体を持つ、デジタルモンスターである。自他共にそう理解していた。 デジモンたるもの、「それ」にも幼年期や成長期だった時代があったのだろうが、「それ」には幼き時分の記憶は残っていなかった。 「それ」の最古の記憶は、今朝のように真っ暗な洞窟で目覚める場面から始まっている。その時間より以前に何を見ていたのか、「ある一点」を除けば何も思い出せなかった。 雨にも打たれず風にも削られさえしなければ、悠久の時の中にただ在り続けるのが岩というものである。 きっと自分は、記憶が磨耗するほどの永い時を過ごしたデジモンなのだろう。と、「それ」は「それ」から逃げ惑う、小さなドラコモン達の姿を見て理解していた。 かつての自分は足元でうろちょろしているゴツモンのように、矮小な岩のデジモンだったに違いない。などと呑気に考え事をしながら、混迷極まる群とすれ違っていく。 やがて視界の端にちらりと光が見えるようになる。 ヒカリゴケやツキヨタケのぼんやりとした光ではない、もっと強くてはっきりとした輝き——太陽の光だ。 これこそが「それ」の目的。「それ」は光をもたらす場所、すなわち洞窟の出口から飛び出し、太陽の光をこれでもかと浴びた。 体中の透き通った宝石を通して日光を取り込み「それ」は生きている。 洞窟に住むデジモン達と岩石を取り合う必要も無ければ、彼らを捕食する必要もない。 それでも「それ」は、洞窟とその周辺に住むデジモン達に恐れられていた。暴力を振るった覚えなどないのだが、「それ」は「長命故に強大な力を蓄えていると思われているのだろう」と納得していたので、気に病みはしなかった。 「それ」は太陽が好きだ。太陽は暖かいし、太陽の光は美味しい。だが、それだけじゃない。 暗闇の記憶の中で唯一光り輝く記憶、誰かの笑顔の記憶を思い出させてくれるから好きなのだ。 今となっては笑顔の持ち主が誰なのか、「それ」に確かめる術は無い。「彼女」がデジモンかどうかすら、定かではない。 何も覚えていやしないというのに、太陽よりも眩しい笑顔が愛しくて仕方がなかった。どうして愛しいのかも分からないのに。彼女の事は顔以外、何一つとして知らないのに。 この胸に溢れる感情だけは失ってはならないと、「それ」は心の底から信じていた。 会いたい。会いたい。会いたい。 だから、会いに行った。 いつだって良かったのだ。「彼女」の記憶が磨耗する前ならば、いつ出発したって良かったのだ。それがたまたま今日だっただけの話だ。 洞窟の出口からたった三歩先までしか知らない「それ」は、愛しさの正体を探して駆け出した。 ———————— 「……見つけた」 いつでも良かったのだ。彼ほどの執念があれば、「それ」がいつ住処を発っても「それ」を見つけられただろうから。 朝露きらめく新緑の森から荒野めがけて、玉虫色の槍が行く。 ———————— きらきら、きらきら、光っている。 「それ」はそのような光り方をする物体を知らなかった。 精錬された金属は勿論、金属光沢に似た輝きを持つ甲中の翅など、荒野にある洞窟の中にいた「それ」には知る由も無かった。 緑色にぴかぴか光る鎧は、いくつもいくつも色を持っているその石は、なんていう宝石なんだい? 「それ」は訊ねてみたかったが、「それ」はあまり賢くないので言葉をよく知らなかった。 言葉選びに手間取る「それ」の代わりに、ぴかぴか光る鎧の持ち主の方が言葉を発した。 「こちらジュエルビーモン! 報告します、例の巨人の破片を発見! 場所はポイントA-18、ゴグマモン種の形態へと変化しています! 討伐許可を要請します!」 「それ」はここで初めて、「ゴグマモン」という分類にカテゴライズされていた事を知った。 「貴様の討伐許可が下りました。