◇
今にして思えば、何かしらの予感があったのだと思う。
『……アンタは』
9月のことである。
母校である青葉中学の裏山で、快斗は久しい男と再会を果たしていた。
鬱蒼と茂る木々が少しだけ開けた広場。そこの大岩に腰掛けていたのは、他でもなく月影銀河であった。
『前田君じゃないか。久し振りだね』
昔と変わらない顔で微笑む男は、その実もう死に体であった。
まるで全身が灰化するかのように朧気で、その実体が全く感じ取れない。今にも溶けてしまいそうな蜃気楼のよう。だがそんな消えかけた体で敢えてこの場所に現れたということには、むしろ確固たる意志を感じさせないでもなかった。
『アンタもあのジジイの実験に……』
『話が早くて助かるよ』
説明の手間が省けた。そう言いたげに銀河の顔から笑みが失せる。
彼の手に握られた加速神器が輝くと共にユラリと背後の空間が歪み、そこに現れたのはサーベルレオモン。始まりの日に快斗達の目の前に現れた因縁の獅子だった。
『……何しに来た』
足元で身構えるポンデを制してそう問う。
『懺悔だよ』
『あん?』
『きっと最後の懺悔の言葉を、僕は誰かに聞いて欲しかったんだ』
イラッと来る。この男もだ。この男も自分に何かを託そうとしてくる。
もううんざりだった。九条兵衛とダークドラモンもそうだった。大した人間ではない前田快斗に、何故誰も彼も重い物を託そうとしてくるのか。自分はただ気楽に適当に能天気に生きていたいだけ、ただ楽しいことだけを選んで過ごしたいだけなのに。
『……それに、きっとこれは君を後押しする力になるはずだ』
それなのに見透かしてくる。この中学時代の恩師は、全てお見通しと言いたげな顔で言うのだ。
目の前の男が不意に投げて寄越し、自分の手に収まったそれと同じものを、快斗は既に持っている。懐から取り出した加速神器・暗黒はもしかしたら義父になり得たかもしれない男から一年半ばかりの猶予と共に託された形見だった。
『……頼むぞ』
そう言い残した男の背中が今も目に焼き付いて忘れることができない。どうして出会ったばかりの自分に託したのか、どうして実の娘に最後の言葉をかけてやらなかったのか。その二つの疑問の答えを見つけられないからこそ、前田快斗は託されたものの重さに耐えられない。そしてだからと言って、全てを投げ出して逃げ出すほど無責任にもなれない。
当事者だという自覚がある。そして自分が逃げても彼女は一人でも挑むだろうという確信もある。
『僕はね、逃げ出したんだよ』
だから懺悔の言葉など聞きたくない。
『友人も恋人も全て、自分が死ぬとわかった時点でその命に価値を見出せなくなった』
だって自分は軽薄で不真面目な前田快斗なのだ。そんな沢山の人間の思いを背負えるほど強くない。
『それでも彼らの計画を邪魔しようと立ち回った。そうだね……潰そうとしたわけじゃない、飽く迄も邪魔をしようとしただけだ。僕の命はいずれ尽きることはわかっていたから、せめて自分達の命を弄んだ彼らに一矢報いようと……なんてのは違う。ただの言い訳だ。結局のところ僕は、それすらもどうでもよかったんだ。利用されたなら復讐するのが当然、そんな理屈の上でしか動けなかった』
誠に身勝手でこちらからすれば興味もないことを喋る恩師は、どこか普段より幼く見えた。
彼の輪郭がポウと煌いてその全身が粒子状に蕩けていく。まるでアニメで見たデジタルモンスターみたいだと思った。
『だから殺した、殺せたんだ……時雨を、愛していたはずの女性(ひと)を』
それはまるで、自分か彼女が辿る結末のようで。
『別にアンタは、誰も思っていなかったわけじゃない』
故に自分の言葉もまた思いやりなどではない。
それを理解しながらも言わずにはいられなかった。それはきっと、自分達の末路が彼とは違うものであって欲しいという身勝手な願いによるものでしかない。結局のところ、あらゆることにおいて自分と彼女達の為にしか前田快斗は動けないし思えない。
『……アンタはただ、怒ってただけだ』
月影銀河が目を丸くした。既に彼の手足は散華している。
『自分が、友達が、彼女サンが、その全てが利用されたと知って、アンタは怒ってただけだ。でも誰かの為に怒れるってことは誰かを思えてるってことだ。誰かのことを考えられてるってことだ。……別に恥じることじゃねーよ』
『君は……僕と同じだと思っていたけれど』
笑う。既に下半身も消え失せ、胸から上しか存在しない姿でただ笑う。
『大人だね、君は』
そう言った。ただ意思の力のみで今日まで存在を保ってきた月影銀河は、今ここに死んだ。
背後に立つサーベルレオモンの姿も消えている。加速神器を使用した者の死は数パターンあるらしいが、その中にあって人もデジモンも同時に消滅する彼らの死は初めてのケースであった。彼らは何かを為せたのだろうか。最後に言葉を交わす相手が自分で良かったのだろうか。
その答えは出ない。だからせめて、僅かばかりの尊敬の念を込めて呟いた。
『……俺達はまだまだ子供だよ』
またも託されてしまった。逃げるなと、最後まで立ち向かえと告げられたようだった。
ポンデと目が合う。この間ずっと口を噤んでいた彼だが、目が合うとしっかりと頷いた。思えば最初から答えは出ていたのだと思う。それに見て見ぬフリをし続けただけ。前田快斗が逃げたところで鮎川飛鳥が挑むことに変わりがないとすれば、それは九条兵衛が最後に遺した言葉を違えることになる。自分達は託された言葉と思いに報いる為にも、最後まで己自身を張り続けなければならない。
