はじめに
こちらの小説は、拙作『デジモンプレセデント』の最終回後のお話となっています。
『デジモンプレセデント』に登場する人物やキーワードを読者が知っている前提でお話が展開しますので、その点は、初めにご留意いただけると助かります。
それでもOKという方は、よろしければ、『前例』のその後の物語に、どうかお付き合い頂ければ幸いです。
以下、本編です。
*
思わず顔をしかめてしまうような、吐き気の込み上げる汚泥の臭いでもしてくれれば。そうすればボクは、どれだけ救われた事だろう。
足元をひやりと濡らすその感覚は、幼い頃両親に連れられて遊びに行った遠浅の海の感覚にも似ていて、実際に、あの子が進化前も進化後も海の生き物の姿を模していたからか。その液体からは、幽かに潮の香りがした。
空になった金属の寝台の上にはあの子のデジコアすら残されておらず、本来デジモンの死を視覚的にボクらに叩きつける筈の粒子化の兆候は、いつまで経っても、足元の液体には訪れてはくれなかった。
だから、理解する。
理解するしか無かった。
同じ失敗だとしても、身体を維持しきれずレアモンに進化しただとか、そういう訳じゃ無くて。
あの子は――ボクのパートナーは、溶けて。
デジコアすらも、残らなかったのだ。
*
デジモンプレセデントスピンオフ
Episode マカド ユキトシ ‐ 2 or 0
*
「くちゅん」
自分のくしゃみで目を覚ましたボクを、カジカPが車の助手席から信じられない物を見るような眼で見つめていた。
ボク的にはフローラモンさんのせいで割とよくある目覚めの瞬間なのだけれど、やっぱり、世間的には珍しいのだろうか、くしゃみで起床。
「……なんでそんなやたら品の有るくしゃみがあんたから出てくるんだよ」
「あっ、そっち? いやぁ、でも心外だねカジカP。その言い方だと、普段のぼくの品性がカンザキさんに疑われちゃうじゃないか!」
「疑うまでも無く信用してないぞ元テロリスト」
カジカPが何かを言い出す前に、運転席からそんな一言が飛んでくる。
言葉選びの割に語調に棘は無く、むしろ軽口といった調子で台詞を吐き出しているのは甘崎鋭一――今回の仕事をボクに押し付けてきた、ボクの担当してくれている保護司だ。
僕よりずっと年上(とはいっても、保護司としては若い方なんだそうだけれど)なクセに、早くに引退したイケメン俳優がいいカンジに歳を重ねた姿だと言っても結構な割合で信じてもらえそうな程顔の良いおじさんだ。さっきの話じゃないけれど、かけている眼鏡や着ている服、今こうやって乗せてもらっている車にしたって、品と言うか、センスがある。
なんか、カジカPの親戚らしいのだけれど。君の家はアレか、こういう、何かと突出した人種が生まれやすい家系なのか。
「ま、俺の車にでかいくしゃみで汚い唾飛ばさなかった事自体は褒めてやる。……だがそれ以前に」
と、今度は若干の棘を含めて、カンザキさんの意識がボクから移動した。
ボクの隣--シートベルトだけは行儀よく装着して、ツンすました表情で席に腰かけている、鮮やかな花のデジモンへと。
「パートナーのしつけはちゃんとしとけ。こんな狭い社内で花粉、出させるな」
「ふん、ぼくがマカド以外に花粉を吸わせるなんて、そんなヘマするもんか」
ぷい、と。
便宜上ボクの現パートナーであるフローラモンさん――元々は、ピノッキモンだった――は、気を悪くした様子を隠すでもなく、顔を窓の方へと逸らす。
「大体、もうすぐ着くのにマヌケ面で寝てるコイツが悪いんだ。ぼくは起こしてやったんだぞ? ぼくがいないと、コイツはホントにダメなヤツだからな!」
言ってる事の傍若無人っぷりはすごいのだけれど、なのにどことなく、言葉の奥にはかつての姿と重なる部分が少しだけあって。ボクは思わず笑ってしまう。
すぐさまそれを察したのか、単純に窓ガラスに反射していたのか。振り向いたフローラモンさんが「なに笑ってるんだ」と目を吊り上げたものだから、今度は僕が、窓の外へと視線を逸らす羽目になったのだけれど。
しかし……ああ、「元テロリスト」。
その肩書は、少なくともあの研究所では、デジモン嫌いを極め過ぎたハタシマさんだけのモノだった筈なのだけれど。
でもキョウヤマ先生に加担したばっかりに、世間一般で見ればまあ、ボクも、ボクとハタシマさん以外のあの場に居た人達もみんな、そういうモノという事になってしまっているらしい。
仕方の無い事だし、この期に及んでボク自身は、あの頃を振り返ってもなんら後悔は湧いてこないのだけれど。
でも、ハタシマさんと同類にされるのは普通に嫌だなぁ。
……なんて思いながら顔を上げれば、緑の葉の隙間からいくつもの橙色が覗く蜜柑畑の向こうに、空じゃない青色が
海が、見え始めていて。
「……」
窓を開けたら、もうそろそろ。
潮の香りが、するのだろうか。
あの日、研究室で嗅いだのと同じような。
*
どうしてボクとフローラモンさんがカジカPやカンザキさんと一緒に海に行くはめになったのか。
事の始まりは、数日前にまで遡る。
「社会奉仕の一環だと思って手伝え」
自分でも解る程度には渋い顔をしていたボクを、それでも逃がさないようにカンザキさんが、一言。
出かけたと思ったらカジカPを連れて帰ってきたものだから何事かと思ったのだけれど、『音楽クリエイターと歌姫』であると同時に『水の闘士とそのパートナー』でもあるカジカPと彼のパートナーのオタマモン経由でやって来る仕事など、はっきり言って厄介事以外の何物である筈も無く。
「そりゃ、新種のデジモンってハナシはそそられるけどさぁ」
場所は和歌山県某所の海水浴場。
突如海の中から誰も見た事の無いデジモンが出現し、暴れまわったらしい。
時間帯の関係か、単純な幸運か。地元の一般人や観光客に目立った被害が出る事は無かったものの、応戦した現地のデジモン研究者のパートナー1体が、不幸にも犠牲になってしまったのだそうだ。
彼は自分の命と引き換えにその場からは件のデジモンを追い払ったというが、リアルワールドから撤退させたわけでも無し、ましてや消滅させられたのは彼の方なのだ。現地の人間・デジモンは、今も不安にさらされているのだろう。
「そういうワケだから、ゲコ達に白羽の矢が立ったのゲコよ」
「まあ普通海に逃げられたらどうしようもあらへんからの。水中の痕跡を辿るやなんて、よっぽどやないとでけへんさかい。……そ、例えばウチみたいな、水の闘士でもない限りはな」
とまあ、ようはそういうワケだ。
古代十闘士・エンシェントマーメイモン。ネットの海の守護神であるが故にデジタルワールドの海域であればまるで手足のように操る事が出来たという、水棲デジモン達の祖。
その途方も無い力を癇癪で行使して島一つ消し飛ばした事があるとか無いとかいう激情家の直系こそが、カジカPのオタマモンが纏う水のスピリットの闘士なのだ。
原初の究極体には及ばずとも、きっと彼女達には、現代の一般的なデジモンにとっての不可能を、可能にしてしまえる力があるのだろう。
だから、それは解る。
どうしてカジカP達が駆り出されているかについては、よーく解る。
問題は、どうして彼らの付き添いとして、ボクが事態に巻き込まれようとしているのか。なのだけれど。
「「調査に協力してくれるなら、水棲デジモンの専門家も連れてきてほしい」っつーのが向こうからの要望だ。……お前、専門はそっちだったろう」
「……」
いや、
うん、
まあ、
そんな事だろうとは、思ったけれど。
「それこそ、他に適任がいるでしょ。ほら、カジカP。君のフィアンセの上司とかさ」
カジカPが盛大に噴き出す。
君達、付き合ってもう3年くらいになるんじゃなかったっけ。まだそんな初々しい反応するのかい?
「まっ、まっ、まっ!! まだそういう感じじゃないから!?」
「結婚を前提に付き合ってる気は無いんだ、キミは。へぇ」
「あっ、いやそういう訳じゃっ! けしてそういう訳じゃッ!! 俺もリューカちゃんも今はまだ仕事に打ち込みたいって感じだからってだけでけして軽い気持ちで付き合ってるってわけじゃないっ、ないんですよ!?」
ここまでわかりやすいくらいテンパっている人も中々見ないよなとカジカPの真っ赤な顔を観察するボクの頭に、不意に衝撃が走った。
いや、まあ衝撃とは言っても大したものではない。ぺち、と軽い何かが、振り下ろされたような感覚。
カジカPのミューズは彼の足元で前脚を軽く竦めているし、カンザキさんは「若者をあんまりからかうんじゃねえ」とでも言いたげな視線だが目の前で腕組みをして立っているだけ。
と、なると。
……なんて、答え合わせをするよりも前に、ぺた、と根っこの脚でボクの前へと降り立つ影が一つ。
部屋の奥で遊んでいた筈のフローラモンさんだ。
「ほら、マカドの無駄話は止めてやったぞ。さっさと続きを話せカジカ」
「お、おう。フローラモン。元気そうで何より……」
「? どうしたフローラモン。さっきまで面倒臭くて仕方ないって顔してた癖に。えらく食いつくじゃねえか」
「うるさいなぁ。マカドが駆り出されるならぼくもついて行かなきゃだから、わざわざ聞きに来てやったんだぞ。ほら、早く」
そう言ってカジカPを急かすフローラモンの声は、妙に弾んでいる。
面子から何かを察したのか、しかめっ面でそそくさと引っ込んでいったデジモンと同じ個体だとは思えないような変わりようだ。
とはいえ話がスムーズに進むならそれに越した事は無いと判断したのだろう。今度はカジカPに代わって、オタマモンが口を開いた。
「もちろん、ゲコ達は先にカンナさんに声をかけたゲコ。でもカンナさんは今、次の学会の準備でとっても忙しいのゲコ」
「それに、ウンノ教授はデジモンの進化分野においては今や日本有数の研究家ではあるが、水棲デジモンのみに的を絞った時までそうかと聞かれれば、そうじゃない」
キョウヤマ先生のご子息のデータを使っているとかいう義手をひらひらと振りながら、あっけらかんと「アタシより詳しい奴なんていくらでもいるだろうさ」と答えるウンノ先生の姿が、話からだけでも想像できる。
本人には謙遜のつもりも無いのだろう。……頭脳に加え、単純な『戦力』として数えれば多少畑違いだとしてもあの人ほど心強い人材もそうそう居ないと思うのだが、でもまあ、忙しいなら致し方ない。
そしてウンノ先生が学会で忙しいなら、他のほとんどのデジモン学者だって学会に向けて忙しくしている訳で。
だから、当然この先一生デジモン学会からもお呼びがかかる筈の無い、しかし辛うじて昔取った杵柄だけはある暇人のボクにお鉢が回って来た、と。
明快な流れだ。自業自得とはいえ、少し悲しくなる。
なんて、僅かに遠いところを見る僕の傍ら。
ふん、と、フローラモンが、鼻を鳴らした。
「カンナの事情なんて知ったこっちゃないけど。ま、どうしてもって言うならぼくは行ってやってもいい」
「フローラモンさん?」
いやに乗り気なフローラモンさんに疑問符を投げかけると、彼は黙っていろと言わんばかりに、ぺちん、とボクの脛を腕の先にある花弁で叩いた。
「パートナーとはいえ毎日コイツみたいな阿呆と家で2人っきりだと、ホントに気が滅入るんだ。たまには他所の空気ぐらい吸わせてもらわないと、いくらぼくでもしおれちゃいそうだもの」
肩を竦めつつ、しかしどこか期待に満ちた、うずうずとした立ち振る舞いを前に、ボクはようやくピンと来た。
他所の空気--潮風の香り。
「ああ、なるほどなるほど、わかったぞ! フローラモンさんってば、海に行きたいんだね!」
顔を覆う花弁と同じくらい頭部を真っ赤にしながら、フローラモンさんは先ほどよりも力を込めて、ボクの脚を何度か叩くのだった。
*
とまあ、フローラモンさんたっての希望となれば、ボクの方もいよいよ断る訳にはいかず、車でおよそ3時間。ボク達は県を跨いで、いくつかの蜜柑畑を通り抜け。件の海水浴場へとやって来た。
ちょっとした林に囲われた駐車場はカンザキさんの愛車以外に車は一台も停まっておらず、隣接しているシャワールーム兼脱衣所に至っては、入り口をテープで封鎖しているような有様だ。この分だと、海の家などとても営業していないだろう。
平日とはいえ、時期的には夏休みの真っただ中。今回の事件は、海水浴場にとっても大きな打撃に違いあるまい。
「なんだ、思ってたよりずーっとヘンピなところだな」
「仕方ねぇだろう。……危険なデジモンがうろついてるかもしれねぇんだ。あんまりはしゃいでくれるなよフローラモン」
「ふん! わかってるよ。ぼくをマカドと一緒にするな!」
「うーん、ボクは今のところ至って大人しくしてるんだけどなぁー?」
どうだか、とでも言いたげな視線が2つ程。
やはりパートナー同士、考える事も似たり寄ったりなのだろう。新種のデジモンを前にボクがテンションをぶち上げない訳が無いとでも言いたげな目を、カジカPとオタマモンはこちらに向けていた。
まあ、
否定はしないけれども。
……でも、今は。
潮の匂いがきついなぁって、そっちの方が、気になっているところだ。
と、
「あっ、おーい! お疲れ様です!」
女性の声と共に、ぱたぱたとアスファルトを蹴るビーチサンダルの音。
一斉に振り返ると、白衣姿で比較的背の高い女性が、短い髪をふわふわと揺らしながらこちらに走って来るところだった。
「ごめんなさい、私ったら逆方向に居たみたいで……お待たせしてしまったんじゃないですか?」
「いいや、今着いたところだよ。むしろ悪いね、迎えに来てもらっちまって」
こんな時に、と、付け加えるカンザキさんに、女性は首を横に振って力無く微笑んだ。
「いえ、無理をお願いしたのは私の方なので」
女性が今度はボクやカジカPの方へと向き直って、頭を下げる。
「初めまして。この町で水棲デジモンの研究をしている笹原優海(ササハラ ユウミ)です」
顔を上げた頃には、既に彼女--ササハラは笑顔の種類を変えていて。それを見た途端、奇妙な感覚がボクの脳裏を通り過ぎていったような気がした。
これは――
「ササハラさん」
「?」
「ほんとのほんとに、初めまして? ボク達、前に会った事無い?」
奇妙な感覚――既視感の正体を探ろうとしたボクの足を、次の瞬間、フローラモンさんがまた叩いた。
「はじめましてって言ってるだろう? お前、ホントに人の話を聞かないな!」
声を張り上げるフローラモンさんを、ササハラがふいに一瞥する。彼女はまるで、今初めてフローラモンさんを視界に入れたかのように見えた。
「……どう、でしょう」
首をかしげがてら、彼女は視線をボクへと戻す。
「研究分野は同じですから、もしかしたら、どこかでお会いした事があったのかも」
「でしょでしょ? ほら、ササハラさんだってこう言ってる」
「おいササハラ、コイツに無理に話合わせなくていいぞ。すぐに調子に乗るからな」
「馬門志年さん、ですよね」
ササハラは引き続き、じっと、ボクを見据えている。
当然、カンザキさんが伝えているのだろう。そうでなくとも。本当に初対面だとしても。ボクの名前は、悪い意味で全国に知れ渡っている訳で。
だというのに、少なくとも今のところ。ササハラの瞳に、犯罪者としてのボクに対する侮蔑は含まれていないように見えて。
「お力添え、ありがとうございます。短い間だとは思いますが、どうかよろしくお願いしますね」
「あれあれあれあれ? いいのぉ? ボクってば一応元テロリストだよ? チェンジ! ぐらいの事言ってくれても、別に気にしないんだけど」
「いえ、そんな。……全く気にしていない、と言えば嘘にはなりますが、でも見ての通りの田舎町なので、同じ分野の方とじっくりお話できる機会は久しぶりでして……。来てもらえただけでも、本当に嬉しいんです」
「おいササハラ、そいつサボりたいだけだぞ。一々相手するなって。後が面倒なんだから」
暴力行為は伴わずとも若干痛いところを突いてくるフローラモンさんには構わずに、ササハラはこちらに手を差し出す。
……久々過ぎて、見かねたカンザキさんに小突かれるまで。握手を促されているのだとボクは気付けなかった。
慌てて手を握り返す。
背は高い方だけれど、手の平は小さいんだなと、そんな事を考えたりした。
「ええっと、それから」
軽い会釈と共にどちらともなく手を解いた後、ササハラは眼鏡のブリッジをくい、と持ち上げたかと思うと、次にカジカP達の方へと身体を向ける。
心なしか、声のトーンが一段階上がっているような。
「カジカさんと、オタマモンさんですよね」
「っす。本名は鹿賀颯也なんで、好きな方で呼んで下さい」
「ゲコ」
「えっと、ではカガさん。オタマモンさん。……あの『水のスピリット』のカガさんとオタマモンさんですよね!?」
「え、あ、ハイ。その」
「せやで。ほんでもってウチがその『水のスピリット』や」
「!? 今の、今のもしかして、『水のスピリット』の声ですか? 声だったりします!?」
「ゲ、ゲコ」
「あの、その、ちょっと見せてもらう事とかって――」
ふう、と、ボクの傍らでカンザキさんが息を吐く。
彼がササハラに向けた眼差しには、若干の憐みが混じっていた。
「お前に言うのも何だが、まあ、大目に見てやってくれ。パートナーを失くしたばかりだ。無理にテンション上げてかないと、気力が持たないんだろう」
「……」
お前に言うのも、とは言ったけれど。
カンザキさんが彼女に重ねているのは、他ならぬ過去のボクの影なのだろう。
反省の色が見えない。胸糞悪い人でなし。パートナー殺しの狂人。マッドサイエンティスト。……キョウヤマ先生のところに居た時に思い立ってエゴサしてみたら、散々な言いようが当時の記事から掘り返せたっけか。
まあ、全部事実だし。
仕方が無いんだけど。
「って事は、彼女のパートナーが、その新種のデジモンにやられちゃったっていう」
思考を逸らすためにカンザキさんの発言に沿う。
言い方を選べ、と咎めつつ、カンザキさんは、内容自体は否定しなかった。
ササハラは相変わらず、きらきらと目を輝かせながらオタマモンとカジカPのデジヴァイスに視線を行ったり来たりさせている。
「だとしても」
ふん、と。またフローラモンさんが鼻を鳴らした。
「ぼくはあいつ、嫌いだな。礼儀がなっていないんだもの」
「お前に言われたか無いと思うぞ」とフローラモンさんを軽く咎めるカンザキさんの低い声はもちろん聞こえているのだけれど、ボクの耳はふと、波の音が近いなと。寄せては返すその音にばかり、傾き始めていた。
こんな音の中を、あの子と一緒に駆けて行った事もあったっけか。
遅ればせながら拝見、読了しました報告です。
プレセデント本編の完結から・・・いえ、結構覚えてる!覚えていますとも!!