さあ、今度こそ一片の欠片も残さず破壊します」 煌めく鎧のジュエルビーモンは、一切の混じりけのない殺意を以て、緋色の穂先の狙いを定めた。 ゴグマモンの理解は未だに追いつかない。元々頭の回転は早い方ではないが、それを抜きにしたって意味が分からないにもほどがある。 自分は「彼女」を探しに行きたかっただけなのに、どうして見ず知らずのデジモンから因縁をふっかけられないといけないのだ。 とりあえず「戦う意志は無い」と示すべく、ゴグマモンは両手を上げて手のひらを見せた。 「おや。では、我々に投降しますか?」 不戦の意志は伝わったものの、どうも曲解されてしまったらしい。ゴグマモンは首を横に振った。 「ではなんです? あれだけの事をしでかしておきながら、この私に見逃せと言うのですか?」 ジュエルビーモンは敬語こそ崩していないが、その言葉には一朝一夕ではとても生み出せないような深い憎しみが込められていた。初対面のゴグマモンでさえ分かってしまうほどに。 「おれ、なに、した」 身に覚えの無い憎悪に晒されたゴグマモンは、数少ない語彙を集めて訊ねる。 意味のある言葉を発したのは、前はいつだったか思い出せないほど久々だった。 「やはり貴様も覚えていないか……!」 ジュエルビーモンがゴグマモンを軽蔑するように睨みつける。 ゴグマモンは恐れられるのには慣れていたが、非難されるのには慣れていなかったので嫌な気分になった。 「まあ、それが当然の事なのですがね」 急にジュエルビーモンの口角がつり上がる。浮かべているのはただの笑みではなく、嘲笑だ。 「貴様は文字通りの欠片、怪物の残滓でしかなく、本体の記憶など持ち合わせている筈がない」 ゴグマモンのあまりよくない頭では、ジュエルビーモンの話を理解できなかった。 自分と、自分以外の誰かの話をしている事だけは辛うじて分かった。 「欠片の一部からデジモンが再生してしまうほどの生命力は、流石はパートナー持ちといったところですが……貴様は違う。貴様は所詮、奴の残りカスでしかなく、我々の敵ではありません。しかし、元々奴の一部だった以上は塵も残さず排除します。以上が貴様と戦う理由です。他に質問は? …………?」 ジュエルビーモンは怪訝な表情を浮かべた。 「貴様、何故泣いているのです?」 ゴグマモンはぼろぼろと涙を流していた。乾き切った筈の身体から、涙が湧き水のようにこんこんと溢れて流れ落ちていた。 ここまでわざと、はっきりと言われてしまえばゴグマモンにも理解できる。ゴグマモンには「本体」と呼べる大元のデジモンが存在していたのだ。 ゴグマモンが毎朝体を起こす度に、僅かに欠けて落ちる小石。ゴグマモンとは正にそういう存在だった。 暗闇で目覚めるより前の記憶などある筈がなかった。その頃の自分に自我など無く、別の知らないデジモンの体内に収まっていたのだから。 太陽のようなあの子の記憶はきっと自分の記憶ではなく、本体がうっかり落とした一葉のぼやけた写真のようなもの。ただの残りカス。自分はそれを拾い上げただけ。 あの子の笑顔も、あの子を大切に思うこの気持ちも、自分ではない誰かのもので、自分はずっと思い違い、思い上がっていたのだ。 それに気付いてしまったゴグマモンの涙はもう止まらなかった。 「あ゛……、あの子、は、」 止まらなくても、確かめなければいけない事があった。 「あの子……? まさか、奴のパートナーの事を言ってるんじゃないでしょうね」 ますます表情が険しくなったジュエルビーモンに向かって、こくりと頷いてみせる。 「何故それを貴様が気にするのかはどうでもいいとして、今奴がどうなってるかなんてこちらが知りたいですよ。今、血眼になって探している所なんですから。