快斗は加速神器・正義と暗黒をグッと握り締めた。
加速神器・正義。
玉川白夜が最初に試作したデジヴァイスであり、とっくに肉体の限界を超えていた月影銀河がただ己の意思の力のみで生を保ち続けた正義の証。それが今、彼の育て上げたサーベルレオモンのデータと共に前田快斗の手の内にあり、ポンデを究極体の姿に進化させるまでの力を発揮した。
月影銀河は自分達は同じだと言っていた。
必ず役に立つと言って前田快斗とポンデに加速神器を託したのだ。
視界を怒りと憎しみで燃え上がらせた今、その言葉と行為の意味を改めて理解する。自分達が利用されていたと、命を贄にされたと気付いた時から月影銀河の生もまた、恐らくこんな憤怒の中にあったのだ。親友も恋人も奪われたはずの彼は、それでも内なる憎悪を表に出すことは無く、ただ己の憤怒で己を焼くことでしか正気を保てなかった。その憎悪と憤怒を吐き出せたらすぐ楽になれたろうに、半端に“大人”であった心がそれを許さなかったのだ。
なるほど、やはり自分は彼と一点だけ異なる。彼は大人だったが、自分は子供なのだ。
「殺す……か。大きく出たな、小僧……!」
その憎悪と憤怒をぶつけるべき男が不敵に笑う。彼はどこまでも自分が勝者だと疑わない。
タイラントカブテリモンが襲い来る。まるで竜のように長大な体を撓らせて迫った蟲王がその右拳を繰り出してくる。その動きがバンチョーレオモンと視界すら同期した快斗にはあまりにも遅く見え、僅かに体を流すと空を切った拳が大地に叩き付けられた。果たして今狙われたのが、そして今の回避行動を取ったのが自分なのかポンデなのか、それすら快斗には定かではない。
「貴様もやはり俗物だ、小僧。九条兵衛から聞かなかったか。極東の小さな島国でしかない我が国は明治以降急速な発展を遂げてきた。先の大戦で敗戦国となるも高度成長の時代を経て、世界有数の富を持つ国として繁栄を続けている。だがこの先はどうだ。国土という面では決して豊かとは言えない我が国にはいずれ限界が来る。他国を侵略することなど最早許されぬこの時代、なればこそ宇宙開発が未だ現実を帯びぬ中では異世界の開拓は必須事項と言えよう。偶然にもベルフェモンを捕らえたことで我が国は異世界開発の分野においてトップに躍り出ている。そこから得た技術で更にデジタルモンスターの力を自在に使役することができるようになれば──」
「うるせーよ」
「……何?」
次の瞬間、ズンと重い衝撃が来た。
「がっ……!?」
バンチョーレオモンの拳がタイラントカブテリモンの中心を捉えていた。
そこは蟲王の本物の顔が存在する箇所。擬態用のダミーの頭部と両腕で隠していたタイラントカブテリモンの唯一の急所。シャインオブビーを使用する時にのみ意思を発していたそこに、バンチョーレオモンのフラッシュバンチョーパンチが叩き込まれていた。
「き、貴……様ッ」
玉川白夜の顔面が醜く歪む。まるでタイラントカブテリモンのダメージと連動するかのように、その頬が抉れ捩じれていく。
有り得ない。如何に加速神器でDNAのパスが繋がっているとはいえ、デジタルモンスターの負った傷が人間にフィードバックすることなど今まで一度として確認されていない。そもそも白夜の加速神器・正義は他の七つと異なり、命を落とすことの無いようそうしたデジタルモンスター側からの干渉を防ぐ機能を乗せておいたはずなのに。
齢60の老人の体が無様に転がる。ただ一撃で人の身(テイマー)にすらここまでのダメージを逆流させるなど有り得ないのに。
「こ、こんなことが……あるはずが」
よろよろと上半身だけを起こす。口の中に血の味が充満している。
「今のは飛鳥を泣かせた分」
「待っ……」
二発目の拳が腹部に突き刺さり、タイラントカブテリモンはよろめき、白夜の体は腹からくの字に折れて吹き飛んだ。
「ぐぅっ……!」
「これは傷付けられた煌羅の分」
淡々と語りつつ、前田快斗は倒れ伏した白夜に一歩、また一歩と近付いていく。
「ま、待て……取引を」
折れた歯と喉から溢れそうな胃液とでくぐもった声になりつつも、白夜は何とかその言葉を口にする。
「私がいなければデジタルモンスターの研究はままならん! 私さえいればいずれ人間が奴らを完全に支配する時が来るのだ! お前達にもその恩恵は必ずある! だから──」
「悪いが俺はお義父様の崇高な理想にもアンタの大した天才ぶりにも興味はねー」
それを前田快斗は、バンチョーレオモンは一切の躊躇なく斬り捨てる。
「俺は俺の家族を傷付ける奴を許さねーと決めた」
たとえ己の命が燃え尽きようと彼らがここに来たのは。
「だからジジイ。俺はテメーを殺すんだ」
ただそれだけの簡単な理由だった。
『本日ハ晴天ナリ。』
―――――Final 「本日ハ晴天ナリ(後)」
「煌羅! 聞こえてるんでしょ、煌羅!」
思い切り叫ぶ。ちょうどエグザモンの首の下、殆ど視界を竜帝の体で埋め尽くされながら飛鳥は“娘”と相対した。
傷付いたイサハヤも隣にはおらず、ただ頼れるのは自分の体と心のみ。それでも一年半前のあの日、彼女を拒絶してしまった自分だからこそ二度と逃げないと決めていた。取り巻きのウイングドラモンやグラウンドラモンは快斗とポンデが訪れる際に倒したのか既に姿が見えなかったが、もし今ここに自分一人だろうと最初から煌羅と会って思いをぶつけると決めていた。
大きく息を吐いて頭上を見上げる。竜帝の下顎だけが見えた。
「……聞いて、煌羅」
きっと届くと信じている。人間だろうとデジモンだろうと関係ない、彼女が鮎川飛鳥と前田快斗の“娘”であるならば。
