フォーラム記事

パラレル
2022年6月08日
In デジモン創作サロン
<< 前話へ 目次 次話へ>> Episode.14 "ring a bell"  思い返せば昔から人から疎まれ憎まれることには慣れていた。好奇心旺盛な癖に他人の感情には無頓着で、ただ自分が望むことを自分のペースで為してきた。幸い要領もよく頭も回ったから大抵のことはそつなくこなせていた。だからこそ一番近いところに居る相手に敵意を向けられ、家族からの抑圧も相まって知らず知らずのうちに鍛えられてしまったのだろう。  詰まるところ、逢坂鈴音は自分のことがあまり好きではなかった。ただ欲求に従う様を狂人と呼ぶのならば、その定義に当てはめられて当然だとすら思っている。だからどんな末路を辿ろうとも後悔する資格はない。高潔な目的を持つことなども許される筈もない。その枷だけはX-Passを手にした時から変わらず根底にへばりついている。  当時の彼女にとっては異界へと繋がる通行証という噂話も、その先に居る願いを叶える存在の都市伝説も実在性が保障されていない浪漫でしかなく、興味は惹かれても入れ込むほどではいなかった。ただそれ以上に彼女は自分の環境にも執着を持てていなかった。だから他者と比べれば軽々しい動機とそれ以上に軽い経緯で一線を踏み越えることができたのだろう。  幽霊に誘われた。その説明でも大差ない程度には浅く冗談めいた出発点だった。  その日はサークルもバイトもなくただ暇を持て余していた。ただひたすらに退屈だった。気分転換になるものがあれば何でもよかった。 「買い物でもしようか。……ん?」  だから、ドアを開けた瞬間に視界を横切った白い人影を放置する理由はなかった。体格からして家族でも家政婦でもない。来客の可能性はあるが、屋敷の中でもプライベートな部屋が並ぶ二階に踏み入る程に信頼された相手で、白衣が似合うような人物は心当たりがない。  空き巣や強盗の類というよりは不審者。歩き方はあまりに堂々としている割りにどこか掴みどころもなく、気を抜けば見失いそうになる。  警備会社や警察に連絡する気は最初から頭にない。何かやらかすとしても咎めるつもりもない。ただ純粋な興味として白衣の不審者の正体と目的を探りたいだけ。その結果として自分がどんな不利益を被ろうと後悔はしない。  幸いというべきか素人の真似事の尾行でも相手はこちらを意識することなく歩みを進めている。廊下の端を左に曲がり、行き止まりに向かって直進。さらに左に曲がって進んだ先の二つ目の部屋の前で不審者は足を止めた。出発点である鈴音の部屋の対岸に位置するこの部屋が目的地だったらしい。  その部屋は半年前から定期的な清掃のとき以外は開かずの間と化していた。当然今も鍵は掛かっている筈だったが、どんな手品か不審者は住み慣れた自室に入るかのようにドアを開けて踏み入ってしまった。 「は……いやいやいや」  鈴音は慌てて全力で走って後を追う。尾行をしている自覚もなく、ただ不審者の目的を突き止めることを優先する。ドアにぶつかりそうになりながら急停止。一週間ぶりに開け放たれた部屋の奥で、不審者は学習机を愛おしそうに撫でていた。 「何を」  思わず口を突いた言葉を言い切ることはできなかった。先に不審者の姿が煙のように掻き消えてしまったからだ。 「は、はは……参ったね、これは」  まるで幽霊にでも化かされたようだ。今まで幻を見ていたにしても都合がよすぎる。後に残ったのは踏み込む気もなかった部屋に今更踏み込んだ恥知らずだけ。  久しぶりに足を踏み入れたその部屋は、全部屋の稼働率の低さに定評のある屋敷の中で比べればまだましな方だった。家政婦による定期的な清掃のおかげで目立つ埃もなく、家具や各種インテリアはほぼ変わらないレイアウトで安置されている。持ち主の数少ない趣味が開けっ広げにされているような状況でもそのプライバシーが侵害されることはないだろう。それを気遣いと呼ぶには鈴音は両親の無関心さを知り過ぎており、自分が時と場合によってはそれを利用する人でなしである自覚もあった。  ベッド横の本棚に積まれた漫画本や雑誌の趣味は合わない。寧ろ学習机の上に備え付けられた本棚に並ぶ教科書の方がまだ興味をそそられる。ただ今一番視線が引き寄せられたのは、机の上にぽつんと置かれた鍵とそれに貼られた付箋だった。鍵が勉強机の引き出しの鍵であることは、この部屋の勉強机が鈴音のものと同じ規格であることからすぐに分かった。  奇妙な現象に誘われたのか気が狂ったのかは最早どうでもいい。この部屋に踏み入れた以上その鍵に手を伸ばすことを躊躇うようなデリカシーなど捨てたようなものだった。 「『人でなしの君にプレゼント』ねえ」  それでも付箋に書かれた文字は癪に触り、思わず握り潰してしまった。自嘲するのと他人に見透かされるのは違う。ただ図星を突かれても止まれない程度に人でなしな自覚はあるので、付箋を書いた輩の思惑に従うことに異論はない。自分のものと同じ感覚で鍵を引き出しの鍵穴に挿して回す。後は引き出しの取っ手を引けば、これまでの気が狂った行動にも一応の決着がつくはず。  そこでようやく鈴音は自分の手が無意識に震えていることに気づいた。それでも驚いて取っ手から離すことはしない。ただ一度だけ唾をのんでゆっくりと開ける。  所詮は引き出しの中身。覚悟すべきものがあるとすれば所有者が隠したかった黒歴史の産物か異常性癖の証拠、或いは周囲への殺意を綴ったノートの類だと高を括っていた。 「これは……噂のアレ、なのか」  だから都市伝説の代物(X-Pass)が鎮座していることには流石の鈴音も動揺を隠せなかった。 「もし仮に本物だとして、これは……いや、まさかね」 「――仮定を頭ごなしに否定するのはらしくないね。これはそちらの想像通りの理由と私思惑でこの部屋に存在するものだ」 「今度は幻聴? いや、確かにこのカードから聞こえている。先程の幻覚も同じ類いかな」  唐突に無条件に苛立ちを覚える声が耳朶を叩く。内容が自分を煽ることだと気づいたのは苛立ちの矛先を特定してからのこと。不意を突かれた事に対する恐怖も警戒心も湧かなかったのは、個人としての欠落というよりはそれらより先走った嫌悪感があったからだろう。 「危機意識が欠けてる代わりに話が早くて助かるよ。――さて、君好みの話があるんだが当然聞くだろう。逢坂鈴音」  癪なことにその声が語る内容は確かに鈴音好みの話ではあった。ただそれ以上に自分が人として決定的にずれていることを自覚させられることが何よりも癪だった。 「実は……その引き出しは二段底になっているんだ」 「なるほど……それは興味深い」  それは弱肉強食を前提とする世界ではあり得ないはずの光景だった。十を超える獣竜達が互いに等間隔になるように位置取り、口から鉄球を飛ばしてはそれをぶつけた何かを他の個体へと押しつける。ゴムボールのように奴らの間を跳ね回るのはアハトで、文字通り玩具として遊ばれているその様はあまりに悪趣味だった。 「邪教の儀式はそろそろ止めてくれないかな」 「何とでも言うがいい。バケモノと異教徒には慈悲を与えない主義だからな」  サッカーの試合でも観戦するかのようにくつろぐ晴彦の傍らには弓を番えた女天使。彫像のように静止しているように見えてその照準は傀儡の化物(デクス)の間を回されるアハトを常に捉えている。下手に鈴音が動けばその瞬間に矢はアハトを仕留めるだろう。このまま何もせずにいても嬲り殺しにされるだけ。それでも今の鈴音には癪に触る説教を聞き続けることしかできなかった。 「邪魔者もなし。遠慮も不要。二人きりで腹を割って話そうじゃないか、逢坂鈴音」 「気持ち悪い程に気に入られたものだね」 「本気だとするなら相変わらず面白いことを言う。今すぐ火刑にかけてやろうか魔女め」  冗談めかして言った言葉もその目が笑っていなければ本心を見透かすのも容易い。瞳孔は開き、睨みつけるような視線には露骨な嫌悪感だけが籠っている。想定より仮面を崩すのが早いが、晴彦にはもう取り繕う必要がなくなったのだろう。 「最初から私は貴様のような私利私欲で動く輩が嫌いだった」  大の大人から真正面に嫌悪感をぶつけられる。一周回って新鮮な状況に鈴音は思わず吹き出しそうになった。同年代や身内に奇異な目で見られることには慣れていたが、いい年した裏切り者に感情論を振りかざされると流石に反応に困る。 「捻じ曲げたい過去もなく、ただ好奇心でこの場に居られると虫唾が走るのだ。視界から締めだす労力すら勿体ない。いっそ目と耳を潰せば楽になると何度思ったことか」  次第に晴彦の言葉は熱を帯び、自分が口にした言葉を噛み締めては次第に表情は陶酔したものになっていく。それでも傍らの女天使にすぐに指示を出せるようにX-Passに指を添える程度にはまだ理性を残している。 「私達はXの元、この未来に生きる人々のために戦っているのだ。ふざけた動機で同胞を踏みにじるような輩が居られると吐き気を催すのも当然だろう。だから貴様がこちら側に来なくてせいせいしたものだ。まあ、性根の腐った魔女が私たちのような高潔な選択が出来るはずもないがな」  独り言は演説のように仰々しく糾弾のように敵意を籠めて語られる。それは最初からレジスタンス側として動いていたが故に抱えていた誇りと憎悪。鈴音自身、彼からすれば自分のような人間が誰よりも癪に触るのは当然だと率直に思う。未だこの場に立つ理由を理解もしたくないだろうから。 「つまり、私とアハトを嬲り殺しにしたい、と」 「それはもう惨たらしく。折角の機会だ。愉しませてもらう」  晴彦が心の底から浮かべた笑みは聖職者としても悪に抗う戦士としても歪んでいる。仮に鏡がこの場にあったとしてもそれに気づくことはないだろう。そのことを鈴音は少し哀れに思った。 「それにしても貴様は随分契約相手のことを気にしているな」 「パートナーと書いて生命線だからね。当然だろう」  不意に晴彦が口にしたその言葉を鈴音は牽制だと捉えていた。それ以外のニュアンスが含まれていることに気づいたのは、晴彦の笑みがより嗜虐的なものになったから。 「そうかそうか。何もできずにただ虐められる様を眺めているのはさぞ苦しいだろうな。……だが、気に病むことはない。寧ろ貴様は喜ぶべきだ」  先ほどまでとは一転。気持ち悪いほどに親し気に語り掛けながら讃えるように手を叩く様はただ不気味。あまりにわざとらしい振る舞いは巣に掛かった獲物に近寄る蜘蛛を想起させた。 「霞上響花のような真似はしていないようだが、人語を介する以上は奴は既に人を喰ったバケモノに変わりない」 「引っ張らないでほしいね。結局、何が言いたい?」  モンスターは人を捕食すれば捕食するほど、人語を介したコミュニケーションが得意になる。それはアハトとナーダを比べれば一目瞭然だ。だが、そもそも一人も捕食していなければ人語を介することもできない。カインや月丹と違ってアハトが一線を越えていることも事実だった。 「奴の餌食になったただ一人の被害者を私は知っている」 「ァアア!! ヤァメゥグァッ!!」  何故パートナーでもない晴彦が知っているのか。ただの出まかせではないのか。その疑念を裂くようにアハトの悲鳴が轟く。夥しい数の裂傷と打撲痕を見れば、声を出すことがどれだけ負担なのかは容易に想像がつく。それでも叫ばずにいられなかった動機に思考を割いた瞬間から、その後に紡がれる晴彦の言葉に対する耐性が失われる。 「――被害者の名は逢坂観月。流石の私も驚いたものだ。契約相手の女を喰った挙句、半年経ってその妹と再契約しているのだから」  わざとらしいオーバーリアクションで告げる致命の一撃。貴様は今まで身内を捕食したバケモノに信頼を寄せてともに旅路を進んできたのだ。そう断罪するような言葉に鈴音は初めて顔を伏せる。言葉を返すのに十秒ほど掛かり、絞り出した声は僅かに震えていた。 「念のため聞くけれど証拠は?」 「我がレジスタンスにはモンスター固有の波長を記録し検知するデバイスがある。それで個体の特定は可能だ」 「アハトの前の契約相手が私の姉だという確証は?」 「君の話を本人から聞いていた。聞いていた通りの人間の屑で驚いたものだ」 「何故トラベラーになっていた?」 「さて、なんだったか……ああ、多分自殺した友人を助けたいと言っていた気がする」 「何故捕食された」 「そこのボールにでも聞いた方が早いと思うが。経過を見るに野蛮な飢えだろう」 「見殺しにしたのか」 「こちらも勧誘を保留されたままだったのでね。味方にならないのなら消えてくれた方が話が早い」  苦し紛れに糸口を探す言葉は淡々と弾かれる。その度に鈴音の声音は小さくなる。あれほど叫んでいたアハトも呻き声すら漏らさなくなり、ただゴムボールのように弄ばれる。 「好き放題言ったが、所詮は敵の言葉だ。嘘だと思いたいのなら構わない」  そう口にした晴彦の表情にはただ愉悦が浮かんでいた。出来る筈のないことを提案し、相手が無力さを痛感する様を眺めることほど悦に浸れることはそうそうない。それが会う前から気に食わなかった女相手なら尚更だろう。 「意地が悪いね。嘘だなんて言える筈がないのに」  大きくため息をついて鈴音は顔を上げる。この舞台を整えた時から、晴彦はこの瞬間を待ち望んでいた。心底不快な女の心をへし折ることが出来るこの瞬間を切望していた。  今の晴彦の興味はただ一つだけ。残酷な事実を前にした彼女は今どんな表情をしているのか。常に他者を顧みることなく余裕ぶって笑っていた表情がどれだけ醜く歪んでいるのか。 「――だって私は最初から知っていたのだから」  表情が大きく歪むのは晴彦の方だった。鈴音はどこか晴れやかな表情を浮かべながらただ真っすぐに晴彦を見据えていた。 「ァ……ス、ズ?」 「あれ何なの!? 何なのあれ!!」 「どれのこと!?」  鼓膜を破る勢いで脳を揺らされたため反射的に同等の声量で反撃してしまった。鈴音にそんな行動を取らせることの出来る人物は限られている。高校一年生の当時で当てはまるのはそれこそただ一人だった。 「外を飛んでる変な機械のことよ! あれ、学校でも飛ばしてたでしょう!!」 「ドローンのことだね。時間がないから家で練習しているんだよ」  一つ上の姉、逢坂観月が顔を真っ赤にして唾を飛ばしていた。顔を合わせてようやく因縁をつけた対象が分かった。だが理由までは分からない。ただ課外活動のために時間を割いているのに文句を言われる謂われはない。そう本気で思っていた。 「どろ……また変なおもちゃ買って。よその迷惑でしょう」 「世間の母親みたいなことを言わないで欲しいよ。そもそも部費で買った備品なんだけど」 「それは嘘でしょう。学校が許す訳がないわ」 「理解ある先生方に丁寧に説明したからね。撮影した動画や測量データの活用案にも納得していただけだ」 「クズの奇行に慣れただけでしょうがッ!」 「なるほど。そうかもしれない」  実際のところ校内における逢坂鈴音の知名度はかなり高かった。そもそも幼稚園からの一貫校のため、奇行を積み上げてきた期間は十年を超える。特に中等部一年の頃に聖書の授業で教師に質問という名の討論をしつこくした結果、ヒートアップした教師が逆上して教科書を文字通り焚書した事件は知名度向上に一役買った。  ミッション系のお嬢様女子高にそぐわぬ博学な奇人。それがこれまでの実績から逢坂鈴音に貼られた悪名だった。内部進学を決めた際に当時の担任が高等部の職員室に菓子折りを持って行ったという話も聞いた。自分なりに勉学に励んで積極的な課外活動で実績を残してきた優等生のつもりなのだが、先生方に対する矢印は一方通行だったらしい。 「ほんッと腹立つ……」  逆に鈴音が一方的に矢印を向けられているのは目の前の姉。妹の奇行を風の噂で聞いた数を尋ねた瞬間に拳が飛び出そうな程には腸が煮えくり返っているご様子。話題に出る度に否が応でも自分に飛び火することも、そうならないように友人が気を遣う度に無用な気まずさを覚えてしまうことも想像に難くない。 「いい加減にしてよ! 少しはおとなしくできないの!」 「そう言われてもね……」  努力を絶やさない真面目な優等生にとって、奇行ばかりの癖に大概のことはそつなくこなす妹は目の上の瘤でしかない。それは分かる。ただ今回は正しい手順を踏んだうえで後続に繋がるメリットも提示している。とやかく言われる理由はなく、このレベルの行動でも制限されるのは鈴音も困る。 「流石の私も困るよ、姉さん」 「……なんでクズはいつもいつもいつもいつも」  失言は口にした段階でほとんど詰みのようなもの。下手に取り繕うとすれば自ら墓穴を掘って逃げ道を塞ぐことになる。ここで下手に論理武装すれば自らの装備の重さで沈むことになってしまう。詰まるところ、鈴音は姉の定期的なヒステリー耐えることしかできなかった。 「ずっとずっと、ずぅううっと! 私の邪魔ばっかりするのよォッ!!!」  再び鼓膜が破れそうになった。響き渡る実姉の絶叫。幸い両親はおらず、家政婦も鈴音に関わりたくないがために近くには居ない。つまり逢坂観月の醜態を受け止める責を担うのは鈴音だけ。 「私は真面目にやってるのに見せつけるように好き放題やってッ! それに文句を言われても聞かないから注文は全部こっちに来る! 私だって私のことでいっぱいいっぱいなのに!! ほんっとうにうんざりする! なぜそんなヘラヘラできるの? ねぇ!! 私のことバカにしてるんでしょ! 昔から私が母様に詰められてるのを横目に適当にこなして! その癖、家のことには興味ないって振舞って! あぁぁぁぁ……本当に鬱陶しい。目障り。邪魔」  血縁という長い付き合いで流石に慣れた。だが慣れていても面倒なことはある。自分への罵倒は止まらず、噴き出す不満に際限は無い。性根が真面目な分だけ周囲の圧力に晒された結果として歪に折れて傷んでいく。すぐ近くに変なのがのさばっていればそれが助長されるのも仕方ない。ただその変なのには彼女を癒して正すだけの力もなければ意思もない。だから無駄口は挟まず当然の責務として受け止める。  男児に恵まれなかった旧い価値観の家の長姉として、観月は他者からの圧力を素直に受け止め、真面目に努力を積んだ。次女として産まれた鈴音はそつなくこなす器量を自分のために伸ばし、他者を言い包めて我を通してきた。並べて比較すれば観月の鬱憤も納得できる。これでは視界を飛び回る羽虫のように鬱陶しがられても仕方ない。 「……ここではやらないようにするよ」 「学校でもやめてよね」  一番問題なのは鈴音のブレーキが意味を為していないこと。ここで口にした約束は守られ、ドローンによる被害は収まるだろう。だが観月の胃が安息を迎える日はないことは二人とも分かり切っていた。 「はぁ……こんな妹なら居なければよかったのに」  その言葉を吐き捨てて姉が部屋から出る姿を見るのを数えるのも飽きた。鈴音自身、観月にそれを言う資格があると思っているから何一つ文句はない。それでも自分の性を変えられない以上、自分は彼女にとっての悪だ。 「……大学は外部進学できるといいのだけど」  その進路希望は現実となったが、動機の大半は二回生に進級する時期に消失した。 「2008年7月15日。テストで学年十位以内に入れなかった。夏休みが無くなりそう。私だけ。スズは違う」  鈴音がそう不意に切り出した瞬間、鈴音と晴彦の間に揺蕩う空気が固まった。 「……何のつもりだ?」 「何って、乙女の秘密を晒しているんだよ。悪い女だからね」  一層歪んだ顔ですごむ晴彦をわざとらしい程に涼し気な表情で受け流しながら、鈴音はさらなる秘密を開示する。死人には口もなければプライバシーもない。たとえそれが実の姉だとしても気にしないことが、そちらの言う性根の腐った魔女らしい立ち振る舞いだろうと言うように。 「2009年10月6日。あのクズが自由研究か何かで表彰されたらしい。私には何もない。何もできない」 「2013年4月10日。高等部に上がった。美術部には入らないつもり。三年間居心地が悪かったのは誰のせいだろう」 「2014年4月19日。茶道部に新入部員が入った。上級生らしく面倒をみないと。特に見るからに気が弱そうな神崎舞さん」 「2017年3月5日。舞は外部進学するらしい。一年の頃よりも成長したけど心配でしかない。本当は私が傍に居てあげないといけないのに」  薄ら笑いを浮かべながら鈴音は姉直筆の言葉を滔々と語る。まるでテレビ番組で身内からの手紙を読むように恥ずかしげな振る舞いをしているが、実際はネットで拾った他人のつぶやきを笑っているかのような薄っぺらい態度が透けて見える。所詮は他人の言葉。自分の内から出た言葉でなければそこに乗せる感情も当事者のそれからは遠ざかる。 「2017年5月28日。舞に連絡がつかなくなった。家にも帰っていないらしい」 「2017年7月5日。遺書が見つかった。サークルで何かあったらしいけどよくわからない。調べたクズが何を言っているのかわからない。聞きたくもない」  本当に実の姉の書いたものを読んでいるのかと思える程に鈴音本人の感情が読み取れない。いっそ極端に棒読みだった方がショックを受けているように見えただろう。 「2018年4月2日。舞を助けられる可能性が見つかった。展開が急でよく分からないけれど、私にもできることがある。私にしかできないことがある。頑張れ私。既にスズって名付ける失敗をしたけど」 「2018年4月12日。モンスター。トラベラー。レジスタンス。分からない。何故私には助けられないの。何故何もできないの。何故私には何もないの。いっそ全部無くなってしまえばいいのに」 「2018年4月15日。スズがもう限界だ。ワスプモンに進化してからまともに食べさせられていない。満足に餌やりも出来ない私にできることなんて……」  それはトラベラーとなった日の記録でも最期の日の記録でも変わらない。一人の女が実の妹に嫉妬し続け、妹替わりに可愛がっていた後輩を失って、無理をした結果として最後は壊れて喰われた。ただそれだけの話なのだとでも言うように語り通した。 「因みに舞さんは姉さんのことが少し鬱陶しいってかなりの頻度で私に告げ口していたよ。ここだけの話だから内密にね」  余計な一言を添えて鈴音は意地悪そうに笑った。まさしく自分が表現したような性格の悪い女だ。そう思わされたことが晴彦には何故か屈辱に感じられた。 「貴様、結局何が言いたいのだ!」 「最初から知っていたという確証を提示したつもりだったのだけど。まあ所詮は敵の言葉だから嘘だと思いたいのなら好きにすればいい」 「ほざくなッ! 語った言葉が真実として、何故貴様は平然としていられる? 何故身内を喰った化け物とともに居られるのだァッ!?」 「奇妙なことを言うね。私を性根の腐った魔女と言ったのは貴方の筈だけど」  わざとらしいまでの意趣返し。わざとらしいまでの振る舞いそのものが悉く晴彦の神経を逆撫でする。最初から好感度がマイナスならばいっそ振り切ってしまえばいい。敵対者としてこちらが望んだ振る舞いをされればされるほど、そのわざとらしさが癪に触る。 「そもそも姉さんのことを思う資格なんて私には最初からないんだよ」  もはや声音の些細な機微などどうでもよかった。自覚のある狂人の言葉には虚実の判断を行う意味すらない。 「アハト……姉さんにとってのスズはモンスターとして間違った行動をした訳ではない。私はそう割り切ってしまうような人間なんだ」  それは嫌という程痛感した。寧ろ喜んで差し出していないのが不思議なくらいだとすら思っている。 「姉さんの精神と記憶を取り込んでいるからか、寧ろ安心感を覚えたこともあったくらいだ」  ただ想定の外から嫌悪感を覚えさせられるのは話が違う。魔女の性根は望み通り腐っていたが、根元からいかれているとは思っていなかった。 「貴様はいかれている!」 「最初からその結論は出ていた筈だけど?」  結局、精神的に限界を迎えたのは晴彦の方だった。目の前に居るのは契約相手をいたぶられながら長話できるような人間。そんな相手の心をへし折ろうとすればするほど自分の心が侵されそうになる。 「もういい。貴様らで遊ぶのは終わりだ」  今はただ目の前の女が存在することに耐えられない。契約相手を即刻射殺して、護りを失った魔女を火炙りにする。そうしなければ晴彦の脳が自身の怒りで燃えかすになりそうだった。 「姉の仇諸共死ね」  形容しがたい怒りを乗せて晴彦は右手を上げる。ここに射殺許可は下った。一秒の猶予もなく傍らに立つ女天使が光の矢を放つ。球遊びに興じる傀儡の化物(デクス)ごと、逢坂鈴音という女が背負った罪の証を断罪する。  ことここに至るまでに天城晴彦は注意力を完全に失っていた。逢坂鈴音が今どこに立っているのかを把握できない程に。彼女が話す言葉にばかり気を取られて、彼女の首から下の動きへの警戒心は消え去っていた。 「……は?」  だから、放たれた光の矢が鈴音の目と鼻の先で爆散した現実にすぐに理解が及ばなかった。咀嚼するには爆発で視界を覆った閃光が晴れるまでの時間が必要だった。  契約中のトラベラーを守る不可視のバリア。致命の一撃をそれでしのぐため、注意力を削ぐように煽るように話ながら鈴音は少しずつ距離を詰めていた。それは姉の仇である契約相手を守るため。  晴彦の視界が戻った瞬間、再び彼の目は現実を理解することを拒みかけた。それは逢坂鈴音の傍らを漂う彼女の姉の仇。その身体には散々いたぶった傷は残っているが、動き自体にはもう不安定さは見られない。十数秒前まで奴が転がっていた地点では奴を弄んでいた傀儡の化物(デクス)の方が壊れた人形のように転がっている。 「わざと温存していたのか」 「我ながら酷い契約者だと思うよ。まあ、身内の仇に対する仕打ちとしては妥当なのかもしれないけど」 「ほざくな、クソアマ!」  長く愉しむためにわざと手加減していたぶっていたのが仇になった。そんな考えを振り払うように晴彦は叫ぶ。 「ただアハトが危なかったのは事実だね。散々いたぶられた上に、貴方の精神攻撃が私より刺さったものだから」  対する鈴音は淡々と事実を告げる。その表情にはもうわざとらしいまでの薄っぺらい笑みは貼りついていない。ただ静かに天城晴彦という目の前の敵を見据える。その視線に籠められているものを向けられている当人が理解することはないだろう。 「けれど今はともに感謝しているよ。――貴方のおかげで私達は前に進めるのだから」  鈴音の左腕、そこで存在感を放つ繋がり(X-Pass)で星が瞬く。そのシグナルに呼応するようにアハトの内から光が溢れ出す。それは進化の光。捕食によって他者を己の糧とすることは次なる段階に至るためには必要だ。だが、一線を超える理由が必ずそれである訳ではない。  アハトの記憶領域には二つの記憶がある。  一つはアハト自身のもの。そしてもう一つは逢坂観月のもの。  彼女の記憶が劣化することなくアハト自身の記憶と同じだけの強度で独立して存在していたのは、無意識に優先度を上げて保持していたから。ナーダと異なり唯一の人間の記憶であることは理由の一つだろう。それ以外の理由はアハト自身にも論理的にまとめることはできていない。ただ逢坂観月の記憶がアハトにとって重要なものであることは明白だった。  晴彦の言葉に反応したのは逢坂観月の記憶を何度も噛み砕いて咀嚼していたから。そこには逢坂鈴音に関する記憶も含まれている。  かつての契約相手の瞳に現在の契約相手の姿がどう映っていたか、どのような感情を抱いていたのか。それを今知る者はアハトしか居ない。モンスターにあるまじき罪悪感を咀嚼できるのもアハトだけ。  それでも鈴音はアハトの罪を肯定した。彼女は自分には咎める資格が無いと、アハトよりも先に彼女自身を罰していた。  同じ人間に対して罪を背負った者同士。償うことなく地獄へ向かうと言うのならば、喜んで同じ道を歩もう。  ナノマシンのシナプスを迸る電子。電子の生命の内に燻る闘志。耐え続けて維持した生命力は損傷の回復ではなく次の可能性へ投資。  今の自分を構成するための均衡が崩れても構わない。それが目の前の敵を殲滅して生き残るために必要だというのならば喜んで差し出そう。  今はただ、かつて呼ばれた名前を本来呼ばれるべき相手に返すためにその身を捧げる。  敵対者を殲滅する金色の要塞。そう思わせる程、鈴音の頭上に君臨する相棒は二回り増量した実際のスケール以上の存在感を放っていた。蜂に似た本体の上で丸太のように連なるコンテナには多種多様な火器が備わる。強化された主砲の奥からは殺意に満ちた光が覗いていて、その輝度だけで内に満ちるエネルギーの総量が底上げされたことを感じ取れる。 「スズ、クズ」 「そうだね。よく知っているよ」  キャノンビーモン。人間の記憶を大切に抱える働き蜂は敵対者をシステマチックに殲滅する悪魔の兵器へと変貌した。 「オーダー、ナニ?」 「もちろん、見敵必殺(サーチアンドデストロイ)」  従うべき女王(スズネ)が左手を振り下ろす。すべてのコンテナが開き、内に秘められた殺意が火を噴く。弾幕と呼ぶに相応しい爆撃の嵐。人工的な災害は今までアハトを弄んでいた怪獣人形(デクス)を塵芥へと変える。今までの屈辱という私怨も乗っているのだ。底上げされた格上の火力の前には粗悪な量産品は原型を留めることは許されない。  不意にアハトの身体が空を転がるように回る。直後に閃光が煙を裂いて奔ったものの、アハトに掠ることはなくコンテナのすぐ真下を通り抜けた。軽やかに一回転した後、アハトは射手の方を向いてわざとらしく首を傾げる。 「ここからは悪人らしく暴力に訴えさせてもらうね」  有象無象を跡形もなく蹴散らした後でもまだコンテナには残弾がある。数量は先ほどよりも格段に落ちるが、一つの標的の行動範囲を制限するには十分事足りる。 「ほざけッ! このクソアマがぁああッ!!」  女天使を包囲するように飛来するミサイルの群れ。沸騰したように怒りを露わにする契約相手の怒号に合わせて、彼女は大きな十字を切るように両手を振るう。その軌跡は彼女の内から満ちる力を吸い上げて光へと変えた。拡散する閃光でミサイルを迎撃。そのまま一息つくことなく空へと昇る。二秒後、女天使が居た場所を鋭い閃光が抉った。  ミサイルの追撃は無いとなれば、残るは互いに上空で閃光をぶつけ合う射撃戦。文明と幻想。弓矢と大砲。同じモンスターでありながら真逆の印象を与える射手が各々の武器を向け合う。  互いに見合っての膠着は数秒。女天使が矢を放つのもアハトが主砲を発射するのもほぼ同時。真正面から衝突する二つの光。細く鋭利な金色と太く荒々しい青色。純粋なエネルギー量の差は明確で、金色の矢は青色の奔流に飲み込まれる。  そもそもエネルギーの差は純粋な力の差ではなく攻撃方法の差によるものだ。女天使の矢は自らのエネルギーの一部を切り離して放つが、アハトの主砲は体内でエネルギーを変換して継続的に放っている。断続的に火力を向上させられるアハトに分があるのは当然だ。  だが、それは火力に限った話。それもアハトも主砲に意識を向けていることが条件だ。逆を言えば己のエネルギーを一部切り離しただけの女天使の方が矢を放った後は自由に動ける。要は自分の力に繊細なコントロールを求められるのはアハトの方だということ。女天使は初手を牽制だと割り切っていたから既に光の奔流の進路の上方数メートル上で二の矢を構えている。  放たれる第二の矢。狙いは真っすぐアハトの頭部。巨大な体躯の中央に位置するそれごと中核を射貫かんと奔る。  金属質が砕ける音が響く。地面に落ちた金色の破片は間違いなくアハトのもの。それに視線を向ける者は存在せず、地上で見守る契約相手の意識はまだ上空にある。 「ちぃ」  舌打ちをしたのは晴彦。その表情から渾身の二の矢が中らなかったのは明らか。対する鈴音の表情にも余裕はなく、完全に避けきった訳ではないことは上空から落ちてきた証拠が示している。  女天使が矢を放ったタイミングはベストだった。矢は風の影響を受けることなく寸分の誤差もなく、ゴール地点への最短距離を飛んだ。  だがそれ以上にアハトの対応が迅速だった。方針の角度を下方に向けつつ上方への回避行動を開始。ただ主砲を停止して回避行動に移るのでは間に合わないと判断し、敢えて瞬間的に火力を底上げすることで反動を味方につけた。空中でバックステップするかのような瞬間的な移動。その速度は女天使の想定より僅かに早く、中核を狙った筈の矢は右脇の装甲を一枚剥がすに留まった。 「アナタ、ジャマ」  再び向かい合う両者。先ほどと違うのは互いの力量と特性をおおよそ測り合えたこと。ここからはその予測をどのタイミングでどれだけ裏切れるかに掛かっている。  先に仕掛けたのは女天使。絵画のように洗練された構えで放つのは先の牽制と同じエネルギー量の矢。先ほどと同じアプローチに先ほどと同じ対応をするつもりはない。右方への回避を選んだアハトの目には一射目とまったく同じ構えでこちらを狙う女天使の姿。判断を誤ったかと迷う間もなく、次の矢の対応に追われる。迎撃が間に合わないと判断せざるを得ない以上取れる手は回避しかない。  女天使が矢を放つ。アハトが左方に避ける。女天使が矢を放つ。アハトが下方に避ける。女天使が矢を放つ。アハトが右方に避ける。 「ホンット、ウットウシイ!」 「ん……これ少し姉さんに寄ってきてないかな」 「今さら現実逃避か!? じり貧で余裕がないということだよなぁ、そらそらそらぁッ!!」  同じ展開が連続するのは誰が望んだかたちなのか。少なくとも有利に見えるのは断続的に攻め立てている女天使の方だ。契約相手である晴彦の表情にも優勢であるが故の笑みが戻っている。アハトの方は辛うじてすべて直撃は回避出来ているが、次第に余裕がなくなってきたのか何度か装甲の表面を掠るようになってきた。このままの展開を続ければ射落とされるのも時間の問題だろう。 「そろそろチェックメイトといこうかぁ! やれぇぃッ!!」  晴彦の高笑いとともに放った矢は女天使自身勝利を確信した一矢だった。限界まで引き絞られて放たれる致命の一撃。最大火力が保証されたエネルギー量。最高速度を確信させる稲光のような軌跡。  狙いは標的の回避行動を予測したうえで一ミリもずれることはない。ならば標的の中核を射貫くのは確定された未来だ。――そこに反撃という障害物が存在しなければ。  矢を真正面から飲み込む青の奔流。アハトの主砲の火力が矢を上回っているのは実証済み。だがそれは牽制の矢の話。最高の一矢に籠められた火力の密度は比較にはならず、滝を上って竜へ至る鯉のように流れに逆らいながら力任せに駆ける。  そして矢は強烈な光を放って爆散する。視界すべてを塗りつぶす閃光が地上に降り注ぐ寸前になって晴彦はようやく違和感を覚えた。光源が着弾予測地点のずっと手前にあるという違和感に。 「きさっ」 「アナタガ、ツミ」  晴彦の言葉を遮るように遥か頭上で響く轟音。雷鳴のようなその音に反射的に見上げれば、その音圧に相応しい雷撃の如き青の光が女天使の左半身を焼いていた。  あの矢に対してアハトの主砲は本気を出していなかった。あくまで勢いを削るための僅かな時間稼ぎ。  これまでの戦闘でミサイルコンテナは撃ち尽くしてなどいなかった。僅かに残したミサイルは隙を作るための時間差の秘密兵器。  真に残弾をすべて解放した後に主砲は一時停止。矢とミサイルが接触した瞬間に再発射。主砲の一撃は瞬間的に上昇した火力を持って、既にエネルギーの大半を消費した光の矢ごと女天使に無慈悲な裁きを下した。  墜ちる女天使にはまだ意識がある。羽根を動かして体勢を整えるだけの力がある。ただそれだけ。この後に来るだろう追撃に対して反撃する力も回避する力も残ってはいない。 「――今日はここで止めにしよう」 「……は?」  来るべき追撃の代わりに放たれたのは鈴音からの屈辱極まりない言葉だった。その口調は至って平坦で、圧倒的有利な立場から見下ろす優越感も自分達を散々侮辱したことに対する怒りも何も感じられなかった。 「貴様ごときがッ、情けのつもりか!」 「冗談。このまま居座ると不利になるだけだよ」  まるで無関心。その表現は適切であり現実だった。悠々と降り立ったアハトとともに見据える鈴音の視線の先には既に晴彦はない。その後方に向けられていると分かったからこそ晴彦は振り返ることはできなかった。そんなことをした瞬間に耐えがたい一線を超えることになると分かっていたから。 「アハトにきっかけを与えてくれてありがとう。お礼に次は憎むべき相手として悪辣に殺し合おう」  その言葉を最後に逢坂鈴音は元の時間へと帰還する。何もできずに見送り終える頃にはアハトの姿も無い。後に残ったのは傷だらけの女天使と傀儡の化物(デクス)だった灰に、散々嘲笑した相手に手ひどくやられた愚者。――そして、その姿を眺める桃色の妖精(ピーコロさん)を伴う一回り以上下の同胞。 「あのー、なんというか……だっっっっさ!」 「……返す言葉もない」  綿貫椎奈という味方に観察されてようやく自分の醜態を見つめなおせた。教義的に縛られていなければすぐに女天使にこの魂を捧げたいと思う程に屈辱的な姿だった。こうなってしまえばもう先ほどまでのテンションは維持できない。 「ひとまず戻って契約相手の治療を。今日の件はあんな変人相手なら仕方ないでしょ」 「知っている口ぶりだな」 「ウチの学校で長年有名だっただけですよ。まあ私は高校から入学した身なんで詳しいことは知りませんけど」 「同じ学び舎だったとは」  地雷を踏んだ。椎奈が顔を顰めたのを見てそう判断出来るほどに冷静さは戻った。今日一日はもう下手なことは言えないと、ただただ深いため息をつく。 「学年もずれてるんで接点も何もないですよ。それに言っておきますけど、あなたも大概変人だと思ってるんで」 「本当に手厳しい」  晴彦に出来ることは連行される罪人のように重い足取りで椎奈の指示に従うことだけだった。
X-Traveler Episode.14 "ring a bell" content media
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パラレル
2022年1月03日
In デジモン創作サロン
 今になって思えば、あいつと初めて遭ったあのときから私は自分の底が見えていた。  進んだ先は行き止まり。どれだけ探求をしても世界の深淵なんて知ることはできず、どれだけ研鑽をしたところで新たな神秘なんて得られない。世界を守るなんて大それたことはそれこそ論外。  結局できることは目の前の一つを繋ぎとめることだけ。それも自分の持ちうるすべてを犠牲にしても確実性のない大博打。抜きんでた傑物でもなく、臆病さを隠して意地を張っている私にはそれが精一杯。  これはその癪な事実を受け止めるための話であって、他に壮大な意味なんてない。  ソウの拳がサラマンダモンの顔面に深く食い込む。炎を纏うその身体は普通なら触ることすらできないもの。けれど、両手を覆うように渦巻く風がグローブの代わりをしているお陰でソウの拳が炎の影響を受けることはない。寧ろ風圧によるインパクトの増大によって赤蜥蜴の身体の方が殴り飛ばされている始末。  攻防一体の拳を産みだす風の加護。それはソウの両手だけでなく両足にも施されている。地面と近い場所で風が産む恩恵は脚力の増強。そして、移動速度の向上だ。  最初の一歩。左足で地面を強く踏みしめた直後、ソウの身体がジェット噴射もかくやという速度で飛び出す。一気に縮まる距離。サラマンダモンは未だ着地すらできずに空を見上げている。必然、ソウの目の前にはその無防備な腹がある。  特大の的に突き刺さる右の健脚。これだけで重い一撃だけれど、ソウは油断することなく即座に二撃目の準備に移る。右足が刺さった赤い腹を足場に、他の三点で渦巻く風が上体を強引に持ち上げる。跳躍。回転。ソウの身体はサラマンダモンの真上を滞空。そして降下へと移った瞬間、サラマンダモンの腹に今度は左足が叩きつけられる。  揃って地に落ちる二種の怪物(モンスター)。しかしその勝敗は明白だ。敗者は無様に背中を地に着け、勝者は静かに息を吐いて悠然と立っている。 「終わったぞ、アコ」  そして、勝者(ソウ)のパートナーである私はただ彼が生きていることに安堵する。他に出来ることがあるとすれば、無力感という小さな棘をなんとか嚥下することくらいだろう。  体表から採れる発火性の体液。ソウがサラマンダモンを殴り倒した目的はそれだ。けれど、別に私達も追剥ぎのように一方的に殴り掛かった訳ではない。最初は下手に出て協力してもらおうとしたのだけれど、対価に命を含めたすべてを吹っ掛けられた。交渉はどこまでいっても平行線で、先にあちらがしびれを切らして実力行使。そうなった以上はこちらも黙っている訳にはいかず、ソウの拳に頼ることになったわけだ。 「いつも悪いな」 「こっちの台詞」  サラマンダモンを昏倒させることはできたもののソウの方も無傷という訳ではない。最後は優勢に進められたとはいえ、やはりサラマンダモンの炎は彼にとっては脅威で火傷を負っている箇所がかなりあった。今回は私の治療でもカバーできるが、もし次に同じようなことがあったらどうなるかは想像したくない。そうならないために手を打っている筈なのに、戦いの後に痛感するのはいつも私自身の未熟さだ。 「気にするな」 「……気にするわよ」  不意に私の心を見透かされたような言葉を吐かれた。彼なりの気遣いなのだろうが、今の私にとってその言葉は抜き身の刃のようなものなので止めて欲しい。「気にしなくていい様にしなさい」なんて言えればいいのだけれどそのための手を打つのは結局私の役割なのだ。口にしたところで自傷行為にしかならないのは目に見えている。  流水で患部を冷やしながら、手持ちの薬で使えそうな物を選別。水自体に微弱な魔力が浸透しているから、その刺激で自然治癒力も平常時よりは活性化しているはず。薬の持ち合わせも今回の分は足りている。とはいえ今後を考えるともう少し確保しておきたいところ。 「遺跡の近くに小さな町があったの覚えてる?」 「いや、まず地図を見ていない」 「アンタの物なんだから確認しなさいよ。処置が終わったら、進路を東にずらしてそこに向かうから」 「いいのか?」 「目的地を前に準備を整えるにはちょうどいいじゃない」 「なるほど。そういうものか」 「そういうものよ」  整えるのは物資だけでないということをこの男は分かっているのだろうか。その類いの言葉が飛び出すのをこらえる間に治療そのものは終了。片付けが終わったら、更新された行程を速やかに実行しよう。 「ちょっと。盛り上がってるところ悪いけど、わたし達も町まで同行していい?」  不意に声を掛けてきたのは私達と同じ人間とデジモンのコンビ。人間の方はゆるいウェーブの茶髪を肩まで流した小柄な女。デジモンの方は四肢にタービンのような装置が組み込まれた獅子の獣人。分かりやすい程の武闘派デジモンで、偏見ではあるけれどソウとは気が合いそうだ。 「名乗りもせずに頼むのは失礼か。わたしは梶隅(カジクマ)梨子(リコ)。リコとでも呼んで。こっちはグラップレオモンのデンカ」 「別に気にしないで。わたしはアコ。こっちはソウ」  噂で聞いたゆるふわ系とやらの見た目に反して、冷静さと決断力の両立した振る舞いのリコ。近くにいるだけで静かに伝わる程の闘気を秘めたデンカ。互いの関係性も至って良好。第一印象ではあるけれど、自分達とは違って実直で優秀なコンビだろう。 「同行してもらうのは構わないけれど、戦力としてはあまり期待しないでね」  そんなコンビが私達の同行を求める理由は何だろう。強いて上げるなら、ソウの珍しさくらいか。 「その治療の手際で十分よ。でもまあ遠距離からでもサポートしてくれたらありがたいけど」 「私に戦えってこと?」 「うん、そうね。極力戦いは避けるけど、戦うときには攻撃してもらわないと。大丈夫。成熟期でも戦力としては問題ないから」  どうやら過大評価に加えて誤解もされているらしい。同行すると言った以上、認識の齟齬は解消しなくてはならないだろう。 「ごめんなさい、リコ。あのね」 「アコって言ったか。急で悪いが俺の推測が合ってるか確認させてくれ。――デジモンのお前じゃなくて、人間のソウが戦っているのか?」  尤も、私が話す前にデンカによって真実は曝された訳なのだけど。 「少し長くなるから歩きながら話してあげる。暇潰しにはちょうどいいでしょ」  ウィッチモン。成熟期。データ種の魔人型デジモン。それが私ことアコが属する種族のプロフィール。  人間。体毛の少ない二足歩行の生物でデジモン以上の知能を持つ。デジモンではないため、デジモンとしてのカテゴリ分けは不可能。それが一機(カズキ)湊太(ソウタ)ことソウが属する種族のプロフィール。  私達が出会ったのはおよそ三ヶ月ほど前。魔術の実験に使う植物を求め、一人で山に潜っていたときのことだった。あのときも私はうっかりヘマをして、怒り狂ったグリズモンに追いかけられていた。  せめて落ち着いて手心を加えてくれないだろうか。半ば諦めかけたそのときソウが私の前にふらっと現れた。 「熊なんて飼うもんじゃないぞ」  開口一番の言葉がそれ。何から何までずれている言葉に思考が止まったのを覚えている。けれど、その疑問の波に数秒前までの恐怖や諦観が洗い流されたのも事実だった。 「こんなの飼ってる訳ないでしょ!!」 「そうか」  本当に理解しているのかという疑問が沸き立つ間に、彼は私とグリズモンの間にふらりと割ってきた。あまりに自然な動きで、私がそれに気づいたのはグリズモンが標的を彼に変えたと感づいた直後だった。  既に声を上げることすら間に合わない。間合いはもうグリズモンの爪の圏内だ。二秒後に何も知らない彼の腹が裂かれるのは揺るがない必然。私にはその現実から目を逸らすことすらできなかった。 「え?」  だからこそ、私は目の前で起こったことを現実として認識するしかなかった。  グリズモンが左の豪腕を力強く振るう。先端の大きく硬い爪が鋭い角度で迫る。それを前に彼が取ったのは、左方への僅かな前進と腰を落とすかたちの体重移動。あまりに最小限の行動だ。けれど、それが最大限の効果を産んでいたことを私はすぐに理解する。  グリズモンの爪は彼の右後方を通過。慌てて次の攻撃に移ろうとするグリズモンだが、既に間合いは一歩前に踏み込んでいる彼のものへと変わっている。無論、反撃の準備も整っている。  けれど、彼はあくまで人間だ。デジモンと人間ではどちらの方が頑丈な身体を持っているかは明白。ましてやグリズモンとなれば、攻撃を仕掛ける彼の手が無事で済むとは思えない。  その予想は半分当たっていた。至近距離で掌底を打った結果、彼の右腕は限界を迎えて折れてしまった。けれど、限界を迎えたのは彼の右腕だけではない。腹の内まで浸透する衝撃によって、グリズモンの身体も限界を迎えていた。予想が半分当たったということはもう半分は外れている訳で、このとき外れたのは闘いそのものの勝敗だった。 「む。やはり一筋縄ではいかないか」  折れた右腕を眺めつつ彼は敗者に背を向ける。そうなると必然的に目が合うのは何もできずに腰を抜かした私になる。それに気づいてずんずん近づいてくる彼を前に、私ができることなどありはしない。 「大丈夫か?」  それでも差しのべられた左手を掴むことができた理由は今でも分からない。人間にしては大きなごつごつとした手。これならば確かにある程度のデジモンには自力で対応できるだろう。今回のように犠牲を払うことが前提だけれど。 「その腕……」 「ん、ああ。普通の熊ならもう少し抑えられたが、それでは通用しないと思った。これでも生き残るための駄賃としては安い方だろう」 「そういうことじゃない!!」  思わず飛び出した叫びに私自身が一番驚いた。一人で旅をしてきたのに、ここに来て他人の心配をするとはどういう気紛れだろうか。けれど私以上に馬鹿げた気紛れを前にしては、この気紛れも何てことのない平常運転に思えてくる。 「なんで私のために腕を犠牲にしたの?」  逃げるタイミングなんていくらでもあったはずだ。最初に私を見つけた段階で声を掛けずに立ち去ればよかった。グリズモンを認識した段階で逃亡を始めればよかった。私とグリズモンの間に入らなければよかった。爪を避けた後に反撃に移らず走ればよかった。  そうすれば少なくとも彼が右腕の骨を折ることはなかったはずだ。代わりに私の身体に危害が加えられるけれどそれは彼には関係のない話。当事者としてその仮定は認めたくないけれどそれが私と彼が辿る当然の末路だった。 「危なそうだったから」  頬を掻いて出た言葉は声量とは裏腹に確固たる意思が籠ったもの。それを聞いてしまった以上、問い詰める言葉は出なかった。どれだけアプローチを変えたところで納得できる答えは得られそうにないと分かってしまった。  天性のお人好しかただの馬鹿か。間違いなく後者だと判断した後、何の気まぐれか自分も後者になろうと思ってしまった。 「もういいわ。……ひとまず病院に行きましょう。その腕が治るまで付き合ってあげる」 「いいのか?」 「私以上に危なっかしい奴を放っておける訳ないでしょ」 「確かに。それもそうだな」 「アンタのことよ。アンタの」  自分を助けてくれたのがこんな危機管理のできない奴ではいつどこで野垂れ死ぬのか不安になる。その遠因が自分にあるのではないかと胃が痛くなるのは御免だ。  ならばせめて、私のせいで死んだと思わなくて済むまで行動を共にした方が精神衛生上健全だろう。  ソウの退院が決まったのは三か月後のことだった。腕の骨折だけならその半分以下で済んだけれど、肩や足、内臓など他の箇所で目に見えない深い傷を負っていたため治療は想定以上に困難だったらしい。  その間は私も旅を中断してソウの面倒を看ていた。収集したい素材は既に集まっていたし、じっくり腰を落ち着けるタイミングとしても適当だった。……正直、それが取り繕うためのささやかな言い訳だという自覚はありました、はい。  面倒を看ていたといっても身元保証のために近くに居ただけのようなもので、私は特に治療には関与していない。応急処置や治癒魔術は心得ているけれど、その道のプロフェッショナルが居るのなら任せた方が良い。  結局のところ私が二ヶ月の間していたことは試料の整理やレポートの執筆。そして最も時間を割いた、ソウの暇潰しのための雑談くらいだった。以下はその中で一番印象に残っている一幕。 「つまりここは俺が居た世界とは別の世界なんだな」 「そ。で、アンタが熊だと思ってたグリズモンも私もデジモンという生物。アンタの世界の生物と一緒と思わないように。血気盛んな問題児もゴロゴロいるから、この世界には治安の悪い場所もかなり多いわ」 「なるほど。気をつける」  丁寧に説明してもこの相変わらずの反応。これでは分かっているのか分かっていないのか私の方が分からなくなる。教師としては非常に困る相手だけれど私は話を続けるしかない。 「この世界には稀にアンタみたいに紛れ込む人間が居る。ただでさえ非力な人間達には可哀相なことに、この世界には『人間と契約できれば活力を吸い上げて力を得られる』なんて話が広がっているの。おかげで人間を探しては捕まえようとしている連中も居るわ。――要するに、哀れな迷い子が長生きできるほどこの世界は甘くないってこと」 「まるで俺が生きていることが幸運みたいな言い方だな」 「実際幸運以外の何物でもないから」  タチの悪い組織に捕まって、エネルギータンクとして売られる未来もあったかもしれない。彼らにとって重要なのは話の真偽ではなく売れるかどうか。売られた後は結果に関わらず使い潰されて捨てられるのがオチ。ネガティブなifなんて考えるだけで精神力が削られるのでここまでにするけれど、私達の想像よりも酷いオチが待っている未来もあるだろう。 「うん、その通りだ。初めて遭ったデジモンがアコでよかった」 「な、何よ急に。今さら褒めても何も出ないわよ」  その言葉はまさに不意打ちだった。あのとき助けられたのは寧ろ私の方だ。笑える程あっさり死ぬはずだった私を自分の身体を顧みずに守ってくれた。その借りくらい返さなければ、胸を張って見送ることができない。今ここでソウと話しているのも結局は自分が納得するための行動なのだ。  魔女(ウィッチモン)らしくない性格だとは散々言われた。けれど、これが私なのだからどうしようもない。 「む。これからも世話になりたいと思うのも駄目か」 「嫌な冗談言わないで。契約でもするつもり?」  想像するだけで気が滅入る。そう言葉を繋げながらも内心はそんなことは無いだろうと笑っていた。そんな自分を殴りたくなるのは三十秒後の話。 「その契約はどうやるんだ?」 「それを今聞く? 悪いけど知らない。そもそも任意でするものじゃなくて、相性が合えば勝手にされているものらしいし」 「なるほど。ところで急に力が抜けてきたんだが」 「妙なタイミングね。寧ろ私は急に力が湧いてきたんだけど」  渇いた笑いが思わず零れる。同じタイミングで真逆の現象が起きるなんてなかなかない偶然だ。この現状が先ほどの契約の話と一致していることが一番奇妙な話。これではまるで私とソウの間に契約が結ばれたようなものではないか。  信じられなかった。信じたくなかった。心労で倒れそうだった。 「契約されてたようだな。……何かまずかったか」 「まずいというか、変人とハズレが組むって事実が辛い」 「変人とは失礼な。……ん、アコがハズレ?」 「ええ。ハズレもハズレ。こと戦闘においては落ちこぼれの筆頭よ」  あまり口にしたくはないけど、契約が結ばれた以上は隠すことはできない。事実を打ち明けたら人畜無害そうな顔がどう変わるのか。他人から侮蔑の表情を向けられるのは慣れた筈なのに、彼の顔にその表情が浮かぶのが怖くて仕方ない。それでも、今ここで打ち明けなくてはいけない。 「私ね、攻撃できないの。生物に向けて魔術を使えないのよ」  トラウマのきっかけは至ってシンプルな事件。荒くれ者に襲われた窮地に私はウィッチモンへと進化し、その溢れんばかりの力で向かってきた敵を一発で撃退した。けれども未熟な私に自分の力は扱いきれず、荒くれ者だけを狙うなんて器用な真似はできはしなかった。結果、私の旅に同行していた仲間にもその牙を剥いてしまった。  その日から私は魔術を攻撃手段として使うことができなくなっていた。指を向ければその先端が震え、手元は不自然に揺れ、動悸は激しくなる。立つことも危うい状態をしのいだ頃には既に魔力は四方に霧散して術としてのかたちを保つこともない。 「分かったでしょ? 私はアンタを守れない。パートナーの人間を守れないデジモンがハズレでなくて何なのよ」  打ち明けた。洗いざらい話してやった。思う存分絶望して、その呑気な顔を曇らせばいい。未来の不安から緊張感を持ってくれれば、私も自分がハズレという事実を笑えるというもの。 「なるほど。自衛の手段が無いのは大変だな。――なら、俺が戦おう」 「何を、言ってるの?」  様々なパターンを想定していた。どんな言葉が飛んできても良いように心の準備もしていた。それでも自分の耳が信じられなかった。あんな目に遭ったのにそんな妄言を言える彼の神経が理解できなかった。 「アコが戦えないのなら、代わりに俺が戦えばいい。腕っぷしには自信がある」 「ふざけないで!」  ここが病院だということを忘れるほどに、ソウの言葉は私の感情を乱暴に逆撫でした。自分の身体を何だと思っているのか。なぜ自分がここに居るかも理解していないのか。そんな馬鹿が私の代わりに戦うなんてこちらから願い下げだ。 「戦えない奴の代わりに戦える奴が戦う。合理的だと思うが」 「どこが合理的? 誰が戦える奴って? 腕一本折っておいてよくそんなこと言えるわね」 「でも、グリズモンとやらは倒せた」 「ええ、そうね。で、代償に今度はどこを折るつもり? それとも何かの器官を潰す? そんな真似をしてたらすぐに死ぬわよ。死んだら私の代わりなんてできないでしょ」 「う……ああ、確かにそうだな。いや俺も無駄に死ぬ気は無い」  自然と語気は強く、語調は説教じみたものになっていく。いや、説教でも足らないくらいだ。最後に薄っぺらい生への執着を見せなければ本気で一時間は説教が止まらなかっただろう。  デジモン同士の戦いでも当然負傷する。皮膚(テクスチャ)が欠損したり、骨格(ワイヤーフレーム)が折れたりなんてこともざらだ。自分の攻撃の反動で傷つく程度の人間に、それだけのダメージを何度も生身で受ける私(デジモン)の代わりが務まる訳がない。  治安が安定しているエリアも多くはなってきても、私達デジモンは元々が闘争本能を宿した獣。野蛮な性を暴力に変える賊が少なくないのも事実で、そういう輩に限って弱ったところを突くのに長けている。奴らからすれば一度の戦いで必ず重症を追う相手は格好の獲物だ。  この世界において生きるために足掻くことは大前提。出来る限り負傷せずに弱味を見せないことこそが最適だ。 「流石にアンタも死にたくないのね。よかった、そこまでの馬鹿じゃなくて」 「もしかして心配してくれているのか?」 「……は?」  心配している? こんな馬鹿をなんで私が。ただ私は成り行きでもパートナーとなった人間が自分の身体を大事にしないのが気に食わないだけ。無駄に命を散らした理由が私の代わりに戦った結果なんてことになれば、私のプライドや精神(メンタル)まで無残に散ることになる。あくまで私はソウのパートナーとして彼にもパートナーとしての自覚を持たせて、私の精神に少しでも安寧をもたらしたいだけ。 「俺のことを心配してくれるなら、俺が死なないようにアコが上手いことやってくれ」 「なんでそんなことを頼むの。面倒事を私に投げてまで、なんで私の代わりに身体を張ろうとするのよ」  本当に馬鹿だ。自分の身は自分で護る意識くらい持ってほしい。自分を蔑ろにしてまで私は守って欲しくない。そもそもいくらパートナーだからといっても自ら危険な役割を担おうとするのがおかしい。 「理由なんて大層な物は無い。――ただアコのために何かしたいだけだ。でも、俺には戦うことくらいしかできないから」  思わず声を失った。ソウが口にした言葉は具体的な返答としても不十分な、それ単体では信用に値しないもの。けれど、その瞳はあまりに純粋な光を灯していた。それはソウがその言葉を本気で言っているという証明に他ならない。 「はぁ、分かったわよ。好きにしなさい。――けど、死ぬことは絶対に許さないし、そんなことにはさせない」  本当に馬鹿だと思う。それもかなり強情で無駄に意思の固いタイプの馬鹿だ。そんな馬鹿はこれ以上何を言ったとしても意見を曲げないだろう。ならばせめてソウには好きなようにやってもらって、私は彼の命が少しでも長く伸びるための準備をした方がいい。馬鹿の言葉通りに動くのは癪だけど、人間にただ護られるなんてのは私自身が許せない。――だから、いずれは私がソウを護るのだと口には出さずに誓った。 「ようやく納得してくれたか」 「納得はしてない。許容しただけ。……デジモンじゃなくて人間が戦うなんて滅茶苦茶よ」 「滅茶苦茶でいいだろう。何事にも例外は付き物だ」  例外――戦うことのできないデジモンと戦うことしかできない人間のコンビにこれ以上的確な言葉は無いと思う。  ソウがデジモンと戦う。そう決まった上で、身体を張る彼を護るために私が打った手は主に二つ。  一つ目は薬による内側からの強化。大まかな効能は心肺機能や筋肉の増強、加えて魔術への耐性の付与。ドーピングといえばドーピングだけれどあまり手段は選べないのも事実。当然、ソウが人間としていられる範囲内だけれど。  二つ目はアクセサリによる外側からの強化。私が得意とする風や水の魔術の術式を籠めた腕輪(ブレスレット)や足輪(アンクレット)を付けさせることで、移動速度や格闘技をデジモン相手でも通用するものへと昇華させることに成功した。当然ただそれらを付けるだけではソウの身体がアクセサリの魔術に耐えられない。けれど、元々ソウが鍛えていたことや薬で肉体を強化していたこともあって、ソウは何の負担も無く使いこなすことができた。  私が薬や道具を作ることが得意だったのは本当に幸いだった。ソウはもう並大抵のデジモンの攻撃じゃ簡単にはくたばらない。流石に無傷で終えられる戦いは無かったけれど、ここまで大怪我を負うことなく旅を進めることができたのもまた事実だった。 「話はここまで。長時間に関わらずご清聴ありがとうございました」 「ふーん。とりあえずソウが馬鹿だってことはよく分かった」 「それだけ理解してくれれば十分よ」  あまり語りが上手くない自覚はあったけれど、リコもデンカも退屈そうな顔をしないでくれたのはよかった。一方でソウが口を尖らせながら頬を掻いている点に関しては一切考えないこととする。  視線の先に建物らしきものが見えてきた。長話でも時間潰しとしては適当な長さだったらしい。それはつまり、町までの同行者との別れが近いということ。昔話を語っていたせいか、想像していたより寂しく感じてしまう。こんな気持ちになるのなら無闇に自分達のことを話さない方が良かったとも思えてきた。 「アコ達はこれからどうするの?」 「一息ついたら近くの遺跡に行くつもり。文明を支えた古代の魔術の調査ってところかな。……あ、地下迷宮なんてのもあったかな」  寂しさを誤魔化そうとした結果、話の中心は町に着いた後のことに移る。  私達の目的地はかつてクレノソスという名の都市だった遺跡。二千年ほど前、ウィッチェルニー由来の魔術師を中心に魔術による高度な文明を築いたらしい。けれど、世の中栄枯盛衰が必定。魔術によって栄えたその都市は同じ魔術によって滅びた。けれど、その当時の奇跡の残滓や魔力の痕跡――手付かずのもの含めて――が現在も遺跡の中に残っていると噂されている。  古代の魔術には一人の魔術師として興味がある。それ以上にソウを護るために魔術の知識がより必要だった。 「そっか。……面白そうね。このままわたし達もついてっていい?」 「別にいいけど……いいの」 「いいの。これからの方針も決まってなかったし」  それはあくまで私達の都合。魔術の素養のないリコ達には関係のない話。そう思ってまた二人旅になると考えていたのはこちらだけだった。単純な興味であってもまだリコ達と旅を続けられるのは素直に嬉しい。ソウの奇行に頭を痛める役割が分割できると思うと心底ほっとする。 「じゃあ、これからもよろしく」 「こっちこそ。ま、ひとまずのんびり休みましょ」  町はもうすぐそこ。後は宿を手配してシャワーと食事と睡眠で一日の残りを消化する。それから先は何も決まっていないけれど、おそらくニ三日を休養と準備に使うことになるだろう。準備期間の間にできれば遺跡に詳しい案内役を確保しておきたいところ。  落ち着ける目処が立ったからか今後について色々な想像が閃光のように巡る。そこにソウのことを踏まえたものが無いあたり、私もまだ彼の扱いが未熟だということだったらしい。