マカド氏が主人公ということで、どうも一部のファンから絶大な人気があるとかないとか・・・
しかし、今回は大出世でしたね。
失礼ながら、本編主役勢の仲間になるとも思っていなかったもので。
ハイテンションで喋くりまくるところは結構好きです。
周囲からは迷惑がられていましたね^^;
ピノッキモンの生まれ変わりがパートナーだったこともあり、氷の闘士的な活躍はお預けかと思った終盤、マリンキメラモンと対峙するフロスベルグモン!!
トロピアモン含め、最近のデジモンを積極的に取り入れていて尊敬します。
(というのも自分、最新事情はゴーストゲームに食らいつくのが精いっぱいになってきまして・・・おじさんになったものです。)
そうそう、リューカはチラっと出てくる程度で良かったと思います。
マカドが主役なのに、リューカが大活躍だと霞む霞む!
デーモンとの絡みはなんだか見てみたい気もしました。
欲を言えば、カジカとオタマモンのトリッキーなファインプレーも見たかったんですが、今回は頼れる(?)お兄さんポジでしたね。
#カジカもげろ
あとでツイートしておきます^^
今後も快晴さんの創作活動を楽しみにしています
(おっと、なんだかやべぇマッシュモンのお話も拝見せねば!)
ようやくになりましたが、まさかここでスピンオフが来るとは……もう懐かしいと感じるとは。
最初は尊い願いを抱えていた筈なのに長い年月で摩耗し歪み崩れた悪役というのは良いものです。要するに今回のスピンオフの実質的な主人公がマカドだったのは予想外であり、予想以上のものだったということです。
現パートナーのフローラモンやかつて敵だったカジカP、保護司のカンザキとのやり取りの親しさにも最終話から時間経過を感じます。
一方で彼らには見せない一面を引き出したのは、奇妙な既視感を覚えさせた現地の研究者ササハラ。同じ研究者として話が弾み、ついでにスピリットエボリューションに関する裏設定も開示され、最初から彼女の嘘を見抜いていた。こういう立ち回りは元悪役ならではというか、言動含めていい意味でマカドらしいですね。
ササハラの正体はセラナツミの妹で、姉とその家族を見捨てた町に対する怒りに燃えるその本性は憎むべき姉に近しいもの。騒動の原因たるマリンキメラモンもマカドのようにパートナーを犠牲にした成れの果て。なるほど、マカド今回の話の中心になる訳です。現在のパートナーが飛翔したことで、自分が殺したパートナーの、パートナーを殺した自分の本心にようやく気づいたところは文句なしです。
抱えていたものが氷解したことで許された氷のスピリットの力。「風は炎に氷牙は剣に」に属するのを良相性として、フロスベルグモンへと到達したのはかつての願いが叶ったようで感無量ですね。
総力を賭したシンフォニーによる決着。それを認めない嫉妬と憎悪が、知らず知らずのうちに取り込んでいた厄ネタを目覚めさせようとする。そこに颯爽と現れて、嫌な流れごとばっさり断つのは流石本編主人公。前作主人公がワンポイントで強烈な印象を与えるのは理想的なムーブの一つだと思います。
かつての自分のような過ちは正され、ささやか……というにはいろんな意味でインパクトの強い餞別を託して一件落着。マカドにとっても大きな分岐点となったこの顛末は、スピンオフとしても、後日談としても素晴らしいものでした。
来たかスピンオフ、というか実質続編じゃん!! 夏P(ナッピー)です。
完結からもう2年経ってることに一番ビビりましたが、そんなわけで無事にウェルカムトゥネバラン(CV松岡茉優)してしまったプレセデント世界。ラスエボのメノアの顛末が結果的に希望になってるじゃねーか! いや明言はされないけどピコデビモンの台詞からしても多分きっと恐らくそうなんだろうという塩梅が心地良い。
主役が本編で敵だった犯罪者と言われると平成ライダーのOVのようだ……この過去踏まえて本編読み返したらカドマとピノッキモンのイメージ大分変わりそうな。バイタルブレスで育ててて一番好きになったデジモンであるトロピアモン出てきて俺歓喜………究極体それェ!? いやアーマー進化だからこれでいいのか!? 氷のスピリットという媒介を通してはいますが、かつてのパートナーがペンモンであることを思うと、これは──!
マリンキメラモンに関しては、これは実は最初の砂浜の調査の時点で「あ、これ来るな」と予想できていました(ニヤリ)。しかしササハラさんがやられた後もまだ諦めてない+空に何か異変が起きた時は「あ、アレはまさか!?」「フフフその通りですよマカドさんアレこそ私が開発した2号ロボ、生体融合獣マリンキメラモンと対を成すメカ融合獣イージスドラモン!」「まさかその2体を!? まるで一乗寺賢が倒したと言われるミレニアモンに……よ、よせー!」「もう遅い!(ジョグレス) 出でよマリンミレニアモン!!」とかやると思って戦慄しましたが
そんな展開は当然の如く無く
現れたのは待ちに待ったリューカちゃんだった。いやー、リューカちゃんは今回ファンタスティックビーストのヒロインみたく最後にカジカPとデートしながら「いやー今回大変だったよー」と語ってるシーンぐらいしか出てこないと思ってたんですが出てきたじゃねーか! あとカジカPてめーコノヤローと言うつもりでしたが、最後の地の文的に実は君らまだプラトニックだな!?
大分感想で一人で盛り上がってしまいましたが、本編から地続きなのは勿論、ちゃんとデジアド(というかラスエボ)も絡めて頂いたこともあり大変楽しませて頂きました。こっちの続きもまた読ませて頂きたいものですね。
マカドお前……なんでこんなに優遇されてるんだ……?(書きながらずっと思ってた)
はい、皆さまこんにちは。調べたら「マカドスピンオフ書いてるぜ」っつってから約2年が経過していました。怖いですねぇ(ゴーストナビゲーター風に)、快晴です。
まあそのお蔭でトロピアモンまでで止めるつもりだったのが、氷のスピリットも使ってのフロスベルグモンを召喚したりも出来たので結果オーライですかね。今回のお話は拙作『デジモンプレセデント』のその後を書きたかったというのが前提ではありますが、使いたいデジモンをたくさん使う事が出来たので、その点でもまあ楽しかったです。
『デジモンプレセデントスピンオフ』いかがでしたでしょうか。
今回のテーマは「デジプレ夏のお祭り映画」でした。『デジモンプレセデント』は好き放題風呂敷を広げた物語だったので、このお話ではその広げた風呂敷の端をいろんな形に結んでみたり、折ってみたり、また広げたり--と、本編にも増してやりたい放題した気がします。なんてったって、敵モブから大出世したあのマカドが主人公ですからね、このくらいはやるでしょう。なにやってんの。
マカド ユキトシ。本編ではカドマを名乗っていた彼はハイテンションクソ野郎だったので、3年の月日と過去の情景を踏まえて本作では随分しっとりとした仕上がり(※当社比)のマカドとなってしまった気もしますが、彼の根底にある『氷』自体は『デジモンプレセデント』執筆中も存在はしていたものであり、作中でそれが無くなった訳では無いので、こういう形で決着をつけられたのは、作者としてもそれなりに満足ではあります。
出番は控えめにしましたが、本編主人公達の現在にも触れる事が出来たのも、自分的には嬉しかったですね。ウィローオウィスプモンの投入は当初予定していなかったのですが、こんな機会でも無いとTwitterでたまに絵を描くくらいだしなと思い切ってブン投げました。お蔭でカジカPとのその後をほんのちょこっととはいえ描写も出来ましたしね。ハッシュタグ「#カジカもげろ」で祝福してあげてくれたら作者はとても喜びます。
それから、スピンオフオリジナルキャラクターであるカンザキさんとササハラさん。
どうにも快晴の曽祖父が保護司だったらしく、親の実家に表彰状や感謝状がいくらか残っているそうです。少し興味が湧いて調べたところ、マカドのお目付け役にこれ以上無いくらいぴったりだったので使わせてもらう事にしました。
なかなかいい仕事してくれたんじゃないかと思います。パートナーもっと活躍させてあげたかったのですが、あまりこちらにフォーカスを当てるとマカドとフローラモンがぼやけてしまいそうだったので、高熱の身体ゆえにあまり外には出られないソーラーモンをチョイスして大人しめにしてもらう事にしました。ゴメンヨ。
ササハラさんは今回の悲しきヴィラン役、女性の水棲デジモン研究者です。
元犯罪者であるマカドをどうやって表舞台に連れていくべきかと考えた時、エンシェントワイズモン陣営の関係者から引っ張ってくれば違和感が無いのでは? と作り出したキャラクターになります。
セラたんのパートナーがフローラモンで、彼女の罪状が昏睡強盗という設定は割と前から決まっていたので、むしろ前作ラストでピノッキモンの生まれ変わりとして登場したタネモンがフローラモンになっていたのは、このスピンオフのためにその設定に寄せていったという裏話が有ったりします。
マカドとササハラの最後の会話は刑務所での面会になる予定だったのですが、よく考えたら公的には罪を犯した事にしなくても解決できるやないか! むしろ姉と同じ道に堕とさないのが今回のマカドに出来る事では!? と、こういう形になりました。
パートナーとは長いお別れ、という決着になりましたが……リューカちゃんの目的が「いつか『光』と『闇』を繋ぐ」である以上、きっとまた会える日が来るのでしょう。
その頃には、ササハラさんも自分のやった事と、自分の力で向き合えるようになっていればいいですね。
と、まあ長々と自画自賛を綴ってきたわけなのですが、何回か言っている通り、マカドがここまで活躍して、なんかスピンオフの主役をやるまでになるとは、作者としても想定外だったんです。
サブタイトルのナンバリング、2 or 0ですが、まあ0は言わずもがな、彼の物語は、パートナーを殺してしまうまでが最初の0、氷の闘士として色々やらかしていた頃が1、という扱いです。
そして地続きにして新しい物語が始まった今も――なんやかんや、うまいことやっていくのでしょう、彼と、彼のパートナーは。
さて、『デジモンプレセデントスピンオフ』、あとがきも含めて、これにて終了となります。
この先も『デジプレ』で何かするかはわかりませんが、こればっかりはその時の気分と筆のノリしだいですからね。
また、次の作品でお会いできることを、作者として願っております。
それでは、最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました!
*
「やっほー、ササハラさん」
仮宿であった彼女の家に戻って来たボクを、出迎えたササハラは訝し気に眺めていた。
最後に会ってから数時間も経っていないのに、彼女の時間だけは、ずっと早く、遠くまで流れてしまったかのようだ。
眼鏡の向こうの瞳は徹夜明けの時以上にうつろで、なんとなく、やつれてしまったような気さえする。
「何の用ですか」
「何って、荷物取りに来ただけだよ。上がらせてもらっていい?」
「……どうぞ」
そう言われてしまっては、ササハラも断れはしなかったのだろう。なんていったって、泥棒は犯罪だ。
貸し出されていた部屋に向かいながら、短い間とはいえ過ごした民家の中を、改めて見渡す。
書斎の前に、大きな鞄が放り出されていた。
「?」
「私のですよ。皆さんの荷物は、触ったりしてません」
「……町を出るのかい?」
「どうして答えなきゃいけないんですか」
まあ、別にいいですけど。と、刺々しく返した割に、なげやりに。ササハラは深く、溜め息を吐いた。
「ハンギョモンは、貴方達のお節介で今度こそ、公的には死亡した事になりますから。……パートナーの死んだ町から出ていくという理由なら、今回は、もう、誰も引き留めないでしょう」
「引き留める?」
「ホントにデリカシー無いですね。……姉の時は、逃げるな、逃がさないぞって、散々言ってきましたから。このクソ田舎」
「……」
「そのくせ、姉は帰っても来ませんでしたけどね。……ま、事件が起きた事実自体は残ったんです。脅威は無くなったと言われても、今年の夏、もしかしたら来年も、しばらく観光客の客足は遠のくでしょう。それだけは、私の思惑通りになってくれそうですね」
いい気味です。と、ササハラは特に、笑いもしなかった。
「少しの間、この町が静かなのを確認して。その間にマリンキメラモンに関するレポートだけは、完成させて。……そうしてから、出て行こうと思っています」
「行く当てはあるの?」
「あるとしても、貴方には言いませんし、それから」
ササハラは、振り返ってボクを見た。
苦虫を噛み潰したようとは、こんな表情を言うのだろう。
「私、謝りませんからね。謝らないし、お礼も言いません。間違った事を、したつもりは無いので」
「……それは、パートナーに対しても?」
「あの子は――きっと、幸せですよ。あんなに強いデジモンに進化できたんですから。……もっと強いデジモンに、進化できるかもしれないんですから」
歯を噛み締めたような顔のまま、ササハラは辛うじて、唇の端だけを上げて見せる。
「貴方も、そう思うでしょう?」
「そうかもね」
何と言っても、デジモンは戦うために、強くなるために存在する生き物だ。
ササハラの言葉は、あくまで一般論。手段はどうあれ、世間的に間違った事は言っていないし、ボク自身、肯定できないと思う訳じゃ無い。
鏡を見ているみたいに--そう、思っていた日々も在る。
「でも、それはキミの決める事じゃないよ」
「……」
「もちろん、ボクが決める事でも」
だから、ボクの言うべきは。
かつてかけられた、言葉と同じだ。
「……荷物回収したら、さっさと帰って下さい」
さっと顔を背けて、ササハラは書斎に歩いていこうとする。
おおっと、忘れる所だった。ボクはまだ彼女に用がある。
「ちょっとちょっとササハラさん。これだけ受け取ってもらえる?」
慌てて呼び止めたボクの方へと、心底嫌そうに振り返ったササハラの手に、ボクは有無を言わさずあるものを押し付けた。
1枚の、CDケースだ。
「?」
「全曲カジカP監修、新進気鋭の歌姫『HARI』のファーストアルバムだよ。この前出たヤツ」
「……まさか、この期に及んで宣伝ですか?」
「違う違う。カジカPは知らないよ、ボクがコレをキミに渡してる事。……単純に、この先必要になると思ってさ」
「……何ですか、それ」
「良い曲ばっかりだからさ」
背の高いスレンダーな女性--言うまでも無く歌手のHARI本人が、暗がりの中、胸元で輝く水晶を抱きとめている――というデザインのパッケージを、ササハラはしばらくの間、じっと眺めて。
それから、何も言わずにボクに背を向けて、廊下の鞄にアルバムを投げ入れると、書斎に入ってバタンと音を立てて扉を閉めた。
こうして、ササハラとは、それっきり。
それが、ボク視点でのこの町での出来事の、顛末だった。
*
「おそいぞ、マカド!」
カジカPの分の荷物も下げて戻って来たボクに、早速の憎まれ口。
カンザキさんの車で待っている間に、タネモンさんは、目を覚ましたらしい。
……ん?