「私、多分お父様のことが嫌いだった」
誰にも言えなかった、快斗にも言ったことのない言葉。
小学生の頃、どうして自分の家には父親がいないのだろうと考えたことがあった。母も仕事で家を空けがちだったが、近い時期に桂木霧江と出会ったこともあり寂しさを感じたことはなかった。だから父親に関してもいないという事実そのものに疑問を感じただけであり、それ以上の感情が介在する余地はない。母も近所付き合いでは離婚で通しているらしく、飛鳥自身もその扱いで特に不便を感じたこともない。
それでも父と初めて対面した時、父が政治家と知った時の彼の背中だけは覚えている。どこまでも不器用な男の、どこまでも頼もしい生き様を語る背中だけは。
「立派なお父様に対して、私はどこまでも平凡だなって思わせられるから」
いつかその背中の向こうへ行けるだろうか。そう思って生きてきた。
けれど父は逝ってしまった。まるで少年のような夢想を叶える為に戦い、その果てに裏切られて失意の中で、それでも最後には己の命を懸けて自分達を守るべくその身を散らした。誰よりも生きてこの国の為に働き続けるべきだった男が、二人の高校生の為にその命を捨てたのだ。
その理由が何故なのか。この一年半、ずっと考えてきたが、言うまでもないことだった。
「でも……私はもう逃げない、平凡な私だけどやらなきゃいけないことが、きっとある」
理屈じゃない。そうしてしまうのだ。大事だから、大切だから。
そしてあの直前、煌羅も同じように自分達を庇うようにベルフェモンの前に出た。自分達より遥かに小さな背中なのにそこに気負いはなく、けれど自らの死すら厭わない覚悟と共に怠惰の魔王と対峙したのだ。
その事実がくすぐったく、同時に悔しくて堪らない。
「私や快斗を何度も守ってくれて、ありがとう」
自分が彼女に大切に思われているとわかるから。
「私の所為で何度も傷付けて、ごめんなさい」
彼女のことすら守れず守られている自分に気付くから。
「だから帰りましょ。もう一度、私達と一緒に──」
ドゴンと、そんな漫画めいた爆音が背後から響く。
ちょうど快斗とポンデが白夜のデジモンと戦っているはずの方向だった。先程の明らかに様子のおかしい快斗の姿を思い出す。剣幕に押されてしまったが、何か取り返しの付かないことになる予感があった。
「快斗の馬鹿……!」
それでも逡巡がある。最後まで煌羅と向き合わなくていいのか、ここで彼女に背を向けていいのか。
そんな迷いも数秒の後には振り切った。自分が優先すべきことは一つだけ。今この場にアイツが来てくれたことはとても嬉しい。アイツに助けられた、アイツが助けに来てくれた事実がみっともないぐらい鮎川飛鳥の心を昂らせている。実際、アイツに助けられなければ間違いなく自分は今頃死んでいたのだからそれは当然のことだ。
だとしても言える。アイツはきっと間違えている。
「煌羅」
反転した。佇むばかりの娘に背を向けて静かに言う。
「待ってて。……お父さんを、連れてくるから」
こんな時にも泣きそうになる弱い自分が、飛鳥はとても嫌だった。
「ハァ……ハァ」
仰向けに倒れたタイラントカブテリモンの、玉川白夜の胸倉を掴み上げる。
蟲王の両肩を粉砕して虫の息に追い込んで尚、ポンデと快斗の視界は憎悪のまま晴れない。最早敵の命は自らの手中にあるというのに、その燃えるような視界が澄み渡ることはない。今にも頭頂部から真っ二つに割れそうに痛む頭蓋と脳髄が殺せと告げてくるのを気力だけで抑え込んだ。
気付けば追い詰めているはずの自分達が、カタカタと上下の歯を鳴らしていた。
「ハ……ハハハ」
「何がおかしいんだ」
「結局は月影と同じだ。貴様もまた建前の正義感や義侠心に酔い、独善で立っているに過ぎない……」
血まみれの顔を醜悪に歪めて老人が嗤う。
この期に及んでまだそんなことを言う男の姿は滑稽だった。そんなことは初めからわかっている。言葉など全て飾りで今の前田快斗には最早この男を殺したい以外の感情がない。他のあらゆる感情は加速神器・正義を使用した際に全て塗り潰されて消えている。己の意思のみで存在し続けた月影銀河とサーベルレオモンとは違う。ただ完全なる復讐と殺意のみに満ちた自分達の命は、この男を倒したとてすぐに燃え尽きるだろう。
それでも、多分それでいいのだ。煌羅のことは、きっと彼女が救ってくれるはずだから。
「……それが遺言かよ、冴えない台詞だったな」
拳を握る。今まで誰にも喧嘩で勝ったことのなかった自分が、その拳で人の命を奪うという事実が何故かおかしかった。
一瞬だけ、背後で倒れているイサハヤを見た。異世界から来たポンデの親友である彼は、ここに来るまで随分と無理をしたらしくダメージは大きいようだが命に別状はないと思う。荒い呼吸を整えながらこちらに顔を向けている彼と目が合う。ハッと何かを悟ったような表情は、驚くほど一年半前の自分にそっくりで。
ああ、そうか。自分も九条兵衛と同じ、託す側になっていたのか。
「死ね……!」
ならば彼に飛鳥と煌羅を託し、自分はこの男を始末して果てるのみ。
「……快斗、やめて」
それなのに、現れた女がそれを許さない。
「……なんで戻ってきた」
顔を上げない。上げられない。彼女の姿を視界に収めることすらできない。
「アンタのことが心配だったから」
「そっか、嬉しいこと言ってくれんな」
おどけた台詞が空虚に響いた。女の方も鼻で笑うことはない。