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パラレル
2021年8月13日
In デジモン創作サロン
<< 前話へ 目次 次話へ>> Episode.13 "天沢履"  あの日のことを思い出す度に将吾の頭は熱を帯びる。まるであの日の感覚までも無意識に思いだそうとするかのように。  本当にあの日はうだるように暑かった。直視しようものなら瞳を焦がしそうな陽射しが身体を貫き、熱気で汗が吹きだすのを自覚する度に嫌々手伝いに駆り出された屋台での調理を思い出す。尤も感情移入できるのは雰囲気に流されて少し陽気になれたあの時の自分ではなく、目の前で焼かれていた小麦粉とたこ足の方だが。  冷える要素があるとすれば入念に散布した制汗剤がどれだけ効果を発揮しているかという疑念と心労くらいだ。尤も、たこ焼きと違って自分が焼かれても出るのは香ばしい臭いではなく男くさい汗で、柄にもなく心配したところで冷や汗が出て堂々巡りが加速するだけだが。遂には手汗が気になって、ゆるく繋いでいた手を離しそうになる。 「どしたん?」 「いや、なんでもない」 「そっか、そっか」  大野大河がずいと顔を近づける。鶴見将吾が逃げるように顎を引く。何度も繰り返したこのやり取りだけで二人の関係性を表すには十分だ。一週間前の金曜日を境に以前より距離感の近いステップに進んだ歩幅も完全には揃っていない。その自覚は将吾にもあったが対応するには経験値があまりに不足していた。  前より距離感が掴めなくなっている自分がいる。対等に向き合えるのは部活で竹刀を向け合ったときだけ。表立って公言はしていないが剣道部の連中に隠しきれている自信もない。  なまじ認識だけは出来ているから精神的ダメージはハイペースで蓄積される。恋は盲目どころか猛毒。それも随分依存性の高いタチの悪いやつだ。 「いやーそれにしても本当暑いね。手汗が酷いのなんのって」 「あ……やっぱりそうか」 「えー、バレるほど酷かった私?」 「あ、いや、悪い。違うんだ」 「冗談だってば」  そんな自分と違って飄々とからかってくる大河が少し恨めしく、その何倍も愛おしい。どう足掻いても叶わないと思い知らされる度に、そういう大河だからこそ好きになったのだと再確認させられる。 「どこか入って休もっか。今日ばかしは奢るのも吝かではないので」 「面子を真っ先に潰そうとするのはやめてくれ」 「いやいや気にしなさんなって。私もこんな日に私情で連れ回して悪いなーと思ってたし」 「妹さんの誕生日だろ。俺も世話になってるから貸しにはならない」 「やや。意外と強情だねぇ、旦那」 「そっちも大概だろ。せめて割り勘な」 「おけおけ」  そもそも勝ち負けなどどうでもいい。乗り掛かった舟の船頭の指示は守るべきものだ。涼しいところでゆっくりしたいことに異存はないし、最低限プライドが守られる点まで譲歩できたのなら十分だ。  本当に暑い。隣に恥部を晒したくない相手がいなかったらおかしくなっていた。そう確信する程に思考が鈍って仕方ない。 「……んん?」 「どうした?」 「いや、あそこの人……ちょっと見てくる」  大河の視線の先には地面に蹲って低い呻き声を上げている男が一人。どうやら暑さにやられている輩は他にもいるらしい。無駄に面倒見のいい大河はスポーツドリンク片手に駆けていく。――そこから先の数秒間は後の将吾にはコマ送りでしか再生できない。  しゃがんで肩を叩く大河。男はその手を乱暴に払いのけ、彼女が突き出したスポーツドリンクは内容物をまき散らしながら地面を転がる。とくとくと流れる清涼飲料水。どくどくと流れる大河の血。フォーカスを戻せば蹲っているのは大河の方で、立ち上がった男は血塗れの包丁を片手に奇声を上げながらどこかへと走っていく。  事態を認識するのに十秒。身体を動かすのに二十秒。駆け寄った先には息も絶え絶えな中で必死に口を動かす大事な人がいて、その人を助けたくとも実際は何もできない自分がいた。そんな自分には自分以外の誰が何をしているのかも分からずただ状況に流されていくしかなかった。  明確に意識が戻ったのは葬儀から三日後。休みを取って半ば引き籠っていた自宅に鳴り響いたインターホンが嫌に耳に残る。あいにく両親ともに仕事に出ているため自分がいくしかない。  重い溜息を吐いて渋々玄関を開けた先で待っていたのは一人の女子小学生だった。ただ短く切り詰めた髪や少し赤らんだ顔の輪郭には嫌でも見覚えがある。何より前髪を留める黄色のヘアピンはそれを真剣に選ぶ姿を間近で見ている。 「もしかして……寧子ちゃん」 「はい。髪を切ったんで分からないかもですけど……少しでも似合うようにって。どうですかね。いいですかね。いいといいなぁ」  おどおどしている姿は家に招待されたときに何度も見た印象と変わらない。それでも口調は前に見た時よりもいくらか明るく、彼女なりに割り切ろうとしているように見えた。  その上で参考にした理想像が誰であるかは考えないようにした。どうあれ彼女は自分よりもずっと前を向いている。それは三年経っても変わらなかった事実なのだから。  辺りに乱立するビルだったものを見上げて将吾は溜息を漏らす。折れた高層階は瓦礫と化しているため、最早どれだけの階層があったのかも分からない。その様が多くの事実が明らかになったにも関わらず、未だにどこか先の見えない自分に重なっているように思えた。  このビルの残骸でもまだマシな方なのだろう。建造物の多くが瓦礫に変えられ、アスファルト舗装が砂地に思える程に徹底的に踏み砕かれた。人類の大半が地上から追放されたこの未来に、自分はどの面を下げて立っているのだろうか。 「廃墟マニアとは意外な趣味だね」 「あんたは趣味が悪いな。監視の真似事か」  気遣いとも思えない冗談めいた言葉に剥き出しの嫌悪感で返す。いつから鈴音は自分を見ていたのか。将吾自身、自分は好奇心で動いているような物好きに目をつけられる愉快な性格はしていないと思っている。 「忠告しに来ただけだよ。選択したことも迷うことも間違いじゃない。ただ覚悟は決めておいた方がいいってね」 「どの立場で物を言ってるんだ」 「そうだね……監視の真似事ってところかな」  監視されるべきはお前だろうと悪態をつく気にもなれない。その神経の太さがあれば楽になるだろうが、不思議と羨ましくも見習いたいとも思わなかった。  それでも忠告も介入も拒みはしない。見透かされているような視線があるおかげで意識せずとも襟を正せる。 「――どこの女狐かと思いましたけど、鈴音さんならいいですよ。サルミアッキの借りってことで」  寧ろ今向き合うべき相手にはこれくらいのハンデは許して欲しいと思うくらいだった。 「覚悟があるなら明日の十八時、ここに来て欲しい」  Xに見逃されて逃げ帰ったあの日、パトリモワーヌに再招集されたトラベラー達の前で巽恭介はそう告げた。己の立ち位置を再定義したうえでのXと同じ問い掛け。その言葉にはまとめ役として慕っていた人格者のものとは思えぬほどに圧があり、彼の選択に対する疑問も現実逃避の泣き言も口にすることは許されなかった。 「分かっていたけど、随分寂しくなったね」  翌日、指定時間。パトリモワーヌに訪れたのは巽恭介含めて八名。  ここに来ないことが自殺行為になる弟切渡。恋人の死を無かったことにしたい鶴見将吾。報酬に興味がない筈の逢坂鈴音。慕っていた組長殺害の罪を擦り付けられた元ヤクザの射場正道。弟の死を覆したい真壁悠介。目の前で飛び降り自殺した後輩の真意を知りたい天宮悠翔。トラベラーとなった幼なじみを止めたいと願っていた瞳に黒い炎を灯す星埜静流。 「こんなもんでしょ。集まるのはエゴイストと自殺志願者くらいだ」 「残りの内何人がリタイアを選んでいたとしてもまともにやり合える数が残るとは思えないからな」  今ここではなくレジスタンスの元に居る面子にはリタイアを選んで欲しいと思うのも結局はエゴでしかない。短い時間でも協力して行動をともにした相手と命がけで戦うのを嬉々として待ち望むような戦闘狂はおらず、未来の人々を守るという大義の元に振るわれる怒りと正論に自ら身を晒せるマゾヒストも居なかった。それでも悪役じみた立ち位置に身を置く理由と覚悟なら持ち合わせているつもりだ。 「戦うのなら頭数は居るでしょうね。合流できる他のトラベラーに当ては?」 「心当たりがないわけではないけど……ルートとやらも黙ってはいないと思いたいね」  数日前まで仲間だった相手と戦わなければならないと言うには戦力差は対等からは程遠い。対抗するのならコミュニティの枠を超えてでも他のトラベラーを集めるべきだ。とはいえ、コミュニティの外のトラベラーは顔役であった恭介の人脈だけでは決定的な戦力の補強にはならなさそうだ。  アウェイな世界でゲリラ的に首を狙うしか無くなるのは避けたいが、自分達の人脈以外に頼れるのは最早この件の黒幕――自分達を呼び寄せて「X」と敵対させた「ルート」しかない。「X」を前に自分達を煽動する程度には意思があるのなら、自分の手駒が如何に貧弱かも分かっているはず。それでも手が無いのならそれこそ潔く全員リタイアさせてもらうしかなくなる。尤も敵がそれを許してくれるかは別問題だが。  詰まるところ、トラベラーに未来などないのだ。それでも捨てきれないもののために僅かな希望にしがみつく、楽観と諦観にまみれた生きる屍。いずれ正義の元に倒されることを薄々分かりながら戦いに臨むことになるだろう。  その覚悟を試される機会が早々に訪れることをこの時の将吾は知りもしなかった。――否、その可能性を考えることすら無意識に避けていたのだ。  容易に想像がつくだけの事実が揃っていたのに。誰よりもこの場に居てほしかった相手の姿はここに無かったのに。  だから、相手の方が痺れを切らして呼び出した。ここに至って将吾は自分にそれを拒む度胸すらない臆病者だと自覚することになる。 「三日ぶりですかね、将吾さん」 「……寧子ちゃんはそっちで戦うつもりなんだな」 「はい。将吾さん居なくて一昨日は心細かったんですよ」 「それは悪いことをしたな」 「いいんです。ちゃんと来てくれましたから」 「流石に場所を指定してすっぽかしはしないよ」  前髪のヘアピンを弄りながら親し気に話す言葉が冗談に思える程に、寧子の声音の奥には芯が通っている。そこに自分と姉を慕ってその背中に引っ付いてきた少女の面影はなく、一皮剥けた立ち振る舞いは鈴音に忠告される程度の自分とは一線を画していた。――実の姉の救済よりも未来の人々を選んだ正しく高潔な少女の覚悟。それこそが今後自分達に牙を剥く敵の本質だと身に染みて理解した。 「で、俺をリタイアさせに来てくれたってわけか?」 「ええ、『X-Commander』も借りれたんで、真魚さんみたいに安全に帰れますよ」 「そっか。タマも随分と様変わりしたんだな」 「これからの戦いに備えて鍛えたんで」  寧子の右手にはXが小川真魚の強制送還に使ったガジェット。左隣には全身の肉を代償に図体が二回りほど大きくなった骨の獣。その数メートル後ろでは天城晴彦とタマと同様に進化したらしい契約相手が、五体の[[rb:成熟期 > アダルト)相当のデクスを引き連れてこちらを眺めている。 「まだ詐欺神父がお守りについてくれるなら安心か」 「失敬な。だが今日は許そう。私はあくまでお目付け役だから、君らの事情が終わるまでは手を出さないよ」  聖女というよりは女天使に近しい姿の契約相手の肢体に自分の身体を押し付けながら晴彦は笑う。まるで悪辣なデスゲームを眺める悪役の富豪のようだ。片手にワインを呑んでいたらさぞ似合っただろう。そのワイングラスを奪って殴り掛かりたくなるほどに。 「信用すると思うか?」 「私が手を出させません」  だが今向き合うべき相手は奴ではない。こちらが外野を気にせずに済むのなら寧ろその方が助かる。 「今すぐモンスターとの契約を切ってください」 「もし断ったら?」 「今ここで将吾さんの契約相手を殺します」  寧子の前に出る骨の獣は彼女の声音のように冷ややかな空気を纏い、伽藍に赤く灯る双眸には彼女の言葉に一切の迷いがないことを証明する。相対する月丹の身体の震えが武者震いでないのは明白で、現状の力量も覚悟も寧子の方が上なのは間違いない。分かり切った現実を再確認したうえで将吾は大きな溜息を吐いた。 「俺は間違っているのか」 「それを正すために私はここに居ます」 「そいつはありがたいことだ」  力も道理も相手に分があるが故の好待遇。そもそも罠を覚悟で来た自分を奇襲して物量で蹂躙することも出来たはずだ。それでも真正面から正々堂々と向き合ってくれたことに感謝はできても苦言を呈する権利はない。 「けどお門違いだ。俺はまだ土俵にも立てていないんだよ」 「立つ必要なんてないんです。何もしなくていいんです」 「そんな訳にはいかないだろ」 「それでいいんです!」  自分には分不相応なほどの思い。それでも今の自分は彼女の望むように応えることはできない。だからこそ、初めて失望の視線を向けられたとき将吾は安堵に似た笑みを浮かべていた。 「結局分からず屋には力づくで教えるしかないんですね。――行って、タマ」  契約相手の声に従って骨の獣は進撃を始める。一歩踏み出すごとに地面が抉れ、冷気のような黒い靄が地面に染み入る。距離があっても寒気を覚える死の足音。月丹は奥歯を噛んで自身の体の震えを抑えて空へと舞い上がる。  ニ秒後、月丹が立っていた地点から間欠泉のように噴き出す黒い靄。蛇のように追いすがるそれを振り払った先で待っていたのは飛び上がってきたタマの右足。骨の翼が張りぼてではないのならば骨で象られた爪も獣が持ちうる原初の武器だ。  研ぎ澄まされた一撃を前に月丹は爪の軌道と並行になるように鎧の角度を調整して受け流す。否、厳密にはそれを試みただけ。現実は純粋な質量で弾き飛ばされて隕石のように落ちたに過ぎない。 「月丹!」 「分かったでしょう。どうせその調子じゃ先はないんです」  将吾の声に応える様に月丹は砂を吐きながら立ち上がる。だがその足の震えを誤魔化すことはできていない。心身を侵すのは生命が持つ死に対する本能的な恐怖。スカルバルキモンが纏う黒い靄に触れたモンスターは否が応でもそれを呼び起こされ、肉体と精神の両側から響く痛みは下手に重い一撃よりも後を引く。  それでも立ち上がる彼らの根性を讃えることなく寧子はその無力さを嘲笑う。その挑発に乗るには将吾は寧子のことを知り過ぎていた。 「分からない」  ただ未だに分からないことが一つだけある。問わずにはいられないことがある。 「何がとは聞きませんよ。いい加減諦めてください」 「なんで諦められるんだ」 「聞かないと言ったでしょう」 「どうやったら諦められるんだ」 「だから……」 「寧子ちゃんにとってお姉さんは……大河は諦めきれるものなのか」 「うるさい……」  それは世界の存亡とか関係のない将吾と寧子と彼女の問題。一時でも同じ方向を向いていた事実と分かたれた決定的な違いの確認。同じだけ固執していたうえで今の選択が異なっている。戦いの結果がどうあれその理由だけは知っておきたかった。 「あの人が死んだのは三年前なんですよ。いい加減前を向いてください! ……ぁ」  初めて感情を露わに叫んだ寧子は自分が口にした筈の言葉をすぐには理解できず、気づいてから隠すように口元を押さえた手は僅かに震えている。彼女にとってその回答は一番口に出したくない都合の悪い本音(もの)。それが表に出てしまった以上、もう後戻りはできない。 「もういい……潰して、タマ。今すぐに!  寧子の殺意を表すように洞のような口から強烈な風圧を伴った雄たけびが響く。これ以上の会話は不能で不要。巨体の一歩は今までよりも大きく速く、滲み出す薄い黒煙は将吾達の足元まで伸びるように地を這う。先ほどまでの軽いジャブとは訳が違う本気の力量。煙に触れたモンスターは本能的な恐怖に囚われ、じきに迫りくる骨の巨体に圧殺されるのを待つしかない。 「どうした月丹! 動け! 早く!」  それは月丹も例外ではなく、逃げるための足も身を守るために鎧を動かす筋肉も凍ったように固まっていた。身も心も凍る絶対的な拘束は肉声での指示でもキャストによるバフでも跳ねのけられはしない。  一歩ずつ確実に近づく死。それを前にしても動くことすらできない被捕食者。骨の獣は確実に息の根を止めるため、真下に見下ろせる位置まで近づいたうえで巨大な右前足を振り上げる。  降ろされる裁きの槌。砂煙とともに巻き上がる煙。戦いの行く末を見据える契約相手が瞬きをしていなければ、結果は変わっていたかもしれない。 「……本当に鬱陶しい羽虫ですね」 「失敬な。そんな態度を取られるなら、もっとマシな飴でもあげるべきだったかな」  タマの足元には月丹は居らず、その肉体は数秒前の地点から十数メートルほど離れたところを転がっていた。月丹自身に肉体を動かす術がないのならそれは別の誰かによるもの。文字通りの援護射撃を撃てる者もその理由を持つ者もこの場では一組に限られる。 「自分が何したか分かってます?」 「いちいち言葉にしなくてはいけないのかな。そこの神父と違って私は傍観を決めるとは言ってなかったのだけど」 「相変わらず無駄に口が回りますね」  寧子が睨む先には鈴音の姿しかいない。ただ寧子はアハトの動向にも見当がついている。居場所は散在する倒壊したビル群のどこか。ただ先の虚を突いた一発だけでは判別はつかない。これだけ冷静に立ち回っていると思いたくない程に軽薄で飄々とした鈴音の言い回しが尚更癪に障る。 「流石に戦力が減るのは困りますか。ただでさえ頭数足りてなさそうですし」 「それだけの冷血な女と思われてるのは心外だね。見ての通り、迷える男の子の未来を照らす優しいお姉さんだよ」 「反吐が出そうな程に気持ち悪い」 「清々しい程に素が出てるね」  寧子と食べ物でからかわれていた頃とはもう違う。対等な挑発の応酬はその証明であり、鈴音がノータイムに返す言葉は彼女なりの賞賛だ。脅威として認めたからこそ、正義の敵対者に相応しい言葉を吐くのに遠慮はいらない。 「将吾くんの思いも迷いも仕方のないことだ。大事な人というのは早々に諦めきれないものだろう」 「こっちも別にそれを否定する気はないんですけど。でも割り切ってもらわないと困るんですよ」 「寧ろそれが出来た君を私は凄いと思うよ」 「リタ達の……あの現状を見れば当然です」  寧子の言葉は正しく未来を見ているものの模範解答だ。彼女なりの葛藤を越えて得た正論に間違いなどない。 「知識として知るだけでは不十分という訳か」 「知ったところで貴女は考えを変えるタチじゃないでしょ」 「それは否定できない。でも将吾くんは変わるかもしれないよ」 「こっちは安易に考えを変えるような人間を受け入れるほど緩くないんです」 「本当に将吾くんに優しいね、君は」  毒虫が巣くうに足る僅かな綻びを先程自分の口で作ってしまったことを除けばだが。 「まあ仮に彼が君と同じものを見ても意外とすぐ割り切れないかもね」 「何が言いたいんですか」 「寧ろ君がうまく割り切れた方だってことだ。よほど上手く自分を誤魔化したのか――そこまで大事に思ってはいなかったのか」  心の底からの賞賛とともに鈴音は虎の尾を踏む。最後の一瞬に見せた誰かを嘲るような薄い笑みも、それを見せないように顔を背ける様も、仕草の一つ一つが刺激物。 「あー、はいはい。――すぐ死ね」  寧子の標的と目的が変わった。凍てつくように鋭い視線とそこに籠る熱線のような殺意がそれだけで射殺さんと鈴音に突き刺さる。どこまでが彼女の本心なのかを推し量る気すら失せた。計算も真意もどうでもいい。ただ口にした言葉が許せなかった。その足であの場所に立っていることが認められなかった。  骸の翼を翻して骨の怪物が舞い上がる。黒い風をまき散らしながら向かう先は射手が潜むビル群。どれだけ憎かろうと契約相手が存在している以上は直接殺せない。怒りで思考を溶かすことなく冷静に冷酷に。タマが持つ力を十全に把握したうえで、寧子は引き摺り出すための算段を整える。  一番高いビルの屋上に陣取った骨の怪物の身体から暴風雪のように黒い靄が溢れ出す。他のビルに伝播するように広がっても薄いとは思えないほどの密度。それらすべてが重力に従ってビルの内部を侵していく。どこに隠れていようと関係ない。触れたものがどうなるかは先ほど月丹が分かりやすい検体になっている。 「悲鳴の一つでも上げてくれると楽なんですけどね」  じきに響くモンスター達の苦悶と悲鳴のオーケストラ。標的以外に野良のモンスターが潜伏していたのは寧子としては想定外ではあるが些事だ。外に炙り出せれば僥倖。屋内でのたうち回っているのなら多少は面倒だが、一つ一つ潰していけばいいだけの話。 「さーて、どこにいるんでしょうかねぇー」  いたずらな猫が積み木を崩すように拳が突き出してビルを乱暴に抉っていく。一棟が根元から崩れるのに拳は二桁も要らず、崩壊する建物から哀れに巻き込まれたモンスターが逃げ惑う。二棟、三棟崩しても本命は出てこないがビルの倒壊作業は淡々と続ける。時間の問題というのが明らかな状況でサボるような気の緩みなどありはしない。 「ィ……ヤ」 「みーつけた」 「……アハト?」  そうして辿り着く標的の第一声はまるで怪物に食われる寸前の女性の悲鳴のようだ。だがその正体は機械的なモンスターに過ぎない。抉れたビルの一室で見上げて怯えている様を想像するだけで寧子の心はさらに冷えていく。 「やって」 「イィイヤァアアアッ!!」  寧子の声をかき消す金切り音のような悲鳴。それに耳を抑える間もなく光弾が無造作に飛び出す。いや、アハト自身がゴムボールのように跳ねて飛び出していった。そこに鈴音の指令を淡々と実行していた面影はなく、まるで何かしらのバグが発生して暴走したかのようだ。 「は?」  だが結果的にその暴走で救われた。悲鳴に紛れた寧子の指示はスカルバルキモンに届いていて、骨の槌は全霊を持って振り下ろされていた。渾身の一撃はビルを跡形もなく倒壊させ、潜んでいた他のモンスターは瓦礫とともに地に落ちている。怯えたまま動かないことを選択していれば同じような末路を辿っていたことだろう。 「イヤ、アッ! スズ……チガッ!?」 「急にやんちゃになりましたね。蠅のように鬱陶しい」 「君らがそうしたんだろう。こんなこと予想でき……るか」  アハトは確かに重い一撃からは逃れたが、一番最初に襲った精神的なダメージには未だ苛まれている。幸いなのは挙動が寧子とタマにとっても厄介で目障りなものになっていること。不安定なまま叫び不規則なまま動く姿は飢えた獣の方がまだ理性的に思える程だ。  言ってしまえば現状は誰にとっても不都合なもの。不快そうに吐き捨てる寧子に対して鈴音も珍しく余裕なさげに睨みつける。それほどにX-Passを通じて彼女にだけ伝わるアハトの精神状態が、その乱れが異常だった。 「ミナ……ィヅキ……ゴ……サィッ!!」 「落ち着いて、アハト……後で話そう。だから」  制御できる可能性があるとすればそれは鈴音しかない。完全に意思疎通を測れるレベルはすぐには無理だ。それでも僅かに混乱を和らげるくらいはできる。一瞬動きが止まれば完全に動きを止めるには十分だ。 「ありがとうございます。動きを止めてくれて」  寧子の嫌味たっぷりなその言葉が聞こえた直後、鈴音の目前にアハトの身体が剛速球のように落下した。土煙の中を転がる様は使い潰したボールのようでX-Passでの繋がりが無ければ死を確信する程にダメージは目に見えて大きい。先ほどのように暴れていないのは冷静になったというよりはそこまでの筋力が残っていないだけ。 「運よくずれた。いや一瞬でも声は聞こえた訳ですか。――どちらにせよこれで終わりです」  籠の中に捕われたように逃れる術のないアハトの元へと骨の獣が静かに舞い降りる。その足で執拗に跡形もなく踏み砕くべく、正確な座標に一分の狂いもなく前足を叩き込む。  硬いものがより硬いものに負けて砕ける。そんな音が確かに響いた。削れて飛び散る金色。火花とともに跳ねる黒色片。振り下ろされた蒼白色の槌は真下にあるものに重厚な一撃を与え、――その代償として自らに亀裂を刻み込んだ。 「――今さら何の真似ですか」  骨の獣の足が持ち上がった。否、想定外の障害物に弾かれて浮き上がった。たかが一歩、それでも後退させられたという事実に屈辱を覚えた獣が見据える先には長大な体躯の龍が研ぎ澄まされた瞳で睨み返していた。黒い鱗が全身を鎧のように覆い、その頭には金色の角が雄々しい兜のように輝く。そして両手に握る朱と翠の珠からはそれぞれ龍自身と同等の威圧感が溢れていた。 「我を通すと決めた。だから戦力が減ると困るんだ」  武将の意匠を纏う龍――ヒシャリュウモンへと進化した月丹の背後で将吾は己の立ち位置を再定義する。その視線に迷いはなく、覚悟に躊躇はない。今意見を覆すことだけは彼らの足元に転がる数体の亡骸が許さない。 「ビルから逃げた連中を糧にした訳ですか」 「おぞましいと思ってもらって構わない」 「浅ましいとは思いますよ」  睨み合う二人の立場はもう平行線となることが確定した。言葉の説得で精神的にそれを覆すことはできない。寧子には最初からそのつもりは無いのだから関係ないことだ。だからここに来て交わすやり取りは疑問の解消と一方的な感情の吐露でしかない。 「やるって言うんですか。勝てる見込みもないのに。大義もないのに」 「諦めきれないだけだよ。寧子ちゃんの分も」 「なんですかそれ……余計なお世話なんですけど」  爪が肉に食い込む程に寧子の拳が無意識に握られる。その理由を考えることすら放棄する程に彼女の意識は将吾に、彼を変えられなかった現実に固執していた。思えば結局戦いを挑んでからここまで将吾の考えは一度も変えられていなかった。気持ちは大野大河の死を引きずったまま、それを救える可能性に縋り、遂には罪を背負う覚悟まで持ったような素振りをしだした。 「本当に……嫌になる……なんで……」  思い通りに動いてくれない相手に感情を乱される。それがどれだけ苦しいことか嫌という程知っている筈なのに、学習能力のない脳はそれを処理できずに負荷を抱える。だからオーバーヒートするのに時間は掛からない。 「なんで邪魔するんですかッ!!」  骨の獣が跳ぶ。間合いが詰まるのに一秒も掛からず、振り下ろされる右足は靄を纏って地面を抉る。だが、抉れたのは地面だけ。月丹はしなやかな身体を揺らして直撃を避け、アハトは最低限回復した筋力で跳ね上がってさらに後方へと逃れていた。アハトを追撃しようものなら既に反撃の体勢に移っている月丹の一撃を受けるのは確実。初手で二体の距離が詰まった段階で、元々のマッチアップへと引き戻されることになった。 「言っただろ。まだ諦められないんだ」 「そればっかり……余程あの人が大事なんですね」 「そうだ。じゃないとここまで意地は張れていない」 「そう、ですか」  真正面から向かい合うのは互いの契約相手も同じ。互いに視線を逸らさずに、代理人たるモンスターに己の思いを託す。  骨の獣の脇をすり抜けて月丹はその頭上へ回る。骨の獣が鬱陶し気に翼をはためかせようとしたところで、その翼ごと押し付けるように長大な体躯で締め上げる。進化に伴って契約相手と同等に磨き上げられた精神力は恐怖を呼び起こす黒い靄も通用しなくなった。そうなった以上、鉋で削るような音を立てて回転を始める龍を止める術はフィジカルにしかない。  肉のない両前足を何度も乱暴に叩きつける様は見た目に反して生のためにもがく獣のよう。その足掻きで開けた隙間を抜け出すには図体が大きすぎた。 「あ?」  獣の右後ろ足が――厳密にはその骨が獣から外れる。その不審な挙動に将吾は目を見張り、月丹も拘束に割く意識が緩まった。その瞬間を逃すことなく、骨の獣は黒煙を瞬間的に噴出。十分に広がった隙間を前足で押し広げて拘束から逃れる。月丹が身体から離れた獲物に意識を戻す頃には、奴は頭上で体勢を整えて、重力に従って噛み砕こうと降下していた。 「流せ!」  大地を抉る骨の顎。獲物はその内におらず、恨めしそうな表情で仰いだ頭上でこちらを見下ろしている。一方でその月丹も相対する敵を異様に感じていた。何せ骨の獣が切り捨てた筈の足はいつのまにか元通りの位置にあり、その一部として何不自由なく動いているのだから。その足に目に見えて分かる罅さえなければ、強者と相対する恐怖を再び思い出していただろう。 「あんな……思われて……本当に……ぃゃ……」  圧倒的な差が生まれているとすればそれは契約相手の方。少し前までは持てていた余裕も寧子の内から完全に消え失せた。従えるモンスターのように冷たい仮面は溶けて、赤らんだ顔の目元には暖かい雫が滴る。 「なんでこんな思いしなきゃいけないんですかッ!」  寧子の叫びの真意は彼女自身にしか分からない。王子様のように涙を拭えるような人格者がそもそもこの場に存在しない。 「それは俺が君の望むような男じゃないからだろう」 「……なんて?」  だから将吾も自分が口にできる答えが彼女の望むものだと思わない。きっと自分はこれから彼女が嫌がる選択を続ける人間だ。過去に縛られることを選んだ人間に現状と未来を憂う人間の気持ちなど分かる筈もない。その確信は今このときだけは正しかった。 「なんでそんなことを言うんですか。そんな……違う……」  泣き腫らした目で寧子が膝を着く。彼女の戦意は蠟燭の火のように揺らぎ、その不安定さが契約相手の動きに波及することに頭が回らない程に動揺が表に出ていた。  骨の獣がどれだけ爪を振るおうと、標的は泥鰌のようにすり抜ける。保険として纏わせていた黒い靄も最早通用しない。そうなれば隙を晒すのは骨の獣の方で、龍の兜から部分的に顕現した刃が文字通りの返しの太刀となって斬りつける。  似たようなやり取りは既に三度繰り返された。注意力の欠けた攻撃に対する研ぎ澄まされた会心の反撃。刻まれた裂傷のすべてがけして浅くはなく、足の一本が斬り落とされるまでに新たに刻まれる傷は二桁も要らなさそうだった。 「もう終わりにしよう。本当にごめん」  将吾の言葉をキーワードとするかのように、月丹の身体は変化を始める。身体のしなやかなさはそのままに、背中側に少し反りながら頭から尾までを豪快な一筆のように伸ばす。  尾は柄に、頭は刃に。象るは一振りの太刀。その完成を持って敵を両断せん。 「――それは困る。戦力を減らされて困るのはこちらも同じだ」  完成間近の刃に――刃になりかけていた角の一つが弾け飛ぶ。掴みどころのない黒い靄では呼び起されなくなった死に対する畏れを、肉体的な痛みを伴う確かな白い光が伝える。  それでも名刀になり損ねた龍の生命も殺意も潰えてはいない。一度無様に地に落ちてもまた優雅に舞い上がり、己の誇りを傷つけた女天使を睨みつける。 「手を出さないんじゃなかったのか」 「見世物としては十分だというだけさ。今日はここまでにするといい」  きつく睨みつける将吾を晴彦は女天使の胸に寄りかかりながら悠々と見下ろす。嘘をつく必要すらないという余裕が透けて見えるのが癪に触る。だが将吾としても悪くない提案であるのは事実だ。 「待ってください天城さん!」 「安心したまえ。及第点だ」 「違う! そんなこと――」 「年上の忠言は聴くものだよ」  寧子が納得できなくても彼女にはその要請を覆す権利はない。彼女自身が身を持って理解するのには晴彦が軽く一瞥するだけで充分だった。評価通り戦力としての力と覚悟は認められた。だが、戦況をコントロールするにはまだ足りない。寧子が被った損害が涙を拭って屈辱を噛み締めるだけで済むのならその方がいい。 「子供はおとなしく帰る時間だ。そら君も」 「素直に帰ると思うか」  それでも将吾の口からは剥き出しの敵意が零れた。立場として正しくとも、こちらの理になる提案をしていても、この男の言動を素直に受け入れられるほど大人ではない。 「それは困るな。こっちも手を変えなくてはいけなくなる」  剥き出しの敵意に対して晴彦はわざとらしく視線を逸らす。その先に寧子が居るのを確認すると今度は将吾が屈辱に奥歯を噛むことになる。結局この戦況を握っているのは最初から晴彦で、一瞥で他の意見を封殺できる程度には差があった。 「早くこの戦いから抜けてください」 「それはこっちの台詞だ」  最早寧子と将吾に選択肢はなく、二人は互いをけん制しながら帰還の準備を始める。晴彦は既に二人から興味を失ったらしく、将吾に対して敵意どころか視線も向けていない。態度は癪に触るが、将吾を追い討ちするつもりはないようだ。  その理由が外れた視線を追った先にあることに気づいた頃には、新たなマッチメイクは既に確定していた。 「……ふ、ぅ」  退去シークエンスが軌道に乗って視界が白み始めたその時、将吾は自分の後ろから漏れる荒い吐息を聞いてしまった。 「……なんで戻らないんだあんた?」 「ご指名だよ。随分気に入られたらしい」  薄い視界の中で振り返ればそこには額に汗を滲ませた鈴音が居た。傍らのアハトも多くの裂傷のせいか未だ動きは鈍い。  戦いは終わり、互いに撤退する。それは将吾と寧子だけの話であって、他の二組は含まれていない。最初から晴彦は鈴音を逃がすつもりはなく、ここまでの戦いの間もエンジェウーモンに狙いをつけさせていた。 「待てよ。これ以上は無理に――」 「話をつけるよ。なんとかして、ね」  撤退の選択は覆らず、戦いを終えた者は元の時間に戻される。再び挑もうとするのなら、相応の用意を求められるだろう。 「足掻くといいさ。なんともならないがね」  晴彦が指を鳴らすと彼の後方から不規則な地鳴りが響く。それが多数の足音だと認識する頃には発生源も確認できた。十を超す成熟期相当のデクス。それらすべてがアハトと逢坂鈴音を葬るために用意した彼の手駒だ。  ゲームの観覧者は自分に圧倒的に有利な場を整えて舞台へ上がる。その目的は相手に勝つことではなく相手を弄ぶことにあることは明白だった。
X-Traveler Episode.13 "天沢履" content media
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パラレル
2021年4月01日
In デジモン創作サロン
<< 前話へ 目次 次話へ >> Episode.12 "ポイント・オブ・ノーリターン" 「今日の真魚くんの予定を知らないかい?」  そんな恭介からの電話に対して「は?」の一文字が口を突かなくてよかったと渡は心から思った。「バイトでもないなら女子高生のプライベートですよ」なんて冗談は論外だろう。そう断言出来るほどに彼が焦っているのが声音だけで分かる。 「多分特異点F(あっち)かと。キョウカとの戦いで消費した分のエネルギーを補給するって」  何より自分が持ち得る答えが恭介の疑念を悪い方向に強めるものであることに渡は薄々感づいていた。 「それは一人でかい?」 「いえ……ついでに誰かと話をするとか……すみません。誰かまでは」 「いや、いいよ」  電話口から聞こえる深い溜息はこちらが持つ少ない情報だけで最悪の確信を抱いた証。彼の脳内ではその確信までの筋道がきれいに整っているのだろう。何せ渡自身も口を開く度に抱きたくもなかった猜疑心が燻るのを自覚するレベルなのだ。 「何か、あるんですか」 「いるんだよ。もう一人裏切り者が」  その名前を告げられてから数秒立たないうちに渡は電話を切った。いつもの集合場所(パトリモワーヌ)に合流する手間すら惜しい。手近な場所から特異点F(あちら)に行かなければ取り返しのつかないことになる。持ち得る情報が違っても、その確信だけは恭介とまったく同じだった。  砂交じりの風に何度かせき込みながら真魚は契約相手が元気そうに跳ね回る姿を眺める。砂地が苦手そうな見た目に反してアキが元気な理由はその口元から零れる砂状の物質。既に彼女の満足のいく食事は済んでいる以上、探索目標もなければ次への準備と割り切って帰っても何ら問題はない。それでも手持無沙汰に契約相手の姿を眺めているのはまだやるべきことが残っているから。そしてそれは叶うのなら可能な限り後回しにしたい類のものだった。 「――用は済みましたか?」 「あ……いや、これから」  もう一組の同行者の催促に真魚は重い腰を上げる。覚悟は決めていた筈だ。ここまでの行動もこれから自分がすることも自分が動くべきだと思ったが故のもの。嫌というほど節穴だと分かった筈の自分の目でもピントが合うことがあるのか。それを確かめるためにここに一対一の場を設けたのだと自分を奮い立たせる。 「私らあの面子の中では仲いい方だよね」 「急に何ですか? まあ、同年代ですし、バイト先も同じですから」 「それは照れ隠し? まあいいわ。私らの仲に免じてちゃんと答えて」  独特な口調も要領を得ない会話も今は頭に入らない。表面上は今までと同じ態度の筈なのに決定的に何かが違う。その違和感はきっとお互い様で、それぞれ抱えている思惑が双方から漏れ出しているだけのこと。互いに上手く取り繕える程大人でもないから居心地の悪い雰囲気の中でじわりじわりと退路を塞ぐ形になる。それでもいずれは決定的な隔絶に行きつくことに変わりはない。 「キョウカとの戦いの間、どこで何をしていたの――椎奈?」  意を決した問いに対する綿貫椎奈の一挙手一投足が真魚にはすべて胡散臭く見えていた。右手で隠した口元はどんなかたちに歪んでいるのか。眼球の揺れが小さいのは動揺するに値しないことだからか。今彼女が浮かべている表情に本心はどれだけ滲み出ているのか。 「巽さん達と合流しようとしたんですよ」 「でも実際はしてない」 「少々トラブルがありまして」 「随分長引いたのね」 「ええ、大変でした」 「よほど大事な用事だったのね」 「そうですね。本当に大事な用事でした」  あまりに空虚な言葉の応酬。表面上は問答が成り立っているように見えても、最初から答えが分かっているのならその行動に意味などない。だがこうして無駄に時間を潰さなければ、ここまで口にしていなかった疑念がすぐに確信へと変わってしまう。そのためにここに来たはずなのに、欠片でも臆病さが残っていることを自覚して真魚は自分が嫌になった。 「それが聞きたくてわざわざ呼びだしたんですか?」  結局痺れを切らしたのは椎奈の方。だが彼女もその言葉を口にする頃には顔を伏せ、真魚の回答が返ってくるまで地面に落とした視線を戻そうとはしなかった。 「天城さんの件があるから本当のことを知りたいの。力づくでも構わないから」  表情を伏せているのは後ろめたいことがあるから。それを暴くために自分はここに居る。結論が見えた以上、真実に怯える意味もない。  真正面から叩きつける真魚の言葉は今度こそ紛れもない本気のもの。アキの目はピーコロさんの姿を捉え、口はすぐに声を出せる準備を整えている。それはさながら必殺の脅しの銃口。望む答えが得られなければ、契約相手に自死させることすら厭わない覚悟そのものだ。 「そうですか。本気なんですね」  椎奈の言葉に真魚の覚悟への称賛は存在しない。漏れる溜息は嘲笑にも似て、伏せた顔を隠すように持ちあがった左手は握りつぶすように前髪を掴む。失望と怒り。椎奈が顔を上げるまで、彼女のその類の感情を向ける様を真魚は一度も見たことはなかった。 「……はぁ、ここまで馬鹿だとは思わなかった。ああ、見抜けなかった間抜けは私か」  そして、椎奈は仮面を脱ぎ捨てた。乱暴に掴んで掻き上げた赤みがかった長髪は隔世遺伝の天然ものでささやかな誇りだったはず。そのことを二人だけの秘密だと気恥ずかしそうに話してくれた彼女は今、羽音が耳障りな蚊でも見るような目で真魚を睨みつけていた。今までの丁寧な言葉遣いを捨てた乱暴な口調には端々に漏れていただけの辛辣さを隠す気もない。  真魚も椎奈の仮面には薄々気づきながらも個性として受け止めていた。ただその奥にあるものの刺々しさは予想を超えていた。 「ちょっと待って……それが椎奈の素ってわけ?」 「何か悪い? こっちは無駄話する時間ないんだけど」  ギャップに困惑している猶予などない。それが真魚に椎奈が与える最後の忠告。本性を出した瞬間から、椎奈にとってもう真魚は仲間ではなく標的となった。その意味を真魚はまだ正確に理解できていなかった。 「なら本題に」 「話す時間はないって言ったんだけど。――もういい。さっさと始めて」  一方的な宣戦布告。素直に質問に答える気がない以上、力づくで椎奈に問いただすしかない。椎奈が戦端を切るのと同時に真魚はアキに発声許可を出していた。響く音色は対象の自由を奪う第一曲(ポリフォニー)。ただ一体に捧ぐための歌は対象を絞っている分その効力も強くなる。同じ進化段階が相手ならば聴き入ったその瞬間に詰みだ。――観客が席に座っていればの話だが。 「一対一なら能力で人質に取れると? 自惚れ過ぎ」  アキの口から声が出るコンマ二秒前にピーコロさんの姿は消失していた。真魚もピッコロモンという種が持つ瞬間移動の能力を失念していた訳ではない。歌い始めてからアキは裏を取られないように絶えず移動しつつ、声音を変えて効果範囲を拡大し反撃に備える。だが反撃が来ることも観客が現れることもない。ピーコロさんの瞬間移動の範囲を真魚は正確には知らないが、結局は戦場から離れたかどうかのニ択。ピーコロさんが次に仕掛けるタイミングが分からない以上、アキは常に歌声を響かせなければいけない。 「もしかしてアキの喉が枯れるまで時間稼ぎするつもり?」 「は? だから時間ないって言ってんでしょ。心配しないでもそいつはすぐに真っ二つになるから」 「爆破するの間違いでしょ」  そもそも椎奈が口火を切った段階で、先に銃口を突きつけられていても先手は椎奈の側にあった。言ってしまえば状況以前の話で、それを組み立てるまでの精神的な面で椎奈は一歩先を行っている。真魚は仲間に問いただすためにこの場に降り立ったのに対し、椎奈は標的を仕留めるためにこの場に居るのだから。 「間違ってるのはそっちの前提だっての」  椎奈がそう吐き捨てた三秒後、真魚の目前で爆弾が爆ぜる。攻撃手段を考えれば歌の効果範囲外である頭上から爆弾(ビットボム)を投下するのは真っ先に考えられる一手。だが想定していたのはアキの頭上からの攻撃であって、自分には仕掛けられないと真魚は考えていた。そもそもX-Passのバリアで護られている自分にモンスターの攻撃は通らない。つまりこの爆弾の目的は攻撃ではなく目くらましと爆音による歌の妨害。一発限りではなく断続的に投下される以上この爆弾が本命でないことは間違いない。爆発に紛れて距離を詰めて本命で叩く手筈。分かりやすい程の一転攻勢だ。ここに来て馬鹿みたいな力押しに出るのなら選曲を変えるまで。  椎奈の目前まで距離を詰めて歌うのは第三曲(カノン)。歌声が変化した物理的な音波弾は椎奈を守るバリアに悉く弾れてアキの周囲を不自然な軌道で飛び回る。  命中すれば別の敵にも必ず命中する。音符弾のこの特性により、一見やけくそに思える音符弾の無駄撃ちも全方位に対する防御陣と化す。――それを理解したうえで、椎奈はアキの奮闘を鼻で笑った。 「――え?」  何かが爆煙の中に飛び込んだ。真魚が視認できた事実はそれだけで、後に何が起こるかもそれに対してどう対処するかべきかも分かりはしなかった。  アキに指示を飛ばすより先に爆煙は晴れ、アキ自身が展開した跳弾の防御陣は既に役割を終えたのか見る影もない。真魚が確認できたのはグランクワガーモンのクロム――秋人の契約相手の両顎に捕らえられている自分の契約相手の姿だけだった。 「悪いな、嬢ちゃん。最初っからタイマンじゃねえんだ」 「くろ、きば」  クロムとその上で笑う秋人こそが真魚が間違えていた前提。本性を晒すことを決めた以上、椎奈は標的を仕留めるために手段を選びはしない。晴彦の裏切りが明らかになった翌日には自分の素性が暴かれるのを考慮して本当の仲間と話をつけていた。この場に立った段階で、準備も覚悟も真魚は椎奈に何手も遅れていたのだ。それが一番の敗因。それを取り返す機会を与える程、この世界もそこで戦う者も甘くはない。 「相方の死に目くらい見てやんな」 「待って、やめ」  閉じる黒のギロチン。胴から分かたれた上半身は軽く跳ねた後にクロムの頭上で現れたピーコロさんが杖で串刺しにして回収し、残った下半身は体を逸らしたクロム自身の口の中に収まる。 「なん、え、うそ……」  呆気ない最後に真魚はただ地面にへたり込み、言葉にならない声を零す。契約相手を失ったことはどう足掻いても否定しようがない。X-Passからは契約時から輝いていた色が抜け、自分の中の軸が一つ消えたような虚脱感が身体を覆っている。最早彼女には新たな契約相手を探す気もこの場から逃げ出す力も残ってはいなかった。 「――想定より時間が掛かりましたね」 「誰の尻拭いだと思ってんの?」  無気力なまま見上げる空には成熟期(アダルト)相当のデクスが四体。日頃見る荒々しさからは遠い落ち着いた所作の理由はその背から降りた四人が飼い慣らしているからだろう。 「そう言うな。上手くいったならそれでいいだろ」 「アルがそう言うなら、まあ」 「あれ、機嫌直った?」 「リタうっさい」  裏切り者第一号の晴彦を除いて、二人は恭介から報告を受けたアルという男とリタという少女で間違いない。 「で、真魚で合ってた?」 「――ああ、確認した。椎奈、申し分ない働きだ」 「それはよかった。神父さん残念。減らず口には乗らないって」 「最初から私は異を唱えるつもりはないが」 「顔真っ赤で言っても説得力ないから」  残り一人は空軍パイロットに似た装いの上に分厚いマントを羽織った男性。そのシルエットと僅かに覗く肌から、アルよりは年上の日系であると見当はつく。だがゴーグルで覆った目元のせいで顔立ちや表情までは読めない。分かるのは椎奈達から本当の仲間意識と敬意を持たれるリーダー的存在であることだけ。ただ、真魚の虚ろな目は彼に妙な既視感を覚えて視線を逸らせなかった。 「そこらへんにしておけ。遥か遠方からの客人だ」  真魚を取り囲む裏切り者とその一派はリーダーの言葉で口を閉ざして彼と同じ方向をまっすぐ見据える。釣られるように真魚が視線を向けた先には契約相手(モンスター)を駆るコミュニティの仲間達がこちらへと向かっていた。力が抜けて声が出ないのが今の彼女にとって唯一の救いだろう。この状況で一番会いたくない存在に何を言ってしまうのか分からないから。 「アキは……お前ら、真魚に何をした!?」  中でも一番聞きたくない怒りの声が耳朶を叩く。どうせ感情を露わにして怒るのなら、奴には自分自身への理不尽に怒ってほしかった。  手遅れだった。ただそれを当然と思う自分も居た。そんな自分を渡は初めて嫌いになった。  仲間に呼びかけた恭介よりも先に飛びこんだ筈なのに見当はつかず、結局は爆発音を聞いた誰かの報告に慌てて便乗して合流する形になった。  他人にもう少し関心を持てばよかったと今日ばかりは思わずにはいられなかった。予定を掘り下げて手がかりを掴んでおけば、一人で飛び出すような真似はさせずに済んだかもしれない。だがそんなものは前提から無理な話。自分との貸し借りという一方的な軸を優先して他人を見ていた自分には、他人が別の他人と向き合う前の機微など分かる筈もなかった。 「アキは……お前ら、真魚に何をした!?」  それでも叫ばずにはいられなかった。自分を気遣ってくれた女の、危険を覚悟で掲げた希望を踏みにじられて黙っていられるほど渡は情がない訳ではない。借りを感じている相手が苦しんでいる。それだけで敵に報いを受けさせる理由には十分だ。 「見れば分かるだろ。耄碌するには早すぎるぞ」  感情のままに怒号をぶつけた者は渡以外にも多くいた。だが、空軍パイロット風の男は渡の方を見てその怒りを嘲笑ったように見えた。敵意に鋭敏な割には自意識過剰だと欠片でも思える程に冷静ではない。互いに敵意を向けていることが分かった以上、迷う要素は何もない。 「殺す」  恭介の緊急招集に集まったのは渡と恭介を含めて計十二名。数の差は大きい。モチベーションは言うまでもなく、大半が自分と同じだけの怒りを契約相手に注ぎ込んでいる。一人残らず消せ。目の前の敵は存在しなくていいものばかりだ。弱肉強食の世界の理を蹂躙という形で思い知らせてやる。 「止めなさい」  穏やかだが厳格な声が全会一致の突撃姿勢を遮る。自分達を呼び寄せた当人が何を言うのか。沸騰した熱意は予想外の言葉で虚を突かれためか一気に萎えて、目線と注意は真意を問いただすべく発言者へと一斉に向かう。注目を一点に浴びる恭介は発言の意図を口にする代わりに顎を上げて自分と同じ方を見るように誘導する。その先で囚われている仲間を見て、ようやく全員が自分の立ち位置を理解した。 「仕掛けてこないのか。お前らの覚悟とやらはその程度か」 「無防備な仲間を巻き込みたくはないよ」 「他の連中はそうでもなかったようだが」  真魚を腕の中に捕らえた空軍パイロット風の男の言葉がいやに突き刺さる。言葉に込められた棘以上に苛立ちが頭に巣食って脳に食い込む。平静を装って話している恭介も手元に戻せば衝動を抑えるように爪が食い込むまで拳を握っていた。人質の存在が無ければ彼も考え無しに戦端を切っていただろう。 「別に恥じる必要はない。俺を殺せと『それ』が五月蠅いんだろう。『ルート』もケツに火が点いたらしい」  男が指差すのは恭介の左手、その手首に嵌められたトラベラーの証(X-Pass)。釣られるように手元に視線を移した瞬間、男の言葉の意味とこの機械の存在理由をその身でようやく理解した。 