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フォーラム記事
パラ峰
2019年11月04日
In デジモン創作サロン
7-1 Rebirth the Sword <<前の話 目次 次の話>> 暗域を魔女の毒釜で千年煮詰めたところで、彼の胴体の闇と狂気は再現できないだろう。燃える三眼を視界に入れた時、否応なく頭に流れ込んでくる言葉たち。闇にさまようもの。月に吠えるもの。黒人の神父ナイ。太古のファラオ。這い寄る混沌。目の前の相手を表す、歴史に刻まれ、この者自身により巧妙に隠された先人たちの無念! 異神トートやアステカのテスカポリトカですら、この外様の神の繰る千貌の一つに過ぎない――! 「ぁ……うぁ、き、様っ、は……っぁああああああ! ガルルっ、キヤノンッッヅ!!!」 隣でJが狂乱に陥っている。無理もない。対峙するだけで流れ込んでくる異界の知識。奴から暗黒の気配と共に垂れ流されているそれを真っ向受けてしまえば、あくまで人間に過ぎないJや定光ではそうそう耐え切れまい。前世がデジタル・モンスターである俺だからこそ、手にしたLegend-Armsの尽力を踏まえ辛うじて正気を保っている。 血走った眼で、金切り声の如き叫びと共に放たれた冷気凝縮弾を造作もなく受け止めて、奴は大仰な身振りで名乗りをあげた。 「まずは自己紹介と洒落込もうか。私はナイアーラトテップ――Noir-Lathotep。そこな二代目Jには"大いなる理"などと名乗ったかな?」 Noir-Lathotep。俺の脳味噌がチクタクチクタクと音を立てながら推論を立てていく。ヒントは既に得ていた。アスタロト――Astarotに、歴史の流れのどこかで無音のhが追加されていた可能性。で、あるならば。 Noirはフランス語で「黒」。Noirから「i」が抜ければnor――等位接続詞で「否定」を示す。それこそ神代の時代から暗躍していたとあれば、その名から「i」の一文字程度が抜けることなど無数にあっただろう。 そして彼の者の最も著名な名は「Nyarlathotep」。 別の方向からのアプローチになるが、アルゴリズム――algorismが否定されれば、nor-algorismだ。 「nor-algorism」と「Ny-arlathotep」すなわち「Nor-arlathotep」。類似性のあるものは呪術的にみれば同一であるのだから、"大いなる理"を名乗り遍く生命の記憶を改変した彼の神性にとって、その二つの相似性を繋ぎ合わせることなど造作もなかろう。 そう、即ち――。 デジタル・モンスター・アルゴモンがナイアーラトテップの新たな化身に選ばれたとして何の矛盾があるというのか。 何故なら、無限の姿と慄然たる魂をもつ恐怖こそ、ナイアーラトテップであるのだから。 「私の正体に察しの一つもついたかね。楽しかったよ、お前たちとの友情ごっこは」 然るにJの策略は、この忌々しき邪悪の化身を一つ増やしただけに他ならす――。 「……。……」 目立つ形での発狂を見せず沈黙を貫く定光の、本来のパートナーを奪ってしまったという事に他ならない。 「遥か昔にン・カイの森を焼かれたときから、私はアレが、クトゥグアがダメになってしまってなァ! お前たちには感謝しているよ。この惑星の法則に縛られ"地"の属性に縛られた私も漸く忌々しき"火"を滅ぼせた」 「だま、れ……」 ナイアーラトテップ自身の深淵の口裂より語られる事実。よもや彼自身の属性が"地"であろうとは――。それはともすれば、ツァトゥグアとナイアーラトテップ二柱の邪神がこの地球に存在していたように、他属性の神格ももう一柱ずつ存在しているという驚異すら示唆している。 「アレが残っていれば、或いは地球は炎熱地獄に変わり果てながらも永らえたやもしれんのにな。あぁ、労しくて涙が出そうだ」 「黙れ……」 怒りか、恐怖か。肩を震わせながらJがかけた静止も意に介さず。流れる水は止められない。放たれる毒は止まらない。耳朶に触れるだけで世界を侵す文言は、他の邪神と変わらない。 「"大いなる理"は確かに存在する。だがそれは私などではなく、お前達は御方の無聊を慰めるためだけに存在して」 「黙れと言っている――ビフロストォォオッ!!!」 錯乱していても情報は聞き溢していない。彼が"地"の神性でクトゥグアを恐れているのだから、ならば有効なのは"火"。ムスペルヘイムの業火が真正面から千貌を襲う。 「やれやれ、無粋な娘だ。歳月を経ようとその矮小さは変わらぬようだ。寧ろ、地球の情報統合樹の叡智に触れた分だけ正気を失ったか? いやはや、無意味なデバッグに勤しむ姿は実に愛らしかった。お前たちの尺度で言うなればハムスターが滑車を回し続けているようだった。なにせ、私が意図的に作り出した綻びを縫い直すのだから、見れば見るほど賽の河原に石を積み上げているようだった! あぁ、獄卒になる日をどれほど心待ちにしていたことか!」 されどアルゴモン・ヒュプノスであった彼には些かの痛痒も与えられない。デジタル・モンスター化することで異界の邪神を傷付けられるというのは、散々奴らを屠ってきた事実からも確実な筈なのに。おそらく奴の言葉通り、Jの掲げたデジタル・モンスター化という主戦略さえ誘導されたものだったのだろう。 「我らが主はご満悦だ。我々が未だに存在していることがその証明」 「主、だと……? この期に及んで、お前は先兵でしかないと?」 「先兵という言葉は正しくないな。私は宮廷道化だよ。正直、君達と役割はあまり変わらない。違いはそれを福音ととらえているかどうかと、脚本家を兼任しているかと言った所で――」 「――話が長い。疾く去るがいい」 そしてナイアーラトテップと対峙していた俺たちの側からも絶望が降ってくる。 「……お前もか。あぁ確かに、お前は一言も術技の名前も言わなければ、本来の棲家である"ダークエリア"という言葉も口にしていない。ましてや『ツァトゥグア』を滅したとも」 嫌悪感と、そして少しの喜悦を滲ませた声色で、ベルフェモンの声帯が震えている。 即応するように、定光が射貫く様に目を細めた。ああ確かに、違和感はあった。何故、レイジモードがこれ程穏当な性格でいたのか。何故、力尽き弱った筈の怠惰の魔王がツァトゥグアを打倒などできたのか。なるほど、つまり俺たちは謀られており――。 「なあそうだろう、ツァトゥグアさんよ」 ――クトゥグア討伐に手を貸そうという意図は、真実だった。だが、その目的はこの惑星を旧支配者の恐怖から救い出すことではなく。 「その通りだ。まんまと引っかかってくれたではないか。まったく、遠き祖の傍仕え風情がうまくやったものだ」 「お褒めに預かり恐悦至極ですよ、坊ちゃん――とでもいえば満足かな」 「要らん。それよりも早ういね。貴様の貌は見飽きんが、好んで見たいかと言うとそうでもない」 天敵を滅ぼし、万が一にも消滅の憂き目に遭うことを回避するため。"地"属性に縛られた共謀者二柱が笑い合っている、認め難き光景。それを目の当たりにして、Legend-Armsを握る手に力がこもる。 ナイツの攻撃は通らない。アルゴモン・ヒュプノスも、嘗て味方だった怠惰でさえも敵だった。それでも、この2体を放っておける筈もない。 「さて、では私は別の惑星で種を蒔いた物語の萌芽を確認に行くとしよう」 ――太陽系第三惑星は、約定通り君にあげよう。 アルゴモン・ヒュプノス――ナイアーラトテップは万物を嘲弄する貌で宙に浮かび上がる。 「うむ、よきに計らえ。時々ニンゲンにちょっかいかけにくるぐらいなら見逃してやろう」 「逃がすかよ! トゥエニストよ――斬り裂――っ!?」 剣身を伸ばし、宇宙へと飛翔する元アルゴモンへと繰り出した刺突。それは突如俺とナイアーラトテップを隔てるように展開したランプランツスの射出ゲートを介し異空間に飲み込まれる。 「どういうつもりだ、ベルフェ――ツァトゥグア」 咄嗟に剣を退きながら、見知った姿に思わず呼びかけた名前を封印する。今となってはそんなものでさえも懐かしい。七柱の魔王型は、皆それぞれに敬意を抱けるほどの猛者であった。その姿を弄ぶというのなら――。 「まずはお前から殺すぞ。テメェの同胞がどうなったか、知らないわけじゃないんだろう」 ハスターは斬った。クルウルウもだ。そして目の前でクトゥグアをも両断した。奴らには何かしら思い入れなどなかったが、その存在自体が俺たち――人間にとっても、デジタル・モンスターにとっても害悪でしかない。だから斬った。斬れた。そしてそれ以上に、お前だけは許し難い。 「二人とも下がってろ、コイツだけはすぐに殺す」 「人間風情が一丁前に我を滅ぼすつもりか――!」 幾らベルフェモンがツァトゥグアを滅ぼしたと思っていたのは思い違い。事実は正反対だったからと言って、しかし奴が用いる攻撃は氷の火柱だった。ベルフェモンの術技と遜色ないそれだが、どちらも怠惰をその特質とするだけはあると言える。そしてそれならば、過去に幾度となく対処した程度のものでしかない。 四方八方から飛来する炎を纏った鎖、だがデュランダモンの記憶が最適な対処法を導き出す。一直線に千年魔獣の体躯に近付く。 「さっさと死んどけ――!」 「ッチィ、ほざけぇ……っ!」 巨体がふわりと浮遊し、三対の翼を動かすこともなく空中に逃れた。羽根を動かすことすら億劫だというその姿勢は、いま尚その姿に見出せる郷愁を誘って最早腹立たしくさえある。 空中は今生の俺にとっての鬼門だ。それを先の攻防で理解したか否か定かではないが、奴は滞空したまま咆哮した。弱きモンスターを即死させる魔王の一喝。これもベルフェモンの能力だ。 そんなものが、窮極のLegend-Armsたるこの俺に効くものか。 「地底で眠ってただけのヒキガエル風情がァ――!」 「エイボンにも劣る家畜が調子に乗るなよ……ッ!」 大地から跳躍した俺には目もくれず、ツァトゥグアは我が物顔で怠惰の王の力を振るう。万象遍く王を煩わせるものを粉砕する氷の火柱が、最早只人に過ぎなくなったJと定光に襲い掛かる。 「だからお前は、世間知らずなんだよ。ベルフェモンならそれが悪手だと知っていた」 俺が焦って射線に割り込むとでも思ったのだろうか。幾らJが混乱していようとも、今や俺たちは二人ではない。ウェンディモンの時は判断を誤って防御半径の狭い魔楯アヴァロンを展開したが――。 「Vブレスレット!」 「ああ――テンセグレートシールド」 ――定光の指示で、アルフォース能力が構築する球形の力場が彼らを護る。最早後方を確認するまでもない。目の前に俺ごと呑み込まんと展開された異空間ゲートを、空間の裂け目ごと切り裂いてツァトゥグアに肉薄する。 「ダークエリアでベルフェモンに詫びるんだな! トゥエニストよ――斬り裂けぇッッ!!」 窮極のLegend-Armsが、今更時代遅れな旧支配者の一柱ごとき、斬れぬものか。 ● ツェーンが振り抜いた一閃は、怠惰の王の毛皮に一筋の傷を着けることすらできなかった。 「は――?」 彼の端正な輪郭が驚愕に歪む。 ツァトゥグアの体表を斬りつけた一瞬がやけに長く感じられる。ツァトゥグア自身この状況は想定していなかったのか、一瞬呆けたように口を広げ――それを直ぐに醜猥なものに変貌させた。 「や、べ――マズ……っ」 「惜しかったなァ……。神に刃を向けた不遜を、しかし我は赦そう。褒美に受け取れ――!」 剣閃の衝撃が大気に霧散するまでの僅かな一瞬。その間に、先にも解放された闇の賜物が猛威を振るう。ベルフェモンのものだった魔爪が叩き込まれてツェーンの身体が地面に叩き込まれる。まるでスローモーションで或いはコマ送りで再生されるムービーの一幕のようだった。一拍遅れて地面に肉がぶつかる音を耳が認識して、更に一拍遅れて邸宅の庭に生じたクレーターを目が捉える。 「ツ――「十三ッッ!!」」 私が叫ぶよりも一段と早く、宮里定光がツェーンに駆け寄る。今更彼を想う深度で負けたなどと言うつもりはなく、単にVブレスレットを抱えていたから、或いは彼の痛ましい姿に初めに抱いたのがショックか憤りかという違いでしかない。宮里定光は有羽十三の掛け替えのない友だ。私が居なければ、人間とデジタル・モンスターの間に存在する言葉でなく定義上のパートナーという言葉であれば――有羽十三には彼こそが相応しい。 「おいっ、十ぞ……っ。 ……しっかり、しろよ……!」 その証拠に、真っ先に彼に駆け寄り助け起こそうとする宮里定光の姿は彼の相棒としてこれ以上ない程完璧だ。インスマスの海岸で見せた彼らの友情は敬意を払うべきそれであり、ツェーンとデュランダモン、二つの好意の狭間で雁字搦めになっている私が介入するべきではない。最も素晴らしき友の手に導かれ、陥没した大地から再び黄金の輝きが溢れ出すだろう。 けれど、それを理解した上で。 「ツェー……ン……?」 私の身体はまるで幽鬼のようにフラフラとクレーターに近付いて、宮里定光を押し退けていた。ツァトゥグアは陰湿な雰囲気を漂わせたまま、宙空に静止して私たちを観察していた。都合がいい。舐め切っているのならば反撃を見せてやろうじゃないか。ねえそうだろうツェーン。だからほら、演技はもういいんだ。胡散臭いムーヴは私たち二人とも大好きだけれど、油断を誘うためならもうこれ以上ない程成功してる。 「おい、やめろ――っ、見るな!!」 どうして宮里定光はこんなに焦っているのだろう。有羽十三に相応しいのは彼でも、ツェーンの真意を理解できるのは私だけだ。その証拠に、クレーターの中を覗き込めば不屈の笑みを浮かべたツェー、ン…が……。 「ツェーン……? 嘘、だろ……ぅ」 膝から崩れ落ちる。クレーターにのめり込みそうになり、宮里定光に支えてもらう。 嘘だと言って欲しかった。ツァトゥグアの言葉でもよかったし、ヒュプノスの魅せる悪夢だったとしても構わない。誰でもいい。宮里定光でもいい、邪神でもいい。どうか目の前の光景を否定して欲しかった。 「いいや、事実だとも」 この光景は幻覚などではなかった。魔王の姿を奪った邪神の濁った瞳にも、無残にも引き千切られた肉塊と、砕け散った黄金が写り込んでいる。 「しかし気の多いことよ。ネクロフィリアだけでは飽き足らずナルシズムか? 随分節操がないな、少しは慎みと言うものを持ったらどうだ。これではまるで色欲だ」 「アァ?」 私の腕を掴んで身体を引き上げながら、ツァトゥグアに対して威嚇する宮里定光。それを有り難いとは思うけれど、私の身体はもう自力で立つ事もままならないほど力が入らない。 分かってはいた。理解してはいた。私たちは上位の究極体に等しい火力を持つものの、肉体的には人間に過ぎない。ツェーンは空を飛べず、私は盾を手放せない。彼の得物は攻防一体のLegend-Armsだが、斬り払いという無敵の防御が通用しなければ待っているのは敗北だ。 「どうだ二代目Jよ、貴様の愛を差し向ける代替品はこの手で粉砕してやったぞ。」 「おい落ち着けよ。耳を貸すな、取り乱すな。まだだ、まだ終わっちゃいねぇ」 「いいや終わりだ。貴様らの魂はサイクラノーシュの理に呑まれ、永劫我らの無聊を慰めるために用いられるのだ」 世界が遠い。薄いガラスを隔てたような感覚どころか位相が違うようにすら感じられる。何か会話するような囀りが聞こえて、しかしその囀りの片方がどうにも忌々しくて仕方ない。皮膚の上を這いまわる蟲のように、この声の主に魂が汚されていく。 「なぁ、二代目よ。この肉に宿る記憶が教えてくれることは多いが、分からぬことも多い。一つ教えて貰おうか。気になって夜も眠れんなあ、怠惰たるこの我が」 獣欲を滲ませた嘲笑に思わず耳を塞ごうとするが、物理的な遮蔽は意味を為さず脳が犯される。それは全てが真実でこそないが一端の真実は紛れていて、私がツェーンを愛する資格がないことが浮き彫りにされる。私の心の海から浮上してルルイエさながらに世界を圧迫してしまう。 「先代――死体の具合はどうなのだ? 腐汁に塗れ蛆に乳を吸われ、それで貴様は喜悦を漏らすのかぁ? おお悍ましや汚らわしや。まるで月棲獣かの様ではないか。はっははははははははははは――!」 「テメェ、言わせておけば図に乗りやがって……!」 「ん? ハハ、威勢の良いことだ。貴様に用はない、死ね」 隣の彼が、憤りも露わに食って掛かる。とても嬉しいことだけれど、悪手に過ぎる。邪悪な神格を前にして人類にできることなど、震えて慈悲か気紛れを祈るしかないのだから。 獣の剛爪が軽く振るわれただけで、彼の肉体が砕け散るビジョンを幻視した。デジタル・モンスターの特殊能力が意味をなさない以上、アルフォースでは『技』を防げても攻撃は防げないかもしれないと頭の中の狂っていない部分が即座に判断して――。 「宮里君、ダメ……っ!」 ――彼の親友まで喪わせてなるものか! 身体が反射的に動いて、イージスを両腕で構えて受け止めた。 「あぐっ、あ゛ぁあ゛っ!!!?!?」 けれど防ぎ得たのは一撃だけ。両腕がへし折れ、もうイージスは掲げられない。ナイツ随一の山羊皮の盾は見事に物理障壁として機能してくれたがやはり担い手の脆弱性が足を引っ張った。激痛と骨の折れる衝撃は神経線維の伝達速度で考えれば深部感覚である衝撃の方が先に脳に達している筈だがそんな事を考えている余力もなければ速度差を知覚している暇もない。 「依存先がなくなれば次の男に媚びを売るのか? いっそ健気とさえ言えるが――とんだ淫売だ」 こんなもの地の旧支配者にとっては手遊びに過ぎないと分かっている。その程度の力に懇親の防御を為さねばならぬ現状はどう考えても詰んでいるけれど、それでも私は彼を守り抜かねばならない。ツェーンの親友。私の恩人。彼がいなければアメリカ東海岸で私はパートナーと真に再会を喜ぶことはできなかったし、ツェーンと本当の意味で分かり合うことはできなかっただろう。代償行為に過ぎぬと分かっているけれど、イグドラシルの職務などあって無きが如しと分かったとしても、最早打開策の一つも浮かばなくなったとしても、諦められるものか。 「あぐっ、ギ、ぃ――ゴッド・ブレス!」 魔楯アヴァロンの全方位防御シールドは通用しない。案の定二回目の攻撃はいっそ小気味よい音を立てて結界を破壊した。だがアヴァロンそのものは実体楯で、ゴッド・ブレスの発動時には輝きながら空中で制止してくれる。本来のベルフェモンが全力を出して破壊できるかどうかという代物は、二撃目も十分に防いでくれた。 けれど、これでお終いだ。ナイツの武装にはまだ聖盾ニフルヘイムもあるが、腕が動かなければ使えない。ここで戯れにツァトゥグアが手を止めなければ私たちに待っているのは死以外には存在しないし、そんな甘い考えを抱いてなんとかなる状況じゃない。 「愉快な出し物だ。その盾は識っているぞ、三秒しか使えんのだろう。さぁ、次はどう凌ぐ」 「決まっている――」 左肩にブレイブシールドを形成、半身になって彼の前に躍り出る。その時見た宮里定光の表情はどんなものだろう。恐怖? 嫌悪? 呆然?――違う、赫怒か。こんな私に……先代に依存してそのガワを纏わなければ戦えなかったような無様な女にそれほどの価値を見出してくれて、本当に嬉しく思う。 迫り来る魔爪、死の恐怖はない。ツェーンも、デュランダモンも死に、その魂はリアルとデジタルのどちらに行くのだろう。それともツァトゥグアの言ったように土星に引きずり込まれるのだろうか。どれでも構わない、私もこの後すぐ、後を追うから……だけど。 「――宮里君。無責任だけど、どうか無事で……!」 だけど、せめてこの身を彼の残した何かの為に捧げないと、私はツェーンに顔向けできない! ● 無機質な直剣としての黄金も、有機質の五体も魂魄だけとなって周囲の状況を認識している。魔王の爪で引き裂かれたものはダークエリアで彼の血肉となる。その大原則に則れば、ツァトゥグアに殺された俺たちは土星という奴にとってのパンデモニウムに引きずり込まれるのだろう。そしてそれはJも、定光も同じだ。 ――許せるか。 肉を喪ったデュランダモンが囁く。 ――許せない。 霊魂となった俺は答える。 当然だ。俺たちのふがいなさが、奴を断ち損ねた。顔向けできないのは俺たちの方だ。デジタル・モンスターでないから斬れないだと? ふざけるな、下らぬにもほどがある。 ああ、だが、最早身体は動かない。俺たちはあの旧支配者を斬り損ね、Jと定光を守り損ねた。それが現実。世界は地の旧支配者に支配され、この宇宙はアルゴモンだったあの忌々しき神性に支配される。 義憤か、嘆きか。果たして何なのか自分でもわからない感情が総魂を渦巻いている間にも、場面は進んでいく。今、ちょうどJがブレイブシールドを肩に装備したところだった。 最後の最後まで、Jは目を瞑りもしなかった。定光を優しげな瞳でみて微笑んだ後、確とツァトゥグアを睨みつけていた。 『――宮里君。無責任だけど、どうか無事で……!』 霊魂となったことでパートナーへの感受性も強化されたか、その思考までなだれ込んでくるようだった。バカな奴だ、この状況に責任をとるべきは俺たちだ。 なぜならば、俺たちは勘違いをしていた。調子に乗っていた。為すべき事を為さず、Jとの邂逅に浮かれに浮かれていた。 お前に顔向けできないのは、俺の方だよ。 ――パートナーの影に隠れるデジタル・モンスターなど、ぶっちゃけクソダサいだろう。 ● 目の前で、信じ難い光景が繰り広げられていた。 銀髪の美少女は我が身を守ろうと矮躯を絶望に晒し、黒髪の青年と至高の黄金は奇跡を起こした。 死者蘇生と、融合。 担い手と剣が同一であることが理想などとは、口が裂けても言えるものではない。やはり剣とは、担い手と武器が揃ってこそ。 ――目映いまでの漆黒が、闇を微塵も匂わせぬ清廉な赫怒を纏っていた。銀髪の愛すべき彼女を庇うように、我が主の子ヨグ=ソトースとシュブ=ニグラスの双子の子ナグとイェグ、その息子であるツァトゥグアの腕を斬り裂いた。 「パートナーの影に隠れるデジタル・モンスターなど、ぶっちゃけクソダサいだろう」 あぁ、羨まんばかりの光景だ。私は眩しさに思わず目を細めて彼らを見つめる。アレも羨んでいるようだったが、人間にだけ許された特権はあまりにも多い。 特権――奇跡を目の当たりにして、私も己のなんたるかを思い出した。あぁそうだ、思いも寄らなかったが、宮里定光――私もまた神。人として生を受け、人として17年の時を過ごしたナイアーラトテップの千の化身の一。遙か昔より旧神ヒュプノスに化けていたあのナイアーラトテップと引き合うのは当然で、そして目の前の彼らが言うパートナーの情というものが理解できなくても当然だ。何故なら根源を同じとする二人だったのだから。 だが、間近にそれを触れて、確かに心地よいと思った。 こんなにも胸をうち響かせるものがあったというのか、私は真理に至ったと確信できる。 なにせほら、その証拠に――。 「っ。き、みは――!」 「ありがとうレイラ、お前のお陰で間に合った」 ――聖剣デュランダルは、更に進化した! これほどの感動、これほどの充足。感謝しかない。二度の死を尚越えて、再び彼らは惹かれ合うのだ。やはり、あの私は間違っている。雛鳥は既に卵から孵った。雛は私のゆりかごの中で育ち、巣立ちの日を迎えるべきなのだ。 二度の再臨を果たした彼は、白亜に輝く直剣を誇らしげに掲げた。 ――では今宵、忌々しき交響曲の幕引きと行こう!