僅かに眼球だけを動かして彼女の足のスニーカーだけを視界に入れた。鮎川飛鳥は快斗とポンデの間に立ち、どちらともに呼びかけるように言葉を紡いでいる。それはまるで、快斗とポンデが既に互いの存在を一つのものとしていることを理解しているかのように。
「アンタがこのジイさんを殺したところで煌羅は元に戻らない」
「詭弁だな。このジジイが生きている限り、たとえ今日助けられてもまた煌羅を狙うだろうぜ」
「その時は私とイサハヤが……何度だって助けるわ」
虚勢である。震えた飛鳥の声がそれを滑稽なぐらい如実に示していた。
「お前には無理だ」
「は? お前?」
声音が変わる。
胸倉を掴まれた。それが快斗(じぶん)の胸倉なのかポンデなのかすらわからない。
「アンタ、鏡で自分の顔でも見たら……!?」
視界が上がり強引に彼女と目が合う。
泣き腫らした瞳がある。
自分が泣かせた。
泣かせたくないからここに来たはずなのに。
自分が、泣かせた。
「そんな顔であの子に『お帰り』って言えるわけ……?」
慟哭。口の端を震わせた女の声が、男の心をただ抉る。
「そんな血まみれの手であの子を、煌羅を抱き締められるの……ッ!?」
振り上げた手が、ただ命を奪う為に振るった拳が、血まみれの獅子のそれと重なる。幾度となくタイラントカブテリモンに打ち付けた拳が、血で濡れているのは当然だろう。それでも彼女の言葉を受けた今、その光景がどこか邪悪なものに見えていて。
今ここで尽き果てて当然の命だと思っていた。飛鳥と煌羅を守れるならそれも本望だと思っていた。そして加速神器の力でポンデの心を消し飛ばした自分には当然の罰だと思っていた。誰もが無事に戦いを終えなければ嫌だという最初の思いを、気付けば子供染みた夢想として斬り捨てていた。そして誰かが犠牲にならなければいけないのなら、誰かが手を汚さなければならないとしたら、それは当然前田快斗の役目だったはずだ。
それなのに、だというのに。
「アンタと私と煌羅で、一緒に帰れなきゃ、私はやだ……!!」
どこまでも弱くて泣き虫な彼女は、その夢想をどこまでも持ち続けていた。
月影銀河とは違う子供だと自称しながら、どこかで万事を上手く行かせるなんてことは無理だと諦めていた。どこかで折り合いを付けて切り捨てなければならないこともあると諦観してきた。だからせめてその世の理の贄が必要だとしたら、それには迷わず自分を差し出そうとしてきた。そんな自分の視界が晴れる。惚れた女の言葉一つで、殺意と憤怒に満ちた心がこんなにもクリアになる。
果たして霧の向こうすら見渡せる。ああ本日ハ晴天ナリ、20世紀最後の日は澄み渡るような青空だった。
「茶番はうんざりだ」
横から聞こえてきた声。同時に快斗と飛鳥を突き飛ばし、玉川白夜がよろよろと体を転がした。
「アンタ……」
「青臭い家族ごっこなど見るに堪えん。そして小娘、お前はどこまでも愚かだったな」
荒れたままの呼吸で懐から四つの加速神器を取り出す。
「元よりお前達の前で再起動させるはずだった竜帝。少々予定は狂ったが、いつまでも貴様達の茶番を見せられるよりはマシか……」
翳すと同時に光が飛ぶ。あの日煌羅を貫いたのと同じ光が、快斗達の背後で佇んでいる竜帝の額へと飛んでいく。
「これで竜帝は目覚め、貴様達の頑張りは無駄に終わる。フハハハハハ……」
「ちっ……!」
嘲る声に快斗の反応は素早かった。一切の脇目も振らずにポンデと共にエグザモンの方へと駆け出した。
「……ちょ、待って……」
完全に置いて行かれた飛鳥だが、そこで初めてドッと額から汗が噴き出した。
元より凶行に走る快斗を止め、エグザモンの下へ連れていく為にここまで走って戻ってきた身である。結果的に快斗を竜帝の下まで連れていくことには成功したようだが、まだ彼の暴走を止められているとは言い難い。そもそも玉川白夜の言葉を借りるなら、加速神器を使用した時点で人間としての死は確定しているはずなのだ。
追わなければ。そして何とかしなくては。
「イサハヤ……!」
背後で伏しているパートナーを振り返る。バンチョーレオモンとタイラントカブテリモンの戦いのすぐ傍で倒れていた彼だが、どうやら戦いに巻き込まれることはなかったらしい。むしろこれは快斗が巻き込まないよう腐心してくれたと思った方がいいかもしれない。
ヤタガラモンの紫紺の瞳と視線が交錯する。きっと彼は、自分の考えを理解するだろう。
「……飛鳥、それだけはダメだ」
「時間がないの。わかって」
「君こそわかっているのか、それを使えば人間は確実に……」
飛鳥が懐から取り出したそれを前にしてイサハヤの声が上擦る。
加速神器・自然。小金井将美の夫が遺した黄色い神器。彼が育てた究極体のデータを内蔵したそれを、飛鳥はこの一年半ずっと持ち続けた。手放すことができなかった。何故なら確信があったからだ。自分達はいつか必ず、この力に頼らなければ潜り抜けられない困難に直面する時が来ると。
「そこのジイさんが言ってたでしょ。死ぬ原因はデジモンが人間を食うからだって」
「それは……」
「人間は私、デジモンはアンタ。……アンタが私を食うわけがない」
そう心の底から信じられる。曲がりなりにも二年以上付き合ってきたのだから。
なればこそ、飛鳥が許せないのは快斗だった。彼は今この場で死ぬ気なのだ。加速神器を使用することで自分が死ぬと信じて疑わない、パートナーであるはずのポンデに自分の身を食わせる覚悟を持ってここにいる。
何が死ぬ気だ、何が覚悟だ。そんなもの、最初から持つ必要はない。
(煌羅がいなくて、私がいなくて、それでもずっと隣にいたポンデのことも、アンタは信じられないの……?)