さあ、他に質問は? 無いなら——殺します」 ジュエルビーモンは目にも留まらぬ速さでゴグマモンに肉薄、槍より鋭い殺意をゴグマモンに突き立てる。 「あ、あの子、あの子、」 ジュエルビーモンにとって、ゴグマモンの本体だったデジモンは敵らしい。そのデジモンから受け継いだものは殆ど無いゴグマモンさえ許せないような相手らしい。 「あの子、に、」 ゴグマモンはデジモンでありながら戦った事がない。道を塞いでいた邪魔なデジモンを突き飛ばすついでに戦闘不能にさせた事は何度かあったが、このように向かい合って戦闘を行った経験など皆無だ。 「に、に、さ……」 だが、もしもそれを理由にジュエルビーモンをここから通してしまったら。 今、自分を貫いた殺意はあの子を突き刺すのだろう。 「さ わ る な !」 ゴグマモンの棍棒のような腕が、ジュエルビーモンを殴り飛ばした。 もんどり打って地面に転がり落ちるジュエルビーモン。よく磨かれていた碧の鎧は砂で汚れ、ヒビまで入っている。 しかし、ジュエルビーモンを震わせる怒りの源泉はそんなものではない。 「本体のみならず、残滓までもが我が“女王”の覇道を阻むとは……。そんな事は許されない! 我らが女王の名の下に、その叛意、砕いて差し上げよう!」 鎧のヒビが広がるのも構わず、背中の翅を広げて宙を舞う。 ———————— ゴグマモンは苦戦していた。理由は単純、ジュエルビーモンは飛べるから。当たれば致命傷の拳も、届かなければ意味が無い。 一方、ジュエルビーモンの方も苦戦はしていたものの、ゴグマモンほど焦りはしていなかった。 ジュエルビーモン種は格闘の名手である。戦い慣れておらず、腕を振り回すだけのゴグマモンの攻撃を見切る事など容易い。ただし、ゴグマモンにダメージを与えるには岩の継ぎ目や唯一の生身の肉体である眼球を狙う必要があるため、決定打を与えるのに苦慮しているというのが現状だ。 「戦い方は本体の面影こそありますが、あそこまで洗練されてはいませんね」 ゴグマモンの拳とジュエルビーモンの槍が一瞬だけ触れ合った。細い槍に負荷がかからぬように、ジュエルビーモンは槍に込める力を弱めて向きを変え、ゴグマモンの有り余る腕力を受け流す。 「女王、て、だれだ」 互いに喋る余裕がある内に、ゴグマモンは疑問を解消しておくことにした。 「女王は貴様らネイチャースピリッツのデジモンを始め、デジタルワールドの生きとし生ける者全てを統べる女王だ! デジモンを従える者、“テイマー”を名乗る資格を持つ唯一のお方、その力は、その力は、あのような小娘が持っていていいものでは決してない!」 突如として激昂するジュエルビーモン。しかし、その怒りはゴグマモンが付け入る隙を与えてしまった。 怒りに任せた槍の連続突きは単調な動きにしかならず、ゴグマモンにも必死になればなんとか躱す事ができた。 その後、ゴグマモンはジュエルビーモンの腕を掴むのに成功し、彼が槍を突く勢いを利用して肩の関節を逆に捻り上げた。 「ぎぃやあああああ!!」 ジュエルビーモンの肩から鳴った嫌な音は、彼自身の悲鳴によってかき消される。 負傷した肩を無事な方の腕で押さえている内に、ゴグマモンは勝負を仕掛けた。両手のクリスタルを祈るように二つ揃えて真上から振りかぶる。 「貴様が、貴様がこうやって大将の肩をヤっちまったから進軍が遅れたんじゃねえかああああああああ!」 しかし、次に隙を与えてしまったのはゴグマモンの方だった。 両腕を攻撃に使えば防御はがら空き。ジュエルビーモンはゴグマモンの懐、それも真正面に潜り込む事に成功する。 再び突き出された槍の穂先は、物の見事に胸元の岩の継ぎ目に侵入。ゴグマモンは痛みに悶えた。 