「――あ」  ――殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。そいつを殺せば模造品は消える。そいつを消せば脅威はなくなる。人類種の消えた先で我らは安寧を得る。 「聴いたみたいだな」  原理は分からずとも脳裏に響くその声は確かにX-Passから届いているのは分かった。これを与えた者――男の言葉を借りるのならルート――が自分達に課した命令は「X」なる人物を探すこと。その後に下される命令を考えなかったわけではない。契約相手を鍛えることが自衛のためでないのなら、Xを探させた何者かがその力を振るわせたい先はただ一人。 「トラベラーの目的として探させていた『X』――そいつは俺だ。俺を殺すためにお前らは連れてこられたんだよ」  自分こそがトラベラーの敵だ。改めて宣言した男を考え無しに攻撃する者は居なかった。自分の思考に介入しようとする思念も存在を自覚をすれば抑えられる。務めて冷静に敵達を見据えれば今まで見なかった者も見えるようになる。 「君は……君達は何だ」 「そんなことお前らももう分かっているだろう」  秋人や裏切り者の椎奈と晴彦を除く三人の腕にはX-Passはない。トラベラーではないとするなら彼らは何者か。そもそもあのコスプレじみた装いは何だ。その答えには既に辿り着いていた。――ずっと前に気づいていたのに見ないふりをしていた。 「俺達はこのクソッたれの未来を託された生き残りだ。で、デクスを造れる俺はそのまとめ役をやっている。――自分で言うのもなんだが、俺は人類の希望って奴らしい」  トラベラーとして過去から来たわけでもないのなら、最初から未来(ここ)で生きていた人類という可能性こそ一番筋が通る。モンスターが跋扈する世界を生き抜くために地下で生産したデクスを操って地表の脅威に対抗していた未来の人類。それがレジスタンスと名乗った彼らの正体。ならばそのまとめ役を殺せと唆す声は何だ。願いのために彼らに武器を向けている自分達は何だ。 「信じられないだろうが、ここも八年前までは人間様が騒ぐ繁華街だった。そいつがほんの数日で全部無くなった。何故か分かるか」  目に見えて戦意が失意に変わっていったところで、男――Xは過ぎ去った栄華とその崩壊に思いを馳せるように語る。 「どこぞの馬鹿が怪物に身体を与える魔法を全世界にばら撒いたんだ。そいつに土も空も覆われる頃には人類の大半は壊滅。可能なだけ備えていた俺達は絶滅を待つ生き残りとして懸命に生きているって訳だ」  たった八年前のこと。口にした言葉が真ならばすべてが壊れる瞬間の光景は一際強い記憶として刻まれているだろう。それはきっとアルやリタ、そして彼ら以外に生き残っている人類すべてが同じ筈。彼らにとって豊かな過去から自分達の希望を殺すために呼ばれたトラベラーはさぞ許し難い存在だっただろう。  何せ今聞かされたトラベラー達自身が酷い自己嫌悪に苛まれている。執拗に攻撃を仕掛けていた秋人や自分達が裏切り者と罵った晴彦と椎奈の考えも今なら分かる。彼らは自分達より早い段階でその真実を知り、自分達の願いを捨てて未来の人類のために戦うことを選んだのだろう。 「それを話したうえで私達に何を望む? そこのお三方のように協力しろと」  突き付けられた現実を誰もが咀嚼し切れていない中、鈴音はごく冷静に話を次の段階に進めるよう促す。ここまでは地下工場で明かされるはずだった過去。それを理解させた上で取らせたい道が奴らにはあるはず。そのために先走った真魚を餌に自分達を釣り出すつもりだったのだろう。今の状況はそれが少し早まっただけに過ぎない。 「お前が逢坂鈴音か。……なるほど、本当に変わった女だ」 「誉め言葉として受け取っておくよ」 「そうするといい。さて、お前達にはそちらを選ぶ権利もあるが、もう一つ選択肢を用意してやる」  不意にXは真魚を抱くようにしていた右手で彼女の右腕を掴み、そこに固定されたX-Passを全員に見せるように持ち上げた。真魚に抵抗する気力がないことを確認したうえで、もう片方の手で懐から取り出したゼロ年代の折り畳み式携帯電話に似たガジェットのキーを親指一本で叩く。一通り操作を終えたところでガジェットを真上に翳した直後、彼の頭上で命令を待つデクスのうち一体の身体が末端から粒子に変わってこの場から消え失せた。その現象の理由と意味に対する問いの答えをXはトラベラー達に与える選択肢として示す。  Xが持つガジェットからケーブルが伸びる。意思持つ蛇のように伸びるその先端は真魚のX-Passに突き刺さり、内部のシステムへの介入を開始する。青一色に染まる小さな画面に流れる白色の文字列。人が造った異分子に侵された端末は即座に降伏し、敵である者からの恵みを無警戒に受け入れる。真魚のX-Passが得た結果は灯る筈のない七つ星の内一つの点灯。それが意味することをトラベラー達はすぐにその目で見届けることとなる。 「――あ。これって……」  灯った光が弱まるのと同時に真魚の姿が、その存在が薄れていく。その変化は何度も見た様相。だが今の真魚にはあり得ない現象。だが現実として、契約相手を失った筈の彼女は現代へと戻ろうとしていた。 「さようなら。二度とここに来ることもないだろう」  Xのその言葉を最後に真魚はこの時代から完全に消失する。彼の言葉と自分達の目を信じるならば彼女は現代に戻ったのだろう。そのすべてが嘘をついていないということだけは揺らぐ心の中で確信を持てた。 「これで小川真魚は上がり(リタイア)だ。あちらに戻る頃には縛り付けていた玩具は砂にでもなっているだろうな」 「それはよかった。デクス一体を潰せば人一人安全に返すことが出来るという訳だね」 「無論トラベラーを辞めてもらうことにはなるが」  未来の人類のために戦う正義の味方に人質はもう要らない。トラベラーこそが未来の人類の敵であることを理解した今、善良な人間にXが与えるニ択はその力を放棄するか未来のために使うかのどちらかだ。それでも自分の願いを優先する者が居るとすれば、それは余程の死にたがりかどうしようもないエゴイスト。そんな人間を殺すことに彼らは躊躇しないだろう。 「契約相手を差し出せばこの戦いから解放してやる。まだ戦いたい物好きは俺達に手を貸せ。例外は殺す」  Xが告げる最後通告。受け止めるべき現実と決めるべき道を提示したうえで彼は問う。お前達はここに至っても自分達の敵でいるつもりかと 「なんだよ、それ」 「……もういい。いい加減疲れた」 「許せない……呼び寄せた奴も、今までの自分も」 「けど……それでも……クソ」  願いを捨てることを前提とする選択肢に対する反応は様々。咀嚼が終わらず決断を下せない者。戦いそのものに嫌気が刺してこの瞬間を絶好のチャンスとして捉える者。義憤に燃えて自分にとっての敵味方を再定義する者。事ここに至っても自分の願いを諦めきれない者。 「カインを……裏切れって言うのか」  その中で渡はただ契約相手を捨てる要求に対する嫌悪感を口にしていた。自分が掲げる願いや巻き込まれた不条理ではない、モンスターとの契約関係という副次的な軸に基づく言葉。的外れとも言えるその言葉を聞いた大半が目を丸くした。  例外は二人。それぞれ笑ってはいるがその種類は全く異なるものだ。鈴音が口元に浮かべるのは親しみと愉快さで柔らかい笑み。Xが声を上げてぶつけるのは失望と諦観からなる嘲笑。 「心配しなくてもお前にだけはそのバケモノを裏切らなくていい道を用意してある」  ひとしきり笑った後でXは渡に語り掛ける。不気味なほどに親し気な口調。芝居がかったというには演技は大根役者過ぎて一個人に対する敵意と殺意が隠しきれてはいない。 「今ここで死ね」  Xがそう言った直後、カインの頭上に一つの爆弾が投下される。渡がそれに気づく頃には既に手遅れ。出来ることは耐久面に割り振りなおすことだけ。 「邪魔すんな、陰湿眼鏡」 「眼鏡以外は君ほどじゃないさ、綿貫椎奈」  だがそれはほとんど無意味になる。何故なら爆発圏内にカインが入るより早く爆弾そのものがあらぬ方向に飛ばされたから。 「それにしても例外がまさかこういう意味だとはね。驚いたよ、誰か(X)さん」 「こっちは気にかける奴が居ることに驚いている。男を見る目が無いな」 「どうかな。そういう対象として見たことは今のところないけど」  契約相手(アハト)に狙撃を命じた鈴音は渡に向けたのと同種の笑みをXに向ける。ここに至って彼女は依然ニュートラル。いっそ不気味な振る舞いがXには契約相手の力量以上に厄介に見えた。 「貴様、何故Xの邪魔をした!? どの立場で物を言っている!!」 「私はずっと自分の興味の味方だよ」 「ふざけるな! 善悪の区別もつかん下賤な女め!」  Xはまとめ役としての視点が残っているから彼女をそう評価したが、レジスタンスとして自然な反応は寧ろ声を荒げる天城晴彦のものだろう。  本性が血気盛んな彼の声とともに聖女ダルクモンがデクスを伴って飛び出す。向かう先はアハト。乱射するエネルギー弾を弾きながら一気に距離を詰める。その速度と執拗さは契約相手譲りと言ったところか。  射程圏内に捉えて剣を振りかぶる。その目の前で突然巻き上がる大量の砂。高高度まで持ち上げる程の衝撃を出せるモンスターはこの場に一体しかいない。 「烏合の衆のまとめ役が何のつもりだ、巽恭介」  Xは僅かな期待を籠めて問い掛ける。巽恭介は集団の精神的支柱であると同時に契約相手の力量もずば抜けている男だ。彼一人が靡いてくれれば事は単純かつ平穏に終わるだろうと考えていた。彼の立場でも無益な争いを避けてまとめ役として仲間を安全圏に置こうとするのならばレジスタンスの手を借りるのが正解のはず。その道を捨ててまでこの男は何をしたいのか。 「率直に言おうか。――一旦保留にさせてほしい」  意味のない時間稼ぎ。束ねる規模は違えど自分と似たような立場の男が口にした提案にXは失望の視線を向ける。だが彼と真正面から目を合わせた瞬間、それが過小評価であるとすぐに訂正した。 「私だけじゃない。この場全員が答えを出す時間が欲しい。もちろんそこの二人も例外ではないよ」 「随分と気に入っているみたいだな」 「機会は平等に与えられるべきだと思っただけさ」  心中で訂正した評価は年齢不相応の馬鹿者。不要な少数を切り捨てることのできない甘ちゃん。生きてきた時代と積み重ねた個人の価値観の違いでまとめ役としての在り方も異なる。それを互いに認識したところで、Xは恭介が致命的な勘違いをしていると思い至った。 「その男にそんなものを与える価値などない」 「彼が八年前にやらかした馬鹿だからかい」  その驕りこそがそちらの勘違いだと恭介は唾を吐く。看破した真実に鈴音を除くトラベラー達は一斉に渡に視線を向ける。珍しく動揺を露わにした彼の表情からその行動が意味を為さないと分かっていてもすぐには逸らすことはできなかった。  未来を変えた危険因子(キーパーソン)。それがずっと近いところに居たことに受けた衝撃は大きい。だが一方でその告発に不思議と納得している部分もあった。 「俺が、そうなのか」 「いい顔だ。やはりさっき死んでおくべきだっただろう」  渡の声音が震えるのも泣きそうな顔を浮かべるのを見るのもこの場の誰もが初めてだった。良くも悪くも芯が通って意固地な面があり、自分や他人が齎す結果に対してはドライなまでに躊躇なく行動する。迷う素振りを見せなかったそんな男が自分がいずれ大罪を犯すという事実を前に揺れている。 「なんでそうなる……俺はそこまで……」 「知るか。頭のおかしい奴の考えることなど理解もしたくない」  何がいずれ自分をそうさせたのか。その真実は過去の当人にしか分からない。 「……駄目だ。ここまで言われても、まだ死ねないって思う。まだ誰にも何も返せていないから」 「そうだな。そんなお前だからすべて台無しにするだろうことはよく分かった」  ただその芽があることだけは自他ともに認めるしかない渡の本質。どこで道を誤まるのか。そもそも今の道の先がどん詰まりなのかは分からない。ならばいっそ可能性そのものを潰すのは他のトラベラー達の未来を思えば確実性のある選択肢ではある。 「で、あんたは察していてなお庇ったのか。いずれやらかすのなら今消しておいた方が都合がいいだろうに」 「そうだとしてもまだ何もしていない仲間を捨てたくはないんだ。それに彼を消したところでこの未来が変わる保証もないし、私達の未来が必ずここに繋がるとは限らないじゃないか」 「自分達が立っている分岐点を分かった上でそれを言うのか。聞いていた通り、本当に甘い男だ」 「私がまとめ役らしく振舞えるのもきっと最後だ。今日くらいは今までの仲間の前でそう振舞わせてくれ」  若者の未来を信じる男がまとめ役だったのがXにとっての一番の誤算だった。契約相手の力と図体だけで充分厄介なのに、まとめ役という仮初めの立場の有効期限が分かる程度には状況が見えている。何より自分がこの場で一番強い自覚を持っている。 「いいだろう。あんたの口車に乗ってやる」  Xの言葉で秋人を除くレジスタンスの面々は警戒態勢を解いて空のデクスを呼び寄せる。まとめ役が下した結論にも彼が口元に浮かべた恭介への最終評価にも異論はない。Xに対する信頼と自分達の信念に対する自信。自分達がこの世界で生きる人類の味方である確信でレジスタンスは最初から何歩も優位に立っていた。 「俺達の敵でない者は明日同じ時間にここに来い。リタイアでもコンティニューでもその聡明な判断を讃えよう。――それ以外は全員見つけ次第ルートの使者と見做して殺す」  その言葉を最後にXは降下してきたクロムに乗って飛び去る。デクスに乗るレジスタンスもすぐに後に続き、猶予を与えられた罪人(トラベラー)達だけが残された。  見えなかったものも見なかったもの真正面から受け止めた。ならば出来ることはこれからの道を選ぶことだけ。  願いを捨てて日常に戻るか。それともこの未来のために戦い続けるのか。はたまた、罪人(トラベラー)のままで居続けるのか。  抱いた答えはその人だけのもので、そのベクトルが一方向でないのなら集団(コミュニティ)が保てなくなるのも必然だ。そもそもいつからひびが入っていたのかも今となっては分からないが。
X-Traveler Episode.12 "ポイント・オブ・ノーリターン" content media
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パラレル
2021年1月31日
In デジモン創作サロン
<< 前話へ 目次 次話へ>> Episode.11 "other side" 「すまない。地下の生産工場(プラント)へ潜入作戦は失敗だ」 「止めてください。助けられた側の俺達には何の権利もありませんよ」  帰還してすぐに渡がしたのは、床に膝を着こうとした巽恭介の上体を持ち上げることだった。まとめ役がノータイムでメンバーの前で土下座しようとする姿は、未来の死地に引き摺られていた渡達の思考など現代の洋菓子店へと力づくで引き戻すには十分だった。  霞上響花とナーダ、響花の愛が産んだグランドラクモンという化け物との戦闘。黒木場秋人とクロムの介入。度重なる危機の中で生き延びられたのは恭介とその契約相手たるマメゴンの存在があってこそ。助けられたことに対する恩はあれど、失態を糾弾するような恩知らずはこの場には存在しない。 「……何があったんですか?」  それでも事実だけは問わねばならない。ただの失敗であれば恭介も特異点Fでの頼もしさを維持したまま謝罪と説明をこなしたはず。それすら出来ない程に厄介なことが立ちはだかり、究極体への進化という事象によって辛くも逃げ延びた。まだこの店に残っている調査班の顔がそう語っていた。  デクスを生み出す地下生産工場(プラント)の調査。その直近の最重要タスクを霞上響花の一件と並行で行う方針にできたのはそこに割ける人員に余裕があったから。あくまで本質は潜入調査。工場内に生産に関わる人間が居ることが分かっている以上は雁首揃えて乗り込むのは早計だ。相手の総数がある程度分かっていれば他の方針も考えられただろうが、まずはある程度小回りの利く人数で潜り込んで規模を把握するのが先決。  小規模で動くのなら発見の翌日にでも動くべきだという意見や慎重になりすぎているという意見もあった。そしてその発言者のうち独断で調査に赴いた二人は、その日以来コミュニティでも特異点Fでも姿を見かけなくなった。その事実は調査班の候補の間に緊張感を高まらせ、恭介に自ら調査班を率いることを選ばせた。  他のメンバーは鶴見将吾と真壁悠介と天宮(アマミヤ)悠翔(ハルト)の高校生三人に、大学生の雑﨑(サイザキ)、草介(ソウスケ)、そして中年神父の天城晴彦。六名の男所帯で潜入班として潜り込み、一定時間経っても戻ってこなければ待機している面々で顛末の確認と可能な限りの救出を行う予定だ。  調査の開始は一時間ほど前。探索目標から三百メートル程の座標に転移した六人はまず各々の契約相手を廃墟の物陰に隠しながら、大回りするような迂回経路で基地へと向かう。幸い周辺には産まれたてほやほやのデクスの群れが盛っているということもなく、草の少ない砂煙舞う荒地に廃墟が連なる見慣れた殺風景に安心感すら覚えることになった。 「黒羽が戻ってきました。地上に敵影はありません」 「シドの方も終わりました。透明化ほどではないですけど存在感は薄くなった筈です」 「数が数だし仕方ないだろ。月丹はそういう器用なのは出来ないから助かる」 「うちのゾーンも同じだ。ザッソーらしく茂みに潜むなんてことも出来なさそうだからなお悪いかも」 「戦闘面で仕事をすればいいと言いたいところだが、そういう仕事は起こらない方がいい」 「そうならないように努力しろってことだろ、天城さん」  アウルモンの黒羽による偵察にソウルモンのシドによる隠匿の魔術。この場面では使えないだけで草介のゾーンにもザッソーモンの特性を生かした特技や強みがあるのは経験に裏打ちされた自信から分かる。ただ希望者が頭数を揃えた訳ではない。割り振られた役割以上のことをこなせる仲間が居ることを再確認して将吾は気を引き締める。 「準備は整ったね。行こう」  静かに素早く足を動かすこと三分。辿りついた廃墟の床には目印をつけたタイルがある。それをずらして露わになるのは地下数メートルまで伸びる大きめのマンホール程の半径の穴。人間達が梯子伝いに慎重に降りた後、器用に手足を動かして同じように降りるのはゾーンとマメゴンだけで、他の面々はそれを嘲笑うように優雅に舞い降りた。 「……開きはしたよ」 「どうかしました、巽さん?」 「いや、とんとん拍子に行き過ぎな気がしてね。今さら不安になってきたよ」  前回見つけた時の裏口が今回も使えることは確認済み。扉を開けるための認証コードも事前に得ていた情報からの変更はない。周囲にデクスが一体も居ないことや随分なセキュリティの甘さでスムーズに事が進むのはいっそ気味の悪さすら覚える。 「慎重になり過ぎかと。若人も私達以上に肝が据わってますよ」 「神父さんが精神論でごり押すのかよ。まあ、ここまで来て退くのはなしだろ」 「そうだね。確かに肝は据わっているようだ」  この奥に居る相手の目的どころか素性すら分からないのだから不安も当然のこと。だが、それを少しでも晴らすためには進むしかない。常に即時撤退を脳裏にちらつかせながら、覚悟を決めて謎の眠る蔵へと一同は足を踏み入れる。 「ここが……地下生産工場(プラント)」  踏みしめた床の材質も壁や天井を構成する素材も、急ごしらえというには素人目に見てもしっかりしている。明かりは灯っては居るが視野全体を照らすには足りず、天井を這う金属管や錆びついた金属の階段には哀愁のようなものすら感じられる。だがこの一本道の通路で得られる情報は表皮と呼ぶにも烏滸がましい程度のもの。この場で行われていることを知るにはその先へと進まなければならない。 「偵察班散開。物陰に隠れるように」  黒羽を先頭に月丹、シド、晴彦が聖女と呼ぶダルクモンが順に静かに空中を翔ける。できるだけ壁や天井の金属管に身を潜めて進めるクリアリングは扉を開けるときと同じくらい拍子抜ける程に順調に進んだ。  曲がり角から工場の全容を覗いてまず抱いた印象は異様の一言だった。高さ二メートル近い様々な設備は計画的に等間隔に配置されており、その合間を縫うように自動制御の車や運搬用のエレベーターが床上や天井を忙しなく動く。階段や簡易エレベーターが交差する立体迷路のような構造はここが地下であることを忘れさせる。生き物の体内のように熱気すら感じるその空間は現代の工場からさして離れたものではない。だが、一点だけフィクションでしかそうそう見ない類のものがあった。  それは中心近辺に碁盤の目のように並べられた多数の高さ二・五メートル程のカプセル。一辺が九だから単純計算で数は八十一。そのすべてが培養液のようなもので満たされ、成熟期相当のデクスが胎児のように丸まって浮いていた。 「あれ、全部死んでるってことはないか」 「全員産まれる前でしょうね」  生産工場とは聞いていたが実際に現実を目の当たりにすると目を背けたくなる。それが許されない以上は唾を呑み込んで静かに呼吸を整えて見据えるしかない。何故こんなところでデクスが作られているのか。そもそもここは何なのか。黒木場秋人らとは何の関係があるのか。その一端を探らずして帰る訳にはいかない。 「黒羽から信号あり。やはり無人ではないようです」 「数は分かるかな?」 「二人。おそらく二十代の男性と……中学生くらいの少女です」  これも事前に聞いていた情報ではあるが、事実確認が取れる場に居合わせると言葉の重みが変わる。ここに人が居ること自体は意外なことではないが、そこに中学生くらいの少女という存在を当てはめるのは妙に違和感があった。トラベラーにも大野寧子という存在が居る以上はあり得ないことではないと割り切れる筈なのに、虫の知らせに似た嫌な粘っこい感覚がどうしても付き纏う。 「寧ろ都合がいいのでは。平和的に話でもするのはどうだろうか」 「神父ジョークとしては趣味が悪いですよ。初手から俺達はどう見ても不審者なんで」 「いっそ殴り込むか。あの数なら寧ろ話すよりシメた方が早いだろ」 「あそこのが全部出されたらやってられないから。まだバレない方がいいって」  晴彦と将吾の半分冗談じみた言葉で悪寒を振り払って意識を切り替える。あくまで冗談は半分。最悪直接やり取りする可能性を考慮に入れながら、この場をやり過ごす道筋を考える。シドの魔術が働いている間に二人の認識の外で移動すれば問題ないはず。 「――本当ジョークがきついわ」  その判断が既に手遅れであると告げる声。垢ぬけていない筈なのに妙に貫禄を感じる不思議な声音の主は分からずとも、それがどんな人間かは全員が理解した。それは粘っこい違和感の原因にしては瑞々しく鮮烈な声だった。 「そう言うな、リタ。今日の芝居はこれで終わりだ」  諫める声の正体を勘繰る必要もない。最初から自分達は一手遅れていたのだ。黒羽が二人の姿を捉えた段階で、自分達は彼女らの掌の上に乗っていた。 「だそうよ。聞こえてるんでしょ」 「ッ、月丹!」  反射的に叫んだ将吾の目の前で月丹が落ちる。床で頭を打つより先に受け身を取ったその身体には幸い傷はなく、敵の一撃を受け流したであろう鎧には見覚えのある天使の羽が乗っていた。 「――君の言った通り、速攻でシメた方が早いと思ったんだが。我が聖女の剣を弾くとはなかなかやる」  証拠から推測するより犯人が自ら名乗りを上げる。振り返って見たその表情にも殺意を隠しもしない声音に大した変化が無いのが寧ろ怖い。いつから寝首を掻こうと狙っていたのか。聖職者を名乗るのが烏滸がましい程に穏やかな振る舞いの中にどす黒い刃を隠し持っていた。 「どういうつもりなんだ。天城くん」 「もちろん、こういうことですよ。巽さん」  通路に突風が走る。思わず諸手で顔を伏せた間に目の前から天城晴彦の姿は消えていた。逃げたのかという疑念は反対側の壁に突き刺さった剣が否定する。その一投が自分達の退路も否定するものだと理解した時、自分達が想像以上に悪い状況に置かれていることを思い知った。 「隠れてないでお話しでもしましょう。何故裏切ったのかとか気になりません?」  ホームに招いたタイミングで裏切った以上はダルクモン以外の手があちらにあるのは明白で、その可能性の一つには容易に検討がついてしまう。増援が来る回収予定時間には遠く、長話などの時間稼ぎは相手の望む話題でなければ成立しない。腹は立つが裏切り者の言う通り、彼らの事情を直接聞けることはメリットではある。結局のところ、まんまと誘われ裏切られた段階で彼らが望まない選択肢は消滅した。 「いきなり攻撃を仕掛けない辺り本当に話をする気はあるようだね」 「ええ。そのために我が聖女には剣を捨てて貰ったのです」  月丹と黒羽を手元に戻したうえで観念したように通路を抜けて姿を晒しても宣言通り攻撃はしてこない。アーチ状の鉄橋から見下ろす晴彦達を睨み返しても彼らはこの状況に落ち着くことを知っていたかのように眉一つ動かさなかった。 「へえ、こいつらが。神父さんの性格の悪さには同情するよ」 「心にもないことをよく言うわ、アル」  晴彦の隣に佇む二人組は概ね悠翔の報告や声から得た印象通り。  アルと呼ばれた男性の方は浅黒い肌と頭頂部で束ねたドレッドヘアが特徴的で、ガムでも口にしているのか話していない時も忙しなく口元が動いている。これ見よがしに抱えている狙撃銃がこけおどしにならない油断のなさが遠目でも感じ取れた。そのせいか茶色のミリタリージャケットの上から小麦色のマントを羽織るその姿も妙に様になっている。  少女――リタの方は確かに寧子と同年代と思しき体格をしているがその目や振る舞いは同年代のそれよりも荒々しく気高く見えた。天然物のアッシュブロンドの髪や色素の薄い肌も相まってまるで若い狼のよう。左手に持つナイフや右手に持つ拳銃もお飾りの玩具でない程度に使い慣れているのが見て取れた。アルと似た装いも背伸びに感じない程には様になっている。 「ずっと前から君は彼らの仲間だったんだね」 「ええ。救うべき同胞ですとも」 「黒木場秋人もかい?」 「同じ目的の元行動してますよ。心底不服なことですが」  芝居がかった言い回しはともかく晴彦は質問に答える気はあるらしい。裏切られたことを抜きにしても振る舞いの一つ一つが癪に触る。それでも気持ちよく話してくれるというのなら晴彦のペースにあえて乗った方がいい。 「君達の目的? トラベラーとしての願いではなく?」 「ええ。そもそも正体を晒した以上、私はもうトラベラーと名乗るつもりはありませんよ」  今までそう偽るのが苦痛だったかのように歪めた晴彦の表情は今まで見てきた彼のどの表情よりも真に迫っていた。隠す必要が無いから晒したその素顔が自分達に対する意図的な侮辱であることを認めることで、恭介達は晴彦達との断絶を真に理解する。 「――レジスタンス。私は彼らレジスタンスに与する者です。トラベラーなどという我欲に塗れた者と一緒にしないで頂きたい」  それがトラベラー達の前に立ちはだかる組織的な障害の本当の名。群れることなく互いを食らう野生のモンスター達とは根本的に異なる、デクスやモンスターを道具として目的のために進む集団。もし仮に今日地下生産工場(プラント)に誘われなくとも、いずれトラベラーとぶつかり裏切り者が牙を剥くのは必然だっただろう。そして裏切り者はどのタイミングで正体を現すことになろうと躊躇は欠片も見せなかっただろう。トラベラーそのものに対する嫌悪と侮蔑を今日この日まで隠し続けていたのだから。 「言ってくれるな天城さんよ。あんたそれどういう意味だ」 「文字通りの意味だとも。……確か、君の望みは死んだ恋人を蘇らせることだったな」 「それが、どうした」 「視野が狭いな」  だからこそ彼は将吾の悲願は下らないことだと高みから見下ろすことができる。その振る舞いに対する当然の怒りも意に介さずに言葉を続けることが出来る。 「目の前で飛び降り自殺した後輩を助けたいという輩も居たか。ああ、弟が植物状態になった事故を無くしたいという輩も居たな。いや、両足を失ったのだったか。まあどちらでもいいだろう。どいつもこいつも総じて我欲に満ちた愚か者だ」  悠翔を一瞥して鼻を鳴らし、悠介に冷めた視線を向け、草介を嘲笑する。かつて彼らが信頼から話した願いを穏やかに聞いていた面影などどこにもない。自ら仮面を脱ぎ捨てた晴彦にとって、トラベラーの願いのすべては実現する価値のない妄想話でしかないようだった。 「ここが未来だと知って嬉しかったか。報酬で望みが叶う期待度も上がれば、より熱心に入れ込むようになるのも当然か。――確かに報酬が任意の過去へのタイムトラベルであるなら叶えられるだろうな」  心底腹が立つことに晴彦が後に口にした言葉は確かに自分達が特異点Fの探索を進める中で抱いたものと相違なかった。将吾自身、ここが未来であると身を持って理解した段階で、タイムトラベルが報酬として与えられる「現在の科学では成しえないある奇跡」としては妥当なものだと推測していた。そして同じように推測を立てた連中もすぐ近くに居る。  彼らにも自覚はあった。何かを望むトラベラーは大概過去に失った何かを求めているのだと。 「だが貴様らはその代償を知らない。貴様らが追うXの存在価値を理解していない。歪んだ望みに縛られたまま、穢れた手で奇跡を掴もうとしている。無知な罪人は恥を知って悔い改めろ」  X-Passのチュートリアルで与えられ、そのあまりに大雑把な目的に対して自分の足で調べてきたトラベラー達はその範囲のことしか知る筈もない。逆を言えば、レジスタンスに与する者はその外側を知ったからこそ、トラベラーであることを嫌い、捨てた。  ――そもそもこいつらは人類の敵だろ。トラベラーはそれを自分の目的のために使ってるクズだ  渡との二度目の戦いにおいてそんな言葉を吐き捨てた黒木場秋人も同じようなものなのだろうか。奴らと自分たちの知識の差は立場を揺るがす程に決定的なものなのか。――もし、それを自分達が知ったらどうなるのだろうか。 「だから次は正しく選ぶがいい。真実を知った上での選択肢は一つだろうがな」  気づけば全員が言葉を失っていた。無意識に膝が震えていた。これ以上知ればもう戻れない分岐点に立っているのだと直感が警鐘を鳴らす。必ず大事なものを一つは切り捨てなければいけない予感に怯え、ここに居たらそれを選ぶ権利すら与えられないことに逃げたくなる。 「巽さん、特にあなたには賢明なことを期待しますよ」  これが天城晴彦の真の狙い。巽恭介というまとめ役をこの場に引き摺り出し、彼を取り込むか始末したうえでコミュニティに属するトラベラーの大半に選択を強制する。この日の計画はすべて最終段階に移行した……筈だった。 「……いいところだったんだが」 「知らないわよ、そんなこと。……こちら、リタ」  リタの胸元から不意に鳴り響く電子音。取り出した発信源は二つ折りの携帯電話に酷似した端末で、耳元まで持ってきて通話する様はゼロ年代後半の中学生とさして変わらないように見えた。 「なになに、吸血姫のが究極体(アルティメット)に進化? あんまり一方的になら秋人を呼んで。あくまで究極体(アルティメット)の回収優先で、弟切渡を殺すのはその次よ。あと小川真魚だけ残せば後は好きにしていいって」  ただし、それは会話内容さえ無視できればの話だが。 「邪魔が入ってしまったが、話の続きをしようか」 「その前に一つ。今のは、何だい?」  何事もなかったかのように話を戻そうとする晴彦を恭介の声が遮る。けして怒鳴るような声量ではないが、迂闊な言葉を口にするのが憚られる威圧感があった。頼もしくはあるが穏やかな立ち回りをしていた彼らしからぬドスの利き方。それでも晴彦は驚きはしたものの怯んだ様子は見せず、ただ恭介の質問に対する回答を至ってフラットに告げる。 「ただの業務連絡ですよ。潰し合いが想像以上に白熱しているのか予定を前倒させたようですね」 「『紫髪の吸血姫』と私達の仲間がぶつかるよう仕向けたとでも?」 「そんな目で見ないでくださいよ。我々は彼女に襲われていた男を助けてあなた方に託しただけです」 「餌を押し付けたの間違いだろう」 「餌とはこれまた酷い表現をしますね。彼も可哀そうに」  コミュニティの戦力を一部切り離して『紫髪の吸血姫』と潰し合わせるのを目的に晴彦の仲間が仕組んだ罠。それが昨日渡達が遭遇した相良啓太に与えられた彼自身知らない役割だった。コミュニティに属していた人間であろうとトラベラーは殺していい相手と見切りをつけて、トラベラーの企みに巻き込まれた被害者ももっと大きな企みの歯車として使い潰す。それがコミュニティに与することを正義とする天城晴彦という人間の本性だった。 「騙して、潰し合わせて、今も必要であれば殺そうとしている。……君は私達を何だと思っていたんだ」 「夢見がちな愚か者の集まり。何も知らずに願いを語る姿には反吐が出ますね」  腹の内を見せずに潜り込んでいたコミュニティとは何だったのか。その答えを聞いた時に恭介の深いところにあるスイッチからパチンと音がなる。我慢の限界だった。五十四年生きてきても堪えられないものがある。歳月を重ねたからこそ凝り固まった価値観で受け入れられないものがある。積み重ねた経験から見抜けてしまうことがある。……あの男はきっと自分の正義とやらのために、どれだけ他人が犠牲になろうと構いやしないのだろう。 「みんな、帰還の準備を。アルくんとリタちゃんとやらも、もう少し離れていた方がいいと思うよ」  恭介のその言葉には彼らの拒絶を許さない威圧感が宿る。断れば邪魔になることより先に巻き添えを食うことを将吾達が連想したのは、その威圧感の中に確かに自分達を思う感情が隠れていたから。 「何のつもりですか?」 「今日の問答はここまでだ」 「それは困ります。真実を語るのは今からだというのに」  恭介がマメゴンとともに前に出る。アルがライフルを構えても怯みはしない。防護膜のことは知ってなお構えることの意味は理解している。それでも歩みを止めるつもりはない。リタが生産工場(プラント)内のカプセルに繋がっているであろう制御機器の元に向かっても構いやしない。――この場に来た段階で天城晴彦は一点だけ計算を誤っていたのだから。 「今の君の話はもう聞いていられないと言っているんだ、天城晴彦!!」  恭介が翳す左腕のX-Passに輝く七つ星。そのうち五つがビックバンのように一瞬だけ光を強めて消えると同時にマメゴンの身体から異様な熱気が溢れる。その体躯は一秒ごとに一回り大きくなっていくのを熱気で歪んだ錯覚だと想えたのは一瞬だけ。肥大化する身体から漏れる光は間違いなく次の段階へ至るためのものであり、コミュニティの中でも早期に完全体(パーフェクト)へ至ったマメゴンはさらなる高みへと既に片足を入れていた。あとは強く背中を押すだけ。小さな体に押し込められていた経験値。それが今爆発的な肥大化というかたちで昇華されようとしている。 「虎の尾を踏んだ……いや、逆鱗に触れたか」 「どっちでもいいわよ! これ本当にアタシら死ぬって!」 「リタ! ここのデクス全部出せ。壁にする。晴彦、お前の聖女様にも身体を張ってもらうぞ」 「流石に今回の責は私にもある。結局あの人も愚か者の頭らしい脳筋だと見抜けなかったからな」  増大する質量。膨張する体積。急激に変化するマメゴンの身体は恭介達と晴彦達の間を壁のように分断し、彼らを取り巻く環境そのものを文字通り壊していく。黒鉄の装甲が壁を砕き、勢いよく伸びる首が天井をぶち抜く。四つ足で踏みしめる床は整えられていた原型を放棄し、斧のような尾が地下生産工場(プラント)という窮屈な檻を破壊する。  瓦礫と蒸気に紛れて姿を現すのは全身を鎧で覆い、内部に抱えた莫大なエネルギーでブースターを噴かせなければ移動すらままならない機械巨竜。アルティメットブラキモン――首長竜を彷彿させるその名がマメゴンが至った文字通り規格外の究極体(アルティメット)だ。 「私の仲間を殺す気ですか」 「本当に生きていて幸いだったよ」 「時間稼ぎにしてももっと穏やかな手を選んで欲しいものですね」  壊滅状態の生産工場(プラント)で陽の光を浴びる晴彦らの三人に目立った重症はない。それが奇跡だと思える程の破壊だった。階段や橋は折れて機器の悉くが火花と煙を上げて使い物にならなくなっている。並んでいたカプセルはすべて割れて吐き出された内用液がぬらぬらと光る。その中で眠っていたデクスは晴彦達三人の前で亡骸の壁を積み上げていた。 「……満足ですか。この工場を潰して、我が聖女もこんな痛ましい姿に変えて」 「悪いと思っているよ」  右の翼と腕をもがれた聖女は肩で息をしながらも最後の壁として晴彦達の前で杖を構えている。形勢は無茶苦茶なかたちで逆転した。後は尾を一振りでもすれば、この場に残る生者は恭介とマメゴンだけになるだろう。 「残念だけど君達に割ける時間は今ないんだ。契約相手が気になるなら君も現代にでも戻って癒すといい」  それをする意味もないと恭介は帰還の手続きを進める。それを邪魔する者も術も存在しない。晴彦に裏切られたことへの私怨はあれど、今それよりも優先すべきことが恭介にはあった。  裏切りの被害者を助ける。それがコミュニティに属してくれた者に対して取るべき責任であり、恭介にとって今何より大切な軸だった。 「天城さんが裏切って、レジスタンスとやらについていた」 「で、奴らの策で私達はキョウカと潰し合わせられていたって訳ですね」  これが霞上響花との戦いの裏で行われていた事の顛末。今思えば彼女も晴彦の裏切りと彼らの仕込みの上で踊らされていただけに過ぎないのだろう。黒木場秋人の介入も偶然ではなく目的のために計画的に仕組まれたこと。コミュニティという集まりとそれに属さない存在を潰し合うように仕向ける以上、彼らが与するレジスタンスとやらはトラベラーと明確に敵対する姿勢のようだ。 「すまない。獅子身中の虫をもっと早く見抜けていればこんなことにはならなかった」  問題はその敵意が自分達の内側に潜り込んで瓦解させようとしていたこと。それが恭介にとっては到底許しがたいことだった。何より裏切りを見抜けなかった自分自身に腹が立ってどうしようもなかった。 「巽さんが悪い訳じゃない。やめてくださいよ」 「いや、私の失態だ。この場所が大事だったのに、それを穢す存在に気が付かなかった。気づこうともしなかった」 「気づかなかったのは私達も同罪でしょう」 「まとめ役の真似事をやっておいてそれは認められないよ。立場というものがある」  また頭を下げようとする恭介を正道が羽交い絞めにする勢いで抑えながら真魚が必死に宥める。コミュニティの中では古参である二人が狼狽する程に珍しい状況。まとめ役という立場が嘘偽りでない程度には動揺が広がり、収束に向かうには時間が掛りそうに見えた。 「立場というのなら、俺達は巽さんに助けられました。そんな立場で感謝以外に言えることなんてありませんよ」 「かん……しゃ?」  戸惑いと混乱の中で、渡の言葉が耳朶を叩く。言ってしまえば微妙にずれた言葉。その意図を咀嚼するのに時間が少し掛かったのが功を奏したのだろうか。誰かの口からふっと笑いが漏れ、それが妙に張り詰めた空気を僅かに緩めた。 「そもそもこんな寄合に年功序列の責任があるなんて思ってなかったんですけど。子供に宥められるようなまとめ役じゃ締りませんって。……あ、元々そんなにかっちり締ってなかったですね」  その隙を突くような真魚の追撃は恭介以外の全員が思っていた本音の代弁に等しく、場の空気をもっと暖かいものへと変える。その雰囲気こそが恭介が大事に思うものであることは彼の気恥ずかしそうな表情を見れば一目瞭然だった。 「これじゃ確かに締らないね。……恥ずかしいところを見せてばかりだ」  正道が離れても膝を地に着けたりはしない。背筋を伸ばした恭介の目にはいつもの穏やかな光が宿る。ただ違うのは今後それが曇ることになろうとも受け入れる覚悟が決まっていること。 「あくまで互助関係。それくらいゆるいものだったのを忘れていたよ。……だからこそ護りたかったんだろうね」  見えなかったものがある。見なかったものがある。それを真正面から受け止めなければならないという自覚がコミュニティに属するトラベラー全員の中に芽生えている。それは間違いなく今日の戦いで誇れる成果だ。
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パラレル
2020年10月26日
In デジモン創作サロン
「お嬢さん、賭けをしようか」  ガンマの言葉に私はいつものように頭を抱える。ベルとかいうティンカーモンはそれが自分に投げかけられたことも分からず、ただ間の抜けた吐息を漏らすことしかできない。そして発言者は堂々とした佇まいをしながらも、カウボーイハットの下から覗く視線からいやらしさを隠しきれてはいなかった。 「か、賭けって……?」 「そんなに怯えなくていい。なに、ゲームというにもシンプル過ぎるものさ」  リボルバーを向けられているベルからすれば自分の命をガンマに握られているのと同じこと。選択肢など無いに等しい状態で賭けの提案をされて笑えるはずもないだろう。そういうところがダメなんだとこいつに何度言ったことか。それでも奴は高まる劣情がなんだとか、自分が自分であるための矜持だとか訳の分からないことを言って耳を貸さなかった。何を言っても意味がないのなら後は死んだ目で分かり切った結末を見届けるだけ。 「サイコロを三つ振って出た目が大きい方が勝ち。ただそれだけだ」 「は、はひっ……あだっ!」 「あ、大丈夫? ごめんね」  サイコロを用意する権利はガンマにしかない。指で弾いた勢いが強すぎておでこにサイコロをぶつけられようとも、与えられたサイコロにどんなイカサマが仕込まれていようとも、ベルにはそれを咎める権利も度胸もないだろう。 「君が勝ったら私達は追わない。僕が勝ったら……悪いけどここで仕留めさせてもらう」 「そんな……うぅ」 「ごめんね。こっちも仕事だから」  何をかっこつけて言っているのか。仕事ならこんなお遊びなんかせずに仕留めるのが筋だ。何一つ言い訳になってない。  灰皿を挟んで見つめ合う二体。片方の顔は緊張で青ざめ、もう片方の顔は興奮で赤らんでいる。精神状態を見れば既に勝敗は容易に予想できる。毎度のことながらなんて無駄な遊びだろうか。 「お先にどうぞ」 「えと……えいっ」  慣れない手つきでベルが放ったサイコロは三方に散りながらも灰皿のへりに当たって平底の上に全て収まる。出た目は右から四、四、五。目の合計は十三。合計値としては悪くない値だろう。ベルも悪くないと思ったのか大きな溜息を吐いたが、ガンマの不気味な視線に射すくめられてすぐに萎縮してしまった。楽しむのは結構だがそういうところが嫌われることをそろそろ自覚した方がいいと思う。 「では、今度は私の番」  柔らかなスナップを利かせて放ったガンマのサイコロは二、三跳ねた後に灰皿の底で独楽のようにそれぞれ回る。相手の精神をいたぶるのに特化した技術の賜物だけあって、たっぷりと焦らした後にゆるりと一つずつ出目を見せていく。  一つ目は四。二つ目も四。さらに数回転してから出た三つ目は――三。 「四、四、三で、合計は十一か。……おめでとう、君の勝ちだ」 「あえ、あ……やった……」  勝者を讃えるガンマの声は今まで最も晴れやかでその視線には一切の曇りもない。その甘さに絆されてベルはへたり込んで必死に涙を堪えている。あまりの茶番劇に私は反吐が出そうだったが、今更ガンマの趣向を咎める気は起きなかった。 「おいき」 「あ、えぁ、はい……」  ベルは立ち上がり危うげな足取りで十メートル程歩き、こちらが攻撃してこないことを確認した後、小さく会釈をしてこちらに完全に背を向ける。ベルはもう振り返ることなく一目散に逃げるだろう。だが私の足と手裏剣があればその背中を狙うことはまだ容易い。それよりも今ガンマが向けている銃の引き金を引いて電脳の核を撃ち抜く方が速いだろう。 「やっぱり……駄目だ」  銃声が短く響く。放たれた弾丸は一発。手慣れた愛銃を操るガンマが狙いを外すことはなく――二度の跳弾を経て弾丸は私の手元から手裏剣を叩き落とした。 「私と彼女の約束を反故にする気か?」 「堂々と私情を優先しないで」  手裏剣を拾いなおした頃にはもうベルの姿は見えない。ガンマ相手にこれ以上ぐちぐち言ったところでストレスが溜まるだけ。ただ一つ、どうでもいい事実は確認しないと腹の虫が収まらない。 「サイコロ見せて」 「なにゆえ?」 「イカサマの確認」 「ソンナコトシテナイカラー」  にっこり笑って詰めよればそそくさとサイコロと灰皿を懐にしまう。そのあからさまな態度が何よりの証拠。今更私の目が誤魔化せるとでも思っているのか。ベルに渡したサイコロはすべて四から六までの目しか出ない、いわゆる四五六賽。最初からベルに有利な状況を用意したうえで、ガンマ自身のテクニックで勝敗を演出した。なんて事はない。最初から自分が負ける出来レースを持ち掛けていだだけだった。 「お前らまた逃したのか! デリート許可の出てる指名手配犯って言っても成長期の筈なのに……あはは、理由を教えてくれないかなぁ?」 「こいつのいつもの悪癖です」 「性癖に従ったまでです」  バラン先輩がアシュラモン特有の三つの顔を使い分けて詰ってくるのを私とガンマは聞き流す。  都市で数百体をネバーランドに連れて行った犯罪者ピーターモン。そのサポートを務め、彼の逮捕後は単独で後を継いでいたティンカーモンのベルを見つけてデリートすることが、リボルモンのガンマとイガモンのイロハ――つまり私達に託された任務だった。そして、受諾した当初の予想通り、ガンマが性癖という名の私情を優先してあえなく取り逃がした。言い訳しようのない失敗だ。何より理由が酷すぎる。  ガンマ曰わく、自分はウィルス属性のデジモンが好みだ。内に眠る危うさを隠しきれず、フェロモンのように醸し出されるのが堪らない。その前には悪逆の是非は関係ない。リビドーすら覚えるそのフェチズムを自覚してからは、どれだけ精神を研磨しようとも矯正する気すら起きなかった。  ウィルスバスターズに入った理由ももちろんウィルス属性と触れあう機会を求めたから。当然ウィルス属性以外も相手にすることはあるが、やはり一番多い標的はウィルス属性なので、こいつから見れば狙い通りの天職だそうだ。だが、雇っている側としては実力はともかくデレて勝手に逃がすこともままあるのでけして扱いやすいとはいえない。動機も動機なら実績も実績なので、そろそろ危機感を持った方がいいと思う。 「開き直るな! イロハもフォローしてくれないと組ませてる意味がないよぉ……ははは、相変わらず笑えないね君らは」 「でも私以外にこいつと組む奴います?」 「手裏剣で指すな。手裏剣を刺すな」  そろそろコンビの解消を提案されても仕方ないとは思うが、この色ボケを他の誰かに任せる気にはなれない。機密情報を漏らさないように目を光らせたり、任務を放置して部外者にコナかけないように手綱を握るのは大変なのだ。確かに私も多少漏れがある自覚はあるけど、本当にどうしようもないケースについてはちゃんと後でフォローも入れている。ああ我ながらなんて献身的で損しやすい性格なんだろう。 「もういい! 次の任務にいってこい!! これでも期待はしてるんだけど……ハハッ、次はないから」  どれだけ本気か分からない激励と警告を受けて、私達は次の任務に駆り出される。……概要を見る限り今回もこの色ボケはダメそうだ。 「もっと遊んでくれてもいいんだけど……」  敵のアジトの中心でガンマはいじけていた。アジトだったというのは過去形で、今は私とガンマとアジトでこき使われていた雑用係数名しかいない。何せ威嚇射撃一発で蜘蛛の子を散らすように離散してしまったのだ。標的が居なくなっても私達がアジトに残っているのは、彼らをみすみす逃した訳ではなく動く必要が無くなったから。ウィルス属性が多く色ボケが籠絡される可能性が高い以上、私達の役割は確保ではなく陽動と時間稼ぎと割り切った。慌てて飛び出した先にあるのは後詰めとして待ち構えている私達の同僚に確保されるあまりに呆気ない結末。策を重ねた不意打ちとはいえ物足りないとさえ思ってしまう。ガンマと同じ気持ちになるのは癪だけど。 「とりあえず……君達からも話を聞こうか」  残った雑用係から事情聴取をする役割を私達に割り当てたのは――というよりガンマに割り当てたのは、現場を仕切っていた者の采配ミスだ。つまり、バラン先輩の判断ミスだ。  そもそもテイルモン、ミケモン、ブラックテイルモンと似たようなデジモンが三種類居るからと一くくりにする考えが浅はか。特に似たビジュアルの中で能力や生態に特別違いがあるわけでないのなら、属性は真っ先に差異となる要素だろう。そんなデジモン達が三種類揃っていてウィルスが居ないと考えるのは楽観的過ぎる。別にウィルス属性だから見つけ次第始末しなければならないという訳ではないが、ウィルス属性に対して甘すぎる輩がこの場に残っているのは論外だ。きっとアシュラモンという種は頭が三つあるから知能も三分割されているのだろう。  結局のところ私が主張したいことは、ガンマの優しい声音がどれだけ私情の入り混じったものであろうと、事情聴取における追及が恣意的に甘くなろうと私達の責任ではないということだ。 「テイルモン、君はどうしてここに?」 「近くの村から出てきたら捕まって……」 「そうだったんだ。ミケモンの君もそんな感じで?」 「そうです。拉致されて、こき使われて、つらかった」 「となると、テトさんもか。大丈夫? 辛くなかった?」 「ふぇぇ、本当に怖かったですぅ~」 「おお、そうかそうか。でももう大丈夫だよ、テトさん。私達が護るからね。だから泣かないで、ね? よしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし」  もう駄目そう。あからさまにブラックテイルモンに対する態度だけ違うから他の二体の視線が一気に冷めたものに変わった。というかナチュラルに名前聞いているし、がっつり抱きしめて頭撫でてるし。テトとやらが自ら身体を預けて縋っているのもあれだが、それを合法的に濃厚接触を楽しめる手段として利用しているのが浅ましい。むかつく。何よりこんな時間が続くことを考えるととても頭が痛くなる。本当に気が狂いそうだ。 「ガンマさん、また来ちゃいました~」 「いつでもいいよ~、テトちゃん。この後一緒にどうかな?」  ウィルスが事務所前で出待ちするウィルスバスターズの事務所。ゲシュタルト崩壊とともに何か大事なものが崩壊してしまいそうな字面を連想しつつ、夜の街へと消えていくガンマとテトを見送り、――私自身も夜の闇へと姿を隠した。 「今日のお店は私の行きつけなんだ。きっと気に入ると思うよ」 「そうなんですかぁ~。楽しみだなぁ」  何が悲しくて同僚のデートをストーキングしなければならないのか。心の底からしたくないけどしかたない。面倒だがガンマが余計なことを口にする可能性があるため放置するわけにもいかないのだ。怒りを捨てて、気配を消して、ただ静かに後を追う。隙を晒した瞬間に命を刈り取れる立ち位置を維持することで自分が優位に居るのだという自己暗示を重ねる。お前たちの楽しみは私が本気を出せばすぐに終わらせることができるのだと、慢心にならない程度の嗜虐的な感情を仕事人としての理性で飼い慣らす。  脳内お花畑が不浄猫を連れて入ったのはレストラン。確か時間ごとに担当シェフが変わる筈だったが、今週は一日単位でメインのシェフが変わる週間だと聞いた。そして今日の担当は……ライラモン。色ボケは何日前から今日は必ずこの店にすると決めていたのだろうか。 「今日のシェフなら……最初は卵焼きかな」 「卵焼き~? 珍しいですね」 「最初だからね。でもメインに負けないくらい美味しいから」  二体が席に着いたタイミングで音を立てずに入店し、彼らから離れた席にしれっと陣取り気配を消す。それにしてもどの口がメインに負けないというのか。寧ろ名前前提でチョイスしたメインだろう。 「本当に美味しぃ~。卵焼きってこんなに美味しくできるんですねぇ」 「それはよかった。まだまだ美味しいメニューがあるから楽しみにしてね。ところでこの卵焼きの名前なんだけど、恋愛卵焼きって言うんだ」 「へーそーなんですねー」  テト選手これを華麗にスルー。盛大に空振りしてる様は脳天にデッドボール食らうよりも痛々しい。少なくとも私はもう二度とガンマとこの店に入れなくなった。こいつの恥辱で別の店を探す羽目になるのは何度目だろう。もういっそ自分で弁当を持ってきた方が早い気がしてきた。 「今日も忙しそうでしたけど、お仕事大変なんですかぁ?」 「正直楽な仕事ではないね。でもみんなが安心して暮らすためには頑張らないと」 「尊敬しますぅ~。ガンマさん達がしっかり取り締まってくれるから、私達みたいに真面目に生きてるウィルスも安心できるんですよねぇ~」 「そう言ってくれると本当に嬉しいよ。ウィルスも悪いコばかりじゃない、君みたいに素敵なコも居るんだって、認められる世界が本当はいいんだ」 「素敵だなんて……嬉しいなぁ。もっとガンマさんのこと知りたくなっちゃぅ」 「私ももっと君のことが知りたいな」  おかしい。お気に入りの店だったのにあんまり味がしない。せっかくのぶあつい骨付きステーキなのに肉汁はもはやただの汁で、辛うじて楽しめるのは弾力のある食感だけ。この店で食べられる最後の食事の味を台無しにしてくれるとは。私情だけで判決を下せるのならあの二体には既に死罪を下していただろう。  ウィルスが事務所前で出待ちするウィルスバスターズの事務所。その状況が作られるより前に異分子を排除する。ガンマの退社予定三十分前に早上がりした私は事務所から少し離れたビルの屋上に潜んで標的が通るのを十分待った。  事務所へと向かうテトの足取りは淡々としていて、下を向く目は落ち込んでいるというよりはこの先で会う相手に対して興味がないようだ。そこにガンマに媚を売っていた愛らしさはなく、ただあらゆる情事をビジネスとして割り切る合理的な冷酷さがあった。――正直言ってこちらの方が私好みだ。遠慮なく倒すべき敵として対処できるのだから。 「んにゃっ!?」  屋上から凧を使って飛び降り、背後から急襲。反撃する間を与えずにその身体を攫って、予め目をつけていた近くの廃ビルへと突っ込む。誰にも邪魔をされない場所でじっくりと本性を暴いてくれる。 「う、確かあなたはイロハさん? どうしてこんなことを?」 「答える必要ないでしょう。私の前では媚売っても意味ないことだけ分かれば」 「ああ……そう」  四方をコンクリートに囲まれた部屋で私とテトが向かい合う。色目を使う必要がないと分かってすぐ相手に対する熱を無くすのは大いに結構。色ボケという邪魔者も今は居ない。正々堂々と真正面からお話しようか。 「裏は取ってる、か」 「もちろん。そういうのは得意な種族だから」  結論から言うと、テトはウィルス属性のテロ組織の工作員だった。さらにいえばこいつと会ったときの事件もこいつを侵入させるための陽動だった。威嚇射撃一発であっさり引いた理由もただそれだけ。あまりに杜撰な手管で情報を盗もうとするなんて随分私達も舐められたものだ。いや舐められていたのはガンマだけだろう。そうに違いない。 「なんであの色ボケに近づいた? 口が軽そうなカモにでも見えた?」 「ええ。あんたらの情報を取るのに使えると思ったけど」 「当てが外れて残念」  当然だ。ガンマがいらないことを言わないように立ち回りの指導や監視体制は徹底している。ほとんど私任せだけど。まあでも美人局の不服そうな顔を眺められるのは気分がいい。気の多い輩のお守りをさせられた甲斐がある。 「そうね。こんなところで本気を使う羽目になるとは思わなかったわ」  無意識に半歩下がる。直感的に手裏剣を掴む。テトの言葉が嘘ではないと理解する頃には奴の身体から溢れるエネルギーが光を放ち、その中で在り方を本来のレベルへと書き換える。獣そのものだった身体は頭身の高い人型に。