そう言ってあげたい。そう言って胸を叩いてやりたい。
煌羅にはアンタが必要なように。
ポンデにもアンタが必要なのに。
「正気か飛鳥お嬢様、ここに来て今更加速神器に手を出すだと?」
嘲る白夜の声が聞こえる。別に気にしない、この男は最初から無関係だった。
「デジモンの素晴らしさを理解せぬ身でつまらぬ意地を張って命を捨てるとは、筋金入りの愚鈍者だ。そんな小娘とその連れ合い如きに数年来の計画を潰されるとは、私も不運の極みよな──」
ズンと、倒れたままの男の脇腹に蹴りを入れた。
無関係とは言ったが、その言葉の一つ一つがこちらを苛立たせることに代わりは無い。
「ぐおっ……」
「アンタには一生わからないし、わかって欲しくもないわ」
二年間ただ隣にいたイサハヤ。
究極体に到達できぬ身でムゲンドラモンにもタイラントカブテリモンにもエグザモンにも立ち向かってくれた比翼の友。そんな者が自分を殺すなどとどうして思える? たとえ他の如何なる人間とデジモンの関係がそうだったとしても、自分とイサハヤ、そして快斗とポンデだけは違うと言い切れる。
『私は君のパートナーだ』
あの日、そう言ってくれた彼を信じなくて、一体誰を信じろという──!?
「起動<アクセル>!!」
加速神器が押し付けられた掌から自分の生命力を吸われることを実感する。
それが放出されると共に目の前で白き翼が広がる。太陽の如き巨大な光輪を背負った純白の巨鳥は、先のポンデと同様にその瞳から意思を失いながらも、鮎川飛鳥のパートナーとしてただ変わらずにそこに在る。
聖鳥ヴァロドゥルモン。加速神器によって覚醒したイサハヤの究極体。
「イサハ……ヤ」
進化と同時に直列に繋がれた彼から自分へ叩き付けられる、あまりに膨大な情報量に脳髄を焼かれそうになる。自分は確かに彼の前に立っているはずなのに、同時に自分を見ている彼の視界が自分の視界と重なって見える。これと同じ精神で平然と立っていた前田快斗のことが余計に許せなくなりそうだった。
この霧の中だけで決着を付ける。もう戦闘力を失った玉川白夜とタイラントカブテリモンに用はない。無論、まだ邪魔をしてくるというのなら一切の容赦をしないが、そうでないのならこれ以上関わっている暇もない。快斗に手を汚させたくなかっただけで、彼がこの先どうなろうと知ったことではない。
見据えるのは静かに覚醒し始めた竜帝の姿のみ。
エグザモンを、煌羅を救う。
快斗もポンデも死なせない。
勿論自分だって生きて帰る。
結局のところ、全て家族の問題である。
ゆっくりと動き出したエグザモンの足下まで走る。
霧の中から出すわけにはいかない。だが自分達で奴を止められるのか。流れ込んでくるポンデの視界はノイズに満ちている。彼我の戦力差は圧倒的で、その上自分達には時間が無いらしいと来ている。自分達の為に泣いてくれる女がいて、自分達の戦いはその女の為だという認識こそが肉体を動かす。きっと前田快斗もポンデもだからこそ戦える。
「フラッシュバンチョーパンチ!」
先手必勝、跳躍したバンチョーレオモンが竜帝の顎に一撃を浴びせる。だがタイラントカブテリモンを一撃で怯ませたそれは、体格の差もあって一切の効果を齎さない。
まさに一年半前の光ヶ丘の再現のようだった。九条兵衛とダークドラモン、彼らが命を燃やし尽くして覚醒したばかりのエグザモンに挑んだ時と目の前の状況が重なる。あの時の彼らもこんな風に自分達が人間に挑む羽虫になったかのような気分だったのだろうか。
「お義父様……」
隣に目をやる。エグザモンの額に突き刺さっていたはずのダークドラモン、加速神器の力で竜帝が覚醒したことにより振り落とされたのか、その石化した遺体がそこに転がっていた。
消滅はしない。ただ槍を竜帝の額に突き刺した一年半前と変わらぬ体勢で物言わぬ石像と化している。何故消えないか、そこに在るのは絶対の意思だからだ。己の身命を賭して竜帝を封じる、自分達の手で大切な何かを守る。その意思のみでダークドラモンは肉体を朽ちさせることなく未だ存在する。それはまさしく肉体の限界を超えながらも、意思の力で生存し続けた月影銀河とサーベルレオモンと同じだった。
「……っ!」
ドクンと心臓が跳ねる。懐に忍ばせたもう一つの加速神器、九条兵衛が残した暗黒が脈動を始めている。
ポンデが幾度打ち付けたところでエグザモンの肉体には一切のダメージが入らない。やがて自分達も限界を迎えて力尽きる。そうなれば一年半前と同じだ。そして自分とポンデにあの九条兵衛のように絶対の意思で竜帝を封じられるだけの自信はない。
死を乗り越える力。己の限界に打ち勝つ力。ただ大切なものを守らんとする意思の力。それらは全て辛酸を舐め続けた大人こそが持ち得る力だからだ。今の快斗とポンデはその域に届くにはまだ若すぎた。