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パラ峰
2019年11月04日
In デジモン創作サロン
6-1 再会レイジネス <<前の話 目次 次の話>> 「天文学には明るくなかったかな? どうやら、日食が近いらしいな」 「アメリカ大陸のオクラホマ州に、不可思議な爆発跡があったらしい」 「「「――えっ」」」 人間3人の言葉が重なった。 「よし落ち着こう。まずアルゴモン、日食だって? 確かにあと二日で日食が観察できるらしいって話は、俺も学校で聞いてる。だが、日食に関わるデジタル・モンスターなんかいたか?」 「うむ、それについてだが些かの論拠はある。だがその前に、J殿が功を奪われたかのような面持ちをしているのでな、先にそちらの話を聞いてさしあげろ」 うーむギリシアの神格、人間をよく見ている。ゼウスはどう考えてもクソったれだが、ハデスおじさんといいこのヒュプノスといい、ギリシア冥府に関わる神格はまともなのが多いのだろうか。 ともあれ気遣いサンキュ、ということで真横に座っているJに水を向ける。能面のような表情で紅茶をテーブルに置き、裏切り疑惑が晴れてなお魔性を崩さない可憐な声が響き始めた。 「爆発跡――と言ったのは他でもない。クレーターとも違うようでね、どうにも地下にあった不発弾が今頃起爆したのではないかと言われている」 これがその新聞だ――と、虚空から英字新聞を取り出す。もう何でもありだなイグドラシル・J。ドラえもんか貴様。 英語は嫌いじゃないが、新聞記事ともなると気合を入れないと読解できない。ただ、オクラホマだとかエクスプロ―ジョンだかエクスプローデッドだかいう単語は見出しから読み取れた。モノクルの奥でせわしなく左眼を動かしながら、Jは講釈を開始した。 「だが、私はそうは睨んでいない。と言うのもイグドラシルのログに残されていた情報には、クン・ヤンと呼ばれる青く輝く大空洞世界が記されていた。オクラホマ州カド郡ビンガー村のとある塚に開口しているらしいが……何よりも、その地下世界には土星より飛来したツァトゥグアという神性、すなわち"地"の旧支配者が眠っているらしいからだ」 「成程、では御身はこう仰るのですね。彼の神性が悠久の眠りより目覚め、地下から地上に向けて飛び出したが故に、地底の爆発物が起爆したかのような爆発跡を残したと」 「物分かりがよろしくて大変結構。私たちは既に旧支配者の二角を討ち倒している。パラケルススが16世紀に確立させた四大元素の内、風と水が落ちたわけだ。そもそも何故休眠に入っていたかはわからないが、パワーバランスの変貌で、地たるツァトゥグアが活動を再開させてもおかしくはない」 「ん、了ー解。つーことは、地球上のどこかを、そのツァトゥグアが飛び回っている可能性が高いってわけか」 定光の発言は尤もだ。今のJの弁ではそういうことになる。旧支配者のような異常存在が出現すれば、それは都市伝説のようなフォークロアどころではなく一大事件となる筈だ。イグドラシルの権能を以てすればリアルワールドの情報にはどんなものにもアクセスできるだろうから、後手には回るが居場所はいずれ分かるだろう。問題があるとすれば。 「いきなりこっちに突っかかってこられると困るな。どのデジタル・モンスターになっていそうかは分からないのか?」 そう尋ねると、Jはまるで軽薄なアメリカンのように肩を竦めた。しかし華奢な身体でのそのムーブは苛立ちを覚えさせない。 「お手上げだ。私の左眼は今もイグドラシルを当たり続けているのだが、ツァトゥグアに該当しそうなデジタル・モンスターは見当たらない。よって警戒を密に――と言うことしかできないね。索敵に関しては、君を頼らせてもらいたいが。アルゴモン・ヒュプノス?」 そのモノクル、そう言うブツだったのか。思えばアバター時のJも常時左目をぐるんぐるんさせていた。思わぬ発見に驚いていると、話はアルゴモン・ヒュプノスに引き継がれた。 「お役に立てるようで何よりです。お任せください、この街に近付く人外存在を発見次第、お知らせすると確約しましょう」 瞳の模様の仮面の下でどんな表情をしているのだろうか。既にアルゴモンの意識はなく、己がヒュプノスであることを明かした上で尚イグドラシルの端末に敬意を払い続ける彼は、青白い肌に笑みを深めて続けた。 「さて、では私の方から話をしよう。日食についてだったな。ギリシアも勿論だが――古来より世界中で、太陽を神ととらえる文化があるだろう」 「ああ、お前――ヒュプノス自身、ニュクスの息子で、タナトスの弟だろう」 それはつまり、太陽だけではなく、あらゆる自然現象を神と認識する下地があるということだ。俺が口にしただけでも夜、死、そして眠り。更に言えば、太陽神と言えば俺たちとしてはアマテラスが自然と連想されるが……。 「つまり、アレだな? 日食に合わせ、何らかの太陽神が降臨すると、そう言いたいんだな。普段ならそんなこともあるまいが、リアルワールドとデジタルワールドの境目に綻びが生じた現状、かつJの策謀でこの街にはそうなるだけの下地がある。アポロモンか、アグニモンか――」 「――ホルスモン、ネフェルティモン、あるいはバステモンかもしれないね。ともあれ納得のいく話だ。盲点だったよ、国外にばかり目を捕らわれていて、気付くのが遅くなった。情報提供感謝しよう。その太陽神系デジタル・モンスターが邪神であろうとなかろうと、イグドラシルの端末として、彼らがこの世界に紛れ込むならばデリート、或いは送還しなければならないからね」 いささか心当たりが多くて対策が絞り切れない。無論どのモンスターが来ようとも、それが世を乱し、Jに労苦をかけさせるなら容赦はしないが。 とりあえずの情報交換が終わり、結局は網を張って場当たり的に対処すると言う結論に至ってしまった。少しばかり気まずいような沈黙が流れていたが、定光が唐突に指を鳴らした。パチンという小気味よい音がリビングに響く。 「……ん? さっき四大元素って言ったよな?」 「あっ」 Jが口元に手を当て、小さく驚きの声をあげる。俺も同感だった、火と土と水と風。水と風は俺たちが滅ぼし、土は恐らくその活動が確認できた。ならば残るは――。 「火の神性、ってやつ。そいつ日食のデジタル・モンスターなんじゃね?」 たっ、確かに~~~~~~~~~。 余りにもわかりみが深かった。 「J,火の旧支配者についての情報は?」 定光からJに視線を移す。左眼を忙しそうに動かしているかと思ったが、その予想は裏切られる。彼女の左眼は一切動いておらず、むしろ瞳孔が開いていて、恐怖を抱いていることが明らかだった。 「……ない」 苦々し気な口調。唇を軽く噛むようにして、彼女の白い手が少しだけ震えているように見えた。寒くもない筈なのに膝の上で震えているJの手に、迷わず手を重ねる。 「――ありがとう、落ち着いたよ。"火"の旧支配者についてだね。一言で言えば、情報がなかった。ここまでその存在に触れなかったのは、私が話題に出したくなかったからと言うのもあるのさ。 私が知っているのはね、四大元素に相応する4柱の旧支配者が存在することと、火以外の3柱、そしてその眷属について……っ、だけ、なんだ。 と……ともすれば、あの時、私のっ、目の、前に、顕れた、アイツこそ……っ、大いなる理を名乗るアイツこそっ、火の神性なのかも、しれないと……っ」 「いいっ! もういい、それ以上喋らなくていい」 ウェンディモンと遭遇した晩、真実の一端を俺に語った時のように震え、錯乱しかけたJを抱き締める。細身の身体が、先日まであれほど疑いを捨てきれなかった不遜な彼女のことが、今はこんなにも愛おしく儚い。彼女の背を摩り宥めるさながら、胸の裡のデュランダモンに尋ねてみる。今のコイツなら、何かしら情報も答えてくれるだろう。 『(いや……ふがいないが、Jがイグドラシルの根元で目を覚ましたというその時、僕は死んでいた。正直、なぜ死んだのかもわかっていない。サタンモードとの戦闘で著しく疲弊していたことは否めないが、それでもあの時の僕に勝るデジタル・モンスターなど数えるほどもいない筈だったのに……)』 返答は苦渋に満ちた声色で。Jにこんなトラウマを植え付けた何者か――"大いなる理"に対する強い嚇怒も含め、持っている情報も俺と同じレベルのようだった。 「……悪いな。知っての通り、この話になると不安定な奴なんだ。せっかく来てもらって何だが、少し二人にしてくれ」 「ん、オッケ。行こうぜ、アルゴモン――アルゴモン?」 立ち上がって背を向けた定光とは対照的に、旧神はソファの後ろで突っ立ったまま動かない。顎に手を当てて思案顔で、忌々しいものでも語るかのように口にした。 「火の旧支配者ならば、知っている。厄介な存在ではあるが――そのように御身が怯えるほどのものではない。ご安心なされよ」 「は……?」 理屈は通る。アルゴモン・ヒュプノスは歴史の生き証人だ。リアルワールドにおける太古の情報ならば、やつがそれを知っていて、イグドラシルのログに残っていないことも頷けなくはない。だが、風・水・土――他の3柱の情報が残っているのに、火の1柱だけが名前すら残っていないなんてありえるだろうか? それはまるで、何者かが意図的に情報を改竄したかのようで、それができそうな存在のことを、俺は又聞きながらに知っている。"大いなる理"――俺がその存在の介入を強く確信する中、アルゴモン・ヒュプノスは語り出した。 「その神の名は、クトゥグア。地球からは27光年離れたフォマルハウトという恒星――君たち風に言うならば、テュポーンに追われたアフロディーテが姿を変えた、みなみのうお座の一等星か。その中に棲んでいる。 何故知っているのか……と言う顔だな。だが知っていて当然だ。ギリシアの眠りの神にして旧神、ヒュプノスたる私は、奴と激しく争っていたのだから。クターニッド、ノーデンスらと共にクトゥグアと対峙した私は、甚大な被害を被りながらも奴に放射能を浴びせることに成功した。発狂した奴はフォマルハウトへと逃げ帰った……。 クトゥグアを追い返したのち、我ら旧神は残る3柱とも熾烈に争い、滅ぼす事こそできなかったもののクトゥルーを都市ルルイエごと海底に沈め、ツァトゥグアをクン・ヤンよりも更に深い地底世界ン・カイに封印し、ハスターをおうし座のヒアデス星団に追い返した。ほぼ相討ちになるかのように、私たち地球古来の神々も眠りに就いたがね」 またしても、信じ難い情報のオンパレードだった。俺も定光も、ましてやJとデュランダモンでさえ気圧されている。そんな俺たちを他所に、アルゴモン・ヒュプノスはJに慈愛に満ちた微笑みを見せる。 「ですから、火の旧支配者は御身が恐れるような存在ではありません。相当な難物ではありますが、狂いに狂った奴に、"大いなる理"とやらのような理性的な振舞いはできますまい」 「なる、ほど……」 苦虫を噛み潰すかのように、Jは太古の地球の物語を飲み込んだ。 「むしろ問題は、放射能が今の奴にどう影響しているかです」 懸念は尤もだ。神格の言う"放射能"が俺たち現代人の知る原始だの電子だのが発するαだのγだの名付けられている線と同じものである保証もないが、胎内の人体にすら影響しうるそれが、異星の神を変質させかねないとも限らない。 「ああ。だがこの街の異形は、誰もが皆デジタル・モンスターになる。それこそコイツのように……だろ?」 「卵が先か鶏か先か。神格の存在とデジタルワールドの存在、どちらが先に在ったとかは置いといて、デジタル・モンスターが相手なら俺たちに負けはない」 なにせ俺と、デュランダモンと、Jがいる。胸の内に潜むコイツの戦意が、闘志が伝わってくる。 地表に迷い出たデジタル・モンスターを送還するのがイグドラシル・Jの仕事で、それを朽ちたイグドラシルの代わりに命じたのが"大いなる理"であるならば。Jの策にはまり、蛙噛市に顕現した旧支配者どもを殲滅すれば、かならず何らかのアクションがあるに違いない。その時こそ――。 「その時こそ、ああ誓いを果たそう。Jを傷つける者は許さない」 ましてや、今度は傲慢の超魔王との前哨戦などないのだから。今度は新しき友と、旧き人類の友さえ傍にいるのだから。 至高のLegend-Armsとして、二度の敗北など喫さない。きっとそのために、俺は繰り手と剣、その二つの姿を得たのだから。 ● 漲る闘志が空気すら裂いていたのか、やや引き気味の笑みを浮かべて定光は帰宅した。最早宮里家などアルゴモン・ヒュプノスの腕の一振りで崩壊させられるだろうに、未だにそうしないのはヤツがあの家を欲しがっているからか。それとも一般の人倫か。 「反抗期を続けた先に彼が望む世界はなんなのだろうね? 君の言葉で閉塞した未来を打開したのなら、希望まで無形の暗闇ではあるまいに」 ソファで隣に抱き寄せたJが、こちらを振り向く。エメラルドの瞳に映る俺の顔は、果たしてツェーンなのか、デュランダモンなのか。どちらでも構わない。愛しく甘美な髪を撫でながら続ける。 「さて、な。そこは俺にも分からん。俺とアイツの関係は、俺とお前とも、俺とデュランダモンとも違う。どちらも互いに救い救われたし、アイツが俺を信じてくれたように、俺もアイツがその程度の男じゃないと信じてもいる」 俺の影響で宮里定光が変わり、その責任を果たせと言われた。ならば俺は確と有羽十三のままで在るし、アイツのおかげで有羽十三が前世の己に認められたのだから、宮里定光は俺にとっても永劫輝く標に違いない。ならば俺が誇りに思うアイツが、もう自分の未来から目を逸らすことなどないだろうと確信している。 それでも。 「それでも、アイツを一番理解できるのはアルゴモンだろうよ。例えヒュプノスの部分がノイズになろうとも、アルゴモンの魂は、宮里定光を何より大切に感じるだろう。パートナー関係ってのは、そういうものだろ?」 「そう、だね。君がそう信じるほどの男なら、私も好意的に見るとしよう。……そもそも私たちの不始末のとばっちりで、彼が得られる筈だったパートナー関係を崩してしまったことに負い目がないと言えば嘘にな――っ」 それを踏まえて、大丈夫だと。言葉を遮るようにして。 自分と前世の境界が曖昧なわけでもないけれど。 前世の分まで、Jの唇を奪った。 「ちょっ、ツェ――んんっ!?」 驚いて逃げ出そうとするJだが、もう逃がさない。もう離さない。これ以上話させれば、どんどんネガっていくだろうお前。 Jに隠し事はもうない。確実に前世とのつながり――即ちJとのパートナー関係も含めて全てを取り戻した以上、彼女に対する違和は微塵もなくなった。 彼女のパートナーの身体はもう刃じゃない。もの言わぬ無機質な剣としてではなく、生身の身体をもって彼女と触れ合える。 俺が転生して、再会に至るまで。孤独な戦いを続けてきたJに、少しでもパートナーの存在を感じさせてやりたい。ねぎらいたい。全てを明かしたJはとても小さく見えて、この矮躯にどれだけの重圧とどれだけの傷が加わったのか想像するだに腑が煮えくり返る。 「J、大丈夫だ。余計な心労をかけさせて悪かった。定光なら絶対に大丈夫だし、そのパートナーなんだからアルゴモンも大丈夫に決まってる。俺の友だぜ? お前のパートナーである俺の、その友達なんだぜ?」 Jの肩に両手を置いて。細い肩から、やや低めの体温を布越しに感じる。 初めは翠眼を驚愕に見開き、次いで透き通るような頬に朱が差して、そして終いには、泣き笑いのように瞳を細める。そんなJの百面相を内心楽しみつつ。 「ふふっ、なんだいツェーン。さっきから大丈夫大丈夫と、まるで根拠が成ってないよ。まるで子供をあやすみたいだ」 「それだと俺は娘の唇を奪った鬼畜親父になるんだが……まぁ、この際置いとくか。とにかく、俺とお前が揃ったんだ、なんだってできる。お前が"ツェーン"に、最初に言ったことだろ? お前が背負ってきたもの、もう一度一緒に持ってやるから、さ」 再びJを胸に抱き寄せれば、今度は抵抗という抵抗もなく。 しばらくの間そうやって、俺たちは再会を祝していた。 ● それからどれぐらい経っただろうか。俺たちは強大なエネルギーを察知し、どちらともなく目を覚ます。 「無粋な話だ――ツェーン!」 「分かってる、迎え撃つぞ」 寝室の扉を蹴破らんばかりに開き、寝込みを襲われた武士さながらのスピードで抜剣しつつ玄関の外へ。Jは窓から飛び出し、竜帝のカレドヴールフを以て屋根の上に陣取った。陸と空をカバーして、海域でない蛙噛市ならばこれが万全な警戒態勢の筈だ。だが俺たちの警戒を嘲笑うかのように、気配の主は顕れた。 「どうした、二代目Jよ。この我に其処まで敵意を向けるとは――心外だなァ? 千年の安寧を得るために、貴様に他の魔王どもを滅する助力を与えてやったのは誰だったか」 突如として天高く火柱が立ち昇る――違う、これは天から大地に向けて放たれたものだ。深夜の路地を煌々と照らして、瞳を焼く火柱が燃え盛る。地獄を凝縮したかのような底冷えする邪炎の眩しさ、思わず辺りが昼になったのではないかと錯覚するほどだった。だが、親し気でからかうようなその声色には一切の敵意を感じない。 「何故、貴様が此処に居る――ベルフェモン」 いつでも飛び上がれるように警戒を解かず、低空を浮遊するように俺の隣へ降り立ったJがその真意を詰問する。それは小説『デジタル・モンスター』にて彼の魔王の結末を知っている俺にとっても、魔王を殲滅してしまったことで迎えたJの地獄を知るデュランダモンにとっても、そしてJ本人にとっても何より疑問なものであった。 「怠惰の魔王は――嘗て確かに、滅びたはずだ!」 氷の火柱は次第にその勢いを衰えさせる。薄暗闇に包まれた静寂の中で、魔王の剛体が姿を顕した。 6-2 クルーエル・ステラー 天よりランプランツスで演出して舞い降りた、怠惰を冠するダークエリアの領主ベルフェモン。司る大罪の如く、千年――即ち永劫の眠りを求め、他六柱の殲滅に力を貸した七大魔王の一角だ。油断なく魔王に向けて構えたLegend-Armsを介して、記憶と当惑が伝わってくる。彼は傲慢の超魔王との決戦に合わせ千年に一度のレイジモードを表出させ、自壊しながら満足気に滅び去った筈だ。それは確かにこの目で確認したし、幾度かの付き合いを経て彼が真実、滅びを望んでいることも理解していた。 「嘗て戦場を共にした人間と再び見えたいと思うのは、おかしなことではあるまいよ」 それだけに解せない。怠惰の魔王は一度縛鎖を千切れば、ひたすらに全てを粉砕して回る破壊神だ。だと言うのに、獰猛な容貌に理性的な瞳を湛えてこちらに会話を仕掛けてくる。見上げるほどの魔王の巨体、それだけで些かのプレッシャーを感じずにはいられない。 訝し気に警戒を解かずにいると、埒が明かぬとでも思ったか、向こうから愉快気にネタ晴らしをしてきた。 「お前達には悪いが、そもそもあの決戦、我は途中で没したが……アレは演技だ。無論傷ついたのも消耗したのも嘘ではないが、死んではおらぬ。志半ばで倒れたフリをして、後はダークエリアで引き籠もって惰眠を貪って負ったわ」 悪びれもせずに飄々と言ってのけたベルフェモンに眩暈がする。それはJにとっても同じなようで、再びデジタルワールドの"J"としての態度を見せて高圧的に会話を続けていた。 「ほう、ならば貴様はこの俺を謀ったという訳か。ダークエリアの一魔王風情が図に乗ってくれる」 「そう怒るな、我が生存していればこそ、今後のお前たちの戦いが楽になるのだからな」 「怠惰らしからぬ発言だな。よもや我々に協力するとでも言いたいのか? 1000年も経過せぬ間に」 「まあそう言うな、協力してやろうというのはその通りなのだから。我の眠りを妨げるに足る存在を感知したのでな、わざわざ西の方から飛んできてやったのだぞ」 豪放に笑いながら肩をぐるりと回す。その仕草はまるで快活なおっさんの様で違和感が拭えない。ベルフェモンとはこんな威厳のない存在だっただろうか。それはガンクゥモンの専売特許では? そしてそもそも、ベルフェモンは俺のことを何者と認識しているのだろうか。Jの協力者か? 少なくともデュランダモンの転生体だとは見抜けまいし……。とは言え今はそれ以上に気になる言葉があった。問いかければ、奴は二本の角の間にまるで電球を浮かべたかのようなモーションで。 「西の方だって? アメリカ大陸ってやつだったりするか?」 「おお、そう呼ばれておるのか? 我的には自分の領域で眠っておったつもりなのだが、どうもいつの間にかこの世界の暗域と繋がっておったようでな。なんか襲われたので寝ぼけ眼でボコってやったのだ。そうしたら、どうも東からもその謎の敵手と似た気配を感じるではないか」 だから、来てやったのだと言う。そしてその道中、俺たちという見知った気配を感知したから寄り道しただけだそうだ。 「どうせ、まだ世界の安寧とやらを目指して無謀に戦っておるのだろう。さいくらのす? とかいう異界から来たらしいそいつと同種の気配だ。異界から来たものは討伐すべきではないか?」 「っ、そうか。貴様も相対したのか――異界の邪神と」 もっと言えば、それを既に倒していると。恐らく、ベルフェモンの言葉にあった暗域――ダークエリアと繋がってしまった場所こそ、ツァトゥグアが眠るクン・ヤンだったのだろう。Legend-Armsを携えた俺が打倒できるのだ、七大魔王最強格のベルフェモンでも旧支配者を討伐はできるだろうが……突如縄張りを侵したデジタル・モンスターに攻撃したら返り討ちにされたと思しきツァトゥグア氏には憐憫を禁じ得ない。 「成程な、そりゃありがたく頼もしい。それで? もう一体の同じ気配とやらはどこにあるんだ?」 「おい待てツェーン、こちらに迷い出た以上、コイツも一応送還の対象で――」 「――だとしても、話を聞いてからでも遅くはないだろ? ともすれば、火の旧支配者を共に滅ぼしてからでも悪くない」 「うむ。そうさな、この街という事はわかるのだが……どうもまだ居らんようだ。薄皮隔てた一枚先、位相の半分程ズレたところ……そういう所に潜んでいるようだ。どうだ、心当たりの一つもないのか?」 そりゃクトゥグア出現の最も濃厚な説である日食は明日だからな。早めに来てくれたというのは勿論当日その場で第3勢力として出現して混乱させてくるよりありがたいが、しかしこの巨体、今日一日の間どうしたものか。 