「あれあれあれ? さっきタネモンさん、ボクの事ユキトシって、名前で呼んでなかったっけ?」
「さっきはさっき、今は今! なんか……あの時はそういう感じだったんだ!」
ふん! と芽吹いた球根のような1頭身になっても平常通りのタネモンさんに、逆に微笑ましくなりながら、ボクは持ってきた荷物をトランクへと積み込んだ。
ちなみにカジカPは、車には乗っていない。
カンザキさんの計らいで、タジマと電車で帰る事になったのだそうだ。
「なんなら遊んで来い」と言って、カンザキさんは2人に多めにお金を握らせていた。
「今時その手のお節介は嫌がられる」と進言はしてみたのだが、「俺程のお節介じゃ無きゃそもそもお前の面倒なんか見るか」と言われてしまっては、ボクも返す言葉が無い。
両者とも、ボクと話していた時の調子はどこへやら。夏日を原因としない火照りにお互い顔を赤くしながら、手を繋いで駅に向かう背中を見送る羽目になった。
「って、あれ?」
積み込みも終わり、車に乗り込んで先に乗っていたタネモンさんの隣の席に腰を下ろすと、行き道でカジカPが座っていた助手席に、膨らんだビニール袋が置かれているのに気が付いた。
当然、来る時は無かった筈だが、こんなもの。
カンザキさんが、買ってきたのだろうか。
「ああ、それな」
エンジンをかけながら、カンザキさんが顎で袋を指し示す。
「フローラモンが勝手に単独行動してた時に、近場の蜜柑農家さんから貰ったらしい」
「そうなんです?」
こくん、と、タネモンさんは、全身で頷いた。
「妙におどろかれたけど、そのあと、持って行けって、こんなに。さいしょは断ったけど、「もっとやさしくしてあげればよかったと思うと」だのなんだの言って渡されたんだ。……何だったんだろうな?」
「……」
その優しさを、もっと表に出してくれていれば--ひょっとしたら、ササハラは、こんな結末を迎えずに済んだかもしれないけれど。
……でも、目に見えなかっただけで、行動に起こす事が出来なかっただけで、確かに、優しい感情も存在したと言うのなら――彼女にも、きっと。今度は足を踏み外さずに歩いていける道が、見つかる筈だ。
そして、その道は、ボクの足元にも。
「そういやマカド。帰り、寄るのか? ウンノ博士の研究所」
――アタシのところで、雇ってもいい。
タジマとの通話の後、ボクにかけてきた電話の中で、ウンノ先生は、ボクにそんな事を言い出した。
剥奪された資格が戻ってくる訳では無いけれど
周囲からの視線が、突然変わる訳ではないけれど
それでも、スピリットエヴォリューション・ユミルを、十闘士の力を直接知る者の1人として、デジモン研究に携わる仕事をもう一度やってみないか、と。
そんな、予想だにしなかったあたたかな申し出が、今回の事件の解決を手伝ったボクに用意された、報酬だった。
「もちろん!」
間髪入れずに肯定する。
帰ってきたら直接答えを伝えに来いとの事だった。返事は早い方がいいだろう。……早く、伝えに行きたかった。
「……そうか」
相変わらずぶっきらぼうに。だがどこか優し気な口調でそう返して、カンザキさんはハンドルを握った。
「ま、お前の気が急いても安全運転で帰るからな。渋滞に捕まっても文句は言ってくれるなよ」
「はーい、よろしくお願いしまーす」
と、シートベルトをしめようとするボクの膝を、タネモンさんがぽんぽんと叩いた。
「おい、マカド」
「?」
「ぼく、みかん食べたい。この手じゃむけないんだ。オマエがやってくれ」
ああ、だからタネモンさん、「遅い」って怒ってたのか。
「待ってたんですね」
「そーだ! 何か文句あるのか?」
無いです無いですと思わず笑顔になりながら弁明して、助手席の袋から蜜柑を2つ、手に取った。
「俺の車に汁とか零してくれるなよ」
「エーイチ、おれっちも~!」
「お前は後だ。……パーキングエリアにでも寄ってやるから、その時にでも。マカドはそこでウンノ博士に手土産なり買ってくるように」
「は~い」
「はーい」
ソーラーモンと被せて返事しながら、蜜柑の鮮やかなオレンジ色の皮を剥く。
途端、爽やかな柑橘の香りが、車内一杯に広がって
あれだけ気になっていた筈の潮の香りは、もう、漂っては、来なかった。
*
20××年。
デジモンと人間との邂逅が公になってから、何度目かの夏がやってきた。
ボクらの関係は、草木が枝を伸ばすように、常に新たな理をこの世に生み出し続けている。……それが良い事であれ、悪い事であれ。
これは、そんな世界で悪い『前例』の側に居たボクが、紆余曲折を経て新しい一歩を踏み出せそうな、物語。
この先もきっと前途多難。一筋縄ではいかない出来事が待ち受けているだろうけれど――とりあえず今は、このくらいに、しておこうか。
*
「『深きものども』が騒ぎ出したから、何事かと思ったら……デーモンさんに、「懐かしい眷属の気配がするから見てきたらどうだ」と言われましてですね。現場に直行したら皆さんがいらしたので、私達もびっくりしましたよ」
コンビニで買って来た蜜柑アイスを口に運びながら、タジマは暗黒の海からこの町の海岸に渡って来た経緯を簡単に説明した。
……いや、逆に。
そんな簡単に言及されては困るワードしか、無いのだが。
暗黒の海の干渉が完全にストップするのと同時に、彼女と彼女のパートナーは、世界の在り方を変えかねないその特殊な進化を解除した。「位相が狂っている」という条件下でなければ『マトリクスエヴォリューション』なるユミル進化は使用しないと、固く定めているのだろう。
恐らく今回も、ユミル進化は特殊な状況下での進化だとしか、世界に認識はされてはいない筈だ。
年長者であるカンザキさんと、水の闘士とそのパートナーであるカジカP達がマリンキメラモンに関する事後処理の対応に走る中、フロスベルグモンさんから退化した上、属性の違うスピリットの力を使ったせいもあり疲れ切って眠ってしまったタネモンさんと、そのパートナーのボク、タジマ、そしてピコデビモンは、海の家に併設されている休憩所で待機させられていた。
……カジカPには「絶対にリューカちゃんに嫌な思いとかさせるなよ」とキツく念押しされてしまった。うーん、やっぱり信用無いなボクってば!
が、彼女と2人きりで会話できるチャンスなんて、そうそう巡っては来ないので。ここはカンザキさん達が戻ってくるまで、会話を堪能させてもらう――つもり、だったのだが。
のっけから、なんていうか。次元が違い過ぎるんだよな。
ボクに言葉を無くさせるだなんて、相当だぞ、この子。
ちなみにピコデビモンはというと、海の家の商品のサンプルなのか、置き去りにされていた浮き輪に身体を預けて、すっかりノビてしまっている。
ビニールの感覚が、この中では最も冷たくて気持ちがいいのだろう。いくら強力なデジモンであるとはいえ、太陽の光に弱いのは相変わらずのようだった。
「マリンキメラモンは、多分。暗黒の海に連れて行くことになると思います」
一度、アイスのカップを下ろして。
タジマは淡々と、そう告げる。
「こっちではもう、普通には生きられないでしょうから。……あの子の中には、大きな『闇』が混ざっています。最低でも、制御の方法を覚えるまでは。双方のためにも、人間の世界を離れていた方がいいと……私は、思っています」
「じゃあ、ササハラさんとは、しばらくお別れなんだ。あの子」
「……」
タジマは、黙ってこくりと頷いた。
でも、それでも。
ササハラは、一応は。……パートナーを、完全には失わずには、済んだ訳だ。
マリンキメラモンは「無事捕獲された野生の個体」という体になり、ボクらにも、真実を公表するつもりは無い。
放心状態で、カンザキさんに一度自宅へと連れ帰られた彼女自身がどうするかは、まだ、解らないのだけれど。
「『闇』としては、一応私、先輩ですから」
やがて、タジマが口を開く。
「きっちり面倒を看ますよ。少しでも早く、パートナーの所に帰れるように」
彼女はそう言って、優しく微笑んだ。
本当に、3年前とは別人のようだ。強過ぎる光が影を深く落とすように、暗過ぎる闇は、当時ずっと彼女の横顔に射していた筈の影を完全に覆い隠して、一種快活さまで感じてしまう程で。
……『闇の王』、か。
「いや、でも大丈夫? キミの仕事、多すぎるんじゃない? 今だって暗黒の海の調査に、デーモンの監視でしょ。キョウヤマ先生のご子息だってまだ行方不明って話だし、そこに新種デジモンの世話まで増えたら」
「ご心配には及びませんよ。確かに調べる事は山ほどあるんですけど……デーモンさんは、その、監視なんて。そう言える程の事は何もしていませんし、コウキさん……鋼のヒューマンスピリットについては--ようやく、目途が付いて来たので」
きっと、もうすぐ会えると思います。と。
なんてことも無いように、タジマは言うのだった。
……暗黒の海唯一の調査員、つまるところ専門家がそう言う以上、きっと、実際にそうなのだろう。
……。
「ねえ、タジマさん」
「はい、何でしょう」
「暗黒の海ってさ、人間やデジモンの昏い感情が流れ着く場所でしょう?」
タジマは頷いた。
「ボクの死なせちゃったパートナーの話は知ってるよね」
「……はい」
「ぶっちゃけ、あの子。何も成せずに死んでいった、あの子の、せめて、感情くらいは――消え去りはしないで、流れ着いていたり、すると思う?」
「……」
また、少し黙って。
タジマはアイスをすくう紙のスプーンをカップの縁にかけて、胸元からペンダント--否、紋章の納められた、タグを取り出した。
「御存知の通り、かつてデジタルワールドを窮地に陥れたアポカリモンさんは、進化出来ずに滅んで行ったデジモン達の存在を、礎としていました」
「うん」
「だから、あの子の『前例』がある以上――可能性は、0では無いと。……そう、お答えする事しか、私には出来ません」
「……そっか」
もう、ふっきれるつもりではいたけれど。
専門家から、一応、聞きたかった話を聞けて。……とりあえず、ボクはそれで、満足だった。
と、
「あ、マカドさんすみません。ちょっと失礼します」
不意に、彼女のスマホが鳴り響いた。
どうやら電話らしい。カップを脇に置いて、タジマが席を立つ。
「もしもし、博士? ……ああ、はい、そうなんです。実は--」
休憩所の外に出ていく彼女の台詞を耳で捉えた限り、相手はウンノ先生だろう。
カジカPが先に連絡したのか、助手が突如ウィローオウィスプモンの姿でこっちに戻って来たとなれば、彼女も気が気では無かったに違いない。
そして、この場で起きたこと。
合成獣マリンキメラモンと、その身に起きかけた変貌。……スピリットをデジメンタルと見立てた、特殊なアーマー進化。
ボクの膝の上ですやすやと眠っているタネモンさんにとって、きっと最初で最後になるであろうフロスベルグモンへの進化も、きっとウンノ先生は、見事に論文を纏めてしまうのだろう。
「ねえ、マカドさん」
なんて、半ば羨望交じりでボクなりの考察を纏めていると、ふとかけられる声が1つ。
浮き輪の真ん中から顔を半分覗かせたピコデビモンが、こっちを見つめていた。
「うん?」
「僕はね、居ないと思う。暗黒の海には、マカドさんのパートナー」
「え?」
「ほら、昔って、人間の世界で死んじゃったデジモンは、デジタルワールドで死んだデジモンみたいに、はじまりの町で転生できなかったでしょう?」
でも、今はそうじゃないよねと、呆気にとられるボクに対して、構わずピコデビモンは続ける。
「デジコアも残らず溶けちゃったって聞いたけど……でも、データが全部無くなっちゃった訳じゃ、無い筈だよ」
「……」
「今は無理だとしても、きっと。マカドさんがまた会いたいなら、いつかまた会えるよ。僕達は、パートナーが世界で一番、大好きだから。……絶対、また、会いに行くんだ」
ひょい、と、ボロ布のような翼を使って、ピコデビモンは浮き輪から身を乗り出す。
「ううん。実はもう、会いに来てるかもね。マカドさんの、すぐ傍にいるかも」
彼はふにゃりと笑っていた。流石に日差しに負けているのか、多少、締まらない笑顔だったけれど。
ボクと、それから、タネモンさんを眺めながら。
その昔。
『選ばれし子供たち』とそのパートナーデジモンには、いつか必ず、別れが訪れるように、出来ていた。
奇しくもササハラが名を挙げたメノア・ベルッチが起こした、『選ばれし子供たち』の消失事件は、彼女のパートナーであったモルフォモンが、その別れによって失われたが故に計画されたものである。
だが、彼女の執念によって生み出された、エオスモンという名の人工デジモン――疑似的な、ベルッチの新たなパートナー--その存在は、後に振り返って見れば、『選ばれし子供たち』が再びパートナーデジモンと巡り合うための『前例』としても働いていたと、今ではそう、言われている。
世界は、少しずつでも、変わっていくのだ。
そのきっかけが。『前例』が、何であれ。
ピコデビモンの言を信じるなら。
ひょっとすると。いつか、ボクと、あの子の別れも――
「あの、マカドさん」
と、タジマが戻って来た。
入り口から顔を出して、今度は彼女が、ボクの名前を呼んでいる。
「ん? 何だい?」
「カンナ博士が、この後電話しても良いか聞いてほしいとの事だったので」
「へ?」
ウンノ先生が? ボクに?
大丈夫だけど、と返すと、タジマはその旨をウンノ先生に伝えているようだった。
フロスベルグモンについての話だろうか? と首をひねる。……ああ、いや、そういえば。氷のスピリット、あの人が許可取ってボクに渡してきたんだっけ。使った以上、報告書とか必要になって来るのかもしれない。
等々、考えていたのだけれど――実際にウンノ先生からかかってきた電話の内容は、ボクの想像をはるかに超えるものだった。
「ダメよ、マリンキメラモン。まだ、まだ終わってないんだから。起きて。起きて戦うのよ!」
「……ササハラさん、もうやめるんだ。勝負は」
「まだ着いてませんっ!!」
声を荒げるササハラに、カンザキさんさえ一瞬たじろぐ。
それだけの形相をしていたのだ。彼女は。
理不尽に降り注いだ苦難。それに対するリベンジへの執念。手段を実行するだけの頭脳と技術。
悲鳴が聞こえてきそうな程だった。
自分の苦しみは、罪を犯した姉だけが背負うべきものだった筈なのに、と。
「どうして、自分達が「こう」ならなければいけなかったのか」と。
「起きなさいっ! マリンキメラモンッ!!」
憎しみと、嫉妬の悲鳴が。
「私のパートナーでしょう!!」
そうしてササハラは、パートナーの本来の種族名を、呼ばなかった。
次の瞬間、本体に合わせて静止していた筈のゲソモンの触腕--その内の、爪の付いた、特に発達した2本がぴくりと動く。
……ゲソモンの? 本当に?
「っ!?」
刹那、最悪の予感が背筋を走る。
脳裏に浮かぶのは、2種類のデジモン。
片や、キメラモン。
デジモンカイザーが生み出した個体は、かつて『選ばれし子供たち』が最初の冒険において倒した『闇』の眷属たる悪魔・デビモンの腕を使用した故に、デジモンカイザーの制御を離れ、暴走したと言われている。
そしてもう片方は、人間の世界に攻め入った記録の残るデジモンだ。
かの『選ばれし子供たち』でさえ完全に葬り去る事は出来ず、また、タジマ リューカが邂逅し、彼女を新たな『闇』の体現者として祝福したと言われる魔王・デーモン。彼が、配下としてこちらに引き連れてきたデジモン。
水の闘士は、沖に完全体の気配はハンギョモンしか見つけられなかったと言った。
しかしその種族の特定は、純粋な『水』に連なる者達に限られるとも、事前に。
……もしも、そこに『水』の性質自体は持つものの、『闇』の眷属が混ざっていたら?
マリンキメラモンは、デビモンのような『闇』のデジモンを使わなかったからこそ、制御可能な個体になったと、そう、思っていたけれど。
『闇』を取り入れてなお、制御に成功していた個体だとしたら?