「かつて、我らが将軍はあの悪魔を粉々に砕いたのですよ! 決して砕けぬ金剛石と呼ばれた奴を砕いた我らが、貴様ごときに苦戦するものかあ!」 一度は崩れたジュエルビーモンの口調だが、ゴグマモンへ一撃を加えて精神的な余裕を取り戻したのか今は元に戻っている。 デジコアへの直撃こそ免れたものの、胸の刺し傷は無視できるものではない。確実にゴグマモンの体力は削られていった。 ———————— 「早く、早く跪け! もはや立つのもやっとなら、その力は女王への敬意を示すためだけに使い切れ!」 立つのもやっとなのはジュエルビーモンも同じだった。彼は長引く戦闘の中でダメージを受けすぎた。 元々のフィジカルの差でゴグマモンより早く砕けそうな体を、忠誠心のみで支えている。 「あの美しい花畑も、希少な宝石も、あの空だって、貴様だって! 全部全部全部彼女の物だったんだ! それなのに、それなのに貴様等はいつもどうして!」 気がつけば、ジュエルビーモンも泣いていた。 その泣き方がさっきまでの自分にあまりにもそっくりで、ゴグマモンはいたたまれない気持ちになった。 もしも勝ちを譲ってやる気が無いのなら、ここで介錯してやった方が彼は楽になれるのではないか。ゴグマモンに憐憫の心が芽生えた。 「きっ、貴様、何をする気だ!」 ゴグマモンはがばりと口を開いた。 途端に上昇する熱量。常に彼らの頭上に煌々と君臨していた太陽の光がゴグマモンの宝石に侵入し、乱反射し、増幅され、集積され、ゴグマモンの口腔内に充填されつつある。 「まさかその技は巨人の……! やっ、やめろ、やめてくれ……!」 ジュエルビーモンの脳裏に、かつて自分が所属していた基地が仲間ごと蒸発し壊滅した記憶が蘇る。 彼の体は本能のままに待避行動を取る。しかし、もう遅い。 小さく「キュイン……」と鳴ったと思えば、豪雷の如くに放たれる『カース・リフレクション』。 木が折れ、岩が割れる爆音の中、ジュエルビーモンの体は音も無く燃え尽きた。 ———————— 「分かった。全部持ってけばいいんだね」 蒼く、美しい蝶の翅を持ったデジモンを前にして、ゴグマモンはこくりと頷いた。 「おれ、しぬから、きおく、だけ」 「大丈夫。分かってる。分かってるよ」 フーディエモンと名乗ったそのデジモンは、臆する事なくゴグマモンに優しく触れてくれた。痛みで顔をしかめていたゴグマモンの表情が和らいでいく。 「そ、れ、」 ゴグマモンはフーディエモンの背後にあるものを指さした。 いくつも連なった青いカプセルの中に、白く、ぼんやりとしたもやが浮かんでいる。 「そっか。あれが誰の記憶か分かっちゃったんだね。でも、ごめんね。この記憶を担当したのは前の担当者だから、私には見せる権限も見る権限も無いの……」 フーディエモンは申し訳なさそうに目を伏せると、自身の足元に控えているデジモンに向き直る。 「分かった? モルフォモン。記憶は厳重に扱わなければいけないもの。だから、例えどんなに親しい間柄だろうと閲覧するのもさせるのも、記憶の元の持ち主と預かった担当者しかできないんだよ。今私がこの人から預かる記憶も、モルフォモンは勝手に見たりあげたりしちゃ駄目なの。あ、勿論お届け先の人だったら話は別だよ」 「あい! わかったでしゅ!」 モルフォモンと呼ばれたデジモンが、元気に手を挙げて返事をした。 マシュマロのような体で背負っている、フーディエモンに似た翅が揺れていた。 「それからジュエルビーモンの事も、許さなくていいから理解はしてあげてほしい……。あいつらの女王様、テイマーの女の子。二年くらい前……あなたはもう産まれたかな。その頃に病気で死んじゃったんだ。