「貴様の出番は明日だ。もっとベストなタイミングで来られんのか、この木偶の坊め」 こめかみに手をやり、頭痛を抑えるようなモーションのJ。対しベルフェモンはまたしても悪びれもせず愉快そうに笑った。 「ん? おぉそれはすまん。では敵手が来たら起こすがよい。"火"の旧支配者――であったな? その討伐、貴様らに手を貸して……や…ろぅ……zzz」 闇に包まれて、深夜の月明りからも隠れるベルフェモンの巨体。見る間に凝縮され容積を縮めていく闇は、最終的にちょっと大きめのぬいぐるみサイズになって道路の中心にちょこんと収まった。 俺はJと顔を見合わせて、どちらともなく頭痛を抑えるように溜息を吐いた。 「仕方ない、明日、私が持って行こう」 「お前正気かマジで言ってんのか?」 「マジもマジ。大マジだとも。幸い私は見た目が良い。ちょっとぬいぐるみを学校に持ち込んだぐらいじゃそう問題にもならないだろう」 「いやそのぬいぐるみがすやすや配信並みに寝息立ててるのはマズいと思うんですがそれは」 「構うまい、美少女がぬいぐるみ持って学校に来たシチュに酔って、誰も気にしないさ。かく言う君も観たいんじゃないか? レイラ・ロウが可愛いもの抱えて机に向かう姿」 そりゃあ観たいか観たくないかで言えば観たいに決まっている。だがまあ、彼女がそれでいいと言うなら仕方ない。Jの判断に意を唱えたところで、なんだかんだコイツの行動が既に固まっているのは前からよく知っていることだし。 「オーケー、降参だ。欲を言えば、ベルフェモンスリープモードなんかじゃなくピンクで丸くて可愛いぬいがよかったがね」 ● はい、という訳で。 翌日の教室で例の宗宮女史などを筆頭にすったもんだありつつも、定光とアルゴモンにベルフェモンの存在および、ツァトゥグア(?)が人知れず討伐されていたことを伝え、最後の旧支配者を迎え撃つべく作戦会議に臨んだ俺たちは。 「物的被害はイグドラシルの権能でどうとでも改変できるとは言え人的被害はどうもね。だが、だからと言って野営など味気ないだろう?」 なんかウェンディモンとの邂逅時に我が家の目の前がいつの間にか修復されていた理由がさも当然のことであるかのように明かされたが、ともかく。 そんな台詞と共にJが一堂を案内したのは煌びやかな豪邸だった。敷地内に入るまで、外からはうち捨てられた廃墟にしか見えていなかったのだが……どうやらJは蛙噛市に越してきてから、ここに拠点を構えていたようだ。両開きの扉が主を迎えるかのように動き、正にフィクションもかくやといった風情のエントランスが出迎える。 「些かズルは駆使したが、金銭には困らないしね。名実ともに私の城だ。外からは変化が見えないが中はこの通り。人的被害はどうにもならないが、物的被害は私にかかればちょちょいのちょいだ。戦闘中にいくら壊しても構わないし、好きに寛いでくれたまえ」 「イ、イグドラえもん」 「どうしたんだいツェン太くん」 俺が驚いている間にも、応接間の扉を開けたJがソファに座って隣の座面をぽんぽん叩いている。来いと? 「まぁ、昨夜Jとも話したんだが」 前置きして続ける。言われた通り隣に座ったが、足元に適当におかれたベルフェモぬいぐるみが哀切を誘う。 「明日9時26分。今からおよそ16時間後、太陽が欠け始める」 次いで定光が座るのを見届けながら、幾度か確認した内容を携帯で再度確認しつつ告げる。高校生にもなって日食どうこうで騒ぐことはなかったが、それが完全に盲点になっていたことは反省点だ。 「それから1時間44分の後、皆既日食に至る。日食のどの段階でクトゥグアが飛来するかは分からないが、ここが最も濃厚だと思う」 「ま、そーだわな。太陽の化身が下界に降りるなら、太陽が空から完全に消えにゃならんだろ」 或いは時間制限付きのミッションか。皆既に近付くにつれ、旧支配者の力が増していく可能性もある。どちらにしろ、早め早めの討伐が望ましい。 「ここは回線も引いていないから、煩わしい電話も来ない――という訳で、明日はサボりだ。ふふっ、少しだけワクワクするね?」 「サボって秘密基地に集まってすることが格ゲーとかだったらまだ楽しいんだけどな」 「デジタル・モンスター探しだからなぁ。アレだ、一応そこのベルフェモンも日食が始まる前に起こして、右も左も分からん旧支配者サンをおびき寄せるんだろ?」 定光の作戦確認に、Jが首肯する。勿論こちらからも小説『デジタル・モンスター』でブルーデジゾイドの聖騎士が口にした「今の波動は……」という台詞の如く感知は怠らず、その上でこの屋敷の敷地内に狩り立てるつもりだが、バリバリ力の波動を垂れ流す存在がいればそれだけその方向に注意も剥くだろう。 「あぁ。その時は頼むよ?」 定光の足元、彼の陰に向ける言葉。返事は勿論、彼のパートナーたるアルゴモンの変異したアルゴモン・ヒュプノスから。 「お任せあれ。夢を司るこの権能、魔王の眠りと言えど妨げて御覧に入れましょう」 ぬらりとパートナーの影より立ち登ったヒトガタは、瞬く間に輪郭を獲得して蠢く"眼"の鎧を纏う。究極体となれば精強な巨人と化す彼だが、完全体の今は細身の体躯の周りでしなやかに蔦が蠢いていた。 「さて、物的被害を気にしないという事であれば、私も再び本気を出した方が宜しいかな?」 「それは君の判断に任せるよ、太古の善神。小回りの利くボディの方が有利な局面もあるだろうし、私たちのような若輩が差配するよりもいいだろう」 「御意に」 再びゆらめいて世界に溶けるアルゴモン・ヒュプノス。静けさを取り戻したJ邸の応接間に、残された三人――じゃなかった、三人と一体の魔王型の息遣いが響く。空気を切り替えるように叩かれたJの掌が、手袋同士のぶつかるぽふんとした音を立てた。 「では、各次解散っ! どうせ今日は異界存在も現れないだろう、夕食はコンビニでも外食でもそこのキッチンで自炊でもよし、だ」 そう言って立ち上がったJは「よしツェーン、今日もプリンを買いに行くぞ」と俺の手をひっ掴んだ。 「悪いな定光、我がパートナーは再会に浮かれてるんだ。適当にやっててくれ」 「あいよ。前世の因縁すっきり削ぎ落としていい感じになったんだ、パートナー云々はよく分からんけど、まぁ満足するまで好きにやりなよ」 ● 翌日。どんちゃん騒いでそれはそれとして時刻は午前9時20分。最初はドミニオンとかしてたのに夜半にJがゲーム機を出したので本当に酷かった……のは置いといて、俺たちは屋敷の庭に出てベルフェモンスリープモードを数メートル離れて取り囲んでいた。 「では、行くぞ――目覚めよ怠惰の魔王、最早1000年も眠る必要はあるまい!」 アルゴモン・ヒュプノスが権能を行使する。物理現象としては一切視覚でとらえられないが、きっとあの丸っこい山羊頭の中では何かしらの神秘的な幻想が為されているのだろう。それが証拠に、眠りから目覚めたベルフェモンの威が膨れ上がる。際限なく増殖する存在感は目の当たりにするだけで間違いなくこれまで斬ってきた旧支配者に匹敵するレベル。 「ん、おぉ、もう時間か。36時間程度では寝た気もせんな」 「十分だろう、寝坊助め。これより邪神討伐と洒落込むぞ、先日の言葉を翻すつもりはないな?」 ――『もっとも、その場合は先に狩り残しの貴様をデリートするだけだが』。 脅しつけるようにグレイソードの切っ先を向けながら告げるJにベルフェモンが鷹揚に快諾して、そうこうしている間にも太陽を闇が食らい出す。 「始まったか――ッ!?」 誰にともなく口にした言葉。それと同時に、これまでの敵手とは一線を画す狂気が世界を侵した。そして理解する。この邪神が、この邪神だけが、地球で封印されていたのではなく、外惑星に追い返されていた――外惑星で力を蓄えていたのだという事実を。 「おいおい、これで"片鱗"なのかよ」 明らかに異質なもの。蛙噛市全域にそれが出没していることが否応なく全身で理解できる。 天を仰げば、未だ太陽は照り輝いているのに、街中が薄暗闇に包まれている。そこには、燃え盛る炎の塊が半透明な濃度でもって空に鎮座していた。 「アレは……何モンだ……?」 ナニモンだ!! などというギャグが帰ってくることもない。チラリと横眼でJを盗み見るが、彼女もまた冷や汗を垂らして空を見上げていた。 「クトゥグア……まさか、往時のままの姿なのか……?」 その隣で呟かれる、怯懦を滲ませたアルゴモン・ヒュプノスの台詞。嘗ての姿そのまま。という事は、Jの計画に嵌まっていないという事になる。彼女の切羽詰まった表情はその為か。 「まずは小手調べと行こうではないか、受けてみよ、貴様の同族を屠った一撃だ――!」 獣の顎を深く歪ませて笑い、ベルフェモンが炎を纏った凍てつく鎖を天高くよりクトゥグアに向け射出した。ベルフェモン種が自在に操る氷の火柱ランプランツス。相反する属性はさながらオメガモンの秘奥・ダブルトレントのように氷炎どちらの属性にもダメージを通し得ると思われたが、火の神性に微塵もダメージを与えられず素通りした。威圧しただけで成長期のデジタル・モンスターが死滅する魔王型の一撃だ。それを受けて平然としていることも理解に苦しむが、黙したまま何のアクションも起こさないことも不気味に過ぎる。 「実体を持っていない……? 火という特性から考えればそれもあり得るが、しかしランプランツスは属性など貫通するだろう」 続くJの独白。共に戦った張本人がそう言うのだ、間違いはあるまい。となれば、未だ動きも見せないことも鑑みて、奴の位相がまだズレているという説が濃厚だ。俺たちからは手出しできないし、まだ奴からもこちらに干渉することができないのだろう。先に推測した通り、日食が完全に完成するか、少なくとも一定以上は超えない限り相互に干渉が不能なのだろう。 「でも厄介だな。こんな空気、一般人には耐えられないぜ……俺たちは一度、あの海で予習済みだけどさ」 「ああ、私でも記憶操作なんかは大々的にできる訳じゃない。下手に攻撃して気を惹けば戦い辛くもなるし、目立ちすぎることもできない……本当に厄介な場所に出現してくれたものだ」 「それはこちらで何とかできますとも。市民の夢の中に少々邪魔することになるでしょうが」 「なるほど。イグドラシルの権能と合わせ、つくづく便利な陣営になったもんだ」 定光の言う通り、この異質なプレッシャーは尋常の人間では耐えられるものではない。話している間にも少しずつ日食は進み、天が落ちてくるような威圧感は増してきている。この惑星に実態を持って降臨するまで手出しが出来ないのは非常にもどかしい。 そして、懸念事項がもう一つ。 「おいベルフェモン、お前が寝ぼけてボコしたって言う異界の邪神は、デジタル・モンスターだったか?」 アスタモン→ハスタモン戦でJが講釈した「デジタル・モンスター化することで我々でもハスターを傷付けることができる」という言葉。もしもクトゥグアがクトゥグアのまま降りてきたとすれば、俺たちに太刀打ちする術はあるのか。 オクラホマ州の地下世界はJが網を張ったこの蛙噛市とは程遠い土地だ。そこで目を覚ましたツァトゥグアが、デジタル・モンスター化することなく眠りに就くベルフェモンを襲い、返り討ちに遭ったのなら、まだ――。 「トノサマゲコモンだ。造作もなく引き裂いてくれたわ」 ――まだ、勝ち筋はあるかと思ったが。他ならぬ本人から希望が断たれてしまう。 「そうか……変わってくれりゃいいんだけどな」 「だが、やるしかあるまい。或いは私なら攻撃が通るかもしれん」 頼みの綱は定光とアルゴモン・ヒュプノスか。嘗てクトゥグアを追い返した旧神ならば、奴を再び退かせられるかもしれない。だが、ヒュプノスは旧神3柱で漸くだったとも言っていた。攻め手は任せるにしても、やはり俺達も何らかの役割は果たさねばなるまい。 太陽を喰らう毎にその力を増すかのように、空中の炎塊は存在感を増していく。空を仰がずとも、市民の多くは気絶なり気が狂いそうな感覚なりに陥っていることだろう。大気は時期も相まって冷え込んでいる筈なのに、じりじりと焼けつくような焦燥が胸を焦がす。そしていざ皆既日食が完成した時、遂に実際の炎と同じ濃度を得た炎塊が脈動した。俄かに膨れ上がり拡大する邪炎は、放っておけば市内の全てを焼き払うまで止まらないだろうと確信できる。 「止まって貰おうか――!」 青白い指先が小気味よく音を鳴らすと、炎塊を取り囲むように、どこからか顕れた茨で檻が編まれる。やはり旧神の力はアルゴモンのものとなっても有効なのか、燃え盛る異界の炎も意に介さない。脈動するクトゥグアを抑え込もうと重厚に茨を重ねていくが、縛られることを厭うかの様に、地上に降りてきた恒星が一際明るく燃え上がった。 「不味い、眼を焼かれるぞ――!」 Jの警告。咄嗟に片腕で眼を庇い、それでも感じる光が収まって直ぐに状況を確認する――いない。紛うことなく歴代最強クラスの敵手が見当たらない。だが総毛だつような威圧感は消えておらず、その正体は忽然と目の前に現れた。 「TA……t……Gu……繧ウ繝ュ窶……!」 茨の繰り主にして仇敵たるアルゴモン・ヒュプノスではなく、ベルフェモンに突進していたクトゥグア。走り抜ける姿を目で捉えたが、それは今までの不定形の炎塊などではなかった。怨恨を滲ませた声色で叫びながら、ベルフェモンへと突撃する。 「我に染み付いた奴の気配に喰いついたか――?」 その場から動かず、天より炎の火柱を落として迎撃するベルフェモン。だが怠惰の攻撃では遅すぎる、先程までとは真逆の小柄な体躯に恒星のエネルギーを凝縮したクトゥグアはスピーディな跳躍でそれを回避した。 金色の鬣に、緋色の体色と灼熱の鎧。背中のリアクターには恒星の輝き。されどその輝きは清廉な浄化の炎などでは断じてない。 その姿を、俺は勿論知っている。オリンポス十二神、ギリシアの神を象った十二体の究極体デジタル・モンスターが一体――アポロモン。ひょっとすれば、ここにギリシアの神格ヒュプノスが居る以上、彼を呼び水としてこの姿での顕現は当然だったかもしれない。名付けるならば、アポロモン・クスガか。 「よし、これならまだ何とかなる――行くぜデュランダモン、一先ずこれで最後の旧支配者だ」 だがデジタル・モンスター化してくれたのは僥倖だ。遂に再びの窮極に至った黄金の直剣を形成する。担い手と剣が同一存在であるというのは奇妙な感じだが、これこそ最も十全に力を振るえる形だろう。 「ああ、君と私ならば絶対に負けない」 傍らには愛しいパートナー。聖槍グラムと聖盾イージスを構え、インバネスの裾から四本の帯刀をくねらせている。 同時に疾駆、四方八方からベルフェモンに攻撃を仕掛けるアポロモン・クスガに斬りかかる。だが背後から襲い来る斬撃と刺突には目もくれないまま奴の手甲から連続して放たれる小さな熱球に、回避を余儀なくされた。 「アロー・オブ・アポロか――厄介な」 イージスの向こうで歯噛みするJ。アポロモン・クスガはベルフェモンの巨体から見れば余りにも小柄だが、それ故か、高速で動く敵に魔王は未だ攻撃を加えられずにいた。並みの究極体の攻撃とは格が違うだろう熱拳を数発以上喰らっているベルフェモンもよく持ち堪えている。 「俺たちもいるってこと、忘れないで欲しいね」 「然り――全員、飛べ!」 竜帝の翼を伴ったJに抱えられて空を飛ぶ。足元をアルゴモン・ヒュプノスから同心円状に広がる茨のフィールドが走り抜けていった。同じく空に飛び上がったベルフェモンに向けて手甲の照準を定めたクスガはワームフェイズの奔流に飲まれ、処理落ちするかの様に一時行動を停止させた。 「豁サ窶ヲ窶ヲ……縺ュ窶ヲ…TsA…th……OgG……Ua……!」 だがそれでも、その口から溢れ出る呪詛は止まらない。そしてその中には、辛うじて俺たちの知る単語も混じっている。しわがれて擦り切れた怨嗟の中にある"Tsathoggua"――ツァトゥグアの音列。それが向けられているのはベルフェモンだ。 なるほど確かに、ハスターとクルウルウは対立していた。四代元素的に考えて、特性が湿にして熱である風の神性と、湿にして冷である水の神性が対立していたという事実。で、あるならば乾にして熱たる火と、乾にして冷たる土は対立していてもおかしくはない。だが、やはり地の旧支配者の気配を残すというだけで、怨敵であろう旧神を完全無視するのは理解できない。或いはそれが放射能とやらの影響で、奴自身も狂っているのかもしれないが……。 「考えても仕方ない、とにかく今がチャンスだ」 「ああ――ファイナル・エリシオン!」 「我もか? ……まあ仕方ない、とくと見よ!」 Jの構える聖盾イージスに、俺も手を添える。神聖なる波動が、明確な形を持った円形のビームとして放たれる。全ての魔を薙ぎ払う、理想郷の名を冠した一撃だ。 俺たちの攻撃と同時に、ダークエリアの獄炎を凝縮した闇の賜物ギフト・オブ・ダークネスもまた発生していた。ベルフェモンの両の魔爪に蓄えられた暗域の力が、急降下する魔王の巨体と共に叩きつけられた。 「やれっ、十三!」 「任せろ、Jッ――」 幾ら強力な神性がデジタル・モンスター化したところで、動きを止められた上でこの波状攻撃を避けられる筈もない。具体的に何かを言わなくても、Jが聖盾を俺の足場にしてくれる。ベルフェモンに続く様にして、Legend-Armsの一撃を叩き込んだ。 「トゥエニストよ――斬り裂けぇッッ!!」 ● 即興ながら見事な連携だった。並みの究極体を超えるデジタル・モンスター3体に、イグドラシルの端末。これだけ揃えば当然の結末とも言えたが、アポロモン・クスガを確かにこの手で切り裂いた。 真っ二つになった火の旧支配者は、それでもベルフェモンの方に腕を伸ばして戦意を示したまま消滅していった。敵ながら見事な執念だと感心する。 「ク、ハハ。見事だ」 ふと気づけば、近くからゆったりとした拍手が聞こえてきた。音の主はアルゴモン・ヒュプノス。 「実に見事。お前達は実に良いものを見せてくれた。耐えがたき離別に耐え、認めがたき前世を認め、忍び難き狂気を忍んだ。あぁ、実に素晴らしく美しく――」 その声色は、先刻まで頼れる仲間であった筈の彼に対し、酷い嫌悪を余儀なくさせるもの。まるで俺たちを――そう、パートナーの定光でさえ虚仮にするかのような。 眩暈がする。ウェンディモンと戦った夜、Jから世界の真実を聞かされた時のような不快感。自己の認識が、世界観が根底から崩れ去るような――。 茨の絨毯から逃れていた定光も、一歩後ずさってパートナーから距離を取る。 「――羨ましく妬ましい。それは君達ニンゲンにだけ赦される感情だ、何とも面白い」 「アルゴモン……?」 訝し気に問うた言葉は、誰のものだったか。 ゆっくりと進化を遂げ、アルゴモンは究極体に変化する。本来、完全な漆黒である筈の伽藍の"胴"に浮かび上がる、燃える三つ眼 !闇 に 彷徨いし漆黒が、あるいは闇そのものとでも言うべききききそれが、いま、目の まえに 「悦び給え。君たちの物語は、斯くも世界を楽しませたのだ」 狂いかけた精神を、狂わせかけた本人の声で引き戻される。 分かることは唯一つ。 アルゴモン・ヒュプノスは、頼れる善神などではなかったのだ。 <<前の話 目次 次の話>>
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パラ峰
2019年11月04日
In デジモン創作サロン