『……頼むぞ』
そう言った男の背中を思い出す。愛娘をどこの馬の骨とも知れぬ男に託して死ぬ無念が、今の快斗にはわかる。
だからせめて。
この国を愛し続けた男の、ただ娘を守る為に命を散らした男の、心を散らし肉体を石化させた上で尚この一年半に渡り保ち続けた絶対の意思を、今少しだけ貰っていく。
「お義父様……力を借りるぜ」
加速神器・暗黒を翳す。石化したダークドラモンの体が輝き始める。
「突風<ブラスト>!!」
瞬間、世界が暗転した。
五感が失われる。前方に伸ばした両手に握る正義と暗黒、二つの加速神器の感覚さえ曖昧だった。ただ体内で轟々と嵐が吹き荒れているかのようで、それがやがて自分を内から食い尽くしていく確信がある。思い出されるのは今の自分と同じ言葉を発した後、肉体を粒子化させてダークドラモンと一つに溶け合った九条兵衛の姿。きっと前田快斗もまた同じようにポンデかそれともダークドラモンの肉体に吸収される。
そのはずだった。
「……なんで……」
声が漏れる。五感が急速に戻っていく。
惚れた女に、守るべきはずの女に、後ろから抱き締められていたから。
目の前にイサハヤが、彼女のパートナーだろう黄金の鳥が舞い降りていたから。
「アンタは、本当に……わかってない」
耳元で囁かれる弱々しい声。
溶けるように、溶け合うように、快斗の胸に添えられた飛鳥の手から彼女の温かさが、生命力が流れ込んでくる。快斗一人であったなら容易に存在を食われていただろう肉体の浸食は、彼女と二人でなら耐えることができた。鮎川飛鳥に負担を半分肩代わりしてもらうことで、前田快斗は死ぬことなく生きている。
だがそれはつまり、彼女もまた自分と同じように加速神器を使ったということ。
神器の力でイサハヤを究極体に進化させたということ。
「なんで、お前……」
「お前じゃ、ない」
「いや、だから……なんで」
自分が命懸けで煌羅を救い出すから、彼女にはその煌羅を見守って欲しかったのに。
自分が死ぬとしても、彼女にだけはこの先も生きていて欲しかったのに。
「今更、それ」
まるで平時のように呆れた声が飛鳥から漏れた。
本当に、この男は。
「いい? 多分一生に一度しか言わないから耳かっぽじって聞きなさいよ?」
その言葉で初めて快斗がこちらを向く。キョトンとした顔は、今日初めて見る本当の彼の顔のようだった。
だから深呼吸した。憎悪と憤怒で視界を燃やしていた快斗とは違う、飛鳥の心と体が燃えるように熱かったのは加速神器の副作用でも怒りや殺意などでもない。自分の頬が真っ赤になっているのがわかる。単なる緊張と気恥ずかしさでしかないのだ。如何なる理屈があったところで自分が死ぬなんて考えない、どんな道理に阻まれようとこの先の未来がないなんて信じない。
自分達は三人と一匹と一羽で笑って帰るんだと、そう決めている。
「煌羅には」
快斗と飛鳥の前、獅子と竜人の肉体がゆっくりと融合していく。
「ポンデには」
加速神器、正義と暗黒。相反する二つの属性を溶け合わせたそれは。
「イサハヤには」
獅子の長刀と竜人の大砲を併せ持つ混沌の具現として顕現するその存在の名は。
「私には、アンタの代わりなんていないんだ──!!」
カオスモン。
目を見開いた時、視界にはそれがいた。
自らの同僚であり最後の名を冠する聖騎士にそれは酷似していた。だが英雄と謳われる聖騎士に比してそれは遥かに邪悪で禍々しき存在だった。まるで世界から存在すること自体を拒まれているかのように、全身には常にノイズが走り今にも肉体が砕け散って消えてしまいそうな不安定さでそこにいる。
(敵……?)
それの背後に立っている人間が目に入る。荒い呼吸と燃えるような目をした少年と、何度も泣き腫らした顔の少女。
見覚えがあるはずなのに思い出せない。少女の方は先程、自分のすぐ下で懺悔の言葉を発していた女である。父親が苦手だったとか嫌いだったとかそんな話、自分には関係ないし理解もできなかった。だって自分はロイヤルナイツのエグザモンなのだ、デジタルモンスターに父も母もいるわけがない。
そこまで考えてズキリと頭が痛んだ。父と母、お父さんとお母さん、何かを──忘れている気がした。
「ダークプロミネンス!」
聖騎士に酷似した混沌の戦士がその腕から暗黒闘気の弾丸を放ってくる。
躱すまでもないそれを、腕の槍を振るって弾く。ロイヤルナイツの中でも最大の体躯を誇る自分がそうするだけで、人間など容易く吹き飛ばしそうな突風が起き、少年と少女の体が大きくよろめく。それが何かマズいことのような気がして、エグザモンは慌てて槍の一閃を止めた。何故そうしてしまったのかは自分でもわからない。
(どうして……?)
混沌の戦士が左腕の長刀を掲げる。その腕に象られた獅子の顔を、見たことがある気がした。
(どうして……?)