もうちょっと頑張れば六界全部攻略して、天下統一できそうって所で……」 ゴグマモンはジュエルビーモンの涙を思い出していた。 いかにもテイマーがいるような口振りで、自分と同じ顔で泣いていた意味がやっと分かった気がした。 「じゃあ私たち、もう行くね」 「おたっしゃででしゅ〜」 フーディエモンとモルフォモンは、数多の記憶カプセルと共にふわりと浮かび上がる。 どんどん空に昇っていく彼女たちを、ゴグマモンは手を振って見送った。 蒼い翅が青空に溶けて見えなくなるまで見送った。 彼女たちが完全に見えなくなったので腕を下ろすと、その腕は肩ごと地面にぼとりと落ちた。 ———————— 「モルフォモン! 今、一番後ろの記憶がぶつかりそうだったよ! ちゃんと見てて!」 「ぎええ先輩なんでそこまで見えてるんでしゅかぁ……? 成長期一人じゃ見切れないでしゅよこんな量」 「私も昔先輩に同じ事言った。先輩には訓練すればできるって言われた。実際できたから、モルフォモンにも同じ事を言うね」 「す、スパルタでしゅ!」 文句は言いつつも仕事はこなそうとするモルフォモン。 フーディエモンが先導する記憶カプセル同士がぶつからないように、また、離れすぎないように必死で整えていく。 「すいましぇん、しょのテイマーの女の子って本当にリアルワールドに帰ってないんでしゅかぁ?」 「だって帰った記録が無いんだもん。確実に帰ったって証拠が見つかるまではこっちを探すしかないよ」 モルフォモンは途方に暮れた。それはそれとして怒られたくないので記憶の列は整える。 「待ってて、ゴグマゴグの軌跡。巨人が見た夢。確かにあった愛の証たち。あなたたち103“人”のカケラ、一人残さずあの子に届けるから」 後書き ぼくはアニメ『カイバ』が好きです。 ぼくはアニメ『ケムリクサ』が好きです。 ぼくはアニメ『ツバサ・クロニクル』並びに原作漫画の『ツバサ』が好きです。 ぼくは『空の境界』の『矛盾螺旋』が好きです。 つまりはそういう事です。 ペンデュラムZ発売記念の恋愛小説企画、ネイチャースピリッツ担当は羽化石でした。ブラストモンの進化前としてのポテンシャルを秘めたゴグマモンを主役に据えて書かせていただきました。 いかがでしたでしょうか? お楽しみいただけたのでしたら幸いです。 今回はゴグマモンという存在に話の焦点を合わせるため、叶うなら彼に感情移入していただくため、敢えて世界観の説明を省きました。 一つだけネタばらししてしまうと、ゴグマモンの元となったデジモンはブラストモンです。元々欠片から再生する能力があるデジモンですが、あまりに細かく砕けてしまったのでもはや元の彼としての再生は不可能だったんですね。 ジュエルビーモンくん関連の設定も一応あるのですが、語るときは野暮になってしまわないようにワンクッションを置いてからお話しますね。 ちなみにタイトルの「砕壊」はそのまま「さいかい」と読みます。 p.s.フーディエモンとモルフォモンの関係性はエリカとワームモンを意識した訳ではなく、気がつけばああなっていました。
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羽化石
2019年11月03日
In デジモン創作サロン
※七大魔王をテーマにした小説アンソロジー『魔王狂典』への寄稿作品です。参加者それぞれに担当魔王が設定されていますが、羽化石は『憤怒』の魔王担当でした。 それは怒りである。純然たる憤怒である。
それは憤怒の化身である。或いは憤怒の権化である。
それはある日憤怒に魅入られた。或いはそれが憤怒を魅了した。
それは憤怒を呼び熾す。或いは憤怒を呼び覚まされる。
それは憤怒を以て罰する。或いは憤怒を抱きし者を罰する。