5-1 僕らは目指したアルカディア <<前の話 目次 次の話>> 「てめぇ、一体何モンだ――!?」 「……」 宮里定光の詰問に、しかしデュラモンは堪えない。彼を一瞥した後――否、彼と共にアルゴモンの庇護下にあるJの姿を確認した後、飛行の速度を高める。目指すはダゴモンが変質したクルウルウ、その緑色の頂点だ。 《繧キ繝ェ繧「縺溘s縺コ繧阪⊆繧》 「馬鹿な、あの姿は……」 「知っているのか、アルゴモン!?」 旧神の巨体、その肩から掌に飛び降り、Jの様子を診つつ定光が面を挙げた。対するアルゴモンは面に無数に描かれた目の模様こそ一切変わらぬものの、明らかな驚愕を滲ませていた。旧神が前世――アルゴモンの記憶を言葉にするよりも早く、頂上に辿り着いたデュラモンが極光を放つ。 「――ブリンデッド」 聖剣より真下に向けて放たれるビーム。それは放った当人よりも余程巨大で、通常ならばあらゆる敵手を一撃のもとに蒸発させて余りある一撃だったろう。しかし常軌を逸したサイズを示す旧支配者には、そのゼラチン質の肉塊の一部を削り取るだけだった。 「デュラモン……後にデュランダモンへ進化し、数多の魔王を斬り伏せた。あのデジタルワールドで、Jと名乗る銀髪の女が従えていた……パートナーデジモンだ」 「フン、ようやく気付いたか」 自らの頭上に向けて放たれる邪神の触手を斬り散らしながら、遥か高みで黄金の剣は旧神とその相棒を虚仮にした。 「この無能の裡で見ていたが、いつ頃気付くのか内心楽しみにしていたよ」 「馬鹿な、貴様は傲慢の成れの果てを討ち、そして潰えたという話ではないか!」 「小説『デジタル・モンスター』の話か? だとしたら読み込みが足りないな。Jは一度も『パートナーデジモンが死んだ』とは書いていない――まあ、実際一度は死んだわけだが。それよりJをこれ以上傷付けるなよ、ここまでの傷はこの無能の責任だが、お前たちの庇護下にあって擦り傷一つ着けてみろ、お前たちも討滅対象に入れてやるぞ。どこまで逃げても探し出して刻んでやる。僕は蛇のように執念深く陰湿で陰険だ」 上空で輝く黄金はいつになく饒舌に語り、その感情の昂ぶりを隠しもしない。迫りくる触手の大群を全て斬り払い、攻撃の間隙を見計らって聖剣の切っ先から光を束ね、僅かに旧支配者を削り取る。 「一切の疑問に答えるつもりはない」とばかりに、にべもなく一蹴された定光は苦い顔のアルゴモンと顔を見合わせる。そして代わりに疑問を解消する声が足元で挙がった。 「ぅ……ツェーンは、有羽十三は、彼――我がパートナーデジモンの転生体だ……」 「目ぇ覚ましたか、っつーことは……さてはアンタ、知ってやがったな?」 触手に打ち据えられた衝撃で失ったのだろう、トレードマークの片眼鏡のない麗貌を片手で押さえながらJが上体を起こした。真正面から向かってくる聖剣の対処に忙しいのか、彼らに向けられる旧支配者の攻撃は散発的だ。十分なアルゴモンの防御の下、Jは訥々と語り始めた。 「ああ……私がイグドラシルの端末になったことは事実で、リアルワールドに流れ込んだデジタル・モンスターに対処する義務があるのも事実だ。だが、"大いなる理"にそれを命ぜられた私が初めに取り組んだのは、デュランダモンの捜索だよ……まぁ、今はデュラモンだがね」 情報統合樹イグドラシル――魔王戦役で枯れたそれに残されたリソースをフル稼働させ、彼女は消えたパートナーデジモンの行方を真っ先に調べ上げた。その結果見つけたのが蛙噛市に住む有羽十三で、何よりも彼に近付くためにJは動き出した。リアルワールドより抹消されたデジタル・モンスターの存在を世界に認識させるための舞台として、ハンドルネーム"ツェーン"として彼が屯していた創作物投稿・交流サイト『サロン・ド・パラディ』を選択したのもその一環だ。 「そうして私はあのサイトでツェーンと接触した。フォークロアとして蛙噛市にデジタル・モンスターが集中するように仕向けたのも事実だから、君達には私を責める権利もある……」 語るJの語調に覇気はなく、いつもの深謀を巡らせる余裕ぶった表情は一切ない。自らを貶めるような自嘲気味な笑みが浮かんでおり、それが定光には如何にも不可解に見えたが、それ以上に、彼には目の前で項垂れる銀髪の女に言いたいこと、言ってやらねばならないことがあった。 「なァに話、逸らしてやがる……! 『俺らの街にデジタル・モンスターを呼び込んだ』なんてどうでもいいんだよ。……アンタ、初めから分かってて十三に近寄ってきやがったのか!」 「ッ……そう、だ……」 有羽十三の親友は怒りのままに負傷したJの胸倉を掴みあげる。 脳裏に浮かぶ疑問すら即座に沸騰して言葉にならない。おかしい筈なのだ、パートナーデジモンの転生先が有羽十三であると言うならば、それがこうして彼の身体を乗っ取り表層に出現している現状こそ、イグドラシル・Jの望む状況の筈なのだから。だと言うのに、顔を背け視線を逸らす現実の彼女の姿が、定光には想像もつかない。普段の彼女ならば、真正面から自分を見つめ返すか、薄笑いを浮かべて意味深な事を言って然るべきだろうに。 「ン……の、ヤロウっ……! アイツが、どれだけアンタのことを……ッ!」 「どれだけ罵倒してくれても構わない……私はツェーンの前世を知り彼に近付き、今こうして彼を目覚めさせてしまった。私の意図にかかわらず、それが事実だ……!」 会話のさ中、旧支配者のそれとは一線を画す、鋭利な指向性を持った殺気が定光を射抜いた。思わず腕の力が抜かれ、無理矢理立ち上がらせられていたJの身体がアルゴモンの掌の中にくず折れる。 「イグドラシルのログにも、人間に転生したデジタル・モンスターの記録は一切がなかった。だが集積情報に間違いがなかった以上、ツェーンがデュランダモンの生まれ変わりであることは確実だった」 明らかに憔悴した様相、Jの表情は普段のそれからは一段とかけ離れたままだ。聖剣の一瞥で頭を冷やされ、冷静さを取り戻した定光は言葉を選んで問いかける。 「意図にかかわらず……ってアンタ、パートナーデジモンの復活が目的じゃあないのかよ」 「……自分でもわからない、わからないんだよ!」 両腕で頭を抱えるようにして狂乱する。 「そりゃあ勿論、初めは再会を望んではいた」 しかしイグドラシルの目を介して観測した有羽十三は、無論のこと一個の生命として十数年の生の果てに蓄積された個我を有していた。今を生きる者に、過去の残骸でしかない自分たちが、自分たちの都合を押し付けてよいものか。 「至極当然の命題だ。まっとうな倫理観の欠片でもあればすぐに結論が出る。死にぞこないの私などが彼の人生にかかわるべきじゃないと」 定光はJを視界にとらえたまま、親友が姿を変えたデジタル・モンスターの戦いを油断なく観察していた。今のところは千日手。蛸型の邪神が新たな動きを見せない限り均衡は崩れるまい。旧神アルゴモン・ヒュプノスが戦列に加われば、善きにしろ悪しきにしろ戦局は変遷するはずだ。 ――そう判断して、再びJを糾弾する。 「だったらァ!」 「君にだって分かる筈だろう、パートナーデジモンがいるのだから! たかが良心程度で、この狂おしく身を焦がす寂寥を抑えられるものか! だがっ……だが……ッ!」 「うるせぇッ、わかってたまるかわかるわけねぇだろ身勝手にも程がある! おおかた情が湧いたとでも言うつもりだろうが!」 「~~~~~~~~ッ、そうだよその通りさ。初めは"彼"に再び会えることだけを標に生きていた! だけどツェーンと過ごす時間が楽しかった、ツェーンと話していると心が躍った、ツェーンに会えると思ったその時なんて頭がおかしくなるかと思った! 惚れたんだよ、至極当然の流れで……彼に!」 「ふざけるな! テメェの都合で近付いて、テメェの都合で"ツェーン"と"パートナーデジモン"のどちらになるか決まるだとォ……!」 「誰もそんな事は言っていない。私が彼の行く末を決めるなどと思い上がっているなんて――!」 「自覚あるんじゃねぇか、でなきゃそんな言葉が出てくるものかよ……! 悩むくらいならいっそ、テメェはあの街に来るべきじゃなかったんだよ! お前らアレだぜ、アイツの、十三の人生に、後から追いかけてきた過去の遺物じゃねえか、そんなものに――」 二人の口論は互いの主張をかき消さんばかりに怒鳴り合うばかりで、幾度繰り返しても建設的な結論など出ようもない。恐らくこの場で、それぞれがそれぞれに、有羽十三を、そしてツェーンを最も理解している。それは過去に人生を救われた男と、今を生きる糧としていた女の差異であり、論点も事情も違うのだから決してどちらの想いが劣るというものでもない。 閉塞した人生に光を齎した相手に抱く強い友情と、絶望の中に見出した最愛に咲いた恋慕――。互いに一歩も譲らぬと誇り合うが、この場においては一歩、Jの感情が、困惑の分だけ引き下がっていた。 「――そんなものに、アイツの意志が介在しているものかよ!」 宮里定光は吠える。 「っ、ぅ――」 そして語り出す。 上空で踊るデュラモンの中にいる、意識があるかも定かではない有羽十三に聞こえるように朗々と。 ● ICレコーダーのスピーカーから、互いに互いの声を打ち消さんと躍起になるかのような怒声が響いている。 『なに内鍵かけとるんじゃ! わしに帰ってくるな言うんか!』 宮里定弘というのは完全なキの字で、代々受け継いだ宮里の名に著しい拘りをみせる瞬間湯沸かし器のような男だった。この時も、買い物帰りのお袋が誤って内鍵をかけてしまい、定弘の帰宅までに一家の誰もそのことに気付けずにいたことから始まった。 そして罵声を返すのは定弘の四男・宮里定光――つまり俺だ。 『やっっっかましいわボケ老人が、んな些細なことで一々がなり立てんじゃねぇ!』 定弘の訳の分からない沸点は今に始まったことじゃない。 『こっ、のっ、ヤ、ロ~~~~! 親に向かってなんだその口の利き方は!!!!!!』 一男の定国は東大を出て後継ぎとして戻ってきてイエスマンと化した。次男の定克は嫌気が刺したのか俺が小坊の頃に逃げ出して以来音信普通だ。そして三男、定臣は我関せず。定弘に会話を振られたら返事をするが、それぐらいの、最早同じ家に住んでいるだけの他人と言っていい距離感で接している。 『そういうところだぞクソガイジが! てめぇいつもいつも家の内外関係なくでけぇ声出しやがって!! ガキの面目潰して個人情報バラまいて楽しいかよキチガイハゲ!!!』 『宮里家は顔売ってナンボじゃろがい!! お前こそそのチャラチャラしい茶髪やめんか! 家の評判落として何が楽しいんじゃボケ!』 あぁお袋? アレはダメだ、話にならない。定弘の親や弟――つまるところ俺の爺や叔父だが、アレらには辟易しているようだが定弘の言動を是正するという気配がみられない。未だに愛に眼が眩んでいるわけではないだろう、怒鳴られれば泣き、定弘の居ないところで俺たちに幾度も愚痴を投げかける。つまるところ、家庭内環境に一切改善の兆しは見られないということだ。 兄貴らのそれは賢い選択だ。コイツが死ねば定国は莫大な遺産を受け継ぎ、蛙噛市に幅を利かせる立場になれる。定克など自由を求めて旅立った。幼心に残るような優秀な兄だったからきっとうまくやっているだろう。定臣は近くの大学に通いながら、独り暮らしのためアルバイトで金を貯めているという。本当は漫画家になりたいらしい。定弘はマンガに偏見こそないが、漫画家には強い職業蔑視を抱いているための苦肉の策だという。 『ハァ~~~~!? 落としてんのはアンタの方だろ? アンタの評価は巷じゃ大手を振ってガキや店員にイキり散らす老害オヤジだぜ? イマドキアンタみたいなのは流行らねーの、お・わ・か・り?』 だからああ、きっと単純に俺がガキなだけなのだろう。因果応報、為されたことに為されたことを――やり返さずにはいられない俺は、しかし生来の賢しらさもあって、定弘に反逆するものの定克の様には最後まで貫けない。 『~~~~~~~ッ! おっ、まっ、え~~~~~~~~~ッ!!!!』 障害沙汰だけは起こさない男だった。だが瞬時に沸騰した行き場のない怒りの感情の捌け口を求めた定弘は玄関に飾られる胡蝶蘭を引き倒し花瓶ごと粉砕、俺を押しのけて二階にある俺の部屋へと直行、蹴り倒しラジカセを床に投げつける。 そこまでくると、俺も醒めてしまって一切反抗する気力をなくす。経験則だが、ここまでいった定弘は言葉でも暴力でも止まらない。 奴は椅子や軽いデスクをひっくり返し、机の上にあるものを手当たりしだい払いのけて漸く荒い息を吐きながら落ち着く。 『フ~~~~っ、フ~~~~っ、……よし、飯食うぞ』 『……チッ』 「食事は家族全員でとるものだ」などというお寒い哲学を下に、定弘は食卓へ向かう。 下の階の食卓に向かえば、いつ帰ってくるかわからない定弘のためにお袋がせっせと料理を温めなおしながら、定国と定臣が無言で席に座っていた。 定弘に遅れて席について食事を始め、5人いるのに3人しか会話をしない食卓が始まり、そして終わる。 物に当たり散らし、空腹を満たし満足したのだろう、定弘は俺と定臣には目もくれず定国の部屋に我が物顔で定国を引き連れて消えていった。かわいそうな定国。今日もこれから寝るまで、あのクソ野郎と顔を突き合わせるのだ。 二階に戻る途中、定臣が小声で話しかけてくる。 『なぁおい、いい加減諦めろよ。あのボケ親父が気に食わないのは俺もだけど、事実お前はアイツに見放されたら終いだぜ? 俺は何とか逃げ出す準備を整えてるが、お前、年齢的にもまだそんな余裕もないだろ? おべんちゃらは国兄に任せていい気分でいてもらって、その内死んでもらおうじゃないか』 なにが、その内死んでもらおうじゃないか、だ。今日にでも暴走自動車が家に突っ込んで来て定弘だけ死なないものか。俺はずっとそう思ってる。 定臣お前はそれでいいのかよ、こんな金のある家に生まれて、しかも長男でもないお前が自由に道も選べずにケツ捲って逃げんのかよ。定弘のアホにここまで虐げられておいて、ありえねーだろ、ありえねーんだよ。 定克はうまく逃げだした。嗅覚がよかったのかもしれない。次男で、そしてあの年齢ならまだ定弘の影響という呪いはそこまで浸透していないだろう。 『ハッ、あのバカにそんな選択する知能があるかよ』 当時、俺より酷く荒んでいた定克を勘当することもなく、結局みすみす首輪を壊されてしまった愚かな定弘だ。無条件に家庭内の全てが自分の思い通りになると思っていて、だから定克がいなくなった件についても何が悪かったのか理解していない。 バツの悪そうな顔で『そりゃそうだけどさぁ……』と呟く定臣を尻目に、俺は次の日の朝の家族の団欒(失笑)まで、誰とも顔を合わせることはなかった。 ● 『――と、いうのが、お前がこの前見た光景のつ・づ・き』 ――視界の下方で、冒涜的な緑の肉塊が少しづつ削られては再生を繰り返す。 自らの身体が、裡より出ずるデジタル・モンスターに奪われたことは朧気ながら記憶がある。 内的世界に押し込められているからか、朦朧とした意識の中で、外界の情報処理とは別に脳の活動を感じる。ああつまり、走馬燈――とでも言うべきだろうか。 先ほどまで追体験するかのように意識下で感じていた定光の追憶。その光景は、眼下の凄絶な戦闘とダブつくかの様に続いていく。 『それで?』 往時の俺が、何と言ったらいいのか分からない、と曖昧に問いかける。 『んなフクザツなカテイのジジョーってやつをにやけ面で、しかも解説付きで聞かされてもな』 第三者視点で見る俺と定光は新鮮だったが……そうだな、この話を機に一段と仲を深めたのを覚えている。 『いんや、俺も悪かったと思ってんのよ? 正直油断してたからな。あの日はあのボケが帰ってくる時間も分かってたからさぁ、完全に有羽クンのこと巻き込んじまったわけで』 事情説明だよ、事情説明――とケラケラ笑う宮里家の四男にかけるべき言葉はあっただろうか。結局俺が選んだのは無難な言葉だった気がするが。 『あっそ、ならまたアイツが仕事で遠方に出てる時にでも招待してくれよ。あ、でも茶髪はマジでやめとけよ。パツキンかホワイトブロンドにしとけ、いいか、金か銀だぞ。忘れんなよ』 そう告げた時、奴はどんな顔をしただろう。髪色に対するパネェこだわりを大笑いされたことは覚えているが……。 ひとしきり哄笑が響いた後、定光は大まじめな顔で俺の脳みそを心配してきやがった。 『オイオイ……。オタク、マジで言ってる? 頭大丈夫か? CTとか撮るか? 受診料ぐらい出すぞ? ……トモダチ続けるとかじゃなくて、あの家にもっぺん行くって?』 『おうともさかりえ。お前こそ頭診てもらえよ。いいか? ここ蛙噛市に住んでて、宮里家の中に入れる機会をふいにする理由があるかよ?』 これはちょっと、言葉の選択を誤ったと思ったんだ。照れ隠しが強すぎた……そういう記憶が蘇ってきた。だからフォローするかのように、こう言ったはずだ。 『あ~、いや。そもそも、なんで俺がこう答えるとは思わなかったんだ? いや言いたいことは分かる。ドン引きはした。ぶっちゃけめっちゃ引いた。謝り方がノーガードで斬新過ぎるのもマジでドン引きしたお前ちょっとコミュニケーションがぶっ壊れすぎてると思う』 まあ、無理もないとは思うが。今の録音を聞いただけで、むしろ定光は宮里四兄弟のなかでも一番マシだろうと俺は思う。不当な支配、運命に従わない。逃亡するでもない。ああ、実によいことだ。一度でも受け入れたやつはダメなんだ。一回でもメイク落とした奴は10年後もスッピンのままなんだ。 『なんでお前がんな風に言ったのかは確かに分からん、いや幾つか想像はできるがそんな無粋は言わないよ。俺はお前が好ましい人間だと思った。今も真っ最中の宮里定光の反抗期を、俺は正しいものだと思ったんだよ……だったら一回ミスったぐらいでとやかく言わねえよ。成功するまで何度でも呼べよ。……いや、反抗期一番うまくやったのは次男の兄さんだと思うけどな』 メイクをし続けるこの男が、俺にはとても輝いて見えた。現状、Legend-Armsの中に居ても忘れていない。 『……クセえこと言うやつだな、オイ。じゃあなんだ。俺はどうすりゃいいと思うね』 何を簡単な、と言わんばかりに、当時の俺はこう答えたようだ。 『続けろよ、反抗期。お前、今辛くないだろう?』 ● ――『続けろよ、反抗期。お前、今辛くないだろう?』 思わず、眼を見開いたことを覚えている。 視界が拓けた――と言い換えてもいい。宮里定光の閉塞した人生観は、この男の導きでフロンティアへと辿り着いたのだ。 ……いや違う。有羽十三に言わせれば、俺の魂は初めからフロンティアにあった。アルカディアに至ったんだとでも言い直そう。 「持って生まれた役割なんかに、どうして縛られる必要がある? 家族、なんてその最たるものだろ――血の繋がりを厭わしいと思うのは環境によるものだが、それに反抗するかどうかは自分で決めるんだから」 この男は告げるのだ。いかにも軽薄そうな――俺が焦がれてやまない空舞う鷲の様に。 「要するにアレだ。はっちゃけが足りないぜ、定光? ヤンキーやるなら金髪にしとけ。あるいは銀」 5-2 一回でもメイク落とした奴は脱落者 「ま、アイツ、髪の色については断じて譲らなかったけどな。ああ言うのも魂が輝いてるって言うのかね」 自分で決めて、自分に従え。俺にとっては、それが十三が教えてくれたアルカディアだ。 だから今度は、俺がお前を連れていく。お前の魂を、元々あった遥かな空へと。過去の遺物どもが齎した、お前を地の底に繋ぎとめる足枷を、俺が外してやる。 「いいかっ――耳かっぽじってよく聞きやがれ、このクソボケ! お前ら両方のことだぞ、両方!」 傍の女が泣き晴らした目で、呆然とこちらを見ている。アルゴモンがぎょっとした表情を見せた――ように見える。クルウルウは人間を見ていない。 そして偉そうに輝くあの毒々しい黄金は、俺に一瞥もくれなかった。正直カチンと来たが、あの男ならきっと聞いていると信じて叫ぶ。 「いつまで引きこもってやがる! まだ寝てるなんて言わせねえぞ、この女はとっくに目ぇ覚ましてんだ!」 前世がショックだったかよ。Jに対して抱いている感情が、そこのデジモンの感情に由来するのかもと思ってるんだろう。髪色のこだわりだって、そいつのJを求める想念がそうさせたのかもな。 ああわかるぜ。俺も定国みたいになるのは怖かったよ。自分の思想が自分のものじゃなくなるのは怖い。まして、お前のそれは幼少期からどころじゃない。前世からの刷り込みだ。以前の俺とは比べ物にならないのかもしれない。 けどな――俺なりにアレンジしてこの言葉を送るぜ。 「振って湧いた宿命なんかに、どうして縛られる必要がある! 前世、なんてその最たるものだろうが!!」 俺を救ったお前がその思想を貫けなくてどうすんだ、俺まで救われねぇだろうが! 責任を取りやがれ、責任を!! ● 「そうだ、お前はそういう奴だった」 俺がそうしたんだ。俺もメイクを落とさないように生きたかったから――ちょっと危なかったが、コンサート中のメイク変更ぐらいに思って欲しい。 その言葉を覚えている。あの時の会話は今でも輝いている。 ゆえに今、ああこのときこそ、責任を果たそう。 「運命に抗うか、自分で決めろって言ったのは俺だよな。心配するな、思い出したぜ」 俺の魂は――少なくともデュラモンのそれとは別に確として存在する。そして皮肉なことに、今こうして完全にデュラモンと分離された俺は未だに"J"を好いているし、そう在ることを辛いとは一切思っていない。 それも当たり前のことだろう、何故なら――。 「寄越せ、デュラモン――!」 ● ――異なる他者とのかかわりで、自らを規定していく。それが人間と言うものだ。 そこに責任はあれど嘆きはないが、俺が定光を今のヤツに変えてしまったように。 有羽十三=ツェーンという人間の根幹に、生まれる前から縁のあったLegend-ArmsとJがいる。 それを、我が身は傀儡なり――と嘆くような卑小な精神は、ああ。 (助かったぜ、定光」 自らの根底にある俺を光明と為し、光に変えたこの男の前で見せるには余りにみっともなさ過ぎる。 「心を決めるのが遅すぎる) 再び剣の形に姿を変えるデュラモンの、去り際の口の悪さに思わず苦笑するが、次の言葉でコイツの印象を大きく改めた。 (好きに振るえ。僕の全力を振るうことを――まぁ、許可してやる) ツンデレアームズかよ。インテリジェンスツンデレソードかよ――そう言ってやると、今の一瞬で進化を遂げたデュランダモンは俺の裡でふて寝でもしたかのように黙りこくった。 「さて――待たせたか? 二人とも」 「おう、待ったぜバカヤロウ」 「ツェーン! ツェーン……君なんだね?」 元々デュランダモンが飛んでいたのは、クルウルウの頭上。俺には飛行能力までは付与されないようで、重力に従って足元のぶよぶよとした足場に着地する。 クルウルウは頭上で触手をなぎ払い、急にサイズダウンした頭上の羽虫を駆除しようとするが、それは人類に味方する神性が食い止める。 「ああ、俺だよ。ちなみに定光。俺はこの女に性癖全部筒抜けなので、お前の決死の説得の一部は既存情報だ」 「マジかよ勇者かお前」 「文面上のやり取りだとありゃ男にしか思えんわ」 「なーる」 「なに納得してるんだいツェーンはともかく君はぶん殴るぞ」 「ひぇえ、差別反対。許してクレオパトラ」 「ええいお前たち、デジタル・モンスター化でこの惑星の理に寄っているとはいえ、単騎で世界を滅ぼし得る神格を前に呑気な会話をするな……!」 晴れ晴れしい気分で雑談に興じていたのに水を差されてしまったが、まあアルゴモン・ヒュプノスの言うことも尤もだ。 「オーキードーキー、じゃあ"不滅の刃"のお披露目といこう」 究極に至ったLegend-Armsをクルウルウの頭上で構える。 全てを断ち、決して折れず、伸縮自在な聖剣、それがデュランダル[Durandal]。それが完全を超え、窮極に再び辿り着いた以上――世界を滅ぼす災厄など、既に幾度となく斬ってきた程度のものでしかない。 図に乗るなよ、別惑星の邪神。 「トゥエニストよ――斬り裂けぇッッ!!」 ● 「……回収さんきゅ」 「ああ、ツェーン、ツェーン! よかった、君が無事で……!」 ちょっと調子に乗っていたので、クルウルウをぶった斬ったあとのことを考えていなかった。海産物系ではなく植物系の触手に回収してもらい落下死というくだらない結末は逃れたが、目下問題が二つあり俺はとてもげんなりしていた。 ひとつはめっちゃ汚れたこと。ダゴモン→クルウルウの身体を再度両断してやったのはいいのだが、もう俺が斬っていくのが先なんだか体内に落ちていくのが先なんだかさっぱりわからんぐらいの巨体のおかげで全身べっとり粘液塗れだ。レアモンを忌避していた筈のデュランダモンも。直剣の形と成ったデュランダモンに意識を向ければ、表に出るつもりはないようながら憮然としているのは理解できた……と、ここまではいいとして。 もうひとつは、3人とも砂浜に降ろされた直後から、Jがめちゃくちゃ抱き着いてくることだ。いやわかる、わかるよ。定光との大喧嘩はデュラモンの中で見ていたから。