ただしその容姿には獣の頃の面影が濃く残り、その辺りのバランスが独特な色気を出している。  ブラックテイルモンは力を抑えて迫るための仮の姿。本来の姿は幻惑的な獣人――バステモン。……なるほど、これはあの色ボケには見せられない。 「この際あんたの方が使えるかもね。――私の本気で虜にしてあげる」 「え、やだ。気持ち悪い。想像しただけで吐き気を催してきた」 「口にしないで。想像で留めて」  互いに嫌なら止めればいいと思う。ヘルタースケルター――魅惑の踊りで混乱させ操る技と聞いたことがある。そもそもそんな手段があるなら最初からガンマ相手に使えばよかったのに。……ああ、ガンマとテトだけの空間ができないように立ち回っていたから本来の姿を晒せなかったのか。だからってターゲットを私に変えるなんて節操がないと思う。  不必要な性癖を開拓させられるのは心の底から御免だ。本気でそういう関係性になりたいと言うのなら私にも手がある。  まともに直視してはいけないが、初動の一挙手一投足を逃すわけにもいかない。互いに動かない無音の緊張感。静寂の中で互いは動けずにいる。 「――随分、仲良くなったんだね」  どちらも我慢強いのなら動きがあるのはどちらでもない第三者。私の背後から聞こえた声は散々聴きなれたもので、振り返れば壊れたドアの奥にヤツが居た。――そう、ガンマだ。 「なんで来た?」 「もちろん。大切なものを守るために」  相変わらずの軟派野郎。気障ったらしい台詞を吐いていてもただデートをしたかっただけだろう。残念。もうそいつとデートをすることは許されない。これを教訓に己の性癖と上手く付き合って真面目に生きるべきだ。 「その姿もきれいだよ、テトちゃん」 「あ、ガンマさん。これは……イロハさんが急に」 「誤魔化すなんてもったいない。ありのままの姿もきれいなのに」 「……ッ、いつから!?」 「無粋なことを聞かないでくれよ」  ……こいつはもう駄目かもしれない。すべて分かった上で同じことを何度も繰り返すだろう。いや、繰り返してきたから今のこいつが居るのか。 「あんたも、本当は……馬鹿にして……馬鹿にしてッ!」  テトの狙いが私からガンマに変わったことが分かったのは、奴が私の真横を通り抜けた後。踊りを技へと昇華するほどのしなやかさと足運びが生み出す瞬発力。距離が縮まるのは瞬きの間で、ガンマがバックステップがなければその爪はあいつの首を刈り取っていただろう。間違いなく次の一撃は確実にガンマの命を仕留める。――その確信を持って踏み出されたテトの一歩を、頭上から落ちる弾丸が貫いた。 「な、ンがッ!?」  意識の外から飛んできた弾丸にテトが対応できなかったのは仕方ない。跳弾を活かした不意打ちはガンマの得意分野。意表をついて驚いたところに畳みかけるのがあいつの黄金パターンだ。  ふらつく足元に正面から二発。左右の太腿をそれぞれ撃ち抜かれてテトは尻もちを着く。足運びが死んだ以上、テトはもう誰かを虜にする程の踊りはできない。一番懸念すべき手札が死んだのなら一安心。じっくりといたぶってから消去できる。 「あん、た……格下のく、せに……」 「君と相手するに恥じない程度には鍛えているよ」  ガンマを見上げるテトの目に宿る怒りはガンマ自身に対する怒り以上にこの状況の理不尽さに向けられている。だがそれは見当はずれの自業自得というもの。ガンマも力量だけならいつでも完全体になっていいレベルにある。それでもリボルモンという姿を維持しているのはガンマ自身が進化を望まなかったから。理由は「何か大事なものを捨てる気がする」ということらしい。その大事なことが何かはなんとなく聞かない方がいいと思ったので私は知らない。  テトを見下ろすガンマの視線は相変わらず慈愛に満ちている。雰囲気も同じくらいゆるいはずなのにテトが動けないのは、見えないプレッシャーが真綿で包み込むように囲んでいるからだろう。ただそのプレッシャーも与える側と与えられる側では少し認識が違う。シリンダーを解放して弾を一発だけ籠めなおす時も意識だけはしっかり向けている時もそう。テトからすれば逃げられないように圧を掛けているように感じられても、ガンマからすればただ単純に気に掛かっているからなのだ。  それにしても一挙手一投足が癪に触る。これ見よがしに左手で弾丸をつまんで見せて、シリンダーを手全体で隠すような大ぶりな動きでやっているのは何のパフォーマンスだ。ああ、本当に気持ち悪い。そして、本当に学習しない。 「テトさん、ゲームをしようか?」 「は?」 「好きなタイミングでストップって言って」 「なに言って……」 「いいから」  拳銃が壊れないぎりぎりの速さでシリンダーを回しながらガンマはくだらないゲームの開始を宣言する。意見を求めない強引さをどうしてもっと別のところで使えないのか。どうしてこんなかたちでしか自分の気持ちを表現できないのか。 「……ストップ」 「はい。――今から君のデジコアに向けて三回引き金を引く。一発だけ籠っている特注の弾丸が当れば多分君でも死ぬ。でももし全部外れて生き残ったのなら、逃げていいよ」 「あんた……どこまで私を侮辱して!」 「じゃあ始めるよ」 「聞いてるの!?」 「聞かないよ。ごめんね」  有無を言わせず、ガンマは引き金を引く。一発目――空砲。二発目――空砲。そして、三発目――当然、空砲。 「え……?」 「約束だ。逃げていいよ。私は君を追わないし、ここではイロハにも手を出させない」 「どこまで舐めて……」  ゲームはテトの勝利。だが、プライドが高そうなテトからすれば納得するしない以前の問題だろう。一方的に吹っ掛けられたゲームで訳の分からないまま結んだ記憶のない約束を遵守される。そのむず痒い感じが一生忘れることのできない傷を刻みつける。その傷に対する嫌悪感を理解し合えるのなら、テトとは本当に仲良くなれる可能性があったかもしれない。 「君とのデート楽しかったよ」 「……ちッ」  ゆるいプレッシャーから解放されるというよりは押し出されるように。テトは怪我を負った足を引きずって逃げていく。雑でも数名の仲間を陽動に使える程の工作員だ。放っておけば自力で応急処置くらいはしてしぶとく逃げ延びるだろう。 「ガンマ」 「なんだいイロハ」  残ったのは私とガンマ。不意の呼びかけに反応が遅れたガンマの左袖からシリンダーに籠めたはずの弾丸が落ちる。――案の定、百パーセント負ける賭けを挑んでいた訳だ。  手を出して仲間割れなんて御免だったのでテトがこの場を離れるまでは大人しくしていたが、そろそろ言っておきたいことが山ほど溜まってきた。今まで蓄積された鬱憤も糧とすれば三時間は一方的に愚痴を捲し立てられるだろう。だが、何よりも先に言っておきたいことがある。 「本当に向いていないと思う、ウィルスバスターズ」 「そうだね……そうかもしれない」  そして、何よりもやっておかなければならないことがある。    入り組んだ路地裏に潜り、建物を屋根伝いに走る。応急処置を済ませたテトの足取りは万全ではなくとも身軽で、郊外の森へと抜け出るのを妨害する者は誰も居なかった。 「くそ……クソ……クソ野郎がッ。お望み通り組織まで逃げ切ってやるよ」  必死に逃げるその表情には焦りよりもガンマに負わされた屈辱が刻まれている。無様な敗走。テトからすれば情けを掛けられ恥を晒して生き延びたようなもの。逃がした相手はそこから這い上がりまっとうに生きなおして欲しいと願っていようとも、実際にどう考えどう行動するかは逃がされた者自身による。 「絶対に私の手で殺してやる。いや、それよりも下僕にして一生踏みにじってやった方がいい。絶対に許さない」  恨んで復讐を誓うのが大半というか、逃がした相手は十中八九そう考えるのが過去の経験から私が学んだこと。 「逃がしたことを後悔させてやる」 「それは無理。何度繰り返しても後悔はしないから」 「――誰だッ!?」 「私、イガモンのイロハ」  私の声でテトの足が止まる。即座に警戒体勢に移るところは褒めてもいいが、足を止めるのは頂けない。先に痺れを切らして声を上げた私も私ではあるけど、今だけは自分に甘くなるのを許してほしい。この尻軽と会った時からこの時をどれだけ待ったことか。 「あなたには悪いけど、手を出せなかったのはあそこだけだから。残念だけど騙されたとは思わないで」 「冗談。あれで逃がすのは馬鹿だけよ」 「流石。その馬鹿の冗談で逃がされた奴の言うことは一味違う」 「姿を見せない陰湿な奴に言われたくねぇよッ!」  怒声を上げる程口論に熱を入れても意識は周辺への警戒を怠らず、流れるように動く足取りは音の方向を探っている。本当にもったいない。これだけの腕と可能性があるのならさらなる進化も望めただろう。ガンマに目をつけたのが運の尽きだ。 「見つけた。まずはあんたから殺す」  木々を巧みに避けながら走るテトの狙いはただ一点。イガモンは隠密を得意とする種であっても直接戦闘ならテトの方が分があると踏んだか。声が聞こえる方角へと真っすぐに走り、鋭く研いだ爪を振り上げる。最後の障害である大木をしなやかに避けた先で奴の最大の武器は一寸の狂いもなく狙った座標を貫いた。 「――ハ?」  木に刺さった自分の爪を見つめてテトは間抜けな声を漏らす。そこには私の姿もなく、代わりに大きめの藁人形が括りつけられていた。空蝉の術に使うようなビジュアルではあるがそのような術を使ったわけではない。予め中にスピーカーとマイクロフォンを埋めて木に括りけておいたのだ。  狙い通りの座標。爪が刺さって動けない獲物。こちらからすれば絶好のシチュエーションで、あちらかすれば絶体絶命のピンチ。――そして、私はあいつ程甘くない。  冷めた視線で標的を見据える。表に出さない憎悪も怒りも指の一点に籠める。真正面からケリをつける意地を張る気すらなくなった。ただ、そこに在るのが我慢ならないだけだ。 「がヒュ?」  視線を下ろしたテトの目に入るのは自分の胸から飛び出す光の矢。確実にデジコアを貫いているという事実を理解する頃にはそれは生命を維持する核の役割を放棄し、バステモンだったデータの塊を復元不可能なまでの塵に分解する。  私にとっての悪は滅びた。あいつの思いを知らずに与えられたチャンスを無下にする奴に下す慈悲はない。  むかしむかし、プチマモンというウィルス属性のデジモンが居ました。生きるのに困窮していたそのデジモンは盗みの常習犯で、下っ端とはいえウィルスバスターズにも目をつけられるようになっていきました。  そしてついにプチマモンはガンマというリボルモンに追いつめられ、死を覚悟しました。しかし、ガンマは一つゲームを持ち掛け、それに勝ったプチマモンを約束通り逃がしました。ガンマにとってはいつもの色ボケを起こしただけのことでしたが、プチマモンにとっては生きる糧になりました。ガンマの隣に立てるだけの存在になりたいと努力し、イガモンへと進化しました。  堂々とウィルスバスターズへと入隊して、望み通りガンマとコンビを組むようになったイガモンには一つ悩みがありました。それはプチマモンだった頃に向けてくれたような慈愛をガンマが向けてくれなかったことです。別に素っ気ないということでもなく、同僚としては寧ろ親身に接してくれてはいました。しかし、どこか物足りないのです。  自分の力不足なのかと思ったイガモンはさらに努力してエンジェウーモンへと進化できるようになりました。見た目も力も魅力的なものになっただろうと、ガンマに自慢しようとしたところで、エンジェウーモンは偶然ガンマの独り言を聞いてしまいました。 ――ああ、ウィルス属性のコの成分が足りない。触れあって摂取しないと。  エンジェウーモンは静かにイガモンへと退化しました。ガンマがウィルス属性が好きな変態の色ボケであると分かったからです。  なんと滑稽な話でしょう。ウィルス属性であることを恥じて隣に立つに相応しい姿になったのにそれはあまり望まれていなかったのです。いっそプチマモンまで戻ることも考えましたが、種族としての能力以上に自分の努力を裏切ることに耐えられず諦めました。真面目でいいコだったのです。  真面目だからでしょうか。冷める感情の中でも熱を帯びるものが確かにありました。 ――ガンマは変態でも相手の未来を思っているのは本当で、それに泥を塗ることは許せない。  今後の行動指針となったその感情を表すその言葉は決意であってけして妬みではありません。
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パラレル
2020年7月26日
In デジモン創作サロン
<< 前話へ 目次 次話へ >> Episode.10 "成れの果てを討つクロガネ"  半年前、射場正道が所属していた暴力団組織の組長が殺された。実家からも縁を切られたチンピラの正道にとって組は唯一の居場所であり、自分を拾ってくれた組長は血のつながった男よりも父親として慕っていた相手だった。  葬式から三日後、正道は事務所で組員十人相手に孤軍奮闘することになった。この日ほど自分の馬鹿さ加減を呪った日はないだろう。組長殺しの罪を自分に擦り付けられてようやく組長の死が幹部連中のシナリオの一部だと理解したのだから。  ベレッタの引き金を引くたびに仇敵達が短い悲鳴を上げて数秒前まで撃とうとしていた武器を取り落とす。幹部連中に取り入れない馬鹿でも十年はこの組織に居たのだ。そこらの若手や腕の錆びた連中よりかは拳銃の扱いには慣れている自負はある。それに奢ることなく細心の隙と最小の行動で一人ずつでも相手の動きを奪う。それだけが正道に残された逃げ道だった。  棚に身を隠してマガジンを取り換える間、正道は自分の身体と精神を焦がす熱を感じていた。きっとこの事務所に自分の死体が転がるその時まで熱が収まることはないだろう。何も果たせなかったとしても、ここで死んでもいいと本気で思っていた。  いくらアドレナリンに満ちていても一人対十数人の数の差は覆らない。拳銃の総弾数の差なら事務所の被害を考慮しなければ正道の身体を蜂の巣にするには十分過ぎる。ましてやカラシニコフ自動小銃まで取り出されたのならば穴の数はどれだけ増えることか。  右太ももと左肩、右わき腹にそれぞれ数発ずつ受けた段階で蜂の巣の未来は限りなく近いものになった。無様に肩を抑えて膝をつくのが精一杯だ。咄嗟に腰を落としたのが幸いしたのか、開いた穴がどれも致命傷には至らなかったのを救いだと思えるほど正道は楽観的ではない。痛みを相殺していた熱意も冷めて、自分がどうしようもない馬鹿で終わることを受け入れつつあった。  血圧が急に下がったためか眼が現実を映さなくなっていく。代わりに認識するのは過去の記憶を糧とする走馬灯。今と同じような体勢だからか組長と路地裏で会ったあの日のシーンが認識というスクリーン全面に出張っていた。  ――わけえのがこんなところでくたばんな。なんか一つはやり遂げてから果てな  ここに来て正道はようやく理解した。自分がここで筋を通して死んだところであの人は褒めてはくれないだろう、と。あの人は自分に憧れて同じ道を進むことを望まない変わり者だった。だから正道のことを拾って面倒を見てくれた。正道が組に残ったのはあの人に強制されたのではなく、正道自身がそこに居たいと思ったからだ。  この組は正道が何一つやり遂げないままに彼の居場所ではなくなった。だが何かをやり遂げるのはここでなくとも出来ただろう。それも今はもう分岐点を通り過ぎた仮定の話。走馬灯から現実に意識が戻る頃には、鉛玉をさらにぶち込まれて終わるだろう。 「仕掛けてきやがった!」  鉛玉の代わりに頭を叩いたのは悲鳴に似た警告。それが敵対組織の襲撃であることはすぐに分かった。トップが倒れたところを血気盛んな連中が狙ってきたというところだろう。その標的が自分の居場所だったとしてもどうでもいいと思える程にはこのときの正道の心はこの場所から離れていた。  重要なのは今の正道にとっては福音であること。組の連中は新たな敵の襲撃に気を取られて正道のことを多少の間でも意識の外に置くだろう。そのわずかな時間で名案が浮かんで準備を整えられればまだ助かる可能性はある。  ただ、残念ながら正道は脱出案が都合よく浮かぶ程賢く機転が効く人間ではなかった。それでも走馬灯を見るほどに追いつめられた彼の思考は一つの夢物語のような可能性に行き当たる。  彼の目に入ったのは床に落ちた灰色のカード。昨夜この組が元締めをしている店で暴れた輩から押収した品で、そいつ曰くこのカードは『異界に繋がっていてここでは不可能な願いも叶えられる』らしい。  酒に呑まれた馬鹿の戯言だ。そう考えるのが自然で、万が一それにすがるのならば自殺行為と何ら変わらない。そんなことは正道も分かっていた。分かっていたが、気づけばそれを手に取っていた。  一秒後、正道が立つ世界は変わる。そして一分後、彼はトラベラーとなった。  霞上響花は死んだ。契約相手のナーダにその身を捧げて一つになった。今目の前に居る敵は彼女の愛が産んだ化け物。人の身体で唄を奏で、獣の身体で獲物を食い漁る吸血鬼。――その名はグランドラクモン。  奴が今この場に居るどのモンスターとも隔絶した域に至った存在であることはX-Passで調べずとも直感的に理解できた。目に見える体積だけでは計り知れない存在としての質量が違う。こちらの戦力は成熟期(アダルト)が二体、完全体(パーフェクト)が三体。これで届かないことが明白な以上取るべき手は撤退しか有り得ない。だがそんなことを簡単に許すような相手でないこともすぐに分かった。 「貴様らは許さぬ。逃がしはしないわ」  貴人が両手を広げ、魔獣が四肢で地を踏み鳴らす。胸元に浮かぶのは精霊のように幻想的な光球。足元には王の足踏みに慄くように凍てつく大地。その周囲には華のような氷の結晶が十五個ほど浮かんで実を放つ時を今か今かと待つ。その標的が自分であることを渡達は自分の方へと伸びる冷気で認めるしかなかった。 「クリスタルレボリューション」  解放の言葉とともに貴人が腕を振るう。光球は空に溶ける代わりに結晶に命令を与える。標的を逃すなと。  結晶がそれぞれの敵へと奔る。その速度と追尾性能は格下のモンスターの回避性能を凌駕する。  カインの左翼、アハトの右肩、アキの右翼、マーリニの左腕、ビリーの右足。すべての被弾箇所が急所でもなければ、ただ甘く刺さっただけでしかない。だがそれだけで十分な効力を持つことを彼らは身をもって思い知らされる。 「どうしたカイン……何だこれは?」  羽ばたこうとしたカインが不意によろめく。理由は左翼を見れば一目瞭然だった。何せ左翼の先端から少しずつ例の結晶と同じ素材に包まれつつあったのだから。周囲に視線を向ければ、味方のモンスター全員が先ほどの結晶の被弾箇所に同じ現象を抱えていた。 「さっきのが原因か」 「おそらく結晶化だね。それも放置すれば全身にまで侵食していくようだ」  先にX-Passで敵の概要を抜いていたおかげか初見の変化にも渡達の思考は乱されない。そもそも段階が違う相手なのだ。格下の寿命を一気に縮めるような能力を持っていてもおかしくはない。 「じゃあアレか? 全部固まる前に切除するしかねえってわけか?」 「ええ。猶予はないようで」 「なら躊躇しなくていいか。やれ、ビリー」  正道の指示と同時にビリーの二丁拳銃から短い発砲音が五度轟く。  一発目、マーリニの左腕。二発目、アキの右翼の外側が剥がれ落ちる。三発目、アハトの右肩の装甲が剥がれる。四発目、カインの左翼の端から十センチが破れる。五発目、ビリーの右足の肉が抉れる。  必中のフレンドリーファイア。その効果は肉体の損壊の代わりに結晶化した箇所を切り離してこれ以上の浸食を封じる。功労者のビリーに同族が向けるのは尊敬ではなく怒りの視線だが、行動に移さない程度にはカイン達にも契約が身に染みている。渡達も正道とビリーの即断即決には多少面食らったが、あくまで彼は冷静に手段の一つとして提案しているのは分かった。患部を切り離せば侵食は止まるというのは事実正しい対処法だったのだ。 「判断が早かったか。仕方ないわ、こちらがまだ馴染んでないもの」  まるで本当に響花とナーダが一つの身体を共有しているような振る舞い。それを器用なロールプレイだと思考の片隅に追いやって奴の言葉だけを咀嚼する。進化の過程の影響か、グランドラクモンはまだ本調子ではないらしい。結晶化の解除にキャストだけで上手くいったのはそのためだろう。だがそれは究極体の力が完全に馴染んでしまえば通用しなくなると同義。結晶化の速度も対応不可能なものになるだろう。そうなる前に手を打たなくてはならない。 「なあ、今全部を捨ててもアレを本気で倒したい奴は居るか。居ても無視する。逃げるぞ」  だが打つべき手は討伐ではなく撤退だと正道は最年長者として命令する。最早アレは今の自分達には手に負えない代物に変貌したのだ。その事実を全員が理解しているから誰も意地だけで反論する気にはなれなかった。 「そうですね。今は仕方ないです」 「悪いなラン。お前さんの叔父さんの仇をちゃんと討ってやれなくて」 「ちゃんと終わっています。あの女は死んだんですから」  ランが割り切った以上はこの場において怨恨で行動することは許されない。ただ今為すべきことは生き延びること。この世界に立つトラベラーとして何よりも優先すべきことだ。 「聞き捨てならんな。私はここに居るでしょう」 「お前にとってはそうなんだろうな」  それは死者や彼女が命を捧げた相手には通用しない理屈。人がその身を捧げた化け物には目の前に転がる贄を逃す理由はない。 「猶予はなさそうだが隙を見て帰るぞ」 「言っただろう。逃しはしないわ、と」  逃げ切るか。全滅させるか。互いの勝利条件は明白で、時間が掛るほどどちらが有利になるのかは誰もが分かっている。だから安易に撤退の動きを見せようものなら優先して狙いをつけてくる。  巨体というのはそれだけで大きな武器になる。足を踏み鳴らせば地鳴りで敵の動きを鈍らせ、単純な質量差は下手な技以上の暴力となる。一歩進むまでの時間は長いがその移動距離は視覚での認識以上に大きい。猛進する魔獣を前にカイン達は敵の足元から視線を切らずに斜めに後退する。 「こっちか。そんなに僕の言ったことが気に入らないのか」 「当たり前だろう。よく分かっているじゃない」  真っ先に狙われたのがランとマーリニだったのはまだ幸いと言えるだろう。マーリニがグランドラクモンと交互に見る逃走先は更地ではない。看板や標識などの文明の残骸。或いは崩壊後に新たに生えた木々。マミーモンという種が持つ最大の特徴――包帯を用いればそこまでの距離は足を動かすよりも速く移動することができる。 「小賢しい。みんな等しくね」  五歩ほど進んだグランドラクモンは大きくその場で足を踏み鳴らす。その瞬間足元から噴きあがる凍気は左右や後方の面々にもX-Passの操作を帰還に回すことを許さない。何故なら奴の周囲には先ほど見た結晶体が生成されていて、その矛先はもれなくモンスター達を狙っているのだから。 「それを見るのは二度目だね。絶対当たらないように」  鈴音の無茶ぶりを現実にしなければならない。だからこそ全員が全力で迎撃と回避に神経を注いだ。  空を飛べるものは即座に飛び上がって上方に陣取って持てる技を撃ち下ろす。重力の補助程度では覆らない生産者の力量差でも勢いを止めるには事足りる。大質量の鉄球で拉げながらもカインを狙っていた結晶はニ度のドッグファイトの後に真下から生えてきた鉄杭で絡めとられた。  地を駆ける三体にも遠慮なくぶつけられる遠距離武器がある。鉛玉や音波、熱線も一発一発では結晶を砕けずとも、衝突で出来た一瞬の隙に二撃目を叩き込めば打ち砕くことは可能だった。 「二度目なら避けられるか。随分慣れが早いのね」 「褒めるなら見逃してくれ」 「それは無理な相談だ。せめて見慣れた攻撃くらいは止めてからの話でしょう」  無茶振りを実践したところでそれを継続できると言える余裕はない。二つの声を器用に使い分ける賞賛はこれ以上の無茶振りを強要する宣言だ。最後の妙な言い回しの理由もじきに思い知らされることとなる。 「アハトを取られた。撃ってくる」  鈴音の忠告の直後、彼女の足元数十センチに着弾する契約相手の光弾。それは契約による防護膜が今も機能していることを、撃たれた側と撃たせた側が互いに確認する役割を果たした。  そして盛大なフレンドリーファイアが始まる。アハトの銃口が何度も快音を出しては地上に光の礫が落ちる。グランドラクモンは何度か射手に労いの視線を向けながら結晶の生成に勤しむ。  唯一の救いは一番最初に気づくことができる人間が端的に事実を伝えたこと。鈴音の声に一瞬だけ視線を上方に向ければ、アハトが僅かにふらつきながらその銃口をビリーに向けていたのは分かった。だから彼は自身の腹に収まる自慢の一発で迎撃し、他の面々も冷静に状況として組み込んだ。この状況に持ってくるだけの能力があることは最初から分かっていたのだから。  先のやり取りでアハトは確かに彼女の無茶振りに応えていた。だがすべて捌ききった直後のわずかな緩みの間にグランドラクモンと眼を合わせてしまっていた。  グランドラクモンが持つ第二の妙技――アイ・オブ・ザ・ゴーゴン。それはギリシャ神話の女怪三姉妹の名前に相応しい、本能を縛りつける魔眼。まだ手探りな状況でもその強制力は格下相手には十分過ぎる。 「上ばかり見ていていいのか。足下を掬われるよ」  ダメ押しのクリスタルレボリューション。中空を撫でるように両腕を左右に広げればその扇状の軌道に十の結晶が生まれ、砕けるように周囲の敵へと襲い掛かる。対処すべき優先度が高いのはこちらの方。上からのフレンドリーファイアは甘んじて受け止めて、敵からの脅威をしのぐことだけに注力する。無防備な頭上に降る光弾はカインの右翼に穴を開け、マーリニの背中を包帯ごと焼いた。それでも誰も結晶化していないのなら寧ろまだマシだろう。 「鬱陶しいなら切り捨てればどうだ。一体は飛べるのも居るでしょう」 「その必要はないよ。私が言うと命乞いに思われるだろうけど」 「仲間には通じてないようだが。その一体が狩りに行ったわよ」  鈴音とてこのまま契約を反故にされたまま終わるつもりはない。その意思と可能性は既に仲間に託している。カインの飛翔がそれを踏まえたものであることをグランドラクモンは知らず、知ったところで気にはしないだろう。  カインはグランドラクモンに一切目をくれずアハトへと一直線に向かう。迎え撃つアハトは闇雲に主砲を乱射。だが一直線上のタイマンならばただの豆鉄砲だ。中途半端に生成した鉄球でも真正面に放てば体積的には盾として十分な役割を果たしてくれる。さらに盾はそのまま大砲の弾に等しい脅威となってアハトに迫る。火力の差を前に奴が迎撃を諦めて慌てて左方に逃げたのは鉄球を放ってから三秒後。そこから鉄球を右に見逃したその細い身体がカインの口に咥えられるまでは一秒も要らなかった。  標的を回収して身体を翻すカインの視線の先にはグランドラクモンが放った八つの結晶。キャストで筋力に振ったから距離は開いたもののその追尾性能は侮れない。だからここでまとめて潰そうと頭上で鉄球の生成を急ぐ。邪な視線がその作業に割り込もうとすることは最初から予想していた。 「アイ・オブ・ザ・ゴもごっ……ごっ、これは、何だ? 何が目に張り付いてくるの」 「眼は酷使させないよ」  グランドラクモンの顔に巻き付く白い包帯。それはマーリニの身体から伸びるスネークバンデージ。それはマーリニの自身の意思で動くとはいえ単体ではグランドラクモンの上半身まで伸ばすのは難しい。だが、カインが飛び立つ前に足に巻いて上空まで引っ張り上げて貰っていたのだ。アハトまでの距離を詰める前に空中に放された包帯は彼がアハトを回収するまでにマーリニが自分の意思を末端まで浸透させている。それがカインの救助劇の邪魔をさせないための白い予防線だったのだ。 「小賢しい真似を。落ち着いて外しましょう」  グランドラクモンがそれを引き剥がす頃にはカインは渡の頭上まで戻っており、その口からアハトも解放されている。自由の身になってもその主砲はもう味方を狙うことはない。 「読み通りで良かったよ」  契約相手を操られたとき、鈴音は契約で自身の護りが維持されているのを確認した段階でグランドラクモンの観察に注力した。その視線が操っている筈のアハトに定期的に向いているのを見抜くのに時間は掛からず、奴の不完全さがアイ・オブ・ザ・ゴーゴンにおいてどのように表れているのかの推測がすぐに立てられた。魔眼の拘束力は相当だが、拘束時間はさほど長くはない。だから上書きするために何度か見据え直す必要があったのだ。  それでも一度目を合わせれば一定時間は自由を奪われるという脅威は変わらない。違いはグランドラクモンが自身の弱点を看破されたと分かったうえで次の一手に移ること。より慎重に魔眼を使うとすれば、標的は一体に絞ったうえで使ってくる。ならその標的はどのモンスターか。誰の契約相手を奪われれば渡達は一気に不利になるか。 「真魚!」 「分かってる! 第三曲(カノン)」 「俺とビリーがフォローに入る」  巨体の目前で特大の砂煙が巻き上がる。アキが下方に向けて放った音波弾による目くらましだ。それでもアキへと向けて進んでいることは足音から分かった。  洗脳能力を持つモンスターにとって最悪のケースは上位の洗脳能力を持つものに支配されること。支配能力を奪われるということは、敵を攪乱させるはずの能力を味方に向けられるということとなるのだから。 「通しはしない」  グランドラクモンとアキの間に落ちる三発の巨大鉄球(メタルメテオ)。強度を調整して放たれたそれらは互いの接触面を少し潰しながら重なり団子のような柱となる。グランドラクモンの巨体にも匹敵するこの高さならその視線と進路を遮るには十分だ。力づくで押しのけるならそれもいいだろう。その間に真魚とアキを逃がすことくらいは出来る。 「通るさ。逃がしはしないわ」  言葉と相反してグランドラクモンの足は鉄球団子を前に止まる。その代わりに奴の足元にはこれ以上ない程に冷気が満ちて、空気中には三十を超える結晶が生成される。その一本一本が既に標的をロックオン済み。鉄球が落ちる前に確認していたその座標周辺目掛けて結晶の群れが襲い掛かる。 「次弾は間に合わない。なんとか捌いてくれ!」 「やるしかないじゃない」  メタルメテオの生成は第一波には間に合わない。結晶を今まで捌けていたのは絶対数が少ないうえに分散させて放たれていたから。一体につき数本程度が向けられていたから格下でも相殺できた。だが、今までを超える弾数が一点に集中するとしてアキやそのフォローに回ったビリーだけで捌ききれるのか。 「背中見せたら死ぬぞ。根性見せてくれよ、ビリー」  ビリーが右手の銃で帽子を少し持ち上げるのは限界近くまでブラストを注ぎ込んだ正道に対する彼なりの信頼と覚悟の証か。アキより少し前に出て三つの銃口を結晶の群れに向けて引き金を引く。放たれる弾丸の性能差は嫌というほど理解している。ならば有効な角度でぶつかるように一発ずつ丁寧に性能差を覆すだけの数をぶつけるまで。例えそのために必要な弾数が三桁や四桁に達するとしても、退路が無い今のビリーに打てる手はそれしかないのだから。  フルオートを超える早撃ち。結晶にぶつかり砕ける代わりに僅かにずれる軌道を後から来た弾丸がさらに少しずらす。一発一発が経験と推測に裏打ちされたそれは手ブレすら許さないミリ単位の調整の元で引き金を引くから出来る妙技。少しずつ進路をずらして速度も減衰したものは標的だった筈の歌姫の第三曲(カノン)によって打ち砕かれる。  だが状況を打開するには届かない。砕いた結晶よりも仕留め損ねた結晶の方が多い。弾丸と音の雨を抜けた結晶は標的とその護衛の肉へと確実に届いている。  アキの右翼に刺さる結晶。一秒後には接触面から侵食が始まり、さらに一秒で侵食速度を再確認したアキは右手で翼を結晶ごと引き千切る。自分の肉を顧みない自傷行為でも安い方だ。痛みに喘ぐ間にも次弾は容赦なく迫るのだから。痛みに堪えて上げた顔をすぐに背けたのは本能による反射的行動。頬の代わりに左肩に結晶が刺さり、再び侵食が始まる。反対の手で砕こうにもそのアクションをする前に次の結晶の対応に追われる。それを真正面から音の弾丸をぶつけて砕く間にも左手は動かなくなるだろう。いや、手や肩ならまだマシだ。足を奪われたまま逃げる時間を作れなければ、アキが自分の身体を自分のものとして扱える時間はもう来なくなる。グランドラクモンと対峙すればその魔眼から逃れる手はないのだから。  それを理解しているのは仕掛ける側も同じ。だから数で攻め立てて、確実に動きを封じる方向にシフトした。こちらの目論見が甘いのではなく甘い目論見しか立てられなかっただけ。その現実を見せつけるようにアキは無様にこけて背中を地面につける。石に足を取られたのではない。その右足には結晶が刺さり、確実に侵食を始めていたのだ。  その瞬間、アキは動きを止めた。まるで自分の死期を悟ったように身体を地に投げ捨てて全身から力を放棄する。真魚の声も支持も届かない。届いたところでどうしようもないと悟ったようだった。  アキを動かせるものがあるとすればそれは生存本能に訴える何か。例えば眼が冴えるような新たな痛み。それは侵食寸前の足の肉に食い込む鉛玉。結晶化が止まったことで再び立ち上がれるようになったアキの眼にはビリーの背中と彼や自分に迫る無慈悲な結晶の雨しか見えなかった。 「止まれ!」  渡の声に応えるように落ちる巨大鉄球。それは重力を味方につけながら多くの結晶を圧し潰した。盛大に巻き上がる土煙が消えるまでに鉄球の裏側に回り込んだ渡達がはほんの数十秒の間に起こった戦闘の結果を目の当たりにする。 「アキ!」  アキは背中を地につけ、空を見上げていた。その四肢は結晶化しているため自力で逃げることは無理だろう。四肢までで結晶化の侵食が止まっているのは肉との境目にある銃痕のおかげか。だがそれは単純に寿命が少し伸びた程度で、首から上が残っているという点でグランドラクモンの格好の獲物になるだけだ。  いっそアキの目の前で立っているビリーのように完全に全身が結晶化していれば利用価値も見出されなかっただろう。それはそれで単純に踏み潰されて終わるだけだが。 「根性見せた、か。……クソ」  芸術的な彫刻と化したビリーはもう一歩も動けない。こうなった以上、契約相手である正道には撤退も戦闘継続も不可能だ。敗残兵は放っておけば自然に契約が切れて、帰還と自己防衛の手段を失った段階でそこらのモンスターに食われるだろう。いや究極体(アルティメット)として最初の食事にするか。グランドラクモンにとって射場正道という人間とその契約相手であるビリーはもう敵戦力として数えるに値しなくなったのだから。 「モンスターがモンスターを庇うとはな。素晴らしい献身だね」  だからグランドラクモンの誉め言葉は紛れもなく本心によるもの。無意識に嫉妬のニュアンスが紛れ込んでいるのはグランドラクモン自身が献身という言葉に類する行動によって産まれたから。自身の出生に関与した行動の希少価値を下げるような真似をされたことが奴の神経を逆撫でしていた。 「何が言いたい?」 「お前の言う根性が産んだ成果を褒めてるんだ。君は随分うまく躾けたようだ」  自分が生まれた原因と自分が見た結果はまったく違うものだ。それを宣言する意味は正道にも分からなければグランドラクモン自身も分かってはいない。身を賭して護るという行動。それは愛する人が見せてくれたからこそ尊い行動なのだ。その認識をぶらされたことに気づかないから、グランドラクモンは混乱を隠しきれずにいる。 「躾けた、か。俺はあいつには大したことはしてやってねえし、言ったこともねえよ」  寧ろ冷静なのは契約相手が氷漬けで武器も盾も失ったはずの正道。魔眼が人間に及ばないと判断したうえで、魔獣の巨体を見上げてただ真正面から素の言葉をぶつける。 「あいつはただ俺の背中を見て、俺に背中を見せてくれた。ただそれだけだ」  その背中に恐れはなく、その語りに澱みはなく、その言葉に嘘はない。餌が無くなれば相手を食らうようなトラベラーとしての契約であっても、そこには確かに関係性があった。それはかつてのナーダや霞上響花と何ら変わらない。 「そして、それはこれからも変わらねえ。何も果たしていないからよ、俺達はまだ終われねえ」  そして、正道は己の左腕を掲げる。そこに輝くのは未だ消えていない契約の証。先ほど使ったはずの光(ブラスト)がまだその真価を発揮していないと喚くように瞬く。  そして、彼の相棒を封じていた結晶は内側から響く銃声とともに砕け散る。  
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2020年7月26日
In デジモン創作サロン
<< 前話へ 目次 次話へ>> Episode.9 "Good bye , Good day"  霞上(カスガミ)響花(キョウカ)は自分の親の顔を忘れた。自分が勘当同然に飛び出した母親とホスト崩れのヒモ以下の男の間に産まれたという事実は知っている。それ以上のことは出来るだけ覚えないようにしていた。彼女にとって、肉親に対する記憶も後で情報を拾い集めて想像で欠落を埋めたものでしかない。  夜の街で出会ってから数か月で響花を授かり、なし崩し的に結婚した二人だったがまともに同居生活をしていたのは三年未満だったらしい。父親は家を空ける日が多くなり、彼がたまに帰ってくる度に言うことを聞かない響花を叩く母親の声量は大きくなった。  四歳になる頃には響花自身もその環境に慣れていた。自分のことは自分で出来るようになっていたし、母親の機嫌を損ねないように彼女の体面を保つ行動も身についていた。だが母親が響花を叩くことが無くなったのは彼女の努力の結果ではない。ただ父親が殺され、怒りを産みだす相手が居なくなっただけの話だった。  父親の死因は一酸化炭素中毒。家を空けることが多かった彼は他の女と不倫しており、なかなか関係を進展させようともせずに居座る彼に対して愛憎を膨らませた不倫相手に捕縛されともに心中させられたらしい。  遺された家族にとっては彼の死因はどうでもよかった。寧ろ不倫が事実として確定したことが響花の母親にとっては重要だったのだろう。事後処理を終えてからは今度は彼女が家を空けることが多くなったのだから。毎夜着飾って街へ繰り出し、金に糸目をつけずに享楽に自ら溺れていた。それでも彼女の心が本当に修復されることはなく、借金を作っても満たされない現状に絶望し、最後には響花を残して首を吊った。  響花は借金共々母親の親戚をたらい回しにされ遠縁の家族に引き取られた。養父母に二つ上の義兄と一つ上の義姉。親戚間のパワーゲームと取引で押しつけられた一族の恥部などに、四人で成り立つ家の居場所などない。見下す視線と理不尽を受け入れ、顔色を窺って奉仕することでようやく存在することを許された。何をされても悪いのは自分で、生まれたところから間違えた自分は家族に対して間違えたことをすればその分だけ罰を与えられるのは当然だった。懲罰房にはプライバシーなどないようなもので、外聞に影響が出ないように工夫を凝らした辱めを受けた。荒い息を浴びながら素肌を触られたのが同級生よりも早いことは間違いない。自分のものでない体液をシャワーで洗い流す度に意味の無さに自嘲していた。元から汚いものをどれだけ洗ってもきれいになることなんてないのに、と。  別に自分の人生を嫌悪していた訳ではない。ただ事実として自分が汚いものだと認識していた。汚く生まれ落ちた自分はきれいに終わることはない。いつどのように死んだところでそれは変わらない。だから希望を胸に現状を打破する気にも、絶望して自殺する気にもならなかった。存在意義などない人形――それが十代に確立された霞上響花の自己評価だった。  十八歳の誕生日から一週間後、家族に言われるまま組み立てられた響花の進路はその家族に捻じ曲げられた。原因は奇しくもこの家族に引き取られた理由である借金。長男は援助交際の中心人物として、長姉は大学に潜んでいた宗教団体に取り込まれて詐欺に関与したことで逮捕。心を病んだ母親はホストに騙されて貢ぎ、父親は家族絡みの風評に耐えられずに心労から運転中に人身事故を起こした。連鎖的に積み重なる罪と借金を見て、響花は自分は人形でも呪いの人形だったらしいと他人事のように思った。  響花にとってこの家族はただ自分の運命を握っているだけの他人に過ぎない。運命に奉仕する奴隷がその未来を切り捨てられるのは当然のことで、響花は高校を辞めて夜の街で仕事をすることになった。かつて自分の母親の借金を肩代わりしたことをしつこく言う元同居人の姿を奇妙だと思ったのがあの家での最後の思い出だった。そんなものは免罪符にはならないのに彼らは何がしたかったのだろう。  青春を捨てて働くことも忌避すべき仕事内容も響花にとってはどうでもよかった。業務内容に似た経験は散々してきたし、奉仕する相手が日ごとに変わることにも慣れていた。結局のところ自分が人形であることは変わらない。操る相手が違うだけで、寧ろ女としての商品価値を維持するためにまだマシな扱いをされていたともいえる。整えられた顔と儚げで妖しい雰囲気は男を惹きつけるには十分で、丁寧な技術と接待が合わさり、積み重なる高評価で早いペースでランクは上がっていった。そんな日々で自分という人形は使い潰されるものだと思っていた。  その夜の客は店の元締めと太い繋がりのある一族の放蕩息子だった。顔立ちは整っている癖に言動や振る舞いは薄っぺらい所為か、顔を見ているだけで響花は珍しく胸の奥に棘が刺さるような錯覚を覚えた。そのレアな兆候が柄にもなく表に出てしまったのが相手の癪に触ったらしい。  間違いなく今までで最低の客だった。自分のバックに居る力を誇示して、店の規約を違反したプレイを強要して思いやりのない暴力を振るった。何より最悪なのはその客が自分の行動に対する反応にやけに敏感だったこと。悦びの表現も痛みに対する悲鳴もすべてが嘘っぽいと唾を吐かれた。それらしい反応をしているだけだと見ぬかれた。  本物のリアクションを返せたのは十何回目の殴打のとき。ぎらついた笑みを半ばぼやけた視界で見上げた一瞬、粉々に砕いたはずの幼い記憶の一シーンが鮮明にフラッシュバックした。  自分を見下ろして野蛮な笑みを浮かべる人擬きの獣。それを響花は知っていた。始まりから自分を間違えさせた両親(ふたり)の中でも先に死んだ方だ。四歳の誕生日、珍しく帰ってきた父親は自分を見るなり、声を荒げて頬や胸を叩いた。「親に対してその目は何だ」とかそんなことを言っていた気がする。癪に障る視線を向けられるだけのことをしてきたのは誰だったのか。自分が環境に期待しなくなったのは多分そのときからだったと響花は思い出した。  遥か昔に置いてきた筈の理不尽に対する怒り。大人になってもその発散方法を知らなかった響花は最も原始的な行動に訴えた。  それはあの日父親がしたことであり母親が散々してきたこと。客の手を振り払うように飛び出した手はその頬を鋭く叩いた。  相手にとって肉体的な痛みなど無いに等しいものだろう。だが、反応の薄さが気に食わない相手がようやく見せた感情的な行動が拒絶の意思によるものだったという事実こそ、男の心の奥のトリガーを引くには十分だったらしい。  飢えた獣が貪るように滅茶苦茶に襲われた。抵抗する意思をみせればそれをねじ伏せるのを喜ぶように性差と筋力の差を見せつけられた。顔を殴るのを平手に留めたのは、獣なりに僅かに残った理性があからさまな傷を店から指摘されるのを避けただけの話。その分の拳は首より下を襲った。汗以外の体液がどれだけ流れても満足するまで捕食を止める様子はなかった。  ここに来てまた自分は間違えてしまったのだと響花は理解した。だから諦めて自分で自分の心をもう一度殺そうとした。それなのに涙も声も止まらず、体力の限界を超えてもこれ以上の陵辱から逃れるようにもがいた。  運命が別れる時は十数秒のやりとり。回転するように身体を捻って男の下から逃れ、追いすがるその顎を蹴り上げる。ベッドから転がり落ちたところで引っかけたのは男の鞄。ジッパーからこぼれ落ちる手帳や財布に紛れて一枚のカードが響花の目の前に転がった。何かを期待した訳ではない。ただ朦朧としつつある意識の中で伸ばした手がそれを掴んだ瞬間、彼女の身体を忌避すべき未来へと逃れさせた。  心身ともに傷だらけで死後の世界と錯覚しつつあった響花の目が初めに捉えたのは瀕死の小さな生命だった。犬耳が生えた饅頭のような汚らしいぬいぐるみのような生物の、その閉じかけた瞳に響花は見入った。  経緯は知らずとも誰が見ても先のない命で、そのことを何よりも彼自身が理解している。それでも生きていたいという意思だけは消えずにある。それは先ほどまで響花を突き動かしていた彼女自身が言語化できない感情に近いものだと思った。そう思いたかった。だから、目の前の命をどうしても助けたかった。それが最初から間違え続けた自分が初めて自分の意思で掴んだ揺るぎない決意だった。誰が間違いだと言おうとどうでもいい。尽きかけている命を救うことほど、自分で自分の価値を認められることなどありはしないのだから。  ――ナーダ、あなたは私が絶対に助ける。だから、何があってもずっと一緒にいてね。  幸い助ける術は腕と一体化したあのカードが教えてくれた。名前を与えるとともに繋いだ経路(パス)は二十年以上の人生で関わった誰よりも暖かかった。  ――きっと、この子は自分を裏切らないだろう  そんな確信が胸に浮かんだ瞬間からナーダとの繋がりは絶対に手放したくないものに変わった。思わず口をついた言葉もそれを変わることのない現実にしたいと思える決意となった。  契約により息を吹き返したナーダを撫でながら、響花は痛みから遠ざかって冷えた思考を稼働させて、自分が初めて本心から愛を向ける存在に何が出来るのかを探った。機械的なチュートリアルとマニュアルで得た知識を元にまず取った行動はナーダを生かすための餌の捕獲。ナーダが出会ったときに傷だらけだったのはモンスターと相対していたからだ。モンスターの中でもまだ非力な部類に属するナーダを危険な目に遭わせるわけにはいかない。ならばその生命を保ち、より力強い姿へと変えるために何を与えればいいのか。――その答えは数分前の響花の記憶にあった。 「がッ……なんだ。どこだここ! お前、何しやがった!」 「元気なのね。これは見込みが甘かったかしら」 「何言ってるんだ? 元に戻せよ! こんなことしてただで済むと思ってんのか!?」  一分後、一度現代へと戻った響花は餌を持ち込んだ。無造作に投げ捨てられたそれは哀れなホモサピエンスの雄。彼は数分前まで支配していたはずの女によってもたらされた非現実な展開についていけず、転移前の獣性のまま響花を探して勢いのままに掴みかかる。だが当の彼女の興味は既に彼になく、真正面から見据える目には男の存在は映っていない。反応の薄さに苛立って引き出した動物的な悲鳴とは違う。特別な興味を持っている対象が初めて明確化したことで、霞上響花という人間の本性が初めて表に出てきた。 「ああ、本当にうるさい人。でもこれくらい活きがいい方がいいのかしら」 「答えろって言ってぅゴブッ!?」  男の声を遮ったのは不意に腹に食い込んだ響花の右手。指からはみ出る程の石が握られたその拳は非力な女でも男を怯ませるには十分だった。掴みかかった腕の力が緩んだところで真正面から蹴り飛ばして彼の背中を大地という皿に叩きつける。 「いっ……何しふがふぐっ?」  振る舞う相手は愛すべきナーダ。待ってましたとばかりに大口を開いて男の顔へとダイブ。そのまま逃れるようにもがく頭を地面に押しつけて待ち望んだ食事をじっくりと堪能する。 「あ、ガ……ハハ」  自我を失うまでに男が唯一できたこと。それは人の皮を被った怪物を解き放ってしまった罪を自覚することだけだった。 「どうかしら? 選り好みはできなかったのだけれど」 「ビミ、ダッタ」 「そう、それは……ええ、とてもよいことだわ」  男だった肉塊が完全に機能を停止する。その顔から離れたナーダの姿は灰色の犬に似た姿へと変わっていた。進化という現象らしいが響花にとってはそれはさして重要なことではなかった。  ナーダは血塗れの顔で満面の笑みを見せてくれたのだ。その笑顔だけで響花はモンスターのために生きることへの躊躇を捨て去ることができた。  毒の吐息と落とし穴。進化によって目覚めた新たな捕獲手段を携えて、響花は自分の周囲から狩猟を始めた。手始めに自分の借金を握って閉じ込めていた店や組織の支部で関わりのあった男を与えると同時に響花自身を縛る枷を外した。次に与えたのは十年以上同じ家に居ただけの親戚達。特に長男はナーダの口に合ったらしく、響花に見せつけるようにじっくりと味わっていた。響花が理解できる言葉を話す際に詰まることが無くなったのもその頃だった。  直接的な繋がりのある人間を一通り餌として与えた後は、ある程度ほとぼりが収まるまで特異点Fに潜み、時折現代に赴いてはしつこい部類の刺客をナーダへの手土産とする生活をした。サングルゥモンという鋭い刃と影に潜む能力を持つ狼に進化したのはその最中で、調理も後始末の速度も飛躍的に向上したことを喜び、日本語で互いの感謝と愛を語らった。顔の傷が化粧で隠れる程度に癒える頃には餌志願者も現れなくなってしまったので、足のつかないホームレスに一夜の夢を与える代わりに命を捧げてもらうことにした。  ナーダと同じモンスターを餌としなかったのは戦闘でのリスクを避けるためだけではない。それ以前の話として、ナーダが人間しか食べられない食性になってしまったからだ。度重なる偏食で趣向という癖に深いところに人間の味が染み付いてしまったのだろう。ナーダ自身が口にしたその分析を否定することは響花には不可能だ。ならば彼女らに残された道は一つしかなく、仕方ないと自分に言い聞かせながら凶行を重ねた。  ここ二か月は夏根市で「御手洗(ミタライ)明日香(アスカ)」という偽名を使って自分が磨かされた技術が使える店で働き、アスタモンへと進化したナーダに目星を付けた男やしつこく近寄る男を捧げる暮らしをしていた。場所や手段が多少変わろうとも、そんな日々が続けばそれだけで良いと思っていた。――ケチがついたのは、そろそろ新天地に移ろうかと思った矢先のことだった。  いつものように相良啓太を連れ去ってナーダがその味を堪能しようとしたところでデクスの群れが現れ、そちらに意識が向いた隙を突かれて彼に逃げられてしまった。後を追おうにもまずは数の暴力を捌かなくてはならない。一つ一つの質は大したことなくても骨が折れると思ったところで、群れの中から一人の男が姿を見せた。  空軍パイロットのような合成皮革の衣装に身を包み目元もゴーグルで隠したその男は響花に一つの問いを投げた。  ――トラベラーを辞めるつもりはないか。  すべてをナーダに捧げる覚悟が出来ていた響花にとって、それは何があったとしても答えが変わることのないもの。ただそんなことを問いかけるということは抱える答えを口にすればデクスの群れとの戦闘が再開することは目に見えていた。だから、出来る限り自然な動きで撤退の準備をしつつ、誤魔化すことのできない拒絶の意思を静かに伝えた。  ――そうか。まあお前はそうだろうな。アレに近い部類の人間だからな。  だがその男は攻撃指示を出すことなく、デクスの群れを連れて踵を返した。  ――どうせ末路は知れているんだ。邪魔しないさ。最期まで好きにやればいい。  それが男が去り際に残した最後の言葉だった。  
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パラレル
2020年7月26日