それは憤怒を憎みし者に裁かれる運命にある。
それは憤怒の罪を司る存在である。
*
眠りから目を覚まし、腕、それから掌を順に確認する。赤黒く、硬く、短い毛に覆われた腕はまだそこにあった。鋭い爪を備えた手も、未だそこにあり続けていた。
自分が『憤怒を司る七大魔王』などではない、何か別の存在へと変化しているのではないか、という希望は落胆に変わる。落胆は怒りに変わる。
彼は忌まわしき感情を発散すべく、ベッドの脇に手を伸ばす。部下が「水分補給用に」と置いていったコップが手に触れると、迷わずそれを握りしめた。ガラスのコップはいとも簡単に割れ、何の役にも立たないがらくたへと変わり果てた。
彼の怒りは晴れた。穏やかになった彼の視界にガラスの破片が飛び込んだ。腹立ちを抑えられなかった事実を認識した彼の中に再び怒りが沸き上がった。彼が憤怒の念を抱いた事実は彼に憤怒の念を抱かせた。
彼が怒りに囚われたためにこの姿に進化したのか。あるいはこの姿に進化したがために怒りに囚われたのか。もはや誰にも分からない事であり、些細な事でしかなかった。
いつか自分もこの粉々になったコップのように変わり果ててしまえるのではないか。期待さえしなければ怒らずに済むものを。彼は怒りを呼ぶ怒りに狂う日々を何百、何千、何万回と今までも、そしてこれからも繰り返すのだろう。
*
「嗚呼、どうか、憤怒の魔王よ、どうか、私と、私と」
吸血鬼が彼の足下で喚く。
「貴方様の爪と私めの爪が交わる、その刹那を感じてから死にたいのです。貴方様の圧が、熱が、私の爪を伝って私の神経を焼き焦がすのを味わってからこの命を“王”にお返ししようとここまで這って来たのです」
およそ生物らしくない瞳からは、その吸血鬼の表情は読めない。しかし、息も絶え絶えなそれが今にデータの海に還るであろう事は彼の目にも明らかだった。
踊り子のデータを基にした優美な佇まいは今では見る影もない。足を引きずり、元は袖だった薄汚い布を垂らした幽鬼。それは憤怒の魔王の目に酷く醜く映った。
「貴方様の血を啜るなど、そんな無礼な真似は致しませぬ。命も惜しくありませぬ。貴方様の手で殺されるというのならば、本望です。ですから、どうか、私と……」
いつまでも五月蝿い蝿に嫌気が差した。
「あ」
黄色く尖った頭をつまみ、左右に捻ると細い首は簡単に捻じ切れた。
何度振り払っても顔の側で飛ぼうとした、この蝿が悪いのだ。怒りの原因を排除した彼は、自らの怒気が静まるのを感じながら深呼吸をする。代わりに彼を襲ったのは「また怒りを抑えられなかった」事実に対する怒りだった。
*
「可哀想に。彼もまた、闘うために生まれてきたと豪語するマタドゥルモンだったというのに。それなのにこんな、幼子に目を付けられた蜻蛉のような死を迎えただなんて」
彼の感情を逆撫でして止まない声がする。
いつからそこにいたのか、幽鬼の「王」が顔を出す。「それ」は消えゆく幽鬼の亡骸を愛おしげに撫でていた。
均整の取れた顔と絹のように美しい髪は、疑似餌である。半身と同化した双頭の獣を唸らせ不敵に笑う「それ」は、『全ての生を冒涜する』者である。
「彼はとても良い部下でした。この子は最後まで私の事を主と言ってくれました。とてもとても、良い子でした。せめて最後に良い夢を見てほしかったのですが……」
幽鬼の最後の一片が宙に還るのを見届けると、「それ」の仮面に隠れた顔は深い悲しみを湛えた。
「それ」は死に損なった幽鬼よりも遥かに醜いものである、と憤怒の魔王は感じ取った。怒りを煽る存在が再び現れた事に苛立ち、歯噛みする。
「おや、そんなに怒って。如何いたしましたか?」
全て分かっている癖に。やはりこの、生き物とも呼べないものに怒りを抱かない日は何度生まれ変わっても来そうにない。