その気持ちが本心であることも、俺がそれを受け入れて何も問題ないこともわかる。これまでの俺や定光の危惧も……まあ流石に彼女の取り乱しようを見たら晴れるというものだ。定光のアホが口笛を吹いて囃し立てるのもまあいいだろうあとで一発殴るけど。 しかし……ぶよぶよした肉塊が全身に付着したままの俺に抱き着くものだから、Jの顔や髪にまでそれがくっついてしまう。抱きしめて頭を撫でてやりたいと思うのだが、俺の家で普通にシャワーを浴びたことからも、イグドラシルの権能でなんとかできるのは服だけだと推察できるので非常に悩む。 「とりあえず……戻るか……」 後から聞くと、苦笑を浮かべた俺の口から初めに出たその声は、随分と疲労が滲み出たものだったらしい。 ● アルゴモン・ヒュプノスのハッキングによってゲートの座標を変更し、海底都市イハ=ンスレイへの直通路を閉鎖すると共に蛙噛市へと帰還した。正確には理が違うため、正確にはデジタル・モンスターによるハッキングではなくヒュプノスによる神秘らしいが、詳しくはわからない。 時刻はどうやら深夜。濃密な時間だったが、12時間も経っていないようだ。 帰宅と同時にアルゴモン・ヒュプノスは姿を消す。再び情報収集の体制に入ったようだ。俺たちはと言えば、3人が3人ともぐったりとしたまま、俺の家のソファーにバスタオルを敷いて座っていた。 「流石に、疲れたな……」 「だねえ……お風呂でこの粘液を洗いっこしようとか……提案する気力もない……」 「……いや、言ってんじゃん……」 「悪い、帰ってきたらドッと疲れて、茶化す体力ねぇや……」 「いいよ……茶化すのは義務じゃないだろう……?」 体重をクッションに預け、のんべんだらりとした時間を過ごしているとインターホンが鳴った。それも何度も。しかも最後の方はメロディーを刻んでいる……どこかで、聞いたことのある音なのだが……、はて。 「定光ー……出てくれ……」 「いや家主が行けよ……」 「めんど……いや、おまえが一番汚れてないし……」 「てめっ……まあ……そうだな……」 些細なことに拘泥する体力もないのか、定光はのっそりとした動きで玄関に向かった。鍵を開けたのだろう、客人の声が聞こえてきて、先ほどのメロディーの正体に気が付いた。 「おん? あれれ……? ここ有羽の家じゃなかった? いやでも宮里家にしてはちっちゃいしな――ってYO! YO! YO! 宮里家のぼっちゃんじゃwwwwwwんwwwwタバコ吸うなら家の中で吸うもんじゃないぜwwww家ではママンのおっぱいでも啜ってなwwwwん? あれ? おっぱいって啜って良いの? 吸うもんじゃね? わっかんねーwwwわっかんねーwww僕独身貴族だからわっかんねーwwwww。あ、ぼっちゃんこれからもどうぞタバコ屋としてウチのコンビニをごwひwいwきwにwwwwwwwwwバタン」 コンビニの入店時洗脳用BGMだ……。近所迷惑と言って申し分ない声量で騒いでいる店長の声がする。さてはあの野郎酔っぱらってやがるな。定光の冥福を祈っていると、意外にも早く終わったって言うかあの酔っぱらい「バタン」って言いながらドア閉めたぞ……何しに来たんだ……。 店長の来訪で猶更憔悴させられた俺たちは、生気の抜かれたような顔で帰ってきた定光をねぎらい、Jに服だけ変えて貰ってそのまま雑魚寝した。イグドラシルの権能、クソチート過ぎる。 ● インスマスの探索からおよそ一週間。一応毎日J及び定光・アルゴモンペアと街の探索や情報交換をしていたが、デジタル・モンスターの影を匂わせる影は見つからなかった。 「平和な日々だねぇ……久しぶりに落ち着いて過ごせるよ」 Jは最近"放課後の付き合いの悪いやつ"という認識が広まったようだ。朝夕、俺や定光と一緒に登下校しているところから、パリピの民どもも学校以外では寄ってこなくなった。Jは流石に演技力抜群なだけあって、ロールプレイ上の"J"も素のJも学校では見せていない。 そんな"ちょっと変な優等生"レイラ・ロウは、放課後に俺たちがオフ会をしたレスファミでそう言った。銀色のスプーンでマンゴープリンを口元に運んだ優雅な手つきに目が吸い寄せられる。 「むむ、どうした? ツェーンも食べたいのかい」 視線に気付いたか、だが残念だったな。俺の視線はマンゴープリンに向かっていない、貴様の余りにも綺麗な細腕に目を奪われていたのだ。などと内心でカートゥーンの様にBAAAAAAAAANN! とか効果音出していると、Jはスプーンに掬い取ったぷりんを満面の笑みで差し出してきた。 「マンゴープリンをお食べ?」 「落ち着け@PD_otabe!」 周囲の殺意がヤバい。俺らの服装が制服のままなのも相まってマジでヤバい。というか一番殺意やばいのが俺の胸の裡でマジパネェほど震えてるインテリジェンスツンデレソードなのだが。Jだけじゃなくて俺にも常時デレてくれ。 「ふふっ、冗談さ。君が私の腕に並々ならぬ執着を抱いた視線を向けていたことは知っているよ――?」 プリンを自分で咀嚼するJの言葉で周囲の視線が別物に変わる。しかもドヤ顔で黒セーラーの襟元から肩を覗かせるものだからリアルコキュートスブレスである。 「別の意味で空気凍らせるなよ、マジで」 「あはは、ごめんごめん。でも君の趣味に合っただろ?」 「お前のそのムーヴは彼氏のエロ本を見たエロ漫画世界のカノジョぐらいしかしないと思う」 第四の壁がどこにあるのか混乱しそうなシチュのアレ。 「私は君の理想の女になりたいんだ、幻想の女ぐらい簡単に越えて見せるぞ」 そして帰ってきた返事がこれだよ。ややこちらを振り回すきらいはあるが、いい女にも程がある。そう思うと急に穏やかな気持ちになった。 「……なんだい? 雰囲気が変わったが告白かい?」 そういや返事待ちでしたね君。 「いいや。お前は初めからいい女だよ……って言いたかっただけさ」 「うぇ、あ、え、ちょ、不意打ち、不意打ちは、ずるいぞツェーン……」 作り物染みた白い頬が見る間に上気する。打たれ弱いところも可愛いぞ。 そうして平和な時を過ごしていた俺たちは、次なるデジタル・モンスターに繋がる情報が既に街に溢れていたことに気付いていなかった。 ● 平和な日々はそうそう長続きしないもので、数日後、定光とJの二人から「異星の邪神」「デジタル・モンスター」の情報があると告げられた。まあこれまでの流れを考えると俺たちはきっと同じ標的を追いかけているし、情報も多面的に仕入れた方がいいだろう。そう考えた俺は、面倒なので同時に話をしよう――と言って休みの日の朝から俺の家に集合させた。 「うぃっす、お待たせー」 俺が反応するよりも早く、前の日から泊まりやがったJが我が物顔で迎え入れた。 「ああ、構わないよ宮里君。少し待っておくれ、お茶を用意しよう」 ……こいつ最近俺よりキッチンに立つ頻度高いんじゃないかな。奴の足取りが感情を反映しているのか、楽し気に揺れるJの銀髪の先端をぼーっと眺めていた。 暖かな湯気を立ち上らせるカップが4つ並べられたところで、定光の影よりぬっと顕現したアルゴモン・ヒュプノスとJがほぼ同時に口火を切った。 「天文学には明るくなかったかな? どうやら、日食が近いらしいな」 「アメリカ大陸のオクラホマ州に、不可思議な爆発跡があったらしい」 「「「――えっ」」」 ……どうやら、次なるデジタル・モンスターも一筋縄ではいかないらしい。 <<前の話 目次 次の話>>
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パラ峰
2019年11月03日
In デジモン創作サロン
<<前の話 目次 次の話>> 4-1 手馴れた探索者たち 目の前を歩くJの銀髪が揺れている。今にもスキップしだしそうな足取りで、彼女は俺を先導していた。既に鍵屋、ホームセンター、個人経営の電気屋などを巡っており、俺の手にはJの購入した幾つかの品物が提げられている。 Jに何かしらの質問をぶつけるべきだろうかと思いつつ、しかしその楽し気な表情には毒気を抜かれてしまう。定光に曰く「心酔してる」――骨抜きにされていると言えなくもない、かもしれない。美人に踊らされるなら本望だ! とかアホなことを言うつもりはないが、実際問題Jに猜疑を抱けど、どうすればその霧のベールを剥げるのかは分からない。どうしても、当たり障りないいつもの会話に終始してしまう。 「あのさ、お前これこの後設置までするつもり?」 「無論だ。そもそも君ひとりで設置できるものではないだろう。私の、そう、この私のDEX(器用さ)が必要になるというものだ」 胸を反らすJ。背骨の動きに沿ってセーラー上衣の裾が上がる。みえ……みえ……。 太いなら丸まれ細いなら反れという言葉は至言である。しょうがねえ。俺はスレンダーが好きなんだ。 「しかし思うんだが、設置した当人なら余裕で解除できるんじゃね? そこんとこお前の侵入をむしろ助長するだけなのでは???」 「……」 無言で目を逸らすな。身体は反らしていいけど目は逸らすな。 「ま、いいけどよ。もう好きにしてくれ」 「そうだツェーン、帰る前にコンビニに寄って行こう。作業の前に甘いものが欲しい」 話題を強引に変えるためか、そう言ってJは足早に俺の自宅最寄りのコンビニに入っていく。少し遅れて入店すると、入店洗脳BGMと共にスイーツコーナーを大真面目に物色しているJの姿が俺の五感を刺激した。 「奢られてばかりってのも性に合わないしな、ここは俺が支払うよ」 「何を言う、私は尽くす女なんだ。家を護るものとして、その防犯設備を整えるのは義務だよ」 「なんかこいつ勝手に家内の枠に収まってる!?」 「まあそれはそれとして是非ツェーンにこれを買ってもらおう。亭主の財布で支払ってもらうのも醍醐味だからね」 「そして地味に厚かましい!! ナンダコノヤロ~!」 「ウ゛ォ゛レ゛~! キッキックシャー」 反射的にネタを返すJからスイーツを受け取りレジに向かう。プリンパフェだ。またぷりんか。ぷりぷり。 「おねがいしまーす」 トン、とレジにプリンを置く。 「――断る」 は? 「あ゛?」 思わずメンチ切った。 「これから日も暮れるってのに制服で女と買い物ォ~~~? おいおいおいなんだこのリア充頭スイーツ(笑)かよ神罰が下るぜ神が認めても俺は許さねえ」 なんだこいつ。 「コンドームをお買い忘れではなwwいwwでwwwwつwかwwwwww? あ? 要らない? ああそうですか、生ですかそうですかおいおいそれなんてDQN? アレだろ、子供手当目当てなんだな? カーッ、地球に優しくなくて日本の未来に優しいねえ、少子化対策バッチリでーすってか」 おい胸の名札に店長って書いてあるぞ。いいのかコレで。 「いいか、俺は独身貴族だ。日本にも地球にも優しくない無慈悲な独身貴族様だ。貴族に逆らうつもりか。お前ら平民は俺に従え。売らねえよ売ってやんねーよいいか、コンビニはな、接客業じゃあーない。小売販売業だ。お客様は神様じゃねえ。っつか日の出てる内に買い物する奴は客じゃねえ。俺の勤務時間内に来る奴は客じゃねえ」 どうしよコレ。 「俺のコンビニで買い物していいのは深夜にしか出歩けないエヌイーイーティーかくたびれた残業帰りのリーマンか夜勤中の警備員だけだ殺すぞ」 えぬいーいーてぃー……あ、ニートか。 と思っているとJが三歩程前に出てきた。大きく息を吸い込んだ。おいおい喧嘩はよしてくれよ。 「すいません別の店員さんいませんか――」 「――おいばかやめろ」 バカはお前だ。 「っつか何なんですかてんちょー、俺いまバイトじゃないんだし無茶ぶりやめてさっさと帰らせてくださいよ」 実を言うとこのコンビニ、俺の時々のバイト先である。小説の資料費とか取材旅行費とかが嵩む度、財布が潤うまで働かせてもらっている。あまりよろしくない勤務形態だが、店長もご覧の通り人間としてよろしくないので問題視されたことはない。 「あー? ったくしょうがねえな……悪かった悪かった。なんか最近キモい客増えてムカついてたからよ」 そして"キモい客"という言葉にティンと来た。最早周囲に起こる微かな変化にも過敏になっているだけかも知れないが、これもまたデジタル・モンスターあるいは"旧支配者"に繋がる一手に成りうるかもしれない。 現時点で俺が知っていることは多いようで多くない。小説『デジタル・モンスター』で語られた設定は知っているが、それ以外は先の邂逅で定光とアルゴモン・ヒュプノスから聞いた内容だけだ。手に馴染むズバイガーモンのことさえ、Legend-Armsという存在であることしか知らない。 「キモい客ぅ? それってレジの前に姿見置かれたとかじゃなくてっすか」 邪神の掌で踊っているのか、それとも邪神に立ち向かっているのか。 流れる銀髪に覆われた灰色の脳細胞に悟られぬよう、できるだけ軽いノリで話の続きを求めた。 「いまなんで俺ディスられたの?」 「いいから教えてくださいよ」 「いやなんつーかマジでキモいんだよ。信じらんねーぐらい。チョベリバな感じ」 何も伝わらねえ。思わず本心からの言葉が叫び出る。 「語彙力ぅ!」 「あ? うっせーな語彙力なんかなくたって生きてけるんだよこちとら40年これでやって来てんだ」 てんちょー(笑)とガンを飛ばし会っていると、横からJが口を挟んできた。 「……店長さんとは顔見知りなの?」 「知らない子ですね」と答えておいた。 「お初にお目にかかります、十三くんとお付き合いさせていただいているレイラ・ロウと申します」 きみ話聞いてた? 「おw付wきww合wいwwwお突き合いの間違いじゃねぇーのかよwwwwっつかレイラもロウもどっちが名字でどっちが名前だかわっかんねえよwwww日本に来たら日本語名で姓・名の順に話せよ毛唐どもwwwwwうぇっwwwうぇっwwww」 セクハラはやめろください。今にも腹を抱えて顔にウザいふぐりをつけてぷぎゃー! とでも言い出しかねない様子だ。あるいはキモい踊りで左右に反復移動しながらNDK(ねぇどんな気持ち)してくる直前。 「アンタ今日絶好調っすね」 「んー、なんかね。久々に口が回った。半分ぐらいは前もって考えてた台詞なんだけどね」 腕を組んで心底不思議そうな顔で首をかしげるな。とてもうざい。 「大まじめにこんなもん用意してるとかだったらアホの極みですよ」 横目でJを見やる。しかし平然としたままで、穏やかな微笑みが能面のように張り付いている。額に青筋が浮かんでいたりすると少しは親近感が湧いたりするのだが。 「あはは……そんなことより、さっきのお話、もっと詳しくお話お聞かせ願えません?」 セクハラ下ネタ人種差別、三拍子揃ったお下劣店長を僅かも意に介さずJは続きを促した。ここだけはナイス! を贈らせて貰いたい。 ● 「あしゃしゃっしたー。お次はすっぱいアメでもいかがっすかー」 「ダメなコンビニだなあ……」 「ダメなコンビニだねえ……あ、でもリア充扱いしてくれたのは嬉しかったよ?」 「うっせ」 「ガードの堅い照れ屋さんめ」 「大真面目にそんな事言ってくるのがいけない」 あと店長が悪い。 あの後、レイラ・ロウの上目遣いかなんかに気をよくした悪ノリ店長は、わりあい真っ当に口を割った。 ――『なんか、アレだよ。ギョロ目? あと指のあいだに膜? 的なのがあった。んでそいつらが来た後はさ、魚臭ぇの。もーマジで勘弁だぜ。ここは仙台のメロブか! ってかんじ』 「ところでツェーン、知っているかい? 仙台で魚臭かったのはメロブもメイト両方で――」 「――メロブが逃げてメイトだけが魚臭い時期があったけど、10年ぐらいしたらメイトが逃げてメロブが出戻って来たんだろ? 知ってる知ってる一切ご承知ずくだ」 「おいやめろ、キメゼリフを汚すな」 バカやりながらも、自宅まで僅か十分弱の道で思考を巡らせる。ギョロ目、水かき(推定)、魚臭い――ゲコモンか、ハンギョモンか。かろうじてシャウジンモンやサゴモンという説もある。ウェンディモンの時のように、人間から異形へと変貌する過程であるならば、街を出歩いても今のように嫌悪される程度で済む。あるいは水怪――海の化生。ダゴンが水の神性であるならば、ダゴン秘密教団は水なり海なりと縁がある。 少々出来過ぎだが、しかし事実は小説より奇なり――どころか事実は小説だったし何ならこの現状はその続編だ。イベントフックはわかりやすくなければなるまい。 「ふぃー、着いた着いた。店長に絡まれたせいで酷い目に――」 自宅の敷地を踏み越えた途端、鼻を突く異臭に顔をしかめざるを得なかった。 「ツェーン? 急に立ち止まって、どうした?」 まるで自分が黒々として底冷えする冬の海辺に立っているかのような錯覚。嗅覚を苛んでやまない磯と潮の香り。視界を遮る、粘性さえ感じさせる白濁した霧。急速に俺の五感を奪いつつある、自然現象とは程遠い事象――間違いなく、化外の仕業だ。 一歩、歩みを進めた。薄ぼんやりと見えていたJの姿が、視覚から完全に消失する。 警戒、構え。鞄を放り捨て、亜空間で唸りをあげるLegend-Armsを抜刀し正眼に構える。時を同じくして濃霧の中に無数の瞳が浮かび上がる。結膜が黒く、虹彩が赤い、赤黒に彩られた血濡れた瞳だ。 「J、こいつらはなんだ!?」 後方のJに問いを投げるも返事はない。絶え間なく突き出される銛をいなしながら後退、先程何らかの"境界"として成立したであろう自宅の敷地から踏み出す。 「ファック、ダメか。となれば転移系――天狗か妖精かなんかか?」 暗中模索という言葉が相応しい霧の中ゆえ断言はしかねるが、元々歩いていたはずの住宅街は影も形もない。眼前で繰り出される金属の衝突音、その合間に耳を澄ませる。底冷えするような湿度の冷気と共に、増減を繰り返す波の音が聞こえる。海だ。 やはり、だ。であれば水生系。銛。コイツらはハンギョモンか。 声には出さず確信する。俺からは認識できなくとも、Jからは俺の姿を捉えられるかもしれない。 「チイッ、数が多いな」 あまりにも"出来過ぎている"――。情報の入手から、襲撃までのタイムラグが短すぎる。 「視界を切り開く! トゥエニストよ――斬り裂けぇッッ!!」 J。定光。アルゴモン・ヒュプノス。店長――は、まあいいや。誰かが明らかに"邪神側"だ。 周囲一帯の霧を吹き晴らし、後方に敵がいないことを確認。即座に撤退を開始した。 ● 一つ分かったこととして、ここは明らかに元居た蛙嚙市ではない。現在地はいずこかも分からぬ港町の外れ。町人の気配はなく、一区画分しか見ていないが恐らく街ごと滅びているかのような雰囲気だった。 群がるハンギョモン(お世辞にも正気には見えない)の群れはどうやら音か振動に反応して動いているようで、廃屋の一つに隠れて以降奴らは侵入してこなかった。これで漸く一息つける。 さ、て。Jがいない以上、自分で動くしかないが、これはまた好機ともいえる。どこで見ているか知らんが折角のソロ探索だ。久しぶりに楽しむとしよう。 先ほど斬り散らした霧は依然としてそのままで、再度この区画を包む気配は見えない。手始めに今潜んでいるこの廃屋を探索するが、廃屋というよりは倉庫――せいぜいが埃っぽい棚の上に、見るも無残に欠けた香辛料の壺が見つかるだけだった。中身は舐め取られたのか、一定の方向に残滓を残してなくなっていた。 倉庫を忍び歩きで出て辺りをよく見てみると、ここは倉庫街のようだった。所有者の名を示す看板が立ててあり、風化した中でも幾らか読み取れるものもあった。「Marsh」「Marsh」「Marsh」「Marsh」……マーシュばかりの中、時たま「Hodges」「Gilman」もある。 倉庫ばかりで代わり映えのしない区画を抜けると、この街に踏み入れて未だ慣れることのない魚臭さが、一層強まったことを感じた。左手には工場地帯、右手には腐った埠頭が広がっている。その狭間の微妙にぬめるコンクリートの道を直進しややあって流れていた河、そこに渡されていたこれまた腐った木製の橋を渡り少し進んだところで、右手に携えていたLegend-armsがけたたましく震える。 バカな、周囲警戒は怠っていない筈――振り向きざまにズバイガーモンで後方を切り裂いた。何もない。杞憂かと思った矢先、凄まじい怖気を"足首に"感じ、ズバイガーモンの切っ先を足元に突き立てた。 「うぉってめ、こら、ふざけんな……ガニモン!?」 緑色の泡を吹き、俺の脚を引き千切らんと左前肢を伸ばしていた甲殻類型デジモンがいた。諦めずハサミをガチンガチンと鳴らしながら、血走った赤黒の目でこちらを睨みつけていたソイツは程なく力無く項垂れ、瞳から光を消した。 ガニモンへの対処に音を立ててしまったからか、どこにそんなに潜んでいたのか疑問になるほどのハンギョモンがこちらを確認したのが分かる。濃霧の中でも分かったのだから、爛々と輝く赤い瞳はこの薄暗い曇天の中でも十分目立ち、奴らの存在を教えてくれた。埠頭側にある大きな一軒家。その汚く曇ったガラス窓から、一匹一匹と這い出してきた。 「参ったな……工場の方からも来るだろ、これ」 倉庫街の方で撒いた群れも、この分だといずれやってくるだろう。しかたない、Jに曰く変質……正気はもう喪っているようだし、全員殲滅するか――とLegend-Armsを構えた瞬間、ハンギョモン達の意識を全て釘付けにするような轟音が鳴り響いた。俺の後方、つまりもともと進んでいた方向にあった廃屋の一つが見るも無残、木っ端微塵に砕け散り、破壊を為した張本人が姿を顕した。 平べったく泥たまりのようだったその存在は、ゴポゴポと音を立てて隆起を始め、元になったデジタル・モンスターとは似ても似つかぬ玉虫色の体色をテカらせつつ、原形質の小泡が集簇した凡そ全長10メートルの肉塊を作り出す。こちらに向けている前面でチカチカと点滅する緑色の光は、無数の瞳が出現と正体を繰り返しており、その周囲がメタルプレートで覆われていた。 「レアモンか――いける、か?」 前門のハンギョモン、後門のレアモン。玉虫色のレアモンは鈍重な動きで俺たちに向けて偽足を伸ばし、その巨体を振り下ろす直前に『ヘドロ』を放った。 「おっと、読み通りだ」 横に飛び出してヘドロを回避、群れの中にも回避できたものはいるだろうが、粘着質のヘドロに捕らわれた個体は数知れず。哀れにも玉虫色のレアモンに押し潰された。 「テケリ・リ! テケリ・リ!」 