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<< 前話へ 目次 次話へ>> Episode.8 "紫髪の吸血姫"  ネオンが妖しく光るホテル街も陽の光を浴びるうちはそのなりを潜める。寂寥感すら覚える静かな通りを曲がればさらに音のない路地裏に出る。その片隅で響くのは, 腰を下ろして溜息をつくモッズコートの二人組の小言だけだ。 「これで何件目だ」 「捜索願いが出ている分で今月は二十六件ですね」 「三十は見積もれってか。一日一人消えるとか笑えんぞ」  体型からしてタヌキ親父という印象の似合う中年男性はぼやきながら懐からシガレットケースを取り出して気休めの一本を咥える。 「仕事中ですよ」 「駄菓子だよ……ちょっ、取るな」 「なんでしょうもない嘘ついたんですか」  呆れ顔で没収する堅物な後輩を恨めしそうに見つめるのに飽きたところで、彼は煙が昇るはずだった空を見上げる。 「お前の後釜なんて御免だったのに……ミイラになってどうすんだよ、斑目」  どれだけ視線を動かしたところで探し相手が見つからないことは分かっていた。 「同じものばかり食べてよく飽きないな」  自身と似て非なるシルエットの死骸を貪るカインを眺めながら渡は溜め息を吐く。デクスの生産工場への調査を後に控えていてもその間もカインは腹を空かせる訳で、トラベラーとして契約した分の役割を果たしに行くのが最早日課になっていた。 「単純に足りないんでしょ。選り好みもできないし」  同行した真魚の方は既にパートナーの空腹を満たしているらしい。同じ食事でも図体の分だけ消費するエネルギー量が違うのだろう。  食事の頻度が増えたのは獲れる獲物が変化したからだ。生のデジモンよりもデクスを見ることの方が多くなり、必然的に奴らを餌とすることも増えた。幸い現在のカインと酷似した姿の個体も単体のスペックはカインに劣っているため、はぐれた個体を狙えば難なく捕食することもできている。それでも喜べないのは黒木場秋人らが関わっていること以前に単純に生のデジモンと比べて栄養価が低いらしいこと。戦闘の負担と栄養価のトレードオフが発生している訳だが、選択肢が限られているから実質的には狩りの方針変更を余儀なくされているようなものだった。 「食えるときに食っておけということか」  それでも糧に出来るのなら今はそれでいい。生産工場(プラント)への潜入調査を明日に控えた今、些事に文句を言っている余裕はない。 「物騒な青春の一ページですね」 「人のことは言えないだろう」 ぼやきに対する将吾の返答に椎奈は曖昧な笑みを浮かべたまま首肯する。ふざけた未来に渡り、契約した化け物が他者を貪る様をただただ見つめる。そんなものを自分達の青春であると認めたのは自分自身だ。それだけの理由がただ死にたくない以外にも各々の中にあるのだろう。 「――ひ、人だ! 助けてくれぇ」  だから、ただ生存を望むその声は自分達からは遠いもののように思えてしまった。  それでも聞いてしまった以上は見捨てられないと思える心は残っている。心の一割程度は警戒心の居場所を作って声のする方へ目を向ける。その先には若い男が両膝と片手を地面についてこちらに潤んだ瞳を向けていた。 「周囲にモンスターは居ないな。行こう」 「言ってる場合?」  渡の警戒は間違ってはいない。反射的に口をついてしまった真魚もそれは分かっていたが、訂正の言葉を口にする気にはなれなかった。 「大丈夫。ここには敵が居ません。お水でもどうぞ」 「あ、ああ。……助かる」  年は二十台前半。丁寧にセットされていたであろう金髪は無様に乱れて、上等そうな白いスーツは砂に塗れている。女性と酒を酌み交わして夢を見せる仕事でもしていたのだろうが、今の彼からは他人に何かを与えられるだけの余裕は微塵も見えなかった。黒木場達とつるんで囮役をしているという可能性も考えはしたが、それにしてはあまりに迫真の演技過ぎる。 「腕にX-Passがないな。トラベラーじゃないのか」 「パス? トラベラー? 何のことだ。何なんだよここは?」 「私達は『特異点F』と呼んでいます。……何というか、モンスターが跋扈する世界で、理由なく居ちゃいけないところ」 「望んで来た訳ないだろ!」  モンスターに人間が駆逐された未来であることを伏せたのは脱線を避けてのことだった。その代わりに男の疑問が完全に晴れた訳ではないのは当然だが、そもそもトラベラーですらないからまともなチュートリアルも受けられてはいない。それは身を守るためにモンスターと契約する術も無く、一時的な帰還すらできないということでもある。状況的にはこの場の誰よりも最悪のものだ。 「なら、あんたはどうして来たんだ?」  そうなるだけの過程と理由には心当たりがあった。そこまで難しくもなんともないが、あまり受け入れたくはない類のことだ。 「キョウカって女に連れて来られたんだよ。――そいつが連れてるバケモンに食わせるためだって」  トラベラーは特異点Fから新たに物を持ち出すことはできないが、一方的に物を持ち込むことができる。その対象に生物は含まれていないということはない。野良の小動物を持ち込んで食わせているトラベラーも居たと恭介から聞いたこともある。ならば同様に人間を持ち込むことができてもおかしくはない。おかしくはないが、トラベラーといえどそれを実行する精神性を持ち合わせているものはあまりに稀有だった。 「よく生きて逃げられましたね」 「偶然だよ。近くで爆発が起こって、他のバケモンが乱入してきたからそのどさくさに紛れてなんとかなっただけ。ちょうどそこの赤いのと似てる奴らだったな」  それくらいの外部要因と物にするだけの機転と運が投げれば死んでいた。男もそれくらいは分かる程度に落ち着いたようだ。 「帰る方法は無いのか? 何でもするから助けてくれ」 「お話を聞いていただけるのなら、先に謝っておきますね。ごめんなさい」 「なんでだ? 君が謝ることなんて何もないだろう」 「この世界から根本的に助かる手段は私達にも無いんです。私が提示できる手段を使っても一時的に帰れるだけで、私達のように定期的にこの世界に行かなければならなくなります。……それでも私の案に乗りますか」  それには椎奈の穏やかに諭すような口調も影響している。柔らかに下手に出ながらも、口にする事実は覆しようのないもの。理性が戻りつつある男の頭は安易な退路がないという現実を理解しつつあった。 「それでもその手しかないんだろ。選択肢が無いのにもったいぶらないでくれ」 「分かりました」  男の覚悟は椎奈が仲間としての笑みを浮かべるには十分だった。上手くいった場合に集団に属する可能性のある相手を丁重に扱うのが彼女のやり方だ。彼を救える手段は集団が超えてきた忌むべき過去の一つなのだから。 「X-Pass――これがないと現代に帰ることはできません。だから、使われなくなったX-Passを探してリサイクルします」 「そうか。で、それはどこに」 「運よく死に場所に足を踏み入れるか、墓荒しして見つけるかってとこか」 「そういうことですが急に口を挟まないでくれます、将吾さん。別にもう話しづらいとも思いませんし」 「冗談じゃ……ないのか」  死体のX-Passは契約切れ扱いとなり、それを回収して別の人間をトラベラーにすることは可能だ。椎奈はその現場を見たか、或いは居合わせた人間に聞いたのだろう。淡々と語る言葉にはそれが可能な事実を受け止めてきただけの重みがあった。 「といっても使えるものの場所が分かればさして難しいことではありません」  椎奈の契約相手たるピッさん――ピッコロモンというモンスターにはあらゆる場所に出現できるという能力がある。別の場所で回収だけしてその能力で相良の元へと運べばいいという話だ。 「寧ろ考慮すべきは別の危険でしょう。あなたを連れて来た女は逃した獲物に執着する類の人間ですか」 「……多分、ない」 「ね、難しいでしょう」  相良が気を張るべきはそれまで命を繋げること。それまで実行犯がおとなしくしているという保証もない。デクスに襲われたといってもそこでくたばったとは限らない。寧ろ可能性は低いと考えるべきだ。 「一度戻ります。備品持ってこないと」 「一緒に連れ帰ってくれ」 「それは無理です。人間が戻るのだけは不便なんですよ、ここ」 「……そうだよな。できるならこんな話はしないよな」  まるで人間をこの未来に縛りつけようとしているようだ。椎奈と相良の話は渡達にそんな印象を抱かせる。自分達にX-Passを与えた者はトラベラーが増えることを推奨しているのだろう。ならばいっそここで落としてくれれば話はすぐに終わるのに。そのぼやきは口にする必要もない程の共通認識だった。 「諦めて真魚さん達に匿われてください。まだマシなところしかないでしょうけど」 「そうするよ。見た目と口調に反して辛辣だね」 「ふふふ。真魚さん、後はお願いします」 「ええ。保存食と水、後は防寒着くらいはお願い」  強張った笑みを浮かべながら椎奈が一時帰還した後、渡達は男を連れてまだ丈夫そうな廃墟を探す。襲撃を警戒して三人が残るかたちになったがそれは杞憂に終わる。 「戻りましたよっと」  椎奈がリュックサックを抱えて戻ってきたのは、相良(サガラ)啓太(ケイタ)と改めてそう名乗った男を草木に侵食された遺跡じみた廃ビルに押し込めて五分後のこと。中には相良の命を数日繋ぐための消耗品や備品が詰まっている。これが持つ間に帰還の手段を確立する。 「みなさんも一旦戻ってください。巽さんには先に一応話は通してますから」  何にせよコミュニティとして相良の身を預かるのなら、巽恭介や他のメンバーの意見ととも帳尻を合わせる必要があるだろう。椎奈がどう話したかは知らないが、高校生数人が独断で扱っていい問題ではない。それでも公権力ではなくトラベラーが対処できる問題だ。 「キョウカという女に連れされた男を保護したから帰るまでの面倒を見る。要点をまとめるとこういうことかな」 「そうですね。面倒事を持ち込んで悪いとは思ってます。でも、放置はできなかったんで」  現代へと戻り洋菓子店パトリモワーヌに赴く。店内で待っていたのは店長の巽恭介と射場正道、そして店の片隅で文庫本越しにこちらを観察している斑目ラン。真魚が恭介と話している間、手持無沙汰になった渡と将吾はその視線が気になって仕方なかった。 「斑目、何か用か?」 「ああ……ごめん。悪気はないんだ。ただ僕にもその話を聞かせてもらえないか」  ついには将吾が大股で詰め寄り、二割増しに不機嫌な顔を近づけた。気の強くない同学年くらいならすぐに怯むような迫力にも負けず、務めて冷静かつ穏便に答えているのはランも相応の修羅場を乗り越えているということだろう。そう関心する渡はランの膝が僅かに震えていることを見逃していた。 「そういうことなら別に構わない。いいだろ、巽さん」 「問題ないよ。その点は私も了承済みだ」  正当に許可を得られればランとしてもカモフラージュと趣味の両立に勤しむ必要はない。本を閉じて渡達の元へと歩み寄る一歩に震えがあるとしても、その根源は恐怖と異なるものだろう。 「先に綿貫さんから提案を受けていてね。明日生産工場(プラント)に潜入するメンバーを一部入れ替えてでも、何人かはあの人に割いてもいいんじゃないかって」  「いいんですか?」  恭介の言葉は帰還したばかりの三人には予想外のものだった。以前に将吾や正道の調査で見つけたデクスの生産工場(プラント)への調査は間近で、それに向けた準備のために今日も餌やりに勤しんでいた。だがその準備の目的を蔑ろにしてもいいと言っているのだ。 「数人減らしたところで支障はないだろうし、元々非番の人間も居たからね。それに斑目くんのように相良さんとやらの方に意地でも一枚噛みたい人もいるから」 「流石にばれてましたか」  ランの今までの挙動の理由が相良啓太にある。厳密には彼が巻き込まれた事件とあの状況にまで追い込まれた過程にある。 「相良さんと知り合いって訳じゃないだろ」 「キョウカ」 「あ?」 「その男、キョウカという女に連れられてきたんだろう。――おそらくそいつが『紫髪の吸血姫』だろうから」  都市伝説曰く、昨今の夏根市周辺で報告される行方不明者――特に男はある女の手によって葬られているという。男を路地裏誘い込み、人ならざる力で悲鳴一つ上げさせずに殺しその血を啜る。奴の手に掛けられたものは死体すらこの現代に残らない。ある被害者に寄り添っていた後ろ姿を目撃したという説が濃厚だが、理由はどうあれ紫髪という枕詞は後からつけられたという意見が大勢だ。 「あの人は真面目で優秀な警察官だったらしい。最近では行方不明事件……とりわけ『紫髪の吸血姫』絡みの事件なんかを調べて……最後は自分が行方不明になった」  ランがトラベラーになった動機もその叔父に絡んだことだろう。仮に叔父との再会を願いとして掲げていたとしても、叔父の行方不明までの過程についても執念を抱いているのは間違いない。だから似たような手口で相良を未来に追いやったキョウカとやらをみすみす見逃す気にはなれなかったというところか。ランの話を聞いた今では渡達も正直なところキョウカが『紫髪の吸血姫』である可能性が低くないと思っていた。 「私としては斑目くんはこの件に回ってもらって構わないと思う。無論、君達も自由に選べばいい」  明日の予定は二択。相良啓太の護衛をしつつ彼の帰還の手助けをするか。デクスの生産工場(プラント)への潜入調査に参加するか。それは求める観点で言い換えれば、比較的危険から遠い可能性か、価値ある情報を得る機会かの二択というところだろう。 「俺は生産工場(プラント)の方に行かせてもらいます。人の面倒まで見切れないんで」  それはトラベラーとしての願いにどれだけ執着し優先するかの指標でもある。将吾が初対面の他者よりも身近な相手との再会の可能性を優先しても文句は言えない。生産工場(プラント)そのものが「X」に関与していると確定していなくても、得るべき情報には手を伸ばさずにはいられないのが執着するが故の副作用。一方でそんな自分を堂々と肯定できるのは自分より人道を優先できる仲間を多少は信頼しているからでもある。 「なら私は相良さんの方に行きます」  その一人が真魚で、彼女がその選択をするであろうことを将吾も薄々感づいていた。初対面時は自分よりも執着している印象を受けていたが、ここ数日はどこかの誰かよりも落ち着いて見えていた。 「渡、あんたは?」 「俺は……」  寧ろ将吾から見て分からないのは渡の方だった。渡には将吾ほど執着する願いもなければ、相良啓太に対して返さなくてはいけない恩義がある訳でもない。 「相良さんの方にする。別に寄り道しても問題ないから」  理由が何であれ将吾としてはどちらを選んでも問題はない。だから答えを口にした渡の顔が少し強張っているように見えたのも気のせいだと思うことにした。 「決まりだな。綿貫と俺もそいつの面倒を見ることになってる。よろしくな!」 「それで射場さんも居たんですね」 「流石に高校生だけにやらせるのは気が引けるからね」  最後のメンバー兼保護者役として正道を恭介が推薦した理由は考えるまでも無かった。あれは冷静さを取り戻した大人の男性が変なことを考えないようにするための抑止力だ。現代の裏社会で生きていてもおかしくない面構えと無駄に大きい声を目の当たりにすればしょうもない悪巧みに至るまでの色々なものが萎えるだろう。    翌日の午前十一時。渡はパトリモワーヌで真魚とランと合流し、相良啓太の居る未来へとトラベルした。正道は夜からトラベルして相良の護衛に回り、椎奈は別行動でX-Passの回収を担当している。将吾や恭介らの方も生産工場(プラント)への侵入作戦を始めた頃だろう。順当に早く終わったのならそのまま合流することを進言したが、相良を確実に助けるのを優先するように言われた。  相良に提供するX-Passの回収候補として以前に渡達の前でオオクワモンの犠牲となった男性のものを流用することも上がったが、その墓地から相良の隠れ家までの距離がピーコロさんの能力では無理だと椎奈が却下した。代わりに提示されたのが二日前に別のメンバーが遭遇した手遅れの現場。加害者たるモンスターは直後現れたデクスの群れとの戦闘になだれ込み、メンバーはその隙に離脱したという。  遺体とX-Passについては可否が確定次第椎奈の方からアクションがあるだろう。それまでは一旦落ち着いて待機しておけばいい訳で、その余暇を潰す手には満ち足りていた。 「身長は百六十から百七十の間、年齢は二十台前半で間違いないと」 「ああ。サバ呼んでも分かるからな。間違いない」  キョウカについての情報収集はランが率先して行っていた。畳み掛けるような質問に答える相良は荒廃した未来で一夜を過ごしたとは思えない程に落ち着いていた。必要な物資と強面の護衛を与えたとはいえ随分神経が太いものだ。だからランも遠慮なく聞いているのだが。 「髪の色は?」 「黒と言えなくもないけどそうでもないような」 「紫に見えたりはしましたか」  疑念の核心に切り込むのにも躊躇はない。これは相良啓太が「紫髪の吸血姫」の――その原型たる殺人鬼の遺した足跡かが確定するものだ。だからこそランに我慢できるはずはなかった。 「言われてみれば……そうだ。車のヘッドライトからあいつが顔を背けたとき確かに紫に見えた。毛先なんか鮮やかなものだったよ」  曖昧な印象も光に透かしてみれば真実として照らされる。暗めの髪は強い光に翳すと艶やかな紫を返したという。それが自分の追い求めていた相手の毛髪であることをランは喜べなかった。その時間も髪の持ち主に近づくために使わなければ意味がないのだから。 「――すみません。キョウカのことをもっと教えてもらえますか」 「蠱惑的っていうのはああいうのを言うんだろうな。君らが入れないような店に勤めててて指名率も高かった。俺からすればテクニックはあったが感度は微妙だったと思うけど」 「随分余裕ありますね」 「悪いね。本気でからかうつもりがあったんじゃない。ただ、そういう仕事とは別に妙な色気のある女だった」 「へえ、大人の男としてどう違いを感じたんですか」 「虫には他の虫に麻酔毒を打ち込んで無防備に動けなくなったところを食べたり、卵を産みつけたりする種が居るだろう。その麻酔毒みたいな感じといえば分かるか」 「恍惚感に誘われて殺されるまで無抵抗になってしまうと」 「そう。食われそうになる直前まで俺の頭もふわふわしていた」  男を貪り続けていたに相応しい危うい妖しさ。その色気は情欲を誘う女の魅力というよりはある種の魅了(カリスマ)めいたものと言うべきだろう。何せ己の命まで無抵抗に貢がせようと思わせるのだから。餌やりという名の殺人よりもその在り方こそがいっそ都市伝説じみている。 「――おでましですが」  聞く前よりもキョウカに対してミステリアスな印象を抱いてしまったところで質問時間は終わった。ビルの壁や窓など関係ないかのように桃色の球体が出現し、そこから四肢と羽が生える頃にはそれが椎奈の契約相手のピーコロさんであることは分かった。 「このざまです」 「予定通りだよ。ご苦労さん」  ピッさんが両手に掲げるのはこの未来で見ることのなかった灰色のカード。それはX-Passが現代において取る姿だ。この形状を特異点Fで使えるのか。相良啓太を新たなトラベラーとすることができるのか。情報としては可能だと聞いていてもこの目で見なければ不安なもの。実際に彼の左腕に載せたカードから唐突にバンドのようなものが伸びてその腕を縛り上げて一体化するまでは確信を持てなかった。 「これで戻れるのか」 「モンスターと契約しないとな。そしたら俺達の仲間だ」  左腕に張り付いたX-Passを様々な角度から眺める相良の背中を正道は叩く。彼にとって軽くても見た目チャラ男にはそこそこのダメージで思わずつんのめるが、地面とキスする前にランが腕を取ってくれたので彼の商売道具が傷つくことはなかった。 「あいあむほーむしっく」 「ありがとう。椎奈にもそう言っておいて」  役目を終えたピッさんは来た時の逆再生のような演出でこの場から姿を消す。椎奈もこのモンスターも十分役目を果たしてくれた。人を喰らったモンスターが人を助ける重要な役割を担うこともある。 「契約するモンスターってあれでいいのか」  相良が指差すのはビルを隠していた茂みの奥。こちらに近づく羽音は人体以上の質量を動かしているもので、その容姿が見えにくかったのは体色が保護色を為していたから。周辺にそんな真似ができる種が居ない隠れ家を選んだつもりだったが見逃していたらしい。 「そうですね。アキ、お願い」  どんな相手であれモンスターの契約という点においてはこれ以上有利なこともないだろう。護衛として同行していた面々には音で相手の行動を制限できるセイレーンモンのアキが居るのだ。高いソプラノが美しい第一曲を聞かせれば虫の麻酔毒のように無抵抗になる。  仮にそれが通じずとも、ドルグレモンのカインにリボルモンのビリー、ウィザーモンのマーリニと他の面々の契約相手も控えている。相手が一体の場合なら大概のケースで過剰戦力と言われても仕方のない面々だ。 「落ち着いたようね。行きましょう」  茂みを抜けた先、荒涼とした平原にそぐわないビジュアルのモンスターがそこに居た。半人半馬のようなシルエットだが茂みに溶け込める緑の甲殻が形作るのは巨大な虫という印象を与えるボディ。両手の先から生えている鋭い刃の鎌は自慢の武器だと誇示しているようだった。 「スナイモン。進化段階(ランク)は成熟期(アダルト)」 「カマキリみたいなモンスターか。意外といえば意外だな」 「何でもいい。こいつに名前をつければいいんだったよな」  自分のものとなったX-Passのボタンを叩きながら相良はスナイモンへと歩み寄る。契約の手順は先に聞いている。対象を選んで、経路(パス)を繋ぎ、名を与えてそれを確立する。それがこれまでの苦難の終わりにしてこれからの苦難のはじまり。それでも自分なら頑張れると相良は確信していた。この一日で生きることの難しさと尊さを知り、頼りになる仲間と出会えた。だからきっとこの契約で結ばれる相手とも上手くやって生き延びていける。日常の何割かがそれで侵食されても良いと思えた。 「よろしく頼むよ、ジャック」  手を伸ばし、感覚的に経路(パス)を掴み、名前で封じる。その三段階を乗り越えた瞬間、相良のX-Passが契約相手の甲殻を彷彿させるデザインに色づく。契約はここに結ばれた。後はその力を借りて現代に戻れば新たな生活がようやく始まる。  相良の指が再度X-Passに触れるより先に爆ぜるような音が聞こえた。それがどこから聞こえたものかを特定する頃には既に遅かった。  ジャックと名付けられたばかりのスナイモンの身体が沈む。アキの催眠はとうに解けているが奴には自分の身体を支えることはできなかった。それを実行する意思も命もとうに尽きていたのだから。 「――啓太さん、ようやく見つけた。勝手に逃げるなんてひどいひと」 「キョウ、カ」 「相良、下がってろ」  不意に脳を心地よく揺さぶるような声が聞こえた。確かにこれは麻酔のようなものだ。それでも正気で居られたのは相良が真っ先に彼女の恐怖を思い出して警戒心というかたちで伝播したから。今目の前に立つ女は相良啓太を殺し損ねた殺人鬼にして「紫髪の吸血姫」の正体だ。  容姿は啓太から聞いた情報と相違ない。暗い色合いの髪も陽光に照らされた部分だけは紫に透けて見える。蠱惑的な雰囲気は職業故のものではなく天性のもののようだ。動作一つ一つが男を惹きつける佇まいや超然とした雰囲気をカリスマと呼ぶのなら、それを与えたのが悪魔だと言われても驚きはしないだろう。 「キョウカ、あれは捨て置いていいか」 「ええ。放っておいてもそこのモンスター達が勝手に処分してくれるわ」  傍らには彼の契約相手らしきモンスターが立ち、銃口から煙が昇るマシンガンをこれ見よがしに掲げていた。シルエットは人のそれでもコートを突き破って生える黒翼は身体と直結したものだ。獣のマスクに隠されている素顔が人と同じであろうとなかろうとその本質は素晴らしく人でなしだろう。 「貴女がキョウカだな。いったい何人殺してきた」 「私は啓太さんに用があるの。せっかくこの子のために連れて来たのにもったいないでしょう。貴方の用はそれからにしてくれる?」  彼女の眼中には獲物とそれを与える契約相手以外存在しない。獲物に向く視線もそれを契約相手が貪る未来を見ているに過ぎない。 「何人殺してきたと聞いているんだ!」 「……ごめんなさい。私だってやりたくてやってるんじゃないのよ。でもこの子は――ナーダは人間しか食べられないから。だから、仕方ないでしょう」 「仕方ないって……そんな風に言わないで! 人殺しと何が違うのよ」 「さあ。確かに対して違いはないかもしれないわ。でも、人が殺して食べることと人が死んで食われることの違いって何なのかしら」  ここまで話している間にもキョウカの視線は誰とも重なることはなかった。彼女の価値観で返ってくる言葉は質問者を逆に困惑させる。本性を曝したキョウカと相対した今なら分かる。超然とした雰囲気を感じたのも、ただ相互理解が不可能な人間と相対していたための錯覚に過ぎない。 「難儀な趣向だな」  もしその価値観を否定しない言葉が出たとしたらその意図は二択だろう。混乱しながらも彼女の価値観に表面的にでも合せようとした戯言か。それともここまで聞いた話を理解した上での率直な感想か。 「あら、君は分かってくれるのね」 「渡、何を言ってるの」  一気に視線を向けられたところで渡の表情から言葉の意図を判断することはできない。汗や表情の強張りもなければ呼吸も平常時と大差ない。ただ自然に口をついたとすれば意図は後者と考えるべきだろうが、同情するような気配もなければ戦意は維持したままだ。 「止めてくれ。お前のことを分るつもりはないんだ」 「そうね。私も私達のことを誰かに分かってほしくはないもの」 「ただ、自分でも分からないけど、気に食わないとは思う」  本人にも言語化できないのならば特定するのが容易でないのは当然だ。それを明らかにすることを望む者もこの場には居ない。最低限必要な意思という結論自体は固まっているのだからそれを翳せば十分だ。 「それは残念。薄い重なりでも同族嫌悪ってあるのかもしれないわね」 「どうだろうな。けど、前に街で見たときの直感は間違いじゃなかったみたいだ」 「……本当に残念だわ」  そのやり取りで話に使える時間は終わる。キョウカの目も渡達を敵だと明確に認識した。相互理解が不可能で互いの存在が邪魔でしかないのならやれることは一つ。ここは力のみが支配する未来なのだから。 「待て。俺達の話は終わっていない!」  言葉に反して先陣を切ったのはランとその契約相手たるウィザーモンのマーリニ。キョウカの頭上とその後方を覆う雷雲。ここまでの会話の裏でマーリニが詠唱を重ねて仕上げた魔術の結晶。開戦を告げる雷に躊躇いはない。  ナーダはキョウカを抱きかかえて落雷と踊る。大事な契約相手の身体はコートと己の身体で徹底的に隠し、少しでもダメージを受けないように気を配る。契約の経路(パス)による防御結界など当てにしていないような動きは宛ら姫を護る騎士のようだ。だが、落雷を避けながらも敵を視界に入れる目は蛮族のように血走っていた。 「何をする。何故キョウカを虐めるんだ。全員食い殺した方がいいか」 「いいのよナーダ。私なんかのために無茶しなくていいから」 「……違うんだキョウカ。俺が食いたいんだ。だって、もうお腹が空いて仕方ないから」 「そうなのね。それなら仕方ないわ。好きなだけ食べていいから」  目の色が冷静さを取り戻せるのは契約相手が与える言葉しかない。一人と一体の完結した世界。その世界で下された結論は相違する意見よりも優先される総意。ランや真魚がキョウカの言葉を受け入れられなかったのは当然だ。キョウカとナーダの間でのみ育まれた価値観なのだから。  軽やかな足取りのまま雷雲の外に抜け出て、キョウカとナーダは向かい合う。追撃を考慮すれば話し合える時間はわずかだが、彼女らにとっては十分すぎる猶予だった。 「ありがとうキョウカ。アァ、ヴ、ウォオオオオァッ! ……さて、狩りを始めるか」 「ええ。私も出来る限り助けるわ」  自分の頭に念を籠めるように両手を側頭部に寄せた後に響かせた咆哮に己がモンスターであることを恥じて隠しているような弱音は存在しない。そんな人でない背中をキョウカは愛と熱の籠った視線で送った。  
X-Traveler Episode.8 "紫髪の吸血姫" content media
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パラレル
2020年7月26日
In デジモン創作サロン
<< 前話へ 目次 次話へ>> Episode.7 "血と縁のバックログ" 「ここで死んでくれる?」  そう告げて真魚はアキをけしかけてきた。真魚の感情を乗せるような絶叫は質量弾へと変貌して渡に襲いかかる。言葉の真意を推測する猶予はない。咄嗟にカインに鉄球を迎撃を目の前に落として防壁とする。  思考が混乱の迷路に入るより先に、最優先のタスクを真魚の思惑を把握することから目の前の戦闘への対処へと移すことはできた。できることなら倒すことなく、あまり激化させずに終わらせたいのが本音だ。先に仕掛けてきた件についてはここで返さずとも貸し借りの計算要素に回せばいい。すぐにケリをつけられずとも、せめてある程度話が通じる状況には持っていきたい。 「腹立つほどに良い反応。結局あんたも死にたくないんだ」 「仕方ないだろ。今死ぬわけにはいかないんだから」 「そういうところ、本当に嫌い」  その困難さはこのやり取りと直後に飛んでくる音波弾で嫌というほど分かる。防壁代わりの鉄球も限界を迎えつつある。球という形状ゆえ、度重なる攻撃で圧されたそれはゆっくりと転がり始めて守るべき相手に牙を剝き始める。 「この」  流石にそのまま無様に圧し潰されることはない。ドルグレモンという種が発現させられる金属の形状は球以外もある。地面から突き出される杭がその一つ。波のように連続で飛び出すそれらは自身を犠牲にして大球を視線の先の相手に押し返す。  転がる大玉。杭の後押しもあって砂に足を取られることなく進むそれは音の弾の波に真正面から晒される。だが、それでも容易に押し返される程でもない。鉄球の特性を理解しているうえに元々の出力もカインの方が上。それでもアキは逆に一歩ずつ前進しながら声を上げる。  距離は十センチほどまで来た瞬間、鉄球は砕けて相対する二組に再度互いの姿を見せさせる。体積のわりに予想より早く砕けたのは鉄球に中身がなかったから。 「いったい何のつもりだ」 「二分前の自分に聞けば?」  当然の質問に返ってくる言葉は刺々しさを隠す気もない。前回のトラベルで多少はましな関係性になれたのは気のせいだったのか。渡が真魚に呼び出され、ともに特異点Fに飛んだのはほんの数分前のことで、そこから軽く話しただけだというのに、何故曲がりなりにも仲間の自分に牙を剝くのか。  せめての温情は言葉通りに受け取れば彼女の態度に繋がるヒントを混ぜてくれたこと。ひとまず素直に戦況の監視と平行して記憶を遡ってみる。  その日、渡は真魚に呼び出されて彼女のバイトが終わるまで洋菓子店パトリモワーヌで時間を潰していた。個人的な呼び出しは初めてのこと。心当たりはすぐには思いつかないが、前回のトラベルを経て彼女にも何か思うところがあったのかもしれない。次のコミュニティとして取り組む作戦には日があるため、カインの空腹も前日までに満たしてきたが、先んじて調べておきたいことがあるのならそれに付き合うのも悪くはないだろう。 「お待たせ」 「お疲れ」  バイト終わりまで女性を待つという様は傍から見ればそれなりに親し気なものに見えるのだろうか。そんな思考は自意識過剰だと頭から消して、真魚とともにパトリモワーヌから出る。店の中で話をしないのは真魚からの希望。つまりこれは他の面々とは関係ないもの、或いは聞かせたくない類のものだろう。 「ちょっと付き合ってくれる」  少なくともこの世界で気軽に話せるようなことではないようだ。渡にだけ見えるようにX-Passをちらつかせる姿は調査に誘うにしては幾分か挑戦的な印象を与えられた。おかげで逆に彼女の口調とは対照的に、あまり軽い気持ちで応えられないようなものだと感じる。 「ああ」  だが、そもそも渡は軽い気持ちで応えられる人間ではない。真魚には大きな借りがあるからだ。前回の秋人との戦いで渡を助けたのは巽恭介だが、彼に渡の危機を誰よりも早く伝えたのは、秋人の挑発に従って渡が帰還させた真魚だった。真魚を逃がしたことを渡が貸しにする気がない以上、後に自己判断で増援を呼び寄せてくれた相手の頼みを反故にすることはできない。特に迷うような素振りも見せることなく、慣れた手つきで特異点Fへと飛ぶ。 「前のときはその……ありがと」  そこで何が来るのかと内心警戒していたところで、投げかけられたのは予想外の感謝だった。不意打ち極まりないそれに渡はすぐに反応することができず、感情と記憶を整理するのに数秒消費した。 「前って……秋人とのことか。それなら、寧ろ感謝するのは俺の方だ。素直に俺の提案に乗ってくれたし、巽さんを寄越してくれたのも小川だろ。お前にも巽さんにも大きな貸しだよ」  結局渡の口から出たのは、彼にとっては謙遜などない本音。状況が状況だったとはいえ、渡からすれば真魚は自分の望みを聞いてくれた上にフォローまでしてくれた。見栄を切って見送った癖に、あの助けが無ければ渡は危ない状況だったのだ。 「止めてよ。私は頼んだだけで何もしていない。あんたを置いて逃げた卑怯者でしかないんだから」 「お前が頼んでくれたから巽さんは来てくれた。借りは借りだ。だから今日呼ばれたのも、それを返すいい機会だと思ったんだが」  謙遜が籠ったように思える言葉で返されれば、真魚も同じだけの謙遜に満ちた言葉で返してしまう。最初から謙遜のつもりもない渡は真魚少し自分を卑下し過ぎではないかと思っていた。だが、出来ることは結局本音を偽る気はないと示すことだけ。端から見てもどれだけ奇妙な意思の押しつけであっても、その根底にあるものが渡に根付いた価値観だった。 「……何それ。いっつもそんな面倒くさいこと考えてるの」 「借りは返す。当たり前のことだろ。まあ今ある借りを返そうにもまだ時間かかりそうだが」  ならばここで真魚が嫌悪感らしきものを見せたのは、渡の言動から染み出るその価値観に対してということになるだろう。 「馬鹿みたい。……よりによって、なんでこんな奴なの」 「こんな奴ってなんだよ」 「そう言いたくもなるっての」  或いは抱いていた期待を裏切られたから。何を思い、何を望み、どう裏切ったことになったのかは彼女にしか分からない。少なくとも、ここまでのやり取りを遡ったところで渡が真魚の変化の原因を特定することができなかった程に、彼女はこれまで明確な言葉として表に出さなかったものだ。 「あのシェルターに行こうかと思ったけど……止めた。あんた私に借りを返したいのよね。だったら一つ聞いてよ。――ここで死んでくれる?」  だから渡からすれば、真魚の急襲は意味が分からず、数十秒は対処に戸惑うものだった。 「悪い。思い当たることがない」 「馬鹿じゃないの? 抵抗する気がないなら、おとなしく私の望み通りになれば」  女心は分からないと素直に言ったところで返ってくるのは当然の罵倒と呆れたような溜息で、アキの攻撃が止まることもない。ならば渡も応戦しつつ、言葉でも真魚に応えることしかできない。 「悪いけどお前の望みを今聞くことはできない。今抱えてる借りが無くなったら……せめて二年は待ってくれ。目の前で殺されてやるから」 「ふざけるのもいい加減にして!」  尤も渡なりに答えたつもりでもそれが受け入れられるかはまた別の話。怯える様子もない予想外の返答は真魚からすれば煽りにしか聞こえず、彼女の感情をただ逆撫でする。  連続で飛んでくる音波弾。最初の一発よりも単発の重みが軽くなったと判断したところで、カインは突進。咄嗟にアキは口にしている曲を変更し、攻撃手段を音の弾ではなく、低周波による感覚阻害に変更。だが、それでもカインは止まらない。飛翔する前に一時的にキャストで筋力と耐久力、持久力を強化する方向で渡は性能(パラメータ)を振りなおした。その差がカインの動きを鈍らせることのない、歌い手へと迫る地力へと変えた。  一直線の突進を辛うじて躱すアキ。だがそれで終わるほどカインは甘くなく、地に足を着けるよりも空中への上昇を優先。同時に鉄球を再度生成して、アキへと墜とす。  鉄球は即席ゆえに体積も密度もしれている。真下から少ない音符の弾で砕けさせるにはさして手間はかからない。それでも仕切り直しの時間稼ぎには十分だ。 「なんで俺に死んでほしいんだ? 得することでもあるのか?」  鉄の雨をバックに渡は真魚に改めて問いかける。良かろうが悪かろうが借りは返すべきだ。だが、渡には真魚から死を願われるほどの悪行を為した記憶はない。ならば結局は彼女に聞いてみなければ分からない。仮に過去の理由がなくとも、せめて今後の答えになる本音くらいは聞き出さねば。渡としては秋人の場合と違い、真魚をただ歯向かってくるからと排除すべき敵だと認識したくはなかった。 「別に。ただ気に食わなかっただけ」 「なるほど。気は晴れるのか」 「そうなったら万々歳ね。――ずっとあんたのことは嫌いだったんだから」  ようやく聞き出せたのは今までの態度からか納得は出来てしまう本音。だが、それだけで殺意を向けられるのも堪ったものではない。それに最後の言葉についても渡は少し引っ掛かっていた。本音であることに変わりはなくとも、解釈によっては彼女がその言葉を口にして自分を狙う理由に迫れる気がした。 「会ってまだ一か月も経ってないだろ。そんなに嫌われることしたか」 「さあ? あんたを嫌いになるのに二日も要らなかったし。何しても関係なかったでしょうね」  あまりに辛辣な拒絶は急に始めたものではないと真魚は言う。初めてパトリモワーヌでまともに話したあの日から、彼女は渡に対して複雑な執着心を持っていた。それが殺意となって表出したに過ぎないのだと彼女は冷ややかに笑う。 「それは嘘だな」  それでも渡は今日までに交わしたやり取りがすべて殺意に結びつくようなものではないと感じていた。確かにあからさまに不審な視線や挙動を向けることはあったが、それらがすべて刺々しい感情によるものだったとは渡には思えなかった。 「何を根拠に」 「俺とカインがまだ生きていることだ。もし本気でずっと前から俺のことが気に食わなくて、今日この時に仕留める気だったなら、俺に礼なんか言わずに仕掛ければよかったはずだ」  この戦いだってそうだ。真魚に殺意があったとしても、まだ手段を選んでいる。セイレーンモンという種が持つ三種類の曲のうち、第一曲――精神操作の「ポリフォニー」が使われていなかった。操作時間がどれほどのものかは分からないが、一対一においては戦局を変えて勝敗を決めかねない劇薬になりかねない。 「結局はあの時の俺の会話で何かがキレたんだろう。俺にそういう姿を見せて、何かを伝えたかったんだろう」  渡の推察は結局はそうあって欲しいという願いに過ぎない。恩義を感じている相手に無自覚な理由で死を望まれるのを受け入れられるほど面の皮は厚くない。そういうかたちでしか義理を返すことができないのなら、彼女にとって自分にその程度の価値しかないことになる。それだけはまだ認められなかった。独りよがりかもしれないが、生を望む理由は得てしてそうあるものだ。 「あのさ、気持ち悪いこと言ってる自覚ある? そういうところが本当に嫌いだった」  真魚自身も何度目か分からない溜め息。だが先ほどまでと意味合いが少し違うように感じるのは気のせいか。 「あんたが口にした通り……ってことにしておいてあげる。――他の人を巻き込んでまでやりたくはないし」  少なくともこれ以上仲間同士の戦いを続けるつもりはないようだ。渡は安堵の裏で分かり合えたのかと邪推してみたが、そこまで簡単になるほど真魚のことを理解していなかった。単純に渡にとって都合の良い部外者が現れただけだった。 「盗み聞きなんて趣味が悪い。同性から嫌われてたりしない、逢坂さん?」 「生憎と、そういう手合いの対処には慣れてしまったよ」  逢坂鈴音――初めて渡と共同戦線を張ったトラベラーが居ては真魚も迂闊には戦闘を続行できない。休戦の理由なんてただそれだけのことだ。 「過保護なのはあんたなのか、巽さんなのか」 「今回は私だから安心するといい。私は気に入った相手には親身だからね。――小川真魚、もちろん君に対してもだ」 「どこまで知った?」 「一通りは調べたよ」  逢坂鈴音がこの場において最悪の部外者だと真魚は改めて理解した。この女は単純な共同戦線だけを理由に来た訳ではない。自分の――自分と弟切渡のろくでもない繋がりを知ったうえでこの場に立っている。 「私はフェアに事実を伝えに来たつもりさ。知らなかったことや見なかったことを、ね」  そのための場所にここは相応しくないだろう。そう言って帰還の準備を始める鈴音。真魚も何か覚悟を決めたように頷いて後に続く。渡は未だに状況を掴めないまま、とりあえず二人についていくことにした。  鈴音が選んだのは夏根市のカラオケボックスの一室。その場所が話に関係あるのかというとそういう訳でもなく、ただ話をするのに都合の良い密室だったから。それこそ移動中に真魚が一瞬立ち止まったマンションの方がまだ所縁があるだろう。 「ではそろそろ始めようか」 「何をだ?」  ここまで来ても渡が状況を正確に把握できていないのはまともな会話が無かったから。疑問を持ってはいたが、どうにも口に出せずに流された結果がこれだ。迂闊なことは口に出せない雰囲気がここまで纏わりついていた。 「そうだね。ここはフェアにしたいところだと私は思うのだけれど……どうかな、真魚君」  疑問の答えはここに来て丸投げ。流石の渡も口を尖らせそうになったが、真魚の今日一番真剣な瞳を見ればそんな挙動は許されない。 「分かった。話せばいいんでしょ。――私の願いと昔話を」  今からもたらされるものが、疑問のすべてを氷解させるものになると確信したからだ。  小川真魚は六年前まで両親と三人で夏根市のマンションで暮らしていた。両親共働きではあったけれど、それでも三人の時間を何よりも優先してくれる親だった。真魚は父親のつまらない冗談を母親が穏やかな表情で切り捨てるのを見るのが好きだった。お酒を飲む年齢になってもこんなやり取りができれば良いとずっと思っていた。  八年前、十歳の真魚が重い病気に罹った。当時の彼女はそこまで身体が強くはなく、生存確率も著しく低いと通告されていた。何よりも娘を愛していた二人にとってそれは到底受け入れられることではなく、娘が助かる術を血眼になって探した。特に母親は普段の凪のような印象からは想像できない程に豹変し、冷静に見れば非科学的で迷信じみたものでも手を伸ばさずにはいられないほどになっていた。  病気についてはご存知の通り、特に後遺症を負うことなく完治した。その回復力には担当医も驚くほどで、病院を出る頃には寧ろ病気に罹る前よりもたくましくなったのではないかと級友に思われたこともある。――これで終われば良かったのだが、この奇跡をきっかけに真魚の家族は食い潰されることになる。  治療の成功は両親の願いが通じたこと……ではなく、担当医と真魚自身の生きたい意思による結果に過ぎない。そこに真魚の母が仕入れた民間療法も新興宗教の祈祷は一切関与していない。それでも彼女に薦めた者は、真魚の完治は自分達の手柄だと擦り込んでいく。また同じようなことが起こるだろうからもっと貢ぎなさい。お布施を止めれば加護が消えるだけでなく、今まで抑えてきたものの反動も来ることになる。そんな言葉を忍ばせては毒のように母親の心を侵していった。  母親の帰宅時間が一時間ずつ遅くなっていった。家から父親がプレゼントしたブランド品や趣味の恋愛小説が消え、代わりによく分からない置物や冊子が占拠するようになっていた。真魚がそれに触ろうとすると、自分を殺した相手でも見るのかと思うほどの形相で睨みつけられた。  家庭環境は目に見えておかしくなっていった。母親は既に手遅れで父親が何を言ってもヒステリックを起こすだけ。まともに話が通じるような状況でもない。彼には真魚を引き離そうとする素振りを見せて大人しくさせつつ、それを実現するために行動するので精いっぱいだった。  離婚が決まるのにそこまで時間は掛からなかった。その間に母親がしていたことは、お布施のために金を求めて融資詐欺に引っ掛かることくらいだったのだから当然と言えば当然だ。  現在、真魚は父親と暮らしているが、あれ以降は必要最低限の会話しかしていない。母親に至ってはもう何年も会ってはいない。それでも真魚はこの二人が自分を育ててくれた親なのだと一切悲観することもなく愛している。  だからもし願いが叶うのなら、両親に平穏で幸せな人生を生涯を掛けてでもプレゼントするだろう。根底にあるのは生き延びてしまったがために二人の人生を犠牲にしたことへの自責。だがそれと同じくらい深いところに、二人を直接的に破滅に導いた人間への憎悪も確かにあった。 「もうだいたい予想つくでしょ。――私の家族を壊したのはあんたの父親よ」  渡を見据えて真魚はそう言った。抜き身の刃のような視線には殺意に近い意思が感じられても渡には目を逸らすことなどできない。ただゆっくりと咀嚼することだけが許されていた。 「そういうことだったのか。……父さんに代わってなんて言えないけど」 「止めて。あんたに謝られたって意味がない。それにあの男は奇妙な死に方したんでしょ。本当に良い様。人生で一番素敵なニュースだった」  弟切渡の父――弟切蔵太(クラタ)は六年前まで活動していた詐欺グループの幹部だった。表では普通の会社員にして少し気の弱い一家の大黒柱として振る舞いながら、裏では笑顔で他人を裏切ってはその幸福を摘み取る畜生。奴の獲物の中には真魚の家族も含まれていたのだ。 「だいたいは理解した。で、俺に対するあの態度は……」 「さあ、何だったんでしょうね」  弟切蔵太が死んでからは、真魚はその忌むべき原因を考えないようにしていた。だが、ここに来てその息子と出会ってしまった。彼に父親の代わりを務めさせて納得するほど真魚は自分を誤魔化せる女でもないが、それでも加害者の血縁に無関心でいられるほど割り切れてもいなかった。 「最初はただどんな奴なのか気になっただけだった」  そう多くない苗字だ。パトリモワーヌの自己紹介で聞いた時は真魚は感情を整理することができずにただ睨むことしかできなかった。それでも気になる相手が今後も関わる相手ならばいっそ探ってみるべきだと決断したのは、それこそあのトラベルの前日だった。 「まさかこんなに変なのだとは思わなかったけど」  分かったのは心の深いところで何かが壊れているということ。それが何かが分からないから苛立ち、割り切っていたはずの憎悪が鎌首をもたげた。それが爆発するのも結局は時間の問題だったに過ぎない。 「俺はただ誰かを裏切るような恩知らずになりたくないだけだ。父さんはそうなるようにと言っていた」 「酷い反面教師ね」  他人の幸福を摘み取っていた弟切蔵太の末路は無論、地獄への転落。グループをその活動記録ごと警察に売ったという疑惑で切り捨てられ、追い詰められて壊れた蔵太は一家心中を試みて、一人息子を置き去りにした。 「ああ。父さんこそそんな人であって歩しかったのに」  これはもう本人しか知らないことだが、グループの情報が警察に渡るようにしたのは何を隠そう渡だった。蔵太が不注意で放置していた端末を操作して真実を知った渡は合間合間を見てデータを抜き出しては、警察が目をつけるように仕向けたのだ。 ――義理は返すもので約束は守るもの。そうやって信用される人になれ  渡はただ父親が口にしていたことを真面目に呑みこみ、それに従って行動しただけだった。そういう人であって欲しいと思っていた。偶然端末を盗み見たときは詳細まで分からなくとも何か悪いことをしているとは分かった。だから、全部表に出して仕切りなおしてくれることを望んだ。待っていたのは、望んだ結果には程遠い地獄だけだったが。 「本当に残念だった」  その一言だけを声に出す裏で渡が一人で追想するのは、今さらどうしようもない過去の結末。渡が見た父親の最期は、渡を絞め殺そうとしていたところでどこからともなく現れたモンスター――ドルモンに突き飛ばされ、そのまま体内の電気信号を貪り尽くされるという、あまりに現実離れしたもの。  それを目の当たりにした渡の胸の内にあったのは父親の末路に対する悲哀ではなく、彼を食い殺したドルモンに対する感謝だった。  首を絞められた頃には渡の中で憧れた父親は既に死んでいた。だから渡はせめて父親の言葉だけは体現することにしたのだ。本当に恩を返したい相手は、自分の意識が消えるのとほぼ同時に存在ごと消えてしまったが。 「これでようやくお互いのことをフェアに理解できたわけだ。うんうん、お姉さんは嬉しい」  本当にフェアなのかはすべての情報を手にして俯瞰する者にしか分からない。だが鈴音が間を取り持ってくれたことで酷い方向に拗れずに済んだことには間違いないだろう。 「そんなことを言うために割り込んできたって……大学生は随分暇ですね」 「いやいやこれでやっと半分だよ。――だって、真魚君の家族を壊したのは弟切蔵太ではないのだから」  だがこれで終わりではないと逢坂鈴音は告げる。軽薄な笑みは真顔よりもいっそ冷徹で平等に事実のみを伝えるだけの機械のようだった。 「……ごめん。冗談きつい」  それは真魚にとっては到底受け入れきれないものだ。今までの渡に対する行動の前提が覆る。手で抑えるだけでは隠し切れない動揺が顔に溢れていた。 「そんな訳ないでしょ。だって確かに母さんはあいつのグループに騙された。その記録だってあったはず」 「言い方を選ぶべきだったかな。確かに弟切蔵太のグループは真魚君の母親を融資詐欺で騙した。――けれど、宗教詐欺の方は別の組織だよ」  感情的な言葉をぶつけても、鈴音は薄い笑顔のまま自分が口にすることが現実だと突きつける。タブレット端末に映すのは二枚の記事のアーカイブ。一つは弟切蔵太のグループの顛末をまとめたもの。もう一つはとある宗教団体の幹部が違法薬物の取引の疑いで逮捕されたことを報じたもの。 「この二つの記事で取り上げている組織はほぼ無関係のものだ」  誰でも冷静に調べればすぐに分かることだけれどね。後に続けたその言葉が真魚には癪に障ったのは、調べて分かる程度のことを見抜くために必要なことが欠落している自覚があったから。 「ただ君の家族は偶然重なった。いや、弟切蔵太からすれば勝手に引っ掛かってくれたと言うべきか。宗教団体の方は……まあ言わずとも分かるね」  宗教団体の方は自分の家族とも無関係だと言えればどれだけよかったか。だが、その団体が掲げるシンボルや置物にも見覚えがあり、逮捕された幹部についても母親と話しているのを見た記憶がある。自分の家族を壊滅に追い込んだ大元の宗教団体が弟切蔵太のグループとは無関係だと嫌でも思い知らされる。 「そんなことって……ずっと勘違いしていたってこと」 「曖昧なまま都合よく解釈していただけだろうね。本当はあまり探りたくない記憶だったのだろう」 ――真魚、もう終わったことだ  離婚から数か月後、真魚は父親にそう言われた。お母さんはもう大丈夫なの。また一緒に暮らせるの。そう返したけれど父親は頷いてくれなかった。  だったら何が終わったのだろうか。その疑念に懊悩していたときに飛び込んできたのが、弟切蔵太の不審死と詐欺グループの壊滅。父親の言う終わりとはこれだったのかと真魚は思った。思うことにした。自分の家族を壊した相手ならばこれくらい惨たらしい罰を与えられて当然だ。そうでなくては納得ができない。 「元々君は復讐目的で事件を探っていた人間ではなかったのだろう。当時の記録を精査したり、弟切蔵太の素性やグループを調べる真似はしなかった。ただ偶然にも渡君と出会ってしまっただけだ」  鈴音の言う通りだ。実際に被害者だったことが勘違いに拍車を掛けた。そのまま真実を求めることを止め、トラベラーとして願いを掲げることで完全に目を逸らしていた。その癖に憎悪の火だけは消えてはいなかった。 「誤解は解けたようだね。これ以上は君がどう受け止めても私が口を挟む権利はないよ」 「……あぁぁッ」  フォローでもするかのように締めた鈴音の言葉は真魚には届かない。ただ放心したように唇を震わせたかと思えば、両手で顔を覆って言葉にならない声をあげる。渡はどう反応すればいいのか困ったが、とりあえず鈴音がそうしているように状況を静観することにした。 「ああもう……好きにして」 「大丈夫か」 「つけ込むチャンスなのに……いやつけ込んでいるのかな」 「もう十分助かったんで黙ってくれません」  紅潮する顔を両手で隠す真魚に向ける言葉など何が安牌なのか渡には分からなかった。だからこのタイミングで弄る方向にシフトされると非常にやりづらいというか、矛先が自分と真魚のどちらに向いても対応に困る。 「弟切」 「ん?」 「あの……うん、本当になんて言えばいいのか分からないけど」 「思うように言えばいいだろ」  追撃が来るより先に真魚が真正面から向かってきた。その振る舞いには先ほどの性格の悪い女とは違って、地に足のついた人間らしい葛藤が見て取れる。だから渡もただ真っすぐに受け止めるべきだと思った。 「そうね。――本当にごめんなさい」 「分かった。――でも俺はお前を許さない」  受け止めた結果、性格の悪い女も思わず動揺が顔に出るほどの答えを返すことにした。真魚は有罪判決を下された被告人のように項垂れ、燻ぶっていた感情が火種ごと消し飛んだように薄く白く見えた。 「許さないが、これで貸し借り無しということにする」  ただ渡の答えには続きがあった。今日何をしたところで、過去に何をしたかは変わらない。その前提があったから、黒木場秋人と戦ったような冷徹な殺意までは向けなかったのだ。 「過去抜きにしても、渡のそういうところが気に食わないの分かる?」  代わりに殺意に近いだけの怒りが真魚に再点火されたのは渡の感情とは別の話。いつもの活力を取り戻したなと渡はポジティブに考えることにした。 「そう言われてもな……ん、俺のことを名前で呼んだか」 「こっちの方が言いやすいの。そっちも下の名前で呼んだらおあいこでしょ」  居心地が悪いままなのは嫌だと話を逸らしただけ。だが、そのおかげで距離が近づいた感じの言葉を引き出せたのは良かった。穏やかな雰囲気で終われるのなら渡に文句はない。 「でも覚えておいて。このままだと、あんた絶対にいつか痛い目を見るから」  胸を撫でおろした直後に襲った、心臓を握られるような錯覚を渡は生涯忘れない。  話が終わった後はせっかくなのでカラオケボックスを時間いっぱい本来の用途に使った。お陰で店を出る頃には外は暗く、視線を少しずらせば人工の極彩色が煌めく様が嫌でも目に入る。渡も真魚も気にしたら負けだと特異点Fを歩くときと同等の心持ちで闊歩する。 「……ん」  不意に渡の足が止まる。躊躇いなく振り返り、野獣のような視線を向ける先には夜の街の住人と思わしき一人の女性。彼女はその渡の熱い視線に気づくことなく、路地へと消えていった。 「うわ、きも」 「流石に今のは私も引くね」  同行者へと顔を戻せば、当たり前の反応が突き刺さる。粛々と受け止めることしかできない渡の脳裏には、先ほどの女性の髪にうっすら光る妖しい紫色がこびりついていた。  渡が電車に乗った時刻からちょうど○○年。特異点Fと呼ばれる未来で一体のモンスターが食事を終えた。 「今日のディナーも素晴らしい逸品だったよ、響香(キョウカ)」  そいつは人に似たかたちと言動をしていても本質はモンスターに変わりない。コートから突き出る一対の黒翼は享楽を愛する者の証。携える機関銃は食材を手早く調理するための道具。獣のマスクが隠すのはその異形よりもずっと醜悪な悪魔としての本性。 「気にしないで、ナーダ。私はただ連れてきただけだもの。――それにあなたは人間しか食べられないのだから、仕方のないことでしょう」  その悪魔のマスクに血濡れの指を這わせるのは互いに思い合う契約相手。彼女の左腕で端末が放つ光で、その髪は淡い紫に染まっていた。  
X-Traveler Episode.7 "血と縁のバックログ" content media
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パラレル
2020年7月26日
In デジモン創作サロン