この「吸血鬼の王」は自らの死を否定した、全ての生への冒涜者である。故に、生ある者は「それ」を本能的に嫌悪する。七大魔王と呼ばれる存在も例外ではない。これに限っては、憤怒の魔王が背負いし業は関係が無い。
「私の城でお茶でもいかがですか? 良いハーブが手に入ったのです。ハーブティーの香を楽しめば、きっと貴方も落ち着きますよ。“憤怒の魔王”様」
幽鬼にしたよりも丁寧に首を捻じ切った。そして念入りに千切れた頭蓋を破壊した。
「ハーブティーはお嫌いでしたか?」
切断面から吹き出す血と潰れた頭を見た筈だった。筈だったのだ。
夢か現か幻か。吸血王の頭蓋は何事も無かったかのように首の上で澄ましていた。
軽薄な笑みを浮かべた口が空虚な言葉を紡ぐその前に。憤怒の魔王は怒りの源泉から離れる事を選んだ。
その顔は苦しみと苛立ちに満ちている。
*
腹の虫が治まらないので自室に籠った。天使による討伐軍はそれを許さなかった。
多すぎる血の気を疎んで失血死を夢に見た。魔王の体はそれを許さなかった。
呪いを受け入れようとした。心がそれを許さなかった。
*
それの進軍はやはり怒りを伴う。怒りは破壊を伴う。破壊は悲しみを伴う。悲しみは憎しみを伴う。憎しみは怒りを伴う。
黒く煤けた亡骸に憐れみを抱けたのはいつの頃であったか。罪悪感を怒りに変えずにいられたのはいつまでであったか。物言わぬ政敵と、事切れた市民の中に応えはある。
それは怒りに震える亡者となって、憤怒の魔王が奈落の底に堕ちてくるのを今か今かと待っているのだ。
魔王と呼ばれる前の、まだ罪を背負ってなどいなかった頃の記憶を呼び戻そうと試みた。それに縋ろうと試みた。幾度も幾度も。
しかし、思い出す事は叶わない。
否。有り得ないと分かり切ってさえいる偽りの感情を伴って再び姿を見せるのだ。
確かに憐憫の情を抱いた。確かに罪悪感を抱いた。
魔王の業か、或いは罰か。
想起される感情の全てが怒りに置き換わってしまうのだ。
魔王としてのプログラムとやらは、記憶を捏造してまで個体と罪を結び付けたがるのだ。
美しい過去に救いを求めるほどに、蛇のように蔦のように怒りに絡み取られていく。そして地獄に引き摺り込まれていく。
それはさながら汚し、殺してしまった思い出からの復讐のように。
問いの答えは今しがた焼き殺したデジモンと同じ場所で、憤怒の魔王を睨み続けている。
*
「本当は、そんな事をしたくないんでしょう? 私は分かってるから」
その名を聞いた者を震え上がらせるような、そんな存在もかつては優しい言葉を掛けられていたのだ。
確か彼女はミヒラモンだったか。ウイルス種でないどころか、神聖なる獣に仕える十二神将(デーヴァ)でありながらかつての知り合いである魔王を気に掛けていた。彼女の過去に纏わる記憶は容量を圧迫するデータとして消去されてしまったが、それでも彼女は彼にとっての癒しである事は分かっていた。
しかし彼女は姿を消してしまった。さて、理由は何だったか。
他の魔王に殺されたか。
暗黒の力を疎んだチンロンモンに引き離されたか。
彼女が先に寿命を迎えたか。
ああ思い出した。彼女の発言に烈火のごとく激怒した自分が葬ってしまったのだ。
些事でしかない彼女の発言にさえも怒れるのが憤怒の魔王の性だった。
全て思い出した。この記憶を忘れようと努めた事も。この記憶だけは忘れまいと厳重に保護(ロック)していた事も。
「否! 俺は憤怒の魔王! 怒りとは俺そのものだ! 怒りを否定する事は俺自身の否定に他ならない。貴様にだけはその言葉、吐かれたくはなかったぞ!」
*
果たして、彼は「否定したかったもの」が何か、覚えていただろうか?