「いや喋んのかよってウェンディモンも一応喋ってたな」 でもビックリだわ。いやレアモンの鳴き声なんて知らねーけど。 ともかく、玉虫色のレアモンの存在は僥倖だ。奴は俺よりも数が多い獲物を狙い、ハンギョモンは目に見えて危険度が高いレアモンにターゲットを絞ったようだから、トレインなすり付けてやろう。 レアモンの偽足が獲物の群れから抜け出した俺を追いかけるが、軟体如きが俺の行く先を阻めるもの―― 「うわ待てすげえ拒否反応!? 汚物系は嫌か? 嫌なのか!?」 ――阻めるものかと啖呵を切ろうとしたが全力でズバイガーモンが抵抗し、玉虫色スレスレで回避したのでやむなく跳躍で回避、そのまま逃走した。 玉虫レアモンとハンギョモンの戦闘音を背中にし、工場地帯を抜け初めに目についた廃屋に逃げ込んだ。 その廃屋は屋と呼ぶことすらおこがましいほど崩壊が進んでいた。屋根は半分以上が崩れ、壁には穴が多い。しかし霧の中に適応して視覚を退化させたのであろうハンギョモンから隠れ潜むには十分だ。背後の奴らから視覚になるような位置を探し、細く息を吐いて座り込む。5分ぐらい目を閉じて深呼吸しただろうか。ほとんど屋外と呼ぶべきこの廃墟を散策してみた。 発見したのは、瓦礫で埋もれかけているが明らかに「地下通路です!」と言わんばかりに床から見え隠れする深淵だった。 よっしゃ行ってみよう。トゥエニストよ斬り裂け(小声)。 ● いい感じに瓦礫を切断除去すること数度、このシチュエーションにお誂え向きなまでに窮屈な地下室が広がっていた。 「うーん、いいね。俺いまめちゃくちゃ探索者してるよ。こういうのでいいんだよ、こういうので」 なんでも知ってる先導者とか容姿が破壊力ばつ牛ンだから許せるけど、探索ってのはこういうもんだろう。劇場案件は急ぎだったようだからしゃーないけど。 薄幸の美少女とか鎖で繋がれて幽閉されてそうなロケーションだが、そんなことはなさそうだ。地上の喧騒はある程度大地が吸収してくれている筈だが、それ以外の音がこの空間に存在している。俺の耳は幽かに水音……いや、波音を捉えていた。音の出所を探るためにも光源が欲しい。 「テレレテッテレ~ 文~明~の~利~器~」 最近出番がご無沙汰だったが、ズボンに吊り下げ仕込んでいたファイヤスターターとかコンパクトソーとかセットになったやつからLEDライトを起動する。あとワイヤーとかナイフとかもあるしこれがなかなか便利である。 ライトで照らすと一目瞭然、歪み切って開きそうもない扉が姿を表した。通常の探索者ならばドアを開けるのにも苦労するのだろうが、あいにく俺にはチート装備がある。マンチどころの話ではない。トゥエニストよ斬り裂け(小声)(2回目)。 扉のあった場所を潜り抜けた俺を出迎えたのは人口の灯りを必要としないぐらいの薄暗さの洞窟だった。至る所に繁殖する藻が光を放っており、足元に朽ちた小型ボート。どうやら、過去この洞窟には水が張っていたのだろう。今足場にしている小高い隆起は船着き場と言ったところか。 「うーむ、流石にここは悩むなぁ……」 ハンギョモン辺りとの戦闘は全く問題ないが、もし万が一にも水攻めを受ければ一発でアウトだ。普段の探索なら撤退するところだ。どうしたものか……。 少々逡巡したところで「でも水斬ればなんとかなるわ」とアハ体験したので容赦なく洞窟探検と洒落こむことにした。 入り組んだ洞窟の端には無数の腐った木材や、由来も分からぬ謎の骨が無造作に転がっていた。もちろんそれらも苔むしており微妙に発光している。やや草。苔だけに。 「どっかに波音の元がある筈なんだがなぁ……あ、お前邪魔」 意思疎通もできない程に変質した元ハンギョモンにかける容赦はない。Jの正体が何であろうと、劇場のデビドラビヤーキーに類する存在が人類にとって害悪であることは正鵠を射ている。奴らと同じくちょっと切っただけじゃまだ動いてたので遊び心を加えて十七分割しておいた。 「アークドライブだ―――殺す」 なんつって。 代り映えしない光景に辟易しながら歩いていると、大きく反響する音が耳を貫いた。それが銃声であると気付くまでは然程かからなかった。銃を扱えるだけの何かが同じ洞窟にいる。 ズバイガーモンを抜刀したまま銃声の下に急行すると、そこではゴツいショットガンを構えた宮里定光が「うぇははーい」とか言いながら数体のハンギョモンに散弾をぶっ放していた。崩れ落ちるハンギョモン。その傍らではアルゴモン・ヒュプノスが頭を抱えていた……哀れな。 「うぇははーいそのⅡぃ!」 加勢がてら後ろから残るハンギョモンを四分割。定光も当然眷属化したデジタル・モンスターのタフさは理解しているようで散弾のお代わりを振舞っていた。 「おっ? 十三クンじゃん。カノジョは一緒じゃねぇの?」 「言いたいことと聞きたいことは沢山あるがなんでショットガンが撃てるんだお前」 「説明書を読んだのさ」 「オーケイバカ。だがアイツら音に反応してるっぽいんだが? なぁにでけー音立ててんの? バカなの死ぬの?」 「オーライバカ。バカって言ったほうがバカなんだ。それより情報交換と行こう。安全な場所を見つけてあるから着いて来い……それとも麗しのあの娘が心配か?」 「まさか。こいつら程度ならJが後れを取ることもないだろ。さっさと案内頼むわ」 「おうともさかりえ」 先導する定光に従い洞窟を進んでいると、アルゴモン・ヒュプノスが眉間の皺を揉み解すようなモーションをしながら耳打ちしてきた。 「なぁ、私の記憶が違っていたら、現代に対する認識を是正する必要があるのだが……ニンゲンはゲラゲラ笑いながら奉仕種族を叩きのめせる存在だったか?」 んなわけねーだろ特殊例だよ。
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パラ峰
2019年11月03日
In デジモン創作サロン
第一話 1-1 Jという人物 1-2 心臓の凍り付いた男 第二話 2-1 朽ちた情報統合樹 2-2 九つのモノリス 第三話 3-1 幽玄無音のASTAROT 3-2 ギリシア神性ヒュプノス 第四話 4-1 手馴れた探索者たち 4-2 聖剣転生 第五話 5-1 僕らは目指したアルカディア 5-2 一回でもメイク落とした奴は脱落者 第六話 6-1 再会レイジネス 6-2 狂える恒星 最終話 7-1 Rebirth the sword 7-2 I am a LegendArms 7-3 Noir-Lathotep
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パラ峰
2019年11月02日
In デジモン創作サロン
<<前の話 目次 次の話>> 3-1 幽玄無音のASTAROT 「キング・イン・イェロゥ……!」 キング・イン・イェロゥ――黄衣の王。なるほど目の前の超常存在に相応しい名だろう。しかし。 「進化やモードチェンジでは、ない……?」 アスタモンはデジタル・モンスターだ。ならば姿の変化として最も考えうる可能性は進化。次点でモードチェンジ、あるいは退化でもいい。あの呪文がそうした効果を持っている可能性も、デジタル・モンスターが都市伝説として顕現している以上、オカルトも効果を持つだろうしあり得るだろう。 「そうとも――彼の者の名は、Hastur」 希望的観測は覆される。 「ツェーン、私は先日、和弘少年の部屋の前でこの名を口にしたことと思う」 過去回想は必要ない。あの時の気味悪さと共に、未だ鮮明に覚えている。だが、ウェンディゴとは違い、ハスターなんて俺は聞いたこともない。 「ハスターはね。太古の昔、この地球に飛来した神性のひとつ――とされている。イグドラシルの最奥に眠っていた遥か昔のログによれば、四大元素の内、風を司る神性存在だと。そして、眷属にウェンディゴ、ロイガーとツァールなる謎の神性、バイアクヘーなる異形の怪物を従える」 無貌の仮面でこちらを見つめる王を前に、武器を構えながらJは講釈を開始した。 「奴らは――太古よりこの惑星に潜む外宇宙の存在は、深く深く我々の人類史に食い込んでいる」 その表情に、昨晩の様な錯乱した様子はない。となれば、これは"大いなる理"の一端ではないのだろうか。 「その結果、奴らの幾ばくかはデジタル・モンスター化している。その最たる例がウェンディモン」 途端に、黄衣の王がその衣をこちらへ伸ばした。その動きから確信する。これは衣ではない、王の臓器・器官――肉体の延長だ。触腕を回避し、王の背後の悲鳴に視線を移す。 黄色いローブの人間[cultist]どもが、貪り食われている。一目には、黄色い布に包まれただけ。しかし苦悶の舞踏を踊るそのシルエットが、明らかに「食われている」のだと直感させる。 「本来ならば、カルティスト共の誓願ごときで、ハスターは招来しない筈だ。だが――」 仮面より伸びてきた触手をスパイラルマスカレードで細切れにした。 「――ハスターは怒っている。何故なら自らの眷属であるウェンディモンを滅した我々が目の前にいるからだ」 黄金の剣は、相手が理解の外側の存在でも容赦しない。黄衣の王の奇妙な踊り、その魅了効果をレジストし、こちらを圧殺しうる極太の触手を両断する。 「それは分かった。だが、どうしてアスタモンがこうなる!」 ウェンディゴはともかく、アスタロトとハスターなる神性には、いささかの関係もないはずだ。 「おや、まだわからないのかい」 「勿体付けるな」 黄衣の王が両腕を大きく広げた。一拍遅れて、無数のデビドラモン――いやさビヤーキーが召喚される。その間も触手の猛攻は続いていて、間隙を縫って攻撃するなど不可能だった。 「こちらに来たまえ――何故、私がチャットで横文字をスペルのまま発言していたと思う、この時の為さ」 にやりと笑うJの手には聖盾ニフルヘイム。言葉通りにその背後に陣取れば、極寒世界の名に相応しいブリザードが、殺到するビヤーキーを凍結させた。 「フランス語には、有音のh、無音のhという概念がある」 語るJの表情は、これ以上ない絶好の舞台であると言わんばかりに喜悦に満ちていた。ここで黄衣の王を仕留めるのがシナリオ通りであると、雄弁に語っていた。 「――そうか」 ここまで言われれば理解できる。 アスタロトはASTAROT。ならばアスタモンはASTAMONであろう。そしてハスター――HUSTARがデジタル・モンスター化するならば、強いて言うならばHUSTAMONだ。 もしもASTAMONの頭に、無音のHが着いていたとしたら。 歴史を伝播する上で、HASTAROTがASTAROTになっていたとしたら。あるいは、そういう後付けの歴史がひょんなことから一説でも生まれていたとしたら。 AとUの差異なんて、音遊びをする上では些末なものだ。 ハスター召喚の儀に合わせ、HASTAMONがHUSTAMONに変貌したとて、何の不思議があるというのか。 「ハスターは、未だデジタル・モンスター化していなかった。奴ら地球外の生命に通常の攻撃は通用しないが、デジタル・モンスター化してしまえば、我々でも傷付けることができる。だから私は、アスタモンがその依り代となることを期待していた――まさか、ここまでうまくいくとはね。アルマデル奥義書を見た時、興奮を抑えるのが大変だったよ」 Jが照準を定める。 ガルルキャノンの連射。一発一発が究極体を滅殺して余りある大砲が、推定・ハスタモンの触腕を凍らせる。しかし相手もさるもの、ナイツ最強の遠距離攻撃による凍結が、瞬時に解除される――だが! 「『デジタル・モンスター』は、奴らがこの街に介入・接触したときに、デジタル・モンスター化させるためのトラップでもあったのさ――今だ、ツェーン!」 「任せろォ!」 一瞬あれば事足りる。 アスタモンの時とは逆だ。その懐へ潜り込む。 「トゥエニストよ――斬り裂けぇッッ!!」 あらゆるものを断ち切る斬撃が、黄衣の王をも引き裂いた。 ● ビヤーキーの残骸も、ハスターの残骸も全て朽ち果てた。既にデジタル・モンスター化していたためか、そのまま粒子となって消えていく。 「礼を言いつつ、君に非礼を詫びよう。私は意図的に、敵の存在を伏せていた」 「いや……」 帽子を手に取り、優雅に一礼するJ。その仕草を眺めつつ、敵手たる存在に思いを馳せる。 カルト教団がアスタロトを召喚し、その上で呼び水としてモノリス――きっと、アスタモン自身も呼び水だろう――を設置し、祝詞でもってハスターを招来させた。 それは、アスタロトが召喚されたのは、決して偶然ではないだろう。なにせアスタロトもアスタモンも、そんな逸話は持っていない。天使の存在理由と、その堕天についてを納めた、40の悪魔の軍団を率いる強壮なる大公爵。悪魔デジモンの軍団を率いるダークエリアの貴公子。 となれば必然、誰かがその絵図を描いたことになる。『同一性のあるものは呪術的には同じものである』のだから、名前の相似性でもってハスターを召喚しようと画策したものがいる。 そしてその最大の容疑者は、Jだ。 「……?」 まじまじと彼女の翠瞳を見つめ、その深謀遠慮の一端に迫らねばと確信する。どこまでが真実で、どこまでが虚偽なのか。ともすれば、真に迫った昨晩の混乱さえも、あるいはJとしてサロン・ド・パラディで接触して以来の全てが演技なのではないか。無論、不可思議に向けられる俺への好意とて、残念ながら疑わざるを得ない。 「ツェーン、どうした? どこか痛めたかい……?」 とは言え、真っ向聞いたところで素直に返ってくるような容易い相手でもなし、か。 しかし、心細げに揺れている上目遣いを見ていると、全てが真実の様な気にもさせられる。Jを否定したり、疑ったりする気持ちが自然、掻き消えていく。 胸の裡には、猜疑の火が燻るだけだ。 「なんでもないさ。これで、今回の目標は達成でいいか?」 「ああ、君のおかげだ。これで奴らの一角を打ち砕くことができた」 「奴ら……?」 言っていることは分かる。戦闘中に口にした、"太古よりこの惑星に潜む外宇宙の存在"という言葉。"奴ら"とはきっと、その生き物たちを指すのだろう。 だが、それらは結局、何なのか。Jはどこまで知っているのか。少なくとも、そうした秘された情報についてだけでも問いたださねばなるまい。 「J、それは――」 意を決し、目の前の女の深淵に踏み込もうとした時、その決意はけたたましい携帯の着信音に遮られた。定光だ。 『オイオイオイオイ、オタクらなんかした? 目の前で"黄の印の兄弟団"のフィクサー、悶え苦しんで消えやがったぜ? 跡形も残らねえ』 電話口から聞こえる定光の声は、しかし文面や出来事ほど驚いたようには聞こえなかった。こちらが驚かされるほど冷静におちゃらけている。 フィクサーということは、黄色いローブのカルティスト達の、裏の顔役と言ったところか。その人物もまた、ここで黄衣の王に食われた彼らと同じ末路を辿ったのだろう。 「それは――」 なんと説明したものか。逡巡していると、耳を寄せてきていたJが俺の口元で話し出した。 「――さて、噂のデジタル・モンスターの仕業かもしれないよ? それはともかく、ありがとう宮里君。おかげでツェーンと廃墟探索デートと洒落込めたよ」 『おう、そいつぁ重畳。俺は先に帰らせてもらうが、気ぃ付けて帰れよ?』 電話はそれだけで終わった。 いくら怪奇現象に慣れているとはいえ、流石にあっけらかんと受け入れるには限度があるだろう。 この男もまた、今回の事件に、何らかの形で一枚嚙んでいる。でなければこうも都合よく、ウェンディモンとアスタモンに関与する切っ掛けを持って来れるものか。 「さて、それじゃあ帰ろうか」 「ああ……」 Jに手を引かれ、釈然としない思いを抱えつつ帰路に就いた。 コンサートホールを出て振り返る。九本目のモノリスは、影も形も存在しなかった。 ● 黄衣の王との戦闘からおよそ半日。昨夜のJは「防犯グッズ物色デート」の約束をマジに取り付け、何事もなく通学路に出た。 家の前でウェンディモンが暴れた跡は残っていない。昨日のモノリスが消失していたように、デジタル・モンスターの暴れた痕跡は一切残っていない。『デジタル・モンスター』の設定とは異なる状況だ。 俺の知っている常識が、そのまま通用する訳ではないようだ。 「よっ、やけに疲れた顔してるな」 背後から肩を叩かれる。昨夜俺の混乱を助長してくれた宮里定光がそこにいた。 「まあな。ミステリアス美女に振り回されるのは疲れるのさ」 「死ね」 「お前が死ね」 暫しガンを飛ばし合い、どちらともなく視線を外す。 「で、まあこの際お前でもいいや、何をどこまで知ってるんだ」 睨みを利かせてやれば、帰ってきたのはキザな動きだ。 「いいや、何も?」 唇で息を噴き上げ、前髪を浮かせて。 あくまでも柳に風と言わんばかりに、定光は笑って見せる。 「少なくとも俺だって、この街にデジタル・モンスターが介入するなんて想定しちゃいねぇーよ。逆に聞くが、お前たちこそ何なんだ」 そのバサバサの前髪の下で、眼は一切笑っていなかった。 「利用はさせてもらったさ。ああ、何かの足しにはなるかと思って、ウェンディゴの話を持って行ったし、カルト教団から買収した魔導書だって見せに行った」 やはり、コイツから攻めるのは間違っていなかった――少しばかり気圧されながら確信する。この男、古い付き合いということもあり、Jを相手にしたとき程、全てが霧の中にあるような感覚は覚えない。 「俺だって暗中模索だっつの。正直お前の正体もわからねえし……。いやまあ、今の発言からある程度立ち位置について予想はついたけどよ」 「おうよ。正直に言って、お前たちとは今の所、行動"だけ"見れば協力できるとは思ってる」 「けれどそれは、信頼じゃなくて信用だろう?」 「当たり前田のクラッカー。お前のことは多少なりとも信じられるが、あの貧乳はまーだ怪しいな。お前が心酔してるってんなら、悪いこと言うとは思うけどよ」 外宇宙の怪異を打倒する立ち位置。成程Jの言葉を真に受けるのなら、俺や彼女と、定光は敵対しない。 そしてその戦力として、使える札としてならともかく、こちらを当てにするつもりは一切ないということか。無論それを悪いと言うつもりはないし、むしろJに対し不信感を抱く者がいることは、あるいは光明になり得るだろう。 とは言え不安や猜疑は残る。俺たちがウェンディゴやハスターを討滅しなければ、定光は彼自身、奴らをどうにかする算段を有していたということになる。それはそれで、率先して怪異存在に殴りかかっていた彼らしいと言えなくもないが……。 「んでんで、お前今日フリーで動けるかよ。ちとウチ来いや、この件に関して、あの女のいないところで見せたいものが――」 俺の肩に腕を載せ、耳元で囁く定光。話はこう転がるか。しくじった、既に俺は時間の大半をJに裂くと宣言してしまっているし、昨夜は勢いに負けて防犯グッズを買い漁る愚挙に出ると約束してしまった。 「いや、今日は――?」 ズバイガーモンが、何かを訴えるように震えた気がした。このパートナーデジモンを、俺は物理的に持ち歩いているわけではない。言葉一つ発さぬLegend-Armsたる彼が、この世界の裏面たるデジタル空間から俺に何かを訴えるなど、一体どうしたというのだろうか。 「――おはよう二人とも、朝から男の子二人で、何をひそひそ話しているの?」 俺の疑問符に一拍遅れて、底抜けに明るい魔性の声音が背後からかけられた。 「ッ――ちぇっ、恋人のお出ましか。なァに、かわいい彼女がいる男は羨ましいねって話さ」 驚愕を押し殺した自分と定光を表彰してやりたい。なにせ、その接近に一切気付かなかったのだ。振り向いた視線の先で弓形の翠眼を覆う、眼窩に嵌めた片眼鏡が怪しく光っているような気さえした。 ● 「お邪魔虫はさっさと退場しますかね」などと嘯き、定光は通学路を駆けて行った。 「酷いじゃないかツェーン、私が迎えに行った時、家の中はもぬけの殻だったぞ」 「朝っぱらからお前の好き好きコールに応えるのは荷が勝ちすぎる」 「Hmmm、そんなものか。照れが残っているのか、それとも私の魅力が足りていないのか……」 リアルでJと出会ってから、まだ日は浅い。それでも、これは平時と変わらぬやり取りだ。彼女を心より信じ切れず、しかしそんな下らぬ会話に、どこか安心感を覚える俺もいた。 下らぬ会話を続けること暫く、校舎に近付くにつれ葬列じみた学生の黒服が増えていく。俺たちがデジタル・モンスターとの戦いを忘れているかのように、チャットと同様のコントのような会話をしていると。 「――あ、あの、ロウ、さん……」 その内の一人が、J――転校生レイラ・ロウにおずおずと近寄ってきた。 「あぁ、おはよう、宗宮さん」 「ッ――お、はよう」 自分から話しかけておいて、随分と委縮した様子だ。その視線は、気まずそうに俺とJを左右していた。 そして間もなく、ここ二日間学校で態度の豹変したJと、急にJに接近した俺に不可解な目線を向けてきた内の一人だと気付く。背後の方には、顛末を見届けようとこちらを遠巻きに見つめる女学生のグループがいる。ご苦労なことだ。 「ぁ、そ、の……だいじょう、ぶ?」 「ん? 何がかな?」 白々しさマックス。宗宮なる女学生の視線の先に気付いているだろうに、Jは恍けたフリをしたままだ。 黒セーラーの袖口から覗く細い手首に、包帯が巻かれている。そう言えば、昨日は体育もあったから、着替えるレイラ・ロウの素肌に巻かれた包帯にでも気付いたのだろう。 「別に、俺は何もしちゃいないさ。事故だよ、事故」 その下手人が隣にいる男だと邪推するのも無理はない。信じるかどうかは知らないが、一応の弁明はしておいた。 「十三君の言っていることは本当よ、あなたたちが心配することじゃないわ」 しかしその上で、怯えた様子一つなく優し気な声色で名前呼びなどするから、あーほら宗宮某、石化しちゃったじゃん。かわいそうに……。
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パラ峰
2019年10月27日