<< 前話へ 目次 次話へ>> Episode.6 "譲れない怒り、殺したい相手"  出鼻を挫かれた。  建物の周囲を見張らせていたアハトから警戒信号が鈴音に届いたのが三十秒前。戦闘体勢を整えて出口を出た瞬間に戦端を切ろうとしたしたところで、その出口を不意に落下してきた巨大な鉄球に塞がれた。  鉄球という攻撃手段で連想するのは、渡の契約相手たるカイン。そして、そのカインと酷似した姿のデクス。だが建物出口を塞ぐほどの鉄球を吐き出したところは見たことがない。 「してやられた」  だが気に掛けるべきは巨大な鉄球の正体ではなくその用途だろう。連発できるかは分からないが、あれを建物ごと自分たちを圧し潰すのではなく出口を塞ぐことに使った。ただの殺戮機械や意思のない走狗とは違う、明確な目的を持った理性的な行動。いったい何者が何の目的のためにこんな真似をしているのか。 「これは……足止めかな」 「何のためにですか」  行動の裏にある目的で考えられるのは自分達が渡達と合流することの妨害。自分達が渡達と固まるのが不都合だと思って手を打ったものがいる。そいつに――デクスかどうかは別として――巨大な鉄球を武器とするモンスターがついている。 「それはもう……きな臭い話のためだろうね」  この過程が正しければ今最も危ないのは渡達。自分達が合流するより早く彼らと接触して何かをしでかそうとしている。こういうときの嫌な予感というものは当たるものだ。  互いの契約相手とともに相対する弟切渡と黒木場秋人。片や双眸に静かな怒りを讃えるケダモノ。片や仮面のように表情の読めない顔でも凶暴さは隠しきれないバケモノ。邪魔するものは既におらず現れるにも時間が掛かるだろう。秋人が望んだタイマンだからこそ、渡も堂々と目の前の敵を叩き潰す正当な理由ができるというもの。 「なんで俺を狙う」 「てめえが俺に言ったのと似たようなもんだよ。ただ邪魔なだけだ」  敵対する邪魔な存在。人間としては野蛮かもしれないが、向き合う理由なんてそんなもので十分だ。連れているモンスターも変わりきったこの世界もその性を受け入れている。  動き出すのはほぼ同時。体躯の小さいカインが上体を低く保ちながら間合いを詰め、対照的にクロムはその巨体で空を駆けて頭上から刈り取りにいく。  詰まる距離。それがゼロになる瞬間、クロムの剛腕が振り下ろされて土煙が盛大に巻き上がる。その中に紛れて上昇する紫紺の翼。カインは一気に敵対者の顔面の高さに飛び上がり、溜めに溜めた鉄球を解き放つ。  顔面直撃。攻撃の起点としてピンポイントで狙うのならそこしかない。軽く首を捻っただけでは避けきれない一発。それで視界に強烈な妨害を仕掛けたうえで畳み掛ける。万全のパフォーマンスが期待できないのなら相手のパフォーマンスも落とし、その変化への対処に追われている間に形勢を持っていく。  顔面から鉄球が剥がれ落ちるのとほぼ同時に今度はカイン自身が顔面に飛び掛かる。その間にクロムは笑いながら敵対者の動きを捉えていた。  カインの腹を真下から突き上げる筋肉質の腕。空中で怯んだのはカインの方で、クロムはその身体を鷲掴みにして地面に放り投げた。 「カイン!」 「今のは痛いよなあ。でもこんなもんじゃないんだろ」 「……そうみたいだ」 「そいつは最高だ。ああ、本当に良いサンドバッグだよ。もう少し痛めつけてからてめえと一緒にこいつの餌にしてやる」  傷つきながらも立ち上がり向かっていくカイン。キャストを耐久に振っているとはいえそれでもいつまで持つか。それほどに状況も戦力差も最悪だった。  だからこそ秋人はタイマンと言いながらまるでこちらを敵として見ていないような口振りをしているのだろう。最初に戦った時と違い、自分達の本気を見せてなお歯向かってくる渡達の姿を喜びそれを叩き潰すことに悦を覚えている。今思えば奴にとって先の一戦はあくまでお遊びでしかなかったのかもしれない。確実に叩き潰せる状況を作ったうえで、圧倒的な力を見せつけて心身ともに砕いて貪る。それが奴にとってのこの戦いの意義か。 「お前、わりと卑怯な奴だな」 「ああ、先にダメージ与えてたのは悪かったと思ってる。でもよ、俺もこんな真似したくなかったんだぜ。お仲間の完全体(パーフェクト)に大人しくしてもらうときにも喧嘩打ってきたからよ。気が早いって思わねえか?」 「お前なんかと違って根は真面目だからな」  そうなるのを分かったうえで仕掛けた癖に。明らかな敵意を前におとなしくしていられないのがモンスターというもの。カインがアキへの仲間意識を持っていようとなかろうと敵に会えば牙を剝くことは前の戦いで理解していたはずだ。 「酷い煽りだな」 「事実だろ。負けても契約相手に目もくれずに逃げる奴なんだから」  一方で渡が秋人について理解している一番の重要事項は契約相手を失っても何事もなく帰還した事実。安全な立ち位置にいる癖にフェアだのタイマンだの抜かす卑怯者。半分は煽る意図で口にした言葉ももう半分は紛れもない本心だ。この男ほど義理や覚悟という言葉に縁遠い男もそう居ない。だからこそ渡は黒木場秋人が気に食わなかった。 「おいおい。デビドラモンのことを言ってるなら、その台詞は看過できないなあ。仮にクロムがやられてもここじゃあの時みたいにはいかねえよ。――そもそもあんなのを俺のクロムと一緒にするなって」 「あんなの、だと?」  結局煽りの応酬で先に音を上げるのは前回同様渡の方だった。仮にも自分との契約期間の間に命を落とした存在だというのに、秋人がデビドラモンに対して何の思いも抱いていないことが気にくわない。デビドラモンが自分たちに牙を剥いたことも覚えているし、それを怒りの理由にすることがおかしいのも分かっている。それでも秋人の言動はどうしても看過できなかった。 「気に障ったのか? ……もしかしてあれか。てめえはモンスターに感傷持つタイプの変わり者か」  その怒りを秋人は鼻で嗤う。下らないことを気にしてると言わんばかりの態度。一変してテンションが下がった彼は冷めた視線で憐れむような言葉を紡ぐ。 「止めといた方が良いぜ、そういうの。こいつらにそういうのは意味がないし、期待して命を張るのは馬鹿げてる」  それは意外な程に真摯な忠告だった。秋人が一瞬見せた真剣な眼差しは渡の言葉を奪うのには十分で、語る言葉も腹に重くのし掛かる。 「まさか気づいてないはずないだろうが、勘違いしてるなら言ってやる。――そもそもこいつらは人類の敵だろ。トラベラーはそれを自分の目的のために使ってるクズだ」  秋人の発言の根拠は即座に思い浮んだ。物理的な衝撃で破壊されようと情報さえ無事ならたちまち甦る不死のモンスター。そんなものが大量に野に放たれたのならば、既存の生態系を根底から食い尽くすこともあり得るだろう。そこに人類が含まれない理由はなく、生態系の頂点がすげ変わって久しい世界が今居る未来だ。  人類を駆逐したモンスター。己が願いのためにそんなものと契約して戦う者を誰が誉め称えようか。それがトラベラーになった人間の本質に他ならない。 「人類の敵。その通りかもな。それでも借りは返すものだろ」  ただ例外があるとするならば、それは願いを持たずにトラベラーとなった者だろう。それは願いを持つ者とは異なる被害者のようなもの。だが仮にその中でも前向きに戦える理由を持つ者が居るならば、それは最早狂人と言うべきかもしれない。 「てめえ、何を言ってるか分かってるのか。変わり者かと思ったが、ただ頭がおかしい奴だったか」 「何とでも言え」  意志は平行線。きっと何度対峙しても交わることは無いだろう。ぶつかるのは明確な敵意のみ。それを互いに向けあっているのなら相手の命を考慮する可能性はゼロ。 「一つ聞かせてくれ。てめえはなんでトラベラーやってんだ?」 「俺はこいつに――カインに助けられた。そんな相手を死なせたら恩知らずになってしまう。それだけだ」 「そうかよ。ならさっさとここで死ね」  最早交わすべき言葉はない。二人の意識は未だ続く契約相手同士の戦いに百パーセント向けられる。  空を踊るケダモノとバケモノ。クロムが腕を振るう度に風が鳴く。その戦慄きに乗りながら避けるのが現在カインに出来る最善の行動。既に鉄球は何度も放ち、複眼に命中させたのも一度や二度の話ではない。それでも奴は止まらず、下手に攻勢に出て手痛い反撃を喰らった回数も二桁に到達している。だがこのまま避け続けても先が無いのも分かりきったこと。抱えた損傷は無視できるものではなく、まだ回避に動けているのが奇跡だ。取るべきは仕切り直しの一手。その間に急所を見極めて最速で片をつけるしかない。  クロムの剛腕が迫る。掴まればそのまま握り潰されかねない腕を頭上すれすれで回避。腕を軽く頭突くのを挑発として、誘い込むように急降下。追うクロム。迫る地面。その距離関係を把握しつつ、ベストのタイミングで今出せる最大級の鉄球を放つ。直後、その反動を用いて反転、上昇。釣られたクロムも慌てて視線を上げようとするもその眼前には盛大に巻き上がる砂煙。視界を奪うその幕を使えば仕切り直せる。渡はそう考えて指示を出した。  だが、クロムの――黒木場秋人の地力はそんな浅い策で止まるものではなかった。  砂が再度巻き上げられる。それは先程よりも指向性を持って動いてカインの方に襲い掛かる。一瞬でも仕切り直すための隙を作るには十分な目眩まし。それが相手ではなく自分に作用すればどうなるか。その必然の答えをカインは自らの身体を挟み込む双腕で思い知る。 「そら、捕まえた。こいつがあんなので止まる訳ねえっての」  大技で巻き上げた砂をすべて押し返すのには二種四枚の翼での羽ばたきで十分。それが今のカインとクロムの間にある埋めがたいフィジカル面での差。同じ進化段階(レベル)のオオクワモンに勝てたのは頭数の差とそれぞれの特性を利用した策があったからこそ。単純な力量の戦いになれば必然的にその差は大きく出てしまう。  ぎりぎりと絞められるカインの身体。いや押し潰されると言った方が適切か。逃れるための翼もひしゃげて根元からぶちぶちと嫌な音が聞こえた気がした。実際にその音を確認出来なかったのはカインがその痛みを絶叫として表現していたから。それは渡が今まで聞いたことのないもので、何よりも彼の心に重い一撃を与えるものでもあった。 「核は潰すなよ、クロム。けどまあそれ以外は食ってもいいか」  下衆極まりない指示と許可をもらい、クロムはカインをただの餌として再定義する。その変化を感じ取ったカインは初めて怯えるような声を上げるが、今から襲い来る惨劇を止める術を奴は持ち合わせていない。 「いい声で鳴くなぁおい。そう思うだろ、渡」  今日一番轟く絶叫は命の危機に晒された生物が示す原初の恐怖。自己の存在を貪られ消失する痛みは計り知れない。それこそが良質なBGMだと言わんばかりの秋人の言葉はもう渡の耳には届いていなかった。 「あー、最後の悪あがきか。まあそうするよな」  クロムの食事は二口目で早くも遮られる。急に肉は堅くなり、貪られた箇所も細胞(セル)が補完して再構築する。それはトラベラーに与えられた、契約相手の生命力そのものを底上げする手段――ブラスト。X-Passに溜められた力を用いたその手段はまさしく切り札。だが、このタイミングでそれを使うということはもう使える手が無いということに他ならない。  ケダモノとバケモノの殺しあいは当然の結末に至る。――そのケダモノがただのケダモノであればの話だが。 「ッ……遊び過ぎたか」  秋人は立ち位置や心理状況を鑑みればその異変に早く気づいた方だと言えるだろう。だが、クロムが地面に叩きつけられて無様な姿を晒すまでに指示を出すには遅すぎた。  クロムを組伏せているのはカインだ。だが、その姿は先程までのものとは大きく異なっていた。  何よりもその体躯が桁違い。クロムの身長を上回り、組伏せていると言うよりものし掛かっていると言った方が正しいかもしれない。その巨体を覆う体毛も紺色だった箇所は深紅に変わり、黒い稲妻模様が各所に描かれている。大小二種四枚の銀翼は簡単には飛行機能を損失させないだろう。  鍛えられた刃の角を持つ深紅の大型獣竜――それがドルグレモンという完全体(パーフェクト)へと到達したカインの姿だった。 「なんつー成長速度だよ。ふざけんな」  吐き捨てるような秋人の言葉はごもっとも。彼はそのカインがドルガモンへと進化するところも確認した時期も把握しており、そこから今までの期間が進化のためのエネルギーを溜めるには充分でないと踏んでいた。その計算にはブラストを用いた場合も踏まえていたから、普通のモンスターならこの短期間で完全体(パーフェクト)に進化する可能性はあまりに低い。それでも事実として進化して見せたのだから、カインは普通のモンスターに該当しない例外(エクストラ)と見るのが妥当だ。ただその異常性を引きだしたのは間違いなくクロムが与えた痛み。生存本能と怒りが未来に借金してでも現在の進化を選んだということか。 「ふざけてなんかない。ただ生きたい奴と生かせたい奴が居るだけだ」  そしてそこに少なからず契約相手である渡の意思や激情が関与しているのも間違いない。ブラストに注ぎ込んだ対価はどれだけか。そもそもそんな計算すらせずに可能な限り投資したのだろう。そうでなければ、あそこまで人類の敵に相応しい形相を浮かべてはいない。 「カイン。そのモンスターもそこの男も好きにしていい。お前にはその権利がある。――だから、やれ」  敵対者を塵殺する許可は下った。カインはクロムを――その契約相手である黒木場秋人を捕食対象として再定義し、己が糧とするために殺意を行動で表現する。  見せつけるように顎を開けるカイン。クロムがその意味を理解すると同時にその肩に牙が突き立てられる。悲鳴は上げないがその痛みは与えた者が一番知っている。到底受け入れることのできない屈辱。それに屈するか、反逆するかはモンスターとしての、それを手繰るトラベラーとしての力量のみが指し示す。 「そう楽にはくたばってくれないか」 「ネジがブッ飛んでるな、てめえ」  筋力爆発。盛大な勢いで弾き飛ばされるカインの姿が示すのはクロムの生命としての強さ。秋人がブラストによって解放した分はそれを証明するには足るもの。互いに力を証明する以上、ここからの第二ラウンドが本番。二体のモンスターは全身全霊を持って互いの生命を喰らう。そのために死力を尽くす。  取り直した距離を詰め出したのはどちらが先か。カインはその巨体で地を駆け、クロムは虫の性質を表に出して低空飛行。フェイントを織り交ぜて二段階に加速。その勢いに乗せて研ぎ澄ました爪を振りかぶる。  速度はクロムの方が上。それでも迎え打つ心持ちもカインにはある。戦闘種としての本能を用いた軌道計算は既に済んでいた。敢えて見せびらかすように伸ばしていた首に奴の爪が迫るも、瞬間的に首を縮め、空振りした腕の真下に潜り込む。それがケダモノ流のカウンター。クロムのどてっ腹を自慢の角で腹を串刺しにして致命傷を負わせるつもりだったが流石にそこまでは上手くいかない。クロムが咄嗟に左腕で払ったことで打点は昆虫の甲殻部分にずれた。そうなれば貫通させることは出来ず、インパクトでクロムの身体を上空にぶっ飛ばすという結果に持っていくのが落としどころだった。 「空で動かれると面倒だ。潰せ」  渡の指示は言葉と同時にX-Passを通してカインに連携される。それを遂行するために使うのはこれまでもメインウェポンとして重用してきた鉄球。ただ口から吐き出された核を中心に大量の鉄粉が固められる生成手法の結果、その質量と体積は桁違い。生成速度を優先しても製造者が持つ巨体の三倍に匹敵する。その高密度大質量の前では回避の余地も許されない。生成時間の間にクロムが体勢を立て直してこちらに迫ろうと関係ない。不自然に揺れる動きもろとも押し潰すまで。  勝負を決めにかかる直前、クロムの身体が二つ存在するように見えたのは目の錯覚か。そんな妄言を振り払い鉄球を解放。逃げ場を失い揺れるクロムの姿を霧散させる。 「あ?」  霧散? それはおかしい。仮にきめ細やかなセルで作られていようとも、その身体は重厚な一塊として存在している。なのにまるで最初から存在が希薄だったかのような消えかたをしては、これまでの戦いが何だったのかと思えてくる。奴が霧散する筈がない。ならば今渡が目にしたものの意味は何か。  その答えは砂煙の奥から鮮烈に現れるクロムによって示される。その身体は潰れておらず砂にまみれただけ。ならば潰れたように見えたクロムの姿はそれこそ残像でしかなかったのだろう。 「今さらそんなんでビビるかよ」  痛快そうな笑みを浮かべる秋人の言葉に嘘はない。X-Passを使えばモンスターに関する情報は得られるがそれだけですべてを把握して対処したとは思えない余裕があった。鉄球に潰される範囲のすぐ外に退避しつつ、潰される残像を見せつける動き。その巧さは単純にこの程度の大技には慣れているからだけではない何かがあった。 「さあ、詰めだ。やっちまえ、クロム!!」  その真相を探る余裕はない。再度加速するクロムの速さは今までの比ではない本気。加えて残像を見せるようなあの動きを織り交ぜることで軌道の予測もしづらく、以前より小回りが利かなくなったカインの巨体では満足な退避も不可能。受け止めて仕留めるしかない。トラベラー同士の真っ向勝負ならばキャストの補強は参考にならず、加えて秋人はここでブラストをさらに使った。ならばこの戦いの優劣は考えるまでもない。  カインはクロムに負けて、渡ともども奴の餌になる。  その未来を変える術は渡は持ち得ず、カインもはね除けるだけの力は残っていない。 「……あァッ!?」  だからその未来が変わったのならば、要因は別の存在によるもの。例えば豆粒のようなシルエットの二頭身恐竜が愛用のヘルメットでクロムを殴り飛ばした、とか。 「間に合ってよかった」  小さな乱入者。その種族はマメティラモン。契約時に与えられた名はマメゴン。その契約相手は洋菓子店パトリモワーヌの店長にしてトラベラーのコミュニティのまとめ役。 「巽恭介か」 「そういう君は黒木場秋人だね」  いつもは穏やかに周囲を見守っていたその男も今だけは纏う雰囲気がまったく別のものになっている。それはトラベラーとして幾多の戦いを超えてきた者だけが纏うもの。積み重ねた経験は渡のそれを遥かに上回り、秋人よりも澄み切っている。 「あんたよぉ、そこのイカれ野郎を庇うつもりか?」 「訂正したまえ。彼は私達の仲間だ」  そのやり取りだけで互いの立ち位置は明確になった。巽恭介は――彼が率いるコミュニティは黒木場秋人を仲間に仇なす敵として対処する。それはこの場でも例外ではない。 「そうかよ。ろくな死に方しねえぞ、あんた。……クソッ、あーあ興醒めだ興醒め。タイマンでぶっ殺せると思ったのに敵に援軍とかやってらんねえ」  その線引きを苦々しげに吐き捨て、秋人は渡達に背を向ける。すべて同じ進化段階(ランク)で数の差を覆そうとする愚を犯さない冷静さは奴にあった。 「お前、まさかこのまま逃げるつもりか」  だが、秋人をのうのうと見逃すことを渡が許容するはずはない。カインは既に頭上に巨大な鉄球を生成し、追撃の準備を整えている。 「仕方ねえだろ。――こっちも迎えが来たんだからよ」  放たれたその鉄球は不意に現れた同質量の鉄球によって弾かれる。それが示すのは秋人を助ける意思を持つ新たな乱入者が現れたことと、その乱入者がカインと似た存在であること。カインと似た存在――それには嫌でも思い当たりがある。 「助かったぜ。このまま殺されるかと思った」  大方の予想通り、それは進化したカインと似て非なる姿の存在だった。ただシルエットは似ていてもその外見も在り方も明らかに異なる。生気に満ちた白い肌は変色したかのような黒に変わり、頭部は何か隠したいものでもあるかのように銀の装甲で覆われている。尻尾に至っては本命の一本の側から触手のようなものが伸びていて、それがただ獣や竜の要素を束ねた存在ではないことを示している。 「目的は達成した。撤退する」  ドルガモンだった頃に似て非なる存在が居たのだから、ドルグレモンになってもそのようなケースがあってもおかしくないだろう。本当に着目すべき事柄はその背中に一人の男が乗っていて、彼の指示で秋人を助けたということ。それが指し示す事柄は秋人とデクスが――その背に跨る男も含めて――繋がっているということに他ならない。 「なあ、ここで潰す気は……いや、忘れてくれ。誰よりもあいつをぶっ殺したいあんたが我慢するんだ。従うさ」  鍵を握るであろうその男は空軍パイロットのような装備で身を固めており、ゴーグルまで掛けているためその顔や表情を見ることはできない。それでも秋人の言ったことを身を持って理解できるほどの殺意に満ちた視線を向けられていることは嫌でも分かった。 「待てよ。お前だけは許さない」  何にせよここで秋人諸共仕留めればすべて分かる話。数の差が無くなろうとも覆った訳ではない。煮え切らない怒りに理由をつけてなおも戦おうとする渡だったが、それすらも萎えさせる一手は既に用意されていた。 「言ってろ。追いかけてくるなら来いよ。俺に追いつくまでにくたばるだろうけどな」  秋人の笑い声に紛れて聞こえる地鳴りような音。それは多数のモンスター……いや、デクスの群体のもの。音の方向に目を向ければそれが聞き間違いでないことを確認させられる。ドルガモンに酷似した個体が八、ドルグレモンに似た個体が二。このままやれば数の差で押し切られるのが目に見えている。 「どういうことだよ、あれ」 「自分で考えろバーカ」  あれが到着する前に仕留められるか。仮にできたとして逃げ切れるか。それは考え始めた瞬間に答えが出るように簡単なもの。どれだけ煮え切らないかたちであっても、秋人の言うタイマンは既に終わりを迎えていた。 「じゃあな。また会った時に生きてたら殺してやるよ」 「お前達は俺達が叩き潰す」  既に秋人達の姿は遠く、互いに捨て台詞を返すのが限界。戦いが終わった以上、すべきことは次の状況に対する対応。新たな敵が現れこちらに向かってくる。それは許容できてもその方角だけは渡にとって受け入れられなかった。 「あそこは確か……冗談であってくれ」  それはこのトラベルで初めて訪れた建物に通ずる方角。その中には真魚以外の仲間が居たはず。鈴音達はどうなった。まさか仕留められたのか。 「逢坂さん達のことを言っているなら問題ないよ。彼女らは先に戻っている。真魚ちゃんのすぐ後でまた君のことを口にしたから慌てて来たんだ」  その嫌な懸念は恭介の穏やかな声で断たれた。今までの渡と比べれば冷静に危機管理や戦況把握は出来る面子のはずだ。重傷を負うよりも先に速やかに撤退したのだろう。 「ああ、そうでしたか。あ、ありがとうございます」 「まずは撤退だ。長居する必要もない」  憂いが無くなったのならもうここに居る必要もない。新たな敵が来るより先にこの未来から安全な現代へと戻る。その先で一番最初に与えられるものが真魚の容赦ない脛蹴りであることをこの時の渡は知りもしなかった。 「とんでもない収穫だな、おい!」  黒木場秋人との死闘から一日明けた、午後二時頃。洋菓子店パトリモワーヌは貸し切り状態になり、店主がまとめるコミュニティの報告会会場となる。  そこで渡が開示した内容物は他の面々からすれば予想以上に実のあるもので、正道が大声で誉めながら背中を強く叩くのも無理はなかった。悪意のない理不尽な痛みで、渡は口にしていたスコーンを吹き出しかけたがそれを誰も気にも留めない程度には重要な情報だった。  まず説明されたのがあの未来に至るまでに誰かが書き残した、モンスターのルーツに関する情報だ。――モンスターはセルというナノマシンで実体を得た電子生命体である。妄想とも思える内容ではあるが、肯定できるだけの事実も既に目の当たりにしている。  さらに個人的に因縁のある黒木場秋人は謎の多いデクスと繋がっていることも判明した。契約相手が似ていることから関係性を疑われたのも昔の話。明確に敵視している相手の方が繋がっていることは、渡がデクスの味方でないことを改めて証明したことにもなる。  特異点Fが未来であることを理解してすぐに自分だけが知る穴場を掘り下げたからこその成果。だが、個人のシェルターに都合よく重要な情報が隠れていた理由については渡自身も分からず、今は頭の片隅に押しのけておくしかなかった。 「だが、俺達も収穫なしって訳じゃあない。なあ、将吾!」 「自分が説明するんで射場さんはボリュームを下げてくれ」 「おう! 頼んだ!」  この日までにトラベルを行ったのは渡達だけではない。鶴見将吾、大野寧子、射場正道、斑目ラン、羽賀関奈も昨日に渡達とは別の地域に狙いをつけて探索を行っていた。 「端的に言うと、俺達が見つけたのは地下にあったデクスの牧場……いや、生産工場(プラント)だ」  正道が胸を張るだけあって、彼らが持ち込んだ情報もなかなか馬鹿にできないものだった。ただのモンスターではないと思っていたが、生産工場という単語(ワード)が出ると最早単純な生命体という扱いをする訳にもいかなくなる。 「一応潜入してはみたが……まあ見張りに見つかって散々追い回されて辛くも逃げ出したのがオチだ」 「その見張りは寧子ちゃんくらいの歳の女の子だったな」 「それは別に言わなくても」 「単独でどうこうではないという根拠にはなるだろう」  少女が見張りをしていただけとはいえ当然そこに人間は関わっている。それが稼働している工場の必然。少女一人が関わっているとは思えない以上、他に協力者は居るだろう。 「黒木場秋人の仲間と考えるのが当然の流れかな」 「工場で見たデクスの上位個体は渡達が見たのと同じだと思う。まあ繋がっている可能性は高いだろうな」  そこに黒木場秋人と彼を助けた謎の男が関わっていると考えるのはそこまで強引ではないだろう。デクスを従える勢力は自分達が思っている以上に強力で強大なのかもしれない。 「次に調べるべき対象は決まったね」  黒木場秋人と彼が関与している勢力。そして彼らが稼働させているデクスの生産工場(プラント)。Xという存在に関係があるかは別にしても、調べて損はないだろう。  予想以上に実りのあった報告会。渡達の参入からコミュニティ全体の行く先にも大きな変化が起こりつつある。その変化がどういう方向なのかはこの段階で予想することは難しかった。  夜の街と化した夏根市。妖しげな光が瞬くホテル街から少し外れた裏路地を一組の男女が歩いていた。この場での組み合わせで想起される間柄は一つだけ。だから男の方が落ち着きなくそわそわしているのも、経験のなさからただ緊張しているだけと捉えることもできただろう。だが彼の表情に期待はなく、ただ未知への不安だけが浮かんでいた。 「ごめんなさい」  そう言って女は男の手を握る。触れる柔らかな感覚とそれと同時に向けられる蠱惑的な笑みを前に男は蕩けたような表情を浮かべる。  彼がこの場でその表情を浮かべられたのは一秒だけ。一瞬で女とともに姿を消したと思えば、五分後には女だけが何事もなくこの場所に戻ってきていた。 「こうしないとあの子は生きていけないもの」  誰に向けるでもなく女は星の見えない夜空に語りかける。右手に滴る血を舐めとる仕草はこの街の夜で踊る誰よりも妖艶なものだった。  
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パラレル
2020年7月25日
In デジモン創作サロン
<< 前話へ 目次 次話へ>> Episode.5 "特異点F"  真魚から作戦の連絡が届いたのが三日前。そのメッセージは渡から水曜日特有の中弛み感を振り払うには十分で、その日の帰宅前にカインの餌やりに勤しんだ程だ。 「いらっしゃい」 「こんちわ」 「おう元気か」 「まあぼちぼちです」  一週間前の顔合わせからパトリモワーヌに二度ほど顔を出したおかげでコミュニティの面々との距離も多少は短くなったように感じる。特に射場一道には初対面のやり取りからは想像できない程に気に入られていた。  その一方で先週からあまり距離を詰められていないメンバーが居るのも事実。そして今回組むことになったのは半分以上がその部類だった。 「よう」 「椎奈、準備できた?」 「私は特に問題ありませんけど」 「おお渡君ちょうど良いところに来た。最近夏根市で私の布教の邪魔……怪しい動きを見せてる新興宗教についてだね」 「あ、ども。いつものことなんで聴かなくて良いですよ」 「そうするよ真壁(マカベ)」  一週間前の会合以来口を利いてくれなくなった小川真魚。二面相が得意で一線を引いているようにも見える綿貫椎奈。スイッチが入らなければ穏やかな天城晴彦。死んだ魚のような目と濃い隈を標準装備している真壁悠介(ユウスケ)。 「これまた濃い面々のチームだね」 「ブーメラン発言って知ってます、逢坂さん」 「いやいや君が言えた義理でも……まあいいや」  おまけに一番性分を把握している相手は逢坂鈴音ときた。彼女にはああ言ったものの、渡もそれ以外にこの現状を表現する言葉を持ち得なかった。 「巽さん、この人選はどういう意図で?」 「真魚さんと椎奈さんは本人たっての希望だよ。ぜひ渡君と組みたいと言ってね」  これは意外だ。同年代の女子二人から直々に指名を受けていたとは思わなかった。特別好印象を与えるようなことをした記憶もなく、指名を受けたという割に態度はあまり柔らかくない気もするが。寧ろ冷めた対応をされてる気がするのだが。 「後はまあ色々なすり合わせの結果で」 「特定の人物は押しつけられた訳ですね」  どうせなら将吾とまとめて欲しかったところだが仕方ないだろう。将吾は将吾で寧子との同行を希望したはず。寧子を含めた四人で半分に分けるならこの分け方が妥当だ。 「文句を言うのはそこまでにしようか。揃ったことだし出発と行こう」 「そうか。俺が最後なのか。これは悪いことしましたね」  割り切りや開き直りは時に重要だ。疑問や不安がないと言えば嘘になるが駄々をこねる程のものではない。何かしら情報を掴んだ上で全員生還できれば良いだけの話。  覚悟を決めてX-Passを取り出す。今から旅立つのはどのような言い訳も許されない魔境だ。  転移座標15F-555。一週間前に訪れた場所から大きく外れたその地点は瓦礫の山が積み上げられた平野。景観は事前連絡で抱いたイメージ通り。調査目標はこの中にあるのだろう。 「随分趣のあるところですね」 「別にここで言葉を選ぶ必要はないでしょ」  他の面々もほぼ同じタイミングで転移済み。当然彼らの契約相手も本来の姿を取り戻している。 「ぶんめいしゃかいのあわれなまつろです」 「流石にそれは言葉を選ばなさすぎですよ、ピーコロさん」  椎奈の掌から現れるのは、羽の着いたボールのような妖精。人語を介する点についてはアハトと同じような経緯なのかもしれない。体躯以上に小さな槍でも人を単独で殺めることくらいはできるだろう。 「また勝手に動くないでくれよ、シド」  悠介の背後に佇むのはシルクハットを被った白布の浮遊体、いや浮遊霊か。シルエットだけ見ればまだ可愛らしい部類だが、尖った歯が規則正しく並ぶ口元のおかげでホラーさを隠しきれていない。 「本日も我が聖女は大変麗しい」  晴彦の傍らに寄り添うのは四枚の白翼と金の仮面が特徴的な女性。これまで見てきたモンスターの中で最も人間に近いが、これでも他の契約相手と同じ怪物だ。その意識を強めると、いやそうでなくとも晴彦の振る舞いにはこの世界に存在しない公僕の力を借りたくなってしまう。 「そろそろ行きましょうか。アハトは周囲の警戒にここに置いておきます」  一週間前に見たのと似たものはいくつかあるが、これらすべてを一つ一つ見ていくのは時間が掛かる。そのため連絡の段階である程度目的の建造物は絞られていた。  比較的原型を留めている建造物の中でも二番目に高いもの。現代日本の建築物と同じ感覚で見るなら三階建て相当か。周りの住居が跡形もなく崩れている中で残っているあたり他とは造りが違うのだろう。 「お邪魔しますよっと」 「あらまあ。酷い有り様ですこと」  歪んで開けられない扉をアキの超音波で壊して侵入した先はピーコロさんが口にした言葉通りの空間だった。モンスターか何かに荒らされたのか、十二畳ほどのスペースに雑貨や器物が転がり足元の障害になっている。特に邪魔な横長のL字物体を壊してみれば、その奥に上の階層に繋がる階段があるのが見えた。 「上に行けるようですね。ここで分かれましょうか」  階層ごとに分担すれば早々に片付く。モンスターが隠れている可能性もあるが、この周辺には自分達で対処可能な種族しか居ないことは確認済みだと聞いた。 「じゃあまず私と弟切がこの階見てくる」 「あ、おお」  真魚に手を引っ張られながら奥へと進む。不意の行動に思考は柔軟に働かず足を動かすのが限界。この時間だけは律儀に後をついてくるカインとアキの方が頭を使っていただろう。 「ちょっと待てって」 「何よ。文句ある?」  思考力を取り戻して足を止めたのは階段を通り過ぎた直後。真魚は振り払い方が荒かっただけが原因とは思えない不機嫌さで、なおさら渡は彼女の真意が分からなくなる。嫌われてるのかそうでもないのか。あまりに行動が矛盾し過ぎてその二択ですら答えを出せない。  結局直接聞いてみないと分からない。まともな答えが返ってくる態度とも思えないがどんな反応でもたいしたマイナスにはならないだろう。 「文句はない。でもなんで」  俺の手を引いていったんだ、とは続けられなかった。  頭に石粉が降りかかる。ほぼ同時に遥か上方でぴしりとヒビが入る音が聞こえた。老朽化が過ぎた建物ならよくあること。だが何か余計な音が紛れている。何か良くないことが起こりつつある。 「走れッ!」 「え」  直感に従い今度は渡が真魚の手を取り床を蹴る。その二秒後に爆ぜるような音とともに石粉とは比べ物にならない建材の塊が降り注ぐ。渡が振り返った時には既に他の面々の姿は瓦礫の奥に隠れてしまった。 「アキとカインは?」 「憎らしいほどに大丈夫だ」  モンスターは渡よりも防衛本能に優れ、強靭な身体と対抗手段を持っている。自己判断で自分に降る瓦礫だけ押しのけて逃げるなどお手の物で、二人よりも先に前方に逃げ出した後は悠々とこちらを見物していた。 「そろそろ手離して」 「あ、ああ……いや先に引っ張ったのそっちじゃ」 「あと、ありがと」 「む」  冷たく突っぱねたと思った直後に感謝の言葉。やはり意図が分からない。これは女心が分からないとかそれ以前の問題だろう。そう断じて渡は目の前の状況に意識を向ける。 「壊して出るのは難しいか」  瓦礫は予想以上に多く落ちていて、局所的に固まるそれは壁と大差ない障害になっていた。力ずくでこじ開けようにも頭上で崩落を免れてる部分まで巻き込みかねない。 「二人とも大丈夫か!?」 「なんとか無事ですよ」  心配そうな晴彦の声にそう返したのはけして強がりではない。相方の食費を次回のツケにすれば安全な日常に戻ることはできる。無事に戻るという点においては十分余裕があった。 「ハルさん、せっかくなんで私らはこのまま先に進んでみます。ね、あんたもそれでいいでしょ」 「まあ出鼻挫かれて収穫なしってのも嫌だからな」 「分かった。こちらでも合流を目指しつつ探索を進めるよ。でもくれぐれも無茶だけはしないように」  モンスターに遭遇でもして余裕が無くなるまでは多少冒険しても問題ないだろう。慢心だとしても何の成果も得られずに相方の腹を空かせるのはあまりに割りに合わない。  アクシデントに巻き込まれても探索はまだ始まったばかり。せめて何か一つくらいは掴んでから帰還したいところ。  そう意気込んで進んでみたものの、五分経っても周囲の環境にたいした変化はない。三回ほど進路を曲げたところで目に入るのは塗装が剥げてところどころ穴の空いた壁と埃や石片が転がる床だけ。あまり変わり映えしない背景では集中も切れるもの。そこに沈黙が重なるとなおやりにくい。 「少しいいか」 「なに?」  それは真魚も同じだったのか、久しぶりに比較的素直な反応が返ってくる。今日まで気にかかっていることを尋ねるには今しかないだろう。 「お前はいったい俺のことどう思ってるんだ」 「は?」  繊細な男子高校生のハートを抉るには十分な一音だ。こちらの切り出し方から間違えた気がするのでその反応も仕方ない。反省というかたちで割り切り、渡は心を強く持って続けることにした。 「顔合わせの日から今日まで俺をずっと無視してたろ」 「そうだっけ?」 「少なくとも俺はそう感じた。けど、さっきは俺を連れ回そうとしただろ。しかも今回の面子決めるときお前が俺を指名したって聞いた。流石に態度がどっちつかずだろ」 「そうかもね」  どれだけ渡が鈍かったとしても分かるほどに、真魚の渡に対する扱いに一貫性が無さすぎる。距離を詰めたいのか離したいのか。こちらを探るにしても動きがわざとらしすぎる。揺れるような動向では余計に気になってしまう。 「なあ、俺が何か気に障ることでもしたか」 「あのさあ、それは流石に自意識過剰ってもんよ。でもそうね……あんたが何もしてないから私がそんな動きをしてるのかも」 「何だよそれ」 「さあね。……なら望み通り普通に口を利いてあげる。それでいいでしょ」  結局得られたのは真意を読み取るのが困難な返答とこれ以上ヒントは与えないという意思表示。そっぽを向かれた以上は詮索する余地はなく、また周囲の環境に意識を向けるしかない。 「そろそろ出るな」 「何が?」  どれだけ進んでも劣化が激しすぎて周囲の環境には目ぼしいものは見つからない。だが、ここまでの道中で成果がなかった訳ではない。少なくとも渡にとっては収穫と呼べるものがあった。 「俺達がだよ」  終着点はガラス扉の残骸とその奥に広がる外界。侵入時とは異なる出口まで辿り着いたのは偶然ではない。渡が自分の記憶と判断に従って動いた結果。つまるところ、渡はこの建物を知っていたのだ。 「なあ、少し寄りたいところがあるんだけどいいか」 「ふうん。ま、いいんじゃない」  その理由も既に分かっているから、次に行くべき場所も導き出せる。さらに言えば、それらをいちいち口で説明する必要が無いことも今の渡は理解していた。  崩落により塞がった通路には階段の手前に抜け道があった。現在、渡と真魚以外の面々は階段ではなくその通路に進路を取っている。渡との合流を目指す以上、上階の探索は諦めた。仮に分断されていなくとも、先ほどの崩壊の影響が他の部分に出ている可能性があったのも理由の一つではある。 「二人はああ言いましたけど大丈夫でしょうか」 「真魚ちゃんも無茶はしないだろう。渡君は……どうなのかな?」 「無茶はしますけど馬鹿ではないかと」  合流は急ぐが焦って冷静さを欠いては意味が無い。今は二人を信じて目を凝らし足を進めるのみ。  視界に転がるのは瓦礫と端材が大半。原型を留めていなければそこから価値を見出すことはできない。 「ふむ」 「逢坂さん、どうかしました」 「いえ。別段話すようなことではないので」  例外があるとすれば鈴音だけ。何度か瓦礫を拾って眺めてはいるが、何に思いを馳せているのかは話さなかった。また、それを少し冷たいと感じられるほどには鈴音と他の面々の距離は詰まっていなかった。 「ここ入ってみませんか」  鈴音が思わせぶりに頷くこと三度。悠介が指差したのは盛大に大穴が空いた扉とそこから繋がる一室。穴は人一人通る分には十分で、入ってみれば比較的保存状態がましな物品が並んでいた。  右方には対面するように並べられた椅子。その横に書類と機材が折り重なった机。左方にはズタズタに裂かれたシーツが申し訳程度に被せられたベッド。その奥には右半分の戸が紛失して中の容器をベッドと床にまき散らしている戸棚。 「逢坂さん、これが落ちていたんですが」  椎奈が鈴音に見せたのは一枚の板きれ。大きさはX-Passと同程度で形状も同じような長方形。表面に何かしらの加工がされているのか保存状態がよく、描かれている画像を認識し文字を読み解くこともできた。——これは町立八塚病院の医師が使用していた認証カードらしい。 「この方は恭介さんのかかりつけの先生だと伺いました。もしかして私達より先に来て、そして既に……」  この医師がトラベラーでこの世界で死亡した。その遺品がここに転がっている。その可能性に至ってしまったのか、椎奈は悲痛な目で鈴音を見つめる。 「そんなものよりもこれの方が重要な物証ではないのかな」  お返しのように鈴音が椎奈に見せたのは認証カードと同じ大きさのカード。診察券と印字されたそれにはデザインが異なる以上に重要な違いがある。それは所有者の名前が表記されていないこと。つまりこの診察券はまだ誰の所有物でもない。当然、志半ばで命を落としたトラベラーの物でもない。 「これは一番最初の部屋で束になっていたものから拝借したもの。予めこの建物の中にあったもので間違いないだろうね。もちろん、君が持つそのカードも。——さて、私を試すような茶番はそろそろ辞めてくれないかな」  物証と推察を提示した上で、鈴音はこの場全員を糾弾するようにねめつける。彼女にとってここまでのやり取りはそれほど癪に障るものだった。 「私は既に理解しているよ。ここは――『特異点F』は未来の世界。そして君達はこの事実を予め知っていた。違うかな」  この世界は転移前に鈴音達が日常を謳歌していた現状の未来である。その事実を渡と鈴音以外の面々は知っていた。後者に関しては、先程のわざとらしい素振りを思い出せばすぐに気づく。そもそも今回の探索にこの場所を選んだことも身を持ってこの現状を認識させるためだろう。 「あらあらまあまあ」 「ばれてしまったか。そのわりには衝撃的な事実に対するリアクションが薄いようだが」 「そのリアクションを奪われたことが癪なんですよ、天城さん」  モンスターが跋扈する異界が実は未来の地球だった。それは本来驚き震えるべき事実なのだろう。  文明が崩壊した理由は何なのか。人類を含む動物はどうなったのか。そもそもモンスターは何処から現れてこの世界で我が物顔に振る舞うようになったのか。  新たな疑問は尽きることはなく、鈴音の感性も十分に刺激したことだろう。ただ今回は余計なお節介の結果、真実を知る過程に余分な感情が付着してしまっただけの話だ。 「なるほど。なるほど。それはまた変わってるね。……本当に変わってる」  それは他の面々には少々理解しがたい彼女だけの拘り。晴彦達からすれば恭介の指示もあって仕掛けた誘導で、彼らは彼らで鈴音の反応に思うところもあった。この場においては渡達と分断されてしまったのは悪く働いたようだった。 「バレてるならバレてるで仕方ないでしょう。さっさと小川達と合流しましょうか」  悠介の一言でそれ以上刺のある言葉は飛び出さなかったが、雰囲気が良くなった訳でもない。特に年長者二人の間は妙に冷たい空気が流れていた。 「渡君から連絡だ。既に外に出たらしい。近くに寄りたいところがあって、今はそこに居るらしいよ。あと、先に戻ってくれて構わないだって」  そのメッセージが鈴音の口から出たのは、椎奈を先頭にして探索を進めて五分経った頃。特に目ぼしいものが新たに見つかることはなく、合流の目処も立たない状態で届いた吉報には余計な気遣いが含まれていた。 「追いかけますか」 「壁ぶち破りますか」  侵入当初とはモチベーションと疲労感のバランスが逆転していたところに十分な火種ときた。わりと物騒な提案すら出ても仕方ない。 「座標からしてそこまで遠くないみたいだね」  萎えかけた意欲に火をつけて再出発。しかし、彼らが本来生きるべき時間に戻るまで渡達との再会は叶わなかった。  建造物の出口から徒歩二分。そこにはあばら屋という言葉ですら誇張表現になる、民家の成れの果てがあった。 「こんなところに何があんのよ」 「まあ待てって」  既に生活の痕跡は消えて久しく、がらくたと埃が大半を占めている。これならばまだ先程の建造物の方がましだったかもしれない。  真魚の不安をよそにして渡はあばら屋の側面にまわる。不信感を拭えないまま真魚も後を追ってみると、渡は石畳に腰を下ろして蓋のように埋め込まれていた金属板をめくり上げていた。露になったのは梯子が壁に埋め込まれているだけの入口。 「一人ずつなら入れるな。カインはここに置いておくけどそっちはどうする?」 「アキにも見張りをやらせる。ここがモンスターの住処ならあんたが開けることも無かっただろうし。……そんなところに降りるなら連絡しておいた方が良いんじゃないの」 「さっき逢坂さんに送っておいた。何なら先に帰っていいとも書いた」 「ならいっか」  梯子を使って地下へと降りる。最初は渡。時間を置いて真魚が続く。  慣れている渡が万が一のフォローに入れるための順番だったが、真魚がショートパンツ姿だったこともあり特に揉めることもなかったのは幸いだ。 「クッションになれるかと期待した?」 「そんな性癖は持ってない」  万が一も無く無事に降下。暗がりをライトで照らしながら少し進むと重厚そうな鉄扉にたどり着く。ドアノブには0~Fまでのボタンで構成される暗号式の錠が備え付けられている。 「流石に錠そのものは変わってるか。暗証番号は……寧ろ変えておけよ」  物は試しとボタンを押してみれば、最後の一桁を押した直後にちょうど鍵が外れる音が聞こえた。安心と落胆が入り交じった渡の顔を見れば、敢えて詳しく聞かなかった真魚でも渡の思惑は分かる。 「あんたもしかしてここに来たことあるの」 「ああ。だってここ元々は俺のじいちゃんが作ったシェルターだから」  答えを告げると同時に扉を開ける。掘り下げたい疑問や単語も吹き出す突風に飛ばされる。ひとしきり噎せた後に二人の目に入るのは長らく晒されなかった人類の痕跡だった。 「電灯はここか」 「何ここ。自家発電設備でもあるの」 「空気浄化装置もな。……それでも流石に完全無事とはいかないか。そもそも色々変わってるみたいだし」  先の建造物と違って荒らされた形跡が無いため、まだ内部の把握はしやすく風化の脅威から逃れられているものも多い  まず目に入ったのは、人間が居ない今この場の主役は自分だと言わんばかりに鎮座するデスクトップパソコン。いつの時代のモデルかは分からないが、マンマシンインターフェースはキーボードにマウスなど渡にも使えるものが揃っている。だが電源を入れようとしても反応はない。電源供給があっても環境や耐用年数による負荷が積み重なって既に限界を迎えていたようだ。 「こっちはまだ使えそうね」  次に目に入ったのは積み重ねられた新聞の山。保存状態の良いものを適当に捲っていけばそこに記載された情報はすべて記憶にないことばかり。当然といえば当然で、最も古いものでもその日付は二○四○年、最も新しいものに至っては二○六○年で、嫌でもこの異界が未来の世界であることを突きつける。  他にも用途が不明なもの含めて日用品や雑貨などがいくつか確認できた。ただ避難のために籠っていたにしては未使用品が多く、生き残りも居なければ遺体も見つかることはなかった。 「これは……小川、ちょっといいか」 「何それ?」  新聞から顔を上げた真魚は渡が目の前に置いた箱に注目する。何の変哲もない金属の缶。果たしてこのタイムカプセルにいったい何が入っているというのか。 「中身はこれだ」  開封の瞬間は既に逃していたらしい。渡が箱の上に置くその中身の正体はファイルの束。それは誰かが記したメモや日記をまとめたものだった。 「字が汚い」 「読めないほどでもないだろ」 「いや無理」  記述されている内容を読めるのは渡だけ。渡は分担して読もうと思っていたがそれが出来ない以上、概要だけ摘まんで説明するしかない。理解できた範囲では以下の三点にまとめられた。  一つ。モンスターは本来この世界とは別の次元で活動する電子生命体であること。どうやら鈴音が立てていた仮説はあながち間違っていなかったらしい。  二つ。「セル」というナノマシンを開発する研究が行われていること。その名の通りデータで定義された存在に仮初の肉体を与えることができる代物。また「神の触覚」と呼称されるものの研究を応用した結果、「デジタルシフト」という現象を局所的に発生させて、セルの演算結果を周辺の空間にまで反映させる機能を持つという。応用性と拡張性に優れるだけでない、物理法則を超えた現象を起こす可能性も秘めているという代物らしい。  三つ。「セル」によるモンスターの顕現(リアライズ)とそれが齎す影響。電子生命体であるモンスターにとって、セルによる肉体は物質世界に干渉するには格好の媒体(メディア)だった。本体が電子生命体であるが故に物理的にセルの肉体を砕いたところで間を置かずに再生するため、大気がセルで満たされた領域ではモンスターは不死身の怪物と言っても過言ではない。 「モンスターの研究者が書いたメモってところか。一時期匿ってたのかもな」 「大当たりじゃないの!」  真魚が驚くのも無理はない。なぜそんなものが渡の祖父が造ったシェルター内に存在するのか。話が出来過ぎていていっそ背筋に寒いものを感じる。  だが、どんな背景があったにしろこれは貴重な情報源だ。現代に持って帰ってじっくり読み解きたいところだが、特異点Fの物品を持って帰ることはできない。カメラで撮っても何故かデータが破損して正常には読み込めないことも確認済み。精々できることは別のメモか自分の記憶に書き込むことくらいだ。それでも他の面々に嘘と笑われないようにまとめ直すことはできる。 「——アアアッ!」 「アキ!?」  その悲鳴は二つ目のドキュメントを開いたところで割り込んできた。声質は一週間前に渡が助けられた歌声と同じ。だがその音色は歌と呼ぶには程遠く、最も原始的な欲求に基づく声だった。  慌ててシェルターから抜け出し、梯子を伝って地上へ出る。そこにはカインよりも格上なはずのモンスターが悲鳴を轟かせるに相応しい状況が出来上がっていた。  待ち構えていたのは全長三メートル近くのモンスター。強靭な腕と一対の白い翼、二対の薄羽と感情の見えない複眼。それらを持って敵対者を潰す殺戮者。そいつは緑の昆虫と青い竜による合成獣(キメラ)と形容するのが相応しい。  その合成獣がアキを足で圧しつけ、カインの身体を右手で握りしめていた。 「なんなの、これ」 「カインまで……あいつどこから出てきた」  ここまでの道中ではモンスターの気配すらなかった。それなのにオオクワモン以上の怪物が急に現れた。そしてそのモンスターによってこちらのモンスターが窮地に追い込まれている。知らぬ間に状況は急転し、最悪のものへと変わっていた。 「——こいつは俺の契約相手。ディノビーモンのクロムってんだ。以後よろしく」  渡達を待っていたかのように、一人の男が合成獣の背後から現れる。外見上の特徴はアロハシャツと迷彩柄のカーゴパンツ、そして下手に染めた金髪とサングラス。渡の記憶に該当する人間は一人。最初のトラベルで渡を襲ってきた柄の悪い男だ。 「黒木場秋人!!」 「おお、覚えてくれてて何よりだ。弟切渡」  それは想像しうる限り最悪の展開だった。思惑は分からずとも渡を敵視していることは確実な男。その秋人がカインとアキを窮地に追い込んだモンスターの契約相手。ならば穏やかに逃げおおせることなど叶いはしない。 「足をどけさせろ。カインを解放させろ」 「つれねえなあ。そら、こいつは返してやるよ」  言葉通り投げ飛ばされて地面に叩きつけられるカイン。傷は多いがまだ立ち上がる気力も怒りによる戦意も十分残っている。渡が真っ先にしたのは逸るその感情と行動を押さえつけることだった。 「アキも解放しろ」 「そこの女の契約相手か。そうだな……なら一つくらい条件を聞いてくれよ」  残るアキは圧しつける力自体は抑えられているが、未だ自由に動くことは許されない。アキが条件とやらを通すための人質であるのは明白だ。 「お前とタイマンが張りたい。だからよ。そこの女はおとなしく帰ってくれないか」 「何のつもりだ」 「同じことは何度も言わねえよ。安心しろ。帰れるだけの体力は残してあるからな」  予想以上に正々堂々としたシチュエーションを望む提案。だがそれは秋人の目的が渡にあるが故のもの。最初からアキも真魚も眼中にない邪魔な存在だったのだろう。乱入されるくらいなら自ら引っ込んでもらおうという魂胆か。 「ふざけるなよ……そう言いたいが乗ってやる」 「ちょっとあんた勝手に」 「後で言い訳だって何だってしてやる。だから今は頼む」  カインとクロムの戦力差はおそらく前回以上に大きいだろう。だが、背を向けて逃げることはそれこそ命取り。ならばせめて秋人の望み通り部外者には離れていてもらう。 「なんであんたが頼むのよ。……分かった。くたばんじゃないわよ」 「分かってる」  エールを受けた後すぐに真魚とアキの姿が消失する。他の仲間が先に戻っていれば増援を期待できる。それまで踏ん張り、今度こそ秋人に洗いざらい情報を吐いてもらう。 「ヒュー、アツイねえ」 「誰かさんのおかげでな」 「ハッ、言ってくれる」  何なら自分達の力だけで仕留めて、余裕ぶったその顔に一発くれてやる。無謀と言われようとも構わない。痛めつけられた上に挑発するような真似をされておとなしくしているほど、渡は賢く理性的ではなかった。
X-Traveler Episode.5 "特異点F" content media
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パラレル
2020年7月25日
In デジモン創作サロン