「ササハラさん。……何、使ったの?」
ササハラは、ボクの問いには答えずに、ただ、パートナーを見て、笑った。
ぱちり、と。目を開いた、パートナーを。
海のように青かった瞳を、炎にも似た、鮮やかなオレンジ色に変貌させた、パートナーデジモンを。
「さあ、目覚めなさい」
フロスベルグモンさん達は、三重奏を止めざるをえなかった。
にもかかわらず、マリンキメラモンを包むノイズはむしろひどくなる一方で――彼を中心に、ビーチ全体を覆い始めていて。
「これ、は」
景色が、ノイズの走った場所から、色彩を失い始める。
黒でさえ無い、闇の色。
『デジモンアドベンチャー』の2作品目で、見た事あるような描写の色だ。
「もう、全部。全部全部全部、ぶち壊して!!」
ササハラのデジヴァイスが、仄暗い光を放ち始める。
ボクらにはもう、止める手立ては、無かった。
「マリンキメラモン、進化――――」
「「マトリクスエヴォリューション・ユミル!!」」
その声を、恐らくもっともよく知っているカジカPが、真っ先に顔を上げた。
上空。
ゲートが、開いていた。
変わり始めた景色よりも一段深い、暗がりへと続くゲートが。
声の主は、そのゲートを突き抜けて、この歪んだビーチへと顕現する。
生者であり死者。獣でありながら貴族。魔王にして小悪魔。--人にして、デジモン。
相反する性質を、お互いにお互いを委ねる事によってその身に宿した、吸血鬼の騎士。
「「ウィローオウィスプモン!!」」
タジマ リューカとそのパートナー・ヴァンデモンが、ジョグレス進化したデジモンだ。
「リューカちゃん!?」
カジカPの声がひっくり返る。
対してウィローオウィスプモンの方も、その声で彼の存在に気付いたようだ。赤い仮面の下にあるピコデビモンの時と同じ黄金の瞳を、彼女は大きく見開いた。
「「ソーヤさん!? どうしてこんなところに!?」」
ボクらからすれば、それはこちらの台詞なのだが――このノイズまみれの景色から推察できなくはない。
深淵――暗黒の海は、自らの性質に近いものを、己の元へと引き寄せる。
キョウヤマ先生のご子息、キョウヤマ コウキが利用した特徴だ。
暗黒に支配された感情。
元は、暗黒の海に住まう住人『深きものども』が取っている姿と同じ種族として存在していたササハラのパートナーデジモン。
組み込まれた、『闇』の力。
悪意ある偶然が重なった結果、ササハラの執念は、マリンキメラモン以上にとんでもないものを招き寄せてしまったらしい。
……だが、まだ。
マリンキメラモンが、瞳の色を除いてその姿を留めているのと同じように、深淵からの干渉は完全では無い。
キョウヤマ先生のご子息が、鋼のビーストスピリットを完全に暗黒の海に置き換えるまでは、セフィロトモンが先生の研究所の上空に留まり続けていたのと同じように。
まだ、引き摺り込むまでには、至っていないのだ。
そしてここに、ウィローオウィスプモンが来たのは
「カジカP、ウィローオウィスプモン、話は後だ!」
キミ、止めに来たんだろう、このデジモンを。と。
そう呼びかけると、ウィローオウィスプモンはすぐさま表情を引き締めた。
「「はい!」」
ウィローオウィスプモンの翼が、同じ色のマントに変わる。
「ゲコモン、手伝うぞ!」
「ゲコ! ゲコモン、スピリットエヴォリューション--ラーナモン!」
「ボルケーモン、力を貸してやれ」
「うん! ラーナモン、おれっちのマイクを使って」
ウィローオウィスプモン同様に思考を切り替えたカジカPがパートナーに指示するのは、かつて、他ならぬボクが、彼に教授した手段。
あの位置からだと効果に不安があったが、ボルケーモンのマイクを使えるなら心配は無いだろう。
「ユキトシ」
ふわ、と。
冷たい風が、頬を撫でた。
気付けばフロスベルグモンさんは氷の上を飛び立ち、砂浜へ――ボクの元へと、降りて来ていて。
ここだけ冬が訪れたかのように寒いのに、それでもやっぱり、この場所は夏のにおいがして、何だか不思議な気分だった。
「掴まれ。……見届けに行くぞ」
「……うん」
フロスベルグモンさんの、身体に対しても随分と大きな足に飛び乗る。翼が砂浜を打ち、巨鳥は空へと飛び上がった。
大きさ故かもしれないが、不思議と安定感がある。こんなに高所なのに、うっかり落ちてしまうような不安は、少しも湧いては来なかった。
「「『ミッドナイトレイド』!!」」
ボクらが変質していくマリンキメラモンの元に辿り着くよりも前に、ウィローオウィスプモンはラーナモンの歌で霧の鎧を纏い、そのマントから大量の、黒い小竜の姿をした使い魔を召喚する。
ヴァンデモンの時同様の、相手のデータを喰らい尽くすウイルスだ。
小竜達は『次の姿』に変換されて行くマリンキメラモンの表面を、変貌よりも早く、喰らい尽くしていく。
進化後であればいざ知らず、既に覚醒を済ませた本物の『闇の王』を前に、ササハラの望みは追いつけない。
「マリンキメラモン! 何してるの!? 早く、早く! 戦うのよ!!」
彼女の声は、震えていた。
きっと、解るのだろう。解ってしまうのだろう。
自分の望んだ結果は、もはや訪れないと。……人よりも、聡い女性であるが故に。
「終わらせましょう、フロスベルグモンさん」
「ああ。……『ルインリバーヴ』!!」
『ミッドナイトレイド』の対処に気取られ、防御の薄くなっているであろうマリンキメラモンの内部に、もう一度。フロスベルグモンさんの歌が揺さぶりをかける。
景色が、色彩を取り戻し始めた。
「ユ」
マリンキメラモンが僅かに首を動かし、パートナーの方を見やる。
その瞳はもう、橙の色はしていなかった。
海の色。
でも――緑がかった、暖かい海の色では無い。
「ウ、ミ……」
「ハンギョ、モン……」
その場にへたり込んだ、ササハラ ユウミが呼んだ名のデジモンの瞳に、マリンキメラモンは終ぞ、戻る事は無かった。
黒い小竜の雲が晴れ
海のキマイラは、空を映したような深い青色の上に、その巨体を横たえる。
後には、波の音だけが残った。
「……マジェスティック……」
「綺麗なデジモンゲコ……」
カジカPとそのパートナーが、同時に感嘆を漏らす。
ボルケーモンは歓声を上げているし、ボクに行動を促したカンザキさんもまた、まさかこうなるとは思っていなかったのか、目を見開いていた。
フロスベルグモン。悪のとしての側面の闇の闘士と同じく、北欧神話の怪鳥フレスベルグの名を由来に持つデジモンだ。
怪物然としたベルグモンに対し、フロスベルグモンの姿は「氷の孔雀」とでも呼ぶべきか。華々しく、しかしどこか厳かな雰囲気を纏わせている。
そして、まあ、見たままではあるのだが。
このデジモンの、分類は――
「巨鳥型……ッ!」
ササハラが呟く。
先ほどまで笑みを浮かべていた筈の彼女は、いつの間にかその表情を歪めていた。
ぎりりと歯を噛み締め、フロスベルグモンをねめつけている。
だが、すぐにササハラはその顔を改めた。
ひりつくような狂気と共に
燃え広がる怒りを覆い隠す事無く
彼女は、再び、吐き出すようにして、微笑んだ。
「今度こそ、私の手で叩き落してやりますよ--姉さん!!」
ああ、そうか。
ササハラが--否、人々が最後に見た彼女の姉は、巨鳥の姿を、していたんだっけか。
……嫌な因果だなぁ。
「マリンキメラモン!!」
ヒステリー気味にササハラが叫ぶ。マリンキメラモンの角がまた光を帯び始めた。
熱線が、来る。
対して
「『フリージングレイ』!」
フロスベルグモンさんの嘴からは、霜が迸っていた。
次の瞬間。冷気と熱は、フロスベルグモンさんとマリンキメラモンを直線で結んだ、その丁度中心部で衝突する。
「っ!」
熱いんだか寒いんだかこっちでは判断しかねる凄まじい衝撃が、ビーチの砂を舞い上げる。
顔を覆いつつ、2体から目を離す訳にはいかなかった。
再び、マリンキメラモンが衝撃に打ち上げられた波を纏うようにして、その場で回転し始める。すぐさまそれは巨大な水の竜巻となり、巨大な蛇のようになってフロスベルグモンさんへと襲い掛かった。
だが、孔雀は蛇を喰らう生き物だとされている。フロスベルグモンさんに、物怖じする様子は見られない。
巨鳥が、その影で海を包み込もうとしているかのように、両の翼を大きく広げた。
「『イノセンスブリザード』!」
翼と尾羽から、吹雪が、『冬』がフロスベルグモンさんの周りに具現化する。
蛇を眠りに落とす季節は、それを模した海水の渦をも包み込み、一瞬にして制止させた。
「『フリージングレイ』!」
恐らく身動きの取れないマリンキメラモンに向けて、今度こそ、一閃。
絶対零度の光が、渦の先端を貫いた。
冷たく白い煙が猛暑日の空気へと溶けていく。
光が完全に消え去るのと同時に、渦が砕け、破片は海へと落ちていった。
が――
「ハンギョモンがいない!?」
――渦の中には、ただただ空洞が広がるばかりで。
……みし、と。嫌な音が、響き渡る。
「フロスベルグモンさん!!」
叫んだ瞬間、フロスベルグモンさん自身の纏う冷気によって凍り付いていた海面が割れる。
イッカクモンの角とシーラモンの頭殻で流氷を突き破ったマリンキメラモンが、左腕--エビドラモンの鋏を構えて、飛び出してきた。
「くっ」
フロスベルグモンさんが空中で身を捻るが、完全には間に合わなかった。
鋏が、羽の付け根を挟み込み、マリンキメラモンは自身の全体重をかけて、空中からフロスベルグモンさんを引きずり落とす。
冷や汗が噴き出る。フロスベルグモンさんが気付かなければ、挟まれていたのは恐らく羽よりも硬度が低い首の付近だった。最悪、そのまま落とされるところだったのだ。
加えて、海面は一部を割られたとはいえ、現在かなりの範囲が凍り付いている。
海の中――マリンキメラモンが最も力を発揮できる空間に、まだ、引き込まれてはいない。
最悪の事態には、まだ、陥っていない。
だが――
「っ、『フリージング--うぐっ!?」
地に落とされたフロスベルグモンさんを引き続き鋏と自らの重みで押さえつけながら、マリンキメラモンは尻尾--オクタモンの触手でフロスベルグモンさんの脚を、ゲソモンの触腕で翼と嘴を、その先端が凍てつく事も厭わずに拘束する。
必殺技も、体勢を立て直す手段も、完全に封じられた。
「フロスベルグモンさんっ!」
呼びかけた所で、不思議な力がマリンキメラモンを引き剥がしてくれたりはしない。
今度こそ、奇跡は起きない。
「マリンキメラモン!!」
ササハラが、その怪物の名を呼ぶ。
彼は、右手を。
ハンギョモンの腕と銛--『トレント』を、振り被った。
「『ス、トライ、ク--」
「!?」
確かに、耳に届いた。
ここに来て初めて、マリンキメラモンが、発した言葉が
「--フィッシ、ン、グ』ッ!!」
見た目と同じように、さまざまなものが混ざった、合成音のような声。
絞り出すように、その声で、彼は『必殺技』の名を叫んで――
「『ビックバン・タックル』!!」
「『タイタニックチャージ』ゲコッ!!」
しかし『トレント』を振り下ろす直前、2体のデジモンの渾身の体当たりによって、その一撃は、阻まれる。
「ボルケーモン? カルマーラモン?」
「うお~っ!! フロスベルグモンを」
「放すゲコ!!」
困惑するボクを他所に、2体はマリンキメラモンへの追撃を続ける。
流石に完全体クラス2体から攻撃を受け続けるのはマズいと判断したのだろう。冷たいフロスベルグモンの身体に、本来は暖かい海に住まうオクタモンの触腕が限界だったのもあるのかもしれない。
大きく体勢を崩していたマリンキメラモンは、しかし変幻自在の軟体の体幹を用いてゆうゆうとその場から離脱し、氷上を滑って海へと身を投げ込んだ。
「……っはあー、間に合って良かった……!」
いつの間にか、ボクの隣に並んでいたカジカPが、額の汗をぬぐう。
同じように、カンザキさんも安堵の息を吐いていた。
「カルマーラモンに、ボルケーモンをあっちまで連れて行ってもらったんだ」
「おーい、エーイチ! 大丈夫そう! フロスベルグモンが海を凍らせてくれたから、おれっち海の上でも戦えるよ~!!」
「おい、油断するなよ」
「してな~い!」
種族らしい大声で現状を報告しながら、ボルケーモンがぶんぶんと無邪気に両腕を振っている。
確かに、ボルケーモンはこの中で最も水中の相手との戦闘に向かないデジモン。
攻撃を当てられる可能性が高いフィールドに移行できた事じたいは、良いかもしれないが――
「い、いや、でも危険過ぎるよ! マリンキメラモンはあの氷を砕く事が」
「マカド。パートナーが助かったんだ。まずは礼」
カンザキさんは、あくまで真摯に。そう言って、ボクからカジカPへと視線を流す。
「え、っと……?」
それでもなお困惑するボクに、今度はカジカPが肩を竦めた。
「こういう時は、協力しなきゃだろ。……3年前の借りくらいは返すさ」
3年前。
……ああ、そういえば。ボクはタジマ リューカを助けるために走っていた彼に、手を貸したんだっけ。
カジカPは、今も必要以上の力で、ぎゅっとスマホを握り締めている。
相も変わらず、戦闘は不得手だろうに。
……駆けつけられさえすれば、必ず何かしら力になれるって。そう、信じられる純粋さは、やっぱり、ちょっとうらやましいな。
「ありが、とう」
少し、ぎこちなくなってしまった気がするけれど。
ようやく、ボクはその言葉を口に出す。
「……いや、なんかお前に普通に礼言われるのもちょっと気味悪いな」
「ええー? 流石にヒドくない?」
「お前ら……無駄口は後にしろ」
「はぁ」
離れた位置にいるにもかかわらず、ササハラの溜め息はよく聞こえた。
「本当に、小賢しいと言いますか……まあ、的がひと固まりになってくれるなら、それに越した事は無いです」
彼女は自身のスマホに、デジヴァイスに視線を落としていた。
よそ見では無いだろう。確実に、パートナーに指示を出している。
「おーい、ササハラさん」
「何ですか」
ササハラはボクの呼びかけに、顔を上げもしなかったけれど。
ボクは構わず、言葉を連ねた。
「今ならまだ間に合うよ。……パートナーを、止める気は無い?」
「命乞いですか? らしくないですよ、みっともない」
「……そっか」
力を手にした彼女に、もう、他人の声はきっと届かない。
それが、あの子が望んでいたと信じた「強さ」の果てにあるものだとしたら――あの子を失ったボクと今のササハラの在り方は、かなしいかな、そう、大差はない。
碌でも無いと、いう事だ。
でも、カンザキさんの言を信じるなら、彼女はまだ、引き返せる。
「カンザキさん、カジカP」
「おう」
「何だ」
「ボクの指示を、パートナーに送ってくれる?」
フロスベルグモンさん、ボルケーモン。……そして、カジカPのミューズ。
「いいこと思い付いちゃったからさ」
全員の力があれば――ひょっとすれば。
「勝算はあるのか」
「あるよ! 一応ね」
「信じていいのか?」
「さぁ」
「「さぁ」ってお前な……」
茶化してはいるけれど、自信が無いのは本当だ。
でも思い付いた以上、これを超える策は思い付かない以上、ボクはこれで、行くしかない。
でも、ボクだって。かつてパートナーに求めたのと同じものを、ある程度親しいとは言っても他人にまでは、強要できない。
「「また」失敗するかもしれないボクの思い付きを信じてくれるかは、2人の判断に任せるよ!」
なのでその辺は、自己判断をお願いする次第で。
……なのに
「だーもーめんどくせぇな! 余裕無いんださっさと教えろ!」
「ソーヤと同じく、だな。無駄口叩くなっつってんだろ」
間髪入れずに、2人は策の提示を促してきた。
……。
「あのねえ、流石にこのボク相手に軽過ぎな」
「「さっさとしろ」」
綺麗に、声が重なった。
……やっぱり親戚なんだなぁ、この2人。
手短にそれぞれへの指示を伝える。カジカPは一瞬不安の色を垣間見せはしたが、何も言及はしてこなかった。
流氷の上では、フロスベルグモンさん達が周囲を警戒している。
未だ姿の見えないマリンキメラモンに足元から強襲された際、他の2体を連れてすぐに飛び立てるよう、彼は構えていた。
そんな中に、ボクも、コマンドをフロスベルグモンさんへと飛ばして。
……彼は、ボクを一瞥して、それだけだった。
同意って事でいいんだよね?
……と。
「フロスベルグモン、ボルケーモン、来るゲコよ!」
マリンキメラモンが、流氷の無い位置へと浮上する。奇襲を仕掛ける気など、さらさら無いらしい。
マリンキメラモンの圧倒的な力を信じて疑わないパートナーの傲慢さを体現するかのように。彼は、真っ正面からフロスベルグモンさん達を潰すつもりだ。
合成獣が、渦をその身にまとい始める。
刹那、カルマーラモンのスピリットエヴォリューションが解除された。
光の中に残されたのは、オタマモンではなく、彼女が正当の進化を果たした姿・ゲコモンで。
海神の怒りの体現。大昔の人々が空想した、海の脅威の具現化。
大渦の海蛇が、再び、さらに周囲の海水を巻き込みながら、猛スピードでこちらに向かってくる。
威力は、これまでの非では無い筈だ。
もう、逃げ場はどこにもない。
やるしか。やってもらうしかない。
「ユキトシ!」
不意に、ボクの名前が、呼ばれた。
久しく聞く事無かった、ボクの名前が。
「やってやるさ」
ボクのパートナーは、そう言って。
すぐに前方へと、視線を戻した。
「『クラッシュシンフォニー』!!」
「『ビックバン・ボイス』!!」
超高周波振動の音色。
超重低音のマイクパフォーマンス。
そして
「『ルインリバーヴ』!!」
ゲコモンとボルケーモンの生み出した旋律に乗せて、フロスベルグモンさんが、歌う。
デジモン達の必殺技による三重奏は、攻撃の手段であるにも関わらず、思わず聞き惚れてしまう程美しく――
「!?」
――まあつまるところ、お互いがお互いを掻き消すような事にはならず、うまく、いったわけだ。
「マリンキメラモン……!?」
三重奏を正面からぶつけられたマリンキメラモンは、フロスベルグモンさん達に迫るあと一歩手前のところで渦を維持しきれなくなったらしい。
白い泡となって弾けた波の中に取り残された海のキマイラの姿には、くっきりと、ノイズが走っていた。
『ルインリバーヴ』。歌を最後まで聞いた者のデータを、内部から破壊する必殺技だ。