大きな白い鳥が二人を庇うように舞い降りる。その鳥にも見覚えがあった。
(どうして……ですか)
エグザモンの視線が二人の携える小型デヴァイスへと行く。
知っていた。人間の心を糧にデジタルモンスターの力を高めるデジヴァイスの中でも、それは飛び切りの欠陥品であった。人間の心を、生命力を際限なく吸い取り大いなる力へと変換してデジモンに注ぐ、その代償にデジモンは人格データを損じて吸引した人間の心に上書きされる。かつてマトリクスエボリューションと呼ばれた人とデジモンの完全なる融合という奇跡、それを再現せんとした果ての失敗作だったはずだ。
そんな使えば死ぬ代物を、事もあろうにどうして彼らが持っていて。
(どうしてお二人が、それを持っているんですか……ッ!)
そしてその反動で死んだ人間を知る彼らが、どうして躊躇い無くあの二体を進化させているのか。
見れば混沌の聖騎士と同様、二人の男女の全身にもパリパリとノイズが走っている。この電子濃霧(デジタルフィールド)の中にあってさえ存在を許されていないような有様、まるで次の瞬間にでも消えてしまいそうな不安定な存在が今の彼らだった。彼らが何故ここまでするのか、その答えは明白だった。
(私を助ける為に……!)
それがわかるから、アノニマスは言葉が紡げない。だとしても違う、そんなことは望んでいない。
「覇王両断剣!」
その長刀を脇腹に打ち付けられる。混沌の者の攻撃はエグザモンの肉体にも十分に通用し得る。
続け様に放たれた複数の光弾が巨大な翼に直撃し、竜帝の体は大きくよろめいて胸から地面に墜落した。デジタルフィールドの中で在る以上、瓦礫も何も飛ばないはずだが、生身の人間としてこの場に立つ二人を庇うように巨鳥が黄金の障壁を張っている。
(痛い……痛い……痛い……っ!)
痛むのは体ではない。ギシギシと軋むのは他ならぬアノニマスとしての心。
あの二人を守ろうとしたのは、彼らに命を散らして欲しかったからじゃない。
ベルフェモンに挑んだのは、彼らにこんなことをして欲しかったからじゃない。
使命と戦いの中でのみ生きてきた自分に、どこか穏やかな平和を教えてくれたのは彼らだった。誰かに思われることがこんなに温かく心を満たしてくれるということを教えてくれたのは彼らだった。だからそんな彼らこそ、どこまでも平和で平穏に生き続けて欲しかったのに。
そして願わくば無事に帰れた時。
頑張ったねって褒めて欲しかったのに。流石は俺の娘だって頭を撫でて欲しかったのに。
(もし私が助かっても、快斗さん達に何かがあったら)
それは奇しくも。
(私は皆で一緒に帰れなきゃ、嫌なんです……!)
彼女の“母”と同じだった。
「煌羅……?」
竜帝の動きが鈍ったと感じた。四つの加速神器で操られているはずのエグザモンに、明確な自我が戻ったように見えた。
カオスモンの力ならこのままエグザモンを押し切って倒すことも可能かもしれない。だがそれでは煌羅を救うことはできない。元より自分達は竜帝を倒す為ではなく、ただ娘を取り戻す為にここまで来たのだ。
一年半前に煌羅が玉川白夜と語っていた言葉を思い出す。彼女は異世界の守護者の生まれ変わりか何かで、元々あのベルフェモンに滅ぼされた上で人とデジモンに分離したという。そしてそのベルフェモンが人間界で捕らえられたことで、その力を分析して四つの加速神器は生み出されたと聞いた。
正義、暗黒、自然、そして究極。それら四つが揃えば、もしかしたら。
「イサハヤ」
正面で金色のオーラを纏い自分達を守護しているヴァロドゥルモンに声をかける。
彼は頷くこともなくただ嘴の辺りから光に乗せてそれを飛鳥の手元まで飛ばしてきた。究極体への進化に伴い加速神器・自然で繋がったことで、自分の与り知らぬ場所でイサハヤが手にしたそれの存在を飛鳥は知った。手の内に収まった赤いそれは、イサハヤが半年前にスレイプモン、他ならぬエグザモンの同胞から託された加速神器・究極だった。
かつて母代わりだった女が持っていたのと同じそれを、飛鳥はグッと握り締める。
「ねえ快斗」
隣に並び立ちながら言う。
「私、お父様にずっとしてもらいたかったことがあるんだ」
「……どデカい別荘でも買ってもらうとかか?」
「それいいわね。買ってもらっとけば良かった。じゃなくて」
ちょっとだけ笑った。こんな状況なのに普段の自分達に戻れた気がした。
「だから煌羅には、それをしてあげたい」
別段大したことではない。ずっと願い続けたというわけでもない。
けれど父が死んだ時、漠然とああ一度もしてもらったことがなかったなと思ったのだ。普通の親子なら一度ぐらいはあるだろうそれを鮎川飛鳥は一度も経験したことがなかった。自覚したのが最近だから今更それをどうこう言うつもりはなかったが、せめて自分の子供にはそうしてあげたいと思うのは自然の帰結だった。
「してあげりゃいい。それは母さんの役目だろ」
「アンタもするのよ」
そうピシャリと言ってやると快斗は目を丸くした。本当にコイツはわかってない。
「アンタだけじゃない、ポンデもイサハヤも、皆で」
快斗の隣で加速神器を前方へ突き出した。自然と究極、二つの神器が光を放つ。
「……私達、家族なんだから」
目の前のヴァロドゥルモンが、そして究極に記録されたスレイプモンのデータが奔流となってカオスモンに降り注ぐ。制御し切れないエネルギーが漏れ出し、それによって形成される竜帝を覆わんばかりの巨大な腕を得た混沌は、更なる究極の混沌として君臨する。