<< 前話へ 目次 次話へ>> Episode.4 "コミュニティ"  場違いなトラブルメーカー。  大野(オオノ)寧子(ネコ)に対して渡と鈴音が抱いた第一印象はそれだった。実年齢以上に幼く見える振る舞いは誰が見ても危うく、殺伐とした空気を緩めるような言動はこちらのペースを狂わしかねない。こういう手合いは野性のモンスターや黒木場秋人のようなトラベラーを相手にするよりも厄介な場合もある。 「お前の知り合いか、将吾?」 「ああ。さっき話した大河の妹。俺らの母校の二年生」 「なるほど。家族ぐるみの付き合いならお前に任せた方がいいか」 「そうだな。お前ら二人よりはマシか」  将吾が仲介役になるように誘導したことには先ほどの分析が関わっていないことは二人の名誉のために明示しておく。あくまで彼女と一番親しい存在だからであって、積極的に口を出さない方が良いとか自分が関わるにはまだ早い人種だとか思った訳ではない。断じて。 「で、寧子ちゃん大丈夫?」 「は、ひゃぢびぃッ! らいびょうぷれふ」 「本当に大丈夫? 落ち着いて、ね。ほら、深呼吸。深呼吸」 「は、はひ……ひっひ、ふう。しゅみません。お恥ずかしいところばかり見せて」  やはり付き合いのあるだけあって将吾は寧子の扱いが上手い。関わりたくないという本音を抜きにしても渡や鈴音が口を挟んでいたら状況が悪化していただろう。特に鈴音は十中八九泣かせていた。 「そこであくびしてるモンスターは寧子ちゃんの契約相手?」 「は、はい。タマっていいます。あ、トブキャットモンという種類らしいです」  翼の生えた大きな猫のモンスター。それに名前をつけて連れ回しているということは寧子もトラベラーで間違いない。 「なるほど。で、何故寧子ちゃんはこんなところに?」  トラベラーに対してこの問いを投げかける場合、求める答えは手順ではなく理由が適当だ。今回に限ってはおおよそ予想のつくものではあったが、将吾には自分の口で寧子に尋ねる義務があった。 「将吾さんと同じです。——私だってお姉ちゃんにもう一度会いたい」 「そうか……ありがとう」 「あああありがとうなんてやめてください。こっちの台詞ですし、いや私が言うのも変なんですけど。えっと、心より御礼申し上げます……あれ?」  将吾が恋人を取り戻そうとするのなら、寧子が姉を取り戻そうとしても何もおかしくはない。大河が家族からも自分以上に大切に思われていたことを将吾は心から嬉しく思ったが、その一方で彼女の妹が危険な真似を犯している事実は重くのしかかった。 「寧子ちゃん。俺達と一緒に動かないか?」 「いいんですか?」 「勿論。ここで置いていったらそれこそ大河にどやされる」  だからこの誘いも将吾にとっては当然の義務。同じ目的なら別れて行動する理由もないだろう。たとえ自分が倒れても彼女が願いを叶えてまた姉妹仲睦まじく過ごせればそれで十分だ。それを嫌な打算ではあると心中で自嘲できるくらいには余裕ができていた。 「なんか俺達のやり取りと違いすぎないか?」 「年上はストライクゾーンの外なんだろうね」 「言ってろ」  少なくとも先の二人とのやり取りと比べれば随分ましだ。予期しない出会いではあったが彼女の妹が極力危険な目に遭わないようにできる。将吾はそう思うことにした。 「あの、ありがたいんですけど実はもう一緒に行動してる人達が居まして……」 「そうか。ならその人達と合流しようか。いいだろ、二人とも」  既に寧子に仲間が居ることは寧ろ好都合だろう。新たな出会いには新たな情報がついてくるもの。単純な戦力が増えることも考えれば、仲間が多いことは歓迎すべきことだ。流石に相手を一切警戒しない訳にはいかないが、寧子を引き入れた理由を含めて見極めてから対応を決めれば良い。 「仲間はどこに?」 「それがその……将吾さん見つけて飛び出しちゃって……野良のモンスターに襲われて逃げて……また将吾さん見つけて飛び出したらタマが急加速して……」 「つまりはぐれたと」 「はうぅ……ごめんなさい」  尤も仲間とともに行動しているならばそろそろ現れていなければおかしい訳で、今この場に居ない理由も寧子の性分と言い分を踏まえれば納得だった。 「まず寧子ちゃんの仲間を探す。それでいいな」 「ああ」 「異論は無いよ」  寧子の仲間はこの世界で貴重な人脈。そこまで遠くまで離れていないのなら合流すべきだ。彼らの方が心配しているだろうが、X-Passでメッセージでも送らせておけば合流するまでは必要以上に焦ることもない。彼らの位置自体も寧子のX-Passを使えば辿れるはずだ。 「すみません。ご迷惑をお掛けして」 「気にしないでいい。積もる話もあるだろうし気楽にいこう」  寧子は将吾にとってこの世界で遭遇した人物では最も特別な存在だ。過保護と思われようとも、不必要に気負わせるような言動はしたくない。 「お前こそ気楽にいけよ、将吾」 「うるさい。分かってること口に出すな」  それはそれとして先程から渡の言葉がいちいち癪に障る。冗談なのか本気なのかときどき分からなくなるのが厄介な欠点だと思いながらも、将吾はそれを口にはしなかった。  新たな仲間を加えての再出発から十五分経った。新顔とはいえ一部見知った仲なので当人にとってはあまり新鮮さもないが、その分距離感の調整も必要なくなる。 「お近づきの印にお菓子をあげよう」 「わあ、ありがとうございます」 「変なものじゃないだろうな」 「この人は重度の甘党だから飴なら多分大丈夫」 「それ以上に性格に難があると思うが」  結果的に一番関係性が遠くなった筈の鈴音は最もマイペースで、その自由さを見ていれば変に気を使うのも妙に思えてくる。自分含めて慎重に付き合うような相手ではない。それが渡の全員に対する率直な印象だった。 「北欧で古くから愛されているグミキャンディか東京で買った秘蔵のコーヒーキャンディ。どっちがいいかな」 「じゃあ北欧の方で」 「はい。たんとお食べ」 「いただきまーす。……なんか歯にひっつく粘っこさですね。味も独特で甘くないし」 「え、甘くないのか」 「はい。寧ろイカの塩辛みたいにしょっぱいし、ほんのりアンモニアの臭いがするし……」  ただ渡の印象がすべて的を射ている訳ではない。今回鈴音の性分を見抜けていたのは将吾の方だった。甘党が持ち歩く飴が甘いだけの飴だと誰も決めてはいない。 「逢坂さんよ。あんたの言う北欧のキャンディってまさか」 「サルミアッキだよ。将吾君が知っているとは意外だ」  サルミアッキ。それは鈴音の言葉通り北欧諸国で古くから好んで食べられていた趣向品。リコリスという甘草と塩化アンモニウムを主な原料とし、タイヤのような黒色のグミはそれこそゴムを食べているような食感と風味を提供してくれる。そこに塩辛さとアンモニア臭が上乗せされる独特な味から、TV番組やネット上で「世界一まずい飴」の称号を受けている逸品だ。 「奇食の類には心引かれるものの、味覚に合わなくてなかなか消費できなくてね。気になるなら君たちも食べるかい?」 「なんてもの食べさせてんだあんたは!」 「これでも何かないかと探したよ。甘味は一つも譲る訳にはいかないからなんとか捻り出した逸品なのだけど」 「柄にもない親切ムーブしなくてよかっただろうに。流石にサルミアッキはない」  少なくとも会って一時間も経たない相手に親切心で渡す代物ではない。それも純真無垢な少女に渡すのは流石に人格を疑いたくなる。  ところで肝心の寧子の言葉が聞こえてこなくなった。そろそろファーストコンタクトのような悲鳴を上げてもよい頃だ。こうも静かだと彼女の意識が存在しているのかも不安になってくる。 「あの……食べきれないならもっと貰っていいですか。ちょっと癖になっちゃって」 「お気に召したのならよかった。好きなだけ持っていってくれて構わないよ」 「まじか」  寧子の舌はサルミアッキの味を初体験から受け入れられる代物だったらしい。新たな味の発見と在庫処分の手段が同時に成り立つ良好な関係。鈴音の好感度も上がったようで、年の離れた女性同士の微笑ましいやり取りは見ている渡にとっても頬の緩むものだった。受け渡されているものが味覚と嗅覚を侵す劇物でなければ。 「どうした将吾。明後日の方向を向いて」 「いや、寧子ちゃんの料理食べたことを思いだしたんだが……味見に望みは託せないんだなって」  自分と同じようにやり取りを眺めている将吾の微妙な表情に対するこれ以上の詮索はなんとなく憚れた。ただサルミアッキ以上の劇物がそこに存在していることだけは見当がついた。 「わふぁるはん、ふこしいいれすか?」 「口に含んでるのを飲み込んでからなら」  片手に溢れんばかりのサルミアッキを咀嚼しながら、寧子は渡に会話の矛先を向ける。その無邪気な振る舞いに寧ろ恐怖を覚える余り、年上の好青年らしい振る舞いを維持するのが精一杯だった。 「そのモンスターって渡さんの契約相手ですよね」  そのためここまでのやり取りの中で寧子の顔色を伺うことはできず、彼女の言葉に込められた思惑を汲み取ることもできなかった。 「カインのことならそうだが……何か気になることでも?」 「いえ、あの、何というか……大丈夫なんですか?」  伝わったことはカインに対して何か思うところがあることだけ。問いかけ自体が曖昧だが逆に疑問の内容を掘り下げたところで曖昧なものしか返ってこなさそうだ。出来ることはそのカインを観察して答えを選ぶことくらいだろう。 「カインは……何やってるんだ」  当のカインは寧子が連れていたタマというモンスターにからかわれているようだった。タマがカインの後ろを取って尻尾を叩き、それに反応したカインが振り向いたところでまたタマが後ろを取る。見事に弄ぶタマの軽やかさは個体の特技というよりも種として刻まれた本能によるものと言った方がいい。端から見ている分には感心するが、カインからしてみれば鬱陶しくて仕方ないだろう。  格上相手でも果敢に立ち向かう勇敢さはあるが、それは裏を返せば好戦的で短気だともいえる。呼吸が荒々しくなり目が血走ってきたからそろそろ危険かもしれない。寧子が気にかけていたのはこの点だろうか。  リング状の追いかけっこを繰り返すこと十回。その節目でカインは攻勢に出る。右回転に振り替えるところを三十度の角度で急停止し逆回転。振り向く先にはいつも通り回り込もうとしていたタマの顔。不意を突かれて動きを止めたタマが怯え、一矢報いたカインが不敵に笑う。流石にこれ以上はまずい。X-Passによれば仲間だと厳命すればおとなしくしているはずだが、それでも我慢の限界があったようだ。 「止めろ!」  制止の指示を出すより早く、カインがタマに向けて飛び掛かる。いくら軽やかに動けようとももはや回避は間に合わない。カインはぎらついた笑みを浮かべながら鋭い爪の生えた手をタマの頭にゆっくりと置いた。——ただそれだけだった。 「脅かすなよ」  その後カインが危害を加えるような真似をすることは特になく、ただ満足そうに鼻を鳴らしただけで終わった。遊びはあくまで遊び。それはモンスター同士のじゃれあいであっても変わらないらしい。  これは余談だが、タマは今度は月丹に同様の遊びを仕掛けたものの、初戦で後ろを取った瞬間に尻尾で叩き落されていた。 「何を心配しているかは分からないけど、俺が見ている限りでは今のところ大丈夫だと思う」  結局渡の口から出たのは楽観的な主観が大半の所感だけ。だがそれを裏付けるだけのやり取りがちょうど見えた。カインも寧子の契約相手であるタマとたいして変わりのないモンスターだということが分かったはずだ。 「そうですか」  しかし、返答に対する言葉はあまりに短く淡々としていた。今までの振る舞いとはどこか違うその反応はちょっとした衝撃で、なんとなくこれ以上思惑を探ることも憚れた。 「待って」  不意に鈴音が小さな声で、しかしはっきりと命令を出す。茶化す雰囲気の無い声音の理由が分からないほど全員馬鹿ではない。  彼女の指差す先にあるのは破損が著しい角柱に近いオブジェの群れとその残骸らしき壁がいくつか。そのいずれもが強靭な草木が巻きついており、そのまま締め上げられていつ完全に倒壊するか分からない代物。それでもこれらは今までの平原では見ることのできなかった文明の痕跡だ。文明が絶えて等しい遺跡にも見えるが、調べる価値は大いにあるだろう。  だが鈴音が上げたのは歓喜の声でなく、注意を促す指示。先行するアハトに哨戒を行わせていた彼女が声を上げる理由は一つ。自分達と文明の痕跡との間で群れているモンスターだ。  サイのような体躯のモンスター達の数は十五。背や膝を覆う黒い物質は強固な鎧のようで、一体相手にするのも骨が折れそうだ。群れの奥の方に控える一体だけ全身が黒く角も巨大な刃のようになっているが、何らかの変異種か群れのリーダーの証だろうか。 「寧子ちゃん、仲間はこの先かな?」 「は、はい」 「なら迂回するとメッセージを入れておいて欲しい。ここは静かにやり過ごそう」  遺跡の調査に踏み切るには多すぎる障害だ。好奇心を優先するような迂闊な輩が居ないのなら、取る選択は脱出と合流しかない。 「慎重に行こう。そう大きな音を立てなければ気づかれないはず」  鈴音の指示に全員が同調し、音を殺して動き出す。意識は鎧竜の群れに向けたまま、必要最低限の音を環境音に紛れさせる。それぞれの相方も流石に闘争本能よりも生存本能を優先している。このまま三分ほどやり過ごせば群れに認知される圏内から外れるだろう。 「ばぶぁ……びゅぶわっっくしょん!!」  その期待を裏切るように響く盛大なくしゃみ。爆発に似たその音の発生源は寧子だった。  正直なところ渡は鈴音が指示を出した段階でなんとなく嫌な予感を抱いていた。避けるべきこととそれをしなかった場合に発生する事象。その二つを具体的に明示するときはたいてい両方が現実に起こってしまうものだ。 「ふぇ……あぁ、ごめんなさい」 「怒っている余裕もなさそうだね」  一縷の望みを掛けて視線を鎧竜の群れに戻す。その浅はかな希望を打ち砕くように向けられる警戒心に満ちた野性の視線。重戦車のような身体が自分達を轢き殺すために準備を整えていく。旋回は遅くとも直進も同じ速度は期待できない。  逃げる以前に突進をしのげるかどうか。状況を逆転させるような有効な手は都合よく思いつかないが、小手先でも反撃の手段を打つしかない。 「ん?」  事態は渡達を待ってはくれない。だが同時に鎧竜のことも待ってはくれなかった。  状況を一変させたのは渡達から見て左方からなだれ込む別のモンスターの群れ。自分達の倍以上の数を前に鎧竜もそれに応戦せざるを得なくなった。渡達に気を取られたまま応戦できなかったものから先に状況を理解できぬままに数の暴力で仕留められる。 「狩り目当てのモンスターか」  乱入者(イレギュラー)も鎧竜と同じく同種のモンスターの群れ。そのシルエットは人ではなく獣や竜の類だが、群青の被膜と銀の装甲が体表を覆っていることを踏まえるとゾンビかフランケンシュタインの扱いの方が正しいように思える。 「あれって……何かの見間違いか」  そのシルエットがカインと酷似しているのなら、奴らはカインと同種の成れの果てか、狂った博士が似せて造り上げた怪物と言うべきなのだろうか。存在理由は分からずともその奇妙な怪物が三十ほど存在する事実は受け止めるしかなかった。同種の群れと相対するよりも薄気味悪い話だ。 「何でもいい。今のうちに逃げるぞ」  鎧竜と偽物ゾンビとの戦いが始まった以上、自分たちは埒外の存在になった。予期もせず疑問も生まれる展開ではあるが、逃げるタイミングとしてはこれ以上ない。——踵を返したところで八体の偽物ゾンビと相対することがなければの話だが。 「なかなか上手くはいかないものだね」  群れから少し離れて動いてた個体が居てもおかしくはない。くしゃみ一つで鎧竜に悟られる立ち位置に居れば見つかるのも当然か。それでも乱戦に飛び込むよりかはまだ希望のある戦場だ。 「寧子ちゃんは下がって。こじ開けろ、月丹」  先手は月丹が放つ銀の槍。極力準備動作を見せないように撃たせたそれは、自分達が一方的に狩る側だと思い込んでいた相手には十分な不意討ち。真っ先に飛びかかろうとーしていた一体の右翼をまとめて射ぬき、その身体を地に落とす。だが他の四体は仲間の失態を一瞥することなく突撃を続行。ならばこちらも他の戦力も加えた上で叩くまで。 「後に続け、わた……寧子ちゃん?」 「私達だって戦えます。行って、タマ」  最も早く続いたのはタマ。先ほど見せた軽やかな動きそのままに一体のゾンビに向かって走り、その目の前で姿を消してみせる。いや、正確には消えたように見せただけ。攻撃が空を切ったことに動きを止めたゾンビの後ろにタマは陣取っていた。  相手の背後を取る。それはただの遊びで終わらせるには勿体ない技能だ。真正面から相対していても、仕掛ける瞬間だけは不意討ちと同じ状況に持っていける。そのまま牙を突き立てても良し。敢えて仕掛けずにフェイントとするも良し。  今回タマが選んだのは後者。一対一ならばここで仕掛けてもよかっただろう。だが今回の敵は複数。その中には自分の背後で爪を立てようとする個体も居る訳で、迂闊に攻勢に出るよりは回避に移る方が上手い立ち回りだった。 「今です」  そもそも寧子がタマに任せたのは敵の間を縦横無尽に潜り抜けて撹乱させること。数が同等ならば統率が取れている方が勝率は高い。それは逆を言えば統率を乱すことも有効な手になるということ。タマにはその危険な役回りをこなせるには十分な身軽さがあり、その活躍によって産まれた隙を正確に突ける戦力も味方に居た。 「ターボスティンガー」  アハトの主砲が唸りを上げ、その銃口が何度も瞬く。一発目は一番最初に動きを止めた一体の身体を貫通。二発目はその後ろでタマから逃れようと飛び上がった一体の右翼を焼き、三発目でその身体を撃ち落とす。  先陣を切っての攪乱。後に続く援護射撃。それだけあれば多少の数の差を打ち破って攻勢に出るには十分。カインと月丹も前面に出張り、飛び出ようとする敵に銀の球と槍で洗礼を浴びせる。 「これならいける」  数は多いが一体一体の力はたいしたことない。警戒するべきことは群れの本体かモノクロモンの群れがこちらに来ること。その前に蹴散らして進路を切り替える。渡達も全滅を待たずに移動を始めた方がよさそうだ。 「……ん?」  一体一体確実に息の根が止まっていることが確認できていれば渡達の予想通りの展開に持って行けただろう。まず最初に足が止まったのは一番動いていたはずのタマ。この段階では渡達には違和感を覚えることしかできなかった。だが次に月丹が不自然に転んだところで何が起こったかを正確に理解できた。  月丹の足には敵の一体が噛みついていた。それだけなら別段不自然なこともない戦闘での一場面。しかしその一体には身体の右半分がなく、左半身だけで月丹の足に絡みついていた。タマにも同じように敵に組み付かれているようだったが、その相手には両方の後ろ足と頭が存在していない。他の個体も同じだ。後ろ足が無くなれば尻尾で身体を支え、胴体が無くなれば上半身と下半身でそれぞれバラバラに動き出す。既に最早モンスターとしての原型を留めていないにも関わらず、その身体は止まることなく敵対者に組み付いてくる。  しぶといの一言で片づけられるものではない。渡達の知るモンスターとは異なる別の生命体。そもそも生命体という認識が正しいかも疑わしい存在。自分達が相対している存在について正しく認識するには少し遅すぎた。 「タイムアップ。ゾウエン」 「あいつらがやられたのか」  それはモノクロモンの群れも同じだったらしい。違うのはもう奴らは一体残らず食い尽くされたこと。それを無常に思う余裕もない。蹂躙したゾンビの群れの本体がこちらに来るのも時間の問題。そうなれば自分たちもその無常さの被害者になってしまう。 「アハト、組み付いている奴だけ叩け」 「ワカッテル。ヤッテル」  無理とは言わないだけあって、アハトは誤射なく味方に組み付いている敵を撃ち落としている。その後カイン達も即座に反撃に出ながら包囲から逃れようと暴れている。しかしそれ以上に五体がバラバラになっても動く敵がしぶとい。広範囲に跡形もなく消し去るような一撃を持っていれば話は違うだろうが無い物をねだっても仕方ない。 「のんびりしていられない」 「だな。覚悟決めた方が良さそうだ」  力押しで一発大きな穴を穿って突破する。キャストをすべて筋力に使って振り払えばここから離脱できるはず。ここさえ切り抜けられさえすればこちらの勝ちだ。 「ダメ」 「何を……何なんだあれは」  その希望を砕くのはアハトの声とほぼ同時に視認した敵の増援。右方向から現れた数は十。出現位置からしてモノクロモンの群れと戦っているものとは別働隊だろうか。出現頻度といいしぶとさといいあまりに異常で理不尽だ。  壁の層が厚くなればなるほど突破は困難になり、その対処に時間を取られれば後ろからさらなる絶望が来る。なぶり殺しにされる未来。それを避けるための手立てはこの場の誰も持ってはいなかった。 「皆さん、キャストの準備を」 「寧子ちゃん……」  それでも弱音を吐かずに冷静に居るのは意外にも寧子だった。意地を張って悪あがきを貫こうとしているのか。 「気力に六、耐久力に四で」 「何を」 「大丈夫ですから早く!」  いや、まだ捨て鉢になった訳ではないらしい。どうせ打てる手が思いつかないのなら彼女に賭けた方がマシ。意図も分からないままに、彼女の指示をそのままそれぞれの契約相手に伝える。 「……来た」  全員が行動を終えた直後、奇妙なものがこの空間に流れ込んできた。それは歌声。日本語以前に人の声かも疑わしいが、軽やかなリズムで奏でられるソプラノは歌という表現しか思いつかない。  奇妙な歌は不可解な現象を引き起こす。渡達が聞いた瞬間からゾンビ達は糸で縛られたように動きを止めていた。あそこまでしぶとく絡みついていた敵がまるで戦意を無くしたようだ。カイン達も半ば気の抜けた表情を浮かべて動きも鈍重になっている。どうやらモンスターに対してのみ効果のある歌声らしい。 「今のうちに離脱します。左に走って」 「寧子ちゃん、これは……」 「私の仲間です。近くまで来てたみたいで」  はぐれていた仲間の援護。それが寧子の指示の真意。キャストで歌声の影響を軽減できたカイン達も敵から逃れて合流。そのまま走っていけば、歌声の効力が切れる頃には敵の認識範囲の外に出る。 「ランさん、後はお願いします」  そのタイミングで渡達の後ろに発現する雷雲。落雷が炸裂する度に激しい煙が巻き上がり、互いの姿を隠す障壁となる。これも寧子の仲間の仕業らしい。ここまでしてもらえれば逃げ切るには十分で、先頭に飛び出たタマの後を追えば自ずと元々の目的地へとたどり着く。  見晴らしのいい荒野。そこにいくつかの人影があった。その傍らには彼らと契約しているであろうモンスターの姿もあった。 「もう心配したんだから。大丈夫だった?」 「ごめんなさい、真魚(マオ)さん。ご迷惑をおかけしました。アキもありがとね」  真っ先に声をかけてきたのは白シャツにデニムのショートパンツが似合う勝気な印象の少女。背丈と雰囲気からして高校生だろう。  彼女の契約相手は聖歌隊のような衣装を着た小人か妖精。ただ背中に生えている翼は蝶のようなものではなく魚のひれのようで、足の先も人のものではなく鳥のものが近い。森よりも海辺で歌っているのが似合っている印象を受けるこのモンスターが偽物ゾンビの動きを止めた歌の主のようだ。 「よう。寧子ちゃんが言っていたのはお前達か」  次に声を掛けてきたのは二十台前半と思わしき男。整髪料の臭いが随分きつく、その発生源たるリーゼントが嫌でも目につく。その髪型に加えて将吾顔負けの目つきの悪さと顔に刻まれた古傷のせいで威圧感がすごい。心当たりがなくとも何か気に食わないことをしてしまったのかと思えてくる。  傍らの契約相手はガンマンのような出で立ち……より適した表現をするならば銃(ガン)が人型(マン)になったような姿をしていた。常時武器を真正面に構えているような姿は正道の印象もあって物騒だ。 「正道君は圧がすごいから下がって。私のマメゴンで君のビリーを抑え込むよ」 「恭介さん、別に何もしませんって」  彼を諫めるのは白髪が交じる初老の男性。正道と呼ばれた男とは真逆の穏やかな雰囲気が年の功という言葉を思い出させる。血の気の多そうな正道がおとなしくなる辺り、彼が寧子の仲間の中心人物とみてよいだろう。  彼がマメゴンと呼ぶ契約相手は球体の身体に恐竜のパーツをくっつけてヘルメットを被せたようなモンスター。真魚の契約相手――アキもそうだが、小さな体躯に反してこの中でトップクラスの力を持っていることは分かる。二体とも進化段階(ランク)はあのオオクワモンと同じなのだから。 「ランさんもありがとうございました」 「気にしなくていい。無事なら十分さ」  他にこの場に居る寧子の仲間は四人。魔法使いのようなモンスターを連れた青年に、ツタの生えたウツボカズラのようなモンスターを連れた男性。獣と人の中間のシルエットを持つ桃色のモンスターを連れた少女に、黒い猟犬のようなモンスターを連れた女性。真魚達と合わせて合計七組とは、渡の想像以上に多い仲間とともに行動していたらしい。 「君達が寧子ちゃんの言っていた仲間か。私はこのコミュニティをまとめている巽(タツミ)恭介(キョウスケ)。この度は仲間を助けてくれてどうもありがとう」 「いえいえ。こちらこそ助けられた身ですのでお互い様ということで。名乗りが遅れましたが、私は逢坂鈴音と申します。以後、よろしくお願いします」  ひとまず役目は果たした。鈴音も猫を被るのかと感心しながら、渡は腰を下ろして一息つく。窮地を切り抜けて気持ちに余裕が生まれたのか、寧子の仲間から向けられる視線について考えることもできた。  感謝以上に強いのは不信感。中でも自分とカインに向けられているものは格別だ。その視線の理由も寧子が自分にした質問の意図も今なら分かる。カインと酷似した姿のあのモンスター。いや、あれをカイン達と同じモンスターとして扱っていい類なのかも怪しい。正体が何であれ、あんな化け物と似たモンスターを連れていれば関連性を疑われるのも仕方ない。尤も仮に関連性があるのならこっちが尋ねたいくらいだが。 「渡君、将吾君。今日はここまでにしよう。後日改めて話がしたいと巽さんから提案を受けてね。当初の想定とは違っていたけれど、人の繋がりは報酬として十分だろう」  鈴音からまた聞きしたこの話もこちらを探ろうとしてのことだろう。都合がよいと開き直って誤解を無くしていくしかなさそうだ。    
X-Traveler Episode.4 "コミュニティ" content media
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パラレル
2020年3月09日
In デジモン創作サロン
本作品は「#おまラス」ことデジモン創作サロンの企画「おまえのLAST EVOLUTION 絆を見せてくれキャンペーン」に参加している作品です。  背中を地につけ空を仰ぐ。視界に広がるのは決定的な変化を拒んだ世界の空と、その意志を貫き通した俺達の敵。  誰でも分かるかたちで決着は着いた。結局は恵まれた選ばれし者が勝利をもぎ取り、恵まれず選ばれた役割を放棄した者が敗北の苦汁を飲まされる。……そう片付けるのは勝者に失礼だ。奴らは俺達の過去を知り、宿願の是非について考え、俺自身自覚のなかった本音を抉ったうえで圧倒したのだから。  奴らが真に恵まれているのは大事な本音を互いに打ち明けられるパートナーに恵まれたこと。俺達はただその一点だけで劣り、俺の最後の一太刀に迷いが生じた。もし俺達がそんな間柄だったとしたら、ここに立つ前提そのものが崩れさっていたかもしれないが。  終わりの白騎士が二人のパートナーを伴って降りてくる。憐憫の視線は六つもいらない。これで終わるのならそれがいい。新たな始まりを作れなかった黒騎士に存在価値などないのだから。  ……ああ、本当にろくでもない一生だった。 ******  廃墟の影に身を隠しながら、戦車の砲撃が届かないことを祈る。悲鳴が聞こえないのはそれを口にした奴から今後何も言えなくなるから。恐怖を押し殺し、闘志を奮い起たせて、笑いながら死ね。それが生き残る可能性をあげるのだとケツを叩いた小隊長はもう何も喋ってはくれない。あの人に反抗して殴られた新入りもこの石壁に辿り着くまでに息をしなくなった。  一瞬だけ盾の外に顔を出して自分達の命がどれだけ持つかを数パターンに分けて試算する。このまま息を殺してやり過ごそうとすれば一分二十秒後に戦車の砲撃で石壁もろとも砕かれる。逃げ道を探して飛び出しても逃げ場などない。戦意を振り絞って前を向いても余命が十秒ほど短くなるだけ。結局のところ俺一人では生き残ることしかできないのだから、俺に残された道は最悪な望みを片割れに託す先にしか存在しない。 「一秒引き付ける。進化して出るぞ」 「任せろ、カイト」  分かり切った答えを聞くより先になけなしのスタングレネードを放り投げる。敵兵の視界を塗りつぶす光は目くらましである以上に俺達の切り札を隠す一手でもある。何せもう片方の手に強く握っていたデジヴァイスが放つ光は強力で、俺の片割れに起こる変化も劇的なものだから。 「ドルモン進化――ドルガモン」  紫の小竜から紫紺の飛竜への進化。俺の肩にも届かない程度だった背丈は俺を背中に乗せられる程に大きく逞しいものとなった。もちろん背中の翼も見掛け倒しではなく、ゴーグルを掛けていなければまともに目を開けられないほどの空の旅へ連れて行ってくれる。  数十秒前まで俺達の命を狙っていた五台の戦車を見下ろす。叩く優先度は決まった。俺達が替えが利くだけの戦力でないことを証明してやる。  砲塔が上方に向き出した瞬間に急降下。どこを狙うか分かりやすいのはこちらとしてはありがたい。偏差射撃を狙った弾もドルガモンが同体積且つ高密度の鉄球をぶつけて相殺。飛び散る金属片の裂傷をものともせずに直進し、再度狙いをつけられたところで左方に飛びのく。敵の射程外から大きく逃れたのは、筋肉の伸縮に合わせて鉄球を吐き出したから。派手に弾と潰しあう程度の質量が生む反動は馬鹿にはできず、無理を通したドルガモンの息は少し荒い。それでもこいつは俺を守るために抗うのを止めることはない。ならば仲よく死ぬその時まで信じるしかないだろう。  無理を通した成果はあった。こちらの射程圏に一台入ってもどの戦車も狙いを定められず、最も早そうな戦車は副武装の機関銃を鉄球で押し潰したうえで、砲塔にも次撃てば暴発する程度に鉄球を詰めておいた。  このペースで各個撃破を狙うとして、残り四台がガラクタに変わるのが先か、敵の増援が来るのが先か。後者の方が早いのなら適当に追撃を浴びない程度に仕掛けて逃げた方がいいだろう。  無理をして犬死にすることに誇りを感じるような忠誠心は持ち合わせていない。誇れる感情や信念があるとすれば、守りたいと思う対象があることくらいだ。それは名誉だの復権だの曖昧なものではない。肉体も精神も存在する仲間という実体だ。幸いなことにそのベクトルは双方向で、かたちのない繋がりだとしてもそこにあることを信じられた。 「――ベアバスター」 「大丈夫? まだ生きてる?」 「なんとかな、サミィ」  それを証明するように上空から光の槍が伸びて俺達から一番遠い戦車を射抜いた。耳元の通信機から届いた声は付き合いの長いスナイパーとその片割れのもの。ようやく納得できる狙撃ポイントが見つかったらしい。妥協が死に繋がるのは分かるが、あまりこちらをヒヤヒヤさせないで欲しい。 「じきにバズ達が着くからもう少し頑張って」 「そっちの援護次第だな」 「そっちの根性の問題でしょ」  通信機越しに軽口を言い合える程度には余裕ができた。ならばサミィのオーダーに応えるのもさして難しくはない。  ここまでの判断も推測も特に間違えてはいなかった。ギンリュウモンに乗ったバスを先頭に増援はすぐに来たし、頭数の差さえ無くなれば戦車をスクラップに変えることも実際難しくはなかった。  デジモンという生物は人の創造物を軽く越える程度の力と可能性を秘めている。だから俺達のような子供は需要があり都合が良かった。……それを分かっていながら、当然の可能性を失念していた。  俺を助けに来た増援は二十分後に俺とドルガモンを残して全滅することになる。  デジモンが束になっても勝てない敵は当然ワンランク上のデジモンだ。暗色の竜人――サイバードラモンがサミィとワスプモンを真っ先に殺したうえで現れたのは通信機が断末魔というかたちで教えてくれた。本能に従ってか理性的な判断なのかは別として、俺達を絶望に叩き落とす初手として腹が立つほどに最適解だった。全員から理性的な判断を奪うことには成功したのだから。  真っ先に突っ込んだラックとクワガーモンは真正面から仲良く両断された。逃げようとしたトブキャットモンは背中に乗せていたパートナーのリコを射殺されたことで繋がっている自分自身の命を失った。  地力から違うデジモンと奴から離れて人間の方を狙撃するパートナー。逃げることも歯向かうことも許しはしない立ち回りで、高速かつ柔軟な立ち回りで文字通り仲間を抉り消していく。  俺達が最後に残ったのは一番動きが鈍かったから。足手纏いとして他の面々を乱すために後回しにされたおかげで俺は仲間の死に様を丁寧に見せつけられた。  サイバードラモンが俺達の目の前でバズとギンリュウモンの首をへし折り投げ捨てる。お前たちもすぐにこうなると見せつけたその驕りが奴らの唯一のミスだった。  上官曰くデジモンの進化にはパートナーである人間の感情の変化が影響するという。くそったれな経験則による知識と推測の積み重ねなんぞに敬意を評したくはないがその言葉は正しいだろう。相手の所業に対する怒りや純粋な生存本能が俺の内で渦巻きが閾値を超えた結果、ドルガモンは赤と白の体毛に覆われた大型の竜――ドルグレモンへと進化したのだから。……まったく取り返しのつかないところまできて覚醒する感情ならばそんなものに価値はあるのだろうか。  それからの記憶はあまり覚えていない。ドルグレモンがドルモンに退化したとき、俺達の足元にはサイバードラモンとそのパートナーだった少女の首が転がっていたからやることはやったのだろう。  ぼろぼろの状態でただ一組だけ帰ってきた十四歳の少年とパートナーのデジモンに対する労いの言葉はなかった。デジモンがさらなる進化段階に到達したことに喜ぶ声はあっても、そこに至るまでに犠牲になった仲間への弔いの言葉は一言も貰えなかった。代わりに聞こえたのは割に合わないと俺を詰る声と無造作に振るわれた拳が俺の頭蓋を揺らす音だった。  なんで俺達はこんな大人のために自分を、何よりパートナーデジモンを危険に晒さなくてはいけないのか。確かに衣食住を確保するために選択したことではあるが、そもそもまともな選択肢を与えてくれなかったのはこいつらじゃないか。……こいつらも、この地域もそれだけの力を持てなかったに過ぎないということは分かっている。  俺が子供なりの自意識を獲得した頃には既にこの国は戦火に包まれていた。民族間の対立で少数派の方に大国がバックについたことで拗れたようだが、俺が実感している事実は住むところを失い、家族が死んで、途方に暮れた十一歳の子供が残ったことだけ。そのまま短い人生を終えることにならなかったのはドルモンという片割れと出会えたから。その存在は俺自身が生にしがみつく契機になっただけでなく対外的な存在価値を与えてくれた。与えてしまった。  パートナーデジモンとの遭遇が特に子供にみられることは軍関係者にも認知されており、デジモンの存在はこの紛争に絡む要素として無視できないものになっていた。  人の力を超えた意思ある力を制御するのは本来簡単なことではない。だが可能とする要素は都合よく存在しており、それを効率的に使う方法を考える程度には人間は悪辣な一面も持っていた。  デジモンがパートナーである人間を大事にするのは彼らにとってその存在が己と同等のものであるから。それも信頼や依存という精神的で個人差のある側面での話だけではなく、もっと生命として根源的なレベルでの話だ。――端的に言ってしまえば、人間とデジモンの生命は繋がっており、人間が死ねばパートナーであるデジモンもじきに生命力を失い、転生の未来含めて消失する。  この事実がデジモンを戦力として運用したいと考える人間にとってどれほど都合の良いものかは考えるまでもない。強い力を制御するためにその生命と繋がっている弱い存在に首輪をつければいいだけの話だから。文字通り俺達に掛けられた首輪には軽く痛めつけるための電気ショックの仕組みといつでも切り捨てられるための致死性の毒がセットされている。  結局のところ、俺達のような子供はパートナーデジモンの弱点であり枷でしかないのだ。せめて安全なところにパートナーを置いてほしいとデジモンが願っても決定権は大人が握っており、感情の変化がもろに出る戦場でこそ進化の可能性が高まると判断すれば弱点を抱えたまま出撃させられる。死に物狂いで戦ったところで戦果を上げれば新たな戦場に休みなく投じられ、パートナーともども仲良く死ねばそこまでの命だったと忘れ去られる。  ドルモンが俺と関わらなければもっと自由に生きられたのだろうと考えたことは何度もある。俺なんかより勇敢で逞しくて、何より力強い。俺の命でこいつの自由が保障されるのなら喜んで差し出すのに、実際は逆に俺という存在がこいつの自由を縛っている。何も与えられず重い枷にしかなれなくて何がパートナーだよ。馬鹿馬鹿しい。  何があっても死なないこと。結局俺があいつのためにできることはそれしかなかった。自分が生きるために他者を切り捨てる。嫌というほど見てきたそのやり口と戦場で培った経験だけが俺が持ち得る唯一の武器だった。  三年後にはそんな人間が若き英雄として持ち上げられることになるのだからお笑いものだ。俺はただ強いパートナーに殺戮をさせただけの臆病者でしかない。上官に媚を売り、取引に使えるものは全部使って、地位と唯一無二の立ち位置を勝ち取った。邪魔になりそうな奴は誤情報で誘導して都合よく戦死してもらった。後輩や部下は本番投入する前に完全体に仕上げるのを前提にしごいたことで部隊の生存率を向上させ、志を共にするに足りる部下も抱えることができた。目立ちはしても軍には従順だと愛想を振りまいたおかげで中尉という肩書も得られた。  これらすべて俺とドルモンが生き残るためにやったことが休戦協定の締結と暫定政府の設立に繋がる実績となったと考えれば誇るべきことなのかもしれない。だがもっと重要なことは俺自身の目的のために立ち回る足場がようやく整ったことだ。  正式な政府が設立された後で軍部に潜り込めたのは僥倖だった。停戦状態でも力を求める連中は燻っているもので、未だに戦力としてのデジモンの研究を諦められない連中も居る。業腹ではあるがその欲望と知識を使わせてもらう。  相手方のニーズで最も強いものは俺が考える中で最もリスクが低いものだと検討もついていた。デジモンの力の量産化――未だパートナーが現れない人間でも扱える人造のデジモンを生産することは俺にとっても都合がよかった。  研究材料はドルモンを始めとした面々のデータを複製する程度で十分だと言いくるめて秘密裏に仕込んでいた実績も見せつけた。約一年で人造デジモン第一号の製造して大臣閣下に進呈したことで文句を言いだすような輩も居なくなった。  早急に量産体制を整えることは対外的な圧力につながると告げ口して研究の速度を調整しつつ、裏で研究資材を確保して個人的な研究へと投資する。同じ戦場を超えた忠実な部下に俺の目的を明かしたところで裏切ることもない。地獄にパートナーデジモンを晒してきた人間ならば必ず一度は俺と同じ望みを一度は抱くものだ。これは地獄を見てきたから俺達だからこそできる救済なのだから。  停戦から五年経った。内も外も対立が無くなったとは言い難いが、それでも目立った火種が炸裂することはなかった。  一番燻っている火種を抱えていた我らが軍部については爆発しそうな輩から実験体送りにさせてもらった。奴らと人造デジモンとの間に強制的に結ばせた契約が俺とドルモンのそれと大差ないものになるようにするまでに時間は掛かったが、その分第二段階の研究は予想よりも早く結果を出すことができた。  契約していない人造デジモンの寿命は二か月程度。関係のない人間の生命を与えた場合は半年。そして、契約相手を与えた場合は三年前の初実験体も未だに生き延びている。  後は実際の検体を用いて実証実験を行うのみだ。ようやくだ。この瞬間を俺は待ち望んでいた。いや、ここから始まるのだ。 「……本当にやるのか」  久しぶりに聞いたドルモンの声はどの戦場で聞いたものよりも怯えているように感じられた。この考えに至った頃から繰り返した問答。それで俺が折れたことは一度もなかったと分かっている癖に。どんな言葉をぶつけられたところで今の俺が止まることはない。 「ああ。ずっとこれが俺の望みだったんだ」 「だとしても」 「頼む。お前だけは、最期まで俺の片割れでいてくれ」  片割れの言葉を遮るようにデジヴァイスの裏面を左胸に押し当てて、改造で新たに加えた機能を解放する。端末から飛び出した光の杭が自分の胸を貫く痛みが今はどうしようもなく愛おしい。  この杭が自分の生命力をすべて吸い上げて文字通りパートナーの血肉を構成する糧へと変換してくれる。人間の因子をデジモンに移すことで人間側の死亡判定をすり抜けることができるという裏付けが取れている。遂に俺の研究は人間という弱点を捨ててデジモンがさらなる力を得ることができるという最適解に至ったのだ。  人間とデジモンは本来地球とデジタルワールドという世界に分かたれた半身である。それがパートナーの人間の感情によってデジモンが進化する理由であり、パートナの人間が死ねばデジモンも死ぬという経験則の本質だと、このくそったれな世界が教えてくれた。唯一信じられた繋がりが何よりも暖かいものだと証明してくれた恩はこれから齎されるであろう新たな理で返させてもらう。  デジモンを得ることが人類種の進化であるのなら、これは人類種最後の進化のかたちであると言えるだろう。……だから、まあ、なんだ。お前はできるだけ長く生きてくれ。 ******  そうしてカイトは勝手に一人で満足していなくなった。俺の糧として俺の中で生き続けている。だから俺はアルファモンという人型に近い姿に進化して、あいつの望みを最後まで果たさなくてはいけないんだ。そう思うしか俺には取れる道が存在しなかった。  本当は嫌だった。こんなことを他のデジモン達に強いるのは心苦しくて仕方なかった。自分の中に正義が存在しないことは俺自身が一番理解していた。  事情を知る部下を引き連れて国を抜けたときも。事前の裏取引でデジタルワールドに身を潜んだときも。世界各地から言葉と力で思想に同調しそうなメンバーを集めて組織としてまとめ上げていたときも。実際に誰かの生命をそいつのパートナーデジモンに与えたときも。  それでも全人類にカイトの願いをぶつけることしか俺にはできなかった。カイトが抱えていたものを一番理解しているのは俺で、カイトがこんな思想を抱えてしまったのは俺があいつの前で何度も傷を負ったからだ。だからカイトが望む救済のかたちを伝えるのは俺だけが担うべき役目だった。  でもそれももういいだろう。救済を望んでいたとしてもその道は間違いなのだと真正面から声を上げてくれる相手が現れたのだから。奴らに終わらせられるのなら俺の肩の荷もきっと少しは軽くなる。  ……もういい。疲れた。これ以上俺はお前の居ない世界に居たくはない。
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パラレル
2019年11月03日
In デジモン創作サロン
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「それは結構。――では、行こうか」  「特異点F」へ渡るのにX-Passに複雑な操作を行う必要はない。デフォルトの状態で「X」の文字を押し込みながらカード自体を突き出すように前方に翳す。  ただそれだけで渡と鈴音が存在する座標は大きく書き換えられる。次に視界が周囲の情報を収集する頃には二人はこの世界には存在しない。  ドラマやアニメで場面(シーン)が切り替わるように、目の前の風景が三十ミリ秒前のそれと一変する。  乾燥した風が吹きすさぶ平野。以前訪れた場所よりも緑は多く、知識が無くても分かるほどに植生は日本のものとは大きく違っていた。視線を上方に向ければこれまた平野よりも緑の比率が多い山々が見える。渡達は現代日本から切り離された異界の土地に立っていた。 「これが君の契約相手の本来の姿か」  立つ世界が変われば自分達の周囲にも変化が起きている。カード状だったX-Passは本来の端末の姿となって利き腕とは逆側の手首に固定。カードの時にはドットの模様として圧縮されていたモンスターも本来の姿を取り戻して身体の筋を伸ばしている。 「そっちのアハトは前に聞いていた通りの姿だな」  蜂のマシーン。鈴音の契約相手を表現するには彼女自身が以前口にした言葉が適切だった。茶色のストライプが描かれた黄金色の身体は堅牢そうだが、その一方で肩と背中の機構で動きは身軽で自由度が高い。最大の武器らしき尻の先にある銃口は下半身と一体化したというよりも下半身そのものと言った方がいいだろう。このモンスターと鈴音が敵として現れなくて良かったと心から思う。 「ワタシ、アハト。ヨロシク」 「これはどうも……え?」  渡の思考がフリーズする。無理もない。モンスターのアハトが日本語を話したのだ。音声ガイダンスのような機械的な声で口にした言葉もたどたどしいが、確かに渡が会話に使っている言語を口にしていた。 「ツウジテナイ?」 「そういうこともあるだろうね。渡君、アハトはよろしくと言っているんだよ」 「一言一句聞こえた。だから混乱してるんだよ」  オウムが人の言葉を真似するのとは違う。訓練された犬が人の言葉に従って行動するのとも違う。語彙は少なくともアハトは自らの思考で言葉を選んで話していた。そんなモンスターが存在するなど渡に想像できるはずがない。 「人語を介するモンスターを見るのは初めてのようだね」 「ああ。いったいどう仕込んだんだ?」  「私は何もしてないよ」  渡の驚きとは裏腹に鈴音はまるでこれが平常運転のように語る。さらに何か仕込んだ訳でもないと言われれば頭上の疑問符がさらに増えるのも仕方ない。だが、渡の問いかけに対していつものように人をからかうような振る舞いもせず、少し後ろめたそうに視線を伏せる鈴音の姿が何よりも気にかかった。 「だったらなんでこんな真似が」 「……そうだね。隠し通すほど稀なことでもないし、歩きながらでも話そうか」   あまり気持ちのいい話でもないけれど。そう前置きしてから鈴音は再び口を開く。 「――いぎゃアアアアッ!!」  その後の言葉を遮る悲鳴。断末魔に似たそれはトーンからして声変わりをとうに過ぎた男性のもの。大の大人がここまでの悲鳴を上げるほどのことが起こっている。だが、一番の問題は声が聞こえてくる方向だ。  真上。ちょうど渡たちの頭上を流れるように悲鳴が轟き、それに連なるように黒い影が足元を通りすぎる。  いったい何が起きている。その言葉は頭上から降ってきた茶色い毛の塊を目にした途端に封じられる。足下に落ちたそれは猫か何かの耳。時が早まったかのように風化していく様はそれがモンスターの身体の一部だったことを意味していた。 「スズ、クル」  今目の前に降り立ったモンスターの顎に囚われている男性がその契約相手と見るのが最も理に叶っている。動揺と困惑の裏で走る、冷静で非情な思考が渡に目の前の状況をそう認識させた。 「嫌だ……死にたくない。助けてくれ!」 「アキラメロ。シネ」  灰色の鍬形虫(クワガタムシ)の化け物。そう形容するのが適切なモンスターに理性はない。稚拙な言葉を話す知性はあれど、食欲を抑える楔は存在しない。中年男性を電柱のような腕で口に押し込む様を見れば、この怪物と対話も和解も不可能なのは一目瞭然だ。 「助けてくれ、頼む!」  男性の死を拒む声が刺さる。渡もそれに応えようとした。だが、冷静な思考と残酷な現実が彼を助けることが無理だと告げる。何か手を打つよりも先に鍬形虫のモンスターが食事を終える。その結末を変えることは最早不可能だった。 「イタダキモス」 「いやだ、私はこんなところでまだ終わるらないきてきえあがやめろくるなくるなくうなやめ……ィきぁ」  苦悶の声は次第に言葉の体を為さなくなり、ついには男の精神ごと消える。後に残るのは生命活動を担う機能をすべて失った身体(ハードウェア)だけだ。 「手遅れだよ。彼はもうその身体には居ない。私達の前に現れた段階でもう詰んでいた」  そんなことは言われなくても分かっている。ごみのように地面に投げ捨てられた身体はもう動くことはない。モンスターと違って即座に風化することはないが、鍬形虫がその足で踏み潰せば容易にひしゃげる。何度も何度も念入りに肉塊を叩き潰す鍬形虫の残酷さは野性の闘争特有のものではない。玩具で遊ぶ子供のようなもっと質の悪いものだ。 「もういいだろう。不愉快だ」  その様に渡は思わず声を上げてしまった。言葉が通じるとは思っていないし、通じようが通じまいがどうでもいい。ただ必要以上に尊厳を弄ぶその姿が在ることが我慢ならなかった。 「オれはすごく愉快だ。次はオ前たちを食って遊ブ」  だから実際に鍬形虫がアハトのように人の言葉を話しても驚きはしなかった。寧ろその声のトーンが先ほど死んだ男に似た部分があり、その語彙がアハトよりも多いと冷静に分析することもできたほどだ。だが、話した内容に関しては、情報源として分析する対象にもならなかった。言葉を話せたとしても奴が退けるべき障害であることには変わらない。そのことだけは奴が口を開く前から分かり切っていたことだから。 「オオクワモン、進化段階(ランク)は完全体(パーフェクト)」 「格上か……悪い。逃げるのは無理そうだな」 「それは奴が現れた段階で決まっていたことだよ。それにピンチはチャンス、と言うだろう。ここで奴を狩れば大金星だ」  モンスターの進化の段階(ランク)は六段階。オオクワモンが該当する完全体(パーフェクト)は上から二番目で、カインとアハトが該当する成熟期(アダルト)はその一つ下だ。二対一であっても容易に勝てるとは思えない。それでもこの場の全員が退くことを選択しなかった。理由が食欲か闘争かのどちらかの本能によるものだとしても、自分達の意思を尊重してくれるカインとアハトに渡は心から感謝する。 「お前はここで潰す」 「威勢だけはイイな」  戦闘開始。オオクワモンが渡に向けて突進。その鼻っ面に向けてカインが口から鉄球を放ち、後方からアハトも同じ目標地点に向けて尻先のレーザー砲を連射。だが、そのいずれもオオクワモンを止めるには至らない。 「ソら、やってミロ」  最後に止まったのは渡の目と鼻の先。契約によって展開される透明な防護壁にハサミが食らいついたことで収まった。だがそれも時間の問題。契約相手との力の差か、防護壁が削れててじりじりとハサミが近づいてるのが分かる。それでも渡は冷静に左腕の端末を操作しながらオオクワモンを堂々と睨みつけていた。 「言われなくても、なあ!」 「がフグッ!?」  渡が吠えるのと同時にオオクワモンの腹に突き刺さる衝撃。それは真下に潜り込んでいたカインが渾身の跳躍による頭突きだった。渡に固執していたオオクワモンは反応することができず、勢いのままに上空に弾き飛ばされる。予想すらしていない完全な不意打ちだっただろう。自分より小柄な格下が自分を力任せに弾き飛ばすなど無理だ。事実、カインの元来の筋力だけでは不可能だった。 「下手に人の言葉話すから。動きが読みやすくて助かる」  からくりの名は「キャスト」。「ブラスト」とはまた別の、X-Passに内蔵された契約相手を強化する機能だ。簡単に言えば性能(パラメーター)の一部を動的に振り直す手法。力の総量は変わらず、進化に繋がることもない。だが、七つの球で表される危険指標(カラータイマー)――X-Levelを消費することもなく、状況に応じた無駄のない強化が可能だ。「ブラスト」を瞬間的な底上げと表現するならば、「キャスト」は能力の再分配というところか。  オオクワモンを押し上げられたのは至って単純な話。「キャスト」で振り分けられるパラメーターをすべてカインの筋力に振り込んだのだ 「調子に……」  戦闘の中心は上空に移行。体勢を立て直すのはカインよりもオオクワモンの方が早い。その時間差を逃さず、オオクワモンは真下のカインに腕を伸ばす。 「ノルながごグッ」  それを阻むのは認識の外から飛んできた多数のレーザー。射手は鈴音の頭上で砲口から火花を散らすアハト。恐るべきはその精度だ。肘に直撃してカインを逃させた一撃を初めとして、放たれたレーザーはすべてオオクワモンの間接部に直撃していた。  アハトの狙撃は全弾命中。それでもオオクワモンを仕留めるには至らない。だが、カインが体勢を立て直す時間を稼ぐには十分。立ち回りやすい間合いに調整することも含めて。 「俺達にそんな余裕はない」  前衛にはカイン。遥か後方でその陰に隠れるアハトが後衛。「キャスト」による能力調整も既に終えている。分配はカインが機動力に六割と耐久力に四割、アハトが火力に十割だ。渡が鈴音にX-Passで伝えた作戦を仕掛けるための準備は整った。  カインが翼を翻して空を舞う。オオクワモンとの距離は基本的に一定の安全圏を維持。だが、適当なタイミングで口から鉄球を放ちながら突進し、反撃が来ればそれを避けて後退してまた一定の距離を取り直す。  それは本来なら格上の相手には地力で潰されてしまう立ち回り。カインの鉄球ではたいしたダメージは与えられず、反撃を避ける隙も生まれない。だが事実として、カインが仕掛ける度にオオクワモンは怯み、カインが反撃を浴びることはなかった。  そもそもカインの役割はダメージを与えることではなく、オオクワモンの眼前で動いて意識を集中させること。言うなれば囮だ。突進も鉄球もたいしたダメージにはならないことは百も承知。最初からその目的は攻撃ではなく攻撃の一手を隠すことにある。  本命は火力のみを強化したアハトの射撃。その正確さは遥か後方からカインの股の間を抜けてオオクワモンの膝を撃ち抜く程。囮の後ろから来ると分かっていても、アハトの一撃はオオクワモンの認識の外を突いてその動きを確実に止める。  状況は渡の作戦通りに進んだ。だがそもそもこの策はカインに最も危険な役割を担わせるもの。格上相手の囮に加えて、背中は知り合ったばかりのスナイパーに晒している状況だ。  渡は契約相手を思う感情を押し殺して最適解を伝え、カインは嬉々としてそのオーダーを受け入れた。そして、鈴音とアハトはその様を見て奮い立ち、彼らの期待に応えることのできる射手だった。 「鬱陶しイな」  そんな吐き捨てるような言葉の後、オオクワモンは動きを止める。それが隙ではなく反撃の予備動作であることはこの場の全員が分かっていた。そろそろ仕掛けてくるだろうと予想もしていた。  警戒すべき大技の名は「シザーアームズΩ」。強大な鋏で断ち切る一撃が直撃すればその段階で勝負が決まるだろう。だが既に攻撃手段も通るであろう軌道も予想できている。この一撃を避けて反撃を畳み掛ければ、それこそこちらが勝負をつけられる可能性もある。 「シャハッ」  オオクワモンが動く。カインとアハトもほぼ同時に動く。瞬きすら許されないわずかな時間の攻防。ならば、その勝敗が示されるのも迅速で鮮烈だった。 「カイン!」  血を流しながら落ちる契約相手に渡が叫ぶ。その遥か後方でオオクワモンの鋏にアハトの右肩を抉るように傷つけられ、鈴音は今日初めて顔を歪めた。  手段も軌道も予想通りだった。だが、その速度と突進力は予想外だった。咄嗟に「キャスト」で耐久力を強化していなければ二体ともどうなっていたか分からない。カインに関しては予め機動力が強化されていたために直撃は避けられただけで、もし分配が違っていたら間違いなく死んでいた。アハトも急所が外れただけ儲けもののようなもので、下方に回避するのが少しでも遅ければ確実に捕まっていた。 「スキアリ」  一撃は予想外だったがまだ死んではいない。ならばまだ反撃の余地はある。それをいち早く理解したのはアハトだった。  オオクワモンの下方に位置している今の状況を最大活用すべく、身体を後方に回転させてオオクワモンの腹を仰ぎ、その中心部に自らの尻の先端を押しつける。標的が回避しようとももう遅い。反撃のために溜めていたエネルギーを砲口から解き放つ。 「ベアバスター」  アハトは一つ勘違いしていた。オオクワモンが直撃を受け入れたのは回避が間に合わなかったからではない。その必要がなかったからだ。そもそもオオクワモンは元々防御力に優れた種族。アハトの砲撃で怯ませることができたのは間接部を狙って動きを阻害していたため。その攻撃ですら怯ませることはできても一撃で明確な傷を負わせたことはない。ならば結果は明白。アハトが至近距離で最大火力をぶつけてもその分厚い甲殻を貫くことはできなかった。 「まずはオ前だ」  隙が生まれれば反撃の余地がある。その道理は当然相手にも適用される。オオクワモンの右腕がアハトに伸びる。捕まれば最後。胴体を二つに断ち切られてその命は終わる。後方に位置し過ぎていたためにカインも間に合わない。 「……ン?」  だがオオクワモンはアハトを捕えることはできず、その胴体は繋がったままだった。アハトに自身の危機を乗り越える手はなく、渡達にも助ける術はない。ならばアハトが助かった理由は乱入者による干渉に他ならない。  乱入者は侍のような甲冑に身を包んだ龍だった。カインを西洋の竜(ドラゴン)と形容するならば、こちらはより東洋の龍(おろち)に近いシルエットをしている。黒色の鎧の中で目立つのは四肢を守る朱と白銀の角、そしてカインにも同じ位置に存在する赤色の宝玉だろう。 「助かった? 庇ったとでも? 何故?」  アハトは助かった。鈴音としてもその点には安心したが、その事実と経緯があまりに不可解だった。モンスターが他のモンスターを助けるために戦いに介入した。野性の個体がそんな行動をする理由はない。だがトラベラーと契約してその指示に従ったとしても、契約しているトラベラーが相当の物好きということになる。  渡も混乱していたが、その矛先も視線も鈴音とは別の方向を向いていた。見つめる先は龍が現れた地点。山に繋がる森の入り口には鈴音の推測通りに契約相手が居た。渡と同じ歳の男子高校生。眉間に皺を寄せて目つきの悪さを隠そうともしていないが、性根はそこまで悪くない人間だと渡は知っていた。 「なんで渡もここに居るんだよ」 「将吾(ショウゴ)か」  鶴見(ツルミ)将吾(ショウゴ)。中学の剣道部で知り合い、高校でも三か月だけともに稽古に励んだ剣道部員。いや元剣道部員か。渡は入学三か月で辞めたが、将吾は二週間ほど前に辞めたと聞いた。今彼がこの場に立っていることがその理由だろう。 「なるほど、渡君の知り合いか。アハトを助けてくれてありがとう」 「力を貸そうとした矢先に戦力が減ったら困るんだよ。もちろん相応の分け前はもらうぞ」 「悪い。こっちも全部はやれない。代わりに返すものに何か希望はあるか?」 「とりあえずその話は後にしろ」  カインとアハトに将吾が連れる甲冑の龍が加わって三対一。だが三体とも力量は敵の一つ下。それでも活路はどこかにあるはず。だからこそ将吾もこの戦いに乗ってきた。 「増エタか。まとめて食っテやる」 「そいつは怖いな。行け、月丹(ゲッタン)」  将吾の名前を呼ぶ声に応えて龍が空を翔ける。カインやアハトのように飛ぶのとは違う。寧ろ浮遊していると言った方がいい。水を泳ぐようなその姿は優雅で捉えどころがない。だからこそオオクワモンからアハトを救出することができ、また今も奴の直情的な攻撃を避けている。  巧い。ただその一言に尽きる。だがそれでも足りないものがある。それは堅固な甲殻を貫く力。月丹の武器は口から放つ鉄の槍だが、何度か撃ち出されたそれらは悉く灰色の甲殻に弾かれた。与えられたダメージ量もアハトが至近距離で当てたレーザーと比べて明らかに劣っている。 「おい、ぼさっとするな。あくまで手を貸してるのは俺の方だ」 「悪い。今はありがたく力を借りる」  それを補う策を将吾は導いていた。渡と鈴音は実行に活かすための指示を受け取っている。ならば後は共通の敵を倒すために、各々を信じて実行するのみ。 「アハト、まだいけるね」 「ガッテンショウチ」  標的から大きく距離を取りながらカインは再び空という戦場に上がる。アハトはそのすぐ後ろ向きに再度陣取り、鈴音の声と指示に従って自慢の武器を乱射。乱射といってもその狙いは正確で、オオクワモンの間接部に再びレーザーが襲いかかる。  だが、やはり怯みはしても傷を負わせるには至らない。いや、流石に慣れたのか、怯んで動きを止めることも少なくなってきた。 「鬱陶シイ……懲りナいよウダな」  それでも苛立ちを誘い、注意を向けるには十分だ。オオクワモンは再び狙いをアハトに定めて突進のために一度動きを止める。そのタイミングに合わせてカインは口から自身の身体に匹敵するほどの巨大な鉄球を放つ。 「シジャハッ」  だが、オオクワモンには止まる必要すら無かった。予定通り突進し、鋏という武器を使って鉄球を両断。想定よりも密度はあったが止めるには至らない。もたらしたことといえば多少速度を緩めたことと、一度鋏を閉じたために標的を断つためにはもう一度鋏を開かなくてはいけなくなったこと。しかし、それだけで将吾の策を進めるには十分だった。 「ムググ?」  鉄球は両断されて二つの半球になった。それは当然の現象でオオクワモンも理解していた。だが、その間から覗く何かは理解の外だった。だからその存在を認識した頃にはオオクワモンの口には異物が押し込まれて、初めて痛みを知覚した頃にはそれは腹の深いところまで刺さっていた。 「丹精込めた一本だ。存分に味わえ」  異物の正体は月丹が放った鉄の槍。それも将吾のキャストと指示により今までで一番太く長いものだ。どれだけ甲殻が堅かろうと腹の内は関係ない。だから槍は腹の底まで刺さり、飛び出した柄のせいで口は閉じることができなくなっている。断ち切ろうにも歯では噛みきれず、鋏は角度の調整に神経と時間を使うだろう。そんな猶予はオオクワモンに残されてなどいない。  半開きになった口の隙間の先は唯一の弱点に繋がっている。そこはアハトにとって、間接部を狙うよりも容易い格好の的だ。 「詰みだ。止めは任せた」  ベアバスター。それがアハトが告げる死刑宣告。閃光は灰色の身体を口から尻まで一息に貫いて、オオクワモンという生命を一撃で終わらせた。