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<<前の話 目次 次の話>> 2-1 朽ちた情報統合樹 さて、「さあ、軟膏を塗りたまえ! ほら!」と言って服を脱ごうとするJを風呂場に押し込んで数刻が経った。「美少女の柔肌だぞ!? なぜだ!」と騒いでいた。頼むからシリアスを保ってくれ……まあ脱がせたいは脱がせたいが、いくら何でもこの状況は性欲より好奇心が勝ると言うものだ。あと猜疑心。 『デジタル・モンスター』の中から飛び出してきた、J本人とウェンディモン。加えて前者はロイヤルナイツの武装を軽々と取り出してのけた。 考え得る可能性は……正直思いつかない。ネタ晴らしを待つしかないのだろうか。それはそれで一読者として癪な感じがある。Jが戻ってくるまでに何か考えつかないだろうか。 頭の中であれこれ可能性を想定してはこねこねしていくが、今回のこれはちょっとハードルが高い。何せ、これまで遭遇してきた怪異とは格が違う。ちょっとした都市伝説が精一杯だったのに、ここにきて知人の創作物が現実になるだと? 確かに、都市伝説だって元はネットのいち書き込みや田舎町の言い伝えに過ぎず、そうした意味ではJの『デジタル・モンスター』が奴曰く"新進気鋭のフォークロア"化する可能性も低くはあるまい……。 「あがったよー。包帯ももらった」 と、そこまで考えてJの言葉に思考を遮られる。 流れる銀髪に水滴がまとわりつき、湯上がりのJは予想以上に美し――いやまて、それよりも。 「……その服はどっから出した?」 いいのだ。例えば俺にコスプレ趣味があったとして、いつの間にかJがその衣装を引っ張り出していたとしても。あるいは俺が未成年者略取誘拐犯で、なんかいい感じに女の子を隠したものの一着だけ服を隠し忘れていて、それをJが引っ張り出していたとしても……いや全然よくはないが。 だが、それはないだろう。そんなことが可能なら、どんな想像だって覆される。 「こんなもの、私にかかればちょちょいのちょいさ」 くるりとその場で一回転してみせるJ。再び黒衣に包まれた痩身をブラックインバネスで覆い、更に頭の上には黒いシルクハットが鎮座している。その後で俺の方へ向き直り、にやけ面を浮かべた。 「おやおや、それともツェーンはこっちの方がお好みだったかな」 もう一回転。すると先ほどウェンディモンのデストロイドボイスを受け、ボロボロに破れてしまった衣装に代わる。 さっきは血を流すJの姿に激昂していて全くそんな印象は抱かなかったが、改めてみると中々"良い"衣装にも見える。 「うーん、それはそれで目の保養になるな。服の下の包帯も実にいいぞ」 「!?!!!!?!???!」 顔を真っ赤にして元に戻してしまった。とてもとても残念だ。 しかしよく見れば、左腕の動きがよろしくない。イージスを使用して尚、衝撃を殺しきれず負傷したようだ。そう言えばこの腕にアームロックキメたな、と思いつつ、Jに接近して左腕を掴む。 「あ、あわわ、ちょっと待ちたまえ。まだこここ心の準備が」 「ちげーよ馬鹿、これは治んねえのか」 「あ、な、なんだそんなことか」 露骨に落胆されるとちょっと困る。 「ふっふっふ、しかし私の怪我を気にするとは、つまり私に気があると見て良いよね?」 「普段の調子に戻ったようで何より」 それよりも説明をしろ、説明を。 涅槃に至ったつもりの表情で無言を貫いてやると、観念したのか語り始めた。なんとなく扱い方がわかってきた気がする。 「傷についてなら、心配は無用だ。機能不全になることは絶対にない」 それを聞いて安心した。後遺症が残りでもしたら、最悪俺が一生Jの左腕になってやらないといけなくなるところだった。 「……つつつツェーン、今何かとても嬉しくも恐ろしい事を考えなかった?」 「……? いや、何も」 女が自分を守って負った傷なんて、一生かけたって返しきれない負債だろう。夫妻と言うのが言い方が悪いなら、恩と言ってもいい。 珍しくドン引きしたような目で俺を見つめるJが、出会って数日に過ぎないがとても新鮮だった。「君も大概度し難いな」なんて台詞は聞こえない。聞こえないぞ。 「で、絶対に治るって保証はどこから出てるんだ」 「その前に」 真剣な前置きの言葉。これから事件の真相が語られるのだ。摩訶不思議にして物理法則を超越したこの舞台の。 「君は私が出した装備について、どこまで把握しているね」 「順にイージス、グラム、アヴァロン、グレイソード、Vブレスレット、ガルルキャノンだ」 舐めるなよ。俺はお前の大ファンだ。 「そう、そしてそれらに共通するのは、デジタルワールドの最高セキュリティ――ロイヤルナイツの武装であるということ」 理解している。だが、つまりそれは――。 「なれば、その武装を自在に現出させられる私がなんなのか」 Jという人物は、デジタルワールド最強の守護騎士達を従える存在に類する。それは即ち――。 「――イグドラシル」 眼前の黒衣を見る目が変わる。 この人物が、イグドラシル。『デジタル・モンスター』の中で、デジタルワールドを統括するホストコンピュータ。 ――本当に? 「当たらずも遠からず……無論、幾ばくかの脚色はあるが」 答えは他ならぬ当人から。 「我が小説『デジタル・モンスター』はね、ツェーン。私の自伝なんだ」 信じ難い。 ● ならば、あの冒険譚は真実だというのか。多くの者が熱狂するほどの描写は、まさしく自ら見てきたものだったからなのか。 「先ほど私は言っただろう。世界は表裏一体で、Realの裏側にDigitalがあると」 聞いた。そしてそれは、『デジタル・モンスター』内の設定で――。 「――設定じゃないんだ。だけど私たちは、いいやこの惑星は、その事実を忘れさせられている」 縋るような思考は、イグドラシルの類縁を名乗る女によって破壊された。 喉が渇く。目が霞む。呼吸が乱れる。脈拍は上がり続け心臓の音が五月蠅いほど高鳴っている。だがそれは期待でもなんでもない。俺たちが暮らしているこの常識が粉微塵に粉砕されることを、脳が、身体が、拒んでいる――。 「それは、一体――なんの、為に」 打ち砕かれた現実の残滓。元々薄氷に過ぎなかったそれを必死にかき集めながら、荒唐無稽な彼女の話をできる限り理解に落とし込めようと苦心する。 どうしてだ? どうして俺は、この話を聞いてこんなに動揺している? Jの妄言でないことはさすがに分かっている。この状況で虚言を放つ人物ではないし、実際に俺はデジタル・モンスターを目の当たりにし、彼女と同じように武器を召還さえしてみせた。 しかしだからといって、これまでの常識が破壊されたからといって、こうまで精神が揺らぐのは、まっとうと言えるのだろうか――? なにかが、おかしい。 有羽十三という人物を構成する歯車のどれかが、この短期間に致命的にズレてしまっている。 「少し、休もうか」 柔らかな女性の掌が、俺の頭に置かれた。 そのまま頭蓋を撫でるように、左右に数度。 茹だるような熱を放っていた俺の脳が、急速に冷えていく。 「ごめんよ、ツェーン。君がこうまで慄くとは」 気付けば視界はスキニーのスラックスと、それを覆うとんびの黒で埋められていた。 「いや……」 立ちの姿勢から情けなくも立ち上がり、続きを促した。 「ふふ。これは『デジタル・モンスター』のネタバレを含むよ。それでも君は続きを聞くのかい」 優しげな微笑みは、遠くを懐かしむような声色に埋もれ、とても儚く見えた。 「当たり前だ」 そして俺は、そんな彼女の笑顔を護りたいと感じていた。 「ならば答えよう。舞台は『魔王戦役』の後の話だ」 ● Jと言う名は主人公の――私の師の名で、右も左も分からないままデジタルワールドを彷徨い歩くこととなった私の唯一の指標となったのはツェーンならば旧知の事実だろうし最早言うまでもないだろう。彼のおかげで今の私があるし、第二章『Digi-Mentals』において退場させてしまったのは実際に彼が死んでしまったからでそれが偏に私の力不足で、そのため数日寝込む程に落ち込んだのもまた本当だ。その後私はJの名と服装を継ぎこうして今に至るまで活動とロールプレイを続けているが今でも自分が紛れもないJをやれているかは分からない。とは言え君に実際に会いに来るときにまでJのロールをするつもりはなく、Jのコスプレをした普通の女の子になるつもりで昔の自分という者をとてもとても久しぶりに出したのだけれどどうだったかな。私の好意は君に届いているのだろうか。いやさ届いていると信じたい。 とまあ話がずれてしまったが、結局のところ大切なのはその後だ。Jを名乗りデジタルワールドとリアルワールドを駆け回っていた私は苦難の果てに最終章『魔王戦役』に至る。世界を覆い尽くす暗雲とそれを生み出す七大罪の魔王たるデジタル・モンスター達。だがその当時の私はまだ知らなかったんだ。無邪気にも無垢にも見える行いでその魔王達を打倒し、この世界が無限に広がる平行世界の一つに過ぎないと悟るまでは。ああ、できることならばかつての自分を殴り飛ばしてやりたいさ。彼ら七大魔王はその強大すぎる力故に無数のデジタルワールドに均等に力を分かたれて存在していたのだから。それを知らず私はあの世界に存在する魔王達を殲滅してしまった。殲滅できてしまった。 そして大いなる理はそれを許さなかった。一つの世界から魔王を殲滅し、他の世界の魔王をより強大なものにしてしまった私。世界の均衡を乱した私に、大いなる理はとある罰を与えた。それが情報統合樹イグドラシルの端末としての永久残業だ。『魔王戦役』であの世界のイグドラシルは枯れてしまっていて、無論その手足として動くべき全十二体のロイヤルナイツも全滅してしまっているからね。随分と簡略化してしまったがこれが私の軌跡。そして私がナイツの武装を顕現させることができる絡繰りだ。枯れたとはいえ情報統合樹は情報統合樹。そのデータベースにアクセスすることはあの冒険を終えた"J"にとっては造作もないことだった。そしてアクセスができればデータを表裏一体のこのリアルワールドに持ってくることだって容易なのさ。 ● 「以上。これが世界の真相だ」 熱の籠もった様子で一息に告げ終え、Jはゆっくりとソファにかけた。 正直な話、理解に悩むことはない。前提条件は履修済みだ。 だから一切は、俺がそれを受け入れられるのか否か。 答えは、あえて自らに問いかけるまでもなく。 「信じるよ」 静かに頷き、Jは小さな顎に手を当てて考え込みながら話し始めた。 「……私の仕事は、デバッグさ。隔たった二つの世界の境界を越えるデジタル・モンスターを殲滅すること。私が乱してしまった世界の均衡を、私が壊してしまったホストコンピュータの代わりに保たねばならない」 「そうか」 「その過程で、私は小説『デジタル・モンスター』を執筆した。いくらイグドラシルの端末になったとは言え、私の身体は一つしかなく、派遣すべきナイツもいない。故に創作という形でデジタル・モンスターの存在をネットの大海に広め、数多の都市伝説の一つとして、この蛙噛市に顕現するよう誘導した」 「なるほど。つまり、先日チャットで持ちかけられた『新進気鋭のフォークロア』という話の時から、俺はお前の掌で踊らされていたって事か。今後も、デジタル・モンスターがこの街で暴れまわるってのか」 「それは違う!」 コーヒーテーブルに勢いよく手をつき、Jは身を乗り出して抗議した。 「蛙噛市を舞台にしたのは、確かに故あっての事だ。君を危険に晒してしまったのは、私の責任だ。だけど! 君を踊らせて愉しむつもりなんて微塵もなかった! そんな邪神みたいな心づもりは――!」 端正な顔が台無しだ。今度はJが、ひどく狼狽してしまっている。だから、この台詞を贈ろう。 「知ってる。知ってる。一切、ご承知ずくだ」 "J"のキメ台詞。 「え――?」 「一応、言ってみただけだ。デジタル・モンスターのデバッグ作業だって、付き合ってやるさ。 ……で、まだ聞いてないことがあるんだけどな」 きょとんとするJの目の前で、テーブルの上に金色の剣を置いた。 「――この剣は。ズバモンはなんなんだ」 『デジタル・モンスター』の設定に則るなら、一口に言えば俺のパートナーデジモン。しかし、剣の振るい方以外は一切語らない。今も、無言の黄金が鎮座しているだけだ。俺が知っているのは、彼女が作中で語ったことだけだ。分からないならば、明かされていない要素があるならば、本人の口から聞く他にあるまい。 「それは……」 珍しく、翠の瞳が泳いでいる。数刻俺と視線を会わせぬように右往左往して、やがて意を決したのか、Jは語り出した。 「君の……パートナーデジモンだろう……」 ウェンディゴへのなりかけを冷徹に見捨てたのと同一人物なのだろうかと思う程おずおずと。 「成る程。じゃあ次の質問だ。さっきお前は『この惑星はデジタル・ワールドの存在を忘れさせられている』と言ったな」 Jの華奢な肩が、飛び上がりそうに震えた。 糾弾するつもりはないのだ。ないのだが……。 「それを為したのは、誰だ」 デジタル・モンスターがこの街に現れる。その理屈は良い。イグドラシルの統治の及ばぬ世界で、いくらでもセキュリティホールは見つけられるだろう。 けれど、『デジタル・モンスター』内での出来事が本当にあったのなら、俺たちはデジタルワールドの事も、デジタル・モンスターの存在も覚えていなければならない。あれ程の社会現象になって尚、忘れているなどあり得ない。 唯一それを為せそうな情報統合樹イグドラシルは、『魔王戦役』で既に枯れている。 「――大いなる理について、詳しいことは私にも分かっていない」 瞳を左右に揺らし、苦虫を噛み潰しながらとつとつと語られる。 「私がその存在に気付いたのは、朽ちたイグドラシルの根本で目を覚ました後だ。その時の私は最後の魔王・ルーチェモンを討伐し、どうなったのかすら理解できていなかった。そして……呆然と、する、私にっ、"アイツ"は、告げたんだ――」 頭を両腕で抱え、ガタガタと震え出すJ。その瞳は確と見開かれ、顔面から嫌と言うほど汗が噴き出している。その尋常でなさに、思わず生唾を飲み込んだ。 「怖かった……怖かったんだよ、ツェーン……! この私が、サタンモードの前に立ってさえ平然としていられたこの私が――"J"という外殻が! いとも容易く引き剥がされた……!」 「お、おい……」 崩れ落ちる様に椅子から降り、床を這って俺の足下に縋りついた。 「"それ"は語ったよ。私に架せられた義務を……。だが、だがそんなことよりも、奴は言った。二つの世界を隔てたと! その記憶を全ての人類、全てのデジタル・モンスターから抹消したと! その事実はイグドラシルのログにすら残っていない! 私と、それを知った君以外には、大いなる理しか知らないことだ!」 ……正直に言って、衝撃だ。伝聞に過ぎず、きっとJの味わった恐怖の一割も享受できていなかろうが、少なくとも、全生命の記憶に干渉可能な存在がいるということになる。 それはホストコンピュータ・イグドラシルにも、俺たちリアルワールドにの住人にもしも実在したとして、その唯一神たるYHVHでもなければ不可能な御業だろう。 その遠大さ、想像もつかぬ途方の無さ。そしてその端末――あるいは触覚だろうか。そうしたものに直面したという彼女の恐怖は、成る程、推し量ることすらおこがましい。 「そうか」 だから、それだけしか言えなかった。足下の、危うさの塊から目を話すことはできなかったが、それでも一瞬だけ周囲をぐるりと見回し、かけるべき言葉を探した。 「なあ、お前のデジモンはどうしたんだ?」 せめても話題を変えようとして口にした言葉。だが、この言葉は刃だった。想像した効果を大幅に超越し、確かにJの混乱を収めたが――。 「……消えたよ」 ――彼女の胸を刺し貫いていた。 「サタンモードを倒したとき以来、一度もその姿を見ていない」 ● あれ程不安定な様子を見せたJを一人にする訳にもいかず、その後は普段通りの他愛もない会話をしながら少々気まずい夜を過ごした。俺たちのメンタルはどちらもボロボロだったが、独りでないというだけで、どれ程救いになったことか。 まな板を包丁がリズミカルに叩く音に目を覚ませば、Jがキッチンに立っていた。 咎める気はなかった。 「やあツェーン、お目覚めかい」 その姿は二日前に目にしたそれと一切変わらなかった。エプロンの下のセーラー服から覗く喉元が目を惹いた。 「ああ。昨日は……」 「いいのさ。私も君も、お互いに弱いところを見せた。絆が深まったと思おうじゃないか」 「そうか、じゃ、お言葉に甘えて」 「うん、待っていたまえ……ところで、朝食はきちんと採る派だったかな? こうして勝手に調理場を借りてはいるが、私は朝ごはんを『一日の活力』とか『食べないと頭が働かない』とか言う言説には正直辟易するんだが」 「俺も普段はコーヒーか紅茶か翼を授かる奴だよ」 だが、まあ。自己の足元が揺らぐような夜を共に過ごした俺の感情としては。 「お前が作ってくれたのなら、毒でも飲み干してやるよ……そんな気分だ」 「!」 Jの顔がこちらを凝視する。 「ツェーン、つつつつまりそれは、これから毎朝味噌汁が私を作ってくれるという――」 「J、日替わりになるの?」 打たれ弱すぎだろ。というかよくそんな言い回し知ってんな。まあ日本語で創作してるぐらいなんだから当然と言えば当然だが。 「別にそこまでは言ってねえよ」 「なんだと」 「そういう日もある」 「いいかツェーン。今私は君の食事事情を掌握しているんだぞ、分かるか」 「いやされてねーしお前が作らなくたって困らねーけど」 「ぐぬぬぬぬぬ」 昨夜の出来事を忘れるかのように下らぬやりとりに興じていると、だ。調理器具とは異なる電子音が家の中に響いた。来客の知らせ。こんな時間に鳴る方が珍しい。 「有~羽ック~~ン、あっそび~~ましょ~~~~!」 訪問者は一切珍しくなかったが。 インターホンのカメラに映っていたのは、制服を着崩して赤いマフラーを纏った我が友人・宮里定光だった。朝っぱらからやってくることは、稀によくあることだった。 「私が出よう」 マジかよ。やめろよ。 Jは有無を言わせぬ神速の所業でリビングを出た。 「待て待て、落ち着け」 「私は落ち着いているとも」 「いいや、正気じゃないね」 「Amantes amentes――愛は正気にて為らずだよ」 無い胸張って恥ずかしいこと言ってんじゃねえぞ。 「お、空いてんじゃーん。不用心だ、な……?」 止めようもないJをどうにか押さえつけようと苦心していると、玄関の扉を勝手に開けて入ってきた。 俺の住処は、玄関から一直線の廊下を通じてリビングルームが広がっている。リビングとキッチンは併設だ。つまりどうなるか。定光が初めに見るのは、真っ先に部屋を飛び出した、エプロン姿のJとなる。 「なーる。邪魔するぜー」 すげえ。何も言わねえぞコイツ。 「邪魔するなら帰れ」 「宮里君ね。おはよう」 「おーおはよおはよ。聞いてるぜ、通い妻始めたって」 「家主は無視か」 「ほう、そんなことを」 「一言も言ってねえぞ。つーか、今日は一体どんな厄介ごとを持ってきたコラ」 「おーそうそう。お前が美少女連れ込んでるからビビって言い出し損ねたじゃねえか」 嘘こけ。全然驚いてなかったじゃねえか。 そう憤る俺の前で、いやんいやんと頬を両手で挟み身体をくねらせているJにも見えるように、宮里家の息子は鞄から一冊の本を取り出した。 ● 宮里家は古くから続く名家で、この蛙噛市の開発にも随分と絡んでいたと聞く。その屋敷は広大で、何度か訪れたものの未だにその全容を覚えきれない……探検とかするような歳でなかったのもあるが。その財産もかなりのもので、末息子である定光でさえ正直働かずとも食っていける筈だ――それを、あの家の父親が許すかは別にして。まあ家族環境については説明の必要もないだろう。 さて、定光が厄介ごとを持ってくるのはいつものことだ。昨日のウェンディモンの一件とて、よくよく考えればコイツが日本で発生したウェンディゴ症候群の噂話を持ち掛けてきたのが発端だった。いるのだろう、そういう星の下に生まれた人間は。望むと望まざるに拘らず、行動が騒動に繋がっていく。 例えば昔、ポマードポマード言いながらげらげら笑いつつ口裂け女をボコったのもコイツが発端だったし、寺生まれのTさんに遭遇しその正体が結局のところ彼の戦うべき怪異と同じ穴の貉であると知ってしまったのもコイツが持ってきた謎の呪物[Fetish]が原因だった。 今にして思えば、それらもデジタルワールドの関与・影響があったのではないだろうか。現実に存在するはずがないオカルトの実在。俺はよくよく考えればそうしたものに幾度も遭遇しているし、それをチャットでJに面白おかしく話したりもしていた。そしてそれは、摩訶不思議且つ現実的[Real]でないという意味で、デジタルワールドの実在に結びついてもおかしくはない……ような気もする。 とまあ、何故こんなことをつらつらと回想しているのかというと、だ。 「Hmmm、これはまた珍しいものを入手したようだね」 「名高いJサンにそう言ってもらえるとは光栄ってもんだ」 「J? もしかして我々の関係をご存じ?」 「そりゃもう耳にタコが出来るほど! 『デジタル・モンスター』、こいつタブレットに入れて何度も読み返してるんだぜ」 「なるほど、それは気恥ずかしいね。ところでツェーン、どうも一人だけ置いてけぼりにされたような顔をせずこっちに来たまえ。これが何かわかるかい?」 コイツらが手にして盛り上がっている本。それが一冊の魔導書だったからだ。
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パラ峰
2019年10月27日
In デジモン創作サロン