とはいえそんな悠長な事は言っていられないので、同じ内部破壊の性質を持つゲコモンの『クラッシュシンフォニー』にバフをお願いした。成熟期であるゲコモンが究極体の攻撃に合わせられるのは、やはりカジカPとゲコモンの、これまでの積み重ねがあってこそだろう。……ボク自身、『クラッシュシンフォニー』をチャックモンの時に一度くらった事があるので、恐らく可能だと、そう判断できたのだ。
そして、ボルケーモンの『ビックバン・ボイス』はその声量による単純な音波としての攻撃力もさることながら、そのパフォーマンスは、相手の精神に作用させる事が出来る。
話によれば「放心状態になる」との事だが、マリンキメラモンの現状を見る限り、確かな情報なのだろう。
心と、身体。
その両方を文字通り「揺さぶる」音楽に、マリンキメラモン――文字通り様々なデジモンのパーツが、後付けで繋ぎ合わされている合成獣という存在--は、輪郭を失い始めていた。
全てが、うまくいったのだ。
マリンキメラモンは、まどろむかのように目を閉じている。
このままいけば、恐らく本体であるササハラのパートナーの元の姿・ハンギョモンを残して、他の後付けパーツは分解されるだろう。ようするに、退化する形だ。
終わってみれば多少呆気ないくらいだけれど、これで、何とか――
「……嫌」
声を、震わせて。
ササハラは、海の方へと足を進めていた。
「……ははっ」
膝から崩れ落ちる。
空を舞う南国の花は、ボクの目には眩し過ぎた。
「今更、そんな事。そんな事言われたって」
だからだろう。
きっと強い光に、網膜が傷ついたのだ。
生理現象だ。そうでなければ、今更、涙なんて流れるワケが無い。
「ペンモン、ペンモン……ッ!!」
呼んだって、あの子も、帰ってこないのに。
縋りつくように指先が掻いた土は、浜辺の際にあるせいかうっすらと湿っていて、柔らかかった。
ボクは、こんなものよりももっと、ちゃんと。握り締めているべきものが、あった筈なのに。
零してしまった。この浜辺と、同じにおいがする中で。
ボクは……こんなところまで、来てしまった。
「……よう」
その時だった。
ぶっきらぼうだけど、けして無神経では無い声と共に、彼がうずくまるボクの背中を軽く叩いたのは。
「氷、溶けたのかよ」
次いでかけられたのは、たったそれだけの言葉だった。
あとは彼のパートナーが「ゲコ!」ともう一度、背中を叩くように付け加えて、2人はビーチの方へと、駆けて行った。
「……カジカP?」
「スピリットエヴォリューション!」
「オタマモン、進化--カルマーラモン!」
滲んで、前がよく見えないけど。
状況の詳細は解らないなりに、色々察して、……少なくとも、トロピアモンを援護するべきだと判断したのだろう。
心を決めれば、行動の早い男だ、彼は。
「タンクモン、ソーヤ達の援護を頼む」
「お~よ! まっかせて~! タンクモン、進化--ボルケーモン!!」
続いて現れたカンザキさんが、パートナーをリアライズさせる。
長い年月を共に過ごした彼のパートナーは、完全体への進化を可能としていた。もちろんウンノ先生やタジマのように完全体を維持し続ける事は出来ないだろうが、立派な戦力には変わりない。
古代木の闘士の末裔。現水の闘士。完全体デジモン。
彼らが対峙するのは
「あー、結局集まっちゃいましたか。まあ、いいです」
海の合成獣--マリンキメラモン。
本格的な戦闘を前に、マリンキメラモンは己が最も力を発揮でき、陸上のデジモンではおいそれと手の出せない沖合へと既に移動していて。
「ロードしたハンギョモンのデータが寸でのところで作用して、私の目の前でマリンキメラモンは大人しくなった。悲惨な『事故』が起きた悪評が残る以外は、町は元通り。これ以上貴方達のような犠牲者が出ないように、水棲デジモンの研究者として、責任を持って新種デジモンの面倒を見、研究する。……筋書きはこんな感じですかね」
「ササハラさん……!」
「カガさん。貴方ぐらいの有名人なら、マスコミの喰いつきも良さそうです」
対峙するカジカPにも、ボクに対してしたように微笑みかけて。
ササハラは取り出したデジヴァイスをマリンキメラモンに向けた。
「やりなさい、マリンキメラモン」
マリンキメラモンが、海を、空をも揺るがす咆哮を上げた。
「『ペタリーカーネイジ』!」
トロピアモンさんの首元から、金の粉がマリンキメラモンに向けて降り注ぐ。
が、それらが到達するよりも早く、マリンキメラモンは海水を巻き込みながら、その場で身をくねらせ、回転し――渦を、巻き上げる。
トロピアモンの花粉は渦に飲まれ、渦の表面で爆ぜながら、飲み込まれて行った。
「『ビックバン・ボイス』!」
だが、突如としてその渦の表面に、穴が空く。
浜辺から、距離があるにも関わらず問題無く飛ばされた、ボルケーモンの必殺技。その重低音ボイスが渦にクリーンヒットしたのだ。
「『タイタニックチャージ』ゲコ!」
すかさずその穴にねじ込むように、カルマーラモンの巨大なイカの胴体がマリンキメラモンに負けず劣らずの高速回転を繰り出しながら突撃する。
が――
「ゲコォッ!?」
ぴたりと動きを止めたマリンキメラモンは、背中のゲソモンの触腕を伸ばし、絡みつかせ、カルマーラモンを強制停止させる。
そして、そのままブン、と、ボルケーモンに向かって、フルスイングで水の獣の闘士を投げ付けたのだ。
「うわぁ!」
「ゲコ!!」
砂煙をもうもうと上げながら、ビーチに倒れ込む2体。
またしても、マリンキメラモンの角が輝き、追撃とばかりにあの熱線が2体を狙う。
「っ、『ペタリーカーネイジ』!!」
再び花粉が撒き散らされ、熱線の行く手を阻む。
途端、水上で大爆発が起きた。
凄まじい爆風。が、熱線を防ぐ盾には辛うじて、なったらしい。
葉っぱの翼でその場にふんばりながら、トロピアモンさんはマリンキメラモンを睨みつけていた。
「こっちだ、ハンギョモン!」
「その子はマリンキメラモンですよ」
マリンキメラモンも優先度をトロピアモンさんに定めたのだろう。
ハンギョモンの所持しているものと同じ、しかしその数倍はある大きさの銛を、振り被った。
……才能がある者同士の戦いだ。
ああ、ボクだけが、なんて場違いなのだろう。
失敗して、何も成せずに、転落したボクには――
「マカド、ウンノ先生から預かっているものがある」
戦場を見据えていた筈のカンザキさんが、ふいにそう言うと、ボクの返事も聞かずにその「預かったもの」とやらをボクの手元へと落とした。
指先に触れた、懐かしい、ひんやりとした感覚に――思わず、視線を落とす。
こんな雑に扱って良いものじゃ無い筈だし――そもそも、ここにあっていいモノじゃない。
「カンザキさん、これ」
武装した雪だるまと、丸まった白い獣の像。
氷のヒューマンスピリットと、氷のビーストスピリット。
かつて、ボクがキョウヤマ先生に授けられた、スピリットだ。
「俺の判断で渡してくれと言われた」
「きょ、許可は……」
「あの先生なら何とでもするだろ」
そりゃそうだろうけど。
「お前が考えて、使い方を決めろ」
「ボク、が……?」
「あのな、俺は保護司だ。……どんな大馬鹿野郎であれ、きっとやり直せると。そう信じてるし、この眼で見てきたから、ずっとこの仕事を引き受けてる」
カンザキさんは、まっすぐにボクを見ていた。
「ましてやササハラ女史は、現時点で、まだ完全に足を踏み外したワケじゃねえ。パートナーも生きているし、人的被害が出たと「決まった」訳じゃ無い」
それは、確かにそうだ。
被害者側であるボク達が声を上げなければ、彼女がマリンキメラモンをボクらにけしかけたと、そう証明する手立ては無い。
ササハラは、いわゆる「死人に口なし」を実行して、証言者を無くすつもりであるけれど――彼女を、今、止められれば、彼女は本当の意味で「姉と同じ」にならなくて良いのだ。
「さあ、どうするよ。足を踏み外した者としても、研究者としても。お前の方が先達だろう」
言葉も悪いし
手段も、碌なものでは無い。
でも――
「今度こそ、お前の思う通りにやってみろ」
――その言い回しに、いつだって、棘は感じられない。
「ボルケーモン! ソーヤ! トロピアモンの援護を第一に考えて立ち回れ。気ぃ抜くんじゃねえぞ!」
結局僕の返事を聞く事無く、カンザキさんはパートナーとして、年長者として、先に戦闘に出ている彼らの指示に回る。
1人、ボクは取り残された。
「……氷の、闘士……」
両のスピリットを、握り締める。
反応は無かった。以前手にした時は、確かに感じた、手応えも。
――氷、溶けたのかよ。
先刻のカジカPの言葉が蘇る。
……精神性が変われば、いくら肉体の相性を高めていても、スピリットは所有者に応えなくなる。
「ペンモン。キミは、もう居ないんだね」
ボクの中で氷のように固まって、留まり続けた--留まらせ続けた、心のどこかで「可哀想」だったキミは。
たくさん、楽しい事もあったんだ。
遠浅の砂浜を、あの子と一緒に、笑顔で駆けた事が。本当に、あったんだ。
「キミの幸せも、不幸せも。……やっぱり、ボクが決める事じゃなかったんだ」
だけど、ボクのソレは、ボク自身が決めていい。
ボク自身が、決めるしかない。
だったら、ボクの答えは1つだ。
「ボクは不幸だったよ。本当のキミを忘れてここまで生きてきて、不幸だった」
「何を考えているのか、何を感じているのかわからなくなっている」のは、もう、嫌だ。
だから。
だから――!
「これからちゃんと、幸せになるから。……許してくれよ」
2つのスピリットと、自分のデジヴァイスを握り締めて茂みを飛び出した。
トロピアモンさんは相変わらず、マリンキメラモンの攻撃をかわしながら、隙を見て必殺技を放ってはいるが、マリンキメラモンの起こす渦に完全に阻まれてしまっている。
トロピアモンには花粉以外にもう1つ、毒の必殺技があった筈だが、流石に元は人やデジモンが遊泳するビーチ。そうでなくても環境を汚染しかねない技を使うのに、トロピアモンさんも躊躇しているのだろう。
まあ使った所であのマリンキメラモンが対処できない筈も無い。
……決定打となる何かが、必要だった。
「トロピアモンさん!!」
それが可能であるという、保証は無い。
だけど知識として、ボクは確かに、その『情報』を有している。
「遅いぞ、マカド!!」
熱線や銛の一撃を避けるだけでも必死の筈なのに、振り返って、いつものようにトロピアモンさんが憎まれ口を叩く。
彼は、今のボクのパートナー。
……ピノッキモンさんが、遺してくれたもの。
きっともう、役割からは解き放たれているとはいえ――古代木の闘士の、直系たる者。
――ま、全て及ばなかったとはいえ、お前さんの気概だけは買ってやろう。ひとつ、面白い話を教えておいてやる。
あの老獪な声音が、耳元に蘇る。
ボクを、ボク達を利用し、歯牙にもかけていなかった訳なのだけれど――確かにデジタルワールドの賢者であり、ボクを導いてくれた恩師の声が。
――炎・氷・風・土・木。光・闇・雷・鋼・水。我ら古代十闘士の力を受け継いだスピリットは、一旦これら5つずつがセットになるようにできておる。
デジタルワールドをリセットするためのシステムの部品ともなる十闘士のスピリットは、しかし一度に融合させると負担が大きいため、段階を踏めるようになっており、ボクらに適合する事は出来なかったものの、5つの属性を使った進化『ハイパースピリットエヴォリューション』も存在自体はしているのだと。
――まあ『ハイパースピリットエヴォリューション』はさておき。つまるところ、この5属性のくくりの中は、比較的相性が良い属性、という事になる。これはあくまで理論上の話になるが、もしもデジモンに、その種と属性の異なる、しかし5属性内には当てはまるスピリットをあてがえば、そのスピリットの属性を上から纏う――いわば『アーマー進化』に近い状態となるじゃろう。
キョウヤマ先生の娘。キョウヤマ ハリも、原理としては似たようなものらしい。
光と闇は、コインの裏表。しかし5属性としての相性はけして悪い訳では無いから、もちろんキョウヤマ先生のずば抜けた技術と知識があってこそだけれど、1つの肉体の中に2つを留めておけたのだと。
――どうせ、もうお前さんの役に立つ知識じゃあないだろうが……覚えておけば、良い事あるかもね!
「信じますからね、キョウヤマ先生……!」
スマホ型デジヴァイスの前に、スピリットをかざす。
もはや反応など示さなかった筈の氷のダブルスピリットは、トロピアモンの姿と重なった瞬間――彼が進化した時と、同じ色の光に変わる。
「トロピアモン」
デジヴァイスもまた、ボクに。
ボクの『パートナー』に、応えた。
「「アーマー進化!!」」
そうして、ボク達の声も、今、こうして1つになる。
「なっ!?」
ササハラでさえ、息を呑んだ。
夏空の下、吹雪が巻き起こる。
マリンキメラモンがその場から退避する。海の表面でさえ、凍て付き始めたからだ。
雪の結晶が、舞い散った。
はらはらと、その『翼』から、零れ落ちるように。
その様が花弁にも似ていると思ったのは。その尾羽が巨大な花のように見えたのは。……流石に、進化元とのこじつけになってしまうだろうか?
「フロスベルグモン!!」
涼やかな氷のベールが、海風にはためいた。
「……マカドさん?」
ボクの気配に気づいたのか、ササハラが振り返る。
彼女はハッとしたように目を見開いて、慌ててこちらに頭を下げた。
「あの、先程はすみませんでした。頭に血が上っていたとはいえ、協力しに来て下さった皆さんに失礼な態度を……」
「ああいや、ボクも配慮が足りなかったしね。ごめんよ、ササハラさん」
「いえ……。あ、その。えっと。そういえば、他の皆さんは?」
「ああうん、ちょっとね」
フローラモンさんの話題を咄嗟に呑み込めたのは、ボクとしてはファインプレーの部類だろう。
多少なり落ち着きを取り戻したササハラの神経を逆撫でするのは、ボクとしても避けたいので。
「みんなすぐに戻ってくると思うよ」
「そう、ですか」
「……」
「……」
だからと言って会話が続かないのも避けたいな。
と、いうか。
もしかしたら、丁度良かったのかもしれない。
出来る事なら、カンザキさんもカジカPも、それからフローラモンさんの介入も無いところで。……ササハラには、聞きたい事が、あるのだから。
「ところで、ササハラさん」
波の音が、大きく感じられた。
はい、と、ただそれだけの、ササハラの返事が妙に遠く感じられた。
いっそ、掻き消された方がいいのかもしれない。直前にボクにしては珍しい配慮が出来たばかりなのに、もしコレがボクの勘違いであれば、正面から頬を張られても文句は言えないような暴言だ。
ああ、でも。正直なところ、確信めいたものがある。
こればっかりは、間違えようも無い。間違える筈も無い。
知っているのだ。ボクは。
みんなが、知っている通り。
「ササハラさんのパートナー、死んでないよね?」
パートナーを失った人間がどうなるか。
きっと、この中では、誰よりも。
「……」
ササハラが押し黙る。
しかしその一方で、その唇の端は、僅かに上向きになっていて。
……何度波が寄せて、引いただろうか。
やがて、ササハラがボクへと、見間違いようも無いような笑みを向けた。
「今朝、成虫原基の話を振って来たじゃないですか」
「したね」
「正直、ドキッとしたんですよ。特に、後付け云々の下りに関しては。カマ、掛けられてるのかなーって」
「そうなの? でもそれは偶然だよ。あの話題に関しては、スピリットエヴォリューションについて解説したかっただけだから」
「じゃあ、いつから気付いてたんですか?」
「最初から」
流石に面食らったのか、ササハラは僅かに目を見開いた。
というか、よかった。勘違いじゃ無かったみたいで。
「では、質問を変えます。どうして気付いたんですか?」
「経験、って言うしかないかな。パートナーが居なくなると、なんだろうね。……ああ、そうそう。「もう何を考えているのか、何を感じているのかわからなくなっている」……高石先生は、そんな風に書いてたっけ。そんな感じ」
「……」
「カンザキさんは、キミが水のスピリットとその使用者を見てハイになっているのを、その「何もわからない」状態を埋めるためだって解釈してたけど、ボクにはただ単に、興奮してるだけにしか見えなくてさ。わかるよ。未知の研究材料は、いつだって気になるよね」
こういう時、カジカPの方が真っ先に気付きそうな物なんだけれど――そうじゃ、ないらしい。
あらゆる感情を汲み取って音楽に変える事が出来る彼でさえ、まだ若いのだ。真の離別とは、まだ出会ったことが無いのだろう。
「自分で殺したのに、ですか?」
「自分で殺したのに、だよ」
心底不思議そうに問われたので、ボクとしても真摯に答えを返す。
彼女、やっぱり根っこからの研究者だなぁ。
「へえ。パートナーを死なせた上に、世界を滅ぼそうとしたデジモンに与してたマッドサイエンティストって評だったから、どんな人が来るのか怖いくらいだったのに……ふふ、マカドさんって、案外センチなところもあるんですね」
「うーん、そういうキミは割と酷いキャラをしている。ボクより研究者向いてるよ」
「当然です! 私はうまくやりましたよ。かつて天才と呼ばれた一乗寺賢や、メノア・ベルッチより。そして貴方や、貴方の頭目よりも、ね」
にやり、と。
ササハラはより一層、口元を吊り上げる。
しかし大きく出たな。ボクは論外、『暗黒の種』のブーストがあったらしいイチジョウジ氏は例外として。かのエオスモンの生みの親であるベルッチ女史、そして誰より、キョウヤマ先生よりも「うまくやった」とは。
「おおよそ見当はついてるけど、ササハラさんの口から聞きたいな。今、キミのパートナーが、どうしてるのか」
「構いませんよ。……というか、百聞は一見に如かず、ですからね。見せてあげますよ」
そのために、お呼びしたようなものですから。と。
彼女が合図するなり、海から大きな水柱が上がる。
……と、まるで示し合わせたかのようなタイミングだった。ボクのスマホから、着信音が鳴り響いたのは。
盛り上がっているササハラには悪いが、こちらにも都合がある。