マタドゥルモンはその本能故に戦いに生きていた。
グランドラクモンは不死の肉体を持つ故に生への執着を捨てた。
ミヒラモンはその高潔な精神を買われて十二神将となった。
では彼は何だったのか?
彼が憎むべきは魔王になる運命か? 魔王になる道を選んだ彼自身か? 無理矢理に怒りを抱かせた本能(プログラム)か? 本能に刷り込まれるまでの怒りを溜め込んだ自分自身か? 「自分は怒り」と嘯く口か? 「怒りは自分」と認めた弱さか? 正しいのはどれだ? そもそも正しい選択肢とは存在するものなのか?
果たして彼は彼という存在を正しく認識できていたのだろうか?
いつしか彼は、何に苦しんでいるかも分からないまま願う事と怒る事を繰り返す装置(システム)となっていた。
*
「無駄だよ。君のその姿は怒りを力として受け入れた証なんだ。今更手放そうったって、そうはいかないよ」
その傲りを悔いた事は?
「無いよ。ある筈がない」
嘘だ。
「本当さ。だって、僕が誇りを持てない世界で他に誰が輝けると言うんだい? 僕が謙虚になったなら、誰も彼もが卑屈になってしまうさ」
抱えた罪に苛まれる魔王に思いを馳せた事は?
「知らないよそんなの。七大魔王は『ある一つの罪を背負っている』、たったそれだけの事を唯一の共通点とした種としての分類に過ぎない。本当は君と話してやる義理なんてないのさ。『誰よりも大きな罪を犯した』魔王。『生きとし生ける者の罪を代わりに被った』魔王。そして『司る罪を裁く』魔王。君がどれなのか知らないし興味も無いけれど、いずれにせよ七大魔王は罪の化身だ。それが抱えた罪は切っても切り離せないし、僕は切り離そうとする奴の気が知れないよ」
話にならん。
「それはこっちの台詞だ。この話はこれで終わりにしよう。君が怒る度に庭が少しずつ焦げていくんだ。もううんざりだよ」
美しい金の毛先を弄ぶこの存在は、なるほど確かに天使だったのだろう。
何故この世界は天使の黒く染まった翼を白いままに留めておかなかったのだ。
何故自分をただのデジモンに留めておいてくれなかったのだ。
*
かくして道は開けた。祈りは通じ、憤怒の魔王は消え去った。
それは罪という殻を脱ぎ捨て、魂の段階(ステージ)は上昇し、新たな境地へと至った。それを満たすのは憤怒ではない。喜びである。もはや力を振るう事に躊躇いは無い。地獄の業火を呼び熾す度に溢れて止まらなかった感情から解き放たれ、蝕まれる事も無くなったのだから。
もはや七大魔王の枠には収まらぬ。それはデーモンにあってデーモンに非ず。理想郷(アルカディア)の彼方より降臨せし新時代の覇王なり。これより世界は新たな魔王、否、魔神によって永遠の安寧を授かるだろう。
さあ非道を成せ! 秩序を乱せ! 超究極の頂より叫べ! 旧い悪しき世界に許しを請う必要は無い! 嗚呼、何にも縛られず力を振るうのはこんなにも心地良い事なのか!
旧き世界の住民よ、刮目せよ。これが世界の終焉である!
*
それは粛然たる安堵である。
*
それは怒りである。純然たる憤怒である。
友愛は炎に消えた。歓喜は焔に呑まれた。涙は炙られ涸れ果てた。そこにあるのは純然たる怒りである。
神の名の下に行われた悪逆を許してはならない。憎悪を止めてはならない。怒りの火を絶やしてはならない。
「我らが故郷を滅ぼした “憤怒の魔王”に復讐を!」
それは怒りである。純然たる憤怒である。
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2019年11月02日
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