死ぬわけがない。きっと元通りの自分達に戻れる。そう信じている。
それでも一抹の不安はある。二人がかりとはいえ四つの神器に同時に力を注ぎ込んだ人間などいない。今にも肉体に限界が来て桂木霧江のように吐血して果てるか、父や車田香のように精神か肉体が消え失せるかもしれない。それら全ては覚悟の上、自分達はこの先ずっとその不安と戦っていかなければならないし、それだけの覚悟を持って今この場所にいる。そしてポンデとイサハヤが自分達の命を食うはずがないと知っていても、そこに恐怖が一切ないかと聞かれれば嘘だ。
それでもきっと、自分達なら乗り越えられる。
「ハニー」
「ハニー……言うな」
だって一緒に背負っていくのだ。これまでも、そしてこれからも。
「長生きしろよな」
どこまでも届く腕。
何もかもを掴む腕。
「……快斗もね」
それを以ってただ竜帝を抱き締める。
孤独に戦い続けた少女を労わるように、慈しむように。
「お疲れ様、煌羅」
21世紀である。
この日、人の世は新たなる世紀に突入した。世界中の人々が熱気に包まれ、新しい時代の到来を祝福した。戦争と核の脅威に苛まれてきた時代は終わりを告げ、今度こそ誰もが平和な世界が続くことを夢見て。
熱狂する人々は枚挙に暇が無い。その全てを語り尽くすなど不可能だ。
「お二人とも早く来てくださいー!」
「げ、元気ね煌羅……」
「一年半も寝てたんですから当然です! むしろお二人はなんでそんなに疲れてるんですか!?」
「それを言うかよ煌羅……グー」
「うわ俺の背中で寝るなポンデ! 重い!」
「ふむ。ではこの寝坊助は飛べる私が運んでいくとしようか」
「いやアンタは動かずぬいぐるみやってなさいよイサハヤ」
「お、おのれ……」
「やっぱ紅白を最後まで見たのはミスったよなー」
「そうね。カウントダウンLIVEも色々回してたし……」
「もー! わかってるんですか! 今日は百年に一度のイベントですよ!」
「楽しそうだな、煌羅」
「当然です!」
「それはどうして?」
「だって初めてですよ、家族(みんな)で初日の出なんて!」
それでも。
新しい世紀の初日の出を見るべく真っ暗な道を行く人々の中に。
そんな家族と一匹と一羽の姿があったことは。
明記すべき価値のあることだと思う。
天気予報によれば、本日ハ晴天ナリ。
霧の晴れた東京。きっと雲一つ無い青空が、視界いっぱいに広がることだろう。
◇
【後書き】
というわけで、本作はこれにて完結となります。夏P(ナッピー)です。
最後までお付き合い頂いた皆様に感謝を、あと何より投稿場所を提供いただいたデジモン創作サロンにも何にも勝る感謝を。2010年頃にプロローグと1話2話だけ雑に書いてずっと放置していた作品ですが、ふと先々月に「プロローグの年代来ちゃったじゃん!」と気付かされてそこからは一気に書き上げさせてもらいました。やはり自分には締め切りとノルマ持たせた方が執筆スムーズに行くな……。
そんなわけで、飛鳥と快斗と煌羅の物語はひとまずの完結です。何か忘れてねーかとなったあなたはきっと正しい。
それでは、また機会があれば別作品にて。また他の方の作品に感想書かせて頂きたく思います。
拝見報告です。
デジモンアクセルは未履修(リアタイは特にデジモンから離れていたもの)なので、本体の造形や登場するデジモンについてはあまり詳しくないのですが・・・
キャラとして、印象に残ったところというのは、
霧江さんは最後まで良い人でいてほしい・・・んんん、夏Pさんの作品ならそれは絶望的か(オイコラ
その予感は的中してしまいました。
夏Pさん作の登場人物全て悪者な某作品拝見済みだと、誰も信じられなくなる現象です。
責任をとっていただきたい!!(知るか
それはそうと、霧江さんは姉御系のしゃべり方からか、高乃麗さん(鷹羽リョウなど)の声で脳内再生されています。
ただ、リリスモンだとすればアニメ実績的には桑島さんか・・・?
夏Pさんとしては、どのキャラに寄せていたのでしょうか?
掛け合いで一番の印象は、ちょいちょい会話にぶっこまれる『ハニーD』やら『ハマーD』やら。
アストロレン〇ャーズとか懐かしいなおい。
顔の筋肉がプルプル震えました。
これ以降の内容が全く入ってこない!
カイトくんの声が伊藤Kボイスで再生される始末!!
3話と8話の「ハァ――――――!!」はなんだか公式を飛び越えて、夏Pさんの代名詞にもなっている気が・・・
5話の「するんじゃねえわよ!」もなんかツボりました。
9話10話にはバンチョーレオモン、そしてカオスモンとヴァロドゥルモンが登場。
期待通りの登場でこれはテンションが上がりました。
ヴァロドゥルモンは安易にアームにならなかったのが夏Pさんのこだわりなのでしょうか?
大団円でしたが・・・結構死人が出ましたね。
そして死に方も結構悲惨。特にえっちなカノジョ。
そういや教授は?自分の価値をアピって、殴られ蹴られて悲鳴上げて、やられてみればただのチンピラ感がすごい。悪役ってこんなもんですよね。いい気味だ!!
あと、序盤にあったエピローグはどういうことだってばよ!?
そのあたり、是非語っていただきたいですね。
お話の大筋は少年漫画の王道的な雰囲気があって、とても好感がもてました。
以上、とてもつたない感想でしたが失礼いたします。