相手はカジカPだった。ボクは迷わず、通話機能をONにする。
「もしもしカジカP? フローラモンさん見つかったの?」
【いや、そうじゃないんだけど……ちょっとヤな事あったから、念のため伝えといた方がいいかなと思って】
「うん?」
聞けば、現地の人--老人だったそうだ--にフローラモンの行方を尋ねたカジカPは、急に怒鳴られたらしい。
「まだ嗅ぎまわっているのか」と。
【ササハラさんの紹介で来たって言ったのに、全然話聞いてくれなくて……やっぱりかとかなんとか、勘違いしたままって言うか……】
「……」
【多分、フローラモン関係でもめ事か何かあったんだと思う。だから話聞く時は気を付けろよ。お前、ただでさえデリカシーねーんだから】
フローラモン関係のもめ事。
妙にフローラモンさんに風当たりが強かったササハラに、ササハラの名前を出して「やっぱりか」と言う現地の住民。
「……なるほどね」
【は? 何が】
「あ、そうそうカジカP。カンザキさんも呼んで、早めにビーチに戻ってきてくれる? ボク多分ピンチだから!」
【え? 何?】
「それじゃ、無事だったら、またね!」
【おい、マカ】
通話を切る。この方がなんとなしに緊急性を感じて、2人も早く戻ってきてくれるだろう。多分。
顔を上げる。
海から現れ、じっとこちらを見下ろしているその巨大なデジモンは、確かにイッカクモンにも、シードラモンにも似ていた。
「どうです? 素晴らしいでしょう! 『偉い先生』のところに居たみたいですけど、結局! 本当に成功するのは、姉じゃ無くて、私なんです! あんな顔だけの恥さらしとは違って!!」
姉。
そう吐き捨てたササハラの笑みは、より凶悪さを増していて。
顔は違う。きっと、整形以前から似てはいなかったのだろう。
だが、血を分けた者同士だ。たとえ顔が変わっていても、面影自体は、必ず残る。
ようやく、一番初めに覚えた既視感の正体を突き止める。
同じ、笑い方だった。
「ササハラさん、セラ ナツミさんの妹だったんだね」
風のスピリットの適合者にして、オニスモンへと改造された女性。その、妹だったのか。
と、次の、刹那。
ボクの真となりで、砂浜が爆ぜた。
「っ!」
「あー……そんな名前、名乗ってたんですね。ふーん。もうちょっと捻って欲しかったな。これ以上、私と関係のある存在だって、痕跡も残さないで欲しかったって言うか」
笹原優海
世良夏海
言われてみれば名前も似ている。……いや、セラさんの元の名前は知らないんだけど。……ひょっとすると、海の付く名前っていうのは、優海から取った可能性すらあるな。そういう事をする人だ、あの人は。
視線を誤魔化すように眼鏡の位置を調整するササハラの背後で、ササハラの『パートナーデジモン』は、低く唸りながら、こちらを睨みつけている。イッカクモンに似た角からは、うっすらと煙が立ち上っていた。
一目見ただけで、その異様さと、強大さが理解できる、そんなデジモンだ。
海水浴場を襲撃したデジモン。
後付けの成虫原基--進化要素。
元デジモンカイザー・イチジョウジ ケンと、人工デジモンの権威メノア・ベルッチの名を挙げた理由。
水の闘士が確実な痕跡を見つけられなかった訳。
その全てに対しての、明確な答え。
イッカクモンの頭、シードラモンの身体。
シーラモンの外殻と脚に、ゲソモンの触腕。尾と角はオクタモンで、左腕はエビドラモンの鋏。
……それから、ルカモンのヒレ。
唯一残されたササハラのパートナーとしての面影は、右腕と、その手が握り締める銛にしか残されていない。
「マリンキメラモン……ってところかな」
「いいですね、それ。私もそう呼ぶ事にします」
遊泳禁止エリアにしてはデジモンの痕跡が多い、とカルマーラモンは言っていたが、その実、デジモンは1体しか居なかったのだ。
その1体が、様々なデジモンの要素を持ち合わせていた。幻獣という意味ではボクの推測も当たらずとも遠からず--いや、やっぱり的外れだったな。
ササハラのハンギョモンが生きている事は察していたが、海水浴場を襲ったデジモンと同一個体だと、その確信は持てないでいたのだから。
全く考えなかったワケじゃないけれど、そんな推測、話したら絶対カンザキさん達に怒られるし。
まあ、今回の場合、そんななけなしの良心と分別が仇になっちゃったんだけど。
「どうしてここを襲わせたの? キミの言う通り、マリンキメラモンは素晴らしい出来だ。普通に発表しても良さげな気がするんだけど」
「それこそ、犯罪者のマカドさんならわかりませんか? ……解らないかもしれませんね。周囲の人間が、どれだけ迷惑を被ったかなんて」
「? あ。あー……。まあそりゃ、かなり嫌な思い、させちゃったんだろうなとは思うよ。実家とは絶縁されちゃってるし」
「やっぱりなーんにも解ってないじゃないですか。絶縁で済んで良かったですね。私、殺してやりたかったですよ。姉さんの事」
「……」
「そして、姉さんの次にこの町が大嫌いです! 明るい観光地の皮を被った、典型的で偏執的に陰湿なクソ田舎。どうして昏睡強盗なんてやった姉さんが数年後には野放しになって、お父さんとお母さんは心労で死ぬまで町内で白眼視されて。……私は、そんな町に縛り付けられ続けなきゃいけなかったんです?」
笑顔のまま、ササハラの瞳が狂気を帯びていく。
よく、ここまで猫を被っていたものだ。
「だから、ついでに無茶苦茶にしてやろうと思いました。私の人生を無茶苦茶にしたこの町に、私のパートナーは、殺された事にしてやろうと、そう思ったんです」
……これ、言ったら絶対、怒られるだろうな。
でも、想起するなと言う方が無理な話だ。
哀れではある。同情も出来る。逃げ出せばいいのにと言う意見が、いかに他人事かも想像に難くは無い。
でも、彼女はきちんとしたデジモン研究者としての資格を取れるだけの頭脳も、パートナーを完全体に進化させられる実力もあったというのに。
「ササハラさんさ」
「はい、何でしょう」
「そういう、悪い意味で自分に素直なところ。似てるよ、セラさんに」
笑ったままではあるけれど。
ササハラの額に、青筋が走ったのが見えた。
「……あなたに言われたくないんですけど」
「いっひっひ」
違いない。
「ま、いいです」
ササハラが右手を上げる。
断頭台のロープを手に取る処刑人のように。
「デジモン1体の犠牲じゃ印象が弱いですからね。どうせ、貴方がいなくなって困る人も、貴方自身、大した未練も無いんでしょ? 私もそういう人を選ぶくらいの分別はありますから」
「うーん、悔しいけど反論が思い付かない! 新種デジモンについて判明するまでは死んでも死にきれないって言いたかったけど、それも目の前に居る訳だしね」
「餞別を気に入ってもらえて何よりです。お喋り自体は、楽しかったですよ、マカドさん」
それじゃ、と、ササハラは腕を振り下ろす。
「姉さんに、よろしくお伝えください」
マリンキメラモンの黒い角が、熱によって白く輝き始める。
ふーん。最終的に暴走したというデジモンカイザーの創り出した個体と違って、パートナーの指示に従うあたり、やはりデジモンとしての性能は良いらしい。
なんて事は無い、今朝海岸に現れなかったのも、出現当初にはハンギョモンを襲った風を装う以外の事はしなかったのも、ササハラがきっちりマリンキメラモンを制御で来ていたからだろう。
水棲デジモンという特徴以外はそれぞれ異なったデジモンのパーツを繋ぎ合わせたのは、人工デジモン研究の応用なのだろう。本当に、ササハラが優秀だからこそなし得た業に違いなく。
ああ、気になる。気になるな。
どうやって、そんな答えに辿り着いて
どうやって、それを実行できたのだろう。
知りたい。知りたかった。もっと早くに。
マリンキメラモンが前かがみになったからか、一層よく見える。
ゲソモンの腕の隙間から生えているのは、ルカモンの背びれだ。
あの子にも――適性が、あった筈--
「マカド!!」
「うげっ」
刹那、背中に凄まじい衝撃。
固いものが思いっきりぶつかって来て、一緒に砂浜へと投げ出される。
「このマヌケ! なにぼーっと突っ立ってるんだ!!」
突き飛ばされた形だ。……そうされていなければ、あの『必殺技』が当たって、ボクは跡形も無く蒸発していた事だろう。
「オマエはホントに! ぼくが居ないとダメなんだからッ!!」
顔面からのめり込んだ砂の中から顔を上げて、声の主の方を見やる。
赤では無く、鈍色のメット。
木の葉にも似た、緑のたてがみ。
翼の退化した、しかしその分走る事に特化した長い脚。
フローラモンさんの、成熟期の姿--キウイモンだ。
「……どこ行ってたんです?」
腰を抑えながらよろよろと立ち上がる。キウイモンさんは、深緑の瞳を吊り上げていた。
「そんなに遠くには行ってない! ちょっと飛び出てやっただけなのに、そっちこそなんで気付かないんだ。戻ったらオマエとササハラと……ハンギョモンしか、いないしさ」
っていうか、生きてるんじゃないか。その上オマエはこんなだし。と愚痴っぽく続けるキウイモンさんを、眼鏡越しに冷ややかな目で見つめながら、ササハラはふぅ、と息を吐いた。
「本当にしつけがなっていませんね、そのデジモン。姉さん達を思い出して嫌になります」
「ネーサン? ……それがぼくにキツく当たってた理由? そいつの事は知らないけど、似てるから八つ当たりだなんて、オマエの方が大概じゃないか」
「付け加えます。マカドさんにも似ていて腹が立ちますね」
「はぁ!? こんなヤツと一緒にするな! ぼくは」
キウイモンさんが言い終えるよりも前に、またササハラがマリンキメラモンに合図を出す。
再び角から攻撃――恐らく、キメラモンの『ヒート・バイパー』同様の熱線だ--が放たれる。
「ひゃあっ!?」
とはいえキウイモンさんも勘は良い方だ。慌ててボクの服の襟を嘴で咥えてその場から跳び退いた。
飛ぶ力を失う代わりに手に入れた脚力は、小柄なデジモンながらも大人1人を引きずって走るには充分らしい。
「ぐええキウイモンさん、首、首締まる」
「四散するよりマシだろ大人しくしてろ! 『リトルペッカー』!」
どこからともなく、キウイモンさんの足元にチビキウイモンが出現し、健気にもマリンキメラモンへと突撃して行く。
……次の瞬間には必殺技を使うまでも無く、銛を振って放たれた衝撃波を前に爆散していたが。
ただ、煙幕の替わりにはなったらしい。砂を巻き上げ、もうもうと立ち上る爆煙を目隠しに使いながら、キウイモンさんと彼に引き摺られるボクは、隣接する茂みの中へと飛び込んだ。
「エーイチやカジカが来るまではどうにか持たせないと……」
「どうかな。マリンキメラモン……ああ、ササハラさんのハンギョモンの事だよ。マリンキメラモンは、強力なデジモンだよ。2人が来ても、敵うかどうか」
万が一どうにかなるとしても。あるいは、2人の協力も得てさらに時間を稼ぎ、応援を呼ぶとしても。再び海の中へ消えられれば、追う術は当然限られ、対処も難しくなってしまう。
「おーい、マカドさーん! 出てきてくださいよー。カンザキさんやカジカさんに、ケガさせたくないでしょー? ……気にしないかな? マカドさんだし」
最も、現時点では、逃げる気など向こうにはさらさら無いらしい。
わざとか無意識下は知らないけれど、『海の王』を引き合いに出そうとしていたくらいだ。仮に陸地におびき寄せて戦う事が出来たとしても……戦えるのだろう、あのデジモンは。
「……なに笑ってるんだ、マカド」
と、キウイモンさんの凄むような声に、ふと我に返る。
言われて、口元に指をやると、確かに口角が上がっていた。
……。
「いいなー。って、思って」
取り繕おうと探った言葉は、一瞬にして掻き消えた。
どうせ、誤魔化せるような相手でも無い。
「ボクがもっとうまいことやれば、『あの子』もあんな強いデジモンになれてたのになーって!」
--悔しいよ、ユキトシ。
――強くなりたいよ、ユキトシ。
――勝ちたいよ、ユキトシ……!
波の満ち引きのようにあの子の繰り返した口癖が、今でも耳にこびりついている。
潮の香りが、ずっと鼻をつくように。
ボクは少しだけ身構えた。
絶対。絶対に怒られるからだ。キウイモンさんに。
どこをつつかれても文句は言わないように、そのために、身構えた。
のに。
「……なあ、マカド」
キウイモンさんは、突いてくるどころか、声を荒げすらしなかった。
ただ、静かに、深い緑色の瞳でボクを見つめている。
何度生まれ変わりを繰り返したとしても、昔々と同じように
静かに、古代十闘士の仲間達を見守っていた、植物型の祖の瞳。
「オマエのパートナーは、本当に『アレ』になりたかったと思うのか」
『アレ』。
マリンキメラモン。
改めて眺めても、素晴らしいデジモンだ。パーツの配置に無駄が無い。デジモンカイザーの失敗を踏まえて造られているのだ。きっとその性能も、かのデジモンの数段上を想定しているに違いない。
間違いなく、強力なデジモンだ。
きっとあの子も、あんな風に、なりたかったに――
――ねえ、ユキトシ!
「……」
「ハンギョモンは、今、幸せそうに見えるか?」
デジモンの本懐は、強くなる事。それに尽きる。
どんなに大人しいデジモンだろうと、根っこの部分にはその願いを抱えている。
だからこその進化だ。だからこそのパートナーだ。
あの子の、願いは--
――ぼくね、いつか
「オマエは、本当はどうしたかったんだ?」
その言葉を最後に、キウイモンさんが茂みから跳び出していく。
「! キウイモンさん!!」
ボクの制止など、まるで気にも留めていない。
その足で、力強く砂地を蹴っている。
すぅ、と、ササハラが目を細めたのが判った。
「一応、パートナーを庇うくらいの良識はあるんですね。……やっぱり、姉のフローラモンと一緒。何から何まで、不愉快です。……マリンキメラモン--ッ!?」
猟奇的な感情を滲ませたササハラが、しかし次の瞬間にはその目を見開く。
キウイモンさんの身体が、夏の日差しにも負ける事の無い、眩い光を放っていたからだ。
「キウイモン、超進化--!!」
キウイモンさんが、いっそう強く、砂浜を蹴る。
跳ぶ。
――飛ぶ。
その身体が天に昇るなり、寿ぐようにして翼が生えた。
大きな大きな、葉っぱの翼だ。
それは、植物で出来た竜。
南国の華やかさをひとところに集めたかのような、艶やかな花の竜だ。
彼の羽ばたきが降らせた、異国の花々に似た強烈な香りが、一瞬、潮のにおいをも彼方へと追いやった。
「--トロピアモン!!」
完全体植物型・トロピアモン。
キウイモンさんが、進化した。
「空を、飛べる、デジモン」
――ねえ、ユキトシ!
あの子が、ボクを呼んでいる。
--ぼくね、いつか
ぱたぱたと腕を――羽を、動かしながら。
飛ぶ事は出来ない羽だ。進化--この場合は、現実世界の進化と同様の意味でつかわれる進化だ――その過程で、海を泳ぐ代わりに、飛ぶ事を捨てた羽。
――空を飛べるデジモンになるんだ!
あの子は、その羽でいつか、次は空を飛ぶのだと
――その時は、ユキトシも背中に乗せてあげるからね!
あの子の口癖が「強くなりたい」に変わる、もっと、ずっと、前。
未来への希望に溢れていた、旧世代の基準でも間違いなく『選ばれし子供』であった頃。
あの子の、夢は。
本当の、夢は
*
「だーかーらー! ぼくは悪くないって言ってるだろ!?」
浜辺に足を踏み入れるなり響き渡ったフローラモンさんの喚き声に、ボクとカンザキさんは歩調を速めた。
紫の花の手を癇癪交じりにぶんぶんと振り回すフローラモンさんと、彼から顔を背けて立つササハラ。間に挟まったカジカPとオタマモンが、おろおろと両者を交互に見回している。
と、カジカPがボクらに気付いたようだった。こっちこっち、と声は出さないままに、ボクの方に視線を合わせて手招きする。
「……もめ事があったと聞いたが」
とはいえ先に口を開いたのは、カンザキさんの方だった。
こういう問題ごとが起きた時の立ち回りは、保護司をしているカンザキさんの方がはるかに上手い。フローラモンさんは一応ボクのパートナーという事になっているけれど、一端は彼に任せた方がいいだろう。
「もめ事も何も、ササハラが先にぼくの足を踏んだんだ! なのに謝りもしないでぼくはえらそーだとか、うるさいだとか――」
「ソーヤ、オタマモン。どうなんだ」
「ごめん、俺達がちょっと離れてる間にモメたみたいで……」
「現場を見てた訳じゃ無いのゲコ」
ばつが悪そうに言うオタマモンだが、彼女は基本的に海中の捜査を担当している訳だし、当然カジカPも一番注意を向けるのはパートナーの動向に違いなく。
いくらカジカPが洞察力に優れているとは言っても、見ても居ない場面の詳細まで語れるまい。
と、なると。ササハラに話を聞くのが筋なのだが。
「……そのデジモンの足を踏んでしまったのは事実です」
震える声に顔を上げると、ササハラは目元を拭っていた。
「だから、謝りましたよ? 私。だけど執拗に責めるんです、そのデジモン。こっちだってわざとじゃないのに。謝罪を聞き漏らしたのはそっちのほうなのに――私だって、好きで非難したんじゃありません!」
ぐずぐずと鼻を啜って、顔を赤らめて。
カジカPが動揺するのも仕方ないだろう。年上の異性--それも、ほぼほぼ他人--が泣きだしたら、いくら人の感情に機敏な天才音楽クリエイターとは言っても困ってしまうに違いない。
かく言うボクも見てるだけでたじたじ、って感じだ。
どうするのが正解なんだっけ、こういう時。
「まあまあ、泣かないでササハラさん! フローラモンさんの言葉がキッツくて理不尽なのは今に始まった事じゃないんだ。それこそ悪気が無かったっていうのを、何なら今から本当に悪気があって言った事シリーズと比較してみい"っ」
「……俺の監督不行き届きだ。申し訳ない。こいつらには後で強く言い聞かせておく」
カンザキさんに足を踏まれた。これはわざとだ。泣いちゃうかもしれない。
そんなボクの傍らで、カンザキさんは頭を下げている。
なるほどなるほど、こういう時は素直に謝るのが正解かぁ。まずは泣き止んでもらうっていう作戦は、ううむ、素人考えだったな。
っていうか、あれ? こいつ「ら」って事はひょっとして、ボクもお説教される流れなの?