<<前の話 目次 次の話>> 1-1 Jという人物 その日のルームは、Jの一言で始まった。 「時にツェーン。Digital Monsterという新進気鋭のFolkloreを知っているかな」 Jというのは俺のチャット仲間で、成る程一風変わったアバターで一風変わった作品を提供する、要するにここ『サロン・ド・パラディ』に相応しい人物と言えた。日本人ではないらしく、他国の単語をそのまま送信してくる癖があり、その為無駄にスペルに詳しくなってしまった。 黒いシルクハットを被り直すJに対し、返信を打ち込む。 「知ってるもなにもデジタル・モンスターってお前、それはお前の小説のタイトルであり、出てくる架空の生命体じゃないか」 ファンです続きお願いします。 デジタル・モンスター。それはJのアップロードする冒険小説だ。無数の広がりを見せる怪物達の生態系、無限の可能性を秘めた進化というシステム。それだけではなく、彼ら専用の文字系統すら用意されているのだから恐ろしい。加えて何よりも人気を博している理由としては、まるで直に見てきたかのような堂に入った描写だろう。現在投稿されているのは――『魔王戦役』の章か。 「そうとも。そうとも」 片手には羽ペン。羊皮紙には複雑な数式と魔術式が綿密に書き詰められ、机の上には胎児らしきもの。 テキストを打ち込んでいるときのモーションだ。実に凝っている。 「俺の作中に出てくるMonster共だが、実は現実で見かけたという話が続出している。真偽の程は知らんがね。とはいえ我々はいくらか怪奇現象も知っている。世界に起こり得るということも。ならば信じ難いことではあるが、この世界に、俺の作中のDigitalなLivesが飛び出すこともないとは言い切れまい。古い民話という言葉を使いつつ、新進気鋭と言ったのはそういう訳だ。口裂け女、ターボ婆、寺生まれのTさん、メリーさん……挙げればキリはないが、いずれも俺やお前は知っているはずだ。噂話より生まれた怪異を」 黒手袋を軽く開きながらの長口上。だが結局、実在するはずのないものがそこにいたという噂には、ある可能性がつきまとう。 「熱狂的なファンのおちゃめなんじゃねえの。お前の作品、すげー人気だし。特に制限しちゃいねえだろ」 「知ってる。知ってる。一切、ご承知ずくだ」 Jは立ち上がる。彼の描くデジタルワールドという世界は掛け値なしにすばらしいと俺も思う。そして、そのファン活動が活発なのも頷ける。毎度お、Jの投稿した小説にはものすごい数のレスがつくものだ。 「手の込んだCostume playである可能性は否定すまい。だが、誰が好き好んでそんな噂を流す。GAGに全力をかける人種もいるだろうがね。まあ話半分に頭の中にでも置いておけ。案外おもしろいことがあるかもしれん」 ● Jがログアウトした、深夜のサロン・ド・パラディ――そのVIPルームは閑散としていた。 「デジタル・モンスターねぇ」 それが現実の世界に飛び出してきたという。夢のある話だ。嫌いじゃない。 「ま、わざわざ探しに行くほどじゃないがな」 俺もルームからログアウトし、投稿されている作品を眺める。 最新投稿作品に並んでいるのは有羽 十三[Ariba Juzo]――ハンドルネームをツェーン[Zehn]の作品。Jと並んで、創作物投稿・交流サイトサロン・ド・パラディ[Salon de Paradis]の管理人と交友のある数少ないアマチュア創作家。つまり俺だ。 ふと、Jとの邂逅の瞬間を思い出す。未だ直に会ったことはないが、もう結構なつき合いになっているはずだ。 ● 精巧に作られたシルクハットに黒マント。かけたモノクルの奥では炯々と光る双黒がせわしなく動いていた。 けれん味にあふれた人種が多いウェブだから、それだけでどうということもない。Jも他の参加者にいずれとけ込むと思っていたが、奴は弾けた。 神出鬼没にて傲岸不遜。放たれる毒に塗れた文言は多くの利用者を陶酔させてやまず、作品もいたく面白かった。 『名が必要ならば、Jと呼べ。俺の名であり、師の名であり、皆そう呼ぶ』 『デジタル・モンスター』を投稿してすぐ、彼はチャットルームに現れてそう言った。そして巧みな言葉遣い、面白すぎる作品に大勢のファンが付くこととなった。 優れているのは作品だけではない。即興話もうまいのだ。そもそもJというのは彼の作中に登場するキャラクターで、主人公の師であり、その薫陶を受けた主人公は自らもJを名乗るようになっていく。そのJという名を名乗る以上、彼はなりきりと呼ばれるジャンルのロールプレイを常時行っていることになる。請われれば作中で語られぬ行間の冒険譚を即座に語ってみせる。ひょっとしたらネタのストックが著しいだけで、時間を見計らってコピペしているだけなのかもしれないが、それにしたって凄まじいものがある。 そうしていくらかの時が過ぎ、ツェーンとJは親しくなっていった。何があったというわけでもない。気があったのだろう。どちらかというとJが衒学趣味を発揮し、俺が聞き役に回ることが多かったが、不思議と心地よさを感じる間柄だった。 ● まあ、そんなわけで。 「やあツェーン。私が今度、日本へ赴くと言う話は、既に耳にしているかな」 などどJが言ってきたときは、実に驚いたものだ。 「なるほど。オフ会の時がきたか。決着を着けるぞ」 ニヤリ。 ニヤリ。>ニヤリ。 『こちらの服装はいつものアバターと同じだ。目立つだろうから、見間違えようもあるまい。先に店に入って待っているぞ』。 こんなメールを寄越したJに倣い、集合地点に設定したファミレスに足を踏み入れる。 気の抜けるようなラッシャッセーを聞き流し、「連れがいるんで」と店内を眺めて回る――いた。 混雑時のメシ屋の中でも際だって目立つ黒ハット。入り口に背を向けるようにソファに座っており、こちらから視認できるのは優雅に組まれたスラリと細い足、それから艶やかさを感じるほどの銀髪。小説『デジタル・モンスター』の中から抜け出してきたのではないかと思うほどの容貌に、気分の高揚を禁じ得ない。 周囲のざわつきが彼を中心にしていることを見るに、きっと相応の美形なのだろう。 なるほど、ウェブ上で見るとおりのJの姿だ。 ……少々、アバターから見れば髪が長いことが気になる。気になるが、まあ誤差の範囲内だろう。ひょっとしたら、作中で登場していない「J」なのかもしれない。 そういう説も大いにあり得る。うん。 だからそう。 例え正面に座ろうとして視界に写った顔が傾国と称するに相応しい片眼鏡の美少女だったとしても。 それにビビった俺が「んー? Jがいないなー……どこかなー……」といいながら席を立とうとしても。 そんな俺の肩に手を置いて「どこへ行こうというのかね」と問うたその声が魔性のセイレーンを思わせたとしても。 「やめろーーーー! 美人局か!? ドッキリか!? おおお俺は知ってるんだ、そうやって座ってデレデレした途端、後ろから本物のJがドヤ顔で煽りにやってくるんだ!」 「私 が J だ」 にこやかな表情とともに告げられてしまい、錯乱した俺もこの少女をJ本人だと認めざるを得なかった。 ● それにしても――と、Jは対面に座らせた俺に告げた。 俺は注文したアイスコーヒーを早くすすりたくて仕方がなかった。 「酷いじゃないか。日本文化の右も左も分からなかった私を捕まえて、『オフ会では美少女がどんな醜男に変貌しても当然だと思え』『自分の理想を他人に押しつけるな』と君色に染め上げたくせに、いざ自分の想像と私の素顔が違うと悲鳴をあげて逃げるのかい?」 「とりあえず『君色に染め上げた』だけ大声になるのはやめろ」 あとオフ会の鉄則については当然のマナーだから。失敗してほしくなかっただけだから。 「っていうかだいたいお前日本文化ぐらい初っぱなから余裕で理解してたしそもそも想像に現実が下方修正を加えてくるならともかく現実に想像を凌駕されたら誰だって驚くっつーの……」 「ふふん、余りに美少女だから驚いたかい」 「ああ、驚いた驚いた」 「そうか、そうか。ツェーンは私が想像していた通りのイケメンだよ」 不意打ちは寄せ。花のかんばせでそんな台詞を言われては動揺を抑えきれない。こちとら只でさえ現実に適応するので精一杯なのだから。 訝し気な目で店員が置いていったアイスコーヒーを瞬く間に飲み干す。従業員の教育がなってないぜ、ファック。 「おまえね」 「いいじゃないか。私だって君に会えることを楽しみに浮かれてたんだよ」 「ああ、そう。で、聞きそびれてたけど、何しに日本へ?」 「君に会いに来た」 うーんそっかー。 「何ぁーに言ってんだお前」 うさん臭さをぬぐい切れない。どれほど現実に打ちのめされようとも、俺にとってJのイメージは傲岸不遜な怪しい美形なのだ。この銀髪のコスプレ美少女の影に、電脳空間で見慣れたその悪辣な表情がちらついて仕方がない。 「ちょ、ちょっとちょっと、あまりそんな目で見ないでくれ。君に嫌われたら私は生きていけない」 よよよと袖で目元を擦るな。周囲の視線が凄い。やめろ、俺はコスプレも変装もしていないんだ。 「ふふふ、からかい過ぎたか。だが、君に会えてうれしいのは本当だ」 そのままテーブルの上に手を差し出してくる。余りにも華奢という言葉がふさわしい細指に一瞬見惚れかけた。 「ああ、俺もだよ。これからもよろしくな、J」 「それで、この後はどうするね」 「定番だとカラオケとボウリングとゲーセンを梯子して『うぇーい俺らパリピじゃーんwwwwwwwwwwwwwwwwww』『ハァーウェイ系の奴らこんなことしてんのかよwwwww』と草を生やして遊ぶ。そのあとどっかで飯を食って解散だな。ここでも『飲み会ウェイウェイwwwww』とかする」 「ふぇぇ……パリピに対する偏見とコンプレックスが酷いよツェーン……」 「カマトトぶってんじゃねえぞ、お前だって散々毒吐いてたじゃねえか」 「いやネットの顔と素顔は別のモノでしょ……」 なんてくだらない会話をしているだけでも楽しいものだが、Jから話題が振られた。まるでこれこそが本命だったといわんばかりの話運びだ。 「実はね。君に先日告げたデジタル・モンスターの目撃談。それがこの街に集中しているんだよ」 マジかよ。俺一回も聞いたことないけど。 「君は世情を意図的に絶っているところがあるから。ゲハブログの残した傷跡は深いよね……」 「いやお前アレだけはこの世に生かしておいちゃいかんだろ」 「生き物じゃないでしょおじいちゃん――あ、今のは君を老害と揶揄する目的もあってね」 「いちいちかけことばの説明しなくていいから。で、もしかして日本に来たって……住んでるのこの街なの」 「……」 「何か言えよ」 「……知ってる。知ってる。一切、ご承知ずくだ」 「いやJのキメ台詞はいいから」 「いいや知っているよ。一日ならいざ知らず、銀髪美少女といつも一緒に行動しているところを知り合いに見られたらどうしようとか君が考えていることは」 「 」 「いいじゃないか。見せつけてやりたまえよ。やっかみの視線を楽しめるようになれば一流さ。創作者として有名税の経験もいいんじゃないか?」 「いや違えよ。いや違わないけど、いま黙ったのは違う理由だよ。お前、なに、この街でずっと俺と一緒に行動するつもりなの」 「そうだが」 「ダミット!」 「ゴッドをつけない辺り実に好感が持てるね。それはそれとして、まさか、ダメなのかい……?」 潤んだ切れ長の翠瞳、縋るような視線が銀の前髪の狭間から覗く。ブラックインバネスとの対比が怪しくも艶めかしい。 「ぐぬぬ」 「君は、はるばる自分を訪ねてきた外国人の女を一人で放置するような男だったのか……勝手に作り上げていた偶像だったとはいえ、その崩壊にはそれなりにショックを受k――」 美醜に限定したピラミッドがあれば、並ぶ者すらなかろうその容姿。それが周囲の視線さえ武器にして迫ってくる。敵わない、降参だ。 「わかった、わかったよ、協力する。デジタルモンスター探しだな。役に立つかわからんが、存分にこき使ってくれ――ただし、学校がないときだけな。これでも清貧に過ごしてるんだ」 「!」 この世界がカートゥーンなら、きっと背景に「パ ァ ア」と擬音が表示されていることだろう。まるで画面いっぱいに華が咲き誇っているかのように、Jは喜びを露わにした。 「そうそう、その件だが――」 「なんだよ」 「――いや、やめておこう。それよりも、とっととこの街を案内してくれたまえ」 「その黒幕がやるようなこの世界の真実は全て知っているが今は教えてやらん興が乗ったら話してやろうぺらぺらぺらぺらみたいなムーブやめてもらえませんかねえ」 未だ信じがたいことではあるが。 Jの正体は美少女だった。 ● その後、この街――蛙噛[Akamu]市の各所を巡ってはみたし、繁華街の路地裏まで覗いてみたりしたもののデジタル・モンスターは一体も見当たらなかった。当然だ。どこから仕入れてきたかもよくわからない話だし――尤もJの話題が突拍子もないのは昔からだが――、そうそう不思議存在と邂逅してたまるものか。そんなのは、精々都市伝説ぐらいで十分だ。 Jと別れ、帰路についた翌日のこと。 朝のホームルームが始まる前、自分の席で夢に現を抜かす俺を覚醒させる手が肩に置かれた。 「有羽さんよお。昨日の女の子は一体何者?」 「るっせえな、女日照りのお前の乾いた脳みそが見せた幻覚じゃねえの」 にやけ面を隠そうともしないロン毛の男の名は宮里 定光[Miyasato Sadamitsu]。数十代続く地本の名家・宮里家の息子で、端的に言って不良。昔はいろいろあったが今では十分に友人と言える間柄だ。 そうとも、Jに「普段は学校がある」と告げたことからも分かる通り、俺は学生だ。特に有名校というわけでもなく、何かの部活の在籍しているわけでもない。平々凡々を地で行くような人物。少し前はバカみたいに喧嘩に明け暮れたりもしたが、今では専らサロン・ド・パラディで小説を書いている文系だ。 過去の縁で親しくなった定光はうざったいロン毛をシャランラ振りながら続ける。 「いやいやいや、幻覚ってことはねえっしょ。だって俺ちゃん、ばっちり見ちゃったし。っていうか尾行してたし」 「暇人かよ」 「暇じゃなくてもお前の面白恋愛話なら後ぐらい尾けるっつーの」 「迷惑な話だ、ストーキングは犯罪行為だからな?」 「お前一軒家なんだから、女連れ込み放題だと思うんだけどな……って、時間か。あとでじっくり聞かせてもらうからな」 チャイムの音と共に自分の席に戻っていく。同時に、担任教師が見知った顔を連れて教室に入ってきた。 「唐突だが、今日は転校生の紹介がある」 セーラー服に包まれたその細い体躯は黒板の前で実に教室に映えていた。 昨日は男装だったため気にも留めていなかったが、胸板があまりにも薄いというたったひとつの欠点を除き、彼女は誰もが想像する"外国人転校生"として申し分ない姿で、再び俺の目の前に現れた。 「レイラ・ロウです! 日本語は話せるから、みんなよろしくね!」 なんて笑いながら言う旧来の友を見て、騒乱の予感が脳裏を過ぎるのは当然だった。 ● 「レイラさん? ロウさん? どっちで呼べばいい?」「どちらでも、好きな方で構わないよ」「どこから来たの?」「ドイツから。今度ジャーマン料理のお店を教えてね」「銀髪きれー」「ありがとう。ホワイトブロンドって言うんだよ」「一人暮らしなの? それともホームステイとか?」「一人暮らしさ、これでも自活できるつもりでね」「ね、ね、じゃあこの街のどこに何があるかとかはもう知ってる?」「ううん、あんまり。教えてくれると嬉しいな」「勿論! じゃあ今日の放課後にでもみんなで案内するね!」 Jの姿からは想像もつかないコミュ力で、レイラ・ロウは瞬く間にクラスにとけ込んで見せた。というか、まさか同い年だったとは思わなかった。 驚愕と共に熱狂するJの席の方の人混みを眺めていると、チラチラと視線を送ってきているのが分かる。すると横から小突くようなモーションと共に定光がやってきた。 「まるで三文小説みたいな展開じゃないか、ええ? 話しかけにはいかないのかよ。つか、どんな関係な訳」 「別に。ネット上の付き合いが現実に雪崩れ込んできただけさ、この二日でな」 すると合点がいったとでも言うように手をポンと叩く動作が帰ってきた。オーバーリアクション。 「ああ、お前が熱く語ってた『デジタル・モンスター』の作者?」 「うわっ詳しいなお前、俺のストーカー? まあその通りだよ、熱く語ってたとか本人の居る空間で言うのやめろよ」 「いいじゃねえか。で、話しかけはしねえのかよ」 「はああ? ないない。俺らみたいな冴えない男が話しかけていい相手じゃないっつの」 謎の転校生が齎す狂乱の渦はじきに収まるもので、あれよという間に放課後になった。Jとそれをとりまく陽キャ共は随分と打ち解けたようで、これから遊びに行く算段を立てていた。ま、街の案内などまともには行われないだろう。 「彼らは来てくれないのかい?」 直帰せず管を巻いていた俺たちの方を指してひそひそと内緒話が始まった。聞こえてるんだよ、外でやれ。 「あー、その、あの二人は……」 表立っての排斥などはないが、腫れ物を触るかのような対応を受けるのは理解している。先も言ったように俺も定光も一時期は荒れていたし、噂も尾ひれがついているものだって珍しくない。「いいから行こうよ、触れないほうがいいよ」などという言葉を最後に、彼らは校舎から出て行った。 「はー、世知辛いねえ」 「誰のせいだと思ってんだ」 「十三クン」 「俺は宮里家の息子が悪いと思ってる」 「ケッ」 「やってらんないっすわ、カーッ! ペッ!」 適当な罵り合いを続けながら、俺たちも帰路に就いた。 ● その後数日が経ち、転校生レイラ・ロウの影響も落ち着いた頃のこと。事件は帰宅した俺の家の玄関で起きた。 「お帰りなさい。ご飯にする? お風呂にする? それともわ・た・し?」 玄関先でエプロンを纏ったJが待ち構えていやがった。 「Jにするか」 迷わず接近、独りで静かで豊かに食事を取るために腕をキメた。 「があああ! やめたまえか弱い女子にアームロックをかけるのは!」 「不法侵入者はか弱くない。ついでに俺は男女平等論者だ」 「平等を謳うならなおさら暴力をふるっていいのか!」 「俺は犯罪者に容赦はしない。ビハインドユー」 「本当に後ろに回るやつがあるか! 悪かった、悪かったから妥協しておくれ!」 いい加減細腕が折れてしまいそうだったのでJを開放してやった。「ビハインドユー」に続けて「断る」とまでは言えなかったよ……。 「で、何しに来た」 「君に会いに来た」 「うんそれこの前も聞いたね?」 俺が聞いてるのはなんで家を知ってるのかとかどうやって入ったかとかだよ。 「そんなもの、ナビゲートでストーキングして鍵開けで一発だったさ」 私を誰だと思ってる――と無い胸を張るJだったが、現実で鍵開け技能なんぞ使われたらたまったものではない。 「まあまあ、折角作ったんだ。追い出す前にせめて一緒にごはんを食べておくれよ」 「鬼どころか家主のいぬ間に料理する奴は初めてみたよ……」 あと別に追い出しはしねえから。 観念して荷物を置き手を洗い食卓に座ると、既に食事の用意が為されていた。 キャベツの千切りにオリーブオイル、揚げたての鶏肉は香ばしい匂いで食欲をそそる。ひじきと人参と大豆の煮物まで並んでおり――いやこれ俺が作ったやつだわ。当然と言わんばかりに味噌汁と白米まで並んでいる。お前ホントに外人か。 「冷蔵庫の中を見たが、随分手馴れているようだったね。だが作り置きの料理が多いようだったから、出来立てを用意してあげたよ」 「余計なお世話だバカヤロウ……で、俺の舌を満足させられるかな」 自慢じゃないが、俺は料理には自信がある。実家の方針で一軒家など与えられ一人暮らしをしている手前、まあ自炊力も上がるというものだ。 箸を伸ばして一口目を食す。非常に認めたくはないのだが、うまい。とてもうまい。 「即落ち二コマかな?」 「ふ、ふふふやるじゃねえか括弧震え声」 「ツェーンはあれかい、鶏肉が好きなのかい」 「他のもん食う気はないな」 「ふむ、こだわりが強いのかな。これは覚えておかなくてはね」 なんでさ。 「まあ、好みに合ったようで何よりだ。そこで、本題なんだが――」 真剣な表情に、思わず俺も顔を引き締めた。 「なんで学校で話しかけてくれないの???????????? あんなにアピールしてるのに」 引き締めた瞬間にあきれ返った。 「いやだってお前ハードル高いって。俺みたいな人種が話しかける相手じゃないって。っつか、チャットでは毎晩顔を突き合わせてただろ」 「それじゃ足りない。期待に胸を膨らませて――ってちょっと待てなんでそこ見た。まあいい、君の性癖は既に把握してるし」 やめろください。まさか異性だと思ってなかったからってすげえいろいろ話した過去の俺を撲殺してやりたい。 「とにかく、めくるめく学園生活を期待していたらひたすらスルーされ続けた私は、乙女力が暴走して今日のような暴挙に出たとしてもなにもおかしくはない」 「いやその理屈はおかしい」 「でもツェーン私に付き合ってくれるって言った」 それはすまないと思うが、短期滞在だと思っていたからあんなことを言ったのだ。まさか同い年で、わざわざ俺の学校にまで潜入してくるとは思っていなかった。 「いやいいけどさ。いいけどさあ。お前話しかけるスキないじゃん、超人気者じゃん?」 「君が話しかけてくれたら全部かなぐり捨てるよ」 重っ。 「重っ」 いかん、思わず声に出してしまった。 「はうあっ!」 胸を押さえて崩れ落ちた。 「いや、いやいやいやいや君。自分に会いにはるばる独国からやってきた私に対し、それはあまりにもご無体なのではー……」 いや重いでしょ。紛れもなく重いぞ。 「え。ってか何、冗談だと思ってたけどお前本当に俺に会うために来たの」 「そうとも」 速攻で復活した。感情の起伏の激しい奴だ。 「まあその理由はいろいろあるんだがね。今言えるのは、私が君をとても好きだということだね」 「えー……マジ?」 「大マジ」 「それはアレ? ラブ的な意味で? 俺も"J"のことはライク的な意味で好きだけど?」 「Ich liebe dich!」 「臆面なく言うねお前……」 嬉しくないと言えばウソだが。いくらなんでも急すぎる。現実が幻想を凌駕するのはホントやめてもらっていいですか。対処できないから。 「返事をくれとは言わないよ。まだまだ時間はあるからね。必ず君を私のモノにしてみせるぞ」 余りに男らしい宣言だ。 うーん、ずるいなー……と思わずにはいられない。ちゃうねん、ちゃうねんて。"J"にいっつも話してたからだろうけど、レイラ・ロウ、俺の好みにぴったり合うんやて。あかんやろ。
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パラ峰
その他
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