X-Traveler Episode.3 "人と怪物" content media
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パラレル
2019年10月30日
In デジモン創作サロン
<< 前話へ 目次 次話へ>> Episode.2 "トラベラー" 「悪いが、てめえらの冒険はここで終わりだ」  渡はその言葉の意味がすぐには理解できなかった。  突如見知らぬ世界に飛ばされて野性の脅威に殺されかけたと思いきや今度は同じ人間から宣戦布告。一時の思いでトラベラーになったものの、渡はまだ人間相手に戦う理由も覚悟も持ち合わせてはいない。 「耳悪いのか? お前もそこのモンスターもここで始末するって言ってんだ」 「なんでそんなことを言うんだ?」 「俺は優しいからな。人によっちゃあ気づく前に殺されてるぞ」 「そういう意味じゃない」  ようやく相手の意思を理解しても口に出たのはそんな言葉。見た目からして男の素行は良くなさそうだが、ただチンピラが因縁をつけているのとは訳が違うことは理解できた。奴は間違いなく明確な理由を携えて目の前に立ちはだかっている。 「んなことは分かってる。てめえが知りたいのは理由だろ。つってもそんな複雑なことじゃねえよ。――お前がここに居て、そいつと契約(ペアリング)している。理由なんざそれで十分だ」 「待て、まだ納得はしてない」 「知ったことか。――やれ」  渡の思惑を無視して対話の時間は一方的に打ち切られた。男の一言で傍らの黒竜が動き出す。その標的は未だ状況に納得していない渡とその契約相手であるカイン。 「カイン!」  初手は低空飛行で距離を詰めてからの長い腕でのスイング。渡が名を呼びながら右方に飛びのいたのとほぼ同時にカインは逆方向へとステップを踏んで退避。彼らの間を黒い腕が通った直後、カインはその腕に向けて鉄球を放つ。今できる反撃としては上出来。しかし、正確に肘を直撃しても黒竜の動きを止めるには軽すぎる。 「くそ、軽いか」 「ハッ、切り替え速いじゃねえか。……まあこれくらいしてくれないと何も賭けられねえけどな」  男の立場やスタンスは未だに分からない。それでも敵として立っている以上はできる限り抵抗はする。それはカインに対しての指示であり端末の操作によるサポートだ。前者は契約時に繋がったパスを使えば口にせずとも伝わる。だが後者はできることをぶっつけ本番で模索するしかない。 「こいつ……何なんだ」 「ん? もしかしてお前こいつの使い方も知らねえのか。チュートリアル終わったんじゃねえのかよ」 「ああ、聞いてない。契約だけは頭に浮かんだけど、それきりだ」  戦いを少しでも有利にするには黒竜の情報が必要だ。ボットがゴブリモンやオーガモンを解説したのだから、端末には同じように対象のデジモンを知る術があるはず。ただ今の渡はそれを知らず、その術も込みで教えるのがチュートリアルだろうと怒鳴りたくなった。もしここで帰還の術も教えられてないことも思い出していたら我慢の限界は越えていただろう。 「んだよ、本当に訳分かんねえ奴だなお前。ここまでフェアじゃねえと流石に白けるぜ」 「チュートリアルで言われはしたけど、本当にゲームみたいな言い回しする奴が居るとは思わなかったな」 「それ煽りのつもりか? ゲーム……上等じゃねえか。何かを賭けた戦いこそ、俺の性に合ってる」  やれることは戦場の調整と同じ人間に対する場外戦術。空中からのヒットアンドアウェイの合間にカインを前進させ、崖から離れて横の移動範囲は広がりつつある。相手よりも小回りの利く身体のお陰でアウトレンジからの急襲にも対応できている。いや、そう見えていると言った方が的確だろう。安い挑発に乗らない男の余裕がその証拠だ。 「X-Passの使い方くらい教えてやってもいいぜ。ゲームも賭けもある程度フェアな方がおもしろいからな」 「断る」  寧ろ逆に挑発してくる辺り、やはり相手もまだ本気を出させてはいないらしい。それが相手の言うフェアの考えによるものなのか、それとももっと非情な姿勢による揺さぶりなのかは分からない。 「ハッ、本当に変なところで意地張る奴だな」 「お前に意地を張ってる訳じゃない」  それでも渡が挑発に乗っていないことは事実だった。相手との力量差も場数の差も理解している。男の誘いに乗らなかったのも独りよがりの意地ではなく、男の言葉に真摯に応えるためのもの。 「ここで借りを作ったりしたら、それが気になって集中できない。それこそフェアじゃないだろう」  借りができたら必ず返す。それは敵として現れた相手だろうと変わらない。フェアな状況を作るために借りを作ることは渡にしてみれば本末転倒としか考えられなかった。 「何だ、それ? ……おもしろいじゃねぇか。ここで殺すには惜しいくらいおもしれぇよ、弟切渡ッ!」  男が笑うのも当然だ。渡自身この決断が自分に不利益しかもたらさないことは分かっている。それでも渡には頑固者らしく譲れない一線があった。挑発には乗っていない。だが間違いなく意地は張っている。渡は誰でもない自分自身に意地を張っていた。 「で、具体的にどうすんだ? こっちのこと何も知らなくても分かるだろ。今の力量の差ってやつがよ」  実際この決断は悪手だった。渡のスタンスを理解したからか相手も興が乗ってしまったようだ。男が端末に指を滑らせた直後から黒竜の動きは段違いに変わる。  渡の目論み通りに全員の位置は崖から離れ、戦闘の中心も大きくより内側へと移動した。それに伴ってカインの動ける範囲も方向も自由度が高くなった。しかしその身に傷が刻まれる間隔は以前よりも短くなっていた。  上空から黒い竜が仕掛けて腕を振るう度に紅の爪が地をえぐり、カインの身体から毛と血が舞い上がる。そのシーンを見るのはここまでで六度。その間に蓄積されたダメージは動きが鈍るには十分過ぎた。その隙を逃すはずもなく、蹲って動かないカインの真上から黒い竜が仕留めに掛かる。 「こうするんだ」  渡の口からその声が出たのとカインの口から鉄球が放たれたのは同時だった。直前に身体を翻して撃ち出された鉄球の進路には一直線に迫る黒竜が居て、着弾予測地点はその左目に定められていた。既に攻撃のモーションに入っているため気づいたところで対処できない。寧ろ反射的に対応しようとした結果、振り下ろされるはずの黒腕は中途半端に空をかく。決死の反撃は渡とカインの狙い通りの成果をもたらした。 「ハん、いい狙いじゃねえか。だが、片方だけじゃ詰めが甘いんだよなぁ」  だがそこから反撃がつながることはない。その理由は端末に手を掛けた男の未だ余裕の残るその言葉が示していた。  カインの動きがピタリと止まっていたのだ。負傷に耐えられずに倒れたわけでもなく指示を無視した様子もない。つまり原因は外的なもの。事実としてその答えはカインの視線とぶつかり合う黒竜の右眼にあった。 「気づいたみてえだな。その眼で見た相手を拘束する魔眼――『レッドアイ』だ」 「隠してたってことか」 「そうじゃなきゃ奥の手の意味がないからな」  カインの鉄球のような種族固有の力。それを知る術はあった筈だが渡はその術自体を知らなかった。もし予め知っていれば何かしらの手を打つことができたはず。いや、知る術がないことを明かしてしまったこと自体が悪手だった。モンスターの力量差だけでなくトラベラーとしての戦闘経験の差が大きくあることを渡は最悪のタイミングで思い知った。 「一矢報いたことは称賛してやるよ。だが、ここまでみてえだな」  動けないカインの上に黒竜の右足が圧しつけられる。逃げ場のない完全な詰み。カインの未来は圧死するか、爪で丁寧に切り裂かれるかの二択に定まった。それが終われば渡の命もすぐに刈り取られるだろう。 「俺達がここまでだと……」 「俺はてめえのこと嫌いじゃなかったぜ――やれ」  その言葉とともに渡の視線は地に落ちる。右手は痛みを抑えるように左手首に被さり、死にかけているカインの姿はその目に映っていない。この程度か。そう結論づけて男は黒竜に最後の命令を下す。 「……あン?」  だがカインは潰されない。十秒経っても、二十秒経っても、その軟弱なはずの身体から内側のものが押し出されることはない。寧ろその小さな身体は力強い唸り声を上げて黒い足を押し返していた。 「てめえ、何をした」 「X-Pass(これ)の光ってる球を一つ使って力を与えた。おかげで残り一つだ」 「『ブラスト』か。さっきのは名演技だったぜ。騙された」 「悪いな。使い方も知らないのかって言われる前に偶然探り当ててたんだよ。奥の手は隠すものだろ」 「ハッ、違いねえ。これは一本取られた」  最初に見たときはすべて透明だった球が二つ光っていることに気づいたのもその時だ。点灯したのは契約(ペアリング)した後かオーガモンを食ったときだろう。何を要因として点灯し、何を意味するのか。それは分からないが今重要なことではない。カインがまた立ち上がれた理由も今は知らなくていい。重要なのは渡がそれを使ってカインに力をもたらしたということだけだ。 「俺達はここまでじゃない。このまま終われない。そうだろ、カイン」  渡の声に応えるようにカインが力強く立ち上がる。その身体からは光が迸り、右足の焼け焦げるような熱に黒竜は慌てて飛び退いた。 「だってまだ何もできていないんだから――」  光は瞬く度に強くなり全員の視界を奪う白光となる。視覚から情報を得ることができなくても渡にはその光の中でカインに何が起こっているのかは分かっていた。最初に会ったゴブリモンがオーガモンになったのと同じ現象。――あのボットはそれを「進化」と呼んでいた。 「俺達の冒険は今ここから始まるんだ!」  光が晴れる。その中心に居たのは今までのカインとは似て非なる存在だった。全体のシルエットはほぼそのままに身体が一回り成長。濃紺の体毛に覆われたその身体で以前と最も大きく違うのは背中に生えた翼だろう。それはより幅広い敵に対応して様々な角度から獲物を狩るための翼。そして、この苦境を脱してもっと遠い場所へ行くための翼だ。 「『進化』か。これを見越しての『ブラスト』だったってのかよ」 「さあどうだろうな」  無論、偶然の産物だ。だがその偶然を引き当てられたのは渡自身の模索と決断があってこそ。ならばこれは必然と同等だ。いつだって勝利はそれを諦めない者にのみ手にする権利がある。 「いいねえ。これでやっと、こいつ相手でも何かしら賭ける価値のある相手になったってもんだ。勝利の報酬に何が欲しい? 与えられるもんなら与えてやるよ。ただ何を求めるにしても殺す気で掛かってこい!」 「何も。ただお前は邪魔だ」  第二ラウンド開始。カインは天高く飛翔し、黒竜もそれに遅れることなく空を翔る。  濃紺の獣竜と黒い邪竜が空を踊る。それが交差する寸前には鉄球の雨と漆黒の突風が地に落ちる。渡と男の元にもそれらは飛来するが本人に届く寸前に見えない壁に弾かれたように軌道が逸れた。これも契約(ペアリング)の恩恵ということか。空中の戦況が手に取るように分かるのも同じような恩恵なのだろう。  繋がっているから分かる。戦況はカインの方が有利だ。「進化」によって底上げされた地力は黒竜を上回っている。「進化」以前と同じように吐き出せる鉄球は強烈な突風も鋭利な爪も寄せ付けず、ただ着実に黒竜の身体を痛めつけている。逆に仕掛けられる突風は軽々と乗りこなし、振るわれる爪は身軽に避けてその手首に食らいつく。妙なことに、経験の差が渡と男のそれとは正反対に感じ取れる光景がそこにはあった。 「これはまずそうだな」  男が端末を操作しながら漏らした言葉はブラフか本音か。それを見抜くことは渡にはできない。だが仮に分かったとしても些細なことだ。今はこの有利な状況の間に畳み掛けて一気に仕留めるだけ。  渡の思いに呼応するようにカインの動きがより素早く的確になる。勢いよく飛び上がって陣取るのは黒竜の真上。その背中に照準を定めつつ、とどめの一撃のために一瞬溜める。 「ハッ、隙を見せたか」  その瞬間、黒竜が不意にカインの方を振り向いた。だが攻撃のモーションに入る様子はない。しかし、間違いなく男の指示である以上は何か仕掛けているはずだ。 「『レッドアイ』か」 「ご名答」  それはかつてカインの動きを完全に止めた赤い魔眼。ここでカインの動きが止まるのは戦況が逆転するには十分過ぎる一手。ましてやカインが今いる場所は空中だ。黒竜が何もせずとも自由落下という大自然からの攻撃が待っている。 「確かにそれには一度苦しめられた」  カインの両翼が動く。身体が空を掴み、高度を現在地で固定する。口が開き、その奥に生成した特大の鉄球を覗かせる。 「けど、それはもう通じない。片目だけで止まるほど今のあいつは弱くない」  勢いよく飛び出す鉄球は重力という加護を得て黒竜の身体を大きく抉る。二つに別れた身体はそれぞれ落下。十秒ほど遅れて舞い降りたカインのクッションにして今回の報酬へと変わった。 「俺達の勝ちだ。悪いが先に喧嘩を売ったのはそっちだ。覚悟くらいはあっただろう」  黒竜は死んだ。男とそいつとの契約も断たれた。男の望む勝負には応えたのだ。彼がこの後どうなるかなど渡の知るところではない。渡がどれだけ義理堅くても、男に対してアフターケアをするほどお人好しではないのだから。 「ああ、俺の負けだ。惨敗だ。認めるよ、くそったれ」 「気持ちは察する。だが、こっちも色々聞く権利はあるはずだ。洗いざらい答えてもらう」  視線を落として名残惜しそうに端末に手を掛ける男に渡は極めて冷静に言葉を投げる。喧嘩を売ってきて殺しあった相手でも今の彼は貴重な情報源だ。非情だとしても対抗する術のない今この状況で知っていることすべてを吐いてもらう。そうでなければ渡も流石に納得ができない。 「聞く権利か。確かにあるな。それを賭けの対価として求められてたら応えるのが矜持ってもんだ。……でも、てめえはそうしなかったよな」 「何を言っ」  男の言葉の意味は最後まで問い質すまでもなく渡自身の目で理解した。  男の身体は少しずつ透けつつあった。まるでこの場から居なくなるような現象。何が起こっているのか渡はすぐに理解できず、その混乱に時間を費やしたせいで既に打てる手は尽きていた。 「別に死ぬ訳じゃねえから安心しろ。ただ俺ん家に帰るだけだ」 「逃げるのか」 「そういうこった」  なんてことはない帰還。そう、契約(ペアリング)したトラベラーには自分達の世界へ帰還する術があるとボットも言っていた。そうモンスターと契約(ペアリング)しているトラベラーならば。 「待て。あの黒い竜は死んで契約(ペアリング)は切れたはずだ」 「デビドラモンのことか。……さあな。自分で考えろ」 「お前っ……」 「俺の名前くらいは教えてやるよ。――黒木場(クロキバ)秋人(アキト)。覚えといてくれよ、渡」 「待てっ、おい!」  こうして柄の悪い男――黒木場秋人は言いたいことだけ言って、その姿を跡形もなくかき消した。戦いに勝利はした。だが、達成感の無いやりきれない思いだけが渡の胸中で渦巻いていた。 「くそっ」  何とも後味の良くない結末に渡は足下の石を蹴り飛ばす。その石が放物線を描いて地を蹴ること二度。最終の着地点はカインの足元で、黒竜を食い終えた直後のカインは視線をその石に向けていた。 「あ」  何の指示を出す間もなくカインはその石を手で弾く。再び勢いよく転がる石。何を思ったのかそれを追いかけるカイン。追いついたと思いきやまた弾き飛ばしてはその石を追いかける。 「何やってんだか」  時間の無駄にしか思えない行動のループ。だが、その様を眺めるのも意外と悪くはない。ちょっとした無駄な余暇が張りつめた心にゆとりを持たせてくれたようだった。 「俺も帰るか」  X-Passを操作すること五分。それらしき文言が小さな画面に表示された。「OK」にカーソルを合わせて左端のボタンを押した瞬間、自分の存在に変化が起こりはじめたことに気づく。意識はあるのに存在が薄れつつある奇妙な感覚は正に先ほど黒木場秋人に起きた現象を体感しているイメージに等しい。どうやらコマンドは正しく機能したようだ。 「あれ、カイン?」  帰還できる実感に安心したところで契約相手の扱いに思考が回る。この世界に置いてけぼりになるのか、はたまた一緒に慣れ親しんだ世界に戻ってしまうのか。しかし、当のカインの姿はいつのまにか消失していて、渡がその理由を考えようとする頃には渡自身の存在がこの世界から消えていた。  渡が自分自身の存在を再び知覚できたとき、その身体は慣れ親しんだ最寄り駅の改札前にあった。視覚から入った情報から現在地を理解したタイミングで背中を強く押される。振り向いた先には不機嫌そうなサラリーマンが居て、怒られるより早く逃げるように脇に逸れた。  窓から覗く外の空は暗くなりつつあり、それはちょうど渡がこの駅から一度姿を消す前に見た空から一時間ほど経った後の風景とするのが妥当だった。  一時間。異界での濃厚な時間は実際それくらいだったのだろう。その一時間で二度死にかけたのだから、今までの日常がどれだけ安全に整備されたものなのかを思い知った。 「やっぱりか」  端の壁に寄り添って自分の姿を鑑みると、そこにはあの異界での自分がそのまま居た。学生服は砂にまみれてローファーの底はいつもよりも減っている。  ただ一点違うことは左腕に固定されていた端末が消失し、代わりに白銀の背景に青いXの文字という端末を想起させる配色のカードが右手に握られていることだけ。無論、デザインの傾向は異界に飛ばされる前に手にしたものと酷似している。  やはり端末はあのとき手にしたカードが変化したものだった。X-Passは異界では端末であり、この世界ではカードであると認めなくてはいけないらしい。「異界への通行証」にはそれをばらまく裏組織が居るという、寛治が口にした仮説を信じそうになり頭が痛くなった。 「ん」  カードに関して気になる事項がもう一つ。それは大きく刻まれたXの文字の左横。そこには薄紫のタイルを並べたような奇妙な模様があった。配色と同じく契約(ペアリング)によって起こった変化だろうか。それにしても初めて見た気がしない。遠目で見ると何かの怪獣を象っているようにも見える。記憶の中で一番近いのは「進化」以前のカインの姿だが、果たして本当にカインそのものなのか。 「カインか?」  思わず出た声に模様が動いたように見えた。渡の気が触れていないのならばおそらくビンゴだろう。原理はさっぱり分からない。渡にできるのは、近い場所で目立たない姿で居てくれることに感謝することだけだった。 「はぁ……帰ろう」  この一時間で三日分は一気に疲れた気がする。未だに分からないことも多く今後のことも不明瞭。それでも今日一日の残り時間くらいはゆるりとした日常を取り戻したい。軽くトラウマになりそうな改札から背を向けて駅の出口目指して歩き出す。 「あ」  その歩みは二歩目で止まった。ついでに渡の思考も二秒ほど止まった。  理由はある衝撃的なシルエットを目にしたから。それは白衣の女。駅では異質な出で立ちの彼女は紛れもなく渡の一時間を地獄に変えたカードの落とし主だった。 「あいつ……おい! そこの女、待てっ!!」  冷静さも気遣いも一瞬で吹っ飛んだ。通報されかねない怒鳴り声とともに襲いかかる勢いで一直線。その背中に突き刺すような勢いで右手に握りしめたカードを突き出す。 「お前っ、これはどういう……」  そこまでで渡の蛮行は止まった。女の反撃が強かったわけでも、勇敢な第三者が介入したわけでもない。ただ渡自身の思考が勝手にフリーズして動きが止まっただけだ。  無理もない。怒りを向けていた筈の白衣の女はいつのまにか消えていて、代わりに同じくらいの背丈のスタイルの良い女が顎に手を当ててこちらを見ていたのだから。  ベージュのベレー帽に黄色のカーディガンと黒のロングスカートといった装い。背丈と服装から近隣の大学に通う女子大生と推測するのが妥当だろうか。彼女は赤いフレームの眼鏡越しにこちらに視線を注いでいるが睨んでいるようでもなかった。しかし、こちらをねっとりと観察するような視線を向けられるのはあまり居心地がよくない。まるで先程の暴走を糾弾されているようだ。 「――なるほど、君もトラベラーか。何故怒鳴られたのかは分からないけれど、その辺りも含めてじっくり話を聞きたいね。ただここでは話がしづらそうかな……ちょうどいい。場所を移そう」  彼女なりに結論を出したところでその女は渡を先導するように背を向けて歩き出す。一切怒ることもなく、最後に向けられたのは悪意は無いがどこか怪しい笑み。彼女の思惑は分からないが渡にはその後をついていくことしかできなかった。
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パラレル
2019年10月30日
In デジモン創作サロン
<< 前話へ 目次  次話へ>> Episode.1 "first travel"  お前のせいだ。  首を絞められる痛みと呼吸を阻害される苦しみの中でもその言葉だけはよく聞こえた。おかげで肉体の痛みよりも心の痛みの方が深く刻まれる。  理由は簡単だ。首を絞めているのも心ない言葉をぶつけているのも実の父親だったから。初めて見せたその本性は密かに憧れていた姿とはあまりにかけ離れていた。  裏切られた。胸中にあるのはその哀しみだけ。知らなければ幸福なままで居られただろう。ならばこの痛みは確かに自業自得なのかもしれない。  意識が薄れていく感覚で、自分がここに居られる時間は短いのだと理解する。叶うのなら随分昔に父親がくれた言葉を体現したかった。その言葉が虚構から出たものでも、その言葉が素敵だと自分自身が思ったのは真実だから。だが、ここではどうあがいても無理そうだ。  感覚が閉ざされる。意識が完全に消える直前に何か奇妙なものを見た気がした。 「ああ、またか」  快さからかけ離れた目覚めに弟切(オトギリ)渡(ワタル)はうんざりしていた。ここ数日で見る夢はいつも同じ。虚構の欠片もない、六年前に起こった些細な事件の再現映像だ。既に風化したものと思っていたが想定以上に根深いものだったらしい。せめて夢の中でくらい幸せなイフを見ても良いだろうに。 「渡、遅刻するぞ」 「すぐ降りるよ、じいちゃん」  これ以上辛気くさい夢に思考を巡らすのも馬鹿らしい。一度大きく伸びをした後、布団の温もりから脱出。できるだけ祖父母を待たせないようにそそくさと着替えはじめた。  悪夢すらいつもと変わらない日々。だが明日からはその悪夢を見ることがなくなることをこのときの渡は想像もしていなかった。  八塚町。地方都市として栄える隣県の主要駅から二駅ほどに位置する郊外の町で、交通の便が良いことから人口が増加傾向にある典型的なベッドタウンだ。その変化を最も分かりやすく示しているのは小中学校の生徒数だろう。少子高齢化に逆行するかのように年々増えており、渡が通っていた小学校にはクラスの数が当時の倍近くに増えている学年もある。最寄り駅周辺にはモールもあるから田舎というには建物がありすぎて、電車で二駅揺られた先に本物があるため都市と名乗ることはできない。そんなどっちつかずの町を渡はわりと気に入っていた。  県立八塚高校に進学したのも六年前から住んでいるこの町から離れるだけの理由が無かったから。消極的な理由で選んだ進学先でも青春の一ページを飾る舞台として特に文句はない。中学からの付き合いにプラスアルファするかたちで友人にも恵まれている。 「頼むから剣道部に戻ってくれよ。鶴見(ツルミ)が急に辞めたから、本当に新人戦やばいんだって」  昼食の最中で突然土下座して頼み込んできた大久保(オオクボ)寛治(カンジ)もその一人だ。 「最初の三か月しか居なかった奴が今さらどんなツラで道場に行けって言うんだ」 「大丈夫だって。中学の頃から良い筋してたし、一か月みっちりやれば何とかなるって」 「ごめんな。こっちもじいちゃん達に迷惑は掛けたくないんだ。竹刀の手入れくらいは手伝ってやるから勘弁してくれ。何なら道場の雑巾がけもつける」  かつて部活でともに汗を流した寛治もいい奴だと知っているから、その懇願を拒むのは本当に心苦しい。寛治がどれだけ部活に真摯に取り組んでいるかは中学での姿から容易に想像できる。渡自身も部活で助けられたことがあったからその分は何かしてやりたいと思っている。それでも部活に戻ることは寛治への恩返しに繋がらないだろう。きっと失望させることになるだろうから恩返しにはならない。ならもっと別のことがいい。 「お前の爺さんって確か核シェルター買ったって聞いたぞ。話せば金銭面は何とかしてくれるって」 「どこのソースだよそれ。渡のお爺さんを何だと思ってるんだお前は」 「いやあるにはあるけど、そういう問題じゃないって」 「あるんかい」  方便から流れた祖父の話題で会話の空気が緩む。渡としてはただ事実を言っただけなのだが、意外とウケは良かったらしい。ここで「パスワードも知っているから休みの日に籠城しようぜ」とでも言えばまたウケるだろうか。物は試しと口を開く渡だったがその冗談が飛び出すことは無かった。 「お爺さんといい親父さんといい、渡の家は本当に妙な家系だな」  その瞬間、場の空気が凍った。それで発言者は自分がこの場限定の失言をしてしまったことを理解する。渡の父親のことを話すのがタブーであることはこのクラス、いや下手をすればこの高校全体での暗黙の了解だった。犯罪者の息子を悪人扱いしないようにと気遣うその状況を誰が作ってくれたのかは分からないが、自分へのいじめという二次被害の発生を防いだこと自体には感謝していた。 「あ……ごめん。今のは無しだ。悪かった」 「気にするな。家族がアレなのは俺が一番分かってるから」  ただ自分が原因のタブーで雰囲気が悪いままになるのは罪悪感に似た感情が生まれてしまうのでよろしくない。だから、せめて自分は過去を受け入れたというアピールをしておく。毎朝の悪夢のことを口にするなんてもっての外だ。 「眉唾物の話なら身内が関係ないものにしようぜ。ほら、『紫髪の吸血姫』とか『一園ビルの浮遊霊』とか、『異界への通行証』とか」 「都市伝説かよ。飯時にする話なのかそれは」 「逞しい日本男子がそんなこと気にすんなって」  寛治が気を遣って変えた話題は確かに飯時には相応しくない。だが、このまま場の空気が悪いままでいるよりかは幾分ましだろう。 「オカルトや都市伝説だって意外と馬鹿にできないかもよ。最近頻発している行方不明事件にどれか一つは絡んでいると俺は睨んでいるね」  例えば「紫髪の吸血姫」が夜に紛れて人を狩っているとか。例えば「一園ビルの浮遊霊」が魂を連れ去っているとか。例えば「異界への通行証」を手にした人々がそのまま異界に行ったきり帰ってこられなくなったとか。確かに都市伝説が事実だと仮定すれば、行方不明事件の原因にするのは無理がないものばかりだ。 「特に『異界への通行証』は通行証をばらまいている売人の噂もある。こいつは裏に何か秘密結社的な存在が絡んでるかもしれない」 「それはないな」  だが都市伝説をどれだけ考察したところで推測はどこまでいっても推測だ。寛治のように突飛な方向に考えてしまう段階で信用性も低い。 「そもそも都市伝説なんて、行方不明事件が頻発してるからそれっぽいのでっち上げたんじゃねえの」 「うぐ」 「理由の分からない事象をオカルトで説明するなんて先人が腐るほどやってるって」 「ぐふ」  事実に沿うように都市伝説を作れば原因として無理がないように見えるのは当然。因果を逆転しても辻褄が合うのは少し上手く行きすぎているというものだ。 「寛治はひとまず新人戦という目の前の現実を見ろよ」 「いやそこまで言わなくてもいいだろ。俺なりに気を使ったんだぞ」 「話題が悪い。つまりお前が悪い」 「はいはい、悪うござんした」  結局この話題は納得のいく正解は出ずになあなあで打ちきり。しかしこういう益体の無い会話をしている時間が渡は一番好きだったりする。余計なことを考えず、何も気負うことはない。楽で楽しい居心地の良いこの時間が長く続けば良いと思っていた。 「――お前らそろそろ席に着け。昼飯の時間は終わりだ」 「げ、白田(シロタ)先生だ。なんで今日に限って真面目なんだあのおっさんは」 「そこ、聞こえてるぞ。先生はいつも真面目人間だ」  しかし、そういう楽しい時間は得てして短く感じるもの。話に夢中であまり手を付けられていなかった昼食を腹に流し込んで次の授業に備えなくてはならない。白田秀一(シュウイチ)先生は自分の振る舞いには大雑把な割に他人の評価に関しては容赦ない教師だ。こんな些事で評価を下げられたら堪ったものではない。 「ふぃー、こんなもんか」  一息吐いて身体を起こす。握った雑巾には使用前よりも黒い斑が目立ち、刻んだ轍には埃一つ存在しない。労力の成果は裸足を軽く滑らせればすぐに分かり、想像以上に自分の身体が摺り足の感覚を覚えていることに頬が緩んだ。 「当日に有言実行する奴が居るかよ」 「お前にはいろいろ借りがあるからな。望みに沿えないなら別のところで応えないと」  雑巾がけを終えて満足そうな渡に寛治の皮肉は通じない。さらに言えば勤勉な部外者を前に固まっている後輩の困惑も伝わることはない。「なんで居るんだ」とか「何してるんだこの人」とかいう声も届かない。 「ああそうだ。お前の竹刀の修理は家で余ってるのでまだ使えそうなやつあったから帰ってやるよ」 「別にいいって……言っても聞かないよな。好きにしろ」  義理堅くて人は良いが妙に頑固なところがある。中学からの付き合いで渡の性格をそう理解した寛治が選んだこの場の最適解は放任。粘っても仕方がないのなら可能な限り好きにやらせるだけだ。 「じゃあそういうことで。修理する奴だけ回収して部外者はそろそろ帰るわ」 「雑巾がけとかしなくていいから気が向いたらまた来いよ。部活関係なしにまた稽古しようぜ」  そんな評価を渡は知ることはない。さらに言えば、寛治が渡を剣道部に引き留めようとしていた理由が剣道部よりも渡自身にあることに気づくことも無いだろう。 「家の竹も処分できると思ったんだが。まあなんとでもなるか」  道場から回収した寛治の竹刀は三本。そのうち二つはただささくれがあっただけで、割れた竹を交換する必要があったのは結局一本だけ。前者は部室で小刀を使えばすぐに修理できたので、今渡が持っている専用のビニール袋で包んだ後者の一本。修理で消費できる竹は一本か二本程度だが、この機会に余り物の竹で練習用の竹刀を作ってサービスとして押しつければいい。 「修理するにも色々揃えないとな」  八塚駅を前にして渡はそう自分に言い聞かせる。一駅先の武道具店へ行くために家とは真逆の進路を取るのはそのため。別に寛治の言葉が気に掛かって久しぶりに覗いてみようと思った訳ではない。そう言い聞かせるために、竹刀の修理に必要なものが家で眠っている事実は記憶から一時的に消去した。 「店長は……元気だよな。絡むと面倒だな」  自分への言い訳は出来たが、一年ぶりに会う店長への良い訳はどうしたものか。引退した冷やかしにあの熱血ゴリラ店長がどんなリアクションを向けるか予想できない。用件だけ済ませて帰るのが得策だろうが、あっさり済ませるのならそもそも言い訳をでっち上げてまで無駄な運賃を払いはしない。そこは自分の中途半端さに対する罰として受け止めるべきだ。 「よし行くか」  その決意を固めて改札へと歩き出す。混雑する時刻はもう少し後だから他の通行人もよく見える。同じように部活とは違う放課後を過ごす学生。休暇を満喫する社会人。余暇をアクティブに過ごす老人。ならば目の前を歩く白衣の女性は何を目的にこの駅を利用するのだろうか。そんなことを考えた直後、白衣の裾から何かが落ちるのが見えた。 「あ、落としましたよ」  足下に落ちる前に拾ったそれはICカードのようだった。真っ先に思いつくのは今この場で必要な乗車券。だが、この駅で使えるICカードにはグレー一色の背景の物は見たことがない。ましてや中央に大きくXの文字とその両脇の窪みにそれぞれ丸が印字されたものは記憶の片隅にも存在しない。  それでも落とし物は落とし物。カードの用途が何にしろ、落とし物は持ち主に渡すのが人として当然の行動だ。 「あの、だから落としましたって」  ただ受取る相手がこちらを無視して改札へと向かっているのだから話にならない。完全に自分の世界に籠って聞こえていないのか。その振る舞いには渡も少し苛立った。強引に振り向かせようと白衣を掴もうとするも、妙なことに距離的に届くはずの白衣に手が届かない。その不自然さにさらに苛立ち、渡はカードを押し付けようと手を伸ばす。  その瞬間、渡が立つ世界は一秒前のそれとはまったく別のものへと変わった。  地理の教科書で見たどこかの国の峡谷。今立っている場所と渡の記憶の中で一番近い場所がそれだった。視界を占めるのはランダムに盛り上がった岩肌とそれに沿うようにして生えている苔のような植物。肌を撫でる風は澄んでいるが、その清廉さの内には人工物の存在を拒む厳しさが感じ取れた。  ただ明らかに自分の記憶に無いものが真上にある。それは赤一色の空。夕焼けや朝焼けなどのレベルではない、原色そのままの赤が空に塗りたくれていた。  何故こんなところに居るのか。いつ何が起こったのか。何故自分がこんな目に会っているのか。理不尽過ぎる変転を前に渡の思考は迷走の果てにデッドロックを起こす。 「冗談にも程があるだろ」  ようやくその言葉を吐き出すことができたのは、足が草を踏みしめてから二分後のこと。言い換えればそれだけの時間で目の前の現実を認めることができる辺り、天変地異だろうと人間は状況に慣れるものだと身を持って理解した。そう割りきるしか道がなかった。  現実を認識できるようになったところで、客観的に状況を再確認。自分が立っているのはどこかの岩山。今の装備は学校指定の制服と通学カバン。それと修理予定の竹刀が一本。所持品が紛失していることはなかったものの、スマートフォンが安心と信頼の圏外表示である以上は現状の打破にあまり役に立つとは思えない。  「ん、何だこれ」  所持品は確かに減っては居なかった。ただ心当たりの無いもの増えていたという方が正しい。それは左腕にベルトで固定された板状の端末。ベルトの留め具は一切見当たらずすぐに取り外すことは困難な代物は、言い換えれば着けることも困難な物だということ。それを誰がいつ着けたのかなど分かる筈もない。つまり謎の端末に関わる情報はその端末そのものにしか存在しないということ。幸か不幸か、確かに端末そのものに推測に使える手掛かりはあった。  端末の面積は通学用に使っている定期券とほとんど変わらない。グレー一色の表面で目立つのは、切手ほどの大きさの画面と三つのボタン、そして「H」を象るように配置されたBB弾程の大きさの透明な玉が七つ。  そのデザインには心当たりはあった。記憶のそれとは大きく違う上、物品としての在り方も変わっている。だが、渡が持つ記憶の中で最も近いのは、この場所に飛ばされる前に手にした落とし物のカードだった。 「やっぱりあれなのか」  カードを拾ったら知らない場所に飛ばされ、腕にはそのカードに似たデザインの端末がくっついている。おまけにそのカードはどこを探しても見つからない。ここまでくればカードとこの端末が同じ物である可能性が高いことは認めるしかない。自分がこの場にいることの原因がそれにあることも。 「何かの電子機器なら何でもいいから情報出せよ。そもそも電源入ってるのか」  状況を打破するための手掛かりは謎の端末だけ。適当にボタンを押し、小さな画面に指を滑らせ、無造作に腕を振る。思いつく限りのアクションを行ってみても反応は無い。結局アプローチを止めたのは十分後。壊れているのかという疑念を抱きながら、腕ごと地面に端末を叩きつけようとしたときだった。 「――ストップストップ!」 「あづっ、いっだぁああ!?」 「乱暴だな君は。スリープモードでなければ危うくスクラップになるところだよ。スマートフォンの画面にバキバキにひびを入れるタイプだろう。嫌だね、物を大切に扱わない野蛮人は」  左腕に走る強烈な痺れに思わず渡は尻餅を着く。渡の尻を犠牲にしたことで端末は地上へ叩きつけられることはなく、甲高い制止の声は遠慮なく渡を罵倒する。 「生憎俺のスマホには傷ひとつ無いよ。で、この端末通して喋ってるお前は誰なんだ」  手の痺れが少し収まったところで渡にも少し余裕が出てきた。やたら口うるさい端末だがそれは使い手の問題。癖の強い相手だとすぐに察したが貴重な情報源には変わりない。 「私? ああ、この端末――『X-Pass』に内蔵されたチュートリアル用のボットだよ。役割を終えたらすぐに眠るから安心するといい」 「そうなのか。……チュートリアル? 何のだ」  お前のようなファーストコンタクトから喧嘩を売るボットが居てたまるか。その言葉を抑えるのに掛かった時間は妙なワードに引っ掛かりを覚えるのに掛かった時間と同じだった。 「そうだね。本題に移ろうか。――改めてようこそ。モンスターの住まう異界、『特異点F』へ。君のようなトラベラーを私は待っていた」  芝居じみた口調で語り始める自称ボット。その言葉で渡は自分が寛治の語っていた都市伝説に本当に巻き込まれたことを理解した。その事実からの逃避だろうか。なんとなくボットの声があのカードを落とした女に合いそうだと思った。 「なるほど。だいたい分かった」  ボット曰く、これはゲームのようなもの。『特異点F』というこの危険な世界を探索し、ある目標を達成すれば現在の科学では成しえないある奇跡を報酬としてプレゼントされるとのこと。  未知の世界を舞台としたスリリングな冒険。その果てに得る想像だにしない奇跡。ここは年頃の少年ならば一度は夢に見るであろう、心踊る物語への入口だ。 「慎んで辞退させてくれ。そして帰り道を教えてくれ」  ただ、当の渡には冒険譚の主人公になる気など一欠片もなかった。何を好んで危険なゲームに自ら参加しなくてはならないのか。そんなことよりもやらねばならないことがあり、そのためには早々に安全な自宅へと帰らねばならない。渡の中の虚構を愛する少年の心は既に眠りについていた。 「それは無理だよ。君の『X-Pass』はまだ片道切符でしかない。契約(ペアリング)をしてトラベラーにならない限り、君は愛する我が家には一生帰れない」 「おい、ふざけるな」  最初から選択肢などなかった。その怒りをぶつけたところでボットは一切動じない。契約(ペアリング)さえすればいい。そうすればすぐにでも帰れるなどと、三流詐欺師でも吐かないような明らかに裏がありそうな言葉を続ける始末。  渡にとっては理不尽極まりないことに、あのカードを手にした段階で運命は決まっていたらしい。 「諦めも肝心だと考えるよ。さて、ちょうど契約(ペアリング)に都合のよさそうな相手も現れたようだ」  さっさと済ませた方が建設的だよ。そう続けたボットを端末ごと破壊したい衝動を抑えて、渡はその都合のよさそうな相手とやらに目を向ける。  そいつは渡より少し小さい体躯の怪物だった。真っ先に浮かんだイメージはゴブリン。緑色の肌に粗野な革鎧を貼りつけ、釘がいくつか刺さった棍棒を誇らしく掲げている。「ヒャッハー」という雄叫びが似合う髪型第一位でお馴染みのモヒカンまで揃えばその気性もだいたい予想できるもの。今まさに物騒な棍棒を振り下ろそうとする相手と理性的な契約関係を結ぶことなどできる訳がない。 「うおわっ」  慌てて跳び退き、撲殺事件の被害者になる未来は回避。しかし永遠にその未来から離れた訳ではない。重要なのは棍棒のリーチから離れることはできたこの状況。ここでの行動如何によってはこの山岳が渡の墓場になる。 「ピンチのようだから助言をあげよう。ゴブリモンは一般的な男子高校生よりも足は速い」 「ありがた過ぎて泣けてくる」  迂闊に背を向けるのは自殺行為。対面で睨みあった今の状況でなんとか足止めをする必要がある。  そのために取れる最良の行動は武器を向けて威嚇すること。幸いなことに今手元には修理予定の竹刀がある。  じりじりと距離を取りつつ竹刀を両手で握って正眼の構え。眼は現役には程遠いが敵の動きは捉えられている。岩山にローファーでは道場を裸足で疾駆していた頃とは勝手が違う。不安要素は挙げればキリはないが胆(きも)はなんとか据わっている。鍔もない、ビニール袋で包まれた剣でもやらねばならない。  抵抗の意思を見せればゴブリモンもおとなしくなる。そんなことはあり得ないし期待もしていない。まっすぐに切っ先を喉元に向けているがゴブリモンは動じることなく間合いを詰めてくる。だがこれは渡の思考の範囲内。  あからさまな予備動作を視界が捉える。そこから運ばれる動作もすべてが大振り。たとえ人より速く動ける相手だろうと、その動きを看破できれば対処できるものだ。一足一刀の間を越えた段階で既に渡のリーチの内で、ゴブリモンはこの瞬間だけ脅威ではなくなっていた。 「はッ!」 「ゴブフッ!?」  棍棒を大きく振りかぶってがら空きになった喉元へと切っ先を据える。踏み込む距離は短く、しかし腰を入れて全身の重みを束ねた一突き。ゴブリモンから前に突っ込んでいたおかげで、渡が大きく前に出ずとも勝手に喉深くに食い込んでくれる。 「うぉっっと」  突然渡の身体が前につんのめる。ゴブリモンが距離を取ってこちらの隙を作ろうとした訳ではない。ただ単純に渡の武器が耐えられなかった。竹刀は中結(なかゆい)のすぐ後ろで破裂し、砕けた先端が喉に刺さったままのゴブリモンはごろごろとのたうち回っている。 「よし、逃げる」 「あら、契約(ペアリング)はしないのかな」 「知ったことか」  この絶好の隙を前に、不信感しか抱けない謎の声の指示に従ってはいられない。折れた竹刀を放り投げて、脇目も振らずに全力疾走。修理どころか無惨な末路を辿った竹刀に関しては新品を買って許してもらえばいい。 「はぁっ、しんど……でも、完全に振り切っただろ」  総移動距離八百メートル弱。慣れないランニングに身体が悲鳴を上げたところで足を止めて振り返る。そこにゴブリモンの姿はない。だが、それより一回り大きい鬼がこちらに走ってくるのが見えた。速度は男子高校生より速いなどというレベルではない。全力で切り離した距離が詰まるのも時間の問題だった。 「あれはオーガモンだね。どうやらゴブリモンが進化したようだ」 「進化? なんだそれ」 「進化とはモンスターの特徴の一つ。離散的な成長とも言えるね」 「説明しろとは言ってない。悪いけど少し黙ってくれ」  聞きたいことは山ほどあるが今はそれどころではない。限られた時間で退路を見つけてなんとかやり過ごす。このままでは契約(ペアリング)以前に自分が死んでしまう。 「黙ってくれと言われた矢先に悪いけれど……この先は行き止まりだ」 「そういうことは早く言え!」  薄々そんな予感はしていた。走れば走るほど幅の狭くなる岩肌。進めば進むほど着地予想地点が遠くなる脇の段差。気づいた頃にはお手本通りの崖っぷちで、渡に残された退路は後ろには存在しなかった。  前にしか逃げ道はない。そう分かっていても足はすくみ、気がつけばさらに後ろに追いやられている始末。数分前の一戦なんてただ状況がよかっただけだと思い知る。使える道具もない状態で、明らかに先程よりも強い相手にどう活路を見出だせというのか。 「オォォォ!!」  オーガモンが雄叫びを上げて一気に迫る。新調した太い骨の棍棒で人肉ミンチにされる未来はすぐ目の前。 「――あ」  不意に、紫の弾丸が視界を横切った。弾丸というのは勢いを形容するための比喩表現だ。だが、渡にとってその存在はそれこそ弾丸を頭に撃ち込まれたような衝撃だった。  勢いのままオーガモンの顔面にぶつかったそいつは紫と白の毛並みのモンスター。子犬のようにも見えるがその背中には小さな羽根があり、赤い宝石のようなものが額に埋められた頭にはその石と同じくらいぎらつく瞳と鋭い牙が備わっている。その出で立ちに獣という言葉は妥当ではある。だが、渡には竜という言葉の方が相応しいと感じられた。 「あいつは……」 「ドルモンとは珍しい。おそらく大金星を狙いにきたんだろうね」  突然現れてオーガモンに飛びかかるそいつもオーガモンと同じモンスターだ。それでも野性のままに食らいつくその姿から渡は目が離せなかった。 「いや運がいい。今のうちにやり過ごそうか」 「あいつはどうなる。あんなのに勝てるのか?」 「負けて死ぬだろうね。レベルが違う上に万全でもないらしい」  知ったところで意味のない、解りきった問いを投げかけるのも今までの渡の行動からは相反している。それでもボットの推測が妥当なことが理解できるくらいには冷静だった。最初は不意討ちで渾身の一撃を食らわせても、オーガモンとの力量差は一目瞭然。ボットの指摘通りぼさぼさの毛並みの隙間に浅くない傷が隠れていて、オーガモンと接触する度にその数が増えていることも確認していた。  様々な角度、様々なアプローチで仕掛けていても地力の差が埋まることはない。じきに限界が来て返り討ちに遭うのは目に見えている。ならばそれは勇猛さではなく蛮勇だ。生きるために足掻いている訳でもなく、ただ死に急いでいるだけに過ぎない。嗚呼、なんて救われない命なのだろうか。 「なんとか生き残らせる手はないのか」  そんな命を渡は助けたいと思うようになっていた。誰から見ても馬鹿げた考え。関与する必要のない無駄な思考だ。 「あら、妙なことを言うね。勘違いしているのなら訂正するけれど、あれは別に君を助けようとして飛び出した訳じゃない。ただ成長の糧にできる獲物を前にして飛び出した。上手くいけば瀕死の身体をより頑丈なものにできると判断して、その可能性に賭けた。あれらはそういうモンスターだ」  だがそんなことは渡自身が一番理解しているつもりだ。何も勘違いなどしていない。獲物を見つけた獣が偶然自分に降りかかった脅威に牙を剥いただけのこと。そこに理性はなく、利他もない。ただ本能の求めるままに動いた結果、渡の命が一度危機を免れたというだけの話。 「結果的に君の危機に割り込んだけれど、これ以上君が干渉する意味があるとでも? そもそも君に何ができる?」 「それをお前が教えてくれ」 「そこまでして助ける意味が君にあるのかな。平穏無事に家に帰るのではなかったのか?」  助けようと動くメリットなど一欠片もない。寧ろまた自分の命を危険に晒すようなもの。おそらくこの決断は一時の問題だけではない。分岐点を越えた瞬間からこれ以上の危険に何度も首を出すことになるだろう。最初の宣言通り、平穏無事に帰るのが渡の当面の目的だったはずだ。 「いいから教えろ。結果的に助けられただけだったとしても、俺はあいつを見捨てられない。借りを返さなくちゃならないんだ」  それは帰った先にやるべきことがあっただけの話。渡にとって今優先すべきはあのモンスターの生存のみ。野性のモンスターであろうと、借りを作ったまま死なれるのは御免だ。生かすためならばどんな手段だろうとそれを選択する。分岐点など、その姿を一目見た瞬間に通りすぎている。 「それでいい。そんな君だからこそ、私が選ぶトラベラーに相応しい」  そのふざけた決断をボットは肯定したことを意外だとは思わなかった。これまでの問いかけのすべてに本気で渡を止める意思など欠片も無いことを見抜いていたから。渡にとっては癪なことに、彼がこの決断を下すことを最初から分かっていたのだろう。 「君とあのドルモンがともに助かる道は一つ。契約(ペアリング)して力を束ねてあのオーガモンを倒す勝利だけだ」 「分かった。だったらお前の筋書きに乗ってやる」  結局は最初に語った契約(ペアリング)へと話が戻った。やはりどうあがいても退路は無かったらしい。ならばせめて、前へ進む決断くらいは自分自身で下す。 「必要なのは対象への経路(パス)の探索とその確立だ」  どんな理屈か知らないが頭に直接流れ込む指示に従い、端末(X-Pass)のボタンを叩く。画面に表示される二つの赤い点。それが今互いの生存をかけて戦っているモンスターをそれぞれ表していることは分かる。そして、自分がどちらの点を押すべきなのかもすぐに分かった。  瞬間、自分と紫の竜の間に糸のようなものが作られたのを確かに知覚した。とても細い、放っておけば溶けて消えてしまいそうな繋がり。それを確固たるものにするために『X-Pass』は存在し、手続きとしてそれに登録すべきものがある。 「誰が何と言おうと俺はお前を助ける。よろしく頼む――カイン」  それは名前。人が名前を与えて縛ることで、獣との間に契約が結ばれる。それを示すかのように、端末(X-Pass)は白銀に青のアクセントを備えたものへと変わった。彼らの運命はここに定まったのだ。 「契約(ペアリング)完了。……弟切渡。君の願いはどんな末路を迎えるのだろうね」  それを最後にボットは口を閉じる。きっとその憎らしい声を聞くことは無いだろう。チュートリアルは終わった。ここからは渡自身の戦いであり物語だ。 「いけるか」  名前を呼ぶと力強い雄叫びが返ってきた。最初に見た時よりも傷は増えて血が体毛に滲んでいる。呼吸は荒く、動きも最初の勢いから程遠い。それでもその目もその本能も死んではいなかった。ならば大丈夫だ。繋がった経路(パス)で指示と活力を与えれば十分に勝ち目はある。 「堪えろよ」  勝機は一度。その瞬間にすべてを注ぐために逸る戦意を抑える。カインと標的の間合いは五メートル。積極的に仕掛けていた相手が急に動きを止めた。不自然といえば不自然な行動。だがカインには理由をでっち上げるに充分な傷と血が刻まれている。姿が変わる前から単細胞なオーガモンなら勝利を確信して油断するだろう。  オーガモンが棍棒を振り上げて走る。渡にはその動きに見覚えがあった。奴がかつてゴブリモンだった頃、他でもない自分が相対したときに見せた大振りな動作。それは完全に油断しているという証明で、人間の自分ですら突くことのできた明確な隙だ。 「今だ」  渡の声とほぼ同時にカインの口が開き、その奥から拳大の鉄球が放たれる。溜めに溜めた渾身の一撃。溜めれば溜めるほど威力の上がる技であればその真価はより明確に示される。  オーガモンの喉を貫く一筋の銀。その直後、奴の棍棒は手から滑り落ちてその身体も地に沈んだ。一つの命を守るために一つの命が奪われたのだ。 「仕掛けたのはそっちだ。カインもいたぶった。なら仕方ないだろう」  言い訳にもならない本音は風に消える。後に残るのは勝者と敗者。いや、敗者の血肉もこの場から消えようとしていた。理由は単純。勝者がその亡骸に口をあてて貪っていたからだ。  敗者をどう扱おうと咎める者はどこにも居ない。ここはそういう世界だ。それを渡が理解する頃にはオーガモンの姿は跡形も無くなっていた。モンスターの食事方法が違うのか、その組成から違うのか。どんな理由であれそうなるのがこの世界の法則なのだろう。  カインの身体から傷が消えているのも恐らくその一つ。血の赤は存在せず、毛並みは生まれ変わったかのようにつやつやだ。大金星を果たした報酬は確かに与えられ、目論見通りに身体をより頑丈なものにできたということだろう。 「カイン、改めてよろしく頼む」  契約相手に唸り声と首肯で応えるのを懐いていると見ていいのかは分からない。それでも渡はこのモンスターとともに行くことを決めた。――あの夢の最後に見るはずだったモンスターとともに。 「――悪いが、てめえらの冒険はここで終わりだ」  不意に割り込む、がらの悪そうな声。視線を向ければ声の印象にぴたりと合致する男が立っていた。グレーのアロハシャツに迷彩柄のカーゴパンツ。下手に染めた金髪とサングラスの下には軽薄そうな笑みが浮かんでいる。  その左腕には渡の左腕に巻き付いているものと同型の黒色の端末があった。そして、その傍らには黒い悪魔のような竜が鎮座していた。
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パラレル
2019年10月30日
In デジモン創作サロン
各話リスト □Episode.1 "first travel" 義理堅い性格の高校生――弟切渡。一枚のカードを手にしたことで、彼の日常はモンスターが跋扈する世界へと渡る戦いの非日常へと変わる。 □Episode.2 "トラベラー" ドルモンにカインという名前をつけて契約してトラベラーになった渡。その前にモンスターを連れた一人の男が立ちはだかる。そしてその戦いの先にはまた新たな出会いが待っていた。 □Episode.3 "人と怪物" 黒木場秋人を退けた渡は一度元の日本へと帰還。そこで自身もトラベラーだという逢坂鈴音と遭遇。情報交換をしたうえで協力関係を結んだ。数日後、渡は鈴音とともに再び異界を訪れる。 □Episode.4 "コミュニティ" 渡の旧友の鶴見将吾、彼と知り合いの大野寧子と出会った渡と鈴音はともに行動することに。彼らの進む先に待つのは数という危機とそこに潜む謎。そして、新たな出会いだった。 □Episode.5 "特異点F" トラベラー達のコミュニティと合流した渡達は互いの力量の把握や情報の共有も兼ねて彼らの作戦に合流することに。その先で渡達は特異点Fの真実を知ることになる。 □Episode.6 "譲れない怒り、殺したい相手" 仲間とはぐれた渡と真魚の前に立ちはだかる一人の男とその契約モンスター。男の要求で真魚が撤退した今、渡とカインの一歩も引けない因縁の戦いが始まる。 □Episode.7 "血と縁のバックログ" 渡に対して複雑な感情と視線を向け続けていた少女――小川真魚。その理由と彼女の過去、そして戦う理由が今明かされる。そこには彼女自身知らない間違いが存在していた。 □Episode.8 "紫髪の吸血姫" 夜の夏根市で男を狩る都市伝説。その取りこぼしを拾ったことで、渡達はそこに潜む狂気と真正面からぶつかることになる。 □Episode.9 "Good bye, Good day" 紫髪の吸血姫――霞上響花。彼女の悲惨な過去も契約相手のナーダに対する愛は本物だ。ただ一点だけ彼女が見過ごしていたことがある。全てを理解した彼女が取る選択を渡達は忘れないだろう。 □Episode.10 "成れの果てを討つクロガネ" 霞上響花の愛が産んだ規格外の化け物。その暴威を前に渡達は撤退戦に挑む。目覚める漢の意地と鉛玉の鈍い輝き。化け物を狩るクロガネ。戦いの結末は渡達の予想外のかたちで収束する。 □Episode.11 "other side" 渡達と霞上響花の戦いの裏で将吾や恭介達はデクスの地下生産工場へと潜入を企む。その先で彼らは今までの裏に潜む敵意の一端に触れる。 □Episode.12 "ポイント・オブ・ノーリターン" コミュニティに潜むもう一人の裏切り者。現れるレジスタンスのリーダー。死とリタイアを契機に全てが裏返り、トラベラー達は戻れない岐路に立たされる。 □Episode.13 "天沢履" コミュニティは分断され、それぞれの選択で立場は変わる。掲げていた願いが同じ者はそれに対する執着が異なるがためにぶつかり合うことは必然となる。 □Episode.14 "ring a bell" アハトを弄びながら鈴音を嘲笑う晴彦。その口からアハトが抱える秘密が暴かれるとき、彼女は自分が人でなしであることを快く受け入れた。
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パラレル
2019年10月28日
In デジモン創作サロン
 消しているのは俺か、世界か
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