「おい、ぼくは悪くないって言ってるだろ!? こいつは本当に謝ってなんか--」
「フローラモン。……もう少し、人の気持ちを思いやれ」
「ッ」
怒る、というよりも。諭す様なカンザキさんの声色に、しかしフローラモンさんは口を噤む。
……フローラモンさんは、口調はキツいけれど、けして人の心が解らないようなデジモンじゃあない。
当然、ササハラの現状についても、理解が及ばない筈も無い。
そして、こんなしょうもない嘘を吐くようなデジモンでも、無い筈なのだけれど――
「……ごめんなさい、感情的になり過ぎているのは、自分でも解っています」
顔を伏せがちにしながら、気付けばササハラは、ボクの方を向いて立っていた。
「でも、社会復帰を目指すならなおの事。パートナーのしつけは、きちんとやってください」
私も少し、頭を冷やしてきます。と。
それだけ吐き出すように言い残して、ササハラはボクに口を挟む余裕を与えずに、小走りで海水浴場の出入り口の方へと駆けて行く。
「……フン!」
一拍、間を開けて。
フローラモンさんの方も、強がりのように鼻を鳴らしたかと思うと、僕のポケットの中のデジヴァイスへ飛び込んだ。
こうなると、しばらくは出て来ないだろう。
カンザキさんが、小さく息を吐きながら頭を抱えていた。
と、
「エーイチおじさん、マカド」
不意にカジカPが、潜めた声をボクらにかけてきて。
「ん?」
「さっきも言った通り、俺も現場を見てたわけじゃないし、流石にフォローは入れられなかったけど……でも、ササハラさんの方もちょっと感情的過ぎてたのは本当だから、あんまりフローラモンの事、責め過ぎないでやってくれよ」
「ゲコ」
ふむ。
観察眼に優れるカジカPがこう言うくらいで、オタマモンもそれを特に否定していないとなると、完全にフローラモンさんに非があったってワケでも無いのだろう。
それだけでも、多少なり安心できるというものだ。やっぱりフローラモンさんは、いたずらに人を傷つけるようなデジモンじゃ無い。
とはいえ、人の地雷を踏み抜く時は、こっち視点じゃわかんない事がほとんどだもんなぁ。
以前だって、ウンノ先生と楽しくお喋りしたかっただけなのに、ボク、一瞬で怒らせちゃったし。
ふぅ、と。
また、カンザキさんが、息を吐く。
「そのためにも、何があったのか詳しく聞きたいもんなんだが……やれやれ、それこそお互い感情的になってる今は無理だろう。調査も一旦中断だ。ソーヤ、オタマモン。悪いな、働かせるだけ働かせちまって」
「いやまあ俺は別に。俺のミューズはカルマーラモンの姿もマジェスティックだし」
「エーイチさん、ソーヤはアホゲコから心配いらないゲコよ。むしろ働かせたりないぐらいゲコ。次の買い出しはソーヤに行かせるゲコ」
「俺のミューズの厳しさが夏の日差しのように突き刺さるッ!」
「はは、日焼け止めはこまめに塗りなよ」
先の発言通り、カジカPとオタマモンにフローラモンさんを追及する気は無いようだし、カンザキさんも様子を見てくれるらしい。
の、だが。肝心のフローラモンさんは、デジヴァイスの中でだんまりだ。完全にへそを曲げてしまったと思われる。……まあ、へそは無いんだけど。フローラモンさん。
「で、どうするの? 中断、って言ったって今の僕らはササハラさんちを拠点にしてるんだから、戻るなら彼女と同じ方向になっちゃうワケなんだけど」
「そこは彼女にも飲んでもらうしかないだろう。居候させてもらってる身とはいえ、こっちも呼ばれて来てるんだ。仮に出ていくことになったとしても、荷物は置いてるんだろう? 少しだけ時間を潰してから、戻らせてもらおう」
「ん~、気まずいなぁ」
おや、やめてくれよカジカP。
ボクに「気まずい」なんて感情があった事、疑うような眼をするのはさ。
「近くの喫茶店が空いてた筈だ。ソーヤ、オタマモン。好きなもん頼むといい」
「エーイチ、エーイチ、おれっちは~?」
「テイクアウトしてやるから、俺と駐車場で、だ」
「カンザキさんカンザキさん。ボクは?」
「お前のは最初から俺持ちだろうが、全く……」
全員で駐車場の方へと歩いていく。いったん時間を置いたのだ。ササハラが引き返してきていない限り、鉢合わせる事はない筈だ。
間食を済ませている間に、フローラモンさんも機嫌を直してくれるといいのだけれど。……最悪、甘いものか何かで釣ったら出てきてくれないだろうか。ホットケーキとか、好物だし。
いや、それよりも。後で顔を合わせたら、ササハラについては、どう接するべきか。
彼女には引き続き聞きたい事があるし――言っておきたい事も、できたのだけれど。
まあ、なるようになるかと。あくまで楽観的に、ボクはカンザキさん達の後を追う。
……そんな風に、少しばかり上の空でいたのがよくなかったのかもしれない。
*
「やってしまった」
いくらボクがこんな性格をしているとはいえ、やらかしに対して血の気が引いてしまう事くらいはある。今がその時だ。
やってしまった、と言うよりは、やられてしまった、の方が表現としては近いかもしれない。
「お前……気をつけろって言われたばっかりだろうが」
さしものカンザキさんも呆れ気味だ。完全な説教モードになっていないのは、カンザキさん自身もフローラモンさんの性質をよく知っているからか。
喫茶店に着いて、入って、席に着いて。
眺めたメニューにフローラモンさんの好物を見つけて「パンケーキあるよフローラモンさん」と声をかけようと、スマホを取り出したら――もぬけの殻。
生まれ変わったとはいえ、伊達にピノッキモンをやっていた訳では無いのだろう。完璧に引っ掛けられた。ボクのスマホに飛び込んだのはブラフだったという訳だ。
砂浜を歩けば流石に音がするだろうから、駐車場に入ってすぐくらいか。
こっそりリアライズして、林の中に飛び込んだのだろう。植物の中であれば、派手な色合いのフローラモンさんでも、隠れる方法は熟知している筈で。
喫茶店の人に断りを入れて、ボクらはカンザキさんの車に再び乗り込んで海水浴場へと踵を返す。
とはいえ、多少時間は立っている。当然、ボクらが見渡してぱっと見つけられるような所に、既にフローラモンさんの姿は無かった。
「手分けして探すぞ」
新種デジモンの調査に来たはずなのに、フローラモンさん探しになってしまった。
陸の上では、水の闘士のサーチ能力も使えない。代わりにソーラーモン――が進化したタンクモンが、スマホを介して周辺のサーチをしてくれるっぽいけど、林を抜けた先にも蜜柑畑が広がっている。緑の多い区画で、植物型を正確に見つけられるかは疑問が残るとの事だった。……ましてや頭の良いフローラモンさんだしなぁ。
しかしぼやいていても仕方が無いし、仮にも現在のパートナーはボクなのだ。責任も非も間違いなくボクにある以上、率先して探す義務がある。
「おーい、フローラモンさーん」
周辺を駆けずり回って、赤い花の影を探し回る。
数分もしない内に息が切れた。ハタシマさんと戦った時はフィールドワーク云々と講釈を垂れた気もするが、実を言えば当時から体を動かすのはあんまり得意じゃない。
氷のスピリットが使えた時はよかった。……なんて、思い返してはみたものの、アレはアレで、使った次の日は酷い筋肉痛に苛まれたし、そもそもこんな炎天下じゃあ、チャックモンだと溶けるしブリザーモンも暑さにやられてしまうに違いない。
……タジマ リューカを助けるためにカジカPを手伝いに行った時も、暑かったんだよなぁ。
「ぜえ、ぜえ……」
頭を使おう、こういう時は。
フローラモンさんだって、行く当てはない筈だ。そう遠くまでは足を伸ばさないだろう。
ササハラの家の方はカンザキさんが確認しに行ってくれているが、あの性格で、あんな事があった後だ。まず行くまい。
じゃあ、他に行きそうなところ――
「……」
――たまには他所の空気ぐらい吸わせてもらわないと、いくらぼくでもしおれちゃいそうだもの。
言いながら、いつになく浮足立った、どこかあどけない表情を浮かべるフローラモンさんの姿が記憶の中から浮かび上がる。
そういえば、海に行きたがって、今回の依頼を受けたんだっけか、フローラモンさんは。
ボクらと離れた今、ひょっとすると。彼にとっては自由に海辺を見て回る、絶好のチャンスなのではないだろうか。
あと、灯台下暗しって言うし。
「……一度、戻ってみよう」
言い聞かせるように、ひとりごちる。
ほんの少しだけ、脚が重くなった気がしたのは、走ったせいだと言い聞かせた。
これ以上息が上がらないよう、歩調を小走り程度で留めて。
先ほど出たばかりの海水浴場にまたしても舞い戻って――その先で。
フローラモンさんではなく、ボクは海辺で1人佇む、ササハラの姿をその目に留めた。
*
--悔しい、悔しいよおユキトシ……!
あの子が。
ボクのパートナーが泣いている。
ボクらはコロシアムアプリを利用した子供のコミュニティでのデジモンバトルで、いつだってびりっけつだった。
海、もっと言えば氷雪地帯と隣接した海辺でこそ真価を発揮するボクのパートナーデジモンは、少なくとも当時のアプリの環境では十分に力を発揮できなくて。
デジモンバトルが弱いと、スクールカーストでの立ち位置も当然低いものになってくる。
いじめられている、という程では無かったけれど、友達は少なかったし、面倒な雑用は大概の場合いつの間にかボクのところに回って来ていて、ボクもそれを、断れる立場には居なかった。
--強くなりたい。もっと強くなりたい。
あの子は事あるごとに、そんな台詞を繰り返した。
ボクの学年が上がっても。あの子自身が成熟期に進化できるようになっても。あの子の口癖は変わらなかった。
だからボクは、パートナーを強くするための方法を探した。
現状ではまともに戦えないと言うのなら、まともな戦いをこなせる進化ルートを開かなければならない。そう思って。
幸い勉強は苦では無い質だったから、大学以降は水棲デジモンを中心としたデジモンの進化の分野に専念して。
だけどボクは、あの子の期待を、希望を、裏切った。
そんなつもりは無かったのだけれど、結局のところボクも、そしてあの子自身も。スペックが足りていなかったのだ。
--これで、今度こそ強くなれるかな。
悲鳴の一つも発さなかったので、正真正銘。それがあの子の最期の言葉だった。
返した相槌が、あの子と交わしたやり取りの最後だった。
*
「……」
海辺の町だ。家の中にまで潮の匂いが入って来るらしい。
それでどうなるという訳ではないけれど、ボクはおまじないのように軽く鼻をつまんだ。
夢を見た。
普段よりいくらか、鮮明だった。
デジヴァイスを確認すると、時刻は午前6時前。
二度寝をするには少々微妙な時間帯だ。
……というか、もう一度眠る気分にはなれそうにないし。
「おーい、カジカP。起きてたりしない?」
「んん……うるへ……」
暇つぶしにと声をかけてみれば返事こそあったものの、どう考えても覚醒している人間の声音では無かった。実際彼は瞼を開いてもいない。
そういや昨日の夜も「修学旅行生ごっこでもしない?」と誘って多島柳花の現状を聞き出そうとしたのだけれど、ボクの思惑に気付くなりオタマモンに眠らされてしまったんだっけか。どうにも彼とはお喋り出来ないと見た。
タジマ リューカのフィールドワーク先には、当然、ボクも興味があるのだけれど。
『暗黒の海』。負のデータが蓄積した、闇でさえ無い深淵の領域。
あらゆるマイナスの感情データが流れ着くと言うのならば。
かの『進化出来ずに滅んで行ったデジモン達の怨念』、その残滓までもが漂っていたというのなら。
ひょっとして、ひょっとすると。
何一つ望みの叶わなかった、あの子だって。
「まあタジマさん良い子そうだし、直接聞けば詳しいお話もしてくれるかも!」
「ひゃめろー……」
「……」
「すう、すう……」
「カジカP、キミほんとは起きてない?」
寝息しか返って来なかった。
ま、少なくとも人より耳は良いだろうし。夢の中でもそこは変わらないんだろう。
……才能、か。
「しゃーない。おーきよ、っと」
今更浮かべたってどうしようもない雑念を軽い口調で振り払って立ち上がり、貸し出されている布団をなるべく音を立てずに畳む。
カンザキさんは愛車の中。オタマモンと水のスピリットはカジカPの、フローラモンさんはボクのデジヴァイスの中で就寝中だ。カジカPが起きないなら、起こす心配は要らないだろう。
心配なのは、家主であるササハラについてなのだけれど――
「……あれれ?」
その点についてもどうやら杞憂らしいと判ったのは、部屋を出てすぐ。
家の案内中、書斎だと紹介された部屋に明かりが灯っている事にボクは気付いた。
机と向き合いながら寝落ち、だなんて、ボク的にもそう珍しい事では無かったけれど、よくよく見てみれば人が動く気配もある。となればササハラ以外にいる筈も無いし、ササハラ以外だと、その、大問題だ。
そもそも他人の家でうろちょろしない方がいい、という常識ぐらいはボクにもある。
早朝の風にでも当たろうかと考えてはいたけれど、まあ、潮の香りから少しでも遠いところに居られるなら、その方がいい。
どうせ、後で嫌でも嫌になるくらい嗅ぐことになるんだから。
扉をノックしてから数秒。
控えめな足音を挟んでから、ゆっくりとササハラが書斎から顔をのぞかせた。
「あっ……おはようございます。もしかして私、何か物音……」
「いやいやいやいや。ボクが勝手に起きちゃっただけだよ。お互い起きてるなら仮宿の主人にご挨拶するのが筋かなと思っただけだから気にしないで。むしろ作業の邪魔したならゴメンね!」
「いえ、私もそろそろ休憩した方がいいとは思っていたんです。……思っていたのに、こんな時間になっちゃって……」
ははは、と力無くササハラが笑う。
眼鏡の下の目元にはうっすらと隈が浮かんでいて、この雰囲気だと多分、徹夜だろう。
……そういやそもそもデジモン学者にとって、今、忙しい時期なんだった。
「コーヒーを淹れるので、マカドさんも、良かったらどうぞ」
「じゃ、遠慮なく」
ササハラの後に続いて、昨日も食卓を囲った居間の方へと足を踏み入れる。
隅に寄せてあった座布団を適当に拝借して腰を下ろすと、昨日よりも部屋が広く感じられた。
……そういや、複数人での食事っていうのも、随分久しぶりだったな。
「お待たせしました」
しばらくして台所から戻って来たササハラが、ボクの前にコーヒーカップを置く。ソーサーにはご丁寧に砂糖とミルクが添えられていた。
「いいねえいいねえ! 至れり尽くせりだ」
「そ、そうですか?」
「そうだよそうだよ。家じゃボクがカンザキさんの分まで入れなきゃなんてのもしばしばだもの」
そもそもフローラモンさんがコーヒーの匂いを嫌がる、というのまでは、なんとなく、言わなかった。
ボクの口にだって、申し訳程度には噤む機能は付いている。
砂糖にもミルクにも手は付けず、ブラックのまま一口、コーヒーを啜る。
ウンノ博士の想い人だった栗原千吉氏の淹れたコーヒーは、地獄を煮詰めたようなゲロ不味さ。……という噂を聞いた事があるが、ササハラのそれはその類では無いらしい。
それだけでも御の字、って感じの味だ。
うーん、それこそ口に出したりはしないけれど、ボクってもしかしてコーヒー淹れるのまあまあ上手いな?
……なんて、遠征初日にして自家の味が恋しくなり始めた不躾なボクの意識は、ふと、こちらに向けられたササハラの視線に気が付いた。
まさか、口には出してなくても顔には出ていたか。そうじゃなくてもコーヒーにだって感想の1つや2つ言った方がいいのかと思案しかけるボクなのだったが――彼女の眼鏡の奥が捉えているのは、顔じゃなくて腕の方だと気付いて、ボクはカップから唇を離した。
「もしかして目立ってる?」
「え? ……あっ、いや、ごめんなさい。そんなまじまじと見るつもり、無かったんですけど……」
慌ててばつが悪そうに視線を逸らし、自分の分のコーヒーを啜り始めるササハラ。
気にしなくていいよとボクは笑った。
実際、気にするようなモノでもない。気にはなるだろうけれども。
「そういえば昼間は長袖だったからね。でもどう? マンガみたいでイカしてるでしょ?」
「へ? えっと……」
「あははは、冗談! でも興味はあるんじゃない? コレ、ボクが氷の闘士をやってた名残みたいなヤツだからさ!」
ササハラが見ていたのは、ボクの腕にあるそこそこ大きな傷跡だ。
キョウヤマ先生は人間の傷に対してかなり無頓着で、元・光と闇の闘士の『あの子』程じゃないにせよ、あの研究所で闘士の器やってた人間には大なり小なり、施術の痕が残されていて。
案の定、それこそ口には出さなかったけれど、ササハラの眼鏡がキラリと光ったような気さえした。
まあ、そうだろう。彼女はデジモン学者だ。
「今更現役の本職であるキミに講釈を垂れるまでもないんだけどさ。成虫原基って知ってるでしょ?」
成虫原基。
ざっくりと言うと、蛹を経て成虫になる虫の幼体が持つ、後に足や触覚、翅に変化する器官だ。
デジモンはこの成虫原基に近い器官--というかデータを、世代が低い程多く内包しており、そもそもの属性や育った環境、戦績に最も相応しい姿への進化をスムーズにしているとされている。
本当はもう少しややこしいのだけれど、ボクもササハラも多分耳にタコが出来る程聞いている話なので、割愛。
「で、キミも知ってる通り、デジモン版成虫原基はいわゆる後付けが可能だ」
いや、昆虫の方も出来るんだけど。と付け加えていると、僅かにササハラの口元が動いた気がした。
まあ、女性が好んでみたい絵面かと聞かれれば、流石のボクでも、ね?
「一番顕著で有名なのはガブモンだよね。彼らは爬虫類型のデジモンであるにも関わらず、原初の個体がガルルモンの毛皮を纏う事によってガルルモンへの、どころか獣型デジモンへの進化ルートを多く発現させているじゃないか。お蔭で『最初にガルルモンへと至った成長期デジモンは何モンだったのか』は未だに学会でも論争の的でしょ? 近年じゃ古代光の闘士・エンシェントガルルモンの情報が詳らかになった事で、進化元としてガルルモンが先に出現したのか、エンシェントガルルモンがガルルモンという種の礎となったのか論争まで勃発し――っと、ゴメンゴメン、すっかり脱線するところだった!」
コーヒーを啜り直して取り繕うように笑ってから、ボクは話のレールを戻す。
「ようは、人間にもその、昆虫で言うところの成虫原基を移植するっていうのがボクらに施された改造! ガブモンの被った毛皮みたいに、進化先の要素をあらかじめある程度付与されているのさ、キョウヤマ先生のところに居た十闘士の器達はね」
ま、その時ついでみたいに「キョウヤマ先生の任意のタイミングで無理やり《ツララララ~》を使わされるギミック」的なのまで仕込まれていたとは夢にも思わなかったけれど、それはさておき。
「あの」
「うん?」
「それって」
「……いっひっひ、そうだね」
ササハラの言わんとせんことを察して、思わず意地の悪い笑みがこぼれる。
なんて言ったって、キョウヤマ先生がよりにもよってボクをピックアップした最大の理由が、犯罪者である以前に、コレなんだもの。
「そう! 他ならぬボクがパートナーに施したのと、ほぼほぼ同じ施術だよ!!」
仮に、あの子が順当に進化できていたとしても。
それまでに確認されている進化先では、どうあがいても水棲型で--それは、あの子の望むところでは無かった。
水中戦特化というピーキーな性能では無く、陸地で通常の同世代デジモンと真っ当な勝負の出来る姿。それが、あの子の望みだった。
だから、その条件に合致する完全体デジモンのデータをあの子に何度も移植したのだけれど。
キョウヤマ先生曰く、「手段としてはオーソドックスだがチョイスと回数が完全にアウト」だったらしい。
お茶の間の皆さまも、御存知の通りの結果となった。
「ま、その辺キョウヤマ先生は流石だったよね。ボクだとデジコアも残せないような大手術を、しかも人間相手にあっさりキメちゃうんだもん! もちろん人間側とスピリットのそもそもの相性があってこそだけど、相性だけでどうにかなるなら、ユミル進化も今頃通常進化の分類に割り振られていただろうしね」
スピリットを使って人間をデジモンに進化させ。
太古の絶滅した究極体の要素を人間に取り付けて再現し。
世界の位相を狂わせて、人間をデジモンに、デジモンには寿命を与える。
それだけの段階を踏んでようやく目前にまで辿り着いたキョウヤマ先生の真の目論見は、しかしそこにタジマ リューカとヴァンデモンの『最後の進化』を差し込まれたことによって完全に破綻した。
そのくらい、『新しい進化』ってヤツは繊細なのだ。
繊細なのに――わかっていたのに。
ボクは
「じゃあ、もしスピリットさえあれば、今でもマカドさんはその……氷の闘士に進化できるんですか?」
「できるよ。それは確実」
ササハラの言葉に意識を引き戻されたボクは、若干喰い気味に彼女の問いかけを肯定する。
ちょっと驚いた風な顔をされてしまったけれど、はたしてそれは、ボクの返答の様子にか、それともスピリットエヴォリューションに対するものなのか。
後者という事にしておくか。
「ボクは光と闇の器のあの子みたいにデジモンの要素を取り除かれたワケじゃ無いし、炎の闘士の彼みたいに炎に対するスタンスが――ようは精神性が変化したワケでも無い」
いうてホヅミさんの件は風の噂に過ぎないのだけれど。
《暗黒のガイアフォース》の前に屈した彼は、根っこの部分であれだけ大好きだった炎を恐れるようになったとかで、もう炎のスピリットに触れもしないんだとか、なんだとか。
「んん? となるととなるとひょっとして、モリツさんあたりはまだ土のスピリット、使えたりするのかな?」
「え? さ、さあ……?」
「ああいやゴメンゴメン、独り言だから気にしないで! 兎にも角にも、重要なのは肉体と精神の相性。その両方が揃って初めて、スピリットエヴォリューション・ユミルは成立するってワケ!」
パートナーを殺しておいて、反省の色のひとつも見せない、胸糞悪いマッドサイエンティスト。
幼稚な好奇心を、冷静に、冷徹に、冷淡に満たそうとする研究者。
だけどその反面、固化による膨張が入れ物を歪めてしまうように、自分の身の程も知らない、愚か者。
「氷の心の持ち主」だと、最初に会った時点で、ピノッキモンさんにも言われたんだっけか。
「ま、残念だけど実際に見せてあげたりはできないけどね。ソコはキミも知っての通り、スピリットの内8つは国の管理下に置かれているから。どーしても、って言うなら申請だけでもしてみれば? ボクはいつでも、見せてあげるよ。スピリットエヴォリューション・ユミル」
と、冗談半分に問いかければ――ササハラは眼鏡のブリッジを持ち上げていて、ボクはその時の彼女の眼差しを、正確に観測する事が出来なかった。
「とても、興味深いお話ですね」
「でしょ?」
「でも――きっと。それはもう、私には必要の無いデータですから」
ササハラが微笑む。
だけどその眼差しはボクじゃなくて、ボクの向こう--海がある方角だ――に向けられていて。
「……」
それは、彼女のパートナーが
「ねえ、ササハラさんのパートナーって」
「ああもう、ここに居たのか!」
ボクの問いかけは、部屋の戸を勢いよく開ける音と、聞き慣れた怒鳴り声に遮られた。
振り返ればフローラモンさんが、赤い花のメットの下にある青い目でこちらを睨みつけている。
「ボクの許可なく勝手に出歩くなって言ってるだろ!? お前、いっつもロクなことしないんだから」
「ええー? ひっどいなぁ! ボクはただササハラさんと有意義なデジモントークを繰り広げてただけなのに!」
「フン、どうだか。仮にそうだとしても、知らない場所でデジヴァイスを置いて行くなんて不用心だぞ」
「それは正論。でもフローラモンさん、起こしたら怒るでしょ?」
「当たり前だろ? 今日だってもう少し寝ようと思ってたのに、お前と来たらぼくにナイショでほっつきあるいて……」
説教の言葉尻に滲み出るピノッキモンさんの面影に、思わず頬が緩んだらしい。「なに笑ってるんだ」と、フローラモンさんは更に目を吊り上げた。
と、
「もう成長期デジモンが起き始めるような時間でしたか。じゃあそろそろ、朝ごはんの準備、始めちゃいますね」
マカドさん、ありがとうございました。と、会釈しながら空のマグカップ2つを手に取って。
そのまま彼女はすたすたと、台所の方へと歩いていった。
んー。できればカンザキさんやカジカPが来る前に聞いておきたい事があったのだけれど。
「まあいっか」
機会そのものは、またあるだろうし。
「……何が「まあいっか」だ?」
仕方が無いので、それからしばらくは。
具体的に言うと朝食が出来上がるまでの間、ボクの自由時間はフローラモンさんからのお説教タイムに費やされてしまうのであった。
*
「普段は観光地、っていうのがよくないのかもしれないゲコね……」
件の海水浴場。
触腕と下半身の巨大なイカが這った線をビーチに引きながら、カルマーラモン--カジカPのオタマモンが、水のビーストスピリットで進化した姿だ――が海中から砂浜へと引き上げてきた。
この様子だと、調査の結果はあまり芳しくは無いのだろう。
「って言うと?」
とはいえ聞かない事には何も始まらないと、まず真っ先に、パートナーであるカジカPが、彼女の元へと駆け寄っていく。
カルマーラモンは、女性の姿をした上半身の肩を軽く竦めた。
「色んなデジモンの痕跡が残ってて、上手い具合に判別できないのゲコ。新種のデジモンなら、それでもすぐに判ると思ったのゲコけど……」
「ここは確か、申請無しでも成熟期以下のデジモンなら遊泳可だったか」
ふむ、と、カンザキさんも顎に手を添える。
比較的沖まで行っても大人なら水面から顔を出した状態で足が着く遠浅の海水浴場は、当然、大抵の場合それよりも大きな成熟期クラスのデジモンの姿もばっちり視認する事が出来る。
そういったデジモン達を監視するのは地元の有志やボランティアの大学生の仕事で、例の『新種デジモン』が現れた時にその役割を担っていたのがササハラであり、彼女のパートナーであった。
「確かにイッカクモンっぽい痕跡も、シードラモンっぽい痕跡もあるにはあったのゲコ。だけど近縁の新種デジモンゲコとは断言できないのゲコくて……」
ササハラ曰く。
彼女のパートナーを殺したという『新種デジモン』は、イッカクモンのような白い体毛と、シードラモンにも似た流線形のシルエットを持っていたのだそうで。
如何せん、戦闘そのものが発生したのは進入禁止を示す赤い浮きの更に向こう側かつ海の中だ。
突然の避難指示に半ばパニックになっている海水浴場の中で未確認デジモンの詳細を把握するなど、熟練の研究者でもそう出来る事ではあるまい。
「案外水中戦特化の進化を果たしたモジャモンの近縁種だったりしてね!」
「そんな馬鹿な」
あからさまに呆れ顔になったカジカPとは正反対の表情を浮かべて、ボクは軽く指を振る。
「モジャモンはジャングルに生息する茶色の個体が発見されていたりと、種として環境に適応する能力は結構高いんだよ? あれでいて縄張り意識はかなり強いから、何らかの事情でこっちにリアライズした野生の個体がこの辺一帯を「そういうモノ」だと定めているとしたら、かつての彼らのように「与太話のデジモン」だと断定するには早計だと思うんだけど?」
「ぐっ、割と正論で返してきやがった……!」
「んー、まあ今回ばかりはマカドの言い分も一理あるかもしれへん。モジャモンがベースやとしたら、それは獣の系譜--『光』や『氷』の領分や。いや、ひょっとするとアレ、確か珍獣型やし、『闇』の系譜かもしれへんな。珍獣も幻獣も似たようなもんやろ」
「違うんじゃないかなぁ」
「そうも言い切れないよ。モジャモンは最新の研究で、暗黒の領域にも一種の耐性がある事が」
「ええい!」
ぱこん、と、また花の腕で、フローラモンさんに殴られた。
「お前が絡むと話がどんどん脱線するんだ、ちょっと黙ってろ!」
「ええー? 今回は真面目な話してるのに」
「おい、『水』の」
目線でとにかく静かにしろと釘を刺しながら、フローラモンさんはカジカPのデジヴァイス--その中にいる水のヒューマンスピリットへと向き直る。
「そうは言っても、水辺はお前の領域だろう。純粋な眷属じゃないって言うなら、むしろ異物として探知できないのか」
「探知は出来るわな。でも、詳細の特定となるとやなぁ……。何せ海水浴場や。水棲型以外もぎょーさん遊びに来とるさかい、「異物が混ざり過ぎとる」。せやな? オタマモン」
「ゲコ。もちろん沖の方、となると痕跡は純粋な水棲型に限られてくるゲコけど、全く無いわけじゃ無かったのゲコ」
「あ、じゃあやっぱりボクが今から氷のスピリット借りてきて、それでサーチやればよくない!? 哺乳類型ならエンシェントメガテリウモンの系譜でしょ!?」
「馬鹿! あの姿で海の中のサーチなんかできるか馬鹿!!」
ホントに黙ってろ、と、フローラモンさんは連続で脛に蹴りを入れて来た。
痛い。腕と違って足は結構しっかりしているので、地味に痛い。
と、
「ゲコ。……でも、言われてみれば」
カルマーラモンが人差し指を顎に当てて、首を傾げる。カジカPが小さく「何気ないしぐさがマジェスティック」と呟いたところ、彼は軽くイカの触腕ではたかれるなどしていた。
「遊泳禁止エリアにしては、デジモンの痕跡が多かったかもしれないゲコね」
「んー?」
それは、少し奇妙な話だ。
何らかの要因で大型のデジタルゲートが開き、群れが丸ごとリアライズ……なんてことは、まずないだろう。その場合同種で固まっているパターンがほとんどだろうし。
そもそも水棲デジモンは一部を除いて基本的に縄張り意識が強い。ひと所にいくつかの種がまとまって行動している例なんて――
「『海の王』の前例なら、ありますよね。あの個体クラスのデジモンが群れを率いて――っていうのは、どうなんでしょう?」
沖の方を眺めながら、ササハラがぽつり、と呟いた。
『海の王』……1999年の選ばれし子供達が魔の山・スパイラルマウンテン、その海の領域で『ディープセイバーズ』を統治していた究極体デジモン――メタルシードラモンの事だ。
高石先生の『デジモンアドベンチャー』にも、アノマロカリモンやハンギョモンといった、種族の違う水棲デジモンを支配下に置いていた記述が残されている。
だからまあ、相当に強力な個体であれば、不可能では無いのだ。文字通りの「海の荒くれ者」達を、力によって支配する事は。
とはいえ
「流石にそこまで強いデジモンがいたら、水のスピリットが真っ先に探知してくれるゲコ」
カルマーラモンの言う通りだろう。
というか、もしもそんな強大な個体が現れたとしたら、むしろカジカPとオタマモンに声がかかる事は無かった筈だ。既存の探知システムで、十分にデジモンの特定・発見が可能だったに違いない。
それが出来ない、なおかつどうにも情報の無い新種のデジモンらしかったからこそ、ボクらはここにやって来たのだ。
「ですよね」と慌てて取り繕うように、ササハラが力無く笑う。
「では、完全体以上の痕跡はどうでしたか?」
「ゲコッ」
と、不意にカルマーラモンの言葉が詰まる。
「えっと」と視線を泳がせながら、あからさまに答えに困っている風だ。
……うーむ。
「あ、そういえば聞いてよササハラさん! 『海の王』で思い出したんだけど、あの個体のベースを作り上げたハッカーは『ゼペット』さんの同期らしいよ!」
「へっ? え……そ、そうなんですか?」
「うん、どころかダークマスターズの残り2個体についても当時のハッカーが」
「おい、マカ――」
また与太話を始めるボクを咎めようとしたフローラモンさんを、こっそりカジカPが引き留める。
そのまま耳打ちされた内容に、フローラモンさんは眉間にしわを寄せて、複雑そうな眼差しをボクに向けた。
この様子だと、カンザキさんも察したのだろう。……なら、ササハラも真っ先に気付いていそうなものだけれど、まあ、お互いのためにもいい感じにはぐらかしておくに越した事は無い。
ボクとしては、腫物みたいな扱いは、そう気分の良いものでは無いと思うのだけれど。
だからと言って、腫物を触れなきゃいけない側にわざわざ作法を強要するのも、それはそれで酷い話になる訳で。
ササハラが根っこの部分で何を考えているのかなんて、ボクにはわかりっこないのだけれど。
沖に完全体の痕跡は、ハンギョモンのものしか、見当たらなかったのだろう。
そしてそれは、ササハラのパートナーだったデジモンだ。
*
「……少々弱ったな」
最寄り(とはいっても車で30分は走ったと思う)のスーパーへと向かう車内で、カンザキさんがふう、と息を吐く。
買い出しメンバーは、ボクとカンザキさんの2人だけだ。
「んん? それってそれって、完全体以上の反応がハンギョモンのモノしか見つからなかった件?」
カンザキさんは頷いた。
「水の闘士の力を以ってしてもそれしか見つからねえって言うなら、本当にそれしか無いんだろう」
「ま、でしょうね」
ハンギョモンは水棲デジモンの中では、比較的群れでも行動をするタイプのデジモンだ。
『デジモンアドベンチャー』の影響から陰険な想像をしてしまいがちだが、基本的に性格は陽気。比較的浅い海で、相手を翻弄するスピードを武器に立ち回るデジモンとして知られている。
「とりあえず、専門家の意見を聞こうか」
「おっ? そこでボクの事頼ってもらえちゃう!? さっすがカンザキさん、お目が高い!」
「消去法だ。水の闘士のパートナーとはいえ音楽以外はてんで素人のソーヤと、専門家とはいえ傷心の女性となら、お前の方がまだ話になる」
と言いつつ、ボクのスキルそのものは評価されているのだと思うと、その点についてはまあ、そう気分は悪くない。
ははん、カンザキさん。フローラモンさん自身がまだ海を見ていたそうだってのもあるけれど、横槍が入らないように彼の事、置いて来たな?
「まず、ビーチでも言ったけど、本来は水棲デジモンでは無い種が突然変異的な形で海に適応した進化を遂げた個体――っていうのは、妥当な線だと思ってますよ。モジャモンの変異種っていうのも、あり得ない話じゃない。海には怪異がつきものだからね! こっちで言うところのUMAの特性を持っている以上、海の「そういうもの」に近しい姿になったとしてもそう不思議じゃあないもの」
ネッシー的な! と付け加えると、ネッシーは湖だろうとすかさずツッコまれた。
「まあ、その辺はそこまで重要でも無いんだよね。……問題なのは、件の新種デジモンが「ハンギョモンを捉えられるデジモンである事」って部分」
先にも挙げた通り、ハンギョモンは素早さに特化したデジモンだ。
水棲デジモン最速とされるメタルシードラモンならいざ知らず、並のデジモンが捕捉できる相手では無い。
選ばれし子供達がハンギョモンと対峙した時も、深海にまで潜水が可能なホエーモンの協力が無ければ彼らを撒けなかったかもしれない、という記述が残っている。
「水の闘士でも見つけられないとなると、よほどスニーキングに優れた種族……って可能性も考えたけれど、「海水浴場に突然現れた」って事は、姿を見せた上で、真正面から対峙したハンギョモンを倒してるって事でしょ? なら、待ち伏せ型の狩りをするタイプだとは思えない。少なくとも、ササハラさんの報告を聞く限りはね」
そして、そうなると。
もう一つ、ちょっとした疑問点が発生してしまう。
「カンザキさんも、こっちに来てから何回か聞いてると思うけど」
「?」
「水棲デジモンは、基本的に縄張り意識が強いんだよね。……どうして、海中でしばらくの間周辺のサーチをしていたカルマーラモンは、襲われなかったんだろうね」
「……」
思案顔で、カンザキさんがじっと前方を見つめる。
少し向こうで、信号が黄色に移り変わっていた。
スーパーはもう目と鼻の先だが、交通ルールに従って、カンザキさんは愛車を止める。
その間に、彼はポケットからスマホを取り出して画面へと視線を落とした。
「ソーラーモン」
ソーラーモン--カンザキさんの、パートナーだ。
マシーン型である彼は、ボクとは違った意味で潮風を苦手としていて、そしてボクのパートナーだったあの子とはまた違った理由で、人間と同じような日常生活を送る事が困難なデジモンでもある。
「ん~。どーかした? エーイチ」
「お前はどう思う?」
「え~? 海のデジモンのコトなんか聞かれたって、おれっちにはわかんないよう」
……なんて、そんな事情が感じられない程度には、ソーラーモンの声はのんびりとしていて、同時に種族らしい明るさを何と無しに感じさせたりするのだが。
「なんでもいい。お前の考えを聞かせてくれ」
「なんでもいいの? うーん、じゃあ……寝てたんじゃなーい? おなかがいっぱいになったとかでさ~」
「……そんなお前みたいなのんきな理由かはわからんが、そうだな。食事の痕跡を探す、なんてのは、ひとつ手かもしれないな」
「きっとそのデジモン、シーフード食べたい放題だよ。うらやましいなー」
「……」
ふう、とカンザキさんが息を吐く。
のんびりやのパートナーに呆れているようにも見えるが、カンザキさんがパートナーと会話をする時は、大抵が自分の思考を整理している時だ。一種の深呼吸と見た方がいいのかもしれない。
実際、ソーラーモンの意見はそこまで的外れ、ってワケでも無いし。
「比較的最近発見された水棲デジモンにグソクモンっていうのがいて、名前でお察しの通り、グソクムシみたいな特徴のデジモンなんですよね」
「燃費がいいんだったか」
「そ! 件のデジモンは、まあグソクモンじゃないとは思うけれど、でも普段はじっとしていて、狩りの時だけ素早く動くデジモンっていう線はあるかも。ってコト! もしくはヴァンデモンのコウモリ型ウイルスみたいに、使い魔を召喚するみたいな必殺技の持ち主だとしたら、本人の痕跡は極力残さずに獲物を襲う――なんてこともできちゃうかなって」「なるほどな」
車が動いた。信号が変わったのだ。
「つまり」
「うん、現状だとなーんにもわかんないんですよね! 推理に推理を重ねるのが精いっぱい!!」
再び、カンザキさんが息を吐く。
今度は正真正銘の溜め息だ。
「まあいくつかの可能性を視野に入れておけば、捜索しやすいのは確かだろうしな。そのためにお前を連れてきたわけだし」
「えへへ、もし当たってたら、おれっちもお手柄だね~」
「はいはい、そうだな」
適当にではあるがきっちりパートナーに返事しつつ、とりあえず次の捜査はその想定で行こうと方針を固めるカンザキさん。
やはりソーラーモンが会話に入っていると、思考を纏めやすいらしい。
あの子がずうっと隣に居たら、ボクも、ひょっとして、ひょっとすると、もうちょっと優秀な研究者になっていたのかな。なんて、駐車場に車を止めるカンザキさんを尻目に、ぼんやり。そんな事を考えたりはしたけれど。
ただまあ--そもそもボクが優秀じゃ無かったから、あの子は溶けちゃったワケなんだよなぁ。
「ままならないなぁ」
「まったく、さっさと片付いてほしいもんだ」
実際は噛み合っていないやり取りを挟んで、車から降りたボク達はスーパーへと足を向ける。
観光客向けでは無い商業施設にまで影響は及んでいるのか、それとも平日の昼間だからか。店内はひどく空いていた。
そんな中で、しばらくは二手に分かれて必要な物を買い物かごに入れていたのだが――
「おい、マカド」
菓子類を見ている最中に聞こえた険しい声に振り返ると、眉間にしわを寄せたカンザキさんが、デジヴァイスを持っていない方の手で軽く額を抑えていた。
「戻るぞ。……フローラモンのやつがやらかしちまったらしい」